「KING」と一致するもの

Lana Del Rey - ele-king

 オープニングの“White Dress”に震える。まるで耳元で囁くような距離の近さで、ポップ・スターになることを夢見る「白いドレスを着たウェイトレス」であった若き日々の経験を告げるピアノ・バラッドだ。まだ有名ではない彼女は「サン・ラのようにちっぽけな気持ち」だったが、音楽業界の男に見初められて業界人の集まる会議に行き高揚感を味わう。神になったような気分であったと。ドラマティックなメロディに取り残されるようにかすれる声。けれどもその高揚感は、彼女の才能が認められたわけではなく、たんに業界の男に性的に搾取されたことの結果だったのかもしれない。まさに#metooが告発し、否定したものだ。けれどもラナ・デル・レイは、その経験を自身の甘美な思い出としてうっとりと歌うのである。
 “White Dress”はまた、ホワイトである彼女の後ろめたさを滲ませた曲でもある。サン・ラを引用しているのは彼が生前音楽業界から過小評価されていたからで、その惨めな気持ちをかつては共有していたが、若い白人女性であった自分(「ホワイト・ドレス」を着ている)はあるとき成功を手にしたのだと。それは、#blacklivesmatter以降に生きる白人が自身の特権と向き合う感覚とどこかで重なっている。非倫理的な愛の喜び、後ろめたさ、過ぎ去った甘美な記憶に浸ること……これらはつねにラナ・デル・レイの歌の重要なモチーフであり、時流を捉えたハッシュタグでは掬い取れない人間の正しくなさ、欠点を生々しく描き出す。
 続くアルバム・タイトル・ナンバー“ Chemtrails Over the Country Club”もまた非常に親密なラヴ・ソングで、サッドコアのアイコンとしては恋愛の幸福な瞬間をとらえているように見えるが、その背景ではカントリー・クラブの上に環境を汚染する飛行機雲がかかっている。ケムトレイルズとは陰謀論のメタファーであり、つまりこれはカントリー・クラブに通うようなアメリカの白人保守層が陰謀論に侵されている時代を背景にした、とろけるような愛の歌なのである。その儚い響きは、現代のいかれたアメリカを生きることのメランコリーそのものだ。この2曲を聴くだけで、ラナ・デル・レイがいまもっとも怜悧に人間とアメリカ社会の複雑さを描いているソングライターであることがわかる。

 6作目となる『Chemtrails Over the Country Club』はラナ・デル・レイにとってのアメリカーナ・アルバムで、彼女はこれまでずっと舞台としてきたLAを離れてタルサ(オクラホマ)〜リンカーン(ネブラスカ)〜オースティン(テキサス)〜オーランド(フロリダ)と旅しながら、まさに前世紀の内陸的なアメリカ音楽の遺産をなぞるようにフォーキーな楽曲を並べている。セピア色だったラナ・デル・レイのイメージはサウンド的にももはやモノクロームになり、古典的な佇まいが強い。ソングライティング自体は前作に引き続き70年代のシンガーソングライター・アルバムを踏襲しているようなところがあるが、音の質感やアレンジ自体は1940年代に政治的な理由によりフォークから分離したとされるカントリーにまでリーチしたものだ。象徴的なのはカントリー歌手のニッキー・レインがすれた歌声を聴かせる“Breaking Up Slowly”で、これは「カントリー界のファースト・レディ」と呼ばれたタミー・ワイネットのことを歌ったもの。アルコール依存症だった夫でカントリー歌手ジョージ・ジョーンズとの別離をブルージーに描き、アメリカが誇る女性シンガーが直面した困難な愛の物語を自分に重ねているのだ。ワイネットはのちにヒラリー・クリントンに「わたしは彼女のように男のそばに大人しく立っている女とは違う」と揶揄されたが、ラナ・デル・レイは自分がワイネットのようなシンガーの系譜にあるとした上で、彼女が歌った愛に敗れる女性の心情を美しいものとして引っぱり出している……アメリカの保守的とされる場所から。
 タルサを舞台にジーザスと聖書を讃える“Tulsa Jesus Freak”のような曲はアメリカの批評では福音派のイメージと重なっていると指摘されており、そのように見ると「We'll be white-hot forever, and ever and ever, amen」というリピートは白人至上主義のことを示しているようでぎょっとするところがある。「ホワイト・ホット」とは「白熱」の意味であり、語義通りに取ると情熱的な恋愛を歌ったものではあるのだが、本作の初期のタイトル案が「White-Hot Forever」であったことを思うと白いアメリカに対する言及と捉えないことのほうが難しい。ただ、これは明らかに白人を中心にして作られてきたアメリカが現在糾弾されていることを念頭に置いたもので、WASP的な美学をいたずらに纏っているとの批判に晒されてきたラナ・デル・レイが、いま古き良きアメリカのイメージに浸ることがいかにグロテスクなことか自覚したものだと見なせるだろう(タルサは白人が黒人を大量に虐殺した暴動で知られる町である)。アメリカの土地がいかに血塗られたものであるかを仄めかしながら、彼女はそれでもノスタルジアの誘惑に駆られる自分を隠さない。この20年の音楽作品でおそらくもっとも近いのは、アメリカの歴史の闇に自分の心情を取りこんだスフィアン・スティーヴンスの『Illinois』だろう。どちらも「私」の葛藤や矛盾がそのまま、アメリカ社会のダークネスと重ねられた作品である。その矛盾をすべて抱えたものがアメリカであり、そして「私」であると。

 『Born to Die』で生気のない佇まいとともに登場しレトロと戯れていたラナ・デル・レイは、フェイクな存在だと長い間言われてきたし、自分も正直はじめはそう思っていた。実際、暴力的な男に痛めつけられるか弱い女の像をやや露悪的・偽悪的に表象していたところはあるだろう。けれども、『Lust for Life』辺りから変わっていくことの困難とそれでも変わろうとする人間の心の動きを彼女は積極的に綴るようになり、自分の不道徳さを晒してきたからこそリアルな存在と――「アメリカの次の偉大なソングライター」とまで呼ばれるまでになった。何か「不適切な」言動をおこなうとソーシャル・メディアで吊るしあげられ一瞬で忘れ去られるような時代にあって、ラナ・デル・レイの歌だけはいつも聴く者の間違いや不完全さに寄り添っていく。
 だからこそ現在のラナ・デル・レイは、弱くて愚かな人間がそれでも変わることや希望を持つことを諦めない。『Chemtrails Over the Country Club』はそして、彼女が敬愛するジョニ・ミッチェルの“For Free”で終わるアルバムだ。路上で歌う名もなきミュージシャンの自由と真実味を讃える美しいバラッドで、それをラナ・デル・レイはワイズ・ブラッドのナタリー・メリングとゼラ・デイとともに歌うことで、わたしたちが自由を求める姿を体現してみせた。そこにはもう、業界の男の利用されて恍惚とする女はいない。
 本作の前に出たシングル「Looking for America」で「それでもわたしのヴァージョンのアメリカを探している」と歌っていたラナ・デル・レイは、まさにいま表現者としての探究心によって黄金期を迎えている。『Blue Banisters』と題されたアルバムが、今年の米独立記念日にリリースされることが発表されている。

 


GoGo Penguin
GGP/RMX

Blue Note / ユニバーサル

ElectronicaTechnoModern Classical

 これを「ジャズとテクノの幸福な出会い」などと呼んではいけない。出会っているのはクラシック音楽とテクノ~エレクトロニカであり、生楽器と電子音である。ゴーゴー・ペンギンは、ジャズ・バンドではない。

 名門〈Blue Note〉に籍を置きながら、「アクースティック・エレクトロニカ・サウンド」なるタームで評判を集めるゴーゴー・ペンギン(以下 GGP)。クリス・アイリングワース(ピアノ)、ロブ・ターナー(ドラム)、ニック・ブラッカ(ベース)から成るこのトリオは、もともとはマンチャスターの〈Gondwana〉を拠点に活動していたグループだ。2015年、前年のセカンド・アルバム『v2.0』がマーキュリー賞にノミネイトされたことで大いに注目を集め、〈Blue Note〉へ移籍することになった。
 トランペット奏者のマシュー・ハルソールによって設立された〈Gondwana〉は、ママール・ハンズやポルティコ・クァルテットなど、エレクトロニック・ミュージックの要素をとりいれたジャズ・グループの作品を果敢にリリースすることで、南ロンドンとはまた異なるスタンスで2010年代のUKジャズを牽引してきたレーベルである。ジャズのフォーマットに則った生楽器のトリオ編成をとりながら、エレクトロニカやドラムンベースからの影響を「再現」してきた GGP も、そのムーヴメントの大きな旗振り役だったと言えよう。
 だが、ベーシストのニック・ブラッカが「ジャズ・サウンドと呼ぶのは正しくない」と発言しているように、GGP の音楽はブラック・ミュージックの気配を漂わせてはいない。彼らの影響源としてよくあげられるのはドビュッシーやショスタコーヴィチであり、エイフェックス・ツインやスクエアプッシャーである。じっさい、そのミニマルなピアノは、フランチェスコ・トリスターノあたりと並べて語られるべきクラシカル~印象派由来の感傷を携えている。あるいはドラムのロブ・ターナーによれば、GGP が活動をはじめた初期はクラークのドラム音とプログラミングに触発されたという。GGP はジャズ・バンドではない。エレクトロニカなどのアイディアを生演奏で追求するトリオだ。昨年発表された5枚目のフルレングス『GoGo Penguin』はそんな彼らのアンサンブルが最大限に発揮された、セルフタイトルにふさわしい好盤だった。

