「KING」と一致するもの

Loraine James - ele-king

 ロレイン・ジェイムスの新作だが、これはちょっと特別なプロジェクトだ。ジュリアス・イーストマン(Julius Eastman)という、犯罪的なまでに知られていなかったアーティストの音源を素材として作った彼女のアルバムで、それならまあ、昔からよくあるリミックスみたいなものだと早合点されてしまうのだが、本作における骨子は、ジュリアス・イーストマンの人生から授かったインスピレーションにある。ぼく自身も、ジュリアス・イーストマンについて犯罪的なまでに知らなかったひとりなので、彼のことを調べて、彼の音楽を聴いて、ただただ驚嘆するしかなかった。
 
 ジュリアス・イーストマンは、不遇な音楽家だった。いまから32年前、ホームレスとして亡くなったクィアの黒人前衛音楽家は、1940年、ニューヨークに生まれている。14歳からピアノを習ったという彼が、大学で理論を教えながら音楽家として活動をはじめたのは、1963年にフィラデルフィアのカーティス音楽院を卒業してから数年後の、60年代後半ことだった。ピアニストでありヴォーカリストでもあった彼は、最初はピアニストとしてデビューし、1970年代前半にかけては自作も発表する。1973年の“Stay On It”や1974年の“Femenine”といった初期作品を聴けば、イーストマンがミニマル・ミュージックの影響下で創作していたことがわかるが、彼独自のポップな解釈もすでにある。喩えるなら、スティーヴ・ライヒのゴスペル・ヴァージョンだ。のちにアーサー・ラッセルと出会って、ぼくの大好きな“Tower of Meaning”(1983)において指揮を任されるのがイーストマンだったこともぼくはこの機会に認識したわけだが(ティム・ローレンスの評伝では、ただその名前のみが記されている)、イーストマンの作品はクラシック音楽の前衛(ミニマル・ミュージック)にまだ片足を突っ込んでいた初期のラッセル作品ともリンクしている。
 イーストマンの人生において重要な出来事のひとつは、1975年にジョン・ケージの“Song Books”なる作品をイーストマンが所属していたS.E.M.アンサンブルの一員として演奏したことだった。そのときイーストマンは男女をステージに上げ、演劇的にエロチックなパフォーマンスを挿入したというが、こうした彼の同性愛者のアイデンティティの発露に対して実験音楽の大家は激怒し、名指しで批判した。当時禅宗に傾倒していたケージにとって作中に私事を出すことは許しがたかったようで、その出来事のみにフォーカスするなら、60年代的な精神に2010年代的な行為が否定されてしまったといまなら言えるかもしれない。まあ、とにもかくにもその時代、もっとも影響力のあった人物からの公での批判は駆け出しのアーティストにはそうとう堪えたろうし、ましてや勇気を持って臨んだ自己アイデンティティの主張が間違っていると言われた日にはたまったものではない。この出来事はイーストマンがアカデミーの世界から離れるひとつのきっかけになったんじゃないだろうか。
 大学を離れNYに戻った70年代後半からは、イーストマンはさらに精力的に創作活動に勤しんでいる。1979年には、“前衛音楽”シーンにおいては刺激的過ぎた作品名の3つの代表作(“Crazy Nigger”、“Evil Nigger”、“Gay Guerrilla”)を発表、それからアーサー・ラッセルと出会って、ラッセルのディスコ・プロジェクト、Dinosaur Lに参加もしている。
 しかしながら、ラッセルと違って彼個人の作品が商業リリースされたことはなく、生活を支える仕事もなかった。イーストマンは家賃も払えず、80年代初頭にはアパートを追い出され、それから死ぬまでのあいだはほとんどホームレス状態だったという。しかも彼の死は、あたかも彼が存在しなかったかのように、それから8ヶ月後に『ヴィレッジ・ヴォイス』が小さく報じたのみに留まった。イーストマンの楽譜が再発見されてあらたに演奏されたり、イーストマンの作品の数々が商業パッケージとしてリリースされるのは、彼の死から15年も過ぎた、2000年代半ば以降の話である。

 本作『私のために美しきものをつくる(Building Something Beautiful For Me)』は、その題名が主張しているようにロレイン・ジェイムスの作品とみていい。作品への感銘もさることながら、クィア・ブラックとしての深い感情移入もあったことと察する。彼女の音楽の特徴がストリート(グライム/ドリル)とオタク(エレクトロニカ/IDM)との融合にあったとすれば、本作においてはそうした二分法を超越している。時空を超え、さらにいろんなもの(ライヒ的なミニマル・ミュージックを含む)が彼女のなかに吸収され、彼女のいう“美しきもの”となって吐き出されている。強いてジャンル名のタグを付けるとしたらエレクトロニカ(ないしはエレクトロ・アコースティック)となるのだろうけれど、90年代のそれとは別次元の、ほとんどこれは詩学の領域に到達していると言っていい。
 非凡な人には、確実に乗っている時期というものがある。今年は、彼女のアンビエント作品集『Whatever The Weather』も良かったし、本作もまた感動的で、ロレイン・ジェイムスがいまアーティストとして最高の状態にいることがわかる。来日が楽しみでならない。

*タイミングが合えば、年末号の紙エレキングにロレイン・ジェイムスの細心インタヴューを掲載予定です。
 
 

Wendell Harrison & Phil Ranelin - ele-king

 これはすごい復刻だ。70年代スピリチュアル・ジャズ三大レーベルのひとつ、デトロイトの〈Tribe〉の代表作が豪華ボックスセット仕様となって蘇る。
 〈Tribe〉のもっとも名の知られた作品であろう、ウェンデル・ハリスンとフィル・ラネリンによる『A Message From The Tribe』は、じつは3ヴァージョン存在している。72年発表のジャケが「崖」のヴァージョン、73年発表の「地球」ヴァージョン、74年発表の「顔」ヴァージョンだ。それぞれの詳細は下記をお読みいただきたいが、今回のリイシューではその全ヴァージョンが網羅されている。とくに「崖」ヴァージョンは、世界初のアナログでの復刻となる。
 そして忘れてはならないのが、〈Tribe〉はたんにレコードを発売するだけの組織ではなかったということだ。「ア・メッセージ・フロム・ザ・トライブ」というタイトルが示しているように、〈Tribe〉はメディアやイベントなどを通して、黒人たちが置かれている状況を発信する、ある種のコミュニティでもあった。その活動の一例が、雑誌『TRIBE MAGAZINE』の発行。今回のボックスセットがすごいのは、その『TRIBE MAGAZINE』全15巻が同梱されているところだろう。入手困難だった同誌の復刻はきっと、文化史的にも大きな意味を持つにちがいない。
 全6枚組+15冊のボックスセット、ご予約はこちらhttps://vga.p-vine.jp/tribe)から。

 なお、来週発売の『別冊ele-king VINYL GOES AROUND presents RARE GROOVE』でも、〈Tribe〉は特別な存在としてコラムを設けています。ぜひ手にとってみてください。

WENDELL HARRISON & PHIL RANELIN
A MESSAGE FROM THE TRIBE BOX SET (6 Vinyls + 15 Magazines)

70年代デトロイトの伝説、〈TRIBE〉の代表的なアルバム、PHIL RANELIN / WENDELL HARRISON『A Message From The Tribe』3ヴァージョンを全てコンプリート。加えて70年代のアメリカのジャズ誌では重要なメディア『TRIBE MAGAZINE』全15巻を復刻しBOXセットにして発売致します。

1972年、デトロイトにて初声を上げたジャズ・レーベル〈TRIBE〉。1997年にP-VINEは世界に先駆けて〈TRIBE〉のコンピレーションをリリースし、それを皮切りに一連のカタログのリイシューを手掛けました。〈TRIBE〉の活動はクラブ・ミュージック周辺で再評価され、以来その活動全体が音楽シーンの伝説となっています。
今回リリースするのは〈TRIBE〉の代表的なアルバムでもあり、3種類のタイプがあることでも有名なPHIL RANELIN / WENDELL HARRISONによる『A Message From The Tribe』。これらを全てコンプリートし、加えて70年代のアメリカのジャズ誌では重要なメディアに位置する『TRIBE MAGAZINE』全15巻をBOXセットにして発売致します。

●『A Message From The Tribe』について

1972年発表の「崖」の写真をあしらった1stヴァージョン、1973年発表の「地球」のイラストを使用した2ndヴァージョン、そしてレーベルの主宰者でもあるWENDELL HARRISONとPHIL RANELINの「顔」のイラストが使われた1974年発表の3rdヴァージョン。わずか3年間で3種類リリースされた本作。これらはそれぞれ内容が異なります。

