「KING」と一致するもの

Jake Bugg - ele-king

 1枚目があれほど鮮烈なデビュー作となったからには(そしてブリテンの音楽業界人、中年文化人たちから激烈に支持されたからには)、11月発売のジェイク・バグのセカンド『Shangri-La』に大いなる期待と危惧が寄せられるのは当然のことだ。

 プロデューサーにリック・ルービンを迎えたことから、ジェイクは米国を意識した“ビッグになるため”のアルバム作りをしているという推測は、『NME』をはじめとするメディアが何ヶ月も前から書いてきたことだ。
 「俺と俺のギター」の段階は終わった。これからが本番だ。みたいなことを業界の大人たちが書き煽るなかで、若き青年ジェイクのこころは不安定に揺れたりしていないのだろうか。

 というおばはんの心配を粉砕してくれた、というか大笑いさせてくれたのが、新曲“SLUMVILLE SUNRISE”のPVである。このPVは、(遂に日本公開された『ザ・ストーン・ローゼズ:メイド・オブ・ストーン』でわが祖国の音楽ファンの涙腺を決壊させている)シェイン・メドウズが監督を務め、ベニー・ヒルを髣髴とさせるレトロ調ドタバタ・コメディの映像になっている。彼の代表作『This Is England』シリーズのロル(ヴィッキー・マクルアー)が“Two Fingers”のPVでジェイクの母親役を演じていたので、そのうちシェイン・メドウズも出て来るんじゃないかとは思っていた(実際、カメオ出演までしてジェイクが乗ったボートを担いでいる)が、「来たか」という感じのコラボである。

 曲の終了後、『This Is England』シリーズのスメル(ロザムンド・ハンソン)とジェイクの掛け合いがあるのだが、ジェイクはアルバム・デビュー後こそストレート・ジーンズと黒シャツ、黒ジャケットのシャープなイメージでキメているが、実際このPVのようなヤバめのジャケットを着てChav色を漂わせていた時期もあったので、どこか初心に帰った感もある。また、吃驚したのが、ジェイクが俳優としても大変な逸材であるということで、このまま『This Is England』シリーズに出て欲しいような醒めた目つきの北部のChavっぷりを見せている。

          ******

 今夏、BBCが放映したワーキングクラスの歴史を辿るドキュメンタリーを見ていたら、英国で初めてワーキングクラスがクールになった時代として1960年代の映像がふんだんに出て来た。そのなかで、英国初のワーキングクラス出身モデルだったツイッギーが大きくフィーチャーされ、それまでは上流階級の子女に独占されていたメディア、アート、ファッションといった世界にワーキングクラスの若者たちが進出を果たし、それがスウィンギング・ロンドンに繋がった60年代は、労働者階級が史上もっとも格好よかった時代だと語られていた。

 英国の現代のメディアやアート、ファッション(&ミュージック)といった分野は、60年代以前と同じようにミドルクラスの子女に独占されている。それはジュリー・バーチルなども指摘している点だ。そう考えれば時代は後退したのかもしれないが、そのなかで「恐るべき子供たち」と呼ばれているジェイク・バグやストライプスといった若者たちが60年代を髣髴とさせる音を奏でているのは興味深い。

 が、しかし、60年代のクールなワーキング・クラスが英国に蘇ることはない。なぜなら、現代のワーキング・クラスは社会に忌み嫌われるアンダークラスに変貌を遂げているからだ。アンダークラスやChavは、英国の「クールでないもの」のすべてを象徴しているため、ジャージを着て公営住宅地をふらふらし、妊娠中の女と居間に座っている無職の青年をPVで演じて見せるアーティストなどいない。そんな低みにまでロック・ミュージシャンが降りていってはいけないのだ。なぜなら、ロックとはクールで高尚でアーティスティックで地べたの人間など反映しないものでなくてはならないからだ。

 What the fuck are you talking about?(クソふざけんな)

 という爽快な一撃をこのPVには感じた。わたしが大笑いしたのはその点である。喜ばしいことに、ジェイク・バグのセカンド・アルバムを心配する必要はまったく無さそうだ。

ジャパニーズ・ハウス・ライジング - ele-king

大衆音楽の世界において、外国人にとって日本といえば、YMOやテクノの印象が強い。しかし、この10年で、日本の90年代ハウスが再評価されているということをあなたは知っているか。在日フランス人DJがジャパニーズ・ハウスの魅力をいま語る!

 僕はもともとはヒップホップを聴いていたので、白人ゲイが好むハウスやテクノとは絶対一緒されたくなかった。若い頃は自分のアイデンティティを作る時期なので、余計にオープンマインドじゃないんですよね。
 もっともそれは少年時代の話で、もうちょっと年とったときには、ハウスやテクノは僕が持っていたイメージと全然違うことを知るようになる。とくにヒップホップとハウスのルーツが実はそれほど離れてないってことを知ったときは衝撃だったな。じょじょに興味を持って、そして自分のなかのハウスやテクノのイメージが変わっても、日本にハウス・シーンがあることをまったく知らなかった。僕にとってハウス=アメリカ(80%)とヨーロッパ(20%)だった。それ以外の場所にハウスやテクノは存在していなかったんです。

 ジャパニーズ・ハウスの存在を知ったのは、2005年~2006年、初めて日本に来たときだった。渋谷のディスクユニオンに通って、ジャパニーズ・ハウスのレコードを偶然手にした。でも……それは正確な言い方ではないね。正確に言えば、僕が初めてジャパニーズ・ハウスと出会ったのは子供の頃だったんだと思います。当時はまったく意識はしていませんでしたが、日本のビデオ・ゲームが大好きで、ゲームでよく遊んでいた僕は、自然にゲーム音楽を聴いていたんですね。それがいま思えば、ジャパニーズ・ハウスの原型だったように思う。SEGAの「Sonic 2」, 「Bare Knuckles 2」などのBGM音楽はまさにジャパニーズ・プロト・ハウスです。
 みなさん、是非「Sonic 2」の“Sky Chase Zone”という曲を聴いてみてください! ChordsがシカゴのLarry Heardを彷彿させる、気持ちいい曲なんです。そして「Bare Knuckles 2」の“The park”, “The Bar”,“The opening streets”といった曲も。ゲームのBGMなので音のクオリティはよくないんですが、言いたいことが伝わると思います。つまり、僕はその頃から、ジャパニーズ・ハウスのVibeに染められていたのです。

 ディスクユニオンに戻りましょう。僕は、ちょうどその頃、90年代NYハウスにハマっていたんです。とくにBLAZEが好きだったな。ある日ディスクユニオンで見つけた小泉今日子の「Koizumix Production Vol. 1 - N.Y. Remix Of Bambinater」という12インチ・レコードに、“BLAZE remix”と書いてあったんです。早速、試聴した。それがジャパニーズ・ハウスとの最初の出会いです。
 BLAZEだからジャパニーズ・ハウスじゃないじゃん! って思う人も当然いるだろうけど、僕にとってヴォーカルが日本語だったので、それだけでも充分面白くて、ジャパニーズ・ハウスだったんです。日本語のヴォーカルがハウスにMixされている、これだけでとても衝撃的だったんです! 格好いい! って思ったんですね。ヨーロッパでプレイしたら、絶対にクラバーやDJたちは「なにこれ? なにこれ??!!」ってなると思ったんですね。もう、聴いた瞬間、とてもわくわくしました。
 そして、このレコードの“Sexy Heaven (King Street Sound Club Mix)”という曲で、初めてジャパニーズ・ハウスのことを意識した。
 同じ頃、Masters at Workの曲を必死探していたおかげで、MONDO GROSSOのことも知った。“Souffles H (King St.Club Mix)”という曲に出会ったことも嬉しかったな。まあ、MAWのプロダクションだから日本Vibeがあんまりないんだけど、一応バンドが日本人なので(笑)。BIRDがヴォーカルをやっている“Life (Main)”というMONDO GROSSOの曲もよかった。
 こうして僕は、じょじょにジャパニーズ・ハウスのこと知っていった。しかし、実を言うと、不満も感じていたんです。これ全部アメリカ人のプロデュースだったり、アメリカのレーベルの出版だったりしていたからです。
 でも、正直、見つけたばかりの頃は、そんなことよりも「日本でも国内のシーンがあったんだ!」という驚きと興奮が強く、「アメリカとのコラボいろいろあったんですね!」という感じでした。シーンとしてのジャパニーズ・ハウスのことはまだ意識していなかったです。本格的にジャパニーズ・ハウスを意識するのは、2008年、日本に戻ったときでした。

 当時渋谷にはYELLOW POPという中古レコード店がありました。僕がよく通っていたお店のひとつです。最初はハウス・セクションしか見ていなかったのですが、たまに時間つぶしでJ-POPセクションも見ていました。そこで見つけたのがPizzicato Fiveの『Pizzicato Free Soul 2001』です。
 Pizzicato Fiveのことは当時すでに知っていたけれど、僕は渋谷系のバンドとしてしか認識してませんでした。ただし、その盤は「Remixes」という言葉をアピールしています。で、クレジットを見たら、富家哲さん、Tei Towaさんなどの名前があります。リリース日付を見たら93年。90年代ハウスの大ファンである僕にとって必須な1枚です。
 そして、A2の“Catchy (Voltage Unlimited Catchy)”でものすごい刺激をうけたんですね。鳥肌が立ったんです。曲がやばいから鳥肌が立ったのではない。「日本でも僕が大好きな90年代ディープ・ハウスを作っていたプロデューサーがいた! アメリカみたいに、当時の人気POPバンドのハウス・リミックスを作っていた! そんなシーンが存在していたんだ! だったら絶対Digしてやる!」と思ったからです。探してもいなかった宝物が見つかったという感じです。当然、その“Catchy”という曲がすごい曲だからっていうのもありました。ディープなガレージ・ハウスにPizzicato Fiveのリード・ヴォーカルの甘い声が最高の組み合わせでしたからね。

 こうして僕はジャパニーズ・ハウス・シーンから離れられなくなっていました。日本に来る前にはジャパニーズ・ハウスなんてまったく知らなかったくせに、もうそれ以来、ジャパニーズ・ハウスの80年代~90年代のプロダクションを探すに必死になっています!
 そして、僕のなかで、日本でのハウス・シーンのイメージがアバウトに出来上がっていきました。大きく分けるとふたつのグループ頭のなかにあります。
 ひとつ、100%国内プロダクション(日本人のハウス・プロデューサーが単独で曲を作ったり、国内の人気ポップ・アーティストのリミックスなど)。
 もうひとつ、海外DJが日本のポップ・アーティストをリミックスした曲(主にアメリカのNYCのハウス・プロデューサー。MAW, Kerri Chandler, Blaze, Pal Joey, Mood II Swingなどなど)。
 不思議なことに海外ポップ・アーティストをリミックスしたジャパニーズ・ハウス・プロデューサーほとんどいない(富家さんはDef Mixに入っていたから、例外です)。このふたつの大きいグループを合わせて、日本のハウス・シーンが成立していました。後者はもちろんですが、前者も音的にアメリカに影響を受けていました。91~93年の福富幸宏さん、寺田創一さんなどのプロダクションを聴くとわかりやすい。