 このたびリリースされたのは、その『GoGo Penguin』のリミックス盤である。トラックリストにはコーネリアスマシーンドラムスクエアプッシャー、ネイサン・フェイク、808ステイト、ジェイムズ・ホールデン、クラークと、(コーネリアスを除けば)エレクトロニカやテクノ文脈のアーティストが多く並んでいる(〈Gondwana〉時代の盟友と呼ぶべきポルティコ・クァルテットも参加、穏やかなクローザー “Don't Go” にキックを足し美麗な4つ打ちにつくり変えている)。何年も温めてきた企画だそうで、スクエアプッシャーしかりクラークしかり、ほんとうに彼らが好きなひとたちにオファーしていったんだろう。ジャズではなく、エレクトロニカやテクノから影響を受けた生演奏バンドが、その道のプロたちに身を委ねたアルバム──それが本作だ。

 冒頭を飾るのはコーネリアス。原曲 “Kora” のきれいな旋律とドラムの躍動感を損なうことなく自前の電子音を重ねながら、さりげなく日本的情緒を漂わせるなど、GGP へのリスペクトとみずからの解釈を巧みに両立させた、バランスの良い知的なリミックスだ。

 日本からはもうひとり、具体音を駆使するサウンド・アーティスト、ヨシ・ホリカワが参加している。“Embers” の穏やかなムードはそのままに、全篇に微細なチリノイズを振りかけることでアンビエント的な空間を醸成、これまたバランスの良い再解釈を聞かせてくれる。
 ジェイムス・ホールデンはオリジナルの疾走感をすべて剝ぎとり、霧の立ちこめる薄暗い渓谷のような音響空間を生成。フランスは〈Infiné〉のローン(2012年の『Tohu Bohu』で高い評価を獲得、その後ザ・ナショナルのアルバムに参加したりジャン=ミシェル・ジャールと共作したり)は原曲のポリリズミックなピアノを主役の座から引きずりおろし、マンチェスターのシュンヤ(GGP のサポートを務めたこともある新世代のプロデューサー)はもとの諸要素をばらばらに解体、独自にコラージュしてみせる。
 ダンス・カルチャーとの接点という意味では、アルバム中もっともドラムが自己を主張する “Open” をハウシーに改造したネイサン・フェイク、もともとダンサブルだった “Atomised” を自身の電子音で染め上げ、さらに機能性を高めまくったマシーンドラムが印象的だ。みなそれぞれ対象との向き合い方が異なっていておもしろい。

 このように、リミックス盤の醍醐味はやはり、原曲とリミキサーの解釈が大胆にぶつかりあうところにある。化け具合において突出しているのは GGP と同郷の先輩、グラハム・マッセイによるリミックスだろう(808ステイト名義)。原曲のおもかげはほとんどなく、といってアシッドぶりぶりのエレクトロに仕立てあげられているわけでもなく、彼の新境地と呼べそうな独特のサウンドが展開されている。
 みずからの個性と実験性に引き寄せるという点では、クラークも負けていない。彼の調理対象は “Petit_a” で、『GoGo Penguin』の日本盤にボーナストラックとして収録されていた曲。人力でドラムンベースを演奏してみせるあっぱれな曲だが、クラークはそのドラムを切り刻みまったくべつのリズムへと変換、ダークなビート・ミュージックを生成している。トム・ヨークのときもそうだったけれど、期待の地平を裏切りまくる彼のリミックスには毎度唸らされる。

 極私的にもっとも魅了されたのは、ブラッカが「ぼくらの最大の音楽的影響源」と呼ぶスクエアプッシャー。『Solo Electric Bass 1』のごときベースの即興演奏からはじまるこのリミックスは、もとの旋律を破壊することなくシンプルな反復として後景へと追いやり、中盤以降のブレイクビーツの暴動を用意する。家元の矜持なのか、わずかに原曲に含まれていたドラムンベースの要素を消し去り、「甘いな、こうやるんだぜ」といわんばかりに自分の音を炸裂させる様に思わずニヤリ。叙情を忘れないところも含め、『Ultravisitor』期のスクエアプッシャーを想起させる仕上がりで、原曲への敬意とリミキサーの個性とが見事に両立した1曲と言える。ショバリーダー・ワンというバンドをやったことのあるトム・ジェンキンソンにとっても、GGP の存在にはどこか共感を覚える部分があったのではないだろうか。

 このわくわくするリミックス盤を聴けばもう、GGP を「ジャズ」のひと言で片づけてしまうことはできなくなるだろう。彼らはジャズ・バンドではない。機械のエモーションをこよなく愛する、生演奏グループだ。『GGP/RMX』はそんな彼らの本領を教えてくれる、ある種のマニフェストである。

デビュー30周年記念
永遠のフィッシュマンズ

インタビュー
茂木欣一
柏原譲
佐藤伸治(再録)
佐野敏也
稲垣吾郎
高城晶平(cero)
宇川直宏

対談
ZAK × 村上隆

エッセイ
HONZI回想(茂木欣一)
HONZI回想(植田亜希子)
フィッシュマンズとの日々(植田亜希子)
ワイキキ731日(再録)(森本正樹)
季節と魔法(よしもとよしとも)
叫び出しそうなほどの美しさと重たさ(朝倉加葉子)
東京の西から(森元斎)

フィッシュマンズの時代(水越真紀)
フィッシュマンズの時代(宮台真司)
『映画:フィッシュマンズ』(品川亮)

ディスコグラフィー
(磯部涼、河村祐介、さやわか、ジェームズ・ハッドフィールド、野田努、松山晋也、水越真紀、三田格)

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Carlos Niño & Friends - ele-king

 アモンコンタクトやヒュー・ヴァイブレイショナル、ビルド・アン・アークなどの活動で名を馳せ、ヒップホップからジャズ、エレクトロニカ、アンビエントまでを横断、プロデューサー、DJ、ライター、詩人など多くの顔を持つLAシーンのキイパースン、カルロス・ニーニョ。彼の最新作が7月7日にリリースされる。
 ここでひとつ、サプライズ。サム・ゲンデル、ジャメル・ディーンといった仲間たちに加え、なんとUKから(サンズ・オブ・ケメットの新作リリースを控えるシャバカ・ハッチングスが参加! さらには御大ララージまで駆けつけているようなので、これはスルーできない案件である。予約・試聴はこちらから。

 なお、5月27日発売の『ユリイカ』6月号にカルロス・ニーニョのインタヴューが掲載されるとのこと。レイ・ハラカミについて語っているそうです。


Carlos Nino & Friends
More Energy Fields, Current

シャバカ・ハッチングス、サム・ゲンデル、ネイト・マーセロー、ジャメル・ディーンが参加。数多くのソロ作品やコラボレーション・プロジェクトで辿り着いたカルロス・ニーニョによる、コズミック・アンビエント・ジャズの最高傑作!! ボーナス・トラックを加え、日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様のCDでリリース!!

Official HP :
https://www.ringstokyo.com/carlosninomefc

このアルバムは、90年代半ばから歩み続けてきたカルロス・ニーニョの音楽の旅が到達した極みだ。ヒップホップからジャズへ、フォークからアンビエント、ニューエイジへ、音楽の意匠は変化しても、彼の音楽の本質は変わらない。サム・ゲンデル、ネイト・マーセロー、ジャメル・ディーンら、お互いを信頼し合う素晴らしい仲間と作り上げた最高の一枚。ゲスト参加のシャバカ・ハッチングスもカルロスの宇宙に溶け込んでいる。(原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : Carlos Nino & Friends (カルロス・ニーニョ&フレンズ)
タイトル : More Energy Fields, Current (モア・エナジー・フィールズ,カレント)
発売日 : 2021/7/7
価格 : 2,800円+税
レーベル/品番 : rings / International Anthem / Plant Bass (RINC77)
フォーマット : MQACD (日本企画限定盤)

* MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。

01. Pleasewakeupalittlefaster, please... (with Jamael Dean)
02. The World Stage, 4321 Degnan Boulevard, Los Angeles, California 90008 (with Sam Gendel, Jamael Dean and Randy Gloss)
03. Nightswimming (with Dntel, Jamael Dean and Jira ><)
04. Now the background is the foreground. (with Adam Rudolph, Aaron Shaw and Jamael Dean)
05. Thanking The Earth (with Sam Gendel and Nate Mercereau)
06. Salon Winds (with Jamire Williams, Nate Mercereau, Jamael Dean and Aaron Shaw)
07. Ripples, Reflection, Loop (with Laraaji, Jamael Dean and Sharada)
08. Togetherness (with Devin Daniels and Jamael Dean)
09. Iasos 79 'til Infinity
10. Please, wake up.
&Japan Bonus Track

