「KING」と一致するもの

Kevin Richard Martin - ele-king

 現在、「世界」は極寒の只中にある。真夏に冬? いきなり大きな主語で恐縮だが、例えば2030年に到来すると言われている「ミニ氷河期」は世界を冬の時代に変化させてしまう可能性があるし、なにより21世紀以降、巨大化の一途を辿るグローバル資本主義の本質は人間の外部にある巨大なデータの集積(金銭の層)ともいえるのだから、そこにあるのは「雪」のような冷たい結晶の層と運動ではないかとも思ってしまう。ともあれ雪とお金は似ている。貯まるときは貯まるが、少し熱量が上ると溶けて消えてしまう。

 氷河期へと回帰する地球と真夜中に降り続ける雪のようにデータ化された金銭が結晶化する世界。私たちはそんなJ・G・バラード的な「冷たい」結晶世界/時代を生きている。
 では、そのような時代、われわれが「ヒト」ではなく「人間」であることの意味はどこに見いだすべきか。資本主義に骨の髄まで染まったわれわれはエコノミック・アニマルのなれの果てか。巣を失った雪男のように虚無に吠えるしかできないのか。それとも言語の真の意味を捉え直し、改めて「怒り」を表出する必要があるのか。
 ひとつ言えることは、そのような時代、イメージに恐怖が侵食する。そしてレコードはそんな世界の無意識を表象する「商品/芸術」でもある。2010年代の音楽の一角にダークなアートワーク(もちろん音も)が現れたのは偶然ではない。セカイが不穏だから音楽も暗くなる(反動で空虚なバカ騒ぎも起きる)。そしてその不穏さによって音楽は一種の心理的セラピー効果を高めもする。つまり真の「癒し」は逆説によって生れる。ダーク・セラピー・サウンド?

 現代写真家・横田大輔による印象的な作品を用いたアートワークでリリースされたキング・ミダス・サウンドの新譜『Solitude』(https://kingmidassoundmusic.bandcamp.com/album/solitude)も、そんな「真冬・極寒の時代」のムードを象徴するようなアルバムだった。キング・ミダス・サウンドは、UKレフトフィールド・サウンドにおいてその名を知らしめているザ・バグのケヴィン・リチャード・マーティンらによるプロジェクトである。
 その新作『Solitude』は、ダークなエクスペリメンタル・サウンドとRoger Robinsonのポエトリー・リーディングが濃厚なメランコリアを醸し出し、なんとも不穏なムードを生成していたが、ある種の救済の感覚が息づいてもいた(リリース・レーベルは、ミカ・ヴァイニオ関連のリリースでも知られる〈Cosmo Rhythmatic〉)。闇夜の果てにある微かな光。

 今回取り上げる『Sirens』は、キング・ミダス・サウンド、ザ・バグなど複数のユニット・名義を使い分けてきたケヴィン・リチャード・マーティンが初めて本人名義を冠したアルバムである。リリースはローレンス・イングリッシュが主宰するエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Room40〉。
 その内容たるや圧倒的であった。キング・ミダス・サウンド『Solitude』における音響空間をさらにパーソナルにムードで研ぎ澄ましたような現代的なアンビエント/ドローンを存分に展開し、凄まじい音響空間を生成していたのだ。『Solitude』からポエトリー・リーディングをミュートしたようなトラックともいえるが、よりパーソナルなサウンドにも感じられた(どこか『Solitude』と『Sirens』は兄弟のようなアルバムではないかと想像する)。

 本作の元となっている音源は、2015年にベルグハインで開催された「CTM Festival」におけるライヴ・パフォーマンスで披露されたものだ。そもそも「Sirens」は、ケヴィン・リチャード・マーティンによる新しいアンビエント・プロジェクトの名としてスタートした。2014年頃、彼の友人でもあるベルリンのアーティストNick Nowakの展示とショーにつける音楽を依頼されたことがプロジェクトの始まりなのだ。その「Sirens」のショーは、スモークとストロボによって会場全体を覆う一種のインスタレーションに近いパフォーマンス/空間だったらしい。
 以降、「Sirens」は、ドイツのハイデルベルク、ロサンゼルス、ハンガリーのブダペスト、東ロンドンなどで継続的にパフォーマンスされ、その音響は完成の域に近づいていった。以前から彼のファンであったローレンス・イングリッシュは、「CTM Festival」のライヴの直後に音源リリースの話を直談判し、ケヴィン・リチャード・マーティンから快諾を得たという。
 とはいえ、すべてが順風満帆のプロジェクトだったわけではない。「Sirens」制作中、ケヴィン・リチャード・マーティンは、その人生において最もハードな時期を迎えていたのだ。というのも彼の妻は、息子を生んだあとすぐに、集中治療室に入り、その命を失いかけていた(このインタヴューに詳しい)。
 そんなケヴィン・リチャード・マーティンの人生の局面に訪れた極めてハードな事態に呼応・象徴するかのように、『Sirens』の音響は、極寒地帯における豪雪のように厳しく、しかし生命の誕生そのものを象徴するように「崇高さ」へと生成変化を遂げていく。

 ここでサウンド面の考察に戻ろう。ザ・バグ、テクノ・アニマルなどの複数の名義を使い分ける彼のエクスペリメンタル方面といえば、キング・ミダス・サウンドのほかにも、ソニック・ブームとケヴィン・シールズらによるはエクスペリメンタル・オーディオ・リサーチの活動を思い浮かべてしまう方もいるだろう。
 本作の特徴は極めて10年代な音響空間を生成している点にある。多層的な電子音響のレイヤー/持続が繊細かつダイナミックに変化を遂げつつ、まるで嵐の中に身を浸すかのような音の壮大な蠢きを生成していくのだ。このミクロとマクロを往復するようなサウンドは10年代以降の音だ。キング・ミダス・サウンドでフェネスとコラボレーションした『Edition 1』(2015)の追求・実験・実践が、本作に強い影響を与えているのではないかとも想像してしまった。
 アルバムには全14曲が収録されているが、どのトラックも統一的なムードを保持しながらも、それぞれが微細にサウンドのトーンを変えており、まるで映画のサウンドトラックのように進行する。特に2曲めから5曲めまでの変化は強烈な聴取体験をもたらすだろう。その変化は繊細であり、しかしダイナミックでもあり、メランコリックですらあり、ドラマチックでもある。
 使われている音は「フォグホーン、ダブ・サイレン、ドローン・ベース、ホワイト・ノイズ、エフェクト」というが、音の層が重なりつつ、音響空間が拡張してくようなサウンドは、アンビエント/ドローンによる受難曲のように響く瞬間があった。聴き手の心理状態をトレースしていくかのように音響は進み、変化する。
 本作『Sirens』には「受難」と「祈り」、そして「救い」への希求が、静謐な電子音響の表面に、内奥に、その向こうに、確かに、微かに、強く、弱く、しかし意志を持って息づいているように感じられた。加えて8曲めなど、ドローンであっても低音部分の強調が見事であり、その鈍い響きはまるで心臓の鼓動のように聴こえもした。
 つまり本作はドローン化したベース・ミュージックという側面も少なからずあると思うのだが、いかがだろうか(キーは低音=心臓の鼓動だ)。となればできうる限り爆音で聴取をする必要があるだろう。小さな音で「流しては」だめなのだ。もともとサウンド・パフォーマンスとして発表されたこともそれと無縁ではあるまい。音に深く没入する必要がある。

 特に9曲め以降、ノイズのトーンに微かな明るさが宿ってきている点に注目してほしい。12曲めからラストの14曲めまでは本作の音響が絶頂を迎える瞬間が記録されており、文字どおりクライマックスだ。音の繊細さ、過剰さ、ミニマル、ダイナミック、持続、拡張は、ケヴィン・リチャード・マーティン個人の受難を浄化し、聴き手の心も昇華する。徹底的な没入的聴取の結果、サウンドが一種のセラピーのように心身に「効く」とでもいうべきか。音による救済の感覚。
 そんな誇大妄想的な感想すら持ってしまいそうなほどのアルバムである。「雪」のように冷たい結晶によって世界が構成されているこの現代において、人の心の奥底に蠢く光のようなノイズ・ドローン・アンビエントを聴くこと、聴覚と感覚の新たな可能性を示してもいる。このアルバムの暗い音を聴くことは「希望の聴取」なのだ。

Smany - ele-king

 これまで world's end girlfriend と Vampillia‬ のスプリット盤に参加したり、ネット・レーベル〈分解系レコーズ〉からアルバムを発表してきたエレクトロニカ・アーティストの Smany(エスメニー)が、初のフィジカル盤となる4作目『to lie latent』を〈PROGRESSIVE FOrM〉より発売する。同作はこれまで〈分解系レコーズ〉からリリースしてきた3作『komoriuta』『polyphenic』『kotoba』のなかからセレクトされた曲に、未発表曲などを加えた構成となっているとのこと(タブラ奏者の U-zhaanをフィーチャーした曲も)。繊細なヴォーカルと電子音の交錯に耳をそばだてよう。

Smany
to lie latent

2013年にオンライン・レーベルの雄である〈分解系レコーズ〉よりリリースした1stアルバム『komoriuta』以降、2014年の2ndアルバム『polyphenic』、2017年の3rdアルバム『kotoba』とコンスタントにリリースを重ねながら国内外問わず数多くのアーティストともコラボレーションを続け非常に高い評価を得てきたアーティスト Smany、本作は〈分解系レコーズ〉よりリリースした3枚のアルバムよりセレクトされたベストテイクをベースに、名曲の誉れ高い“2113”の2019ヴァージョンや未発表曲“夜間飛行”、タブラ奏者の‪ U-zhaan ‬をフィーチャンリングした“・A・”といった魅力たっぷりの楽曲から構成された4枚目のアルバムとなる待望の初フィジカル作品!

