「KING」と一致するもの

象は静かに座っている - ele-king

 1行目を書き出すことがこんなにも楽しく、そして、どこから書けばいいのか皆目見当がつかない作品も珍しい。題材から書き始めれば重苦しい作品だという先入観が生まれてしまうだろう。特異な撮り方から説き始めれば過剰にシネフィル的な作品だという印象を与えるかもしれない(まあ、シネフィルだけど)。上映時間が4時間近いといえば何を想像するだろうか。どうしよう。どこから書こう。あー楽しい。

 中国の地方都市を舞台にした中国映画だけれど、仕上がりはヨーロッパ映画。始まってほどなく中期ヴィスコンティやベルトルッチの名前が思い浮かぶ。フー・ボー監督は実際にタル・ベーラに師事したそうで、ベーラが94年に撮った『サタンタンゴ』が奇しくも今年、日本で初公開となっている。こちらは上映時間が7時間。さすがに観ていない。気合が足りない。

 やはり題材から明確にしていこう。重慶が人口で上海を抜いたとか、発展的な側面ばかり伝えられる中国とはまるで無縁の地方都市(北京から南東に50キロ)。かつては炭鉱業で栄えたらしく、中途半端に飾り立てられたショッピング・モールが逆に物悲しさを増幅させる。経済成長から取り残された地方都市だと一目でわかるということは格差社会の実相をリアルタイムで記録したということであり、今年のカンヌでパルムドールを獲得したポン・ジュノ監督『パラサイト』が中国では格差社会を意識させるという理由で前日になって公開中止になったという事実と合わせて考えてみると、一時的に忘れられるようなことがあっても、歴史的な文脈を持ち出される時には何度も思い出される作品になるだろうということが予見できる(『パラサイト』は日本では来年1月公開予定)。

 公団なのか低所得アパートなのか、画一的な間取りの集合住宅で朝を迎えるいくつかの家族。かなりの大人数を絡ませる群像劇なので、いきなり誰が誰だかわからなくなりかけてしまい、しかも、老若男女のすべてが荒んでいて、キャラクター的にも見分けがつかない。チャン・ユー演じるユー・チェンが窓を開けると「ゴミを燃やすな!」と怒鳴る声が路上から聞こえる。ユー・チェンは声が聞こえた方向に「燃やせ!」とハッパをかけ、路上からは「下りてこい!」と恫喝する声が戻ってくる。フー・ボー監督は登場人物が誰かと会話している時に、会話の相手をほとんど映さない。会話だけでなく、登場人物が何をしているか、手の先にあるものとか、登場人物が見ているものをまったくといっていいほどフレームに収めない。監督が撮っているのは登場人物の意識で、誰かが登場人物に話しかけても、ほかのことを考えていて相手の話を聞いていなければ、相手にはフォーカスを合わせず、ぼんやりとしか画面に映し出されない。後半でユー・チェンたちが食事をしていた食堂のコックが火を出してしまい、危うく火事になりかけるシーンでもカメラは厨房に入らず、長々と白い壁を映し出して意識的に情報をカットしていく。これは最近でいえばネメシュ・ラースロー監督が『サウルの息子』(15)で誇張気味に採用した手法と近いものがある。『サウルの息子』はホロコーストに収容されたユダヤ人の視点でその世界を描くというもので、主役となる人間は写らないというものだったけれど、もう少しカメラを後方に引いて、登場人物の背後から写したのが、同監督による『サンセット』(18)だった。神の視点を排除したとしてもいいし、スマホの世界観で視界を切り取ったと考えてもいいけれど、この撮り方を群像劇に応用したのが『象は静かに座っている』という流れに見えてしょうがない(実際には『サンセット』の公開前に完成している)。人物の周囲をあまり映さないということは、周囲で起きていることが登場人物にどんな影響を及ばしているのかよく分からないということで、どの人の人生もとても不安なモードに包まれて感じられる(『サイタマノラッパー3』にも同様な手法が効果的に用いられていた)。そして、何かが起きるとすべてが突発的な出来事のような印象を持ちやすく、ユー・チェンの弟が階段から落ちたり、リー・ツォンシー演じるワン・ジンの飼っている犬がほかの犬に噛み付かれたりしても、すべてが終わってからでないと事態を把握することはできない。実際にも事件を「目撃する」人よりは、事故直後に現場を「見た」という人の方が多いように、ある意味、現実の把握の仕方は(映画的ではなく)現実に近いものになっている。

 登場人物は全員が過度に荒んでいて会話の多くは怒鳴り散らすだけ。ワン・ユーウェン演じるファン・リンと母親の会話がとくにヒドく、全体に子どもを持つ親たちの大人気なさは際立っている。このような家族をいくつか見せたあとで、ここにいては子どもの教育によくないといって文教地区に引っ越そうとする一家が映し出される。引っ越すためには祖父であるワン・ジンに老人ホームに入ってもらわねばならない。ワン・ジンは納得がいかず、その場から逃げるように犬を連れて散歩に出る。この辺りを見ていて、日本で起きた殺人事件について中国の人がツイッターでつぶやいていたことを思い出した。登戸でバスを待つ子どもたちの列に刃物で切りかかった男の事件があった頃だったと記憶しているけれど、そういったタイプの犯罪者は「まるで社会に復讐しているかのように見える」と、その人はつぶやいていた。池田小事件や秋葉原通り魔、相模原障害者施設殺傷事件なども話題に上がっていたかと思う。え、しかし、待てよ。中国にも刃物を持った男が小学校に乱入したというような事件は年に1~2回あるじゃないか。なのに、日本の事件だと「社会」との関係で起きたように見えるというのか。中国の事件についてはそうではないというのだろうか。また、登戸の事件があった時、ひきこもり差別はよくないという声が起きるほど日本のTV番組ではそのように「予備軍」についての議論が拡大していったけれど、僕が奇妙に思ったのは予備軍がいるということは、どうも全員が共有している前提なのである。誰ひとりとして「個人が起こした犯罪」とは思っていない(というか、中国の人がツイートしていたように「復讐されるような社会に住んでいる」という自覚があるということである)。文教地区に引っ越そうとしている一家が「その地区」を見限っていることはわかる。その時に、それが日本で「社会」と感じられるようなものが中国でも同じように意識されているかどうかが僕にはよくわからなかった。中国は個人主義だというし、一度だけ北京と大同を旅行した時に、そのようにも感じたこともあるのだけれど、『象は静かに座っている』に描かれている人たちが一様に荒んでいるのはもはや個人にはどうすることもできない範囲の問題なのか、それとも……

 最後に時間のことも。坂本龍一が「4時間近くと長い映画だが、無駄なショットがあった記憶はない」と本作にコメントを寄せている。僕も同感である。とんでもない構成力だし、テーマに合った長さだと思う。主には4人が主役のような動きをしていて、誰にでも感情移入できるし、誰にも感情移入しなくていい。KLFならぬセルロイド・リベラシオン・フロントが寄せた「ジョイ・ディヴィジョンの歌の執拗なベースラインのよう」という評価もなるほどだけれど、「パンクの身体化を忘れず、低下層の視点を写している」と結ばれると、ちょっと違和感が。『象は静かに座っている』は社会派というよりはもっと神話を映像化したものに思えたから。「この世界、ヘドが出る」と、人生に絶望しているセリフのオン・パレードは、だから、ある特定の社会や時代と不可分ではなく、ユビキタスな価値観として機能する。「ヘドが出る」からどうするのか。変えるのか。消えるのか。諦めるのか。死ぬのか。(以下、ネタバレ)長距離バスで満州里に向かうポン・ユーチャン演じるウェイ・ブーは同じように孫の手を引いて同じバスに乗りかけてやめたワン・ジンに「どこも同じだ。だから行く前に自分を騙すんだ」と諭される。ワン・ジンが孫を連れていることにもおそらくは意味があり、中国では子どもの将来を親が決めすぎるということがよく言われる。文教地区への引越しはまさに「孫」の将来をワン・ジンの息子夫婦が決めようとしているからで、孫娘は自分の意思でそこから逸脱しようとしている。息子夫婦が表しているものは経済成長であり、孫娘がそれを選択しなかったことによって、この作品には対立していない親子はひと組も出てこないという図式が出揃うことになった。引き裂かれている。この部分はまさにディヴィジョン(分断)である。ワン・ジンはブーに向かって、こう続ける。「お前はまだ期待してる。一番いい方法は、ここにいて向こう側を見ることだ。そこがより良い場所だと思え、だが行くな。行かないから、ここで生きることを学ぶ」と。ウェイ・ブーは、しかし、その言葉に納得しなかったのか、それとも納得した上でなのか、ワン・ジンたちにも一緒に行こうと誘い、4人を乗せてバスは満州里を目指して走り出す。彼らが目指しているのは象が静かに座っている場所である。象は一生を立ったまま過ごす動物で、「象が座っている」ということは、それは死を意味している。

 フー・ボー監督は本作品を完成したのち、自殺。29歳だった。
                                    

『象は静かに座っている』予告編

interview with Dego - ele-king

何もかもがトゥー・マッチだね。情報にしても、表現方法にしても、世間の評判だって誇張して伝えられることがある。そうしたものに対して自分の中からストレートに出てきた言葉がトゥー・マッチなんだ。

 ディーゴのニュー・アルバム『トゥー・マッチ』が、自身のレーベルの〈2000ブラック〉からリリースされた。その前のアルバム『ザ・モア・シングス・ステイ・ザ・セイム』から4年ぶりだが、2017年にはカイディ・テイタム(正確な発音ではテイサン)とのユニットであるディーゴ&カイディでアルバム『アズ・ソー・ウィ・ゴーウォン』をリリースしていて、ほかにもEPや12インチをいろいろ作るなど、ここ何年かのディーゴの活動は活発だ。ソロやディーゴ&カイディのほか、カイディ、アクワシ・メンサー、マット・ロードと組んだ『テイサン、メンサー、ロード&ランクス』(2012年)があり、ほかのアーティストの作品も出すなど、〈2000ブラック〉の運営も精力的におこなっている。かつての4ヒーロー時代にはドラムンベースの道を開拓し、その後ジャズやソウルなどさまざまな音楽を取り入れ、テクノやハウス、ヒップホップなどを融合してブロークンビーツの世界へと進んだのだが、そんなディーゴもいまや大ヴェテランの域に達している。4ヒーローの『パラレル・ユニヴァース』(1994年)は今年でリリースから25周年を迎え、そんなディーゴの時代を実体験していた人も年を取ってしまった。一方で、ロンドンからは常に新しいアーティストが登場し、いまはサウス・ロンドンのジャズが盛り上がっていたりする。かつては時代の最先端を走り、エレクトロニック・ミュージックの牽引者だったディーゴだが、現在の彼はどんなことを考え、音楽とどう向き合っているのだろうか? 『トゥー・マッチ』のリリース・ツアーで来日中のディーゴに、アルバムのことを中心にDJや最近の音楽、ロンドン・シーンのことなどを訊いた。

いまの若いアーティストたちは、どうも俺からすると自分のサウンドを磨いたり、進歩させたりすることに時間や労力をあまり割いているとは思えないんだ。

『トゥー・マッチ』はソロ・アルバムとしては『ザ・モア・シングス・ステイ・ザ・セイム』から4年ぶりですが、その間もディーゴ&カイディのアルバムや12インチやEPなどのリリースがありました。また〈2000ブラック〉の運営や今回のツアーのようなDJ活動などで充実していたと思いますが、改めて『トゥー・マッチ』をリリースしようと思い立ったきっかけは何でしょうか?

