「KING」と一致するもの

interview with Oh Shu - ele-king


王舟 - Wang
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Indie Rock

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 7月17日、夜10時。渋谷・スペイン坂の上にあるライヴ・ハウス〈WWW〉は親密な空気で満たされていた。その日の主役はファースト・アルバム『Wang』をリリースしたばかりの王舟で、彼はオーディエンスの拍手によって2回めのアンコールに引っぱり出されてきたところだ。グレーのポロ・シャツにブラウンのパンツという、普段、酒場で出会すときとまったく同じ格好をして、寝癖がついたままの頭を照れくさそうに掻きながら現れた王舟に、PA卓の後ろで観ていたceroの髙城晶平、Alfred Beach Sandalの北里彰久といった友人のミュージシャンや、ステージにいるホライズン山下宅配便/片想いの伴瀬朝彦、GELLERSのシャンソンシゲルといったサポート・メンバーから冷やかしの声が飛ぶ。それをフロアの壁に寄りかかったトクマルシューゴが楽しそうに見つめている。

 そう、これまでディスコグラフィには2010年に制作した『賛成』と『THAILAND』という2枚のCD-Rしか載っていなかった、世間的には無名だと言っていいだろうこのシンガー・ソングライターは、いま注目を集めつつある東京の新しいインディ・ミュージックにおいて、愛すべき人柄と、何より素晴らしい楽曲でもって欠かせない人物だと認識されているのだ。そして、王舟が簡単な感謝の言葉を述べてから歌いはじめたのが、オープニング・アクトを務めたHara Kazutoshiの「楽しい暮らし」だったのは、彼の哲学を反映していたように思う。たしかに、記念すべきデビュー・アルバムのリリース・ライヴの締めに選んだのがひとの曲で、しかも、最後はHaraにヴォーカルを取らせ、会場も当然のように盛り上がっていたのは奇妙な光景かもしれない。ただ、それぐらい、「楽しい暮らし」は王舟と仲間たちにとってアンセムになっているのだし、王舟は音楽を通して自己を表現するよりも、音楽を通して他者と繋がり、音楽を通して新たな空間をつくりあげることを第一義としているのだ。王舟が歌うとき、そこは、他でもない、音楽の鳴る/生る/成る場所になる。

 アルバム『Wang』の最後を飾る大らかな名曲“Thailand”で、「タイに帰るの」とうれしそうに話す彼女に対して、主人公は困惑しながら呟く。「Where is Thailand?」。この“Thailand”は、つまり、異世界の象徴である。あるいは、それは“音楽のなる場所”のことなのかもしれない。だから、王舟にも訊くことにしよう。――「Where is Thailand?」と。

■王舟(おうしゅう)
2010年に自主制作CD-R『賛成』『Thailand』をリリース。以降、東京を中心にソロ、デュオ、バンド編成など、さまざまな形態でライヴ活動を行う。今年7月に、待たれていたファースト・アルバム『Wang』をリリースした。


自分も含めて関わってくれたひとは他の仕事をしていたりするんで。それもあって、アルバムを“創る”って感じじゃないんですよ。ゼロから何かを生み出すというよりは、日常の用事のひとつみたいな感じで。

デビュー・アルバムがこうしてプレスされて、いまは「ようやく終わった」という感じ? それとも、「ようやくはじまる」という感じ?

王舟:どうっすかねぇ……。でも、“終わった”って感じはしないな。頭では終わったってわかってるんですけど、身体はとくに反応がなくて。それだけ、時間が長くかかっちゃったから。

レコーディングが日常になって、身体がその生活に慣れてしまったということ?

王舟:レコーディング自体は2012年の9月には終わってたんですけど、なかなか満足のいくミックスができなくて、そこからさらに時間がかかってしまったので、レコーディングが日常になったというよりは、アルバムについて考えるのが日常になっていたという感じですね。だから、取材を受けているいまもあまり変わらないという。

“アルバムについて考える”といっても、壮大なコンセプトを掲げたような作品ではないよね。

王舟:そうですね。考えていたというのは、単純に作業のスケジュールを組んだりだとか。自分も含めて関わってくれたひとは他の仕事をしていたりするんで。それもあって、アルバムを“創る”って感じじゃないんですよ。ゼロから何かを生み出すというよりは、日常の用事のひとつみたいな感じで。でも、それがあったからこそ、毎日、張り合いがあった。もちろん、最終的には答えを出さなければいけないことなので、プレッシャーもなくはなかったんですが。

なるほど。ところで、アルバムを聴いてまず思ったのは、CD-R『賛成』『THAILAND』(鳥獣虫魚、2010年)の楽曲も再演しているけど、雰囲気ががらっと変わったなと。

王舟:『賛成』はほとんどひとりでつくっていて、そうするとああいう雰囲気になるんですよ。でも、ひとりでやるのはいつでもできるので、今回は同じ楽曲を使って、ひとといっしょにつくるとどうなるんだろうかっていうのが最初に考えていたことでした。

『賛成』につづく『THAILAND』にはmmmoono yuukiをはじめとして何人かのミュージシャンが参加していたよね。その延長線上で、『Wang』にはさらに多くのひとが関わっているわけだけど、それは、私的なものよりは、なんというか、ガヤガヤしたものをつくりたいという思いがあったということかな?

王舟:そうですね。あんまり濃い感じじゃないほうがいいというか、個性があるっていう感じじゃないほうがよかった。

『賛成』と『THAILAND』には凛とした空気を感じて、単行本『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト、2011年)の後書きに「東京のボン・イヴェールとでも言いたくなるような美しいCD-R」って書いたんだ。

王舟:そのあと、〈Roji〉で磯部さんに会ったとき「ボン・イヴェールって誰ですか?」って訊いたら「王舟は知らなくていいんだよ」って言われた(笑)。


サポートをお願いしたひとたちも仕事があるのでそこまで練習に入れるわけではなくて。それだったら、オレの楽曲を使ってセッションをするっていうジャズ・バンドみたいな形式でやるのがいいなと思ったんです。

ははは。酔っぱらってたのかな。失礼しました。でも、インディ・ロックをマニアックに聴き込んでいるというよりは、もっと大らかなタイプのミュージシャンなんだろうなと思ったんだよ。実際、『Wang』はラグタイムだったりカントリーだったりフォークだったり、オールド・タイミーなアレンジで仲間たちとセッションを楽しんでいるようなリラックスしたアルバムに仕上がっている。そういう方向性に関しては意図的?

王舟:『賛成』と『THAILAND』を出したあたりからライヴをよくやるようになったんですけど、サポートをお願いしたひとたちも仕事があるのでそこまで練習に入れるわけではなくて。それだったら、オレの楽曲を使ってセッションをするっていうジャズ・バンドみたいな形式でやるのがいいなと思ったんです。だから、もともとは時間だったりお金だったり、制約がある中で、「だったらこうやろう」という感じでできたスタイルで。

でも、その制約の中でやるのがおもしろくなったと。

王舟:オレにとって、音楽って遊びなんですよ。もちろん、演奏しているうちに熱くなってくることもあるんですけど、基本的には楽しいからやってる。

だから、キャンプテン・ビーフハートやジェームス・ブラウンのようにメンバーの生活を犠牲にして、王舟の頭の中で鳴っているサウンドを再現するみたいなやり方ではないってことでしょう?

王舟:それも憧れますけどね(笑)。でも、そういうことがやれる環境にはいないし、そもそも、そういう人間ではないのかもしれない。


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普通は、ジャズっぽいことをやりたいと思っても、ジャズのライヴ・ハウスに行って、そこに出ているミュージシャンに声をかけられないじゃないですか。こっちが敷居が高いと思っているだけかもしれないけど、〈七針〉にはそういう感じがない。

そういった、気兼ねなくセッションできるメンバーと出会ったのは、やはり八丁堀のアート・スペース〈七針〉で、ということになるのかな?

王舟:そうですね。〈七針〉で知り合った人が多いです。あるいは、〈七針〉で知り合った人のライヴを観に別の場所に行って、そこでまた知り合ったりだとか。

どうして、〈七針〉は王舟にとって特別な場所になったんだろう?

王舟:どうしてなんだろう……たとえば、以前、〈七針〉でよくセッションをしてたんです。ライヴが終わった後、出演していたミュージシャンや遊びに来ていたミュージシャンでもって。「さあ、セッションするぞ!」みたいな感じではなく、なんとなくはじまって、なんとなく終わるみたいなゆるい感じで。そうすると、「あ、このひととは合うな」とかわかるじゃないですか。それで、音源をあげたりとか、「今度、いっしょにやりましょうよ」って誘ったりとか。オレもバンドっていう形にはこだわっていなかったので、結果としていろんなひととやることになったんです。

また、〈七針〉には、管楽器だったり、弦楽器だったり、あるいはマルチ・プレイヤーだったり、さまざまなタイプのミュージシャンが出入りしているよね。

王舟:そうなんですよ。いわゆるライヴ・ハウスだと普通のロック・バンドしかいなかったりするじゃないですか。それが〈七針〉だと、ポップなバンドもいれば、ハードコア・パンクまではいかないけどうるさいバンドいたり、フリー・ジャズや現代音楽のひともいて。しかも、それぞれのひとが次のライヴではまったくちがうことをやっていたりする。しかも、みんな、音楽に対して寛容な雰囲気があったので繋がりやすかったんですよね。普通は、ジャズっぽいことをやりたいと思っても、ジャズのライヴ・ハウスに行って、そこに出ているミュージシャンに声をかけられないじゃないですか。こっちが敷居が高いと思っているだけかもしれないけど、〈七針〉にはそういう感じがない。

ただ、そっちの方が不思議にも思えるな。“ジャズ”のような共通言語がないのに繋がることができるというのは。

王舟:そう、だから、音楽の話はほとんどしないんです。セッションが終わった後は飲みながらくだらない話をしてるだけですし。でも、そうやって人柄がわかることで繋がりやすくなるのかもしれない。以前の〈七針〉では、ライヴが終わると近所のお店のひとが差し入れをしてくれて、お客さんを入れて飲み会になったり、ゆるい空気があったんですよ。そういう場所に出会えたのはデカかったと思います。

じゃあ、アルバムも〈七針〉と同じような空気感にしたいと思った?

王舟:『THAILAND』以降、レコーディングは〈七針〉のセッションと同じような感じでやるようになったので、自然と空気感が近くなったんでしょうね。楽曲にもよるんですけど、「こういうアレンジがいいんじゃない?」ってみんなで話しながらつくっていくっていう。そうすると、「ここでこう鳴らしてもいいんだ」って発見する瞬間がところどころであって、そのおかげでレコーディングの間、モチヴェーションが持続できた感じはありました。


そういうやり方ができるのはファースト・アルバムしかないんじゃないかって思ったんですよね。時間を掛けて、納得するまでつくり込むっていう。

ちなみに、今回のアルバムは、『賛成』と『THAILAND』を出した〈七針〉主宰の〈鳥獣虫魚〉ではなく、〈felicity〉から出ることになったわけだけど、その経緯は?

王舟:レコーディング中はどこからリリースするか考えてなかったんです。自分で出すか、あるいは、まわりにレーベルをやっているひとがたくさんいるからお願いしようかなってぼんやりと思っていたぐらいで、あえて答えを出さないようにしていました。そういうこととは関係なく、とりあえず、アルバムを完成させようと。

でも、それって不安にならない? 完成してもリリースできないんじゃないかって。

王舟:そういうやり方ができるのはファースト・アルバムしかないんじゃないかって思ったんですよね。時間を掛けて、納得するまでつくり込むっていう。セカンドを〈felicity〉で出すかどうかはまだわからないけど、もしそうなったら、次は締め切りがあるでしょう。

昨年だったか、達彦(仲原達彦/『Wang』を担当した〈felicity〉のA&R)が〈felicity〉に入ることになったとき、「まずは王舟のアルバムを出そうと思うんです」と言っていたよね。

仲原:僕が王舟と話をしたのは3回めのミックスの時ですね。

王舟:アルバムを録りはじめたのは2011年なんですけど、1回めのミックスは録り音がよくなかったので満足できなくて、結局、最初から録り直したんです。それで、2回めのミックスをしたんですけど、今度はミックス自体が「もうちょっと出来るんじゃないか」って感じた。だから、タッツ(仲原)に「どうしたらいいかな?」って相談したことが〈felicity〉で出すことになったきっかけですね。

達彦は完成したアルバムを聴いてどう思った?

仲原:こんなことを言うのは安易かもしれないんですけど、それでも、聴けば聴くほど、王舟らしいなと。自分から湧き出てくるものを表現するのではなく、出会った人と音を鳴らすっていうか。


音楽ってもともとそういうものだと思うんですよ。自己を表現するのではなくて、自然の調和を表現するっていうか。

先程、「(レコーディングは)ゼロから何かを生み出すというよりは、日常の用事のひとつみたいな感じ」、あるいは、「(アルバムの出来は)あんまり濃い感じじゃない方がいいというか、個性があるっていう感じじゃない方が良かった」と言っていたけど、王舟にはいわゆる“自己表現”のようなものから距離を置こうとしている感じがあるよね。

王舟:「音楽は自己表現」みたいな考え方が当たり前になっていることは嫌だなとは思いますね。何か言いたいことを音楽を使って表現するということがあまり好きではなくて。個人的な好みとしても、主張が強くない音楽が好きだったりしますし。メッセージみたいなものがなくても、曲の旋律とか音の並び方が魅力的だったらそれでいいんじゃないかなって。

それは、昔から思っていたことだったの?

王舟:そうですね。それに、オレがどう考えているかというよりも、音楽ってもともとそういうものだと思うんですよ。自己を表現するのではなくて、自然の調和を表現するっていうか。

アリストテレスの「芸術は自然の模倣である」っていうやつだね。

王舟:自然っていう普遍的なものがあって、それに近づきたいみたいな欲求は、自己っていうものが発見される以前からひとが持っていた感覚なんじゃないですかね。個人的にもそういう作曲観の方が好きですし。

そういう観点から影響を受けたミュージシャンはいる?

王舟:わかりやすいところで言うとバッハとか……。

えー、バッハ!?

王舟:あとはジュディ・シルとか。身近なひとだとmuffinさんとか。ただ、“自然”や“調和”っていうと大袈裟に聞こえるかもしれないですけど、(机の上のペットボトルを手に取って)こういうものと同じだと思うんですよ。これって、ひとに不快感を与えないようにデザインされてるじゃないですか。

サティの「家具の音楽」みたいなこと? ちなみに、英詞が多いのもそれと関係している?

王舟:そうですね。やっぱり、音に日本語を入れるとざらざらして、滑らかさが減るので。意味がわかるっていうことは引っ掛かりが多過ぎるということでもありますし、それよりは意味がわからないもの、抽象的なものが好きなんですよね。

『Wang』の製品盤をもらったとき、ジャケットも抽象的だし、帯に「注目のシンガーソング・ライターがデビュー!」みたいなコメントも書いてないし、「おしゃれだなー」と思った。

王舟:ははは。ジャケットとデザインに関してはタッツとつんちゃん(惣田紗希)にお任せしたので。


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そもそも、音楽がすごく大事なものとして扱われるのがあまり好きじゃないんですよ。スタンダードってそういうところがないじゃないですか。


王舟 - Wang
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達彦としては、ここまで主張のないアーティストを売り出すことを難しいと思わない?