潜在的なという意味のアルバム・タイトル「to lie latent」と冠された本作を聴くにつれ、改めてコンポーザーとしての Smany というアーティストの魅力、また音域が広く素晴らしい声質や表現力の多彩さかつ繊細さといったヴォーカリストとしての才能を感じざるをえない。
それは冒頭でも触れた名曲“2113”、壮大な情景を描いた“静かな嵐は過ぎ去って”、深い精神性を感じさせる“・A・ feat.U-zhaan”のみならず、オープニングを飾り ‪Sigur Rós ‬を彷彿とさせるインストゥルメンタル“The Cycles Of Life”、軽快なリズムがポップなダンスチューン“Music”、感傷と風景が交差するエンディングの“あれから”をはじめ、様々な世界観を表現できうる幅広いバックグランドを感じさせながら、アルバムが一重の糸によって紡がれそっと包み込まれる感覚は、Smany という人物の深く豊かなアーティスト性を色濃く写し出している。

本作は、これまでにエレクトロニックとアコースティックが芳醇な潤いを繋いできたサウンドにおけるヴォーカル作品として、2010年代を総括するアルバム、また先を見据える2020年代という未来をも明示する可能性を存分に秘めたアルバムと言えよう。
それはこれまで Smany に触れてきた人々にとっても、そうではない人々にとっても、優しい光が差し込むがごとく人々を心を照らすだろう。

アートワークは、シュールレアリズムの手法、デペイズマンの影響を強く受け、ユーモアのあるデザイン、根拠のあるデザイン、ターゲティングされたデザインを制作する事を信念とし評価の高いグラフィックデザイナー兼写真家 ISAMYU / YUKI MOTEGI が担当。
マスタリングはミュージシャン/アレンジャー/レコーディング・エンジニア/作曲家/ライターとしても定評の中村公輔が担当。

発売日:2019年6月12日(水)
アーティスト:Smany(エスメニー)
タイトル:to lie latent(トゥー・ライ・レイタントゥ)
発売元:PROGRESSIVE FOrM
販売元:ULTRA-VYBE, INC.
規格番号:PFCD89
価格(CD):税抜本体価格¥2,200
収録曲数:11曲
JAN:4526180482376

Amazon / Tower

Tracklisting

01. The Cycles Of Life
02. Music (Hypo77 Arrange Ver)
03. 2113 (2019 Ver)
04. Maboroshi
05. 砂の城
06. 静かな嵐は過ぎ去って
07. Utakata
08. Himeshi-Lucy feat. Smany (yuichi NAGAO remix)
09. ・A・ feat. U-zhaan
10. 夜間飛行
11. あれから

■ Smany(えすめにー)

東京在住の作曲家、ヴォーカリスト、パフォーマー。
幼少期より家族の影響でクラシック、洋楽、邦楽と音楽の溢れる環境で育つ。
5才から12才までクラシックバレエを習う。
中学時代は合唱部、高校時代は軽音楽部とダンス部に所属。
2003年、テクノロックバンドのフロントマン S-many としてパフォーマンス、電子楽器、VJ等を担当。
2005年、バンドの活動休止と同時にソロでの楽曲制作を始める。
2013年、〈分解系レコーズ〉より1stアルバム『komoriuta』をリリース、OUT OF DOTS、Red Bull Music Academy Weekender EMAF TOKYO 2013 等のイベントに出演。
2014年、〈分解系レコーズ〉より2ndアルバム『polyphenic』をリリース
2015年、world's end girlfriend、‪Vampillia‬、中原中也のスプリット・アルバム『在りし日の声』に朗読者として参加。
2017年、3rdアルバム『kotoba』をリリース。
2017年9月 バンド "えすめにーと愉快なにゃんにゃんオーケストラ" を結成。
その他、ベルリン在住の Yu Miyashita、タブラ奏者の ‪U-zhaan‬、yuichi NAGAO、LLLL、アメリカのエレクトロポップバンド、ビリンダブッチャーズ、フランス〈kitsuné〉所属の Manast LL' 等、国内外問わず数多くのアーティストとコラボレーションしている。
そして2019年6月、初のフィジカル盤となる4thアルバム『to lie latent』を〈PROGRESSIVE FOrM〉よりリリースする。

Ryan Porter - ele-king

 昨年発表した大作『The Optimist』で注目を集めたトロンボーン奏者のライアン・ポーター。カマシ・ワシントンのバンド=ザ・ネクスト・ステップの一員でもある彼が6月19日にニュー・アルバムをリリースする。新作『Force For Good』には前作に引き続きカマシやサンダーキャットらウエスト・コースト・ゲッド・ダウンの面々が参加しているとのこと。きっとLAのいまを伝えてくれる、洗練された1枚に仕上がっていることだろう。現在、先行シングルとして“Heaven Only Knows”が公開中。

RYAN PORTER
Force For Good

カマシ・ワシントン&サンダーキャット参加!!
信頼高いトロンボーン奏者、ライアン・ポーター。
自身の実力を確かに示した、83分を超える待望の新作アルバムが完成!!

Official HP: https://www.ringstokyo.com/ryanporterffg

トロンボーン奏者/作曲家ライアン・ポーターの待望の新作は、カマシ・ワシントンらウエスト・コースト・ゲッド・ダウンのメンバーがまたも全面サポートした力作です。前作『The Optimist』からさらに作曲面にも磨きをかけて、もはやモダン・クラシックな風格さえ漂わせています。1920年代から50年代初頭までジャズのメッカだったLAは、いま確実にジャズの都市として復活を遂げたことをこのアルバムが象徴してもいます。(原 雅明 / rings プロデューサー)

アーティスト : RYAN PORTER (ライアン・ポーター)
タイトル : Force For Good (フォース・フォー・グッド)
発売日 : 2019/6/19
価格 : 2,400円+税
レーベル/品番 : rings (RINC51)
フォーマット : CD

Luke Slater × Burial - ele-king

 昨年のコード9との共同ミックスCD『Fabriclive 100』ではなぜかルーク・スレイターが2曲もとりあげられていたけれど、なるほど、きっとほんとうに好きなのだろう、先日ヴァイナルと配信でリリースされたばかりのスレイターの“Love”のリミックス盤にもまた、ベリアル本人によるリミックスがフィーチャーされている。原曲は1997年のスレイターのセカンド・アルバム『Freek Funk』に収録されていたミニマルなダンス・トラックで、ベリアルは大胆にクラックル・ノイズと幽霊的な音声を導入、じつに彼らしいサウンドへと生まれ変わらせている(ちなみに、ベリアルがリミックスを手がけるのは2017年のゴールディと Mønic 以来2年ぶり)。なお、同盤には他にマルセル・デットマンやサイレント・サーヴァントらのリミックスも収録されており、デジタル版にはスクーバも参加。これは必聴よね。

Artist: Luke Slater
Title: Love Remixes
Label: Mote-Evolver
No.: MOTELP05
Release: 17 May 2019

www.mote-evolver.com

Tracklisting:
A1. Love (Burial Remix)
A2. Love (Lucy Remix)
B1. Love (The 7th Plain Collage Remix)
C1. Love (Planetary Assault Systems Low Blow Remix)
D1. Love (Marcel Dettmann City Remix)
D2. Love (Silent Servant Remix)
Digital Bonus: Love (Marcel Dettmann Black Glove Remix)
Digital Bonus: Love (Scuba Bagleys Remix)

Technique / Jet Set / Amazon / Spotify

The Expansions - ele-king

 いまだ衰えることを知らないUKジャズの熱風ですが、またまた興味深いアイテムがリリースされます。ジョー・アーモン・ジョーンズが「最高だから、チェックする価値があるよ」と太鼓判を押すピアニスト、デイヴ・コールも在籍するジャズ・バンドのジ・エクスパンションズが昨年発表したファースト・アルバム『Murmuration』と、その後にリリースされたEP「Mosaic」をカップリングした日本独自企画盤が6月19日に発売されます。要チェックですぞ。

The Expansions
Murmuration & Mosaic Special Edition

UKジャズに吹き荒れる風は、まだまだ止まることを知らない!! ロンドンのジャズ・カルテットEXPANSIONSのファースト・アルバム『Murmuration』と最新作『Mosaic』を1枚にまとめた日本独自企画盤。心地よさがあるコズミック・サウンドに、洗練されたスムースジャズは必聴!!

Official HP: https://www.ringstokyo.com/expansions

ポール・ウェラーをして、“僕のお気に入りの新しいバンド”と言わしめたサウス・ロンドンのカルテット。ドラムとベースのタイトなグルーヴ、ギターの滑らかなフレージングとカッティング、キーボードのスペーシーなコードの響き。シンプルなコンビネーションながら、ヘッドハンターズやウェザー・リポート、ジョニー・ハモンドから4ヒーローまで、過去のさまざまな音楽のエッセンスが散りばめられた曲構成と演奏は、まるで素晴らしいノンストップ・ミックスを聴くかのようだ。(原 雅明 ringsプロデューサー)

アーティスト : The Expansions (エクスパンションズ)
タイトル : Murmuration & Mosaic Special Edition
発売日 : 2019/6/19
価格 : 2,400円+税
レーベル/品番 : rings (RINC50)
フォーマット : CD

Black Midi - ele-king

 マス・ロックの新星、結成1年にしてすでに圧倒的なサウンドを打ち鳴らすこの4人組、彼らはいったい何者なのか。6月21日にデビュー・アルバム『Schlagenheim』を〈ラフ・トレード〉からリリースする彼らが、同作をひっさげ来日ツアーをおこなう。要注目です。

噂のブラック・ミディ
デビュー・アルバム『Schlagenheim』を引っさげての、
初来日ツアーのチケット先行販売開始!
レコード店にてフリーサンプルCDの配布もスタート!

