「KING」と一致するもの

vol. 131 : 2022年1月、ニューヨークの現在 - ele-king

 前回のコラムを書いてから半年経った。以前のような、毎日バンドを見て、いろんな人にあって、旅をして、ショーをして、というエキサイティングな日々はなくなった。1年半続いた、失業保険もなくなった。かといって、仕事にすぐ戻る気もない。少し日本に行き、その後は、パンデミック以降にじょじょに増えだしたポップアップをやっている。毎日のようにいろんなバーや会場で、たこ焼きを焼きながら、そこで自分の作ったプロダクト、たこ焼きイヤリング、クロシェマスク、ヘッドバンド、ハット、フルーツ・ディッシュクロスから、酒粕を使ったスイーツやおかず系のもの、ハードコンブチャ、ジンジャービアなどを売っているのだ。パンデミックがはじまった頃、クオモ州知事の命令で、ドリンクを頼むときはフードもオーダーしなければならない、というルールができた。そのときに、私はいろんなバーからオファーを貰い、たこ焼きを焼きだしたのだが、そのルールがなくなったいまでもバーはこころよくポップアップをさせてくれている。

 2ヶ月前ぐらいまでは、ニューヨークはワクチン、ブースター接種も進み、感染者数も低いままで、そろそろ普通に戻れるのか、と淡い期待を抱いていた。が、1ヶ月前あたりからコロナ感染者が一気に急上昇。記録をどんどん更新し、気がつけば私の周りはほとんどがコロナに感染、5人に1人、ぐらいの状況である。昨日一緒にいた人が今日いきなり陽性だったと伝えられ、毎週のようにテストを受ける日々が続いている。
 私は去年の8月に、コロナに感染した(デルタ株だと思われる)。熱が39度ほど出て、それが4日ぐらい続き、ベッドから出ることができず、味覚も2、3日なくなった。ワクチンを2回受けた後で、まわりは誰も感染しなかったのに、という謎の感染だったのだが、抗体はできているようで、いまのところテストは毎回陰性である。
 そして、今回のコロナ急上昇。オミクロン株だが、コロナはじまって以来の感染者数を記録し、テストサイトは毎日行列。新年明けたいまは少し緩和したが、ホリディ前は、予約を取っていっても2時間寒いなかで待たされる始末。1日で出るはずの結果も3、4日かかり、その間はモヤモヤするばかり。コロナ感染が急上昇しはじめたのが12月上旬なので、そこからバラバラと、バーや会場も一時クローズ。ニューイヤーイヴのショーもほとんどがキャンセルか延期だった。私がポップアップをしているバーや会場はほとんどがクローズしなかった。お客さんは少なかったが、それでもやっぱりレストランやバーに来たい人はいるし、その人たちがプロダクトを買ってくれた。NYEはライヴショーでポップアップしたが、その日はラッキーなことに暖かく、外にステージやバーを作って、すべてを外で催した。いまならきっと無理だっただろう(現在マイナス)。

 今回の株の症状はマイルドで、そこまで心配ないということだが、やはりかかりたくはない。私も迷っていたブースターを年末に受けた。去年、レストランやバーは外のみだったが、現在、内側もワクチン証明を見せれば座れるのである。ただ、まわりでコロナにかかっている人はほとんどがブースターも受けている。ワクチン証明をレストランやバーで提示するのは意味があるのかな、と最近思う。なかで感染する可能性があっても、外で凍えながら座りたくはない。それが嫌な人はまずレストランに来ない。






編集後記(2021年12月31日) - ele-king

 ブラック・ミディブラック・カントリー、ニュー・ロードスクウィッドなど多くのインディ・バンドがエネルギッシュなアルバムを送り出す一方、ロレイン・ジェイムズアヤヤナ・ラッシュなど、エレクトロニック・ミュージックの側も負けじと数々の野心作を生み落とした2021年、個人的には「挑戦」の一年だった。
 ひとつは、夏の紙エレで日本のラップ/ヒップホップ特集号をつくったこと。ふだんその手の音楽ばかりを聴いているわけではないぼくにとって、これまで深くは考えてこなかった表現形態と向き合う良き機会となった。もうひとつは、臨増でメタヴァース特集号をつくったこと。これまたふだんテック系のイシューをメインに追いかけているわけではないぼくにとって、ヴァーチャル概念や身体性の再考など、新鮮な驚きの連続だった。
 と振り返ってみて気づいたのだが、ラップにせよメタヴァースにせよ、それら大部の背後には共通して「勝ち上がる/稼ぐ」というネオリベ的な価値観が横たわっている。その点にどう対峙するかにかんしてもまた試行錯誤の繰り返しだった。制作に協力してくださった方々、執筆陣、取材に応じてくださった皆さま、あらためてありがとうございました。
 とまれ、人間ってやつは得意なこと・好きなことばかりやっていても成長しない……いや、いかんな、これは「脱成長」と合わない考え方だ。2021年の大きなテーマのひとつは成長ではなく「持続可能性」だった。サステナビリティというやつである。わかる。続けられるか否かはとてもたいせつなことだ。

 後者の特集号をつくる過程で映画『竜とそばかすの姫』を観た。歌うことが好きだった主人公のすずは、じぶんを助けようとして母親が死んでしまったことがトラウマになり、うまく歌えなくなってしまっていた。過去と現在、田舎(リアル)とネットの対比、『美女と野獣』『時をかける少女』への(セルフ)オマージュなど、いろんな要素が盛りこまれた重層的な作品なのだけれど、メタヴァースという今日的な枷を外してみても、2021年のムードをみごとにとらえた映画だったように思う。
 劇中には「ジャスティス」なる集団が登場する。彼らは仮想世界の秩序を守るべく活動している組織で、同世界内で暴れまわる「竜」を追っている。リーダーの人物は相手のアヴァターを強制解除し「中の人」を白日のもとにさらすことのできるアイテムを持っている。いわゆる特定厨とSJWをかけあわせたような存在だ。マッチョな白人男性を想起させるいかにも「ヒーロー」なアヴァターを身にまとった彼には、「警察が必要だ」とのセリフが与えられている。
 ポイントは、彼が仮想世界=プラットフォームの運営者ではないところだろう。主人公や「竜」同様、いちユーザーにすぎない彼が(多数のスポンサーをバックにつけているとはいえ)独自に警察=国家の意志を内面化し、他人を追いこみ、狩ろうとするのだ。数年前話題になった、相模原殺傷事件の実行犯とおなじである。
 なぜひとは警察になりたがるのか? 『竜とそばかすの姫』が公開される四日前には、オリンピック開会式の音楽担当者が公表されている。ネットが普及する以前からあった問題とはいえ、2021年はあらためてその欲望の奇妙さについて考えさせられることになった。
 対照的なのが主人公のすずだ。彼女は告発もしなければ晒すこともせず、断罪もしない。物語の終盤、ある衝撃的な事実を突きとめたすずは、ふつうなら警察に通報しそうなものをそうはせず、わざわざみずからの足を使ってある人物に会いにいく。直接行動である。彼女を促したのは友情でもなければ恋でもない。ただたまたま出会うことになった気になる他人を助けたいという(無償の)行為が、結果的にじぶんを助けることにもなる──そんな相互扶助的な発想が『竜とそばかすの姫』の根幹を成しているのではないかと思う。
 もちろん、年末号で水越真紀さんが指摘しているように、そういうアクションは国家によって都合よく利用される可能性だってある。それでもぼくは、ミャンマーやらアフガニスタンやらオリンピックやら、とかく殺伐とした空気に覆われた2021年のなかにあって、すずの行動に素朴に勇気づけられたのだった。

 2021年、ele-king books は23冊の本を刊行した。2022年も多くの企画が控えている。引き続き時代を見すえた本をつくっていきたいと思っているので、楽しみに待っていてほしい。すずの気持ちを忘れず、がんばります。
 それでは、良いお年を。

You'll Never Get To Heaven - ele-king

 なぜ私たちが来たのか
 いつだってうまく思い出せない
 わからない
 私たちはなぜ来たのだろう
ブライアン・イーノ“バイ・ディス・リヴァー”

 “バイ・ディス・リヴァー”は、曲もいいが歌詞もいい。人生の真理だ。イーノが1977年にリリースした『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』の収録曲で、ドイツの電子音楽デュオ、クラスターとの共作としても知られているこの名曲をカヴァーしていのがアルヴァ・ノト&坂本龍一、マーティン・ゴア(デペッシュ・モード)、それからエレキングでお馴染みのイアン・F・マーティンと、ユール・ネヴァー・ゲット・トゥ・ヘヴン(以下、YNGTH)というシニカルな名前で活動するカナダの電子音楽デュオである。
 YNGTHは、2012年にデビューして以来、2014年にくだんのカヴァーをふくむシングルを1枚、それから2017年にセカンド・アルバムを出しているだけで、だからこの10年で本作を入れてわずか4作品しかないのだが寡作家というわけではない。メンバーのチャック・ブレイゼヴィックは、ドリームスプロテイション、スロー・アタック・アンサンブルというふたつのプロジェクトでも活動している。前者はエレクトロニック、後者はクラシカルで、両者ともに音数は少なく、ともに空間があり、とにかくドリーミーだ。要するにサウンドの指向性は、YNGTHとさほど変わらなかったりする。スタイルがアンビエントであろうとシンセポップであろうとクラシカルであろうと、彼らの音楽は蒸気であり、綿であり、夢のなか。「You'll Never Get To Heaven=決して天国へは行けない」というバンド名は、反語なのである。
 
 あてどなく歩き、ふと気がついたら川辺にいる。前に進めず立ち止まり、空を仰いで、どうしてここに来たのか理由が思い出せないことをそのとき知る——カフカめいた人生観を彷彿させるこれがイーノによるオリジナル版“バイ・ディス・リヴァー”だと言うのなら、YNGTHによるカヴァーは、川辺で立ち往生しながら別次元に入って気持ちよくなってしまっている。思い出せないことは快楽とでも言うかのように。そう、天国にしか行けない。
 もっとも、ドリーミーではあるが潔癖症的で、なるほど日本の「環境音楽」に影響を受けたという話も頷けなくもないのだが、かつては、彼らのサウンドからレイランド・カービー(ケアテイカー)めいた“幽霊たちのボールルーム”を引き出した人もいたのだった。たしかに、少し手を伸ばせばボーズ・オブ・カナダやブロードキャストにも届くのかもしれない。が、他方ではエリック・サティのカヴァーもしている彼らのアンビエントには上品な静寂があり、癒やしもあり、滲むように広がるアリス・ハンセンのささやき声は、彼らの美しい空間を演出する一要素として機能している。『降雪列車にあなたの月光帽子を振る』というタイトルはノスタルジーというよりはシュールであって、じっさいこれは詩的な音楽でもある。
 まあ、好きなように解釈すればいいだけの話だ。1年の終わりというのはとかく感傷的になりがちで、ひとりでこの音楽に浸るにはもってこいの時期だったりもする。いやー、なにかと疲れました。我々はyahooニュースやそのコメント欄や新聞の見出しのなかに生きているのではない。ときには休息、川辺に佇むことが必要なのだ。

断片化された生活のための音楽 - ele-king

※以下のイアン・F・マーティンによるコラム原稿は、web掲載した〈ラフトレード〉インタヴューと同様、別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』のなかの小特集「UKインディー・ロック/ポスト・パンク新世代」のために寄稿されたものである。今日の状況を知るうえでもシェアすべき原稿なので、ここに再掲載します。

Music for fragmented lives
断片化された生活のための音楽
イアン・F・マーティン(江口理恵・訳)
written by Ian F. Martin / translated by Rie Eguchi


