「KING」と一致するもの

Kai Whiston - ele-king

  数時間も経たないうちに、キャッスルモートン・コモンは全面的に機能する独立国家に、そこにいる者たちが全支配権を握る場所へと変容していた。イギリスのカントリーサイドにできた、自分たちの電力源、照明、住居施設、料理供給およびレジャー設備を備えた一時的自律ゾーンだった。(中略)そこになんたるカウンターカルチャーの楽園が広がっていたことか! 
       マシュー・コリン『レイヴ・カルチャー』(坂本麻里子訳)

 1988年と1989年がそうだったように、1993年もまた特別な年だった。この年、時代のモードは“E”から“L”にシフトし、アンビエントが流行って、ヒッピーがレイヴ・カルチャーに完全合流を果たした。1993年のグラストンベリー・フェスティヴァルはカラフルな絞り染めの服を着た人たちで賑わい、そしてこの年、イギリスの子供たちは家出をして、ニューエイジ・トラヴェラーズと呼ばれるトレーラーハウスに改造されたキャラバン(通称、ピース・コンヴォイ)に乗って、英国の田園地帯を漂泊するライフスタイルを選ぶようになった。
 かの有名なレイヴ禁止法、クリミナル・ジャスティスの背景にはじつはこのニューエイジ・トラヴェラーズの存在も大きかった。家出をして(近代文明を捨てて)トラヴェラーズになってしまうのは、中産階級の子供たちに多かったからだ。国から期待されている階級の若者がこぞってドロップアウトしてしまうことは、国にとって脅威であり、阻止する必要がある。
 ニューエイジ・トラヴェラーズは1993年のハイプでもあった。だから、ファッションにもなった。身なりはヒッピーでもしっかりクレジットカードを持っていたりとか、本物のトラヴェラーズがこの流行をよく思わなかったのも当然だ。とはいえ、トラヴェラーズとレイヴとの出会いは、この時代のもっともラディカルな文化形態でもあった。ぼくはその実態を知りたい一心で渡英し、(まだネットがない時代だったので)本を探して読んだり、UKの漂泊のカウンター・カルチャーについていろいろ調べたりもした。
 簡単にまとめると、これは60年代末におけるヒッピー時代のフリー・フェスティヴァル(金儲けのためにやらない、無料のフェス文化)に端を発している。70年代になるとハードコアなヒッピーたちは、バスやキャンピングカーなどを改造した車で暮らす、ノマディックな人生を選択するようになる。そして、古代文明で知られるストーンヘンジを聖地とし、かの地でフリー・フェスティヴァルをおっぱじめるのだった。やがてそこにアナーコ・パンクが合流、80年代にはヒッピー、パンク、左翼、アナキスト、反戦、環境系なんかの寄せ集めとしてこのアンダーグラウンド・シーンは活気づき、さらに発展していく。
 しかしながら、ときの首相サッチャーはこの事態を放っておくほど寛容ではなかった。本気でトラヴェラーズを叩きつぶそうと、1985年のストーンヘンジのフリー・フェスティヴァルに1300人以上の警官隊をかり出している。応戦したヒッピーと警察との内戦のごとき激突は、戦後最大の逮捕者を出した、通称「ビーンフィールドの戦い」として語り継がれている。
 政府からの厳しい弾圧によって、しばらくのあいだウェールズの森や山に潜伏していたトラヴェラーズだが、彼らはレイヴ・カルチャーと出会ったことで、ふたたび息を吹き返す。そのもっとも象徴的な出来事は、1992年の5月、キャッスルモートンで起きている。フリー・フェスティヴァルを目指して移動中だった400台のピース・コンヴォイが、警察網をかいくぐってキャッスルモートンに集合すると、〈DIY〉や〈スパイラル・トライブ〉のようなサウンドシステム所有者が合流し、ほとんどアドリブでパーティがはじまった。この騒ぎはニュースとして報道されたが、むしろそれが宣伝となって、全国からレイヴァーやなんかがぞくぞくと集まってきたしまった。で、結局のところそれは1週間ぶっ通しでおこなわれ、延べ4万人を動員したと言われる、巨大なフリー・レイヴと化したのだった。ストーンヘンジ・フリー・フェスティヴァル以来の大騒ぎとなったこれが当局を本気にさせてしまい、CJBへの引き金となるのだが、その一方でトラヴェラーズは、ポップ・カルチャーにおける文化的な勢力として『NME』の表紙を飾るほどの存在にもなった。ちなみ表紙の写真はミュージシャンではなくピース・コンヴォイだった。
 
 カイ・ホイストンは、ニューエイジ・トラヴェラーズだった両親のもと90年代末に生まれた。小さな村の、16歳の子供部屋のようなポスターだらけの家だったという。彫刻家だった父親はカイが幼少のときにドラッグが原因で死んでしまった。母親はレイヴのフライヤーや壁画などを手がけるヴィジュアル・アーティストで、田舎町では当然のことながら目立つ親子だった。子供のころのカイは、ただただ普通になりたかったという。
 10代のなかば、カイは低所得者向けの政府の制度によってパソコンを手に入れると、インターネットに没頭した。YouTubeにハマって、音楽にも関心を抱くようになった。そしてEDMを入口にして、続いてエイフェックス・ツインやダフト・パンクなど、とにかくエレクトロニック・ミュージックを聴くようになった。高校卒業後は母親に反発してビジネスのために大学に進んだが、何年かして彼が選んだのは音楽だった。
 インターネットを介してIglooghostと知り合い、彼といっしょに立ち上げたレーベル〈Gloo〉から最初のアルバム『Kai Whiston Bitch』を出すのは、カイがまだ20歳ぐらいの、2018年のことだ。それからカイはじょじょに頭角を表していった。前作『No World As Good As Mine』はいちぶで高い評価を得て、本作『Quiet As Kept, F.O.G.』に関して言えば、リリースする前から話題だった。彼個人のレーベルからのリリースになるこの最新作のコンセプトがニューエイジ・トラヴェラーズであることは、注目するに値する。
 
 「ニューエイジ・トラヴェラーズは間違っていなかった」と、クワイエタスのインタヴューでカイは話している。「宇宙人はたしかに存在し、ストーンヘンジで活動している」。初期のトラヴェラーズは、古代人(ないしはケルト文化)に共感し、宇宙人と交信するためにストーンヘンジに集まっていたのだ。
 それはさておき、カイは3年かけてこのプロジェクトに取り組んだという。最初は『Mono No Aware』に触発され、複雑で美しい音楽を作るところからはじまったというが、制作過程において、差別やタブーに耐えられず、長いあいだ自ら抑圧してきた自身のバックグラウンド──トラヴェラーズの文化──を解放することに決めた。ゆえに母親との対話は重要で、彼女は息子に、ビーンフィールドの戦いやキャッスルモートンについて教えた。トラヴェラーズは、「政治的な意味合いも含めて、時代を先取りしていた」とカイは語っている。

 じっさいオープニングの“Between Lures”は、リスナーを1993年の英国の田園風景へと連れていくかのようだ。エイフェックス・ツインの“Xtal”でお馴染みの、ストリングスにフワフワしたシンセサイザーのリフ、そしてブレイクビーツの組み合わせがここにもある。プッシー・ライオットが歌っている“Q”はガバに近いハードコアで、宇宙人と交信する“Carrier Signal”ではトランシーなテクノを持ってくる。その名もずばり“Peace Convoy”は、メランコリックなベース・ミュージックが下地になっている。そしてジャングルの“ T.F.J.”へと続いていく──
 彼の音楽を説明する際に、ベース・ミュージックだのジャングルだのトランスだのと、スタイルを指す用語をぼくは使っているが、それらはその曲の説明として当たってもいるが大きく外れてもいる。というのは、カイ・ホイストンの音楽は、Iglooghostと同様に、デコンストラクト・クラブないしはポスト・クラブなどと呼ばれている、ハウスやテクノに対するポスト・モダン的な展開でもあるからだ。現実の現場(デトロイト、シカゴ、マンチェスター、ロンドンなどなど)の歴史とその社会のなかで生まれたスタイルではなく、いまあなたが文章を読んでいるここ(インターネット環境)から生まれている。そこでは空しいほどあらゆるスタイルの結合が可能で、だからなのだろう、ポスト・クラブの作品には、オリジナルのテクノやハウスよりも格段と音数が増えてしまっている。ジョイ・オービソンがジャングルをやれば1992年の音と直結するかもしれないが、カイがジャングルをやってもそうはならない。
 “Between Lures”のMVで、カイは賢明にキャラバンをひっぱたり押したりしながら、最後は、トラヴェラーズと警察との戦いの記憶と共に焼き払ってしまう。祝福、絶望、そして訣別が入り混じったその映像がほのめかしているように、本作はあの時代の再現ではなく、現代の文脈とサウンドをもってダンス・ミュージックを追求している。リスキーな人生を歩んできた彼の母親はこのアルバムに参加しているが、キャッスルモートンからちょうど30年後、その場にいた女性からやがて生まれた子供がこんな作品を作るというのは、決して悪い話ではないだろう。


※なお、トラヴェラーズとレイヴ・カルチャーの蜜月とその分裂に関して詳しく知りたい方は、冒頭に引用したマシュー・コリン『レイヴ・カルチャー』の6章を参照してください。

TYPE NINE - ele-king

 東京からハード・テクノを発信する〈09recordings〉と最近はテクノやハウスをモチーフにすることの多いファッション・ブランド〈WATERFALL〉がコラボTシャツをリリース。これは10月22日、青山VENT(Wall&Wall)にて開かれる〈09recordings〉主催の「TYPE NINE」にて限定発売される。
 ちなみに、同パーティには〈09recordings〉レーベルのオーナーで、東京のハード・テクノ・シーンを代表するDJ/プロデューサーのひとり、SHINICHIRO IMANARIをはじめ、レーベルの共同運営者でありDJのShintarø Kanie、テクノ界のレジェンド、DJ WADA、欧州からハード・テクノの使者AnGy KoRe & Gabriel Padrevitaなど、“ハード”にこだわったDJたちが集結する。速めのBPMのテクノやミニマルでがっつり踊りたい人たちはチェックして欲しい。

 なお、太っ腹な〈09recordings〉と〈WATERFALL〉から、エレキング読者に「TYPE NINE」コラボTシャツ1枚、〈WATERFALL〉から「DETROIT TECHNO」Tシャツ1枚、12月24日にCircus Tokyoにて開催される「TYPE NINE」へ来日予定のハード・テクノのレジェンド、PETDuoがデザインした「got techno ?」Tシャツ1枚の計3枚(サイズはL)をプレゼントします。
 応募は、info@ele-king.netまで、「好きなハード・テクノ・トラックを1曲」とご希望のTシャツを書いてメールをください(件名は、「〈09recordings〉〈WATERFALL〉Tシャツ・プレゼント」。名前不要)。当選者には編集部からメールを差し上げます。締め切りは、10月18日正午。Tシャツを着て「TYPE NINE」で踊りましょう!