ディーゴ:アルバムというか曲作り自体はどんなときも常にやっているんだ。それが俺のライフスタイルだからね。アルバムは自分を表現するいちばんの方法だから、どのタイミングで出すかはずっと考えているんだ。今回はそれが十分に熟した機会だと思ったからリリースしたのさ。

いつ頃から制作に取りかかりましたか?

ディーゴ:去年の10月頃にはじめて、今年の1月までの3、4ヵ月で作ったよ。

あなたはたくさんの名義で活動をおこない、ディーゴ&カイディのようなコラボも多いのですが、そうした中でディーゴ名義での作品はどんな位置づけになりますか? もっともあなたらしさが出たプロジェクト、好きな音楽が表われたものということでしょうか?

ディーゴ:ソロは自分ですべてをコントロールできるから、単純に楽しいよね。自分らしくいられるプロジェクトで、好きなことを追求しているというのはそうだよ。でも、他人と一緒にやることも、お互いに刺激を与えて高め合っていけるから、ソロとは違う面白さがある。だからソロにしろ、コラボにしろ、自分にとってはどちらも大切なことなんだ。

アルバム・タイトルにもなっている『トゥー・マッチ』にはどんな意味が込められているのでしょうか? 個人的には情報などトゥー・マッチなことが多くて複雑な現代社会、そうした中で音楽もトゥー・マッチな方向に進みがちだけど、それらトゥー・マッチなものを捨ててシンプルに取り組んだアルバムではないかなという気がします。プロダクションも比較的にシンプルにしているようですし。

ディーゴ:何もかもがトゥー・マッチだね。情報にしても、表現方法にしても、世間の評判だって誇張して伝えられることがある。そうしたものに対して自分の中からストレートに出てきた言葉がトゥー・マッチなんだ。今回は特にシンプルに取り組んでいるというわけではないけど、今までのソロやコラボを振り返りながら今回はどうやっていこうかと考えて、ディーゴ&カイディとか4ヒーローとかをクロスオーヴァーさせて、どういった方法が自分にとって適しているかをいろいろと探りながら作っていったね。アルバムの最初はダウンテンポではじまって、それが中間でアップテンポに変わっていって、最後にまたダウンテンポに戻っていくという流れがシンプルに映っているのかもしれないけど。

『アズ・ソー・ウィ・ゴーウォン』はカイディの影響もあってか、レゲエやアフロ、カリビアンなどの色合いが出た曲が多く、またジャズ系ミュージシャンの参加もあってフュージョン風の作品も散見されたわけですが、『トゥー・マッチ』に関してはどんな色合いのアルバムになったと思いますか?

ディーゴ:『アズ・ソー・ウィ・ゴーウォン』は自分たちのルーツを映し出したものなんだ。俺やカイディにはジャマイカやカリビアンの血が流れていて、ロンドンで生まれ育ってきた。自分たちのルーツはどこにあって、アイデンティティは何なのか、そんなことを考えながら作ったアルバムなんだ。言わば俺たちのステイトメントなんだよ。『トゥー・マッチ』は俺のもっとパーソナルな部分がベースになっていて、自分自身への問いかけに対してナチュラルに出てきたサウンドなんだ。

いろいろなタイプの作品が収められていますが、個人的には“ア・ストロング・ムーヴ・フォー・トゥルース” “アイ・ドント・ワナ・ノウ” “ライフ・キャン・ビー・アンリアル”など女性シンガーをフィーチャーしたソウルフルなナンバーが印象的で、かつてのあなたのプロジェクトのシルエット・ブラウンに近いイメージかなと思ったのですが。

ディーゴ:俺自身はあまりそういったことを考えたことはなくて、自然に作った結果じゃないかな。まあ、ヒップホップやソウルのヴァイブスを注入していくというやり方は意識したから、シルエット・ブラウンでやっていたことが多少の影響はあるのかもしれないけど。

プロダクションにはカイディ・テイサン、アクワシ・メンサー、マット・ロードなど〈2000ブラック〉の仲間たちが参加していて、そうした点であなたの昨今のソロ作やディーゴ&カイディ、『テイサン、メンサー、ロード&ランクス』などとも繋がっていますが、ある意味で現在の〈2000ブラック〉を映し出したような作品でしょうか?

ディーゴ:〈2000ブラック〉の音をもっとも表現しているのが『テイサン、メンサー、ロード&ランクス』で、それに対して『トゥー・マッチ』は、さっきも言ったけどもっとパーソナルなものなんだ。だから両者には違いがある。

ということは、たとえば同じメンバーが参加していても、それが個人のソロ作か、コラボ作品か、単なるゲスト参加作かで内容も異なるということですか? 曲作りまでじっくり関わるのか、それともでき上がったトラックの上でキーボードとかのソロを演奏するとか、共演といってもいろいろありますが。

ディーゴ:それは曲によって全然変わってくるよね。誰が舵を取るかによって曲の方向性は変わる。『トゥー・マッチ』に関しては、アルバム全体の舵取りは俺がやっているわけだけど、カイディとは2曲くらい一緒にやっていて、その中においてはディーゴ&カイディに近いアプローチになっているかな。それを含めて最終的に1枚のアルバムに仕上げるのが俺の役割なんだけど。

シンガーではレディ・アルマ、シャーリーン・ヘクター、イヴァナ・サンティリなど2000年頃の昔から交流のある面々が参加し、また近年の作品でよく歌っているナディーン・チャールズほか、オベネワ、サリーナ・レア、サミーとヴァラエティに富んだ女性シンガーが参加しています。彼女たちはそれぞれの曲のタイプによって選んだのですか?

ディーゴ:うん、最初に曲を作って、それに合ったシンガーとコラボをするという流れだよ。サミーはここ2年くらいで知り合ったけど、だいたいのシンガーは〈2000ブラック〉を立ち上げた頃からの20年くらいの付き合いがあって、基本的に自分にとってのファミリーという感覚なんだ。そうした家族に対してはいろいろとサポートしてあげたいという気持ちは常にあって、だから今回のアルバムにフィーチャーしたりとか、〈2000ブラック〉のほかの作品に起用したりするわけさ。

この中でオベネワは〈2000ブラック〉からのブラックス&ブルースというプロジェクトにもフィーチャーするなど、最近とても注目しているシンガーのようですが。

ディーゴ:彼女は確かガーナ系の血筋で、世界的に見ればアンダーグラウンドな存在かもしれないけど、俺たちの地元では既にとても有名なシンガーになっているんだ。だから俺なんかがいまさらプッシュする必要もないけれどね(笑)。

4ヒーローを知っていて、いまもドラムンベースの曲を作ったりリミックスしてくれと頼むプロデューサーやレーベル関係者がいたりするけど、いまの俺はもう違うんだ。過去を振り返って懐かしむ暇はないんだ。

アルバムの前半はソウルフルなダウンテンポやブギー、ネオ・ソウルなどヴォーカル曲が並び、後半はジャジーなブロークンビーツやフュージョン・タッチのインスト曲が並ぶという構成になっていますが、これは意識的に作った流れなのですか?

ディーゴ:意識して曲の順番を決めたというわけではないけど、アルバム全体を見たとき、あまりデコボコにしないように気をつけて作っているから、似たような傾向の曲を前後にまとめたりとか、そうした流れというものができるんだろうね。

“オガワ・オカーサン・セッド・ジャスト・プレイ”というタイトルは日本にも馴染みの深いあなたならではですが、どんなエピソードから生まれた曲ですか?

ディーゴ:俺の日本人の友だちでオガワさんという人がいるんだけど、そのお母さんが琴をやっていたんだ。2年くらい前に琴をインターネットで買って、でもモノは届いたけれど思いつきで買ってしまったから、弾き方がわからない。そんなときにその友だちのお母さんのことが頭に浮かんで、彼女に琴の弾き方を尋ねてくれと頼んだんだ。そうしたらお母さん曰く、「いろいろ考えずに、ただ琴に触って弾けばいいのよ(just play)」ということだったんだよ(笑)。

ということは、後半にまるで琴のようなフレーズが出てくるなと思ったのですが、これはあなた自身で琴を演奏しているのですね? なんでまた琴を買ったのですか?

ディーゴ:うん、俺が弾いた琴の音だよ。俺は興味が沸いたら何でもやってみるんだ。ブラジル、ガーナ、ナイジェリアと、いろいろな国の民族楽器を試したことがあるよ。さっき言った「ジャスト・プレイ」という言葉も、最初はただ触って音を出すという行為が、音楽における初期衝動にも繋がっているんだなと、改めて教えてくれたと思うよ。

最近のDJではあなたや〈2000ブラック〉の曲以外ではどんなものをプレイしていますか? また最近のお気に入りのアーティストや好きな音楽にはどんなものがありますか?

ディーゴ:ここのところは1970年代や1980年代の古いレコードをたくさん買っているね。ジャズにソウルやファンクとか。今日もインタヴューの前にレコード屋に行って、7インチをいろいろ買ってきたところさ。DJではそういったレコードをかけるわけだけど、特にいま現在のお気に入りのアーティストは思いつかなくて、ひとりのアーティストでも曲によって好きだったり、そうでなかったりする。これまでの俺のキャリア全体では、マッドリブやジョシュ・ミラン、ルイ・ヴェガがフェイヴァリッツ・アーティストだと言えるかな。彼らの作るサウンドは素晴らしいし、そのプロダクションはいつも興味深いものだよ。いまの若いアーティストたちは、どうも俺からすると自分のサウンドを磨いたり、進歩させたりすることに時間や労力をあまり割いているとは思えないんだ。でも、中にはいいアーティストもいるかもしれないから、これからもいろいろと聴いていきたいとは思うけどね。

古いレコードだと、昔はロイ・エアーズとかマイゼル・ブラザーズのレコードとかをよくプレイしていたと思いますが、最近はどんなものを掘っていますか?

ディーゴ:いいレコードならなんでも買っているけど、ここ2年くらいはゴスペルにハマっているかな。

いま住んでいるのはロンドン市内でしたっけ? 最近は日本でもサウス・ロンドンのジャズ・シーンが注目を集めたりしていますが、あなたから見てロンドンのシーンはどんな感じでしょうか?

ディーゴ:俺はウェスト・ロンドンだけど、じつはサウス・ロンドンのことは好きじゃないんだ(笑)。まあ、個人的にサウス・ロンドンにはあまりいい思い出がないからなんだけど(笑)、音楽的にはいろいろと注目されていることはよく知っている。でも、メデイィアはサウス・ロンドンと括っていたりするけど、実際にはイーストに住んでいたり、ノース出身者がいたりするんだ。いまのサウス・ロンドンのジャズ・ムーヴメントに一役買っている〈ジャズ・リフレッシュド〉も、もともとウェスト・ロンドンでやってたパーティーからスタートしているからね。だから、サウス・ロンドンと限定するんじゃなくて、大きくロンドンとして見るべきだね。

そうした中で面白いと感じるアーティストはいますか?

