「KING」と一致するもの

眠りたい音楽、眠らせないイヴェント - ele-king

 早耳のリスナーの間ではすでに注目されている気鋭の若手バンド、Taiko Super Kicks。今年8月には彼らの持ち味でもある浮遊感のあるスローテンポな曲群が収録された初の5曲入りミニ・アルバム『霊感』(限定店舗とライヴ会場、Bandcampのみでリリース)が話題となったが、そんな彼らが初の自主企画〈o m a t s u r i〉を10月31日に開催する。

 Taiko Super Kicksの音楽がどういうものか知らない人に説明するとしたらそれは、「ゆったりとしたBPM」がキモの「ギターの絡みが気持ちいい正統派オルタナ・ロック」だろうか。PavementやYo La Tengoといった90年代オルタナUSロックをフェイヴァリットに挙げ、22歳の瑞々しい感性で書き上げる曲は『霊感』をはじめ、総じて「気怠さ」を伴うところがポイントだとボーカル/ギターの伊藤暁里は言う。「最初はサイケっぽいものがやりたかった。次第に「気怠さ」に惹かれて曲作りを行うようになった。そのきっかけは村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を読んでて、どんよりと倦怠感に包まれている、それまでにあまり知らなかったイメージだったこともあり、その感じを音に出したかった」。“霊感”“Ringo no Sitsukan”などの曲……具象を避け、雲をつかむようでいて親密、室内的で幽玄としたサウンドスケープ。それでいて、ちゃんと捻りの効いたロックをやっている。「眠気を誘うような、気怠い音楽をさらに突き詰めたいと思ったきっかけは去年のグルーパーやジュリアナ・バーウィックみたいなアンビエントっぽい女性ヴォーカルものを聴いて。霊感はそういうイメージで作ってました。すごいシンプルで寝ながら聴く音楽。その頃はライヴでも「客が眠りたいと思わせるような感じでやろう」とか言ってて(笑)」。

 自主企画のタイトルは〈o m a t s u r i〉、場所は〈o-nest〉でフロアとラウンジの2ステージで行い、moools、Lantern Paradeといった先輩バンドからLUCKY TAPES、New HouseよりPunPunCircleといった若手のバンドまでヴァラエティに富んだメンツ。さらには、先日アルバムをリリースしたばかりのnohtenkigengo、そしてミツメのnakayaan、『霊感』のジャケットも手掛けたmay.eと、彼らと親交の深いアーティストも参加する充実のラインナップに加え、ラウンジエリアにはココナッツディスクの出店とフリーマーケットなんかもある。
 「ライヴハウスに行ってスマホみるしかないとかつまんない時間を過ごさないようにしようっていうのがあって。待ち時間にしたくない。カッコいいバンドを集めただけのイヴントってのも熱いとは思うんですけど疲れるだけっていうのもあって、なのでできるだけヴァラエティを持たせて。あとは、同年代だけのバンド、勢いのあるバンドだけを呼ぶのも嫌なのもあり、こうなりました。絶対に誰でも必ずハマれる要素、瞬間を用意しています。ひとりで来ても楽しい、新しい何かに出会えると思います。」
 10月31日はお祭りへどうぞ。

■Taiko Super Kicks presents
” o m a t s u r i ”

10/31(Fri) @渋谷TSUTAYA O-nest
OPEN: 18:30 / START: 18:30
ADV: 2000 / DOOR: 2500 (ドリンク別)

【5F】
Taiko Super Kicks
moools
Lantern Parade(3人編成)
LUCKY TAPES

【6F】
may.e
nohtenkigengo
PunPunCircle(New House)

【DJ】
nakayaan(ミツメ)
A Taut Line(Greeen Linez)

【出店】
ココナッツディスク
オマツリフリーマーケット(7A 理科 出演者の皆様)

【チケット情報】
※以下プレイガイド及びメール、または各出演者様に直接お取り置きをお願い致します。ローソンチケット: 76511

e+

メール予約: omatsuri.info@gmail.com  (お名前と枚数をご明記ください)


あの一夜を着る - ele-king

ここまでアブストラクトにデザインされたイヴェントTシャツが過去にあっただろうか!?

10月2日に行われた〈ele-king night OGRE YOU ASSHOLE vs 森は生きている〉の記念TシャツをANYWHERE STOREにて販売いたします!

 先日行われたイヴェント、〈ele-king night OGRE YOU ASSHOLE vs 森は生きている〉。滅多にないこの組み合わせのライヴは、来場した方々より絶賛の声を多数頂きました。

 そしてこの事実を記録すべく制作し、当日は会場でも販売いたしました記念Tシャツが、ANYWHERE STOREでもお買い求めいただけることになりました。

 デザインは、紙版『ele-king vol.14』(売り切れが危ぶまれているエイフェックス・ツイン表紙号!)のアート・ディレクターを務めた気鋭のデザイナー・鈴木聖。

 両バンドの音のイメージをアブストラクトに表現した、他のイヴェントTシャツとは一線を画したデザインではないでしょうか!?

 背中にさり気なく、このイヴェントが行われたことを記録してございます。


Tシャツ前面にプリントされている2つのテクスチャー。
柔らかい素材で、首回りの詰まりすぎないTシャツです。

■お買い求めはこちらから!

ANYWHERE STORE (https://anywherestore.ele-king.net/?pid=82487259


森は生きている - ele-king

 もう秋だ、冬だ。2014年を振り返ってみると、UKのエレクトロニック・ミュージックと日本のインディ・ロックの1年だったという印象を受ける。たとえば坂本慎太郎の『ナマで踊ろう』、オウガ・ユー・アスホールの『ペーパークラフト』……などなど、そして森は生きているのセカンド・アルバム『煙夜の夢』。
 ele-kingの12インチ・シリーズの第三弾は、森は生きているのキラー・トラック「ロンド」、GONNOによるリミックスである。ライヴでも甘美この上ない演奏のこの曲は、読者諸氏にはもはや説明不要であろう。A面では、メンバー自らの再ミキシング・ヴァージョン、B面は世界を股にかける男、GONNOによるハウス・ミックス・ヴァージョン。これがまた、醒めたくない夢そのもので……。
 斜に構えて、洒落ている世代が台頭しつつある。スタイルをばっちり身につけている。森は生きているは、ソフト・ロックを徹底的に参照するだけでは飽き足らず、新作ではもっとダイナミックな飛翔を遂げているが、それはまた別の機会に。

森は生きている
ロンド EP feat. Gonno

Pヴァイン

Phychedelic RockSoft RockDeep House

Amazon


- ele-king

 ここ数年、戦前歌謡曲の熱が高まっている(と思う)。とくに、戦前のレア音源を積極的に発掘・紹介する〈ぐらもくらぶ〉というレーベルが、一部で好評を得ている。貴重な復刻作業を続けてきたその〈ぐらもくらぶ〉が満を持してリリースしたのが、泊の『霽月小曲集』だ。

 僕が泊の演奏を初めて聴いたのは、今年のゴールデン・ウィーク、江戸東京博物館でのことである。そのときはたしか、昭和初期のエロ歌謡や二村定一の曲などを歌っていた。このレパートリーからもわかるように、泊というバンドは、〈ぐらもくらぶ〉というレーベルにふさわしく、戦前から戦後すぐあたりの歌謡曲を基調にしている。笹山鳩(漫画家の山田参助である)の歌唱は、丸山明宏とあがた森魚を足したようだ。戦前の歌謡曲と言うと、いかにも古臭い民謡や、あるいは物騒な軍歌などをイメージするかもしれないが、必ずしもそうとは言えない。大衆モダン文化が華やいだ昭和初期の音楽は、ジャズを巧みに取り入れたハイブリッドなポップスとして展開されていたのである。「架空流行歌ユニット」を標榜する泊は、そのような時代の音楽の形態模写をしていると、ひとまずは言える。三拍子で小気味よくスウィングするアコーディオンとギター/マンドリンと、そのうえでのびやかに歌われる曲たちは、昭和初期におけるジャズソングの記憶を喚起する。とくに“マルゲリータ・ハポネサ”のスウィング感などは、現在の音楽ではなかなか聴くことのできないものである。

しかし、本作が一部の戦前歌謡曲ファンのものにとどまってしまうことがあるとすれば、それはあまりにも惜しい。戦前歌謡曲のスタイルとは言え、泊はもちろん現在のバンドとして活動しているし、聴き手もまた現在を生きている。泊自身、とくに本作では、当時の音楽をいかに現代的に響かせるか、ということを意識している感じがする。だから本作は、ele-king読者諸兄のなかにもいるだろう、オルタナ・ファンのような人にこそ届いてほしい。そう、『霽月小曲集』は、オルタナティヴ・戦前歌謡なのだ。
 いや、これはあながち冗談でもない。本人たちが意識しているかどうかは別として、本作を聴いていると、ときどき本当にオルタナ的な響きを感じ取ることがある。本作のライナーを書いている音楽評論家・小川真一は、武村篤彦の「相の手のような、呟きのような」ギターに、マーク・リボーとビル・フリゼールを思い出していたが、なるほど共感する部分はある。僕は、基本的に歌謡曲ファンとして泊を聴いていたが、本作については、ニック・ドレイク~デヴェンドラ・バンハートといったアシッド・フォーク/フリー・フォークの延長で聴いている感覚も間違いなくある。とくに“げんごろう小唄”は、和製アシッド・フォークの大傑作である。とても感動した。この格別に美しい曲は、途中、香取光一郎のフルートが挿入されるのだが、これが往年の木田高介(休みの国、ザ・ジャックス他)を彷彿とさせる。木田高介好きとしては、とくに感銘を受けざるをえない。
 本作は、戦前歌謡曲でありながら、かつオルタナである。それは単なる勘違いだろうか? もしかしたら、そうかもしれない。でも、そういう勘違いはたぶん大事だ。僕は、デヴェンドラ・バンハートやアニマル・コレクティヴが好きなようなリスナーに、本作をおすすめしてみたい。

トム・アット・ザ・ファーム - ele-king

 わたしたちは眩い才能が開花する瞬間に立ち会っている。グザヴィエ・ドランの話だ。1989年生まれ……25歳。初監督作は19歳のときに撮られた。わたしたち日本の観客の多くが彼の映画にはじめて出会ったのは長編3作め『わたしはロランス』だったが、それは、ある日「女になる」ことを決めた青年が痛切に愛を求めて彷徨する姿が鮮烈で幻惑的なイメージと甘いポップ・ミュージックに彩られつつ描き出されたもので、観る者の胸を激しくかき乱したのだった。そこにはたしかに狂おしい若さと、それを飛翔させるだけの大胆さと詩情があった。ゲイであることを公言しているこのハンサムな青年は、すでにアイコニックな存在として――「神童」などと言われながら――未来を嘱望されている。



 ドランの4作めとなる『トム・アット・ザ・ファーム』は、自身が脚本・主演・編集を務めながらも、彼のこれまでの作風とやや距離を置く心理スリラーだ。ジャンル映画と言ってもいい。しかもミシェル・マルク・ブシャールの戯曲を基にしているため、はじめて他者の原作に由来する物語を扱っており、結果としてこれまでのやや過剰なセンチメントは抑えられ、非常に醒めた一本となっている。そして、驚くほどに明確に「同性愛者として生きること」がどういうことかを突き放してえぐり出している。
 戯曲を下敷きにしているため舞台はほぼ田舎の農場に限定されている。ドラン本人演じる主人公トムは、交通事故で喪った同性の恋人ギヨームの葬儀に出席するため彼の故郷の農場を訪れるが、ギヨームは生前、母に自分の存在を隠していた。事情を知るギヨームの兄・フランシスに「母に真実を語るな」と脅され、やがてトムはフランシスからの暴力に晒されるようになっていく……。ブシャールの戯曲には序文で「同性愛者は、愛し方を学ぶ前に、嘘のつき方を覚える」と書いているそうだが、まったくもってその通りで、恋人ギヨームが自分の存在を隠していたことにトムは傷つくが、そのこと自体は別段驚くことではない。カミングアウトを受け入れない土壌が根強く残っていることは、日本で暮らしていればじゅうぶん理解できることだ。
 この物語で問題となっているのは、トムと恋人の乱暴な兄・フランシスとの関係だ。「真実を告げる」と言うトムに、フランシスは物理的な暴力で「黙らせる」。ここでのフランシスはホモフォビアの表象である……たしかにそうだろう。しかしながら、トムは同時にフランシスに強く惹きつけられてもいる。フランシス演じるピエール=イヴ・カルディナルはヒゲを生やした筋肉質な体格の男として最初の登場シーンでは上半身裸で現れ、度々トムに息のかかる距離に接近してみせる。また、幾分唐突にフランシスとトムがタンゴを踊るシーンの官能性は、映画の色気そのものになっている。自分たちに嘘を強要し、精神・肉体両面に対して暴力をふるう存在あるいは社会に、同性愛者たちが自らすすんで囚われの身となってしまうことを、『トム・アット・ザ・ファーム』は一種エロティックにあぶり出しているのだ。嘘をつき続けていたほうが楽だということを自分の幸福と錯覚し、あまつさえ、そうした状況と「契り」を交わすようにすら、なる。

