「KING」と一致するもの

[Electronic, House, Dubstep]#12 - ele-king

 買ってからけっこう時間が経ってしまっている盤も少なくない。いまはヴィラロボスのアナログ盤が並んでいるけれど、ぜんぶ揃えると5千円かよ~。とりあえずはいくつか現状報告。

1.Lindstrom - Call Me Anytime (Ariel Pink's Haunted Graffiti Remix) |
Smalltown Supersound


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E王いつか誰かがやるんじゃないかと思っていたけれど……リミキサーがアリエル・ピンクス・ホーンティッド・グラフィティ、OPN、そしてマーク・マグワイアという、三田格じゃなくとも「ついにこの時代が来たか!」と唸りたくなるような記念碑的なシングル。機能性のみが重視されているこの10年のリミックス文化には見られなかった何でもアリの実験精神が刻まれている。それでも、OPNとマーク・マッガイアに頼むのはわかる。そこにアリエル・ピンクがA面にどしんと刻まれているところが良い。レーベルの方向性に拍手したい。ノルウェイーのコズミック・ディスコの王様、リンドストロームが今年リリースしたサード・アルバム『シックス・カップス・オブ・レベル』収録曲だが、最近はネナ・チェリー&ザ・シングやラジカのアルバム、数年前はサンバーンド・ハンド・オブ・マンやヤマツカ・アイなどといったレフトフィールドなアーティストの作品を出している〈スモールタウン・スーパーサウンド〉らしい冒険心と言えるだろう。
 アリエル・ピンクス・ホーンティッド・グラフィティのリミックスが意外なことにしっかりとフロア対応していて、クラウトロック的な、そして諧謔性のあるミニマリズムを展開。OPNは、チルアウトを押し通しつつも、左右音が飛びまくりの見事なトリップ・ミュージック。マーク・マグワイアは……思わず笑ってしまうほど、ギターを弾きまくっている。

2.Azealia Banks - 1991 | Interscope Records


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E王とくにヒップホップ/R&Bのリスナーのあいだでは期待が高い、ハーレム出身の21歳、アゼリア・バンクスの〈インタースコープ〉からの12インチ・シングルをマシン・ドラムとローンがプロデュースしているところに“いま”を感じるし、M.I.A.を過去のものにしてやるぐらいの意気込みを感じる。ミッシー・エリオットとM.I.A.の中間をいくようなフローも魅力的で、一聴しただけで強く惹かれるものがある。ハウスを取り入れたマシンドラムの“1991”に対して、ローンはレイヴィーな“Liquorice”で迎える。路上のにおいが漂うB1の“212”も素晴らしい。すべてにおいて完璧。夏前に買ったシングルだが、2012年のベストな1枚だと思う。

3.Joy Orbison, Boddika & Pearson Sound - Faint / Nil (Reece) / Moist | SunkLo


 UKベース・ミュージック、ジョイ・オービソンがボディカと一緒に作ったレーベルから3枚リリースされている12インチの最初の1枚。この盤のみピアソン・サウンドが参加。
 ハウス/テクノに限りなく近づきながらも一寸止めでベース・ミュージックにとどまっている。ダブステップやグライムで育った感性がハウス的展開をしているまっただ中にある。ザ・XXのジェイミー・スミスあたりといちばんシンクロしている音はこのあたりなんじゃないだろうか。

4.Moody - Why Do U Feel ? / I Got Werk / Born 2 Die | KDJ


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E王問題はB面の2曲目。ラナ・デル・レイとは、とくに“ボーン・トゥ・ダイ”のプロモーション・ヴィデオを見たことのある人なら、あの曲の世界観が吐き気がするほど白いアメリカだとわかるだろう。それは、デトロイトのブラック・ソウル・ハウスにおけるもっともラジカルなプロデューサーが描き続けている世界とは正反対に広がっている。が、ムーディーマンはそんな彼女を、突き放すのではなく、セクシャルな黒い女神へと変換している。鮮やかな手口でもって。
 ほかの2曲は毅然としたブラック・ソウル。“Why Do U Feel ?”はムーディーマンのメロウなセンスを活かした曲で、“I Got Werk”はファンク。ちょっとオタク的なことを言えば、スネアの音ひとつ、シンバルの音ひとつ、違う。

5.HRKY - Madwazz Ep | Madwazz Records


これをもそうだが、最近は、本当に、デトロイト・テクノがインディ・ミュージックを聴いているいちばん若い世代のあいだで盛り上がっているようだ。ロックのおけるブルースやソウルのように、迷ったら帰る家となっているのだろう。  これは神戸のレコード店〈アンダーグラウンド・ギャラリー〉が鼻息荒く、「CARL CRAIG / BASIC CHANNELファンへ!」と紹介する福岡のレーベル〈マッドワズ〉からの第一弾。バック・トゥ・ベーシックなファンクのグルーヴをキープしながら、アトモスフェリックなシンセサイザーが広がっている。3曲収録されているが、僕はB1の“The momentary break”がいちばん好き。メトロノーミックな909系のキック音、重なるストリングス、美しい余韻、まさに初期のカール・クレイグを彷彿させる。カセット・レーベルの〈ダエン〉といい、大阪と同様にナイトライフの締め付けが厳しくなっている福岡が、なんだか良い感じでざわついてきた。次は稲岡健か?

6.Being Borings - E-Girls on B-Movie(KT Re-Edit) / Red Hat and Black Sun / Love House of Love (Dr.Dunks Club Remix) | Crue-L Records


 瀧見憲司と神田朋樹によるプロジェクト、ビーイング・ボーリングの2枚目の12インチで、ピッチを落とした、どろどっろのドラッギーなハウスが3種類収録されている。スクリュー的(チルウェイヴ的)なフィーリングのハウス解釈とも呼べる内容で、最近ではシーホークスと繋がっているように、言うなればアシッド・スクリュー・ハウスのAOR的な展開なのだ。瀧見憲司の場合は、どれだけフリークアウトしても身だしなみはしっかりしているようなところがあって、ビーイング・ボーリングにも彼の長所がよく出ている。B面ではラブン・タグのエリック・ダンカンがリミックスをしている。

7.Kahn & Neek - Percy / Fierce | Bandulu Records


 スウィンドルに匹敵するような強力なグライムを下さいと、下北沢のZEROの飯島直樹さんに教えてもらったのが、この12インチ。
 新しいレーベルの1枚目だが、カーンのほうは〈パンチ・ドランク〉などから数枚のシングルを出している。まあ、飯島さんが推すぐらいだからブリストルの連中なのだろう。このど迫力あるベースとサンプリング、若くて、ヴァイタルで、重たい音、たしかに「ドゥ・ザ・ジャズ」に匹敵する。グライムにパワーもらおっと。

8.Major Lazer - Get Free | Mad Decent


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 これも実は夏前のリリースで、はっきり言ってE王クラスのキャッチーなポップなレゲエ。ダーティー・プロジェクターズの女性、アンバー・コフマンさんをヴォーカルに迎えて、ディプロとスウィッチは彼らなりのラヴァーズ・ロックを披露している。B面ではボンヂ・ド・ホレ(Bonde do Role)がタイ・ディスコ調のリミックス。両面ともすごく良い。曲調、歌詞ともに今年のサマー・アンセムだった。
「政府からは愛を得られない/お金を得て何ができるの?/金すら得られないっつーのに/私を見て/私には信じられない/彼らが私に何をしてれたのだろうか/私は自由になれない/夢をみたいだけなのに」、その通り。異論はない。

9.Tashaki Miyaki - Sings The Everly Brothers | For Us


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 日本人ではない。ジーザス&メリーチェインをさらにレトロに再構築したようなサウンドで、実際バディ・ホリーやサム・クックのカヴァーも発表している。というか、他にもボブ・ディランとか、カヴァーばかりなのだが……。またレトロ・サウンドかよーと言わないで、聴いてみたほうが良い。形態こそロック・バンドだが、演奏している音は、スクリュー的なのだ。つまりテンポはどろっと遅く、けだるく、ドリーミー。

interview with Keigo Oyamada - ele-king

「『空中キャンプ』も『ファンタズマ』もすっかり過去のものになっていく。日本、終了」(大幅に中略)「音楽だけでなく、あらゆるジャンルで日本にはクリエイターが育たず、せっかくの文化的蓄積を食いつぶしてしまったのである。そして、いまはガラパゴスを決め込み、J・ポップを聴いていれば洋楽を聴く必要はないと開き直っている。......動物化とはよく言ったかもしれない(いいものだってある。でも、それが日本で人気を集められないことはさらに深刻な事態を意味していないだろうか)」
三田格、8月2日、イヴェイドのレヴューより

 そして『ファンタズマ』の作者は、9月5日に自ら手がけたリミックスを編集した『CM4』をリリースする。最初の『CM』がリリースされたのは1998年、UNKLE、マニー・マーク、バッファロー・ドーター、ザ・パステルズ、ザ・ハイ・ラマスを小山田圭吾がリミックスした音源が収録されている。『CM2』は2003年で、ブラー、ベック、クルーエル・グランドオーケストラ、ボニー・ピンク、電気グルーヴ、モビー、マニック・ストリート・プリーチャーズ、テイ・トウワ、ジ・アヴァランチーズ、スティングなど。『CM3』は2009年にリリースしている。スケッチ・ショー、坂も龍一、ジェームズ・ブラウン、クリスタル・ケイ、キング・オブ・コンヴィニエンス、ブロック・パーティ、電気グルーヴ+SDP……等々。『CM4』は、布袋寅泰、小野洋子、MGMT、相対性理論、ラリ・プナ、ビースティ-・ボーイズ、アート・リンゼー、マイア・ヒラサワ、イフ・バイ・イエス(ユカ・ホンダのユニット)、野宮真貴、三波春夫。コーネリアスらしい遊び心があって、工夫があって、可笑しくて、楽しいリミックス・アルバムである。
 『ファンタズマ』の作者は、FREE DOMMUNEでSalyu×Salyuのライヴに出て、翌日にはYMOのライヴ、そして数日後この取材に答えてくれた。

クラフトワークが日本語で「いますぐ止めろ」って言ってたのがけっこうびっくりした。すごいなと思って。あんなにクールな音楽じゃないですか。メッセージもすごいシンプルじゃないですか。それが日本語で。


CORNELIUS
CM4

ワーナー

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小山田くんさ、「ガラパゴス化現象」って知ってる?

小山田:あー……なんとなく。携帯とかそういうやつでしょ? ガラケー(ガラパゴス・ケータイ)とか。ガラケー知らないですか?

いや、それ知らない(笑)。

小山田:えー(笑)! インターナショナルじゃないってことでしょ? 日本で独自に進化したっていう……モードとかそういう、海外じゃ使えないっていう。

そうそうそうそう! まさにそう(笑)。いい面も悪い面もあるとい思うんだけど、すべて内需で成立してしまってる世界というか。音楽シーンは典型的なまでにそうですね。90年代は、『ファンタズマ』でも石野卓球でも、ピチカート・ファイヴでもボアダムスでも、国際社会へと開けていったじゃないですか。ところがここ数年のバンドは、まあ、ほとんどすべてが国内で完結してしまっているっていう。

小山田:どうなんですかねえ。90年代はやっぱそういうのあったんですよ。まだ音楽産業良かったし。日本もまだ大丈夫だったし。でもやっぱ、それ以降ね、音楽産業も世のなか的にも下向いてきたじゃないですか。なかなかそういうのが難しくなってきてるんじゃないですかね。

経済的な問題だけかね?

小山田:うーん……まあ、それもあると思いますけどね。それだけじゃないと思いますけど、でもそれ(経済)がけっこう大きな問題じゃないですかね。

貧して鈍するじゃないけど、貧して創造どころじゃないっていうこと?

小山田:うん……わかんないけどね。

やっぱ寂しさって感じない? なんか航路を作ったのに利用されなかったみたいな。

小山田:感じますね(笑)。思いっきり感じます。でもまあ、そうじゃなくやれてるんで、まあいいのかなあと。

だはは、自分は(笑)?

