「KING」と一致するもの

霜月、楕円の音体験を - ele-king

 福岡で地道にして実験的なリリース活動を続けるカセット(だけでもないけれども)・レーベル、〈Duenn(ダエン)〉。そのカタログにはMerzbowからNyantoraまで、chihei hatakeyamaやHakobuneといったエレクトロニカの前線や、食品まつりにMadeggやあらべぇ、shotahiramaなど、2010年代のエレクトロニック・ミュージックの俊英も細やかに名を連ねる。

 さてその〈Duenn〉によるレーベル・ショーケースとも言うべきイヴェントが、11月、東京にて開催されるようだ。新譜が本当に心待ちにされるPhewにIkue Moriという見逃せない掛け算を筆頭に、なんとも豪華な面々が「×」で登場する。

 このイヴェント〈extokyo〉では前売予約者に貴重な音源特典もある。〈Duenn〉へのフレンドシップの下、テイラー・デュプリー(〈12K〉)が撮り下ろした写真に1分の音を付けるというルールで、Markusu popp a.k.a Oval、Taylor Deupree、Merzbow、Nyantora、勝井祐二(ROVO)など計31組のアーティストが楽曲を提供、「V.A one plus pne」と題されたコンピレーション・アルバムである。先着順で一定数に達したら終了とのこと、ご予約を急がれたい。

 そして、前日にはこれまたスペシャルな6組による前夜祭ライヴが〈vacant〉で開催。先日Open Reel Ensembleを“卒業”したてのMother Terecoの名も見える。日にまたがりアーティストを交差し、楕円の音楽体験を。

■2015.11.24(Tue.)


Duenn presents
ex tokyo at WWW

福岡のカセットテープレーベル「Duenn」が「ちょっと実験的な音楽会」というコンセプトで不定期開催しているレーベル自主イヴェント。

これまでに浅野忠信、中原昌也、イクエモリ、Ovalら国内外のアーティストを招聘し2015年5月にはくるり岸田繁のドローンライブセットの企画が話題になった。

今回レーベルショーケースとして初の東京公演を11月24日に渋谷WWWで開催する。

イベントテーマは「trial and error 」。

OPEN / START:
18:30 / 19:00

ADV./DOOR:
¥4,500 / ¥5,500 (税込 / ドリンク代別 / オールスタンディング)

LINE UP:

【area01】
Ikue Mori+Phew
Taylor Deupree+FourColor+MARCUS FISCHER
mito+agraph
NYANTORA+Duenn
Hair Stylistics+空間現代
Photodisco+中山晃子

【area02】
akiko kiyama
shotahirama
chihei hatakeyama
YPY
SHE TALKS SILENCE

TICKET:
プレイガイド発売:8/2(日) チケットぴあ[272-776] / ローソンチケット[70762] / e+

詳細 https://www-shibuya.jp/schedule/1511/006322.html

■2015.11.23(Mon)

Duenn presents
echo(エコー) at vacant

福岡のカセットレーベルduennが「少し実験的な音楽会」というコンセプトで、毎回国内外の先鋭的なアーティストを招聘し開催しているレーベル自主イベントexperimental program ex。今回はレーベルショーケースとして初の東京公演が決定し、前夜祭をVACANTにて開催。

OPEN / START:
14:00 / 14:00

ADV. / DOOR:
¥2,500 / ¥3,000(+ 1drink)

LINE UP:
Ikue Mori
フルカワミキ
Akiko Kiyama
ハチスノイト
Mother Tereco
Duenn

TICKET:
https://duenn.thebase.in/

■レーベル公式サイト
https://duenn.thebase.in/


 みなさん、いかがお過ごしでしょうか? 
 連載が開始した9月内に早くも数件、借りパク音楽エピソードをいただきました。読者の皆さん、ありがとうございます!! ご紹介の前に、まずはアサダワタルの借りパク音楽全集より、渾身の作をお届けして参りたいと思います。

 さて! 本日ご紹介するのはこちら。


(注:手書きポップに書かれているイニシャル「W.A」とは僕のこと。このポップを書いた2012年当時は33歳だったが現在はもう少し歳をとっている。以後すべて同。)

 僕は、南大阪の某ニュータウンで育ち、なかなかのヤンキー養成中学に通っていたのですが。中一のときに引っ越ししてきて中二でいっしょのクラスになった守屋くん(たぶん、この字。ひょっとして守谷かな?)は、一見大人しく、人見知りの激しい朴訥とした少年だったんだけど、実はものすごく音楽好きで熱い男でして。洋邦問わず、最新のポップ・チューンに詳しかった彼のミュージック・リソースは、関西屈指のFM局「FM802」。いわゆる月一の「ヘビーローテーション」で流れる曲はもちろんのこと、当時夜22時から放送されていた『ミュージックガンボ』という番組をこよなく愛していた彼。曜日ごとにさまざまなミュージシャンがパーソナリティを担当するこの番組を欠かさず聴きながら、「金曜のちわきまゆみってじつは芸歴長いよね」とか「日曜のKANと槙原は本当はあんまり仲がよくないんじゃないか」とかそんな痴話話も交えて、いろいろと音楽を聴き合っていたのだった。

 そして、そんな彼がもっとも愛していたのが、当時水曜日のパーソナリティを担当していた谷村有美嬢。昼休みに放送部のクラスメイトに頼み込んで、名曲『一番大好きだった』を流してもらうようネゴしたり、近所のCD屋で不要になった有美嬢のポスターをもらってくるなど、精力的なファン活動を遺憾なく発揮してきた彼から、「アサダも絶対好きになるから、有美聴いてや。な!?」と言われて、アルバム『Docile』を借りることに。そして、僕もまんまとはまってしまい、毎朝目覚めはアルバム1曲め「ありふれた朝」からスタートし、昼休みはダビングしたカセットをウォークマンに入れて3曲め「たいくつな午後」を聴くというお決まりコースを確立。(いま思えば、なんとも「終わりなき日常」感漂う気だるいタイトルの曲たち……)。すっかり有美の内面(わかりもしないのに)にまで惚れ込んでしまったのだった。

 そうこうしているうちに、徐々に守屋くんはヤンキーの友だちに囲まれはじめ、ある日気づけばすっかり「ちょいヤン」(ちょっとだけヤンキーにかぶれた、質(たち)の悪い状態のこと)へ。そして、僕に向かって「おい! お前さ、いつまで有美のCD持ってんねん! ええ加減返せや!」って言われたので、なんだかカチンと来て、「お前も、俺のE-ZEE BAND持ったままやんけ!」ってやりあって、そのまま返せず終いに……。

 それから十年近くたった2002年、有美嬢が当時Appleの社長だった原田泳幸と結婚するという話を聞いて仰天。「じつは有美ちゃん、年齢サバ読んでた?」って話にもなってW仰天。そして思い出したわこのCD。守屋、ごめんな。キミはちゃんとE-ZEE BANDのCD、返してくれたのにね。


Illust:うまの

パクラーのみなさまからのお便り

お名前:バッドアップル
性別:女性
年齢:34

借りパクした作品:
Guns N' Roses / Use Your Illusion I(1991)

借りパクした背景、その作品にまつわる思い出など:

アサダワタルさん、はじめまして。
15年ほど前になります。大学1年生の頃、学校にはまだ親しい友人もおらず、語学の授業で顔を合わせる人たちとのあいだにかろうじて薄い縁がありました。その中のひとりが貸してくれたのがGuns N' Rosesの『Use Your Illusion I』です。私は洋楽を聴きはじめで、「音楽を知ってる」という感じのその子と仲良くしようと思いました。ただ、当時はレディオヘッドがいちばん知的なバンドだと思っていたので、ガンズを聴くというその子に対して意味不明ながら優越感を抱いていました。彼氏の趣味かなぁみたいな……(相手も女性です)。その後すぐに試験期間と夏休みに入ってしまい、お互いにサークルの仲間もできたりして、自然とつきあいが消滅しました。それでなんとなく返すタイミングを見失ってしまったのですが、いまから思えば、それは「べつにガンズは返さなくてもいっか」みたいなありえない傲慢や若さのせいだったようにも思います。

借りパク相手への一言メッセージ:
本当に傲慢でした。いまではガンズを聴けるようになり、“November Rain”のPVで泣けるようになりました。いまなら語れます! ご結婚とかされてますか。いまでも音楽聴いてますか!

※文字表記等は一部編集部にて変更させていただいております


Guns N' Roses ?/ Use Your Illusion I (1991)


アサダからのエール

バッドアップルさん、お手紙ありがとうございます!! いやぁ、僕と完全同世代の方ですね。

僕も『Use Your Illusion』のワンとツーともどもよく聴いてましたよ。僕の場合は姉貴がハードロック好きで、いつも隣の部屋からガンズやらデフレパードやらヨーロッパやらがガンガン聴こえてきて勝手に拝借してた(借りパクはしませんでした)……という思い出がありますね。そして、何よりも『Use Your Illusion』については、『T2(ターミネーター2)』でサラ・コナーの息子役ジョンが、不良少年とつるんでバイクぶっ放しているところで、爆音で“ユー・クッド・ビー・マイン”が流れるシーン、あれめっちゃ覚えてますよ。僕らの世代はガンズが洋楽を聴くきっかけって人、けっこう多いんじゃないかな。

で! 何よりも……、おっしゃっているその「優越感」。それって中2くらいで芽生えて大学1回生くらいでピークを迎える「私だけがほんとにいい音楽知ってるんだよ」っていうあの捻くれた自意識ですよね。それってこじらせると大人になってもけっこうその空気感が出ちゃうんですよねー苦笑。その昔『PATi PATi』(雑誌)で渋谷系の某アーティストがBY-SEXUALのメンバーが髪の毛立てるのに数時間かけるって話を思いっきり小馬鹿にしながらニヤニヤ話しているのを読んだ記憶がありますが……。それとともに、女性の場合(もちろん男性の場合もあるんですが)「明らかに彼氏の影響だろ!」ってことがけっこうあるんでしょうかね。付き合う相手によって急にゴスロリになったり、急にリネン系になったりする方がいるように、音楽的な影響を明らかに恋人から受け取っているなぁと思われる現象を見れば、なんだか余計に優越感を抱いて、こっちもさらにイヤな奴になってしまうというバッド・サイクルに……。

もちろんタイミング問題もあったとはいえ、その感覚が「べつにガンズ“は”返さなくてもいっか」に繋がったというのはまさにそういった謎の傲慢さが煮えたぎった若気の至り! でも、大丈夫です。まだブックオフに売らなかっただけましだと自分を鼓舞しながら、相手に償いの思いを馳せましょう。
“November Rain”。たしかにもうすぐ11月ですね。


■借りパク音楽大募集!

この連載では、ぜひ皆さまの「借りパク音楽」をご紹介いただき、ともにその記憶を旅し、音を偲び、前を向いて反省していきたいと思っております。
 ぜひ下記フォームよりあなたの一枚をお寄せください。限りはございますが、連載内にてご紹介し、ささやかながらコメントとともにその供養をさせていただきます。

interview with !!! - ele-king


!!!
As If [ボーナストラック1曲収録 / 国内盤]

Warp/ビート

Indie RockTechnoFunkPost-Punk

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 「きみの自由」──!!!は“フリーダム! ‘15”と題したトラックで、それがいまも生きているのか、聴き手たるあなたに問いかける。俺のではない、きみの自由の話だよ……!!!がそう言うとき、’15の混乱した日本に生きるわたしたちはそれをリアルな重みのある言葉として受け止めずにはいられない。だが、それは座って考え込ませるためではなく、踊るための音楽として表現される。

 ニューヨークのDIYなクラブの危機に瀕してダンスの自由を訴えた“ミー・アンド・ジュリアーニ〜”が2003年。その素朴で率直な反抗心は、日本でのその後の風営法問題に際して有効な参照点ともなった。ただ、そのときの!!!の音はもっとカオティックでギトギトしていた……2007年の『ミス・テイクス』は、その時代のバンドのピークとしてとぐろを巻いたファンク・パーティの様相を示した一作だった。
 かの街の政治が変わったように、!!!も変わった。プロダクションにおいてクラブ・ミュージックをより吸収し、高音、中音、低音と音域を整頓することによってずいぶん洗練されたサウンドを聞かせるようになったのだ。新作『アズ・イフ』ではその成果が存分に発揮されていて、ビートやサウンドの構成などはクラブ・ミュージックの手法を取るものを多くしつつも、もっともポップスとしての機能性を高めたアルバムだと言える。メロディアスでキャッチー。“エヴリー・リトル・ビット・カウンツ”のような清涼感のあるギター・ポップもあれば、“ルーシー・マングージー”のようなウォームなファンク・ポップもある。10年前くらいのバンドの脂ぎった佇まいを思えば、ほとんど別のバンドのようなきらびやかさを湛えるようになっている。彼らの歩みは、アンダーグラウンドのハードコア・パンク・バンドがクラブ・ミュージックとディスコ、R&Bを取り入れることで華やかさやセクシーさを手にしていくものだった。

 だがいっぽうで、!!!は何も変わっていない……そう思わされるアルバムでもある。かつて“パードン・マイ・フリーダム”と言ったように、ここでも自由――リバティではなく、フリーダムだ――への問いを繰り返す。それは政治についてであり、愛についてであり、音楽についてであり、魂の開放についてでもある。そのためにパンクの反抗とディスコの享楽をつなぎ、ダンスの快楽を求めてやまない。 !!!の徴がたしかに刻まれたラスト・トラック、ハイ・テンポでダーティなディスコ・パンクのタイトルは“アイ・フィール・ソー・フリー”である。きみがダンスに忘我するとき、きみはたしかに自由なのだと……!!!はいまも、全力で証明しようとする。


インタヴューに答えてくれたヴォーカルのニック。最高の男。

アルバムを作っている大部分の時間を、テクノやダンス・ミュージックを聴いていたからだと思う。それがおもな影響となったんだ。そういうのを聴いていて、もしかしたらなかには俺たちが10年前くらいに作った音楽に影響されたものもあるかもしれないと思ったしね。

新作『アズ・イフ』聴きました。 !!!史上、もっともきらびやかでセクシーなアルバムになったかと思うのですが、バンドの手ごたえはどうですか?

ニック・オファー:アルバムを完成させた後は、完成したことが信じられない気分だ。新しいアルバムを作る前は、この先がどうなるかわからない、2年後にどんなサウンドになるのか全くわからない状態。まるで、山のふもとに立って山を見上げているけれど、その頂上は雲に隠れて見えないように。だから、頂上にやっと立てたとき――アルバムが完成したときは最高の気分だよ。

とくにアルバム前半や、後半でも“ファンク(アイ・ゴット・ディス)”に顕著ですが、本作はテクノの方法論で組み立てられたトラックが目立ちます。その直接的な要因は何でしょう?

ニック:アルバムを作っている大部分の時間を、テクノやダンス・ミュージックを聴いていたからだと思う。それがおもな影響となったんだ。そういうのを聴いていて、もしかしたらなかには俺たちが10年前くらいに作った音楽に影響されたものもあるかもしれないと思ったしね。音楽の系列を辿っていくと俺たちが現時点でそういうものに影響を受けるのは自然なことだと思う。それに、テクノやダンス・ミュージックを聴いているとワクワクするからという単純な理由もある。テクノやダンス・ミュージックにおける変化を俺たちの音楽にも応用したらエキサイティングなものになるんじゃないかと思った。

前作『スリラー』ではジム・イーノをプロデュースに迎え、プロダクションの洗練を進めた作品でしたが、本作もサウンドが非常に整頓されています。ほぼセルフ・プロデュースだったそうですが、本作におけるサウンド・プロダクションのポイントはどこにありましたか?

ニック:今回は俺たちと、パトリック・フォードでプロデュースのほとんどをやった。それはまったく偶然で、他にやってくれる人がいなかったから。プロダクションに関しては、かなり手探りでやったというか、自分たちができることをやってみたり、いろいろなアイデアを投げ合ったりした。そして荒削り(raw)な感じにしようとしたんだ。俺たちは、「パンク」なバンドとして期待されている。しかし実際のところ、俺たちは「パンク」というスタイルの音楽にはあまり興味がない。だけどテクニックや手法を荒削りなものにすることによって、パンクな雰囲気やパンクなサウンドができるかと思った。そして90年代初期のハウスのような、パンクで荒削りなものが作れるかと思った。今回もジム・イーノがプロダクションを手掛けてくれた曲はいくつかあって、彼からはたくさんのことを学んだよ。パトリック・フォードからもたくさんのことを学んだ。いろいろな要素をこのアルバムに混ぜ込んでみた。手法にこだわるのではなく、直感的に作っていった。

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壮大な質問だね。こっちはまだ朝早いんだぜ(笑)。俺たちにとって自由とは何か? 俺にとって、自由とはオープンな態度でその瞬間に反応していること。俺が求める自由は、自分の前に障害がなく、すべての可能性が開けているということさ。


!!!
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“ミー・アンド・ジュリアーニ〜”から12年経ちました。ビル・デブラシオ市長のことはどう評価していますか?

ニック:ジュリアーニよりはマシなんじゃない?(笑) 今後どうなるかってところだね。でもあまりニューヨークの政治には注目していない。ニューヨークに住んでいるから、多少はするけれど、ジュリアーニのときの方が注目していた。彼はクラブを処理しようとしていたから、個人的に傷つけられた感じだった。ビルはまだ俺たちを個人的に傷つけたわけじゃないから大丈夫。

じっさい、現在のニューヨークの街はどうなのでしょうか? 変わったこと、変わらないこと、それぞれ印象的なものはありますか?

ニック:変わったのは、街全体が裕福になってきたから、お金のことを気にする人が昔より多くなったことだね。そうなると予測していなかったことが起きてしまう。たとえば、アンダーグラウンドのクラブの多くが閉鎖されていってしまった。そういう光景を見るのはつらい。でも大都会だから、面白いことをやっている人はまだまだたくさんいる。ニューヨークだぜ。そう簡単におとなしくなるような街じゃない。これからおとなしくなっちゃうのかもしれないけど、まだそうじゃないはずさ。

あなたから見て、!!!はニューヨークの精神のどのような部分を象徴しているバンドだと思いますか?