仲原:曲はわかりやすいじゃないですか。聴いてさえくれれば理解してもらえるはずなので、そこまで難しいとは思っていないですね。だから、ジャケットに関しては王舟のそういう性格を上手く生かすというか……「何だろう、このCD?」って手に取ってくれるようなものにしようと。僕自身、『賛成』を初めて聴いたとき、どんなひとなのか前情報が何もない状態で再生して「いいな」と感じたので、これから王舟を知るひとにもできるだけそういう状態で触れてほしいんです。

ひとつ思うのは、本当に衒いがないというか、オーセンティックでスターンダードなひとなんだなということだよね。最近のライヴで“500マイルズ”と“アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ”をカヴァーしてるでしょう? いま、あの2曲を普通に歌えるひとはなかなかいないよ。

王舟:いろいろな音楽を聴くんですけど、サイケでもレア・グルーヴでも、結局、それぞれのジャンルでいちばん有名なひとが好きなんですよ(笑)。だから、ジュディ・シルを知ったときは「こんなにスタンダードなことをやっているひとがなんでこんなに知られてないんだ?」って驚きましたね。

まぁ、ジュディ・シルも音楽好きにはよく知られているわけだけど、「こんなにスタンダードなことをやっているひとがなんでこんなに知られてないんだ?」というのは、王舟自身がまさにそうだよね。そういえば、アルバムの1曲め“tatebue”の歌い出しが“バッド・バッド・ウィスキー”に似ているんだよね。あの曲は『吉田類の酒場放浪記』(BS-TBS)の挿入歌でもあるから、王舟が酔っぱらってる姿を思い出して笑っちゃうんだけど(笑)。

王舟:その曲と似ているのはいま言われて気づいたんですけど、オレもそういう酒場の音楽が好きっていうか、そもそも、音楽がすごく大事なものとして扱われるのがあまり好きじゃないんですよ。スタンダードってそういうところがないじゃないですか。

昔、「音楽のいちばん美しい消費のされ方はBGMである」というコラムを書いたことがあるけどね。

王舟:まさに。そういう方が美しいですよね。

王舟にとっての理想の音楽は、陶酔するようなものではなく、むしろ、聞き流せるようなものだということかな。

王舟:みんながガヤガヤしているところで何か曲が流れている。ふと、「これって何て曲なんだろう」って耳を澄まして聴いてみたらすごくいい曲だった。そんなときって感動するじゃないですか。

そこにいる誰もが音楽を聞き流しているようで、じつはその音楽が空間に作用していたことがわかる瞬間というかね。

王舟:いまって、何の音楽を好きかによって派閥になっているようなところがありますよね。オレはそういう、ひとの価値観を限定する音楽よりも、むしろ、価値観が凝り固まって疲れたときにラクにさせてくれるような音楽の方がいい。もちろん、何かにハマるのは楽しいことだけど、音楽にハマることが他人との壁をつくるように機能してしまったら残念じゃないですか。


オレはそういう、ひとの価値観を限定する音楽よりも、むしろ、価値観が凝り固まって疲れたときにラクにさせてくれるような音楽の方がいい。もちろん、何かにハマるのは楽しいことだけど、音楽にハマることが他人との壁をつくるように機能してしまったら残念じゃないですか。

ただ、“BGM”や“ラクにさせてくれるような音楽”といっても、『Wang』はエレベーター・ミュージックやヒーリング・ミュージックみたいな無味無臭なものとも違う。どこか人懐っこいところがあるのは、職人的な作業としてではなく、仲間と遊びながらつくっているからだと思うんだけど。

王舟:ああ、そうかもしれませんね。

ちなみに、先程、英詞が多いのは「日本語だと滑らかさが減る」からだと解説してくれたけど、内容自体も淡いイメージというか、まぁ、言ってみればたわいないラヴ・ソングが多いよね。

王舟:そうですね。たわいない感じがむしろいいんじゃないかと思うんですよね。Hara Kazutoshiさんの歌なんかも簡単な言葉しか使ってないけどぐっとくる。だから、歌詞にしてもコードにしてもできるだけシンプルなものを使うっていう制約の中でやりたいと思ってます。印象に残る言葉みたいなものは要らないんじゃないかな。ありきたりな言葉を、ありきたりじゃない響きで聴かせられたらいいなと。


音楽に影響を与えているとしたら、「どこがルーツか」ということよりも、「どういうひとと接してきたか」ということがデカいんじゃないかな。

言葉と言えば、王舟は上海生まれだよね。このアルバムも『Wang』という君の名字をタイトルにしているわけだけど、“王”は中国でいちばん多い名字でもある。つまり、私的にも、抽象的にも取れる。そこで訊きたいのが、「自分のルーツが自分の音楽に影響を及ぼしていると思うか」ということ。

王舟:『Wang』ってタイトルもタッツが付けたんですよね。オレ自身はルーツに関してとくに意識はしていないです。大事にしようと考えているわけでもなくて、かと言ってぞんざいに扱っているわけでもない。でも、音楽に影響を与えているとしたら、「どこがルーツか」ということよりも、「どういうひとと接してきたか」ということがデカいんじゃないかな。美意識みたいなものは生まれつき持っているわけではなくて、積み重ねでできあがるものだと思うから。

ああ、なるほどね。自分で選べない“Roots”よりも、自分で選び取ってきた“Routes”の方にリアリティを感じるというのは、当然と言えば当然の話だよね。

王舟:それも意識してないんですけどね。たとえば、「この音楽、いいな」と思うのって無意識じゃないですか。そして、その経験が積み重ねられていくことによって、「ああ、おれはこういう音楽が好きなんだ」って意識する。音楽をつくるときも、曲の書き方だったり、音の出し方だったりは無意識だと思うんですよね。いまはそれを意識的に説明してますけど。

そういえば、松永良平さんのインタヴューで「ちっちゃいころに上海でニューオリンズ・ジャズを結構聞いてたんですよ。でも、そのころの記憶って、一回日本に来てから、完全に途切れて忘れてた。それを、NRQを聴いたときに思い出したんです」と語っていたけど、NRQって疑似的なルーツを鳴らすバンドなわけで、それを聴いて自分のルーツを思い出すというのはおもしろい話だなと思ったんだよね。王舟の音楽自体、スタンダードだったり、ノスタルジックだったりするものの、それって擬似的な標準だったり記憶だったりするんじゃないか。

王舟:ニューオリンズ・ジャズを聴くと「懐かしい」と思うんですけど、ニューオリンズなんて行ったことないですからね(笑)。それってよく考えるとすごい。

それは、ジャズを通して子どもの頃にいた上海を懐かしんでいるだけではなく、音楽そのものからノスタルジーを感じ取っているということだよね。

王舟:そういうふうに、音楽が感じさせてくれるものって、演奏者の自己だけじゃなくて、見たこともないどこかの風景だったりするからこそおもしろいと思うんですよね。

王舟の音楽に“ルーツ”があるとしたら、それは参加している友人たちとの関係なのかなという気はする。

王舟:そうかもしれませんね。でも、聴いているひとは気づかなくてもいいかな。


自分の生まれ育ちが自分の音楽に影響を与えているとしたら、それこそ、“個性を出す”という欲求がないところなのかもしれないです。だって、オレが子どもの頃に日本に来たとき、まず思ったのは、「普通になりたい!」ってことだったんですもん。

しかし、自分自身に興味がないところは徹底してるよね。

王舟:ああ……話していて思ったんですけど、自分の生まれ育ちが自分の音楽に影響を与えているとしたら、それこそ、“個性を出す”という欲求がないところなのかもしれないです。だって、オレが子どもの頃に日本に来たとき、まず思ったのは、「普通になりたい!」ってことだったんですもん。わざわざ個性を出そうとしなくても、まわりから個性的だと思われちゃうから。それと「普通のアルバムをつくりたい」と思ったことは繋がっているのかもしれない。

さっき、「王舟にとっての理想の音楽は、陶酔するようなものではなく、むしろ、聞き流せるようなもの」と言ったけど、むしろ、君は、音楽が陶酔によって自己から解放してくれるところに魅力を感じているのかもしれないね。

王舟:それはあるかもしれないです。たとえばニューオリンズ・ジャズの歴史を調べていたら、もともとは日曜の公園にバラバラの土地からいろいろなひとが集まっていっしょに演奏するところからはじまったっていう。そういう音楽のあり方には憧れますね。

演奏の中で自己から解放されてひとつになっていくという。ただ、王舟の音楽は、ニューオリンズ・ジャズをそのまま模倣しているわけではなくて、“王舟の音楽”としか言いようがない独特のものになっているわけだけど、あたかも昔から存在しているもののように自然に聴けるっていうのが『Wang』のおもしろいところだね。

王舟:みんなで集まって音楽をやるという行為から、ジャズという名前を取ったとしても、楽しさは残っているじゃないですか。それを言い表す言葉はないけど、まさに“そういう音楽”がやりたいんですよね。


FKA twigs - ele-king

 「今年はゼロ年代がちゃんと終わった」などという生意気を、『ele-king vol.12(BEST OF 2013特集)』のマイ・プライベート・チャート10に書き込んだのは、アルカの『&&&&&』(self-released)を1位に、そしてそのアルカがプロデュースしたFKAツイッグスの『EP2』(Young Turks)を6位に選んだことで説明責任は果たせるだろう、と思ったからだった。そう、かつて『remix』マガジンが副題に掲げていた「THE SHAPE OF MUSIC TO COME」というコピーがいまでも僕は好きだが、そういったものがいまでももしあり得るなら、『&&&&&』を聴いたときの戸惑いこそを信じてみよう、と。
 そして、一部の好事家はその得体の知れない音楽を便宜的に「ディストロイド(ディストピック・アンドロイド)」と呼んだわけだが、そのイメージを決定づけたのはやはり、FKA ツイッグスの『EP2』によるところが大きい。FKAツイッグスをめぐっては、通常、コクトー・ツインズやポーティスヘッドの名が出がちだが、むしろ『EP2』は、あそこまで人間臭い音楽はとても聴いていられない、という人向けに遺伝子操作された極めて人工度の高い音楽だったハズであり、それはアルカとの異次元的なコラボレーションで知られ、この『LP1』にもヴィジュアル面の担当で参加しているジェシー・カンダの作り出す世界観が背景にあるのも大きいだろう。
 音楽の中から人間の気配を極力消し去ってしまうこと。『EP2』までのFKAツイッグスとArcaの試みを比較すべきは、だから、〈フェイド・トゥ・マインド〉のケレラではなく、正しくは〈リヴェンジ〉のホーリー・ハードンだったのだろう。同じ2012年に“ブリーズ”なる同名曲を各々リリースしているのが興味深いが、声の質感やトラックの中での配置「だけ」を楽しむ世界というか、そこではヴォーカルとオケのどちらが偉いというわけでもない。いわゆる「インディR&B」的な機運を準備したのがジ・ウィークエンドだったにせよ、インディ・ロックの側からその機運に応えていたのがハウ・トゥ・ドレス・ウェルだったにせよ(彼を「BPM20ヴァージョンのマイケル・ジャクソン」と評したのはどこの海外メディアだったか)、僕に言わせれば彼らはいささか「歌い過ぎ」た。

 そういう意味で言うと、引きつづき〈ヤング・タークス〉からのリリースとなった本作『LP1』も、やや歌い過ぎといえば歌い過ぎの作品ではある。レーベル側の都合なのか、それとも正式なフル・アルバムを準備中のアルカとのスケジュール調整の都合なのか、あるいは彼女自身の要望なのかはわからないけれども、一転してアルカのプロデュース曲が激減した本作では、『EP1』から『EP2』に飛躍したときほどの距離を飛べてはいない。「10年早い音楽」が「3年早い音楽」くらいのポップ・バランスになった、とでも言うか。一方、アルカの代わりに主役級の抜擢を受けているのは、キッド・カディの『マン・オン・ザ・ムーン』シリーズや、ラナ・デル・レイの『ボーン・トゥ・ダイ』等々で知られる、「暗いのに売れるUSダウンテンポ」の名手であるエミール・ヘイニーだ。〈ヤング・タークス〉も恐ろしいことを考えるもので、要は「マーキュリー賞とグラミー賞の両方を狙え」というわけだろう。
 もちろん、この狙いが必ずしも裏目に出ているとは言い切れない。エミール・ヘイニーのプロデュースをアルカが演奏/打ちこみ面でサポートする“トゥー・ウィークス”と“ギヴ・アップ”は本作の目玉で、ヴォーカルとオケのどちらを聴けばいいのかわからなくなるような戸惑いや、未来を窃視しているような緊張感は薄まったが、なるほど、未来のトップ40チャートから迷い込んできたような変種のR&Bとしてうまくコントロールされている。“ペンデュラム”をプロデュースしている大御所、ポール・エプワースも同様で、『EP2』までに築かれたツイッグスの世界観を壊さぬよう、慎重に音を選んでいる配慮が伝わってくる。あるいは逆に、『EP2』の世界観に囚われ過ぎでは、という気がしないでもないが。
 逆に、アルカが唯一プロデュースを手掛ける“ライツ・オン”は、最後の1分間の展開には唸らされるが、アルバム全体からすればややインパクトに欠けるか。まあ、自分のアルバムを準備中の人間に“ハウズ・ザット”や“ウォーター・ミー”レベルのものを10曲用意しろ、というのはさすがに無理な相談のようである。そしてこれは僕の耳がひねくれ過ぎているのか、エミール・ヘイニー、デヴォンテ・ハインズ(a.k.a ブラッド・オレンジ)、クラムス・カジノ、アルカの名がズラリと並べられた“アワーズ”のプロデュース欄には驚いたが、いろいろなものを足し過ぎた結果、全員の個性がうまい具合で相殺されてしまっているように感じられたのは残念だ。意外なところで面白いのは、UKの新人R&Bシンガー、ジョエル・コンパスが作曲の共作者に名を連ねる、おそらくは本作の中でもっともふつうのR&Bに近い素材であるハズのクローサー・トラック“キックス”が、意外とドハマりしていて、ツイッグスのセルフ・プロデュース力の高さというか、どんな曲でも自分色に変えることのできる圧倒的な声の力をむしろ実証する形になっている。

