「KING」と一致するもの

interview with Black Knights (John Frusciante) - ele-king

 昨年末に流れたインフォメーションにより、界隈では待望となっていた、ブラック・ナイツの新作――なんと元レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリスト=ジョン・フルシアンテがプロデューサーとして加わったヒップホップ作品――が日本先行という形でリリースされた。フルシアンテは、いまやその名を聞いて大方の人たちがイメージするような、ファンキーなギター弾き語りアルバムを作っているわけではない。本作国内盤特典となる40000字にも及ぶ超ロング・インタヴューから、事の経緯をかいつまんで紹介してみよう。インタヴュアーを務めているのは、信頼のハシム・バルーチャ氏。このライナーの文字量には、誰もがギョッ! とすることだろう。

彼らが最初に俺の家にレコーディングに来たときにブラック・サバスの『Master Of Reality』を聴かせたんだ。


BLACK KNIGHTS / MEDIEVAL CHAMBER
(Produced by John Frusciante)

RUSH!×AWDR/LR2

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 ウータン・クランの通算5枚目となるスタジオ・アルバム『8 Diagrams』(2007年)に参加したことで、ウー総統=RZAとの関係ができたジョン・フルシアンテ。ふたりが会う機会に必ず同行してきたのが、本作の主役を半分務めたラグド・モンクだったらしい。

 「彼らはコンプトンとロングビーチ出身のグループなんだ。俺がレッド・ホット・チリ・ペッパーズを辞めた頃から、RZAと仲良くなって、よく家に遊びに来るようになった。RZAが来るとき、必ずモンクが同行していた。一緒に音楽を聴いたり、ツルんだりするようになった」(ジョン・フルシアンテ)

 米西海岸コンプトン出身のラグド・モンクとロングビーチ出身のクライシス・ザ・シャープシューターからなる2MCが本作の主役=ブラック・ナイツだ。1995年に結成され、1997年にウータン・クラン・ファミリーとなった彼らは、これまでウー関連の作品には多数参加してきたが、アンダーグラウンドな活動を余儀なくされてきたグループだ。ブラック・ナイツのスタイルは、自身が語るように「ストリートでありながらもリリカル」といったアブストラクトなものでもあり、それはRZA曰く「オマエらのようなウェストコースト・ラッパーを聴いたことがない」ということらしい。

 「もちろん出身がこのエリアだから、ウェストコースト・ミュージックを聴いていたけど、東海岸のラッパーはリリックがディープだったから、東海岸のラッパーもよく聴いていた。東海岸のラッパーのリリックの書き方がすごくクリエイティヴだったんだ」(ラグド・モンク)

 「スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレー、アイス・キューブを聴いていたし、ウータン、ナズなど深くて知的なライムをしていた連中も聴いていた」(クライシス)

 90年代中期を席巻した〈ロウカス・レコーズ〉などに代表される「アングラ・ヒップホップ」のムードも想起させるふたりのマイクマナーは、たしかにジョン・フルシアンテが手掛けたトラックとの相性がいいものだ。

 「彼らが最初に俺の家にレコーディングに来たときにブラック・サバスの『Master Of Reality』を聴かせたんだ。このアルバムのサウンドがいいかどうか彼らに尋ねてみた。また、彼らにブラック・サバスのこのアルバムの後の作品はサウンドが明るくなっていったことを説明した。70年代後半、レコーディング業界ではサウンドが明るくなったほうがいいサウンドだと思われ、その考え方は80年代にさらに強くなっていった。トレブルを強調した鮮明なサウンドこそ最高のサウンドだという考え方が当時は主流になっていた。ラモーンズやブラック・サバスは、初期の作品のサウンドが不明瞭でこもったサウンドだった。俺は『Sabbath Bloody Sabbath』よりも、その前にリリースされた『Masters Of
Reality』のほうが優れたサウンドだと思っている。簡単に言えば、彼らに“俺は『Masters of Reality』のサウンドは好きなんだけど、君達はどう?”ということを尋ねた。彼らもそのサウンドが好きだと言ったから、その瞬間に求めていた情報を彼らから聞き出すことができたと思った。つまり、80年代後半のヒップホップ・プロダクションのアプローチで、このアルバムの制作に取り組めるということだった。あと、このアルバムの音質を70年代初期の音質に近づけてもいい、ということだった。70年代初期の作品のサウンドはあまりシャープな高域がなくてこもったサウンドだった。俺はそのこもったサウンドが好きで耳に心地いいと思っている。そういう時代のレコードを聴くと大音量で聴きたくなる。レコードを聴くときにトレブルが強調されすぎると大音量で聴いたときに耳が痛くなる。でもブラック・サバスの『Paranoid』や『Master of Reality』みたいなレコードは爆音で聴いても耳が痛くならないし、小さい音量で聴いても素晴らしい。そういう音質の作品を作りたかった。それがエンジニアリングのコンセプトだった」(ジョン・フルシアンテ)

 ジョン・フルシアンテはブラック・サバスをたとえに、本作のサウンド・コンセプトをブラック・ナイツと練り上げた。これはなかなかユニークな逸話ではないだろうか? 彼らはこのアルバムで、「80年代のルールとガイドラインに基づいたヒップホップを作ることだけを意識した」とも語っている。それは、1987年に初めてSP1200を手にしたセッド・ジーのテンションと、時空を超えて共振しているような興奮をジョン・フルシアンテに与えたとも言える。

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俺は5年前から不協和音がたっぷり入った音楽を作っているけど、それは昔のヒップホップの概念と同じなんだ。

 「80年代からポップスというのは、楽器やヴォーカルのピッチが全部ぴったり合っていないといけないという概念に基づいている。でもヒップホップでは、必ずしもすべての楽器の音のピッチが合っているわけじゃない。ミュージシャンは楽器のチューニングをチューナーでぴったり合わせるけど、いろいろなサンプルを組み合わせて曲を作る場合、それぞれのサンプルのピッチを完璧に合わせることは不可能に近い。楽器の音符でハーモニーを作り出すのではなく、ヒップホップでは色々な音色でハーモニーを作り出すわけなんだ。俺は5年前から、不協和音がたっぷり入った音楽を作っているけど、それは昔のヒップホップの概念と同じなんだ。ギターの音符のピッチを合わせる概念じゃなくて、音色そのものの組み合わせ方からハーモニーを作り出している。ヒップホップを作ることも、俺の音楽を作ることの取り組み方は同じなんだ」(ジョン・フルシアンテ)

 サンプリング・アートの快感をここまで天真爛漫に語れるジョン・フルシアンテに嫉妬すらおぼえる。彼は本作で音楽の可能性を実感し打ち震えている。しかし、それは逆説的に、彼がかつて在籍したレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、いかに楽理的なコードに縛られたなかで、新しいサウンドを模索してきたかという、苦しみの証左でもある。ジョン・フルシアンテが麻薬にアディクトしていた絶頂期に作られた、ファースト・ソロ作『Niandra Lades and Usually Just a T-Shirt』(1994年)は、アシッド・フォークの名作として、いまでも扱いがいいアルバムだが、この作品を聴いた大方のリスナーの脳裡によぎったことは、「この人はもうじき死ぬのだろうな」という感慨だったはずだ。そういったリアリズムが先のアルバムには充満していた。だが、その20年後、ジョン・フルシアンテが元気にヒップホップ・アルバムを作っているなんて、誰が想像できただろうか?

 「このアルバムがヒップホップに聴こえるのは、こういう音楽を作るためのテクニカルなスキルを身につけたからなんだ。べつにしょっちゅうヒップホップを聴いて、それを真似しようとしているわけじゃない。
 たとえばデペッシュ・モード、ピーター・ガブリエル、デヴィッド・ボウイのプロダクションに刺激されることのほうが多い。ヒップホップのトラックを作ることは、自然にできるし、とくに努力する必要もないし、過去のヒップホップばかりを研究しているわけじゃない。前にも説明したことがあるけど、ジャングルの作り方を探っていた時期があって、その技術を習得した頃には、ジャングルを作ることに興味がなくなり、ヒップホップを作ることに興味が湧いた。でもジャングルを作るスキルとヒップホップを作るスキルは基本的に同じなんだ。ジャングル・プロデューサーの中には、ヒップホップを作らない人もいるし、作れない人という人もいるけど、それはその人の人間性によるものだと思う。ジャングルとヒップホップを構成する音楽的な要素は基本的に同じだ。サンプルを使って、自分独自の音楽を生み出すアプローチは、ジャングルもヒップホップも同じだ。ヒップホップを作ることは俺にとって自然なんだ。長年ヒップホップを作ることに抵抗してきたんだけど、じつはトラックを作ってほしいと昔からラッパーの仲間に頼まれていた。つねに自分にとって音楽的に興味がある分野を研究して何かを学ぼうとしている。誰かの役に立つために音楽をやっているわけじゃなくて純粋に興味があり、そこから学ぶことがなければ取り組まない。だから、ヒップホップを作ることが俺にとっていちばん自然なスタイルになったのはたまたまなんだ。誰かとコラボレーションをすることや、他人にいいところを見せたり、他人を喜ばせる音楽を作ることよりも、音楽的に自己教育することのほうが俺にとって重要だ。俺とブラック・ナイツの相性が完璧なのは偶然でしかないんだ」(ジョン・フルシアンテ)

 「ジョンのことをトリックフィンガーと呼んでいるんだけど、彼のすごいところは、ビートを一曲の中でどんどん変えていくことなんだ。曲の途中でまったく違うビートに変化するから、曲の中にまた別の曲が入っているような感覚になるんだ。それは俺たちにとってチャレンジになる。曲が途中で変化すると別の世界観が広がる」(ラグド・モンク)

 「俺は個人的に単調なビートの上でラップすることは退屈だから、逆にジョンのトラックの上でラップができて刺激になったよ。音楽的に深みのあるトラックの上でラップしたほうがおもしろいしジョンは究極までそれを表現した」(クライシス)


ブライアン・イーノは“自分の声はデヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーに匹敵しないから歌わなくなった”と以前言っていた。いまはプロデューサーとして彼の見解は理解できる。

 『メディーヴァル・チャンバー』=中世の部屋、と題された本作には、いろいろなタイプのトラックが並んでいる。なかには、シカゴ発祥の変則ダンス・ミュージック=ジュークにインスパイアされたというトラックまであって驚いたが、それは同時に、欧米におけるジュークへの期待値の高さを表してもいる。ヴェネチアン・スネアズと組んだスピード・ディーラー・マムズなどの活動で研鑽を積んだエレクトロニクスへのアプローチも手伝い、ジョン・フルシアンテは本作のコンポーザー/エンジニア/プロデューサーとして、立派にヒップホップ対応を務め上げている。

 「モンクとクライシスのヴォーカルと同じくらいに高度なメロディを俺が作れて、彼らのポリリズムと同じくらいに複雑なリズムを俺が作れるんだったら、自分の曲は作りたいところだけど彼らの声の周波数帯の方が俺よりも幅広い。だから、彼らの声にディレイをかけたり加工したほうが、俺の声でやるより面白い音になる。ブライアン・イーノは“自分の声はデヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーに匹敵しないから歌わなくなった”と以前言っていたけど、それを最初に聞いたとき“ブライアン・イーノの声は素晴らしいのに、なんで歌をやめちゃったんだろう?”と思った。でもいまはプロデューサーとして彼の見解は理解できる」(ジョン・フルシアンテ)

 ジョン・フルシアンテにここまで言わせてしまったブラック・ナイツとのコラボレーションは、当然、本作だけで終わるものではなく、なんと、セカンド・アルバムはすでに完成していて、現在はサード・アルバムの制作が佳境を迎えているとのことだ(!)。

 今年2月には新作ソロ・アルバム『エンクロージャー(Enclosure)』のリリースも控えているというジョン・フルシアンテ。「サンプリングとロック・ミュージックとジャングルと抽象的なエレクトロニック・ミュージックは相反するものではなく、全部をひとつに融合できるということを見せたかった」と語る新作ソロ・アルバムにも、ファンの期待は集まることだろう。しかし、ジャングル・リヴァイヴァルにジョン・フルシアンテが乗っかっていることがほんとに面白い。スーパー・ロック・ギタリストのキャリアの変遷としては、乱調も乱調、かなりユニークな部類に属するものではないだろうか。興味深い話はまだまだ尽きないのだが、このつづきは国内盤特典のロング・インタヴューで楽しんでもらうことにしよう。アメリカとヨーロッパのツアーも予定されているという、ブラック・ナイツ『メディーヴァル・チャンバー』は、お互いのキャリアの中でもきっと重要作になることだろう。RZAのレーベル=〈ソウル・テンプル・レコーズ〉からのリリースも控えているというブラック・ナイツの今後ともども、追いかけて聴いていくといいことがありそうなミュージシャンたちである。