[[SplitPage]]

 僕は日本の音楽のさまざまなジャンルが好きです。そして、どんなジャンルにおいても、アメリカからの影響を感じます。90年代のジャパニーズ・ハウスも例外ではないですね。70年代、80年代、90年代でDJ活動をはじめた日本人の多くがアメリカに滞在しています。長い旅をしたことがあります。たとえば福富さん、寺田さん、Tei Towaさんたちはその道を歩いて、日本に戻ったときに、アメリカのディープ・ハウスに影響された音を生み出している。有名な〈KING STREET〉を作ったのも日本人石岡ヒサさんです。
 ちなみに何故〈KING STREET〉という名前を選んだか、知っていますよね? 伝説のクラブ〈PARADISE GARAGE〉の住所が「KING STREET 84」だったからです。クラブ・ミュージックのはじまり、伝説のスタートポイントです。Larry Levanがレジデントだったクラブです。
 40代~50代の日本人のクラブ関係者/DJと話していて気がつくのは、Larryを神様みたいな存在として思っていることです。さて、この先は僕の個人的な仮説です。多くの日本人が70年代~90年代初頭にLarryにあこがれて、聖地巡礼に出るようにアメリカに行った。その現象がおそらく日本のクラブ・シーンに大きいな影響を与え、シーンの展開を可能にさせたのではないかと。
 90年代初頭、日本リリース限定(場合によって日本限定ではなかったが)のアメリカ人DJによるJ-POPアーティストのハウス・リミックス版がたくさんあります。しかし、それらが日本限定のリリースだったので、長いあいだ世界はそれらレコードの存在を知らなかった。そのひとつの例が、先述した「Koizumix Production Vol.1」収録のBLAZEミックスですね。


 他にも、僕が見つけた曲にはこんなものがある。山咲千里の「SENRIMIX」に入っているKERRI CHANDLERのミックスとか、露崎春女の「Feel you」のMood II Swingリミックスとか、SNK ゲーム「The King Of Fighters」のLIL LOUISによるハウス・リミックス……。リストにきりがないですね。実はいま現在、こうしたレコードは欧米でも知られるようになっているんですね。みんな必死に探していて、「SENRIMIX」や「KOIZUMIX」みたいなレコードは、海外ではかなり高値で取引されていますよ!

 これも先述しましたが、音的にはアメリカに大きく影響されています。当時のNYガレージ・ハウス・サウンドからの影響はとくに大きかったと思います。福富さんの“It’s about time”という曲を試聴しましょう。福富さんは自分のVibeも注いでいるから、結果としてはクオリティの高い新鮮な出来になっています。ただの真似ものではないんですね。
 少しマイナーな例ですが、関西のプロデューサー、TAKECHA(Takeshi Fukushima)が90年代にたくさんのディープ・ハウスな曲を作っています。そのなかに“Respect To Pal Joey”という曲がある。インスピレーションの元をはっきりさせているわけです。
 TAKECHAのレコードはとてもレアで、僕も3枚しかもっていないんだけど、曲を聴くと、たしかに Pal Joeyからの影響を感じます。しかも、しっかり自分のVIBEを仕込んでいる。TAKECHAっぽい音になっているんです。
 最後にもうひとつ例をあげましょう。東京出身のTORU.Sというプロデューサーです。90年代のTORU.SのプロダクションはNYよりのディープ・ハウス・サウンドです。TAKECHAのようにインスピレーションの元もはっきりしています。97年の「Final story the night」というEPに“Message 1 Thank You Joe”という曲があります。当然、Joe Clausselへのメッセージです。
 Toru Sの当時プロダクションを聴くと影響がはっきりわかるけれど、とくにその曲はJoe Clausselが作ったかのように聴こえます。本人Danny Tenagliaも好きなようで、そのEPの裏面には「Danny Tenaglia...Thanks thanks thanks...I wanna say this hundreds times. Oh Danny! I’m here for you」などと書いてある。ラヴレターみたいですね。TORU Sさんの場合はアメリカにも住んでいるから、また特別なパターンかもしれない。アメリカで作っているので、ほかの国内プロデューサーとはまた環境が違っているんですが。

 他に似たような例がいくつかあるけれど、全部載せられないので、今回はここまで。とにかく、ジャパニーズ・ハウス・シーンが世界ではまだまだよく知られていないのに(実は国内も含めて)、世界中で大人気だったアメリカのシーンと強くつながっていること。アーティストのコラボレーションもそうだし、プロダクションへの影響もそう。アメリカと日本の200年前からの歴史をみると、つねに不思議な関係にあることがわかる。力を使って喧嘩したこともたくさんありました。1854年、アメリカの海軍軍人ペリーは江艦隊を率いて鎖国していた日本にやって来た。その出来事は文化的に大きな影響となった。そして、第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた後、アメリカ文化の影響はさらに広がった。アメリカに対して強い抵抗があったはずなのに、ポピュラー・カルチャーに関して日本はアメリカに憧れ、影響されることを拒まず、影響を主張している。それはハウス限定の話ではない。他のジャンルでも同じ現象が確認できる。いずれにしても、アメリカと日本の文化関係は外国人の視点からみると、とても面白いのです。

 歴史の話はそこまでにしましょう。ジャパニーズ・ハウスにおけるアメリカからの影響は誰も否定できない。Vibe的に、NYCディープ・ハウス・サウンドにとても近いものがある。しかし日本Vibeも混入されている。
 え、その日本Vibe、ジャパニーズVibeというのはなんですか? と訊かれても答えづらいんですけど、たとえばChordsは日本の雰囲気を表現していると思います。バブルやポスト・バブルの日本の雰囲気が音に出ているように思います。ハウスではないのですが、Jazzやヒップホップをプロデュースしている宇山寛人さんの“Summer81”や“Oneday(Prayer For Love And Peace)”といった曲を聴きましょう。日本の伝統な心が含まれているように感じます。独特の雰囲気があります。これは外国人である僕にとって、日本の心の一部がそのトラックに練りこまれているように感じるのです。

 それこそが私にとってとても魅力的に思えたところです。そここそがジャパニーズ・ディープ・ハウス・シーンの面白いところなのです。アメリカの音を真似てはいるけれど、真似るだけではない、ちゃんと自分のVibeも練り込まれている。やっぱ違うんです。ジャパニーズ・ハウスになっているんです。
 もうひとつ面白いところを挙げます。どういう理由からか、そうした多くのプロダクションが日本の外に出なかったという事実です。ジャパニーズ・ハウスは、長いあいだ国内にとどまっていたんです。
 ヨーロッパでもアメリカの音からインスパイアされて、曲を作っている人は当然少なくないですよね。Laurent Garnier、Grant Nelson、Bob Sinclar……、イタリのUMMとか。ただしヨーロッパの場合、そのアーティストが世界中に普及していった。
 日本のプロダクションの出来がよくない? いや、全然そんなことはないです。実は、逆にレベルが高かったんです! しかし、誰も注意を払わなかっただけ、というのが僕の結論なのであります。
 さらに僕がびっくりしたのは、ジャパニーズ・ハウスに注意していなかったのは外国だけではなくて、国内のクラブ音楽が好きな人たちからも無視されていたというか、気づかれていなかったということ。みんな当時の人気アメリカDJに夢中で、自分の国でもクオリティの高いディープ・ハウスがあるということに気づいていなかったのかもしれませんね。
 本当に、本当にみなさんにもっと自分の国のハウス・シーンの素晴らしさを知って欲しい! 誇りを持って欲しい! 僕がこの原稿を書いた理由はそれだけです。


FORGOTTEN JAPANESE HOUSE TOP 10

1 Flipper’s Guitar - Big Bad Bingo (Big bad Disco)
1990 (Yukihiro Fukutomi)
激レアプロモ版に乗っている14分のマスターピース

2 Pizzicato Five - Catchy (Voltage Unlimited Catchy)
1993 (Tei Towa)
ディープやダークの最強の組み合わせ。

3 Soichi Terada & Shinichiro Yokota - Shake yours
1991
なぜか聞くと懐かしくなる、ディープな1曲

4 Manabu Nagayama & Soichi Terada - Low Tension
1991
強いベースがあるのに、非常にディープ。寺田さんの音を定義する1曲。

5 Yukihiro Fukutomi - It's about time
1994
完璧なクラブ向けジャパニーズ・ハウス。ディープなキーズで旅をさせてくれる。

6 Wono & GWM - Breezin' part 1
1996 (Satoru Wono & Takecha)
ゲームBGMっぽいとても陽気、すっごく気持ちのいいハウス曲です!

7 Kyoko Koizumi - Process (Dub’s Dub)
1991 (Dub Master X)
シカゴ・ハウスっぽいとてもBouncyな小泉さんのハウスリミックス。

8 Pizzicato Five - 東京は夜の七時 The night is still young; One year after
1994 (Yukihiro Fukutomi)
原曲とても好きだったが、この福富さんによるミックスは最高です。最後の3分間はディープな旅に出る。

9 Toshihiko Mori - I got Fun
1991
Jazzadelicの半分であった森さんによる最強のNYディープ・ハウスっぽい曲。もうちょっとランキングあげればよかったこれ……

10 Katsumi Hidano - Thank you Larry
1993
Larry Levanへの感謝の言葉ですが、音的にLarryっぽくなくてNU GROOVEに近いNYディープ・ハウス系の気持ちいい曲。

interview with Strange Reitaro - ele-king

 前回取材したときは、お酒の席だったからでしょうか、バンドのみんながいたからでしょうか、なんかともてもご機嫌なヴァイブが全開だったのですが、今回初めて言葉を交わす素顔の奇妙礼太郎は、あのときの彼、あるいはステージでの彼、あのメロウでパワフルで感情の起伏豊かな音楽からはちょっと想像できないほど、物静かなお方だった。

 奇妙礼太郎は、2012年の『桜富士山』以降、精力的な活動を続けている。作品も出している。リミックス盤『GOLDEN TIME REMIX』、曽我部恵一の〈ローズ〉からはアニメーションズの『ANIMATIONS LIVE!』、限定的なリリースとなったが奇妙礼太郎のソロ・アルバムも発表した。9月にはトラベルスイング楽団のライヴ盤『Live! 』をリリース。そして先日、トラベルスイング楽団としての新作『仁義なき恋愛』が出たばかり。

 さあさあ 寄ってらっしゃい 見てらっしゃい
 大根 人参 ロックンロール
 さてさてここに現れし ビックバンド
 シナトラ気取りの フリークスと
 ガラスのハートに わさびを塗りすぎた
 キンキーミュージシャンズ
 微熱なフォーエバーヤングス達に贈る
 ソフト問題児 アンド ハード迷子なオープンチャック
 集団ダンスミュージックなのであります
“DEBAYASHI ALL NIGHT”

 『仁義なき恋愛』は、何故、いまでも僕たちが古いソウルやブルースやロックンロールやスウィング・ジャズやなんかを好きなのかをわからせてくれる……そう、古くて新しい、時代のトレンドを度外視した、ピカピカに光っているヴィンテージ仕様のソウル・アルバムだ。
 前作から変化があるわけではないが、完成度は高い。冒頭の曲の自己紹介の喋りにおける自己嘲笑はソウルのショーのレトリックのようだが、これが実に面白い。トラベルスイング楽団は伝統と形式を受け継ぎながら、自分たちの言葉のセンス、自分たちのグルーヴでまとめることができる。引用した言葉は、どんな説明よりも彼らの音楽を代弁しているんじゃないかと思う。
 そして、2曲目のロックンロール、3曲目のオーティス・レディングばりのソウルを聴いたら、もうあなたは最後の曲の“恋がこんなにつらいとは”までいっきに聴いてしまうでショー。まるでヒット・メドレーのようだ。次から次へ、曲は夜空の流れ星のように展開する。アルバムの尺が42分というのも良い。
 トラベルスイング楽団の演奏/アレンジも『仁義なき恋愛』を名作にしている大きな理由だ。このアルバムにブラスセクションとピアノがなかったら、心の底から笑うことはできなかったかもしれない。トラベルスイング楽団の敷居の低さとクオリティの高さ、ビッグバンドならではの洒落気と歓喜は本当に魅力的だと思う。アルバムを聴いていると、そしてこうして彼らに関する原稿を書いていても、ビールを飲みたくなるのである。

BluesSoulRock'n RollSwing JazzPunk

奇妙礼太郎トラベルスイング楽団
Live!

