「KING」と一致するもの

My Morning Jacket - ele-king

 春のはじまりは楽しいライヴを観るのがいいに決まっている。野田編集長はノルウェーからキュートな女子がやって来たのにウキウキしていたようだが、僕はと言えば、アメリカの田舎からヒゲもじゃのおっさんたちが来たことにニヤニヤしていた。会場は埋まりきっていないものの、真面目なUSインディ好き......だけでなく、何だか妙にテンションの高い大人が集まってきていた。僕の周りにいた3、40代の酒が入った男女のグループが、フジロックにスティーブ・キモックが出演する話で盛り上がっている......と、別のグループの40代が話に参加しはじめる。僕は会話に加わりはしないが、そのわかりやすさに笑みを浮かべる。ここにいる誰もが、いまからステージで、情熱的で、豪快な演奏が繰り広げられることを知っている......。

 暗転して現れたメンバーはジェケット姿で洒落た楽団風でありながら、長髪とヒゲのむさ苦しさは隠せていない。"ヴィクトリー・ダンス"の不穏なイントロからじわじわと熱を上げていく。「勝利の舞を見たいんだ/毎日の仕事の後で」、その通り! エレキがソロを歌い、バンドか狂おしくそれに答えれば、フロアからは叫び声が上がる。続く"サーキタル"の時点で、僕はもう笑いが止まらなくなっていた。巨体のドラマー、パトリックが力いっぱいドカドカとスネアを叩きまくる。日本の街を歩いていたら、獣と間違われても仕方ないだろう......。ギターのリフが繰り返され、やはり長髪でヒゲ面のジム・ジェームズがハイトーンでメランコリックなメロディを歌う......と、ドラムが加わり、視界が開ける。軽快にキーボードが加わり、フィルを繰り返すドラムは決して走らない。そしてメンバーが目配せすると、完璧なタイミングでアタックが叩きつけられる。その快感に身体を預けるだけでいい、すべてがそこでは開放されていく。僕はヒートテックのタイツを履いてきたことを後悔していた。 

 それから2時間強のあいだで起きた、細かいことを書いても仕方ないだろう。万単位の会場を端っこまで熱狂させるアメリカのジャム・バンドが、手加減することなく日本のステージで力いっぱい演奏したのだ。カントリー、ブルーズ、ハード・ロックにメタル、フォーク、ファンク、あるいはエレクトロニカや室内楽までを貪欲に取り込み、ダラダラしたジャムに持ち込むことなくそれらをエモーションの昂ぶりへと変換させていく。ジムの高い声はよく伸びて、耳から入って脳のなかに響く。抜きん出た演奏力で非常によくコントロールされているものの、音源で垣間見せる繊細さはライヴでは野性に獰猛に食い散らかされ、ラウドなギターが吼える。かと思えば、"スロウ・スロウ・チューン"、"ムーヴィン・アウェイ"といった穏やかなバラードではゆっくりとした時間が広がっていく。しかしそのスケールの大きさはどの曲も同じ。アメリカの田舎の大地が、そのまま宇宙まで繋がっているかのようだ。どこからこんなエネルギーがやってくるのかまったくわからないが、米国のジャム・バンド特有のワイルドさと大らかさが、そこではありったけ祝福されていた。オーディエンスを叫び声を上げ、あるいは思わずガッツポーズを取り、両の手を掲げてそれに応えた。
 20分近くはやっていただろう燃えたぎるサイケデリック・ジャム"ドンダンテ"の狂乱は、バンドのあちこちのライヴを何十回と聴いてきたという超コア・ファンの友人をして「これまででいちばん凄かった」と言わしめるほどの極みを見せ、そして本編ラストはキラーの"ワン・ビッグ・ホリデイ"だ。エレキギターを髪の毛を振り乱して演奏する姿はやっぱり獣にしか見えない......が、バンドはそんなことお構いなしに爆発する。僕の隣の40代は「ぎゃー!」と叫んでいる。「俺たちは大いなる休暇を生きるんだ」......その溢れんばかりの生命力を、ロック・ミュージックへと変換させることへの迷いのなさ。

 そう、マイ・モーニング・ジャケットのライヴは生きるためのエネルギーの爆発そのものだ。ライヴが終わってしまうと僕は次の日の仕事のことを忘れ、ビールを飲んでお好み焼きをたらふく食って、にやけた顔のまま帰った。(ただ、ジムの体調不良とはいえ、名古屋の公演中止はあまりにも残念だ。次はぜひ名古屋も宇宙に連れて行ってほしいと思う)

interview with Daniel Rossen - ele-king


Daniel Rossen
Silent Hour / Golden Mile

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 2012年は、ブルックリンの音楽が再び賑わいそうな気配だ。ザ・ナショナルやベイルートのメンバーと作り上げたシャロン・ヴァン・エッテンの素晴らしいアルバムが発表されたばかりだが、山ごもりして制作していると言われるダーティ・プロジェクターズのアルバムは新曲を聴く限り順調のようだし、アニマル・コレクティヴの新作も出るかもしれない。そして秋以降だという噂のグリズリー・ベアの新譜が揃えば、2009年のブルックリンの熱がぶり返すことだろう。
 そんな季節を予兆するように、グリズリー・ベアのメンバーであり、デパートメント・オブ・イーグルスのダニエル・ロッセンから5曲入りのソロEP『サイレント・アワー/ゴールデン・マイル』が届いた。ピアノやギター、管弦楽器があくまで抑制を効かせて演奏される親密な室内楽であり、フォークとジャズと現代音楽の知的な交配でもあり、そこに含まれる、端正だが何かが歪んでいる不気味さ、エレガントさのなかの狂気、甘く妖しいサイケデリア......はグリズリー・ベアの音楽の魅惑そのものだ。ビーチ・ボーイズを日陰に連れて行ったような翳りを交えた柔らかいコーラス、センシティヴなメロディ、アコースティックの弦楽器や打楽器の余韻たっぷりの響き。その隙間にひたすら埋もれていきたくなる、あまりにも快楽的で優美な一枚だ。グリズリー・ベアはエド・ドロステのバンドでありつつも優れた音楽集団であり、なかでもロッセンの貢献がどれほど大きいかこれを聴くとよくわかる。
 そして、これはロッセンが自分の内面に潜っていった記録でもある。内省的な問いかけは対話に置き換えられ、抑圧はムーディなサイケデリアとなり、最終的にそこからの開放が力強いリズムへと昇華されている。とくにラスト2曲、ダークでジャジーなピアノ・バラッド"セイント・ナッシング"から、甘美さを保ったまま荒々しくドラムとギターが躍動するエクスタティックな"ゴールデン・マイル"へ至るダイナミズムには目が覚めるようだ。自らの暗い感情や狂気が、そこでは美しい音楽に向けてぶちまけられている。ミュージシャンとしてのダニエル・ロッセンの自己救済のような過程を含みながら、このような聴き手を陶酔させる音楽が生み出されてしまうことに感嘆せずにはいられない。グリズリー・ベアの新作はとんでもないことになるだろう......が、それまではこのEPにひたすら酔っていたい。

なんだろうな、暗闇から自分を解き放つ瞬間のようなものなんだ。自分を悪循環の輪から解放させる勇気を見つけること。魔法の言葉が見つかればこの瞬間を美しい何かに変えられる気がするんだ。

素晴らしいソロEP、聴きました。まず、このEPを出すまでの経緯について聞きたいのですが、グリズリー・ベアのツアーが終わってからはどのように過ごしていましたか? ここに収録された楽曲はいつ頃できたものなのでしょう?

DR:自分のための曲とグリズリー・ベアのデモにと考えた曲をいろいろレコーディングしたんだ。そのときはあんまり深く考えていなかったけど、結構ささっとできたんだよね。歌詞を書いてからレコーディングするまで1、2日しかかからなかったんだけど、そこからどうするか決めてなくてしばらく放置してたんだ。去年の秋頃、"セイント・ナッシング"のトラックを完成させてからこの5曲がうまくまとまっていると感じたんだ。そうなればもうプロジェクトと称してEPに出してしまおうと決めた。いままでやったことがなかったし、グリズリー・ベアのアルバムができるまで時間もあったからちょうど良かったんだ 。

当初はグリズリー・ベアのニュー・アルバムのデモになる可能性もあったということですが、そうはならず、「これはダニエル・ロッセンの曲なんだ」と気づいたポイントはどこにあったのでしょう ?

DR:曲のほとんどを自分の手で作ったから、自分のものにしたかったのが大きい理由だな。何も変える必要はないと感じたし、曲のほとんどの基礎のパートをワン・テイクで録ったレコーディングの思い出もあったからね。その前の1、2 年間は独学でドラムやチェロを習ったりしたよ。自分の楽器のスキルを伸ばすのも楽しいし、今回のようにワンマンバンドとしてEPを出すのも面白いかなって思ったんだ。コラボで制作したトラックもあるけど、全部自分で演奏できたらどうなるか試したかったんだ。

クリス・テイラーのキャントに刺激を受けた部分もありますか?

DR:うーん......直接影響されたわけじゃないけど、去年の秋までのブランクが長すぎたのがいちばんのきっかけかな。クリスは仕事、エドは旅をして時間を埋めていたけど僕は何も予定がなかった。このままぼーっとしてるか、自分でプロジェクトをスタートするかって選択を迫られた結果だったんだ。もともと落ち着きがない性格だから、じっと待っているなんてできないんだ(笑)。

制作の過程で、グリズリー・ベアやデパートメント・オブ・イーグルスでのこれまでの経験ともっとも違った部分はどのようなものでしたか?