野田努

 たとえコミカルな映画であっても、返り血で床が赤く染まるような、血なまぐさい暴力シーンは誰にでも好まれるわけではない。デビュー当時のエミネムのリリックが顰蹙を買ったように、強姦を面白可笑しく表現することへの拒否反応はあるだろう。しかし4年前、11歳のヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)が、ジョーン・ジェットの曲に合わせて、大勢の悪党を片っ端からやっつける場面には突き動かされるものがあった。世間体なんか気にしないというパンク・ソングが流れるなかで、武器を持って襲いかかる大人の男を次から次へと倒していく小さな彼女は、力でねじ伏せようとする世界をひっくり返す象徴としての、いわばスーパーヒーローにおけるパンクだ。その続編である『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』においても、思春期を迎えたヒット・ガールは、あまりにも格好良かった。(以下、ネタバレあります)

 原子炉エネルギー開発会社を所有する資産家のバットマンが格差社会の極貧困層の反乱を鎮圧する『ダークナイト ライジング』と違って、『ジャスティス・フォーエバー』では頭のいかれた鼻持ちならない金持ちが超悪党だ。その彼──クリス(異名マザーファッカー)は、作中において「自分のスーパーパワーとは、クソとしての金持ち(rich as shit)であることだ」と自己認識する。キック・アスとヒット・ガールというふたりのヒーローは孤独なティーンエイジャーだが、悪党クリスもおそらくティーンエイジャーであり、孤独だ。キック・アスはクリスと死闘を繰り広げるが、助けようともする。そう見ていくと、『ジャスティス・フォーエバー』は、無名の市民が世界を救うという政治性を匂わせつつも、表向きにはティーンエイジャーのファンタジーとして作られている。
 15歳のヒット・ガールは学校で同級生の女たちの陰湿なイジメにあうが、これは日本でも日常的な光景だ。ほかにもいちいち風刺が効いていて、台詞のひとつひとつにも無駄がない。現代アメリカ社会のリベラルな知識人が過敏になっている差別表現や卑語を包み隠さず、むしろ図太く使っている。そんなところにも、外面的には礼儀正しい社会へのアイロニカルな感性が読み取れる。暴力描写も、大人を怒らせるためのティーンエイジ・ライオットの一環かもしれない。
 が、単純化できないこの物語には困惑させられもする。たとえば、元悪党の、宗教に目覚めたことで改心し、古くさいGIジョーの格好をしたジム・キャリー演じる大佐、彼の名前はスターズ・アンド・ストライプス、つまり星条旗大佐だ。その彼の睾丸がイヌに食いちぎられる場面は深読みできなくもないが、彼はあくまでキック・アスの味方として登場している。また、典型的な保守的アメリカ人として描かれているのがキック・アスの父親で、キック・アスはそんな父の生き方に反発しながら、親子の愛情は受け入れている。

 思春期を迎えた登場人物たちは、この年頃の若者特有のアイデンティティの悩みを抱えている。こと15歳のヒット・ガールは、義父から若い女性として、もっと学生としての生活をエンジョイするよう、執拗に問い詰められる。そして、実の父によって有能な暗殺者に育てられた彼女から「子供時代」をうばったのはその父だと説き伏せられる。お洒落したり、デートしたりと、彼女自身も一時期は失った子供時代を取り戻そうと努めるが、結局のところ彼女は、子供でいることが必ずしも幸福ではないと、返す刀で世間の常識をはねのける。それが本作を逆説的なファンタジーへと転換させる(友だちを作りなさい、友だちができて良かったね、などという大人の言葉が子供にとってどれほど抑圧的に働くか……)。
 この見事な反旗と重なるように、『ジャスティス・フォーエバー』で最大の見所となっているのが、ヒット・ガールのアクション・シーンだ。明らかに前作以上の見応えがある。考えて欲しい、あれだけ素晴らしかった前作をしのいでいるのだ。ダンスするシーンも、紫色のドゥカティに乗って爆走するシーンも、素晴らしい。彼女が何度もぶん殴られるシーンには目を背けたくなるだろうが、はっきり言えば、躍動するクロエ・グレース・モレッツを見るだけでも、この映画には価値がある。ナウシカにパンクはない。彼女はいまや、虚構ではなく、本物のスーパーヒーローになったと言える。「HIT & RUN(やって、逃げる)」と記されたナンバープレートのバイクに乗って街を去る彼女を見ながら僕は……、いや、もうこの辺で止めておきましょう。

野田 努

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木津 毅

 ナイーヴな文化系男子たちがいかにクロエ・グレース・モレッツが好きか、前作『キック・アス』での少女の登場にヤラれたかはわかった。それはいい。冒頭、防弾チョッキを着てクロエに吹っ飛ばされる主人公デイヴの嬉しそうな表情には「やれやれ」とはまあ思うけれども、それは自分のなかでずいぶん前に解決した問題だ。だから先に書いておくと、たしかに本作のクロエもまた、最高だ。学園ドラマのヒエラルキーの最高ランクに位置する女王蜂とその取り巻き(たぶん、きみのことを10代のときにキモいオタク扱いしたあいつらだよ)を、颯爽とクソ扱いし、将来とアイデンティティに迷うデイヴを(そして、きみを)男として鍛え上げてくれる。

 問題は、「ジャスティス」のほうだ。第一作の時点で、クリストファー・ノーラン『ダークナイト』においてぐずぐずと正義に悩んでしまうバットマンに対するカウンターとして機能していた本シリーズはまたこの2作目で、(バットマンのような)特権階級でもなく、警察のような権力でもない、普通の人びとの正義はもっとシンプルなものであるはずだと主張する。たしかにそうだ……いや、そうなのか? 僕はそこに引っかかる。「市井の人びとの理想主義」を称揚する僕のような人間はむしろ本作を味方しなければならないのではないか、という内なる声も聞こえるがしかし、彼らが作る自警団に賛同しきることができない。
 この映画で敵として設定されるのは、私怨を晴らすために金で暴力を雇う資産家だ。それが現代資本主義社会のカリカチュアであるならば、本作の主張は「正しい」。しかしその正しさはおそらく同時に自分の首を絞める罠にもなり得るだろう。たとえばクロエ演じるヒット・ガールが卒業試験としてキック・アスと戦わせるチンピラたち、彼らにどれほどの「悪」があるのだろう? 資本主義の奴隷だから? そうかもしれない……が、本シリーズは痛快さを追求するあまり、おもにゼロ年代からのアメコミ・ヒーローものが取り組んだ倫理の多様性の問題をやや大雑把に扱っているように感じられてしまう。
 たしかに僕も『ダークナイト』は過大評価されているとは思う。あの薄暗い画面のなかで、自意識を募らせるばかりで身動きが取れないバットマンには苛立ちを感じる……。ただ、もしあの映画に「正義」があったとすれば、観念的な論理を繰り広げるジョーカーに翻弄される「ヒーロー」の下にではなくて、暴力の被害者になりながらあっさりと暴力の誘惑を放棄するフェリーの船長……まさしく「小市民」の下に、であった。だとすれば、本作『ジャスティス・フォーエバー』で自警団の闘いがどうにも小競り合いに見えてしまう僕にとって、ここでの正義は主人公デイヴの父親の下に宿っているように見える。小市民たる父は暴力に屈するばかりなのだが、しかし自分の弱さを隠さない。しかしながらそれは「正義」という言葉よりも、「愛」のほうが近いのかもしれない。

 『キック・アス』が3部作になるとして、僕が次回作に期待したいのはデイヴの成長ではなくてヒット・ガール=ミンディ=クロエ・グレース・モレッツの成長だ。それは本シリーズのコアがまさにクロエそのものであるという事実によってだけでなく、彼女が自分の強さのなかに弱さを見つけたときに、またそれを認めたときにこそ、『キック・アス』における人びとの正義は深みと多様性を持ち始めるのではないかと思うからだ。『バットマン』シリーズへの痛快な苦言としてではなく、ヒット・ガールがただ存在するだけでパワフルなメッセージが放たれる瞬間が見たい。

木津 毅

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interview with GING NANG BOYZ (Kazunobu Mineta) - ele-king


銀杏BOYZ - 光のなかに立っていてね

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 「ヒーローはいつだって君をがっかりさせる。僕は、04年に刊行した拙著に、これまでのロックへの皮肉と、これからのロックへの期待を込めて、そんなタイトルをつけた。アンタイ・ヒーロー。ファッキュー・ヒーロー。キル・ザ・ヒーロー。しかし、峯田和伸という人間と接していて思うのは、どうしたって、ヒーローとしか言いようがない人間がいるということ、銀杏BOYZのライヴを観ていて思うのは、どうしたって、ヒーローにしか救えない人間がいるということだ」。
 以上は、07年の夏から冬にかけて銀杏BOYZに密着取材をした際に書いた文章だ。そしてーー
 音楽が終わって、人生が始まる。僕は、11年に刊行した拙著に、音楽がなければ人生もないなどと嘯くとあるキャッチ・コピーへの皮肉と、人生が続いて行くなかでまたふと鳴り出すだろう新しい音楽への期待を込めて、そんなタイトルをつけた。ノー・ミュージック、バット、ライフ・ゴーズ・オン。しかし、峯田和伸という人間と久しぶりに会って思うのは、どうしたって、音楽に捧げることでしか成り立たない人生があるということ、銀杏BOYZの『光のなかに立っていてね』と『BEACH』を聴いて思うのは、どうしたって、人生を捧げることでしかつくり得ない音楽があるということだ。
 実に9年ぶりのニュー・アルバムをリリースし、いまや、たったひとりのメンバーとなった銀杏BOYZ=峯田和伸に話を訊いた。20000字を越えるロング・インタヴュー、まずは、その前編を。


4人で乾杯をしてない。いつかやりたいね。何歳になってもいいから、4人だけで集まって。そうしたら、オレも飲めないビールを飲むよ。


インタヴューでは、「なんで、アルバムをつくるのに9年もかかったのか?」ってことと、「なんで、メンバーが辞めたのか?」ってことばっかり訊かれてるんじゃないですか?

峯田:うん、そればっかり(笑)。

いや、僕も訊きますけど(笑)。

峯田:メンバーを呼べればよかったんだけどね。メンバーがいれば言えることもあるんだけど。

欠席裁判みたいになっちゃうのが嫌だってことですか?

峯田:そうだね。

アルバムが完成したときは、すでにチンくん(チン中村/ギター)とあびちゃん(安孫子真哉/ベース)はいなかったんですよね。

峯田:いなかった。だから、4人で乾杯をしてない。いつかやりたいね。何歳になってもいいから、4人だけで集まって。そうしたら、オレも飲めないビールを飲むよ。

ははは。じゃあ、アルバムが完成したという達成感はまだ味わっていないと。

峯田:普通、アルバムが出るときのインタヴューって、アーティストは祝福されるじゃん? 「おつかれさま~」って。

それが、責められるわけですよね(笑)。

峯田:そう、こんなのイジメだよ(笑)! 別れた彼女についてさ、「なんで別れたんですか? あんなに可愛かったのに!」って言われても、すいませんって言うしかないよね。キッついよ。それにしても、皆、潔いよな。気づいたら誰もいなかった。……でも、こうやって取材で、いろんなひとと久しぶりに会えるのは楽しい。磯部くんと最後に会ったのは、『裏切りの街』(2010年5月の舞台。作・演出/三浦大輔、音楽/銀杏BOYZ)の楽屋だっけ? あのときも「あと2曲でできる」って言ってたもんね。結局、そこから3年かかったけど。

2007年の8月と11月に、シングルの「あいどんわなだい」と「光」を立てつづけに出して。当時は、アルバムもすぐつくるって言ってたじゃないですか。でも、その後、リリースのペースが遅くなって、ライヴもやらなくなって。端から見ていると、スランプなのかなと思っていたんですけど。

峯田:スランプだったのかもしれない。まぁ、ライヴをやるのを止めたのは、もともとは、アルバムのためだったんだけど。2009年の12月にシングルの「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を出して、そこから、完全にアルバムをつくるっていうモードになって、「じゃあ、ライヴは断ろう」「レコーディングに専念しよう」って。あのときは、すぐ終わると思ってたから。本当は同時進行でできればよかったんだけどね。いま振り返ると、そのせいで悪い方に行ったようなところもあったと思う。

それは、息抜きができなかったということ?