Pヴァイン

Amazon iTunes

E王

BluesSoulRock'n RollSwing Jazz Pop

奇妙礼太郎トラベルスイング楽団
仁義なき恋愛

Pヴァイン

Amazon iTunes

一番最初に、異様な感じを受けたのは……本屋で売ってる1000円CDみたいなやつでリトル・リチャードのベストみたいなやつがたまたま家にあって。それはなんかビックリしましたね。

まず先に出たライヴ・アルバムが素晴らしいと思いました。こんなにもパンクだったのかと思ってびっくりです。「あれ、こんなだっけ?」って、後半になればなるほど、“サントワマミー”とか(笑)。なんでご自身でまだ聴いてないんですか? こんな素晴らしいものを。

奇妙:興味ないんで……。

興味ない? なんでですか?

奇妙:自分なんで(笑)。

(笑)そうですか。ライヴ盤出されたのは、なにゆえでしょうか?

奇妙:いや、僕知らないです(笑)。

(笑)勝手に出されてしまったと。僕は、いい意味で、職業意識を強く──この間も芸人意識みたいな話をしたんですけれども──やられてるのだと思っていたので、あらためてこのライヴ盤をいて、その壊れ方にビックリしました。

奇妙:……はい。

はははは。いま目の前にいる奇妙さんはこんなに落ち着かれているのに、ライヴをやっていると、自分ではコントロールできなくなってしまうことがあるんですね。

奇妙:そうですね。どうなんですかね。どんなライヴやったか全然覚えてない(笑)。

(笑)そういうのは一回も聴き直すことはないんですか?

奇妙:そうですね。ないですね、全然。最近とくにないですね。

しかもライヴ盤で出ているというのに。

奇妙:そうですね。ジャケットとかは考えましたけど、中身は(笑)。

(笑)気にならないってのもすごいね。

奇妙:そうなんですかね。

でも、もうあとはみんながご自由に楽しんでくれればいいやっていう。

奇妙:そうですね。もう1年弱ぐらい前なんで。ああ、そんなことあったな、っていう、自分としてはそういう感じですね。

なるほどね。『桜富士山』以降、ものすごく作品を出されてますよね。このライヴ盤もそうですけど、その前に『GOLDEN TIME REMIX』があって、アニメーションズのライヴ盤があって。あとは会場限定のソロ・アルバムを出したりとか、あるいはライヴももちろんたくさんこなしてますし。僕が知る限りではたとえばDJフミヤさんのアルバムに参加したりとかね、そういう客演みたいなこともあって。ものすごく多忙にされていると思うんですけれども、『桜富士山』以降のこの1年ちょっとの間、奇妙さんはどんな風に過ごされたんでしょうか?

奇妙:3月4月にソロのツアーをしてたんですけど、その間はバンドのライヴはほとんどなく。それ以外はいつも通りという感じですね。リミックスもアニメーションズもトラベル(スイング楽団)のライヴも、全部自分自身が作業することはとくになかったんで。すでに録音してるもので。だからソロのと今回のは、録音したって感じですね。仕事したなって感じの。

新しいアルバム聴かせていただいたんですけれども、前作以上に完成度が高いといいますか、トラベルスイング楽団として成熟したアルバムだという風に思ったんですけれども。情熱的で、胸のすくような良いアルバムですね。

奇妙:ありがとうございます。

出だしの「大根人参ロックンロール」という言葉で僕はやられました(笑)。

奇妙:ありがとうございます(笑)。とくに意味がない(笑)。

その言葉を思いついたとき「やった」と思ったでしょう?

奇妙:あ、この言葉自体は3年前ぐらいにプロフィールの文章書いてって言われたときの文章で、とくに意味はないっていう。

はははは! 今日は改めて奇妙さんのご自身の歴史についてお伺いしたいなと思ってまして。ご実家がうどん屋さんだったって話なんかを読んだことがあるんですけれども。生まれも育ちも東大阪で。

奇妙:はい。

どんな少年時代をお送りされたんですか?

奇妙:少年時代っていうのは10歳ぐらいまでですか?

そうですね、まあ小学校ぐらいで。

奇妙:小学校のときはあんまり外で遊ばなかったですけど。ほとんどレゴしてましたね。で、小学校4年生ぐらいのときにダウンタウンの『4時ですよーだ』っていう番組がはじまって、それを観るためにダッシュで家に帰ってましたね。それはでも、みんなそうしてましたね。

何か夢中になってたことってありますか? スポーツであるとか、趣味というか。

奇妙:ないですね。テレビ見ることですね。テレビ見て、次の日みんなでテレビの話して、それの真似してっていう、小学生あるあるですね。

(笑)なるほどね。クラスではどんな存在だったと思います?

奇妙:いや、目立つことまったく何もないですよね。なんかのうちのひとりって感じですね。

本格的に音楽と出会うのは?

奇妙:一番最初に、異様な感じを受けたのは……本屋で売ってる1000円CDみたいなやつでリトル・リチャードのベストみたいなやつがたまたま家にあって。それはなんかビックリしましたね。

どんなところに?

奇妙:テレビなんかで聴いてる感じと全然違う……なんですかね、わかんないですけど。

それって何歳のときですか?

奇妙:それはでも、もう中学生ですね。

それは偶然出会ったんですか? お父さんかお母さんの趣味じゃなくて?

奇妙:あ、でもそうですね。家にあったっていうことは。まあまあ、そういう世代のひとたちなんで。

へえー。じゃあしばらくリトル・リチャードばかりを聴いたんですか?

奇妙:いろいろありましたけど、そうですね。それとサム・クックの黄色いベスト(『The Best Of Sam Cook』)を延々聴くっていう。

サム・クックのその黄色いベスト盤もご実家にあって?

奇妙:ありましたね。

それはご実家のうどん屋さんで流されてたんですか?

奇妙:いや、違います。うどん工場なんで。お店ではなかったんで。

あ、そうなんだ。ご自身で音楽を探求しはじめたのはどんな感じでしょう?

奇妙:なんかまあ、よくある感じですね。CDのライナーノーツにルーツが書いてて、それを買って聴くみたいな。ブルースのアルバムとか聴いたり。あんまよくわかんなかったですけど。

でもリトル・リチャードとサム・クックだったら、基本的にまったく変わってないですよね。いままさに、そのことをやられてるわけですから。それは現在に至るまで、ひとりのリスナーとして、ある意味ではまったく寄り道せずにきたんでしょうか?

奇妙:そうですね。そう言われたらそんな気しますね。

[[SplitPage]]

僕はバンドマンですね。恐ろしいですね、アーティストって。ゾッとします(笑)。いや、そんなものになってないですっていう(笑)。ただバンドしてるだけなんで。

最初に自分のこづかいで買ったのって何なんですか?

奇妙:あー、何やろうなあ……。

サム・クックがあるからオーティス・レディングも近いとは思うんですけど、上田正樹さんなんかは僕たちよりもちょっと前の世代の方じゃないですか。意外とそんなに簡単に手が届くような感じでもないとは思うんですけれども。

奇妙:そうですね……自分で一番最初に買ったのは覚えてないですね……。(上田正樹と)サウス・トゥ・サウスのカセットも家にあって、それもめっちゃ聴いてましたね。それはやっぱりすごく好きですね。

じゃあリアルタイムの音楽、たとえば全米トップ10に入ってる音楽なんかに興味を持ったことはなかった?

奇妙:全米トップ10みたいなのはちょっと上のひとたちがハード・ロックとかヘヴィ・メタルとかの世代で、そのときは聴いてなかったですね。でも中学・高校のとき、同級生が浜省とかチャゲアスとか長渕とかを聴いてて、その辺はやっぱり好きですね。それもいっしょに聴いてましたね。浜省めっちゃ好きですね。

それは意外ですね(笑)。レコード屋さんに学校の放課後の帰り道に寄って、レコードを探すようなリスナーだったんですか? それとももうちょっと、ゆるい感じ?

奇妙:家にけっこうCDがあって……なんていうんですか、「ロック黄金時代」みたいな60年代とか70年代とかの。それを聴いてる感じでしたね。あとレンタルビデオ屋さんは僕が小学校ぐらいのときから流行りだして、すげー借りてた記憶はあります。CD借りてきて、カセットテープに落として、それをウォークマンで電車で聴くみたいな感じでしたね。

やっぱり昔の音楽のほうが自分は好きだっていう感覚はありました?

奇妙:そうですね。そっちを聴いてるほうが、なんか賢いしカッコいいと思ってたんですよね(笑)。

はははは。ヒップホップとか聴かなかったんですか?

奇妙:まわりのひとはレゲエとかを聴いてて。

大阪はだって、レゲエ盛んじゃないですか。ダンスホールとか。

奇妙:そうですね。そこまで行くとカッコいいんですけど、そのときに流行ってたのはUB40とか、白人のひとがやってるモテそうなやつで。なんかバカにしてましたね(笑)。そういうのを聴いてるひとを。

(笑)それはハイプだって?

奇妙:そうですね。やっぱ友だちいなかったですね。

(笑)へえー。自分のなかで、はっきりと自分の好みといいますか、自分の求めているものがクリアになったきっかけはあったんですか?

奇妙:わかりやすいものがやっぱり好きですけどね。はっきり真ん中にすごいひとがおって、とか。

ソウル・ミュージックであったりとかブルースであったりとか、昔のロックンロールであったりとか、そういったものが自分のスタイルであるという認識というかね、そういうものはとくに意識せず?