ニック:ニューヨークのダンス・ミュージックや、ニューヨークの実験的音楽のシーンの系列に俺たちも組み込まれていると思う。ニューヨーク・ポップの枠でもそうかもしれない。俺たちはニューヨークの音楽の歴史が大好きだったからここに移ってきた。ニューヨークに移住した瞬間から、俺たちもその歴史の一部になった。俺たちもニューヨークの音楽の歴史にひとつの章として刻まれることになり、自分たちのニューヨーク・ストーリーが作られたと思う。

!!!は一貫して、自由――「フリーダム」をテーマにしてきました。あらためて訊かせてください。あなたたちにとって、自由とは何でしょう?

ニック:壮大な質問だね。こっち(取材先のUK)はまだ朝早いんだぜ(笑)。俺たちにとって自由とは何か? 俺にとって、自由とはオープンな態度でその瞬間に反応していること。俺が求める自由は、自分の前に障害がなく、すべての可能性が開けているということさ。同じことを俺はアルバムでも求めている。これは、政治レベルという概念からダンスフロアにいる自分というシンプルな概念まで当てはまる。ダンスフロアで好きなことをやり、自分を思いっきり表現する。他人のことは気にせず、自由であることに没頭する。俺はいつも、その状態に自分を持っていくようにしている。その瞬間だけを気にするように。

わたしがおもしろいなと思うのは、本作の“フリーダム! ‘15”でもそうですが、自由をテーマとするあなたたちの楽曲はリスナーへの問いかけになっていることが多いことなんです。なぜそうした、聴き手に問いかけるスタイルが多く登場するのだと思いますか?

ニック:俺たちのバンドがパフォーマンス重視だからかもしれない。俺たちのパフォーマンスのやり方は、観客をダンスさせるパフォーマンスだ。観客を引き込みたい。常に観客に訴えて、観客を引き込もうとする。だから、俺たちの曲でも観客に問いかけているのが自然だと思う。

『アズ・イフ』というのも不思議なタイトルです。もしこれがリスナーへの謎かけのひとつだったとするならば、それを解くヒントを教えてくれませんか。

ニック:シンプルでちょっと漠然としたタイトルにしたかった。「As If」というのはカリフォルニアでよく使われる表現なんだ。アメリカでは、生意気な感じで「As if(なんてね)」って言うんだ。それも良いと思ったし、「As if」というのは可能性を示している表現だから良いと思った。ある曲は、俺たちが60年代のモータウンのバンドだったらという前提で作った。またある曲は、俺たちが90年代のハウス・レコードだったら、とか。そういう仮定という可能性を示しているタイトルをつけた。今回はいろいろなスタイルを試したアルバムだったからそういうタイトルが合うと思った。

“ルーシー・マングージー”は温かいコーラスが印象的な緩やかで心地いいファンク・ナンバーですが、!!!の新境地だと感じました。このルーシーというのは……マングース?

ニック:(笑)いや、「ルーシー・マングージー」というのはビートの雰囲気を表した表現さ。曲のキャラクターを表すのに良い表現だと思ったんだ。この曲はプリンスの『サイン・オブ・ザ・タイムズ』時代の曲と同じタイプのものだ。たしかに、温かくて遊び心がある感じにしたかったしね。そういう感じの曲にこのタイトルは合っていると思った。でも、マングースに遭遇したことはない(笑)。

そしてアルバムは、ワイルドなダンス・トラック“アイ・フィール・ソー・フリー”で幕を閉じます。この曲でアルバムを終えようと思った理由は?

ニック:そこ以外に入れるところがなかったから(笑)。最近は、ライヴのセットをこの曲で閉めているからという理由もある。アルバムの最初か最後にしか入らない曲だ。9分の曲でアルバムを始めるのも変だと思ったから最後の曲にした。俺は気に入っている。アルバムを完全な体験としてまとめてくれていると思う。9分間もあるから一種の旅だよね。最後にある曲だから毎回聴かなくてもいいしな。「聴く」って行為は一つのイベントだからね。他の曲はポップ曲のように聴き流せるけどね。

俺たちは、政治的な曲を毎回書いているわけじゃない。自分たち独自の意見があってそれを伝えたいときだけ政治的な曲を作る。「人種差別は良くない」という内容の曲は作らない。そんなの当たり前だから。独自の視点から、なぜ人種差別がよくないのかという意見があれば、そういう曲を作ってもいいと思う。

わたしは!!!というバンドは、アルバムごとにリスナーにメッセージを伝えてきたと思っています。あなたが、この『アズ・イフ』というアルバムを通して伝えたいこと、ストーリーというのはどういったものだと思いますか?

ニック:このアルバムのために曲を40曲書いた。そのなかからレコーディングしたのは20曲。さらにそのなかから、バンド・メンバーやその仲間たちが投票で好きなものを11曲選んだ。その40曲から物語を生み出そうとするのは難しい。だけど、うんと遠く離れた視点からアルバムを見ると、何かしらこの作品を結びつけているものが見えて来る。それは強さや、自由を求めてやまないという強い姿勢なんだ。

テクノに限らず、クラブ・ミュージックからの参照が多いと思いますが、いまあなたたちが評価しているクラブ・ミュージックには、たとえばどんなものがありますか?

ニック:ちょっと携帯を見てみる。ダンス・ミュージックはアーティストでも、この1曲しか好きじゃないというのが多いから難しいんだよな。 俺たちが好きなのは、クロード・ヴォンストローク、ニーナ・クラヴィツ、モーブ・D、スーパーフルー、ジョン・タラボット、リカルド・ヴィラロボス……たくさんいるよ。

R&Bやヒップホップはどうですか? ファンクといえば、ケンドリック・ラマーに共感するところはありますか?

ニック:ああ、もちろん。俺たちは最近のR&Bやヒップホップをよく聴いている。バンドの歴史において、俺たちはいつもラジオでかかっているものに注目している。俺はドレイクやカニエ、ヴィンス・ステイプルズの大ファンだし、ケンドリック・ラマーの最近のアルバムも史上最高傑作のうちのひとつだと思うよ。

当初あなたたちはディスコ・パンクと呼ばれていましたが、もはやその要素だけでは説明できなくなってきました。ただあなたからすると、いま、あなたたちのことをディスコ・パンク・バンドだと呼ぶことは、どの程度納得できるものですか? もしできないとしたら、もっともしっくり来る呼び方はどういったものでしょうか?

ニック:ディスコ・パンクと呼んでくれて結構だと思う。俺たちのベースにあるのはそういう要素だから。ただ、俺たちと2005年のディスコ・パンクの概念そのものをいっしょにされるとちょっと困る。俺たちの音楽によって、ディスコ・パンクというジャンルが広がり、より拡大されたものになったら嬉しい。バンドというものは、最初みなジャンルというレッテルを貼られ、そのレッテルを貼られた箱に押し込まれてしまうけど、バンドがしなければいけないのは、その箱を押し上げてより大きなものを見つけ出すことだ。

!!!はダンスを最重要とするバンドだと理解した上での質問ですが、今後ダンス・ミュージック以外のアルバムを作ることはあると思いますか?

ニック:わからないね。おそらく次のアルバムではないだろうな。俺はいまでもダンス・ミュージックに魅了されているから、他のスタイルのアルバムを作るという挑戦もたしかに面白そうではあるんだけれど、俺はやっぱりグルーヴのあるものに惹かれるんだ。

!!!は日本でもライヴがきっかけで人気が高まりました。10月の来日公演はとても楽しみにしています。いま、あなたたちにとってライヴで最も重要なことは何ですか?

ニック:ライヴの最初から最後まで、新鮮で驚きがあるようにすること。ライヴ中のエネルギーに関しては問題ないと思うし、曲もたくさんある。だから最初から最後までエキサイティングなテンションを保てるようなフルな体験ができるようになればいいと思っているよ。

いま日本は政治的に非常に混乱した状況を迎えています。音楽が政治に対してアプローチできることがあるとすれば、どんなことがあるとあなたは思いますか?

ニック:偽りのない表現をして、他の誰にもできないような表現の仕方をすることだと思う。たとえばケンドリック・ラマーのアルバムでも、あれは本や映画としてでは成り立たない。音楽的な体験を存分に味わうものとして作られた作品だ。彼のアルバムを聴くと、非常にユニークな体験ができる。そういう作品は良い政治的主張になると思う。もちろんこれはほんの一例で、他にも反対運動の曲や政治的なものがたくさんある。でもそこに、ユニークな視点と正直な意見や希望が込められていることが必要だ。オリジナルでなければならないと思う。だから俺たちは、政治的な曲を毎回書いているわけじゃない。自分たち独自の意見があってそれを伝えたいときだけ政治的な曲を作る。「人種差別は良くない」という内容の曲は作らない。そんなの当たり前だから。独自の視点から、なぜ人種差別がよくないのかという意見があれば、そういう曲を作ってもいいと思う。


! ! ! (チック・チック・チック) 追加公演
2015.10.09.FRI @ LIQUIDROOM

!!!
GUESTS:
KINDNESS (DJ SET)
YOUR SONG IS GOOD
KZA / Dorian / Carpainter / tomad
and !!! DJs

OPEN/START 23:30 前売¥6,000 当日¥6,500

French Fries - ele-king

 フレンチ・フライズはパリを拠点に、世界中のリスナーを驚かせてきた。彼が2010年に〈ヤングガンズ〉から発表したEP「アルマ」はボク・ボクからベンUFOに至るまで、多くのDJたちを魅了してきている。その後もジョイ・オービソンやピアソン・サウンドといったダブステップ以降の流れと共鳴しながら、数々の良質なシングルを発表してきた。去年リリースされたファースト・アルバム『ケプラー』は現在のシーンを象徴するような、テクノ・オリエンテッドのベース・ミュージックを披露。現在23歳の異才である。
今回、まさにいま觀てみたいアーティストの来日が実現する。東京公演は10月11日。ブロークン・ヘイズやDJ RSといった東京の先鋭的なアーティストから、先日リンスFMに出演したトレッキー・トラックスらも出演する。

French Fries Asian Tour in Tokyo
supported by PEAK

日時:
10/11(SUN)
@WOMB

料金:
OPEN 23:00 DOOR: ¥3500 with FLYER: ¥3000
ADV: ¥2800

出演
MAIN FLOOR (2F) :
French Fries (Clekclekboom / from Paris)

BROKEN HAZE
DJ RS
BASHOO (#peak_tokyo)
and more

VIP LOUNGE (4F) "Re:ception" :
Keisuke Matsuoka (Re:ception)
and more

MIDDLE LOUNGE (3F) "VOID x TREKKIE TRAX" :
Azel (VOID)
Gyto (VOID)
Shortie (VOID)
Tum (VOID)
andrew (TREKKIE TRAX)
Carpainter (TREKKIE TRAX)
Julian Castle

WOMB LOUNGE (1F) "PEAK" :
Sunda
MARSHALL
Zwei Raketen
KDZ
Null-A (em)
uj (C.R.A.C.K)
Masashi Kikuchi
mnz × maeda (VENVELLA)


French Fries (Clekclekboom / from Paris)
Valentino Canzani aka French Fries のストーリーは、1975年に彼の両親が当時の独裁的な政治から逃れるためウルグアイよりアルゼンチンに亡命し、パリへ行き着いた場面から始まる。彼の父親である Pajaro Canzani はウルグアイのマルチ演奏者として、そして自身のグループ “Los Jaivas” のプロデューサーとしてスーパースター的な地位を築いていた。パリに辿り着くと、ドラムや様々な種類のパーカッションを備えたスタジオを再建したが、これがのちに Valentino や彼の妹のリズムセンス、レコーディング技術を幼い頃から習熟させるきっかけとなった。
2010年には、French Fries として自身初の EP “Arma” を若きペルシア人が運営するレーベル Youngunz よりリリース。この経験は、Adrien Creuse (aka Mr Boo) や Jonathan Chaoul と共に自身のレーベル ClekClekBoom を創設するにあたってインスパイアを与えることとなった。この最初のEPにはサウスアメリカの音楽からヒントを得た ”Senta” が収録されていたが、そのミニマルかつパーカッシブなゲットートラックは、アンダーグラウンドで支持を得ながら、Girl Unit や Bok Bok、Hot Natured、Ben UFO、Justin Martin らをはじめ様々なアーティストから賞賛を得た
2014年6月には、現状の四つ打ちベースのダンスミュージックに独自のミニマルなベースサウンドとアンビエントなアルペジオ、乾いたビートを落とし込んだ一曲 “Shift” がModeselektor のコンピレーションアルバム “Modeselektion Vol.3” に収録された。本トラックは Jimmy Edgar によって BBC Radio 1 Esseantial Mix のハイライトとして使用され、世界に紹介された。今年1月にリリースされた ClekClekBoom の二作目のコンピレーション “PARIS CLUB MUSIC 2” には、同レーベルから厳選されたトラックをはじめエクスクルーシブなトラックも集められ、French Fries - “Got It” が収録された。9月には Jimmy Edgar 主宰レーベル Ultramajic より Bambounou とのコラボレーショントラック “What’s Up Evan” がリリースされた。
2015年には Len Faki による “Journey To Kepler” のリミックスがリリースされたほか、”Various Cuts #1” EP には NSDOS との楽曲が収録、RBMA のために制作された Bambounou とのコラボレーション曲、Paris Club Music の第三弾も、リリースを目前に控えている。
https://soundcloud.com/mrfrenchfries
https://www.facebook.com/lefrenchfries


ファンク・ブームの再来か? - ele-king

 昨年秋にジョージ・クリントンの自伝本『Brothas Be, Yo Like George, Ain't That Funkin' Kinda Hard On You?』と、33年ぶりのファンカデリック名義となる3枚組新作『First Ya Gotta Shake The Gate』が相次いで発表されたこともあって、今年4月に行なわれたジョージ・クリントン&パーラメント/ファンカデリックの2年ぶりの来日公演は、タワーレコード渋谷店で行なわれたジョージのサイン会ともども大盛況で、Pファンクが毎年のように来日していた90年代の盛り上がりを彷彿させた。さらに今年はJBの伝記映画『ジェームス・ブラウン~最高の魂を持つ男』と、スライのドキュメンタリー映画『スライ・ストーン~ドゥー・ユー・カムバック?』も日本公開されるに至って、もしやこれはレア・グルーヴやサンプリング・ソースに端を発する90年代のファンク・ブームを知らない若い世代を巻き込んで、予期せぬファンク・ブームの再来か? と人知れずザワついた。その後、メイシオ・パーカーの安定の来日公演を挟んで、ZAPPの新作『Evolution』が発表されることを知り調べていたら、コン・ファンク・シャンの新作『More Than Love』も春にリリースされていたことがわかり、喜び勇んでまとめて購入した次第。


Con Funk Shun
More Than Love

Shanachie

Funk

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 コン・ファンク・シャンは、69年にヴァレーホで結成されたプロジェクト・ソウルを前身とし、その後、メンフィスへ移ってソウル・チルドレンのバック・バンドを経て、70年代後半から80年代半ばにかけて何曲ものヒットを飛ばした老舗バンド。彼らのライヴを初めて見たのは、90年代半ばに日比谷野音で2~3度、催されたファンクのフェスティヴァル“Let's Groove”だった。強者ファンク・バンドが揃ったラインナップのなかでは、軽快でポップな持ち味の彼らはやや見劣りがしたのでさして期待していなかったところ、その軽快なポップさこそが妙に快調で、いたく楽しんだのを覚えている。00年代以降も、一時期コットン・クラブに数年連続でやって来て、変わらず楽しいショーを展開してくれたので、ツアーはそれなりに続けていたのだろうが、新作を出すのはたぶん20年ぶりくらいだ。
 『More Than Love』のクレジットを見ると、初期からの中心メンバーであるマイケル・クーパー(vo, g)とフェルトン・パイレーツ(vo, tb)、日本公演にも一緒に来ておりジャケット内側の写真にも姿を確認できるエリック・ヤング(b。最近の再発で知ったが元レイディアンス)やKC・クレイトン(keys)などをはじめ、各楽器にはドゥウェイン・ウィギンス(g)、近年はダズ・バンドに籍を置く元プレジャーのマーロン・マクレイン(g)を含む複数のミュージシャン名が記載されている。つまり厳密に言うと、ツアー・メンバーによるバンドとしての録音ではないということだ。なるほど聴いてみると、マイケルとフェルトン、ふたりのシンガーのアルバムという感触で、ファンク・バンドのアルバムを期待していた我が身の欲求を最も満たしてくれたのは、サックス・ソロを軸としたラストのインスト小品“Nite~Liters”だったという、なかなかの肩透かし。だがアーバンなミディアム・テンポも、ちょっとしたファンクも、例によって優れたポップ・センスを備えた佳曲揃いで、ライヴ同様、妙に快調なのである。ということはコン・ファンク・シャンの持ち味は保たれているわけだし、これはこれで全く文句はない。カーティス・メイフィールドの“Move On Up”を今ごろカヴァーしちゃうという、年配オヤジならではのズレた感じも憎めず、ニコニコしながら何度も聴いている。なおタイトル曲には「アイシテル」という日本語が出てくる。