峯田:うん。2011年に東北ツアーをやったんだけど、やっぱり、それがすごいよかったんだよ。ポジティヴになれて。勢いで、“ぽあだむ”って曲は一発で録れたし。まぁ、そのときも、「もうちょっと」って思ってたら、そこからさらに2年かかったんだけど。


端から見てると止まってるように思えただろうけど、うちらは動きまくってたんだよ。ただ、それが、“三百六十五歩のマーチ”みたいな感じっていう(笑)。

僕は2007年の夏から冬にかけて銀杏に密着取材をしていましたが、その時点で、峯田くんは、「次はスタジオ・アルバムとライヴ・アルバムを同時に出す」と言っていて、そこから、基本的に方向性は変わっていないですよね。

峯田:Twitterだったり、ブログだったりで、「僕らはいまこういう状況ですよ」っていうのをリアルタイムで発信できていれば、またお客さんの見方も変わったと思うんだけど……やっぱり、まず、チンくんの調子が悪くなって、次にあびちゃんも……そういう状況はなかなか伝えられるもんじゃなかった。だから、端から見てると止まってるように思えただろうけど、うちらは動きまくってたんだよ。ただ、それが、“三百六十五歩のマーチ”みたいな感じっていう(笑)。

まず、同級生だったマネージャーが辞めて。次にチンくんとあびちゃんが辞めそうって話もなんとなく聞いていましたし、漏れ伝わってくる情報がネガティヴなものばっかりだったから、心配だったんですよね。

峯田:スタッフはきつかったと思うよ。レコード会社からは「いつ出るんだ」ってせっつかれて。でも、オレらがやってるところは見てるわけだから。

それまで銀杏は……峯田くんのブログだったり、単行本『GING NANG SHOCK!』だったり、ドキュメンタリーDVD『僕たちは世界を変えることができない』だったり……自分たちの内情を洗いざらいみせて、それを物語にしていくというやり方をしていたじゃないですか。この数年の間に、たとえば、twitterやUstreamのような即時性のあるメディアがどんどん出てきたわけですけど、そういったものを使おうとは思わなかった?

峯田:そういう、ここ数年のネットのスピード感はすごいなと思っていたし、乗っかろうかなとも思った。個人的にも、パソコンは持ってないけど、スマートフォンでいろいろチェックしてるしね。でも、他のひとたちのやり方を見たときに、ちょっと、つまんなさみたいなものも感じたんだ。もったいないっていうか。あと、アルバムをつくっている間の銀杏の内部のごたごたっていうのは、これまでとは異質で、それはどうしても伝えられなかった。やっぱり、伝えるとしたら、全部、伝えたいから。何かを濁して良いところばかりを発信するのは美学に反するっていうか。だから、アフガニスタンの地下組織じゃないけど、ひと知れず鍛錬して、機が熟したら外へバッ! と出た方が効果的なんじゃないかと思ったの。

先程は、「そのせいで悪い方に行ったようなところもあったと思う」とも言っていましたが。

峯田:いや、自分では、そのジャッジが正しかったかどうかはいまでもわからない。でも、ライヴをやらなかったからこそ、4人で閉じこもっていたからこそ、アルバムに異様な雰囲気がパッケージできたのかなとも思う。

ただ、銀杏は以前から、あえて、自分たちを共依存関係に陥らせることでバンド・サウンドに狂気を宿すというような人体実験みたいなことをしていましたよね。今回は、アルバム・リリース以外のアウトプットをなくすことで、さらに、密度を濃くしようと思った?

峯田:うん。4人だけで結界をつくって、風通しを悪くして、そこから生まれてくるものが、正しいか間違ってるかは措いといて……その澱みこそが、意図的に出そうとしなくても出てしまうものとして武器になるんじゃないかなって思ったんだ。


4人で閉じこもっていたからこそ、アルバムに異様な雰囲気がパッケージできたのかなとも思う。

僕個人としては、最近、生活と活動を両立させるタイプのバンドというか、お店をやっていたり、地元に根づいていたり、そういったライフ・スタイルを音楽に還元するようなバンドに興味を持っていたんですよ。ただ、銀杏はそれとは真逆だなって。完全に生活が活動の犠牲になっているでしょう?

峯田:ははは! ロマンだよ! オレたちにあるのはロマンだけ!

ロマン主義だ(笑)。

峯田:白樺派(笑)。たぶん、オレにはロマンっていうものが重要で……いま、若い人が音楽に対して、ロック・バンドに対してどういったものを求めているのか。古臭い考えなのかもしれないけど、オレ、たとえば中学生にアンケートを取って、「将来なりたい職業は?」って質問の1位が公務員になって欲しくないのね。自分はサッカー選手とかロック歌手に憧れがあって、世の中もそうであってほしい。もちろん、こういう時代だとどうしても安定を求めてしまうとは思うんだけど、だからこそ、オレたちを、中学生が見ときに、「あー、キツそうだな」とか「貧乏臭いな」とか感じさせるようなものにはなりたくなくて。「オレでもやれそう」とか「ひと稼ぎできそう」とか感じさせるようなものでありたい。

サッカー選手はいまだに人気だと思うんですけど、1位にロック歌手は来ないでしょうね。ラッパーも稼げないような国じゃ。でも、銀杏はキッズに夢を見せたいからこそ、生活を捨てると。

峯田:そういう奴らが1組ぐらいいてもいいじゃない。

古臭い考えなのかもしれないけど、オレ、たとえば中学生にアンケートを取って、「将来なりたい職業は?」って質問の1位が公務員になって欲しくないのね。自分はサッカー選手とかロック歌手に憧れがあって、世の中もそうであってほしい。

それって、4人の中でコンセンサスは取れていたんですか?

峯田:うん、「やりきろう」って話はしてた。でも、オレ以外の3人は結婚してるからね。しかも、チンくんとあびちゃんには子どももいるし、そういう意味で、オレに見せてないところで戦ってるんだなっていうのは感じてた。オレの前では、遊んでるときも、仕事中も、いっさい、家の話はしなかったしね。オレ、あいつらの結婚式すら出てないし、チンくんとあびちゃんの子どもの顔もほとんど見たことないんだよ。あびちゃんは、一回だけ写真見せてくれたか。すげー、申し訳なさそうに。「へー、可愛くないね」って返したけど(笑)。やっぱり、彼らはロマンと現実との間で戦ってたのよ。オレはロマンだけで行けたけど。独り身だし。ただ、それでも、どうしようもなく、現実ってのは襲ってきてさ。貯金が少なくなってきたとか、家賃の振り込みが迫ってるとか、親から「あんた、どうすんの? 本当はアルバムなんて出ないんでしょう?」って電話がかかってきたりとか。最近、雑誌にインタヴューが載りはじめて、親もようやく安心したみたい。

でも、それこそ、アルバムの制作のみに時間を費やすなんて、いまの若いバンドにはできないですよ。GOING STEADYの頃はまだCDが売れていたおかげっていうか。

峯田:いや、贅沢なことだと思います。本当に。


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たとえばフライング・ロータスがよかったからそういうものをやろうとしたって、無理じゃんそんなの。でも、その作品の匂いを覚えておいて、それを銀杏の結界の中で放ったら面白いかなって思ったの。

さて、新作の内容について訊こうと思うんですが、『光のなかに立っていてね』の特徴は「ノイズ」と「打ち込み」だと思うんです。こうしたベクトルに向かっていったのはいつ頃からなんでしょうか?

峯田:まず、打ち込みに関して言うと、ライヴをやっていくなかで、いつからか、限界を感じはじめたというのもあったかもしれない。GOING STEADYの時代からずっと、肉体的に戦うことこそがライヴだと捉えていたんですよ。集まってきてくれたひとたちを、わーっと踊らせるのではなくて、何かに対して足掻いている姿を見せる場所。いま思うと、その空間はバンド・メンバーもお客さんもぐちゃぐちゃになった異常なものだったと思う。でも、そればっかりをやりつづけていると、身体がぶっ壊れたりだとか、喉を潰したりだとか、現実的な問題が出てきて。だから、どこかで、オレは肉体的なところだけではやっていけないと思った。いちばん理想なのはバンドを続けることであって、そのために、これまで10割肉体的なところでやってきたのを何割か……2割でも3割でもいいんだけど、非肉体的なところをスポイトで入れてあげないと、多分、もう、バンドはもたないなって考えたの。それが、2008年ぐらいかな。

では、省エネといったら響きが悪いですけど、バンドの今後のことを考えた上での打ち込みの導入、という側面もあったんですかね?

峯田:ただ、それも、付け焼き刃ではだめで。デジタルを1回、自分たちの肉体に取り込んで、吐き出さないといけなくて。そのためには、1週間ではできなくて、どうしても時間がかかってしまったということなのかな。

肉体性から離れるための打ち込みとは言え、打ち込みを肉体化するのにはそれなりの時間が必要だったと。打ち込みのドラムに関してはあびちゃんと村井(守/ドラム)くんが担当したと聞きましたが。

峯田:そう、リズム・トラックはふたりで。ウワモノはチンくんとオレ。基本的には、あびちゃんとチンくんが主導で、村井くんも意見を言って、最終的にはオレがジャッジ。「これは面白くない」とか「ここはもうちょっとこうしよう」とか。

そこは、マニピュレーターは入れずに自分たちでやろうと?

峯田:やっぱり、結界の中から生まれるものが大事だから(笑)。

結界の中に他人を入れたくないから、自分たちで打ち込まないといけないんだ(笑)。

峯田:打ち込みの音楽も好きだよ。とは言え、たとえばフライング・ロータスがよかったからそういうものをやろうとしたって、無理じゃんそんなの。でも、フライング・ロータスの音を再現するんじゃなくて、その作品の匂いを覚えておいて、それを銀杏の結界の中で放ったら面白いかなって思ったの。

ただ、いちから勉強するところからはじめたわけですよね? 全然、省エネになってない(笑)。

峯田:だから、そっちの畑の人には絶対に勝てないんだよね。でも、うちらだけにしかできないこともあるはずで、本気になれば面白いものになるんじゃないかっていう確信も持っていた。たとえば、(“あいどんわないだい”の新しいヴァージョンの)“I DON’T WANNA DIE FOREVER”もあまりテクノの方には行かないで、もうちょっと、ゲーセンの音みたいな感じを取り入れられないかなって。あと、パチンコ屋の音とか。阿佐ヶ谷のパチンコ屋が、また、すげーうるさいんだよ!

“I DON’T WANNA~”はガバみたいだと思ったんですけど、あの強烈なハイと、煽動的なリズムはパチンコ屋なんだ(笑)。

音楽ではなくて、生活の中にあるノイズがあてになっていて。震災のときはさすがにテレビを観ていたんだけど、(中略)その後ろで鳴っている、ゴーーーっていう地鳴りの音。津波に街が飲まれていく音。それが、どんなレコードよりも、どんなCDよりも強烈で。

峯田:オレ、全然、パチンコやんないの。でも、レコーディングの追い込みのときは他の音楽を聴きたくないからテレビもつけられなくて。あと、飯を食おうと思って店に入ってもジャズとか流れてるでしょ? あれすら気になって外に出たりしてたの。そうすると、どんどん、ストレスが溜まってきて。そんなときに、気晴らしにパチンコ屋に行くと、バーッて洗い流してくれるんだよ。

ノイズで頭が空っぽになる。

峯田:そうそう。あれがいいの。だから、金は2千円ぐらいしか使ってない。音を浴びに行くの。

じゃあ、前の2枚……『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』と『DOOR』は、“トラッシュ”の歌詞に象徴されるように、たくさんの音楽からインスパイアされていたと思うんですけど、今回のレコーディングの間は、他人のレコードを聴いていなかった?