ザ・スミスの再来とも言われ文学性が評価されているフォンテインズ D.C. by Vinters Pooneh Ghana

 UKは混乱した、幸せではない場所だ。貧困の拡大、ナショナリズムの高まり、ブレグジットから、選挙民が絶望しながら受け入れた狭量な保守主義まで、大量の新聞の見出しは何かがとんでもなく間違っていること、つまり、孤独な国がパニックに陥って自分自身を抱きしめ、粉々になり、断片となって崩れて行く様子をはっきりと示している。
 しかし、このような目に見える衰えの兆候の裏には、目に見えにくいたくさんの不安が隠れている。とくに若者にとっては劇場型のブレグジットによる玄関払いを喰らって、様々な機会が閉ざされるという感覚は、緊縮財政や21世紀の資本主義の不安定な労働条件のなかでもう長いこと続いてきたことだ。ミュージシャンたちにとっては業界が少数のデジタル・インフラの所有者たちのまわりで合体し、音楽がプレイリストのための、哀れなほどの報酬のコンテンツになり下がり、ブレグジットによって引き起こされた欧州ツアーへの財政的、官僚的な障壁もまた、閉ざされた扉のひとつだ。
 2019年9月、私はUKをエンド・オブ・ザ・ロード・フェスティヴァルのために訪れた。エンド・オブ・ザ・ロードは英国のインディーズ・フェスティヴァルの最高峰で、爽やかな、またはメランコリックなシンガーソングライターからアフロビート・オーケストラ、ジェンダーフルイドなグラム・エレクトロニカまで、様々なアーティストが出演する混沌とした世界のなかの芸術的でリベラルなバブルのような心地よさがある。しかし、2019年に印象に残ったのは様々なテントやステージから聴こえる音から立ち昇る怒りと、激しい無秩序ぶりだった。カナダのクラック・クラウド、アイルランドのフォンテインズD.C.から、ワイヤーのようなヴェテラン勢がエネルギーに満ちた音を立て、ビルジ・ポンプの粗い、惑わせるように旋回するリフ、Beak>のクラウトロック的なミニマリズム、そしてスリーフォード・モッズの意気揚々とした凱旋のヘッドライナー・セットなど、これらの、またこれ以外のアーティストたちの演奏もポスト・パンク的な緊張感と角のあるスレッド(糸)のようなものに貫かれていた。
 この日ラインナップされていた若手の有望株のなかでも、斜めからのポスト・パンク的なアプローチをする4つのバンド、ゴート・ガール、スクイッド、ブラック・ミディとブラック・カントリー・ニュー・ロードが話題になっていた。2年後、彼らが代表する奇妙で興味深い世代の新しいブリティッシュ・ミュージックが育ってきているが、彼らが実際に何を代表しているのかを特定するのは難しい。
 音楽史のなかで特定の時代に結びついたタームである、レンズの役割のようなポスト・パンクは、ここで起こっていることの幅を説明するには充分ではないように感じる。これらのバンドは少なくともブレヒトやワイルの伝統にまで遡る部分を持ち、エクスペリメンタル・ロック、No Wave、カンタベリーのサイケデリック・シーン、クラウトロックなど、すべての〝ポスト~〟のジャンル(ポスト・パンク、ポスト・ハードコア、ポスト・ロック)にまで貫かれ、同時にキャプテン・ビーフハート、ジズ・ヒート、ザ・カーディアックス、ライフ・ウィズアウト・ビルディングス他の挑戦的なインディヴィジュアルに活動するアーティストたちにも及んでいるのだ。
 しかし、ポスト・パンクをより抽象的に、パンクがイヤー・ゼロの基点からの短い爆発で残した断片をくし刺しにして繋ぎあわせる、音楽を取り戻すプロセスだと考えるならば、今の若いバンドたちは文化的な瓦礫をふるいにかけて規範を過激に覆された後にそれを理解しようとする点で、同じような立場にあるようだ。しかし、パンクの時代とは違い21世紀の文化的な混乱は、若者のカルチャーからではなく、政府と資本主義の構造そのものから来ており、ポスト・パンクや、〝ポスト・パンクド(嵌められた)〟の若いミュージシャンたちは、切断され、断片化された自分たちの置かれている環境下で、扇動者ではなく、犠牲者となっている。
 断片化された、断絶的な感覚は、多くの新しいブリティッシュ・ミュージックのなかから聴こえてくる。
 ブラック・ミディの音楽の突然の停止や開始、トーン・シフトの多用、1920年代から直近にいたるまでの100年にわたる時間軸から受けた影響などから、それを聴きとることができる。彼らは音楽業界が資金援助をするパフォーミング・アーツの専門学校、ブリット・スクールの卒業生で、学校が提供する施設で実験ができただけでなく、音楽史を学んだことで広い視野にたって音楽を探究する恩恵を受けている。バンド自身もこの背景が与えてくれた特権を痛感しているようで、自分たちが受けた音楽教育を遊び心と小さな喜びを感じながら活用している。
 ロンドンのバンド、ドライ・クリーニングの素晴らしいデビュー・アルバム『New Long Leg』には断絶を意味するような、もっとダウンビート(陰気)な感覚がある。控えめだが、微妙にゴツゴツした音をバックに、ヴォーカルのフローレンス・ショーが毎日を無為に過ごしている人の日常の疲れて断絶した、サンドイッチを食べる気力もない、何かを経験することに意義が感じられないという一連のスナップショットをため息交じりに歌う。シニフィアン(意味しているもの)とシニフィエ(意味されているもの)の間にある皮肉なギャップ──「あなたは、あれほど汚い裏庭をもつ歯医者を選ぶか?」とアルバムのタイトル・トラックで問いかけ、「選ばないと思う」と応えている。
 ブラック・ミディの折衷主義とドライ・クリーニングの倦怠感はまったくの別物に見えるかもしれないが、根無し草のような感覚を共有している。それは、どんなに教育を受けて意識を高めても、自分のしていることでは何も変わらないという無力感や権利の剥奪といった形をとることがあり、敗北の雰囲気のなかにも解放感が感じられたりする。誰も自分のしていることに関心がないのなら、やりたいことを好き勝手にやっていいという免罪符を持っているという感覚だ。
 やたらと個々のバンドの意図を決めつけたりするのは危険だが、リスナーとしてはこの世代のバンドの音楽の多くが英国の生活を貫く断絶感と共鳴しているように感じる。ゴート・ガールは政治的なものと生活での体験をさりげなく結び付け、スクイッドは無数の方向にむかって半狂乱で爆発し、シェイムは「自分のものではない世界」に向かって怒りを燃やし、優れたザ・クール・グリーンハウスは皮肉たっぷりの不条理な物語を延々と反復される2音のみのギター・ラインに乗せて表現している。それぞれのやり方で、世界を前にして笑ったらいいのか、泣いた方がいいのかがわからないリスナーの不安と心の急所に触れているのだ。


2021年はセカンド・アルバム『Drunk Tank Pink』も出したユーモアと勢いのシェイム by Sam Gregg

 これらのバンドはすべて、何らかの方法で自分たちを取り巻く断片的な世界を理解しようとしている。たとえ、その不条理さに浸って楽しむためだけであったとしても。多くの批評家がザ・フォールの影響の高まりを指摘しているが、それはある意味、ザ・クール・グリーンハウスのトム・グリーンハウスが2020年のDIY誌のインタビューで指摘したように、安易な比較ともいえる。「みんな自分たちをザ・フォールと比較するし、その理由もわからなくはない。それは妥当な比較だとは思うけれど、ザ・フォールはあまりにも多くのバンドに影響を与えてきた存在で、まるでラップのレコードをグランドマスター・フラッシュと比較するようなものだ。彼らはその道のゴッドファーザーだけど、ラップはとても豊潤な世界で、いまはみんながラップの要素を使ってたくさんのことをしているのが現実だ」
 彼の言うとおり、ザ・フォールの語りかけるようなヴォーカルと反復するクラウト=パンクのリズムは、本当にあらゆるクリエイティヴな方法で用いることのできるシンプルなツールである。ドライ・クリーニングやヤード・アクト、ドゥ・ナッシング、ガッド・ホイップとビリー・ノーメイツは皆、インディー系の言語を様々な方法で表現している。そしてこのラップとの比較が面白いのは、最近のインディー・ギター・バンドが注力していること、つまりヒップホップが伝統的に得意としてきた──人生における混乱を物語に織り交ぜて意味を持たせる──ことを表現するため、このゆるいヴォーカルの構造がじつにパワフルな方法になりうるからだ。ザ・クール・グリーンハウスはこれらの物語を音楽の中心に据えている。ブラック・カントリー・ニュー・ロードは、道にはぐれた生活のスナップショットを話し言葉による物語として、複雑で騒々しいマリアッチとスリント風のアレンジに織り込んでいるのだ。正式な意味での物語とは言えないかもしれないが、我々は皆、このような断片的な物語をソーシャル・メディアで創造し、フィードに流れてくるノイズを構造化された物語としてではなく、本能的に、感情の質感を読み取っている。
 物語は空間のなかにも存在する。「ブラック・ミディの前で、君に愛していると告げた」と、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのアイザック・ウッドは〝Track X〟のなかで情景を描写するように言っているが、冗談のようでありながら、おそらくライヴ会場などの物理的な空間の重要性についても言及しているのだ。断片的な命を一か所に集めて観客がシェアできる経験を創りだすと同時に、バンドたちが共に発展して繋がっていく場所のことを。ブラック・ミディやスクイッドの曲の多くは長尺で、8分強あるものが多い。これらのバンドは、分割してSPOTIFYのプレイリストに組み込まれるための最適さは持ち合わせていない。彼らは、一度の機会にすべてを体験するためにあるバンドなのだ。
 独立系の会場がバンドの成長に欠かせないインフラであるとすれば、レーベルもまた役割を担っている。ブラック・ミディ、ゴート・ガール、スクイッドにブラック・カントリー・ニュー・ロードは皆、〈Speedy Wunderground〉レーベルのプロデューサー、ダン・キャリーとの繋がりを持つ。自宅のスタジオで、1日で7インチ・レコードを録音し、ミキシングしてマスタリングするキャリーの作業工程は、自発的でエネルギーにあふれた時代感覚を捉えているし、シングルを非常に限定的にしかプレスしないというレーベルの抜け目のないポリシー(フラストレーションはたまりそうだが)が、〈Speedy Wunderground〉のリリースを期待の高まるイベントにしているのだ。キャリーのような人びとの重要性はカルチャーのなかのノイズをふるいにかけ、新しい、エキサイティングなものに焦点を当て、我々が断片的なもののまわりに物語を組み立てることが可能になることにある。〈Rough Trade〉、〈Warp〉、〈Ninja Tune〉や〈4AD〉のような、影響力があって、いまも独立系であり続けるレーベルの存在がこれらのバンドを次のレヴェルに押し上げて、彼らの物語をさらに幅広いところへ届けることを確約するのだ。
 これらのバンドはいずれも、いま、UKで騒がれている豊富な人材のそろった幅広いポスト・パンク層の表面をなぞっているに過ぎない。ガールズ・イン・シンセシスやEsの怒りに満ちたスラッシュから、ハンドル、スティル・ハウス・プランツの実験的ミニマリズム、薄汚れたインディ・アート・パンクのカレント・アフェアーズとウィッチング・ウェイヴズ、心にとり憑く崇高なナイトシフトまで、周囲の混乱や断絶、断片化にもかかわらず、いや、だからこそ、UKから驚くほど豊かな音楽的なクリエイティヴィティが生まれているのだ。
(初出:別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』2021年7月刊行)

interview wuth Geoff Travis and Jeannette Lee - ele-king

 以下に掲載する記事は、2021年7月に刊行された別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』に掲載の、〈ラフ・トレード〉の創始者、ジェフ・トラヴィスと共同経営者ジャネット・リー(『フラワーズ・オブ・ロマンス』のジャケットで有名)、ふたりへのインタヴューです。現在のUKインディ・ロック・シーンに何が起きているのか、UKインディに起点を作った人物たちがそれをどう見ているのか、じつに興味深い内容なのでシェアしたい思い、ウェブで公開することにしました。
 〈ラフトレード〉については日本でも多くの音楽ファンがその名前と、だいたいの輪郭はわかっていると思う。しかしながらこのレーベルが、マルクス主義とフェミニズムを学んだ人物によって経営されていた話はあまり知られていない。このあたりの事情については、ele-king booksから刊行されたジェン・ペリー(ピッチフォークの編集者)が書いた『ザ・レインコーツ』に詳述されている。ま、とにかく、彼=ジェフ・トラヴィスには彼が望んでいる未来がありました。彼の志はおおよそ正しかったのですが、未来とは予想外の結果でもあります。さてさて、彼がポートベローに小さなレコ屋を開いてから45年、“UKインディ・ロック”はどこに向かってるのでしょうか。どうぞお楽しみください。


2021年はスリーフォード・モッズの素晴らしい『スペア・リブ』からはじまった。 by Alasdair McLellan

数多くのエキサイティングなバンドがいま浮上してきている、間違いなくそう思う。ただ、今回の違いと言えばおそらく、いま出てきている若いバンドの多くは本当に素晴らしいプレイヤーたちだ、ということでしょうね。テクニック面でとても秀でている。

ここ数年、日本から見て、UKのロック・シーンから活気が生まれているように感じます。スリーフォード・モッズのような年配もいますが、とくに若い世代から個性のあるバンドが何組も出てきて、このコロナ禍においてパワフルな作品を出しているように見えます。おふたりは70年代からずっとUKのロック・シーンの当事者であるわけですけど、いまぼくが言ったように、現在UKのロック・シーンは特別な状態にあると思いますか? 

ジャネット・リー(JL):ええ、数多くのエキサイティングなバンドがいま浮上してきている、間違いなくそう思う。ただ、今回の違いと言えばおそらく、いま出てきている若いバンドの多くは本当に素晴らしいプレイヤーたちだ、ということでしょうね。テクニック面でとても秀でている。若いバンドはたまに、数曲プレイできるようになり、髪型とルックスをかっこよくキメたらツアーに出てしまい、成長するのはそこから……ということもあるわけだけど(苦笑)、いま飛び出してきているバンドの多くは、テクニックの面ですでにとても優れていると思う。しかも彼らの多くはカレッジあるいは音楽校、たとえばブリット・スクールやギルドホール・カレッジ(ギルドホール音楽演劇学校)等に通った経験もあるから、ツアーに出る前に楽器演奏をしっかり学んでいる、という。いま起きていることの違いのひとつはそこだと、わたしは思う。

ジェフはいかがでしょう? ジャネットの意見に賛成でしょうか?

ジェフ・トラヴィス(GT):ああ、賛成。(苦笑)だから、わたしたちはいつだって意見が一致するんだ! 