①TYPE NINE×WATERFALLLコラボTシャツ L


②デトロイトTシャツ


③PETDuoデザインTシャツ


interview with Strip Joint - ele-king

 自由を我(ら)に。そんなタイトルをデビュー・アルバムのタイトルに冠した、まだ若いインディ・ロック・バンドが現れた。ここ日本からである。いまの閉塞的な日本で生きる若者たちが思い描く「自由」とは、いったいどのような感触をしたものだろうか?

 Strip Joint のファースト・アルバム『Give Me Liberty』には、その感触のようなものがたくさん入っている。溌剌としたギター・ロック・チューン “Leisurely”、“Lust for Life” にはじまり、ウェスタン・テイストのあるトランペットが印象的な “Hike”、ジョイ・ディヴィジョンやギャング・オブ・フォーのリズム感覚を想起させる “Yellow Wallpaper” ……と、アルバム序盤からアレンジメントの多彩さとアンサンブルの完成度の高さに驚かされるが、それらは海外のインディ・ロックからの影響をたっぷりと吸収したものだ。この内向きな国から「自由」を思うとき、海の外のインディペンデントな音楽を聴くことは彼らにとって必然だったのだろうと感じさせる。そしてそれらの曲はすべて、はちきれんばかりにエネルギッシュだ。
 Daiki Kishioka を中心として2017年から Ceremony として活動をはじめ、メンバー・チェンジと改名を経て、ライヴハウス活動をメインに地道な活動を続けてきた Strip Joint。男女6人編成のこのバンドは、トランペットとキーボードを生かした、いわゆるギター・ロックのステレオタイプをはみ出すスタイルをすでに獲得しているところがまずその魅力である。マリアッチに影響されたインディ・ロック・バンドを連想する “Against The Flow” や、ミドル・テンポで鍵盤の響きを生かしながらリリカルに情景を描いていく名曲 “Oxygen”、“Liquid” など、アルバム後半のナンバーは多楽器によるアンサンブル志向の米国インディ・ロックを彷彿させる。歌詞を書く Daiki Kishioka が英米文学の素養があることもあって言葉は英語で(CDには日本語対訳が掲載されている)、積極的に国外の音楽と文化的・感情的に繋がっていかんとする意思が表れている。

 以下のインタヴューでは、最近は同時代のインディ・ロックを意識的に聴き過ぎないようにしていると Daiki Kishioka は話しているが、やはり現行のUKインディ・ロックの活況とシンクロする部分があるのではないかと自分は考えている。ジャンルも編成もスタイルも好き勝手にやっている彼らを指して、もう何度めかもわからない「ポスト・パンク・リヴァイヴァル」ではなく、近年は「ポスト・ブレクジット・ニューウェイヴ」とする表現もあると聞くが、その、「何でもアリ」すなわち「この窮屈な場所からどこへだって行ける」という感性は、海の外のインディ・ロックに影響されていなければ得がたいものだったろう。偉そうな大人たちがめちゃくちゃにした彼らの現在からも、生まれる何かがあるのだと──『Give Me Liberty』のクロージングを飾るアップテンポのロックンロール・チューン “Suddenly I Loved You” の自由な輝きを聴くと、そんなふうに思えてくる。

みんなが同じ音楽に熱狂するっていうことをミュージシャンがしていていいのかなって思うようになって。みんなと違うところを発見するのが俺のやるべきことだと思うようになったので、最近は新しいものを追いかけなくなりました。

今日は、いまの20代がなぜ海外のインディ・ロックに影響を受けたロック・バンドをやっているのかを聞きたいと思っています。岸岡さんはアークティック・モンキーズとの出会いが大きかったとのことですが、彼らに対して「自分の音楽だ」みたいな感覚があったのでしょうか。

Daiki Kishioka(以下、DK):アークティックに関しては、インディ・リスナーとしていろんな音楽を聴くなかで、アレックス・ターナーの音楽性の変化や、言っていることの変化、佇まいの変化を追っていくのが楽しかったんです。そのレベルまで好きになれる唯一のバンドでした。

そういう存在はアークティックが初めてだったんですか?

DK:じょじょにそういう存在になって。いまに至るまで特別ですね。

野田:アークティックは後追いだよね?

DK:後追いです。4枚目(『Suck It and See』)がすでに出ているときに知って、リアルタイムで聴き出したのは5枚目(『AM』)からですね。

野田:そうなんだ。ぼくはやっぱり1枚目(『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』)をいちばん聴いたけどね。どれがいちばん好きなの?

DK:3枚目(『Humbug』)、4枚目ですかね。

野田:そうなんだ。1枚目はダメ?

DK:ダメじゃないですけど、23、4歳くらいになってくると、聴けないですね。

えー(笑)!(木津は当時21歳)

野田:ぼくは40歳過ぎて聴いてたよ(笑)。

(一同笑)

じゃあ、もうすぐ出る新譜(『The Car』)も楽しみですね。

DK:そうですね、純粋にファンとして。

それまでも岸岡さんは親御さんが持っていたポスト・パンクのレコードを聴いていたということですが、世代的には、海外のインディ・ロックを聴くひとが周りに少なかったんじゃないかと思うんですよ。J-POPはともかくとしても、海外の音楽でもラップやポップスのほうが勢いがあったと思うし。そんななかで、どうやって海外のロックを発見したんですか?

DK:音楽体験の最初期は小学生のときまで遡りますけど、それこそ、クラスメイトがJ-POPのコンピレーションを作って配ってたりしていて。でも、その「キミとボク」みたいな世界観に入りこめなくて。そもそも小学生の恋愛なんて恋愛以下だし、入りこめるわけないじゃないですか。でもみんなが、大人の欲望を模倣するというか、それを自然なものとして受け入れているのにまず違和感がありました。それよりも、言葉はわからないけど、もっとシンプルでパワフルなもののほうがいいじゃんって思っていたのが小中学生のときですね。フー・ファイターズやグリーン・デイからロックに入り……、家にもストーン・ローゼズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、あとシャーラタンズ、オーシャン・カラー・シーンなんかがあったんですよ。

それは充実したレコード・コレクションですね。

DK:ありきたりなポップ・ミュージックじゃなくて、聴きながら陶酔的になれるものですね。高校生のときにギターを買って、そういうのを流しながら自分でアンプ繋いでいっしょに弾いてました。その頃にバンドをはじめましたね。最初はドラマーで。芸術系の高校に行ってたひとに誘われて、彼は若いのにアーティストとしてやっていくことに意識的でした。ザ・ホラーズフランツ・フェルディナンドみたいな、ポスト・パンク・リヴァイヴァルの美学を自分たちに課してやっていたひとたちで。自分で哲学持って音楽をやろうと思ったのは、そのバンドからの影響が大きかったです。

なるほど。僕は自分の経験として、10代のとき音楽のテイストが合うひとを周りに見つけにくかったんですけど、岸岡さんは音楽の話が合うひとやコミュニティとの出会いはスムーズだったんですか?

DK:それは、ツイッターで。

へえー! でも、いまっぽい話かも。

DK:学校では、俺が「アークティックいいぜ」って周りに薦めると2人ぐらい「いいね」って言ってくれたんですけど、いっしょに音楽をやろうとはならないし。自分の世代だと中2か中3ぐらいでみんなツイッターをはじめるので、ネット上でみんなが自分の好きなものにワイワイ言う、みたいなものは見ていました。当時 The 1975 が出てきたとこで、「あいつらはカッコいいのか」みたいな議論があったりして。そこで知り合ったひとに誘われました。

なるほど、ちょっとひねくれた集まりのなかから(笑)。その後、岸岡さんご自身が Ceremony を作って、それが Strip Joint になっていくわけですけど、それも自然と音楽志向の合うひとと出会っていったんですか?

DK:オリジナル・メンバーのうち、いまもいるギターの島本さんは趣味が合う感じでしたね、ザ・スミスとかが好きで。ドラムの西田くんは、もうちょっとオルタナとかエモ寄りです。学生のつながりのなかで、「こいつならいっしょにやれる」って思えるひとを探してきたって感じでしたね。

音楽的なテイストで言えば、インディ・ロック志向の強いひとを集めた感じなんですか?

DK:ポスト・パンク・リヴァイヴァル以降の流れのインディ・ロックは自分にとってはいちばん思い入れがありますが、メンバー全員にとって特別なジャンルかと言われるとそうじゃないと思います。西田はヒップホップやハードコアも好きだし、ジャズやフュージョンなど、それぞれに幅広く聴いてる感じです。

野田:ちなみに Ceremony っていうのはジョイ・ディヴィジョンの曲名から取ったの?

DK:なんとなく頭にはあったんですけど、取ったというわけではないんですよ。

僕の印象としては、とくに活動初期は英国ポスト・パンクからの影響が強いように感じたんですけど、ポスト・パンク・リヴァイヴァルも含めて、惹かれたポイントはどういったところだったんですか?

DK:そもそもオリジナル・ポスト・パンクは通ってなくて、あとから雑誌で得た知識なので、そこについて語るのはちょっと気が引けるんですけど。ただ、機械的で痙攣するようなビートや、ダンス・ミュージックなんだけど不自然なダンス感覚なんかは、ジャンルとしてのポスト・パンクの好きな部分かな。

まずは何よりもサウンドの部分が。

DK:踊れるっていうのが大きいですね。

なるほど。あと、Strip Joint はバンド・アンサンブルとしてはトランペットとキーボードがいることによる個性も大きいですよね。それらが必要だと感じたのはなぜだったんですか?

DK:小さい頃からテレビで演歌が流れるとよく聴いていたんですけど、非ロックの要素がたぶんもともと好きだったんですよ。それこそアークティック・モンキーズも、ある時期から60年代頃のポップスからの影響を受けてますけど──ザ・スリー・ディグリーズやオージェイズみたいなコーラス・グループなんかに──、「こういうの俺も好きだな」と早い段階から思っていたので。本当なら小さいオーケストラを入れたいぐらいで。あとはキング・クルールが出てきたときに、「やべえ」ってなって(笑)。ここ5年ぐらいですかね、いわゆるインディ・ロックが音楽的に広いジャンルになったのと共振したいという想いもありました。

社会からのメッセージをひとつひとつ聞いているとしんどいじゃないですか。自分のナマの感情が死んでいく感じがする。そういったものに対して反抗をしてもいいんだぜ、みたいなところですかね。

いまのキング・クルールの話は象徴的なように思いますね。ここ10年くらいで注目されるUKのインディ・ロックは音楽的により折衷的になっていますが、そういう同時代のバンドの動向はやはり気になっているんですか?

DK:かつては気になってましたが、みんなが同じ音楽に熱狂するっていうことをミュージシャンがしていていいのかなって思うようになって。みんなと違うところを発見するのが俺のやるべきことだと思うようになったので、最近は新しいものを追いかけなくなりました。

そうだったんですね。ただ、メンバー間でいま熱い音楽みたいな話にはなるんじゃないですか?