□1stヴァージョン『崖』:他のヴァージョンとは全く内容の異なる幻の初回録音盤が初のLPリイシュー! ボーナス7インチ付き
記念すべきレーベルの第一弾アルバムが世界で初めてアナログ復刻します。Tribeのコミュニティは、発足当初はライブを主な活動としていましたが、その延長で音楽と寸劇と詩で構成されたミュージカルをデトロイト美術館にて公演。その録音を一枚のLPに収めたのがこのアルバム。激しいフリージャズから徐々にブリージンなジャズ/フュージョン・サウンドへと変化していくWENDELL HARRISONの代表曲 “Where Am I” や、自由と自立のためにいま何が必要かを問いかけたメッセージが妖艶に紡がれていくグルーヴィーなヴォーカル・ジャズファンク “What We Need” の最初のテイクがここで聴くことができます。また本作はボーナス7インチを付属。こちらは “Where Am I” と “How Do We End All Of This Madness” を収録。どちらもここでしか聴くことのできないヴァージョンです。

□2ndヴァージョン『地球』:未発表のインスト・ヴァージョンがボーナス10インチとして初のレコード化
このアルバムで一番有名なジャケットと言っても良い「地球」をあしらった2ndヴァージョンは、あらたに再録音された全くの新しいテイク。1stヴァージョンとは収録曲の内容も異なり、より洗練された内容。A面にはPHIL RANELINの楽曲が収録され、1stヴァージョンよりも曲の精度を上げて作られておりファンキーな仕上がりに。B面のWENDELL HARRISONの楽曲は全曲差し替えられ、こちらもグルーヴィーな楽曲が並んでいます。全体的にも1stよりもコマーシャリズムが優先されており、それによって時流に合わせたモダンなサウンドに生まれ変わっています。そして本作には初のアナログ盤でリリースされるインストゥルメンタルを収録した10インチが付属。当時のミュージシャンの演奏力や楽曲自体の素晴らしさがあらわになり、折り重なるようなホーンセクションがクールなジャズファンクとして新しい側面を感じます。これらはジャズの音楽史でも貴重なテイクです。

□3rdヴァージョン『顔』:3つの中でもっとも良い録音に仕上げられたヴァージョンをTRIBE初の45RPM / 2枚組LPに
そして3rdヴァージョンは本作品群における最終形態。2ndヴァージョンから大きくミックスを変え、マスタリングやカッティングまでこだわりリリースされたのが本作。2ndヴァージョンと聴き比べても別物と思えるほど音の違いがはっきりとわかります。特に “What We Need” のファンキーさは、キックやベースの音圧やボーカルの輪郭などが格段にアップし、現在であればダンスミュージックとしても十分に使える音像に変化。そのほか反復するウッドベースのフレーズやローズの音色などがグルーヴィーな “How Do We End All Of This Madness” や、刻んだハットと乱れ打つスネアが印象的なウェンデル・ハリソンらしい疾走感あるジャズファンク “Beneficent” などもファットなビートに進化しています。今回は元の音源を忠実に再現しつつ、アナログは2枚組の重量盤LPでより高音質な仕様にしています。

●復刻版『TRIBE MAGAZINE』について

□全15巻を完全復刻
TRIBEがレコードのリリースと並行して出版していたマガジンがこの『TRIBE MAGAZINE』。70年代当時、アフロ・アメリカンたちのコミュニティで起こっている凄惨な出来事を明確に伝えるメディアが全く無かった中、WENDELL HARRISONが中心となって立ち上げられた黒人のための音楽情報誌兼、ニュース・メディアです。当時のデトロイト周辺のジャズや著名な音楽家などの記事に加え、黒人の歴史家/人類学者のコラムや日常の知られざる出来事をレポートしたニュースを発信。"何も知らなければ何もできない" 〜 "We can't do anything about it, if we don't know about it." を主張しアフロ・アメリカンの自立を目指して発行されていました。また誌面のデザインや写真などもローカル誌とは思えない斬新なビジュアルで、眺めているだけでも楽しめる内容です。
今回、スピリチュアル・ジャズ史上最も重要な紙媒体でもあるこのマガジン全15冊を完全復刻します。『TRIBE MAGAZINE』は現在、非常に入手困難なメディアであり、これは世界中で待たれていた待望の復刊になります。

https://vga.p-vine.jp/tribe

[商品情報]

■早期購入者特典としてオリジナルTシャツ付き!(2023年1月5日まで)

■箱のデザインは2タイプから選べます

ボックス・タイプA


ボックス・タイプB


■伝説のJAZZマガジン TRIBE MAGAZINE 全15冊を完全復刻!
■限定シリアルナンバー入り
■レーベル代表作が3バージョン、デラックスエディションで復刻!(全て見開きジャケット)
■(LP+7”)+(LP+10”)+(45RPM 2LP)
■世界初インスト・ヴァージョン・アナログ化!
■LPは180g 重量盤!
■ジャケット/TRIBEマガジンをモチーフにしたポスター(515×728mm)封入!
(The back side is TRIBE x Pharoah Sanders or Herbie Hancock from Tribe Magazine.)

価格:434.5 USD(税抜き 395 USD)

[収録内容]

□Message From The Tribe 1st Version [LP+7"]

Side A
1. Mary Had An Abortion
2. Where Am I
3. Angry Young Man

Side B
1. What We Need
2. Angela's Dilemma
3. How Do We End All Of This Madness

Side C
1. Where Am I (7" Short version)

Side D
2. How Do We End All Of This Madness (7" Short version)

□A Message From The Tribe 2nd Version [LP+10"]

Side A
1. What We Need
2. Angela's Dilemma (Instrumental)
3. Angela's Dilemma (Vocal)
4. How Do We End All Of This Madness (Instrumental)
5. How Do We End All Of This Madness (Vocal)

Side B
1. Wife
2. Merciful
3. Beneficent

Side C
1. What We Need (Full Instrumental Version)
2. Angela's Dilemma (Full Instrumental Version)

Side D
1. How Do We End All Of This Madness (Full Instrumental Version)

□A Message From The Tribe 3rd Version [2LP / 45rpm]

Side A
1. What We Need
2. Angela's Dilemma (Instrumental)
3. Angela's Dilemma (Vocal)

Side B
1. How Do We End All Of This Madness (Instrumental)
2. How Do We End All Of This Madness (Vocal)

Side C
1. Wife
2. Merciful

Side D
1. Beneficent


□TRIBE MAGAZINE(完全復刻版)全15冊

□TRIBE MAGAZINE B2サイズ・ポスター

https://vga.p-vine.jp/tribe

●〈TRIBE〉について
モータウンの発祥の地として知られるデトロイトで発足し、70年代ブラック・ミュージック/スピリチュアル・ジャズを語る上では超重要なレーベル、〈TRIBE〉。
1972年にモータウンがロサンゼルスに移転、そこでレギュラーで仕事を得ていた地元の多くのミュージシャンが突然失業していくさなか、デトロイト音楽シーンの新たなコミュニティ/クリエイティブ集団として、ウェンデル・ハリソンとフィル・ラネリンが中心となり設立。当時、アフリカ系アメリカ人達が直面していた貧困や人種差別などの困難な状況の中で、生活や社会がより良くなるよう、音楽やメディア、イベントなどを通してメッセージを発信した。その活動は90年代以降のHIP HOPやテクノなど、クラブ・ミュージック文脈で大きく評価され、2009年にはカール・クレイグによって主要メンバーが集められて作られた『Rebirth』がヒット。近年では『A Message From The Tribe』のオリジナル・レコードがオークションで1500ドルを超えるなど現在でもその影響力は衰えていない。

Surya Botofasina - ele-king

 アリス・コルトレーンのアシュラム(僧院)で彼女の演奏を聴きながら育ったというスーリヤ・ボトファシーナ。つまりアリス・コルトレーンの愛弟子ともいえるこのキーボード奏者/作曲家が、めでたくデビューを果たすことになった。ファースト・アルバム『Everyone's Children』は11/23に発売(デジタルは11/4)。プロデューサーはカルロス・ニーニョとのこと。スピリチュアル・ジャズ期待の新星に注目しておきましょう。

Surya Botofasina『Everyone's Children』
2022.11.4(土) DIGITAL Release
2022.11.23(水) CD Release

カルロス・ニーニョがプロデュースする、アリス・コルトレーンの愛弟子である注目のキーボード奏者/作曲家のスーリヤ・ボトファシーナのデビューアルバム。ジャズシンガーのドワイト・トリブルやミア・ドイ・トッドも参加したスピリチュアル・ジャズの傑作!!