 すっかり長くなってしまったが、ここまで来たので風呂敷を広げてしまおう。米メディア『ピッチフォーク』は今から2年前、インディとメインストリームのあいだに広がる第3の道を「スモール・ポップ」と呼んで何組かのアーティストを(おもにブラッド・オレンジ以降という文脈で)紹介していたけれども、そうした二項対立そのものがはたしていまでも有効なのか、ということを執念深く検証しつづけているのが今年の『タイニー・ミックス・テープス』だ。不得意な英語に目を通しながら、僕がアルカとFKAツイッグスの登場に受けたあの拭いがたい衝撃を思い出したのは、『タイニー』のコラムで次の一文を読んだときだ。「同時代に生み出される最新・最良の音楽は、いつだって私たちが想像するよりもはるかにスマートで、かつ生産的なものである」。なるほどたしかに、『EP2』や『&&&&&』は「気付けば到来していた未来」としていつの間にか眼前に迫り、ミュージック・フリークたちを中心とした決して小さくない市場を生んでしまった。そう、心配することなど何もないのだろう。
 ついでに言えば、クィア・ラップのプロデューサー陣からは、アルカと同じくミッキー・ブランコのプロデュースでブレイクしたベルリンのデュオ(?)のアムネシア・スキャナー(Amnesia Scanner)が、それこそ『&&&&&』の2014年ヴァージョンのようなディストロイド系のミックステープ『AS LIVE [][][][][]』(自主盤)をリリースしているし、そのミッキー・ブランコは自身の正式フル・アルバムを準備するかたわら、トリッキーの2014年作『エイドリアン・ゾーズ(Thaws)』にも参加、オーディションを開いてまで選び抜いたネクスト・ディーヴァ、フランチェスカ・ベルモンテと“ロニー・リッスン(Lonnie Listen)”で共演している。あるいは、メロウなR&Bに落ち着いてしまうのか、と心配されたケレラはご存じ、BOK BOKとの“メルバズ・コール(Melba's Call)”でグリッチR&Bと呼ばれるネクスト・レヴェルを披露、さらには、筆者が個人的に贔屓にしているラッパー、リーフと“OICU”で共演、彼方のR&Bを目指している。
 これらはあくまで一例に過ぎないが、とにかくクィア・ラップ、インディR&B、そしてディストロイドと、筆者がここ数年でなんとなくおもしろいと思ってきた変わり種の音楽が、インターネットを介して少しずつ折り重なってシーンのようなものを形成しつつある。トップ40との両立でも、もちろんいい。そのとき、FKAツイッグスにも「こちら側」にいてほしいと思うのである。あくまでもそうした先端部の動きと比べれば、という前置きは絶対に必要だが、FKAツイッグスは『LP1』でポップ・シーンへの配慮が過ぎたかもしれない。守りに入るには、いくらなんでも早すぎるだろう。「来たるべき音楽」が鳴る場所というものは、既知の情報がもたらす安らぎのなかで団らんする場所ではけっしてあり得ない、ということを、あなたは教えてくれたじゃないか。

いくたびでも - ele-king

 鈴木昭男と恩田晃、年齢も出自もちがうふたりはともに場と記憶にまつわる音を探究しつづけるサウンド・アーティストとしてつとに知られており、世界をマタにかけて活動を行ってきた、というより、世界は無数の場所の折り重なりなのだから場を探りつづければいきおいマタにかけざるを得ないともいえる。サイト-スペシフィック(Site-Specific)とは決まった場所に在ることであり、音楽では特定の場所に設置したサウンドアート作品を指してそう呼ぶことが多いですが、たとえば恩田晃はある場所でカセットに録った音を「演奏」することで、場所と記憶、過去の時間と現在時を音のなかに重畳しきわめて特異に響かせる。鈴木昭男については多言を要すまい。自然と語らいのなかでの音を探りつづけた彼の耳は音楽の制度と因習にとらわれず、アナラポス――糸電話の糸をバネにかえた、スプリング・リヴァーブをむきだしにしたような自作楽器――などを制作し、聴取行為を行為芸術にくりこみ、音楽とは別の音の体系を手ずからつくりあげるようである。

 ふたりには何度か共演歴があり、そのひとつはモントリオールの〈Oral Records〉から今年『ma ta ta bi』になった。「マタタビ」とは「股旅」であり「また旅」であり、場を求めさすらうふたりの音楽人生になぞらえたのだと思うが(そういえば恩田さんが日本に地を踏むのは5年ぶりだそうだ)、ふたたび、いや三度、四度といわず、彼らにとって出会いは旅路の交錯であり、場から場へ移る過程の途上であり、いくたび目かの出会いへのさきぶれであり、演奏は終わっても音に終わりはない。彼らが去った後はその場さえ変わってしまうようだ。いや変わったのはこっちの耳のほうだったか。
 9月20日はマタタビの日ですね。

●公演詳細
鈴木昭男/恩田晃 デュオ・パフォーマンス

日程:2014年9月20日(土)
会場:17:00 開演:17:30
会場:原美術館ザ・ホール 東京都品川区北品川4-7-25 Tel 03-3445-0651
出演:鈴木昭男、恩田晃
チケット:4,000円(入館料・税込み)

お申し込みは以下より
原美術館 詳細ページ
https://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/sHYBk6enGT7UOAatlmQr/

interview with Jun Miyake - ele-king

 ここ数年の三宅純の想像のひろがりはとどまるところを知らない。ボサノヴァやサンバやジャズや弦楽曲とシャンソンとブルガリアン・ヴォイスにジャズ、形式を異にする音楽が矛盾なく同居しまるでとけあうような、猥雑なのに遠目からはきわめて滑らかな音の織物とでも呼びたくなる彼の音楽は2007年の『Stolen from strangers』、昨年出した『Lost Memory Theatre act-1』で「Lost Memory Theatre」なるコンセプトを得てまさに水を得た魚になった。


三宅純
Lost Memory Theatre act-2

Pヴァイン

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 というのは慣用句ですけれども、ある枠組みを設け、それを水にひたせば、水は枠組みのなかに還流する。マドレーヌと紅茶の関係をもちだすまでもなく、記憶はささいなきっかけで呼びさまされるが、作品のかたちをとるには虚構のフレームが必要であり、三宅純はそれを劇場になぞらえる。その一幕目(『act-1』)ではアート・リンゼイからニナ・ハーゲンまでが記憶のよりしろとなった。はやくも登場した『act-2』はサティを思わせるピアノ曲“the locked room”で、部屋の扉に後ろ手で鍵をかけられたかのように、幕が開いてしまえば、終曲の“across the ice”まで、エレガントなのにときにリンチ的(あるいはバダラメンティ的)な迷宮の回廊沿いの小部屋を覗いてまわらねばなるまい。なぜなら、そこにはフロイトのいう夢のヘソのような、カフカを論じてガタリのいう抗いがたいものが働いている気がしてならない。

 インタヴューは私鉄の駅からすこし歩いた先の、側面いっぱいに窓をとった三宅さんの部屋で行った。取材を終えて、帰ろうと思ったとき、一時間前にやってきた道筋があやふやになり、帰り道を教えてもらった。
 なんのことはない一本道だった。
 記憶が還流してしまったのだろうか。

■三宅純 / Jun Miyake
日野皓正に見出され、バークリー音楽大学に学び、ジャズトランペッターとして活動開始、時代の盲点を突いたアーティスト活動の傍ら作曲家としても頭角を現し、CM、映画、アニメ、ドキュメンタリー、コンテンポラリーダンス等多くの作品に関わる。3000作を優に超えるCM作品の中にはカンヌ国際広告映画祭、デジタルメディア・グランプリ等での受賞作も多数。05年秋よりパリにも拠点を設け、精力的に活動中。アルバム”Stolen from strangers”はフランス、ドイツの音楽誌で「年間ベストアルバム」「音楽批評家大賞」などを受賞。ギャラリーラファイエット・オムの「2009年の男」に選出され、同年5月にはパリの街を三宅純のポスターが埋め尽くした。主要楽曲を提供したヴィム・ヴェンダース監督作品「ピナ/踊り続けるいのち」はEuropean film award 2011 でベスト・ドキュメンタリー賞受賞。またアカデミー賞2012年ドキュメンタリー部門、および英国アカデミー賞2012年外国語映画部門にノミネートされた。


このテーマこそ、自分のずっとやってきたことなんだと思います。言葉で言うのはやさしいけど、音楽にするのは至難で、ようやく年も食ってきて、記憶の蓄積も、失われた記憶もある。そういう状態になったんですね。

(刷り上がったばかりの『Lost Memory Thatre act-2』のジャケット・デザインを見ながら)三宅さんはデザインの指示もされるんですか?

三宅:ええ、好みははっきりしているので。ジャン=ポール・グードのグラフィック・デザインをすべてやっているヤン・スティーヴさんという方がいらして、彼と結託して、ジャン=ポール・グードの作品から気に入ったものを選んでプロトタイプを仕上げ、こういう感じになったのですが許して頂けますでしょうか、と。

事後承諾ですね(笑)。

三宅:むこうも最近用心しているみたいですね(笑)。『Stolen from strangers』でも彼の写真を使っているんですが、けっこう変えちゃったので一ヶ月くらい口をきいてもらえなかった。

ジャケットは『act-1』と『act-2』で白と黒といった対称性を出そうということでしょうか?

三宅:対称性は意識していません。ジャン=ポールの作品を使いたいとは思っていたんですが、アルバムの構想が固まってから選びはじめたんです。

最後にうかがおうと思っていたんですが、『act 3』も当然考えておられるんですよね。

三宅:考えています。いままでこういうつくり方をしたことがなかったんですけど、『act-2』はあくまで一幕と三幕があっての二幕目の立ち位置だと僕は思っているんです。

そのように私も感じました。

三宅:いままでは一枚ごと「どうだ!?」って感じで出してきたんですけど、そういう意味ではちょっと性格がちがうんですよね。

『act-1』は、聴いたことがないのにどこかそれを喚起するような音楽に誘われて、記憶の劇場に足を踏み入れたような、『act-2』は迷宮のなかにいくつかの小部屋があって、そこにある扉をのぞいてまわるような印象を受けました。たとえば“across the ice”の余韻のあとになにかが訪れるのではないかという期待をおぼえたんですね。『Lost Memory Theatre』シリーズは三宅さんのライフ・ワークというか、このテーマは三宅さんの作風にぴったりだと思いました。

三宅:このテーマこそ、自分のずっとやってきたことなんだと思います。言葉で言うのはやさしいけど、音楽にするのは至難で、ようやく年も食ってきて、記憶の蓄積も、失われた記憶もある。そういう状態になったんですね。

失われてしまった記憶があるからこそ、『Lost Memory Theatre』が成り立つんですね。

三宅:そうです。そのなかには強制終了した記憶もあるんですけど。

強制終了するというのは具体的にどういう意味ですか?

三宅:個人的な記憶も含めて、憶えていたくない記憶ですね。

そういうものも――

三宅:なくはない(笑)。『act-1』に参加してくれたメヒチルド・グロスマンというピナ・バウシュとも仕事をしていた女優さんがいるんですけれど、彼女とのレコーディング(“Ich Bin Schon”『act-1』収録)でロスト・メモリーとはなにかという話になったとき、「失われたということは、あなたが消したんでしょ?」と釘を刺されたんですが、「うーん、必ずしもそうではないな」と思ったんです。ライナーにも書いたように、場所と結びついた記憶はなくなってしまうものでもあるし、津波なども含めればかならずしも彼女がいうとおりではないんですが、彼女が言っている意味もわかる。たとえば彼女とピナ・バウシュとの記憶はいったん消さないと痛みが強すぎて耐えられないものではあったと思うんです。

ロスト・メモリーとはなにかという話になったとき、「失われたということは、あなたが消したんでしょ?」と釘を刺されたんですが、「うーん、必ずしもそうではないな」と思ったんです。

ピナ・バウシュもそうですが、亡くなることで失われてしまうことも、人とのつきあいにおいてはありますからね。

三宅:僕はピナにかんしては、亡くなって存在が消滅したのではなく、圧倒的に不在していると感じています。徹底的に不在している、と。作品もまだ生きていて彼女の存在はあるのだけど、その席が空いちゃっているということですね。

アルバムの話を順番にうかがっていきますが、前作から今作まで1年かかっています。『act-1』を録り終えてすぐ『act-2』の制作にとりかかられたのでしょうか?

三宅:もっと前からです。目的もなく録っている曲もけっこうあって、そういう半分手のついていた曲もたくさんありましたし、『act-2』のうちの8曲くらいは過去の舞台作品で使ったものなんです。白井晃さんの作品ばかりなんですけれど、舞台作品というのはサントラが出るような珍しいケースもありますが、そうでない場合はひとびとの記憶のなかにしか残らない。その意味でまさに“Lost Memory Theatre”なんですね。そのなかで自分が気に入っていたものがいくつかあったので――ピアノ曲が多いのですが――それが今回キーになると思ったんです。
 僕は『act-1』については、劇場に人を呼び込み、そこではかぎりなく失われた記憶を喚起する曲が流れているけれども、それは過去に聴いた音楽そのものではない、というのを目指していました。今回はむしろ、個人の小さな部屋を開けるとそこに詰まっている匂い、温度、湿度があって、場合によっては慌てて閉めて出てしまう、そういうイメージなんです。でもそれはもちろん聴く方の自由なので、限定をするつもりはないんですけれど。

ピアノを使った曲が中心になったのは、ピアノは記憶に働きかける機能が強いということですか?

三宅:そういうわけではないです。どの楽器もそういう要素があるとは思いますけれど、たまたまそういう舞台のためにつくった曲がそういう曲調だったんですね。

CD化された『中国の不思議な役人』とか『Woyzeck(ヴォイツェック)』ともちがう舞台ですか?

三宅:そうです。ポール・オースター原作だったり、フィリップ・リドリー原作の舞台です。

収録するにあたってアレンジし直しましたか?

三宅:曲によって手を入れたものもあれば、そのまま使っているものもあります。

今回は前作よりもインストの比重が大きくなっているのもピアノの影響でしょうか?

三宅:今回はインスト中心でいこうという気持ちが最初からあって。やっぱりその小部屋のイメージが自分にはあったので。歌が入ると部屋がだんだんと大きくなっていっちゃうんです(笑)。

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音楽なんて、最初から理論はないわけだから。イノヴェイターがいて、「これはどうなってるんだろう」って、理論はあとづけなんですよ。それなのに、音楽学校は逆に教えちゃうので型にはまった人が出てきちゃう。


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Lost Memory Theatre act-2

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『act-1』には“Eden-1”が入っていて、『act-2』には“Eden-3”“Eden-4”と収録されていますが、“Eden-2”はどこにいってしまったんでしょう?

三宅:“Eden”シリーズは20年くらい前に書いた曲なんです。とあるプロデューサーと話していたときに「レーベルをやらないか」みたいなお誘いを受けて、そのとき考えたコンセプトが今回の『Lost Memory Theatre』に近かったんですね。ただ、当時はまだ30代の若造ですから、そういったテーマを立ててみても、たんにノスタルジックになってしまったり、ひとりよがりになってしまうおそれがあったんですが、それをいまふりかえり、楽曲自体は時間の風雪に耐えられると思い、出すことにしました。曲名は仮のタイトルが残ってしまっているだけで、名前をつけ替えればそういう疑問は残らなかったかもしれませんけど、20年前の曲としてそのまま使っているんですね。“Eden-2”がどうなったかはデータを見直さなきゃわからないですが、もしかしたらそれだけ別個に世に出ている可能性もあります。

なるほど、CMなどで耳にしているかもしれませんね。三宅さんはCMや舞台のような、依頼される仕事のほかにつねにご自分のアルバムを同時並行で制作されているんですか?

三宅:つねに同時並行です。以前レコード会社にまだ体力がある頃は、〆切も与えられて期限付きでそれだけに集中するようなこともあり得ましたが、いまはそういう時代でもありません。自発的にやる場合はある程度思いついたときにやっておかないと、かたちになっていきませんし。

話はそれますけれど、音楽をとりまく現状を三宅さんはどう思われますか?

三宅:違法ダウンロードみたいなものにかんしては、憤りを感じないわけではないですけれど、どうしようもないレベルにまでいっちゃっているから、パッケージを買うだけの熱意とリスペクトがある方に買っていただければいいという気持ちです。でも音楽自体が必要とされていないという感じはしていないんです。昔から極北の音楽をやっていますから、ファンの方に向けてつくるというよりは、そのつど欠落している自分の部分を埋めようとしているので、制作へのモチヴェーションにも変わりはありません。もちろん音楽産業がさかんであればよいのにな、とは思います。

欠落しているというのは、ご自身が聴きたい音楽がないからつくらざるをえないということもあるのでしょうか?

