「KING」と一致するもの

Nicolás Jaar, Other People - ele-king

 ニコラス・ジャーが新たにコンピを編纂している。20世紀後半のポーランドの前衛音楽/実験音楽を集めたもので、2枚に分散してのリリース。1959年から2001年まであったワルシャワのスタジオで録音されたもの。マトモスが先日発表した新作でもとりあげていたボグスワフ・シェッフェルはじめ、クシシュトフ・クニッテルやボフダン・マズレク、ヴォジミエシュ・コトニスキやエルジュビェタ・シコラなど、ポーランドの前衛音楽家/実験音楽家が多数ピックアップされている。これはチェックしておきたい。

artist: Various
title: Would It Sound Just As Bad If You Played It Backwards? A Collection of Sounds from the Studio Eksperymentalne Polskiego Radia (1959​-​2001) Vol. I
label: Other People
release: 20th May, 2022

tracklist:
01. Krzysztof Knittel - Lapis (1985)
02. Bohdan Mazurek - Canti (1973)
03. Magdalena Dàugosz - Yes and No (1990)
04. Barbara Zawadzka - Greya III (1991)
05. Barbara Zawadzka - Greya IV (1990)
06. Barbara Zawadzka - Greya II (1987)
07. Rudnik - Epitaph of Stones (1984)
08. Bogusław Shaeffer - Symphony. Electronic Music for Tape (perf. by Wolfram) (1964-66) - I
09. Bogusław Shaeffer - Symphony. Electronic Music for Tape (perf. by Wolfram) (1964-66) - II
10. Bogusław Shaeffer - Symphony. Electronic Music for Tape (perf. by Wolfram) (1964-66) - III
11. Bogusław Shaeffer - Symphony. Electronic Music for Tape (perf. by Wolfram) (1964-66) - IV


artist: Various
title: Would It Sound Just As Bad If You Played It Backwards? A Collection of Sounds from the Studio Eksperymentalne Polskiego Radia (1959​​-​​2001) Vol. II
label: Other People
release: 20th May, 2022

tracklist:
01. Wlodzimierz Kotoński - Study For One Cymbal Stroke (1951)
02. Symphony. Electronic Music For Tape Part I (performed by Bohdan Mazurek) (1966)
03. Elżbieta Sikora – Letters to M. (1980)
04. Bernadetta Matuszczak – Libera me (1991)
05. Elżbieta Sikora - View From the Window (1978)
06. Magdalena Długosz - Mictlan I (1987)
07. Barbara Zawadzka - Greya part V (1991)
08. Krzysztof Knittel - Poko (1986)

Autechre - ele-king

 忘れたころにやってくる、オウテカからのプレゼント。『AE_LIVE 2016​/​2018』と題された未発表ライヴ音源がバンドキャンプブリープにて販売されている。2015年にはじまり、2019年にどかっと追加された『AE_LIVE』シリーズ(WARP360)の続編、今回(WARP361)はタイトルどおり2016年と2018年、ザグレブ(クロアチア)、タリン(エストニア)、ヘルシンキ(フィンランド)、オスロ(ノルウェー)、ナイメーヘン(オランダ)、メルボルン(オーストラリア)、ダブリン(アイルランド)の7都市でおこなわれたライヴを収録したもの。トータルで7時間57分49秒。膨大なオウテカのライヴ・アーカイヴがさらに拡張されました。

artist: Autechre
title: AE_LIVE 2016​/​2018
label: Warp
release: 18th May, 2022

tracklist:
1. AE_LIVE_ZAGREB_061116
2. AE_LIVE_TALLINN_131116
3. AE_LIVE_HELSINKI_141116
4. AE_LIVE_OSLO_171116
5. AE_LIVE_NIJMEGEN_221116
6. AE_LIVE_MELBOURNE_210618
7. AE_LIVE_DUBLIN_150718

Jeff Mills - ele-king

 去る4月、ジェフ・ミルズ&ザ・ザンザ22名義にて「スロウライフ」のアイディアに触発されたアルバム『Wonderland』をリリースしたばかりだというのに、早くもソロ名義の新作『Mind Power Mind Control』が5月に送り出されている。「マインド・コントロール」なんて聞くとぎょっとするかもしれないが、膨大な情報に刺戟されつづけるネット時代、うつ病が深刻な問題になっている現代にあって、リスナーが心を掘り下げ、自分自身と向き合うためのコンセプト・アルバムだという。
 なおミルズは先日、アップル・ミュージックの新たな空間オーディオ対応DJミックスに「Outer To Inner Atmosphere: The Escape Velocity Mix」と題されたセットを提供してもいる。まったくスロウライフではないですね。

Artist: Jeff Mills
Title: Mind Power Mind Control
Label: Axis
Format: 12″x 2 vinyl / digital (with two bonus tracks)

track listing:
A1. Crossing The Threshold
A2. Scarlet
A3. Vibrant Sanguine
B. Hatsumi
C1. Vermillion
C2. Horizons
D. Transmutation

7g classic's - ele-king

 ジャズを出自に持ちながら、80年代はRCサクセションのキーボーディストとして活躍、バンドにニューウェイヴのセンスを持ち込んだり、エレクトロな名盤「BΛmp!」はいまだマニアには評価の高い、gee2wo(当時はG2と表記)。1990年4月のRC脱退後、いっさいの声明を出していなかったgee2woだったが、昨年リリースされたRCサクセション『PHAPSODY NAKED』のデラックス盤のブックレットには、東芝EMI時代の担当だった高橋康浩氏によるgee2woのインタヴューが掲載されている。その貴重な取材によれば、RC脱退後は世界中(おもに中東)を旅して、それら行き先で演奏し、現在は長野にスタジオを作って、ミュージシャンとして、プロデューサー‏‏‏/エンジニアとして音楽活動をしているとのこと。
 gee2woの新プロジェクト、7g classic'sが先月、デビュー・アルバム『くろすけ』をリリースした。これは八ヶ岳南麓に暮らすシンガーソングライター、ナナマリとのデュオで、ギターとピアノが心地よい、エレガントなポップ・アルバムに仕上がっている。RCのメンバーとして数々の名演を果たしてきたgee2woのピアノ——ジャズやブルースなどなど——がおよそ30年ぶりにたっぷり聴けるのも嬉しい限りだ。チェックしましょう。

7g classic's
くろすけ

Forest Group
発売中
https://nanamari.com/cdkurosuke

【ナナマリ (Vocal, Guitar, Composer etc.)】
高校生の時にギターと出会い、ロックやポップスバンドを組んで音楽活動をスタート。独学で音楽理論を学び、TV番組やメジャーアーティストなどへの楽曲提供も行う。2004年に山梨へ移住後は、ブラジル音楽(特にボサノヴァ)に傾倒し、ギター弾き語りスタイルでのライブ活動を開始。2008年1st Album「雨粒」をはじめ、カヴァー作品を含む計5枚のCDをリリース。

【gee2wo (Piano, Keyboard, Composer etc.)】
1980年代ロックバンド「RCサクセション」にてキーボードを担当。RC退団後は世界(主に中東)を旅し、のちに自然豊かな信州に移住。ジャズ、ブラジル音楽、ロック、レゲエなど様々なジャンルの音楽を追求し、新たなスタイルの確立を目指す。2020年長野市内にプライベートスタジオが完成。

【2022年ライヴ・スケジュール】
6/17 GNU 2nd(長野県松本市)
6/18 Booze Shelter(長野県信濃町)
6/26 メルローズイタリアーノ(山梨県北杜市)
7/29 Live Jazz ケルン(静岡県富士市)
7/30 DOXY(愛知県名古屋市)

Sam Gendel & Antonia Cytrynowicz - ele-king

 6月26日に開催される東京は立川《FESTIVAL FRUEZINHO 2022》への出演に加え、名古屋&大阪公演も決定しているLAのプロデューサー、サム・ゲンデル。その新作はアントニア・サイトリノウィックスなる新人との共作なのだが、なんとまだ11歳だという。両者の即興でつくられたアルバムは、いったいどんな内容に仕上がっているのか。発売は7月6日。

Sam Gendel & Antonia Cytrynowicz 『Live a Little』

折坂悠太の楽曲への参加等、勢いが止まらないサム・ゲンデルが、11歳の少女と完全即興で創り上げた奇跡の1枚がCDリリース決定!! クリエイティブとはどういうことか、イマジネーションとはなにか、なぜ人は音楽を紡ぐのかということを考えずにはいられない、アートのもつ普遍的で根源的な美しさが結晶された、圧倒的な作品!!