峯田:うん。音楽ではなくて、生活の中にあるノイズがあてになっていて。震災のときはさすがにテレビを観ていたんだけど、何よりもショックだったのは、一般のひとが携帯とかで撮った映像も流れてたでしょう?

あまりにも生々しくて、その後は流れていないようなものも多いですよね。

峯田:そうそう。その後ろで鳴っている、ゴーーーっていう地鳴りの音。津波に街が飲まれていく音。それが、どんなレコードよりも、どんなCDよりも強烈で。テレビを消しても、目を瞑っても、あの音から逃れられなくて。ただ、音楽をやっているオレからすると、どうしても、「あの音の原理は?」とか考えちゃうんだよね。ノイズを取り入れたのはそういうこともあったのかな。

じゃあ、パチンコっていう通俗的なものだったりとか、地震っていう自然のものだったりとか、音楽以外のものが音楽を超えちゃっている状況があって、銀杏なりにそれに対峙するというか、それを越えるものをつくろうと考えたからこそノイズを取り入れたのだと。

峯田:かといって、アヴァンギャルドなものにはしたくなくて、ロックの定義が若い人に影響を与えることだとすれば、エンターテイメントのど真ん中に、自分がショックを受けたあの音をぶつけないと意味がないとも思った。

個人的には、『光のなかに~』を初めて聴いたとき、銀杏BOYZとSTRUGGLE FOR PRIDEっていう、自分が2000年代半ばに衝撃を受けた2つのバンドが融合したように思えて、びっくりしましたけどね。

峯田:チンくんは、NERVESKADEとか、ノイズ・コアのライヴに行って、最前列でエフェクターのセッティングを見てたみたいよ。でも、オレは、そういったギター・ノイズをあまり聴かないようにしてた。オレまでハマると真似になっちゃいそうだから、あえて距離を取ってたの。

ロックの定義が若い人に影響を与えることだとすれば、エンターテイメントのど真ん中に、自分がショックを受けたあの音をぶつけないと意味がないとも思った。

峯田くんがブログを熱心にやっていたときは、いつも、最後に「おやすみBGM」という項目があって、それを読めばいまどんな音楽に興味があるのかわかったけど、最近はそれすらも書かなくなっていたから、何を聴いているんだろうって気になっていたんですよね。

峯田:レコーディングの悪影響にならないために聴かないようにはしてたけど、でも、勝手に入ってくるものは避けられないよね。パソコンをつければYotubeの関連動画に目が行って、ふと観てみたりさ。「へー、最近、こういうのが流行ってるんだ」って。あと、たまにテレビをつけると、CMで流れてきたり。クリープハイプとか、「あー、いい歌だな」って思ったよ。ただ、自分たちの結界の中には持ち込まないようにしてた。

フライング・ロータスの匂いの話にしても、結界の外と中の違いに関してはかなり意識的だったんですね。

峯田:まぁ、音楽は聴きたいって意志がなくても、勝手に入ってくるものじゃん? だから、そこまでしても聴こえてくるものはすごいなぁと思ってた。

ノイズって情報量がゼロでもありマックスでもあるから、情報量が多かった前の2枚を振り切ってそっちに行くのはよくわかるんですよ。ただ、『光のなかに~』に他の音楽からの影響が感じられないかというとそうではなくて、さらに、新しい要素も入ってきてますよね。たとえば、“愛してるってゆってよね”はラップじゃないですか。

峯田:あれは、もともと、〈ザンジバルナイト〉(リリー・フランキー主催のイヴェント)にソロで出た際に、数曲、ギターの弾き語りで歌って、最後にカラオケを流して歌うために、カオシレーターでつくったんだよね。そのときは面白半分でやってたんだけど、メンバーが気に入って、もうちょっと格好よくしてアルバムにも入れようってことになったの。

ここ数年は、Eccyだったり、オロカモノポテチだったり、広義のクラブ・ミュージックのアーティストたちとも共作していましたけど、彼らをゲストに入れるつもりはなかった?

峯田:うん。ノウハウはいろいろと教えてもらったけど、今回は、やっぱり、自分たちだけでやろうって。

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やっぱり、自分のいまの気持ちに正直な音楽じゃないと、恥ずかしいんだよね。世の中だとか、お客さんだとか、これから巻き込んでいこうって人たちに示しがつかないし。

『君と僕~』と『DOOR』は、GOING STEADYの後期からの延長って感じもあるじゃないですか。実際、同じ楽曲も再演しているし。あるいは、解散と結成の熱気のなかでつくられた感じもあると思うんですけど、今回のレコーディングに関しては、やはり、勢いではつくれなかったのでは?

峯田:そうだね。前は音楽ってものをまったく考えていなかったかもしれない。だから、今回は初めてアルバムをつくるような感じだったの。それも、やっぱり、あぐらをかいてはいられなくて。いろんな音楽が溢れかえってるなかで、新しいことをやってやろうっていうことではないんだけど、少なくとも新しい腹づもりで、いままでの銀杏BOYZを否定するものでもいいから、何かを切り開いてやろう! って。そういうことにならないと、つくる意味がないなっていう気はあったんですよ。……オレ、10何年前とかだけど、GOING STEADYの頃は敵ばっかりだと思ってたの。ハードコアやメロコアの連中からしたら、「何、日本語でやってんだよ」みたいに思われてただろうし、だから「面白くねぇや」って打ち上げには出なかった。それが、最近になって、若いひとが、「聴いてました」とか「影響を受けてこういうバンドをやってます」とか言ってくれて。何かが変わってきてて。あのときのオレらを「お前らはよくやってるよ」って褒めてあげたい(笑)。

だって、いま、20代半ばから後半のバンドの子たちに話を訊くと、ゴイステと銀杏の存在って本当に大きいですもんね。

峯田:どついたるねんとかね。彼らはまだ高校生ぐらいの頃、よくライヴに来てくれてて、当時から客として面白かったの。「こういうやつらがバンドやったら最高なんだけどな」と思ってたら、まんまと楽器持っちゃってさ。良かったなぁって。あと、大森靖子ね。あのひとは、2年ぐらい、毎日、オレにメールをくれてたんだよ!

ああ、メールアドレスを公開したときがありましたよね。

峯田:そうそう、15人、毎日、メールを送ってくるやつがいて、そのなかのひとりだったの。だんだんと減っていったけど、まだ4人ぐらいいる(笑)。大森さんは、いつも、今日はこんなことがあってみたいなやつを40行ぐらい送ってきてくれてて、やっぱり、「あ~、こういうひとが音楽やんねーかな」と思ってたんだ。だけど、いつ頃からかメールが来なくなった。それで、ふと、雑誌を見たら、“大森靖子”って書いてあって、「あれっ、あいつじゃねえよな?」って写真を見たら「やっぱり、あいつだ!」って。自撮りの写真も送ってきてたから顔を覚えてたの(笑)。

他にもそういうひとがたくさんいるんでしょうね。

峯田:まさか、オレが誰かに影響を与えるんだなんて考えもしなかったよ。どうせ嫌われて終わるんだよ、こんなバンドって思ってたし。でも、自分より歳下のひとが頑張ってるのを見ると、素直に嬉しいし、自分も頑張んなきゃと思うよね。

それに、リスナーは上下関係なんて気にしないですからね。フォロワーの方が格好いいと思う場合もある。

峯田:だから、さっきも言ったようにあぐらをかいてられないのよ。ちゃんと、音楽ですごいものをつくらないと、やってる意味なんてないよね。

そういう意味でいうと、『光のなかに~』は「大人になるということ」をテーマにしたアルバムだと思いました。

峯田:“グローイング・アップ”だ。

まぁ、峯田くんも36歳なんだから当たり前ですけど(笑)。ただ、前の2枚は意識的に幼児退行ならぬ童貞退行しているようなところもあったと思うんで、なおさら、今作における成長ぶりが印象的でした。

峯田:やっぱり、自分のいまの気持ちに正直な音楽じゃないと、恥ずかしいんだよね。世の中だとか、お客さんだとか、これから巻き込んでいこうって人たちに示しがつかないし、ましてや、あのノリで止まっていても面白くないから。


ここから抜ければ、きっと、オレはすごい楽になるって感覚が当時はあったんだけど、じつは抜けても楽じゃないっていうさ、そっちの痛みの方がキツいような気がして。

今回の取材にあたって、前の2枚を聴き返していて思ったんですけど、どうして、あのアルバムは学校をテーマにしていたり、中高生が主人公の楽曲が多いんですかね? あの時点で既に20代半ばだったのに。

峯田:そうだよね。“SKOOL KILL”とか、『BEACH』にも入っているけど。

ただ、『光のなかに~』では、人生を積み重ねていくことの苦しみが歌われていますよね。それについて話をする前に、初期の銀杏における「学校」が何のメタファーだったのか訊いておきたいんです。

峯田:たぶん、「枠」ですよね。誰もが枠の中で生活していて、社会人なら会社っていう枠でもいいんだけど、学校ってわかりやすくシンボリックな存在だから使ったんじゃないかな。でも、当時はそれが有効だったのが、いまはインターネットがより身近になって、「枠」っていうテーマがあまり意味がないものになってきたことで、オレの中から「学校」っていうキーワードもなくなってきたような気がする。

それは面白いですね。たとえば、スクールカーストももちろん息苦しいと思うんですけど、実際の社会にはそれとはまったく別種のしんどさもありますよね。

峯田:ここから抜ければ、きっと、オレはすごい楽になるって感覚が当時はあったんだけど、じつは抜けても楽じゃないっていうさ、そっちの痛みの方がキツいような気がして。恋愛もそうなんだよね。彼女がいなくて、童貞で、クリスマスもひとりだっていう孤独と、彼女もいるのに、子どももいるのに、愛人もいるのに、孤独。どっちがキツいかな? オレは後者の方がキツい気がする。そういうアルバムなのかな、今回のやつは。

その話を聞いて思い出したんですが、ゴイステの“童貞ソー・ヤング”っていう青春パンクや童貞ブームを代表するような楽曲がありますよね。あれは、「一発 やるまで死ねるか!!!」って歌詞に耳を引かれがちですけど、実はその後の「一発 やったら死ねるか!!? 一発 やったら終わりか!!?」の方が重要だと思うんですよ。あの時点で、暗に、大人になったからといって幸せになれるわけじゃないんだぞ、むしろ、それからの方が苦しいんだぞっていうことが歌われていた。そして、『光のなかに~』はまさにそれを突き詰めたアルバムなんじゃないかと。

峯田:そうだね。いまの若いひとは、「学校さえ出れば、童貞さえ捨てれば楽になる」なんていう甘いことは考えていないだろうなっていうか、むしろ、「大人の方が辛そうだな」って思ってるだろうけど。そういう意味では、オレらが10代、20代の頃に比べて希望のようなものを持ちにくくなっているのかもしれないね。でも、最初に言ったように、こんな時代にも「ロマン」はたしかにあって。オレはそれを意地でもいいから見せたいんだよね。現実を見せるんじゃなくて。クソ面白くない生活のなかで、最低な彼女がいて、妹はメンヘラで……そこに音楽はあって欲しくないの。鳴った瞬間に、「はじまるんだ!」っていうものであってほしいの。

えっ、『光のなかに~』はそういう現実を突きつけるアルバムだと思いますけど。

峯田:わはは! ただ、オレは日常と非日常のどちらでもなく、そこの合間に一瞬だけ見えるような、スーパー・フィクションみたいなものをつくりたいんだよ。今回、それが成功しているかどうかは別としてね。


いまの若いひとは、「学校さえ出れば、童貞さえ捨てれば楽になる」なんていう甘いことは考えていないだろうなっていうか、むしろ、「大人の方が辛そうだな」って思ってるだろうけど。(中略)でも、こんな時代にも「ロマン」はたしかにあって。オレはそれを意地でもいいから見せたいんだよね。

なるほどね。たとえるならば、実生活でもなく、ネットでもないものがロマンだと。そう考えると、いまってたしかにロマンが持ちにくい時代っていうか。

峯田:アホだって言われるよね、そんなの持ってたら。

僕は、学校とか会社とかが辛くて、twitterとかネットの繋がりに救われるみたいなことが悪いとは思わないんですよ。辛いことはなるべく発散できた方がいい。ただ、峯田くんはそこで死にそうになってでも、ロマンを追いかけたい?