6月21日にデビュー・アルバム『Schlagenheim』をリリースする、大注目のブラック・ミディ(black midi)。
ロンドンを拠点に活動を開始し、みるみる大注目バンドとなったブラック・ミディが、遂にデビュー・アルバム『Schlagenheim』を6月21日にリリースすることを発表した。ブラック・ミディは、ジョーディ・グリープ(vo、g)、キャメロン・ピクトン(b、vo)、マット・ケルヴィン(vo、g)とモーガン・シンプソン(ds)の4人で構成され、メンバー全員が19歳か20歳で、アデルやエイミー・ワインハウス、キング・クルールらを輩出した英名門校ブリット・スクールで出会ったという。ゲリラ・ライブを敢行するなど精力的にライブ活動を行い、常に変化するセットリストやその演奏力とオリジナリティ溢れる楽曲から、噂が噂を呼び早くも完売ライブを連発。結成からわずか1年であることから未だに謎が多いが、今最もアツい新生バンドという評判を早々に確立した。海外のバズを受け、ここ日本でもコアな音楽ファン達の注目を集める中、デビュー作を引っさげた初来日ツアーが決定し、明日よりチケット先行販売がスタート!

また、レコード店ではフリーサンプルCDの配布も開始!

9/5 (THU) 東京:UNIT
OPEN 18:00 START 19:00 前売¥5,500(税込)
※別途1ドリンク代 / オールスタンディング ※未就学児童入場不可
INFO: BEATINK 03 5768 1277 [www.beatink.com]

9/6 (FRI) 大阪:CONPASS
OPEN 19:00 START 19:30 前売¥5,500(税込)
※別途1ドリンク代 / オールスタンディング ※未就学児童入場不可
INFO: CONPASS 06 6243 1666 [https://www.conpass.jp]

9/7 (SAT) 京都:METRO
OPEN 17:30 START 18:00 前売¥5,500(税込)
※別途1ドリンク代 / オールスタンディング ※未就学児童入場不可
INFO: METRO 075-752-2787 [info@metro.ne.jp]

label: ROUGH TRADE RECORDS / BEAT RECORDS
artist: black midi
title: Schlagenheim
release date: 2019/6/21 (金) ON SALE

国内盤CD RT0073CDJP ¥2,400(+税)
ボーナストラック2曲追加収録 / 解説・歌詞対訳冊子封入

内田裕也(1939.11.17-2019.03.17)さま

 2019年3月17日、あなたの訃報には驚きました。樹木希林夫人の葬儀への列席の際など、ここしばらくテレビで拝見する時は決まって車椅子に乗っておられましたし、通常の速度での会話もままならぬ様子に、「何故この人は身体を弱くしてしまったのだろう、まだ若いのに……」、と疑問を感じていました。死因は「肺炎」との事でしたが、癌などで治療中の人間が亡くなっても直接には「肺炎」となる事が多いと聞きました。わたしの父親も同じでした。やはり他にも大きな疾患があったのではないでしょうか。とにかく驚きました。
 ここ30年ほど、あなたは「ロックンロール」と「シェケナベイビー」、これらふたつのキイワードで世間を渡っていたという印象があります。2014年には指原莉乃と「シェケナベイベー」というシングル盤(エイベックス AVCD-48977/B)を出していました。29年ぶりのシングルという触れ込みでした。わたしは発売時に店頭で取り寄せて入手、今でも手元にありますが、付録のDVDは未だ観ていません。このシングル盤を切っ掛けにしたのでしょうか、同年7月には福岡でHKT48のコンサートにも出演していたのですね。失礼ながら全く知りませんでした。

 裕也さん、わたしが思い出すあなたの記憶は、確かテレビでザ・フラワーズのリーダーとして、“アイ・サンキュー”を唄った時です。1968年だった筈です。原曲はサム・アンド・デイヴのR&Bですから、ニュー・ロックのフラワーズとしてはちょっと違和感がありますが、“アイ・サンキュー”という表現自体がわたしには珍しかったので、今も憶えています。カットの最初と最後は裕也さんの顔アップじゃなかったかな。
 でもその前から存在は知っていました。何しろビートルズの前座を務めていたのですからね。覚えていますよ。3年ほど前にこの時の武道館公演の全てを録画で観る機会がありました。あなたは出番の後、一般客の入れなかったアリーナ最前列に座って彼等を観ていたのですね。あの4人に一番近い距離です。テレビにも映っていたかも知れません。
 4月3日青山葬儀場で行われた「ロックンロール!葬」のテレビ報道では、その時一緒に唄った尾藤イサオさんが「裕也さんはね、『前座じゃねえ、共演してやってんだ』ってずっと言ってました」と笑顔で語っていました。これ、とても良かったな。
 その他、加山雄三の映画『エレキの若大将』にバンド合戦の司会者役で出て来たのも観ています。こちらも上手くハマっていました。ただ“アイ・サンキュー”の印象は、それら以上に強く残っています。何故なのか分かりません。

 1968年当時の日本列島はグループ・サウンズの狂乱状態にありました。テレビもラジオも週刊誌もGSだらけ。小綺麗なお揃いの衣装を着て可愛らしい少年を装った不良たちが、「花」とか「小鳥」をモチーフに純真な「愛」を叫んでいました。ところが欧米ではすでに十代向けのビート・ポップスが、演奏や録音技術の成長と共に世の中を投影する表現行為に変貌しつつあったのです。その音楽は「ロックンロール」から「ロック」と呼ばれ始めていました。中学生の子供だったわたし自身も、漠然とではありますが世界の大きな流れを感じたつもりで、「何か革命的な事をしなくちゃ」と勝手に思い込んでいました。その頃の若者の殆どが、多かれ少なかれこういう思いに駆られていた筈です。しかしこの世界的胎動は断片的な芸能ニュースとしてしか日本に伝わらず、時代の変わる本質を捉えていた人たちは、ほんの一握りしかいませんでした。60年代後半の欧米で毎日のように起こっていた衝撃的な事実は、極東の島国に於いては海の向こうで起こっている出来事でしかなかったのです。
 裕也さん、あなたはビートルズと「共演してやった」後の1967年に、若者文化の震源地ロンドンの他ヨーロッパを旅していたんですね。そして帰国後その現地現場で実際に感じた意識を日本に持ち込んだのです。それが具現化されたのがフラワーズの結成で、この演奏集団はグループ・サウンズではなく、日本にはそれまでになかった真性ロック・バンドでした。
 1969年発表のLP『チャレンジ!』(コロムビアHMJA-108 再発)からは「欧米のロックに追いつけ追い越せ」というリーダー内田裕也の純粋な意欲、高い志が伝わって来ます。ジャケットは、草原に立つメムバの全裸写真。これだけでも充分に欧米水準です。GSの童謡モドキに惚けていたこの国では驚きでした。実はヴォーカル担当の麻生レミさんが他のみんなと一緒に裸になる事に拒否反応を示したので別撮りの合成で仕上げた、という噂もありますが。

 この作品がそのまま受け入れられるほど日本は進んでいませんでした。いま20世紀を知らない世代から逆説的に評価されているとはいえ、このLPには収録されなかったシングル曲“ラスト・チャンス”はモロ歌謡曲で、欧米のロックはまだ遥か遠い存在だったのです。
 フラワーズは、GS人気に陰りが見えお客さんもあまり入らなくなったジャズ喫茶出演の活動が中心でした。70年にスティール・ギターの小林勝彦さんとレミさんは「本場」アメリカに渡る事になり、グループは新たにメムバを増強。この時には裕也さんのもっと本格的なロック・バンドを創るんだ、という想いがありました。そして現れたのがジョー山中さんです。彼は491(フォー、ナイン、エイス)というキリスト教の教えに由来する名前を持ったグループ・サウンズで世に出ましたが、時すでにGS協奏曲は最終楽章で良い結果を出せず思案していたところを、裕也さんに掬い上げて貰ったのです。赤坂のクラブ出演中に見い出されたと聞いています。
 麻生レミと小林勝彦に、まだジョー・アキラとクレジットされているジョー山中を加えた過渡期の最強軍団フラワーズは2枚組LP『ロックンロール・ジャム’70』(Pヴァイン PCD-7228/9 再発)で聞けます。このアルバムは、モップス、ハプニングス・フォー、ザ・ゴールデン・カップス、そしてフラワーズが、渡辺プロダクションの運営だった銀座の「メイツ」というクラブで行った実演の記録です。グループを超えてメムバ相互のセッションも含まれた画期的な演奏会です。これ自体がおそらく裕也さん、あなたの企画ではないでしょうか。1969年に発表された『ライヴ・アドヴェンチュアズ・オヴ・マイク・ブルームフィールド・アンド・アル・クーパー~フィルモアの奇蹟』(ソニー SICP-5368/9 )が頭にあったのかも知れません。出演者たちは皆、欧米水準の同時代的音楽創造意欲を持っていました。
 ここでのフラワーズは凄いですよ。明らかにロックの音を出しています。ギターにはもうビーバーズから石間秀樹(今は秀機)さんが入っていて、レッド・ゼペリンのデビュー・アルバムに収められていた“ユー・シュック・ミー”を、ほぼ完璧に再現していました。この後フラワーズは、ジョー、石間秀樹、そしてベイスは上月ジュンさん、ドラムズに和田ジョージさんを擁して、ザ・フラワー・トラヴェリン・バンドとなります。裕也さんも基本的にはメムバの一人だったのですが、「リード・タムバリン」という人を食ったような楽器の担当で、実際の演奏に加わる事はありませんでした。彼が心の中で目指していた新しいサウンドに、自分は不要だと判断したのでしょう。でも活動には常に同行して、舞台にも上がっていました。結成直後の70年に「花の瘋癲楽団」が朝の若者向けヴァラエティ生テレビ番組「ヤング720(セヴン・トゥー・オウ)」に出演した時、裕也さんはスロウ・テムポーのロックに合わせて、静かに、思わせぶりにリード・タムバリンを振っていました。