DR:まず全体の気軽さだね。完璧にしなければというプレッシャーもなかったし、とにかくやってみて、ひとりでレーベルに持っていったらそのままリリースが決まったんだ。とにかく全体的にトントン拍子で物事が進んだ。グリズリー・ベアだったら当然そんな風にはいかないね。人数や物事が多いほど責任も重くなるけど、ソロ・プロジェクトでライヴも必要なかったからとても簡単にことが進んだんだ。あれこれ考えずに自分の作品をリリースできるのもたまには気持ちがいいね。

"セイント・ナッシング"はワン・テイクで録られたそうですが、そこにこだわったのはどうしてですか?

DR:ワン・テイクで録ったのは全部じゃなくピアノとヴォーカルのパートだったんだ。いちばんフレッシュな時に録りたかったから、書き上げてすぐレコーディングした。感情をもっとも込められるチャンスなんだよね。あの歌は11月にレコーディングして、イアンとクリスに1週間とか10日間でアレンジをかけてもらい、1月にはもう発表できたんだ。2ヶ月で作曲とレコーディングを完成させてリスナーに届けられるんなんて、すごいことなんだよ。あのスピードには非常に満足させられる物があった。普通だったら何ヶ月もミックスを繰り返し、宣伝とかもいろいろしてからようやくリスナーに届くのに。そのあいだずっと待っているのはつまらないし、音楽自体にも飽きてくるんだ。今回はフレッシュなままで世間に出せたのが嬉しかった。

5曲を聴いた印象としては、とくにメロディやドラムの音色、サイケデリックなムードなど、グリズリー・ベアやデパートメント・オブ・イーグルスと共通するものを感じました。それだけバンドでのあなたの存在が大きいのだと改めて気づきましたが、これまでバンドでの自分での役割があるとすれば、それはどのようなものだと認識していましたか?

DR:ほとんどの場合はいつも似たような役割だけど、ときどき誰かとポジションを交代することもある。レコーディングをもっと楽しくするために毎回少しずつコラボできるパートを増やしているんだ。その方がもっとオープンな流れになるしね。僕は作詞をもっと提供したし、エドは新しいアイデアを色々出した。ふたりで色々試行錯誤したり、他のメンバーもパートを交換してみたりして、全員がしっくりくるまで新しい形を模索したんだ。
 グリズリー・ベアのメンバーとしているときは、そのとき必要なパートがあればそれを引き受ける。たまにリズム担当を任されてアレンジや歌い方を気にしなくてもいいのも楽だね。その方がバラエティも広がるし、自分だったら考えもしないような演奏法をエドに提案されたり、仲間や自分自身の新たな面に気付かされるんだ。それがバンドでいることの醍醐味かな。

いっぽうで、バンドのときよりも楽曲ごとに中心となる楽器の使い分けがはっきりしているように思いました。数多くの楽器をこなすあなたらしさが出ているように感じましたが、それぞれの曲で楽器の選択はどのようにしているのでしょうか?

DR:そこらへんにある楽器をとりあえず使ってみたのさ(笑)。ひとりでレコーディングしたときは、ドラムとベースとチェロとピアノだけ使ったよ。あまり深く考えずに自然に感じるものを選んだんだ。一人で作業をしていると、誰にもいちいち説明しなくていいから、とにかくやってみるんだ。アレンジのほとんどは直感でひらめきながら模索してやってみた。
 クリス(・ノルト)とのアレンジは、とりあえずよさそうな雰囲気を出せる素材を探し当てるすごく楽しい、新しい作業だった。「ここは低い金管楽器みたいな音がほしい」とか、なんとなく感覚で提案したら本当にその演奏者が揃って実現したんだ。ずっとひとりで閉じこもって作業してた僕にとっては嬉しいことだったね。

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作りたい音楽は大衆音楽から離れた場所にあると思うよ。ポップスではないんだ。自分が送りたい生活をこのまま送れたらそれでいいんだ。お金がたくさん欲しいわけじゃないし、メジャーでビッグになりたいとも思わない。


Daniel Rossen
Silent Hour / Golden Mile

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歌詞についていくつか訊かせてください。自分の内面と向き合うような内容が目立ちますが、これはあなた自身のごく個人的な感情や感覚をモチーフにしたものなのでしょうか?

DR:歌詞のほとんどは自分のなかの不安や恐れを世界に向けた内容だ。それが文字通りの世界なのか、愛する人との関係の世界なのかは解釈の自由だけど。

「you」とのとても親密な関係性が描かれていますが、この「you」があなたにとってどのような存在なのか説明していただけますか?

DR:正直、そういう言葉は自分自身に向けている場合が多いんだよ(笑)。他人に呼びかけている場合もあるけど、ほとんどの場合自分に宛てているね。自然にそんな歌詞になったんだ。

"speak for me"、"speak to me"、そして"say the words"など対話によるコミュニケーションへの欲求がいくつかの曲で見受けられます。このことについては意識的でしたか?

DR:このEPには個人的な感情がたくさん込められてる。自分の体験を美化したような内容もあるし。
 ダイレクトに話しかけているつもりではないけど、たしかにコミュニケーションを求めている内容だね。自分自身の体験を再現していたのかもしれない。人から離れてよく引きこもりがちになるんだけど、この数年間は音楽やツアーで忙しくて、ひとりになりたいと思う時期が長く続いた。自分の人生が世の中とどうつながっているのか、これから自分はどう進むのかって大きな葛藤があったんだ。もともと内面的な性格を一新したというか、自分の優れた部分を抜き取って作品にすることができた。

最後のナンバー、"ゴールデン・マイル"はドラムのワイルドな響きが力強いナンバーですが、その最後で「言葉を放て、呪いを解け/心のなかで言葉を放て、大声で叫ぶ前に」という印象的なフレーズで締めくくられ、その「言葉」とは何か、リスナーに考えさせます。もちろん正解はないと思いますが、この「言葉」がどのようなものなのか説明することはできますか?

DR:自分が書いた歌詞を人にわかりやすく説明するのはあまり好きじゃないんだけど、ニューヨーク州の北にある自然に囲まれた田舎でEPの歌詞のほとんどを書いていた。個人的な悩みなどをいろいろ抱えていて頭がおかしくなりそうな時期だったけど、同時に圧倒されるぐらい美しい風景のなかにいたんだ。それまで抱えていた悩みや問題から解放されると同時に、この美しい世界のなかを絶えず動き続けながら、自分のなかの狂気を目の前の大自然に反映しようとしていたんだ。
 質問の答としては、歌詞を何度も繰り返したりする変わったループが好きなんだ。「Say the words, break the spell (言葉を出そう、呪文を解こう)」ってとこは......なんだろうな、暗闇から自分を解き放つ瞬間のようなものなんだ。自分を悪循環の輪から解放させる勇気を見つけること。魔法の言葉が見つかればこの瞬間を美しい何かに変えられる気がするんだ。ある意味、それがこのEPのメッセージだ。美しい世界に囲まれているのにハマってしまった居心地の悪い場所から抜け出せる言葉を見つけよう。まわりの風景に幸せを感じ、自分のダークな部分をポジティヴなものに変える方法を見つけよう、って。

この作品での体験は今後どのように生かされると思いますか?

DR:この体験を通してとっても前向きになれた。驚くほどいい結果が出たんだ。グリズリー・ベアのアルバムに取り組むためにも頭の整理ができたし、次のステップへの準備にもなった。実は1年ほど前、自分が何をしているのか分からなくなってもう音楽を辞めようかとさえ思った時期があったんだ。このEPを完成する事でずいぶん癒されたし、自信が持てた。自分は音楽を続けるべきなんだ、このままでいいんだって。グリズリー・ベアと活動を続けるための準備ができたんだ。

昨年はボン・イヴェールやフリート・フォクシーズ、セイント・ヴィンセント、ベイルートなどのアルバムが高く評価されるだけではなく、人気を集めました。現在のアメリカではより音楽的なものに注目が集まっているように見えます。あなたやグリズリー・ベアにとっては喜ばしいことではないかと思うのですが、そんなかで、グリズリー・ベアがやるべきことはどのようなことだと、あなたは考えていますか?

DR:このバンドのメンバー全員に聞いたらそれぞれ違う答えが出てくるだろうけど、僕が作りたい音楽は大衆音楽から離れた場所にあると思うよ。ポップスではないんだよね。それに近い曲を出すこともあるけど、やっぱり違うよね......世間に受けられる音楽を創ろうとするより、自分のなかの不思議な音楽の世界を探るほうがずっといい。音楽のキャリアをこのまま続けることができて、自分の音楽を聴いてくれる人達が十分にいてくれて、自分が送りたい生活をこのまま送れたらそれでいいんだ。お金がたくさん欲しいわけじゃないし、メジャーでビッグになりたいとも思わない。そういう音楽を作りたいとも思わなければ、ミュージシャンとして作らなくてもいいんだ。
 でも、メジャー・シーンで活躍している彼らはすごいと思うし、彼らの成功をすごく嬉しく思うよ。みんなとてもいいひとたちだし、音楽を大事にするミュージシャンだ。メジャー界が彼らの音楽に注目していることに希望を感じるよ。

クリス・テイラーはプロデュースも手がけるようになっていますが、あなたが今後挑戦してみたいことはありますか?