Zapp
Evolution

Troutman Music Group

Funk

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 ZAPPはご存知のとおり、チューブを加えてうにうに歌うトーク・ボックスの名手でありギターの名手にして、比類なきエンタテイナーでもあったロジャーが率いた、オハイオ州デイトンのトラウトマン兄弟を中心としたファンク・バンドだ。だが99年にマネージメントに従事していた兄のラリーがロジャーを射殺して本人も自殺。このような形でリーダーを失ったZAPPは当然ながら存続の危機に陥ったが、残されたメンバーは根強いファンからの応援に一念発起し、そのままのメンバーで活動を再開、03年には『Back By Popular Demand』も発表した。
ミュージシャンとしてもエンタテイナーとしても天才だったロジャーの穴を埋めることは誰にもできないにせよ、弟のレスター(ds)とテリー(keys, vo)が中心となって、かつてのロジャーの大きな役割をメンバー全員で分担して補い合いながら、変わらず楽しいファンク・ショーを展開する姿は誠実で立派だ。ZAPPの日本での人気はとりわけ高く、活動再開後も頻繁に来日公演を行なっており、近年はレスター(ds)の息子でマルチ・プレイヤーのトーマスらも加わって、ロジャーはいないがロジャーがいないだけ、そんなふうに思わせるショーを続けている。
そしてZAPPは今年も8月のサマー・ソニック出演およびビルボード・ライヴでの単独公演で来日し、12年ぶりの8曲入りの新作『Evolution』は、それに合わせるようなタイミングで発表された。幕開けは、まさかの日本語の女声アナウンスによる本作の紹介で、ということは本作はまず第一に、日本公演の会場での販売を目的に制作されたのかもしれない。他に『ZAPP III』の収録曲“Heartbreaker”のライヴ録音(時期や場所の詳細は不明)や2曲の古い録音もあるので、新曲は4曲だ。そのうち、ZAPPのデビューに尽力したブーツィー・コリンズがヴォーカルで参加した“Make It Funky”と、レスターが日本やフランスを含め、各地のファンへの感謝を述べるお礼ソング“Thank You”の2曲には、共作者として“R. Troutman”というクレジットがあるが、これは生前のロジャーが関わって作られた曲というよりは、ソロ作も出している甥っ子のルーファスとか息子のロジャー二世とか、他のトラウトマン家の人間と考えるべきだろう。レスターとトーマスの親子作の“Summer Breeze”は、おそらくトーマスのサックス・ソロをフィーチャーしたフュージョン寄りのスウィートなスロー、そして一番、従来のZAPPぽいファンクは、レスターとバート・トーマスが共作した“Moving”。バートはライヴではテリーとともにトーク・ボックスも操るマルチ・プレイヤーで、現在のZAPPには欠かせない存在だ。
残るは先に「古い録音」と書いた2曲だが、これは“Lil” Roger and His Fabulous Vel's名義による66年の録音という秘蔵音源。ロジャーが15歳の年で、ことによったらジャケットの写真はその当時のものかもしれない。左端のロジャー、ドラムスのレスター、ともにツヤツヤの少年だ。右端はここにこうして一緒に写っているのだからテリーかとも思ったが、ロジャー、レスターより年下には見えないので兄のひとりだろうか。まだトーク・ボックスは導入されていないため、ブルースのカヴァーではロジャーが自分の声で歌っており、今となってはこれはとても珍しいことだ。ギター・ソロが始まると、すぐにフェイド・アウトしてしまうのが残念だが、明らかにたどたどしいのでロジャーのソロではなかった可能性もある。最後の1曲はトラウトマン姓の3人による共作で、まるでヴェンチャーズの曲のようなインスト。ヴェンチャーズが米国でヒットを出していたのは60年代前半だから、トラウトマン家も愛聴していたということか。ノリノリのキーボード・ソロが続くので、きっとこれはロジャーなのだろう。

 そんなわけでこの2組の新作を聴いて改めて思ったことは、ヴェテラン・ファンク・バンドが息長く活動を続けていくにあたって、日本のファンク・ファンの存在は、思っているより彼らの支えになっているんじゃないかということだ。以前は大好きなミュージシャンが年をとって、歌う声がヨレたり、楽器を演奏する指がもつれたりする姿を見るのは、あまり好きではなかったが、自分が40代になった頃からは、何でもいいから元気で長く続けてほしいし、その姿を見続けたいと思うようになった。だからもし日本のファンが彼らを支える一助になっているのならファン冥利に尽きるし、さらに言えば、日本にはいつファンク・ブームが巻き起こってもおかしくない土壌があるということでもあり、なんだかいろいろと嬉しい。

interview with D.A.N. - ele-king


D.A.N.
EP

SSWB / BAYON PRODUCTION

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D.A.N.
POOL

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 「D」の文字だけがあしらわれたジャケットは、この3ピース──D.A.N.の矜持と美意識をミニマルに表現している。東京を拠点として活動するそれぞれまだ二十歳そこそこの彼らは、ポーティスヘッドといえば『サード』からの記憶がリアルタイム。あきらかに本作「EP」のジャケットからは『サード』やトリップホップ的なものへの共感が見てとられるが、あのベタ塗りのビリジアンをぼんやりとした靄の奥に沈めたのは、彼らと、たとえばウォーペイントとを結ぶ2010年代のフィーリングだ。
 甘やかな倦怠とサイケデリア、同時に清潔でひんやりとした空気をまとったプロダクション、芯に燃えるような音楽的情熱。……倦怠が微弱な幸福感と見まちがわれるような、クールで起伏の少ない現代的感情の奥に、凍ったり燃えたりするための燃料源が音楽のかたちをして揺れている。ひたすら反復しながら、しかしそれによってトランシーな高まりを期待するのでもない“Ghana”などを聴いていると、現代の純潔とはここにあるのだとさえ言いたくなってしまう。

 よく聴くとすべて日本語で、詞は押し付けられることなく、しかし引くこともなく耳裏に流れ込んでくる。ことさらヨウガクともホウガクとも感じることなく、たとえば〈キャプチャード・トラックス〉や〈4AD〉の新譜を聴くように聴けて、かつ「東京インディ」というひとつの現代性の表象をリアルに感じとることもできる。なるほど世界標準とはこういうことなのだと思わせられる──それはまずよそ様ではなく自分たちのリアルへの感性の高さを条件として、表現として外のシーンへと開かれている。〈コズ・ミー・ペイン〉の感動から、さらに時計の針は進んでいる。

 前置きばかり長くなってしまったが、東京を拠点として、いままさにインディ・シーンを静かに騒がせようとしているこの3人組の音と言葉を聴いていただきたい。時代性についての言及が多くなってしまったが、音のトレンドも汲みながら、スタイリッシュな佇まいも強く持ちながら、しかし根本にあるのは本当にウォーペイントに比較すべきオーソドックスなギター・バンドの魅力でもある。あまり考えず構えず、何度も何度も再生ボタンを押せる作品だ。これがデビューEPということになるが、ウォッシュト・アウトの「ライフ・オブ・レジャー」しかり、ある意味ではすでにフル・アルバムに等しい価値と象徴性を持っていると言えるかもしれない。これをリリースしてしまったことが、彼らの壁になりませんように──。

■D.A.N / ダン
東京出身、21歳の3人組。メンバーはDaigo Sakuragi(Vocal,guitar,synth)、Jinya Ichikawa(Bass)、Teru Kawakami(Drum)。ライヴ活動を通じて注目を集め、2015年には〈フジ・ロック・フェスティバル〉の《Rookie A Go Go》に出演するなど活躍の幅を広げている。同年7月には、自身らの自主レーベル《Super Shy Without Beer》通称《SSWB》を立ち上げ、Yogee New Waves、never young beachを手掛けるBAYON PRODUCTIONのバックアップの下、初の公式音源『EP』をリリースした。9月には配信限定でファースト・シングル「POOL」も発表されている。

僕は前からトリップホップが好きで聴いていたんです。(市川)

ジャケットをもらって最初に思ったのが、「うわーポーティスヘッドだなー」っていう(笑)。みなさん的に、いまポーティスヘッドなんですか? それとも3人の音楽体験の深いところにあるものなんですか?

川上輝(以下、川上):ジャケに関しては、音楽的なところとはあんまり関係ないかもしれないですね。

でも何がしかの影響はある?

川上:影響はありますね。ありますけど、ジャケに関してはヴィジュアルでもう、かっこいいなと思いました。

桜木大悟(以下、桜木):どういうジャケットが好きか、って話し合ったときに、サード(ポーティスヘッド『サード』、2008年)がすごくいいなと。

市川仁也(以下、市川):最初に店頭に並んだときにインパクトがあって、かつシンプルなのがいいって思ったんです。ポーティスヘッドの「P」って書いてある『サード』はその点でずっと頭に残っていて、「こういうのもいいんじゃない?」って案を出して、そこからより膨らんでいって。

ジャケットってひとつの勝負をするところでもあるじゃないですか? そこに自分たちを主張したくてたまらないってもののはずなのに、「Dだけ?」みたいな。ある意味では最強の主張かもしれないですけどね。メッセージとかスタンスを感じるいいジャケだなと思いました。
話を戻しますと、ポーティスヘッドって、いま来てる感じなんですか? それとももっとパーソナルなものです?

市川:僕は前からトリップホップが好きで聴いていたんですけど。

桜木:僕も仁也の影響で意識して聴くようになったんですけど、それはわりと最近。聴き直してますね。

川上:僕もです。

リアルタイムじゃないですよね?

桜木:ぜんぜんちがいますね。僕らが生まれたくらい。

ちょうど2、3号前の『ele-king』で、ブリストル特集をやったんですよ。ベースミュージックなんかを中心に、リヴァイヴァルのタイミングではあると思います。そういう時代感がどこかにあったりでもなく?

桜木:自然とじゃないですかね。音楽から抜けるというか、そういう流れとはまたちがうのが好きなんじゃないかみたいな。作曲をしているときにふと出てきて、「うわぁ、めっちゃこれじゃん!」みたいな。

市川:「いま何がやりたいんだろう? 自分たちがどんな音楽を作りたいんだろう?」って模索していたときに、「あっ、これ」みたいにビビっときて。まんまこれをやろうってやったわけじゃないんですけど。

川上:やっと理解できるようになったっていうところはあるかもしれない。まじめに音楽をやってきて、行き詰まって、「俺は何をやりたいんだろう?」って思っていたとき、そういうのを聴いたら「かっこいいじゃん」ってちゃんと認識できるようになったと思います。

ある程度やっていたんだけど、「これじゃないかもしれない……、この音楽をやる意味は何なんだろう?」みたいな。(川上)

そんなに若いのに、もうすでに行き詰まりがあったと(笑)。私は、なんとなく自分と同じ世代なのかなという感覚で聴いていたんですけど、実際は皆さんとひとまわりも歳が離れているんですよね。しかも結成は去年でしょう? 同級生的な感じですか?

市川:僕と大悟が小学生からの同級生で。僕らはバンドを高1くらいからはじめて、そのときに輝と知り合ったんです。僕と輝はバンドを別で組んでいたんですよ。

川上:彼らの幼なじみで高校からはじめたバンドがふたつあって、その片方に仁也がいて、そのバンドのドラムが抜けて、たまたまそのとき僕が出会って入って、高校から大2くらいまでそのバンドをずっとやっていたんです。
でも、ある程度やっていたんだけど、「これじゃないかもしれない……、この音楽をやる意味は何なんだろう?」みたいな。

市川:先がないというか。

川上:奇をてらうことにバンドで徹していたというか……。

たしかにそれは行き詰まりっぽいですね(笑)。ひとの名前を借りるのは嫌かもしれないですけど、だいたいどんな音楽をやっていたんですか?

桜木:ニューウェーヴでした。完全に。ポスト・パンク……ギャング・オブ・フォーとか。

奇抜な格好をして冷蔵庫をぶっ壊したりとか?

市川:それはないです(笑)。フリクションっぽいのとかやっていましたね。

桜木:あとはナンバー・ガールとかザゼン・ボーイズとか。

川上:高校生のとき、ナンバガはみんなめちゃくちゃ聴いていた。

桜木:僕らの青春です。

ポスト・パンクって、2000年代はじめに盛大なリヴァイヴァルがあったわけで、たしかに皆さんから遠い存在でもないかもしれないですね。しかるに桜木さんのバンドはどうなんですか?

桜木:もともとアジアン・カンフー・ジェネレーションとか、エルレ・ガーデンとかそういうのが好きで、中学生のときに音楽をはじめました。高校生のときもそのままの流れで、日本語ロックっていうのかな。そういうのをずっとやってました。

曲もずっと作っていたんですか?

桜木:そうですね。くるりとかそういうのをマネしながら、やっていました。

なるほど。D.A.Nはミニマルとも謳われていたりしますけど、そこにギターがすごく色を乗せるじゃないですか? エモーションというか、情緒というか。そのへんの感覚というのはきっと桜木さんなんですね。

桜木:はい。

いざこの体制になったのは去年ということですか?

桜木:はい。去年の夏ごろだったような気がするんですけど。

そうするとみんなで同じ方向を見ていたというよりは、もう少し偶然的にいまの音楽ができあがっていると。

川上:前にやっていたバンドが2年くらい前に同じタイミングで解散したんです。「このメンバーでやる意味」とかそういうことを考えてましたね。

けっこう考えますね。

川上:この音をこいつが出してるみたいな。そのあたりの信頼関係が揺らいでいたというか。「こいつが出している意味があるのか?」とかって考えていたから。それで話し合って解散して、1年くらいひとりでやったりとか、他のバンドで活動したりもしてました。そういう考える時期があって。それで大3くらいに、結局バンドをやりたいってなったんです。そしたら6人くらい集まったんですよ。

市川:去年の1月とかですね。

川上:そこでまた直面したのが、やっぱり音が多すぎるってことで(笑)。いままでとはまったくちがう面白いことをやりたかったから──ドラムがふたりいたりとか。

桜木:当時はツイン・ドラムが流行っていたんです(笑)。パーカッシヴなものを作りたいという意味でツイン・ドラムだったんですけど。ポーティスヘッドとかもいるじゃないですか? レディオヘッドもそうだし。トクマル・シューゴさんも普通にドラムを叩いてましたから、それに影響されて「いいんじゃない?」みたいな。

音楽をずっとやっていきたいって気持ちがあるからこそ、話し合いが何回もあったと思います。「自信を持っていいものを作るには、お前とじゃない。他のやり方が合っているんじゃないのか?」みたいなのを。(川上)

なるほど。いろんな試行錯誤があったと。

川上:がっつりふたりともドラマーだったから、音がぶつかり合いまくって(笑)。お互いすごく気を使わないといけないというか、どこまでやっていいかわからないので……。それを考えている時点で前といっしょだな、みたいな。その時点でもう自由にのびのびと創造できないというか。そんなこんなで3ヶ月くらい曲ができなくて。それが去年の1月から4月くらいにかけてですね。もう、ずっと「どうする?」って話し合って。

桜木:いわゆる産みの苦しみとは別で、幼なじみだったので変な情とかもあったし。抜けていった3人のうちふたりも小学校からの同級生で、「何かちがうな」と思ってもはっきり言えないんですよね。言えないわけじゃないんですけど、情が介入していたというか……。

6人もいれば、なんというか、それはもう社会ですもんね。サステナブルなものにするのは難しいですよね。

川上:それで踏み切って、7月に「もうさすがに決めよう!」ってデッカい話し合いがあって。

その話し合いのエピソードもそうですけど、けっこうコンセプトをカチッと固めてるバンドだなって感じまして。一瞬、「なんとなくやってます」とか「意味とかないです」みたいな、そういう態度がこのアンビエントでダウナーな音楽性のうしろにはあるのかなと感じるんですけど、実際すごく決められている。
たとえば資料の文言──「このドライな3人で、無駄のない柔軟な活動を目指す」とか(笑)。

川上:それ僕が書きました(笑)。

「いつの時代でも聴ける、ジャパニーズ・ミニマル・メロウを追求することをテーマにする」とか。

川上:それっぽく書いたんですよ(笑)。

いやいや、そういうのって「べつに何も考えてないですよ」って言うのもアーティストのひとつの態度じゃないですか? それに対して、このゴリっと考えてる感じが新鮮だったというか。コンセプチュアルなバンドなのかなと思ったんですけどね。

桜木:これに関して言えば、野心が全面に出てます。

すごくいいことなんじゃないですか。ロックなんてけっこう伝統的にみんなうつむいてたし、インタヴューなんて「はっ?」みたいなところがありましたけども。でも、ギラギラしてないのにしている感じが(笑)。

川上:音楽をずっとやっていきたいって気持ちがあるからこそ、話し合いが何回もあったと思います。「自信を持っていいものを作るには、お前とじゃない。他のやり方が合っているんじゃないのか?」みたいなのを、みんなうすうす感じていて、3人になる前に、それをはっきりと言おうという話し合いが最後にありました。本当に食っていきたいって思っていたので。

そういう意味での野心ですか。ちょっと意地悪な質問をあえてすると、皆さんが本当に「ドライで無駄のない柔軟」なひとたちだとすれば、そう言わないと思うんですよね。これはそうでありたいという意思であって、実際は逆というか、ぜんぜんちがうみたいな意識があったりします?

桜木:ものすごく熱いです、自分。

ゴチャゴチャしてたりとか、あったかい音楽とか大好きですけど、自分たちが音楽をする上での美意識っていうのをひとつ決めてやっているんです。(桜木)

ぜんぜん冷たくないんだ(笑)。

市川:6人のときの苦い経験があったので、ドライに、本当にいいものを作るために、同じ方法論でやるために、という意識というか。

川上:そう言っておいたほうがいいと思うんですよ。その謳い文句を。本当にそう思うし。

それは自分たちにとって?

川上:外からの見え方とかそういうものを考えると。

なるほど、戦略的な部分でもある。……なんか、ロック・ヒーローとかってどっちかというと「ウエットで無駄が多くてガチガチに凝り固まっている」ものだったりするじゃないですか(笑)。そういうのは自分たちのクールとはちがう感じなんですかね?

川上:その譬えから考えると、本来の姿はそうであるけど、言っているのはそれ(ドライで柔軟で無駄がない)だったらよくないですか?

あー、ギャップがある方が?

川上:それが逆だとなんか……

「熱い」と言っているのに「冷たい」みたいなやつよりもってことですか(笑)?

川上:そうですね。それが逆だとなんか変じゃないですか。

桜木:ゴチャゴチャしてたりとか、あったかい音楽とか大好きですけど、自分たちが音楽をする上での美意識っていうのをひとつ決めてやっているんです。

川上:かなり幅広く書いているつもりですね。

音楽的な部分以外でも?

市川:ジャンルをまたぐっていうだけじゃなくて、姿勢もというか。こういう姿勢も持っているというのを出して。音楽というのはそのときの趣味もありますし、変わっていくものだとは思うんですけど。

あとは「スーパー・シャイ」みたいなことも標榜されていますけれども(笑)。「あ、シャイであることっていまはカッコいいんだ!」みたいなことを感じましたね。

桜木:それは、この缶バッチ(「Super Shy」と書かれたバッジ)からとったんですよ。

あ、そうなんですか? どれどれ……そのまんまじゃないですか!

