「KING」と一致するもの

 この2週間の間に、アトランタとアセンスのバンドを2回観た。どちらも15年以上活動しているベテランで、サウンドも違えば、スタイル、お客さんも違うのだが、アメリカのサウスに住み、音楽を作り続ける彼らについては感じることがある。

 アトランタのディアハンターは、キングス・オブ・レオンとのツアーのオープンで大忙しの合間に、自分たちがヘッドライナーのショーを行った。共演は、同じアトランタのロック・バンド、ジョック・ギャングと、元フェアリー・ファーナシスのエレノア・フライドバーガー。
 会場は、ブルックリンはグリーンポイントにあるワルシャワ。
 この会場は、ポーリッシュ・ナショナル・ホーム(公民館のような役割)の一部にあり、ポーリッシュ・ビール、ピエロギやキルバサなどのポーリッシュ・フードが食べられる。NYに居ながら、ポーランドの雰囲気が楽しめるわけだ。500規模のこの会場、当日はソールドアウトで、20代から40代までのピンポイントな層でいっぱい。みんな目をキラキラさせていた。

 さて、ステージに大きなキャンバスを設置し、キャップを被り、サスペンダーをし、まるでペインターないでたちの、ディアハンターのブラッドフォード・コックスが登場する。その後、エレノア・フライドバーガーが登場し、アカペラで歌を歌いはじめる。ブラッドフォードが好きな曲を、エレノアが歌い、その間に彼が絵を描くと言う新スタイルを展開。パステルカラーを使い、抽象的な絵を描く間、エレノアは歌い続ける。子供の音楽番組を見ているようだったが、物販テーブルには、ブラッドフォードの絵もキチンと売っていた(大$20、中$10、小$5)。

 この日のディアハンターは、かなりご機嫌だった。「NYに来たら、ついつい喋っちゃうんだよね」と言いながら、ブラッドフォードはどんどん飛ばす。この日は、ツインピークスの放送の日だったというのに(アメリカ人には大切な日なのだ)、僕らのショーに来てくれてありがとう──という言葉からはじまり、彼が初めて人前で演奏した曲が(何かのコンテスト)、ツインピークスのテーマ曲で、結局落選した、と喋った。「嘘だと思うなら、お母さんに聞いてみて」、と彼は本当にお母さんに電話する。お母さんも、初めは「??」な感じだったが、いかにブラッドフォードのことを愛しているか喋り、「あなたのことも好きだけど、あなたのファンはみんな好きよー」などと言って、会場を沸かせた。
 そんなアットホームな雰囲気のなか、古い曲と定番曲を混ぜ、びっちり2時間加速。彼らのショーは長い。最後の「nothing ever happened」ではお約束の20分程のジャムがをやって美しく終了。
 彼らはニュー・アルバムを出して、すでに4回ほどNYに来てるが、同じセットリストであろうがなかろうが、会場はつねにシンガロングするお客さんで溢れている。次も見たくなるバンドなのである。
 ブラッドフォードの突拍子もない行動が、良くも悪くも気になり、そのヒヤヒヤ感を求めているのかも知れないが……

 エルフパワーはアセンスで、ローファイ・サイケ・ロックを1995年から続けるベテラン・バンド。5月に13枚目(!)のアルバム『Twitching in Time』をリリースしたばかりだ。
 この日はメンバーも一新、胸キュンなハーモニーと安定した演奏は非の打ち所がなかった。R.E.Mやニュートラル・ミルク・ホテルとのツアーでは大会場で演奏した彼らにとって、ベイビーズは小さい会場だが、お客さんの声援が届く距離が心地良さそうだった。
 お客さんは、30代から50代までくらいの落ち着いた年齢層だったが、最後の方で、次のパーティのお客さんが紛れこんで(20代前半)、ノリノリで踊っていた。
 エルフパワーの曲にはまったくブレがなく、その変わらなさが、ホッとさせてくれる。1曲1曲、丁寧に説明するアンドリューは、淡々としているようで、筋の通った、熱い思いも感じさせる。
 「NYに戻って来れて嬉しい。この会場は、ショーは見たことあるけどプレイするのは初めて。いい会場だね」とご機嫌だった。
 23年間バンド活動を続け、いまでもこれだけ新鮮に、新しい音楽を作り続けることが出来る。アセンスという場所が関係しているのかも。まわりには有能なミュージシャンばかりで、常に創造的になれるし、NYのような甘い誘惑もない。
 オープニングのサン・ウォッチャーズは、元ダークミート、NYMPHのメンバーで構成される驚異のメンバーで、エルフパワーとはアセンス繋がり。サックスやギターをドライヴさせ、ジャジーでエチオピアンな、圧巻インプロを打ち鳴らすグループは、サックスとキーボードを同時に弾いたり、タイ・ギターが登場したり、実にテクニカルである。音楽は激しいのだが、個人個人はおっとりしていて、NY在住だがアセンスな雰囲気を保ち続けている、稀な存在だ。

 サウスの生活は、NYに比べるととてもスローで、コミュニティも小さく、毎日同じバーへ行き、同じ人に会う。もしくは、引きこもってひたすら音楽を作る。どちらのバンドにも言えるが、この生活とNYとのギャップが今回のステージ・パフォーマンスに表れているのかも、と思った。
 自分も生活したことがあるのだが、彼らの生活は本当にスローで、ひとつのことをするのにNYの3倍はかかる。何もしていない時間も多い。でも、これが彼らのパフォーマンスや音楽に、大いに活かされている。時間を感じさせないし、手を抜かない、無駄だと思うところまで考え抜かれている。そんな彼らが作る音楽だから、私たちは気になってしょうがないのだろう。
 来週はまた別のアセンスのバンド、ミュージック・テープスがブルックリンでショーをする。

「いややこややEP」リリース記念 - ele-king

 DJヨーグルト&Mojaが踊ってばかりの国の「いややこやや」のダブ・ミックスを12インチで発表する。トラックは再構築され、下津の歌は録り直され、新しい曲に生まれ変わったと言っていい。以下、ことの成り行きについてDJヨーグルトと下津が対談してくれた。

text : DJ Yogurt(Upset Recordings)

「踊ってばかりの国との出会いは2012年の夏に"!!!"のPVをたまたまYouTubeで見て、最初イイ曲と思ったのでもう一度聴いて、それでもまだ聴きたかったので珍しく3回連続聴いて、今度は歌詞の内容も気になってきたので歌詞を聴きとりながら聴いたところ、輪廻転生をこれだけポップに表現した日本語の歌は初めて聴いた気がして4回目にして深く感動。歌声とメロディーと歌詞の鮮やかな組み合わせにハマってその日は結局"!!!"を5回聴いた。
 翌日にDisc Unionで"!!!"収録の2011年11月リリースのセカンド・アルバム『世界が見たい』を買って聴いてみたら、タイトル曲の"世界が見たい"等名曲揃いだったのであらためてこのバンドの凄さを実感して、ボーカルとギター、作詞作曲を担当している下津光史の名前を脳に刻んだ。
 2012年10月に尚美学園大の学祭で初めて踊ってばかりの国のliveを見た時は出演時間が短かったこともあってなかなか良いバンドと思った程度だったけど、12月に前任のベースのラストliveだった新代田feverで披露したスローハードコア・サイケデリックな"何処にいるの?"のライヴ・アレンジに激しい衝撃を受けて、2013年以後は踊ってばかりの国のライヴに年に数回以上通うようになり、通っている間にliveヴァージョンの"いややこやや"がとんでもない浮遊感を醸し出していることに気が付いて、下津に"いややこやや"を再録してみない? と踊ってばかりの国の楽屋で提案したところ、下津も快諾してくれたので、2015年から自分と共同で音楽を制作していて、踊ってばかりの国が現在使用している練習スタジオから徒歩3分の場所に住んでいるMojaの自宅兼スタジオで下津のギターと歌を録音。

 それらをYogurt and Mojaの制作したトラックに載せて、Lorde"Royals"やASAP Rocky"LSD"、Massive Attack Meets Mad Professor等の感覚から影響を受けつつ、Mojaと2人でいろいろとアレンジしていって、2017年1月にキムケンスタジオでキムケンさんにマスタリングしてもらって完成。
 マスタリングの終わった"いややこややDub"をEle-King野田編集長に送ったところ、「いいじゃんこれ。マッシヴ・アタック直系ダブだね。このリリースに合わせてヨーグルトと下津が対談したらEle-King Webに掲載してあげるよ」と応援のメッセージをもらったので、今回DJ Yogurtと下津光史の初対談企画が実現!

 野田さんの著作『ジャンク・ファンク・パンク』持参で現れた下津。8時からの踊ってばかりの国のスタジオリハ前に、下北沢のカフェで対談。昨夜から下津と一緒にいるという踊ってばかりの国と同じレーベルに所属のバンドGateballers/GodのKayaくんも同席。

Yog「これまでも下津が対談しているのをネットで読んだことがあって、おとぎ話の有馬くんとか」

下津「Novembersの小林裕介とか……年に一回くらいのペースでやってる感じで、ちょいちょい。みんなバンドマンばかりで、DJと対談するのは初めてです」

Yog「本日はよろしくです! 今回リリースするいややこややは元々はいつ頃出来た曲なの?」

下津「踊ってばかりの国がいつも練習に使っていた代々木Step Wayで作り上げた曲ですね。3年くらい前でまだStep Wayがあった頃で、谷山が当時受付をしていて……。最初はボサノヴァっぽいデモを自分が弾き語りで作って、Step Wayで当時のギターの林くんとアレンジを打ち合わせしたら、Dubというか浮遊感のあるリズムにしようということになって、ドラムはブラシでやろうと最初のうちはJazzっぽいアレンジも試したりしたけど、結局アルバム収録の感じに仕上がりました」

Yog「自分は"いややこやや"はliveで聴いてこの曲の魅力に目覚めた感じで、スタジオ録音の感じとも違うし、liveでめっちゃ映える曲というか……liveのアレンジはこれまで変わってきてる?」

下津「曲が自然に一人歩きしていくのにまかせてます、最近踊ってばかりの国のギターが1人増えてそのことでまた変わっていったり……」

Yog「なるほど……この曲が生まれて以後、ずっとliveでやってるの?」

下津「そうですね。liveで楽しい曲。現実逃避の側面もある曲でもあったり、ドラッギーな雰囲気を漂わせたり」

Yog「最近聴いたんだけど坂本慎太郎さんが歌詞を書いたCorneliusの新曲のBPMが遅くて、たまたまだけどリリースのタイミングが近い今回のいややこややDubのテンポ感と似ていることが面白いと思ったりしてね~」

下津「自分は今回のいややこややDubにはFlying Lotusを感じましたよ。
ひずみを使わないでDopeな感覚を追及しているところに、アンビエントに通じているDJの感覚を感じることもありました。Remixの進行中にまだ完成していないVersionを色々と送ってくれて、できていく過程を聴くことができたのも面白かったです」