DR:いつかこのEPをライヴで演奏できたらいいね。まずはグリズリー・ベアのアルバムを収録してからかな。本当にできたら嬉しいけど、その時のフィーリングにもよるね。必ずやらなければいけないことでもないから、上手くいきそうに見えて素材が十分揃ったら、ライヴで演奏したいね。

Paul McCartney - ele-king

 野田努からある日突然メールがきた。彼からの連絡はいつも思いがけないタイミングで、思いがけない内容でやってくるものなのだ。しかも執筆を生業としてるのにメールはいつも素っ気なくて、最低限の文字数(そしてたいてい謎めいた)ことしか書いてない。
 で、今回やってきたのはポール・マッカートニーの新譜についてどう思うかということだった。彼はよく知ってるのだ。僕がジョン・レノンの話ばかりするくせに、実はポールを聴いてることのほうが多いってことを。
 野田氏と僕とのあいだには実は密かな取り決めがあって、それは毎年ジョン・レノンの命日の12月8日には、僕が彼の留守番電話に、その年いちばん、身近に感じるジョン・レノンの曲を残しておくというものだ。いったいどうしてそんなことをはじめたのかいまとなっては覚えていないけど、かれこれ10年ぐらい続いてるのではないだろうか。彼はほとんどの場合、そのメッセージについてコメントどころか返事もしないけど、実はちゃーんと聴いてくれていて、語らずともその 歌について思いを馳せ、そして僕同様ジョンのいる世界といない世界について考えていることはお見通しなのだ。

 とポールのことを書くのにジョンの話からはじめたのは、ポールを語るには、ジョンと比べるのが一番てっとり早いからでしかない。
 ジョン・レノンはいまや聖人とも言っていいぐらいのアイコンと化していて、彼の音楽や社会的な活動についてはもうあらためて語るまでもないのだけど、ビートルズ=ジョンというのは誤った考えだ。折よく、先日、われらが首相、野田総理大臣(野田努のことじゃなくて)がTPPへの参加を言い訳する際に、アメリカをジョン・レノンに日本をポールに例えたけれど、TPP問題参加の是非や野田総理の資質はさておき、そしてアメリカがジョン・レノンにあたるのかどう かもおいとくとして、ビートルズにおけるジョンとポールの立場と関係の理解という意味では間違っていない。
 ジョンはポール無くしてはジョン・レノンになれなかったし、ポールもジョンなくしてはポールになれなかった。ついでに言えば、ジョージとリンゴがいなくてもビートルズは成立しなかったけど。

 
 ジョンがビートルズを精神的な意味で牽引し、名曲をたくさん残していることは疑うまでもないことだけど、実際のところ、ビートルズにそれほど思い入れのない人でさえ知ってるような、誰にでも口ずさめるような曲を書いてるのはポールである。ファンなら誰でも知ってるように、ビートルズの楽曲でジョンかポールが作った曲は、デビュー契約時の取り決めで、たとえどちらかが一人で作った曲でもLennon/McCartney名義にすることになっていた(それがのちに揉める理由でもあるわけだ)。実際、初期のビートルズはふたりの共同作業で生まれた曲がほとんだが、中期以降はほぼそれぞれひとりで作曲するようになっていった。ひとりで書いた曲というのはそれぞれの個性が際立っているし、たいていの場合自分で書いた曲は自分で歌うから見分けるのもそれほど難しくない。当然、"イエスタデー"、"ヘイ・ジュード"、"レット・イット・ビー"などといったような往年のスタンダード・ナンバーはポールの手に よるものだ。ジョンも"オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ(愛こそはすべて)"とか、"ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー"、"アクロス・ザ・ユニヴァース"などのスタンダード級の曲を書いてるけど、実は興味深いことに、ポールのスタンダードが、どんなアレンジでも原曲の良さをそれほど損なわないのに対して、ジョンのカヴァー・ソングというのは原曲の良さがまったく伝わらないものがほとんどだ。
 これはひとえに、作家性によるものだと思うけど、ジョン・レノンは人格や思想や生きざまが歌に直接投影されているがゆえに、そこにジョンの声が乗らないとそれが伝わってこないのだけどポールについて言えば、作家性は強くても、生理的なエモーションは別として精神的なあるいは思想的な(そもそもポールに思想と言えるものがあるとしてだが)背景が曲に投影されていないから誰の手にかかってもそれなりに聴こえるのだと思う。そしてその分、カヴァーする側にも自由に表現しやすくなるのだ。端的に言えば、楽曲、とくにメロディーがわかりやすい。奇をてらっていないのに独創的なポール節みたいのはアルバム『ヘルプ』のあたりには、もう完全に確立している。

Paul McCartney / Kissed On The Bottom ユニバーサル

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  さてさて前置きが長くなった。問題作といわれているらしい、ポールが影響を受けたお気に入りのジャズ・スタンダードを集めた『キス・オン・ザ・ボトム (Kissed On The Bottom)』だが、結論から先に言うと、ポールの作品を追い続けてきた一ファンを標ぼうしてやまない僕がまず思ったのは「こりゃひどい!」だった。
  天才ポール・マッカートニーといえど駄作はある。というか、良かったのは『フラワーズ・イン・ザ・ダート』までで、90年代に入ってからのポールはお手盛りの作品しか作らなくなっていったし、その手の作風は1980年発表の『マッカートニーll』までに書き尽くしてしまった感があるから、ファンのほうも 「ああ、これだったら○○のほうが良かった」、となってしまうのである。
 こうやっていちおう世のなかに向かってポールについて語る以上、もういちど駄作と思っていた作品も全部聴きなおしてみたが、評価は変わらないとしても、ポールの駄作というのはあのポールだから駄作なのであって、そこら辺のミュージシャンの作品ならそこそこ上出来なクオリティのものがほとんどなことは付け加えておかなければいけないだろう。

 しかし、今回の『キス・オン・ザ・ボトム』がひどいというのはちょっと意味が違う。
 そもそもポールが歌うスタンダード・ナンバーっていうところが矛盾していて、このアルバムで歌われてるどの曲より、ポールの作ってきたいくつかの曲のほうがずっとスタンダードになってるからだ。それはいいとしても、このアルバムを聴いていて気付いたのは、ポールは自分の作曲した歌しか歌えない人なのだということだ。もちろん聴くに堪えないとかそういう話ではない。でも最高にキメてるときのポールの曲のようにはポールは他人が作った歌を歌えないということである。ポールのスタイルが確立する以前のビートルズ初期のカヴァー・ソングは別としてだが。
 アマゾンでの『キス・オン・ザ・ボトム』のカスタマー・レヴューなんか読むと、僕よりもコアなポールのファンや、ジャズ・ヴォーカル愛好家たちのそれこそ真っ二つに分かれて賛否両論あるが、たしかにジャズの王道から外れているにしても、これがスティングあたりだったらこんなには叩かれないだろう。
 僕はポールの声がジャズ向きかどうかということにはあまり興味がない。むしろ気になったのは、せめて90年代のポールならこんな安易なアルバムは出さなかっただろうということだ。自分も含めて、それほどコアなファンたちはまだポールに期待しているのだ。
 たとえばポールは過去にジョンを意識してかオールディーズのロックナンバーのカヴァー・アルバムをリリースしている。このアルバムも良いとは言えないけど、まだ覇気はある。『キス・オン・ザ・ボトム』をダメにしてるのは安易な企画、眠気を誘う凡庸な演奏、そこは百歩譲るとしても、避けがたいのは、 ポールの声の老齢化だ。

 そう老齢化。じつはここがいちばん気になった点だった。考えてみれば、ポールももう齢70の峠を越しているのだ。
 ポールは作曲スタイル同様、いくつものヴォーカル・スタイルを持っていて、激しい曲を歌うときは"ヘルター・スケルター""ホワイ・ドント・ウィー・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード"で聴けるようなひずんだ割れたような声、もちろん"イエスタデー"や"マイ・ラヴ"を歌うときのような切なく甘い声、前述のオールディーズなどを歌うときの軽快なノリ、"カミング・アップ"などのプラスティックでちょっと壊れちゃった人の感じの声、そして彼の好きなデキシーランド・ジャズやラグタイム調の曲を歌うときのどこかおどけていて気取った調子のスタイル。これらはほとんどがビートルズ時代に確立してしまったものだけれど、ピークに達したのはウィングスの最後のアルバムとなった『バック・トゥ・ジ・エッグ』だろう。"ゲッティング・クローサー"のあの軽快でポップな調子、"オールド・サイアム・サー"でのキー限界寸前の終始シャウト気味の声、"アロウ・スルー・ミー"でのようなまるでボズ・スキャッグスばりのAOR調。『バック・トゥ・ジ・エッグ』 には『キス・オン・ザ・ボトム』のボーナス・トラックにも含まれている"ベイビーズ・リクエスト"の気だるげなラグタイムも収録されている。1979年当時シングルのB面でしかなかったこの隠れた名曲のリメイクを期待して『キス・オン・ザ・ボトム』を買ったコアな日本のファンがどれだけがっかりしたかは想像に難くない。

 ホームラン・バッター並みにヒットを打ちまくる作曲家としての能力同様、シンガーとして変幻自在の球を投げる名ピッチャーでもある。いや、あったポールにいったい何が起こってしまったのか。

