「KING」と一致するもの

Heroes - ele-king

 デヴィッド・ボウイの黄金期を1970年代とするなら、その最後の栄光の日々を彼はベルリンで送っている。コカインと水だけで生きていたと揶揄されるほど荒んだアメリカ時代に見切りを付けたとき、ボウイはロンドンに戻らず、西ドイツへと向かった。実現しなかったとはいえ、クラフトワークにツアーのフロントアクトをオファーし、ノイ!を愛聴し、旧友イーノが訪ねたクラスターの城に興味を覚え、そして彼はあらたな拠点としてベルリンを選んだ。やがて『ロウ』というタイトルの、スーパースターが企てた、ヒットパレード音楽からのもっとも過激な離脱が生まれた。
 『ヒーローズ ──ベルリン時代のデヴィッド・ボウイ』は、ドイツ人・ジャーナリストが描く、1976年から1978年までのデヴィッド・ボウイのドキュメント、物語、記録、解説、だ。ルー・リードは行ったことがない街の幻想を『ベルリン』として描いたが、ボウイはイギー・ポップを連れて、壁に囲まれたその歴史的な街に実際に住んだのだ。
 そこは1920年代の、ワイマール時代の幻影を残しながら、しかし大戦後東西に引き裂かれた街だった。時期はパンク台頭前夜、ドイツの左翼運動の転機となった「ドイツの秋」と重なる。また彼の地においてはデヴィッド・ボウイは、ベルリンの集会に出席したミシェル・フーコーが、深夜、フランス現代思想をドイツで出版する版元の編集者に連れられていった有名なゲイ・バーの常連だった。歴史のうねりを感じながら、デヴィッド・ボウイは、この時代の彼の圧倒的な名曲、先駆的なサウンドと素晴らしい言葉を持った“ヒーローズ”を描き上げている。
 本書は、ワールド・ミュージックを取り入れた『ロジャー』でベルリンから旅立つまでの濃密なときを数々の文献をもとに再構築しながら描き、ドイツ人ジャーナリストは、デヴィッド・ボウイとは何者であり、ベルリンとはいかなる場所であったのかを考察する。
 デヴィッド・ボウイのベルリン3部作こそ好きだ、というファンは必読。

ヒーローズ──ベルリン時代のデヴィッド・ボウイ
トビアス・ルター 著/沼崎敦子 訳
Amazon


■目次

INTRODUCTION

1 地獄から来た男
THE MAN WHO CAME IN FROM HELL

2 ボウイ教授のキャビネット
THE CABINET OF PROFESSOR BOWIE

3 『ロウ』、あるいはスーパースターの医療記録
LOW, OR A SUPERSTAR’S MEDICAL RECORDS

4 新しい街、新しい職
NEW CAREER, NEW TOWN

5 崖っぷちのパーティ
THE PARTY ON THE BRINK

6  デヴィッド・ボウイを見たかい?
DID YOU SEE DAVID BOWIE?

7 ヒーローズ
HEROES

8 さらばベルリン
GOODBYE TO BERLIN


結び 彼は今どこに?
CODA: WHERE IS HE NOW?

vol.91:DIY音楽会場の危機 - ele-king

 このコラムは、NYの音楽情報をお届けしているのだが、最近のネタはどこの会場がクローズした、など肩落ちする話題が多い。

 ●vol.61:ウィリアムスバーグの終焉
 ●Vol. 71 RIP DIY
 どこかがクローズしても、ある所で何とかやって行くのがNYなのだが。
 ●vol.85:変わりゆくNY、新たな胎動

Yoko Sawai
3/11/2017

Coldcut × On-U Sound - ele-king

 これは事件です。サンプリング・ミュージックのパイオニアにして〈Ninja Tune〉の設立者であるコールドカットと、UKダブの巨匠にして〈On-U Sound〉の創始者であるエイドリアン・シャーウッドがコラボしました。これは昂奮します。夢の共演とはまさにこのこと。もはや説明不要のこの二組は、Coldcut x ON-U Sound という名義で5月19日にアルバム『Outside The Echo Chamber』をリリース。現在、リー・ペリーやジュニア・リードをフィーチャーしたトラック“Divide And Rule”が先行公開されています。これは昂奮します。


Coldcut x On-U Sound

ヒップホップとレゲエのスピリットをUKに持ち込み
その後の音楽シーンを一変させた先駆者がまさかのコラボ!
歴史的アルバム『Outside The Echo Chamber』から
リー・スクラッチ・ペリー参加曲“Divide and Rule”を公開!

コールドカットのマッシュアップは〈ON-U〉からヒントを得たんだ。
〈ON-U〉がなければ〈Ninja Tune〉も存在していなかったよ。
- Matt Black (Coldcut)

サンプリング・カルチャーのパイオニアにして〈Ninja Tune〉を主宰するコールドカットと、UKにおけるダブ/ポストパンク勃興の象徴にして、〈ON-U Sound〉を主宰するエイドリアン・シャーウッドが、驚きのコラボ・アルバム『Outside The Echo Chamber』を発表し、リー・スクラッチ・ペリー、ジュニア・リード、エラン・アティアスが参加した新曲“Divide and Rule”を公開した。

Coldcut x On-U Sound - 'Divide and Rule feat. Lee ‘Scratch’ Perry, Junior Reid and Elan'
https://www.youtube.com/watch?v=t1HtUqJ4zSk

10曲のオリジナル楽曲に加え(国内盤にはさらに1曲を追加収録)、6曲のダブ・ヴァージョンを収録した今作には、リー・スクラッチ・ペリー、ジュニア・リードのほか、ルーツ・マヌーヴァやチェジデック、セシル、メジャー・レイザーのメンバーとしても活躍したスウィッチの新たなプロデューサー・コレクティヴであるウィズ・ユー、トドラT、など、グローバルなミュージシャンやヴォーカリストが集結し、ロンドン、ラムズゲート、ジャマイカ、ロサンゼルスでレコーディングされている。

ジャマイカ移民が持ち込んだサウンドシステム・カルチャーによって、1960年代から徐々にUKに根付き始めたレゲエ・ミュージックは、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーやセックス・ピストルズのジョン・ライドンらパンクスたちの心を掴んだことによって、70年代後半以降の音楽シーンに大きな影響を及ぼしたことはよく知られている。当時の社会情勢に対する反抗的な姿勢ともリンクした大きなうねりの中で、その象徴的存在だったのが、エイドリアン・シャーウッドが1981年に立ち上げた〈ON-U Sound〉だった。エイドリアンは、その輝かしいキャリアの中で、ザ・スリッツのアリ・アップやポップ・グループを率いるマーク・スチュワート、PiLのキース・レヴィンらが集結したニュー・エイジ・ステッパーズをプロデュースするなど、当時のパンク/ポストパンク・バンドとジャマイカの伝説的アーティストを繋ぐ重要なキーマンとしての役割を果たしている。このムーヴメントはいっときのトレンドでその役目を終えることなく、マッシヴ・アタックの登場をはじめ、その後の音楽シーンに様々な痕跡を残している。

この重要な時代の節目を肌で感じながら、エイドリアン・シャーウッドとはまた違う歩みを辿り、UKシーンのその後の発展に多大な影響を及ぼしたのが、コールドカットである。ターンテーブルのみで制作した87年リリースのデビュー曲“Say Kids, What Time Is It?”はその画期的なサンプリング手法が世界に衝撃を与え、同年リリースされたエリックB&ラキムのリミックス“Paid in Full (Seven Minutes Of Madsnes - Coldcut Remix)”によって、一気にその名を轟かせる。彼らはラップをレイヴァーたちに紹介し、またヒップホップとアシッド・ハウスを融合し、エレクトロニカやブレイクビーツといったより多様性のある分野で先駆的存在となった。90年代には〈Ninja Tune〉を設立し、〈Mo’ Wax〉主宰のジェームス・ラヴェルや、DJシャドウらとともにトリップ・ホップやアブストラクト・ヒップホップと名付けられたムーヴメントの礎を築いていく。

ダブ、ロック、レゲエ、ダンス・ミュージックを独自のアプローチで融合させ、革新的なサウンドを追求していたエイドリアン・シャーウッドは、80年代中盤に入ると〈Tommy Boy Records〉と親交を深める中で、メリー・メルやKRS-1が活躍し、絶頂期にあった当時のNYブロンクスのヒップホップ・シーンを目の当たりにする。その時期に出会ったタックヘッドのスキップ・マクドナルドとダグ・ウィンビッシュは、ヒップホップ・レーベル〈Sugar Hill〉のハウスバンドのメンバーであり、グランドマスター・フラッシュの“The Message”や“White Lines”といったヒップホップの金字塔のリズム・セクションを担当しており、〈ON-U Sound〉の長年のコラボレーターとなった。

レゲエとヒップホップのスピリットをUKに持ち込み、それぞれが独自のキャリアを重ねるなか、型破りな姿勢で繋がっているこの両者のコラボレートは、その気になればいつでも実現する可能性があった。しかしコールドカットが今年デビュー30周年を、〈ON-U Sound〉が昨年35周年を迎え、混乱の政治情勢が続くこの2017年は、彼らがコラボレートし、音楽史にまた新たな歴史を刻むにはこれ以上ないタイミングとも言えるだろう。

コールドカットが〈Ninja Tune〉設立以前に立ち上げたレーベル〈Ahead Of Our Time〉からリリースされるコールドカットと〈ON-U Sound〉のスペシャル・コラボ・アルバム『Outside The Echo Chamber』は、5月19日(金)世界同時リリース! 国内盤にはボーナス・トラック“Beat Your Chest feat. Roots Manuva”を追加収録し、国内盤限定のスリーヴケースとコールドカットのジョン・モア、マット・ブラック、そしてエイドリアン・シャーウッドの3人が、彼らの出会いや、パンク、ポストパンク、レゲエ、ヒップホップなどそれぞれの音楽的背景を語ったスペシャル・インタヴューを掲載したスペシャル・ブックレットが封入される。iTunesでアルバムを予約すると公開された“Divide and Rule feat. Lee ‘Scratch’ Perry, Junior Reid and Elan”がいちはやくダウンロードできる。

label: Ahead Of Our Time / Beat Records
artist: Coldcut x ON-U Sound
title: Outside The Echo Chamber

cat no.: BRC-548
release date: 2017/05/19 FRI ON SALE
国内盤CD: スリーヴケース+スペシャル・ブックレット付き
ボーナス・トラック追加収録 / 解説書封入
定価: ¥2,400+税

【ご購入はこちら】
amazon: https://amzn.asia/4nWz8zX
beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002154
iTunes Store: https://apple.co/2mHpzbZ

[TRACKLISTING]
01. Vitals feat. Roots Manuva
02. Metro
03. Everyday Another Sanction feat. Chezidek
04. Make Up Your Mind feat. Ce’Cile
05. Aztec Riddim
06. Kajra Mohobbat Wala feat. Hamsika Iyer
07. Divide and Rule feat. Lee ‘Scratch’ Perry, Junior Reid and Elan
08. Make Up Your Mind feat. Elan
09. Robbery feat. Rholin X
10. Livid Hip Hop
11. Beat Your Chest feat. Roots Manuva *Bonus Track for Japan
12. Vitals feat. Roots Manuva (Dub)
13. Everyday Another Sanction feat. Chezidek (Dub)
14. Make Up Your Mind feat. Ce’Cile (Dub)
15. Kajra Mohobbat Wala feat. Hamsika Iyer (Dub)
16. Divide and Rule feat. Lee ‘Scratch’ Perry, Junior Reid and Elan (Dub)
17. Robbery feat. Rholin X (Dub)

Bowler Room R1 - ele-king

 これは誰も思いつかなかった組み合わせではないでしょうか。ボウリングとテクノだなんて、いやはや、このイベントを企画された方には脱帽の一言です。出演者には若手の電子音楽家・Kazumichi KomatsuやVENTを中心に活動するDJ・ERICA、D.A.N.のDaigo Sakuragiなど、興味深い名前が並んでおります。電子音楽が通常とは異なる空間でどう機能するかを試みる野心的なイベントのようですが、でも……ボウリングをしながらダンス? それってどうやるの? これを読んでいる皆さんの頭の中にもハテナ・マークが大量発生していることと思います。3月31日、笹塚ボウルまで行って確認しましょう。

Bowler Room R1

弾けるピンと脈打つミニマルのパラレルな異空間、
ボウリングと電子音響が織り成す新感覚のクラブ・ナイトBowler Roomが笹塚ボウルにて開催。

Bower Room R1
2017.03.31 fri at Sasazuka Bowl Tokyo
START 24:00 DOOR ¥1,500
1 GAME ¥700 *FREE rental shoes

Live Performance:

Kazumichi Komatsu (madegg)
+ Shun Ishizuka & Tomohito Wakui

DJ:

ERICA
Daigo Sakuragi [D.A.N.]
SlyAngle [melting bot]