Yog「"いややこやや"のRemixは1年以上かけて制作したから、初期からは結構変わっていって、3~4つくらい違うVersionを下津に送ったかも? 遅い曲で盛り上げたり、ハマる雰囲気を作るのは、早い曲で盛り上げるよりも難しいと思っているからこそ、"いややこやや"みたいな曲がこの世に増えたら嬉しいな。今回は"いややこやや"をDub Mixするのがとても楽しかったのでまた何かやれたら」

下津「またやりましよう!」

Yog「踊ってばかりの国の曲じゃないけど、下津がはじめた新しいバンドのGodが去年録音して、下津に頼まれて今年1月にDJ Yogurt and mojaが制作した"De Javu"のRemixはいつ出る予定なの?」

下津「未定ですけどそのうち必ずリリースする予定で、現在はGodや踊ってばかりの国のニューアルバムに向けていろいろ準備中です。まだ詳細は発表できないんですけど」

Yog「"De Javu"は本当にイイ曲だと思っていて、新たに生まれた下津クラシックというか。ジャーマン・ロック的なサイケデリックなアレンジと感じるところもあって、Neu!とかCanとか。下津がソロliveでアコギで披露しているバンドとは違うアレンジも凄く良いし」

下津「ソロの時はデヴェンドラ・バンハートみたいなアレンジでやったりしてますね」

Yog「ソロ・ライヴのヴァージョンも好き。Godで録音したKayaくんのトリップ感溢れるギター、Janくんのうなるベース、光星のタイトなドラム、Rikiの感性が爆発している自由奔放な40分の完全Versionも勿論出してほしいし、自分とMojaで再構築して濃縮した17分Versionも気に入っているのでぜひ」

下津「Godの2ndアルバムのBonusとか配信限定として出すか……どんな形になるかわからないけどリリースするつもりなので!」

Yog「諸々準備中という踊ってばかりの国の新作のマスタリングは中村宗一郎さんにお願いするのも面白いんじゃないかと思ってるんだけど……」

Kaya「ジャッパーズの新作を中村さんがマスタリングしている凄く音が良かった。今年出たアルバムで一番びっくりした」

Yog「いいね~、聴いてみるわ」

下津「ジャッパーズはYogee New Wavesのベースの人がいるバンドで、今度5月30日のHappyと踊ってばかりの国と渋谷でliveしますよ」

Yog「行こうかな……、クアトロで見て以来、踊ってのliveに行ってないわ」

下津「まじで? 乾いてんじゃん?」

Yog「そろそろ行かないと……3月の踊ってのクアトロでは、90年代~00年代にPartyで見かけていた自分の古い知り合いが子供を連れて来ていてびっくりしたよ。その5歳の男の子がめちゃ踊ってばかりの国のファンで楽屋に来て下津に握手を求めにくる姿に感動したわ。小さい子供だけじゃなくて60歳前後の感じの人達も来ている感じもあって、もちろん若い世代もいて、
自分が行くliveやPartyの中で特に色々な世代が来ていた印象を受けたよ」

下津「そういう風になれと思ってるんで……がんばります」

Yog「前からあんなに幅広い世代が踊ってばかりの国のliveに来てたの?」

下津「踊っての音楽性には時代性とは関係無いところもあるから、世代や時代の差を越えて幅広い世代に届くようなところがあるのかもしれないですね。自分がニュージーランドに滞在していた頃に広場におばあさんたちが数人集まっているのを偶然見かけた時に、その中心に置いているラジカセからレッチリの曲が流れていて、車いすのおばあさんとかも普通に聴いててそういうのっていいなって思って」


interview with !!! (Nic Offer) - ele-king

もし世界中の人が己の恐怖にチャレンジして、立ち向かっていたら、この世界はより良い世界になる。


!!! (Chk Chk Chk)
Shake The Shudder

Warp / ビート

Indie RockFunkDisco

Amazon Tower HMV iTunes

 なぜいまディスコなのか。
 いやもちろん、!!!(チック・チック・チック)はその活動の初期からディスコやハウスに触発されてきたし、というか、それらアンダーグラウンドなダンス・ミュージックとパンクとの結合こそがかれらの音楽のシンギュラリティだったわけだけれど、7枚目のアルバムとなる新作『Shake The Shudder』は、チック史上かつてないほどにディスコ色が強まっている。ディスコ、と言ってもかれらが取り入れているのは快楽至上主義の薄っぺらいそれではない。本作にはムーディマンからインスパイアされたトラックが収録されているが、チックが参照しているのは、そういう黒いグルーヴに支えられたディスコやハウスである。かつて『リミックス』誌で、チックのようなサウンドを鳴らすアーティストは一見ほかにもたくさんいるように見えるが、いざ探してみるとぜんぜん見当たらない、強いて近いものを挙げるなら、スコット・グルーヴスがジョージ・クリントンほかPファンクの面々をフィーチャーしてリメイクした“Mothership Connection”の、さらにそのダフト・パンクによるリミックスだろうか、というようなことを三田さんが書いていて、言い得て妙だと思った覚えがあるけれど、そういうデトロイトなどのファンク~ハウスとパンクとの特異な合成こそがチックの音楽のエスプリなのである。
 でも、じゃあなぜ「いま」かれらはこれほどディスコに接近しているのか。あれこれその理由を考えてはみたけれど、やっぱり昨年の政治的・社会的な出来事がきっかけになっているとしか思えない。アルバム・タイトルに込められた「恐れを振り払え」というメッセージもそうだ。チックはもともとポリティカルな事柄に意識的なバンドだったから(そもそもかれらが大きな注目を集めるきっかけとなったのは、ジュリアーニを批判する“Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)”だった)、そういう捉え方をしてもまったく不適切ではないし、じっさい本作には“Five Companies”や“Things Get Hard”といった曲も収められている。けれどもチックは、けっしてシュプレヒコールをあげたりはしない。かれらは音楽が政治の道具なんかじゃないことをよくわかっている。だからチックはスローガンを叫ぶかわりに、最高にホットなグルーヴを編み出して僕たちを踊らせる。ダンスこそがこの暗澹たる時代に対する最高のリヴェンジなんだぜ、とでも言わんばかりに。
 そしてそのグルーヴの上を駈け抜けるのは、これまた最高にロマンティックなリリシズムだ。「空の上には成層圏がある/そこに君を連れて行きたいんだ」(“Throw Yourself In The River”)。この小っ恥ずかしいまでに素直な願望こそがこのアルバムの動機であり、チック・チック・チックというバンドの本懐でもある。

そしていつか全ては過去になる
だから忘れずに彼らを笑わせておこう
(“Dancing Is The Best Revenge”)

 最高のグルーヴは、そして、最高の感傷を引き連れる。いつかすべては過去になる。だからこそ僕たちは「いま」踊ることをやめられないのだ。

俺が「ファックだ!」と言ってもそれは答えにはならない。解決策ではない。まだ議論は続いていて、戦いは続いている。本当は、俺はそんなことはしたくない。人に反論したり反対したりするようなことはしたくない。だからこそ、やはり答えはエンターテインメントにあると思う。

アルバム・タイトル『Shake The Shudder』についてですが、資料によると「身震いを振り払え」ということで、ミュージシャンとしての経験を踏まえてのことのようですが、もっと広い意味でも捉えられるのではないかと思いました。昨年、アメリカでは大きな社会的出来事がありましたが、そんな時代だからこそ「恐れるな」、というニュアンスも含められているのでしょうか?

ニック・オファー(Nic Offer、以下NC):アーティストは、課題に立ち向かわないといけないから、ある意味、恵まれていると思う。俺の友人(でアーティストでない人)たちは、50%くらいのチャレンジしかしていない。チャレンジする必要がないから無難なところに収まりやすい。でも、アーティストはチャレンジするのが仕事みたいなところがある。もし世界中の人が己の恐怖にチャレンジして、立ち向かっていたら、この世界はより良い世界になる。そういう意味では、このタイトルは、幅広い人たちへのメッセージとして捉えられると思う。

ツイッターで拝見したのですが、当初は『Save The Bongos For Later』というタイトルの予定だったのですよね? 変更した理由をお聞かせください。

NC:あれは、ただの冗談だよ(笑)。俺たちは、いつもアルバムの偽タイトルを考えついて、ツイートしたりして遊んでるんだ。

3曲目の“Dancing Is The Best Revenge”は、昨年ライヴで先行公開された曲ですね。このタイトルもとても興味深く、アルバム・タイトルと同じように、こんな時代だからこそあえて「踊ろうぜ」と言っているように感じられました。チック・チック・チックというバンドのアティテュードが示された曲だと考えて良いのでしょうか?

NC:そうだね。バンドと俺たちのアティテュードをまとめてくれる曲になったと思う。また、なぜ俺たちがバンド活動を長く続けられているかという理由もこの曲に表れていると思う。俺たちは、ずっと踊り続け、前進し続けてきたからこそ、まだいまでも存続している。ダンス・ミュージック、エレクトロニック・ミュージック全般は、つねに進化していると思う。つねに新しく、新鮮なものでなければいけない。だから進化を繰り返している。その反面、ロック・ミュージックはあまり変わらずにいる。だから俺たちも前進し続けないといけない。この曲は、そういうアティテュードの表れだと思う。

チック・チック・チックというバンドがこのタイミングでアルバムを出すのは非常に興味深いことだと思います。あなたたちが最初に注目を浴びたのは、2003年の「Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)」というシングルでした。トランプを支持していたジュリアーニは最終的には政権入りを辞退しましたが、当初は閣僚に就任するのではないかと見られていました。昨年の大統領選挙では、いろいろなミュージシャンが反トランプを掲げていましたが、かれらが声を上げれば上げるほど、貧しい人たちは反感を増幅させて、トランプ支持にまわったという話を聞いたことがあります。それについてはどう思いますか?

