「KING」と一致するもの

音楽談義 Music Conversations - ele-king

保坂和志と湯浅学。それぞれ小説家と音楽評論家として活躍する同学年のふたりが、おもに70~80年代のロック、ポップス、歌謡曲までを語り明かす、紙『ele-king』の同名人気連載がついに単行本化! 音楽論にして文学論であるばかりか、時代論で人生論。他の記事とは圧倒的に流れる時間の異なるこのゆったり対談は、このスピードでしか拾えない宝物のような言葉と発見とにあふれています。毎度紙幅の都合で泣く泣くカットする部分もありますが、本書はそんな部分もばっちり収録のディレクターズカット版。保坂氏ゆかりの山梨での出張対談を含め、8時間におよぶ追加対談を含めた充実の内容。

このふたりにしか出せないグルーヴを堪能してください!

ハリー・ポッターが左翼って本当? - ele-king

ハリー・ポッターが左翼って本当?

12人の英国人セレブの人生を通して、
政治リセットの現代に「左翼の意味を問う」。

保育士にして英国のいまを見つめる“ゴシップ”・ライター、
ブレイディ・みかこによる待望の新刊!

Mrビーン、映画監督ケン・ローチやダニー・ボイル、元ハッピー・マンデーズのベズ、元スミスのモリッシー、ビリー・ブラッグ等々……
英国大衆文化はかくも「左翼」がお好き。しかし、では、何故に?

UK在住の日本人女性ライターが、12人の英国人セレブの人生を通して、
政治リセットの現代に「左翼の意味を問う」書き下ろし痛快エッセイ!

■目次
1945年のスピリットを現代に伝える映画界の大御所──ケン・ローチ(映画監督)
モリッシー、ザ・クラッシュ&ハリー・ポッター──J・K・ローリング(作家)
言論の自由とMrビーン──ローワン・アトキンソン(コメディアン・俳優)
マラカスとリアリティー党──ベス(元ハッピー・マンデーズ)
LGBT界のゆるキャラ大御所──イアン・マッケラン(俳優)
セックス、ドラッグ&ポリティクスを地で行く革命のアジテーター─ラッセル・ブランド(コメディアン・俳優)
左右にゆれるポリティカル系炎上セレブ──モリッシー(ミュージシャン)
地域コミュニティーのパワーを信じるジャズ・ウォリアー──コートニー・パイン(ミュージシャン)
神父になりたかった映画監督──ダニー・ボイル(映画監督)
大人のナショナリズムの必要性を説くシンガー・ソングライター・アクティヴィスト──ビリー・ブラッグ(ミュージシャン)
チャヴ愛に燃える女性パンク・ライター──ジュリー・バーチル(作家/批評家)
黒人であることとゲイであること。そしてフットボール選手でもあること──ジャスティン・ファシャヌ(元フットボーラー)

■ブレイディみかこ  Brady Mikako
1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。一児の母、保育士、ライター。2013年に刊行された著書『アナキズム・イン・ザ・UK ──壊れた英国とパンク保育』は話題を呼び、ロングセラーに。

■ザ・レフト──UK左翼セレブ列伝

ブレイディみかこ 著

本体1,800+税
B6判 224ページ
2014年12月10日発売
ISBN:978-4-907276-26-3
Amazon

interview with Untold - ele-king


Untold
Black Light Spiral

Hemlock Recordings / Beat Records

TechnoIndustrialBass

Tower HMV Amazon iTunes

 目にしたのはもう何年も前なのだが、スガシカオが起用された転職サービスの広告がなぜかいまも記憶に残っている。彼はもともとサラリーマンで、上司に職場に残るように強く望まれたらしいが、ミュージシャンの道を選んだ。同じようにサラリーマンからダブステッパーへと転職したアントールドの話を聴いているとき、どういうわけかこの広告のことが頭に浮かんだ。
 アントールドことジャック・ダニングは2009年に〈ヘッスル・オーディオ〉発表された衝撃的なトラック“アナコンダ”で知られようになる。ベースの上でキックが連打され、鳥の鳴き声のようなウワモノが宙を舞う。彼の楽曲とレーベル〈へムロック〉は、当時のダブステップ・シーンのなかではまさに「奇想天外」な存在で、その後のポスト・ダブステップの到来を予感させた。
 そもそもダニングは〈ブルー・ノート〉での〈メタルヘッズ〉のパーティに郊外から通っていたドラムンベースのヘッズ少年だった。ラッキーなことに、今回の取材時に彼といっしょに東京のレコード屋さんを巡る機会を得たのだが、昔買い逃した〈ジャングル・ウォーフェア〉のコンピを見つけてとても喜んでいたのが印象的だった。

 今年、デビューからじつに7年越しで発表されたデビュー・アルバム『ブラック・ライト・スパイラル』を聴いて面をくらったリスナーは多いのかもしれない。なぜならノイジーでクレイジーなテクノ・アルバムだったからだ。冒頭“5・ウィールズ”のサイレン音に度肝を抜かれ、陰鬱なリフレインがビートを形成していく“シング・ア・ラヴ・ソング”が終わるころには、レコードのあちら側にいるアントールドがこれからどこへ向かうのか想像できなくなる。
 いったい彼はどんな思いでミュージシャンになり、時間をかけてこの作品までたどり着いたのだろうか。またジェイムズ・ブレイクの発掘でも大きな評価を得たレーベル・オーナーとして何を考えてきたのか。アントールドは時間をかけて詳細に答えてくれた。

■Untold / アントールド
レーベル〈へムロック・レコーディングス〉を主宰し、〈ヘッスル・オーディオ〉や〈ホット・フラッシュ〉といった先鋭的なレーベルからも作品をリリースするプロデューサー。実験的なダブステップやテクノの楽曲で、リスナーと制作者の両方から圧倒的な支持を得る。2014年には〈へムロック〉より自身初のアルバム『ブラック・ライト・スパイラル』と『エコー・イン・ザ・ヴァリー』を立てつづけにリリースした。


ロンドンに出てきた最初のころもドラムンベースが好きだったんだけど、ちょうどそのときに〈dmz〉のパーティに行って、マーラのダブステップ・サウンドにジャングルとドラムンベースの哲学を発見したんだ。

アジア・ツアーの真っ最中で、おととい上海から到着してそのまま〈リキッドルーム〉でプレイしたばかりですが調子はどうですか?

アントールド(Untold 以下、U):1日休みを取ったからだいぶ元気だよ。

今回の来日は3年ぶりですが、日本の印象は変わりましたか?

U:じつは違いがわからないんだ。というのも、2011年に来日したときは48時間くらいしか滞在できなくてね。だから今回は初来日みたいなものだ(笑)。今回はとても日本を楽しんでいるよ!

今回のあなたのセットを見たんですが、ちなみに前回はどのようなDJを披露しましたか?

U:現在僕がプレイしているようなテクノやハウスと、ダブステップの中間に位置するようなセットを当時はプレイしていた。2011年にはダブステップは多くの地域に派生して、音楽的にも文化的にも大きな広がりを見せていたよね。だから、僕自身の音楽もちょうど次へ移行している時期だったんだ。その頃に比べたら、現在の僕のセットはもっとストーリー的で一貫性があるかな。

あなたのキャリアのスタートでもあったダブステップに関して質問したいと思います。ダブステップが脚光を浴びはじめたのは2000年代中期で、あなたが〈へムロック〉をはじめてリリースを開始したのは2008年です。現在あなたは37歳ですが、どのようにしてダブステップのシーンと関わっていくようになったんですか?

U:いちばん最初に音楽をはじめたのは14歳のときだね。そのころは自分の曲をリリースしたりはしていなかったけれど、曲を書いて友だちとのバンドで演奏していたよ。それが90年代初期くらいだったんだけど、ちょうどそのときにハードコア・ジャングルやドラムンベースのムーヴメントが起きて、ものすごくハマった。僕のレコード・コレクションのほとんどがその時代のものなんだ。かなり偏狭的な音楽の聴き方だった。
 それからロンドンへ引っ越して、仕事三昧の日々を送っていたからあまりクラブに行けなくなるんだよね。大学では電子音楽を専攻していたんだけど、学校がはじまったのが1997年でインターネットが爆発的に普及していくときだった。だから自分の関心も自然とそっちへ向かっていった。だから自分の学位を取得するときまでには進路は決定していたよ。「よし、自分はロンドンでウェブ・デザイナーになる!」ってね(笑)。当時はまだ熟練したデザイナーがいなかったから、自分でもできるって思っていた。最初のリリース前の2007年までその仕事を続けていたな。ウェブ・デザインもやったし、広告代理店でも仕事をやっていたよ。

ウェブ・デザインもやったし、
広告代理店でも仕事をやっていたよ。

 ロンドンに出てきた最初のころもドラムンベースが好きだったんだけど、ちょうどそのときに〈dmz〉のパーティに行って、マーラのダブステップ・サウンドにジャングルとドラムンベースの哲学を発見したんだ。感情的にもサウンド的にも音楽に対する情熱が呼び覚まされたな。それでダブステップへと方向転換したんだ(笑)。

あなたの音楽を初期のものから聴いていると、もちろんジャングルからの影響も感じられるんですが、昔はテクノばっかりを聴いていたのかなという印象があります。

U:それはうれしいな。でもじつはクラシックとされているものを別として、僕はテクノについてほとんど知らないんだ。ジャングルのレコードを聴きながら初期のエイフェックス・ツインとかを聴いていたけど、それもテクノというよりはIDMと呼ばれるものだしね。デトロイトやシカゴのものも少しは知っていたけどのめり込むことはなかったな。2007年くらいからユーチューブが流行りだしたけど、その頃からネットでいろいろ勉強するようになったよ(笑)。

〈dmz〉や〈FWD〉周辺のオリジネーターたちの活躍以降、ダブステップには2回大きな転換があったと思います。1回めは2006年に〈ハイパーダブ〉からリリースされたブリアルのファースト・アルバム。そして2回めは〈ヘッスル・オーディオ〉からリリースされたあなたのシングル“アナコンダ”です。あの曲は本当に衝撃でした。それまでのダブステップで使われていたハーフ・ステップもなければ、ガラージに影響を受けたリズム・パターンからも解き放たれて、キックの数も増えていきました。でもそれでいて、シリアスになり過ぎるわけではなく少しチャラい感じがするのもおもしろかったです。なぜあなたはこの曲を作ろうと思ったんですか?

U:さっきの回答にも通じると思うんだけど、僕のドラムンベースに対する情熱が薄れてしまったのは、曲の自由度や創造性といったものが形式化されてしまったからなんだ。僕が耳にした初期のダブステップも特定の形式ができる前で、ガラージの影響が強い曲だって多くあった。他のジャンルが交ざり合っていたからね。これはダブステップに限ったことではないけど、ダンス・ミュージックの魅力って多くの要素が混在していることだと思う。アーティストをひとり選んで、その曲の要素を紙に書き出してみると影響源の多彩さに驚くはずだよ。

“アナコンダ”はジャンルのテンプレート化に対する僕なりのプロテスト・ソングだね。

 “アナコンダ”はジャンルのテンプレート化に対する僕なりのプロテスト・ソングだね。僕はハーフ・ステップやウォブル・ベースが使われるいわゆるダブステップの曲も作っていたけれど、シーンの持つクリエイティヴさを失わせたくなかった。多くのひとがひとつのシーンに注目すると、いい意味でも悪い意味でもシーンはピークを迎えて、そこで流れる音楽形式化されて世界的に広まる。
 そのシーンに関わっていたひとりとして、僕は何かひと言もの申したかったね。“アナコンダ”が出る2年前に僕は仕事を辞めて、いきなりDJになった。当時はベン・UFOやピアソン・サウンドとUK全体をツアーしていて、毎週末新しい出会いがあった。ヨーロッパも回ったりしていて、東欧のポーランドやリトアニアにも行ったんだけど、あそこはドラムンベースがしっかりと根づいていたんだ。この時期に多くのジャンルに触れられたことも大きかったね。“アナコンダ”の設計図には確実にこの時期の経験が反映されている。

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年齢は僕にとって大きな問題じゃなかったな。重要なのは音楽に対して常に貪欲で情熱を傾けられることだよ。


Untold
Black Light Spiral

Hemlock Recordings / Beat Records

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ちなみに〈ヘッスル・オーディオ〉のクルーとはどうやって知り合ったんですか? 最初のシングルはこのレーベルから出た“キングダム”ですよね?

U:ロンドンのクラブ〈プラスティック・ピープル〉でのウィークリー・イヴェント〈FWD〉でだね。踊りにくるひとももちろん多かったけど、プロデューサーや音を聴きにくるひとたちも同じくらいその場にはいた。〈ブルー・ノート〉で開かれていた〈メタルヘッズ〉のパーティもまったく同じだったね。ラッキーなことに僕はドラムンベースに間に合ったんだ(笑)。ジャングル・ハードコアのシーンで僕はいちばん若かったな。さっきも話したけれど、ダブステップが出てきたときに僕は仕事に熱中していてあまり音楽を聴いていなかった。グライムを聴き逃したくらいだからね(笑)。
 〈FWD〉は本当にみんなフレンドリーだった。僕はベン・UFOのDJセットをサブFMなどで聴いていてかなり好きだったから、クラブで見かけたらよく話しかけていたんだ。出会ってからしばらくしてデモを2曲渡した。それは“キングダム”ではなかったんだけど、彼はそれをラジオで流してくれたね。たぶんラジオのアーカイヴに残っていると思う。それはまだTRGの“プット・ユー・ダウン”のリリースによって〈ヘッスル・オーディオ〉が本格的に始動する前の段階だったけれど、僕のリリースついてもベンとは話し合っていたよ。

どういった経緯で自身のレーベル〈へムロック〉をはじめたんでしょうか? 〈ヘッスル〉では満足できなかったんですか?

U:そんなことないよ(笑)。初めてレコードを出したとき、僕は29歳だったけど、〈ヘッスル〉のみんなは20歳前後だった。彼らからしたら僕は確実にオジサンだよね(笑)。でも歳の差なんか関係なくて、とてもインスパイアされた。
 単純にレーベルもやってみたかったんだ。〈へムロック〉をはじめたときから2011までアンディ・スペンサーという相方がいたんだけど、彼は重要人物だよ。現在、直接レーベルに関わっているわけではないけどね。広告代理店関係の仕事をしているときにアンディとは出会った。彼はロンドンの交通機関のデザインなんかの仕事をしている。アンディは音楽をやらないんだけど、レーベルのヴィジュアルや方向性は彼と話し合って決めたよ。だから彼の存在は大きいよ。最初のころは、僕とアンディのふたりがOKを出さない曲のリリースはしないってきめていたくらいだからね。

29歳で本格的に活動を開始したことを遅いと思って不安を感じたりすることはなかったんですか?