ディーゴ:アシュリー・ヘンリーヌバイア・ガルシアココロコ、ユナイテッド・ヴァイブレーションズのウェイン・フランシスとユセフ・デイズ、ジュニア、エディ・ナッシュ、オマネとかかな。

逆にカマール・ウィリアムズとかテンダーロニアスとかは、あなたから大きな影響を受けているんじゃないかなと思うのですが。

ディーゴ:う~ん、そうかい? 俺はよくわかんないね(笑)。俺は自分は自分、人は人という考えだから、誰かの影響とかをあまり気にすることはないんだ。実際DJよりも制作活動がメインだから、人のレコードをあまりチェックする時間もないし。だから逆に俺が誰かに影響を与えたとか、そんなことは思ったりしないね。

ロンドンでは次々と新しいアーティスト、若い人たちが出てきていますが、一方であなたやカイディのようなヴェテランも息の長い活動をおこなっています。カイディ以外にも昔の仲間とセッションしたりすることはありますか? たとえばマーク・マックとかダズ・アイ・キューとか。

ディーゴ:いや、いま一緒にやっているのはカイディ、アクワシ、マットの3人だけで、ほかとは一切やっていない。マークもダズも全然やっていないね。

じゃあ、マークとの4ヒーローも今後の活動予定はないと?

ディーゴ:残念だけどないね(笑)。

そうですか……(笑)。いま4ヒーローの名前を出したのは、『パラレル・ユニヴァース』が今年でリリースから25周年を迎えたので、その話を訊こうかなと思ったからです。このアルバムについて何か思い出とか、当時のエピソードとかありますか?

ディーゴ:25周年? そうかい、知らなかったよ(笑)。うん、いいアルバムだったね(笑)。でも、それだけさ。正直なところ、当時の俺にはまだ未熟なところがあって、いまはプロデューサーとしてもっと成長している。だから確実にいまのサウンドの方が優れていると言える。あの当時の俺や4ヒーローを知っていて、いまもドラムンベースの曲を作ったりリミックスしてくれと頼むプロデューサーやレーベル関係者がいたりするけど、いまの俺はもう違うんだ。俺にとってはいまとこれからも成長していくことが大事で、過去を振り返って懐かしむ暇はないんだ。

なるほど、では最後に今後の活動や展望について教えてください。

ディーゴ:〈2000ブラック〉としては、カイディの新しい12インチがこれから後にすぐ出る予定だ。『トゥー・マッチ』に参加してくれたサミーのソロEPも出るし、テイサン、メンサー、ロード&ランクスのライヴ・アルバムも来年頭に出す予定だ。これは10年ほど前のスタジオ・ライヴ音源だよ。俺個人としてはシングルやEPの予定がいくつかあって、〈ネロリ〉からリリースすると思う。それとディーゴ&カイディでも新作をやると思うよ。

消費税廃止は本当に可能なのか? (3) - ele-king

消費税に替わる”財源”を考えよう。

 10月16日の予算委で共産党・大門みきし議員は、IMFの「世界経済が大きく後退する」とした報告を引用しながら、メルケル、マクロン、トランプ政権それぞれが、世界経済悪化に対して個人消費の底上げを図るべく数兆円規模の減税を予定していることを伝えた。そのうえで世界経済はリーマンショック並みの落ち込みが予測されており、日本の消費者マインドも実際に東日本震災並みに下落しているのだから、消費減税すべきだと主張した。(https://www.youtube.com/watch?v=FVXSiPt60aY


10/15 予算委 共産党・大門議員質疑より「消費者態度指数」

 10月4日のNHKの報道によると、米国の新聞も左右問わず日本の消費増税を批判しているようだ。

ウォールストリート・ジャーナル
「消費税率の引き上げは、日本の経済成長に再びブレーキをかけるリスクが大きい。日本の最大の課題は財政ではなく、需要の弱さで、消費税率を引き上げる必要はない」
ワシントンポスト
「消費税率を5%に引き上げた1997年と、8%に引き上げた2014年には景気が後退した。日本経済は去年の後半から減速していて、来年のオリンピックに向けた建設ブームによる需要も薄れている。需要の低迷による物価の下落が、成長のけん引役である投資を押し下げ、デフレからの脱却に向けた長年の努力が後退するおそれがある」
ニューヨーク・タイムズ
「成長懸念にかかわらず日本は消費税率引き上げ」「日本経済の牽引役として貢献する消費者に打撃を与えるだろう」
コロンビア大学・ヒュー・パトリック名誉教授
「消費税は直接、国民のポケットからお金を奪うものだ。日本政府が、財政支出を増やして増税の影響を緩和しなければ、世界経済はやや減速する可能性がある」「駆け込み需要が起きないほど、そもそも消費が弱くなっている可能性がある」

 日本の問題は財政赤字ではなく、需要(投資や消費)が減少していることで、その需要をさらにシュリンクさせる消費増税は悪手だということだ。そして、需要減少への対抗策は財政支出であるとしている。世界経済を減速させる一因となりかねないのがこの消費増税であり、世界にとって迷惑行為でしかないのだ。

 WSJやNYT、パトリック教授らに言われるまでもなく、「不景気時には財政出動」という話は当然のことで、中学校の公民の教科書にも書かれている常識だ。

「不景気のときは、道路工事などの公共事業をして、民間企業に入るお金を増やします。公共事業のほかにも、減税を行うことで、民間企業の持つお金を増やす場合もあります。
 (中略)
このように、政府が、公共事業の増減や、減税・増税などで、景気を調節することを財政政策(ざいせい せいさく)といいます」

出典:中学校 社会・公民

 景気の悪い時には、減税し、公共事業などに財政支出をするのが財政政策なのだ。日本政府には、中学校の教科書からお読みいただくことをお勧めする。


 前回コラムで、「需要の減少」が起こる悪循環をどう断ち切れば良いのかという課題に対して、反緊縮派は一つに「消費税廃止」を提案していることをお伝えした。加えて、二つ目の有効策がこの「財政出動」になる。これは消費税廃止で無くなった消費税収に替わる財源を得るため、また国民経済を後押しするための政策となる。減税と財政出動、上述した中学校の教科書通りの財政政策だ。

 「財政出動すると財源が減ってしまうのではないか」と思われる方もいるかもしれない。それも当然だろう。普通の人は、政府が何か税金などを貯めている金庫のようなものを持っていて、そこからお金を支出していると考えている。しかしその考えは誤りである。政府が支出すると、実体経済市場に通貨が創造されるので、支出することそれすなわち財源となることを意味する。政府が誰かに支払いをすると、新しい通貨がこの世に「無から生まれる」のだ。

 このことをMMTerは「万年筆マネー」や「スペンディング・ファースト(Spending First)」という概念をもって説明するが、少し複雑な仕組みなので我慢して以下を読み進めてもらいたい。

 信用創造(通貨を創造すること)には経路が2つある。一つは、金融機関によって保有される既発国債と交換する形で中央銀行が創造した貨幣(実体経済市場では使用不可能な準備預金)を元手にして、金融機関が一般企業や個人に貸し出すときに起こる。中央銀行が国債を買い入れることを「買いオペ」と言い、国債と交換する形で貨幣を増やすことを「量的金融緩和」と言うが、基本的には同じことを指している。何を言っているのかわからないという方は下記の「教えて!にちぎん」と「ニチギンマン」の説明も見てもらいたい。

国債買入オペは、日本銀行が行うオペレーション(公開市場操作)の一つであり、長期国債(利付国債)を買い入れることによって金融市場に資金を供給することです。
出典:日本銀行「教えて!にちぎん」より


出典:日本銀行「ニチギンマンのきんゆうせいさく」

 ニチギンマンは、日銀が国債を買い入れ、貨幣(準備預金)を銀行に供給し、金利を下げることにより「景気が活発になり、物価が安定する」と誇らしげに言っているが、実際は量的質的金融緩和を続けても、金融市場以外、つまり実体市場は活発になっていないばかりか、個人消費が落ち込み、需要が減少、逆にデフレ状況で物価が不安定化するような状態が続いている。

 これは企業や国民があまり消費も投資もできないから、銀行からお金を借りることもないし、信用創造(通貨創造)されないということが原因だ。銀行などの金融機関同士の決済にしか使うことができない準備預金のままでは実体市場では流通しえないのだ。このことが6年間続けた金融緩和の効果の薄さに繋がり、多くのエコノミストたちもやっとこの仕組みの綻びを理解し、指摘するようになった。金融市場の外にお金が出ないのだから、とにかく株屋だけがマネーゲームで儲けるばかりで、私たち庶民にはほとんど関係がない話だった。

 ちなみに信用創造とは、誰かが銀行から借金した時に通貨が創造される仕組みとなる。貨幣は、発行元である銀行がただペンで記帳するだけで生まれることから「万年筆マネー」と言われる(現在ではコンピューターで打ち込むだけなので「Key Stroke」とも表現される)が、かいつまんで言えば、お金の正体とは誰かの借金であり、貨幣とはその借金に対して発行された債務証書だということになる。また、通貨と貨幣の違いにも気をつけてもらいたい。貨幣は紙幣やコイン、また私たちが使えない準備預金などお金全般のことを指すが、通貨は私たちが使える紙幣やコイン、預金などのお金だけを指す。(参考:社会人の教科書「貨幣・通貨・紙幣の違い」

 そこで、信用創造のもう一方の経路が重要となる。政府支出(財政出動)を介した経路がそれだ。これは、政府の支出により生まれた銀行の預金を、一般企業が受け取るときに起こる。この場合は政府が企業に仕事を発注する形をとるので、必ず信用創造され、実体市場に通貨が生まれる。MMTの視点では、政府は国債や税収などの財源がなくても、支出するだけでお金を創造できるとし、このことをスペンディング・ファースト(最初に支出ありき)と呼んでいる。政府債務である国債は政府支出した後に発行され、民間銀行を介して中銀からファイナンスされるとしているため、支出が先なのだ。

 なにやらややこしい概念だと思われたかもしれないが、少し考えてみれば実感できるだろう。政府は毎年、税収がいくら集まるかわからないのに、予算を決定し、支出している。言い換えれば、財源などなくても支出できるということだ。だから「最初に支出ありき」なのだ。

「ここに人々が見落としているものがあります — 連邦政府の支出は”自己資金(Self-Financing)”だということです」
「政府が支出すると、支出そのものの副産物として新しいお金は創造されます」
「そして新しくできたドルは、誰かのバランスシート(貸借対照表)に追加されます」
出典:ステファニー・ケルトン ツイッターより

MMTは、政府の財政は家計や企業のそれとはまったくの別物だと主張している。
(中略)
主権を有する政府が、自らの通貨について支払い不能となることはあり得ない。自らの通貨による支払い期限が到来したら、政府は常にすべての支払いを行うことができるのである。
それどころか、政府が支出や貸出を行うことで通貨を創造するのであれば、政府が支出するために租税収入を必要としないのは明らかである。さらに言えば、納税者が通貨を使って租税を支払うのであれば、彼らが租税を支払えるようにするために、まず政府が支出しなければならない
出典:L.ランダル.レイ「MMT 現代貨幣理論入門」p39