NC:質問の最後の部分は本当じゃないと思う。どんなセレブレティの声がトランプ支持に影響したのか、教えてくれ。

僕も聞いた話なので、パッと名前が出てこないのですが、えーっと……

通訳:かなりの大御所が出ていましたよね。例えばビヨンセとかJ-Loとかも出ていましたし。

ああ、そうですね。インディ・ロック系の人たちも各地でやっていて、そういう全体的な風潮が、いわゆる「優等生」的というか、そういうふうに捉えられて、本当に貧しい人たちは、「そんなこと言っても彼らはアーティストたちじゃないか」と。そういう話を聞いたことがあります。

NC:なるほど。だが、ドナルド・トランプだって貧しい人たちのことなんか何もわかっていないぜ。彼は黄金の便器でクソをするやつだ。ヴァンパイア・ウィークエンドの言うことには反論するが、黄金の便器でクソをするやつに投票する人なんて馬鹿げている。ヴァンパイア・ウィークエンドを聴くレッドネック(田舎者)なんていない。ヴァンパイア・ウィークエンドはバーニー・サンダースの支持を主張したバンドだ。つまり、ヴァンパイア・ウィークエンドを聴く人たちとレッドネックたちとの間には何の関連性も最初からなかった。ヴァンパイア・ウィークエンドが、あのような活動をしたのは重要だったと思う。ヒラリーとバーニーの間では、支持者が分かれていたから。似たような論議がハリウッドについてもあって興味深い。ハリウッドはリベラルとして有名だが、実際に映画というものはレッドネックに消費されている。ハリウッド・エリートたちがレッドネックたちを排除している、という意見もあるが、俺から言わせれば、ハリウッドがリベラルで偉大という意見は短絡的に考え過ぎている。俺が飛行機で、最新のハリウッド映画を見ると、いつもくだらないアクション映画ばかりやっている。銃でぶっぱなせ!みたいな感じ。それって、アメリカのカウボーイ的美意識が進歩しただけのことじゃないか。主人公は無茶なやつで、ルールを守らない、暴れん坊。これは、まさにドナルド・トランプだ。彼がハリウッド映画の主人公の典型的なステレオタイプだ。だから、ハリウッドは、保守派や共和党と戦えるような、素晴らしい映画をじゅうぶんに作っていないと思う。ハリウッドはもっと頑張らないといけないと思う。それから、「エンターテインメントに関わる人は政治に口を出すべきじゃない」と言っているやつらがいるが、リアリティ番組の司会を大統領に選んだのはどこのどいつだ? トランプだってエンターテイナーだ。そんなこと言うやつは、大バカの能無しだ。そんなやつらはファックだ!
 だが、俺が「ファックだ!」と言ってもそれは答えにはならない。解決策ではない。まだ議論は続いていて、戦いは続いている。本当は、俺はそんなことはしたくない。人に反論したり反対したりするようなことはしたくない。だからこそ、やはり答えはエンターテインメントにあると思う。良いエンターテインメントに接すると、人は自分の考えとは違ったものに触れ、驚きがある。そして考え方が変わったりする。自由で創造的な場所で、そういう方法で、 政治的概念を変えていくことができると思う。また、共通した感情が基盤となって、人が団結したりする。プリンスやデヴィッド・ボウイが死んだとき、人びとは一体となり、彼らの死を悲しんだ。プリンスやボウイは比較的リベラルなアーティストかもしれないけれど、たとえば、ポール・マッカートニーが死んだら、すべての人が悲しみ、みんなで悲しみという感情を共有することになる。そういう形でエンターテインメントが政治への手助けになるという可能性はあると思う。だが、エンターテイナーが感情を露わにしたことについて怒る人はどうかしている。それこそがエンターテイナーの仕事であり、エンターテイナーはそれをやって金をもらっているのだから。政治的なことや、そうでなくてもエンターテイナーには考えがあり、その考えを持つのは彼らの自由だ。そして、彼らの考えに耳を貸さないのも自由だ。

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エンターテイナーが感情を露わにしたことについて怒る人はどうかしている。それこそがエンターテイナーの仕事であり、エンターテイナーはそれをやって金をもらっているのだから。


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アルバムの話に入ります。これまでのチック・チック・チックにももちろんその要素はありましたが、今作はとりわけディスコ色が濃く出ていると思います。そのような雰囲気は意図的に作られたものなのでしょうか? それともジャムをしている間に自然とそうなっていったのでしょうか?

NC:自然にこうなっていった。俺たちがつねにアルバムを通して達成したいことというのがある。ディスコは俺たちが大好きなサウンドだから、そこにいろいろな方法を通して回帰することも多いし、そういうサウンドがバンドのベースとなっている。俺たちのアルバムは毎回違った作品で、毎回成長や学びがあり、新しいサウンドを発見している過程を表現するものであってほしい。だが、過去にタイムスリップして、昔の俺に、今回のアルバムを聴かせたら、「すげー! これ俺たちが作ったの?」と思ってもらえるような作品でもあってほしい。それが俺の願いだ。

7曲目の“Five Companies”は、「緊張した状況から生まれた政治的作品」とのことですが、「5社」というのは何を指しているのでしょうか?

NC:よく言われる「1%の~(上位1%の富裕層が世界の富の半分を握っている)」という話で、「この会社の親会社がこの会社で、その会社の親会社が……」というふうに、結局すべてはワーナー・ブラザーズが所有している、というような話。すべては5つの大企業が実権を握っているという意味。自分は自由を与えられていると思っていても、実際のところは、この金儲けをしている5社の傘下にいるということ。アメリカの政治的状況だってそうだ。ヒラリーも、結局のところワシントンの資産家たちから支持を得ていて、同じ大企業に操られていると非難されていた。下層階級の人びとはそういう文句を言っていた。そこには反論できない。でも、ドナルド・トランプが、大企業とは真逆の立場にいるという主張は、トランプ側のマーケティング作戦がうまかったとしか言いようがない。

9曲目の“Imaginary Interviews”や10曲目の“Our Love (Give It To Me)”はムーディマンを参考にされたそうで、たしかにその影響は感じられました。とはいえ、全体としてはしっかりチック・チック・チックの音楽になっていて、咀嚼のしかたが巧みだなと思いました。2013年のリミックス・アルバム『R!M!X!S』では、ロメアーが1曲リミックスを手がけていましたが、その彼もムーディマンが好きで、そういうアルバムを出しています。ムーディマンのすごいところはどこだと思いますか?

NC:チック・チック・チックが最初に出てきたとき、俺たちはパンクだったからエレクトロニック・ミュージックやドラムマシーンを使った音楽はあんまり聴いていなかった。ハウス・ミュージックを俺たちが知ったのは、ファンクとディスコの後だった。俺たちはずっとバンド活動をしていて、いまではけっこう上手なディスコ・バンドになったと思う。ムーディマンが作り出すハウスは俺たちが共感できるものだった。彼のハウスは、ファンクとディスコがベースになっていて、その時代のロマンスやグルーヴが感じられる。そこにハウス特有の恍惚感が加わっている。そういう点が俺たちにしっくりときて、特に彼の最新アルバムを聴いたときは「これだよ。俺たちがずっと出したいと思ってきたサウンドはこれなんだよ!」と思った。自分が音楽をやっていて、自分がやろうとしていたことを、他の誰かが達成したというのは、とてもエキサイティングだ。自分が音楽を作っているときは、世界でいちばん最高な音楽を作ろうとしている。そこに、他の人が同じ解釈で、自分がやろうとしているのと同じことをやってのけたときは「このアルバムだよ! こういうのが作りたかったんだよ!」って思うんだ。

彼(=ムーディマン)の最新アルバムを聴いたときは「これだよ。俺たちがずっと出したいと思ってきたサウンドはこれなんだよ!」と思った。自分が音楽をやっていて、自分がやろうとしていたことを、他の誰かが達成したというのは、とてもエキサイティングだ。

昨年はフランク・オーシャンやソランジュのアルバムがすごく話題になりました。Pファンク好きのニックさんとしては、最近のR&Bやソウル・ミュージックをどのように捉えていますか?

NC:ファンク音楽の要素などが最近の音楽に取り入れられているのはおもしろいと思う。俺たちが最初チックを始めたとき、ロック音楽の基盤が、まだブルーズ音楽で、それは興味深く感じられた。ブルーズ音楽ってすごく古くさい感じがしたから。「なぜ新しいロック音楽の基盤は、ファンクやディスコではないんだろう?」と思った。最近はその考えが普及してきたみたいで、インディ・ロックのベースとなっているのはフランク・オーシャンやソランジュのようなアーティストだ。それはエキサイティングな変化だと思うし、インディ・ロックの新章となると思う。

チック・チック・チック以外で、いまもっともファンキーな気持ちにさせてくれる音楽は何でしょう?

NC:アンダーソン・パークの新しいアルバムは良かった。ダーティ・プロジェクターズの新しいアルバムも良かった。彼はR&Bとヒップホップをインディ・ロック的にうまく融合させたと思う。(携帯に入っている、2016年ベストのプレイリストを確認中)バンドだけじゃなかったら、たくさんいるよ。フューチャー(Future)、ミゴス(Migos)、DVSN。

通訳:それらはダンス・ミュージックのアーティストですか?

NC:DVSNは90年代っぽいR&Bを作るアーティストで、ドレイクのプロデューサーをやったこともある。彼らが作る音楽は90年代のスロウジャムのようで、彼らのアルバムは良かった。マックスウェルの最近のアルバムも素晴らしいR&Bのアルバムで、最高な曲がいくつもあった。たくさんあるよ。携帯のプレイリストを見てくれよ。本当にたくさんある。良い音楽はたくさんあるよ!

(スマホを渡され、リストを確認中)すごい、いっぱい入ってる……

NC:俺は、年末にいろいろなメディアが出す音楽チャートをすべてチェックするんだ。その中から、俺が好きだったものを、このプレイリストに加えていく。すべて去年のリリースで、その中でも俺が知らなかった音楽。だからメジャーなやつは入っていないよ。

(リストを確認中)

NC:Spotifyがあるなら、リストを送れるけど?

Spotifyは無料のやつしか使ってないんですよ。

NC:まじかよ!? 1ヶ月10ドルだぜ?

最近、入ろうと思っています(笑)。

NC:一度入会したら、絶対手放せなくなるよ!

アーティストの政治的主張が何であれ、俺はそのアーティストが好きだったらその人の音楽を聴き続ける。それができないやつは、そいつの問題だ。そいつはかわいそうなやつだ。自分が好きな音楽を聴くことができないのだから。

今年1月にヤキ・リーベツァイトが亡くなりましたが、チック・チック・チックは2004年に“Dear Can”という曲を出しています。彼の功績や、彼に対してどのような考えをお持ちですか?

