「KING」と一致するもの

interview with Laraaji - ele-king


Laraaji
Sun Piano

All Saints/ビート

Ambient

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 一昨年の圧倒的な来日公演も記憶に新しいララージ。エレクトリック・ツィターを駆使した幻惑的なサウンドは近年のニュー・エイジ・リヴァイヴァルにも大きな影響を与えてきたわけだが、今回の新作ではなんとツィターは一切使われていない。『Sun Piano』なるタイトルどおり、生ピアノだけを演奏した作品なのだ。でも、心配ご無用。天上から降り注ぐ光のようなイメージはそのままに、あのララージ的世界をさらに拡張したものになっている。ここでは、新作の内容のみでなく、ピアノとツィター、ピアノと自身の関係についても詳しく語ってもらった。

ピアノというのは、非常に肉体的な打楽器だ。肉体的に、リズミカルに自己表現する楽器。ハーモニーと音色で表現する楽器。さまざまな楽器のなかでも、触れ合うのが純粋に楽しいと思う楽器なんだ。

元々ピアノを勉強していたあなたが、今回ソロ・ピアノのアルバム『Sun Piano』を発表したのはとても納得のいくことですが、同時に、これだけピアノ演奏が達者なあなたが、なぜこれまで一度もピアノ作品を作らなかったのか、改めて不思議に感じました。まずは、このアルバム制作の背景、経緯を教えてください。

ララージ:ピアノは私の人生のなかで、重要な位置を占めている楽器だからね。人生の薬のようなものさ。ピアノは常に私の表現の軸にある楽器だが、これまで私は主にエレクトリック・サウンドの実験を進めてきた。そんななかで、近年のアルバムのレコーディングを見てきていたプロデューサーのマシュー・ジョーンズ(Matthew Jones)に言われたんだ。「そろそろピアノでソロ・アルバムを作る頃だろう」って。それが、この新作を作ることにした理由さ。自分のなかで、その助言がとてもしっくりときた。ピアノはずっと好きだったから、時が来たんだね。私の中で、このタイミングでピアノ・アルバムを作るというのはとても自然なことだったんだ。これまでほとんど弾いたことのなかったグランドピアノを使ったりもして、そういう部分でも純粋に楽しかった。ピアノの前に座って、弾くことを素直に楽しむ時間が幸せだったよ。作業にとりかかり始めたのは2018年の頭で、その年の12月に録音を開始した。

ピアノだけのアルバム制作に際し、なにか戸惑ったり難しかったことはありますか。

ララージ:ピアノだからといって、難しいということはなかったよ。だた、物理的な面で大変だったことがひとつあって……レコーディング途中で、エンジニアのジェフ・ジーグラー(Jeff Zeigler)が拠点を移したんだ。スタジオを引っ越したのさ。それで、ミキシングが途中で止まるなど、作業が遅々と滞ってしまったのが大変だったね。あとは、コロナ・ウイルスの関係でスケジュールの変更もいろいろとあったし。それ以外にはとくに問題はなかった。

カート・ヴァイルやメアリー・ラティモアなどとの仕事で知られるジェフ・ジーグラーが録音/ミキシング・エンジニアを担当した経緯は? また、録音に際し、ジェフとはどのような対話がありましたか。

ララージ:ジェフとは、ダラス・アシッド(Dallas Acid)とのコラボレーションの際に知り合った。ニューヨークのブルックリンでね。2年前にLaraaji/Arji Oceananda/Dallas Acid 名義のコラボ・アルバム『Arrive Without Leaving』を出した時のことだ。ジェフ・ジーグラーとダラス・アシッドと私を繋げてくれたのは、『Arrive Without Leaving』でエグゼクティヴ・プロデューサーを務めたクリント・ニューサム(Clint Newsome)だ。私とジーグラーは初対面の日から2日間、一緒にスタジオで過ごした。彼は今、私のライヴの際にもシステム・エンジニアを務めてくれている。サウンドのクオリティにこだわる人で、仕事をする上でとても頼もしいよ。レコーディング中に彼と話したことは…そうだな……「どうしたら椅子がきしむ音を消せるか」ということと、「今日のランチはどこにするか」ということぐらいかな(笑)。真面目な話、私たちは、感情の面で偏りが出ないようには気をつけていた。穏やかな面と、攻撃的な面とのバランスをちゃんと持っている作品にしたかったんだ。

自宅ではこれまでもずっとピアノを弾いてきたのですか。

ララージ:毎日弾くよ。夜はいつもイヤホンを付けて弾いている。ピアノというのは、非常に肉体的な打楽器だ。肉体的に、リズミカルに自己表現する楽器。ハーモニーと音色で表現する楽器。さまざまな楽器のなかでも、触れ合うのが純粋に楽しいと思う楽器なんだ。音程もたくさんあって、強弱も幅広くつけられるから。

若い頃は、大学でクラシック・ピアノを学びつつ、趣味でジャズ・ピアノを弾いていたと一昨年の日本での取材時に言ってましたが、いま自宅で好んで弾くのはたとえばどういう音楽ですか。

ララージ:自宅では、即興演奏しかやらないんだよ。だから、いつも新しい曲を弾いているんだ。ジャズのような、エネルギッシュなものをフリー・フォームで弾いたりはするが、楽譜を見てクラシックの曲を弾いたりは、もうしないね。即興が楽しすぎて、それどころではないから(笑)。

伝承曲“シェナンドー(Shenandoah)"以外の『Sun Piano』収録曲もすべて即興なんですか。

ララージ:うん、すべて即興だよ。楽譜は書かない。まずはテーマとなるハーモニーを見つける。そしてそのテーマに従って、肉付けの部分の作曲を即興で進めていくんだ。

作品全体がイノセンスな輝きに満ちていますが、本作を作る際、あなたの頭のなかにはどのようなイメージ(情景)がありましたか。

ララージ:ある時は、深呼吸を頭のなかで想像する。そうすると穏やかな、リラックスできる曲になる。ある時は、楽しく踊る脚を想像する。そうすると踊り出したくなるような曲になる。そしてある時は、雲の上の高いところでダンスをする、天使や妖精みたいな、想像上の生き物を想像する。それが、君が言ったような「イノセンスな輝き」につながっているのかもしれないね。

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太陽は、自然界のなかでも私がとくに好きな存在だ。自らのエネルギーを放出して、世界を明るく照らす。私はそんな太陽からインスピレーションをもらって、自分の芸術を表現している。活気とエネルギーがあって、光を分け与えられるようなものとしてね。このアルバムを『Sun Piano』というタイトルにしたのも、それが理由だ。


Laraaji
Sun Piano

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伝承曲“シェナンドー"には何か特別な思い入れや想い出があるのでしょうか。

ララージ:これはアメリカン・フォークのなかでもとくにお気に入りの曲なんだ。そこから着想を得てグランドピアノで即興をするのも面白いかなと思ってね。実は、これまでも長いこと“シェナンドー"をベースにしていろいろと即興をしていたんだよ。それをたまたまこの新作に入れてみようかなという気になってね。今回は大きな教会のグランドピアノで演奏したから、反響で自分らしい音が聴こえるんだ。そういう、自己満足のようなものだね。一度やってみたかったっていう。大学で合唱の時にこの曲を歌ったり、アメリカに実際にあるシェナンドーという場所に行ったことがあったりと、いろんな思い出のある曲なんだよ。

長年ツィターを演奏してきたことは今作でのピアノ演奏にも何らかの影響を与えているはずだと思いますが、もしそうだとしたら、具体的にはどのような影響でしょうか。

ララージ:私がツィターを使いはじめたのは1974年だ。ツィターはむきだしのミニチュア・ピアノのようなものだが、ピアノではできないことができる。ハンマーを使って演奏することもできるし、ピアノよりもメロディーの幅が広がるんだ。だから、ツィターでの実験を通して発見したことを逆にピアノでできないかなと模索することなんかがあるし、そこからさらに新たな発見に出会うこともある。私がツィターと初めて出会ったのは、当時お金が必要で、ギターを売ろうと思って訪れた楽器の質屋だった。ブルックリンのね。でもお金に替えるかわりに、そこにあったツィターと交換してしまった。神に導かれるようだった。そんな出会からこの楽器をいじり始め、いろいろと面白い音を見つけ、それを人前で披露できるまでになった。きっと運命だろうね。

ヨーロッパ近代社会や思想と結びついた平均律(equal temperament)ピアノの音は、雲や虹のようなあなたの世界とは相容れないのでは……などと想像しがちですが、あなたのなかでは何の違和感もありませんでしたか。

ララージ:これまでずっとツィターで音楽的な実験を続けてきて、今回はそれを活かしたいと思ったんだ。長い間使ってきたツィターだから、これまでの経験を活かしてあげないとと思ってね。私にとっては、まずはそこが重要だった。ただ、今回のアルバムのようにピアノを使
うとなった時に、例えばピアノを違う周波数に調律して弾くのは違和感があるよね。たとえば純正律とか。そもそもピアノとツィターでは奏でられる旋律にも違いがあるし。純正な音程ではない平均律は、音色としてはいわゆる不協和音をはらんでいるが、一方でそれは、他楽器との調和に役立つ。つまりここでは、ツィターで培ってきた旋律の構成手法を活かすための平均律なんだ。

本作は3部作の第1弾であり、次作は『Moon Piano』だとすでにアナウンスされています。『Sun Piano』と『Moon Piano』の違いや関係について説明してください。

ララージ:『Sun Piano』は明るく、楽しく、燦然と輝く、アグレッシヴなリズムを奏でるアルバムだ。これから出る他の2枚に比べ、オープンなんだ。『Moon Piano』はより女性的で、柔らかく、内省的で、そして静か。この2作品に関しては、同じ即興セッションのなかから生まれた。使ったピアノも同じだが、感情の世界の別の面が表現されている。穏やかな面と、攻撃的な面とね。そして3枚目は『Through Illumines Eyes』というタイトルだ。そのアルバムでは、エレクトリック・ツィターとピアノを同時に演奏している。感情の面では、とても明るく、燦々と輝いており、まぶしいくらいだ。イメージとしては、グランドピアノとエレクトリック・ツィターの間だね。ピアノとツィターを、自分で同時に演奏しているから。私はピアノを両手で弾きながら、途中からピアノを伴奏にして右手でツィターを弾くこともできるし、ツィターのループをかけながらピアノを重ね
ることもできる。ドラマーみたいな感じだね。