The Escape Velocity - ele-king

 ジェフ・ミルズが編集する雑誌『The Escape Velocity』の2号目が早くもリリースされた。今回はデザインもヴィジュアルもさらにグレードアップされ、さらにまたひじょうに興味深いコンテンツが収録されている。まずは表紙が動画仕掛け、3つある動画のひとつではジェシカ・ケア・ムーアの書き下ろしによるポエトリーが読める。音楽以外の記事では、地球上に存在するもっとも黒い黒のペイントを開発したというアーティストStuart Sempleのインタヴュー、『Another Science Fiction』の著者Megan Prelingerのインタヴュー、「白という色の意味」というアート系のコラムなどがある。もちろんアクシスから作品をリリースしたばかりのOrlando VoornやDeetronらも登場。中国のテクノの記事もある。最後に少しだけ日本語があるとはいえ基本は英語なので日本人が読むのには苦労するのは仕方がないにしても、とにかくジェフ・ミルズののレトロフューチャー好みのテイストが反映された凝ったデザインとヴィジュアルが見事なので、ぜひページをめくって欲しい。データが重たいので読み込みに時間がかかるので、いつか紙版が出ることを期待しましょう。

interview with Satomimagae - ele-king


Satomimagae
Hanazono

RVNG Intl. / PLANCHA

FolkAmbient

 サトミマガエの新作『花園』を聴いていると、まだマンションが乱立する前の、昔の古い世田谷の迷路のような小道に迷い込んで、偶然いままで知らなかった小さな空き地に出たときに感じた嬉しさのようなものを感じる。そこにはやはり小さな草花が風に吹かれているのだ。
 サトミマガエをぼくに教えたのは畠山地平だった。彼のレーベル〈White Paddy Mountain〉からリリースされた『Koko』があり、『Kemri』があった。畠山のイベントに出演した彼女のライヴにも行った。高円寺のとあるお店の地下スペースで、10人にも満たない人たちを前に、彼女はアルバムで聴いた印象の通りの静的な佇まいをもって、抑揚のない独自の歌い方と魅力的なギターを披露した。おそらくその週末の東京のいたるところで演奏されたどの音楽よりも、そこは静かだったはずだ。

 彼女の新作『花園』が〈RVNG Intl.〉を通してインターナショナル・リリースされるのは、楽しみというほかない。アンビエント・フィーリングを持った彼女の作品は、ひとつのサウンドとしての面白さが充分にある。物静かで音数は少ないが、細かいアレンジが行き届いており、ギターと歌以外の小さな音がほかにもこの小さな世界に共鳴している。そこから見える景色は、モノクロームではない。アルバムのアートワークのようにカラフルでもある。
 今回は初めての取材なので、ものすごく基本的なところから質問している。日本から登場したこの異色のアーティストにひとりでも多く興味を持ってもらえたら幸いだ。

いろんな感情を中和するものを作りたいなと思って。刺激のある音楽の間に挟んで聞くような休憩の音楽、でもそういう音楽が大事なときもあるなと思ったんですよね。

生まれと育ちはどちらなのでしょうか。

サトミマガエ:茨城県です。

ギターに興味をもたれたきっかけは?

サトミマガエ:中学生くらいのときにあった選択音楽という授業でギターを選びました。家にギターがあったので弾けたら面白いかな程度でやってみたということです。少し弾いてみたら楽しくなりすぐにのめり込みました。最初は学校で発表するという名目でやっていたので、当時流行っていたJポップなんかをやって。

お父さんがアメリカで買ってきたブルースのレコードが好きだったという話を聞きましたが。

サトミマガエ:家族で2年間アメリカに住んでいたんです。アメリカでも父親が友だちに紹介してもらった古いブルースを聴いていたし、それを日本に帰ってきてからも車とかでかけたりして。当時は好きというわけではなかったけれどよく耳にはしていましたね。

自分で能動的に音楽を聴いたり、あるいは演奏をするようなきっかけであったりとか、そういうのは別にありましたか?

サトミマガエ:小学生の高学年くらいからクラブ活動でトランペットを吹きはじめたんですよね。演奏より合奏がそのときは楽しいと思っていて、中学生でも吹奏楽部に入ってトランペットをやっていましたね。

トランペット吹くのって小学生には難易度が高くないですか?

サトミマガエ:そうですね。

じゃあいまでもけっこう吹ける?

サトミマガエ:いまはあんまり吹けないですけど(笑)過去の曲で何回か吹いています。それで中学生の終わりころにコンクールの練習で、先生がいないときに指揮台に立って各楽器に指示をだしながら曲をまとめていく役割を任されたことがあってそれぞれの楽器をコントロールしてひとつの曲にするという、そういう合奏の楽しさをそこで感じました。

じゃあポピュラー・ミュージックといったものにはあまり縁がなかったですか?

サトミマガエ:聴いてはいたけど夢中になるような感じではなかったですね。

でもどこかで夢中になったことが……

サトミマガエ:高校にはいったときに友だちがいわゆる洋楽を教えてくれて、そこからですね。そのとき友だちが教えてくれたのはニルヴァーナとレッド・ホット・チリ・ペッパーズでした。

そこからどのように発展していったのですか?

サトミマガエ:バンドでベースを弾いてと頼まれベースを聴くようになったんですよね。それでずっとレッド・ホット・チリ・ペッパーズを聴いて練習していました(笑)。あとはレディオヘッドとか、ナンバーガールとかみんな聴いていたものを聴いて。そのあと大学に進んでベースをバンドで弾きたいと思って軽音部に入りました。理系の工学部のほうにあった軽音部だったので、電気とか機材に詳しい人が多くて音楽機材のことをたくさん学びました。

分子生物学を専攻していたと。

サトミマガエ:そうです。そこでもうすこしマニアックな音楽、いわゆるもっとデジタルな音楽に出会って。さらにそのあと美術系に進んでいた姉のお手伝いで現代アートと関わる機会があって、そうするとまたまた知らなかった音楽に出会って、現代音楽や実験音楽のフィールドも知りはじめて。けっこう衝撃で本とかも読んだりしました。出会った音楽はぜんぶ歴史を調べながらというか、「すごいなぁ」と夢中になりながらいろいろ聴いてきましたね、古いフォークとかも一時期聴いてみたり。

とくに好きだったのは?

サトミマガエ:とくに大好きというのはいなかったですね。エイフェックス・ツインやフアナ・モリーナとか、いまも新しいリリースをフォローしているアーティストは何人もいるんですけど。軽音部にいたときに、電子音楽に興味が湧いて古いものからエレクトロニカ、テクノをたくさん聴きました。友だちにクラブ行ったりDAWやってる人も少しいて、クラークを敬愛してる人がいたり、電子音楽はその頃からずっと憧れの音楽という感じで今も好きです。
その後、さきほどお話ししたように現代アートと触れる機会があり、より実験的な音楽に興味を持って 『音の海』(デイヴィッドトゥープ著)という本を読んだんですけど、それが当時自分にとって知らない世界が開けたようで衝撃でしたね。
その後学生が終わった後に出会った中東やアフリカ、インドの音楽もそれと同様の衝撃がありました。知らない音楽はたくさんあるのに見えてないだけなんだな、と。

いま創作活動をやっているなかで大きかったと思えるようなアーティストであったり作品であったりはありますか?

サトミマガエ:(すこし考えて)いろいろあって難しいな(笑)。

サトミさんの場合はスタイルがあるというか、ひとりでギターの弾き語りというのがベースにありますよね。なぜそういうスタイルになったのでしょうか。

サトミマガエ:ギターは自分が唯一コントロールできている楽器という気がします。いまだに発見があるから、まだできそうなことがあるなと。ピアノとかも試したけどやっぱりうまくいかなくて、私はけっきょくギターで作曲することしかできないのかなって。ギターマニアとかコレクターというわけではないですけど。

例えば好きなギタリストがいたりとかは?

サトミマガエ:ニック・ドレイクを聴いたときは、いままで聞いたことがない感じがしました。耳コピでちょっと練習しましたね。ほかに、ホセ・ゴンザレスも最初に聴いたときに普通のフォークとは違う響きやリズムがあってハマりました。ときどき、いわゆるデルタ・ブルースというか、ライトニン・ホプキンスじゃないけど古いブルース・ギターの弾き語りを動画で見たりすると、あらためてかっこいいスタイルだなと感じます。

ブルースのどんなところがサトミさんに引っかかりましたか?

サトミマガエ:足りない感じがしないところですかね。足したくなる感じがなくてギターと声だけで完結している、声と一緒にギターがほぼ歌ってますよね。あとリズムも好きですね。

いわゆる弾き語りで歌いはじめたときの歌の部分、というのはどういうふうにご自身のなかで発展していったのですか? もともと歌っていたんですか?

