「KING」と一致するもの

Colleen - ele-king

 先日のある暑かった休日、ぼくは2年ぶりに釣りに出かけた。まあ、といっても道具をもって自転車で3~40分ほどで行けるところで、2年前までは子供を連れていったものだけれど、いまはもう親の相手などしない年頃なので、ぼくはひとりだった。2年のあいだに地形も変わり、自分の秘密のポイントだった場所も荒れ果てていたのだが、このままでは帰れないと諦めずに、丈高い草をかき分けながらあらたな場所を見つけ、しばらくそこで過ごした。貴重な初夏における、ちょっとした夢の時間だ。
 どうってことのないところなのだが、人が行き交う道路よりも低いところに降りて川のなかに入っていると、東京も、そして自分の人生も少し違って見える。ぼくがコリーンの音楽に覚える感覚はそれに似ている。特別なものなのどなにひとつないけれど、しかし彼女の音楽はぼくに夢の時間を与える。

 昨年編集部で作った『コロナが変えた世界』のなかで上野千鶴子氏が言っているように、本当に成熟した社会では、ジェンダーのステレオタイプにとらわれずに評価されるのが本来のあるべき姿なのだろう。ローレル・ヘイローの音楽は、彼女が女性で、男の作り手が多い電子音楽をやっているから評価されているわけではない。ただ純粋に彼女の作品には力があるからだ。実際ヘイローは、「女性電子音楽家」という括りを嫌悪している。
 しかしながら、歴史的な不平等さのなかではある程度の強制が必要なのもたしかだ。この春欧州では、歴史から除名されてきた女性の電子音楽家たちの歴史ドキュメンタリー映画『Sisters With Transistors(トランジスタのシスターたち)』(ナレーションはローリー・アンダーソン!)が上映されて話題になっている。日本でも上映して欲しいと切に願うが、すでにこの夏の上映が決まっている『ショック・ドゥ・フューチャー』という映画はフィクションではあるけれど、女性のエレクトロニック・ミュージシャンを主人公にした映画である。1978年のパリが舞台の、電子音楽なんてまだキワモノだった時代の話で、笑ってしまうほどマニアックな電子音楽がかかるのだが、映画の最初のほうで主人公が部屋に入ってシンセサイザーの前に座り、そして音を出す場面がある。鍵盤を押して出る、アナログ・シンセサイザー特有のファットなあの「ぶおぉん」という音。その瞬間に覚える嬉しい驚きを映画はとてもうまく表現している。あのサウンドこそ、夢そのものだ。あれが鳴るといつもと同じ風景が一瞬にしてどこか違ったものに思えてくる。コリーンの7枚目のアルバムには、そうした夢の電子音が鳴っている。

 もっともコリーンは最初から電子音楽家だったわけではない。音楽とは無縁の家に生まれ、文学に夢中になった10代を経てパリの大学で文学を専攻し、『失われた時を求めて』を読破したという彼女は、英語の教職に就くとチェロを買い、30歳にして初めて音楽のレッスンを受け、そして教師をしながら(生徒には自分の音楽のことを明かさずに)音楽活動をはじめている。ロンドンの〈Leaf〉からリリースされた初期の作品は、チェロなどの生楽器の演奏とオルゴールとを組み合わせたユニークなものだったが、作品はじょじょに電子化され、そして前作『A Flame My Love, A Frequency』においては完全なエレクトロニックへと発展した。新作の『The Tunnel And The Clearing(トンネルと、そして晴れること)』もまた、彼女の電子機材の音色を活かしたエレクトロニック・ミュージック作品である。
  
 アルバムの1曲目の“The Crossing”は、内省的で美しい──いや、彼女の作品は総じて美しいのだけれど──ミニマリズムの曲で、これから人生をどう生きようかと物思いに耽っているアンビエント・ポップだ。そして、綿のようなシーケンスに包まれながら「いま自分はこんなにも痛い」と歌う“Revelation(啓示)”へと繫がる。この曲は、いまの季節の朝の7時に公園のベンチで座っているときに感じることのできる透明感を有しているものの、悲しげだ。こうした今作のメランコリックなはじまりに関しては、彼女のプライヴェートにおける長年のパートナー(彼女のほぼ全作品のアートワークを手掛けていた)との別離が無関係であるはずがない。彼女は彼とともに過ごした思い出の地を離れ、バルセロナでひとり暮らしをはじめながら本作の制作に取りかかっている。言うなれば自己再生がこのアルバムのひとつの重要なテーマなのだ。
 内へと爆発しているのか外へと爆発しているのかと自問する“Implosion-Explosion(内破/爆発)”では、古いドラムマシンがリズムを刻み、シンプルなドローンを発信させつつ、駆け抜けていく感覚を展開する。そしてこの曲が終われば、エモーショナルで、しかも瞑想的とも言える表題曲“The Tunnel And The Clearing(トンネルと晴れること)”が待っている。
 それからドリーム・ポップ調の“Gazing At Taurus (牡牛座を見つめること)”へと続くのだが、同曲の2部にあたる“Night Sky Rumba(夜空のルンバ)”がぼくは本作でもっとも気に入っている。真夜中の静かなミニマリズムの後半におけるささやかな上昇は、じつに感動的だ。
 日本盤には2曲のボーナストラックが入っているが、オリジナル作品で最後の曲になるのが“Hidden In The Current(流れに隠されたもの)”だ。コクトー・ツインズがクラウトロックと出会ったかのような曲で、後半に湧き上がる渦を巻くような電子音には不思議な力強さがある。

 私は目覚めている
 私は目覚めている
 私はやっと目が覚めた
 私はやっと目が覚めた
 そしてひとりで立ち上がった
 そしてひとりで立ち上がった
“Hidden In The Current”

 人生に夢の時間は必要だが、それだけでは成り立たない。しかし、それでも夢が広がる。そんな音楽だ。
 映画『ショック・ドゥ・フューチャー』のエンドロールには、献辞として、ローリー・シュピーゲルをはじめとする女性電子音楽家たちの名前がずらっと記されてる。ぼくの家には、女性電子音楽家たちの作品が年ごとに増えていっている。それはもちろん「女性だから」気に入っているのではない。ただ純粋に好きな音楽があり、それを作っているのが女性だったというだけの話だが、このように時代は変わっていると。まあ、そんなわけで、釣りのほうはどうなったのかというと、ここでは書きません、今度会ったときに話すことにしょう。

Fishmans - ele-king

 本日発売された別冊エレキング『永遠のフィッシュマンズ』(amazon音楽本総合1位だぜ~イエー)ですが、同時に、かつてDVDとして世に出た『若いながらも歴史あり』、この1996年3月2日新宿リキッドルームでのライヴ演奏の記録がCD化されリリースされています。これは『空中キャンプ』リリース後のライヴで、CD2枚組。『空中キャンプ』を作り上げたばかりのバンドが、同アルバムのほとんどの曲を演奏し、その歴史的な時間を聴けるのが何よりも素晴らしく嬉しいわけですが、今回はZAKによってリマスタリングされているので、音も格段に向上しています。まだ知らなかった人、これ絶対にチェックしましょう。


フィッシュマンズ
若いながらも歴史あり

96.3.2@新宿LIQUID ROOM
ユニバーサル
Amazon

Martin Gore - ele-king

 シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノ、そして電気グルーヴなどに多大な影響を与えたシンセポップのスーパー・グループ、デペッシュ・モード。その中心メンバーのマーティ・ゴアが、かなり尖った野心的な作品をリリースする。今年の1月に発表したEP「ザ・サード・チンパンジー」とリミックス集の2枚組だが、これはもうテクノ/エレクトロニカ作品と言ったほうがいいだろう。発売は8月とまだ先の話だが、電子音楽好きにはたまらない内容なので、忘れずにメモっておくことをオススメする。
 ちなみにリミキサーには、サンパウロのテクノDJ、ANNAとWehbba(DMはブラジルでも人気)、ベルリンのBarkerやJakoJako、ドイツからはほかにThe ExalticsやChris Liebing、実験派のRroseやKangding Ray、そしてJlinなどといった、かなりアンダーグラウンドかつ実験的な顔ぶれを揃えている。

マーティン・ゴア (Martin Gore)
ザ・サード・チンパンジー + リミックス (The Third Chimpanzee + Remixed ~ Japan Edition)
Mute/トラフィック
発売日:2021年8月20日(金)
https://trafficjpn.com/news/mgjapan/

Tracklist
CD-1
1. Howler
2. Mandrill
3. Capuchin
4. Vervet
5. Howler’s End

CD-2
1. Howler (ANNA Remix)
2. Mandrill (Barker Remix)
3. Capuchin (Wehbba Remix)
4. Vervet (JakoJako Remix)
5. Howler (The Exaltics Remix)
6. Mandrill (Rrose Remix)
7. Capuchin (Jlin Remix)
8. Vervet (Chris Liebing Remix)
9. Howler (Kangding Ray Remix)
10. Mandrill (MoReVoX remix)