あなたは常に時代の空気を意識してきたと以前語ってくれましたが、今回のソロ・ピアノ作品はいまの時代とどのように共振すると考えていますか。

ララージ:太陽は、自然界のなかでも私がとくに好きな存在だ。自らのエネルギーを放出して、世界を明るく照らす。私はそんな太陽からインスピレーションをもらって、自分の芸術を表現している。活気とエネルギーがあって、光を分け与えられるようなものとしてね。このアルバムを『Sun Piano』というタイトルにしたのも、それが理由だ。音楽を聴くことで、聴き手はそこに平穏を見つけられると思う。落ち着くことができる。それは、静かな曲だけではなくて、元気な曲にも言えることだと思っているんだ。いまの世のなかで起こっていることを考えて、不安で気持ちがざわざわしている時にでも、音楽を聴けば自分のなかにバランスを見つけることができる。今回の3部作を聴くことで、一旦落ち着いて、リラックスし、状況を客観的に観察し、そしてもう一度平穏を取り戻せるような感情の世界に自分を導いてくれれたらと思っている。

このアルバム制作を通し、ピアノという楽器に関して新たに発見したこと、気づいたことはありましたか。

ララージ:今回は教会で演奏したんだが、音の反響があるから、これまで聴こえていなかった音が聴こえた。ピアノの音の奥深さと、ハーモニーの広がりを感じたよ。グランドピアノ自身が奏でる豊かな音色が聴こえてきた。それから、ピアノの椅子が鳴らすキーキーという音にもリスペクトを払うようにしようと気づけた(笑)。ピアノに没頭しているときに鳴る音だからね。ジェフ・ジーグラーとのレコーディングがあったからこそ、これまで気づいていなかったピアノの音を発見できたというのもあるね。

INFORMATION

オフノオト
〈オンライン〉が増え、コロナ禍がその追い風となった今。人や物、電波などから距離を置いた〈オフ〉の環境で音を楽しむという価値を改めて考えるBeatinkの企画〈オフノオト〉がスタート。
写真家・津田直の写真や音楽ライター、識者による案内を交え、アンビエント、ニューエイジ、ポスト・クラシカル、ホーム・リスニング向けの新譜や旧譜をご紹介。
フリー冊子は全国のCD/レコード・ショップなどにて配布中。
原 摩利彦、agraph(牛尾憲輔)による選曲プレイリストも公開。
特設サイト:https://www.beatink.com/user_data/offnooto.php

Beyoncé - ele-king

 2016年、スーパーボウルでのショウや “Formation” のMV、アルバム『Lemonade』などでブラックパンサー党や BLM への共感をあらわにし、現在のムーヴメントの口火を切ったとも言えるビヨンセ。昨年は映画『ライオン・キング』にインスパイアされたアルバム『The Lion King: The Gift』をリリースしているが、その収録曲 “My Power” ではなんとダーバンのDJラグを迎えゴムに挑戦するなど、どメジャーの世界にありながら果敢な試みをつづけている(ちなみにDJラグはほぼ同時期に、オーケーザープとの共作「Steam Rooms EP」を〈Hyperdub〉よりリリース)。
 そんな彼女が7月31日、ヴィジュアル・アルバム『Black Is King』を公開することが明らかになった。ビヨンセみずからが脚本・監督を務めた映像作品で、ディズニー・プラスにて世界同時配信される。黒人の経験がテーマになっているそうなので、まさに今日にふさわしい作品になっていることだろう。要チェックです。

ビヨンセが脚本・監督・製作総指揮を務めたビジュアル・アルバム『ブラック・イズ・キング』が7月31日(金)よりディズニープラスにて世界同時プレミア配信決定

グラミー賞24度受賞の世界的スーパースターのビヨンセが脚本・監督・製作総指揮を務めたビジュアル・アルバム『ブラック・イズ・キング』が、2020年7月31日(金)よりディズニー公式動画配信サービス「Disney+ (ディズニープラス)」にて世界同時プレミア配信されることが決定しました。映画『ライオン・キング』(2019年)の全米公開から1周年を記念し、2020年7月31日(金)より世界同時配信、国内では同日16:00より配信されます。

ビヨンセは昨年、自身がナラ役の声優を務めた映画『ライオン・キング』のインスパイア―ド・アルバム『ライオン・キング:ザ・ギフト』をリリースしました。映画へのトリビュートとアフリカン・ミュージックへの敬意を称えた “アフリカへのラヴ・レター” を意味したものになり、ジェイZ、ファレル・ウィリアムス、チャイルディッシュ・ガンビーノ、ケンドリック・ラマー等、彼女と親交のあるアーティストや、アフリカン・アーティストが参加しました。

『ブラック・イズ・キング』は、その『ライオン・キング:ザ・ギフト』の音楽をベースに、アルバムに関わったアーティストたちやスペシャルゲストも参加し、黒人の体験を世界に届ける、まさに伝記と呼べる長編作品です。本来の自分自身を追い求める現代の若者たちに、『ライオン・キング』の教えをビヨンセが伝えるもので、まさに多種多様なキャストとスタッフたちの絆によって1年の歳月をかけて製作されました。

代々続いてきた黒人たちの伝統を、ある若き王が経験する裏切り、愛、自らのアイデンティティに満ちた驚きの旅の物語を通して、名誉あるものとして描きます。彼は先祖の導きにより運命と向き合い、父の教えや愛に育まれた子供時代のおかげで、故郷に帰り王座を取り戻すのに必要な資質を身につけていきます。

なお、本作は、世界同時配信のために、歌唱シーンでは英語音声のみとなり、歌の間のセリフ部分のみ日本語字幕が付きます。詳細は決定次第、ディズニープラス公式サイト等にてご案内させていただきます。

ディズニープラス 公式サイトはこちら

【リリース情報】

ビヨンセ | Beyoncé
『ライオン・キング:ザ・ギフト | The Lion King:The Gift』
配信中(2019年7月19日)
再生・購入はこちら

Miley Cyprus - ele-king

 マイリー・サイラス(Miley Cyrus)だと思って聴きはじめたら違った。よく見るとマイリー・サイプラス(Miley Cyprus)だった。「P」がひと文字多い。ジャケット・デザインもちゃんと見ると知的だし、マイリー・サイラスのわけがなかった。いや、マリー・サイラスもミシガン州の水道問題を告発した活動家をヴィデオに登場させたり、フェミニズムや人種問題に対する発言もかなりしっかりしている。それどころか素っ裸にペニスのおもちゃだけをつけた格好でライヴをやったり(客も全員、全裸)、フレーミング・リップスと“Lucy In The Sky With Diamonds”を録音したり、インスタグラムには野原で小便をしている自撮りをアップしたりと(女性です。念のため)、とてもディズニー・スターだったとは思えない活動の限りを尽くし、ひと昔前だったらどう考えてもアンダーグラウンドな存在だったはずで、カニエ・ウエストのようにいちいち騒がれないのが不思議なほどではあるのだけれど。しかし、マイリー・サイ「プ」ラスのそれは芸能界のそれではなく、V/Vmだとかハイプ・ウイリアムスと同じカテゴリーのもので、ポップ・アートそのものに対する批評性が内包されているタイプ。で、もしかしたら、本当にリーランド・カービーやディーン・ブラントが新たな変名を繰り出したのではないかと疑って調べてみたのだけれど、7月7日現在、何ひとつわからなかった。〈ピース・アタック〉という(ソニック・ユースの曲名からとったらしきネーミングの)レーベルはこれまでにカイル・ミノーグ(Kyle Minogue)だとかマッド・ドンナ(Mad Donna)といったふざけた名義のアルバムを乱発し、マス・コンフュージョンを画策する一方、今年の初めにはザ・ウィドウ(The Widow)による素晴らしいアルバムを世に送り出すなどグラウンド・デザインはちゃんとしたレーベル……だと思う(シンセポップを乱数表でこじらせたようなザ・ウィドウは不協和音の玉手箱のようで、短いながらもなかなかインパクトがあった)。

 厳かなパイプ・オルガンの演奏にリズムボックスを組み合わせた“Weasle(イタチ)”で『Telephone Banking』は幕を開ける。そのままオーケストレイションが加わり、“Danger in the East”でさらに重厚な演奏が続く。オルゴールやハープシコードを思わせる可愛らしい音を多用した前作『Space Pervert(宇宙の変態)』とはかなり趣が異なった導入部。“Luxembourg Lane”から少し雰囲気が変わり、静かだけれども油断のできない日常というのか、微妙な不気味さを讃えながら“Rene”ではその違和感が増していく。映画『MIB』のように周囲の人びとがみな宇宙人に思えてくる曲というか。さらにSFちっくな“Night Walk”へ。ここで初めて明確なビートが刻まれる。危険と美、あるいは恐れや魅惑といった正反対の概念が同時に聞き手を包みこんでくる。いつも見慣れていた景色がどんどん違って見えはじめ、続く“Hecque”ではその歩みに確信を持ちはじめる。なんというか、音楽に誘導されて次から次へと自由連想が働いてしまう。これこそ架空の映画音楽だろう。イメージ喚起力がとてつもない。実際にはブレイクビートと管楽器による控えめな不協和音が鳴っているだけなんだけれど……。“Checker”は優しげな響き、タイトル曲では導入の雰囲気に戻って世界を不安が覆い尽くす。これに「銀行の電話サーヴィス」というタイトルをつけるのはどういう意図があるんだろう。ゆったりと間をあけて刻まれるシンバルやハンドクラップ音が不安を倍増させる。そのまま“On the Line”でしつこく同じムードを厚塗りし、一転して虚無感を際立たせた“Beautiful Music ”ですべては終わる。この展開があまりにスピリチュアルで、この感覚を味わうためにすべてがあったと思うほど全体の構成はよくできている。曲を並べるとはこのことだなというか。ドローンのようにモノトーンの持続や徹底的に刺激から遠ざけることによって感覚を麻痺させ、いわゆる瞑想状態にもっていくこととは異なっている。あくまでも音楽による「物語」であり、言葉はないけれど、ロジカルな面白さなのである。トリップでもないし、不安や虚無を甘美なタッチで聴かせるという意味ではザ・ケアテイカー『A Stairway To The Stars」(02)にも匹敵するものがあるかも知れない。星の階段をのぼって壮大に昇天してしまうのが『A Stairway To The Stars」だとしたら『Telephone Banking』は世界の風景が一変し、どこかに放り出されるような経験といえ、世界は逃げ出すところではなく、見方を変えるものになっているという変化も感じさせる。“Danger in the East”というタイトルには東方の三博士が見え隠れし、虚無を美ととらえる感覚には禅のようなニューエイジも含まれるだろう。そこはしかし、稲垣足穂やエドガー・アラン・ポーを思考の補助線として、なんとかして俗流にまみれず、この瞬間だけでもスノッブとは切り離されていたい(そんなもの、いまはいくらでもあるし)。