JL:(笑)

GT:興味深いと思うのは我々が十代だった頃はいまのような音楽学校はなかったことでね。ブリティッシュ・ミュージック・シーンはある意味アート学校で生まれたようなものだ。実際に学生だった者だけではなく、アート校周辺に集まった連中も音楽をやっていた。それに、ピート・タウンゼントのように実際にアート学校に通った人びともいた。
 けれどもいまや、さまざまな音楽学校がそれに代わったわけだ。かつ、70年代には職がなければ失業手当の申し込みができ、政府からわずかのお金が給付された。飲食費に充てるのではなく家賃のためにね。
 ところが現在では、政府給付を受けるのははるかにむずかしくなっている。それに大学やカレッジといったアカデミックな道を望まない、あるいは義務教育以上に進学したくないキッズで、それでも音楽を本当に愛しているとか、何かをクリエイトするのが大好きという者たちは、先ほどジャネットが名前を挙げたような新たなタイプの音楽校に向かうわけだね。
 リヴァプールや南ロンドンをはじめ各地にそういった学校があり、彼らはそこに3年通ったり、専門校他の違ったタイプのカレッジに通い、音楽を学べる。実際、それが大きなサポートになっている。ミュージシャン同士がそうした学校で出会い、バンドを結成し、プロジェクトをやったり。たとえば、ミカ(・リーヴィ)の通った、キャンバーウェル(南ロンドン)にあるあの学校はなんだっけ? あるいは、ジョージア・エレリー(ブラック・カントリー・ニュー・ロード、およびジョックストラップ)が行ったのは……

JL:スレイド美術校? いや違う、ジョージア・エレリーが通ったのはギルドホール。

GT:ああ、ギルドホールか。ああいった面々は本当に才能あるミュージシャンであり、相当なカレッジに通ってね。

JL:でも、そればかりとは限らないし——

GT:たしかに、生まれつき才能のある者もいる。

JL:——ただ、彼らが基準を高く定めていく、と。

GT:ああ、レヴェルを上げる。違う世代ということだし、そこだね、70年代からの変化と言ったら。

JL:そう。

GT:思うに……それに70年代は、ある種60年代を引きずっていたとも言える。というわけで、カウンター・カルチャーの発想がいまよりももっと優勢だったのではないかな?

JL:(うなずいている)

GT:だから、若者はちゃんとした職に就こうとはしない、弁護士や医者になるつもりはない、といった調子で、親が子に望む生き方と逆の方向に向かったものだ。けれども、彼らはそういう考え方をしていないよね? いまのキッズは違う。

JL:ええ、それはない……。ということは、いまのキッズには反抗する対象があまりないということでしょうね、かつてのわたしたちと較べて(苦笑)。

GT:ああ。それにおそらく、まだ親と暮らしているだろうしね。

JL:でしょうね。

GT:なにせひとり暮らしをしようにも、家賃が高過ぎて無理だから。その違いは大きい。UKにおいて、音楽は歴史的に言っても、我々がいつだってかなり得意としてきたところでね。我々にいくらかでもある才能のうちのひとつだ。だからイングランドでは常に、新たな面白い音楽が生まれてくる。
 もっとも、ムーヴメントというのは正直、定義しにくいものでね。我々はその面は大概、社会学者やそれらについて書く音楽ジャーナリストの手に委ねておく。我々はとにかく、いま音楽をやっている人びとのなかで我々がベストだと思う者たち、我々全員がエキサイトさせられる連中を見つけようとするだけだ。
 とはいえ、うん、間違いなくひとつのムーヴメントがあるね。あの、歌うのではなくて、たとえばマーク・E・スミスやライフ・ウィズアウト・ビルディングスのスー(・トンプキンス)がやっていたような、歌詞を吐き捨てるごとくシャウトする一群の連中がいる。ドライ・クリーニングやヤード・アクト、スクイッドブラック・カントリー・ニュー・ロードといった連中、彼らがああいう風に「歌う」歌唱ではなく、「語る」調の歌唱をやっているのは興味深いことだ。

UKにおいて、音楽は歴史的に言っても、我々がいつだってかなり得意としてきたところでね。我々にいくらかでもある才能のうちのひとつだ。だからイングランドでは常に、新たな面白い音楽が生まれてくる。

これら新たなバンドがどんどん出てきているのには、何か社会/文化的なファクターがあると思いますか? それとも、じつはずっとこの手のバンドは存在し活動していて、シーンもあり、それがいまたまたメディアに発見され、脚光を浴びているのでしょうか? 

JL:新しいシーンはいつだって進行していると思う。常にね。そして、いつだってメディアがそれを取り上げ、命名するものだ、と。ただ、さっきも話したように、現在起きていること、おおまかに言えば南ロンドン&東ロンドン・シーンになるでしょうけど、それを他と区別している点は、新たなバンドのミュージシャンシップだと思っている。専門的な腕の良さ、彼らが技術的に非常に堪能であること、この新たな一群とこれまでとを画している違いはそこになるでしょうね。というのも、ほら、たとえばパンクの時代には、そこから離れていく動きがあったわけでしょう? 

たしかに。

JL:パンク以前は、人びとは技術的にとても達者だったし、(苦笑)ギターでえんえんとソロを弾いたり(苦笑)。そしてパンクが起こると、楽器が上手なのはまったくファッショナブルなことではなくなり、誰もそれをやりたがらないし、誰も聴きたがらなくなった。その側面は長い間失われていたけれども、こうしていま、人びとが再び音楽的な才能を高く評価する、そういうフェーズに入っているということだと思う。本当に、ちゃんと演奏ができる、という点をね。

GT:それもあるし、いま、ロンドンには非常に活況を呈しているジャズ・シーンもある。それは珍しいことでね。新世代の若い黒人のロンドン人たちが、ジャズを再び新しいものにするべく本当に努力を注ぎ込んでいる。それはずいぶん長い間目にしてこなかった動きだし、そこもまた、新しいバンドのいくつかのなかに入り込んでいる気がする。サキソフォンやホーン、ヴァイオリンなど、一般的なバンドでは耳にしないサウンドが聞こえるし、それも彼らにとってはノーマルな部分であって。そこはある意味興味深い。

たしかにジャズも勢いがありますし、新世代バンドのなかにはやや70年代のプログレが聞こえるものがあるのは、興味深いです。

JL:ブラック・ミディでしょ(笑)?

GT:ああ。

(笑)はい。なので、いまの世代は、パンクだ、プログレッシヴ・ロックだ、ヒッピー音楽だ、という風にジャンルを分け隔てて考えていない印象があります。影響の幅が非常に広いな、と。

GT:その通りだね。我々が本当に驚かされてきたのもそこで、たとえばブラック・ミディの3人と話すとする。で、彼らの音楽的知識、その幅、そして歴史的な理解は全ジャンルにわたるものであり、とにかく驚異的だね、本当に。わたし個人の体験から言っても、あの年齢で、あれだけさまざまな音楽や知名度の低いアーティストについて詳しい人びとに出会ったことはいままでなかった。ジャズ・ギタリスト、フォーク・ギタリスト、カントリー&ウェスタンのプレイヤー、ロカビリーのギター・プレイヤー等々。それはまあ、インターネットが人びとの音楽の聴き方の習慣を変え、あらゆるものへのアクセス路をもたらしたからに違いないだろうけれども。

JL:しかも、彼らは音楽学校に入るわけで。そこでも教育を受け、音楽史等について学ぶ。

GT:ああ、そうだね。にしても、彼らの音楽への造詣の深さ、あれにはただただ舌を巻くよ。

若手のシェイムをはじめ、ゴート・ガール、ドライ・クリーニング、スクイッド、ブラック・ミディ、ワーキング・メンズ・クラブ、ヤード・アクト、ザ・クール・グリーンハウス、コーティング、ブラック・カントリー・ニュー・ロード、ビリー・ノーメイツスリーフォード・モッズやアイドルズなどなど……彼らをポスト・パンクと括ることに関してはどう思われますか? 


ゴート・ガールの『On All Fours』もよく聴きました。 by Holly Whitaker

GT:ルイ・アームストロングはかつてこう言ったんだ、「音楽には良いものか、悪いものしか存在しない。わたしは良い類いの音楽をプレイする」とね。

JL:(笑)その通り。

(笑)ええ。

GT:いやもちろん、わたしも理解しているんだよ。ジャーナリストは数多くの原稿を文字で埋め、何かについて書かなくてはならないわけだし、物事をジャンルへとさらに細かく分け、そこに名前をつけようとするのは理にかなっている。けれども、ミュージシャンのほとんどはそれらのカテゴリーのなかに入れられるのが正直好きではないし、とくにジャンルに関して言えば、これらのバンドたちは、別の世代がやったのと同じようにカテゴリーを認識してはいない。非常に多様でメルティング・ポットな影響の数々が存在しているからね。ポップをやることも恐れないし、かと思えば次はフォーク、今度はソウル・ミュージックをプレイする、という具合だ。たとえばブラック・ミディは今日、ホール&オーツのカヴァーをやってね。

(笑)なんと!

GT:あれはまさか彼らから?と思わされた変化球だった(苦笑)。

JL:(笑)それに、彼らはブルース・スプリングスティーンの曲もカヴァーしたことがあって。あれにも――かなり驚かされたわね。でも、個人的に言えば、わたしはカテゴリーは別に気にしてはいない。とにかく、いいものか、そうではないか。何かしら胸を打つものか、あるいはそうではないか。それだけの話であって。わたしたちの心に響き感動させられるもの、わたしたちが惹き付けられるのはそれ。これまで、わたしたちが「あの新しいムーヴメントのなかから誰かと契約しなくてはらない」という風に考えたことは一度もなかったと思う。そうした考えは一切入り込まないし、とにかく本当に才能があるとわたしたちの見込んだ人びとと会ってみるし、その視点から物事を進めていくことにしているだけ。彼らをグループとして一緒にまとめているのは、新聞のほう(笑)。

(苦笑)はい、我々の側ですよね。承知しています。

GT:(笑)。

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若い子たちはスリーフォード・モッズにあこがれていると思う。ちょっとしたヒーローだし、若い人たちの見方もそれだと思う。彼は自分の考えをはっきり外に向けて出しているし、しかも人生経験もちゃんとある人だから。

多くの若いバンドが2018年あたりに登場していることで、ブレグジット以降のUKの社会/政治状況が間接的に影響を与えているという解釈がありますが、あなたがたはどう思われますか? 若者の多くは未来に不安を感じているでしょうし、とても不安定な状況なわけですが。

GT:そこは非常に大きい部分を占めていると思う。たとえばゴート・ガール、彼女たちの書くこと、プレイしている曲、何もかもがそうしたことによって形成されていると思うし、彼女たちは社会の崩壊や、現在の世界の状態を非常に強く意識している。というか実際彼らのほとんどは、いまどういうことになっているかについてかなり強い意識があると思う。これらのミュージシャンの多くが演奏している音楽は、必ずしもストレートにコマーシャルだとは言えない類いのものなわけで、そういうことをやるためには、実は本当にやりたい音楽を「自分たちはこう感じている」とプレイし、言いたいことを言うしかない。人がどう考えるだろうか?と気にするのはある種の検閲であり、忌まわしいことと言える。
だから、(商業的ではなく)やりたい音楽をやっているということは、彼らがはただ単に保守的に順応するのではなく、いわば自分たち自身の道を進んでいる、その現れだね。ただ、いまの時代において、成功という概念はとても混乱させられるもので。

JL:そうね。

GT:やっていることを気に入ってくれるオーディエンスを見つけること、それがサクセスなんだろうね。かつ、音楽をプレイすることで生計を立てられる、それが多くのミュージシャンの夢だよ、実際。彼らがまず到達しようとする第一着陸地点がそこだろう。

JL:ええ。それにわたしは、このCOVIDのロックダウンやもろもろの後で、かなり大きなクリエイティヴィティの爆発が起こるんじゃないかと期待している。人びとは集まってクリエイトすることができずにいたし、おそらく彼らも、音楽を作りクリエイティヴでいるために何か別の方法を思いつかなければならなかったでしょうから。で、「必要は発明の母」なわけで、きっとここから何かが出てくると思う。大きな、クリエイティヴな爆発が起きるでしょうね。

シャバカ・ハッチングスの素晴らしい新作はロックダウン下で制作されたはずですし、おっしゃるように、今後UKからさらに多くの素晴らしい音楽が出てくるのを期待したいです。

JL:そうね。

〈ラフ・トレード〉では、ゴート・ガール、ブラック・ミディ(そしてスリーフォード・モッズ)を今回の特集のなかでフィーチャーさせてもらっています。どちらの新作も大好きなので、個別に話を訊かせてください。まずはゴート・ガール。このバンドこそぼくには70年代末の〈ラフ・トレード〉的な感性を彷彿させるものがあるように思います。ザ・レインコーツのような、独自の雑食性があって、しかも女性を売りにしない女性バンドです。

GT&JL:うんうん。

おふたりにとって、このバンドのどこが魅力ですか?

JL:彼女たちは……非常に音楽的だからだし、彼女たちの作っていた音楽をわたしたちが気に入ったのはもちろん、しかも彼女たちはとても意志の強い、興味深い、若い女性たちであって。彼女たちのような若い女性たち、強い心持ちがあり、自分たちが求めているのは何かをちゃんと知っている女性のグループと一緒に仕事できるというのは、わたしたちにとって非常に魅力的だった。というのも、ああいうグループは、決して多く存在しないから。

ええ、残念ながら。

JL:そう。だから、これまで彼女たちと一緒に仕事してこられて、こちらも非常に嬉しいし満足感がある。

ブラック・ミディはほとんどアート・ロックというか、なんでこんなバンドが現代に生まれたのか嬉しい驚きです。ブリット・スクールで結成されたのは知っていますが、だいたいダモ鈴木と共演していること自体が驚きです。彼らはいったい何者で、どんな影響があっていまのようなサウンドを作るにいたったのでしょう? 『Cavalcade』を聴いていると、エクスペリメンタルですが、XTCみたいなポップさもあるように思います。

JL:……(ジェフに向かって)この質問はあなたに譲る。

GT:(苦笑)えっ!

