「KING」と一致するもの

突然段ボール - ele-king

 1980年、〈PASS〉 レーベルから「ホワイトマン」でデビューした日本のポスト・パンクにおける異端にして伝説、突然段ボール。蔦木栄一、俊二兄弟によるそのバンドは、2003年の兄栄一の病死を乗り越えて、コンスタントに作品を出し続けている。今年で結成44年目のバンドが、〈いぬん堂〉から新作をリリース。ポップでありながら抵抗と風刺のこもった作風は変わらず。
 なお、1991年の大名盤『抑止音力』と、ジム・オルークがミキシングを担当し故ECDや石橋英子もゲスト参加した2008年の『D』の2枚はアナログ盤として2022年に3月23日に〈Pヴァイン〉よりリリース予定。


突然段ボール
マイ・ソング

いぬん堂
2021/12/15発売



突然段ボール
抑止音力

Pヴァイン
2022/3/23発売



突然段ボール
D

PASS/Pヴァイン
2022/3/23発売

250(イオゴン) - ele-king

 90年代に電気グルーヴが日本に紹介したと言ってもいいだろう、いわば韓国演歌・ミーツ・テクノのミュータント・ディスコ、その名はポンチャック。このスタイルはしかし時代を重ねるなかで風化し、若者たちからは「オヤジの音楽」と切り捨てられて、いつしか忘却へと向かった。そんな現状のなか、ひとりの電子音楽プロデューサー‏‏/DJ 、250(イオゴン)が立ち上がった。K-POPから韓国ヒップホップまでと幅広く音楽制作に携わっているこの実力者は、韓国大衆文化の金字塔=ポンチャックの火を消すまいと、その現代再解釈に向き合うことにした。そして完成したアルバムが『ポン』である。これがまた、実験と大衆性(ユーモア)が両立した素晴らしい内容になっているのだ。ぜひチェックして欲しい。
 
 こちらは先行公開曲の“Bang Bus (ベンバス)”の衝撃的なMV。主演のペク・ヒョンジンは俳優としても有名で、是枝裕和監督が手がけ る初の韓国映画『ブローカー(仮題)』にも出演予定だとか。

250 - Bang Bus (Official MV) from BANATV on Vimeo.
韓国ではMVの無修正版がYouTubeで公開されるや否や大きな話題になったが、YouTubeのコンテンツ規制によって削除されたため、Vimeoにて再公開された。一方、YouTubeでは新たに公開された検閲版を見ることができる。

 というわけで、ポンチャックの逆襲がはじまります。2022年2月発売予定のデビュー・アルバム『ポン (Ppong)』を楽しみに待とう!

https://orcd.co/250_bangbus

Klein - ele-king

 その音楽のリスナーが、作り手の好む音楽を共有している確率は高い。いや、もちろんロレイン・ジェイムズのリスナーがマスロックを聴いている率は低いのかもしれない。が、しかしスクエアプッシャーやエイフェックス・ツインを聴いている率は高いだろうし、ボーズ・オブ・カナダのリスナーがMBVを聴くことになんの違和感はない。かつてはレディオヘッドのリスナーもがんばってオウテカを理解しようとしたものだった。しかしながら、クラインを熱狂的に支持した実験的な電子音楽を好むオタクたち(まあ、ぼくもそのひとりであろう)がジェイ・Zやブランディ、マライヤやブリトニーを聴く可能性は極めて低いのではないかと推測される。彼女が好きなオペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティなどもってのほかだ。クラインほど、自分が好きな音楽と自分が作っている音楽のリスナーとが乖離しているアーティストも珍しい。いったい、ラジオから流れるポップR&Bばかりを聴いている人が、どこをどうしたら『Only』『Lifetime』のような作品を作れてしまうのだろうか。いや、まだその2枚ならわかる気がする。まだその2枚なら……彼女はその後、活動場所をクラブやライヴ会場のほか、ICAやテートブリテン、MOMAのような美術館にまで広げ、英国の社会福祉制度をテーマにしたミュージカル(本人いわくディズニー風であり、『ナルニア国物語』風だという)にも出演した。アーティストとしての道を順当に歩んでいると言えるのだが、先々月の『Wire』のインタヴューでは、「ジェイ・Zのレーベルとサインするためのラップのレコードを作る準備もできている」と語っている。「それを冗談で言うこともできるけど」と付け加えて、「でも、私はマジだ」と。

 本作は2021年に自主リリースされた『Frozen』に続くアルバムで、オランダのクラシック音楽専門のレーベルからの、クラシック音楽を習ったことのないアーティストによる、決してクラシカルとは言えないが多少そんな響きをもった作風になっている。作品のテーマは、南ロンドン育ちの彼女が7歳から5年のあいだナイジェリアのラゴスで祖母といっしょ暮らした日々にあるという話で、タイトルの『ハルマッタン』とは西アフリカで吹く貿易風のことだ。
 でまあ、ナイジェリアといって日本の音楽ファンが頭に浮かべるのは、とにもかくにもアフロビートだろう。アフリカ大陸のなかでも大国のもっとも栄えた都市として知られるラゴスにはポップスもあれば消費文化もある。ところが、『ハルマッタン』はこうしたナイジェリアの音楽のどれとも似ていないと察する。ぼくなりに喩えるなら、R&Bと出会ったクラスター(クラウトロックにおける電子音楽のリジェンド)とでもいったところだろうか。
 アルバムは、クラインによるピアノにはじまる。自由奔放な独奏で、フリーキーかつ機敏、ジャジーかつ溌剌としている。本人の説明によれば「20年代からR&Bスタイルまでのピアノ史」ということだが、ピアノ一本でここまで表現してしまうのかと感嘆する。2曲目はその続きのごとくピアノから入ってすぐさま一転、熱気をはらんだカオスの世界──ホルン、サックス、ノイズ・エレクトロニカ、サウンド・コラージュ──に突入する。それから“ハ長調のトラッピング(Trapping In C Major)”における壮大なシンフォニー。コズミックなシンセサイザーと管楽器が交錯する“未知のオプス(Unknown Opps )”、ハーモニカ(?)による重厚なドローンを響かせる“優雅さの憑依(The Haunting Of Grace )”……、ヴォーカル無しの、彼女のシュールな音響世界が次から次へと繰り広げられる。“イバダンのために作られた(Made For Ibadan)”は歪んだエンリオ・モリコーネか、さもなければ蒸留されたエリック・サティというかなんというか。クラインはこのアルバムで、ピアノ、サックス、ハーモニカ、エレクトロニクス、ドラム、ギターを演奏しているというが、もちろんすべてが独学だ
 歌モノは1曲だけ。グライムMCのJawninoを擁した“スカイフォール”だが、これは過去作で見せたダブで水浸しのR&Bではない。たとえばPhewがゴスペルをやったらこうなるのかもしれないと。蜃気楼のような曲“ギャングスタではないが、それでも終わりから(Not A Gangster But Still From Endz)”を挟んではじまる“希望のディーラー(Hope Dealer)” はシンセサイザーとピアノが曲を盛り立てる美しいアンビエントで、この曲は後半のハイライトと言っていいだろう。

 かように『ハルマッタン』は強烈なアルバムであるが、もうおわかりのように、お決まりの“ブラック”ではない。彼女はひょっとしたら、ファンや音楽メディアがもとめる“ブラック”に反発しているのかもしれない。が、これはアフリカの乾いた貿易風の名を冠した彼女のアフリカ体験から生まれた作品なのだ。クラインはいつものように想像力を全開にし、魔法のようなサウンドスケープを創出した。おそらく感覚的に。彼女は、1週間に100曲作ることもあれば公園に行って遊んだりしてばかりの月もあるといい、1週間前には弾けなかった楽器を演奏して録音するともいう。次はまったく違うことをやるかもしれないというし、ドリルのレコードだって準備中だとうそぶく。ま、なんにせよ、彼女が本当にロック・ネイションから作品をリリースすることがあったら、ぼくもジェイ・Zを……(略)。

Marcus J. Moore - ele-king

 ケンドリック・ラマー評伝の邦訳が12月頭に刊行される。
 著者はアメリカの週刊誌『ザ・ネイション』などで執筆する、ブルックリン在住の音楽ジャーナリスト、マーカス・J・ムーア。最近はピンク・シーフムーア・マザーについての記事を『ニューヨーク・タイムズ』紙に寄せている。訳者はヒップホップ・ジャーナリストの塚田桂子。
 ケンドリックの生い立ちや作品を追いながら、現在アメリカのブラックのコミュニティでなにが起こっているのかなどまで含めて考察、時代を見据える1冊になっているようだ。楽しみです。

バタフライ・エフェクト
ケンドリック・ラマー伝

マーカス・J・ムーア 著
塚田 桂子 訳

河出書房新社
単行本 46
352ページ
ISBN:978-4-309-29171-0
Cコード:0073
発売日:2021.12.02(予定)

黒人たちの陰惨なる現実に救済を求め、ブラックミュージック史を根底から更新するラッパー、ケンドリック・ラマー。彼はいかに自身の表現を獲得したのか? その軌跡に迫る傑作評伝。

マーカス・J・ムーア(ムーア,マーカス・J)
音楽ジャーナリスト、編集者、キュレーター。「ピッチフォーク」「ザ・ネイション」「NPR」などで執筆やGoogleのプレイリスト監修。『カニエ・ウエストへの手紙』でエドワード・R・マロー賞を受賞。

塚田 桂子(ツカダ ケイコ)
翻訳者、ヒップホップ・ジャーナリスト。訳書に『ギャングスタ・ラップの歴史』がある。LA在住で、ケンドリック・ラマーへは、デビューした当時から取材を重ねている。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309291710/

Mira Calix - ele-king

 耳に面白くて、頭にも刺激的で、心にも響いてくる。このアートワークほどに明るいとは言えない、ハードな内容を孕んでいるわりには楽しんで聴ける。似ているモノに何があるのだろうかと思って浮かんだのはたとえばザ・ビートルズの“レヴォリューション No.9”だったりするのだが、要するにカットアップ(コラージュ)による音楽、フランスの電子音楽の巨匠ピエール・シェフェールやリュック・フェラーリによる一連のミュージック・コンクレートめいた作風で、つまりリスナーが固定観念を外して感覚を解放すればサウンドは入ってくるし、興味深い音楽体験になること請け合いである。が、それだけなら、いま挙げたような音楽を聴けば済む話かもしれない。だからそう、このアルバムはそれだけではないということだ。

