「KING」と一致するもの

Carole & Tuesday - ele-king

 これはビッグ・ニュースだ。去る2月、デヴィッド・ファースによるWebアニメ・シリーズ『Salad Fingers』の新作に音楽を提供していることが話題となったばかりのフライング・ロータスだけれど、なななんと、渡辺信一郎による最新アニメ『キャロル&チューズデイ』にもコンポーザーとして参加していることが明らかとなった。さらに同作には、フライローの盟友たるサンダーキャットまで参加しているというのだから驚きだ。ほかに G.RINA、マイカ・ルブテ、☆Taku Takahashi が参加していることも発表され、音楽好きとして知られる渡辺総監督の気合いがひしひしと伝わってくる。
 また今回の発表にあわせ、ナルバリッチとベニー・シングスが手がけるOP・ED曲(ヴォーカルはナイ・ブリックスとセレイナ・アン)を収録したシングルが5月29日にリリースされることも決定、現在OP曲“Kiss Me”のMVが公開されている。ボンズ20周年×フライングドッグ10周年記念作品として送り出される『キャロル&チューズデイ』、放送開始は1週間後の4月10日(フジテレビ「+Ultra」、NETFLIXほか)。モッキーが劇伴を担当し、総監督みずからが音響監督を務める同作、けっして見逃すことなかれ。

[4月24日追記]
 本日、フライング・ロータスやサンダーキャットらが手がける劇中挿入歌を収録したヴォーカル・アルバム『VOCAL COLLECTON Vol.1』のリリースがアナウンスされた。発売日は7月10日。アニメ好きとして知られるフライロー&サンダーキャットだけれど、まさかの本人アニソン・デビューである。いったいどんな曲に仕上がっているのやら。続報を待とう。

[4/24更新]
TVアニメ『キャロル&チューズデイ』
フライング・ロータス、サンダーキャットらが手掛ける劇中挿入歌(1クール分)を収録したアルバム『VOCAL COLLECTON Vol.1』 7/10発売決定!!

■TVアニメ『キャロル&チューズデイ』VOCAL COLLECTION Vol.1
7月10日(水)発売
VTCL-60499 / POS: 4580325328639 / ¥3,000+tax
※配信
iTunes Store、レコチョク、moraほか主要ダウンロードサイト及びストリーミングサービスにて5月29日(水)より配信スタート

(収録内容)
TVアニメ「キャロル&チューズデイ」を彩るキャラクターが歌唱する約20曲の劇中歌を収録。
※2019年4月から連続2クール(半年間)放送となるTVアニメ『キャロル&チューズデイ』の1クール分(12話分)の劇中歌をまとめたヴォーカルアルバム

・キャロル&チューズデイ (Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann) / 「The Loneliest Girl」
 作詞/作曲/編曲: Benny Sings
・キャロル&チューズデイ (Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann) / 「Round&Laundry」
 作詞/作曲/編曲: 津野米咲
・DJアーティガン / 「Who am I the Greatest」
 作曲: ☆Taku Takahashi (m-flo)

他、20曲収録予定

総監督:渡辺信一郎、アニメーション制作:ボンズ、キャラクター原案:窪之内英策ら強力なスタッフ陣が挑む
全世界の音楽を愛する人に捧げる、2人の少女が起こした奇跡の物語。

『キャロル&チューズデイ』

☆オープニングテーマ「Kiss Me」ミュージックビデオ公開!!
☆オープニング&エンディングテーマ
「Kiss Me/Hold Me Now」5/29リリース決定!!
☆第3弾参加コンポーザー
(フライング・ロータス、サンダーキャット等)発表!!
☆『キャロル&チューズデイ』劇中ボーカル曲参加コンポーザー
 ラインナップ映像公開!!

きっと忘れない。
あの、永遠のような一瞬を。
あの、ありきたりな奇跡を。

ボンズ20周年×フライングドッグ10周年記念作品として総監督・渡辺信一郎、
キャラクター原案・窪之内英策を迎えアニメ史を塗り替える、全世界に向けた音楽作品
TVアニメ『キャロル&チューズデイ』。
本日、番組オープニングテーマ「Kiss Me」のミュージックビデオが公開となった。
出演は『キャロル&チューズデイ』のシンガーボイスを担当しているNai Br.XX(ナイ・ブリックス)&Celeina Ann(セレイナ・アン)。この2人は全世界オーディションによって選ばれたシンガー。

オープニングテーマ「Kiss Me」は先日、ミュージックステーションにも初出演し、現在男女問わず
絶大な人気を誇るNulbarich(ナルバリッチ)によるプロデュース楽曲。この「Kiss Me」にのせてギブソン(ハミングバード)を弾きながら歌うセレイナ・アンとナイ・ブリックスが向かいあって歌うシーンはまさに『キャロル&チューズデイ』を象徴しているようなミュージックビデオになっている。

「Kiss Me」Music Video(short ver.)
URL: https://youtu.be/k45EpgweT9o

またこのオープニングテーマ「Kiss Me」とオランダを代表するポップの才人・Benny Sings(ベニー・シングス)プロデュースによるエンディングテーマ「Hold Me Now」を収録したシングルCD、配信、アナログ盤が5/29にリリースすることが決定した。

そして、劇中ボーカル曲第3弾参加コンポーザーも同時に発表となった。
LAビートシーンを先導する存在であり、現在の音楽シーンのカギを握る最重要人物であるFlying Lotus(フライング・ロータス)。
超絶技巧のベーシストでもあり、ここ数年のブラックミュージックの盛り上がりにおいて、誰もが認める立役者の一人にでもあるThundercat(サンダーキャット)。
日本の女性シンガーソングビートメーカー/DJで土岐麻子やNegiccoなどへの楽曲提供からtofubeats、鎮座DOPENESSなどとのコラボなど、幅広い領域で活動しているG. RINA(ジーリナ)。
Shu Uemuraやagnès bなどの 数々のファッションブランドやCM音楽を数多くプロデュースしている気鋭のシンガーソングライター/トラックメーカーのMaika Loubté(マイカ ルブテ)。
m-floのトラック・メイカーとしての活動はもちろんのこと、音楽プロデューサーとしても向井太一や加藤ミリヤなどを手がけ、アニメ「Panty&Stocking with Garterbelt」などのサントラも担当しており、渡辺信一郎監督作では「スペース☆ダンディ」にも楽曲提供している☆Taku Takahashi (m-flo)といった超豪華な面々。

合わせて現時点で参加している全てのコンポーザーのラインナップ映像も公開となった。

参加コンポーザーラインナップ映像
URL: https://youtu.be/jJ6QCaqCC5g

このメンツを見るだけでも胸アツラインナップだが、今後もさらに参加コンポーザーが発表されるようなので
今からこちらも楽しみに待ちたい。
いよいよ第1話放送まで1週間に迫った他に類を見ない本作に是非ご期待ください!!

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INFORMATION

OPテーマ「Kiss Me」/ EDテーマ「Hold Me Now」
キャロル&チューズデイ(Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann)
5月29日(水)発売

<収録曲>
1. Kiss Me (作詞/作曲/編曲:Nulbarich)
2. Hold Me Now (作詞/作曲/編曲:Benny Sings)
3. Kiss Me TV size ver.
4. Hold Me Now TV size ver.

※シングルCD
VTCL-35302/POS:T4580325 328578
¥1,300+tax

※アナログ盤
VTJL-2 /T4580325 328622
¥2,000+tax

※配信
iTunes Store、レコチョク、moraほか主要ダウンロードサイト及びサブスクリプションサービスにて5月29日(水)より配信スタート

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渡辺信一郎監督の新作「キャロル&チューズデイ」に楽曲を提供するアーティスト第3弾。
フライング・ロータスは正真正銘、現在の音楽シーンのカギを握る最重要人物だ。彼は本名をスティーヴ・エリソンというプロデューサーで、83年にロサンゼルスで、お婆さんのお姉さんがアリス・コルトレーンという家系に生まれた。06年にビート・メイカーとしてデビュー。08年には自らのレーベル=ブレインフィーダーを立ち上げ、ヒップホップやテクノ、ジャズなどを包括するLAのビート・シーンを先導する存在となった。今のところの最新作『ユーアー・デッド!』にはラッパーのケンドリック・ラマーやハービー・ハンコックなども参加している。昨年8月には“ソニックマニア”出演のために来日し、3D映像と融合したDJステージを展開、そこでもゲームや『攻殻機動隊』サントラなどをプレイしたが、「カウボーイ・ビバップ」なども好きだったようで、渡辺信一郎監督の『ブレードランナー ブラックアウト2022』の音楽を監督からの要望で担当してもいる。
 そんなフライング・ロータスと楽曲を共作するのがサンダーキャット。ブレインフィーダー・レーベルに所属するロータスの盟友の一人だ。彼は本名をスティーヴン・ブルーナーといい、84年にLAで生まれた。ベーシストとしてスラッシュ・メタルのスイサイダル・テンデンシーズから、R&Bのエリカ・バドゥ、ラップのケンドリック・ラマーまで、様々なアーティストと共演してきたが、そんな経歴を詰め込んだようなハイブリッドな音楽性で11年にソロ・デビューした。シンガー・ソングライター的な側面を強めた『ドランク』(17年)はそんな彼の決定版で、マイケル・マクドナルドなどを迎えた「ショウ・ユー・ザ・ウェイ」はAOR再評価の波と相まって、大きな話題となった。
 ☆Taku Takahashiは日本のDJ、音楽プロデューサー。98年からm-floのトラック・メイカーとして活動、99年にメジャー・デビューしてからヒット曲を連発した。音楽プロデューサーとしても向井太一や加藤ミリヤ、MINMIなどを手がけ、最近では韓国のセクシー・グループ、EXIDの日本オリジナル曲もプロデュースした。また、アニメ「Panty&Stocking with Garterbelt」などのサントラも担当しており、渡辺信一郎監督作では「スペース☆ダンディ」にも楽曲提供している。
 G.RINA(ジー・リナ、グディングス・リナ)は日本の女性シンガー/ビートメイカー/DJ。03年にすべてセルフ・プロデュースで作り上げたアルバムでデビューした。ディスコ/ソウル/ヒップホップを始め、広くダンス・ミュージックにこだわった音楽性で、07年にはビクターからメジャー・デビューしたが、同時にインディ・レーベルも主宰するなど、独自の活動を続けている。土岐麻子やNegiccoなどへの楽曲提供から、tofubeats、鎮座DOPENESSなどとのコラボなど、幅広い領域で活動している。
 Maika Loubté(マイカ ルブテ)は日本人の母とフランス人の父の間に生まれた女性シンガー・ソングライター/トラックメイカー/DJ。10代まで日本・パリ・香港で過ごし、14歳で作詞/作曲を始めた。小山田圭吾、鈴木慶一、菊地成孔などとの共演を経て、14年にアルバム・デビュー。ヴィンテージなアナログ・シンセから最新電子楽器までを駆使した宅録女子として独自の世界を作り上げている。CM音楽や劇中歌なども数多く手がける気鋭のクリエイターだ。

Text: 高橋修

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Flying Lotus(フライング・ロータス)
LA出身のプロデューサー、フライング・ロータスことスティーヴン・エリソン。大叔父にモダンジャズの名サックスプレイヤーのジョン・コルトレーン、そしてその妻でありジャズミュージシャンのアリス・コルトレーンを大叔母に持つ。LAビートシーンの最重要人物にして、サンダーキャットやテイラー・マクファーリン、ティーブスらを輩出した人気レーベル〈Brainfeeder〉を主宰。2010年の『Cosmogramma』、2012年の『Until The Quiet Comes』、そして世界各国で自己最高のセールスを記録し、その年を代表する名盤として高い評価を受けた2014年の『You're Dead!』などのアルバムを通して、その評価を絶対的なものとする。2017年には、自ら手がけた映画『KUSO』の公開や、渡辺信一郎監督の短編アニメーション『ブレードランナー ブラックアウト 2022』の音楽を手がけるなど、その活躍の場をさらに広げている。

Thundercat(サンダーキャット)
フライング・ロータス諸作を始め、ケンドリック・ラマー、カマシ・ワシントンらの作品に参加する超絶技巧のベーシストとしてシーンに登場し、ここ数年のブラックミュージックの盛り上がりにおいて、誰もが認める立役者の一人にまで成長したサンダーキャット。2011年の『The Golden Age Of Apocalypse』、2013年の『Apocalypse』でその実力の高さを証明し、2017年の音楽シーンを象徴する傑作として高く評価された最新作『Drunk』ではケンドリック・ラマー、ファレル・ウィリアムス、フライング・ロータス、マイケル・マクドナルド、ケニー・ロギンス、ウィズ・カリファ、カマシ・ワシントンら超豪華アーティストが勢揃いしたことでも話題となり、その人気を決定づけた。