峯田:オレは、10年前と比べてネットが普及して、捌け口が増えたっていうかもしれないけど、ネットにすら捌け口が見つからないひとっていっぱいいると思うんだよ。そういうやつにとってみれば、現実もダメだ、ネットもダメだ、「じゃあ、オレはどこに行ったらいいんだよ?」みたいなさ。でも、そういうやつって面白い音楽をやりそうな気がするの。そういうやつらがロマンを持てるようなものをオレはつくりたいのかな。

まだまだ、ロックはキャッチャー・イン・ザ・ライとして機能すると。

峯田:うん、オレはそう思っているけどね。

(後編へつづく)


interview with Kingdom - ele-king


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 2013年も更けるころ、〈ナイト・スラッグス〉(Night Slugs)からエジプトリックスの新譜『A/B・ティル・インフィニティー』が出たけれど、これがなんともダークで重苦しい。“わが人生はヴィヴィッド、わが目は開かれている”なんて曲名もあるけど、いやいや、そんな。インダストリアル・ブームの一例でしょう。派手に花開いた妹レーベル〈フェイド・トゥ・マインド〉(Fade to Mind)とは対照的に、〈ナイト・スラッグス〉は暗闇のなかへ潜もうとしているのだろうか。ロゴも「深夜」バージョンに変わったし。

 海外の音楽メディア各誌の年間ベスト・トラックに“バンク・ヘッド”(Bank Head)が選出されたことは、なにも驚くことではなかった。朝焼けのように拡がっていくシンセにシンプルなクラップが響くサビ、そこからベースにのってケレラのファルセットが舞う瞬間を聴けば、まさに諸手を挙げてそう言いたくなるに決まっている。身体が、ゆっくり宙に浮くように、無理なくダンスへ誘導される、あの昂揚感。そのトラックを仕込んだのがキングダムだ。
 〈フェイド・トゥ・マインド〉をプリンス・ウィリアムと共同経営しているキングダムに訊いたのは、彼のルーツ。〈ナイト・スラッグス〉との出会い。レーベルの始まり。ケレラ(Kelela)をふくめ、彼が愛してやまないR&Bのこと。ファッションと音楽。グラフィティ。そして、これからのこと。

 おっと、昨年末に出た紙版エレキング最新号は見ていただけましたか? エレキングのためにリエディットしてもらった〈フェイド・トゥ・マインド〉のグラフィック特集が綺麗なカラーで8Pも掲載されているのでぜひ買ってみてください。
 そして、全5色もある〈フェイド・トゥ・マインド〉スナップバック・キャップの一番ベーシックでかっこいい黒色も〈Anywhere Store〉で販売中なのでぜひ買って被って街を歩いてください。

田舎だったからレイヴなんて夢のような話だったよ。高校に入る頃には、ジャングルのような当時流行ってた電子音楽にすごく入れ込んではいたけど、レイヴへのアクセスの仕方を知らなかった。部屋でブラックライトを点けて、友だちを呼んで音楽を聴くことはあったけどね。だからベッドルーム・レイヴァーだったとは言えるかな。

では、最初に訊かせてください。「Where Were U in '92?」

キングダム:ははは(笑)。そのときは10歳だったから小学4年生だったのかな。僕はマサチューセッツ州のなかでも本当にマサチューセッツなところで育ったんだ。文字通り森のなかでさ。毎日小学校に行くために森を抜けて行かなくちゃいけなかった。当時はたしか、ア・トライブ・コールド・クエストだったり、マドンナみたいなユーロダンスものとか、クリスタル・ウォーターズやC&Cミュージックファクトリーのような、風変わりな90年代のダンスミュージックを聴いてたよ。それに僕はとても野蛮な子供だった。両足に違う色の靴下を履いたり、すごくクレイジーな格好をしていたよ。それが1992年の僕だね。まだベイビーだった頃の話(笑)。

ベイビーの頃からスタイリングに意識があったんですね。もしかしてレイヴに行っていましたか?

キングダム:いいや。僕が育った場所はすごく田舎だったからレイヴなんて夢のような話だったよ。90年代後半になって高校に入る頃には、ジャングルのような当時流行ってた電子音楽にすごく入れ込んではいたけど、レイヴへのアクセスの仕方を知らなかったしどこへ行ったら参加出来るのかもさっぱりだった。ボストンにはいくつかシーンが存在していたみたいだけど、もちろん18歳か21歳以上じゃないと入れないようなパーティだし、僕の街でジャングルを聴いてる人なんて他に誰も知らなかったから一緒に行く人もいなかった。部屋でブラックライトを点けて、友だちを呼んで音楽を聴くことはあったけどね。だからベッドルーム・レイヴァーだったとは言えるかな。
 18歳になってアートスクールに通う為にニューヨークに出てくるまで、クラブ自体行ったこともなかったんだ。それに2000年頃にはニューヨークのレイヴカルチャーの勢いは既にだいぶ落ち着いていた。有名なマイケル・アリグの事件(レイヴァーの若者によるドラッグが原因の殺人事件)が起きた直後だったこともあってニューヨークの多くのクラブが閉鎖されてしまった時期だったから。だからニューヨークでレイヴイベントに行くには時期的にも少し遅すぎた。

〈フェイド・トゥ・マインド〉の姉にあたる〈ナイト・スラッグス〉の本拠地はイギリスですが、住んだことはありますか? 

キングダム:イギリスに住んだことはないけど、何回も赴いているね。僕は音楽をずっとやってるけど、パーソンズ美術大学に通っていたこともあって、元々はアーティストになることが目標だったんだ。当時ニューヨークのギャラリーで働いていたんだけど、そのギャラリーが『フリーズアートフェア』(Frieze Art Fair ロンドンで毎年10月に開かれる国際的な美術展)に出品したときにブースに立って作品を売る仕事を任された。そんなに得意な仕事ではなかったけどね。それが初めてのロンドンかな。それから色んな偶然が重なって、次第にDJとして知られるようになってギグも増えてきて。それで2007年に最初のミックステープをリリースしたんだ。
 〈ナイト・スラッグス〉(Night Slugs)のボク・ボク(Bok Bok)のことはフリッカーで見つけたんだよ。彼がデザインした作品が載っていて。それで作品について彼にカジュアルなメッセージを送ったことがあったんだけど、返事が来なかった。そしたら後々彼から「ミックステープいいね! 僕、こんどニューヨークに行くんだけどさ」ってメールがきた。フリッカーで無視したくせにって言ったら彼は笑っててさ(笑)。それからメールのやりとりが始まってたんだけど、ボク・ボクがニューヨークに来るときに、当時僕がやってた〈クラブ・ヴォーテックス〉(Club Vortex)っていう小さなパーティーでDJすることになった。結局彼が来る前に僕がロンドンに行くことになって、その代わりに〈ナイト・スラッグス〉の第二回目のパーティーで僕もプレイしたんだ。2008年頃のことだけど、音楽が理由でロンドンに行ったのはそれが最初だよ。

マサチューセッツの森のなかやニューヨークに住んでいた時は、どうやって音楽を聴いていたのですか?

キングダム:マサチューセッツ州に居た高校時代は、90年代後半とはいえインターネットはまだそんなに発展していなかった。でもボストンには良質でインデペンデントな音楽文化が存在していたこともあって、レコード屋にはアメリカのものに限らず、ロンドンから輸入されたジャングルの12インチなんかもたくさん置いてあったんだ。だから最新のロンドンのジャングルにはとても簡単にアクセスできる状況だったし、たくさん集めても居たよ。当時はそういうものをレコードで聴いていたね。ニューヨークに住んでいた2002年から2010年までの間は、初期のころはとくにそうなんだけど、地元発の音楽がすごく魅力的だったな。例えばプエルトリコ系移民がたくさん居たから、大衆音楽になってしまう前のクラシックなレゲトンのスタイルにはとても魅了されていた。サンプルを大胆にチョップして作られた生々しさのあるクラブ・ミュージックだったんだけど、ストリートでブートレグのCDを買ったりしていたよ。ジャマイカ系移民がやってたダンスホールも同様だったし、ヒップホップも〈HOT97〉(ニューヨークのヒップホップ専門ラジオ局)からキャムロンやディップセッツのようなニューヨーク発のヒップホップが流れていた。
 地元にそういう音楽があった一方で、インターネットではUKベースやジャングル、グライムなんかのイギリスの音楽を掘り下げて聴いていたんだ。だから当時の僕の音楽的背景はニューヨークのアーバン・ミュージックと初期のUKレイヴ・ミュージックから成り立っていたと言えるね。

UKガラージからの影響を他メディアのインタヴューで語っているのを拝見したのですが、どんな部分に影響を受けていたのですか? そしてそれらもインターネットで聴いていた?

キングダム:ジャングルにハマったときにUKガラージも多少聴いてはいたけど、大体は2006年くらいになってインターネットからmp3で集めて知ったものばかりだよ。もうすでにジャンルとして成熟してしまった後のことだけどね。ニューヨークでパーティに行っていた当時にはUKの音楽をかけてるDJなんて全然居なかった。グライムが注目された2004年頃にちょっと流行ったくらいで、それ以降はパーティで聴く機会なんてなかったね。ニューヨークで僕以外にそういう音楽から影響をうけて新しいことをやろうとしてる人も周りには居なかったんだ。
 そしてUKガラージには常に影響を受けてきたよ。なぜならガラージは、ヘビーなベース音とシンコペーションとソウルフルなR&Bヴォーカルを融合することに成功した初めてのジャンルだと思っているから。最近はUKガラージをプレイすることはないけど、そのコンセプトはいまやっていることに深い影響を与えているね。

当時のニューヨークで一番ヒットしたUKガラージの曲は何ですか?

キングダム:クレイグ・デイビットだね。曲名は忘れちゃったけど、グーグルで彼の名前を検索したら一番初めに出てくる曲だと思うよ(笑)。

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ニューヨークに住んでいたころは地元発の音楽がすごく魅力的だった。プエルトリコ系移民がたくさん居たから、クラシックなレゲトンのスタイルにはとても魅了されていた。サンプルを大胆にチョップして作られた生々しさのあるクラブ・ミュージックだったんだけど、ストリートでブートレグのCDを買ったりしていたよ。ジャマイカ系移民がやってたダンスホールも同様だったし、ヒップホップもね。


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〈フェイド・トゥ・マインド〉はングズングズをリリースするためにはじまったと聞いていますが、どのような流れだったのでしょうか? また、なぜ〈フェイド・トゥ・マインド〉はイギリスの〈ナイト・スラッグス〉の姉妹レーベルとして運営されているのでしょうか?