小山田:はははは。

国際的に開けていった連中に経済的なバックアップがあったわけでもないじゃん。むしろ、経済的なバックアップがありながら、成功しなかった人だって少なくなかったでしょ。経済力だけではないと思うけど。

小山田:そうでもないですかね。何なんでしょうね。でもやってるひとはたくさんいるでしょ、若いひとたちでたくさん。

エレクトロニック・ミュージックの世界ではけっこういるけれど、やっぱりポップ・フィールドではいないよね。

小山田:コーネリアスもポップ・フィールドかって言ったらどうなんだろうね。わかんないけど(笑)。

たとえば、最近コロンビアのラス・マラス・アミスタデスっていうポップス・バンドがロンドンの〈オネスト・ジョンズ〉からアルバムを出したのね。ちょっとヤング・マーブル・ジャイアンツみたいなんだけどさ。イギリスのメディアのレヴューで「スペイン語で歌っているポップスがアングロサクソン圏内の音楽シーンで支持されるには、よほど音楽が面白くなければ無理だ」っていうのがあって。日本の音楽文化もほんの10年前までそうだったはずなのに……。

小山田:なくなっちゃったのかな。

逆に誰か知ってたら教えてほしい(笑)。海外で知られることだけが音楽の価値じゃないんだけど。

小山田:そうですね、そう考えると。いるんですかね。

クール・ジャパン戦略みたいなものじゃなくてさ。

小山田:そうですよね。

そう、コーネリアスがアルバム出さなくなって、日本の音楽はますます危機に瀕しているんでしょう!

小山田:いやいやいやいや(笑)。そんなことないでしょ(笑)!

今回もこうやって、リミックス・アルバムで何とかその場をしのいでいくっていう(笑)。

小山田:はははは(笑)。いや、いろいろやってるってことをね、ちゃんとまとめようかなあと思って。

なるほど。リミックス・アルバムも4枚目じゃないですか。リミックスの依頼っていうのはどうなんですか? 小山田くんは依頼されるとほとんど引き受けるほう? それともけっこう選ぶほう?

小山田:リミックスは、最近はけっこう断ったりしてるよね。最近はいろいろ忙しかったりとか。ちょっとあんまり盛り上がらなかったりとか(笑)。

ああ、気持ち的に燃えてこないと。

小山田:うん(笑)。でも最近リミックス増えてきてるよね。ポツポツ来てるよね。一時期あんまなかったんだけど。

リミックス自体は好きなんだ、自分でも?

小山田:うん、まあ好きですよ。好きですね、どっちかって言うと(笑)。

リミックスを引き受けるか引き受けないかは、自分の音楽の好みで選ぶの? それとも別の理由?

小山田:いやまあ、トータル的な理由です。

好みじゃないけど、リミックスはやってみたいってことはあるの?

小山田:うん、ある。

たとえば今回のアルバムでは?

小山田:それはちょっと……(笑)。

ははははは(笑)。そんなこと言ったら友だちなくしそうだもんね(笑)。

小山田:それはちょっと(笑)。元曲がいい曲だからやりたいっていう場合と、これやったら面白いだろうなっていう場合と、まあ2種類ですよね。

まあそりゃそうだよね。

小山田:うん。

自分が手がけたリミックスをまとめたリミックス・アルバムが4枚というのは、多いほうだと思うんだけど、リミックスという作業には、その固有の上達とかあるの?

小山田:上達……なんか、あるかもね。

はははは(笑)。

小山田:良くなってるかっていうことよりも、時間が短くなったとか(笑)。早くできるようになったとか、そういう意味では上達なのかもしれないけど、作品のクオリティっていうか良さが昔に比べて上がったかっていうと……良かったり悪かったりするときもやっぱりあるし。昔のでもすごいいいのがあったりとか、自分的にね。最近でも「うーん」みたいなのもちょっとあったりとか。

「これはコーネリアスの作品だ」っていう気構えでやってるの?

小山田:うーん、まあ後でまとめることは一応考えてますけどね。全部が全部「コーネリアスだ」っていうわけではないんですよ。でもやっぱり並べると色が見えてくるじゃないですか。

見えてくるね。年々テクノっぽくなってる。

小山田:あ、そうですか。

うん。まあ当たり前なんだけど、打ち込みというか、エレクトロニック・ミュージックの要素が。

小山田:そうか……。

そうは思わない? アート・リンゼーのリミックスなんかもIDMっぽいし。

小山田:完全パソコンで作ってるんで、まあそういう意味ではそうなんですけど、鳴ってる音はけっこう生音を録って使ったりとかはしているので。電子音みたいなものが前面に出てるって感じてもなくて、普通にギター、ベース、ピアノとかドラムとか――ドラムも普通の生音っぽい音色(おんしょく)だったりとか。そういう意味ではテクノっぽくないのかな、っていう気もするんですけどね。

そうだね。野宮真貴さんのリミックスのように、アコースティックな綺麗な反響を活かしている曲もあるし……。全部パソコンでやるんですか?

小山田:いや、全部は全部ではないですけど、まあほとんどパソコンですね。パソコンと楽器ちょっと弾いたりとか。

PCを使うようになってから、やっぱり作業はやりやすくなった?

小山田:まあ、外のスタジオとか使わなくていい分、楽にはなりましたよ。でもやることは増えるから、そういう意味での労力は増えるけど。

最初のガラパゴスの話じゃないけど、今回のアルバムがいままででいちばん日本人が多いじゃないですか!

小山田:そうですね。日本人いままでそんなになかったっけ?

これまではスケッチ・ショウとかさ、電気グルーヴとかさ。

小山田:たしかに。今回は三波春夫まで入ってるから(笑)。日本色強いね。

これはいまのシーンを反映してるんでしょうかね?

小山田:そうなんですかねえ。シーン……。

今回の『CM4』は『CM3』を発表したあとのリミックスってことでしょ?

小山田:基本そうです。アート・リンゼイだけちょっと前なのかな。

でも『CM3』ってそんなに昔じゃないよね?

小山田:そう、3年ぐらい前。

だから多くの曲がここ2年ぐらいのものなんだよね。

小山田:そうですね。

この三波春夫の“赤とんぼ”を最後に持ってきたっていうのはなんで?

小山田:いや、ここしか置くところが思いつかなかったんで……(笑)。

さすがに1曲目から“赤とんぼ”は変化球過ぎるらね(笑)。これはどういう企画だったの?

小山田:これはね、坂本龍一さんのレーベルで『にほんのうた』っていうコンピレーションがあって、唱歌とかそういうものを現代のひとたちでもういっかいやってみようっていう企画でやったんですけど。三波先生はこれはもともとライヴ・テイクで、ロサンゼルスかどこかの公演で歌っていたマルチが残ってて、そこから歌だけ出してきてパーツを付け直したみたいな。

10年前ならやらなかったであろうことをやる年齢になったんだね(笑)。

小山田:そう、できる年齢に(笑)。10年前とかだったらたぶんできなかったと思う。

依頼された曲のなかで、一番好きな曲だったら言える?

小山田:リミックスとして? “赤とんぼ”はけっこう(笑)。食い合わせがたぶん想像できないと思うんだけど、意外に食ってみたらうまかったみたいな感じ(笑)。

MGMTていうのはわかりやすいっていうか、コーネリアスが好きそうな感じがするね。

小山田:あとヨーコさんは別ですね。これはいちおうコーネリアス・ミックスってなってるんですけど、プラスティック・オノ・バンドのセッションを僕が最終的に全部まとめたって感じなんで。これもすごく印象に残ってますね。一緒にやったんで。

小野洋子さんの曲では、ダンス・ミュージックへのアプローチをやっているけど、ラリ・プナはアンビエントなフィーリングが展開されています。これも今作のなかのベストな1曲ですよね。

小山田:ラリ・プナもけっこう気に入ってます、これ。リズムまったくなくて。あんまりそういうの作ったことないから。

これはいつやったんですか?

小山田:1年か1年半ぐらい前かな。

マイア・ヒラサワさんって方は僕存じてなかったんですけど、このひとはスウェーデンなの?

小山田:スウェーデン人と日本人のハーフで、けっこうCMとかでやってる。で、向こうですごく人気があるみたいで。ちょっとビョークに声が似てて。音はタンバリンスタジオみたいな感じのスウェディッシュ・ポップみたいな。

たしかにビョークっぽい。魅力的な良い声ですね。あと、ビースティー・ボーイズのリミックスもやっていたんだね。マシナリーなファンクというか、これはコーネリアスらしい音の遊びがあるっていうか。

小山田:ビースティーはね、ちょうど『センシュアス』のときにパリでライヴがあって、コーネリアスでオープニング・アクトをやったんですよ。たぶんそのときに観て気に入ってくれたのかな。そのすぐ後ぐらいに依頼が来て。

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『CM3』はけっこう偏執狂的に音をほんとに少なくしよう見たいな感じでストイックさがすごく強かったような気がするんだけど。ちょっと肩の力が抜けて遊びが入ってきてるなって気がしますね。


CORNELIUS
CM4

ワーナー

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相対性理論をコーネリアスがやるっていうのはよくわかる気がするんですけどね。

小山田:ふーん……そうなんだ。

ある意味では、遠い存在ではないでしょ。このなかでは。

小山田:まあそうだね。このあいだ一緒にやったりしたし。ヴァセリンズと一緒と時に。話しやすいね(笑)。普通に話せる感じ。

布袋寅泰を1曲目に持ってきたっていうのはすごいね。

小山田:あ、そうですか。

自分でどうですか、今回の『CM4』を通して聴いてみて。

小山田:うーん……『CM3』はけっこう偏執狂的に音をほんとに少なくしよう見たいな感じでストイックさがすごく強かったような気がするんだけど。ちょっと肩の力が抜けて遊びが入ってきてるなって気がしますね。

はははは。でも最後にオリジナル・アルバムを出してから早6年ですよね。

小山田:あ、もうそんなんですか。6年経ってる? ほんとに?

クラフトワークは、『ポイント』のときはヒントになったって言ってたけど、ほんとにクラフトワークになりつつあるんじゃないかと。

小山田:そうだね。6年?

だからいまほとんど『エレクトリック・カフェ』を出した頃のクラフトワーク(笑)。

小山田:はははは。

そして『ザ・ミックス』が出て(笑)。

小山田:『ザ・ミックス』でお茶を濁すっていう(笑)。

じゃあ、次は“EXPO”だね(笑)。

小山田:“EXPO 2000”(笑)。

いや、“EXPO 3000”。もうみんな死んでるって。そういえば最近はYMOに加わって、ほとんどメンバーになって活動してるそうじゃないですか。

小山田:DOMMUNEの次の日がワールド・ハピネスっていうYMOのイベントがあって。でもここ4、5年ぐらいやってるよね。

「NO NUKES」に出演したじゃない? 

小山田:やろうかなと。クラフトワークも出るし。

なるほど。

小山田:あれけっこう衝撃的でしたよ。いきなり日本語で来たから。“放射能(Radio-Activity)”を1曲目でやって、いきなり日本語で歌い出して。あれは衝撃でした。

小山田くんがポリティカルな場所でライヴをやるって初めてじゃない?

小山田:いや、そんなことないですよ。うちのバンドのベースのシミーってひとがいるんですけど。彼がスーデラでけっこう福島の子たちにお金集めるイヴェントとかやってて。それとかはけっこういつも出てるよね。

今回はそういうチャリティではなく、やっぱ政治的主張が目的だったわけじゃない?

小山田:まあ脱原発ですよね。

原発問題に関する小山田くんの考えを聞かせてもらっていいかな? いろんな次元での考えがあると思うけど。

小山田:ないほうがいい、っていう。単純に怖いなっていう。

いままでそういうことあまり言わないひとだったじゃない。

小山田:そうですね、あまり言わなかったかもしれないですね。いきなり言うことではないと思うし。

変な話、どちらかと言うとコーネリアスは政治とかね、そういうところから180度離れたところにいるようなところがあったじゃない、敢えて。

小山田:だから、そういう(政治的な)ところにはいたくないですよ、ほんとに。でも、脱原発じゃないひとっているんですか?

それはいるでしょうね。科学者のなかにだって。

小山田:まあいろいろじゃないですか。まあ、「いますぐ止めろ」とは……クラフトワークが言ってたけど。

日本語で?

小山田:そう、日本語で(笑)。

それは素晴らしいですね(笑)。

小山田:すごいなと思って。あんなにクールな音楽じゃないですか。メッセージもすごいシンプルじゃないですか。「いますぐ止めろ」って言ってたのがけっこうびっくりした。

それにクラフトワークが言うと何か違う説得力を感じるね。

小山田:だってわざわざ日本語ヴァージョン作ってきたんだよ、クラフトワーク。それで映像もちゃんと日本語訳で、エコノミー・クラスで来たって言ってたから。ちょっと泣けるよね。

たしかに。日本人も英語で歌っている場合じゃないね。ところで、コーネリアスのほうはどうなってるの?