G.RINA (ジーリナ)
シンガーソングビートメイカー・DJ
近作アルバム『Lotta Love』『LIVE & LEARN』では80年代 90年代へのオマージュとともに、日本語歌詞のメロウファンク、ディスコ、モダンソウルを追求している。英国、韓国アーティスト、ヒップホップからアイドルまで幅広くプロデュース、詞/楽曲提供、客演など。2018年、ZEN-LA-ROCK、鎮座ドープネスとともにヒップホップユニット「FNCY」を結成。
https://grina.info

Maika Loubté (マイカ ルブテ)
Singer song writer / Track maker
SSW/トラックメーカー/DJ。近所のリサイクルショップでヴィ ンテージアナログシンセサイザーを購入したことをきっかけに、ドリームポップとエレク トロニックミュージックを融合させたスタイルで音楽制作を始める。 日本とフランスのミックスであり、幼少期から十代を日本・パリ・香港で過ごす。
2016年夏、アルバム『Le Zip』(DIGITAL/CD+42P PHOTO BOOK)をリリース。
のち2017年3月にリリースしたEP『SKYDIVER』がJ-WAVE「TOKIO HOT 100」に選出され、
番組にも出演。2017年5月、Underworldがヘッドライナーを務めた バンコクの音楽フェス
「SUPER SUMMER SOUND 2017」に出演。 SUMMER SONIC 2017出演。同年7月、Gap“1969 Records”とのコラボレーションによりMVが制作された「Candy Haus」を、配信と7インチLPでリリース。
インディペンデントな活動を続けながら、Shu Uemuraやagnès bなどの 数々のファッションブランドやCM音楽をプロデュースし、これまでに自主盤を含め2つのアルバムと3つのシングルEPを発表。
2017年、米Highsnobietyが企画・制作したMercedes BenzのWeb CMに出演し、
未発表曲がフィーチャーされた。台湾・中国・韓国・タイ・フランスでのライブパフォーマンスも成功させ、活動の幅を広げている。2019年、新作フルアルバムをリリース予定。元Cibo MattoのMiho Hatoriらを客演に迎え、PhoenixやDaftpunkなども手がけるAlex Gopherがマスタリングを務めた。
Official web www.maikaloubte.com
Twitter https://twitter.com/maika_loubte
Instagram https://www.instagram.com/maika_loubte/

☆Taku Takahashi (m-flo)
DJ、プロデューサー。98年にVERBAL、LISAとm-floを結成。
ソロとしてもCalvin Harris、The Ting Tings、NEWS、V6、Crystal Kay、加藤ミリヤ、MINMIなど国内外アーティストのプロデュースやRemix制作も行うほか、アニメ「Panty&Stocking with Garterbelt」、ドラマ・映画「信長協奏曲」、ゲーム「ロード オブ ヴァーミリオン III」など様々な分野でサウンドトラックも監修。2010年にリリースした「Incoming... TAKU Remix」は世界最大のダンスミュージック配信サイト“beatport”で、D&Bチャートにて年間1位を獲得。また同曲で、過去受賞者にはアンダーワールドやファットボーイ・スリム、ジャスティス等、今や誰もが知っているスーパースター達が名を連ねる『beatport MUSIC AWARDS 2011 TOP TRACKS』を獲得し、日本人として初めての快挙を成し遂げ、名実ともに世界に通用する事を証明した。
国内外でのDJ活動でクラブシーンでも絶大なる支持を集め、LOUDの“DJ50/50”ランキング国内の部で3年連続1位を獲得し、日本を牽引する存在としてTOP DJの仲間入りを果たした。2011年に自身が立ち上げた日本初のダンスミュージック専門インターネットラジオ「block.fm」は新たな音楽ムーブメントの起点となっている。2018年3月7日には、15年ぶりにLISAが復帰しリユニオンしたm-floのNEW EP「the tripod e.p.2」をリリース。m-floの最新シングル「MARS DRIVE」「Piece of me」「epic」も好評配信中。
https://twitter.com/takudj
https://block.fm/

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《キャロル&チューズデイとは?》

ボンズ20周年×フライングドッグ10周年記念作品。
総監督に『サムライチャンプルー』・『カウボーイビバップ』・『アニマトリクス』・『ブレードランナー ブラックアウト2022』ほかを手掛け国内外においてカリスマ的な人気を誇る、渡辺信一郎。
キャラクター原案に、日清食品カップヌードルCM「HUNGRY DAYS 魔女の宅急便篇」、「HUNGRY DAYSアルプスの少女ハイジ篇」などのキャラクターデザインで人気を博している窪之内英策。
この強力タッグのもと、アニメーション制作は『COWBOY BEBOP 天国の扉』・『鋼の錬金術師』・『交響詩篇エウレカセブン』・『僕のヒーローアカデミア』など数多くのヒット作品を世に送り続けるボンズ、物語の主軸となる音楽は『カウボーイビバップ』・『マクロス』シリーズなど数々のヒットアニメーション音楽を作り出すフライングドッグが担当する。
劇中音楽はカナダ出身のアーティストMockyが手掛け、主題歌は全世界オーディションによって選出されたNai Br.XX(ナイ・ブリックス)、Celeina Ann(セレイナ・アン)がキャロル・チューズデイのWキャストとして曲を歌唱する。音楽にも強い拘りがある本作は海外アーティストからの楽曲提供が多く、さらに劇中歌及び主題歌は全て外国語で歌唱される。
オープニングテーマ「Kiss Me」は現在、男女問わず絶大な人気を誇るNulbarich(ナルバリッチ)。エンディングテーマ「Hold Me Now」はオランダを代表するポップの才人・Benny Sings(ベニー・シングス)が担当。また、劇中ボーカル曲参加コンポーザーとして、ノルウェー出身の音楽プロデューサー・ミュージシャンのLido、オランダを代表するポップの才人・Benny Sings、エレクトロポップデュオ《The Postal Service》への参加でも知られるUSインディー界の歌姫・JEN WOOD、女性4人によるロックバンド・《赤い公園》でギターを担当する津野米咲、ビヨンセやリアーナ、ジェニファーロペスなど超大物アーティストに楽曲を提供しているEvan "Kidd" Bogart、現在活動停止中ではあるがロック・ファンにはなじみの深いKeane(キーン)のTim Rice-Oxley、コーネリアスやファイストなどとのコラボも話題となったノルウェー出身のグループ、Kings of Convenience(キングス・オブ・コンビニエンス)のEirik Glambek Bøe等といったこちらも早々たる面子が音楽で本編を彩る。
2019年4月10日からのオンエアに向けて本編、音楽ともに絶賛鋭意制作中!
他に類をみない本作品に乞うご期待!!!

☆新プロモーション映像
 URL: https://youtu.be/CBak9m0bcB0
☆ドキュメンタリー映像
・Story of Miracle (vol.1)
 URL: https://youtu.be/hzxqk2dVvf4
・Story of Miracle (vol.2)
 URL: https://youtu.be/K8X10gdWz-A

《あらすじ》
人類が新たなフロンティア、火星に移り住んでから50年になろうという時代。
多くのカルチャーはAI によって作られ、人はそれを享楽する側となった時代。
ひとりの女の子がいた。
首都、アルバシティでタフに生き抜く彼女は、働きながらミュージシャンを目指してい
た。いつも、何かが足りないと感じていた。
彼女の名はキャロル。
ひとりの女の子がいた。
地方都市、ハーシェルシティの裕福な家に生まれ、ミュージシャンになりたいと思ってい
たが、誰にも理解されずにいた。世界でいちばん孤独だと思っていた。
彼女の名はチューズデイ。
ふたりは、偶然出会った。
歌わずにいられなかった。
音を出さずにいられなかった。
ふたりなら、それができる気がした。
ふたりは、こんな時代にほんのささやかな波風を立てるだろう。
そしてそれは、いつしか大きな波へと変わっていく───

■メインスタッフ
原作:BONES・渡辺信一郎
総監督:渡辺信一郎
監督:堀 元宣
キャラクター原案:窪之内英策
キャラクターデザイン:斎藤恒徳
メインアニメーター:伊藤嘉之、紺野直幸
世界観デザイン:ロマン・トマ、ブリュネ・スタニスラス
美術監督:河野羚
色彩設計:垣田由紀子
撮影監督:池上真崇
3DCGディレクター:三宅拓馬
編集:坂本久美子
音楽:Mocky
音響効果:倉橋静男
MIXエンジニア:薮原正史
音楽制作:フライングドッグ
アニメーション制作:ボンズ
公式HP: https://caroleandtuesday.com/
Twtter: @carole_tuesday
Instgram: @caroleandtuesday
Facebook: https://www.facebook.com/caroleandtuesdayofficial/

©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会

《主題歌情報》
オープニングテーマ「Kiss Me」
作詞・作曲・編曲:Nulbarich
歌:キャロル&チューズデイ(Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann)

エンディングテーマ「Hold Me Now」
作詞・作曲・編曲:Benny Sings
歌:キャロル&チューズデイ(Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann)

■メインキャスト
キャロル:島袋美由利
チューズデイ:市ノ瀬加那
ガス:大塚明夫
ロディ:入野自由
アンジェラ:上坂すみれ
タオ:神谷浩史
アーティガン:宮野真守
ダリア:堀内賢雄
ヴァレリー:宮寺智子
スペンサー:櫻井孝宏
クリスタル:坂本真綾
スキップ:安元洋貴

■シンガーボイス
Nai Br.XX(キャロル)
Celeina Ann(チューズデイ)
Alisa(アンジェラ)

■本作参加コンポーザー
Mocky / Nulbarich / Benny Sings / Lido / JEN WOOD / 津野米咲(赤い公園) / Evan "Kidd" Bogart / Tim Rice-Oxley (Keane) / Eirik Glambek Bøe (Kings of Convenience) / Flying Lotus / Thundercat / G.RINA / Maika Loubté / ☆Taku Takahashi (m-flo)
・・・and more

《タイアップ》
ノード、ギブソンとのタイアップ決定!!
世界のトッププレイヤーたちが愛用するシンセサイザー/キーボードの“Nord”ブランドと世界的老舗ギターメーカー“ギブソン” (Hummingbird)とのコラボレーションが決定!
キャロルのキーボード、チューズデイのギターにはそれぞれNord、ギブソンのロゴが入り、
リアルな音楽作品としてよりいっそう本タイトルを盛り上げます。

協力:株式会社ヤマハミュージックジャパン(日本国内におけるNordブランド製品の輸入・販売元)

《放送情報》
2019年4月10日よりフジテレビ「+Ultra」にて毎週水曜日24:55から放送開始(初回は25:05~)
NETFLIXにて4月10日配信開始。2話~毎週木曜日配信(日本先行)
ほか各局にて放送 (関西テレビ/東海テレビ/テレビ西日本/北海道文化放送/BSフジ)

・テレビ西日本 4月10日(水)25:55~26:25
・東海テレビ 4月13日(土)25:55~26:25
・北海道文化放送 4月14日(日)25:15~25:45
・関西テレビ 4月16日(火)25:55~26:25 
・BSフジ 4月17日(水)24:00~24:30 

ビリーブ 未来への大逆転 - ele-king

「民主主義を踏みにじるな」という言い方は誤解を招きやすい。民主主義を達成した社会など地球上には存在しないのだから。ないものは踏みにじれない。少数がすべてを決める社会ではなく、全員にのしかかってくる問題は全員で決めるというのが民主主義で、スイスのように全員でやるのは効率が悪いから代議士に話し合いの役目を託す制度があり、議会制というのはそうした方法のひとつではあるものの、唯一の手段であり続けるかどうかはわからないし、ほかにいい方法があるのならそれを採用すればいいとも思うけれど、どんなシステムを採用するにせよ、くじ引き制にでもならない限り、全員が話し合って意思決定を行うという土台は残るはず。「コミュニケーションは大切だ」という言い方も誤解を招きやすく、コミュニケーションはせざるを得ないものだし、自分が殺されることになっても「意見がない」という人はさすがにいないだろう。黙っていれば不利になると思う人ほどSNSで声を上げているのも、だから、当然の成り行きではある。アメリカで初めて男女平等が議論された最高裁の模様を描いた『ビリーブ』は社会の場におけるコミュニケーションの必要性を痛感させられる作品であった。通常、法廷ドラマというのは、複雑に入り組んだ犯人の動機を解明したり、相手の理屈を突き崩していく過程をスリリングに楽しむものだとは思うけれど、『ビリーブ』で焦点が当てられていたのは憲法解釈で、同じ文章を前にしながら、それがどれだけ解釈に可能性を与え、この場合でいえば男女平等という理念を導き出すツールとなっていたか。フランク・ダラボン『マジェスティック』でもラリー・チャールズ『ディクテーター』でも憲法を読み上げれば事態は収拾していく……というようなプリミティヴなレヴェルとはまるで違った。最高裁という場所が思想の生まれるところであり、知性の結晶として機能していることを実感し、権威として君臨できるのも当然だというか。