DK:長谷川白紙が熱いという話はありましたね。あと藤井風とか。

へえ! それは意外かも。

DK:たとえばブラック・カントリー、ニュー・ロードは話題にすら挙がらないですし……。たぶん、みんなチェックはしてると思うんですけど。

えっ、それも意外です。

DK:自分たちとやってることが近いかも、みたいな意識もあまりない気がします。やっぱり背景からすべて違いますからね。

なるほど。バリバリ意識してるのかなと勝手に思っていたので、それは面白いですね。いま名前が出たブラック・カントリー、ニュー・ロードはアンサンブル自体が民主的に作られているという話もありますよね。Strip Joint は岸岡さんがリーダーということですが、サウンド自体はメンバーの意見が反映されてどんどん変化する感じなんでしょうか。

DK:俺がリーダーとして最終判断をする立場にあるので、「これでいいかな」みたいな感じでメンバーが聞いてくるというのはあります。ただ、アルバムに入っている “Hike” と “Against The Flow” って曲は1年半前くらいにリハをしたときに、俺がスタジオに入らず、他のメンバー5人でアレンジを考えてもらったことがあって。

“Hike” と “Against The Flow” はアルバムのなかでも、とくにアレンジが異色の曲ですよね。

DK:それで面白いアイデアが出てきたので。なんとなく西部劇っぽいイメージみたいな話はしてたんですけど、あそこまでドラマティックに大仰な感じになると思っていなかったので、びっくりしました。アルバムは半分ぐらいがメンバーのアイデアを有機的に生かしたもので、残り半分は俺が頭のなかで緻密に組み立てたものをみんなにそのまま演奏してもらった感じです。ゆくゆくは有機的な部分がもっと増えていったらいいなって思ってますけど。

いまのはいい話ですね。“Hike” や “Against The Flow” がアルバムに入っていることによって、Strip Joint の個性が目立っているところがあると思うので。いっぽうで、歌詞の世界観やテーマはどんなふうにメンバー間でシェアしているんですか?

DK:みんなでアレンジを練るっていうのはありつつも、まずはデモを俺が渡しているので、そのときに歌詞を見てもらう感じですね。

歌詞が英語なのは自然な選択だったんですか?

DK:最初にはじめたバンドが英語だったので、その延長でしかできてないっていうのはあります。いつか日本語でも書けるように、もっと幅を広げていく必要があるんだろうなとは思ってるんですけど。聴いてきたものの影響を素直に出したというのもあったし、リズム感が好きというのもあります。

サウンド的にもフィットする?

DK:それはそうですね。英語できちんとポップスを作ることも、日本人がやってできないわけがないじゃないかという想いはあります。

あと、岸岡さんが英米文学の素養があるのも関係しているのかなと僕は想像しているんですけど。

DK:そこは出したかったんでしょうね。こういうのを知ってるぞ、というのは(笑)。

(笑)具体的に、アルバムに入っている文学からの影響はありますか?

DK:“Yellow Wallpaper” って曲は、シャーロット・パーキンス・ギルマンの同名の小説(邦題『黄色い壁紙』)から取ってます。それがすごく面白い小説で、いまはフェミニズムの文脈で評価されている短編なんですけど。女性が主人公で、医者の夫に「あなたは安静にしてなければならない」と言われて、言われたとおりにしていたら頭がおかしくなって、壁紙からひとが出てくる妄想を抱くという内容のホラーです。現代で生きることの抑圧みたいなものを、そこから着想を得て自分なりに書いてみようと思いました。

そうだったんですね。アルバム・タイトルの『Give Me Liberty』はエミリー・ブロンテの同名の詩からの引用ということでしたが、フェミニズム文学からの影響は意識的にあったんですか?

DK:うーん、それは偶然だと思います。

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自分たちがやってることの意味を話し合おうよっていう時間があって。で、大事なのは自由なんじゃないかって話が出たんですよ。そのときは「Liberty」って言葉は出てないですけど、たぶんそのことが頭にあって

最近は変わってきていますけど、インディ・ロックは長らく白人男性中心の文化でもありましたよね。いまの話って、偶然にせよ Strip Joint にフェミニズム文学の影響が入っているのが面白いと思ったんですよ。Strip Joint はメンバーの男女比が自然に半々になっているのもいいなと個人的は感じています。

DK:それは自然な成りゆきでしたね。まあでも、俺の性格的に男友だちよりも女友だちのほうができやすいというのもあります。

へえー! いいですね。

DK:最初、島本さんを誘ったのも話しやすかったし、音楽の趣味があったというのがあって。はじめサポートで入ったトランペットの雨宮さんとキーボードの富永さんは、島本さんのサークルの友人だったので、それも自然な流れでしたね。

日本のインディ・ロックのシーンもまだまだ「男子」が中心の文化なのかなと、僕は個人的には感じてしまうところがあるんですけど、Strip Joint は自然と男女が混ざっている感じがあって現代的だなと思います。ただ、メンバーがやや多いなかで苦労することはありますか?

DK:うーん……ステージが狭い。

(笑)でも、それはカッコいいと思いますよ。

DK:そうですか(笑)。ギターとか当たりそうになりますね。

逆に、6人いることの強みは感じますか?

DK:面白い音楽をやっているなってパッと伝わりますし、そう言われることも多いですね。サウンドの幅も広がりますしね。ギター、ベースだけじゃできないオーケストレーションがあるので、作曲者としてのやりがいはあります。面白いバンドのコンポーザーでいられるのは楽しいですね。

岸岡さんはピアノを学ばれていたということもあると聞きましたが、コンポーズしたい気持ちも強いんですね。

DK:そうですね。

そのコンポーザーとしての姿勢もあって『Give Me Liberty』はアレンジメントの幅が広いのがいいと思います。こういうファースト・アルバムにしたいというのは事前にあったんですか?

DK:これまでもアルバムを作ろう作ろうと言ってたんですけど、自分たちにアルバムを作る能力があるんだろうかと不安に思ってたんですよ。で、曲がいろいろあるなかでどうやってレコーディングしようか悩んでいたところを、〈kilikilivilla〉の与田さんに出会って。それでいろいろ相談できて、レコーディングのこともわかっている方がいてっていうところで、ようやく自分たちのベストを尽くすのを心置きなくできる状況になりました。時間があったのでデモを作りためることもできて……、だから純粋に自分たちにできるベストをやろうっていうのがいちばん大きかったですね。

それはファースト・アルバムらしい話ですね。与田さんからリクエストはあったんですか?

kilikilivilla与田:とりあえず4年ぐらい活動していたなかからベストを選ぼうって感じですね。アルバムとしてのイメージというよりは、この曲は入れてほしい、この曲はこういう感じにしてほしいというようなリクエストはけっこうしました。

なるほど。ちなみに最高のファースト・アルバムと言われて思いつくのは?

DK:まあアークティックでしょうね(笑)。

野田:やっぱり1枚目もいいよね(笑)。

DK:MGMTのファースト(『Oracular Spectacular』)も最高ですね。あとはやっぱりオアシスじゃないですか。あとさっき与田さんとも話してたんですけど、プライマル・スクリームのファーストも最高ですね。

それらに共通するものってありますか? なぜ最高なのか。

DK:瑞々しさ、ですね。自分たちのファーストがどんな価値があるのかわからないので、並べていいのかわからないですけど(笑)。

いや、全然並べてだいじょうぶだと思いますよ。とくに達成感があるのはどんな部分ですか?

DK:時間かけて準備したのもあって、同じような曲ばかりじゃなくて、バラエティのあるものにできたとは思います。あと、昔の曲を突っこむこともしたんですけど、そのままでは入れたくなくて、歌詞の書き換えもしたんですよ。英語圏のひとに読まれても、文学的な意味で言いたいことが何かというのは伝わるものになっていると思います。

なるほど。これは野暮な質問ですが、その「言いたいこと」をあえて説明するとどういうものになりますか?

DK:そうですね……まともに生きていて、社会からのメッセージをひとつひとつ聞いているとしんどいじゃないですか。自分のナマの感情が死んでいく感じがする。そういったものに対して反抗をしてもいいんだぜ、みたいなところですかね。

いまの社会の閉塞感に対する苛立ちがある?

DK:ボーッとしてると、自分のなかにある感受性や、心を動かす想像力がだんだん薄れていくのがわかるし。そうじゃないときの自分のほうが好きだから、それを忘れないという決意表明として曲を書いているところはあります。

ギター、ベースだけじゃできないオーケストレーションがあるので、作曲者としてのやりがいはあります。面白いバンドのコンポーザーでいられるのは楽しいですね。

アルバム・タイトルのなかの「Liberty」というのも、社会的な言葉でもありますよね。このタイトルにした理由をあらためて教えてください。

DK:メンバーで自分たちがやってることの意味を話し合おうよっていう時間があって。で、大事なのは自由なんじゃないかって話が出たんですよ。そのときは「Liberty」って言葉は出てないですけど、たぶんそのことが頭にあって、パラパラと詩集をめくってるときに目に留まった言葉です。自分が大事にしていることを端的に表したいい言葉だと思ったし、バンド・メンバーと共有できるとも思ったし。メッセージ性があるのもいいと思いました。

そういうところも含め、Strip Joint はインディらしいDIY精神があるバンドだと思います。そういったインディペンデント精神はライヴハウスでの活動ともつながっていると感じますが、Strip Joint にとってライヴ活動を続けていく意義はどういうところにありますか? かなり頻繁にライヴをすることを自らに課しているそうですが。

DK:バンドの数が多いなかで、きちんと存在をアピールしないとあっという間に忘れられるっていうのを、一年くらい活動しなかった時期に体感してるので。そこは責任を持ってライヴを続けていきたいと思っています。いまやっている規模よりももうちょっと集客できるようになって、これまでお世話になってきた小さなライヴハウスに恩を返したい気持ちもあります。ただ、自分たちのやりたいことをやって、自主企画をやって、ってしていてもなかなかうまくいかないことが多くて。これからどんどん大人になっていくなかで、不安や自信の持てなさのほうが正直大きい。圧倒的に売れなかったとしても健全にバンドを続けていくあり方を探すというのは、今後のシリアスな課題ですね。

その不安のなかでもとにかく動く、っていう時期なんでしょうか。

DK:そうですね。月イチで必ずライヴをして、次のアルバムも作って、みんなで協力していきたいというところですね。

そんななかで、自主企画イベント〈iconostasis〉では多様なミュージシャンが出演されているとのことですが、ああいったイベントをするモチベーションはどんなものですか?

