「KING」と一致するもの

interview with Yo La Tengo - ele-king

ストリートで行進している人びと、落胆している人びと、怯えている人びと。美しい風景とは真逆なんだ。

 暴動が起きている。静かに。それはあのチャイルディッシュな元実業家がいちばん「偉い」立場に座っているアメリカ合衆国はもちろんのこと、ここ日本でも、どこであろうとそういえるだろう。しかしその暴動は主に、例えばワッツ暴動や西成暴動のように怒号や流血を伴ったものではない(そういった暴動ももちろん起こるであろうことを否定しているわけではない)。おそらくいま起こっているそれは主に、内面における暴動である。
 我々はいま、どのような形にせよ、後期資本主義体制下における効率主義と各種マネージメント思想の跋扈により心身の疲弊に絶え間なく晒され、(俗流の理解では最後の聖域とされてきた)「内面」までもが徐々にその戦いの場に供出させられるようになっている。しかも明確に指弾できる誰かにそうさせられているわけでなく、主には我々自らがすすんで、だ。「やり甲斐」は労働の場における新たな付与価値となり、それが収奪されることで個々の内面は切り崩されていく。また、「思想」は分類され、マーケティングされ、その結果として再び商品化(特定の“クラスタ”向けに調味)され外から内面へとやってきて、思想の顔をして内面を牛耳る、といったように。
 こうした趨勢を好ましいと思う人はあまりいないと思うが、悔しいことに、こうした趨勢には火炎瓶の投擲では対抗することが難しい。なぜなら倒すべき「敵」が内面化してしまっているから。

 1971年、躍動する肉体を鼓舞するようなそれまでのロック調ファンクをかなぐり捨て、スライ&ファミリー・ストーンとその首領スライ・ストーンが、『There's A Riot Going On』(邦題:『暴動』)というタイトルの暗く内省的な作品で愛と平和の時代の終焉をあぶり出したことと、ヨ・ラ・テンゴという尊敬を集めるベテラン・オルタナティヴ・ロック・バンドが同名のタイトルを据えたアルバムをこの2018年にリリースをしたということに、何かロマンチックな関連性を見出さないでいられる音楽ファンはいないだろう。事実、以下のジェイムズ・マクニューに対するインタヴューでは明言が避けられているにせよ、その関連は認められているし、別のインタヴューで彼らは「なぜこのタイトルにしたかは皆それぞれに考えてほしい」とも言っている。

 おそらく本作はバンド史上もっとも儚げで、しとしととした、そして類まれに美しいアルバムだ。最大のアイドルであるヴェルヴェット・アンダーグラウンド由来のギター・ロックを基軸に、ディープなリスナーとしてつねに様々な音楽を吸収し、茫漠としたサイケデリック風景を呼び込むグルーミーな音像、そして極めてメロウな旋律と詩情が融合した世界を作り続けてきた彼らは、世界中に熱心なファンをたくさん生んできた。つねに身近な題材や内面を描いてきた彼らは、もしかするといま、各種のせめぎ合いの場が我々の内面にまで伸長していることを、敏感に察知しているのかもしれない。美しい音楽へと耽溺し、エスケープすることは誰にも止める権利はないし、ときにそうすべきときもあるだろう。けれど、エスケープする先たる我々の内面そのものが何者かによって(それにも増して我々自身によって)侵食/破壊されているのだとしたら。その侵食の脅威にハッと気づかせてくれ、我々を立ち上がらせるのは、このように美しく鎮かなヨ・ラ・テンゴの音楽こそが得意とするところなのかもしれないし、内面で起こりつつある「暴動」を静かに焚き付けてくれるのかもしれない。

 その真摯さゆえなのだろう、相変わらず質問をはぐらかそうとしているように見えるジェイムズ(ライターとしては困ってしまうが、ファンとしては妙に嬉しくもある……)だが、要するに彼はこう言いたいのではないか。「全ては君の解釈さ。解釈するその内面の自由を大事に」
すべての解釈をいたずらに肯定するのではなく、解釈が成り立つ場として、我々の内面を慈しむこと。来る3年ぶりの来日ツアーで、彼らがいまどんな演奏を我々の内面に届けてくれるか、とても楽しみだ。

※ 以下の電話インタヴューは、アルバム発売時におこなわれたものです。

音楽学校に行ったり、ミュージシャンになるためにプロからの教育を受けなくても、経験でそれができるようになったのはすごくありがたいことだったし、良い気分だった。

最新作『There's A Riot Going On』は、みなさんのこれまでのディスコグラフィーのなかでももっとも美しい作品の一枚だと思いました。今作のオフィシャル・インタヴューで、アルバムがリリースされるまでの「待つ時期」は辛い、とおっしゃっていましたが、それから開放されて、いまどんな心持ちでしょうか? 

ジェイムズ・マクニュー(James McNew、以下JM):ははは(笑)。でき上がってからリリースされるまでの期間は、なんとも言えない時間なんだ。皆が聴けるようになるまで、ただ待って、待って、待ちまくる。その期間は緊迫の毎日だから、アルバムがリリースされていまは本当にハッピーだし、ホッとしているよ。日本にも行けるしね。日本は好きだから、また訪日できるのが待ちきれないよ。

本作はみなさんの作品のなかでも、楽曲もサウンドもとりわけジェントルでメロウな印象を受けました。そのようなモードになったのはなぜなのでしょう?

JM:それは意識してそうなったわけではないから、僕たちに理由はわからない。あと、僕たち自身はあまりジェントルでメロウな作品とは感じていないんだ。レコーディングも緊張感に溢れていてまったくメロウではなかったし(笑)。アメリカでライヴをしたんだけど、ライヴ自体もすごく緊張感があった。だから、僕にとってはまったくリラックスの要素はなくて、どちらかと言えば張り詰めた感じのアルバムなんだ(笑)。

皆さんのレコードからは、ありし日の美しくも儚い情景がふと浮かんでくるような、記憶や風景を喚起させる力を感じます(そして今作ではその感覚をより強く感じます)。あなたたち自身でも、曲作りをおこなっている際や演奏している際に、そういった感覚を覚えることはありますか?

JM:それも、君がそれを感じるとすれば、たまたまそういった音楽になったということだと思う。前回のアルバムを除いては、僕らはアルバムの音楽の方向性を初めからわかっていたことがないんだよ。コンセプトを考えたことがなくてね。だから、今回もコンセプトはない。自分たちが特にそれを感じることはないけれど、君がそう感じてくれたなら僕らはハッピーだよ。リリースされたいま、音楽はリスナーのものだし、自分たちの音楽が人に何かを感じさせることができているなんて本当に嬉しい。でも、僕たちはそういう風景は感じないんだ(笑)。というのも、僕らがアルバムで歌っている内容は、そう言った風景とはまったく逆のものだからね。ストリートで行進している人びと、落胆している人びと、怯えている人びと。美しい風景とは真逆なんだ。

今回は元々サウンドトラック作品の制作がきっかけとなり、その流れでオリジナル・アルバムの制作へ入っていたっと伺いました。劇伴音楽の特徵たる「映像とともにある音楽」、そのような意識は今作にも受け継がれていると思いますか?

JM:この質問に答えるのは難しいな。自分たちの周りにあるものすべてが受け継がれているからイエスとも言えるし、かといってそれがどう受け継がれているのかは自分たちにもわからない(笑)。自分たちのライフすべてがインスピレーションだからね。でも、サウンドトラックのプロジェクトの流れでアルバム制作がはじまったのは事実。あれがうまく行ったからアルバム制作につながったとはいえるね。作業と曲作りがテンポよく進んだんだ。すごく良い勢いがついているところでムーヴィーのプロジェクトが終わってしまったから、ムーヴィーなしで自分たち自身のためだけの作品を作りはじめたんだよ。

今回のアルバムに限らず、映像のための音楽を作る経験から何か得たことはありますか?

JM:ムーヴィー用の音楽のために、2004年から徐々にニュージャージーにあるリハーサル場所みたいなところで作業してきて、そのときは、エンジニアもプロデューサーも雇わず、ずっと自分たちだけだったんだ。そこには小さなレコーディングのセットアップなんかがあるんだけど、徐々にその場所での作業が上手くなっていったし、そこでの居心地が良くなっていった。自分たちの楽器も全部そこにあるしね。そういう面では、そこで自分たちだけで作業するようになったのはムーヴィーの経験からだから、それがいちばん大きな影響かもしれない。自分たちだけでも作品が作れるということを、その経験から学んだんだ。30年以上の活動のなかで、まったく新しいやり方で作品ができたときはすごくエキサイティングだったよ。新しい経験だったし、自分たちがやりたいだけミスをすることができたし、すごくスリルがあって自由だった。それを感じることができるようになったのは、ムーヴィーのプロジェクトの経験を通してだね。

いまのインディ・ロック・シーンは、すごく良い状態だと思うね。良いバンドがいないとか、勢いが落ちてきていると言われてもいるけれど、自分が好きな音楽、バンドというのは、探し続けている限り必ず見つかると思うんだ。

前作『Fade』ではジョン・マッケンタイアがプロデュースを担当していました。今作はバンド自身のセルフ・プロデュース作です。「プロデュース」という言葉の定義はときに曖昧でもあるかと思うのですが、あなたたちにとって「レコードをプロデュースする」とはどういったことなのでしょうか?

JM:すごく自然。僕たちはプロデューサーでもエンジニアでもないけれど、何年もかけて、素晴らしいプロデューサーやエンジニアと一緒に作業してきて、多くを学んできた。ロジャー・ムジュノーやジョン・マッケンタイアたちは、僕たちに多くを教えてくれたんだ。今回も、わからないことがあったときはメールで教えてもらったりしたし(笑)。音楽学校に行ったり、ミュージシャンになるためにプロからの教育を受けなくても、経験でそれができるようになったのはすごくありがたいことだったし、良い気分だった。自分の頭のなかにあるアイディアをそのまま、かつどうにか表に出すというのは、直感的でもあったね。

今作は、スライ&ザ・ファミリーストーンの『暴動』(71年作)と同名であることが話題となっています。ご自身たちで思う、あのアルバムと今作の共通点と、また相違点は何だと思いますか?

JM:それは僕らにはわからない。自分たちとそのタイトルとの繋がり方と、スライとそのタイトルとの繋がり方は違うんじゃないかな。でも、感情的に、スピリチュアル的に何かコネクションがあるんじゃないかとは感じているよ。

音楽および社会的な面において、1971年と2018年に何か象徴的な共通点と、また異なった点があるとすれば、どんなことだと思いますか?

JM:どうだろう(笑)。もっと変わってくれていたらと思うけど、問題はまだまだ残っていて、その問題の数々は全然変わっていないと思う。解消されつつある部分もあるかもしれないけれど、状況は同じなんじゃないかな。

このような時代だからこそ声高にプロテストを叫ぶ流れもあるなかで、本作ではむしろ何気ない日々を慈しみ、それを丁寧に伝えようとするような印象を抱ききました。いまこの時代において、そうしたパーソナルなことを歌い続けていくことの意義というものがあるならば、どういったことだと思いますか?

JM:僕自身は、そこに違いは感じない。皆、自分が言いたいことを表現しているのは同じで、表現の仕方が違うだけだと思うよ。例えば(初期の)ボブ・ディランのようなやり方もあるし、僕自身はボブ・ディランも好きだし、表現方法や音楽との繋がり方に選択肢がたくさんあって、皆がそれぞれに混乱や自分たちの周りにあるものを表現しているんだと思う。

オルタナティヴ・ロックがシーンに登場してから長い年月が経ちました。80年代からつねにシーンの一線で活動を続けてきたみなさんの目からみて、現在のインディ・ロックのシーンの状況はどのように映りますか?

JM:すごく良いと思う。素晴らしい若いバンドがたくさんいるし、長年活動していて、いまだに、そしてさらに力強い音楽を作り続けているバンドもまだたくさんいる。それらのバンドが共存しているいまのインディ・ロック・シーンは、すごく良い状態だと思うね。僕自身が好きな音楽が溢れている。良いバンドがいないとか、勢いが落ちてきていると言われてもいるけれど、自分が好きな音楽、バンドというのは、探し続けている限り必ず見つかると思うんだ。

みなさんとも深い交流のある坂本慎太郎さんですが、みなさんの催促も届いたのか、ついに昨年からライヴ活動を再開しました。今回のツアーでも10/11の東京追加公演では対バン共演をされますね。彼との出会いによって与えられた影響というのは、今作にもどこかへ表れていたりするのでしょうか?

JM:彼がライヴ活動を再開して、僕は心から嬉しい。でも、面白い質問だけど、僕には彼との出会いの影響がどう反映されているかはわからない。彼の音楽は大好きだし、彼らと一緒に演奏ができたのは素晴らしい経験だった。すごくマジカルな瞬間だったし、坂本さんとは良い友情を築けているんだ。彼がまた音楽を作りはじめてライヴ活動をはじめたことが、本当に嬉しいよ。

ずっと自分たちのレコードもアナログでリリースし続けているから、あまり復権という感覚はないね。僕らにとって、レコードというものはすごく自然な存在なんだ。

交流のある坂本慎太郎さんやコーネリアスといったアーティスト以外に、近頃注目している、もしくはお好きな日本のアーティストがいれば教えてください。

JM:たくさんいすぎて、誰からはじめればいいか……日本のサイケデリック、エクスペリメンタル音楽、70年代の音楽がとくに好きなんだけど、はっぴいえんどは好きだね。あとは、細野晴臣、ボアダムス。彼らの音楽にはどれも独特のソウルがあって、彼らのような音楽はこの世にふたつとない。ヨ・ラ・テンゴは彼らからとてつもなく影響を受けているし、彼らは、僕たちがこれからも絶えることなくインスピレーションを受け続けるアーティストたちだね。

ここ日本でも、この10年ほどでインディ・シーンが成熟してきつつあり、あなたたちのように長い年月にわたって質の高い作品をリリースし続け、ライヴもおこない続けているバンドに対しリスペクトを持っている若いアーティストたちも多くいます。「バンドを続けていくこと」にはどんな喜びがあるのか、また続けていくにあたってのコツはなんでしょうか?

JM:わからないな(笑)。じつは、僕はあまりそれを考えたことがない。バンドを続けるということを意識していないんだ。僕らは、お互い3人が出会ったことがただただラッキーだと思っているし、自然に作業していくなかで達成感が感じられることを皆で続けているだけ。何がコツかはわからないけど、若いバンドの皆が自然体で自分たちの作りたい音楽を作り続けていってくれることを願っているよ(笑)。

ヘヴィな音楽リスナーでもあるみなさんに伺います。ここ日本でも現役バンドが新作をアナログ盤でリリースしたり、過去の埋もれた作品がヴァイナルでリイシューされたりすることが定着しつつあります。みなさん、レコード蒐集は続けていますか? また、データ~サブスクリプション配信時代におけるこうしたレコード文化の復権についてどんな思いを持っていますか?