 現代アメリカを代表する女性といえばRBGとAOC、そしてオプラ・ウィンフリーとビヨンセになるだろうか(個人的にはティナ・フェイも!)。RBGことルース・べイダー・ギンズバーグは70年代に男女平等を訴えた最高裁の弁論で広く知られるところとなり、ビル・クリントンによってアメリカの最高裁判事では二人目の女性に選ばれた弁護士である。『ビリーブ』は彼女がどれだけ優秀な成績で大学の法科を卒業しようとも女性(で、しかもユダヤ人)が弁護士になれる時代ではなかったために、最初は大学で教授職にしか就くことができず、女性の社会進出に当時としては珍しく多大な理解を持っていた夫に助けられて最高裁に立つことができ、数々の有名な弁論の中でも「ワインバーガー対ワイゼンフェルド」訴訟を取り上げた作品となっている。面白いのは反抗期を迎えた娘が不良化して親の言うことを聞かなくなったのはいいとして、彼女が出かけていく先はロックやドラッグの世界ではなく、グロリア・スタイネムの集会だったということ。実話なのか適当につくったエピソードなのかは知らないけれど、そのようにして親に反抗してフェミニズムの集会に行っていた娘がある時、路上でヒューヒューと男たちに卑猥な言葉を浴びせられると、RBGは「無視しなさい」と忠告するも、そんな時代ではないと娘は男たちにはっきりと言い返す。これでRBGの心に火がつく。そこから最高裁まではまっしぐらである。『ビリーブ』ではそのようにして彼女の家族関係も物語の大きなファクターをなしている。それはさらに追って公開されるRBGのドキュメンタリー『RBG 最強の85才』でさらに詳細に描かれている。『ビリーブ』も『RBG』も単独で充分に面白い作品だけれど、『プラダを着た悪魔』に続いてヴォーグの編集長アナ・ウィンターの素顔を追った『ファッションが教えてくれたこと』を観るのと同じような相乗効果があり、続けて観れば愛も勇気も100倍増しで感じられることは請け合い。

『ビリーブ』では若い時に夫がガンで入院し、看病を続けながら法律の勉強を続けるRBGに焦点が当てられ、『RBG』ではその夫が他界する場面に多くの時間が費やされている。『ビリーブ』では「ワインバーガー対ワイゼンフェルド」訴訟を起こすまでの長い手続きを詳細に追うことで、裁判を起こす意義やその難しさなどが同時に語られていく。『RBG』では彼女が扱った他の有名な訴訟も次から次へとダイジェストで解説され、彼女が最高裁判事になってからも、ジョージ・ブッシュによって保守派の判事が2名も任命され、中道に近かった彼女の存在感が一気にリベラルへと横滑りし、そこからはむしろ彼女の思う通りに判決が下せず、RBGはむしろ最高裁判決に対して「反対意見」を述べる立場になっていく。そのことがしかし、彼女の人気を若い人たちの間で決定づけ、ネット上に「#ノトーリアスR.B.G.」というハッシュタグが立つとTシャツやマグカップまでつくられ、作品中で言われているように「ロックスター並みの」の人気者となり、ポップ・カルチャーの新たな象徴とまで言われることに。ノトーリアス(悪名高い)というネーミングはどう思うかと聞かれたRBGは「似たようなもんだわよ」と言ってノトーリアスB.I.G.とは「同じブルックリン生まれだし」と言って笑う。ほとんどTVを観たことがないというRBGに「サタデー・ナイト・ライヴ」でケイト・マッキノンが彼女のモノマネをやっているところを観せてもRBGは笑い転げていて、これはおそらくドナルド・トランプが大統領戦に出馬した際に批判的な発言をして判事の行動としては軽率だったと批判されて謝罪したという経緯があり、そのドナルド・トランプがやはり「サタデー・ナイト・ライヴ」でアレック・ボールドウィンに自分のモノマネをされて怒り心頭のツイートを連発していたことと対比させて見せる意図があるのだろう。RBGはこれに限らず、どんな場面でもとにかくお茶目だし、人間として可愛らしい。黒柳徹子や樹木希林が芸能人ではなく政治家や法律家だったら、こんな風に見えるのかなというか。


 日本で『ビリーブ』と『RBG』が公開される頃、RBGは86才になる(最高裁判事に定年はない)。トランプ時代になってから彼女が転倒して骨折した時はリベラルの火が消えてしまうと大騒ぎにもなった。また、両作を観ていると日本の女性たちはまだアメリカの60年代にいるとしか思えなくなってくるし、上に書いた以外にもとにかくエピソードが目白押しで、日本と照らし合わせて考えさせられることはとにかく多い。アメリカは個人主義だから組織的な圧力から個人を守るために過剰なほど正義が求められ、組織優先の日本では同じように正義を求める感覚はないのかもしれない(あるとしてもそれはネオ・リベラルがもたらすという皮肉でもある)。ツイッター上で振りかざされる正義感が座り心地のいい着地点を見出せないこともそのせいかなとは思うけれど、とはいえ、個人があってそれが組織に押しつぶされるという図式がまったくないわけではないし、「コミュニケーションせざるを得ない」のは圧倒的に個人の立場にいる人たちだとすれば、RBGに学べることは無限といっていいほど多いことは確か。

『ビリーブ 未来への大逆転』予告編

『RBG 最強の85才』予告編

Qrion - ele-king

 現代的でありつつどこか叙情的なダンス・チューンを次々と送り出す、札幌出身サンフランシスコ在住のDJ/プロデューサー、クリョーン(Qrion)。これまでスロウ・マジックやトキモンスタなどのリミックスを手がけ、デイダラスとも共演、ポーター・ロビンソンやライアン・ヘムズワース、カシミア・キャットらのツアーに帯同してきた彼女だけれど(初音ミクを使った曲もあり)、このたびなんと、昨年リリースされたEP「GAF 1」「GAF 2」の12インチ化を記念してリリース・パーティが開催される運びとなった。日時は4月30日、会場は CIRCUS Tokyo。当日は Taquwami、Submerse、ピー・J・アンダーソンらも出演するとのことで、これは見逃せない!

札幌出身で現在はサンフランシスコを拠点に活動しているDJ/プロデューサー、Qrion (クリョーン)が、スタイリッシュかつディープなハウス・サウンドをみせた2018年のEP「GAF 1」、「GAF 2」の楽曲が待望の 12 inch 化が決定。
平成最後の4月30日に CIRCUS TOKYO にてリリースを記念したパーティーを開催!

TITLE: PLANCHA × CIRCUS presents Qrion 『GAF』 Release party
DATE: 2019.4.30 (TUE/HOLIDAY) OPEN 18:00

LINE UP:
Qrion
Taquwami
Submerse
Pee.J Anderson

ADV: 2,800yen
DOOR: 3,300yen
(別途1ドリンク代金600yen必要)

TICKET:
Peatix:https://qrion.peatix.com/
イープラ:https://eplus.jp/
チケットぴあ:P-CODE (149133)

VENUE: CIRCUS Tokyo
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-26-16
03-6419-7520
https://www.circus-tokyo.jp

▼ Qrion

札幌出身、現在はアメリカ・サンフランシスコを拠点とするトラックメイカー/プロデューサー。10代の頃からオンラインを中心に音源をリリースし注目を集め、Ryan Hemsworth、How To Dress Well、Giraffage、i am robot and proud ら海外のプロデューサーとの共作が一挙に話題となり、瞬く間に世界中に Qrion の名が広がり、海外からのオファーが殺到、〈Fool’s Gold〉、〈Carpark Records〉、〈NestHQ〉、〈Secret Songs〉などの世界中のレーベルからリリース、「Trip」、「Just a Part of Life」といった自身の作品のほか、TOKiMONSTA、Slow Magic などのリミックス作品もリリースしている。

さらに Qrion は世界中をツアーしており、Slow Magic との28日間の北米ツアーを終えた、Porter Robinson、Ryan Hemsworth、Cashmere Cat, and Giraffage のツアーにも帯同、この秋の自身の最新EPとなる「GAF」のリリース・ツアーでは、LA、ニューヨーク、サンランシスコ、札幌、東京など、アメリカと日本で全8公演を成功裡に収め、更には、世界最大級のダンス・ミュージック・フェス Tomorrowland 2018 出演を始め、HARD Summer、Holy Ship、Moogfest、NoisePop、SXSWのショーケース、Serentiy Fest、更には日本の TAICOCLUB’ 18 など、多くのフェスティバルでもプレイ。 2018年に世界基準でさらなる話題を集める、今最も注目すべきアーティスト。

▼ Taquwami

作曲家。これまでにいくつかのEPといくつかのmp3をインターネット上でリリース。その他プロデュースワークやリミックスワークも多数手がける。

▼ submerse

イギリス出身の submerse は超個人的な影響を独自のセンスで消化し、ビート・ミュージック、ヒップホップ、エレクトロニカを縦横無尽に横断するユニークなスタイルを持つDJ/ビートメーカーとして知られている。これまでにベルリンの老舗レーベル〈Project: Mooncircle〉などから作品をリリースしている。SonarSound Tokyo2013、Boiler Room、Low End Theory などに出演。
また、Pitchfork、FACT Magazine、XLR8R、BBCといった影響力のあるメディアから高い評価を受ける。2017年に90年代のスロウジャムやヒップホップを昇華させたニューアルバム『Are You Anywhere』をリリース!

▼ Pee.J Anderson

Pee.J Anderson (ピー・ジェイ・アンダーソン)は Al Jarriem (アル ジャリーム)と JOMNI (ジョムニ)による関西出身の Deep House ユニット。
2017年末のハウス・シーンに突如現れ、精力的にリリースやライブ活動を行い東京のダンスフロアを彩り続ける。PCライブをベースに、ボーカルや楽器による生演奏と併せて4つ打ちを鳴らすスタイルからクラブ界隈で異才を放つ。

Ultramarine - ele-king

 この広い宇宙から見たらほんの小さな、あまりぱっとしない銀河系のなかのさらにまた小さな太陽系において、地球時間でいう365日かけて1周まわり24時間かけて自転する惑星の、75億いるサルの子孫のひとりに過ぎない自分のことなど、たわいもないものだ。
 ぼくはわりとくよくよ悩むほうで、くよくよ悩んでも解決しないとわかっていながらくよくよ悩んでしまい、そういうときは宇宙規模でものごとを考えると気が楽になることがある。ま、たいていの場合はアルコールで誤魔化すか忘却するのを待つしかないのだが、しかし、ウルトラマリンの6年ぶりの新作を聴いていると、思わず空を見上げたくなるのは事実だ。もういいかげん地球にいたくないから空飛ぶ円盤でもやって来てくれないかというわけである。

 ナンセンスであり、なおかつピースであるというのは、ちょっと禅的な感じもするけれど、何かと世知辛いこのご時世、相変わらずこんなに微笑ましい音楽をやっている彼らは素晴らしいとしか言いようがない。ウルトラマリンは、レイヴ・カルチャーの時代に登場したエセックスの2人組で、彼らの音楽を特徴付けているのは、UKジャズ・ロック(いわゆるカンタベリー系)と90年代前半のエレクトロニカとの融合だ。ロバート・ワイヤットやケヴィン・エアーズ、ジャズ・サックス奏者のエルトン・ディーンなどといったリジェンドたちと共演している経歴からもその出自がうかがえる。あるいはまたこうも言えるだろう。ボーズ・オブ・カナダやフォー・テットの登場よりも5年早く、あの感じを先取りしたのがウルトラマリンだったと。

 6年ぶりの新作、『宇宙へのシグナル』は、どうやら巨石文化に関係するコンセプトがあるようだ。じっさい内ジャケットにはいろんな石がデザインされているわけだが、ぼくの妄想によれば、これはもうそろそろ地球に飽きたよ助けてよということなのだろう。ブレグジットがたいへんなことになっているUKでは、パブに入って良い頃合いになれば、ところどころで唾を掛け合うような激しい議論が起きているかもしれない。そんなところでひとりだけ、ただひたすらぼけーっと窓の外を見ているひとがいると、それが『宇宙へのシグナル』から聴こえる牧歌性である。
 クラスターとクラフトワークがボサノヴァで踊っているような、素晴らしいアイデアの曲からはじまる『宇宙へのシグナル』は、ゲスト・ヴォーカリストのアンナ・ドミノをフィーチャーしたジャジー・トリップホップへと展開する。アルバムはいつも通りの、ルーク・ヴァイバート系のエレクトロニカとハウス&テクノのダンス・ミュージックと、そしてカンタベリー系ジャズ・ロックという3つの点を行き交う列車となって進行する。
 しかしながら、その3点以外にも、アンビエントやECM系ジャズという起点もある。いずれにせよ、彼らはその線路から外れることも、どちらかに寄りすぎることもなければ、過剰になることもない。つまり、完全なエレクトロニカになることもなければ、完全なハウスにもなれずに、完全なジャズにも完全なアンビエントにもならないという、なんとも中途半端な音楽なのだ。
 そして7曲目の“Du Sud”がやって来ると、空の星はまたたきはじめる。さあ、あなたは星の旅行者だ。じつは自分がサルの子孫ではなく、アンドロメダ大星雲のなかのさらにまたさえない銀河の彼方から来たことを思い出すかもしれないけれど、そんなことすらもうどうでもいいだろう。地球が動いているので、部屋のなかに太陽の光が差し込む。部屋の埃や塵、布団の汚れを露わにしながら温度を上げていく。無意味で騒がしい昼が待っている。春だしビールでも飲みながら、ウルトラマリンの美しい音楽をいま聴けることがただ嬉しい。

