「KING」と一致するもの

John Grant with the BBC Philharmonic Orchestra - ele-king

 年末のアメリカのゲイ・カルチャー・マガジンを読んでいると、どうも去年のベスト・ゲイ・ドラマは満場一致で『LOOKING』に決定のようだ。『LOOKING』はテン年代最高のゲイ・ムーヴィー『ウィークエンド』(日本では映画祭上映のみで一般上映なし。これは由々しき問題である。)の監督アンドリュー・ヘイもいちぶメガホンを取ったドラマ・シリーズで、要するに何がウケたかというとその普通さである。サンフランシスコに住む、とくに何が突出しているでもない――そのへんのインディ男子と変わらない――、収入もそこそこのゲイたちの曖昧な孤独と欲望に彩られた日常……すなわち、ゲイとして生きていくこともべつに苦難ではない時代の、それでもゲイ固有の人生にまつわる機微を親密に描いている。日本で見ているとどうしても「サンフランシスコは進んでるな~」という感想になりがちなのだが、しかし逆に言えば、サンフランシスコのゲイ・タウンに住んでも彼らは切実に愛を探しつづけることから逃れられないようなのだ。

 アンドリュー・ヘイが『ウィークエンド』で大々的に映画音楽として使い、そして『LOOKING』でさりげなく挿入していたのがジョン・グラントだった。たしかに、その男の歌は「普通のゲイたち」の日常のサウンドトラックにふさわしいのかもしれない。グラントはまさにどこにでもいるような、ひげ面のちょっとベアが入ったゲイ中年で、歌っていることも赤裸々なラヴ・ソングに時折ゲイ的なスパイスが入る……といったものだ。自ら華麗な舞台を設定したり(ルーファス・ウェインライト)、メタファーと隠語を多用して社会風刺したり(ペット・ショップ・ボーイズ)、ハイ・アートを拠りどころにしながら根源的に愛と死を見つめたり(アントニー・ハガティ)、その異物性を一種復讐的にさらけ出したり(パフューム・ジーニアス)、鋭い知性で黒い笑いをまき散らしたり(マトモス)……することはない。ネルシャツを着てニット帽をかぶって、別れた恋人への恨みやHIVポジティヴとして生きることを朗々と歌い上げる。皮肉と自虐的な笑いを散りばめつつ、しかし飾らずに、ただ自分の人生と感情に正直に語るばかりだ。

 そしてその正直さゆえだろうか、ジョン・グラントは、とくにヨーロッパでアイコニックな存在にまで上りつめた(UKのゲイ・カルチャー・マガジン『ATTITUDE』のマン・オブ・ザ・イヤー、『ガーディアン』表紙など)。上りつめた、と言っても、本人はとくにスタンスを変えずに世界各地を回りながらひとりのゲイ中年の孤独と愛を歌いつづけている。このライヴ盤はしばしばインディ・ロック・ミュージシャンと企画ライヴを行っているBBCフィルハーモニック・オーケストラとの共演盤で、たしかに彼のドラマティックなメロディにはオーケストラの華麗なアレンジも合っているのだが、とくに「ゴージャス!」「壮大!」というほどの大仰さはなく、むしろラフさがかなり残る聴きやすさがいい。それこそルーファス・ウェインライトのようなオペラに対する執着も感じられず、彼のシンガーとしての魅力が素朴に浮かび上がっている。

 もう1枚の同発がグラントがヴォーカルを取っていたザ・サーズ(と読むそうです)のベスト・アルバムで、これは間違いなくソロがヒットしたことによる再発盤。僕のようにソロでグラントのことを知ったリスナーでもこの2枚をざっと聴けばキャリアが総括できるようになっている。70年代のシンガーソングライター・アルバムを思わせるフォーク・ロック/カントリー・ポップが多くを占めていて、シンプルなバラッドが魅力的ではある……まあ、地味と言えば地味だが。どうも初期はコクトー・ツインズのサイモン・レイモンドがプロデュースをしていたらしく、そう言われれば道筋が見えてくるような気はする。いずれにせよ、ガス・ガスのプロデュースによって一気にシンセ・ポップに接近したソロの最近作『ペイル・グリーン・ゴースツ』が全キャリアの最高傑作であることは疑いようがなく、とにかくジョン・グラントの聴きどきはいまだということはあらためて強調しておきたい(ハーキュリーズ・アンド・ラヴ・アフェアとの共演シングルも含め)。

 そして彼の音楽に耳を傾けていてあらためて思うのは、その歌にはどこか心を落ち着かせる作用があるということである。それは癒し、ではもちろんなくて、“ヴェトナム”で「俺が唯一落ち着くのは、お前がこの先誰といようと、お前が孤独だってわかることだよ」と別れた男に歌われると、ああ、そうだよな、と思うことだ。それは明らかにグラント自身に向けても歌われていて、その歌声にはどこか「真実」にいたる以前の「事実」の厳格な手ごたえがある。そうして、聴き手も「お前自身の孤独と向き合え」と告げられるのだ。それはまず前提なのだと。
 インタヴューによると、ジョン・グラントは親にゲイであることを認められなかったそうだ。そのことは“ジーザス・ヘイツ・ファゴット”で「ジーザスはカマ野郎が嫌いなんだよ、息子よ」よおどけて歌われているが、それは彼があらためて口にするこの世の「事実」だ。神や信仰や「家族の価値」を理由に同性愛者を排斥する人間が世界にまだたくさんいるのはたんなる現実だ、と彼は歌うのだ。それが肉親であっても。

 だからこそ、ライヴ盤のハイライトになっている“グレイシャー”には息を呑むものがある。「自分の人生を生きたいだけ 知る限りの一番いいやり方で/だけどあいつらは言い続けるんだ お前にそれは許されていないと」という歌い出しは、「同性愛者の人権を守る施策は必要ない」と口走る政党が政権を執るこの国においてもたんなる「事実」だ。では、すべてのゲイの人生に捧げられたこの曲の、「だけどこの痛みは、きみに向かって行く氷河/深い谷を彫り 壮大な風景を創り上げていく」というコーラスは、その先の「真実」なのだろうか、いや……。
 “グレイシャー”の感動的なアウトロを聴いていると、どうしてグラントがオーケストラと共演したのかがようやく理解できる。そこでは彼のやり方で本当に「壮大な風景」が創り上げられているからだ。

 ジョン・グラントはごく普通のゲイ中年である……肉親に愛されなかったことも、HIVポジティヴだということも、別れた恋人に醜い憎悪をぶつけずにいられないことも、それでも愛を歌わずにはいられないことも、ゲイにとって……いやゲイでなくても、なんら特別なことではない。「真実」なんてものは知らなくても、自分に正直であり続け、そして彼はただ、ありったけの願いを深い声で歌ったのだった。

THOMAS DINGER - ele-king

 兄のクラウス・ディンガー(『クラウトロック大全』P48参照)とともに、『ノイ!75』のB面とラ・デュッセルドルフの諸作を録音後、ソロ活動、1-Aドュッセルドルフ名義での活動をしつつ、2002年に肝不全のため49歳で他界したトーマス・ディンガーの2000年の録音物が小柳カヲル氏の〈SUEZAN STUDIO〉からリリースされた。クラウトロックのファン、とくにノイ!のファンなら、2000年、47歳のときの彼がどんな音楽を作っていたのか知りたいところだろう。
 1曲、黒人霊歌の“漕げよマイケル”の素晴らしいカヴァーがあるが、それ以外の曲は、ひじょうに抽象的な、ダーク・アンビエントな、エレクトロニック・サウンドを展開している。誰に似ているのかと訊かれたら、ピート・ナムルックに似ているとしか言いようがないのだけれど、UKの(良い意味で)ファッショナブルなインダストリアルとは明らかに別の切り口というか、わずか500部の限定リリースなので、興味のある方はぜひ聴いてみましょう。当時、お蔵入りになったことが信じられないくらい、上質な音楽であることは間違いない。


2014 Retrospective - ele-king

 CDや配信、あるいはカセットと較べて12インチ・シングルはもはや圧倒的に贅沢品である。値段も驚くほど高くなった。消費者的にはたんに惰性で買っていただけなのに、商品の持つ意味が時代とともにこれだけ変わっていった例も珍しいとは思う。70年代には売り物でさえなく、デザインもそこそこにプロモーション盤として配られていただけ。80年代にはリミックス文化を発展させることにより音楽がアルバム単位で売られることを脅かすほど商品の最先端となり、90年代にはそのままアンダーグラウンドのメディアにも等しい存在になった。ゼロ年代には一転して早くもノスタルジーを漂わせたかと思えば、いまや、チープな高級品とでもいうのか、FKAツィッグスのネックレス付きデザインのように投機の対象にもなれば、以下で取り上げた〈センシュアル・レコーズ〉のように依然としてアンダーグラウンドのメディアとして配信では買えない情報を運んでくることもある。畳みかけるようなイタロ-ディスコの再発盤も含めて、その多義性は計り知れなくなってきて、アナログ盤だと法的なサンプリング規制は見逃されるという面(=使い方)もあるらしい。かつて、12インチ・シングルを買い漁りながら、その存在意義について思いを巡らせるようなことはなかった。高級品なのかゴミなのか、なんとも妙な気分で(結局は)買い集めてしまった12インチ・シングルから2014年のハイライトをご紹介。

January

Dario Reimann - White Cypher EP llllllll

 フランクフルトの新勢力で、ダリオ・ライマンが新たに設立した〈センシュアル・レコーズ〉からダブ・ミニマルの新機軸を聴かせる「マニーカウント・ダブ(Moneycount Dub)」。催眠的なループを引き立てるようにユルめのパーカッションがどんどん入れ替わり、お金を数えているような気持ち……にはならないな。金融都市ならではの感覚か? ルーマニア系からの影響が明らかな他の3曲よりもだんぜんユニークだと思うんだけど……。

Feburary

AxH - Destroy Tempa

 ボストンからアンドリュー・ハワードによるフィジカル1作め。アフリカン・パーカッションを縦横に組み合わせ、だらだらと呪術的なムードを煽るエスニック・ダブステップ。BPM少し早めがいいかも。ケテイカーことリーランド・カービーが〈アポロ〉から放った「ブレイクス・マイ・ハート・イーチ・タイム」も意外なほどファンタジー気分。

March

Grems - Buffy Musicast

 フランスからすでに5枚のアルバム・リリースがあるミカエル・エヴノの単独では初のシングル(ユニット名のグレムスはアイスランド語で欲求不満)。フランス語のせいか、10年前のTTCを思わせる間の抜けたヒップ・ホップがほんとに久しぶり(関係ないけどホワイ・シープ?『REAL TIMES』にTTCからキュジニエにラップで参加してもらってます)。この月はNYから韓国系のアーティストにモデルやDJが集まったダスト(Dust)によるイタロ・ディスコとアシッド・ハウスの混ざったような「フィール・イット」もおもしろかった。映像はホラー過ぎてR指定

April

Katsunori Sawa - Holy Ground EP Weevil Neighbourhood

 スティーヴン・ポーターの名義でDJノブともスプリット・シングルをリリースしていた京都の澤克典によるセカンド・ソロ。日本人にありがちな清潔感がまったくなく、しかも、インダストリアル・テイストを優美に聴かせる抜群のセンス。12月にはインダストリアル・ダブステップのアンソーンと組んだボーケ(BOKEH)名義もよかった。

May

Hidden Turn - Big Dirty 31 Records

 ドク・スコットのレーベルからジュークとドラムン・ベースを完全に融合させてしまったような(たぶん)新人のデビュー作。「もうちょっと話題になってもよさそう」というクリシェはこういうときに使う。

June

Reginald Omas Mamode IV - As We Move Five Easy Pieces

 シングルの作り方がもうひとつ上手くないモー・カラーズ(『ele-king Vol.15』、P.82)に代わって、お仲間がそれらしいシングルを出したという感じでしょうか。ゆったりとしたトライバル・リズムは、これもモー・カラーズと同じくインド洋に浮かぶモーリシャス共和国の「セガ」と呼ばれるリズムに由来するんだろうか。

July

Tessela - Rough 2 R&S Records

 「ハックニー・パロット」や「ナンシーズ・パンティ」が大人気のわりにもうひとつピンとこなかったエド・ラッセルによる6作めで、これはドカンときましたw。レニゲイド・サウンドウェイヴがベース・ミュージックを通過すればこうなるかなと。90年前後のブレイクビーツ・テクノが完全に更新されている。

August

Blond:ish - Wunderkammer Kompakt

 モントリオールから名義通りブロンド女性2人組によるフィジカル3作め。「ラヴァーズ・イン・リンボEP」(『ハウス・ディフィニティヴ』、P.262)で覗かせていたモンド係数を大幅にアップさせたアシッド・ミニマルの発展形。とくにカップリングの“バーズ・イート・バーズ”でその妙味が冴え渡る。

September

New York Endless - Strategies Golf Channel Recordings

 グレン・ブランカのリイッシューなどにもかかわっていたダン・セルツァーが、なんと現在はディスコ・ダブの受け皿となっている〈ゴルフ・チャンネル〉から。ユニット名や曲調から察するに、1月のダリオ・ライマンやハンヌ&ロアー「ブラ!」と同様、中期のクラフトワークにインスパイアされているのはたしか。ロアシからSH2000「ミスティカル・ブリス」もなかなか。

October

Lakker - Mountain Divide EP R&S Records

 エイフェックス・ツインがオウテカとミックスして使ったことで一躍有名になったアイルランドの2人組による8作めで、これも4月でピックアップしたカツノリ・サワとはちがった意味でインダストリアル・テイストの優美なダブステップを聴かせる。中盤から乱打されるハイハットのじつにアシッドなこと。前の年にはルーシーの〈ストロボスコピック・アルテファクツ〉でハード・ミニマルをやっていて、その変化と連続性はかなり興味深い。