(笑)説明するのが楽ではないかもしれませんが。

GT:むずかしいね、というのも彼らは本当に風変わりで、とても型破りだから。たとえばジョーディ(・グリープ)、ギタリストでメインのシンガーのひとりである彼だけれども、彼は相当にエキセントリックなキャラクターだ。非常に個性的な人物だし、ああいう人間には滅多にお目にかからない。で、そこは本当に彼の魅力のひとつでもある。
まあ……我々はほかとはちょっと違う人びとを、普段出くわさないような人びとを常に讃えてきたよね。いい意味で、とは言えないような、やや興味深い人びとを。だがジョーディはとても教養があり、知識も豊富で、しかも実に素晴らしいミュージシャンだ。それに彼はとてもいい形で、自分のやっていることの本質を理解している、というのかな。彼は楽しいことをやりたい、スリリングかつ楽しいものにしたいんだ。それは非常にいい考え方だ(笑)。 

JL:たしかに。彼らのもっとも魅力的なところのひとつは、彼らには境界線が一切なさそうだ、ということで。とにかく彼らは、そのときそのときで自分たちの興味をそそることならなんだってやるし、自分たち自身を「我々はこういうバンドであり、やっているのはこういうこと」という風に見ていない。自分たちにとって興味深く、スリリングなものであれば音楽的にはなんだってやる。彼らは恐れを知らないわけ。

GT:しかも、それをやれるだけの能力も備えている。それは珍しいことだ(笑)。

JL:そう、そう。能力があり、恐れ知らず。彼らはほかの人間がどう考えるかあまり気にしていないし、自分たち自身を楽しませている。そこに、わたしたちは非常に魅力を感じる。

なるほど。でも、レーベルとしては、そんな風になんでもありで形容・分類できないバンドな、逆にマーケティングしにくいのではないか? とも思いますが。

GT:新しく、前代未聞ななにか、というね。それはその通りだし、だからこそエキサイティングなのであって。

JL:でも、その意見はおっしゃる通りで、彼らをマーケティングするのはとてもむずかしかったかもしれない。ところが実際はどうかと言えば、これまでわたしたちがしっかり付き合ってきたなかでも、彼らはもっともマーケティングしやすいバンドでね。なぜなら彼らには自分たちで考えてきたアイデアがあるから。自分たちをどう提示するかについて、本当にいいアイデアを持っている。その意味でもやっぱり、「境界線がない」という。彼らがとてもいい案を思いついてきて、こちらはそれらのアイデアをサポートしてきた。だからこれまでの彼らのマーケティングは、楽しかったとしか言いようがない。そもそもアイデアがちゃんとあるから、かなり楽にやれる、という。

質問にあった、ザ・フォールやパブリック・イメージのようなバンドは現在でも出てこれるか? に対するわたしの回答は、絶対に出てこれるだろう、そう思う。

今回我々が取り上げているような、ここ数年出て来たバンドのなかで、もっともいまの時代を言葉によって的確に表現できているバンドは何だと思いますか?

JL:それはもう、あなたが親であれば、彼らはあなたの子供であってみんな愛しいし、「この子」とひとつだけにスポットを当てるのはとてもむずかしい、というのがわたしの感覚であって(苦笑)。

(笑)すみません。

JL:(笑)でもまあ、スリーフォード・モッズには山ほどある。いまの世界の状況とUKの状況について、彼らには言いたいことがいくらでもある。だから、ある面では、たぶん彼らでしょうね。一方で、ゴート・ガールは、女たちにとって本当に大事なことを言葉にして歌っている。先ほど言ったように、ブラック・ミディは境界線も恐れも知らなくてアメイジングで――だから、この一組、という話ではない。そうやって選ぶのはこれからもないでしょうね。

GT:ああ。それに、我々全員が惚れ込んでいる、キャロライン(Caroline)という新人バンドもいる。8ピースのグループなんだが。

はい、知っています。

GT:うん。彼らのやっている音楽もわたしたちみんながとても、とても愛しているものだ。興味深いんだよ、あのバンドは共同し合い作業できる者たちによる一種の集団で、コミュナルな、恊働型でね。しかも8人と大規模なグループだから、その力学を見守るのも興味深い。それにこれらのグループはいずれも、もっとショウビズ的なロックンロールとしての価値も備えている。たとえばスリーフォード・モッズ、あるいはブラック・ミディの演奏を観に行くと、実際のイヴェントが、ショウとして、パフォーマンスとして、とにかくファンタスティックなんだ。それゆえに彼らのメッセージ、あるいは彼らの言わんとしていることに対して懐疑的になってしまうかもしれないが、とにかく素晴らしい一夜のエンタテインメントになってもいて。それもまた、彼らのやろうとしていることの一部なんだ。


内省的だった2021年に、場違いな騒々しさをもたらしたブラック・ミディ。

それではサウンドの面で、おふたりにとってもっとも斬新に感じるバンドはどれでしょうか?

GT:我々はいま、アイルランドのフォーク・ミュージックにとても入れ込んでいる。あの音楽は現在非常にいい状態にあるし、ランカム(Lankum)、リザ・オニール(Lisa O’neill)、 イェ・ヴァガボンズ(Ye Vagabonds)、ジョン・フランシス・フリン(John Francis Flynn)といった面々が大好きでね。新たな世代による伝統的なアイリッシュ・フォークの再解釈ぶり、あれはアイルランド音楽に久々に起きたもっともエキサイティングなことではないかと我々は思っている。実際、70年代初期以来のことだ。(※上記アクトはいずれも〈ラフ・トレード〉、もしくはジェフとジャネットが音楽ライターのティム・チッピングと始めたフォーク音楽を紹介するための傘下レーベル〈River Lea〉所属)

なるほど。

GT:それだけではなく、文学界も興味深くなっている。労働者階級や少数派文化の背景を持つ作家の作品がもっと出版されるようになっていて、それは出版界ではかなり久々のことであり、本当にエキサイティングな展開だ。他のレーベル所属アクトのライヴはあまり観に行かなくてね(苦笑)……

JL:ミカ・リーヴィ(Mica Levi/ミカチュー名義で〈ラフ・トレード〉から2009年にアルバム・デビュー)は、〈ラフ・トレード〉外ね。彼女も以前〈ラフ・トレード〉所属だったけれども、いまは自分自身で活動している。わたしたちは彼女が本当に大好きで。

同感です。最近はサントラ仕事を多くやってきましたよね。ものすごい才能の持ち主だと思います。

JL:ええ。彼女は本当にアメイジング。

いまの若いロック・バンドは、Z世代やミレニアルに属している子たちも少なくないと思うのですが、昔のロック・バンドのようにまずドラッグ(大麻は除く)はやらないし、酒に溺れることもないですし――

GT&JL:(苦笑)。

また、人種問題や環境問題、フェミニズムにも意識的だと人伝いに聞いています。おふたりから見てもそう思いますか? 70〜80年代のロックンロール・ピープルとは違う、と?

JL:間違いなくそう。わたしは確実に彼らから勉強させてもらっているから。彼らは食生活も健康的で、お酒も飲まないし、PC(政治的に正しい)でもあって(笑)。

(笑)口の悪いスリーフォード・モッズは除いて。

JL:(笑)その通り。ただ、あなたの言う通りで、若い人たちのアプローチの仕方は本当に違う。だから、むしろわたしたちの方が彼らから学べると思う(苦笑)。彼らの方が、かつてのわたしたちよりももっと妥当なルートをたどっている——というか、いまですらわたしたちはその面はダメかもしれない(笑)。

GT:フフフッ!

スリーフォード・モッズのようなバンドは、質問者のようなオヤジ世代にしたら堪らないバンドですが、UKの若い子たちはジェイソンのことをどう思っているのでしょうか? いまのバンドに彼らの影響はあると思いますか?

JL:若い子たちは彼にあこがれていると思う。彼はちょっとしたヒーローだし、若い人たちの見方もそれだと思う。彼は自分の考えをはっきり外に向けて出しているし、しかも人生経験もちゃんとある人だから。

階級闘争と文化闘争の問題についてはどう思われますか? つまり、いまのUKの文化、音楽はもちろんテレビ/映画界等の担い手から労働者階級が昔にくらべて激減し、文化が富裕層に乗っ取られているという話です。PiLやザ・フォールのようなバンドは現代では出にくい状況にあるという。

GT&JL:フム……(考えている)

ある意味、より複雑な状況のように思えます。たとえば先ほどおっしゃっていたように、いまバンドをやっている人びとにはカレッジやブリット・スクールに通った者もいて、親の学費負担もそれなりでしょうし。

GT:それは部分的には誤解だね。ブリット・スクールは実は学費を払わないで済む学校だから。

ああ、そうなんですか!

GT:あれは有料校ではないはずだし、それ自体があの学校の意義であって。入校するためにオーディションを受けるとはいえ、学費は払わないでいい。金持ちの子供のための、彼らが世に出る前に教養を積む学校だ、と思われているけれども実はその逆。才能さえあれば誰でも入校できるし、労働者階級の面々もブリット・スクールに通っている(※通訳より:ブリット・スクールに通ったことのある有名なアクトであるエイミー・ワインハウスもアデルも労働者階級なので、これは当方の理解不足です)。そこは思い違いだし、ブリット・スクールの側ももっとPRをやってその点をはっきりさせるべきだな。とはいえ、ファット・ホワイト・ファミリーのようなバンドもいるわけで……(ジャネットに向かって)彼らはどんな連中なんだい? 労働者階級?

(笑)。

JL:……(考えている)

GT:あれは、また別の系統だ。

JL:彼らは彼らだけの無比階級(笑)!

GT:そうだね、たしかに他にいない。彼らは違う感じだ。ただ、とりわけいまのロンドンのミュージシャンにとって、彼らは非常に影響力の大きいバンドでね。まあ、いろいろな人間が混じり合っていると思うし、労働者階級の面々にもいずれ、リッチな層と同じくらい、音楽界に入っていく可能性が訪れると思う。

JL:でもわたしは、いまは中流〜中流よりちょっと上の階級の人びとがバンドに多い、その意見は本当だと思う(笑)。それは本当にそうだと思うし。ただ、人生における何もかもがそうであるように、物事はさまざまなフェーズを潜っていくものであって。たとえば70年代には、お洒落で高そうな学校に通ったことがあってバンドをやっていると、あざ笑われることがかなり多かったと思う。
けれども、とにかくいまはもうそんなことはないし、もっと人びとが混ざり合っている。だから、そうした類いのタブーが消えたんだと思う。もっと混ぜこぜだし、いまはもっと、しっかり教育を受けた若者たちがバンド活動と音楽にのめり込んでいる、そういうものではないかと思うし、とにかく時代は変化している、ということなんでしょうね。ある意味、わたしたちは向上した、というか。

なるほど。そうしたタブーは逆差別にもなりますしね。中流やそれ以上の階級の人間であっても、音楽作りが好きでバンドをやりたければやっていいわけで。

JL:でも、スリーフォード・モッズ、間違いなく彼らは、そうしたバックグラウンドからは出て来ていないし。それに、質問にあった、ザ・フォールやパブリック・イメージのようなバンドは現在でも出てこれるか? に対するわたしの回答は、絶対に出てこれるだろう、そう思う。仮にわたしたちが明日彼らのライヴを観に行き、素晴らしかったら、その場で契約しているでしょうし。要は才能があるかないか、それだけの話だと思う。

1970年代末のポスト・パンク時代にはサッチャーという大きな敵がいましたが——

JL:(苦笑)ええ。

いま現在のロック・バンドにとって当時のサッチャーに匹敵するものとは何だと思いますか? 

GT:たぶん、内務大臣のプリティ・パテルは国でもっとも人気が低いんじゃない? 

なるほど。

GT:彼女は嫌悪の対象だ。けれども、現政府が若者たちの多くに対して発してきた嘘の山々、あれはとにかく過去に前例のないひどさという感じだ。いやおそらく、過去にも同じだけの嘘をつかれてきたんだろうが、かつては秘密のとばりにもっと隠されていたのが、いまやもっとあからさまになっている、ということなんだろうね。
で、先ほど君が言っていたように、いまの若者はもっと政治に関して意識的だし、この国でいま何が起きているかについてとても詳しい。気象変動をはじめとするさまざまな問題に対するアクションの欠如も知っているし、それを我々も過去数年起きてきた大規模なデモ行動の形で目にしてきたわけで。

BLM運動など、いろいろありますね。

GT:そう。とはいえ、君の指摘は正しいよ、マーガレット・サッチャーがある意味、若者を団結させた存在だった、というのはね。「この政府はうんざりだ」と彼らも思ったわけで(苦笑)。

JL:でも、あの頃も保守政権だったし、いまも保守政権なわけで。

GT:そうだね。憂鬱にさせられるのは、この保守党政府がしばらく長く続きそうな点で。そこは最悪だ。

政治・社会状況が困難であるほどアートは活発になると思うので、それを祈りましょう。でも、ということはボリス・ジョンソン首相はサッチャーほどの「敵」として見られてはいない?

