王舟 - Wang felicity |
7月17日、夜10時。渋谷・スペイン坂の上にあるライヴ・ハウス〈WWW〉は親密な空気で満たされていた。その日の主役はファースト・アルバム『Wang』をリリースしたばかりの王舟で、彼はオーディエンスの拍手によって2回めのアンコールに引っぱり出されてきたところだ。グレーのポロ・シャツにブラウンのパンツという、普段、酒場で出会すときとまったく同じ格好をして、寝癖がついたままの頭を照れくさそうに掻きながら現れた王舟に、PA卓の後ろで観ていたceroの髙城晶平、Alfred Beach Sandalの北里彰久といった友人のミュージシャンや、ステージにいるホライズン山下宅配便/片想いの伴瀬朝彦、GELLERSのシャンソンシゲルといったサポート・メンバーから冷やかしの声が飛ぶ。それをフロアの壁に寄りかかったトクマルシューゴが楽しそうに見つめている。
そう、これまでディスコグラフィには2010年に制作した『賛成』と『THAILAND』という2枚のCD-Rしか載っていなかった、世間的には無名だと言っていいだろうこのシンガー・ソングライターは、いま注目を集めつつある東京の新しいインディ・ミュージックにおいて、愛すべき人柄と、何より素晴らしい楽曲でもって欠かせない人物だと認識されているのだ。そして、王舟が簡単な感謝の言葉を述べてから歌いはじめたのが、オープニング・アクトを務めたHara Kazutoshiの「楽しい暮らし」だったのは、彼の哲学を反映していたように思う。たしかに、記念すべきデビュー・アルバムのリリース・ライヴの締めに選んだのがひとの曲で、しかも、最後はHaraにヴォーカルを取らせ、会場も当然のように盛り上がっていたのは奇妙な光景かもしれない。ただ、それぐらい、「楽しい暮らし」は王舟と仲間たちにとってアンセムになっているのだし、王舟は音楽を通して自己を表現するよりも、音楽を通して他者と繋がり、音楽を通して新たな空間をつくりあげることを第一義としているのだ。王舟が歌うとき、そこは、他でもない、音楽の鳴る/生る/成る場所になる。
アルバム『Wang』の最後を飾る大らかな名曲“Thailand”で、「タイに帰るの」とうれしそうに話す彼女に対して、主人公は困惑しながら呟く。「Where is Thailand?」。この“Thailand”は、つまり、異世界の象徴である。あるいは、それは“音楽のなる場所”のことなのかもしれない。だから、王舟にも訊くことにしよう。――「Where is Thailand?」と。
■王舟(おうしゅう)
2010年に自主制作CD-R『賛成』『Thailand』をリリース。以降、東京を中心にソロ、デュオ、バンド編成など、さまざまな形態でライヴ活動を行う。今年7月に、待たれていたファースト・アルバム『Wang』をリリースした。
自分も含めて関わってくれたひとは他の仕事をしていたりするんで。それもあって、アルバムを“創る”って感じじゃないんですよ。ゼロから何かを生み出すというよりは、日常の用事のひとつみたいな感じで。
■デビュー・アルバムがこうしてプレスされて、いまは「ようやく終わった」という感じ? それとも、「ようやくはじまる」という感じ?
王舟:どうっすかねぇ……。でも、“終わった”って感じはしないな。頭では終わったってわかってるんですけど、身体はとくに反応がなくて。それだけ、時間が長くかかっちゃったから。
■レコーディングが日常になって、身体がその生活に慣れてしまったということ?