奇妙:歌があって歌うっていう。自分が何かをするときに、普通にそれがあるって感じですね。インストの何かをしようと思ったことはないですね。

なぜ60年代とか70年代の音楽に憧れるんだと思いますか?

奇妙:どうなんですかね……なんでなんですかね。

たぶん、リアルタイムで生まれている音楽にはないものが、いまの耳で聴いたときにそこにあるからだと思うんですが。

奇妙:常識とかなさそうですよね、昔のひとのほうが。

はははは。

奇妙:めちゃくちゃなひとが多そうな感じもしますし……。

自由な感じですか?

奇妙:なんかその、犯罪者ちゃうか、みたいな(笑)。

まあサム・クックとかね、ひとをブン殴ったりとかしてたりね(笑)。あんな甘いソウルを歌っていながら。

奇妙:そうですね。なんかそういうところも好きですね。まあ知らないだけかもしれないですけど、なんかダイナミックな感じはしますね。

たとえば今回のアルバムの冒頭の語りの下世話さがすごく好きなんですけど。「ハードな迷子なオープンチャック/集団ダンス・ミュージックなのであります」とかね、あるいは2曲目の“どばどばどかん”みたいな歌詞は、草食系と言われるような文化への反論のようなものとも受け取れると思うんですけど。

奇妙:いや、そんなに大層なことではないですね(笑)。なんかテキトーな感じで。

最初からヴォーカルだったんですか?

奇妙:そうですね。

楽器はギター?

奇妙:そうですね。ギター弾きながらとか。

ギターはいつ弾きはじめたんですか?

奇妙:それは高校生ぐらいのときですね。

ちなみに最初に覚えた曲は?

奇妙:最初に覚えた曲は、浜田省吾さんの“ミッドナイト・ブルートレイン”ですよね(笑)。たぶん。家に歌本があったんですよね。

あ、なんかバンドスコアみたいなやつ。

奇妙:はい。カセットと。

へえー、なるほどね。いわゆるソウル・ミュージック的な、いまのトラベルスイング楽団に通じるような楽曲で最初に歌ったものは?

奇妙:そうですねえ……。ソウル・ミュージックで言ったら、“スタンド・バイ・ミー”やと思います(笑)。たぶん、最初に歌ったのは。

その当時ってバンドだったんですか? それとも自分ひとりでやってたんですか?

奇妙:バンドですね。

じゃあ安田さんなんかもいっしょにいて?

奇妙:じゃ、ないですね。

全然違うバンド?

奇妙:はい。

バンドはいつ組んだんですか?

奇妙:一番最初はアニメーションズってバンドをしてて――。

アニメーションズが一番最初だったんですね。

奇妙:そうですね。なんか平行してやってるって感じですよね。

人前でやりはじめたっていうのは?

奇妙:人前でやりはじめたのもアニメーションズですね。

それは何年ぐらいのときですか?

奇妙:それは2001年とかですね。

まだ高校生とかですか?

奇妙:いや、全然。24ぐらいですね、たぶん。

もともとご実家を継ぐつもりでいたけど、結局うまくいかなくて継ぐことができなくなったと聞きましたけれども、それがおいくつぐらいのときですか?

奇妙:それが27、8ですね。たぶん。

ほう。ご自身の将来についてはその当時どういう風に考えてましたか?

奇妙:いや、まずいなーと思ってました(笑)。

(笑)20歳ぐらいのときはどういう風に思ってたんですか? 自分は将来どういう風に生きていくだろうと。

奇妙:いや、実家で働くからブラブラしとこーと思ってましたね(笑)。

あ、そっか(笑)。実際ご実家の手伝いなんかはしてたんですか?

奇妙:してました、してました。したり、しなかったりですけど。

それでバンド活動を楽しんでた、みたいな。

奇妙:はい。ダラダラしてました。

じゃあ音楽でメシを食おうっていう意識なんかは?

奇妙:仕事なくなってからちょっとバイトしてたんですけど、それも辞めて。辞めてから、お金出るやつじゃないととりあえず出るのやめようと思って。いろいろ誘われるけど、お金出るかわからんっていうやつが、そうですね、8割ぐらいあって。それは全部断るか、「いくらです」みたいなことを自分で言うようにしてからですかね。なんとなく。

ライヴ活動はアマチュア時代からかなりたくさんやられてて。

奇妙:はい。

そのバンド自体は、ある意味では趣味というか。

奇妙:そうですね。飲みに行くついでにライヴするみたいな気持ちでやってましたね。

じゃあ、カヴァー曲をよくやられますけど、それもその頃の賜物なんですか?

奇妙:その頃は意外とやってないんですよ。

あ、オリジナル?

奇妙:そうですね。自分のバンドの曲をやったり、バンドしたりって感じですね。

でもバンドのフロントマンとしてやられてますけど、最初にバンドを組んだときから自分はフロントマンをやりたいっていう風に考えてたんですか?

奇妙:そうですね、したいっていうひとが意外といなくて。「あ、じゃあやります」って感じです。

参考にしたひとっていますか?

奇妙:そうですねえ……でもたくさんいますね。

何人か、とくに挙げるとすれば。

奇妙:見て研究するとかはないんですけど、好きなひといっぱいいますよ。

今回のアルバム最初聴いたときは、清志郎っぽいなと思ったし――。

奇妙:そうですか。……めっそうもないって感じですね。

影響を受けているところの影響元が共通しているじゃないですか。オーティス・レディングとか。ミーターズみたいなものとか。

奇妙:(小声で)そうっすね。

いやあ、普段の姿はこんなにシャイな方なんですね。

奇妙:(笑)普通です。

ステージに上がると、もう人格が変わるタイプなんですね?

奇妙:そうですね、役割が決まってるって感じですよね。バンドで人前に出るときは。ヴォーカルのひとっていう役割をやるって感じでやってますね。ただただ。

すごくロマンティックな曲であったりとか、あるいは敢えてバカをやるというか、そういうことをすごく意識してらっしゃると思うんですけれども、そのゆえんというか、なぜ敢えてバカをやるんでしょうか?

奇妙:そういうのがただ好きっていうか、まあそれだけですよね。

はははは。でもそれは、言い方を変えれば、何かのメッセージなものでしょうか。

奇妙:ああー。

バカをやるひとが少なすぎる、とか。そういうのはないですか?

奇妙:ああー。(バカをやるひとの)比率としては少ない気はしますけど……メッセージ……そうですね……じゃあメッセージで。

ははははは! さっき音楽で食うって話のときに、お金取るようにしたって言ってましたけど、なかなか音楽で食べるのって難しいじゃないですか。

奇妙:そうですね。

当然そこにはいろんな想いがあったと思うんですけど、トラベルスイング楽団になってからは迷いみたいなものはなくやってこられた感じですか?

奇妙:そうですね、そんなに迷いみたいなものはないですね。

自分が温めてきたアイデアみたいなものがあるじゃないですか。こうしてアルバムとしてものになっていうような。そういうアイデアというものに対して、ある程度確信みたいなものがあったんでしょうか? もう絶対これは間違っていないというような、根拠のない自信みたいなものがおありだったのかな、と。

奇妙:アニメーションズを最初にしたときから、自分としては同じなんですけどね。とくに何かが変わったってことはないんですけど。

でも職業音楽家みたいな意識っていうのは、やっぱりすごく強く持ってらっしゃるでしょう?

奇妙:そうですね。ありますね。

たまたま最近、山下達郎さんのアルバムを聴いていて。あのひとは自分のことを職業音楽家と意識してやってらっしゃるんですよね。いまアーティストっていうひとはいるけど、職業音楽家と自分から言えるひとはあまりいないのかなって。そこが奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の、いまの日本のシーンのなかでは不思議なポジションにいるところなのかなって気がしますけど。

奇妙:まあアーティストって思ったことないですね(笑)。

(笑)なんだと思います? 自分のことは。

奇妙:僕はバンドマンですね。恐ろしいですね、アーティストって。

はははは。じゃあ、アーティストっていうのは嫌いですか?

奇妙:いや、ゾッとします(笑)。

ははははは! なんでアーティストだとゾッとします?

奇妙:いや、そんなものになってないですっていう(笑)。ただバンドしてるだけなんで。

[[SplitPage]]

自分のなかでは、思いっきり真ん中のことをやってるっていうか。音楽の王道をやっているつもりですけどね。それが傍からみたらすごく端っこに見えるっていう(笑)、ことなんかもしれないですけどね。

なるほどね。でもその、「ただバンドしてるだけ」っていうのをたぶん、すごく出してらっしゃると思うんですけれども。そういうときに音楽的なスタイル、音的なアレンジっていうのは、さっきも話した60年代、70年代のソウルやロックンロール、あるいはスイング・ジャズみたいなものから引用してきますけれども、こういう味つけみたいなものは奇妙さんがプロデュースしてるんでしょうか?

奇妙:そうですね、結果的にみんな合わせてくれてる感じですね。

奇妙さんのなかで、理想的な音楽っていうのは何なんですかね?

奇妙:理想ですか。理想……やっぱりすごいなと思うのは、サッチモとかですね。子どもが聴いても素晴らしいと思うし、ジャズ・マニアのひとが聴いても素晴らしいじゃないですか。それが同時に完全に両立してることって、すごいし、理想っちゃ理想ですね。

なるほど、サッチモ(ルイ・アームストロング)ですか。ああいう誰もが知ってるような大きな曲を作れるというか?

奇妙:そう……ですね。

吾妻光良さんがすごくお好きでしょう?

奇妙:はい、好きですね。

それが僕のなかでは、すごく奇妙礼太郎のイメージなんですよね。

奇妙:超絶素晴らしいですよ。

ははは。吾妻光良さんのどこがすごく尊敬できます?

奇妙:(笑)もう全部ですね。

(笑)たとえばあのひとの態度っていうか、音楽に臨むアティチュードっていうのも、ある意味では日本のシーンのなかでは浮いてるっていうかね。いわゆるJポップっとは音も違うじゃないですか。

奇妙:なんか、そういう感じで考えたことはないですね。Jポップとか、いまのシーンが、とか。まあ知らないですし、どういうひとがいてとか、誰が流行っててとか。ああ、そういうのがあるねんな、みたいな感じで。自分のなかでは、思いっきり真ん中のことをやってるっていうか。音楽の王道をやっているつもりですけどね。それが傍からみたらすごく端っこに見えるっていう(笑)、ことなんかもしれないですけどね。

(笑)

奇妙:まあ、それはわかんないですけど。自分の範囲じゃないっていうか。

吾妻さんのどんなところがとくに素晴らしい?

奇妙:吾妻さんはまず、素晴らしい音楽家で演奏家っていう。バンドマンっていうより全然音楽家やなーっていう。あと、歌詞もとんでもなく素晴らしいですし。ユーモアがあって。そういうのがこれ以上ないくらい、最高のものやなと思いますけどね(笑)。

はははは。じゃあ、上田正樹さんのすごいところっていうのは?