小山田:ちょっと進行してたんですよ、実は。でもいま止まっちゃってて(笑)。

止まってるあいだにスタジオも引っ越して?

小山田:そうですね、まあ引っ越してからちょっと作業してて。で、夏ちょっとライヴだったり。明日からちょっと夏休みだったり(笑)。

自分の夏休み(笑)。コーネリアスの新作っていうのはそんなに容易く作れるとはまわりの人間も思ってはいないだろうけど、自分自身のなかでも今回はとくに大変なの?

小山田:どうなんですかね。大変っていうか、作業的には一緒ですけどね、こういうのと。

あ、リミックスと(笑)? それはウソでしょ(笑)。

小山田:いや作業的にはね(笑)。

作業的にはね。

小山田:精神的にはやっぱちょっと違うけど。ちょっとこの間やりはじめて、「あ、ちょっとエンジンかかったな」と思ったら止まっちゃって。でもまあのんびりやろうかなと。いろいろやりつつ。

いいですね、ほんとクラフトワークみたいで(笑)。やっぱり『ポイント』や『センシュアス』を超えなきゃいけないっていう思いはあるの? 

小山田:超える?

そう、より高次元へと飛躍する(笑)。

小山田:まあそれは自然になるんじゃないかなっていう感じですよね。

ほお、さすがだね。

小山田:(笑)いや、わかんないですけど。6年前とは細胞もやっぱ入れ替わってるし。

新しい自分がここにいるぞと。

小山田:ふふふ(笑)。

そういえば、前に話したときはダーティ・プロジェクターズがいいとか言ってたよね。最近いいなと思った音楽とかある?

小山田:最近はベンチャーズずっと聴いてる(笑)。

何で(笑)?

小山田:ベンチャーズ・ブームが到来で。あの、せたがや区民まつりっていうお祭を馬事公苑でやってるんですけど、今年ベンチャーズが来たんですよ。

ほお。

小山田:それでベンチャーズ観に行って。それでベンチャーズ熱が急激に高まって、ずっと聴いてましたね。

はははは!

小山田:はははは。

その、再発見した部分っていうのは?

小山田:いやもう、カッコいいですね、やっぱ。

もうクラフトワークみたいな普遍的なものとして。

小山田:そうですね。クラフトワークにちょっと近いかも。まあYMOに近いなと思ったんですよ。

ほお。

小山田:いや、メロディを何か楽器が単音で弾いてるインストゥルメンタル・ミュージックで。で、エキゾチックだったり、音響的なものだったり、そういうのもあって。クラフトワークとベンチャーズと、あとジョルジオ・モロダーとか足すと、初期のYMOになる感じがする。

ああ、なるほどね。

小山田:(YMOの)“コズミック・サーフィン”とかやっぱベンチャーズだし。幸宏さんも細野さんも、最初やっぱベンチャーズではじめたって言ってたんですよね。ギターも、ドラムもベンチャーズで。それでベンチャーズ熱がすごい高まっちゃって。全然最近の音楽じゃないけどね。
 とにかく、まあちょっとCD買ったりとか、ダウンロードしたりとか。日本公演がいいですね。64年か65年に日本に来たときに、映画があるんですよ。で、大橋巨泉がナレーションやってて。昭和30年代の風俗みたいなものもすごく入ってて。ほんとにめちゃくちゃ人気あったんですよ、日本で。多分ビートルズ以前は、ベンチャーズがいちばん人気あったロック・バンドですよね。ビートルズよりも人気あったぐらい国民的な存在だったんじゃないですかね。毎年3ヶ月日本ツアーやってますよ。で、1月と7、8、9と年2回来るっていうのを50年間やってるっていう(笑)。

どれだけ日本人に愛されたかってことだよね。

小山田:で、僕ら日本のバンドでも行ったことないような、ほんと地方の公民館のホールとかでも、1000人とか2000人とか必ず入るんだって。

それ馬事公苑でやってたんだ。

小山田:そう、タダで(笑)。

それ何歳ぐらいになってるの?

小山田:えっとね、リーダーのひとがドン・ウィルソンってひとなんですけど、79歳。来年80で、ヨーコさんと同い年。

すごいパワフルだね-。

小山田:で、オリジナル・メンバーはいまそのひとしかいないんですよ。で、全盛期のノーキー・エドワーズってひとは1月しか来ない。夏はほかで営業してるらしいです。で、ドン・ウィルソンってひとが、あの「テケテケテケテケ」をやるひとで、サイド・ギターなんですよ。ずっとリズムを刻んでて、そのひとがリーダー。

新しい音楽は全然聴いてないの?

小山田:うーん……まあ何となくユーチューブで見たりしてるけど、CDは買ってないかなあ。

ほお、ついに小山田圭吾までもが。

小山田:まあダウンロードはちょこちょこしてるかな。

何か気になったのとかいない?

小山田:何かあったかな、ぱっと思いつかないな。何だろう。あ、オン・ザ・ゴーって知ってる? オン・ザ・ゴーっていうロシアのバンド。ロシアの若い子たちで、けっこうカッコ良かった。ロシアでこれはいままでちょっとないなっていう。普通にヨーロッパのバンドっぽいんだけど。まあ変なんだけど。ロシアこれからいろいろ出てきそうかなと。

まあプッシー・ライオットがね。

小山田:プッシー・ライオット知らない。

ええ、プッシー・ライオット有名だよ。それこそロシアのさ、ライオット・ガールズで、メンバーも逮捕されて。それを「釈放しろ」って言って、それこそいろんなミュージシャンが呼びかけてるぐらいの。

小山田:へえー。

じゃあ日本のアーティストで気に入ってるのはいる?

小山田:青葉市子ちゃん。

彼女いいよね。ギターが上手いし。

小山田:歌も良いね。そういえば、今年はまたプラスティック・オノ・バンドのレコーディングが入ってて。それでまたニューヨーク行ったりとかしなきゃいけなくて。

ほお。そうやってコーネリアスが延びてくわけだ(笑)。

小山田:そうなんですよ(笑)。ヨーコさん来年80なんです。やる気満々らしくて、もう「いますぐやりたい」みたいな感じらしいです(笑)。

わかりました。とりあえずは『CM4』を楽しみたいと思います!

パブリック娘。 - ele-king

hi ele-king

「あっ、ども。はじめまして。」パブリック娘。です。
https://lyricalgarden.web.fc2.com/publickmusume/
橋元遊歩さん(原文ママ)から、THE OTOGIBANASHI'Sだけではライヴレヴューとしてなんだからと、ついでに大絶賛をいただいたラップ・グループです。
https://www.ele-king.net/review/live/002309/

1から3が清水大輔、4から6が斎藤辰也、7から10が文園太郎による選曲です。メンバー3人のうちまともにDJをしているのは文園のみですが、橋元さんへの感謝状の意も込めまして3人揃って選曲させていただきました。リストを眺めますと、目立つのはアーティスト本人によるアップロードですね。これもナウなヤングのひとつのリアルでございます。そうそう、Tokyo No Waveなるシーンが東京のライヴハウス(主に高円寺二万電圧でしょうか)で盛り上がりつつあるようですが、ぜひエレキングにも分析してもらえたら面白いに違いないと思っています。

私事になりますが、夏風邪をガツンとひいてしまい、目覚めたら39.8度なんてことが2週にわたり断続的に起きています。熱いです。ホット・チップです。みなさんのご健勝となによりご健康を心よりお祈り申し上げます。

best wishes.
tatsuya


1
moscow club - jellyfish - Bandcamp

2
ミツメ - fly me to the mars!!! - Mitsume

3
ユームラウト - マイライフ・イズ・エンド - Myspace

4
Dro Carey - Venus Knock - The Trilogy Tapes

5
Chrome Sparks - Still Sleeping (Feat. Steffaloo) - Zappruder/Bandcamp

6
kyu-shoku - New Song - Soundcloud

7
Rhymester s/w Wack Wack Rhythm Band & F.O.H - ウワサの真相 featuring F.O.H」- Ki/oon Music

8
Buddha Brand - 人間発電所(ORIGINAL '96 VERSION) - Cutting Edge

9
tengal6 - Put Ya Hands Up!? (You Know What Time Is It!? Mix) by BeatPoteto - Soundcloud

10
You The Rock - Back City Blues - Cutting Edge

electraglide - ele-king

 フライング・ロータスと電気グルーヴとDJケンタロウと高木正勝がいっしょに出る......というこの実験的でマニアックでオープン・マインディッドで、そしてど派手なラインナップ。ソナー・サウンド・トーキョーとしても活躍するビートインクが3年ぶりのエレクトラグライド、通称エレグラを開催する。
 ビートインクといえば、いまでは〈ワープ〉や〈ニンジャ・チューン〉をはじめ〈ハイパーダブ〉などの日本でのライセンスで知られているが、実はもともと、20年前は、まだエレクトロニック・ミュージックが日本に根付く前から、〈ON-U〉や808ステイト、リー・ペリーなどのコンサートを手がけている。PAシステムに対する意識もかなり高い。ハイプ・ウィリアムスのライヴで度肝を抜いた去る6月の「ハイパーダブ・エピソード1」のときのように、豪華なラインナップばかりではなく、意地でもサウンドシステムに力を注いでくるであろう。演出にも相当気を遣ってくるだろう。
 11月23日(金曜日)、場所は幕張メッセ。スタートは夜の9時から。すでに出演者は、二回に分けられて発表されている。第一弾発表として、フライング・ロータス、スクエアプッシャー、フォー・テット、アモン・トビン、アンドリュー・ウェザオール、コード9。ビッグネームがずらりと並んだ感じだが、フライング・ロータスに関しては新作『Until the Quiet Comes』が素晴らしかったこともあって、この一本だけでも駆けつけて来る人は少なくないでしょう。
 8月末には第二弾発表として、電気グル―ヴ、DJクラッシュ、DJケンタロウ、高木正勝といった大物の名前が挙げられたばかり。9月末には最終ラインナップが明かされることになっている。
詳しくはココ→(https://www.electraglide.info/

 ちなみにele-king編集部では、当たり前の話だが、本当に、まだ何も知らない(スタッフに訊いてみたけれど、当然、口は堅い!)。なので最終ラインナップの予想をしてみる。あくまでも希望が込められた予想です。イーノ、ハドソン・モホーク、デイデラス、エイフェックス・ツイン、ローレル・ヘイロー、コーネリアス、ゴス・トラッド......あるいは裏をかいてボノボ、オウテカ、グリズリー・ベア、ダークスター、オウガ・ユー・アスホール......あるいはハイプ・ウィリアムスがまた来たりして......当たったら拍手を! はずれたら罵倒を!


11/23(金曜日/祝前日)
@幕張メッセ
OPEN / START 21:00
TICKET前売¥8,800 / 当日¥9,800
※18歳未満入場不可。入場時にIDチェック有り。
顔写真付き身分証明書をご持参ください。

TICKET INFO:
前売8,800YEN:9月1日より販売開始!
チケットぴあ 0570-02-9999 [https://t.pia.jp/]
(Pコード:177-607) 初日特電:0570-02-9565
ローソンチケット 0570-084-003 [https://l-tike.com/] (Lコード:72626) 初日特電:0570-084-624
e+ [https://eplus.jp]
BEATINK web [beatink.com]
(以下ABC順)
BEAMS RECORDS 03-3746-0789
DISC SHOP ZERO 03-5432-6129
DISK UNION(渋谷Club Music Shop 03-3476-2627、新宿Club Music Shop 03-5919-2422、下北沢Club Music Shop 03-5738-2971、お茶の水駅前店 03-3295-1461、池袋店 03-5956-4550、吉祥寺店 0422-20-8062、町田店 042-720-7240、横浜西口店 045-317-5022、津田沼店 047-471-1003、千葉店 043-224-6372、柏店 04-7164-1787、北浦和店 048-832-0076、立川店 042-548-5875、高田馬場店 03-6205-5454、diskUNION CLUB MUSIC ONLINE [https://diskunion.net/clubt/])
HMV(ルミネ池袋店03-3983-5501、アトレ目黒店03-5475-1040、ルミネエスト新宿店03-5269-2571、ららぽーと豊洲店03-3533-8710)
GANBAN 03-3477-5710
JET SET TOKYO 03-5452-2262
SPIRAL RECORDS 03-3498-1224
TECHNIQUE 03-5458-4143
TOWER RECORDS(渋谷店 03-3496-3661、新宿店03-5360-7811、秋葉原店03-3251-7731、横浜モアーズ店045-321-6211、池袋店03-3983-2010、吉祥寺店0422-21-4571、町田店042-710-2161、柏店04-7166-6141)
TSUTAYA(SHIBUYA TSUTAYA 03-5459-2000、代官山 蔦屋書店 03-3770-2727、
TSUTAYA TOKYO ROPPONGI 03-5775-1515、三軒茶屋店 03-5431-7788)

INFO:
BEATINK 03-5768-1277 [beatink.com]
SMASH 03-3444-6751 [smash-jpn.com] [smash-mobile.com]
HOT STUFF 03-5720-9999 [www.red-hot.ne.jp]
https://www.electraglide.info/

JET SET Chart 2012.09.03 - ele-king

Shop Chart


1

Crue-l Grand Orchestra Vs Seahawks - Bon Voyage Trip (Crue-l)
Crue-l Grand Orchestra & Seahawksによるコラボ作。Crue-l Grand Orchestraの楽曲パーツをSeahawksが再構築した、話題の1枚です。

2

Orb Featuring Lee Scratch Perry - The Orbserver In The Star House (Cooking Vinyl)
アンビエント・ハウスの祖The Orbと重鎮Lee Perryによる、大御所同士のまさかのコラボ作。両者の代表作をリメイク/再録音した楽曲も収録です!!