#Bowling #Club #Art
#Electronic #Minimal #Techno

※全ドリンク500円 *一部のドリンクを除きます。
※年齢が確認出来るIDを必ずご持参下さい。
※ボウリングの際は無料の専用シューズを必ず着用して下さい。
※ボウリングはマストではありませんが、本イベントの主旨でもありますので、1ゲームでもご参加下さい。

投げるもよし、踊るもよし、しゃべるもよし、飲むもよし、まずはみんなでボウリングをしましょう。何故なら貴方の投げるボウルによって倒れるピンの音が本イベントにおける一番の参加なのです。そしてその高揚感とダンス・ミュージックを通じて、踊ることだけでなく、空間として、状況として、体験として、新しい“音の楽しみ方”を試みるアートであり、またボウリングとクラブを掛け合わせたファン・パーティであり、ボウリング場の環境音と最も隙間が多くダンス・ミュージックとして機能的なミニマル・テクノ/ハウスを混ぜ合わせた空間的な実験音楽イベントでもある、Bowelr Roomはこの3つのレイヤーによって構成された新感覚のクラブ・ナイトです。

ラウンド1のゲスト・アクトは表参道のクラブVENTを核に活動するERICAのDJと電子音楽家から美術家への道も歩み始める奇才Kazumichi Komatsu (madegg)と盟友のデザイナー/映像作家Shun Ishizukaと同じく美術家/音楽家でもあるTomohito Wakuiの3者による本イベントのみとなるライブ・パフォーマンス、Bowler Room主催のDaigo Sakuragi (D.A.N.)とSlyAngle (melting bot)がレジデントDJを務めます。


Kazumichi Komatsu (madegg)
1992年高知県南国市生まれ。京都市在住。2009年よりMadegg名義での音楽活動を始め、フィールドレコーディング、 ソフトウェアを使用したコラージュの制作を開始。2013年「SonarSoundTokyo」に出演。これまでに国内外のレーベル・パブリッシャーから3枚のフル・アルバム、複数のEPを発表している。空間環境との接触を「新しい忘却」と解釈しモジュレーションすることで、詩的情報化を検証する作品を展開。
https://soundcloud.com/madegg/


ERICA
1992年、香川生まれ。ジャンルに捕らわれず、浮遊感溢れた音を響き合わせて独自の空間を形成して行く。
https://www.mixcloud.com/erika-yokogawa/


Daigo Sakuragi [D.A.N.]
1994年生まれ。東京出身。D.A.N.のメンバーとして2014年から活動する。2016年からDJの活動を始める。


SlyAngle [melting bot]
音楽Dとしてレーベル / プロモーター〈melting bot〉を主宰、イベント〈BONDAID〉も不定期で開催、電子音楽とダンス・ミュージックを中心に音をむさぼる折衷主義者。
https://soundcloud.com/slyangle

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主催: Daigo Sakuragi / melting bot
協力: Sasazuka Bowl

https://meltingbot.net/event/bowler-room-r1

JAMES VINCENT McMORROW - ele-king

 アイルランドはダブリン生まれのシンガー・ソングライター、2014年の『ポスト・トロピカル』が欧米のみならず日本でもヒット、つい先日も新作『WE MOVE』をリリースしたばかりのジェイムス・ヴィンセント・マクモローが来日する……ていうか、来週ですよ、来日公演は。
 ボン・イヴェールに対するダブリンからの回答というか、フォーキーかつエレクトロニックな、現代のブルーアイド・ソウルの美しい音楽をお見逃しなく~。



●JAMES VINCENT McMORROW来日公演
2017/3/15 (Wed)
Shibuya WWW
OPEN 18:30 START 19:30
スタンディング 前売り:¥5,500(ドリンク代別)
[お問い合わせ]
SMASH 03-3444-6751
[公演詳細]
https://www.smash-jpn.com/live/?id=2642


ジェイムス・ヴィンセント・マクモロー/ウィ・ムーヴ
James Vincent McMorrow / We Move

now on sale
PCD-24581
定価:¥2,400+税
★日本盤ボーナス・トラック2曲収録
Amazon

 2月某日、筆者自宅には僕を筆頭にいつものダメな3人が集っていた。しかしこの日は悪巧みではなく、エンドンの新譜、『スルー・ザ・ミラー』のプロモーションを意図したインタヴュー、という名目であった。リリックを書かないヴォーカリストでありながらスポークスマンとしてバンドとシーンを引率する那倉太一(兄)、楽器を演奏しないプレイヤーでありながら文筆家としてバンドの言語を伝える那倉悦生(弟)。僕にとってこの兄弟がエンドンというバンドの特異性、異常性を象徴しているからこそ、今回のインタヴューに相応しいと呼び出したわけだ。

 というのはあくまでも言い訳に過ぎず、以下のお喋りは極度に繊細ないい歳こいた男子の戯言である。エンドンは都内を拠点としながら、ヨーロッパでのルフ・フェスティヴァルへの出演や、幾度となく行うアメリカ・ツアーなど、グローバルに活動する非常にうるっさいバンドである。フリージャズの即興性と瞬発力を骨組みとしながら構築されたメンバーの高い技術力と経験から生み出される“情報過多”なロックンロールは現在の東京、もとい日本の究極体現音楽である。彼らの最新作、『スルー・ザ・ミラー』は言語化するのも馬鹿馬鹿しいほど(仕事放棄)素晴らしい。病的に過剰な密度で構成されながらも、罪深いほどにわかりやすいレコードである。以下は人生においてクソの役にも立たないプライドや拘りに葛藤し、それでもなにかを生み出そうとするクズ男子の女子会である。


兄がセンターで弟が左端。

俺:エンドンの音楽、とくに今回の『スルー・ザ・ミラー』は顕著な気がするけど、感傷的であるほど真価が聴ける気がするよね。

兄:感傷的になって自分たちの曲聴いたことないからわかんないけど、幻想だとしてもそういうことはあるかもね。

俺:いや100%幻想なんだけど。

兄:やっぱりそういう偏りがある人間がやったり聴いたりするっていうバイアスは当然あるよね。

俺:歳食ってくなかでなるべく音楽への幻想を捨てようって思いが強くなるんだけど結局あきらめきれない。でも今回のアルバムがいいなって思うのは、幻想を抱かずとも正当に評価できるものに仕上がってるからかな。

兄:同じ幻想向けるんでも、アイドルに流れていってるっていう感じはするんだよね。結局は演者が醜くない形をしてることっていうのはすごい強い作用があると。黒いメタルのシャツきた臭くて太った俺たちが好きな曲を自分たちみたいな醜いヤツがやってるか、少女がやってるかでオーディエンスでいるときの自分たちの気持ちは全然違うでしょ。アイドルにそういった中二病的なものを投影するっていうのは結構みんなやってるっていうか。可愛いだけじゃないってのはあるよね。バンド辞めた人たちがそういうのですごいモッシュするとかっていう現場もあるんじゃない?

俺:アイドルわかんないんだけど例えば?

弟:怪我をしてるとかね。包帯巻いてるみたいな。

兄:衣装としてそういうのもあるんだけども、曲としてもね。だからメタルとかも本当そうだと思うよ。メタルのキメを楽しむ現場でいちばん機能してるのはアイドルなんだと思う。

弟:アイドルは商品だから、バカになって恥ずかしげもなくキメを楽しめる。

兄:商品って言い方ももちろん可能だけど、実際アイドルっていまいちばん同一視しやすい勇者だと思うんだよね。圧倒的に男も女も女の子が頑張る姿の方が同一視しやすいと思うんだよね。

俺:キメって具体的に?

兄:メタルのアレンジのなかでの決まりごとだよ。そういうのってみんなマトモだったりお洒落な大人になろうとしたら置いていくものじゃん? 中二病的なそれを誰かが代行してくれる。エージェンシーだよね。それを少女に代わりにやってもらうというのは最高なんじゃないかな。

俺:それは的を得てる気がする……

兄:うちの曲で、“パリサイド・エージェント・サーヴィス(PARRICIDE AGENT SERVICE)”、『親殺し代行業』っていうタイトルなんだけど、音楽性としてもキャラクターとしても「代わりにやってくれてる」って思われるような。手が汚れてて、ガキで、不必要にウルサイ音楽を代わりにやってくれるひとに思われたかったというか。

俺:そういうバンドは一杯いて、エンドンは違う気が。

兄:いるけど狭いじゃない? 共振作用が。

俺:エンドンの共振作用の広さってのは、単純に音楽的背景の違いかな。

兄:曲がいいって言えよ(笑)。

俺:GodCity Studio(コンヴァージ/Convergeのギタリスト、カート・バルーのスタジオ)で録ったってことがこのアルバムにはかなり作用してるよね。

兄:そりゃもう(苦笑)。結局のところ、ハードコア化させてもらえたかもしれないよね(笑)。

弟:時間がなかったのもあるかもしれないけど、ノイズの位置が定位されてて、アツオさんにやってもらったみたいに(前作『MAMA』はボリスのアツオ氏によるプロデュース)音量をボコボコさせたり、右行ったり左行ったりしてなくて。今回は編集の段階でノー・エフェクトだし、俺のノイズなんか定位でずっと鳴ってて。ノイズの勝手に暴れてくれる制御不能性の古き良き“手に負えない”ノイズじゃなくて、楽器としてアレンジの地図の中にポンと置けているってことはポイントだと思う。

俺:ギミックがないわけだ。

兄:全くない。カートは仕事の特性としても自己完結させないタイプだし、プロデューサーがいないことの効果があるね。でもいわゆるボストン・ハードコアの音っていうか、DCハードコアの音のテイストは感じるよね。

俺:めちゃめちゃ感じる。

兄:で、その相性の良さを調整したのは、ギターという楽器を扱う人間達なんだと思った。スキルというか、コウキ(ギタリスト)がカートと対等にやれる人間だってのはスタジオで見ててすごく思った。カートもギターを録ってるとき楽しそうでよかった。

俺:表現行為は無が有となる変換行為だと思ってて、その変換行為中だけは自意識から解放されるっていうか、忘我だよね。『スルー・ザ・ミラー』じゃないけど鏡に映る自分を消滅させたい欲望みたいなもの? が表現行為に繋がるのかなって思ったんだけど。

兄:そこに関しては俺はスパっとあきらめがあって、もう全ては自己愛っていう立場。だから『スルー・ザ・ミラー』っていうのは現実には起こり得ないこと。鏡の向こう側はあるけど行けない、「現実そのもの」なんじゃないかな。

弟:鏡に映ってるのは自分の像で、その像は死んでて、自分じゃないものに自分が投影されてるから自分が盗まれてるっていう気分になって、それで、あれも私、これも私、でも全部私じゃないっていう気分になってしまって、それを解決するのが法としての言葉ってことになってるんだけど。『スルー・ザ・ミラー』だとメタ的な解決の法は現れない。

兄:『スルー・ザ・ミラー』ってタイトルを俺は「自己愛を超えるというフィクション」、ありえない、起こり得ないことという意味で使ってる。
昔のミッキーで「スルー・ザ・ミラー」ってタイトルのがあって、家具があって鏡があって、なんか粘着質の鏡の中にズバーって入るの、で、そのまま左右反転した奥行きのある世界があっち側に拡がってるんだけど、あっち側では全ての無生物が生きてる。ソファに座ろうとするとソファに拒絶される。結局夢オチなんだけど。無生物だと思ってたものが生きてて、拒まれたり、踊ったりするっていうのは統合失調症的だけれど、人間が人間として成立する条件から解放されるっていう楽園的な感覚として描かれてるように受け取ったわけ。

俺:それは自己愛からの解放にも捉えられるけどな。

兄:イメージとしてはね。自己愛でしか語れないということから解放されたいという願いを込めたタイトルではある。こんな見栄えだけどやっぱり街中で鏡に映る自分を見てしまうわけよ。地獄だよね。自己像からの解放はパラダイスよ。他人の音も無生物じゃなくて、自分じゃないものと共に生きて、一筆書きの曲をやるっていうことだよね。だから自分じゃない。団体芸としての美しさをそのまま受け入れるっていう自己愛からの解放がある。ある種の正しさ、健康への方略、というものを今回は信じてやってる。

弟:自分が失くなるっていう意味が、自分も他者も失くなるってことじゃなくて、群れになれるときがある。

俺:内と外の輪郭が消失する瞬間だ。

兄:デュオニュソス的な熱狂とも言えるね。いま人間関係の倫理で言うと、バウンダリーが優先されているわけじゃない? つまり境界線、私は私、あなたはあなたってのがいちばん倫理的なことで、やっぱりいま世の中をまともに生きてくってルールは知性も含めて、それはそれ、これはこれ、って言えるってこと。そういったものに対するデュオニュソス的なものの勢力範囲を拡げたいという意識はある。俺はデュオニュソス芸術ってのは例えばクラブのなかに閉じ込めておくものではないっていう意識があって、デュオニュソス芸術やってる人が喋る機会が少ないのは寂しい。

弟:プレーヤーが喋るってこと?