【マーティン・ゴア】
デペッシュ・モード(1980年結成)のオリジナル・メンバー&ソングライター(G/Key)。デペッシュ・モード以外の活動として、ソロ名義『Counterfeit²』(2003年)、また元デペッシュ・モードで現イレイジャーのヴィンス・クラークとのユニットVCMG『SSSS』(2012年)を発売。2015年、ソロ・プロジェクトMG初のアルバム『MG』発売。2001年1月29日、MGとしてEP『ザ・サードマン・チンバンジー』を発売。2020年、デペッシュ・モードはロックの殿堂(Rock & Roll Hall Of Fame)入りを果たした。

THE STALIN Y - ele-king

 昨年、歴史的な再発を果たした『Trash』が異例のベストセラー中のザ・スターリン。その音楽がタイムレスであることを証明したわけだが、遠藤ミチロウ亡き後もザ・スターリン Yがその楽曲を生演奏する。今年の4月25日に福井県はあわら市の浄土真宗本願寺派専念の本堂で行われた、一夜限りの蘇りGIGを完全収録したDVDが発売される。全27曲90分以上におよぶ貴重なライヴドキュメンタリー。6月26日、詳しくはこちらを(https://inundow.stores.jp/items/60a755749a5b753d186b40af)。

THE STALIN Y
GO TO STALIN Live at Sennenji-Temple 25 Apr.2021
いぬい堂
定価:¥2750(本体 ¥2,500)
発売日:2021/6/26

1. メシ喰わせろ!
2. 廃魚
3. M-16(マイナー・シックスティーン)
4. 水銀
5. 先天性労働者
6. アザラシ
7. STOP JAP
8. 負け犬
9. 下水道のペテン師
10. 猟奇ハンター
11. 冷蔵庫
12. ロマンチスト
13. 解剖室
14. コルホーズの玉ネギ畑
15. 溺愛
16. バキューム
17. 肉
18. 豚に真珠
19. 欲情
20. STOP GIRL
21. 爆裂(バースト)ヘッド
22. 電動コケシ
23. インテリゲンチャー
24. 仰げば尊し
25. アーチスト~マリアンヌ
26. フィッシュ・イン
27. バイ・バイ "ニーチェ"

THE STALIN Y
イヌイジュン (Dr)
タバタミツル (G)
横山玲 (B)
スーザン (Vo)
光聲MADSAX (Guest)

THE STALIN Y
ザ・スターリンのオリジナル・メンバー:イヌイジュン(Ds)を中心に活動する令和のザ・スターリン的媒介。昨年解散を表明したが、早々に復活。イヌイジュン、タバタミツル=田畑満、横山玲、スーザン(GURU、黄金狂時代)の4人編成。

interview with Irmin Schmidt - ele-king

 昨年、ミュート(日本ではトラフィック)から過去作品が一挙に再発され新たなリスナーを増やしつつあるクラウトロックの雄、カン。その勢いはまだまだ止まらない。この4月にサブスクが遂に解禁されたのに続き、5月からはライヴ盤のリリースもはじまった。全3タイトルが予定されているこの〈カン・ライヴ・シリーズ〉、第1弾は5月28日リリースの『ライヴ・イン・シュトゥットガルト 1975(Live In Stuttgart 1975)』だ。
 カンは約10年間の活動期間中に膨大な数のライヴをおこなったのだが、しかし、公式リリースのライヴ・アルバムはわずかに『Music (Live 1971 - 1977) 』(99年)1作のみである。しかもその盤は、音質があまり良くなかった。音質も内容も圧倒的に素晴らしい『The Peel Sessions』(英BBCでのスタジオ・ライヴ音源集)なる作品も95年にリリースされたのだが、これはイルミン&ヒルデガルト・シュミット夫妻が運営する〈Spoon〉レーベルのコントロール外にあり、いまや入手がなかなか困難だ。

 そんな状況をとくに憂えていたのがヒルデガルト(言うまでもなく、彼女はずっとカンのマネージャーだった)で、彼女はかなり前から「カンの素晴らしいライヴの記録を世に出すべきだ」とイルミンに言い続けていたという。今回のライヴ・シリーズの背景にもそんな内助の功があったのか? といった内輪の事情も含め、当時のことをイルミンに語ってもらった。

たとえば今回のシュトゥットガルトのテープだけれども、あれはひとつのセット、1本のコンサートを丸ごととらえたものだった。今回のニュー・リリースで私が求めていたのは、ひとつのセットをまるまる発表することだった。だから、聴き手はひとつのセットの持つドラマトゥルギーをたどることができるわけだ。

まずは、素晴らしい音質に驚きました。これまで唯一の公式ライヴ・アルバムだった『Music (Live 1971-1977)』とは比べものになりませんね。元になった音源は自分たちで録音/保有していたものでしょうか?

イルミン・シュミット(以下、IS):いや、そうではない。実は、カンのライヴは、ちゃんと成功した形でプロフェッショナルに録られたことが一度もなかった。だから、私たちがこれまでに出したものはいずれも──それがブートレッグであれ、私たち自身が発表したものであれ、ちゃんとしたライヴ・アルバムとは言えなかった。『Music (Live 1971-1977)』の音源は、異なる会場で演奏されたバラバラの楽曲を集めたものに過ぎないし、音質も“最高に素晴らしい”ものではなかったわけで(苦笑)。プロによってレコーディングされた良いライヴ音源がそもそも存在しなかったからね。
 ところが、ロンドンに住むアンディ(アンドリュー)・ホールという、カンの長年の熱心なファンがたくさんのライヴ音源をカセットで収集していてね。彼は70年代に私たちのたくさんのコンサートを追っかけていた。彼のテープ・コレクションは、彼自身が会場で録音したものだけではない。自分で観に行けなかった場合、彼は他のファンの録ったそのギグの音源をカセット等で入手しようと努めてきた。
 というわけで、アンディの手元には大量のカセットがある。彼自身、あるいは他の人々によって録られた、アマチュア・レコーディングのテープ群がね。で、「いつかそのすべてを聴いてみよう」というアイディアはずっとあったんだ。でも、それはやはりかなり怖い、覚悟のいるジャンプでね。というのも(苦笑)、その大半は非常にクオリティが悪いから。そんなわけで……私はずっと、それらの音源すべてに耳を傾けるのを断っていた。しかし、とうとう私の妻のヒルデガルト、カンのマネージャーで〈Spoon〉のオーナーでもある彼女に「いや、いまこそあれらのテープのいくつかを聴くときだ」と説き伏せられてね。彼女の意見に従い、アンディの助けを借りて聴いていったところ、発見したんだ──そう、たとえば今回のシュトゥットガルトのテープだけれども、あれはひとつのセット、1本のコンサートを丸ごととらえたものだった。今回のニュー・リリースで私が求めていたのは、「あるギグからはひとつのピースを、そしてまた別のコンサート音源からひとつのピースを」という具合に選ぶのではなく、ひとつのセットをまるまる発表することだった。だから、聴き手はひとつのセットの持つドラマトゥルギーをたどることができるわけだ。基本的には即興とはいえ、それでもそこには構造があるんだ。私たちのコンサートのスペシャルなところはそこだった。というわけで、私はこのシュトゥットガルトでのコンサート音源を発見し、気に入った。そしてそのテープを可能な限り修復し、こうしてできあがったというわけだ。今後も、これと同様の作業をいくつかのテープでおこなう予定だ。

これまでもライヴのブートレグ音源はネット上にたくさん上がっていましたが、いまおっしゃったアンディ・ホール以外にも、そういう音源保有者に今回アプロウチしたのでしょうか?

IS:いや、それはない。本物の、アメイジングなコレクターでありファンであるアンディの提供によるものだけだ。

今回のライヴ・シリーズ(全3作の予定)のために取り寄せ、聴いた音源は、全部でどれくらいの量と長さ(時間)があったのでしょうか?

IS:これまでの時点で──聴いたのは昨年だったけれども──まあ、かなりの時間をかけて聴いたよ。非常に多くのテープを、数週間かけて聴いていった。とはいえ、まだあと2作品発表する予定がある。つまり、計3本のコンサートは聴くことになる。それらの中から選んでいくことになるだろうし、もしかしたらさらにそれ以上聴くことになるかもしれない。おそらく、まだしばらくの間は続くのではないかな。

たとえば、すでに100時間以上のテープをお聴きになった、とか?