 MMTの創設者の二人、先般来日を果たしたステファニー・ケルトン教授(NY州立大学)と、近日来日予定もあるランダル・レイ教授(バード・カレッジ)は、政府の財政の仕組みについてこのように簡素な形で語っている。このことは民間銀行からお金を借りる時に起こる信用創造の場合も同じだ。中野剛志氏(元・京都大学大学院准教授)は以下のように解説する。政府も銀行も「最初に支出ありき」なのだ。

実際には、銀行は、人々から集めたお金を元手にして、貸し出しを行っているのではありません。その反対に、貸し出しによって、預金という貨幣が創造されるのです。そして、借り手が債務を銀行に返済すると、預金通貨は消滅するのです。
(中略)
「銀行の貸し出しの段階で預金は創造される」のですから、銀行の貸し出しが、元手となる資金の量的な制約を受けるということはありません。
この点は資本主義経済の仕組みの根幹にかかわる話です。
出典:中野剛志「奇跡の経済教室」p98,p100

 MMTerの視点では、政府が支出したその後に、金利を調整する為に国債は発行されるとしているが、このような国債発行の視点は主流経済学の常識を覆す論理となり、賛否の分かれる騒動ともなっているわけだが、この騒動の一端は、以前に拙コラムでお伝えした西田議員と雨宮日銀副総裁の財金委員会でのやりとりで垣間見ることができる。政府支出を介した信用創造の仕組みについて実務的な詳細を知りたい方もぜひご覧いただきたい。
 参考:「黒船MMTと参議院選挙の行方



画像提供: @nonsuke38 氏

 長々と3回にもわたっていろんな話をしてきたが、これまでの話をまとめるとこうなる。政府には通貨発行権があって、過度なインフレにさえならなければ、いくらでも無からお金を作って国民経済のために支出できる。もちろん財政破綻などするわけがない。さらに、政府は自分でお金を作って支出できるのだから、税は財源ではない。税は主にインフレを抑える景気調整のためにある。だから、このような貨幣観を持つ反緊縮派にとっては、景気調整機能もない消費税を人々に課す理由がまったく理解できないというわけだ。

 加えて言うなら、日本においては「税は再分配のために徴収されている」とも言えない。下図のように、税による再分配効果はOECDで最低のミジンコレベルだ。「社会保障を支えるために税金が必要だ」と思い込んでいる人たちには、この事実もよく考えていただきたいと思う。


出典:内閣府 再分配効果の国際比較

 前述した「消費税に替わる財源は政府支出である」とした論理は、貨幣システムの会計的事実から導き出されている。「でも結局、それは借金ではないのか」と言う方もおられるだろう。その疑問に対する回答は次回、最終回につなげたい。

BS0 - ele-king

 ブリストルのサウンドとスピリットを伝えてきたBS0が、彼の地からサム・ビンガとライダー・シャフィークを迎え2年ぶりに開催。これにあわせ、2人は名古屋/金沢/東京/高知/沖縄/大阪を巡るツアーを敢行する。

 サム・ビンガとライダー・シャフィークは、一緒にそして個別に、現在の英国アンダーグラウンドで非常に重要な存在となっている。〈クリティカル・ミュージック〉での爆発的なダンスホール・コラボレーションで知られる2人のアーティストは、2012年以来さまざまなスタイルとテンポで共同作業を行っており、ロンドン〈ファブリック〉からクロアチア〈アウトルック〉まで、そして遠く離れたニュージーランド〈ノーザン・ベース〉で、共同のサウンドを獲得。

 サム・ビンガは、プロデューサーとしてヒューストンの伝説的なポール・ウォールとの「オール・キャップ」のダーティなサウス・ヒップホップから、ブリストルのカルトなレーベル〈ホットライン・レコーディングス〉でのマーカス・ヴィジョナリーとのUKファンキーのコラボレーションまで、多種多様なスタイルとサウンドを制作してきた。ロディガン、トドラT、DJターゲットなどのDJによる定期的なラジオ・プレイによって、DJとしての彼に対する世界的な需要も高まっており、南アメリカから中国まで、そしてその間のあらゆるところでヘッドライン・ショーが開催されている。

 ベースビンとダブプレートの世界を超えて、ライダー・シャフィークは、スポークンワードや、英国でさまざまな背景を持つ黒人として育った彼自身の人生経験を検証するパフォーマンス「アイ・デンティティ」など、幅広く豊かな表現で知名度を上げている。写真家と協力し、彼自身が根付いているコミュニティとの自然なつながりを活かし、ライダーはブラック・ブリティッシュ・ヘアスタイルの美しさ、多様性、繊細さ、およびそれらの自己アイデンティティとの関係を記録することを目的とした写真展「ロックス」も進行中。また、サム・ビンガがエンジニアリングとプロダクションで関わるポッドキャスト「i-MC」では、英国およびその他の国のMCやヴォーカリストとのインタヴューを行い、彼らの人生経験とそれらが音楽にどのように影響したかについて話し合っている。

 BS0プロジェクトとのコラボレーションによる今回の日本への初ツアーは、英国のサウンドシステム文化の音の伝統に根ざした幅広いサウンドとスタイルが導くことだろう。

Gr◯un土 - ele-king

 大阪の音楽シーンには得体の知れないモノを生む出す力がある。ことクラブ・カルチャーにおいては90年代初頭からそれはずっとあったし、いまも失ってはいないようだ。
 大阪らしさのひとつには、ボアダムス的な折衷主義がある。思いも寄らないものが同じ宇宙で渦巻くようなアレである。Gr◯un土(グランド)にもそうした大阪らしさを感じる。彼の音楽は、ハウス・ミュージックを基調にしながら、今福龍太のクレオール主義よろしく世界のいろんな文化がパッチワークされる。じっさい彼が音楽を作るのは移動中=旅先なのである。南米や欧州やアジアや、それぞれのとある街で作られた彼の音楽には、日本には欠落しているのであろうなにか(文化)が注入されている。ゆえにその響きは、感性を拡張させる。
 昨年リリースされたアルバム『Sunizm』がひとつのきっかけになって、じょじょにではあるが、彼のスロー・ハウスの魔力により広く注目が集まりはじめている。とはいえGr◯un土(グランド)は、すでに10年以上のキャリアを持っているので、もうベテランと言ってもいいかもしれない。なんにせよ、ぼくはようやくこの天性の旅人と話すことができた。

自分が影響を受けたDJは京都のMamezukaさん、Sinkichiさん、Daichiさん、大阪だとマスモト・アツコさん、Dr Masher。YA△MAさんにダビーなハウスを教えてもらったり、Akio Nagase君からもダブとエレクトロニクスが融合してる感じのをたくさん教えてもらいました。

DJをはじめたのは何年?

G:クラブで働きはじめたのが19歳くらいのときでそのタイミングです。

大阪のクラブ?

G:大阪のfireflyというクラブです。東心斎橋というエリアに、fireflyという小さいクラブがあって。

15年とか17年くらい前の話?

G:はい。

じゃあ2000年代頭?

G:はい。

2000年代初頭の大阪には何があったんですか?

G:たくさんあったと思いますが、ひとつはMamezukaさんがオーガナイズしていたJAMs、あとはお店の先輩Dr.Masherがオーガナイズするアンビエントを主体にしたClearというイベント、単純に自分が働いていたお店でやっているパーティからの影響が強かったと思います。大阪・味園ビルの一角に週末だけオープンするクラブ『鶴の間』や京都の『活力屋』など、自分はFireflyで働いていたので、なかなか週末抜けるのは難しく、仕事が終わってから、先輩や同僚と鶴の間やMACAOに遊びに行ったりもしました。でも、なかなか他の箱に遊びにいくのは難しかったりしましたけど。

ALTZ君とか?

G:ALTZさんの名前はもちろん知っていました。ベータランドというVJユニットだったり、YA△MAさん。FLOWER OF LIFEに遊びに行ったりもしました。毎回参加はしていませんが、EYEさんが17時間? 18時間?セットをMACAOでやってたのはいまでも記憶に残っています。「凄いな〜」って。

じゃあ、影響を受けたDJも?

G:自分が影響を受けたDJは京都のMamezukaさん、Sinkichiさん、Daichiさん、大阪だとマスモト・アツコさん、Dr Masher。もともとFireFlyで働くきっかけを作ってくれた服屋の方がFireFlyでダブのイベントをやっていたので、初めはニュー・ルーツ、ON-U関連とか、そこからNew Tone RecordsでYA△MAさんにダビーなハウスを教えてもらったりして。あ、こういうのもかっこいいなって。YA△MAさんは本当にいろいろ好みな音を教えてくれましたね。他にもAkio Nagase君からもいろいろなUKのムーディー・ボーイズとかダブとエレクトロニクスが融合してる感じのアーティストをたくさん教えてもらいました。

そこから自分でもDJをはじめたの?

G:はい。働いているクラブでイベントをオーガナイズしながら。自分でオーガナイズをすると、自分でもDJをする時間ができるので、そこからはじめました。

最初からグラウンドという名義だったんですか?

G:はい。Groundです。10年経ったときに土をつけたんですよ。Оをでっかくして、グラウンドのDを土にして(Gr◯un土)、10年目だし進化させて変えていこうと(笑)。

いまはでも普通の表記だよね。

G:いまは。この前〈ESP institute〉というレーベルからアルバムを出したんですけど、あのときに名義が英語じゃないとややこしいからというレーベル側とのやりとりがあったんです。ならGroundにしようって。DJ Ground名義でもいろいろ出していますが。いまでも日本でDJする時はGr◯un土って表記して貰ったりしてますが。

〈Chill Mountain〉というのは?

G:〈Chill Mountain〉は2005年大阪・南河内でスタートした野外のキャンプ・イベントの名前で、5年前に野外での活動はストップしたんですが。その後もコレクティブとして各自メンバーは活動しています。自分は大阪のエンジニアKabamixさんの協力もあって、Chill Mountain Recという名でレーベルを運営したり、オリジナルメンバーにDJ のTOSSYとKAZUSHI、ギタリストのCHILLRERU(現在は陶芸家の松葉勇輝)、デコレーションを担当するm◎m◎、BARBA(現在 ウッドワーカー)、デザインやSILKSCREEN PRINT(SILK LOAD)をしているMT.CHILLs。いま現在も各自、形は変われど表現者として活動しているので、タイミングでまた集まって開催したいなとも思ってもいます。

いつから曲を作りはじめたんですか? 

G:25歳とか。11年前くらいですかね。はじめはDJだけでした。働くクラブが変わって。もともと東京で〈SOUND CHANNEL〉というレーベルをやっていたTAIYOさんが、大阪、難波、味園に『鶴の間』をオープンさせて、その移転後、大阪、大正(SOUND CHANNEL)をオープンさせて、僕自身もそこで併設されてたレコ屋でAkio Nagase君のMake dub recordsを手伝いながらSOUND CHANNELで働いていました。
Taiyoさんに手伝わせて下さいって言ったのを今でも覚えています。その時にじゃあAKIOの店を手伝えよって。
いままでのオーナーはザ・オーナーという感じだったんですけど、そのクルーは自分たちでも曲を作っていて。何をやっていきたいのかをTAIYOさんに訊かれたときに、「DJで食べていきたいです」と言ったら「じゃあ曲を作らなくちゃだめだよ」って。初めてパソコンで曲を作るやり方を見せてくれたのもTAIYOさんでした。機材が無いと作れないと思っていた自分に、「MAC BOOKに元から入っているGarage Bandっていうソフトでもできるよ、初めはそこからやってみ」、と。仕事明けに横に座って付き合ってくれたのをいまでも覚えています。ヨシオ君(Dollop)も丁寧に教えてくれましたね。みなさんもうそんなこと忘れていると思いますが……。

ファースト・アルバムは2015年の『Vodunizm』?