11歳の少女が口遊んだメロディと歌詞に、サム・ゲンデルが導かれて演奏するなんて、出来すぎた話だと思った。でも、このアルバムには、その奇蹟的で美しい即興の交わりが確かに収められている。サム・ゲンデルのディスコグラフィーの中で、最もイマジネイティヴで希望に満ちた作品として、このアルバムは残ると思う。(原 雅明 ringsプロデューサー)

アーティスト:Sam Gendel & Antonia Cytrynowicz(サム・ゲンデル&アントニア・サイトリノウィックス)
タイトル:Live a Little(ライヴ・ア・リトル)
発売日:2022/07/06
価格:2,500円+税
レーベル:rings / Psychic Hotline
品番:RINC90
解説:原 雅明
フォーマット:CD

Official HP : https://bit.ly/37X0vrA

Pervenche - ele-king

 ele-king books でもデザインでお世話になっているお二方が所属する東京のギター・ポップ・バンド、1995年から活動をつづける Pervenche(ペルヴァンシュ)がなんと、2001年のファースト・アルバム以来となる2枚目『quite small happiness』をリリースする。20年前からつくりためてきた楽曲に加え、ボブ・ディランとピーター・アイヴァースのカヴァーも収録。レーベルは〈KiliKiliVilla〉、8月8日発売。「小さな幸せ」とのことで、どんな音楽が鳴っているのか楽しみだ。

40年後の遠い渚、もしくはノース・マリン・ドライブ
ポストパンク以降脈々と流れ続けた地下水脈、変わらぬ気持ちによって濾過されたピュアなサウンドが2022年の東京にひそかに湧出
ヴエルヴェッツ発ポストパンク経由ギター・ポップゆきの静かでながい旅

『quite small happiness』
 2001年リリースの1stアルバム『subtle song』から20年を経ての2ndアルバム。1stアルバム収録曲から3曲をリアレンジ、2001年当時から創り貯めた曲からセレクトした7曲にBob DylanとPeter Iversのカバーを含めた計12曲を収録。タムもしくはスネアだけのミニマムなリズムセクションの上にクリーントーンのギターとイノセントなボーカルによる、ポストパンクのビックバンから飛散した胞子の一粒。「The Velvet Underground III」の仄暗さと暖かさ、「Young Marble Giants」の孤独と癒し、「The Beat Happening」の先鋭と静謐、「Florist」の哀しみと優しさ。これら彷徨う魂に触発された、実験性と優しさが同居したフォークロック・アルバム。
 セルフプロデュースによるDIYレコーディングでの制作。元800cherriesのタカハシマサユキによるレコーディングとミックスはリビングにチューブアンプを持ち込んでライブ録音したような親密でいて蒼い炎のゆらめきを思わせる音像。皆さんの新たなスタンダードに加えてもらえたら、そんな小さな幸せを期待してこの作品をお届けします。

Pervenche
『quite small happiness』

8月8日発売
KKV-138VL
LP+CD
3,850円税込

収録曲
Side-A
1. Be Long
2. Cat Horn(Good Night)
3. Blue Painting
4. I'll Keep It With Mine
5. Simple Life
6. Out of The Room
Side-B
1. We Surely Become Happy
2. I Think So
3. Miraculous Weekend
4. Fade Away
5. Quite Small Happiness
6. What's New

Pervenche
1995年、Clover Recordsの創設者であるサイトウマサトのバンドPeatmosとして活動を開始し、1997年からPervencheへ改名。1998年のフランス・ツアーを経て、2001年に1stアルバム「subtle song」をリリース。800 cherriesのタカハシマサユキを加えたラインナップで2016年から活動を本格的に再開し2ndアルバム「quite small happiness」を制作。タムもしくはスネアだけのミニマムなリズムセクションの上に蒼い炎のゆらめきを思わせるクリーントーンのギターとイノセントなボーカル。Feltなどのポストパンクに触発された実験性と優しさが同居したフォークロックバンド、もしくはフォークの影響を受けたYoung Marble Giants。

LPと同時発売のCDは2枚組でリリース、2010年に録音した未発表プロトバージョン。
1stアルバムからのミッシングリンク『Another Quite Small Happiness』にプレ・ペルヴァンシュ Peatmosの音源を収録。

Disc 1 収録曲
01. Be Long
02. Cat Horn(Good Night)
03. Blue Painting
04. I'll Keep It With Mine
05. Simple Life
06. Out of The Room
07. We Surely Become Happy
08. I Think So
09. Miraculous Weekend
10. Fade Away
11. Quite Small Happiness
12. What's New

Disc 2 収録曲
Pervenche - Another Quite Small Happiness
01. Simple Life
02. Quite Small Happiness
03. Cat Horn(Good Night)
04. Out of TheRoom
05. Mess
06. Blue Painting
07. Earl Gray Tea
08. What's New
Peatmos - Watching Us With Archaic Smile
09. earl grey tea
10. many suns
11. to my little friends
12. mad cow disease
13. mess
14. picnic
15. d'yer wanna dance with kids
16. out of the room
17. blue painting
18. play the wind

Terao Saho - ele-king

 シンガーソングライター、寺尾紗穂が6月22日にニュー・アルバム『余白のメロディ』をリリースする。間に『わたしの好きなわらべうた2』を挟みつつの、前作『北へ向かう』からは2年ぶりとなる新作で、オリジナル・アルバムとしては通算10枚目を数える。自身も参加するバンド冬にわかれてのあだち麗三郎や伊賀航ほか、多くのアーティストが参加。さらなる深みを増した歌に注目しよう。

寺尾紗穂による記念すべき通算10作目のオリジナル・アルバム『余白のメロディ』が完成。今再び、全ての人を歌の生まれる場所へと誘い出す、珠玉の作品集。

2006年のデビュー以来、現代日本を代表するシンガー・ソングライターとして数々の歌を作り続けてきた寺尾紗穂。2022年6月22日、記念すべき通算10枚目のオリジナル・アルバム『余白のメロディ』を発表する。
この世界の深淵に潜む様々な感情、光景、出来事を、類まれな才能ですくい取ってきた歌世界は、ここに至って、さらなる広がりと奥行きを獲得した。彼女の歌には、ときに鋭く社会的な問題意識も反映されてきたが、もちろん、それだけが理由で多くの者の心を捉えてきたのではない。寺尾紗穂の歌は、これまでも常に「言葉にし得ないもの」への関心と近しさを湛えており、だからこそ、聴く者の内にある深い部分に触れてきたのだ。
本作は、とりわけ「楕円の夢」以降寺尾が探求してきた、正論や正義、漂白されていく社会から距離をとった「余白」と、そこにこそ息づく希望や夢といったテーマが、最も美しい形で結晶した、キャリア史上に輝く傑作だと断言できる。日々「変わりつづける世界」への疲弊と、無情にも「変わらない世界」への絶望。あなたやわたしを取り囲む孤独が氷のように固まってしまっても、寺尾の音楽は、人がこの世界にひとしく生まれ落ちた事実を希望として浮かび上がらせ、そのこわばりをゆっくりと溶かしていく。
『余白のメロディ』は、不信に唆され、ついには歌うことのできなくなった人々を、今再び歌の生まれる場所へと誘い出す。
バンド「冬にわかれて」での活動を通し更に紐帯を強めたあだち麗三郎、伊賀航をはじめ、池田若菜、高橋三太、未知瑠、そして新進気鋭のシンガーソングライター/トラックメイカーMomの他、多くのアーティストが録音に参加し、より一層の壮麗さと繊細を増した寺尾の歌唱/ピアノ演奏を支える。
本作の核とでもいうべき曲「歌の生まれる場所」をはじめ、オリジナル曲の充実ぶりは、まさに至高といえる領域へと達した。また、「良い帰結(Good End)」ではMC.sirafuが、「期待などすてて」「灰のうた」では松井一平が歌詞を提供しており、お互いのクリエイティビティが溶け合った見事なコラボレーションを聴かせてくれる。加えて、寺尾にとっては歌の道を選ぶことになるきっかけとなった重要曲、西岡恭蔵「Glory Hallelujah」を収録、原曲の魅力を汲み取りつつ、そこへ新たな生命を吹き込んでいる。