 新型コロナウイルスが終息した武漢からライアン・ブランクリーによるアンビエント・ミュージックにもニューエイジとの綱渡りは感じられる。各曲のタイトルには時間を澱ませる表現がいくつか見られ、エンディングは近過去を表す“2017”で結ばれる。元々、武漢は地方都市として発展途上にあり、人口も北京や上海を抜きかねない勢いを示し、それまでは上海や北京に出て働くことが若者の主要な選択肢となっていたものの、この2~3年は武漢にとどまり、地方都市で働くことがクールになりかけていた刹那、新型コロナウイルスに襲われるというタイミングでもあった。「逆行」「一時停止した未来」「低速度進行」といったタイトルには急速に変わりつつある武漢に対する違和感がストレートに醸し出され、後ろ向きの情緒にはやはりニューエイジ特有の甘さが滲み出ている。ただ、これまで北京や上海、あるいは杭州の一部だけが目立っていた中国からの音楽発信に武漢も加わったという意味でスロット・キャニオンズが『Sketches』を送り出してきた意味は大きい。しかも、ザ・フィールドのようなアンビエント寄りのシューゲイザーだとか、その逆でもなく、アンビエントとシューゲイザーの割合がほぼ拮抗的に配分された音楽性にも見るべきものは多く、大陸的なおおらかさをあてどなく探求する姿勢も意外とレアだろう。一方で“An Ode To”のしめやかさや“Future Paused”の抑制と穏やかさは『Music For Films』(76)や『Apollo』(83)のブライアン・イーノを思わせ、“A Seagull’s Flight”もとても美しい。ステイホームを余儀なくされ、終わりのない孤独感と限られた機材のみでつくるしかなかったという制約が吉と出たのかもしれない(マスタリングは〈ホーム・ノーマル〉のイアン・ホーグッド)。「スロット・キャニオン」というのは峡谷の狭間のことで、ダニー・ボイル監督が『127時間』で題材にしたアレ。先も見えず、身動きもできない。コロナ禍を表現する時に、そんな巨大な比喩が出てくるところも中国ならではか。

John Carroll Kirby - ele-king

 早耳たちのあいだで話題となっているジョン・キャロル・カービー、ブラッド・オレンジ『Freetown Sound』(16)やソランジュ『When I Get Home』(19)にも参加していたこのLAのキイボーディストが、なんと〈Stones Throw〉より新作をリリースする。日本盤はハイレゾ対応のMQA-CD仕様とのことなので、嬉しさ倍増だ。クールで落ち着いたジャズのムードを心行くまで堪能しよう。

John Carroll Kirby
MY GARDEN

ノラ・ジョーンズ、ソランジュやフランク・オーシャン、シャバズ・パレセズともコラボレ ーションする大注目の伴盤奏者、ジョン・キャロル・カービーによる、名門〈Stones Throw〉からのファースト・ソロ・アルバム!! ジャズ、R&B、ソウル、アンビエントまで 取り込み、レコーディングにプロデュース、作曲の全てを自身で行なっている。ボーナストラックを加え、CDリリース!!

Official Release HP: https://www.ringstokyo.com/johncarrollkirby

冒頭の “Blueberry Beads” をまずは聴いてみてほしい。日本のジャズ・ベーシスト、鈴木良雄が80年代に作ったアンビエント・ジャズから多大なるインスピレーションを得て、カービーはキーボードを弾いている。謎めいていて、さまざまな記憶を弄るジョン・キャロル・カービーの音楽のエッセンスが、この曲に詰まっている。カービーの音楽は、LAジャズの遺産からソランジュやフランク・オーシャンのアンビエントにまで接続する。そして、反転させた美しい世界を描きだす。 (原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : JOHN CAROLL KIRBY (ジョン・キャロル・カービー)
タイトル : My Garden (マイ・ガーデン)
発売日 : 2020/9/23
価格 : 2,600円+税
レーベル/品番 : rings・stones throw (RINC67)
フォーマット : CD (ハイレゾMQACD対応フォーマット)

Tracklist :
01. Blueberry Beads
02. By The Sea
03. Night Croc
04. Arroyo Seco
05. Son Of Pucabufeo
06. San Nicolas Island
07. Humid Mood
08. Lay You Down
09. Wind
10. Lazzara (Bonus Track)

amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B08C5CJT4W/

Sun Araw - ele-king

 これはめでたい。ユーモラスな電子音と独特のパーカッション、ギター、ヴォーカルが織り成すポリリズミックな宇宙ファンク・サウンド、2020年のベストな作品のひとつ、LAのキャメロン・スタローンズことサン・アロウによる最新作がめでたく日本盤化。7月15日に発売される。歌詞・対訳も封入されるので、要チェックです。

現代最高のサイケデリック・サウンド・クリエイター、キャメロン・スタローンズ=サン・アロウ最新アルバム、その名も『ロック経典』。途方もない恍惚感と酩酊感に満ちあふれた、中毒性たっぷりの経典。危険すぎる!

SUN ARAW 『ROCK SUTRA』
サン・アロウ/ロック・スートラ
PCD-25301
定価:¥2,500+税
Release Date: 2020.07.15
●米 Sun Ark / Drag City 原盤
●解説/歌詞・対訳付

TRACKLIST
1. ROOMBOE (9:29)
2. 78 SUTRA (10:59)
3. CATALINA BREEZE (7:41)
4. ARRAMBE (12:12)

CAMERON STALLONES: MIDI-GUITAR, SYNTHESIZERS, VOCALS
JON LELAND: V-DRUMS, PERCUSSION, CONGAS
MARC RIORDAN: SYNTHESIZERS
ALL RECORDED LIVE-TO-MIDI AT SUN ARK STUDIOS

CAN の名盤とさえ言える未発表曲集『Unlimited Edition』とサン・アロウの『ロック経典』を交互に聴いているのだが、1974年と2020年の作品は時空を越えて繋がっていることが確認できる。──野田努(ele-king)

ジャマイカの伝説的ヴォーカル・グループ、コンゴスとの共演盤や、ニューヨークのこれまた伝説的パーカッション奏者/電子音楽家、ララージとの共演盤も話題となった、カリフォルニア州ロングビーチを拠点とする現代最高のサイケデリック・サウンド・クリエイター、キャメロン・スタローンズ=サン・アロウによる最新スペース・ロック・アルバム。バンドとの生演奏をMIDIで録音したはじめてのアルバムで、これまでになくポリリズミックな展開がじつに刺激的だ。“Arrambe” では、CAN やホルガー・シューカイのアフリカ音楽解釈を彷彿させる。ファンクとロック、ダブの間を行き来する、エクスペリメンタルでありつつもどこかユーモラスな極上のトリップ・ミュージック。傑作。

interview with COM.A - ele-king

 いまの日本の音楽に決定的に欠けているのは、ようするに、パンクのマインドである。といってもそれは、たんに反抗的なポーズをとればいいということではなくて、多くのひとがスルーするだろう些細な矛盾や欺瞞に気づいたり、疑問を抱いたりできるかどうかということだ。コロナ騒ぎを筆頭に、2020年もこの半年だけでじつにさまざまな問題が発生しているわけだが、13年ぶりにリリースされたコーマのアルバムを聴いていると、そう強く思わざるをえない。

 80年代にメタルの洗礼を受け、90年代に〈Warp〉や〈Rephlex〉などのエレクトロニック・ミュージックを怒濤のごとく浴びて育ったコーマは、(ROM=PARI を経由しつつ)00年にUKの〈FatCat〉からデビューを飾っている。エイフェックス・ツインやオウテカの撒いた種が極東の地で見事に花開いた、その幸福な一例と言えるだろう。
 00年代のエレクトロニカは、一方で音響の洗練をつうじて「ただ気持ちいいだけ」の亜流も多く生み落としたが、他方コーマはというと、童心と悪意を正しく手なずけ、キッド606周辺とも共振しつつ、ユーモラスかつ獰猛なブレイクビーツで当時のシーンをかき乱していたように思う。そんなスタンスを持つIDMのアーティストは、今日においてもやはりなかなか見当たらない。
 であるがゆえに、まさにこのタイミングで彼が帰ってきたことは素直に喜ばしいことだと思う。みずからファースト・アルバムの『Dream and Hope』をおちょくった新作『Fuck Dream and Kill Hope』は、パンデミックやBLMで激しく時代が動いている現在だからこそ、強烈にわれわれの思考を揺さぶってくる(制作期間は3~4年に及ぶので、完全に偶然の一致なのだけど、この “引き” もまたコーマの才能かもしれない)。
 サウンド面で大いに成熟を聴かせながら、しかしけっしてパンクの精神を失わないIDMの異端児が、幼少期に受けた衝撃から親になった現在までを語りつくす。

なにをやっても結局ぜんぶ巨大なやつらの手のなかで踊らされてるだけじゃん、っていう気持ち……それに対するファックの気持ちはずっとあるよね。

緊急事態宣言中はどう過ごしていました?

コーマ:もちろんずっと家にいました。アルバムを出した後は、すぐまた新しい曲を、もっと暴力的な感じのをつくってましたね(笑)。あとは子どもと遊んだり。子どもたちがずっと家にいるから大変で。むかしから自宅勤務だけど、子どもがやっと幼稚園や小学校へ行くようになったと思ったら、またずっと家にいる状態になってしまった。

制作部屋はあるんですか?

コーマ:あります、ベッドルームが。レコード、CD、機材でごちゃごちゃになってるけど(笑)。友達とズーム飲み会をしたことがあったんだけど、「中学生の部屋みたい」って言われたくらいで(笑)。小学校のときに買ったカセットテープがいまだに置いてあったり。30年以上持っていることになる(笑)。ほとんどメタルのカセットテープで、ホワイトスネイク、ダンジグ、リヴィング・カラーとか。

ヘヴィメタルはいまでもよく聴く?

コーマ:メインでよく聴くわけではないけど、勝手に(ストリーミングの)おすすめに出てくるというか……

つまり聴いているということですね(笑)。

コーマ:ハハハ。ユーチューブとかでね。

懐かしくなって聴いてしまうというより、いまでもそもそもそういう音楽が好き?