November

Future Brown - Wanna Party Warp Records

〈フェイド・トゥ・マインド〉周辺からファティマ・アル・カディリやングズングズら4人組によるデビュー作。シカゴのMC、ティンクをフィーチャーしたグライムはイギリス産にはないニュー・エイジ色とMIAから現実感をなくしたような手触りが新鮮。

December

Ana Helder - Don't Hide Be Wild C meme

 マティアス・アグアーヨのレーベル(『ハウス・ディフィニティヴ』、P.194)から80年代初頭を思わせる、なんとも大味のエレクトロ・ハウス。彼女自身の声なのかサンプリングなのかわからないけれど、あまりに蓮っ葉な発音が気になる(アルゼンチンからスリーフォード・モッズへのアンサーというか……)。

interview with Nagisa Ni Te - ele-king

  その起源を80年代の京都のアンダーグラウンドに持ち、2000年代においては「ローファイ」や「うたもの」として、〈Oz disc〉のサンプラー『so far songs』などによって提示された新しいインディの価値観を象徴し、〈ジャグジャグウォー(Jagjaguwar)〉からパステルズまでを日本のシーンにつないだバンドとしても記憶される、渚にて。2008年の『よすが』より6年、「また正月かあ!」と口をついて出るほど時の流れははやく、この間育児という経験もへてあらたに音楽と出会い直したというその中心人物・柴山伸二の、いまの暮らしと音について、湯浅学が訊ねる。(編集部)

柴山伸二、竹田雅子の夫妻を中心として活動するロック・バンド。柴山は80年代には高山謙一や頭士奈生樹らが結成したバンド、イディオット・オクロックのメンバーとして京大西部講堂を中心としたライヴ活動を展開し、自身では〈オルグ・レコード〉を立ち上げ、ハレルヤズ名義でソロLP『肉を喰らひて誓ひをたてよ』をリリース。92年にレコーディングが開始され、95年に完成をみる渚にて名義でのファースト・アルバム『渚にて』には、頭士奈生樹、工藤冬里も参加し、99年には『Wire』誌による〈ドミノ・レコーズ〉のサンプラーに工藤のMaher Shalal Hash Bazの作品と並んでハレルヤズ「星」のパステルズによるカヴァーが取り上げられるなど活躍のステージを広げた。つづく2001年の『こんな感じ』以降は米〈ジャグジャグウォー〉からも共同リリースがつづき、2014年には2008年依頼6年ぶりとなるフル・アルバム『遠泳』が発表された。


レコーディングも子どもの夏休みがはじまるまでに終らせなければいけなかったんです(笑)。


渚にて - 遠泳
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湯浅学:今回、渚にてのアルバムは計画的に作ったの?

柴山伸二:なかば計画的にですね。子育てが一段落してからはじめたので、6年ぶりというのも必然というか(笑)。子どもがひとりで自分のことができるようになった段階で、練習とかライヴができる状態に回復したという感じです。

湯浅:曲は作り溜めとかするんですか?

柴山:しないですね。何か設定されないと曲が出てこないんです。たとえばライヴをやるとか、レコーディングを年内にしなきゃいけないとか。宿題と同じで、締切とか目標がないとダラダラしてしまうんです(笑)。

湯浅:じゃあ、今回は発売を先に決めていたんですか?

柴山:発売が決まったのは後です。レコーディングがいつ終わるかハッキリとしなかったんですよ。作業を進めて、めどがついた段階で発売日を決めました。レコーディングも子どもの夏休みがはじまるまでに終らせなければいけなかった(笑)。子どもを見送ってから、午前中はスタジオに入って、学校が終わるまでにスタジオから帰ってこなければいけなかったという。だから、毎週午後3時までには帰宅していました。それが2月から7月までの足掛け半年くらいですね。

湯浅:今回、サウンド的なテーマや目標みたいなものはあったんですか?

柴山:サウンドの方向性はいつも同じなんですよ。90年代からそれは一貫しているつもりです。変わるのはスタジオの機材くらいで、目指している方向はつねに一点だけなので。僕は70年代っ子なので、黄金期のピンク・フロイドとかザ・バンドとかのやり方を自分なりに応用してみたり。まあ、勝手に肩を並べたい、という気持ちで。

湯浅:77年くらいまでですかね?

柴山:70年代前半までですね。ピンク・フロイドで言えば『狂気』までです(笑)。

湯浅:そうしたら73年(笑)?

柴山:そうなんですよ。ちょうど中高生くらいのとき。一枚のレコードを2ヶ月くらい毎日聴いていました。それとはまた別枠で76年以降はパンクの影響も入ってきますよね。70年代前半プラス76年以降、みたいな。パンクだったらジョイ・ディヴィジョンあたりまでだから、ディス・ヒートまでっていう感じですね。そう言うと「あ、そうですか」で終っちゃうんですけど、言わないと誰もわからないんです(笑)。

湯浅:そんなことはないと思うけど。でも、渚にてを聴きつづけていないとわからないと思うんですよ。

柴山:昔から聴いてくれている人はどんどん消えていってますけどね(笑)。

湯浅:最近の作品から聴きはじめた人と、昔の作品から聴いている人に接点はあるんだけど、感覚がズレちゃうところがあるらしくて。

柴山:それはいつの時代でもあると思いますよ。いまバンドをやっているような人はジミ・ヘンドリックスも後追いで、もちろん聴いたのは死んでからだし。ドアーズやビートルズでさえ全盛期はリアル・タイムでは知らないわけで。まぁ、僕は青盤赤盤世代ですから、それで聴いてどの曲がどのアルバムに入っているのかなってレコード屋さんで探して。それで『サージェント・ペパーズ』からさかのぼって聴く、みたいな。山本精一くんも検索すればボアダムズとか出てくるけど、いまはそういうイメージの人じゃないでしょう? 渚にても同じように、さかのぼって関心を持ってくれる人も少なからずいると思うんですけど。


僕は70年代っ子なので、黄金期のピンク・フロイドとかザ・バンドとかのやり方を自分なりに応用してみたり。まあ、勝手に肩を並べたい、という気持ちで。

湯浅:渚にてを聴いていると、歌詞の出発点で言葉をどのように紡いでいるのかなって思うんですよ。なんかこう、ある日閃いている感じもするし。

柴山:それもあります。ほとんどは子どもと散歩してるときとか、仕事中にちょっとずつ思いついたものをメモしてまとめて、っていう感じです。「紡ぐ」というのはまったくないですね。

湯浅:題名を先につけて詞を書くっていうのはないんですか?

柴山:タイトルをつけるのは最後ですね。まず歌詞の内容ができあがってから、タイトルを考えます。

湯浅:順番だと曲が先だと?

柴山:そうですね。まず、曲の一部となるメロディができてきて、そこから引っ張り出してくるみたいな感じです。その過程で、土台を忘れないようにフレーズを当てはめながら、残りのメロディを引っ張り出すというか、捻り出すときもありますけど(笑)。それである程度出てきた時に使えるものが採用になる。あとはギターでコードを付けて、という作業ですね。

湯浅:コード進行からメロディを作るんですか?

柴山:そっちの方が少ないです。ギターで遊んでいるうちにというのは珍しいんですが、今回のアルバムにはいくつか入ってますよ。2曲めの“まだ夜”はギターからできたやつですね。コード進行が先にできて言葉をつけていくというのは、普段あんまりないです。

湯浅:じゃあ、メロディがまず最初に浮かぶんですか?

柴山:そうです。急にサビが出てきて、あとでその前後の様子を探るというか。それとも、イントロの最初のメロディがパッと浮かぶか、その2パターンあるんですよ。それがだいたい半々くらいの割合です。

湯浅:タイトルとメロディと詞の3つがあるんですけど、題名が並んでいて、アナログ盤だと最初から聴いて……となる。だけど、CDって意外とランダムに聴けちゃうというか。

柴山:買って初めに3曲めから聴く人とかいますかね? ダウンロードとか?

湯浅:たまにそういうのがあるんですよ。題名で検索して聴いちゃった人もいるし。タイトルと詞の内容がかけ離れていると、かえって喜ばれることがあるらしい。それはほとんど例外的な話なんですけどね。だけど、基本的に詞ができて歌ができて曲ができて、タイトルをつけるにあたっては、詞のテーマと曲全体のイメージとのどっちを優先されるんですか?

柴山:どちらも同じですね。表現したい曲のイメージと、具体的にどういう言葉を選択するかをどこまで追求するかですよね。自分の中でのリアリティというか。これしかない、というところまで考えるという作り方ですね。

湯浅:今回のって、というか毎回そうなんですけど、作り込んでいったあとに、引き算で少し抜いた感じがするんですよ。

柴山:それは音に関してですか?

湯浅:いや、全体的に。歌詞とか。抜いたというか、ここを少し待とうというか。間合いが少し柔らかいというか。

柴山:それはたぶん、歳を取ってきたから(笑)。よく言えば余裕のようなものが出てきている気がしますね。今回の新作の曲も、おととし子どもが4才になって昼間は幼稚園に行って家にいない時間ができてやっと作れたんですよ。ふたりだけで育児をしていたので、その時を待ってました(笑)。子どもは双子で、幼稚園に上がるまでは24時間つきっきりで。おむつが外れるまでは音楽もクソもありませんでしたね。最初の1年はギターをぜんぜん触らなかったから、左手の指先がふにゃふにゃになってしまいましたよ(笑)。
 それでやっと幼稚園に上がって、とりあえず半日は家に子どもがいないので、その間にリハビリを兼ねてギターを練習してみたんですけど、昔の自分の曲のコードがなかなか思い出せなくて(笑)。レコードを聴くほうは夜中にコソコソとやっていたんですが、4年間曲作りはゼロだったんです。でもそれが案外いい方へ出たというか。しまい込んでいたギターを押し入れから出してきて子どもがいないうちに触ったら、「こんないい音がするんやな!」と、自分でギターを再発見してしまったというか。それまで1年以上はギターに触りもしなかったので。ちょっとした浦島太郎状態でしたね(笑)。

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しまい込んでいたギターを押し入れから出してきて子どもがいないうちに触ったら、「こんないい音がするんやな!」と、自分でギターを再発見してしまったというか。

湯浅:それで新鮮さはあるんですか?

柴山:さすがに何年か触らなかったから新鮮さはありましたね。で、最初にできたのがタイトル曲の“遠泳”で、歌詞もほとんど悩まずに自然と出てきました。次はこうだな、っていうのがわかったんです。誰かが用意していてくれてたのかなって思いました(笑)。ライヴのほうも妊娠中期くらいから休んでいたので、5年ぶりくらいにそっちの方も再開したんですよ。そのときは活動休止以降の新曲だけでやって、昔の曲はアンコールで2曲やっただけでした。

湯浅:ライヴのときは子どもをどうするんですか?

柴山:最初は地元の大阪でしかライヴができなくて、しかもランチ・タイムで12時半スタートっていう(笑)。妹が車で来られる距離に住んでいるので来てもらいました。妹はとっくに子育てが終わっていて、いちばん上の子はもう就職してたから、時間の余裕があったんですよ。だから妹に子守りをしに来てもらうという(笑)。妹にはなついていたので安心できました。妹に朝9時に家に来てもらって、僕は午後4時までに帰ってましたよ。妹も5時までには帰って晩ご飯の支度をしなきゃならなかったので(笑)。

湯浅:そういう生活上の縛りがあったほうが、やることがまとまるのかもしれませんね。

柴山:メリハリがつきますね(笑)。いい意味で緊張感が生まれる。まだ小学1年生なので、夜のライヴはちょっとできないんですよ。発売記念だけはしょうがないから東京で夜にやりますけど、どうしても一泊になるのでそのときは妹に預けて、次の日夕方の明るいうちに帰るっていう(笑)。

湯浅:1年生だとあと10年はかかりますよね。

柴山:ライヴの会場にはまだ連れて行けないですよね。小学校高学年くらいになったら、いっしょに行こうと思います。中学くらいまでは厳しいかな。

湯浅:中学くらいになれば、行きたい時に行けますけどね。坂本慎太郎くんの子どもが中学2年生で、オシリペンペンズのライヴを観に来ていて、このあいだ会いましたけど。好きな音楽も選べるし、自分のオヤジの音楽聴いているって言ってたよ。それでペンペンズのファンだから来たって言ってました(笑)。

柴山:ペンペンズの方が好きなのかな(笑)。


使う単語が歳をとって簡単になっていると思います。自分で漢字で書けないものは使わない、みたいな。

湯浅:ところで、生活のなかで詞を書いていくにあたって、やっぱり昔使っている言葉と、いま使っている言葉って少しちがうっていうのはあるんですかね?

柴山:多少はちがうと思いますけどね。

湯浅:それは意識的に変えていくってことかな?

柴山:使う単語が歳をとって簡単になっていると思います。自分で漢字で書けないものは使わない、みたいな。

湯浅:それは俺もよくわかります。

柴山:「喪失感」とかね。「喪」が書けない(笑)。

湯浅:でも若い頃って、けっこう無理して難しい言葉を歌おうとしていたってことないですかね?

柴山:ありますよ。はっぴいえんどの悪影響を受けて。国語辞典を引っ張り出してきて「寂寥なんです」なんて歌詞を作って真似事をしていた時期がありましたね(笑)。これはオフにしといてください(笑)。

湯浅:何かこう、到達しない部分もあると思うんですが。

柴山:歌詞がですか?