寺尾紗穂 10th album
『余白のメロディ』

2022.06.22 in stores
品番:KHGCD-002
CD定価:¥3,000+税
発売元:こほろぎ舎
CD販売元:PCI MUSIC

01.灰のうた
 作詞:松井一平 作曲:寺尾紗穂
02.良い帰結(Good End)
 作詞:MC.sirafu 作曲:寺尾紗穂
03.確かなことはなにも
 作詞・作曲:寺尾紗穂
04.ニセアカシアの木の下で
 作詞・作曲:寺尾紗穂
05.期待などすてて
 作詞:松井一平 作曲:寺尾紗穂
06.森の小径
 作詞:佐伯孝夫 作曲:灰田有紀彦
07.光のたましい
 作詞・作曲:寺尾紗穂
08.僕の片割れ
 作詞・作曲:寺尾紗穂
09.歌の生まれる場所
 作詞・作曲:寺尾紗穂
10.Glory Hallelujah
 作詞・作曲:西岡恭蔵

[寺尾紗穂 プロフィール]
1981年11月7日生まれ。東京出身。
大学時代に結成したバンドThousands Birdies' Legsでボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題になり,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」、安藤桃子監督作品「0.5 ミリ」(安藤サクラ主演)の主題歌を担当した他、CM、エッセイの分野でも活躍中。2009年よりビッグイシューサポートライブ「りんりんふぇす」を主催。2019年まで10年続けることを目標に取り組んでいる。2020年3月に最新アルバム「北へ向かう」を発表。坂口恭平バンドやあだち麗三郎、伊賀航と組んだ3ピースバンド“冬にわかれて”でも活動中。2021年「冬にわかれて」および自身の音楽レーベルとして「こほろぎ舎」を立ち上げる。
著書に「評伝 川島芳子」(文春新書)「愛し、日々」(天然文庫)「原発労働者」(講談社現代文庫)「南洋と私」(リトルモア)「あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々」(集英社)「彗星の孤独」(スタンドブックス)、『天使日記』(スタンドブックス)があり、新聞、ウェブ、雑誌などでの連載を多数持つ。

COMPUMA - ele-king

 ベテランDJのCOMPUMAが、長い活動ののなかで、初の本人名義によるアルバム『A View』のリリースを発表した。アルバムには、北九州の劇団〈ブルーエゴナク〉の作品『眺め』のための制作した楽曲をもとに共同制作者hacchiとともに作り直されたオリジナル楽曲9曲、そして内田直之によるダブ・ヴァージョン2曲を加えた計11曲が収録される。いったい、どんなサウンドなのだろうか、注目だ。リリースは自身のレーベル〈SOMETHING ABOUT〉から。アートワークは五木田智央。発売は6月17日(金)。

COMPUMA
A View

SOMETHING ABOUT
発売日:6月17日(金)

■プロフィール■
COMPUMA 松永耕一、1968年熊本生まれ。ADS(アステロイド・デザート・ソングス)、スマーフ男組で の活動を経て、DJとしては国内外の数多くのアーチストDJ達との共演やサポートを経ながら、日本全国の 個性溢れる様々な場所で日々フレッシュでユニークなジャンルを横断したイマジナリーな音楽世界を探求し ている。自身のプロジェクトSOMETHING ABOUTよりMIXCDの新たな提案を試みたサウンドスケープ・ ミックス「SOMETHING IN THE AIR」シリーズ、悪魔の沼での活動などDJミックスを中心にオリジナル楽 曲、リミックスなど意欲作も多数。Berlin Atonal 2017、Meakusma Festival 2018への出演、ヨーロッ パ・ラジオ局へのミックス提供など国内外でも精力的に活動の幅を広げている。近年のリミックス/リリー ス・ワークは、OGRE YOU ASSHOLE「朝(悪魔の沼 remix)」、YPY「Cool Do!(COMPUMA remix)」、 MAJOR FORCE PRODUCTIONS「Family(COMPUMA Mx)、COMPUMA & 竹久圏 「Reflection」等。 一方で、長年にわたるレコードCDバイヤーとして培った経験から、コンピレーションCD 「Soup Stock Tokyoの音楽」など、BGM選曲を中心に、アート・ファッション、音と音楽にまつわる様々な空間で幅広 く活動している。
https://compuma.blogspot.com
https://soundcloud.com/compuma

The Ephemeron Loop - ele-king

 たまに何年かにいっぺん、サウンドの激烈さによるインパクトをもって衝撃を与える音楽作品がある。近年で言えば『リターナル』がそうだったろうし、古くはルイジ・ルッソロ(古すぎか)、たとえばヴェルヴェッツやジミ・ヘンドリックス、アシュ・ラ・テンペルのファースト、ボアダムス、オウテカ、あるいは『ラヴレス』とか……騒音芸術の系譜を引きながら超越的であろうとするこれら狂おしき連なりに、いまあらたにジ・エフェメロン・ループの『サイコノーティック・エスケイピズム』が加わった。痛ましくも烈しいこの音楽は、先週末ようやくbandcampでアルバム全体が聴けるようになったのだ。
 
 ジ・エフェメロン・ループは、出身はウェールズだが、現在はリーズを拠点とするアーティストで、最近はVymethoxy Redspiders(ヴァイメソキシー・レッドスパイダーズ——でいいのだろうか)なる名義で活動していたようだ。つまり、まったくの新顔ではない。Guttersnipe(ガッタースナイプ)なるノイズ・バンドのメンバーだったこともあって、その際の名義はUroceras Gigas(ユロセラス・ギガス——でいいのだろうか)という。とにかく日本人には読みづらいスペルの名義を多数持っていることが、discogsを見ているとわかる。そして彼女はトランス・ウーマンである。
 『クワイエタス』に掲載された彼女のインタヴューを読むと、彼女の音楽遍歴と並行して、アイデンティティの葛藤、ドラッグ体験の数々、LGBTコミュニティとアンダーグラウンドなレイヴ・カルチャーやなんかが赤裸々に語られている。誤解を避けるために言っておくと、彼女は一昔前のロック文化のようにドラッグをロマンティックに語っているわけではない。ただそれは、彼女にとっては触媒だった。「サイケデリック・ドラッグはトランス・ウーマンとしての自分を認識するうえで重要な役割を果たし、音楽に対する認識を完全に変えてくれた。3回目のトリップはまさに画期的な再生体験だった」と、ジ・エフェメロン・ループは話している。
 本作は2008年から作りはじめていたそうで、音楽的に言えば、彼女がこれまで心酔したあらゆる音楽——シューゲイザー、ブラック・メタル、ノイズ、ダーク・アンビエント、スラッシュ・メタル、グラインド・コア、ハード・テクノ、ダブ・テクノ、ドリーム・ポップ等々——が無秩序に取りまとめられている。アルバムはカミソリのようなノイズからはじまるが、途中でダブ・テクノに急転したり、コクトー・ツインズ流のエーテルがミックスされたりとか、節奏がないといえばない。荒削りだ。
 しかしながらこの音楽にぼくは、感情のレヴェルにおいても突き刺さるモノを感じるのだ。サウンドが伝える切実さにおいて、彼女が自分の人生をかけて、大げさに言えば命をかけてこの作品を作っていることがぼくには理解できる。小さな知識と小手先だけで作られた軽々しいエレクトロ・ポップな作品とは訳が違う。ギリギリのところから這い上がってきた音楽、いま我々にとっての避難場所があるとしたら、このぐらい過剰に内的で、刹那的でしかありえないと言わんばかりの。
 本人の解説によると「コクトー・ツインズ、アルカ、ベーシック・チャンネル、ナパーム・デスのあいだに位置する」とのことで、bandcampの解説をそのまま引用すると、「リーズのクィア・アンダーグラウンドでシューゲイザー、レイヴ、サイケデリック・ドラッグに傾倒した彼女の悲惨な人生を打破するため、ミスVRはこのアルバムを書くのに14年もの長い年月と困難を要した。ネガティヴな感情に苛まれ、エクストリーム・ミュージックをサウンドトラックとした生活は、陶酔、高揚、そして恍惚とした自由を体験する機会に取って代わられ、その感情は 『サイコノーティック・エスケイピズム』で官能的に凝集されている」。
 
 ホログラフィックなヴィジュアルを装いながら、完璧なアンダーグラウンドからやってきたこの音楽を、ぼくが10年後に聴いているかどうかはわからない。しかし、たった“いま”、このときにおけるインパクトにはすごいものがあるし、それで良いと。いまにも倒れそうだというのに、その先のことまで考えられないだろ。