3

Blu & Exile - Give Me My Flowers While I Can Still Smell Them (Fat Beats)
やはりこのタッグは間違いありません! Exileのソウルフルなトラック上をBluが巧みに言葉を敷き詰めていく様は圧巻です! 客演にはBlack SpadeやFashawn, Homeboy Sandman, i, Cedらが参加した全17曲。

4

Dam Funk - I Don't Wanna Be A Star! (Stones Throw)
Us版Wax Poetics第50刊のエクスクルーシブとして聴くことのできた"A Prince Mix"収録曲より、俄かに注目の集まっていたPrinceカヴァー"17 Day"までも収録!

5

Evisbeats - ひとつになるとき (Amida)
奈良県出身、大阪府在住。元韻踏合組合のラッパーでありトラックメイカー。2008年のファースト・アルバム『Amida』に続き、自身のレーベルされた2ndアルバムをLp化。

6

Crystal Ark - We Came To (Dfa)
ファットで妖しいアシッド・トラックにラテン調の女性ヴォーカル・エディットとチープなシンセ・リフが初期衝動的に絡みつく絶妙インディ・アーリー・ハウス!

7

Funkshone - Purification Pt.3 & Pt.4 Kenny Dope Remix / (Kay Dee)
1分半にも及ぶイントロはB-boyでなくとも2枚使いしたくなる最高のブレイク。最強の組み合わせによるKay Deeからの新作7"は、両面とも文句なしのキラー・チューンです!!

8

Walls - Walls Vs. Gerd Janson & Prins Thomas (Fm X)
Wallsの作品をGerd JansonとPrins Thomasのコンビがリミックスした注目作品!加えて、Wallsによるセルフ・エディットを収録。

9

John Cage - John Cage Shock (Em)
2012年はケージ生誕100年、そして初来日から50年という事で、EmとOmega Pointが共同で凄い物をリリースしました!!

10

Dj Shadow - Total Breakdown: Hidden Transmissions From The Mpc Era (Recon)
サンプリング・ミュージックの歴史を塗り変えた名作1stアルバム『Entroducing』以前の92'~96'年に制作されたという全23トラックを収録したヘッズ悶絶の2lp盤!

Maria Minerva - ele-king

 これまでマリア・ミネルヴァと勝手に読んでいたけれど、勉強不足ですいません、英語読みならミナーヴァ、ラテン語読みするなら正確にはミネルウァだそうで……ローマ神話に登場する音楽(魔術)の女神の名前の引用のこと。ミネルヴァとは俗ラテン語読みだったことをあとで知った。
 彼女が生まれ育ったエストニアの首都タリンは、今日、スカイプを生んだIT産業の成長国として、旧ソ連のなかでは貧しかった過去から一転した繁栄を遂げていることでも知られている。本名Maria Juur(マリア・ユールでいいのだろうか)は、自らのコンセプトに「負け犬」を掲げているが、母国の成長とともに育った女性なので、日本で多くに流通しているところの「負け」とは感覚が違っている。劣等感に支配された負け犬の惨めさが、彼女にはない。
 しかし、彼女が現在24歳だとしたら、24年前のタリンはそれなりにきつかったろうし、歴史を調べればそこがロシアとナチスに占拠されてきた土地であることもわかる。負け続けてきた歴史があり、そして彼女がそんな母国の文化にアイデンティファイしている話は、紙ele-kingの『vol.6』でもしている。やられ続けていた人間がいつの間にやる側に反転することはままあるが、彼女の変わらずの“前向きな”負け犬根性が注がれたアルバムは、8月も残すところ1週間というタイミングでレコード店に並んでいた。昨年の『キャバレ・シクスー』に続くセカンド・アルバム、タイトルは『ウィル・ハッピネス・ファインド・ミー?(幸福は私を見つけるか?)』。
 世間では、幸福とは自分で探すものだと教えられるが、いや違う、それは向こうからやってくるのだ、そんな言葉だ。しかもそれは、“私は発見されたくない(I Don't Wanna Be Discovered)”というアルバム3曲目のサブタイトルでもある。つまり、私は幸福なんてものにわかられたくない、と彼女は言っている。

 こうした不愉快さをにおわせるアルバム名に使いながら、ところがどっこい、『ウィル・ハッピネス・ファインド・ミー?』は、“マイクのごとき心(Heart Like A Microphone)”や“諦めるな(Never Give Up )”、“甘い相乗効果(Sweet Synergy)”や“永久機関(Perpetual Motion Machine)”、“星(The Star)”や“火(Fire)”などといった曲名のように、情熱的なニュアンスが並んでいる。“怒った少女のラヴ・ソング(Mad Girl's Love Song)”といったロマンティックな曲名の曲もあるが、これは60年代に自殺した女流詩人、シルヴィア・プラスの言葉からの引用だという(その曲は、昔の芸術界で不遇な死を遂げた女性への深い共鳴を感じさせる)。

 アルバムの内容は、前作とは比較にならないくらいに多様性を見せている。インド風のIDM=“ザ・サウンド”、メランコリックなヒップホップ=“ファイヤー”、レゲエ風=“スウィート・エナジー”、ジェフ・ミルズのミニマル・テクノをヒントにしたような曲=“パーペチュアル・モーション・マシン”、ダビーでスペイシーなポップ・ソング=“マッド・ガールズ・ラヴ・ソング”、アンビエント・ドローン的展開=“アローン・イン・アムステルダム”、エモーショナルなバラード=“ネヴァー・ギヴ・アップ”……そして、意外なことに、50年代に活躍した女性コーラス・グループ、ザ・コーデッツの“ミスター・サッドマン”(誰もが耳にしたような曲)をサンプリングしたメロウなR&B=“ザ・スター”。
 推し曲をひとつ選ぶなら、“アイ・ドント・ウォナ・ビー・ディスカヴァード”だろうか。ハンドクラップを取り入れたこのハウスは、マリアのお得意のスタイルの曲だが、いまどきの格好良さばかりではなく、今作の“情熱”を象徴するかのような力強さ、いままでの彼女にはなかったソウルがある。反響するループが瞑想的な“カミング・オブ・エイジ(成人)”などは、あたかもパティ・スミスのような語りを展開する。しかし、パティ・スミスにとってのヒーローはすべて男(ランボーからジミ・ヘンドリックス)だったが、マリアにとってのそれが女性(シクスーからプラス)であるという相違点は大きい。

 いろいろやれば良いってものではない。勇敢な挑戦が必ずしも成功するとは限らない。声はチャーミングだが、歌がうまいとは言えない。が、ともすれば移り気な新世代のラップトップ・ミュージックにも魂に訴える音楽があることをマリア・ミネルウァは証明した。しようとしている。“ハート・ライク・ア・マイクロフォン”で「私の心はマイクのようだ」と、機械で加工された声で歌う。的確なことを。「だから、まさに、それに話しかけろ(just talk into it!)」
 僕はこの曲にビョークの“オール・イズ・フル・オブ・ラヴ”を思い出したが、PCで音楽を創作するデボラ・ハリーを想像してみてくれてもいい。負け犬とは痛い人たちではなく、痛みを感じることのできる人たちのことである。


ジョン・フルシアンテ - レター・レファー

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ジョン・フルシアンテ - PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン

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 『レター・レファー(Letur-Lefr)』『PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン(PBX Funicular Intaglio Zone)』というふたつの作品のリリースをめぐって、ジョン・フルシアンテはその思いを自身のブログに滔々と書き綴っている。「ジョン・フルシアンテ・ドット・コム」に掲載されたその文章は、彼の情熱と熟考のあとを生々しく伝える内容で、ファンのみならずひろく音楽リスナーの間でも話題になっている。

 レッド・ホット・チリ・ペッパーズというモンスター・バンドに在籍し、ことにソングライティングにおいてその音楽性の多くを担ってきたフルシアンテが、そこを脱けてめざした天地はどのような場所か。

 彼は2004年前後からはオブセッシヴなまでに数多のソロ・ワークスをリリースし、さまざまなアーティストと交流しながら腕を磨き、あくまでストイックに自らの目指す音を探求し続けてきた。バイシクル・シーフのジョン・クリングホッファー、マーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲス・ロペス、ヴィンセント・ギャロ。彼らとのイマジナティヴな共同作業を経て、今作に登場するのはMC、RZAやウータン・クラン・ファミリーの若手たちである。音のうえからみても、シンセやドラムン・ベースに彩られたこのキャリアにおける異色作からは、彼がいま目にしているものが過去ではないということが、ひしひしと伝わってくる。

 また、それはたんにロックからエレクトロニック・ミュージックへの転向という単純なモード・チェンジでもない。「シンセ、シーケンサー、ドラム・マシンに対するエキサイトメントをギターにも向けられるようになった」......自らのなすべきことについての真摯な思考と試行の果てに、この数年を音楽のプログラミング修行にあててきた彼が、ふたたびギターに向かい合うという物語までもが、この作品の背景にはふくまれている。

 ブログによれば、作品タイトルには彼の音楽ヴィジョンの一端が象徴として示されているようだ。思弁的な文章じたいも、彼のキャラクターに深く触れることができるものである。国内最速でその翻訳をお届けしよう。


Part.1

みなさん

 新作が2枚リリースされることになった。
 最初に『Letur-Lefr』というEPを、その次に『PBX Funicular Intaglio Zone』というLPがつづく。僕がヴォーカル、すべての楽器の演奏、そしてエンジニアを担当しているんだ。EPには何人か友達がヴォーカルで参加しているんだけど、そのほとんどがMCだ。LPにはゲストがひとり参加しているけど、その他は僕がヴォーカルを担当している。

 僕はこの音楽をプログレッシブ・シンセ・ポップだととらえている。だからと言って、そういうサウンドの作品に仕上がっているというわけではなくて、今作の基本的なアプローチを反映しているということだ。さまざまな音楽スタイルを組み合わせ、エレクトロニック楽器を使うことで、自分独自の音楽フォームをクリエイトしてるんだ。

 『Letur-Lefr』は2010年のもので、『PBX』は2011年に制作された。『Letur-Lefr』はコンピレーションみたいなもので、『PBX』の構想を練っている最中に作った楽曲をセレクトしたものだ。EPの楽曲は連続してレコーディングしたものだ。それぞれの作品は内容がまったくちがうものだから、LPをリリースする前に、“Walls And Doors”という曲をフリー・ダウンロードとして提供する。“Walls And Doors”は『PBX』の7ヶ月前にリリースされたけど、アルバムの方向性を予知していたんだ。“Walls And Doors”は最初はアルバムに入れると思っていたけど、入れない方がアルバムにとってよかった。

 『Letur-Lefr』は7月4日に日本でリリースされ、北米は7月14日、その他の国では7月16日にリリースされる。EPはプレオーダーできるけど、アナログ、CD、カセット、そして32ビット、FLAC、MP3などのフォーマットでこのリンクから購入できる。

 『PBX Funicular Intaglio Zone』は日本で9月12日、北米では9月25日、その他の国では9月24日にリリースされる。『Letur-Lefr』と同様、『PBX Funicular Intaglio Zone』もアナログ、CD、カセット、そして32ビット、FLAC、MP3などのフォーマットでリリースされる。

 『PBX』のプレオーダー・リンクは8月上旬に発表する予定だ。

ありがとう

ジョン

Hello people,

There are two new John Frusciante records coming out. The first is an EP entitled Letur-Lefr, and the second is an LP entitled PBX Funicular Intaglio Zone. I sing, play the instruments and am the engineer. The EP features a few friends on vocals, mostly MC’ing. The LP has one feature, the rest of the vocals being my own.