JM:もちろん、レコードはいまだに集めている。自分たちは昔からずっとヴァイナルを買っているし、1993年からずっと自分たちのレコードもアナログでリリースし続けているから、あまり復権という感覚はないね。僕らにとって、レコードというものはすごく自然な存在なんだ。でも、ウォークマンやカセットプレイヤーを持ち歩いていた時代を考えると、iPodがやはり素晴らしいとも思う。移動中はよくCDボックスを持ち歩いてなくしたりもしていたけど(笑)、iPodだと、何千もの音楽をあんな小さいもののなかにすべて納めて持ち運ぶことができる。まさにミラクルだよ。

最近購入して、これは日本のファンにもぜひオススメしたい! という音楽作品(新譜旧譜問わず)があれば教えてください。

JM:ニューヨークのバンドで 75 Dollar Bill というバンドがいるんだけど、彼らの作品はオススメ。そのバンドはたまに2人だったり、たまに8人だったりするんだけれど、インストゥルメンタル音楽で、サウンドが本当に美しいんだ。彼らのような音楽は他にないと思う。すごく壮大な音楽だからぜひチェックしてみて。誰もが気にいると思うよ。

National Sawdust にておこなわれた Pitchfork Live の映像がアップされていますが、今後、今作の楽曲がライヴ演奏されていくにしたがい、本作収録曲たちはバンドにとってどんな存在になっていきそうでしょうか?

JM:まだツアーをはじめて2週間だからわからない。これから時間をかけてわかっていくんだろうね。これまで演奏した感じでは、すごく自然に感じているし、本当に楽しい。セットに新しい感情やサウンドが加わるのは、やはりエキサイティングだね。アルバムがリリースされ、みんなの前で演奏されていくことで、曲は成長し、変化していく。いまは、生まれたばかりの子どもを見守っている親みたいな感覚だな(笑)。

ありがとうございました。来日公演楽しみにしています!

JM:ありがとう! 僕たちも日本に行くのを楽しみにしているよ。

HOLGER CZUKAY - ele-king

 ホルガー・シューカイ(80年代の日本の一部のファンのあいだではその知性と容姿ゆえにホルガー博士とも呼ばれていた)のソロ作品8タイトルがリイシューされる。

 それはつまりこういうこと。
 みんながそこは自由だと思っていた。ギターもLSDもみんな揃っていたから。が、しかし、その外側にはもっと広大な自由があることに気が付いているひとたちもいた。たとえ未熟であっても、いや、むしろ未熟だからこそ自由であることにもそのひとたちは気が付いていたし、いずれにせよ、その広大な自由を選んだ。これが俗にいうところのクラウトロックというもので、70年代前半のドイツのロックが70年代末から80年代初頭のポストパンクと同期したのも、お互いロックの外側の自由に貪欲だったからだった。ホルガー・シューカイはその中心人物のひとりである。
 それは最初から英米中心主義に意を唱えるモノでもあった。サンプリング・ミュージックの先駆的作品と言われる1969年の『カナクシス5』にはベトナムの民謡がミックスされているし、1979年のもっとも有名な人気作『ムーヴィーズ』に収録されたもっともヒットした曲“ペルシアン・ラヴ”にはイランの歌謡曲がカットインされている。ジョン・ハッセルとイーノの『第四世界』やトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』あるいはイーノとバーンの『マイ・ライフ・イン・ブッシュ・オブ・ゴースト』のような作品は、ホルガー博士の(CAN時代の作品もふくめて)存在なくして語れない。
 周知のように、ホルガー・シューカイは、シュトックハウゼンの生徒だった。つまりは、厳密な理論と思想のうえから生まれた電子音楽の父のもとで学んでいる。が、彼はその厳密さを絶対的な自由に変換してしまった。マイルス・デイヴィスのジャズ・ロックとヨーロッパの前衛音楽とのあいだに回路を見つけてしまったし、そして明白な意味において「明日」の音楽を創造した。それは眉間にしわを寄せながら聴くような音楽ではない。基本的に、微笑みの音楽。
 CANやクラフトワークが古くならないように、ホルガー・シューカイが古くならないのはそういうわけだ。いま時代はようやく、かれらが出かけていった「外側の自由」に気が付いて、それをグローバル・ビートなどと呼んだりしている。
 ホルガー・シューカイ、ぜひ聴いて欲しい。

(※今回の再発、2種類のポスター・かレンダーやポストカードの特典があります。どうせなら、お店で買って特典もらってください。詳しくは→https://p-vine.jp/news/20180919-190000

●9月28日発売

PCD-24762

TECHNICAL SPACE COMPOSER'S CREW (aka Holger Czukay & Rolf Dammers) / Canaxis 5
1969年作品
このアルバムは80年代~90年代は聴くのが大変でした。82年にジャケ違いで再発されたもので聴いていたし、オリジナル盤は見たことがなかったです。エレクトロニック・ミュージックにおける重要作。

PCD-24763

HOLGER CZUKAY / Movies
1979年作品
“おー、神様、我らにお金をもっとください”というのが1曲目。ジャンルの境目を消していく、ユーモラスな音楽旅行の傑作。

PCD-24764

HOLGER CZUKAY / On The Way To The Peak Of Normal
1981年作品
ポストパンクとリンクしながらも離れていくナンセンス・ポップ・ロック・ダダイズム。

PCD-24765

HOLGER CZUKAY, JAH WOBBLE, JAKI LIEBEZEIT / Full Circle
1982年作品
まったく古びない(というかそのお手本のような)エディットが冴えている、ダビー・ダンス・トラックの“How Much Are They?”を聴くために買ってもソンしない。

●10月10日発売

PCD-24775

HOLGER CZUKAY / Der Osten Ist Rot
1984年作品
「東は赤」というタイトルで、つまり“東方紅”という中国の国歌で、作中にサンプリングされている。支離滅裂な作品だが、“フォト・ソング”は素晴らしい名曲。

PCD-24776

HOLGER CZUKAY / Rome Remains Rome
1987年作品
「ローマはローマのまま」。教会の聖歌や教皇の言葉のサンプリングをはじめ、“Sudentenland”でもそのサンプル技は冴える。“Hit Hit Flop Flop”のようなお馴染みのギャグも炸裂。

PCD-24777

HOLGER CZUKAY / Moving Pictures
1993年作品
過小評価されがちだがまるで晩年のフェリーニの映画を観ているような気持ちになれる佳作。年季が入ったコラージュとダウンテンポの“All Night Long”が最高。

PCD-24778

HOLGER CZUKAY / Radio Wave Surfer
1991年作品(ライヴ・アルバム)

----

【特製ポスターカレンダー特典対象店舗】

タワーレコード渋谷店
タワーレコード新宿店
タワーレコード秋葉原店
タワーレコード吉祥寺店
タワーレコード横浜ビブレ店
タワーレコード札幌PIVOT店
タワーレコード仙台パルコ店
タワーレコード名古屋パルコ店
タワーレコード梅田大阪マルビル店
ディスクユニオン各店


【タワーレコードオンライン特製ポストカード 】
タワーレコードオンライン

【 HMV&BOOKS online特製ポストカード】
HMV&BOOKS online

黙ってピアノを弾いてくれ - ele-king

 諸説あるので手頃なところでまとめてしまうと人類は直立歩行をするようになって両手が自由になり、さらに肉食によって脳の容積が倍=現在の大きさになったという。「手」や「脳」が人類にもたらしたものは計り知れない。そう、フェイクニュースを流したり、過剰融資や人身売買は人類にしかできないことである。『キャプテン・アメリカ』や『ブレードランナー2049』といったSF映画を観ていると、人類のさらなる進化はいまだに身体改造というイメージが強いのかなと思うけれど、僕は人類にさらなる進化があるとしたら座ったまま特に運動をしなくても身体能力が衰えることがない種が突然変異で現れることだと思う。筋肉は使わなくても維持されるし、有酸素運動も必要ない。直立歩行時代の人類をホモ・エレクトスと呼ぶなら、ホモ・セデレの出現である(セデレはラテン語で「座る」)。これにはきっと現生人類はかなわない。全滅するだろう。

 多くの人はしかし、まだ立ち上がらなければ、生きていくことはできない。そして、ラップを始めるのである。チリー・ゴンザレス(以下、ゴンゾ)もそうだった。僕は彼が〈キティ・ヨー〉からデビュー・アルバム『Gonzales Uber Alles』を2000年にリリースするまでその存在を知らなかった。当たり前である。彼はカナダのアンダーグラウンドで蠢いていたのである。ゴンゾのドキュメンタリー映画は彼が無名時代にその衝動を持て余し、カナダのクラブでラップをがなり立てるシーンをまずはたっぷりと見せる。体格がいいので、まずはそれだけで迫力がある。何かしていなければ死んでしまうとばかりに彼は音楽に没頭している。ゴンゾはバンドを結成することにし、集まったメンバーはファイスト、モッキー、そしてピーチズだった。そう、ピーチズがまたとんでもなかった。ゴンゾもピーチズもセクシーを通り越して、ICBMでも打ち込むような勢いでラップをまくし立てる。彼らはそのままベルリンに殴り込みをかけ、あっという間に人々の注目を集めてしまう。当時を思い返してピーチズとゴンゾが互いについて回想し合うシーンが面白い。ゴンゾもピーチズも相手の迫力に勇気付けられて、自分も前に進むことができたと語り出す。卵と鶏みたいな関係なのである。それにしてもよく映像が残っているなと思う場面も多い。

 ゴンゾの暴走は政治に及び、さらに舞台をパリに移しても静まらない。次から次へとユニークなエピソードが飛び出すので、ネタバレはここまで。彼は想像以上に荒くれで、かつてセルジュ・ゲンズブールが「大衆」の嫌がることをやればやるほど愛されていった過程をゴンゾがものの見事に踏襲していることもよくわかる。社会に収まりきれない人を音楽家と呼び、大衆がそれを愛するという国民性がフランスにはあり、日本にはあんまり見当たらないのかなあと思うばかりである。ゴンゾはそして、「パンクではもうダメなんだ」と彼がそれまでがむしゃらにやってきたことに終止符を打ってしまう。彼はマイクを捨ててピアノの前に「座る」。進化したのである(ウソ)。ピアノの天才だと自惚れていたゴンゾがクラシックの簡単な譜面を弾くこともできないといって打ちひしがれてしまうシーンも見応えがあった。彼は自分が思う通りにピアノが弾けるまで練習の毎日を繰り返す。その挙句にできたのが『Solo Piano』(04)であった。あの作品に至るまでに、これだけの葛藤があったとは思わなかった。『Solo Piano』が成功してから、彼はまた「パンク」に戻り、ドキュメンタリーの後半では新たな暴走を展開し始める。彼がステージに立つと何をやり出すかわからない。その緊張感はスクリーン越しにもびしびし伝わってきた。ゴンゾが監督のフィリップ・ジェディックに出した条件はひとつ、ドキュメンタリー映画にもかかわらず「プライヴェートはなし」だったという。

(編集部注)チリー・ゴンザレスのアルバム『Solo Piano』シリーズの最終章『Solo Piano III』は〈ビート〉より絶賛発売中です。

C.E present - ele-king

 クラバー御用達のファッション・ブランド、C.Eが海外フェス級のラインナップで、東京と京都でパーティを開催する。
 2018年10月26日金曜日に代官山のUNITに出演するのは、ここ数年においても最高のDJでありつつづけているBen UFOをはじめ、Powder、Kassem Mosse(カッセム・モッセ)、Will Bankhead(ウィル・バンクヘッド)、Low Jack(ロー・ジャック)、E.L.M.S.(エルムス)の6名。これだけのメンツがひと晩に集結することは、ロンドンでもまずない。ポスト・ダブステップ以降のテクノ系ではいちばん活きのいい連中が揃ったと言える。
 翌日27日土曜日には、京都のWEST HARLEMでもパーティを開催。こちらは、Ben UFO、Kassem Mosse、Will Bankhead、Low Jackが出演。この4人だけでもそうとうなもの。
 ありがとう、C.E。絶対に遊びに行くよ!

C.E present
BEN UFO
POWDER
KASSEM MOSSE
WILL BANKHEAD
LOW JACK
E.L.M.S.

Friday 26 Oct 2018(2018年10月26日金曜日)
Open/Start: 11:00 PM
Venue: UNIT, Tokyo www.unit-tokyo.com
Advance \2,000 / Door \2,500
Tickets available from Resident Advisor / Clubberia / e+

Over 20's Only. Photo I.D. Required.