 だからこそ、本作は後半で脱出もののスリラーとなるのだ。トムは逃げなければならない。フランシスの暴力から、非寛容から、あるいは、重ね続ける嘘から。そうした社会的なアングルはブシャールの戯曲の時点ですでに確立してはいただろうが、ドランがここでやっているのは、ヒッチコックが比較に挙げられるような「映画」的な文法にそれを乗せることである。弛むことのない緊張感。パーソナルな度合いが強かったドランのフィルモグラフィのなかで、明らかに『トム・アット・ザ・ファーム』は自分自身と、世の同性愛者が置かれた状況を異化して見つめることでそのフォルムの完成度を高くしている。
 ラストで流れるのはルーファス・ウェインライトの“ゴーイング・トゥ・ア・タウン”だ。「僕はアメリカにはうんざりなんだ」……。その歌声はそこで、逆説的に希望として響いている。「自由」はもしかしたら囚われの身でいることよりも困難で、不安なことかもしれないが、だからこそ踏み出す価値がある。逃げなければならない、僕たちは逃げなければならない……。

予告編

interview with Bok Bok - ele-king

 今年の元旦だっただろうか。リンスFMでの〈ヘッスル・オーディオ〉の番組でベンUFOとピアソン・サウンドとのB2Bに招かれたのは他ならぬボク・ボクだった。〈ヘッスル〉のふたりがダブステップをかけまくるなか、〈ナイト・スラッグス〉のリーダーはグライムで対抗。レコード屋の壁一面がダブステップだったゼロ年代初期、店員がヤングスタだろうがそこへグライムを求めに通っていたという男は、最後までけっして折れなかった。まさに現代版のセロニアス・モンクとマイルズ・ディヴィスによる喧嘩セッション。2014年のはじまりは血塗られていたのである(ちなみに、この3人はとても仲良しで後日にもB2Bをしています)。


Bok Bok
Your Charizmatic Self

Night Slugs / ビート

ElectronicDubstepGarageGrime

Tower HMV Amazon iTunes

 こんな出来事を紹介してしまったが、ボク・ボクは決してグライム原理主義者というわけではない。彼はロウ・ハウスからときにヒップ・ホップやジュークへと展開もさせられる技術と、あらゆるジャンルへの感受性と柔軟性の持ち主だ。〈ナイト・スラッグス〉のアーティストが集結するパーティのフロアに一時間立っていれば、彼ら全員がこの素養を持つフロアから「モテる」DJだという答えにたどり着く。ひとつのジャンルを一晩流しつづけるシリアスなパーティも最高だが、〈ナイト・スラッグス〉が持つどこにでも行ける「軽さ」(もしくはいい意味での「チャラさ」)もなければシーンのバランスが取れなくなってしまうのかもしれない。

 だがボク・ボクがグライミーでありつづけていることもたしかだ。EP『ユア・カリズマティック・セルフ』にはR&Bやファンクがある。〈ナイト・スラッグス〉の姉妹レーベルである〈フェイド・トゥ・マインド〉から2013年にアルバム『カット4ミー』をリリースしたアメリカのアンダーグラウンドの歌姫、ケレラが参加した“メルバズ・コール”。「ベース系」といわれるジャンルでは珍しくスラップ・ベースが使われている“ファンキエスト”。いままでボク・ボクがプロダクションであまり見せてこなかった姿がここにはあるものの、BPM130-140付近の曲の早さや空間を際立たせる技法、そしてベースの使い方はグライムである。自身のルーツとDJで培った「モテ感」が絶妙な作品だ。

 さて、このあたりでそろそろご本人に登場してもらいましょう。レーベルの過去と未来について、ロンドンの思い出、ディジー・ラスカルからDJラシャドまで、ボク・ボクは多くの質問に軽やかに答える。そして、最後まで読むといいことがあるかもしれません……。
(テキスト:髙橋勇人)

Bok Bok / ボク・ボク
音楽からファッションまで注目を集めるロンドンの若手クリエイター集団、〈ナイト・スラッグス〉の中心人物。そのネットワークはニューヨークにまで及び、姉妹レーベル〈フェイド・トゥ・マインド〉とともにアンダーグラウンド・シーンにおいて強い発信力と存在感を誇っている。自身のプロジェクトにおいては2011年の「サウスサイド」が脚光を浴び、本年リリースの『ユア・カリズマティック・セルフ』へは、デビュー・アルバム『CUT4 ME』(2014)が『ガーディアン誌』の年間アルバム・チャート7位にもなったヴォーカリスト、ケレラをフィーチャーするなど、先進的な動きをオーガナイズする嗅覚と手腕にも長けている。


建築って、建てられた時代によって当時の技術が反映される。なおかつ建築のプロセスでアナログ、つまり人力が使われないことはない。そういった感じで、自分たちは現在のテクノロジーをアナログの手法を取り入れながら音楽で表現したいという気持ちがある。

今日はあなたにプレゼントを持ってきました(『ele-king vol.12』を見せる)。この号では〈フェイド・トゥ・マインド〉を特集したんですよ。このグラフィックはキングダムがデザインしたものなんですよね?

ボク・ボク(以下BB):ワオー、ありがとう! このロゴをデザインしたのは僕なんだけど、背景のコラージュとかはキングダムがやっているよ。すごいね、見開きが4つも!

この会場(代官山〈UNIT〉)でDJしたことってありましたっけ?

BB:日本には何回か来ているんだけど、ここは今回が初めてなんだよ。この楽屋には友だちのサインがたくさんあるね(笑)。お、ヤングスタのサインがある。彼がロンドンのブラック・マーケット・レコードで働いていたときによくレコードを買いに行ったよ。2004年とかだったと思うけど、そのときにフロアで売っているレコードのほとんどがダブステップで、そんななか僕はグライムを買いによく店に行っていた。僕が聴きたいグライムのレコードを「この曲はクソだな! 俺が作るんならプロダクションはこうする」とかヤングスタは言っていたよ(笑)。

おお(笑)。それがいつの話ですか? 僕は店名がBMソーホーになってから行ったんですが、ダブステップはあくまでお店の一部という感じでした。

BB:それが2004年くらいかな。〈dmz〉とかがはじまった年でダブステップが盛り上がってくる時期だったんだよ。

以前、この部屋でアンディ・ストットとデムダイク・ステアにインタヴューをしたんですよ。デムダイク・ステアの「テスト・プレシング #5」はグライムみたいでしたよね。

BB:グライムが登場してからもう10年は経つけど、いまになってシーンに外のプロデューサーたちがグライムを取り入れたりしている印象だな。僕が最初にグライムを聴くようになったときと比べたら、現在はより多くのひとがシーンに注目しているのはたしかだ。僕は初期からシーンを追っていたから、当時を思い出してちょっとノスタルジアを感じるよ(笑)。ダニー・ウィードとかジョン・E・キャッシュとか懐かしい!

〈フェイド・トゥ・マインド〉と〈ナイト・スラッグス〉のロゴ・デザインはあなたが担当されたとのことですが、それらはポスト・インターネット世代のストリート感を象徴するデザインだと思います。

BB:おお! 僕も部分的にはそう思うかな。現在ってもう完全にコンピュータの時代だけど、僕がネットをはじめたときっていまほどユビキタスって感じではなかった。インターネットが発達する前後の境目が僕の世代なんだ。だから、僕よりちょっと年下のひとたちにも違和感を覚えるときがある。


グラフィティという意味でなら言うべきことはあるね。じつは僕はグラフィティをやっていたことがあるんだ。

初めて自分のパソコンを手に入れたのはいつなんですか?

BB:1999年くらいかな。でもそれは1.0世代のコンピューターだった。SNSも何もなくて、いまとはまったく違ったものだったな。マイスペース、フェイスブックもなければツイッターもなかった。

あなたのデザインを見ていると、いまはストリートがネットのなかにある気がするんですよ。ストリートというものはご自身のなかで重要なものなんですか?

BB:ストリートは広い意味だけど、具体的に言うと?

グラフィックのようなものから、自分たちだけの遊び場という意味です。

BB:グラフィティという意味でなら言うべきことはあるね。じつは僕はグラフィティをやっていたことがあるんだ。そのことをほとんど誰も知らないんじゃないかな。だから初期の〈ナイト・スラッグス〉のロゴもグラフィティ的なタイポグラフィの影響がある。だけど僕はもともと印字や文字列が好きなんだ。僕にはそういったデザインのバックグラウンドがあるからね。ストリート的なものが自分のデザインに関係しているだろうけど、それが直接的なのか間接的なのかはわからないんだ。

もし2014年の現在に〈ナイト・スラッグス〉をスタートさせていたとしたら、デザインは同じものになっていたでしょうか?

BB:判断するのは難しいけど、たぶん同じものになっていたと思う。僕たちはいろいろ経験を積んできたから、もちろん違ったデザインをする可能性もあるよ。でも僕はひとつのことに執着するタイプなんだ。いろんなものに毎日手を出すひともいるけれど、僕はそうじゃないかな。最初からそのマインドはずっと変わっていない。


僕たちは現在にいるから、そこから目を背けてしまったら偽っていることになると思うんだ。

もうひとつデザイン的な意味で言うと、近未来的な要素も〈ナイト・スラッグス〉にとっては特徴的だと思います。80年代へのオマージュのようにも見えますね。この数年来、そうしたリヴァイヴァルもありましたが、今度は時代が90年代へ向かっていると思います。90年代カルチャーで思い入れが強いものはありますか?

BB:その質問に答える前にいくつか付け加えることがあるな。僕は80年代に生まれて90年代に育ったから、そのあたりの文化に影響されているかもね。だけど、僕が音楽とアートワークをデザインするときは、自分の置かれていた環境を参照したりはしないよ。そのふたつがいかに上手く結びつくかをつねにチョイスしているから、創作のプロセスに取り入れるものは現在かもしれないし場合によっては過去かもしれない。
 2010年は本格的に〈ナイト・スラッグス〉をはじめた年なんだけど、当時のアートワークは80年代の初期にパナソニックが発表した「グライダー」(ロバート・エイブル・アンド・アソシエイツ制作)というヴィデオに影響を受けている。デザインを考えているときのリサーチをしている段階で見つけたんだよね。そこから僕たちのデザインは変わっていったけど、もとにはこの作品がある。



 これはかなり初期のCGによる作品で、シンプルだけど温かみがあるデザインが好きだ。全部デジタルだけど、ある種のソウルを感じない? これ以上細部にこだわったら、このテクスチャーは出ないだろうね。たしかに80年代を象徴するような作品だと思うけど、単純にこのヴィデオが持つフィーリングに惹かれたんだ。

未来を描いているようだけど、映像の主体が機械ではなく紙というところがおもしろいですね。

BB:そうなんだよ! 全部がデジタルなんだけど、冷たさは感じられないんだ。

そういう嗜好をお持ちなのは、アナログ的なものへの興味があるからですか?

BB:アナログのプロセスは大好きだ。現在ではかなり珍しいものになってしまったけど、大事にしていることのひとつだね。機材もアナログのものが多い。でも、それと同時にデジタルとアナログの組み合わせにも可能性を感じているんだ。仮にすべてアナログのみでプロダクションをしてしまったら、レトロ過ぎる仕上がりになってしまう。それだけはどうしても避けたい。だって僕たちは現在にいるから、そこから目を背けてしまったら偽っていることになると思うんだ。もちろん、現在だってアナログのみで作られた作品もたくさんあって、インスパイアされるようなものもあるけれど、同時におもしろくないものも多い。
 大事なのは最良の結果を導き出すことだよね。アナログの利点は暖かくて、人間味があって、操作の面でオープンであることだと思う。対してデジタルはプロセスが簡潔で音がクリーンだ。たとえば、建築って建てられた時代によって当時の技術が反映される。そしてなおかつ建築のプロセスでアナログ、つまり人力が使われないことはない。そういった感じで自分たちは現在のテクノロジーをアナログの手法を取り入れながら音楽で表現したいという気持ちがある。

『グライダー』を見てからいまの話をきくと、新作EP「ユア・カリズマティック・セルフ」は、まるであなたのトラックが部屋で、ケレラの歌が紙飛行機だというふうにも感じられます。

BB:その解釈はおもしろいね。じつは今回のEPのプロダクションではアナログの音源をかなりたくさん使っている。それを最終的にデジタルで処理するんだけど、それが僕のスタイルなんだよ。

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「ファンキー」って言葉は自慢するときによく使われるんだ。そして、ファンクは滑らかなソウルへの反抗でもあったわけだからね。

このEPでおもしろいところは他にもあって、たとえば“ファンキエスト”という曲があります。「ファンキエスト」は「ファンキー」の最上級ですが、この曲はファンクネスからむしろファンクを削ぎ落して残ったものという感じがするんです。

BB:なるほど。スタイル的にはファンクじゃなくてグライムだしね。

どうして“ファンキエスト”という名前なんでしょうか?

BB:「ファンキー」って言葉は自慢するときによく使われるんだ。「俺が最高でもっともファンキーだ!」とか、「5分後、俺が最高にファンキーになってやるぜ」とかね(笑)。
 そうやって「ファンキー」は人間味とかを意味することもあるけれど、同時に堅くて尖っているものを指したりもする。たとえばファンクのスラップ・ベースも尖った音だよね。ファンクは滑らかなソウルへの反抗でもあったわけだからね。この曲のサウンド面で意識したのは、スタイルとしてのファンクではなくて、そういったフィーリング的なものだね。もともとそういう表現が好きで、それをテーマに作ってみた。

そういった堅さや尖ったイメージというものが、あなたのスタイルや〈ナイト・スラッグス〉にはあると思います。ファンクからファンクを削ぎ落していったようにも見えるけれど、いまおっしゃった意味でもっとも「ファンク」なんだというのが逆説的でおもしろいです。

BB:ファンクの定義を何とするかでファンク・ミュージックは大きく変わってくる。でも、自分にとってファンクとはいろんなものが集まってできたものなんだ。抽象的というのとは少し違うんだけど、多様な要素を取り込むという意味では自分がやっていることに繋がるものがある。それと同時にグライムというものが自分にとっては本当に大事な要素だったから、サウンドはぶれていないんだ。

あなたは過去にもグライムの素晴らしい曲をリリースしていますし、オールド・スクールのグライムにも精通しています。“サイロ・パス”という曲ではディジー・ラスカルの“ゴー”をサンプリングしていますよね。少し前ですが、2012年のロンドン・オリンピックの開会式にはディジー・ラスカルが登場しました。あなたはそれをどのように見ていたのでしょう?