I consider my music to be Progressive Synth Pop, which says nothing about what it sounds like, but does describe my basic approach. I combine aspects of many styles of music and create my own musical forms by way of electronic instruments.

The tracks on Letur-Lefr are from 2010 and PBX was made in 2011. Letur is a compilation, a selected portion of music I made that year while PBX was conceived as an album, the songs having been recorded in succession. The records are very different from each other, so prior to the release of the LP, I will make available a free download of a song called Walls and Doors. This song pointed the way towards PBX, but was recorded 7 months earlier. I always took it for granted that Walls and Doors would be part of the record, but as it turned out the record was better off without it.

Letur-Lefr will be released in Japan on July 4th, in North America on July 17th, and in the rest of the world on July 16th. You can pre-order the EP, which will be available on vinyl, CD, cassette and in 32 bit, FLAC and MP3 digital formats here https://johnfrusciante.com/letur-lefr/

PBX Funicular Intaglio Zone will be released in Japan on September 12th, in North America on September 25th and in the rest of the world on September 24th. Like Letur-Lefr, PBX Funicular Intaglio Zone will be available on vinyl, CD, cassette and in 32 bit, FLAC and MP3 digital formats.

We will provide a pre-order link for PBX sometime in early August.

- Thanks, John

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Part.2

Album Titles

 「PBX」は内部のコミュニケーション・システムを意味する。自然界だと、ビジネスやオフィスではなく人間の内部にも似たようなシステムがある。「Funicular(フニキュラー)」とは、ふたつのケーブルカーが1本のケーブルに繋がれていて、ひとつのケーブル・カーが上がるときに、もう1台が下がる仕組みのことだ。音楽というのは、さまざまなレベルで常にそれと似たことが起きている。「Intaglio(インタリオ、沈み彫り)」は彫刻におけるひとつのテクニックなのだが、彫刻家が作品の裏側から彫ることで、徐々に見物人には前面から肖像がレリーフで見えるようになる。しかし彫刻家は、前面とは対極のアングルから肖像を彫っているわけだ。僕が魅力を感じる音楽には、これに似たアプローチが取り入れられていて、このアプローチが多ければ多いほど好きになるのだ。「Zone」は、自分の感情と身の回りの環境が一体化し、他の世界がすべて消えてしまう心理状態のことだ。この4つの言葉を組み合わせることで、僕のクリエイティブ・プロセスを深いところまで描写できるのだ。

 「Letur-Lefr(レター・レファー)」という言葉は、ふたつの異なるものが連結部分によってひとつになることを意味している。それは、アルバムの1曲目がアルバムの最終曲の続編であることに象徴されている。

PBX refers to an internal communication system. There is a natural version of this, wherein the “business or office” is a person. A funicular involves two trams connected by a cable, one going up while the other goes down. All music perpetually does this on many levels simultaneously. Intaglio is a technique in sculpture where one works on the opposite side of the image, whereby the image will eventually appear to the spectator in relief, but the angle the sculptor works from is the negation of that. In music that I like, an approach analogous to this was employed, the more so the better. Zone refers to a state of mind wherein the rest of the world seemingly disappears, and nothing matters but the union of one’s immediate surroundings with one’s feelings. These four words linked together go far to describing my creative process.

Letur-Lefr for me signifies the transition of two becoming one, notably symbolized by the first song on the album being the sequel to the album’s last.



Part.3

My Recent History

 エレクトロニック・ミュージックを作り、エンジニア作業もすべて自分で手掛けたいという夢を実現することに、5年前から真剣に取り組みはじめた。その10年前から、僕はさまざまなタイプのシンセサイザー・ミュージックやサンプリング・ミュージックを模倣してギターをプレイしていた。マシンの言語は、マシンをプログラミングする人に新たな音楽ボキャブラリーを与えたことに気がついた。過去22年間に生み出されたエレクトロニック・ミュージックは、新たなリズム、メロディ、ハーモニーの原理を導入した。以前はプログラミングで作られたエレクトロニック・ミュージックを聴いても、どのようなプロセスで曲が作られたかが解明できなかった。80年代のマシンや、90年代のトラッカー・ソフトウェアを熟知している人たちは、理論的なアプローチでプログラミングをしていたが、僕がポップ/ロック、ジャズ、クラシックから知っていた理論とはちがう体系のものだった。手と楽器の密接な関係性は、ミュージシャンが作り出す音楽の基礎となっているが、ポップ/ロックを演奏する上で、自分の頭が手によってコントロールされている傾向が強いことに気づいて、それを修正したいと強く願っていた。マシンの知能と人間の知能が刺激し合って、その相互作用によって生まれる音楽に僕は強い関心を抱くようになった。

 2007年から僕はアシッドハウスで使用される機材やハードウェアのプログラミングを学ぶようになった。7ヶ月間は何もレコーディングしなかった。その後は、10個の機材を同期させ、ミキサーに通してCDバーナーに録音するようになった。最初は実験的アシッドハウス・ミュージックを作っていたが、ロック・ミュージックで学んだスキルはいっさい使わなかった。僕は伝統的なソングライティングに興味を失って、音楽をクリエイトする新たな方法を見つけたいと感じていた。マシンに囲まれ、次々とマシンをプログラミングし、その興味深いプロセスを楽しんだ。それまでは筋肉を使って楽器を演奏していたが、同様に数字を使ってマシンをプログラミングする作業が楽しくなった。数学的で理論的な方法でリズム、メロディ、サウンドに取り組むようになったため、これまで無意識に使っていたスキルが徐々に意識的になった。

 その後は2人の友人と演奏するようになったわけだが、これまでひとりでリビング・ルームでやっていたことを仲間とやるようになった。この編成はいまでも僕の性分に合うバンドだと考えている。

 仲間と演奏するようになった直後から、僕はコンピューターを使用するようになった。最初は、僕がハードウェアで作り出していた音をレコーディングするためにコンピューターを使っているだけだったが、徐々にコンピューターがメインの楽器になった。僕の制作方法と考え方に特化した理想的なスタジオも同時に作り始めた(この作業は今も進行中)。この時期に作っていた音楽はCDバーナーに録音していた音楽よりも冒険的なインスト・アシッドハウスだった。コンピューターで2曲レコーディングしてから、自分が作り出している新しい音楽が“プログレッシヴ・シンセ・ポップ”という言葉にふさわしいと感じはじめた。当時作っていた音楽では、アシッドが中心的要素だった。

 1年ほどコンピューターを音楽制作に使うようになってから、自分のヴォーカルを導入するようになった。それまでは、ギターとヴォーカルをエレクトロニックに取り入れたくないと考えていた。僕が大好きなタイプのエレクトロニックのルールに基づいた音楽を作りたいと思っていたからだ。ギターとヴォーカルをエレクトロニック・ミュージックとミックスすると、以前僕がやっていたポップ/ロック・ミュージックのソングライティングとギターのルールに戻ってしまうから、避けたかった。エレクトロニック・ミュージックをギターやヴォーカルとブレンドしたら、エレクトロニクスが僕の曲、ヴォーカル、ギターの補助的な役割になってしまうと考えていた。そのアイデアには不快感を覚えた。僕はロック・ミュージシャンとしての経験が長かったので、ロックのルールが優先されてしまい、新しいことを発見するペースが遅れてしまうと考えていた。“ルール”という言葉を使うときは、特定の音楽スタイルを定義づけ、その境界線を設定する根本的原理や抽象的現象を指しているわけであって、その境界線のなかで人間はクリエイティブな探求をしているわけだ。

 ソングライティングは続けていたが、必要性を感じたときに、そしてその方法で表現しなければいけないときに曲を書くようにしていた。僕は長年、曲を量産することでソングライティングのスキルを磨くものだと考えていたが、それが違うということに気がついた。最近は、ソングライティングというのは呼吸のように、自然に起きるものだということが分かった。最初のうちは、事前に作曲した曲をレコーディングする作業が窮屈のように思えたが、新たな曲作りのメソッドを吸収し、プログラミングのスキルとスピードも上達していたので、インストを作っていたときと同じくらいヴォーカルとギター入りの曲のレコーディングが楽しくなった。この時期に『Letur-Lefr』の曲をレコーディングし始めた。このときはまだロックの要素は遠ざけていたが、R&Bとヒップホップは自然と僕がやりたかった音楽にブレンドできることがわかった。ソングライティングとプログラミングを統合する上で、R&Bは有効な方法だということに気がついた。ヴォーカルがインスト・トラックを支える曲作りの方法を見つけることができたわけだが、その逆ではないことが僕にとって重要だった。

 この時期が経過すると、僕は新たなアプローチでギターを演奏するコンセプトを練り始めた。そのために定期的な練習が必要だった。その数年前は、レイヴやシンセ・ポップのレコードに合わせて練習することが多かった。僕がやりたかった音楽では必要性を感じていなかったため、ギターを演奏するための筋肉を訓練させるような練習はしたくなかった。僕の妻のセカンド・アルバムで特定の演奏法がしたかったので、定期的に練習していた。しかし、その後に僕はまったく新しいギター演奏のアプローチを発見することができた。僕のメインのエレクトロニック楽器はMC-202だったが、最初の頃は202をプログラミングするときは、ギターの知識を使ってプログラミングしていた。しかし、長く202を使ったことで、僕のギタリストとしての知識と202奏者としての知識が同じレベルになり、僕のギター演奏が202のプログラミング方法に影響されるようになっていた。ギターを演奏するとき、ロック・ミュージシャンとしての指と筋肉の使い方から完全に離れることができるようになっていた。違うギターに変えたということもあるが(Yamaha SG)、202を使うときは指のポジションによって音符を演奏するわけではないので、そのアプローチによってギターを演奏する新しいアイデアが芽生えていた。この時点から、ギターが完全に僕がやろうとしている新しい音楽と一体になった。ギターに対する新しいアプローチが見つかり、音を加工する新たなテクニックを吸収していたので、シンセ、シーケンサー、ドラム・マシンに対するエキサイトメントをギターにも向けられるようになった。したがって、僕はロック/ポップスの音楽理論を他の好きな音楽要素と同じように、僕の音楽に応用できるようになった。考え方が変化したので、クリシェを避けることを意識する必要もなくなった。新しい癖が身についていたので、そこから様々な新しい音楽的方向に進むことができた。古い癖は完全に捨て去っていた。コンピューターも完全に僕にとって楽器になっていたので、ドラムンベース(そしてその他の作りたかった音楽的スタイル)も僕の音楽に完全に取り入れられるようになっていた。この時期から、僕は過去のエンジニアリング・スタイルを理解できるようになっていたので、新旧のプロダクション・スタイルを、様々な音楽スタイルと同様に組み合わせられるようになった。数ヶ月が経過すると、僕は『PBX Funicular Intaglio Zone』をレコーディングし始めた。何年間も僕は1曲ずつ制作するアプローチをとっていたが、新たなプロダクションの経験を積んだことで、ひとつの作品のコンセプトの中で完全に没頭しながら制作できるようになっていた。この時期から僕が長らく求めていたバランスを見つけることができた。ボーカルと曲の構造があっても、ミュージシャンとして完全に自由でいられる境地に達していた。

 『PBX』では僕が何年も前に頭の中で想像していた音楽的要素の組み合わせが実現しているが、当時はどうやって形にすればいいか分からなかった。純粋に音楽に取り組むチャンスを与えられたことが幸運だと思っているし、音楽ビジネスの中に長年いても、音楽に集中することができたことに感謝している。僕は長年レコードを聴きながら演奏したり、曲を書いたり、夢見ることにほとんどの時間を費やすことができた。それを手助けしてくれた人々にとても感謝している。

 最後に、アシッド・ミュージックは僕にとってよい出発点となった。そこから徐々に、僕はワンマン・バンドとしてあらゆる音楽的スタイルを自由に組み合わせられるようになったわけだから。

ジョン

I started being serious about following my dream to make electronic music, and to be my own engineer, five years ago. For the 10 years prior to that, I had been playing guitar along with a wide range of different types of programmed synthesizer and sample based music, emulating as best as I could, what I heard. I found that the languages machines forced programmers to think in had caused them to discover a new musical vocabulary. The various forms of electronically generated music, particularly in the last 22 years, have introduced many new principles of rhythm, melody, and harmony. I would learn what someone had programmed but their thought process eluded me. Programmers, particularly ones fluent on machines from the early 80s and/or tracker programs from the 90s, clearly had a theoretical foundation in their employ but it was not the theory I knew from pop/rock, jazz or classical. The hands relationship to the instrument accounts for so much of why musicians do what they do, and I had come to feel that in pop/rock my mind was often being overpowered by my hand, which I had a strong desire to correct. I was obsessed with music where machine intelligence and human intelligence seemed to be bouncing off one another, each expanding with the incorporation of what it received from the other.