C.E present
BEN UFO
KASSEM MOSSE
WILL BANKHEAD
LOW JACK

Saturday 27 Oct 2018(2018年10月27日土曜日)
Open/Start: 11:00 PM
Venue: West Harlem, Kyoto westharlemkyoto.com
Advance \1,500 / Door \2,000
Tickets available from Resident Advisor / Clubberia / e+

Over 20's Only. Photo I.D. Required.

interview with tofubeats - ele-king


tofubeats
RUN

ワーナーミュージック・ジャパン

J-PopHouseTrapBass music

Amazon Tower HMV

 トーフビーツ、この男は本当に走り続けている。2009年の“しらきや”で笑わせ、2012年の“水星”ではヒップホップ・ビートのうえに切ない夢を描いた若者は、それからほぼ毎年のように作品を作っては出している。思春期にSNS文化に親しんだほとんど最初のほうの世代のひとりとして、シンプルなメロディを持った彼の音楽(主にヒップホップとハウスかる成るダンス・ミュージック)にはネット・レーベルの古参〈Maltine〉と同じように、非日常ではなく、日々の営みのなかにこそインターネットが存在する世代への感覚的なアピールがあったのだろうけれど、それと同時に、トーフビーツの汗をかいている感じ、自分の人生を一生懸命に生きている姿にも共感があったのだと思う。がむしゃらさは、彼の切ない夢の音楽と並列して、つねにある。この実直な思い、熱さこそ、大人たちから失われてしまいがちなものだ。トーフビーツの音楽を聴いていると、ぼくも走りたくなる(自転車だけど)。
 “朝が来るまで終わる事の無いダンスを”が特定秘密保護法への学生による抗議デモで使われたときには、自分の曲を政治に利用しないで欲しいと眉をひそめていた青年も、前作『FANTASY CLUB』では、それまでのスタンスをひっくり返したように、ありありと社会への異議申し立て(ことポスト・トゥルースに関して)を噴出させたのだった。新作『RUN』は、その問題作に続くアルバムだ。1曲目の、タフなビートを持つトラップ調の“RUN”には、閉塞状況をなんとかしようという思いに駆られた歌詞のように、力の入った彼のヴォーカルが挿入されている。
 とはいえ今作『RUN』は、トーフビーツのポップスへのアプローチがより洗練された形となって聴けるアルバムでもある。『FANTASY CLUB』で見せた彼の社会への問題意識は継続させつつも、映画(『寝ても覚めても』)やドラマ(『電影少女』)の主題歌となった彼のポップ路線が、決して明るくはない主題のいくつかの曲──愛の不在を嘆く“SOMETIMES”、孤独が強調される“Dead Wax”など──とのバランスをなんとかうまく取っている。
 まあ、それでも物憂いは今作でも重要な要素で、しかもそれは魅力的であったりもする。“NEWTOWN”という曲は21世紀の洒落たベッドルーム・ガラージであり、みごとなモダン・メランコリック・ハウスだ。ぜひチェックして欲しい。クラブの熱狂におけるふとした不安を歌った“MOONLIGHT”も良い。ある意味トーフビーツの現在のアンヴィバレンスな心情がそのまま反映されているようなこの曲は、いわば80年代末スタイルのポップ・ハウス、その現代版といった感じで、ほかにも今作には、彼の現場(DJ)からのフィードバックによるものなのだろう、ハウシーなトラックがいくつかある。『RUN』という動きを示唆するタイトルとも、これらダンス・ミュージックはリンクしているのだろう。動き続けること、それ自体が大きなメッセージのように思える。
 そんなわけで、神戸を拠点に走り続ける男=トーフビーツに会ってきた。いつものようにいまの思いを率直に語ってくれた。

『FANTASY CLUB』は、仲の良い人にはすごく評価してもらえたり、近しい人とかでわりとセルアウトしたと思っている人には、意外と真面目にやっていたんだみたいな(笑)。そういう近しい人で離れていった人がちょっと戻ってきたみたいな意味ではすごく効果があったアルバムでした(笑)。

ちょうど『FANTASY CLUB』から1年?

tofubeats(以下、TB):1年ちょいですね。

すごくコンスタントに作ってはいるけれど、自分で歌う楽曲を全面に打ち出すようになってからは2枚目とも言えるような(笑)。

TB:そうですね(笑)。第3期くらい。

第3期トーフビーツ(笑)。

TB:今回こんなに自分が歌う予定はなかったんですよ。毎回そうなんですけど。『FANTASY CLUB』もあんなに歌うつもりじゃなかったんですよ。今回もこんなに歌うつもりではなかったのに、ここまで来てしまったみたいな。たとえば今回も最初はドラマのタイアップで作った"ふめつのこころ"という乃木坂46の子が歌うヴァージョンのためにほぼ当て書きした曲なんで、自分が歌うやつは暫定的というか、一応作るし出すけど、ピークはそこだよなと思って作っていたんです。けど、そのヴァージョンは出せなくなっちゃって(結局自分が歌ったものが収録されている)。映画の主題歌も書いている時点では人に歌ってもらうつもりで書いたんですよ。

そういえば、『FANTASY CLUB』のリアクションはどうだったの?

TB:まぁ良いリアクションが帰ってきたとは思いますが、ちょっと不足している気持ちもあるというか……。

どこが?

TB:いわゆる仲の良い人にはすごく評価してもらえたり、近しい人とかでわりとセルアウトしたと思っている人には、意外と真面目にやっていたんだみたいな(笑)。そういう近しい人で離れていった人がちょっと戻ってきたみたいな意味ではすごく効果があったアルバムでした(笑)。俺はずっと真面目にやっていたつもりなんですけど(笑)。ある意味あんまり良くない方の偏見が取れたというのはすごく嬉しかったんですけど、一方で、思ったよりもエンドユーザーというか、いわゆる普通のリスナーに届かなかったなと。例えばele-kingとかじゃない普通の雑誌のレヴュー欄とかそういうところで全然取り上げられなかったなみたいな。それこそ年末のベスト・アルバムみたいなやつとかでも、全然取り上げられなかったなぁっていうのはちょっとありましたね。

それは悔しい?

TB:悔しいっす。あと、海外版もピッチフォークであんなに評価してくれたのに、出すのに1年かかって、バッて広がっているときに全然アクションが起こせなかったというのもガッカリ。作品としてはけっこう切り替わったタイミングでイメージを発信できたのに、そこらへんで手をこまねいてしまったというのが反省としてあります。

『FANTASY CLUB』は、聴きどころはたくさんあるんだけど、ある意味では真面目で重たいアルバムという側面もあったからね。

TB:そうなんですよ。ファンぽい人にはこれまででいちばんうけたんですよ。それはすごく嬉しかったですね。これまで応援してくれた人にはうけたと思うんで。

そのファンぽい人たちというのは、同じ時代感覚を共有しているというか、世代的にもすごく近い人たちということ?

TB:そうですね。

それはトーフビーツが抱えているような問題意識、インターネット、デジタル時代以降が抱える可能性と、負の部分もひっくるめて。

TB:あとぼくがちょっとだけひそかな期待を抱いていて、世代が一緒で音楽ジャンルが違う人に刺さらんかなと思っていたんですけど、全然そんなことはなかったので、そこは残念かな。

それはなんでだと思う?

TB:やっぱりクラブ・ミュージックだからじゃないですか(笑)。

クラブ・ミュージックだからなの?

TB:自分で言うのもあれなんですけど、これ(『FANTASY CLUB』)以前にこういう問題意識を打ち出したアルバムは日本では出ていなかったと思うんですよ。別に自分のことをクラブ・ミュージックのオーソリティとは思わないですけど、いわゆるバンドの人とかほかの若手ミュージシャンとかいろんなミュージシャンがいまめっちゃいるじゃないですか。前回のインタヴューで「次は政治的になるぞ」みたいなことを野田さんが言っていましたけど、多少そういうものを孕んだものってけっこうみんな忌避しているじゃないですか。やらないところで、こういうのをやってみたみたいなことは、自分のなかでは一個前に何かを進めようとした行為だったんで、そういうことに対するリアクションは、思ったより、ミュージシャンサイドからこなかったな。なんかガッカリではないですけど、多少残念やったなみたいなのはあるというか。
「政治的になりたくない!」ってあのときも言っていましたけど、ただならざるをえないみたいな情勢というか、普通にこんな悪いニュースとかが入ってくる生活をしていて、それに対してなんも思わないほうがおかしいみたいなそういうことはこのときくらいから思いはじめました。そういうことを音楽とかを作っている人は思っていないんかな? みたいな。それで思ってないんや……と思って。『FANTASY CLUB』が出て1年経って、言い方が悪いですけど、相変わらずのんきって言ったらあれですけど、そこはそんなに別か? みたいな。音楽を作るってけっこう反映していないと。

海外は多いけどね。そんなのばっかりとも言えるというか。

TB:そうなんですよね。そこもそれはそれでちょっと、俺はそこまではやらないで良いっていうか。

OPNほどやらなくて良いと(笑)?

TB:そうそうそう(笑)。あとはそこを評価できるところはほんとにムズイ。日本においては、そことの距離感みたいなことはけっこう美学というか。美学というのもなんか綺麗な言葉ですけどね。そこを逆に言い過ぎることによって伝わらなかったりすると言ったほうがいいですかね。そういうことをある意味抽象的なやり方で、例えばこの(『FANTASY CLUB』)ときのインタヴューでも政治的なことは言いたくないということへの批判とかもあったんですよね。でも政治的なことは言いたくないと言うことはめっちゃ政治的じゃないですか。なんか難しいですけど。そういうことやのになぁとか思いながら、いまいち難しいというか。だからこれ(『FANTASY CLUB』)はこれで別枠として、このアルバム(『RUN』)はもうちょっと宣伝を頑張りたいなと思いますけどね(笑)!

そうだね(笑)。

TB:こうして『RUN』も出ましたけど、契約のこととかもあって大急ぎで出たということもあって、『FANTASY CLUB』はもうちょっと長いこと宣伝しても良かったのかなとはいまでも思います。リミックス盤とかも出ましたけど。という感じですね。

[[SplitPage]]

「政治的になりたくない!」ってあのときも言っていましたけど、ただならざるをえないみたいな情勢というか、普通にこんな悪いニュースとかが入ってくる生活をしていて、それに対してなんも思わないほうがおかしいみたいなそういうことはこのときくらいから思いはじめました。そういうことを音楽とかを作っている人は思っていないんかな? みたいな。

トーフビーツはちょうど時代のターニング・ポイントというところからスタートしているから、ただ音楽を作っているということ以上にいろんな……。

TB:諸問題を(笑)。

君は諸問題を抱えている青年なわけじゃない(笑)?

TB:でも諸問題はみんな抱えているはずなんですけどね(笑)。

たしかに(笑)。でも、トーフビーツは、ひとつは音楽ということに対する諸問題を抱えていると。例えば自分が出てくるひとつの突破口でありツールとして有効だったインターネットというものが、しかし同時にやっぱり音楽の細分化を加速させているわけであって、それはトーフビーツが目指すところのポップ・ミュージックというものの存在を、やはりどこかで阻むものとしても機能してしまっている。それだけでもすごくアンヴィバレンスを抱えながらこの数年間、作っては出し続けているんだよね。今回はもう何枚目になるの?

TB:今回はメジャーで4枚目です。

じゃあ『lost decade』とかは?

TB:『lost decade』と合わせると5枚目ですし、アルバムを出すのは前の諸名義と合わせると、10枚目くらいと言ってもいいですよ。(笑)。

いろんなものが細分化されて、昔のようなポップスというものが生まれづらくなっている今日において、トーフビーツがとくに問題視しているものはなんなんだろうか?

TB:やっぱりそれは、音楽と音楽以外のものが悪い意味で混同されているということがけっこうあると思います。それこそ有名な人とコラボをしたら曲が……。これけっこう難しい話で、例えばぼくはいろんなゲストの方とやらせてもらいましたけど、結局売り上げって、ゲストが誰やから大きく変わるということはなかったんですよね。ただ、テレビに出たら曲が売れるとか、そういうことってなんとなくわかるんですけど、そんなことかな? みたいな。今回もすごい露出がいっぱいあって、そうなるとそういう数が回転していくとか、難しいですけど。つまりは聴いている人が判断していないということじゃないですか。自分が好きかどうかというのを判断していなくて、判断を人に委ねているという傾向で、これは昔からあることではあるんですけど、それが強まっているということがポスト・トゥルースとかだったりするわけじゃないですか。自分で見た情報から判断できないとか、自分で音楽を聴いて自分はこの音楽を好きか嫌いかということを自分で考えないみたいな。そういう判断力とかひいては、想像力みたいなことやと思うんです。そういうことが減っているということが、全体的な諸問題みたいなものの起源である気がするんですよ。

その自分で判断できないってことは、同調圧力的なもの?

TB:同調圧力ともまたちょっと違うんですけど、単純にこれは誰かが言っているから正しいみたいな。

売れているから買うみたいな?

TB:それもそうですし、例えば偉い人が言っているからこれは正しいとか。そういうことの強まり。あとは何かを判断するときに2つ3つ情報を集めて自分のなかで考えるとか。そういうことをできない人が増えているのか、ぼくの目についているのかわからないですけど、そういうイメージはめっちゃ強いし、世のなかの人もそうやって人を扱う。上のほうのひとも若い世代はそんな判断をできないと思っているというか。

なめているんだ。

TB:なめた態度をとっているとはめっちゃ思う。人を馬鹿にしているということプラス、あとは判断ができないっていう。だから判断できないと思っている上の人と、それこそコピーコントロールCDとかもそうじゃないですか。客のことアホやと思っているみたいな(笑)。ひとに尊敬がないというのは想像力の話と一緒やと思うんで、結局は想像力と判断力みたいな。これはぼくのなかだったら、アートとかみたいなものをやることによって人っていうのは学ぶことができると思うんですよね。ぼくは音楽をやっていちばんよかったなと思うことは、絶対に会わないようなひとと会うことが増えたことなので。そういうことを音楽を通じて自分は学んできたので、音楽がそういうツールの代表格みたいになっているのはキツイことではありますね。

トーフビーツには見えている風景が大人たちには見えないってことはあると思う。ところで、現場にいくのはDJがメインなの?

TB:DJを増やしています。ライヴばっかりにならないようにしたいなというのはあります。

どんな感じ?

TB:いまめっちゃおもしろいですよ!

それは興味があるな。

TB:それこそDJをやっていたら「トーフさんの曲かけて!」とか言ってくる人もいますよ。

やっぱ"水星"がアンセムっていうか、いちばん盛り上がるの?

TB:いや、いまは"Lonely Nights”っす。いまめっちゃ自分の曲かかってんねんけどなぁと3日前も思っていました。DJでインストの自分の曲をかけていて、しかもホテルのラウンジでやっていて。「トーフさんの曲かけて!」って女性がずっと言ってくるんですよ。なんか悲しいなぁと思いながら、結局自分の曲がめっちゃ立て続けに10分くらいかかっていて。

どのくらいの割合でやっているの?

TB:DJは週一でやっていますね。年間80本から100本弱くらいぼくの現場はあります。

じゃあ全国。

TB:全国、週一で。ライヴももちろんやるんですけど、ライヴで地方に行っても2回目で行くときはDJとか、昼夜で行くときは夜DJさせてもらったりとか。

お客さんはやっぱり大体20代?

TB:そうですね、でも上の方もけっこういますね。

でもやっぱり20代という印象があるよね。

TB:多いと思います、大学生とか社会人入っているくらいの。東京だったらそうすかね。地方行くともうちょっと年齢層が上がる。

お客さんの層というかそういうのが変わったという印象はある?