G:はい。それまではミックスCDだったり、1曲だけコンピに提供したりしていました。2008年(『Sync』)がたぶんいちばんはじめです。

どういうコンピレーションだったの?

G:アンビエントとかブレイクビーツとか。〈Chill Mountain〉メンバーのTOSSYがO.Rとはじめたレーベルでしたね。

とにかく、ずっとアンダーグラウンドでやっていたんだ?

G:はい。オーヴァーグラウンドというものにまだ触れていません。触れる機会すらないですよ。あるんですかね? 触れる機会……。

自分の音楽性みたいなものの方向には、野外でパーティをやった影響が大きかった?

G:だと思います。

グローバル・ビートというか、エスニックな感性がグラウンド君の音楽の特徴だと思うけど、それはどこからきたの?

G:レコードを買っていくときに、無機質なものよりワールド・ミュージック・テイストなものがやっぱり好きで。どつぼやったのがオーブとか、レネゲイド・サウンドウェイヴとか、レーベルでいうと〈セルロイド〉とか。先輩がそういうのを教えてくれて。だからダブからはじまったんですよね。最初はジャマイカのダブを聴いていたんですけど、その後ダブっぽいベースラインのエレクトロニクスを好きになって。それでレネゲイド・サウンドウェイヴとかムーディ・ボ-イズとか知って。それで24歳くらいのときにイギリスに行きました。ユースさんとかアレックス・パターソンさんは実際どんな感じでやってんねやろみたいな(笑)。

会いに行ったんだ(笑)。すごいな。本人とは会った?

G:会いました。ホワイトチャペルっていうエリアに2ヶ月半くらい住んで、ユースさんがブリクストンのJammという箱でイベントしていて、通いました。もう成熟した大人の方々なので、「日本からこいつ好きで来たらしいで」みたいな感じでしたが。ただ、同世代の子がユースさんのパーティを手伝っていて、その子が興味を持ってくれて、仲良くなって。「DJやらしてもらえるように俺が言うから」ってその子が言ってくれたんですけど、しばらく住んでてヨーロッパの他の国に行ったんですけど再入国できず、結局イベントに参加できずDJできませんでした(笑)。フライヤーはいまも部屋に飾ってあります(笑)。ちょうど地下鉄テロが起きたときで、とくに厳しかったみたいですね。ドーバー海峡のトンネル経由のバスでドーバー海峡渡る前のイミグレーションで引っかかり、フランスからドーバー海峡渡れず、フランスに2週間くらいいました。

よく日本に帰ってこれたね(笑)。フランスでは何をしていたの? 

G:とりあえずパリに行って、ゲストハウス探して、荷物は全部イギリスにあったので、カバンひとつでって感じで。記憶が結構断片的というか。相当テンパってたんだと思います。泊まったゲストハウスの壁がベロンベロンに破れてたのが記憶に残ってるくらいですね(笑)。あと、大阪で過去に共演したDJの方と偶然の偶然に再会したり、みんなで地べたでサラダ作って食べたのとか覚えてますね。どこかでまた再会したいですね。パリから航空チケット買って名古屋空港経由で帰ってきました。

いきなりミックスマスター・モリスの家に行ったのも笑えるな。

G:日本人の友だちのYUKIさんという方の誕生日会をやっていて、行ったらフラットメイトがモリスさんで。レコードもたくさん持っていて、すごく優しい人でしたね。でも何年かあとに日本にモリスさんが来て、そのときのことを話したら覚えてなくて。いっしょにサン・ラーのヴィデオ見たのにって(笑)。ま、そんなもんですよね(笑)。

ALTZさんはバンドマンなので、ただのDJとは違って音楽的な部分もちゃんとあって。ああいうふうに歳をとれたらいいなぁって思いますね。みんなでバンドして楽しそうだなって(笑)。同級生の親友と見に行ったんですが、2人で見ながら、こういう風なの憧れるよなって。ALTZさんは天才です。

『Vodunizm』はどういう意味なの?

G:これは4年前に東京のDJの7eちゃんが「Voodoohop(ヴードゥーホップ)のトーマッシュというプロデューサーが来日するんだけど、絶対合うよ!」って紹介してくれて、大阪で彼をゲストに〈Chill Mountain〉コレクティブでパーティしたんですけど、そのときに。2歳かな?  僕の年上なんですけど、話をきいたら世界中を飛び回っていて。すごくおもしろいコレクティブで。世界には同世代にこういう子らがおるんかと思いました。で何故かヴォダンとかブードゥとかアフリカ発祥のいろんな文化も興味が出て調べたりして。精霊のこととか、すごくおもしろいなと思って。それでヴォダンにニズムを付けて「Vodunizm」。造語を作るのが好きなんですよ。精霊別のイメージで曲作ったりして。
トーマッシュに、どうやったらそんな風に海外を回れるのと訊いたとき、サウンドクラウドに曲をアップして良かったら連絡がくるよみたいな感じで教えてくれて。とりあえず曲ができる度にひたすらSOUND CLOUDにアップしていた時期があるんですよ。そのときにいろんな方面から連絡がきまして。そっから海外からのリリースや海外でのDJ活動もはじまりましたね。3年前にはじめてドイツ、ケルンとか、ヨーロッパに行きました。その前に韓国に行ったこととかはあったんですけど、ヨーロッパはそのときがはじめてでした。去年はメキシコ、チリ、ブラジルに行ったり。

中南米ツアーだね。それはどういう繋がりなの?

G:Voodoohopにフローレンスさんというフランス人の美しく敏腕な女性がいるんですけど、その人が全部繋いでいってくれて。ここでできるから、もう話しているからと進めてくれて。その人がチケットとかも用意してくれたり。泊まるところを提供してくれたり。本当に感謝しています。

行く先々で曲を作っているみたいだけど。

G:はい。

それはPCで?

G:いまも持っているんですけど、ラップトップだけで。あとは一応レコーダーみたいなものも持っています。それで録ったものを取り込んだり。

じゃあ誰か人の家で作るの?

G:そうですね。いちばん多いのはプロデューサーの家に行って一緒に作ろうって。あとはどこでも。アパートの階段で作ったりもしますよ(笑)。

そうやって作ったものが去年出たアルバム(『Sunizm』)?

G:これはレコードが出たのは去年ですけど、曲自体は2016年にできたものなんですよ。

これ、とくに1曲目、2曲目が最高にかっこいいです。

G:ありがとうございます。“Osaka Native”というのは、大阪ごちゃまぜで、あんまりポリシーみたいなものを持っていないというか。アフリカの音楽だけでとか南米の音楽だけでとか、僕の頭のなかではそれがごちゃまぜになって、地球民族音楽みたいな。(笑)。おもしろいところを組み合わせたらおもしろいんちゃうかなみたいな。そういうところが根本なので。“Osaka Native”も大阪ネイティヴと言っているんですけど、いろんなところの、日本民謡とかも混ぜていたりとか。結局自分は大阪人なんで。笑えてなんぼなんですよ。

なるほどね。全然大阪ネイティヴじゃないね。

G:人によってそう感じるかもしれませんが、これは自分にとっては“Osaka Native”なんですよね(笑 )。ごちゃっとした感じというかいろいろ混ざってるというか。かっこいいと感じでもらえてたら自分的には何でもいいです(笑)。

大阪の人ってそういう感覚があるよね。ボアダムスもそうだったし、いろんなものをいろんなところから持ってくる独特の雑食性。しかも、わけのわからない、脈絡のないものを持ってくるみたいなところがあるよね。

G:発想力が重要なんじゃないでしょうか? 面白さというか、人が思いつかないようなもの。とか。そういうことが沁みつきすぎていて、それが自分の色になっているんかなみたいな。これとこれは絶対やらんやろとか。そんなことばっかり。これとこれを混ぜたらめっちゃおもろいねんけどみたいな。コピーみたいなものを自分は全然面白いと思わないので。

今年出たアルバムの『Cashoeiracid』。これはいつの録音なの?

G:これは去年の音源です。去年、ヨーロッパと南米で。

大阪にいるときは作らないんだ(笑)。

G:作らないわけではないんですが、最近は海外で作ってきた作品を、大阪にあるKabamix氏のLMDスタジオでミックスを教えてもらいながら作業したり、海外で作ったものを作品として仕上げる、のに一杯一杯な所もあります。で出来上がったらリリースして次の国へ、みたいな感じです。

旅しているときに作るんだね。おもしろいね〜。

G:ずっと住んでいる場所は安心はするんですけど。初めての場所にいると全てが違うので、なんていうかゾーンに入りやすいんですよね。作りたいというスイッチが絶えず入っていて。ずっと作っています。観光いかんでいいんかとか、みんなに言われますけど(笑)。今年行ったエクアドルもけっきょく全然観光していない。ずっとPablo君(Shamanic Catharsis)とJuan diego Illescas君のスタジオで曲を作っていましたね。あ、何箇所かは行きましたよ!

グランド君の音楽のベースにあるのはハウス・ミュージックだと思うんだけど、ハウスはどこに行っても通用する?

G:難しい質問ですが。通用するとこ通用しないところいろいろあるんではないかと思います。サンフランシスコやカナダのバンクーバーの野外フェスに行ってきましたが、主流はベース・ミュージックなんだと思いましたし。世界のいまのシーンはテクノの人が多いかなと感じることはありますが。それはRAが主体な(これが世界のクラブ・ミュージックの中心)的な風潮なんじゃないでしょうか、この地球は本当に広いので、そういう媒体に取り上げられていないシーンもたくさんあると思います。そういうシーンをもっと知りたいなって。自分の目で耳で見たものが自分にとってはリアルなんで。媒体に取り上げられてない素晴らしい天才達を自分は知っているので。
インターネットが地球上に普及しているので。そういう媒体からみんなこういうのがいまの主流と錯覚して拾ってきている感じがしますね。以前だと雑誌から情報を得ていたと思うので。ただそれは全て日本人が日本人用に作ったもので、あって、という感じですね。日本で異常に人気がある海外アーティストがヨーロッパの同世代のなかでは全然知られてないっていうのもたくさんありますね。誰それ? みたいな。

すごいね。スケールがデカいなぁ。

G:10数年前に比べると自分たちの世代はめっちゃ恵まれていると思っているんですよ。インターネットにしても、海外に行くにしても、昔は本当に大変だったんだろうなと感じます。google翻訳やgoogle mapもあるし、情報を調べればなんでも出て来る。十数年前は海外の現場とかまで行くにしろ、その現地の言葉で運転手に伝えて、行くわけじゃないですか、騙されたりたくさんあったと思います。いまは最悪どうしようもなければアプリのUberに目的地入れてそこまでの料金が出てドライバーが迎えに来てそのまま現場に行けるので、騙されることもだいぶ減っていると思うんです。料金も出ているし、そのドライバーは騙したら自分のポイントも下がるので。そういう意味でもテクノロジーが発達したことによって海外でもDJは動きやすくなっているんじゃないかなと思います。自分はマネージャーもいないので、そう感じます。マネージャーがいるDJの方々はまた違うと思いますが。音源のデモテープとかもいまはメール1本で1秒後には地球の裏まで届くわけじゃないですか。なんで昔の方に比べると本当に時代が変わったんだと思います。あ、あくまで自分の場合は、ですよ。

新しいアルバムはいつでるの?