三宅:それはありますね。おもに流通している音楽のなかに、ということかもしれませんが。もちろんいまはあらゆる種類の音楽が飽和していますから、発掘していけばそういった音楽もあるかもしれませんが、僕の作品のようにハイブリッドな音楽は少ないかもしれません。

三宅さんは、たとえばジャズでもサンバでもボサノヴァでもいいですが、あるジャンルの音楽をご自分のなかに取りこむとき、形式そのものを援用するのでしょうか? あるいはその音楽が表象する感覚を先に考えますか?

三宅:大きくわけると後者にちかくて、エッセンスのようなものをとりこもうと考えています。これはほとんどフィジカルなプロセスなんですけれども、昔は聴いたこともないような音楽をサンプルに、明日までにこういう曲をつくってくれみたいなことがCMではよくあったんですよ。

明日ですか!?

三宅:バブルの時期はよくありました。そんな時も、理論的に分析して作れば似たものはできるかもしれないんですけど、おもしろくもなんともないんですよ。ある音楽が奏でられる地方があって、その地方の人たち、その音楽が暮らしのなかにある人たちはなにを聴いたらうれしくなるだろう? 彼らの体がよろこぶ感じをいつも心がけていたんですね。そうすると、意外と現地の方が聴いたときに「これって昔からあったような曲だね」といってくれたりするんです。『Innocent Bossa in the mirror』(2000年)をつくったときも、ボサノヴァは名曲が多くて一種のアンタッチャブルな領域だと思ったんですけれど、そこで100年前からあったような曲をつくってみようと大それたことを考えて、珍しくピアノだけで主要曲をつくりました。

三宅さんにとって音楽はロジカルなものではないということでしょうか?

三宅:ロジカルな側面は当然ありますけれど、それはあとからとってつけた理論なんですね。音楽なんて、最初から理論はないわけだから。イノヴェイターがいて、「これはどうなってるんだろう」って、理論はあとづけなんですよ。それなのに、音楽学校は逆に教えちゃうので型にはまった人が出てきちゃう。

でも三宅さんも学校ではそういうふうに教わったんですよね?

三宅:幸か不幸か僕は即興演奏だけを目指して学校に入り、必須の作曲の科目以外はけっこうドロップしちゃっていたんです。基礎的なところはわかりますし、あとからは勉強しましたけれど、即興演奏って、つまりその場で作曲することじゃないですか? 作曲なんてやるやつはゆっくりしか即興ができないんだと、当時僕はそう思っていました。ほんとうはまちがっているんですけど。理論は自分でダメだなって思ったときにやればいいと思っていたんですよ。

さっさと学校を出て活動したかったということですね。

三宅:入ったときから外で演奏していました。

僕はずっと移動しているせいか、生きている間は旅だと思っているんです。

三宅さんはアメリカで活動され、いまはパリを拠点にされていますが、ローカリティが音楽そのものに働きかける部分は大きいと思いますか?

三宅:もちろん居住環境が変わったり国が変わることで意識せざるリフレクションはあると思いますが、基本的なメンタリティは変わらないですよ。そんなことをいえば、今日ここにいらっしゃるまでに歩いた道とか乗った交通機関とかでみなさんもそれなりの影響を受けているわけで。僕はずっと移動しているせいか、生きている間は旅だと思っているんです。そのなかのどこを切りとるかということですよね。

移動しつづけるなかで、伝統のようなものから遠ざかってしまうのではないかという危惧はないですか? たとえば日本的なものから。

三宅:それは日本の音楽教育システムが悪すぎるせいなんですよ(笑)。つまり、文明開化のときに新しい西洋の音楽の教育システムをつくってしまって、伝統音楽に対して一回切っちゃったでしょ? だから僕の世代でも(伝統的なものは)ないし、もっと上の方でもすでにない人が多い。皆さんの世代もきっとそうでしょう。ただ、そんなに聴いたことがなくても血の中にお祭りの太鼓とか能の間のとり方とかが入っていると思うんです。というのは、僕は白井さんの舞台で泉鏡花の『天守物語』という演目をやったことがあって、能管とか琴とか三味線とかを使って、はじめて和ものにがっぷり挑戦したんですね。そのときに和の旋律というのはあえて聴かなくても、「あっ、そうか。こういう感じか」とつづきが出てきちゃうことがわかったんです。和の感覚を僕はそんなに肯定してこなかったのに。けっこう怖いなとは思いました。で、答えに戻ると、日本から離れたからといって日本の伝統と切れるという気はしていません。なぜかというと、日本では伝統自体が切れているから(笑)。

逆に、海外で日本的なものを期待されることはありませんか?

三宅:それはあります。つらいんですね。その場合は、僕たちは伝統から切られているんだと。きっとあなたたちが聴いているのと同じか、あるいはもっと雑食的にいろんなものを聴いて育っている、と答えますね。

たしかに、日本の国土は自分たちでも気づかないくらい雑多なものでできているかもしれないですね。

三宅:僕がやっていることもそういうことだと思うんです。だから、そういう意味でこれは日本的な音楽だと僕は思っています(笑)。

話は戻りますが、『Lost Memory Theatre』における記憶とはどのような種類のものでしょう?

三宅:通過してきたありとあらゆる記憶のレイヤーです。

東京だと昨日まであった建物が壊されて更地になったあと、そこにかつてなにがあったかまったく思い出せないことがありますよね。東京とパリを較べてどう思われますか?

三宅:パリは街の美観を維持することが法律で決まっているんですよ。変えてはいけない地域があって、エアコンの室外機も付けられない。1階のお店の入れ替わりとかはありますけど、建物の外観は変えられないんですね。日本だと築40年の建物は古いですが、パリには三百年四百年の建物はざらにあって、それを直しながら使っているわけで、その感覚はすごくちがいますよね。

記憶のあり方もちがう気がしますね。

三宅:ちがうと思います。パリも中心部はそうだとしても、郊外は近代化しているので一概にはいえませんけどね。

でもどちらが正しいということではなくて、それぞれの都市のありようだとは思いますが。

三宅:もちろんどちらが正しいということではないんですが、さっきの教育の分断と同じように、フランスの人たちは何百年、何千年という流れが途切れていないとは思います。つまり、昔から何代も暮らしてきたところに自分も暮らしていて、営みが昔から脈々とある。そこはいまの日本にあまりないところだと思うんです。とくに東京なんかだと。

電車に乗っても、どの駅に着いたのかパッと見はわからないですからね。

三宅:あれはちょっと問題ですよね。アレックス・カーさんという著述家が日本の美についていろいろ書かれていますけど非常に共感したんです。彼は京都に庵があって、そこで古美術品などを集めたりしていたんですが、それを入手する手段が開発とともに変わってきてしまった。あるいは、彼は四国の山村にも別の庵があるんですが、その村自体が過疎化してダムができちゃうとか。

そういう現実がいたるところで進行していますよね。

三宅:田中角栄の『列島改造論』あたりからもうよくなかったのかもしれないね。たとえ改造するのであっても、この美しい国土をどうやったら美しいまま発展できるかって考えればよかったと思うんですけどね。

日本的な美しさは往々にして外から発見されますね。

三宅:この小さな島の中だけで価値観がまわっているからそうなるんでしょうね。どうせなら鎖国していればよかったのかもしれない(笑)。

急に極論が(笑)。でも三宅さんは閉塞した日本が息苦しくてフランスでの活動を選ばれたんじゃないですか?

三宅:それもありますが、もし鎖国していたら出なかったかもしれないですよ(笑)。そのなかにきれいなものはいっぱいあるんだから、それを極めればいいと思っていたかもしれない。さっきの教育システムの話にまた戻ってしまうかもしれないけれど、他の国のおもしろいものを知ってしまったから、彼らとコラボレーションするためには日本は地理的に遠い、その点がいちばん大きいです。

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コラボレーションでもなんでもそうですが、最初からうまくいくことは非常に稀なので、なんらかのコミュニケーションで埋めなくてはならなかったり、たがいに思っていた音の方向がちがうとかそういうことはいくらでもあります。

三宅さんはこれまで数え切れないほど仕事をしてきたと思いますが、いままでのキャリアで迎えた最大とピンチというと何を思い浮かべますか?

三宅:つねに臨戦態勢なので、マズいという感じがあたりまえなんですよね(笑)。コラボレーションでもなんでもそうですが、最初からうまくいくことは非常に稀なので、なんらかのコミュニケーションで埋めなくてはならなかったり、たがいに思っていた音の方向がちがうとかそういうことはいくらでもあります。僕は締切に遅れることはないので、言われたけどできないみたいなピンチはないんです。

較べるのもおこがましいですが、私も仮にも締切のある仕事をしていますけれども、三宅さんのように自信をもって遅れないとはいいきれないです(笑)。

三宅:瞬間湯沸かし的にやっちゃうんですよ(笑)。

壁に突きあたったりしませんか?

三宅:曲を完成させることにかんしていうと、頭の中できちんと音が聴こえていれば、そこにむかって走るだけなんです。まあ曲をつくっている最中に話かけられるとなにするかわかりませんけど(笑)。

CMの曲をつくるのでも、舞台でも映画のサウンド・トラックでも同じことですか?

三宅:同じです。デモを完成させてオーケストレーションするまで、だいたい3時間くらいなんですね。たまに「今日はこのくらいにして、つづきは明日やると楽しいかも」と思ってわざとやめるときもたまにあります。そうじゃないときは早く出しちゃわないと落ち着かないから。

出して自分の頭の中のスペースを空けるみたいな感じですか?

三宅:キャパは狭いけど、べつに音楽のことばかり考えているわけじゃないですよ。もっとほかによくないことも考えてますし(笑)、でもつくっているときは音楽に異常に集中しています。曲をつくるまではそういうプロセスなんですけれども、実際それをおのおののミュージシャンを呼んで、録って、そしてひとり増えるごとにプリ・ミックスしていくにはものすごく時間がかかります。なので、1曲3時間で書いたとしても、アルバムとして出すのに5年とか7年かかるんですね。青写真は短期間で出せたとしても、それは自分の頭のなかのものだけであって、人に会って、この人だと思う方に参加してもうらうたびに、その人なりの奥行が出てくる。それを微調整しながら、思いどおりにいかない場合は「どうしようかな」というのがいつもあるんです。

その録る環境そのものが楽音だと思うんです。僕は人肌、環境が集まったときにひとつの音楽になる、と考えます。だから無音のアイソレートされた、めちゃくちゃデッドな部屋で録る楽器の音はそんなに好きじゃない。

いまだとPCのシミュレーションでかなりリアルなサウンドができますが、それでもやはり誰かといっしょに音楽をつくりあげたいという気持ちが強いですか?

三宅:どんなに機械が進化しても人肌とはまるでちがいます。楽音というのは、たとえばサンプリング・サウンドはそこで録った環境も含めての音ですけど、(三宅氏の住居の階上から音が聞こえる)いま上で工事の音がしている、これも音楽の一部じゃないですか? その録る環境そのものが楽音だと思うんです。僕は人肌、環境が集まったときにひとつの音楽になる、と考えます。だから無音のアイソレートされた、めちゃくちゃデッドな部屋で録る楽器の音はそんなに好きじゃない。それなりの響きがあるところ、ふさわしい響きがあるところで録りたいと思いますね。


三宅純
Lost Memory Theatre act-2

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『act-2』も、階層化した音が奥行を感じさせますが、三宅さんの音楽は音響までふくめて成り立っているんですね。

三宅:それはもちろん。たとえば、自宅でストリングスを録ろうとなって、予算の都合でひとりしか呼べなくて、でも30人分の音がほしいときには、ただ30回音を重ねるのではなくて、椅子を少しずらしていったりとか、マイクを途中で変えてみたりとかそういうことは自分でやります。最終的にはエンジニアの腕にかかってきます。

サンプリングの小さなノイズを曲のなかにとりいれていますよね。そういった音は漫然と聴いたら聞こえないかもしれない。そういう音ものも含めての音楽だと考えていらっしゃるのでしょうか? あるいは記憶を音楽で表すには瑕(ノイズ)が必要なのでしょうか?

三宅:目的もなく好きだから入れています。というのは、いま解像度という意味では、テクノロジーの発達でクリーン過ぎる音の領域にまで入ってきているんです。デジタルでクリーンな状態は音が冷たい。だからものすごくクリーンな音を録っておいて、それを汚す音を入れないと僕は落ち着かないんです。

その判断はプレイ・バックしながらそのつど考えていく?

三宅:はい、そうです。音をひとつ足しただけでも全部のバランスを繰り返しとり直します。エンジニアに渡すときはほぼ完成形に近くなっているので、「バランスはこれね!」と指定して、音響処理だけをお願いするんです。プリ・ミックスにはすごく時間をかけます。

バランスが崩れるとまったくちがうものになってしまうんですね。

三宅:すべてバランスだと思います。シンプルなディレイとかリヴァーヴとほんのすこしコンプレッサーをかけることはありますが、お化粧でやるのはあまり好きじゃないです。

そう考えると、構想とか楽想とかがあったとしてもレコードのかたちになるまでには時間がかかりますね。

三宅:非常にかかりますし、そこの段階ではいろいろな迷いも生じます。レコードにするには反復に耐えうる普遍性ももたせなければならないので。

だから三宅さんの音楽は古びないんですね。

三宅:だとうれしいですけどね。そうあってほしいと思っていますけれど。

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──三宅さんが現在の三宅さんになった、つまり納得できた最初の作品はどこからですか?

『永遠之掌(とこしえのてのひら)』(88年)から『星ノ玉ノ緒』(93年)に移るこの2作かな。

録音にもトレンドがありますから、たとえば80年代のゲート・リヴァーヴが強くかかった作品などは、いま聴いたらちょっと大仰かもしれませんが、それでも三宅さんの作品は初期から一貫して残っていくものだという気が私はします。

三宅:それを目指していますけれども。やっぱり、ゲート・リヴァーヴもそうだけど、当時の最先端だったシンセの音とか、やっぱ恥ずかしいよね(笑)。自分のアルバムではそんなに使っていないと思うけど、CMでは使っているんですよね。

先日森美術館のアンディ・ウォーホール展へ行ったんですけど、最後のほうでウォーホルのテレビCMが流れていたんですよ。そういえば、この曲は三宅さんだったなと思い出しました。あれは最初のアルバムですよね?

三宅:そうですね。

〈TDK〉から出された──

三宅:よく知ってますね(笑)。

いや、私、もってますよ(笑)。

三宅:ほんとに!? いくつなの(笑)?

四〇代です(笑)。ウォーホルもインパクトありましたが、曲も気になったんですね。CMで使ったのは“I Knew I Was”ですよね。あのアルバムは再発されないんですか?

三宅:〈TDK〉の2枚は、自分にとって、あっ、あれは一種のピンチだね(笑)。僕はそれまでは「どジャズ」をやっていて、当時はフュージョン真っ盛りで、会社の意向もあったんです。それを全部飲んじゃうとほんとうにフュージョンになってしまうので、せめてブラコン止まりにしよう思っていたんですね。自分なりにベストを尽くしたんですが、2枚録ったあとで「レコード会社のいうことを聞きすぎると、自分の作品としてあとで反省することが多いな」と思って、こういう極北の音楽をやりはじめた気がします。

三宅さんが現在の三宅さんになった、つまり納得できた最初の作品はどこからですか?