王舟:レコーディング自体は2012年の9月には終わってたんですけど、なかなか満足のいくミックスができなくて、そこからさらに時間がかかってしまったので、レコーディングが日常になったというよりは、アルバムについて考えるのが日常になっていたという感じですね。だから、取材を受けているいまもあまり変わらないという。
■“アルバムについて考える”といっても、壮大なコンセプトを掲げたような作品ではないよね。
王舟:そうですね。考えていたというのは、単純に作業のスケジュールを組んだりだとか。自分も含めて関わってくれたひとは他の仕事をしていたりするんで。それもあって、アルバムを“創る”って感じじゃないんですよ。ゼロから何かを生み出すというよりは、日常の用事のひとつみたいな感じで。でも、それがあったからこそ、毎日、張り合いがあった。もちろん、最終的には答えを出さなければいけないことなので、プレッシャーもなくはなかったんですが。
■なるほど。ところで、アルバムを聴いてまず思ったのは、CD-R『賛成』『THAILAND』(鳥獣虫魚、2010年)の楽曲も再演しているけど、雰囲気ががらっと変わったなと。
王舟:『賛成』はほとんどひとりでつくっていて、そうするとああいう雰囲気になるんですよ。でも、ひとりでやるのはいつでもできるので、今回は同じ楽曲を使って、ひとといっしょにつくるとどうなるんだろうかっていうのが最初に考えていたことでした。
■『賛成』につづく『THAILAND』にはmmmやoono yuukiをはじめとして何人かのミュージシャンが参加していたよね。その延長線上で、『Wang』にはさらに多くのひとが関わっているわけだけど、それは、私的なものよりは、なんというか、ガヤガヤしたものをつくりたいという思いがあったということかな?
王舟:そうですね。あんまり濃い感じじゃないほうがいいというか、個性があるっていう感じじゃないほうがよかった。
■『賛成』と『THAILAND』には凛とした空気を感じて、単行本『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト、2011年)の後書きに「東京のボン・イヴェールとでも言いたくなるような美しいCD-R」って書いたんだ。
王舟:そのあと、〈Roji〉で磯部さんに会ったとき「ボン・イヴェールって誰ですか?」って訊いたら「王舟は知らなくていいんだよ」って言われた(笑)。
サポートをお願いしたひとたちも仕事があるのでそこまで練習に入れるわけではなくて。それだったら、オレの楽曲を使ってセッションをするっていうジャズ・バンドみたいな形式でやるのがいいなと思ったんです。
■ははは。酔っぱらってたのかな。失礼しました。でも、インディ・ロックをマニアックに聴き込んでいるというよりは、もっと大らかなタイプのミュージシャンなんだろうなと思ったんだよ。実際、『Wang』はラグタイムだったりカントリーだったりフォークだったり、オールド・タイミーなアレンジで仲間たちとセッションを楽しんでいるようなリラックスしたアルバムに仕上がっている。そういう方向性に関しては意図的?
王舟:『賛成』と『THAILAND』を出したあたりからライヴをよくやるようになったんですけど、サポートをお願いしたひとたちも仕事があるのでそこまで練習に入れるわけではなくて。それだったら、オレの楽曲を使ってセッションをするっていうジャズ・バンドみたいな形式でやるのがいいなと思ったんです。だから、もともとは時間だったりお金だったり、制約がある中で、「だったらこうやろう」という感じでできたスタイルで。
■でも、その制約の中でやるのがおもしろくなったと。
王舟:オレにとって、音楽って遊びなんですよ。もちろん、演奏しているうちに熱くなってくることもあるんですけど、基本的には楽しいからやってる。
■だから、キャンプテン・ビーフハートやジェームス・ブラウンのようにメンバーの生活を犠牲にして、王舟の頭の中で鳴っているサウンドを再現するみたいなやり方ではないってことでしょう?
王舟:それも憧れますけどね(笑)。でも、そういうことがやれる環境にはいないし、そもそも、そういう人間ではないのかもしれない。
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普通は、ジャズっぽいことをやりたいと思っても、ジャズのライヴ・ハウスに行って、そこに出ているミュージシャンに声をかけられないじゃないですか。こっちが敷居が高いと思っているだけかもしれないけど、〈七針〉にはそういう感じがない。
■そういった、気兼ねなくセッションできるメンバーと出会ったのは、やはり八丁堀のアート・スペース〈七針〉で、ということになるのかな?
王舟:そうですね。〈七針〉で知り合った人が多いです。あるいは、〈七針〉で知り合った人のライヴを観に別の場所に行って、そこでまた知り合ったりだとか。
■どうして、〈七針〉は王舟にとって特別な場所になったんだろう?