TB:年々普通のクラブとかに行かない人は増えていますよね。クラブに行ったことがない人がぼくらのイベントで初めてクラブに来るみたいなことはあると思います。

すごく良いことだね。

TB:ただ、そこでクラブの遊び方がわからない人がいる。だからぼくの曲がかかっていないときにどうするのかみたいな問題が発生している(笑)。

まあ、それはポップ・フィールドでやっている以上は仕方がないというか。DJはコンサートじゃないし、DJとしてはいろんな音楽を楽しんでもらいたいだろうし。

TB:そういうときにぼくが自分の曲をバンバンやるというのではなくて、DJというものをある程度は見せていかないと、ぼくの曲以外の時間楽しめなくなっちゃうというか。あとは、自分が行っていたクラブがそんなクラブじゃないから、もうちょっとちゃんとパス回しで朝まで楽しめるみたいな、そういうものが残れば良いんですけど。そこをいまぼくらもバランスをみながらやっている感じですね。自分の曲はとりあえずDJでかけるけど、DJ用にヴォーカルを抜いたやつにしたりとか、ちゃんとそのときの新譜は絶対かけるようにしたりとか、クラブ・ミュージックのバランスを見ながらトライしている感じですね。

でもトーフビーツがクラブ・ミュージックの入り口になっているということはすごく良いことだと思う。クラブの主役はやっぱ20代〜30代だと思うから。

TB:そうっすね。それはけっこう意識してやるようにしていますね。

それでも頑張ってはいるし、人気が出てきたし、トヨム君もデビューアルバムが出るし。

TB:頑張っていますね彼も。あとはいまはちょっと下が元気。それこそパソコン音楽クラブとか。

世代は違うけど、食品まつりもすごいよね。

TB:上ですけど、食まつさんはすごいっすよ。それと2、3個下くらいの子がいますごく頑張っているイメージがあるので、ぼくらとはちょっと違った伸び方をしそうなんで楽しみですね。

そういう明るい兆しもあるなか、今回のアルバムは初めてのゲストなしのソロになって、しかも音楽的にはポップスとして洗練されていると思ったんだよね。

TB:初めてのソロ(笑)。『FANTASY CLUB』のときと違ってポップスにちゃんと戻って来たとは思います。

そういう意味ではすごくアプローチしやすいアルバムになっていて、背景には『ニュータウンの社会学』というコンセプトがあるにせよ、ポップとしてはすごく上手くまとめられていると思ったんだよね。ぱっと聴いたときにも思ったし、何回聴いていてもそう思う。とくに"NEWTOWN"っていう曲が最高だった。

TB:『FANTASY CLUB』のときの反省として、コンセプチュアルで難しいことを言い過ぎたがゆえにみたいなことはめっちゃあったんで。シンプルなモチーフで。

そこまで難しいことを言っているとも思わないけどね(笑)。難しいことを言っているのはOPNみたいな人でしょ?

TB:『FANTASY CLUB』のときにぼくはお客さんを馬鹿扱いしないということを最大限しようと思って、インタヴューとかでも誠意を尽くしてやったんですけど、やっぱり難しいというリアクションは世のなかから返ってきた。「これ難しいのか?」ということは思ったんですけど。

その「難しい」っていうのはあるよね。「洋楽って難しいっすよね」とか言われたり(笑)。

TB:そういう思考を停止しているのがいちばん腹立つみたいな。それは考えることを辞めているやん。考えてからわからんかったらええけど、聴く前に難しいとか言うなよとは思うんすけど、そういうことがあったので入り口としてはけっこう大胆な感じにしたくて、こういうでっかい文字とか。そういうものはありつつも作る制作半径はこのときのちっちゃい感じでやろうみたいなことがコンセプトです。これを作るときの制作上の課題でしたね。

ポップ・ソングが入ってる感があるもんね。

TB:タイアップがちゃんとあったもので(笑)。

そうはいっても、"RUN"もトーフビーツらしいなという感じで、これを1曲目にもってくるというのがトーフビーツの情熱を感じるよ。

TB:そうですよぉ。ぼくはけっこう情に厚い人間なんで。基本的には(笑)。

たしかに前作から継承されている部分はあるんだけど、"ふめつのこころ"とか、バラード調の"DEAD WAX"みたいな曲もあって。映画の主題歌"RIVER"もすごく良い曲で、メランコリーとポップさとのバランスがとれている。

TB:嬉しいです。

だから、『FANTASY CLUB』のときのアンバランスさを自分で対象化して、さらにポップスということを意識したのかなと。

TB:今回のアルバムは緩急がはっきりしているので、ポップスはポップス、クラブ・ミュージックはクラブ・ミュージックみたいな住み分けがわりとしっかりしています。わりとシャキッとした展開には。

そうだね。シャキッとしている。"YOU MAKE ME ACID"みたいなハウシーなトラックも印象的だよね。

TB:そうっすね、中盤の流れが4つ打ち4つ打ちできて、8曲目("NEWTOWN")でいきなり抜けるみたいな感じなんで。

[[SplitPage]]

『POSITIVE』のときは未来に期待したいと言っていて、『FANTASY CLUB』でいやちょっと期待できないかもしれないとなって、今回であぁもう自分でどうにかするしかないんだなという感じですね。それを『ニュータウンの社会史』を読んで思ったんすよ。


tofubeats
RUN

ワーナーミュージック・ジャパン

J-PopHouseTrapBass music

Amazon Tower HMV

いろんなタイプの曲をやっているけど、作っていて一段上がれたかなと手応えを感じた曲は何?

TB:やっぱり8曲目ですね。"NEWTOWN"はそうですね。

"NEWTOWN"はアルバムのタイトルにしても良いんじゃないかくらいに素晴らしい曲だと思ったんだけど。でも、メランコリーな曲だし、それをやると重たくなるかな(笑)。

TB:そうすると思想というか、偏りが出る単語だなと思って。だからやめておこうと思いました。"NEWTOWN"はシンプルでちょっとしたことでわりとおっきく展開したように思う展開ができたので。ちょっとしか音は増えていかないですけど、めっちゃ変わったように感じる展開とか。そういうのはできると嬉しいですね。

"NEWTOWN"は繰り返しのメロディこれだけでまず完璧だということと、サウンドの時代感覚みたいなことで言えば、こういう曲はトーフビーツの世代にしか作れないものだなと思うんだよね。たとえばヴォイス・サンプリングの使い方とか。

TB:今回は自分の声でやっているのでわりと作っていてもあれでしたけど(笑)。

21世紀のエレクトロニック・ポップ・ミュージックというものがけっこう形になってきているなと思った。こういう曲は90年代にはなかったし。

TB:8曲目("NEWTOWN")9曲目(“SOMETIMES”)は技術的なところでいうとわりとピ―クというか。9曲目もポリリズムをパソコンで打ち込むみたいなことにけっこう挑戦しましたし、しかも簡単なやつじゃなくて7拍と8拍のポリリズムで、しかもヴォーカルをのせるみたいなことはけっこう頑張ったなとは思いますね。

トーフビーツとしては1曲目がいちばん、これがポップスとして……。

TB:キャッチーみたいな。でもラップとか歌とかみたいな概念とかではなくて、ポップスとして"RUN"はどうですかねと思うんですけどね。

でもトラップはあえてやったの?

TB:あえてやったというか、これはうわものだけでいうとグライムみたいな感じじゃないですか。あとトラップというかベースがデカい曲にしたい曲にしたいというのがあったんですよ。だから自分はトラップだと思って作ってはいないんですけど。

トラップをやろうという意識ではないんだ。

TB:『FANTASY CLUB』くらいからそうなんですけど、とにかくベースがでかい曲を出したいみたいなことがけっこうありました。このアルバムはマスタリングを得能さんがやっているんですけれど、実は1曲目だけマスタリングもぼくがやっています。ベースが出過ぎていて、得能さんのいつものセットアップではさばききれないところがあったので、ぼくがさばくことになったんです。この曲だけはベースの鳴りを自分の思い通りにしたいから、マスタリングもやらせてもらいました。トラップであることはそんなに大事ではない。

そういえばクレバの新作がトラップだったよね。

TB:そうっすね。おもしろかったですけどね。クレバさんのやつはサウンド的にはわりとテンプレというか、

そうだね。わりとベタにトラップをやっている。

TB:"RUN"とかもベースのインパクトとか。

グライムの要素を入れたと?

TB:あと技術的な話ですけど、半分から上と半分から下しか音が出ていないみたいな。真んなかの音が全然ない。そういうサウンド・デザインとか。そういうことをけっこう意識しましたね。あととにかく短尺。最初はこの曲は1分ちょいしかなかったんですけど、延ばそうかと言われてちょっと延ばしたんです。でも自分的にはすごくポップ・ソングだと思うんですよね、"RUN"は。別にあんまりラップという感じでもないし、歌といったら歌だし。そういうバランス感みたいなものをけっこう目指しているというか。これはラップだからとか、そんな時代でももうないでしょみたいなことはすごく思う。それこそ"NEWTOWN"とかもそうですよね。歌か歌じゃないかみたいな。

"RUN"という言葉はいまの自分にふさわしいなと思ったんだ。歌詞のことなんだけど。

TB:ふさわしいというか、こういう状態みたいな。

走っている感じ。

TB:そうっすね。あと自分で解決しないと仕方がないみたいなモードにようやくなってきて。『FANTASY CLUB』のときは世のなかがもうちょっと良くならんかな? みたいな感じだったんですけど、もう世のなかにも期待はできなさそうという感じですね。『POSITIVE』のときは未来に期待したいといっていて、『FANTASY CLUB』でいやちょっと期待できないかもしれないとなって、今回であぁもう自分でどうにかするしかないんだなという感じですね。

なるほどね。

TB:それを『ニュータウンの社会史』を読んで思ったんすよ。ニュータウンができて、バスでピストン輸送してという。バスが通らへんのやったら自分らでバスを通すしかないやんけという姿勢にいちばん感銘をうけました。ニュータウンはそういうこととは真逆の人らが住んでいるところだと思っていたんで。でもそんな人でも最終的にやっぱりバスが通らんかったらやるしかないよねという。病院が無かったらやるしかないよねみたいな思想にけっこう感銘を受けたというか。というか普通に考えたらそうかみたいな。他人が助けてくれることなんてないよなみたいな。

なるほどね。でも『ニュータウンの社会史』を読んだきっかけというのは何なの?

TB:それはJun Yokoyamaという写真家の人がいて、本人もたぶん読んでいないと思うんですけど、ニュータウンの本があったからってamazonのリンクのリプライがとんできたんですよ。これもなんかの縁やしと思って、そういう本をけっこう読んでいるので買って読んだら面白かったというだけ。でも今回のアルバムは、資料には書いていないけど本の影響が大きくって。"ふめつのこころ"のときは『中動態の世界』が出たときで。

國分功一郎、それこそ難しいものを(笑)!

TB:めっちゃ難しかったんですけど(笑)、あの本を読んで受けた影響というのはちょっとあるというか。それこそ"RUN"ってすごく能動的な言葉じゃないですか。そういうところで読んだのですごくおもしろいなと思いました。やっているのかやらされているのか、昔のCM曲みたいですけど。言ってんのか言わされてんのかみたいなね。そういうことはけっこう今回考えましたね。だから俺は走っているのか、会社に走らされているのかみたいな(笑)。そういうこととかを考えましたね。

この資料に書いてあるんだけど、ちょうど神戸にいたときに地震があったの?

TB:そうです。フラッシュバックしましたよね。

こないだフライング・ロータスに取材したんだけど、フライング・ロータスの『KUSO』という映画があるって。すごいひどいよ(笑)。でもすごくおもしろい(笑)。

TB:ほんまに見にいった人からまじのスカムって言われて(笑)。

でもおもしろいんだよね。よくできている。なんであの映画を作ったのかといったときに、子供の頃にロサンゼルスの大地震を経験しているんだよね。あれを経験しているからっていう話がでてきて。地震、いわゆる天災には人間なんてかなわないみたいなストーリーがはじまるんだよね。そういえばトーフビーツも1995年の神戸の大震災を経験しているよね。

TB:5歳ですけどね。でもけっこうダイレクトに被災していますね。あとは今回の台風やらもそうですし。

それはいまでも自分のなかで影響していると思う?

TB:震災自体はそんなに影響はなくて、親戚も誰も死んでいないですし、どっちかというとそのあとの街の仕組みみたいな。たとえば、ぼくは5歳のときに被災していますけど、小学校を卒業するまで、小学校の横に仮設住宅が建っていたんですよ。ということは10年くらい仮設住宅があったんですよね。あとぼくの祖父母は、まだ退去は終わっていないですけど、つい今年の春まで県住という被災した人に割り当てられる公営住宅に住んでいたんですよ。だから震災によって街が作り変わった後の街に自分は暮らしているみたいな。前の大阪の地震もめっちゃ揺れたんですけど、まあ神戸は地震の後に建ったものしかないしなとか。台風が来たときも大阪は昔の建物が残っているから飛ばされているんですよね。神戸はそんなに古い建物とか残ってへんから大阪ほど屋根とか飛んだりしないんですよ。みたいなものは感じることはあるというか。昔は良かったみたいな話のときに、絶対震災が出てくる。
震災より前は神戸には外タレとかもめっちゃ来ていて、大阪に500人くらいの箱の場所がなかったから東京と神戸でツアーがくまれていた話とか、クラブがすごくもりあがっていたとかいう話はめっちゃ聞くんですけど、そういうのがなくなったあとの神戸に自分は住んでいるねんなみたいな、昔、かつてよかった街なんやなみたいなことはすごく思います。地震まで祖父母がけっこう大きい八百屋だったので、そういう個人的なところでも、地震の後にめっちゃ儲かっていたものがなくなったとか、そういうそこの断絶の後に暮らしているみたいなことはすごく思います。

でも絶対トーフビーツの作品のなかでそういうものの影響がどこかにあるんだろうね。

TB:あると思いますけどね。

"DEAD WAX"という曲は音楽が主題になっているでしょ、それは前からあるんだけど。Spotifyとか配信で聴くことが一般化されたいま、CDというフォーマットに関してどう思っている?

TB:もちろんSpotifyで聴いてもらっても全然いいし、ただ、CDはCDの良さがあるなぁくらいのもので、あとは紙が入る最後のメディアじゃないですか。イラストとか載せられる。そういうものとしての良さもあります。あとはお店に並んだりとか、物流にのせられたりとかそういう魅力はあるんですけど、別になくなっても、データはちゃんと整備されたデータで全然いいし、みたいなタイプやったりはしますね。自分は好きで買うだろうけど、世間一般にそんなに残らなくてもいいかなとは思ったり。それはデビュー当初からそうです。できて嬉しいなという感覚がなくなるのはもったいなけど、それはもう1回レコードとかが出てくるのかなという気もしますし。持っていて嬉しい人にはより持っていて嬉しいレコードとか。そういう二極化はアメリカみたいに日本も進んでいくと思うんですけどね。

トーフビーツのファンはトーフビーツに何を求めているんだろう。

TB:"水星"ですかね(笑)。

はははは。またああいう曲を作ってくれよと(笑)。

TB:言われますよめっちゃ。コメント欄とかを見ていても懲りずに"水星"をくれって言ってくる。"水星”聴いたらいいやん……って思うんですけど。でもそれはそれで良いですよ、"水星"っぽい曲もときおり書きたいなとはもちろん思っていますし、それは良いんですけど、本とか読んでいて、わかり切っているものなんて読みたくなくないですか? どうなるんだろうみたいな方が良くないですか。なんかそういうものというかそういう感じになりたいなと思いますけどね。

そうだね。あともうひとつ、最初に会った頃から言っていたけど、昔は良かったって言わないで欲しいというね。自分が生きているのはいまのこの時代なんだからって。

TB:それはあります。だから神戸の話とかもそうなんですよ。神戸は昔は良かったよねっていまめっちゃ言われるんですよね、DJをやっている人とかに。実際いまは良くないよっていう。良くないけど、それはそういうことを言って良くしようと頑張ってこなかったやつらのせいっていう。客を馬鹿にしている人もそうですけど、そういう、なんでいま良くないんだって言ったらいまを良くせんかった自分らのせいやからねという話なんですよね。なので、そういうことは言わんといて欲しいなということはめちゃありますね。ぼくらの頃とかはって棚に上げるでしょ。若いやつは楽器もできひんとか、ちゃんと歌を歌わないとか(笑)。

誰が?