三宅:『永遠之掌(とこしえのてのひら)』(88年)から『星ノ玉ノ緒』(93年)に移るこの2作かな。『永遠之掌』は80年代的に生の割合と機械の割合がイーヴンくらいになっていて、いま聴くとここは生にすればいいのにというのはいくらでもありますけれど、コンセプトとしては自分のやりたかったものではあった。ハル・ウィルナーとやった『星ノ玉ノ緒』はいま聴いても大丈夫かなと思いますね。

『星ノ玉ノ緒』は初期の代表作だと思います。スブリームさんとはこのころからのおつきあいですものね。スブリームさんとのアルバム『リュディック』を再発することにしたというのは、どういう理由からでしょう?

三宅:ライセンス期間が前のところときれたから(笑)。

もっとメロウなことをおっしゃっていただいた方がいい気がしますが(笑)。

三宅:そうだね。そういうトークができればいいんだけど(笑)。僕だけの意志ではないので。でもこれは彼女にとってこれは大きなアルバムだと思うので、マーケットからなくなってしまうのはいけないと思うんですね。

お見舞いに行ったら、「ジュン、この保険金でアルバムをつくろう!」と(笑)。すごい人だなと思いました。

三宅さんがフランスへ行かれて、東京を拠点とするスブリームさんがクロスフェードするようなかたちで制作されたアルバムですからね。

三宅:このアルバムをつくる前、彼女は大きな交通事故に遭ったんです。事故のかなり前から、アルバムをやってほしいとはいっていたんですけど、レコードディールがなかったので「機が熟したら」ととりあえずいっていたんですが、お見舞いに行ったら、「ジュン、この保険金でアルバムをつくろう!」と(笑)。すごい人だなと思いました。そういう思いが詰まっているのでこの作品をマーケットから消してはいけないとも思ったんですね。

『リュディック』の“Chinchilla”を聴いていたときに、私は娘がいるんですが、彼女が「このひと誰?」と聞いてきたので『ぜんまいざむらい』のひとだよ、と答えたときに、すごく納得していたおぼえがあります。

三宅:あぁ、少しイントロが似てるかもね。さらに補足するなら“Chinchilla”はレクサスのCMでした。節操なくてすみません(笑)。

いえ、三宅さんの音楽を耳にする機会が多く、強く記憶に残るものだからだと思うんですね。なので『Lost Memory Theatre』もどんどんアクトを重ねていっていただければと思います。

三宅:『act-3』でいったんきって、次に行きたい気持ちもありますけれど(笑)。『act-3』に関してはまだまっさらな状態なんですね。

そういえば、『act-1』の“A Dream Is A Wish Your Heart Makes”、『act-2』の“Que Sera Sera”ともに映画にまつわるカヴァー曲が入っています。どちらもアルバムの中間部に位置していますが、アルバムの構成に共通点をもたせる意味でそうされたんですか?

三宅:あっ、ほんとうに?

意図的ではないんですか?

三宅:曲順はこういう世界をつくるのにいちばん悩むとこで。ピンチは曲順でやってくるのかもしれない(笑)。アルバムというのは曲順でまるっきり変わってしまいます。同じ曲を収録していても曲順が変わるだけで流れもちがうし聴こえ方もちがう。「1曲目はこれだな」と決めたところから(曲順を考える作業が)はじまるんですけれど、真ん中にもってこようという意図はなかったですね。ここまでこうきたらこれかなと。

作品としてシンメトリックな構造を通底させたのかと思っていました。『act-1』は“Assimetrica”からはじまりますし。

三宅:そういうことをいえばかっこよかった(笑)。

(笑)最初にも申しあげましたが、『Act-2』は次を予兆させる作品だったので、いちファンとしてもぜひケジメをつけていただきたいと思っています。

三宅:ありがとうございます。たくさん聴いていただいてうれしいです。

interview with Blonde Redhead - ele-king

 カズ・マキノ氏はけっして流暢に話す人ではない。しかし、言葉をさがしながら、回答をさがしながら、正直に真摯に質問に答えようとしてくれることに心を動かされる。そこには、人に何かを伝えることについて、人に何かを届かせることについて、ふと自分(私)の不誠実や不努力を省みずにはいられないような……ひいてはマキノ氏自身が音楽に対してどのように向き合っているのかということを感じずにはいられないような、とても濃い時間と交流がある。
 ミュージシャンだってスポーツ選手だって同じだ。言葉たくみにインタヴューに答える必要はない。しかし受け答えから伝わる情報は言葉だけではない。まっすぐなコミュニケーションはときに驚くほどの情報をつまびらかにする。プレゼンに長けた、不況型で超高性能なゆとりアーティストたちもまばゆいが、今回のインタヴューでは、ナインティーズのUSインディが持っていた一種の口の重たさや純粋主義が、社会と時間にすり減らされることなく生きつづけていること、そしてそれが言外に語ることの多さに思わず感動してしまった。


Blonde Redhead
Barragán

Asawa Kuru / ホステス

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 そう、ブロンド・レッドヘッドといえば、ハードコアとジャンクとノイズをアーティに縫合し、スティーヴ・アルビニ率いるビッグ・ブラックや、スリント、ジーザス・リザードなどのカリスマ・バンドを世に送り出してきた名門〈タッチ・アンド・ゴー〉の重要アーティストとして、レーベルの90年代を華やがせたバンドのひとつだ。アルビニがあのおびただしいマイクを向けたのはたとえばドラム・セットにであって、「言葉」にではない。バットホールのギビー・ハインズの裸は、どんな言葉によるエクスキューズよりも雄弁に彼らを語る。レーベル内においては少し異色の佇まいをしているとはいえ、ブロンド・レッドヘッドもそのように「無口」なバンドである。もう20年以上にも及ぶ活動のなかで、語るよりもただ奏でるという、あの佇まいや存在感はまったく変わることがない。イタリア人の双子兄弟(ドラム、ギター)と日本人女性(ヴォーカル、ギター)というソリッドで耽美的なフォーメーションは、そのまま彼らの音のアイデンティティだ。立ち姿と演奏以外は何も必要ないと思わせられるその美しさは、当初のポスト・パンク寄りのジャンク・サウンドがのちに幽玄なサイケデリック色を強め、それに重なるように〈4AD〉へと移籍したのちも、ミステリアスに引き継がれている。

 今週、彼らは4年ぶりにして9作めとなるスタジオ・アルバム『バラガン』をリリースする。プロデュースとミックスはドリュー・ブラウン(ベック、レディオヘッドなど)。前作『ペニー・スパークル』(2010年)や、その前の『23』(2007年)がリリースされた折には、「昔のほうがよかった」という向きもあったが、今作を聴けば、それら〈タッチ・アンド・ゴー〉期のものが、〈4AD〉期のもののなかにもずっと息づいていたことをあらためて知ることになるだろう。そしてまた、〈4AD〉以降の艶やかさが、〈タッチ・アンド・ゴー〉期の厳しい美意識に統制されたノイズなくしては発火しないことにも納得するだろう。言葉ではないもの、理屈ではないものが燃えるように渦巻くこの作品は、昔から変わらず、しかし残る灰もないほど激しく熱を帯び、それゆえにおそろしいほどの静やかさを得ている。

■Blonde Redhead / ブロンド・レッドヘッド
日本人女性カズ・マキノと、イタリアはミラノ出身の双子兄弟アメデオとシモーネを中心に、1993年に結成。バンド名はアート・リンゼイの原点と言えるDNAの曲名からとられており、ソニック・ユースのドラマー、スティーヴ・シェリーがプロデュースしたデビュー・アルバムが絶賛されて一躍脚光を浴びた。現在においてもNYアート・ロックの中核を担い、第一線にて活躍するベテラン・バンドとして大きな存在感を誇る。


やっていることはあまり変わってないというか。ただ、記憶喪失みたいな感じで、何度やっても新鮮に感じることができれば、それで十分って思います。あたしがそう感じられれば。

2012年にチャリティ・コンピを編集されていますよね。『ウィ・アー・ザ・ワーク・イン・プログレス』(*1)という、タイトルもとても好きな作品です。あのとき思ったのは、マキノさんってエレクトロニックな音楽がお好きなんだなということなんです。

*1:東日本大震災被害と復興支援を目的とするチャリティ・コンピ

マキノ:そう! すごく小っちゃい分野のエレクトロニック・ミュージックが大好きで。

そうなんですね。少し意外でした。コンピには、フォー・テットとかノサッジ・シング、パンサ・デュ・プランスなんかも入っていましたけど、もともとお知り合いだった縁からですか?

マキノ:彼らとはいっしょにツアーを回ったりもしていました。もうすっかり友だちという感じで……。

ああ、ツアーを回っておられるんでしたね。

マキノ:あたしはあの分野の方へも、あたしたちみたいな分野の方たちへも、どっちにも注意を払っている感じです。そうすると、思いがけないところで交流があったり、お世辞かもしれないけど自分たちの音楽を褒めてくれたりすることもあって。

ミニマル・ハウスとか、いわゆるLAビート・シーンとか、そういうところとブロンド・レッドヘッドが交差するのがおもしろいなと思っていました。もっと古いテクノやダンス・ミュージックにさかのぼっていったりはしないんですか?

マキノ:うん。そんなによく理解しているというわけじゃないんですけど、少しなら。パンサみたいな友だちからいろいろ教えてもらっていますね。ツアーでいっしょにデトロイトに行ったときに、「あそこへあの人に会いに行こうよ」って、いろんなところに見学に連れていってもらいました。

へえー! 一方で、テリー・ライリーまで入っていますよね。

マキノ:そうなんです。大好きです!

たしかに、ブロンド・レッドヘッドの昔の作品にはミニマルな要素もあるように思えますね。もしかして、むしろ原点だったりするんですか?

マキノ:そういうわけでもないんですけどね。でもしいて言えば、エレクトロニック関係の人たちに教えてもらったり、そういう音楽に興味を持つなかで広がっていったものかな……。

なるほど。他に収録されているライアーズとかディアハンターとかは、より近しいところで活躍しているバンドかなと思うんですが、実際の影響関係を感じたりはしますか? ……時間がないのに、新作のお話じゃなくてすみません!

マキノ:いえ、あたしも興味あるんです、他の分野の人たちには。……えっと、影響関係ですか? ぜんぜん(笑)。

えっ(笑)。でもリスペクトされる対象なんじゃないでしょうか、ブロンド・レッドヘッドって。

マキノ:うーん、みんな優しくしてくれますけど、尊敬とかはないんじゃないかなあ。はははは。

えー。でも20年にもおよぶ活動のなかでずっと一線にいらっしゃるというか、活動が縮んでいかないのはすごいですよね。

マキノ:ほんとですか。

実際どうですか? 日々あたらしいアーティストや音楽が生まれていくわけですけど、自分たちの立ち位置やスタンスみたいなものの変化を感じますか?

マキノ:ははは、崖の淵へとじわじわと……(笑)。

いやいや。ではなくてですね(笑)。

マキノ:そうですねえ、やっていることはあまり変わってないというか。ただ、記憶喪失みたいな感じで、何度やっても新鮮に──いままでの経験をシチューみたいにずっと煮込んでいくっていうんじゃなくて──感じることができれば、それで十分って思います。あたしがそう感じられれば。
 とはいっても、振り返ってみれば自分の好きなものも変わってないなって思ったりもするんですけどね。何か新しいことをやりたいと思ったら、飽きてしまったものは省いていっているつもりなんですけど、結局それは同じものをちがうアングルから見ているだけ……というようなところはあるかもしれないです。

ということは、やっぱり、バンドにおいて作品の方向性の舵取りをしているのはマキノさんということになるんでしょうか。

マキノ:どうだろう……。

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でもあたしはなんか、このバンドの世界はあたしの世界っていうか……。あたしが自分の世界から抜けられないで、ずっとその中にいると、また彼らがそこに帰ってくるっていう感じです。


Blonde Redhead
Barragán

Asawa Kuru / ホステス

Indie RockPsychedelicNoiseArt Rock

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不思議なんですよ。アメデオさんのギター・ノイズも、シモーネさんのあのドラミングも、ブロンド・レッドヘッドの音楽を引っ張る上で絶対に欠かせないものじゃないですか。でもブロンド・レッドヘッド感を統べているのは何なのかという。それはマキノさんじゃないですか?

マキノ:うーん。……そうかもしれない。

ヴォーカルが入るときに命が吹き込まれる感じはありますか?

マキノ:うん、ヴォーカルっていうかメロディかな。自分でもよくわからないんですけど。

アメデオさん、シモーネさんは双子ですけど、3人でひとつながりみたいに見えます。話し合いやセッションのせめぎ合いでバンドのダイナミズムが生まれたりするんじゃなくて、ひとつのものから音が生まれてくるというか。

マキノ:そう。でも毎日いっしょにやっていて思うのは、彼らは本当に男の子だなって。集まっていっしょに何時間か演奏したら、そのあとは疲れたから帰るとか、サッカーしにいくとか、すぐに切り替えられるんです。でもあたしはなんか、このバンドの世界はあたしの世界っていうか、こう……それから抜けられる感じじゃないんです。抜けたいとも思ってなくて、四六時中そのことしか考えていないし、それに関係することしかしないのに、彼らはそういうんじゃないんですよね。あたしが自分の世界から抜けられないで、ずっとその中にいると、また彼らがそこに帰ってくるっていう感じです。
 たとえばレコーディングが終わると、今度はあたしがジャケットを考えたりする時間がきて、それも音楽と同じくらい時間がかかったりするんですけど、ふたりはぜんぜん関与しなくて、たまに「どうなってるの?」「どんな感じ?」ってきいてきたりしますね。それで、「それはいいね」「これはこうしたほうがよくない?」ってフィードバックしてくれる。あたしはその世界から出られなくなることがときどき嫌になっちゃったりもするんですけど、たぶん彼らとはそういうちがいがあるんじゃないかなあ……。

性別のちがいというところもあるかもしれないですね。母体、というような言葉が浮かびます。海みたいな、胎内みたいなところ……

マキノ:どっぷり、っていうか、本当に自分で抜けられない世界なんです。彼らはプラクティカルっていうか、そういう意味では普通の世界と行き来できていて、いいなあって思ったりすることもあります。

むかしからその(〈4AD〉期的な)傾向はあったと思うんですけど、それを隠してつくっていたのが〈タッチ・アンド・ゴー〉のころのやつかな……。

わたしが個人的に好んで聴いていたのは〈タッチ・アンド・ゴー〉からの3枚なんですけども、あのソリッドで殺伐とした空気感、ノーウェイヴィでハードコアっぽさもあって、そういったところがすごく〈タッチ・アンド・ゴー〉というレーベル自体の色をも体現していましたよね。その後の〈4AD〉期はより耽美的なシューゲイズ感を増していて、魅力的なサイケデリックを展開されています。きれいに線引きできないかもしれませんが、こうした転換は意識されたものですか?

マキノ:そうですね……、むかしからその(〈4AD〉期的な)傾向はあったと思うんですけど、それを隠してつくっていたのが〈タッチ・アンド・ゴー〉のころのやつかな……。表面を除くと、みんな同じ要素かもしれないです。

ああー。

マキノ:どっちの要素もアットホームというか、親しいものかなと思います。ライヴをやっていても、その間を行ったりきたりしていますね。

なるほど。ではそのだんだん剥き出しになっていった〈4AD〉的なサイケデリック感、耽美的な要素というのは、今作ではいちばんピークに達しているように思えます。

マキノ:聴きました!?

はい! そういう意味では極点じゃないですか?