DK:10代のときに東京に出てきて、インディ・ロック・バンドの出てるイベントにテクノやトランスのアクトが出演し、彼らがジャンルの垣根なく情報交換していたりしていたのを見てたんですよ。そういうパーティがすごくカッコよかったんですよね。バンドが順番に出てきて、終わったらライヴハウスのひとに頭下げて、打ち上げして、みたいなのじゃなくて、アーティストそれぞれが主体的にやっているのがいいと思ったし。自分がバンドをやるなかでも、いわゆるバンド・イベントみたいなものじゃないものをイチからやりたいと思っていましたね。今回はずっと続けていたことの集大成として企画しました。

いやほんと、アーティスト主体であるのが伝わってくるイベントですね。では最後に、Strip Joint としての今後の最大の目標は何でしょう?

DK:10年後、20年後にも、自分の書いた曲に誇りを持って演奏できていればそれでいいと思います。

そのためにもっとも必要なことは何だと思いますか?

DK:日々めげずに、前向きに、やるべきことをやっていくことかなと思います。

それはストイックな。これからの地道な活動に期待しています。

DK:ありがとうございます。

 インタヴューの後日、小岩のBUSHBASHで開催されたStrip Joint主催のイベント〈iconostasis#7〉に足を運んだ。そこには洒落ているが自然体のインディ・キッズたちが集まっていて、思い思いに個性的なインディ・ミュージシャンたちの音を楽しんでいた。
 6人には狭く見えるステージに登場した Strip Joint は、生演奏でも高いアンサンブル力を発揮し、集まったオーディエンスの熱を上昇させていた。アルバム収録曲以外にもジャジーな揺らぎが感じられる実験的な曲も披露され、バンドのさらなるポテンシャルを思わせる一幕もあった。が、何より重要なのは、大きな場所でなくとも、確実に自分たちの手で音楽をシェアする空間を作り上げようとする意思が漲っていたことだ。Strip Joint がより多くのひとに発見されるのは、そう遠くのことではないだろう。

Zettai-Mu“ORIGINS” - ele-king

 大阪の KURANAKA a.k.a 1945 が主宰するパーティ、《Zettai-Mu “ORIGINS”》最新回の情報が公開されている。今回もすごい面子がそろっている。おなじみの GOTH-TRAD に加え、注目すべき東京新世代 Double Clapperz の Sinta も登場。10月15日土曜はJR京都線高架下、NOONに集合だ。詳しくは下記よりご確認ください。

Zettai-Mu “ORIGINS”
2022.10.15 (SAT)

next ZETTAI-MU Home Dance at NOON+Cafe
Digital Mystikzの Malaが主宰する UKの名門ダブステップ・レーベル〈DEEP MEDi MUSIK〉〈DMZ〉と契約する唯一無二の日本人アーティスト GOTH-TRAD !!! ralphの「Selfish」 (Prod. Double Clapperz) 、JUMADIBA「Kick Up」など(とうとう)ビッグチューンを連発しだしたグライムベースミュージックのプロデューサーユニット〈Double Clapperz〉Sinta!! CIRCUS OSAKA 人気レギュラーパーティー〈FULLHOUSE〉より MileZ!!
大阪を拠点に置くHIPHOP Crew〈Tha Jointz〉〈J.Studio Osaka〉から Kohpowpow!!
27th years レジテンツ KURANAKA 1945 with 最狂 ZTM Soundsystem!!
2nd Areaにも369 Sound を増設〈NC4K〉よりPaperkraft〈CRACKS大阪〉のFENGFENG、京都〈PAL.Sounds〉より Chanaz、DJ Kaoll and More!!

GOTH-TRAD (Back To Chill/DEEP MEDi MUSIK/REBEL FAMILIA)
Sinta (Double Clapperz)
MileZ (PAL.Sounds)
Kohpowpow (Tha Jointz/J Studio Osaka)
and 27years resident
KURANAKA a.k.a 1945 (Zettai-Mu)
with
ZTM SOUND SYSTEM

Room Two
Paperkraft (NC4K)
FENGFENG (CRACKS)
Chanaz (PAL.Sounds)
DJ Kaoll
Konosuke Ishii and more...
with
369 Sound

and YOU !!!

at NOON+CAFE
ADDRESS : 大阪市北区中崎西3-3-8 JR京都線高架下
3-3-8 NAKAZAKINISHI KITAKU OSAKA JAPAN
Info TEL : 06-6373-4919
VENUE : https://noon-cafe.com
EVENT : https://www.zettai-mu.net/news/2210/15

OPEN/START. 22:00 - Till Morning
ENTRANCE. ADV : 1,500yen
DOOR : 2,000yen
UNDER 23/Before 23pm : 1,500yen
※ 入場時に1DRINKチケットご購入お願い致します。

【予約はコチラから】
>>> https://noon-cafe.com/events/zettai-mu-origins-yoyaku-7
(枚数限定になりますので、お早めにご購入ご登録お願い致します。
 LIMITED枚数に達した場合、当日料金でのご入場をお願い致します。)

【新型コロナウイルス感染症拡大防止対策】
・マスク着用での来場をお願いします。
・非接触体温計で検温をさせて頂き、37℃以上の場合はご入場をお断り致しますので、予めご了承ください。
・店内の換気量を増やし、最大限換気を行います。
・体調がすぐれないとお見受けするお客様がいらっしゃいましたら、スタッフがお声がけさせて頂きます。

【お客様へご協力のお願い】
以下のお客様はご来場をお控え頂きますようお願い申し上げます。
・体調がすぐれないお客様
・37℃以上の発熱や咳など風邪の症状があるお客様
・くしゃみや鼻水などによる他のお客様にご迷惑をかけする可能性があるお客様
・60歳以上の方のご入店をお断りしています 。

その他、会場 WEB SITE : https://noon-cafe.com を参照下さい。

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● Special Supported by Flor de Cana

Tribute to Ras Dasher - ele-king

 「ONE BLOOD, ONE NATION, ONE UNITY and ONE LOVE」。LIVE はいつもこの一言から始まった。本作は昨年惜しくもこの世を去ってしまった“RAS DASHER”。彼といっしょに音楽を作ってきた仲間から、 最大限の感謝を込めて、それぞれのアーティストが現在進行形の音を天に響かせる追悼と音の祭典が開催される。

10/14 (金) 場所: 新宿Loft
Open:18:00-Til Late 27:00

REGGAELATION INDEPENDANCE & Special Guests from Cultivator & KILLA SISTA
MILITIA (SAK-DUB-I x HEAVY)
光風 & GREEN MASSIVE
UNDEFINED

BIM ONE PRODUCTION
LIKKLE MAI (DJ set)
MaL & JA-GE
外池満広 *Live
I-WAH & MARIKA
176SOUND
OG Militant B
山頂瞑想茶屋 feat. FLY-T
And more

Sound System by EASS HI FI

Food:
新宿ドゥースラー


Adv. ¥4,000
Entrance ¥4,500

前売りチケット情報
ZAIKO
https://tokyodubattack.zaiko.io/e/voiceoflove
ローソンチケット https://l-tike.com/order/?gLcode=72177
( Lコード:72177)

INFO
新宿LOFT 
tel:0352720382 


About Ras Dasher:
 80年代後半〜90年代初頭、SKA バンドのトランペットから始まったという彼の音楽キャリア、 その後 JAMAICA や LONDON を旅して帰国後、レゲエ・ヴォーカリストとして歌うようになった。 下北沢のクラブ ZOO (SLITS) で行われていたイベント「ZOOT」などに出演し、Ska や Rockstedy のカヴァー曲を歌っていた。
 その後、Mighty MASSA が始めた Roots Reggae Band “INTERCEPTER" の Vocal として参加、 Dennis Brown や Johnny Clark の ROOTS REGGAE を主に歌っていた。 95年頃、前述の クラブZOOT では、MIGHTY MASSA が本格的にUK Modern Roots Styleの SOUND SYSTEM を導入し、自作の音源を発表し始める。 発足よりシンガーとして参加し、97 年に MIGHTY MASSA の1st 12inch 「OPEN THE DOOR/LOVE WISE DUB WISE」 (Destroid HiFi) がリリース。 (Singer RAS DASHER として録音された最初のリリース) 後の MIGHTY MASSA 作品への参加 (2001 年 Album『ONE BLOW』、2003年 7inch 「Love Wise Dub Wise」) や DUB PLATE の制作に繋がっていく。 また、INTERCEPTER も音楽性の趣向がUK Modern Roots色が強くなり INTERCEPTER 2 として活動が始まり、 後の DRY & HEAVY の 秋本“HEAVY" 武士と RIKITAKE が加入し、その出会いが CULTIVATOR の結成に繋がっていく。

 CULTIVATOR は、何度かメンバーチェンジと試行錯誤を繰り返し 徐々にオリジナルの楽曲とサウンドアイディアで LIVE 活動が始まったのが90年代ももうすぐ終わる頃。 2000年に1st 12 inch Vinyl 「Promise Land/More Spilitual」を〈Reproduction Outernational〉レーベルからリリース.。この音源と DIRECT DUB MIX を取り入れた LIVE が注目される。
 2001 年 6月 1st CD mini album “BREAKOUT FROM BABYLON”をFlying Highレーベルから発表。 同年 FUJI ROCK FESTIVAL (RED MARQUIE)にも出演を果たした。また、 UK SOUND SYSTEM の重鎮 ABA SHANTI」の東京公演や、IRATION STEPPERS, ZION TRAIN の東京公演のフロントアクトを務めるなどLIVE も活発化し、2003年3月 2nd CD album 『Voice Of Love』 をリリース。 2004 年にこれらのシングル・カットとして 「Hear the voice love / In My Own / Freedom of reality」と 「Aka-hige /Spanish town」を発表した後、残念ながら活動を休止となった。


■Cultivator - 『Voice of Love』 レコードリリースについて
 Bim One Production / Riddim CHango Recordsの1TAによる、国産ルーツ/Dubの魅力を再評し新たな視点を深堀りするべくスタートするレーベル〈Rewind Dubs〉が始動!
 記念すべき第一弾は、2003年発表のCultivatorの名作CDアルバム『Voice of Love』 をLPアナログ用にリマスターした復刻盤! 本作は昨年惜しくもこの世を去ってしまった同バンドのフロントマン、Ras Dasherをトリビュートした限定300枚の再発作品である。
https://rewinddubs.bandcamp.com/releases

■ Voice of Love / Cultivatorオリジナルロゴ復刻T-シャツ販売決定
限定枚数販売!お見逃しなく!