ハテナ・フランセ - ele-king

 みなさんボンジュール。今日はフランス国民を唖然とさせると共に、メディアを大い湧かせているベナラ事件の続報を。この騒動は、登場人物のキャラの濃さとスパイ・ドラマじみた展開からドラマ風に「ベナラ、シーズン2」などと呼ばれている。
 まずは昨年夏にお伝えした事件のおさらいから。選挙時からボディガードを担当し、事件当時マクロン大統領官房長官補佐であったアレクサンドル・ベナラは、2018年5月1日に行われたメーデー恒例のデモに参加していた若者カップルに暴行を働いた。一般市民に身体的制裁を加える法的権利を持つのは、フランスでは警察のみである。アレクサンドル・ベナラは機動隊員でもなければ警察でもないのに、事件当日機動隊の装備と警察の腕章を付け、一般市民に暴行を加えた。大統領府がその制裁として下したのは、2週間の業務停止だ。7月18日大手新聞『ル・モンド』の報道により、大統領側近アレクサンドル・ベナラの暴行事件が明るにみ出ると、大統領府は慌てたように彼を解雇した。また、ベナラと共に若者カップルに暴行を働いた予党「La République en Marche(共和国前進)」の警備担当ヴァンサン・クラスも解雇された。この事件は国会でも大きく批判され、当時不支持率が支持率を上回っていたマクロン大統領のイメージをさらに悪くした。「マクロン君主制」と揶揄されていた政権の傲慢さをさらに浮き彫りにしたのだ。7月22日に、アレクサンドル・ベナラとヴァンサン・クラスは若者カップルへの暴行とその様子を捉えた動画を渡すように働きかけた罪で起訴された。また、その際に司法審査会により2人は面会を禁止された。その時点ではこの事件は、それだけで終了したかに見えた。


(リベラシオン紙:内閣のベナラコネクションという見出し)

 ところが2018年末に今度はベナラが外交パスポートを使用して、アフリカのチャド共和国を訪れたことが発覚。12月27日付の大手紙『Le Monde』と独立系Webメディア『Mediapart』の記事によると、投資目的のビジネスマン一団とプライベート・ジェットでチャドに降り立ち、大統領の弟などと会合したという。外交パスポートは、本来なら解雇された時点で返還するべきで、大統領府や外務省も回収するべきものだ。7月26日に返還するように外務省から通達がベナラに届いていたが、彼はそれを無視した。その後もベナラは外交パスポートを23回に渡り使用し続けた。しかも大統領府のレターヘッドを無断で使用し、ボールペン手書きで大統領府命令を偽造。外務省に複数の外交パスポートを申請し、最終的には4冊も持っていたという。そんなに簡単に大統領府命令が偽造できることも、それに対し外務省が外交パスポートを4冊も発行してしまうことも、にわかに信じがたい。だがベナラはそれをやってのけたのだ。
 この外交パスポートの件を皮切りに、ベナラの豪胆な無法ぶりが次々と明らかになっていく。
 年が明けて2019年1月31日に『Mediapart』が新たなベナラ・ネタをスクープ。7月22日の起訴の際、アレクサンドル・ベナラとヴァンサン・クラスは面会を禁止された。にも関わらず、7月26日に両者は密会し、証拠隠滅の相談をしたというのだ。『Mediapart』はその会話を録音した音声データを公開。ベナラが「昨日ボスからSMS来たぜ。“お前なら奴らを負かす。お前は奴らより強いからな。だからお前を側においたんだ”って」と言うとクラスが「ってことはボスは俺たちの味方ってことか?」と問いかけ、ベナラは「味方なんてもんじゃないぜ!」と大笑い。その後、証拠隠滅とメール・サーバーで下書き機能を使い痕跡を残さずにやり取りを続けるやり方など、詳細に相談する様子が捉えられている。この音声をきっかけに、パリ検察局はベナラとクラスによる証拠遺棄に関する調査を開始し、2人は一時拘留された。だが、同時に検察は『Mediapart』に任意の家宅捜索も試みたのだ。もちろん『Mediapart』側は拒否。あくまでも合法な予備調査で私的情報の侵害には当たらないという法的根拠を提示した。これは、当事者の『Mediapart』はじめ多くのメディアから、検察が政権に「忖度」し、情報提供者を特定するために行なった行為だと非難された。
 また、この音声データでもう一つさらに重要な案件が暴露された。それが通称「ロシア取引」。ベナラがクラスに「“Mars”からお前の名前を削除しろ」と指示しているのだが、この「Mars」というのはクラスが2017年8月に立ち上げた警備会社のことだ。なぜこの会社を立ち上げたかと言えば、ロシアの富豪イスカンダル・マフムドフのモナコにある家の警備を引き受けるためだ。そしてその契約を引っ張って来たのがベナラなのだ。「Mars」は2018年6月、この契約により約29万ユーロ(約3,600万円)を受け取っている。このイスカンダル・マフムドフという人物もいわく付きで、自動小銃製造会社カラシニコフ社の株主で、プーチンに非常に近いとか、ロシア・マフィアとの関係が疑われているとか言われている。このデータが公表されたことにより、マクロン大統領の側近がプーチン大統領に近い人物との契約を仲介していたことが発覚したわけだ。2月1日に右寄り政治雑誌『Le Point』のインタヴューで、マクロン大統領は「ジレ・ジョーヌ」はロシア・メディア『Russia Today』『Sputnik』を通じてプーチンに操られていると断言している。根拠は何も上げていないが、とにかくフランスは「ジレ・ジョーヌ」を通じてロシアの脅威に晒されていると強い懸念を表明。だが、自らの側近が大統領府で働いている期間に、プーチンに近い人物とのビジネスを行なった証拠が出て来たことには、大統領は何もコメントしていない。
 そもそもイスカンダル・マフムドフは、すでにそれまで別の警備会社と契約があったのに、なぜ警備会社としてまだ未認可の会社にわざわざ警備を変更したのか。「Mars」は警備会社として認可すら受けておらず、会社としては請け負ったものの、以前ベナラが勤めていた警備会社「Velours」に警備を下請けに出さなければならない状態だった。そして7月18日の『ル・モンド』報道を受けて、「Velours」はこの取引から手を引いた。10月にはベナラの18歳の異父兄弟(各方面から狙われてもおかしくない大富豪を警備する会社のトップが18歳の少年に務められるとは信じがたいが)が「France Close Protection」を立ち上げる。ベナラの友人が経営者となったこの会社が「Velours」の代わりを務める。そして新たに70万ユーロ(約8,600万円)をイスカンダル・マフムドフから受け取っている。また、12月にはこれまたロシアの富豪ファルハド・アフメドフと警備契約を結び、「France Close Protection」は98万ユーロ(約1億2000万円)を受け取っている。このような報道を受け、フランス国家財政検事局は2月7日、ベナラ、クラスの「ロシア取引」にまつわる汚職容疑について捜査を始めた。
 また一連のベナラ事件はフランスの上院議会が調査会を立ち上げ、7月から34回に渡る審査会を開いた。ベナラとクラスは9月19日と1月21日、2回召喚された。その審査会で、イスカンダル・マフムドフとクラス警備会社「Mars」との取引の仲介をしたかと問われ、ベナラは「クラスさんが会社を立ち上げたことも、取引のことも聞いていました。友人ですから。皆さんに隠すつもりはありません。ただ私は彼の取引の仲介をしたことも、したいと思ったこともありません」と涼しい顔で言ってのけた。クラスは「起訴された際にアレクサンドル・ベナラとは面会を禁止されているので、7月22日以降一切会っていません。彼の近況はメディアで知りました」と証言。これらの証言は1月31日『Mediapart』の音声データ公開により全て覆され、上院調査会はベナラとクラスの偽証の疑いを検察に報告した。
 ベナラは上院で、他にもトンデモ発言をしている。彼が銃携帯許可を受ける前、マクロンの大統領選挙活動中の2017年4月、地方のビストロでウェイトレスと一緒に撮ったセルフィーがある。若い女性ウエイトレスは満面の笑顔、ベナラは少々おどけて女性に銃を突きつけている。このセルフィーがまたもや『Mediapart』によって公開され上院で不法所持に対する質問が出た。これに対しベナラは「嘘みたいな本当の話なんですが、これは水鉄砲です」とギャグとしか思えない証言をしてのけた。


(上院調査会での証言するベナラ。一部始終がテレビ中継されてワイドショーのようだった)


(上院調査会での証言するクラス。ベナラよりも心なしか自信なさげな様子)

 このような人物は、エリートの頂点である大統領府にはかつていなかったのではないだろうか。どうやらベナラはリセ時代に大統領府で研修をしたことをきっかけに、警備、それも華やかな世界の警備に憧れるようになったようだ。2007年15歳の頃、カブールの映画祭でマリオン・コティヤールらセレブリティの警備のバイトをする。19歳の時、軍隊予備学校に入学。学校での彼の評価は「学年でも一番優秀な一人。規律正しく、非の打ちどころがない。軍隊に強い興味を持ち、その向上心に見合った素晴らしい結果を残した」という最上級のものだ。この評価を書いたのが彼の上官で15歳年上のヴァンサン・クラスだった。その後、ベナラは2010年に社会党の警備をしている会社に入る。セゴレーヌ・ロワイヤルやフランソワ・オランドなど数々の政治家の警備に参加。2012年にフランソワ・オランドが大統領に当選すると警備会社を辞めた。そしてアルノー・モントブー生産再建大臣の官房で運転手の職に付く。だが職に就いて早々、大臣不在の際に公用車を無断使用したうえ交通違反をし「次はない」と大臣官房長から警告を受ける。そして数週間後には大臣が同乗中に、駐車してある車に当ててしまう。「人に怪我を負わせていないか確認しなさい」と指示した大臣に対し、とっさにベナラがとった行動は大臣の頭を押さえて「隠れてください!」と言うことだった。ベナラが頑として逃げようとすることに業を煮やした大臣は、車から降り、歩いて官邸に帰った。その足で大臣はベナラをクビにするように大臣官房長に指示。ベナラは3ヵ月でクビになった。上院調査会では、大臣の運転手をクビになった理由も改めて問われた。ベナラの答えは、大臣が環状道路をベリブ(パリ市のレンタサイクル)で走ろうとしたのを止めたから、だった。そんなことをしたらスマフォで撮影、即拡散される時代に、だ。もしも大臣が敢えてそのような行動に出たならば、それは正気を失ったとしか言いようがないだろう。運転手をクビにする前に、大臣の精神状態がむしろ心配だ。
 どのエピソードをとっても面白すぎるベナラ。自己顕示欲、金銭欲、権力欲に満ちたバッドボーイがエリート集団の大統領府で好き放題やらかしたのだ。彼が、ここまでできた理由は、マクロン大統領が直々に雇ったという究極の免罪符があったからだろう。そのツケをベナラは、これから行われる裁判で払うことになるのだろう。だが、そのような法の無視を許したマクロン大統領の責任も、本来なら問われて然るべきだろう。フランソワ・リュファンを中心とした野党議員やエマニュエル・トッドのような反マクロン派のインテリはもちろんマクロン大統領を糾弾している。だが、今のところ大統領の座が脅かされるような動きはない。

これも『Mediapart』のスクープ。本物の銃そっくりの水鉄砲(!?)を手にするベナラ


Corey Fuller - ele-king

 ゴミがなくなった。道ばたに紙くずやポリ袋、空き缶やタバコの吸い殻なんかが転がっているのは、10年くらい前まではごくありふれた光景だったはずだけど、最近では街を歩いていてもめっきりゴミを見かけなくなってしまった。滅菌、滅菌、とにかく滅菌。汚いものは視界から全力で一掃。どうやら上層部には人間の痕跡を抹消したくてしかたのない連中が少なからず陣取っているらしい。

 伊達伯欣との Illuha で知られるコリー・フラー、彼の〈12k〉からは初となるソロ・アルバムは汚れに満ちている。それはまずアナログ機材に由来する独特のラフな質感に体現されているが、エレクトロニック・ミュージックの作り手でありながらそれほどテッキーでないところは彼の大きな持ち味だろう(元ドラマーである彼は、じっとしたままPCをいじくりまわすよりも、じっさいに身体を動かして機材を操るほうが好きなんだとか)。
 冒頭の“Seiche”は「Adrift」「Asunder」「Aground」という三つのパートに分かれている。弦とピアノの間隙に吐息が乱入する序盤、ティム・ヘッカー的な寂寥を演出するノイズの波がメロディアスなシンセの反復を呼び込む中盤、密やかな具体音と重層的なドローンとの協奏を経て穏やかなハーモニーが全体を包み込む終盤──アルバムのあちこちで繰り広げられる種々の試みを一所に集約したようなこの曲は、本作の顔とも呼ぶべきトラックだ。
 このアルバムの魅力のひとつは間違いなくそのあまりに美しい旋律にある。Illuha がどちらかといえばフィールド・レコーディングを駆使し、その編集作業に多くの時間を投入するプロジェクトであるのにたいし、コリーは今回のソロ・アルバムの制作にあたってメロディとハーモニー、つまりはコンポジションのほうを強く意識したのだという。その成果は2曲目の“Lamentation”にもっともよく表れていて、出だしのピアノの音を聴いたリスナーはもうそれだけで泣き崩れそうになってしまうことだろう。“Look Into The Heart Of Light, The Silence”のピアノも麗しいが、これらのコンポジションにはもしかしたら『Perpetual』で共演した坂本龍一からの影響が落とし込まれているのかもしれない。いずれにせよ重要なのは、それら美しい旋律を奏でるピアノの音が絶妙に濁っていたり具体音を伴っていたりする点だ。