 それは間違いなく老齢化だと思う。まずは以前のような高いキーが歌えなくなってしまったこと。それと声が意図的ではなく老化のために終始鼻にかかっていて、音抜けがしなくなってしまったこと。そしてもちろんパワーもなくなってしまったことなどなど。そしてそれを誰よりも本人がよりもわかってるから、あえて口ずさむようなスタイルで歌えるスタンダード・ナンバーばかりを集めたのではないだろうか。


 ポールに何が起こったのか知りたいがために、ポールの作品をビートルズ解散直後の『マッカートニー』から時代順に現在に至るまで聴きなおしてみることにした。


 ポールは20世紀後半から21世紀前半まではワールド・ツアーをしまくっていた。したがって、その時期はライヴ・アルバムが中心で、ツアー中だからどうしても声が荒れてしまうのは仕方ない。そして、それらの時期を経て出されたオリジナル・アルバム『ドライヴィング・レイン』から、明らかに声質の老齢化が見られる。高い声が抜けなくなり、つねに鼻にかかったような声になっている。声が鼻にかかるのは、そこだけ取れば味はあるのだけど、どうしても表現にヴァリエーションが出てこない。ギター一本で歌う老ブルース・シンガーだったらそれもありだが、ポールのように多種多様な音楽を作れるアーティストにとってはかなり厳しいものがあると言わざるをえない。

 その傾向はその後に続くアルバムでもさらに顕著になり、今回の『キス・オン・ザ・ボトム』もポールの自作の曲よりも音域のレンジの狭いスタンダードナンバーを集めて歌ったとしか思えない。

 そうは言ってももっとも危惧していた、ミューズの女神が去ってポールの音楽の才能そのものがなくなってしまったというわけではなさそうだ。なぜなら、直前に元キリング・ジョークのユースとの覆面ユニット、ザ・ファイアーマン名義による『エレクトリック・アーギュメンツ』では、1曲目から"ヘルター・スケルター"以来と言っていいハード・ロック調の曲、"ナッシング・トゥー・マッチ・ジャスト・アウト・オブ・サイト"が聴けるからだ。ビートルズ時代に、"ヘルター・スケルター"があれほど物議をかもした曲なのを考えると、自分が知るかぎり、同様の曲調で作曲してこなかったことが不思議にも思える。"ナッシング・トゥー・マッチ・ジャスト・アウト・オブ・サイト"ではフル・ヴォイスのシャウトを惜しげもなく開陳している。
 ザ・ファイアーマン名義という匿名的なリリースをしてきたにも関わらず、ポールはこの作品では歌い、PVも制作し、制作風景まで公開している。顔出しすることになったのはいろんな事情があるだろうが、プロデューサーのユースがいくらアンダーグラウンドの傑物であってもポールがたどってきた世界とは商業的にも文化的にも社会的にも明らかにステージが違うそのふたりがスタジオのなかではまるで親同士のしがらみを気にしない近所の子供同士が戯れるように制作を楽しんでいた。
 ユースもポールの声質の変化に気づいたかもしれない。そしてそれはポールの声の問題を補填しようと思ったのかもしれない。『エレクトリック・アーギュメンツ』でユースは、メジャー・レコード会社からリリースされるポールのソロ名義のアルバムでは決してあり得ないだろうオーヴァー・プロデュースをしている。それが理由かどうかはわからないが、この作品はユニバーサルからは発売されず、インディーからのリリースとなった。それが逆に功を奏して、ポール・マッカートニーの近年のどの作品にもなかったような斬新な切り口を見せてもいる。ユースが関わってきた、たとえばジ・オーブのアレックス・パターソンと制作をしているときのような。

 もうひとつ気づいたことがある。ビートルズ解散以降、たまに傑作、あるいは傑作とはいえないまでも良質なソロ・アルバムを出した影には、いつも優れたプロデューサー、優れているだけではなくてポールの音楽の良き理解者がいることだ。ビートルズに音楽教育を施したと言ってもいいジョージ・マーティンはもちろんだが、ELOのジェフ・リン、エルヴィス・コステロもそうだ。彼らに共通してるのは、彼ら自身がポール・マッカートニーのファンでもあるということだ。
 それはジョン・レノンとフィル・スペクターの関係とも違う。フィルはもちろん伝説のプロデューサーだが、ジョンの音楽性そのものに影響を与えているようには思えない。あくまでもジョンの曲をテクニカルにサポートしているという印象だ。むしろジョンがフィルの世界観を利用したというべきか。
 いっぽうポールのほうは、その逆で良い演奏家が弾くと良く響く名器のように、プロデューサーがポール・マッカートニーという名器を演奏するイメージとでも言ったらいいだろうか。

  ポールが1971年にIRA問題を嘆いて"Give Ireland Back To The Irish(アイルランドに平和を )"をリリースした際に、出自は忘れたがどこかの英紙のレヴューが書いた辛辣な一言。「ポール、君は物を考えなくていい。音楽だけ作ってろ」を思い出す。

 残念なことだが、ポールの声が昔のように戻ることはないだろう。ヴォーカリストもアスリート同様、年齢による影響は免れようがない。加齢によって声帯は変化してしまうものである。自分の経験的な理解では、歌い続けていることを前提として、ヴォーカリストの声が円熟に達するのは、多少の差こそあれ20代後半から40代前半にかけてだと思う。つまり30代でピークに達するのだ。音域を保ちつつ、声帯も鍛えられ、パワーがありつつ安定もしているという状態だ。
 微妙な話なのだが、これは自分がどういうタイプの声が好きか嫌いかの話ではなく一般論として考えた話だ。これをさっき引き合いに出した楽器で例えると製造後何年経っていて、どのくらいの湿度で、どんな場所で奏でるかというような話。さらにポールの場合は 念がいっていて「誰が」演奏するかによってその響きがぜんぜん違うということだ。

 そう、それはポール・マッカートニーと呼ばれる名器なのだ。

 と、ここで終われば、「ポールは物を考えなくていい」という前述の記事に同調していることになってしまう。今回の『キス・オン・ザ・ボトム』がきっかけで過去の作品を聴きなおして思い至った前述の私見は考えた末の結論だが、かと言ってポールが自主性のない操り人形だと思っているわけではまったくない。
 むしろ言いたいのはポール・マッカートニーというアーティストはジョン・レノンとは対極的なアーティストであって、ジョンを思想家や活動家に例えるなら、ポールはマイスターであり発明家ある。思想や人生観を音楽に投影することはないが、ビートルズの中で音楽的な側面で時代を鋭敏に先取してきたのは常にポールであった。同時にビートルズで名声を勝ち得た後でさえ、現代音楽の作曲家ルイジ・ノーノに師事したことからも分かるように、歴史に対するアプローチもおろそかにしない。その結果として過去の文化を咀嚼しながら誰もが聴いたことのなかったものを、しかも大衆音楽という形で提示してきたのはポールである。それはビートルズ解散後のそれぞれの軌跡を追うことでより明確になる。ジョンが政治的な活動に没頭していく反面、音楽的な実験精神が薄れていくいっぽう、ポールは、好んでやまないデキシーランド・スタイルの音楽の源泉を探るためにアメリカ南部を訪れ、ウイングス時代の『ヴィーナス・アンド・マーズ』は、その直後に制作されている。そうして出来上がったものは、アメリカ南部をルーツとするフォーク・ミュージックとは似ても似つかないものだが、それこそがポールの偉大たる証拠なのだ。過去の文化を咀嚼しつつまったく違うものを作ってしまう。しかしそこには根深く歴史への敬意がこめられていることをひしひしと感じる。
 その姿勢は近年も変わらず、ポール・マッカートニーとしてメインストリームでの制作をする傍らも、前出のザ・ファイアーマンや、近年はトゥイン・フリークス名義で自身の曲を全部マッシュ・アップさせる(だからメジャーに睨まれるのかもしれないが)などアンダー・グラウンドへのアプローチも忘れない。かと思えば、『リヴァプール・オラトリオ』のような交響曲まで手がける。

 「無人島で一生暮らすとして持っていくものは?」みたいな質問をされるときは、僕はいつでも『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』と答えることにしている。理由は簡単で、そこにはビートルズに、つまりはポールに咀嚼された形での、有史以来の音楽の結晶があると思うからだ。そしてこのアルバムこそポールの作曲面での才能が完全に開花したときの作品なのである。

 ポールは「考える人」ではないかもしれないが、「感じる」人である。それは彼個人のパーソナルな「感覚」のように見えながら、その実、歴史に根を張り、時代の風をいっぱい受け、マイスターの手によって産み出されたものなのだ。弘法も筆をあやまる。むしろだからこそ、どんな時でも次作への期待を抱かせ続けてやまない。往年のファンがどこまでもついていくのもそれが故だと思う。
 ポール・マッカートニーという名の物語は、彼が生きている限り続くことを僕は信じたい。