キーボード奏者/作曲家のスーリヤ・ボトファシーナは、アリス・コルトレーンのアシュラムで彼女が弾くピアノとシンセサイザーを聴いて育った。だから、ディープリスニングへと誘う、この瞑想的で催眠的な音楽はとてもリアルなものだ。カルロス・ニーニョがプロデュースを担当し、彼がかつて率いたビルド・アン・アークのジャズ・コミュニティが支えていることも、その証である。(原雅明 ringsプロデューサー)

[リリース情報]
アーティスト名:Surya Botofasina(スーリヤ・ボトファシーナ)
アルバム名:Everyone's Children(エヴリワンズ・チルドレン)
リリース日:2022年11月23日(水)
フォーマット:CD
レーベル:rings / plant bass / spiritmuse records
解説:Hashim Bharoocha
品番:RINC96
価格:2,600円+税

[トラックリスト]
01. SuryaMeditation
02. I Love Dew, Sophie
03. Beloved California Temple
04. Everyone's Children (with Mia Doi Todd)
05. Sun Of Keshava
06. Waves For Margie (with RadhaBotofasina)
07. SuryaMeditation (Reprise) Radio Edit
08. SuryaMeditation (with Swamini Satsang) Excerpt

販売リンク:https://diwproducts.net/items/6322eaca7588610001b7ab98
オフィシャルサイト:https://www.ringstokyo.com/items/Surya-Botofasina

電気グルーヴ - ele-king

 基本的にぼくは疲れている男だ。これは自己嫌悪型ナルシズムではない、と自分では思っている。明日、起き上がって歩けるだろうかというレヴェルにおいて、本格的に疲れているのだ。悲しいことに、若い頃のように夜が明けるまでぶっ通しで飲むことができないどころか、ビールのジョッキを5〜6杯と焼酎を少々飲んだぐらいで翌日に残ってしまうという有様だったりする。ライヴの当日がまさにそうだった。前日の夜、恐れていた二日酔いに見舞われると、自分のメランコリックな属性が稼働し、さらに悪いことに朝から最悪のことばかりを想像してしまう。「何も変わらないだろう」と電気グルーヴは歌ったが、人類は少数の富裕層と大多数の下々という、考えてみれば昔ながらの世界に回帰した。おめでとう。そしてぼくはゾンビの大群のひとりのように電車に乗って、ふらふらとみなとみらいへと向かった。なんとか歩けるようだし。
 最近、代名詞についてちょっと調べる機会があった。中国の(秦の)始皇帝は自らを「朕」と呼んだが、これはもちろん庶民には使えない言葉だった。中国語の一人称代名詞は「我」で、その言葉には価値のない身体という意味があったという説があるらしい。正しいか俗説なのかはわからないが、少なくともぼくには相応しく思える。そんなことを思いながらも、ぼくはステージ上で踊っているひとりの「朕」=ピエール瀧を眺めていた。
 ワンマンライヴは3年振りだとステージ上のふたりは言っていたけれど、ぼく個人にとってはもっと久しぶりだった。最後に見たワンマンがいつだったか思い出せないくらいに。それはたぶん、人間生活にとって不都合な管理体制がいまほどきつくなかった時代だったかもしれない。インターネットがよりよい世界を作るだろう、新しいコミュニケーションをうながしオンライン上では誰もが自由に自己表現ができるだろうなどという説を知識人たちが喧伝しはじめた頃だった。人類が、日がな一日液晶画面のなかのアルゴリズムによる広告や動画を視界に入れながら、敵を作らないよう細心の注意が払われた安っぽい文章を読むか、さもなければ好みの動画で時間をつぶすこともなかったあの時代の電気グルーヴのライヴなら、人に自慢できるほどたくさん見ている。彼らがギリギリのところで存在していた奇跡的な時代のドキュメント、思い出だらけのあれこれ……。


 
 二日酔いの身体にビールを流し込むことは決して快感ではないはずだが、音楽とは不思議なモノで、電気グルーヴのライヴがはじまってから3曲目だったか、“モノノケダンス”のころにはビールのなかに抗うつ剤が混じっていたのかと疑ったほどだった。
 電気グルーヴは素晴らしかった。クラフトワークと同じように、彼らはテクノの徹底的な大衆主義者だ。エンターテイナーとしての自分たちの型と世界を持っている唯一無二の存在だ。誰もがその扉を開けることができるし、誰もが楽しむことができる。ヴィジュアルや照明といった演出も良かった。ライヴが終わったあと、ぼくはその場にいた湯山玲子にもっともらしくそんなことを言った。
 しかしごめん、湯山さん、ぼくがライヴの最中に泣いたのは、じつは“Fallin' Down”のときだった。その曲が名曲であるかどうかを判断する基準として、リスナーの個人的な事情や社会の認識という主観が許されるなら、こいつはこの夜のぼくにとってはスマッシュヒットだった。もっとも盛り上がった曲のひとつで人気曲、石野卓球がワンコーラス目を歌い逃したほど感極まったかに見えた“NO”は、ふたりの友情の証でもあるが、PWEIがサンプリングした1977年のディスコ・ソング(Belle Epoque)の冒頭のアカペラを情熱のこもった愛らしいイントロに変換してしまった意味においてもこの曲はインパクトがある。PWEIは、1980年代のまだロック主義者たちがディスコを見下していた時代に、茶化しと反抗とユーモアの入り交じったサンプリング芸としてそれを見せたわけだが、電気グルーヴは彼らの精神を継承しながらも、ひとつのジョークとして、さながら文化的階級闘争のように、もはやディスコこそが最高だと他を見下しているかのようなのだ。そう、ピエール瀧こそが朕であり、そしてステージ上では朕の執行猶予明けが報告されもした。「執行猶予中のみなさん、もうすぐだからね」と、彼は人びとを勇気づけることも忘れなかった。

 相変わらずのリップサーヴィスのなかで、自分たちは資本主義者で金の亡者だから物販を買って欲しいと繰り返す場面もあった。ぼくはこれにも笑った。反資本主義と言いながら何万部突破などと宣伝していることより信用できるだろう。とまあ、そんな具合に、1万人以上のオーディエンスを2時間ものあいだ楽しませた電気グルーヴは、アンコールでは“富士山”をやって、それからさくっと「みんなとみらいのYOUとぴあ」という面白い言葉を冠したライヴ公演の幕を下ろした。“人間大統領”も“虹”もやらなかったけれど、なんの不満もない。理解を超えた、不毛(ナンセンス)なことに熱中することはなんて楽しいのだろう。それがこんなにもまぶしいポップな娯楽として成立している世界は、そんなに悪くない。
 
 電気グルーヴは、11月には全国ツアー「みんなと未来とYシャツと大五郎」も控えている。 

 

Roy Brooks And The Artistic Truth - ele-king

 ヴァイナルにまつわる新たな試みを展開するVINYL GOES AROUNDからニュー・アイテムの登場だ。
 今回はデトロイトのドラマー、ロイ・ブルックス(&ジ・アーティスティック・トゥルース)による73年リリースのライヴ盤……の、なんとテストプレス。
 ロイ・ブルックスは60年代前半にホレス・シルヴァーのクインテットなどを経て〈モータウン〉のジャズ・レーベルからデビュー・アルバムを発表。70年代以降のスピリチュアル・ジャズ作品はとくに人気が高い。増村和彦の憧れのドラマーでもある。ソニー・フォーチュンやエディー・ジェファーソンが参加したこのライヴ盤は、70年代ジャズの重要作品だ。
 限定販売のため、お早めに。

 なお来週10月26日にはVINYL GOES AROUND監修の別エレ最新号が発売。ぜひそちらもチェックを。

ROY BROOKS AND THE ARTISTIC TRUTH
Ethnic Expressions LP
Limited Edition Test Press
with Silkscreened Picture Sleeve (Serial Numbered)

Roy Brooks And The Artistic Truth / Ethnic Expressionsのテストプレスを限定で発売します。特別に作られたハンドメイドのシルクスクリーン・ジャケットは2種類のタイプを丁寧に一枚ずつプリントしています。
本作はアフリカン・スピリチュアルに傾倒したデトロイト・ジャズの中でも有数のライヴ・アルバム。音楽を通じてアフリカ系アメリカ人の団結を提唱した活動の記録でもあり、ここでしか味わうことのできない熱い演奏を堪能することができます。
昔からヴァイナル・コレクターの中でも非常に人気の高い作品で、今やオリジナル盤は1000ドル以上の激レア盤。参加アーティストも錚々たるブラック・ミュージシャンを従え、エディー・ジェファーソンもヴォーカルで加わっています。
これは正真正銘のジャズ・クラシックであり、70年代ジャズの最重要作品です。

※限定20枚ずつ。ここでしか買えないエクスクルーシヴ・アイテムです。

VGA-5007
Roy Brooks And The Artistic Truth
Ethnic Expressions
¥7,000
(With Tax ¥7,700)

VGA-5007W
Roy Brooks And The Artistic Truth
Ethnic Expressions
¥7,000
(With Tax ¥7,700)

https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-5007/

*The products will be shipped in Late November 2022.
※商品の発送は2022年11月下旬を予定しています。

*Please note that these products are a limited editions and will end of sales as it runs out.
※限定品につき無くなり次第終了となりますのでご了承ください。

interview with Louis Cole - ele-king

 少なくない数のある種の音楽ファンにとって、今年いちばん待ち望んでいたアルバム。前作から4年ぶりとなったルイス・コールの新作『Quality Over Opinion』は、20曲入り(国内盤CDはボーナストラックありの21曲)、70分超の大ヴォリュームで、ファンの期待を上回るこれまた快作だ。
 2010年に、1stソロ・アルバム『Louis Cole』と、LAの名門音楽大学在籍中に出会った女性シンガー、ジェネヴィエーブ・アルターディと組むノウワー(Knower)の1stアルバム『Louis Cole and Genevieve Artadi』でレコード・デビュー。シンガー・ソングライターとして、そして、独創的な超絶技巧ドラマーとして地元ロスアンジェルスで名を上げ続けた彼は、〈ブレインフィーダー〉発となったワールドワイド・デビュー作『Time』一発で、世界中にその名を轟かせた。盟友サンダーキャットと並んで、いま最も聴き手の心を踊らせてくれる音楽家と言っていいだろう。
 「最も影響を受けたのがジェイムズ・ブラウンで、曲づくりの転機となったのがスクリレックス」という発言に、彼がつくる音楽の秘密が凝縮されている。新作について、ルイス・コールについてより深く知るためのヒントが詰まったインタヴューをお届けしたい。

マシンと、人間が正確に叩くものは違う。人間には何らかのエラーがあって、でもそこにはある種のパワーがあるし、すごく感動的なんだ。

前作『Time』と、新作で変わった点、変わらない点は何ですか?