IS:私にももはやどれだけ聴いたかわからないけど、さすがに100時間ということはないだろう。ほら、少し聴いてみれば「これはクオリティが悪いから聴く価値はなし」と気づくし。あまりに質が悪くて手の施しようがない、と(ゴホゴホッと咳払いする)。その一方で、「これは可能だろうか、それとも?」を見極めるべく、非常に注意深く3〜4回耳を傾けるものもある。そうやってすべてをふるいにかけ、価値の有無の判断をつけていくわけだ。それにもちろん、関わってくるのは技術上のクオリティだけではない。
 というのも、私たちがライヴでやったこと、あれは相当にユニークだったから。私たちは常に、何を演奏するかわからないままでステージに上がった。前もって決めたセットはなく、私たちは完全に即興で演奏していた。もちろん、ときには、すでに録音済みのピースやレコードに収録したものを引用したことはあったよ。けれども、それらは引用に過ぎなかったし、時にまったく変化させられてしまうこともあった。そのおかげで、私たちが引用している原曲が実際は何なのか、誰も聴き分けがつかないこともあった。『The Lost Tapes』には〈Dizzy Dizzy〉のライヴ音源が入っているけれども、スタジオ音源とは別のヴァージョンと感じられるだろう。実際私たちは、同じ曲名でもときに違うピースを演奏していたんだよね……あれはたしかクロイドン(ロンドン南東部の郊外)公演だったと思う。とても良いコンサートだったんだが、観客は「〈Yoo Doo Right〉をやれ!」とせがみ続けていて、会場全体が「Yoo―Doo―Right!、Yoo―Doo―Right!」と叫んでいる感じだった。仕方なく我々も観客の声に応じて〈Yoo Doo Right〉をプレイしたんだが、お客の誰もそうだと気づかなくて、演奏後もあの曲をコールし続けていたんだ。

(笑)。

IS:こちらとしては「いやー、いまプレイしたばっかりなんだけど…」という感じでね。フッフッフッフッフッ! ある意味あれが、レコードに収めたピースに対する私たちの姿勢だったんだ。私たちはレコード音源をそのまま再現するためにリハーサルをやる、ということは絶対にしなかった。再生産(reproduction)は禁止されていたんだ。

今回の音質向上のためのマスタリングに関して、具体的にどのような作業をしたのか、 手順を説明してもらえますか?

IS:プロセスとしては、まず私のスタジオに、ルネ・ティンナー(註:カンの元音響エンジニア)と共に入った。ルネは1973年以来カンで一緒に仕事してきたし、私のソロ作品でも仕事してきた仲だ。私とルネは私のスタジオでテープを聴き、それらの音を良くすればどういう結果になるだろう? という点に関して、それぞれ異なる視点から考えていった。けれども、主体となる修復作業は私とルネではやらなかった。私たちはとにかく「これは修復に値するだろうか? 修復可能か?」を見極めようとしていったんだ。その過程の中で、よし、これなら何かできるだろうと思ったものを選別し、そこからはアンドレアス・トークラー(註:『The Lost Tapes』他カンの近年の復刻音源のリマスタリングを担当してきた音響エンジニア。80年代にはキーボード奏者としてもディシデンテン他の作品に参加)のリマスタリング・スタジオに持ち込み、本格的な修復作業にとりかかっていった。

骨の折れる作業だったんでしょうね。

IS:とにかく実に多くの素材に耳を傾けた。そうやって「たぶんこれは修復可能だろう」、「これはもしかしたら音質を向上できるんじゃなか」と取捨選択していった。まず私のスタジオでは、音質を良くするべく、さまざまなフィルターやデヴァイスを用いて実験し、音質向上が可能であるらしいとわかったら、そこから先は自分たちではやらずに、素晴らしい仕事をやってくれるトークラー氏の運営するスタジオに音源を持ち込んだ。で、彼は修復作業にとりくみはじめ、「自分に最大限やれるのはここまで」となったところで、私たちも彼のスタジオに出向き、その上でさらに最後の微調整をおこなった。たとえば「ベースのこの箇所をもうちょっと良くできないか」とか「ここのギターをもう少し」といった具合にね。で、彼はそれらの意見を取り入れ、注文に見事に応えてくれたんだ。

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私たちがライヴでやったことは相当にユニークだった。私たちは常に、何を演奏するかわからないままでステージに上がった。私たちは完全に即興で演奏していた。時には、すでに録音済みのピースやレコードに収録したものを引用したことはあった。けれども、それらは引用に過ぎなかったし、まったく変化させられてしまうこともあった。

今回出る第1弾はシュトゥットガルトでの75年のライヴ音源ですが、これを最初にリリースした理由について教えてください。

IS:そりゃまあ、どれかひとつを選ばないとはじまらないしね。で、おそらく次の作品は……ブライトンのコンサートになるんじゃないかな? あるいは、もしかしたらまた別の、ドイツでのコンサートになるかもしれない。うん、私にもわからないな。第1弾作品にこれを持ってくるのが良いと思った理由は何か…それは非常にパーソナルな決定であって……けれどもまあ、ミュート・レコードの面々に私たち夫婦やエンジニアたちも含めて全員が最終的に「これがシリーズのはじまりにふさわしい、ベストだ」という結論に至ったわけだ。

75年当時、カンはシンガーのいない4人編成でしたが、当時のバンド内の雰囲気、メンバー同士の関係はどういうものでしたか?

IS:……(苦笑)もう50年近く前のことであることを考慮に入れてもらわないとね。フッフッフッフッ! 時間的距離をこれだけ置いてしまうと、記憶は変化し、あるいは消え、そして色もついてしまうわけで。うん……(考えながら)思うに、あの1974〜75年頃というのは、私たち4人、つまりバンド設立時からのメンバーでやっていた、いわば「本当のカン」だったわけで、特別な時期だったんだ。当時の我々は、音楽的な相互理解という意味で非常に良い状態にあった。ときにパーソナルな面ではメンバー間で問題が起きたとしても、いざステージに立てば、それ(個人間の問題)は音楽自体にはいっさい関わってこなかった。あの時期は私たちの活動歴のなかでも、本当に、非常に良い時期のひとつだったんだ。それはわかるはずだよ。このシュトゥットガルト・コンサートにセットが丸ごと1本そのまま収録されていることを考えればね。あれはすべて完全に即興で演奏されたものであり、それだけ非常に深い音楽的理解がメンバー間にあったに違いないと、聴き手は気づくはずだ。

シンガーがいないことによって、逆にバンドのパワーや魅力はどういう点で向上したと、当時のあなた自身は思っていましたか?

IS:向上した、ポジティヴに作用したとは私には言えないな……いや、「自分たちにシンガーは必要ない」と私たちが気づいた点、そこはポジティヴだったけれどね。シンガーがいるべきである通常のロック・バンドとは違い、私たちにその必要はない、と。シンガーの存在はある意味慣習的なものであり、しかし私たちの音楽はいずれにせよ慣習的なものを必要としてはいないんだ、という点に私たちは気づいた。うん、それは、ひとつあったね。けれども、その一方、とりわけダモがいた頃は、彼とは素晴らしく息が合ってやりやすいと感じたし、彼が良いシンガーだったのは事実だ。というわけで…シンガーがいないのはポジでもネガでもなく、とにかくたまたまああなったわけだ。私たちも「もう、これ以上シンガーは必要ない」と思ったし、この4人のままでやろうと思った。そうだね、あれは良い決断だったし、とてもうまくいったことは、このコンサート音源を聴いてもらえばわかるはずだ。

今回のアルバムには計5曲が収録されていますが、曲名は全て「1」「2」…と番号になっています。先ほどもおっしゃっていたように、それはこれらのピースが完全に即興だったからだと思いますが、過去作品から引用されたリフやメロディがあったら、具体的に教えていだけませんか。

IS:基本的に、そこはリスナー諸氏にまかせるよ。

「あれ、これは〈Dizzy Dizzy〉かも?」といった具合に、リスナー各人が自由に解釈してくれればいい、というわけですか?

IS:そういうことだ。実際、私たちのレコーディングした楽曲からの一種の引用句が演奏している楽曲のフロー(流れ)の なかに出てくることはたまにある。そして、「これはあの曲」と聴き分けられることもあるだろうし、そうではないこともある。たとえば、あるときホルガーが〈Vitamin C〉のベースを引用していても、他のメンバーは〈Vitamin C〉ではなくまったく別の曲を演奏してたりもする。

(笑)。

IS:それもまた、私たちの間でおこなわれる一種のゲームだったんだ。そう、誰かがボールを投げ入れ、それをキャッチした人間は、しかし放ってきた人間にボールを戻さず、引用を返すことなしに、どこか別の方向にボールを持っていってしまうような。で、そこから何か新しいものが生まれてくる。つまり、私の言わんとしているのは、リスナーに「ここの1分間、あるいはここの30秒か33秒の間で私たちが引用したのはこの曲です」とスポットを当てたくはない、ということ。自分の耳で発見していって欲しい(笑)。

75年といえば、スタジオの録音システムが2トラック録音から16トラック録音に変わった頃ですが、録音環境の変化によって、ライヴでの演奏スタイルや音の組み立て方にもなんらかの変化はありましたか?