湯浅:いや、音楽全体で。つまり、昔は無理してやっていたけど、いまでは多少はできる部分もあるんじゃないのかなって思うんですよ。

柴山:いまは逆です。昔できていたことがいまはできない(笑)。高齢化とともに、記憶と体力が衰えましたね。やっぱり50歳を過ぎたあたりから。歌詞を全部暗記できなくなったとか。20年前は全曲普通に暗記してやっていたのに、いまは譜面台を置かないと歌詞が途中で出てこない(笑)。

湯浅:あれは一回置いちゃうとだめですね。

柴山:昔はなかったんですけどね。だんだんできないことが増えている(笑)。で、その中で必要に追いやられてシンプル化が進められてきたという感じです。退化していっているような。

湯浅:やり過ぎない部分というのもあるのかもしれないですね。結果的になのかもしれないけど。

柴山:音楽的にも歌詞にも、よく言えば無駄が無くなってきたというか。ハッタリをかます必要性が無くなってきたというか。やっぱり30代くらいまでは虚勢を張ってみたりだとか、ありましたね。


音楽的にも歌詞にも、よく言えば無駄が無くなってきたというか。ハッタリをかます必要性が無くなってきたというか。

湯浅:柴山さんにもあります?

柴山:ありますよ。誰にでもあるんじゃないですか? 「お前らにこれがわかるか?」みたいなハッタリをぶつけたい衝動が。

湯浅:それはありますけどね。

柴山:村八分的な。「今日はのらないし、やめるわ」みたいな(笑)。

湯浅:ははは(笑)。あれなんか、憧れがあるんですか?

柴山:ちょっとやってみたいなと思いますよね。でも、あれはチャー坊だからサマになるんで(笑)。

湯浅:真似しても、今日は具合が悪いのかなって思われたりして。

柴山:次に会ったとき「スイマセン」って謝ったりして(笑)。そういう憧れみたいなものもだんだんとなくなってきたりして、自分のスケールも「まぁ、こんなもんなんだな」みたいな(笑)。よくも悪くも自分に見切りがつくようになってきたというか。でもまぁ、できることとできないことは、人それぞれにあるものなので。自分には何十行もあるような歌詞は作れないなとか(笑)。昔に比べたら、やっぱり言葉数は少なくなりましたね。だけど、ちょっと尺が長くなりました。短い曲が減って、5分以上の曲がほとんどになって。年寄りの話は長い、みたいな(笑)。

湯浅:でも一音一音の間合いが長いというのはあると思うんですけどね。

柴山:でもそれは自分ではよしと思っていますけれどね。長くなったといっても無駄があるわけではないので。ギター・ソロとか回数が決まっているんですよ。“残像”とかはライヴで長くなる余地が残っているので、レコーディングでは詰めましたが、ああいうのも別にここまで短くしてもなんの支障も出ないというか。“残像”はCDだと10分程度なんですけど、ライヴだと15分以上とかになります。

湯浅:そうですよね。スタジオだとまとめるほうへ行きますよね。

柴山:CDは2枚組にはできないんで、70分くらいには押さえなきゃいけないという。

湯浅:まぁでもアナログなら確実に2枚組だから。

柴山:だからアナログを出してほしいんですけど、2枚組がネックになってディレクターから返事がこないという(笑)。

湯浅:2枚組はジャケ代がかかりますからね。

柴山:CDなんか出さないで、アナログとダウンロード・チケットのセットを販売したらどうか、と提案したんですけど、返事がなかったですね(笑)。やっぱりニール・ヤングとかそういうクラスじゃないと無理かな?

湯浅:アナログにCD付録がいちばんいいですね。

柴山:CDは売れないって、売る方も買う方も言っているのに、なんでCDを出すんだっていう気もしますよ。

湯浅:そうですね。アナログを作る人がもう少し増えたらと思いますけど。化成(東洋化成)しかないから。

柴山:国内一社だけで値段が決まっちゃってますからね(笑)。一時期、東欧のプレスが運賃考えても安く作れる、というんで流行ったこともあったけど。

湯浅:なんかヨーロッパのプレスって音が悪いんだよな。

柴山:コストは安くても、再生ビニール使っている感じがしますよね。東洋化成さんにもうちょっと値段を安くしてもらって(笑)。

湯浅:立ち会いもできるし、環境はいいんだけどね。あれは独禁法に触れないのかな(笑)。

柴山:文句言う人が誰もいないんですね(笑)。

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音はフォステクスのシブイチの8チャンネル(笑)。それしかスタジオになかったんです。


渚にて - 遠泳
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湯浅:これはアナログ録音で?

柴山:リズム録りはアナログです。オープン・リールのテープを回しました。それで重ね録りをプロ・トゥールスでやりましたね。

湯浅:音は何チャンネルで録っているんですか?

柴山:音はフォステクスのシブイチ(4分の1インチ幅のテープを使用する)の8チャンネル(笑)。それしかスタジオになかったんです。

湯浅:よくありましたね。

柴山:エンジニアの私物です(笑)。

湯浅:テープは使い回し?

柴山:僕が持っていた6ミリのテープを押し入れから引っ張り出してきて。昔、テープをまとめ買いしていた時期があって。ピース・ミュージック(中村宗一郎氏のスタジオ)でやっていた時はアナログ録り、アナログ落としだったので。その頃に箱買いしていた6ミリテープの余りを発見して、それを使いました。大阪のスタジオで録った『よすが』の時はオタリのアナログ・マルチ・レコーダーのテープ2インチ幅の24トラックを使ったんですけど、渚にてが使ったのが最終稼働だったんですよ。今回もオタリで録ろうとしたらピンチ・ローラーのゴムが変形していて、使えない状態だったんです。エンジニアの人がスタジオのオーナーに修理を打診したんだけど、だめでした。「プロ・ツールスで全部できるんだから経費のことを考えろ」と言われて。
 それで諦めかけたら、エンジニアの人が学生時代に宅録で使っていたフォステクスが動くかもしれない、となって。持ってきてもらったらギリギリ使えたんです。それで今回のベーシックのドラムとベース、ギターの録りは4分の1インチの8トラックなんですよ。これは専門的な話でそれこそ『サンレコ・マガジン』(サウンド&レコーディング・マガジン)向けかもしれないんですけど……2インチ幅の24トラックのオタリはSNが非常によくてヒス・ノイズもほとんどないから、ノイズ・リダクションがなくても使えるほどなんです。非常にハイファイで硬質な音で、逆に言うとデジタル的なぐらいクリーンな音質。業務用マルチ・レコーダーの国産では最高峰。対して、今回使ったのは民生用のフォステクスでしかも83年製……! しかもシブイチで(笑)。フル・デジタルは回避したかったので仕方なかったんです。ダメもとで、もし途中で壊れたら諦めるかってやってみたら、トラブルがなくて全曲録れたんですよ。一応、業務用レコーダーと比べたらヒス・ノイズも多いのでドルビーだけは使いましたけど。で、録ってみたらテープの幅が狭いのが影響して、すごくいい結果が出たんですよ。いわゆるテープ・コンプレッションが、テープ幅の狭い分だけ極端にかかったんです。悪く言えば強い音が潰れかけてるんですけどね。

湯浅:俺はあの感じが懐かしいと思いました。

柴山:ベースのブイーンと鳴るときの音なんかね。あれは全部テープ幅の狭さによってできたものです。聴いてみたら、これは2インチのときよりも迫力があるよなって(笑)。メンバー全員一致でこれでいこうってなりました。

湯浅:そういう事情があったのか。

柴山:だからフォステクスの民生用の8トラックのオープンリール・レコーダーが出発点でした。


よく言われました。「これは今年の録音なんですか?」って(笑)。

湯浅:ギターはあとで?

柴山:重ねたギターはプロ・ツールスでやりました。基本的にはベーシックのエレキ・ギターとベースとドラムがアナログ録音です。

湯浅:キーボードは?

柴山:一日来れなくて後録りになったけど、3分の1くらいは4人いっしょにやりました。ドラムの前に皆並んで(笑)。

湯浅:8チャンネルでやりくりっておもしろいですよね。

柴山:マイキングでどれだけ録るかを工夫しましたね。8チャンネルなんて20歳ぐらいの宅録時代以来(笑)。

湯浅:8チャンって意外に命が短くて、4チャンの次はもう16チャンになっちゃうって言ってたから、かえっておもしろいなと思いました。

柴山:8チャンネルではベーシック・トラックで一杯になって重ねまではさすがにできないので、仕方ないですが後の作業はプロ・ツールスで(笑)。

湯浅:それはもうマルチで戻して?

柴山:うん。それにヴォーカルなどを重ねて、ミックスもプロ・ツールスですね。マスタリングはまた別のスタジオに入って、音源をスチューダーの2トラック・ハーフ・インチ・レコーダーのテープ・スピード76cm/秒で一回録りました(笑)。スチューダーを持ってるスタジオが大阪で見つかったんです。で、スチューダーで再生した音をまた取り込んでマスタリングしました。それでなんともいえない音色になってるんですけど(笑)。

湯浅:ぜんぜん、いまどき感がないですよね。

柴山:それはよく言われました。「これは今年の録音なんですか?」って(笑)。

湯浅:ははは(笑)。「あれ?」ってなって3秒くらいで慣れるんですけど。最初の印象はすごく新鮮な感じがしました。

柴山:マスタリングのスタジオでも言われました。「こんな感じのスネアの音を聴いたのは20年ぶりぐらいだ」って。

湯浅:スネアはすごいショックですよね。いま録ろうと思ってもなかなか録れないし。

柴山:ああいう感じにしたいなと思っていたのが、偶然ポコッとできて。「あれ? 鳴ってるやん!」みたいな。

湯浅:ドラムって本当に難しいですよね。

柴山:とくにスネアがね。ザ・バンドの、リヴォン・ヘルムじゃなくてリチャード・マニュエルのスネア・ドラムですよ。“ラグ・ママ・ラグ”のあの鳴りです。鈍く低いけれど、通りがいいというか。漬物石をドスっと置いたような音ですね(笑)。あの音が出せたから今回はもう成功したな、という(笑)。


ザ・バンドの、リヴォン・ヘルムじゃなくてリチャード・マニュエルのスネア・ドラムですよ。“ラグ・ママ・ラグ”のあの鳴りです。あの音が出せたから今回はもう成功したな、という(笑)。

湯浅:柴山さんはこの『遠泳』のステレオ感に関してはどういう構想を持っていたんですか?

柴山:左右の広がりとかですか?

湯浅:それとか、分け方とかですね。

柴山:けっこうこだわるほうですよ。それはやっぱりピンク・フロイドとかキング・クリムゾンの影響ですね。最初は左にあったギターがいつの間にか右にあるとかね。説明しないとわからないけど、鋭い人がヘッドフォンで聴くとわかる、みたいな。そういうのは毎回必ず入れてるつもりなんですけど。

湯浅:まず定位はセンターから作っていくんでしょ?

柴山:そうですね。ドラムとベースからはじまって。それはまぁ、基本のセオリー通りですけど。

湯浅:ドラムなり、上モノをどっちにするかとか、最初からモノで考えて振り分けする場合も?

柴山:レコードのモノラル盤は好きですけど、自分で作るときはモノラルはあまり考えないですね。小さい頃はラジオだけでモノラルしか知らなかった。でも、親にステレオを買ってもらってからは右と左が別れていて、ヘッドフォンで聴いたら「音が回る!」みたいな衝撃(笑)。ステレオの原体験は大阪万博の鉄鋼館のシュトックハウゼンの演奏で、あれもサラウンドの先駆けみたいなことをやってましたから。照明と音が同期して観客席を回るとか。

湯浅:いまは簡単にできることだよね(笑)。


プロ・ツールスは人生が500回ある感じですよ。今回は「もうそんなに要らんやろ!」って見切りをつけて作業してました(笑)。

柴山:そういう音のパノラマ的な定位ですよね。『2001年宇宙の旅』の後半のすごく盛り上がる光と音の洪水のところとか。前後感と左右感が全部出てる。そういう効果は今回のアルバムでも、あくまで味つけとしてけっこうやってますよ。そういう意味でプロ・ツールスはすごく便利になったので。でもプロ・ツールスも逆に能率が悪いですけどね。何でもできる代わりに修正もどこまでもできてしまうから、諦めがつかないんですよ。あと、指定した過去に瞬時に戻れるので。アナログだったら絶対に再現できない部分があって、そこで諦めがつくんです。人は生まれたら死ぬ、みたいな(笑)。アナログはいったんフェーダーをゼロにして電源を落としたら、卓の写真撮ってもフェーダーの位置をテーピングしても、次の日は絶対に同じ音は出ない。でもプロ・ツールスは何回でも生き返れるから、終わりがなくなっちゃうんですね。

湯浅:あれ聴き比べができちゃうのがよくないですよね。

柴山:『よすが』を録ったときは、「ベーシックは何月何日にやった何番目のテイクで、上モノの一箇所だけ今日はちょこっと変えます」とかやってましたからね(笑)。プロ・ツールスは人生が500回ある感じですよ。今回は「もうそんなに要らんやろ!」って見切りをつけて作業してました(笑)。でも、ときどきは「本当はまだ直しができるのにな〜」って内心思ったりしてましたよ。でも、プロ・ツールスで修正を重ねて追い込んだつもりでも結局はどう変わったのか、自分でもあんまり区別がつかないんです(笑)。ベーシックは同じもので、非常に細かいところをちょっと変えているだけですから。

湯浅:全体を変えるわけじゃないですからね。

柴山:今回やっとプロ・ツールスの見切りもついてきて、ミックスの作業も「子どもが学校から出てくるまでにキリをつけて帰らなきゃ」ってね(笑)。いまは子どもが狙われる犯罪がたくさんあって他人事じゃないですから。子どもを一人にすることが「まぁ、ええか」とはならなくて、「下校まであと20分しかない!」ってなります(笑)。そういった心地よい緊張感で作業を進めさせていただきました。

湯浅:だから忘れることがけっこう大事かもしれませんね。あんまり憶えているとかえって気になって戻りたくなっちゃうというか。

柴山:本当にそう思います。プロ・ツールス初体験のときは全部魔法のようでしたけど。

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ピッチと時間軸を変えるのだけは絶対にしない、と。

湯浅:アナログのほうが、かえって思い切りがよくできていたのかもしれないな、といまになって思うんですけど。

柴山:ミックスでも同じですよね。いまは0.2dBのレベルの上げ下げでエンジニアからツッコミがきますから(笑)。

湯浅:そうそう(笑)。なんか急に細かいことを言ってる。0.2ってどこだよっていう。

柴山:スタジオの現場でデジタルだと、0.2dB上がったっていうのがわかるんですよ。

湯浅:あと波形でわかるじゃないですか? あれがよくないと思うんだよな。

柴山:まぁプロ・ツールスでも、時間軸とピッチの修正だけはしません。バスドラが少し突っ込んでいるからコンマ1秒ずらして修正しよう、とかはやらないんです。エンジニアは耳が慣れているから気づくんですけど、絶対にいじるなって言ってあります。自分の歌のピッチも「ここ少し修正してもわかりませんよ!」って言われるんですけど、それだけはやめてくれってお願いしてます(笑)。一音だけ歌い直したりとかはしましたけど。

湯浅:それはアリなんですか?