 濁りということにかんしていえば、アイスランド語のタイトルを持つ“Illvi∂ri”がもっとも印象的である。この曲に聞かれるノイズは、コリーがじっさいにアイスランドで遭遇した出来事の結晶化で、深夜に強烈な暴風雨に見舞われた彼はすぐさまレコーダーを回し、風が窓を叩く音を伴奏に、その場にあった楽器で演奏をはじめたのだという。ピアノよりもそのノイズのほうに耳が行くこの曲の造形は、彼がダーティなものに目を向けさせようと奮闘していることの証左だろう。それは彼がアルバム中もっとも具体音にスポットライトの当たる最終曲に“A Handful Of Dust(ひと握りのほこり)”という題を与えていることからも窺える。
 汚れたもの、濁ったもの、それは壊れたものでもある。決定的なのは“A Hymn For The Broken”だ。タイトルにあるようにどこか聖歌的なムードを携えたこの曲は、「壊れたもの」にたいする慈愛に満ちあふれている。英語の「break」にはさまざまな意味があって、ひとつはもちろん「壊す」とか「壊れる」ということだけれど、その言葉は「breaking wave(砕波)」のように「波」という言葉と結びついたり、「dawn breaks(夜が明ける)」のように光が差し込むイメージと関連したりもする。コリーいわく、それこそがこの『Break』というアルバムのテーマなのだそうだ。ザ・ブロークン、ようするにそれは壊れそうになったり溺れそうになったりしながらも必死にもがいて光を索める、われわれ人間の姿そのものなのだろう。

 このアルバムはあまりに美しいメロディとハーモニーに彩られている。だからこそわれわれリスナーはその音の濁りやノイズにこそ誠実に耳を傾けたくなる。だって、汚れていることもまた人間のたいせつな一側面なのだから。

interview with J. Lamotta Suzume - ele-king

 リリースから1ヶ月が経とうとしているが、J・ラモッタ・すずめのニュー・アルバム『すずめ』に対する評判がすこぶるいい。街中やラジオでふと流れてきたりすると、ゆっくり浸りたくなる心地よさがある。J・ディラ譲りのビートメイクを生のバンド演奏に置き換え、エリカ・バドゥが引き合いに出される声で可憐に歌うスタイルは、ここ数年のソウル/R&Bにおけるトレンド(いわゆる「Quiet Wave」)を反映したものだ。しかし、彼女のサウンドは作為的なものよりも、ナチュラルで風通しのよいムードのほうが遥かに際立っていて、クリエイティヴの自由を謳歌しているのが伝わってくる。

 彼女が体現する自由のバックグラウンドには、様々なカルチャーが交錯している。もともとイスラエル出身で、現在はベルリンを拠点に活動中。自身のバンドにはデンマークやエジプトの出身者も参加し、アメリカのビート・ミュージック界隈とも接点を持つ。そして、アーティスト名は日本語の「すずめ」。昨年の来日公演も好評だったチャーミングな逸材は、同じくイスラエル出身/ベルリン育ちのバターリング・トリオと同じように、持ち前の多様性でもってソウルの新たな潮流を示す存在となっていくだろう。

 この後に続くインタヴューの質問作成にあたって、TAMTAMのジャケット・デザインなどで知られる川井田好應さんにアドバイスしてもらった。彼はJ・ラモッタが「すずめ」を名乗るきっかけを与えた人物。「Yoshiとはベルリンで偶然知り合って、とても良い友人関係を築くことができた。初めてのEP(2015年作「Dedicated To」)のアートワークを手がけてくれたりね。そして私は、日本の子守唄をサンプルした“Yoshitaka”という曲を書いて、彼にプレゼントしたの。(今回のアルバムの)日本盤ボーナストラックになっているわ」と彼女は語っている。出会いは人生を豊かにさせるし、自分の生き方は必ず自分自身に跳ね返ってくるというのが、彼女の話を聞くとよくわかるはずだ。


学校は、自立してやっていける方法を教えることはできない。私は芸術学校に対して批判したいことが結構ある。あそこで学べることはたくさんあるけれど、その反面、洗脳している部分も多いと思う。

まずは音楽的ルーツの話から聞かせてください。イスラエルの伝統音楽に幼い頃から慣れ親しんできたと思いますが、どういったものをよく聴いていましたか?

すずめ:イスラエルはいろいろな国の人たちが集まってできた国だから、本当に多文化なの。イスラエルに住んでいる人は、70年前かそれよりもあとに、他の国から移ってきた人たちよ。私の家族は1960年代にモロッコから来たわ。だから、イスラエル音楽だと思っていたものでも、ヨーロッパだとか北アフリカのサウンドの影響を受けているのよ。私は幼い頃から、西洋の音楽に慣れ親しんできたわ。アメリカ発祥の音楽が大半だったけど、アフリカの音楽も聴いていた。だから幼い頃から聴いてきたイスラエルの音楽というのは特にないわね。私は人生のほとんどの間、ジャズを聴いてきたの。

ジャズとの出会いについても知りたいです。

すずめ:ジャズは深い愛情のようであり、私にとって故郷のような存在なの。初めてジョン・コルトレーンを聴いたときの衝撃は忘れられない。ジャズはアティテュードなの。それが私のバックグラウンドにあって、この音楽が自分の人生にあることを本当に感謝しているわ。自分にとっていちばん大きな学びを与えてくれたものだから。

テルアビブにいた頃には、ジャズ・スクールにも通っていたんですよね?

すずめ:ええ。学校へ通って、ビバップやスウィング、ハードバップなどいろいろなスタイルを学び、自分でもそれを生み出そうとした。音楽の道を歩みはじめた頃はブルーズの曲をよく歌っていたんだけど、その後、ジャズに出会ったときは衝撃的だった。こんなにもディープなんだと驚いたわ。
 ただ一方で、学校はツールを与えてくれることはできるけれど、私がミュージシャンになる方法は教えてくれないということに、ある時点で気づいたの。学校は、自立してやっていける方法を教えることはできない。私は芸術学校に対して批判したいことが結構ある。あそこで学べることはたくさんあるけれど、その反面、洗脳している部分も多いと思うわ。例えば、ジャズがどういうサウンドであるべきか、という昔からの考え方というのが根強くあって、そういうことを学校では教えている。それはある種の洗脳だと思うのよ。そういう伝統的な考え方から解放されるのには時間がかかるの。

なるほど。

すずめ:ジャズはその時代、その瞬間を反映している音楽だと思う。かつてのジャズには、アフリカ系アメリカ人のムーヴメントが反映されていた。ジャズはそういうものの象徴だった。でも現代の状況は当時のそれとは違う。だから当時のジャズを存続させることはできない。私たちアーティストは自由であるべきで、自分たちのフィーリングに従って創造するべきなのよ。その瞬間を大切にし、自分の現実や状況を理解しながらクリエイトするべきなの。私は枠にはめられたくない。自分のことはジャズ・ミュージシャンだと思っているけれど、当時のジャズのような音楽は作っていない。だって現代のジャズは当時のジャズとは違うものだから。
 だから 学校で芸術を学ぶことについては、デリケートな問題があると思う。私はいつか、そういう学校の先生になりたい。そして生徒に、自由について教え、自由になる機会を与えてあげたい。スタイルやルールを教えるのではなくて、「ルールなんてない」ということを教えていきたい。そういうことをよく考えているわ。

ジャズはその時代、その瞬間を反映している音楽だと思う。かつてのジャズには、アフリカ系アメリカ人のムーヴメントが反映されていた。自分のことはジャズ・ミュージシャンだと思っているけれど、当時のジャズのような音楽は作っていない。だって現代のジャズは当時のジャズとは違うものだから。

テルアビブでは〈Stones Throw〉や〈Brainfeeder〉といった、LAのビート・ミュージックやヒップホップが流行っていたそうですね。

すずめ:テルアビブとLAのビート・ミュージックには確かにコネクションがあるわ。テルアビブにもLAみたいに、夏のビーチや温かいヴァイブスといったアティテュードがあるから、音楽の感じも共通しているんだと思う。

あなた自身、J・ディラからの影響はかなり大きいらしいですね。彼の音楽とはどのように出会ったんですか?

すずめ:私がベルリンに移ったとき。2014年の春くらいかな。当時、私はジャズの勉学に励んでいて、ひとつのジャンルの音楽しか聴かないような、典型的な音楽学校生だった。ミュージシャンとしてのスキルを磨くために、宿題や課題ばかりやっていた。まるでジャズ以外の音楽は存在していないかのように、1930~50年代のジャズしか聴いてこなかった。ベルリンに移住してからやっと気づいたの、聴くべき音楽は本当にたくさんあると。そのときにJ・ディラの音楽を友達から教えてもらって、「一体、私はいままでどこにいたんだろう?」と思ったわ。J・ディラの音楽を知ってから、私の世界は全く変わってしまったの。

「About Love」というトリビュート企画をはじめたきっかけは?

すずめ:「About Love」はもともと、遊び半分のジャム・セッションとしてスタートしたの。毎年恒例のトリビュートにするつもりはなかったわ。J・ディラの音楽でジャム・セッションをやることが多くて、彼の誕生日(2月7日)の少し前に、いままでやったセッションをまとめてみようと思った。それを友達に聴かせたら、「ディラの誕生日の前に、それをリリースして彼に捧げるべきだよ」と言ってくれたの。それでリリースしてみたら、たくさんの人から温かいフィードバックをもらった。J・ディラのビートに対する私なりの解釈を聴くのが面白いって。だから彼の誕生日が近くなると、「もう一度セッションをやろう!」という流れになって毎年やるようになったのよ。

J・ディラのアルバムで、特に影響を受けた作品をひとつ挙げるなら?

すずめ:『Vol.2: Vintage』ね。このアルバムは何度も聴いたわ。彼のインストゥルメンタルの作品が大好きなの。

あなたはイラ・J(J・ディラの弟)とも交流していますし、あなたが住むベルリンの家に、ギルティ・シンプソンやファット・キャットが遊びにきたこともあったそうですね。

すずめ:イラとはベルリンで何度か会っているわ。「About Love」のアートワークは私が作ったコラージュで、イラと彼の母親にプレゼントしたものなの。彼らとハングアウトできたのは最高にクールだったわ。ギルティ・シンプソンは、友達に頼まれて私がインタヴューしたのよね。彼にいろいろな質問ができてとても楽しかった。音楽でコラボレーションすることはまだ実現していないけど、私は彼らの活動をサポートしているし、彼らの作る音楽は素晴らしいと思う。他にもLAのアーティストで強いインスピレーションを感じる人たちはいるから、そういう人たちともコラボレーションできれば嬉しい。例えば、MNDSGN(マインドデザイン)は特に影響を受けているアーティストよ。

すずめさんも含めて、ソウルやヒップホップをルーツに持ち、いろんなサウンドを融合させたミュージシャンがここ数年増えていますよね。そのなかで特にシンパシーを抱いている人は?

すずめ:たくさんいるわ。ここ数日間はソランジュの新しいアルバムをよく聴いていた。ものすごく興味深い作品だし、彼女の選択をリスペクトしている。アンダーグラウンドで、アヴァンギャルドで、実験的な、予想外れの、アトモスフェリックなサウンドを今回の作品で表現してきたのよ。あのアルバムは本当に美しいと思ったし、強いシンパシーを感じたわ。
 数ヶ月前は、ティアナ・テイラーのアルバムをよく聴いていた。カニエ・ウェストがプロデュースしていて、オートチューンを使っているのも関係あるかもしれないけど、サウンドがとてもいまっぽいというか新しいの。彼女のアティテュードやフロウ、ビート、そして作り出す雰囲気が大好き。
 それからネイ・パームもすごく好き。彼女にも強いインスピレーションを受けるわ。彼女の音楽には真実味があるし、自分のスタイルに忠実でいる。オーストラリアでライヴを観たんだけど、彼女が歌って、楽器を演奏するのは圧巻だった。

ベルリンの国際的な環境が、あなたの音楽に与えた影響は大きいと思います。どんなところに刺激されてきましたか?