 裕也さん、あなたをわたしが初めてぢかに見たのは、あなたがまだザ・フラワー・トラヴェリン・バンドの一員だった時です。場所は京都で、比叡山ロック・フェスティヴァルとかいう名の、スキー場で夜通し行われた音楽大会でした。お昼過ぎから翌朝まで長い時間の開催だったのですが、他の出演者は稲垣次郎とソウル・メディア、そして北山修しか思い出せません。
 真夜中を過ぎて会場に着いたザ・フラワー・トラヴェリン・バンドは別格的なカッコ良さでした。知り合いに会うと深夜なのに「あ、おはようございます」なんて言ってるのもプロっぽかった。野外の音楽会ですから比較的自由に動けたので、わたしは惹かれるようにすぐそばをウロついていたのです。裕也さんに声を掛けたら「おう」と気軽に挨拶を返してくれました。そのすぐ後でツボを抑えられず時間のかかった音響セッティングに苛立っていたのも覚えています。グループはまだ欧米ロックのコピー演奏をしていました。キング・クリムズンの“21世紀の精神異常者”やレッド・ゼペリンの“胸いっぱいの愛を”などは迫真の出来で、大ウケでした。他には「チャーリー・マッセルホワイト・ブルーズバンドの……」と裕也さんが紹介した重たいブルーズ曲も忘れられません。
 裕也さん、あなたはこのステージでリード・タムバリンを打ち鳴らす事はありませんでしたが、演奏に加わらないメムバとして微妙な立場を維持していました。その距離感と身なりが全くもってクールでカッコ良かった。わたしはシビレました。

 その頃の日本に於けるロックは、海外の流行や国内のレコード会社に振り回されていたのが実情です。大きなアムプリファイア、エレキギターを始めとする電気楽器、騒々しい大音量、そしてヒッピーのような風俗と、見た目はそこそこですが、肝心な音楽の主題が希薄でした。結局は借り物で、外側を真似しているだけだったのです。それでも裕也さんは「インタナショナルにならなきゃダメだ」という主張を訴えました。
 この時にザ・フラワー・トラヴェリン・バンドが目標としていたのはイギリス風なハード・ロックだった筈です。レッド・ゼペリンの衝撃波は世界中に凄まじく伝わり、極東の島国にも及びました。わたしは当時からこのグループを目の敵にするほど嫌いなのですが、彼らによって音楽の悦びに目覚めた人たちがこの国にも大勢いる実状は、認めざるを得ません。
 電気楽器、演奏技術の進歩、大音量化、そしてブルーズ的な歪みが美徳になり始めた世の中でポップ音楽がハード・ロック的に進んでいくのは自然な流れで、この国の洋楽ジャーナリズムもハード・ロックを支持していました。裕也さん、あなたは欧米に堂々と対抗出来る、オリヂナル曲を持ったレッド・ゼペリン級のハード・ロック・グループを国内で結成し、世界に君臨する事を目指していたのですね。
 そのためにメムバを送り出した、無謀とも言える1971年のカナダ武者修行で、彼らは途方に暮れていたそうです。見知らぬ土地で頼れるのは自分たちだけ。演奏家ユニオン加入もままならず、仕事を取る手立てもない。「本当に困ってると、いつも裕也さんがお金を持って来てくれた」、これは石間秀機さんから聞いた話です。
 「インタナショナルで勝負するために英語で歌うんだ」これが裕也さんの絶対に譲らない持論でした。GS以前からこの国では「洋楽は邦楽より一階級上の音楽」というおかしな価値基準が定着していて、原語で唄うのがカッコ良く本格的とされていましたから、音楽愛好少年たちがバンド編成で操るのは、覚束ないとはいえ自然と英語になります。それを裕也さんは「インタナショナルで勝負するために」と、強く意識して徹底したのです。
 すでに当時この国では「フォーク」という音楽領域が、青少年を蝕みつつありました。奴らは時折り反体制的な姿勢を見せますが、ほとんどは私小説のような痴話を生ギターで爪弾きながら語る、これがこの国の「フォーク」音楽です。GS騒動で疲弊した音楽業界、次のスターやヒット曲を求める若い世代はすぐ飛びつきました。ロックに較べて装備が軽く真似もし易い。自作楽曲もテキトーにすぐ作れます。
 この形はあっという間に全国津々浦々で定着しました。舞台の上で椅子に座って譜面台を置いてギターの弾き語りをする日本のフォークの様式は、この時に始まったのです。ボブ・ディランは決してそんなスタイルで唄わなかったのに。
 一方で、バンド編成でロック的な音楽性を持っていても母国語、つまり日本語でオリヂナル曲を書き唄うグループが登場し始めます。こちらの代表は、はっぴいえんどです。彼らはエイプリル・フールという名前で新宿のディスコティックやゴー・ゴー・クラブなどに出演していて、中心人物、柳田ヒロのオルガンをフィーチュアしたハードなプログレ的ロックを得意としていました。1969年発表のLP(コロムビア YS-10068)で、その現実を確認出来ます。彼らもまた「外国での反響を知る為には英語でないと……」という方針から、日本語詞を持つ歌はアルバム中2曲だけでした。
 そのエイプリル・フールが発展的に解消し新規に組まれたグループが、はっぴいえんどで、自分たちが日常で接した事象を、普段しゃべっている言葉で、ロック編成の趣味の良いアンサムブルに乗せて唄うという新機軸でした。日本語詞という事でフォーク系の演奏会にもよく出演し、松本隆さんの描いた都会の情景、細野晴臣さんに代表される手堅い演奏で人気を集め、徐々に高い評価も得て行きました。
 裕也さん、あなたはこれが面白くなかったんですね。月刊音楽雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』は、他の音楽誌や電波媒体が採り上げないこの国に於けるロック現象を、いつも現場から真剣に捕らえ、誌上で重要な主題として展開していました。そこでよく行われたのが座談会形式の討論です。あらゆる状況が過渡期だったその頃は、さまざまな問題について語り争われましたが、最も燃え上がるのは「フォーク対ロック」、「日本語対英語」論争でした。もちろんロック派、英語派の代表は内田裕也です。これらの座談会は大抵興奮気味に終わっていました。

 ところで、今も昔もこの国の一般的な人たちの英語力は、それほど高くありません。洋楽を聞いていても、殆どは何を唄っているのか分からない人が殆どで、わたし自身もそこに含まれます。何で日本人が日本人の為に英語で歌わなきゃいけないんだ、と矛盾を感じていた人たちが多くいたのも事実です。
 この頃の欧米にカブレて作られたロックには言葉がなかった。だからフォークにやられてしまったんです。キャロルが1972年に最初のアルバムを吹き込む時、詞(ことば)を英語にするか日本語で行くか、真剣に討議されたと聞きます。英語だったらあんな成功は成し得なかったのではないでしょうか。
 この言語論争にしても裕也さんは「インタナショナル」以外の根拠が希薄で、“銃を取れ”、“世界革命戦争宣言”などを刺激的な日本語で唄った頭脳警察のパンタとは仲が良かったですから、何も日本語で唄う事の全てを忌諱していた訳ではないのでしょう。フォークと呼ばれる健全で保守的、絶対安全地帯の雰囲気、器用に立ち回る小賢しさ、ビューチフルな優しさを強調する軟派な心情が、若者として許せなかったんだ、わたしはそう考えています。まして「ですます」調で都会東京に育った微熱少年の繊細な心の動きを唄う「はっぴいえんど」の動きは大いに癪に障った筈で、これには当時からわたしも同感でした。ただ若者たちのはっぴいえんど支持は強くなる一方で、それが更にあなたを苛立たせたんでしょう。
 この裕也さんの心意気は、田舎育ちの人間にも共感出来ます。その頃のわたしはエルモ・ジェイムズに出会ったばかりでブルーズ音楽にイカれかけていたのですが、迷う事なく裕也派に従いていました。

 今世紀になってはっぴいえんどはとても高い評価を受けるようになり、メムバの細野晴臣さん、大瀧詠一さんは神様のような存在です。そういう再評価の時に、裕也さんとのせめぎ合いの事実がどこからも語られないのが、わたしとしては大いに物足りない。面白い話があります。この論争が激しかった頃、恐らくは1971年前後だったでしょう。はっぴいえんどその他の「フォーク」な人間たちが裕也さんに呼び出されて詰問されたというのです。場所は品川の方で、座敷に座らされて「お前らどういうつもりだ」と、責められたそうです。これは呼び出されたひとりの方から聞きました。ただその場の誰にもこの人は何を言っているんだろう的な印象しかなく、はっきりとした答えも出ないままシラけて散会となったそうです。
 こうした独り相撲や空回りは、常に裕也さん、あなたの得意技でした。まだバンド付きの専属歌手として唄っていた頃、自分のリパトゥワにデューク・エリントンの“キャラヴァン”を選び、一生懸命に稽古して「どうだ、参ったか」とばかりに披露するつもりだったその日、ジャズ喫茶で出順が先だった別のグループが同じ“キャラヴァン”を採り上げ、フツーに唄われてしまったそうです。裕也さんは激怒、「どういうつもりだ」とその唄い手を裏口に呼び出し、半ば喧嘩腰で抗議したという話が自伝に出ていました。当の相手は何の話なのかさっぱり分からなかった事でしょう。