 ミラ・カリックスの名義で知られるシャンタル・パッサモンテはアカデミシャンではないし、何か特別クラシックの教育を受けているわけでもないはずだ。彼女は、およそ30年前はDJシャンタルという名義のアンビエント系のDJで、元々はクラブ系のレコード店のスタッフ、90年代の多くの年月を〈Warp〉のプレス担当としても働いている。AIシリーズを売るために奔走していたひとりで、ぼくの記憶がたしかなら、踊れないと批判されていた〈Warp〉音源が、(腕がたしかなDJにかかれば)むしろスリリングなダンス・ミュージックとしても機能することを証明させた『Blech』は彼女の企画である。

 シャンタルはヴァイタリティがある人だった。そしてものすごい駆け足で、独自の道を歩んでいったし、いまもそうだろう。ミラ・カリックス名義で実験的なエレクトロニック・ミュージック作品を発表するようになったのは、90年代後半になってからだったが、2003年の2ndアルバム『スキムスキッタ』でブレイクすると、アート・ギャラリーでのインスタレーションやロンドン・シンフォニエッタとの共演といったハイブローなところで活躍の場を得るようになった。昆虫の音を使って音楽を作曲するよう彼女に依頼したのは、ジュネーブの国立自然史博物館である。

 ほかにもシャンタルは手広くいろいろやっている。シェイクスピアのソネット集のための作曲を担当したり、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールで17世紀の合唱音楽に触発された作品を作曲したりと、近年ではエレクトロニカのプロデューサーというよりも、コンポーザーとしての活動のほうが目立っている。discogsや彼女のサイトを見ていると、2006年に〈Warp〉からの4枚目となるアルバム『Eyes Set Against The Sun(太陽に照らされた目)』を出してからは、ほとんど俗離れしたシーンこそが彼女の主戦場だったように思えてくる。2016年からは主にモダン・クラシカルな音源をリリースする自身のレーベル〈Mira Calix Portal〉もスタートさせているが、そのなかにはオリヴァー・コーツとの共作もある(ちなみにコーツをもっとも最初にフックアップしたのは2008年のシャンタルだった)。

 ゆえに2019年のシングル「Utopia」は久しぶりの〈Warp〉からのエレクトロニカ‏/IDM作品で、それに続いたのが本作『Absent Origin(不在の起源)』となるわけだ。しかしこれは『スキムスキッタ』のようなエレクトロニカ作品ではないし、「Utopia」ほどビートが強いわけではない。おそらく『Absent Origin』は、シャンタルがここ数年のあいだ試みてきたことが踏襲されたアルバムで、芸術的であり、政治性も秘めている。彼女のサイトによると、2017年のほとんどを第一次世界大戦に至るまでの地政学的景観を調査し、ロンドン塔における休戦を記念した音と光のインスタレーションのために費やしていたという話だが、その研究のさなかに当時のナショナリズムの台頭とそれに呼応したアート(ダダイズムとコラージュ)に感銘を受けたことが本作を作る前提になったという。じっさいシャンタルはこの作中に、詩人、政治家、抗議者からのより身近な話し言葉を差し込んだそうだが、その強い気持ちは音楽から感じることができる。

 1曲目の“Mark of Resistance(抵抗の印)”がまずそうだ。指を鳴らす音や抽象的な電子音、小さな声や物音、いろんな音が切り貼りされていくなか、フットワークめいたリズムが入り、ベースが落とされ、女の掛け声と女の詩の朗読が曲の高まりに同期する。これがデモ行進における高揚でなくてなんであろう。そして彼女の自由自在の音楽性は、そうした政治的な意図を含みつつも、やはりどうしても、耳を楽しませてくれるものでもあり、それが素晴らしく思える。

 2曲目の“There is always a girl with a secret (秘密を持った女の子は必ずいる)”にも同じことが言える。女の歌声(女のいろんな声は今作の重要な要素になっている)のコラージュ、そしてドラムのフィルインとパーカッションとの掛け合い(ベースが入るところは最高に格好いい)は、ぼくには彼女のフェミニズム的な主張が含まれているように感じられる。が、この曲もまたひとつの自由な音楽表現としての輝きがあるのだ。

 クラシカルなピアノが演奏されるなか、ハサミの音が断続的に聞こえ、子どもの声と大人の女性の声が交錯する“Silence Is Silver(沈黙は銀)”も面白い曲だし、反復する吐息と小さなメロディが浮遊する“I`m love with the end(私は終わりに恋をする)”はとくに魅力的な曲だ。バイオリンと女の古い歌、単調なドラム、女と男の声で曲を進めながら途中から場違いなファンクのベースやフルートで構成される“Transport me(私を運んで)”もユニークで、それこそ腕がたしかなDJならダンスフロアで最高のミックスをするに違いない。アルバムの最後を締めるのは、室内楽とモノローグが交錯する“The abandoned colony collapsed my world(見捨てられたコロニーが私の世界を崩壊させた)”、これは80年代以降のゴダールのコラージュを思い出さずにはいられないような切ない曲だ。

 以上に紹介した以外にも、『Absent Origin』には聴きどころがいくつもある。タイトルが示すように、さまざまなサウンドはコラージュされ別の意味を生成し、混迷した時代を生きる人たちを癒やすかのように、みずみずしい感性を醸成する。何度も聴くにつれ、ぼくにはなんだか彼女の集大成的な作品ではないかと思えてきた。

 で、最後にこの、あまりにも楽しそうな、なんとも無邪気に見えるアートワークのコラージュだが、これはシャンタルが本当にそういう人だからなのだろう。ぼくが彼女に対面で取材したのは一度だけで、あとは電話取材(まだ電話だった時代)しかないのだけれど、彼女はキビキビした人で、ユーモアがあって明るい人だったと記憶している。なお、シャンタルはオリヴァー・コーツといっしょに、2021年初頭ジョン・ケージのプリペアド・ピアノ作品のリミックス集『John Cage Remixed』もリリースしている。こちらもおすすめです。

 近年はイスラエルからさまざまなジャズ・アーティストが出てきている。そんななか、当地の最新音楽に触れるリスニング・イヴェントの開催が決定した。
 原雅明とサラーム海上が出演、さらになんとイスラエルにおける現代ジャズの旗手、リジョイサーことユヴァル・ハヴキン(バターリング・トリオやアピフェラの一員としても知られる)も登場するとのこと。詳しくは下記より。

イスラエルの最新音楽シーンとカルチャーを聴く
日本イスラエル文化交流プログラム
Super New: Israel
-Talk & Listening Session-
2021年12月11日(土)開催決定!

原雅明+サラーム海上が、イスラエル最新音楽シーンの中心人物「Rejoicer」をフィーチャーし、高音質なリスニングシステムと共にお届けするハイブリッド型イベント。

名称:
日本イスラエル文化交流プログラム
Super New: Israel -Talk & Listening Session-

日時:
2021年12月11日(土)
18:00開演 (17:00会場)
※アフターパーティは20:00スタート

会場:Just Another Space 
東京都目黒区上目黒1-3-9 藤屋ビル3F 
   
チケット:https://supernewisrael.peatix.com
(会場での参加のみ有料)

ライブストリーミング:https://dublab.jp/

主催:dublab.jp、epigram inc.
協力:GENELEC JAPAN
助成・後援:駐日イスラエル大使館

interview with Nightmares on Wax (George Evelyn) - ele-king

 ナイトメアズ・オン・ワックスを名乗るジョージ・エヴリンと言えば〈Warp〉の古参のなかの古参、在籍年数で言えばAFXやオウテカよりも長い。そんなエヴリンと対面で取材したのは、ぼくはたったの一回だけ。1997年、まだシェフィールドにあった〈Warp〉のオフィス内でのことだった。ここでおさらいしておくと、彼の名義にある「ナイトメア」の意味を「悪夢」などとネガティヴに訳してはいけない。これは「悪夢」という言葉が反転して「ワイルドな夢」という格好良さを意味している。マイケル・ジャクソンの「バッド」が「悪い」んじゃなく「超格好いい」ということを意味するのと同じだ。「ワックス」とはレコードのことで、つまり彼の名義は「レコードのうえのワイルドな夢たち」なのである。
 1997年に「レコードのうえのワイルドな夢たち」に会うということは、かの有名な『スモーカーズ・デライト』(*至福のチルアウト感覚によって、トリップホップを再定義したアルバム)をリリースしてまだ2年しか経っていないときに会うということだ。ぼくのなかにエヴリンに対する先入観がなかったと言えば嘘になる。ところがじっさい現地で会った本人は、アシッド・ハウスと出会ったリーズのBボーイというよりは、シックな服装をした、いたって真面目な普通の青年という印象だった。そのときの取材の最後に彼が真顔で言った言葉はいまも忘れられない。「ギリギリの生活だけど、飯が食えて、良い音楽と良いウィードがあれば俺は満足なんだ」
 ジョージ・エヴリンにとっての「良い音楽」とは、オーセンティックなソウルであり、80年代のヒップホップであり、70年代のダブやレゲエ、そして官能的なジャズ……なんかである。とりわけクインシー・ジョーンズの『ボディー・ハート』(1974)のような作品や70年代のカーティス・メイフィールドの滑らかなソウル/ファンクは、オールド・スクールのヒップホップとともにNOWの出発点において大きなインスピレーションとなっている。
 いずれにしてもNOWの作品は、エヴリン独特のレイドバックしたダウンテンポというパレットの上をさまざまな「良い音楽」がミックスされることで生まれている。彼は現在のところコンスタントに8枚のアルバムをリリースしているが、それらはすべてチルアウターたちの期待に応えるものであり、快適さを約束するものという点ではすべてが同じと言えるのだが、しかし作品ごとそれぞれしっかりと色を持っているという点ではすべてが違ってもいるのである。 
 先日リリースされたばかりの9枚目のアルバム『Shout Out! To Freedom...』もある意味いつもと変わらぬNOW音楽ではあるが、しかしいつもとは違った熱が込められている。その「違った熱」について、以下にエヴリンがイビサの自宅からじつに熱心に語ってくれている。アルバム制作中に受けた手術について、今回のテーマとなった自由について、音楽を作ることの意味、シャバカ・ハッチングスへの敬意、そしてブラック・ライヴズ・マターについてなど、彼のシリアスな思考がよく出ているし、こんなにたくさん話しているインタヴューは他にないと思うので、エディットは最小限にして、なるべくそのまま掲載することにした。リラックスしながら、部屋のスピーカーから新作を流しつつ読んでいただけたら幸いだ。忘れかけていた微笑みが戻ってくるかもしれない……。 

俺は、パンデミック以来、実に多くの物事から自分を解放したからね――つまりパンデミックを機に、リセットしてみたんだ。自らをリセットし、自分自身の内面と再びチューニングを合わせ、そうやって本当に、じっくり人生を見つめ直し、再評価してみた。自分の人生や人間関係等々をね。

本日はお時間いただき、どうもありがとうございます。

GE:どういたしまして。

■この取材はele-kingという、インディ・ミュージック/エレクトロニック・ミュージック系のウェブサイト向けのものになります。

GE:うん、雑誌は憶えてるよ!