TB:トーフビーツは機械を使っていてちゃんと歌わへんとか(笑)。

そんなことまだ言っている人がいるの?

TB:いやーたまにありますよ。

それは古すぎる(笑)。

TB:そういうこととか、あとはラッパーがミュージックステーションとかに全然でないとか、タトゥーが入っているからでられないとかいう話とかもそうですけど。

そういうのはツイッターで言われるの?

TB:ツイッターとか、PVのコメント欄とかね。あとはぼくは自分でそういうのを見るので、どういうリアクションが返ってきたか。なんかそういう広い心みたいなのを(笑)。

今回ゲストをいれなかったじゃない? これは成り行きなの?

TB:ゲストをいれたいなっていう気持ちはあったんですけど、具体的な名前は上がらなかったです。つまりはたぶん呼びたい人がいなかったということですね。

自分のなかで、いつかは自分ひとりで完全なソロを作りたいという気持ちはあった?

TB:まったくなかったです。

『POSITIVE』とかあの頃はそんなことを考えていなかったもんね。

TB:いまも考えてなかったんですけど、ただ、前回のこのメッセージを人に預けられる人が、自分で歌わないとちょっと話がおかしくなっちゃうみたいな話があったんですけど、それとはまた別で純粋に話題を共有できる人が減ってきた。今回も"RUN"では思っていることをわりと言うときに自分が思っていることを共有できる人があんまりいない。唯一"ふめつのこころ"だけは乃木坂の子へのあてがきだったので、それは入れることができたら入れたかったんですけど。いま自分が曲にしたいことを、歌ってもらって納得のいくようなヴォーカリストがあんまりいないなと思ったんですよ。それこそぼくらの立ち位置の特異性みたいなところがあるかもしれないですけど。いまぼくらが悩んでいるようなことを歌って、ぼくらが納得できるようなミュージシャンが見当たらないというのはちょっとありました。自分でやらなしゃあないというのは、誰もやってくれへんし、同世代のミュージシャンとかのことをめっちゃ信用してやっていこう! みたいな感じでもないというか。

たしかにそういう孤独感も出ているし、表面的にはポップでも、じつは複雑な感情を孕んだアルバムだよね。

TB:そうなんですよ。『FANTASY CLUB』とかを作って、反応が友だちとかからはあったけど、もう一歩いったミュージシャンとかからあんまりなかった話とかもそうなんです。いまミュージシャンが持っている問題意識は、俺の持っている問題意識と違うんやっていうことが、これを作ってわかったんですよね。これを自分は音楽をやっているうえでぶつかる悩みやと思って作ったんですけど、音楽を作っている人はそんなことで悩んでへんねやみたいな。それやったらそれは他の音楽をやっている人には頼みにくいなみたいな話にどんどんなっていったというか。これを作ったことによってある意味呼びたい人がいなくなっていったというか。

(笑)。

TB:例えばこれにすごくシンパシーを感じましたという人が現れてやっていこうってなったらあれなんですけど。それで言ったらSTUTSさんを今回呼びたかったんですけど、単純にそういう曲がデモでできなかったというのがあって。そういう曲ができたら呼びたいという感じやったんですけど。なかなかそこらへんは難しかったという感じですね。

ある意味ではソロというよりもひとりぼっちで作ったという感覚も。

TB:そうそう。だからそういう曲がけっこう入っているみたいな。

たしかにね。正直なアルバムだけど、ちゃんとサーヴィスもしているし、この取材も相変わらず発話量が多くて楽しかったです(笑)。今日はどうもありがとうございます。

TB:ありがとうございます(笑)。

Laurel Halo with Eli Keszler - ele-king

 これは待望のニュースです。作品を出すたびにオリジナリティの限界を更新し、そのディスコグラフィすべてが重要作といっても過言ではない、まさに10年代を代表する電子音楽家のひとりとなったローレル・ヘイロー、先般も『Raw Silk Uncut Wood』という素晴らしいアルバムを届けてくれたばかりの彼女がこの年末、来日公演を開催します。12月6日(木)@東京UNIT、12月7日(金)@京都METRO。しかもこのツアーには、先日のOPNのMYRIAD公演でも来日したイーライ・ケスラー(こちらも10月に〈Shelter Press〉より新作『Stadium』をリリース予定)が帯同、日本からは日野浩志郎率いるgoat(東京)とMadeggこと小松千倫(京都)が参加します。これは見逃し厳禁ですね~。

Laurel Halo live with Eli Keszler Japan Tour 2018

■2018/12/06 (THU) UNIT, Tokyo
guest: goat

OPEN 18:30 START 19:30
ADV. 4,300yen (ドリンク代別途) 2018年10月6日 (土) ON SALE
チケットぴあ (Pコード: TBC)
ローソンチケット (Lコード:TBC)
e+ (https://bit.ly/2MoiI0i)
Clubberia
RA

■2018/12/07 (FRI) METRO, Kyoto
guest: Kazumichi Komatsu (Madegg)

OPEN 18:30 START 19:00
ADV. 4,000yen (ドリンク代別途) 2018年10月6日 (土) ON SALE
チケットぴあ (Pコード: 130-319)
ローソンチケット (Lコード: 55458)
e+ (https://bit.ly/2MoiI0i)

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとならぶ、現USアンダーグラウンドが生み出したエレクトロニック・ミュージックの鮮やかな特異点、ローレル・ヘイローが、NYより鬼才ドラマー/パーカッショニスト、イーライ・ケスラーを帯同してのライヴ、待望の来日公演が東京UNIT、京都METROにて決定! UKの名門〈hyperdub〉よりリリースされた、ディープな電子音とその歌声によって発露する柔らかなポップ・センスが溶け込む『Quarantine』(2012年)で世界的に大きく注目を集めた。一転して続く『Chance Of Rain』(2013年)や〈Honest Jon's〉からの「In Situ」(2015年)は、彼女のテクノ・アーティストとしての側面をくっきりと示す作品となった。そして2017年の『Dust』は、キュートなポップ・センスとエレクトロニクス~アヴァン・ミュージックが奇跡的な配分で同居した作品となり、多くのメディアでも年間ベストへと選出される作品となった。と、思えば最新作となる『Raw Silk Uncut Wood』では、初期のアンビエント・フィーリングをさらに増幅させつつ、フリー・ジャズや現代音楽などを飲み込んだ壮大な作品をリリース、まさにとどまることを知らないその才能の幅を見せつけている。こうした作品でのローレルとのコラボなどなどまさにひっぱりだこ、さらには自身もソロ・アーティストとして〈PAN〉や〈ESP Disk〉からもリリースするイーライ・ケスラー。ローレルとイーライのライヴはまさにいま、必見の内容と言えるだろう。そして東京UNITでは、イーライの来日時のセッションやGEISTへの参加も記憶に新しい、日野浩志郎(YPY)率いるgoat、京都METRO公演では、Madegg名義でハウス~アンビエント~ビート・ミュージックなどさまざまな領域で活動する小松千倫が登場する。(河村祐介)

■Laurel Halo (ローレル・ヘイロー)

重く、細かく切り刻まれた電子音楽は、ライヴ・パフォーマンスやDJ、アルバムやスコアの作曲まで、Laurel Haloの作品の中核を成している。ミシガン生まれ、現在はベルリンに在住する彼女は、ワイヤー・マガジンでアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得した2012年のデビューアルバム『Quarantine』をリリースしたロンドン拠点のレーベル〈Hyperdub〉を中心に作品を発表している。
2013年に〈Hyperdub〉からリリースした『Chance Of Rain』と〈Honest Jon's〉から2015年にリリースした「In Situ」の2枚のアルバムは、彼女の長期間に渡るツアー時期に制作され、全編インストゥルメンタルのアルバムであり、ライヴセットを発展させたハードウェアによるリズメロディックなダンスフロア向けの作品になっている。
2015年には日本のヴァーチャル・ポップスター、初音ミクとのコラボレーション・インスタレーション「Still Be Here」のサウンドトラックを手掛け、この作品は、2016年にベルリンのHaus der Kulturen der Weltで初演され、続いて2017年にロンドンのBarbicanでも披露された。
2017年に〈Hyperdub〉からリリースされた『Dust』は『Chance Of Rain』と「In Situ」でのハードウェアによるマシン・ファンクの美学と、緩やかかつ賑やかなソングライティングを組み合わせ、改めて多くの評論家/メディアから高い評価を得た。また本作は多数のコラボレーター(Eli Keszler、Julia Holter、Lafawndah、Kleinなど)のフィーチャリングも話題となった。
その後、Laurelはオランダのデザイン・グループMetahavenが制作した長編実験ドキュメンタリー『Possessed』のスコアを手掛け、2018年の最新のリリースはクラシカルなインストゥルメンタルを集めたミニLP『Raw Silk Uncut Wood』。アルバム『Dust』やデュオ・ライヴも定期的におこなっているコラボレーターのEli Keszlerとチェリスト、Oliver Coatesをフィーチャーしている。本作はパリ拠点の先鋭的レーベル〈Latency〉よりリリースされた。
またLaurelはマンスリーでロンドンのFM局、RinseにDJ MIXを提供している。

https://www.laurelhalo.com
https://soundcloud.com/laurelhalo

■Eli Keszler (イーライ・ケスラー)

ニューヨークを拠点とするアーティスト/作曲家/パーカッション奏者。音楽作品のみならず、インスタレーションやヴィジュアル・アート作品を手がける彼の多岐に渡る活動は、これまでにLincoln CenterやThe Kitchen、MoMa PS1、Victoria & Albert Museumなど主に欧米で発表され、注目を浴びてきた。これまでに〈Empty Editions〉、〈ESP Disk〉、〈PAN〉、そして自身のレーベル〈REL records〉からソロ作品をリリース。ニューイングランド音楽院を卒業し、オーケストラから依頼を受け楽曲を提供するなど作曲家としても高い評価を得る一方で、近年はRashad BeckerやLaurel Haloとのコラボレーション、Oneohtorix Point NeverのMYRIADプロジェクトへの参加など、奏者としても独自の色を放ち続けている。なお最新ソロアルバム『STADIUM』はSHELTER PRESSより今年10月にリリースされる。
https://www.elikeszler.com

■goat

以前はスタンダードなロック編成でありながら、ギター、ベース、そしてサックスさえもミュート音などを使ったパーカッシヴな演奏をし、12音階を極力外してハーモニクスを多様することによりいわゆるバンド・サウンドとは異なるサウンドを作り出していた。2017年よりメンバーと楽器を変更し、リズムが交差し共存しながらも続いていく、繰り返しのリズム・アプローチへの探求を深めていく作曲へとシフト。これまで〈HEADZ〉より1st album『NEW GAME』、2nd album『Rhythm & Sound』をCDリリースし、2018年にはその2枚のアルバムから選曲したLPを〈EM records〉よりリリースした。

HP: https://goatjp.com
Facebook: https://www.facebook.com/Goat-408629939245915/
SoundCloud: https://soundcloud.com/goatjapan
Twitter: https://twitter.com/goatJp

■Kazumichi Komatsu (Madegg)

16歳よりコンピューターを使った作曲をはじめる。これまでに〈flau〉〈Angoisse〉〈Manila〉 〈Institute〉〈Rest Now!〉などのレーベルより3枚のアルバム、複数のEPをリリース。池田良司、ティム・ヘッカー、ジュリア・ホルター、マーク・フェル、アルカなどのアーティストの来日公演をサポート。
自然や街のなかの様々な音をフィールドワークを通して採集し、それらの音素材をもとに抽象的なサウンドスケープを構築する。近年は局所的な環境や情報を反復することで非指向的な安定未満の状態へと変化させるようなアンビエント・ミュージックの実験をおこなっている。またクラウド・ネットワーク以降の現代的なメディア環境において詩(ミーム)の可能性を検証するインスタレーション作品をサウンドデザイン、コンポーズ、グラフィックデザイン、ポエトリーなどを基調に展開している。

OTHER MUSIC NYC MEETS DUM-DUM LLP - ele-king

 相変わらずライヴハウス・シーンでは暗躍している高円寺の音楽事務所「DUM-DUM LLP」がNYの伝説的レコードショップ「Other Music」と合同パーティーをやるらしいですよ。
 しかも、スペシャル・ゲストに来日中のヨ・ラ・テンゴがDJ SETでの出演という。日本勢からはimai、Nyantora、トリプルファイヤーの三組が出演します。また、「Other Music」のジェラルドさんもDJやります。
 「DUM-DUM LLP」から送られてきたメールによれば、このイベント「GET TOGETHER」とは、「単なるショーケース・ライヴではありません。ジャンル不問、様々な音楽体験やNYCの音楽シーンを熟知する彼らとダイレクトに情報交換したり音楽談義もできる 100% Openなコミュニケーションの場でもあります」とのことです。
 また、「当日イベントに参加したい日本在住のアーティストも募集しています。もし興味を持ってくれた方がいらっしゃれば、是非下記アドレスからエントリーしてください。よろしくお願いします」(https://prt.red/0/GETTOGETHER-CONTACT)
 だそうです!
 応募しよう!

●公演詳細

Other Music NYC meets DUM-DUM LLP「GET TOGETHER」
2018年10月12日(金)@新代田FEVER
OP/St18:00 (終電まで)

TICKET:前売・当日共通 ¥3000 ( 1D別)
メール予約;ticket1012@fever-popo.com
e+(28日より)https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002274712P0030001
Peaticx; https://peatix.com/user/1005892/view

LINE UP:
SPECIAL GUEST: YO LA TENGO( DJ SET)
(Another Guy Called) Gerald - Other Music
imai
Nyantora
トリプルファイヤー
問い合わせ;新代田FEVER Tel:03-6304-7899 & https://www.dum-dum.tv/

●アザーミュージックとは?