BB:ディジー・ラスカルはもはや人間国宝みたいなものだからね。彼のファースト・アルバムはゲットーでの暮らしについてのものだった。最近の曲では、彼はふたつの選択で迷う自分についてラップをしたりする。「俺はゲットーに戻るべきか、それとも夢を追うべきか」みたいにね。いまとなっては、ディジーはグライムを超越する存在になった。ファッションに夢中になり過ぎていたこともあったけど、最近はまた昔のスタイルに戻りつつある。その一方で彼はポップ・スターなわけだ。彼のロール・モデルはすごいと思うよ。オルタナティヴであると同時に国宝級に大きな存在であるわけだからね。セレブの世界にだって彼はいける。オリンピックの開会式への出演はまさにそんなディジー・ラスカルの両義性を象徴していると思う。


ディジー・ラスカルはもはや人間国宝みたいなものだからね。彼のロール・モデルはすごいと思うよ。オルタナティヴであると同時に国宝級に大きな存在であるわけだからね。

ブリストルのカーン&ニークは〈バンドゥール〉を立ち上げて、グライムのリリースをレコードしています。彼らは現在もダブプレートを切っていますが、その活動についてどう思いますか?

BB:昔は僕もダブプレートを切っていたんだけど、値段が高くなってしまったからもうやらなくなった。それに、どんなメディアを使おうが自分の音楽には関係ないと思う。自分はCDJも使うから、ダブプレートの音がいいのはわかるけど、そこにこだわる必要はないんだよ。もちろん、いまもダブプレートを切っているひとたちを尊敬しているけどね。

ちなみに、グライムにはMCも重要な要素ですが、どうしてあなたはMCをやろうと思わなかったんですか?

BB:プロダクションの面に関しては自分はいけると思ったけど、MCの才能が僕にはなかったからね(笑)。

最近のダンス・ミュージックの傾向として、たとえばテセラらスペシャル・リクエストのようにジャングルやレイヴの要素を積極的に取り入れる動きがあります。このような流れのなかで、あなたはどうしてジャングルをやらないんでしょうか?

BB:単純に自分のバックグラウンドにジャングルがないんだよ。それに僕は起こったことをフォローするタイプの人間じゃないから、無理にトレンドを追うことはしない。

あなたにとってジャングルとグライムは何が違いますか?

BB:自分が15歳くらいのときにグライムをリアルタイムで体感できたことは大きな差になっているね。ジャングルには間に合わなかったからさ。取り巻く文化もぜんぜん違うよね。ジャングルはドラムンベースになって文化的な意味で「終わり」を迎えた。グライムはガラージから発展したものだけど、当時はそれが単なる移行ではなくて新しい文化が芽生えたように思えたんだよ。
 音楽そのものにしてみても、グライムはテクノのフォーマットにとても似ている。メロディとノン・メロディや、音楽的なものと非音楽的なものの境を行きできる点とかね。ジャングルだってもちろんそうだけど、なぜか自分にはピンとこなくてね。それに対してグライムは自分にとってとても響く存在だったんだ。


ジャングルはドラムンベースになって文化的な意味で「終わり」を迎えた。グライムはガラージから発展したものだけど、当時はそれが単なる移行ではなくて新しい文化が芽生えたように思えたんだよ。

〈ナイト・スラッグス〉は今年で6周年を迎えて、最初の領域からだいぶ広がって世界的な規模で動いていると思います。もともとの形──小さなパーティというレベルに戻したいという思いはありますか?

BB:戻りたくはない。たしかに前よりも多くの場所でDJするようになった。今度はツアーで南アフリカへ初めて行くんだ(笑)。でも自分の活動は同じものが長く連続しているだけだよ。僕はそれに関してかなり前向きに考えている。レーベルを6年やってきたけど、ジャンルについてもあんまり考えてこなかったな。つねにフィーリングを大事にしてきたからね。そういった姿勢は少なくとも僕の立場から見ると変わっていない。

パーティのような、集まりであったり現場であったりというところに原点があるわけではないんでしょうか?

BB:現在はスタジオにいる時間のほうが長いから、パーティの現場へ行く時間は前よりは減ったかな。最初の2年くらいは、音楽を作っている仲間の作品の発表場所として現場を重視していたけど、2008年くらいから曲をリリースできるようになった。活動の領域が変わったのはそこからだね。

作品をリリースしていくことがレーベルの大きな目的だったんですか?

BB:そういうわけでもなかったよ。最初はリリースするものが何もなかったからね。DJをはじめて曲を作る前から、僕は音楽のコレクターだった。だからレーベルを立ち上げて曲をリリースするのは夢ではあったよ。それがいまではできている。でも、「いまみたいになりたい!」と昔から強く思っていたわけでもない。当時の自分のまわりにいた音楽仲間に恵まれていて、彼らと何かやってみたいと思っただけなんだよ。

この質問は日本のファンのためにも整理しておこうと思うんですが、〈ナイト・スラッグス〉と〈フェイド・トゥ・マインド〉の関係はどういったものなんですか?

BB:オーケー! 〈ナイト・スラッグス〉のあとにできたのが〈フェイド・トゥ・マインド〉で姉妹レーベルにあたる。たまにぶつかることもあるけど、家族のケンカみたいなものだよ。だから双子ではなくて兄弟なんだ(笑)。クルーそれぞれがユニークなアイディアをもっているからね。〈フェード・トゥ・マインド〉はアメリカ的なものを、〈ナイト・スラッグス〉はロンドンの側面を体現していて、それぞれのアイデンティティがある。でも通じるものがあるからコラボレーションもするんだ。

ロンドンとアメリカの関係を作りたかったという意図はあるんですか?

BB:そうじゃないよ。〈フェイド・トゥ・マインド〉はキングダムが自発的にはじめたレーベルだからね。彼がレーベルをはじめるときに、僕はロゴのデザインを頼まれたんだけど、「そうしたらレーベルは〈ナイト・スラッグス〉みたいになっちゃうよ?」って言ったんだ。するとキングダムは「それでいいじゃん!」って快く答えた。そこからいまのような関係に発展したんだ。ちがう場所に尊敬できる相手がいることは、自分に夢がかなったような気分だな。


彼がレーベルをはじめるときに、僕はロゴのデザインを頼まれたんだけど、「そうしたらレーベルは〈ナイト・スラッグス〉みたいになっちゃうよ?」って言ったんだ。するとキングダムは「それでいいじゃん!」って快く答えた。

今日は〈テックライフ〉のTシャツを着ていますが、この会場はラシャドが東京でプレイした最初で最後の会場です。彼とフットワークについて意見があれば教えてください。

BB:彼は音楽的に多くのものを残した。80年代のシカゴ・ハウスのときからフットワークのシーンにはすごい才能を持ったプロデューサーがたくさんいるけど、ラシャドはそれを世界に広める役割、つまり大使のような存在だったね。彼はフットワーク以外のジャンルのプロデューサーと交流してメッセージを広めていた。

リンスFMでP.O.L.スタイルとともにラシャドの追悼セットをしていましたが、誰のアイディアだったのでしょうか?

BB:その日は僕がリンスでプレイする予定で、ポール(P.O.L.スタイル)が僕のゲストだった。前日のラシャドの訃報が届いたんだけど、そのときのムードがかなり緊迫したものだったから、なんとかしなきゃなと思ったんだ。だからいろんな種類の音楽をかけて追悼することにしたんだ。あれは正しい選択だったと思っているよ。ラジオでかけたことがない曲もたくさんかけて、世界中のリスナーと共有できたしね。

ファッションが昔ほど音楽カルチャーを引っ張らなくなりましたが、たとえばファッション、あるいはヴィジュアル表現へのこだわりはありますか?

BB:たしかにそのとおりだね。いま世界では文化が単一化していて、どこに行っても似たような格好のひとが増えた。ファッションに音楽が入る余地がなくなってきているように思える。
 僕の場合、ファッションと音楽って必ずしも結びつくものではないんだ。スケートボードにはまったときに、ヴィデオをみたりしてヒップホップとパンクが結びついていることに影響されたりはしたけどね。
 〈ナイト・スラッグス〉のヴィジュアルに関しては音楽のアイディアやフィーリングをもとにしている。ファッションについてはあんまり考えてはいないけど、いつかできたらいいな。

〈ナイト・スラッグス〉はひとつのスタイルを提示してきました。そして、その中心にはあなたがいましたね。2020年までにあなたが提示していくもののなかに何を期待できるでしょう?

BB:難しい質問がきたね(笑)。いまと同じ価値観を保ちつづけているかぎりは同じことをやっていくと思う。いまのスタンスでまだまだできることは多いと思うんだ。音楽的にはより多くの要素を取り入れてみたい。アートをより経験的なものにするアイディアも出てるんだよ。たとえばアートワークと音楽にしてみても、インスタレーションみたいな形で表現することだっておもしろそうだよね。こんな感じで可能性はたくさんはあるけど、自分がいままでやってきたことを続けていくよ。


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『ele-king vol.12』
特集◎2013年ランキング、ブリストル・ニュースクール、ポスト・ジャズ
ISBN 978-4-907276-08-9
192ページ、電子書籍版へのアクセスキー付
本体1,500円+税

■応募方法
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・この記事についてツイートしていただき、そのツイートページのアドレスを記載してください
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■締切
10/31(金)24:00まで

■当選のお知らせ
11/7までにご当選者の方に弊社からメールにてご連絡いたします。
その際に送付先のご住所やご氏名をお訊ねいたします。

どうぞふるってご応募ください!

Chim↑Pomに捧げる! - ele-king

 「三田さんは僕の音楽をいつも全否定するんですよ。だからプロデュースをお願いしようと思って!」「あはははは!」というやりとりののちに、制作者たちによるライナーを眺めて2度爆笑した。いや、黒笑というべきだろうか。三田格のブラック・ジョークが炸裂した名ライナー(しかもご丁寧に英訳されていて3度黒爆笑だ)も必見の、why sheep? 11年ぶりのサード・フル・アルバム『REAL TIMES』が〈U/M/A/A〉からリリースされた。

 ジャケットとなる作品は、きわどく社会への問題提起をつづけるアート集団Chim↑Pomによるものだが、3.11以前から彼らにジャケットを依頼することは決まっていたそうだ。震災は予定外の出来事だったが、その直後にChim↑Pomによって現地で制作された作品とその展示「Real Times」から大きく感銘を受けたwhy sheep? は、本作を『REAL TIMES -dedicated to Chim↑Pom-』として完成させた。ゲストにもUA、EYE(ボアダムス)、Cuizinier(TTC)など豪華な顔ぶれがそろう。また、ブックレットには渋谷駅にて撮影された写真も使用されている。

Chim↑Pomによるアートワーク
Red Card
2011 ©Chim↑Pom
Courtesy of MUJIN-TO Production, Tokyo

Why Sheep?
Real Times -dedicated to Chim↑Pom-

U/M/A/A

2014年10月8日(水)発売
UMA-1044 / 価格2,500円(税込)

Tower Amazon

■収録トラック
1.Rue Pierre Leroux
2.Radiation #1
3.11th (Away From The Borders, Close To The Borderless) feat.EYE
4.Somewhere At Christmas
5.Radiation #2
6.Grum Sai Grum
7.On My Answering Machine
8.relativisme extrême
9.Mandarake feat.Cuizinier(TTC)
10.Empathy feat.UA -PUSH-
11. Sênga (Empathy Reprise)

■プロフィール
Why Sheep? (内田学)
細野晴臣のレコーディング・アシスタント等を経て、WHY SHEEP? 名義でM.O.O.D(Moodman主宰)より1996年伝説的なファースト・アルバムをリリース。国内外のメディアで大きな反響を呼ぶ。その後アジア、ヨーロッパを中⼼に世界各国を放浪。7年間の沈黙の後、2ndアルバム『The Myth And i』が日・欧・米と世界発売される。数々のリミックスや映画等のサントラ、プロデュース等を手がけると同時にサマーソニック等、国内外での公演を精⼒的にこなす。2007年には、⾳を禅の作庭術になぞらえたサウンド・アートプロジェクト“枯⼭⽔サラウンディング”を⽴ち上げクリエイティヴ・ディレクターを務める。東急多摩川線全駅を使った多摩川アートラインプロジェクトでの作品「八水響」などが有名である。2010年には故マイケル・ジャクソンの伝記『マイケル・ジャクソン・レジェンド』(チャス・ニッキー=バーデン著)の監修も手掛け、初版1万部が予約のみで完売する。3.11以降、アーティスト集団Chim↑Pomの映像作品"気合い100連発"にリミキサーとして参画し、トークイベント"Rm311"を開始する等、⾳楽活動の領域を超えて勢⼒的に活動し、2014年秋、集⼤成ともいえる3rdアルバム「Real Times」をリリースする。