U:年齢は僕にとって大きな問題じゃなかったな。〈FWD〉に行っていたときに自分が30歳手前って言うと驚くひともいたけれど、クラブには40歳のおっさんも遊びにきていたしね。これはよく言われることだけど、70歳だろうが80歳だろうがダンスするうえで関係ない。それにいまは年齢が比較的高いアーティストに変な偏見もないしね。たとえば、マーク・プリッチャードは20年以上プロデューサーとして活動しているけどいまだに表現に対して貪欲だ。彼が体現しているように、歳をとるほど表現する音が保守的になっていくというのは偏見なんじゃないかな? 彼のようなミュージシャンの現在と過去には大きな差はない。なぜなら、彼らの姿勢は若いときと何ら変わっていないんだからね。それにカリブーみたいなミュージシャンだっている。彼は一般的なクラバーよりも年上で、しかも数学者だ。重要なのは音楽に対して常に貪欲で情熱を傾けられることだよ。

あのパターンはトイレの壁紙のデザインなんだ(笑)。

ちょうどいま座っているソファーの柄が〈へムロック〉のデザインに似ていると話していました。

U:たしかにそうだね。じつはあのパターンはトイレの壁紙のデザインなんだ(笑)。

19世紀のゴシックなイメージのアンダーグラウンドなデザインだと思っていました(笑)。

U:最初のリリースのときにディストリビューターはいたんだけど、マニュファクチャラーがいなかったから、出来上がってきたスリーヴ、シール、そしてレコードをキッチンのテーブルの上で自分たちでパッキングした。当時、3歳だった僕の娘に邪魔されながら作業を進めたよ(笑)。最初と現在でスリーヴ・デザインも少しちがうんだよ。〈へムロック〉の1番から4番までのスリーヴはちょっと暗めのデザインになっている。なぜなら、灰色の台紙の上にパターンをプリントして、さらにその上に黒を被せているから。乾くのにかなり時間がかかったけど、クオリティはかなりよかった。

〈へムロック〉のレコードは、開けるときにシールを切らないといけないから苦戦するんですよね(笑)。

U:よくそうやって言われたな。レター・オープナーを使えば綺麗に開けられるよ(笑)。でも作品を楽しむために、まず最初に破壊があるというコンセプトっていいと思わない(笑)? 2枚買って、1枚を保存用にするひとだっていたんだよ(笑)。

そもそも、なぜ「アントールド」という名前にしたんですか?

U:これにはちょっとしたストーリーがある。代理店関係の仕事もしていて、そこで自分のフィアンセにも出会った(笑)。彼女はブランド代理店のネーミング部門で働いていた。僕はその近くでロゴ・デザインみたいなことをしていたから、デザイン関係をやりつつも、ネーミングの仕事もやっているようなものだった。彼女が持っている名前思いつくスキルってすごいんだよ。
 さっきも言ったように、僕のバックグラウンドはドラムンベースで、プロデューサーはアーティスト・ネームを持っていなくちゃいけない。それで僕が自分のためを考えようと思ったときに、シンプルで覚えやすいものがいいと思った。それでフィアンセの力を借りて、この名前を選んだ。とくに深い意味はないけれど、抽象的なニュアンスを含んでいるのが好きだね。

ある雑誌に掲載するジェイムズ(・ブレイク)の写真が翌日までに必要だったことがあったんだけど、彼はプレス用の写真すら持ってなくてさ(笑)。

ジェイムズ・ブレイクの2009年のデビュー・シングル「エアー&ラック・ゼアオブ」は〈へムロック〉からリリースされました。どのような経緯で彼をリリースすることになったんですか? また、現在の彼をどう思っていますか?

U:ジェイムズは〈へムロック〉からアプローチをした最初期のアーティストだね。コンタクトを取るまで僕は彼の素性すらも知らなかった。DJディスタンスが“エアー&ラック・ゼアオブ”をリンスFMでプレイしたのを聴いたのが、彼を知ったきっかけだね。それはディスタンスがデモ音源を流すコーナーだった。彼は「この曲を作ったプロデューサーに関してはぜんぜん知らないんだけど、名前はジェイムズ・ブレイクっていうらしい」とコメントしていてね。その放送を聴いたのはレーベルをいっしょに運営していた相方のアンディのほうだったんだけど、この謎のプロデューサーをいますぐ見つけるべきだという結論に至った。たしかマイスペース経由でジェイムズに連絡を取ってみたら、彼はアンディの家の近くに住んでいることがわかったんだよ。それで、当時ジェイムズが通っていたコールドスミス・カレッジまで彼のショーをアンディとふたりで観に行った。当日はマウント・キンビーも出ていたな。彼らもジェイムズと事前にマイスペースで連絡を取っていたらしい。
 ジェイムズと話してわかったんだけど、彼は僕が経験したドラムンベースのシーンをほとんど知らなかったんだよ。そのかわりにスティーヴィー・ワンダーとかエド・ルシェみたいなアーティストに詳しかった(笑)。だから「キミはすごいユニークだから、いまハマっていることを続けたほうがいい」って伝えたよ。そんな流れであのシングルをリリースすることになって、2~300枚は売れたし、多くのDJがプレイしてくれたんだ。さらに『ミックス・マグ』の月間ベスト・シングルに選ばれたんだよ。ジェイムズのシングルは〈へムロック〉の4番めのリリースで、レーベルはスタートしたばかりだったから僕たちにとってはかなりよい結果になったね。よく覚えているのが、ある雑誌に掲載するジェイムズの写真が翌日までに必要だったことがあったんだけど、彼はプレス用の写真すら持ってなくてさ(笑)。だからタクシーに飛び乗って、大急ぎで彼の写真をとったんだよ。当時、彼は『ミックス・マグ』さえも知らなかった。ある意味すごいよね。

「キミはすごいユニークだから、いまハマっていることを続けたほうがいい」って伝えたよ。

 その出来事のすぐあとに、ジェイムズは彼のファースト・アルバムの曲“リミット・トゥ・ユア・ラヴ”を僕に送ってくれた。僕はオリジナルのファイストの曲を知らなかったから、「この曲はすごくいいけど、リリースするにはヴォーカルのサンプリングが長過ぎるよ」って言ったんだ(笑)。そしたら「それ僕が歌っているんだよ!」って彼が答えるから驚いた。そのときに、自分は大きな決断をしなきゃいけないなって気づいたよ。僕のレーベルはまだはじまったばかりだったけど、メジャー・レーベルと手を組んだりはしたくなかった。全部のリリースを自分でコントロールできる範囲でやりたかったからね。ジェイムズの音楽と可能性は、〈へムロック〉でマネージメントできる領域よりもあきらかに大きかった。だから、いまもジェイムズといっしょに働いているマネージャーを彼に紹介してあげた。それで彼は〈R&S〉とも契約したけど、最終的には〈ユニヴァーサル〉が彼に大きな投資をしているわけだよね。

たまにジェイムズを〈へムロック〉だけのアーティストにしておかなかったことに後悔はあるかって訊かれるんだけど、僕の答えは「ノー」だね。

 たまにジェイムズを〈へムロック〉だけのアーティストにしておかなかったことに後悔はあるかって訊かれるんだけど、僕の答えは「ノー」だね。もしそうしていたとしても、彼は現在のような成功はきっと得られなかった。彼は本当に素晴らしい才能の持ち主だし、デビューする時期もあのときでよかったと思う。最後に僕がジェイムズに会ったのは去年の〈ソナー・フェスティヴァル〉だったんだけど、唯一の後悔といえば彼は現在スタジアムを回るようなツアーをやっているからなかなか会えないことだね。
 幸い彼は現在のレコード会社との契約で、他のレーベルからのリリースを、制限はあるけれども許可されている。これはかなりレアなケースなんだけど、そのおかげで〈へムロック〉の9番めのリリースとしてジェイムズのシングル“オーダー/パン”を発表できた。オフィシャルにリリースする上での手続きがかなり大変だったな(笑)。ジェイムズ・はまだ〈へムロック〉のアーティストだと思っているし、音楽の歴史に名を残すであろうアーティストのキャリアの一歩を手伝えたことを誇りに感じるよ。

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過去の作品よりもっとピュアな作品になるといいな。僕のバックグラウンドを知らないリスナーに、「“アナコンダ”を作ったやつがこれを作ったのか!」って思われたい。


Untold
Black Light Spiral

Hemlock Recordings / Beat Records

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あなたが表れたとき、すごくミステリアスな人物だと思いましたし、同時に強いアティチュードも感じました。“アナコンダ”についての回答でも触れていましたが、当時のシーンがつまらないとか何かを変えたいとか思っていましたか?

U:そうすることへの責任感を感じるときもあるし、そうでないときもある。アーティストとコラボレーションするとき、僕はかなり自由に相手に物事をまかせるんだけど、同時にもっとクリエイティヴに相手を前に押すこともあって、それが一種のゲームだと感じている。2007年から現在に至るまで、僕は多くのサウンドに挑戦してきた。でもこれからは、過去に自分がしてきたことを振り返って掘り下げようと思うんだ。こうすることによって、次の10年間で自分はもっと前進できると思う。過去の作品よりもっとピュアな作品になるといいな。僕のバックグラウンドを知らないリスナーに、「“アナコンダ”を作ったやつがこれを作ったのか!」って思われたい。
 いままで出してきた僕のシングルはその時々での自分の挑戦が反映されているから、リリースごとに違ったスタイルの曲も多い。だけど、いまはひとつのスタイルと向き合ったもっと長いアルバムのリリースしたいんだ。『エコー・イン・ザ・ヴァリー』のようにUSBのデジタル形式で、時間制限がないものを考えているよ。去年の段階で僕はサウンドの探索に見切りをつけた。いままで作った曲のキーポイントを見直して、それらを新しい方法で鳴らしていくつもりだ。

先ほどコラボレーションについても触れていましたが、あなたは2010年代の最初、リミックスをたくさんしていました。クラブ・ミュージックだけではなく、ジ・XXやレディオヘッドのようなバンドの曲まで手がけていました。そこにはどのような意図が音楽があったのでしょうか? エイフェックス・ツインは「クソみたいな曲を一曲でも減らしたいからリミックスをする」と言っていましたが。

U:エイフェックス・ツインより素晴らしい回答は思いつかないな(笑)。レディオヘッドのリミックスはいろいろあってリリースはしなかったんだけどね。2012年の4月にやったのが最後のリミックスだったんだけど、何だったかな。レディオヘッドのリミックスをやっていたときに、僕は同時に4つのリミックスを手がけていた。メジャーの仕事もいくつかやっていて、ケシャの“ティック・トック”のリミックスもやったね。それが僕のベスト・リミックスだね。僕の友人のトム・ネヴィルはテック・ハウスのプロデューサーだけど、彼とは大学で知り合った。彼はケシャのアルバムを出掛けていて、彼にリミックスをしないかと誘われたんだ。僕はまだまだアンダーグラウンドな存在だと思うけど、そんなメジャーなアーティストのリミックスをやるなんてね。だけど思う存分、自分のサウンドを入れまくったよ。

ケシャの“ティック・トック”のリミックスもやったね。それが僕のベスト・リミックス。

 小さなレーベルはそうでもないんだけど、メジャーなレーベルからのリミックスに関するリクエストにはうんざりすることもある。自分風のサウンドを少し押さえろとか、ヴォーカルの量を増やせとか、もっとわかりやすくしろとか……。ビートポートみたいなデジタル領域が盛り上がってきたときに、オリジナルの曲だけでは儲からないからレコード会社はリミックスにも手を出すようになったと思う。そのころから発表されるリミックスがとてもチープに感じるようになったな。ジェイムズが言っていたんだけど、スティーヴィー・ワンダーの曲はリミックスする必要がないらしい。リミックスをするときって、もともと曲の象徴的な部分を残すものだけど、スティーヴィー・ワンダーの曲でそれをやってもオリジナルの完成度が高いからうまくいかないらしい。この例が示すように、僕はオリジナルの精度を上げていきたかったから、リミックスにはそれほど魅かれなくなった。ジェイムズ・ブレイクやパンジェアが手がけた僕のリミックスは素晴らしいと思うけどね。

もっと早くアルバムを作ってほしかったというのが本音なんですが、リリースまでに時間がかかったのは、情報化社会で音楽の変化が激しく、多くの曲が消費されていくような現在と間合いを取ろうとした意図もあったんですか?

U:どんなアーティストもそのことからプレッシャーを受けていると思う。アルバムを出すまでに時間がかかったけど、その間に僕はヴォーカリストといっしょにレコードを作って、さまざまなミュージシャンとコラボした。媚を売ることなく、自由に制作して音楽的に優れたアルバム目指したんだけど、それが逆に重荷になったりもした。『ブラック・ライト・スパラル』の収録曲を2、3曲作るまではそんな感じだったな。そんなある日、奇妙的なことが起きたんだ。その数曲のデモをクラブで流したら、会場のサウンド・システムが壊れてしまってね。サブ・ベースが低過ぎたらしい。エンジニアはDJミキサーのインジケーターが真っ赤に振り切れていたと思ったらしい。だけどそんなことはなくて、僕はいつも通りに曲を流しているだけだった。サブ・ベースが低すぎると、サウンドが跳ね上がって、クラウドのひとたちはエネルギーを感じると思うんだけど、そのときはただただ会場がパニックになっていた。これは自分にとっては新しい発見だった。

そのとき、会場には〈メタルヘッズ〉のパーティを思い出させるようなダイナミズムがあった。プレッシャやフォーテックが新しいダブプレートをかけるとき、聴いたこともない音で会場はパニックになっていた。

 そのとき、会場には〈メタルヘッズ〉のパーティを思い出させるようなダイナミズムがあった。プレッシャやフォーテックが新しいダブプレートをかけるとき、聴いたこともない音で会場はパニックになっていた。
 そこで感じたエネルギーこそが『ブラック・ライト・スパイラル』には必要だと確信したね。その出来事を境にプロダクションはとても早く進んでいったよ。最長でも1曲に2週間しかかからなかったからね。2年はこのデビュー・アルバムに関して悩んでいた。でもやっと自分を奮い立たせるような作品ができたよ。待たせてしまってごめん(笑)。

クレイジーで素晴らしいアルバムだと思います。

U:ありがとう。ただ、曲はもうちゃんと調整してあるから、安心してクラブでかけられると思うよ(笑)。

ジャケットの豚は何かのメタファーなんですか?

U:リー・モードスリーが写真家だね。広告デザイン業界で働いているひとだよ。このカヴァーは“アナコンダ”のようなトラックと同じようなユーモアを持っている。この豚をよく見てほしい。豚は破壊されている真っ最中なんだけど、これはただの豚の貯金箱としては目には映らないと思う。だって、壊されているのにも関わらず、豚自身は笑っているんだからね。この写真からは破壊を楽しむようなイメージが伝わってくると思わない?

なるほど。いまおっしゃったようにあなたの曲でユーモアはとても大事な役割を果たしていると思います。今作に収録された“シング・ア・ラヴ・ソング”はタイトルとは裏腹に、かなりカオティックに曲が進行していきますもんね。

U:たしかにユーモアは重要な要素だ。かなり危険な綱渡りでもあるけれどね。ユーモアがあってもコメディとして見られるのはまずい。IDMが出てきたときから、世間をからかっているような作品がリリースされるようになった。今回はそのようなテイストを出したくはなかったんだ。だけどマジメ過ぎることも避けたかった。ユーモアがあってシリアスなサウンドのバランスを取ることに注意を払ったね。サウンド的に今回はあまりユーモアがないかもしれないけれど、ジャケットにはしっかりと表れている。もし豚が笑っていなかったら、カヴァーの見られ方は大きく文脈を変えてしまうだろうね。

サウンド的に今回はあまりユーモアがないかもしれないけれど、ジャケットにはしっかりと表れている。もし豚が笑っていなかったら、カヴァーの見られ方は大きく文脈を変えてしまうだろうね。

歌詞の音楽に興味があるとしたら、好きなリリシストを教えてください。

U:もちろんあるよ! ボブ・ディランとトム・ウェイツだね。

UKでは?