アザーミュージックは、20年間、NYの音楽シーンの真ん中にいた、ユニークで、
通好みのするレコード屋だった。

1995年にオープンし、いつも発展し続ける、幅広い音楽にアプローチし、インディ、エレクトロニカ、ワールド、ジャズ、ヒップホップ、ダブ、フォーク、サイケデリア、モダンクラシック、アヴァンギャルドなどの、多種多様なジャンルを網羅していた。

ヴンパイア・ウィークエンドからニュートラル・ミルク・ホテル、DJシャドウ、マック・デマルコ、ナショナル、ボーズ・オブ・カナダ、ティナリウェン、ベル・アンド・セバスチャン、コートニー・バーネットまでの、沢山の若いアーティスト、ミュージシャンのキャリアを助け、セルジュ・ゲンズブール、フランソワ・ハルディ、カン、ノイ!、サン・ラ、ニック・ドレイク、ロドリゲス、ベティ・デイヴィスなどの、定番アーティストを、若いファンに対して、知名度をあげる大切な役割を果たした。

また、日本の音楽のチャンピオンで、ボアダムス、坂本慎太郎、ボリス、灰野敬二、DJクラッシュ、アシッド・マザー・テンプル、坂本龍一、コーネリアス、メルツバウ、ピチカート・ファイブ、トクマルシューゴ、ファンタスティック・プラスティック・マシーン、渚にてなどの、パフォーマンスをホストしたり、一緒に仕事をした。
ローリング・ストーン、ビルボード、ピッチフォーク、ニューヨーカー、タイムアウト、ステレオガム、ヴィレッジ・ヴォイス、ガーディアンなどのプレスで、世界の最も良いレコード屋として賞賛された。

2016年に20年の幕を閉じ、次の年にMoMA PA1で、カム・トゥギャザー・レーベル・フェア・アンド・ミュージック・フェスティバルを立ち上げ、世界中から、革新的で、ベストなレコード・レーベルを沢山招待し、レコード屋文化の新しい章を探索している。

For 20 years, Other Music was at the center of the New York City music scene, a unique, taste-making record store in the heart of that vibrant music city. The shop opened in 1995, with a broad and ever-evolving approach to music, embracing diverse sounds including indie, electronica, world, jazz, hip-hop, dub, folk, psychedelia, modern classical, avant-garde, and much more. Other Music helped launch the careers of many young artists, from Vampire Weekend to Neutral Milk Hotel, DJ Shadow, Mac DeMarco, The National, Boards of Canada, Tinariwen, Belle & Sebastian, Courtney Barnett, and many others. The shop also played a major role in raising the profile with young fans of classic artists like Serge Gainsbourg, Francoise Hardy, Can, Neu!, Sun Ra, Nick Drake, Rodriguez, Betty Davis, and others.

Other Music championed many Japanese artists over the years, hosting performances or working closely with Boredoms, Shintaro Sakamoto, Boris, Keiji Haino, DJ Krush, Acid Mothers Temple, Ryuichi Sakamoto, Cornelius, Merzbow, Pizzicato Five, Shugo Tokumaru, Fantastic Plastic Machine, Nagisa Ni Te, and many others.

The shop was lauded as one of the best record stores in the world by press outlets including Rolling Stone, Billboard, Pitchfork, The New Yorker, Time Out NY, Stereogum, The Village Voice, The Guardian, and many others. In 2016, after two decades, Other Music closed its doors. The following year, they launched the Come Together Label Fair and Music Festival, at MoMA PS1, bringing together many of the best and most innovative record labels from around the world, exploring the next phase of record store culture.

https://www.othermusic.com/

interview with Phew - ele-king

 数年前から軸足をソロ活動のほうに向けじはめた Phew はアナログ~モジュラー・シンセをはじめ、もろもろの機材にとりまかれ、ヘッドセットをしたその姿に私はコクピットに腰をすえた宇宙飛行士を連想したものだが、スピーカーからとびだす予測不可能な音の群はレトロな近未来感をうっちゃる独特な響きがあった。みたこともない世界とアマチュア無線に興じるさまをのぞきみるような、空間に散らばった音をハンダゴテで接着するような、音の連なりにはソフトウェア主体の音づくりではとどかない太さと強さがあり、名づけるならその呼び名はやはりエレクトロニック・ミュージックというより電子音楽のほうがしっくりくる。むろん古典的な電子音楽のセオリーに属しているというより、出てくる音が発明的なのがそう思わせるのだった。2015年の『A New World』は電子音楽の方法と歌をポップに折衷した、2010年代の Phew のドキュメントというべき重要作だが、音響の探究はとどまるところを知らず、昨年には声のみのサウンドストラクチャー『Voice Hardcore』をものしている。これはほとんど無明の荒野をひとりすすむような、その名のとおりハードコアな作品であり、未聴の方はすべからくお聴きいただくにしくはないが、ソロでの究極的な自己対話の傍らで Phew はコラボレーションもおこなっていたのである。
 アナ・ダ・シルヴァがそのお相手で、彼女の名前になつかしさをおぼえた方もそうでない方も、あのレインコーツでギターとヴォーカルを担当したひとだといえば、ピンとくるであろう。メンバー全員が女性のレインコーツは70年代末の〈ラフ・トレード〉からレッド・クレイオラのメイヨ・トンプソンがプロデュースした同名のファーストで、パンクの以前と以後を截然と劃したばかりか、『Odyshape』(1981年)、『Moving』(83年)の3枚で90~2000年代を予期しながら時代のなかに雌伏したが21世紀に復活し2010年には初の来日公演をはたしている。ふたりの交流は、Phew がレインコーツの公演をサポートしたときにはじまったというが、それがいかにしてアブストラクトでありながら多彩で自在な純電子音響+ヴォイス作品にむすびついたか、Phew にその背景を訊いた。

楽器は道具にすぎないんです。それはアナもおなじ気持ちだと思います。最初に自分の身体がある、それはふたり共通していると思います。

いまライヴではおもにアナログ・シンセとヴォイスですよね。

Phew:それとリズムボックスですね。

そのようなスタイルでソロ活動をはじめられてから、海外でライヴされる機会が増えましたよね。

Phew:ソロ・ライヴではじめて海外に行ったのが2年前で、ポーランドのフェスでした。フェスに出演したあと、ロンドンでもライヴをしたんです。お客さんも多くて、会場もあたたかい雰囲気だったんですが、そこにアナも来てくれました。アナとはレインコーツが来日したとき、私がサポートをした縁で知り合いました。とはいえ、そのときは会うには会ったものの、話はあまりしなくて、こんにちは、くらいのものでした。震災の前の年だったとので2010年ですね。

ロンドンのライヴで再会したんですね。

Phew:その前に私、CDRで作品を出していたんですね。それをアナに送ったらすごく気に入ってくれて、その後にできたアルバム『A New World』も送って、それも気に入ってくれて、みにきてくれたという経緯がありました。

メールや手紙でのやりとりがあったんですね。

Phew:でも、CDすごくよかったです、といったやりとりくらいですよ。それだけで、ライヴを観に来てくれて、しばらくしたらアナから写真が送られてきたんです。「モジュラーシンセ買いました」と文章を添えて(笑)。

Phewさんの影響ですか?

Phew:買ったのはけっこう前だったみたいですが、「いまは離れていてもファイルの交換で音楽がつくれるから一緒にやりませんか」と書いてあったんです。

連絡が来たのは何年ですか?

Phew:2016年。なので2年前ですね。連絡が来てしばらくして、彼女が録りためた音が届いたんです。たしか5、6曲。そのなかの何曲かに音を重ねたのが最初でした。

その曲はアルバムに採用したんですか。

Phew:はい。1曲目の“Islands”、6曲目(“Here to there”)もそうかな。けっこうちゃんとした曲になっていました。それまでアナに電子音楽をつくった経験があるかとか、つっこんだ話はしたことはありませんが、アナはモジュラー以前にシンセサイザーはもっていたみたいです。前のソロのアルバムは自分でミックスもやったといっていましたから。

チックス・オン・スピードのレーベル〈Chicks On Speed Records〉から2004年に出した『The Lighthouse』ですね。

Phew:機材やエンジニアリングにもともと興味をもっていたのだと思います。

音源にたがいに反応し合ううちに曲になっていったということですか。

Phew:とっかかりはアナが録ったものに私が音を重ねていった曲です。アナから来たものに音をかさねて、そのラフミックスをアナに送り、足りない部分を補い、それをまたこっちに送り返してもらう。“Konnichiwa!”とか“Bom tempo”は私が音を録った音源にアナが音を重ねています。往復1~2回でだいたいの曲ができました。作業自体はすごく早かった。

曲によって主導権がちがう?

Phew:主導権というより、きっかけですね。どういうものにするというのも、ことばでのやりとりはなくて、いきあたりばったり(笑)。とはいえ、アナはロンドンに住んでいますけどポルトガル人で、私は日本人。おたがいちがう文化をもっていて離れたところに住んでいるのは最初から意識していました。わりと早い段階でアナにこのコラボーレションのテーマはコミュニケーションということはいったと思います。それでおたがいの言語をとりかえたんです。私がポルトガル語でアナが日本語をつかうという図式ができました。

Phewさんはポルトガル語ができるんですか。

Phew:できるわけないじゃないですか(笑)。でもノリはよかったし早かったですよ。おたがいにパンク出身だから(笑)。

[[SplitPage]]

だれがこの曲をつくったとか、そういった事態は避けたかった。記名性で詮索するのではなく、たがいにすごく離れたところにいて、ことばで説得するのではなく、その中間でなにができるか。そういったテーマが私にはあった。

世間的な見られ方としては、レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとアーント・サリーのPhewさんのコラボレーションというのがまず最初にくると思います。

Phew:そうでしょうね。

Phewさんはレインコーツを当時どう思っていて、その評価はどのように変化しましたか?

Phew:レインコーツは好きでしたよ。でも好きの度合いは正直薄かった。すくなくともアイドル的なものではなかった。で、2010年にライヴを観て、すごいバンドだと再認識しました。ライヴをするとどうしても慣れてくるじゃないですか。同じ曲を何度もやっていると当然そうなる。けれども彼女たちはそれをはじめて演るような新鮮さで演奏していたんです。それは巧いとか下手ではなくて、やっぱりすごいと思いました。おそらく数えきれないくらい演った曲を演奏しているのに慣れていない、それがすごくスリリングだったんです。

当時イギリスのパンクとニューヨークだったらPhewさんはどちらに肩入れしていましたか?

Phew:音楽的にはニューヨークでした。圧倒的にそうでした。ただ世代的にイギリスのパンクのひとたちは同世代でしたから、直接的な影響を受けました。バンドを始めるきっかけになりましたね。ニューヨークはひと世代上でしたから。若者がバカやっているというのは圧倒的にロンドンのほうでしたよね。

女性性みたいなことをいうのはふさわしいかわかりませんが、女性バンドとしてレインコーツに共感した部分はありますか。

Phew:そういう面での共感はなかったです。そういうところで、このひとはかっこいいと思ったのはむしろトーキング・ヘッズのティナ(・ウェイマウス)ですよ、あの当時は。だから私はスリッツとか、女の子バンドですよというのを全面的に打ち出しているバンドはどちらかといえば敬遠していて、私のなかではティナがいちばん好きでした。ライヴを観る機会があったのなら、また違ったかもしれませんが。

ティナのどのへんに共感したんですか。

Phew:ファッション(きっぱりと)。スリッツなんかすごい恰好だったけど、ティナはショートカットに白いシャツに黒いズボン、それがすごくかっこよかった。むかしから地味好みなんですよ。けっしてパティ・スミスとかじゃない。音楽というよりファッションでいちばんかっこいいと思ったのがティナでした。アーント・サリーをやっていた当時の話で、トーキング・ヘッズの1枚目のころの話ですよ。

ジム(・オルーク)さんもティナのベースは独創的だと以前いっていた憶えがあります。

Phew:じゃあやっぱり私は正しいんだ(笑)。トーキング・ヘッズの曲なんて私、ベースで憶えていますからね。

ヤング・マーブル・ジャイアンツとレインコーツではどっちがお好きですか。

Phew:何ヶ月前にイギリスの『The Wire』という雑誌の「インヴィジブル・ジュークボックス」という連載の取材を受けたんですよ。それでレインコーツの2枚目がかかって、私ヤング・マーブル・ジャイアンツって答えちゃったんですよ(笑)。それくらいいい加減な認識なんです。でもヤング・マーブル・ジャイアンツもすごく好きでした。リズムボックスや声、スカスカのギター、音の質感が好きでした。私は当時、同時代の音楽をあまり聴かなかったのと好みがフライング・リザーズとかああいったものが好きだったから、生のバンドの音楽はあまり聴いていなかったんです。

『Island』は根を詰めてつくったというよりは日常的にやりとりをしながらできあがったという感じだったんですか?

Phew:文通するみたいな感じでやりとりして、ある程度たまったときに「SoundCloudやBandcampで発表する?」と訊ねたら、アナのほうからレーベルがあるからそこからアルバムを出しましょうとなったんです。だから一枚のアルバムをつくるという気持ちは最初はなかったです。作品をつくるよりやりとりすること自体が楽しかったんですね。

アルバムが念頭になかったということはどの楽曲がアルバム上でどういった役割を担うというふうな構成面は意識していなかったということですか。

Phew:アルバムの最後に収録している“Let's eat pasta”が最後にできた曲は、日常的で具体的なことをテーマにした曲がほしいとは思い、私から提案してアナに音源を送りしました。曲の構想は、ふたりで離れたところで、スパゲッティをつくって食べるということ。材料を買ってスパゲッティを茹でで食べる、作品が全体的に抽象的だったのでそういったところに着地したかったんです。

抽象的といいながら、全体をとらえると抑揚のある作品にしあがったと思いますが。

Phew:それはあくまで結果であって、全体のながれはあまり考えていなかったです。アナは考えていたかもしれないですけど、私はぜんぜん。

ヴォイスと各種機材での活動に入ってからのPhewさんの音楽には物理的にせよ心理的にせよ、距離というか空間性からくるコミュニケーションがテーマのひとつだと思うんですよ。

Phew:ああ、はい。

『Island』もいうなればそのようなながれに位置づけるべき作品かと思いました。

Phew:そうともいえますが、この作品はソロとは向いている方向がちがうと思います。この作品での私は外向きだと思うんです。

[[SplitPage]]

感傷は安易すぎる、その失敗を私たち人類はおかしつづけています。

前作『Voice Hardcore』は2010年代の傑作のひとつだと思いますが、あのアルバムに較べると開放的ですね、真逆といってもいいかもしれない。おなじような形式をもちいても、別の方向を向かっている感じがあります。

Phew:この作品ではおたがいに電子楽器をつかっていますが、楽器は道具にすぎないんです。それはアナもおなじ気持ちだと思います。最初に自分の身体がある、それはふたり共通していると思います。モジュラーシンセをつかった最初の曲がとどいたとき、「ああアナの曲だ」とわかる。なので、このアルバムは、純粋電子音楽とはいいにくいですね。

身体、声という側面ではおふたりともヴォーカリストですから、歌らしい歌を入れる選択もあったと思いますが。

Phew:またやろうという話にはなっているので、今後も続いていくなら、そういうものも出てくるかもしれない。今回はそういうことを考える暇もなく、制作がすすんでいって、はじめてメロディらしきものがきたのは“Konnichiwa!”でした。私が送ったトラックにアナがリフをくわえてきたんです。おそるおそる、メロディックすぎないかしら、といいながら(笑)。その意味では、メロディアスな要素はおたがい抑制していたのかもしれない。私がメロディっぽい側面を出したのは9曲目の“Dark but bright”。ストリングスの音は私がつけました。たしかにそのときもちょっとためらいはありました。メロディや声という要素は、すごくつよくてそれだけでなんとかなってしまう部分もあって、最初のうち私はそれを極力避けていました。できればヴォイスもあまりつかいたくなかった。声を最初に入れたのも“Konnichiwa!”でした。

声をつかいたくなかったのは音を聴かせたかったから?