NC:ヤキ・リーベツァイトは、彼の音楽を聴くよりも先に、彼の存在について知る、というような人物だった。非常に伝説的なドラマーで、当時のロック・ドラマーよりも、ずっとファンキーなドラマーだったと思う。カンというバンドに非常にユニークなサウンドをもたらしてくれた。カンはドラマーに引率されたバンドだったということがわかる。ドラマーというのは多くの場合、バンドというマシーンを運転する役で、創造的力というリムジンの運転手的な存在だ。だが、ヤキ・リーベツァイトは絵描きのような存在だった。バンドは彼を中心として成り立っていた。ダンス・ミュージックはリズムが基盤となっている。彼は、他のロック・ミュージシャンよりも先にそのことを理解していたのだと思う。本当に偉大な力を持つ人だった。

以上です。

NC:もう一点、政治の話で、ヴァンパイア・ウェークエンドについて言及したい。ヴァンパイア・ウェークエンドが政治的な主張をしたのはすごく良いことだったと思う。当時、バーニーの考えは過激的で途方もないと考えられていた。民主党支持者たちは、ヒラリーとバーニーとの間で選択を迫られていた。だが、ヴァンパイア・ウェークエンドがバーニー支持を表明したことによって、バーニーの考えはクレイジーでもなく、普通だと気付いた人がたくさんいた。バーニーが求めているものは、過激でもなんでもなく、正当なことであり、自分たちはそういうことを求めるべきなんだ、と気付いた人がたくさんいたんだ。だから、あれはとてもパワフルな瞬間だったと思う。彼らがそういう主張をしてくれて俺は嬉しい。俺はずっとヒラリー支持者だったけれど、ヒラリーがルール内でしか動けなかったり、ワシントンの資本家としてしか活動できなかったことが、ヒラリーの敗因となってしまった。だからヴァンパイア・ウェークエンドがそういう活動をしたのはすごく良かったと思う。もし、そういう活動が、誰かの反感を買ったとしても、それがまた別の人のインスピレイションにつながるから良いと思う。いつだって、文句を言いたがるやつはいる。それはしかたがないことだ。でも、もともとヴァンパイア・ウェークエンドのファンだった人が、ヴァンパイア・ウェークエンドの活動を見て、がっかりしてしまったというのは信じがたい。でもそんな人たちは放っておけばいい。俺も、こないだガールフレンドと派手に喧嘩したことがあって、カニエ・ウェストがドナルド・トランプのもとを訪れたとき、彼女は俺にこう訊いた。「あなた、カニエの音楽を聴くのやめるの?」俺は「FUCK NO! (やめるわけねーだろ)」と答えたよ。俺はカニエのファンだし、彼の音楽が大好きだ。トランプに会いに行ったのは得策とは思えないし、後でカニエも後悔すると思う。けど、俺はカニエを聴き続けるぜ。彼が良い曲を作り続ける限り。そんなの関係ない! 逆に、ヴァンパイア・ウェークエンドが過激だと思われていた派を支持して、バーニーを正常化してくれたときは、俺でさえ「そうだ、バーニーの考えは実行可能だし、おかしくもなんともない」と思った。だから、俺は両方の観点から答えられる。アーティストの政治的主張が何であれ、俺はそのアーティストが好きだったらその人の音楽を聴き続ける。それができないやつは、そいつの問題だ。そいつはかわいそうなやつだ。自分が好きな音楽を聴くことができないのだから。それはやつの問題で俺の問題じゃない。俺はとにかくジャムをかけ続けるぜ(笑)!

SONIC MANIA 2017 出演決定!
2017.8.18(金)
OPEN 8:00PM / START 10:00PM
チケット情報
前売り¥11,500(税込)別途1ドリンク代¥500
https://www.sonicmania.jp/2017/

HIP HOP definitive 1974-2017 - ele-king

 2015年のSpotifyの統計によれば世界でもっとも聴かれているジャンルはヒップホップだそうで、CNNのあるレポーターによれば、「ヒップホップはこの半世紀でもっとも影響力のあるジャンル」で、それは「意見ではなく事実」だと。清水エスパルスのFWチョンテセ選手もヒップホップ・リスナーだし、数ヶ月前に会った古いイギリス人の友人(音楽関係者)は、「というか、若い世代はいまヒップホップやR&Bしか聴かない」となかば嘆き節で答えた。ヒップホップは大衆音楽のメインストリームである。ディフィニティヴ・シリーズも満を持しての「ヒップホップ」版を刊行します。
 『bmr』の元編集長、小渕晃・著『HIP HOP definitive 1974-2017』は、ヒップホップがどのようにはじまり、どのような変節点を経てどのように細分化され、混交され、どのように展開しているのかという全史を一望する試みです。ヒップホップは好きだけど全体を見渡しながら聴いているリスナーは少ないだろうし、コンシャスであるとかG-FUNKであるとかウェッサイであるとかトラップであるとか、そのサブジャンル名がいつどこから出て来ているのか曖昧に思っている人もいるでしょう。基本でありながら意外と共有されていない全史、『HIP HOP definitive 1974-2017』は5月31日刊行です。

Chapter 1
1974~ヒップホップの誕生
D.J. Afrika Bambaataa/Grandmaster Flash And The Furious Five
レコード化以前~ライヴ
レコード化のはじまり~バンド・サウンド
ドラム・マシン~打ち込みサウンドの始まり
コラム ヒップホップ・ミュージックを生んだブレイクビート

Chapter 2
1982~エレクトロ・ブーム
Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force
エレクトロ・ビート
エレクトロ・ビート+スクラッチ
エレクトロ~ヒップホップ・ブーム
コラム ヒップホップのごく初期の姿を映す貴重な映画

Chapter 3
1984~ストリート回帰~第2世代の登場
Run DMC
リック・ルービン~デフ・ジャム
ヒップホップの第2世代
ギャンスタ、プレイヤー・ラップの誕生
コラム デフ・ジャムと、ギャングスタ・ラップの背景を知る映画

Chapter 4
1986~ヒップホップ・ネイションの誕生
Eric B. & Rakim
Juice Crew~クイーンズ
Paul C~Studio1212, クイーンズ
”ブギ・ダウン” ブロンクス
First Priority Family~ブルックリン
ブルックリン
Hit Squad~ロングアイランド
Flavor Unit~ニュージャージー
Hilltop Hustlers~フィラデルフィア
ポップ/ダンス・ラップ
西海岸 ファンキー・スタイル
The Dust Brothers~Delicious Vinyl
チカーノ/多人種によるラップのはじまり
マイアミ
UK

Chapter 5
1988~コンシャス~メッセージ・ラップ
Public Enemy
The Stop The Violence Movement
東海岸 知性派/ムスリム/アフリカ回帰
西海岸 ポリティカル/コンシャス
ネイティヴ・タンズ
コンシャス + オルタナティヴ
コラム コンシャス~メッセージ・ラップを理解するための映画

Chapter 6
1988~ギャングスタ~プレイヤー・ラップの隆盛
N.W.A
NWA~Ruthless Records
Lench Mob
DJ Quik Family
LA OG
ベイエリア
サウス&ミッドウェスト
コラム ギャングスタ・ラップを理解するための映画

Chapter 7
1990~ニュースクールからハードコアへ
Pete Rock & C.L. Smooth
Soul Brother No.1
Gang Starr Foundation
Diggin’ In The Crates
ネイティブ・タンズの第2章
NY~東海岸のニュースクール作品
かけ合いラップ・ブーム
Wu-Tang Clan
ヴェテランの逆襲
ネクスト・ウェイヴ
ミッドウェスト、サウス、カナダのニュースクール作品
西海岸のニュースクール作品

Chapter 8
1992~Gファンクの猛威
Dr. Dre
Original G-Funk~Death Row, ロングビーチ
Ruthless, Cold 187um
CMW~MC Eiht
DJ Quik Family
Westside Connection
Gファンク・ブーム in LA
チカーノ
Dangerous Crew~ベイエリア
Sick Wid It
Young Black Brotha
ベイエリア 90s
Tupac Amaru Shakur
コラム 2パックとビギーの生涯を映画で観る

Chapter 9
1992~サウス~ミッドウェスト・シーンの台頭
Outkast
Dungeon Family, アトランタ
Jermaine Dupri, So So Def
クリーヴランド、シカゴ、フリント
No Limit , ニューオーリンズ
Cash Money
マイアミ
ヴァージニア
ヒューストン~テキサス
Screwed Up Click
ヒューストン、カンザスシティ、ナッシュヴィル
メンフィス
コラム サウスのヒップホップをより深く知るための映画

Chapter 10
1994~リリシスト~サグ/マフィオソ・ラップ
Nas
Biggie Smalls
クイーンズ・サグ
Boot Camp Clik, ブルックリン
ブルックリン、ニュージャージー
Jay-Z
Nas
Eminem
0 Cent, G-Unit
リリシスト 00s - 10s
コラム ヒップホップのリリシストをより深く知るための映画

Chapter 11
1994~ポップなスタイルの復活~全米のポップスに
Puff Daddy & The Family
Trackmasters
ポップ・サウンド in ミッド90s
Refugee Camp
オルタナティヴ・サウンド 90s - 00s
ラティーノ
Swizz Beatz, Ruff Ryders
Flipmode Squad
Roc-A-Fella
Murder Inc
The Diplomats aka Dipset
ポップ・サウンド in 00s

Chapter 12
1996~コンシャス派~インディ・シーンの盛り上がり
Slum Village/J Dilla
ネイティヴ・タンズの第3章
ロウカス
フィリー、Soulquarians
東海岸、北中西部、その他
Quannum Projects, 西海岸
Stones Throw
西海岸のインディ・シーン
Kanye West、シカゴ、GOOD

Chapter 13
1999~ウェッサイ・ファンク 2000
Dr. Dre/Xzibit
Dr. Dre + Dogg Pound Gangsta Crips Reunion
DJ Quik Family
Westside Connection
ヴェテランたちのウェッサイ・ファンク好盤
チカーノ 2000
ウェッサイの新世代
ハイフィー・ブーム、ベイエリア

Chapter 14
2000年~サウス&ミッドウェストの時代
Lil Wayne/UTP
ニューオーリンズ
セントルイス
ヴォージニア
アトランタ~ジョージア、ケンタッキー、ミシシッピ
クランク~スナップ
トラップ・ミュージック
マイアミ~フロリダ
ヒューストン~テキサス
メンフィス

Chapter 15
2006~「クール」の再定義
Drake/Currency
カレンシーはストーナーの代表となりシーンを引っ張る

Chapter 16
2011~ヒップホップの新時代
Kendrick Lamar
Black Hippy 
OFWGKTA (Odd Future Wolf Gang Kill Them All)
ASAP Mob
Pro Era
ドリル
トラップ
ラップ新世代
Black Lives Matteの時代におけるヴェテランの力作


小渕晃
HIP HOP definitive 1974 - 2017

(P-Vine / ele-king books)
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 『アメクラ』から『アメグラ』へと。先日、音楽ライターの能地祐子さんが著書『アメクラ! アメリカン・クラシックのススメ』をDU BOOKSから刊行しましたが、クラシックですか~、自分には敷居が高いっす……などと言うなかれ。じつはこの本、アメリカのロック/ポップス好きが読んだらすごく面白い本なんです。アメリカのクラシック界が、じつはアメリカーナやビーチボーイズやフィル・スペクターへとつながっている? という視点から描かれた画期的な本です。で、アメリカ音楽好きと言えば、昨年、ele-king booksから『アメリカン・グラフィティから始まった』を刊行した萩原健太さんです。というわけで『アメクラ』から『アメグラ』へと。
 6月11日(日)15:00~17:00、下北沢のB&Bにて、トークショー、能地祐子×萩原健太「米国音楽好きのためのクラシック音楽入門」があります。要するに、萩原家対談ですね(笑)。ぜひ聞きにいきましょう。

https://bookandbeer.com/event/2017061101_bt/

interview with tofubeats - ele-king

 他人のことを気にしないように
 後ろ髪を引く人ばかりに
 これ以上もう気づかないでいい
1曲目“CHANT #1”