GT:ああ、彼もそうだけれども、うん……

JL:……いまは、保守党全体がそういう感じで(苦笑)。

何人ものサッチャーから成り立つ政党、と。

JL:そう。だから、単純に「このひとりを敵視する」という象徴的な存在はいない。

GT:でもミュージシャンにとっては、ボリス・ジョンソンはミュージシャンがヴィザ無しで欧州に渡り、ライヴをやり、現地でお金を自由に使うのを許可する協定をEUとの間で締結しそこねた、という事実があるわけで。まだ駆け出しのバンドが外に出て行ってプレイするのは不可能な話だし、ミュージシャンには深刻だ。若いバンドに限らず誰であれ、欧州で演奏するのが以前よりもっとずっとむずかしくなっている。現政府のアートに対する感謝の念の欠如、そこにはただただ、ショックを受けるばかりだ。

それもありますが、まずはCOVID状況の克服が先決ですよね。それが起きればライヴ・セクターも回復するでしょう。音楽界にとってもまだまだ困難な時期は続きますが、〈ラフ・トレード〉の活況を祈っています。

GT&JL:ありがとう。

(初出:別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』2021年7月刊行)


(追記)
 ついでながら、ぼく(野田)が気に入っているのは、ドライ・クリーニングとブラック・ミディ、次点でスクイッドです。2021年の洋楽シーンは良い作品が多かった、それはたしかでしょう。が、コロナ禍ということがあってだいたいが内省的だった。そんななか、ブラック・ミディから聞こえる場違いな騒々しさとスクイッドの“Narrator”には元気をいただきました。
 というわけで、ブラック・ミディ、スクイッド、ブラック・カントリー・ニュー・ロードの最新インタヴュー掲載の紙エレキング「年間ベスト・アルバム号」、どうぞよろしくお願いします。(ロレイン・ジェイムズの本邦初インタヴューもありまっせ)

interview with Jun Miyake - ele-king

 ジャズ、ロック、エレクトロニカ、クラシック、現代音楽、フランスやブラジルをはじめ世界各地の音楽など、多彩な音楽の要素をハイブリッドに融合し、映像性も豊かに展開する作曲家、三宅純の音楽は、ユニバーサルにしてパーソナル。聴き手の五感を刺激し、自由な想像の世界へと誘う。
 80年代、10代で日野皓正に才能を見出され、USAボストンのバークリー音楽大学で学び、帰国後、ジャズ・トランペッターとして活動をはじめた三宅純は、既成のジャンルにとらわれず冒頭に記した多彩な音楽を飲み込んで、独自の音楽世界を築いてきた。この15年余りは、パリを拠点に活動し、映画、演劇、舞踏、CMの音楽なども手がけ、中でも舞踏家・振付家、故ピナ・バウシュのドキュメンタリー映画『ピナ/踊り続けるいのち』(ヴィム・ヴェンダース監)の音楽は名高い。
 海外でも高い評価を得た三部作のアルバム『Lost Memory Theatre』(2013~2017年)に続き、2021年12月に発表したニュー・アルバムが『Whispered Garden』。東京、ヨーロッパ、南北アメリカで主にリモート録音をおこない、世界各国の多彩な歌手と演奏家が参加した新作について、話を聞いた。

「時間の流れる速さや順番が、訪れるたびに異なる庭園」というところに落とし込もうと思って。その庭園に行くと同じ曲が「あれ? この曲さっき別の人が歌っていなかったっけ? でも何かが違う」みたいになってるような。

『Lost Memory Theatre』の三部作が完結して次のチャプター、この『Whispered Garden』の構想に着手したのはいつでしたか?

三宅純(以下JM):構想、コンセプトが先ではなく、2015年ぐらいから単発で思いついた曲を作っていったのですが、実はアルバム・タイトルが全然決まらなくて、ほぼ全曲、出揃った後に、これは何か庭園にまつわる作品なのかもしれないと気づいたんです。「ガーデン」という言葉が最初に出てきて、歌手のリサ・パピノーに「ガーデンを使ったタイトルを思いついたら全部教えて」と相談して、自分でもいっぱい提案して、結局5~60個は出たと思います。そうこうするうちに『トムは真夜中の庭で』という本のことを思い出して。小さい頃に読んだ本なのでディテールはあまり覚えてなかったんですけど、ウィキペディアで粗筋を読んだら、これはもしかしたらアルバムと同じ世界観かもと思ったんです。「ガーデン」という言葉をどこかから囁かれた気がしたので、『Whispered Garden』というタイトルにしました。

このアルバムを最初に聴いたときに、三宅さんの脳内を旅行しているようなイメージが勝手に浮かんできました。いまうかがった、曲から作っていったというプロセスの影響があるんでしょうか。

JM:パンデミックをはさんだ、自分の環境も含めていろんなことがめまぐるしく変わっていった時期なので、脳内光景みたいなものが変わっていったのは確かだと思います。『トムは真夜中の庭で』の粗筋で僕がいちばん「あっ!」と思ったのは「時間の流れや速さや順番が訪れるたびに異なる庭園」というところで、それは僕が描きたかった、自分の中の世界と外の世界が交わるところでもある気がして。

今回もいろんな国の、いろんな分野のミュージシャンが参加しています。中でも「おっ!」と思ったのが2曲に参加したジャズのレジェンド、デイヴ・リーブマンでした。彼との出会いからはじまる歴史を聞かせてください。

JM:最初に彼の音を聴いたのは高校生のときだったと思います。彼が入ったマイルス・デイヴィスのバンドや菊地雅章さんのユニットはじめ、いちばんよく聴いてたのは、エルヴィン・ジョーンズの『Live at the Lighthouse』、スティーヴ・グロスマンとの2サックスのバンドでした。その頃から、彼らのフレージングがいちばん好きで、僕もトランペットでああいうふうに吹きたいと思っていました。76年に18歳でニューヨークに行って日野皓正さんのお宅に2カ月ほど居候してた頃、日野さんがデイヴ・リーブマンのバンドのメンバーになり、彼のロフトでのリハーサルに連れてってくれたんです。そこで初めて間近で見て、リハーサルが終わった後、スティーヴ・グロスマンも遊びに来てセッションになり、2曲ぐらい参加させてもらったんです。太刀打ちできないなっていう印象しかなかったですけど。そこで初めて個人的な接点がありました。向こうは覚えてないですけどね、自分のところに1回来ただけの若造のことなんて。

日野(皓正)さんがデイヴ・リーブマンのバンドのメンバーになり、彼のロフトでのリハーサルに連れてってくれたんです。リハーサルが終わった後、スティーヴ・グロスマンも遊びに来てセッションになり。太刀打ちできないなっていう印象しかなかったですけど。

今回、デイヴ・リーブマンとコンタクトをとったきっかけは?

JM:流れとしては本末転倒なのかもしれませんが、宮本大路というサックス奏者が亡くなってしまい(注:2016年、ガンで他界。享年59歳)、彼が生きてたら「じゃあここはちょっと、グロスマンとリーブマンを混ぜた感じで」とお願いしてたと思うのですが、いっそのこと一足飛びに本物まで行っちゃえ、というのが発想の原点です。

アルバムにはいま話に出た宮本大路さんの演奏もあります。他にも、以前のアルバムの中で聴いていたような既視感をおぼえる瞬間が何度かあって、ベタな言い方ですが音楽にもサステナビリティがあるのかなあ、なんて感じてしまいました。

JM:サステナビリティ(笑)! 彼(宮本氏)の存在は自分の音楽にとってすごく大事で、作り込んだ青写真を混ぜ返してくれると言うか、裏を見せてくれるようなところがあって、曲を書いていると彼の演奏が聞こえてくることがあるんですね。でも新しい演奏をしてもらえないことになっちゃったので、過去に録りためたものから、いわゆるウィリアム・バロウズ的なカットアップで、嵌めていってるんです。なので既視感がそこから生まれるかもしれません。ただ “Progeny” は、2015年に録った未公開の曲です。他の人の演奏の中にも、以前の音源をまたもってきたものもあります。アート・リンゼイのノイズ・ギターとか。それなりに大変な作業なんですけどね、全部掘り起こして、ここならハマるかなあという試行錯誤……。

“Undreamt Chapter” は2020年、TOKION(webカルチャーマガジン)の依頼で作った曲ですね。近年、大活躍のピアニスト、林正樹さんが参加していて、おそらく初共演だと思いますが、彼と知り合ったのはいつ頃ですか?

JM:僕の、めったにやらないライヴによく来てくれていることを大路くんに聞いてたんです。で彼が鬼怒無月さんとアコーディオンの佐藤芳明さんとやってるバンドでパリに来たときに紹介されたのが、10年くらい前でしょうか。その後、CMで演奏をお願いして以来、折に触れて参加していただいています。とても優秀な演奏家ですね。

“Le Rêve de L’eau” で歌っているアルチュール・アッシュ。昔からいろんな関係があったと思いますが、今回の参加に至るストーリーを教えてください。

JM:アルチュールにとって、それが名誉かはわからないんですけど、この曲は最初、デヴィッド・シルヴィアンにお願いするつもりで、どんなコラボにするか、2ヶ月ほど往復書簡を続けていたんです。彼はクリエイションに関して本当に真摯で、過去の自分を再現したくないって思いが強くて、もしかしたら引退するかもってところから、「君とだったらやってみようかな」というところまでは揺り戻せたんです。でもこの曲を聞かせたら、「過去の自分が聞こえてくる」と言われて、それはそうかもなぁと、アラビック・レゲエのような曲も作ってみたのですが「それでもやっぱり歌うと自分になっちゃう」と。結局、今回のアルバム・リリースには間に合わないということになったんです。それでもこの曲は収録したかったので、事情は伏せてアルチュールに聞いてもらったところ、ぜひやりたいと言ってくれたんです。彼は表現も存在感も独特で素晴らしいですよね、音域によって声の響きが変わるのが興味深いです。

“Time Song Time” を歌っているブロン・ティエメンは、初共演ですね?

JM:この曲はそもそもイメージとして、ギャヴィン・ブライアーズの “Jesus Blood Never Failed Me Yet” や、ハル・ウィルナーがプロデュースしたウィリアム・バロウズの “Falling in Love Again” といった酔いどれの雰囲気が欲しくて、このパンデミックの世へのララバイを作ってみたかったんですね。で、リサ・パピノーを通じて、彼女と同じバンドにいたことがあるブロン・ティエメンを知りました。彼は独特のライフスタイルで生きていて、曲の最後のほうで喋ってるところは自分で作った言語だったりして。不思議な才能なんですよ。

ブラジルの音楽家では、前作に続いてブルーノ・カピナン、そしてヴィニシウス・カントゥアリアは久々の参加ですね。

JM:ヴィニシウスにはいままで、ギターでは何度か参加してもらってたんですが、歌ってもらったのは『Innocent Bossa in the mirror』(2000年)以来です。ヴィニシウスが歌った “Parece até Carnaval” と同じメロディーが、ブルーノの歌った最後の曲 “Arraiada” で、途中まで出てくるんですが、これは最初、ブルーノに作詞と歌を頼んだんです。ただ、大サビのメロディーに詞をつけられずに止まっちゃって、そのうちに彼がコロナにかかってしまいました。それをヴィニシウスに伝えたらすぐに歌詞を付けて歌ってくれたんです。しばらくしてブルーノから治ったという連絡が来たので、それならアレンジを変えて大サビ違いの曲も作ってみようと。ライナーノーツにも書いた「時間の流れる速さや順番が、訪れるたびに異なる庭園」というところに落とし込もうと思って。その庭園に行くと同じ曲が「あれ? この曲さっき別の人が歌っていなかったっけ? でも何かが違う」みたいになってるような。

究極的には時間を操作したい、支配したいっていうか。それはつまり過去と未来と現在の共存でもあり、それが混濁した世界でもあり。音楽にはそういう力があると思うので。

三宅さんの音楽には、最初にお話しした脳内旅行の面と同時に、聴き手の僕たちに、個々の幼児体験だったり風景だったり、「あれ? これって……」というデジャ・ヴ現象を引き起こす力があると思います。

JM:それは僕にとっても嬉しいコメントです。究極的には時間を操作したい、支配したいっていうか。それはつまり過去と未来と現在の共存でもあり、それが混濁した世界でもあり。音楽にはそういう力があると思うので。

作曲に関して、パンデミック以前と以降で変わったところ、違いなど、ご自身で感じられてますか?

JM:特にTOKIONの依頼で作った “Undreamt Chapter” は、打ち合わせが最初の緊急事態宣言の前夜、六本木だったんですよ。街も雰囲気が違っていて、これから何が起こるんだっていう緊迫感がすごかったですね。でも帰宅すると、窓から見える景色は全く平穏で、静と動のコントラストが面白くて、僕にとっては今回のパンデミックの象徴みたいなのがこの曲。これが分岐点でした。

こんな時代ではありますが『Whispered Garden』をライヴで展開するとしたら、『Lost Memory Theatre』のライヴと編成などは変わりますか?

JM:近年やらせていただいたライヴは、いろんなものに対応できる編成だったので、あの16人編成を許していただける境遇であれば、このアルバムも再現できます。このアルバムは、パンデミック以降に書いた曲が9曲、それ以前の曲と、7/9ぐらいの割合ですね。

2005年からパリを拠点に活動されてきて、いまはコロナ禍で長期間、日本におられますが、今後の活動拠点のプランは何かありますか?