Ras Dasher - Voice of Love T-Shirts (White / Black)
Cultivator Logo T-Shirts (Black)
M / L / XL / 2XL
¥3,000

七尾旅人 - ele-king

 七尾旅人の音楽では、その声で発する言葉がすなわち旋律でありリズムで、文節が編曲だ。そこにギターと歌がありさえすればすべてを描くことができる。完成/未完成という二元論を越えたその自由なさまはジャズのインプロヴィゼーションに近いのかもしれないが、七尾旅人は音が言葉(日本の言葉は欧米の言葉と違って、アクセントを変えても意味が通じる。ゆえに音表現としての自由度は高い)なので、伝達されるものは具体性を帯びている。それが甘いラヴソングであれ、力強いプロテスト・ソングであれ、そうした言葉の具体性は、彼の音世界の自由さと、ときに衝突しかねない。が、彼の親密な声が、そよ風のような響きと意味のある言葉を共存させる。要するに、七尾旅人の音楽では、彼とギターがあれば、すなわちそこは宇宙なりと言わんばかりにひとつの世界が出来上がってしまっているのだ。
 ジョアン・ジルベルト的というか、そんなミュージシャンはなかなかいないわけだが、だから彼の世界にさらなる演奏を加えることも、それをひとつのパッケージのなかに記録することも、決して簡単ではないと思う。ところが、20人以上の個性的な演奏家(Shingo Suzuki、Kan Sano、山本達久などなど)を招いて制作された『Long Voyage』は、彼のボヘミアンな風情の、風のような自由さをこれまででもっとも絶妙に、音においても表現している。音が言葉で、言葉が音の七尾旅人の世界がここにあらたに生まれている。それがまずひとつの素晴らしきことだ。

 もうひとつのことを書く前に、日本に七尾旅人がいて良かったとつくづく思う。コロナ渦における彼の極めて個人的な、しかし驚くべき救援活動(フードレスキュー*ほか)に関してはただただリスペクトしているが、いまここで書いておいきたいのは、経済的な弱者に対して鬼のように冷酷な社会のなか、七尾旅人が弱き者たちの側に強い思いを寄せていることだ。先日、ロンドンの大学で講義をしている高橋勇人と長話をした際、彼はおもむろに日本でいちばんコビー・セイに近いのは七尾旅人なんじゃないかと言った。音楽性はまるっきり違うが、それはたしかに言えていて、どちらもこの厳しい現実をどう生きていくのかをシリアスに考え、訴えている。『Long Voyage』のジャケットはまるでファンタジーだが、作品の中身は絵空物語ではない。CD2枚組のこの大作は甘く優しい調べに満ちているが、同時に生々しい日本の現実も描かれているのだ。
 
 オープニング・トラック“Long Voyage「流転」”は、本作が彼の長いキャリアにおいてもっとも成熟した作品であることを、この時点で告げているようだ。ジャズ・ピアノが印象的なインストルメンタル曲のこれは、ぼんやりとしながらも夢のようで、夜更けの海にゆったりと浮かぶ客船を思わせる。そして、続く“crossing”のさりげない歌のなか、あたかも替え歌のような調子で、最後に「ダイヤモンド・プリセス」が歌われると、世界はいっきに2020年1月に巻き戻される。恐怖と不安でいっぱいだった、あのときへと。
 長き航海ははじまった。オンエア向きだが、未来に関しての意味あるメッセージを持った“未来のこと”をはさんで、コロナ禍の困窮者たちを歌う“Wonderful Life”が待っている。2021年の3月、名古屋入管施設で亡くなったウィシュマさんを忘れてはいけないと“入管の歌”があって、それからBLMに触発されたのであろう、植民地主義を主題とした“ソウルフードを君と”が文字通りスウィングする。
 何度も繰り返すようだが、今作における七尾旅人の音楽は、たとえ歌詞で表現される世界が荒涼としていても、じつに表情豊かで甘美な響きを携えている。何気なく聴いていればその深いメッセージを忘れてしまうほどに、楽曲は滑らかに展開されるのだ。そこではときにジャズの成分が機能している。家出少女を題材にした“リトルガール、ロンリー”にもジャズの色気がある。口笛とギターのユニゾンからはじまり、ピアノが生気溢れる演奏をし、ストリングスがみごに調和する“フェスティバルの夜、君だけいない”のような曲も、『Long Voyage』における言葉と音の相乗効果によるサウンド面の傑出したところを象徴していると言えよう。
 
 CDの2枚目は、詩の朗読の“Long Voyage「停泊」”からはじまる。ギターの演奏をバックに、歴史の断片(17世紀の貿易からウクライナ戦争、震災、遭難、個人史、彼の愛する犬の話など)が、切り貼りされたメモ用紙を淡々と読み上げるかのように展開する。場面は変わって、ブルース・ロック調の“荒れ地”がずっしりと、そして力強い声で、いま我々が生きている世界を歌い上げる。その後には、“ドンセイグッバイ”や“if you just smile(もし君が微笑んだら)”といったロマンティックで、心のこもったラヴソングが続く。愛犬に捧げたのであろう“Dogs & Bread”で微笑めば、両親の若き日々を歌っているのであろう“『パン屋の倉庫で』”が彼の慎ましい幼少期を辿る。それからさらに曲の位相は変わって、シンプルな言葉に夢を載せながら、軽妙なリズムの“ダンス・ウィズ・ミー”が未来への期待を仄めかす。
 アルバムはしかしそれが終わりではない。死んでしまった在日韓国人の女性を歌う“미화(ミファ)”があって、遊び心ある大道芸のような“Long Voyage「筏」”によってこの大作は一瞬賑やかで、一瞬切ない、不思議な幕の閉じ方をする。とくに最後から2曲目の順番については好き嫌いが分かれそうだが、彼の野心的な構成は安易な結末を望んではいないと、そういうことなのだろう。CDには、七尾旅人から、この作品に込めた思いや制作の背景が記されたカードが封入されている。ネットやストリーミングで読めないそれは、一読に値する文章であることをぼくはここに記しておこう。
 
 2022年は、長尺の大作が目につく。ビッグ・シーフケンドリック・ラマー、そしてここに七尾旅人の『Long Voyage』。どれもがこの難しい時代と向き合ったアルバムだが、七尾旅人に関しては、自分と同じ国で暮らして歌っている点において、その言葉はより切ない。だいたい、疫病、戦争、そして元首相の銃殺と、いったい、いまはどんな時代なのだろうかと思う。さらに加速する格差社会、強行される国葬……時代のこの暗い影をそうそう光に変えることはできないかもしれないが、『Long Voyage』はその暗さを隅に追いやろうとはしている。“荒れ地”において七尾旅人はこんな風に歌っている。「荒れ果てた道の真上に/轍は続く‏/明日を目指して」
 しかしまあね、明日を目指すといっても、荒れ果てた道を生きること自体がほんとうにたいへんだ。本作には、荒野の時代において苦境に立たされている人たちへの励ましめいた側面もある。だから聴くたびに喜びが増していくのだろう。想像力に富み、スケールの大きな作品だと言えるが、親密でこじんまりともしている。泥臭いことを歌いながら、洒脱でもある。現実とファンタジーが同時に存在し、この上なく個人の話(たとえば猫好きにとって、ここに猫が不在なことはアンフェアに思うかもしれない)も混じっているがゆえに戸惑うところもあるが、彼が愛し、支援しているものが何かは明白だ。それが彼の最良の歌となって、心に響く宝石のような音楽といっしょにパッケージされている。『Long Voyage』とはそういう作品だ。
 
 
* 七尾旅人のフードレスキューの素晴らしさについては、紙エレキングvo.28の水越真紀の論考「自助共助公助のうそ——七尾旅人のフードレスキューが救った言葉」を参照。

Pharoah Sanders - ele-king

 巨星と呼ぶに相応しいジャズ・ミュージシャンのファラオ・サンダースが81歳で永眠したことを、9月24日、海外の各メディアがいっせいに報じた。
 サン・ラーからファラオを名乗るよう言われたサンダースは、1965年にはジョン・コルトレーンのバンドに参加、60年代末から70年代はフリー・ジャズ/スピリチュアル・ジャズを代表するサックス奏者として活動したレジェンドのなかのレジェンドだ。生涯現役であり続けたサンダースには、ドン・チェリー(『Symphony For Improvisers』)、アリス・コルトレーン(とくに『Journey In Satchidananda』)、ケニー・ギャレット(『Beyond The Wall』)、日本のスリープウォーカー(『The Voyage』)などなどじつに多数の共演があり、ソロ名義では『Tauhid』(1967)や『Karma』(1969)、『Black Unity』(1972)をはじめ数々の名盤を残している。また、1964年のサン・ラーとの共演は『Sun Ra And His Arkestra Featuring Pharoah Sanders And Black Harold』に収録されている。
 2021年には『プロミセス』(https://www.ele-king.net/review/album/008148/)をフローティング・ポインツとロンドン交響楽団とともに録音。大いに賞賛されたこのアルバムが、サンダースの遺作となった。『プロミセス』をリリースした〈Luaka Bop〉は、「ロサンゼルスで愛する家族と友人に囲まれ、安らかに息を引き取りました」とツイートしている。

Babylon - ele-king


 1970年末から1980年代にかけてのUKは、移民と極右との激しい闘争の時代でもあった。度重なる差別と抑圧のなかで勃発した1976年のノッティングヒル・カーニバルでの暴動は有名だが、1981年のブリクストンやトクステスでも暴動は起きている。これらは、警察の嫌がらせに対する反乱が起爆剤となった。『バビロン』は、人種をめぐっての政治的な緊張状態にあったこの時代のロンドンを舞台にした映画で、当時のレゲエ文化のリアルなシーンを描いている。
 物語は、サウンドシステムを使ってのバトル(サウンドクラッシュ)への出場を控えた、ひとりの青年(当時アスワドのメンバーだったブリンズリー・フォード)を中心に繰り広げられる。相手はジャー・シャカで、主人公は仲間と一緒に、サウンドクラッシュに向けて着々と準備をするが、彼の前にはさまざまな困難が待っている……。

 まず嬉しいのは、当時のUKのサウンドシステム文化が見れること。なるほど、こうやっていたのかと。再開発されるずっと前のロンドンの荒んだ町並みもいい。もちろん、劇中では素晴らしいレゲエとダブが鳴り響いている。ヤビー・ユーやI-ロイのディージェイ・スタイル、ジャネット・ケイのラヴァーズ、それからなんといってもアンドリュー・ウェザオールも愛したアスワドの名曲“Warrior Charge”、この映画のテーマ曲だ(ちなみにそのサウンドトラックにおいては、『女パンクの逆襲』のヴィヴィエン・ゴールドマンが同曲でトースティングをしている)。
 思想家ポール・ギルロイが言ったように、体を揺さぶり、低音を聴き、感じることができるロンドン中のレゲエやダブのサウンドシステム文化は、現代社会に対する過激な批判を秘めていると、映画『バビロン』を見ると納得する。『ガーディアン』が書いたように、「暗いダンスホールは、参加者を抑圧的な現在から連れ出し、音楽の歌詞は、資本主義の下で働くことのつまらなさを鋭く突く」。
 ジャマイカとはまた違ったUK独自のレゲエ/ダブのドキュメント、2019年にニューヨークでプレミア上映され大きな反響を呼んだという本作、本邦初上映です。

原題 : Babylon | 監督:フランコ・ロッソ│脚本:マーティン・ステルマン、フラン コ・ロッソ│撮影:クリス・メンゲス│音楽:デニス・ボーベル、アスワド 出演:ブリンズリー・フォード、カール・ハウマン、トレヴァー・レアード、ブライ アン・ボーヴェル、ヴィクター・ロメロ・エバンス、アーチー・プール、T.ボーン・ ウィルソン
1980 年│イギリス │カラー│94 分 |
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィ ルム | 宣伝:VALERIA

■10月7日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー

Plaid - ele-king

 2022年は名曲 “Nort Route” 30周年にあたる。この記念すべきタイミングで、プラッドが3年ぶりにニュー・アルバムをリリースすることになった。通算11枚め。おなじみの〈Warp〉から11月11日に世界同時発売。前作『Polymer』(2019)では環境破壊をテーマにしていた彼らだが、今回はファロークスなる惑星で開催されたフェスティヴァルでのショウ──という設定があるらしく、なにやら示唆的なコンセプト・アルバムとなっているようだ。公開中の新曲 “C.A.” を聴きながら楽しみに待っていよう。

PLAID
惑星ファロークスから響き渡る至福の電子音
11作目となる最新アルバム『FEORM FALORX』のリリースを発表!
新曲 “C.A.” を解禁!