IS:ああ、それはあった。あのマシンを使うことの是非、それに関して多くの議論が生じたね。というのも、好きなだけ演奏してテープに録り、それを消去してやり直すことができるようになったわけだから。けれどもまあ、この議論については、本当に昔の話という気がするし、私自身はここで、その細かいところまで話したくないんだ、すまないが(苦笑)。

75年の11月、ホルガー・シューカイは、英国ツアー中に知り合ったロスコー・ジー(Rosko Gee)にカンのベイシストにならないかともちかけました。

IS:そうだね。

つまり、ホルガーは当時、ベイシストとしての自分の役割を終わらせたいと思っていたと考えられます。

IS:ああ。でも、実際に彼がベイスをやめたのはもっと後で、76年頃だったのではないかな? あの時点では私たちはまだ4人でやっていたし、思うに……非常に複雑なシチュエーションだった。ホルガーはよくジャッキー(ヤキ・リーベツァイト)から批判されたし、それで彼ももうたくさんだということになり、「だったら、自分に別のことをやらせてくれ」と。で、彼はたまたまロスコーに出会い、ロスコーもトラフィックを抜ける頃だった。私たちもロスコーとは良い仕事をしたんだよ。とくに最初のうちは良かった。でも、ロスコーにとっては“ヒエラルキーも作者も存在しないグループ”という発想は理解しにくいものだったんだ。
 またその頃、ホルガーはテープやラジオ受信機などを使い、とても奇妙なことをやりはじめて……うん、彼はやや別の場所に行ってしまったんだね。それ自体は面白おかしく、とても良かったんだが……当時の私たちにとっては、そういった要素をひとつのグループの概念の中に統合するのが難しかった。ホルガーの作ったあれらのサウンド群を新たなスタイルへ統合するとしたら、それにはもっと時間がかかっただろう。でも、時間は残されていなかった。ホルガーは脱退してしまったから。

すでにこのシュトゥットガルト・ライヴの頃には、ベイシストとしてのホルガーの演奏がバンド内で問題になっていたのでしょうか?

IS:……まあ、申し訳ないが、私はこうしたことがらについて事細かに話したくないんだ(苦笑)。非常に分厚い、カンのバイオグラフィ本『All Gates Open』が3年前に出版されたが、あのなかですべて説明されているし、あまりにも遠い昔の話だ。それに、こうして取材で話していると、私の話もまた新たなヴァージョンになってしまう(=記憶の変化等で以前とは少しずれた見解になる)かもしれないし……不可能なことなんだよ、一方では実に強力なものに思えて、しかしその一方では実にフラジャイルでもあった、カンのような集団における複雑なシチュエーションを説明するのは。……そうなるしかなかったんだ。

次はおそらく75年のブライトン公演になるのではないかな? そしてその次は、ダモが参加してからの、ごくごく初期のライヴ出演から何か出すつもりだ。とても古い、たしか72年のコンサートで、たぶん使えそうだけれども、現時点ではまだわからない。

わかりました。と言いつつ、またも思い出話になるのですが……このシュトゥットガルトでのライヴ当日のことで、何か憶えていることはありますか? エピソードやトラブル、会場の雰囲気など……

IS:誰もがそれは質問してくるんだが(笑)……実は、ひとつも憶えていないんだ。まったく記憶にない。昔のコンサートのことで憶えているのは……何かとても変わった、特別なことが起きたときのコンサートぐらいだね。ステージ上でのハプニングに限らず、楽屋で何かが起きたとか、コンサート会場で誰かしらスペシャルな人物と出会った時のことは憶えているんだが…とにかくこの時のコンサートに関しては、私はいっさい、何も憶えていない。

つまり、このときは何のトラブルもなく、非常にスムーズに進んだコンサートだったわけですね。

IS:ああ、きっとそうなんだろうね。自らのやったことを聴き返す作業のなかでひとつあるのは……聴いているうちに「ああ、しまった、ここで自分はこれをやるべきではなかった」ということばかり思い出してね。突然、ある種恥ずかしくなって、そのギグや何かに満足できなくなり、ネガティヴな面を思い出してしまう。あるいは、それとは逆に、あるコンサートで起きた驚異的な何かを思い出すこともある。
 たとえば、憶えているのは、あれはブリストル……いや、バーミンガムでのコンサートだったな。その長いセットの音源もあるんだが、クオリティがあまりにもひどくてね。だから、使用できるかどうか私たちにもまだわからないのだが、あのコンサートが素晴らしかったということだけは私も憶えているんだ、本当に、グレイトなセットだった。あまりにも良かったから、とあるピース──それは30分ほどの長さなんだが──の終わりには、とんでもなくすさまじいエネルギーのせいで座席に腰掛けていた観客が総立ちになってね。聖なる瞬間という感じだった。そういった瞬間のことはよく憶えているんだよ。
 あと、別のコンサートで思い出すのは……ツアー中に具合が悪くなり、ステージ上で39度ほどの熱が出た。それでも、薬品やスピード等を飲んでなんとかライヴをこなすことはできたんだが、演奏の最中に突然バタッと気を失い、オルガンの鍵盤上に突っ伏してしまったんだ。で、少し経ってハッと我に返った。あれはまあ、ほんの数秒かそこらだったとは思うけれども、観客は絶叫して大いに盛り上がっていてね。オルガンに突っ伏すとものすごく大きな音が出るから、皆、あのサウンドもショウの一部だと思い込んでいたわけ(笑)。

このライヴ・シリーズは計3枚のリリースが予告されていますが、第2弾、第3弾の予定はどうなっていますか? 決まっていたら教えてください。

IS:う〜ん、私にもまだわからないんだよ。次はおそらく75年のブライトン公演になるのではないかな? そしてその次は、ダモが参加してからの、ごくごく初期のライヴ出演から何か出すつもりだ。とても古い、たしか72年のコンサートで、たぶん使えそうだけれども、現時点ではまだわからない。75年のライヴとはまったく違って、洗練度が低いというか、まだある種非常にベイシックな状態にある。あと、ヨーロッパ各地のラジオ局でおこなったラジオ・レコーディング音源もいくつかあり、それらも使うかもしれない。ダモとやった、とても良い20分のセットがひとつあるんだ。でもこれもいまの段階ではまだはっきりしたことはわからないね。

日本ではこの5月に、カンがサントラを担当した映画『Deadlock』(1970年制作)が初めて正式公開されます。あのサントラを作った時のエピソードで何か憶えていることはありますか? 50年以上前の話になりますが(笑)。

IS:ああ、本当に初期の仕事だね。でも、よく憶えているんだよ、これは。映画の監督ローラント・クリックは最終ミキシング作業のたった2日前に私たちに音楽制作を依頼してきてね。実は、もともと監督本人がギターを弾いて音楽はつけていたんだが、誰もが「本当に美しい映画なのに、お前のクソったれなギター・プレイのせいで台無しだ」と指摘したんだ(笑)。

(苦笑)

IS:「ここにはグレイトな音楽をつけるべきだ!」とね。とりわけ、あの映画の編集者だったペーター・プルツィゴッダ――彼は『CAN Free Concert』(註:1972年ケルンでのカン・フリー・コンサートの模様を捉えたドキュメンタリー作品。後年『CAN DVD』に収録)を撮った人物でもあるけれども、彼が私たちに音楽を依頼すべきだとギリギリの時点で監督を説得してね。というわけで、クリック監督は私たちのスタジオにやって来て、こちらも「やりましょう」と承諾した。ただし、彼にスタジオから出ていってもらい、こちらにいっさい指図しないことを条件にね(笑)。
 で実際、ひとつのパートを、私たちはその夜にレコーディングしたんだ。翌日、私はベルリン行きのフライトに乗り、録ったばかりのその音源をプルツィゴッダと一緒に映像に合わせ、夕方にはケルンに舞い戻り、再び次のパートのレコーディングをおこなった。その往復に3〜4日かかったし、音楽そのものは4日〜5日で作り上げたはずだ。私はミキシング作業にも立ち会い、最後の頃は、ベルリン-ケルン間の移動中に1時間ずつ寝るだけ、という状態になっていた。そして、ベルリンのミキシング・スタジオに詰めていたとき、最後にローラントと私との間で議論になってね。で──まあ、これはその場にいた連中に聞いた話なんだが──彼らいわく、私はいきなり泣き出し、椅子から転げ落ちて倒れたらしいんだ。目が覚めたらどこかの部屋で看護婦に付き添われていて、「シュミットさん、もう大丈夫ですから安心してください」と(苦笑)。気絶したんだ。

ギリギリの状況下で全精力を振り絞った仕事だったわけですね。

IS:(苦笑)うん。あれはおそらく、カンの作った映画音楽のなかでもほぼベストなものじゃないかと思う。少なくとも、非常に良いもののひとつだし、私はいまでもとても気に入っている。あの映画そのものも大好きだよ。

わかりました。日本での正式公開は初なので、カンのファンもきっと喜ぶはずです。本日はお時間をいただきまして、どうもありがとうございました。どうぞ、くれぐれもお体にはお気をつけください。

IS:うん、そちらもね。2日前に、私とヒルデガルトは2回目のワクチン接種を受けたばかりなんだ。

それは良かった! この調子でいけば、今年は事態も少しノーマルに戻るかもしれませんね。

IS:その「ノーマル」がどんなものであれ、ね(笑)。オーケイ、バイバイ!