兄:プレーヤーが喋るっていうか、最近はむしろインタヴューの場に出てきてしまったらそういうものを司ってる人間として出てくるんじゃなくて、喋る用のアポロン的な知性を持ってでてくる。デュオニュソス的なものとアポロン的なものがミックスされた状態で人前で喋るのは、女の人の方がいまは長けていて、自然な言葉で、自分と他人との間を厳密に線をひかずに理性的な状態で出てこれる。それこそコムアイなんかその代表格。基礎教養という重力と、なおかつ踊りで重力に抗えることの美しさ。でもそれをできるのが女の人ばかりなのが寂しい。俺なんかが、ガキだった頃に女性のメンヘラ芸能を享受したという記憶は強いんだけども、いまや女の人のメンヘラ芸能の時代はとうに終わっているわけよね。

俺:今回は言葉を使わないヴォーカリスト、楽器を弾かない演奏者である君らがある種エンドンの象徴だと思って声をかけたんだけど。

兄:関係性がそうさせてる。俺がこういうことやってるのはエッくんがいるからだし。エッくんがいなかったら恥ずかしげもなく歌詞書いてたかもね。

俺:え〜(笑)。

兄:いや、そりゃそうだよ。身内のなかで俺は文章書くのいちばんじゃない。いちばんのことだけを結晶化させたい。俺の取り柄は興奮すること、要はエモーション、情動的であることと音楽の関係にまつわる何かのほんの少しを体現したいだけ。だから言葉とは遠いもの、むしろ反対のものかもしれない。

弟:言語=法、形式だとすると、(たいちゃんの言う)情動とか興奮を形式が殺すのか、あるいはそれらを助長する武器なのか、それが個人的なテーマかな。形式を共有しないと他人とは通じ合えないけど、単なる情報のやり取りならバンドやイカれた文章を使う必要はないよね。でも、靄のような、「神秘的な隠された真実」とかはどうでもいいっていうかキモい。裏に崇高な真実が隠れてるんじゃなくて、即時的、即自的に、表面化する効果がエモいかどうか。それは形式の後に現れる自然だね。退行の対象の、もともとあった自然とは違う。やっぱり天然の天才が無垢な気持ちで自己実現するアートっていうのは、俺らには無理だし、つまらないものだと思う。そうじゃなくて、コードやリズム、音色っていう選択可能な意匠=形式を使って、この”新しい自然”を表現できるかどうかだと思う。それが新しい形式を生産することになるというか、更新するというか。

俺:既存の形式を昇華する楽しみはある。そこからは絶対に逃れられない。バンドだろうと一人だろうと常に表現を考える上で立ち上がる問題じゃない? 非音楽的な部分への挑戦っていう欲求が最優先だけど、所謂伝統的なルールを踏襲した時に自分の中に湧き上がる高揚感は絶対に否定できない。だからリスナーとしての感覚は引きずるよね。

兄:引きずるけどもただただ受け手として演る側にいるわけにはいかない。お客さんがバンドやってるってことになっちゃうから。エモい音楽を聴いてエモくなってる自分たちのことをエモとか激情って標榜するのはお客さんがライブやってるように見えるんだよね。

弟:リョウくんが言ってるような、0が1になる変換行為中に価値が表出するっていうこと、それは新しい形式から情動が生稀るっていうことだと思う。エモコアがやってんのは既存の形式をそのまま飼い殺しにして、抑圧された昔の記憶を解放するとか、そもそも存在してた自然に退行するとか、そういう暗〜い後ろ向きな欲望。自然と合一するのは無理だし、退行だから。そんな状態、あった試しはないんだしね。そもそも。現状に満足できない感傷的なのに不感症な連中が、過去に遡行して妄想してるだけの「お噺」。

兄:その「お噺」があるとされることがフィクションだし、いま風に言うとポストトゥルースじゃない? でもある意味本当の自然との合一はあると思うよ。それは退行なんじゃなくて、今でしょ。今この瞬間と合一してれば、それが自然との合一。だって過去に退行して、人間が自然だと思うものへの合一ってある種保守じゃない。今の現実と、時間的なものを超えてこの瞬間と合一するってのが自然との一体化なんじゃないかな。森とか木とか水のことじゃないから、自然って。そういう発想自体が保守だよ。

俺:でもそれもエモと繋がるんじゃない? だってエモって大地讃頌的なリリックのバンド多いじゃん(笑)。

兄:人間の感情自体をそういうものに措定してるってのが保守的だよね。
超基本的過ぎて、昔はくだらないと思ってたけどヒア&ナウみたいな感覚から今の日本は離れてるよね。

俺:具体的には?

兄:保守的になってるってことじゃない? ある種の正嫡性? 過去から続くものの良さとかさ、そういったことを口にしがちだよね。そもそも身体性に正しさを担保すること自体が保守なわけよ。

俺:極論キタ。

兄:極論大事。ブルース・リーが言うじゃない、考えるな、感じろって。あれって良いことのように言うけど保守の原則だから。だからあれは俺の超嫌いな言葉。俺は感じるな、考えろ、お前らバカなんだからって思うよ。感じたら、相手も自分ってことになっちゃうから。一個いい話があるよ。ロフトプラスワンで石田さん(ECD)が観客から「在特会がどういう人間だと思いますか?」って質問されて「分析しない」って答えたの。この発想は大事で保守ではない。間違ってるから切るだけの父性による切断だよ。石田さんは在特会のなかに自分がいる可能性があることをわかってて言ったんだよ。だから分析しないと。それはある種の『スルー・ザ・ミラー』、ルールそのものの正しさ。だから母性と父性って対にはなってるよ。1枚目が『MAMA』で今回が父性で、ある種の切断があって、ノイズがもう全能感もなければ、夢も見れない、そして曲が曲らしくなって。俺もエログロナンセンスのサブカル青春を送ってきて、弱者がぶん殴られたり殺される映画のシーン観て、横にいる彼女にコレいいね! とか言っちゃってきたわけじゃない(笑)? そこは、あんまり言いたくないけど、ゾーニングのソフト入れたみたいな感覚があって。成長って言葉は使いたくない、ルールを知る=成長じゃないでしょ? 父性だよ。父性を知るってことは男子だと成長って言葉で言われがちだけど、父性を知るか、母性を知るか、単にそれだけでいい。成長も成熟もどうでもいい、頭が良くなるか、良くならない。だから、エッくんがよく使う言葉としてアンチ・ビルディングス・ロマンていうのがあるじゃない?

弟:そうだね。

俺:アンチ・ビルディングス・ロマンってのはこういった音楽の最大のテーマではあるよね。

兄:俺たちはそれを真っ向から取り組んでいるつもりです(笑)。成熟っていう命令とか、成長物語を生きなきゃいけないことに対してアンチがある。

俺:(年齢に関係するような話が出てきたから言うけど)世代論的な話はしたかったんだ。でもそれは友達の関係になる以前に直感したことが俺の中であって。エッくんが出してくる文章しかり、それからヴィジュアル・イメージ、君たち自身が作ってないものもあるけどさ……

兄:ほとんど作ってないよ。

俺:初めてエンドンの顔のステッカー見たときに……

兄:あ、あれは唯一俺で。平野くん(ドッツマーク代表)が並べてくれた。

俺:あれ見たときにシリアルキラーが描く絵だって思ったの。そこに狂気を感じたわけじゃないけど、やっぱり少年Aとか、僕らと同世代の猟奇的な事件のイメージとオーヴァーラップしたんだよね。これ描いた奴は絶対ヤバいなって、サイコパスだって(笑)。

兄:あれはペルー人のモンタージュなんだよ。

弟:少年Aの絵はお手製の神様を作るってことだったよね?

兄:エンドンっていうのもお手製の神様の名前だよね。

俺:エンドンって仏教用語かなんかの円頓じゃないの?

兄:それは天台宗の円頓だよね。完璧で超早いって意味だよね。確かあの世とこの世の間の魂を移動させるものっていう意味もあるし、エンドンは色々あるよ。折り紙用語で……

俺:折り紙用語(笑)!?

兄:別に折り紙用語ってわけじゃないけど、紙の右端と左端あるでしょ? それを相手の前でこうする(実際に紙を折って)のを「END ON」ていう。

俺:マジかよ(笑)

兄:最高でしょ?

弟:コンヴァージと一緒だよね?

兄:違う。あれは遠近法的な収束、消失点のことでしょ。だから「END ON」はもっと雑だよ。右翼の端っこと左翼の端っこを折ってその隣接線を相手の前にセンターとして見せて「これブルータルじゃない?」ってくらい雑(笑)。あとはベケットの『マーフィー』のなかで主人公マーフィーのチェスの相手をする統合失調症の患者もエンドン。まあいいやとくに意味ないよ(笑)

俺:世代論に戻ろう。

兄:少年Aとバスジャックのネオむぎ茶と秋葉原通り魔事件の加藤は全部同い年だよね、昭和57年、1982年生まれだから。少年Aのああいうある種のすごい強烈なキャッチーさとわかりやすさってことに対して、禁欲を強いてきたわけじゃない? それをやっぱり分散させてみんながちょっとづつ昇華させてるってのは思うんだよね。最近でた彼の本は退屈で汚らしい印象を受けたけどね。

俺:昇華させてる人は少ないんじゃない?

兄:あの事件にまつわることを昇華してるわけではないけど、一部のヴィジュアル系はすごくそういうセンスがあって、加害欲求みたいなモチーフに拘るバンドもいたよね。今はその辺りをすごく禁欲的にならざるを得ない。例えば黒夢なんかは生きていた中絶児……とかそういうタイトルじゃん? あとはやっぱり好きな子を殺しちゃう、なんで好きな子殺しちゃうの!? 俺らがガキの頃のそれ系の歌詞ってやっぱ基本的に好きな子殺しちゃうからさ(笑)

一同:(笑)

兄:で、今回のツアー・タイトルをサディスティック・ロマンスというタイトルにした。自分で自分をモヤモヤさせることを選んだわけ。世のなかの構成要素は多ければ多い方がいいと思ってるから、人を傷つけたいって気持ちは世のなかにない方がいいかって言ったら、俺はあった方がいいと思う。実際に表現されてしまうと別の問題になるという考え方。あくまでゾーニングってこと。人をブン殴って回るツアーでもないし、各地をレイプして回るツアーではないけど、今回のツアーは世代論的にもタイトルをサディスティック・ロマンスにしたかった。やっぱりある種の「問題」を扱っていきたいという意識がある。

俺:エンドンがエクストリーム・ミュージックであることの必然性ってそこにあるよね。

兄:あるある。ある種の加害性なんだろうね。私とあなたは違うんです……とかっていうような意識からくる加害性とか、出生を恨むとまでは言わないけど、そういうものとの折り合いのつけ方をただの抑圧にしない。

俺:ぶっちゃけいまのエクストリーム・ミュージックのシーンがどうとかは俺はどうでもよくて、単に音楽以外の文脈を音楽にこれだけふんだんに盛り込んでる日本のバンドってエンドン以外にそんな知らない。しかも盛り込まれてる文脈が一方向的なメッセージじゃなくて拾った人が好きに膨らませられるような投げかけになってるのが重要かなと。

兄:情報量を多くしようとはしてる。ある種の「ノイズ」 っていうか。ノイズの意味性=不可能性ってのはもうどうやってもそれこそが不可能だから。過剰性なんじゃないかな。たくさんの情報が乗り入れまくってる、そういう意味でのノイズ。何かにとって整合性のあるものは、別の何かにとってはノイズ(雑音)になってしまうという関係性を整理しないでそのまま置いてあるというか。だからまぁ本当はノイズなんて言葉使う必要ないんだけど、やっぱりエッくんが小説も発表すれば、ギターソロもあるし……

俺:そこに最高のギターソロがちゃんと入ってるってところに海外に輸出して文脈を理解されなくても音楽的な強度で勝負できるってことだよね。

兄:それはあるね。

俺:……でやっぱり改めて俺が思うのは俺はハイドラヘッド・レコーズ(元アイシス/のアーロン・ターナーのレーベル)のおかげでグローバルな視点で活動できるようになったし、俺の世代が影響を受けてきた、そういった音楽以外の文献をふんだんに持ち込んだ音楽を提供してくれて視野を広げてくれたエクストリーム・ミュージックってハイドラヘッドだし、君たちがそこからリリースするってことに必然性を感じる。

兄:ハイドラヘッドのインテリジェンスって、俺が19くらいの頃だけど、憶えてるよね。ギリシャ神話を使うとか、フーコーとか。それでいまインタヴュー録ってるお前がハイドラヘッドと関係が深いってのもあるし、不思議なもんだよね。でもまさか、こういった形の階段を登るのが俺たちだっていうのは当時は思いもしなかったよ。もっと暗くてアヴァンギャルドで前衛的なことをやってる未来を考えてた。こういうロック・バンドをやるとは思ってなかった。だけどずっと学んできたことってすごくシンプルなロックの歴史を正当に評価するってことだから。例えばT・レックスを特権的に思うのは親から貰ったものなのかもしれないけど、あるとないとでは全然違って、バンドやるってことが友だち同士の音源の貸し借りからはじまった話じゃないっていうか。白人が黒人のパワーに触れて、ブルースと衝突してってところから自分たちの親の文化もはじまってて、それと同じとこから自分らのロックへの考え方もはじまってるというのはすごく重要なことじゃない? コウキと俺がストーンズとツェッペリンを偏愛してることは、むしろこのアルバムでは如実に表れてるんじゃない? 時代的に身の回りにブラック・サバスみたいなバンドが多すぎたってことへの反動もあるけども。