コーマ:メタルに限らず、パンク、ソフトロック、プログレとかも好きなんだけど、やっぱりバンドが好きなのかなと思う。染みついちゃってるというか。小3か小4のときに、兄貴がメタリカの『Ride The Lightning』のカセットテープを借りてきたんです。それまでずっとエレクトーンをやっていたんだけど、ディズニーとか、70年代の映画音楽とかね。親の趣味みたいなやつ。レイ・パーカー・ジュニアがやった『ゴーストバスターズ』のファンクな曲とかは好きだったけど。初めてメタリカを聴いたときのことはいまでもよく覚えていて。完全に電撃が走ったという感じ。みんな一度はそういう経験があるよね。稲妻で撃たれたような感じというか。『Ride The lightning』はジャケに文字通り、思いっきり稲妻が出てて(笑)。スラッシュメタルやクロスオーヴァー・スラッシュが、いわゆるユース・カルチャーへの最初の入口だった。当時はアメリカに住んでいたので、日本から『BURRN!』をとりよせてたな。
中1になるとナパーム・デスが出てきて、中3くらいのときにミック・ハリスというナパーム・デスのドラマーと、ジョン・ゾーン&ビル・ラズウェルがペインキラーというバンドをやっていて、それもすっごい衝撃だった。『BURRN!』では2点とかだったんだけど(笑)、完全にギターだと思っていた音がサックスの音で。そこからミック・ハリスはダークなアンビエントをはじめたりして、「なんでナパーム・デスをやっていたひとがこういうのをやっているんだろう?」みたいな。そこからノイズ、フリー・ジャズ、インダストリアル、アンビエントに広がっていった。それで18歳のときに、エイフェックス・ツインの『Selected Ambient Works 85-92』に出会うことになる。人生でいちばん多感な時期のピークだよね(笑)。

なるほど、もうそれなりに音楽の知識がある歳になってエイフェックスに出会ったわけですね。

コーマ:もうこっちとしては評論家気どりなわけ(笑)。でもやっぱり初めて『Selected Ambient Works 85-92』を聴いたときはめちゃめちゃもっていかれたね。人生観を変えられた。

もっていかれたポイントはどのへんでした?

コーマ:音色もそうだし、メロディもそう。ファンタジー感もそうかな。ツイストされたファンタジー感というか。わかりやすいファンタジーではなくて、明らかに世間から切り離された感じというか。空想世界の広がり方。それにすごくいい感じのリヴァーブがかかっている。あれはいまだにコピーしようと思っても絶対につくれない音。

ぼくは完全に後追いですけど、初めて聴いたとき、あの音の悪さにはびっくりしましたね。でもそれが個性になっている。メロディラインを真似するひとはいるけど、あの感じはいまだにだれも出せていないと思う。

コーマ:それが電子音楽の不思議なところというか。やっぱり魔法がかかっているんだろうなと思う。それはエイフェックスに限らずだけど、魔法のかかった感じはあるもんね。

エイフェックスのベスト3はなんですか?

コーマ:やっぱり90年代のやつかな。『Selected Ambient Works 85–92』、とくに “Xtal” が1位とすると、2位が『Richard D. James Album』、3位が『...I Care Because You Do』かな。『Drukqs』以降はそんなにという感じ。

エイフェックスと出会って、じぶんでも音楽をやりたいと思った?

コーマ:いや、メタリカを初めて聴いた9歳のときに、俺は絶対に音楽で飯を食いたいと強く思ってね。俺の一生の仕事は音楽だと決めていた。ただ、『BURRN!』を読んでいると、ジャパメタもいろいろ出てくるんだけど、レザータイツに長髪っていうのが正直ぜんぜんかっこよく見えなかったのね(笑)。アメリカにいたからだと思うけど、東洋人がかっこつけようとしているのを見て、かなりキビしいなと。アジア人差別もあったからね。ブラック・ミュージックもそうだけど、東洋人が触れてはいけない部分がある感じがしたというか、それで電子音楽に行ったというのもある。

電子音楽にはある種の匿名性がありますもんね。記名性が比較的薄いというか。

コーマ:〈Skam〉のひととかがインタヴューのときに顔を隠したりしてたのにはすごい惚れた。日本人でも、グランジのちょい前の時期のスラッシュメタルのバンドにアウトレイジというのがいて。それは、初めて日本人でめちゃめちゃかっこいいと思った。 ファッションもちょっとスケーターっぽくて、いわゆるシンフォニックなメタルの格好ではなく、短パンにTシャツでアンスラックスみたいな。80年代にスケーターとスラッシュメタルがくっついて、スラッシャー文化が生まれてきていた。それがかっこいいなと思っているときに、アウトレイジが出てきた。でもそれ以外は、当時は、コンプレックスみたいなものがあって。たぶんアメリカにいたからだと思うけど、東洋人は白人と黒人には 、パワー勝負では勝てねえなという感覚があった。
でも、エイフェックスが出てきて、ケン・イシイさんが〈R&S〉と契約したのもそのころだけど、テクノを聴くようになったら、808とか909とか、ローランドにせよコルグにせよ、ヒップホップもハウスも機材がほとんど日本製じゃんということに気づいて、これは日本人はもっと誇りに思っていいことだと。そうして電子音楽にのめりこんでいった。
エイフェックスと出会うまえに、佐々木敦さんが UNKNOWNMIX というパーティをやっていて、それが高校生のころかな、四谷の P3 というハコでは山塚(アイ)さんと大友(良英)さんが一緒にやっていたり、そういうのを観にいっていた。あれはいまだに忘れられないね。もうこの世界しかないなって。それまでずっと体育会系で柔道をやったり、アメフトをやったりしたけど、一気に引きこもりになった。「引きこもり」というのもちょっと変かな、「アッパー系引きこもり」というか(笑)。打ち込みをはじめたのは94~95年ころだけど、そのあたりからネットも本格的になっていくでしょ。そのITムーヴメントとエイフェックス・ツインの両方が大きかった。あとオウテカもそうだね。〈Warp〉、〈Rephlex〉、〈Ninja Tune〉。それが18とか、19のころ。

羨ましいなあ。そのころのインターネットって希望に満ちていたと思うんですよね。

コーマ:当時パイレーツ系のホットラインというアプリがあって。そこにいろいろリリース前のプロモオンリーのMP3が置いてあったりして。そんななかでボーズ・オブ・カナダを見つけて、もうぶっ飛んで。CD、アナログが出たらすぐに買って。それが21歳くらいかな。多感な時期だね。ダムタイプとかがアカデミックなことをやっているのも好きだったけど、俺としては、あんまり小難しいことは言わないで、単純にネットのはじまりとかソフトウェアの発達をみんなで楽しもうよというか、「変な音ができたぜ、どうだおもしれーだろ」みたいな感覚で曲をつくっていた。そこがキッド606に共感できた部分。

キッド606とはいまでも連絡を取り合います?

コーマ:うん。近況を話したりするし、今回もアルバムを送った。

ROM=PARI のファーストが99年ですよね。

コーマ:でもつくっていたのは97年ころからなんだよね。ちなみに一応、俺は ROM=PARI のメンバーではないんだよ。コラボレイターという扱いで。

ROM=PARI はジョセフ(・ナッシング)さんの名義ということですか?

コーマ:そうそう(笑)。じつは ROM=PARI と同時期に、暗黒舞踏の音楽もつくってたんだよ。サンプラー買いたてくらいのころで、ノイズ・アンビエントみたいなサウンドだった。 BOX東中野(現ポレポレ東中野)というところがあって、90年代終わりごろって世紀末だったし、文化的にも退廃したものが多かった。そこで暗黒舞踏のひとと出会って、音楽をやらせてもらっていた。そんなふうに、じつは ROM=PARI のまえに背伸びしていた時期がある。あと、その少しまえには本名の “AGE” 名義でカセットテープもつくっていて、クララというノイズ系のレコード屋に卸したりとか。高3のときかな。当時ディスクユニオンに Hellchild や SxOxB とかのデスメタル系のひとたちがすごいカセットテープを置いていて、じぶんも〈パリペキン〉とかにテープを持っていってた。それで、ROM=PARI をやることになったあとも、ソロでもやっていこうと思って、3ヶ月に1枚くらいのペースでアルバムをつくっていた。合計4枚つくったかな。それを海外に送ってた。でも、ふつうにCD-Rを送っても絶対に聴いてもらえないと思ったから、バカでかいアクリル板を買ってきて、わざとアナログくらいのサイズに梱包して送って。目立つように(笑)。しかも、CD-Rをボルトとネジでとめてたから、工具を使ってそれを外さないと聴けないっていう(笑)。そしたら〈FatCat〉が返事をくれて。そこからキャリアがはじまった。

〈FatCat〉に反応してもらえたときはどんな気持ちでした?

コーマ:正直、受験に受かったときよりも嬉しかったよね(笑)。100倍くらい嬉しかった(笑)。連絡してくれた日が俺の誕生日だったから、めっちゃ嬉しくて(笑)。

タイミングによっては、〈FatCat〉がシガー・ロスを発掘するのよりもまえじゃないですか?

コーマ:まさにちょうどそのころ。シガー・ロスのサンプル盤を送ってきてくれた。嬉しかったな。

ポジティヴになった部分もあるけど、それまでのじぶんを構成していたネガティヴな性質も変わらない。楽観と悲観が、気持ち悪い感じで一緒になって今回のこのタイトルができたんじゃないかなと思う。

電子音楽に行くまえ、バンドは組まなかったんですか?

コーマ:バンドはもちろんやってた。高校生のときはふつうにザ・クラッシュとかビースティのコピー・バンドをやってた。5つくらいかけもちしてた時期もある。ジョン・ゾーンのコブラがすごく好きで。あと、〈Recommended〉ってレーベルがあって、佐々木敦さんがそれを啓蒙するイベントをやっていて、そこに遊びにいったときにSMをやっているひとたちがいて、仲良くなって。それで一軒家を借りきってSMのパーティみたいなのをやったり。ちょうど俺もサイキックTVとかスロッビング・グリッスルを聴きはじめたころだったから、ザ・テンプル・オブ・サイキック・ユースの儀式みたいなのやつは、じぶんたちでもやってみたいという(笑)。

ちなみに、〈Skam〉の面々ともお知り合いですよね。どのような経緯で知り合ったのでしょう?

コーマ:じつは〈FatCat〉にデモを送ったときに、〈Skam〉にも送ったんだけど、そのときは返事は来なかったんだよ。でも、〈Skam〉がやっていた海賊ラジオで、俺の音楽を流してくれていたみたいで。いまのコロナのタイミングでこういうこと言っていいのかわからないけど、当時は音楽でウイルスをばら撒いてやる、という気持ちだったんだよね。でもいまとなってはそんな夢も希望も崩れ(笑)。

まさに今回のアルバム・タイトルが『Fuck Dream and Kill Hope』ですね。

コーマ:これは……ひとつには、架空のカルトの経典みたいなイメージがあった。むかしからなぜかカルトに惹かれるところがあって。小学生のときに『ムー』を定期購読していたから、それも関係しているかもしれない。あと90年代はオウムの麻原の存在も大きかったけど、信者たちの修行の様子、とりわけヘッドギアがすごくインパクトがあって、なんともいえない恐怖とシュールさを感じた。00年代にはキリスト教原理主義者の狂い方に興味を持っていた時期もあって。
あと、ロスチャイルドとかロックフェラーとか、巨大な連中に牛耳られているんなら、なにをしても意味ねえじゃん、と思っちゃうところも今回のタイトルには入っているかな。「生きていてもしょうがなくね?」とまで言うとスーサイダルな感じになるけど(笑)、アイロニーはある。『ハンニバル』でも、とんでもない金持ちが世界を動かしていたし、キューブリックの『アイズ ワイド シャット』やリンチの『マルホランド・ドライブ』もそうだよね。そんなことを考えていると、なんか生きていることがばからしくなってきちゃう。なにをやっても結局ぜんぶ巨大なやつらの手のなかで踊らされてるだけじゃん、っていう気持ち……それに対するファックの気持ちはずっとあるよね。もちろん、陰謀論をがっつり信じているわけじゃなくて、エンターテインメントとして触れているんだけど。

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じぶんで気づいてほしい。たとえば、フェスとかに子どもを連れていく親がいるじゃない。俺はあれにはけっこう反対で。そういう遊びは子ども自身に見つけてもらいたいんだよね。

直接的には、ファースト・アルバム(『Dream And Hope』)を揶揄しているわけですよね?