〈WARP〉が誇るエレクトロニック・ミュージックのオリジネイター、プラッドが待望の最新アルバム『Feorm Falorx』のリリースを発表し、先行シングル “C.A” を解禁した。アルバムは11月11日に世界同時発売となる。

Plaid - C.A. [Visualiser]
https://youtu.be/kjjjX30MjAo

〈WARP〉との契約30周年を目前に控えた今、エド・ハンドリーとアンディ・ターナーによるユニット、プラッドがエレクトロニック・ミュージックの発展と音楽シーン全体に与えてきた影響の大きさを改めて考える時が来た。80年代後半から活動している彼らは、革新的なエレクトロニック・ミュージックにおいて象徴的な存在であり、プラッド名義はもちろん、ザ・ブラック・ドッグ、バリルといった名義で作品を発表し、またビョークとのコラボレーションでも幅広い音楽ファンを魅了した。

11枚目となるアルバム『Feorm Falorx』では彼ら特有の遊び心と心地良いミステリアスさが絶妙なバランスで表現されている。前作『Polymer』に漂うダークな雰囲気と比較すると今作は全体的に穏やかなサウンドで、代名詞である美しいメロディーに満ち溢れている一方、多彩なサウンドがリズミカルに展開する。

テクノロジーを強く支持するプラッドは、『Feorm Falorx』において、最先端のサウンドでありながら、暖かく人間的でノスタルジックな、ハイテク・レトロ・フューチャリズムを表現している。今もなお進化を続ける彼らだが、本作では彼ら自身の音楽的背景を辿ることもできる。初期のより奇抜な作品から現在に至るまで、彼らは新しい合成方法を取り入れ、多様な音楽スタイルを探求し、彼らの青春だという初期のヒップホップから、それに影響を与えた60年代、70年代のサウンドまで紡ぐ糸を維持している。一聴してわかるというものではないが、耳をすませば、そこにはプリンスの “Soft and Wet”、ボブ・ジェームズの “Westchester Lady”、ジェスロ・タルの “Bouree” などに見られるユニークなグルーヴが感じられるだろう。

サウンドの創造性における解放感と軽快さは、惑星ファロークスで開催された銀河系の祭典『Feorm Festival』でのパフォーマンスを再現するというアルバムのコンセプトにも反映されている。惑星ファロークスの大気を生き抜くため、彼らは光へと姿を変えたが、そのおかげで宇宙船ザ・キャンベルに搭載された従来の録音装置は機能しなかった。地球の宇宙局に相談したところ、そのパフォーマンスをロンドンのスタジオで再現しても大丈夫だと判断され、改めて録音したものを徹底的にテストした結果、思想的な汚染も「完全に許容できるレベル」と判断された。

アルバムのアートワークと今作におけるアーティスト写真のイメージは、AI技術や写真合成技術、OpenAIが開発した機械学習モデル、DALL?Eを使って作成されている。今後公開が予定されているミュージック・ビデオやグラフィック・ノベルもAI/AR技術を駆使し、惑星ファロークスの世界観を形成していく。

プラッドは、長年に渡ってツアーや様々なコラボレーションを行なっている。近年ではBBCコンサート・オーケストラのために楽曲を制作した。またゲーム音楽や映画音楽も手がけ、そのうちのひとつ『鉄コン筋クリート』(マイケル・アリアス監督)は日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞している。

プラッドの最新アルバム『Feorm Falorx』は11月11日に、CD、LP、デジタル/ストリーミング配信で世界同時リリース。CDは日本語帯・解説書付きの国内流通仕様で発売される。

label: Warp
artist: Plaid
title: FEORM FALORX
release: 2022.11.11

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13025

tracklist:
01. Perspex
02. Modenet
03. Wondergan
04. C.A.
05. Cwtchr
06. Nightcrawler feat. Mason Bee
07. Bowl
08. Return to Return
09. Tomason
10. Wide I’s

interview with Nils Frahm - ele-king

 ニルス・フラームは、ポスト・クラシカルの旗手としてもはや押しも押されもせぬ存在である。
 彼のプロフィールとしてまず筆頭に来るのはピアニストとしての顔であることは衆目の一致するところだろうし、続いて作曲家、電子音楽家という顔を持つことももちろん重要だ。しかし、2018年の『All Melody』以来4年ぶりとなるオリジナル・アルバム『Music for Animals』を聴いたひとは誰でも驚愕するに違いない。
 このアルバムからは彼のトレードマークであったあのピアノの音が聴こえてこないのだから。

 驚くのはそれだけではない。この『Music for Animals』のトラック数は10。しかしそのランニングタイムのトータルは3時間を超えるのである。密やかなフィールド・レコーディングによるノイズからフェイドインしてくるオープニング・トラック “The Dog with 1000 Faces” のランニングタイムは26分21秒もあるのだ。
 これまでのニルス・フラームのトラックはだいたいそんなに長いものではなかった。ポスト・クラシカルの作品は得てして尺が長くなりがちなのだが——それはそれで素晴らしい体験をもたらすのだけれど——ニルス・フラームの作品は比較的コンパクトにまとまったものが多い印象があった。
 しかし今作は違う。トラックタイムは1曲目から順に26分21秒/13分28秒/13分9秒/24分48秒/18分15秒/27分3秒/7分26秒/15分2秒/18分32秒/22分37秒。もちろんこのくらい長い尺を持つトラックは、アンビエントなどの電子音楽系ではさして珍しいものではないだろう。だが、ニルス・フラームのこれまでの作風からすると、このトラックタイムの急激な増加はいったい何を意味するのか。

 じつはニルス・フラームはこのアルバムのリリースに先立ち、何枚かの未発表曲集と、初期のオリジナル・アルバム2作をリリースしている。Covid-19禍によって自己の過去と向き合うということだったのかもしれないが、しかしそういうふりかえりを経て制作された新しい作品がこのような(これまでのニルス・フラームの作品を知る者にとっては)すっかり装いを新たにしたものになっているということに、やはり聴き手としてはいろいろな憶測を巡らせてしまうのである。

 ……と、いろいろなことを考えながら、ベルリン在住のニルス・フラームとZOOMで繋がって話しはじめようとしたのだが、どうも様子が変だ。画面に映るニルスの背後は白塗りの壁。本人は上半身裸で麦わら帽子のようなものをかぶってリラックスした雰囲気である。聞けば「いま、スペインでバカンス中」なのだという。しかしよく話を聞くと、バカンスというのではなく、ベルリンとスペインの二重生活を送っているようなのだ。そういえばCovid-19禍初期の2020年にソニック・ブームにインタヴューした際、彼もいまはイギリスを離れてポルトガルに暮らしているという話を聴いたことを思い出した。南欧はいま、音楽的に注目のスポットということなのか。

社会が必要な人間と不必要な人間に分けられたように、僕も自分のカタログを「人が聴いてもいい、良い曲」と「そうじゃない曲」に分けることにした。〔……〕過去の古いハードディスクは取り外して、ゴミ箱に捨てられるんだ。

もうCovid-19はすっかり日常の風景になってしまった観もありますが、ベルリンの生活の状況はどうですか?

ニルス・フラーム(Nils Frahm、以下NF):もう誰も気にしてないと思う。世界中の国と同じく、ドイツもロックダウンがあって、生活は大きく変わったりしたわけだけど、いまは僕が見る限り、誰も気にしていないし、口にもしない。まるでそんなことなかったかのようだ。自分でも驚いているよ。しばらくの間は世の中でCovid-19問題について考えることがいちばん大切なことのように思えたけど、いまはウクライナの戦争──ベルリンとは地理的にも近いし──ヨーロッパの猛暑への不満だったり……。人間っていうのは、同時にふたつのことしか心配できないんだ。三つ、四つと心配するのは不可能なのさ。

なるほど、優先順位が移ったということですね。

NF:優先順位、そう、まさにそれだよ。

いまのあなたの日常生活はどんな感じですか? 音楽制作については後でたくさん話してもらうと思うので、音楽制作以外で、パンデミックはどのような影響、もしくは変化をあなたにもたらしましたか?

NF:自分のスタジオがあり、楽器もあり、アイディアは頭の中にあるので、仕事はそのまま続けられたわけだけど、以前のように演奏するモチベーションが持てなかったね。以前はアスリートのように音楽に取り組んでいたんだと思う。世界のすべてのものごとがすごいスピードで動いていて、自分もそれに慣れていたんだよ。それが突然、文化もコンサートも不必要なものになってしまった。コロナ禍になって最初のころさかんに論議されたのは、社会生活にとって必要で重要で意味ある仕事──例えば消防士、警官、医療関係者、食料品店など(いわゆるエッセンシャルワーカー)──と、それ以外の無用で無意味な仕事という線引きだ。前者の人間はずっと仕事をしつづけられたが、後者の人間はなにもできなくなった。僕の友人のほとんどはアーティストや文化系の仕事をしてるので、みんな無意味な人間になっちゃったのさ。そのことについてはいまだに考えるよ。実際、アートも音楽も無意味なのかもしれない。将来、世の中にとって意味あるものは、食料と兵器だけになってしまうのかもしれない。

今回の新作の前に、あなたはまず昨年2021年に、2009年に制作されながらリリースされていなかった『Graz』、2009年から2021年までに制作されたピアノ・ソロを23曲も集めた大作『Old Friends New Friends』をリリースし、今年に入るとファースト・アルバム『Streichelfisch』、セカンド・アルバム『Electric Piano』という、〈Erased Tapes〉レーベルからリリースする以前の2枚の作品をあなた自身のレーベル〈Leiter〉からリイシューし、また過去のEPと未発表曲からなるコンピレーション・アルバム『Durton』をリリースするなど、Covid-19時代になって過去の音源に再び向き合う姿勢を見せました。もちろんCovid-19によるロックダウンで外に出られない日々が長く続いたということもあるのでしょうが、これらのリリースは、あなたにとってどういう意味がありましたか?