ポール、あなたはスタンダードなんて歌わなくていい。スタンダードを作るのがあなたの仕事なんだから。

ele-king vol.5 - ele-king

〈特集〉インディ・ミュージックのネクスト
〈Column〉ゴシック&ホラー(三田格/水越真紀)
〈特別企画〉対談:宇川直宏×デリック・メイ     他

RAZIKA - ele-king

 イーライ・ウォークスの取材が終わって、渋谷へダッシュ。山手通りでタクシーを拾い、道玄坂上で渋滞しているのでタクシーを飛び降りて坂を下り、そのままホテル街へ、エレヴェイターに駆け込み、受付までさらにまた50mダッシュ。こう見えても僕は中学時代は陸上部だったので快速なのである......などと自慢している場合ではない。お金を払っていると、ちょうど"ユース"(アルバムの1曲目)のギターのリフとコーラスが聴こえる。螺旋階段を下りて扉をあけてハイネケンを手にしながら目を前方にやる。満員の会場の向こう側のステージにはノルウェーからやって来た4人のキュートな女性が演奏している。すでに会場の1/3は踊っている。「来て良かった!」と思った。
 そしてラジカは、最後まで幸せな気分にさせてくれた。決してうまい演奏ではないが、とくに目新しいことのないスカのビートで身体を揺らすことが、こんなにも気持ちが良いことだとあらためて感じた。なにせ彼女たちは見た目をきまっている。ツチャツチャツチャツチャと刻まれるギターとともにオーディエンスも大はしゃぎ。いいぞ、お姉さんビールをもう一杯! いや、すいません、「女を見たら女中と思うな」と叱らないでください。しかし、ラジカにはそんなことも許してくれそうな大らかさがあると、勝手に妄想する。まわりくどい説明はいらない。エクスキューズもいらない。男と女の痛々しいメロドラマもいらない。ビートがあって、コーラスがある。曲もこざっぱりしている。
 ラジカを聴いているとなにゆえこうも嬉しくなるのか言えば、僕の場合は、自分がどこから来たのかを再認識するからなんだろう。それとも、より普遍的な、いわゆる"原点回帰"としての悦びがここにあるからなのだろうか。
 しかし......いや、待てよ、一瞬、そう考えたところで戸惑いを感じる。ザ・スペシャルズの"必死さ"を思い出してしまう。彼女たちはたしかに素敵だが、この社会の醜悪さに敢然と立ち向かったポスト・パンク時代のスカ・バンドを思い出すと、ラジカからは反抗心といったものを感じない。これでいいのか......。まあまあまあ、いいじゃないですかと、写真家の小原になだめられる。これは娯楽なんですよ。まあ、たしかにそうだ。これは上等なポップ・ミュージックだ。いまはそれで充分。スカンジナヴィア半島のキュートな女性がカリブ海のリズムを刻んでいる、そして最後の最後には誰もが楽しそうに踊っている......。そうだ、難しいことは二木に任せておけばいいのだ。

 ラジカはラジカについて言う。「ラジカっていうのは、知合いのアフリカ系の女の子の名前。なので、ノルウェー語ではなくアフリカの言葉だと思うわ」
 メンバー4人はみんな幼なじみ?
 「バンドのメンバーとは6歳のころから知合い。同じ学校だった。家も近所よ。15歳のころに4人でバンドを結成。昔から楽器を演奏できたというわけではなく、みなこのときからスタートして、バンドやりながら少しずつ上達していった感じ」
 いまどきなぜバンドを?
 「単純にカッコいいと思ったから。結成して3か月で初めてのライヴをやった。それ以来ずっと4人でやっている。たまにバンドに加わりたいという人もいたけど、楽器がヴァイオリンだったりとか、自分たちにはマッチしなかったり、あとは4人があまり仲良過ぎて、他の人が入り込めなかったりとか。とにかく4人で、まるで兄弟のように仲がいい。ボブ・ディラン、ビートルズ......地元ベルゲンのバンドなどのコピーからスタートして、でもすぐにオリジナルを作りはじめたわ」
 ベルゲンの音楽シーンって?
 「ベルゲンは小さな町なの。端から端まで30分くらいで歩いていけるほどのね。たいがいのライヴハウスも歩いていける。シーンも小さいから、ジャンルを超えてみなが団結している感じ。ライヴァルという感じはない。それでもスカンジナヴィアでもっとも影響力のある音楽シーンがあるわよ」
 なんでスカを?
 「きっかけはボブ・マーリー、最初はレゲエにハマったの。〈スタジオ・ワン〉とか昔のレゲエやスカを聴きはじめて、で、ツートーン――スペシャルズ、マッドネス、あるいはエルヴィス・コステロなんかを掘っていった。あと大きな影響としてはノルウェーのベルゲンのプログラム81というニューウェイヴ・バンドがあるの。メンバーの自宅の地下室で練習していたとき、たまたまこのバンドのレコードを親のコレクションから発見して、聴いて、衝撃を受けた。アルバムのタイトルも彼らのバンド名からとったのよ。自分たち1991年生まれなのでミックスさせて『プログラム91』ね。んー、同世代ではとくに気になるバンドはいないけど、アイスエイジは好きよ!」


 ライヴが終わってからも、余韻に浸るため、しばらく飲んで(実はラジカのライヴの前にもそれなりに飲んできていたのだが)、そして帰り際にラジカのメンバーに「カラオケに行ったら"アナーキー・イン・ザ・UK"を歌ってくださいね」と言い残すと、小原と一緒に同じ通りにあるクラブ・エイジアの〈ブラック・テラー〉に行った。途中から記憶が曖昧となって、翌日気がついたときには家の床のうえで寝ていた......。やらかしちゃったようです。みなさん、すいませんでした!

Bruce Springsteen - ele-king

 僕は、三田格が厳しく言うほど『ツリー・オブ・ライフ』がひどい映画だとは思わなかった。テレンス・マリックの壮大にして優美な生命の叙情詩、その現象学的映像において、アメリカ中産階級(まさに中産階級過ぎるのだけれど)の凋落と悲傷が執拗に描かれていることはしみじみと時代だなぁと。要するに、あの映画は、キンタマの時代が終わったことを強く印象づけるのだ。
 ロナルド・レーガンは、ジミー・カーターと違ってキンタマを持つ男として迎えられた。あいつは男だ! というわけだった。昔、いろいろ調べてみたら、共和党パンクも「あいつは男だ!」の熱狂から生まれていることを知った。ジョニー・ラモーンが有名だが、なんと......我が精神的支柱のイギー・ポップまでもが当時「あいつは男(キンタマ)だ!」と喜んでいる。アメリカの音楽サブカルチャーはそういう失敗をしている。そしていま、中産階級的な悲哀や喪失感の反対側では、さまざまな場面で抗議が噴出している。

 まずは以下、『TMT』からの引用

 ねぇ、ホントさ、君にとってのアメリカは何を意味するんだい? 我々の国際的な読者にとって、その問いに答えることはきわめて知的な演習なりうるかもしれない。けど、君と違って合衆国のなかのA(アメリカ)で生まれ育った僕にとって、それに答えることはそう単純な話ではないんだよ。
 僕たち9.11世代は愛国心(patriotism)と複雑な関係にある。僕たちは、途方もない残虐さの犠牲者のもと引き裂かれ、バラバラになった国、そして広く、そのおぞましい高揚によって成人期へと送り込まれた。もちろん僕たちは、いまでもはっきりとよく覚えている。野蛮な政治家があらたなる戦争のためにその悲劇を接着剤のように利用したことも。そして僕たちは覚えている。愛国心(patriotism)がどのように変貌していったのかも。政府とともに行進しない者なら誰でも打つための棍棒のこともね。
 僕たちは、国旗のピンを拒否しながら、政治家に対する痛烈な非難に一目置きながら、市民たちの激しい議論を見るのに10年を費やした。君にも理解できるだろう。外向きの愛国心が僕たちをうんざりさせたってことは。
 しかし、「patriotism」と「jingoism」は同義ではない。何かを愛するとき――それが人だろうが国だろうが――すべての行為でそれを表明するとは限らない。いかに道徳的にふとどきであろうとも、もしくは自滅的であろうとも。そして、それこそがブルース・スプリングスティーンが僕に訴えることの核心だ。
 彼は、そのクソの外でアメリカを大声で歌うことからはじめている。そして、彼はアメリカン・ドリームの敗者と犠牲者にスポットライトを当てた。もっとも、彼のやたら苦々しい素材に力を与えるものは、彼の母国への根深い反感ではない。僕たちがいまより良くなるんだという揺るぎない確信によるものだ。意志をもって見る目はどこにある? 慈悲深い心臓はどこ? 僕を見捨てなかった夢はどこにあるんだい? アメリカのスプリングスティーンのヴィジョンにおいて、自由(liberty)はトーマス・ホッブズの(万人の万人に対する闘争の)荒野における爪と歯がかろうじて営む自由(freedom)ではない。僕たちの仲間、男性と女性、僕たち自身の与える自由(freedom)――、自由(freedom)とは、自由に得ることができない人びとへの援助の手を広げることだ。製薬会社が医療を作り続けるのに十分な誘因を気にしながら大統領候補が病気の子供たちに語るようなこの政治風土で、スプリングスティーンは失望の表情をもって「僕たちは自分たち自身でやっていくんだ」と断言する。『レッキング・ボール(建物解体用鉄球)』は、僕たちが直面するであろういかなる試練に応ずるように、労働者階級の憤激、僕たちの国への哀れみのなかの信頼を混ぜ合わせる。(......後半は省略)