G:8月にエクアドルで作ったEPが自分たちのレーベル〈Chill Mountain Rec〉からリリースされます。いままではずっと〈Chill Mountain Rec〉という自分らの媒体でリリースもやってきているんですけど、僕はほんまにプロモーション能力もひく過ぎて。

これからもっと売れるますよ! ところでALTZ君とか元気ですか?

G:この前会いました。Kabamix氏がP.Aで所属しているALTZ.Pというバンドのリリース・パーティで豊橋まで見に行ってきました。ALTZさんの歌のパートも増えていて、ボコーダーで。めっちゃかっこよかったです。もともとALTZさんはバンドマンなので、ただのDJとは違って音楽的な部分もちゃんとあって。ああいうふうに歳をとれたらいいなぁって思いますね。みんなでバンドして楽しそうだなって(笑)。同級生の親友と見に行ったんですが、2人で見ながら、こういう風なの憧れるよなって。ALTZさんは天才です。

いまの大阪のシーンはどうなっているの?

G:一時期の壊滅期に比べると新しく発生しているクラブとかもあって。厳しい環境でも止めずにDJとして頑張ってシーンを作っている方もたくさん知っています。いま現場で残っている人たち筋金入りの本気な人たちだと思います、死ぬまでみんな活動するんだなと思います。いまは箱で働いているわけじゃないので、細かなシーンの様子は自分は把握していませんが。僕はいまレギュラーパーティを持っていないのでMamezukaさんとChariさんが主催する『奇奇怪怪』というパーティに定期的に参加させてもらっています。Mamezukaさんは京都で昔、Mashroomというクラブ作ったり、MEGA道楽というライヴや喜怒哀楽やJAMsというパーティをやっていたり、フジロックの前夜祭で毎年DJしていたり、活動、人間性、すごく影響を受けました。関西で豆さんの影響を受けた方々はたくさんいるんじゃないでしょうか。

あの人はすごい初期からがんばってるよね。同じ世代なのでね。昔からアンダーグラウンドでやっている。

G:自分にとって心のお父さんみたいな感じです。

でもマメちゃんは京都じゃなかった?

G:京都です。おもしろいパーティやってます。新しい音楽も取り入れていて。いまだに進化しています。なので、最新の音をやっていますね。クラシックに頼らず、進化する姿勢は本当に素晴らしいです。歳を取っても自分もそうありたいなと思います。ただ、マメさんはデータにはいかずに、自分の曲も絶対に「レコードで出んと俺はかけられへん」って。「マメさんめっちゃええ曲できたんですよ!」って。報告しても「ごめんな」って(笑)。レコードにならないとマメさんに使ってもらえないんで、そういう部分含めて自分にとって心の父なんです。簡単にはかけてもらえないという。
あ、でも、いちばん新しいのは「AMANOGAWA EP」というレコードなんです。ドイツの〈SVS〉というレーベルから最近出たやつで。Bartellowというドイツ人アーティストと僕が一緒にプロデュースしたやつで、彼の来日ツアー時にKabamix氏のLMDスタジオで作った曲で。
シンセサイザーにMAYUKoさん、ヴォーカルにArihiruaさんやMt.Chills、Kabamix氏も参加してくれています。BARTELLOW & DJ GROUNDという名義で出てます。それはマメさんに使って貰えるかもですね。笑

家族を想うとき - ele-king

 難しい映画ではない。が、生やさしくもない。ハードである。見終わってからしばらく席を立つことができなかった。この苦境をどう乗り越えたらいいのだろう。もう、弱者の言うことしか信じない。それはひとつあるかもしれない。イギリスのケン・ローチ監督の最新作(33作目)『家族を想うとき』は、21世紀のいま現在の労働者の置かれた過酷な状況を、飾りっ気ナシに、そして妥協ナシに描写する。例によって、たんたんとリアルな日常を余計な演出ナシに描く。それだけといえばそれだけだが、上映時間100分のあいだ、まったく飽きさせることなく壮絶な最後まで突っ走る。
 ほんのわずかだが、お茶目なところもある。ケン・ローチはそういうのが得意だ。『エリックを探して』や『天使の分け前』ように、貧しい人たちの生き生きとした姿を、ありったけの愛情を持って描いた作品はいまでも忘れがたい。新作でぼくが笑ったシーンは3つある。ひとつは、マンチェスター出身の主人公がたまたまマンUのユニを着ていたとき、ニューカッスルのユニを着た顧客と鉢会ってしまい、おたがいパチパチやりあうシーン。『エリックを探して』以来のサッカーネタだ。ふたつ目は、夫婦が知り合ったのはレイヴ・パーティだったと話すところ、で、3つ目は主人公の息子が仲間といっしょに街の広告板にタギングをするシーン……ま、最初のふたつは映画全体からすればどうでもいいちゃどうでもいいことかもしれないが、3つ目は、この映画のテーマを思えば意味深ではある。

 『家族を想うとき』がどんなストリーであるかは、配給会社のホームページ(https://longride.jp/kazoku/)を見るのが手っ取り早いだろう。簡単なあらすじだ。むくわれない労働者階級の悲哀を描いていると。それはいつものケン・ローチ節だという意見もあるかもしれない。しかし、『家族を想うとき』は映画通のための映画ではないし、この映画にしかない強烈な何かは、いま苦労して働いている多くの日本人にも充分に伝わるだろう。そう言えるだけの「現代性」がしっかりと具体的に表現されている。
 主人公は、ニューカッスルの宅配業者で、その妻は介護ヘルパー。じつに現代を象徴する仕事だ。前者は価格競争やサービス競争のしわ寄せが働き手に直に影響する業種で、後者に関して言えば、福祉国家たるイギリスがまだ存命しているというのなら、民営化されず、私企業が提供する仕事として拡大しなかったはずの業種である。
 夫婦には子供がふたりいる。長男は高校生、妹は小学生。夫婦は少しでも良い生活をと、文字通り身を粉にして一生懸命に働いている。だが、彼らを取り巻く労働環境が、結果、家族を引き裂いていく。その黒幕は、必ずしも雇用主というわけではない。20世紀的な労使関係は縮小し、21世紀においては「雇用」は「契約」という形態で拡大している。その事例が、いまイギリスで問題になっている「ゼロ時間契約」という在宅の雇用形態と「ギグ・エコノミー」というアプリ(ネット)を介して仕事を請け負う労働形態だ。好きな時間に好きなだけ働けるという働き手にとって好都合に見えもするシステムだが、その代わり労働者にとってのもろもろの保証はない。保証どころか、感情さえも付け入る隙がない。利潤追求のための労働コスト削減がいかなる現実をもたらしているのか、その残酷な実体をケン・ローチは執拗に捉える。
 企業の側に都合のいい管理体制は精密化し、労働者はただ生きるためにその悪条件を受け入れる。安部政権が失業率は下がったと言いながら非正規雇用が増加している日本でも同じようなことが起きている。NHKの「クローズアップ現代」に是枝裕和監督といっしょに出演したケン・ローチは、今日の資本主義システムがいかに労働者を弱体化させているかについて話していたが、ぼくは登場人物たちの生活におけるテクノロジーの介入(スマホ、宅配業者が手にしている装置、パソコン)も気になった。『ダニエル・ブレイク』でも主人公がパソコンに四苦八苦する場面があったように、そもそもスマホが必需品になってしまっていること自体がはなはだ疑問ではあるし、スマホから突然鳴る電子音は、場面によってはどんな効果音よりも恐怖をかき立てる。スマホから聞こえる声は雇い主だが、同時に新自由主義の声でもある。無慈悲なことを平然と言える声。従業員の家庭が崩壊しようが、不平等が常態化しようが知ったことではない。何故ならその声は、儲かるか儲からないかという基準でしか動じないからだ。トランプ、マクロン、そしてボリス・ジョンソンらがそうであるように。
 マーク・フィッシャー流に言えば、ここに描かれているのは資本主義リアリズムそのものであり、作品の背後からは、「いったい誰がこんな社会にした!?」という、去る参院選で立候補した渡辺てる子の叫び声にも似た、すさまじい憤りが滲み出ている。原題の「Sorry We Missed You」とは、配達員が不在時に入れるカードの定型文で、「残念ながら不在でした」ぐらいの意味だが、映画を見終えるとより深いところでの不在を意味する「あなたがいなくて寂しい」にも読めてしまう。

 グレてしまった息子がグラフィティライターをやっているところ、そして家族が楽しく過ごしている数少ないシーンでかかっている音楽がヒップホップという現代的なディテールも、イギリス映画らしく気が利いている。息子と娘が良い感じで描けているのも監督の力量だろうし、そしてどんなに窮しても暴力は決して認めないと。
 物語の細部にも気が配られているし、たしかにこれはセックス・ピストルズやザ・クラッシュ(ないしはザ・スペシャルズやザ・スミス)を生んだ国の映画というか、ハリウッド的な文法がないからこそ説得力があるんだというか、人気俳優も玄人筋に受けている役者も出てこない、ほとんど無名の役者たちによる、83歳の映画監督が情熱をこめてつくったポリティカル映画である。人情ドラマではない。


消費税廃止は本当に可能なのか? (2) - ele-king

私たちが日々疑問なく支払っている消費税は本当に必要なのだろうか?