すずめ:ベルリンは世界中からアーティストが集まっているから、アートをやる人にとっては本当に良いところよ。多国籍で多文化なところが、私がベルリンを好きな第一の理由ね。私には日本人、イラン人、パレスチナ人の友達がいるし、私のバンドにはデンマーク人やエジプト人のメンバーがいる。それって素晴らしいことよね。母国の言語ではなく、音楽という言語で繋がっている感覚が好きなの。地元のテルアビブでは同じようにいかないから。イスラエルを訪ねて来る外国人とは遊んだりするかもしれないけれど、音楽を作るとなれば、おそらくイスラエル人だけで集まってヘブライ語の曲を作っていると思うから。
 第二の理由は物価ね。昔からベルリン在住の人たちはどんどん高くなっていると言っているし、私もそう思うけれど、まだ手に届く範囲だと思う。もしテルアビブにいたら、朝から晩まで毎日働いて、生活費を補わないといけないだろうから。そうすると音楽制作する時間があまりなくなってしまう。ベルリンではその心配がないの。アメリカに行くことも考えたけれど、ニューヨークへ渡ってもテルアビブと似たような感じで、お金のために働いてばかりの生活になっていたと思う。

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自分の文化に必死でしがみついている人をよく見かける。まるで自分の文化が失われてしまうみたいに。でもそんなことは起こらない。文化は失われない。他の文化を知り、学ぶことによって、私たちは成長することができる。他の文化の美しさが見えてくれば、自分についての学びや、自分の文化をより深く理解することにも繋がるの。

具体的に出入りしているのはどんなところ?

すずめ:それは出演するアーティストにもよるわね。私にとって大切なのは、場所ではなくて内容なの。ベルリンでは《Poetry Meets Soul》という定期イベントがあって、そこは詩人、歌手、ラッパーなどの交流の場になっている。会場は毎回違うけれど、いつも素敵なところでやっているわ。あと、《Swag Jam》というヒップホップのセッションが毎週火曜日におこなわれていて、それは Badehaus という会場でやっているわ。ただ最近は、自分の活動に集中していて、自宅で音楽を作ったりコラボレーションしたりするようにしているの。だから最近はセッションに通うよりも、友達のコンサートに行く方が多いわね。
 ベルリンでは、ノイケルンやクロイツベルクでハングアウトしたり、そこでおこなわれるコンサートに行ったりするのが大好き。私はミッテというエリアに住んでいるわ。わりと中心部だけど、ノイケルンやクロイツベルクほど繁華街でもないところよ。あと、ベルリン市内は公共交通機関が発達しているから市内の移動もスムーズにできるの。そこは東京と同じね。

ベルリンでどんなミュージシャンと交流してきたのか教えてください。ジェイムス・ブレイクのようなエレクトリック系プロデューサーや、ベルリン芸術大学でクラシックを学ぶ人も身近にいたそうですが。

すずめ:それは本当よ。みんなスタイルに関してはとても自由なの。イスラエル人の友達でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に所属している人や、ベルリンでクラシックを学んでいる人も周りにいる。彼らの音楽的なバックグラウンドは私と全然違うけれど、とてもオープンだしどんなスタイルの音楽も聴くの。私がよく一緒にいるのは、やっぱりジャズをやっている友達ね。ベルリンのジャズ・スクールで一緒に勉強してきた友達もたくさんいて、彼らとはよく一緒にハングアウトしている。それからエレクトロニック系の音楽やR&Bシーンの友達もいる。ノア・スリーとも交流があるわ。彼は最高なシンガーだし、よくコラボレートしたいねと話しているわ。

今回のアルバム『すずめ』にも多くのミュージシャンが参加していますよね。昨年の来日公演にも参加していたドロン・シーガル(キーボード)、マーチン・ブウル・スタウンストラップ(ベース)、ラファット・ムハマド(ドラムス)が特に大きく貢献している印象です。彼らはどんな人なんでしょう?

すずめ:私にとって宝物のような存在よ。私のプロジェクトの核を成している人たち。アイデアやヴィジョンは私のものだけど、そのアイデアのベースとなっていたのは彼らのライヴ・サウンドだった。それに彼らは、実験的なことをすることに対してとてもオープンだし、彼ら自身のアティテュードを音楽に持ち込んでくれた。彼らがプロジェクトの要だったから、他のメンバーよりもたくさんの時間コミットしてくれたのよ。
 このバンドにはとても興味深いダイナミクスがあった。でも一緒に作業をはじめた頃は、お互いの文化のギャップがあったの。当たり前よね! イスラエルの男性とデンマークの男性とエジプトの男性がいて、その間に私がいて……私が3人とも選んだんだけど、彼らはいままで一緒に演奏したことがなかった。だから音楽についての意思疎通ができるようになるまで少し時間がかかったわ。でも時間が経つにつれて、お互い自然体になることができるようになっていったの。彼らには本当に感謝している。レコーディングで彼らが貢献してくれたものによって、音楽に生命が吹き込まれたから。

『すずめ』の制作コンセプトについて教えてください。サウンド面ではどういったものを目指したのでしょう?

すずめ:このアルバムの前に、同じバンド・メンバーでEPを録音したの。それはみんな同じ部屋でレコーディングしたのもあって、今回のアルバムに比べると荒削りでラフな仕上がりだった。そのときに比べて、今回はバンド自身も、レコーディングの環境やノウハウもレベルアップしている。
 サウンド面に関しては、マーヴィン・ゲイや70年代の〈モータウン〉、アル・グリーン、アリサ・フランクリンに強いインスピレーションを受けていて。カーティス・メイフィールドのアルバムみたいにしたいというイメージがあった。いまは2019年だけど、彼らから受けたインスピレーションをフィルターにして、当時の美的感覚を、私なりの現代的な解釈として表現したかった。オーガニックなグルーヴを表現したいと思ったのが、今回のプロジェクトをはじめるきっかけになったの。

リード曲の“Turning”について、背景やテーマを教えてください。

すずめ:“Turning”はテルアビブの実家に帰っているときに作曲したの。ピアノの前にひとりで座っていたときに、とても親密なフィーリングがあって、このサウンドは絶対に留めておきたいと思った。だからベルリンに戻ったとき、バンド・メンバーに私の表現したいサウンドを伝えたの。とても親密な感じで、ストーリーを物語っているような……まるで私がカメラになって、空の上からズームアウトしている状態で俯瞰している。それがゆっくりとズームインしてきて物語に入っていく。それがヴィジョンだった。
 私のなかでは、自分がいままでに聴いたことのないサウンドを作るつもりだった。ソウルとジャズの新しい表現方法だと思っていたの。でも、バンドのみんなは最初この曲で苦労していたわ。レコーディングする前も、「この曲はどうかと思うな。トリッキーなパーツもあるし……」と言ってたわ。だけど、私たちはポジティヴに制作と向き合い、“Turning”はバンドのみんなも大好きな曲になった。聴いたことのないサウンドを作るときは、参考になるものがないでしょう。「TURNING, TURNING,」と歌っている箇所だけど、それを作ることができて本当に嬉しい。これこそ私が作ろうとしていた音そのものだった。

「すずめ」はヘブライ語で「自由」という意味なの。だから私は自分にこの名前をつけた。私にとって自由は必要なものだから。みんなにとってもそうだと思う。それがルールよ。私は自由になりたい。

“Ulai/Maybe”ではヘブライ語で歌われていますが、どうしてそうしようと思ったのでしょう?

すずめ:“Ulai/Maybe”は、私がヘブライ語で歌っている数少ない曲のひとつよ。これは日本盤のボーナストラックにしたんだけど、理由はイスラエル大使館からたくさんの支援を得て日本に行くことができたからなの。ユキさん、アリエさん、その他大勢の人たちが頑張ってくれて、日本に行くという私の夢を叶えてくれた。自分の仕事の範囲を超えて、私の夢を実現するために応援してくれたの。だからこの曲は、東京のイスラエル大使館に捧げる曲なの。

昨年、実際に日本を訪れてみてどうでしたか?

すずめ:日本を去る数時間前、私は号泣していたわ(笑)。まさに夢が叶った経験だったから、本当にたくさんのことに興奮したわ。私はいつも自分の夢をメモに書き出して、部屋の壁に貼るということをしているの。そして時間が経過するにつれ、その夢に近づいているか、自分の状況と照らし合わせてみるのよ。毎朝起きると、そのメモを見るから、私は常にその夢を意識しているわけ。そのメモには「バンドのみんなと一緒に日本で公演する」と書いてあった。だから、ブルーノート東京から公演のオファーが来たときは、私にとって特別な瞬間だった。そして、日本に行ってからも特別な体験をいっぱいさせてもらった。私が外国人だからそう思うのかもしれないけれど、日本の人たちはとても親切な感じがする。世界中の人が日本に来てほしいし、日本人の暮らし方を見てもらいたいと思う。

今回のアルバムを『すずめ』と名付けた理由は?

すずめ:アルバムのタイトルは、もともと別の名前を考えていたの。けれど、日本に行ってから、このアルバムは私のいままでの物語や気持ちを表しているものだと感じるようになった。だからある意味、このアルバムは日本に捧げるものなの。日本という特別な場所やその文化に興味を持った自分がいるということ。だから、『すずめ』というタイトルにしたの。なぜ私がこのアーティスト名を名乗っているかを説明するために短編小説も書いたわ。

とても素敵なストーリーで、文才にも惚れ惚れしてしまいました。あの短編小説を今回のアルバムに封入することにしたのはどうして?

すずめ:日本にいたとき、「なぜ、すずめという名前なのですか?」と何度も聞かれて。私は即座に答えられなかった。なぜなら、その経験は私の人生を変えてしまうほど圧倒的なものだったから。その経験は私の考え方を変えた。今回のアルバムでは、自分の脆弱さを晒して、オープンになって、私がどんなものにインスピレーションを受けて、どういう経緯で「すずめ」と名乗るようになったのかを全てみんなと共有したかった。だから音楽に加えて、すずめについてのストーリーを封入することが理にかなっていると思ったの。「Yoshiがこの名前を教えてくれた」という短い回答もできるんだけど、それだけじゃなかったから。
 私はカルマを信じるけれど、カルマは直接的なものではないと思っている。何かを与えたら、すぐ何かが返ってくるような、そういうカルマは信じていない。このストーリーは、お互いがどうやって接し合うのか、その接し合い方というのがとても大事なことなんだ、という内容なの。自分の周りの人たちへの接し方が、自分にも同じように返ってくる、ということ。このストーリーに関与している全ての人によって、私は影響を受け、様々な感情を体験し、自分を「すずめ」と呼ぶということに繋がったの。

その短編小説のB面で、「単一文化主義はあまりに退屈で狭量です。違いを恐れないことには、たくさんの美があるのです」と綴られていたのが印象的でした。国境や文化を超えた多様性というのも、今回のアルバムのテーマなのかなと。

すずめ:その通りよ。あなたがいま言ったように、そのテーマが私の考えなの。「他の文化を恐れるのはもうやめにしない?」と言いたい。私の周りの人、友人たち、リスナーのみんなに伝えたいのは、他の人の文化を学ぶということはとても美しいことだということ。学べることは本当にたくさんあるから。他の文化を通して、人間として、アーティストとして、友人として成長できるから。自分の文化は常に自分とある。それは誰にも奪うことはできない。イスラエルだけではないと思うけど、他の国に旅行したりすると、自分の文化に必死でしがみついている人をよく見かける。まるで自分の文化が失われてしまうみたいに。でもそんなことは起こらない。文化は失われない。他の文化を知り、学ぶことによって、地球という社会の中で、私たちは成長することができる。他の文化を学ぶことによって、その文化の美しさが見えてくる。他の文化の美しさが見えてくれば、自分についての学びや、自分の文化をより深く理解することにも繋がるの。

最後に、あなたにとっての人生のルールは何ですか?

すずめ:「ルールはない」ということね。もちろん人生に必要なルールはいくつかあるけれど、自由になること、そして自由でいることが私のルールだと思う。私がここで言う自由というのは、あらゆる面における自由のことよ。じゃあ、あなたにとっての自由とは何? このインタヴューは、私がみんなにそれを問いかけることで終わりたい。『すずめ』は自由についてのアルバムよ。「すずめ」はヘブライ語で「自由」という意味なの。だから私は自分にこの名前をつけた。私にとって自由は必要なものだから。みんなにとってもそうだと思う。それがルールよ。私は自由になりたい。

interview with Courtney Barnett - ele-king

 こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけれど、僕にだってロック少年だった時期がある。ティーンのころのことだ。世代的に少し遅れての出会いではあったけど、いわゆるオルタナとかグランジ、ブリットポップに心を奪われていた。どこに目を向けても行き止まりにしか見えない田舎の風景を眺めながら、学校も家庭もぜんぶぶっ壊れてしまえばいいのになんて、わりとベタなことばかり日々考えていた。文字どおり屋上でひとり過ごしたことだってある。完全にイタい奴である。でもたぶん本気で信じていたんだと思う。こことは違う場所がどこかにある。こうじゃない世界がかならずあるはずだって。
 洋楽だけが窓だった。

 3月8日。O-EASTのステージでは昨年セカンド・アルバム『Tell Me How You Really Feel』を発表したコートニー・バーネットが一心不乱にギターをかき鳴らしており、その姿を観た僕は若かりし時分のことを思い出していた。彼女の音楽はいつだってここではないどこかを夢見させてくれる。いや、というよりも、そう想像することそれじたいの豊潤さを教えてくれる。
 翌日、幸運にも取材の機会に恵まれた僕は、前夜の昂奮を持ち越したまま彼女に、曲作りの秘密やこれまでの作品について尋ねていた。

自分のなかの言葉をどんどん出して表現していくことって、自分をさらけ出すことでもあるけど、「こんなこと考えてたんだ」って自分でも知らなかった部分がわかっておもしろい。

昨夜のライヴ、とても良かったです。自分がいわゆる洋楽を聴きはじめたころのことを思い出しました。オーストラリアはもちろん、アメリカやイギリスの音楽を聴く人って日本ではクラスにひとりいるかいないかくらいの規模感で、いわばマイノリティなんですけれど、日本のリスナーにはどういう印象を持っていますか?