ルイス・コール(Louis Cole、以下LC):変わった点は、新しいサウンドを探求していること。それから、ひらめきやアイデアを追求して、最終的な形にまで持っていくのがうまくなったと思う。これまでに培ったスキルで、最初に浮かんだアイデアを形にする力が増したんだ。ただ2枚のアルバムにおけるミッションは同じだった。それぞれの曲に対して、できるかぎり深く掘り下げて、そうして曲が持つエモーションを最大限引き出すというね。

ドラムスをジャストで聴かせるのが、あなたの音楽の最大のトレードマークで、新作ではそれがより強調されているように思います。どういった考えで「ジャストなリズム」にしているのですか?

LC:もう何年も、正確にリズムを刻むこと、一拍一拍をどう置くかをしっかりコントロールすることに取り組んできたんだ。『Time』以降だから4年くらい、ドラムをより正確に操れるように努力してきたんだ。正確なリズムに興奮するんだよね。

「ジャストなリズム」のおもしろさは、どういったところですか?

LC:何だろうな……そこから生み出される力というか。人間が完全に正確になることはできないよね。音符ひとつずつが違ってくる。打ち込みのビートやドラム・マシンはちょっと無菌というか……必ずしもそうとは限らないけど。とにかくマシンと、人間が正確に叩くものは違う。人間には何らかのエラーがあって、でもそこにはある種のパワーがあるし、すごく感動的なんだ。

レコーディングの際はクリック、メトロノームの類は用いていますか?

LC:使っているよ。ニュー・アルバムでは全曲で使った。バンドと一緒に、ライヴで録る時などは使わないけどね。

「ジャストなリズム」は、J・ディラ以降の大きな流行となった「揺れるビート」へのアンチテーゼとも受け取れます。揺れるビートに対するあなたの考えを聞かせてください。

LC:そういった、ユルい感じのヒップホップも好きだよ。それはそれで美しいと思う。僕がつくるビートとは別の形だけど、ある意味同じことのような気もする。J・ディラのことはよく知らないけど、きっとあの揺れも彼が求めた結果としてそうなっているわけで。つまり彼はしっかりとコントロールしていた。間違いなく、自分がどうしたいのかを把握していたんだ。僕も時々、揺れる感じで演奏することがあるけど、ニュー・アルバムの曲はジャストな演奏の方がいい感じだったんだ。でも、力強く、かっこよくて、魂を込めたものであれば、どんなビートでも全部有効だと思うよ。

9歳、10歳くらい。その頃はもうジェイムズ・ブラウンで頭がいっぱいだったね。

ジャズ以外の音楽的なバックグラウンドを教えてください。どういった音楽を聴いてきましたか?

LC:小さい頃はスティーヴィ・ワンダーが本当に大好きだった。確か4歳とか5歳とか、そのくらい。カセットテープで聴いていたんだ。その後はニルヴァーナとかグリーン・デイにハマって。その後はジェイムズ・ブラウンにどっぷりさ。それが9歳、10歳くらい。その頃はもうジェイムズ・ブラウンで頭がいっぱいだったね。それから、ずっといろんなジャズを聴いてきた。僕の父がピアノを弾くということもあって、いつもジャズかクラシックのレコードをかけていたからね。

ロスアンジェルスで生まれ育ったことは、あなたの音楽にどういった影響を及ぼしていますか?

LC:ひとつ良かったのは、大きな都市だからライヴがたくさんおこなわれていたこと。若い頃からすごく良いライヴを観ることができた。例えばジョシュア・レッドマンとかラリー・ゴールディングスとか。これはすごいぞって、子どもの頃に思ったのを覚えているよ。最近感じるLAの主な利点はふたつあって、ひとつは、様々な種類の自然から近いこと。雪も砂漠も、それからセコイアの森もビーチもある。インスピレーションを得たり、充電できるという意味でも、いい点だね。もうひとつは、LAには素晴らしいミュージシャンがたくさんいること。ライヴやレコーディングをするときに、本当に素晴らしいミュージシャンに声をかけることができるんだ。

「ジャズの本質は混じりっけなしの自由。制限なんてない。無限の純粋な爆発なんだ」と発言されていました。あなたの音楽はジャズと、ポップスのミクスチャーと言えるでしょうか? 自分ではどういう音楽をつくりたいと考えていますか?

LC:確かにそうだと思う。間違いなく両方に影響を受けているし、ポップスという枠内で曲を書くのが好きだしね。ひとつのセクションがどのくらいの長さになるかに細心の注意が払われるところとか、おもしろいんだ。自分が音楽を聴くときも、集中力が長くは持たない。だからひとつのセクションが短いのが好きなんだよね。基本的にはあらゆる種類の音楽が好きだけど、自分がつくる場合はポップスの枠組みの中でつくるのが気持ちいい。創造する上で制限があるのもいいんだ。焦点が定まるというか。ポップ・ソングにヴァース、サビ前、サビといった型があるのは、自分の労力を流し込むのにすごくいい。でも同時にジャズの自由さも好きなんだ。恐れ知らずで、高エネルギーなところ。そしてヴァリエーションがあるところ。僕も、自分ではポップ・ソングをつくっているつもりでも、実際はもう少し自由で、もう少し野生的かもしれない。

音楽を演じるにあたり、特に影響を受けたアーティスト、作品を教えてください。

LC:いろんな人の影響を受けてきたけど、間違いなく、ジェイムズ・ブラウンが大きかったと思う。彼の『Love Power Peace Live At The Olympia, Paris, 1971』というライヴ・アルバムを子どもの頃に聴いて、そのエネルギーに圧倒された。すべてが美しいんだ。あとはマイルス・デイヴィスのライヴ・アルバムも。70年代初期の『Black Beauty』はすごく好きだったな。狂気的で驚異的な演奏なんだ。それから1969年のトニー・ウィリアムズ・ライフタイムの海賊盤を聴いて、もっといいドラマーになりたいと強く思った。とりあえずいま思いつくのはそんなところだけど、まだまだあるはず。

ソングライトは、その時々の自分の思いを表したもので、基本的には即興ですか? 

LC:良い質問だね。曲の最初のアイデア自体は、そのときに自分が感じているエネルギーが現れたものなんだ。それを曲として使えるように凝縮するというか。だから、その時々に感じていることっていうのは、間違いなくそうだね。曲を完成させるまでには、ときには当然ながら、アイデアをひらめいたときと同じモードではなくなっていることもあるけど、それでも制作を続ける。そして自分自身を当初の気持ちに持っていこうとする。いつも歌詞は後から書くけど、最初の感覚を呼び覚まそうとする場合もあれば、そうではなくて、自分がつくったインストを聴いて感じたことを歌詞にする場合もあるよ。

理論を活用して何十年先にも残るような名曲を書く、といったことには興味がないのでしょうか?

LC:もちろん、これまでに培った知識を道具として活用して、曲を強化することはある。ただ僕はそれほど音楽理論には詳しくないんだ。コードの名前とか、コードの作用とかは僕の得意分野ではないんだよ。だから僕の音楽知識というのはあくまで、長い間音楽をやってきたことによって培われたもので。何度も試行錯誤しながらね。そういう知識を用いてタイムレスな曲を書きたいという思いはあるよ。

あとはマイルス・デイヴィスのライヴ・アルバムも。70年代初期の『Black Beauty』はすごく好きだったな。狂気的で驚異的な演奏なんだ。

「2011年にスクリレックスを聴いて、音楽に対する考え方が変わった。僕の曲づくりは彼の影響を受けてガラッと変わった」とのことですが、スクリレックスの音楽のどこに衝撃を受けたのですか、具体的に教えてください。

LC:そう、2011年に初めてスクリレックスを聴いたんだ。『Scary Monsters And Nice Sprites』を聴いたんだけど、シンセサイザーでつくったモンスター級サウンドだったわけ。とにかくグルーヴがすごくて。ある意味笑えて、ふざけてるのにめちゃくちゃヘヴィでグルーヴィなんだよ。それが、最高の組み合わせだなと思った。そして彼の音楽をライヴで聴いた。その体験が僕の人生を大きく変えたんだ。単にそのエネルギーが好きなだけじゃなくて、彼がサウンド・エフェクトで作曲すること、すごくメロディックにすること、しかもすごく理にかなっていることに、僕はものすごく感銘を受けた。

具体的にはどう変わったのですか?