■Chim↑Pom の『Real Times』展とは
2011年5月20日-25⽇に無⼈島プロダクションで開催した芸術実⾏犯「Chim↑Pom」の個展。
2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発での事故を受けて制作された作品群。巨大な現実を前にアートの無⼒が語られ、多くの展覧会が⾃粛された中、Chim↑Pomは現地に赴いて作品を制作。また、渋谷駅に永久設置されている、日本の被爆/被曝のクロニクルとも言える巨大壁画「明日の神話」に福島原発の事故の絵をゲリラで付けたし社会的事件を引き起こした。それらの作品で構成された「Real Times」展は、日本における震災・原発事故への代表的なレスポンスとして、国内のみならず海外でも大きく報道された。
https://chimpom.jp


interview with Interpol - ele-king


Interpol
El Pintor

Matador / ホステス

Indie RockPost-Punk

Tower HMV Amazon

 ニューヨークを代表するバンド、インターポールのデビュー・アルバム『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』が各メディアから絶賛され、時のアルバムとなったのが2002年。ロックンロール・リヴァイヴァルにポスト・パンク・リヴァイヴァルと、「リヴァイヴァル」からはじまったインディ・シーンのモードに先鞭をつけた作品のひとつだ。いまだにいわゆるバンド・サウンドというと、このころ出てきたアーティストたちの音の射程を抜け出せないところがあるというか、彼らはそもそも使い古した型である音楽のいちスタイルの、その半永久的な強度をもった部分だけを摘出してやすりをかけて、無限のリサイクルに耐えるものに鍛えたというようなところがあるから、フランツ・フェルディナンドにしろ、ザ・ストロークスにしろ、そうした作品の数々が途切れることなく後続を生むのは理屈にたがわない。2000年代を生きつづけてきた『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』は、当初「ジョイ・ディヴィジョンのような」と形容されまくったが、ジョイ・ディヴィジョンのようなバンド、あるいはジョイ・ディヴィジョンに影響を受けたバンドなら、その一点においてはもっと秀でた存在が他にももっといるだろう。しかし、インターポール以降の「そういった」バンドは、「インターポールのような」バンドである可能性も高い。彼らがやったこととは、おそらくそういうことではないかと思う。

 そして、だからこそデビューから10何年を経たいまも、前線を走るというわけではないけれども彼らは良質なポップ・ミュージックとして息を継いでいける。インディ・バンドのようなたたずまいを崩さずに、メジャーな市場においてアルバム5枚と多くのシングルをリリースし、2000回を超えるというショーをこなし、メンバーによってはソロ活動なども並行して行いながら年齢を重ねてきたインターポールに、今作『エル・ピントール』について訊ねた。答えてくれたのはドラマーのサミュエル・フォガリーノ。グレッグ・ドルディに代わってデビュー作の頃からインターポールのサウンドを支えてきたメンバーだ。今作からはベースのカルロス・D脱退にともなって3ピースでの制作となったが、前作のツアーから参加している、ザ・シークレット・マシーンズのブランドン・カーティスや、ポップ職人、ロジャー・マニング・ジュニア、またアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズなどにも参加するマルチ・インストゥルメンタリスト、ロブ・ムースなどさまざまなゲストを迎えており、音としてはむしろリッチに仕上がっている。

 また、本文に入る前に、彼らが当時のニューヨークを代表するバンドとはいえ、その人気に火をつけたのがUKのポップ・シーンだったことを付言しておきたい。それは最初のシングル(「Fukd I.D. #3」、2003年)がスコットランドの名門〈ケミカル・アンダーグラウンド〉からリリースされていることにも顕著で、2001年には早々とジョン・ピール・セッションにも登場している。ギャング・ギャング・ダンスやブラック・ダイスのブルックリンとは異なるニューヨークの重要バンドとして、UKを刺激するロック・バンドだったということは、彼らを説明する上では外しがたい点だろう。

■Interpol / インターポール
1997年ニューヨークにて結成。2002年に〈マタドール〉よりデビュー・アルバム『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』を発表。同年を代表するアルバムとして注目を浴び、大きなセールスを記録した。2007年のサード・アルバム『アワー・ラヴ・トゥ・アドマイヤー』(キャピトル)は、全米チャート第4位、全英チャート第2位。そして2014年、2010年の『インターポール』以来約4年ぶり通算5作めとなるスタジオ・アルバム『エル・ピントール』を発表。


ニューヨーク、あの街のエネルギーに駆り立てられるんだ。

むかしからUKのアーティストと比較されることが多いと思います。いまさらながらにポストパンクという文脈と比較することは控えますが、実際のところ、UKのバンドと錯覚するような音の系譜にはあるかと思います。実際のところ、そのあたりのルーツをどのように考えておられますか?

Sam Fogarino(以下SF):俺には正直何とも言えないな……。人が何を感じるかは自分たちにはコントロールできないし。ロック・ミュージック、つまりギターが基本となっている音楽をやる中で、自分たちのアイデンティティを見つけようとしているのが俺たち。他のバンドもそれをやっていて、その中でいろいろな比較やカテゴライズがされているんだろうけど。自分たちのロックンロールを探求する、最初の時点ではそれが自分たちが音楽を作る理由だった。曲を作っているアーティストやバンドはみなそうだと思う。それでも人と比較されてしまうのは仕方のないこと。俺たちが気にしているのは、誰であれ俺たちの音楽を気に入ってくれる人がいるということ。俺たちは、自分たちがやりたいことをやっているだけなんだ。

NYという場所から音楽を発することを意識しますか?

SF:どうだろうね。もちろん、NYに繋がる強いアイデンティティは持っていると思う。でも、やれと言われればどこでも音楽はできるよ。ニューヨークでの生活が長いから、思い出がたくさんあって曲にしやすいだけなんだ。長い時間を過ごしてるから、自分たちの一部みたいになってしまっていて(笑)。俺はもうニューヨークに住んでさえいないんだけどね。いまは南部、ジョージアに住んでるんだ。でもバンドのベースはニューヨークだから、しょっちゅうニューヨークにいるけどね。あと、あの街のエネルギーも関係あると思う。あのエネルギーに駆り立てられるんだ。でも、いつか他の国でレコードを作るのもおもしろいかもしれないね。

文化的に非常に強い発信力を持った地域でもありますよね。そのカルチャーを引っ張るというような意識があったりしますか?

SF:あるかもね。その責任を負いたいとまでは思わないけど(笑)。でも同時に、ここまで自分たちと強く結びついているっていうのもすごくいいことだと思う。軽くは考えてない。名誉だと思ってるよ。

“NYC”のニューヨークから10年ほど経ちますが、もっとも大きな変化だと感じられるのはどのようなものでしょう?

SF:実際には12年なんだ。時間が経つのは早いな。たくさんのことが変わらずそのままだと思うけど、やっぱり人生の中で前より経験を積んでいるから、いろいろなことがベターになってる。自分たちのやることすべてがね。もっと自信がついているし、ちゃんと考えて活動できるようになってる。若い頃って、多くのことが偶然起こってるって感じだった。だけどいまは、やりたいと思うことがちゃんと計画してできるようになったんだ。さまざまな場所を旅して、パフォーマンスを続けてきたから。計2000公演もやればベターになるよな(笑)。自然の流れや偶然に任せるんじゃなくて、もっと自分たちでいろいろと操れるようになってきたんだ。

デビューの頃から、みずみずしさよりは達観したような物腰があったかと思うのですが、歳を重ねたこととバンドが生み出す音とはどのように影響しあったと思いますか?

SF:歳を重ねると、自分の周りのものや人生がそこまでミステリアスではなくなってくる。いろいろなことがより簡単になってくるんだ。自分を苛立たせていたものがそれほど気にならなくなったり。音楽も、それ以外のこともそうだね。

ファンも年齢を重ねていると思いますが?

SF:ファンの年齢層は広いよ。ステージからは、18歳から50歳くらいのファンが見える。すごく幅広いんだ。

なるほど。では、いまだからこそ、『エル・ピントール』だからこそ表現できたと思うところはどのようなところでしょうか?

SF:各レコードが、書いているそのときを反映していると思う。そのときの自分たちと強く関連しているんだ。活動をつづけていくにつれファンの年齢層も広がって、自分たちも経験を積んできた。だから、いまの俺たちはより人に語りかけることができるようになってきたと思う。より説得力が増してきたというか。あと、共感もしやすくなっていると思う。そうだな、説得力よりも共感という言葉のほうが適切かも。そこは歳をとることのプラスな部分だね(笑)。

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いまの俺たちはより人に語りかけることができるようになってきたと思う。より説得力が増してきたというか。あと、共感もしやすくなっていると思う。そうだな、説得力よりも共感という言葉のほうが適切かも。

このアルバムを通じてどのようなことを伝えたかったのでしょう?

SF:最初の時点では、メッセージを込めるというよりは、自分たちが作りたいレコードを作っていたんだ。より直接的な、ポイントをダイレクトに突いた作品を作りたかった。ありがたいことに、リスナーもそれを聴きたがっていたからうまくいったんだ。大切なのは、自分たちが作りたいものを、自分たちの手で作るということだと思う。それがあればこそ、自分の正直さや誠実さを伝えることができるんだと思うから。「俺たちが作った作品が聴きたい」それがみんなが求めていることだしね。

今作もミックスがアラン・モウルダーということですが、前作よりさらにフィットするようになったのではないでしょうか? 楽曲もそうですが、落ち着いていて、かつどことなくセクシーな感触の音だと感じました。

SF:だよね。彼は最高なんだ。君の意見には俺も賛成。たしかに前作よりはフィットしていると思う。俺たちが、前よりベターなアルバムを書いたからね(笑)。元は大事だから。

はは(笑)。元がよくなったのももちろんですが、彼自身の作業がより自分たちの作品にフィットするようになってきたとは感じますか?

SF:そうだね。彼は俺たちのことをより理解しているし、俺たちが何を求めているかもわかってる。あと、今回は彼とすごく親しいエンジニアといっしょにレコーディングしたんだ。だから、以前よりもさらにチームワークといった感じだった。みんながお互いを知っていたからね。それもよかったんだと思う。

10年前にやっておけばよかったと思えるようなことはありますか? 音楽においてもそうしたことがあれば教えてください。

SF:ノー(笑)。なるだけ過去は振り返らないようにしてるから。前進しようと心がけてるんだ。いまを大事にすることもね。10年前の自分のよくなかったところは、過去を振り返って、ああしなければよかった、こうしなければよかったのかも、と考えていたこと。いま自分が置かれている瞬間のことは気にかけずにね。それではバンドはベターにならないのに。いま与えられているものが自分が持っているすべてなんだから、やっぱりそこにフォーカスするのが大事なんじゃないかな。いま自分がやっていることだけを気にかけるっていうのが、後悔を避けるいちばんの方法だと思うよ。

毎度、ゲストとのよい緊張関係のなかでアルバムがつくられていますが、ロジャー・マニング・ジュニアやロブ・ムースとの仕事はいかがでしたか?

SF:誰だって? 彼らのことは知らないんだけど……(笑)。

本当に? 知らないですか(笑)? ロジャー・マニング・ジュニアとロブ・ムース。

SF:からかっているんじゃなくて、本当にわからない(笑)。彼ら、アルバムで何をやったかわかる?

楽器で参加したと思うのですが……。

SF:あー! やっとわかったよ。俺は彼らに会ってさえいないんだ。彼らは主にポールとダニエルと作業してたから。自分のパートの作業が終わったあと、俺は現場に残らず、あとの作業は彼らに任せてたからね。だから知らなかった(笑)。でもいい仕事はしてくれたと思う。完成した作品にはすごく満足してるんだ。この質問はポールに聞いて(笑)。

そうなんですね。ではブランドン・カーティスさんについてなんですが、彼はバンドの音にサイケデリックな奥行きを加えていると感じます。3人体制となったことで音をしぼっていく方向もあったのではないかと思いますが、今後のバンドの向かう音としてはどのようなイメージをもっていらっしゃいますか?

SF:どうだろうね。自分たちでもわからない。いまのレコードから将来どう進んでいくかはまだ見えてないんだ。でもきっと、来年のツアーでいろいろ見えてくると思う。何かいいアイディアが思いつくんじゃないかな。でもそれまでは無理に捜そうとせずに、見つかるまで待っていようと思う。ブランドン・カーティスはインターポールにとってアシッドなんだ。欠かせない人物だね。

3人体制になってからサウンドは変わったと思いますか?

SF:やっぱりダイレクトになったと思う。より核心を突いたサウンドに戻ったと思うね。

音楽の作り手として、まだ見ぬ新しいフォームを見つけだしたいと思いますか? また、最近そうした新しい音楽のかたちが生み出されていると感じたアーティストや作品はありますか?

SF:最近はあまりそういった作品は聴いてないな。そういう作品が自分で聴きたいからと思って見つかるものでないように、そういうのはやっぱり見つけるものではなくて、自然と生まれるもの、見つかるものだと思う。気を張っていては生まれないものなんじゃないかな。だからいずれ見つかるかもしれない。それがいつになるかはわからないけど(笑)。見つかればいいな。

曲作りでは、あらかじめアイディアを持って取り組んだりはしない方ですか?

SF:ダニエルが最初のアイディアをまずたくさん書くから、ちょっとした構成はあるよ。でもそこからお互いにアイディアを乗せていくから、その共同作業からいろいろと新しいものが生まれてくるんだ。プロセスの途中でどんどん変化していくんだよ。

プレイすることの喜びと、曲が人々に浸透し愛されることの喜びとではどちらのほうが大きいですか?