奇妙:僕が好きなのはサウス・トゥ・サウスの感じなんですけど。それも同じことですけど、詞の内容と、演奏と、素晴らしいですよね。

じゃあ、なぜ名前は奇妙礼太郎になったんですか?

奇妙:バンドはじめるときに、とりあえず覚えてもらいたいっていうのがあるんで、なんか変な名前にしようと思って、で、なんとなく思いついたんですよね。とくに理由とかないんですけど。

奇妙礼太郎にとって、いい歌詞っていうのはどういう歌詞なんですか?

奇妙:僕が好きなのは短い映画を観たような気持ちになれるようなものとか、ちょっと本を読んだ後みたいなとか、そういう感じですかね。イメージがどんどん浮かんでくるのが好きですね。

なるほど。そのイメージはどんなイメージ? やっぱり男と女がいる?

奇妙:いや、全然。僕ブランキー・ジェット・シティ大好きなんで。浅井健一さんすげーなと思いますね。

前も訊いたんですけど、ラヴ・ソングがすごく多いと思うんですけど。今回も『仁義なき恋愛』っていうタイトルで。なぜ自分がそこまでラヴ・ソングにこだわるのだと思いますか?

奇妙:いや、なんか10曲できたらそうなってたんですよ(笑)。

(笑)『仁義なき恋愛』は最初からタイトルとして決まってたんですか?

奇妙:いや、全然決まってないですね。ほぼほぼ曲が決まってから歌詞考えてて、なんとなくですね。

なるほどね。奇妙礼太郎のこれまでの人生において、女性っていうのはいかなる存在でした?

奇妙:えー! いやお世話になってます、とか(笑)。そうですね、女性……すごく好きですし、すごく苦手やな、とも思いますね。ちょっとよくわかんないですけれども(笑)。

(笑)前回インタヴューしたときに、なんで『桜富士山』ってタイトルにしたんですかって訊いたら、やっぱおめでたいものにしたかったとおっしゃってて。で、ちょうどいまの日本の時代の空気っていうのが決して明るいものではないし、風営法とか、暗い風があるじゃないですか。そういうなかで、時代の暗さみたいなものを音楽でもって、言うならば打ち負かそうとしてるのかなっていう風に思ってるんですけど、いかがでしょうか!

奇妙:いやいや、そんなつもりまったくないですよ(笑)。

いや、ほんとはそう思ってるでしょ(笑)。やったるぞって。

奇妙:そうなんですかね(笑)。じゃあそれで(笑)。昔からやってることは変わってないんですけどね、なんか。

これから変わるかもしれないってこともない? まあ先のことはわからないですけれども。

奇妙:そうですね、まあそれはわかんないですね。次のアルバムでは、地獄へ落ちるような――。

ははははは! ドアーズみたいになるかもしれないって?(笑)

奇妙:AC/DCみたいなジャケットにしようと思います(笑)。それええな。

『仁義なき恋愛』をタイトルにした理由は何ですか?

奇妙:なんとなく興味持ってもらえそうかなと思って。なんかええなと思って。とくに理由とかはないんですけど。

音楽以外で好きなことって何かあります?

奇妙:音楽以外ですか? 僕、車好きですね。

でもあんまり出てこないですよね。

奇妙:車、そうですね。出します、次のときに。

“どばどばどかん”みたいな歌詞はどうして歌ったんですか?

奇妙:いや、なんとなく録ってるときにぱっと思いついちゃうんですよね。べつにこれも意味ないですよね。よくあるっちゃよくある――

セックス・ソング?

奇妙:そうですね。みたいな。

作ってみたかったとか?

奇妙:いや、これはたまたまですね、全然。オケ聴きながら考えるっていう感じのやつですね。

一番最初に言ったことに戻っちゃうんですけどね、ライヴ盤聴いてて、このひとのなかには喜怒哀楽を歌うだけじゃなくて、アンガーみたいなものがあるのかなと思ったんですけどね。

奇妙:そうですね、いや(笑)、べつに怒ってることないですけどね。毎日快適に生活できてるんで。腹立つこととかないですけどね。

ほんとですか。

奇妙:そうですね。ないですね。すげー快適ですね(笑)。

はははははは。なるほど。ありがとうございました、ところで、1曲目の最初のナレーションのバックに笑い声が入ってるでしょう? ループで。あの笑い声ってなんで入れたんですか?

奇妙:なんかないと寂しいな、ぐらいですけどね(笑)。オープニングなんで、歌ってわけでもないけど、何かみんなの声入れとこか、ぐらいの感じですね。

みんなの声っていうのはバンドのみんなの声なんですか?

奇妙:そうですね、バンドのみんなの声です。

どうもありがとうございました。ツアーがんばって下さい。

◆奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 ワンマンライブツアー2013◆
2013 年11 月4 日(月・祝)愛知県 名古屋CLUB QUATTRO
2013 年11 月8 日(金)大阪府 大阪BIG CAT
2013 年11 月10 日(日)福岡県 Early Believers
2013 年11 月15 日(金)東京都 LIQUIDROOM ebisu
2013 年11 月16 日(土)宮城県 仙台MACANA


アナキズム・イン・ザ・UK - ele-king

 トニー・ブレア以降のリアリズムが日本で知られていないというのもある。ジェイク・バグのもっとも深い曲のひとつ“ブロークン”の「壊れてしまった僕」とは「壊れてしまった英国」=ブロークン・ブリテンのことだったのか、“トゥ・フィンガーズ”で彼が歌う彼の育った文化とはこのことだったのか……などと思う。『アナキズム・イン・ザ・UK』には、僕が知らないいまのUKのひとつの真実が描かれている。
 著者は序文でこう書いている。「九〇年代後半、「クール・ブリタニア」という言葉で希望の時代を演出しようとしたトニー・ブレアの労働党政権が、まるで臭いものに蓋をするかのようにアンダークラス層を生活保護で養い続けたため、この層は膨張し、増殖して大きな社会問題になった。この状態を「ブロークン・ブリテン」と呼び、英国は伝統的な保守党の価値観に立ち返るべきだと主張したのが現英国首相のデイヴィッド・キャメロンだ。以来、この言葉は、アンダークラス家庭での児童虐待や養育放棄、十代のシングルマザーの急増、飲酒、ドラッグ、暴力、ティーンエイジ・ギャング、ナイフ犯罪などの荒廃した下層社会の問題を総括的に表現する用語になる」(略)
 「他国の人間がどんどん侵入してきて街を占領して行く社会では、宗教観も善悪の基準も美意識も多様化し、たったひとつの本当のことという拠り所はどこにも存在しなくなる。そこでは、自らを統治するのは自らだ。そこにある自由は、ロマンティックな革命によって勝ち取った自由ではなく、済し崩し的にフレームワークが壊れた後の残骸にも似た自由」
 ……そして、「学生デモや暴動が発生し、ロンドン・オリンピックが開催され、英国王室人気が異様な盛り上がり」を見せている。しかし、と著者はシンプルに、そして力強く言う。何がどうなろうと、「庶民は生きるだけだ」

 この当たり前にして当たり前の感覚を我々はとかく忘れがちである。著者はそして、自身の立場をこのように明確に言う。「地べたの庶民として生き、庶民として生きている人びとのことを書くしかない。今後もたぶんそうである」
 たしかに『アナキズム・イン・ザ・UK』は、英国に暮らす日本人女性の描いた、さながらケン・ローチの映画のごとく、滅多にお目にかかれない優れたUKレポートとして読める。ブレア以降のリアリズム……アンダークラスとチャヴ、年老いたパンクスとアナキスト、人種差別、フディーズ、シングルマザー……今日のUKを知ることは、とくにUKの音楽を大量に聴いている身からしたら、理解を深める上でも役に立つのだが、ブレイディみかこさんの文章が多くの人に愛されている理由は、「地べたの庶民として生きる」と言うところにあると思っている。地べたからモノを考える。日々あくせくと働きながら音楽を聴いている。そこで思考する。彼女の文章を読んでいるとセックス・ピストルズの“ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン”がいまでも通用しているという、これまた当たり前のことに気づかされる。きっとあなたは思わずストーン・ローゼズのレコードをひっぱり出して、オアシスのセカンドを探してしまうでしょう。

 本書『アナキズム・イン・ザ・UK』は、その大半は、書き下ろし+彼女のブログで発表された文章で構成されている。絶版本『花の命はノー・フューチャー』からの再録もあります。多くはないけれどele-king(紙エレキング含む)で発表した何編かの文章もあります。前半はトニー・ブレア以降の社会が見えるもの、音楽や映画に関わるもの、後半はひとりの生活者としての彼女が出ている文章を中心に選んでいます。
 書き下ろしのなかには、UKではもっとも人気のある女性パンク・ライターのジュリー・バーチル、日本未公開のシェーン・メドウズ監督『ディス・イズ・イングランド』の続編、アリ・アップやエイミー・ワインハウス、トニー・ブレアやデイヴィッド・キャメロンに関する文章がある。何故、UKのロック文化が弱体化したのかも理解できる。そして、(UKに何度も行っている人、住んだことのある人なら知っていることだが)リアルな人種差別についても描かれている。
 だが、本当に重要なのはそこではない。いかにこのピンチのなかで笑って生きらるか。どうか読んで欲しい。願わくば、飛ばし飛ばしに読まずに、最初のページから順番に読んで欲しい。文章を読んでいて勇気づけられる、なんてことは滅多にないのだが、ブレイディみかこの文章にはそれがある。“ノー・フューチャー”が絶望ではなく、希望の言葉であることをあらためて知る。
 10月31日発売です。とくに以下のキーワードで引っかかるモノがある人、よろしくお願いします──ストーン・ローゼズ、ザ・スミス、オアシス、エイミー・ワインハウス、アリ・アップ、マルコム・マクラレン、ジェイク・バグ、ジュリー・バーチル、アレックス・ファーガソン、デイヴィッド・ベッカム、シェーン・メドウズ、トニー・ブレア、デイヴィッド・キャメロン、ロンドン暴動、フディーズとパンクス、そしてなんと言ってもセックス・ピストルズ。

