「KING」と一致するもの

泳ぐサウンドシステム! - ele-king

 ラッパーのルミがオーガナイズする船上パーティ〈BASSBOAT〉が12月22日(日)に開催される。横浜の海をクルーズする船の上にどでかいサウンドシステムを積んで、ベースをブンブン鳴らしてしまおうというこの気合いの入ったパーティは2012年からはじまり、今回で3回めとなる(出演者は下の情報欄でチェック!)。さすが、スーパーAKY(あえて空気読まない)、ルミ! やることが大胆だ。すでに病みつきになっている人が続出という〈BASSBOAT〉のルミ船長に、メールでこのパーティについて訊いてみた!

なぜ、船上でパーティを企画しようと思ったんですか?

ルミ船長:2011年にクロアチアの〈OUTLOOK FESTIVAL〉を体験したのがきっかけです。年に一度でも最高のシチュエーションを共有できる夢のようなパーティがしたいと思ったから!

〈BASSBOAT〉の醍醐味を教えて下さい!

ルミ船長:船ですので、出航したら最後、後からは誰も乗れません。音量制限もありませんので〈eastaudio soundsystem〉でブンブンに鳴らしますよ。そして視界は360度横浜の夜景!乗組員も粒ぞろい、満潮です。

〈BASSBOAT〉は今年で第3回目になります。2回の経験から、船上で楽しむために、初めて遊ぶ人にアドヴァイスを!

ルミ船長:遊ぶのにアドヴァイスなんている? とりあえずチケット買って港まで来てください、あとは最高の世界へお連れしますので。強いて言うなら、暖かくしてきてっていうのと、トイレは非常に混み合いますので乗船前に出し切り願います。

今回の見所を教えてください!

ルミ船長:なんといっても今回は“in Christmas mood”☆ 装飾もクリスマス仕様だし、スピーカーも前回より増量してます! 〈BASSBOAT〉から見る景色、ライヴは毎回全員で恋に落ちるような瞬間を生みます。あと何回できるかわからないし、もしかしたらこれで最後かもしれないです。是非〈BASSBOAT〉へ! お待ちしております。

 う~ん、これはかなり楽しそうだ。17時出航で20時にはパーティが終わるので、船を降りたあとに横浜の夜の街に繰り出すという遊び方もできてしまう。みなさん、〈BASSBOAT〉は要チェックですぞ。(二木)


■BASSBOAT in Christmas mood
2013/12/22(SUN)

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船上でメリークリスマス!
陸を離れて大海原へ出かけましょう!
BASSBOAT、出航します!!

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16:15集合→17:00出航(~20:00)

※16:30までに受付をお済ませください。
※当日に何らかの変更が合った際はSanagi Recordingsツイッターアカウント(@sanagirecording)にてお知らせいたします。

■TICKET
前売券 ¥4,000 / 当日券 ¥5,000
sanagi.jp限定トリオチケット ¥10,000

※前売販売が乗船限度人数に達した場合、当日券の販売はありません。

■MUSICIANs&DANCERs
ILL-TEE
K-BOMB
KEN2-D SPECIAL
LIL'MOFO
MaL from PART2STYLE
Militant B
三島 a.k.a.潮フェッショナル
ONE-LAW
RUMI
SKYFISH
TANiSHQ
WOLF24
YODEL

■Soundsystem
eastaudio soundsystem

■FOOD
虎子食堂

■TICKET
TICKET店頭販売
渋谷:虎子食堂
新宿:ドゥースラー
東高円寺:GRASSROOTS
下高井戸:トラスムンド
中野:HEAVYSICK ZERO
下北沢:DISC SHOP ZERO
ディスクユニオン(クラブミュージックショップ):[渋谷店][新宿店][下北沢店][横浜西口店]

※TICKET通信販売は締め切りました。

■ACCESS

MAP


・横浜大さん橋埠頭ビル前発着所への道順
みなとみらい線日本大通り駅3番出口(県庁・大さん橋)より徒歩8分。
みなとみらい線日本大通り駅の3番出口を出て右方向。
次の大さん橋入口交差点を左方向へ。
そのままみちなりに直進。
大さん橋に向かう1本道に入り、大さん橋の一番手前になる建物が大桟橋ふ頭ビルとなります。

■諸注意

・飲食物持ち込みは固くお断りします。
・天災地変等やむを得ない事態が発生した場合、出航を見合わせる場合があります(基本雨天決行です)。
・専用の駐車場はございませんので公共交通機関をご利用ください。
・未成年の方もご乗船いただけますが、酒類の販売はいたしかねます。
・船酔いが心配な方(酔い止め)、大音量に弱い方(耳栓)は各自対策の上ご乗船ください。
・海上は気温が下がります。ストーブ等用意しておりますが、暖かい服装でお越し下さい。

お問い合わせ:party@sanagi.jp
運営:Sanagi Recordings


明日!? - ele-king

 サン・アローことキャメロン・スタローンとともに、コンゴスとのコラボレーション・アルバム『アイコン・ギヴ・サンク』(みんなが愛したあのアルバム)を仕立てたゲド・ゲングラス(アクロン・ファミリー等でも活躍)が、ひっそりと明日幡ヶ谷で……!
 この週末「24時間ドローイング・パフォーマンス」なるイヴェントを終えたばかりのアーリントン・デ・ディオニソをメインに、柳家小春+Amephone's attc、HELLL、DJにコンピューマと週初めをぶっ飛ばす素晴らしいラインナップ。情報遅くてすみません。昨日、一昨日は残念だけれど、まだ残っていてよかった!

■詳細
https://www.sweetdreamspress.com/2013/11/1011.html

■逆まわりの音楽 その11
12月17日(火)
東京・幡ヶ谷 フォレストリミット(03-6276-2886)
東京都渋谷区幡ヶ谷2-8-15 幡ヶ谷K3ビルB1F
出演:アーリントン・デ・ディオニソ(オールドタイム・レリジャン、マライカ・ダン・シンガ)、M. ゲディス・ジェングラス、柳家小春+Amephone's attc、HELLL
DJ:COMPUMA
開場 7:00pm/開演 7:30pm
料金:2,500円(予約)/3,000円(当日)*ドリンク代別
予約・問い合わせ:スウィート・ドリームス・プレス、安永哲郎事務室


interview with MARIA - ele-king

 今年、ソロとしては初のアルバムをリリースしたシミラボの紅一点、MARIA。シミラボがいかに稀有で魅力的なヒップ・ホップ・ポッセであるか、ということについてはいまさら論を俟つまでもないが、ではMARIAとはどのようなアーティストなのか。巻紗葉『街のものがたり』以前には、もしかするとあまりシリアスな解釈は存在していなかったかもしれない。そして、女性からみたMARIA像というのもあまり知らない。聞き手が田舎のごく一般的な中流家庭に育った貧相なボディの文科系女子で申し訳ないのだが、たとえばこんなMARIA像、あなたはこの大きな愛と、それが肉と皮膚を離れずに音の実を結んでいることに驚くだろう。



MARIA・ザ・マザー

境遇、について

ヒップホップは近道ではない

欲深くて、愛しい

音楽と、ちょっとセクシーな話

人任せじゃダメなジェネレーション

アンチ・アンチ・エイジング

音楽と、けっこうセクシーな話



MARIA・ザ・マザー

あたしはまあ、「世界がアタシにひれふす」みたいなことをさんざん言ってきたかもしれないけど、みんなのことが好きなのもほんとだよって。うーん……母?

恐縮ながら、わたし自身はふだんコアなヒップホップに触れることが少ないんですが……

MARIA:いやいや、あたしもそうですよ。自分がやっておきながら全然詳しくないですから。

でも、かわいいとかちょっと踊れるとか、そういう性的なアピールとは別のところで、スキルのあるいちラッパーとしての存在感を確立していらっしゃいますよね?

MARIA:どうですかねえ……。でも、自分は女ですけど、自分が女であるというところにはまったく期待してないんですよ。

ええー(笑)? ほんとですか?

MARIA:化粧とかも最大限の身だしなみってノリでやっていて。とくに自分を可愛く見せたいとかってことはないですね。だから逆に、ラップとかも思いっきりやれるのかなって思います。

でも、自分を性的に見せないっていうことと、スキルを磨くとか研鑽を積むっていうこととはイコールではないですよね? やっぱりそこの努力や勉強っていうのはすごくされてるんだと思うんですよ。

MARIA:そうですかねえ。

その動機っていうのは何なんでしょうね?

MARIA:うーん、ぶっちゃけ、スキルうんぬんっていうよりもけっこう感覚でやっちゃうタイプなんですよ。あんまり誰に影響されたとかってこともなくて。まず、ビートが好き。ビートにインスパイアされる。そこではじめて生まれるラップっていう感じなんですね、あたしのは。だからスキルを磨くために何かやるっていうよりも、自分のイメージをふくらませるために、映画とか音楽を観たり聴いたりするっていうくらいかな。


Maria
Detox

SUMMIT

Tower HMV Amazon iTunes

映画についてはよくお話をされてますね。ラップも、トラックからのインスピレーションが先なんですね。――どうしてもMARIAさんっていうと、一面的なイメージとはいえ「強い」「正統派」という印象があるわけなんですが、今作『Detox』は、そんな「強い」MARIAのなかの弱い部分が出ていると言われる作品です。そして、それがはっきりと言葉によってリプリゼントされているとも感じます。だから、わりと日記みたいなものからできていても不思議はないなと思ったんですが、そういうわけではないんですね。

MARIA:今回は全曲トラックが先ですね。でも、言葉は後だけど、このアルバムはあたしひとりのアルバムだから誰の足を引っ張ることもないっていうか。ある意味、自分のことはどう思われてもいいっていう気持ちがあったからこそ、言えた部分があるかもしれない。シミラボ(Simi lab)だったら言えなったかもしれないけど、このアルバムでは、聴いてる人とあたしが1対1だから。
 (「強い」というイメージについても)自分としては、「アタシ世界一だから」っていうよりも、「そんな変わんないよ、うちら」っていうようなノリなんですよ。実際は。

そうなんですね。2曲め(“empire feat. DJ ZAI Produced by MUJO情”)なんかはまさに「世界がひれふすname」――アタシは強いんだぞっていうセルフ・ボーストなのかなと感じられるわけですが、実際よく聴くと「アイ・ラヴ・ユー」的な曲なんですよね。わたし、そこに感激して。その超展開に。

MARIA:なんか……バランス? ヒップホップって自分を主張するものかもしれないけど、英語ならともかく、日本語でグイグイくるのはあまりにストレートで……。そりゃもちろん「アタシ、アタシ」の音楽なんだけど、みんなありきのアタシだよっていう……。

ああー、「みんなありきのアタシ」。日本の風土やメンタリティを前提にしたセルフ・ボーストなんですね。

MARIA:そうそう。ひとりでやってきたわけじゃないしね。

なるほど。本来、ああいうのって、ちょっと笑いが生まれてしまうかもしれないくらい 「スゲーぜ、自分は」ってやるものなわけじゃないですか。だから、ふつうだったらどう「スゲー」のか、どうしてスゲーのかっていうことを説明するロジックがそこできちんと歌われているはずなんですよ。けど、あの2曲めにはそれがない。海とか世界が割れていくイメージとか、「アイ・ラヴ・ユー・オール」みたいなことが突如出てきて、「スゲー」ってことの理由がそれに飲み込まれていくんですよ。それがなんか、象徴的だと思って、素晴らしくて。

MARIA:あの最後んとこでしょ? あたしはまあ、見た目がこわいかもしれないけど、「世界がアタシにひれふす」みたいなことをさんざん言ってきたかもしれないけど、みんなのことが好きなのもほんとだよって。うーん……母?