 とうとう10月1日から消費税が10%に上がった。今回の消費増税に関しては、社会保障を支える為に必要だという賛成意見もあり賛否両論となっているが、ちょうどこの日にタレントのロンブー敦氏がツイッターで面白いアンケートを実施していたので紹介させてもらいたい。「さぁ今日から消費税増税 8%~10%へ どうか消費が冷え込みませんように… 僕もガシガシ消費しまくります!」と添えたアンケートでは以下のような結果になっていた。

 消費税0%に戻して欲しい! 45%
 消費税5%に戻して欲しい! 26%
 消費税8%に戻して欲しい! 5%
 消費税10%は仕方ない!   25%

 全属性がツイッター民であるというバイアスがあるものの、ロンブー敦氏のフォロワーは主にノンポリ層のはずで、その彼らが65,636票も投じているのだから、大変興味深いサンプルと言えるだろう。実に45%もの人たちが消費税廃止を望み、全体で76%が減税ないし廃止を望んでいるのである。マスコミの世論調査とは随分と違う結果になったことに驚くばかりだ。

 さて、前回コラムでは経済における「合成の誤謬」についてお伝えした。良かれと思って貯蓄や無駄の削減に励むことは、経済全体にとって富の喪失につながるという理論だ。

 この「合成の誤謬」のままに、レッセフェール的な資本主義体制を進めると、富の偏りが生まれてしまうため、政府がその財政的権力をもって是正すべく介入しなければならない。富の偏在、つまり経済的格差の拡大が経済停滞を招くことは、過去にもIMFやOECDをはじめとする国際的機関や数多くの経済学者に指摘されていて、すでに常識とされるところだが、この資本主義の負の側面の拡張を放任するばかりか、後押しし続けたのが我らが日本政府であった。

 日本政府は、公務員数や公共投資などを削り、無駄という無駄を削減し続け、財政と経済を緊縮化させた。経済が緊縮状態になると、その収縮効果に伴いデフレスパイラルが形成される。それによって所得税や法人税などの税収も減少することは火を見るより明らかだろう。しかし政府は、そのデフレにより足りなくなった税収の穴埋めを、あろうことか人々の消費行動への罰金である消費税に求め、さらなる経済のシュリンクを加速させた。

 本来ならこのことは、「合成の誤謬」だとか「レッセフェール」だとかという専門用語を使って説明する必要すらない。政府は「飢饉で米が取れないから、さらに年貢を増やす」とやっているのだから、説明不要の愚策と言える。しかもこの年貢は、飢饉で苦しむ庶民の中でも最弱者である病人や子供からも等しく徴収する人頭税に等しい。よしんばこの人頭税を課すにしても取り方というものがあるのではないか。

 庶民の消費行動に、足かせである消費税を課し、消費活動を減退させるということは、そのまま誰かの所得の減少に繋がる。誰かの所得が減るということは、その彼の消費も減り、また他の誰かの所得も減少させることになるため、ここに経済の悪循環が完成してしまう。「誰かの消費は誰かの所得」であるので、当然の帰結だ。

 実際にこの20年間(96年~16年)の日本のGDP成長は1.00倍で、まったく増えておらず、戦争や紛争が起こっている国を除けば断トツで世界最下位の成績だ。中国は13倍、米国は2.3倍、先進国で日本の次に悪いドイツでさえ1.4倍に増えている中でだ。加えて国民の年収の中央値も100万円以上も下がっている。こんな衰退国家は日本をおいて他に存在しない。日本政府や大本営マスコミは「いざなぎ越えの好景気」と喧伝するが方便でしかない。

 政府は税率を上げて庶民から召し上げ、大企業は野放図な資本主義体制のもと、庶民や中小企業からお金を取り上げる。需要の足りないデフレ下で、決してやってはならない経済運営を進めてきた。はっきり言って、わが国の「衰退途上国」化は、大企業経営者たちや無能な日本政府が推し進めてきたと言っても過言ではない。

 では、この悪循環をどう断ち切ればよいのだろうか。反緊縮派の多くは、一つに「消費税の廃止」、そして二つ目に「政府による財政出動」が有効策であると考えている。

 まず、消費税、ひいては租税の意義について考えてみたい。そもそも徴税の役割とは財源を得るためにあるのではなく、景気の調整のみにあるという考えがある。「景気自動調節機能=ビルト・イン・スタビライザー」と呼ばれる政策がそれだ。これは累進課税制度により、儲かっていない分野はそのままに、そして儲かっている分野、景気が過熱し過ぎた分野からは相応の額の徴税を通じて、景気の安定化を図ろうという仕組みだが、中学・高校の公民や政経の教科書にも載っている、いたって一般的な概念となる。

 17世紀のオランダでチューリップ・バブルが起こったことはよく知られている話だろう。人々が価格高騰するチューリップの球根への投資に熱狂し、僅か数年で球根ひとつに平均年収の10年分もの価格がつくほどになったが、突如バブルが崩壊し、価格が100分の1にまで暴落、投資家たちが債務不履行に陥り、景気が悪化したというものだ。ビルト・イン・スタビライザーはこういった過熱する分野(主に金融や不動産)に所得税や法人税などで累進課税制をしき、自動的に増税を行う形で需要を減少させ、行き過ぎた景気過熱やバブルを防ごうという考え方だ。

 立命館大学の松尾匡教授は「なぜ、わざわざ税金を取るのか。政府がお金を作り続けると、世の中にお金が出過ぎて、購買能力がその国の供給能力を超え、インフレが激化していく。これを防ぐために税金を取って購買力を抑える。目的はインフレの管理なのだ。財源が必要だから税金を取るという考えは家計の場合であって、家計と一緒にしてはいけない」と語っているが、税の役割は財源の確保のためではなく、インフレ管理などの景気調整にあるということだ。

 翻って消費税を見た場合、その景気自動調節機能がない。よく考えればわかるはずだが、消費税を課せられている病人や子供を含む庶民全般に、儲かって儲かって仕方がないという景気過熱の状況が生まれることなどあるだろうか? 答えは否である。

 もうひとつ一般的に税の役割として考えられているものが、所得や資源の再分配機能となる。しかしこれも消費税にはほとんどないと言える。そりゃそうである。病人や貧困層から税金を集めて、これを再び病人や貧困層に戻すという仕組みなのだから、二度手間だし、こんなバカげた話もない。下図のように、消費税は富裕層には優しく、貧困層には地獄のような、逆進性の高い税なのだ。これが再分配のための税といえるだろうか。


画像:山本太郎氏・街頭演説より

 因みに、諸外国の消費税・付加価値税のほとんどにはしっかりと軽減税率が設定されており、累進課税の機能も担保されているため、日本の消費税のような性格──日本の軽減税率は、主に食料品と新聞にかかる2%分のみが対象で、その他の生活必需品の購入にはそのまま10%が課税されるが、ほとんどの諸外国では日用品も軽減税率の対象となっている──にはない。そのため、日本の全国税の税収に占める消費税収の割合は、福祉国家といわれる北欧と比べても遜色ない状況になっている。

 実際に、日本の消費税収は、25%の消費税を設けるデンマークより多い状態にあるが、日本人は、北欧のような充実した福祉サービスを受けられているだろうか。このことから、北欧並みの消費税を課すべきだという議論がいかにナンセンスであるかがわかるだろう。すでに北欧並みに課税されているわけだから。

 消費税には景気自動調節機能がなく、また所得や資源の再分配機能も乏しいことがわかった。それ以外にも、日本の消費税の不公平性は多岐にわたる。すべて社会保障に使われると約束されていたはずの消費税収分の8割ほどが、実際は国債償還等に充てられ、多くが再分配されていないばかりか、通貨をこの世から消滅させているという事実まであるうえに、──前述した経済団体のロビイング活動の賜物としてだが──消費税が、大企業を優遇するための法人税減税で目減りした財源の穴埋めにも使われてきた側面もあるのだ。もしどうしても、消費税廃止の穴埋めを税だけで賄いたいと言うのなら、この30年間かけて減税してきた法人税や所得税の累進性を復活させ、租税特別措置などを元に戻せばよいだけのはずだ。


画像:山本太郎氏・街頭演説より

 今まで消費税は社会保障費を賄うために必要だと信じられてきた。「いろいろ問題があるからと言って消費税を廃止にすることまではないんじゃないか」といった意見もあるだろう。でも財源を逆進性の高い消費税に求めては、国民経済が停滞することに繋がり本末転倒だ。自らの首を絞めることに繋がってしまうのだから、再考する必要があるだろう。

 そこで、消費税収に替わる財源を得るため、そして国民経済を後押しするための政策が、反緊縮派が二つ目に挙げる「財政出動」ということになる。

 「財政出動すると財源が減ってしまうのではないか」と思われる方もいるかもしれないが、それは誤りである。財政出動すると、実体市場に通貨が創造されるので、支出することそれすなわち財源となることを意味する。

 おそらく、ケインズ派(ニューケインジアン左派、ポストケインジアン、MMTer)の議論を知らない人にとって、この「財政支出すること自体が財源となる」という概念は意味不明だろうと思う。次回はこの概念「スペンディング・ファースト(Spending First)」の説明を中心に続けたい。

Throbbing Gristle - ele-king

 高校生の僕にはけっこうな背伸びだった。それまでビートルズの“Revolution 9”以外は実験音楽というものを聴いたことがなかったので、僕にとって『D.o.A. The Third And Final Report』(1978)を聴くことはかなり大きな扉を開ける行為となった。正確にいうとクラフトワークを初めて聴いた時にも自分が何を聴いたのかよくわからなくて、「実験音楽」を聴いた時に感じるような気持ちは大いに味わってはいた。扉の向こうにクラフトワークのようなものがたくさんいる世界を勝手に想像し、扉を閉めてしまえば知らなかったことにできるとも思った。しかし、スロッビン・グリッスルはそういった感覚ともまた違った。扉の向こうにあるのは「部屋」ではなく、立ち入り禁止区画のようなもので、わくわくするような感情からはほど遠く、どちらかというと、知ってもなんの得にもならないものなんじゃないかという懐疑心の方が僕は強かった。その時の訝しさはいまでもジャケット・デザインを見るだけで思い出すことができる。パンク・ロックでさえあっという間に一般的なコモディティへと落とし込んだミュージック・インダストリーが気を利かせてつくり出すヴィジュアルとは、『D.o.A. 』のそれは一線を画していた。彼らがCOUMトランスミッションズというアート集団として活動していたことは知らなかった。しかし、彼らがどこに位置していて、ほかのものとは違うタイプのものを発信していたことは一発でわかるデザインだった。スロッビン・グリッスルのメンバーにはヒプノシスのピーター・クリストファーソンがいて、ヒプノシスがハード・ロックやプログレッシヴ・ロックのためにわざとらしいデザインを量産していたことを思うと、この変化には驚くべきものがある。現代音楽のジャケット・デザインにも多少は存在したのかもしれないけれど、それにしてもここまで即物的なデザインは珍しく、『D.o.A. 』以降、この種のアート表現は確実にスタンダード化していったことは忘れてはならない(被写体となった少女はCOUMがアート・パフォーマンスのために訪れたドイツで出会ったポーランド人アーティストの娘、カーマ)。

『D.o.A. 』の前で扉を閉めてしまおうかどうか迷っていた僕に、虚心坦懐になれるチャンスをつくり出してくれたのは音楽誌の言葉だった。『ロック・マガジン』や『同時代音楽』といった音楽雑誌でスロッビン・グリッスルが熱く語られていなければ、僕はこうした音楽がなんのためにあるのかということを考え続けることはなかったかもしれない。『ロック・マガジン』や『同時代音楽』が取り上げてきた音楽は納得のいくものが多かったので、簡単にいえば信用があったから、もう少し『D.o.A. 』に付き合ってみようと思えたのである。あるいは彼らの音楽を評して「ノイズ・インダストリアル」というレッテルが貼られたことも僕には大きかった。概念化して初めて存在が認められる音楽というか、パンク時代とはいえ、結局は好きな歌手をミーハー的に聴くという習慣しかなかった僕には抽象化という理解のレヴェルが新しい遊びのように思えたのである。知的だった。いまから思えば同じ年にブライアン・イーノ『Music For Airports』がリリースされていた。