キングダム:ングズングズのことはボク・ボクに出会った頃くらいから知ってるけど、インターネットとアシュランド(=トータル・フリーダム)を通して知り合った感じかな。
 遡ると、そもそもアシュランドと出会ったのはたしか2004年頃。僕がバンドをやっていたときに、当時シカゴに居た彼にブッキングされたんだ。その時は彼が住んでたロフトで演奏したんだよね。
 彼の紹介やマイスペースをとおして、シカゴに住んでたングズングズとも連絡を取り合うようになって。彼ら、スプレーで雑に塗装したCDRにデモを入れて僕に郵送してくれたりしててさ。2008年頃のことなんだけど、当時のアンダーグラウンドの音楽的ランドスケープはエレクトロとかブログハウスだとか呼ばれてるジャンルで構成されてた。だからボルティモアクラブにR&Bやノイズを混ぜてるような、めちゃくちゃな音を聴くのは本当に……なんていうか、ただただ僕はングズのファンだったんだよ。それで実際に出会ったその日からすぐに打ち解けることが出来たし、アズマとは誕生日が同じだったしで、本当に仲の良い友だちになった。トータル・フリーダムやングズの近くにいくためにLAに引っ越して、それからレーベルをはじめたんだ。
 だからわかると思うけど、仲のいい友だち同士で作品をリリースしなくちゃいけなくなったときに、そういうディレクションでやってるレーベルが他に無かったから、レーベルを立ち上げるのはごく自然な流れだった。それに〈ナイト・スラッグス〉にも僕ら全員が入り込む余地はなかった。アメリカには多くのアーティストの友だちがいたし、みんな〈ナイト・スラッグス〉とは少し違う方向性に向かっていて。ボク・ボクはすでに彼自身のヴィジョンをはっきりと持っていたし、〈ナイト・スラッグス〉のディレクションを変えるだなんてことはあり得なかったからね。だからふたつのコレクティヴでやっていくのに意味があったんだ。
 ふたつのレーベルに繋がりが必要だったっていう点に関してだけど、元々僕はアーティストとしてシーンに居た人物だし、レーベルを運営した経験もなかった。それでアレックス(ボク・ボク)はレーベルを運営していく事に対して明確な意見を持っていたし、彼のレーベルの構築の仕方を本当にリスペクトしていたから、Tシャツやカヴァーアートのデザインを決める際に、始めから〈ナイト・スラッグス〉の持っている一貫性を参考にするのが一番だった。それに、レーベルに属しているみんながインターネット上だけでの関係に留まらず、実際にハング・アウトする仲の良いコミュニティーなんだ。ふたつのレーベルに繋がりがあるのは、何よりも僕らがみんなパーソナルな関係で繋がっているからだよ。マイクQ(Mike Q)とかリズラ(Rizzla)はニューヨークにいるけど、僕自身LAとニューヨークを行ったり来たりしているから、彼らのこともとても近くに感じているんだ。

■(インタヴュー会場で流れていたキングダムのミックス内の1曲を聴いて)

キングダム:この曲なんだけど、これはガール・ユニット(Girl Unit)の“クラブ・レズ”っていう曲にリズラがヴォーカルとパーカッションを乗せたリミックスなんだ。みんなが気に入ってかけているよ。今後の話をすると、〈ナイト・スラッグス〉と〈フェイド・トゥ・マインド〉ではこれからより多くのコラボレーションを行っていく予定だ。ふたつのレーベル内で様々なコンビネーションが生まれつつあるからね。大体の場合〈ナイト・スラッグス〉のインストゥルメンタル曲に〈フェイド・トゥ・マインド〉がヴォーカルを乗せるパターンが多い。例えばこのリミックスもそうだし、エルヴィス1990とマサクラマーンはいま一緒に音楽制作をしている。今後がとても楽しみだね。

女性シンガーの重要性に関しての話を他メディアのインタヴューで読んだのですが、やはりレーベルを発展させていく上で女性ヴォーカルは重要な要素だったのですか?

キングダム:そうだね。男性ヴォーカルも好きなんだけど。ただ女性をフィーチャーした革新的な作品が近年はそこまで出てきていなかったように思う。とくにここ5年間くらいは女性シンガーの人気が低迷していたように感じていたし、それはヒットチャートを見れば明らかだった。とくにアーバン・ミュージックの世界では目立った女性シンガーの数が異常に少なかったよね。だからいまその状況を変えるのは重要なことだと思ったし、それは同時に次の5年間では女性のヴォーカルが再び台頭してくることを意味していると思った。だってそう思わないか? 90年代後半にミッシー・エリオットや女性のR&Bグループがあれだけ出てきていたのに、それ以降はめっぽう新しい女性の声を耳にしなくなっただろう?

ケレラは素晴らしいシンガーですね。

キングダム:彼女は素晴らしいよ。すごくエキサイティングだ。というのも世の中には歌が入っている音楽しか聴かないリスナーがたくさん居るから、レーベルがそういう人たちにもアプローチできるのは本当に良いことで、僕らみんながやりたかったことでもある。それに僕とングズングズとアシュランドも昔からDJでのミキシングやサンプリングの場面において、様々なR&Bのヴォーカルの使い方を実験的に試してきていた。
 ケレラは僕らがやっている音楽について昔から知っていた訳ではないんだ。昨年友だちになって僕らのやっている音楽を初めて聴いたんだけど、彼女はとてもスマートだから、僕らがヴォーカルをどう受け止めているのかをすぐに理解した。だから僕らの持っていたコンセプトと、サンプリングやリミックス文化でのヴォーカルの使われ方も考慮に入れながら、彼女はピッチングやハーモニー、そしてメロディーを作った。だからそういう点ではこの音楽はポスト・リミックスR&Bなんだ。

女性シンガーの話から派生しますが、アルーナジョージFKAトゥイッグスなどについてはどう思いますか?

キングダム:アルーナジョージはそんなに聴いたことがないな。でも良い評判は聞いてるよ。FKAトゥイッグスは好きだね。高校時代にたくさん聴いていたトリップホップを彷彿させる。それにプロデューサーのアルカ(Arca)も友だちなんだ。人びとが彼女とケレラを同じような括りで見ていることもクールだと思っているよ。新しい実験的なR&Bのカテゴリーとして。もちろん僕は個人的にケレラに深く関わっているから全然違う音楽に聴こえるけれど、多くの人びとが彼女たちをまとめてひとつのムーヴメントとしてとらえているみたいだね。

ケレラをフィーチャリングした“バンク・ヘッド”も収録されているあなたの最新作「ヴァーティカル・XL」では、以前の作品よりもタムの音が増え(ゴルくなっ)たように感じるのですが、その点は意識していたのでしょうか?

キングダム:タムの音はいままでもあちこちで使ってきたからなぁ。ただ多くの音楽にクラップとスネアが使われすぎているよね。タムはただ単にそれらと違うっていうことじゃないのかな(笑)。クラップを使わずに曲を仕上げるのはすごく難しいし、いい音のスネアを見つけるのもすごく大変だ。そしてタムってのはキックとスネアの中間に位置していて……説明するのが難しいけど、とにかくジュークをたくさん聴いていたからそのクレイジーなタムの使い方には影響されたよ。

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ケレラはとてもスマートだから、僕らがヴォーカルをどう受け止めているのかをすぐに理解した。だから僕らの持っていたコンセプトと、サンプリングやリミックス文化でのヴォーカルの使われ方も考慮に入れながら、彼女はピッチングやハーモニー、そしてメロディーを作った。だからそういう点ではこの音楽はポスト・リミックスR&Bなんだ。

本誌では今年のキーワードとして「インダストリアル」をあげています。インダストリアル・ムーヴメントについて何か言うことはありますか? (ジャム・シティのインタヴュー記事のページを見せる)

キングダム:ああ、クール! インダストリアルにはすごく影響されているよ。そしてこのムーヴメントにおいては、やはりジャム・シティが非常に重要なポジションにいる。彼のアルバムがその後の僕ら全員の作品に影響を与えているといっても過言ではないと思う。僕らは外部からの影響も受けているけれど、内部からの影響力の話となると、やはりジャム・シティが僕らのサウンドを大きく変えるきっかけだった。僕とングズングズとアシュランドも昔から似たようなコンセプトでノイズを使ってはいたんだけど。以前からソウルフルなヴォーカルを多用していたから、金属的で恐ろしい音っていうのはそれに対して素晴らしいコントラストだった。

ヴェイパーウェイヴやシーパンクについてはご存知ですか?

キングダム:ヴェイパーウェイヴか。呼称は知ってるんだけど、どういうものかは知らないんだ。
 シーパンクはそんなに好きではないな。すごくインスタントで、目新しさばかりが目立つように感じられる。ヴィジュアル面での美学が非常にはっきりと提示されていることはわかるよ。だけど、それ以外でどう定義できるものなんだろう? そこにはっきりとした音は果たしてある? 見た目以外で姿勢やコンセプトのようなものが提示されているかな?
 タンブラーのリブログという発生方法自体、そこに何か普遍的な基盤があるのかどうか疑問に思えるんだ。実際にそんなに良く知っている訳でもないんだけど。事実、僕が知っていることと言えばその見た目だけなんだ。遺跡やヤシの木とかが多用されているよね。でも本当にそれしか知らない。

タンブラー文化に関しては、プリンス・ウィリアムやサブトランカとも意見が一致していますね。では、あなたのグラフィック・アートについて教えてください。

キングダム:〈フェイド・トゥ・マインド〉のロゴはボク・ボクがデザインしたんだ。僕にはロゴの才能は無いからさ。だからグラフィックや文字要素のデザインは彼に任せてある。僕はそれ以外のフォト・コラージュなんかを僕は手がけているよ。壊れたり、燃えたり、事物がトランスフォームしている瞬間に動きを感じるんだ。〈フェイド・トゥ・マインド〉って名前自体、ものごとの状態ではなく起きている過程を意味する言葉を用いているでしょう? 状態ではなく変化していく過程にフォーカスしているんだ。たとえば、ここにコップがあることではなく、このコップが溶けていく過程なんかの方が面白いと思っている。
 それと同時に、コラージュを作る際にいつもゴールとして意識している事は、安っぽいものやゴミみたいなものを使って何かスピリチュアルなものを構成することかな……。だってグーグルの検索で集められる画像ってすごくローテクなものが多いじゃない? 画質の悪い.jpgだったりさ。それらの素材で作ったコラージュが、メディアを通しても伝わってくるような純粋性だったりスピリチュアルな雰囲気を持てるようなものだと面白いよね。
 カヴァーアートを作る最中には大体作品を聴いている事が多いね。カヴァーアートをいつも最後に作るよ。

〈フェイド・トゥ・マインド〉のアートワークに使われるモチーフなどを見ていると物質主義への批判的な姿勢を感じるのですが、そのような意識はありますか?

キングダム:ファティマ・アル・カディリのあのカバーアート(『デザート・ストライク・EP』)に関しては、彼女の育ってきた背景にあるクエートのことや物質主義への批判的な視点はあるかもしれない。あのアートワークはほとんどが彼女のコンセプトで、サブトランカのマイルス・マルティネスがそれを形にしたから。でも僕はそういう視点を常に意識している訳ではないかな。そういう見方があるっていうのもすごく分かるけどね。

本誌のインタヴューでプリンス・ウィリアムが、エズラはメディテーション(瞑想)をしてるというようなことを言っていたのですが、本当ですか?

キングダム:瞑想の趣味は無いけどな(笑)。でも瞑想的なことはするよ。ひとりでハイキングに行ったりね。それに僕は新しいプロジェクトの話やリミックスの依頼が来たときには、行動に移す前にじっくり時間を費やして考えるタイプの人間なんだ。彼は僕のそういう部分のことを話していたのかもしれない。

日本のアーティストやミュージシャンで影響を受けた人は居ますか?

キングダム:日本の音楽だったら坂本龍一はずっと聴いてるよ。影響を受けたかどうかはわらないけれど、彼は日本のアーティストというカテゴリーには収まりきらないくらい、もう普遍的な存在だよね。音楽以外で言うと日本のファッション・カルチャーには影響を受けている。実は高校の卒業プロジェクトのテーマに日本のファッションデザイナーを選んだことがあるんだ。当時は高校を卒業したらファッションの道を目指そうと思っていた。結局大学ではファインアートを学ぶことになったんだけれども、ファッションは僕のバックグラウンドに常にあったんだ。〈コム・デ・ギャルソン〉や〈イッセイ・ミヤケ〉に関して論じたことを覚えているよ。〈ファイナル・ホーム〉(https://www.finalhome.com)にも90年代後期の頃から熱中していたよ。だからヴィジュアル面ではこれらの影響は大きく受けている。

それら日本のファッションブランドのどういった面に魅了されていたのですか?

キングダム:〈コム・デ・ギャルソン〉と〈イッセイ・ミヤケ〉はアヴァンギャルドで脱構築的な部分に、〈ファイナル・ホーム〉にはテクニカルな機能性と斬新なデザイン性が同居しているところに興味を惹かれていたね。〈ファイナル・ホーム〉は特にコンセプチュアルなアートのプロジェクトでありながら、終末的なサバイバルの状況においての機能性を追求していた面がすごく面白かった。

Tシャツやキャップも積極的にリリースしていますし、〈フェイド・トゥ・マインド〉にとってファッション/アパレルは重要なのでしょうか?