 1970年代初頭の音楽会は大抵がフェスティヴァル形式で、個人やグループの単体公演などはまだ現実的ではありませんでした。そういう場合には関わる全てを取りまとめる人間が必要です。企画立案から始まって、日時場所の決定、出演料、出順、使用機材、告知宣伝、入場券販売、警備そして一番大切な精算など全般を取り仕切る顔役として「プロデューサー」がいなければ開催は出来ません。裕也さんはロックの代表としてこの大役をいつも背負っていました。他に誰もこの種の業務を引き受け、行える人間がいなかったからです。しかも大抵の場合は自分も出演者のひとり。「全部仕切って自分も唄って、それでみんなにギャラ払ってっていうの、ひとりでやるんじゃ辛いね」こんな事も言ってましたね。その通りでしょう。プロデューサーは名誉職ではありません。
 その頂点が1974年の郡山ワンステップフェスティヴァルでしょうか。福島県郡山市の陸上競技場で行われたこの野外音楽会には全国から41組もの「ロック」演奏集団が参加した大規模なものでした。ヨーコ・オノ・アンド・プラスティック・オノ・スーパー・バンドを出演させられたのも、高く評価された点です。内田裕也の考えるロック革命が一歩実現に近づいたのです。一般公演で来日中だったクリス・クリストファスンとリタ・クーリッヂが飛び入り的に出ていたのは、わたしもこれまで知りませんでした。確かに「インタナショナル」です。
 ただし当然ながら現場はかなり混乱していたようで、関係した人たちは終わってからもさまざまな処理に追われました。なのにこの一大催事はすぐに忘れられてしまうのです。わたしより15歳ほど年下で地元郡山出身の非常に真面目なロック音楽好きが、このワンステップフェスティヴァルについて全く知らなかったのは少々驚きでした。
 裕也さん、あなたはここで当時はキャロルのメムバだった矢沢永吉さんと揉めたんですよね。彼の「ヘリコプターで会場に降りたい」という要望を主催者であるあなたが拒否したのが原因だったとか。この確執はその後も続いたようで、ふたりは仲が良くないというのが通説でした。しかしキャロル最終公演のゲストとしてエーちゃんに「ロックンロール・ウチダ・ユーヤ」と呼び出され「俺と矢沢はいろいろあったけど、解散と聞いて残念に思う。4人のメムバに暖かい拍手を送ってやってくれ」と感動的な檄を飛ばしています。小雨のパラつく1975年4月13日、日比谷野音が一番盛り上がった瞬間は、この時でした。わたしも観客としてそこに居ました。実況録音盤『1975.4.13』(フィリップス PHCL-3031)で、次に唄われた“ジョニー・ビ・グーッド”に繋がる流れを聞く事ができます。
 さて内田裕也プロデュースのワンステップフェスティヴァルは翌75年にワールド・ロック・フェスティヴァルとなります。今度は一箇所ではなく札幌、名古屋、京都、東京、仙台を転戦する全国的な催事でした。海外からはジェフ・ベックが、マクス・ミドルトゥン、バナード・パーディらを連れて参加。他にもニューヨーク・ドールズ、フェリクス・パパラルディが出演しました。目玉となるジェフ・ベックが京都と仙台の公演を体調不良で欠場したものの、結果は成功。国内演奏家も海外からの参加者も対等に扱う姿勢に、裕也さんの「インタナショナル」感覚が現わされていました。この時に「イーストランド」という名の事務所も設立されたのではないですか。これが40年以上続いている毎年大晦日に始まって元旦に終わるニュー・イヤーズ・ロックフェスティヴァルに繋がっているのでしょう。

 1973年4月にフラワー・トラヴェリン・バンドの活動が休止状態になると、裕也さんも人前に出る事がなくなりました。それで本腰を入れてロックンロールを唄い出しました。正式なデビューは1959年で、持ち歌はロックンロールと洋楽ヒットのカヴァでしたから、原点回帰とも言えます。ただフラワー・トラヴェリン・バンド時代にだって、得意とするロックンロールは冴えていました。このグループは「欧米に堂々と対抗出来るレッド・ゼペリン級のハード・ロック」が目標でしたし、独自の東洋風なオリヂナリティも加味されていましたから、実演では重たくて複雑な長時間演奏という楽曲が続くのです。その中間部に、裕也さんが登場して古いロックンロールを数曲、チョコチョコっとキメる。これが何とも言えずカッコいい。当時出回っていたレッド・ゼペリンの海賊実況録音盤なども参考にしたのでしょうが、こんなイカした組み合わせはなかったですね。ピカリと光ってました。お客さんも大喜びで気分転換にもなり、重たくて複雑なフラワーの後半戦もより充実します。
 この内田裕也短縮版ロックンロール・ショウには、実はわたしも参加した事があります。72年のフラワー凱旋公演の前座を務めた時に、楽屋でわたしの奇妙な衣装を裕也さんが気に入ってくれて「ユーは何を弾くんだね」と声を掛けてくれたのです。「ピアノです」と答えると、「真ん中でロックンロールを演るから、そん時に出て来いよ、ただし、そのままのカッコで」と誘ってくれました。高校3年生の向こう見ずは喜び勇んで飛び入りしました。キイはその場で石間英機さんが指で教えてくれました。“ブルー・スウェード・シューズ”は「D」で二本指のVサイン、“のっぽのサリー”は「G」なので五本指、じゃんけんの「パー」です。
 わたしは遅れてきた単純なロックンロール好きで、その頃は周囲に数多蔓延るハード・ロック狂どもにひとりで抵抗を続ける毎日でしたが、ここでカタキを取れました。生まれ育った静岡市で1972年に毎月開催されていたサンシャイン・コンサート第3回の出来事です。

 唄い手に戻った裕也さんは専属の「1815ロックンロール・バンド」と共に活動を続けますが、何しろここはメンバが不定で、独自の響きを追求したわけでもありません。リパトゥワにも余り変化はなく、リード・ヴォーカリストの属性だけで維持されていた感が強いですね。結局ロック系フェスティヴァルでの賑やかし的な域を超えられなかったような気がします。
 個人名義のレコード制作も数えてみれば数になりますが、わたしには消化不良となるものが多く、単純なロックンロール好きには、1973年の『ロックンロール放送局』が一番しっくりと来ます。
 その後、裕也さんは映画に出るようになります。前述のように若い頃から端役で何本もの作品に出演していますが、70年代後半からは、いわゆる「問題作」から重要な役どころで声が掛かるようになり、1986年発表の『コミック雑誌なんかいらない』では脚本も担当しました。
 この頃から「内田裕也はコワモテで乱暴な男」という一般認識が強くなって来たように感じます。確かに昔から気に入らない事があると、すぐ喧嘩腰になって言い掛かりを付けるような性格でしたが、ロックに命をかけていた頃のあなたはある意味で謙虚だった。映画に出るようになってからは、確立した「危険な」一般認識の中だけで生きるようになってしまったように見えます。
 もちろん世の中にはそれがカッコいい、として持て囃す人たちが大勢いる事も分かっています。ただ裕也さん、あなたには功成り名を遂げた芸能人が一番売れた頃の自分のパロディを演じて生きるような事は、して欲しくなかった。
 1991年の都知事選立候補も納得が行来ません。政見放送を見ました。あれではただのスタンド・プレイと取られても仕方ないのではないでしょうか。得票は意外と多かったようですね。投票した人たちは何をあなたに託したかったのでしょう。芸能人であろうと運動選手でも、政治に興味を持つのは当然と考えているわたしの見解です。

 裕也さん、あなたが日本にロックを浸透させようと躍起になっていた頃、あなたはふたりの人たちに助けられています。ひとりは中村とうようさんです。1969年にニュー・ミュージック・マガジン社を設立し、「ロックのリトル・マガジン」として『ニュー・ミュージック・マガジン』を創刊した、初代編集長です。
 ふたりの関係を象徴的に現す出来事に、わたしは出くわしています。以前、月刊誌『出版人・広告人』という業界誌の2015年3月号に書いたので、そこから引用いたします。「中村とうよう お別れの会」での話です。

  中村とうようニュー・ミュージック・マガジン(1980年ミュージック・マガジンに改名)編集長は後年、博識な民族音楽愛好家、重鎮として音楽界に君臨していたので、弔辞も「ワールド・ミュージック」への貢献を讃える内容が多く、会全体は非常にアカデミックな雰囲気に満たされていました。
  その最後に、ロックンロール内田裕也が突然登壇。「ワールド・ミュージックが何だ。俺たちにとって中村とうようの最大の業績は、この国に『ロック』を正しく紹介した事にあるんじゃないのか」というような啖呵を切ったのです。カッコ良かったですよ。
  集まった人たちは今でこそ、様々な音楽業務、研究、愛好に携わっていますが、69年のニュー・ミュージック・マガジン創刊期、あの夜明け前に、同じ夢をロックに託した人たちのはず。そこを振り返らないで、ナーニが民族音楽だ、というひと言。みんな凍り付きました。
  何となくお上品な雰囲気がつまらなかったわたしは、その時に思わず「異議なし」の拍手をしました。極めて自然な反応だったのですが、周囲からの冷やかな視線放射を、全身に浴びせられました。そこをカメちゃんが「あ、拍手が起こりました」と被せてくれ、すぐに雰囲気は楽になりました。