そう! 母なんですよ。

MARIA:ああ……、マザー感が出ちゃってるんですね。

はは! マザー感(笑)。いや、笑いごとじゃなくて、それいつごろから出てるんですか?

MARIA:いや、どうだろう、高校……?

高校ですかハンパねぇ……。ほんとにね、この「love」、この愛、こんなデカいものがどこから出てくるんだ? ってふつうに驚くんですよ。

MARIA:はははは!



境遇、について

憐れまれるのが好きじゃなくて、お涙頂戴も好きじゃないんですよね。実際、あたしなんかよりもキツい人はいっぱいいるし、しかも日本にいるってこと自体がスーパー恵まれてるって思うから。

いや、ご本人に向かってうまく伝えられないんですけどね。パーソナルな話は恐縮なんですが、巻紗葉さんのインタヴュー本『街のものがたり』に、妹さんとほぼふたりで生きてこられた境遇が語られているじゃないですか。それから妹さんのお友だちも心配だから引き取っていっしょに暮らしている話とか。そういうことも思い出しました。音楽と無関係でないと思うんですね。

MARIA:ああ、いまもいっしょに住んでるし、この先もずっといっしょにいるかもしれないけど。なんか、高校の頃から変わんねーって言われますね、よく。昔からたぶんマザー感はあったんでしょうね(笑)。

あははは。……いえ、訊くのためらっていたんですが思いきって言ってしまうと、けっこう大変な境遇でいらっしゃいますよね。大変言い方は悪いですが、まったくそれがお涙頂戴にならないところというか、それに気づかせないところは、MARIAさんという個人の強さ、奥行きなのだなと思いました。

MARIA:憐れまれるのが好きじゃなくて、お涙頂戴も好きじゃないんですよね。実際、あたしなんかよりもキツい人はいっぱいいるから。だからここで泣いてもなあ……みたいな。しかも日本にいるってこと自体がスーパー恵まれてるって思うから、いろいろあったけど、それは人のいたみを知るのにちょうどよかったんじゃないかっていうところもあるかな。

もちろん、音楽のよさが境遇に寄りかかったものだという言い方をしているんじゃないんですよ。ただ、そういうことを隠しもしないし売りにもしないしっていう潔さみたいなものがMARIAさんの「強い」イメージの一部を作ってもいると思います。湿っぽいものを跳ねのける……。

MARIA:みんなそういうものが好きじゃないですか。そういう一面を見ると、それだけでそのアーティストや俳優を好きになったりってことがあって。でもやっぱり音楽として評価されたいですからね。あたしやっぱり見た目がこんなのだから、パッと見で薄っぺらい人間だと思われるというか、イイ感じのアメリカ人のパパと日本人のマミーがいて、甘い感じに育ってきたんじゃないの? みたいに見られることが多いんですよ。

ええー? でも、病んでるようには見えないですもんね。それが楽天的と解釈されるということですかね?

MARIA:そうそう、こいつほんとにわかってんのかよ? って思う人のほうが多いんじゃないかなあ。もちろんセルフ・ボーストだったり、オラオラな曲もいっぱい書くけど、この『街のものがたり』では実際あたしがどういうことに直面してきたか知ってもらおう、って感じで話しました。

フラットな言葉ですよね。

MARIA:そう、イージーなやつだって思われるかもしれないけど、それなりにあたしはあたしの経験の上で話してるよっていうことを知ってもらいたくて、そんなふうに書いてもらいました。

これまで公開したり話したりしてきたことばかりですか?

MARIA:いえ、こんなに話したのはこの本が初めて。

あえて言わないようにしてきたってところはあります?

MARIA:まあ、お涙頂戴で評価されてもなっていうのがあったからかな。でもそういうふうに感じなければ、自分のこと話したっていいかなと思って。実際いろいろあっても、どういう人生にするかは結局自分次第だよっていうことを伝えたかった。

ああ、なるほど……。そのメッセージはとても伝わりますよ。なんかMARIAさんにお話をきいていると、「物事をゆるす」っていう表現がぴったりくるように感じますね……。「ゆるす」っていうとすごく上からな感じがしますけれども、そうではなくて、あるがままを受け入れるというようなニュアンスでしょうか。世界がそうあるのならそのままそれを認める……ゆるしていく、っていう。

MARIA:でも極端ですよ、あたしの場合。MARIA大好きっていう人と、なにあいつ、っていう人がいるから。ちょっと男尊女卑的な考え方の男の人とかだと、お前女のくせに調子乗んなよ、みたいなノリ出されるし、女の子でもけっこうふたつに分かれるしね。でもあたしのことを知らないわけだからそれは当たり前で。
けど、何かを言われて傷つくことはあるけど、あんまりムカつかないんですよ、あたし。あっちもあたしのことを知らないけど、あたしもあっちを知らないから、ムカつきようがないっていうか。そいつがほんとに最悪なやつだったら嫌いになるかもしれないけど、メディアに出るってことはそういうことだっていうのもわかってるので。だからまあ、自分が何か言われてそれに対してふざけんなよって思うことはそんなにないかもしれない。


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MARIA・ザ・マザー
境遇、について
ヒップホップは近道ではない
欲深くて、愛しい
音楽と、ちょっとセクシーな話
人任せじゃダメなジェネレーション
アンチ・アンチ・エイジング
音楽と、けっこうセクシーな話

ヒップホップは近道ではない


やっぱり、みんながオラオラしてるあたしを期待してるわけじゃないですか。そして実際問題、あたしはそれに応えたくてしかたないんですよね。


そうなんですね。そういった話が引き出されてくるのも、シミラボではなくソロだからこそという感じがします。逆に、せっかくのソロだからということで、意識して取り組んだ部分っていうのはありますか?


Maria
Detox

SUMMIT

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MARIA:やっぱり、ビートですね。シミラボで作るってなると、やっぱり男が多いから男のセンス寄りになってると思う。みんなには悪いけどね(笑)。“ローラー・コースター”って曲があって(“Roller Coaster feat. JUMA,OMSB”)、超ノリノリなんだけど、たぶんシミラボでああいう曲をやることはないと思う。どちらかというと、「自分はこうで、お前はこうで、世界はこうなんだぜ」って言い聞かせるのも大事かもしれないけど、それよりもその場の一体感が好きで。みんなで楽しもうよっていう曲を意識したかもしれないです。

ああ、なるほど。わりと後半はアブストラクトな流れになるというか、サイケデリックでぼんやりとした曲調になっていきますよね。それは、より内面に向かっていくっていうようなこととリンクしていたりしますか?

MARIA:そうですね、ビート自体ははじめからこのテーマでいこう、というのがあって。ふだんいろいろと考えることが多くって、自分のアルバムだから自分の価値観で書いたっていうのが、後半は出ているかもしれない。もともとあった気持ちと、入ってきたビートがたまたまぴったり合ったっていうこともあるかも。後半の“ユア・プレイス”っていう曲と、“ディプレス”(“Depress feat. ISSUE”)、このふたつはちょうどぴったりきた感じですね。

後半のほうが、その意味ではストレートというかナイーヴな部分に触れるものなのかもなと思いました。

MARIA:そうですね。“キャスカ”とかは実際強く見られるけど、いまシミラボを何千人もの人が知ってくれるようになって、そのひとりひとりに「ちょっと待って、じつはあたしはこういう人で……」とかって説明できないじゃないですか。だから(自分のことは)言いたいように言ってくれよって思ってるんだけど、実際にラップをやってなかったら、あたしは超ふつうの人なわけだから――いまもふつうの人だけど――奥さんとかになって、彼氏とかに献身的に尽くしてたと思いますね。

うーん、尽くす。でも実際にラップをやってなかったら……って選択肢はあったんでしょうか?

MARIA:いまはほんと、そういうふうには考えられないけど、でもいまだにラップやってることが不思議なことはあるかな。子どもの頃がいちばん弱かった時期だから……。家庭もそうだし、自分が置かれている環境(米軍基地と日本の学校との往復)もそうだし、自分を打ちのめす出来事が多くて。でもそんななかで、ヒップホップの「ワルそう」な感じにはインスパイアされたんですよ。自分をオラオラさせてくれる。

そうか、本当に必要に迫られた、武装の手段でもあったわけですね。

MARIA:そうそう。だからいまでもそうなんですけど、ライヴするたびにすごく緊張するんですよ。やっぱり、みんながオラオラしてるあたしを期待してるわけじゃないですか。そして実際問題、あたしはそれに応えたくてしかたないんですよね。もちろん楽しんでほしいとも思うし、あたしのことを、あたし自身が憧れてきたラッパーたちみたいに思ってくれる子がいたらうれしいし。逆に、ヒップホップは自分にとっては武装だし居場所でもあったから、今度はあたしが逃げ場になってもいいなって思ってるかな。

ああ、すごい。MARIAさんは担いだ神輿に乗ってくれるんですよね。そして、ふだん多くの人が抱えている負の思いを引き受ける存在。まさにスターとかヒーローの役割です。言い方が少し大げさになりますが。



ヒップホップは自分にとっては武装だし居場所でもあったから、今度はあたしが逃げ場になってもいいなって思ってるかな。

MARIA:やっぱり同じ人間だからね。そういうネガティヴなこととか文句とか、同じような気持ちになることは多いと思うんですよ。ヒップホップはそういう方向で発信しやすいというか。

たとえば、細かい事情は抜きにして、わたしだったらMARIAさんのお父さんを許せるだろうか、とか素朴に思うわけです。でもMARIAさんはそういうことをひとつひとつ許していく。そしてその一方で、“ヘルプレス・ホー(Helpless Hoe)”みたいに攻撃もするわけですよね。その攻撃性っていうのはやっぱりヒップホップのひとつのフォームとして演じているものなんでしょうか? それとも分裂しているものなんでしょうか?

MARIA:最近、考えていたんですよ、矛盾について。人間って結局のとこ矛盾してるなって。その意味では演じているというよりは、このアルバム自体が人格で、だから矛盾してるって感じ。あたしってけっこう気分がコロコロ変わるから、いいときには「みんなおいで~」って感じだけど、そうじゃないときは、何か言ってやろうって思うこともあるんですよね。
この“ヘルプレス・ホー”に関しては女性だけじゃなくって、男性についても言えることなんですよ。なんか、自分のゴールに向かって努力するのはいいことだと思うんだけど、その努力の仕方ってものがあるじゃないですか。たとえば女だったら媚を売って、すり寄って、玉の輿を狙って……って、近道しようとする人たちがいるじゃないですか。そういう感じが好きじゃなくて。要は真実じゃない愛とか真実じゃない気持ちっていうのが嫌い。すごく嫌いです。それは男の人にとってもそうで、上っ面しかないものが嫌ですね。

MARIAさんの気高さですね。こうしたリリックのなかに出てくる「あなた」とか「you」っていうのは、特定の対象を指していたりしますか?