In 2007 I started to learn how to program all the instruments we associate with Acid House music and some other hardware. For about 7 months I didn’t record anything. Then I started recording, playing 10 or so synced machines through a small mixer into a CD burner. This was all experimental Acid House, my skills at making rock music playing no part in it whatsoever. I had lost interest in traditional songwriting and I was excited about finding new methods for creating music. I’d surround myself with machines, program one and then another and enjoy what was a fascinating process from beginning to end. I was so excited by the method of using numbers much in the same way I’d used my muscles all my life. Skills that had previously been applied by my subconscious were gradually becoming conscious, by virtue of having numerical theoretical means of thinking about rhythm, melody and sound.

Then I began a musical relationship with two friends, wherein I could do basically the same thing I had been doing in my living room, only with other people. This continues to be a band which is perfectly congruent with my nature.

Right after we started playing together I started using a computer. Initially it was just something to record what I was doing with hardware but it eventually became one of my main instruments. I gradually built up a studio ideally set up for the specific ways I work and think (this is a continual work in progress). The music I did at this stage was a more adventurous kind of instrumental Acid House than what I’d been doing onto CD, and by the time I recorded my second song on a computer, I was aware that Progressive Synth Pop was an accurate description of what I was doing. Acid was nevertheless the central musical style involved.

After a year or so on the computer, I occasionally began using my voice again. Prior to this, incorporating guitar and singing had posed a problem because I wanted to make music based on the rules, as I perceived them ? inherent in the various kinds of electronic music I loved ? and did not want to blend this with what I previously did with songwriting and guitar wherein many rules of pop/ rock music would then naturally be employed. If I’d attempted to blend the two at that time my electronics would have served as support to my songs, voice, and guitar. This idea was repugnant to me. Because I was so much more developed as a rock musician, rocks characteristics and rules would have dominated, thereby slowing down the rate at which I was discovering new things. To be clear, when I say rules, I mean the underlying principles and abstract phenomena which define a particular style, marking its boundaries and limits, within which exists an area proven to be worthy of human creative investigation.

I continued to write songs, but only when I had to out of necessity, because something had to be expressed that way. I no longer looked at songwriting as a craft to prolifically hone, as I had for so long. In these recent years, it is just something that happens sometimes, a natural thing, like breathing. At first, recording pre-written songs felt like a restriction, but I eventually found myself having acquired enough new work methods of my own and enough skill and speed at programming that when I recorded a pre-written song I had as much fun as when I made instrumentals. This is the point at which the tracks on Letur-Lefr were recorded. I was still steering clear of most rock music characteristics, but R&B and Hip Hop were blending well with the various types of music I was combining. R&B seemed to me a path through which to integrate my songwriting with my programming, being that I could do it in such a way that the song served as support for the things I was doing instrumentally ? and not the other way around ? which was very important to me.

As this phase passed, I began developing a concept for a new approach to playing guitar, which required regular practice. For the preceding couple of years, practice consisted of playing along with this or that Rave or Synth Pop record or whatever. I didn’t see a point in developing my playing musculature-wise because there was no call for that kind of playing in my music. I originally was practicing in a disciplined manner because I wanted to play a specific way on my wife’s second record. But I found an approach to the instrument, which was brand new for me, in which I saw a lot of room to grow. My main melodic electronic instrument being the MC-202, I had gone through a long period where my knowledge of guitar informed much of my 202 programming. But I had now reached a point where I thought as much like a 202ist as I did a guitarist, and my guitar playing was now being informed by my knowledge of the 202. I was using the muscles I was developing in a way completely divorced from the way I used them as a rock musician, partially because I switched to a different type of guitar (a Yamaha SG), but mainly because my musical ideas stemmed from my understanding of an instrument on which the choice of notes is not limited by the position of ones hand. So at this point guitar became fully integrated into my music. The combination of having a new approach to the instrument, combined with all the ways I was now well versed at processing sound, resulted in my having the same excitement about guitar that I had long had for my synths, sequencers and drum machines. This, and other factors, resulted in my being able to pick and choose specific musical principles from rock/pop to apply to my music, just as I had been applying specific aspects of every other type of music I love. I no longer had to be concerned with avoiding cliches because I just didn’t think that way anymore. I had developed new habits which were taking me all kinds of new places, and the old habits were now foreign to me. Also the computer had now become an instrument for me, so Drum n’ Bass (as well as a number of other styles I’d been reaching for) had now become fully integrated into my music. At this point, I also had begun to grasp the characteristics of engineering styles of the past, allowing me to combine aspects of old and modern styles of production just as I’d been combining different styles of music.

A few months into this period, I began the recording of PBX Funicular Intaglio Zone. For years I had just approached everything one song at a time, but my experience in production now allowed me to comfortably work within a record concept while remaining completely absorbed in the process. By this time, I had found the balance that I’d been searching for, wherein the presence of a vocal and the structure of a written song actually provided me with additional freedoms as a musician.

Aspects of PBX are the realization of combinations of styles of music I saw in my head many years ago, as potentials, but which I had no idea how to execute. I’m so happy that I’ve had the opportunity to focus exclusively on music for music’s sake, and also so thankful that I got to spend all those years active in the music business whilst keeping my head in music all the time. I was free to spend most of my time playing along with records, writing, and dreaming. I have so much gratitude for everyone who made that possible.

In summary, Acid served as a good starting point for me, very gradually leading me to be able to combine whatever styles of music I want, as a one man band.

- John

(訳:バルーチャ・ハシム)

Sensational meets koyxeи Japan tour 2012 - ele-king

 野蛮人が来日する。センセーショナル、人は彼をラップ界のリー・ペリーと呼ぶ。ラップ界には、ある意味ではかなりの数のリー・ペリーがいるかもしれない。その強豪揃いのシーンのなかにあって、センセーショナルはよほどのことがあるからそう呼ばれている。音楽ライターのスペクターがはじめた〈ワードサウンド〉は、IDMとヒップホップの水を埋めたレーベルだが、1997年、1999年と、そこから出た最初の2枚はぶっ飛ぶためだけに生きている男の美しい記録として忘れがたい。


Scotch Bonnet

 NHK名義で知られる、大阪人かつベルリン人のコーヘイ・マツナガは、2006年に最初のコラボレーション・アルバム『Sensational Meets Kouhei』を〈ワードサウンド〉から出すと、2010年にはマンチェスターの〈スカム〉(ゲスコムのメンバーによる)から『Sensational Meets Koyxeи』も出している。つい先日も、NHKはセンショーナルとDJスコッチエッグと一緒にヨーロッパをツアーしている。

 今回は、センセーショナル+コーヘイ以外には、言わずと知れた才人Scotch Bonnet(DJスコッチエッグ)、そして大阪ではAOKI Takamasa(ele-kingは彼の音楽が大好きです)、東京では中原昌也(『エーガ界に捧ぐ(完全版)』を出したばかり!)、そしてこれまた注目のKakato ( 鎮座Dopeness x 環Roy )が出演する!
 そして、センセーショナルとNHK、DJスコッチエッグは9月12日(水)21:00~@DOMMUNE、あります。前半、この伝説の奇人に編集部野田がインタヴューします。

Sensational (ex, Jungle Brothers aka Torture)
 Tortureの名前で活動していた頃、Jungle Brothersとして94年の3作目『JBeez Wit Da Remedy』に参加、そして彼の伝説ははじまった。
 芸術家はいつの時代も気ちがいじみた特質性、風変わりな人柄に富んでいるが、sensationalは他に類を見ない正に唯一無二の超オリジナルなラッパーだ。95年、Sensationalに改名しソロアルバム『Loaded With Power』(WSCD022) 、3作目のアルバム『Heavyweighter』 (WSCD037)をリリースした頃には、NY『タイムアウト』誌で「Sensational is underground hip-hop's number one upstart-in-waiting(待ちに待ったヒップホップ・アンダーグラウンド界のNo.1の成り上がりMC)」と称された。多くのラッパーがサンプリングを使うなか、彼はすべてオリジナルトラックで臨み、そのブレイクビーツに乗せた彼の鈍りきったフロウ、詩のように優美なフロウがILLなヘッズを虜にしている、まさに伝説の奇人!

Scotch Bonnet ( Scotch Egg / Berlin )
 DJ Scotch BonnetはDJ Scotch Eggとして活動するUK在住の日本人、本名「シゲ」の新プロジェクト。ヨーロッパを中心に活動。活動の初期はガバ~ブレイクコア~チップチューンを演奏する次々世代のテクノアーティストとしてブレイクコアのアーティストを多数輩出している〈ADAADAT〉〈wong music〉から2枚のアルバムと7インチ、10インチのアナログシングルを各1枚ずつリリースしている。ATARI TEENAGE RIOT /ALEC EMPIREとのヨーロッパツアーで頭角を現わし、その後μ-ziq / APHEX TWIN/ Bong-ra. /VENETIAN SNARES等、ブレイクコアや異端テクノ系のビッグネームと多数共演、UKでは2ndアルバムリリース時に英国ラジオ局BBCが彼の特別番組を放送する等、ほぼ毎日行われるGIGでヨーロッパ全土を席巻し、注目の的となっている。マンチェスターの「FUTURE SONIC FESTIVAL」やロンドンで行われるエレクトロニック・ミュージックの祭典「GLADE FESTIVAL」、70年代から続く老舗巨大フェス「Glastonbury festival」など多数のフェスティヴァルに出演。

■大阪公演at Conpass
9月14日 (金)
18:30 open / 19:00 start

Sensational meets koyxeи ( ex, Jungle Brothers + NHK )

DJ Scotch Bonnet ( aka DJ Scotch Egg / small but hard / Berlin )
Jemapur ( Saluut, Beta, Phaseworks )
Yuki Aoe ( concept )
DJ AOKI Takamasa
DJ Kouhei Matsunaga

ADV 2500 . DOOR 3000
https://www.conpass.jp


■東京公演at Super deluxe
9月16日(日・祝日前)
19:30 open / 20:00 start

Sensational meets koyxeи ( ex, Jungle Brothers + NHK )

Kakato ( 鎮座Dopeness x 環Roy )
DJ Scotch Bonnet ( aka DJ Scotch Egg / small but hard / Berlin )
Jemapur ( Saluut, Beta, Phaseworks )
DJ NHK fm
DJ 中原昌也

ADV 2800 . DOOR 3500
https://www.sdlx.jp/2012/9/16



https://koyxen.blogspot.com
https://nhkweb.info
https://twitter.com/kouheimatsunaga

interview with Mala - ele-king

E王
Mala - Mala in Cuba
Brownwood Recordings / ビート

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 これはロマンスである。冒険であり、成熟でもある。多くのダブステッパーはベルリン、アメリカに行った。アフリカを選んだ連中もいる。昨年のDRCミュージックの『キンシャサ・ワン・トゥ』、今年の『シャンガーン・シェイク』のような作品は、21世紀のワールド・ミュージックのあり方の一例となった。
 マーラはキューバに行った。その結実として生まれた『マーラ・イン・キューバ』は、今日のDJカルチャーによるベストな1枚となった。これは大げさな表現ではない。プロデューサーのジャイルス・ピーターソンは、1990年代に彼がロニ・サイズや4ヒーローで実現させたことを、マーラというダブステップ界の英雄の才能、そして、彼の努力を信じることで再度成功させた。ピーターソンはまさに鉱脈を掘り当てたと言える。
 "Introduction"の打楽器によるシンコペーション、ピアニストのロベルト・フォンセカによる穏やかなコードの重なりは、この名作のはじまりに相応しく美しい。ロンドン郊外の冷たいコンクリートの地下室で生まれたアンダーグラウンド・ミュージックがカリブ海諸島でもっとも大きな島、多彩なリズムを擁するキューバと結ぶばれたのだ。
 