(笑)はい、紙版もありますが、現在はウェブが主体になっています。

GE:なるほど、そうだよね。

パンデミック以降、あなたのイビサでの生活はどのように変わりましたか? 

GE:そうだな、俺の生活は……思うに、自分はスロー・ダウンし、対して時間のスピードは速まった、それだったんじゃないかな? (笑)いやだから、自分の日常はいま、非常にリラックスしたものになっているってこと。常にツアーで移動、ほぼ数日おきに次の地に飛ぶフライトをつかまえる……なんてこともないし、家に留まり、家族との時間をエンジョイし、そして音楽作りも楽しんでいる。そうだね、いま、とても、とてもハッピーで満足している。

スペイン本土はたいへんでしたがイビサは島ですから、それほど影響は受けなかったのでしょうか?  

GE:あー、うん……。いや、正直、COVIDそのもの以上に、パンデミック関連の規制の方が危険だったっていうか(苦笑)? たとえば、我々もロックダウンさせられたし、家からの外出も禁止、海で泳ぐことさえ禁じられて――それって、俺からすれば理屈に合っていなくてさ(苦笑)。だって、海で泳ぐのは身体の免疫機能に良い効果があるからね。

はい。

GE:政府側は人びとに自宅謹慎を求めたけど、日光を浴びるのは身体にとって良いことだし。それに、街路での喫煙も、飲酒も禁止。管楽器を演奏する場合を除いて、常時マスク着用が義務づけられていた。

かなりガチだったんですね。

GE:(苦笑)ああ、やや過剰だった。でもさ、ほら――俺たちはまだ元気にやっているし、いまやこうしてあの頃についてジョークを飛ばせるんだから、そこはラッキーだってことじゃないかな。だけど、COVIDというストーリーはまだ終わっちゃいないと思うし、うん、まだしばらくかかるだろうな。俺たちは果たしてこの冬を乗り切れるか、そこを見極めていこうよ、ね? 冬で状況がどうなるかを見守っていこう。

ですよね。さて、資料によると今作を作る前に、あなたの健康上で大きな問題があったそうです。長年の活動(ギグや移動など)によってずいぶん身体にダメージがあり、ご自身の健康を案じたということですが、具体的にはどのようなことがあったのかを話せる範囲でいいので教えてください。

GE:ああ。っていうか、それは今年の話。今年のはじめに起きた出来事だよ。

そうなんですね。

GE:というのも、んー、そうだな、アルバムを書きはじめたのは……2018年末にはソングライティングに取り組んでいたし、そのまま2019年も継続し、で、2020年3月にパンデミック状況が本格化し出した、と。あれは今年のはじめ、2021年1月だったけど、頭の後ろに痛みを感じていたから健康診断に行ったんだ。検診の結果健康上の問題が発覚し、手術を受けることになった。頭に腫瘍があって、それを摘出する手術をね。

なんと! それはたいへんでしたね……

GE:良性の腫瘍だったし、もう大丈夫なんだけどね。ただ、あの当時は(良性かどうか)わからなかったし、生検の結果が出るまでしばし待たなくてはならなかった。それでも、その間もアルバムには取り組んでいた。だから、あの体験のおかげで非常に……非常に興味深いリアリティがもたらされたっていう。言うまでもなく自分の寿命を、これでおしまいなのか? と自問していたし、果たしてこれが自分の最後のアルバムになってしまうのか、あの段階ではそれもわからなかった……。そういう、あれこれに直面したわけ。
 けれども、そうした思いのすべてから数多くの感謝の念が生まれ、生きていることのありがたみを感じる助けになった、というか――まあ、俺はいずれにせよ、感謝の思いはかなり強い人間なんだけど――この一件は自分にとってでかいストーリーだった、みたいな。で、それはある意味このアルバムが表現しようとしていること、そことも一致するんだよ、フリーダムの別の側面、というか。だから、いまおれは自由についていろいろと語っているけれども、これは自由のまた別の要素というか……果たして自分はこのストーリー(=健康問題等々)から逃れられる(free of)のか、それともこの作品が最後のストーリーになるのか? と。というわけで、うん、あれは非常に、非常にディープでエモーショナルな時期だったね。

腫瘍が良性だったのは本当に何よりですが、そこには長年の活動もあったと思いますか? 先ほどもおっしゃっていたようにあなたは多くのギグをこなしてきたわけで、不規則なツアー生活のなかで健康管理をちゃんとしていなかった、という面も若干影響した?

GE:いやいや、あれは……何もツアー生活ばかりが要因だった、とは自分は言わないなぁ。もちろんツアー中の生活様式は、エモーション面・精神面・肉体面でヘルシーなものとは言えない。そこは認めて、いったん脇に置こう。ただ、俺自身は不健康な生活を送っていなかったしね。食生活もかなりちゃんと考えてるし、エクササイズもやってるからさ。でも、そうは言いつつ、その3つの要素のバランスをとるためには、たまに、その一部をある程度犠牲にしなくちゃならない場面だってあるわけだよね?

たしかに。

GE:だから、あの出来事が自分のミュージシャンとしてのライフスタイルのせいだった、とは言わないよ。でも、ある意味感じたな……正直、肩と首とに、苦痛・不快感は長いこと、何年も感じてきたんだ。ただ、その要因が腫瘍だったなんてちっとも知らなかった。実際、こんな風に(と、DJが肩をあげてヘッドフォンの一方を耳に押しつけ、首を傾げてモニターするポーズをとる)プレイしながら何時間も立ちっぱなしだったり――

(笑)ええ。

GE:(笑)フライトを目指して移動続きで、睡眠も食事も行き当たりばったりになったり。だから自分の背中の痛みだのなんだのは、そんなツアー生活のつけが回ってきたのかな? くらいに思っていた。ところが、これ(腫瘍)が見つかったわけで……あれは頭部/首の後ろ、しかも筋肉のなかにできていてね。そのせいで、自分の立ち方から何から、すべてに影響が出たんだ。

全身に関わりますよね、それは。

GE:そう。で、さっきも話したように、6ヶ月くらい前まで……いや、もっと前かな? それまで、要因がそれだったとは知らなかったわけで。ともかく、クレイジーな話だった。で、おれとしては……長年の活動のせいにするつもりはないし、とにかくこの体験も自分のストーリーの一部として見ている、そんな感じなんだ。それに、あれで、自分は古いエネルギーを、何かしら古くて重たいエネルギーを取り去っているんだ、そんな風にも捉えていた。というのも俺は、パンデミック以来、実に多くの物事から自分を解放したからね――つまりパンデミックを機に、リセットしてみたんだ。自らをリセットし、自分自身の内面と再びチューニングを合わせ、そうやって本当に、じっくり人生を見つめ直し、再評価してみた。自分の人生や人間関係等々をね。で、それをやることは、ロックダウン期の時間を過ごすのに実に役に立った。ほんと、あの頃は、費やせるのは時間だけだったから。でも、あの経験のおかげでとても多くの結果を、そして感謝の念を手に入れたよ。

俺は自分のレコードや音楽を「変化しつつあるコンシャスネス」と関連づけている、それは間違いない。肌の色は関係なしに、すべての人びとを集め一緒にするものとしてね。

なるほど。すでに作品作りには着手していて、その途中で腫瘍が発覚した、と。ある意味ショッキングな、人生の転換期を迎えたなかでの録音になった今作は、どのような過程で生まれたのでしょうか?

GE:うん、制作中にあの一件は起きたけど、それでも俺は音楽作りをストップしなかったんだ(笑)! うん、とにかく、中断はしなかった。だから、それがこの一連の出来事の、本当に、本当にシュールな側面だったっていうのかなぁ……要するに、健康上の深刻な問題があるからって、じっと安静して心配ばかりしているつもりはないぞ、みたいな。わかる? それは自分じゃないし、仮に事態が最悪なものになったとしても、だったら自分はいま残された時間をできるだけ活用したい、と。そこで、よりディープな地点に連れて行かれたっていうのかな、要するに「もしもこれが自分の作る最後のアルバムになるとしたら、どんな作品にしたいんだ?」と自問したわけ。

なるほど。

GE:だろ? 実際、その思いのおかげで、より深く掘り下げていくことにもなった。何も考えていないときですら、色んな思いがランダムに頭に浮かんだしね。家族のみんなは大丈夫かなとか、ありとあらゆる考えが勝手にわき上がってきて、我ながら「ワオ、一体どこから出て来たんだ?!」みたいな。音楽に関してもそれは同様だったし、非常に……とは言いつつ、俺はまだこのアルバムのストーリーを見つけようとしていたし、もちろん常に音楽を作っているとはいえ、アルバムが1枚にまとまっていく過程というのは、音楽群が形を成し、徐々に一貫性を持ちはじめ、そこで俺にも「アルバム」が聞こるようになってくる、と。そうなったところで「このアルバムは何についての作品なんだろう?」と自問しはじめるし、そうやって音楽そのものが正体を現しはじめるんだ。
 というわけで、パンデミックのはじめ頃、アルバムの30〜40パーセントができていた。で、そこから数人のアーティストの声をかけていき、「君たちサイドの内部で何が起きているか、それについて書いてくれないか」と頼んだんだ。と言っても、(パンデミック被害状況等の)統計上の数字の話ではないよ、もちろん! そうして彼らから俺に返されてきたものは、実に深遠で、本当に興味深いものだった。で、2020年も終わりに向かいつつあった頃、俺も感じはじめていたんだ、「フム、これらの歌はどれも、色んな形の『自由』を求める叫び、様々に異なる呼び声のように聞こえるな」って。それで俺自身、自分に問いかけはじめたんだ、「自由とは何か?」と。ほかのアーティストとの話し合い、あるいは自分の抱いた疑問からですら、誰もがひとりひとり異なる「自由」の定義を持っている、という点に気づいたからね。誰にとっても、各人の自由の定義は違うんだ、と。そこで俺も、おお、これはすごく面白いなと思った。
 そうして、続いて――俺自身の、「マイ・ストーリー」が起こったわけだよ、そう思った後に(苦笑)。で、俺もなんてこった! って感じだったし、じゃあ、自分は何から自由になりたいだろう? と考えた。要するに、この(自由に関する)アルバムを作っているところで、自分個人のストーリーも生じた。自由についてのアルバムを作っている最中に、自分も実際に何かから解放されたい/逃れたいと思って生きていた、みたいな。しかもその間、外の世界も同じような状況だったわけだよね? 人びとは外出したがっていたし、他者との結びつきを求めていて、でも家族親類にすらなかなか会えない状況だった。政府の動き方もかなり妙な具合だったし、うん、思ったんだよ、「みんな自由を求めてる、じゃあ、フリーダムってなんなんだ?」と。その思いはホント、このアルバムを作っていた間じゅう、ずっとこだましていたっていうのかな。遂に気がついた、「そうか、誰にだって、そこから自由になりたい何かがあるんだ」とわかったっていうか。たとえ、人びとは「自由になりたい」と口に出して言うことはなくてもね。だから、もしかしたらこれはそれについて話し合い、他の人間にも「そう思っているのは君だけじゃない」と知らせる機会なんじゃないか、と思った。誰しも何かしら、そこから逃れたいと思っているものがあるんだ。誰だって、絶対にある。それは子供時代のトラウマかもしれないし、仕事かもしれない。人間関係から解放されたいとか、なんらかの恐怖症から自由になりたい等々、いくらでもあるだろう。誰もがそれぞれの思いを抱いているし、君ひとりじゃない、俺たちみんなの抱えているスピリットについてなんだ、と。だろう? というわけで俺は……このアルバムの収録曲を通じてだけではなく、本作に関する取材やその周辺で起きる対話を通じて、この疑問から我々はなんらかの癒しを生み出すことができるんじゃないか? そう思ってる――誰に対してもね。いやほんと、このアルバムはあらゆる人に捧げたものなんだよ。