U:うーん、レディオヘッドとニック・ドレイクかなぁ。

なんでモリッシーじゃないんですか?

U:40歳になったらモリッシーを開拓すると思う(笑)。まだちょっと早いかな。いろんな音楽を何年かにわけて開拓しているんだけど、このぶんだとジャズにとどりつくのは70代に入ってからだね(笑)。

UKには多くのリリシストがいると思うんですが。

U:そうだよね。僕もヴォーカル・アルバムを出せたらいいなと思うこともある。歌詞を書こうとしたこともあるんだけど、トラックをつくることに力を入れたほうがうまくいくからね(笑)。

『ブラック・ライト・スパイラル』のあとに、あなたはUSBフォーマットで『エコー・イン・ザ・ヴァリー』というアンビエント作品をリリースしました。どのような意図があったのでしょうか? 前作の続編のようなものなんですか?

U:『ブラック・ライト・スパイラル』を作っていたら、作品に二重性みたいなものが見えてきた。“シング・ア・ラヴ・ソング”や“ウェット・ウール”のような曲のノイズには発展の余地があると思って作業を進めたんだよ。そしたらアイディアがけっこう形になって、マネージャーもリリースに前向きになっていた。ちょうどそのときにモジュラー・シンセを購入したことも影響しているね。『ブラック・ライト・スパイラル』はコンピュータで作った作品だけど、『エコー・イン・ザ・ヴァリー』は新しい引越先の田舎でシンセサイザーを実験しながら完成させた。『ブラック・ライト・スパイラル』のインスピレーションからあとふたつはアルバムが作れるだろうな。それがつまらないものにならないといいけどね。

数に100個の限りがあったのは作品がハンドメイドで作るのに一か月近くかかったから。このアナログ感が好きだからまたやると思うよ。この作業は一種の瞑想みたいな感じもするんだ。

 ここ数年はデジタルの力が強いけれども、それに対抗するようにレコードのような非デジタルの勢いもある。僕自身もデジタルだけで楽曲制作をしたくないと思っているよ。DJをするときにUSBも使うけれど、自分の曲は全部ヴァイナルで持っているしね。デジタルがどんなに発達してもアナログとの関係は捨てたくはないね。『エコー・イン・ザ・ヴァリー』でも自分の手で作ったものをリリースで使いたかったから、USBメモリーのケースは自分で作った。材料の木や石やスタンプは全部自分でオーダーしたんだよ。インターネットで作り方を勉強しながら家族で作ったね(笑)。ネット上で注文を募る段階も全部僕がやったから、かなりの達成感を感じたよ。数に100個の限りがあったのは作品がハンドメイドで作るのに一か月近くかかったから。このアナログ感が好きだからまたやると思うよ。この作業は一種の瞑想みたいな感じもするんだ。

OPNの一連の作品から、ハウス・レーベルの〈ミスター・サタデー・ナイト〉まで、現在多くのシーンでアンビエント作品が作られています。あなたがアンビエント作品を出したことはそういった時代性と同調している部分があると思いますか?

U:音楽にはサイクルのようなものがあって、ちょうど20年前にエイフェックス・ツインは『アンビエント・ワークス・ヴォリューム・2』をリリースした。もし現在ロンドンにアンビエントだけを流すクラブがあればぜひとも行ってみたいね。
 いま挙げたようなアーティストたちのように、興味深いことはいつも多くのシーンで起こっている。だけど世界のシーンを見ていて思うのが、それがあまりにもローカルで短期的なスパンで起こっているということ。ゴミみたいな音楽が溢れているからこそ、いい音楽同士がもっともっと繋がっていくべきだと思うな。

最後の質問です。僕のまわりには仕事をしながらもDJをして曲を作りつづけているひとが多くいます。彼らにとっては、仕事をしながらもミュージシャンの道を選んだあなたの言葉はためになると思うんですが、何かアドバイスはありますか?

U:仕事を辞めて夢を追え。

仕事を辞めて夢を追え。

(笑)。それだけですか!?

U:冗談だよ(笑)。僕はデザインの仕事をしていたときフォット・ショットを使ったり、ジョブスクリプトを書いたりしていた。東京と同じように、一日の労働時間がかなり長かった。朝8時に働きはじめて、ラッキーならば夜の8時に上がれる。僕はいつも締切に追われていた。もうウンザリだったよ。家に帰ってデザインの続きや音楽を作るためにはかなり無理をして起きていなければいけなかった。でもそこまでしないといいものはできなかったんだよ。具体的なアドヴァイスがあるよ。多くのひとはレーベルに自分のデモを送るのが早すぎるんだよ。アマチュアな曲を送ってもなんの意味もない。たしかジェフ・ミルズは、くだらない99曲じゃなくて本気の500曲のデモを送ってこいって言っていたな(笑)。これは僕が言いたいこととまったく同じだよ。まず時間を確保して、お金を貯める。そして自分の曲やスキルがこれで充分だと思えるときがきたら、自信を持ってジャンプすればいい。

Hyperdub - ele-king

 思えば、2014年は、1月におこなわれた〈ハイパーダブ〉のショーケースにはじまたのだった。ジュークの世界に足を踏み入れたコード9がシカゴのDJラシャドを引き連れて来日した記念すべきイベント(最初で最後の、DJラシャドの来日となってしまったけれど)。
 あれから11ヶ月。レーベル誕生から10周年を記念する4部作のコンピレーションのリリースを経て、コード9はこの年の末、再度来日する。
 またしても強力なメンチだ。ハウス・レジェンドからブロークン・ビーツの魔術師へと変貌を遂げたキング・ブリットことフロストン・パラダイム。シカゴ・ジュークの使者、DJスピン。新作アルバム『ウェイト・ティル・ナイト』をリリースしたばかりのアンダーグラウンド・ディーバ、クーリー・G(アントールド曰く「DJも激ドープ」)。
 そして、D.J.フルトノやフルーティといったジュークDJも出演、ダンサーも登場。日本代表ウィージー、レペゼン・シカゴのライトバルブのフットワークが生で見れる! 
 まあ、2014年を締めるには、最高のメンツのイベントですな……存分に踊って、2015年を迎えましょう! Let me show your footwork!

Slackk - ele-king

 『イン・ディス・ワールド』や『グアンタナモ』など政治的な映画を撮ることが多いマイケル・ウインターボトム(日本では『24アワー・パーティー・ピープル』がもっともよく知られているか)の『グルメトリップ』を観ていて、久しぶりに会う親子がドアを開けるなり「ノー・ポリティクス、サンキュー」と言い放つシーンがあった。これまでにどれだけ言い争ってきたかということだけれど、このセリフが耳から離れなくなって、『ele-king vol.14』の第2特集で使うことにした。自分たちがノン・ポリだということもあるし、このところの政治の話題は本当に遠ざけたいほどヒドいものばかりだということもある。あれは本当に心の叫びなんですよ。驚いたのはリチャード・D・ジェイムズで、軽くあしらわれると思っていた政治の話題に彼は、セカイ系的なニュアンスではあるけれど、多少なりとも言葉を返してくれた。しかも、彼が伝えようとしている内容はそれこそ「ノー・ポリティクス、サンキュー」と同じようなことである。一冊の雑誌のなかで同じテーマが入れ子状に絡み合っていると評してくれたのは〈ゼロ〉の飯島さんだけれど、ある種の音楽と政治は似たような距離にあるのかもしれないと、それこそ錯覚を覚えてしまいそうな符号だった。これを編集部はコンテクストとして自覚するべきで、ビジネスマンたちが好んで使うバンドル・メディアの必須条件と考えるべきなんだろうけど、「ぼさ~っとすること」という105ページの見出しにいつも心は飛んでしまう。ぼさ~っとしたいよなー。ノー・ワーキング、サンキュー……。

 ラッカー(Lakker)の8枚めのシングル『マウンテン・ディヴァイド』は意表をつくノイジーな歪みが非常に気持ちよかった。そして、それ以上に予想外だったのがポール・リンチによるアンビエント・グライムである(……という言い方は誰もしていないけれど)。なるほど打ち込み方はグライムのリズム・パターンだし、そもそもデビュー・シングル「テーマEP」(2010)はベースメント・ジャックスが派手にブリープ音を撒き散らしているような曲だった。それがどんどんスタイルを変えていき、何をやろうとしているのかさっぱりわからない時期を経て(とくに『フェイルド・ゴッズ(Failed Gods)』)、ついに新境地を切り開いたのである。ガッツである。UKガラージはまだまだポテンシャルがあるんだなーというか、そもそもスラック(slack)というのは「ユルさ」という意味だから、字義どおりに収まったといえばそれまでなんだけど、それにしてもおもしろい展開である。『やしの木が燃える』というヴィジュアルもアーサー・ライマン(『アンビエント・ディフィニティヴ』P.21)とはきっとなんの関係もないだろうし、発想の源がまったくわからない。いや、とにかく変わったことをやってくれました。

 フロアユースか否かという耳で聴くと、このアルバムはおそらくどこにも行き場はない。クラブ・ミュージックであるにもかかわらず、そのような対立項とは無縁の場所で音は鳴りつづけ、アンビエント・グライムとは書いたものの、チル・アウトにはまったくもって適していない。中途半端に身体は触発され、気持ちだけが宙に吊り下げられたまま全15曲がさまざまなイメージを展開していく。なんというか悶え苦しみながら少しずつカラダが聴き方を覚えてくると、後半に入ってワールド色が薄く滲み出したり、さらにはエイフェックス・ツインめいたりしながら、いつまでも宙吊り状態を維持してくれる。いい感じである。何度聴いても的確な言葉が浮かんでこない。

 現在はロンドンがベースで、昨年末にUKガラージの変化球として『コールド・ミッション』が話題になったロゴスらとボックスドというDJチーム(?)も組んでいるらしい。ロゴスことジェイムズ・パーカーもけっこうな変則ビートを聴かせる逸材で、どこか通じるものもなくはないけれど、急速にファッション化しつつあるインダストリアルの要素を引きずっていたロゴスとは違い、スラックはむしろ 対照的にハッパの世界観を一気に更新した感がある。それこそブライアン・イーノ『アナザー・グリーン・ワールド』(1975)のガラージ・ヴァージョンというか。アーサー・ライマン→ブライアン・イーノ→『アーティフィシアル・インテリジェンス』→『パーム・トゥリー・ファイアー』と、20年おきに受け継がれたシミュレイションの引き延ばしがここまで達している。これは、つまり、「ぼさ~っ」としたい人たちがいつも一定数いるということだろうな……。

じゃがたらから、森へ - ele-king

 80年代というディケイドは、破壊的なまでに日本を変えた。いま昔の写真を見てみると、60年代も70年代も、まあ、人びとの暮らしは、そんなに大きく変わっていないように思える。が、80年代後半になると家や、部屋や、持ち物や、街並みや生活が、何か根底から生まりかわりはじめ、90年代にはすっかり別の惑星だ。その、残忍なまでの変化のなかを日本のアンダーグラウンド・ミュージックがどのように考え、行動し、そして、どのように生き、死んだのかを思うとき、じゃがたらというバンドは外せない。言うまでもなかろう、80年代のポストパンク時代、もっともインパクトのあったバンドのひとつだ。

 そして、畑仕事の男の姿がでーーんと表紙に写っている本書。じゃがたらのギタリストだったOTOが自身の半生を語った、ele-king booksの11月26日発売の新刊、『つながった世界─僕のじゃがたら物語』である。「僕はじゃがたらというバンドでギターを弾いて、そして今、僕は森を歩き、田植えをしている……」、序文でOTOがそう語るように、本書では、じゃがたら時代の多くのエピソード、江戸アケミとの死別、その後のソロ活動およびサヨコトオトナラでの活動、そして熊本に移住してからの農作業に励む現在が赤裸々に描かれている。あー、たいへんなことはあれど、人生とはこんなにも自由。農的な暮らしがいろいろなところで語られている現在だからこそ、ぜひ、読んでいただきたい。これはひとつの生き方であり、OTOにとっての「じゃがたら物語」である。

今の僕は、ミュージシャンとしてさらなる進化を遂げるために、あえてギターを弾かない生活を送っているけれど、日々「じゃがたらの音楽って素晴らしいな」って思っている。お茶の剪定作業をしていときも、田植えをしているときも、森の手入れをしているときも、散歩しているときも、僕の周りには、いつだってじゃがたらの音楽が鳴り響いているから。──本書より

80年代を疾駆した伝説のバンド、じゃがたら。
そのギタリストOTOが語る過去、そして、ほぼ自給自足のいまのくらし。

 80年代の日本を疾駆した、伝説のバンド、じゃがたら……。そのリアルかつ予見的な言葉、態度、そして圧倒的なパフォーマンスによってバンドを導いたカリスマ、江戸アケミ亡き後も、彼らの音楽はずっと聴き継がれ、語り継がれている。
 じゃがたらは、音楽的にはアフロビート、ファンク、ダブの異種交配に特徴を持っている。その音楽面において重要な役割を果たしていたのは、ギタリストのOTOだった。彼がバンドのダブのセンスを注ぎ、ワールド・ミュージック的ヴィジョンをもたらしたとも言えるだろう。

 本書はOTOが赤裸々に語る、彼の自叙伝であり、じゃがたらの物語である。そして、いまは東京を離れ、熊本の山で農業をやりながら、ほぼ自給自足の暮らしをしている彼からのメッセージだ。

 世間を騒がせたじゃがたらのファンをはじめ、オルタナティヴなライフスタイルを模索している人にも必読の一冊。

■じゃがたら
80年代に活躍したファンク・ロック・バンド。1979年にデビューし、フロントマンの江戸アケミが、ステージ上で蛇やニワトリを生で食べ、放尿、脱糞などを行ない、マスコミから“キワモノバンド”として注目される。こうしたイメージを吹っ切るかのようにレコーディングに専念し、1982年に1stアルバム『南蛮渡来』をリリース。ジャパニーズ・ファンクの傑作として高く評価された。1989年にアルバム『それから』でメジャー・デビューを果たしたが、翌1990年にアケミが自宅バスルームで溺死。永久保存という形で活動にピリオドを打った。


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■つながった世界──僕のじゃがたら物語

OTO+こだまたけひろ 著

本体2,200+税
四六判 256ページ
2014年11月26日発売
ISBN:978-4-907276-24-9

■目次

1
古い記憶
ギターを弾く
ラジオを聴く
吉田拓郎にハマる
キャロル、シュガー・ベイブからミュージカルにATG
MARIA 023


じゃがたら
『南蛮渡来』のレコーディング
ザッパ的に言えば日本なんて
バビロンから抜け出せ
アケミの分裂
君と踊りあかそう日の出を見るまで
新生じゃがたら
JBよりもフェラ・クティ
エンジニアの役割
「OTOは俺を殺す気か」
『ロビンソンの庭』の混沌
リズムセックス
〝あの娘〟の意味
アケミの言葉
メジャー・デビュー
東京ソイソース、アケミとの乖離
もういい加減にやめたい
苛立ち
つながった世界
中産階級ハーレム
脳みそはそよ風に溶けて
寿町フリーコンサート
じゃがたら最後の曲
アケミの死
ビブラストーン、雷蔵、Tangosへ
思い出深いソロ・ワークス
近田さん
陣野俊史『じゃがたら』
どっちの暮らしがリアルなんだ?