Phew:メロディをつかってしまうと曲がそれに支配されてしまい、だれがこの曲をつくったとか、そういう観点で聴かれがちじゃないですか。そういった事態は避けたかった。記名性で詮索するのではなく、たがいにすごく離れたところにいて、ことばで説得するのではなく、その中間でなにができるか。そういったテーマが私にはあったので、なるべくメロディとか歌詞も私もメッセージ性のあることばはなるべく避けようとしていました。

タイトルはどなたのアイデアですか?

Phew:アナです。詩的な連想性があることばですよね。そのようなことばはおもにアナから来たものです。私はコミュニケーションのことばと考えると、どうしても「コンニチハ」とかになってしまうんです。

事物的ですよね。私は『Voice Hardcore』のときのPhewさんのことばの散文性はすばらしいと思いますが、それも事物性に由来するとは思います。とはいえ、コミュニケーションを考えるなら、エモーショナルなことばのほうが共感度が高いので適しているともいえますよね。

Phew:真ん中になにかをつくるということです。音楽とか文学も、アートとはそういうものだと思うんです。感傷は安易すぎる、その失敗を私たち人類はおかしつづけています。

突然すごく大きな問題を提起されましたが(笑)、そのとおりです。

Phew:人類はなにも学べない(笑)。オリンピックはやるしね。私も、感情に訴える話が読んで楽しい、泣ける話に感動するというのもわかりますが、私は子どものときから犬と暮らしているんです。

藪から棒になんの話ですか。

Phew:(笑)。コミュニケーションについては犬から多くのことを学びました。これまでの人生で、9年ほど、犬のいない生活を送りましたが、いまでも2匹飼っていて、うち1匹はリコーダーやバンドネオンの音に反応して歌うんですよ。犬も1匹ごとに個性があります。それでも、犬には人間のことはわかってもらえない。さびしい気持ちもありますが、それで気持ちが離れることはまったくない。そのようなコミュニケーションのあり方を犬に学びました。

シンセには反応しないんですか?

Phew:笛や生楽器の倍音に反応しているようで、電子音は嫌いみたい。

ではご自宅で『Island』を制作されていたときはたいへんでしたね。

Phew:自宅で録音していると、ほんとうにだれとも会わなくなるし、音を録っているから声は出しているけど、何日もだれとも話さないこともまれではないですからね。家族はしゃべらないといけないような場面にはいないから、そうなるとだれとも会話していないことに気づくんです。その点でも犬がいるといいですよ(笑)。

でもにぎやかな場所が好きなわけでもないですよね。

Phew:人混みが苦手で、きのうはライヴでたくさんのひとに会ってひと酔いしちゃいました。

とはいえコラボレーションの機会は多い。

Phew:こういうかたちはひさしぶりですけどね。

プロジェクト・アンダークで(ディーター・)メビウスさんとやりとりして以来ですか?

Phew:そうですね。でもね、あれは全部曲が最初にできていたんですよ。今回みたいにやりとりしてつくったわけではなくて、トラックに声を乗せていった感じだったので、一緒につくった感じはあまりなかったです。

バンドともちがいますよね。

Phew:バンドはなつかしいですね。やりたいですけどね。

やりたいお気持ちはつねにあるんですね。

Phew:バンドは楽しいですけど、練習の時間とかスタジオが必要じゃないですか。その手配がたいへん。そう考えるといちばんの問題はまちがいなく距離です。メンバーがみんな近所に住んでいたらどんなに楽かと思いますよ(笑)。音楽をやるにあたって、最初に曲が決まっているのはつまらないです。それぞれのパートのひとがアイデアを出し合ってつくっていくのがいちばんおもしろい。

モストのときもそうでした?

Phew:最近のモストのライヴではきまった曲をやることが多かったですが、ライヴの前はかならず練習していましたし、曲づくりのためにリハーサルではメンバーそれぞれがアイデアを出し合っていました。

そういうふうに直にひとと会いながら音楽をつくるのと、今回のアナさんのように対面せずに曲をつくる場合とではなにかちがいを感じられましたか。

Phew:日本にいるミュージシャンと一緒に音楽をつくる場合は、相手が知っているひとのことが多いんですよね。会ってしゃべるといろんな情報が入ってきます、視覚的な部分もふくめて。インターネットを通じたやりとりだとそういった情報が入ってこない。今回も個人的な話はしていないんですね。アナってどういうひとか、私はほとんど知らなかったんですが、音をやりとりするなかですごく親しくなった気がする。なんにも知らないのに、この親密な感じはなんなんだろうという、それはアナも同感だったようで、去年1年ぶりにロンドンに行ったときにもアナが会いに来てくれて、すごく親しくなった気がするんだけど、とおたがいにいいあいました。きっと音楽ならではの感覚なんです。いいひととかわるいひとというレベルの話ではなく、これはミュージシャンどうしでしかなりたちえない独特の関係なのだと思います。音で伝わってくるものがあるんでしょうね。

たとえば共通言語をもたない場合、Phewさんはコニー・プランクやカンのホルガー・シューカイ、ヤキ・リーヴェツァイトともアルバムをつくられましたが、彼らとの作業はどうでした?

Phew:コニー・プランクは家がスタジオだったから家族にも会いましたが、ホルガーやヤキについてはプライベートなことは知らないけど、録音する前と後では関係がまったくちがいました。独特の信頼感というか、個人的なことに興味もないのに信頼を置けるというか。だから亡くなったというのはショックでしたよ。ありえないんですけど、どこかでずっと死なないものだと思っていた気がします。

音は他者を触発すると同時に当事者にもフィードバックするのだと思います。とくにソロ活動以後のPhewさんの音楽では自己との対話の側面があると思いますが。

Phew:音を出してはじめてわかることがあるんですね。録音物を制作するときは、機材を触っていて、この音なんか好きっていうのがあったらすぐ録音して、そこから発展させることが多いですね。

録音という意味でなにかすすんでいる作品はありますか。

Phew:すすめていることはあるんですが……最近ヴィンテージのミニムーグを導入したんですよ。何年も迷って結局買ってしまったんですが、それでどうしようかと思っているところです。ミニムーグの音は記名性がつよいじゃないですか。なにをやってもミニムーグの音だから自分の音楽というよりミニムーグの音なんです。好きなんですが、困りものです。まだまだミニムーグに負けています。ミニムーグとの勝負にまずは勝たないと。

[[SplitPage]]

安室奈美恵みたいな歌は絶対できない。まずリズムがむずかしいしメロディもむずかしいですよ。だからやっぱり向いていることってあるんですよ。

A New World』のようなポップ路線というと語弊があるかもしれませんが、そのような作品にとりかかる予定はありますか。

Phew:曲はありますよ、めずらしくメロディもリズムもあるちゃんとつくった曲が2曲ぐらい。『A New World』のあと、そっちの方向に行きかけて、ライヴでも何度か演ったんですが、なぜかいまいるところに来てしまった(笑)。『Voice Hardcore』はやっぱり大きかったのかもしれない。『Voice Hardcore』はけっこう短い期間でつくったし、性に合っているんでしょうね。ああいったことがなんの苦労もなくできることなんですよ。

根っからハードコアですね。

Phew:何時間でもやっていられるし、何枚でもできますよ。

とはいえ『Voice Hardcore』も構成がありますし曲になっていますよね。

Phew:あのかたちだと即興的に曲がつくれるんですよね。ライヴでもそうですよね。即興的に構成する。芸歴の長さの賜物です(笑)。向き不向きで考えると自分に向いているのだと思います。逆にメロディを歌うのはすごくむずかしい。たとえば、安室奈美恵みたいな歌は絶対できない。まずリズムがむずかしいしメロディもむずかしいですよ。だからやっぱり向いていることってあるんですよ。

『Voice Hardcore』が向いているというのもすごい話ですけどね(笑)。

Phew:私からしたら安室奈美恵がすごいですよ。

Phewさんの場合、とくにさいきんのPhewさんの音楽では声や歌だけでなく音楽空間のなりたちが焦点だから一般的な音楽のスキルだけでは語れない部分があると思うんですね。

Phew:それも向いているということです。『Voice Hardcore』の曲は何度か音を重ねている部分もありますが、そうするとながれができて、すると次になにをすればいいかおのずと明らかになってきます。足りない音が感覚的に理解できるんです。

声を発するのは身体コントールがたいへんでもあると思うんですが。

Phew:そんなにたいへんなことはあの作品でやっていません、あと家でやっていたので大きな声を出せないという制約はありました。お隣のひとに聞こえたらマズいとか、歌詞もひとに聴かれたくないような内容だから夢中にもなれない。いっていることヤバいなと思いながらヤバいことをいう。

Phewさんの音楽は主体と独特の距離がありますよね(笑)。声を出しているのを外からみてる感覚がありますよね。

Phew:それはつねにありますね。

そのあとに『Island』を聴くと――

Phew:ホッとするでしょ(笑)。

『Voice Hardcore』は真空状態だけど『Island』には広がりがある。

Phew:そうですよ。

それがひとりのなかから出てくるというのはすごいと思いますよ。

Phew:でもアナの力が今回は大きかったと思います。選ぶ音もぜんぜんちがうし、異質なひとがふたりというのはいいことだと思いますよ。これが3人だとややこしいことになりそうですけど(笑)。ふたりが離れたところにいるのが功を奏した面もあると思います。

interview with Miss Red & The Bug - ele-king

 ミス・レッドとザ・バグは、トレンディなことをやろうなどという気はさらさらない。彼らはとにかく、キレッキレのライムとビートが欲しいだけ。ダンスホールでぶっ飛ばしたい、限界まで、まずはそれ。
 『K.O.』はそのヴィジュアルもサウンドも、いまどき珍しくアグレッシヴなアルバムだ。もちろんアンダーグラウンドではダンスホールは再評価/再解釈の兆しを見せている。ジャマイカのイキノックスがそうだし、Raimeのような暗黒系のプロデューサーもダンスホールのカセットを出したこともそうだし、ジャングルやグライムにはつねにその成分がミックスされている。
 ザ・バグのダンスホールはまた特殊だ。なにしろ最初はエイフェックス・ツインが関わっている〈Rephlex〉からのリリース。2003年のそのアルバム『Pressure』がダンスホールだった。以来彼はいろんなMCといっしょにラガ、ダブ、テクノの実験を続けている。そのなかにはUKが生んだ素晴らしい女性MC、ウォーリアー・クイーンと一緒にやった一連の12インチやフロウダンとキラー・Pをフィーチャーした「Ganja」のような忘れがたい名作もある。つまり『K.O.』は、彼のダンスホール歴の新たなる栄光の1ページとなるだろう。
 イスラエル出身の、あり得ない早口で、キレッキレの声をしたこのMCのアルバム『K.O.』は、数ヶ月前にリリースされると日本でも話題になった。そして9月の上旬、ベルリンのそれぞれ別の場所にいるミス・レッドことシャロン・スターン、ザ・バグことケヴィン・マーティンとスカイプ上で合流し、21世紀的な取材をした。

イスラエルのヤッファという場所の小さいパーティでDJをしたんだけど、人がパンパンで前日にやったライヴよりも盛り上がった。で、前の方で狂ったように踊っていた赤い髪の姉妹がいて、それがミス・レッドと彼女のお姉さんだった(笑)。そのクレイジーな姉妹のひとりが、俺がDJをしている最中に肩を叩いてきて、「私にもやらせろ」って言ってきたんだ。

まずおふたりの出会いについて、2011年テルアビブでケヴィンがDJをしたときに、ミス・レッドさんに出会ったと聞きましたが、そのときの様子を詳しく教えてください。

ケヴィン・マーティン(以下、KM):テルアビブに行った日に休みがあって、パーティに行った。その前日にバブでライヴをして、その翌日にDJを頼まれた。そのエリアはヤッファという場所で、小さいパーティでDJをしたんだけど、人がパンパンで前日にやったライヴよりもそっちの方が盛り上がっていた。で、前の方で狂ったように踊っていた赤い髪の姉妹がいて、それがミス・レッドと彼女のお姉さんだった(笑)。

シャロン・スターン(以下、SS):ハハハハ。

KM:そのクレイジーな姉妹のひとりが、俺がDJをしている最中に肩を叩いてきて、「私にもやらせろ」って言ってきたんだ。最初は「これは大丈夫か?」という感じで、普通はそういうことがあってもやらせないんだけれど、そのときは「ま、いいか」と思ってマイクを渡した。どうせ自分のライヴというよりもパーティという感じだったから、「まぁいいやちょっとやらせてやろう」みたいな感じでね。実際マイクを持たせてみたら、そのときの凄さにビックリして、すごかったね。いきなりイスラエルの真んなか、自分が知らない場所で、自分が探していたような高めのキーの声を持つ女の子に出会って、フローもバッチリで、ダンスホールみたいなジャマイカン・スタイルのMCで。自分が探し求めているようなMCに偶然出会ったことは自分でもビックリしているよ。しかもドープなだけじゃなくて攻撃的。

攻撃的ですよね。

KM:イスラエルの真んなかで出逢えるとは思っていなかったので、そういう出会いが自分には衝撃的だった。

イスラエルで生まれ育って、どのようにダンスホールや、レゲエというものと出会い、そしてなぜあなたはMCになったのでしょう?

SS:ダンスホールの音楽やスタイルがちょうど私に合っていた。ちょうど私の若い頃、ダンスホールのシーン自体がイスラエルで育っている時期だったし。友だちがサウンドシステムを持っていて、そういう影響もあってダンスホールの音楽を深く掘り下げるようになった。

ダンスホールのどのようなところが魅力だったんでしょうか?

SS:ダンスホールが持っている爆発的なエネルギー。スペースにすごくエネルギーを感じる。ダンスホールのリズムで使う周波数も。スペースといったのはリズムのなかのスペースという意味ではなくて、ダンスホールの雰囲気だったり、雰囲気が作るエネルギーだったり、攻撃的な感じだったり、そういうムードのこと。

イスラエルでダンスホールはポピュラーなものですか? それとも、マイナーでアンダーグラウンドなものなのでしょうか?