王舟:どうしてなんだろう……たとえば、以前、〈七針〉でよくセッションをしてたんです。ライヴが終わった後、出演していたミュージシャンや遊びに来ていたミュージシャンでもって。「さあ、セッションするぞ!」みたいな感じではなく、なんとなくはじまって、なんとなく終わるみたいなゆるい感じで。そうすると、「あ、このひととは合うな」とかわかるじゃないですか。それで、音源をあげたりとか、「今度、いっしょにやりましょうよ」って誘ったりとか。オレもバンドっていう形にはこだわっていなかったので、結果としていろんなひととやることになったんです。
■また、〈七針〉には、管楽器だったり、弦楽器だったり、あるいはマルチ・プレイヤーだったり、さまざまなタイプのミュージシャンが出入りしているよね。
王舟:そうなんですよ。いわゆるライヴ・ハウスだと普通のロック・バンドしかいなかったりするじゃないですか。それが〈七針〉だと、ポップなバンドもいれば、ハードコア・パンクまではいかないけどうるさいバンドいたり、フリー・ジャズや現代音楽のひともいて。しかも、それぞれのひとが次のライヴではまったくちがうことをやっていたりする。しかも、みんな、音楽に対して寛容な雰囲気があったので繋がりやすかったんですよね。普通は、ジャズっぽいことをやりたいと思っても、ジャズのライヴ・ハウスに行って、そこに出ているミュージシャンに声をかけられないじゃないですか。こっちが敷居が高いと思っているだけかもしれないけど、〈七針〉にはそういう感じがない。
■ただ、そっちの方が不思議にも思えるな。“ジャズ”のような共通言語がないのに繋がることができるというのは。
王舟:そう、だから、音楽の話はほとんどしないんです。セッションが終わった後は飲みながらくだらない話をしてるだけですし。でも、そうやって人柄がわかることで繋がりやすくなるのかもしれない。以前の〈七針〉では、ライヴが終わると近所のお店のひとが差し入れをしてくれて、お客さんを入れて飲み会になったり、ゆるい空気があったんですよ。そういう場所に出会えたのはデカかったと思います。
■じゃあ、アルバムも〈七針〉と同じような空気感にしたいと思った?
王舟:『THAILAND』以降、レコーディングは〈七針〉のセッションと同じような感じでやるようになったので、自然と空気感が近くなったんでしょうね。楽曲にもよるんですけど、「こういうアレンジがいいんじゃない?」ってみんなで話しながらつくっていくっていう。そうすると、「ここでこう鳴らしてもいいんだ」って発見する瞬間がところどころであって、そのおかげでレコーディングの間、モチヴェーションが持続できた感じはありました。
そういうやり方ができるのはファースト・アルバムしかないんじゃないかって思ったんですよね。時間を掛けて、納得するまでつくり込むっていう。
■ちなみに、今回のアルバムは、『賛成』と『THAILAND』を出した〈七針〉主宰の〈鳥獣虫魚〉ではなく、〈felicity〉から出ることになったわけだけど、その経緯は?
王舟:レコーディング中はどこからリリースするか考えてなかったんです。自分で出すか、あるいは、まわりにレーベルをやっているひとがたくさんいるからお願いしようかなってぼんやりと思っていたぐらいで、あえて答えを出さないようにしていました。そういうこととは関係なく、とりあえず、アルバムを完成させようと。
■でも、それって不安にならない? 完成してもリリースできないんじゃないかって。
王舟:そういうやり方ができるのはファースト・アルバムしかないんじゃないかって思ったんですよね。時間を掛けて、納得するまでつくり込むっていう。セカンドを〈felicity〉で出すかどうかはまだわからないけど、もしそうなったら、次は締め切りがあるでしょう。
■昨年だったか、達彦(仲原達彦/『Wang』を担当した〈felicity〉のA&R)が〈felicity〉に入ることになったとき、「まずは王舟のアルバムを出そうと思うんです」と言っていたよね。
仲原:僕が王舟と話をしたのは3回めのミックスの時ですね。
王舟:アルバムを録りはじめたのは2011年なんですけど、1回めのミックスは録り音がよくなかったので満足できなくて、結局、最初から録り直したんです。それで、2回めのミックスをしたんですけど、今度はミックス自体が「もうちょっと出来るんじゃないか」って感じた。だから、タッツ(仲原)に「どうしたらいいかな?」って相談したことが〈felicity〉で出すことになったきっかけですね。
■達彦は完成したアルバムを聴いてどう思った?
