「KING」と一致するもの

interview with I.JORDAN - ele-king

クラブ・ミュージックは労働者階級から生まれたものだから、そういう街にいたことが自分に影響を与えているんだと思う。

 ハウスかと思えばテクノへ、テクノかと思えばトランスへ、トランスかと思えばハーフ・テンポのビートへ、あるいはジャングル~ハードコア、ガラージ、フットワーク、ポップスへ。紙一重でグルーヴを保持しつつもDJセットのなかで絶えずジャンルを横断するようなプレイングはクラブ・ミュージックのスタンダード・スタイルとすら言い切れる。特定のジャンルやスタイルへと身を捧ぐ美学も依然としてクラブ・カルチャーに欠かせない重要な要素のひとつだけれど、私たちの普段のリスニング態度というのはもっと気ままに、さまざまなサウンドやビートをコラージュするようなものであることは間違いないし、その自由さをクラブに持ち込むということはごく自然な動きでもあるだろう。

 そして、多くの若い人びとがクラブ・ミュージックを横断的に聴く、ということを強く意識したのはコロナ禍の、あのクラブの扉に鍵がかかってしまった時期のことではないだろうか? ホーム・リスニングを強いられた時代を経て、私たちは配信プログラムやウェブ上のDJミックス、動画コンテンツ、あるいはストリーミング・サーヴィスに星の数ほど広がるプレイリストの数々を絶えず渡り歩いてきた。その蓄積はけっして無意味なものではなかったし、むしろダンス・ミュージック受容の可能性を拡張したのではないか、とも考えられる。そんな感覚を(時代の要請とは無関係に)持ち合わせているアーティストたちに、いま光が当たりはじめている気配がする。

 今回インタヴューをおこなった〈Ninja Tune〉所属のアイ・ジョーダンもそのひとりだろう。北イングランドの郊外、労働者の街ドンカスターで生まれ育ち、現在はロンドンを拠点とするノンバイナリーのアーティストだ。階級差別と静かに闘いつつ、物心がつくころから変わらないピュアな音楽愛をもとに多彩なジャンルを横断するプレイヤーで、約10年にわたるアンダーグラウンドでのDJ活動を経て、2019年以降〈Local Action〉からシングルをリリース、2020年にはヒット曲 “For You” を送り出している。のちにコラボするフレッド・アゲイン同様、パンデミック時代が生んだプロデューサーと言えるだろう。その後〈Ninja Tune〉と契約、21年の “Watch Out!” であらためてその存在感を見せつけたアイ・ジョーダンの、ファースト・アルバムがついに完成した。現在流行のトランシーな感覚を維持しつつも、さまざまなスタイルに挑むこの新星にUKダンス・ミュージックの現在地を訊く。

音楽業界には労働者階級の人はあまりいないから、成功するために自分の訛りをなるべく消すように努めてきたけど、歳を重ねたいまは自分がどこから来たのかってことにプライドを持てるようになったし、出自への感謝も湧いてきたんだ。

いまはロンドンが拠点なんですよね。育ったドンカスターという街はどんなところですか?

IJ:ドンカスターが日本でよく知られてないのは、そんなに素敵なところじゃないからかな(笑)。基本的には労働者階級の街で、わたしが好きな音楽のシーンはなかった。だから16歳のときにドンカスターを出たんだけど、あそこは自分にインスピレーションを与えてくれる場所でもあったんだ。クラブ・ミュージックは労働者階級から生まれたものだから、そういう街にいたことが自分に影響を与えているんだと思う。ドンカスターはベースラインが生まれたシェフィールドとそう遠くないしね。ドンカスター・ウェアハウスっていうヴェニューがあるんだけど、そこは90年代初頭のUKレイヴやハードコア・テクノのパーティにとって重要な場所だった。

労働者階級であるということは、音楽をやるうえでもご自身にとって大きいですか?

IJ:そうだね。イギリスっていうのはすごく階級意識の高い国で、たとえば自分にはヨークシャーや北イングランドあたりの訛りがあるんだけど、そうした要素から、その人の階級をすぐに判断されてしまうような風土があって。わたしは、そういったものと闘ってきたところもあるかな。音楽業界には労働者階級の人はあまりいないから、成功するために自分の訛りをなるべく消すように努めてきたけど、歳を重ねたいまは自分がどこから来たのかってことにプライドを持てるようになったし、出自への感謝も湧いてきたんだ。ただ、自分は労働者階級のダンス・ミュージックをつくっているし、そうしたものに影響を受けてはいるんだけど、やっぱり音楽をつくるにはお金も練習するための時間も必要で、でも労働者階級だとそうした余裕は持てない。実際、自分の家族のなかでドンカスターを出たのはわたしだけだしね。もちろん、音楽の道に進んでいったのも。

最初に音楽を聴くようになったのはいつごろで、どういうものに惹かれていましたか?