MARIA:曲によりますけどね。たとえば、“ユア・プレイス”なんかは完全に過去の男たちですね(笑)。やっぱり、もとからラップをやっている人間って知ってて、そこを認めてもらった上で付き合いはじめる人ばっかりじゃないから。男の人って、女のほうがグイグイ前に出るのは嫌じゃないですか、たぶん。だからプライドの高い人と一緒になると、なんか、終わるっていうかね……。お互い疲れちゃうんですよ。あの曲はやっぱり、そういうときに頭に浮かんでた男性について書きました。

ああー。そういう「you」も、曲になると普遍的なものに聴こえてきますよね。ヒップホップがとくに歌い手と「I」とが一致しやすい表現フォームだということなのかもしれませんが、音楽とか文学とかアートとかって、自分っていうものを切って売っていかなきゃ成立しないものだって思いますか?

MARIA:それは思わないですね。ヒップホップ=ストリートから生まれたもの、リアルなものっていう話になるけど、自分は妄想とか想像力があるんだかなんだか、ひとりで家にいてもマジでファンタジーな感じなんですよ。もちろんリアルな自分の気持ちとか言葉を発信するんだけど、でもやっぱり邪念とかそういうのをなくして、理性とかも捨てて、楽しい気分になりたいときがあるじゃないですか。そういう意味ではけっこうファンタジックで無責任な言葉もあるのかなって思います。

自分の思ったこととか感じたことを書いてるだけなんで、結局スーパー・ストレートなだけなのかもしれない。ただ自分は、自分のスーパー・ストレート自体が他の人とは少し違うのかなって思うところはあります。けっこうマイノリティっていうか、信念とかの話になるとけっこうみんなとズレてるって感じ。大人になると汚れるとは言わないけど、どんどんしゃあない、しゃあないって流していくようになると思うんですよ。でもその「しゃあない」ってなってるときに、気高いほうの自分がそれを見たらめちゃくちゃ食らうっていうか……。どうしてこんなにブレちゃったんだろうって、呆然としたことがあったんですよ、前に。そこから、何が何でもブレないようにって思うようになって。



欲深くて、愛しい

どんなに理性でいまこんな話をしていても、実際に人間でいる上は罪深い、っていうか。人として生きていく限り、絶対最悪な部分を持ってるから。
――でもやっぱり、愛が答え。それしかないって思った。

去年やっていたアニメなんですが、人々の心のなかの負の感情とか暴力衝動みたいなものを数値化できるテクノロジーがあって、その数値に沿って人間を管理することで自治と平和を守っている社会が舞台なんですよ。その数値が一定以上上がると自動的に処罰とか処刑の対象になるっていう……

MARIA:あ、何でしたっけ、それ? 知ってる! 見てないけど、友だちがおもしろいって言ってた。

『サイコパス』ですね。

MARIA:あ、言ってた。それだ。あたし、それらしいよ。

それ……? あ、主人公ですかね! そう、いままさに主人公に似てるって言おうと思ったんですよ。罪を犯しちゃうような心の数値が上昇するはずのところで上昇しない。「くそっ、こいつムカつく、死ねっ」みたいに思っても、そこで殺意とか暴力衝動みたいなものに結びつかない人って設定なんです、主人公は。その子のことを指して、作中に「(世界を)よしとしている」って表現が出てくるんですが、MARIAさんはまさにそれですよ。「よしとしている」。

MARIA:ただね、何でもかんでもよしとしててもアレだから、撃つとこは撃たないと。これとかもそうだけど(“ボン・ヴォヤージュ”)、「欲深い生き物め」ってところの一行めと三行めを男性、二行めと四行めを女性に向けて書いたんだよね。結局、男も女も欲深くて、女は自分の住みかや心が満たされたりするならそれのために何でもするっていうようなところがあるし、男は男で性欲とかを満たすために何でもする人が多い。女の人と男の人で、欲の種類は違うけど、それを満たすために何でもするところは同じ。戦争だってそうだし。だから、そういう意味では人間が大っ嫌いとも言える。

この「欲深い生き物」っていう言い方自体がすでに男とか女とかっていう区別を超えて、人間について言及されたものなんだろうなとは思いました。

MARIA:その欲のせいで力のないものが傷ついている ――動物とか子どもとか――と思うと許せないけど、でもやっぱり、愛が答え。それしかないって思った。結局そこに行きつくしかないって。

みんな強くも完璧でもない。その人間の欠けた部分を埋めるものは愛しかない、というようなことでしょうか? 

MARIA:そう、みんなそうじゃないからこそ、その部分を認めないと。自分にばっかり意識がいきがちだと思う。愛するっていうと大げさに聞こえるかもしれないけど、あたしけっこう何でも愛しいと感じる瞬間が多くて。仲間とか、動物なんてとくにそうですけど、対象物に対する愛しいっていう気持ちを持てるようになったら、みんなハッピーなんじゃないのって思う。まあ、感謝の気持ちを忘れないっていうような、学校の先生みたいな話になっちゃうけど。本当にそう思うんですよ。

すごくよくわかりますね。ただ、音楽がすごく生き生きとしていたり、何かがすごく魅力的だったりするのは、強烈に欠けた部分があるからだっていうふうには思うんですよ。絶対条件というわけではありませんが。

MARIA:それは絶対ある。どんなに理性でいまこんな話をしていても、実際に人間でいる上は罪深い、っていうか。人として生きていく限り、絶対最悪な部分を持ってるから。だから結局、衝動に負けることもあるし、衝動で楽しい方をえらんじゃたりとか。それはわかってるんだけど、でもやっぱりここに行き着くんじゃない? っていうような。


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MARIA・ザ・マザー
境遇、について
ヒップホップは近道ではない
欲深くて、愛しい
音楽と、ちょっとセクシーな話
人任せじゃダメなジェネレーション
アンチ・アンチ・エイジング
音楽と、けっこうセクシーな話

音楽と、ちょっとセクシーな話

セクシーさね。それは超大事。親子の愛はピースだけど、男女の愛はピースじゃない。お互いが夢中になったら最高に気持ちいいわけじゃないですか、それって。


Maria
Detox

SUMMIT

Tower HMV Amazon iTunes

最近、音楽にあまりセクシーさを感じないですよね。いや、セクシーな音楽もあると思うんですが、とくに国内は音楽カルチャー全体がそういうフェイズじゃないっていうか。MARIAさんの音楽には生々しい男女観があったりもして、そこが少し異質でもありますし、音楽のなかに確実にダイナミズムを生んでいるとも感じます。だからMARIAさんに訊きたかったんですが、音楽にとってセクシーさって何だと思います? あと、愛っていろんなニュアンスがありますけど、セクシーさに関係あります?

MARIA:セクシーさね。それは超大事。親子の愛はピースだけど、男女の愛はピースじゃない。お互いが夢中になったら最高に気持ちいいわけじゃないですか、それって。盲目なものだしね。それは人間の欲の部分でもあるし、ピュアな部分でもある。欠点だらけの男女の結びつきが大事だってこの本(『街のものがたり』)のなかで言ったと思うんだけど、それは崇高なものだと思うんだよね。どうでもいい相手なら何も思わないけど、どうでもよくない相手なら苦しい。自分を苦しめる人ほど大事な人だったりする。
 ただ、そこで勘違いしちゃいけないのが、その人だから苦しいのか、故意に苦しめられてるのかっていうことだけどね。でも結局、……あんまり大きい声で言っていいのかわかんないけど、あたしは少なくともセックスが好きなんですよ。

……あ、えっと、かっこいい。それはなんというか……、いいお話ですね。本質的というか。

MARIA:うん、マジで本質ですよ。どうでもいい奴とやったら、それこそ惨めになるだけですけど、べつに、付き合う付き合わないはともかく、大事だと思う人ならばその瞬間に最高に満たされるし、その後もいい思い出として終わるし。そのときだけの関係っていうのもいいと思うよ、とは言ってるんですよ、“ゴッド・イズ・オフ・オン・サンデイ”で。「See ya later 朝までmommy」っていうのは、「mommy」ってセクシーな女の人のことを言ったりするんですけど、「朝までmommy」ってことは、その人に朝まで呼ばれるってことなんですよ。でもそれは「よっぽどいい男んときの話」。

これはたしかにセクシーな曲ですね。

MARIA:そう、でもこの「よっぽどいい男」っていうのは見た目とかの話ではなくて、その人をリスペクトしているか、大事か、後悔しないか、みたいなこと。性的なものとアートはすごく結びついているから。愛情にしても恨みにしても、黒い気持ちってあるじゃないですか。愛とそういう黒い気持ちとは似ていると思うんですよ。ふつふつと沸きあがる感じとか。だから、そういうものと音楽を結びつけたらもう無限なんだろうなって思って作ってる。

なるほど。

MARIA:だから、アーティストはセックスとオナニーをいっぱいしたほうがいいんですよ。

なるほど!

MARIA:ほんとに(笑)。『ブラック・スワン』(ダーレン・アロノフスキー監督/2010年)って観ました? 映画。あれで、先生が「お前の表現力で足りない部分はそこだ」って言うじゃないですか。あたしめっちゃ共感できて。それは人間の本質だから。それを動かすものを知らないと、表現みたいなところでも出せないと思う。

わかります。でも、お訊きしたいんですが、時代はもうずいぶんしばらく「草食系」が引っ張ってきましたよね。音楽だって、ポップ・マーケットに限って言えばボカロ音楽やアニメ音楽がオルタナティヴに機能していて、それはめちゃくちゃざっくり言えば「いい男」ではなくてメガネ男子が象徴する世界なわけです。

MARIA:うんうん。

彼らは性的なものから疎外されているわけではけっしてないですけど、かといって『Detox』に出てくるようなワイルドで生々しいセクシーさに肉迫することもないと思うんです。そういうメガネ男子たちはどんなふうに見えているんですか?