 続いて、以下はデトロイトで暮らす40代前半のアフリカ系(デトロイト・テクノのシーンに関わるひとり)から聞いた話。

 ブルース・スプリングスティーンはアメリカ音楽の英雄だ。僕は高校時代、彼のアルバムを何枚か買っていたほどのファンだった。彼の音楽は、そのへんにうじゃうじゃいるような働く人のためにある。アメリカの地方都市の労働者階級の物語を彼は語っている。
 僕がウェイン州立大学の学生だった頃、僕は人種差別反対の抗議活動に参加していた。それで何かが変わったわけじゃないけどね。最近ではウォール街の占拠運動が脚光を浴びている。それによって変化するかどうかはわからない。だけど、あれは大企業とビッグ・ビジネスが牛耳るアメリカ社会への抗議として、ある程度政府にプレッシャーを与えている。ああいう風に、どんな時代でもあらゆる世代が抗議を継続することは正しいと思う。僕はもう何十年もブルース・スプリングスティーンの音楽を聴いていないけれど、いまでも彼を尊敬しているし、賞賛する。

 スプリングスティーンは、僕が高校生の頃、僕の世代においても幅広く熱く支持されていた。たとえば彼の"リヴァー"のような曲は労働者階級の敗北的な人生のバラードだが、それは日本で暮らすブルーカラー層の思春期にとっても実に身近なメロドラマだった。スプリングスティーンがはっきりと政治的になったのは『ネブラスカ』からだが(閉鎖された工場や労働者の犯罪の物語は、いまも親身に聴ける)、それから数年後の"ボーン・イン・ザ・USA"は大変な熱狂で迎えられた。それが自己否定的な歌詞だとしても、1985年のプラザ合意を控え、円高の時代に突入した日本においては、強いアメリカに対する避けがたい憧憬とともにあの曲は分裂症的に広まっている。"ボーン・イン・ザ・USA"は作者の意図とは別に日本をダブル・バインドにかけたのだ。『レッキング・ボール』は日本において、その二重拘束を破壊してくれるだろうか......。(この続きは、木津毅にまかせた!)

Neil Landstrumm - ele-king

 この人が2006年あたりから〈プラネット・ミュー〉を通じてグライム/ダブステップに手を出しはじめたとき、「あー、ついに来たか」と思った人も少なくなかったでしょう。みんなまだ静観していました、90年代初期からやっているベテラン連中は。自分たちより15歳以上離れている新世代のやっているグライム/ダブステップとは果たしていかなるものかと。そんななかで、すばやくアプローチしたのがマイク・パラディナス、続いてUKテクノ第二世代を代表するひとり、ニール・ランドストラムだったんじゃないでしょうか。
 以下、4月5日にDommune、4月7日に渋谷AMRAXでプレイするランドストラムの来日直前インタヴューです。(ちなみに渋谷AMRAXでは、マユリちゃんとDJバクが共演)

久しぶりの来日ですね。

ニール:日本に来るのは大好きなんだ。招待されて一番嬉しい国だと思うよ。

いろいろな国を拠点にしてきた印象があるのですが。今までどこに住んでいましたか? 現在の拠点は?

ニール:プレイした僕の音楽キャリアのなかで住んできたのはたった2カ所しかないよ。エジンバラとニューヨーク。いままでいろんな国に行ったし、だからそういう印象があるのかな?僕の音楽活動が日本を含め、夢でしか行けないような国にも連れて行ってくれたんだ。

ニューヨークに住んだ理由は?

ニール:1990年に初めてニューヨークに行って、もっとここでいろんな経験をしたいと思わせてくれたところだから。住んだのはUKと往復しながら1996年から2002年くらいまでなんだけど、ただ町並み、あの場所の音や雰囲気が好きで、プラス音楽文化も豊富だったし、ヴィジュアル・アートを知るには最高のところだったんだ。

現在はどこに住んでいるんですか?

ニール:2002/2003年にニューヨークを離れることに決めてからはずっとエジンバラだよ。ここの建築は素晴らしいし、エジンバラのリラックスしたゆっくり目のライフスタイルが好きなんだ。大きな都市ではないけど、僕はアウトドアが好きだし、45分も運転すれば完璧な自然のなかにいられる。グラスゴーは1時間くらいだし、大都市にも簡単に行けるし最高の場所だと思っている。

エジンバラに住んでいて音楽的な影響などは......

ニール:エジンバラが音楽的にどんな風に僕に影響があるかはわからないけれど、大都市みたいに家賃や生活費が上がる事を心配しながらプロジェクトにとりかからなくて済むから、そういう意味では集中できるというのはあるかも。
音楽的にはエジンバラは空白の部分があるなぁ。ニューヨークみたいに色がない。でもエジンバラには僕が刺激されたダブのサウンドシステムがいくつかあったんだけど、残念な事に地元の自治体と不動産業者がひとつひとつクラブを潰しているんだ。だからこの素晴らしいダブのサウンドシステムもなくなってきている。

それは残念ですね......。ではあなたが音楽をはじめた90年代をいま見てどう思いますか? 何かインスピレーションがあるとか。

ニール:いや、インスピレーションという刺激や感化はないよ、すべえて過去。正直言ってまったくそこから離れているし、それはそれでいい思い出として残して何か違う事をやりたいからね。問題はたくさんの人があの時代にしがみついていてそこにはまった状態でいることなんだよね。僕にとっての音楽はいつも先へ先へと進んで行きたい。たとえ時々レトロなことをやったとしてもね。90年代にリリースしたほとんどの僕のレコードを誇りに思っているけど、いま、同じ事をしても同じスピリットや音ではないし......僕にとっての音楽はその時々の自分の感情をレコーディングしているみたいなもので、それをあとで聴いたらその場所と作ってる時の自分に連れて行ってくれるタイムマシンみたいなものなんだ。その音を聴いただけで自分が何を着ていたか、家の壁紙の柄まで思い出せる。笑 僕には写真のような記憶力があるんだよ。

音楽を始めるきっかけになったのはやはり初期レイヴ時代ですか?

ニール:1988~1991年の初期UKレイヴ時代は忘れられないし、あの頃の音楽はずっとインスピレーションになっている。もういちどあの時代に戻って同じように生きてみたいけど(笑)。ずっとイヴェントや人びとやいろんなことから影響を受けると思う。もちろん同じ事はやらないつもりだけどね。

私もそう思います。そのくらいのインパクトがありましたからね。その後、そういったインパクトは音楽的にありましたか? 影響を受けた音楽とか。

ニール:90年代終わりから2001年にかけてはもうテクノにうんざりしてたんだよね。だから音楽を休んでモーショングラフィックに専念していたこともあったんだけど......。2000年あたりからダーク・ガラージとかSublo soundsとかまた面白そうな音楽がロンドンではじまってきて、Jon E Cash Black Op's crew 、DMZ、More Fire Crew、ディジー・ラスカルなどなど。これらのサウンドはグライムとダブステップとかに分かれていったんだけど、これらの音楽がはじまり出したとき、また僕も音楽に興味を持ち出したんだ。でもやはり僕には初期のUKレイヴとブリープ・レコードがエレクトロミュージックに興味を持ったはじまりだな。

90年半ば頃ですよね? 「No Future」をはじめたのは。

ニール:「No Future」は90年代半ばにクリスチャン・ヴォーゲル、Emma SolaとMat Consumeによってはじめられた集団で、僕やTobias Schmidt、Dave Tarrida、 サイ・ベグそしてジェイミー・リデルなどのレコード・リリース、プロモーションやブッキングなどをしていた。僕たちのようなサウンドを〈モスキート〉や〈トレゾア〉でプッシュするためだったんだ。人数は多い方がいいしね。Matが僕らのレーベルと「トレゾア LP」のスリーブのアートワークをやってくれてた。あの頃のいい思い出がたくさんあるよ。ドイツでたくさんの「No Future」のイヴェントをやっていて、それは毎回楽しかったしはちゃめちゃだった。クリスチャンのスタジオにはよく行っていろんな音を録音したし、本当にいろんな事をクリスチャン から学んだんだ。僕にとっての「No Future」はポジティヴなパンク・ムーヴメントだったんだ。DIY ( Do it yourself) と他は気にせず突き進め、的な。

〈プラネット・ミュー〉との関わりはどうやってはじまったんですか?

ニール:僕のデモをマイク・パラディナスに送ったんだ。そうしたらマイクからリリースしたいと連絡がきて、2005年から彼と一緒に動き出したんだ。その後、年間LP作りに専念して、2007に『Restaurant of Assassins』をリーリスした。それが自然に『Lord for £39』と『Bambaataa Eats His Breakfast』のLP につながったんだよね。僕が『Restaurant of Assassins』と『Lord for £39』のスリーブをデザインしたんだよ。マイクはいつも先端をいっているし、僕は彼の耳とレーベルにとても敬意を払っているんだ。彼の素晴らしい未来を願っているし、この濁った音楽業界をいい方向に導き続けて欲しいと願っている。

あなたのレーベル〈スカンジナヴィア〉をはじめたのはいつですか? 音楽だけではなくデザイン・ワークもやっていますが。

ニール:〈スカンジナヴィア〉は1996年にレコード・レーベルとしてはじめた。僕がすべてをコントロールできて、僕や友人のもっとエクスペリメンタルなプロジェクトをリリースしたかったんだ。ニューヨークに移った頃、モーショングラフィックをはじめて、MTV、Rockstar Gamesのデザインをしたり、エフェクト・アニメーション・アーティスト、Jeremy Blakeのために僕がサウンドデザインをやったりした。そういえば〈プラネット・ミュー〉や〈トレゾア〉からリリースしたほとんどのレコードには〈スカンジナヴィア〉のロゴがどこかに入っている。僕の頭のなかではオフィシャルな〈スカンジナヴィア〉のリリースだと考えているよ。〈スカンジナヴィア〉のロゴは僕のアーティストとしてのサインなんだ。

ライヴ・セットに関してお聞きしたいのですが、毎回違う音楽スタイルのライブセットだと思うのですが、毎回スタイルに合わせてセットアップは変えているんですか?