マキノ:そうですね、すごく、究極な……。

『ペニー・スパークル』(2010年)の“ヒア・サムタイムズ”みたいな、ギター・ノイズが入ってこないシンセ・ポップの系統があるじゃないですか。そういうものの究極というか。

マキノ:そうですね、今回のアルバムにはギターはたくさん入っているんですけど、なんていうのかな、それはけっこう悪い癖というか。悪くもないんですけど、わたしたちは、放っておくとスペースが残らないほど音をレイヤードしてしまう傾向があるので、それをなるべくしないように、たくさん空間が残るように、って思ってやってますね。

なるほど、そのぐしゃっとした感じは魅力でもあるわけですけどね。

マキノ:うん、でも自分たちのなかで空間をつくるような傾向があまりないので、そのぶん努力してやってます。

“ノー・モア・ハニー”なんかもすっごくかっこいいんですけど、なるほど、たしかにスペースができていて、そのぶんむしろ空気が濃密に感じられるようになったのかもしれないです──あったはずのノイズが吸収されていて。

マキノ:うん。

あるいはそんな方針が生まれたのは経験とか年齢の積み重ねだったりするんでしょうか? それともたんにいまの好みなんですかね。

マキノ:どっちもあるかな……。でも、新鮮は新鮮で、いまの時代の傾向を見ると、あまりそのようなことをしている人たちはいないのかもしれないですね。

たとえば“バラガン”のように、マニュエル・ゲッチングとかにもつながっていくようなタイプのアンビエント・トラックもあるじゃないですか。それなんかも同じような考え方から生まれているんでしょうか。

マキノ:うーん、ほとんど何も聴かずに作ったようなアルバムなんですけどね。

なるほど、元からあったものだと言われれば、そうなのかもという気持ちになります。それが、ノイズの皮をむいたら出てきただけという。

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あたしがもしいま音楽をはじめたばっかりだったとしても、おんなじことをやっていると思います。


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マキノ:今回2年かかったんです。実際に残したものはいちばん最初のテイクだったりとかするんですけど、レコードについて考えた時間は2年間。曲を書いていながら、完成する前にやめてレコーディングに入ったりしたんですけど、それは時間がなくて終わらなかったからではなくて、終わらせないほうがいいって思ったからで──贅沢な話なんですけど、書きながら録音しようっていう意図とかはありました。そういうのは考え抜いて決めたことです。

ドリュー・ブラウンさんの起用はエレクトロニクスとバンド・サウンドをミックスするのに長けているから、というような理由ですか?

マキノ:いや、彼はとにかくものすごくセンスのいい人で、もちろんエレクトロニックへの理解もすごくあるんですけど、彼のいちばんの特徴はライヴ・レコーディングで──いまはもうないようなスタイルで、ライヴ録音できるっていうことなんです。

なるほど、同期じゃなくて、セッションを大事に考えていらっしゃるんですね。ブロンド・レッドヘッドは。

マキノ:そうですね。それに、80年代以降のシンセサイザーは使わないって。あっても80年代の初めくらいまでで、すべては70年代、60年代のものを使いました。ちょっと好きな新しいキーボードなんかがあっても、それは我慢して。あんまり誰にもわからないようなところなんですけど(笑)、そういうところに妙に気をつけて作ったものです。

なんというか、ニュアンスとしては「ヴィンテージ」というよりも、変わらないもの、古びないもの、というような感じですかね。

マキノ:そうですね。うん。

ブロンド・レッドヘッドのイメージに重なります。悪口じゃないんですけど、「吸血鬼か?」って感じに変わらないじゃないですか。老いないというか……

マキノ:あははは!

ははは! 年を重ねるということについてはどんなふうにお考えです?

マキノ:たしかにやっていることは昔から変わらないと思うんですけど、やっていることに対する重みみたいなものはあるんじゃないかと、ちょっとは感じてるんです。でも、あたしがもしいま音楽をはじめたばっかりだったとしても、おんなじことをやっていると思います。すごく難しいことをしているわけでもないと思いますし。
 まあ、いままでやりつづけてきた結果というのは、どうしても、もし欲しくなくても積もっていくものだから。

老いるのはいやですか?

マキノ:老いるのですか? いや、老いるのがいやというより、老いたということを自覚できないでいるのはいやだなって思います。いや、それもそれなりにすばらしいと思うんですけど、……そういう人ってたまにいるじゃないですか。

ははは! 老いた自覚のない人ですか。

マキノ:すごいアレなのに、まだ小学校に行くのと同じような恰好をしているっていうような。でも、自分もそのノリになっちゃったりするのかなって思うこともあるんですけどね……。といいつつ、老いるのが怖いわけではないです。

あと、海外の人からすれば、日本人の女の子ってふうに見られるわけじゃないですか──

マキノ:そうでもないよ。

あ、そうですか?

マキノ:うん、うん。

自分の言語(日本語)じゃない言語で表現するのって、すごく得っていうか、客観的に、自分のことじゃないみたいに自分のものを作れる。

なるほど、でも日本の人からすれば、マキノさんは日本でも海外でもない狭間に立つ人という感じがすると思うんですね。そういう狭間から見えるものがあるんじゃないかなって。

マキノ:自分の言語(日本語)じゃない言語で表現するのって、すごく得っていうか、客観的に、自分のことじゃないみたいに自分のものを作れる。日本語でやってたらここまでフランクに表現できないんじゃないかなあって。そこには妙な溝というかギャップがあって、それがあたしにとってはすごく便利っていうか、ちょうどいいっていうか。
 だからたまに「日本語で何かやらないの?」って訊かれるんですけど、ぜったいできない!

あ、やらないというよりできないという感じですか。

マキノ:急に恥ずかしくなって無理だと思います。それはある意味で得なことだと思います。

ストリートで遊びつかれるための21冊 - ele-king

 重版出来! 在庫僅少となっておりました磯部涼・九龍ジョー『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』ですが、そろそろ復活いたします。発売から3ヵ月ではやくも品薄となり、発売から3ヵ月たってもまだまだオーダーをいただけているele-king booksの人気作、購入を迷われていた方はぜひこの機会にお買い求めください。

 また、紀伊國屋書店新宿本店さんで開催中の「ストリートカルチャーフェア」内にて、著者のおふたり、磯部涼さんと九龍ジョーさんの選書コーナーが展開されています。
 ストリート・カルチャーについてさまざまな角度から考え、実際にそのなかで“遊びつかれる”ための21冊。売り場では選書リストの載ったリーフレットも配布中。ぜひ足をお運びいただき、良書の数々をめくってみてください!

■ストリートで遊びつかれるための21冊
──磯部涼・九龍ジョーによる選書フェア
紀伊國屋書店新宿本店にて開催中の「ストリートカルチャーフェア」内にて

開催場所:紀伊國屋書店新宿本店 7階芸術フロア
開催期間:8月中旬より開催中



Tower Amazon

語られていないことが多すぎる!
磯部涼×九龍ジョー、
ライヴハウスからネット・ミュージックまで、
音楽と“現場”のいまを考える対話集。

磯部涼と九龍ジョー。
音楽やそれを取り巻く風俗を現場の皮膚感覚から言葉にし、時代を動かすアンダーグラウンド・カルチャーをつぶさに眺めてきた人気ライター2人が、これからの音楽の10年を考える連続対談集『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』、ついにリリースとなります!
2010年代に、音楽はどのような場所で鳴っているのか、それは政治や社会とどのように関係しているのか……。
過剰な情報に取り巻かれながら、いまいる場所に希望を生むための、音楽のはなし。

●まるで問題集。考えるためのヒントがぎっしり!
日々おびただしい音源とニュースが行き交う音楽シーン。しかし、「話題」はあふれていても、「問題」はぼんやりとそのなかに埋もれてしまっているもの。小さなシーンやコミュニティの豊かなあり方から、隣国韓国インディの現在や風営法や原発をめぐる運動、あるいはシティ・ポップ再評価を通した東京と都市の考察まで、インターネット上も含めたさまざまな「現場」を軸として、見えない問いに色をつける4つの対話を収録。もっともっと考えたくなる、音楽カルチャーのいま。

●すぐに誰かと話したい! いまならではのトピック、ふたりならではの考察。
銀杏BOYZが残した本当のインパクト/日本にインディが根づくとき/音楽に可能な“下からの再開発”/ミュージシャンと政治の関係/風営法は何を守るのか/「すべてをかける」音楽の終わり/アートと倫理/韓国インディのいま/世界標準か、「ガラパゴス」か/「ずっとウソだった」──ヒットソングが示すもの/2万字インタヴュー再考/東京とシティ・ポップ/圧縮情報のシャワー/なぜ音楽のなかで社会について語ろうとするのか
……などなど既視感を越えていく充実の議論。

■磯部涼
音楽ライター。1978年生まれ。主にマイナー音楽、及びそれらと社会との関わりについてのテキストを執筆し、2004年に単行本『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)を、2011年に続編『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)を刊行。その他、編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(ともに河出書房新社)がある。

■九龍ジョー
編集者、ライター。1976年生まれ。ポップ・カルチャーを中心に原稿執筆。『KAMINOGE』、『Quick Japan』、『CDジャーナル』、『音楽と人』、『シアターガイド』、などで連載中。『キネマ旬報』にて星取り評担当。編集近刊に、坂口恭平『幻年時代』(幻冬舎)、岡田利規『遡行 変形していくための演劇論』(河出書房新社)、『MY BEST FRIENDS どついたるねん写真集』(SPACE SHOWER BOOKS)などがある。

■磯部涼+九龍ジョー・著
『遊びつかれた朝に
──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』

ISBN:978-4-907276-11-9
価格: 本体1,800円+税
並製 256ページ


interview with Simian Mobile Disco - ele-king

 シミアン・モバイル・ディスコ(以下SMD)は、2年ぶり4作目となるニュー・アルバム『ウァール』において、それぞれ一台ずつのモジュラー・シンセとシーケンサー、そしてミキサーだけを用いるという制約を自らに課した。その結果、レコーディングする場所が自ずと開けていったという。スタジオから屋外、それも砂漠のど真ん中だってOK! まさしくバンド名そのもの「モバイル・ディスコ」を実現させたのだ。

 SMDの名前を最初に聞いたのは「ニュー・レイヴ」が流行していた2007年頃だという方も多いかもしれない。熱しやすく移り気なUKの音楽シーンとジャーナリズムのもとで、括られ、もてはやされることによって消費されていくバンドもいれば、それを動力に変えて成長していくバンドもいる。クラクソンズ、CSS、ニュー・ヤング・ポニー・クラブなどと世に出る時期を同じくしたSMDもまた、「ニュー・レイヴ組」の中心アーティストとしてもてはやされた。しかし彼らは、その当時から「ニュー・レイヴ」のコンピレーションをむしろ代表してミックスしたり、メンバーのジェイムス・フォード(もじゃもじゃのほう)はクラクソンズの『近未来の神話』のプロデュースを手がけたりと、すでにシーンをまとめる、動かす、作るというネクスト・ステップへと進んでいた。ジェイムスはその後も、プロデュース業を続け、とくに2000年代以降のUKロック・シーンの代表ともいえるアークティック・モンキーズの4枚のアルバムを手がけて全英1位に送り込んでいることは彼の才覚を表すのに象徴的な出来事だろう。自身の作品でも、2000年代のUKインディ・シーンにおいてロックとクラブ・ミュージックの再接近に大きく貢献したのちは、ヨーロッパ・テクノの一角としてさらにスケールを大きくしている。今年の春にリリースされたシングルでも、ジャーマン・テクノのトップ・アーティストであるオルター・エゴのローマン・フリューゲルとのコラボレーションを披露している。


Simian Mobile Disco
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 本作『ウァール』では、進化と探求を止めないエレクトロ学者のような彼らの、新たな挑戦となった。前述のようにミニマムな機材に制限することとし、どこでも演奏できるということで、砂漠でレコーディングすることが決意された。そして今年2014年の4月に本当に砂漠へ繰り出し、リハーサル、ジャム、ライヴで3日間にわたってレコーディングが行われた。限られた機材と引き換えに、彼らには無限に広がる空と地平とその音を調和させるチャンスが与えられたのだ。その無限の空間でのフィジカルな作業だから、疲れるまでやっていたいし、時にはビートだって抜きたくなるし、結果としてすごく人間的な自由さにあふれるエレクトロ・サウンドになっている。チルアウトともまた違う、体内のリズムと合わさったような人肌の程良さだ。そして、クラウトロックとも邂逅する。

 今年6月の〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉でも、アルバム・リリースに先駆けて『ウァール』の再現ライヴが行われた。そのために来日をしていたジェームス・フォード(もじゃもじゃ)とジャス・ショウ(めがね)のふたりに話をきいた。

■Simian Mobile Disco / シミアン・モバイル・ディスコ
元々シミアンというバンドで活動していたエレクトロ・デュオ。現在までに3枚のアルバムを発表。07年のデビュー作が各メディアで年間ベストにランクインし、ロックとエレクトロを接続する当時のシーンのモードを体現する存在としても大きなインパクトを残した。ジェイムスはプロデューサーとしても知られており、アークティック・モンキーズの全英1位獲得アルバム4作品を手掛けている。


システムを作ること=アルバム作りだったと言ってもいいくらい、システムをデザインすることがある意味曲作りでもあったし、アルバム全体の美意識の確立にもつながったんだ。(ジェイムス)

今回のアルバムについて、レコーディングのプロセスを見せる試みにしようと思ったのはなぜですか?

ジェイムス:今回は、アルバム作りのプロセスとして非常に変わったやり方をしたので、それを見せて説明しないと、みんなにも馴染まないんじゃないかなと思ったのがひとつの理由だよ。今回はいわゆるポータブル・システムっていう考えでアルバムを作ったんだけど、システムを作ること=アルバム作りだったと言ってもいいくらい、システムをデザインすることがある意味曲作りでもあったし、アルバム全体の美意識の確立にもつながったんだ。たとえばキック・ドラムのモジュール一つ選ぶのでも、それがアルバム全体のキック・ドラムの音として確定する。だから本当にシステムを作っていくということがアルバム作りそのものだったので、その過程をみんなに見てほしかったんだ。

PCを取り入れずに各一台ずつのモジュラー・シンセとシーケンサーだけを使用するというミニマルな手法で見えたものは?

ジャス:制約があるんだけど、ある意味自分の創造性というものを逆に刺激することになったんじゃないかなと思うよ。音のパレットとして使える機材は小さくなり、選べる絵の具は少なくなったということで、これは制約でもあると同時に自分たちにとってはその機材だけでどこへ行っても同じことができるという別の可能性が開けた部分もある。実際に自分たちもこうして飛行機に乗って外へ出て行くとなると、持ち出せる機材の数も本当に限られていて、スーツケースで4つか5つくらい。じゃあどうする? って考えると、モジュラー・シンセは小さくていろんなことができるからこれはまず欲しいよね。だけど実際はモジュラー・シンセって小さいわりにいろいろめんどくさくて、すぐ壊れるし、いろいろ手入れが大変だし……という面もあるんだけど(笑)。
 でも今回はとにかく自分たちふたりでモジュラー・シンセを1つずつ、それと編集したりいろいろいじるためのシーケンサーを1つずつ、あとはミキサーがあれば、これでどこへ行ってもできるだろう、と。で、そういうシステムを一回作っておこうというのが発想の根本だったんだ。ここ(『ele-king vol.11』)に出ているようなバンドが作ったようなアルバムだって、考えてみれば使ってるのはそういう機材なんだよね。これは絞り込んだからここまで小さくなっただけで、彼らのやってることも結局はおんなじことだよね。彼らはスタジオでやっている、僕らはそれを外に持ち出しているというだけで。だから、絞ったんだけど逆に可能性が見えてきたっていうのが今回の結論かな。

今回はとにかく自分たちふたりでモジュラー・シンセを1つずつ、それと編集したりいろいろいじるためのシーケンサーを1つずつ、あとはミキサーがあれば、これでどこへ行ってもできるだろう、と。(ジャス)

アナログっぽい音にこだわったというわけではないんですか?