キングダム:音楽からのファッションへの影響の方がその逆より大きいように感じるな。ファッション・デザイナーをやってる友人が何人もいるけど、彼らのほとんどが音楽から多大なインスピレーションを得ている。ファッションからの影響を音楽に表すっていうのは難しいし、それが良いアイデアなのかどうかもわからない。
 でもね、僕は〈フッド・バイ・エア〉(Hood By Air)の初めの5~6シーズンのランウェイ用の音楽を担当したんだけど、そのときだけはそれが例外だった。っていうのもデザイナーのシェイン(Shayne Oliver)からコンセプトについてメールがくるんだけど、この曲のリミックスを2ヴァージョン欲しい、だとか、ミリタリーがヴォーギングしてるような音をくれ、だとかいう内容なんだ。コレクションで発表する服はその段階ではまだ出来上がっていないから、彼のヴィジョンについて具体的に言葉のみで説明されたからこそ、それにそって音楽を仕上げることができた(註:「ドリーマ・EP」〈ナイトスラッグス〉に“フット・バイ・エアー・テーマ”が収録されている)。
 日本のひとたちが僕らのキャップをかぶってくれてるのを見たときは本当に驚きだったよ。東京のファッションに合わせているのを見るととても嬉しい。ただ音楽を知らずに着てる人もいるよね。だから、キャップに書いてある文字をグーグル検索してそこで僕らの音楽やアートワークをもっと知ってもらえるといい。取扱店もCDやレコードとかと一緒にパッケージで売ったり、何らかの形でレーベル全体のコンセプトも含めて買い手に伝えてもらえたら、すごく嬉しいよ。

夢でもいいので、コラボレーションしてみたい人を挙げてください。

キングダム:一緒に仕事したいシンガーなら山ほど居るよ。シアラにブランディー、ジェネイ・アイコ(=Jhene Aiko。EPにはケンドリック・ラマーも参加)……もちろんアリーヤとできたら最高だったね。プロデューサーではドレイクのビートをつくっているノア40(Noah 40 Shebib)かな。ファッションブランドでいうと、カセット・プレイヤ(Cassette Playa)やビーン・トリル(Been Trill)とTシャツを作る予定もあるよ。

〈フェイド・トゥ・マインド〉の次なる展望(ヴィジョン)を教えてください。

キングダム:もっとヴォーカリストを増やしたいな。そしてもっとケレラの仕事もしたい。それからより頻繁に作品をリリース出来るようにもしていきたいね。最近になってようやく出来てきた事だけれど、その前は半年に1枚のペースだったから。まだいろいろ学んでいる最中なんだ。それに僕らはカヴァーアートまで含めて相当な完璧主義でここまでやってきた。プリンス・ウィリアムは常にみんなの意欲をかき立ててくれたり、細かい部分で仕事してくれるムードメイカー的な存在だけど、レーベルとしてのミキシングやフォトショップでのプロダクションなんかの作業は今は僕一人でやっている。ステップ・バイ・ステップだからまだすごく時間がかかるんだ。
 同時にアパレルのグッズも増やしたいね。デザインは貯まってきているんだけど、もっとキャップとTシャツのリリースをしたい。
 それと、〈フェイド・トゥ・マインド〉のフェスティヴァルをすることについても話をしているよ。アートの展示やシンガーとラッパーとDJ達を、テクノロジーを使ったハイテクな演出で披露したいと思ってる。奇妙な構造のステージで、ワイヤレスマイクを使って入れ替わりたちかわりで出てくるシンガーたちに、アシュランドがエフェクトをかけまくってるようなイメージだね。

では最後に、2013年にリリースされたダフトパンクとディスクロージャーのアルバムでは、どちらが好きですか?

キングダム:どちらも全部は聴いていないんだ。ラジオでシングルは聴いたよ。どちらか選べと言われたらディスクロージャーだけど、どちらもそこまで好みではないかな。でも新しい類いのエレクトロニック・ミュージックがメインストリームで成功しているという事実にはとても感謝している。なぜなら、それは〈フェイド・トゥ・マインド〉だってそうなれるっていうサインでもあるからね。

ROOM237 - ele-king

 「ポストモダンの映画評論によれば──どんな作品でも監督の意図は一部だ。そして監督が意識していたか否かに関わらず──物事には意味があるのだ」(『ROOM237』より)
 音楽の世界では、産業的な次元でも、受け手側の心持ちの次元でも、旧作が新作以上に身近な存在となっている。悪いことではないが、それでは旧作におけるジャーナリズム性、同時代性はどうなるのかと言えば、受け手の解釈によって再生産されるのだろう。その意味が今日の社会において再解釈されるとき、旧作は、新作と競えるほどの力を持つ。2012年にアメリカで制作された『ROOM237』は、映画におけるそうした試みだ。
 スタンリー・キューブリックのおおよそすべての作品が、暗示的で、暗喩が使われ、受け手の解釈力を問うていると言える。ところが『シャイニング』は、他の代表作と比較した場合、彼の作品のなかでは唯一と言えるほど(たとえ強迫観念が主題だとしても)、ホラー映画という娯楽作品(商業映画)に徹しているかのように見える。話の大筋はわかりやすく、『時計仕掛けのオレンジ』や『フルメタル・ジャケット』のように「社会」や「政治」や「歴史」と関連づけやすい映画ではないし、遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』のようにあらかじめ謎解きを促すような感じでもない。ジャック・ニコルソンの演技は『フルメタルお・ジャケット』の軍曹より有名だろうし、いわゆる大衆映画としても知られている作品だろう。

 ところが本作『ROOM237』を観ていると、『シャイニング』からある人物はホロコーストを読みより、別の人物はアメリカ先住民の大量虐殺を説明し、またある人物は性の暗喩を見出し、また別のひとりはアポロの月面着陸のねつ造への異議申し立てを解読する。5名の研究者(ジャーナリスト、歴史学者、作家、編集者等々)が、それぞれの解釈を展開する。タイプライターの色は変わり、絨毯の模様はすり替えられ、構造上あり得ないところに窓があり、駐車している車の台数にも、出てくる数字にもことごとく意味があると……まあとにかく、旧作をデジタルで手軽に楽しめる現代だからこそ探し当てることのできるディテールを興味深く指摘しながら、それぞれの解釈(もしくは妄想)を説明するという、ある意味オタクの極みのような映画なのだが、これがなるほど面白い。その多くが「社会」や「政治」や「歴史」と関連づけているというのが、なるほどいまはそういう「意味」に見えるのかと感心もする。いかんせん『シャイニング』を映画館で観た当時の僕は、いまよりさらに酷く出来の悪い、何もわかっちゃいないガキだったので、その撮影技術や美術にこそ興奮を覚えたものの、「社会」なんてものとは1億光年離れたところで観ていたことは間違いない。

 おそらく、もっとも説得力を持っている解釈のひとつは、先住民の大量虐殺の暗喩だが、この映画の音楽をザ・ケアテイカーが手がけていることもエレキング的にはひとつのトピックだ。「歴史はつねに勝者を支持する(History Always Favours The Winners)」なる一文を自身のレーベル名とする彼が、キューブリックの『シャイニング』に触発されて手がけたプロジェクトがザ・ケアテイカーだと言われているのだから、この起用に関しても深読みするのが筋というモノだろう。監督のロドニー・アッシャーは、『シャイニング』の謎解きというドキュメンタリーを通じて再考することの醍醐味を伝え、スタンリー・キューブリック作品のあらゆるディテールには何らかの意図があることをあらためて説いている。世界中にマニアがいるキューブリック作品だから生まれた作品なのだろうが、とりあえず、『シャイニング』とザ・ケアテイカーが好きな人は見なければならない映画でしょう。

 3月5日にSIMI LABがセカンド・アルバムとなる最新作『Page 2 : MIND OVER MATTER』をリリースする。あの鮮烈な登場がすっかり遠い出来事に感じられるくらい、2011年のファースト・アルバム以降、彼らにはいろいろな環境の変化があった。メンバーそれぞれのソロ・アルバムも充実し、菊地成孔と大谷能生のJAZZ DOMMUNISTERSとの取組みなど、音楽性も活動領域においても素晴らしい展開を見せている。
 アルバムに先駆け、今月末にシングルを聴けるのはうれしいニュースだ。ますます目の話せない存在として、2014年の扉を開ける作品を届けてくれるだろう。

■SIMI LAB(シミラボ) / Page 2 : MIND OVER MATTER

品番:SMMT-41,42(通常盤:SMMT-43)
価格:初回限定盤(DVD付き) ¥3,000 + 税 / 通常盤 ¥2,600 + 税
収録曲:15曲予定
発売日:2014年3月5日(水)
Label:SUMMIT

* 初回限定盤のDVDには、約2年間におよぶSIMI LABのメンバー・オフショットや、ライヴ活動、スタジオ風景等で構成された長編映像が収録されます。

※ 収録曲により常識では考えられないようなノイズが入っている曲がありますが、この作品の特性としてお楽しみ下さい。

■SIMI LAB(シミラボ) / We Just

 そして、3月5日のニューアルバム発売に先駆けて、ニューシングル“We Just”を、1月29日よりiTunes Storeにて配信開始致します! ライヴで何度も会場を盛り上げてきた楽曲が遂に配信開始。
 iTunes配信シングルのカップリングには「We Just Hi'Spec Remix」を収録!

品番:SMMT-39
価格 : 1曲=¥250(2曲同時アルバム購入の場合は、2曲で¥450となります。)
規格 : Digital on iTunes
発売日 : 2014.1.29
Label : SUMMIT

1. "We Just" 
Produced by OMSB
2. "We Just Hi'Spec Remix"
Produced by Hi'Spec


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Death Grips - ele-king

 恐るべきインターネット時代のならず者集団、デス・グリップスは高速で休みなく走り続けている。彼らの話題は尽きることがない。自身のレーベル、〈サード・ワールズ〉のサイトを閉鎖したり(その後復活)、傑作“陰茎”アルバム『ノー・ラヴ・ディープ・ウェブ』を〈エピック〉に無断でフリーでリークしてメジャー契約を解除されたり(のちになぜかフィジカル・リリース)――突然ライヴを中止したことも1度や2度ではない(昨年の来日公演は無事に開催されて本当に良かった……)。
 いや、もちろんネガティヴな話題ばかりではない。ライヴをキャンセルしようとも、彼らは新曲やヴィデオをコンスタントにリリースし続けている。そのなかにはプロディジーのクラシック、“ファイアスターター”のリミックスもあった。ドラマーのザック・ヒル(ちなみに『ノー・ラヴ・ディープ・ウェブ』のジャケットに写っているものは彼の身体の一部だ)は自身が脚本・監督・音楽を務める短編映画を作っているという噂もある(「そんなもの作ってはいない」と否定する声明も出しているが……)。

 ひょっとしたら、彼らにとっては停滞こそが忌避すべき死なのかもしれない。その一方で、デス・グリップスは死を欲するかのように生き急いでいるようにも見える。最初のミックステープ『エクスミリタリー』から数えて4作目にあたるこのフリー・アルバム、『ガヴァメント・プレイツ』(ダウンロード・イット!)においてもまたデス・グリップスの態度や表現は過激化と先鋭化の一途をたどっており、MCライドは再びギリギリの縁に立って両手の中指を突き立てている。露悪的なまでにタナトスを剥き出しにして、死へとひた走ることによって駆動するかのような音楽――ピッチフォークは「過去もなく、未来もない現在の音楽」と評している。現在時制によってのみ構成されたデス・グリップスを聴いていると、死の欲動を攻撃性という点に特化して21世紀的な表現方法で音楽化するとどうなるのか、という実験に巻き込まれているかのような気分にもなる。
 タイニー・ミックス・テープスはなぜかポール・ヴィリリオを引き合いに出しているが、絶対的な光の速度が現実空間や社会を解体させていることを分析したヴィリリオの仕事を思い出してみれば、デス・グリップスの態度や音楽はまさに速度と情報の暴力だと言えるだろう。

 ともあれ。カニエ・ウェストの『イーザス』よりもずっと暴力的で恐ろしいインダストリアル・ノイズにまみれたラップ・ロックのアルバムであるこの『ガヴァメント・プレイツ』は、これまでの作品のなかでももっとも騒々しく、耳を痛めつける音で溢れかえっている。おそらく、デス・グリップスもまた怒っている。怒りを増幅させて、それを吐き出している。
 しかし、MCライドのラップはますますシンプルになり、曲によってはほとんど素材のような扱いとなっている。もはやラップというよりも叫びやフレーズの反復に終始し、曲によっては激しくチョップされてしている。