(2021年4月14日収録)

Eli Keszler - ele-king

 今日における最重要パーカッショニストと呼んでも過言ではないイーライ・ケスラー。ヘルム『Olympic Mess』からローレル・ヘイロー『Dust』『Raw Silk Uncut Wood』、OPN『Age Of』やダニエル・ロパティン『Uncut Gems』まで、数々の話題作に関わってきた異才──彼の新作がなんと、グラスゴーの〈LuckyMe〉からリリースされる。
 日本でもコロナ禍によって街の音が変わったけれど、ケスラーの新作『Icons』ではロックダウン中のニューヨークでかき集めたさまざまな音がコラージュされているようだ。現在アルバムより “The Accident” のMVが公開中です。これは楽しみ。

Eli Keszler

盟友OPNとのコラボレーションでも知られる
唯一無二の鬼才パーカッショニスト、イーライ・ケスラーが
最新作『Icons』を〈LuckyMe〉より6/25にリリース!
新曲 “The Accident” のMVが公開

ニューヨークを拠点とするパーカッショニスト/作曲家/サウンド・アーティストのイーライ・ケスラー。これまでに、〈Empty Editions〉、〈ESP Disk〉、〈PAN〉、〈Shelter Press〉といった先鋭的なエレクトロニック・ミュージックのレーベルからリリースを重ね、前作『Stadium』では Boomkat のアルバム・オブ・ザ・イヤーに選出された。また、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンが手がけたサフディ兄弟の傑作『Uncut Gems』のスコアへの参加や、ローレル・ヘイローとのコラボレーション、Dasha Nekrasova 監督の長編映画『The Scary of Sixty First』のオリジナル・スコアの作曲など活動の幅を広げ続ける彼が、最新作『Icons』を〈LuckyMe〉より6月25日にリリースすることを発表した。現在先行配信曲 “The Accident” のMVが公開されている。

Eli Keszler - The Accident
https://youtu.be/elWW-QQx8IQ

アルバム中、ドラム、パーカッション、ヴァイブラフォン、マリンバ、フェンダーローズ、その他多数の楽器がイーライ自身によって演奏されている。ゲストには往年のコラボレーターでもあるヴィジュアル・アーティストのネイト・ボイスがギターシンセで参加、更に中国やクロアチア、その他世界中のさまざまな場所で録音されたサウンドが使用されており、中には渋谷の富ヶ谷公園のサウンドも含まれているという。また、本作はアメリカの抽象主義、夢のような古代のメロディズム、インダストリアルなパーカッション、アメリカの1920年代ジャズエイジのフィルムノワール、帝国の衰退などの様々な要素の断片が散りばめられたコンセプチュアルな作品となっている。

『Icons』は、旅行や輸出入といったことが事実上停止していた時に作った音楽だ。僕は夜な夜なマンハッタンを歩き回って、車のアラームが数ブロック先まで聞こえるような、誰もいない静かな街の録音を集めた。そこでは、電気の音や自転車のギアの音といったものが大半を占めていた。昨年はずっとマンハッタンに滞在していたけど、1つの場所にあんなに長く滞在したのはここ10年の中でも初めてだった。マンハッタンは基本的に閉鎖されて、不規則なペースで動いていた。救急車、抗議活動、ヘリコプターなどの激しい状態から、美しくて奇妙な、穏やかな静寂のような状態まで、街が揺れ動いているように見えた。僕はそこで、何か奇妙で美しいことが起こっていると思ったんだ。権力が崩壊し、人々が変化していた。『Icons』では、僕たちの目の前で劣化して朽ち果てていく神話的な表現を用いて、僕らの壊れやすくて不安定な現実の中に美を見出すような音楽を作ったんだ。 ──Eli Keszler

イーライ・ケスラーの最新作『Icons』は6月25日リリース! 国内流通仕様盤CDには解説が封入され、他にも輸入盤CD、輸入盤LP(ブラック・ヴァイナル)、インディー限定盤LP(クリア・ヴァイナル)、デジタルと各種フォーマットでリリースされる。

label: LuckyMe
artist: Eli Keszler
title: Icons
release date: 2021/06/25 ON SALE

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11877

tracklisting:
01. the Mornings in the World
02. God Over Money
03. The Accident
04. Daily Life
05. Rot Summer Smoothes
06. Dawn
07. Static Doesn’t Exist
08. Late Archaic
09. Civil Sunset
10. Evenfall
11. We sang a dirge, and you did not mourn

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Oneohtrix Point Never & Rosalía - ele-king

 最新作『Magic Oneohtrix Point Never』が好評のワンオートリックス・ポイント・ネヴァーから、新曲 “Nothing’s Special” の到着です。どこまでも広がる交遊録、今回のコラボ相手は近年ポップ・シーンでぐいぐい名を上げている、バルセロナ出身の歌手ロザリア(ジェイムス・ブレイク『Assume Form』やアルカ『KiCk i』での客演が印象的でしたね)。同曲は『mOPN』最終曲 “Nothing’s Special” の更新されたヴァージョンで、また違った角度からアルバムの魅力を引き出してくれるような仕上がり。チェックしておきましょう。

METAFIVE - ele-king

 病から恢復した高橋幸宏、どうやら本格的に動き出すようだ。彼と小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井という目のくらむ面々から成る METAFIVE が5年振りのセカンド・アルバムをリリースする。タイトルは『METAATEM』で、8月11日発売。
 それに先がけ、7月26日には KT Zepp Yokohama にてライヴも開催されるとのこと。稀代のスーパーグループの新たな一歩に期待しよう。

METAFIVE
5年振りのセカンド・アルバム「METAATEM」発売!そして一夜限りの自主ライヴ開催決定!!
本日より先行チケット受付スタート!!

METAFIVE(高橋幸宏×小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井)が5年振りとなる待望のセカンド・アルバムを8月11日に発売する。タイトルは「METAATEM」。2016年に発売されたアルバム「META」に続くオリジナル・アルバムであり、まさに待望のアルバム発売となる。

METAFIVEは、高橋幸宏、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井という、国内外の音楽シーンでそれぞれが特別な立ち位置を築いてきた6人によるスーパーバンド。2014年1月に行われたコンサート「GO LIVE VOL.1 高橋幸宏 with 小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井」をきっかけに集結し、2016年1月に1st ALBUM「META」、同年11月にMINI ALBUM「META HALF」をリリースし、初の全国ツアー “WINTER LIVE 2016”を開催した。その後休止状態に入っていたが2020年に再始動の表明をし、7月に「環境と心理」をデジタルリリース。同シングルは、iTunesのオルタナティブチャートで1位を獲得するなど根強い人気を誇る。今作は「環境と心理」を含むフル・アルバムとなる。

またMETAFIVEは、アルバム発売に先駆け、7月26日に一夜限りの自主ライヴを開催。本日よりオフィシャル先行チケット受付をスタート。彼らにとって2016年12月以来のステージであり、期待が高まる。

【METAFIVE 2nd ALBUM「METAATEM」】
タイトル:METAATEM(読み:メタアーテム)
発売日 2021年8月11日
CD品番・価格:CD:WPCL-13260 / 価格¥3,080(税込)
VINYL品番・価格:WPJL-10136/7(アナログ2枚組)/¥4,950(税込)
予約購入URL:https://metafive.lnk.to/metaatem

【METAFIVE “METALIVE 2021”】
日程:2021年7月26日(月)
会場:KT Zepp Yokohama
開場:17:30-
開演:18:30-
チケット代金(全席指定 / Taxi in / 1drink別):
2F SS席 ¥13,500(オリジナル限定アクリルキーホルダー+B2サイズポスター付)
 *SS席は2階の前2列のスペシャルシート
2F S席 ¥11,000(オリジナル限定アクリルキーホルダー付)
2F A席 ¥7,500
1F S席 ¥11,000(オリジナル限定アクリルキーホルダー付)
1F A席 ¥7,500

・〈オフィシャル先行受付〉 5/17(月)17:00〜5/26(水)23:59
ぴあ オフィシャル先行URL : https://w.pia.jp/t/metafive-y/
・一般発売 6/26(土)
・問合せ:HOTSTUFF PROMOTION 03-7520-9999(平日12:00〜15:00) https://www.red-hot.ne.jp

【「環境と心理」MUSIC VIDEO】
https://youtu.be/A3auu-E3srs

【METAFIVE OFFICIAL SNS】
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「ロゴキーホルダーの色は透明ブルーの予定ですが、変更の可能性があります」