 もう良し悪しとかわからないな
 君らが数百万回再生した
 バンドの曲が流れてきた
2曲目“SHOPPINGMALL”


tofubeats
FANTASY CLUB

ワーナー

J-POPDeep HouseBassTechno

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 高校時代にシカゴ・ハウスやニンジャ・チューンなどを聴いた彼は、しかし自分の出自を曖昧にぼやかし、エレクトロニカや細分化されたインディ・ミュージックしか聴かない類のリスナー〈誰だ?)へ反論するかのように、TSUTAYAや郊外ショッピングモール、安居酒屋チェーン店、地方都市の衰退を日本の現代的土着性として再定義しようとした。文化的焼け野原を故郷とすることによる大衆へのアプローチ。そして、Jポップ的(マーケティングの入った)オリエンタリズムを逆利用すること、これが彼の戦略でありクリティックでもあったように思う。もちろん賛否両論あった。良きことのひとつを言えば、単純な話、若者たちに広く聴かれたことだ(おかげで彼の曲は彼の政治嫌いに相反して、デモにも使われた)。悪きことをひとつ言えば、それは単なるホントの、消費されるだけの商品としてのJポップにしかなりかねないことである(何が大切に聴かれ続けて、何が商品として忘れられるかは、10年後の中古盤屋──残っていればだが──を訪ねれば明らかになる)。
 トーフビーツの根は、インターネットを若者が活用できる時代に培われたという意味でも、セイホーやトヨムやグライム・プロデューサーの米澤慎太朗らとほぼ同じだが、その打ち出し方は極端に反動的で、彼はワーナーと契約したさいも大胆にも「就職」という言葉を使った。音楽を商売に限定することになると反感を覚える者も少なくなかったが、それは音楽業界への皮肉にも見えた。
 こうしてバブルガム・ミュージックを生産しようとした彼は、しかし、いまここにはいない。いまここにいるのは、時代に翻弄されている自分を隠さない彼だ。日本経済の格差問題は、大手メジャーと契約している若いミュージシャンもお金の心配を隠さずにはいられないというところにも滲み出ているわけだが(苦笑)、新作『FANTASY CLUB』で彼が告白しているのは、インターネット社会が信用ならないということで、それは「インターネット世代」という肩書きを甘受してきた彼にとって、言わずにはいられない状況にいま直面しているということなのだ。彼は本作において「見解」を述べている。
 また、喪失感はトーフビーツが最初から表現してきた感覚で、ジャム・シティの『クラシカル・カーヴス』や初期ヴェイパーウェイヴにも見いだせる感覚ではあるが、彼のそれは先述したように、極めて日本的な問題意識に立脚している。『FANTASY CLUB』の最初の2曲では、とくにそれがむき出しになっていると言えるだろう。
 このアルバムの魅力は、アルバム中盤に収められたインストゥルメンタルにもある。ベース・ミュージックを吸収した“OPEN YOUR HEART”とタイトル曲のディープ・ハウス“FANTASY CLUB”は、もうひとつのクライマックスであるということを忘れずに。アルバムの出だしが強烈なので見過ごされがちだが、地味に良い曲である。(まあ、彼らしいメランコリックな曲調でもある)

“ポスト・トゥルース”が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。

新作を聴いて、驚いたので、担当の岩田さんに電話したんですよ。

TB:その話聞きました(笑)。超笑ったすね(笑)。即レスで電話してきた人なんて初めてじゃないですかね。

「どうしちゃったの?」って(笑)。まさかの展開に驚きましたよ。

TB:はははは!

音楽において自分の感情を露わにすることは無粋だという立場だったじゃない? 音楽はあくまでもポップス、エンターテイメントに徹するべきというスタンスで作ってきたわけで。それが新作ではさ……

TB:今回は奇跡的といえるほど制作に時間をかけられたんですよ。

なんていうんだろう……疑問であったり、居心地の悪さを真摯に伝えようとしている。で、岩田さんに言われて今回の作品のコンセプトにはポスト・トゥルースがあると、『ワイアード』の記事“SHOPPINGMALL”についてのインタビューを読んで欲しいと言われて、「なるほど」とは思いましたけど。

TB:はい。

『POSITIVE』から『FANTASY CLUB』へ、この変化についてまずは訊きたいんですけど。

TB:『POSITIVE』の頃よりも、まずは好きなことをやれる比率が上がったんですね。独立したんで。

なるほど。

TB:『POSITIVE』のときは、制作期間も1~2か月で、しかも敢えてJポップを作りたくて作ったんですけど、今回はその逆というか……、聴き手の好きなものなんてわかんないのに、「こんなん好きでしょ?」と出すのをいまやるのは失礼かなと。そんな風にやるのはやっぱり無理、というか……、あのときは「ポジティヴ」という言葉があったからなんとか明るい方向でまとまったんですけど、「みんなの総意」みたいな部分でいうと、もうそんなものはなかったと。

昔から言われている「細分化」ということ?

TB:そういうこともあると思います。細分化されていったけど、メジャーにいるとJポップを期待されてしまうんですね。プロだから商業として成り立つものを作らなきゃいけないという気持ちはあります。頑張ろうという気持ちもあるんですけど……、『POSITIVE』を作って、やっぱりそんなものはわかんないとあらためて思ったんです。みんながなにを好きなのかなんてわからないと、だったら、その「わからない」と真剣に向き合ってみようと。ノリや理屈で突破するっていうんじゃなくて、とにかく「わからない」と向き合ってみようと。そうして出来たのが“SHOPPINGMALL”という曲です。アルバムは、その曲が出来て転がっていったみたいな感じなんですよ。

『POSITIVE』への反動もあると。ぼくが思ったのはね、『First Album』と『POSITIVE』はプロデューサーとして作品に接していたと、しかし今回は作家として接していると。この違いは大きいですよ。アルバムの1、2、3曲目の流れが前半のクライマックスになっているんですけど、最初の2曲が強烈ですよね。そして6曲目以降はインストが続いている。トーフビーツのビートメイカーの部分をおもてに出しているとも言えるし、7曲目なんて聴くと、あれ、トーフビーツにこんなアンビエント・タッチのメロディ・センスがあるのかとも思ったし。

TB:“OPEN YOUR HEART”や“FANTASY CLUB”は『POSITIVE』のときにはもうあったんですけど、あのとき削った曲なんです(笑)。

それはなに、プロデューサーとしての意識が強かったから?

TB:たしかに『POSITIVE』のときは完全にプロデューサー目線で考えていましたね。『First Album』のときは自分の作家性を自分で解体しようとして、しっちゃかめっちゃかになった、というのが当時は反省としてあったんです。だから、よりはっきりプロデューサーを意識したのが『POSITIVE』です。そして、インディーズ時代の気持ちに戻って作ったのが今回のアルバムとも言える。自分が好きなものを出そうと、そう思って作りましたね。

ソランジュがひとつのきっかけになった、と?

TB:ビヨンセのアルバムの超パワフルさよりも、ぼくはソランジュに感動しました。ソランジュは、新しいことをやろうとしているし、向き合っているものが共同体というよりも自分……というか、範囲が狭いものだと思ったんですよ。この感覚は、ぼくが宇多田ヒカルさんの初期のほうが好きということとも共通するんですけど。『ア・シート・アット・ザ・テーブル』は4年くらいかけて作られて、ヴィデオもちゃんとしているし、丁寧なんですよね。どこかの誰かではなく、自分が見えているものごとを題材にしているからこその丁寧さだと思いますし、ソランジュを聴きながら、あらためて自分が好きなものを出すことにビビっちゃいけないと思ったんですよね。いまだからこそ言えますが、『POSITIVE』のときは、ビビっていたということが大いにあった。最大公約数的に、みんなが好きなものを作らないといけないというか。

そのプレッシャーを払いのけたと? 

TB:独立したし、ソランジュのそういう作品を聴いて、ということですね。

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だいたい、日本の音楽を見ていてこの先絶対に良くなっていくぞ、という予感がしなくなってきているんです。


tofubeats
FANTASY CLUB

ワーナー

J-POPDeep HouseBassTechno

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で、トーフビーツの新作のタイトルが『FANTASY CLUB』なんですけど……

TB:そうですね(笑)。

で、“SHOPPINGMALL”では「なにがリアル/リアルじゃないのか/そんなことだけでおもしろいか」と歌っているわけだけど、前作が“ポジティヴ”だったら今回は“ネガティヴ”と言えるでしょ?

TB:いや、それは違うっすね(笑)。今回のほうが絶対に明るい。でもこれはさっきも言った通り『POSITIVE』はネガティヴな気分も内包しているんです。やっぱりポジティヴにやらないと売れない、みたいな(笑)。

逆説的なネガティヴさね(笑)。

TB:極端な言い方ですけど、そこからスタートしている。だから“FANTASY CLUB”や“OPEN YOUR HEART”のような曲はハズしたんです。で、今回はそれらの曲を入れたいがために作ったとも言えるんです。なんとか愛着のあるものをまとめてみると、そういう部分が大いにあったんです。

“SHOPPINGMALL”みたいな曲も?

TB:“SHOPPINGMALL”はポッと出の曲みたいな感じなんで、ラッキー・パンチみたいなところもある(笑)。ずっと思っていることがバンと出たんで良かったんですけどね。今回は『POSITIVE』のときみたいに大きなゲストに声をかけるということをやらなくてもよかった。自分的には『POSITIVE』よりも腑に落ちているんです。聴き味はそんなに明るくないかもしれないですけど。

“SHOPPINGMALL”を風刺的と呼べるなら、ぞっとするような空虚な消費社会が見えるじゃない? 

TB:そんなにですかね。

メランコリックでいい曲だと思うし、いまの「これを出したいがために~」という話には納得したんだけど、トーフビーツがまさか否定からはいるとは思わないからさ、「なんでこうなっちゃたの?」という驚きはあった。いい意味でね。

TB:マジすか。でもこれは前作の“別の人間”という曲を聴いたときにも「こういう部分があるのか」って野田さんが言っていたと思うんですけど……その先にある感覚なんですけどね。

今回はその感覚をいちばん最初に持ってきているでしょ。トーフビーツがこんなにも違和感を露わにするなんて思ってもいなかったから。

TB:今回は攻撃的とも言われているんですけど。

はははは。その感想も理解できるな。

TB:他意はないんですよ。1曲目からさっき言った「わからない」ということがずっと続いているみたいな、「俺はわからないぞ」みたいな感じなんです。

1曲目の“CHANT #1”は、明らかにツイッター社会の嫌なところを題材にしているんだろうけど、“ポスト・トゥルース”というかね……ぼくは“ポスト・トゥルース”という言葉はBBCの年末特番で「今年のイギリスの流行語です」といって紹介されて知ったんですよ。トランプを例に挙げながら、なにが真実なのかということはもはや問題ではない、人はネットのなかに自分好みの真実だけを見るようになった、という説明をしていたのね。トーフビーツは自嘲気味に「インターネット世代といまだに言われるんですよね」ってよく言っているけど、インターネットの暗い部分がよりはっきり見えたというか、“ポスト・トゥルース”みたいな現象はその象徴なわけでしょう?