MARIA:そうですねー、どうだろう。草食系の友だちもいるけど、実際、そういうふうに見えるだけで、意外とフタを開けると違ってたりね。それに自分が気づいてない、見えてないだけかもしれない。そういうものを受け止めてくれる人が出てきたときに、はじめて見えてくるものかもしれないし。……でも、正直、やっぱり自分には何も言えないですね、そのへんは。

なるほど、そうですよね。わたしはこんな仕事をしていなかったら、もしかしたらシミラボやMARIAさんを知らないままだったかもしれないトライブの人間なんですが、やっぱりなかなかそのワイルドさセクシーさに距離があって……。聴いて触れればすごくかっこいいのに、触れるまでに超えなきゃいけないものがあってちょっと時間がかかったんです。

MARIA:うーん、そうだよねー。あたしは直接話すしかないと思ってて。2ヶ月に1回シミラボでやっている〈グリンゴ〉っていうイヴェントがあるんだけど、そこではあたし、酒の瓶持って客全員に話しかけますからね。「どう、飲んでる? 楽しんでる~?」って。だから、ラップとかしてる人間ではあるけど、みんなと何にも変わらないよって思ってる。小学校行ったし、中学校行ったし、やなことあったし、みたいな。でもヒップホップはいろんな音楽の要素を入れることができるから、そのよさは壁を越えて伝えたいとは思う。



シミラボの男たちはみんな痛みを知っているし、嘘をつかないし。自分の信念とか自分の意志がちゃんとしてるから、すごい魅力的だと思う。

MARIAさんらしい、って言ってもいいでしょうか。とてもリスペクタブルなことだと思います。ところで、では世の中全般のこととして男子がどうかっていうふうに訊き直したいんですが、いまMARIAさん的に「いい男」っていうのはどんな感じなんですか。

MARIA:ぶっちゃけ少ないね。少ない。でも最近なんかキてるのかもしれないけど、マジやべえって思う男がふたりいた。

へえー。そういう男の特徴って何なんでしょう?

MARIA:なんだろう、やっぱり自分の意見をはっきり言える?

それは一般論として、日本男子には少ないイメージですよね。

MARIA:そうだね。あと、下心があったとしても、ちゃんと自立した男だったら、それがずる賢い感じで伝わってこないの。最近会ったその男たちに関して言えばそうだね。いやらしくないし、ずるくないの。正々堂々としてる。自立心と自分の意見、それが大事かな。

それはそのままMARIAさんの理想の男性像と考えてもいいですか?

MARIA:それももちろん含まれる。あとは人の痛みだよね。そういうことがわかるのが最高に理想。それを知らないで育って人を傷つけてたら意味がない。

シミラボの男性たちはその意味ではかなり理想の方々ではないですか?

MARIA:あ、シミラボのメンバーはね、メンバーだからこそ何もないけど、もう最高だと思いますよ。彼氏探してるいい女の子がいたら全然推す。シミラボやばいよって。シミラボの男たちはみんな痛みを知っているし、嘘をつかないし。もちろん相手との関係によって少し差は出てくるかもしれないけど、自分の信念とか自分の意志がちゃんとしてるから、すごい魅力的だと思う。

よく、こんな人たちが揃うなあって、人間性や個人的な特徴ももちろんだし、音楽のセンスとかスキル、ルーツみたいなことも含めてけっこう奇跡ですよね。

MARIA:たぶんいまのシミラボのなかで「なんかちがくない?」みたいな人がいたら、すぐいなくなると思う。

日本はやっぱり、海に囲まれつつほぼひとつの民族で歴史を紡いできた国なわけですし、みなさんそれぞれの出自というのがさまざまに摩擦を生んできた場面も多いと思います。そういった個人の背景にあるものが、絆を支える上で大きく関係していたりするんでしょうか?

MARIA:同じような環境にいるから、価値観が合うのかな。だから、なんでそんなことができるの? っていうような違和感もないし。みんな優しいんですよ。

その優しさっていうのも、自分に気持ちのよいことをしてくれる、という意味ではなくて、もっと自立した強さのあるものって感じがしますね。

MARIA:うん、愛情深いですよ。それに、あたしはヒップホップについてDJみたいに詳しいわけじゃないし、音楽がよければ聴いてる、みたいな感じだったんだけど、それを誰かと共有するということがいままでなかった。それをはじめて共有できたのがシミラボですね。



人任せじゃダメなジェネレーション

ちょっと遊んだらその月ギリギリみたいな。それでこの国終わってるよねーとかって言ってるくらいなら、あたしはあたしのまわりの少人数を動かすから、お前はお前のまわりの少人数を動かせよ。

OMSB(オムスビーツ)さんとかのインタヴューを読んでいたら、逆にMARIAさんが思ってもみなかったような、自由な発想を持ってきてくれるっていうようなことを言われてましたよ。音楽に凝り固まっていない人だからこそ見えるものっていうことなんでしょうね。

MARIA:そうなんだ(笑)。自由かどうかはわかんないけど、それはあるかも。音楽に入り込みすぎると、自分のなかでやばいと思う方向にしか行かないときがあって、それだとリスナーがついてこれなくなったりするんじゃないかと思う。

そっちの方にもっと突き進んでいくっていう選択肢はないんですか?

MARIA:あたし自身が、どっちかいうと楽しみたい派というか。あんまり深くというよりも、楽しみたいという感じ。内側からぐわーって出てくるものとか、頭が固くならないもののほうが好きかな。だから「あたしはこういうスタイルなんだ」っていうのはあんまりない。

このアルバムのなかにだって、メンツ的に見ればほとんどシミラボだなっていう曲もありますけど、そうじゃなくてMARIAのアルバムなんだっていう部分は、ご自身としてはどんなところだと思いますか?

MARIA:なんだろう……。“ムーヴメント”(“Movement feat. USOWA, OMSB, DIRTY-D”)とか、“ローラー・コースター”。パーティーしようよ、そんな固い話やめようよ、っていう。

MARIAさんだからこそシミラボから引き出せたっていうような部分ですかね。そういうところは他にもありませんか?

MARIA:“ローラー・コースター”に関しては、ファンキー感。みんなファンクが好きなので。シミラボの輩(ヤカラ)感?

あはは、そんな言葉があるんですね。ヤカラ感。なるほど。

MARIA:みんなね、殺してやろうみたいな考えが強いんですよ。「ぶっ殺そうぜ!」「何も言わせねえよ!」みたいな感じだから「えっ」ってなるんだけど、“ローラー・コースター”に関しては「まあ、まあ」みたいな。楽しくやりたくない? って。JUMAはもともと楽しいやつだけど、オムスもまあハッピーなやつなんだけど、よりハッピー感出せたんじゃないかなって思う。結局、シミラボ自体がすごく高い適応能力を持っているから、深く注文とかつけなくてもいいかってなるんですよね。USOWAとかも入っているけど。

せっかく“ムーヴメント”のお話が出たのでお訊きするんですが、「人任せじゃダメなジェネレーション」って詞が出てきますよね。これはMARIAさんの実感ですか?

MARIA:これはあたしが書いたフックなんです。やっぱり、政治とかでもそうですけど、自分が動かないと何もはじまらないじゃないですか。何かしたいと思う気持ちが、「でも自分ひとりが何かしたって(どうにもならない)……」って諦めの気持ちに消されて、ムーヴメントを起こそうとしない人が多いと思うの。自分の意見も言えないし。でも結局そんなんじゃ何にも動かないし。経済的にも、ちょっと遊んだらその月ギリギリみたいな。それでこの国終わってるよねーとかって言ってるくらいなら、あたしはあたしのまわりの少人数を動かすから、お前はお前のまわりの少人数を動かせよ、それではじめてムーヴメントが起こるんじゃないの? って。ちっちゃいところから動かしていけば絶対変わるよ、って気持ちがある。

その「変える」っていうのは、どんなこと、どんなイメージですか?

MARIA:さっき言ってたような人種問題とかがそうですね。ちょっと変わってると目立ちやすいじゃないですか、日本って。でもそれぞれの主張が強くなることで、バラエティのある国になると思う。あと、あたしストレートに言ったり書いたりしたことないんだけど、動物がマジ好きで、殺処分とか、本当に嫌なんですよ。ドイツとかだと保健所もないし、ペットショップもないんです。生体販売を行ってなくて。日本はオリンピック開催が決まったけど、そんな金につながりそうなところばっかり見てて、もっと大事なところを見てない。ペット業界もお金が入るからってことで産ませるし、売れ残ったら殺す。ゴミみたいな扱いだよね。あたしはそういうところでもムーヴメントを起こしたいって思ってるし、署名活動とかもやるし。あとは風営法。クラブなくなっちゃったら、もうヤバイじゃん。脳科学者も言ってるんですよ、ストレスをなくすには歌と踊りがいちばんって。それなのにクラブで踊れないって何だよって、ねえ? でも、その陰にはこっち側のマナー違反だてあるわけだし、人任せじゃなくて自分がしっかりしなきゃ。ちゃんとしてれば楽しいことも制限されないんだし。だから、ちょっとシャキッとしてくれよって思いますね。

なるほど。それぞれが自立しよう、小さいところから動きを起こそう、というのは年齢に関係のない普遍的なメッセージだと思うんですが、それが「人任せじゃダメなジェネレーション」ってふうに世代の問題として書かれてますよね。そこが興味深かったのですが、他じゃなくて、とくに自分たちの世代にそれが必要だって思うんですか?

MARIA:なんか、友だちにこういうこと言っても、「へー、すごいね。そんなこと考えてるんだ。」で終わっちゃう。「すごいねー」じゃない、お前たちのことなんだって思うんだよね。

それはうちらの世代特有、という感じですか?

MARIA:とくに多いんじゃないですか。逆に、自分たちより下の高校生とかのほうがちゃんと考えてるみたいに見えるんですよね。うちらの、いわゆるゆとり世代はちょっとどうかなって思うときはある。

快速東京の哲丸さんも自分たち「ゆとり」について興味深いお話をされていたんですが(『ele-king vol.10』参照)、やっぱりわりと強い横の意識があるんですね。

MARIA:自分と同じくらいの年のほうが意見が聞きやすいってこともありますけどね。

あ、それはそうですね。

MARIA:あと、あたしは一応、社会に出た経験もあるからね。親くらいの世代にもちゃんとしろよって思うことけっこうあった。大人になればほんといろんなことが「しょうがない、しょうがない」ってなっていく。あと、金に換算したりね。これだけ払ってるんだから、これだけのことをやれ、って。人間が、気持ちのあるものがそれをやってくれてるわけなのに、そこを考えないよね。人と人とのつながりが薄くなってきてるって感じる。

大人っていう問題は、他人事ではないですね。人間としてもそうですが、ミュージシャンとしてどう歳をとっていくかっていう問題もあると思います。さっき言っていたかっこいい男子たちやミュージシャンは、かっこよく30代、40代になれるのか。

MARIA:シミラボのみんなはそれなりに……なれるんじゃないですか(笑)。

あ、そうですね。

MARIA:いい味出るんじゃないですかね。少年の心を忘れないと思う。だからずっと若々しくいられると思う。あたしはわかんないな……もともと精神年齢が45(歳)とかって言われてるから。

はははは!

MARIA:自分がどうなるかはわかんないですね。

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MARIA・ザ・マザー
境遇、について
ヒップホップは近道ではない
欲深くて、愛しい
音楽と、ちょっとセクシーな話
人任せじゃダメなジェネレーション
アンチ・アンチ・エイジング
音楽と、けっこうセクシーな話

アンチ・アンチ・エイジング

自分が中学生、高校生だったときに噛みしめていましたから。いまはいましかない。「若くいたい」って思いたくない。

新しいですね、「45歳」って。では、こうなりたいっていうのはありますか?

MARIA:うーん(笑)、あんまり変わりたくはないですね。きっと惑わされるものがたくさんあると思うんですけど。

女性誌とかファッション誌とかって読まれたりします?