 

interview with Kikagaku Moyo - ele-king

 5枚目のアルバム資料にさらりと綴った「最後の作品」の文字──2018年の4作目『マサナ寺院群』のそれまでの階梯を一段階昇りきったかのような充実ぶりと、それにつづくクルアンビン、コナン・モカシンらとジョイント、北米、欧州、北米、欧州、北米、豪州、欧州また米国とオセロのごとくつづくツアーの活況ぶりを知るものには先のいち文はにわかには信じがたい。「最後」というからには幾何学模様名義のスタジオ・アルバムは本作以降出ないということなのであろう。思えば、2013年高田馬場の路上に蝟集した若者たちの集合体としてはじまった幾何学模様は、既存のアシッド・ロック~サイケデリアのフィールドにおさまらない活動を模索するなかで、国内シーンを一足飛びに海外に活路をみいだすと、ほどなくその特異な音楽性と風貌で異彩をはなちはじめる。むろん止むことのないライヴの日々あったればこその評価だが、多国籍とも無国籍ともつかない折衷性とロウファイなテクスチャーをおりこんだ幾何学模様サウンドには中毒的な魅力があり、その存在感が増しつつあるいま、活動休止の報はいかにも唐突である。
 どのような経緯で彼らはそのような結論をみいだしたのか。そのまえに『Kumoyo Island(クモヨ島)』といういっぷう変わった題名のアルバムの、トライバルでヒプノティックな魅惑の音世界はどのようにできあがったのか。トモ・カツラダとともに幾何学模様をたちあげ、ドラマーとしてバンドの屋台骨をささえるゴウ・クロサワにオンラインで話をうかがった。バンド活動への明解な考え方が気持ちのよい取材だった。

ミニマルな音楽ってつくるのは簡単そうですが、グルーヴがちゃんととれていないと気持ち悪いと思うんです。

こんにちは。東京はいま午後5時ですが、そちらは──

Go:朝10時すぎです。仕事をはじめる時間です。

会社員みたいですね。

Go:それやらないために音楽やっていたはずなんですが(笑)、そういう感じになっています。

アムステルダムに拠点を移されたのはいつからですか。

Go:5年ほど前、2017年くらいです。いまメンバーも3人こちらにいるんです。僕とギターのTomoのふたりで来たんですが、去年の12月くらいに弟のRyu(シタール)が引っ越してきました。

もう5年もいると慣れたものなんじゃないですか。

Go:そうなんですけど、一昨年のコロナ(パンデミック)までツアーからたまに帰ってきて2週間くらいすごしてまたツアーに出ることのくりかえしだったので街をディグるまもなく、おちついたかと思ったらコロナになっちゃって、半年前くらいからようやくここに住んでいるんだなと実感がわいてきました。でも住みやすくていいところですよ。物価はヨーロッパの中ではちょっと高いですけど、ほぼ英語だけで生活できるし治安もいいし。自転車だけでどこでも回れるのでいい感じです。

オランダ語が話せなくてもなんとかなるんですか?

Go:オランダ語はまったく話せなくても大丈夫だと思います。アムスにかんしては外国人が35%なので公的な書類や税金関係もすべて英語で対応できますし外国人には楽な街です。

ロシアのウクライナ侵攻の余波ありますか。

Go:目にみえる範囲ではないんですが、友人に聞いたらベルリンでは(ウクライナから避難してきたひとを)受け入れているみたいで、体制も整いつつあるようです。僕はアムスの街のど真ん中に住んでいてふだんまわりは観光客ばかりで、いろんな国の言葉が聞こえてくるんですが、最近は東欧の言葉の響きが目立ってきたような気はします。ウクライナの方もおそらくいると思うんですが、見た目だけでは判断できません。ただ街中にウクライナの国旗が掲げてあるという感じで、オランダもEUの一員なんだなという感じはあります。ただロシアのひとも多いですから違和感を感じているひともいるかもしれません。

Ryuさんが移られてきて、現在は3人がアムステルダム在住ということは新作の制作はどのように進めたのでしょう?

Go:2020年の2月まではツアーだったんですね。僕はオランダに来る前までは物流関係の会社に勤めていたので仕事と並行でツアーをしていたんですよ。有給をとってツアーに行く感じだったんです。仕事を辞めからは5年くらい、100箇所を5~6ヶ月かけてまわるツアーをほぼノンストップでくりかえしていました。2019年までそれがつづいて、2020年はちょっと休もうということになったんです。休んでゆっくり曲をつくりたいね、と話していたらいきなりパンデミックになって、はじめは休む予定でしたからちょうどよかったんです。そのときは夏まで、東京オリンピックまでにはなんとかなるという雰囲気もあったので。曲を書きはじめたのはその春先から夏にかけてです。2020年の夏にはメンバー全員オランダにそろってみんな曲をゆっくりつくろうかとなって、一ヶ月くらい泊まりこんだんですけど意外に進まなかったんですよ。

基本的なことをうかがいますが、幾何学模様はどのように曲作りを進めるんですか。

Go:曲の作り方もよくわからなくなっていたんですよ(笑)。それまでもやっていたはずが、あれ!? どうやってつくっていたんだっけって(笑)。それまではフェスのシーズンに間に合わせるために、適当というと語弊があるかもしれないですが、ライヴでできればいいやという感じで、60~70パーセント仕上がりで十分だったんですよ。曲のはじめと終わりさえ決まっていれば、あとは舞台にかけながらアレンジしていくようなやり方でした。ただ(パンデミックで)ライヴが想像できなくなってからはお客さんのもりあがり方を想像するのが難しくなかったんです。それでひと月ほど試行錯誤しつついろんな方法をためしていきました。

2020年の夏の時点では完成した曲はほとんどなかった?

Go:僕がつくった曲が1~2曲あったんですが、時間だけはふんだんにあるので展開なんかをガチガチにかためてしまうんですよ。そういうのばかりだとプログレっぽくなっちゃうというか、サイケのバンドがプログレになってどんどん巧くなってジャズ・ロックにいく流れがあるじゃないですか。
■あるある(笑)。

Go:そういう感じになるからみんなでもっと曲書こうよ、と書いたことのないメンバーにも、全部つくれなくてもフレーズだけ、メロディのアイデアだけでも出すとか、読んだ本や観た映画からのインスピレーションなんかをおたがいにインプットし合って、どうにかしてやろうと声をかけました。Dropboxに月ごと週ごとのフォルダを作って、各自アイデアを入れていったり、あとは週一でオンライン・ミーティングしてただ近況報告しあったり。

制作期間はそれなりに長かったということですね。

Go:時間があったのと自分たちでレーベルもやっているし、締め切りもないし、つくらなくてもだれも困らない、という感じがあったんです。いままでもそうだったんですが(笑)、あれ、これやらなくてもだれも困んないじゃんって、ハッと気づいた。音楽ってありまくるから、そんなにプレッシャー感じず、できたらできたで出せばいいんだな、と思う反面、このままつくれずにみんなのモチベーションが下がっていってツアーもできず、みんなほかのことをはじめて自然崩壊したらイヤだなという思い、どっちもありました。

リリースにさらっと書いてますけど、本作が「最後」なんですか。

Go:去年の夏、アメリカのツアーが終わったあとにみんなで話し合って活動休止を決めました。アルバムをつくりはじめたときは、これが最後とは思っていなかったんですが、コロナの状況もあり、今後メンバー全員が100%の力を注げなくなるのがわかった。そうなったとき、バンドがだんだんアートワーク、MVを含めた全体の作品にもこだわりが薄くなっていったり完成度が低くなったり、見た目も尖った感じがなくなっていって、もうフォローできないわ、という感じになるのはイヤだなというのがあったんですね。自分の好きなバンドでもそういうことになったりするじゃないですか。

あるかもしれません。

Go: アルバムでいうと6枚目、7枚目(笑)。つづけるのはそれはそれでかっこいいけど、パッとやめるのも自分たちらしいなと思ったんですね。友達同士で “遊び” を初めて、友達どうしでその遊びを終える。開いた円を閉じるような感覚です。

Goさんがいいだしたの?