 しかし、実際にはクラフトワークの中期を思わせる“AB/7A”ぐらいしか最初は楽しむことができなかった。メカニカルで、スペイシーで、なんともロマンティックな響きはどう考えても浮いていた。どうしてこの曲が入ったのか、それはいま聴いても謎だけれど、この曲がなかったら、僕には取っ掛かりというものがなかったままだったかもしれない。クリス&コージーの出発点だと言われれば、あーそうかとは思うし、この路線は続く『20 Jazz Funk Greats』の“Hot On The Heels Of Love”にソフィスティケイトされて受け継がれる。AB/7A”と似た曲で、アルバム・タイトルにもなっている“Dead On Arrival”が僕の心を少しスロッビン・グリッスルに近づけていく。AB/7A”よりもノイジーで、電子音で荒々しさを表現するということが少しずつ新鮮に思えてきた。AB/7A”がそうであったように、シンセサイザーという楽器はまだどこか瞑想的であったり、夢を見るようなムードと結びついていた頃なので、スロッビン・グリッスルのような使い方はまだ始まったばかりだったのである。空間をノイズで埋め尽くしてしまうことを彼らは、フィル・スペクターと同じく“Walls Of Sound”と称していて、それをそのままタイトルとした曲ではさらに混沌とし、ディストーションを効かせた「ノイズ・インダストリアル」が展開される。

 ハードでノイジーな曲ばかりではない。コージー・ファニ・トゥッティ(以下、CFT)の自伝『アート・セックス・ミュージック』を読んだ後でジェネシス・P–オーリッジ(以下、GPO)の話を信じるか信じないかは微妙だけれど、GPOは“Weeping(すすり泣き)”という曲について興味深いエピソードを語っていたことがある。この曲をイアン・カーティスが「好きだ」と公言していたことをやめさせようとカーティス本人にクレームの電話をかけ、その数時間後にカーティスは首を吊ったというのである。電話から感じとれる雰囲気に違和感があったので、GPOはすぐにジョイ・ディヴィジョンのスタッフに連絡を入れ、彼らが本気にしなかったから、カーティスを死なせてしまったのだとも。また、『アート・セックス・ミュージック』では“Weeping”がCFTと男女の関係を解消したGPOがその悲しみの中でつくった曲だということも明かされている。スロッビン・グリッスルの曲をそうした色恋沙汰の文脈で理解することはちょっとがっかりな感じもあるけれど、歳もとったことだし、そうした下世話な面白さを楽しむことも、まあ、ありかなと。同じようにCFTがソロでつくったという“Hometime”も静かで優しい響きをなびかせている。これはCFTの甥と姪が遊んでいるところをフィールド・レコーディングしたものだそうで、それこそ近年のアンビエント・アルバムには必ず1曲ぐらいは入っているパターン。CFTにしてもリュック・フェラーリのクラシック『Presque Rien No.1』(70)の真似をしただけだろう。

 スロッビン・グリッスルの音楽もすべてが新しかったわけではなく、ミュジーク・コンクレートから受け継いだものも少なからずあるだろうし、それをアカデミックな領域ではなく、ストリート・カルチャーとして展開したところは大きな可能性だったといえる。そして彼らのつくり出した図式を踏襲したミュージシャンがどれだけの数に上り、巨大な負のエネルギーの受け皿となってきたことか。サージョンが“Hamburger Lady”をサンプリングし、フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンが“I.B.M.”をサンプリングし、ディアフーフが“Blood On The Floor”をサンプリングし……

 なお、今回の再発にあたっては2011年の再発盤よりもボーナス・トラックが増え、カセットのみのリリースだった『At Goldsmiths College, London』(79)から「D.o.A.」のライヴ・ヴァージョンが追加されている。他の11曲は同じで、やはりカセットのみのリリースだった『At Butlers Wharf, London 23rd December 1979』(79)の「Introduction」を皮切りに、『At The Industrial Training College, Wakefield』(79)から「Industrial Muzak」や『At Goldsmiths College, London』(79)から“Hamburger Lady”のライヴ・ヴァージョンなどが猛威を振るう。『At Goldsmiths College, London』(79)から再録された“I.B.M.”はとくに素晴らしく、メンバーにとって思い出深いステージだったという『At The ICA London』(79)から“We Hate You (Little Girls)”が奇妙な余韻を残してすべては終わる。

Stereolab - ele-king

 ステレオラブ復刻プロジェクトがついに完結。5月の2nd&3rd、9月の4th~6th に続き、今度は2001年の7作目『Sound-Dust』と2004年の8作目『Margerine Eclipse』がリイシューされる。発売は11月29日。これまで同様、全曲リマスタリング&ボーナス音源追加。両作ともにショーン・オヘイガンが参加しており、前者ではおなじみのジム・オルークとジョン・マッケンタイアがエンジニアリングとミックスを担当している。現在『Sound-Dust』より“Baby Lulu”が先行解禁中。

STEREOLAB

90年代オルタナ・シーンでも異彩を放ったステレオラブ
10年ぶりに再始動をした彼らの再発キャンペーン第三弾発表!
『SOUND-DUST』と『MARGERINE ECLIPSE』の名盤2作が全曲リマスター+ボーナス音源を追加収録でリリース!

90年代に結成され、クラウト・ロック、ポスト・パンク、ポップ・ミュージック、ラウンジ、ポスト・ロックなど、様々な音楽を網羅した幅広い音楽性で、オルタナティヴ・ミュージックを語る上で欠かせないバンドであるステレオラブ。その唯一無二のサウンドには、音楽ファンのみならず、多くのアーティストがリスペクトを送っている。10年ぶりに再始動を果たし、今年のプリマヴェーラ・サウンドではヘッドライナーのひとりとして出演。5月には、再発キャンペーン第一弾として『Transient Random-Noise Bursts With Announcements [Expanded Edition]』(1993年)、『Mars Audiac Quintet [Expanded Edition]』(1994年)の2タイトルが、9月に第二弾として『Emperor Tomato Ketchup』(1996年)、『Dots And Loops』(1997年)、『Phases Group Play Voltage In The Milky Night』(1999年)の3作がアナログ、CD、デジタルで再リリースされている。

7タイトル再発キャンペーンの締めくくりとなる第三弾として、ジム・オルークとジョン・マッケンタイア共同プロデュースによる2001年の『Sound-Dust』と、久々のセルフ・プロデュース・アルバムとなった2004年の『Margerine Eclipse』の2作が、全曲リマスター+ボーナス音源を追加収録した“エクスパンデッド・エディション”で再発されることが発表された。また合わせて『Sound-Dust』より“Baby Lulu”が先行解禁されている。

Stereolab - Expanded Album Reissues Part 3
https://youtu.be/5mlLux_PEhc

Baby Lulu
https://stereolab.ffm.to/baby-lulu

今回の再発キャンペーンでは、メンバーのティム・ゲインが監修し、世界中のアーティストが信頼を置くカリックス・マスタリング (Calyx Mastering)のエンジニア、ボー・コンドレン(Bo Kondren)によって、オリジナル・テープから再マスタリングされた音源が収録されており、ボーナス・トラックとして、別ヴァージョンやデモ音源、未発表ミックスなどが追加収録される。


『Sound Dust [Expanded Edition]』と『Margerine Eclipse [Expanded Edition]』は2019年11月29日リリース。国内流通盤CDには、解説書とオリジナル・ステッカーが封入され、初回生産限定アナログ盤は3枚組のクリア・ヴァイナル仕様となり、ポスターとティム・ゲイン本人によるライナーノートが封入される。また、スクラッチカードも同封されており、当選者には限定12インチがプレゼントされる。さらに対象店舗でCDおよびLPを購入すると、先着でジャケットのデザインを起用した缶バッヂがもらえる。

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: SOUND DUST [Expanded Edition]
release date: 2019/11/29 FRI ON SALE

[TRACKLISTING]

Disk 1
01. Black Ants In Sound-Dust
02. Space Moth
03. Captain Easychord
04. Baby Lulu
05. The Black Arts
06. Hallucinex
07. Double Rocker
08. Gus The Mynah Bird
09. Naught More Terrific Than Man
10. Nothing To Do With Me
11. Suggestion Diabolique
12. Les Bons Bons Des Raisons

Disk 2
01. Black Ants Demo
02. Spacemoth Intro Demo
03. Spacemoth Demo
04. Baby Lulu Demo
05. Hallucinex pt 1 Demo
06. Hallucinex pt 2 Demo
07. Long Live Love Demo
08. Les Bon Bons Des Raisons Demo

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: MARGERINE ECLIPSE [Expanded Edition]
release date: 2019/11/29 FRI ON SALE

[TRACKLISTING]

Disk 1
01. Vonal Declosion
02. Need To Be
03. Sudden Stars
04. Cosmic Country Noir
05. La Demeure
06. Margerine Rock
07. The Man With 100 Cells
08. Margerine Melodie
09. Hillbilly Motorbike
10. Feel And Triple
11. Bop Scotch
12. Dear Marge

Disk 2
01. Mass Riff
02. Good Is Me
03. Microclimate
04. Mass Riff Instrumental
05. Jaunty Monty And The Bubbles Of Silence
06. Banana Monster Ne Répond Plus
07. University Microfilms International
08. Rose, My Rocket-Brain! (Rose, Le Cerveau Electronique De Ma Fusée!)

レディオヘッド/OKコンピューター - ele-king

レディオヘッドの代表作『OKコンピューター』を徹底分析!

UKロックの巨星、レディオヘッド、そして彼らを世界のトップへと押し上げた『OKコンピューター』──彼らの代表作であるこのアルバムを徹底的に分析し考察した一冊がついに刊行!

■プロフィール
著者
ダイ・グリフィス
オックスフォード・ブルックス大学専任講師。大学で30 年以上ポピュラー・ミュージックの研究を続けている。活字となった最初の記事でブルース・スプリングスティーンの『ザ・リバー』を、その後はロレイン・フェザーの「The girl with the lazy eye」などを取り上げてきた。これまでずっと歌を中心テーマとしてきたが、歌詞への興味はさらに強まり、2003 年発表の「From lyric to anti-lyric: analysing the words in popular song」は多くの方面から注目を集めた。著作としてはレディオヘッドのアルバム『OKコンピューター』、エルヴィス・コステロについての2冊が出版されている。1990年以降オックスフォード・ブルックス大学の学部および大学院でポピュラー・ミュージックについての講義を持つ。大学院生の研究テーマはジャズの歴史、映画音楽、新聞ジャーナリズム、分野の垣根を超えたアートなど、多岐に及ぶ。雑誌『Music Analysis』に「The high analysis of low music」、「After relativism」の2本を寄稿。他にもジョン・ケイルを含めウェールズのポピュラー・ミュージックについての論考がある。雑誌『Popular Music』の書評欄の編集を担当。

訳者
島田陽子
早稲田大学第一文学部英文学科、イースト・アングリア大学大学院翻訳学科卒。(株)ロッキング・オン勤務などを経て、現在フリー翻訳者として様々なジャンルで活動。『レディオヘッド/キッドA』(ele-king books)、『プリーズ・キル・ミー』『ブラック・メタルの血塗られた歴史』(以上メディア総合研究所)、『ブラック・メタル サタニック・カルトの30年史』(DUブックス)、『フレディ・マーキュリーと私』(以上ロッキング・オン)他、訳書多数。

レディオヘッド/OKコンピューター
ダイ・グリフィス(著)

■目次
序──Introduction
第一章『OKコンピューター』──OK Computer in the Recorded Past
第二章『OKコンピューター』を聴く──Listening to OK Computer
第三章『OKコンピューター』の未来──OK Computer in the future
最後に──Final thoughts
付録・参考文献──Appendix

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443