LC:まず、以前よりずっとプロダクションに注意を払うようになった。純粋なエレクトロニック・ミュージックをつくってみたいと思うようになったりね。というのも僕は基本的に楽器、アコースティック主体でやっていたからね。プロダクション、ミキシング、周波数といった音楽知識を学びたいと思ったよ。

歌詞は、定番の男女の関係を歌ったものはなく、あなた自身の心の揺れ動きを表したものが多いですね。歌詞についてのあなたの哲学を教えてください。

LC:できる限りデタラメをなくして、正直に語るということかな。それから、自分らしいと感じられる言い方を心がけること。他の誰かから借りてきたような言葉使いをしない。たとえ音楽に乗せる言葉としては強すぎたり不快に感じるとしても、自分はこういう言い方をするなっていう言葉を変えないようにしている。そしてとにかく最大限深く掘り下げる。後は、曲なんだから韻を踏めるといいなと。僕が普段の会話で言いそうなことって、メロディに乗せるとイマイチな言葉もあるから、その場合はいい感じに曲に収まるようにする必要があるんだよね。とにかく、できるかぎり正直に書くというのが信条だよ。もちろんときには皮肉交じりの歌詞を書くこともあるけど、その場合はさすがに伝わってるだろうしね。

LOUIS COLE BIG BAND
JAPAN TOUR 2022

12.05 MON - NAGOYA CLUB QUATTRO
12.06 TUE - UMEDA CLUB QUATTRO
12.07 WED - SHIBUYA O-EAST

OPEN 18:00 / START 19:00
ADV. ¥7,150(税込/ドリンク代別途)

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12997

interview with Alan McGee - ele-king

 80年代前半に活動を開始したインディペンデント・レーベル、クリエイション。ザ・ジーザス&メリー・チェイン、ザ・パステルズ、ライドらを輩出したのち、1991年にはプライマル・スクリーム『スクリーマデリカ』、ティーンエイジ・ファンクラブ『バンドワゴネスク』、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『ラヴレス』をリリース。UKシーンの騎手となったものの、経済的苦境に陥り、ソニー・ミュージックに49パーセントの株を売却したのち、オアシスをデビューさせ、世界のトップ・バンドに成長させた。
 しかしながら、1999年、創設者であり主宰者でありつづけたアラン・マッギーは、突如レーベルの終焉を宣言した。
 そして、それから20年以上たった今、アランの少年時代からクリエイションの隆盛を描いた映画『クリエイション・ストーリーズ』(2021年)が、この秋ついに日本でも公開される。

 アランはスコットランド、グラスゴー出身。同じくスコットランド、エディンバラ出身の小説家アーヴィン・ウェルシュが脚本を手がけている。村上春樹より10歳ほど若いけれど、その分パンキッシュに、彼と比肩するほどの深さで音楽と物語を融合させてきた彼の手腕が、存分に発揮されている。
 やはりスコットランドを舞台に、90年代のユース・カルチャーをヴィヴィッドに描いた映画『トレインスポッティング』(1996年)はアーヴィンの小説が原作だった。その大ヒット作品で監督を務め、それ以降映画界の寵児となったダニー・ボイルが、『クリエイション・ストーリーズ』の製作総指揮を担当した。
 まさに申し分のない布陣ではないか。
 内容も、期待に違わず、素晴らしいものとなっている。
「ファッキング・ジーニアス!」
 アラン自身も、こう太鼓判を押した。

 この映画でアランを演じているのは、ユエン・ブレムナー。『トレインスポッティング』でスパッドを演じていた彼だ。
「彼とは、ずっといい友だち。ここ最近はちょっと会えてないけど。彼はアートのプロフェッショナル。ぼくを演じた彼に対してそう言うのは変かもしれないけれど、彼のことを愛してる。そう、彼が20代だったころ、スパッドを演じたんだよね、ユアン・マクレガーじゃなくて彼がレントン(『トレインスポッティング』の主人公)を演じるって話もあった、そのあとに。『クリエイション・ストーリーズ』でぼくを演じるのは、ユエン・ブレムナーでどうかな?って聞いたとき、うわっ、最高だと思った」
 数年前にニュースを見たとき、最初てっきりブレムナーではなく、ユアン・マクレガーかと勘違いしてしまった(笑)。
「いや、実際、マクレガーはどう?とも訊かれた。そういう、イケメン俳優がいいんじゃない?って。だけど、それはだめだ。断った。ぼくらしくない(笑)。映画を観おわったとき、ファッキング映画スターが最も印象に残るような感じにしたくなかった。だから、結局、マッギーはスパッドなのか(笑)? それはそれとして、彼は見事にアラン・マッギーを演じてくれた。すごい才能を持った俳優だね、まったく」

『クリエイション・ストーリーズ』で、どう描かれるか最も気になった場面のひとつが、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインによる『ラヴレス』制作エピソード。あまりに長期間に及んだため、90年代初頭のクリエイション・レコーズ財政悪化の主要因となったといわれている。ところが、意外とヘヴィーに描かれていなかった。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのメンバーたちが可愛く見えてしまったくらいで(笑)。
 「もちろん、あの映画そのものじゃなかった! まあ、半分くらい事実というか。ちょっとハッピーな雰囲気さえ感じたのは、一種のナンセンスなコメディー的要素のせいかも。ぼくが警備員に追いだされたところとか(笑)。でも、実際は警備員を雇ったりする予算なんか到底なかった。当時のぼくの個人的体験も含めれば、もっとずっとシリアスで、そう、ヘヴィーに描かれてもおかしくなかった」
 ヘヴィーといえば、映画の冒頭部分で、アランがLA行きの飛行機に乗っているところを観た瞬間、そのあとの、ブレイクダウンの場面を観るのがつらいと思ってしまった。
『クリエイション・ストーリーズ』は、ドキュメンタリーではなく、あくまで事実をもとにした物語なので、時系列などが微妙に異なっている部分もあることに観すすめて気づいたのだが、歴史的に、過労とドラッグのオーヴァードーズでアランが倒れた、ブレイクダウンしてしまったのは、プライマル・スクリームが『ギヴ・アウト、バット・ドント・ギヴ・アップ』を、オアシスがデビュー・シングルをリリースしたころ、LAに飛んだときだった。
 映画では、そのブレイクダウン場面に至るまで、ほかの楽しいことがたくさん描かれていた。そして、そこでは、仰天するような、しかし、ある意味リアルな特殊効果が使われていた。
「たしかに、それに関連する場面を観て、泣いてしまった友だちもいる。だけど、映像的に、すごかった。ぼく自身は、つらいというより、好きだな。うん、そのパートも大好き。制作予算が途中からアップして、映像的に大胆なこともできるようになった。ダニー・ボイルは、本当によくやってくれた」

「ところで、クッキーシーンは、今もやってるの?」
 アランがそう訊いてくれたので、正直に答えた。ウェブ・サイトの製作システムが古くなってしまい更新できなくなった。そのうちリニューアルするかもだけど、コロナで収入も減ってるから、さて、いつになるか(笑)。
 そして、このインタヴューは、エレキングという媒体に載せてもらう予定だが、ぼくが大昔に自主制作雑誌としてクッキーシーンを始める前に、野田努さんというひとが、やはり自主制作雑誌としてエレキングを始めていた。
「グレイト!」
 野田さんは、たしかアシッド・ハウスがとても好き。
「アシッド・ハウス、大好きだ!」
 カフェとコイン・ランドリーが一緒になったような場所で踊りまくる場面が映画にあった。すごく印象的だった。あれは実話なのか?
「イェー、あれは100パーセント事実、本当にあったことだよ!」
 エド・ボールがアランにアシッド・ハウスを教えたというのは?
「いや、それは逆。ぼくがエドにアシッド・ハウスを教えた。80年代当時はエクスタシーが安かったから、それに入れこんでた。もちろん昔の話だけどね」
 1994年のブレイクダウンのあと、アランはドラッグどころか、アルコールも、コーヒーさえ一切摂取しなくなったということは有名な話だ。
「エドは、もっと安く入手する手段を見つけて、アシッド浸りになっていた、もう四六時中(笑)」
 90年代なかば以降、ロンドンでしょっちゅうエドと会っていたけれど、あまりそんな感じは受けなかった。彼もアランと同じくもうやめていたのかもしれないし、むしろ典型的なイングリッシュ・ジェントルマンという印象だった。
「そう、そうだよね。彼とは、しばらく会ってない。また会いたいよ。なんか、最近ひきこもり生活に入っちゃってるみたいで。(エド・ボールがかつて率いていたバンド)ザ・タイムスのボックス・セットが少し前にチェリー・レッドからリリースされたけれど、もうすぐ彼の新しいコンピレーションも出る。彼のことも、彼の音楽も、ぼくは本当に愛してる」