サトミマガエ:中学生くらいから歌ってはいましたけど、綺麗な声じゃないし地声に自信もなかったのでぜんぶ裏声、みたいな。とにかく自分の声の嫌な部分をごまかして歌う方法を探っていました。シンガーとしてはぜんぜん自信はなかったんですけど、とにかく自分の声で成り立つ音楽を作ろうという感じでした。

人前で歌いはじめたのはいつごろですか?

サトミマガエ:ちょうど20歳くらいですね。

場所は東京でした?

サトミマガエ:東京です。

大学で東京に来られた?

サトミマガエ:はい。

そのときはもちろんひとりで?

サトミマガエ:バンドに1回はいっていたのでそこでヴォーカルをやっていたこともあります。そのあと自分の音楽をやりたくなったから自分でもやっていたけどソロではやってなかったですね、人にはいってもらったりしてやっていました。

バンドで歌っていたということは、つまりサトミさんのバンドがあったんですね。

サトミマガエ:そこのヴォーカルが抜けちゃったからはいって、みたいな感じでしたね。

なるほど、じゃあ別にサトミさんが作ったバンドというよりも……

サトミマガエ:ぜんぜん違います(笑)。あとはベースを弾いていたので基本的にずっとバンドでやっていましたね。ほとんど軽音部でやっていたからコピーバンドだったんですけど。

20歳くらいからライヴハウスにでて歌おうと思った理由はなんですか?

サトミマガエ:やっぱりどこかでずっと音楽を作っていきたいと思っていたので……、人に知ってもらおうとなったら、ライヴをしなきゃならないのかなと感じて。

月に1回くらいとか?

サトミマガエ:いや、もっとやっていたと思います。

けっこう積極的にやられていたんですね。畠山地平くんがたまたまライヴで聴いて、彼のレーベル〈White Paddy Mountain〉からださないか声をかけたという話を彼から聞いたのですけど、ああいう畠山くんみたいなアンビエントやドローンであったりとかはサトミさん自身はどうでした? 

サトミマガエ:アンビエント・ミュージックにはよく触れていたし興味はあったんですけど、そんなに自分の普段聴く音楽として聴いてはいませんでしたね。畠山さんのレーベルからお誘いをうけて見てみたら、全体の美学がかっこいいレーベルだなと思って、リリースがぜんぶアンビエントやドローン・ミュージックだけではなくて、いくつかポップなユニットとかもあったりして。レーベルを探してみたこともあったんですけど、ぜんぜん自分に合うレーベルがわからないし、まずそんなにレーベルを知らなくて。畠山さんに誘っていただいて調べてみたらすごくしっくりきたというのは憶えていますね。

ちなみに畠山くんからグルーパーというアーティストの作品を聴かされたりしませんでしたか(笑)。

サトミマガエ:聴かされてはなかったですけど、そういうふうに形容されているのはよくみて、自分は予想外でした。後からアルバムを1枚持っているのを思い出して、あぁなるほど、と思って。

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"Numa" という曲では「爽やかな諦念」がテーマです(笑)。鬱々したものではなくて、その身を任せている変化の流れ、風のような流れを楽しんでる様子を書きたかったです。

ヴォーカリストで影響を受けた人とかいますか?

サトミマガエ:女の人のヴォーカルがずっと苦手で好きじゃなかったんですけど『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を高校生で観て、そこで歌っているビョークの歌声で初めて女性の声もいいんだなと思いましたね。叫んでいるんだけど柔らかいというか、そういう女の人のヴォーカルにはじめて出会って。

しかしサトミさんの歌い方はビョークのように感情を露わにしないことが特徴だと思います。感情をあらわにしないこと、あるいは言葉をはっきり歌わないこと、それ自体がサトミさんのひとつの表現になっているように思ったんですけど、どうでしょうか。

サトミマガエ:日本語が聴き取れないとはよく言われるんですけど、じつはあまり意識したことはないんですよね。日本語ってすごくカクカクしていて、言葉が飛び出てくるというか、日本語はすごく言葉が強いと思うんですよね、強く歌うと詩だけがはいってきてしまう感じがある。そういう詩を聴いているだけのような音楽は、私は説教されているような感覚になることが多くて。言葉も音楽と一体になっていてほしいというのがいつもあって。たぶんそのせいで、そういう歌いかたになっているのだと思います。

サトミさんにとって歌詞というのはどういうふうに考えていますか?

サトミマガエ: まえのアルバムにいけばいくほどなにを言おうとしているのか完全に理解されたくない、というのは強いと思いますね。歌詞に関しては。

理解されたくない?

サトミマガエ:正直に言うと、自分の書こうとしている歌詞がはっきりと浅はかだってバレて曲を台無しにしてしまうのがいやなので(笑)。

そんなことはないでしょう(笑)。ちなみに好きな本とか作家はいますか?

サトミマガエ:最近はあまり読めていませんが、昔は日本の純文学をずっと読んでいましたね、川端康成とか谷崎潤一郎とか。

めちゃくちゃ純文学ですね。

サトミマガエ:とにかく綺麗な日本語を勉強しようと思って。

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」はサトミさんの世界観にあるかも(笑)。

サトミマガエ:昔の本ってけっこう難しいんですよね。いつの間になにか起きているけど注意して読まないとそれがわからない、みたいな。大きなドラマがあるわけではなくて、ただ細かい文章だけから映像を想像していくというところが少し癖になっていました。

今回のアルバムが〈RVNG Intl.〉からでることになった経緯というのはなにがあったんでしょうか。


Satomimagae
Hanazono

RVNG Intl. / PLANCHA

FolkAmbient

サトミマガエ:海外のレーベルに詳しい知り合いに、かっこいいレーベルを教えて欲しいと頼んだらそのなかに〈RVNG Intl.〉がはいっていました。それで自分でも調べたら、FloristというバンドのヴォーカルのEmily A. Spragueがソロプロジェクトでバンドとは違った音楽をリリースしているのをそこで発見したりして、おもしろそうと。デモを送ってみました。でも実はRVNGのまえに〈Guruguru Brain〉が返事をくれて、今回はCo-Releaseで〈Guruguru Brain〉からも同時にリリースしてもらえることになりました。

今回のアルバム・タイトル『花園』というのはどこからきているのでしょうか。

サトミマガエ:いままでに比べてオープンでフラットにすることをすこし意識していて。

すごくカラフルですよね、いままでの作品より。

サトミマガエ:そうそう、そういうイメージです。だけどまだ少し閉じているというか、家の外ではあるし、外の世界と繋がっているけれどあくまでプライベートな空間というか、そういうイメージです。それと子供らしさ……、曲を書いていた時期に子供のニュースをよく見かけまして、あまりよくないニュースですけど。音楽のなかにそういうテーマもはいりこんできましたね。なんかね、『花園』っていうと……華やかで、一生懸命手入れするのに別に人に見せないという、それが子供らしさというか、ピュアな創造という感じに繋がるんですね。

子供たちにとってのユートピアみたいな。

サトミマガエ:うーん、そうですね、楽園……現実逃避ではないんですけど、広い世界がみえていないというかね。それって子供もそうだけど、ときどき大人もそうだなと。そういう感じだけれど内向的な暗さはなく、社会と繋がっているしあくまで外にあるというイメージで『花園』がしっくりくる。

なぜ外に向けて開けきらないんですか?

サトミマガエ:それは私がまだ開けきらないなって思ったからで(笑)。

でも閉じた感じというのがサトミさんの作品の魅力ではあると思いますよ。

サトミマガエ:そうですね。前のふたつの作品とか、というかいままでの作品はぜんぶそうだったと思います。

『Hanazono』は音の細部が丁寧に作り込まれていますよね、サブベースのような音があったり、フィールド・レコーディング的なものもあったり、あるいはすごく小さな音量で別のメロディが鳴っていたりとか。注意深く集中して聴くといろいろな音が聴こえるような音作りになっていて、むしろ広がりがあると思いました。

サトミマガエ:ありがとうございます。BGMだけれどただ退屈に流れているだけの音楽ではなくて、ちゃんと鳴っている音楽、というのを目指していました。プレーンな感じ……、いろんな感情を中和するものを作りたいなと思って。刺激のある音楽の間に挟んで聞くような休憩の音楽、でもそういう音楽が大事なときもあるなと思ったんですよね。

レコーディングのやりかたもいままでとは違っていると思いますが、どのように進めたのでしょうか?

サトミマガエ:作っている段階ではレーベルが決まっていなかったのもあって、とくに誰かの期待に応えるようなかたちで作っていなかったのもあったのかもしれません。ほとんど家で録っているんですよね。

あんまりいままでと作りかたは変わらなかったと?

サトミマガエ:あ、でも前回のふたつはスタジオでちゃんと録音していたので。

今回は家の中でぜんぶ作ったと。

サトミマガエ:ほぼそうですね。浦和さんがいれたもの以外は家で作りました。

それじゃ家に小さいベットルーム・スタジオみたいなものがあるんですか。

サトミマガエ:いまいる部屋なんですけど、この狭い部屋で(笑)。だからけっこう外の音とかはいっちゃっている曲もあるんですよ。

最後の“Uchu”にもはいってますもんね。あとボーナストラックにフィールド・レコーディングっぽい音がはいっている。

サトミマガエ:あれは散歩して録ったやつですね。

なるほど。じゃあけっこう時間をかけて作った感じですか?