Go:Tomoがいいだして、それはみんなで話し合うべきだということになりました。100%妥協なくやりたいことがやりたかったのと5人の築き上げてきた絆を大事にしたいなという気持ちが大きくて、無理に続けて行こうということもなかなか想像できなかったし、10年間やってきて、あと何年やってどういうバンドになりたいとか、どういうヴェニューに出てどんなフェスに出たいというヴィジョンもなくなっていたんですね。

ある程度実現したということですか。

Go:それこそ去年クルアンビンとツアーしたときに5000~6000人規模の会場が多かったんですが、それだと自分たちのよさもあまり出ないという気もしました。(お客さんの)表情もみられないし、僕らの危なっかしい感じが、遠くからだと伝わりにくいとも思いました。クルアンビンやキング・ギザードみたいに遠くからみていてチルしながら楽しめるバンドでもないし、お客さんと一緒に自分たちの世界をつくっていくバンドだと再認識して、自分たちのベストなキャパシティがみえたのと、現状を維持するのにLAなら1000人規模の会場で3回のショーをするのか、というようなことを考えたとき、わかった感じがひとつあったんですよ。新しいチャレンジがほしいときにそういう感じになったので、はじめはみんなもびっくりして話し合って、ひとりずつ電話で相談したりしました。

脱退という言い方が正しいかはわかりませんが、どなたかがそうなっても別のメンバーが加入してつづけることはバンドではよくある話ですが、そういう選択肢はなかった?

Go:僕らがふつうのバンドと違うのは、(メンバーに)兄弟もいるし2~3年一緒に住んでいたので、スタジオで会って、終わったらじゃあねといって別々になるような関係じゃないというところなんですね。いろんなところを共有してそういう濃さでバンドをやっていたのでその濃さをほかのところからもってきて、ジャムでいい感じになるのがまったく想像できなかった。自分たちの結びつきの強さはよさでもあるし脆さでもあるのだと思います。これまで20代から10年間つづけてきて、みんないろんなひとに会っていろんなこと考えて、いろんな方向に個人個人がいきたくなったりするなかで、バンドはみんなのエネルギーをどうやって集中させてやるかというチャレンジだったという感じです。

老婆心ながらもうしあげると、1000人単位のキャパシティを埋められる認知度はあるわけですから収入としては安定してきたところじゃないですか。それをなげうつのはもったいないという意見もありそうですが。

Go:ただ僕は音楽を仕事にする、プロになってキャリアを積んでいくんだという目標をもっていなかったんですね。

そうなんですか。

Go:いちばんはじめの目標はツアーに出ているあいだの家賃をどう補うかということでした。ツアーに出ているあいだはギャラが出たりご飯も食べさせてもらえたりするからいいんですが、日本の家賃どうすんだという問題があったんです(笑)。バイトもできませんから、ツアーに一ヶ月半出るのであれば、そのあいだに稼げたはずの額をあらかじめ稼いでおかなければならない。そうしないと、帰ってきて超ビンボーになってつづけていけなくなるとわかったんです。どんな楽しいことも、サステイナブルにするにはモチベーションはもちろん経済的な問題も出てくる。そうなるとCD、レコードやTシャツをこれくらい売らなきゃいけないということや、このペースでツアーしなければならない、大きな街ならこの規模でできなきゃいけないんだとか、逆算でわかったんですけど、これで生活していくとは考えていなかったです。メンバーももともと音楽畑のひとじゃないというのもありますし、僕は音楽ビジネスをアメリカで勉強して、どちらかというとバンドよりは音楽のレーベルをやりたかったんですよ。

ミュージック・ビジネスの学校を歩かれたんですか?

Go:ミュージック・ビジネスを専攻して、それこそライターやパブリッシャーに興味があったんですよ。音楽が好きなひとが集まって、音楽をやらないというのはどういうことだろうと思ったんですね。

そういう考え方もあるかもしれないですね(笑)。

Go:音楽を好きなひとたちが集まって違う文化が生まれてくるというか、音楽が好きということだけが共通で出版物をつくったりイベントをやったりフィジカルをつくったり、そういうことに僕は興味がありました。ほかのメンバーも映像を勉強していたり文章を書いていたりで、バンドがなくなることによる収入面での変化を考えるよりも、友だち関係がヘンになってツアー中ケンカしたりするほうがイヤだと直観的に思ったんですよ。だれかがSOSを出しているのに、仕事だからとか決まっているからといってつづけたり、ひとりが抜けたからだれかを入れて関係性が変わったりすることへの、拒否感というほど強くはなくてもイヤだなという思いです。


向かって左下が、今回取材に応じてくれた Go Kurosawa

友だちのライヴに行く? ってなったとき、3000円だと躊躇するけど500円ならまあいいやと思えるというか。そういうことをバンドやりながらも試行錯誤していました。ライヴハウスのノルマ制に疑問もあったので。

お話をうかがうとすごく客観的ですね。人気者なのに過分な自己評価がない。

Go:そもそも日本でやっていたときはこういうバンドはムリだろうなと思っていましたから。最初期にぐちゃぐちゃなジャムみたいなことをやっていたときはお客さんが来る気配もなかったですしね。「ele-king」も読んでましたけど──

ありがとうございます。

Go:そこでとりあげられている音楽と自分たちがやっているのはちょっと違うというか、どこにもつながっていない気がしたんです。アシッド・マザーズの弟子みたいな感じで出てくるわけでもなかったし、先輩後輩的なつながりもなく、だれもバンドをやったことのないところからはじまっていましたから。バンドをはじめるのって高い趣味じゃないですか。機材買ってスタジオに入ってノルマまで課せられてライヴをする、だからといってメジャーになるのも想像できない。それ以外にできる方法としては海外に出ることしか考えられなかったんです。

海外でミュージック・ビジネスを勉強されてきたGoさんにとって日本の音楽産業の構造は異質だと思いますか。

Go:すごくヘンだと思います。

どのへんが?

Go:今回はビートインクさんとのお仕事で、取材もセッティングしていただきましたが、このような流れは海外ではまずないです。レーベルの仕事は音源を出すことであって、PRは基本的にバンド側がエージェントを雇うパターンがほとんどです。マネージメントがレーベル側にいる感じが大きく違うと思います。

日本の音楽ビジネスは芸能事務所の方法論に由来しますからね。

Go:そことちょっと似ている気がしますね。それが良いか悪いかではなくて、合うか合わないかを考える必要はあると思います。そのうえでいろんな選択肢がバンド側にあるといいなと思います。いまならその手の本とかネット上にも情報はいっぱいありますよね。僕らもはじめたときに本屋さんに行って音楽ビジネスについて書いてある本をまわし読みしたこともあるんですよ。そうしているだけで、まわりのバンドから「おまえら気にしすぎ!」みたいなことをいわれたりする(笑)。でも好きなことをやってお金をもらうはよくないのかなと思ったら、若いころはさておき、つづかなくなるんですよね。

独立精神が旺盛だったんですね。

Go:はじめはシーンというものをつくりたかったんですよ。「ゼロ年代シーン」とかあったじゃないですか。

ありましたね。

Go:シーンがどういうふうにできていくんだろうと思っていたんです。アメリカに住んでいたときポートランドのシーンはおもしろいよとか、オースティンのインディ・シーンがおもしろいとか、ロンドンにこういうシーンがあるよとか、そういう話を聞くと東京にどんなシーンがあるんだろうと考えてしまうんですね。当時僕が好きだった新大久保のアースダムとかでみていたライヴで、ノイズっぽいバンドやハードコアのバンドが灰野(敬二)さんと出たりとか、そういうのがシーンなのかはわからないですが、そういった体験から自分たちにとってのシーンについて考えるようになったんですよ。ちょうど僕らが活動をはじめたころ、世界的にサイケフェスが増えてきたんですね。オースティン・サイケ・フェスにはじまりベルリン、シドニー、南アフリカでもサイケ・フェスがはじまり、こういうのがインターナショナルなシーンなのかなと思いはじめて、日本にはそういうのがあまり知られていなかったから自分たちで「TOKYO PSYCH FEST」と銘打って渋谷のルビールームで月1でライヴを企画していました。

月1はけっこうな頻度ですね。

Go:仕事しながらですから大変でした(笑)。それでやりたかったのはちゃんとお金がまわるようなシステムをつくることだったんですね。ライヴハウスだと平日でも2500円でワンドリンクつけると3000円超えちゃって、それで物販のCDを買おうと思ったら5000円になって、もう一杯飲むとさらにかかる。そうなると、ほんとうに伝えたいティーンやキッズ、これから文化をつくっていく、エネルギーにあふれているけどお金のないひとに会えないんですね。よくわからないけど楽しそうと思っているひとはそういうところに来ない。来ないと好きなバンドもみつからないし、ふらっと来られるようにするにはエントランスを500円くらいにして、損したと思わせなきゃいいと考えました。家で遊んでいて、友だちのライヴに行く? ってなったとき、3000円だと躊躇するけど500円ならまあいいやと思えるというか。そういうことをバンドやりながらも試行錯誤していました。ライヴハウスのノルマ制に疑問もあったのでノルマあるライヴハウスに出ているバンドをこっちに連れてきて、逆転してやろうぜとも声をかけたんですけど、キャリアがないから説得力がないんですよ(笑)。

日本でそのときつくろうとしたサイケ・シーンはどれくらい完成したと思いますか?