様々な要素のある作品ですが、たとえば“Imagineering”をはじめとして全体にとても温かなヒューマンさ、受け入れてくれる感じのするアルバムなのは、だからなんですね。

GE:うん、“もたらす”ってことなんだ……もうひとつ俺が大事だと思うのは――様々な問題についての歌を書くのはかなり楽なことなんだ。ただ、俺はそれはやりたくない、っていうのかな? いや、それらの問題に光を当てることはちゃんとやるけれども、それだけではなく、同時に希望ももたらせるだろうか、みたいな? というのも、肝心なのは問題それ自体じゃないから。大事なのはそれらの問題の解決、それなんだ。わかるよね?

なるほどね、はい。

GE:で、解決は、俺たちはみんな互いに繫がり合っている、そう感じたときにやってくるものであって。というわけで、俺からすれば人びとに「ああしろこうしろ」と命じるのではなく、みんなと何かシェアする形でその点をどうやって表現すればいいだろう? ということだったんだ。その問いかけは、少なくとも人びとがその点を意識する、そういう思考を彼らのなかにインスパイアするかもしれないし。

[[SplitPage]]

自由についてのアルバムを作っている最中に、自分も実際に何かから解放されたい/逃れたいと思って生きていた、みたいな。しかもその間、外の世界も同じような状況だったわけだよね? 人びとは外出したがっていたし、他者との結びつきを求めていて、でも家族親類にすらなかなか会えない状況だった。政府の動き方もかなり妙な具合だったし、うん、思ったんだよ、「みんな自由を求めてる、じゃあ、フリーダムってなんなんだ?」と

これだけ長い間活動し、アルバムを出し続けるというのは決して簡単なことではないと思います。かれこれ30年近くですよね?

GE:ああ、32年じゃないかな?

アイデアの面でもそうですが、パッションの面でも若いときの気持ちを持続するのは困難です。今作『Shout Out! To Freedom…』はどのようなパッションをもって制作されたのでしょう? どんな風にパッションを維持しているのですか?

GE:そうだな……思うに、俺は常にかなり、好奇心の強い知りたがりな人間だからだと思う。だからいつだって疑問を発しているし、しかもそれらの疑問は大抵、自分自身を中心にしたものだっていう。要するに「この、俺が音楽と結んでいる関係ってなんだんだ?」みたいなことだとか、とにかく「これはなんなんだ?」としょっちゅう疑問が浮かぶし、そうなったらその答えを見つけようとする。あるいは、過去を振り返って「フム、昔の自分はいったいどうやって音楽を作ったんだ?」と思うことすらある。っていうのも、いまの自分はああいう音楽の作り方をやらないし、考え方も変わったから、ああいう音楽の作り方はもうやれっこないな、と。だから、自分の作品を聴き返してテクニカル面での細かい内訳は思い出せないし、それこそもう、自分の音楽を自分で暗号解読するのに近い。ただ、たとえそうであっても、その曲にある魔法の瞬間は認識できる。そのマジックの瞬間を、俺のなかに存在する子供は聴き取ることができる。で、その部分なんだよ、俺がなんとか近づこうとして取り組んできたところっていうのは。
 というのも、自分のなかにあるその部分は、とにかくプレイ(遊ぶ)しようとし、楽しみたがっている。でも、子供ではなく年齢を重ねた部分は、物事を見極めようとして、本当に観察型で分析派なものになるんだ。で、自分のその面があまりにシリアスになることもあるのに気がついたし、そうなると音楽作りから楽しさが奪われてしまうんだよ。で、過去にそうやってシリアスになり過ぎて音楽からFUNが失われた、そういう状況に自分が陥ったことは間違いなくあった。だからだろうね、これ(キャリア)に関しては、旅路を行くようなものだ、と捉えられるのは。たまにそうなることもあるさ、と。
 でも、俺がその旅路のなかで学んできたことは「自分が邪魔になることなしに、自然に音楽に発生させることはできるだろうか?」であって。その点は、いまの自分にはとても、とても大切だ。音楽が自然に生じる状況の妨げにならないようにすることで、俺は自分のやっていることと自分との関係についてもっと意識するようになりはじめたし、そこにエキサイトさせられる。そんなわけで、いまの自分は――もちろん、「こうだろう」という概念はあるんだよ。ただ、自分が何かを探し求め、音楽を作っているとき、俺はそこでいまだに質問を発しているんだ、「君(音楽)は俺に何を語りかけようとしているんだい?」みたいに。(語気を強め命令口調で)「これは絶対にこうあるべきだ!」、「サウンドはこうじゃないとダメだ!」云々なノリではなくてね。
 いや、俺だって確実に、そういう人間ではあったんだよ。ただし、いまの自分はそうではない。いまの自分はゲームに興じているという感じだし、そこにあるアドヴェンチャー、そして可能性は無限大、みたいに思う。で、完璧である必要はないんだよね。俺はこれまで、物事を完璧にしようとして長い時間を費やしてきた。けれども、完璧過ぎるものにしようとするあまり、逆に音楽作りの楽しさが奪われてもしまう。だから、とにかく作ってみて、できたそのままに任せよう、また後になってそれに立ち返ってみればいいさ、と。きっと「ああ、こういうことだったのか」と自分にも理解できるだろう――自分の長い旅路のなかの、どこかの時点で納得がいくはずだ、と。
 そんなわけで、10年前に作った音楽で、自分でもどういうことかいまだにわからない、というものはあるんだよ。ただ、いまの俺はそのプロセスを信じている――歌というのはおのずとある地点に達するものであって、そこでそれらの歌は一群の集まりになり、アルバムという大きな絵の一部を成していくようになる、そういうプロセスを信頼している。だからいまの俺は、音楽を作る際のプレッシャーをまったく感じないんだ。かつ、いわゆる「シーン」だとか(苦笑)、そういうものにまったく興味がない。ああいうもろもろは、若い頃の自分が関わっていたことだったからね! 
 いまの俺はとにかく、自分をもっと知るために、そして自分と音楽との関係を理解するために音楽に取り組んでいるし、それが俺を駆り立て続けている。俺にもわかったんだ、自分は、この「チャンネル」なんだ、って――なんであれ、そのときどきの自分が「これは!」と思ったもの、魅力を感じたサウンド、それを発信するためのチャンネル。で、俺はどこかからそれを受信している、と。俺にとってのそうであることの美しさというのは、いまだに「ワオ!」と驚かされるところにあるし、だからこそもっと音楽を作りたくもなるっていう(笑)。
 それに俺は、とくにインスピレーションを探すってことがないんだ。スーパーマーケットを歩いていてもインスパイアされるし(笑)、そこらを歩いていて何か閃くとか、音楽と一切関係のないことをやっていてもインスピレーションが浮かぶ。つまり、ゴリゴリに「音楽、音楽、音楽!」と、そればかり考えなくてもいいってこと。俺は「自分の実人生があり、そして自分の音楽家としての人生がある」という風に分けて捉えてはいない。ノー、ノー、そうじゃないんだ、それらすべてが俺の人生なんだ!みたいな(笑)。そのおかげで、自分はより解放され、かつもっとインスパイアされるようになったと思う。

『Shout Out! To Freedom…』というタイトルにした理由についてお話ください。この言葉はどういう風に出てきたのでしょう? 先ほども話に出てきたように、いろいろな人びとの「フリーダム観」を提示したい、ということですか?

GE:ああ、だからこの作品は、各種の「あなたたちにとっての自由」に捧げたもの、みたいなアルバムであって。そうはいっても、この1枚で自由に関するあらゆるテーマを取り上げてはいないかもしれないけど――

それはやっぱり、不可能でしょう。

GE:(笑)ああ、無理だよね。それでも、今回の作品は自由にも色んなものがあるって点を認識する機会であり、自由について対話を交わすきっかけ、でもあるんだ。というのも、我々は得てして……だから、俺ですらこのレコードを作ったことで、自由に対するアウェネスが以前よりもさらに大きくなったし。で、誰であれ、今作を聴く人にも、それと同じことが起きてくれたらいいなと思ってる。自分たちの自由を意識すること、そこは大事だと思う。どうしてかと言えば、我々の一部には満喫できている自由も、ほかの人びとには許されない、ってことはあるからね。でも、あらゆる人びと、誰もが同等の自由を享受するに値する。ただ、その状態に達するには、そこに対する人間の集団的なアウェアネスが存在しなくちゃ無理だろう、と俺は思っている。俺たちはついつい、自分たちひとりひとりのちっぽけな世界に縛られてしまうわけで――

たしかに。

GE:それよりも、俺たちがみんな、自分たちは集合的なファミリーなんだって意識に目覚めること、そこなんだ。国旗だの、国境だの、国家だの、そういう点にこだわるのはやめにして、自分たちをひとつの惑星の上で一緒に生きている存在、そういうものとして見ようじゃないか、と。俺たちには物事を変えていくチャンスがあるし、物事は物の見方、捉え方次第で変化するものだしね。だからなんだ、この「自由」っていう題材はものすごく大きなテーマだな、と思うのは。そこには実に多くの可能性が含まれている。

アルバムのタイトルもですが、“Creator SOS”や“3D Warrior”、“Up To Us”といった曲名にも何か強い気持ちや熱い思いを感じます。平たく言えば、メッセージの籠もった作品ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

GE:うん。だからまあ、さっきから話しているように、俺はこれらの曲で、様々な自由という主題にハイライトをつけているわけ。色んな人びと、ハイレ・シュプリームとの共作曲等々で彼らの意見に光を当てているし、そうやって俺たちは質問を発しているんだ。そこなんだよね、あれらの点に対するアウェアネスを持ち込むこと、そうしたアウェアネスをより広い対話の場に持ち来たらそう、と。たとえば“3D Warrior”のタイトル、あれは、「我々は3Dリアリティのなかで生きている」、そこからきたものなんだ。で、そのリアリティのなかで生きるのは実はかなりタフでもある。3Dな現実のなかで生きている人間は、誰もがみんな戦士(Warrior)なんだ。

私も戦士でしょうか?