サトミマガエ:かかりました。2018年くらいに曲自体は書き終わっていたので、そこから2019年の間はデモにするためにミックスやレコーディングをして、それで去年はずっと仕上げをしていました。

ギターの弦の音とかすごく綺麗になっていて、曲によってはギターとかを重ね録りしているんですか?

サトミマガエ:曲によってはしています。でもなかには一発録りのもあって。スタジオでやるっていうのがなかったから、できたらすぐ録るというのも可能だったんですよね。一番最初が一番良いテイクということもあるので。
■サトミさんのスタイルってすごく独特だし世界観ができあがっているから、逆にアルバムのなかで曲ごとのヴァリエーションはどういうふうに考えてらっしゃいますか?

サトミマガエ:今回はヴァリエーションというか、ひとつのアルバムが一気に流れていくような作品にしたいということはいままでではいちばん意識してました。曲ごとのカラーをけっこうがらっと変えながら、全体としてはひとつの空間にまとまっているような。

今回は英語の歌詞が半分で日本語の歌詞が半分ですか?

サトミマガエ:そうですね。

英語と日本語で半々にしたのはインターナショナル・リリースということがあったからですか?

サトミマガエ:いままでは日本語で歌うというのは自分の音楽の特徴のひとつに捉えていたんです。『Potopo』という自主制作のEPではじめて全部英語の曲をひとつ書いてみたら、別に英語で歌っても自分の曲らしいまま書けるなと思って。今回はオープンにしたいというものあって日本語にこだわらず書いてみたという感じです。

先ほど子供の話をしていただきましたけど、ご自身はこの作品を通じて何を伝えたいと考えてらっしゃいますか?

サトミマガエ:メッセージかはわからないですが、今回のアルバムの“花園"を作ってたときにテーマとして出てきたのは 自分の中や外で大きく起こる変容を受け入れる、身を任せる、ということでした。"Numa" という曲では「爽やかな諦念」がテーマです(笑)。鬱々したものではなくて、その身を任せている変化の流れ、風のような流れを楽しんでる様子を書きたかったです。歌詞がいつもパーソナルになってしまうんですけど、さっき言ったような中和する音楽を目指していたので、今回は日記のようにならないよう曲ごとにまずありふれたモチーフを思い浮かべてみたんですね。石とか風とか海とか。それに投影するかたちで曲をもう少し普遍的なものにしたいと思って。

なるほどね、わかりました。ありがとうございました。またライヴでお会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。

サトミマガエ:ありがとうございます。

(4月22日、ZOOMにて)

 ファラオ・サンダースといえば後期コルトレーンの諸作で登場したその継承者であり、アリス・コルトレーン作品をはじめ、ドン・チェリーやサン・ラー作品などといったスピリチュアル・ジャズの王道を歩んだサックス奏者として広くは知られているだろうし、ぼくもまたその認識でレコードを買っては聴いてきたひとりだ。ぼくがもっとも好きなのは、政治の季節にリンクしたアルバム『Black Unity』。傑出した躍動感とこの切なる思いの即興は、BLM時代のいまもまた聴かれるべき作品だと思う。
 だが、そこから先のサンダースの音楽についてはまったくの無知で、ジャー・ウォブルとやっていたことなんて今回reviewを書くにあたってdiscogsを眺めるまで知らなかったし、昔remixという雑誌をやっていたのでSleep Walkerの作品に参加したりとか、そんなことぐらいしか知識のない人間が書くreviewだと思って大目にみてもらいたい。
 
 現在80歳のファラオ・サンダースと34歳のサム・シェパードとの出会いは、フローティング・ポインツのアルバム『Elaenia』(2015)がもたらしている。サックス奏者にて精神の開拓者は、デヴィッド・バーンのレーベル〈Luaka Bop〉を介して聴いた神経学の博士号を有するイギリスの若きエレクトロニック・ミュージシャンによるミニマルなアンビエント作品を好きになった。いつか彼と共作したいと、老芸術家は口にした。
 この組み合わせの実現に向けて〈Luaka Bop〉が動いた。2019年7月、LAのスタジオで両者はリハーサルをおこない、翌年にはその音源にロンドン交響楽団の演奏が加わった。ソーシャルディスタンスを保持しながら、100本以上のマイクを使用してこの録音は完成したという。まさしくパンデミック時代の記念碑的作品として、『プロミセス』は創作されている。
 
 この音楽は現在の音楽が喪失しがちな「地味であること」の復権とも言えるだろう。そう、マイロ君、君の言うとおりだ。じっくり聴くこと、ただ耳を傾けること、あたかも禅の教えのように、それによって何かが得られるとか、気持ち良くなれるとか、いっさいの見返りと考えずにただ聴きたいから聴くこと。そして、ただ聴きたいから聴くことがどれほど素晴らしいことかを『プロミセス』は教えてくれる。

 サム・シェパードは、『Elaenia』の延長にあるミニマルで控えめな調べをひたすら奏でている。もっと後からでもいいんじゃかとぼくは思ったが、スピリチュアル・ジャズの御大は思ったよりも早く曲に登場する。とはいえ吹き続けているわけではなく、シェパードとの絶妙なコンビネーションによって適度に身を引き、静寂を大切にしながらまた吹きはじめる。25分あたりのオーケストラの演奏は、このアルバムがたんなるBGMになることを拒否してもいるが、『プロミセス』が着地するのは瞑想的で落ち着いたムードであり、この際思い切ってそれを安らぎと言ってもいいだろう。

 ある意味このアルバムは、フローティング・ポインツ過去最高の作品と言えるだろう(彼に関しては12インチもふくめ全て聴いているのだ)。ピアノ、チェンバロ、シンセサイザーを使いながら微妙に変化するミニマリズムのみごとな叙情、空間を駆け巡るシンセサイザーの煌めき。その広がりにおいてサンダースのサックスは温かく滑らかに連なる。それはぼくが知っている60年代の彼ではない。かつて激動の時代を生き、いまもまた混迷する時代を生きているサンダースの、彼が歩んできたシーンとはまったく異なる音楽との親交において創出される最新のサウンドだ。これこそがシェパードにとっての本作における成功であり、これこそが『プロミセス』を名作たらしめる最大の要因なんだと思う。
 しかもこのアルバムは、音符にならない音、呼吸や舌打ちまで聴き取れるほど、たったいまぼくの部屋で演奏されているかのようでもある。なんて贅沢な。GW中、聴く音楽に迷うことがあれば大いに推薦します。46分のこの美しい癒しのアルバムにただただ耳を傾けて欲しい。

interview with Galcid - ele-king

ふつうの音楽ならどんどん進行していってくれるので、あまり考える余白がないじゃないですか。私にとってのアンビエントって、考える余白がめちゃくちゃあるものなんですよ。

 副業にこそ活路を見出すべし。本人からはお叱りを受けそうだが、モジュラーシンセ・マスター galcid によるアンビエント作品はそれほど魅力的なのだ。
 最初の驚きは前回の「Galcid's Ambient Works」。それまでのインプロ主体の印象を覆し、アルバムとしての完成度を高めた(齋藤久師との)SAITO 名義の作品もリスニング・テクノとして刺戟的ではあったのだけれど、galcid の可能性はじつはアンビエント路線にこそ潜んでいるのではないか。少なくともぼくはそう感じた。

 整理しておこう。去る3月、〈Detroit Underground〉から『Hope & Fear』が出ている。これが、前回のインタヴューで語られていた、完成しているのに世に出るのが遅れに遅れたセカンド・アルバムだ。SAITO における音の冒険や幅の広がりなんかも、きっとこの『Hope & Fear』で手ごたえをつかんだ結果なのだろう。冒頭のメッセージ・ソングを筆頭に、いろんなタイプの曲が並んでいる。とくに注目しておきたいのは最後の “Microscope”。このノンビートの小品こそ、「Galcid's Ambient Works」の天啓をもたらしたにちがいない。
 その続編となる「Galcid's Ambient Works 2」も4月27日にリリースされたばかり。これまた「1」に引けをとらない良質なアンビエント作品で、やっぱり galcid のアンビエント路線、めちゃくちゃ合ってるんじゃないかと思う。そんなわけで今回は、galcid にとってアンビエントとはなんなのか、大いに語ってもらいました。

コロナで外に出なくなって家で音を流していると、やっぱりスクエアプッシャーとかに反応してしまうんですよね。「エモい!」みたいな(笑)。やっぱり私の源流はここにあるんだなって。

まずは3月に出た『Hope & Fear』についてですが、これが昨年のインタヴューで仰っていたセカンド・アルバムですよね。

レナ:はい。あれからコロナでさらに遅れて、3年越しですね。もう自分でも内容を憶えていないレヴェル(笑)。ちょっと他人事というか。そのときは一生懸命つくりましたけど、3年も空くとね。もうフレッシュではないイメージになっていて。半分お蔵入りというか(笑)。

ファーストよりも曲の表情というか、ヴァラエティが豊かになっていて、機械のエモーションのようなものを感じました。

レナ:それはあるかなと思います。1作目は意識的にかなりミニマルにしていましたので。この2作目は、たとえば最後の曲なんかは、前回のアンビエント作品(「Galcid's Ambient Works」)につながる感じになっています。自分のそういう側面も出していきたいという想いが増えて。あと、言葉もけっこう入れていますし。

冒頭からいきなりメッセージ・ソングですよね。原爆と原発をつないでいる。なぜこれを1曲目に?