9・11
9・11後のアクション
サヨコオトナラ始動
自然のリバーブ
キョンキョンの朗読
音楽の新しい機能性
森へ
土と平和の祭典
あがた森魚さん
三つのグナ
踊るんだけど心は静か
中野のおっちゃん
鮎川さん、こだまさん
じゃがたらお春1979LIVE
ラビと出会う
グラウンディングの意味
モリノコエ
新たな音楽を求めて
3・11
それから
いずみ村の話
農園の日常
正木さんの「あなた」
みんなで「カンダナ」を歌えたら
結婚
今日もここまで来たのさ

interview with Vashti Bunyan - ele-king


Vashti Bunyan
Heartleap[歌詞対訳/ボーナストラック1曲のDLコードつき]

インパートメント

Folk

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 イギリスのフォーク・シーンで伝説のごとく語り継がれてきたシンガー・ソングライター、ヴァシュティ・バニアン。まるで英国の深い森に住むフェアリーのような存在だった彼女の名が再びシーンをにぎわすようになったのは、1990年代末期だった。1970年にリリースされた唯一のアルバム『Just Another Diamond Day』が、当時のアメリカーナ〜フリー・フォーク系ミュージシャンたちの間で再評価され、それがきっかけとなって2000年に正式CD化。長い間、音楽シーンから遠ざかっていた彼女も、やがて活動を再開し、2005年にはなんと35年ぶりとなるアルバム『Lookaftering』を発表し、ファンを驚かせた。
 それから9年。またしても長い歳月が流れたが、通算3作目となるアルバム『Heartleap』がようやく登場した。新作発表にここまで時間がかかったのは、ほとんどの曲のアレンジと演奏、そしてプロデュースを自分一人でこなしたからのようだ(一部、ストリングスやギターなどでゲストが参加)。そのぶん、前作と比べてかなりプリミティヴかつインティメットな感触の内容となっており、たとえば、編集盤『Some Things Just Stick In Your Mind』(2007年)で現在聴ける60年代デビュー前のデモ音源などに似た印象すら受ける。まさに、手作りの織物のような愛らしさ。
 発売元の公式アナウンスによれば、これが最後のアルバムになると本人は語っているという。再び彼女は、森のフェアリーに戻るのだろうか……

“スウィンギン・ロンドン”は、他に類のないくらいインスピレーションが旺盛で創造性に富む時代だったわ。大好きだったし、関わっていたかった。ただし、他人の音楽ではなく、自分の音楽でね。たとえミック・ジャガーやキース・リチャーズの曲だったとしても、自分の音楽として関わっていたかったの。

今作が最後のアルバムになると宣言しているようですが、なぜこれでやめるのですか?

VB:やめるというか……1枚のアルバムに必要な分だけの曲を書き終えるためには、これから何年もの年月が必要になると思う。でも、その頃にはもうアルバムという形式はなくなるんじゃないかと思っているの。まあ、誰にもわからないことだけどね。

じゃあ、新しいアルバムは作らないとしても、音楽活動自体は続けるんですよね?

VB:自分がこれまで書いた曲を全てシングルとしてデジタル・リリースすることに興味があるわ。

全体的に、60年代にレコード・デビューする前の64年のデモ音源に近い印象を受けました。こういう素朴さ、透明感は、制作前から意図していたものなのですか?

VB:アレンジのたくさんの部分に膨大な時間を費やしたこのアルバムを、素朴とか透明感があるとは自分では感じないけど……でもたしかにこれは私の初期の頃、一番最初にレコーディングしていた頃にやりたかったことができた作品なの。あの頃私は楽譜を読めなかったし、書けなかったから、頭のなかにある楽器構成を現実化できなかった。でも、いまはできるわ。

長い休止期間を経た後の復活作だった前作『Lookaftering』は、ピアノ・サーカスなど実験音楽シーンで活躍してきたマックス・リヒターがプロデュースしてましたが、今回はセルフ・プロデュースです。その理由は?

VB:マックスと一緒に仕事をしたとき、彼から様々なことを学んだし、あの時間は私にとってとても価値あるものだった。私はあれ以来ずっと、自分でパソコンのソフトを使って曲を録音し、アレンジする方法を勉強してきた。そういった方法にとても興味を持つようになったわけだけど、私の場合、その制作プロセスにとても時間がかかるの。そんな自分に辛抱してくれとは、どんなプロデューサーにも頼めないわ。だから今回は、セルフ・プロデュースになった。前作では、マックスに対しては何の不満もなかったし、音楽的才能を惜しみなく提供してくれたマックスと他の若い仲間たちに出会えたことは、本当に運が良かったわ。皆、信じられないくらい素晴らしい人びとだった。

そもそも前作で、あなたとは縁のないように見えるマックス・リヒターがプロデュースを担当した経緯は、どのようなものだったんですか。

VB:『Lookaftering』は〈FatCat〉レーベルからのリリースだけど、当時マックスも FatCat に関わっていた。で、レーベル関係者が彼の存在を教えてくれたの。しかも彼は、その頃私と同じ町に住んでいた。彼のソロ・アルバム『Blue Notebooks』(2004年)を聴いた瞬間、私の新しい曲を取り扱ってくれるにふさわしい人だとすぐに思ったの。

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1968年のロバートとの旅物語は、私の次のプロジェクトね。私たちは、自由という夢を追って、家族や他の全てを捨て、ロンドンを離れたの。音楽業界で突き進むことに失敗したんだと思い至り、そこから離れたかった。もう録音なんかするまいと。

今回は、プロデュースだけでなく、大半の演奏と録音も自宅で自分でおこなったそうですが、とくに苦労した点、刺激的だった点は?

VB:作業途中で誰にも立ち聴きされず、スタジオの使用時間も制限されないようにするには、その方法しか考えつかなかったの。ただ、私がアレンジしたいくつかの楽器の演奏は、まずスタジオで別のミュージシャンが録音し、その音源が私の手元に届けられ、それを元に私が自宅で改めて演奏、再構成するという形で完成させた。だから、とても時間がかかったわ。

本当はロバート・カービーにアレンジを頼む予定だったのが、彼の死(2009年)で不可能になったということも、アレンジや演奏を自分でやった理由のひとつだったみたいですね。ニック・ドレイクの作品をはじめ、60年代末期から70年代にかけて、傑出したアレンジャーとして名を上げたカービーは、あなたのデビュー・アルバム『Just Another Diamond Day』(1970年)や、前作『Lookaftering』にも関わってました。カービーのアレンジのどういう点にあなたは惹かれてましたか?

VB:ロバートはとても面白く、素敵で、突拍子も無いけど最高のミュージシャンだったわ。パソコンなんて使わず、ピアノでアレンジしたものを紙の楽譜に書く人だったから、彼は自分の曲が実際にライヴで演奏されてから初めて耳にするのよ。すごい才能だった。そんな彼を失ってとても辛かったし、彼がこの世から去ってしまったことが、ただただ悲しかった。彼は、いま私が自分の曲で何をしたいのかちゃんと理解してくれていて、すぐにでも一緒に制作にとりかかろうとしていたところだったのよ。

今回も演奏に参加しているギタリストのガレス・ディクソンは、復活後のあなたが特に親しくつきあってきた音楽家ですが、彼との出会いの経緯や、彼の音楽家としての魅力について教えてください。

VB:『Lookaftering』リリース後、最初のライヴで伴奏してくれるギタリストを私が探している時に、これもまた〈FatCat〉がガレスのことを教えてくれたの。彼はとても洗練されたギタリストで、彼自身の曲もとても美しいのよ。彼は私の曲を繊細にとりあつかい、理解してくれるし、私が何を言わんとしているかもわかってくれるから、本当に助けられたわ。私たちは、ふたりとも楽譜が読めないから、お互いに発達させた私たちだけの音楽言語があるんだけど、他のミュージシャンたちが聞いたら笑ってしまうでしょうね。私たちだって、自分たちのことを笑っているし。

アルバム・ジャケットの絵は、今回もあなたの娘さんのウィン・ルイスが描いています。彼女の絵は、あなたの音楽にも刺激を与えているようですね。

VB:『Lookaftering』と今回の『Heartleap』に使った絵は、それぞれのアルバムの制作が終わるずっと前にウィンが描いていたものなの。どちらも、とても力強いイメージよね。『Heartleap』のジャケットに使った絵は「Hart's Leap」というタイトルで、しばらくの間私のパソコンのデスクトップの写真にしてたものなの。今年の頭頃、それを見つめていた時に、今作の最後に収録されているアルバム・タイトル曲「Heartleap」が浮かんだの。彼女の絵をアルバムのジャケットに使わせてもらうだけでなく、絵のタイトルも盗んで「Heartleap」という言葉に作り変えさせてもらえた私は本当にラッキーだわ。

ここで、昔のことについても、質問させてください。レコード・デビュー時のプロデューサー、アンドリュー・ルーグ・オールダムとは、どうやって出会ったんですか。

VB:1965年に、母の友人の女優さんが主催するパーティーで歌ったことがあったんだけど、アンドリューを知っているエージェントがたまたまその場にいた。彼女は、アンドリューが私の曲を気にいるかもしれないと思い、彼に紹介してくれたの。そして、その機会を与えてくれた彼女の事務所で、アンドリューを前に歌った。そしたらアンドリューは、ミック・ジャガー&キース・リチャーズの曲“Some Things Just Stick In Your Mind”を私が歌ったものをシングルとして出したいと言ったの。でも私は、自分の作品を録音したかった。だからそれ(“I Want To Be Alone”)がB面に入ったの。とてもわくわくした時期だったわ。

当時アンドリューは、第二のマリアンヌ・フェイスフルやフランソワーズ・アルディのような路線を狙っていたように見えますが、あなた自身はどうだったんですか。

VB:実は、そういう風に見られていたなんて、だいぶ後になるまで私自身は気づかなかったの。私を、アンドリューのマネージメントを離れたばかりのマリアンヌ・フェイスフルの代理だとメディアが書いていたのを見たときは、とても落ち込んだわ。当たり前でしょ。実際いまだって、彼女の名前が出てこない私のインタヴュー記事なんて、ほとんどないんだから。

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当時メディアが書いたような、子供向けの童謡などではなく、その時代のドキュメントだと彼らは理解してくれたの。発売当時は誰も感じとれなかったものを、いまの若い人たちが身近に感じとってくれる様子に、私はいつもびっくりさせられるし、うれしく思うわ。

デビュー当時の“スウィンギン・ロンドン”の雰囲気は、当時のあなたにとって心地よいものではなかったんですか。

VB:いいえ、そういうわけじゃない。他に類のないくらいインスピレーションが旺盛で創造性に富む時代だったわ。大好きだったし、関わっていたかった。ただし、他人の音楽ではなく、自分の音楽でね。たとえミック・ジャガーやキース・リチャーズの曲だったとしても、自分の音楽として関わっていたかったの。

その後、恋人のロバート・ルイスと共に、馬車で長い旅に出ました。スコットランドのルイス島のヒッピー・コミューンのことなど、たくさんの思い出やエピソードがあるんでしょうね。

VB:あの当時のことを話すには、一週間はかかるわ! 自分でも、書き留めたいとは思っているのよ。1968年のロバートとの旅物語は、私の次のプロジェクトね。私たちは、自由という夢を追って、家族や他の全てを捨て、ロンドンを離れたの。音楽業界で突き進むことに失敗したんだと思い至り、そこから離れたかった。もう録音なんかするまいと。でも曲は書き続けたわ。デビュー・アルバム『Just Another Diamond Day』に収録された曲のほとんどが、その旅のことだった。

その『Just Another Diamond Day』は、フェアポート・コンヴェンションやニック・ドレイクなどを手がけていたジョー・ボイドがプロデュースしましたが、彼とのとの出会いの経緯は?

VB:彼は、例の馬車の旅の途中、ちょっとロンドンで身を休めていたときに知り合った友だちの友だちだったの。私は、彼に会いに行って、何曲か歌ったわ。私たちがスコットランドの西海岸にあるルイス島までたどり着いて馬車の旅を終えたら、彼はその曲をアルバムとして制作すると約束してくれたの。彼は約束を守り、翌年(1969年)私たちはロンドンでレコーディングをしたのよ。

でも、『Just Another Diamond Day』をリリースした後、突然、音楽活動を止めてしまいましたよね。メディアにひどいことを書かれて失望したから、と聞いたことがありますが。

VB:その通りよ。アルバム制作からリリースまで、時間がだいぶかかり、リリースされた頃には自分の中で多くのことが変わっていて、作品は意味を失っていた。そして、メディアでも、子供の童話のようにとても軽くて、取るに足らないアルバムと評価された。私にとって、とても難しい状況だったわ。だから、再びレコードを作ったことは間違いだった、もう二度とやらないと自分に言い聞かせたの。それから長いこと、決してギターを手にしなかったわ。

そして1990年代、若い音楽家たちの間で『Just Another Diamond Day』が再評価されはじめました。それを知ったときの気持ちは?

VB:あの作品の価値をわかり、周囲にも広めてくれるような適切な人たちに私がやっと出会えたのは、2000年にアルバムを再発したときだった。『Just Another Diamond Day』は、当時メディアが書いたような、子供向けの童謡などではなく、その時代のドキュメントだと彼らは理解してくれたの。発売当時は誰も感じとれなかったものを、いまの若い人たちが身近に感じとってくれる様子に、私はいつもびっくりさせられるし、うれしく思うわ。

そういう若手音楽家、たとえばディヴェンドラ・バンハートやアダム・ピアースなどと自分のあいだには、どういう点で共通性を感じますか?

VB:ちょっと難しい問題ね……ただ彼らは、私の若い頃とは違って、精神的な強さを持った人たちだと思うわ。

復帰作『Lookaftering』の“Wayward”では、「自分は家を守って炊事や洗濯ばかりして過ごす人間ではなく、ブーツを埃まみれにしながら、気ままに果てしない道を旅する人間になりたかった」と歌ってました。隠遁後の主婦生活では、いろんな葛藤があったんでしょうね。

VB:そうね……あの曲は、家庭生活と自分の抱いていた夢のあいだに生じた葛藤の日々のことを書いたものなの。『Just Another Diamond Day』を作っている頃に最初の子供を授かり、その後の家庭生活では、もちろん我が子たちを溺愛していたけど、なんとなくいつも、自由な旅路に憧れていたのね。とくに、子供の学校生活がはじまった頃はね。

その主婦生活の20数年間は、音楽からは完全に離れていたんですか?