SF:おもしろい質問だね(笑)。そのふたつを分けることはできないよ。どちらも重要だから。でも人を自分の音楽でハッピーにするには、演奏している上で自分自身がハッピーであることが前提だと思う。だから、自分自身の喜びがまず最初にくるかな。そこに人がついてくるんだと思うから。

どんなときに、自分の音楽が人々に愛されているなと実感しますか?

SF:よくわからないけど、あるときふと自然にそういう瞬間がくるんだよね。でも、俺はあまり自分が愛されているという考え方はしないようにしてるんだ。そういう考えを持っていないほうが、それを感じたときにいいサプライズになるからね。世界の人々が俺たちの音楽を聴きたがっていること、ライヴを楽しみにしてくれていることを感じられる瞬間が。そういう状況は、当たり前と思うには最高すぎる。つねに控えめでいることが大切だと思うね。

interview with Photodisco - ele-king


Photodisco
SKYLOVE

Pヴァイン

ElectronicDream Pop

Tower HMV Amazon iTunes

 子どもの頃、ずっと空を見上げていたあの時間はどこへ行ったのだろう? フォトディスコの3年ぶりのセカンド・アルバムとなるその名も『SKYLOVE』は、その時間をじつに自然なやり方で取り戻す。メロウで清潔で、そして無邪気にドリーミーなフォトディスコらしいメロディが豊かに色づいている本作は、はっきりと「空」をコンセプトとして掲げることで、彼が描こうとしているものが何かを簡潔に示している。ここでフォトディスコが映し出す空は、都市生活者がふと見上げるビルの谷間の空であり、幼い頃虹がかかっているのを発見してはしゃいで指さした記憶のなかの空であり、あるいはどこまでも広がる想像上の宇宙としての空でもある。

 日本におけるチルウェイヴとしてベッドルーム・ポップ愛好者から人気を集めたフォトディスコだが、海外のチルウェイヴがサウンド的に分散していったこの3年という期間を経て、より純粋な意味でエレクトロニカに近づいたように聞こえる。
 “Rainfall”における雨の音のフィールド・レコーディング、あるいは“Endless Love”の透明感のある音使いにはかつてフォークトロニカと呼ばれた感性が息づいているし、アコースティック・ギターの柔らかなリフレインと多重録音によるコーラスの重なりが光を乱反射させる“虹”は、彼のなかの眩い叙情性が溢れだすかのようである。ビビオやフォー・テットといったエレクトロニカ勢、あるいはノサッジ・シングやバスといったLAビート・シーン周辺のトラック・メイカーの現在とも緩やかにリンクしつつ、しかし日本的な色づけも忘れてはいない。“夕暮れ”ではポップスに対する野望を滲ませ、あるいは以下のインタヴューで本人も発言しているようにビートでの挑戦も見受けられる本作ではあるが、描き出す風景やムードはこれまで彼が育ててきたものをより純化させているように感じられる。
 移り行く季節や時間に不意に自分自身が溶け込んでいく瞬間や、過ぎ去った記憶が不意に蘇るような感覚。その甘美さこそが、フォトディスコのポップ・ミュージックとしての強度である。寝ていても醒めていてもいい、夢見心地でいることは、音楽がもたらす豊穣な時間であることを『SKYLOVE』は証明している。

■Photodisco / フォトディスコ
ギターを軸に、シンセ、環境音などをDAW上でミックスする東京在住の音楽家。作曲、演奏、録音、映像などすべて一人で制作している。2009年に本名義での楽曲制作をはじめ、2010年に自主盤としてそれまでのコンピレーションを、翌2011年には〈Pヴァイン〉よりファースト・フル『言葉の泡』をリリース。シネマティックな音像、ベッドルーム・マナーな楽曲群は“和製チルウェイヴ”として注目を集めた。その後〈アンチコン〉のビートメイカー、Bathsの来日公演に出演するほか、オムニバス作品などへも参加、さまざまなメディアで自身の楽曲が使用されるようになる。本年10月にはセカンド・アルバム『SKYLOVE』が発表された。


ガンダムとかって、宇宙のことも「そら」って言うじゃないですか。そういうのを描きたいなって思ったんですよ。

ファースト・アルバム『言葉の泡』からほぼ丸3年なんですけど、最近だと3年ってけっこう――。

PHOTODISCO(以下、PD):長いですよね(笑)。

ネット時代の体感では(笑)。この3年間ってどんな時間でしたか?

PD:自主で出したりもしたんですよ。

そうですよね、カセットで。

PD:はい、アナログ媒体に興味があったのでカセット出そうかなと。あとは……曲をけっこう作ってたんですけど。

曲はずっと作ってたんですか?

PD:作曲はずっとやってましたね。曲は溜まってたんですけど、ただ、これだっていうのがあまりできなかったので。今年に入ってやっと形ができてきたんですよね。

それはコンセプトが見えてきたという?

PD:いや、コンセプトの前ですね。曲が沸々と上がってきまして、じゃあアルバム出そうかっていうことで、じゃあコンセプトを考えようっていうことで。ただコンセプトを考えはじめたときから曲作りのスピードが速くなりました。僕は与えられたほうがけっこう作れる人間なんだなあって。

それまでによく聴いていた音楽ってありました?

PD:そうですね、いちばん聴いてたのは……トロ・イ・モワとかウォッシュト・アウトとかもそうですし。チルウェイヴ勢とか、デイデラスとかフライング・ロータスとかのLAビート周辺だったりとか。ティーブスであるとか。

じゃあチルウェイヴ・その後っていうのは丹念に追ってらしたんですね。

PD:はい、リスナーとして追ってましたね。

どういうふうに見てました? ポスト・チルウェイヴというか、チルウェイヴ第一世代のその後の展開というか。

PD:みんなバンド・サウンドに行きましたけど……彼らって結局バンドに憧れてたキッズたちなんだなって。バンドしても解散したりするし、意志の疎通がうまくいかないとかで曲が生まれないとか(笑)、音楽活動として思い通りに動かないじゃないですか。だけど根っこはロック・リスナーだと思うんですよね。それで成功してからバンド形態になってやってるんじゃないかなと。

たしかに。彼らの場合はライヴをやらないといけないっていうのもありますしね。そんななかで、フォトディスコとしてもバンド・サウンドに惹かれたりすることはそんなにはなかったんですか?

PD:やっぱり惹かれますよね。

ああ、そうなんですか。

PD:惹かれますけど、やっぱり自分の脳内でできた音楽が世に出るってことが僕にとっていちばん大切なことなので。やっぱりひとりでやったほうがいいかなと。

前作のときに「チルウェイヴを勉強した」ってお話されてたんですけど、やっぱりチルウェイヴがおもしろかったんですね。

PD:おもしろかったですね。

でも実際、どうでした? フォトディスコって和製チルウェイヴって紹介がすごくされましたけど、違和感とか抵抗感とかはなかったんですか? 

PD:それがまったくないんですよね。実際にはすごく大きな流れだったのに、なぜかちょっと否定的に言われましたよね。僕はそう呼んでいただけるんならそれはそれでいいって感じです。


エモのひとたちってある時期、だんだんフォークトロニカ風になるんですよね。

なるほど。今回、新作を聴かせていただいて、僕はチルウェイヴよりもエレクトロニカであるとか、10年ぐらい前フォークトロニカって呼ばれたものをすごく思い出したんですよね。そもそもフォトディスコのなかで、エレクトロニカみたいなものって好きなテイストとしてあるんですか?

PD:ありますね。昔エモって言われたひとたち――ゲット・アップ・キッズとか。で、エモのひとたちってある時期、だんだんフォークトロニカ風になるんですよね。ポストロックも結びつくし。そういうのも聴いてたんで、影響を受けてるところもあるのかなって。

ああ、なるほど。僕が84年生まれでウォッシュト・アウトと同い年なんですけど、ちょうどエレクトロニカあたりが記憶としてあるんですよね。その時代を思い出すというか。フォー・テットなんかもお好きですか?

PD:好きですね。

なんとなく、ウォッシュト・アウトがセカンド・アルバムでフォー・テットを勉強したって話とどことなくリンクするところがあるのではないかと思って。

PD:へー、そうなんですか。それおもしろいですね。

今回のアルバムで、いわゆるチルウェイヴと呼ばれる音と離れようと意識したっていうのはありますか?

PD:ありますね、やっぱり。僕はチルウェイヴっていうのは精神論だと思うので、それはずっとありつづけることだと思うんですけど。ただ音色的にチルウェイヴ的なものっていうのが広がり過ぎたかなって思ったので、そこはカブらないようにしようっていう意識で。

その音色的なもの、あるいはサウンド的な方向性ってどう位置づけてらっしゃったんですか?

PD:前回はビートがけっこう単調だったんで、今回はビートをいじろうかなと。そこをすごく意識しましたね。

じゃあ、けっこういろいろ試してみてっていう。

PD:そうですね。その前にノイズとかっぽいものをひとりでむっちゃ作ってたんですよ。でも、自分が気持ちいいだけで(笑)。ひとに聴かせると「ノイズは深く追求しているひとがめちゃくちゃいるからそこに無理に入らないほうがいいよ」って感じで言われまして。

そういう意味では、自分が気持ちいいってところはポイントではなくなってるんですか?

PD:いや、それは大前提としてあります。10曲とも自分にとっての「ザ・ベスト!」みたいな感じです(笑)。

いちばん最初に出来た曲ってどれなんですか?

PD:1曲めの“Skylab”ですね。これは頭にもってきたかったので。

そうなんですか。まさにこの曲について訊こうと思ってたんですけど、このロウビットな音色っていうのは、ベッドルーム・ポップなんだということをあらためて表明するように聞こえたんですがいかがでしょう。

PD:いやあ、ほんとに機材環境がやばいというか(笑)、安い環境なので。いま自分ができることを前提に作ってるんです。

録音の環境は変わってない?

PD:変わってないですね、ぜんぜん。

ほんとに機材環境がやばいというか(笑)、安い環境なので。いま自分ができることを前提に作ってるんです。

この曲のタイトルは後につけたんですか?

PD:これは後ですね。コンセプトが「SKYLOVE」なので、そのコンセプトとよく似た曲タイトルを作ろうと思ったので。

なるほど。じゃあそのコンセプトについてなんですけど、どのようにできたものなんですか?

PD:今回は空がテーマなんですけど。僕ずっとアニメも好きなんですけど、ガンダムとかって、宇宙のことも「そら」って言うじゃないですか。そういうのを描きたいなって思ったんですよ。空ってすごくロマンティックじゃないですか。宇宙もそうですし、空を見上げるのもそうですし。あと僕、海のなかも空だって思うんですよ。そういったアルバムを作りたいなと思ってタイトルをつけましたね。

その空っていうのは風景としての空なのか、記憶のなかの空なのか、ジャケットにあるようにSF的な空なのか――。

PD:それはもうすべてですね。僕の記憶のなかにある空とか、絵やイラストで見る空とか、ありますよね。それをすべていっしょにしたアルバムですね。

空がもともとお好きだったんですか?

PD:そうですね。写真を撮るのがもともと好きなんですけど、ひとを撮らずにずっと空ばっかり撮ってるんですよね。雲とか(笑)。今回トレーラーを作ったんですけど、あれも僕が空を撮って作ったんですよ。



その、空がお好きな理由って自己分析できますか?

PD:うーん……逃げたいんじゃないですか(笑)。逃避的な精神があるかもしれないですね。

なるほど。僕の場合は、空がコンセプトだとお聞きして、空見なくなったなーと思ったんですよね。子どもの頃はよく見てたのに。っていうことを踏まえると、空ってすごくフォトディスコっぽいコンセプトだなと思ったのと、あと風景や自然に興味が向かうっていうのも非常にエレクトロニカ的だなと思いましたね。
 フォトディスコの音楽って、これまでも風景からインスピレーションを受けたものが多かったですよね。このアルバムでも風景からインスピレーションを受けたと思われるタイトルの曲――“Rainfall”、“虹”、“夕暮れ”がありますけど、すべてヴォーカル・トラックになってますよね。今回ヴォーカルを入れようと思った理由はなんでしょう?

PD:それは……ヴォーカル曲があったほうが食いつきがいいんじゃないかなと(笑)。

とくに“夕暮れ”なんかはJポップ的なものに対する欲望も感じるというか。

PD:そうですね、もうJポップですよね。

そこに参照点はあったんですか?

PD:それは僕のバックグラウンドでしょうね。オルタナティヴ・ロックとか、日本のインディ・ロックに憧れてた時代を描写するような曲なんじゃないでしょうかねえ。

それはご自身の思春期的なものなんですか?

PD:そうですね。

なんでですかね、子どものときって空見ますよね。学校から帰るとき暇なのかわからないですけど。

“夕暮れ”はかなりヴォーカルを生で聴かせてますけど、“Rainfall”はヴォーカルにエフェクトかけてますよね。これはどうしてなんですか?

PD:ほんとは歌ってたんですけど、キーがもうちょっと高いほうがいいなと思ったんですよね。で、僕のヴォーカルじゃ合わないなと。それで声をめちゃくちゃ高くしたらああなって、これでアリだなと思って。

これはフィールド・レコーディングもあって、前作の手法を踏襲しつつっていう曲ですね。あと“虹”はヴォーカルを多重録音してますね。

PD:これは音質がすごく粗くて、ミックスのひとにもちょっと笑われたぐらいで(笑)。

これはどうやってできた曲なんですか?