レナ:聖域をつくるというか……

聖域?

レナ:メッセージも強いし、音も過激なので、これを聴けるひとはその後の曲も聴けるだろうって。ここを越えてきてくれたひとは、ぜんぶ受けいれてくれるだろうなと。会員制のような(笑)。超えてきてくれたひとに「どうぞ、ほかにもいろいろあるよ!」って。

なるほど、だいぶ分厚い扉ですね(笑)。3・11について、考えることがよくあったということですよね。

レナ:ありましたね。じつは、この曲だけ “Noticed nuclear” という名前で、少し前につくっていたんですよ。でもそれから年月が経つにつれ忘れられていっている感じがしたし、知り合った福島の方がいたんです。それでリアルな話を聞く機会もあったので、“Noticed nuclear” のように安易な曲名ではなく、“Awareness” に変えて冒頭に持ってきたというのはありますね。

アルバムが出たのが3月だから、ちょうど10周年のタイミングですよね。

レナ:しかも、他の曲名もいまのコロナの世相を反映している感じになっていて。

期せずして、いろんな意味を含んだアルバムになったと。

レナ:はい。“Large Crowd” とか「密」じゃないですか。3年寝かせた意味があったのかもしれないと思いました。聴きなおして、音も古くはなっていなかったのでよかったです。それに、買ってくださった方も多くてびっくりしました。

ヴァイナル即完だそうですね。ディスクユニオンでも1位になったとか。

レナ:そうなんですよ。ダンス・チャートで1位に。

再プレスの予定はあるんですか?

レナ:ないです。転売してください(笑)。うちにも1枚しかないんですよ。

それほどリアクションがあったのは、ご自身ではなぜだと思いますか?

レナ:ぜんぜんわからないんですよね。大々的に広告を打ったわけではないですし。予約時点で売り切れていたそうなんですが、だれかが頑張ったというわけではないんですよね。リリース・パーティもいっさいできなかったので、理由はわからないです。ただ、バンドキャンプでの注文が多かったみたいなので、けっこう試聴はしてもらったのかもしれないですね。

今回も基本はインプロですか?

レナ:インプロ感を残しつつ、作曲しています。そのせめぎ合いを(齋藤久師に)プロデュースしてもらった感じで、勢いは残したいけれど、作品としてリピータブルにもしたい、そのせめぎ合いでしたね。

つくられたのは3~4年前ですが、そのとき「これはブレイクスルーだな」と思った曲はありましたか?

レナ:じつは、自分にとってすごく恥ずかしいことをやったんですよ。“Back To Teenagers” とかモロじゃないですか。

いわゆるドリルンベースですね。

レナ:高校生のときに聴いていたやつをそのままやったんです(笑)。もちろん、いまの私なりの解釈は入れてますけど、ここまで「まんま」でやる? みたいな笑っちゃう感じの自己開示ですね。これまでは「とくに影響受けてないです」みたいな顔をしていたんですが、コロナで外に出なくなって家で音を流していると、やっぱりスクエアプッシャーとかに反応してしまうんですよね。「エモい!」みたいな(笑)。やっぱり私の源流はここにあるんだなって。この曲を聴いたレーベルのオーナーもニヤニヤしていました(笑)。

今度まさにスクエアプッシャーのファーストがリイシューされますよ。ちなみにぼくは “Electronic Flash” が気になりました。ちょっと点描的な感じがあって。

レナ:その曲も好評でした。あと “Scheme And Impatience” も好反応が多かったです。みんなばらばらなんですけどね。でもそうやっていろんな方にプレイリストに入れてもらったりしたのがセールスにつながったのかもしれないですよね。これまでは、アンダーグラウンドであることに妙なプライドがあったというか、「べつに売れなくていいんです」みたいな、ちょっと卑屈な感じがあった。「どうせ理解されないし」みたいな。でも今回結果を出して、ひとつスタイルを確立できて、自分のなかですごく自信になりました。

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美しいメロディをつくるというよりも、まぬけなメロディをいかにきれいに美しくやるか。

そして「Galcid's Ambient Works 2」も出ました。

レナ:今回、カセットテープは JetSet Records と waltz で取り扱ってもらっています(註:4月27日現在、waltz では予約段階でソールドアウト)。

アンビエント・シリーズはカセットで、みたいなこだわりがあるんでしょうか?

レナ:レーベルは変わりましたが、そもそも1作目のとき、カセットで出さないかというオファーだったんです(〈Detroit Underground〉)。その1作目を聴いたスペインのレーベル(〈Sofa Tunes〉)がすごく気に入ってくれて、うちからカセットで出さないかと言ってくれて。

なるほど、そういう経緯でしたか。このレーベルは知らなかったんですが、どうして急にスペインのレーベルになったんだろうと。Galcidのアンビエント路線、ぼくはかなり良い方向だと思っています。

レナ:アンビエントはすごく開眼させてくれますね。自分の色づけや音楽の幅を持たせてくれる。

でもやっぱりノイズを入れずにはいられないところはニヤッとさせられました。そこは久師さんですか?

レナ:ふたりともですね。どうしても汚しにいってしまいたくなるというか。その辺はやっぱり中学生なんですよね(笑)。宅録の延長というか、音質の悪さを追求したくなる。

1曲目はとくに、良い音の濁り具合だなと思いました。

レナ:宅録でカセットテープでやっちゃったみたいな、そういう音にしたかった。それを実際にカセットで聴いたらどうなるか、わからないですけど(笑)。あとメランコリーというか、退廃的な匂いを入れたいというのもありました。1曲目はとても暗くて。暗くないですか? モールス信号でメッセージも入れています。ぜひ解読してください(笑)。

暗さはそれほど感じませんでしたけど、美しい風景のようなものは浮かび上がりました。

レナ:私としては、デヴィッド・リンチが好きなので、ああいう滲んだ色というか、緑がかった映像のイメージがありました。写実的なかっちりしたものよりも、リンチだったり『ブレードランナー』だったり、ああいう青緑の雰囲気を醸し出したいというのは無意識的にあったと思います。

好きなアンビエントのアーティスト、あるいは作品はなんですか?

レナ:ベタすぎですが、やっぱりブライアン・イーノとエイフェックス・ツインが好きなんですよね。

おおお。イーノだと、どれがいちばん好きですか?

レナ:『Thursday Afternoon』ですね。『Music For Airports』も好きですけど、やっぱり『Thursday Afternoon』かな。

85年の、ワン・トラックのやつですね。どの辺が?

レナ:まどろみというか、あれもやっぱり独特のカラーを感じて。いま私、「アルコール・インクアート」というのをやっているんですよ。アルコール・インクアートってご存じですか? 

知りませんでした。

レナ:インクをアルコールに垂らすと、ぶわーっと混ざっていって、色がどんどんまだらになるんです。そういうアートがあって。(スマホで動画を見せる)私はそれを利用して音を使い「周波数アート」と命名してやっています。

名前からしてヤバそうですね。

レナ:(スマホで動画を見せながら)色に音を当てるんです、こうやって模様を描いていく。ブライアン・イーノの音って、まさにこういう世界なんですよ。音色がゆっくり混ざっていく感じ。抽象画を描くプロセスを見ているイメージで、すごく想像力を与えてくれる。

『Thursday Afternoon』って、もともと「ヴィデオ・ペインティング」としてはじまった作品なんですよ。たしかインスタレーションのサウンドトラックのような位置づけで。ヴィデオ版も出ています。だから、レナさんのその受けとり方はまさにどんぴしゃというか。

レナ:そうだったんですね! 映像は観ていないですけど、音でそれを感じたんです。音ですごく色を感じて。しかも一色ではなくて、動いて、ちがう色が出てきて、それが流れていくという。アート作品のプロセスを観ているような。音楽って一般的には譜面というプロセスがあるけれど、それをキャンバスのうえでやっているような雰囲気がすごく好きですね。でもなんで『Thursday Afternoon』なんだろう。木曜日にやったのかな(笑)。

きっと共感覚をお持ちなんでしょうね。しかし、イーノ作品で『Thursday Afternoon』がいちばんというのはおもしろいですね。

レナ:「Bloom」というアプリがありましたよね。あれもすごく好きなんですけど、それにも通じているんですよね。時代順に聴いたわけじゃなかったので、最初『Thursday Afternoon』も「Bloom」でやったのかな? って思ったくらいです。

『Reflection』は聴きました? アプリでも出ていて、再生するたびにちがう音が鳴るんです。(アプリを立ち上げ)春夏秋冬でムードが変わるようにも設計されている。

レナ:いいですね! 「Bloom」で止まってました(笑)。いろんな意味でブライアン・イーノは先輩なんですよ(笑)。創始者でもありますし、考え方や、医療関係だったり教育関係だったり、音楽と活動の仕方にかんしても。人としてすごく興味があります。

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アンビエントを聴くと頭が支配されてしまうんです。キャンバスが用意されているような状態、「なに描くの?」って言われているような状態なんです。最初からそこに模様がいっぱいあったらなにも描こうとは思わないじゃないですか。でもアンビエントは余白が多いから、「ここにはなにを描こうか」とか、いろいろイメージが湧いてきちゃう。

エイフェックスは、やっぱり『Selected Ambient Works Volume II』ですよね?