Sons Of Kemet - ele-king

 昨年の春に世界中で起こったブラック・ライヴズ・マタ―の抗議活動で、もっとも反響を呼んだ映像のひとつが、イギリスのブリストルで、抗議者たちが17世紀の奴隷貿易商人エドワード・コルストンの像を引き倒し、港へと押して行った光景だった。その行為は一定の政治家から予想通りの非難を受けたが、象徴性は否定できないものだった。数世紀の時を経て、ようやく歴史が大西洋奴隷貿易の立役者たちに追いつこうとしていた。
 詩人のジョシュア・アイデヘンが、サンズ・オブ・ケメットの『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』の扇情的なオープニング・トラックである“フィールド・ニーガス”で、「お前の記念碑をゴロゴロ転がして行く タバコを巻くみたいに/肖像は川に投げ込め 火葬の薪の価値もない」、と激しく非難する。低音で鳴くホルンと自由形式のドラミングに乗せて、アイデヘデンはプランテーション奴隷制の時代から現在に至るまで続いている、耐え難い不正を調査し、正義の怒りを燃やしている──いまでも、黒人の人びとは「マラソンで全力疾走」を強いられていると感じることがあるのだ、と。
 サンズ・オブ・ケメットのリーダー、シャバカ・ハッチングスは、昨年、ガーディアン紙に「歴史は有限だと思われがちだが、常に探究されるべきものだ」と語った。「同じ過ちをくり返さないために、常に挑戦し、時には点火する必要がある」
 これはファイティング・トーク(売り言葉)だ。アイデヘンが“フィールド・ニーガス”を「すべて燃やしてしまえ(Burn it all)」という呼びかけで締めくくり、アルバムの最終曲“ブラック”では、再び苦悩に満ちた訴えをしているが、これは予想されがちな反乱者のサウンドトラックではない。2019年に録音されたセッションをベースとしつつ、ハッチングスがロックダウン中に大幅に手直しをしたサンズ・オブ・ケメットの4作目の本アルバムは、これまででもっとも豊穣で、思索的な作品となっている。ロンドンのジャズ・シーンで最高に熱いライヴ・バンドとしての評判を築いてきたグループではあるが、ここではその炎をやわらげている。
 ハッチングスは、木管楽器、テューバにツイン・ドラムという、ブリティッシュ・カリビアンのディアスポラや、ノッティング・ヒル・カーニヴァルのグルーヴに根差した、特徴的なラインナップは崩していない。ドラマーのトム・スキナーとエディ・ヒックが、各曲で入り組んだリズムの土台を作り、それらが常に内省しているかのようなダイアログが続く一方、ハッチングスはダンスホールMCのような強烈さで観客を煽るようなソロを繰り出す。
 ハッチングスはまた、昨年のアルバム制作時に、各曲に新たなレイヤーを追加している。みずみずしい木管楽器(クラリネット、フルート、オカリナに少々の尺八まで)のオーバーダビングにより、執拗なリズムとの対比が生まれた。これは、リード・シングル“ハッスル/Hustle”のヴィデオに登場する二人のダンサーによるパ・ド・ドゥの中に見られる、内面の葛藤の二面性を象徴する、プッシュ&プル(押し合い、引き合う)にも似ている。音楽が、“マイ・クイーン・イズ・ハリエット・タブマン”(2018年のアルバム『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』からの傑作トラック)や、“(2015年の『我々が何をしにここに来たのかを忘れないために/Lest We Forget What We Came Here To Do』より)のような恍惚とした高みに到達することを約束する、音楽が爆発しそうになるいくつかの瞬間があるが、これは対照的なエレメントの導入により、ムードを変えるためのものだ。
 “エンヴィジョン・ユアセルフ・レヴィテーティング” では、ハッチングスの強烈なサクソフォン・ソロがライヴ・ギグの熱気を呼び起こすが、その様子をほろ苦い気分の距離感から眺めているかのような、木管楽器の穏やかさで相殺される。“レット・ザ・サークル・ビー・アンブロークン”の気だるいカリプソの拍子が、終盤ではアート・アンサンブル・オブ・シカゴ風のフリークアウトへと崩れていくと、哀愁を帯びたフルートのリフレインでバランスが保たれる。“イン・リメンブランス・オブ・ゾーズ・フォールン”の緊迫したリズムは、物憂げな短調のメロディーに抑えられているが、ハッチングスは曲が後半になるにつれ、少し熱気を帯びてくるのに抵抗することができない。
 このようなコントラストがアルバムを通してのテーマとなっており、とても意外なことに、頭のなかのどこかで、初期のECMがリリースしたベングト・ベルガーの1981年の傑作、『ビター・フューネラル・ビアー/Bitter Funeral Beer』を思い浮かべるような心持ちになった。また、より実践的なスタイルで制作されたこの作品は、特に多数のゲストを起用した前半で、彼らがこれまでに到達したことのないほど、グライム&ベースの音楽になっている。
 いくつかのヴォーカル曲でのフィーチャーについては、アイデヘンとコジェイ・ラディカル(“ハッスル”)が傑出している一方、“フォー・ザ・カルチャー”でのD Double Eは、ただトリラリー・バンクスとの”Mxrder Dem”のヴァースの焼き直しをしているらしいのにも関わらず、大いに楽しんでいるように聞こえる。その反面、“ピック・アップ・ユア・バーニング・クロス”にフィーチャーされている恐るべき才能のムーア・マザーとエンジェル・バット・ダヴィドの2人は、強力なラインナップの期待に応えることができてはいないようだ。この曲は、このアルバムでは珍しく、余計な積み荷をしない方がよかったと思われるものではあるが、彼らが一同に会してステージに立ったなら、どれほどのことが成し遂げられるのかは想像できる。
 まさに、「すべて燃やしてしまえ(Burn it all)」である。

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Sons of Kemet
Black to the Future

Impulse!

James Hadfield

One of the most resonant images from the Black Lives Matter protests that erupted across the world last spring was the sight of protestors in Bristol, UK toppling a statue of 17th century slave merchant Edward Colston and pushing it into the harbour. While the act drew a predictable denunciation from certain politicians, the symbolism was impossible to deny. It may have taken a few centuries, but history was finally catching up with the architects of the Atlantic slave trade.

“We are rolling your monuments down the street like tobacco / Tossing your effigies into the river / They weren’t even worth a pyre,” declaims poet Joshua Idehen in “Field Negus,” the incendiary opening track for Sons of Kemet’s “Black to the Future.” Over lowing horns and freeform drumming, Idehen works himself into a righteous fury as he surveys the injustices that have endured from the days of slave plantations to the present – how, even now, Black people can feel like they’re being told “to run sprint times in a marathon.”

“People think that history is finite, but it is something that needs to be explored constantly,” Sons of Kemet leader Shabaka Hutchings told The Guardian last year; “it needs to be challenged and sometimes set alight, so we don’t continue to make the same mistakes.”

That’s fighting talk. But while Idehen signs off “Field Negus” with a call to “burn it all” – and returns to deliver an anguished complaint on the album’s final track, “Black” – this isn’t the insurrectionary soundtrack you might have expected. Based on sessions that were recorded in late 2019 but significantly reworked by Hutchings during lockdown, Sons of Kemet’s fourth album is their richest and most contemplative to date. The group may have built a reputation as one of the most combustible live bands on the London jazz scene, but they’ve tempered the fire here.

Hutchings hasn’t messed with the signature lineup of woodwinds, tuba and twin drummers, rooted in the grooves of the British Caribbean diaspora and London’s Notting Hill Carnival. Drummers Tom Skinner and Eddie Hick create an intricate rhythmic bedrock for each tune that seems to be in constant dialogue with itself, while Hutchings still solos with the crowd-hyping intensity of a dancehall MC.

What’s different is the additional layers that he added to each track while working on the album last year, overdubbing lush woodwind arrangements (clarinets, flutes, ocarinas, even some shakuhachi) that provide a counterpoint to the insistent rhythms. It’s like the push-and-pull captured in the video accompanying lead single “Hustle,”[1] in which a pair of dancers perform a pas de deux symbolising the duality of internal struggle[2] . There are points at which the music seems about to explode, promising to reach the ecstatic heights of “My Queen is Harriet Tubman” (the standout track from 2018’s “Your Queen is a Reptile) or “Afrofuturism” (from 2015’s “Lest We Forget What We Came Here To Do”[3] ), only to introduce a contrasting element that shifts the mood.

On “Envision Yourself Levitating,” Hutchings’ emphatic saxophone solo conjures the heat of a live gig, but it’s offset by gentle woodwinds that seem to be viewing the action from a bittersweet distance. When the languid calypso pulse of “Let The Circle Be Unbroken” collapses into an Art Ensemble of Chicago-style freakout towards the end, it’s balanced out by a mournful flute refrain. The urgent rhythms of “In Remembrance Of Those Fallen” are kept in check by a languid minor-key melody, although Hutchings can’t resist dialling up the heat a little in the song’s latter half.