コーマ:もちろん、じぶん自身でファースト・アルバムをおちょくっているというのもある。「音ショボいなー」とか。でも愛はある。ファースト・アルバムって、ミュージシャンにとって特別なものだから。童貞感すごいなっていう(笑)。じつはタイトルは最初は、『dream of prostitute』にしようと思っていたの。「夢オチ」みたいにしようと考えて。でもその後『Fuck Dream~』のアイディアが浮かんで、そっちのほうがしっくりきて。「夢も希望もない」状態って、ある意味ではスタート地点に立つイメージもある。13年ぶりのアルバムなんて、またファースト・アルバムを出すようなもんだから、初心に戻った気持ちは強いね。

それはやっぱり、成長しているということではないでしょうか。

コーマ:成長かあ。あんまりじぶんでは成長している意識はないけどね。もちろん子どもができたからむりやりポジティヴになった部分もあるけど、それまでのじぶんを構成していたネガティヴな性質も変わらない。楽観と悲観が、気持ち悪い感じで一緒になって今回のこのタイトルができたんじゃないかなと思う。今回のタイトルは、見る人によってネガティヴにもポジティヴにも捉えられる。ファーストの『Dream And Hope』自体が皮肉だったけど、それをさらに皮肉ってるので、よりツイストされた次元を表現できたと思っている。

リリースのタイミングが見事にパンデミックと重なって、時代とリンクしちゃった感じもありますね。

コーマ:俺としてはニヤッと笑ってもらいたいと思ってこのタイトルをつけたんだけど、たまたま時代に合致しちゃったという。しかも、それが良いメッセージとしても悪いメッセージとしても、両方でとれるから。俺としては、これをストレートに受け取るひととは仲良くなれないな、という感じ。「夢も希望もねえ」ってどういうことだよ、って言われても、そもそも俺はファーストのときからそういう気持ちだったし。

なによりまずサウンド的に、すごく「成長」とか「成熟」を感じたんですよ。

コーマ:打ち込み自体もう25年くらいやっているから、じぶんのことは職人だと思っていて。「アーティスト様」みたいな感じではなく。単純に音職人。そういう意味では技術的には向上していると思う。一方で、若いときはちょっと無理してふざけてたかなとも思う。当時もアブストラクトな音楽はあって、みんなそういうシブい感じの音楽ばかりやっていて、こっちはスラップスティックな感じでいけばカウンターになるんじゃないかって思っていたんだよね。たとえばヴォイスのカットアップとか、こっちはふざけた感じのサンプリングでやってたのが良かったと思う。俺も兄貴も、かっこつけてると思われるのがいやだったから。早川義夫じゃないけど、等身大というか、「人間ってこういうもんじゃね?」っていう、あの素の感じをもっと出したかったというか。

なるほど。たとえば “Rife” はいわゆる泣き系の感じですが、最後はすごく変なことになって余韻を与えないし、“You know who you are” は落ち着いたピアノのなかに、やはり変な要素がいっぱい入ってくる。そこはもしかしたら、ストレートにやることの照れなのかなとも思ったんですが。

コーマ:とくに泣かせようという意識はなくて。今回のアルバムはまったく野心もなく、売れたいとかそういうのもまったくなくて、完全にあきらめの境地でつくっている。
俺は一回、2009年ころに挫折してるんだよ。『Coming Of Age』を2007年に出して、そのあとだね。ライヴをやっても客が0人とか、そういうことが続いて。めちゃくちゃ酒飲んで、破れかぶれになっていた。ライヴでぶっ倒れてわき腹を骨折したり、PAモニターにぶつかって前歯3本失ったり。なんかもう死にたかったんだよね。あるいは逆に全員死ね、というか。こういう精神状態がつづくともうダメだなという感じで。逆にひとに優しくされたら泣き出したり(笑)。まぁいろいろありすぎて、じぶんの音楽はどうでもいいやという気持ちになっていた。
それと、3年前に入院したことがあって。全身麻酔で気絶している状態で2週間くらい入院していた。そのとき、「死ぬってこういう感じなんだな」と思った。あれも衝撃的だった。もう子どももいたし、これから人生どうやって生きていけばいいんだろうって悩んで。そこで結局、音楽をつくるしかない、ほんとうにやりたいことをやるしかないって思った。でも制作系の仕事は忙しくて、子育てもあるから、1日フリーになる時間なんてほとんどない。じぶんの時間がとれるのが月に1日あるかどうかで、だから1曲つくるのに3ヶ月くらいかかる。そうすると年に3~4曲くらいが限度で。だから今回のアルバムは2015年ころから3、4年かけてつくってるんだけど、そういう意味では成熟はしていると思う。子育てしてるから、人生観は変わるよね。若いときにあった変な野心とか気負い、ウケ狙い、技術自慢みたいなことはしなくなったので、とてもリラックスしてつくってた。

子どもができてよかったことは?

コーマ:子どもはタイムマシーンだね。俺自身がタイムマシーンに乗って、ガキに戻った感じ。たとえば子どもが4歳だったら、俺も4歳の気持ちになれて、一緒に楽しめる。それこそエイフェックス・ツインの世界というか、ガキに戻れる感じはすごいし、心地いい。

ひとつひとつのことに新鮮に驚ける?

コーマ:そう。いまはもう子どももそこそこ大きくなって、大人びてきちゃっているけど。でもたとえば、子どもに対してウソもつかなきゃいけないわけじゃない? 親としては「モノを盗むな」と教えるけど、こっちはサンプリングとかするわけで(笑)。トラックメイカーの仕事って、そういうディレンマがあると思う。俺はあえて子どもに保守的というか、ひととして当たり前のことを教えているんだけど、いつかそれに反抗してもらいたいんだよね。非常識を知るには常識を知らないといけない。だからいまは常識を叩きこんでいる段階というか。心のなかでは非常識の楽しみも背徳感もよく知っているわけだけど(笑)、そういうのは親が教えるものじゃない。じぶんで気づいてほしい。たとえば、フェスとかに子どもを連れていく親がいるじゃない。俺はあれにはけっこう反対で。そういう遊びは子ども自身に見つけてもらいたいんだよね。あと、日本の同調圧力、とくに小学校の同調圧力ってすさまじいし、いまや親もそういう世代になっている。SNSもあるし、そういう同調圧力には巻き込まれてほしくないなとは思った。今回のアルバムの曲は、そういうディレンマのなかで生まれてる。

“Rife” の叙情性なんかは、以前のコーマさんからは出てこないものだろうと思ったんですよ。

コーマ:墨田区に引っ越してから、労働者や職人の多い酒場に行くようになって。それで東東京の酒場というか、飲み文化が渋谷や新宿とはぜんぜんちがうことに衝撃を受けて。一度、すごく印象的な出来事があってさ。朝方4時くらいになって、ずっと一緒に飲んでた肉屋のおじさんに「俺の名前覚えてる?」って訊かれて、答えられなかった。俺はその場にすごく馴染んでるつもりだったんだけど、馴染んでるつもりなだけで、結局無礼なんだよね。じぶんの至らなさを思い知ったというか、調子に乗っていたじぶんの人生を反省したというか。それが7、8年前くらい。今回のアルバムにとりかかるまえだね。そういう場所でいろんなことを学んだ。それは大きな成長だったかもしれない。

ホラーやスプラッター映画は好きでよく見るけど、どんなモンスターや幽霊よりも恐ろしくて、かつ魅力的なのは狂った人間、とくにカルトだと思うので、どうしてもそれがじぶんの音楽のテーマになる。

曲名に意味は込めていますか? いくつかは深読みしたくなるような曲名ですね。

コーマ:ちょっとはあるけど、基本は後づけだね。曲名つけるのはいちばんめんどくさい作業で。数字だけでもいいくらい(笑)。“Rife” は「流行して、広まって、いっぱいで、充満して、おびただしくて」って意味だけど、ネットによってありとあらゆる情報が世界じゅうに広がって、人類を疲弊させているというのがテーマだった。つくったのは2年前だけど、たまたま今回コロナと連動するようなタイトルになった。

“Liar's hand” は?

コーマ:諸星大二郎の「生命の木」というマンガがあるんだけど、ずっとその作品のテーマ音楽を作りたいと思っていて。“Liar's hand” をつくっているときはずっとその作品が頭のなかにあった。それと、世代的にオウム真理教が直撃だったから、新興宗教の欺瞞も入っている。それは他方で意味不明なことをやっているっていう魅力も感じるんだけど……『Coming Of Age』のころにキリスト教原理主義に興味を持ったことがあって。『ジーザス・キャンプ』っていうドキュメンタリー映画があって、みんな聖書を信じ込んで狂っていて、本気で世の中を聖書どおりに破滅させることを夢見ている人たちがいるんだなということを知って恐ろしくなった。ホラーやスプラッター映画は好きでよく見るけど、どんなモンスターや幽霊よりも恐ろしくて、かつ魅力的なのは狂った人間、とくにカルトだと思うので、どうしてもそれがじぶんの音楽のテーマになる。陰謀論にもつながるけど、それだけ狂った世界に生きているんだなっていうのがじつは『Coming Of Age』のテーマだった。“Liar's hand” はその延長線上にあるというか、そういうニセの救済みたいなものをテーマにした曲。抽象的だけどね。明確なメッセージではない。

“False Repentance” も「ニセの後悔」という意味で気になるタイトルです。それぞれちがう感情を表現しているような上モノとビートが同時に進行していくところは、おなじひとりの人間のなかにある、相反するなにかをあらわしているように聞こえました。

コーマ:これは、政治家や権力者、教祖がニセの懺悔をしているようなイメージだね。

なるほど。メロディの扱い方がすごく変わりましたよね。メロディアスさやキャッチーさ自体はむかしからありましたけど、その種類が変わったというか、旋律の動き方がちがうなと。以前はユーモラスで、あえてやっている感じがありましたけど、もっとハーモニーが意識されるようになったというか。

コーマ:たぶん若いころもやろうと思えばできたとは思うんだけど、いまはそういうことを素直にやれるようになって、しかも心地よく感じるようになったのかな。

とくに “Vanished Sprout” に成熟を感じましたね。

コーマ:これは完全に90年代のアンビエント・テクノ、とくにサン・エレクトリックを意識した曲。もっとダークだけどね。これまた陰謀論になっちゃうんだけど(笑)、ボヘミアン・グローブっていう、 歴代の大統領やエリートたちの集まる秘密クラブみたいなのがあって、アメリカの西海岸の森のなかで儀式をやってて。最後に生け贄を燃やすという。そこに司祭が出てきて、燃やしている最中にスピーチをする。そのなかに「Vanished」ということばが出てくるんだよ。それが、アルバム・タイトルにしてもいいなと思うくらいじぶんのなかですごくハマって。ネガティヴなことばだけど、曲はぜんぜんネガティヴじゃないし、そのギャップを表現したいというか。最初はそのスピーチをサンプリングしていたんだけど、あまりに直接的で説明的な気がしたからそれはやめた。あとで狙われたりするのは避けたいし(笑)。

ちなみに、三田さんのライナーノーツは、100点満点でいうと何点ですか?