GE:もちろん、君も。みんながそうなんだ。だからあの曲はいわば、すべての3Dの戦士たちに捧げる頌歌、みたいな。俺たちはみんな、3Dリアリティの窮屈な縛りのなかで生きているから――現時点では。少なくとも、現時点ではそう。永遠にそうではなくて、いずれ変わるだろうけどね、フフフッ!

[[SplitPage]]

この作品のために作った音楽は、パンデミック中ですら作業していたから、かなりの量になってね。それらの音源をすべて携帯に入れ、ビーチまで出かけてジョイントに火をつけ、聴いてみたんだ。で、思ったよ、「……これは2枚のアルバムだなって」って。

今作にはシャバカ・ハッチングスという強烈な個性を持ったジャズ・アーティストも参加しています。アルバムのなかに何を求めてシャバカ・ハッチングスを起用したのですか? あなたは彼のどんなところに惹かれたのでしょう?

GE:俺がシャバカの音楽と初めて出会ったのは、たぶん2017年だったんじゃないかな? で、あのときの俺は(目を丸くして)「……こりゃなんだ? いったいなんなんだ?!」みたいな反応で(笑)。文字通り彼の音楽、彼のやっているプロジェクトのすべて――とにかくそれらを全部知りたい! と思った。ほら、たまにいるだろ、「この人のことは何もかも知りたい!」とどうしようもなく思わされる、そういうミュージシャンが。俺はとにかく、彼についてもっと知りたいと思ったし、彼の音楽を聴けば聴くほどさらに知りたくなっていったわけ! 
 これは誓っていい、本当に心からそう信じているんだけど、俺たちは今まさに、「生ける伝説」を体験しているところだ、そう思う。ああいうミュージシャンが世のなかに登場することはまずめったにないし、しかも彼はまだ生きていて、しかも作品を発表し続けている最中なわけで、だからまあ、シャバカはすごいと思っているし、あるとき友人のスティーヴから「お前と彼がコラボレーションした図を想像してごらんよ、最高じゃないか?」と言われて、俺もそりゃアメイジングな思いつきだと思った。
 で、“3D Warrior”ってトラックの興味深い点は……あのトラックを、俺はまずウォルフガング・ハフナー、ドイツ人ジャズ・ドラマーである彼と一緒にはじめてね。これまで何度もコラボしてきた、仲のいい友人だ。で、俺はまずこの、ループのアイディアを彼に送り……いや、そうじゃなくて、まず俺たちはレコーディング・セッションをやったんだ。そのセッションの最後のあたりで、俺にあのループのアイディアが浮かんで、そこに付け足した。そしたらウォルフガングが「あ、そのループに合わせて演奏させてくれ、何かやらせてくれ」と言い出して、そうだなあ、それこそ10分くらい? あのループに合わせてひたすらプレイしていったっていう。俺も「うわっ、こりゃすごい!」と思ったけど、俺の手元にあったのはそれだけだったんだ。ところが、それから4ヶ月くらい経って、あれは……たしか2018年だったはずだな。うん、4ヶ月後に、俺は自分の地元のリーズで、長年の付き合いのキーボード・プレイヤー、そして若いベース奏者のアレックス・ビーンズとスタジオ入りして、そこで彼がベース・ラインとメロディを思いついた。ちょっとしたループ、ドラム、ベース・ラインができたわけ。
 それで俺は2019年10月にハイレ・シュプリームとフックアップして数日セッションをおこなって、その終わりあたりに彼が「そういえば、こんなビートがあるんだけど」と一種のトライバルなビート調な要素を持ち込んできて。彼はルーツがエチオピア系の人だし、そこで俺のイマジネーションもいろいろと広がって、ふたりで3Dリアリティについて話しているうちにあの、戦士についての歌詞を思いついた。そうやってヴォーカルができた、と。
 だから曲としての構造はなくて、いくつかの要素だけがそろっていたわけ。そしてシャバカとやったらどうか?という話が出てきて、「彼にやってもらいたいチューンはこれだ」と思った。となるとある程度の構造をクリエイトする必要があったし、自分でそれをやってね、あの作業はDJツアー先の、ホテルの一室でのことだったと思う(笑)。そうやってこしらえた音源をシャバカに送り、彼も「うん、すごく気に入った! たぶん何かやれると思う」と言ってくれて。そして11月にハイレ・シュプリームが俺のスタジオに再びやって来て、今度はそこで一緒に“Wonder”を書いた。シャバカにはどっちにせよ1月にスタジオに入ってもらう予定になっていたし、彼にその音源を送り「この歌、どう思う? 何かやれる?」と訊いてみた。彼の方も「これはいいね、自分にも何かやれると思う」という返事で、そこで俺は彼に「オーケイ。2曲ともやりたい?」と訊ねて、彼も「よし、試しにやってみよう」と返してくれて。で、あれは2020年1月15日、俺の50歳の誕生日のことだったけど、あの日俺はモルディヴにいてね。で、インボックスにあの2曲、シャバカが管楽器を演奏してくれた“Wonder”と“3D Warrior”の音源が届いて――あれはもう、これまで自分がもらったもののなかでも最高の誕生日プレゼントのひとつだった、みたいな(満面の笑顔)。

(笑)。

GE:で、さっき話した“3D Warrior”の原型であるループ&ドラムの10分半のヴァージョン、あれはいずれ、ヴァイナル盤として発表すると思う。あれについて思い出すのは、ここ(イビサの)スタジオであの音源に取り組んで……いやだから、10分半っていうのは、ひとつの楽曲をノンストップで演奏するにはかなり長い尺なわけだよね。俺たちもすっかり音楽に没入して我を忘れたし、午前4時くらいまでセッションを続けて、終わった頃には「あれ、自分はどこにいるんだ?」みたいな。ただ、あのトラック全体について驚異的な点のひとつは、あれが4つの異なる筋書きを経てレコーディングされたものだ、というところでね。だから、まずウォルフガング・ハフナー、そして地元リーズのミュージシャン、続いてハイレとのセッション、最後にシャバカがリモートでひとりで演奏を添えてくれた。それらをすべて組み合わせたわけだし、俺自身「こんなことが、どうやったら可能だったんだろう?」とすら思うよ、ほんと(笑)。ってのも、(バラバラに作っていったにも関わらず)参加した全員が同じ空間に一緒にいるフィーリングのある曲だからね。すごいな、と自分でも思うし、仮に、俺があらかじめこうなるように計画立ててやっていたとしたら――もっとも、それはやらずに流れに任せていったんだけど――きっと、自分にこの結果を生むことはできなかったんじゃないかな。
 これこそさっき話した「音楽が発生するのに任せて邪魔しない」の完璧な例だろうね、とにかくやってみよう、自然に任せよう、と。シャバカがこのアルバムに持ち込んでくれたものはとにかく……彼に参加してもらえて心から光栄だ――もちろん、今回参加してくれたミュージシャン全員に対しても本当にそう思っているけれども――彼は途方もないミュージシャンだし、まだコメット・イズ・カミングやサンズ・オブ・ケメット、シャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ等を聴いたことのない人は、どうか、ぜひあれらのアルバムの世界に飛び込んでみて欲しい。素晴らしい音楽が鳴っているから。 

シャバカは政治的な演奏家でもありますよね? 今作にBLM(ブラック・ライヴズ・マター)からの影響はありますか?

GE:んー、いいや。というのも、俺はあのムーヴメント以前から、あれらの問題を考え、BLMと信じてきたから。あの物語でひとつ言えるのは、ああして様々な運動が起こり、少し経ったところで、俺も「もしかしたらこれは、歴史のなかの、何かが変わる瞬間なのかもしれない」と思うようになった。もしかしたらこれこそ、クソのような状況が終わりを告げて良い方向に向かっていく、その転換点かもしれない、たぶんその瞬間なんだろう、と。ただし、俺はまだ「たぶん」だと思うけどね。うん、俺はまだ「たぶんそうなんじゃないかな」と言うね。どうしてかと言えば、そこに至る道のりはまだ、本当に長いから。でも、俺は自分のレコードや音楽を「変化しつつあるコンシャスネス」と関連づけている、それは間違いない。肌の色は関係なしに、すべての人びとを集め一緒にするものとしてね。我々には人間の肌の色、見た目といった側面を乗り越えていく必要がある。それらを越えたところまで行って、本当に、お互いをブラザー&シスターとして眺めていかなくちゃ。誰だってみんな同じ空気を吸っているんだし、(苦笑)ほかの人よりも臭うクソをする奴もいるとはいえ、俺たちもみんな、クソはするんだからさ。アッハッハッハッハッ!

(笑)いきなり下卑た話になりましたね。

GE:ハッハッハッ。せっかくポエティックに答えはじめたってのに、回答の最後がヒドかったなぁ、アッハッハッハッ!

(笑)。また、Saultのアルバムからのインスピレーションもあるのではないでしょうか? 彼らが昨年出したアルバム『Untitled』と、どこかとても似たヴァイブレーションを感じたのですが。

GE:ああ、もちろん、Saultのことは知ってるよ。でも……んー、どうだろう? 俺たちのバックグラウンドがとても似たものであるのは知っているけどね。彼らはこの2年間でアルバムを3枚くらい出してるんじゃないっけ? いや、それとも最新作で4枚目なのかな? ともあれ、うーん(と笑顔まじりで考え込みつつ)、どうかなぁ〜、彼らの作品と俺の今作とに似たところはあるだろうか?……自分の口からはなんとも言えないね、とても答えにくい。その判断はリスナーのみんなにお任せするよ。というのも、俺は自分の音楽をそういう風に聴かないっていうか、これだけレコードとの間に距離がないと、客観的になれないんだ。でもまあ、Saultは大好きだし、それに俺はあらゆる音楽のファンであって。だからまあ、自分自身の音楽をほかの音楽と同じように聴くのはむずかしいんだ、自分に近過ぎるから。ただ、今回の作品はコラボレーションそしてそこにあるストーリーも含め、独自のユニークなものだと、俺はそう思ってる。

いまの俺は、こうして『Shout Out! To Freedom…』を作り終えて世に出して、本当に満足しているしハッピーなんだ。かつ、さて次は何をやろうか、とものすごくエキサイトしてもいる。で、これは自分のキャリアのなかで初のことなんだ(苦笑)、アルバムが出たばかりの段階で、すでに次のアルバムに取り組んでいるって状態は。

シャバカもそうですが、今回のアルバムにはジャズのフィーリングが注入されていますし、“3D Warrior”ではアフロなパーカッションがリズムを刻んでいます。ジャズやアフロという音楽は、主にヒップホップやソウル、ファンク、レゲエをミックスしてきたあなたにとって新たな挑戦だったのでしょうか?