SS:いまはかなりポピュラーなポップ・ミュージックとしてイスラエルで盛り上がっているけど、10年前はすごくアンダーグラウンドだった。

2011年にケヴィンとミス・レッドさんが出会って、2015年に最初のアルバムをフリー・ダウンロードでリリースしましたが、それまでの間にはおふたりでどのようなやり取りがあったのですか?

KM:俺はそのときロンドンに住んでいた。「もしもシャロンがロンドンに移ってきたらもっとチャンスがあるし、一緒に何かできる機会が増えると思うんだけど」と彼女に言ったら、彼女はすぐこっちのヨーロッパによく来るようになった。で、彼女とアフター・パーティで出会った日、俺は彼女のことが気に入ったので、翌日一緒にレコーディングをしないかと誘ったんだ。アフター・パーティが終わったのは朝の4時。俺がスタジオを見つけられたのは朝の10時。で、「いまからレコーディングをしようぜ」と言ったら、彼女は全然やる気で、二日酔いでけっこうベロベロだったにも関わらず、無事にちゃんと時間通りに現れたよ。レコーディング自体も上手くいって、これを1回だけで終わりにしないで今後続けていったらもっと良いものができるかもしれないと話した。俺はロンドンに帰ったあと、「もしもシャロンがロンドンやヨーロッパに来るようになればもっとこういうことができるし、君にとっても面白い機会があるよ」と誘ったら、シャロンは「私行く!」という感じで。俺は彼女のそういう情熱がすごく気に入っている。

最初のアルバムはマーク・プリチャードやマムダンスも協力していますが、「こんな素晴らしMCがいるから一緒にやろうぜ」みたいな感じでケヴィンが声をかけて集まってきたんですか?

KM:最初にミックス・テープで使った曲というのは、もともと俺がシャロンにこういうスタイルで、こういう音楽で、こういうディレクションでMCをのっけてやったらすごくフューチャリスティックな新しい感じのものになるんじゃないかみたいなアイデアがあってやった。最初にマーク・プリチャードたちの音をシャロンに聴かせて、これはすごく新しいものができるし、これがやりたいディレクションのひとつなんだという話をした。シャロンもそのコンセプトやアイデアをすごく気に入ったよ。で、そのあと俺がマムダンスや各プロデューサーにコンタクトをとった。俺とミス・レッドがやった“Diss Mi Army”という曲を送って、こういう面白くてヤバいMCがいるから、トラックを使ってもらえるか? ってコンタクトをとったんだ。

ミス・レッドさんから見て、曲であったり、コンセプトであったり、ケヴィンがやっていることのどんなところが魅力的だと思いましたか?

SS:彼の音楽を聴いたことがあったし、さっき言ったミックス・テープみたいなコンセプトを元にプロダクションをスタートできることはめちゃくちゃエキサイティングだった。ダンスホールとはまた違った、新しくてあんまりないようなものをミックスしてやるなんて最高よね。それに、わたしはもともとケヴィンのプロダクションがすごく好きだったから。

今回の『K.O.』を聴いて、ケヴィンはダンスホールが好きなんだなとあらためて思いました。ザ・バグ名義で最初にだしたアルバム『Pressure』(2003年)の頃からすごく一貫したものがあって、それがアップデートされたかたちをやっているようなふうにも思ったのですが、ケヴィンはなぜダンスホールというものにこんなに長く強く惹かれ続けているのですか?

KM:『Pressure』のときは、ダンスホールを使って実験をする感じだった。ダンスホールのリズムを使ってフリーキーなことをするというね。Steely & Clevieが手掛けた“Street Sweeper”という曲があった。聴いたことがないようなリディムで、俺は当時かなりやられた。それが俺のスタート地点。そのリズムが作られたのは90年代だったけれど、超未来的な感じだった。ビートがスプリングする感じ、フロアで踊っている女の子のケツとリズムのスウィングがシンクロするような感じ、そういうちょっとワイルドなところも良かったし、とにかくリズムの未来的なところにやられたね。

“Street Sweeper”がきっかけだったんですね。

KM:そう。最初にダンスホールのリズムを使って実験したのはテクノ・アニマル時代だった。あるライヴの終盤、相方のジャスティンに「自分が最近作っているダンスホールのリズムをかけて良いか」って言って、それをかけたことがあった。テクノ・アニマルのお客さんというのは男ばかりでね、みんな髭が生えていて、フードを被っているような奴らなんだけど、連中はダンスホールのリズムがかかるといっせいにフロアの後ろにいってしまった。で、その代りに彼らのガールフレンドが前の方に来たと(笑)。みんなステージの上にあがって踊りだしたりとかして。ジャマイカン・スタイルというよりは、もっとアグレッシヴな感じだったけど、ダンスホールのスウィングする感じが女の子を躍らせるのにすごく重要ということにそのとき気付いたよ。

素晴らしい発見ですね。

KM:まったくな……で、あのころはDJスカッドという友だちがいて、彼が作った“Total Destruction”というトラックの上に Admiral Baileyのアカペラを載せている曲があった。俺の『Pressure』もノイズだけど、リズムがあって、ジャマイカMCが入っている。このアイデアは最初はその辺からきた。そのときDJスカッドに、「このアイデアを使って他のローカルの黒人のMCとかジャマイカのMCと一緒にやったらどうだ?」と言ったんだけど、彼は乗り気じゃなかった。このアイデアや方向性は面白いから、だったら俺がやったろうと、それで俺のダンスホールがはじまった。

[[SplitPage]]

アフター・パーティが4時くらいに終わって、俺がスタジオを見つけられたのは朝の10時くらいだった。で、「いまからレコーディングをしようぜ」と言ったら、彼女は全然やる気で、二日酔いでけっこうベロベロだったにも関わらず、無事にちゃんと時間通りに現れたよ。

ダンスホールはケヴィンにとって身近な音楽だったんですか?

KM:ああ。俺が20年前くらいにロンドンに住んでいたとき、北西のエリアに住んでいたひとは基本的にはジャマイカ移民のひとだったり、パキスタン人だったり、白人が少ないエリアだったから。そのころは家の周りにレコード屋がいっぱいあったんだけど、レコード屋はみんな黒人ばっかりで、売っているレコードはダンスホールばかり。そこにいつもレコードを買いに行った。で、俺以外ほかに白人が居ないから、レジに並ぶといつも自分がいちばん後回しにされた(苦笑)。そういう状況だった。毎週そのレコード屋に行くたびに、新しいリリースが山ほど入っている。新しいレコードといっても同じリズムに違うMCが乗っているものが10枚レコードにされていたりとか。で、彼らの言っている歌詞はセックスとか暴力とかばっかりで……。でもそういうところって基本的な人間のエネルギーだと思うから。とにかく、そういうレコード屋に通って、ダンスホールとかバッシュメントのリズムを毎週ディグっていたんだよ。

そういうダンスホールの姿勢には、あなたのルーツであるパンクとの共通点もありましたか?

KM:ダンスホールとの出会いやアティチュードはパンクだ。ただし、サウンドはパンクよりもさらに進んでいる。当時そういう音楽を望んでいたお客さんが毎リリース毎リリース、新しいもの新しいものを望んでいた。俺はそのころ音楽を作りはじめたばかりだから、どういうテクノロジーを使って音楽は作れるのかということが全然わからなかった。自分にとっては新しいエネルギーがあるようなパンクな音楽が、そのとき知らないテクノロジーで作られているということに関してサイエンス・フィクションな印象をすごく受けていた。

いまの話は『K.O.』にも繫がりますよね?

KM:いま話した経験や自分がショックを受けたことが今回のミス・レッド『K.O.』に繋がっている。過去何年かのダンスホールは俺にとってはすごくコマーシャルで面白くなかった。もともとダンスホールというものは新しいものをどんどんプッシュしていくような、いわばカッティング・エッジな音楽だったから。だからこそミス・レッドと一緒にそういうものを作っていこうとしたわけで、『K.O.』がある。

ミス・レッドさん、『K.O.』のリリックはあなたの経験からきていると思いますが、どんなことを言葉にしているのでしょうか?

SS:『K.O.』のメインのモチーフというのは自分が何を経験してきたのかということ。自分のバックグラウンドはジャマイカではなくて、イスラエル。だからジャマイカのリリックは書けないし、書く必要もない。基本的に過去何年間に自分に何が起きたのかということが歌詞のもとになっている。自分がイスラエルにいたときに、イスラエルで何が起きているかだったり、何が自分のことを自由にさせないか……、何が自分にとっての義務なのか……、わたしはそういう強制させられていることすべてをK.O.したい。全部自由に解き放ちたいということが、リリックの基本的なコンセプトというかテーマになっている。

ジャケットのスリーブアートワークになっているボクサーの写真はミス・レッドさんのおじいさんなんですよね。ホロコーストから逃れてモロッコで暮らしていたということですが、おじいさんの写真をジャケットにした理由は?

SS:レコーディングの最中におじいさんが亡くなった。それがこの写真を使った理由のひとつでもある。おじいさんから聞いた話だったり、私とおじいさんとの間の精神的な繋がりはすごく強い。おじいさんから聞いた話が私にとっての人生の支柱になっているし、すごく影響を受けている人物。

本当にボクサーだったんですね。

SS:彼はボクサーだった。おじいさんはユダヤ人で、もともとモロッコに住んでいたんだけど、モロッコにユダヤ人がいるということで精神的な迫害だったり、差別をうけていた。精神的にも戦っていかなければいかなかったし、ボクサーとしても戦うということで、肉体的にも精神的にも闘いを挑んでいて、そういうところは私にとって大きなインスピレーションだった。だからK.O.するというアルバムのジャケットにおじいさんの写真を使った。

日本から見て、あなたが生まれ育って生活していた状況というのはなかなか想像できないところがあります。どんなものだったのかということを教えてください。

SS:ハイファという街で育ったけど、他の街とはかなり違う街だった。私が生まれ育ったイスラエルのハイファという街は、アラブ人とユダヤ人がけっこうミックスしているところで、ハイファ以外の他の都市は、アラブ人や、パレスチナ人や、ユダヤ人が分割されている。人種だけではなくて宗教でも皆バラバラに住んでいて、例えばユダヤ教だったり、イスラム教だったり、キリスト教でもみんなバラバラに住んでいるわ。あとはアラブ人だったりユダヤ人だったり、すごいいろいろばらばらに皆が住んでいて、全然交わらない。でもハイファだけはそれが混ざって生活している、ミックスカルチャーな街ね。

ハイファは庶民的な街ですか?

SS:エルサレムに行ったりすると緊張感がすごいけど、ハイファはそんなことはない。フレンドリーで、みんなリラックスしている。

ミス・レッドさんの音楽にとって大切なものはなんだと思いますか?

SS:自分の心を自由にさせてくれたり、自分を解き放たせることができるということ。

ちょっと前にトランプがイスラエルの首都はエルサレムだと言って世界を混乱させていますが、その影響は『K.O.』のなかに入っているのでしょうか?

SS:トランプがクソみたいなことをする前から、イスラエルでは混乱だったり、殺人とかが起きていた。私にとってはそれが当たり前だった。自分がイスラエルのなかにいて、言いたいことだったり、言いたくても言えなかったこと、そういうことがアルバムにはある。自分が表現したいことができないというのはフラストレーションだった。だからわたしはヨーロッパに移住したんだし。

ケヴィンからみて、『K.O.』というアルバムは何を攻撃していると思いますか。

KM:基本的にひとの頭をこのアグレッシブさで爆発させる。この攻撃性というのは、人を傷つけるようなサド的な攻撃性ではなくて、人を照らすファイアーのようなものだ。ファイアーは人生であり、情熱だ。ジャマイカのダンスホール・スタイルをコピーして、同じようなことをやろうとするんじゃない。自分が辿ってきたポストパンクの道をダンスというものを使って、もっと未来のものを作っていきたい。最近は安全な音楽が世のなかに多すぎると思う。音楽は人びとにとって、いちばん最初にみんなを掴むものではなくなってしまっている。音楽の価値がすごく下がってしまっている。ビジネスのツールになってしまっているんじゃないのかな。『K.O.』はまずはとりあえずは楽しくて、電気が走るようなそういうヤバいものを作ろうって。とりあえずこれを聴いたときにみんなの頭がおかしくなるような(笑)。例えばデス・グリップスの最初の頃のライヴだったり、オウテカのライヴだったりとか、そういう生生しさ、それにタビーズのようなすごいプロデューサーが残したアイデアをミックスしたようなものを作りたいと思っていた。

言い足りないことがあったら最後にお願いします。

KM:台風で日本が大変なことになっていると聞いたので、心配しているんだ。

ありがとうございました。

KM&SS:アリガトウゴザイマス!

 9月になり、すでに肌寒くなったNYの週末。ロング・アイランド・シティのMoMA PS1で、アートブック・フェア(https://nyartbookfair.com/)が行われた。

 チェルシーの本屋プリンテット・マターがキュレートするこのフェアは、今年で13回めを迎える。さまざまな流通によるアート出版を祝うもので、独立系アート出版社のもの、学校、本屋、アートギャラリー、スクリーンプリント系などずらり大量の展示があった。アート本、写真集、ポスターからジン、Tシャツ、トートバッグ、ピンバッチ、工作類などのギフト系まで場内は様々なグッズで溢れかえっていた。

 サイン会、本関係者のパネル・ディスカッション(漫画は本なのか、コミュニティを実行するための風がわりな出版、散らばったコミュニティを運営する方法など)、対話式ワークショップなどの催し物もある。部屋から部屋へ移動するたびに違うテーマが現れ、圧倒され、酸欠になりかけるほどの中身の濃さ。ひと息入れようとコートヤードに出ると、ビールやワインが飛ぶように売れている。DJやパフォーマンスマンスもあるので、そこでしばらくまったりするのが正解。今年は、Miho Hatori, Lee Bertucci, Jaimie Branch, Lori Scacco, Greg Foxなどがプレイした。

 この2018年アートブック・フェアは盛況だった。目当てのブースで、アーティストと話しながら本を購入するのはフェアの醍醐味である。フェア中でなくとも、PS1の入り口にはブックショップも構えるので、いつ行ってもキュレートされた書物たちに出会えるんだけど。

 ブックフェアは秋のはじまりの祝いと言ったところだろう。普段は、ネットでことを済ませる若者たちも、この日ばかりはひとつひとつブースを見て回り、本に触れ、アーティストの顔を見ながら話している。最近は会わない知り合いにも会えるのもフェアの良さ。このフェアが、世界中を回っているのは納得。本は世界を繋ぐし、これからも変わらない。


  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443