レナ:そうです。(「Galcid's Ambient Works 2」という)タイトルからしてもう「すんません!」って感じです。これも自己開示ですね。これまで Galcid は、影響元を隠していたわけではないですが、ルーツが見えづらい部分もあったと思うんです。そこら辺はもう、ドーンと出していこうと思って。あとエイフェックス・ツインのメロディって、拙いというか、すごくチープですよね。カシオトーンのプリセット音色で弾いてるんじゃないかくらいの(笑)。それが心を打ったりもするんですけど、自分たちの音をつくるとき、それにすごく勇気づけられた。美しいメロディをつくるというよりも、まぬけなメロディをいかにきれいに美しくやるか、という。

『SAW2』にも色彩を感じますか?

レナ:そうですね、またべつのタイプの。緻密さがないように私は感じたんですよね。日本人の音の構成ってすごく緻密で凝っているけど、エイフェックスには感性的なものを感じました。そこに憧れているところがあって、だから自分でやるときも作りこみすぎないようにしています。あとエイフェックスは、アンビエントじゃない作品ももろに聴いていたので、その振れ幅もリスペクトしていますね。

まあエイフェックスはちょっと別格ですよね。

レナ:そうそう。最近ワークショップとかでいろんな方と話す機会があるんですが、思考で音楽を聴く時代は終わったなって思っているんです。日本の方はまじめなので、情報とか、思考で音楽を聴いてしまうところがある。私にもありました。でも、本当は心で聴きたいというか、感性で聴きたい。それって、つくる側もそうじゃないと、そういうふうに聴いてもらえないんじゃないかって思うんです。プロデューサー(齋藤久師)が思考ではつくらないタイプ、完全に感性だけでやっていくタイプなので、私は「ちょっとこれは……」とか思うときがあるんですけど、(齋藤久師は)「いやぁ、頭で考える必要ないでしょ!」みたいな(笑)。

アンビエント・シリーズはぜひ今後もつづけてほしいですね。

レナ:つづけたいですね。ほかのこともやりながらですけど、やっぱりアンビエントは好きなひとも多いので。

ひと口にアンビエントといってもいろいろありますが、なにをアンビエントだと思いますか?

レナ:もともとは「環境音楽」ですよね。どんな音楽でも「環境」を変えると思うんですが、とくにアンビエントは、「その場」の空気を変える印象があります。アンビエントは「場」を変えて、人間を持っていっちゃうイメージ。だから、アンビエントを聴いていると持っていかれちゃうので、仕事にならないんです(笑)。私の定義だと、そうなりますね(笑)。

それは、鳴っているサウンドに注意が向いてしまうということですか?

レナ:うーん、あまりにも余白があるからなのかなぁ。アンビエントって、楽曲としての主張がそれほどないじゃないですか。だからどうしても場に調和してしまう。だから「環境音楽」なんだと思うんですが……

音を聴きこんでしまって聞き流せない、ほかのことに集中できない、ということでしょうか?

レナ:聴きこむわけではないですね。たぶん、音がそれほど入っていない分、余白が大きすぎて、自分の脳がいろいろ想像しちゃうんですよね。ふつうの音楽ならどんどん進行していってくれるので、あまり考える余白がないじゃないですか。私にとってのアンビエントって、考える余白がめちゃくちゃあるものなんですよ。世界観だったり、昔のことを思い出したりして、頭が忙しくなっちゃうんです。

ああ、なるほど。シンプルに4つ打ちが鳴っているほうが楽、みたいな。

レナ:そうそう! 私はですけどね(笑)。

珍しいタイプですよね。4つ打ちがむしろアンビエントとして機能してしまっている(笑)。

レナ:そうかもしれない(笑)。珍回答だなあ。アンビエントを聴くと頭が支配されてしまうんです。キャンバスが用意されているような状態、「なに描くの?」って言われているような状態なんです。最初からそこに模様がいっぱいあったらなにも描こうとは思わないじゃないですか。でもアンビエントは余白が多いから、「ここにはなにを描こうか」とか、いろいろイメージが湧いてきちゃう。私も他方ではやかましい音楽もやっていますけど、そっちはもうすごい幾何学模様で、描く余地も考える余地もない。ただ受けるだけで、こちらから能動的になにかする余地がないというか。

なるほど。さきほどからアプリの『Reflection』を流しっぱなしにしてしまいましたが、レナさんは取材に集中できなかったかもしれないですね(笑)。

レナ:引っぱられぎみにはなりますね(笑)。クラシックとかもそうなんですよ。ドビュッシーの「月の光」とか聴いてもどんどん持っていかれちゃいますからね。ゆっくりできない(笑)。

イーノとエイフェックスのほかに、ピンときたアンビエントはありますか?

レナ:タイトルが数字の……『1979』だっけ? DERUの。

それは知りませんでした。聴いてみます。

レナ:すごく好きなんですよね。あれも独自の世界観を持っていて。やっぱり持っていかれちゃいます。忙しい作品です。

逆に、アンビエントの名作と言われているけれど、ピンとこなかったものってあります?

レナ:イーノとかエイフェックスを聴きだしたら、ジ・オーブがチャラくみえてきました(笑)。なんかめっちゃCGチックというか(笑)。好きなのは間違いないんですけど、私は基本的にツルっとしたものよりもノイジーだったり、いわゆるアナログな音が好きなんだなというのがよくわかりました。

なるほど(笑)。では最後に、レナさんにとってアンビエントとは? ひと言でお願いします。

レナ:「頭が忙しい」ですね(笑)。クリエイティヴィティをすごく刺戟されるのがアンビエント。落ち着けません!

5/4 galcid 配信ライヴ
“Galcid Wars”

(アフターパーティーあり)
https://galcidwars.peatix.com/view

Galcid
Galcid's Ambient Works 2

Sofa Tunes

JetSet Records
https://www.jetsetrecords.net/i/747005900779/
Waltz
https://waltz-store.online/?pid=159209631

RCサクセション - ele-king

 ♪バカな頭で考えた〜、これはいいアイデアだ〜と、日本のロック史に燦々と輝くRCサクセションの1980年4月5日久保講堂でのライヴ盤『RHAPSODY』のことは説明するまでもないだろうけれど、当日演奏された9曲をあらたに加え完全版として2005 年にリリースされた『RHAPSODY NAKED』のことも知っているよね? え? ぜんぜん知らないって? あ、そう。。。
 無理もないよなぁ、まだ君が生まれる前の音楽だし、この音楽を聴いて君のお父さんやお母さんがまだ若く仲良くしていたなんてとても信じられないだろう。もはや見る影もないかもしれないけれど、心のどこかにはまだロックンロールの欠片が残っているかもしれないよ。ちなみにぼくがこのバンドのライヴを初めて見たとき、まだ15歳とかそんなだったんだけれど、“ブン・ブン・ブン”という曲をはじめる前に、「最近、俺のダチの井上陽水が捕まったけどよ、冗談じゃねぇ、俺は絶対捕まらないぜ」なんてMCが入って曲がはじまったことをいまでも鮮明に憶えているんだ。すごいだろう。
 さすがに今回の『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』は、マニアックだし高価だし、まだ10代の君には重たいかもしれないけれど、君のお父さんやお母さんにぜひ教えてあげて欲しい。とんでもないシロモノがリリースされるみたいよと。そしたらこう言うだろう。えええー、当時の未発表が12曲も追加だって? マジかよ!!! 何もこんな金がないときに出さなくたっていいだろうが! と突然怒り出すかもしれないけれど、多めに見てやってくれ。いつか君もこの音楽を聴くときが来るだろう。

RC サクセション
『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』

■仕様
〈通常盤〉3CD──三方背 BOX +紙ジャケ(ゲイトフォールドジャケ&シングル紙ジャケ)+44P ブックレット
〈限定盤〉3CD+1 Blu-ray+3LP(180g 重量盤)──LP3 枚入りジャケット+4 disc トレイ+LP サイズブックレット+LP サイズケース