GE:過去に出したレコードでも、ジャズ/アフロと軽く戯れたことはあったと思うけどね。たとえば『Smokers Delight』や『Feelin’ Good』といったアルバムを考えてもそうだし、それに前作『Shape the Future』ですら、間違いなくビッグ・バンド・ジャズのスタイルにトライしていたよね。けれども、今回のレコードはいままででもっともディープな作品だ、自分はそう感じている。うん、より深く入っていったね。さっきも話したように、大事なのは音楽を探究していく点にあるし、より深い領域に思い切って挑むことにある。たとえそのタイプの音楽をよく聴いて知ってはいても、実際にそれを作るのはまったく別の話であって。だから、俺は自分の限界を押し広げていけたらいいなと思っているし、プロダクション等々の面でもっと拡張したい。で、今回彼らのようなミュージシャン、そして素晴らしいアーティストたちと一緒に仕事できたことは、確実にその助けになってくれたと思う。

“GTP Call”における声、あれはグリーンティー・ペンだと思いますが、彼女は何を言っているのでしょう?

GE:(笑)あれは……俺たちが連絡を取り合ったのはパンデミック中のことでね、だからお互いにファン同士ではあるものの、実際に会ったことがなかった。というわけで電話をかけたけど取り損ねる、というすれちがいが何度かあって。携帯メールを送ったり、留守電メッセージを残したり……要するに、ちゃんと通話したことがなかったんだよ(笑)! もちろん、いまはもう彼女と話したことはあるけど、あの当時はお互いにミスりっぱなしで、実際に話したことがなかったっていう。で、たしかアリア(※GTPの本名)にヴォーカル・パートの一部をやり直ししてもらう必要があって、彼女はそれをやってくれた。その後で彼女がヴォイス・メッセージを送ってきてね、「その後どうなった? レコードの進展具合は? あのレコード、私もすごく気に入ってるんだけど」云々、問い合わせてきた。で、残されたそのメッセージを聞いて、俺は「これ、いただき。使わせてもらおう!」と思ったんだ(笑)。

(笑)なるほど。

GE:ハッハッハッハッハッ! あれは本当に、(インタールードとして「書かれた」ものではない)本物のメッセージ、とにかくとても正直な言葉だし、それだけではなく……聴き手をこのレコードにより近づけるものじゃないか、そう思ったんだ。要するに、リスナーもこのレコードの生まれたプロセスの一部になるような、そんな感覚を抱かせるんじゃないか、と。だってあれは、彼女があの曲の進行状況を確認しているって内容だからね(笑)。っていうか、あのメッセージをアルバムに入れたことすら、実は彼女はまだ知らないんだよなぁ、クハッハッハッハッ……

(笑)。そのグリーンティー・ペンやオシュン、ハイレ・シュプリームら客演は素晴らしいですが、あなたは彼らをどのようにして知るんですか? 世界のあちこちにちらばっている人びとですが、たとえばフェスでばったり行き会って知り合った、とか?

GE:いろいろだね。たとえばハイレ・シュプリームは、俺の友人の妻が、彼の歌のSpotify リンクを送ってきてくれて。あれは2019年8月のことだった。“Danjahrous”って曲を聴いたんだけど、途端に「こいつのことは探らなくちゃ」と思わされた(笑)。アメイジングなアーティストだと思ったんだよ、シャーデーやマーヴィン・ゲイのトーン、それにカーティス(・メイフィールド)も少し聴いて取れたからさ。自分が何を好きかは俺にはちゃんとわかっているし、「なんてこった、彼の声からそれらの要素を自分が引き出せたらどんなに素晴らしいだろう!」と思った。というわけで連絡先を突き止め、電話で話すことになって、そうしたら向こうも俺のファンだってことが判明してね。彼はブルックリン在住だと教えてくれて、こっちは「あ、っていうか俺、あと2週間後にブルックリンに行くんだけど」みたいな(笑)。そうしてブルックリンで彼と会い、一晩一緒につるんで、ご機嫌な一夜だった。で、俺は次の月、2019年10月に彼をイビサに呼んで5日間滞在してもらい、そこで8曲くらい共作したんだ。
 グリーンティー・ペンの場合は、彼女の“Ghost Town”っていう、イアーバッズ(Earbuds)がプロデュースしたあのトラックを聴いて、俺と友人との間で「彼女はすごい、一緒に何かやれたらクールだろうな」みたいなやり取りをしていたんだ。そうこうするうちにロックダウンが起きた、と。やっと彼女の連絡先を入手したわけだけど、さっきも話した電話のすれちがいが起きて、彼女から「うん、とにかくビート他の入ったフォルダか何かを送ってみて」って言われて、それで素材の入ったフォルダを送った。で、最初のラフなアイディアが戻ってきたんだけど、俺は「いや、君にはもっとマジにディープな歌を書いて欲しいんだ」と頼んでね。そもそも君と共演したかったのは、素晴らしい声の持ち主であるのはもちろんだけど、俺は君の歌詞の書き方が好きだしそこに惹かれているからだし、あの調子でやって欲しい、君はかなり深いテーマについて書いてるよね? と。というわけで彼女もやがて、あの“Wikid Satellites”を書いてこちらに返してくれたんだ。彼女も俺のファンでね、そこはコラボを進めるのに役立った(笑)。オシュンについて言えば、彼女たちとコラボしたいとずっと思ってきたんだ。かれこれ4年くらい追いかけていたよ。

そうなんですね!

GE:うん、なんとかフックアップしようとがんばっていたけど、なかなか軌道/タイミングが合わなくてね。やっとのことで彼女たちと話ができたのは2020年5月のことで、あの頃ちょうどジョージ・フロイド事件後の一連のデモ等が起きていて、それについて彼女たちと電話で話し合い、「(ロックダウン中のアメリカの)内側で起こっていることについて書いてくれないか」と言ったんだ。彼女たちはあの実に素晴らしい歌(“Breathe In”)を書いてくれたし、それからピップ・ミレット(“Isolated”)の場合は、彼女のマネージャーをちょっと知っていてね。マネージャーと「このプロジェクト向けにプロデューサーを探しているんだ」云々の話をしていて、そのうちに「彼女にうってつけの曲がある」と提案して、彼女に電話していろいろと話し合って。で、彼女はあの、ほかから切り離され、ひとりぼっちでいることについての非常に深い歌を作ってくれた。マーラTK(“Trillion”)、彼のことは知っていたし、俺はあのとき実際、ニュージーランドにいたんだ。あれはたしか2018年の終わり頃で、彼と一緒にウェリントンで共作&レコーディングをやった。だから知り合い方もいろいろなわけだけど……とくにいまのような時期は、色んなアーティストとコラボするのは興味深いと思う。というのも、俺はずっと信じてきたんだ――誰かとコネクトして何か一緒にやりたいと思い、それが(パチン、パチンと指をスナップさせながら)とんとん拍子で楽に進めば、それはきっと起きるべくして起きたコラボだったんだろう、と。
 過去数年で気づいたのは、コラボレーションが本当に美しい成果を生んでいるってことでね。我々は一種の「ゾーン」のなかにいる感じがするっていうか、俺たちはコネクトし、曲を書き、人びとと恊働することについて一種グローバルな考え方をしている。もう、自分の生きるコミュニティや近隣エリアの人びと、知り合いだけに限らないっていう。だって、俺は世界中の音楽を聴いているんだしね。うん、そこもあるんだろうな。先に出た「長きにわたり音楽作りへの関心をどう維持するのか?」という質問だけど、その答えには新たなアーティストを見つけ出すこと、彼らとコネクトし音楽的な冒険に一緒に乗り出すこと、そこもあると思う。

今回は、アルバムの曲数が15曲と多く、これは『Smokers Delight』以来の多さなのですが、しかしあのアルバムはほとんどがインストで、今作はほとんどが歌(ないしはラップ)があります。そう考えると、『Shout Out! To Freedom…』はここ20年のなかではもっとも特別な力が注がれているのかもしれませんね。あなた自身はどう思われますか? クリエイティヴ面での一種のターニング・ポイント的な作品でしょうか?

GE:ああ、確実にそうだと思う。というのも、今回の旅路で得たのは――この作品のために作った音楽は、パンデミック中ですら作業していたから、かなりの量になってね。それらの音源をすべて携帯に入れ、ビーチまで出かけてジョイントに火をつけ、聴いてみたんだ。で、思ったよ、「……これは2枚のアルバムだなって」って。

(笑)。

GE:(笑)俺としても驚いたし、オーライ、さて、どうしよう……と考えた。どの音源を2枚のどっちに入れるか、曲の居場所を見極めなくてはならなかったし、それ自体がひとつのちょっとした謎解きのようなものだった。でも、いまやこうして1枚まとまったわけだし、いままさにもう1枚に取り組んでいるところなんだ。それが『Shout Out! To Freedom…』パート2的なものになるのか、その正体は自分にもまだわからないけれども、とにかく取り組み続けているし、だからなんだ、俺がこの「バブル」というか、「フロー」と呼んでくてれもいいけど、そこから出ずにいるのは。とにかくこのクリエイティヴな状態にノって動き続けているところなんだ、何かが起こっているからね。それは流れ続けている。だから、間違いなく俺は以前以上にインスパイアされているけれども、いまは――アルバムを作るときというのは、最終段階に入ると、俺には手放すのが実にむずかしかったりするんだよ。いったん世に送り出してしまったらそれまで、だからね。ところがいまの俺は、こうして『Shout Out! To Freedom…』を作り終えて世に出して、本当に満足しているしハッピーなんだ。かつ、さて次は何をやろうか、とものすごくエキサイトしてもいる。で、これは自分のキャリアのなかで初のことなんだ(苦笑)、アルバムが出たばかりの段階で、すでに次のアルバムに取り組んでいるって状態は。こんなことは、いままで一度もなかった。で、俺としても「ワオ、こりゃすごいぞ、グレイト!」って感じだし(笑)、うん、いま、たしかにインスパイアされているところだね。

次作を楽しみにしています! 質問は以上です。素晴らしいアルバムですし、ファンも気に入るのは間違いないと思います。本日はお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

GE:応援、ありがとう。本当に、君たちには感謝しているよ。すごく、すごくありがたく思ってる。

了解です。どうぞ、お体にはお気をつけて。

GE:ああ、気をつけるよ。近いうちに、いつかまた日本に行ける日が来たらいいなと俺も思っているからさ!(と合掌する)

もちろんです、日本のファンも楽しみにしています。ありがとうございました!