コーマ:ハハハ。点数か……点数は難しいな。√10000とかかな(笑)。

√10000って、100点ですよね(笑)。

コーマ:ははは。でもあれはちょっと涙出たよ。ほんとうによく見てきてくれたんだなって。ROM=PARI のころから数えるともう20年以上だよね。歴史からちゃんと書いてくれて。やぶれかぶれになっていたころ、じぶんの音楽なんてもうどうでもいいやってなってたときに、三田さんと三茶のツタヤで会ったんだよ。はっきり覚えてるな。でも、ダブステップを通ってないからノスタルジーを感じる、っていうところは間違いかな。そこだけ引いて99点(笑)。ダブステップは当然通ってるし、ひと通りその時代のものは聴いてたので。CM音楽でもブロステップみたいなのはたくさんやったし。いまさらダブステップはやりたくないなっていう。そういうのが入っていてもなんか恥ずかしいでしょ(笑)。まあでもこのアルバムはなんてジャンルかわからないな。じぶんでは定義できない。アンビエントとかIDMって言われたらそうかもしれないけど。

2010年代は、リアルタイムのものだと、どういう音楽をよく聴いていました?

コーマ:2009年ころはスクリレックス周辺をよく聴いていたかな。エクシジョンがやってる〈Rottun〉っていうレーベルがあって、音は重いんだけど、マインドはすごく軽くて、技術的にもすごいなと思った。シンセの使い方とかは注目して聴いていたな。それがEDM前夜くらい。10年代だとデス・グリップスダイ・アントワードとか。あとはディプロ、フライローの活躍かな。トゥナイトの “Higher Ground” も衝撃だったね。最近だとポーター・ロビンソン、ソフィー、スキー・マスク、ゴーストメイン、AxDxT とか好きかな。ポーター・ロビンソンの持っている、じぶんが絶対に追いつけないあの青春感というか甘酸っぱさは、俺の気持ち悪さというか、男子校感というか、童貞感では打ち勝てないと、ひしひしと感じる(笑)。

〈Maltine〉や〈TREKKIE TRAX〉っぽさも少し感じました。

コーマ:〈TREKKIE TRAX〉の matra magic がすごく好きだったな。

今回は、アートワークもがらりと路線が変わりましたよね。

コーマ:真壁(昂士)さんはすごい。びっくりした。

真壁さんのデザインは何点ですか?

コーマ:1億点でしょう(笑)。からだに切り刻みたいくらい(笑)。真壁さんはインディ感をすごくよくわかっていて、オーダーしたときはいろいろ言っちゃったけど、あえてシンプルにまとめてくれた。

ぼくはオウテカのアートワークを思い浮かべたんですが、テーマはあったんですか?

コーマ: 最初にデザインが上がってきたときに感じたのはフェイス・ノー・モアだった。オファーしたときは、カルトをテーマにしてほしいとお願いしていた。ホドロフスキーの『サンタ・サングレ』のイメージとか。中近東と日本をくっつけたような感じにしてほしいと。

宗教はあまり感じませんでしたよ。

コーマ:もちろん。ニセモノの宗教だからね。薄っぺらい宗教感というか。ユダヤの六芒星があるでしょ、たしかそれが仏教とも関係があったと思うんだけど、そのイメージを「COM.A」というアーティスト名でやってくれていて、すごくバランスもいい。最初に真壁さんのアートワークを見せてもらったときに、エセ宗教観、UKやヨーロッパのパンク~ニューウェイヴ、ノイズの感じが伝わってきた。

やっぱり、そういう陰謀論的なものや宗教的なものにインスパイアされるのは、幼いころアメリカで暮らしていたというのが大きい?

コーマ:うーん、もう日本に住んでから30年経っているけど、アイデンティティが定まらない感はある。どこに行っても外から見てしまう感じというか、部外者という感じというか。もちろん日本は大好きだし、良いところも悪いところも見てるけど、でもアメリカの良いところも悪いところも知っている。イギリスは、生まれたってだけだけど。アイデンティティがいまいち定まらない人生を歩んでいるなとは思う。

つねに異邦人ということですね。

コーマ:だから、ヒップホップのレペゼン文化とかを見るといいなぁと思いますね。

Cafe OTO - ele-king

 ロンドンにおけるエクスペリメンタル・ミュージックの最重要拠点として、海外でも多くのファンを持つ〈Cafe OTO〉。最近のele-kingでは、高橋勇人によるムーア・マザーのライヴ・レポートでも触れられているが、〈Cafe OTO〉は、フリージャズ世代のアンソニー・ブラクストン、気鋭のテクノ・アーティストのNKISI、ディス・ヒートのチャールズ・ヘイワード……(枚挙にいとまがない)など、最高に尖った連中が出演するヴェニューで、ほかにも灰野敬二、大友良英、三上寛、中村としまる、池田謙、中島理恵、食品まつり、Phew……などなどコスモポリタンかつ妥協無しの作品を出している日本人アーティストが多数出演している。

 さて、コロナによって以前のようなライヴができなくなったいま現在において、〈Cafe OTO〉は新レーベル〈TakuRoku〉をスタートさせている。(とくに即興をするアーティストにとって)ライヴの現場という発表の場を無くしたことは大きく、もちろん会場側も存続しなければならない。〈TakuRoku〉は、余儀なくステイ・ホームされたアーティストによる“宅録”作品でアーティストとCafe OTOに利益が半分ずつは入るという仕組みになっている。アーティストからの共感も呼んだのだろう、早くも36作目がリリースされている。

 以下、OTOのホームページに掲載されているラインナップです。試聴できるので、気になる作品はチェックしてみよう。
https://www.cafeoto.co.uk/shop/category/takuroku/

 このように、ヴェニューがレーベルとして出演アーティストの音源を出すことで互いの利益を生んでいくことは、アリですよね。

interview with Julianna Barwick - ele-king

 イレジスティブル・フォース『It's Tomorrow Already』(98)以来、アンビエント・ミュージックには消極的だった〈ニンジャ・チューン〉が15年のリー・バノン『Pattern Of Excel』、19年のア・ウイングド・ヴィクトリー・フォー・ザ・サレン『The Undivided Five(19)に続いてジュリアナ・バーウィックの新作を獲得した。強引にカウントするとキング・マイダス・タッチとフェネスのコラボレイション『Edition 1』(15)もアンビエントといえるので、どちらかというと〈ニンジャ・チューン〉が構想するアンビエント・ミュージックは知的なラインナップといえる。バーウィックはなかでは理論家というより感覚肌の作家に属するものの、それでもニュー・エイジには迎合しない節度を見せるタイプ。何も考えていないように思える作家なのに、どうしてテンションの低い感覚的な作品になってしまわないのか。これははなかなか不思議なことだけれど、それこそ生まれつきの感性としかいえないのかもしれない。童謡をドローン化したようなアンビエント・ポップス。ジュリアナ・バーウィックの音楽を頭でっかちに定義すると矛盾だらけの表現になってしまう。それがいい。重苦しくないブルガリアン・ヴォイス。アカデミックではないメレディス・モンク。時代に掠ってるんだか掠ってないんだかよくわからないところもいい──それだけ約束事の外に出られた気になれるから。無邪気に子ども時代を回想した『The Magic Place』(11)や宗教的なムードを抽象化した『Will』(16)など、これまではある程度まとまったテーマを設定してきた彼女が可能性の範囲を広げようといろんな方向に手を伸ばした新作が『Healing Is A Miracle』である(アニオタ訳=自然と治っちゃうなんて不・思・議)。ときにプリンスが愛したエリザベス・フレイザーの声を思わせ、シガー・ロスとも波長が重なってきたLAのジュリアナ・バーウィックに話を訊いた。

新型コロナウィルスに加えて抗議デモや暴動もあるから、延期すべきかどうすべきかというのはレーベルとも話した。でも私は、少しでも人びとが平和を感じられるようなことに、自分が何かしらの形で貢献ができるのであれば、ぜひ貢献したいと思った。

前作に比べてヴァラエティ豊かというのか、いろんなことを試した作品になったのかなと。リラックスもしたいし、緊張感も欲しいし、次はディスコもやりかねないポテンシャルを感じます。やらないと思いますけど。

ジュリアナ・バーウィック(以下、JB):ははは、可能性は無限。たしかに、ある意味、折衷的だと思う。10年とか15年くらい前に自分がつくったものに遡ったような曲もあるし、よりエレクトロニック・サウンドで、ちょっと前作『Will』の曲を彷彿させるような曲もあるし、新たな発見もあって。あとやっぱりコラボレーションによっていつもの自分の作品より多様なサウンドが生まれたというのも当然あったと思う。

なかでは“Flowers”がもっとも意外でした。具体的にどんな花をイメージしているのでしょう? 日本ではサクラという花が人気で、サクラというネーミングはツボミが「裂ける」に由来します(注・諸説あります)。“Flowers”が描写しているのは、そのような花の生命力なのでしょうか?