VB:そうね。それ以上の年月だったわ。ほとんど他の人の音楽を聴かなかったし、子供にも歌ってあげなかった。音楽的な要素のない教育を子供にしてしまったことは後悔しているわ。

前述どおり、今回の新作は、正式デビュー前の歌に近い印象を受けます。それはつまり、あなたはプロ歌手になる前から現在までずっと、ひとつの確固たる音楽的イメージや世界観を持ち続けてきたということなのかも……とも思うんですが。

VB:その通りよ。ほとんどの場合、その曲がどうあるべきなのかという自分だけのアイデアだけが頼りだし。つまり、自分の頭のなかでどう聴こえるかってことよ。初期の作品は、ギターだけでできたシンプルな構成だった。だってそれしか弾けなかったから。さっきも言ったけど、私は楽譜が読めないから、曲のアレンジはイメージできても、頭のなかにあるだけだったの。いまは音楽用ソフトとキーボードのおかげで、これまで考えもしなかった音楽構成を実現することができるわ。でも、昔同じことができたとしても、きっと最近の作品にかなり似たものだったでしょうね。

最後に、ヴァシュティという素晴らしい名前をつけてくれたご両親について教えてください。

VB:そうね、すごくユニークな名前を授けてくれたと思うわ! 私の兄と姉の名前は John と Susan で、普通のイギリス的名前なの。Vashtiという名前は、聖書に出てくる“気難しい”女性の物語に由来しており、最初は母のニックネームとして、次に父のヨットの名前として、そして最後になぜだか私に名づけられたの。私のファースト・ネームは Jennifer なんだけど、 Jennifer と呼ばれたことはないし、いつも Vashti だった。私の両親は素晴らしい人たちだった。ずっと昔に亡くなってしまったけど、もちろんいまも、いつも彼らのことを思っているわ。

interview with Takagi Masakatsu - ele-king


高木正勝
かがやき

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 高木正勝が久しぶりにリリースする「オリジナル・アルバム」は、今年もっとも心を揺さぶられた作品のひとつだった。であるにもかかわらず、筆者は彼が今作で録ったものが何であるのかをはっきりと言い表すことができない。

 2枚組となる『かがやき』のディスク2には、スタジオジブリを描いた映画『夢と狂気の王国』、NHKのドラマ『恐竜せんせい』のサントラが収録されている。そこでは『おおかみこどもの雨と雪』や数多くのCM音楽などますます充実する高木正勝の近年の仕事の一端を垣間見ることができるだろう。しかし筆者が驚くのは1枚めの、なかでも昨年引越したという山村で録られた作品群だ。

 ある山村でのフィールドレコーディング作品だと言えば説明としては間違っていない。だが高木は山へわざわざ出かけていって採音してきたわけではない。彼はそこに住んでレコーダーを回している。
 となると、音による生活環境の記録だと言うほうが正確だろうか。それも間違ってはいないだろう。しかし彼は録ったままの自然ばかりではなく、そこで演奏をし、そこに住む人びとに演奏もさせている。ばかりか、その依頼の模様の録音をそのまま収録してさえいる。
 それならば素人とともに作り上げた一種のリレーショナル・アートと言うのはどうか。これまた見当はずれではないと思う。しかしそのリレーションというのは、作品を離れてからもつづいていく、隣人たちとのあいだにつながれたものなのだ。

 高木が録音したものはつまり環境であり生活であり関係でもある。そしてそこに歴史と文化が加わることも、以下を読み進めていただくとよくわかるだろう。土地の歴史と独自の習俗が彼に及ぼした影響は、「天気にすべてが左右される」という厳しい自然環境からのそれと同等以上に大きいことがしのばれる。環境、生活、関係、歴史、文化……。これだけ挙げると、高木が録ったものは世界なのだと要約できるのかもしれない。本作中には、第5回アフリカ開発会議(TICAD V)の一環として依頼された、エチオピアでの滞在とそれをもとにした作品制作企画「うたがき」からもいくつか収録されているが、ここで言うのはそうしたものに表象される「世界」とはまた意味を異にする世界のことである。自分を真ん中に入れて成立しているさまざまなことがら。高木が『かがやき』において行っているのは、それをひとつひとつ確認するような営みであるように思われる。そしてそのなかに彼は“かみしゃま”を見つける──それがどんなものなのかは、本作を聴き本文を読んでみてもらいたい。

 間をあけてみたび現れる“かみしゃま”の、そのそれぞれに涙腺がゆるむだろう。サントラとちがってそれは「ヴァージョンちがい」ではなく、ひとつひとつが生きた解釈として響いてくる。そして、何の説明がなくとも、たとえこのインタヴューがなくとも、こうしたことはディスク1を聴いていけばすべて明白に語られている。難しいものではない。高木の美しいピアノと旋律はそれに聴き心地のよいフォームを与え、音響作家としての、あるいは映像作家としての優れた感覚が、それを上質で飽きることのないBGMのようにも仕立てている。うっかり聴きはじめて、いつしかそのなかに溶け入ってしまう。そして作家の経験を通してその世界をすっぽりと追体験してしまう。素晴らしい読書をしたあとのようだ。

高木正勝 / Takagi Masakatsu
1979年生まれ、京都出身。2013年より兵庫県在住。美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。『おおかみこどもの雨と雪』やスタジオジブリを描いた『夢と狂気の王国』の映画音楽をはじめ、コラボレーションも多数。

自分の音がエレクトロニカと呼ばれるのは、その頃エレクトロニカと呼ばれていた音を作っていた人たちに失礼なんじゃないかと思っていましたね。

高木さんのキャリアのスタート地点には──こう括られるのが本意ではないかもしれませんが、エレクトロニカのひとつのブームがあったと思います。フォークトロニカとかグリッチとかブレイクビーツとか含めて、ですね。フェネスとかピタとか池田亮司さんとかがいるもう片方で、高木さんの『コイーダ』(2004年)のジャケなんかが思い浮かびます。実際に高木さんのなかでは、そうしたシーンの一部であるような意識があったんでしょうか?

高木:最初の1、2枚くらいは、あったと思います。海外のレーベル(〈カーパーク〉や〈カラオケ・カーク〉など)から出していたのは、まだ「エレクトロニカ」っていう呼び方があったかなかったかという頃でした。タワーレコードとかでも「その他」っていう棚で──音響とかアヴァンギャルドとかの一角が「その他」という感じで、いまエレクトロニカと認識されているようなものは「実験音楽」というような呼ばれ方もしていたと思います。
 自分の音がエレクトロニカと呼ばれるのは、その頃エレクトロニカと呼ばれていた音を作っていた人たちに失礼なんじゃないかと思っていましたね。「素人音楽」というような名前があればいいのに、って(笑)。自分の仕事は、映像制作がメインだと思っていたので。

ジャンル全体としては、コンセプチュアルに手法とか実験性を詰めていくような流れがありましたよね。高木さんご自身はもっと感覚的に作られていたという感じでしょうか?

高木:そうですね、そういう人たちがやらないことをやろうとしていました。オヴァルとかフェネスとかが出てきたときは、とてもいい音なのに、なぜこの音を使って旋律を作らないんだろう? って。あとは、なんで楽器の音を上に乗せないんだろう、足さないんだろう、とか。たぶん、そういう隙間を見つけて、自分でもドキドキしながら作っていたと思います。ピアノの音を上に乗せてみたらどうだろう、とか、いまコンピュータで流したよくわからない音をピアノで弾いてみたらどうなるだろう、っていうふうにやっていたら、『コイーダ』の“GIRLS”みたいな曲ができたりして……。そういうのが「エレクトロニカ」だったのかもしれないですけどね(笑)。

まだいろいろと柔らかい部分があったかもしれません(笑)。そういういろんな取り組みのなかから「エレクトロニカ」っていうものの輪郭が立ち上がってきたのかも。

高木:いろいろと考えていましたよね、みんながみんな。

そうですよね。その「考える」ことをしなかったりメロディアスだったりすると、ちょっと厳しく見られたり……その意味では変なストイシズムもあったんじゃないかと思います。

高木:そうだと思いますね。

高木さんも、最初の頃はピアノが少なかったですよね。あるいは、モチーフの底に沈んでいたというか。

高木:はい、はい。

でもそういうものが、あるときからばーっと出てきたというか。生音とか声とかを積極的に使われたり、フィールド・レコーディングに寄っていったりっていう流れがあって、そのひとつの極点が今作『かがやき』のディスク1なんじゃないかと思うんです。

高木:案外変わってないかもしれないですね。むしろ、すごく濃密にその時期やっていたことを詰めると、今回みたいなことになるのかもしれません。演奏も入っているし、あの頃のフィールド・レコーディングだったり、映像的に作ったりしていたのを、いまちゃんとやるとこうなるっていう……。だから、10年前にこれができていたら確実に「エレクトロニカ」って呼ばれたんじゃないか(笑)。

ははは!

高木:電子音入っていなくても。

たしかに。でも、どの棚に置くかというのはレコ屋さんにとってますます悩ましい問題になっていると思います(笑)。

高木:今日、たまたま時間があったので、本当に久しぶりにCDショップに行ったんです。もう、何年ぶりという感じで。そしたらJポップ、Jインディというのはわかるんですが、「アニメ」ってジャンルができていて、アニメって何だろう!? って思って。

映像作品が置いてあるのかなと思われたわけですか?

高木:というか、どういうジャンルのことだろうと思って行ってみたら、ああー! ってなりました。アニメの音楽っていうのが、「ワールド」とかみたいに、こんなに大きな括りになってるんやって。「ワールド」のところに行ってみると、今度は「Kポップ」とか。

ははっ、浦島太郎みたいじゃないですか! アニメなんてチャートもすごいんですよ。

高木:そうなんですね。さらに田舎に引っ越してしまって……。大きな店もなくなってしまいましたから。

あ、そうですね、本当に久しぶりだったんですね。


去年引越をしたんですが、それこそ昔話が暮らしのなかに残っているようなところなんです。何か無理をしなくても、マイクを置いてピアノを弾いただけで、勝手にそういうものが入ってきちゃうんですよ。

さっき「フィールド・レコーディング」と言ってしまいましたが、とくに今回のアルバムで使われている録音(素材)に触れると、「フィールド・ワーク」というほうがしっくりくるような感じがするんです。なんというか、「環境音」として、コンセプチュアルに音楽に取り込んでしまうのではなくて、実際にそこに入っていってありかたそのものと関わるというか。

高木:ああ、あると思います。

何かの折に柳宗悦さんについても言及されていたかと思うのですが、たとえば民芸だったり民俗学みたいなモチヴェーションが、創作の深い根元にあったりするんでしょうか?

高木:ずっと興味がありました。でも、日本でそれをどうやったらいいかわからなくて、海外の、昔話の生きているような生活がある土地をねらって撮影に行ったり。新興住宅地で生まれ育ったので憧れもあって、実際に見たり聞いたりしたいなと。
 でも、去年引越をしたんですが、それこそ柳田國男さんなんかが追われていたような昔話が暮らしのなかに残っているところなんです。だから、何か無理をしなくても、マイクを置いてピアノを弾いただけで、勝手にそういうものが入ってきちゃうんですよね。

ああ、すごくそんな感じです。

高木:たとえば誰かおばあちゃんの声で歌ってほしいなって思ったら、まず誰かに探してもらって、決まったら挨拶にいって、っていう手順を踏むことになると思うんです。でもそうじゃなくって、1年つきあってきたおばあちゃんに「曲あるけど、ちょっと助けて! 歌って!」って声をかけて、「んー」って……「譜があるんやったらいいけど、こんないきなりは無理やわ!」ってやりとりをして(笑)。

ははは!

高木:住んでなければそうやって歌ってもらうって発想もないんですけどね。でも「いやー、歌ってよ!」って家によんだり、縁側で録ったりして。

なるほどー。それがアルバムの頭からしばらくつづくパートでしょうか。

高木:ちょこちょこ入れてますね。以前だったら、たとえばいろんな音を使いたいっていうような──音を素材として考えて、レゴブロックみたいに組み立てたいというようなところもあったと思うんです。でも、今回はそんなふうに考えなくても、窓を開けたらカエルがわんさか鳴いているし、車の光にも集まってきてぴょんぴょん跳ねてるし、鳥もすごくいて、ピアノを弾いていたら寄ってきたりするし、いろんな音が録れてしまう。そういうのが毎日のことなんです。そんな風景をなんとか残せたらいいのにな思うと、自然にフィールド・レコーディングみたいな発想になっていきますね。
 でも、いわゆるフィールド・レコーディングというか、なんというんでしょうかわざわざ山に出かけたりして──

わかります、「山へいって素材を採ってきました」という感じともちがうと。

高木:そう、そういう感じじゃないんですね。自分の住んでいる家の音、村の音をなんとか聴けるかたちまで整える。整えるっていうか、音として届けようとするとこのかたちにしかならなかったというか……(笑)。

いえ、すごくよくわかります。あのおばあちゃんの歌は、練習していないんですか?

高木:いえ、いちおう練習はしてくれたんですけど、CDに使えたのは最初に遊びでやっているところですね。そのあと練習したいというので譜面も渡したんですけど、後日「練習したけど、(録音は)まだかい?」って言われたときには、「いやー、じつはもう終わってて」って(笑)。

ははははっ。

高木:「いや、練習してるがなー」っていうから、「じゃ、録ってみるかー?」って録ってみたら、ぜんぜん歌えてない。むしろ悪くなっている(笑)。

ピアノの音に頼ってつられようとしている感じ、音程に迷いが生まれている感じとか、リアルにわかりました(笑)。

高木:新しいメロディになりすぎたりして。

はははっ。

高木:あかん、好き勝手やりすぎや、って。……僕が欲しかったのは、普段の素敵な、おばあちゃんのしゃべっている延長の声なんです。でも練習したり録音したりってなると、すごく何かの型にはまってしまうんですよね。おばあちゃんたちのなかの録音のイメージ、たとえば氷川きよしだったりとか、演歌の人、テレビの人の歌い方に近づいていってしまうんです。そうじゃない、そうじゃない、まんまでいい。

ああ、むしろ「まんま」ってコンセプトを伝えることのほうが難しい、みたいな。

高木:そう、難しいんです。だから何も説明せずに録っとくしかないですね。

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いまはカメラを向ける側ではなくて、カメラを向けられた側にいるというか。そっち側にいる自分を撮りたいやと思うようになったんです。


高木正勝
かがやき

felicity

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“かみしゃま”の朗読とかも、ぶつっと切って使われてますね。ぶつっと入れて、ぶつっと切って。あの使い方もすごくはっとするものがありました。

高木:ははは。

たぶんそのようにしか入れられないんですね。

高木:入れられないですね。

だから、ある意味では実験性も高いと思うんですが、一方ですごく聴きやすいものでもあると思います。イージーなんじゃなくて音楽至上主義的じゃないというか、あくまで人と人の間にあるものとして発想されているというか。

高木:たぶん、ちゃんとした録音で、間違いのないものを録ろうっていうふうに、はなから思っていないところがありますね。あるときからライヴ・アルバムを作るようになって、こんないわゆる「オリジナル・アルバム」って感じのものを作るのは久しぶりなんですよ。

ああ、そうですね。

高木:前回はそういう意味でのアルバムというよりも、コンピレーションという感じだったし、ほとんどが仕事の曲でもあったんです。今回もそのつもりだったんですが、なにかうまくハマらなくって……。それで新しく録り出したりしました。だから、「アルバム」っていう感じで作ったものは2006年くらいが最後で。すっごく久しぶりだから、ドキドキしたんですよ。

オリジナル・アルバムとしての緊張感がすごくあります。

高木:おばあちゃんの曲とか作るじゃないですか。映画の音楽とかCMの音楽だったら、誰かが、「そこまで」とか「これでいいです」って、締切やOKの合図をくれるんですよね。でもこのアルバムは、曲を入れるか入れないかということを含めて自分で判断しなくちゃいけない。レーベルの人に反対されるじゃなし、さて、このおばあちゃんのを入れるべきかどうかって、すべて自分で決めなくちゃいけないんです。だから毎晩のように、「これ……。録ったはいいけど、どうしようかなー……」って悩んで(笑)。

ははは!