MARIA:いやー、読まない。マジで本を読まない。セレブのゴシップ記事とかしか読まない。

ははは、ゴシップ記事限定。

MARIA:リアーナ、へー。みたいな。

服もコスメも髪型とかもとくに何を参照するでもなく?

MARIA:そういうのはネットで見ちゃう。あと、流行りがどうっていうよりも、こういうのしたーい! っていうのを調べるから。

調べていて手本になるというか、ビビっときた人はいますか? アーティストとかでも。

MARIA:アーティストとかもあると思うけど、あたしほど感覚で生きてるやつもそんないないと思うからなあ(笑)。ファッションじゃないけど、ビビっときたのは、セレーナ・ゴメス。最初はガキくさい顔してるから好きじゃないと思ってたんだけど、最近『カム・アンド・ゲット・イット』っていう曲を出して、そのPVを観たら腕と脚が超長いの。それが超セクシーで、人間が平等だって誰が言ったんだよ? ってレベルなの。彼女はいわゆるアイドルって感じに言われやすい人なんだけど、そのわりには実力派だと思う。プロデューサーがいいのかもしれないけど、アルバムもよくて。彼女はすごいいい感じに仕上がってきてると思う。

仕上がる(笑)。

MARIA:リアーナよりセレーナ・ゴメスって感じ。

へえー。リアーナとか超メジャーな存在でも、アメリカで黒人でセクシーでヒップホップでってなると、なかなか具体的にマネしたり目指すべきロールモデルとして考えにくいところがありまして……

MARIA:うーん、そうかもね。でも、“ウィ・ファウンド・ラヴ”って曲だっけな、このPVを見たときに、これはシドとナンシーだろうなって。完璧にコンセプトはコレでしょって感じで、今年はイギリスきてんのかなと思った。でも、女の人で憧れる存在か……、基本、巨乳なんだよね。

おお?

MARIA:巨乳は強いでしょ。

そうですね、「貧乳」「つるぺた」っていう革命的なキーワードもありますが……。

MARIA:そこは強くない。

ははは! 強くはないですねー。

MARIA:この間言ってたの。Eカップが最強だって。それを毎日見た男性は、何かの数値が高くて、長生きするって。

へえー……、ええ!? ぶっとび科学ですね。

MARIA:あ、憧れる女性ひとりいたわ。杉本彩。

それはまたセクシーですね。

MARIA:杉本彩と、マツコ・デラックスと……。

それは巨乳枠なんでしょうか(笑)。

MARIA:はは、あとアンジェリーナ・ジョリー。この3人かな。すごく好き。

みなさん強いですね、たしかに。あんまり日本人らしい日本人のなかにロールモデルはいなさそうですね。

MARIA:日本はないかな、やっぱり。体型が体型だしね。

アイドルとかももちろん……

MARIA:全然興味ないですね。

そうですよね。MARIAさんは黒髪時代も素敵でしたけど、きっと黒髪の意味が違いますもんね。

MARIA:うん。黒のほうが映えるかなってだけ。なんか、こんな適当な人いないよね。

いや、まったく適当ではないですよ。

MARIA:適当、適当。最低限、その人が立ち直れなくなっちゃうようなところまでは言わないようにしてる、ってくらいで、すごい適当だよ。

ははは、今日も話をお訊きしておきながら、なんだか聞いてもらっちゃってるような気持ちがしてきて。初対面なのに。そうか、これがMARIAという人のサイズかあ……って。これがマザーであり、「45」のサイズなんですね。

MARIA:そう、マザー。

みんなアンチ・エイジングなのに。「30代女子は大人ボーイッシュ」とか「かわイイ女」とか。

MARIA:ああ、大っ嫌い。電車とかで中吊り広告あるじゃないですか。もうほんとメンドクセって思いますよ。最近唯一興味持てたのが安達祐実のヌードくらい。

そんなことが……。

MARIA:そのくらいしかないですね(笑)。

そりゃ「カーディガンだけでオシャレ度アップ」とか読みませんよね(笑)。

MARIA:ほんと、どうでもいい。うるせーよ、って。

こういうのは、若返ること、若くいつづけることにコストをかけていく思考じゃないですか。それに対して「45」っていうのは新しいカウンターだと思いますよ(笑)。

MARIA:基本的に、若けりゃいいって考え方を改めたほうがいいと思うんだよね。

では、若さってことに対して特に思い入れたことがあまりないんですかね?

MARIA:自分が中学生、高校生だったときに噛みしめていましたから。いまはいましかない。いまの見た目はいましかない。歳とったひとも、まだ小さい人も、必ず一回通る場所だから、「若くいたい」って思いたくない。



音楽と、けっこうセクシーな話

でもね、結局その領域にまで踏み込まないとダメだって思う。日本はもっとみんなセックスしたほうがいいですよ。

でも、MARIAさんはすごい美貌でもいらっしゃるわけじゃないですか。それをとどめておきたいって気持ちはないのか……、セクシーってこととMARIAさんの容姿とは無関係ではないと思うんですけどね。

MARIA:セクシーではいたいですけどね。やっぱりやりたいから。……男を誘惑できなくなったら嫌じゃないですか。男がやりたいと思わない女になったら終わりだと思うんですよね。はははっ。

あー、なるほど。

MARIA:(笑)

ははっ、いや、流したわけではなくて! 本質的だなって、すごいなって思って。すみません。でも、セクシーさは見た目じゃないってことになりますよね。見た目じゃないセクシーさって何なんでしょう。

MARIA:えっとね、やっぱり、場数ですかね。

(笑)……具体的(笑)。

MARIA:あははは! 場数っていうか、回数っていうか……(笑)。結局イったことあるかどうかだと思いますよ。

おっと! ちょっと今日は、やばいですね!

MARIA:あはは! マジで? あたしなんて初めてイったのは……

いやいやいや、そこまでで(笑)!

MARIA:(笑)でもね、結局その領域にまで踏み込まないとダメだって思う。日本はもっとみんなセックスしたほうがいいですよ。

(一同笑)

なるほど、そうなんだ……

MARIA:そういう意味では、男の人も表現とか苦手だと思うんだけど。でも女性は褒められるとその褒め言葉が栄養になるから、もっと褒めてって言いたいな。

大変深いお話がきけました。じゃ、最後に『Detox』っていうこのアルバム・タイトルについてなんですけど、この「毒(解毒)」っていうのは、もともと身体の内側にあったものというイメージなんでしょうか? それとも外から入ってきたものって感じなんでしょうか?

MARIA:自分のなかにあったものですね。あたしが子どもの頃からコンプレックスを持ってきたもの。その塊。

ああー。世のなかにあるけがれみたいなものではなくて、内側で蓄積されていったもの、というイメージなんですね。

MARIA:でも結局世のなかのけがれについても歌ってるし、あたしのコンプレックスみたいなものについても言ってるし。両方にそんなに変わりはなくて、じゃあみんなでデトックスしようよ、みたいな感じです。CDの裏の方は真っ白なデザインなんですけど、それはデトックスされた、浄化されたというイメージですね。

説教くさくキレイになろうって言ってるんじゃない感じがよかったです。「デトックスしよう」って、ちょっと宗教がかったニュアンスになることもあるじゃないですか。

MARIA:うんうん。説教キライ。

MARIAさんの場合、そうならないところにセクシーさってものが絡んでくるって思います。

MARIA:それは、ラフさとか気軽さを意識したからでもありますね。教祖っぽくなったり説教になったりすると、お前誰だよ? ってことになるじゃないですか。そういうことになると、人は話に入ってこなくなると思うんですよ。なんで、そういうところでは気軽に話しかけてきてよって考えながら、作ってますね。

なるほど。今日はほんとに、話をお訊きしながら、むしろわたしが受け止めてもらったような感じがいたします。ありがとうございました!

- ele-king

“ボクの90年代” - ele-king

 日本を代表するロック・フォトグラファー、ご存知「クボケン」こと久保憲司氏の写真集が今週末ついにリリースとなる。初めて渡英してからの約20年分――80年代をスタートとし、90年代をメインに据えて、久保氏がフィルムに収めた膨大な記録からセレクト/収録。カジュアルながらもかなり厚みのある仕上がりになった。

 「このすべての現場に立ち会った男に猛烈に嫉妬する」

というのは、ぼくらのライヴァル、田中宗一郎さんから本書の帯にいただいたメッセージだ。過不足なく、この写真集がどういうものであるかを伝えてくれる。久保憲司は、とにかく“現場に立ち会った”男である。240ページ超にわたって収められたその点数、そして、ポストパンクからマッドチェスター、ブリット・ポップにアシッドハウス、グランジ、テクノ、ヒップホップ……と、UKを中心としながらもじつに広範なジャンルに及ぶアーティスト群像を眺めれば、必ずや当時の記憶と体験が湧き上がってくるだろう。
世代を異にする人々にとってもそれは同じ。“現場”とはそういうものなのだ。同じ時代に居合わせなくとも、それは生々しくよみがえり繰り返す。80年代回顧はいったんの落ち着きをみせているが、いま90年代がフレッシュに感じられるとすれば、本書はしっくりとその感覚に寄り添うだろう。

タナソウの言葉には、本当はつづきがあった。
「そして、そのすべてをフィルムに収めた偉大な写真家に心から感謝したい。」
レイアウトなどの都合でどうしても入らなかったのだが、嫉妬に感謝を重ねるこの名文句に、時代を超えて残る“現場”の輝き――クボケンがフィルムに収めたものが何だったのかということがありありと浮かび上がってくる。写真の横にはアーティスト名も明記。ちょっとしたエピソードが添えられているものもあり、ときどき笑いもこぼれてしまう。

 けっして敷居の高くない、可愛らしくカジュアルなつくり、お値段。どうぞクリスマス・プレゼントとしてもご検討ください!

久保憲司写真集、『loaded(ローデッド)』発売!