俺:この後アルバムが海外でハイドラヘッドからリリースされて、ロック・バンドとしての正当な評価は得られると思うんだ。だけどそれに+してエンドンが内包する膨大な文脈みたいなものがちゃんとインターナショナルに変換されたら君たちはまだ誰も到達してないステージに上がれるんじゃないかな? メタル・マーケットとかってアメリカやヨーロッパには日本の比じゃないほど大きなものがあって、そこでも充分やってけるんだけど、少なくとも君らはそれじゃ満足しない気がする。

兄:しないしない。メタルの延命措置に躍起になってはいるけど、メタル・シーンなんて端的にダサっとしか思ってないもん。膨大な文脈と言えば、映像とテキストと絡む作品をもっと作りたいんだよね。引用の化け物になりたいのよ。俺はやっぱりニヒリストだからさ、自分なんかどうでもいいわけよ、ゴミだから。

俺:アメリカンな発想だな……

兄:そうね。消費の化け物でもあるしね。俺たちがやってることってやっぱりメイド・イン・オキュパイド・ジャパンってことじゃないですか、完全に。照り焼きバーガーみたいなグローカルメニューしか作れませんみたいな。だからひとまずは引用の化け物になりたいなって思うんだよね、文章もそうだし、映像もそうだし、例えば映像のカットアップ、コラージュにナレーションで他人の文献も、自分たちのテキストも、人の音楽も自分たちの音楽もブチ込んだ4時間くらいのDVDを作りたい(笑)。

弟:俺ら、っていうかこういうジャンルのプレイヤーって、すげぇアメリカナイズドされてるから、反米っていう主張をするときに、じゃあオリエンタルな意匠で対峙しようっていうのは無理なんだよ。アメリカの消費文化をコラージュするのがいちばんいいかなっていうか、それしかできない。固有のアジア的身体性、精神性、それももともとあったはずの偽装された自然だね、そういうものに退行したらテロリズムになっちゃう。じゃなくて、内戦。内側から、外に出る。

兄:DVDとCDが結構な枚数で入ってるような箱物ができたらいいよね。膨大な情報量で攻めるってのを本当にいつかやってみたい。

弟:質って稀なものだよね。

兄:質って全部固有のものだから、量に還元した時に批判されるだけで、それとはやっぱり別の話で圧倒的な量の引用の塊で、幽霊が中に大量にいるようなスクラップの塊みたいな、ヒプノシスがやったアンスラックスのストンプ442のジャケットのアレみたいな化け物を作るってのはやっぱ野望だよね。

俺:次の作品じゃないですか。

兄:いや次の次の次くらいで……

俺:いやだめでしょ。トリロジーだから。3が物すごく重要。


ENDON / THROUGH THE MIRROR (Daymare Recordings)

ENDON "SADISTIC ROMANCE TOUR 2017"
w/DJ 行松陽介

3/11(土)東京: 新大久保Earthdom (ワンマン)
3/18(土)名古屋: 今池Huck Finn
3/19(日)大阪: 東心斎橋Conpass

Shobaleader One - ele-king

 本日3月8日、スクエアプッシャー率いる覆面バンド、ショバリーダー・ワンのアルバム『Elektrac』が日本先行でリリースされました。それにあわせて、ショート映像「Scream Elektrac 1」が公開されています。

 そしてこのタイミングで、かれらからele-king編集部宛てに新たなインタヴューが届けられました。前々回前回に続いて3度目でございます。どうやら編集部はいまショバリーダー・ワンに付け狙われているようです。相変わらず興味深い内容のインタヴューになっています。以下よりご覧ください。


SHOBALEADER ONE
STROBE NAZARD / SQUAREPUSHER / COMPANY LASER / ARG NUTION

東京公演即日完売の来日ツアーも話題!
スクエアプッシャー率いる超絶技巧バンド、ショバリーダー・ワン
待望のデビュー・アルバム『Elektrac』がついに本日リリース!
ショート映像「Scream Elektrac 1」が公開!
iTunesではジャンル別チャート初登場洋楽1位を記録!

Shobaleader One - Scream Elektrac 1

ライヴ・バンドのコンセプトを根底から改革すべく、スクエアプッシャーが招集した、凄腕ミュージシャンたち:STROBE NAZARD(キーボード)、COMPANY LASER(ドラム)、ARG NUTION(ギター)。結成された超絶技巧バンド、ショバリーダー・ワンは、スクエアプッシャーの初期作品を中心に、ジャズ~フュージョン~ドラムンベース~エレクトロニカを横断する超刺激的なライヴを世界中で展開する。昨年公開された“Squarepusher Theme”と“Coopers World”のライヴ映像が話題を呼び、アルバム発表時にも公開されたファン垂涎の名曲“Journey To Reedham”が公開されるや、同時に発表された来日ツアーには、規定枚数を大幅に超える予約が殺到!

Shobaleader One performing “Squarepusher Theme”

Shobaleader One performing “Coopers World”

Shobaleader One - Journey To Reedham (Live Edit)

東京公演が即日完売となるなど、大きな注目を集めるジャパン・ツアーを来月に控える中、すべてのファンが熱望し、ファンならずとも想像を超える演奏力に度肝を抜かれるであろう衝撃作の全貌が明らかに!

タイトなキメを多用しながら饒舌なソロがつばぜりあいを繰り広げる展開は、エレクトロニック時代のマイルス・デイヴィスやウェザー・リポートの影はもちろん、ジョン・マクラフリンのソロやジミ・ヘンドリクスのエクスペリエンスなども脳裏をよぎる。
- Music Magazine

破天荒な打ち込みを再現するばかばかしいまでの志の高さと技術
- CD Journal

2016年末に公開されるやいなや瞬く間にバズったそのライヴ動画を見てうかつな輩は「ベースの人、うまい」などと頓珍漢なコメントを寄せたのだった。うまいに決まってるだろ。弾いてるのスクエアプッシャーだぞ。
- WIRED Japan

Shobaleader One - Elektrac
01 The Swifty
- from Feed Me Weird Things
02 Coopers World
- from Hard Normal Daddy
03 Don’t Go Plastic
- from Music Is Rotted One Note
04 Iambic 5 Poetry
- from Budakhan Mindphone
05 Squarepusher Theme
- from Feed Me Weird Things
06 E8 Boogie
- from Hard Normal Daddy
07 Deep Fried Pizza
- from Feed Me Weird Things
08 Megazine
- from Shobaleader One: d’Demonstrator
09 Delta-V
- from Just a Souvenir
10 Anstromm Feck 4
- from Do You Know Squarepusher
11 Journey To Reedham
- from Big Loada

スクエアプッシャー率いる超絶技巧バンド、ショバリーダー・ワン待望のデビュー・アルバム『Elektrac』は、本日いよいよ日本先行リリース! 国内盤2枚組CD(ブックレット付の特殊パッケージ)には、オリジナルのシースルー・ステッカーが封入される。またスペシャル・フォーマットとして数量限定のTシャツ付セットも販売中。

label: Warp Records / Beat Records
artist: Shobaleader One ― ショバリーダー・ワン
title: Elektrac ― エレクトラック

cat no.: BRC-540
release date: 2017/03/8 WED ON SALE(日本先行発売)
初回生産特殊パッケージ
国内盤2CD(¥2,500+税):オリジナル・シースルー・ステッカー/解説書 封入
国内盤2CD+Tシャツセット(¥6,000+税)

interview with Sherwood & Pinch - ele-king


Sherwood & Pinch
Man Vs. Sofa

On-U Sound/Tectonic/ビート

DubDubstep

Amazon Tower HMV

 ロンドンから北西に向かったハイ・ウィコムという街で10代の少年エイドリアン・シャーウッドはレゲエと出会った。彼はほどなくしてDJを始め、その後、音楽業界に関わるようになり、20歳になるころにはレコード店を運営するようになっていた。UKダブの歴史に名を刻むことになる伝説の始まりだ。

 流通会社を立ち上げたほか、複数のレコード・レーベルを運営したシャーウッドは、1980年になると、プロデューサー・エンジニアとして独自のダブ・ミックスを、ジャズからインダストリアルまであらゆる音楽へ積極的に施していった。彼が関わったプロジェクトの数は圧倒的だ。彼のディスコグス・ページを見るだけでも、その膨大さがわかるはずだ。アフリカン・ヘッド・チャージとのサイケデリックなアフロ・ダブ。デペッシュ・モードのリミックス。リー・スクラッチ・ペリーとのスタジオ作品。タックヘッドとのエクスペリメンタル・ヒップホップ。ほかにもプライマル・スクリーム、ナイン・インチ・ネイルズ、マシーンドラムなど、挙げればきりがない。そんな彼が近年活動をともにしているのがDJピンチだ。

 ピンチは2005年にレーベル〈テクトニック〉を設立。ブリストルを拠点にダブステップの先駆者としてシーンを牽引した。ダブステップがメインストリームな音楽になっていき、定常化した音楽となっていくなかで、彼はテクノ、インダストリアル、グライムなどほかのジャンルへダブステップを拡張していき、新鮮なサウンドを提供し続けてきた。00年代後半にはファースト・アルバム『Underwater Dancehall』を発表。以降も〈コールド・レコーディングス〉の設立や、シャクルトンやマムダンスとの共作など、常に革新的な音楽を志向し続けてきた。

 シャーウッド&ピンチは2013年に2枚のEP「Bring Me Weed」と「The Music Killer」を発表したものの、プロジェクトへ本格的に着手することになったのは、2013年におこなわれたSonar Tokyo公演でライヴ・パフォーマンスをおこなうことになってからだった。そして2015年に発表したファースト・アルバム『Late Night Endless』から2年、待望の新作『Man Vs. Sofa』が先月発表されたばかりだ。同作はこの2年間に生まれた変化を見事に反映したアルバムとなっている。作品の背景を聞き出すべく、リリースに先駆け東京公演のために来日していたふたりにインタヴューをおこなった。

以前は〈Tectonic〉ミーツ〈On-U Sound〉みたいなサウンドだった。でも今回のアルバムは、俺とピンチというアーティストの融合なんだ。俺たちが、よりひとつになれている。 (シャーウッド)

新作の発表おめでとうございます。前回の『Late Night Endless』からこれまでの2年間、ふたりはどのように過ごしてきましたか?

ピンチ(Pinch、以下P):この新作を作っていたよ(笑)。

エイドリアン・シャーウッド(Adrian Sherwood、以下S):アルバムを5分で作ることはできないからね。この2年間をかけて少しずつアルバムを仕上げていったんだ。例えば“戦場のメリークリスマス”のカヴァー(『Man Vs. Sofa』の収録曲)は、『Late Night Endless』の制作時に作り始めていたけど、なかなか満足できなかった。だから、今回のアルバムでいちばん古いのはあの曲で、それ以外の収録曲はすべてこの2年で作ったよ。

“戦場のメリークリスマス”をカヴァーしようと思ったのは?

S:以前からあの曲のメロディが好きだった。坂本龍一も好きだし、“Forbidden Colours”ヴァージョンのデヴィッド・シルヴィアンの歌も好きだったからカヴァーすることにしたんだ。歌詞を入れてみようと試したり、何種類か違う方法でレコーディングしたりして、やっとパーフェクトなものが完成したよ。

P:よりサイケデリックな仕上がりになったから、前回のアルバムよりも新作によりフィットすると思う。前回のアルバムは、もっとトライバルでリズミックだったからね。ニュー・アルバムは、もっとサイケデリックでダイナミックなんだ。今回は、俺のスタジオで作ったものをエイドリアンのスタジオに持っていって、そこから発展させていって作ったトラックが多いね。でも表題曲の“Man Vs. Sofa”は、エイドリアンのスタジオでノイズができたところから始まった。今回のアルバムでは、そういうふうにしてエイドリアンのスタジオで作り始めた曲もあるし、それぞれにアイディアを持ち寄ってそれを組み合わせた曲もあるんだ。ふたりで作ったトラックがたくさんあって、その中から今回のアルバムにフィットするものを選んでできたって感じだね。

アルバムにしようと意識して制作するようになったのはいつ頃ですか?

S:2年前だね。

というと『Late Night Endless』をリリースした直後ですか?

S:いや、そういうわけじゃない。ファースト・アルバムをリリースしてから1年後にまた一緒にスタジオで作業しようって決めたと思う。

P:待って。それだと2年前に作り始めたことにならないだろ? エイドリアンの計算って、ときどきおかしいんだ(笑)。

S:そうなんだよ(笑)。1年じゃなくて、2、3ヶ月かな。スタジオに戻って、ピンチが俺に送ってきたトラックをもとに作業を始めたんだ。

P:ファースト・アルバムが2015年の春で、そのあと同じ年の冬くらいにセカンドのために作業を再開したんだと思う。

ファースト・アルバムと今回のアルバムでは、どちらの制作期間が長かったんでしょうか?