ジェイムス:アナログっていうことに関して言えば、いままでずっとスタジオでもアナログ・シンセを使っていたので、そこをあらためて今回追求したというわけではないよ。スタジオで使っているアナログ・シンセは大きくて古いから、言ってしまえば今回はそれを小型にしたっていうことになるよね。いちばん頭にあったのは、コンピューターを使いたくないっていうことだったんだ。いままではコンピューターでシーケンスして音をまとめてっていう使い方をしていたんだけど、今回は音のすべてをアナログ・システムで作ろうということで、すべてをコンピューターなしで作るためにオプションがだいぶ限定されたんだ。
 コンピューターでやるとなるとすべてが指一本で片付いてしまうんだけど、それがないっていうことになるとけっこう肉体を使った作業になるんだよね。大げさだけど、ワンステップ余計にかかって、座ったままパッとやれることが自分で動かないとやれないという部分があって。あっちへ行ってつながないといけない、とかそういう作業が入ってくるから、それがある意味自分たちにとっては楽器を演奏しているような、肉体性を伴った作業になったような気がしているよ。

砂漠でレコーディングしたというイメージであったり、“Z・スペース(Z Space)”“ダンデライオン・スフィアズ(Dandelion Spheres)”“カシオペア(Casiopea)”などビートを抜いている曲も目立ち、クラブよりももっと自然の空間に出たような印象を受けました。そういった曲が今回多く含まれるようになった経緯は?

ジェイムス:今回レコーディング・システムをこういうものでやろうと決めて──つまりどこでもレコーディングできるよねっていう状況になったときに、スタジオではなく自分の好きなところでやれるということにすごく開放感を味わって。じゃあどこでやろう? ってなったときに、今回ジョシュア・ツリー(国立公園)でやろうっていうアイデアが出てきたんだけど、そこでやろうって決めたときにまずそこでのギグをブッキングしてしまったんだ。その段階でじつはぜんぜん曲ができていなかったんだけど、今度そういうところでギグができるんだ、レコーディングできるんだ、っていうことが頭にある状態で曲を書きはじめたんだよ。だから、砂漠であったり自分たちが出ていく外の風景というのが曲作りのときに頭にあったことはたしかだよ。

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意味としては「渦巻き」っていう言葉だけど、今回のアルバムのプロセスである、シーケンサー2台が関わり合うっていう動きにもつながるかなと思ったし、それで僕らの音作りのプロセスの説明にもなるかなと思ったよ。(ジェイムス)


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タンジェリン・ドリームなどクラウトロックや、ピンク・フロイドなどプログレッシヴ・ロックのようなサウンドにも感じたのですが、そのあたりのシーンや時代は意識しましたか?

ジェイムス:ほんとに? それはグレイトだね!

ジャス:そうだね、僕らの前作においてもサイケデリアの影響って大きかったと思うんだけど、ステップ・シーケンサー云々っていう説明をこちらからしておいてタンジェリン・ドリームっていうと、ぜんぜん合致しないって思うかもしれないけど……。でも合致しないから好きじゃないっていうことでは決してないよ。音的にイメージがちがってもけっして嫌いってことではないからね(笑)。

ジェイムス:初期のクラウトロック、とくにクラスターとかは大好きだったな。

ジャス:いわゆる電子楽器や電子機器が、必ずしも金持ちじゃない普通のミュージシャンでも手が届くようになった時代の音楽、ということで言うと、すごくクリエイティヴな人たちがおもしろいことをやっていた時代だったんだろうなと思うよ。僕はそういうパイオニア的なミュージシャンにはすごく興味を持って聴くんだ。遡れば50年代からそういう人たちはいたわけで、どの時代にもおもしろいことをやっていた人たちがいるということになるけれど、出はじめの頃のクラウトロックのおもしろさっていうのは、やっぱりエレクトロと生楽器の融合というところに創作意欲を発揮した人たちが多かったからだと思う。これは言うほど簡単なことではなくて、やった人はたくさんいるけど間違っている人も大勢いるからね。

アルバムタイトル『ウァール(WHIRL)』に込めた意味は?

ジェイムス:意味としては「渦巻き」っていう言葉だけど、今回のアルバムのプロセスである、シーケンサー2台が関わり合うっていう動きにもつながるかなと思ったし、それで僕らの音作りのプロセスの説明にもなるかなと思ったよ。あと自然界を見ても、たとえば人間の指紋とか、花が開いていく様子なんかも渦を巻くように開いていくよね。そんなところにもつながっているよ。まあ言ってしまえば好きな言葉だからっていうのがいちばんかな。

曲名で“ダンデライオン・スフィアズ(Dandelion Spheres)”や“タンジェンツ(Tangents)”など、数学的だったり幾何学的な曲名も見られるんですが、大学の専攻やこれまで学んだ学問がそういった曲名をつけるときに関係していたりしますか? いつもどうやって曲名をつけていますか?

ジェイムス:ははは、僕は生物学専攻だよ。

ジャス:僕は哲学科だよ。

ジェイムス:単純に自分たちとしては好きな言葉とか本を読んでいるときに気になった言葉をリストにして挙げていて、曲ができたときにそれとフィーリングが合致したものだったり言葉をつなげてみたりしてつけていくのでとくに深い意味はないよ。〈デリカシーズ(Delicacies)〉ってレーベル名にもなっているんだけど、世界の珍味の名前なんかも僕らの興味の対象としてリストにしてあるよ(笑)。最初は仮のタイトルとして、曲を作った日にちがシーケンサーに残っていたので、「3月3日の4曲め」とか「2月2日の2曲め」なんていう感じでついていて、進行状況もわかるしそのままでおもしろいかなと思ってタイトルにしようかとも思ったんだ。でも自分たちでも覚えづらいのでタイトルをあらためて考えてつけ直したんだよ。

あの時期が一種のターニング・ポイントだったんだろうなとは思うよ。(中略)演奏をしたロック系のハコにはデッキが一台も置いてなくて、そのままそこでDJをやることができなかったんだ。(ジャス)

古い話なんですが、あなた方のデビュー当時に「ニュー・レイヴ」というシーンがおこりつつあって、あなた方もその中のアーティストとしてとらえられていたと思うんですが、そのシーンやネーミングに対してはいまどう思いますか?

ジャス:まったく実態がなかったと思うよ! クラブ系の音楽っていう意味合いだったんだと思うけど、とくにバンドを背景に持っている人たちによるクラブっぽい音楽っていう感じで、LCDサウンドシステムやホット・チップやクラクソンズのようなアーティストたちがいて、それをまとめて何と呼ぶかっていうところでそういう名前が出てきたんだろうね。
 でも音楽的にも出身地もみんなバラバラで、リンクするものはぜんぜんなかったよね。ただ、いまにして思えば、あの時期が一種のターニング・ポイントだったんだろうなとは思うよ。自分たちがまだシミアンと名乗ってバンド編成でツアーしていた当時、どこへ行っても僕らはレコードを買うのが好きで、とくにテクノ系のものに興味を持っていたので、レコードを買いに行ってそのまま夜DJもやりたいっていうことが多かった。でも演奏をしたロック系のハコにはデッキが一台も置いてなくて、そのままそこでDJをやることができなかったんだ。それで、あっちにクラブがあるからあっちでやればって言われて遠くのクラブまで出かけていったりね。まだそういう時代だったけど、いまはどんなロックの会場でもデッキの一台ぐらいは必ず置いてあるし、バンドの演奏が終わったらそこで朝までDJが回してるっていうのはごく普通のことだと思うけど、たぶんあの当時を境にしてだんだんとロックとクラブ・ミュージックの分け隔てがなくなっていったのかな。
 聴く分にはみんなロックもクラブもどっちも聴いている人が多くなっていた時期だと思うんだけど、まだ会場がそれに追いついていなかったと思うよ。だけどフレーズ的にはやっぱり「ニュー・レイヴ」ってナンセンス! クラウトロックのはじめの頃みたいなものなんじゃないかな。だってクラウトロックのシーンの半分ぐらいの人はお互いに知らなかっただろうし、お互いのことを好きでもなかったかもしれないし。

ジェイムス:それぐらい幅の広いものをひっくるめてああいう風に呼んでいるのは、ジャーナリストの都合だと思うよ。

ジャス:そう、なんでもそうだけどシーンがいったんおさまったあとにそういう名前がついてくるよね。後づけの説明だと思うよ。

2006年のNMEの付録で『ダンスフロア・ディストーション(Dancefloor Distortion)』っていうコンピレーションがありましたけど、そのようにロックとダンスが再び密接にクロスオーヴァーしはじめた当時のUKのムーヴメントを記録した、重要なコンピだったと思います。SMDはそのミックスを手がけていましたよね。いまそれについて思うことは?

ジェイムス:そういうふうに評価されると不思議な気がするなあ(笑)。当時そういったシーンの一員だと僕らも言われるようになっていて、できるだけそこから離れよう、離れようとしていた時期だっただけに、いまにして思うと違和感があるよね。ただあのコンピに入っていた連中の一部が後のEDMと呼ばれるシーンを作っていくことになるわけだし、その様子を僕らも見ていて。アメリカで派手な照明を使ってライヴをやったり、音楽もどんどんつまらなくなっていくのを見ていると、やっぱり違っていたんだなと思うよ。それが実際のところかな。

interview with Rustie - ele-king


Rustie
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 上半身裸の男が壁をよじのぼる光景はなんともクレイジーだった。ラスティが故郷であるスコットランドのグラスゴーでギグをやるといつもこんな感じらしい。やはり素晴らしいミュージシャンを生み出す街と、パーティを楽しむ人びとはセットなのである。
 インタヴューでも本人が触れているグラスゴーのレコード店であるラブ・ア・ダブはレーベル運営もしている。そのうちのひとつ〈スタッフ・レコーズ〉から2007年にリリースされたEP「ジャクズ・ザ・スマック」がラスティのデビュー作品だ。ダブステップの重さとヒップホップの軽さが混在したリズムと、エレクトロの暗いメロディが彼のスタートになった。
 翌2008年にはブリストルのヤンキー・ダブステッパーであるジョーカーとコラボレーションしたシングル「プレイ・ドゥ / テンパード」を〈カプサイズ〉からリリース。現在、ラスティもジョーカーもその類希なメロディ・センスで人気を集めているが、そのスタイルの原型はこのシングルに見出される。
 ここ日本でも注目されるようになったのは、〈ワープ〉と契約してリリースされた2010年の「サンバーストEP」からだ。イントロの“ネコ”で流れるヒロイックな、というかヒーロー映画で流れても違和感のない大胆な構成は、ダンス・ミュージックの領域ではかなり特異なものだった。翌年のファースト・アルバム『グラス・ソーズ』はそれをさらに押し進め、より複雑なリズムとカラフルな音色で彩られている。
 今回のセカンド・アルバム『グリーン・ランゲージ』では、いままでのラスティの作品でありそうでなかったラッパーやシンガーの客演も聴き所のひとつだ。とくにダニー・ブラウンとの“アタック”が素晴らしい。トラップ直球のリズムとハスキーで噛み付いてくるようなラップと、それに劣らない鮮烈なフレーズ が随所でリスナーを刺激する。自分以外の主役を引き立たせられるプロデューサーとしても彼は着実に進化を遂げているのだ。
 前作からの3年に間にラスティはDJとしてツアーで世界を飛び回っていた。来日も果たし、アメリカも周り、冒頭にあるように故郷のグラスゴーのフロアも大いに湧かせた。その間に作られたのが本作『グリーン・ランゲージ』だ。最近の活動の様子から、自身のルーツまで多くのことをラスティは語ってくれた。

いまの時代は以前のように、ずーっと耳を傾けたり集中しなくてよくなってる。そういう意味では俺の音楽はそれを反映してるのかもね。

あなた自身の生活のなかで、今年の夏は、去年の夏とどのように違っていますか?

ラスティ(以下、R):そこまで大きな違いはないけど……。アルバムがリリースされるし、プレスや色々準備があるから、去年よりは忙しくしてる。去年はここまで忙しくはなかったと思うな。それくらい(笑)。

5年前と現在とでは?

R:5年前って2009年だよね? 初めてワープと契約した年だ。だから、自分にとっては新たなスタートって感じの年だった。2007年が初めて作品をリリースした年だったけど、ワープと契約したことでまた気分が変わったんだ。

5年前といまじゃ全然違いますか?

R:全然。当時はリミックスを沢山やったりしてたな(笑)。

通訳:当時より、自分のスタイルが確立されていたり、自信がついていたりはしますか?

R:そうだね。自信はついてると思うし、スタイルも出来てきてると思う。前よりも作業の経験を積んでるし、音楽制作の流れもベターになってきた。ミュージシャンとして、いまのほうがハッピーでもあるよ。

通訳:5年前は何歳だったんですか?

R:25。あ、26かな。いま31歳だから。

通訳:31歳! 見えませんね。欧米の人にしては珍しく若く見えます(笑)。

R:ベビー・フェイスだから(笑)。25歳のときはそれが嫌だったけど、いまはいいかなって思ってる(笑)。

さて、まずはニュー・アルバム『グリーン・ランゲージ』について聞かせてください。アルバムの完成には時間がかかりましたね?

R:まあね。制作には2年かかったよ。理由のひとつは、『グラス・ソーズ』のあと、半年間ハード・ドライヴがダメになってしまって、しばらく曲を作れなくてさ。それがなければ1年半で完成していたのかも。あまり自分を急かして作りたくなかったっていうのもある。自分が満足いくものを作りたかったからね。俺は完璧主義者なところがあって、ひとつひとつを納得できるものにしつつ作業を進めたかったんだ。」

通訳:思ったより長くかかりました?

R:少しね。自分の中では完成は1年後くらいのつもりでいたから。でも忙しくて。ツアー中に作らないといけなかったし。

今作はタイトルやフラミンゴのジャケットから察するにテーマとして自然があるようです。自然をテーマにした理由は?

R:自然や宇宙、動物にはいつもインスパイアされてるから。だから普通なことだったんだ。

通訳:動物は飼っていますか?

R:前は猫を飼ってたけど、もういない。子供の頃の話だよ。いまはちょっといいかな(笑)。

通訳:はは(笑)。アルバム・ジャケットはなぜフラミンゴなんですか?

R:自然や動物をカヴァーにしたかったんだ。だからそれを友だちに伝えてアートワークの制作を頼んだらあのデザインが返ってきた。

通訳:アルバムのテーマと繋がったものを頼んだってことですよね?

R:そうそう。タイトルは鳥の言語っていう意味だしね。だからアルバム・カヴァーはそれと関係あるものにしたかったんだ。で、たくさんあった選択肢のなかであのアートワークが一番それと繋がりを感じたから選んだ。『グラス・ソーズ』もクリスタルだったしね。あれはもっと人工的でアニメーションっぽかったけど、今回はそこからちょっと前進してリアルになっているのもいいと思う。

あなたはPCやネットがカジュアルな世代で、私たちはデジタル情報化社会に生きています。よくよくあなたの音楽は、そうした今日の情報化社会の反映に喩えられますが、あなた自身もそう思いますか?