Go: いやーできなかったなー(笑)。

その夢のさなかで拠点を移されたんですね。

Go:そこはもう「ele-king」に任せておこうと(笑)。時間がなかったのもありますね。僕ドラムをはじめたのが27とかなんですよ。

ほんと!?

Go:そうなんですよ。フェスをやっていたのが28とか29でサラリーマンをやりながらですから。27からドラムをはじめてもふつうのバンドには入れないんですよ。(メンバー募集に)経験不問と書いてあっても、30手前でやったことないひとなんて入れてくれないから自分ではじめるしかないというのはありました。

幾何学模様のほかのみなさんは楽器の心得はあったんですか。

Go:できるといっていたんですが、ギターの弦の巻き方も知らないし、だれもバンドをやったことはありませんでした。

メンバーはGoさんがひきいれた?

Go:まわりの友だちで音楽経験があるとか関係なく、誰も彼もひきいれました(笑)。はじめて会ったひとにも、スタジオに入りましょうよ、と誘って深夜パックでグチャグチャのジャムやって、つかれたなーといって朝ご飯をみんなで食べて帰るみたいな。

バンドというよりはコミューンですね。

Go:はじめはそうでしたよ。共同で生活したり友だちの友だちが急に入ってきて笛を吹いていたり、そういうのがいいと思っていました。ギターがEのワンコードで、そのうえで適当にみんなが演奏して歌って録って、それでいいじゃんというイメージですね。

それがしだいにバンドにかたまっていったのはなぜですか?

Go:曲がないと、拍手する場所がないとひとはお金払わない、と路上での経験から学んだからです。終わり方を知らないとつかれて止めるしかないじゃないですか。路上で演奏しているとたまに立ち止まるひともいるんですが、なかなか演奏が終わらないから飽きて立ち去っていくんですよ。止まってもらわないと、「おお!」という感じにもならない。そうするにはどうしたらいいんだということで学びました。拍手する場所を設けないと一生やっちゃうから(笑)。曲っていうのははじめと終わりがあればいいんだなというのに気づいて、それをつけくわえてだんだん曲になったという感じですかね。

それもラ・モンテ・ヤングみたいでいいですけど、おさまるべき場所におさまっていったということですね。

Go:だんだん音楽の話をするようになって、こういうのいいよね、じゃあやってみようか、という流れでした。当時は自分たちの好きなバンドも自分たちにもできるかもしれない、というようなバンドだったので参考にしたこともあります。

そのとき聴いていたバンドをあげてみてください。

Go:アシッド・マザーズはその筆頭ですよね。騒々しくて見た目が魔術師っぽかったらかっこいいというのはアシッド・マザーズから学んだし、ラリーズみたいなリフを延々くりかえして歌がたまに入ってくるんだけどあくまでギター・ソロをバーンとやるための導入部分にすぎないようなバンドとか、アメリカのオネイダのミニマル・ジャンクっぽい感じとか、イギリスのトラッドも好きだったですね。そういう音楽もやりたかったですが、それにはそういうのを歌えるヴォーカルが必要なのでなかなかむずかしかったです。土着っぽい要素と新しい要素が結びついた音楽がいいなと思っていました。自分たちが日本人なのもあって、日本人にしかできない音楽ってなんだろうともずっと考えていました。

日本というものにたいしての意識も当時からおもちだったんですね。

Go:その前に海外に住んでいて帰ってきたというのもあるので、(日本人が)英語で歌ってもダメだなというのもあったし海外のバンドが好きで、それと同じことをやっても、こっちにいるじゃんといわれるから、それをいわれないためにはどうしたらいいんだろうとずっと考えていました。

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島ということを再度考えてみると、アイソレイトされていて独自の文化があり、島民に通じる言葉があるけど島から出ると通じなくなっちゃったりするようなおもしろさがあると思ったんですね。ことにこの5~6年、日本のことをすごく考えるようになっていたのもあります。あたりまえだったことがじつは特殊なことなんだと気づくことも多かった。

前置きが長くなりましたが、新作『Kumoyo Island』は日本語にすると「クモヨ島」だと思いますが、「くもよじま」と読むんですか、それとも「くもよとう」?

Go:「くもよとう」です。

「クモヨ島」とは日本という島国の暗喩ですか?

Go:僕らはいままでも場所をけっこう提示してきたんですね。「Temples(寺院群)」「Garden(庭)」「Forest(森)」「House(家)」などです。それらの場所は現実には存在しませんが、聴いたひとに情景を思い浮かべつつ聴いてほしいという気持ちがあったんです。今回もアルバムのタイトルを決めようとしたとき、場所がいいなと思っていました。そのタイミングで、今年でバンドを止めることになり、「Kumoyo Island」というタイトルが決まったのはその後です。収録曲にも海っぽいイメージ、青っぽいイメージがあったので、もしかしたらこれは島なのかな、島っぽいなという気がしたんです。それでよく考えると、日本って島じゃんって(笑)。当たり前ですが、島ということを再度考えてみると、アイソレイトされていて独自の文化があり、島民に通じる言葉があるけど島から出ると通じなくなっちゃったりするようなおもしろさがあると思ったんですね。ことにこの5~6年、日本のことをすごく考えるようになっていたのもあります。(住んでいたときは)あたりまえだったことがじつは特殊なことなんだと気づくことも多かったので。もしかしたらそれはものすごく未来的なことなのかもしれないし、すごく古い体制かもしれなくて、それらは紙一重のかもしれないと考えたことがあったんです。今回のアルバムでは島から出て、島の外でワーッとやっていた僕らがまた島に帰って曲をつくった。自分たちの(旅の)ループがそこで最後クローズするなというイメージがありました。

「Kumoyo」というのはどういう意味なんですか。

Go:それは「きかが/くもよう」の「くもよう」なんです。いまちょうど着ているんですけど(といって上着の前をはだけると自分たちのバンドTを中に着込んでいる)こういうマーチャンダイズがあってグラフィックのなかでバンド名が「KIKAGA – KUMOYO」と区切ってあるんですよ。このマーチは去年つくったものですが、日本語で「きかが/くもよう」とわけて考えることはあまりないと思うんですけど、それがアルファベットになって「KIKAGA – KUMOYO」とわかれてきたときに、アルバム・タイトルにループ(回帰)するという意味合いをこめたのと同じように「KUMOYO」というバンド名がループしているのもおもしろいと思ったんですね。

「Moyo Island」だったらわかりやすいけど、「Kumoyo Island」だとわからなくなりますね。

Go:その不自然感が言葉の響きとして新しかったしバンドのお尻の部分だし、ということでつけました。

最後は日本で仕上げたんですよね。停滞気味だった2020年夏からお尻に火がついてきた?

Go:ヤバいなって。

日本に戻ってレコーディングしていたのはいつですか?

Go:2020年の11月から2021年の1月くらいまでです。

曲ができてから戻ってきたんですか?