クボケンの“90年代”をエレキングが解体。インディ・ロック、アシッド・ハウス、レイヴの狂騒。
ひたすら撮って歩いたあの時代が、
いま鮮やかにリヴァイヴァルする――

日本を代表するロック・フォトグラファー、久保憲司がフィルムに収めた膨大な記録。
10代で飛び込んだロンドンの街並み、レイヴやフェスの熱気、一時代を築いたDJたち、ブリットポップやグランジの記憶――約20年間の懐かしくも新しい空気を、240ページ超にわたってヴォリューミーに収めた写真集です。

Psychic TV、The Jesus and Mary Chain、The Stone Roses、Happy Mondays、
My Bloody Valentine、Oasis、Aphex Twin、Derrick May、
Andrew Weatherall、Sonic Youth、Nirvana、The Pastels、Radiohead…

★小さくて愛らしい版形の上製本。
★さりげなくガーリーなデザインはクリスマスのギフトにもぴったり。
★撮影メモや萩原麻理によるインタヴューも小気味よく写真を飾ります。
★いままでにない、クボケンのちょっと意外な一面が表れた作品です。

いまファッション誌でもリヴァイヴァルのはじまっている90年代を、貴重なヴィジュアル資料で振り返りましょう。



flau night in tokyo 2013 - ele-king

 2013年は、クーシーイケバナマサヨシ・フジタなどのリリースで、着実にファンを増やしている〈flau〉が、レーベル設立6周年を祝して、レーベル・ショーケース・イベントを開催する。12月22日、場所は原宿VACANT。IDM、アンビエント、ドローンの流れを汲みながら、フォークやドリーム・ポップとも接続するのが〈flau〉で、IDMを通過したチェリー・レッドというか、僕は、このレーベルが今日的なネオアコの新潮流になるんじゃないかと思っている。 まだ暑かった頃、イケバナのライヴを下北の教会で見たのだけれど、立ち見が出るほどの盛況だったなぁ。そのイケバナ、そして今年アルバムを出したクーシーをはじめ、今回の出演者は、以下の通り。

■ flau night in tokyo 2013

2013年12月22日(日)
@VACANT (渋谷区神宮前3-20-13)
open 16:00 / start 16:30
adv. 3,000yen / door 3,500yen
(共にドリンク代別途)

LIVE: IKEBANA, Cuushe, Sparrows, Twigs & Yarn, Black Elk (Danny Norbury+Clem Leek+Ian Hawgood)

PA:福岡功訓 (Fly sound)
SHOP:Linus Records
装飾:kotoriten office
FOOD:川瀬知代(粒粒)

前売りチケットメール予約 event@flau.jp
件名を「flau night in tokyo」とし、
お名前・連絡先・枚数を明記の上、上記のアドレスまでご送信ください。
3日以内にご予約確認の返信メールをさせていただきます。

ご予約のお客様にはスペシャル・プレゼントもご用意していますので、こちらもお楽しみに!

イベント詳細ページ:
https://www.flau.jp/events/flaunight_tokyo2013.html


まだイケるか?まだイケるぜ! - ele-king

 「プライマルは、いま何と闘っているのだろうか。」
――6年ぶりの新作『Proletariat』の背景にあるものを解きほぐすインタヴューを読み返して、この年末、あらためて本作を聴きかえしたくなった。折も折、豪華なゲストを多数迎えてのリリース・パーティの報が舞い込む。見ておくべきステージがまたひとつ増えた。



PRIMAL
プロレタリアート

Pヴァイン

Review Interview iTunes Tower HMV

傑作『Proletariat』を発表したPRIMALのアルバム・リリース・パーティが〈LIQUID ROOM〉にて開催決定! MSCをはじめ、豪華ゲスト陣が出演予定!!

2013年ベスト・アルバムの一枠に喰いこむであろう傑作セカンド・ソロ・アルバム『Proletariat』をリリースしたPRIMALのアルバム・リリース・パーティが恵比寿〈LIQUID
ROOM〉にて開催決定! 自身の所属する伝説的なクルー、MSCをはじめ、同作にも参加していたRUMI、PONY、OMSB(SIMI LAB)、DJ MARTIN、DJ BAKUらの出演がまずは決定しています! シークレット・ゲストもあり!!

■MUJO RECORDS PRESENTS 「零 GRAVITY」
まだイケるか?まだイケるぜ! PRIMAL「PROLETARIAT」RELEASE PARTY

日程:2013年12月27日
会場:恵比寿LIQUID ROOM
OPEN / START18:30 / 19:30
ADV / DOOR¥2,800(税込・ドリンクチャージ別)
LINE UP:PRIMAL / MSC / DJ MARTIN / DJ BAKU / RUMI / PONY / OMSB / and
SECRET GUESTS

TICKET:
チケットぴあ [218-466] / ローソンチケット [74057] / e+ / LIQUIDROOM / DISK UNION(新宿クラブミュージックショップ・渋谷クラブミュージックショップ・下北沢クラブミュージックショップ)、11/30 ON SALE

協賛:P-VINE RECORDS
協力:9sari group, TOKYO UNDERGROUND GEAR, MUSHINTAON, Sanagi
Recordings, 松生プロダクション, BOOT BANG ENTERTAINMENT, BLACK SWAN INC

INFO:LIQUIDROOM 03(5464)0800


 高畑勲監督のジブリ最新作映画『かぐや姫の物語』、ご覧になりましたか? 人目もはばからずふわわとあくびをし、カエルの真似をしてケロケロ這う無邪気な乳幼児時代のかぐや姫、激萌えでした。少女に成長してからも粗末な衣服を着て泥だらけで野山を駆け回っていた彼女は、翁からプレゼントされたピンクの薄衣を見るや目を輝かせ、衣を羽織って大喜びで家中を飛び回ります。ピンクの服、そしてお姫様として与えられた大きなお屋敷にときめくかぐや姫の気持ちは、きっと純粋なものだったはず。しかしそこからはじまる、欲望の客体「女」としてひたすら自我を殺すことを強要されるかぐや姫の怒りと絶望の描写には、娘を育てる身として大変心が痛んだものです(求婚しにきた浮気男を試すために本妻と入れ替わるという『ロンドンハーツ』みたいなドッキリには笑いましたけど)。

 純粋な気持ちでピンクやプリンセスに憧れているうちに、「客体として生きよ」という世間からのメッセージを刷り込まれる。狭苦しい「女」の領域から抜け出したいと願っても、世間との軋轢は免れ得ず、いつしか自我を手放して価値観を世間に同化させてしまう。最後まで抵抗しながらもすべての記憶と感情を失って月に帰ったかぐや姫は、こうした女性たちのあり方を暗示しているようにも見えます。この問題意識はアメリカの女性たちにはなじみ深いものであるらしく、問題解決のためのさまざまな試みが女性自身の手でなされているようです。

Girls.
You think you know what we want, girls.
Pink and pretty it's girls.
Just like the 50's it's girls.

ガールズ
私たち女の子が欲しがるものが何か、わかってると思ってるでしょ
ピンクにカワイイもの、それが女の子
まるで50年代みたい

You like to buy us pink toys
and everything else is for boys
and you can always get us dolls
and we'll grow up like them... false.

みんなピンクのおもちゃを私たちに買い与えたがる
それ以外のおもちゃはみんな男の子のもの
いつだって女の子には人形を与えておけばいい
そうすればお人形さんみたいに育つだろうってね
……なわけないし

It's time to change.
We deserve to see a range.
'Cause all our toys look just the same
and we would like to use our brains.
We are all more than princess maids.

今こそ変わるとき
女の子も広い選択肢を知る価値がある
女の子用のおもちゃはみんな同じに見えるけど
女の子だって頭を使いたいの
私たちはただのプリンセスのメイドじゃない

Girls to build the spaceship,
Girls to code the new app,
Girls to grow up knowing
they can engineer that.

宇宙船を造る女の子
新しいアプリをコーディングする女の子
女の子にだってそういうものが設計できるって
学びながら成長する女の子

Girls.
That's all we really need is Girls.
To bring us up to speed it's Girls.
Our opportunity is Girls.
Don't underestimate Girls.

ガールズ、それが女の子に本当に必要なこと
私たちにスピードを
女の子であることが、私たちのチャンス
女の子を見くびらないで


 これは女児向けのエンジニアリング玩具「Goldieblox」のプロモーション動画。音楽好きのみなさんならすでにお気づきのとおり、これはビースティ・ボーイズ“ガールズ”のパロディです。「皿を洗う女の子、俺の部屋を掃除する女の子、洗濯する女の子、俺たちが女の子に本当に求めてることはそれだけ」というヤンチャな歌詞が、見事に真逆の意味に入れ替わっています。

「Golodiebox」は大資本の企業が販売している玩具ではありません。スタンフォード大学でエンジニアリングを学んだデビー・スターリング(Debbie Sterling)というひとりの若い女性のアイディアから生まれたもの。小さな女の子にもエンジニアリングの楽しさを伝えるおもちゃが必要だと考えた彼女は、クラウドファンディング・サービス「Kickstarter」で目標額15万ドルをはるかに上回る28万ドルを獲得し、2012年10月に会社を設立。トイザらスと全国流通契約を結んだときに制作された、ピンクまみれの女児玩具コーナーを女児3人組が襲撃するというプロモーション動画がセンセーショナルだったこともあり、一躍ネットの注目を集めたのです。小さな女の子は、女児向けのカラーリングを施された玩具以外はすべて男の子向けだと考える傾向があると言われています。そのため、組み立て系の玩具が置いてあるコーナーに多くの女児は寄りつかないとも。そこで「Goldieblox」はピンク、ラベンダー、水色という定番の女児玩具カラーと、いるかのバレリーナや気の強いネコといったキャラクターを採用し、女児向けであることをわかりやすくアピール。さらにかわいい絵本風のブックレットも付け、物語に没入する感覚で組み立て玩具を楽しめるようになっています。

 上記の“ガールズ”パロディ動画は瞬く間にネットに広がり、700万回以上も再生される人気動画となりました。そして今年11月、「Goldieblox」の知名度をさらに高める出来事が起きました。ビースティ・ボーイズ側が、楽曲の使用許可を得ていないことを問いただすクレームをGoldiebloxに送ったのです。そしてこれを受けたGoldieblox側が、実際に訴えられる前に「著作権侵害ではない」とする先制攻撃的な訴訟を起こすという斜め上の展開に。このユニークな騒動は各メディアで取り上げられ、「Goldieblox」は多くの人の目に触れることとなりました。問題の動画がステレオタイプなジェンダー観を批評するパロディ作品と認められるのか、それともただの著作権侵害と判断されるのか、法律に疎い私はわかりません。ただ、LAタイムスの記事によれば、SNS上の反応は圧倒的にGoldieblox側に好意的だとのこと。だいたいにおいてフェミニスト的な主張は笑いものになって終わることが多いのですが、ひとりの女性の奮闘で世間の空気が変わるという事態に勇気づけられずにはおれません。訴えたわけでもないのに一方的に悪者にされてしまったビースティ・ボーイズはお気の毒ですが……。

※訴訟を起こされた後にビースティ・ボーイズが発表した公開書簡では、Goldiebloxへのリスペクトを表明しつつ、あくまで商品の宣伝に自分たちの楽曲を使わせないという従来からのバンドの方針を強調しています。この方針が昨年亡くなったビースティ・ボーイズのメンバー、アダム・ヤウクの遺志によるものであることを知ったGoldiebloxは著作権侵害を指摘された動画を取り下げ、ビースティ・ボーイズと和解する姿勢を見せました。なお、メンバーのアドロックことアダム・ホロヴィッツの奥さんは、筋金入りのフェミニストバンド「ビキニ・キル」のキャサリン・ハンナ。

「女の子は、“さすが〜”“知らなかった〜”“すご〜い”“センスいい〜”“そうなんだ〜”だけ言っていればいいんだよ」というような言説は、いまでも少なくありません。「ほ〜うまいことあいうえお作文にまとめたもんだね〜」と感心する気持ちもあるのですが、同時に女の子を育てるのが怖くなることがあります。「わたしこんなことできたの!」と報告されるたびに褒めて励まして自尊心を育むこと、これが将来生きていく上で全部裏目に出てしまうのではないかと。でも世間はうつろいやすく、知恵と技術とプレゼン能力さえあればほんの少しずつでも変えることができる、変えるのは、未来を生きる女の子自身。そう考えれば、女の子を育てることに希望がわいてきますし、自分にだって何かできることがあるのではないかと思えてきます。