高木:誰が聴きたいのかな、これ、って。久しぶりにそんなことを思いました。

なるほどー。でも、たとえば『Tai Rei Tei Rio』だって、エチオピアに行こうという企画先行の作品にせよ、暮らしとか人と人のなかに入っていこうという作品だと思うんです。そういう原型はすでに少しずつかたちづくられていたのかなとも感じます。

高木:今回は2枚めがいわゆるサウンドトラック集になるんですが、やっぱり、サントラとしてじゃなければ作っていないだろうなという曲が多いんですね。同じ曲の編曲ヴァージョンあったりとか、展開の仕方だったりとか、こういう曲を、なんにもないのにわざわざ自分で作ったりはしないだろうなと。1枚めを聴くととくにそう思います。

はい、まさにわたしもそう思って──今日おうかがいするのはディスク1についてだと思って来ました。それこそ『ミクロコスモス』(『Mikrokozmosz 2003-2007』、2012年)の冒頭の曲(“Private/Public”)とかは、まだ「素材」という感じのフィールド・レコーディングのフォームだったと思うんです。

高木:あ、そうですね。というか、たぶんいまとはすごく大きくちがっていると思います。エチオピアでやった『Utagaki』(2013年)とかに入っている音にしてもそうなんですが、それらはたしかに自分が体験したことではあるんですけど、相手が何をしゃべっているかもわからないし、音としてしか聞いていないようなところがあるんです。それに、どうしてもカメラを向けている感じがあって、自分はその中にいるけど、本当の意味ではその中に入っていないんですね。ただ「見ている」という感じ。うらやましいなと思って見ているんだけなんです。Facebookで「いいね!」って押している感じというか……。

はい、はい。

高木:それが、いまは見ていた側ではなくて、カメラを向けられた側にいるというか。そっち側にいる自分を撮りたいやと思うようになったんです。だから、「いいね!」って思っていた環境に近いところが見つかったから、そこに引っ越してしまいました。今回のアルバムの1枚めっていうのは、もう、そういうことでしかないですね。

すごくよくわかります。

高木:引っ越してからは、自分のまわりに起こることがおもしろいから、それだけでいいんです。誰かが録ってくれればいいんだけど、録ってくれないからつねに録音機を持ち歩いていました。だから、旅行をしながら撮っていたようなものとはぜんぜん目線がちがいますね。この1年2年の暮らしぶりというか、写真のアルバムみたいな感じです。

まさにそこに感動するアルバムだと思います。でも、ここであえて反対側からも考えてみると、わたしの耳には、おばあちゃんの発語もポリネシア語もある意味で同列だったりするんですね(笑)。何を言っているかよくわからなかったりしますし。でも音としてはっきりと何かを訴えかけてくる。そういう「音」っていうレベルから言えば、『Tai Rei Tei Rio』とかもふくめて、高木さんの仕事のなかで溶け合うものでもあると思います。
 発話、発語、何かが音といっしょに生まれてくる瞬間、そういうものがぐわっと取り出されていますよね。

高木:たぶん、僕はそこしか見ていないと思います。たとえばコンサートでも、ずっと練習してきた曲で少し整わない部分があっても、うまくいかなかったというのではなくて、間違いがきっかけでものすごい境地にいけたりします。何かがポンと出てくる瞬間がすべてなんです。


「山で何がおもしろい?」ってまわりの人に訊いたら、とにかく春だと言われて。

高木:1曲め(“うるて”)でしゃべっているのは97歳のおばあちゃんなんですけど、よく柿を採ろうとして曲がった腰のまま手を伸ばしてたりするんです。それがもう、最高の褒め言葉のつもりなんですけど、猿にしか見えない。「シヅさーん」って呼びかけてビクッて振り返る感じも本当に……「猿だ」って(笑)。

ははは!

高木:でも、自分もだんだんそっち側になっているというか、同化していっているところがあります。まだ引っ越して一年ですけど、いろんなことがありました。山のなかではじめて冬を越して、春を味わったんです。「山で何がおもしろい?」ってまわりの人に訊いたら、とにかく春だと言われて。

ああ、春。

高木:そうなんです。「何があっても春だけは体験していって」って言われました。冬は雪も降ってすごく厳しくて、村じゅうが鬱になっていって。

村じゅうが!

高木:はい(笑)。家の中でも、はじめて妻と喧嘩になって……閉ざされた空間で、寒いし動けないし、世界にポツリっていう気分になってくるんです。もう、厳しいなあって。

へえー。

高木:その後くる春の感じが──。もう、日に日にという感じで、あ、芽が出てきた、双葉が出てきたっていうところからはっきりわかるんです。ひとつひとつの変化がうれしくて。鳥がいなかったのに来はじめる瞬間とか、虫がいなかったのに、今日、いま、まさに卵から孵って出てきたんだなっていうようなこととかに全部気づくんですよ。いままで見えてなかったものが一気に見えはじめるんですね。

ああ……。

高木:桜の枝とか花が咲く前に赤くなるって知ってました?

いえ? それはなんというか、オーラとか、比喩的な意味とかではなく?

高木:ええ、見たままというか。おばあちゃんが「枝が赤くなってきたから、花ももうすぐやわー」とかって言うから見てみると、「あ、ほんまや」って。

へえー! それは知らなかったですけど、たしかに、花が赤いからにはその色素がどこかからきているわけですからね。

高木:そうです。昔は、咲く前の枝を切って布を染めるというのが最高の贅沢だったと言ってました。枝から出てくるんですね、色が。それは東京でもどこでも同じはずなんですけど、見えてなかった。いまはすごく解像度が上がったというか。味覚だってそうなんです。野菜なんかもいままではスーパーでしか買ってなかったけど、それはけっこういろいろ壊れたあとのものなんですよね。消毒もされているし。でも自分で育てたものとか、おばあちゃんからもらったものとかだと、採ってそのまま食べますし、少なくともその日のうちに料理して食べてしまうから、ぜんぜん味がちがうんですよ。いままで味わっていたその味覚の幅がすごく広がって、こんな味があるんやってことがわかってきて、おもしろいですよ。

その「解像度が上がる」っていう感覚が、今回の音においては単にプロダクションをクリアにしていくっていうのとは違う方向に出ている気がします。ロウというかなんというか──

高木:うん、そうかもしれませんね。でも本当はクリアに全部録れているならそれでいいのかもしれないです。やり方が……わからないだけで(笑)。たとえば、ホーミーとかがわかりやすいんですけど、声にもたくさんの倍音が含まれているんですよね(※1)。それを感じるか感じないかというのは、生活を大きく違うものにすることだと思います。気にしなくてもいいことではあるんですが。

※1 ひとしきり担当のHさんとホーミー講座を受け、i音で倍音を感じました

なるほど。

高木:気にしはじめると止まらなくなることなんですよね。たとえばピアノを弾くときも、「ド」しか感じない弾き方というのもあるんですけど、その一音に「ドソドミソシ♭ドレミ……」とたくさんの音が重なって鳴っていることにきちんと意識を向ける。奏でた音の響きに耳を澄ませて、それから次の音を鳴らすという弾き方に変わっていくと、同じ楽器といってもまったくちがったものになっていくんです。

ありがとうございます、感覚の感覚はわかった気がします。ちょっとずれちゃうかもしれませんけど、“かみしゃま”って、歌とピアノを同時に録ったものですか?

高木:別ですね。

そうですよね。ピアノが後ですか?

高木:後ですね。

あ、ですよね。なんか、普通はピアノ伴奏に合わせて歌をうたうものですけど(笑)、あの曲は歌にピアノを合わせにいっている──寄り添わせていっているというか。

高木:ははは!

そこに感動がありました。それが、さっき言っていた「音楽至上主義じゃない」っていうことなんですよ。音楽に人を合わせるんじゃなくて、人に音楽を合わせる。

高木:僕はそればっかりしかやってないかもしれない(笑)。

ははは。いえ、その感じがいちばんラディカルに出ているのが、この『かがやき』の1枚めなんじゃないかって言いたかったんです。

高木:ああ、2枚めはそれが映像相手ということになるかもしれないですね。

悪い意味ではなく、きちんとした製品にもなっているんだと思います。その意味では対極的な2枚組ともいえますよね。


餅を食べて、なにか「入った」っていう感じがしました。山を食べたような気もしましたし、なんだろう……生殖にかかわる何かだという感じもしました。

高木:ねえ。1枚めは村に引っ越していなかったらなかったものです。まあでも毎日気にしないといけないものが変わったり、どこでどんな風に暮らしているかは大きいです。雨が降ってきても前の家では大して気にしなかったですけど、山では降ってくるだろうなってことが目にも見えるし、肌にも感じるし。数時間後にくるから洗濯物しまおう、とか、古い家だから通気しないとすぐカビるんですが、あ、閉めたほうがいいかな、とか。

感覚がフルに働きはじめるというか。

高木:うん、そうですね。聞いたことのない音がきこえるなって思うと、何かがいたりもします。妻なんかはすごく聞こえるんですね。ごはんを食べていて「なんか音する」って。僕はぜんぜん聞こえないんですけど、「なんかいつもしいひん音がする」って言うんですよ。それで「こっちや」って見にいったらムカデがいたんです。

ええー! ムカデの音ですか?

高木:そう、「カサカサっていうとったよ」って。僕も「ええー!」って思いました。で、危ないから取って。
 それから、離れにスタジオがあるんですけど、夜、真っ暗な中でそこに行こうとしたときに、何かいるって思ったんですね。何かいつも嗅がないにおいがする、って。

はい。

高木:これはマムシだなと思いました。そしたら、マムシで。

ええー!

高木:やっぱりいたなって。

ええー! って、さっきから「ええー」しか言ってないんですけど(笑)、誰でも住めばそうなれるものですかね?

高木:うーん、はじめはこわいですけどね。でも、自分でもなんでわかったんだろう? って思いましたよ。マムシはつがいで出るって聞いていたんですが、やっぱりそうで、一回家に戻って出たら、におうんですね、もう一匹おりました。

ははは! 今作は、マムシのにおいがわかるようになった高木さんのフィーレコなわけですね。

高木:そりゃ、変わりますよね。

うーん、なるほど。その感じは「かみしゃま」ってものにも結びついていくんじゃないかと思うんですよね。実際、「神様」のイメージは高木さんのなかでどういうものなんですか?

高木:その歌詞どおりで。自分だけじゃなくて、村の人もみんな感じているところを拾おうと思いました。狙ったわけじゃないんですけどね。たとえば、村にいろんなお祭りがあるんです。ひとつひとつはちっちゃいものなんですが、そのひとつに「やまのかみさま」っていうのがあって。

お祭り名が「やまのかみさま」なんですか?

高木:そうなんです。「今日、やまのかみさまやし」って言われて。

ははっ! なに言ってるのかわかんないですね。

高木:はい、「なんやそれ?」って。それで、「男だけやから」って言われて、前の日にお餅をついて、それを藁でできた包みの中に入れるんです。楕円形のような……子宮みたいな感じですね。そこに卵なのか精子なのか、本当に真っ白な餅を入れるんです。女の人はさわってはいけなくて、男だけでやるんですね。

へえ。

高木:それを持って朝早くに山の中に行くんですけど、時間通りに行ったら誰もいなくて(笑)。約束したやん。みんなどこよ? って(笑)。

ははは。

高木:探しながらもっと山に入っていったら、みんな焚き火をしていました。その餅をくべて、焼いて食べるんです。「山とセックスしてるみたい」「山から産まれてきたみたい」って思いました。そういう、山が女で男で……っていうような民俗学みたいなものは、情報としては知っていましたけど、素直にそう思いました。餅を食べて、なにか「入った」っていう感じがしました。

ああ、命か、魂みたいなものか。

高木:山を食べたような気もしましたし、なんだろう……生殖にかかわる何かだという感じもしました。

ええ、なるほど。

高木:お祭りって全部そういうものだと思うんですけど、その感じをみんななんとなくわかってやっているという感じですね。おじいちゃんから子どもまで。で、「いいねー」って食べて、「じゃ帰ろかー」って(笑)。

ははは! ささやか。

高木:なにか、そういうものが生きているんですよね。歌ってくれているおばあちゃんなんかも、お地蔵さんの前を通るときに「あっ」ってやるんです。


こういう毎日なので、暮らしの中でいろいろ発見できる。それを素直に歌詞に書いていくと、神様ひとつとっても、あまり宗教的にならずに、借り物じゃない言葉で表現できたんですね。

どういうことですか?

高木:軽く身を引くというか、お辞儀するというか。神社とかでもお社の何かに触れると「あっ」ってやっていて。診療所に行きたいっていうから車で送ったんですけど、お地蔵さんの前を通るときに、やっぱり「あっ」って言うんですよ。「ん? いまなんか言ったぞ」って思って(笑)。

なんなんですか(笑)。

高木:次の、隣の町の神社のところでもまた、「あっ。今日は若いもんに乗せてもらってます。あっ」みたいな。報告するんですよ。

(一同笑)

高木:それが僕らにも伝染ってきて、東京に来るときも「あっ。東京行ってきます」って(笑)。

ははっ。それが「あ」であることが不思議ですけどね(笑)。お参りのときに出る声みたいな息みたいな。

高木:それをなんて言ったらいいんだろうって……。「神様」っていうとなにか──

なるほど。まして「ゴッド」じゃないですし。

高木:そう。なんか、「かみしゃま」ってふうにはぐらかしたかったし、見近な感じにもしたかったし。それが“かみしゃま”ですけれど、でもそのうたを紙にして持っていって、おばあちゃんに読んでもらうと、「かみさま」って言うんです。

え?

高木:「かみしゃま」を「かみさま」って読む。そこはちゃんとしたいんです。

そこは(笑)。

高木:そこは「かみさま」なんやーって思って。

ははは。すみません、確認なんですが、この詩は村の伝承とかから採ったものなんですか?