柴山:それはアリにしました(笑)。でもピッチと時間軸を変えるのだけは絶対にしない、と。

湯浅:いまって歌が簡単に直っちゃいますもんね。

柴山:そうなんですよね。だからそれをやると人として終わり(笑)って自分で決めていたので。

湯浅:最初からそうだと潔くていいですよ。なんか細かく直すのにすごく抵抗があるんです。自分で歌っていても、そういうふうに思うし。だけど、たとえば昔も手動でピッチを直していた人もいるわけで。つまりマルチ・トラックのテープで一箇所ずつ微調整して再生して上げて音程を直す。ユーミンとかもそうなんですよ。ものすごく細かくやってもあれだっていうのがすごくおもしろくて(笑)。『ひこうき雲』のときはそうやって全部ヴォーカルを直したらしくて、歌だけでものすごく時間がかかってるんですって。

柴山:一曲やるだけで気が遠くなりそうですね(笑)。だから70年代の後半くらいにはピッチ・シフターが出てきましたもんね。

湯浅:あれは録ったのが72年だから出たのが73年か。すごい大変だったって言うんだけど。

柴山:『ミスリム』のときもそうやってたんですか?

湯浅:その頃までには音程はよくなっていたらしいんだけど。だけど、それはそういうふうにしたかったからそうしてるみたいだけどね。

柴山:70年代は、浅田美代子も修正をしてあれだったから。

湯浅:浅田美代子は直しようがなかったんじゃない?(笑) これは無理だ、みたいな。再生したものを聴いて違和感があるのが嫌っていうのもあるし。

柴山:本人にしかわからないですよ。歌って細かいところを気にしているのは本人だけ、っていう。プロ・ツールスだとエンジニアが簡単に「ここの音程は上がりきってないから一瞬だけ上げてみましょう」とか言うんですけどね(笑)。ピース・ミュージックで録ってたときなんか、あんまり何度も同じ箇所を歌い直すもんだから「テープが粉を吹いてきたので一回テープ止めませんか」(笑)ってなったこともありました。レコーダーのヘッドが熱くなって、テープの磁性体が剥がれ落ちてきたんですよ。新しいテープだったんですが「テープがダメになっちゃうんで、ここは置いといて別の箇所を録音しましょう」って(笑)。

湯浅:今回はパッチワーク感が少ないですよね。

柴山:少ないですね。プロ・ツールスは使っているんですけど。今回は一本筋が通ったアルバムとして手応えはあるんですよ。大体同じ時期にできた曲ばっかりで。半年間くらいかな。

湯浅:前の(『よすが』)はそうでもないんですか?

柴山:違いますね。何年かの間に少しずつ、という感じでした。ライヴが今度あるから、少なくとも新曲を一曲はやろう、という感じで。そうした方が新鮮でもあるんで。それを2、3年やって10曲超えたらアルバムを作ろう、となるんですよ。『よすが』まではその繰り返しが多かったですね。

湯浅:もうそういうふうにはできないんですかね?

柴山:ライヴ自体がコンスタントにできないので。子どもが大きくなったら、ライヴの回数は増やすかもしれないですけどね。


それまでは自分から音楽を取ったらゼロだと思っていた。いまはすべて子どもが最優先という形になってますから。それが幸せということなんですけど。

湯浅:うちは今年で上のが20歳なんですよ。下が中学3年で、ふたりとも女です。

柴山:口をきいてもらえますか(笑)?

湯浅:うちは仲良しなんですよ(笑)。

柴山:A&Rの井上さんの娘さんは14歳から20歳の間まで口をきいてくれなかったらしくて。

湯浅:井上のうちはビッチですから(笑)。うちの場合は子どもが小さかった頃はべったり育児してたからね。ライヴを観に行くのがとにかく大変だよね。双子だったらもっと大変なんだろうなって思います。

柴山:夜、子どもが寝てからヘッドフォンでこっそりレコード聴いていても、育児で疲れてるから3曲めくらいで寝ちゃうみたいな(笑)。

湯浅:生活のサイクルが変わって、昔作れなかったものが作れるってことはないんですか?

柴山:今回の新曲は全部そんな感じですね。表現としてはそんなに変化がないんですけど、子どもがいなかったときとは感覚的に違いますね。

湯浅:1回めはそんなでもないんですけど、2回めからわかるんですよ。最初は渚にての新譜として聴けるんだけど、2回めから「あれ?」と思うことが随所にあってまた1曲ずつ繰り返したくなるんですよ。そこはずっと聴いた身としても発見がありました。

柴山:ありがとうございます。

湯浅:いえいえ。それはやっぱり生活の変化がけっこうあるのかなって思って。

柴山:いちばん大きいと思います。まあフルタイムのミュージシャンではないので(笑)。4年も休んでミュージシャンとか言ったら恥ずかしいですけど。まぁ、片手間だったのが、そうではなくなったというか。自分から子どもとの生活を取ったら音楽しか残らない、みたいな感じですかね。子どもが生まれたのは本当に大きいですね。それまでは自分から音楽を取ったらゼロだと思っていた。いまはすべて子どもが最優先という形になってますから。それが幸せということなんですけど。だから健康に気をつけてますけどね。

湯浅:それはやたら言われますよね。死なないようにってね。

柴山:だからまぁ、生きてるって素晴らしい、みたいなことですよ(笑)。東日本大震災もありましたし。あのときは子どもがまだ3歳でした。そのときにできた曲っていうのはないんですけど、歌詞の世界観には入っていると思います。日本人全員が同時に死をリアルに意識したのが3.11だったと思うんですけど、戦後のナマっちょろい世界を生きてきた自分の世代にとっては、後にも先にもあれほどのものはなかったですからね。豊かな高度経済成長期で育ったので。

“遠泳”ができたときは、もう一度泳ごうという気分だったんですよ。(中略)結局、海へ泳ぎ出してどこかにたどり着くのか、一周して戻ってくるのか、コースは人それぞれなんだけど、そういう、生きていくことのメタファーなんです。

 被災された方々には不謹慎にあたる言い方かもしれないですけど、“遠泳”ができたときは、もう一度泳ごうという気分だったんですよ。津波で亡くなられた方々が、逆に海がなかったら死なずにすんだかというと、そう考えても意味はなくて、そもそも海がなかったら人間だけではなくてあらゆる動物も地球自体も生きてはいけないわけで。“遠泳”の歌詞にはそれがいちばん入っているかもしれないですね。海はもっとも豊かな存在であるかもしれないけれど、もっとも恐い存在でもあるわけで。結局、海へ泳ぎ出してどこかにたどり着くのか、一周して戻ってくるのか、コースは人それぞれなんだけど、そういう、生きていくことのメタファーなんです。比較的早い段階で(アルバムの)タイトル『遠泳』とタイトル曲は決まってました。あとはメンバーを説得するだけでしたね(笑)。他の曲名も全部漢字2文字にしようと思ったんだけど、ひらがなが好きな人もメンバーにいて反対の声があったので(笑)。世界でいちばんすごい存在は海であって、その次は母だということですね(笑)。お母さんもすごいです。

湯浅:そうだよなぁ。男って子どもを生めないしな(笑)。

柴山:次は生きているうちにアルバムを何枚作れるかという最大のテーマについて挑戦したいと思います(笑)。それと、孫の顔を見るというのと、レナード・コーエンに負けないように80歳を過ぎてもアルバムをリリースすることですね。この前、頭士奈生樹くんに会ったんですよ。同い年なんですけど、「あと何枚作れる?」みたいな話をして、「いや〜、あと1枚かなぁ」って(笑)。いや、それは少な過ぎるからせめて5枚くらいは出さないと、って。頭士くんはどこか仙人的な生き方をしている人で、べつに強いてCDを出さなくてもいいというか、いい曲さえできたらあえて他人に聴いてもらわなくてもかまわない、みたいなんですよ。僕は俗世間の人間なのでこんないい曲CDにしなきゃあかんで、と思ってしまうんです。頭士くんは田中一村みたいな考え方なんです(笑)。作品至上主義で。離れ島でひとりで制作に没頭して「ええ絵が書けた!」って完結(笑)。で、僕が出版社の編集者みたいになって「これは画集にしなきゃあかんよ!」って言う、みたいな。人に見てもらってはじめて作品って完結するんだからって言っても、「いや必ずしもそんなことはないんじゃ」っていうような感じ(笑)。

湯浅:死後発見っていうのもあるからね。

柴山:ゴッホになってどうするんだっていう(笑)。生きているうちに騒がれなきゃあかんやろ、と言っているんですけど。山本精一くんなんかも焦っていると思いますよ。ハイペースでライヴもやってアルバムも毎年のように作ってるから、「ちょっと出しすぎ?」みたいな。まぁ、それはそれで彼の生き方なのでいいと思いますけど、でもそれに対して憧れもありますね。彼はまだ独身で子どももいないから、好きに時間が使えていいな、と思います。好きなときにライヴにも行けるし、御前様になっても怒られたりしないし。気が向いたときにレコーディングしてCDを出して、単純にうらやましいなーと思います。いつでも練習できるし(笑)。

湯浅:じゃあ、子どもの成長に従って次のアルバムが決まりそうですね。

柴山:そうですね。だからリリースはいままでより増えると思います。


ゴッホになってどうするんだっていう(笑)。生きているうちに騒がれなきゃあかんやろ、と言っているんですけど。

湯浅:小学校1年生というと授業は5時間ですか?

柴山:5時間ですね。2年生から6時間になるみたいです。だから親の自由時間がちょっとずつ増えていくので、それがいまの楽しみです。あと、お風呂が一人で入れるようになるのが時間の問題で。いまは毎日いっしょに入っているけど、女の子ですから。

湯浅:お風呂は小学校3年生までですね。

柴山:「お父さん臭い」とか「来ないで」ですよね。まだ大丈夫で裸で走り回ってますけど(笑)。いっしょにいられる時間を楽しみたいと思います。

湯浅:こうしている間にも成長していますからね。

柴山:時間のスピードがあいつらと自分でぜんぜんちがいますからね。でも同じ時間軸で生きていることが不思議で楽しいですね。

湯浅:たぶん年齢の分母がちがうからだと思いますね。

柴山:もういま、自分の一か月っていったら一週間くらいの感覚ですよね。とくに子どもが生まれてからはファズをかけたみたいに自分の時間が加速してます。この間、向田邦子のドラマを観てたら、森繁久彌が出ている回があるんですけど、お正月のシーンで森繁久彌が「また正月かぁー!」って言うんですけど、その台詞が最近自分もよく出るようになりましたねえ(笑)。

湯浅:そうそう、すぐに年末になっちゃうんですよね。夏とか短い。

柴山:小学生のときとか、夏休みは永遠に近かったですもんね。

湯浅:夏が3日くらいで終っちゃう感じですよね。

柴山:もう1年が半年くらい、って感じですよね。だから、うかうかしてないでレコ発のライヴに向けて真剣に準備しようと思ってるんですけど。

湯浅:それはいつなんですか?

柴山:1月です。12月はライヴハウスが押さえられなかったんですよ。子どもの学校があるから土日しかライヴができないっていう括りがあるんで。土曜日の朝に子どもを妹に一泊預けて上京して、夜にライヴして翌日帰ってきて引き取って、月曜日に学校に行かせる、という。

湯浅:大阪のライヴは祝日の午後にやるんだ。

湯浅:大阪ではランチ・タイムにやって明るいうちに帰るということです(笑)。年配のファンにはそっちのほうが評判がいいんですけどね。帰るのが楽みたい。会場の外に出たらまだ日が出ていて、一杯飲んで帰るのにちょうどいい、みたいな。

湯浅:一杯飲んでも帰ったら9時みたいな感じですもんね。

柴山:普通のライヴだったら、終ったら10時半とかでゆっくり飲みに行くには終電が気になる。だから大阪は早めの時間にやって、東京は営業的にしょうがないから夜やりますけど(笑)。

湯浅:来年またアルバムができるといいですね。

柴山:来年はどうかな……。

湯浅:じゃあ、再来年。意外と毎日が早いので、気がつかないうちに2年くらい経っているんですよね。

柴山:ははは、今回のは6年ぶりなんですけどね!