S:ファーストの方が制作期間は長かったね。

ふたりが出会ったのは2011年ですよね? ピンチがファブリック(ロンドンのクラブ)でやったイベントへエイドリアンをブッキングして、そこから親交を深めていったそうですが、『Late Night Endless』はその時点から作り始めたんでしょうか?

P:俺たちが最初にリリースした作品は12インチの「Bring Me Weed」で、出会った時からアルバムを作ることを考えていたわけではないんだ。

S:「Bring Me Weed」が最初の12インチで、そのあとEPの「The Music Killer」を出して、アルバムはその後だな。

P:アルバムのために曲を作り始めたというよりは、ライヴのために曲を作ったり、スタジオで曲を作ったり、時間がある時にふたりでとにかくトラックを作っていた。

さっき、ファースト・アルバムの制作期間について尋ねたのは、『Late Night Endless』よりも、『Man Vs. Sofa』のほうが作品に一貫性を感じたからなんです。

S:そうなんだよ。ふたりで制作を始めた頃は、ふたりで何ができるのかを模索していて、サウンドシステムの人がエクスクルーシヴのダブプレートを持っているみたいに、自分たちだけにしかプレイできないトラックを作ろうと思っていた。そうやって何曲か作っているうちに、アルバムを作っている感じになったんだ。でも今回は、マーティン・ダフィが参加していたり、一貫性のある雰囲気になっていたりと、サウンドをまとめる要素がたくさんある。俺とピンチがしっかりと混ざり合っているね。正直、『Late Night Endless』は違うものが色々と入っている感じだった。

かなり小さい時からエイドリアンの音楽を聴き続けてきたんだ。だから、彼のインパクトや影響は自分にとってすごく大きい。その影響が、俺とエイドリアンの共通点に繋がっていると思うんだ。様々な音楽要素を取り入れ、色々な方向に進みながら、ムードのある自分の音楽を作る。エイドリアンも俺の音楽からそれを感じ取ってくれたと思う。 (ピンチ)

なるほど。前回と比べて、制作環境は変わりましたか?

P:エイドリアンが、以前よりも広くて新しいスタジオ・スペースに移ったんだ。前回と比べて制作環境が良くなったと思う。あと、古い機材をたくさん手に入れて使ったんだ。

S:環境は今回の方が良かったと思うね。俺の家と息子の家の間にスタジオを作ったんだよ。だから庭と庭の間にスタジオがあるんだ。面白いだろ?

P:本当に変わっているんだよ。エイドリアンの庭を歩いて、もともと塀だったところをくぐると違う家なんだ(笑)。

S:機材に関しては、ずっと探していたけどなかなか手に入らなかったものを手に入れて使うことができた。

P:俺はいつもデジタル的な考え方で音楽にアプローチしてきたんだけど、エイドリアンに説得されて、自分のスタジオでも前よりアナログのものを使うようになったよ。

逆に、エイドリアンがピンチの影響を受けてデジタルになった部分はありますか?

S:必要なのはPro Toolsくらいだな。あと、それを操作してくれる人。俺は年だから、あまりそういうのは操れないんだよ(笑)。ものすごく怠け者だからな(笑)。でも、俺のエンジニアのデイヴ・マクィワンが最高なんだ。できることならどこにでも彼を連れていきたいくらいだよ。

機材について詳しく教えてもらってもいいでしょうか?

P:ライヴではAbleton Liveを使っているけど、トラックを作る時はLogicを使っている。あとはVSTや色々なエフェクトを重ね合わせたものをコンソールに戻してアナログ機材を通じてさらに加工する、というのが俺の作業の流れだね。

S:俺は、イギリスのAMSっていう会社のファンだったんだ。そこの製品はもう作られていないんだけどね。俺はAMSのディレイとリヴァーブをずっと使ってきた。あとアメリカの機材も好きだよ。今年はOrbanのEQとスプリング・リヴァーブを買ったよ。高くないし、ずっと欲しかったんだけど、なかなか手に入れられずにいたんだ。しかも安いんだ。あとは、Fulltoneのテープ・ディレイも買ったな。もう1台欲しいと思っていたんだ。いちばん重要なのがEventide。俺はEventideの大ファンなんだ。Eventideも高くないよ。EventideのH9は本当に素晴らしいマシンで、みんなにオススメしているよ。あと何年も探していたのがLangevin。ここのEQは〈タムラ/モータウン〉の作品すべてで使われているし、キング・タビーやサイエンティストのEQスイープでも使われている。彼らのレコードを聴いていると見事にLangevinが使われている場面がけっこうあるよ。普通のEQとは違って独特の回路になっているんだ。

P:ハイハットとかに向いているね。

S:あとリヴァーブやドラム・サウンドにも向いている。このEQでかなりのドラム・サウンドを加工したよ。

最新作のプレス・リリースに、サウンドシステムで今回のアルバムを聴くとボディーブローのように身体に効くサウンドでありながら、ヘッドフォンで聴くと意識を没頭できる音楽だと書いてありました。アルバムを聴いて確かにそうだなと思ったのですが、どのようにしてそういったサウンドを作り上げたんでしょうか?

P:そのふたつのアイディアをミックスダウンの時に忘れないようにすることかな。サウンドシステムで聴くと身体で感じられるサブベースが、ヘッドフォンではそこまで伝わってこない。例えばブリアルなんかの音楽だと、ディテールがすごく緻密で微細だけど、それをサウンドシステムで鳴らしても、そのディテールがわかりにくい。サウンドシステムの大きなボリュームに比べて音がさりげなさすぎて聴き取りにくいからね。だからミックスダウンの時に、サウンドシステムから感じられる音のパワーと、ヘッドフォンで聴いたときに意識を没頭できる細かいディテールの両方を兼ね備えたスペースを作ることが大事なんだ。

前作と比べて、今回はヴォーカルを使ったトラックがかなり減っていますね。

S:それは意識してやったことなんだ。以前は〈Tectonic〉ミーツ〈On-U Sound〉みたいなサウンドだった。でも今回のアルバムは、俺とピンチというアーティストの融合なんだ。俺たちが、よりひとつになれている。ヴォーカルを入れすぎてしまうと、その俺たちらしさが薄れてしまうだろ? 今回はふたりのポテンシャルを追求しているんだ。

そういった中でもリー・スクラッチ・ペリーやスキップ・マクドナルドの声が使われているのは、歌としてというより、音の要素のひとつとして彼らのヴォーカルが使われているのでしょうか?

S:ちょっとしたフックとして使っているだけだね。

P:例えば、リー・ペリーが参加しているトラックも、最初から最後まで歌声が入った普通のヴォーカル・トラックじゃない。もっと音楽が呼吸できるスペースがある。タズにしたってそうだ。タズのスタイルはもっとグライムっぽいけど、ずっと声を発しているわけじゃないし、歌モノになっているわけでもない。声によるテクスチャーとして使っているんだ。

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ひざの手術をしたいと思っても、ひざの知識だけではどうにもできない時もある。身体全体のことを知っていることが必要な時だってあるだろ? (ピンチ)

エイドリアンはこれまで多くのミュージシャンやプロデューサーとコラボしてきました。ピンチはいわゆるDJカルチャーのアーティストですが、ふたりのコラボレーションをどのように感じていますか?

S:ピンチとのコラボは、すごく理にかなっているんだ。ピンチは〈On-U Sound〉やレゲエ、ヒップホップ、コンテンポラリー・ダンス・ミュージックの歴史を理解している。これまで、デペッシュ・モードやタックヘッド、ザ・マフィアといった様々なアーティストとコラボしてきたけど、その結論としてピンチとコラボするようになったと言えるかな。俺はダンスできる音楽をずっと制作してきたし、家でも楽しむことができる音楽も制作してきた。クラブ・ミュージックに関わるときは、ただクラブにとってパーフェクトな作品であることだけじゃなく、家で聴いても楽しめる、クラブを超えた作品を俺はイメージするんだ。それを一緒に実現できるのがピンチなんだよ。

数々のアーティストとコラボしてきた中で、ピンチとコラボをしてみて何に新鮮さを感じましたか?

S:彼には、誰よりもシンパシーを感じる。誰かと作業し続けるにあたって、それは本当に重要なことなんだ。ピンチとのコラボは本当に心地がいい。俺とピンチは、最高のコンビネーションなんだ。誰でもいいってわけじゃないんだ。下手にコラボするくらいなら、自分の家でゆっくりしていたいね。コラボするなら、楽しくてワクワクするものじゃないとな。ピンチは本当にクリエイティヴだし、新鮮なアイディアを持っている。俺たちは互いの可能性を広げて、いちばんいいところを引き出し合えるんだよ。

P:あと、俺はすごくおいしいお茶を入れるよ(笑)。

S:俺は料理だな(笑)。

あはは! ふたりは互いのどういうところにシンパシーを感じていますか?

P:俺は、幼い時から兄を通して〈On-U Sound〉の作品をずっと聴いてきた。『Pay It All Back Vol.3』とかのコンピレーションをテープで持っていたし、ダブ・シンジケートのアルバムとかね。かなり小さい時からエイドリアンの音楽を聴き続けてきたんだ。だから、彼のインパクトや影響は自分にとってすごく大きい。その影響が、俺とエイドリアンの共通点に繋がっていると思うんだ。様々な音楽要素を取り入れ、色々な方向に進みながら、ムードのある自分の音楽を作る。エイドリアンも俺の音楽からそれを感じ取ってくれたと思う。だよね?

S:その通り。

そこから現在にいたるまで一緒に音楽を作り続けていますが、出会う前は知らなかったけど、出会ってから気づいたお互いの面は何かありますか?

P:俺が知っていた以上に、エイドリアンの音楽スタイルの幅は広い。本当に計り知れないよ。バンド、アーティスト、ヴォーカリストといった様々なミュージシャンとコラボしているし、一緒にいると本当にいろんな話が聞けるよ。彼が関わったプロジェクトの数はすさまじい。制作面でもエイドリアンとコラボしていろいろと学んだよ。特に、フェーダーやパンをどう処理するのかってことをね。パンの処理やステレオ音場の捉え方から、トラックに動きやスペースを生み出していけるんだ。コラボを通じて得たものを自分のプロジェクトでも活かそうと心がけているよ。

S:俺は時期によってリズムを担当する人が変わるんだ。フィッシュ・クラークやスタイル・スコットとかね。どの時期にもリズムを構築する大事な役割の人がいて、ここ数年、その役割を担当しているのがピンチなんだ。最近はライヴ・ミュージシャンの音をとりあえずカッティング処理するようなことをしたくないんだ。一緒にグルーヴまでもカッティングしたくないし、つながっている感覚が好きだからね。だから今はピンチとのコラボがしっくりくる。

制作をする時に、これをやったら相手が喜ぶんじゃないかなというのを意識しますか? それとも、自分が好きなものをまず相手に提示しますか?

S:俺が何を気に入るかをピンチが考えることが多いと思う。リズムを作っているのはピンチだからな。俺の気に入りそうなアイディアをピンチが持ってきて、俺がそこから気に入ったものを使って、それを基盤に俺のアイディアを加える。基本的に俺たちのトラックはそこから進化してくんだ。

P:自宅で制作するとき、常に方向性がはっきりしているわけじゃないけど、自分の中でこれはシャーウッド&ピンチのプロジェクトに向いているなって思えるリズムやトラックがある。そういう点では確実に意識しているね。

ジャンルに関係なく、聴いていてどこか他の世界に連れていってくれるというのが音楽の魅力と素晴らしさ。癒しの力があり、パワフルでもある。ジャズでもダブでも、それは変わらないね。 (シャーウッド)

エイドリアンはダブの手法をダブ以外の音楽で起用したパイオニアであり、最近ではにせんねんもんだいのダブ・ミックスが話題になりました。以前読んだ記事で、あなたはごちゃごちゃしていない音にすることが大事だと言っていましたが、そこをもう少し詳しく聞かせていただけますか?

S:例えば、にせんねんもんだいのレコードを聴いてみると、あのレコードではハイハットがたくさん使われている。表ではあまり複雑なことは起こっていないけれど、ピンチが話していたブリアルの作品と同じで、深いところでは様々なことが起こっている。それがサウンドをより一層魅力的にしているんだよ。俺はにせんねんもんだいのアルバムが大好きだったから、あのレコードでの挑戦は、シンプルさをできるだけ美しく提示することだった。だから、すごくシンプルなテクニックを使って、音源に輝きを加えたんだ。ほんの少しだけ手を加えるアプローチを取って、音の分離と全体像、それに、強度が素晴らしくなるように心がけたよ。それとは別に、多くのことが起こっている音楽もあるよね。レゲエで言えば、スネアはここ、ハイハットはここ、キックドラムはここ、っていう感じで絵みたいにトラックの全体像を捉えるんだ。そこで俺にとって重要なのは、EQ、スペース、サウンド。ひとつひとつの要素がハッキリと聞こえるようにして、耳に飛び込んでは消えるようなサウンドにするんだよ。エイジアン・ダブ・ファウンデーションやプライマル・スクリームのようなロック・バンドみたいに多くの要素が詰まった音楽でも、すべての楽器を適切に配置してハッキリと聞こえるようにしないといけない。そういう密度が高いものを扱うときは、すべてを適切にEQ処理しないといけない。あまりにも要素が多い場合は、いくつか要素を全部か一部を取り除くことも考えられるね。リフの要素を半分にするとかね。

P:ダグ・ウィンビッシュが言っていたんだけど、ミックスでは「道」を理解することなんだ。トラックで鳴っている音にはそれぞれの道があって、その道を聴き取れるようにすることが大事なんだってね。

ミックスにおいて、ピンチがエイドリアンに何かリクエストをすることはありますか?