NF:君が言うように、時間がたっぷりあったし、他に何をしていいのかも確かじゃなかった……というか、再び音楽を作るのかどうかもわからなかった。もしこの先音楽がなくなって、農家か警官か兵士になったとしたら、僕はもうカタログの心配をしなくてよくなるわけだよね。それで、社会が必要な人間と不必要な人間に分けられたように、僕も自分のカタログを「人が聴いてもいい、良い曲」と「そうじゃない曲」に分けることにした。20年間で作った全作品を聴き直し、『Graz』『Empty』『Old Friends New Friends』などをリリースし、同時にそれ以外の曲をすべて削除したんだ。いまはもう何も隠しているものはないよ。これですべてだ。おそらく僕は線を引きたかったんだと思う。ひとつの時代を終え、決して振り返らない。いま現在の僕の脳と耳で決めたんだから、もう心配はしないよ。将来、「もしかしてニルスはいいものを作っておきながら、リリースせずに隠してるんじゃないか?」と思って、僕のハードディスクを見られたとしても、良いものはなにも残ってないんだ。過去の古いハードディスクは取り外して、ゴミ箱に捨てられるんだ。


©LEITER

僕はアルバムをハンバーガーを売るように売ってるわけじゃないし、金を儲けるために作ってるわけでもない。もし金を儲けたければ、金融取引とか広告業界とかNFTとか暗号通貨とか、音楽以外の職についているよ。

私はあなたの音楽をデビュー時から聴いていて、10数年でゆっくりとあなたが変わっていく様を見届けてきました。そんな私ですら、あなたの音楽はリリースされるたびに毎回変化を遂げていて驚かされているというのに、これらのリイシューによって、あなたを新しく「発見」したリスナーにとっては、極めて短期間にあなたの歩みと変遷を経験したわけです。新しいリスナーにしてみれば「Nils Frahmっていったいどういうアーティストなんだ?」と驚いたのではないでしょうか?

NF:確かに、新しいリスナーの入口としては難しいのかもしれないね。あまりにもたくさんの音楽があって「自分の好きな曲はどれだ?」と選ぶことからスタートしなくちゃならない。でもね、正直に言うけど、人はもうアルバムなんて聞いちゃいないよ。Spotifyに行ってその中の4、5曲だけを聴くか、プレイリストに入っていたから聴くというだけで、アルバム全部を聴く人はごくわずかだ。それはたぶん日本人のリスナーだろうね(笑)。だから僕は自分の音楽があるスペースを作った。そこから好きにプレイリストに入れる曲を選んでくれればいい。僕はそれで構わない。つねに思ってきたことなんだが、僕がいつそのアルバムをリリースしたかなんていう情報は実はあまり重要じゃないんだ。例えば『Screws』をリリースしたのは2011年だけど、あれを2022年のいま、初めて見つけて聴いて「私のお気に入りのアルバムだ」と言ってくれる人がいるわけだよ。自分が好きだと思えるものを見つけるのに、10年かかる人だっているんだ。『Spaces』は2013年に作ったが、今年あれを買って、新しい音楽として聴いてくれる人もいる。だから短期間で数多くの作品を出すことは、いまは少し人を混乱させることかもしれないと思ったが、10年後には誰も気にしないし、覚えてもいないと思ったのさ。

先程、「ひとつの時代を終える」とおっしゃっていましたが、では新作『Music for Animals』は新しいチャプターのはじまりだということでしょうか?

NF:ああ、その通りだよ。これは作るつもりはなかったが、あまりにも時間があったので、できたアルバムなんだ。ニーナ(ニルスの妻)がグラスハーモニカを弾いているのは、ロックダウンで会える人が一緒に住んでる人だけだったからだよ。アルバムが持つテーマや作られた状況は、歴史が一旦(コロナによって)切り離された状況と一緒なんだ。パンデミック以前のキャリアと、パンデミック以降のキャリア、と言っていいよ。

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人間ではなく、まるでエイリアンが作ったかのような、もしくは自然が作ったかのような音楽、というのかな。西洋の感覚でいう “エゴ” のないものにしたかった。〔……〕僕を通り越して、僕がそこに介在しないものにしたかったんだ。

『Music for Animals』は、実に3時間以上に及ぶ長大な作品になりました。しかもトラックは10個しかないのに、です。これまであなたの作品は一部を除けば10分を超える曲はほとんどなく、どれも5分前後のコンパクトな曲が多かった。しかし今回のアルバムは、なかには30分に近い長大な曲もいくつかありますね。このような長時間をあなたの曲が必要とするようになったのはどういうことを意味しているのでしょうか。

NF:長い曲である必要はなかったし、全部の曲の短いヴァージョンを作ることもできたんだけど、それでは真実を隠すことになると思ったのさ。僕はスタジオで曲を書きはじめ、セッションをはじめ、ある程度時間がたったところでようやく「いま、自分がいいと思える方に曲をナビゲートできているな」と感じるわけ。だから曲の最初と最後はあまり気に入ってなかったりする。これまでのアルバムの曲は、そういった良くない部分を全部カットしたヴァージョンだったわけさ。初期のころの自分は、曲を聴き直しては「これでは長すぎる、短くしなきゃ」と思い、曲を短くすることが恒例になってしまったんだ。曲を書いたら手はじめに「長すぎると思われないように、どう短くするか」を考える、というようにね。でも本来、自分のために曲を演奏しているときは──今回はニーナと一緒だったけど──これだけの長さだったというのが真相なんだ。『Music For Animals』の曲はどれもライヴ・インプロヴィゼーションだ。譜面を書いて演奏したわけではなく、スタジオに入り、演奏した。ライヴ・コンサートを聴いてもらっているようなものさ。テンポもペースも演奏されたまま。それを切り取ってしまいたくないな、と感じたのさ。短くしてもよかったけど、そうしたら何かが欠けてしまったかもしれないわけだからね。

なるほど。さきほど、人はアルバムを聴かないと言ってましたね。確かに聞き手はイントロを数秒聴いて次の曲にスキップ、というようなことを普通におこなうようになりました。そんななか、あなたが今回そういったアルバムをあえて作った、というのは何か意図があったのでしょうか?

NF:僕はアルバムをハンバーガーを売るように売ってるわけじゃないし、金を儲けるために作ってるわけでもない。もし金を儲けたければ、金融取引とか広告業界とかNFTとか暗号通貨とか、音楽以外の職についているよ。もしアーティスト──なんていうものがまだ存在するのなら──僕らは生きている時代を反映させたアートを作るべきだと思う。僕らはみんな、急がされ、あわただしく、不安とストレスと恐怖の中、友人とか愛といったものの欠如、時間を無駄にしていることへの恐れを感じながら生きている。『Music For Animals』で僕が言っているのはそういうことだよ。いま、僕らの周囲で起きていることへの僕なりのステイトメント。Spotifyのような配信サービスでアーティストはより短い曲を作るように促される。2分聴いて、もう一度聴かれれば、その分印税が入るし、短ければプレイリストに入れるのにも楽で、プレイリストが何度もストリーミングされ……。30秒でその曲全部のクレジットをもらえるという、変なルールがあるのさ。つまり2分の曲でも20分でも同じ。だから皆、短い曲をたくさん作る。でも僕は思うんだけど、お金は決して最高のコンポーザーじゃない。最高のアーティストでもない。もちろん、お金がインスピレーションを生むことはあると思う。誤解しないで、お金は存続するためには必要なものだ。ただし、僕はミュージシャンにはキャリアやお金の心配はしないで、作りたい音楽を作れ、と言いたいんだ。僕の作る音楽を聴いて、何かを感じてくれている人もいるわけだから、みんながそれを実践すればいいんだと言いたい。妥協するなってことさ。『Music For Animals』は確かに長いアルバムだし、誰もやったことがないかもしれないけど、やることは可能なんだ。好きになってくれても、嫌ってくれてもいい。論議を呼ぶかもしれない。だってアルバムの中にはなんにもないんだ。あるのはサウンドとループだけ。でも、もしかしたらそこに心の声を見つける人がいるかもしれない。能動的なリスニング体験をすることで、初めて音楽を好きになるかもしれない。能動的に音楽を聴くというのは、すなわち曲を聴きながら、曲をコンポーズするのと同じことだ。たいがいの曲は120%完成したコンパクトな形でリスナーに届くから、リスナーは何もすることがない。イベントが次々起こるようなものだ。でも僕は曲の半分しか外に出さない。残りの半分は中に留まったまま。リスナーの天才的な心がそれを見つけ出してくれると思ってるんだ。しかも毎回違う結果を伴ってね。『Music For Animals』は、音楽にやるべきことをやらせる、一種の実験なんだ。コンポーザーはそこには介在せず、音楽に人間が及ぼすインパクトをすべて排除した。人間ではなく、まるでエイリアンが作ったかのような、もしくは自然が作ったかのような音楽、というのかな。西洋の感覚でいう “エゴ” のないものにしたかった。たいていの、いや、すべてのコンポーザーは、自分の書く音楽に自分自身が現れるものだ。彼らの体験や視点が、彼らが外に出すもの、つまり音楽の基本を形成している。でも僕はそうじゃなくて、僕を通り越して、僕がそこに介在しないものにしたかったんだ。

人が自分の息よりも長い音を出すには、息を吸い込まなければならない。でも吸い込む息のないサウンド、吐き出す息しかないサウンドを出す楽器は、ある種の神のようなものなんだ。僕らの知ることを超えているという意味で、神に近い。

今回はピアノを使ってませんね。そもそもあなたの音楽にはいつもアコースティック・ピアノというイメージがありました。ましてあなたは2015年からはじまったイベント《Piano Day》の創立者でもあります。そんなあなたがピアノという楽器から離れようとしたのはどういう理由があったのでしょうか。

NF:特別な理由があったわけじゃない。エゴを排除したアルバムというコンセプトに、ピアノはそぐわなかっただけだ。ピアノというのは人間の声のようであることも多く、エゴのない形は難しい。それをやろうとするとハロルド・バッドブライアン・イーノのようになってしまう。ハロルド・バッドがやってたのは、ピアノをウィンドチャイムのように弾くということだ。ウィンドチャイムは風に揺られて音が出る。自分から音を出しているわけではない。そこにエゴはない。アンビエント・ミュージックだ。基本的には12音技法、もしくはセリエル音楽と同じで、12の音すべてに同等の意味や重要性がある。そこから、正しくない音を省いていく。そういう音楽を聴き、自分でも試そうとしたことがあるけど、どうしても他のコンポーザーが書いた曲のようになってしまうんだ。ハロルド・バッドや他の好きなコンポーザーのようにね。それは僕がすでに知っていることなので、僕が望むのはこれではないと思ったんだ。

グラスハーモニカの話が先ほど出ましたが、この楽器は、18世紀に発明され、その後爆発的人気を博しながらも健康障害を引き起こすという噂が広がって一時廃れ、近年また脚光を浴びたそうですね。発明したベンジャミン・フランクリンが「天使の声」と形容したとも聞いています。あなたはどうしてこの楽器に着目されたのですか?