 マーラのバイオグラフィーを簡単に紹介しよう。ダブステップのオリジナル世代で、コード9と並ぶ硬派、伝説的レーベル〈DMZ〉のメンバー、デジタル・ミスティックズ名義で作品を出し、ゴス・トラッドの作品をリリースしている〈ディープ・メディ〉の主宰者でもある。
 マーラの作風は、レゲエからの影響を反映していることで知られているので、カリブ海とは必ずしも遠いわけではない。が、サルサのリズムがダークなベース・ミュージックとどのように交流し、混合されるのかは未踏の領域だった。ジャイルス・ピーターソンのような知識豊富なプロデューサーがついているとはいえ、勇気を要する挑戦だったろう。以下の取材においてもマーラは、彼自身がキューバ文化に関して無知だったことを正直に明かしている。
 たとえば"Changuito"、この曲ではシンコペートするカウベルの音からはじまり、しばらくするとド迫力でダブステップのビートが挿入される。このシンプルな構造には、しかし激烈な移転の魅力がある。このような見事な雑食性は、"Mulata"のようなサルサのピアノを注いだ曲をはじめ、アルバムの一貫した態度となっている。無理矢理日照時間を引き延ばすわけでもないが、真夜中の美学で統一されているわけでもない。マーラはその両者の反響を手際よく捉えている。スペイン語の歌が入った"Como Como"は前半のハイライトのひとつだが、こうした不安定な異国情緒は、ラロ・シフリン(映画音楽で知られる)の領域にまで接近している。

 DJカルチャーらしい大胆なミキシング......つねにそこには多彩なリズムがあり、低周波が響いている。"Calle F"はラテン・ジャズのベース・ヴァージョンだし、マーラ自身もお気に入りだという"Ghost"にいたっては、リズム・イズ・リズムの"アイコン"のリズミックな恍惚とも近しい。宝石のようなアルバムが欲しいかい? ここにあります!

キューバについて実はあまり知らなかったんだ。キューバ音楽といえば、多くの人が知っている『ブエナ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ』くらいのもので、音楽のことも文化のことも、ほとんど何も知らなかった。

あなたのバックボーンにレゲエがあるのは有名な話ですが、同じカリブ海とはいえキューバは言葉も文化も違います。キューバの文化や歴史に関してどう思っていましたか?

マーラ:実はあまり知らなかったんだ。キューバ音楽といえば、多くの人が知っている『ブエナ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ(Buena Vista Social Club)』くらいのもので、キューバ音楽のことも、キューバ文化のことも、ほとんど何も知らなかった。

ジャイルス・ピーターソンとの出会いについて話してもらえますか? 彼からはどのようなアプローチがあったんでしょう?

マーラ:ジャイルスとは、彼のBBCラジオ番組でインタヴューを受けたり、〈ブラウンウッド(Brownswood)〉のポッドキャストに出演したりしたことが数回あったのと、以前から僕の音楽をプレイしてくれていたし、イヴェントで共演したこともあったから、お互いのことはよく知っていた。けれども直接制作で直接関わることはなかったから意外だったね。
 ある晩に突然電話がかかってきて、「キューバで『ハバナ・カルチュラ(Havana Cultura)』というアルバムを作るんだが、少し趣の違うアーティストを入れたいから、一緒にキューバに来ないか?」と声をかけてくれた。それが最初で、一度ロンドン・ブリッジの近くのパブで会って、ギネスを飲みながら、プロジェクトについて話し合ったんだ。そのときに彼が知っているキューバの話をしてくれて、僕は逆にキューバのことは何も知らないことを伝えた。話を聞いたら、とても誠実なプロジェクトだと感じて、それに誘ってもらえたことをありがたく思って、2011年の1月に最初のキューバ訪問に出かけたんだよ。

彼は長いあいだ、世界のクラブ・ジャズ・シーンをリードしている人物ですが、あなたから見てジャイルスの良さはどこにあると思いますか?

マーラ:ジャイルス・ピーターソンのような人物は、本当に音楽にとって重要だ。これまで素晴らしい功績を残していて、素晴らしいミュージシャンたちと仕事をしてきただけでなく、つねに最先端で、気持ちが若々しい。彼はつねに新しい切り口や、新しい音楽、新しいアーティスト、新しい音楽の紹介の仕方を考えている人。ジャイルス・ピーターソンみたいな人はそういない。僕の知っているなかで近い存在といえばフランソワ・Kもそういう人だね。年齢はずっと上だけど、音楽に対する考え方はとても先駆的で、古いやり方にとらわれていない。
 とにかくジャイルスと一緒に仕事が出来たことは幸運だと思っているし、彼は僕がこのアルバムを制作していた1年のあいだ、とても辛抱強く見守ってくれた。ジャイルスはずっと僕の作った音楽を楽しんでくれていた人だから、僕は別に誰かに認められたいと思っているわけじゃないけれど、自分のやっていることに自信を持たせてくれた。誰でもそう思わせてくれるわけじゃないからね、ジャイルスのこれまでの歴史があるからこそそう思わせてくれる。彼は根っからの「ミュージック・マン」。そんな彼に信頼してもらえて本当に嬉しく思うし、ジャイルスとは生きている限り、いい友人でいられるんじゃないかな! プロジェクトが終わったからといってなくなる関係ではなく、一生続いていくものだと思う。

最初このプロジェクトに誘われたとき、あなたに迷いはなかったでしょうか?

マーラ:誘われたときにすぐ「やりたい」と思ったよ。だから、すぐにやる気があることを伝えたけど、そう返事してから、家族や友だちにプロジェクトのことを話してどう思うか意見は聞いた。でも、絶対に逃してはいけない機会だと最初から思ったよ。こういう企画はそう頻繁にあるものではないし、むしろ一生に1回あるかないかのチャンスだ。それくらい、大きな意味があるものとして受け止めた。僕の慣れ親しんだものとはまったく違うから、冒険でもあったけど、ときにはそういうものに飛び込んでみるべきだと思った。

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ダブステップに興味は持ってくれたね。ベースの大きさに驚いていたのは間違いないけど(笑)。エンジニアが、「こんな低い周波数をどうやって歪まないように録音するんだ?」って不思議がっていた。彼らが聴き慣れている音楽とはだいぶ違ったと思う。

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実際、ハバナで体験したことについて教えてください。印象に残っていること、感銘を受けたことはなんでしたか?

マーラ:キューバでは本当に印象に残る体験をたくさんしたんだけど、例えば、僕が作ったトラックをスタジオで流していたときにダナイがそれを聴いて、「この曲私にちょうだい」というので渡したら、翌日それに合わせて歌詞を書いて来て、すぐに録音した。こういう体験だけでも、僕にとってはとても新鮮だった。これまでヴォーカリストと一緒に曲を作ったことはほとんどなかったから。しかもスペイン語で歌う歌手なんてね。彼女の歌詞の意味はわからないけど、でも雰囲気で伝わることがたくさんある。あれはハイライトと呼べる瞬間のひとつだった。
 もうひとつは、ある夜にジャイルスと僕がホーム・パーティに呼ばれてプレイしていたときに、男性がやって来て「一緒にプレイしていいか?」と聞かれたんだけどどういう意味かわからなくて、MCでもするのかと思ったら、トランペットを出して来た。「いいよ、どうぞどうぞ」と言ったら、僕のトラックに合わせて演奏し出した。それがとても良かったから、「明日スタジオに来ないか?」と誘ったんだ。そしたら実際に来てくれて、アルバム中の2曲で彼のトランペットがフィーチャーされてる。もしそのパーティに僕たちが出ていなかったら、彼が参加することもなかったわけだから、特別なことだったと思う。
 あとは、ドブレ・フィロ(Doble Filo)というキューバのヒップホップ・グループのエドガロ(Edgaro)とイラーク(Yrak)というラッパーの家に遊びに行ったら、小さな煉瓦造りの家で、中庭でラップトップ、ドラマー、ベーシスト、ギタリストとキーボーディストがいてリハーサルをしていた。その光景だけでもとても印象に残ったし、キューバはとてもカラフルな場所でどの場面を切り取っても絵になるし、ストーリーがある。他にも思い出はたくさんあり過ぎて話しきれないけどね!
 それに、町中には、たくさんの音楽が溢れている。

どのぐらいの滞在で、具体的にはあなたはどのようなセッションをしたのでしょうか? あなたはビートを作って、そこに現地の演奏を録音していったんですか? 

マーラ:キューバには合計で3回行ったけど、毎回1週間ほどの滞在だった。1回目は10日間だったかもしれないな。3回目は最近だったんだけど、それは(制作ではなく)プレイしに行ったんだよね。
 1回目のキューバ訪問の際に、ロベルト・フォンセカ・バンドが、約15種類のキューバン・リズムを僕のために録音してくれた。ロベルト・フォンセカはピアニストで、他にドラム(ラムセス・ロドリゲス)、コンガ(ヤロルディ・アブレウ)、ベース(オマー・ゴンザレス)がいた。それに、キューバの有名なティンバレス奏者であるチャンギートに参加してもらった曲もある。あと、"Calle F"という曲ではトランペット奏者(フリオ・リギル)にも参加してもらった。基本的には、キューバで彼らの演奏を録音し、それを僕が自分のスタジオに持ち帰って、僕がその素材を使ってアルバムにまとめたんだ。

作業自体はスムーズにいきましたか?

マーラ:難しかったことはたくさんあったけど、もっとも苦労したのは、開始してから9ヶ月くらい経って、録音した素材とひとりでスタジオで格闘していたときかな。僕はこれまで、完成品のイメージを事前に持って曲を作ったことがなかった。普段はとにかくスタジオに行って、やっているうちにかたちが出来ていって曲が完成するという風に作っていた。でも、これだけたくさんの素材を前に、それから何か作らなければいけないということだけ決まっていて、実際に何をしたらいいのかわからなくなってしまった。客観性を持てなくなったというのかな。そういう体験をしたことがなかったから、新たな挑戦だった。
 僕にとって音楽作りは迷路のようなもので、ゴールに辿り着くためにはいろんな経路を辿ることができる。でも、どれか道を進んでみないと、それが正しいかどうかはわからない。間違っていたら突き当たってしまい、また同じ道を逆戻りすることになる。でも、その迷路自体を自分が作っていて、自分で作った迷路のなかで迷子になってしまったような感覚だった。その過程で、何度かジャイルスや〈ブラウンウッド〉に「行き詰まってしまって、完成させられるかどうか分からない」なんて連絡したこともあったよ(笑)。そのときに、ジャイルスとも仕事をしたことがあって、僕の友人でもあるプロデューサーのシンバッドが手を貸してくれた。何度もスタジオに来てくれて、僕がやったものを聴いて客観的な意見をくれた。何曲かは共同プロデュースになっている。ミックスも一緒にやった。彼の協力は本当に有り難かった。彼のお陰でどんなアルバムにすればいいのか、より明確なイメージを掴むことができたよ。

キューバのミュージシャン、キューバの人たちはダブステップのことを知っていましたか? 

マーラ:興味は持ってくれたね。ベースの大きさに驚いていたのは間違いないけど(笑)。ロベルト・フォンセカのエンジニアが、「こんな低い周波数をどうやって歪まないように録音するんだ?」って不思議がっていた。彼らが聴き慣れている音楽とはだいぶ違ったと思うけど、ロベルト・フォンセカと彼のバンドは世界中をツアーしているから、エレクトロニック・ミュージックにも触れているし、平均的なインターネットを使えないし外国にも行けないキューバ国民より、いろんな音楽を知っている。

アルバムの冒頭に入っている言葉は何を言ってるんですか?

マーラ:ははは。あれね、実は僕も何を言っているのかずっとわからなかったんだよ。スペイン語だしね。彼が言っているのは、「僕たちの音楽は止めようとしても止まらない、こういう風にもできるし、ああいう風にもできる......」というようなこと。この言葉を冒頭に持って来たのは、最初に「ハロー」って入っているだろ?あれを家で流したときに、息子が聞いて「ハロー」って返事をしたんだ(笑)。だからアルバムのはじまりにちょうどいいかと思って。喋っているのはコンガのプレーヤーなんだけど、実際にセッションのはじまりに、少し話しながらウォームアップしていく感じが、アルバムのイントロとして相応しいように感じたんだ。

アルバムの曲で、あなた個人のお気に入りはなんでしょうか?