P:ミックスはエイドリアンの役割ではあるけど、俺はいつも一緒に部屋の中にいる。で、このスネアはちょっとヘヴィすぎるんじゃない? とか、たまに意見を言うんだ。でも、やっぱりエイドリアンはスペースを作るのがうまいから、そこまで言うことはないね。

最後にヘヴィな質問をひとつ。UKダブの歴史は、ジャマイカ移民の話抜きでは語れないと思うのですが、そういう意味では、移民というのは文化的な面で良いところもあると思うんです。それを音楽のスタイルやジャンルに置き換えるとすれば、エイドリアンはさっきも話したようにダブを他のジャンルに持ち込んで新しいものを生み出し、ピンチは、ダブステップから始まりはしたものの、それをテクノやハウスに取り込み、すごく面白い音楽を作っています。しかし今、世界では移民に対して反感が巻き起こっていますよね。同じようなことが音楽に起こった場合、例えば、ダブステップ以外の音楽と認めない、というような状況になった場合、その音楽はどのようになると思いますか?

S:つまらなくなるだろうね。

P:進化しなくなると思う。新しいものが生まれなくなるし、亀裂がおこる。その亀裂が不和を起こすし、視野を大きく持てなくなって、自分が見ているものがすべてだと思い込んでしまう。色々なものを受け入れることで、より広い世界が見られるようになるよね。

これまでどのようにして、視野が狭くならないようにしてきました?

P:矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、ひとつのことに専念することにも価値はある。要は両方の考え方を受け入れる意識を持つことが大事なんだ。視野を狭くすることで専門的なレベルで何かを詳しく理解するようにはなるだろうし、例えばそれが医療だとすれば、その知識はすごく役に立ち、特定の手術を可能にするかもしれない。でも、それが可能なのは身体の構造について広範な知識を知っているからだ。ひざの手術をしたいと思っても、ひざの知識だけではどうにもできない時もある。身体全体のことを知っていることが必要な時だってあるだろ? それと同じさ。だからどちらかひとつってことではなく、ふたつとも必要なんだよ。答えになってないよね(笑)?

S:俺は良い答えだと思うよ。ジャンルに関係なく、聴いていてどこか他の世界に連れていってくれるというのが音楽の魅力と素晴らしさ。癒しの力があり、パワフルでもある。ジャズでもダブでも、それは変わらないね。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』 - ele-king


文:坂本麻里子

 『麦の穂をゆらす風』(2006年)に続き、社会派の英監督ケン・ローチと彼の長年のコラボ相手である脚本家ポール・ラヴァーティに二度目のカンヌ映画祭パルム•ドールをもたらした『わたしは、ダニエル・ブレイク』。心臓発作に襲われ休職中59歳の指物師ダニエルが福祉制度の冷酷なメカニズム、些細なミスにより求職活動を余儀なくされる矛盾といった「お役所仕事」の迷路を相手に葛藤する様と、家主の横暴で住居を失いやむなくロンドンからニューカッスル(2都市間の距離は約400km、電車でほぼ3時間)に引っ越して来たシングル・マザー:ケイティーと彼女の子供たちと彼の出会いから生まれる疑似家族的な触れ合いを描いている。
 労働者に降り掛かる悲劇、そして住宅問題というのは、庶民を主役に多くの作品を撮ってきたローチにとって目新しいテーマではない。前者に関しては、国鉄民営化に伴いリストラされたシェフィールドの鉄道工たちの悲劇を群像的に描いた『ナビゲーター:ある鉄道員の物語』(01年)。キャストの多くを地方クラブ回りの芸人が演じた意味でもニューカッスル出身の漫談師デイヴ・ジョンズを初主役に抜擢した本作がだぶるし、暗いストーリーへの反発としてコミック・リリーフが効いているのも同様だ。
 テレビ映画作品ゆえ日本への浸透度は低いかもしれないが、後者はイギリスで『ケス』と並ぶローチの初期の代表作とされる『Cathy Come Home』。家出し結婚したものの、事故による夫の失職他次々に襲う悲劇で路頭に迷い、遂には社会福祉課に愛児たちを取り上げられる主人公キャシーの零落をドキュメンタリー調で綴ったこの作品はBBC放映時に賛否双方大きな反響を呼び、ホームレス・チャリティ団体の発足にも繫がったとされる。しかし『Cathy〜』が放映されたのは奇しくも1966年。前作『ジミー、野を駆ける伝説』後に長編フィクション映画制作からの勇退もささやかれたローチは、50年後の自作の伴奏部にこの問題を再び含めずにいられなかったことになる。そのフラストレーションと怒りは大きかったはずだ。
 そうしたいくつかの前知識や「観るのがきつそう」というメンタル面での覚悟は、しかし実際に『ダニエル・ブレイク』を観るに当たって必要ではない。メッセージこそ重いものの、その伝え方はある意味ぶっきらぼうなほどストレート、小細工なしの情熱的なものであるため観る側も武装解除されてしまう。細かな観察眼や息を飲まされる静かな衝撃といったローチ味も健在ながら、一部にぎこちなさはあるし「完璧な映画」ではない。映画の読み方に慣れている人であれば前半を観れば結末がどうなるかだいたい予想がつくであろう、実にシンプルな筋書きの100分だったりする。
 だが、積み重なっていく出来事、行動、そこに生じる結果を有り体に見せることに徹した本作の大文字な作り──白黒明快キャラクターや曖昧さゼロのストーリーは寓話すら思わせる──は意図的なアプローチであり、「伝えたいことの本質にまで映画をそぎ落とせる」、80歳のベテランならではの腕ではないかと思う。泣かされる作品なのだが、ストイックなゆえにメロドラマに陥ってはいない。思わずこぼれた涙は悲しみで濁っただけのそれはなく、同時に怒りに沸騰させられ、一滴の希望にまで蒸溜された、とても透明度の高い涙だった。
 ゆえに、システムに小突き回され何もかも失っていく人間を追った「惨めなだけ」の作品という印象は残らない。ダニエルの優しさや思いやり、底辺にあっても捨てない誇りは、周囲に様々な形で影響を与えていく。そこから広がる小さな助け合いと「半径5メートルの共同体」は観る者の中に希望の灯りを点す。主役のキャラ造型に対し、「酒も飲まず、清廉潔白。こんな聖人みたいな『労働者階級』が現実に存在するはずがない」との批判する声もイギリスの右派メディアから上がっていた。だが、そんな風に他者を信じられない=誰もが同じく人間である事実を回避し偏見を助長するシニシズムこそ、社会を様々な形で分断していく見えないガンのようなものだろう。

 ダニエルが「わたしは、ダニエル・ブレイク」と訴える姿に、キューブリックの史劇『スパルタカス』の有名な場面を思い起こした。奴隷の反乱を鎮圧すべく、ローマ軍は首謀者スパルタカスさえ差し出せば他の連中の命は救ってやる、と脅しをかける。しかし奴隷たちは次々と「I'm Spartacus!(わたしがスパルタカスです)」と名乗りをあげ、ローマ軍の奸計は無為に終わる。非力な存在でも、連帯し太い綱になれば抵抗は可能。筆者が本作を観たのは地元の映画クラブ主宰の無料上映会だったが、上映後、会場のパブに詰めかけた200人以上の観衆からわき起こった大きな拍手はダニエルの境遇を「自分には他人事、関係ない」と片付けられない人々の良心、そして「わたしも、ダニエル・ブレイク」の共感の現れだと思った。大予算やビッグ・ネームなキャストとは無縁のこの実にささやかな映画は、大きな励ましの声を響かせている。

文:平田周

 映画を含むあらゆる芸術は社会的効用という基準とは独立した価値基準を有する、と言われる。こんなことは、ハイカルチャー/サブカルチャーの区別なく、小説、映画、漫画に没頭しているうちに気づいたら朝を迎えていたり、あるいはなぜか思わず夜を踊り明かしたりしてしまったような「頽廃的な」経験のある人間にとっては、あまりにも自明なので意識にすらのぼらないことかもしれない。そこにはまず快楽とその肯定だけがあればいいのであって、共有される意味や普遍的な価値など別になくてよい。ましてや、いまはファシズムの時代でもあるまいし、特定の政治的目的への奉仕のための手段としての芸術、いわゆる〈プロパガンダ芸術〉という言葉で了解されていたものを「楽しい」と思う人間はそう多くはない。
 他方で、映画にかぎって話をすれば、どんな作品も、ジョン・カーペンターの傑作SF映画『遊星からの物体X』(1982年)の未知の生物のようにまったく見知らぬ惑星で生まれたというわけではなく、特定の社会的時代背景のなかで産み出される。翻って、どんな映画作品も、実話に基づいたものであれ、フィクションであれ、何らかのかたちで社会関係を演出し、社会を映し出し、それについて吟味し、判断を下している。映画にはすでに社会への視線が、こう言ってよければ、〈社会批判〉的な観点が備わっている。社会批判はけっして映画というメディアそれ自体の目的でも責務でもないが、そこに潜在的な次元として孕まれている。社会派、あるいはリアリズム映画と呼ばれるジャンルは、そうした映画にある社会批判のポテンシャルを引き出し、現実に働きかけようとするものである。リアリズム映画は、声なきものに声を与え、人が目を向けない人々の日々の生活を可視化し、迷宮のように張り巡らされている社会関係の網の目のなかで作動している現実のメカニズムを浮かび上がらせようとする。
 2016年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したケン・ローチの新作『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、大工である主人公ダニエル・ブレイクが出口のないカフカ的な状況にはまり込んでいくところから物語が始まる。建設現場での心臓発作のために倒れたブレイクは、医者に仕事をやめるように言われ、社会保険の給付の申請を行う。しかし「ヘルス・ケア・プロフェッショナル」なる受給の可否の査定に関わる職員には就労可能と見なされる。結果、ブレイクの申請は受理されず、ジョブセンター(「公共職業安定所」と訳されることもあるが、ハローワークのような雇用の斡旋のみならず社会保障サービスも行うイギリス特有の事務所)に行けば失業者扱いされ、ただセンターの規則に従うことが求められ、最終的に職探しを行う以外の活動の選択肢を奪われる。こうした不可解な状況は、他人に事情を説明することも困難なために、いっそう強められる。実際、ダニエルは制度の規則にしたがって、履歴書を小さな会社の雇用者たちに渡し歩いた結果、ある雇用者から採用の電話を受けるが、病気なので働くことができない旨を伝えざるをえない。それに対するある意味当然の反応として、「じゃあなぜ履歴書を渡したんだ」と怒って相手は電話を切るのである。
 このようなある種の不条理なダブル・バインドの下、ダニエルの生活を不安定なものにする社会関係がある一方で、映画が不思議と賑やかで温かみをもつのは、「チャイナ」という愛称の隣人、そして映画のもう一人の主人公と言ってよい、ディランとデイジーという名の二人の子供をもつシングルマザー、ケイティとのあいだにダニエルが紡ぐユーモアあふれる人間関係によるものである。とはいえ、二人の生活もブレイクと同様に不安定である。チャイナはちょっとした闇商売にダニエルを少し関係させる。ロンドンの社会住宅が不足しているという理由で、映画の舞台であるニュー・カッスルの社会住宅を割り当てられたケイティは、越してきたばかりで道に迷い、また二人の子供を連れていたため、ジョブセンターの職員との約束の時間に遅れ、ペナルティとして福祉の給付を停止される。生活に困った人間同士がそれぞれのニーズに合わせて助け合う一方で、本来そうした人々を助ける側の制度の人間は規則にがんじがらめにされて、身動きが取ることができなくなっている様子がスクリーンには映し出される。この対比がよく示されているのは、「IT弱者」のブレイクがオンラインでの社会保険の申請するのを助けようとした心あるセンターの女性職員が、規則に反するとして上司にきつくとがめられる一方で、中国の友人とスカイプするチャイナがその申請を助ける一連の場面である。それは硬直したシステムと人々の相互扶助的な関係とのコントラストなのである。
 だが、貧しい者たちが互いに肩を寄せ合うという現実と、それだけでは生活を送るのには不十分であるという現実はなにも矛盾しない。この映画もこれまでのケン・ローチの多くの作品と同じく大団円やハッピー・エンドを迎えることはない。ただ彼の映画は、幸福であれ不幸であれ、「終わりのない」現実の社会に観客を立ち返らせ、問題を意識させようとする。ローチはどんな社会への批判的な眼差しを投げかけているだろうか。映画では、登場人物たちが生活のなかで経験する苦しみを個人の心理的・病理的次元で説明することが徹底的に拒否される。なぜチャイナが少しばかり違法な商売に手を出すかと言えば、怠け者だからではなく、朝の5時に呼び出されて1時間だけ働かせられ4ポンドしか稼げないという労働条件のためである。ある印象的な場面で、ケイティがあまりにも「無様な」行為に及んだ後で恥じ入るとき、ブレイクが彼女に伝えるのは、「これは君のせいではない」、「なにも恥ずかしいことなんかない」といった言葉である。