TB:うん、そうですね……というか“ポスト・トゥルース”が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。もうそれは「インターネットの次の時代」の話というか、ぼくたちみたいに比較的最初のほうにパソコンでインターネットに触れていた人たちが陥っている状況というよりも、あとからスマートフォンで入って来た受ける側にしかいない人たちの話ですよね。

ウェブ・メディアをやっているとわかるのは、PV数の虚しさなんだよ。まとめサイトなんか、あれをニュースだと思ったらまずいよね。あれはトランプも芸能人スキャンダルもすべてが並列されるスーパーフラッター・ワールドで、重要性ではなく人気がすべてを決めるわけだからね。

TB:そうですよね。広告とか、バズみたいなことですよね。

インターネットのおかげで距離が離れた人たちと繋がった、コミュニケーションの可能性が広がった、あるいは自分の作品を聴いてもらえる可能性が広がったという素朴な感動とはもう別物になっているんですよね。

TB:そうなんですよ。もう真逆。ぼくらがインターネットをはじめたときは、地方にいても良いものを作ったらみんなに見つけてもらえる時代が来るぞと思っていた。でも、いまはむしろ逆で、言い方は悪いですけど下世話なものに流れていくようになった。それはもう自分が思っていたインターネットと違うんですよ。別物だけど自分はインターネット世代と言われるみたいな悲しさもあるし……とはいっても自分はツイッターもインスタグラムも使っているし。そんなことは言いながらも、使っているんですよね。こういうときにそういうこと(ネット文化)を揶揄するのは自分も使っているから難しいじゃないですか。ということを曲にできたらいいなと思って作ったのが“SHOPPINGMALL”なんです。

そうなのか。自分が使っているからといって批評性を放棄することはないわけなんですけど、1曲目がドゥーワップでしょう? ドゥーワップというのは肉声の文化じゃないですか。それだって深読みできるよ。

TB:あれはめちゃくちゃ編集してあって(笑)。それがめっちゃ面白い。オートチューンというものに対する接し方面白さを見せたかったんですけどね。

インターネットにはイエス、だけどノー。オートチューンについてもイエスだけどノーという(笑)。そのイエス、だけどノーというのが重要なんじゃないかなという気がするんですよね。どっちか片方に偏ってもろくなことはない。

TB:そうなんですよ。どっちもあるんです。たとえばいまは自分の正しさを証明することが難しくなってきているじゃないですか、というのもソースがインターネットだし。インターネットがどんどん信用できなくなっていくということはそういうことで、かといってリアルに戻ることはもう無理なんですよね。

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UKガラージやシカゴ・ハウスが好きなのは、なんだかんだ言いながらあの気合い……気合いって言い方だと陳腐になるんで嫌なんですけど(笑)。でもぼくが好きな曲は気合いが入っていると思うんですよね。


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FANTASY CLUB

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J-POPDeep HouseBassTechno

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すごい時代だよね……では次の質問、『FANTASY CLUB』という言葉を選んだのはなんででしょうか?

TB:昔からこの言葉が好きなんです。ライナーでも書いたことなんですけど、最初に好きになったシカゴ・ハウスがPierre's Fantasy Clubの“Dream Girl”なんですよ。

いいね(笑)! 曲の出だしのリズムなんか、たしかにシカゴ・ハウスっぽい。ベースラインも良いし。

TB:“Dream Girl”を聴いてシカゴ・ハウスを知ったくらい。高校時代かな、知り合いの家に泊めてもらったことがあったんですけど、そこでTRAXのコンピを初めて聴いたんです。すごくいいなと思って、とくにDJピエールが。昔やった連載のタイトルに「Fantasy Club」って付けたほどです(笑)。たしかにアルバムのコンセプトに“ポスト・トゥルース”という言葉はあったんですが、“トゥルース”って言葉を使いたくなかったんです。

楽曲的には、今回のアルバムのなかではいちばんだよね、“FANTASY CLUB”が。ありていに言えば、ディープ・ハウスだよね。Jポップ的なオリエンタリズムに依拠する必要もない、すごく良い曲……で、またそのタイトルも……実はリアリズムについて歌いながらも『FANTASY CLUB』なわけで、そこにも含みがあるというか。面白いタイトルだよ。

TB:そう、イエス、だけどノー(笑)。

だから今回は、トーフビーツのシカゴ・ハウス愛を思い切り出しているんだけど、ただそれだけでもなく、聴き手に考えさせるアルバムだよね。

TB:“FANTASY”という言葉はにもそれがあるんですよね。あとは誤解を招く言い方ですが、リスナーを楽させちゃいけないというか。

なるほど。まあ……いくら音楽に政治を持ちこむことが嫌いなトーフビーツであっても、これだけ世のなかでいろんなことがあったらね。いよいよ(政治性を)出してきたかと(笑)。

TB:いやいや(笑)。……でも今回アルバムを作っていて、政治に関してはマジでうっかりしそうになりましたね。“SHOPPINGMALL”で止めておかないと、みたいな。

そうなの(笑)!

TB:本当にちょっと政治に入りかけて、でもそれは絶対に入れたらアカンと思って、まあ止めておきましたけど。

これはいつか決壊するときが来るぞ!

(一同笑)

TB:だからこれ以上治安が悪くならないで欲しい!

それか!

TB:頑張りきれなかったんですよね。気づかないでいいという言い方とかもそうなんですよね。

いいじゃないですか、ぜんぶ自分でコントロールできちゃうような、悩んでいない表現者なんか面白くないですよ。とにかく、内面ではせめぎ合いがあったんだね。

TB:あったんです。だいたい、日本の音楽を見ていてこの先絶対に良くなっていくぞ、という予感がしなくなってきているんです。

未来が見えないと?

TB:自分の回りの人たちはすごく頑張っているんです。セイホーさんとかすごいし……、セイホーさんからは「詳しく聴いてからもう一回言うけど、極端なアルバムを作ったね」みたいな話をされましたね。本当は極端である必要はないのに、そういうのは身を滅ぼす気もする、みたいな話にもなったりして(笑)。

落ちた?

TB:それはないですけど(笑)。

バランスは失ってないじゃないですか……アルバムは、1~2曲目こそ不安定さ見せるけど、3曲目“LONLEY NIGHTS”のポップスで持ち直すじゃない?

TB:あれはね……ヤング・JUJUがすごくポップに立ち回ってくれましたね。あれはマジで役割をまっとうしてくれたなと思います。

8曲目“WHAT YOU GOT”も面白いよ。日本人が一周回って外側からJポップをやる感じ、歌メロとかさ(笑)。

TB:そう言ってもらえると良いんですけど……でもなんとこう、作っている側も前向きになれないっていうか、そういう現実もあると思うし。

いまはいろんなことが同時に起こりはじめているよね? たとえば7インチ・シングルとカセットテープって、ぼくは一時のファッションで消えると思ったんだよね。しかし、海外はとくにそうなんだけど、新しいレーベルや若い世代であればあるほどカセットテープや7インチ・シングルを作っていっている。彼らはそれを目的とはしていないけど、そういうこと自体がスポティファイやYoutubeだけでいいのかということに対する批評性を持っているよね……まあ、自分もスポティファイは加入しているしさ(笑)。

TB:ぼくはアップル・ミュージックもスポティファイも両方入っていますもん(笑)。ただ、音楽をやっている人がいまの世相を映してないのはなんかおかしくないか、とはめっちゃ思っていて。10年前と同じようなものがあるのって日本だけじゃないですか。まあ世界でもあるけど……。

トーフビーツやセイホー君の世代がいるじゃないか。

TB:いるんですけど、まだ台頭していないというか。これからなのかもしれないですけど。

〈PC Music〉とか、あの辺りはどうなの?

TB:一緒にスタジオに入ったことがあるんですよ。彼らは確信犯で、インテリ、って感じの人たちで。ぼくは……ほら、シカゴ・ハウスの気持ちの入った曲が好きなんで。とりあえずドラム・マシンを鳴らして「ああー、テンション上がってきた!」みたいな。

音楽はやっぱりパッションだと?

TB:ぼくは基本そう思うんで。UKガラージやシカゴ・ハウスが好きなのは、なんだかんだ言いながらあの気合い……気合いって言い方だと陳腐になるんで嫌なんですけど(笑)。でもぼくが好きな曲は気合いが入っていると思うんですよね。

米澤慎太朗みたいなヤツとかね?

TB:シンタ君? そうです。ガリガリやのに気合いとかいうね。いいですね。

トーフビーツは若くしにデビューしたけど、いま名前が出たシンタ君とか、ほかにも京都のトヨム君とか、同じ世代が頭角を出してきているじゃないですか。

TB:シンタ君もトヨム君も同い年じゃないかな。トヨム君はずっとやっていたのを知っていたんで嬉しかったですね。

トーフビーツはデビューが早いからベテランみたいに見えるけど、実はまだ20代半ばちょっとで、若いんですね(笑)。

TB:なんだかんだで10年目くらいなんでね(笑)。だからモヤっとするのかもしれないですけど……、とはいえ、新しいものが出てきたぞって本当に思いたい、みたいなのがあって。セイホーさんはめっちゃそこを意識している。あの人がすごいのは、曲を聴いていて5秒後にどうなるのかわかんないんですよ。そういう感じはすごいと思うし、あんなふざけた感じのキャラしてますけど、ちゃんとやんないとできないんですよね。

よく聴いているってこと? 

TB:いや、「お前らこれ知らないだろ」系はいまはネットがあるんで通用しないですよ。

いや、レコード店でしかわからない情報はまだあるし。

TB:でもそれをカッコいいねと言ってくれる人はもういないから。

それはネットを過信している子たちでしょ。たとえば、〈OS XXX〉とか、レコード店に行かないと目に入らないでしょ。しかもレーベルのネーミングは面白いし。それでアシッド・ハウスとか言っているんだけど。DJプレイステーションとかさ(笑)。

TB:レイヴっぽいハウスみたいな。

そうそう、レイヴっぽい(笑)。若いんですよ。だから確実に新しい世代は出て来ているんだよね。日本でも『レトリカ』みたいなメディアも出てきているじゃない?