 これは、この会で司会を務めた亀渕昭信大先輩について書いた文章ですので、少し焦点がズレていますが、雰囲気は伝わりますでしょうか。遅れて来た裕也さんは白髪を肩まで長く伸ばして、ステッキを突き、上着、ズボン、スニーカーまで白という恐ろしい出で立ち。それだけで、参加者全員が震え上がりました。
 確かに『ニュー・ミュージック・マガジン』誌の創刊はこの国の音楽にとって意味ある事でした。それまで音楽産業に於ける消耗品的だったポップ音楽が世界を変えて行く原動力になりかけていたこの時代に、その動きに対応していたのは『ニュー・ミュージック・マガジン』だけです。そして紹介される音楽の中心はロックでした。
 中村とうよう編集長は誰よりも裕也さんを可愛がっていたように見えます。同じ関西出身者という事よりも、相手が誰であれ世界水準の音楽と対等に接する姿勢、そして長いものには巻かれない反骨精神に共鳴したのではないでしょうか。先に述べたように、他のどんな媒体からも無視されていたこの国に於けるロック現象を重要な主題として展開していた『ニュー・ミュージック・マガジン』を読めば、常に孤軍奮闘という表現がぴったりの裕也さんの動向も測り知ることが出来ました。
 1972年11月号に掲載された、ふたりの半ば個人的なやりとり「ロックンローラーの苦悩につての往復書簡」は、生々しく感動的な内容であると共に、当時の困窮したロック状況を的確に伝えてくれます。実際その頃のロックの人間は本当の食うや食わずで喘いでいました。この時代に彼等がどうやって生計を立てていたかは、大きな謎です。内田裕也もそのひとり、いや代表でしょうか。「金持ちのボンボンかヒモでもなけりゃ、ロックは続けられない」という名台詞を吐いたのも裕也さん、あなたでしたね。
 1973年5月号からは本誌で内田裕也対談が始まります。第1回は五木寛之が相手。その他沢田研二、パンタ、ロンドン取材では犬猿の仲だった成毛滋、フェイセズに加入した山内テツなどが登場、ロックの事実に則る充実した対論が繰り広げられました。連載終了後も何度か内田裕也は誌面に登場します。「内田裕也をなんとか助けよう」そんな情熱的な想いが中村とうよう編集長にあったとわたしはずっと感じています。
 最新の2019年6月号ではあなたの追悼巻頭特集が組まれていて、長いお付き合いのあったエディ藩さんと近田春夫さんの対談が面白かったですね。本音で語られた様々な出来事の思い出から、裕也さんの人格が浮かび上がって来ます。ただこの特集自体が、わたしには大いに意外でした。マガジンとの関係は1991年の都知事選出馬以降、断絶状態だった筈です。中村とうよう元編集長が亡くなった後の2011年10月号に掲載された2頁の談話記事以来でした。現在の編集部員に裕也さんと接触のあった人間はいないでしょう。
 さてもうひとり、あなたを守ってくれたのは折田育三さんです。日本グラモフォンから新設のワーナー・パイオニアに移った折田さんは、ロックの世界をリードしていた親会社ワーナー・ブラザーズに倣ってロック路線を突っ走りました。その代表格がフラワー・トラヴェリン・バンドです。折田さんの理解と協力がなければ『サトリ』から『メイク・アップ』までのレコードが作れなかっただけでなく、グループの存続すら危ぶまれた事でしょう。アトランティック・レコードのネスヒ・アーティガンとの間でシングル盤「サトリ パートII」全米発売の契約を結べたのも、橋渡しをした折田さんのおかげです。その後も内田裕也名義でLPを何枚か作ったり、日本テレビ夕方の子供番組「マンガ・ジョッキー」の主題歌として裕也さんに「マンジョキ・ロックンロール」(ワーナー・パイオニア L-1141E)を唄わせたのも、絶対に折田育三さんの仕業だと睨んでいます。
 裕也さんを大切にしていたという点では、折田さんもとうようさんに負けないでしょう。ワーナー・パイオニアが六本木にあった頃は、彼の権限で内田裕也専用の机が置かれ専任者も出入りしていて、事務所のように使わせてもらっていましたね。あの人はグラモフォン時代に担当していたスタックスのR&Bが大好きな、音楽の分かる人間でした。オリヂナルで世界水準の音楽を作ろうと努力している裕也さんに、大いにこと寄せたのではないでしょうか。
 1981年12月、わたしは六本木ピット・インで、シカゴからやって来たジョン・リトル・ジョンが演奏するブルーズ・ショウのラジオ放送用収録をしていました。その開演直前に、「今そこで裕也にあったんだよ。本物のブルーズのライヴだから、お前も観とけって誘ったんだけど、あいつ来ねえんだよ」、という会話を耳にしました。喋っていたのは、中村とうようさんか折田育三さんのどちらかです。憶えていませんか、裕也さん。

 袖すり合う程度の縁を頼りに、わたしたち静岡ロックンロール組合が1973年に自主制作した『永久保存盤』を送ったら、「このレコード全国で出してやる」と六本木のアマンドに呼び出されました。そしてすぐそばのトリオ・レコードに連れて行かれて、担当者に引き合わされ「マスター・テイプを持って来い」となりました。偶然そこにかまやつひろしさんが居合わせて、「こいつロックンロールなんだ」なんて紹介されて、もうわたしは舞い上がりの絶頂に昇り詰めました。ただ肝心の裕也さんは、この後にすぐニューヨークへジョン・レノンとオノ・ヨーコに会いに行く予定が控えていて、頭の中はそれで一杯だったようでした。「俺はロペに寄ってく。じゃあな」と外苑東通りを信号無視して渡っていった姿を、まだ鮮明に覚えています。ベルボトムにロンドン・ブーツ履いててカッコ良かった。
 マスターはすぐ届けたのですが、結局この話はそれっきりでした。この年は「ロックンロール馬鹿」公演や結婚もあってご自身が忙しかったから、それどこじゃなくなったんでしょう。1990年代に取材でお会いした時、赤坂の蕎麦屋で先の「ロックンロール共演」やこの『永久保存盤』の一件を話したのですが、潔いほど何も覚えてくれていませんでした。そうそうトリオ・レコード事業部の前原進さんという、その時の担当にも後年お会いする機会があったのですが、この人の記憶にも全くなかった。ほぼ幻のような話です。わたしたちにウラミツラミは何もありません。確証はありませんが、この手の話は他にもあったんじゃないか、そんな気がします。
 その何年か後に『週刊プレイボーイ』の企画で「内田裕也が選ぶ12枚のロックLP」に組合の『永久保存盤』入っている、と人づてに聞いた事があります。わたしは実際に確かめた事がなかったのですが、先日の訃報の後で知り合いが証拠写真を送ってくれました。選出の厳密な基準は分かりませんが、スライやストーンズ、キャロル、頭脳警察と並んでいるのは密かな誇りです。フラワーが入っていないのはいいのかな。
 この自主制作盤は2008年、若い世代に「発掘」されCDになりました。正直なところ、とても恥ずかしかったですね、聞き直すのは。

 裕也さん、あなたはいつも時代の狭間に生きていました。わたしがそれに気づいたのは、20歳を過ぎた頃です。例えばロカビリー歌手でデビューした1959年にはもう時代は変わっていて、明るく楽しく健全な洋楽ヒットに日本語詞を乗せたカヴァ・ポップスが台頭していましたから、ここでは大見得を切る事が出来なかった。66年から押し寄せたグループ・サウンズの狂乱期にはすでに10代の男の子ではなく年長者でしたから、渦の中には入れませんでした。大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」であのGS筆頭タイガースをスカウトしたにも関わらず、です。当初はメムバのひとりで、グループ名も「内田裕也とファニーズ」ではなかったでしょうか。それがプロダクションの意向で追い出されてしまった。そしてロックの時代には初めから重鎮でしたから、思うように動けなかったようにも見えます。周りの人もあなたの扱いには困った筈です。
 常に時代とのズレがあって、早いのか遅れているのか微妙な位置でした。これは運命とも言えます。先に挙げた『ニュー・ミュージック・マガジン』の連載対談の中では、この自分の動きと同期しない時代との葛藤が何度か顔を覗かせていて、自分を振り返りながら今までになく深い思考と共にあったような憶えがあります。終生付き纏った、いや、あなたを支配したと言っても良い、潜在的な劣等感にはこの皮肉な現実が作用したのでしょうか。わたしの知りたいところです。
 アルファ・レコードから“学生街の喫茶店”の大ヒットを飛ばしたガロ、彼らを見出したのも、裕也さん、あなただったそうですね。レコード制作の話が裕也さん主導で進んで行く中である日、打ち合わせにはミッキー・カーチスさんが出て来た。メムバのヴォーカルこと大野真澄さんが「裕也さんは……」と尋ねたところ、ミッキーさんが「いろいろあったんだよ」と吐き捨てるように答えたそうです。この話も面白くありませんか。