桜木:これ古着屋さんに置いてあったやつで。

えー。でもグッときましたよ。自分たちを「スーパー・シャイ」だと思います?

川上:それは何も考えないで決めたので、突っ込まれてもって感じですね(笑)。

本当ですか? シューゲイズとかって、あのクツ見つめる感は、シャイっていうんじゃなくて、コミュニケーションをシャットダウンする感じじゃないですか。けど、シャイであるならば繋がれる可能性がある……ビールを飲んだりとかすれば(笑)。そういう、拒絶じゃない熱さみたいなものはどこかに感じます。

桜木:ただ、ビールというものは、いろんな言葉に置き換えられると思うんです。音楽もそうだし、何かのきっかけとかアクションだけで「スーパー・シャイ」から解き放たれるというか。

ペダルを踏むみたいな感じで。

桜木:僕はそういうふうに解釈していますけど、そんなに深い意味はないですよ。後付けですから(笑)。

いやいや。そうだったとしても、つい深読みたくなるのは、音楽にそれだけの厚みがあるってことだと思いますけどね。それに、それぞれのコンセプトも提起的ですよ。いろいろ語りたくなってしまう。

どこかしらウォー・ペイントだったり、ポーティスヘッドだったりジ・XXだったりとかに似ているもの出てきた、みたいなことはあります。でもそれは、「これはカッコいいよね」って出てきたものが、結果的に似てたって感じですね。(市川)

さて、好きなバンドにウォー・ペイントの名も挙がってましたけど、すごくそれも感じますね。

桜木:ウォー・ペイント大好きっす。

川上:超好き。ちょうどいいところをホント突くんですよね。

めっちゃくちゃわかります。でも不思議じゃないですか? ウォー・ペイントって日本でそこまでは盛り上がっていなかったし。

市川:僕らホント好きですよ。一時期ずっと聴いていました。

川上:「自分たちと同じじゃないか」って勝手に思ってます。

私もすごく好きなんですけど、D.A.N.はめちゃくちゃウォー・ペイントだと思いました。

川上:ウォー・ペイントが日本人だったらぜったいに話が合うと思います(笑)。

日本にはD.A.Nがいるからウォー・ペイントはいいか、というくらい、似たものを感じますね。ウォー・ペイントって、なんの時代性も象徴していないというか。ひたすらいいバンドなんですよ。だから真似するときに「チル・ウェイヴです」、「フットワークです」とかならマネしやすいですけど、「ウォー・ペイント」ですっていうのは難しい。本当に好きなんだなと思いましたね。

川上:ウォー・ペイントを特別に意識しているとかはとくにないですね。「これだ!」という感じに決めていることはないというか、決められたくはないというか。何にでも溶け込むものでありたいので。

市川:曲を作っているときでも「これよくない?」ってなって作っていくと、そこにどこかしらウォー・ペイントだったり、ポーティスヘッドだったりジ・XXだったりとかに似ているもの出てきた、みたいなことはあります。でもそれは、「これはカッコいいよね」って出てきたものが、結果的に似てたって感じですね。

きっと彼女たちもそういうモチヴェーションなんだろうなって思うんですよね。うしろにジョン・フルシアンテがいたりするじゃないですか? ああいうちょっとしたギターのテーマみたいなものが、ときどき聴こえる感じとか──「冷たいけど熱い」みたいなところも似てるかなと思うんですけどね。
自分たちのなかの「熱さ」についてもうちょっと聴きたいんですけど、どのへんだと思いますか?

川上:精神的な部分だけど熱さはありますよ。僕はサッカー選手をとてもリスペクトしているので。すごく学ぶことが多いです。

えっ、そうなんですか!

川上:姿勢についてとか、「音楽をやっているひとたちはみんな見習った方がいいんじゃないか」って思います。やっぱり彼らはつねにサヴァイヴァルなので。

そうですよね。チームの戦いという意味ではなくて個人のという意味ですか?

川上:はい。チームとかはバンド全体のことになってきますよね。いろんな部分で似ていると感じるので、僕は音楽とサッカーがイコールだなと思っています(笑)。本気でそう思ってます。

市川:僕は自分がいいと思えるものを作るっていうところです。そこをとにかく追求していきたいし、そこができないならやっていても意味がないし。……音楽が本当に好きなんで。そこだけは絶対に曲げたくないというか。まずいいものを作るっていうところです。

川上:お互いをリスペクトしながら高め合える3人でやっているのがこの音楽ですから。そこはつねに基本ですよね。

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メンバーの中の想像を超えたいんです。ベースだったらベースで。(市川)


D.A.N.
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POOL

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バンドのなかでそれぞれご自身が何かいいものを作るっていうときに、具体的な行動としてはどういうことになります?

市川:ケミストリーを見せるというわけじゃないですけど、3人が集まって、いいところが出て、それがかけ合わさったときに、想像もできなかったようなものができて──それをいろんなひとに聴いてもらいたい。そのためにメンバーの中の想像を超えたいんです。ベースだったらベースで。最初大悟がひとりでデモを作るんですけど、そのときに大悟が想像しうるベースを弾いても意味がないというか……。そこの想像を超えて、かついいものじゃなきゃダメだと思っているし。でもつねにそこで納得できないというか、ずっと追求しながら作っています。

めっちゃうねりますよね、ベース。冷たいなかの熱さって言ったときに、あのうねりは熱さの要因のひとつかなって思いますね。あの感じは、自分の好きな音楽が出てきている感じですか?

川上:そうですね。個々のパートは自分で考えてます。だから本当に3人で曲を作っていると思います。

桜木:いちばん重要なのは歌ですね。

歌を最初に持ってくるんですか?

桜木:曲によるんですけど、基本は歌だと思ってます。

そこは信念がありそうですね。熱いところっていう質問についてはどうですか?

桜木:熱いところが僕はわからなくて。

川上:すべてに情熱を注いでいる気持ちはあるので、どこがどうっていうのはないかな。

桜木:でも、じつは僕は自分のことをめちゃくちゃ冷たいと思っていて。

パーソナリティがってことですか?

桜木:そうです。

安直に評価するわけではないですけど、さっきおっしゃっていた昔好きだったというバンドは、どちらかというと熱い気もしますね。それは自分の冷たさが逆に呼び寄せるようなものだったんですかね?

桜木:うーん、熱さ……、難しいですね。

たとえばドリーム・ポップだと、ベッドルームなんかがその背景になっていたりしますよね。でも、対するにこのアー写なんかは、すごくストリート感があります(※冬の涸れたプールで撮影されたもの)。

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でも、ストリートじゃなくて「そうかぁ、プールかぁ」と思って。ここにはすべてがある、ってくらいいい写真だと思いました。……で、これだって冬っぽさとプールっていう冷たいものの掛け合わせなのに、やっぱり先ほどからのお話も実際の音も、ただ冷たいっていうんじゃ説明できない熱を感じるんですよね。

音について言えば、削ったり、引き算したりっていう考え方なんですよ。(川上)

川上:音について言えば、削ったり、引き算したりっていう考え方なんですよ。ひとつひとつ音が重なっていく感じは熱さかもしれないですけど。エモさとか。ひとつひとつ音が増えていって、じりじり上げていく感じは。

桜木:アンサンブルが感情のコードというか重なりというか、それで自分の内面が高まったりするから。

川上:そこから音がひとつだけになるところとかも、繊細なものだというか……、ひとつひとつの音に意味があるかどうかを突き詰めてやっているので。

桜木:冷たさとか熱さというよりも、どちらかというと静と動という気がする。静と動と緩急、緊張と緩和とか、そっちな気がする。

すごく心象風景というか世界があるバンドだなって思うんですね。すごくファンキーな部分もあったりしながらも、黒さというものとは別ものというか。それもウォー・ペイントと共通するかもしれないですね。あの感じが好きで……。ボディが先にあるような音楽っていうよりも、なんか精神みたいなものに触れて美しいなって思う感じ。
それぞれがそれぞれのパートに責任を持っているというお話でしたが、持って来るのがメロディなんですか?

桜木:はい。自分です。

そのデモを聴きながら、自分がどうアプローチするかを決めるんですか?

市川:はい。

完成したデモを示すわけじゃないってことですね?

桜木:僕はぜんぜんそういうのが作れなくて、曖昧な状態で渡すことが多いです。

そうするとこの3人だからこそ、意味のある繋がりのなかで音ができていくということですね。

川上:バンドってそうじゃないですか。

──ということをさんざん感じたんですね。

川上:本当に感じました。全部指示していたら3人の意味がないのでね。

やっぱりひとりひとりがすごく独立した表現者なんですよ。(桜木)

なるほど。D.A.N.って、バンドというべきかユニットというべきかわからないんですけど、ひとりのアーティストのような不思議な感触があるんですよね。バンドで3ピースっていうと、それぞれの役割も決まっていれば音楽のフォームまで想像できそうな感じですけど、そこがすごくアメーバ状ですよね。

桜木:やっぱりひとりひとりがすごく独立した表現者なんですよ。自分が全部曲を作ってデモを投げても、自分でどうアクトするかだと思うから、こういうふうに演じてくださいって与えたところで、自分が持っていたイメージとちがうものが出てくる。それがおもしろいと思えるふたりなんですよ。

川上:指示してやってもらいたいんなら、スタジオ・ミュージシャンを呼んでシンガー・ソングライターとしてやればいいだけの話で。

桜木:あと、いまサポートで入っている小林うてなも、自分が尊敬できるひとです。

たとえば2曲めなんて、それこそリズム・トラックが曲のメインだとも言えるじゃないですか? ああいうのは川上さん的に、何を投げられて何を打ち返したものなんですか?

川上:感覚的に打ち返しているだけですね。

桜木:“ナウ・イッツ・ダーク”は弾き語りで作ったんですよ。

川上:歌はかなりフォークだったんですけど、すごく変わりましたね。リズムの最初の「ドッツカ」は、僕がこうしたいってあれをずっとやってて、つまんないなってなって、じゃあ途中から変えようっていう感じです。後半でBPMが上がるんですけど。あそこに繋げるための間のところはかなり悩みました。「ドンツクツクツクタン」が出てくるまでだいぶかかりましたね。まぁ、でも全部僕が出てくるまで何も言うこともなく、あーだこーだ「これはちがうな」みたいな。でも、ふっと「あっ、それだ!」っていうのが来る。それが来るまで、ずっとスタジオに入るまでです。

「ドンツクツクツクタン」が出てくるまでだいぶかかりましたね。(川上)

桜木:僕らの曲作りって、量だと思っていて、とにかくたくさん出して、やる。そうすると自分が想像できなかったものがふっと出てくるタイミングがあったりとか、「これなんじゃないか?」みたいな。

川上:質がいいものをやるには量を出すしかない。

あ、ほらまた出た。熱さっていうか、体育会系ではぜったいないのに、体育会系思想が出てきた。……こだわってすみません!

市川:おもしろいのが、たとえば僕が曲を作っているときに、輝のドラムだったり、大悟のギターだったり、自分のベースだったり、曲の展開で「あっ、絶対にいまのだ」ってなってると、ふたりも同じことを思っていたりとか。

川上:でもひとりでもダメだったら通らないですけどね。

市川:いま作っているやつもかなり時間がかかってます。

なるほど。フォークを解体するっていうのは、ひとつの本質的な特徴なのかもしれないですね。たとえば、よく比較されるYogee New Wavesとかって、やっぱりフォークのスタイルって一応しっかりとあるわけじゃないですか。でも、なんかそういうふうに日本語が乗っているわけじゃない。かと言って、どうでもいいですってわけでもなくて、ちゃんと日本語がきこえる。
そういうことって、先にあるものを崩すところから生まれてくるのかなって感じもしましたね。

市川:大悟が持って来た曲のイメージとかを、みんなでまずはバラバラに解体して、それから再構築。

川上:けっこう曖昧だから、やりながら固まってくるみたいな。みんなで徐々に同じ方向に向いて来るみたいな感じですよね。性格も出ているでしょうね。パッと出してじっくり考えるみたいな。いろんなパターンも試すし、そういうのをやっているからこそ、予想だにしない展開も生まれると思います。

市川:セッションとかして、「いまの感じいいじゃん」ってなったときも、いったん大悟が家に持ち帰って曲に対するイメージみたいなものをつけて、またスタジオに持って来てみんなで聴いて。

川上:そこからまた考えるけどね(笑)。

市川:で、またそれを崩して、組み立てて。

川上:そうやってみんなが考えているって気持ちがあるんですよ。3人で戦っている感じがあって、俺だけで戦っているって感じはないですね。

3人で戦っている感じがあって、俺だけで戦っているって感じはないですね。(川上)

バンドだから、ひとつにはアンサンブルっていう戦い方があると思うんですけど、皆さんにはもうちょっと、曲とかコンセプトっていう戦い方を感じますね。

川上:技術だけあってもぜんぜんよくないじゃんっていうのもたくさんあるし、そういう問題じゃないと思うから。

桜木:技術に関しては、それは手段だから。それよりは目的が最優先で。

そのあたりは、ミュージシャンシップというよりは、もっとアーティスト性みたいなものを感じさせるバンドだなって思います。
せっかくいま歌詞の話も出てきたので、お訊ねするんですが、「ジャパニーズ・ミニマル・メロウ」と謳っていますけど、ここで「ジャパニーズ」ってわざわざ言うのって、みなさんにとって大事なことなんですか?

川上:「ミニマル・メロウ」をオウガ(・ユー・アスホール)さんが先に言っていまして、「先に言われた!」っていうのが僕たちの中にあったんです。

桜木:まさに僕らのもやもやを簡単に形にしてくれたと思って。

川上:「作品のインフォメーションを作るから何か送って」って言われて、僕たちは「ジャパニーズってつけるか」って思って。まぁ、日本語で歌っていることは意識していると思います。

もともと僕は、D.A.N.をはじめる前からずっと、海外でライヴをしたいとか生活をしたいとか、世界規模で音楽をやりたいと思っていたんですよ。(桜木)

1曲めとかはクラウトロックっぽい反復性はありますよね。どちらもイメージ的に近くはないですが、共通性があるのかもしれないですね。……しかし、「先に言われた感」があったと。

桜木:すごく悔しかった。

なるほど(笑)。皆さんの音楽って、とくに邦楽って感じでも洋楽って感じでもなくて、すごく自然に海外の音楽を聴いてきた経験が溶け込んできたものだなって感じるんですよ。だから、なんでそういう言い方をわざわざするんだろうなって。ということは「ジャパニーズ」ってことにこだわりがあるのかなと、ちょっと思ったんです。

桜木:もともと僕は、D.A.N.をはじめる前からずっと、海外でライヴをしたいとか生活をしたいとか、世界規模で音楽をやりたいと思っていたんですよ。YMOとかもリスペクトして。自分のその日本人っていうアイデンティティがなければ、どんなに海外志向なサウンドを出したところで外国人からしてみたら、「そんなのいくらでもあるじゃん?」って思われちゃうというか。

シニカル。でも、そうですね。

川上:だからこそ、日本人としてのっていうところを大事にしたい。

桜木:たぶん、日本人が無理に歌う英詞って、あっちのひとにしたらすごく気持ち悪いと思うんですよね。だったら素直に日本語で歌った方がおもしろいじゃんって思う。

ある意味ではすごくイエロー・モンキーであるということを、自覚し過ぎるくらいしてるんですかね。

市川:表現的にも、英語と日本語どっちが喋れるといったら日本語だと思って。だったら日本語で表現した方がより伝わりやすいし、自分が思っている表現ができる。

川上:自分たちも意味を感じながらできるし。

自分の歌詞はサウンドがいちばん大事で。(桜木)

D.A.N.をパッと聴いたときに、いかにも英語で歌っていそうな感じじゃないですか? そんなことありません?

桜木:もともと僕は英語で歌っていたんです。

そうなんですか。その詩は誰が?

桜木:自分でデタラメな英語を書いていたんですよ。それがすごく恥ずかしかったというか、自分は何をやっているんだってなりました。これじゃ意味ないって。

といって、意味とかメッセージ性を押し出すものかといえば、ぜんぜんそういうフォーク性もないしね。

桜木:自分の歌詞はサウンドがいちばん大事で。言葉の響きだったりとか、イントネーションとかリズムとか、サウンドに寄り添う形で。それがいちばん重要なんですけど。あとは耳に入ってきたときに、おもしろいワードだったりとか、そういうものを意識してます。ただ、歌詞に関しては自分はまだ冒険中というか。

歌詞ではないですけど、1曲めはギンズバーグを引用していますよね。あれはビートニクへの何かしら思いがあるんですか?

桜木:僕はYoutubeで見ていてサンプリングしたんですけど、あれはリズムがおもしろかった。だからなんとなくサンプラーに入れてて、スタジオでセッションしているときに、適当に流したらおもしろかったから使った。

川上:あの曲は最初にビートができてギターが乗って、「あたまに(リーディングを)入れたらおもしろいんじゃん?」ってなって流して。

桜木:ちょっとポエトリー・ラップみたいなのもおもしろいなと思って。ビートと言葉の揺らぎがいいと思ったから。

市川:あのことばの意味を出したいというよりは、言葉のフローじゃないですけど、流れがいいねってなって、決まっただけなんです。だから、わざわざ意味として主張したいものはないですね。

なるほど、あれはビートなんですね。ビートニクというより(笑)。チェコかどっかのライヴ音源みたいですけど、わたしもあの詩をぜんぜん知らなくて、でも「ガーナ」って曲名でしょう? これって何なんだろうと思って(笑)。

川上:「ガーナってどうよ?」って言ったら「いいじゃん。響きおもしろいね」みたいになって(笑)。

桜木:曲名はあだ名なんです。

川上:曲名はみんなでぽっと決めますね。

なんかすごくコンセプチュアルなのに、そこはすごい感覚的っていう(笑)。いいですね。

川上:僕はアフリカといえばガーナだと思ったので。

市川:“ガーナ”の音は土着的だし、「ガーナっぽいね」って言ってたらガーナになりました(笑)。

カンみたいなのがありつつ、ガーナで、チェコでビートニクみたいな(笑)。

桜木:ガーナって言っている前はバスキアって言っていたんですよ。それで、「バスキアってタイトルは恥ずかしい」と(笑)。

あはは!