仲原:こんなことを言うのは安易かもしれないんですけど、それでも、聴けば聴くほど、王舟らしいなと。自分から湧き出てくるものを表現するのではなく、出会った人と音を鳴らすっていうか。
音楽ってもともとそういうものだと思うんですよ。自己を表現するのではなくて、自然の調和を表現するっていうか。
■先程、「(レコーディングは)ゼロから何かを生み出すというよりは、日常の用事のひとつみたいな感じ」、あるいは、「(アルバムの出来は)あんまり濃い感じじゃない方がいいというか、個性があるっていう感じじゃない方が良かった」と言っていたけど、王舟にはいわゆる“自己表現”のようなものから距離を置こうとしている感じがあるよね。
王舟:「音楽は自己表現」みたいな考え方が当たり前になっていることは嫌だなとは思いますね。何か言いたいことを音楽を使って表現するということがあまり好きではなくて。個人的な好みとしても、主張が強くない音楽が好きだったりしますし。メッセージみたいなものがなくても、曲の旋律とか音の並び方が魅力的だったらそれでいいんじゃないかなって。
■それは、昔から思っていたことだったの?
王舟:そうですね。それに、オレがどう考えているかというよりも、音楽ってもともとそういうものだと思うんですよ。自己を表現するのではなくて、自然の調和を表現するっていうか。
■アリストテレスの「芸術は自然の模倣である」っていうやつだね。
王舟:自然っていう普遍的なものがあって、それに近づきたいみたいな欲求は、自己っていうものが発見される以前からひとが持っていた感覚なんじゃないですかね。個人的にもそういう作曲観の方が好きですし。
■そういう観点から影響を受けたミュージシャンはいる?
王舟:わかりやすいところで言うとバッハとか……。
■えー、バッハ!?
王舟:あとはジュディ・シルとか。身近なひとだとmuffinさんとか。ただ、“自然”や“調和”っていうと大袈裟に聞こえるかもしれないですけど、(机の上のペットボトルを手に取って)こういうものと同じだと思うんですよ。これって、ひとに不快感を与えないようにデザインされてるじゃないですか。
■サティの「家具の音楽」みたいなこと? ちなみに、英詞が多いのもそれと関係している?
王舟:そうですね。やっぱり、音に日本語を入れるとざらざらして、滑らかさが減るので。意味がわかるっていうことは引っ掛かりが多過ぎるということでもありますし、それよりは意味がわからないもの、抽象的なものが好きなんですよね。
■『Wang』の製品盤をもらったとき、ジャケットも抽象的だし、帯に「注目のシンガーソング・ライターがデビュー!」みたいなコメントも書いてないし、「おしゃれだなー」と思った。
王舟:ははは。ジャケットとデザインに関してはタッツとつんちゃん(惣田紗希)にお任せしたので。
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そもそも、音楽がすごく大事なものとして扱われるのがあまり好きじゃないんですよ。スタンダードってそういうところがないじゃないですか。
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■達彦としては、ここまで主張のないアーティストを売り出すことを難しいと思わない?