TB:野田さんから見ると「ようやく形になってきたぞ」みたいな(笑)。

そういうこと。スケプタとトマド君が並列されているあの感じは、ネットのフラットな世界とは違うよね。いまはネットでだいたいの情報は入手できるし部屋にいるだけでもある程度の文章は書けてしまうんだけど、『レトリカ』は直に取材して、話を聞いて書いている。彼らからはなにかを再定義しようとするパッションは感じた。インターネット世代でありながら紙メディアを作り、しかもバーコードは偽物……あのフェイクさも新しいよね。

TB:『レトリカ』の登場はぼくも久々にテンション上がったっすね。

そういうときに『FANTASY CLUB』という素晴らしいアルバムを作って、ある意味タイムリーじゃないですか。

TB:うん、自分でもけっこう区切りになりそうな気がしていますけどね。さっきも話に出たけど、FANTASYと言いながらリアリティある音楽だと思っているんで。

うん、そうそう。トーフビーツがようやく出てきたという感じ。

TB:残り少ない社会性を発揮したいな、というのもあるんで(笑)。

(一同笑)

 滞在中、朝まで飲んで歌って……の英国在住の保育士でライター・コラムニストのブレイディみかこが、『いまモリッシーを聴くということ』(ele-king books)、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)などの発刊タイミングで一時帰国、TBSラジオの〈発信型ニュース・プロジェクト〉「荻上チキ・Session-22」に5/18(木)、25(木)の2週にわたり出演、なぜモリッシーに注目したのか、なぜいまモリッシーを聴くべきかを荻上チキさん、南部広美さんと語ります。無事、ブライトンに戻れたのだろうか……

TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」
(月~金・22:00~23:55)
https://www.tbsradio.jp/ss954

※ブレイディみかこは5/18(木)、25(木)の「セッション袋とじ」コーナーに出演します。

 いつの頃からかは忘れたけれど、年間50本は邦画を観ようと決めていた。ネトウヨでもないのに日本に肩入れをしてみようと。そして、それがだんだんキツくなっていった。作品の選び方が適当すぎたのかもしれない。仕事で観ているわけではないので話題作に手が伸びやすかったせいもあるだろう。そのうち新作の数は減らして古典を足して50本にしたり、新作はその年のワースト1を決めるつもりで観るようになったりもした。「あれが面白かった」とか「これがよかった」と話してもほとんど反応はないのに「あれはヒドかった」とか「あれはない」と言うと、「じゃあ観てみよう」という人はけっこういたので、邦画というのはヒドさを確認するために観るものだという感覚は僕だけのものではなかったように思う。『NANA』だとか『ジャッジ!』だとか、よくぞここまでダメな映画がつくれるものだと感心するしかないというか、自虐史観という言葉はこれらの作品を語るために生まれてきた言葉なんじゃないかと思ってしまったほどである(ウソ)。東北で大地震が起きた時は少しはピリッとしたと思ったけれど、どうも気のせいだったようで、年間に観る邦画の数はだんだん30本ぐらいに減り始めた。『リアル~完全なる首長竜の日~』を観た時のことはいまでもよく覚えている。誰が監督かも確かめず、「なんだよ、これ、ヒドいな、黒沢清のマネをして失敗してるだけじゃないか」などと言い合いながら観ていたら最後に「監督・黒沢清」の文字が浮かんだのである。邦画を観始めたきっかけのひとつに黒沢清の『CURE』を挙げる人は少なからずいるのではないかと思うけれど、その黒沢清がこれかよ……と、その時はがっかりしたなんてもんじゃなかった。邦画を観ようと思う動機がひとつ音を立てて消えた気さえした。

 邦画でとくにヒドいと思うのは人の気持ちがぜんぜんわからないことである。例えば昨年話題になった『永い言い訳』。妻に関心がなかった主人公は友人の子どもたちの世話を見なければならなくなったことで自分本位な性格が変わることを予感させる。そして、ラストで妻が働いていた仕事場を訪れ(この行動には序盤で布石も打ってある)、そこで生前の妻のことをあれこれと話し合うのかと思いきや、そんな場面はなく、次の場面では妻の死を乗り越えて自分の仕事が次のステップに進んだことを多くの人に祝ってもらう会が開かれている。これでは自分のことしか関心がなかった時期と何も変わっていないような印象が残ってしまう。主人公が、他人にも関心を持つ人間に変化したということがテーマだったのなら、妻の話を聞くシーンはほんの数秒でも差し挟むべきだったのではないだろうか。また、『永い言い訳』でもそうだったけれど、邦画には人と人の心が通じ合う場面でギターの音がポロンと鳴る作品が多過ぎる(洋画では観ない?)。これは表現としてあまりにも怠惰で、人と人とが通じ合ったことをどうやって伝えるか、それを考えるのが監督の仕事なのではないだろうか。どんな作品を観ていてもギターがポロンと鳴ると「また省略かー」と思わず笑ってしまう。これは本当になんとかして欲しい。『進撃の巨人』のように全編が歌舞伎みたいなセリフ回しだとか、PTSDという言葉を使えばそれですべてを説明した気になっているものなど、下を見ればキリがないにしても。

 とはいえ、「作品の選び方が適当すぎた」ことは確か。リアル・タイムで見ておくべき作品はもっとあった。金をかけたエンターテインメントが総じてヒドいのはいまもそんなに変わらないかもしれないけれど、ここ何年かは邦画に大きな外れがなくなり、昨年は観た本数が多分50本どころではなかった。『葛城事件』を観て赤堀雅秋の過去作を探ったり、全部観てるつもりだった冨永昌敬に『目を閉じてギラギラ』という作品が残っていることを発見したり。タイトルのつけ方が悪いよ~と言いたいものは多いし、『るろうに剣心』と『プラチナデータ』が同じ監督だとは思えないほど出来に差があったりと、わかりにくいことは夥しいものの、昨年であれば、前半から導き出される展開が予想外の方向に転がりだす『ヒメアノ~ル』や、無意識のうちに犯人探しを始めてしまう観客の態度そのものを悲劇の構成要素として組み入れた『怒り』など演出力が高い映画は確実に増えている。キャリアの長い監督が力をつけている例もあるし、デビューまもなくでいきなりこれかというような新人もいる。理由はともかく、邦画は数年前に底を打ち、上昇に転じたことは間違いない。それにはやはり大阪芸術大学芸術学部が立て続けに輩出した監督たち(熊切和嘉、山下敦弘、石井裕也、呉美保、柴田剛ほか)が大きな役割を果たし、TV出身の監督が幅を利かせていたゼロ年代とは違う流れを定着させたことは否定できないだろう。『踊る大捜査線』や『下妻物語』も僕は充分に楽しんだけれど、大阪芸術大学出身の監督たちが描写するのはもっと現実的で地味な人間関係であり、場合によっては誰と誰が一緒に居たいかをはっきりさせるだけだったりする。彼らのほとんどが社会的弱者を描くことでキャリアをスタートさせていることも興味深い。

(邦画のことはだいたいわかってるよという方はここからどうぞ)
 で、石井裕也の新作である。これは最果タヒの詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を強引にストーリー展開させたもので、確かに詩の断片が作中のあちこちに散見される。これに関しては省略する。日雇いで働いている青年と看護師が出会い、会話を交わすようになるまで。それだけとは言わないけれど、煮詰めていけばやはり骨子はそれだけだろう。日雇いの青年には互いの健康を気遣う程度には親しい仕事仲間がいる。看護師には同僚がいるものの、それ以上の人間関係は描かれていない。いずれにしろ仕事が楽しいと感じる環境にはいないと見られるふたりが前景化されている。「渋谷は嫌いだ」という感覚がこのふたりを結びつける。「渋谷は嫌いだ」とは言うものの、だからといって池袋や秋葉原に対する言及はなく、関心があるのはやはり渋谷だけである。誰も耳を貸さない歌を歌い続けるストリート・ミュージシャンが時折、映し出されることで「渋谷は嫌いだ」と言いつつも注意を向けてもらいたいのもやはり渋谷だと言うことはくどいほど暗示される。なぜ、そこまで嫌わなくてはいけないのか。90年代末からゼロ年代初頭にかけて『ラブ&ポップ』や『凶気の桜』は若者たちと渋谷の「戦争状態」を描いてきた。そこには援交少女や右翼少年たちが渋谷という街で傷つけられながらも結局はその一部をなしているというトポス性が担保されていた。援交少女のメンタルはまるで鉄人のように扱われ、大人がそう思いたいだけとも思えなくはなかったけれど、センター街に座り込んだ女子高生たちが商店会の見回りや渋谷署の警察官に追い立てられる場面を何度も目撃してきた僕としては、ある程度のタフさは表現されてもいいのかなとは思う。追い出されても追い出されても渋谷にいるんだという意志をネズミのコンポジションに投影したというチン↑ポムの「スーパーラット」にもその感覚は持続している。それはサウンドデモなどということをやった筆者にも通底している感覚である。

「渋谷が嫌い」とは、では、どういうことだろうか。疎外感を覚えるということだろうか。そうだとすると、主人公が飲み屋で文庫本を読んでいる場面はあまり納得がいかない。普通に考えれば渋谷で誰かと混ざり合いたいからそこにいるとしか思えない。そして、同じように「渋谷が嫌いだ」という看護師と出会うのだから、このふたりにある共通点は「渋谷が嫌いだ」と言いながら渋谷にいることであり、非常にアクロバティックなプロセスを経てトポス性を回復しようとしたということになるだろう。どうしてこのような複雑な手続きを踏まなければならないのか。新宿や秋葉原にいて「渋谷は嫌いだからね」という出会いではどうしてダメだったのだろうか。このような疎外感は、しかし、この10年、邦画ではかなりな頻度で繰り返し描かれてきたメイン・モチーフでもあった。その舞台はほとんどが地方で、『ラブ&ポップ』や『凶気の桜』が舞台とした渋谷はゼロ年代もなかばになると減り始め、記憶に残るような映画のロケーションは下妻や松ヶ根、あるいはサイタマや博多へと移動していく。まほろ駅前などはかなり東京に近い例で、『海炭市叙景』に始まる函館三部作や関西を舞台とした作品に名作が多かったことは忘れがたい。執拗に炙りだされる地方の閉塞感もさることながら、そのようにして地方を舞台とする作品にはやがて都会から地方に戻った主人公が快く受け入れてもらえないという側面を強く滲ませるようになる。近いところでは『ローリング』、『ディアーディアー』、『オーバーフェンス』とその風圧はどんどんキツくなり、適当に騒いで結局は土地の人たちに受け入れられる『モヒカン、故郷に帰る』がまるで昔の映画のように感じられたほどである。そして、極め付けが約1年前に公開された『ディストラクション・ベイビーズ』だった。

 真利子哲也のデビュー作『ディストラクション・ベイビーズ』で僕が最も驚いたのは祭りの描写である。「祭り」がこの作品ではとても遠くに感じられ、なにひとつ高揚感をともわない異様な風習のようにして映し出されていた。このような描写に僕は出会ったことがなかった。見知らぬ母と自分を結びつけるものとして『麦子さんと』でも「祭り」は一定の役割を与えられていたし、『味園ユニバース』でも祝祭性の有効性は保証されていた(『共食い』は微妙)。人っ子ひとりいない荒野やシャッター商店街でも映し出せば地方の崩壊をイメージさせることは簡単だろう。しかし、共同体の具現とも言える「祭り」がそのまま共同体の紐帯を表すものにならないという表現は、地縁や血縁にもとづく個人と共同体の関係を再編成して提示し、かつてほど柔軟性のある場所としては機能しなくなっている宣告だと考えていい。3年前に議論を呼んだ『東京難民』でも、一度、地方に戻った主人公がクラスメートの誰にも助けを求めず、もう一度、東京に出てきて勝手に苦しんでるだけじゃないかと思ったりもしたけれど、もはや地縁というのは場所によっては機能しないのが常態なのかもしれない。そして、『ディストラクション・ベイビーズ』における愛媛の「祭り」を、1年を通してすべてを祝祭として機能させている「渋谷」に置き換えてみることで、『ディストラクション・ベイビーズ』の主人公たちも『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の主人公たちもどこか自然と重なって見えてくる。渋谷も一地方に過ぎないと考えれば、疎外感は等しく個人を追い立てるファクターとなり、地方でそれだけのことが起きているのであれば東京では「渋谷が嫌いだ」ぐらいで済んでいるとも。「渋谷は嫌いだ」は「愛媛は嫌いだ」であり、「下関は嫌いだ」もやはり「渋谷は嫌いだ」なのだろう。