高木:いえ、これは僕が作ったものですね。だから「かみしゃま」をかみさまって読むのもわからなくはないんですけど、でも歌のときは「かみしゃま」って歌うんですよ。歌のときはかみしゃまで違和感ないの? ってきくと、「これはかみしゃまでわかるよ」って。

へええ……。

高木:あ、そんなに難しい話じゃないんだなって思いました。引っ越す前はこんな詩はいまの半分も書けなかったかもしれません。たとえば、「みずはくもにあめにゆきにちになり」っていう歌詞が出てくるんですけれども、それも引っ越したあとの暮らしの中で気づいたことなんです。とにかく天気を気にすることから出てきた言葉というか……天気のせいでいろんな事件が起こるので(笑)。
 太陽自体は変わらないんですけど、雲が遮るとくもりになって、それが降り出すと雨になるじゃないですか。以前はそれだけだったんですけど、いまは目の前で雲ができあがっていくのが見えるので、「ああ、雲って水か」って実感できるんですよ。そうすると、天気って全部水のことやん、って思って。家の横の川も、それが何かでせき止められると土砂崩れが起きたり家の中がかびたりするので、つねに流れているようにしなくちゃいけないんですね。それで溝を掘ったりする。そういう水の循環の真ん中に自分たちが立っているという、こういう毎日なので、暮らしの中でいろいろ発見できる。それを素直に歌詞に書いていくと、神様ひとつとっても、あまり宗教的にならずに、借り物じゃない言葉で表現できたんですね。
 僕は、日本語で歌詞を書きたかったんです。それがずーっとできなくて、でも引越しをしてそれがようやくできるようになりました。毎日起こったことを普通に書いていくだけでいいので……。

なるほど。そういう「かみしゃま」については、わたしも知識としては「アニミズム」なる言葉に結びつくようなかたちで知っていたりするわけなんですが。高木さんはもっと皮膚で感じるような具体性とともに理解されたってことなんですね。

高木:そういう言い方でわかる人ならいいんですが、おじいちゃんとかおばあちゃんとかだと、どういうふうに言うのか……というところですよね。

そうですよね。かといって「これはアニミズムをテーマにしたアルバムなんです」というのもちょっとちがいますしね。そんな言い方のレベルの解像度ではとらえきれないような、すごい情報量のつまったアルバムだと思います。
 いまの歌詞の部分はわたしも訊きたかったところなんですが、「くもにあめにゆきに」はわかるんですが、「ちに」なるというところはちょっと驚きがありました。「ちに」なるんですね……「地」か「血」かわからないですけども。

高木:そうそう、「血」のことですね。でもたぶん「地」のことでもあります。前のアルバム(『おむすひ』)で絵本を付けたときに、ひとつひとつの言葉について知らないと、言葉を扱えないなと思ったんです。前から言葉には興味があって。日本語がおもしろいのは、「あ」とか「い」とか、ひとつひとつの音にすごくイメージや意味があって、「葉(は)」だって「歯(は)」だって、あとは「はな」だって同じ「は」という音を持っていますけど、音しかない時代にそういう言葉ができたとすると、どれも何らかのイメージは共有していたんじゃないか──たとえば「刃(は)」と「歯(は)」は同じ鋭利なものというところは共通していますよね。そうなると、「あいうえお」ひとつひとつを知らないと、こわくて使えないなっていう気持ちになるんです。

なるほど。

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何かこの先があるだろうという予感だけはあって。思い返すと、そのときのひとつの限界にはきていたと思うんですね。新興住宅地に住んでいることの限界。


高木正勝
かがやき

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高木:「ち」の話に戻ると、ようやく「ち」って使っていいって気持ちになったんだと思います。急にというよりも、たぶん何年もかけて。

中西進さんとかを引用してお話されていたことがありましたよね。万葉というか、現行の日本語につながるものの前、言葉以前のものに近いところに戻っていくような感覚なんだなって思いました。

高木:そうですね。そういう言葉遊びができるのがおもしろいです。「やみのおくとひかるおくのまじわり」っていうときに、音だけだと「奥」なのか「億」なのかわからないですよね。それぞれでイメージも変わります。さらに、「ひかるおく」の「おく」が「億」だとすると、億と億が交わるってすごいイメージになるじゃないですか。僕はそっちのイメージで書きました。

なるほど、たしかに。

高木:でも、説明しなければ、多くの人は「闇の奥」と「光の奥」のさらなる光の交わりを想像するだろうなと思いました。それが「闇の億と光る億の交わり」になると、夜は夜ですごい闇がいっぱいあって、朝になってくると光がつぶつぶにたくさんあって、それが毎日毎日交わっているのが「かみしゃま」っていう感覚なんだよって……。

ああ!

高木:おばあちゃんとかはなんにも説明しなくてもわかってくれていて、ちゃんと「やみのおくとひかりのおくとまじわる」って読むんですよ。「まじわり」って書いたのに、なんで「まじわる」って読むんだろうって思って……すごくぞっとしたんですね。なにかいますごいことが起こったって(笑)。そういうことはどこまで聴いている人に伝わるかわからないんですが。

そういうものの原アイディアみたいなものは、すでに“Nijiko”とかに端的に表れているとも思うんですが、でもその発想が本当に音の世界で肉を得たのが今作という感じがします。つながってますよね。

高木:よかった。だから『おむすひ』を作ったときに、すごく気に入っいて、「これの次を作るのやだな」ってずっと思っていたんです。でも、何かこの先があるだろうという予感だけはあって。思い返すと、そのときのひとつの限界にはきていたと思うんですね。新興住宅地に住んでいることの限界。この次はなにか本当に体験しないと、さっきのホーミーみたいに、すでに存在しているものに気づきもできないということになると思った。それで、もう引っ越さなきゃって思ったんです。

なるほど。

高木:村だと80代から上の人がほとんどで、その下はもう僕らって感じになるんですね。もう、上の人たちにはぜんぜんちがう文化があって、断絶がめちゃくちゃ大きいんです。憧れるものとか大切にしているものがぜんぜんちがうし、見ているものもそう。お祭りなんかでも、口に出したりするわけじゃないですけど、いわゆるアニミズムみたいなものを本当に大切にしているんです。性的なものとか愛情のようなものも含めて。でも、そのひとつ下の世代はそこまで思っていない。おじいさんたちほどに自然と一体化していないというか。お祭りなんかでも、下の世代が中心になると、かたちは真似ることができるけど、核心はそこまで引き継げていない感じがしました。だから、兵庫県の山の中のお祭りなのに、平気で北海道の踊りを踊れたりします(笑)。

ははは、それは各地でありそうですね。えっと……

高木:「ソーラン節」ですね。だけど、おじいちゃんおばあちゃんはあんまりそこに入ってこないですね。そういうことは住まないとわからなかったです。「ああ、この人しいひんねや。なんでや」って思ったことが、いまはわかります。いろいろ気づいていくんですけど、でももう長くて20年くらいしか、その人たちから学べる時間が現実としてなくなってきているんですよね。


それまでは外の世界を憧れをもって見ていたんですけれど、自分が住んでいる郊外の感じを肯定したい……映画『おおかみこどもの雨と雪』のサントラが仕上がったとき、ニュータウンに響く音楽がつくれたと思いました。同時に、できることをやりつくしたという想いもありました。

ああ、そうですよね。……ちょっと品のない質問かもしれないんですけど、引越しされたのは、創作のモチヴェーションに一種の危機を感じたからなんですか? それとも、たとえば震災以降に地方に越される方も多かったですが、そういうようなことが関係していたりもするんでしょうか?

高木:どうなんでしょうね。でも、震災がなかったら、もしかしたらもう少し違う意識で移っていたかもしれないですね。

じゃあ、いまのところは「見つかったから」引っ越したという感じなんですか。

高木:たまたま行ったらそうだったから、もうここに住んどこうと思って、けっこうすぐ決めました。どこかに引っ越したいとは思っていたんですけど、不動産屋さんのサイトの情報でいまの家を見つけて、いい感じだったから冷やかしついでに見に行こうと思って、そしたらすごくおもしろそうだったので……。でもいまは1年経ちましたけど、最初は寝るのもドキドキしましたよ。囲炉裏で火をおこしたりというのも、テレビでは見て知っていても、「え、ほんとに家の中で火を燃やしていいの?」って。誰も責任を取ってくれる人はいないですしね。

いわゆる郊外というところが原風景というか、お育ちになった環境なんですか?

高木:そうですね、ニュータウンです。最近まで住んでいたところも「~ヶ丘」というようなところ。山をきりひらいてできたような場所で、文化がないんですよね。歴史もありようがない。ニュータウンですから。

育った場所としての郊外への愛着はありますか?

高木:それはありますね。映画『おおかみこどもの雨と雪』のサントラをやらせていただいたんですが、あの作品の舞台と少し似ていて。後半は田舎に引っ越しはするんですけど、僕が知っている感じのニュータウンが前半の舞台で。その郊外の住宅街の雰囲気が、震災の影響もあってとても愛おしく思えたんですね。それまでは外の世界を憧れをもって見ていたんですけれど、自分が住んでいる郊外の感じを肯定したい……『おおかみこども』が仕上ったとき、ニュータウンに響く音楽がつくれたと思いました。同時に、できることをやりつくしたという想いもありました。この暮らし方で、僕から出てくるメロディとしてはもうこれで限界かもしれないというところまでいって。
 あの土地でつくった曲は大切ですね。あるときぽっと出てきた“GIRLS”みたいな曲とか『おおかみこども~』のお母さんの曲とか、やっぱり人生のいろいろが全部入ってます。毎年毎年繰り返し弾いて育てていきたいなと思います。ちゃんと歌いなおすというか。そのほうがきちんと次にいけるって思うし。

歌って、そもそもそういうものかもしれないですよね。

高木:そうそう、そんなに数はいらないですよね。

はい。継承されていくものでもあるだろうし、メロディというか節だけを頭にインストールさせとくものでもあるというか。

高木:子どものころに聴いたポップ・ソングとかだったとしても、ずっと頭の中で育っていて、あらためていつかラジオなんかで聴いたときに、何かちがうもののように響いたりする──あえて聴かなかったり歌わなかったりするほうが育つということもあると思うんです。

よくわかります。あの、高木さんが先導して一節を歌って、それをたくさんの人たちが追いかけて歌うかたちの録音が入っていますよね(“あげは – 合唱”)? あれはどういうときのものなんですか?


子どものころに聴いたポップ・ソングとかだったとしても、ずっと頭の中で育っていて、あらためていつかラジオなんかで聴いたときに、何かちがうもののように響いたりする──あえて聴かなかったり歌わなかったりするほうが育つということもあると思うんです。

高木:あれは、台湾の台北でオーケストラといっしょに演奏会をやったときのもので、まとめるのがけっこう大変だったものですね。文化も言葉もちがえば、時間もなく。それで、一通りやっと終わったというアンコールでの模様なんです。せっかくこんなに音楽を奏でられる人たちがいるんだから、ちょっと自由にやりたいなって……お客さんに「僕がまず歌うので、山びこみたいに同じ旋律を歌い返してください」って声をかけて。みんな一回歌うたびにくすくすって笑いながら──

そう、ちょっと戸惑うような空気感もそのまま録られていましたね。

高木:そうですね。だから最初はうまくいかなくて、なにかふにゃふにゃとなってしまう。次にやってもそう。でも、ちょっとうまくなってきたときに、急に空気を変えたんです。本気でいきますよ、あそびじゃないですよっていう感じで雰囲気を切りかえたら、お客さんも急に声が変わってきて、すごく声の立つ人が出てきたりして。

ああ、そうですよね! プロみたいな発声の人が何人かいらっしゃるみたいに聴こえました。

高木:そう、オーケストラもそこまでは様子を見てる感じだったのが、急に演奏しだして、最後の最後にばちっと合う瞬間があったんです。たった数分でここまでたどりつくんやっていうような感動をみんな味わっていて、結局その日の感想はみんな、「あれが楽しかった」っていうのばっかりでした(笑)。

ははは! すごいですね。ライヴならともかく、演奏会ってなかなか煽られても声を出せないですよ。そのお話に鳥肌が立ちますね。あれは、ホール……いや、体育館みたいな音響ですよね?

高木:あ、体育館みたいなところですね。

なるほど、でもハコに集まってきた人たち……音楽好きな人たちではあるわけで、それに対して今回録っているのは村、庭先、そのつもりのない人たちじゃないですか。その両者、あるいはエチオピアだったりっていうものの差までが、今回はひとつに統合されるという印象も受けます。

高木:ね。だから細かいところでいえば、場所もちがったり、音の処理なんかもちがうし、違和感のある人はあるかもしれませんけど、音を使って何をやるかという点では全部同じなんです。たとえば、ピアノを弾いて、鳥がなくのを待って、それを聞いてからまた弾こうかなと思うと、思ったとおり「ほーほけきょ」ってなくんですよ。後から編集しようと思えばできることですけど、現実にちゃんとそうなるので、こっちは音を鳴らすだけでいいんです。ぜんぶその耳で聴いてもらえれば……。“せみよび”っていう曲があるんですけど、あれも合成じゃなくて、やっていたら蝉が自然に歌ってきたっていう感じです。

ああ、そうなんですね。

高木:なにか、「これが答えです」っていうようなつもりはないんです。読書とかもそうなんですけど、好きな読書体験って、いかに勘違いできるかということだったりして。

一同:ああー。

高木:数ページ進んでしまってから「ああっ!」って。読みながら空想してしまっていて、ああ、いますごくいいことを空想していたけど、読めてない! っていう感じになって、ちょっと戻ってもう一回読むんです。それで、その本の内容がすごくおもしろかったという話を他の人にしたりするんですけど、後で読んでみたらぜんぜんそんなこと書いてないんです(笑)。

はははは! そこまではないですけどね。

高木:だから、たぶん空想の誘発剤になるところが好きなんです。


今回ほどハンディなレコーダーに頼った録音はいままでになかったと思います。それに耐えられるだけの機材が出てきましたよね。

世の中がデジタルに移行していったことで、ようやく何か作れるようになった世代ですから。そういうタイミングでなければ、別の仕事をしていたかもしれません。

なるほどー。初期から一貫している部分も変化のように見える部分もあるわけですが、環境については今回大きな動きがあったということをすごくたくさんおうかがいできました。録音の仕方や方法については、これから変化していくことはありますかね?

高木:そうですね……。今回ほどハンディなレコーダーに頼った録音はいままでになかったと思います。それに耐えられるだけの機材が出てきましたよね。それに、カメラの性能が上がったのといっしょで、わざわざ後からInstagramみたいなものを用いなくても、iPhoneなんかでさえすごく見たままのものを撮ることができる。カメラで撮った場合についてしまう脚色が極力なくなっている……みんなそれがいやでInstagramとかを使うのかもしれないですけどね。

ああ、そうですよね。

高木:だからいいことか悪いことかはわからないですけど、僕はけっこう見たままのものがいいと思うので、その意味ではけっこう頼れるものが出てきているなと思います。昔にくらべて、いま聴いたままのものが録れるようになっている。
 あとは……やりたいことの理想はあるんですけどね。つねにぱっと録りたいし、事を起こしたいです。引っ越したし、いろんなことをやれる空間もありますし。いままではひとりひとり会いにいって録音したりしていましたけど、これからはばっと家に集まって録ることができるなあということはありますね。ひとりでずっと作っているのに飽きてきて。だから合宿みたいにやれたらいいなって。まあ、他のミュージシャンの人たちがふつうにやっていることではありますけれども(笑)。

そうですけど、それもおもしろそうですね。

高木:自分にとっては新鮮で。泊りがけでずっと何かをやるとかっていうことが、これまであんまりないんですよ。そのほかには、次に映画音楽を頼まれていますね。それはピアノを使っちゃいけないというしばりがあって……じゃ、何やるんだっていう(笑)。

(一同笑)

ははは! でも、お住まいがすごい田舎になっているけど、テクノロジーを嫌わない感覚って高木さんの音楽にとってもけっこう本質的なことのような気がします。エレクトロニカという出自も併せて。

高木:コンピュータが安くなったり、デジカメが出てきたり、インターネットを使うようになったり、世の中がデジタルに移行していったことで、ようやく何か作れるようになった世代ですから。そういうタイミングでなければ、別の仕事をしていたかもしれません。たしかにあの頃は新しく出てくる機材やソフトやアイデアがいちいちおもしろかったですが、だんだん何でも簡易に大雑把になっていく傾向があって物足りなくなっていったんですね。
 僕自身は、その頃からきちんと根本的なことを学びたいとか、時間が掛かってもいいから自分の身体で何かしたいという風に変わっていきました。

世の中もひと回りして、音質や画質がぐんといいのが当たり前になって、だからこそ何を記録するのか、何を残したいのか、核心部分にきちんと取り掛かれるようになってきたと思ってます。

高木:そうこうしている間に、世の中もひと回りして、音質や画質がぐんといいのが当たり前になって、だからこそ何を記録するのか、何を残したいのか、核心部分にきちんと取り掛かれるようになってきたと思ってます。僕としてはいい流れというか、演奏できる身体になってきたなと思ったら、ぽんと気楽に置いておくだけでいい音で録音できる機械がでてきて。村での録音も、ひと昔前だったらここまで簡単に鮮明にはできませんでしたから。いいところに落ち着いたなと思ってます。僕と同じように、「こんなにきちんと残せるならこれを残したい」っていう人はこれからきっと他にもたくさん出てくると思いますよ。

死の黒は春の黒へ - ele-king

 現〈アンチコン〉を代表するビートメイカー、バスが、今年発表したEP『オーシャン・デス』でみせた意外な展開──ダークでミニマルなテクノ──は、音楽のモードばかりでなくもうひとつの“モード”にも接続した。〈ディオール・オム〉2015年春のビデオ・ルックブックのサウンドに、そのタイトル・トラックである“オーシャン・デス”が起用されたのだ。
 デイデラスの寵愛を受けるLAビート・シーンの鬼っ子、といった説明はすでに過去のものになっているが、当時もいまも、「どこか」のジャンルに繰り入れられることなく、アーティに、かつポップに、そしてオリジナルなフォームのもとに独自の世界をひらいてきたバスが、ファッションとの交差においてするどい緊張感をはらみながら魅せる音の色は、『オブシディアン』(2013)から引き継ぐ黒。3人の男たちのまとうディオールからは、そのつややかな黒をやぶって萌えいづる春の色がのぞいている。パリのクリエイティヴ・ユニットM/M (Paris)によるデザインが完璧なフレームを提供する、この欠けるところなきヴィデオをご覧あれ。



 Dior Homme 2015年春ビデオルックブックのサウンドに、Baths「Ocean Death」が起用されました!!