仲原:曲はわかりやすいじゃないですか。聴いてさえくれれば理解してもらえるはずなので、そこまで難しいとは思っていないですね。だから、ジャケットに関しては王舟のそういう性格を上手く生かすというか……「何だろう、このCD?」って手に取ってくれるようなものにしようと。僕自身、『賛成』を初めて聴いたとき、どんなひとなのか前情報が何もない状態で再生して「いいな」と感じたので、これから王舟を知るひとにもできるだけそういう状態で触れてほしいんです。
■ひとつ思うのは、本当に衒いがないというか、オーセンティックでスターンダードなひとなんだなということだよね。最近のライヴで“500マイルズ”と“アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ”をカヴァーしてるでしょう? いま、あの2曲を普通に歌えるひとはなかなかいないよ。
王舟:いろいろな音楽を聴くんですけど、サイケでもレア・グルーヴでも、結局、それぞれのジャンルでいちばん有名なひとが好きなんですよ(笑)。だから、ジュディ・シルを知ったときは「こんなにスタンダードなことをやっているひとがなんでこんなに知られてないんだ?」って驚きましたね。
■まぁ、ジュディ・シルも音楽好きにはよく知られているわけだけど、「こんなにスタンダードなことをやっているひとがなんでこんなに知られてないんだ?」というのは、王舟自身がまさにそうだよね。そういえば、アルバムの1曲め“tatebue”の歌い出しが“バッド・バッド・ウィスキー”に似ているんだよね。あの曲は『吉田類の酒場放浪記』(BS-TBS)の挿入歌でもあるから、王舟が酔っぱらってる姿を思い出して笑っちゃうんだけど(笑)。
王舟:その曲と似ているのはいま言われて気づいたんですけど、オレもそういう酒場の音楽が好きっていうか、そもそも、音楽がすごく大事なものとして扱われるのがあまり好きじゃないんですよ。スタンダードってそういうところがないじゃないですか。
■昔、「音楽のいちばん美しい消費のされ方はBGMである」というコラムを書いたことがあるけどね。
王舟:まさに。そういう方が美しいですよね。
■王舟にとっての理想の音楽は、陶酔するようなものではなく、むしろ、聞き流せるようなものだということかな。
王舟:みんながガヤガヤしているところで何か曲が流れている。ふと、「これって何て曲なんだろう」って耳を澄まして聴いてみたらすごくいい曲だった。そんなときって感動するじゃないですか。
■そこにいる誰もが音楽を聞き流しているようで、じつはその音楽が空間に作用していたことがわかる瞬間というかね。
王舟:いまって、何の音楽を好きかによって派閥になっているようなところがありますよね。オレはそういう、ひとの価値観を限定する音楽よりも、むしろ、価値観が凝り固まって疲れたときにラクにさせてくれるような音楽の方がいい。もちろん、何かにハマるのは楽しいことだけど、音楽にハマることが他人との壁をつくるように機能してしまったら残念じゃないですか。
オレはそういう、ひとの価値観を限定する音楽よりも、むしろ、価値観が凝り固まって疲れたときにラクにさせてくれるような音楽の方がいい。もちろん、何かにハマるのは楽しいことだけど、音楽にハマることが他人との壁をつくるように機能してしまったら残念じゃないですか。
■ただ、“BGM”や“ラクにさせてくれるような音楽”といっても、『Wang』はエレベーター・ミュージックやヒーリング・ミュージックみたいな無味無臭なものとも違う。どこか人懐っこいところがあるのは、職人的な作業としてではなく、仲間と遊びながらつくっているからだと思うんだけど。
王舟:ああ、そうかもしれませんね。
■ちなみに、先程、英詞が多いのは「日本語だと滑らかさが減る」からだと解説してくれたけど、内容自体も淡いイメージというか、まぁ、言ってみればたわいないラヴ・ソングが多いよね。
王舟:そうですね。たわいない感じがむしろいいんじゃないかと思うんですよね。Hara Kazutoshiさんの歌なんかも簡単な言葉しか使ってないけどぐっとくる。だから、歌詞にしてもコードにしてもできるだけシンプルなものを使うっていう制約の中でやりたいと思ってます。印象に残る言葉みたいなものは要らないんじゃないかな。ありきたりな言葉を、ありきたりじゃない響きで聴かせられたらいいなと。
音楽に影響を与えているとしたら、「どこがルーツか」ということよりも、「どういうひとと接してきたか」ということがデカいんじゃないかな。