GE:サンキュー&ビッグ・ラヴ! バーイ!

グソクムズ - ele-king

 先日ご紹介した吉祥寺のバンド、グソクムズのファースト・アルバムが12月15日にリリースされる。フォーマットはCD、配信、LPの3形態。限定7インチとして発売された “すべからく通り雨” も収録される。「歌」にフォーカスした1枚になっているようです。詳細は下記より。

風街を愛する若者たちが作り上げた“ネオ風街”
東京・吉祥寺の新星“グソクムズ”が12月15日(水)に待望の1stアルバムをリリース!
2021年12月度のタワレコメンにも決定!

東京・吉祥寺の新星“グソクムズ”が1stアルバム『グソクムズ』を12月15日(水)にリリースします。

シンプルでキャッチーなサウンド、洗練されたメロディ、そして粋なハーモニー。 簡潔で適切で雄弁、随所に切れの良いプレイを聴かせる必要最小限の楽器の演奏で、あくまでも「歌」そのものが引き立つような音作り。
はっぴいえんどや高田渡、シュガーベイブなどからの影響を絶妙に咀嚼・消化、風のやさしさと街のしたたかさをブレンドした、親しみやすくも滋味深いロックを鳴らす。
滑らかで豊潤な温もりを感じさせるテンダー・ヴォイスから流れ出るように伝わり来るのは豊かな叙情がうかがえる情景描写。それほど気負うわけでもなく、日常的な生活の断片を歌ったような語り口に溢れた歌詞の親しみやすさが魅力。適度にナチュラルに、ある意味では本能的に鳴らした音が時として楽曲に深い彫りと陰影を与えソウルフルに響かせています。
メンバー全員がソングライターという筆の冴え、吹き抜けた気分を奏でるメロディアスな名曲が並ぶ傑作の誕生です。

そして全国のタワーレコードスタッフが、己の耳と直感だけ信じて選んだ、まだ世間で話題になる前のアーティストを、いち早くピックアップする名物企画「タワレコメン」の2021年12月度にも決定。

ヴォーカル・たなかえいぞをからのコメントも到着しました。

こんにちは。
グソクムズのヴォーカル えいぞをです。
本作品は我々の初のアルバムという事もあり、楽曲・クリエイティブ共に最後までこだわりました。直前までコーラスワークやギターフレーズを練ったりする反面、レコーディング最中にも関わらず、スタッフの方達に急遽演奏に参加してもらう等、緻密さと遊び心を良い塩梅で織り混ぜたアルバムとなっております。昼でも夜でも、街の中でも家の中でも、場所時間問わず、誰が聴いても退屈しない作品になったのではないでしょうか。
グソクムズの自信作ですので、是非実際に聴いてお確かめくださいませ。

たなかえいぞを (グソクムズ)

収録曲“すべからく通り雨”のミュージックビデオも公開中です。

・グソクムズ - すべからく通り雨 (Official Music Video)
https://youtu.be/TE-rqPUvyuM

[商品情報①]
アーティスト:グソクムズ
タイトル:グソクムズ
レーベル:P-VINE
品番:PCD-22443
フォーマット:CD / 配信
価格:¥2,420(税込)(税抜:¥2,200)
発売日:2021年12月15日(水)

■トラックリスト
01. 街に溶けて
02. すべからく通り雨
03. 迎えのタクシー
04. 駈け出したら夢の中
05. そんなもんさ
06. 夢が覚めたなら
07. 濡れた靴とイカす通り
08. グッドナイト
09. 朝陽に染まる
10. 泡沫の音 (CD盤ボーナストラック)

[商品情報②]
アーティスト:グソクムズ
タイトル:グソクムズ
レーベル:P-VINE
品番:PLP-7776
フォーマット:LP
価格:¥3,520(税込)(税抜:¥3,200)
発売日:2021年12月15日(水)

■トラックリスト
A1. 街に溶けて
A2. すべからく通り雨
A3. 迎えのタクシー
A4. 駈け出したら夢の中
A5. そんなもんさ
B1. 夢が覚めたなら
B2. 濡れた靴とイカす通り
B3. グッドナイト
B4. 朝陽に染まる

[プロフィール]
グソクムズ:
東京・吉祥寺を中心に活動し、"ネオ風街"と称される4人組バンド。はっぴいえんどを始め、高田渡やシュガーベイブなどから色濃く影響を受けている。
『POPEYE』2019年11月号の音楽特集にて紹介され、2020年8月にはTBSラジオにて冠番組『グソクムズのベリハピラジオ』が放送された。
2014年にたなかえいぞを(Vo/Gt)と加藤祐樹(Gt)のフォークユニットとして結成。2016年に堀部祐介(Ba)が、2018年に中島雄士(Dr)が加入し、現在の体制となる。
2020年に入り精力的に配信シングルのリリースを続け、2021年7月に「すべからく通り雨」を配信リリースすると、J-WAVE「SONAR TRAX」やTBSラジオ「今週の推薦曲」に選出され話題を呼び、その後11月10日に同曲を7inchにてリリース。そして待望の1stアルバム『グソクムズ』を12月15日にリリースすることが決定。
HP:https://www.gusokumuzu.com/
Twitter:https://twitter.com/gusokumuzu
Instagram:https://www.instagram.com/gusokumuzu/

Jeff Parker - ele-king

 昨年も『Suite For Max Brown』という良作を届けてくれたジェフ・パーカーが、早くも新作『Forfolks』を発表する。レーベルは〈ノンサッチ〉、発売は12月末。今回はソロ・ギター・アルバムとのことで、即興演奏と電子音を組み合わせた作品に仕上がっている模様。良き年末年始のお供になりそうだ。


『JEFF PARKER / Forfolks』
発売日:
[CD] 2021/12/29(diskunion & rings stores 先行販売:12月15日)
[LP] 2021/12/下旬予定  

トータスのメンバーとして知られるジャズ・ギタリスト、ジェフ・パーカーの最新作は、メロディックな即興演奏と電子的なテクスチャーが融合した、圧巻のソロ・ギター・アルバム!! CDとLP共に国内仕様盤のみ、日本語の帯&ライナーノーツと、収録時間の都合でCDとLPに収める事ができなかった16分に及ぶ、ジェフ・パーカーお気に入りの未発表スタジオ音源ダウンロードコード付き!!

ギター一本で演奏される、ミニマルに揺らぐハーモニーとグルーヴ、深く美しいアンビエンスは、ジェフ・パーカーが到達した極みだ。柔らかく、滑らかで、時に鋭さも見せるピッキングは、スタンダード、セロニアス・モンク、そしてアイソトープ 217°/トータスの曲までを繋ぐ。ただただ、その音に耳を傾けていたいと思う希有なギタリスト、ジェフ・パーカーのすべてがこのアルバムに凝縮されている。(原 雅明 ringsプロデューサー)

アルバムからの先行曲「Jeff Parker - Suffolk (Official Video)」のMVが公開されました!
https://www.youtube.com/watch?v=-peYe-SfKwM
(Nonesuch Records Youtube Channel)

2021年12月2日からシカゴを皮切りに、実力派SSW/ギタリストのスティーヴ・ガンと共に、『Forfolks』の全米リリースツアーが決定!!
また、来春にもカナダ等の追加公演も決定!!

アーティスト : JEFF PARKER (ジェフ・パーカー)
タイトル : Forfolks (フォーフォークス)

発売日 :
[CD] 2021/12/29(diskunion & rings stores 先行販売:12月15日)
[LP] 2021/12/下旬予定   


rings stores特設サイトにて、ご予約受付中!!
https://ringstokyo.stores.jp/

品番/価格:
RINC84[CD] 2,600円+税
RINR9C[LP] 4,600円+税(Cool Mint Vinyl)rings stores & diskunion限定発売
RINR9[LP] 4,200円+税(Black Vinyl)rings stores & diskunion限定発売

レーベル : rings / International Anthem
フォーマット : CD & LP (日本限定帯仕様盤/ライナーノーツ/未発表音源ダウンロードコード付き)

Official HP : https://www.ringstokyo.com/jeffparker

ボストン市庁舎 - ele-king

 原題を『City Hall』という本作のおもな舞台は米国北東部マサチューセッツ州の州都ボストンの市庁舎、監督は米国はもとよりドキュメンタリーなる形式を語るに避けてはとおれないフレデリック・ワイズマン。『ボストン市庁舎』はその半世紀にわたる作家生活の集大成ともいうべき一本で、上映時間も4時間半におよぶが、稠密な力学が働きなかだるみはおぼえない。むしろ40作を超えるこれまでの作品でとりあげてきた幾多の主題の変奏を編みあげる風合いがあり、交響するモチーフがさらに広大な主題をうかびあがらせる構成は圧巻である。本作は2018年の秋と翌年の冬に撮影をおこない本国では2020年に公開した。すなわち下院を民主党がおさえた中間選挙以後に撮りはじめ、最終的に混沌した様相を呈した大統領選の渦中での公開となった。そのわりには(トランプないし共和党への)直截的なものいいはすくない、とはいえ法と秩序の美名のもと分断を煽るトランプ政権への怒りの響きも随所に聴きとれる。ただし一本の映画をひとつの空間とみなすなら、国政の動向はむしろ『ボストン市庁舎』の作品空間の外でアートがひとしなみに免れえない時代の記名性のようにふるまっている。主眼となるのはあくまで地方行政の舞台である市庁舎とそこにおけるひとびとと、それをとりまく都市の空間の広がりである。この具体的でありながらとりとめもない取材対象に、ワイズマンは視点を定めず、じゅうぶんな知識はなく、しかしぞんぶんに撮ったのち、何ヶ月もの時間を編集についやしたという。