 裕也さん、あなたはとんでもない照れ屋だったのではないですか。MCなどに英語を使うのは、その現れに見えます。その反面、強烈な自己顕示欲を義務であるかのように背追い込んでいる。この矛盾に適切な対処が出来ないまま、「ロックンロール」と「シェケナベイビー」だけで世を凌ぐ存在が、一般的な印象になり浸透してしまった。これは悲劇です。
 1973年以来続いた不思議な夫婦関係も大いに話題となりましたが、結局は相手が樹木希林さんという少々変わった、しかもしっかりした女優だったからこそ面白い話となったのではないでしょうか。「ここ数年間、ずっと芸能界的なところから離れよう、離れようと努力し続けて来た」、これはあなたがロックの流布に没頭していた頃に、ふと漏らしたひと言です。わたしの心には強い説得力を持って響きました。「芸能界的なところ」とは、かつて在籍していた渡辺プロダクションなのかも知れません。ただ結局は大物女優の破滅型亭主という芸能人で終わってしまった。これも悲劇です。
 わたし自身、裕也さん、あなたから大きな影響を受けたひとりだ、と自信を持って言えます。子供の頃から音楽の裏方仕事を志したのも、あなたの姿を見たからでしょう。唄う人、楽器を弾く人だけじゃなくって、その周りで動く人が大切なんだ、こんな考え方は、裕也さんから学んだ事柄です。決して表方になれなかった負け惜しみではありません。どうもありがとうございます。
 つい色々な想い出話で長くなりました。ご長女の也哉子さんが4月3日の「ロックンロール!葬」で「安らかに眠るな」と送ったそうですね。でもわたしが捧げる言葉は違います。今もたったひとつだけ、引っ掛かる点がありますけれど、裕也さん今度ばかりは、どうぞゆっくりと落ち着いてお休み下さい。

釣心会例会 - ele-king

 これはよだれだらだらの組み合わせです。食品まつり a.k.a foodman が地元・名古屋にて続けているパーティ《釣心会例会》がなんと渋谷 WWWβ で開催、しかもシカゴのフットワークの巨星 RP Boo を招きます。名古屋からはツチヤチカら、Free Babyronia、東京からは脳BRAIN も参加するとのことで、なんとも贅沢な一夜になりそうです。6月15日はβに集合~。

食品まつり a.k.a foodman が名古屋にて主宰するロングラン・パーティ「釣心会例会」が最新アルバムを引っさげ再来日のシカゴの魔人 RP Boo と地元から 6eyes のフロントマンでもあるツチヤチカら、〈AUN Mute〉のFree Babyronia、東京からコラージュDJ 脳BRAIN を迎え WWWβ にて再始動。

- 食品まつり a.k.a foodman a.k.a 樋口爆炎 より

2004年から名古屋にて不定期開催している私主催のパーティー「釣心会例会」を渋谷WWWβにてスタートする運びとなりました。名古屋で開催時は地元の友人と一緒にクラブや路上、人の家、山の中など場所/ジャンルを変えながら開催してきましたが、今回15年の歴史の中で初めて県外での開催になります。

1発目はシカゴからジューク/フットワークのオリジネーターの一人であり3年ぶりの来日となるRP BOO師匠をお迎えして、「都会的な土着感」をテーマにしたパーティーを行いたいと思います。

国内のゲストとして名古屋からはレジェンド的ポストロックバンド6eyesのフロントマンであり、呂布カルマさんとのコラボも話題のツチヤチカらさんのソロプロジェクトと、名古屋拠点のレーベル〈AUN Mute〉を主催し、CampanellaさんやNero Imaiさんなどのビート提供もしつつビート・ミュージックをベースにしたノイズ/エクスペリメンタルなスタイルのライブが凄まじいFree Babyroniaさん。東京からはコラージュ、アバンギャルド的なスタイルでDJの概念を超えたパフォーマンスで話題の脳BRAINさんをお呼びました。

名古屋でやってた時の雰囲気そのままにお届けしたいと思っておりますので、肩の力を抜いてフラっとお越し下さいませ♨

釣心会例会
2019/06/15 sat at WWWβ
OPEN / START 24:00
ADV ¥1,800@RA | DOOR ¥2,500 | U23 ¥1,500

RP Boo [Planet Mu / Chicago]
Free Babyronia [AUN Mute / Nagoya]
ツチヤチカら [6eyes / Nagoya]
食品まつり a.k.a foodman [Nagoya]
脳BRAIN

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RP Boo [Planet Mu / from Chicago]

本名ケヴィン・スペース。シカゴの西部で生まれ、80年代に南部へと移住し、 多くのジューク/フットワークのパイオニアと同じようにシカゴ・ハウス/ジュークの伝説的なダンス一派 House -O-Matics の洗礼を受け、〈Dance Mania〉から数多くのクラシックスを生み出したゲットー・ハウスのパイオニア Dj Deeon、Dj Milton からDjを、Dj Slugo からはプロデュースを学び、それまであった Roland のドラム・サウンドの全てにアクセス、またパンチインを可能にした、現在も使い続ける Roland R-70 をメインの機材にしながらトラックを作り始め、1997年に作られた“Baby Come On”はフットワークと呼ばれるスタイルを固めた最初のトラックであり、その後1999年に作られたゴジラのテーマをチョップしたゴジラ・トラックとして知られる“11-47-99”はシーンのアンセムとなり、数多くのフットワークのトラックに共通する無秩序にシンコペートするリズム・パターンは RP Boo のトラックに起因すると言われる。地元では秘蔵っ子 Jlin も所属するクルー D'Dynamic を主宰し、〈Planet Mu〉よりリリースのフットワーク・コンピレーション『Bangs & Works Vol.1』(2010)、『Bangs & Works Vol.2』(2011)に収録され、2013年にデビュー・アルバム『Legacy』、2015年にセカンド・フル『Fingers, Bank Pads & Shoe Prints』を同レーベルより発表。2016年には初期のクラシックスを収録した「Classics Vol. 1」や新録「The Ultimate」を発表。フットワークの肝である3連を基調とした簡素なドラム・マシーンのレイヤーとシンコペーションによる複雑かつ大胆なリズムワークに、コラージュにも近いアプローチでラップのような自身のヴォイスとサンプリングを催眠的にすり込ませ、テクノにも似たドライでミニマルな唯一無二の驚異的なグルーヴを披露。古代から発掘されたフューチャー・クラシックスとも称され、先鋭的な電子音楽やアヴァンギャルドとしてもシーンを超えて崇められるフットワークの神的存在。2018年に最新アルバム『I'll Tell You What!」を〈Planet Mu〉より発表。

https://soundcloud.com/rp_boo

Foodman [Nagoya]

名古屋出身のトラックメイカー/絵描き。シカゴ発のダンス・ミュージック、ジューク/フットワークを独自に解釈した音楽でNYの〈Orange Milk〉よりデビュー。常識に囚われない独自性溢れる音楽性が注目を集め、七尾旅人、真部脩一(ex相対性理論)、中原昌也などとのコラボレーションのほか、Unsound、Boiler Room、Low End Theory 出演、Diplo 主宰の〈Mad Decent〉からのリリース、英国の人気ラジオ局NTSで番組を持つなど国内外で活躍。2016年に〈Orange Milk〉からリリースしたアルバム『Ez Minzoku』は Pitchfork や FACT、日本の MUSIC MAGAZINE 誌などで年間ベスト入りを果たした。2018年9月に〈Sun Ark / Drag City〉からLP『ARU OTOKONO DENSETSU』、さらに11月にはNYの〈Palto Flats〉からEP「Moriyama」を立て続けにリリース。2019年3月には再び〈Mad Decent〉からEP「ODOODO」をリリースした。

https://soundcloud.com/shokuhin-maturi

Free Babyronia [AUN Mute / Nagoya]

ペルー、リマ出身、日本在住。2005年頃より楽曲制作を開始。名古屋を拠点にライブ活動を行い、様々な名義で創作活動を行う。2012年にレコード・レーベル〈AUN Mute〉を設立。Campanella、Nero Imai などラッパーへのトラック提供や、Red Bull Music Academy Bass Camp への参加、イギリスの大型フェス Bloc が主宰したドキュメンタリー・フィルムに楽曲を提供、未来科学館で行われたインスタレーション「INSIDE」のサウンドを担当するなど活動は多岐に渡る。2018年には RCSLUM の MIX CD 部門、ROYALTY CLUB から「MUSIC OF ROYALTY SELECT」をリリース。同年にフルアルバム「PARADE」を〈AUN Mute〉よりリリースする。

https://soundcloud.com/yukiorodriguez

ツチヤチカら [6eyes / Nagoya]

ロック・バンド 6eyes のフロントマンとして活動。2018年10月半ば突如、ツチヤチカら名義で自身の iPhone 内のアプリ GarageBand で制作したオリジナル曲を SoundCloud にアップし始める。100曲アップロードを目標とし作られた Big Beat for 201x という名のプレイリストには様々なジャンルの曲が約半年で65曲がアップされるというハイスピードなペースで更新され続けている。ツチヤチカら曰く「現代にポケットに入ってる iPhone の GarageBand で曲を作るということは文字通り、60's の若者達がエレキ・ギターを手に取りガレージでバンドを組んで衝動に任せて演奏していたのと同じ事なんだ。」

https://soundcloud.com/chikara-tsuchiya

脳BRAIN

東京都在住。78年生まれ。10代後半から現代音楽、実験音楽の音盤収集と同時にカセットMTRにて宅録を始める。1st『Cock Sucking Freaks』、2nd『L.S.D BREAKS』、初のミックスもの『WHITEEYES』を2019年初頭にリリース。各タイトルのCD-R版をロスアプソン、ディスクユニオンにて販売中。幡ヶ谷フォレストリミット『K/A/T/O MASSACRE』『ideala』を中心にDJを行なう。

https://acidamanner.bandcamp.com/track/--2

Emily A. Sprague - ele-king

 覚えていますか? フロリストのあのいまにも壊れそうな、だがそれでいてどこか生命の力強さのようなものを喚起させる音楽を。同バンドでなんともはかないヴォーカルを響かせていたのがエミリー・スプレーグである。彼女はフロリストの活動を続けるかたわらアンビエント作品の制作も進めていて、すでに『Water Memory』『Mount Vision』という2作をカセットで発表しているのだけれど、即完したというそれら2作がなんとテイラー・デュプリーの手によってリマスタリングを施され、〈RVNG〉によって復刻されるというのだから落ち着かない。日本盤ボーナストラックには工藤キキも参加しているらしい。詳細は下記よりチェック。

大注目のアンビエント・アーティスト、Emily A. Sprague が自主カセット・リリースし即完したアンビエント作品2作がリマスター&ボーナス・トラック追加してリリース!
シンセサイザーを駆使してアンビエント~ニューエイジを横断する夢幻/無限の桃源郷サウンドスケイプ!
日本盤のみオリジナルのアートワークを使用した独自紙ジャケット、ボーナス・ディスク付き2枚組仕様!