NF:人間の息の長さよりも長い音を出せる楽器というのは、そういくつもないんだ。例えばトランペットも長い音を出せるが、いずれは息が切れて音は止まるよね。でも世界中、スピリチュアル・ミュージックには無限の音を出せる楽器が必要とされる。インド音楽には手動オルガンのハルモニウムがあり、楽器にふいごで空気を送り込むことによって永遠に続く音を作り出せるんだ。それは一種の宇宙だ。普通、音は自然や地球から生まれ、そこで終わる、それが現実というものだ。すべての音にははじまりと終わりがある。でもスピリチュアルでコズミックな音には終わりがない。ドローンのように。海の音のように。吹き続ける風のように。西洋の伝統には教会のオルガン(パイプオルガン)があるが、あれも永遠に音を続かせることができる。人が自分の息よりも長い音を出すには、息を吸い込まなければならない。でも吸い込む息のないサウンド、吐き出す息しかないサウンドを出す楽器は、ある種の神のようなものなんだ。僕らの知ることを超えているという意味で、神に近い。ヴァイオリンも長い音を出せるが、それでも弓を返す時に音はどうしても途切れてしまう。継続する音を出せる楽器はごくわずかなんだ。グラスハーモニカはそのひとつ。シンセサイザーもそうだね。


©LEITER

人間だって、結局は動物。僕らは動物という家族の一員だ。これは人間から生まれた音楽でもないし、人間のための音楽でもない。

収録曲のタイトルについて。「動物のための音楽」と言う割には、動物の名前は「犬」「ムール貝」、「かもめ」、「羊」と、最初の4曲にしか使われていませんね。強いて言うなら9曲目の「レモン」も動物のひとつに入るでしょうか……

NF:いや、レモンは動物じゃないよ(笑)。

ですね(笑)。それ以外の曲も含め、どうしてこういうタイトルにしたのか、理由を聞かせてください。

NF:インストゥルメンタルの曲のタイトル選びっていうのは、一種のジョークのようなもので……。歌詞がないわけだから、何かしらの名前をつけなきゃならない。新しい猫を2匹家に迎えたら、「なんて呼ぼう?」と考えて、名前をつけるのと同じ。僕としては笑えるタイトルが好きなんだ。だって曲を作るプロセス自体が楽しいわけだからね。タイトルによって曲の雰囲気に何かが加わることもあるので、繊細な曲を、例えば「レモンの日」、もしくは「ムール貝の記憶」と呼ぶことで、その曲自体が少し変わってくることもある。タイトルをどうするかは、決して5分で決めるようなことはせず、しばらく考えるけれど、タイトルがすごく重要だとは思っていないんだよね。「Music For Animals」も僕とニーナの頭の中では、ずっと仮のタイトルだったんだ。今回はロックダウン中だったから友人に聴かせることもしなかったので、聴いているのは僕らと猫2匹と犬だけ。彼らは音楽を聴きながら、寝たり、リラックスしているようだった。というか、他の音楽を聴いているときより、ぐっすりと眠っていたんだ。実際、猫と犬でテストをしたんだけど、僕らの音楽はリラックスにいい効果があったみたいだよ。人間だって、結局は動物。僕らは動物という家族の一員だ。これは人間から生まれた音楽でもないし、人間のための音楽でもない。パンデミック中に起きていたいろいろなドラマはちょっと僕にはトゥー・マッチなところもあったし、さまざまな決断が知らぬ間に勝手にされていることに、僕自身「いまの時点で、僕は人間が嫌いだ」という思いになったりもしていたんだ。だから動物のためにアルバムを作りたいな、とね。

アルバムのジャケットについてですが、デザインはお父さんのクラウス・フラームによるもので、色使いも含めてとてもシンプルながら光を感じるいいデザインだと思います。このデザインの意味するところをあなたはどう見ていますか? そういえば、左側に文字、右に写真というデザインは、2022年に出た『Durton』と『Old Friends New Friends』、リイシュー版のファースト『Streichelfisch』にも共通していることに気がつきました。これらはあなた自身の希望も反映されているのでしょうか?

NF:ああ、シンプルなアルバム・ジャケットは、僕にとっては意味があるし、目的に適っている。まずアーティスト名は表ジャケットに載ってなきゃだめだ。ここ10〜20年くらい、表ジャケットは写真だけで何も文字を入れないというのが流行りになってたけど、僕はアーティストが誰なのかを知りたい。レコード店でレコードを探すときに写真だけのジャケットは本当に苦労するんだ。レコードの中身は好きなことをやっていいけど、ジャケットに関しては見た目重視のひとりよがりなエゴマニアにならないでくれ! と言いたいね。ジャケットもそうだし、レコード盤にも、必要な情報が全部載っていることが重要なんだ。ちゃんとSide A、Side Bと書いてくれ。曲目も、大きい字で、裏ジャケットにも読める字で書いてくれ! アートに終わりはない、と言わんばかりのジャケットにはうんざりなんだよ。いまはアナログ盤が一種のアーティスティックなステートメントになってしまっているけど、かつてはただ必要な情報を提供するものだった。昔のジャケットから学ぶべきだと思う。レコード店で見やすいように、左の上に名前を書く。下だと探しづらいだろ? 僕の作品のアートワークがどれも似ているのは、正解はこれしかないからなのさ。それにこのストラクチャーが決まっていれば、毎回「ジャケットをどうしよう?」と頭を悩ませて、いかにクレイジーな新しいことを試すか、ということをしなくて済むしね。

2023年にはライヴが予定されているとのことですが、このアルバムの曲を丸ごとライヴで演奏するのでしょうか? それとも何曲かピックアップして、あとは既存曲を演奏するとか?

NF:確かに『Music For Animals』はライヴ向きのアルバムではないかもね。スローすぎるし、皆を眠らせてしまう。なので、何曲かを新たにライヴ・ヴァージョンとして書き変えようと思っているよ。ニーナがツアーには同行しないので、グラスハーモニカもない。まあ、これはもともと音量が小さい楽器なので、エレクトロニックなライヴでは使えないんだ。他にもいろいろとライヴ・プロジェクトにするにあたっては制約があるアルバムなので、これまでとはまったく違うものをライヴ用に作る予定だ。考えてみればバカな話さ。たいていの場合、アルバムを作ったらそこで仕事はひとつ終えるわけだから、あとはそれをライヴでパフォーマンスするだけだ。ところが今回はライヴに必要なプラスアルファの仕事をこれからしようと思ってるんだからね。昔からレコードを作るときはレコードを作り、ライヴをするときはライヴをやる、という気持ちでやってきた。ライヴ体験のためにはすべてを変えることもある。家で料理したり、パーティーをしながら聴くのに適した良いレコードを作るのとはまったく違うチャレンジだからね。ライヴにはもっとダイナミクスが要求される。それをレコードでやってしまうと、音が大きな箇所にくると、会話が聞こえないからと言って音量を下げられてしまい、そのままずっと小さな音で聴かれることになる。家で聴くのと、ライヴは、まるで違う体験なんだよ。

奥さんは同行しないとのことですが、他にミュージシャンは?

NF:今回は僕ひとりだ。将来的には他のミュージシャンを連れて、ということもあるかもしれないが、今回はひとりでやる予定だよ。

まだ日本公演の予定は立てられないかもしれませんが、2013年、2018年に続く来日公演を楽しみにしています。

NF:(笑顔)

街に溢れる最新のiPhoneもソフトウェアも、NFTも暗号なんちゃらもね……僕にはすべてひどい間違いであるように思えるし、その片棒を担がされたくない。僕が唯一興味あるのは、過去を一度振り返って、どこで人間は間違った道を選んだのか、それを話し合うこと。5千年前だったのか、2千年前だったのか……

最後に、あなたがこのCovid-19時代に新しくのめり込んだもの、興味を持ったものについて教えてください。音楽でもいいし、本、思想などなんでも。

NF:ここ最近はスペインで暮らす時間が増え、ベルリンに戻るのは仕事のときだけになった。スペインでは家の外に出て、木を切ったり、動物や植物を相手に自分の手で作業したり、自分たちの食べるものを育てたりしているよ。僕はこれまでずっとスタジオで暮らしてきたけど、太陽の下、自然の中で過ごし、「生きているもの」からなにかを学べるのはいいことだね。楽器にしても、ケーブルにしても、スタジオの中にあるものはすべて「死んだ金属」「死んでいるもの」だ。僕がスタジオを留守にしても成長したりしない。埃を集めて、壊れるだけ。ずっとつねに死んだものに囲まれてきているから、それを変えたいと思ったんだ。イノベーションとか最新のものに、なんだか疲れてしまってる……。街に溢れる最新のiPhoneもソフトウェアも、NFTも暗号なんちゃらもね……僕にはすべてひどい間違いであるように思えるし、その片棒を担がされたくない。僕が唯一興味あるのは、過去を一度振り返って、どこで人間は間違った道を選んだのか、それを話し合うこと。5千年前だったのか、2千年前だったのか……どうやって、ゆっくりと時代を戻って行けばいいのか? そもそもそんなことが可能なのか(笑)? そして実際、何が大切なことなのか? もしかするとそれはオールドスクールと呼ばれることなのかもしれない。たとえば、人間が必要な食糧を機械をいっさい使わずに作ることを考えてみて。トラクターも、エンジンもなく、インフラも、チェーンソーもなしに、すべて人間の手と力と頭だけで作る。それこそ、もっともエキサイティングなことじゃないかな? 人間は全部忘れてしまったんだよ。新しいものに流され、古いもの、良いものを忘れてしまった。でも僕はそこに興味がある。そこにこそ、人間のindependency(他人、相手の影響から自由になる)がある。僕らは忘れてしまってるんだ。あの最新マシンがすごい、この技術が!……と将来だけに目を向けているとき、人間はindependent(自主的、独立)ではなくなる。大きな間違いだと思うよ。早く過去を振り返って学ばないと。先延ばしにして、ハイテク化がもっと進んでしまったら、重要な根本を見直すのがより難しくなる。だからいまは、昔ながらの木や動物を育てる技術に、僕はより夢中なんだ。

さっき猫2匹、犬1匹、他の動物と言ってましたけど、本当に動物を飼ってるんですね?

NF:羊2頭と鶏がいるよ。そんな多くないけどね。趣味の領域だよ。でも僕らがみんなどこからやってきたか、それを感じるには十分なんだ。

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