R:人がそう言うのもある意味理解は出来る。俺は集中力がなくて、3、4分以上の曲を作れない。オンライン・メディアみたいにピンポイントというか、必要なものだけをサッとって感じ。いまの時代は、前みたいにずーっと耳を傾けたり、集中しなくてよくなってる。そういう意味では俺の音楽はそれを反映してるのかもね。

“ワークシップ”や“レッツ・スパイラル”のように壮大な曲がありますが、あなたはドラマチックな展開が好きですよね? ミニマルな人生は嫌いだから?

R:いや、シンプル・ライフも好きだよ。忙しいときは、そこから離れて何もない場所に行きたくなったりもする。あまり質問の答えになってないかもしれないけど(笑)。ドラマとかパッション、エモーショナルなものを音楽に入れるのは好きだね。曲をエキサイティングにしたいから。綺麗な曲もすごく好きだけど、やっぱり人を引き込むくらいエキサイティングなものを作るのが好きなんだよね。

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俺にとってトラップっていうのはヒップホップ・ミュージックなんだ。スリー・シックス・マフィアとかグッチ・メインとか、そういうトラップは好きだね。

表題曲“グリーン・ランゲージ”はピアノのアンビエント曲でラストにふさわしい曲ですね。あなたがアンビエントを作るのは意外でした。これはアルバムのコンセプトとどのような関係があるのですか?

R:「グリーン・ランゲージ(Green Language=鳥の言語)」っていうのはスピリチュアルだから、それが反映されてるんだと思う。だからこのトラックがああいった雰囲気を持っているのは自然なことなんだ。

通訳:アンビエント・トラックはよく作ったりするんですか?

R:うん、作るよ。ドラムのないトラックとか、クラシックっぽい音楽も作る。そこにいろいろ加えてもっとエキサイティングにしていったり、サンプルしたり。

『グラス・ソーズ』をより発展させたのが『グリーン・ランゲージ』なのでしょうか? 

R:うーん。発展でもあるし、新しいチャプターのような作品でもある。全く違うわけじゃないけど、やっぱり違いはあるよ。『グラス・ソーズ』はもちろん反映されているし、要素も繋がりはある。だけど、エナジーみたいなものが違うね。

『グラス・ソーズ』をいまでも聴きますか?

R:DJのときだけ。一度作り終わってリリースすると、俺は自分の音楽って聴かないんだよね。2、3年経たないと聴く気になれないかも(笑)。

通訳:それは何故? 変な感じがするんですか(笑)?

R:いや、心地良くないとかそういうわけじゃないんだ。ただ前に進みたいからだよ。

作曲のときもラップトップをメインで使用するそうですね。前作よりも多様な音のシンセが使われていますが、機材環境に変化はありましたか?
 
R:いや、そんなに。作るときよりもレコーディングのときの方が色々使ったかもしれないな。ツアー中にレコーディングしたから、色んな場所でそこにあるものを使ってレコーディングしたよ。でも基本はラップトップ。特別なものは使ってない。とくに変化はないよ。

レディーニョとの“ロスト”や“ドリーム・オン”においてR&Bトラックを披露していますね。今回はどうしてヴォーカル・トラックに挑戦したのでしょうか?

R:ヴォーカルの入ったトラックが好きだから。それだけだよ。『グラス・ソーズ』でもやりたかったんだけど、チャンスがなかった。でもずっとやりたいことだったんだ。構成もヴォーカルやメロディの入ったものが好きだしね。

先行発表された“アタック”では、トラップを連想させるビートにダニー・ブラウンのラップが最高にマッチしています。あなたの作るラッパーのためのトラックと、ヒップホップのトラックメイカーの作る曲はどこが違うと思いますか?

R:そうだな……。ラッパーのために作るトラックとそうでないトラックの違いなら。ラッパーのために作るときは、そこまでハードに作業しなくてもいい。ラッパーやヴォーカリストがリードをとってくれるから。メインのフォーカスはラッパーだから、バックグラウンド・ミュージックを作るような感じで作るんだ。でもインストとなると、初めから面白いものを意識して作らないといけない。インストだけで聴く価値のあるものをね。メロディが主役だからさ。ラッパーやヴォーカリストがいなくても、インスト・トラックとしていいものを作らないといけないから、もっと注意が必要なんだ。

ハドソン・モホークとルナイスによるプロジェクトのトゥナイトはトラップに焦点を当てていますが、あなたの作品でもトラップのリズムを聴くことができます。やっぱ好きなんですか?

R:EDMのトラップに関してはわからないけど、俺にとってトラップっていうのはヒップホップ・ミュージックなんだ。スリー・シックス・マフィアとかグッチ・メインとか、そういうトラップは好きだね。

ダンス・ミュージックの多くにおいてフレーズのループがじょじょに展開していくパターンが多いですが、あなたのトラックは部分的にメロディが使い分けられており、ポップ・ミュージックの構成に似ています。従来のダンス・ミュージックとはなぜ違ったスタイルを取るのでしょうか?

R:さっきも言ったように、俺の曲は短い。ダンス・ミュージックでは7分間のトラックなんかもあるよね? でも俺はそこまで長いトラックだと退屈してしまうんだ。もっとグッと引き寄せられるような音楽が好きなんだよ。DJするときもそう。素早く集中したエナジーで、次から次に進む方が得意だね。

その曲構成も含め、 あなたの曲の多くはリズムもとてもユニークですが、その反面、フロアでDJがどのようにそれらの曲をミックスするのか想像するのが難しいです。DJのために曲を作ることはあまり意識していないのでしょうか?

R:DJのことはあまり考えない。自分が聴きたいと思う音のことだけを考えてるよ。俺自身もDJだけど、あまり長いトラックはかけない。俺はそういうDJセットが好きなんだ。

自分の曲がEDMと呼ばれたら違和感は覚えますか?

R:自分ではそうは思わないけど、人っていつも新しい言葉を作って何かしら呼びたがるし、別に気にはしないよ。もう慣れたね。そういうのは言葉に過ぎないから。

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もちろんグラスゴー出身だしグラスゴーが好きだけど、そこまでアイデンティティは強くないね。

今年の7月から8月にかけてアメリカをツアーしていましたが、現場での反応はいかがでしたか? 

R:そう。2、3日前に帰って来たばかりなんだ。すごく良かった。最高だったよ。新しいトラックへの反応も良くて、昔のトラックでも盛り上がってくれたよ。

通訳:アメリカとイギリスで受けいられ方が違ったりするのでしょうか?

R:そうだな……。イギリスの方がもっと違うジャンルにハマってると思う。いまイギリスではハウスがきてるんだ。ハウスとかディープ・ハウスとか。アメリカではそこまで流行ってはない。アメリカでは俺の音楽をかけるとフロアはクレイジーなるけど……。イギリスもそうではあるんだけど、もっとハウス寄りのものに反応がある気がする。

あなたは数年前にグラスゴーからロンドンへ引っ越していますが、生まれ育った地元のシーンやあなたのバックグラウンドについても教えてください。少々前の話なのですが、僕は2001年の9月から1年間グラスゴーに住んでいました。シティ・センターにあるクラブ、ステレオで行われた前作『グラス・ソーズ』のリリース・パーティにも行ったんですが、大変盛り上がっていましたね。DJブースの前で人が重なり合い熱狂するなか、自身の曲とベース・ミュージックのチューンを混ぜ合わせ、ハドソン・モホークの“フューズ”をラストにかけていたのが印象的でした。グラスゴーは現在も特別な場所なのでしょうか?

R:あの夜はすごく楽しい夜だった。グラスゴーは人もいいし、勢いもあって、みんなパーティが好きなんだ。楽しい時間を過ごすのが好き。だからたくさんのバンドやDJが、ここでプレイするのが好きだって言ってるよ。グラスゴーのオーディエンスは熱いからね。

ジャックマスターやスペンサーなどの実力派のDJたちの活躍も目覚ましいですが、近年のグラスゴーのシーンについてどう思いますか?

R:昔に比べてより多くの人がシーンに関わっていると思う。〈ラッキー・ミー〉とか〈ナンバーズ〉はいまも忙しくしているよ。でも悪いことじゃないんだけど殆どのアーティストがロンドンに引っ越していたりで、全体的にちょっと静かになったかな。だから前より面白くないんだ。ハウスだらけでちょっと退屈……。でもそれらのレーベルの作品には面白いものが多いよ。でも最近のグラスゴーのシーンは前ほどエキサイティングではないかな。

通訳:グラスゴーで育ったことは、自分の音楽にやはり影響していますか?

R:シティ・センターのレコード店、〈ラブ・ア・ダブ〉でレコードを買ったりしてたから、影響はあるよ。テクノ、エレクトロ、ヒップホップとか、色々なタイプの音楽が揃っててそれらに影響を受けたんだ。すごく折衷的で、ディスコ、シカゴ・ハウス、ロックやパンクもあった。だから、全ての種類の音楽から影響を受けることが出来たんだ。

『ピッチフォーク』などメディアからは、「グラスウェイジアン(グラスゴー人の意)」や「グラスゴーのラスティ」と出身地を強調されることがあります。自分自身がスコットランド人であることやグラスゴー出身であることを意識しますか?

R:いや、そんなに。自分がスコットランド人だってことはあまり意識してない。国家主義者でも何でもないからさ。もちろんグラスゴー出身だしグラスゴーが好きだけど、そこまでアイデンティティは強くないね。

グラスゴーにあってロンドンにないものは何ですか?

R:グラスゴーはヴァイブが違うんだ。独自のユーモア・センスがあって、人がもっとフレンドリー。他人によく話しかけたりね。ロンドンに比べると、そういうエナジーが漂っていると思う。

現在契約している〈ワープ〉が輩出したエイフェックス・ツインやボーズ・オブ・カナダなどのプロデューサーからあなたは大きな影響を受けたそうですが、改めて彼らの魅力について教えてください。

R:エイフェックス・ツインよりはボーズ・オブ・カナダに影響を受けてる。エイフェックスはもちろん好きだけど、そこまで大きな影響ってわけじゃないかも。影響ではボーズの方が大きいね。ボーズ・オブ・カナダのメロディやクールな音楽に魅了されたんだ。自分が初めて聴いたワープのアーティストだと思う。2002年くらいだったかな? 音の質感が単純に美しかったのをいまでも覚えてる。

通訳:ボーズ・オブ・カナダはいまでも聴きますか?

R:去年のニュー・アルバム『トゥモローズ・ハーヴェスト』は聴いたよ。良い作品だね。でもやっぱり聴くのは昔のものが多いかな。『ミュージック・ハズ・ザ・ライト・トゥ・チルドレン』(1998年)とか『ゴーガッディ』(2002年)とかね。

音楽をはじめたきっかけは何ですか? そこからどのようにダンス・ミュージックと関わるようになるのでしょうか?

R:作りはじめたのは2002年。その前からDJはやってたんだけど、フルーティー・ループスのコピーを手に入れてから、それを使って音楽を作るのに中毒的にハマったんだ。15歳のときヒップホップが大好きだったからスクラッチの仕方やターンテーブルを勉強したくて、使い方を教えてくれる人を常に探してた。だけど、みんな幅広いダンス・ミュージックにハマっててさ。彼らが教えに俺の家にくる度ににそういった音楽のレコードをもってきてかけくれたんだ。だから、俺もダンス・ミュージックに興味を持つようになったわけさ。

お兄さんから作曲用音楽ソフトを貰い、お母さんのレコード・コレクションからいろいろ学んだそうですね。ミュージシャン、ラスティのレコードはあなたの家族のレコード棚にはあるのでしょうか?

R:そうなんだよ。親のレコードからも影響を受けてる。プログレッシヴ・ロックの影響なんかはそこからだね。俺のレコードは実家のレコード棚にあるよ(笑)。母親も気に入ってくれいてるよ。まだニュー・アルバムは聴かせてないんだけどね。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 これは挑戦です。ロック・サウンドの実験です。よし、試しにやってみようじゃないか。そうだ、やってしまおう。飼い慣らされる前に、飛べ。
 化石となったロック・バンドを尻目に、しかし、バンド・サウンドにはまだ開拓の余地があるとオウガ・ユー・アスホールは考えています。彼らはマーケティングに支配された音楽シーンをささーと駆け抜けます。
 彼らはこの3年のあいだ、『homely』、『100年後』という2枚の重要なアルバムを残しました。それらの作品で、彼らは、細かく分解されたクラウトロックとAORの部品を新しく磨き、あらためて組み立てました。皮肉たっぷりの歌詞と甘美なサウンドで、彼らはリスナーをいろいろな場所に連れて行きました。そして、いまでも彼らはそのことを止めません。
 今年の10月15日、オウガ・ユー・アスホールは『homely』『100年後』に続くニュー・アルバムをリリースします。タイトルは『ペーパークラフト』。すでにライヴではお馴染みで、ele-kingの12インチ・シングルとしてリリースした「見えないルール」のオリジナル・ヴァージョンも収録されています。
 『ペーパークラフト』は、いままで以上に甘いアルバムです。同時に、毒々しくもあります。DJのENAのインタヴューでも話題にしていますが、いま「ノっているんだけど、醒めている」「興奮しているんだけど、冷ややか」な感覚がダンス・ミュージック、とくにUKのテクノの世界では急速に拡大しています。必要以上に上がりもしなければ、必要以上に絶望もしない。オウガ・ユー・アスホールがいま鳴らしている音は、そんなテクノの現在性とも重なっています。
 『ペーパークラフト』の初回限定版は、特別ボックス仕様で、カセットテープが付きます。セッションを録音した音源で、ダウンロードのナンバー入りです。

※10月2日、恵比寿リキッドルームにて、オウガ・ユー・アスホールのライヴあります。

LIQUIDROOM 10th ANNIVERSARY ele-king night
「オウガ・ユー・アスホールvs森は生きている」

■OPEN / START 18:00 / 19:00
■ADV ¥3,500(税込・ドリンクチャージ別)
■LINE UP OGRE YOU ASSHOLE/森は生きている
■TICKET チケットぴあ [232-675] ローソンチケット [79610] e+ ■INFO  LIQUIDROOM 03(5464)0800  


Syro - ele-king

 ひとつには、UKのテクノが面白くなっているという背景もあるのだろう。テセラ、アコード、ラッカー、アクトレス、アントールド、スペシャル・リクエスト、アンディ・ストット、ダムデイク・ステア……等々、そしてここにベテラン勢も加わると。
 もちろん、彼は変わってはいない。アルバム・タイトルの『Syro(サイロ)』、いつものロゴマーク、エイフェックス・ツインの音楽に意味はない。曲名から極力物語性をはぎ取ってきたのも、彼の特徴である。“ Analog Bubblebath”、“Xtal”、“Tha”、“Quoth”、“Quino - Phec”……『アンビエント・ワークスvol.2』では、唯一の既発曲である“Blue Calx”以外は、綺麗なまでに曲名がない。
 ご存じのように、公表されているアートワークには、曲名と制作費用の内訳、そして、リチャード・D・ジェイムスのバイオが掲載されているが、よく読めばわかるように、バイオはメチャメチャだ(笑)。アー写に関しては、いつものリチャード・D・ジェイムスといったところでしょう。

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