These contrasts are a running theme throughout the album, taking it into a headspace that reminded me, very unexpectedly, of early ECM releases such as Bengt Berger’s 1981 masterpiece, “Bitter Funeral Beer.” At the same time, the more hands-on production style brings it closer than the group have ever come to grime and bass music, especially during the album’s guest-heavy first half.

Among the various vocal features, Idehen and Kojey Radical (on “Hustle”) are standouts, while D Double E sounds like he’s having a ball on “For The Culture,” even if he’s just rehashing his verse from Trillary Banks’ “Mxrder Dem.”[4] On the other hand, “Pick Up Your Burning Cross,” featuring the formidable talents of both Moor Mother and Angel Bat Dawid, fails to deliver on the promise of its powerhouse lineup. It’s one of the rare moments on the album that might have sounded better without the added baggage, though you can only imagine what these musicians might achieve if they were able to share a stage together. “Burn it all,” indeed.

It’s described in text accompanying the video as “the duality present within any struggle to transcend internal limitations.”

interview with Sons Of Kemet - ele-king

 音楽を聴いて、音楽の力ゆえにどこか異世界に連れていかれることはままある。しかし、なかには魔力めいた音楽が稀にあり、それは幻想や幻覚ないしは音楽の麻酔的な効果などという生やさしいものではなく、リスナーに得も言われぬエクスペリエンス=経験をもたらす。サンズ・オブ・ケメットの新作が引き起こすそれは、ふだんのぼくには馴染みのないこの地球上の文化の断片が描く広大な空間──黒い宇宙のなかにおいて成就される。シャバカ・ハッチングスという、いまもっとも重要なジャズ・ミュージシャンがカリブ海の旋律とリズム──キューバからプエルト・リコ、トリニダードなど多様なその音楽の海──を調査し、同時にUKの移民文化から来ている猛烈なダンス・ミュージック=グライムの奥深くに連なるアクセントを吟味したうえで創造したその音楽は、先進国づらしながら難民の人権さえも軽視する国で暮らしているぼくにはなかなか出会うことのない輝きをおそらく最高のレヴェルで輝かせている。
 サンズ・オブ・ケメットの通算4枚目になる『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』は、悪しきオリエンタリズムに立脚して言えばじつに奇妙で異様な音楽となるのだろう。だが、世界に中心はないという感性にもとづいて言えば、これは驚くべきグローバル・ミュージックとなる。誰もが接続可能な黒い体験であり、UKジャズの金字塔であり、研ぎ澄まされたコスモロジーであり、そして未来に期待する音楽である。
 そう、たとえばザ・ポップ・グループの衝撃のネクストを探しているリスナーには2曲目の“Pick Up Your Burning Cross”をオススメする。ムーア・マザーが参加したそれは、好戦的なリズムと烈火のごとき旋律のすさまじい反復によるカリビアン・パンク・ジャズとでも呼べそうな曲だが、今回の『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』は前作以上にみごとな多様性が展開されている。つまりいろんなタイプの曲がある──メロウなラテン・フィーリング漂う“Think Of Home”、ダンスホール風の“Hustle”、螺旋状のメロディを有するグライム・ジャズの“For The Culture”、優雅でおおらかな“In Rememberance Of Those Fallen”といった具合に。
 また、今作にはムーア・マザー以外にも何人かのグライムMCやジャングルMCが参加している。このことが『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』にフレッシュな生気を与えていることは言うまでもない。2ステップがあり、アフロビートがあり、ハッチングスのヒップホップ愛までもがここには混入しているという、アヴァンギャルド・ラテン・ジャズであり、ポスト・パンクであり、ダンス・ミュージックであり……、いや、なんにせよ、すげーアルバムだ。ハッチングスのキャリアにおいても最高作の1枚になるだろう。

 今年もはや半年が過ぎようとしているが、ありがたいことに手放しで好きになれるアルバムと何枚か出会っている。『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』も自分のコレクションに加えることが決定した。以下に続くシャバカ・ハッチングスの発言にもまた、この音楽と同様ひょっとしたらこの先も広く参照されるであろう言葉がある。ことアフロ・フューチャリズムの理解を深める上では、貴重な話を聞けたのではないだろうか。

「アフロ・フューチャリズム」として何かを提示するとき、忘れられがちなのはそれは単に先に進むだけのものではないということ。僕がリサーチした限りでは、それは過去を通り抜けながら未来へ向かう旅なんだ。

前作『Your Queen Is A Reptile(あなたの女王は爬虫類)』、昨年のBLMを持ち出すまでもなく、あれはとても先見性がある作品だったと思います。アンジェラ・デイヴィスをはじめ女性の名前をすべての曲名にしたことも意味があったと思いますが、あのアルバムを出したあとのリアクションで面白かったものがあればぜひ教えて下さい。

シャバカ・ハッチングス(以下、SH):僕が本当に「女王は爬虫類だ」と言っているのだと思った人がいたってことかな(苦笑)。君主制(王室)に関する質問をすごくされた。でも僕自身、王室に興味はない。王室を重要視する人たちの気持ちは尊重するが、僕自身は王室自体が重要だと思わない。重要なのは、なぜ僕らは特定の人を自分たちのリーダーと見なしているか、疑問を投げかけることだ。特定の人をリーダーだと宣言する人間の心理的な構造を問い直すこと、そして王室中心のリーダーシップではなく、それにとって代わるオルタナティヴなリーダーの有無を正すことにあのアルバムの意味はあった。

前作のときも思ったのですが、あなたがカリブ海の音楽のリズムとメロディを自分の作品に取り入れるとき、それはあなたの記憶から引っぱり出されたものなのか、あるいはUKに来てあなたが学び直したものなのか、どちらなのでしょうか?

SH:後者だ。基本、学んだよ。第二の天性として持ち合わせているものだろうと考えるのは簡単だが、アメリカからの音楽、とくにジャズの概念化のされ方からして、個々が引き継いできたものをそのなかに見い出せるだけの自信を持つまでには時間がかかる。だから僕にとっても、カリブのリズムと再コネクトするのはとても長いプロセスだった。たくさんの音楽を聴き、リズムを練習し、自分の音楽のなかに注ぎ込もうとした。でも生まれながらのものとはやはり違う。かなり長い訓練というプロセスを経て、自然に感じられ、自然に聞こえる段階までたどり着けた。

たとえば、今作でいえば2曲目、ムーア・マザーが参加した“Pick up Your Burning”のリズムとメロディ、あのアンサンブルはどこから来ているでしょうか? 

SH:あの曲のベースラインは、ロンドンのグライム・ミュージックで使われるベースラインをイメージしている。それとフルートやクラリネットの音色といったカリブ風の要素をコネクトできないものかと考えた。僕の音楽はそんな風にふたつ以上の影響を交差させて、そこにどんな共通項が見いだせるかというものが多い。あとは音楽をどう発展させるか、直観を信じる。つまり僕のやってることは、その小さな交差点を見つけ、そこから音楽がどこに向かうのか、自分の耳に任せるということでもある。

ムーア・マザーのことが大好きなので訊きますが、彼女を起用した理由を教えて下さい。

SH:それは僕も彼女の大ファンだからさ(笑)。彼女の曲、彼女のとてもディープな声のトーンが好きなんだ。どんなミュージシャンを聴くときもそう。ヴォーカリストも同じで、最初に惹かれるのは、彼らが出すサウンドや歌声にどれだけ共鳴できる奥深さがあるのかということ。

先ほど、ロンドンのグライムということをおっしゃってました。ロンドンにおけるカリビアン・ミュージックのディアスポラとしてのグライムとは深い共感を覚えますか?

SH:ああ、いつも聴いている。クラブに行けばかかっているし、グライムは自分の楽しみのために演奏する音楽だよ。でもときに人は音楽とはこうあるべき、演奏する音楽とはこうあるべき、というジャンルの垣根を自分たちから設け、影響を受けてきたものをそのまま音楽には表さないことがある。ふだんはグライムやヒップホップを聴いていたとしても、やってる音楽にはそれが出てこないというか。でも僕もミュージシャンとして成長していくうちに、自分の作品に影響や好きなものを全部出してもいいんじゃないかと思えるようになったと、そういうことだと思う。

あなた自身、ロンドンのダンスホールに繰り出したりしているのですか?

SH:ああ、時間があるときはね。ツアー中は──と言ってもいまは当然ツアーはないわけだけど──家を留守にすることが多かったけど、合間を見つけてはよく行っていたよ。

そのなかでなぜD Double E(90年代からアンダーグラウンドで活躍しているジャングルのMC)に声をかけたのでしょうか? もちろん好きだから?