IJ:人生をとおしてずっと音楽に影響を受けつづけてるよ。最初にギターを手にしたのが3歳ぐらいのころで、母がジョージ・マイケルやプリンス、フィル・コリンズ、シンプリー・レッドとか、そういう音楽を聴いていたから影響を受けたかな。10歳のころには本格的にギターを練習するようになって、そのときはロックに夢中だった。16歳ごろから徐々にダンス・ミュージックに興味を持つようになって、トランスやミニストリー・オブ・サウンド、イビザ的なサウンドを聴くようになったんだ。そのあともっとハードな音を求めてペンデュラムやハッピー・ハードコア、ドラムンベースなんかを聴くようになった20歳ごろからDJをはじめて、テクノ、ハウス、ドラムンベース、ガラージ、そういったものをプレイするようになっていった。

ノスタルジアというか、郷愁のようなものをトランスに感じとっている人が多いんじゃないかな。

あなたの音楽の特徴のひとつに、トランシーな感覚があります。いまトランスが流行しているのはなぜだと思いますか?

IJ:UKだけじゃなく、いまヨーロッパ全体でトランス・ミュージックが流行っていると思う。とくに90年代から00年代初頭のサウンド、ユーロ・ダンスのようなトランスがね。わたしもその時期の音楽には影響を受けていて、デビューEPの「DNT STP MY LV」にもトランスを入れてる。トランスの浮遊感や多幸感に触れる体験が好きだから、自分もつくってるんだ。そして、いまはトランスと同時にテクノ・エディットしたものがブームになっていて、たとえば自分もつくった曲を違うヴァージョンでテクノ・エディットにしたりしてる。全体的にノスタルジアというか、郷愁のようなものをトランスに感じとっている人が多いんじゃないかな。

現在トランスを受容している層はおそらくリアルタイム世代ではないですよね。

IJ:当時流行ってたトランスは聴いてたよ。7歳ぐらいのころに(笑)。労働者階級の住む街、とくに北イングランドだと、子どものころからダンス・ミュージックに触れる機会がすごく多いんだ。昔は中古のトランスのコンピレーション・アルバムなんかが簡単に、安く手に入りやすかったし、海賊盤もたくさん売ってたから。

UKではいまやはりレイヴも勢いがあるのでしょうか。

IJ:レイヴやクラブはすごく流行っていると思う。というか、それらはイギリスの一部だから、流行りつづけていると言ったほうがいいかな。とくにコロナ以降はこういったものをみんなすごくありがたがっていると思うし。

スクウォット式のレイヴもいまだ根強い?

IJ:いまでもフリー・パーティやスクウォット・レイヴはけっこうあるよ。とくに夏場は野外でおこなわれるものが多くて、たとえばロンドンのハックニー・マーシーズって公園だと、昼も夜もそういったパーティをやってるかな。

あなたが躍進していったのはコロナ禍のタイミングでしたが、トランスやレイヴといったカルチャーが盛り上がるようになったのは、やはりパンデミックの影響だと思いますか?

IJ:そうだと思う。パンデミックがあったことで音楽の聴き方や音楽への向き合い方が人びとの間で大きく変わっていったと思うけど、パンデミックが終わって友だちと一緒にクラブで音楽を聴けるようになったことを祝うムードはすごく大きくなったと思う。同時に、ダンス・ミュージックというものが違った方向でも聴かれるようになったと思ってる。クラブが閉鎖されているからこそ、その枠を飛び越えるようなダンス・ミュージックの新たな可能性をロックダウンが示してくれたんじゃないかな。

ちょうどパンデミックの起こった2020年に、あなたの代表曲ともいえる “For You” がリリースされました。2023年の現時点から振り返ってみたとき、どういう印象を抱きますか?

IJ:3年経って、この曲のことを考えることはよくあるけど、いまクラブではプレイしてないかな。今回の東京や上海は初めてプレイする場所だったから今回はかけたけどね(註:取材は昨年12月、来日公演のタイミングでおこなわれた)。3年間で自分は大きく成長できたと思うし、そのなかでこの曲はたくさんプレイしてきたから。いまは “For You” のことを誇りに思っているよ。

当時流行ってたトランスは聴いてたよ。7歳ぐらいのころに(笑)。労働者階級の住む街、とくに北イングランドだと、子どものころからダンス・ミュージックに触れる機会がすごく多いんだ。

〈Local Action〉のあと、〈Ninja Tune〉と契約に至った経緯を教えてください。

IJ:“For You” をリリースしたあとオファーをもらって、2枚のEPと1枚のアルバムを出すという内容の契約を結んだんだ。〈Ninja Tune〉はすごくいいレーベルで、できれば条件を達成したあとも契約を更新していきたいなと思ってるよ。

移籍した2021年にEP「Watch Out!」をリリースしていますが、それまで以上にハードコアなブレイクビーツが披露されている印象を受けました。

IJ:いや、そういうわけではなくて、わたしはハードコアなサウンドをずっとつくりつづけているつもりなんだ。「Watch Out!」には2曲ぐらいハードコアが入っているけど、ディスコ・エディットのハウス・トラックがあったりするし。ハードコア・テクノは自分の一部だから、その時期はとくに熱中してつくってたかな。いまは少し変わってきてて、テクノやトランスを中心につくるようになった。アーティストとして、いろんなプロダクションにアプローチしていきたい気持ちが強くて、たとえばアルバムはテクノやトランスもあるし、ガラージや実験的な要素も含まれている。なるべく多くのジャンルを横断的につくっていきたいと思ってる。

ふだんの制作において、なにかコンセプトを考えたうえでつくることはありますか?