JM:目下それが最大の悩みです。そうこうしているうちにヴィザが切れちゃったんですよ。苦労してスタジオを作りこんだ家も、再来年の2月か3月までしかいられないことになって。それと日本のインフラの整ったところに比べると、パリは熾烈な環境なんですよ。家の中で水害が起こるとか、郵便が届かないとか、暖房が止まるとか、ネットが来ないとか、あらゆることがなぜか週末に起こる。週末だと誰も修理に来てくれないんですよね。そこにもう一回、立ち向かえるかなっていう不安もあり、もうパリにも16年住んでいるから、ちょっとヴィジョンを変えたいなって気持ちも実はあるんです。じゃあどこか、というのがすごく難しくて、例えばイタリアなら、食事は美味しいし、暖かいところ、海がきれいなところもあるし、いいなあと思うんですけど、インフラ的にパリと変わらないし、言葉もわからないですからね。じゃあ英語圏となると、いまのところ40年ぶりにニューヨークっていうのが有力ではあるんですけど、ニューヨークもずいぶん変わったと聞くので、一回行ってみないとわからない。いろいろと逡巡してますが、まずはパリの家を整理しにいくのが先決かもしれません。

 インタヴューの数日後、『Whispered Garden』リリース前夜祭と銘打って全曲を試聴しながら、ジャケットに作品を提供した画家、寺門孝之氏とトークするイヴェントが開催された。
 興味深い裏話もたくさん聞けたが、ひとつだけ発言を引用しておきたい。『Whispered Garden』には、三宅純がばりばりのジャズ・トランペッターだった20歳前後の時期に作曲した “1979” があり、そこでは当時から敬愛していたデイヴ・リーブマンが演奏している。また、ニーノ・ロータやクルト・ワイル、そしてこのふたりへのトリビュート・アルバムをプロデュースし三宅純との交流も深かったハル・ウィルナーへのオマージュが感じられる曲もある、彼の個人史を垣間見ることができるアルバムとも言える。このことについて彼はこう語った。

「自分の好きなものを隠さない」

 簡潔にして正直、そして見事な説得力! 年輪とキャリアを重ねた三宅純はいま、新たなチャプターを迎えている。そんな想いがした。

稀代の音楽家 “三宅純” が大作『Lost Memory Theatre』三部作完結から4年の歳月を経て導き出した最新作『Whispered Garden』発売&LP(2枚組)のリリースも決定!

[参加ミュージシャン]
デイヴ・リーブマン、リサ・パピノー、ヴィニシウス・カントゥアーリア、アルチュール・アッシュ、コスミック・ヴォイセズ・フロム・ブルガリア、ブルーノ・カピナン、ダファー・ユーセフ、アート・リンゼイ、ヴァンサン・セガール、クリストフ・クラヴェロ、コンスタンチェ・ルッツァーティ、宮本 大路、渡辺 等、山木 秀夫、伊丹 雅博、内田 麒麟、村田 陽一、勝沼 恭子 ほか

ご購入/ストリーミングはこちら
https://p-vine.lnk.to/aXoERz

アーティスト:三宅純
タイトル:Whispered Garden
発売日:【CD】2021年12月15日 / 【2LP】2022年5月11日
定価:【CD】¥3,300(税抜 ¥3,000) / 【2LP】¥6,600(税抜 ¥6,000)
品番:【CD】PCD18890 / 【2LP】PLP-7793/4
発売元:P-VINE

-収録曲-

【CD】
01.Untrodden Sphere
02.Hollow Bones
03.Counterflect
04.The Jamestown Bridge
05.Paradica
06.Farois Distantes
07.Undreamt Chapter
08.1979
09.Fluctations
10.Seshat
11.Parece até Carnaval
12.Progeny
13.Le Rêve de L’eau
14.Witness
15.Time Song Time
16.Arraiada

【LP】
SIDE A :M1-M4
SIDE B :M5-M8
SIDE C :M9-M12
SIDE D :M13-M16

三宅純official
https://www.junmiyake.com/
https://twitter.com/jun_miyake

Roy of the Ravers - ele-king

 そう、いま我々に必要なのはパン、そして笑いだ。ああ、腹の底から笑いたいぜ。そう思いながら、この鬱屈した状況下で息を吸って吐いている人も多いことだろう。しかしだからといって、アシッド・ハウスを延々と3時間というのも、レイヴの楽しさを知らない人やそのいかがわしさを面白がれない人には拷問かもしれない。いや、わかる、わかります、ずっとあの音がウニョウニョいってるだけだもの。それは低俗漫画と抽象絵画のあいだに広がる危険なゾーンを彷彿させる。つまり、これはミニマリズムだ。アートだ。とはいえ、間違っても高尚なものではないし、そうなることを忌避しているとも言える。アシッド・ハウスはダブにも似ている。奥深く解釈することもできるが、一笑に付すこともできる。曲名も簡単だ。〜ダブ、〜ダブ、〜アシッド、〜アシッド。
 
 1986年にシカゴで生まれたアシッドは、目を光らせながら暗闇に佇む野獣のように、2021年も終わろうとしている現在でも、そのいかがわしさをアンダーグラウンドで発光し続けている。たとえば、ノッティンガムのDJ/プロデューサーのRoy of the Ravers(サム・バックリー)が2020年にカセットテープと12インチのアナログ盤でリリースした「ザ・ルチェスター・ミックステープ」と「メルチェスター Acid EP」をチェックして欲しい。オンサイドには“ホームゲーム・アシッド”、オフサイドには“アウェイ・アシッド”が収録されている。それぞれ45分……とはいかないがそれぞれ20~30分はあるし(少年サッカー時間だ)、言葉に関してもなかなかのセンスの持ち主である。ちなみにRoy of the Raversとは、UKのフットボール雑誌に連載された少年向けのスポーツ漫画『Roy of the Rovers』のもじりで、主人公が所属するチームがマンチェスター・ユナイティドをモデルにしたであろう「メルチェスター・ローヴァーズ」なのだ。

 先日、ロイ・オブ・ザ・レイヴァーズ(以下、ROTR)がクリスマスのための特別作品をリリースした。そのアルバム『ロイ・オブ・レイヴァーズのクリスマス・スペシャル』は新作ではない。2019年の『Advent 2019』なる作品の改訂版に過ぎないとしてもまったく問題はない。そもそも、ROTRに代表されるカセットテープ&アシッドのUKアンダーグラウンドについてはあまり知られていないし、知る必要もないとも言える。こんなもの、時間の無駄でしかないのだから。が、しかし、蕩尽こそ人の喜びなのだ。それにROTRのアシッドは、ごくごく初期AFXを想起させたりもする。とくにROTRのヒット曲“Emotinium”は、AFXに酷似しているから困ったものだ。遊び心たっぷりで、いや、遊びでしかないのだろう。それなのに、なぜか切ない叙情性がとめどなく溢れるという。無難に作られた音楽とは偉い違いで、人はいまも我が道をひたすら追求したDIY音楽に心が温められるものなのである。泣けたぞ。
 ところで、漫画の主人公のほうのロイだが、ヘリコプターの事故で左足を失い選手生活を終えている。なんとも過酷な運命だが、物語は終わらない。その息子のロッキーがメルチェスターの選手となり、ロイはその監督と就任するのだった。結局『ロイ・オブ・ザ・ローヴァーズ』は、50年代に誕生し、70年代から連載がはじまり、2001年に雑誌が休刊するまで続いたという。
  
 ええい、サッカーの話は今年はしたくないので、話題をアシッドに戻そう。UKのニューカッスルに〈Acid Waxa〉という名のアシッドに特化した珍妙なレーベルがある。ぼくがロイのことを知ったのも、じつはこのレーベルを通じてのことで、彼はずいぶんと作品をリリースしている。〈Acid Waxa〉もまた、クリスマス・コンピレーションをリリースしたのだが、こちらはチャリティで収益はすべて慈善団体に寄付される。以前にも彼らは、たとえば難民海難救助団体やらウガンダの子供支援やら、アイルランドの貧困家庭支援などに寄付している。なんて美しい話だろう、アシッド・セイヴド・アワー・ライフ。で、今回のクリスマス・コンピのほうには、“ラスト・クリスマス”からはじまるクリスマス・メドレーのクソくだらない(要するに最高にいかした)アシッド・ヴァージョンもあり、また、レーベルの顔であるROTRも1曲提供している。なんとか毎日息を吸って吐いて寝たり起きたりしていると、いまでもこんな粋な連中に出会えることもあると、これまさに僥倖です。メリー・アシッド・クリスマス。

MURO - ele-king

 ご存じディガー中のディガー、あの宇川直宏もリスペクトしてやまないキング・オブ・ディギンこと MURO の最新ミックスが発売される。
 今回は〈Pヴァイン〉手がける “GROOVE-DIGGERS” シリーズの膨大なカタログのなかから、珠玉のレア・グルーヴをセレクトした内容。そのままミックスを楽しんで欲しいとのことで、収録曲は明かされていない(商品には記載)。タワレコ限定盤のため、お早めにチェックを。

クリスチャン・マークレー - ele-king

 音というものはつくづく不思議なものだ。高らかに鳴り響いたかと思えば、地を這うように轟きわたり、郷愁をさそうメロディの他方で聴くものを拒絶するノイズと化し、熱狂した観衆は踊り狂い、その瞬間に音はそのこと自体を言祝ぐファンファーレとなり、陶然とする私たちはただそれを描写することしかできない──

 上のような横書きの文字列が東京都現代美術館で開催中のクリスチャン・マークレーの展覧会「トランスレーティング[翻訳する]」の会場にはいってすぐの方形の展示スペースをかこんでいる。冒頭で「ような」とことわったのは文章そのものは私がうろおぼえで書いた創作だからだが、だいたいこのようなことが日本語で記してあったと考えていただいてさしつかえない。むろん私とて出版人のはしくれ。引用は正確の上にも正確を期すべきだとわかっている。わかっているが、この作品のテキスト自体、意味の伝達を優先しない。なんとなれば、今回の展示テキストはカタロニア語からの訳出で、その前が何語だったかは寡聞にして知らないが、本邦初披露のさいの展示はドイツ語からの翻訳で、このたび二度目のおめみえとなる。ただし前回と今回の文章は微妙にちがっているはずだ。翻訳=トランスレーションが逸失(ロスト)と不可分なのは日本を舞台にした映画の題名にもなったのでごぞんじの方もすくなくないが、聴覚に働きかける音ないし音楽という現象を対象とする場合、まかりまちがえばその懸隔はおそるべきものとなる。音を書くとは、その点で不可能事に属することは、ゆめゆめわすれてはなるまいが、それらを他言語に移しかえるともなれば、こぼれおちるニュアンスもひとしおであり、そのとき「翻訳」は「伝達=欠落」となる。


2.《ミクスト・レビューズ》 1999
壁に貼られたテキスト
「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」展示風景
(東京都現代美術館、2021年) Photo:Kenji Morita
©Christian Marclay.

 この作品のタイトルは《ミクスト・レビューズ》。1999年の発表で、新聞や雑誌に載った音楽にまつわる幾多のレヴューからサンプリングしたセンテンスをつなぎあわせ、文意はとおっていそうなのに全体的にはなにをいっているかわからない(わからなくてもいい)テキストになっている。クリスチャン・マークレーの個展「トランスレーティング[翻訳する]」はこの作品がぐるりをめぐる中央に「リサイクル工場のためのプロジェクト」と題した、ブラウン管式PCモニターやメディアプレイヤーなど、廃物を利用したメディアアートないしインスタレーション作品を設置した第一室からスタートする。サンプリングとリサイクリング、オブジェクトとコンセプトといった作者を基礎づける2作品、かつて国内で公開したなじみぶかい2作品でクリスチャン・マークレー「トランスレーティング[翻訳する]」展をおとすのである。


5. 「リサイクルされたレコード」のシリーズ 1979-1986
コラージュされたレコード
「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」展示風景
(東京都現代美術館、2021年) Photo:Kenji Morita
©Christian Marclay. Courtesy Paula Cooper Gallery, New York

 第一室をあとにした観客は通路沿いの《リサイクルされたレコード》、その前後をはさむように設置したふたつの映像作品《ファスト・ミュージック》《レコード・プレイヤーズ》を目にすることになる。ともに活動初期の作品で、ことにレコード盤にじかにマーカーで記号を書いたりシールを貼ったりするだけならまだしも、切り離して別のとくっつけて外見ばかりか中身もコラージュした《リサイクルされたレコード》はマークレーが特異なターンテーブル奏者としてニューヨークの即興音楽界隈で頭角をあらわしはじめた当時の代名詞というべき一作。ここでの「代名詞」の語には代表作や名刺代わりの含意があるが、そのように記す私はこの「代名詞」なる用語の匿名性と交換可能性をたのみに、言語そのものがマークレー的表現世界の一端であるかに思いはじめている。
 本展はこの「マークレー・エフェクト」とでも呼びたくなる現象の多面性をたしかめる場でもある。それらはレディメイド、フルクサス、ノーウェイヴ、DJカルチャーなど、歴史的文脈にも接続可能だがいずれも微妙に食いちがい、そのわずかばかりの空隙を発生源とする。たとえば初期サンプラーの粗いビットレートやいびつなループ感は時代性の傍証であるとともに特定の形式を想起させる記号でもある。いまでは80~90年代のサンプラーの解像度を再現することはたやすいが、マークレー・エフェクトはそのようなテクノロジー依存的で定量的なシミュレーションとはことなる原理原則に接近しながら働く法則だといえば、いえるだろうか。
 その点でマークレーはデュシャンやケージら考え方の枠組みを転換した先達の系譜につらなっている。ただし彼らのようにその前後を分割したりはしない。もっとカジュアルでしばしばコミカルなのは、お歴々ほど近代や制度や社会や教育や教養といった課題に真正面からとりくまなくてもよかったからかもしれない。むろん美大生時代のボストンでのノーウェイヴ体験、卒業後に出てきたニューヨークの都市の磁場も無視できない。80年代のニューヨークには猥雑で折衷的な空気が瀰漫していたと想像するが、先端的なモードのなかで近代なるものは失調しかけていた。モダニティの革命幻想が晴れてしまえば、あらわれるのは「post festum」としての事物と状況である。剥き出しのレコード盤を転々流通させることで、音楽から本来とりのぞくべきノイズを外部から付加するのみならず、エディションを一点ものに変化させる《レコード・ウィズアウト・ア・カバー》や、レコード店のエサ箱から中古盤のジャケットを改変した《架空のレコード》、おもにクラシックとポップスのジャケットをかさねて視覚をおもしろがらせるのみならず、鑑賞者固有のイマジナリーサウンドスケープの再生ボタンを押す《ボディ・ミックス》など、本展の中盤の要となる80年代末から90年代初頭の諸作の情報攪乱的なコンセプト、すなわち黎明期のサンプリング・カルチャーの戦術はおそらく先に述べた時代背景にも影響をうけている。また制度との摩擦熱を動力源とするこの戦術はおよそ形式や序列や経済性が存在すれば、どの分野にも応用可能であり、そのことを証明するように2000年代以降、マークレーは作風の裾野をひろげていくのである。