Go:その時点で曲づくりをはじめました。さっきいったように、曲づくりができなくなっちゃって、なんでできないんだと考えたときに、みんなでスタジオに毎日入るからできないんだと結論づけたんです。スタジオに毎日入ると練習みたいになっちゃうんです。曲をつくるのと練習は違うじゃないですか。

そうですね。

Go:アイデアを発展させていくのもみんなそれぞれ違ったスペースが必要だし、各人のキャパシティもいろいろですからその場で思いつくひともいれば、家に帰って何回も聴いて1フレーズ出てくるひともいる。日本に住んでいたときは週1、週2のペースでスタジオに入ってのこりの日で消化することができたんですけど、毎日入っちゃうとそれもないから、うちらが東京に帰ってきて1ヶ月半時間をとって週1ペースでスタジオに入るサイクルでつくればできるんじゃないかと思って帰国しました。東京では初期のころから入っていた浅草橋のツバメスタジオのすぐそばにAirbnbで部屋とって、夜の12時以降と平日の使ってない時間帯を自由に使わせてもわらってデモをつくっている感覚で曲作りしていたら、デモがデモじゃなくなっちゃったんですよ。

スタジオで録っているからね(笑)。

Go:(笑)デモって家でつくるからリズムマシン使ったりギターをラインで録ってショボくなっちゃったりするけど、レコーディング・スタジオだとそんなこともなく、ああこれでできるかなと思い、やっちゃっいました。

じっさいそれで曲になったんですか。

Go:ならなかったんですが、プロセスが楽しかった。メンバーがちょっと顔出して音入れさせてよ、みたいな、そのプロセスが楽しかったからそれでいいんじゃないか、これが楽しかったんだからこれ以上のものはできないんじゃないかと(笑)。いいとかわるいとかではなく、楽しければいいという原点に戻って、これでよいのではないかということですね。

それでいろんな音が入っているんですね。

Go:いままではライヴでやっていた曲をスタジオで録ってオーヴァーダブすることが多かったんですが、今回にかんしては宅録にちかいというか、コロナというのがあってライヴが想像できなかったのもあって再現できなくても関係ないやという感じでした。

「世界に出よう」と考えたときに、白人の文化にたいして了承をもらうような流れをうちらの世代で変えていきたいとは思っています。海外に出るには英語をしゃべれなきゃいけない、歌詞も英語じゃないとわからない、ということではないと思うんですね。

曲の話に移ります。冒頭の「Monaka」はなかなかのキラーチューンですが、どのように誕生したのでしょう。

Go:Tomoは石川の加賀温泉の出身なんですね。

ええ。

Go:そこに民謡があるらしく、それがメインのインスピレーションなんですね。

途中のペンタトニックっぽいパートですか?

Go:それとコブシを思わせる部分ですね。それらをどうやってバンド・アレンジに発展させるかというのは、さっきいったようにスタジオでいろいろ試した結果です。歌詞の「もなかのなかなか」というのはTomoの適当さの真骨頂です。

あんまり説明になっていないけどね(笑)。

Go:なってないかもしれないですけど(笑)、Tomoの実家はお菓子屋なんです。

それで「もなか」なんですね。

Go:その影響下にあるんでしょうね。それがパッと出てきて、そこにいまで聴いてきたクラウトロックやサイケの要素が加わり、ああいうふうになったんですね。

アイデアをもちより固めていったらそうなったと。

Go:あれをやりながらみんなで適当にジャムしていくんですが、あんまりできることはないんですね。僕だったらふつうのビートかハンマービートか、変拍子でどうのこうのとかあまりできないですし、みんなもだいたいそうなんですね。いろんなことを思いついても技術的にできないので、ああいうかたちにおちつきました。

変拍子できないとおっしゃいますけど『Forest Of Lost Children』の “Smoke And Mirrors” なんかは変拍子ですよね。5、5、5、6だから。

Go:あれは変拍子と知らずにやっていました(笑)。たまに6拍子になったらいいんじゃない、くらいな感じです(笑)。

そういうことをやっていたから冒頭にプログレっぽくならないよう気をつけたというのがちょっと意外な気がしたんですよね。

Go:意図するのと自然にそうなるのとの違いですよね。

ロジックではなく感覚、フィーリングですね。

Go:そうです。

できることがあまりないということですが “Monaka” でもイントロや途中のパートでも、場面の転換のさせ方に意外性があってよく練られているなと思いますが。

Go:フリー・ジャズなんかのスピリチュアルな感じってあるじゃないですか。あの曲はそういった感じのイントロをクラウトロックにつなげた感じです。いろんな楽器がウワーッて鳴っていたのが、リフがはじまるとキュッとひきしまるというか、開いたり閉じたりというか、緩急といいますか、そういうのが曲のなかであると飽きないと思うんですね。ミニマルな音楽ってつくるのは簡単そうですが、グルーヴがちゃんととれていないと気持ち悪いと思うんです。僕はクリックでは叩けないですしジャストなリズムからはブレているんですが、だったらブレても大丈夫なように展開をつけるといいますか、展開があればごまかされるというのは語弊がありますが、聴いている方も飽きないと思うんですよね。

視界が変わりますからね。

Go:そうですね。

でもそれが幾何学模様の特徴になっていると思うんですね。サンプリング的な折衷感といいますか、いろんな要素がカットインしてくる意外性があってワンコードのセッションで即興をまわしていくのとも違う特徴だと思います。

Go:ありがとうございます。

それが今回のアルバムではコクが出てきたと思いました。

Go:新しいことをやるという目標はあまりなくて、自分たちが楽しければいいと思っているんですよ。うちらはツアーをやるにしても、アルバム・ツアー名目でアルバムからの曲を中心にセットリストをつくることはあまりないんですね。ツアーでも毎回セットも違うから、いままでのセットリストに1~2曲、できれば3曲新しい曲が加わればいいね、くらいのノリなんです。となると “Monaka” と “Dancing Blue” と “Yayoi Iyayoi” の3曲がライヴでできれば、あとはなんでもいいやというのはありました。逆にいうとそこで遊べるということでもあります。

いまあげられた3曲はアルバムでもカギになる3曲ですね。

Go:この3曲にかんしてはライヴを想像していたところはありました。いまはそれを練習しているところです。自分たちの音源を聴いて「これどうやんだっけ!?」「できんの!?」って(笑)。

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僕らが日本語にない響きと思っているものも、結局五十音からなる音でしか表現できなかったりするんです。喉をつかう音、フランス語のような発声にそもそも慣れていないから、デタラメな言葉であっても日本語訛りのデタラメな言葉なんですね。

カヴァー曲も収録していますね。エラズモ・カルロスの “Meu Mar”。この曲をとりあげた経緯を教えてください。

Go:“Meu Mar” はもともと〈Light In The Attics〉の企画で、マック・デマルコが細野さんの “Honey Moon” をカヴァーしたのと同じ7インチ・シリーズで指名されたときに “Meu Mar” を選んだんです。当初A面が原曲でB面がうちらのカヴァーでやることになっていたんですが、原曲の権利がクリアにならず、1年待って結局オクラ入りしそうだったから「勝手に使うよ」といって収録しました。ちょうどあと1~2曲つくろうか迷っていたタイミングだったときに “Meu Mar” の音源があったのでこれ入れちゃおうって。

「Meu Mar」は「My Sea」すなわち「私の海」ですから『Kumoyo Island』にピッタリでしたね。

Go:そうなんですよ。エラスモはすごく好きなんですけど、彼の曲をカヴァーするとなったときできるのがこの曲くらいしかなかったんですよ(笑)。

ブラジル音楽だからね。

Go:ドラムはもちろんギターのブラジルっぽいコードもわからない。あの曲くらいしかワン・コードの曲がないんですよ(笑)。

さっきから聞いていると、幾何学模様はネガティヴな状況をいい結果に導く能力が高いバンドだということになりますね。

Go:それしかないって感じで(笑)、それをやってどうおもしろくするかということですね。ほかに好きな曲もいっぱいあるんですけど、いろいろ聴いた結果 “Meu Mar” しかできなかったです。

エラズモ・カルロスはサイケ文脈でもとりあげられるようになりましたけど、トロピカリア的なものもリスナーとしておさえていましたか?

Go:バンドはじめたときにサイケデリックな音楽が世界中にあるとは思わなかったんですね。サイケは英米だけだと思っていました。それがだんだん聴きすすめるうちに、いろんな国に自分たちなりにサイケを解釈した音楽があると知って、オリジナリティを感じて掘っていた時期もありましたよ。トロピカリアとの出合いもそのときです。ああいう実験的な感じ、あとちょっとテキトーな感じ(笑)、独特な音の質感はいいなと思っていました。

レーベル〈Guruguru Brain〉の運営にも欧米圏にはない視点が活かされていると思います。

Go:ポピュラー音楽やロックにかんして、イギリスとアメリカの白人文化がもとにあったうえでほかの国の文化がつくられている──「世界に出よう」と考えたときに、白人の文化にたいして了承をもらうような流れをうちらの世代で変えていきたいとは思っています。海外に出るには英語をしゃべれなきゃいけない、歌詞も英語じゃないとわからない、ということではないと思うんですね。しゃべれないのが当たり前なんだからそれ以外のこと、言葉以外のコミュニケーションやコネクションを最大限に活用していきたいということです。

日本語の扱い方、たとえば “Yayoi Iyayoi” の歌詞は日本語で、幾何学模様にしては意味がとれる内容になっていますが、日本語についてはどう考えていますか。

Go:日本語の言葉の響きには独特な言い回しや粘っこさのようなものがありますよね。それはほかの国にはないものだと思います。ただそれをロックに応用すると、自分たちのなかにある「ロックとはこういうものだ」という価値基準に照らし合わせて違和感のようなものを感じることもある。それをどうやってかっこよくするかという課題はずっとありました。わかっちゃうダサさってあるじゃないですか。

わかっちゃうダサさ?