コートニー・バーネット(Courtney Barnett、以下CB):昨日のオーディエンスはすごく大好き。みんな一緒に歌ってくれたし、笑顔がいっぱいだった。自分もやっていてすごく楽しかった。

いま日本では、いわゆる邦楽が好きなリスナーはもっぱらそれしか聴かなくて、閉じているというか、世界から分断されているような状況があります。

CB:日本がそういう状況だとは知らなかった。オーストラリアとはぜんぜん違うのね。私が最初に音楽を聴きはじめたころは、巷で流れている曲や流行っている曲を聴いていて、わざわざ自分から能動的に探して聴いたりはしなかった。でも10代になると、自分の興味の向くものを自分で追求しはじめる。自分がほんとうに聴きたい音楽を見つけるのはとても時間のかかる作業だった。自分の好きな音楽との出会いって、個人差があるんじゃないかな。

言語の壁みたいなものってあると思います?

CB:私の音楽は歌詞に重きを置いているし、自分の音楽についてコメントを貰うときも、歌詞を取り上げられることがすごく多い。じっさい歌詞は時間をかけて作っているし、曲の前面に言葉が出てきていると思う。でも、じゃあ言葉がいちばん大事かっていうと、自分でも断言できないから難しい。今回日本に来る前は南米にいて、そっちも英語が母語じゃないんだけど、ライヴに来てくれる人たちはみんなすごく楽しそうで、歌も一緒に歌うし、盛り上がって歓声も多いから、やっぱり人によって受け取り方が違うんだと思う。言語が同じ国、たとえばアメリカやオーストラリアでさえも、その場所柄というよりは人によって、音楽に対する反応や楽しみ方が違ってくる。世界中をツアーして気づかされたのは、音楽の楽しみ方は人によって違っていて当然ってこと。ここの国の人はこういうふうに聴く、って決まったものがあるわけじゃないと思う。
 あともうひとつ気がついたのは、周囲のエネルギーに左右されることが多いってことね。一部ガラの悪いお客さんがいると、自然に全体としてもガラが悪くなったり。そのへんは自分でも模索中だけど、一方で私じしんは素晴らしいバンドと一緒にツアーで演奏することができて、すごくありがたいと思っている。バンドが繰り出す音のダイナミズムは言葉の壁を越える普遍的なものだから、歌詞がわからなくても音を聴けばたぶん「怒っている」とか「悲しんでいる」という感情が伝わるはずよ。それはそれですごくパワフルなことなんじゃないかな。

おっしゃるとおり、あなたの歌詞は曲のなかで重要な位置を占めていると思いますが、詞を書くときはどういうプロセスを経るのでしょう? 言葉が先なのか、コード進行やサウンドが先なのか。

CB:毎回違うわね。決まったプロセスがあって、それを繰り返しやっているってわけじゃなくて。ただ、ノートに言葉を綴るという作業にはすごく時間を費やしている。たまにギターでコードを弾きながらノートを見て、そのコードに合う言葉がないか探すようなときもある。曲が先にできていて、まったく歌詞のない状態から、それに合う言葉を考えていくこともある。音楽が言葉のヒントになる場合と、逆に言葉が音楽のヒントになる場合の両方のパターンがあるのね。だから決まった方法はない。

これまでに作った曲で、もっとも苦労した曲はなんですか? 音は良いけどそれに合う言葉が出てこないとか、あるいは逆に、この言葉はどうしても使いたいけどそれに合う音が見つからないとか。

CB:両方ある。パズルのピースがぜんぶうまくフィットするように少しずつ調整していくこともあるし、ほんとうにうまくいかなくて、結果的に歌じゃなくてポエムにしちゃったり。どうしても言葉がしっくりこないときは、インストのまま寝かせることもある。カート・ヴァイルとのアルバム(『Lotta Sea Lice』)のなかに“Let It Go”って曲があるんだけど、これはどうしてもうまく歌詞が見つからなくて、ずっとインストのまま放置していたの。それがある日ピンときて曲にすることができた。だから、うまくいくタイミングが来るのを忍耐強く待つ。そういうふうにやっているわ。

言葉を紡いでいくときに、自分じしんが何を言いたいかよりも、言葉たちが何を言いたがっているかを考えて書くみたいな、そういう体験をしたことはありますか?

CB:似たようなことはあるね。曲を作っているときに、たとえば最初の一行が決まっていたりコーラスの部分が決まっていたり、先に鍵になる部分があって、それが自分にとってすごく印象的なものだったから、それを核にして曲を書こうってわかっているときもあるけど、逆に自分のなかでなんとなくこんな感じの言葉を使いたいんだけど、まだ言葉にできないなーってときはすごくフラストレイションが溜まる。でも、なんとかいろいろ模索していって、最終的にかたちになったときの達成感はすごく大きい。

必ずしも自分が言いたかったわけではない言葉が出てくることもあると思うんですけれど、それを自分の名のもとに発表することにかんしてはどう折り合いをつけています?

CB:とくに決まったメッセージとかアイディアがあるわけではなくて、何も考えずに、とにかくどんどん言葉を書いていくと、意味不明な言葉が出てきたり何度も何度も同じ言葉が登場したりして、ぜんぜん理に適ってないんだけど、それって逆に自分の潜在意識にあるものがそのまま出てきているんだというふうにも考えられると思う。何も考えずに書いたもののなかからすごく良いフレーズが出てくることもあるし。
 発表することにかんしていえば、躊躇することはほとんどないけど、ひとつだけルールがあるね。人を傷つけるようなことだけは絶対にしたくない。だから、たとえば誰かにたいして怒っていても、その気持ちは自分のなかに留めておく。あるいは怒りを表現する場合でも、相手を傷つけるようなことは必要ないよねって思ってる。自分のなかの言葉をどんどん出して表現していくことって、自分をさらけ出すことでもあるけど、「こんなこと考えてたんだ」って自分でも知らなかった部分がわかっておもしろい。

オートマティスムですね。歌詞を書くうえで影響を受けた詩人や小説家はいますか?

CB:うーん、「これ!」っていう人は出てこないかな。以前はいまより本を読んでいたけど、「この人が死ぬほど大好きで憧れてる」みたいな存在はいないね。自分が経験したことや吸収したもののすべてが、将来自分が作る作品に影響を与えていると思う。たとえばヴィジュアル・アートとか。あと、オーストラリアにいるときはよく舞台を観にいくんだけど、いろんなアーティストが違う芸術の分野でやってる表現を観るのってすごくおもしろい。分野は違っていても、伝えようと取り上げているものやテーマはすごく似ていて、それをみんながそれぞれのやり方で表現しているのを観るのはほんとうにおもしろいと思う。

その似ているテーマとはなんでしょう?

CB:もちろんひとつのテーマに限定しているという話ではなくて、いろんなテーマがいろんな方法で表現されていると思うんだけど、たとえばシェイクスピアは愛や憎しみ、裏切り、嫉妬、悲しみとか、そういったものを表現してるけど、他の人たちも同じようなものを取り上げているなとは思う。人間関係とか仕事とか、希望だったり絶望だったり、多くの人たちが共通のものを取り上げている。でも、当然それぞれの人が見ている世界は違うから、同じテーマでも人それぞれの見方や表現の仕方があって、やっぱりそれがおもしろいんじゃないかな。

では、ミュージシャンではいますか?

CB:パティ・スミスは音楽や曲作りも好きだけど、彼女は本も書いていて、その本もすごく好きね。彼女の人生すべてをとおして感じられるもの、生き方みたいな部分も大好き。あと、PJ ハーヴェイ。彼女は既成概念を押し破るというか、作品ごとにがらっとサウンドを変えるけど、そういうふうに彼女がアーティストとして、時間の経過とともに変化して進化を続けていることはすごく刺戟になった。オノ・ヨーコも良い意味で人の予想を裏切るというか、人が聴いていて心地良い音っていう、その概念さえも変えてしまうくらいで、やっぱりそういう人が好きだな。他にもたくさんいるけど、ちょっといまはすぐ思いつかない。

たまたまかもしれませんが、いま名前の挙がった人たちが全員女性なのは、「既成概念を押し破る」ということと関係していますか?

CB:たぶん無意識ね。若いころは何も考えずにニルヴァーナとかグリーン・デイとかを聴いてたけど、いまは世界中ですごく頑張っている、刺戟を感じる女性たちがいっぱいいるなって思う。

昨日のライヴではセカンド・アルバムからの曲が核になっていました。リリースから少し時間が経った現在の視点から振り返ってみて、あのセカンドは自分にとってどのような作品だったと思いますか?

CB:1年くらいライヴでやってきてるけど、時間の経過とともに曲じしんが進化しているように感じる。曲を書いてスタジオで録音して、リリースの段階ではほとんどライヴでは演奏されていない、すごくフレッシュな状態なわけだけど、お客さんの前で演奏することによって自然とそこから変化していく。「ここはこういうふうに弾いた方がいいな」「こういうのも付け加えてみようかな」ってなるから、どんどん曲が進化していく。歌詞についても、改めて「なるほど、ここはこういう意味だったんだ」というふうに、自分のなかで発見があったり。だから、曲にたいして違う理解の段階を楽しんでいる感じね。

昨夜はファースト・アルバムの曲も演奏されましたが、そちらはセカンド以上に時間が経過していますよね。変化していくうちに、当初考えていたことと違う意味合いを持つようになった初期の曲はありますか?

CB:変化っていうより、いろんな人との出会いや別れがあったり、あるいはまったく知らない人を見ながら曲を書いたりするなかで、懐かしさを感じることはあるかな。そこまで時間が経っているわけじゃないけど、この数年のあいだで自分なりに成長したところとか、考え方の違いとか、懐かしいなって。たとえば「この曲のこの部分は、ひょっとしたら当時、ユーモアで自分の気持ちを隠そうとしたのかな」って思うようなことがあって、もちろん当時の自分はそうとは認めないだろうし、そもそも気づいてすらなかったと思うけど、時間が経ったことでそういうちょっとした気づきを得ることはある。

いま何か進めているものはありますか? もうサード・アルバムには取り組みはじめているのでしょうか?