PD:このなかでアコギがメインで作った曲ってなかったんですよね。で、1曲ぐらいアコギがメインの曲が欲しいなと思って作った曲ですね。

この「虹」っていうのは、本当に風景としてある虹なのか、あるいは概念としての虹なんでしょうか。

PD:これも記憶ですね。虹ってそんなに見ないじゃないですか。たまにツイッターとかで誰かが写したものとか、そういうものでしか見れなくて。だけど幼い頃、小学校の帰りなんかでよく見ませんでした?

たしかに。

PD:なんでですかね、子どものときって空見ますよね。学校から帰るとき暇なのかわからないですけど。そういう描写を思い浮かべて。自分で水を撒いて作ろうとしたんですけど、それは無理でした(笑)。

(笑)虹もお好きなんですね。

PD:虹も好きですね。

記憶のなかの虹だとしたら、ちょっとノスタルジックな意味合いもある?

PD:そうですね。そんなにいい思い出があるわけではないとは思うんですけど。

あそこで繰り返している言葉っていうのは――。

PD:「虹」って思い浮かんだ瞬間に言葉が出てきました。

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たとえば怒りみたいなものをテーマにして作っちゃうと結局、自分では聴けないんですよね。自分がいちばんのリスナーなので、聴いてるとそのときの自分の怒りが蘇っちゃうんですよ。


Photodisco
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あと“夕暮れ”を聴いてて思ったんですけど、やっぱりフォトディスコのなかでスーパーカーって大きいんですね。

PD:僕のなかでは大きいですね。

中村弘二さんのニャントラなんかも?

PD:そうですね、聴いてましたけど、でもバンドに思い入れがありますね。

へえー。僕も同世代なんですごく記憶にあるんですけど、スーパーカーが『Futurama』から『HIGHVISION』でエレクトロニック化したときってどうでした?

PD:僕は受け入れましたね。スーパーカーってアルバムごとにサウンドが変わるじゃないですか。ああいうのがいいなって思いますね。やりたいことをやってるんだろうなって。

フォトディスコって、その時期のスーパーカー的なエレクトロニカ感っていうのもあるように思えるんですけど、そこはあんまり意識されてなかったですか?

PD:ぜんぜん意識はしてなかったんですけど、僕のなかで根強くあるのかもしれないですね。

じゃあ逆に、リアルタイムで共感するトラック・メイカーっていますか?

PD:僕ティーブスはすごくいいなと思いますね。サンプラーだけで曲作ってるらしいんですけど、そのSP404SXってサンプラー僕も持ってるやつで。よくあれだけで曲作れるなあって。僕一回試したんですけど、作れないんですよね。そこはすごく尊敬します。とてもシンプルなスタイルなんですね。「ボールは友だち」みたいな感じでサンプラーと遊んでいて……。ビートの打ち込み方もすごくカッコいいし。

なるほど。あと先ほどLAビート周辺っておっしゃってましたけど、僕は彼らとも近い感性を感じるんですよ。ライヴで共演されたバスだったり、ノサッジ・シングだったり。フォトディスコが彼らと共通するのって、メロウな感覚なのかなと思うんですけど、どうしてそういうものが出てくるんだと思いますか? たとえば怒りや嘆きみたいな、激しい感情じゃなく。

PD:そうですね……たとえば怒りみたいなものをテーマにして作っちゃうと結局、自分では聴けないんですよね。自分がいちばんのリスナーなので、聴いてるとそのときの自分の怒りが蘇っちゃうんですよ。そんなの僕としては蘇らせたくないんですよ。自分が作る曲は日々感動したものをパッケージングしたいなと、そう思って作ってるんですよね。やっぱり僕が聴いていて気持ちいいものがいいなと(笑)。そういう感覚はありますね。

そういうところも含めての、今回のタイトルに「LOVE」が入っているのかなという気もしますが、けっこう思いきりましたよね。

PD:思い切りましたね(笑)。

これはどうして出てきた言葉なんですか?

PD:いや、「SKYLOVE」って言葉が出てきたときは恥ずかしいとも何とも思ってなくて、単純に「空が好きだな」って感じで。造語っぽい感じで2単語が続いてるんですけど、あとはアポロのスカイラブ計画とちょっとかけてるっていうのもありますね。

ああ、そこで宇宙的な意味もちょっとあるんですね。そういうちょっとSF的な世界観って反映された曲ってありますか?

PD:1曲めの“Skylab”の中盤あたりのぐちゃぐちゃっとしたアンビエントなんかはちょっとあるかもしれないですね。あと“Space Debris”って曲は隕石とかがぶつかり合うようなイメージで作った曲です。ちょっとジャズっぽい要素があって。ほんとはすごくメロディアスな曲だったんですけど、ちょっとダサいなと思って(笑)。で、自分の曲を4トラックのMTRに突っ込んで、ちょっとホワイト・ノイズを乗せて、またPCに乗せて、それを切り刻んでサンプリングしたらなぜかジャズっぽくなって(笑)。


これ作ってるとき、めちゃくちゃエイフェックス・ツインを聴いてたんですよ。

へえー、すごく実験した曲なんですね。とくに終盤が冒険したトラックが多いですよね。

PD:そうですね、後半あたりから自分のこれまでのカラーにないものになってきてます。次のアルバムに繋げたいという意思表示が入ってます。

ラストのタイトル・トラックである“Skylove”なんかはドラムンベース的なリズムで。

PD:ああ、これはエイフェックス・ツインをかなり意識したので(笑)。

おお!(笑) タイムリーな。

PD:これ作ってるとき、めちゃくちゃエイフェックス・ツインを聴いてたんですよ。

それは新譜の話が出る前ですから、偶然ですよね。

PD:これ作ってるとき、たまたますごく聴いてて。

エイフェックス・ツインはもともとお好きなんですか?

PD:好きですね。

どういうところが好きですか?

PD:エイフェックス・ツインはそうですね……生き方とか。

あ、いきなりそっちなんですね(笑)。

PD:いや、もちろん音もですけど。ガチのテクノっていうより、このひともロック的な感性もあるんじゃないかなあっていうところが僕は好きですね。

この曲ができたのはかなり終盤ですか?

PD:最後ですね。これは絶対いい曲を作ってやろうという意気込みで作りました。

“Tokyo Blue”っていうのはまさに東京の空ってことですか?

PD:そうですね、臨海方面というか、お台場方面を意識して作ったんですけど(笑)。

SF的な空であったり、リアルな空が混在してるのがおもしろいですよね。

PD:そうですね、リアルな空もありますね。

じゃあ、タイトルについてももうちょっとお訊きしたいんですけど、「LOVE」っていう言葉をタイトルに入れるのは、ちょっとためらわなかったですか?

PD:ああー……ダサく響くっていう?(笑)

いやいや、ダサいっていうより、誤解を生みやすい言葉だとも思うんですよね。狭い意味だと、それこそJポップ的な恋愛の意味にも捉えられかねない。

PD:まあでも、僕のなかでは、「LOVE」っていうと、二次元になっちゃうんですよね(笑)。アニメでカップルが宇宙見てる感じっていうのが、僕のなかで『SKYLOVE』ですね。

抽象的な概念として。

PD:そうですね。そう言われてみると、思い切ってますね。

まずこの絵、地球じゃないじゃないですか。それから、すべて揃っているところ。雲もあるし虹もあるし、地球もあるし海もありますから。

このアートワークはどういう風にできたんですか?

PD:コンセプトが決まって、自分でイラストレーターを選びたいなと思ったんですよ。でも制作期間がもうなかったので、これはもうpixivしかないと思って(笑)。pixivで宇宙とか空とかキーワード検索を入れて、しらみつぶしに自分の気に入る絵をずっと見てたんですよ。そしたらこのmochaさんが引っかかって、すごくいい絵を描かれるなと思って、ぜひこの絵にしてもらいたいなと。あと僕の頭のなかの映像とすごくリンクしていて。

どういうところに惹かれましたか?

PD:まずこれ、地球じゃないじゃないですか。そういうちょっとアニメっぽいところと、あとはすべて揃っているところ。雲もあるし虹もあるし、地球もあるし海もありますから。まさにこのテーマに合ってるんじゃないかなと思ったんですよ。

アニメは昔からお好きなんですか?

PD:昔から好きですね。

最近は何がよかったですか?

PD:最近は……『ばらかもん』とか(笑)。知ってます?

知ってますよ(笑)。

PD:あとは『月刊少女 野崎くん』にハマってましたね。おもしろかったです。

あ、そこはSFには行かないんですね?

PD:いや、SFも観ますけど、今期僕が好きだったのはそのふたつかなと。『Free!(Free! -Eternal Summer-)』とか。

今期っていうのがさすがですね(笑)。そういうアニメをいくつも見ている生活が、今回アルバムに反映されたところはあります?

PD:どうですかねえ……。あ、でも『残響のテロル』の菅野よう子さんも本当に素敵だったので。そういう感じも出てますかね……いや、出てないか(笑)。

(笑)まあ、後半いろんな音楽的要素が入ってくるあたりは遠からずかもしれないですね。

PD:そうですね、やっぱり刺激的な音楽は作っていきたいと思ってますし。

アニメの話が出たところで、ひとが作る映像に使われたいっていうのはありますか?

PD:もうめちゃくちゃありますね。

それはどうしてですか?

PD:自分の音楽でカッコいい映像を流してほしいんですよね。コラボレーションっていうかはわからないですけど、それが合わさったときに、さらに曲が引き立つんじゃないかなと思って。使ってもらいたいなといつも思ってます。

ご自身も映像を昔作られてたという話で。

PD:そうですね。そういう学校に行ってました。


この前アルバムをおじいちゃんに渡したら、「いやー寝れるわー!」って(笑)。

今後曲に合わせて映像作りたいなって思われたりはしないですか?

PD:とりあえずいま、『SKYLOVE』の曲に合わせてPVを作ってるんですよ。トレーラーとは別に。

ああ、そうなんですか。

PD:空ばっかり一眼レフで写して、素材はできてるんで。落ち着いたら作りたいと思います。

それぜひ観たいですね。そういった映像喚起的ところもエレクトロニカ的というか……いま、海外でEDMに対抗するものとしてエレクトロニカの存在感が増していますよね。日本も案外EDM的な土壌が広がっているので(笑)、フォトディスコがオルタナティヴとしていてくれるのは心強いと思いますよ。

PD:テレビCMとかからもEDMが聴こえてきますもんね。そうですね、カウンターになればいいですけどね(笑)。

バスとライヴをされてましたけど、今後ライヴはしていきたいと思われますか?

PD:そうですね、やっぱり勉強になるんですよね。ライヴってすごく発見の場だと僕は思ってるので、できれば飛び込みたいなというのはありますね。

そこで映像を使うライヴが、僕はフォトディスコにピッタリなんじゃないかなって思います。

PD:映像を作れる友だちを作らないといけない(笑)。すべてひとりでやっちゃってるんで。

ではそろそろ最後の質問なんですが、『SKYLOVE』はどういうときに聴いてほしいアルバムですか?

PD:東京だったら電車のなかで聴いてもらったり、帰り道に缶ビール飲みながら聴いていただけたらと。

生活のなかに溶け込んでいるイメージですよね。

PD:僕はだいたい、夜の静かなときに聴いてほしい感じはあります。この前アルバムをおじいちゃんに渡したら、「いやー寝れるわー!」って(笑)。

(笑)

PD:親にも渡したんだけど、寝る前に聴いてるって。兄貴も寝る前に聴いてるって言ってました(笑)。寝る前に聴く音楽なのかなって。

いいじゃないですか、入眠ポップ。ボーズ・オブ・カナダみたいで。

PD:なるほど(笑)。

interview with Manners - ele-king


マナーズ
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 「はかなさ」という日本語では誤解を生むのだろう。こういうときは、ネットの類語辞典だ。ふむふむ、「何の甲斐もなく終わる」、これはいい、no good trying、シド・バレット……ああ、僕は、石原洋と会うと、シド・バレットやニック・ドレイクばかりを聴き漁っていた若かりし頃の自分に会ってしまうのだ。あまり言いたくは……いや、こういう時代だからこそ言うべきなのだろうか、サイケデリック・ロックと括れるロック以外には目むくれなかった頃の思いを。

 マナーズは、埋火(うずみび)を解散させた見汐麻衣が石原洋(+中村宗一郎)をプロデューサーに迎えての新プロジェクトである。以下は、そのふたりを迎えてのインタヴュー。取材において僕はかなり不注意にも、不躾に、しかし敢えて(多少ふっかけるつもりで)「シティ・ポップ」という言葉を使っている。若い人は、そんな当時の業界用語に囚われないでいただきたい。業界の関心の及ばない場所からこの音楽はやって来たのだから。

80年代頭の無意味さ、空っぽさみたいなものにも惹かれたんですよ。ポリティカルなものや思想的なロックとは実は無縁だったんです。ジャーマン・ロックにしてもフリー・ジャズにしてもサウンドの面白さという観点から入っていきました。──石原洋

マナーズはどうやってはじまったんですか?

見汐:最初は、石原さんのバンドに誘っていただいたんです。

前から接点があったんですか?

石原:そんなに接点はなかったです(笑)。

見汐:私が一方的に存じていました。

石原:ホワイト・ヘヴンのあとのスターズのことを知っていた、ということみたいです。

見汐:あと、石原さんと中村(宗一郎)さんが携わっている作品を高校生のときから聴いていたんです。ゆらゆら帝国はもちろん、朝生愛さんや栗原ミチオさんもです。とにかく好きだったんです。

石原ファンだったんですね?