 こうした貧困、過ち、苦悩の様々なかたちを通じてローチが示そうとするのは、それらが社会のなかで産み出されているという当たり前のことである。裏返しに言えば、社会は、まるで自らが存在しないかのように、あまりにも社会で起きた問題を個人に帰し、背負わせている。それは、サッチャー政権による新自由主義政策のもとでの社会福祉の後退と自己責任の強化の結果であり、ローチがラジオで戯画的に語ったことの大意を要約すれば、「家がない人間がいるとすれば、それはそいつが働かないからだと説明し、そして、社会的紐帯を破壊し、その社会的費用を個人や家族に転嫁すべく個人主義や家族主義のイデオロギーを強化するというのが新自由主義の論理なのです」。映画での社会問題の提示は、楽観的と言っていいぐらい明快である。自分は、税金も払って、市民の務めを果たしてきた。病気になって市民の権利を要求しているだけなのに、なぜフリーライダーのように扱われなければならないのか。なぜそんな理不尽な要求や手続きに従わなければならないのか。なぜセルフ・リスペクト(自らに対する尊厳)を押し殺して生きなければならないのか。自分は、消費者でも物乞いでも犬でもない、人間なのである、といったように。
 日本でも、経済的諸条件や技術的環境の変化とともに、社会に格差が広がり、労働の問題が表面化している。学生のなかで「ブラック」という言葉が盛んに用いられているのを見ても、ほとんど誰もがそうした不安の存在が確かであると感じている。とはいえ、そうした問題を個人レベルでなく集団レベルでどのように解決していくのかといった議論に関しては、「これからの社会を生き延びるのにこれを学べ」式の個人間の競争を煽る書籍が本屋で平積みにされている光景を見ると、それほど確かではないように思える。では、ローチの映画がただちに解決策を与えるかと言えば、それはもっと確かではない。ただ映画が観客に鋭く強烈に社会の現実を突きつけるというのは、本当だ。彼がリアリズムよりも「オーセンティシティ(本物であること)」という言葉で好んで自らの作品を形容するように、映画はオーセンティックな(唯一無二の)演出で社会の現実を体験させる。
 ローチは、生涯の映画のベスト3の1本にヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』(1946年)を挙げている。この事実は、映画が、ネオリアリズモの精神に沿って、日常の平易な言葉を採用しながら、ハッと息をのませるようなしかたで、社会のなかで日々生まれる苦しみや怒りを見事に撮っていることの一端をよく説明してくれているように思える。本国イギリスに続いて昨年の10月から映画が公開されたフランスでのプロモーションでは、老若男女それぞれが、ブレイクに自らの姿を重ね合わせ、「わたしは、ダニエル・ブレイク」と発する声が用いられていた。映画を見れば、そんな共感とともに、日本ではしばしば恥ずかしいもの、もっと言えば、なにか非現実的なものとして蔑まれ、不信感さえもたれている「絆」や「連帯」、そして「平等」といった言葉の意味を見直し、社会感覚を研ぎすます機会に必ずやなることを請け合いたい。

interview with Asagaya Romantics - ele-king


阿佐ヶ谷ロマンティクス
街の色

Pヴァイン

RocksteadyPop

Amazon Tower HMV iTunes


 街にはいろいろな人がいる。学生もいれば労働者もいる。男性もいれば女性もいる。子どももいればお年寄りもいる。じつにさまざまな人びとが街を行き交っている。あそこに佇んでいる彼は買い物を終え休憩している最中だろうか、それとも恋人と待ち合わせをしているのだろうか。いますれ違った彼女は商談へ向かう途中だろうか、それとも飲み会へ急いでいるのだろうか。彼や彼女はどこで生まれ、どのように育ち、どのような事情でいまこの場所にいるのだろう。彼の好きな音楽はなんだろう。彼女の好きな映画はなんだろう。

 そんなことを想像しながら街を歩いていると、はっと我に返る瞬間がある。私がそうしていたように、彼や彼女もまた私を観察していたのではないか。あてどもなくぶらぶらと街を行くこの私の事情を、彼や彼女もまた同じように想像していたのではないか。このような気づきが訪れたとき、私は「私」になる。「私」は彼であり、彼女である。あそこの彼も「私」であり、ここの彼女もまた「私」である。じつにさまざまな「私」たちが街を行き交っている。


 阿佐ヶ谷ロマンティクスの音楽を聴いていて思い浮かべるのは、そういうどこにでもいる「私」たちの存在だ。それはある意味でとても無個性な「私」である。でも阿佐ヶ谷ロマンティクスはそんな無個性な「私」たちを、ロックステディのリズムに乗っけて夕焼けのかなたまで運んでくれる。『街の色』と題されたかれらのファースト・アルバムは、あるときはスウィートに、あるときはストレンジに、街を歩く「私」たちの歩幅にそっと寄り添う。このどこまでも暖かい珠玉のポップ・ソング集は、夕暮れの街を行き交うさまざまな「私」たちのサウンドトラックなのだ。

 この素敵なアルバムがどのように生み出されたのか、阿佐ヶ谷ロマンティクスのメンバーたちに話をうかがった。


自分は大学の頃からロックステディが大好きなので、歌謡曲っぽいというか、歌がちゃんと目立って、メロディがあって、歩く歩幅に合うような、聴いていて気持ちのいい音楽にしようというのはありました。 (貴志)

阿佐ヶ谷ロマンティクスの結成は2014年の春ということで、この春でちょうど3周年を迎えることになりますね。みなさんは(早稲田大学のサークル)中南米研究会で出会ったと聞いたのですが、まずは結成に至るまでの経緯を教えてください。


貴志朋矢(ギター。以下、貴志):そうですね。メンバー個人個人がみんな中南米研究会というサークルに入っていて、そこで知り合いました。サークルの引退ライヴみたいなものがあって、その後、結成当初からのマネージャーというか、佐藤タケシというのがもうひとりいるんですが、彼と私で外向きな活動をしていこうという話をしたんです。それまでは内向きな活動しかしていなかったので。

有坂朋恵(ヴォーカル。以下、有坂):それと同時期に、今サポートでギターをやっている荊木(敦志。結成メンバーのひとりで、このアルバムを出すタイミングでサポートになった)と私で何かやろう、という話になっていて。そのふたつのグループがくっついたような感じですね。

古谷理恵(ドラムス。以下、古谷):私と有坂は高校のときに同じ部活でやっていました。

アルバムにはロックステディやレゲエの要素もありますが、全体としてはまずポップスであることに重点が置かれていると思いました。それで、阿佐ヶ谷ロマンティクスの音楽的なルーツが気になったのですが、みなさんの音楽遍歴はどのような感じだったのでしょうか?


貴志:自分の音楽のルーツは小学生の時に聴いていたサザンオールスターズなんですけど、中学校入学と同時に心の変化があったのか、ガンズ・アンド・ローゼスとかに行って。

古谷:心の変化が(笑)。

貴志:それでエアロスミスとか大好きで聴いていて、高校ではエリック・クラプトンを好きになったり、ギタリストとしては真っ当な道を歩んでいたというか(笑)。

古谷:オーソドックスなギタリストの形(笑)。

それが、大学に入って中南研に入るというのはおもしろいですね。

貴志:うーん、なんで中南米なんだろ……。入った時に、今まで聴いたことのないリズムが印象的だったのを覚えていますね。カリプソとかを何十人もの人数でやっているのは斬新でしたし、それまで裏打ちの音楽に触れることなんて全然なかったので、大学に入って逆に「これだ!」と思いましたね。

なるほど。有坂さんはどのような音楽遍歴を辿ってきたのでしょう?

有坂:私は小さい頃から歌うのが好きで、小学生の時は合唱団に入っていたこともありました。中学の部活もコーラス部で、高校では軽音楽部があったのでそこに入りました。ジャンル的にわかりやすく音楽の趣味があったというよりは、ただ歌える曲を聴いて歌っていたというだけですね(笑)。合唱のときは地声よりも裏声を使うことの方が多かったんですが、でもそれがちょっと自分的に気持ちよくなくて(笑)。それで、ポップスを歌うようになっていきました。なので自分が歌って気持ちいいものを聴いて、歌っていたという感じです。

中南研にはどういう経緯で入ったのですか?

有坂:「ヴォーカルが足りないから歌って」と誘われて(笑)。

古谷:「フィリス・ディロンを歌えるのは有坂しかいない。頼む!」と(笑)。

有坂:それがすごく自分にもハマって。

古谷さん(の音楽遍歴)はどんな感じですか?

古谷:私は中学の時はBUMP OF CHICKENとかアジカンとかELLEGARDENとかが大好きだったんですけど(笑)、高校に入って新入生歓迎ライヴがあった時に、先輩がレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンをやっていて、「カッケー!」と思って(笑)。(軽音楽部に)入ってからは、くるりやはっぴいえんどをすごく聴いていましたね。クラムボンのコピバンを(有坂と)一緒にやったりしていました。スカパラを聴き始めて「スカってなんだ?」と思ったり、あとはフィッシュマンズを聴いたりして、「レゲエ、スカってカッコいい。ホーンとかいっぱいいるし、やってみたいな」と思って中南に入りました。

今ちょうどクラムボンの名前が出ましたが、有坂さんのヴォーカルを聴いていて、音程が変わるタイミングの声色や子音の発音のしかたなどから、原田郁子さんを思い浮かべたんですよね。

有坂:あー、ときどき言われます。クラムボンをコピーしていた時も感じたんですけど、すごく歌いやすくて。高校の部活は「まず完璧にコピーをして技術を上げていく」という風潮だったんですけど、もうその時から「似せなくても似ている」と言われていて。(クラムボンとは)違う曲をコピーする時は他のアーティストに寄せようとしていました。

今バンドはサポートになった荊木さんを含めて6人ですが、曲作りの際は誰かひとりメインとなる方が素材を持ってきて、それをみんなで練り上げていく感じなのでしょうか? それとも全員がそれぞれ曲作りをして持ち寄る感じですか?

古谷:完全に前者で、貴志が(曲を)持ってきていますね。最初は色々と試行錯誤をして、みんな(曲を)持ってきていたんですけど、貴志の持ってくる曲に合わせようという話し合いをしました。

貴志:自分の中で「これは出せる」となったら、みんなに曲を出すという感じですね。自分の中で曲のイメージが湧いていって、1コーラスくらいできた状態でみんなに持っていくという感じです。

今回のアルバムはいつ頃から制作されていたのでしょうか?

貴志:レコーディング自体は去年の6月から始めて、8月くらいにはもうできていました。そこから出しかねていたという(笑)。

古谷:録ったはいいものの「どう出す?」みたいな(笑)。

貴志:“チョコレート”という曲があるんですけど、それはバンドの結成当初からあった曲ですね。“春は遠く夕焼けに”はシングルで出していますし。

古谷:言っちゃえば制作期間3年だよね。

貴志:「ちゃんとレコーディングしよう」ってなったのは、去年の1月に群馬まで2泊3日の合宿をしに行った時ですね。そこでプリ・レコーディングをして、そこからです。

古谷:群馬に行ったの忘れてた……(笑)。朝から晩まで1日練習して、ストイックな合宿をしました(笑)。

有坂:スタジオに泊まりながら、でしたね(笑)。

その時に「こういう方向性にしたい」とか、あるいは逆に「こういうことはしたくない」というような方針みたいなものはありましたか?

貴志:自分は大学の頃からロックステディが大好きなので、歌謡曲っぽいというか、歌がちゃんと目立って、メロディがあって、歩く歩幅に合うような、聴いていて気持ちのいい音楽にしようというのはありました。後はあんまりうるさくしないというか……、表現が抽象的ですけど。

古谷:ポップ? キャッチー?

有坂:キャッチー! ははは(笑)。

キャッチーにしたかった、と。合宿をしてセッションや練習をしていると、たまに「アルバムの方向性とは違うけど、今のすごく良くなかった?」みたいな瞬間があると思うのですが、そういった曲は断腸の思いで捨てたり?