川上:セッションの終わりくらいに、バスキアって呼ぶのが恥ずかしくて、仮でガーナって呼んでいたらガーナになった(笑)。

人生、楽しいですけどね。(市川)

その柔構造がいいですね。個人的には、曲がメッセージを発しているとお説教を受けているみたいな気持ちになっちゃうので、いやぁ、なんて心地よい詰まりすぎない音楽なんだろうって、D.A.N.にはすごく思うんですよね。そういうひとたちなんでしょうね。

川上:そうだと思います。

世代で括る気はないんですけど、一応ゆとりと言われているひとたちよりもちょい下ですよね。

桜木:がっつりゆとりです。

川上:さとり世代って言われているんだよね(笑)。

市川:人生、楽しいですけどね。

日本がこのあと右肩上がりになることなんて絶対にないってわかっているんだけど、最初からそういうところに生まれたからわりとハッピー、みたいなね。

桜木:そういう意味か。なるほど。

川上:「恵まれてる国だから」みたいなとこですよね。

そうそう。私もそういう雰囲気はすごくわかるので、なるほどなと思うんですけど。
さて、このバンドにおけるソウルってところも訊きたかったんですけど、ヴォーカルとかもソウルフルに思えて、じつはあれは黒いって感じじゃないですよね。むしろトム・ヨークとかね、あのファルセットはそういう感じがするんですけど。なんか原点にファンキーなものとかソウルなものとかあるんですか?

川上:いろいろ好きなんですけどね。

桜木:ファルセットですか?

新しいR&Bの流れとかもあるじゃないですか?

桜木:うん。それはものすごく影響を受けてます。

なるほど。

川上:ディアンジェロの歌い方とかね。

音楽はどこで買っているんですか?

桜木:友だちのパソコンからデータでもらっているかな(笑)。

川上:彼はけっこう掘ってる。

レコード屋さんとか行きますか?

桜木:僕がわりとふたりに流していることが多いかな。下北沢のオトノマドってレコード屋さんとかですね。

どういうものが置いてあるんですか?

川上:「見たことねぇ!」みたいなのばかりでおもしろい。

桜木:フォークとかもあるし、ソウルやファンクもあるし。フュージョンとかジャズとか、ブリストルとか。あとエレクトロとかアンビエントもあるし。クラウトの実験的なものだったりとか。中古もあるし、新品もあるし。

市川:セレクトショップみたいなね。

桜木:そことかはわりと見たりしていますね。あとは友だちに「最近何を聴いてんの?」って聴いたりとか、そういうのですね。

なるほど。やっぱり根本はインディ・リスナーなわけですね。そしてそういうところに、D.A.N.も置かれる音だと思いますよ。アルバムも楽しみにしています。

具体の映像 - ele-king

 やぶからぼうに恐縮ですが読者のみなさん、さいきん「ミュジーク・コンクレート」なることばを目にする機会が多くないですか。ピエール・シェフェールのはじめたこの音楽は端折っていえば、伝統的かつ抽象的な音楽にたいし録音した「具体音」の加工と再構成で音楽をつくる、もとは現代音楽のサブジャンルなのだけれど、録音技術と機材が劇的に亢進し一般化したのを境にひとの口の端にのぼるのもめっきり少なくなったのが、体感ではOPNあたりからだろうか、チラホラ見かけるようになったのはおそらくミュジーク・コンクレートが現在のなめらかな音楽にたいして異化のニュアンスをひそませるからだろう。などとここは考察を進める場ではないが、とまれミュジーク・コンクレートが2010年代の音楽の基調の響きの一部であるのはたしかだ。

 牧野貴はジム・オルークからローレンス・イングリッシュ、タラ・ジェイン・オニール、コリーン、大友良英、山本精一、渡邊琢磨、イ・オッキョンらミュージシャンとの共同制作でも知られる映像作家だが、彼の新作『cinéma concret』はその名のとおり、誕生から半世紀以上を経たミュジーク・コンクレートへの21世紀の映像作家からのアンサーなのだという。フィルムとビデオによる具体映像(といういい方があるかはわからないが)を重層的に構成し、映画を観る行為を光の体験までひきあげる牧野貴の作品はもとからミュジーク・コンクレートに親和的ともいえる――というか、シオンあたりを引くまでもなく、光と音の現前である映画にとってその位置関係を措定するにあたり、ミュジーク・コンクレート的場面はあまたあるわけで、映画的な音楽あるいは音楽的な映画といった安易な比喩は厳に慎まなければならないが、牧野貴という点でそれらは交錯するにちがいなく、『cinéma concret』ほか、近年の代表作8作品をまとめて上映する今回の西日本ツアーはそれに目にするかっこうの機会になるだろう。でもなんで西日本だけなの。西日本がうらやましくてならない。

“EXP/2015”
牧野貴作品集『Cerulean Spectacles』リリースツアー


© 神山靖弘

■10月3日(土)岡山カフェモヤウ

15:00[フロクラム cinéma concret](上映作品:『The Low Storm』、『Generator』、『cinéma concret』)
17:00[フロクラム Phantom Nebula](上映作品:『Phantom Nebula』)
19:00[フロクラム cinéma concret](上映作品:『The Low Storm』、『Generator』、『cinéma concret』)
21:00 音楽の時間(DJ:牧野貴)

料金:予約・当日共に
1回券1,500円+1drink500円、2回券2,500円+1drink500円
(※音楽の時間は各回の入場券てご参加いたたけます)
cafe moyeu https://www.cafe-moyau.com

■10月4日(日)大阪シネ・ヌーヴォ

20:40 『The Low Storm』『still in cosmos』『Ghost of OT301』『2012 3D』
上映後、牧野貴&DOOM !によるトークあり

料金:1,500円(シネ・ヌーヴォ会員1,000円)
シネ・ヌーヴォ https://www.cinenouveau.com/

■10月5日(月)京都ジャポニカ

20:00 『Inter View』(音楽:Tara Jane O'Neil & Brian Mumford)
DJ : DOOM ! collective

料金:1,000円+1drink500円
JAPONICA https://www.japonica-cafe.com

■10月6日(火)京都同志社大学・寒梅館

19:00 『cinéma concret』
アフタートーク:牧野貴×川崎弘二(電子音楽研究)「ミュジーク・コンクレート / シネマ・コンクレート」

料金(当日のみ):1,000円均一(※同志社大学学生、教職員無料 同志社内諸学校含む)
同志社大学 寒梅館クローバーホール https://d-live.info/


interview with Darkstar - ele-king


Darkstar
Foam Island

WARP / BEAT

ElectronicPsychdelicAmbient

Tower HMV Amazon

 いったい、ダークスターは今回どれほど重く峻厳なテーマに向いあったというのだろうか……? 何も知らずに今作の詞に向かいあうと、「運命」「誓い」「多数決では少数派に刑が」「引きずる前科」「運命が姿を偽っている」といった、ひとつひとつの言葉の負荷の大きさに驚く。音自体は、むしろキャリアの中でもっともミニマルな印象を受けるアルバムだから、なおさら面喰らってしまう。

 それでおぼつかない質問を投げかけてしまったが、答えは明瞭だった。これは「政治的な意味合いがこめられたレコード」──今年5月に行われた英総選挙とその結果に大きく影響され、また、それへのひとつのレスポンスとして提示されたアルバムなのだ。実際に“カッツ”では地元自治体の予算縮小アナウンスが用いられたり、“デイズ・バーン・ブルー”など保守党の公式カラーを引いた皮肉が加えられたりと、事情に明るいひとには明瞭に察せられたことだろう。ちょっと反則だけれども、そのあたりの補足として先に公式インタヴューから少し引用させていただきたい。

レコードの中で聞こえるいろんな声、さまざまな人々の発言は、基本的に僕が3ヶ月にわたってハダースフィールドの地元住民を相手に行った、一連のインタヴューから生まれたものなんだ。

 「今回の僕たちは、ロンドンとヨークシャーのカントリー・サイドを行き来していたね。かなり何度も往復したし……レコードの中で聞こえるいろんな声、さまざまな人々の発言は、基本的に僕が3ヶ月にわたってハダースフィールドの地元住民を相手に行った、一連のインタヴューから生まれたものなんだ。その取材を通じて彼らの持つ視点や人生観を知ることができたし、そこからこのレコードの屋台骨、背骨みたいなものができていった。だから僕たちは、ある意味彼らとのインタヴューをこの作品のコンセプチュアルなガイドラインとして使ったんだ」

 この発言の主であるジェイムス・ヤングは、前作を発表した後、Youtubeで視聴したドキュメンタリー番組からインスピレーションを得て、実際に生きている人びとの人生の断片をレコードに挿入していくことを思いついたと言う。そして、「他の人間達の持つ視点、首都ロンドンを生活基盤にしていないような、イギリスの他のローカルなエリアで暮らす人たちの声に耳を傾けてほしいんだよ」……インタヴューというかたちでそれを採音し、そのプラットフォームとしてアルバムを利用したのだ、と。

彼らのインタヴューでの質問は、「英国の現状をどう思いますか?」というような大上段に構えたものではない。「あなたの夢は何ですか?」「くつろいでリラックスしたい時にあなたはどんなことをしますか?」「誰か好きな人はいますか?」といった、とてもささやかなものだった。人がどんなふうにそれぞれの生活と人生に向いあっているのか、その営みについてインタヴューし、アルバムに反映させる。それがいまのダークスターにとってよりリアルな方法だったのだろう。そして『フォーム・アイランド(Foam Island)』というタイトルが生まれた背景には、こんな思考の過程がある。

首都ロンドンを生活基盤にしていないような、イギリスの他のローカルなエリアで暮らす人たちの声に耳を傾けてほしいんだよ。

「それは僕達が孤立した空間、社会のさまざまな場所にちらばっている空間に眼を向けたことから生まれたアイデアで。だから、人々、あるいはいろんなコミュニティが、いかに自分たち以外の人間や他のコミュニティのことをいっさい知らないままで生存していくことができるのか……そしてどれだけコミュニティ群が互いに孤立した状況になることがあり得るのか、そうした事柄を考えていたんだ。で、僕たちはそうした意味合いを包括するような何か、定義するような言葉を探していて、そこで『Foam(泡)』という言葉と、泡がどんなふうに生まれるかに思い当たった」

それぞれの色やサイズを持って、まさに「かつ消えかつ結」(芭蕉)ぶうたかたの泡。同じものはなく、そしてそれは、くっついたり離れたり、増幅したり消滅したり、つねにかたちを変えつづける──「とにかく、うん、このタイトルは基本的に、『この国は何千・何万もの泡から成り立っている』ということ、それを表現したものなんだよ」。

人びとの生活や思いをたくさんの泡になぞらえる、大らかでロマンチックな視点から、英国のいまにアプローチしようとしたアルバムだ。政治的なメッセージを直接歌うという方法ではなく、むしろアルバム自体がドキュメンタリー・プロジェクトのいちアウトプットとして機能しているように見えるところなどは、彼らなりに誠実に状況と向かいあう方法が模索されていることが感じられる。

このタイトルは基本的に、『この国は何千・何万もの泡から成り立っている』ということ、それを表現したものなんだよ。

 それにしても、今作ではあらためてダークスターというバンド(今作では、コア・メンバーの二人体制に戻っているので、ユニットというべきだろうか)の幅を感じさせられた。そもそもベース・ミュージックのシーンから登場したように言われるが、彼ら自身はそうしたシーンになじみが深いわけではない。現場での流行や空気の変化を把握しているわけでもなく、むしろエレクトロニックな方法を用いるサイケ・バンドとさえ形容してしまってもいいかもしれない。弊誌の前作レヴューなどは、比較対象がビートルズだ。その意味では非常にマイペースに自分たちの表現方法を模索し、広げてきたアーティストたちであり、クラブ寄りなのかロック寄りなのかといったような線引きや人脈・樹形図をあたうかぎり無視してきた存在でもある。

もちろん、デビュー・アルバムをリリースした〈ハイパーダブ〉も、前作と今作をリリースする〈ワープ〉も、自由で大らかな実験精神を持ったレーベルであって、これまでもこうした境界において多くの才能をピックアップしてきた。なんとなく流れで作らねばならなかったセカンド、サード、といったものとはほど遠く、一作ごとに確実に何か自分たちにとって新しいことを掴もうとするダークスターは、今作ではかくも強靭なコンセプト性を手にしている。OPNからは何の影響も受けていないというが、ジャンルのモードにおいて先鋭性を競うのではなく、コンセプチュアルな軸を立てて、それに沿って自由にフォームを獲得していくあり方は、彼やコ・ラなど〈ソフトウェア〉の周辺とも大いに共鳴するものだ。そして、今回はブライアン・イーノが彼らなりに、愛らしく参照されている。そのあたりも彼らの一作ごとの前進だ。デビュー作からのもっとも大きな変化として「向上」「過程」「コンセプト」の3つを挙げるその矜持は本当によくわかる。

ただし、「レコードを聴く前に作品の前情報を知ってしまうと、インフォ欄には『政治的な意味合いを込めた作品云々』なんて書かれるわけだよね」「『労働党に投票すべき』とか『保守党なんて蹴散らせ』みたいな感じの、そういう意味で過度に政治的なレコードじゃないんだよ」など、本人たちにはおおっぴらにテーマを打ち出す意向はない。なのでこのインタヴューはあくまで副読本、聴いたあとの付録ということでひとつ、お読みください。

■Darkstar / ダークスター
UKを拠点に活動する、エイデン・ウォーリー、ジェイムス・ヤングによるエレクトロニック・ユニット。初期のグライムやダブステップなどからの影響を感じさせる折衷的なサウンドが特徴であり、〈ハイパーダブ〉からリリースされたシングルで注目を集める。デビュー・アルバム『ノース』(2010)と〈ワープ〉移籍後にリリースされた『ニューズ・フロム・ノーウェア』(2013)の2作は国内外の各誌年間ベスト・アルバムに名を連ね、日本においても〈SonarSound Tokyo〉や〈フジロック・フェスティバル〉へ出演するなど存在感を高めている。2015年9月、サード・フル・アルバム『フォーム・アイランド』をリリースした。

音楽シーンのトレンドをほぼ鑑みない作品になっていますね。音楽以上にメッセージ性を優先するような印象さえあります。歌詞からの類推になりますが、何か具体的な状況に危機を感じているのですか? それとも人類の業や罪ともいうべき壮大なテーマに向き合っているのでしょうか?

ジェイムス・ヤング(以下JY):そうだね、今回はかなり歌詞を大事にしているんだ。世の中で起こっているチャンスの減少、若い人への理解の無さ、政府への失望、型にはまったもの以外受け付けないこの世の中の流れに憤りを感じていることを表現したつもりさ。

たとえば冒頭の“ベーシック・シングス(Basic Things)”“ア・ディファレント・カインド・オブ・ストラグル(A Different Kind Of Struggle)”などで、ときどき挟まれるリーディングは何かの引用かサンプリングですか?

JY:これはウェストヨークシャーで若者をインタヴューしたときの言葉をAbletonに落とし込んだんだ。サンプリングでもなんでもないよ。僕たちが録音したものさ。

“ピン・セキュア(Pin Secure)”などに用いられている「You」とは誰(または何)を示しているのでしょう?

JY:う~ん……。メタフォースだったり、世代だったり、若さとか間違った判断とか、特定のものではなく漠然としたものを指しているかな。

“ベーシック・シングス”のようなサウンド・コラージュは、どこかモンタージュ的な、かすかな歪みや違和感を残すようにつくられていますね。この感触自体はアルバム全体にもこれまでの作品にも感じることですが、何かバンドの精神構造と関係があるのでしょうか。それとも何かしらの啓発の意図がある?

JY:君が言うとおりたしかにサウンド・コラージュのような作品だとは思う。この曲もウェストヨークシャーで若い人とたくさん話したことを録音して、彼らの感じていることや思っていることを反映させた結果サウンド・コラージュ的な感じになったんだと思うんだ。

冒頭をひとつの導入として“インヒアレント・イン・ザ・ファイバー(Inherent in the Fibre)”へとつながる流れが非常に美しいですね。ある意味ではこの曲がアルバムの1曲めとなると思いますが、それが6/8拍子だというのは象徴的で、しかも挑戦的だと思います──直線的なビート構築を避けたり、ポップ・ソングとしてのストレートさをいったん脇に措いているという意味で。これはどのように生まれた作品なのですか?

JY:これはスタジオで最初にデモができ上がったんだ。シンプルでいいアイディアが元にあって、そこにストリングスとかコーラスを乗せて完成させていった感じだったかな。

今作で最初にビートやダンス性を感じるのは“ストーク・ザ・ファイア(Stoke The Fire)”になるかと思います。その次は“ゴー・ナチュラル(Go Natural)”。ですが、“ストーク~”ではサイケデリックでアンビエントなブレイクが入ったり、“ゴー~”ではピッチカートによるコミカルな演出があったりと、リスニング性においてリッチな作品になっています。曲のアイディアは誰が持ってきて、どう肉付けしているのですか?

JY:とてもダンサブルで情熱的かつビートの利いた曲を作りたいと思ってでき上がった曲だね。ファンク要素も乗せてかなりダンサブルな仕上がりになって満足しているんだ。

最近のお気に入りはディアンジェロだね。『ブラック・メサイア』は本当に最高の作品だと思うよ。

ベース・ミュージック的な性格もあったりなど、あなたがたはダンス・ミュージックのフォームを持ちながらも、とくにダンスを意識しているバンドではないと思います。〈ハイパーダブ〉や〈ワープ〉と自分たちとの接点をどのように考えていますか?