ニール:だいたい同じ機材でのセットアップだよ。DJと同じで新しいものが出たら古いものをそれに変えたりしていまのセットアップになっている。いまはElektron Machinedrum、MonomachineとKorg ESX-1とAbletonを使っているけど、地元のギグではYamaha DX-200とKord Space Echoも使うんだ。90年代はRoland TB-303、 SH-101、Tr-808,Tr-909、Akai S900 、Atari St、Sequential Circuits 黴€Pro-OneとEmu Sp-1200なんか全て持ち出してたけど。笑 すごくいい音でできるけど壊れる確率が多くて......。だからいまは古いアナログでKorg ESX-1にRoland Jupiter 8 と 6 keyboardsをつなげたりして使っている。それでもあの昔のアナログの雰囲気を味わえるからね、他の機材を壊すリスク無しで。

機材が壊れたりしたことはあるんですか?

ニール:ツアーしている時に起こるときもあるよね。僕のスーツケースが飛行機の荷物を運ぶトラックに轢かれたことがあったんだ。そのあとロンドンでサブヘッドのイヴェエントでプレイしたんだけど、プレイ中に僕のTR-909が爆発したことがあったよ(笑)。

(笑)。それは大変でしたね。この6月までギグのスケジュールがはいっていると聞きましたが、そういうことが起こらないことを願いながらこれからの予定を教えてください。

ニール:これからどういう方向で行くのかまだ決まっていないんだ。今はスタジオから離れて、これからの自分のスタジオと将来の方向性を考えていこうと思っているんだ。6月まではいろんな国でのギグが入っているのでそのあいだに考えるつもり。

では、これからのリリースについて教えてください。

ニール:ちょうどベルリンの〈Killekill〉から「Night Train」という12インチをリリ-スしたばかりで、これにはサイ・ベグとコラボレーションしたトラックも入っているんだ。それからJerome Hillの〈Don't records〉からテクノ・ヴァージョンのベルトラムの「Energy Flash」とブレイク・バクスターの 「Sexuality」が4月日にリリースされるよ。それにオランダのレーベル〈Shipwrec〉からもMat Consumeとコラボレーションしたものと、今年の終わりにはJ D Twitch とともに新しいDoubleheartの12インチをリリースする予定なんだ。

ところで日本に初めて来たのはいつなんですか?

ニール:1995年にリキッドルームで初めてプレイしたんだけど、あれは僕のキャリアのなかでもいちばん思い出に残っているんだ。〈ピースフロッグ〉 のパーティでとても混んでいた。そういえばそのときのイヴェントのDATレコーディングを最近見つけたんだよ! どこかにアップしなきゃなぁ。

その後も来日していますよね? 

ニール:今まで何回か来ていてその度に日本が好きになる。ただ歩き回ってるだけでもすごいトリッピーな国だね(笑)。僕は和食が大好きだし、エレクトロニクスも文化も好きだな。あ、それに70年代から90年代のトヨタのランドクルーザーの40と60シリーズモデルの大ファンなんだよ。日本の技術は高品質で長持ちするようにつくられている。正直、僕は日本のデザインや技術で作られたものなしでは生きていけないと思うよ。

4月5日にDommune、4月7日に渋谷AMRAXで行われるFIERCESOUNDSでプレイしますが、どんなセットでいくんですか?!

ニール:もちろんLandstrummスタイルだよ。

日本のファンの皆さんに一言。

ニール:Ganbarimasu!  是非ギグに来て 声かけて欲しいな。



FIERCESOUNDS 5th ANNIVERSARY -
NEIL LANDSTRUMM

2012.04.07 (SAT) @ AMRAX
NEIL LANDSTRUMM、MAYURI、DJ BAKU、DJ DAIKI and more.
Open 22:00
Door ¥3500
Info.03.3486.6861 AMRAX

Neil Landstrumm
King of UK Bass Music。最先端、革新的なエレクトロニック・ミュージックのパイオニアとして知られる彼は、1995年に〈ピースフロッグ〉から「Brown By August」をリリースしてその華々しいキャリアをスタートさせる。これまで、〈ピースフロッグ〉を含む〈トレゾア〉、〈Sativae〉、〈ソニック・グルーヴ〉、〈モスキート〉、〈プラネット・ミュー〉など、世界的に影響力のあるテクノ/エレクトロニックレーベルから数々のレコードを実験的、斬新な音と共にリリースし、その新しい表現は世界中からの注目を浴びその独特のスタイルや世界観は彼のコピーアーティストを生むほどの影響力を持つ。
また、グラフィックアーティストとしても有名な彼は、音楽のみならずグラフィックデザインや洋服のデザインまでも手がける革新的なレーベル〈スカンジナヴィア〉を立ち上げ、これまでクリスチャン・ヴォーゲル、サイ・ベグ、Mike Fellows、Jeremy Blake、Bill Youngman、 Tobias Schmidtなどの世界的に著名なアーティストの作品をリリースし、レーベル・オーナーとしても成功を収めている。現在はUKエジンバラでWitness Rooms Studioを運営、最近ではゲームソフトの開発にまで着手し、音楽面ではDJシャドウの新しいプロジェクトのリミックスを手がける世界で唯一のアーティストとして選ばれるなど、天才とも言うべき彼の才能は留まるところを知らない。今年、2月にベルリンの〈Killekill Records〉からEP「called Night Train」をリリースした。
www.scandinavianyc.com

アナログフィッシュ - ele-king

 その前日まで発熱して倒れていた僕はその土曜日、久しぶりに梅田のレコードショップに寄って、ブルース・スプリングスティーンの新譜を買ってから京都に向かった。音を聴く前に訳詞を読んでみると、スプリングスティーンは怒っているようだった――おそらく彼がかつて熱く支持した民主党政権に、そして間違いなく、彼が愛する自分の国に。若者たちに呼びかける。「怒りを持ち続けろ、怖気づくな」。それはオキュパイに参加した若い世代からすれば、親父のウザい説教のように聞こえるのかもしれない。しかし僕は、それを超大物とはいえミュージシャンが引き受けていることに感服せずにはいられなかった......わたしたちはこの国に、スプリングスティーンがいないことを嘆くべきなのだろうか?

 その日、京都の歴史あるライヴハウスの磔磔のステージに現れたのは、そこに集まった観客とさして変わらない若者3人だった。ゆったりしたテンポのループにリズムが刻まれれば、オープニングはバンドの新時代の宣言となった"荒野"だ。「とにかくここは目的地ではなく/まして楽園でも天国でもない」
 そのどこか危なっかしくも、勇ましい言葉がオーディエンスの温度をじっくりと上げていく。
 2011年のアメリカがオキュパイ以前/以後に分けられる年だったとすれば、日本においては......言うまでもないだろう。アナログフィッシュはその以前/以後の境目辺りで、主に言葉の面において覚醒したバンドだ。ロック・バンドとしてはこの国においては珍しく、社会への視線を隠そうとせずに、しかもそれを自らの生活に引き寄せて表現することに挑んだのが『荒野/On the Wild Side』とい うアルバムだった。11年の3月よりも前に出来ていた言葉を収めたそれらの楽曲は、しかし3月以後に重い説得力を孕むことになってしまった。「朝目が覚めてテレビをつけて/チャンネルを変えたらニュースキャスターが/戦争がおきたって言っていた」"戦争がおきた"
 テレビを隔てたその距離の途方のなさに、わたしたちは改めて思い知らされることになった......。

 この日のライヴはベスト盤『ESSENTIAL SOUNDS ON THE WILD SIDE.』のリリースに合わせたものであったため、過去の楽曲と『荒野』に収録された楽曲をシームレスに繋ぐ意図があったものだと思われる。実際のところ、それはほとんど成功していた。ライヴを通して3人の演奏は衒いがなく情熱的で、エネルギッシュだ。過去の代表曲"アンセム"のストレートなギター・ロックと、最新作の複雑めのリズム・パターンを持ったナンバーとが等しく受け入れられる。『荒野』においてアナログフィッシュが見せた変化に戸惑った古くからのファンもいただろうと想像するが、バンドは彼らを置き去りにするようなことはしない。瑞々しく開放的な"Na Na Na"でオーディエンスの腕を挙げさせれば、「超 得意な曲やります」と言って演奏された"平行"ではうねるベースラインとハードコアばりの荒々しい演奏で圧倒する。
 しかしそれでも、僕は『荒野』のナンバーが光っていたように思う。リズムの勇猛さが過去の楽曲よりも増しているのは、重さを持った言葉をドライヴさせるためなのは間違いないだろう。その増強されたビート感覚が、ライヴではいっそう映えていた。"PHASE"での2拍3連のスネアのリズムの逞しさに会場の熱はピークへと達し、「失う用意はある? それとも放っておく勇気はあるのかい」のキメ台詞は合唱となった。それと、改めて発見したことがいくつかあって、まずひとつは、言葉数が多く弱起や小節からはみ出すフレーズがヒップホップのフローにも近い快感を生み出していたこと。"Hybrid"でギターを置いて、マイクだけを握って歌う下岡晃の姿はヒップホップMCのようだった。そこで懸命に伝えられるのはこんなフレーズだ――「正義という名の暴力/エコにまぎれた広告」
 そしてもうひとつは、思っていたよりもコーラスが多いことだ。ツイン・ヴォーカルで佐々木健太郎と下岡晃がそれぞれ担当した歌詞の曲のリードを(主に)取るスタイルなので、曲によってフロントマンがはっきりしているかと思っていたのだが、実際はドラムの斉藤州一郎も加わってポリフォニックな「歌」になる場面が非常に多かった。そのあり方は、ちょうどフリート・フォクシーズにおいてフロントマンのロビン・ペックノールドがコーラスのいち部になるように、いまのUSインディのムードと緩やかにシンクロする部分もあるのかもしれない......というようなことを考えていたら、"確率の夜、可能性の朝"ではわざわざ指示を書いて観客に配られていた紙を使って、そこに集まった全員でのコーラス大会になった。何度かの練習の後、見事なハーモニーが生み出される......それは1月に観たザ・ナショナルのライヴにおいて、アコースティック・ナンバーがオーディエンスとの合唱で再現されたのと同じことのように僕には感じられた。ステージの上も下もない、ヒーローもリーダーもいない、「わたしたち」のハーモニー。アナログフィッシュはごく自然に、それを手に入れていた。
 ダブル・アンコール。そして、僕がその日もっとも胸を打たれたのはそこで演奏された、新曲のフォーク・バラッド"抱きしめて"だった。そう、『荒野』の楽曲は厳密には「以前」のものだった。だがこの新曲は、まぎれもなく「以後」の歌だったのだ。まだ仮のものだという歌詞を、ここに掲載するために教えてもらった。