Melodía - ele-king

 この季節、なんだかんだと飲み続けてしまい、けっこうそれもがっつりと飲んでしまい、50歳を越えた身体にはさすがにこたえる。今日は休もう今日は休もうと思いながら……もはや自分との戦いだ。
 さて、ele-kingは、こうして2014年も人と共有したい盤を何枚も発見し、平日のほぼ毎日1枚以上のアルバムを紹介し続けてきたわけだが、今年最後のレヴューを飾るのに相応しい作品が本作である(Mr.Mitchのアルバムについて書きたい誘惑を抑えながら)。のんびりと過ごしたいときこの音楽は本当に重宝する。

 これは伊達伯欣とアルゼンチンのフェデリコ・デュランドとのコラボレーション作品で、アルバムのタイトルは、スペイン語で『旅日記』。
 クラシックギターを演奏しているというよりも、ただ弦を爪弾いているだけの音が、演奏しているというよりも、ただ鍵盤を叩いているだけのピアノ音と絶妙に重なっていく。そして、フィールド・レコーディングの音が重なる。音はとことん隙間だらけで、年の瀬を迎えるこの国の静けさと親和性が高い。
 伊達伯欣は、コーリー・フラーとのイルハでの作品畠山地平とのオピトープでの作品と、2014年の密かなる楽しみを提供……いや、それどころか、最近はele-kingの読者の健康を気遣うあまり、医学の連載コラムまではじめてくれている(本業は医者である)。
 
 繰り返そう。本作は、この季節にはぴったりの、静謐なアンビエント作品だ。
 ジャケに写っている洒落た部屋は、かつて彼らがライヴで呼ばれたベルギーの田舎のヒッピー夫婦の家だという話で、つまり、一般家庭の部屋のなかで人びとが集まって開かれたライヴ写真だそうだ。なんとも羨ましいくらいにのんびりした話だが、曲のレコーディングはツアー中のホテルの部屋であるとか、道中でおこなわれている。旅を続けているときには日々のルーティンから切り離された独特の解放感があって、信じられないほどに、すべてが愛おしく思えるものだ。電車に乗っているだけでもウキウキするし、歩いているだけでも幸せな気持ちになる。
 本作において伊達伯欣とフェデリコ・デュランドのアンビエントは、楽天的で、牧歌性をとことん極めている感がある。よく晴れた暖かい午後、窓を開けっ放しにしながら、うたた寝をする。浅い眠りのなか、遠くで、楽器の音が聞こえる。そんな安らぎに満ちた、とても美しいアルバムだ。
 

 リリース元である〈home normal〉は、埼玉在住の英国人が運営しているレーベル。他にもさまざまな国のクオリティの高いアンビエント作品をたくさん出しているので、レーベルのサイトをぜひチェックしてみましょう。新しい発見があるかもしれません。読者のみなさま、ライターのみなさま、ミュージシャンやレーベルやヴェニューやオーガナイザー、レコード店や書店のみなさま、チャートを送ってくれたDJのみなさま、1年間ありがとうございました。2015年もよろしくお願いします。よきお正月をお過ごし下さい。

interview with D/P/I - ele-king

 紙エレキング年末年始号のためにインタヴューを行ったD/P/Iことアレックス・グレイから、取材下後も、まだ話したいことがあると、校了後だというのに答えが届く、届く。サン・アロー、ダッピー・ガン、D/P/I、ジェネシス・フル……と、いま、何をやっても波に乗っているアレックス・グレイがインタヴューでもノリノリです。来年早々にはD/P/Iの新作も控えているそうです。というわけで、本誌をお読みになった方にP99からの「続編」をお届けいたしましょう。

いま、D/P/Iが共感するLAのミュージシャンは誰?

アレックス・グレイ(以下、AG):僕はつねに仲間や友人に押されている感じなんだ。最近、近所ではアーンヌー(Ahnnu)にとてもインスパイアされる。同様に長年の友人たちもね、ショーン・マッカンやマシュー・サリヴァン、キャメロン・スタローンズにジェフ・ウィッチャー。

最近は精力的にパフォーマンスをおこなっているようだけど、アレックスがD/P/Iのショウに求めるオーディエンスのリアクションは何?

AG:サン・アローとしてのツアーは定期的に同行していて、先日の南アメリカ・ツアーではD/P/Iのセットも披露したよ。だけどもD/P/Iだけのショウはそれほど多くおこなってはいない。リクエストに応じて、なおかつ意味があったものはね。
 D/P /Iのプロジェクトとしてのアイデアは既存のいわゆるDJとオーディエンスの関係性を破壊することなんだ。複雑なテクノロジーを用いた音 声信号処理によっ てサンプリングを削ったり、解体したり、アレンジを加えることで、そのサンプリングがもたらす心象映像が投影されるある種の“割れた鏡" のイメージを作ろうとしているんだ。バラバラになった欠片がひとつも欠けることなく、異なる順序や空間的前後関係によって再構築するんだ。その過程でダンス・ミュージックに 染み付いたありふれた拍もとりいれる。ライヴのセッティングにおいてこの挑戦はオーディエンスの心にDJやエンタータイナーとは何なのか疑問と再考慮を投げかけるんだ。社会や人生における“ありふれた"ものの根本に疑問を持ってくれれば幸いだけどね。それに対する君の肉体的な反応がどうなのかは知らないけどさ。

アレックスは過去のリリースや手掛けたレーベルのほとんどのヴィジュアル・ワークもおこなっているね。ヴィジュアル・アート ワークに対するこだわりがあれば教えて欲しいな。

AG:白地、アルバムの裏に潜んだアイデアの直接性と反射するイメージ。

表記においてDJパープル・イメージとD/P/Iの違いってあるの? または何で表記を変えたの?

AG:ないよ。単にその文字がもたらす感覚が、よりこのプロジェクトに合うと思ったんだよ。過去13年間も印刷物のデザインに携わってきたからd.p.iって言葉は僕の人生においてありふれたものだしね。

過去にもたくさんの名義で音楽活動をおこなってきたわけで、そのすべてをアレックス・グレーが手掛けてきたってことを知る人は少ないと思うんだ。それってある種のミステリアスなイメージ、もしくは自分自身を無個性な存在に仕立て上げる魂胆があったから?

AG:僕は自分自身をなにかの箱の中に収めたいと思ったことはない。そうすべきだとも感じていない。
 ジャズにおける異なるグループの美意識、異なる名義での多くのプロジェクトはいつだって僕をインスパイアしてきた。同様にアートは人びとが掘り下げる価値がある ものだと思うんだ。だから僕もみんなが収集したり、探検したり、発見できるような投げかけを試みているのかもしれないし、異なるプロジェクトに対して個人 的な繋がりを得たいのかもしれないね。


カウントダウン・イヴェントは数あれど - ele-king

 待って、DREAMPV$HERがいるんだけど。なんということだろう、ele-kingにとってはオウガ・イヤーだったともいえる2014年の大晦日、そのOGRE YOU ASSHOLEの参加が新たに告げられたカウントダウン・イヴェントは、stillichimiyaや環ROY×鎮座DOPENESSから、藤井洋平 with Mr.MELODY + kashif、SeihoにNATURE DANGER GANG、DJにSEX山口と、和・洋・中(?)混在しつつも最上の素材が詰めあわされたおせちともいうべき体を示している。朝方のDREAMPV$HERとNATURE DANGER GANGの後には初日の出が拝めるだろう。そしてDREAMPV$HERはまさに2015年の暁天である。

■WWW COUNTDOWN 2014-2015
会場:渋谷WWW
日程:2014年12月31日(水)-2015年1月1日(木)
出演:stillichimiya / OGRE YOU ASSHOLE (new!) / KAKATO(環ROY×鎮座DOPENESS) / Seiho / NATURE DANGER GANG / 藤井洋平 with Mr.MELODY + kashif / DREAMPV$HER DJ:SEX山口
時間:開場20:00 / 開演20:00
料金:前売¥4,500(D代別 ※200枚限定) / 当日¥5,000(D代別)
※2015年1月1日0:30以降は「¥2,000」で入場可能!
問合:WWW 03-5458-7685

枚数限定 前売チケット発売中
チケットぴあ [P:251-418] / ローソンチケット [L:75086] / e+ / WWW・シネマライズ店頭

主催・企画制作:WWW
※本公演は20歳未満の方のご入場はお断りしております。顔写真付きの公的身分証明書をご持参ください。

イベント詳細
https://www-shibuya.jp/schedule/1412/005752.html


Neil Young - ele-king

 年末チャートと選挙結果は似ている。同じものを求める大勢の人たちと細かい趣味に分かれた小数の人たち。ファレル・ウイリアムスやイギー・アゼリアのような大多数を作り出すのも資本主義なら細かい趣味に分かれた人たちを作り出すのも資本主義。毎年、野党の分散状況を眺めているような気がしていたので、紙版『ele-king』でも個人チャートはやめました。自分は他人とはちがう光線を出したい人たちが個人発信でやればいいかなと。ちなみに「他人とはちがう光線を出す」ことはいいことだと思います。読んでもらう相手を間違わなければ。

 年末チャートにも選挙にも関心がない人をアナキストとは呼ばないと思うし(アナキストというのは選挙制度の無効を訴えるために、選挙になると必死になって「NO VOTE」を呼びかける運動家であって、選挙になると無関心をアピールする人ではないと思うし)、じつのところ資本主義と無縁のポップ・ミュージックもあまりおもしろいものではないと思う。「15本限定のカセット・テープ」がおもしろいような気がするのは、それが資本主義の世界だからで、「流されていない」とか、少しでも抵抗しているようなことを言いたいがための稚拙なアイディアを共有できるような気がするからで、逆に言えば資本主義だからこそ成立する会話のようなものでしかないと思う。そういうものを何本も聴いたり、なんだかよくわからないネット音源を聴いたり。それでいいんじゃないかな。「♪レリゴー」を歌っている子どもの横で「♪とりむしけもの~」と歌っている子がいれば、「この子は将来大物だ」とか思って笑っている感じ。本気でそう思っているわけがない(関係ないけど、「アナ雪」の作曲陣は3人で、そのひとりはチリー・ゴンザレスの弟なのね)。

 ニール・ヤングの新作は「♪レリゴー」でも「♪とりむしけもの~」でもなかった。「売れてる」をアピールしている音楽にも「売れてない」をアピールしている音楽にも聴こえなかったということである(本人は歌詞でフラッキングに反対=つまり資本主義には眉を顰めているけれど)。弾き語りヴァージョンをCD1、同じ曲をオーケストラやビッグ・バンドによってアレンジしたものがCD2で、通常盤は後者のみ。それはバカラック・マナーの優雅なオーケストレイションで幕を開け、チルウェイヴでもヴェイパーウェイヴでもないのに現代的な叙情性を兼ね備え、過去に連れ去ろうとするようなものではなかった。いや、バート・バカラックが夢見心地な曲を量産した時代ではなく、僕はほんの少しだけど、1982年に引き戻された。ペイル・ファウンテインズがバカラックをリヴァイヴァルさせた“サンキュー”を思い出したからである。

 「ネオアコ・ディフィニティヴ」でも書いた通り、演奏はけっして上手くないけれど、デビュー当初のペイル・ファウンテインズやアズテク・キャメラは透き通るような瑞々しさにあふれ、グラムやパンクで汚れきった世界観を清浄化するような作用があった。一瞬でもそのような時代があるとないとでは、その後の世界の受け止め方も変わるものである。80年代も中期になると、メジャーではヒップホップ、マイナーではポスト・インダストリアルがあっという間にダーティな空気を運んでくることになり、ペイル・ファウンテインズもファースト・アルバム『パシフィック・ストリート』がリリースされる頃にはもっと苦渋に満ちた感触を強めてしまう。時代からズレまくっていたとしても“サンキュー”のようなバカラック調で占められたアルバムが聴きたかったというのが本音ではあるけれど、彼ら自身が“サンキュー”の路線を信じられなかったのだから仕方がない。

 その時の気持ちの半分でも満たしてくれたのが、このタイミングで、しかも、ニール・ヤングになるとは思わなかった。“サンキュー”ほど朗らかではないし、もっと地味で落ち着いているし、ファレル・ウイリアムスだって「ハッピー」でミラクルズを思い出させてくれたじゃないかとは思うんだけど、どうしてもあれはスモーキー・ロビンスンのパクリに聴こえてしまう。ニール・ヤングにはなぜかそれがない。


neil young / tumbleweed

interview with Ogre You Asshole - ele-king


OGRE YOU ASSHOLE
ペーパークラフト

Pヴァイン

RockPsychedelic

【初回限定盤】 Tower HMV Amazon
【通常盤】 Tower HMV Amazon
Review

 歴史が終わったあとのロック。それでも、つづいていくロック。「まだまだ続く/終わるはずの場所も/終わらず遠くでかすんで見える」という“ムダがないって素晴らしい”の印象深いセンテンスは、『ペーパークラフト』に通底するどこまでも終わりのないようなミニマリズムと同期しつつも、もう少し広い意味で解釈することもできるだろう。そう、オウガ・ユー・アスホールというバンドの評価を決定的なものにすることになったこのアルバムには、ロックという音楽に対する極めて冷静な批評的距離と、深い愛情に満ちた盲目的とも言える没入が両立されている。そのギリギリのバランス感覚は、出戸学、馬渕啓、勝浦隆嗣、清水隆史という4人のメンバーに加えて、プロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎を合わせた6人が緊張感を持って育て上げてきたものだと言える。

 思い返せば、彼らの挑戦的な三部作は、フランスの批評家であるロラン・バルトの写真論『明るい部屋』を、『homely』の一曲めのタイトルに引用することからはじまっていた。このことの意味は決して小さくないだろう。一義的な理解で言えば、バルトが写真の偶有性のなかにこそ美しさを見出したのだとしたら、“明るい部屋”のあの不穏なイントロが示唆するように、オウガ・ユー・アスホールはその写真論のネガとポジを反転させてみせる。つまり、日常にありふれた「普通のもの」のなかにこそ、暗黒郷へとつづく取り返しのつかない変化の兆候を見出してしまうような、そんな想像力だ。おまけに、この三部作で徹底的に敷衍されたミニマリズムは、その「取り返しのつかなさ」を助長するかのようだ。わかっちゃいるけどやめられない、そんな、なし崩しのムードを催眠的に助長する。なぜなら、ぼくも、あなたも、その「取り返しのつかなさ」の一部だから。「居心地がいいけど悲惨な場所」で暮らす、紙の城の住民の一人だから。そして周知のように、“明るい部屋”のあの不吉なイントロのノイズは、三部作完結編である『ペーパークラフト』の最後、“誰もいない”で再度リフレインするのだった――。

 もちろん、オウガ・ユー・アスホールはポストモダンの理論派ではない。むしろそういった説明的な要素をほぼ完全に排除することで、すべての細部に意味を持たせているとすら言える。あるいは、すべては筆者の深読みに過ぎないのかもしれないが。取材を前に、筆者はバンドにとって最初の転機となった08年の『しらないあいずしらせる子』を聴き返していた。俗っぽい言い方をすれば、ずいぶんとエモく感じる。ものの数年で、バンドはここまで遠い場所に来たのだ。彼らの現在の代表曲は“ロープ”という。繰り返す、“ロープ”だ。これをポストモダンと言わずになんと言おう。いわゆるポスト・ロックと呼ばれる音楽が、ロックの相対化を図るどころかひとつのマイクロジャンルとして埋没してしまった惨状を遠目に、オウガ・ユー・アスホールはその歴史の上をたゆたう。

 以下の取材は、スカイプを介して行われた。インターネット回線が安定しないため、映像はカット。音声だけが長野県某所の練習スタジオ、田我流いうところの「アジト」から届いてくる。4人はいたってひょうひょうとしていた。

出戸学(Vo,Gt)、馬渕啓(Gt)、勝浦隆嗣(Drs)、清水隆史(Ba)の4人からなる日本のロック・バンド。2005年にセルフ・タイトルのファースト・アルバムをリリースし、2009年には〈バップ〉へ移籍しメジャー・デビューを果たす。2008年制作の『しらないあいずしらせる子』以来は現在に至るまでプロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎がレコーディングを手がけている。2012年の5枚め『100年後』などを経て、2014年に〈Pヴァイン〉より最新アルバム『ペーパークラフト』を発表した。


少なくとも、『フォグランプ』のときの煮詰まり感はないですね。作品を作ることの楽しさをこの三部作で学んだ感じです。(出戸)

レーベルが変わって、アルバムをリリースして、慌ただしい一年だったと思いますが、アルバムへの反響はどうでした?