JY:〈ハイパーダブ〉〈ワープ〉には感謝しているんだ。彼らとはとても興味深い関係性だと自分たちでも思うよ。君が言ったように僕たちはダンス・ミュージックだけじゃなくいろんなジャンルの音楽をやるからね。でもそんな僕たちの音楽性を理解してくれて、尊重してくれる彼らには本当に感謝しているし、今後もいい関係性を続けられると思っているよ。

“スルー・ザ・モーションズ(Through the Motions)”などには、〈Morr Music〉などのエレクトロニカ・ポップを想起させられました。奇妙なサイケデリアの中に温もりある電子音が感じられますね。音声というレベルで機材やソフトなどにこだわりがあれば教えてください。

JY:うーん、とにかくいろいろ使っていて……。Abletonをはじめ、モジュラー・シンセとかかな。

R&B的な要素も感じられますが、いわゆる「Alt-R&B」と呼ばれるような音楽で興味を持って聴いておられるものがありましたらお教えください。

JY:いっぱいいるよ。最近のお気に入りはディアンジェロだね。『ブラック・メサイア』は本当に最高の作品だと思うよ。結構US系のを聴いていたけど名前がぜんぜん思い出せないなぁ。

“ティリーズ・テーマ(Tilly's Theme)”の楽曲構築にはなにか特別な計算やコンセプトがあるのでしょうか? どのように作っていった曲なのか教えてください。

JY:この曲はウェストヨークシャーで出会った16歳の女の子をモデルにして書いた曲なんだけど、ストリングスを使ってオーケストラの要素を盛り込んだ曲だね。

OPNの音楽はどう思いますか? 影響を受ける部分がありますか?

JY:ないね。何も言うことはないよ。

この曲(“Tilly's Theme”)を作るときはブライアン・イーノみたいなものを作りたかったんだ。他にもアクトレスとかオーケストラものとかいろいろ聴いていてそこから影響されている部分もあると思う。

ストラヴィンスキーなど20世紀黎明の音楽からの影響はありますか? また、オーケストラのアレンジや音源を取り入れることについて、なにかきっかけがあったのでしたらお教えください。

JY:うーん、まぁそうだね。この曲を作るときはブライアン・イーノみたいなものを作りたかったんだ。他にもアクトレスとかオーケストラものとかいろいろ聴いていてそこから影響されている部分もあると思う。

あなた方は何年生まれですか? 未来よりも20世紀という時代に憧れる思いが強いですか?

JY:未来とか過去とかに憧れることは何もないよ。僕はいまがいちばんいいと思ってるし。

ラストの曲も独特のリズム感で、少しバルカン風の異国情緒も感じられます。詞の内容とのリンクはありますか? また、今回こうした異国的な音楽性がとりいれられているのはどうしてなのでしょう?

JY:どうだろう。アートっぽい仕上がりにしたいと思って作った曲なんだけど、ストリングスのアレンジがもしかしたら異国的な雰囲気をかもし出しているかもね。

自分たちを無理やり何かのジャンルに押しこめて説明するとすれば、何と答えますか?

JY:この質問には答えたくないね。

デビューから5年になりますね。最初のアルバムから環境としてもっとも大きく変わったことはどんなことでしょうか?

JY:僕は3つあると思ってて、「向上」「過程」「コンセプト」、この3つにおいてとても変わったと思ってるよ。


【Darkstar来日公演】
2015/10/11(日)@WWW渋谷
前売¥4,000(スタンディング・税込・1 ドリンク別)
OPEN/START 24:00~
info:SMASH 03-3444-6751 https://smash-jpn.com

interview with tofubeats - ele-king


tofubeats
POSITIVE

ワーナーミュージック・ジャパン

J-PopDiscoRap

●初回限定盤
Tower HMV Amazon

●通常盤
Tower HMV Amazon iTunes

  早いもので、トーフビーツ、通算3枚目のアルバム。「水星」のリリースが2011年だから、かれこれ4年ものあいだ彼はこの国の音楽シーンの重要なプロデューサー(ないしはビートメイカー)のひとりとして、時代の寵児として、この時代を反映する者のひとりとして、広く注目され、作品を発表し、こうして我々を楽しませている。
 『lost decade』が2013年。前作『First Album』が2014年。そして今作。つまり毎年1枚のアルバム・リリース。これは、メジャー・レーベルの若手邦楽ミュージシャンの標準ペースであり、海外においても大衆音楽の基本ペースだ。もちろん、ある時代までの。

 トーフビーツとは、古今の欧米のアンダーグラウンド・クラブ・ミュージックを嗜好しながら、ポップ・フィールドに通用する音楽を作りたいと人一倍強く思っている青年である。彼はビートメイカーだが、がちがちのストリートウェアでめかし込んだレコード会社のスタッフと比べるとほどよく地味な外見で、しばし我々を混乱させる。いったい誰が「クール」な主役なのか……。そして、ひと昔前なら音楽家たるもの口が裂けても言わなかった「ビジネス」について堂々と喋る。価値観が変わったことを大人に教えているのは、むしろ彼のほうなのだ。

 ジャンクもクラシックも、使い捨ても名盤も、40年前の音楽も最新の音楽も、すべての価値が均等なスーパーフラッター・ワールドから来ているトーフビーツだとしても、だからといって彼はそうやすやすと素人芸に拍手しない。話題性では『First Album』かもしれないが、岸田繁、KREVA、小室哲哉、中納良恵……といった超豪華ゲストを迎えての新作『POSITIVE』、ひとつひとつの曲の完成度は高く、よりたくさん聴かれるのはこちらだろう。トーフビーツらしい叙情性、そして遊び心がうまい具合に調合されている。
 そもそも彼にとって重要なのは音楽的起源ではなく、たくさん聴かれること。多くの人が楽しめること。つまり、これが売れるかどうか。さてどうなることやら……そういう意味でも、注目の新作なのだ。

■tofubeats / トーフビーツ
1990年生まれ。神戸で活動するトラックメイカー/DJ。〈Maltine Records〉などのインターネット・レーベルの盛り上がりや、その周辺に浮上してきたシーンをはやくから象徴し、インディでありながら「水星 feat.オノマトペ大臣」というスマッシュ・ヒットを生んだ。本トラックを収録したアルバム『lost decade』を自主制作にて発売。同年秋には森高千里をゲスト・ヴォーカルに迎えた「Don’t Stop The Music」でメジャー・デビュー。2014年10月2日(トーフの日)に、豪華ゲストを招いたメジャー1stフル・アルバム『First Album』を発売。2015年1月にリミックス・アルバム『First Album Remixes』を配信リリース。つづくエイプリルフールにメジャー3rd EP「STAKEHOLDER」をリリース。9月にメジャー・セカンド・フル『POSITIVE』を発表した。

2年前に作った曲を今回のアルバムに入れちゃうと、Jポップの時間感覚では違和感が出るんじゃないかと思いました。

野田(●)、橋元(■)

今回、過去のすべてのMVも収録されていたりする(初回盤のみ)ことをふくめ、ひとつの区切りの中で作られていると思います。「メジャーでやりたいこと」というのがあったと思いますし、実際に過去にそう語ってもらってもいるわけですが、今回はそれに対する結果、あるいは手ごたえといったところをおうかがいしたいなと思ってます。

野田:早すぎるよ、ペースが(笑)。

TB:3年に1枚、というペースで食べていけるならいいんですけど、そんな契約どこでもしてもらえないですよ(笑)。物を言えるようになるまでには時間がかかりますね。

野田:その意味では本当にJポップらしいリリースの仕方なんだろうけどね。

TB:あるいは、1枚だけで抜けていっちゃう……あえて1枚だけの契約をするアーティストも多いのかもなっていう印象もありますね。

いろいろ制約のある中で、その1枚というものを精一杯考えておられると思うんですが、前作は「収録ヴォリュームがお得」というこだわりもありましたよね。

TB:そうですね。今回は、CDを買う人がさらに絞られていっているので、プレミア戦略とまではいきませんが、もうちょっとモノとして置いておきたくなるようにしたいなと。デザイナーからは10インチ・サイズのジャケにしたいっていう要望があったんですけど、そういうリアリティのない形は避けたくて、なるべく普通に流通しているCDのケースのサイズの中で工夫したいなと思いましたね。

野田:そういうふうにモノに回帰していくっていうのは、音楽の売り方としては原点回帰的なものだと思うんだけど、tofubeatsとか〈マルチネ〉って、そういうものを壊してきたという前科があるわけで──全部タダで聴けるという。そのへんは自己矛盾というか、アンビバレンスがあるの?

TB:でも、データにはデータのよさがあって、アナログにはアナログのよさがあるっていうのは昔から言ってることなんですけどね。僕は中学のころからレコードを買っているので、そこはtomadとはちがうところです。フリーで聴くのはフリーで聴く用の音楽で、たとえばフォークみたいなものはフリーでは落とさない(笑)。そういう基準がいちおう僕の中にはありますね。この『POSITIVE』でも、データ版はほぼ半額くらいに値段を下げていて、データを聴くような人に向けて送っているものなんですよ。CD版はCDを聴くような人に向けて送っているし、後々アナログを出すとなればそれも同じ。デジタルもパッケージだと言うならば、それ相応の角度をつけるというか。だからあんまり矛盾はしていないと思うんですよね。(料金が)フリーっぽいジャンル……ってなんとなくあるじゃないですか。Jポップをちゃんとつくろうというのは、そうじゃない、CDっぽいジャンルだと思っているからかもしれないですね。

なるほど。ブックオフの100円CDコーナーなんかが原体験的なものとしてあったりとか。きっとそうしたイメージの集積の中にご自身のJポップ像があるんだと思うんですが、たしかにtofubeatsのCDは「CD」をやっていらっしゃるかもしれない。

TB:それに、タダという話についてはちょうど昨日タクシーの運ちゃんとその話をしてたんですけど、儲かる商売とは投機性の高いものであると。株、先物、家──倍になったりゼロになったりするものが儲かる商売なんですよ。で、音楽はかつてとても投機性の高い商売だった。つまりそれは、ゼロになる可能性も持っている商売だったんです。逆に言えば、また価値が上がっていくこともあるかもしれない。それが最近の僕の見方です。いまが買いなんちゃうか、と。

野田:ははは! そんな株券みたいなものなのかなあ。でも〈マルチネ〉って、延々と同じやり方を繰り返してきた音楽産業に対しての、ひとつのカウンターでもあったじゃない? だから、ついtofubeatsにはこの間の音楽産業の激変についてだったりを訊いてみたくなっちゃうんだよね。今年だとアップル・ミュージックなんかも大きいトピックだけど、消費の選択肢が増えるだけじゃなくて、それを提供するためのメディアも増えていくでしょう?

TB:タイトル単位でお金を払うっていう感覚はもう捨てられたなと思いますね。音楽的な内容の上でも、来年あたりからそれに対応してどうなっていくんだろうって思います。今年も今年でぜんぜんちがって、来年はさらにちがってくると思うので……。年に一回くらい定点観測していかないと変な感じになっちゃうんじゃないですかね。その意味では、2年前に作った曲を今回のアルバムに入れちゃうと、Jポップの時間感覚では違和感が出るんじゃないかと思いました。

今年に入ってから、歌謡曲からJポップになったというようなレベルでのタームの変更が、なんとなく来そうだなって思ってるんです。

Jポップの市場に、ポップ・カルチャーのど真ん中の流れを作るエネルギーがまだあると思います?

TB:Jポップ市場にあんまり期待はしていないですけどね。すごい夢があるって感じではないんです。やり方としては、毎回、市場にお伺いを立てるみたいな感じなんで──「Jポップどうですか? 僕のヤツいけますかね?」って(笑)。

野田:ははは(笑)。そういうさじ加減はその都度考えているんだろうけど、今回はそういう意味でいうとJポップをすごく意識しているよね。

TB:そうですね。あといろいろ仕事をさせていただいたので、前回よりは技術的にJポップを狙って打てるようになっていますね。前回も気持としては同じくらい狙っているんですけど、今回ほど曲単体で飛ばせなかったというか。

ご自身の中の憧れもあるとは思うんですけど、TofubeatsがJポップというものを立ち上げるときに、ある意味で亡霊ともいえる過去の大物を引っぱってくるじゃないですか──やっぱり、Jポップという共同幻想が以前ほど明確に想像できなくなっているから。

TB:それをどんどん生産していくっていうのがあるんですよ。ファースト・アルバムに関しては、「憧れているひとに全員会う」という目標みたいなのがあって、森高(千里)さんがいけたから、藤井(隆)さんとかボニー(・ピンク)さんにいこうとか、メジャー・デビューする前に本当にファンだったひとを呼ぶ、というのがテーマだったんです。
今回の『ポジティヴ』に関しては、さじ加減が変わってきたというか。呼びたいひとたちは前回みんな呼べちゃった。となると今回はロマンとかじゃなくて、「呼んだらおもろいんちゃうか?」サイドというか。もちろん呼びたいひとという意味ではいっしょなんですけど、もうちょっと自分としては一歩引いたところからお声掛けをしています。

ゲストの方は年齢的にも少し下がっていますね。

TB:下げたかったんですよ。年長のひとを呼んでしまうというのは意図的なものじゃなくて、単純に趣味の問題で──〈マルチネ〉にはいるんですけど、同世代で波長の合うJポップのミュージシャンがあんまりいないから、呼べないというのがありました。それで、ベテランの方が話がわかってもらえるから、そういうひとたちを呼ぶことになってしまった。そういうひとたちといっしょにやって、こっちも勉強しておきたいというのもあります。
そもそも若手で市場でやっているひとってほとんどいないんですよ、ミュージシャンとしては。EXILEとかE-girlsとかって、またちがうスタイルじゃないですか? AKBはアイドルですよね。だからそこでジャンルがちがうんですよ。僕みたいなミュージシャンがあんまりいない。BONNIE PINKや椎名林檎みたいなひとが若手にいないんですよね。不思議な話で、椎名林檎さんだって若手のときがあったのに。

そうですよね。それが育てられていないということなのか、それともJポップというものの文化的な寿命があって、頂点を過ぎてしまって支えようがない、というようなことなのか。あるいは、もうみんな終わりを知っているから、新しい何か別のものを仮構しているところなのか。

TB:今年に入ってから、歌謡曲からJポップになったというようなレベルでのタームの変更が、なんとなく来そうだなって思ってるんです。

おお。

TB:そうなったみたいな。Jポップが登場してきて、小室さんが作っていたときみたいな感じで、荒れ果てた大地から謎のジャンルが出てきた……ってことになってこないかな、と思っていて。いまはアイドルとEDMで、ほとんど音楽的には焼け野原に近いというか。まぁ、焼け野原というのは言いすぎかもしれないですけど。

野田:だいたい小室哲哉自体が、たとえばいま再評価されているシティ・ポップの流れなんかとはぜんぜんちがうというか、反対側のひとだからね。

TB:そうそう。あのひとはヨーロッパですからね。これは大きな声では言えないけど、小室さんみたいなひとを「オモロイやん!」っていう理由で呼ぶのは、2015年じゃないとできないというか。そういう意味で前回とはちがうというか。以前はマジメに考えてこんな感じだったんですよ。

野田:ナイーヴなアルバムだったもんね。

TB:そういう部分が取れてきて、「小室さんを呼んで、岡田さんの声が聞こえてきたらウケるよね」みたいな感じで作ったんです。実際に小室さんもこれを聴いて爆笑するっていう。だから、そういうことができたので、すごくよかったですよ。それにこんなのを送ってくださる時点で、小室さんもJポップを作る気がぜんぜんないじゃないですか? だからシーンへの音楽的な期待が小さくはないんですけど、けっして大きいわけではないために、かえって自由になれるところもあるなっていうのは、今年のいいところでもあります。

野田:じゃあ、ある意味では遊んでいるアルバムとも言える?

TB:そうです。けっこうふざけていますね。「ふざけていいんだな、こんくらいまでは」というのがわかってきたというか。

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今回は「自分の」じゃなくて、「OLの」歌っていうのが作れるようになったんですよ。客観的なものにできたというか。


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そのさじ加減とともに、技術的にも遊べる力量がついたということなんでしょうね。

TB:それに関してはまだまだで、まったくないとだけ言わせてください(笑)。そもそも曲ができなさすぎて、〈ワーナー〉の会議室で「ポジティヴになりなさい」って言われて、タイトルが『POSITIVE』になったので。

野田:え、何があったの?

TB:最初に玉城ティナさんとの曲があって、それが1ヶ月くらいできなかったんですよ。それで神戸から呼び出されまして。釜飯を食いながら「トーフくんはもっとポジティヴになりなよ」って言われて。「そんなの無理っすよ」ってデザイナーのひとに言ったら、「でも“ポジティヴ”って、字面がいいじゃん。エネルゲンみたいでかっこいいよね」って感じになって、「じゃあ『POSITIVE』でいきますか」と。そしたら曲ができだしたんですよ。

そのニュアンスですと「やけ」みたいにも聞こえますけども(笑)。

TB:いや、根も葉もなくていいんだな、みたいな。逆にJポップだし、と。

野田:率直に聴いた感じを言うと、最後のEGO-WRAPPIN'のやつとか本当に泣きの入ったJポップというかさ。「絵に書いたようなJポップをやりやがって、このヤロー」と思ったんだよ。いまの話を聞くと、それはある程度は確信犯としてやってるの?