CB:言葉はいろいろ書いてるけど、歌っていうよりもポエム、詩ね。あとは絵を描いたりしている。まだ具体的な音楽作品の予定はないし、今回のアルバムのツアーが終わったら休みを取るかもしれない。でも言葉はつねに書いてるから、いくつか取り組んでいるものはあるけど、いつまでにこういう作品を出そうっていうのはとくに決めてないわ。

 前回の本コラムでは、〈俗流アンビエント〉という概念の成り立ちを紹介し、そこから見えてくる音楽蒐集・聴取の新しい意識について考えてみました。〈俗流アンビエント〉というタームに限らず、第一回目で紹介したオブスキュアな90年代シティポップのような、かつては音楽評論的な価値を付与されてこなかった音楽が、逆転的にその魅力をあらわにしてくるという状況は、いまさまざまな愛好家たちによって可視化されつつあるものです。こうした状況というのは単に、旧来の〈ディガー〉的な嗜好を持つ一部マニアが新たな漁場を発見し、そこで戯れるさまがたまさかSNS上で観察されるようになった、ということによるものなのでしょうか。まあ、そういう要素も少なからずあるとは思うのですが、そうした個人の趣向性云々の地平へ簡単に回収できない、もっと大きな流れが用意した状況であるようにも思うのです。

 ひとつには、前回も少し触れたとおり、ロック音楽に象徴されていた、表現主義的、作家主義的、記名主義的な、ポピュラー音楽における真正性崇敬とでもいうべきもものの弱体化ということが挙げられると思います。そうした真正性の不在というのは、例えばレゲエ~ダブなどの分野では、ダブプレートなどにみられるように自明の発想であったし、初期ハウスやテクノがその制作過程において人間の生演奏によらずリズムマシンやシーケンサーをたまたま駆使したこと、あるいはサンプリングを当然のものとしたヒップホップのトラックメイキング、それらが〈クール〉の地位へ登っていったことでもたらされた予想外の結果でもあったわけですが、いまやその傾向は音楽制作における不可逆的常識になっているといえるでしょう。また、そうした匿名性、反真正性志向を自覚的に展開し、ドラスティックに展開したのが初期Vaporwaveだったともいえるかもしれません。
 加えて、意味や政治性からの逃避(エスケーピズム)というものも大きな要因のひとつだと考えます。ある音楽が持つ、あるいは持たされている固有的意味性、もっといえば政治性というものを漂白したいという欲求は、現実世界における政治的言説の横溢と反比例的に符合するようにして(音楽と政治を不可分であるとする言説の興隆とパラレルな関係として)、リスナーの内に無意識的に肥大化するものだと考えます。実際、現実世界におけるきな臭い政治言語の跋扈は、いま誰しもが鋭く感得できるものでしょうし、そうした状況論と音楽を巡る議論も日々様々な形で現れています。(*1)
 〈オルナタティヴ〉以降のわかりよいエポックを挙げるなら、90年代後半から2000年代にかけて喧伝された〈音響派〉があるでしょう。いまになって考えるに、〈ロックの後〉を直截に表す〈ポストロック〉というジャンル名と連動するようにして急速に人口に膾炙した〈音響〉という言葉には、音の響きそのものを、音そのものに付与され続けてきた意味論(政治性)から開放させようとする欲求が孕まれていたように思います。このジャンルの成り立ちとして、それまでポスト・ハードコア的音楽(いうまでもなくそれは政治性と分かち難いジャンルでした)を実践していた音楽家が〈変節〉し、〈音響〉を志向したということがそうした欲求をよく表しているようにも思われます(もちろん様々な例があるので一概には言えませんが)。そういった視点でみるとき、〈音響派〉の音楽表評論上の華々しい成功を一旦捨象するなら、エレーベーターミュージック~ミューザック的なるものとの本質的共通項(脱意味論的、脱政治的傾向)が自然と浮かび上がってくるのではないでしょうか(じっさいに当時〈ポストロック〉を指して、毒にも薬にもならない〈ウォールペーパーミュージック=壁紙音楽〉と揶揄する言説も見受けられました)。
 また、脱政治性ということでいえば、いまリヴァイヴァルが喧伝されるAOR~ヨットロックも、あるいはシティポップもそうだと思いますし、ダンス・ミュージックにおける非政治的享楽性を抽出する用語としての〈バレアリック〉などもそうでしょう。

 さらにもうひとつ大きな要因として考えてみたいのは、エレーベーターミュージック~ミューザック的なるものに対立するものとして、これまでは前景的且つ自己完結的な存在であると見做されてきたポピュラー音楽が、背景・実用音楽化=ムード音楽化しているという趨勢です。
 そのためにまず、そもそもポピュラー音楽がもつ自己完結性とはいったいどのようなものなのかについて整理しておく必要があるでしょう。もちろん、「歌は世につれ世は歌につれ」という俗諺の通り、元来ポピュラー音楽にも、特定の時代のエートスやそれを形作るものとしての個人的経験の背景装置としての性格が備わっているということもできると思います(例:「あの夏の日、みんなで海にドライブに出掛けた時はヒットしていたあの曲かかっていたなあ」)。しかし、そうした性格と同じくらい、あるいはそれ以上に重要であろう、ポピュラー音楽をポピュラー音楽たらしめてきた大きな要素は、楽曲自体がその楽曲が形作る世界そのものを表象し、あるいはその世界そのものを指す存在として前景的に機能するという、ある種の自己言及性・自己目的性だったのではないでしょうか。よりわかりやすくいえば、「様々な文脈や用法から独立して、その曲それ自身だけで音楽としての価値がある」、そういうものがポピュラー音楽である、と言い直すこともできるでしょう。(*2)
 また、ポピュラー音楽の持つこうした性格は、録音技術並びに複製技術の亢進によってさらに強められることになっていきました。個人でレコードを蒐集し、オーディオシステムの前に鎮座してじっくりと作品を味わう……。こうした「聴くためだけの聴取」を可能にせしめたのは、レコードという複製メディアの特性でもありました。ヴァルター・ベンヤミンがかつて指摘したような、複製技術が芸術の真正性(アウラ)を霧消せしめてしまうだろうという予想は、いまひるがえって考えると、それが複製物であろうとも外殻をもった物体であり、それを所有するという物理的行為が担保されているうちにおいては、あまりに急進的に過ぎた見取りだったのかもしれません(*3)。それどころか、ポピュラー音楽においては、むしろそこに記録された音楽の自己存立性や真正性は、大量精算・大量消費という手順を経て多数の享受者間に大きな共同幻想が立ち上がることで、むしろ激しく亢進されてきたのではないでしょうか。
 また、メディア形態の変化という面からも、円筒レコードからSP盤、さらにLP盤へと収録時間や所持簡易性が向上するにつれて、産業側からのポピュラー音楽供給量も飛躍的に伸長し、果ては〈コンセプトアルバム〉のような、自己存立的音楽の極限ともいえるような表現主義的作品も頻出するようになっていったのでした。あるいは、レコードというメディアから目を転じても、ステージという殿堂に音楽を奉じ、そこへ多数の聴衆の一方向的な視線を過密させるロックコンサートなどの生演奏の場で、〈鑑賞するためだけの音楽〉としてのポピュラー音楽の自己存立性は力強く培養されてきたといえるでしょう。

 しかしながら、我々が永らく自明なものとしてきた、ポピュラー音楽のそうした一面が徐々に瓦解してきたのが、ここ3~40年の趨勢なのです。まさしく、ポピュラー音楽の実用音楽化、あるいは実用音楽への回帰、とでもいうべき状況を出来させた要因には、一体どんなものがあるのでしょうか。
 そしてまたそのことが、現在観察できるエレーベーターミュージック~ミューザック的なるもの前景化にとってどんな役割を果たしてきた、あるいはいま果たしているのでしょうか。次回はその部分について具体的な事例を挙げながらじっくりと考えていきたいと思います。

*1
こうした議論のわかりやすい例が「音楽に政治を持ち込むな」というやつでしょう。政治的言説への不満をつのらせながらも、一方では旧態然とした作家的人格を音楽家へ要求するがゆえ、ガス抜き(脱イデオロギー的方法論)の不全に陥っている例が、件の「音楽に政治を持ち込むな論」の気まぐれで間欠的な噴出だと言えるでしょう。いつも妙に不機嫌にみえる「音楽に政治を持ち込むな」論者が自らの鬱憤を抜本的に克服するためには、「音楽家が政治を語ることが好ましいかどうか」という議論ではなく、彼らが前提とする象徴主義的作家観を反省的に捉えるところまで遡らねば叶わないでしょう。しかし、「音楽に政治を持ち込むな論」自体が何やら党派的性格を帯びてきているいま、それもなまなかではないかもしれません。

*2
一般的イメージからすると、クラシック音楽にこそそうした自己完結性が元来備わっているように見做されますが、主にバロック期までは宗教的儀礼に伴うものであったり、宮廷や上流階級家庭内でのバックグラウンドミュージック的な役割が支配的でした。クラシック音楽においてそうした自己完結的作品性が前景化してくるのは、ロマン派以降の交響曲など大作主義的作品においてでありました。また、それと平行して集中型鑑賞を能動的に行う〈聴衆〉という存在が浮かび上がってくることを通して、更にその作品の自己存立性が強化されていくことにもなりました。ソナタ形式の洗練などを経て、そうした傾向が極限に達したのが19世紀であったとされますが、後の現代音楽界においても、〈純粋音楽〉といった用語の元、音楽の自己存立性を保全しようとする動きもありました。本稿では触れられませんでしたが、〈家具の音楽〉のエリック・サティを端緒として、現代音楽界においても自己完結性を批判的に捉える動きは反復的に発生していきます。先だってele-king booksから刊行された松村正人氏の著による『前衛音楽入門』は、そうした問題意識の元で読んでみても大変面白い本だといえるので、興味がある方は是非。

*3
ここでの筆者の論旨としては、外殻性をもったレコードというメディアについては「アウラの消失」という事態をただちに敷衍することは困難なのではないかというものだが、次回以降検討することになる〈外殻〉を持たないデジタル技術における複製については、この限りではないかもしれません。このあたりの問題は次回改めて立ち戻れればと思います。

 先日のモッキーとのライヴも超パンパンだった坂本慎太郎のほやほやニュースです。
(以下、レーベルからの資料のコピペ)
 サンパウロのO Ternoのニュー・アルバム『atrás/além』に、坂本慎太郎、デヴェンドラ・バンハート1曲参加。その参加曲「Volta e meia」を、zelone recordsより7inchリリース。
 ブラジル・サンパウロを拠点に活動するバンド、O Ternoのニューアルバム「atrás/além」に坂本慎太郎とデヴェンドラ・バンハートが1曲参加し、その参加曲「Volta e meia」の7inch vinylを、5月22日(水)にzelone recordsより発売が決定しました。 
 坂本慎太郎がソロ初LIVEを行なった、2017年ドイツ・ケルンで開催された”WEEK-END Festival #7”にO Ternoとデヴェンドラ・バンハートも出演。そこでの交流がきっかけとなり、O Ternoからのオファーで実現した今回のコラボレーションです。
 共演曲「Volta e meia」は、O Ternoの今までのソウル/ロック路線とはまた違う、淡いサウダージとメロウネスを醸し出す、洗練されたソフトサイケなMPB。c/wの「Tudo que eu não fiz」は、ニューアルバムの冒頭を飾る、ほのかにサイケな珠玉のトロピカリア/ソフト・ロック・チューンで、どちらも新作を代表する2曲です。
 zelone版7inchは坂本慎太郎によるアートワーク仕様になります。
 この「Volta e meia」は4月16日、ニュー・アルバム『atrás/além』は4月23日にブラジルより世界配信されます。

2019年5月22日(水) zelone recordsより発売!

Volta e meia / O Terno feat. Shintaro Sakamoto & Devendra Banhart

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SIDE A: Volta e meia / O Terno feat. Shintaro Sakamoto & Devendra Banhart [3:17]

Biel Basile – drums, mpc, percussion
Guilherme D’Almeida – bass
Tim Bernardes – vocals, acoustic and electric guitars, synthesizers
Felipe Pacheco Ventura – violins
Amilcar Rodrigues – flugelhorn, trumpet
Shintaro Sakamoto - vocals
Devendra Banhart - vocals


SIDE AA: Tudo que eu não fiz / O Terno [3:47]

Biel Basile – drums
Guilherme D’Almeida – bass
Tim Bernardes – vocals, electric and acoustic guitars
Felipe Pacheco Ventura – violins
Douglas Antunes – trombone
Amilcar Rodrigues - trumpet
Beto Montag - vibraphone

O terno: Biel Basile, Guilherme D’almeida and Tim Bernardes
Compositions, arrangements and musical production: Tim Bernardes
Co-production: Gui Jesus Toledo, Biel Basile, Guilherme D’almeida

Recording and sound engineering: Gui Jesus Toledo
Mixing: Tim Bernardes
Mastering: Fernando Sanches

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品番: zel-019 (45rpm)
発売日: 2019年5月22日(水)
形態: 7inch Vinyl (exclusive 7inch)
価格: ¥1,000+税
Distribution: JET SET https://www.jetsetrecords.net 
More info: www.zelonerecords.com

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●O Ternoプロフィール●  

Tim Bernardes、Guilherme D’Almeida、Biel Basileによるサンパウロのソウル / ギター・ロックバンドで、新世代ブラジル音楽の重要な担い手として注目を集める。
2012年6月、1stアルバム「66」をリリース。The Globe誌によって”ブラジルのバンドの最も印象的なデビューディスクの1つ”と、Rolling Stone Magazine Brazil による2012年の25枚のベストアルバムに選出された。 
2013年、Tom Ze EPのFeicebuqui Courtのために2曲をレコーディングし、EP 「TicTac-Harmonium」リリース。
2014年に、Charlie and the MalletsとLuiza Lianのような7つの他のバンドと共に、レーベル”RISCO”を結成。
同年8月、メンバーによって書かれた12曲を含む2ndアルバム、「 O Terno」をリリース。
2015年3月、バンドの編成が変わり、Victor Chavesが脱退し、現在のBiel Basileがメンバーに加入、そして新生O TernoとしてLollapalooza Festivalに出演。
2016年、RISCOレーベルの最初のコレクション、レコーディングに参加し、 5月下旬から6月上旬にかけて、”Primavera Sound Fes”を含むEUツアーを敢行。
9月には3rdアルバム「Melhor Do Que Parece」をリリース、”トロピカリズム、ロック、ソウル、そしてブラジルの音楽のミックス”、と世界的に評された。 
2017年、ドイツケルンで開催された”WEEK-END Fes#7”に出演。そのフェスには、ソロ初のLiveを行なった坂本慎太郎、そしてデヴェンドラも出演。 
同年、Vo, GuitarのTim Bernardesは、ソロアルバム「Recomeçar」をリリース。"現代ブラジルのブライアン・ウィルソン"とも評されている。

https://www.oterno.com.br

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