一同:うーん。

勝浦:ない。

一同:ははは(笑)

本当ですか?

出戸:いや、ないこともないんですけど、あんまり耳に入ってこないんですよね。

『ペーパークラフト』の完成度ってすごいじゃないですか。自分たちで聴いて、どうですか?

出戸:それはまあ、いままでのなかだったら……。

勝浦:いちばんですね。

出戸:そうなるよね。

変に褒められすぎるのも嫌で、地方に留まる若いミュージシャンもいますが、そういうノイズをシャットアウトするために長野にいるというのもありますか?

出戸:いや、僕たちの場合は、バンドをやりやすい場所を選んでいたら自然と長野になった感じですね。メンバーで話し合って、意見をきいて。もちろん、プロモーションとかのことを考えたら東京とか、名古屋にいた方がよかったのかなと思うこともあるんですけど、前にいたレーベルが「東京じゃなくてもいいよ」と言ってくれたこともあって。メジャーのレーベルがそう言ってくれるなら、東京に行く理由もそんなにないかなと。自分たちで練習スタジオを持てるということが大事で、時間のこととか、お金のことを気にせずに練習できるというのが僕らにとっては大きいんだと思います。メンバーそれぞれが長野に縁があって、知らない土地じゃないというのもあるし。

2011年の『homely』、2012年の『100年後』、そして今回の『ペーパークラフト』で三部作が完成したわけですが、同時に音楽性も大きく変わりましたよね。そこの出発の部分を改めてお訊きしたいのですが。

出戸:2009年の『フォグランプ』というアルバムで、それまでのUSインディらしさみたいなものを出しきったみたいなところがあって。なにか新しい刺激を注入しないと、バンドの空気もグズグズしそうだなっていう予感があったんですよ。それまではセッションで曲を作っていて、「せーの」で録ったものをみんなで聴き返して、「ここがよかったから使おう」みたいな感じの作業だったのをまず変えてみようと。それで、10年の『浮かれてる人』から僕と馬渕で曲を作るようになって、手法を変えることで少しずつ視界が開けてきた感じですね。

『homely』以降のオウガって、「プロデューサーの石原洋さんとエンジニアの中村宗一郎さんと組んでから急激に変わった」みたいな、非常にざっくりとした認識を持たれているのかなという気もするんですけど、あのふたりと合流したのは2008年の『しらない合図しらせる子』で、もう何年も前のことなんですよね。

勝浦:バンドが変わった大きな理由として、石原さんと中村さんの存在があると思うんですけど、最初は僕らのUSインディ感をもっと尊重してくれてる感じで、もうちょっと距離があった。

出戸:『浮かれてる人』くらいのときから石原さんが自分で作ったミックスCDをくれるようになって。そこで聴いたりするものが影響しはじめたっていうのもあるかもしれない。

たとえばどんなものをくれるんですか? 僕が名前を聞いてもわからないかもしれませんが……。

出戸:いや、たとえば「夏用」だったりとか、そんな感じのもありますし、「フレンチ・ポップのベーシック」とかだったらゲンスブールなんかも入ってるし。あとはサイケだったりとか。

清水:ニューヨーク・パンクのコンピとかもあったよね。ノイズもあったし。

勝浦:ノイズもあったし。

出戸:ノイズとか、エクスペリメンタルとか、本当にいろいろです。

そういうのって、石原さんの気分なんですかね?

馬渕:どうなんですかね。一曲聴いているあいだに次の選曲を決めてるって言ってましたけど。

出戸:そこで聴く音楽が影響しはじめたっていうのもあるだろうし。それまでは石原さんもわりと押し黙ってる感じだったんですけど、『homely』の曲を作っていって、スタジオで聴いてもらったときに、「今回のアルバムはイケる」って初めて言ってもらえて。そこから少しずつ歯車がかみ合いはじめた感じかな。

リスナーの反応はどう見てました?

出戸:お客さんはどちらかと言うと、昔の僕らを望んでいるのかなとは思っていたんですけど、僕らは『homely』の先をもう少し研究してみたいというのがあって。やりたいことと求められることがマッチしてない感じはありましたね。

三作品を作り終えて、どうですか?

出戸:3作品を作るなかで、自分たちのやりたい音楽を理解してもらえたんじゃないか、とは思っていますけど。少なくとも、『フォグランプ』のときの煮詰まり感はないですね。作品を作ることの楽しさをこの三部作で学んだ感じです。

ロックなんだけど、同時にロックから離れるためのもの、というか。ロックなんだけど、ロックじゃなくなりたいというか。(勝浦)

2013年のライヴを何度か観ていたんですが、当時の印象ではノイズ・エクスペリメンタルな方向に行くのかな、と思っていたんですけど、ばっさり切り替えたのには驚きました。だって、〈Shimokitazawa Indie Fanclub 2013〉のライヴとか、怒ってませんでした? せっかくのフェスなのに、2曲やって帰るっていう(笑)。

出戸:とくに苛立ってはなかったですよ。あのときはたしか、「素敵な予感」のオルタナティヴver.と、「ロープ」のロングver.の2曲しかやらなかったので無愛想に見えたかもしれないですけど、あのときはバンドがそういうモードだったんだと思います。

勝浦:むしろ、おもしろがってました。

出戸:そうそう、おもしろがってた。

ああいうモードには飽きてしまったんですか? インストのロックでもぜんぜんいけるというか、ある意味ではボアダムス的な方向にも行けるんじゃないかと思ったんですけど。

出戸:飽きたとかではなくて、あのモードをCDに作品としてパッケージしようとするときに、作品が自分で想像できなかったというか。全編ノイズみたいな作品は自分でもあまり聴かないですし。基本、歌モノから出られない、みたいなところはありますね。

そこは今回、訊きたかったポイントなんですけど。

出戸:うーん。

勝浦:でもたしかに、それはポイントかもしれません。出戸くんとかはとくにそうで、自分のやっていることに責任を持つ傾向があると思うんですよ。

責任?

勝浦:やりたいことにポンポン手を出す人は逆にいま、すごく多いと思うんですけど、出戸くんは自分のなかにちゃんと根づいているものを継続させていくタイプなんですね。聴くものがガラッと変わったとしても、それまでに聴いてきたものを否定したりはしなくて、自分のなかに根っこを持っている。それが責任というか。そういう根っこがないと、そっちでずっとやっている人の作品に比べて嘘っぽくなると思うんですよ。

出戸:そうですね。とくにノイズとかって、その人の生きざまが出ると思うんですよ。仮に同じような音が出ていたとしても、その音のなかにどういう人がいて、そこに思想があるのかとか、そういうものに大きく左右されるジャンルだと思うので。僕らにはそういうのはまだ早いというか、根っこが備わっていないというか。

勝浦くんのリズム感にはミニマルにハマるものがあって。人間が機械に近づこうとするんだけど、どうしても揺らぐじゃないですか。その揺らぎが好きだっていうんですよね。(清水)

なるほど。そこで出てきたのが、「ミニマルメロウ」だったわけですが。

出戸:去年末の〈リキッドルーム〉のワンマン・ライヴの打ち上げでその言葉が出たのがはじまりです。

勝浦:あれはその言葉を聞いてすぐに「よさそうだな」と思いました。

音よりも先に「ミニマルメロウ」というコンセプトが先にあったパターンは初めてだったんでしょうか?

出戸:そうですね。音の面で、そういう架空のジャンルみたいな言葉が先にあったのは初めてだと思います。

「ミニマルメロウ」っていうのも、本当に微妙なバランスでの組み合わせですよね。あんまり対立させて考えたことがない概念というか、実際に出されてみて、「なるほど」という驚きがありました。

出戸:対立する要素というふうに考えていたわけでもなくて。自分たちのなかにあるメロウな要素と、ミニマルな要素を混ぜ合わせてみたことがなかったから、うまくいくのかわからなかったんですよ。それで、一度やってみようと。

言葉をばらしてお訊きしたいのですが、「ミニマル」というとアート全般にまたがる広い概念ですけど、オウガにとってはどういう概念なのでしょう?

出戸:そこはじゃあ、うちのミニマル担当から(笑)。

勝浦:音楽のことで言うと、ロックなんだけど、同時にロックから離れるためのもの、というか。ロックなんだけど、ロックじゃなくなりたいというか。ふつうのロックをふつうに演奏してもおもしろくないので、リズムの持つ文脈を変えてしまう概念ですかね。ミニマリズムというとよく「テクノ以降」とか言われると思うんですけど、たとえばカンがそうであるように、ロックなんだけどロックではない文脈からも聴けるというか。

清水:あと、ミニマリズムっていうのは、勝浦くん個人の特性でもあるんだよね。勝浦くんは生活の中の趣味というか、服装とか家具とかもミニマルだし。

勝浦:うーむ。

清水:それに、勝浦くんには「機械になりたい」という名言があるからね。

勝浦:それ、言った覚えがないんですけどね(笑)

清水:勝浦くんのリズム感にはミニマルにハマるものがあって。人間が機械に近づこうとするんだけど、どうしても揺らぐじゃないですか。その揺らぎが好きだっていうんですよね。それも、揺らぎ放題というのでもなくて、あくまでも機械に近づこうとしているせめぎ合いから生まれる揺らぎが好きだっていう。それを地で行っている人だから。

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出戸くんの声とか、馬渕くんのメロディ・センスがもともと資質としてメロウだと思うんですよね。叙情的というか。ミニマルとメロウ、その両方の要素がバンドのなかにもともと存在していた。(清水)

勝浦:それを聞いて思い出したんですけど、最初バンドに入ったときに、当時のUSのインディ・ロックをぜんぜん聴いてなくて、いまのロックがどうなっているのかってことをまったく知らなかったんですよね。僕は淡々とリズムを刻みたいのに、AメロとBメロでドラムのパターンを変えろって言われたりとか。「なんだそれは」と。「ドラムは一定のものだ」と(笑)。それはわりと昔から思ってたんですけど、それが『homely』以降になって、めちゃくちゃやりやすくなりましたね。

それは勝浦さんのどういう思想とつながっているんですか?

勝浦:何なんですかね。もともとメロディがない人間なので、機械っぽいとはよく言われるんですけど。

出戸:資質なんでしょうね。

勝浦:そうかもしれない。生まれ持った体質ということにしておいてください。わりと繰り返したりするのが好きなんですよね、昔から。ただ、最近のライヴを録音して聴いてみたら自分で思っている以上に揺れてたんですよ。それがすごいショックで。

一同:ははは(笑)

勝浦:まだまだ正確ではないです。

では、「メロウ」の方はどうですか?

清水:それはもう、出戸くんの声とか、馬渕くんのメロディ・センスがもともと資質としてメロウだと思うんですよね。叙情的というか。ミニマルとメロウ、その両方の要素がバンドのなかにもともと存在していたし、そういう意味ではもともとミニマルメロウなバンドだったのかもしれないけど、それを意識的に混ぜ合わせたことがなかったってことだと思います。

なるほど。ただ、たとえば正確なリズムだったら機械で打ち込めるだろうし、いまなんてそのちょっとした揺れさえもプログラムできるんじゃないかと思うんですよ。だとすれば、オウガ・ユー・アスホールがそれでもロック・バンドという形態にこだわるのはなぜですか?

勝浦:「ロック・バンドとしてはじめたから」という答えになるんだと思います。さっきの出戸くんの責任感の話といっしょで、自分たちを少しずつ変えていくことに面白味を見出しているから。

清水:もう、職人と同じだよね。モノを作るときに機械をどんどん導入する人もいるかもしれないけど、手で作ること自体によさがあるというか。彫刻やっている人に「なんで手でやるんですか?」って訊くようなもので、端的に「やりたいから」っていう。

出戸:もともとロックを聴いて育ってるっていうところも大きいですけどね。テクノとかも多少は聴きますけど、リスナーとしての主軸がロックにあるというのが僕の場合は大きいかな。

彫刻やっている人に「なんで手でやるんですか?」って訊くようなもので、端的に「やりたいから」っていう。(清水)

わかりました。話は一気に変わるんですけど、『homely』の1曲め、“明るい部屋”というタイトルは、ロラン・バルトの引用ですか?