見汐:いや、そういうわけじゃなかったんですけど(笑)。

ホワイト・ヘヴンやスターズが好きだったんなら相当なものですね。

見汐:ホワイト・ヘヴンのライヴは観たことがないんですけど、スターズはあります。大阪、東京でも拝見しました。

大阪にもいたんですね。

見汐:最初は佐賀、それから福岡にいて、姫路、大阪を経て東京に来ました。

埋火の解散後に見汐さんから石原さんに声をかけたんですか?

見汐:石原さんが不定期でやっている石原洋・ウィズ・フレンズに2年ほど前から最近までギターで参加させて頂いていたんですけど、そのときに初めてお話をしました。

そのときに見汐さんのなかでマナーズというコンセプトはあったんですか?

見汐:コンセプトはなくて、いままでやってきたものとは違うものを作りたいという話はしていたと思います。

石原さんが見汐さんをバンドにお誘いしたのにはどんな理由があったんですか?

石原:取り立てて理由はないんですけど(笑)。当時は3人でやっていて、ギターを弾きながら歌うのが面倒で、身近でギターを弾いてくれる人を探していたんですよ。それで、あまり弾きまくらず、かといって素人でもない人を探していて、軽く誘ったという感じですね。どういうギターを弾くかも知らずに(笑)。

見汐:そうなんですよ(笑)。だからとても大変でした。

マナーズのコンセプトはどのように生まれたんでしょうか?

見汐:埋火を12年やっていてメンバーに対してということではなくて、自分自身がやっていて、なんだろうな、おもしろくないなと思うようになっていて。そんなときに石原さんに誘っていただいたので、いろんな話をするようになりました。そのなかで、あらためて新しいことをはじめたいと思うようになり制作に気持ちが向かうようになりました。

埋火に限界を感じたのは音楽的にですか?

見汐:それもそうですし、物理的に距離の問題もありました。埋火の後半はとくに思ったように動けなくて。曲を作ってもなんか違うななんだろうなとかいうものが増えて。

埋火からマナーズに移行する期間に音楽的なものに関してこうしたいとか、マナーズに繋がるようなアイディアはあったんですか?

見汐:明確にあったわけではないですね。ないんですけど、いままでの作り方じゃない、別のやり方を考えるようになっていて。

石原さんだったら絶対におもしろいだろうという考えはありましたか?

見汐:石原さんとお話をさせていただく前は、作品を介してしか石原さんという人を音楽的にしか知れなかった。とにかく作品が好きだったんです。だからこの人にお願いして何か一緒にやっていただけるんだったら、もうゆだねようと。

石原作品のどんなところが好きなんですか? 

見汐:それはもう、いっぱいありますけど……。まず、音が好きというのが一番大きいです。そこは中村(宗一郎)さんの作りだす音が好きなんだと思います。埋火の最後のアルバム『ジオラマ』はピーススタジオで録音して、すべて中村さんにお願いしましたし。後は作品に潜む「暗さ」みたいなものですかね。光を当てる場所と加減が絶妙というか。ポップな曲でもはしゃいでない。つねに低温というか。上等な絹のような手触りがあって、安易に触らせてくれないような。一定のラインがあって、そこを突き抜けたら解放されて広がる手前をジリジリと攻めてくるアレンジの感じとか。または突き抜ける場所を選択するセンスとか、聴いてる人を拒む、突き放すような雰囲気というか。「人に向けてではなく、誰もいなくなったパーティ会場で演奏しているバンド」みたいな虚像が浮かんでくるんですけど。自分が知っている日本人の音楽でそういう感触を持てるバンドをあまり知らなかったので。

石原さんとしては、ポップスというものに真正面から向かい合った作品と言っていいんですかね?

石原:それをやってみようと思ったわけではないけれど、ゆらゆら帝国やオウガもそうだけど、極端にポップなものも入ってるし、ある種、実験的なこともやっている。結局、もらったもとの曲に対して自分なりの解釈をしてそっちのほうにグッと持っていくんです。それは僕が思う心地よいポップス、またはロックに近づいていく作業なんですけど。

誤解を恐れず敢えて極論すれば、マナーズの作品はゆらゆら帝国よりもシュガー・ベイブに近いと思うんですよ。

石原:相対的に見ればそうかもね。

ホント、極論ですけどね。シュガー・ベイブに毒はないので、オルタナティヴ・アーバン・ポップと言いますか……。

石原:ただ、そういう感覚は、僕のなかに、昔からあったテイストなので、否定はしないですね。シティ・ポップっぽいとか言われるんじゃないかということは、作っているときは全く思わなかったんです。作り終わってから、現在そういうシーンがあることを知ったんです。リヴァイヴァルであるとか若い子たちがやっていることとかね。

それと一緒にしないでくれっていう気持ちが石原さんにはあるでしょうから。

石原:それはありますよ。でも、何よりもまず洗練されたものを作りたかったんですよ。洗練されたポップス、でもチャラくない。洗練されててチャラいものっていうのはいっぱいあるんです。洗練されているけどチャラくなくて、ある程度メンタリティとしての重さも持ち合わせているんだけど、ヘヴィーすぎない、ドロドロしないものをこのプロジェクトでは作りたかったんですよ。

まったくそういう音だと思います(笑)。洗練されているけど、チャラくない。わかります。

石原:どうしてもそっちのほうへいけないんですよ。

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ずっとやりたかったですし、埋火をやっているときからも一貫したテーマでした。「場所」というか、「街」というか。今回はそこに「都市」というものも含まれてます。──見汐麻衣


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チャラさとはどういう意味なんですか? 媚びているっていうことですか?

石原:うーん、そうじゃないですね。例えば、確実に背景として何か異質なもののあるポップさと、どこかで聴いたいい曲を何曲か組み合わせて出来上がり、というのとは違うじゃないですか?

プロセスが結果には表れるものであると。

石原:曲が流れているぶんにはわからないかもしれないけど、聴く人によってはわかるんです。誰に聴かせたいかという問題は難しいですよ。表面的に似たようなサウンドでもある特殊な視点から見るとたちどころに峻別されていくものがあるじゃないですか? そこで簡単に峻別されて捨てられていくものは作りたくなかった。その神経質さは自分の属性だと思っているからしょうがない。

しかし、ゆら帝やオウガにないものがマナーズにはあるわけですよね?

石原:ゆら帝などに比べれば、良くも悪くも思想的な重さがない。重さというか、観念的な部分って言ってもいい。今回は女性っていうのもあるし。かつて朝生(愛)さんもやっていますけどそれと比べても、昔の言葉でいうヘヴィーさみたいなものはないので。そういう意味でアレンジはしやすいという気はしました。

いつかやってみたかったことでもあるんですよね?

石原:まぁ、実際はいろんなことをやってみたい気持ちはあります(笑)。

見汐さんと石原さんは世代が違います。いま石原さんがおっしゃったことで見汐さんが補足したいことはありますか?

見汐:私の世代は名盤といわれるものが並列に聴ける時代になっていたので、音楽の話をする時に石原さんによく言われたのは「リリースされた順番にあらためて聴いてみたら?」という話をされました。ランダムに聴くから発見できることもあるんですが、順立てて聴いていくと時代背景やその時代のムードもそうですし、この人がこのアルバムに参加した過程とか何枚目でこのプロデューサーに依頼してる、その意味とか、そのサウンドが生まれてきた必然性みたいなものが解ってくるというか。

石原さんの言う「チャラくない」ものの解釈として、70年代的なメンタリティがありますよね。ロックが、ものすごく雑食的に、いろんなものに化けていくような感じとう言いますか。プログレもクラウトロックもパンク・ロックもそうだし。

石原:80年代初頭のニューウェイヴにはそういうものを捨てた時期があるじゃないですか? いわゆるパンクからオルタナへの急激な流れのなかでロックのメンタリティがピークに達して、その反動でニューウェイヴが軽く意味のないものを目指した時期が短いながらもあった。

ディーヴォとか?

石原:ディーヴォはコンセプチュアルなことをやっていたんだけれど、もっと意味のないものもあったでしょ? それがよしとされている時期もあったんですよ。それは70年代の重みに対する反動ですよね。思想とか。

ある意味70年代のなかで否定されなければいけないものもあったんだろうなと思います。

石原:僕は当時その80年代頭の無意味さ、空っぽさみたいなものにも惹かれたんですよ。ポリティカルなものや思想的なロックとは実は無縁だったんです。ジャーマン・ロックにしてもフリー・ジャズにしてもサウンドの面白さという観点から入っていきました。歌詞に反応するようなことはそんなになかった。文学と音楽は別物と捉えてたので。だから、80年代の空虚さがすごく肌に合ったんです。84、5年を境にロックは無くなったのでやることが無くなったんですけど(笑)。
 そういう音があっても不自然ではなかったと思っているんですよ。去年やったにせんねんもんだいのリミックスも面白いのができたなと自分でも思ったんですけど、あれも作り終わってから、なんでこの音が80年代の初めになかったんだろうと思いましたね。

それはどういうことですか?

石原:80年代の初頭はサウンドも混沌としていてまだ細分化されてなかった。テクノ・ポップとかポストパンクやノイズ、ジャズっぽいのとか。そういう未分化な空気がニューウェイヴの時代にはあったわけですよね。そのなかににせんねんやマナーズみたいな作品があっても違和感はない。手法としてもすでにあったわけだし。当時の雑食性を現在において考えてみれば、プログレッシヴ・ロックというよりもむしろそっちのほうに近い。

ジェイムス・チャンスみたいなものではないですよね?

石原:違いますね。もっと表層的なモードみたいなものです。ポップ・グループみたいにラディカルなものでもないです。例えばウィークエンドみたいなものもあったわけじゃないですか? そういう形としてなら80年代にあっても不思議じゃなかったかもしれない。でも基本、古くさいロックを作りたくはないんですよね。つねに新譜を聴いているわけではないけど、肌で感じる時代性ってわかるじゃないですか。

そこでルーツに戻ってしまう人もいます。

石原:ルーツには戻りたくない(笑)。

ルーツに戻りたくない理由とはなんですか?

石原:自分になかに確固とした、思想面をも含むルーツがないんだと思います。やっぱりスートンズだとかジョン・レノンだとかがいる人は幸せだと思います。僕らの世代、グラム・ロックとかプログレって、そういうものが終ったあとですからね。

レピンク・フロイドやキング・クリムゾンもですか?

石原:フロイドやクリムゾンも70年代の人にとってはルーツなんだと思います。僕の場合は聴いてきたものが多岐に渡りすぎていたので。70年代にプログレを聴いていた人はいまだにみんなプログレですよ。ハード・ロックを聴いていた人はいまだにハード・ロックです。アメリカン・ロックもそう。でも僕はブリティッシュ・ロックもアメリカン・ロックも、シュガー・ベイブも、ちょっとおかしいチョイスの仕方で聴いていました。アモン・デュールとシュガー・ベイブは普通は一緒には聴かれないですよね(笑)。

ははは(笑)。レコメン系とかはどうですか?

石原:それはちょっと後なんですよ。高校、大学のときですかね。思想的な匂いが強かったので、レコメン系のクリス・カトラー、ヘンリー・カウやアートベアーズはそんなに好きじゃなかったんですよ。もっとダメなものが好きでしたね。

それはどうしてですか?

石原:そういう属性だから、としか言いようがないですね。何回も考えたことはあるんですけど、やはり明確な答えはでない。

作品には、元ゆらゆら帝国の亀川千代さんをはじめ、石橋英子さんのバンドでも一緒に演奏されている坂口光央さん、あだち麗三郎さんなど、腕利きの人たちが参加されていますね。 

見汐:メンツは自分が一緒にやりたいひとでなおかつ、プレイヤーとして本当に好きな人に声をかけてお願いしました。あだち君や坂口君はマナーズを始める以前に別のバンドなどで一緒にやっていたりもするんですが、録音に参加して頂くメンバーについてはすごく考えました。やってくれるかもわからなかったので、お願いするときはとても緊張していたんですけど、みなさん快く引き受けてくれました。

作曲は見汐さんが全部担当されているんですか?

見汐:4曲目以外はそうですね。最初にデモを作って、石原さんに投げて、話し合いながら作っていく作業でした。

今回はミニ・アルバムというか。4曲入りですもんね。

石原:本当はアルバムを作ろうと思ったんですけど、単純に曲が足りなかったんですよ(笑)。

この間ライヴをやられていたじゃないですか(笑)。

見汐:あれは録音後に作りました(笑)。

さっきから、シティ・ポップスという言葉を使っているのは、読者に誤解を生むかなと恐いと言えば恐いのですが、実際、「街」は、見汐さんの歌のなかで主題になっていますよね?

見汐:なっていますね。曲が先にあって作詞をするときに、いままで作っていた方法では書けないなと思いまして。どうしようかといろいろ考えて、テーマをひとつ決めるというのはいつもだいたいそうなんですが、そのテーマをどう広げていくか、言葉を書き出す前に頭のなかでごにゃごにゃと想像して、具体的に頭に浮かんでくる画像を待つという時間に比重を置いて、それがはっきり映像になった時点でそれを言葉にしていくというふうにして書きました。自分はいろいろな場所を点々としていて、8年前から東京に住んでいるんですけど、同じ場所に留まって暮らしている自分が考えていることが、年々自分から離脱していく感覚があるんですけど、そうう感覚を抽象的になりすぎないように具体的になりすぎないように含んで書けたらいいなと思っていました。まだまだできてないですけど……。

「街」という主題はずっとやりたかったんですか?