 もしもかぐや姫に翁が与えたものが、ピンクの衣に大きなお屋敷ではなく、ピンクの大工道具だったら? はたまた自由にアプリをコーディングできる開発環境だったら? 無数に存在する幼いかぐや姫たちの、そのはつらつとした自我を守るためにできることを考えるのが、翁・媼サイドたる私たちの務めなのかもしれません。



ギークマム 21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア
(オライリー・ジャパン)
著者:Natania Barron、Kathy Ceceri、Corrina Lawson、Jenny Wiliams
翻訳:星野 靖子、堀越 英美
定価:2310円(本体2200円+税)
A5 240頁
ISBN 978-4-87311-636-5
発売日:2013/10 Amazon

 わたしは必然とか運命とかいう言葉を一切信じない殺伐としたばばあだが、息子が出演した映画『Last Summer』には、えっ。と思うような偶然がわりとあったことを認めずにはいられない。
 まず、息子が演じた役柄の名前が、彼の実名と同じだった。最初に脚本がメールされて来た時、へっ、もう坊主の名が入っていやがる。と思ったほどだったが、偶然に同じ名前だったらしい。
 また、息子のベビーシッター的な役を演じた英国人女優というのが、ブライトン出身で、息子の小学校正門から300メートル以内に実家がある。っつうか、息子とわたしは毎日登下校の際に彼女の実家の前を通っている。この女優さんはBBCドラマ「ロビン・フッド」でヒロインを演じた人で、その後は問題作めいた低予算ドラマを中心に出演しておられ、そのうちの1本を見た監督が「いい」と思って起用したわけだから、その時点では、監督はうちの息子の小学校正門にまつわる事情など全くご存知なかっただろう。

 しかも、わたしが「上品な婆さん」呼ばわりにしていた衣装および美術担当者が、わたしのオールタイム・フェイヴァリットと言ってもよい映画の衣装を担当した人だったという話は前回書いたし、これだけでも懇意にしている英国人のお母さんは、「ティラリラティラリラ」と『トワイライト・ゾーン』のテーマ曲を歌い出すのだが、実は、個人的なトワイライト・ゾーン話の真打ちは別にあったのである。

           *******

 映画のプロデューサーとエグゼクティヴ・プロデューサーの違いというのは、素人のわたしには今ひとつ判然としなかった点だが、エグゼクティヴのほうが偉そう。という一般企業的解釈は間違っていたのか、『Last Summer』の場合、エグゼクティヴ・プロデューサーは実際にイタリア南部の撮影地までやって来て働く人びとで、単なるプロデューサーこそ、名前(&資金集めのネットワーク)を貸しているだけという感じであった。
 息子が出た映画にはエグゼクティヴ・プロデューサーがふたりいたのだが、そのうちのひとりであるAというスキンヘッドのおっさんは、ちょっと変な人であった。息子はこの人に一番世話になったが、例えば、息子の学校とのパイプ役になったのはこのおっさんである。それでなくとも出席率に厳格な英国の公立カトリック校で、「5週間も休ませるなんて無理」とわたしが言ったにも関わらず、このおっさんはイタリアから息子の学校に電話をかけ、いったいどうやって校長以下事務所のセクレタリーまで丸め込んだのか、「たいへん信頼できる製作会社です。5週間は欠席扱いにしません」と言わしめたのである。ハリウッドのマフィア映画を髣髴とさせる低音のイタリアン英語に女性教師たちがぐっと来たのか、それともカトリック校とイタリアという黄金の組み合わせが功を奏したのかは不明だが、息子の映画出演を可能にしたのは彼であった。
 このネゴ上手なおっさんの本職は、国際税法専門の弁護士なのだが、DJなどというちゃらけた副業まで持っており、昔はアムステルダムやイビサ界隈でぶいぶい言わせていた身分だという。で、どういうわけかこの多才なAとうちの連合いがやけに意気投合してしまい、連合いがイタリアに陣中見舞いに来た週には連日バーでふたりで飲んでいたが、また酔った拍子にうちの連合いもベラベラと余計なことをくっちゃべってしまい、「うちの嫁はジャパニーズ・ライター。専門はジョン・ライドン」などとわけのわからぬことを言ったらしい。

 んなわけで、ある日、Aがわたしに言った。
 「金曜日にメイン・プロデューサーのエルダ・フェッリがローマから来る。彼女は『ライフ・イズ・ビューティフル』を手掛けた人で、イタリアでは有名だ。しかも、『Copkiller』のプロデューサーだから、ディナーの席でジョン・ライドンについて聞いてみたら」
 わたしの全身が硬直していた。
 というのも、『Copkiller』というのは、ジョン・ライドンの唯一の主演作だからである。というか、ドキュメンタリーや、ライドン本人として出演している映画は他にもあるが、きちんと俳優として彼が出演しているのは1981年製作のこの作品だけだ。ライドンは同作でハーヴィ・カイテルと共演しており、連続警官殺しの犯人であるサイコパスを演じている。ということは知っていたが、実はまともに通して見たことは無かった。あまりにもレヴューがひど過ぎたせいもあるが、やっぱライドンは瞬発力の人というか、他人が書いた脚本を演じるのは下手だと決め込んでいたからである。
 が、ライドンの映画を製作した人が今回の映画のプロデューサーとは何たる奇遇。と気持ちは盛り上がったが、何といってもわたしの身分は単なる子役の保護者である。ディナーの席でメイン・プロデューサーのそばに座れるわけもなく、遠くからお顔を拝見するだけで終わったのだった。

 そんなわたしを不憫に思ったのか、数日後にAがホテルの部屋に訪ねて来た。
 「週末、ローマに帰ったから焼いてきた」と言って1枚のDVDをドア越しに差し出す。
 自宅のプリンターでコピーしたらしいジャケットには、『Copkiller』のUK市場用のタイトル『Corrupt』と印刷されていた。
 イタリアのホテルで見たライドンの主演映画は、意外にも面白かった。何より驚いたのは、彼がシリアスな映画俳優としても逸材だったことである。
 故ヒース・レジャーが、死後にオスカーを受賞した『ダークナイト ライジング』のジョーカー役を演じるにあたり、ピストルズのジョニー・ロットンをモデルにしたと言ったのは有名な話だが、彼は『Corrupt』(または『Copkiller』)を間違いなく見たと思う。ヒース・レジャーのジョーカーは、ライドンが演じたサイコパスのカーボン・コピーだった。

            ************

 『Last Summer』の撮影が終了した後、わたしと息子はイタリア南部からローマに向かったのだが、ローマでAからディナーに招待された。どこまでも気配り上手なおっさんで、イタリア料理に飽きていた息子のため、英国風ロースト・チキンを自ら料理するという。
 Aの自宅で、彼の妻や子供に挨拶していると、『Last Summer』のメイン・プロデューサーであり、ライドン映画のプロデューサーも務めたエルダ・フェッリが奥から出て来た。ライドン映画のDVDを貰った後で、実はエルダはAの姑だったということがわかり、あのDVDは彼女が所有しているオリジナル・カットのコピーだということをAから聞かされていたのだった。
 「こんばんは」と挨拶すると、エルダが脇に立っていた初老の小柄な男性を紹介した。「私の夫ではないけれど、この人とは何十年も一緒に住んでいます。なんて言うのかしら、こういうの英語で」とエルダが言うので「パートナー。ですかね」と答え、「初めまして」とくだんの男性と握手を交わす。
 と、Aが背後から言った。
 「彼は、ロベルト・フェンザという映画監督だよ。『Copkiller』の監督」
 全身の関節がべきべきと外れて崩壊しそうになった。

 んなわけで、なぜかわたしは、ローマの民家で、ジョン・ライドンの唯一の主演映画の監督とプロデューサーに挟まれてロースト・チキンを食っていた。この状況がわたしにとってどれほどシュールなものであったかは、ジョン・ライドン応援サイトをやっていたわたしの過去をご存知の方ならおわかりだろう。
 「彼は生真面目でプロフェッショナル。常に現場のムードを敏感に感じ取る繊細な人間だった」
 「人は彼をパンクとか言うけど、実は一番まっとうでね」
 「シド・ヴィシャスについては何も聞かれたくないようだった」
 「どんな映画の撮影でも、製作側が俳優に保険をかけるのはmustなんだが、ジョンだけは、全ての保険会社が拒否した。後にも先にも、そんな出演者を使ったことはない。才能があっても彼が映画界で活動できなかったのは、そういう事情もあるんじゃないかな」
 「うちは今でも家族ぐるみで彼と付き合っているよ」
 などという話を膨張した頭でぼんやり聞いていると、ロベルト・フェンザ監督が言った。
 「明日PiLがローマでギグやるんだ。その翌日に一緒に食事しようってジョンから電話がかかって来たんだけど、良かったら、来る?」

 えええっ。
 聞いてないですよ、そんなの!?
 ていうか、A! 貴様こういうことはサプライズにしないで、さっさと言いやがれ!! そうすれば何とかしたものを。
 ファッキン・バスターーーーーーーード!!!
 と胸中で激昂&慟哭しながら、わたしは大人の顔をつくって言った。
 「でも、わたしたち明日英国に発つんです」

 すべての道はローマではなく、ライドンに通じていた。
 が、やはり全面的には通じきってなかったところが、わたしの人生だろう。
 ロベルト・フェンザとジョン・ライドンがローマでランチしていた頃、わたしは人手不足のブライトンの保育園で21人の幼児のオムツを替えていた。

Bathsの素敵な12月 - ele-king

木津:やってまいりました、ゆうほとつよしのアラサー女子力対決「とびっきり素敵な12月」のコーナー。

橋元:勝てる気がしませんね。

木津:闘いましょうよ(笑)! 年末といえば来年の星占い記事とクリスマスでしょう? 橋元さん、クリスマス・ケーキもう決めました? それと自分へのごほうび♡

橋元:木津さんはあれでしょう? ジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)の痛ケーキ。……あ、ちがうわ。お得意の〈ピエール・エルメ〉ね!

木津:だってこの美しさですよ! 今年の僕のケーキは「エラ」です。あー、ワインも買っちゃおうー。

橋元:「エマ」じゃないんだ。それにしても、いずれ劣らぬご褒美価格。「エラ」の赤い艶はとくにラグジュアリーですね。その点はシャアザク・ケーキもいい勝負なんですがね。

木津:オ、オタクリスマス……。まあ、クリスマスを楽しまないと年越せないですよ。締めくくり、せっかくなんで満喫しましょうね!

橋元:もちろんです。SNSが普及してから、年中行事の果たす役割が急に大きくなったように思いますね。それはいいとして、何か素敵な12月のプランはありますか?