JB:そういうわけじゃなかったけど、でもすごく興味深い視点。教えてくれてありがとう。サクラの花の名前がツボミが裂ける様子に由来するなんてとても美しいと思う。私が音楽をつくる時は、いきなりレコーディングし始めることが多くて、頭に思い浮かんだことをそのまま歌い出す。この曲のときもそうで、♪ラーララーララー、フラーワーズ〜みたいな感じで(笑)。「Flowers」って言葉が聞こえたから、それをキープしておいて。大体そういう感じでつくってて、半分英語、半分はただの音みたいなのを思いつくままに歌うというね。

桑田佳祐方式なんですね。その人にも『アベー・ロード』(https://www.youtube.com/watch?v=R0bYVE3c1oM)(https://www.youtube.com/watch?v=8aQmql5XeqA)という政治を批判したビートルズ・パロディがあるんですけど、ちょっと前にあなたが参加したフレーミング・リップスのビートルズ・トリビュート『With A Little Help From My Fwends』(14)は企画自体に賛否両論があったなか、あなたには何をもたらしましたか?

JB:あれは、私が自分でiPhoneで録ったボイスメモを彼らに送ったもの。スマホに“She’s Leaving Home”のあのパートを吹き込んで、それをウェインにメールで送って、それを彼が曲に入れたという。そんなことは自分ではそれまで一度もやったことがなかったし、以後も一度もやってない。あのアルバムに入ってる私の声は、iPhoneのボイスメモ。それってすごくない? 正真正銘のボイスメモ、テイクは1回、以上。めちゃくちゃ面白かった。

今回のアルバムは自己回復能力をテーマにしているそうですが、それは人間の意志とは無関係に働くものですよね? 「意志(Will)」をテーマにした前作のコンセプトとは正反対になったということ?

JB:その発想、素晴らしい、思わずメモしちゃった。人間の意志とは無関係に働く自己回復能力……ってめちゃくちゃかっこいいな。しかも確かに、最初にアルバムの名前をこれにしようと思ったのも、そういうことを考えてたからで、文字通り、私たちの体が自動的にやってくれる身体的な回復って、ある意味奇跡的だと思うし、マーベル映画に出てくるような超人的な能力なんだけど、実際、私たちの体ってそういうふうに機能してて。それってすごいことじゃない? それで『Healing Is A Miracle』というタイトルを思いついて、自分でも気に入って、これに決めようとなって。でも前作への応答みたいな意図はなかったけどね。前作を『Will』というタイトルにしたのは、かなりいろんな解釈ができる言葉だったから。意志もそうだし、人の名前でもあるし。でも前作との対比をちゃんと考えたらすごく興味深いかもしれない。それ、自分で思い付きたかった(笑)。

「意志(Will)」を神の意志と取ると、同じことかもしれませんけどね。新型コロナウイルスは免疫系を破壊することが知られています。それこそ「Healing」が不可になるので、あなたの作品に対する自然界からの挑戦ですね?

JB:かもしれない。いまは奇妙な時期だし、それに怖いよね。とくにアメリカではちょっと手に負えなくなってるし、こういう時期、公演ができる保証がどこにもないなかで、新作をリリースするというのはある意味興味深いことではあると思う。新型コロナウィルスに加えて抗議デモや暴動もあるから、延期すべきかどうすべきかというのはレーベルとも話した。でも私は、少しでも人びとが平和を感じられるようなことに、自分が何かしらの形で貢献ができるのであれば、ぜひ貢献したいと思った。アルバム発売を延期して売上の可能性を最大化するとかそういうことよりもね。いま世界に必要なものを考えたら、予定通りリリースする方がいいんじゃないかと思ったのよ。

そうですね。いい判断だったと思います。ビルボードの調べでは音楽の消費量は伸びて、好きなミュージシャンの新曲を聴きたいという人が最も多かったそうですから。ちなみに〈ニンジャ・チューン〉に移籍したのはなぜですか? このところ〈ニンジャ・チューン〉はアンビエント作家を増やしているので、以前ほど不自然ではありませんが、やはり最初は違和感を感じました。

JB:3年半ほど前にレーベルからEメールが届いて「あなたのやっていることがすごく好きです。一緒にやりませんか?」と書いてあって。それで何度か実際に会って、あらゆる面ですごくいい感じだったから、契約することにしたという訳。

メリー・ラティモアはあなたよりヘヴィなところがある作風だと思います。彼女と共同作業をすることで“Oh,Memory”には少し内省的なニュアンスが加わったのでしょうか、それともこういう曲だから彼女に参加を求めたのでしょうか?

JB:とにかく彼女の声が欲しかったというのがあった。メアリーのサウンドって瞬時に彼女だと認識できるものだと思ってて。それに彼女とは親友だしね。ツアーを一緒にやったりもしてるし、何度も共演してて。ちょっと前には私が彼女の曲をリミックスしたこともあったし。とにかく自分のアルバムに参加してもらいたいとずっと思ってたから、今回、ようやく夢が叶ったという。それと今回のコラボレーターはみんなLA在住の友だちで、それも少し理由としてあった。今作のコラボレーションは、私がいるLAのコミュニティを表したものでもあるの。

シガー・ロスとの付き合いを考えると自然なのかもしれませんが、前作の“Same”や、今回、ヨンシー(Jónsi)が参加した“In Light”はあまりにシガー・ロスに引きずられてませんか? シガー・ロスもこのところアンビエント・アルバムを連発しているので、波長が合っている感じはしますけど。

JB:“Same”は別の友だちとコラボした曲だけど、でも言ってる意味はわかる(笑)。ちなみにあの曲はトムという友だちが参加してるよ(注・シンセポップのMas Ysaのこと)。ヨンシーとの曲は、間違いなく彼がつくった部分が多くて、だからすごく「ヨンシー感」があるし、当然、彼っぽいサウンドになってる。それこそ私が求めていたものだし、彼とコラボするなんて夢だったわけで。メアリーが参加した“Oh,Memory”も同じように、すごくメアリーっぽくなってるしね。単純にヨンシーと作った曲はヨンシーっぽいってことだと思う。

ノサッジ・シングの役割だけがちょっとわかりませんでした。彼が“Nod”で果たしている役割は?

JB:まず私が彼にヴォーカルを入れたものを送って、それから彼のスタジオで作業して、ノサッジことジェイソンがベースやドラムを加えていったという感じだったんだけど、出来上がったサウンドが私にはすごくノサッジ・シングっぽいと思えた。ヨンシーやメアリーの時と同じようにね。

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だいたい即興で歌いはじめることが多いから、そのときに感じていることをそのまま歌ってるし、つまりそれは純粋な感情であって、声にはそのときの感情が反映されると思う。

音楽を作りはじめる以前に自分の声を録音して聞いたことがありますか? あるとしたら、そのときはどんな感じがしましたか?

JB:子どもの頃にカセットテープ・プレーヤーを持ってたから、当時から自分の声は録音してた。歌ったり、ラジオのDJの真似をして喋ったり……3、4歳の頃だったと思うから、どう感じたかは覚えてないけど、でも、いつもそんな感じで遊んでた。

声が持っている様々なポテンシャルのなかから優しさだけを増幅させている印象があります。それは意識的ですか?

JB:それはないかな。だいたい即興で歌いはじめることが多いから、そのときに感じていることをそのまま歌ってるし、つまりそれは純粋な感情であって、声にはそのときの感情が反映されると思う。たとえば誰かの声を聞いて、さっきまで泣いていたなってことがわかったり、興奮してたら声も興奮した感じになるでしょ? 歌ってるときも同じだと思う。

声をメインにして音楽をつくるミュージシャンはオノ・ヨーコやダイアマンダ・ギャラスなどたくさんいると思うのですが、僕の知っている限り、ほとんどが女性です。なぜだと思うか、考えを聞かせてください。

JB:うーん……考えたことなかったけど、でも言ってることはわかる。ヨーコの「アイイイイー」みたいなやつでしょ。きっと男性でもやってる人はいるんだろうけどね。確かに印象としては声を楽器のように使ってるのは女性の方が多い気がするけど、でも確信はないし、私が間違ってるかもしれないし、単純に知らないだけかもしれない。

男性では最近だとアン=ジェイムス・シャトンなどは声というより「言葉」に比重を置いているという印象が強いです。あなたの音楽は「言葉」から「声」を自由にしていると思いますか?

JB:それは間違いなくそうだと思う。やろうとする前に、音楽を作りはじめたときからすでにやっていたというか。シンガーソングライター的なものが自分にとっては自然ではなくて、サウンドをつくってるなかでたまに言葉が出てくることがある程度で……さっきの“Flowers”みたいな感じでね。だから歌詞を書くというよりも、サウンドと感情で曲ができ上がる。私の作品は基本的に全部そういうものかもしれない。もちろん例外はあるけど、ほとんどの場合は言葉がない。

男性があなたの『The Magic Place』を丸々1枚カヴァーしたら聴いてみたいですか?

JB:もちろん!

女性でもメデリン・マーキースティン・ジャーヴァンのように声だということがわからなくなるほど変形させてしまうスタイルは抵抗がありますか?

JB:何でも一度はトライしてみようと思ってるけどね。というか、よくペダルの設定をいじって遊んでるし。(実際に声を変えながら)こんな低くしたり、たかーくしたり。声を変えてハモったり。でもエフェクター以外でやることは考えたことがなかったなあ。ただ、私はかなり声域が広い方で、ものすごく高い声で歌うこともできるし、結構な低いところまで出せるから、そういうところで少し実験してはいる。

Vocaloidに興味はありますか?

JB:ペダル(※エフェクター)で十分。

ああ、佐々木渉さんには内緒にしておきます。世界で一番好きな声は誰の声ですか? 歌手でなくてもいいし。自分の声でもかまいません。

JB:ヨンシーかな。あと私の母の声もすごく好き。彼女の歌声はとても美しいの。

聞きたくない声はありますか? 

JB:怒りのラップ、怒りのメタル。“グォォォーッ”みたいなやつ。ああいうのは大嫌いで、ちょっと無理。

たとえばドナルド・トランプは言葉の内容が伝わらないとしたらハスキーで面白い声なのかなとも思うので、あくまで音として聞きたくない声ということですが。

JB:ああ、なるほどね……ゲーーーッ。

ははは。1日のうちで『Healing Is A Miracle』を聴く時間を指定しなければならないとしたら何時にしますか?

JB:自分のことを言うと、朝はまずコーヒーを入れてインターネットとEメールを開きながら音楽を聴いてるから、朝がいいかもしれない。でも夜に聴いてもいいと思う。

最後に〈リヴェンジ・インターナショナル〉からカセットでリリース予定の『Circumstance Synthesis』も同傾向の作品になるんでしょうか? それともまったく傾向の異なる作品ですか?