■価格
〈通常盤〉¥4,000(税込)
〈限定盤〉¥14,000(税込)
■発売日
〈通常盤〉2021年6月9日(水)
〈限定盤〉2021年7月7日(水)
〈「RHAPSODY NAKED 2021 Remaster」デジタル配信(ハイレゾ含む)2021 年 6 月 9 日(水)
■収録内容
〈通常盤〉〈限定盤〉共通
Disc1,2(CD)RHAPSODY NAKED 2021Remaster
Disc3(CD) Official Bootleg
ライナーノーツ:宗像和男+高橋 RMB
〈限定盤〉のみ
Disc4(Blu-ray) ライブ映像(“NAKED”収録映像の音声をリマスター音源に差し替え)
3LP(180g 重量盤)RHAPSODY NAKED 2021 Remaster


・収録曲目:
【Disc1】(RHAPSODY NAKED 2021 Remaster)
01. Opening MC
02.よォーこそ
03.ロックン・ロール・ショー
04.エネルギー Oh エネルギー
05.ラプソディー
06.ボスしけてるぜ
07.まりんブルース
08.たとえばこんなラヴ・ソング
09.いい事ばかりはありゃしない
10.Sweet Soul Music~The Dock Of The Bay

【Disc2】(RHAPSODY NAKED 2021 Remaster)
01.エンジェル
02.お墓
03.ブン・ブン・ブン
04.ステップ!
05.スローバラード
06.雨あがりの夜空に
07.上を向いて歩こう
08.キモち E
09.指輪をはめたい

[MUSICIANS]
RC サクセション:忌野清志郎(Vo)仲井戸麗市(G)小林和生(B)新井田耕造(Dr)G2(Key)
Guest Musicians:小川銀次(G)梅津和時(Sax)金子マリ(Vo)
Recorded at久保講堂 1980年4月5日

【Disc3】(Official Bootleg)
01, 雨あがりの夜空に
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
02, ステップ!
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
03, スローバラード
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
04, いい事ばかりはありゃしない
 1980 年 4 月 5 日「LIVE!!RC サクセション」 久保講堂リハーサル
05, お墓
 1980 年 4 月 5 日「LIVE!!RC サクセション」 久保講堂リハーサル
06, よォーこそ
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
07, ブン・ブン・ブン
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
08, ボスしけてるぜ
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
09, エネルギー Oh エネルギー
 1980 年 8 月 17 日「JAPAN JAM 2」at 横浜スタジアム
10, 雨あがりの夜空に
 1979 年 9 月 2 日「第一回下北沢音楽祭」
11, いそが C
 1980 年 12 月 25 日「PLEASE Play it Loud」at 渋谷公会堂
12 ヒッピーに捧ぐ
 1980 年 12 月 25 日「PLEASE Play it Loud」at 渋谷公会堂

 Guitar:小川銀次 on Track 01,02,03,04,05,10
 Sax:梅津和時 on Track 04, 05, 06, 09
 Horns:生活向上委員会 on Track 11,12
 Vocal:金子マリ on Track 04・美空どれみ on Track 01
 *M-1,2,3,6,7,8,9,10:Licensed by NHK/NHK SERVICE CENTER,INC.
 *M-11,12 はオーディエンス録音のカセットテープ音源につき、お聞き苦しい箇所がございます。
 ご了承ください。
*Disc3 の音源に関しては、RC サクセション 50 周年プロジェクト委員会の主導の元、選曲しております。

【3LP】
SIDE-A
01.Opning MC
02.よォーこそ
03.ロックン・ロール・ショー
04.エネルギー Oh エネルギー

SIDE-B
01.ラプソディー
02.ボスしけてるぜ
03.まりんブルース
04.たとえばこんなラヴ・ソング

SIDE-C
01.いい事ばかりはありゃしない
02.Sweet Soul Music~The Dock Of The Bay
03.エンジェル

SIDE-D
01.お墓
02.ブン・ブン・ブン
03.ステップ!

SIDE-E
01.スローバラード
02.雨あがりの夜空に 03.上を向いて歩こう

SIDE-F
01.キモち E
02.指輪をはめたい

Dry Cleaning - ele-king

 もうかれこれ1年以上もライヴハウスで演奏できないと、だけれども、それにしてもUKのポスト・パンク新世代はエネルギッシュで、パワフルで、じつに興味ぶかい作品を発表している。スクイッド、スティル・ハウス・プランツ、ゴート・ガールブラック・ミディシェイム、ザ・クール・グリーンハウス、ワーキング・メンズ・クラブ、ガールズ・イン・シンセシス……。(USはもっとアナーキーで、つまり政治的だったり……スペシャル・インタレストやジョイのように。いずれにしても彼ら・彼女らも“現在”を象徴しているし、そもそもWARPのサブレーベル〈Disiples〉がスペシャル・インタレストの作品をリリースすること自体からも“いま”が見える)

 ドライ・クリーニングもポスト・パンク新世代のロンドンのバンドで、まあ、言ってしまえば今年の注目のひとつだ。スカスカの空間とリード楽器としてのベース、無機質なドラミング、抑揚のないナレーションめいた女性ヴォーカル──、どこかで聴いた風かもしれないけれど、しかし決して誰かの物真似ではない。ドライ・クリーニングの奇妙で魅力たっぷりの音世界はすでに完成されている。だいたいすでに彼らには、“Strong Feelings”という傑出した曲がある。

感情を枯渇したものばかり集めるコレクター
脳裏に浮かぶ様々なこと
17ポンド払ってあなたにマッシュルームを買った
なぜって私は愚かだから

ただあなたに伝えたい
私の頭にはかさぶたがあると
生きるなんて無駄なこと
何時間もずっと考えている
あのホットドッグを食べようと

 地ベタに座って路上飲みする人たちが批判的に報道されているが、あれは無意識ながら反抗が苦手な日本人なりの抵抗の表れじゃないだろうか。行き場もない若者たち、ラチのあかない大人たち、不誠実な政治と政治利用されたオリンピック、いつ接種できるのかわからないワクチン……「暗い顔して2人でいっしょに雲でも見ていたい」(by 佐藤伸治)
 ドライ・クリーニングは、怒りを通り越して冷え切った音楽の、颯爽たる躍動のようだ。ぼくのもうひとつのお気に入りは“Leafy”という曲。ここでもまたミニマルの美学と闇夜のギター、そしてフローレンス・ショーの静的なヴォーカルとのコントラストが素晴らしいインパクトを創出している。

片付け行けないものって何?
ベーキングパウダー
大瓶入りのマヨネーズ 
手つかずのままのソーセージはどうする?
グリルパンにこびり付いた油を落とさないと
やらなきゃいけないことのなかで
これがいちばん大変

 ドライ・クリーニングは、深刻そうに下らなそうなことを歌い、シュールだが叙情的で、ナンセンスを装いながら意味のあることを歌う。面倒くさい人たちを煙に巻いているようだが、まあ、このバンドを前にニューエイジなどと言おうものなら、もはやギャグでしかないだろう。
 こうしたポスト・パンク新世代の勃興は、マクロで言えばロックの復権だが、ミクロで言えばまた意味が違ってくる。そもそも70年代末のオリジナル・ポスト・パンクとは、それこそジョン・ライドンによるロックの否定に端を発しているのだから。当時のポスト・パンクが否定したロックが表象するものとは──ストリートのリアル、ドラッグと女、破天荒な生き方の賛美と男たちのロマン、売れた者勝ちの論理──、こうした古いロック気質というか、いまでは一部のラップも代理している男性的な価値観に背を向けたのがポスト・パンクだった(ゆえにポスト・パンクは自分たちの始祖としてCANやクラフトワーク、ヴェルヴェッツ、キャプテン・ビーフハートのようなバンド、あるいはイーノのようなアーティストを選んだ)。セールスのために制限をかけれらた創造性を解き放ち、とりあえずやれるところまでやってみると。だからいろんなヘンな音楽が生まれたのである。

 ドライ・クリーニングはバンド名からして間抜けな感じが出ているが(ポスト・パンクにおいて、強面なバンド名などありえない)、しかしそのサウンドには冒険的で、自由な発想が具現化されている。ギターのトム・ドウスはフローレンスの「かったるくてやってられない」感が滲み出いているヴォーカルとは対照的に、ザ・スミスにおけるジョニー・マーを彷彿させるメロディアスで透明感のあるギターを弾いている。プロデューサーはPJハーヴェイとの仕事で知られるジョン・パリッシュで、彼は曲によって鍵盤を弾いているが、このバンドの魅力──遠くで聴くと無表情だが、近くで聴くとものすごい情感がある──をよく引き出していると思う。

サッカーユニ姿でふらっとうちに入り込んで
「ここは誰の家?」と聞かないでくれるかな
そっちこそ誰?

日給45ポンドの孤独な仕事
日給32ポンドの孤独な仕事
いいから受けなさいよ
状況は変わっていくんだから
“A.L.C”

 音楽は否応なしに時代を反映する。オリジナル・ポスト・パンクにはアートと政治が融和していたが、新世代にもそれは当てはまるようだ。うん、いい感じじゃないでしょうか。

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