マーラ:うーん。どれかなぁ~。強いて言うと、最後に一晩で作った曲かな。他の曲のミックスダウンの途中で、その作業がとても長かったから、すこし飽きていたところだった。何か気分転換をしようと思って、おもむろにビートを作りはじめた。そうやって、ほぼ一晩で作ったのが"Ghost"というトラックだった。他の曲もすべて気に入っているけど、この"Ghost"は僕をどこか違う次元に誘ってくれるような曲。最後の最後に、どうして突然作り上げることができたのか、自分でもよくわからない曲なんだ。今年の3月に作ったばかりだよ。翌日にシンバッドがミックスを手伝いにスタジオに来たんだけど、彼にこの曲を聴かせたら椅子から転げ落ちそうになっていたね(笑)。一緒にメロディカや生のハンドクラップを足して、アルバムに加えることにしたんだ。
 あとは、"Changes"という曲もすごく気に入っている。でも完成させるまでに苦労した分、すべての曲に思い入れがあるし、苦労が報われたと思えるよ。

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多くの人は〈DMZ〉のリリースやイヴェントが、ダブステップの基礎を築いたと言うけれど、もともと僕は自分がやりたいことを追求しようとしてきただけで、シーンをどうこうしようと思ったことはない。

E王
Mala - Mala in Cuba
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ジャイルス・ピーターソンから何らかのサジェスチョンはありましたか?

マーラ:制作の途中で、いくつかのトラックを送って聴いてもらったときに、どれが好きかという意見はもらったけど、最終的に収録した14曲の順番や中身に関してはジャイルスもレーベルのスタッフもまったく関わっていない。出来上がったものを、「完成品です」と渡しただけだったよ。それをジャイルスが聴いて、幸運にもとても気に入ってくれた。彼は完全に僕を信頼してくれて、僕の作る音楽を信じてくれていた。その分、距離を置いて見守ってくれたね。

それだけ信頼してくれたからこそ、あなたも自信を持って取り組めたということですね。

マーラ:そう、その通り。

今回のプロジェクトをやってみて、もっとも良かった点はなんでしょうか?

マーラ:このプロジェクトに携わったことで、僕の考え方は大きく変化した。理由はたくさんあるけれど、そのひとつが、まず僕はアルバムの制作を依頼されたことがなかった。僕自身は、アルバム制作にこれまであまり興味がなかった。だから、それが大きな変化だった。ミュージシャンと共同制作するという体験も大きな変化だった。それもこれまで体験したことがなかった。キューバを訪れたことも、初めての体験だったし、外国でレコーディングすることも初めてだった。テープを使ってレコーディングするのも初めてだったし、それを64チャンネルの巨大なSSLデスクを通してやるのも初めてだった。あんな美しいスタジオで、レコーディング・エンジニアと一緒に仕事をしたことなんてなかった。録音された素材に対して、自分がやることを周りがどう思うかなんていままで気にする必要がなかった。ひとりでしか音楽を作ったことがなかったからだ。
 だからこのアルバムの制作過程のすべてが、僕自身のエゴを捨てて、自分がわかっていると思っていた音楽の作り方をいちど忘れなければならなかった。このプロジェクトにアプローチするためには、自分自身を変えなければいけなかったんだ。自分がやりたいこと、やるべきことに真摯に向き合うということだけでなく、ジャイルスや、〈ブラウンウッド〉や、『ハバナ・カルチュラ』、そして何よりもロベルト・フォンセカと彼のバンド、ダナイ・スアレスなどのミュージシャンたちに対してリスペクトを持つことの大切さを学んだ。彼らが僕に教えてくれたこと、それは音楽だけでなく、人として教えてくれたことは本当にかけがえのないものだった。

この経験、そしてこの作品は、ダブステップのシーンにどのように還元されるのでしょう?

マーラ:この経験は間違いなく、僕の今後に大きく影響してくると思うよ。一度、新しい考え方や仕事の仕方を学んでしまうと、もうその前の自分には戻れないよ。今後も、いままでやって来たように音楽は作り続けるけど、キューバの要素は、常に僕のなかのどこかに留まり続けるんじゃないかな。それはグルーヴかもしれないし、新たなサンプリングの仕方かもしれないし、とにかく多くのことを学ばせてくれたプロジェクトだった。

今回のような音楽的な成熟はダブステップのシーンのひとつの可能性だと思うのですが、あなた自身は今日のダブステップのシーンについてどのような意見を持っていますか? 

マーラ:たしかに僕はダブステップのシーンに深く関わって来たし、多くの人は〈DMZ〉のリリースやイヴェントが、ダブステップの基礎を築いたと言うけれど、もともと僕は自分がやりたいことを追求しようとしてきただけで、シーンをどうこうしようと思ったことはない。そもそも「シーン」というのは誰かがコントロールできるものではないし、誰かが支配出来るものでもない。だから、僕は自分自身の方向性や、やりたいと思うことだけを考えるようにしている。この作品が、シーンに有益な何かをもたらせることができれば嬉しいとは思うけどね。

最後に〈ディープ・メディ〉について質問させてください。スウィンドルの「ドゥ・ザ・ジャズ」が今年の自分のなかのベストなシングルなんですが、あの曲に関するあなたの評価を教えてください。

マーラ:あれはアメージングなレコードだね。僕は音楽を聴くときに、好きか嫌いかということはあまり考えなくて、何を感じるかということに重きを置いているんだけど、スウィンドルの作品は僕にとってもとても興味深くて、さまざまな影響の消化の仕方がとても独特だと思う。例えばハービー・ハンコック......彼はジャズの人間だからね、彼の音楽の作り方はとてもジャズ的だと思う。そんな彼のベース・ミュージック、サウンドシステム・カルチャーへの取り組み方は他の人とまったく違う。
 スウィンドルのことは、シルキーとクエストを介して知ったんだ。彼らがスウィンドルの曲をかけていて、僕は聴いた途端に「何だこれは? 面白いぞ」と思った。その後いくつか彼の曲を聴いて、2ヶ月くらい経ってから、連絡してみようと思った。〈ディープ・メディ〉からリリースする気はないかと訊いてみた。そしたら幸運なことに、彼もとても喜んでくれてレーベルに加わることになったんだ。
 ちょうど彼の2枚目のシングルのマスタリングが終わったところだよ。今回のはまたジャズとは少し違ったアプローチの作品になっている。発売は10月頃になると思う。彼はとても若くて、たしか僕よりも10歳くらい年下なんだけど、とても集中力があって、行動力があって努力家だ。もうすでに何年もがんばってきている。自分のレーベルもやっているし、とてもアクティヴだね。最近の多くの若いアーティストは、いちどレーベルと契約すると、あとはすべてレーベルがやってくれると思いがちだ。でも実際はそうではない。アーティスト自身も努力してがんばり続けないといけない。彼にはそういうミュージシャンシップがある。彼はいま本当にがんばっているから、向こう数年間たくさんの作品を聴けると思うよ。アルバムの制作にも取りかかっているし、常に曲を作っているからね。僕自身も彼の活躍をとても楽しみにしているよ。

最後に、〈ディープ・メディ〉がヴァイナルにこだわる理由について、あなたの考えを教えてください。

マーラ:僕らはデジタル配信もしているけど、僕個人ににとってヴァイナルは大事なフォーマットなんだ。〈ディープ・メディ〉でリリースしている曲の99%は僕が実際にプレイする曲で、僕はヴァイナルをプレイするから。どちらかというと、僕個人のわがままだね(笑)。僕がレコードを集めるのが好きで、僕のレコード・コレクションに加えたいから(笑)。やはり音質が一番いいしね、大きなシステムで鳴らせばわかるけど、とくに僕の関わっているような音楽に関しては、このフォーマットで再生するのが最良の方法なんだ。それに、アーティストが血と汗と涙を流して作った作品だからさ、やはり手で触れるモノとして持っておきたいと思うのは自然だと思う。完成したという証でもあるしね。モノになって、やっと次の新しいことに取り組める。僕自身は、デジタルで発表するだけでは達成感が得られないな。

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MALA & COKI / DIGITAL MYSTIKZ JAPAN TOUR 2012

11/2(金) 大阪CONPASS (問) TEL:06-6243-1666
11/3(土・文化の日)DBS 16th Anniversary 東京UNIT (問) TEL:03-5459-8630
https://dbs-tokyo.com/

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きのこ帝国 presents「退屈しのぎ vol.3」 - ele-king

 この晩、きのこ帝国は最初に新曲を3曲演奏した。その3曲とも、前作からの飛躍があった。
 1曲目は、クラウトロック(大げさに言えば、オウガ・ユー・アスホール)をバックにボス・ザ・MCがラップしているような……といってしまうと本当に乱暴な表現だが、BMP125ぐらいのピッチの曲で佐藤はラップもどきを披露した。早口で何を言ってるかわからないが、それが前向きさを表していることはわかる。
 あとで訊いたら初めてのライヴ演奏だったという。それにしちゃあ、鮮烈なインパクトがあった。佐藤のラップ・ミュージックへの関心の高さを具体化した最初の曲でもあった。きのこ帝国がバンドとしていまどんどん動いていることがうかがえる。初演ということもあってドラミングは先走り、ピッチは速まってしまったそうだが、逆に言えば意味がわからないほどのファスト・ラップの最後で唯一聞き取れる「生きている」という言葉が、するどく胸を射貫いた。悪いことは言わない。この曲はシングルにして発表するべきだ。12インチ作りましょうよ! 良いリミキサーは日本にはたくさんいる。何よりも、この曲を必要としているリスナーはたくさんいます!
 「退屈しのぎ」とは、きのこ帝国の代表曲だが、彼らのオーガナイズするイヴェント名でもある、ということをその晩僕は知った。その晩は、編集部で橋元の二次元話に付き合わされたあと、JET SETのM君の四次元話にハマってしまったおかげで、4つ出演したバンドのうちのふたつ、きのこ帝国をのぞくとひとつしか見れなかった。そのひとつ、大阪からやって来た吉野というイントゥルメンタル・ロック・バンドは、最初から見ることができた。しかし、吉野とは……佐藤と匹敵するほど検索不能なネーミングだ。吉野は、ギター、ベース、ドラマーの3人組で、エレクトロニクスを用いた導入からモグワイめいたダークなギター・サウンドへと巧妙に展開して、ライヴをはじめる。ポテンシャルの高さを感じさせる演奏で、最後のチルなフィーリングも良かった。まだ非常に若いバンドだが、ビートに磨きがかかれば、より多くの注目を集めることになるだろう。がんばってくれ。しかし、大阪人のくせに東京のラーメンが美味いと言ってはいけないよ。


きのこ帝国の物販で働く菊地君。筆者はドラマーのコン君のデザインしたピックを1枚購入。

 下北沢ERAは、100人も入ればパンパンの小さいライヴ・ハウスだったが、満員だった。先述したように、きのこ帝国は、ラップの曲のあとにふたつ新曲を披露した。その2曲も良かったことは覚えているが、最初の曲のインパクトが強すぎてどんな曲だったか忘れた。バンドに音の隙間が生まれ、それによって音の空間が広がってた。それ以外のことは忘れた。こういうときは、明け方の5時でも、マニェエル・ゲッチングのライヴでメモを取っている菊地祐樹君を見習うべきなんだろう。菊地君は、物販で働きながら、お姉さんと妹さんもライヴに呼んでいた。3人とも顔が似ているどころか、誰が年上で誰が年下かわからない。しかもお母さんが僕と同じ歳という……なんということだ!

 きのこ帝国の演奏が終わると、大きな拍手とアンコール。アンコールに出てきたあーちゃんは慣れないMCを続け、ジョイ・ディヴィジョンの『アンノウン・プレジャー』のTシャツを着た相変わらず佐藤はクールに構えている。最後の曲って“夜が明けたら”だっけ? “退屈しのぎ”だっけ? 忘れた。が、細かいことはいいだろう。良いライヴだった。翌日は「WIREに行くんです」と嬉しそうに喋っている菊地君をその場において、僕は12時20分過ぎの小田急線に乗った。

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