出戸:そうですね。

その引用の意味みたいなものって、説明できますか?

出戸:うーん、意味かあ。あれは石原さんとふたりで考えていて、ロラン・バルトの引用はどうかという話をしていたことは覚えているけど、意味って訊かれるとなあ。どうなんだろう、難しいですね。

なるほど。出戸さんはそもそも、「自分の作品を自分で語る」というのはあまり好きではない方ですか?

出戸:なかなか難しいですよね。どちらかというと苦手な方だと思います。

音楽で表現する以上の言葉が見つからないという感じですか?

出戸:そうですね。「言葉の人」って感じではないですね、僕は。

ロラン・バルトっていうと、いわゆるポスト・モダンの批評理論みたいなものを意識して引用したのかな、とも思ったのですが。(注:「明るい部屋」は、ロラン・バルトの最後の写真論である。)

勝浦:そんなに理屈っぽく言葉を選んでいる感じじゃないんですよね、僕から見ていると。

出戸さんの曲名とかって、短いセンテンスで印象的な曲名をつけるじゃないですか。その威力がすごいなと、いつも思うんですけど。

勝浦:あれってフィーリングでつけてるんじゃないの?

出戸:フィーリングなのかな。順番としては歌詞のあとに曲名をつけることが多いし、何かを考えてつけてることは間違いないんですけど、何を考えているかを言葉にするのは難しいですね。

では、歌詞を書くのは好きな方ですか?

出戸:いいときはいいんですけど、嫌なときは嫌ですね。

一同:ははは(笑)

自分の歌詞が評価されているとは思いますか?

出戸:『homely』以降はまだ考えて書いているので、わかってもらえてればいいなとは思いますけど。

「表面だけ立派で、綺麗にみえるけど、じつはペラペラ」みたいなものについて考えたりしていました。「居心地がいいけど悲惨な場所」というイメージを意識的にも無意識的にもずっと考えていたように思います。(出戸)

今回のアルバムの歌詞を書いていく上で、アルバム・コンセプトのようなものはありましたか?

出戸:「表面だけ立派で、綺麗にみえるけど、じつはペラペラ」みたいなものについて考えたりしていました。また『homely』から『100年後』、そして今回の『ペーパークラフト』を通して、「居心地がいいけど悲惨な場所」というイメージを意識的にも無意識的にもずっと考えていたように思います。

『ペーパークラフト』で綴られた歌詞が、怒っているか、諦めているかのどちらかに分類されるなら、どちらだと思います?

出戸:どちらでもないですね。

でも、怒りや憂いみたいなものがないと出てこない歌詞だと思ったんですよ。

出戸:何かに白黒つけてるわけじゃないんですよ。日常的にも、楽しいけれど心のどこかでそれを嫌だなと思っていることとか、あるじゃないですか。そこはすごく微妙なもので。個人的にもすごく怒ったりとか、すごく悲しんだりとかしない人間ですから。だから、ひとつの強烈な感情を描いているわけではないですね。

わかりました。メンバーのみなさんは出戸さんの歌詞は気にしますか?

馬渕:気にしなくていいところがいいんですよね。たゆたっているというか。

勝浦:前はたゆたっていて、意味を感じにくかったんです。いまは、歌詞のなかにちゃんと芯がありつつ、なおかつたゆたってる感じかな。そこが最近の進化だと思う。

出戸:たゆたう感じが好きっていうのは根底にあって、聴いている人の耳に何も意味が残らないような歌詞をわざと書いていたような時期もあったんですよ。文法とかもわざと間違ってみたり。音に溶けこむのがいちばんだと思っていたから。でも、意味のない歌詞を書いたつもりでも、そこから嫌でも浮き出てしまうものがあって。言葉ってそういうものじゃないですか。どんなに消そうと思っても消せないものがあるという。だからいまは、言葉の意味と音の関係性の中から出てくるものっていうのは、昔よりは意識して絞っていますね。

評論によっては「ポリティカル」、つまり政治的という言葉が出てきますし、僕もいまの日本の状況を反映したような歌詞だなと思ったのですが。

勝浦:うーん、政治的なわけではないよね。

出戸:僕らが、というよりは、いまは世の中が政治的なのであって、そういう世の中にも順応できるアルバムだと思ってもらえればいいんじゃないですか。でも、政治的な事柄が薄まった世の中になれば、そこでもぜんぜんちがった聴かれ方をされたい。具体的に何について歌っていると感じるかが、聴く人や聴く時代によって少しずつ変わっていくような、鏡のような作品になればと思ってますね。

「オウガ・ユー・アスホールは(おもに詩作の面で)震災以降に大きく変化したバンドのひとつだ」という評論があるとしたら、出戸さんは反論しますか?

出戸:たまたま震災がバンドの変化と重なっているので、そう見えても仕方ないと思います。でも『homely』に収録されているほとんどの曲は、震災前に作られているんですよね。

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1960年代って真空管の音だと思うんですけど、僕らはそれよりも後の、70年代的なアナログっぽい音が好きなんだと思います。トランジスタのディスクリート回路というか。(勝浦)

『ペーパークラフト』を聴いて、ザックリと「70年代感」みたいなものを感じたのですが、あの時代の音楽に惹かれてるっていうのはとくにありますか?

出戸:それはありますね。

勝浦:最近はとくにそうですね。

あの時代のどういうところに惹かれるかって言葉にできますか?

出戸:音質だと思います。

清水:81、82年あたりから、録音の機材が大きく変わってくるんですよね。どんどんデジタルの機材が普及していって。

出戸:たとえばシンセひとつとっても、アナログ・シンセとデジタル・シンセではぜんぜん音色がちがってくるんですよ。

勝浦:1960年代って真空管の音だと思うんですけど、僕らはそれよりも後の、70年代的なアナログっぽい音が好きなんだと思います。トランジスタのディスクリート回路というか。

清水:そうだね、トランジスタだね。

たとえば“他人の夢”の間奏のギター・パートなどはどのようなアイディアだったのでしょうか?

馬渕:あれは最初、ブルースっぽいギターを入れてほしいという話だったんですけど、いいフレーズが思い浮かばなくて。ミニマルっぽいフレーズを重ねていくのはどうですか、と逆に提案してできたパートですね。

出戸:あそこはいいよね。

馬渕:あれ、12弦のアコギなんですよ。それがまたいい味を出しているんだと思います。

今回はヴィンテージ機材のリストがついていたりとか、使う楽器の種類を増やしているのも意識的なことですか?

馬渕:機材に関しては、前から中村さんの持っているものを出してもらっているものがほとんどなので、今回に限った話ではないんですけどね。いろいろ勧めてくれるんですよ、「これどう?」みたいな。

出戸:それも、小出しにね。最初から全部教えてくれるんじゃなくて、「じつはこんなのもあって」みたいな。

馬渕:そうそう。「こんなものも持ってたんすか!」みたいな(笑)。いまだに驚くことが多いです。

中村さんとの仕事は石原さんよりも早かったと思いますが、どういう経緯だったのですか?

出戸:マスタリングを一度お願いしたことがあって、それで顔を知っているというのもあったんですけど、直感で選んだ部分もあります。当時は僕らにもそれほどレコーディングの経験がなかったので、スタジオやエンジニアによって音がどうちがうのかとか、マスタリングによってどう変わるのかとか、よくわかってないまま頼んだ部分もあったので。それで、最初は思うような音になかなかならなかったんですよね。

自分たちが頭のなかで思い描く理想の音とズレている感じですか?

出戸:中村さんて、バンドが鳴らしている音をそのまま録るんですよ。イコライザーいじったり、パソコンで音を整えたりってことをしないんです。僕らが未熟だったら、未熟なものがそのまま録れるっていう。僕らがいまいるスタジオがそういう場所っていうのもあります。いいところも、恥ずかしいところもそのまま出るスタジオだと思いますね。

勝浦:実際は、ヘタなまま録れるという(笑)。

僕も中村さんのマジックみたいなものがあるのかと思ってました。

出戸:いまって、プロ・ツールスとかを使って補正するから、多くのバンドが似通った音になりがちだと思うんですよ。そういう意味では、バンドの音をそのまま録ってくれる中村さんみたいな存在はすごく珍しいんです。中村さんの場合、マジックがないように見えるのにいい音に録るのがマジックなんだと思います。僕らのわからないところですごく色々やってるんでしょうね。


中村さんて、バンドが鳴らしている音をそのまま録るんですよ。僕らが未熟だったら、未熟なものがそのまま録れるっていう。(出戸)

それはいい話ですね。また話が変わるんですけど、『ele-king』も毎年恒例の年間ベスト号が出る季節なのですが、みなさんが2014年の作品でベストを挙げるとすると、どうなりますか? 気にしているリスナーも多いと思うのですが。

一同:……(沈黙が訪れる)。

出戸:今年観たもの、聴いたものでもいいですか?

大丈夫です。

出戸:映画は、ポール・トーマス・アンダーソンをDVDで全部観たりしてました。音楽は、サンタナの弟がやってるディスコのレコードがよかったです。

清水:ああ、あの女の人のピンクの水着のやつね!(注:Jorge Santanaの1978年のアルバム『Jorge Santana』のことだと思われる。)

勝浦:僕は、イタリアのプログレをよく聴いてたな。アレアとか、オパス・アヴァントラとか。

出戸:あれはよかったなー。

普段はどこでレコードを買うことが多いですか?

一同:ディスク・ユニオン。

やっぱりそうなるんですね!

出戸:やっぱり種類が多いし、価格も地方とかに比べると安かったりするので、どうしてもそうなっちゃいますね。地元にも、長野市のGoodTimesさんとか、松本のほんやら堂さんとかはたまに行きます。

『タイニー・ミックス・テープス』という批評サイトがアリエル・ピンクを評論するときに、「レコード・コレクター・ロック」という言葉を使っていて、オウガにも当てはまる言葉だと思ったんですね。要は、レコードをたくさん集めている人の作るロックというものがあると。逆を言うと、ロックのフォーマットは過去に出つくしていると思いますか?

出戸:手法はある程度、出つくしているとは思いますけど、その組み合わせにはまだ試されていない領域があると思うし、あとは同じ曲でも歌う人によってぜんぜんちがう曲になったりするじゃないですか。組み合わせとか、伝わり方という意味では、「新しく感じられるもの」はまだまだ作れると思う。

勝浦:今回の「ミニマルメロウ」というのも、そう思えたわけだしね。


受け取る側にも、受け取りに行く姿勢みたいなものがあってほしいし、そうでないと通じない部分もあるとは思いますね。(勝浦)

なるほど。とすると、オウガ・ユー・アスホールは、リスナーには一定のリテラシーが必要だと考えますか?

出戸:どういうことだろう?

つまり、アートに関する知識というか、作品を理解したり、解釈する能力だったりをリスナーに求めるか、という質問です。

出戸:自分たちの音楽が完全にアートだとは思ってないんですよね。ライヴだったらグルーヴとか、ビートだけでも伝わるものはあると思うから。

勝浦:でも、ある程度は知識というか、自分から受け取りにいく姿勢みたいなものがないとね。たとえば、子どもはマクドナルドがいちばん好きだったりするじゃないですか。そのままでは煮物の渋い味わいとか、複雑な味っていうのはわからない。だから、J-POPのわかりやすい泣きの進行とか、みんな好きだったりすると思うんだけど。そういう意味では、受け取る側にも、受け取りに行く姿勢みたいなものがあってほしいし、そうでないと通じない部分もあるとは思いますね。

清水さんの2005年くらいのインタヴュー(https://idnagano.net/interview/2005/10/vol02.php)を拝読したのですが、「わかる人だけ来ればいいっていうのではなくて、良いものを解るお客さんを増やしたい、育てたいと思う気持ちが強いです。偉そうですけど、何が面白くて何が高度な表現かっていうのをわかってほしい」と語られているのが非常に印象的で、いまのオウガもそのような役割を担う側に来ているんじゃないかと思うんですが。

清水:まあ、あのときは「ライヴハウスの人」って立場で話していたので、そういうこともちょっと言ってみたんですけどね。いま聞くと恥ずかしいです。でも、作り手としてそういうことを言葉にしてしまうと格好悪いというか、説教くさい感じがしますよね。それはちょっと格好つけて言うと、後ろ姿で伝わればいいことだと思うので。

なるほど。では、質問を変えましょう。そういう役割をオウガが担えているとしたら、うれしいことですか?

清水:そりゃあ、うれしくなくはないですけど……。

勝浦:まあ、ぜんぜん担えてないと思いますけどね。

出戸:うん。それに、たとえばクラウト・ロックをリスナーに教えるためにバンドをやっているわけじゃないですからね。そこを目的にしちゃうのはちがうと思うし。あくまで結果として、僕らを好きになってくれた人が、僕らの音楽から派生してクラウト・ロックなり、他の音楽を聴いてくれることはあるかもしれないけど、そこは目的じゃないと思う。

勝浦:それはもちろん、そうだね。

清水:「RECORD YOU ASSHOLE」みたいな番組をやってることもあって、そういう「教育者」みたいな立場で話を訊かれることが増えているのかもしれない。でも、教育者ってかんじでもないしね。

勝浦:教育なんてできる立場にない(笑)。

出戸:もっとすごい人たちはいくらでもいるので。


他のバンドがやっていることにそれほど興味がないのかもしれないですね。(馬渕)
(同世代のアーティストについては)歳が近いからこそ、嫌な部分が見えちゃうことが多いのかもしれない。自分を鏡に映して見るような気分になってしまって。(勝浦)

国内のミュージシャンで、リスペクトできる存在といえば?

出戸:ROVO、メルツバウ、山本精一さん、ヒカシューなど、いっしょにやらせてもらった中でもリスペクトできる人はたくさんいます。

では、下の世代、たとえばいわゆる「TOKYO INDIE」と括られるバンド群って、気にしていますか?