Mitski、Frankie Cosmos、Hatchie なども輩出してきた、〈Double Double Whammy〉から作品をリリースしている、ブルックリンのローファイ・フォーク/ポップ・バンド、Florist のフロントマン、でヴォーカル、ギター、シンセサイザーなどをマルチに担当する Emily Sprague。2017年から2018年にかけて彼女がバンド活動の合間を縫って録音し、自主リリースしていたアンビエント作品2作『Water Memory』『Mount Vision』が、彼女の才能に着目したNYの最先鋭レーベル〈RVNG〉よりリマスター、ボーナス・トラックを追加してフィジカル化。

エミリーのサウンドは全ての繋がりに関係しており、地上の活動に人との触れ合いを導く神秘的な力に生き生きとした中心的形を与えている。
音と詩を通して、エミリーは水晶の透明性の束の間の瞬間に焦点を合わせ、複雑な意味作りのために拡張された人生について瞑想する。このビジョンは間違いなく美しく、やさしく、そして深い。
この2つの作品は海と山というタイトルからも分かるように対をなす鏡のような構造を持ち、書かれた詩によって補完される2つの章として機能している。

『Water Memory』はエミリーによる初めてのロングフォームのインストゥルメンタル・アンビエント・ミュージックで、マサチューセッツとニューヨークの間でユーロラック・モジュラー・シンセサイザー(Monome、Mannequins、Mutable Instruments、ALM Bust Circuits、4ms、Xaoc、Verbos Electronics)、Teenage Engineering OP1、および Valhalla VST Reverb を使用し、1年間の自己と音の探求によって生まれた。
古代の格言集のように展開する。時々遊び心があり、幻想的でさえあるが、常にきらびやかでリアルだ。タイトルのように、意味は水性であり – 決して固すぎず、あくまで実態がある。
対照的に、『Mount Vision』はカリフォルニア北部でもっと短い期間で録音された。シンセサイザーを駆使し、ディープに配された拡張トーンのコンポジションが天空へと漂っていくようなサウンド。ニューエイジ調のシンセ・ドローン、センシティティヴなピアノ、ミニマル・アンビエントが3編に渡って構成されている。

この惑星におけるエミリーの使命は、人間の最も深い知識と知的な性質との間の接続を容易にする、または明るくすることであろう。そして、『Water Memory』、『Mount Vision』は、この共有経路に沿った最も確かに記念碑的作品である。

今回のリリースにあたりリマスターは Taylor Deupree が担当。日本盤には追加ボーナス・トラックに加え、エミリーがそれぞれの作品に書いたポエムを Anthony Naples によるレーベル〈Incienso〉からも作品をリリースしているNY在住の日本人アーティスト/ライター、工藤キキが日本語で朗読したタイトル・トラックの日本語バージョンも収録。

Artist: Emily A. Sprague
Title: Water Memory / Mount Vision (Special Japanese Edition)
Cat#: ARTPL-116
Format: 2CD

※解説:佐々木敦(HEADZ)
※オリジナルのアートワークを使用した独自紙ジャケット
※ボーナス・ディスク付き2枚組仕様

Release Date: 2019.06.07
Price (CD): 2,300 yen +税

TRACKLIST:
01. Water Memory Poem
02. A Lake
03. Water Memory 1
04. Water Memory 2
05. Dock
06. Your Pond
07. Mount Vision Poem
08. Synth 1
09. Piano 1
10. Synth 2
11. Huckleberry
12. Synth 3
13. Piano 2 (Mount Vision)
14. Outdoor (Bonus)

BONUS DISC FOR JAPAN:
01. Water Memory Poem (Japanese – Kiki Kudo)
02. Blessings
03. Mount Vision Poem (Japanese – Kiki Kudo)
04. Untitled

■ Emily A. Sprague

幼少期に母の教えでピアノを始める。11歳の頃からギター・レッスンを受け始めたものの、一旦やめてしまうが、14歳の時に再びギターを弾き始め、本格的にソング・ライティングに興味を持つ。その後バンド Florist を結成し、2013年に6曲入りEP「We Have Been This Way Forever」でデビュー。もう1枚の自主制作EPを経て、〈Double Double Whammy〉と契約し、2015年にリリースしたEP「Holdly」で Stereogum の「50 Best New Bands Of 2015」に選出される。2016年に『The Birds Outside Sang』、2017年に『If Blue Could Be Happiness』の2作のアルバムを発表し、インディ・ミュージック・リスナーから多くの支持を受ける。その活動と並行し、Emily はモジュラー・シンセサイザーを用いたアンビエント・ミュージックの制作を開始しセルフ・リリースした『Water Memory』、『Mount Vision』が高い評価を得ている。

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 今年は2019年。つまり? はい、1989年から30年が経ちました。つまり? ブリープ・テクノのクラシックのひとつ、フォージマスターズ“Track With No Name”のリリース30周年です。つまり? そう、〈Warp〉設立30周年なのです!
 それを記念しなんと、6月8日・9日の2日間限定で原宿にポップアップ・ショップが出現します。目玉商品は現代美術家の大竹伸朗によるデザインTシャツ! もちろんオフィシャルの30周年グッズも登場。さらに、昨年話題をさらったエイフェックスのグッズも再販売、新作を出すフライング・ロータスプラッドのグッズも揃っている模様。どうしよう、ぜ、ぜんぶ欲しい……

〈WARP〉30周年記念ポップアップストア開催大決定!
大竹伸朗によるデザインTシャツを含む30周年記念グッズ
エイフェックス・ツインやフライング・ロータスなどのアーティスト・グッズも販売!
東京・原宿にて、6月8日、9日の2日間限定オープン!

音楽史に計り知れない功績を刻み続け、今年30周年を迎えた偉大なる音楽レーベル〈Warp〉。エイフェックス・ツイン、オウテカ、プラッド、スクエアプッシャーらエレクトロニック・ミュージックの大御所が今もなお第一線で活躍し、バトルスやチック・チック・チックといったバンド勢も加わり、フライング・ロータス、ビビオ、ケレラ、マウント・キンビー、イヴ・トゥモアらが続くなど、次々と新たな才能を世に送り出している。30年に及ぶ〈Warp〉の輝かしい歴史と功績を称え、6月8日と9日の2日間に渡って、東京・原宿にて、30周年を記念したポップアップストアが開催決定!


目玉アイテムとして、現代美術家:大竹伸朗によるデザインTシャツが販売される。そしてTシャツやキャップなどの30周年記念公式グッズ、さらに昨年発売され話題となったエイフェックス・ツインの輸入オフィシャル・グッズの再販(2日目のみ)、フライング・ロータス最新作『Flamagra』グッズ、プラッド最新作『Polymer』グッズといった最新アーティスト・グッズやレアな輸入グッズなど、ここでしか手に入らないアイテム満載!(アイテムにより購入制限がございます)



6/8(土)、6/9(日)、それぞれ整理券優先での入場となり、本日より、BEATINK.COMにて整理券の抽選受付がスタート(先着順ではございません)。なお、エイフェックス・ツイン・グッズの販売は、6月9日(2日目)のみとなる。

抽選受付はこちら
hyperurl.co/wxaxrxp_popup

WxAxRxP POP-UP STORE
開催日程:6/8(土)~6/9(日)
6/8 (土) 11:00〜20:00
6/9 (日) 11:00〜18:00

場所:JOINT HARAJUKU 2nd.(東京都渋谷区神宮前3-25-18 THE SHARE 104)
詳細・お問い合わせ:www.beatink.com

【入場整理券の応募方法および入場に関するご案内】
・6/8(土)用、6/9(日)用、それぞれ抽選で入場整理券を発行いたします。
・抽選受付ページ:hyperurl.co/wxaxrxp_popup
・応募期間:5/17(金)~5/27(月)
・携帯電話等の受信設定でドメイン指定受信を設定している方は、「@zaiko.io」からのメールを事前に受信できるように設定してください。
・ご応募は各日お1人様1回までとさせていただきます。
・先着ではございません。
・当選者へのご案内は、5/29(水)を予定しておりますが、多少前後する場合もございますので、あらかじめご了承ください。
・ご当選された方にのみ当選のメールをお送りいたします。
・抽選結果のお問い合わせにはお答えできません。
・応募フォーム内の入力必要事項に不備がある場合、ご登録のメールアドレスに不備がある場合は、応募が無効になります。
・応募フォーム内容を送信後に自動で受付メールが届きます。このメールが受信できない場合は応募ができていません。
・整理券をお持ちでない方の入場は、整理券をお持ちの方の入場が終了し次第となります(整理券の配布数に関しましては、開催までに弊社WEBサイトにてご案内いたします)。
・開店15分前になりましたらスタッフの案内に従って整理券番号順に列形成を開始してください。それ以前のご来店・整列はご遠慮ください。
・当日入口にて随時、入場中の整理券番号のご案内をいたします。

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