海外に住む日本の女たちは、多かれ少なかれパンクなのだ。
日本女性であることも大事にし、リアルな人生に突き動かされ、つらぬかれた!
――菊地凛子


■アナキズム・イン・ザ・UK
――壊れた英国とパンク保育士奮闘記

ブレイディみかこ 著 
判型:四六判/並製/320ページ
価格:税抜1800円 
発売日:2013.10.31
ISBN:978-4-907276-06-5

■目次

Side A:アナキズム・イン・ザ・UK

出戻り女房とクール・ブリタニア
フディーズ&ピストルズ随想
勤労しない理由――オールドパンクとニューパンク
勤労しない理由――オールドパンクとニューパンク
HAPPY?――パンクの老い先
ダブルデッカー・バギーズ
フェミニズムの勝利? ふん。ヒラリーは究極のWAGだ
ザ・ワースト・マザー・イン・ザ・UK
孤高のライオット・ガール
エキゾチック・ジャパン
Atrocityについて。しかも、まじで
雪と学生闘争。そしてジョニー・マー
モリッシーのひねり。それは学生デモ隊に何よりも必要で
ポリティクスと定規の目盛り
暴動理論
暴動の後で小出しにしてみる「愛着理論」
リトル・アンセムズ1――Never Mind The Fu**ers
リトル・アンセムズ2――怒りを込めて振り返るな。2011年版
リトル・アンセムズ3――石で出来ている
愛は負ける
ミッドランドの旧約聖書――『Dead Man’s Shoes』
ミッフィーの×と『初戀』
モリッシーのロンドン五輪批判発言の「痛み」
イミグランツ・イン・ザ・UK
アナキーな、あまりにアナキーな(現実)
仮想レイシズム。現実レイシズム
ウッドビーズとルーザーズ――『This Is England』
ファッキン大人になること――『This Is England』
ヘイトフルグ
死ね。という言葉
墓に唾をかけるな
ストリートが汚れっちまった悲しみに
ファーギー&ベッカムの時代
ロイヤル・ベビーとハックニー・ベビー
WBS(悪くて、バカで、センチメンタル)
ジェイク・バグ

Side B:Life Is A Piece Of Shit――人生は一片のクソ

花の命はノー・フューチャー
フレンチ・ブランデー
Life Is A Piece Of Shit――人生は一片のクソ
子供。という名の不都合
人が死ぬ
愛の減少感。預金残高も減少しているが
諦念のメアリー
白髪の檸檬たち――底辺託児所とモンテッソーリ
極道児とエンジェル児――猿になれ
ネアンデルタール人の子供たち
Life is a piece of shit after all――人生はやっぱり一片のクソ
ムンクとモンク
命短し恋せよおっさん
極道のトレジャー・ボックス
BROKEN BRITAIN――その先にあるもの
背中で泣いてるアウトサイダー
ガキどもに告ぐ。こいのぼりを破壊せよ
I'll Miss You
アナキスト・イン・ザ・UK
日本人の粛々
人心のメルトダウン
ファック・オフと言えない日本
We've been a bunch of shit all this time――中指と復興と
頑張れ日本。の噴出
五輪閉会式と真夏の七面鳥
さらば、底辺託児所
リトル・アンセムズ4――ジュビリー

あとがき

■ブレイディみかこ
1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『花の命はノー・フューチャー』。人気ブログ「The Brady Blog」の著者。『ele-king』にてエッセイ「アナキズム・イン・ザ・UK」を連載中。


MAJOR FORCE 25th ANNIVERSARY - ele-king

 日本のクラブ・カルチャーの草分けのレーベルと言えば〈メジャー・フォース〉で、歴史にあるように、ECDやスチャダラパーを世に送り出すという日本のヒップホップの開拓者でもあったレーベルだが、今年はタイニー・パンクス(高木完+藤原ヒロシ)の「Last Orgy」から25周年なのだった。このパイオニアたちに敬意を表する、25周年のイヴェントが代官山AIRで開かれる。
 〈メジャー・フォース〉レーベルの第二弾では、当時ブリストルのワイルド・バンチ(後のマッシヴ・アタック)に所属していたDJ Miloがフィーチャーされているが、彼も駆けつけて、今回の「25周年」を高木完 & K.U.D.Oとともに盛り上げてくれる。なんでも「ワイルド・バンチのクラシック・セット」をお披露目するのだそうで、レアグルーヴが好きなひとも見逃せない。なにせMUROも出演するし、そしてアフターアワーズではDJノリ(日本のハウス・シーンの大先輩)がプレイする。

■Sound City feat. DJ Milo[The Wild Bunch] meets MAJOR FORCE 25th ANNIVERSARY

11月9日(土)@代官山AIR

DJ Milo [The Wild Bunch]
- Exclusive Wild Bunch Classics Set -
MAJOR FORCE DJ SET
[高木完 & K.U.D.O]
MURO
and more

AFTERHOURS
DJ NORI

 さあ、いよいよ今週末! 「何気にいいメンツでしょう」でお馴染み、〈ANTI GEEK HEROES vol.2 -CASUALS UTOPIA-〉! Seiho、LUVRAW & BTB (Pan Pacific Playa)、カタコトという、フロンティアをカオッシーに盛り上げるアーティストたちを一気にコンパクトに楽しめる宵。
 さらに、あの“Pool”(THE OTOGIBANASHI'S)で脚光を浴びたアンファン・テリブル、あらべえもDJとして参加決定! ようやく大学生となり、ライヴ活動もはじめたてという初々しい彼は、“Pool”のあとどのような成長を遂げているのだろうか……。今回はライヴではないが、その動向をうかがう上では興味深い出演だ。
 場所はTHREE。至近距離で目撃しよう!

THE OTOGIBANASHI'Sの存在を知らしめるきっかけとなった“Pool”……。そのトラックを手がけたことで知られる、若干19歳のトラックメイカー、あらべえがDJとして参加します。
また、カタコトは前回とは趣向の異なるライヴを行う他、限定グッズの販売もあるかも……!?
前売りまだありますので、ぜひぜひチェックよろしくお願いします!

■ele-king presents
"ANTI GEEK HEROES vol.2 -CASUALS UTOPIA-"

日時:10.27 (sun)
場所:下北沢 THREE
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV 2,300 yen / DOOR 2,800 yen
(+ drink fee)

LIVE: Seiho / LUVRAW & BTB / カタコト
DJ: あらべえ

*公演の前売りチケット予約は希望公演前日までevent@ele-king.netでも受け付けております。お名前・電話番号・希望枚数をお知らせください。当日、会場受付にてご精算/ご入場とさせていただきます。

INFO: THREE 03-5486-8804 https://www.toos.co.jp/3


「いまさらきけないSEAPUNK & Vaporwave」 - ele-king

 ソーシャルTV局こと2.5Dと『ele-king』が、音楽好きなベッドルーマーたちへ贈る季刊音楽情報&トーク番組、「10代からのエレキング!」が今週金曜2.5Dに登場!
 その名のとおりヤングな皆さんとともに、気になるアーティスト、気になる作品、気になるシーンについて考える番組です。DJタイムを楽しみながら、『ele-king』を片手に、さまざまなゲストやライター陣とお話しましょう。

 第一回目のテーマは、熟読ele-king! 「いまさらきけないSEAPUNK & Vaporwave」ゲストに〈maltine records〉主宰tomad氏と、Hi-Hi-Whoopeeの管理人ことハイハイさんを迎え、新刊『ele-king vol.11』の特集記事を解きほぐす座談会です。特集の焦点となる「SEAPUNK」や「Vaporwave」というキーワードをわかりやすく解説しながら、この謎多きインディ・ムーヴメントについて探っていきましょう。

 今回は、ゲストを含めた真剣Vapor世代がしゃべり場スタイルで激討論! みなさん、どうぞツイッターなどでツッコミいれてやってくださいね! 

 また、redocompass、tomad両氏によるDJタイムもお聴き逃しなく! DJを挟む前後半2部スタイルで、夏期~秋期話題盤をめぐる話題とテーマ・トークをじっくりとお楽しみください。

2.5Dはこちらから■ 


■ele-king×2.5D「10代からのエレキング!」

出演:
中村義響、 竹内正太郎、 斎藤辰也、 橋元優歩、 ちゃんもも◎、 redcompass、 tomad、 ハイハイさん(スカイプ出演)
内容:TALK&DJ
時間:OPEN 19:30 /START 20:00/END 23:00
観覧料:¥1,500
場所:2.5D(PARCO part1 6F)
配信URL:https://2-5-d.jp/livestream/

DJ
redcompass、tomad

第一部
「シーズン&トレンド」
出演:中村義響、redcompass、ハイハイさん
司会:橋元優歩
春期~夏期リリースの重要作を、スピーカー1人1枚全力レヴュー。そのなかからトピックを抽出してクロストーク!

第二部
「いまさらきけないSEAPUNK & Vaporwave」
出演:竹内正太郎、斎藤辰也、ちゃんもも◎、redcompass、tomad
司会:橋元優歩、中村義響
しゃべり場スタイルで激討論!

※放送内容は予定です


Julianna Barwick - ele-king

「エイフェックス・ツインも『ミュージック・フォー・エアポート』も好き。でも、だからといってアンビエント・ミュージックのファンというわけではないの」「わたしはヴォーカル・ミュージックが好き。ドレイクをとてもよく聴くって言ったら、みんな驚くんじゃないかしら」(参照 https://pitchfork.com/features/update/9182-julianna-barwick/

 ジュリアナ・バーウィックの音の背景には、もちろんさまざまな音楽の系譜と歴史が連なっているが、そんなことはこの「ヴォーカル・ミュージックが好き」の一言のもとにすべて溶け合わされてしまう。2006年のデビュー作から、一貫して自身の声とループ・ペダルのみで曲を生むというミニマルなスタイルを崩さない彼女は、人の声というものの持つ情報量に対して並ならぬ感度を持っているのだろう。ひょっとすると、会話などよりも、声やその波長からのほうがより正確に相手のことを理解できるのかもしれない。「ヴォーカル・ミュージック」とはおそらく彼女にとって人そのものであり、感情そのもの。その一点で、彼女のなかにジャンルの概念はほとんど意味をなしていない(とはいえ、一方でジャンルの概念の必要性を理解し、そうした自身の性質を対象化してもいるところが彼女のクールなところなのだが)。

 よって、声が好きといっても、バーウィックの音楽は声をフェティッシュに彫琢したりするものではない。声は素材ではなく、声になったときにすでに完成しているものだ、という思いがあるのではないだろうか。それは、ある感情が身体を離れるときの副産物とも言えるかもしれない。痛みにああと声を上げるとき、感動にああと声を漏らすとき、感情にはやっと出口が与えられる。もし声がなかったら、その気持ちをたえることができるだろうか。声は感情の分身であり、バーウィックはその出口が与えられた分身が飛んでゆくべき場所を指し示してやるだけ。彼女の作品において、音はそのように音楽になる。

 『サングイン』『フロライン』『ザ・マジック・プレイス』、2枚の美しいアルバムとEPのあとには、イクエ・モリとの『ジュリアナ・バーウィック&イクエ・モリ』とヘラド・ネグロとの『ビリーヴ・ユー・ミー』(オンブル名義)が続いた。前者は〈リヴェンジ〉の実験的なコラボ・プロジェクト・シリーズの一作として、後者は〈アスマティック・キティ〉からのパーソナルでカジュアルな歌ものプロジェクトとしてリリースされたが、こうした関わりのなかで、バーウィックは彼女のなかの実験音楽的な側面と歌うたいとしての側面を自然なかたちで伸ばしていった。小節線のないスタイルがバーウィックの曲のひとつの特徴だが、今作には、“ワン・ハーフ”のような歌曲としての拍子とフレーズを持ったトラックに存在感がある。“ルック・イントゥ・ユア・オウン・マインド”など、ピアノを含めた弦楽器がフィーチャーされている曲も増えた。