木津:クリスマス・マーケットは行くとして、ライヴや音楽イヴェントも満喫して年を終えたいですねー。

橋元:そう、12月は本当に楽しそうなイヴェントがたくさんあります。今日はそのなかから、13日(金)にスタートするLAのビートメイカー、バス(Baths)くんの来日ツアーについてお話しましょうか。バスのセカンド・フル『オブシディアン』は、木津さん、どうでした?


左・Cerulean(2010)/ 右・Obsidian(2013)

木津:いや、前作(デビュー・フル『セルリアン』)のイメージがけっこうクリーンな感じ、やわらかな感じだったので、今回の陰影にはビックリしました。が、ある意味しっくりもきて。ダークで烈しいモチーフになってますけど、なんていうか、汚くはけっしてないんですよね。思春期的な潔癖性というか。

橋元:そうそう。前作のモチーフが「天上」のイメージなら、今作は「地獄」ですね。実際に『セルリアン』という色には天上のイメージがあったといいますし、『オブシディアン』は黒死病(ペスト)を題材にした中世の絵画からインスピレーションを得たといいます。1枚めから2枚めであまりにあからさまに天から地下へ直滑降しているんですが、その直滑降っぷりが本当に思春期的で潔癖的。
彼自身はハタチを過ぎているんですが(笑)、あのアンファン・テリブルな雰囲気というのはずっと失われないですね。ドリーミーだけれども攻撃的。14才の攻撃性です。それは両作ともそう。

木津:ドリーミーというキーワードは健在ですね。ゴシックなモチーフに惹かれる感覚、っていうのはある種の暗さの夢想ですし。ノイジーなんだけど聴いている感覚としては、すごくふわふわできるというか。

橋元:わかります。暗さがそのままロマンティシズムに結びついていますよね。「闇落ち」のドラマツルギーみたいなものがあって、『オブシディアン』はそういうものが根本に持つロマンチックでドラマチックな感覚があふれていると思います。もちろん無意識なんですけど。

木津:前作がチルウェイヴからの距離で測れた作品だったとすれば、『オブシディアン』はインダストリアルな感触もあって、すごくいまっぽい。天然かもしれないけど、感性もアンテナも鋭いですよね。

橋元:きっと天然ですね。インダストリアルを方法として意識しているとは思えないですし、あるいは今作でちょっと顔を覗かせているブラックメタル的な感覚も、「わりとそういう気分だった」というところだと思います。
でも“アース・デス”とかびっくりしました。そもそもはデイデラスに見初められて、〈ロウ・エンド・セオリー〉でDJを務めたりというキャリアがあるわけですけど、そういう「LAビート・シーン」を引っぱろうというような意識はすでに微塵もなさそうですね。ファーストのあの跳ね回って錯綜するビートが姿を消しつつあります。

木津:たしかに。でも、確実にシーンの重要なキャラクターでもあるのがおもしろいですね。僕がいちばん最近にバスくんの名前を見たのは、気鋭の23歳トラック・メイカー、ライアン・ヘムズワースのアルバムのゲストでです。彼はカナダ人ですけど、やっぱりLAビート・シーンに足を突っ込んでるひとで。僕はその「思春期的なムード」を彼にも感じ取ったんですけど、あの界隈ってそういう叙情性と親和性のあるところなのかも、じつは。ノサッジ・シングなんかもですけど。

橋元:そうですね、ティーブスとかもそう。恐れることなく叙情しますよね。それはやっぱり、彼らの音楽の基本がビートにあるなんだと思います。ドリーミーなモラトリアム感覚はチルウェイヴにも通じるんだけど、チルウェイヴの方がちょっと苦くて、かつぼんやりしていて、方法的にも甘い。適当な言い方だけど20代の甘さみたいなものを感じます(笑)。対するにバス勢の(10代的な)攻撃性は、テクニックとファンタジックな想像力に支えられたものだと思いませんか?

“Lovely Bloodflow”(『Cerulean』収録)

 このMVは『もののけ姫』のイメージだったそうなんですけど、じつに構築的というか、コンセプトの根幹がしっかりしている。ドリーミーというよりもファンタジックというほうがハマると思うんです。ぼんやりしているんじゃなくて、積極的に夢を見にいっている。彼らの複雑でアブストラクトなビート構築というのは、こういう想像力と噛み合って存在しているものだと思います。

木津:なるほど。ファンタジックというのはわかります。『セルリアン』は子どもの空想が元気よく暴れている、無邪気さゆえの危なさ、みたいなものも感じましたね。

橋元:あと、彼らがその意味で大人にならないのかなるのか問題は興味があります。映画は詳しくないんですけど、『テッド』とか? 大人になりきれない成人のグダグダをおもしろく描きつつも、アメリカの映画は、最後は何らかのかたちで彼らが社会的な責任を引き受けるという成長譚になりがちだってききます。
その功罪は措くにしても、「大人になったからつまんなくなった」とか「子どもを突き通しているからおもしろい」とかそういう短絡を拒絶する「なんだかスゴイ展開」をバスの少年性には期待したいです。

木津:成長譚、なりがちですねー。音楽ではアニコレ以降、その境目がどんどんぼやけていったけど、ただ映画でもアメコミ原作ものなんかは、そういう感覚にも抵触してるかもしれないです。その辺りの思春期性の「揺れ」に注目ですね。

橋元:ダイナミックに「揺れ」てますよねー。さて、バスくんのパーソナリティなんですが、先ほどの〈ジブリ〉の影響を指摘するまでもなく、かなり日本のカルチャーには親しみを持っているみたいですね。

木津:おお、OTAKUですか。

橋元:モラトリアム云々という話を置いておくにしても、かなりのポケモン好きらしいですし。

初来日の際に真っ先に向かった〈ポケモンセンター〉前でのもの。

木津:はははは。でもポケモンっていうのがほんと、男の子感あっていいですねー。変にエグい方向ではなくて(笑)。

橋元:そういうところもキュートなんですけど、その表出がけっこうアートっぽかったりするところもミソですね。ツイッターなんかには自分のイラストも投下するし、自身の全身タイツ姿をとってもイマジナティヴに撮ってアップしたりね、多才だと思います。

木津:クリエイションもするんですね。ビョークが好きだというのもなんだか頷ける。

橋元:そうそう、ビョークすごく好きみたいですね。お父さんがテレビ・ドラマとかの脚本家で、お母さんが画家だったかな。お家の環境から受けた影響も少なくないでしょうね。彼に実際に会うと感じるんですけど、すごくタレンテッドなというか、「お隣の兄ちゃん」って感じはさらさらないんですよ。変人でも変態でもないんだけど、天才型な雰囲気をバンバン出してます。


Baths / Pop Music / False B-Side / Tugboat(2011)
Bサイド集。ジャケットの絵はBaths本人のもの

木津:橋元さんはインタヴューされてますもんねー。『イナズマイレブン』のノートを見てすごく喜んでくれたとか……。あと、バスくんが描いたキュートすぎる絵も強烈に覚えてますよ。

橋元:そうですよね。彼のツイッターなんかを見ていると、無邪気にオジサン好きに見えるんですが、あれって無邪気に見えちゃうほど複雑な感覚が隠れていたりするんですかね?

木津:たぶん複雑な回路は彼のなかにあると思うんですけど、アウトプットを無邪気にしている時点で、僕にはひとつの態度表明に思えますね。たしかに僕は、男が好きな男ということを異化できるひとの表現にほうにより興味はありますけど、あの無邪気さっていうのは、知恵なんだと思うんですよね。つまり、社会的なアングルを一切廃した場所で、自分の感情(とリビドー)が正しいんだ、という。やっぱりオタク少年っぽいんですよ。そういう意味では理解はできますよ。でもバスくん、キレイなマッチョが好きなんですねえ……。

橋元:キレイなマッチョ(笑)。彼のまわりのオジサンにはデイデラスがいますけど、木津さんはデイデラスのヒゲはどうです?

木津:僕が好きなヒゲは、順に髭(口ヒゲ)、髯(ほおヒゲ)、鬚(あごヒゲ)なんですけど、口ヒゲがないのは大きくマイナスですよねえ……独自のセンス出しすぎ……。

橋元:はは。わっかんねー……。

木津:でも、奥さんとラブラブなのはいいです。奥さんを大事にしているオーラのある男のセクシーさってありますよね~。ともかく、知的にぶっ飛んだひとですよね。ヒゲはイマイチでも、存在は大好きです。

橋元:なるほど、奥さんのローラ・ダーリントンとは付き合いも古そうな感じが素敵ですね。ジェントルがネタなようでいてとても本気っていうのも好きです。キマってます。

木津:ライヴ、僕は観たことないんですけど、どういう感じですか? 音源を聴く感じだと、歌が重要なんじゃないかなという予想があるんですけど。

橋元:はい。ライヴはとにかくエネルギーに満ちていて。それこそデイデラスが華麗にサンプラーのパッドやツマミをいじるように、ヴィジュアル体験としてもかなり充実したものがあります。京都はseihoさんも出演されますが、彼との競演というのはちょっとすごいと思いますよ。アルバムのヴァージョンの何割増の音数、ノイズ。音圧ももちろん比べ物にならないですし、当然のこと、彼のライヴの本懐は音源の再現・再生にはありませんね。

木津:へえー! ノイズばりばりっていうのはいいですね!

橋元:ご指摘のように歌(メロディ)は重要で、とにかく声量もすごい。あのファルセットは吠えるように出てきます。なんだかそういうことも含めてマンガっぽい存在というか、けっこう規格外ですね。

木津:ああ、エクストリームな感じになっちゃうんですね。それはすごく理に敵ってる感じしますね。

橋元:ただ、今作は音楽的にずいぶんと装いが変わっているので、どんなかたちになるのか楽しみです。カラオケ状態ってことはないと思いますが、さらに歌に重点が移っているとも考えられますよね。

木津:今年は歌の年でもありましたし、声とメロディを聴きたい気分ですよね。バスくんの歌心を発見できたら、まさにドンピシャなんですけどね。

橋元:彼にはビートを跳ねて暴れまわらせる、本当に奔放でやんちゃな天使といった佇まいがあるんですけど、ビートを抑圧する展開があるとすれば、彼はその分のエネルギーをどうやって放出するんだろう……。

木津:抑圧があるってことは抑揚があるってことですから、その分ビートが暴れる展開のカタルシスはあるのかのしれない。あとはやっぱり、何よりも彼のエモーショナルな部分を僕は見たいですね。

橋元:その点はもう、エモーションの塊ですよ! 12月の空からね、バスのエモーションがキラキラ降ってきます。そういうことがやれちゃう個性、やれちゃう音ですね。
 ちなみにバスは4月16日生まれということなので牡羊座ですけれども、牡羊座ってどんな感じなんです? 相性ですとか。

木津:えっ、橋元さんとの相性ですか(笑)? 牡羊座も獅子座も火の星座だからバッチリですよ! ちょっと暑苦しい相性ですね。牡羊座は猪突猛進で、直感を信じるタイプです……バス、そんなところありますね。ちょっと納得しましたよ。

橋元:ははは! わたしとの相性はまあおいといて(笑)。じゃあ獅子座の人は運命の出会いになるツアーかもしれませんね。

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