TB:前回のアルバムとかは、自分のなかの女の子っぽさとかOL的なものを増幅させて曲を書こうとかって感じだったんです。でも今回は「自分の」じゃなくて、「OLの」歌っていうのが作れるようになったんですよ。客観的なものにできたというか。前の作品がナイーヴになる理由もそこにあったんですけど、自分ではなくてそれぞれキャラに合わせてやればいいやって思えて。

野田:それはホントにプロデューサーだよね。

TB:しかもインスト曲を抜くことによって、そこに徹することができるようになったというか。その代わりに最後のテクノみたいなやつ(“I Believe In You”)が、いちばん思い入れがある感じなんです。

ある意味での勝負曲ですね。

TB:そうですね。この曲がいちばん聴いてほしいっていう。

野田:そうなんだ(笑)。

TB:すべてはここに持ってくるためにあるっていう感じなんで(笑)。

とはいえ、この曲もバランスが取れた曲だと思ったんですけどね。

TB:いちおう〈マルチネ〉10周年用で、派手にしたいというのはあったんですよ。

ひとつ前のシングル(『STAKEHOLDER』2015.4)って、つながりとしてはあの曲のの流れにあるのかもしれないですね。

TB:結局、『POSITIVE』を出す前提で『STAKEHOLDER』も出しているんですよ。ジャケも、この布陣でこのアルバムをやるっていうのは決まっていて、「ここではいくらふざけても大丈夫です!」っていう許可を〈ワーナー〉から取って作ったのが、この『STAKEHOLDER』だったんです。

内容的にも、今作のラストの曲とある意味で似ているというか、わりと自由にされてますよね。

TB:ファースト・アルバムだけでやらなきゃいけないと思っていたことを、切り分けて『STAKEHOLDER』でやりきっちゃって、『POSITIVE』はプロデューサーに徹する──そこの采配がうまくいったおかげでもあるというか。
たとえば最近のネットで聴けるいちばん尖った曲の傾向みたいなものが、この『STAKEHOLDER』にはなんとなくあるなというのが、わかりやすく見えると思うんです。アルバムのほうにももちろんそれがあるんだと思うんですが、すごく切り刻まれてJポップの形の裏に滲むくらいの程度になっていて。
というか、その尖った分量を減らすことも意識してさえいるんですよね。ヴォーカル・チョップみたいな手法とかは、もはやちょっと不良かもと思って減らしたところもあります。スカイラー・スペンサーの曲とかも、過剰なエディットを排除する作業をしたり。

まさにいまその名前を出したかったんですけども、スカイラー・スペンサーってセイント・ペプシでしょ? 普通に歌っとるやんか、みたいな驚きもあって。

ポップスというのは内と外の認識というか、それをどう定義するかだと。

野田:Jポップと言ってしまうと語弊があるしね。tofubeatsは、いわゆるポップ・アートみたいなありかたをすごく出していると思うんだよね。ポップ・アルバムを作ろうとしているのはひしひしと伝わってくるんだけど、トーフにとってポップ・ミュージックは、さっきの現状認識に照らすと「焼け野原に近い」わけなんでしょう? 要するにろくな音楽がないっていうか。

TB:まぁ、なくはないですけどね。

野田:そういう中でいいポップ・ミュージックを作りたいということだと思うんだけど、それは何なの?

TB:一昨日、Seihoさんとしゃべっていて、「『POSITIVE』についてひとことだけ言いたいことがある。これを聴くと、tofubeatsくんのどこまでが外でどこまでが内かわかる」と言われたんですよ。だからポップスというのは内と外の認識というか、それをどう定義するかだと。
今回、小室さんと作りながら話していたんですけど、小室さんが何百万枚と売れていた時期でも、小室さんが言うには「絶対に売れない曲」が最初にできるんですって。僕の『STAKEHOLDER』みたいな、自分の好きなことだけをやった曲ができるそうなんですよ。でも、そこから1000人分、2000人分とアレンジで積んでいくんです。ここをこうしたら1万人増えるっていうメソッドがあるんですよ。ここまでやるとラジオ・レベル、ここからはテレビ・レベル……ただ、自分の好きなものからは離れていくっていう。まさに内からどんどんと外へ広げていく作業をアレンジでやるんですよ。それをやるのがJポップだっていう話で、それがみんなに喜んでもらうということだと。俺はそこまでは達観できないですけど、自分のなかにある感覚としては、「内」と「外」というのはたしかにあるんです。

野田:その小室さんが使っていた、内側から第一段階、第二段階と離れていく手法は、いまでも通用すると思った?

TB:俺は思わないです。それはもちろん時代的なものもあるので。ただ、それと同じことがやれるひとに、中田ヤスタカさんがいるって思います。本当かどうかわからないから真に受けないでほしいんですが、「時代の一歩先じゃお客さんにわからないから、半歩先じゃないとダメだ」って言われていたそうなんですよ。それはそのとおりで、俺はそれをわかっていてやらないのが品のよさだとは思うんですけど、そこで「半歩」を選べるひとはプロデューサーとして優秀だと思う。
そのあたり、僕はジレンマがあるんで──養う家族とかがいるわけでもないんで、僕はそこで折れる必要がないんです。でもそこで半歩を意識するのがポップスなんじゃないかな、と。まったく意識しないとアーティストっぽくなっていくんですけどね。僕が神戸とか東京とか言うのも、内と外を定義するからなんです。それが僕自身のポップス観に近いって感じですかね。それでSeihoさんに、「トーフくんがどこからどこまでが仲間だと思っているかがわかる」って言われたんですよ。

野田:なるほど。しかし「1000人、2000人」って、すごい発想だなー。フィル・スペクターとか誰でもいいんだけど、そんなふうには作っていなかったと思うんですよね。

TB:それはまさにJポップという感じが出ているんだと思います。でもグラミー全盛のときもそうだったんじゃないかって感じがするんですよね。メロディ・メイカーが別にいるっていうのも、まさにそれを表しているように見えるし。
あと、小室さんからその話をうかがってから、2000年くらいに放送された小室さんの『情熱大陸』(TBS)を見なおしたんですよ。そしたら小室さんが「あ、1000人減った」って言うくだりがあったんですよ(笑)。15年前に言ってるから本当だって思ったんですよね。でも小室さんはその中でも「ピアノ・アルバムをやりたい」って言って、無理してそういう作品を作っちゃう部分もある。やり方っていっぱいあると思うんですよ。内と外があるとして、毎回外を打つ人もいれば、内のものと外のものを作ってバランスを取る人もいるじゃないですか。おもしろいと思いますね。

「いま1000人積めたな」っていうのは、音楽が本当にたくさんの人と文化を動かしていた時代のダイナミズムであって、いまその発想を支えるものがあるかというと──

TB:動いて2、3人くらいなんですよ(笑)。

ははっ、ご謙遜! あるいは、CDというフォームじゃなければむしろ昔よりもたくさんのひとたちが音楽を楽しんでいるかもしれない、といういまは、「1000人積みます」っていう商業ベースの考え方が、逆に特別にかっこよかったりワンダーだったりもすると思うんですね。そのあたりのスタンスは、tofubeatsはどうやって取っているんですか?

TB:だからそこで「力を抜いてみよう」というのでできたのがこれというか。エゴをマックスでやらないとどうなるんだろう、みたいな感じですかね。それに世の中がもっと世知辛くなっていったときに、みんなはどんどんアーティスティックになっていくと思うんですよ。あと、何も定義がないから、自分のやりたい音楽をやるしかないんですよね。だから対社会的なものを作るっていうのは……どうなんですかね。それも時代によりけりだと思うんですけど、いまの時代としては、来年はマジメなやつを作っても大丈夫なんじゃないかという気もしているんです。だから、こういうのを作れる間に作っておこうというのもあったかもしれないですね。

来年はマジメなやつを作っても大丈夫なんじゃないかという気もしているんです。

ああ、なるほど。それは「2015年じゃないとできない」というさっきの発言ともつながりますね。「今年」のニュアンスをもうちょっと聞きたいです。

TB:今年は『Maltine Book(SWITCH特別編集号)』とかが出ていますけど、どこか荒野っぽいというか。tomad社長みたいな人は、そこに今度は砂が盛り上がって枯山水ができ上がるとか、Seihoさんとか岡田さんみたいに、開拓時代だから好きなことができると言っているひともいる。僕は流行のなかでそこにどうやってタッチしていこうか試行錯誤しているので、ブームみたいなものがなくなるとかえって距離が取れなくなってしまうっていうか……、そういう定義がどんどんなくなっていくんで、最後はどういう音楽をやっていくか、いま自分自身に問いかけられつつあるんです。だから内と外がなくなったときにどうやろう? という不安がありますね。

それは突き詰まった答えをいつか聴いてみたいですね。ではtofubeatsから見た理想的なポップ像というと、どんなものになりますか?

TB:「気概がある」っていう言い方になっちゃうんですけど……。ある人が言っていたんですが、すごく有名なバンドでも、後進にたいしてエデュケーショナルな感じがない音楽が多いでしょう? その向こう側はあんまり見えないっていう。たとえばNonaReevesとか、聴いてみるとその向こうにある音楽がわかるじゃないですか? 当人がそうなりたいと思って動いたんだなって。そういうのであってほしいとは思うんです。この音楽を聴くことによって、何か作用が起きてほしいというか。それは音楽的な作用です。それを聴いてダンスをはじめるとかでもいいんですが、僕が理想だと思うJポップは、音楽を聴いて、音楽の作用が起きるのがいい。もっと音楽を聴こうと思わせてくれるというか、そういうものが優秀だという定義がなんとなくある。ただ、サザンを聴いてそう思うひともいるでしょうから、人によりけりなんですけどね。でも、僕が好きなのは「なんやこれ、もうちょっと調べてみよ」となる音楽というか。

僕が理想だと思うJポップは、音楽を聴いて、音楽の作用が起きるのがいい。もっと音楽を聴こうと思わせてくれるというか。

野田:参照性が高い音楽?

TB:同列の音楽に行ってもいいんですよ。たとえばアクフェン(Akufen)を聴いて、「カットアップってなんだろう?」と思って、アクフェンとぜんぜんちがうやつを聴くというか。そうさせてくれる音楽が好きなんです。

野田:それをポップ・ミュージックのより大衆側でやるってこと?

TB:そうです。だからおもしろいアイドルの音楽を聴くのと、アイドルの曲を聴こうとなるのはまた別の原理じゃないですか? もっと音楽的な広がりを与えてくれるものというか。そういうものがJポップのチャートに入ってほしい、という願いがありますね。
今日はJ-WAVEでさっきまでイヴェントがあって、フットワークが流れててめちゃびっくりしたんですよ。ラジオでEDM以外のクラブ・ミュージックがかかることってほぼ無いんですね。先週、車に乗ってたら大阪のFMからスウィンドル(Swindle)が流れてきてびっくりして。

野田:それは本当にたまたまだね(笑)。

TB:協賛番組でその局制作じゃない番組だったんですけど、そういう「おお!」というのがほしくて、びっくりしたいというか。「ああ、またEDMね」とかじゃなくて、いろんな音楽が入った多様性みたいな感じがあるといいなと思うんですけどね。

野田:じゃあ自分でもそれを目指すわけだね。

TB:本当にひとりでやるしかないというか。

でも、〈マルチネ〉さん周辺のなかでもtofubeatsはとくにドラマチックでロマンチックなミュージシャンなのかもしれないとは思いますけどね。程度の差はあれ。

TB:いや、もう本当にドラマ信仰がはなはだしいって問題視されているんですよ(笑)。岡田さんとかにリアリズムに欠け過ぎているとよく言われるんですね。

野田:どういうこと?

TB:深夜ドラマが好きすぎて、なんでもドラマっぽくしちゃうというか、ストーリーをつけちゃうというか。だからインタヴュー受けがいいとかはあるかもしれないんですけど(笑)。なんでも勝手に自分でストーリーにしちゃうっていうのは、半分病気だって言われる。〈マルチネ〉のひとたちは点で物を見れるので……。インターネットと相性がいいのはそれですね。僕がインターネットをやっているけど、レコードを買ったりとかしたいのは、ストーリーがなきゃっていう性質のせいかもしれないです。

それはアルバムの考え方にも影響するかもしれないですね。

TB:なんというか、曲もタイトル単体では評価できないんです。さっきも言ったんですけど、「つながりがないと」とか言っているのはそれに近い気がしますね。

ある意味では商売っていうドライさで音楽を見れないひとなのかもしれない、とか。

TB:だから必死っぽい感じがするのかもしれないですね。

たとえばくるりの岸田さんが歌われているやつとか、EGO-WRAPPIN'の中納さんとの最後の曲だったりとかは、tofubeatsが本当は持っているドラマチックな部分が、彼らの声を通して表に出てこられる。「ドラマチック」というのをダサいと思っているかはわからないですけど、自分で押し込めている部分もあるのかなという感じはするんですね。でもそのあたりの曲は、唯一それが自然に感じられる。

野田:俺は今回のアルバムを聴いて、tofubeatsってこんなに情のひとなのかと思った。

TB:情のひとですよ(笑)。それだけは言わせてください(笑)。

野田:こんなにエモーショナルでペーソスがあるのかと思ったね。

そういういうことを上手く歌うひと、あるいはそういうひとを選んだんだなと思いました。

TB:そうなんですよ。他人経由にして歌うからいいんですよ。あと、歌ってもらわないと自分で聴けないじゃないですか? それがいいんですよ。僕は自分のアルバムは自分で聴きたくて作っているので、自分で聴くためにはひとの声が入っていないといけない。

野田:けっこう泣きのひとなんだよね。

TB:いや、もうめちゃくちゃそういうタイプですよ。

それだとKREVAさんのやつ(“Too Many Girls feat.KREVA”)がおもしろいじゃないですか。半分KREVAさん、半分ご自身みたいな。

TB:あれは『lost decade』でPUNPEEさんとやったのといっしょです。トリがあってオチがあるっていうか。そういうものへの遺伝子レベルでの羨ましがりというか。あと、イケメンが好きなんですよね。自分にないものがあるので。

ひとに歌ってもらっている部分が半分、自分で歌っているのが半分ってなっているじゃないですか?

TB:そうですね。

その意味で、出てくるものが他の曲とはちょっとちがうような気がしたんですけどね(笑)。

TB:これは半分コミック・ソングみたいな感じなんですけどね。

「このひとはこれを守っているんだな」ってわかるミュージシャンが好き。

テクニカルな部分というよりも、むしろ曲の表現とか意味みたいな部分を何重にも外側から考えているひとなんだなと思いますね。でも、その「外側感」は自分にとって不自由であったりはしないんですか? あるいは、「もっと無邪気にやれたらいいな」とかって思わないんですか?

TB:無邪気にやりすぎちゃうと品がない感じになっちゃうから。

野田:そこは何か、tofubeatsの中にあるんだね。

TB:そこに関してはボーダーがあるんですよ。いちおう全曲その意識の中に収まっているというのがあるんですよね。

野田:tofubeatsが気にしている品性の部分はわかる気がするね。一歩タガが外れると、それこそEDMのひどいヤツじゃないけども──

TB:曲とか歌詞についても、自分の中でボーダーがあるんですよ。ハーバート(Herbert)なんて、「自分はこれは絶対やらない」みたいなことがサイトにずっと載っているけど、俺もああいうのがあるんです。ああいうのになりたいというのはすごく思ってて。よくわからないけど、「このひとはこれを守っているんだな」ってわかるミュージシャンが好き。俺はボニーさんとか岸田さんにそれを感じるんですよ。小室さんもそうですね。めっちゃ器用なのに、やることを限定するじゃないですか。手癖とかが出ないようにするっていうのは、なかなか難しいような気がするんですよね。

倫理みたいなもの。そういうものをより気にしなきゃいけないというか、最近の若いひとはそういうところにわりと厳しいということは感じるんです。そういう感覚とか、芸術であれ何であれ自分のことをテキパキ説明して、キャリアを切りひらいていけるっていうようなところでも、tofubeatsはひとつのお手本になっているのかもしれないですよ。

TB:どうなんですかね。僕より若いひとは政治とかがもっと好きでしょう。僕らよりもうちょっと下くらいの世代との断絶は感じるんですよ。だからSEALDsとかが“彗星”とか“No.1”とかをかけて演説しているっていうのを聴くと「へぇー」と思うっていうか。

野田:そういう曲がかかってもおかしくはないかもしれないね。

TB:あと、僕のルールのなかには政治を語らないっていうのがあるので。絶対に公の立場では。そういうのが何個かあるんですよね。

今年の感触全体として空を掴んだ感じがありますよ。

野田:tofubeatsをかけるシールズはおもしろいとは思うけどね。それとは別の話なんだけど、今年が焼け野原っていうと俺も似たような感覚があって、2015年ってあんまりおもしろい音楽が多くなかったでしょう?

TB:「これが流行っているな」っていうのもないなって。

野田:たとえばエレクトロニック・ミュージックのシーンを見たときに、とくに新しいものが出ているわけじゃないんだよね。それ以前のほうが動きがたくさんあって。そういう意味でいうと、現行の音楽のおもしろいところとリンクしようとしても、できるところがない。そんな中で音楽を作ろうとなると、「内と外」っていうさっきの言葉が正しいかどうかわからないけど、何かいままでとちがう作り方が求められるというかね。

TB:いまも、周りが言うほど俺は「できた」って感じがしてないんですよ。今年の感触全体として空を掴んだ感じがありますよ。悪いのができたとは思っていないんですけど、これが何かを起こすぞみたいな感じは、今年はしなくって。

それはわからないよ。

TB:起きたら起きたでうれしいですけどね。

でも、「今年」ってもののツマミを上げたり下げたりしてくれる唯一の存在なのかもしれないじゃないですか? 他のひとができないぶん、さらに昔とはその塩梅もちがうってことがわかっているぶん。

野田:まぁ、でも今年は出すのが難しい年だったと思うわけよ。

TB:それはそうですね。

野田:ヴェイパー・ウェーヴでもジュークでもなんでもいいんだけどさ。

だって3月以降『ele-king』は出てないんですよ。書籍の刊行が多くっていろいろ大変だったんですけど、でも何か大きな動きがあったら出てるはずなんで。出たのは別冊の「ポストロック」と「ジム・オルーク」(笑)。

TB:はははは(笑)。やばいなー。

野田:大変な時期だよ。

TB:「荒野になるとハウスが流行る」みたいなtomad社長の意見も正しかったし、俺たちもDJをはじめた頃の音楽を聴くっていう(笑)。

野田:それはシティ・ポップが流行るのと同じだよね。バック・トゥ・ベーシックな感じ。

TB:ディスコのリエディットとかもレコードとかですごく買ってて。「DJはじめたときといっしょじゃん!」ってなるみたいな。しかも作っている曲にはそのフィードバックがないから、余計そういう感じがするというか。単純にやることがなくなったから、自分の出処を確認しているだけなんですよ。

そんななかでギター・バンドはのびのびとやっているんですかね?