勝浦:気にしてないですね。

出戸:森は生きているみたいに、対バンする機会があれば聴きますけど……。あまり詳しく知らないので、何ともいえないです。

馬渕:「TOKYO INDIE」に限らず、他のバンドがやっていることにそれほど興味がないのかもしれないですね。

清水:憎んでるでも、避けているわけでもないんですけど、たんに縁がないっていうか。まあ、作り手なんでそんな感じでいいように思いますが。

馬渕:長野にいるので、そういう最新の情報とかも自分で求めないかぎりは入ってこないしね。

同世代とのヨコの連携もあまり見ない印象なので、孤独じゃないのかな? と思ったりもするのですが。

出戸:田我流とかがいるかな。彼はすごいリスペクトできますけど。

勝浦:あとはなんていうか、歳が近いからこそ、嫌な部分が見えちゃうことが多いのかもしれない。自分を鏡に映して見るような気分になってしまって。70年代の人とかだと、対象化できるくらい遠くに離れているから、関心を持つうえでの条件もいいんですよね。

なるほど。超然としているというか、『ペーパークラフト』にしても、2014年という尺でどうこう、という作品ではないですよね。そういうものを感じます。

勝浦:いまっぽいやつって、2~3年で飽きちゃうことが多いんですよね。いま、CDを整理して売ったりしているんですけど、発売した当時に流行っていたものにかぎって、全滅に近いほどの買取価格なんです。逆に、家に残るのは時間の経過のなかで生き残ってきた作品が多いですね。

馬渕:あと、作った時代がわからないものを作りたいっていうのはあるかもしれないですね。リスナーとしても「これ、いつの音楽で、いったい誰が作ってるんだろう?」みたいな音楽に惹かれることが多いし。


守りに入るくらいだったら思い切って黒歴史を作りたい、とは思っています。(出戸)

この三部作でオウガ・ユー・アスホールは何を達成したと考えますか? あるいは逆に、やり残していることはどれくらいありますか?

出戸:やり残していることがあるかはわからないですが、今回の『ペーパークラフト』ではとくに、コンセプトを深めるのとレコーディングを進めていくことが同時に、すごく自然にできたと思っています。それに、ジャケットやアートワーク、MVやアーティスト・フォトなどを総合的に作ることができたと感じています。そういうやり方ができるようになったのは、この三部作を通してだと思います。

あえて名前を出しますが、ゆらゆら帝国が『空洞です』を作ったあとに、何年かライヴをやって、「『空洞です』の先にあるものを見つけられなかった」「ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまった」と言って解散してしまったことがトラウマになってるリスナーも少なくないと思うんですよ。

出戸:まだ次のことは考えてないですけど、少なくとも「これ以上のものは作れない」という感じではないよね。

勝浦:それもそうだし、次のアルバムで思いっきり失敗してもいいと思うんですよ。予測のつく範囲で守りに入ってしまうよりは、失敗したら失敗したでまたその次にいいものを作れればいいし。

出戸:もちろん、失敗したいわけじゃないですけどね。ただ、煮詰まって何もできなくなるよりはいいですよね。それに、何をもって失敗と言うのかっていうのもあるし。

たしかに。

清水:リスナーの立場になってみても、考え過ぎて袋小路にいくよりは、いろいろなことをしてみてほしいよね。失敗作を聴くのも楽しかったりするし。

出戸:失敗したくはないですけどね。

一同:ははは(笑)

出戸:80年代にやらかしてる大物のミュージシャンもけっこういるじゃないですか。でも、それでそのミュージシャンがリスナーに見放されたかというと、そんなこともないわけで。そういう意味で、守りに入るくらいだったら思い切って黒歴史を作りたい、とは思っています。

 大阪を皮切りにスタートした『ペーパークラフト』リリース・ツアーはすでに大盛況のうちに3公演を終了。来る12/27(土)には、恵比寿〈LIQUIDROOM〉にて東京公演が開催されます!

ツアー日程一覧はこちら
https://www.ogreyouasshole.com/live.html

■OGRE YOU ASSHOLE
ニューアルバム・リリースツアー “ペーパークラフト”

OPEN / START:
18:00 / 19:00

ADV / DOOR:
¥3,600(税込・ドリンクチャージ別)

TICKET:
チケットぴあ [241-735]
ローソンチケット [71374]
e+ 岩盤

INFO:
HOT STUFF PROMOTION
03(5720)9999


interview with The Drums - ele-king

 サーフィン・クソ野郎──2008年当時のブルックリン=極彩色のサイケデリックとトライバリズム、そしてエクスペリメンタリズムが席巻していたインディ・シーンを、2分たらずのポップ・ソングによって軽々と刷新してしまったザ・ドラムスを、われわれはかつてまぶしく眺めていた。「クソ野郎」呼びに筆者は称賛と敬意とを込めた。起きてハニー、ビーチに駆け出そう。他愛もない夏と海と恋の歌をうたい、ボーダーのTシャツにジーンズといういでたちで砂浜を駆ける彼ら。しかしその姿は無邪気さとは無縁だ。むしろザ・ドラムスは、たとえば北欧のタフ・アライアンスなどがそうであったように、攻撃性と内向性と知性とロマンティシズムをいちどに放射しながら、世界をつめたい距離感で批評しているかのように見えた。けっして彼らの発明ではないヴィンテージ・マナーのサーフ・ポップは、だからある意味では2000年代風にプログレ化していったともいえるシーンの潮流に対して絶妙な肩すかしを食らわせるようでもあり、最小限の力で流行を塗り替えるクールさを印象づけたといえる。彼らがエディ・スリマンの寵を得たのは、なにも容姿や着ているものの上っ面のセンスのためばかりではない。

 しかしいま、ザ・ドラムスは剣を手に魔の山をさまよっている。海から山へ。紆余曲折を経てバンドをジョナサンとジェイコブのふたりだけになってしまったザ・ドラムスの新作『エンサイクロペディア』は、彼らが鋭いだけではなく、いや、鋭いからこそ繊細でもあったことをまざまざと感じさせる。あの軽さが軽くなかったことをあらためて開示している。「アグレッシヴな気持ちを表現したかったから剣を選んだ。自分たちと同じような境遇のひとに向けたメッセージがこの曲には込められている」というジョナサンの言をかみしめながら聴くとき、いまのドラムスが展開する暗いサイケデリアには、ネガフィルムを通してこそ直視できる強い陽光が刻印されていることを感じるだろう。

 今年12月某日、〈リキッドルーム〉に満杯のオーディエンスを大合唱させる大人気のジョナサン・ピアースとジェイコブ・グラハムから話をきけたのはたったの15分たらず。簡潔に要点をしぼってくれた通訳さんに心から感謝しつつも、正味10分もなかった。それだけが少し悔やまれる。

2008年にブルックリンで結成されたバンド。2009年に発表された「レッツ・ゴー・サーフィン」「サマータイム!」等複数のシングルやEPが話題を呼び、2010年には〈もしもし〉よりファースト・フル『ザ・ドラムス』が、2011年にはセカンド・フル『ポルタメント』がリリースされた。4人のメンバーのうち2人の脱退を経て、現在はジョナサン・ピアースとジェイコブ・グラハムのふたりで活動している。


いまでも聖書的な制約は自分にとって大きいんだなって思うことはあるよ。雑誌が僕たちを表紙にしたんだけど、まったくうれしくなかった。それが自分のいる世界の出来事のように思えなかったからさ。(ジョナサン・ピアース)


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あなたがたがデビュー当時に「サーフィン」や「ビーチ」というコンセプトを掲げていた裏側には、何かしら反抗や反発の意志がありましたか?

ジョナサン:それはないね。振り返ってみれば、僕たちはどこにも居場所がなかったように思えるな。2008年とか2009年というと、アニマル・コレクティヴやイエセイヤーとかは本当に大きな存在だったし、〈DFA〉とかブラック・ダイスは実験的だったのにも関わらずとても人気があった。それに対して、当時、僕たちはフロリダの片田舎に住んでいて、3分で終わるシンプルなポップ・ソングを作りはじめたわけ。短いヴァースやコーラスなんかも組み合わせてさ。シーンの主流とちがうことをやっていたという意味ではパンクの精神に根ざしていたのかもしれないね。でも、それは意識的にというわけではなくて。僕たちはずっと田舎暮らしで特定のシーンに属していなかったし、自分だけの世界があった。だからやりたいことを自由にやっていただけなんだよ。
 ニューヨークに引っ越してから、自分たちがやっていたことが反抗的だったって気づいたんだ。僕たちはそれなりには人気をつかんだわけだけど、多くのひとたちは「いまどき、これってアリなのか?」みたいな反応をしていたからね(笑)。

あなたたちは実際に海や太陽や女の子たちに興味がなさそうなところがよかったです。

ジョナサン&ジェイコブ:ははは(笑)!

あなたがたのティーンエイジャー時代の舞台はどのような場所でしたか?

ジョナサン:ビーチから遠く離れたとこだよ(笑)。僕の育った小さな街はニューヨークの郊外にある。ジェイコブはオハイオ出身。彼の地元は僕のとこよりも小さくて、地図にも載っていないような街だった。僕たちはふたりとも、狭い環境のなかで反復的な生活をしていた。両親は聖書にもとづいて行動する厳格なクリスチャンで、おまけにかなり過保護だった。みんなとは別の奇妙な世界に住んでいる感じだったよ。僕たちは教育も自宅で受けたから、同年代の友だちに会えるのは教会で週に一回きり。だから外の世界で何が起こっているのかを知るよしもなかった。だから、僕はかなり聖書的な人間かもしれないね。
 いまでも聖書的な制約は自分にとって大きいんだなって思うことはあるよ。フロリダで閉鎖的な生活をしていたときもそうだし、ファースト・アルバムが出たときもそうだったな。雑誌が僕たちを表紙にしたんだけど、まったくうれしくなかった。それが自分のいる世界の出来事のように思えなかったからさ。だから子ども時代の宗教体験は現在の創作のプロセスに大きく影響している。いまだって孤独を感じるときもあるし、外の世界との境界線を自分で引いているんじゃないかって思うときもある。そのほうがが気楽だからそうしているんだけどね。

ジェイコブ:他からの影響を受けないように意図的にそうしている部分もあるけどね。

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僕は生きていることにゾッとする(笑)。 (ジェイコブ・グラハム)

でも死ぬのはもっと恐いよね? (ジョナサン・ピアース)

あなたたちが出てきたときは、まさにニューヨークへのフロリダからのミニマムでマキシマムな一撃だというふうに感じたんですけど、今作はそのトゥー・ミニッツ・ポップな印象を崩すようなアルバムであったと思います。ポスト・パンク調になっていますし、すごくサイケデリックな雰囲気を描き出していると思います。このようにフォームが崩れていったことに対してはどのように思っていますか?

ジェイコブ:どう思っているんだろうね(笑)。最初のEPや2枚のアルバムは厳密な形式に基づいて作ったんだけど、同時に自分たちがやっていることの領域を広げることにも挑戦していた。その領域を拡張するために実験的になりたかったんだ。僕たちのサウンドは世間一般に言う「実験的」には当てはまらないだろうけどね。
“マジック・マウンテン”みたいな曲は前みたいなポップ・テイストでしょ? 2、3分のポップ・ソングが単に4分ちょっとのポップ・ソングになっただけだって言われても否定できないね(笑)。でもスタジオでのレコードの作り方は前よりも多様になったかな。ライヴでも音楽的なアイディアを試しているよ。

“マジック・マウンテン”のMVには魔剣が出てきますが、あれは自分たちを守るものという直接的な比喩だと思いますし、それを振り回して山を進んでいく姿にとても胸がつまったんですけど、あの剣のイメージはどなたのアイディアなんですか? あと、生きることとは、やはり恐ろしいことなのでしょうか?

ジェイコブ:僕は生きていることにゾッとする(笑)。

ジョナサン:でも死ぬのはもっと恐いよね?

ジィコブ:そうなんだよね。種類がちがう恐怖かもしれないけど(笑)。剣はどっちのアイディアだっけ? あのヴィデオのイメージは僕らのアイディアが組み合わさってできたものなんだ。

ジョナサン:剣は防御の象徴でもあるし、悪と戦う手段にもなり得るでしょ? アグレッシヴな気持ちを表現したかったから剣を選んだ。自分たちと同じような境遇のひとに向けたメッセージがこの曲には込められている。つらい子ども時代を送って世間に嫌気が指しているふたりがいっしょに戦うっていうのがこの曲のテーマで、ある意味では僕たちがこの曲のリスナーを守るっていうテーマがある。


あの頃はとても誠実に現実逃避しようとしてた。(ジョナサン)

あなたたちが作っていたヴィンテージな曲は現在の否定、つまり過去のみが美しいと言っているかのように感じました。先ほどは今作について「昔よりもやっていることの領域が広がっただけ」とおっしゃっていましたが、サイケデリックが強まり、ポップの黄金率を破ったことによって、生きるための強い意志が備わったような感じがするんです。

ジョナサン:『エンサイクロペディア』はまさしく現在、この瞬間についての作品だよ。今作は以前の作品より強いリアリティを持っていると思う。前は夢を見ようとしていたのかもしれないね。作品を作ることによって現実から逃げ出して過去に飛び込みたかった。現在や未来なんて完全に度外視だったな。
 でも今作の製作中はすでに起こったことに対して敏感になるんじゃなくて、「自分たちは何なのか? バンドとは何なのか?」という問いに正直になろうとしたんだよ。ホモ・セクシュアリティとか、人権運動とかもテーマにしたから、政治的な要素もあると思う。この段階にたどり着くまでにけっこう時間がかかったのは、それなりに変化を経験したからかな。1枚めを出したときは誠実さにかけていたというか……、いや、ちがうな。あの頃はとても誠実に現実逃避しようとしてた(笑)。それと作品にドリーミーで映画的なテイストを持たせようとしていたな。新しいアルバムはいままででいちばん映画的に響くかもしれないけど、それと同時に歌詞や内容にはリアリティが詰まっているんだよ。

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