SH:ああ、最高だよ。それに加えて、彼はカリビアンの伝統的なダンスホールMCとロンドンのグライムの要素をコネクトさせていると思うから。本当にディープな意味でね。カリブのダンスホール音楽とロンドンで生まれたグライムのあいだのミッシング・リンク(進化の過程における連続性の欠落部分)のように思えた。彼が橋となってカリブとロンドンは繋がる。そうなったらアメリカとロンドン、すなわちジャズの伝統と僕らロンドンのジャズも橋で繋がり、それらふたつの橋が繋がることで3つめの橋が生まれるかもしれない。将来、僕らのコラボレーションを聴いた誰かがそこを出発点にまた別のどこかへ持っていってくれることでね。

今回はダンサブルな曲が目立っているのも特徴だと思いました。たとえば、“Let The Circle Be Unbroken”はすごくいいヴァイブレーションの曲です。この曲のなかにはどんなソースが混ざっているのでしょうか?

SH:あれは、あのテンポ、そこから生まれるヴァイブとアティテュードが出発点になった曲なんだ。普段、自分の音楽ではあまり使わないテンポで、僕は「大人のテンポ」と呼んでる。普通、若い子が踊るのはテンションが高くてエネルギッシュなテンポを想像するよね? そうじゃなくて、年上のおじさんとかおじいちゃんが膝を痛めることなく踊って楽しめて、グイグイと前に進むようなリズムにしたかった。それでいてチルドアウトしてるhead-bopper(頭でリズムをとる曲)にしたかったのさ。ちょっとスローだけどリズムはしっかりとある。サンプリングとかは一切ない。

“Hussle”は歌モノであり、ダンスであり、すごく面白い曲なんですが、この曲に関してもソースになっている音楽があれば教えて欲しいです。

SH:実は自分でもよくわからない! スタジオにいるとき、ただやったらああなったっていうだけなんだ。音楽的なアイディアだけは書き留めてあって、リハをして、プレイした。どんなソースを使っているのか、自分でも考えてなかった。もちろん何かはあるんだろうけど意識してなかったってことさ。コージーが自分を表現するのに何がベストでやりやすい曲だろうかってことだけを考えていたのさ。

SNSからはじまったムーヴメントにはどうしてもスローガンで終わる可能性が高い。外から見てどう見えるかというところばかりで、本当の意味でストラクチャーを変えるようなことに繋がらない。

アルバムは『Black To The Future』とタイトルが付いていますが、それとの関連も含め、あなたが考えるアフロ・フューチャリズム・コンセプトについて教えてください。

SH:ある意味でアフロ・フューチャリズムという言葉自体、不適切だと思う。アフリカに古来からある宇宙論は時間との循環的な関係という概念に基づいている。つまり時間は過去、現在、未来と線状に進むのではなく、円を描きながら進んでいるというものだ。過去は現在に到達し、過去は変化しながら未来に繋がる。過去は決してそこにとどまっていない。過去も進化し、その進化が未来を作る。そうやってできた未来は人間の過去への見方を新たにしてくれる。だから「アフロ・フューチャリズム」として何かを提示するとき、忘れられがちなのはそれは単に先に進むだけのものではないということ。僕がリサーチした限りでは、それは過去を通り抜けながら未来へ向かう旅なんだ。過去を経由し、未来へ到着する。つまり未来へ、先へ行くためには、過去に逆に戻り続けなければダメだということ。アルバムのタイトルもそこから来ている。フューチャリズムといっても先に進むだけではない、オルタナティヴな道を考える。個人として、社会として、先に進むことを考えたとき、必要なのは周期的な関係だ。螺旋のように。

“black”という言葉を強調した理由について教えて下さい。

SH:ブラックの本当の意味のため……かな(笑)。無視され、傍に追いやられてきたブラックの概念に目を向ける重要性を感じたからさ。アフリカの伝統的宇宙論を勉強すればするほど、アフリカ的な在り方や世界観は、アフリカ以外の世界からまるで理解されていないと思った。歴史上、西洋人がアフリカと初めて出会ったとき、そこにあったのは傲慢さだった。アフリカの人間の考え、行動など理解しようとせず、何もしなかった。いま、過去をリサーチするのは僕らの役目なんだ。彼らはどういう生き方をしていたのかを宇宙論的枠組みのなかで知ることが。だからブラックは必ずしも人種としての黒人のことではない。世界観としてのブラックということなんだ。

BLMの大きなデモがロンドンでもあって、若い世代が多く詰めかけましたが、昨年の動きによって、何か兆しを感じられましたか? 

SH:ああ、物事はつねに前進するものだからね。前進への一歩だったと思う。より多くの人が自分たちの身の回りに疑問を投げかけるようになったとは思う。ただし僕はシニカルな人間なんでね。あのムーヴメントのなかで起きていたことが、UKの構造(ストラクチャー)をごく限定的ではあるが変えたとは思った。多くの機関でその手続きに人種偏見が根付いていることを疑問視しはじめたからね。こういうことは個人的レベルからはじまり、社会へと広がっていくしかない。各個人が人種的ダイナミクスとの関係を問い直さない限り、スローガンで終わってしまう。
SNSからはじまったムーヴメントにはどうしてもスローガンで終わる可能性が高い。外から見てどう見えるかというところばかりで、本当の意味で構造(ストラクチャー)を変えるようなことに繋がらない。この問題を提唱した人間は歴史上、これまでに何人もいた。アンジェラ・デイヴィスとさっき言っていたが彼女だけじゃない。ストークリー・カーマイケル、ブラック・パンサー・ムーヴメント……。長いこと、その問題は口にされてきた。彼ら彼女らの言葉の意味を本当に深く掘り下げ、問題の根底に「マインド」の部分でたどり着かなければ、単なる表面的な変化にしかならない。本当に必要なのは「ブラックとは何か」「ヨーロッパ人であるとは何か」というその認識だ。

今作へとあなたを駆り立てたものに、音楽的情熱と政治的情熱とがあると思います。敢えて訊きますが、あなたが音楽を通してこのように歴史や政治を使っている理由は何でしょうか?

SH:すべての音楽は直接政治的ではなかったとしても、政治的な基準枠を提示してると思う。たとえば、誰かが『Missed In the Dawn』というタイトルのアルバムを作ったとする。その限りではどこも政治的ではないかもしれないが、そのとき社会で何が起きていたかによってそこには政治的行動があるわけで、結局は何を政治と呼ぶかなんだ。自分以外の人間との関係のなかで生きている以上、政治的であることは政治的ジェスチャーだが、自分の周囲に言及せずとも、目に見えない形で何かをすることも、また政治的ジェスチャーなんだよ。

アルバムに参加しているほかのMC、ジョシュア・アイデヘン、コージー・ラディカルを紹介してください。とくにジョシュアに関してはLVとの共作ぐらいしか我々は知らないのですが。

SH:ジョシュアのことは15年前の2004年に僕が初めてロンドンに来たときに会ったんだ。彼とはPoem in Between Peopleというグループを組んで、数多くのギグをやってた。とても熱いタイプのパフォーマーで、作品からは火のような感情が伝わって来た。同時に非常に深遠なテーマをヘヴィになりすぎることなく提起するんだ。僕が一緒にやりたいのはそういう風に堪え難いほど重くならずに重要なことができるタイプだ。そこを評価してる。アルバムに参加してもらおうと思った時、連絡を取り「こうしてほしいというスペックはとくにない。その時、どう思うかを教えてもらえられれば必要なのはそれだけだ」と言った。

コージー・ラディカルは?

SH:コージーのことは1st EPの「23 Winters」のときからの大ファンだった。あれはブリティッシュ・ミュージックにとってのひとつの金字塔だったと思う。ムーア・マザーもそうだけど、コージーの深くて、それ自体がポエティックなあの声。僕がサックスで出したいのはまさにああいうハーモニックな深みを持ったサウンドだ。ジョシュアが詩人であるように、コージーはUKヒップホップ・シーンにおける詩人だ。ポエティックな枠組みのなかでリアリティを歌うことができる。その要素を僕はアルバムに取り入れたかったんだ。

最後に今年の予定を教えて下さい。

SH:サンズ・オブ・ケメットとしてのUKでのギグは決まっている。ヨーロッパでもいくつか決まっているんだが、実際どうなるかは今後の状況次第。個人的にはロンドン・シンフォニエッタに委託されてクラシックの楽曲を作曲中だし、コメット・イズ・カミングの新作もレコーディングは終わり、現在ミキシング作業中だ。MPCを買ったのでいまはゼロから新しいテクノロジーを勉強中でもある。毎日マニュアルやYouTubeを見ながら数時間取り組んでるよ。
あと尺八も練習してる。2019年に日本に行ったときに買って以来、長いプロセスだったけど、いまロングノートの基本から学んでいる。こちらもYouTubeのチュートリアルを何本も見て、ブレスと木(竹)の関係の概念、楽器の心境に自分が入り込むことを理解しているところだ。尺八を吹くのに用いるテンションのスペースやエネルギー力は、サックスとはちょっと違うので、おかげでサックスを吹くときのブレスの強さを見直すことができているよ。

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