貴志:4曲目の“道路灯”でエフェクトをかけているのは合宿での挑戦で、この曲はどんどん好きなことをやっていこうと思って作りました。“道路灯”はみんなの好みが詰まった曲になっているんじゃないかな、と思いますね。“コバルトブルー”は、レコーディングでのギターの擦れをそのまま使ったり、そういうノイズは極力減らさないようにしましたね。

「歌が目立つように」という話が出ましたが、たしかにアルバムを聴いていてヴォーカルの音量が大きめに入っているように感じました。

貴志:今回のアルバムは意図的に聴きやすく音を丸くして、みんなの音が混じるようにしました。なので自分の中ではけっこうイージー・リスニングな感じがしていて、何度もリピートしていただけるというか、あえてそういうようなミックスにしました。

いわゆるコアな音楽ファンだけでなく、一般の人たちにも届けたいという気持ちがあったということでしょうか?

貴志:そうですね。曲自体が聴きやすいポップスや歌謡曲のような感じなのは、あえてそうしたという部分があります。逆に“道路灯”みたいに阿佐ヶ谷ロマンティクスの中でキワモノな曲はそこ(キワモノな部分)を追求して、自分たちなりにはバランスを取ったつもりです。

昔、中島美嘉がORIGINAL LOVEの“接吻”のカヴァーをシングルで出していて、それはラヴァーズロックなんですが、B面にデニス・ボーヴェルのダブ・ヴァージョンが入っていたんですよね。そういうふうに、A面で良質なポップスを届けつつもB面ではそういうリミックスだったり、あるいは“道路灯”のような少し変わったものをやっていきたいという思いはありますか?

貴志:それはあります。5曲目の“不機嫌な日々”はメロディが立っているので、普通にポップスに聴こえると思うんですけど、じつはコード使いにこだわっています。ベースだけ聴くとその音階にないルート音に対応しているので不協和音になっているんです。そういう風にスパイスを入れるというのは心がけてやっていますね。サビとか1音ずつ上がるので、普通だと「ドレミファ」だったら「ミ」と「ファ」が半音違いなんですけど、そこはルート音を1音ずつ展開させていて。

古谷:中島美嘉ヴァージョンの“接吻”ってやろうとしてなかったっけ?

有坂:やろうとした気がする……。「これヤバくない?」みたいな(笑)。

貴志:結局あれはやったんだっけ? 練習はした気がする。

古谷:結局普通のヴァージョンのセットになったんだ。こんな曲があるのかと(笑)。

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「僕」という一人称を使いながらもあえて感情がないようにするために三人称的に使いました。主人公を客観的にイメージして「僕」を使っているんですよ。極力、主観的な感情を排除した無機質な歌詞にしたつもりです。 (貴志)

リリックについてなのですが、アルバムのタイトルが『街の色』ということもあり、「街」で起こる小さな出来事やちょっとした出会いみたいなものを拾い上げてその「街」の風景を喚起させる、というのが基本的なスタンスかなと思いました。それで、歌詞には「僕」や「わたし」、「君」という人称が出てきますが、それらが三人称のように使われている印象を抱いたんですよね。このアルバムからは街の中にいる複数の「僕」や「わたし」が感じられたんです。そこは意識してやられたのでしょうか?

有坂:まさにですよね。

貴志:まさにですね。

有坂:このアルバムだと歌詞も貴志さんがけっこう書いていて。

貴志:“チョコレート”と“離ればなれ”は有坂が書いているんですけど、それ以外は私が書いています。たとえば“所縁”は、この曲はずっと1曲目にしようと決めていたので、ホーンやパーカッションを入れて演奏や音自体は華やかにしたつもりで、だけども自分の中では曲を作った時に少し後ろめたいというか寂しいというか、心が晴れやかにならない曖昧な気持ちがあって、それを入れたかったので、「僕」という一人称を使いながらもあえて感情がないようにするために三人称的に使いました。主人公を客観的にイメージして「僕」を使っているんですよ。極力、主観的な感情を排除した無機質な歌詞にしたつもりです。

普通は「わたし」という言葉を使うと、その言葉を発する人の強い個性が出る感じがすると思うのですが、「わたし」という言葉自体は全ての人が使えるので、実はかなり無個性な言葉なんですよね。このアルバムにはその無個性さが出ていると思いました。そういう無個性な「わたし」たちが行き交う場として「街」が呈示されているというか。ただ、その「わたし」たちは確かに無個性ではあるんですが、たとえば新宿や渋谷などのものすごく大量に人が行き交っている中での無個性というよりは、顔が見える無個性という印象を抱いたんです。だから『街の色』の「街」って、「シティ」というよりも「タウン」という感じがするんですね。それで、おそらくみなさんもある程度いまのシティポップの流れを意識されていると思うのですが、このアルバムにジャンル名をつけるとしたら「タウンポップ」という言葉がふさわしいのではないかと思いました。そこで改めて「阿佐ヶ谷ロマンティクス」というバンド名が気になったのですが、メンバーのみなさんは阿佐ヶ谷という場所に特別な思い入れがあるのでしょうか?

貴志:最初は私が佐藤タケシと、有坂は荊木や古谷と、それぞれがバラバラにバンドを組んでいて、そこにベースの小倉(裕矢)とキーボードの(堀)智史が入った時に、みんなで初めてちゃんと集まったのが阿佐ヶ谷だったんです。

古谷:いい街だよね。飲み屋もいっぱいあるし。でも住んではいないんですよね。

有坂:やっていきたい音楽のイメージと阿佐ヶ谷の街がピンと来たというか。

なるほど。「タウン」って中央線のどこかだろうなというイメージはあったんですが、中野でも高円寺でも荻窪でもなく、阿佐ヶ谷というチョイスは面白いなと思いました。

貴志:うまく言葉では言えないんですけど(笑)、中野は確かに違うというか。

古谷:なんでなんだろうね(笑)。中野は違うね。

有坂:中野は違う。

古谷:西荻窪は惜しい?

有坂:あー惜しい、惜しい(笑)。

貴志:西荻もいいなあ。

有坂:高円寺とかちょっとお洒落すぎだし。

貴志:さっきの「シティ」、「タウン」の話で言うと、高円寺は微妙なラインだけど、中野はシティな感じもするし……。

古谷:中野はちょっとギリ見えない感じがするよね。

貴志:阿佐ヶ谷の方が変な意味で雑踏というか、混沌としている。だから逆に個性がありふれていて、みんな違うベクトルで、でも同じ方を向いているんだけど、阿佐ヶ谷という箔というか……。

箔?

(一同笑)

貴志:同じ方向を向いているのに個性的というか。阿佐ヶ谷のイメージかあ……。

有坂:絶妙かなという感じですね(笑)。

古谷:同じ方向を向いているけど、阿佐ヶ谷という場所に収まっていることによって……、統一感が……。

貴志:地理的な問題もあるのかもしれないですけど、中野とかだと……。

古谷:なんでそんなに中野を(笑)。

貴志:中野がやっぱり説明しやすくて。

中里(A&R):高円寺はけっこうディープなイメージがありますよね。荻窪は街としてもちょっと大きいし大型施設もあったりするので、品があるイメージ。阿佐ヶ谷は確かにいちばん下町っぽくて、風情が残っていて絶妙な塩梅なんじゃないかなと。

貴志:(阿佐ヶ谷は)居酒屋街のところなんかは2、3階建てで家の高さがなくて街が低いのが良い(笑)、そういう意味でこぢんまりとしているというか、あの雰囲気がね。

古谷:あの雰囲気がいいっていう(笑)。

なるほど。ヒップホップのアーティストのように、地元をレペゼンする感じなのかなと思っていたのですが、どちらかと言うと外部から見たイメージなんですね。

貴志:そうですね。逆に客観的に阿佐ヶ谷を見たというか。

バンド名の後半は「ロマンティクス」ですよね。これにはどういった意味が込められているのでしょうか?

貴志:語呂が良かったんですよね。

古谷:漢字とカタカナってやっぱり語呂がいい感じじゃないですか。

貴志:あとはやりたい曲のイメージに合っているかなあと。最初に自分たちで「四季折々のロマンスに寄り添った(バンド)」ということで売り出したくらいなので(笑)

古谷:「キープ・ジュブナイル」という合言葉があって。

貴志:そういうイメージと「ロマンティクス」という言葉が合っていたんですよね。

Lampかな。 (貴志)
スピッツで(笑)! (有坂)
スラロビ説で(笑)。 (古谷)

今回ファースト・アルバムがリリースされましたが、こういうふうに一度パッケージになって音楽が世に出ていったら、本人たちが意識するかどうかは別にして、それは音楽の歴史に連なっていくものだと思います。もし阿佐ヶ谷ロマンティクスの音楽をどこかの文脈に位置づけなければならないとしたら、自分たちではどの系譜に属していると思いますか? たとえばはっぴいえんどだとか、フィッシュマンズだとか、あるいは一見ポップスに聴こえるけどマインドはドラヘヴィなんだぜとか。

貴志:Lampかな。必ずしもそのレールに乗るというわけではないですけど、Lampが好きで、曲のイメージとして多少意識しているところはありますね。あと、フィッシュマンズも少なからず(意識しています)。

古谷:たぶんメンバーそれぞれで見ているものが違うんじゃないかな。

貴志:みんな好きな音楽が全然違うので(笑)。

ではそれぞれお訊きしてもいいですか(笑)? まず貴志さん的には「阿佐ヶ谷ロマンティクスはLamp」ということで(笑)。

古谷&有坂:Lamp説(笑)。

貴志:Lampと、なんだろうね。あとは、ユニークスというロックステディのバンドがいるんですけど、完全にメロディが立ってゆったりとしているんです。そういう何度でも聴ける音楽が好きなので、自分としてはロックステディと日本の音楽がうまく交わるような音楽にしたいなと思っています。

有坂:私は気持ちよく歌えればいいというだけなので。

貴志:有坂は完全にスピッツだもんね。

有坂:あー、そうですね。

古谷:井上陽水じゃないの?

有坂:井上陽水も好き。趣味的にはスピッツとかが好きで、爽やかで聴きやすくて、でも音楽的に変な感じもありつつ。

スピッツは意外と変な曲も多いですもんね。

有坂:そうですね。歌詞もけっこう意味わかんないですし(笑)。だけど聴きやすくてみんなに愛されるみたいなところが(好きですね)。

なるほど、わかりました。有坂さん的には阿佐ヶ谷ロマンティクスは……、

有坂:スピッツで(笑)!

(一同笑)

古谷さんはどうでしょう?

古谷:何説か、どうしようかな(笑)。やっぱりビートがバック(寄り)で流れているのがいいですね。私はヒップホップがすごく好きなので。うーん、ドラヘヴィ説かな(笑)。じゃあ、むしろスラロビ(スライ&ロビー)説で(笑)。

古谷さん的には阿佐ヶ谷ロマンティクスはスラロビの系譜だと。そうなるとやはりデニス・ボーヴェル・リミックスはやるべきですね(笑)。

古谷:そうですね(笑)。たぶんリズムだけ聴くと阿佐ヶ谷ロマンティクスもけっこう変なことやっていると思うので。

ファースト・アルバムが1月に出たばかりですが、今後のご予定を教えてください。

古谷:レコ発が3月に2本ありまして。

貴志:3月4日に大阪で、18日に東京でやります。ほかに漠然と思っていることは、今年中にもう1枚EPか何かを出したいと思っていますね。曲は作っているので。

EPと言えばB面ですよね(笑)。

(一同笑)

古谷:デニス・ボーヴェル・リミックス……。

貴志:作っている感じだと、今のところこのアルバムよりはディープなサウンドになりそうですね。3拍子の曲もあったりして。

古谷:そうですね。(3拍子が)すごく楽しいです(笑)。

おー、それは聴いてみたいですね。それでは最後に、このアルバムの聴きどころを一言でお願いします。

貴志:(聴きどころは)コード進行とか(笑)。

有坂:ははは(笑)。これだけポップに、とか言っているのに(笑)。

貴志:あとはメロディの不安定さと、それにリンクした歌詞とか。それと……何かあります?

古谷:たぶん、何回か聴いたら「こんなことやってたんだ」という新たな発見がある1枚だと思います。何度も聴いて欲しいです!

阿佐ヶ谷ロマンティクス
LIVE情報

2017/3/4(Sat.)
『阿佐ヶ谷ロマンティクス"街の色" Release Party 大阪公演』
@大阪 artyard studio
OPEN 18:00 / START 18:30
ADV ¥2500
with/ 浦朋恵バンド / 本日休演 / 甫木元空(映画監督 / 短編映画上映) / IKEGAMI YORIYUKI(イラストレーター / 作品展示)

2017/3/18(Sat.)
『阿佐ヶ谷ロマンティクス"街の色" Release Party 東京公演』
@ TSUTAYA O-Nest
OPEN18:00 /START18:30
ADV ¥2500
With/ 入江陽と2017(NEW BAND) / Wanna-Gonna /IKEGAMI YORIYUKI(イラストレーター / 作品展示)

2017/4/12(Wed.)
DADARAY presents『DADAPLUS vol.1 ~Tokyo~』
@ 新代田FEVER
OPEN19:00 /START19:30
ADV ¥3000
With/ DADARAY

https://asagayaromantics.weebly.com/

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