見汐:ずっとやりたかったですし、埋火をやっているときからも一貫したテーマでした。「場所」というか、「街」というか。今回はそこに「都市」というものも含まれてます。

石原さんもサウンドと歌詞の関連性を考えられてアレンジしたんですか?

石原:歌詞が先にあったわけではないので、とりあえず都会的な感覚のものを作りたかった。それで「シティ」なわけだけど「ポップ」かどうかはわからない。

いい意味でポップだと思いますよ。

石原:さっき言った洗練されたものというか、アーバンな感じっていうのは、自分のなかでは一貫してコンセプチュアルなものとして今回はありました。だから、歌詞と呼応してそうなったわけではなく、サウンドがそういうふうになったのは必然というか。

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いつでも音楽から逃げられるようにはしてあります。どこにも属したくないってつねに言っているけど、居場所はここではないよな、って思いながら何十年も経っていますから。つまり、ここからいつでも逃げられる状態でなければ音楽をやっていられないんです。──石原洋


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ジャズの要素はゆらゆら帝国やオウガにはないものだと思うんですが、そこは意識されましたか?

石原:ドラムのあだちくんはサックスができるから、ソロではなくて、ブラスっぽくして欲しいなと。それはたとえばニュークリアス(※UKのジャズ・ロック・バンド)とかは頭の中にあったかもね。

アーバンと言っても、いまのアーバンに浮かれた感じはないですからね。街の空気感も昔とは別モノですからね。

石原:早い話が落ちていってる感じがします。それは日々感じることで、おそらく多くの人も感じているでしょう。だから、ポップだけれどチャラくないのはそれが滲み出ているからかもしれない。そういう意味では時代性はあると思います。

見汐:石原さんと話すなかで、いま話していたチャラくないということが、最初どういうニュアンスなのか漠然としかわからなかったんです。石原さんがオススメしてくれるレコードなんかを聴いているうちに、感覚的に石原さんの言わんとしていることが理解できるようになってくるというか。石原さんの知識や経験のなかからアウトプットされる考えやアイデアに疑問を持たずすんなりうなずける事が増えるというか。私が言わんとしていることも一瞬で汲み取ってもらえますし。

見汐さんにとって表現のモチヴェーションになっているものはなんですか?

見汐:出来上がったものを聴いたときに、それが自分で作ったものだとは思えない、他人の作品と思えるものになるといいな、ということですかね。

言葉を綴る上でのモチヴェーションは?

見汐:「言わないなかでどれだけ言えるか」を考えていたことですかね。レコーディング中に石原さんに「もうちょっとサウンドを信じなさい」って言われたのが印象的でした。たぶん、自分は言葉に頼りすぎてマスを埋めてしまうというか……。そこは音で歌っているのに、そこに言葉を乗せる必要はあるのかとか。言葉を削るっていう作業が今回は難しかったです。
 もともと自分は小中学生のときから叔父の影響でURC、ベルウッド関連が好きで。ヨーロッパ、アメリカのSSWものとか好んでよく聴いていましたし。埋火のときはまず歌(言葉)があってという考えで作っていて。それがいままでとは違うやり方だったので、言葉の削り方、言い過ぎないよにするなど、考えて作りました。

アホな質問ですが、見汐さんは何で音楽をやっているんですか?

見汐:他にやることがないからです(笑)。

他にやることがあったら、音楽じゃなくてもよかったんですか?

見汐:どうだろう……よかったと思いますね。歌うことや(歌詞を)書くことに関してその行為事体が「音楽」だという意識が希薄なところがあって。楽器を弾く、曲を作るというのは自分にとって「音楽」なんですけど。他に切実に取り組めるものがあればそれをやっていたと思います。ただ「唄う」だけなら、歌はどこでもいつでも歌えますし。書くこともしかりで。

石原さんを見ていると音楽以外はありえないって感じがするんです。

石原:いつでも音楽から逃げられるようにはしてあります。どこにも属したくないってつねに言っているけど、居場所はここではないよな、って思いながら何十年も経っていますから。つまり、ここからいつでも逃げられる状態でなければ音楽をやっていられないんです。みんな自分探しとか、ここは自分がいるべき場所だとか言うじゃないですか? でも、そんなもの最初からどこにも無いのはわかっているんです。だからひとつの場所にたどり着いたとしても、「俺はここに属していないぞ」という意識がつねにある。そうじゃないと成り立たない。

そうした漂泊感はマナーズからは感じられます。

石原:言葉を信用しないわけではないですが、言葉に感化される自分が許せない部分はあります。

ははは(笑)。それは一般的にそうですよね。ですが、サウンドも人を感化させる力があります。

石原:でもサウンドはもっと感覚的で抽象度が高いですよ。

抽象度が高いからタチが悪いんです。言葉みたいにロジックは要らないから信じやすいし、コマーシャルな音楽はそこに突っ込むわけで。

石原:でも、「これいいでしょ?」っていうのと、「◯◯さんがXXって言っている」って言葉で引用するのでは意味が違いますよ。

僕は、音だから優位であるとは思いたくないんです。

石原:優位だとは思っていないですよ。ただ、どうしても言葉がインチキに思えることがあるんです。

音だってインチキなやつが多いじゃないですか(笑)。

石原:そりゃそうだ(笑)。騙すんならもっとうまくやれよって感じだよね。

ちなみにマナーズはどうしてマナーズという名前なんですか?

見汐:マナーズという言葉自体が持ってる意味はありますが、この名前にした意味はないです。意味があるものがあまり好きじゃないということもあるんです。ただ単に「マナーズっていいな。これにしよ!」って感じで決めました。名前を決めなきゃいけなくて迷っていたときに呼んでいた本にかいてあったような気がします。

石原:野田さんがやっているele-kingが扱っている音楽のなかで、マナ—ズはどういう位置にありますか?

ele-king的に言えば、ゆらゆら帝国、オウガの次に石原洋が何をやっているかということがデカいですよ。で、さっきから言ってるように、石原さんがポップスを試みているって感じです。

石原:それもわかるんですけど、でもポップスだったら僕がやらなくてもいいわけで。知識や技術があればやれることではなくて、自分のなかにはもう少し切実なものがあるんですよね。それはポップスの職人的なひとや、敏腕のアレンジャーや、深い知識を作品に流用できるひともいるわけですが、僕はそういうタイプじゃない。

最近の日本のポップスは消費者を飽きさせないためにコード展開がコロコロ変わるんですね。そういう意味でのポップスとは真逆ですよね。かといって、成熟した大人の音っていうことでもないんでしょうね。

石原:今回の作品を聴いて、「昔はこういう音あったよね」という受け取り方だけではなく若い世代にも響くんではなかろうかという自負があったんですよ。いわゆる、オヤジのロックに接近したくないんです。渋みとか言い出したら終わりだと思っていますから(笑)。パンクからもはや何十年も経っているじゃないですか。当時、パンクやノイズ、ノイズっていう言い方は好きじゃないですけど、そういうサウンドに興奮していたヤツらが、いま言った渋さのほうへいってしまうのを僕は見てきたから。「なんだよ、パンクが好きだったのは気の迷いだったのかよ」ってなるわけですよ(笑)。ただ、いまパンクをやるというのとはまったく意味が違いますけど。

石原さんは、洒落まくっている感じがあるからなー(笑)。

石原:僕は貧乏臭い、というかショボくれて同情を引こうとするような音楽が嫌いなんですよ。

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マナーズという言葉自体が持ってる意味はありますが、この名前にした意味はないです。意味があるものがあまり好きじゃないということもあるんです。ただ単に「マナーズっていいな。これにしよ!」って感じで決めました。──見汐麻衣


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ちなみにマナーズには今後どのような予定が組まれているんですか?

見汐:曲を作ります。ライヴをやる必要性は感じるんですけど、それと自分がライヴをやりたいと思うことは違うので。リリース・ツアーなど以外ならライヴは最低でも年に6回くらいできればいいかなと……。いや、でもわかりません。たくさんやるかもです。

石原さんは、プロデューサーとしてつねに自分自信に高いハードルを課しているんですね。

石原:自分がやっちゃいけないこと、やってみてこれはやるべきじゃないこととか、そういうことはありますよね。それは音のチョイスもそうだけど、自分のなかにサウンドの扱いに対する基本理念みたいなものがあるんです。それに従ってやらないことはありますね。アレンジがある程度進んでいても途中でやめたりもします。いろんなことをやっているけど、それがあるから自分の色が出ているんだと思います。

(※以下、余談です)自分をストイックだと思いますか? 

石原:そんなことないですよ。

見汐:ストイックだと思います。

石原:ストイックという言葉はちょっと違うと思うな。

完璧主義者?

石原:終ったあとに、こうすりゃよかったって思いますね。

見汐:私はこの1、2年で話をするようになったので、先生みたいなところはありますけどね。

そう言われるのは嬉しくはないでしょう(笑)。

石原:でも、そう言われることも多いんですよ。年齢も上なほうなので。でも出来れば対等でいたいですよね。

見汐:ここ2年の間に、いままで聴いてきた石原さんが関係した作品もですし、いままで聴いていたレコードもそうなんですけど聴いていると聴き方が変わってくるんですよ。アレンジだったり、緩急の付け方だったり。いままで自分が意識して聴かなかったところに注目するようになってきてて、知らず知らずに影響を受けているんだなと思います。やっぱり先生みたいな感じですね。

石原さんは、レコードを全部で何枚くらい持っているんですか?

石原:すごく少ないですよ。多分2,000枚くらい。でもこの先、一生聴かないなってやつは処分してしまいますね。

尊敬できるプロデューサーは誰ですか?

石原:何かの作品をやっているときに、あの人だったこうするだろうな、とは考えます。だけど、プロデューサーにこだわって聴いたことはないんです。例えば、70年代にボブ・エズリンとか、ロイ・トーマス・ベイカーとか、現在プロデューサー としてあまり研究されたりかえりみられない人もいるわけですよ。ルー・リードの『ベルリン』みたいなドラマチックなものを作っちゃうボブ・エズリン、クイーンのセカンドやサードみたいに中域がみっちり入っていて、こみ入ってるけど理路整然と考え抜かれたアレンジをするロイ・トーマス・ベイカーとか。音のつまり方がすごいわけです。

オーディオ・マニアでしたか?

石原:レコードを買うのに忙しくて、普通のステレオを使っていた気がします。僕の場合は、中学のときにドイツ・ロックを聴いたのがデカかったと思います。ほとんどのライナーノーツを間章を書いていました。日本コロンビアのヴァージンも間章が書いていましたから。クラウス・シュルツとかファウストとか。当時は何を言っているのかよくわからなかったですけど、やばいものに手を出したと思いましたね(笑)。シュルツの『タイムウィンド』を評するのに、どうして西脇順三郎の詩が引用されるんだろうって思いました(笑)。いまみたいに情報もないしね。例えば、ライナー・ノーツに出てくるウィンドウペインとかカリフォルニア・サンシャインの意味を解するのに何年要したことか……(笑)。

あははは、そこは僕も同じです(笑)。カンの『タゴ・マゴ』の日本盤はどこでしたっけ?

石原:東芝ですね。『タゴ・マゴ』と『エーゲ・バミヤージ』が東芝。東芝はタンジェリン・ドリームやアモン・デュールも出してましたね。

リアル・タイムで買ってましたか?

石原:結構買いましたね。イギリスのプログレに飽きた友だちも買っていました。ファウストの『IV』の邦題が『廃墟と青空』ですからね。

すごいっすね(笑)。

石原:バタイユですからね(笑)。間章の入れ知恵でしょう。

実際のファウストには、もっと諧謔というか、ギャグも入っていましたよね。

石原:でも、間章的にはバタイユだったんでしょう(笑)。

アモン・デュールを中学のときに聴いてどうでしたか?

石原:よくわからなかったです。でも、わかんないから何回も聴くじゃないですか。最初に聴いたのは『野ネズミの踊り』の2枚組で、『ロック共同体』って邦題でした。

『Yeti』の邦題が『地獄』でしたっけ?

石原:『地獄』です。14、5歳とかだったから怖かったですね。

UKのプログレは聴かなかったんですか?

石原:ピンク・フロイドとかクリムゾンとか聴いていましたよ。ただ、友だちにひとり、クリムゾンでは満足できないという早熟なヤツがいて、もっとすごいものはないかと探したときに「俺はこれからドイツの音楽を聴く」と言ってね。僕はそいつに感化されて、レコード屋でアモン・デュールを見つけました。当時は、ドイツ・ロックと言えばノイとかよりもアモン・デュールのイメージが強かったんです。アモン・デュールは何故か今野雄二がライナーを書いていたし。間章はその頃はまだジャズにいたんじゃないかな。

マグマとかそっちのほうはいかなかったんですか?

石原:マグマは日本盤が1枚しか出てなかった。『呪われし地球人たちへ』っていうタイトルだったんだけど(笑)。それは立川直樹がライナーでしたね。

ジャズを聴くのは、そのあとですか?

石原:フリー・ジャズは70年代末から80年代半ばまでよく聴いていました。デレク・ベイリーとかエリック・ドルフィー、ミルフォード・グレイブスとか。ありがちですけど。

この話をはじめると終わりそうにないので、ぜひ、近々続きをお願いします。今日はどうもありがとうございました。

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