 石井裕也はデビュー作の『むき出しにっぽん』でも『ばけもの模様』でも、さらには出世作となった『河の底からこんにちわ』でもトポス性には強くこだわっていた。前作『バンクーバーの朝日』では野球を通じてカナダで生きる日本人移民のメンタリティに焦点を当て、どの作品からも自分がいる場所で踏ん張ることに価値を見出していた。編集者を主役とした『舟を編む』でも辞書を最後まで作り上げる意志の強さに人々は持って行かれたはずである。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』で描かれていることはそのようにして自分の居場所にこだわることに疑問を抱いているかのようにも受け取れる。日雇いで働く外国人労働者は日本に残る価値を認めず、主人公たちの「渋谷は嫌いだ」という思いを裏付けるように祖国へと帰っていく。しかし、これには正反対の力も働いていて、あまり良く練られたエピソードとは思えなかったけれど、誰にも耳を傾けてもらえなかったストリート・ミュージシャンがメジャー・デビューを果たし、踏みとどまることの価値もちらつかせる。周囲の人たちの身の振り方や判断を知った主人公たちがその後どうなるかは完全に観客の感じ方に委ねられている。こういうつくりは珍しい。あるいは表面上の変化がないことを意志の強さとして表したということなのかもしれない。「渋谷は嫌いだ」という気持ちを持続させることでしかいまの渋谷はトポス性を回復できない。この世界を嫌い続けることはそんなに容易なことではないし、たいていの人は醜くなるだけでロクな結論には至らないという気がしなくもないけれど、しかし、ある種の人たちはこの世界を嫌うことでしかこの世界と関係できなくなっていることも確かなのだろうと。

予告編

Jesse Kanda - ele-king

 アルカといえばジェシー・カンダ、ジェシー・カンダといえばアルカです。その強烈な映像表現でアルカの音楽をより高い領域へと押し上げ、さらにはビョークまでをも虜にしてきた彼は、現代最高のヴィジュアル・アーティストと言っても過言ではないでしょう。そんなジェシー・カンダのインスタレーションが東京と京都にて開催されます。なんでも「クラブを寺院に見立てる」というのがコンセプトだそうで、もうそれだけで興味をかき立てられます。しかもジェシー・カンダ自身によるDJセットも披露されるとのこと。これは楽しみです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 緊急来日! そこに現れるは強烈なるイメージの寺院。 ビョーク、アルカのコラボレーターとして世界のトップを走るヴィジュアル・アーティスト ジェシー神田のサウンド&アート・インスタレーションが東京と京都で開催!!! チケット発売開始! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

世界のトップを走るヴィジュアル・アーティスト ジェシー神田のサウンド&アート・インスタレーションが東京と京都で開催されることとなった。東京は5月29日(月)にリキッドルームで、京都は6月1日(木)に京都 METROでおこなわれる。チケットは発表と同時に発売が開始された。

「クラブを寺院に見立てる」というコンセプチャルなサウンド&アート・インスタレーションは、このために制作されたヴィジュアル作品などの披露、ミュージシャン名義のdoon KandaでのDJ Set、またゲストとして日本の伝統音楽演奏者も参加、京都公演では鳳笙奏者の井原季子が出演する。

ジェシー神田、彼のその名前を知らしめたのは、デジタルのフレームに生み出したイメージ──グロテスクでありながら、エロティックであり、抗えぬ淫靡な魅力が共存した異形のクリーチャー(?)たち。ヒトなのか動物なのか、欠損と過剰さが支配する強烈なインパクト。実はひっそりとこの世と現実に存在しているようなリアリティをもって迫ってくる。ともかく、彼が作り出した視覚イメージは、ひとつポスト・インターネット/SNS時代で増殖し、広がる視覚イメージのなかでもひときわインパクトを持ち、それに触れるものたちを魅了してきた。まさにそこへと接続したものたちの“感覚”をひとつ変えてしまったといったも過言ではないだろう。さらに最近では彼は、そのイマジネーションの発露を電子音楽制作へも投下し、doon Kandaとしてサウンド・メイキングもおこない、つい先ごろ、そのシングルは名門〈hyperdub〉からのリリースがなされた。5月29日(月)にLIQUIDROOM、6月1日(木)に京都 METROでスペシャルなイベントを開催する。「クラブを寺院に見立てる」という、コンセプチャルなものとなるもようだ。現実とイメージの境界線を危うくさせる、肉体的なリアリティを持った強烈なイメージの過剰がもたらす、幻の神々たちとの邂逅となりそうだ。アート展示のみならず、doon kandaとしてのDJプレイも披露される模様で、さらにいくつかのヤバい体験もある模様だ(きてからのお楽しみ)。アルカやFKAツイッグス、さらにはビョークの楽曲も、彼のインパクト溢れるイメージによって、インターネットでさらなる拡散がされたことというのはひとつ間違いない事実だろう。海外では、NYのMoMAでのマルチメディア・アートのインスタレーションをおこなうなど、はっきりいってこの規模で彼のアート/音楽を直に感じることができるのは非常に貴重なチャンスとなるだろう。っていうか、ここにきたら、末代まで自慢ができるぞ!

■公演詳細
東京 5月29日(月) LIQUIDROOM
LIQUIDROOM presents
doon kanda DJ SET + Jesse Kanda ART SHOW

OPEN / START: 19:30
TICKET: 5月13日(土)発売開始。
前売¥3,000 ドリンク代別途 / 当日¥3,500 ドリンク代別途
[一般PG前売り]
チケットぴあ (Pコード:333-290)
ローソンチケット(Lコード:73482)
*e+ (https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002225168P0030001)

[問] LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net

京都 6月1日(木) 京都 METRO
(( ECHO KYOTO )) presents
doon kanda DJ SET + Jesse Kanda ART SHOW

OPEN 19:00 / START 19:30 / CLOSE 23:00
ゲスト出演:井原季子(鳳笙)、慧(読経)
TICKET: 5月13日(土)発売開始。
前売¥3,000 ドリンク代別途 / 当日¥3,500 ドリンク代別途
[一般PG前売り]
チケットぴあ (Pコード:333-053)
ローソンチケット(Lコード:53155)
e+ (https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002225607P0030001)

※前売りメール予約:にて、前売のご予約を受付けています。
前日までに、公演日、お名前と枚数を明記してメールして下さい。前売料金で入場頂けます。

[問] 京都 METRO : https://www.metro.ne.jp / TEL 075-752-4765

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(( ECHO KYOTO ))
世界有数の文化都市 京都、その豊かな文化土壌において、真のアーティストによる比類なき地域密着文化フェスティヴァルを開催し、日本国内、そして世界へ発信する。
ECHO / 廻向(えこう):参加アーティストと地域が作り出す卓越した表現がこだまし、広く人々に廻らし向けられる。
*本京都公演はシリーズ第1弾となる。
https://www.facebook.com/ECHOKYOTOECHO/
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■出演アーティスト

ジェシー神田 (Jesse Kanda)

1987年、神奈川県逗子市生まれ。 独学ヴィジュアル・アーティスト/ミュージシャン/ヴィーガン/漫画好き。ヴィジュアル・アーティストとしては、ビョークのミュージック・ヴィデオ「Mouth Mantra」、エレクトロニック・ミュージック界の奇才アルカやFKAツイッグスのヴィジュアル作品など、アーティストと一体となって作り出される独創的な作品は、若手ヴィジュアル・アーティストとして世界最高峰の評価を得ている。特にアルカとはデビュー以来現在までほぼすべての作品でヴィジュアル・コラボレーターとして参加、MoMA近代美術館での作品発表など、エイフェックス・ツインとクリス・カニンガムの再来と絶賛を浴びている。またdoon Kanda名義でミュージシャンとしても活動し、2017年1月にEP「Heart」をリリースしている。
www.jessekanda.com


井原季子 (Tokiko Ihara/ 鳳笙奏者) *京都公演出演。

和歌山高野山の守護である丹生都比売神社にて巫女舞の修練中、笙と出会う。豊英秋氏、東康弘氏に師事。日本の伝統文化と精神性、そして世界に根ざした普遍性を探求しながら宇宙の根源となる音の表現を目指すべく日々研鑽を重ねつつ、国内外・寺社仏閣での奉納演奏をは じめ、様々なアーティストとの合奏をおこなう。
https://www.tokikoihara.com/

Cornelius - ele-king

 振り返ってみよう。あまりにも「ローディッド」ゆえに(再発不可能なほどサンプルデリックな)フリッパーズでの『ヘッド博士の世界塔』を経て、片足をアシッド・ジャズに突っ込んでいたコーネリアスとしてのデビュー・アルバム『The First Question Award』(1994)、ヒップホップからの影響とメタル趣味の悪ふざけの(再発不可能なほどサンプルデリックな)『69/96』(1996)、過去(サンプリング)を再構築することで明日に響く『Fantasma』(1997)、クラフトワークのアコースティック・ギター・ヴァージョンとも呼べそうなミニマルの美学『Point』(2001)、その延長線上で展開されるエクスペリメンタル・ポップ集『Sensuous』(2006)──そして2017年6月28日、通算6枚目のオリジナル・アルバム『Mellow Waves』がリリースされる。『Fantasma』でも『Point』でもない、コーネリアスの新境地が待っている。タイトルは『Mellow Waves』。ファーストEPにしてアルバム1曲目の“あなたがいるなら”(作詞:坂本慎太郎)は、PV公開(監督:辻川幸一郎)。配信も開始。

 セカンドEP「いつか / どこか」(いまのうちに断言しておこう。これは“Star Fruit~”に匹敵する名曲!)は5月24日発売。2017年前半のクライマックスは6月28日に聴ける。


『Mellow Waves』
発売日:2017年06月28日
価格:¥2,800(本体)+税
規格番号:WPCL-12660
1. あなたがいるなら
2. いつか / どこか
3. 未来の人へ
4. Surfing on Mind Wave pt 2
5. 夢の中で 
6. Helix/Spiral  
7. Mellow Yellow Feel  
8. The Spell of a Vanishing Loveliness
9. The Rain Song  
10. Crépuscule


コーネリアス特設サイト
https://sp.wmg.jp/cornelius/

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