 とくにこのトラックにおいて増幅されたバスが果たす役割は大きい。オーヴァー・コンプ気味な音像は、大きくて黒い影のように、天をゆくコーラスに地を与え、重力を与えている。“ピリック”でもピアノとコントラバスによって重みが加えられており、バーウィックにはめずらしく、それらの旋律によって声たちに方向づけと色づけがなされている。鳥の群れを先導する鯨、といった印象。ふわふわと和音をなす声の層は、今作では翳りと重力によって、地面の影響を受けている。光ばかりだった彼女の音楽には、地面と海と風が与えられた。創世だ。
アルバム・タイトルともなっているネーペンテースとはウツボカズラのこと。古代ギリシャ人はこれを悲しみや苦痛を忘れさせる薬になると考えたという。なるほど、筆者が翳りと感じたものはこの悲しみや苦痛にあたるのだろう。しかし、この音楽を痛みを忘れるための麻薬や麻酔であるとは考えられない。いずれ癒えるべくして癒える痛みに寄り添い、暗がりから視界がひらけるところを示そうとしてくれる音だと筆者には感じられる。ここではないどこかや、あるいはあの世などに救いがあるのではない――今作に与えられた地面や海は今生の景色であり、現実のいろかたちをしており、バーウィックのささやかな創世はそのことを力強く、しかしやさしく示してくれる。“ザ・ハービンガー”のようなベタが『ネーペンテース』においてはあまりに心の琴線を揺さぶる。

 どうしよう、ポエムになってしまった。彼女については3つレヴューを書き、『ele-king vol.6』においてインタヴューも行っているので、こんな回もあることを許してください。ぜひそちらもご参照のほど。

interview with Jun Miyake - ele-king


三宅純
Lost Memory Theatre act-1

Pヴァイン

Amazon iTunes

 三宅純はインターナショナルに活動しているパリ在住の日本人作曲家である。わりと最近では、2009年の寺山修司版『中国の不思議な役人』の音楽を担当して国内外で話題になった。昨年は、ドイツの高名な舞踏家、ピナ・バウシュを描いたヴィム・ベンダースの映画『Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』にも楽曲を提供しているが、映像や彼女のパフォーマンスもさることながら、その音楽も国内外で賞賛されている(そういえば、1996年の大友克洋の『MEMORIES』にもフィーチャーされています)。
 近年欧米では、賛辞の意を込めて、現代のクルト・ワイル、新時代のギル・エヴァンス、未来のバート・バカラック……などと喩えられているが、こうした表現が正しいか否かはさておき、それが多彩な音楽(ジャズ、ボサノヴァ、エレクトロニカ、クラシック等々)がミックスされた魅力的なものであることはたしかだ。エレガントで静謐で、そしておおらかで、想像力を喚起する面白さがある。「記憶を喚起するような音楽」を主題とした新作『ロスト・メモリー・シアター-Act-1』には、とくにそうした魔法があるように感じる。一流の料理人が用意したご馳走であり、旅人の描いたオデッセイアの断片でもあり、美しいミュータント音楽でもある。 
 ゲストも豪華で、アート・リンゼイをはじめ、大御所デヴィッド・バーン、ピーター・シェラー(exアンビシャス・ラバーズ)、かつて〈4AD〉からの作品で一世を風靡したブルガリアン・ヴォイス、天才ベーシストのメルヴィン・ギブスなどなど……、それからなんとニナ・ハーゲンの名前まであるじゃないですか。

小学6年のときにチャーリー・パーカーとマイルス・デイビスを聴かされて、雷に打たれたようになりました。その和声感、リズムの躍動、即興で奏でられる旋律、すべてにスリルを覚え、自分のやりたいことはこれしかないと思いました。

『Lost Memory Theatre act-1』はとても美しい作品ですが、まず、「失われた記憶の劇場」という主題が興味深く思いました。ヴィム・ヴェンダースがライナーで言っているように、それは「心象風景」に関する音楽ということなのでしょうか? 

三宅純(MJ):ヴェンダースさんにはご自身が感じられた通りに書いて下さいとお願いしました 。僕は常々言葉で限定することで、リスナーの感性を制限するようなことはしたくないと思ってきました。コンセプトノートに書いたように、失われた記憶が流入する劇場が自分のために欲しかったのです。そして結果的に失われた記憶を喚起するような音楽を創れたら良いと思いました。

それは、郷愁という言葉にも置き換えられる感覚なのでしょうか?

MJ:むしろ単に懐古的にはしたくありませんでした。「過去はいつも新しく、未来はいつも懐かしい」という言葉が好きです。パーツを見ると層になった記憶の断片から作られているのに、全体として聴くといままで聴いたことがないものが出来上がったという風にしたかったのです。

「失われた記憶が流入する劇場があってもいい」という考えは、音楽がしうることのひとつを表していると思います。記憶を喚起する音楽、思い出すことを促すであろう音楽を今回お作りするにあたって、何を重視されましたか? 

MJ:僕個人の記憶を投影するのではなく、 失った記憶を呼び覚ますトリガーになるような音楽とはどんなものだろう? というのが大きな課題でした。言うのは簡単ですが、実現は極めて困難です。まだ語り尽くせていないと感じるのでシリーズ化するかもしれません、『act-2』の曲はすでに出揃っています。

三宅さんご自身のリスナー体験として、自らの記憶を刺激するような音楽というと何がありますか?

MJ:物心ついた時から音楽とともに生きて来たので、数限りない音楽 、そして風景や香りが、さまざまな記憶と結びついています。特定するつもりはありません。

ご自身の記憶の風景のなかで、いつか音楽の主題にしたいものがあれば教えてください。

MJ:脳裏に残る情景があったとしても、実際に音にするかどうか、そのときが来るまでわからないのです。僕にはいつか音にしたい「感情の備蓄」のようなものがありますが、風景の備蓄はそれに比べると少ないように思えます。

三宅さんとジャズとの出会い、トランペットとの出会いについて教えて下さい。日野皓正さんに憧れて、ジャズの入ったと聞いたことがありますが、ジャズのどんなところが三宅さんにとって魅力だったのでしょう?

MJ:小学6年のときにジャズ狂のお母さんを持つ友人宅で、チャーリー・パーカーとマイルス・デイビスを聴かされて、雷に打たれたようになりました。その和声感、リズムの躍動、即興で奏でられる旋律、すべてにスリルを覚え、自分のやりたいことはこれしか無いと思いました。当時はまだジャズは進化の途中でしたから、音楽の様式に惹かれたというよりも、日進月歩で進化する自由な魂に憧れたのだと思います。
 それから独学でやみくもに練習をはじめましたが、大学受験の時期に両親の反対にあって、日本でもっとも尊敬できるトランペッター日野皓正さんの門を叩き、彼に才能が無いと言われたらやめようと思ったのです。彼は僕を沼津の自宅に連れていってくれ、聴音の試験をし、奏法上の問題を指摘し、音楽家として生きる厳しさについて話をしてくれました。つまりやめろということだと思った時 、心配した母親から電話があって、日野さんはいきなり電話口で「お宅の息子さんはアメリカに行くことが決まりました」と宣言されたのです。大騒動になりました。

バークリー音楽院では学んだことで、いまでも大きな財産となっていることは何でしょう?

MJ:むしろ学校外の演奏活動で多くのことを学びました。学校では……良くも悪くも楽曲をシステマチックにアナライズすることでしょうか。

とくにアメリカではジャズの演奏家の層も厚いと思いますが、そういう競争率の高い、演奏能力の高い次元で活動することは、それなりのプレッシャーやストレスもあったと思うのですが、いかがでしょうか?

MJ:日々が他流試合の連続だったのでプレッシャーやストレスもあったと思いますが、そういう環境のなかで突出できないのなら、やる意味がないとも思っていました。

[[SplitPage]]

日本は美しく愛すべき祖国ですが、地理的には残りの世界から隔絶していますし、文化的にも閉塞しています。僕は一定の国や文化に執着せずいつも浮遊していたい、自分の創作のためのコラボレーションの起点になりうる場所に身を置きたいたいと思うのです。


三宅純
Lost Memory Theatre act-1

Pヴァイン

Amazon iTunes

アート・リンゼイとは長いお付き合いになっているかと思いますが、彼との出会いについて教えて下さい。

MJ:89年頃プロデュースした作品のミックスをNYでしているときに、当時アンビシャスラヴァーズでアートのパートナーだったピーター・シェラーが隣のスタジオで仕事をしていて、話すうちに仲良くなり。アートにも紹介され、その後交流がはじまりました。彼らが初めて僕の作品に参加したのは93年の『星ノ玉ノ緒』で、ピーターもいまだ参加ミュージシャンの常連です。

彼のどんなところがお好きで、また、彼とはどんなところで気が合うのでしょうか? 

MJ:彼のなかには天使と悪魔が同居していて、そのふたりともがインテリで、壊れやすく、ユーモアに富んで います。 音楽のセンスは合うと思いますが、よく喧嘩もするので、気が合うと言えるのかなぁ……

アート・リンゼイもある種、自由人というか、エクレクティックというか、ひとつの型に固執しないタイプのミュージシャンという点では似ていると思います。三宅さんはジャズ出身ですが、クラシック音楽の要素もありますし、ブラジル音楽の要素も、キューバっぽいリズムや東洋の旋律もあります。どのような過程をもって、現在のようなハイブリッドな音楽に辿り着いたのでしょうか?

MJ:80年代のバブル期に創造的な広告制作の現場に携わった経験が、ハイブリッドな手法やセンスを磨いてくれました。 僕らは音楽様式が飽和した時代に生きているわけで、そんな時代に自分の『ヴォイス』を探し出すには、ハイブリッドな異種交配という手法がふさわしい気がしたのです。

“The World I Know ”はブリジット・フォンテーヌみたいだと思ったのですが、いかがでしょう?

MJ:全然意識していませんでした。ストリングスのバックトラックは アニメのサントラに書いたもので、そのスコアを活かして、全く別のリピートしないメロディを乗せてみようと思って作りました。

“Ich Bin Schon”はドイツ語ですが、何を歌っているのでしょう?

MJ:そんな時、Google translationは役に立ちます。ある程度。

『Lost Memory Theatre act-1』にはいろんな言語で歌われていますね。“White Rose”はロシア語ですか? 他に英語、日本語、フランス語、ポルトガル語の歌がありますね? 他にあるのはスワヒリ語ですか? 

MJ:White Rose”はブルガリア語です。後はスワヒリ語ではなく……シラブルだけで言語ではないものがあります。

こうした試みは何を意味しているのでしょう?

MJ:試みという意識はありませんでした。僕を取り巻く、この星の日常です。

広い意味での、ワールド・ミュージックというコンセプトは意識されましたか?

MJ:いいえ、僕を取り巻く、この星の、そして自分の脳内の日常です。

ちなみに“Calluna”の旋律はどこから来ているのでしょう?

MJ:え? 頭の中からです。

三宅さんにとってブラジル音楽、とくにボサノヴァにはどのような魅力を感じていますか?