 アランが80年代にやっていたバンド、ビフ・バン・パウ!のボックス・セットも、今年チェリー・レッドからリリースされた。そこには、ビフ・バン・パウ!のCD5枚だけではなく、それ以前にアランがやっていたザ・ラッフィング・アップルのCDも1枚入っていた。ザ・ラッフィング・アップルの多くの曲を、初めて聴けた。
 それで、あらためて気づいた。初期ビフ・バン・パウ!にもそんな傾向は残っていたが、ザ・ラッフィング・アップルの音楽は、よりあからさまにポスト・パンク的というか、アヴァンギャルド。
「うん、うん、まったくそうだ。でも、ザ・ラッフィング・アップルは、ぼくのバンドというより、アンドリュー・イネスとぼく、ふたりのバンドだったということを忘れちゃいけない。ちなみに、彼とは、今もよく会ってるよ。一緒に歩いてるというか、散歩友だちって感じで(笑)」

 アンドリューとアラン、ボビー・ギレスピーは、グラスゴー時代から友だち同志だった。前者ふたりがロンドンに移り住んだとき、ボビーはグラスゴーに残った。父親が絶対に許してくれない、という理由が、すごく微笑ましいと思った。
 そしてアンドリューは、80年代後半のファースト・アルバム制作時から現在に至るまで、ボビー率いるプライマル・スクリームの中核メンバーでありつづけている。
『クリエイション・ストーリーズ』で描かれた、グラスゴー時代のエピソードには、とてもわくわくさせられる。ただ、気になったのは、アランのお父さん、ジョン・マッギー。
「アーヴィン・ウェルシュは、父さんの様子に関して、正直言って、あれでもソフトに描いてくれたんだよ。ぼくの家では、まじで最悪な暴力が展開されていた。父さんは、みんなを叩きまくっていたというか、映画よりもっとよくない感じで、ぶわーっとジャンプしてぼくの頭を蹴ったり(笑)」
 ちょっと意外だった。かつてジョンがクリエイションからアルバムをリリースしたとき、彼に電話インタヴューしたことがある。とてもいいおじさんという感じだったし、ピート・アスター(ザ・ロフト、ザ・ウェザー・プロフェッツ)が好きと言っていたので、なんかアランと趣味が合う、音楽的にも理解のあるひとだったのかと思っていた。
「彼、そんなこと言ってた(笑)? 知らなかった。まあ、癇癪持ちだったけど、もちろん悪いひとじゃなかった。あの暴力は、たぶんアルコールのせいだった」
 暴力的だったかどうかは別として、思春期における父親からのプレッシャーという意味では、とても共感を覚えた。とにかくステディ・ジョブ(固い仕事)に就けとアランが散々言われていたこととか。ぼくの父親もそうだったから。
 しかし、この映画は、最後に心暖まる場面で締めくくられる。
 あえて、ねたばれはしない。
「いや、あれはもちろん作り話(笑)。だけど、ありえたことというか。彼とぼくがなにかをシェアできたかもしれない、そういうこと。いつだって、起こりえる。でも、実際になかったことだったのは残念だった。だけど…」
 父親と息子とは、そういうものかもしれない。
「ジョン・マッギーを演じたのは誰だと思う? リチャード・ジョブソンだよ! スキッズのシンガーだった! 父さんを、リチャード・ジョブソンが!」

 アランは、この映画に対して「ファニー」という表現を何度も使っていた。そう、『クリエイション・ストーリーズ』は、最高に楽しめる映画だ。あなたにも是非観ていただきたい。


撮影現場を訪れているアラン・マッギー。

クリエイション・ストーリーズ~世界の音楽シーンを塗り替えた男~

製作総指揮:ダニー・ボイル 
監督:ニック・モラン 脚本:アーヴィン・ウェルシュ&ディーン・キャヴァナー
出演:ユエン・ブレムナー、スーキー・ウォーターハウス、ジェイソン・フレミング、トーマス・ターグーズ、マイケル・ソーチャ、メル・レイド、レオ・フラナガン、ジェイソン・アイザックス
2021年/イギリス/英語/110分/原題:Creation Storie/配給:ポニーキャニオン 
© 2020 CREATION STORIES LTD ALL RIGHTS RESERVED   
公式サイト: https://creation-stories.jp

ファイブ・デビルズ - ele-king

 今年前半に公開されたジャック・オディアール監督『パリ13区』の脚本を共同で手掛けたセリーヌ・シアマとレア・ミシウスがそれぞれに監督した『秘密の森の、その向こう』と『ファイブ・デビルズ』が今年後半に立て続けに公開。パリの移民地区を舞台にした『パリ13区』はそれまでのオディアール作品とは比較にならないほど複雑な人間関係を扱い、その妙味は明らかにシアマとミシウスがもたらした変化であった。早くからシアマとミシウスの才能に着目していたオディアールが『リード・マイ・リップス』から21年を経て、70歳にしてこれだけの新境地を開けたことにも驚くし、『秘密の森の、その向こう』と『ファイブ・デビルズ』がいずれも『パリ13区』の一部を拡大し、どちらも示し合わせたようにSF的な要素を導入していたことも驚きであった。シアマとミシウスは子どもの視点を大幅に活用したことでも共通し、演技経験がなかったという子役の選び方まで同じ。子どもというファクターを加えることで2人は男性を必要悪としてでも受け入れなければ次世代がない=人類は存続できないという時間の流れを意識させ、そうした世界観を娘たちの目を通して描くというアクロバティックな観点へと観客を連れ去っていく。同じフランスの女性監督でもヴァレリー・ドンゼッリやミア・ハンセン=ラブにはなかった感覚であり、オディアール作品の死角ともいうべき部分が浮かび上がった感もある。いずれにしろ『パリ13区』、『秘密の森の、その向こう』、『ファイブ・デビルズ』はユニークなトライアングルをなし、どの作品も「女性たちにとって男性とは何か」という問題意識をそれぞれの角度から考えさせられる。

 『パリ13区』からエミリーとその母と祖母という3世代の女性を抜き出して距離感を測り直したものが『秘密の森の、その向こう』のネリーとその母と祖母の関係に相当し、ネリーが父親にヒゲを剃って欲しいと頼むことで、要するにテストステロンを抑制すれば男性も女性たちの輪に加わっていいという単純なメッセージになっている(世代を単なる友人関係に置き換えると『かもめ食堂』のミサンドリーにも通じるだろう)。これに対して、『パリ13区』のノラとアンバーとカミーユの関係をジョアンヌとジュリアとジミーに置き換え、ヴィッキーという娘を加えたものが『ファイブ・デビルズ』の骨格部分をなす。『パリ13区』ではノラとアンバー、『ファイブ・デビルズ』ではジョアンヌとジュリアという2人の女性が奇妙な結びつき方をしていることがそのまま物語の核心をなし、ノラに恋するカミーユも、ジョアンヌと結婚しているジミーも、男は雑音に等しい存在として描かれている。雑音の入れ方がしかし、ミシウスは非常に巧みで、ヒゲを剃っていれば女性たちの輪に加えてもらえるというほど単純ではなく、そのノイズがノイズと見なされる理由も含めてストーリーの歯車に組み込んだところが『ファイブ・デビルズ』をとても見応えのある作品にしている。『ファイブ・デビルズ』は家族を扱ってるようで、実際にはジョアンヌという「個人の生き方」を描いた作品で、「家族のあり方」を描こうとする姿勢はむしろ希薄である。フランス映画というのは昔からそういうものかもしれないけれど。