 冒頭の“ユー・マイト・シンク・ヒー・ラヴズ・ユー・フォー・ユア・マネー・バット・アイ・ノウ・ワット・ヒー・リアリー・ラヴズ・ユー・フォー・イッツ・ユア・ブランニュー・レオパード・スキン・ピルボックス・ハット”(ボブ・ディランの曲名のパロディか)は、ガラスの割れる音とサイレンのような電子音、左右のチャンネルから耳を圧迫する壊れたワブルベース、ジョーカーのような笑い声、そしてザック・ヒルの重たいドラミングで聞き手を圧倒する。“ディス・イズ・ヴァイオレンス・ナウ(ドント・ゲット・ミー・ロング)”や“フィールズ・ライク・ア・ウィール”、“アイム・オーヴァーフロウ”の性急でジャングルめいたビートは、悪夢をプレゼンするダンス・ミュージックとして提示されている。もともとデス・グリップスのビートは複雑で展開が多いが、“ビッグ・ハウス”や“ガヴァメント・プレイツ”のそれはジュークを思わせるせわしない動きを見せつけている。
 6分にも渡る“ワットエヴァー・アイ・ウォント(ファック・フーズ・ウォッチング)”は、デス・グリップスらしくいくつかのパートで構成されている。時折挿入されるダウンテンポのノイズ・パートはレイムやそういった類のインダストリアル・ビートとほぼ同じ次元で鳴っている一方、性急なダンス・パートは焼けただれた、あるいは壊死したEDMの残骸のような暴力的な臭みを放っている。
 アルバム中もっとも重要な曲はおそらく先行曲の“バーズ”で、ここではまたザックのドラミングとアンディ・モリンakaフラットランダーのプログラミングが組み合わされており、ビートの緩急がどんどん激しく変化していく。MCライドの声は奇妙に歪んでいるが、じつに重たくパラノイアックな“Fuck you”を吐き出している。

 デス・グリップスにはメランコリーはない――もちろん『ガヴァメント・プレイツ』もその例外ではない。あるのは直接的な攻撃性、凶暴性、速度、ノイズ、アナーキズムであり、インターネット時代の破壊者としての態度である。パンクではあるがしかし、理想やアティチュードを掲げてそれに反するものへ「ノー」を突きつけるよりも速く、あらゆるものに中指を立てている。

Hidenori Sasaki (zoo tapes) - ele-king

2011年からスタートした佐々木秀典によるAmbient、Drone、Noise、Industrialカセット・レーベル〈zoo tapes〉、Drone Chart。
80年代から10年代まで拡散、発展するimprovised/drone/noise recommend、東京のシーンを中心に2012年入手可能な盤をご紹介。
取り扱いshopはArt into Life、Meditations、S.O.L sound、Futarri CD shop、P.S.F. Records Modern Music、NEdS等。
〈zoo tapes〉は2013年よりDOMMUNEにて20代30代の音楽家を紹介するプログラム「Plateaux of NOISE」現代ノイズ進化論を主宰、現在vol.3まで開催。

https://www.facebook.com/zootapes
https://zootapes.tumblr.com/

13年は良い作品が多くリリースされた。
下記作品を制作したアーティストの事を想うと、作り手の緊張感が爆発し結実を始めた一年だったと言っては大袈裟でしょうか?

2014年はElectronicaとの接続を思案。

00年代以降ノイズの細分化=10年代地下Ambient,Drone,Industrial,Experimental=Plateaux of noise現代ノイズ進化論。


1
Steel Music - Untitled - zoo tapes
 自身が昨年から思案し続けてきた、新しい名義、音楽的には80年代new waveのダークなno vocal music+現在の北欧Industrialシーンに対する私的な返答、Industrial,drone。
販売店のlinkはこちらまで https://zootapes.tumblr.com/shop

2
V.A - 朝に唄えば Music from Le Matin - Neurec
 NeraeのメンバーだったReizen(guitar)その後の活動には常に注目しているのですが、そんな彼が参加したオムニバス作品。なんとIncapacitants美川さんと共に名前が挙がっている、これには驚いた、ReizenとはAndrew Chalkの影響やドローン、実験系のアーティストの話をした印象ばかりが強く残っていた。
美川さんと同列に一枚の作品の中にReizenが存在する、ここから何か始まる、、という予感、楽しみが湧いた一枚。
参加アーティスト、内田静男、康勝栄、Reizen、T.Mikawa、Neurecレーベル主宰はT坂口さん、なんというメンバーなのだろう。
世代を超えた激シブなオムニバスアルバム。

3
Reizen - Untitled - Fylkingen Records
 Reizenの新作が出てしまいました、さてこちらの新作上記オムニバスの参加等、更にそのオリジナリティを突き進めた彼の音世界、激シブです。
色々なところで書かれているので詳細などは割愛しますが、とにかく激シブです。
こちらもLPでのリリースお楽しみ下さい!そして四谷茶会記でのReizen&hakobuneライブシリーズ「音ほぐし」13年は新たにキュレーションとして笹島裕樹さんを迎え、東京では定着した企画になっている。

4
K2 / Hakobune - Disambient - Underground Pollution Rec
 Reizenに美川さんが並んだ事に驚くと同時にK2,hakobuneとのスプリットがリリースされたのも個人的には事件だった内容もK2コラージュnoise、hakobuneドローンとお互いの個性がいかんなく発揮されている、ノイズは日本で、東京でその形を、10年代以降更に進化、細分化している。そんな事を目の当たりにできる盤、しかもレコードで聴ける贅沢。

5
Downcasts - Necklace - Phage Tapes
 日本のノイズシーンの流れに対して、直系の担い手と言っても大袈裟ではないKubota Kazumaの存在を記しておきたい、
自身は00年代中期以降ドローンの状況に身を置いていましたが、彼の存在、名前は東京でのライブ活動、音源制作において、耳に入り続けていた、その活動からはノイズに対する思いがストレートに伝わってくる、今回作品はhakobuneとの共作名義でアメリカはPhage Tapesからリリース、カセットプレイヤーで聴くたのしみを彼らもまた提示してくれている。
他作品では12年にイタリアのレーベル、A Dear Girl Called Wendyからもリリースがある。
Phage Tapes,A Dear Girl Called Wendy知らない方も多いと思うが是非検索してみてほしい、彼らの動き、新しいアプローチでシーンがより重層的になっていく。

6
HARUHISA TANAKA - 88 - PURRE GOOHN
 00年、10年代以降のエレクトロニカを含め細分化されていくノイズ、その進化にまた別の側面を提示、挑戦し、実は12,13年最も分かり易く、実験的なサウンドへのアプローチを見せた田中晴久さん、自身周辺のアンビエント、ドローンのコミュニティにも積極的に参加、関係を築き、その結果生み出されようとしている1stソロ作品。この作品には様々な可能性が秘められている、田中晴久さんは並行してMERMORT sounds film(Bass,Laptop)での活動も行っているが、その経歴の中にNY地下との関係を築いている。
このソロ作品をきっかけに10年代中期に向けて東京のドローン、ノイズがNYに飛び火したとしたら??、未知の領域に挑む活動、今後も楽しみでならない。アルバムは14年2月を発売予定。
田中晴久さんは大久保にある展示、音楽liveも可能な空間、Art Space BAR BUENA のオーナーでもあり多くの企画に携わっている。https://bar-buena.com/

7
.es - Void - P.S.F. Records
 モダーンミュージックのレーベルPSFから新譜としてvoidの音が飛びこんで来たのも今年の印象的な出来事だった、.esはalto saxの橋本孝之さんpianoのsaraさんから成るユニットである。
即興Freeシーンからまさか新鋭が、更に活動基盤を大阪に置くユニットが東京のレーベルでのリリース、.esの音楽は即興であり、構築された音世界、彼らの吹かせた風はどこに着地するのだろうか?また東京にあったFree improvisedの流れとの今後は??興味が尽きない。興味が尽きないのは音を聴けば明白であり、彼らの音楽で即興や生楽器でのimproの魅力を再発見する方が出てくる、又は復活してくる事を願いたい。
他今年リリースの作品は橋本孝之さんのソロ「colourful」、美川さんとのセッションを収録した作品T. Mikawa & .es/September 2012とリリース。個人的には13年出会った中での最重要ユニット!
覆すかもしれないが.esの音はrock=bluesなのではないかと考えを巡らす。

8
Chihei Hatakeyama - Minima Moralia - Kranky
 正直目標というか指針というか99年、2000年代初期、中期に実験的音楽シーン、メディアに登場したアーティストの皆様にはあこがれの気持ちがこの10年代に入っても消えないのだか、いや、おそらく生涯尊敬し続けるだろうアーティストの一人畠山地平さんの06年リリースの1st、アメリカは重要なレーベルKrankyからdroneとカテゴライズされた作品。
DOMMUNEの一回目を5月に終え落ち着く間もなく、murmur records代官山にて畠山地平さんと遭遇、これが実質初対面だったのですが、DOMMUNEの2回目は地平さんとやるしかないと確信した出会いであり、先輩との共同作業はそれは長年の希望だった。DOMMUNEでも紹介したMinima Moralia他、地平さんのレーベル White Paddy Mountainの諸作品fraqsea,Shellingが一時soldになった事が印象的だった。同レーベルではOpitope,neohachi,555,Asunaとリリースがある。

9
Moskitoo - Mitosis - 12k
 畠山地平さんとほぼ同時期、その名は07年からメディアに登場していたmoskitooさん、
新譜が前作と同じく12kから登場したのだ、今の高校生、大学生にはこのような音を聴いてほしい、現在とともに、00年代の空気感にひたれるノスタルジーかつ新しい音に触れる事ができる作品。
ここ数年、街を歩いてて感じる事がある、90年代末00年代初期にあった東京の街の力の衰退というか変化、何が言いたいかって重要なカルチャーの一つCD屋が経営できなくなっている状況、多くのCDショップが閉店してしまった。
経済や音楽を取り巻く状況、メディア、都市の風景は変わり果ててしまったように思う、しかし自力を持った作り手は今も新しい音を届けてくれる。音響派、エレクトロニカという呼称が言われ始めて10年以上経過した、その空気感を伝え続けてくれる作り手の世界に身を投じてみよう、時間は経過している、新しいと思われていたジャンルが型となっている、この項では紹介しきれない関連性のある作品も多い。
シーンを形成したミュージシャンはもっと評価(または再評価)されて良いと思う。discoverって言葉東京じゃ通用しないのでしょうか?そんなはずはない、東京を再発見する事が無意味であるはずがない。

10
hatis noit - Universal Beauty - Self-released
 13年DOMMUNEでの現代ノイズ進化論はvol.3まで開催したのですが、hatis noitさんはそのvol.3に出演。
上記紹介の田中晴久さんのnoiseにvoiceを重ねたパフォーマンスには多くの反響がありtwitterはハチスノイトという名で溢れていた。
vol.3開催の前に、田中晴久さんオーナー、Art Space BAR BUENA大久保にてその彼女のパフォーマンスは初めて展開された。自身のvoiceをエフェクトにてループさせ、リアルタイムで更にvoiceを重ねる、他に使用する楽器は無くvoiceのみ、そのliveは空間を一気に変えてしまうほどの力を持ったパフォーマンスだった。hypnotherapistでもあるhatisさんの表現力には脱帽するしかない、ECMのMeredith Monkの作品に近いような、ブルガリアンヴォイスのようだ、という意見もあった、個人的にはGittin' To Know Y'AllのB面にも近いと思った、ここでは書ききれない可能性がそこにはある。
彼女は夢中夢、Magdalaのvocalとして知られているが、popな側面とnoiseが断絶ではなく有機的に衝突した瞬間だった。
この作品ではhatis noitさんのvoice+loop voiceのみ収録、販売店はmore records,parabolica-bis,Art Space BAR BUENA。

上記に紹介出来なかった北欧の作品を一点
V.A - The Copper Roof Houses - Jartecknet
https://www.discogs.com/Various-The-Copper-Roof-Houses/release/3701156
なぜ海外の先鋭的な音、状況が東京の少数にしか伝わらないのか?その影響が都市に音として反映されないのか?
東京の様々なメディア、販売店、書籍、等々の動きは10年代中期どうなるのか?
引き続きその思いを巡らせながら30代を過ごす事にする。

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