MJ:人びとの暮らしの一部として音楽が存在している国から生まれた、メロディとハーモニーとリズムの関係性が素敵な音楽です。

アメリカで活動して、帰国したものの、2005年からはパリを拠点にしていますが、日本に居続けるよりは外に出た方が活動しやすいからですか? 

MJ:日本は美しく愛すべき祖国ですが、地理的には残りの世界から隔絶していますし、文化的にも閉塞しています。僕は一定の国や文化に執着せずいつも浮遊していたい、自分の創作のためのコラボレーションの起点になりうる場所に身を置きたいたいと思うのです。

ここ10年ぐらいはアンダーグランドなミュージシャンでも海外を拠点に活動している人たちが少なくありません。そういう人たちはたいてい実験的なことをやっていて、海外のほうが、耳がオープンなオーディエンスが多くいると感じています。ミュージシャンが挑戦しやすい環境は、やはり欧米のほうがあると思いますか?

MJ:場所がどこであれ 、ヴィジョンがはっきりしていれば関係無いと思います。ただ、欧米では音楽は独立した言語のひとつとして存在していて、あえて他の言語に置き換えずとも音を聞けば通じるという側面があり、それは僕らにとって非常に楽なところです。

『Lost Memory Theatre act-1』はエレガントで、穏やかなアルバムだと思います。エレガントさ、穏やかさについては意識されていますか? 

MJ:いいえ。 お言葉は嬉しいですが、意識はしていませんでした。

穏やかではない音楽、エレガントではない音楽にもご興味はありますか? たとえばノイズとか、ダンス・ミュージックとか。

MJ:世のなかのすべてのものは表裏一体です。

たとえば“Still Life”のような曲ではエレクトロニクスも使って実験的なアプローチをしていますが、しかし、三宅さんは、敢えて前衛的な方向に、敢えて難しい方向に行かないように心がけているように思います。その理由を教えてください。

MJ:理由はわかりませんが、自分で何度も聴きたい音楽、反復に耐えうる音楽、しかもいままでに無かった音楽を作りたいと思っています。前衛(という言葉がすでに前衛的ではないですが)に含まれる独善的な成分は排除したい要素のひとつです。

ビョークのやっているような電子音楽にはご興味ありますか?

MJ:彼女のやっていることを電子音楽という言葉で括れるのかどうかわかりませんが、彼女の存在自体に興味とリスペクトがあります。

『Lost Memory Theatre act-1』に限らずですが、三宅さんがもっとも表現したい感情はなんでしょう? 

MJ:感情は脆く移ろいやすく、常に複数のレイヤーによって構成されています。音楽はそれが表現できるメディアです。

『Lost Memory Theatre act-1』のアートワークは何を暗示しているのでしょう?

MJ:自ら限定するつもりはありません。

デヴィッド・バーンは今回のアルバムでどのような役割を果たしていますか?

MJ:皆さんがそれぞれ感じられた通りで良いかと思います。

ヴィム・ヴェンダースの映画でお好きな作品を教えて下さい。その理由なども話してもらえるとありがたいです。

MJ:個人的には初期の作品群が好きですが、それを限定してしまうのは避けたいです。どんな芸術にも一度見たり聴いたりしただけでは感じ取れない要素があり、個人の体験値によって感じ方も変わって来るものだと思うからです。

パリでの生活のなかで水泳もされているそうですが、体力というものと音楽とはどのように関連づけて考えているのでしょう?

MJ:パリだけではなく、この26年間どこにいても365日毎朝泳いでいます。どんなに体調が悪くても泳ぐので、体力のためかどうかは疑問……ただ脳の疲労と体の疲労のバランスを取るには良いのかもしれませんね。屈折した心象風景を描くためには、健全な身体が必要だと思います。朝の水泳だけでなく、 放電のため深夜に1時間ほど散歩をする習慣があります。

パリの街を歩いたことは2回しかないのですが、とても美しい街並みと美味しい料理、あとクラブでのフレンドリーな感覚はいまでも忘れられません。しかし、散歩していると必ずイヌの糞を践んでしまったのですが、あれもフランス的な自由さの表れなんだと受け止めています。日本だったら、怒る人は本当に怒るじゃないかと思うのですが、いかがでしょう?

MJ:自由さの表れ……アハハまさか! フランス人が自由かどうかわかりませんが、少なくとも皆自己中心的で、「横並び」という意識の対極にあります。パリの街を良くしようと思ったら、フランス人にはブランディングだけを任せ、実務をドイツ人に、外交をスイス人に、料理をイタリア人と日本人に、衛生面をシンガポール人に任せれば良いのではないかと思う次第です。

アメリカでもっとも好きなところ、パリでもっとも好きなところ、日本でもっとも好きなところと嫌いなところをそれぞれ挙げてください。

MJ:挙げるのは簡単なのですが、やめておきます。繰り返しになりますが、感情は脆く移ろいやすく、常に複数のレイヤーによって構成されています。国や政治も同じ……アメリカはかつてのアメリカではないし、日本も違う。いまの日本はとても心配です。個人としてどのようにいまを生き、どのような意識をもって行動するかが大切ではないかと思います。

最後に、三宅さんにとって重要なインスピレーションをもらった5枚のアルバムを教えてください。

MJ:5枚に限定する事なんて「言ってはいけないこと」のひとつです。

Senking - ele-king

 2013年の〈ラスター・ノートン〉は、フランク・ブレットシュナイダー(『スーパー.トリガー』)、ピクセル(『マントル』)、アトムTM(『HD』)、そして待望の青木孝允(『RV8』)などのアルバム・リリースが相次いでおり、いわば「オールスター・リリース」ともいえる状況になっている(しかも11月には池田亮司の新作のリリースも控えている!)。その上、どの作品もある種のアップデートが極端に行われており、00年代以降の電子音響と、それ以前の音楽史が複雑に交錯することで、いわば快楽性と批評性が同時に刺激される極めて豊穣な事態になっているのだ。

 そのような状況のなか、センキングのアルバムが遂にリリースされた。前作『ポン』(2010)より実に3年ぶりである。その名も『キャプサイズ・リカバリー』。このアルバムはまるで電子音とノイズとビートによる、ひとつ(にして複数の)のイマジネーションのサウンド・トラックのようである。ミニマル、ノイズ、電子音、ビート、空間、時間、無重力、反転。過剰な情報、その音響物質的な転換。情報化社会のポスト・インダストリー・ミュージック。

  結論らしきものへと先を急ぐ前に基礎的な情報を確認しておこう。センキングとはイェンス・マッセル(1969年生まれ)のソロ・ユニットである。マッセルは1990年代より音楽活動を開始し、1998年に〈カラオケ・カーク〉から1998年にアルバム『センキング』をリリースする。2000年以降は〈ラスター・ノートン〉から『トライアル』(00)、『サイレンサー』(01)、『タップ』(03)、『リスト』(07)、『ポン』(10)とコンスタントにアルバムなどを発表していく(〈カラオケ・カーク〉からは2001年に『ピン・ソー』をリリース)。彼はラップトップなどのコンピューターを使わないことで知られている音楽家である。その結果、トラックには独特の音響/リズム(低音)の揺らぎやタイム感などが横溢しており、一度ハマると抜け出せないような中毒的な魅力があるトラック(ある種、ダブ的な?)を生み出しているのだ。そこはかとないユーモアや、イマジネーションを添えて。

 本作『キャプサイズ・リカバリー』リリース前に、センキングは2011年にEP『ツウィーク』、2012年に同じくEP『デイズド』を〈ラスター・ノートン〉からリリースしている。青の地にタイポグラフィという鮮烈なアートワークを纏ったこれからのトラック(特に『デイズド』)は、ダブ・ステップ的なビートを内側からズラすかのような独特なビート感がある。いまにして思えばインダストリーな質感も含めてアルバム・リリースの前哨戦ともいえるトラック・ワークといえよう。

 さて、コンピューターを使用しないことで知られるセンキングの音楽/音響には、ある独特のタイム・ストレッチ感覚がある。いわば伸縮する感覚とでもいうべきか。先のEPを経由した上で生まれたこの『キャプサイズ・リカバリー』においては、その伸縮感がこれまで以上に拡張させられている。ある種のダブ的な音響でもあるのだ。そのビートには時間の伸縮感覚をコントロールしたドラムン・ベースのリズムを、ロウテンポのビートに不意に挿入させていく。ダイナミックに蠢く電子音/ノイズの奔流が聴覚へのさらなるアディクト・コントロールを促していく。さらには、シンプルなメロディを奏でる夢見心地のシンセサイザー・メロディ。とくに、マリンバ的なミニマル・フレーズと粘着的なノイズ/ビートが交錯する“コーナード”と、ダブ的な処理は素晴らしくイマジナティブなアルバム・タイトル・トラック“キャプサイズ・リカバリー”は最高である。まるでダブ・ミックスされたクラフトワークが、TG的なインダストリーな音響の渦の中でスティーヴ・ライヒと正面衝突したような……。そして、このアルバムのノイズやビートの交錯には、どこかロックな快楽すら宿っており、複雑怪奇になったスーサイドとも形容したくなるのだ(また音楽的には一見正反対だが、ミカ・ヴァイニオの今年リリースの新作『キロ』の音響処理に近いものを感じた)。

 そう、複雑怪奇と言いたくなるほどに本作の音響の情報量は濃厚である。しかし、このアルバムにおいては、そのサウンドの奔流がカオスにならずに、見事にデザインされているのだ。まるで都市の雑踏が情報の洪水に転換され、それをひとつのデザインとしてコンポジションされていくかのように。まさにサウンドのカオスを「転覆を修復する」ように、 サウンドのアマルガムに適切なエディットを施すこと。つまりは音響(=情報)をデザインすること。その音楽/音響は、ひとつの(複数の)音響のシグナルのように聴覚から脳を刺激するだろう。

 いわゆる、ノイズやインダストリアル・ミュージックと本作を大きく隔てるのは、そのデザインへの数学的ともいえる繊細にしてダイナミックな感性と技術ゆえ、ではないか。これはカールステン・ニコライをはじめ〈ラスター・ノートン〉の音楽家/アーティストに共通する感覚だが、同時に、彼らは時代と共にその個性をアップデートしており、本年のリリース作品にはどれも強靭なビート感覚に支えられたダイナミックなポップネス(エレクトロ的ともいえる?)を獲得している。そう、いまや、サウンド・アートはあるポップネスを内包するに至った、とはいえないか。

「現在の電子音響/エレクトロニクス・ミュージックを聴きたい」という方には、まずは〈ラスター・ノートン〉の2013年リリース作品をお勧めしたい。なかでも、センキングの本作品は、いわゆるミニマル的な状況から一歩先に脱出したような魅惑があり、現代社会特有の複雑さを快楽的な音響とともに提示している。時代の情報と知覚のスピードが、音楽/音響の速度にトレースされている、とでもいうべきか。より多くのリスナーの耳に届いてほしい作品である。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443