Go:「I Love You」は海外でふつうにつかえるのに日本語で「愛している」といったときになぜウッとなるのか。コンプレックスや固定観念が関係しているのかもしれないですが、はじめは日本語はイヤだったんですね。日本人だけがわかってほかの国の人には響きでしかないというヒエラルキーをつくるのがイヤだったんです。それが英語が母語じゃない僕からすると、英語の歌詞がそのまま理解できる人をうらやましいと感じる感覚に通じると思ったんです。僕はそういうのが(音楽を聴くときに)なければいいのに、と思っていたので、はじめは日本語の歌詞をなくして響きだけの言葉を使っていました。そうすると歌詞も音の追求になっていくんですよ。シュ、シ、シューとか、でも僕らが日本語にない響きと思っているものも、結局五十音からなる音でしか表現できなかったりするんです。喉をつかう音、フランス語のような発声にそもそも慣れていないから、デタラメな言葉であっても日本語訛りのデタラメな言葉なんですね。いつもTomoに、これインプロで歌ってというとすぐに出てきてそれがおもしろくてそういうやり方をしていたんですけど、だんだん適当さがパターン化してきたんですね。そうすると全体的に似たような感じになってくる、そう思ったとき、すでに日本語っぽいんだから日本語が知らないひとにしたら日本語に聞こえるから「Yayoi Iyayoi」なんかは日本語でやったらいいんじゃないかなと思ったのがいちばんのきかっけです。そこからTomoが適当に歌った音を聴いて、歌い出しが「さ」だったらその口のかたちが歌いやすいんだなと思ったので「さ」ではじまるメイクセンスする単語を探したり、ブックオフで日本の昔の季節の言葉が載っている本を買って言葉を拾ったりしました。

音に言葉をあてはめていったということですか。

Go:僕がブックオフにいって本2冊買ってきて、10分くらいで、適当に並べて、それで歌ってもらった結果、OKになりました(笑)。

言葉を選ぶとき意味やメッセージみたいなものはGoさんの念頭にはなかった?

Go:あまりなかったです。自分には歌詞がいいから音楽が響くと感じたことがあまりなかったから。それこそライターさんが書くようなバンドのおいたちみたいなものに、こういうことがあるんだ、と自分で解釈していくタイプだったので。

幾何学模様のレコードで “Meu Mar” や “Yayoi Iyayoi” のような日本語詞を聴くと、CANの『Tago Mago』の「Oh Yeah」でダモさんが日本語の歌詞になるときの印象に通じるものを感じます。

Go:あれハッとしますもんね、「あれっ!? わかる!」って(笑)。

それと作り方の適当さがかえって不可思議な感じにつながっていて、いい曲だと思いました。

Go:ありがとうございます。でも偶然の産物ですね(笑)。

もうちょっとできたかもしれないというエネルギーを今後どう活かすかという。おなかいっぱいになって終わるより、そうなって終わるほうが、ライヴでもなんでも僕はいいと思います。

ここ数枚のアルバムは「~Song」で終わっていましたが、今回 “Maison Silk Road” で幕を引くのはラスト・アルバムだからですか。

Go:これまでは、僕が曲をもってきてみんなでつくり上げる感じだったんですけど、僕とTomoがこっちに移住して東京に住んでいたメンバーも、そのうちのひとりが大阪に引っ越したりで、バラバラになったときがあって、バラバラの状態でやるうえでどこまでつくりこんでいけばいいんだろう、どこまでフリーにすればいいんだろう、どうやって大阪と東京とアムスにいながら全員が自分の作品だと、100%の個性をつぎこむにはどうしたらいいかと考えたとき、みんなの曲があればいいと思ったんです。今回のアルバムの最後に入っている「Maison Silk Road」はRyuの作品で、彼が新中野で住んでいたアパートの名前なんですよ(笑)。

すごい名前だね(笑)。

Go:アパートなのでメゾンでもないしシルクロードでもない(笑)。

島から西方へ旅立つことを暗示していると思ったんですが(笑)。

Go:足元に西方への道があった(笑)。日本のアパート名ってすごくおもしろいじゃないですか。海外でレーベルをやっていると、ときどき発送業者から、これどうやって書けばいいの、と訊かれることがあるんですよ。ローマ字か綴字どおりにするのか、メゾンを「Maison」と書くか「Mezon」と書くかということなんですが、すごく日本っぽいなと思ったんですね。

たしかに。

Go:そのおもしろさがあって、Ryuがひとりでつくった曲を聴いたときに、アンビエントっぽくて溶ける感じがあったので、高田馬場にはじまったサイケデリック・トリップからやっと目がさめた雰囲気があったんですよ。喧噪が聞こえてきて街に戻ってきた、いろんな国や街に行って、閉じた目が開いて現実に戻ってくる──みたいな感じがあったので最後の曲にしました。

Ryuさんひとりで仕上げた?

Go: ほかのメンバーはノータッチです。いいじゃん、入れようって。

そういう話を聞くと幾何学模様は誰が主導的な立場と決まっているわけではないのだとわかります。

Go:こうやって僕がインタヴューを受けてバンドの考えとか話したりするんですけど、ひとりが曲をつくっているスタイルだとほかのメンバーはそれをやるだけになってしまうとみんなでやっている感覚がなくなっちゃうので、みんなでやる感覚をどうやって失わずにつくれるのかはずっと考えていました。

その関係性は現在も崩れていませんか?

Go:崩れてはいませんが変わってはいます。みんな年をとっていろんなことを考えるようになっているので、変わったこと、変わるのが前提で、どうやってみんなで話し合ってコミュニケーションして、いまはこういうことをやりたいということをバンドにフィードバックするかということでした。

アートワークも、今回は写真ですね。

Go:もともといろんなアーティストを探していて、いままではイラストだったので平面なんですね。

はい。

Go:その平面をもうちょっとなんとかしたくて壁に描いてある絵を撮ったんですよ。いまちょっとおみせしますが(といってPCをもって部屋を出て階段をくだっていく)うちの壁なんですよ(といってPCカメラをむけると『Kumoyo Island』のジャケットと同じ絵柄が壁に描いてある)。

ほんとだ。

Go:ここに直接描いてもらったんですね。

誰が描いたの?

Go:オランダのアーティストです。それを写真に撮ると絵にみえるとよくみると写真だとわかる、奥行きを感じさせるジャケットがいいなと思ったんですね。

壁の前のソファとその下のオレンジにはどんな意味があるんですか。

Go:ソファはコンフォタブルな場所という意味です。このアルバムに入っている “Nap Song” や『Masana Temples』の “Blanket Song” のように温かい、つつまれるような感じがコンセプトにありました。アートのディレクションはTomoですが、Tomoとアーティストで話して、こういうイメージでとか、アルバムのなかの曲ごとのイメージを全部話して、色使いやモチーフや構図を指示をしたんだと思います。ジャケットの上の枠がオレンジじゃないですか、それでこのドットが落ちたようにみえたらおもしろいね、ということでそこからオレンジを置いたんだと思います。

5枚目が出て、ツアーも予定されているんですよね。

Go:5月からアメリカの西海岸がはじめで、ヨーロッパに戻って主要都市をまわるのが6月です。

最後に確認しますが、バンドを10年つづけてきて、演奏も達者になり、リレーションも充実しているなかのラスト・アルバムは返す返すもったいなくないですか。

Go:そのもったいなさがポテンシャルじゃないですか。もうちょっとできたかもしれないというエネルギーを今後どう活かすかという。おなかいっぱいになって終わるより、そうなって終わるほうが、ライヴでもなんでも僕はいいと思います。もうちょっと聴きたかったのに、というところで止められるともう一回いきたくなるような気持ちになる。バンド活動も、もうちょっとできたかも、と思う反面、自分たちでこれでいいでしょうと納得できたので、ここで! ということです。

日本でのライヴは予定されていますか。

Go:7月の終わりにFujiが決まりました。それと11月か12月に、最後に東京でやりたいですね。

やってください、ぜひ。

Go:家に帰ってきた感じで、最後にみんなでトリップからめざめたいです。


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