■言葉と言えば、王舟は上海生まれだよね。このアルバムも『Wang』という君の名字をタイトルにしているわけだけど、“王”は中国でいちばん多い名字でもある。つまり、私的にも、抽象的にも取れる。そこで訊きたいのが、「自分のルーツが自分の音楽に影響を及ぼしていると思うか」ということ。
王舟:『Wang』ってタイトルもタッツが付けたんですよね。オレ自身はルーツに関してとくに意識はしていないです。大事にしようと考えているわけでもなくて、かと言ってぞんざいに扱っているわけでもない。でも、音楽に影響を与えているとしたら、「どこがルーツか」ということよりも、「どういうひとと接してきたか」ということがデカいんじゃないかな。美意識みたいなものは生まれつき持っているわけではなくて、積み重ねでできあがるものだと思うから。
■ああ、なるほどね。自分で選べない“Roots”よりも、自分で選び取ってきた“Routes”の方にリアリティを感じるというのは、当然と言えば当然の話だよね。
王舟:それも意識してないんですけどね。たとえば、「この音楽、いいな」と思うのって無意識じゃないですか。そして、その経験が積み重ねられていくことによって、「ああ、おれはこういう音楽が好きなんだ」って意識する。音楽をつくるときも、曲の書き方だったり、音の出し方だったりは無意識だと思うんですよね。いまはそれを意識的に説明してますけど。
■そういえば、松永良平さんのインタヴューで「ちっちゃいころに上海でニューオリンズ・ジャズを結構聞いてたんですよ。でも、そのころの記憶って、一回日本に来てから、完全に途切れて忘れてた。それを、NRQを聴いたときに思い出したんです」と語っていたけど、NRQって疑似的なルーツを鳴らすバンドなわけで、それを聴いて自分のルーツを思い出すというのはおもしろい話だなと思ったんだよね。王舟の音楽自体、スタンダードだったり、ノスタルジックだったりするものの、それって擬似的な標準だったり記憶だったりするんじゃないか。
王舟:ニューオリンズ・ジャズを聴くと「懐かしい」と思うんですけど、ニューオリンズなんて行ったことないですからね(笑)。それってよく考えるとすごい。
■それは、ジャズを通して子どもの頃にいた上海を懐かしんでいるだけではなく、音楽そのものからノスタルジーを感じ取っているということだよね。
王舟:そういうふうに、音楽が感じさせてくれるものって、演奏者の自己だけじゃなくて、見たこともないどこかの風景だったりするからこそおもしろいと思うんですよね。
■王舟の音楽に“ルーツ”があるとしたら、それは参加している友人たちとの関係なのかなという気はする。
王舟:そうかもしれませんね。でも、聴いているひとは気づかなくてもいいかな。
自分の生まれ育ちが自分の音楽に影響を与えているとしたら、それこそ、“個性を出す”という欲求がないところなのかもしれないです。だって、オレが子どもの頃に日本に来たとき、まず思ったのは、「普通になりたい!」ってことだったんですもん。
■しかし、自分自身に興味がないところは徹底してるよね。
王舟:ああ……話していて思ったんですけど、自分の生まれ育ちが自分の音楽に影響を与えているとしたら、それこそ、“個性を出す”という欲求がないところなのかもしれないです。だって、オレが子どもの頃に日本に来たとき、まず思ったのは、「普通になりたい!」ってことだったんですもん。わざわざ個性を出そうとしなくても、まわりから個性的だと思われちゃうから。それと「普通のアルバムをつくりたい」と思ったことは繋がっているのかもしれない。
■さっき、「王舟にとっての理想の音楽は、陶酔するようなものではなく、むしろ、聞き流せるようなもの」と言ったけど、むしろ、君は、音楽が陶酔によって自己から解放してくれるところに魅力を感じているのかもしれないね。
王舟:それはあるかもしれないです。たとえばニューオリンズ・ジャズの歴史を調べていたら、もともとは日曜の公園にバラバラの土地からいろいろなひとが集まっていっしょに演奏するところからはじまったっていう。そういう音楽のあり方には憧れますね。
■演奏の中で自己から解放されてひとつになっていくという。ただ、王舟の音楽は、ニューオリンズ・ジャズをそのまま模倣しているわけではなくて、“王舟の音楽”としか言いようがない独特のものになっているわけだけど、あたかも昔から存在しているもののように自然に聴けるっていうのが『Wang』のおもしろいところだね。
王舟:みんなで集まって音楽をやるという行為から、ジャズという名前を取ったとしても、楽しさは残っているじゃないですか。それを言い表す言葉はないけど、まさに“そういう音楽”がやりたいんですよね。