 ジョアンヌはプール教室のインストラクター。老人たちのレッスンを指導しながら子どもたちの行動にも気を配っている。彼女の隣には黒人の女の子がいて、全員が帰るとその子(ヴィッキー)はプールの片付けを手伝い始める。ジョアンヌは白人なので、養女なのかと思っていると、しばらくして彼女の夫であるジミーは「セネガル人」で、ヴィッキーも実の子どもだということがわかってくる。ジョアンヌは仕事が終わるとヴィッキーを伴って湖に寒中水泳をしに行く。ジョアンヌはいつもほとんど無表情で、物語も中盤を過ぎると(以下、少しネタバレ)寒中水泳で死と隣り合わせの状態に自分を置かないと自分が生きている実感を持てないという感覚を漂わせる。ヴィッキーはいつもジョアンヌが泳ぎ出して20分が経過すると警告を発し、湖から上がったジョアンヌにやはり無表情でガウンを着せる。冷え切ったジョアンヌの表情は寒中水泳を始める前よりもさらに表情を失い、ヴィッキーはジョアンヌが湖に飛び込む前に全身に塗るワセリン状のものを母親の匂いとして認識し、自分の手についたワセリン状のものをすべてビンに入れて保存している。ジョアンヌとジミーはセックスレスで、ジミーも家にいる時は表情がない。親子3人でTVを観ていてもそこには感情の交流はなく、言葉にして出されるのはいかにも親が言いそうな常套句のみである。物語が動き出すのはジミーの電話が鳴り、妹のジュリアが村に戻ってくることになってから。「いいよ」と返事したジミーにジョアンヌはなぜ許したのだと抗議する。しかし、ジュリアはジョアンヌの家にやってくる。そして、ジョアンヌの家に住み、酒がないとわかると夜な夜な酒を飲みに出掛けることから村の人たちにジュリアが戻ってきたという噂が広まっていく。ジョアンヌは同僚のナディーヌに噂の真偽を確かめられるものの、その噂は嘘だと否定する。

 ヴィッキーは嗅覚が異常に発達している。ジョアンヌもヴィッキーの嗅覚が警察犬並みに能力が高いと気づき、ヴィッキーの能力を試してみる(この辺りは話がどっちに向かうのかさっぱりわからなくて最も期待が高まるところ。作品を観る気のある人はこれ以上読まないことをお勧めします)。ヴィッキーはジュリアの匂いを再現しようとし、その途中で「ある匂い」に反応して気を失ってしまう。彼女が目を覚ますと、そこは体育館で、学生時代の母親たちが体操の準備をしている。そこにコーチが新しいメンバーを紹介するといって連れてきたのが若きジュリアだった。ヴィッキーは人の匂いを介してその人の記憶に潜り込む能力を得たのである。ヴィッキーは何度もタイムリープを繰り返し、やがて10年前に何があったのかが少しずつわかってくる。(以下、完全にネタバレ)ジョアンヌとジュリアは女性同士で好意を抱き合っていたものの、理解のない父親に反対され、彼女たちの関係は誰からも祝福されなかった。ヴィッキーのタイムリープにはミッシング・リンクがあり、過去のすべてが明らかになるわけではなく、ジョアンヌとジュリアの関係もどのように展開していったのかはわからないものの、体操クラブが練習の成果を村の人たちに披露している最中にジュリアだけが私服に着替えて集会場から出て行ってしまう。ヴィッキーがたった1人の黒人として学校でいじめられているシーンが何度か挿入され、周囲の子供たちをタイムリープの道連れにしてしまう場面もあるので、もしかすると、若きジュリアも村には珍しい「セネガル系フランス人」としていじめられていたのかもしれない。だとすると、『パリ13区』でノラが強い絆を結ぶことになるのがネットで人気のポルノスターだったという異形のポジションにジュリアが置かれていると考えるのが自然だろう。オディアールもミシウスもフランスを「村」として描く態度が共通し、どちらもサルコジ以降に際立ち始めた共同体の閉塞感をあぶり出していく。ちなみに映画のタイトルは『5人の悪魔』なのに主要な登場人物は4人しかおらず、5人目は誰のことを指しているのだろうと思いながら観ていたら、ファイヴ・デビルズというのは村の名前で、どうやらそれはミシウスが『ツイン・ピークス」の大ファンだったことからアルプスの麓にある村という設定に変換されたものではないかと(推測)。いずれにしろ『パリ13区』も『ファイブ・デビルズ』も「場」を限定することに意味があったことは確か。

(以下、さらに完全なるネタバレ)集会場から飛び出したジュリアは外に飾ってあった巨大なクリスマス・ツリーに火をつける。その火が集会場に燃えうつり、逃げ遅れたナディーヌは顔半分にやけどを負ってしまう。そして、元の世界でも村の噂やナディーヌの責めに耐えきれなくなったジョアンヌが開き直って家族全員でカラオケ・バーに繰り出し、ジュリアと生き生きとしたデュエットを披露する。ジョアンヌはまるで感情の限りを絞り出したかのようであり、ヴィッキーとジミーは無表情の世界に取り残される。ジョアンヌとジュリアがタコ(=デビルフィッシュ)をキッチンに叩きつけ、笑い転げながら調理するシーンも印象的。そこには「敵」が凝縮され、ジョアンヌに続いてジュリアも見事に解放されていく。ヴィッキーはしかし、母親をジュリアに取られると感じてジュリアに対する敵意を倍増させ、悪臭でジュリアを家から追い出そうと自分のおしっこやカラスの死体を集めて魔女のスープのようなものを庭で煮立て始める。異形のものがインターネットからやってくる『パリ13区』では解決できることが、現実の世界しかない『ファイブ・デビルズ』ではそうはいかない。インターネットに逃げ込むことができないジュリアは、そして、再びジョアンヌの前からいなくなる。人間が電子化された存在になるということが共同体にとってどれだけの逃げ場をつくっているのかということがこの2作には差として表れ、その道を閉ざした時に人は死を選ぶというのがミシウスの立てた道すじとなる。ここにミシウスはもうひとつ男性の存在というファクターを濃厚に絡めてくる。ここまで背景に退いていたに近いジミーも姿を消したジュリアを探しまくる。そしてそのために自分がジョアンヌと結婚する前に付き合っていたナディーヌの元を訪ねる。ナディーヌは自分にやけどを負わせたジュリアを憎み切っているし、おそらくはそのせいで男とは縁がなくなっていたのだろう。セックスレスだったジミーはナディーヌの体を見た途端、いきなり襲いかかる。2人にとっては久しぶりのセックスであったことがその激しさから窺える。それと同時にジミーとジョアンヌはセックスレスだったというよりも制度に従った組み合わせだったために内発性が奪われていたのではないかという疑問に転化し、ジミーにとっては社会的には不倫に相当するセックスが結果的に様々なことの封印を解いたようになり、ジョアンヌとジュリアの関係を肯定するだけでなく、村の秩序とは異なる方向へ彼らを向かわせるのではないかと想像させることになる。ジミーとナディーヌのセックスの後、登場人物はみな優しくなり、誰も無表情ではなくなっている。現実にはタイムリープの代わりに何を持って来ればいいのかはわからないけれど、もはや時代はインターネットではないとミシウスは主張している。インターネットという逃げ場がある限り、このような変化は永久に起きなかった。必要としていた人との歌や料理やセックスによってジョアンヌもジミーも肉体や感情を取り戻し、共同体が求める家族像をぶっちぎれたのである。

 よくよく考えてみると随所で説明不足なのに、そうは感じさせないところがこの映画はすごいかもしれない(実際には撮影しているのに、整合性のあるカットをわざと外してしまうのもデヴィッド・リンチの影響らしい)。その最たるものとしてラスト・シーンがあり、僕にはその意味がさっぱりわからなかった。ジュリアにだけは未来から来たヴィッキーが見えるという設定だったので、おそらくはヴィッキーの子どもが過去を探りに来ていると取るのが自然なのだろうけれど……。オディアール作品のほとんどが多様な人種の混淆を描き、それが意図的であることを窺わせるように『ファイブ・デビルズ』でセネガル系に重要な役割を演じさせているのも国民連合(旧国民戦線)が台頭しているフランスの現状に対し明確に政治的な意図をもってやっているとミシウスは発言している。「どの大人の登場人物もどこか道を踏み外しており、どこか不幸です。その良い面は、失敗した人のおかげで、ヴィッキーが生まれたということです。失われたものはない、失われた時間を埋め合わすことができないなら、私たちには選択肢がある、物事は決まってないのです。私たちには行動を起こすことができるのです」(レア・ミシウス)

Can - ele-king

 「クラウトロックという言葉は使わないで欲しい」——これがダニエル・ミラーからの唯一の要望だった。いまから2年ほど前、日本でのCANの再発に併せてライナー執筆および別冊を作る際に、全カタログをライセンス契約しているロンドンの〈ミュート〉レーベルの創始者は、イギリス人によるドイツ人への侮蔑と悪意がまったくなかったとは言いがたいこのタームを使うことに物言いをつけたのだった。
 このタームには、もうひとつの問題がある。たとえばクラフトワークとアモン・デュールを同じ括りでまとめてしまうことは、ボブ・ディランもガンズ・アンド・ローゼズも同じアメリカン・ロックと束ねてしまうことのように、作品性を鑑みれば決して適切な要約とは言えない。しかしまあ、70年代の日本のメディアでは、ジャーマン・ロックという、だだっぴろい意味を持つ言葉を使って区分けされていたわけで、そのことを思えばジュリアン・コープが普及させたこのタームのほうが対象を絞り込んでいるだけまだマシかもしれない。もちろんそれを否定する権利は、このレッテルを押しつけられたドイツ人ミュージシャンにはある。が、いまでは多くの当事者が受け入れているし、クラウトロックといったときの、ぼんやりとしたイメージもたしかにある。そもそもこうしたターム(ジャンル名)はレコード店の棚のためにあって、それが買い手にとって機能していることもたしかだ。かくいうぼくも何百回となくこれを使用してきたし、このレヴューでも、ダニエル・ミラーの考え方を理解した上で敢えて使わせてもらいたい、たとえばこんな具合に。クラウトロックを語るとき、「我々には父がいない」という言葉がたびたび引用される。