危険があるから引っ越そう
遠いところへ引っ越そう
畑と少しの家畜をかって
危険が去るまでそこにいよう

いつまでなんて聞かないで
嫌だわなんて言わないで

ねぇどこにあるのそんな場所がこの世界に
もうここでいいから思いっきり抱きしめて  
"抱きしめて"

 それは当事者と非当事者を分けることのない、逃げ場所のない国で生きるしかないわたしたちのラヴ・ソングだった......というのは、僕の感傷に過ぎないのだろうか。わからない。けれども人称はぼやけ、素朴だが痛切な愛の歌はオーディエンスの間にゆっくりと染みこんでいった。
 社会やそこで生み出される矛盾に対する戸惑いを、アナログフィッシュは歌う。しかしそれはあくまで、日本で生きる普通の若者のひとりとしてだ。ずっと聴きたかったラヴ・ソングを聴けたような気がしたその夜の僕は、スプリングスティーンのアルバムを聴かずに眠った。

 無粋なことはいいたくないけれど、昨年は音楽イヴェントとNPOの関係がいやでも気になる年になってしまった。カナダではテクノのレーベルをやる場合でも国から援助が出るのは当たり前なので、あえて国からお金をもらわないでレーベルを運営することが実にクールなことになっていたりするけれど、日本にはそのような文化的インフラがないので、レーベルや赤字イヴェントを背負い込む意味がまるで違ってしまう。リスクが大きすぎるし、成功したところで金を儲けたとしかいわれないのはあまりにもヒドい。音楽を利用して金を引っ張ろうとしているNPOが横行しまくったことを思うと、商業イヴェントがどれだけ純粋なことかとムダに肩入れまでしたくなってしまう。とはいえ、ある大物ミュージシャンが援助金を受け取る前例をつくったことにまったく意味がないとも思わないので、なかなか複雑な気分ではある。ちなみにNPO法は4月から改正になります(→https://www.npo-homepage.go.jp/)。その筋の方はご注意を(笑)。

 そうしたなか、第1回目のササクレフェスティヴァルが術の穴とリパブリックの共同企画で開催された。フラグメントにとって初のインストゥルメンタル・アルバム『ナロウ・コスモス104』のレビューでも告知されていたので、新しい動きを予感した人もいたことでしょう。最初はささくれUK(https://sasakuration.com/)が主宰なんだろうと思っていたら、なんの関係もなくて、帰り道に考えていたことはロウ・エンド・セオリーの日本版になるかもしれないなーという希望的推測。あるいは、良いものを観た後で芽生えてくる捻じ曲がった欲望。ならば日本のNPOに負けない不純な動機でリポートしてみるかな(子どもの皆さん、冗談ですからね。エレキングって、難しいとかいわれるけど、実際、どれぐらい、子どもの読者なのか? ラリーサ・コンドラキ監督『トゥルース 闇の告発』とか観て泣いちゃう感じ? あれは大人でもちょっと震えるか)。

 これまで地球上で初めてセックスをしたのはサメだと思われてきたが、僕が会場に入るとほぼ同時にイーライ・ウォークスのライヴがはじまった。最初は音が小さいと感じたのも束の間、徐々にSEというか、メロディが派手になってくると、一気に存在感を増してくる。ビートは強いのにグルーヴが弱いので3曲ほど聴いていると、まだ時間が早いせいか、フロアは空いているので座って聴きたくなってくる。実際、黄色い声は飛んでいるのに、踊っている人はほとんどいない。ヒップホップ調のリズムなんだから、もう少し腰が誘われてもいいようなものだけど、むしろアンビエント・パートを儲けた方がパフォーマンス的にも説得力は上がったのではないかと。どちらかというとレコーディング向きのミュージシャンだということを確認した感じ。終わってからキリコを観ようと上の階に行ったら、偶然にも通りかかった本人に紹介されたので、(英語しか話せない日本人だと聞いていたので)「ナイス・トゥー・ミーチュー」とかなんとか。シャイな人でした。

 メイン・ステージに戻ってくると、すでに12編成のミクスチャー・バンド、画家がエネルギッシュな演奏を展開中。クラウドも一気に増えていて、誰もが華やかなムードを楽しんでいる。最近はMCが上手すぎて、それって音楽家としてはどうなのと思うことも少なくなかったけれど、画家のMCは何を言っているのかさっぱりわからなくて、それが意外と良かったり。「ライヴの予定です」といってスクリーンに大きく映し出された文字も滲んだようになっていてまったく読めなかった。ササクレフェスはVJにも力を入れているイヴェントで、すべてのフロアのすべてのパフォーマンスにVJがブッキングされ、そのセンスも千差万別。画家のライヴが終わると同時に、福島原発にレッド・カードを突きつけている男の後姿がスクリーンに映し出され、そこからチン↑ポムとホワイ・シープ?によるパフォーマンスがはじまった。観たことのある映像がほとんどだったけれど、音楽との相乗効果で、"ブラック・オブ・デス"など、思ったよりも引き込まれてしまう(いつの間にかクラウドも隙間なくフロアを埋めている)。誰かの携帯電話がスクリーンに映し出され、事細かにやり取りされているメールの内容を読んでいると、地震があり、放射能が撒き散らされた世界で踊ったり、笑ったりしていることがとても自然なことに感じられてくる。それはなかったことでもなく、改めて考えなきゃいけないことでもない。いつもと同じだけど、いつもと同じではない。いまここでしか成立しない表現だった。

 ホワイ・シープ?×チン↑ポムのラスト・ナンバー"気合100連発"からフラグメント"リクワイアード・ヴォイス"への流れは涙が出るかと思った。誰の演説を訳したものなのか、CDにもクレジットはないけれど、「人々よ失望してはならない」と大上段に振りかぶる"リクワイアード・ヴォイス"はそれこそ僕を子どもみたいな気持ちにさせてくれた。質のいい音楽がそうさせてくれたことは間違いない。フラグメントのステージは、実際、彼らのCDから想像できるよりも遥かにダイナミックで素晴らしく、腰が動いてしまうなどというレヴェルのものではなかった。ビートの差し引きから過不足なく畳み掛けられるリフレイン、さらにはあっさりと転換させるタイミングまで、クラウドは自由に操られるままに近かった。演奏が中断すると「僕らの大先輩を紹介させて下さい」というMC。誰が呼び込まれるのかと思ったら「東京ナンバーワン・ソウル・セットからビッケさん!」といわれて誰も知らない男がステージに上がってくる。呼んだ本人も「誰ですか?」を連発し、座が白けるギリギリで、ようやくビッケが姿を現した。しかし、酔っ払いすぎて3回も試みたパフォーマンスはすべて失敗。これは本当に予定になかった演出だったようで、フラグメント側が「僕らがビッケさんと知り合いだというのはカッコいいかなと思って、つい呼んでしまいました」と反省すると、ビッケも「僕もフラグメントとやったらカッコいいかなと思って、つい出てしまった」と、あまりに正直すぎて、さっきから笑い転げていた会場も度が過ぎてもはや虫の息。気がついたら「あと、1曲しかやる時間がなかった......」。

 その後、フラングメントをバックに、カクマクシャカ、さらにはシンゴ02がMCで登場する予定だったものの、約束があったので会場から離れざるを得ず、ちょっと残念なことをした。フェス全体をどうこう言うには、特定のミュージシャンだけを集中的に観てしまったので、大袈裟なことは言いにくいものの、2回目があるならもちろん足を向けたいと思っている。それにしてもフラグメントはもっと観たかった。予定時間の半分ぐらいしかやらなかった訳だし、そのうち人が押し寄せてくるのは目に見えているので、すしづめ状態になる前にフル・セットは体験しておきたい。家に帰って『ナロウ・コスモス104』を聴いても、この気持ちは収まるどころか掻き立てられるばかりだった。

Chart by TRASMUNDO 2012.03.27 - ele-king

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