JB:まったく違う感じの作品で、というのもこれはマイクロソフトと共同でシスターシティ・ホテルのロビー用につくったものだから。マイクロソフトのAIを使って、カメラをホテルの屋上にセットして、レンズを空に向けてAIが空の変化を読み取って、その情報がプログラムに送られて、それをきっかけに私がつくったサウンドが流れるという。

へー。

JB:かなり複雑なんだけど、私は朝、昼、午後、夕方、夜と1日を5つの時間帯に区切ってそれぞれの時間帯のセットを作って、5つはどれも全然違うサウンドで、それを短くまとめたのがこの作品。自分がホテルのロビーにいるところを想像しながら、興味深くて美しくて、あまり静かすぎたり退屈にならないように、かと言ってホテルにチェックインするときにあまりにうるさい耳障りな音楽は聞きたくないし、でもやっぱりプロジェクト自体がとても興味深いものだったから、それにふさわしく興味深いものにしたいと思った。というのが作品の由来。

なるほど。「Music for Hotel Lobbies」という感じなんですね。わかりました。どうもありがとうございました。

INFORMATION

オフノオト
〈オンライン〉が増え、コロナ禍がその追い風となった今。人や物、電波などから距離を置いた〈オフ〉の環境で音を楽しむという価値を改めて考えるBeatinkの企画〈オフノオト〉がスタート。
写真家・津田直の写真や音楽ライター、識者による案内を交え、アンビエント、ニューエイジ、ポスト・クラシカル、ホーム・リスニング向けの新譜や旧譜をご紹介。
フリー冊子は全国のCD/レコード・ショップなどにて配布中。
原 摩利彦、agraph(牛尾憲輔)による選曲プレイリストも公開。
特設サイト:https://www.beatink.com/user_data/offnooto.php

あのときは君は何を聴いていたのか

パンデミックの最中、音楽からトレンドは消え、部屋のなかで音楽作品は深く聴かれた
Deep 音楽リスナー15人の記録と200枚のアルバム

小山田圭吾/五木田智央/EYヨ
ジム・オルーク/デリック・メイ

松山晋也/水上はるこ/星野智幸
高橋智子/増村和彦/大塚広子
Chee Shimizu/Mars89
長屋美保/大前至/高橋勇人
三田格/後藤護/杉田元一
松村正人/野田努

目次

野田努 / 序文にかえて──世界からトレンドが消えたときに音楽を体験すること
EYヨ インタヴュー (松村正人)
小山田圭吾 インタヴュー (野田努)
松山晋也 / 人生のサウダージ
水上はるこ / 真夜中にニール・ヤングを聴く
星野智幸 / ベランダで口笛ライブを
三田格 / 今夜も飛沫ぶし
増村和彦 / ホームリスニングのサイケデリアを求めて
大塚広子 / 空腹に効く
Chee Shimizu / 徒然ならぬ世界と音楽と私の関係
Mars89 / サウンドトラックの旅
長屋美保 / 閉ざされたモンスター・シティに沁みる音
大前至 / 記憶を辿りながら現在を見る
高橋勇人 / ロックダウン・ダイアリー
高橋智子 / 耳を塞ぐための音楽
デリック・メイ インタヴュー (野田努)
五木田智央 インタヴュー (松村正人)
後藤護 / そもそも〈ホーム〉って何?
杉田元一 / 2020年120時間の旅 
松村正人 / 符牒と顕現
ジム・オルークの10枚

Cover photo: fuji kayo

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Kenmochi Hidefumi - ele-king

 今年はまだ半分なのでこの先どうなるかはわからないけれど……とりあえず2010年代で音楽的に最もエキサイティングな年は2013年だった。ベース・ミュージックが急拡大した年であり、個人的にはFKAトゥイッグス、DJニガ・フォックス、スリーフォード・モッズとの出会いが決定的だった。2016年も充実した作品は多かったけれど、2013年は全体の動きにどこか関連性があり、うねりのようなものが楽しめた。これには理由があるだろう。ひとつはシカゴ発のジューク/フットワークが他のジャンルに浸透するだけの時間が経ったこと、そして、2012年にメジャーで斬新なダンス・ミュージックが3曲もメガ・ヒットとなり、アンダーグラウンドに妙な刺激を与えたから。アジーリア・バンクス“212”、サイ(Psy ) ‎“ Gangnam Style(カンナム・スタイル)”、バウアー“Harlem Shake”がそれぞれ痒いところを残してくれたために、反動や継承が入り乱れて独特なカオスに発展していったのではないかと。ロンドン・パンクの主要キャラクターはそのほとんどがベイ・シティ・ローラーズについて何かしら発言していたのと同じくで、「あんなものが!」とか「あのように……」と、どっちを向いていいのかわからない感情が渦巻き、破壊と創造が一気に加速したようなものである。2013年はまた、M.I.A.やスリーフォード・モッズ、ロードやチャンス・ザ・ラッパーなど政治的なメッセージや皮肉だったりが急に吹き出したような年だったことも強く印象に残っている。「#BlackLivesMatter」というハッシュタグが世界を駆け巡った年だったのだから、それは当たり前かもしれないけれど。

 水曜日のカンパネラが「桃太郎」で時代の寵児となったのが2014年。2年遅れではあるけれど、“212”や ‎“Gangnam Style”と同じく「桃太郎」はヒップ・ハウスであり、“Harlem Shake”のバカバカしさを踏襲している点で、この曲は「2013年」ではなく「2012年」と同じ性格を持ったヒット曲だと僕は考えている。少なくとも「メジャーで斬新なダンス・ミュージック」として受け入れられ、翌年にはKOHHが注目を集めるという流れになったことは間違いない。アジーリア・バンクスはご存知のように精神を病み、RZAのプロデュースが決定していたのにラッセル・クロウのホーム・パーティで騒ぎを起こしてご破算となり、サイが一発屋で終わりかけていることも周知の事実。あるいは“212”は新曲ではなく、レイジー・ジェイ“Float My Boat”(09)にラップをのせたもので、よほど儲かったのか、レイジー・ジェイの2人はその後はほとんど仕事をしていないという意欲のなさも際立っている。メジャーでヒットを飛ばすというのはかくも恐ろしいというか、「ネクスト」の壁は高い……高すぎるのである。なかでは“Harlem Shake”がEDMのプロトタイプとなり、現在もほとんどその枠組みは守られたままだという呪縛にかけられているバウアーが懸命にそこから遠ざかろうとしている姿は様々なことを考えさせる。彼の最新作『PLANET'S MAD』はなかなかいいし、レーベルが〈ラッキー・ミー〉というのはめっちゃ渋い。直前にはヒップ・ハウスの注目株、チャンネル・トレスと“Ready To Go”をリリースするという意欲も見せている。しかし、僕はメジャーにはメジャーの役割りがあり、アンダーグラウンドにはアンダーグラウンドの意義があると思っているので、メジャーで踏ん張れない人がマイナーに活路を見出すのは少し違うと思っている。覚悟の種類が違うだけであって、アンダーグラウンドはメジャーの予備軍ではないし、坂本龍一が『B-2 Unit』をリリースした時、メジャーで堂々と売られたことを覚えているということもある(大事なのは態度であって結果ではないと『ローロ」でベルルスコーニも孫に話していたではないか)。ケンモチ・ヒデフミに僕が求めてしまうのも、だから、そこである。彼が主宰する〈kujaku club〉はシャンユイ(Xiangyu)のようなアジアのポップ・モデルも出しているのだから、レーベル・マスターに対する期待はなおさらである。

 『たぶん沸く〜TOWN WORK〜』というタイトルは……スルーしよう。エゴイスティックなギャグをさらっとかますケンモチ・ヒデフミのことだから深い意味があるのかもしれないけれど……。オープニングはひょうきんなセンスとスカしたムードを密着させた“Bring Me Joy”。目の前にクラブの照明がパッと点灯した感じ。続いて音の変形を楽しむように“Lolipop”が陽気さと背中合わせの切なさを同時に呼び込み、ダンスフロアにいたら予期せぬ孤独感を突きつけられただろう。“Neptune”も同じく、騒がしさや忙しさがどこにもたどり着かず、水曜日のカンパネラと同じく無国籍サウンドでありながら、ここが日本であることを強く意識させる。『PM2.5』や『Folding Knives』をリリースしてきた上海のスウィムフル(Swimful)に似てるような気もするけれど、ケンモチには個人が感じている寂しさを突き抜けて周囲にそれが共有されていくといった浸透圧はない。むしろダンスフロアで孤立しているような感覚が増幅し、それどころか「触ってはいけない孤独」という感覚は“Bombay Sapphire”にもまったく衰えずに受け継がれ、陽キャと隠キャに引き裂かれたような二重性はどんどん深刻さを増していく。ベリアルがベースメント・ジャックスに作風を乗り換えたような錯覚にも陥り、ある種の病的な感受性がポップに昇華されているようで個人的にはこの曲がベスト。偶然なのか、スウィムフルにも“Sapphire”と題された曲があり、やはりアジアの孤独が強く滲み出した曲となっている(スイムフルの“Fishaerman’s Horizon”はどことなく“上を向いて歩こう”を思わせる)。続いてインタールード風の“TukTuk Yeah”(トゥクトゥクはタイの3輪タクシー?)と“Whistle”。そして、後半のハイライトとなる“Midnight Television”へ。アフロをモチーフとしたジューク/フットワークで、神経症的に反復されるヴォイス・ループがむしろゲットーから遠く離れたジューク/フットワークであることを印象づける。太平洋を越えてついに日本に着地したな、というか。

 水曜日のカンパネラから雑味、すなわちコムアイを取り除くと、こんなにもシャープな響きになるのかとは思うけれど、『たぶん沸く〜TOWN WORK〜』はケンモチ・ヒデフミの世界観が水カンのそれと拮抗するにはちょっとサイズが短すぎる(EPだからしょうがないけど)。エンディングはきちんとした歌詞が歌われていれば新たなポップ・フォーマットを確立できそうな“Masara Town”。“Bombay Sapphire”とはまた違った意味でメロウネスを表現した佳作である。ケンモチ・ヒデフミはなにか、どこかの扉の前に立っていることは確か。もしかするとケンモチの醸し出す孤独感は嫌われることを恐れていて、そのことと表裏の関係にあるのかもしれない。そこが食品まつりのような劇的な存在感とは異なっている理由ではないだろうか(食品まつりの『ODOODO』もよかったですね)。同じアジアでもジューク/フットワークをアブストラクに処理した上海の33EMYBWなどは、もっと強迫的なアプローチが印象に残り、同じように収録時間の短いアルバムでも確実に方向性とそのインパクトを印象づける。せっかく中国や東アジア全体に広がるベース・ミュージックとは異なった緻密さやソフィスティケーションを有しているのだから、ケンモチ・ヒデフミには狂ったようにそれを突きつめてほしい。もう一度言う。ケンモチ・ヒデフミはなにか、どこかの扉の前に立っていることは確か。もっと強く、その扉を押してくれ。

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