 ビデオに登場する、モデル達が佇むモジュラー式シーティングのデザインはビョークやカニエ・ウェスト、そして数多くのビッグメゾンとコラボレーションをした、パリを拠点に活動するクリエイティヴ・ユニットM/M (Paris)(エムエムパリス)によるもの。

 コレクションの世界を象徴するBathsの曲“Ocean Death”のエネルギッシュなビートにのって映像ははじまります。

■詳細
https://www.dior.com/magazine/jp_jp/News/アーバン-ミックス

■Baths『Ocean Death』

リード楽曲


ライヴ映像 (収録曲「Ocean Death」パフォーマンスは12分50秒から)



Baths
Ocean Death EP

Anticon / Tugboat

TowerHMVAmazon

作品詳細

https://www.tugboatrecords.jp/4912

・発売日:2014年07月16日発売
・価格:¥1,380+tax
・発売元: Tugboat Records Inc.
・品番:TUGR-015
・歌詞・対訳・対訳付き

■Baths
 LA在住、Will WiesenfeldことBathsは現在25歳。音楽キャリアのスタートは、両親にピアノ教室に入れてもらった4歳まで遡る。13歳の頃にはすでにMIDIキーボードでレコーディングをするようになっていた。あるとき、Björkの音楽に出会い衝撃を受けた彼は、すぐにヴィオラ、コントラバス、そしてギターを習得し、新たな独自性を開花させていった。大傑作ファースト・アルバム『Cerulean』は、LAのanticonよりリリースされインディ・ロック~ヒップホップリスナーまで巻き込んだ。満を持して2013年にリリースしたセカンド・アルバム『Obsidian』はPitchforkをはじめ各メディアから高い評価を得た。いまもっとも目が離せないアーティストと言ってもけっして過言ではない。


 さまざまな雪像が飾られた昨冬の雪祭りの写真を眺めながら、長女が言いました。「この頃は『アナと雪の女王』も『妖怪ウォッチ』もなかったんだねえ」。

 たしかに、今年3月14日に日本公開された映画『アナと雪の女王』、そして今年1月8日からテレビアニメ版の放送がスタートした『妖怪ウォッチ』は、子どもカルチャー・シーンをすっかり塗り替えてしまった感があります。子どもが世間に大放出される夏休みともなると、アナ雪ソングを大声で歌う女の子と妖怪ウォッチの話をまくしたてる男の子がアブラゼミなみにそこらじゅうで観察されたものです。いつの日か子どもカルチャー史が編まれることになったら、2014年は「妖怪ウォッチとアナ雪の年」として刻まれることでしょう。

 そして「アナ雪」ブームも一段落したいま、男児の『妖怪ウォッチ』熱は女児にも伝染したもよう。最近の娘たちはもうプリキュアもディズニープリンセスも卒業したとばかりに、アニメ版『妖怪ウォッチ』トークに花を咲かせています。あまりの過熱ぶりに、長女のクラスではついに担任教師から「妖怪ウォッチのゲームの話禁止令」が言い渡されてしまいました。作中に登場する腕時計型アイテムの玩具「DX妖怪ウォッチ」も需要に生産が追いつかず、ちょっとした社会問題に。ネットをよく見る人なら、同製品を入手できなかったママたちが子どものために手作りしたハンドメイド妖怪ウォッチの画像を一度ならず目にしたことがあるのではないでしょうか。また『ドラえもん』が看板だったはずの小学館の学年誌『小学一年生』は、今夏以降すっかり表紙を『妖怪ウォッチ』に乗っ取られてしまっています(バックナンバー一覧参照)。


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未来のロボ猫そっちのけで妖怪猫が表紙を飾る『小学一年生』『小学二年生』最新号。


 親も先生も巻き込むこのムーヴメント、私は一貫して遠巻きに見ていました。「どうせポケモンみたいに妖怪こき使ってバトルさせるとかでしょ? で、勝つと負かした妖怪が子分になって、美少女がチューしてくれるんでしょ? 好きよね男児そういうの~」。しかししつこくせがむ娘たちにおされてYouTubeで「ようかい体操第一」を何度も再生しているうちに、「これはもしかして、ものすごく好感が持てるアニメなのでは……」と思えてきたのです。美少女キャラが真顔でウンコ踊りをしてるし! クレジットを見れば、作詞と振り付けはラッキィ池田。団塊ジュニアが抗えるはずもありません。そこで『妖怪ウォッチ』を全話配信しているHuluで、遅ればせながら娘たちといっしょに見ることにしました。

 第一話では、主人公・ケータの家に居候する猫の妖怪「ジバニャン」がいかにして地縛霊となったかという来歴が紹介されます。生前はアカマルという名を持つ飼い猫だったジバニャンは、飼い主の身代わりとなって車にひかれてしまいます。何度も何度も……。こう書くと悲惨なようですが、描写はあくまでもギャグ。猫の身体が車にぶつかって高くはねあげられるたび、子どもたちはケラケラと声をたてて笑います。このひどさ、この軽やかさ。近年の子ども向けアニメでは珍しいくらいに正しくスラップスティック・コメディです。

 先ほどポケモンを引き合いに出しましたが、すでに多くの人に指摘されているとおり、アニメ版『妖怪ウォッチ』のキャラ構成は『ドラえもん』によく似ており、現代版『ドラえもん』とも言われています。主人公ケータをのび太とするなら、彼の家に居候する猫の妖怪ジバニャンはドラえもん、体の大きいガキ大将のクマはジャイアン、体が小さくおしゃれなカンチはスネ夫、彼らにまじって遊ぶ美少女フミちゃんはしずかちゃん。またケータはのび太と同じく郊外一戸建て核家族の一人っ子です。こうまで似ていると、どうしても『ドラえもん』と比較したくなってしまいます。

 まず、クマもカンチも普通にコミュニケーションがとれるイイ奴です。暴力をふるったり、財力をひけらかしたりということがほとんどありません(妖怪に取り憑かれないかぎり)。ケータのお母さんもガミガミ言わず家族仲は良好で(妖怪に取り憑かれないかぎり)、ケータは母親に家事を頼まれれば素直に手伝いをします。ケータはバランスのとれた健全な男の子で、普通すぎるのが悩みといえば悩み。ジバニャンはケータの庇護役ではなく、対等な友だちで、どちらかというとボケ担当です。フミちゃんは男の子だけではなく、女の子の友だちもいっぱいいるようです。たしかにジャイアンみたいなヴァイオレンス小学生が現代にいたら通報ものですし、いじめのターゲットになるのはのび太ではなく自慢したがりなスネ夫のはずで、のび太は苛立つ母親とともに学習障害のケアを受けることを勧められるでしょうし、しずかちゃんは「オタサーの姫」と呼ばれることでしょう。

 未来への夢がいっぱい詰まっているはずの『ドラえもん』ですが、その世界観は誕生時の社会背景もあって厳しいものです。男性は腕力や財力を誇示してヒエラルキーを形成し、負け組男性は嬲られるほかなく、カワイイ女の子は勝者に与えられるトロフィー兼お色気サービス要員で、ブスはただただ疎まれるばかり。そもそもドラえもんは、のび太の結婚相手をジャイ子からしずかちゃんに変更するために未来から派遣されてきたのでした。しずかちゃんの意志ガン無視です。ああ、なんという残酷な世界なのでしょうか。

 とはいえ、昭和の子どもたちはそんなことは気にも留めていなかったはずです。コミック版『ドラえもん』第一話は、『妖怪ウォッチ』に負けず劣らずブラックなユーモアに満ちていたのですから。ドラえもんの記念すべき第一声は「野比のび太は三十分後に首をつる。四十分後には火あぶりになる」で、あわてふためくのび太に「きみは年を取って死ぬまでろくなめにあわないのだ」と宣告します。その言葉の通りのび太は首吊り状態になりますが、ドラえもんはとくに助けません。未来から来た孫のセワシは「おじいさんはなにをやらせてもだめなんだもの」「だからおとなになってもろくなめにあわないんだ」とこれまたひどい。ジャイ子に向かって「おまえなんかぜったいにもらってやらないからな!」と何様な発言をするのび太もひどいですが、その前のジャイ子発言「やあ首つりだ、ガハハハ」も心なさすぎです。最終的にのび太はタケコプターが外れて地上に転落。なんてひどい。しかし誰も彼も心ないキャラであったからこそ未来のひみつ道具のおもしろさが前面に押し出されたのだし、のび太がギッタギタになろうがジャイ子の扱いがひどかろうが、心痛めることなくゲラゲラ笑うことができたのです。

 ひるがえって現代の『ドラえもん』は、“ドラ泣き”という宣伝コピーが象徴するように、感動と夢と希望に満ちた健全コンテンツ。するとどうしても、「ブスと結婚すると不幸になるから美女と結婚させよう」というドラえもんのミッションの身も蓋もなさが浮き上がって見えます。「彼は人の幸せを喜び、人の不幸を悲しむ事の出来る青年だ」とは、結婚前夜のしずかちゃんに父親がかけた有名なセリフですが、ダメ人間のまま美女を獲得するという無理に整合性を持たせるためとはいえ、「聖なる愚者」扱いには違和感を禁じ得ません。ジャイ子に暴言を吐いたり、「のび太の地底国」で独裁者となってみんなに嫌われたり、ドラえもんに「男は顔じゃないぞ! 中みだぞ!! もっとも、きみは中みもわるいけど……」と言われたのび太くんはいったいどこへ……。そんな心清らかな少年がギッタギタにされている姿は笑えないよ……。

 『妖怪ウォッチ』はかつての『ドラえもん』読者が愛していたブラックさをしっかり備えつつも、昭和的な弱肉強食男社会の凶暴さは影を潜めています。ストーリーは単純で、リモコンがなくなる、おやつを買い食いしてしまう、寝違える、忘れ物をする、お母さんが変な格好で授業参観に来る……などの子ども界にありがちな困りごとが起きるたびに、妖怪が見える「妖怪ウォッチ」を手にしたケータがそれらを引き起こした妖怪を見つけ、解決するというもの。ポケモンと同じ、ゲームという出自からは意外なことでしたが、アニメ版にはほとんどバトル要素はありません。バトルの代わりにケータたちがするのは「説得」です。妖怪の悩みを聞いてあげたり、共感したり、執着が勘違いであることを教え諭したりすることで、妖怪たちは執着から解き放たれて人に取り憑くのをやめ、ケータたちと友だちになるのです。近ごろビジネス界隈で「アサーティブ」(相手の立場を尊重した上で対等に自分の要望や意見を伝えるコミュニケーションの方法論)の有効性がさかんに説かれていますが、小学生にしてケータはアサーティブネスを体得しているといえましょう。そうしたアサーティブ・コミュニケーションの末に妖怪たちから友愛のしるしとしていただくのが名刺……じゃなくて妖怪メダルです。妖怪メダルで召喚された妖怪たちが、他の妖怪の説得に協力することもあります。

 このアサーティブの対極にあるのが、「アグレッシブ(攻撃型)」と「パッシブ(受け身型)」。これまで男の子はアグレッシブであること、女の子はパッシブであることを求められてきました。したがって小学生の頃から男児はヒーローがバトルして勝ち上がるフィクション、女児はヒロインが無垢・無作為ゆえに愛されていい思いをするフィクションに浸るのが常道で、このことが男女間の分断を生んできた感は否めません。しかしながら受験戦争に勝ってもコミュニケーション能力が低ければ高学歴ワープアになりかねないことをかみしめる不況時代の親たちは、男の子に必ずしも競争を強いません。男子が“肉食”を強いられなくなれば、受け身の女の子は取り残されるだけです。代わりにいまの子どもに期待されるのは、適切な自己主張、優しさ、協調性。ケータのふるまいは、現代を生きる男の子にも女の子にも理想的なのです。『小学三年生』以上の学年誌が休刊した際、「男女共通」という刊行形態が小学生世代のニーズに合致しないことが休刊の理由として語られました。そんななかで『妖怪ウォッチ』が珍しく男女分け隔てなく人気を博している秘密の一端は、こんなところにあるのではないでしょうか。

 ちなみに『妖怪ウォッチ』は今時のメディアミックス作品らしく、女児向けメディアにも積極的に展開しています。コミックは少年誌『コロコロコミック』だけではなく、少女誌『ちゃお』でも連載されており、こちらの主人公はフミちゃんに設定されています。


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『オールカラーコミックス妖怪ウォッチ~わくわく☆にゃんだふるデイズ~ Vol.2 2014年 12月号 [雑誌] 』
*『ちゃお』連載のフミちゃん主人公版の単行本第二弾。コマさん&コマじろうのカップケーキのレシピ付き。

 フミちゃん主人公の『オールカラーコミックス妖怪ウォッチ~わくわく☆にゃんだふるデイズ~』は、本家のギャグテイストは踏襲しつつも執事妖怪が爆弾を食べて爆発するようなブラック要素は薄く、代わりにフミちゃんがイケメン妖怪に好かれたりジバニャンたちとお菓子作りをしたりとラブコメ要素が強め。妖怪と女子会を開いて冷え性について語り合うなど、フミちゃんもなかなかのコミュニケーション強者ぶりを発揮しています。しかしながら、我が家の7歳児はコロコロコミック版のほうがおもしろいと言います。「コロコロの妖怪ウォッチのほうがギャグがいっぱいあるし~それに私は女子だけど男子の心も持ってるの」。主人公が女の子ならいいってものでもないらしい。ギャグといえば、クックロビン音頭、『ガラスの仮面』、『孤独のグルメ』、さらには鶴光、『なぜか笑介』といった親世代も忘れていたような小ネタの数々が現代っ子ウケするテンポのよいギャグに生まれ変わっていることもアニメ版の魅力であることは、書き損ねてしまったけれど一応は伝えておきたいところです。男の子も女の子も大人もいっしょに同じものを楽しめる。きっとここから平和の礎が築かれるに違いないのです……きっと。

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