 「我々には父がいない」——これを言ったのはクラフトワークだが、クラウトロック全般に共通する、ひとつのメタファーとしても有効だ。ナチスに同意した過去を持つ親の世代と自分たちを切り離し、あらためて再出発することを必要とした彼らクラウトロック世代共通の感覚として。
 ぼくはこの、「父なきロック」という言い回しが気に入って、自分の原稿のなかでなんどか使ってきている。その理由には、おそらくぼく自身が父と良好な関係をなかなか築けなかったということもあるのだろう。いまから10日ほど前、じっさいに父を亡くしたときに去来したいろんな感情のなかで、しかしひとつ思い当たったことは、父がいなければ自分もいなかったという、じつに当たり前の事実だった。

 CANには、音楽的観点で言えば尊敬すべき先達が何人もいた。それこそクラシック音楽の前衛たちからジョン・ケージ、ミニマル・ミュージック、ジャズのレジェンドたち、ヴェルヴェッツやジミ・ヘンドリクス、ジェイムズ・ブラウン等々、要するに未来に開けた音楽。父との強固な確執があったイルミン・シュミットは、なおのこと(過去よりも)時代の新しい空気に貪欲だった。バンド編成も型破りだった。もしもCANが、ごく一般的な、メンバー全員が同じ音楽ジャンルをバックボーンとする4人組だったら話は違っただろう。シュミットとホルガー・シューカイはクラシック音楽の前衛をかじったエリートだったが、ほかは経験豊富なジャズのドラマー、ひと世代も若いロックのギタリスト、そしてずぶの素人がバンドのヴォーカリストとして招ねかれた。これは偶然ではない、考えにもとづき意図してこうなった。
 バンド内にリーダーを作らず、また、譜面も持たず、メンバーの相互作用から何かが生まれるという可能性にかけたのがCANだった。彼らは、どこに着地するのかわからないからこそ、離陸することを選んだ。ジャムセッションが彼らの作曲方法で、作曲者はつねにCAN、ギャラも印税も作品の貢献度に関係なくメンバー全員で等分された。安易にコミュニティ(共同体)という言葉を使うことをぼくは好まないが、CANに関してはその平等性において、思わずそう言いたくもなる。そして、リーダー不在を意識したこのバンドは、ジャムセッションからはじまっているのだから、彼らがライヴ盤を出していなかった原因もわからなくもない。CANの音楽は、そもそもがスタジオ内のライヴにはじまっているのだ。

 本作『ライヴ・イン・クックスハーフェン1976』はCANのライヴ・シリーズの3作目で、1976年1月、ハンブルクよりずっと北の北海に面した街における録音になる。シュミットとエンジニアのレネ・ティナーによって、ファンがこっそり録音した記録を最新技術によって蘇生させるこの企画は、当時のライヴ演奏におけるCANをみせることを目的としている。それは、“ある意味”彼らの本来の精神に忠実な姿と言えるのだろう。(※“ある意味”というのは、CANのアルバムはジャムセッションの記録を編集し、手を加えたことで完成しているからだ
 ダモ鈴木が脱退し、4人組となったCANは、初期のジャムセッションに立ち返ったかのように、集中力を要する一発勝負の即興をステージの上で展開していた。1975年には、イギリス、フランス、ドイツなど欧州において、計30回にも及ぶ公演をやったというから、ライヴ・バンドとしてのCANの乗りに乗った絶頂期だった。シリーズ1作目の『ライヴ・イン・シュツットガルト1975』が1975年10月末のライヴ、2作目の『ライヴ・イン・ブライトン1975』が同年の11月、本作が1976年1月と、これら3枚は、およそ3ヶ月以内におこなわれた演奏の記録になる。まずはそれをこうして再現させたのだから、企画の指揮をとったシュミットには、この時期の演奏に関してそれなりの自負があるのだ。ただし、『クックスハーフェン』は前2作と違って収録時間が極端に短い。『シュツットガルト』と『ブライトン』が90分近くあるのに対して、本作はほとんど30分で収まっている。ただ漠然と記録を再現するというよりは、今回は、CANにとっての「良い瞬間」に的を絞って編集したものだと思われる。

 CANにとっての1975年は、2月から4月にかけて『ランデッド』を録音、1976年6月からは『フロウ・モーション』のレコーディングに入っている。つまりこの時期のCANからは——『スーン・オーヴァー・ババルーマ』までの宙に浮く流動体のような感覚を残しつつ、異国情緒を取り入れながら彼らにしたらロック・バンド然とした『ランデッド』でのアプローチと、レゲエ/ダブ(そしてディスコ)を大胆に取り入れた『フロウ・モーション』での展開をほのめかすという、この時代ならではの演奏が聴けるわけだ。
 とくに今回は、反復とその変化を楽しむことができる。全4曲あるうちの4曲目では、ジャマイカ音楽からの影響が明白なリズムにはじまっているが、途中で入るミヒャエル・カローリのギターが曲を別の次元にもっていく。3曲目ではCAN流のファンクを披露しつつも、シュミットのシンセサイザーが入ると曲は抽象化されてスペーシーに展開する。1曲目と2曲目にも律動的なリズムの反復があって、ひらたく言えば躍動感のある、ダンサブルな音楽性へと向かっている。シューカイは『フロウ・モーション』を経てからは、関心が演奏よりもポスト・プロダクションに移行するので、これは、ベーシストとしての彼のほとんど最後のほうのパフォーマンスということになるのだろうか。ことにヤキ・リーヴェツァイトとの掛け合いは有機的で、まさにひとつの生命体の骨格を成している。

 そう、間違いなく、CANそれ自体がひとつの生命体として、ここにうごめいているのだ。この感覚は、CANなきあとも継承されている。今年に入ってからも、ぼくはCANを感じる新世代のバンド・サウンドに出会っているのだが、たとえばその一例としてキャロラインがいる。ロンドンの20代によるこのバンドも、言うなればリーダー(中心)不在の民主的な演奏を意識しているようだし、いささか感傷的とはいえ、自由形式の音楽をやっている。グラスゴーのスティル・ハウス・プランツにいたっては、可能性にもとづいた実験精神という点においてCANに近い。
 しかしながら、CANのように自らを限定せず、どこまでもおおらかで、面白いと思ったサウンドならどんなものでも取り入れていくようなバンドは、そうそういるわけではない。ひとつの決められた方向性を極めるのではなく、ごく自然に、流動的に変化することを好み、メンバーのひとりひとりが相互的に共鳴しながら(ときに格闘しながら)いろんな方角に開かれていくようなバンド、テクノロジーを頼りにするのではなく、自分たちのアイデアをもってサウンド工作の可能性を探索するバンド、そんな共同体は、いまも決して多くはないだろう。

 ゆえにCANは今日でも古びることなく聴かれている。ミヒャエル・カローリが言うように、「自分がほかの命によって生かされていること」、そしてそれを知ること、それこそがCANから学べる究極の哲学なんだとぼくも思う。CANはたしかにロック・リスナーの耳穴をおっぴろげ、みんなの聴力を向上させたバンドだったが、この音楽から引き出せる本当に大切なことはまだ残っているのだ。

DJ Stingray 313 - ele-king

 こいつはめでたい。デトロイト・エレクトロの雄、現在はベルリン在住のDJスティングレイ313は、ドレクシアの意志を継承する者である。2007年から2008年にかけベルギーの〈WéMè Records〉よりリリースされた彼の12インチ2作品「Aqua Team」「Aqua Team 2」──前者はスティングレイ名義のデビュー作にあたる──がリマスターされ、3枚組LPとしてリイシューされることになった。今回のリリース元は本人の主宰する〈Micron Audio〉で、11月28日に発売。なお同レーベルからは、それに先立つ11月14日にコンピレーション『MCR00007』のリリースも予定されている。あわせてチェックしておこう。

artist: DJ Stingray 313
title: Aqua Team
label: Micron Audio
release: November 28th, 2022
format: 3×12″ / Digital

tracklist:
A1. Serotonin
A2. Straight Up Cyborg
B1. Star Chart
B2. Silicon Romance
C1. Potential
C2. Wire Act
D1. Binarycoven
D2. NWO
E1. Mindless
E2. Counter Surveillance
F1. LR001
F2. It's All Connected

artist: Various
title: MCR00007
label: Micron Audio
release: November 14th, 2022
format: 12″ / Digital

tracklist:
A1. Galaxian - Overshoot
A2. LOKA - ENERGY WORK (ANYANWU)
B1. Ctrls - Transfer
B2. 6SISS - React

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