 編集の過程ではじめてテーマや構成があらわれるのはこれまでとかわらなかったとワイズマンは本作の取材にふりかえっている。テーマについてはひとことで述べるのもおこがましいが、ひとまず「公共」にまつわるとはいえるであろう。地方自治体の行政組織はどのように意思決定をおこない、地域住民や事業者や利害関係者はいかにそこにかかわるのか。古典的でありながら、多様性と複雑さのなかで流動化する現代の都市共同体における難問へのとりくみを『ボストン市庁舎』は丹念にすくいあげていく。
 特定の人物によりかからず、関係や構造自体を志向する(ことの多い)ワイズマン映画にはめずらしく、本作には主役級の登場人物が存在する。そのひと、マーティン・ジョセフ・ウォルシュ市長は1967年ボストン生まれの民主党所属の政治家で、市内ロチェスター地区のアイリッシュ系カトリック教徒の労働者階級の家庭に生まれ、17年にわたってマサチューセッツ州議会議員をつとめたのち、2014年の市長選で民主党の市議会議員ジョン・R・コノリーをしりぞけ当選をはたしている。

 『ボストン市庁舎』は都市の喧噪がつつむ市庁舎の遠景で幕をあける。そこでは道路の補修から公園や動物の管理、電線が切れて停電しただの家主が電気を止めただの、住民からの問い合わせがひきもきらない。市庁舎の一角の会議室ではウォルシュ市長を中心に警察関係者が出席した会議がすすんでおり、地域住民のケアと、それを阻む縦割り行政の弊害について話し合っている。出席者のまなざしと市長の饒舌は彼らが彼らの仕事に真剣にとりくんでいる証であり、以後展開するシーンを予告する緒言の役割も担っている。それを受け本編は市の予算編成、住居問題、同性カップルの婚姻、レッドソックスの祝賀パレードの警備、高齢者や障害者やマイノリティの支援、貧困対策、学校や博物館などの公立施設の内情、移民問題など、住民の日々の生活にいかに行政が多面的にかかわっているのか映し出していく。スクリーン上の人物はみな、ボストンに暮らすふつうの市民だが、ワイズマンのファインダーをとおると劇映画の登場人物めいてくるのはやはり不思議である。ノンフィクションの形式がもとより虚構性を帯びるのはいうまでもないし、いかに壁の目になろうとも撮影行為は往々にして被写体を演出してしまうのに、ワイズマン映画のリアリティの置き方はほかに類をみない。絵画的な構図とムダのないカット割り、おそるべき構成力とオーディションでも開いたかのような絶妙な配役といった方法論の連立方程式が特有のリアリティをもたらすのだとしても、解の求め方は対象ごとに千差万別で、その手ざわりもむろんおのおのことなっている。『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』と『ニューヨーク公共図書館』と『インディアナ州モンロヴィア』といった2015年以降の諸作は公共という主題の社会的な変奏のようなものだが聴き心地はことなる。それらの新作をみるたびに私はこのようなひとがこの空の下のどこかにいたという、シャシン的な事物感──おそらくそれは過去時制で語ることのできる数少ない希望のかたちである──をおぼえわけもなく幸福感につつまれる。

 『ボストン市庁舎』にも印象的な人物が多々登場する。とりわけ印象にのこったのは退役軍事会のチェックのネルシャツの青年と、大麻ショップの建設にかかわる集会の参加者たち。前者はイラク、アフガニスタンへの従軍経験もある元兵士で、やはり兵士で第二次世界大戦の欧州戦線で戦死した伯父ののこした手紙がきっかけで、戦友の話を訪ね歩きはじめたのだという。いかにも軍人あがりのアーミーカットのこの男性は数十人の聴衆を前にライフルを手にしながらしゃべっていて、なぜそんなものをもちだしてきたのかといえば、ライフル好きだった伯父のことをわすれないために購入したのだという。とはいえ家族に銃を購入した気持ちなんてそうそうわかってもらえることじゃない。そこで彼は沖縄戦を戦ったという隣人をたずねることにした。隣家の住人は男性が子どものころはおっかない近所のおじさんだったが、いまでは老いと病にさいなまれみる影もない。ところが彼がライフル銃を手渡すやいなや、老いた眼に精彩が宿り、銃をふりまわしては方々に狙いをつけはじめた。仰天する男性をよそに、老人はおもむろにひきだしを開け、なかにしまった袋から日本兵の金歯をとりだし、これをお前にやる、と手渡したのだという。「40年代の戦争を批判する気は毛頭ないが」と男性は聴衆に語りかける。「彼が不機嫌な理由が分かった」

 第二次世界大戦における米軍の遺体損壊は比較的よく知られた話で、その行為の戦争犯罪の側面に立ち入る紙幅も準備も本稿にはないが、戦場の狂気ばかりかそこには米国特有のゴシックな風土がかかわっている気がしてならない。このことは個人がその身で体験した出来事だけでなく、共同体や民族の記憶がときとしてトラウマのように働くことを思わせる。昔ながらの言い方を借りるなら、戦争はそれらを呼び出す機械であり、彼らは語りによる癒しとつながりでその呪縛を解こうとする、そのことは来賓のウォルシュ市長が自身のアルコール依存症体験を問わず語りに語りはじめる場面にもあらわれている。また退役軍事会セクションの冒頭のメイフラワー誓約やボストン茶会事件などを描いた絵画のインサートは入植にはじまるボストンの歴史を想起させもする。いうまでもなくそれらは戦いの歴史だが、太平洋戦争はむろんのこと、朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン──地球上のあらゆる戦争と紛争へ関与しつづけるのが米国の歴史であることも、本編に登場する退役軍人たちの幅広い年齢層はしめしている。
 むろん歴史、倫理、道徳などの主題はときに観念的に作動しともすればパターナルな力線をともなうこともある。さらにファクト/フェイクの二分法も加味しなければならない世界認識下で、ワイズマンは可能なかぎり共同体の成員の声をあつめ、デュアリズムを乗り越えようとする。そのなかには、『ニューヨーク公共図書館』のパティ・スミスやコステロのような著名人の姿はみえないが、定量的な統計がなんらかの合意をうかびあがらせることへの期待も感じさせる。いわば映画による民主主義と共同体の再生(再演)だが、このような作品が成立するには地方行政(という一見地味なテーマ)にかかわるアクターの多元性が不可欠である。

 ひるがえって考えるに、わが国は、みなさんの地元はどうだろうか。先日の衆院選では投票率の向上を期待したもののフタを開けたら戦後3番目に低い55.93パーセントと依然低調なままである。地方自体にいたっては事情はさらに深刻で、平成31年の統一地方選など首長選も議会議員選ものきなみ5割を切っていたはずだ。身近なところからなおざりになるのは私たちの暮らしに政治がいかに根づいていかないかの証だと、クリシェにもならないお題目をくりかえしているうちに、駅前の公園は開発業者にツブされてどこにでもあるブランド店がつまった珍妙な施設にさまがわりしたりする。場合によってはそのような建物がうめつくす街を「スマート」と呼んではばからないほどには、私たち住民の感性もジェントリーになってしまったのかもしれないが、どのような合意であっても共同体の成員すべてが右にならう必要などない──となれば合意形成の過程はいかにして共同体に開かれうるのか。かけ声倒れになりがちなこの課題に、地方行政はどのようにのぞむのか。『ボストン市庁舎』はその課題に向け、住宅、インフラ、教育などの現場で建設業者や学校の先生やデパートの経営者や住民らと膝をつめて話し合う職員の姿を記録している。むろんタイミングよくカメラの前で問題が解決するわけでもない、けれどもお役仕事に終始するでもない。公共というものの遅々とした、しかしそのようにすすむしかない歩みをまのあたりにする趣がある。

 何段か前で印象的だったと述べた、作品後半の大麻ショップ出店の場面もそのひとつである。出店先は市内ではけっして裕福ではない地区で、人種の構成比率も、会場をながめると有色人種が大半をしめている。大麻店の経営者は中国系、市役所の担当課の職員が同席するなかで、種々の懸念が噴出し集会は一時紛糾するが、すくなくとも居合わせただれもがその場をないがしろにしないことは弁えているようでもある。彼らの胸中にはおそらく雇用や地域経済の発展といった利益と犯罪や治安悪化への懸念といった「迷惑施設」につきものの期待と不安が同居している。基地や原発やカジノにも一脈通じるこの課題を、ワイズマンはそれぞれの意見に耳を傾け、多様な声の反響として描き出していく。他方で、ボストンという街のカラー、ニューイングランドの州都とも目される都市の多様性とリベラルさ、そしておそらくはそこからくる格差も、カメラはみのがさない。会社の規模のせいで公共事業から閉め出される中小企業、ホームレスやマイノリティ、ウォルシュ市長は2019年年頭の施政方針演説で「市長の仕事とは市民に扉を開けること」と述べるが、その扉にたどりつけないものがいることもまたわすれてはなるまい。機会の平等を建前にした能力主義が階級上昇をなんら保証しないことは、多くの論者が実証的にも指摘することで、いまなら感覚的にも飲み込みやすいであろう。トランプ政治は有権者のくすぶった怒りを燃料に分断を煽った。反対にウォルシュは分断線を超えて響く声を集めようとする。カギとなるのは地道な合意形成の過程であり、そのためには歴史的背景への再考と共有が指標となる。NAACP(全米黒人地位向上協会)会長との会談の場面では、ウォルシュ自身幼少期(70年代)に経験した差別撤廃のためのバス通学騒動の風化への懸念を表明してもいる。
 それを映すワイズマンはみずからの歴史観をつまびらかにすることはないが、おそらくはボストンという街の来歴にむかっていることは、都市空間のすみずみにおよぶ幾多のショットにもうかがえる。舞台となる市庁舎はもちろん、官公庁や高層ビル群や下町風の街並みから住宅地まで、季節の移ろいとともにスクリーンにあらわれる風景には、画面上部を支配する空の青やレッドソックスや緊急車両の赤と冬の雪の白のトリコロールを基調に、絵画的な均整と観衆の無意識に働きかける記号的な意味を有している。たとえばうっすらと雪がつもったカトリック教会の中庭ごしに消防車がサイレンを鳴らしながら走り去っていく場面。プロテスタンティズム上陸の地の片隅のカトリシズムの痕跡と、静けさを裂く緊急車両のサインの音──このなにげないカットの象徴性にふれられたら最後、私は頭からみなおさずにはいられなかった。おかげで9時間ついやしてしまいましたが、ワイズマン的方法が包摂する共同体の潜在的多様性こそ、上からのパターナリズムやエリーティズムをいなす手立てかもしれないと思いもした。

 最後に、このとき市庁舎の責任者だったウォルシュはバイデン政権発足後、労働長官に就任、現在はチャールズ川の対岸にある名門ハーバード大の法科大学院を出た台湾系2世の元女性市議ミシェル・ウーが市長をつとめている。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443