14 「ボディ・ミックス」シリーズより 1991-1992
「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」展示風景
(東京都現代美術館、2021年) Photo:Kenji Morita
©Christian Marclay. Courtesy Paula Cooper Gallery, New York

 とりわけ2002年の《ビデオ・カルテット》は映像分野の劃期として一見の価値がある。作品に登場するのは過去の映画から抜き出した音にまつわる場面で、マークレーは数百にもおよんだという断片を、カルテットの題名通り、四つの画面に矢継ぎ早に映し出しながら、時間の前後のみならず空間の左右にも目配せしつつ緊密に編みあげている。私はこのおそるべき労作を前にするたびに畏怖の念と笑いの発作におそわれるが、なんど鑑賞してもあきないのは作品の自律性によるものだろう。《ビデオ・カルテット》でマークレーはサンプリングした映像を人物や事物といった事象に分解しその記号的な側面を強調したうえで同時時進行する4面の映像と音が連関するようたくみに構成するのだが、そのありようは、ジャズのアンサンブルにも、実験的ターンテーブリストのエクササイズにも、チャールズ・アイヴズのポストモダン版になぞらえられなくもない。


9. 《ビデオ・カルテット》 2002
4チャンネル・ビデオ(同期、カラー、サウンド) 14’ 30”
「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」展示風景
(東京都現代美術館、2021年) Photo:Kenji Morita
サンフランシスコ近代美術館蔵 © Christian Marclay.

 きわめて音楽的であるがゆえに時間的な《ビデオ・カルテット》の主題はのちに長大な《The Clock》などに展開する。一方で速度や強度といった音楽体験の土台となる主観的な時間単位は「アクションズ」や「叫び」のシリーズで絵画という古典的な形式に擬態するかにもみえる。クリスチャン・マークレーの「翻訳」とは、それら相補的な問題の系を横切りながら、そのたびになにかを「欠落」していくことにほかならない。あたかも音の不在が沈黙を析出するように、翻訳のさい反語としてうかびあがるもの。私のいうマークレー・エフェクトもそこに淵源するが、そのことを体感するには本展のような企画はぜひとも必要だった。
 いうまでもなく「翻訳」とは二言語間に限定できず、言語の数だけ存在するなら、その行為は本来的に増殖的である──そのことを体感するのにも本展はうってつけといえる。やがて鑑賞者は本展後半にいたるころには、マークレーがアートそのものの翻訳作業にかかり、度外れにその意味を拡張するなかで、意図的に主題を空転させ、真空状の記号にすべての意味をすいあげさせていることに気づくであろう。翻訳行為にはえてしてこのようなパラドックスがつきまとうが、よくよく考えると、存命中の美術家でクリスチャン・マークレーほどパラドキシカルな作家もそうはいないわけで。私は本展の多様な作品を前にして上のようなことを思ったが、他方であらためて作品を前にして、マークレーを語るにあたってコンセプトに隠れがちな細部の繊細さ、情報が覆う作品表面の風合いや素材の質料や質感にも目をひかれた。《無題》と題した2004年のフォトグラムなどはそのことをさらに作品化したものともいえるのだろうが、ほかにもレコード盤やジャケットやマンガ雑誌の切り貼り、シルクで刷ったカンバスの表面、幾多のファウンド・オブジェクトに作者の手の痕跡のようなものを感じたのも本展の収穫だった。展覧会場の最終コーナーにもうけた「フェイス」シリーズや《ノー!》などの新作にも手の痕跡はみとめられる。2作品ともに2020年の発表で、コロナパンデミックというきわめて現代的で文明的な状況における人間のありようをマンガのコラージュであらわした作品だが、そこでは感情や身体性の表出が意味伝達の速度をおいこしていくのがわかる。その傾向は2021年の最新作《ミクスト・レビューズ(ジャパニーズ)》へ伸張し、ろう者であるパフォーマーが冒頭でとりあげた《ミクスト・レビューズ》を日本語へ手話通訳する模様をおさめた映像では音や口頭言語の伝達機能が希薄化するのと反比例するように身体性がたちあらわれるのである。この作品をもって「トランスレーティング[翻訳する]」は円環を閉じるように幕をひくが、そのとき私たちは「翻訳する」ことにみちびかれ、思えば遠くに来たもんだと、ひとりごつのである。

連鎖の網の目に位置する「誤訳=創造」のプロセス
——クリスチャン・マークレーと「翻訳」

 たとえば五線譜を演奏することについて、一般的にはそれを翻訳と呼ぶことはない。五線譜に記された記号は多くの場合、演奏内容を細かく規定しており、演奏者はそれらの記号を解釈しながら特定の作曲作品を音として再現する。他方で翻訳とは、なにがしか起点となる表現を別の文脈へと置き直すために別の形を作り出す作業のことをいう。通常はある言語を別の言語へと、できるだけ同一の意味内容を保ちつつ置き換える行為およびその結果を指す。だが周知のように言語学者ロマン・ヤコブソンは「翻訳」を三種類に腑分けし、そのうちの一つを自然言語にとどまらない「記号間翻訳」として定義した。彼の定義を踏まえるのであれば、言葉、音、イメージ、あるいはそれらの混合物をも含み込みながら、音楽、文学、絵画、写真、映画など、さまざまな記号系を置き換えることもまた、一種の「翻訳」と看做すことができる。この意味で異なる記号系を跨がる演奏、たとえば絵画を譜面と見立てて音楽を演奏する行為は一種の「翻訳」である。五線譜の演奏は譜面と音を異なる記号系と区別する限りにおいて「翻訳」と呼び得るだろう。そしてこうした「翻訳」は、自然言語においてもそうであるように、少なくとも次の二つの結果をもたらす。すなわち「翻訳」によって、わたしたちは異なる言語あるいは記号の体系を架橋し、これまでになかったコミュニケーションを生み出すことができる。同時に「翻訳」は、同一の意味内容を保とうと努めつつも、文脈と形が変わることによって、つねに致命的なズレを抱え込むこととなる——それをコミュニケーションの原理的な不可能性と言い換えてもいい。だがこうしたズレと不可能性は、たとえ情報の伝達という面で失敗の烙印が押されようとも、いみじくもヤコブソンが「詩」について述べたように、むしろ新たな表現へと向かうための創造性の源泉となっている。音楽に「翻訳」の観点を導入することに意義があるとすれば、まさにこの点にある。そしてそれは作曲と演奏のプロセスだけでなく、演奏と聴取の間にも創造的に寄与するはずだ。

 音楽家であり美術家のクリスチャン・マークレーによる、国内の美術館では初となる大規模な個展「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」が11月20日から東京都現代美術館でスタートした。展覧会の関連企画として、会期2日目の11月21日にはマークレーのグラフィック・スコアをリアライズするライヴ・イベント・シリーズ「パフォーマンス:クリスチャン・マークレーを翻訳する」の第1回が開催。∈Y∋のソロ・パフォーマンス、およびジム・オルーク率いるバンド(山本達久、マーティ・ホロベック、石橋英子、松丸契)による演奏が披露された(なお、同イベント・シリーズは2022年1月15日にコムアイと大友良英、翌16日に山川冬樹と巻上公一によるライヴが予定されている)。マンガをコラージュしたヴィジュアル・アートでもあるグラフィック・スコアを音楽へと「翻訳」する試みは、音楽と美術という異なるジャンルを渡り歩き、そしてそのいずれにも括り切れないマークレー独自のスタンスがあればこそ実現できた取り組みだったことだろう。

 クリスチャン・マークレーは1955年にアメリカ・カリフォルニア州で生まれ、スイス・ジュネーヴで育った。音楽家としては主にノー・ウェイヴの影響下でバンド活動を始め、ヒップホップとは異なる文脈で1970年代後半からターンテーブルを自らの楽器として使用し始めた先駆的存在として知られる。1980年代にはジョン・ゾーンらニューヨーク・ダウンタウンの先鋭的な音楽シーンと交流を持ち、1986年に当時「ノイズ・ミュージックの前衛的ゴッドファーザー」と呼ばれたヴォイス・パフォーマーでドラマーのデヴィッド・モスとともに初来日。音楽批評家・副島輝人の招聘ということもあり、来日の模様は『ジャズ批評』誌で取り上げられた。その後、マークレーは1989年に自身を含む12名のミュージシャンのレコードをそれぞれのミュージシャンごとにコラージュした12曲入りの傑作アルバム『モア・アンコール』を発表、さらに80年代のレア音源をコンパイルしたソロ・アルバム『記録1981~1989』を1997年にリリースしている。他にもギュンター・ミュラーやエリオット・シャープ、大友良英、オッキョン・リーらさまざまなミュージシャンとセッションをおこなった作品を多数リリースしており、こうしたコラボレーションの方が彼の音楽活動の大部分を占めているとも言える。演奏家としては近年はターンテーブル奏者としてではなく、日用品やオブジェを駆使したアコースティックなサウンド・パフォーマンスに取り組んでいる。2017年に札幌国際芸術祭が開催された際、廃墟となったビルの内部で大友良英とともにバケツやキッチン用品、食器、発泡スチロール、自転車、枕など無数のファウンド・オブジェを用いてデュオ・インプロヴィゼーションをおこなったことも記憶に新しい。

 他方でマークレーの足跡は音楽家だけでなく、ヴィジュアル・アーティストとしても40年近いキャリアがあることが一つの大きな特徴だ。もともとマサチューセッツ芸術大学で彫刻を専攻していた彼は、1979年から86年にかけてレコードをモノとして解体/再構築した「リサイクルされたレコード」シリーズを制作。1985年には音楽アルバムとも造形作品とも言い得る代表作の一つ《カヴァーのないレコード》を発表し、やはり不透明なメディアとしてのレコードそれ自体の物質性を前景化した。他にもレコード・ジャケットのステレオタイプなジェンダー・イメージをユーモラスかつクリティカルにコラージュした「ボディ・ミックス」シリーズ(1991~92年)、さまざまな人々が歌い叫ぶ口元を切り取った写真で構成される《コーラス》(1988年)、古今東西の映画から演奏シーンを抜き出して4つの画面に映した《ヴィデオ・カルテット》(2002年)など、発表されたヴィジュアル・アート作品は多岐にわたるが、そのどれもが音または音楽と関連する要素がモチーフとなっている点では共通している。2010年には無数の映画から時刻がわかる映像を切り出してコラージュし現実の時間と対応させた24時間にわたる大作《ザ・クロック》を完成させ——この作品もまた時間を構成するという点で音/音楽と密接に関わっている——、翌2011年に第58回ヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を獲得することで美術家として名実ともに確固たる地位を確立した。2010年代以降は《マンガ・スクロール》(2010年)を突端に、無音のヴィデオ・インスタレーション作品《サラウンド・サウンズ》(2014~15年)や近作「叫び」シリーズ(2018~19年)および「フェイス」シリーズ(2020年)など、マンガに描かれた絵やオノマトペを素材として用いた作品に目立って取り組むようになっている。

 このように音楽と美術の領域を跨ぎつつ、一貫して音/音楽にまつわる要素をモチーフに、一流のユーモアとクリティカルな視点を織り交ぜ、聴覚のみならず視覚的作品としても自らの活動を展開してきたのがマークレーの足跡だと、ひとまずは言うことができるだろう。そうした彼がミュージシャンによる演奏を前提として制作したグラフィック・スコアの一部が、《ノー!》(2020年)と《つづく》(2016年)である。21日のライヴ・イベントでは、∈Y∋が《ノー!》を、ジム・オルーク・バンドが《つづく》を、どちらも約20分弱の時間でリアライズした。通常のグラフィック・スコアがそうであるように、演奏内容の大部分は演奏者自身に委ねられているものの、これら二作品にはマークレーによるディレクションも記載されており、そのディレクション内容の違いも手伝ってか、∈Y∋のパフォーマンスがほとんど彼自身の個性を大々的に伝えるような独自のリアライズとなっていたのに対して、ジム・オルーク・バンドは極めて構成的で、スコア解釈も奏功することでマークレーのユーモアさえ感じさせるようなリアライズとなっていた。