TB:バンドも形見が狭いでしょう。

野田:バンドだって真新しいことをやっているわけじゃないじゃん。

真新しいことがないから、シティ・ポップが参照されたり。

TB:あと荒野過ぎてちょっと出てくると拾われちゃうから、余計やりにくくなっていると思いますよ。

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サブスクが今年にできて、ひとつだけありがたかったのが、「プレイリスト」という感覚でアルバムがいちおう戻ってきたというか。


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でも、なんだかインターネットが自由の空間を開き過ぎてしまって、産業とかユース・カルチャーとしては苦境でも、音楽そのものにとっては案外いい時期なんじゃないかと感じたこともありましたけどね。

TB:ていうか、インターネットが前提になったから、〈マルチネ・レコード〉は新しくもなんともなくなって瓦解したというか。10周年のタイミングで社長も本を出して、いちど解き放ったというか、適度なところで区切りをつけたというのもあるとは思いますけどね。

アルバムというフォーマットにすることにどういう意味があるのかがより問われるようになったという感じもします。それぞれがそれぞれのタイムラインで、単品で音楽を聴いているわけなんで……。そういうタイムライン乱立状況の中でアルバムを考えるときに、Jポップという亡霊がもう一回召喚されてくるんだと思うんですけど、そういう意味では今回のアルバム、すごくアルバムですよね。

TB:それで言えば、サブスクが今年にできて、ひとつだけありがたかったのが、「プレイリスト」という感覚でアルバムがいちおう戻ってきたというか。単曲配信の場合は1曲配信なので、アルバムを聴くっていうモチベーションを、料金的なところでは与えにくかったんですよね。しかもYoutubeから単曲のリンクに飛んでってなると、どうしてもそうなる。それがこのサブスクを経て、価格的な面では障壁がなくなったから、アルバムにいきやすくなった。──たとえば僕がアップル・ミュージックで何を聴いているかというと、ブライアン・イーノとか〈メゴ〉。僕、中学生のころから好きで。でもいま、それをアルバムで聴くっていう、有線みたいな使い方になっているんですよね。そういう意味で、逆にいまの状況だとアルバムを聴くと思ったんですよ。しかもアップル・ミュージックって、知っているアーティストしか検索できないじゃないですか? 紹介してくれるものも知っているアーティストに関連しているものなんで、いきなりヘビメタの知らないアルバムを紹介されて「いいな」と思うことはないんですよ。だから知っているアーティストを検索して聴くという系統だった聴き方も生まれる。

古い聴き方とある意味では同じ。

TB:しかもより拘束力なしに聴かせる。だって、いまだったら一回CDをPCに取り込んで聴かせるってなっちゃうんで、そういう意味ではアップル・ミュージックは曲を順番に聴かせる力があると思うんです。それでプレイリストとなると、CDマックスに入れるのは長いなってなって、今作はトータル56分とかになっているわけです。

アルバムの話はおもしろいですね。なるほど、そこも考えられていると。

TB:インスト曲とかも作ったんですけど結局入れなくて、レーベルにも「入れるかもしれないから待っててくれ」って言っていたんですけど、やっぱり長いから全部は入れなかったんですよね。ヴォーカル曲が続くのもそれが理由で。

それはポジティヴな理由としておもしろいかもしれないですよね。

野田:ここまで考えなければいけないんだね(笑)。

逆にそこまで考えるプロデューサーに、今度はさらなる「アーティスト性」が加わるようになってきたというか。まぁ、そのアーティスト性は不幸なのかもしれないですけども。

TB:不幸とかさんざん言われましたけど、今年に入ってそれが当たり前なんだなって感じですね。インターネットと同じで前提みたいな。

だからこの「ポジティヴ」ってニュアンスにも、無理やり裏返して明るくしようみたいなものが無いですよね。

TB:今回は「ポジティヴ(笑)」とかじゃなくて、本当にポジティヴ。

今回は「ポジティヴ(笑)」とかじゃなくて、本当にポジティヴ。

野田:ところで、どうしてトーフビーツはこのイラストレーターが好きなの?

TB:今回のポジティヴっていうテーマは全体的におもしろくて、そのことばが最初にあると、携わるみんながちょっとずつ「外」を意識して、みんながみんなっぽくないんですよ。このイラストの山根慶丈さんにしても、デザイナーの岩屋民穂さんに関しても、みんなちょっと自分よりも「ちょっと前」に出てるんです。だから、このチアガールもちょっとがんばったものなんです。僕が本当に好きな絵もジャケットになっているのとはちがう。展覧会とかで出している、もうちょっとヴィヴィッドな色使いの絵だったりするんですけど、すべてはそこへの導入として存在しているので……。
でも、アートワークに関しては一任しているところがあるので、絶対に自分の好きな絵を描いてもらおうというのはないです。この人の絵は……なんで好きなんですかね。絵が好きなのもあるんですけど、同い年で、“水星”のときからやってくれていることも、もうひとつの大事なことというか。女版tofubeatsと言われたコミュ力のなさ(笑)。いまはぜんぜん明るいんですけどね。だからいまでもそういうひとたちといっしょにやるというのを、モチヴェーションとして持っておきたいというか。

ポジティヴっていうキーワードは、デザイナーさんとの会話の中から出てきたんでしたっけ?

TB:そうですね、絵を描く前からポジティヴって言葉はあったので、前進しているスポーツだけ描いてくださいと。

スポーツっていう指示はあったんですね。

TB:それはアート・ディレクターの方からあって、僕は何も言ってませんでした。僕はこの子が昔描いていたカヌーの絵がすごく好きだったので、僕からは「アングルを変えてヨットの絵を書いてください」と言っただけでした。どこで使ってもいいんで、ひとつ水ものを下さいと。僕がお願いしたのはそれだけです。

ポジティヴの表出をスポーツでというのはストレートですね。

TB:そうなんですよ。だから皮肉屋が集まっているのに、みんなマジメにやるっていう。あとPVもひねくれたやつの代名詞みたいなスケブリさんが監督だったんですけど、それがあんなヴィヴィッドな色使いの映像を撮るなんて……っていう感慨も。そういうものの積み重ねで、作っているほうは全員おもしろかったんですよ。らしくないものができたねって意味で。

野田:あんまりトーフビーツが汗をかいて走るなんてイメージはないもんね。

TB:いちおうバレー・ボールをやってるんですけどね。

これはハイスクールな感じですよね。

TB:そうですね(笑)。スポ―ツもいちおう白人がやるやつをやっているんですけど。

野田:嫌味なほど見せつけてるよね(笑)。何か意図なのかなと思って。

TB:そういうもんだと思いますよ。「俺たち文化系が思うポジティヴってこんなもんだろ?」みたいな。「マジョリティはこんなのが好きだろ?」みたいな(笑)。願望なのかもしれないですけどね。

だったとしても、やみくもに「頑張ろうぜ!」と言われるのとはちがったメッセージを受け取りますけどね。あと、いちおうトーフさん的にもひとつの区切りになるリリースのタイトルとして『POSITIVE』なわけなので、ここはどうしても何か意味を見たくなるところでもあります。


僕の場合は舞台っぽいのが好きっていうのがあるんで。(中略)「劇っぽい曲」「劇っぽいアルバム」という意味ではなくて、システムとして、みんなが立ちまわっているのがいいみたいな。

TB:本当は一点だけディレクションしたところがあって、もともとはこの女の子の足が太かったんで、そこだけ細くしてもらったんですよ。本当に注文をつけたのはそれだけですね。チアをやっているひとは実際は足が太いんですよ。だけどそこを細くしてほしかっただけです。

野田:それを考えると、本当にロマンチストだよね。

フィクション性が高いというか。

TB:トラック・メイカーたちと、よく、「曲を作るときにどういうイメージで作るか」っていう話になるんですよ。seihoさんは静物が好きなんですよね。彫刻とか。最近だったら生花をやったりとか。僕の場合は舞台っぽいのが好きっていうのがあるんで。さっき言ったロマンチストじゃないですけけど、舞台の上に上げてパッケージするみたいな。そうやってアルバムができるのが理想ですかね。「劇っぽい曲」「劇っぽいアルバム」という意味ではなくて、システムとして、みんなが立ちまわっているのがいいみたいな。

ポジティヴなイメージを打ち出すことへの、否定的な気分っていうのも世間にはあるじゃないですか。でもトーフが言えば「ポジティヴって言っていいんだ」って、世間の空気に色を差すことができる。ただ、「未来には期待したいし」の「したいし」っていう微妙なところに躊躇みたいなものもあるのかなとは感じるんですが。

TB:まぁ、期待してないんですけどね。空気を引っ張れるかどうかは売り上げ次第ですが(笑)。どうなるんだろうなって感じです。

それこそSEALDsが“水星”を使ったのがリアルタイムじゃないのと同じように、何がどう影響してくるかわからないじゃないですか。

TB:わからないですね。アップル・ミュージックの動画に出たりとか。

野田:tofubeatsのアドバンテージって、どんなアウトプットにも対応できているところかなと思うんだよね。〈マルチネ〉って背景があるのに、すごく現代的なセンスもあるわけだからさ。だからそこはすごく強みだと思うんですよ。ブルートゥースで飛ばして聴いているやつにも、昔ながらの聴き方をしているやつにも対応しようとしているわけだから。

TB:そもそも聴くひとの年齢層を広げることが、メジャーに属することのメリットですからね。

野田:tofubeatsの最近の活動ですごく驚いたのが、KOHHの『YELLOW T△PE 3』に入ったことなんだよね。

TB:あれはびっくりしました。チェックされてるんだ、って。僕にとってすごく自信になりました。あの曲(“Drum Machine(Freestyl)”)は〈マルチネ〉が「社員旅行」とかいって沖縄に旅行に行ったことに腹を立てて作った曲なんですよ。

野田:あの曲もすごくよかったと思うよ。だってANARCHYとか般若とかさ、ゴリゴリなヒップホップのひとたちのなかにtofubeatsがいるのがすごいんだよね。

TB:まだ会ったことはないんですよね。ただ、あれがパロディだったことを理解してもらっていた感じがあって──「面白半分でやってんな、こいつ」みたいな(笑)。あれがウケたことが自分自身とてもおもしろかったし、すごい身体感覚だなと思いました。

野田:俺は、tofubeatsはKOHHに参加したりすることで自分のバランスを取っているのかなと思ったんだけど、自分から参加したわけじゃないんだね。

TB:勝手に選んでくれた、という。あの曲を作ったこと自体は自分なりのバランスかもしれませんけど、KOHHがやってくれたことによって、自分のなかで成仏した部分があったというか。そういうのを褒めてもらう機会も減っているわけで、やれる機会も少ないんですよね。あとは大っぴらにできなくなっているような曲もあるんで、別名義とかであっても、ああやってもらえると個人的には成仏感が出るというか。ああいうことがあるのでどっちも充実させたいと思います。

野田:だから、tofubeatsはただ単にこのアルバムみたいなことをやっているわけじゃないんだね。もちろんこの作品は今年のアウトプットにおける、ひとつのピースだけど。

アップル・ミュージックの看板の画像に、インスタグラムで初めてパラ・ワンが「いいね!」してくれたんですよ。

TB:われわれは『POSITIVE』を出しただけではなく、更新もしようとしているわけです。そうなると1年で2枚リリースなんですよ。だからあと2年間は……(笑)。それこそ電気グルーヴ状態に突入していくと。3枚までいくとあの感じになってくるわけですから。だから、急にハードテクノとか作るかもしれないですよ(笑)。

野田:電気の『J-POP』(2008)を越えるナンセンスなアルバムを作ってほしいけどね。

TB:あれを作ったのは40歳くらいになってからでしょう(笑)? 『J-POP』までいくと、いちど休止してからのやつじゃないですか。あそこまで行きたいですけどね。ただ、僕ひとりっていうところが、電気グルーヴ的な高さへ届かせるにはなかなか……。

野田:たしかにそうだよね。

TB:リリー・フランキーと同じメガネ、ピエール瀧と同じシャツを着ても、『凶悪』にはなれないように(笑)。趣味どんかぶりやん、みたいなことに気づいてびっくりしましたけどね。

(一同笑)

やり尽くしてないこともありますよね。

TB:まだまだ行けるんです。あと、これは最近言われるんですけど、27歳説というのを先輩から聞いたんです。小室さんとかも27歳でやっとオリコンのベスト100に入ったっていう。テイ・トウワさんも25歳デビューで、27歳でDeee-Liteの“グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート”ですから、27歳までは続けるといいよっていろんなひとに言われるんですよ。それに27歳のときにインディでやっているかメジャーでやっているかだったら、メジャーの方がレアかなと思って。いまの計算でいくときっと27のころもメジャーにいられそうだし、縁起をかつぐ意味でも(笑)、そこまでやってみようかなとは思います。一人でやっていると見えないことも多いですし。僕はただでさえ先輩の言うことを素直に受け止める人間ではないんですけど、でもそれがテイさんと小室さんなら話がちがう。こういうのはメジャーに来たおかげですよね。
あと、余談ですけど、アップル・ミュージックの看板の画像に、インスタグラムで初めてパラ・ワンが「いいね!」してくれたんですよ。ほんと、あの記事ありがとうございました(「Tofubeats × Para One──これから最高と呼ばれる音楽」ele-king vol.13収録、2014年にウェブにて再掲載)。ちょうどこれからメジャーに行くってタイミングで、「じゃあ、がんばってね」ってことで終わったじゃないですか。なんか、そっちのオチもひとつついたというか。めっちゃうれしかったですね!

第六回:「身に纏う音楽」 - ele-king

 最近はまっている携帯型スピーカーがある。LuxSoundというスピーカーで、充電式ワイヤレスで、左右分離しているスピーカー(https://nuzeestyle.jp/products/detail.php?product_id=4)。音質が特別良いわけではない(そこまで悪くもなく、価格相応)し、結構不具合もあって開発段階であることは否めない。だけど、旅先や野外で、音楽を聞いて過ごしたい人には、このスピーカーはオススメできると思う。

 ワイヤレスなので、屋外でも屋内でもLとRのスピーカーを、その空間に合わせて、自分の好きな場所に、好きな距離で好きな音量で配置ができる。そして、何より僕が面白いと思っているのは、このスピーカーが洋服のポケットに収まる。ということだ。

 胸ポケにi-podを入れて音楽を再生すると、両サイドのポケットからはずっと音楽が流れ、やろうと思えば1日中、そこから流れる音楽に包み込まれて過ごすことができる。

 もちろん、このスピーカーは他人を不快にする可能性がある。その危険性はどんな場所でも、音が発生する場である限り、全ての時間に孕まれている。けれど逆に言えば、このスピーカーで流すことのできる、他者を妨害しない音楽あるいは音を「アンビエント・ミュージック」と呼ぶのではないかと思うのだ。だから僕は、「アンビエント・ミュージシャン」が「ステージに立つ」ということには、どうも抵抗がある(ちなみに僕や友人がライヴで演奏している音楽はアンビエント・ミュージックではないし、僕自身が作ってきた音楽も、アンビエント・ミュージックと名乗るには、まだまだ随分遠いところにあると思っている)。本来、僕が考えるアンビエント・ミュージシャンは、存在として無であるべきだと思う。少なくとも僕自身が日常生活のなかで身に纏う音楽は、無のような存在であってほしい。何もない静かな無のなかにさす、ほんのり浮かぶ、ほのかな灯りであってほしい。

 例えば、あるコミュニティーのなかで、そこに住む人の多くがこのスピカーを身につけて、その日に自分の世界を包む音を選べるようになったとしたら。それは服とかマフラーとか靴とかに、音の発生する機械が着いているのかもしれない。するとある人とある人がすれ違ったり、あるいは話し合ったりしているときに、その2人の音楽が絶妙なバランスで混ざったり、混ざらなかったりする。3人とか4人とか集まったときに、それぞれの音楽や音が、うまく調和したりしたら、それは分かり合える親友と、語らい合っているときのような特別な喜びを覚えるだろう。

 もちろん、問題はそこで流れる音楽が、「録音物」という過去の時間軸である。という問題はある。本来であれば、それがそのときにその人から生まれた音楽であるとしたら、それは録音物よりも、どんなに素晴らしい音楽がそこに発生しうることになるだろうか。と想像するだけでも楽しい。

 でも、考えてみれば、音楽でなくても、自分自身のそういった何かしらの周波数のようなものは、音楽以外の情報として、つねに発信されている。ファッションにしても、言葉にしても、表情や「所作」ひとつひとつにしても。そういう周波数が、合うときもあれば合わないときもある。それは音楽のセッションをしているときと、同じことなんじゃないかと思う。どんなに仲が良い友だちでも、長い生涯を考えてみれば、その周波数が合う時期も、合わない時期もある。それは悲しむべきことではないし、またいつか、来世かもしれないけど、それはそれでいいじゃないか。と思える。

 それにしてもすごい時代になったもんだ。

 僕は、人類の歴史、こと身体の歴史というのは、生物学的なある方向性を持って動いていると思っている。そういうなかで音楽が生まれて、それが「録音された」ということは、音楽史にとって、とてつもない出来事だと思う。とくに「アンビエント・ミュージック」について考えるときは、ひとしお大事だ。

 アンビエント・ミュージックというのは、環境として在れる音楽で、他者を妨害することなく空間を変えることのできる音楽。だと僕は思っている。そういった音楽が現代に、ある程度の生物学的な方向性を持っているものだとしよう。そうするといま、アンビエント・ミュージックというものが、都会のなかから生まれて来たということの意味があるのではないか。というのを前々々回までに書いた。

 そう考えると、「アンビエント・ミュージック」というのは、「演奏者がそこにいない」ということが、非常に重要な要素になる音楽だと思う。だから、「録音する」というテクノロジーが生まれなければ、「アンビエント・ミュージック」という概念も音楽も生まれなかった。僕はサティが家具の音楽の構想を実現できなかった理由には、そこに演奏者がいたからである。という理由が一番大きいんじゃないかと思っている。

 それがね、今度はポケットから音楽を1日中流すことすら可能にしたテクノロジーっていうのも、それはすごいことだなぁ。と思うのです。これから、そういうテクノロジーの発達とともに人間と音楽の存在し合い方も変わってくるだろうし、変わるのが当たり前なのです。


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