パフォーマンス:クリスチャン・マークレーを翻訳する (2021/11/21)
「ノー!」∈Y∋
撮影:鈴木親

 最初の∈Y∋のパフォーマンスでは、ステージ上に15台の譜面台が扇状に設置され、それぞれの譜面台には計15枚ある《ノー!》のグラフィック・スコアのシートが1枚ずつ置かれていた。《ノー!》はソロ・パフォーマーのためのヴォーカル・スコアとして制作されており、15枚のシートをどのような順序で並べるのかはパフォーマーに委ねられている。シートにはマンガから切り抜いた間投詞を含むシーン、たとえば「AAAH!」「NNNN!」「WOO-OO-OO-OO!」といったさまざまなセリフが絵とともに貼りつけられ、パフォーマーはこのスコアをもとにヴォイスと身体で解釈していく。コップを持ちながら舞台袖から登場した∈Y∋は、向かって右端の譜面台へと歩み寄ると、おもむろにマイクを手に取って絶叫し始めた。そして左端まで1枚ずつスコアをリアライズしていったのだが、会場で準備されていた計3本のマイクを通じて∈Y∋のヴォイスにはディストーションやディレイなどの激しいエフェクトがかけられ、ほとんど言葉を聴き取ることが難しいような凶悪なノイズが響き渡っていた。身体を大きく後方に反らせてなにかに取り憑かれたかのようにヴォイスを振り絞るそのパフォーマンスは他でもなく∈Y∋そのものである。だが1枚ずつスコアをリアライズしていくという点では、自由な即興演奏でもなく、明確に15のブロックに分節されたパフォーマンスだったと言える。そして最後の1枚はタイトルでもある「NO!」というセリフがさまざまなシチュエーションで発されているシーンを切り抜いたスコアで——厳密には「NO!」以外のセリフのシーンも含まれているが——、ここに至って渦を巻くような絶叫ノイズからようやく誰もが聴き取ることができるほど明確な言葉が立ち現れる瞬間が訪れた。全てのスコアをリアライズした∈Y∋はステージ中央に戻るとマイクのプラグを荒々しく引き抜き、まるで示し合わせたかのように横に置かれたドラムセットのクラッシュシンバルが倒れて終わりを告げた。


パフォーマンス:クリスチャン・マークレーを翻訳する (2021/11/21)
「つづく [To be continued]」 ジム・オルーク(ギター)、山本達久(ドラム)、マーティ・ホロベック(ベース)、石橋英子(フルート)、松丸契(サックス)
撮影:鈴木親

 しばしの休憩を挟み、続いてジム・オルーク(ギター)が山本達久(ドラム)、マーティ・ホロベック(ベース)、石橋英子(フルート)、松丸契(サックス)とともに今回のパフォーマンスのために結成したバンドが登場。マークレーのグラフィック・スコア《つづく》がリアライズされた。同じグラフィック・スコアとはいえ《つづく》は制作経緯が《ノー!》とはやや異なっており、もともとスイスのグループ、アンサンブル・バベルのために考案された48ページからなる冊子タイプの作品である。アンサンブル・バベルは今回のジム・オルーク・バンドと近しい二管&ギターのクインテット編成で、《つづく》はギター、木管楽器、コントラバス、パーカッションを想定して作られているが、編成に若干の異同が許されている。スコアにはやはりマンガの切り抜きがコラージュされているのだが、必ずしもセリフが書かれているわけではなく、演奏シーンや楽器、機材、オノマトペ、あるいは音を想起させる描写、そして五線譜までが、まるで一編の物語を描くように配置/構成されている。コラージュされた五線譜にはところどころメロディとして解釈可能な音符も記されており、スコアに付されたマークレーによる複数のディレクションを踏まえるなら、通常のグラフィック・スコアよりも比較的明確に演奏内容が定められているとも言える。実際に当日のジム・オルーク・バンドによるリアライズでは、数10秒程度で次々にシーンが切り替わっていくように演奏がおこなわれ、その音像は時間の枠組みと分節を設定する現代音楽のコンサートのように構成的なものだった。そしておそらくスコアそれ自体のディレクションに加えて、スコア解釈にあたって演奏前にバンド内で交わした取り決めも、こうした構成的側面の創出に大きく寄与していたのではないだろうか——たとえば出演者たちが揃って足踏みするユーモラスなシーンは、あらかじめ定めたスコア解釈の一つの結果だったと言える。とはいえその分、当日のパフォーマンスでは全体を満たすアンサンブルの細部にも妙味が宿っており、スコアそれ自体や事前の取り決めに還元することができないような、5人のメンバーそれぞれに特有な楽器奏者として持ち合わせている音色、そして独自に開発しただろうテクニックも一つの聴きどころとなっていた。いずれにしても、個性的ヴォイスが前面に出た∈Y∋のパフォーマンスに比して、ジム・オルーク・バンドがリアライズした《つづく》には作曲家・マークレーの痕跡が色濃く刻まれていたとは言えるだろう。


《ノー!》2020
15枚のインクジェットプリントを含むポートフォリオ
「クリスチャン・マークレー トランスレーティング [翻訳する]」展示風景(東京都現代美術館、2021年)Photo: Kenji Morita
© Christian Marclay

 どちらの演目も、マークレーが手がけたヴィジュアル・アートでもあるグラフィック・スコアを、音中心のパフォーマンスへと「翻訳」する試みであった。展覧会のテーマがそうであるように、「翻訳」はマークレーの活動の一側面を鋭く言い表した言葉だ。ただしコンサートにおいては、スコアとパフォーマンスの間を置き換えるプロセスはあくまでも秘密裏に遂行されている。観客はどのような「翻訳」がおこなわれているのかをリアルタイムで知ることはなく、ステージ上の演奏風景とそこから発される響きに耳を傾けるのみだった。こうした演出の仕方はマークレー自身の意向によるものである。というのも《つづく》に書き記されたディレクションには次のような箇所がある。すなわち「このスコアは演奏するミュージシャンたちのために作られたものであり、コンサート中にオーディエンスとシェアするものではない」のであり、しかしながら「この出版物はパフォーマンスとは別物として、誰もが楽しむことができる」のである。もしもイメージを音へと「翻訳」するプロセスそれ自体が作品となっているのであれば、ヴィジュアル・アートとしてのグラフィック・スコアをプロジェクターでスクリーンに投影するなどしつつ、視覚的要素がどのように聴覚的要素へと置き換えられるのかを明らかにした方がよりよく表現できるだろう。だがマークレーは《つづく》のディレクションで「プロジェクションを使用してはならない」と釘を刺してさえいる。つまり彼にとってイメージを音へと「翻訳」するプロセスは、観客に伝えるべき内容としては考えていないようなのだ。実際に《つづく》のみならず《ノー!》も、当日に会場でスコアが投影されることはなかった。観客にはパフォーマンスのみ体験させ、他方でスコアそれ自体をヴィジュアル・アートとして楽しむことは半ば推奨されているのである。


《つづく》2016
冊子(オフセット印刷、ソフトカバー、48ページ)
「クリスチャン・マークレー トランスレーティング [翻訳する]」展示風景(東京都現代美術館、2021年)Photo: Kenji Morita
© Christian Marclay.

 このことからはグラフィック・スコアを用いたパフォーマンスに対するマークレーのスタンスが窺えるのではないだろうか。すなわち彼にとってグラフィック・スコアは、一方ではヴィジュアル・アートとして制作されているものの、他方ではヴィジュアル・アートとは別の記号系に属するパフォーマンスそのものを生み出すための手段としても制作されている。そして「翻訳」を通じて置き換えることはあくまでもパフォーマンスの裏にある作業として、受け手にはリアルタイムでは伝えることなく実行されなければならない。それは言い換えるならパフォーマンスそのものの価値を積極的に認めようとすることでもある。だが翻って考えるなら、このようにスコアを投影しないということ自体は、むしろ音楽においてはスタンダードなあり方だ。通常、譜面台に置かれた楽譜は演奏者が音を生み出すためにあり、観客に見せるためにあるわけではない。マークレーは映像をスコアとする《スクリーン・プレイ》(2005)のみ例外的にスコアを見せることで観客に「より積極的に聞く」よう仕向けることを企図したと明かしつつ、グラフィック・スコア(図案楽譜)を観客に見せないことの理由をこのように説明している。

大半の図案楽譜はミュージシャンのためにあります。楽譜のイメージは音楽を説明することは意図していませんし、テレビやインターネットのせいで私たちはサウンドにイメージを紐づけるよう飼い慣らされています。サウンド抜きのイメージだとなにかが欠けているという感覚を持ってしまう。私にとって楽譜のイメージは演奏の引き金であり、ミュージシャンのための通常の譜面となんら変わらないのです。
(「クリスチャン・マークレーに、恩田晃が聞く 音楽とアートの関係」『intoxicate vol.155』2021年12月10日発行)

 マークレーは大規模なコンサートで豆粒大にしか見えないミュージシャンの姿を映像として巨大なスクリーンに映し出すことを例に挙げながら「人々は音楽を聞きながら、何かが見えることを期待してしまう」とも述べる。たしかにわたしたちは、音のないイメージ、またはイメージのない音について、なにかが欠落していると感じてしまうことがしばしばある。野外フェスティバルではかろうじて視認できるミュージシャンの小さな姿よりもスクリーンに映る大きな映像を目で追ってしまう。たとえイメージが用意されていたとしても飽き足らず、動画サイトで静止画と音楽の組み合わせに出会すと、時間とともに変化する映像を欲してしまう。それは音楽体験の充実度を情報量の多寡で判断しているということなのかもしれない。音楽を情報として捉えるなら、できるだけ効率よく多量の情報を摂取することが望ましいのだ。だがこうした消費のあり方はどれほど効率的であっても創造性の観点からは貧しい体験だと言わざるを得ない。受け手が自ら想像し作品に積極的に介入する余白を持たないからだ。しかしマークレーの作品はむしろこうした想像/創造へと受け手が自発的に足を踏み出すよう誘い出す。なにも聞こえないヴィジュアル・アートは音の欠落ではなく、受け手自身が豊かな音を想起するきっかけとしてある。同様にグラフィック・スコアを用いたパフォーマンスは、響きを聴くことによって一人ひとりの観客が異なるスコアのイメージを思い浮かべることになるだろう。むろんイメージに限る必要はない。今まさにこうして書かれているテキストがそうであるように、当日のパフォーマンスに触発された受け手は、音とは別の記号系にあるなにがしかを想起し、あるいは具体的な形をともなう表現としてアウトプットする。「翻訳」という観点が重要なのはこの意味においてである。もしもスコアをスクリーンに投影していたのであれば、イメージとパフォーマンスの対応関係に観客の注意が向いたことだろう。それは「翻訳」を客体として眺めることであって、観客自らがそのプロセスに介入しているわけではない。例外とされた《スクリーン・プレイ》のパフォーマンスも、「より積極的に聞く」という意味において、やはり観客が自ら主体となって「翻訳」をおこなう契機となる。

 クリスチャン・マークレーのヴィジュアル・アートは観客に音を想起させる。だが彼のグラフィック・スコアが想起させる音楽と、ミュージシャンが「翻訳」することによって具現化する響きは、おそらくまったく異なるものとしてある。それはとりもなおさず観客とミュージシャンそれぞれの「翻訳」がつねに致命的なズレと不可能性を抱えた創造的な「誤訳」であることを示している。この点で音を譜面の再現と看做す通常の五線譜と彼のグラフィック・スコアは根本的に異なるあり方をしている。そしてヴィジュアル・アートとしてのスコアがあくまでも固定化された視覚的要素として存在しているのに対して、それを手段として生まれたパフォーマンスはつねに具体的なパフォーマーをともなうことによって、実現されるたびに新生し続けていく可能性がある。それはかつてマークレーがターンテーブル演奏に関して「死んだと思えるオブジェを、生きたライヴの文脈において使うための一つの方法」(『ur 特集 ニュー・ミュージック』第11号、ペヨトル工房、1995年)と語ったこととも通底している。ヴィジュアル・アートとしてのグラフィック・スコアは、他の人間によって「翻訳」されない限り、あくまでもある時点で記録され固定化された「死んだと思えるオブジェ」に過ぎない。それは一方では見られることで受け手の記憶をまさぐり、想像上の音の発生を引き起こすことで「生きたライヴの文脈」へと蘇ることになる。他方ではパフォーマンスのための手段として用いられることによって、やはり「生きたライヴの文脈」に鳴り響きをともないながら置き直される。それだけではない。さらにパフォーマンスそれ自体の受け手によっても「翻訳」されていくのである——まるで物体としてのレコードが延々と回転し続けるように終わりのない連鎖を呼び込みながら。他の音楽家による多くのグラフィック・スコアが作曲と演奏のプロセスに焦点を合わせ、あるいは視覚のための純粋な絵画へと近づくのに対して、マークレーの作品はあくまでも連鎖の網の目——そもそもが既存のマンガを流用したコラージュだ——のなかに位置している。その意味で∈Y∋とジム・オルーク・バンドによる「翻訳」のプロセスを通じたリアライゼーションは、グラフィック・スコアを生きた文脈へと置き直す一種の蘇生の儀式であるとともに、パフォーマンスそれ自体が「死んだと思えるオブジェ」のように観客の記憶へと刻まれることによって——あるいは記録メディアにアーカイヴされることによって——、新たな「翻訳=創造」のプロセスを駆動させる試みでもあったのだと言えるだろう。

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