IJ:EPや曲単体にかんしては内省的で自分自身を見つめ直すようなものが多いんだけど、明確なコンセプトはないかな。ただ、やっぱりアルバムを制作するとなると客観的な視点やコンセプトが必要になってくるから、ある程度ぼんやりとは考えている。

現在制作中のアルバムはどのような内容になっているのか、教えてください。

IJ:このアルバムは、自分の人生のなかでいちばん重要なプロジェクトで、誇りに思える大切な作品になった。わたしの尊敬するアーティストや友人たちともたくさんコラボレーションしていて、UKのクラブ・ミュージックをベースにエクスペリメンタルやハウス、トランス、ドンク、ガラージのような多彩な方向性を持つ音楽が混ざりあった内容で。それぞれ違ったセッティングや環境でも楽しんで聴いてもらえるアルバムだと思うよ。

Sisso - ele-king

 ロシアのウクライナ侵攻を一貫して支持しているチェチェン共和国は先月、子どもたちの未来のために音楽のテンポに制限を加え、BPM80以下もしくは116以上の音楽を取締りの対象にすると発表した。イスラム教というのは突拍子もなくて何を制限するのか予想もつかないけれど、どうしてまたそんなことを思いついちゃうのかなあ。ロック=西洋とか、ゲイに厳しい風土なのでディスコやハウスを規制したいというのはわかるとして、BPM80以下というのはダブとかスクリュードにも政府が脅威を感じたということなのか。だとしたらそれはそれでスゴい気もするし、BPM80~116というとほとんどのヒップホップはOKなので、チェチェンの未来はヒップホップ一色になっていくのかなとか。いずれにしろこれでチェチェンの子どもたちは〝フィガロの結婚〟や〝ナイトクルージング〟は聞けないことになり(クイーン〝We Will Rock You〟はぎりセーフ)、ましてやタンザニアのシンゲリである。2010年代後半にインド洋に面したダルエスサラーム州キノンドーニで火がつき、タンザニア全土で人気となったシンゲリはBPM170なら遅いほうで、ウィキペディアによると200から300がアヴェレージだとされている。300だと半分でとっても116以下にはならないし、そもそも「半分でとってます」と言っても警察には通じないだろうし……それ以前に警察官たちはBPMを理解できるのか? 逮捕する時はストップウォッチで測りながら?

 ウガンダの〈Nyege Nyege Tapes〉がタンザニアのシンゲリをまとめて紹介した『Sounds Of Sisso』が早くも7年前。シンゲリは当初からBPMの早さが話題で、伝統的なンゴマや外国の影響を受けたタアラブと呼ばれる祭りの音楽から派生し、ジュークやフットワークとも同時代性を感じさせる音楽へと発展する(伝統的な祭りとの結びつきが強いせいか、同じくウィキによると男は高速ラップで女はコーラスとジェンダーが分かれる傾向があるらしい)。『Sounds Of Sisso』はそれなりの話題を呼んだものの、同作がつくられたスタジオの所有主であり、中心人物の1人と目されるシッソことモハメド・ハムザ・アリーが翌19年にリリースしたソロ・アルバム『Mateso』は一本調子であまりいい出来とは言えず、シンゲリにフラップコアと呼ばれるフレンチ・ブレイクコアを掛け合わせたジェイ・ミッタの方が(14歳のMCを起用していたこともあって)僕の仲間うちでは面白がられていた。シッソとジェイ・ミッタは同じ年、さらにベルリンからエラースミス、グラスゴーからザ・モダーン・インスティチュート(=ゴールデン・ティーチャー)を迎え入れて共作アルバムをリリースし、翌20年にライアン・トレイナーが同地で受けた刺激を『File Under UK Metaplasm』にまとめたり、『Sounds Of Sisso』の続編で〈Pamoja Records〉の音源を集めた『Sounds of Pamoja』やDJトラヴェラといった若手の台頭が相次ぐものの、折からのパンデミックに出鼻をくじかれたか、同じクラブ系ミニマルでもベースに重きを置いた南アのゴムに較べるとそれほど大きく裾野を広げた印象はない。強いていえばタンザニア内でさらにBPMを早め、ハードコア化していくことになる。

 そして『Mateso』から5年。シッソは大きな成長を遂げていた。音楽性がまずは格段に豊かとなり、曲の構成だけでなく一本調子だったアルバム全体の構成も複雑になって、質素どころか実にゴージャスな『Singeli Ya Maajabu』の完成である。シンゲリといえば高速ラップだけれど、前作同様ここでもMCは入れず、躁状態のパーカッシヴ・サウンドをメインとしたインストゥルメンタル・アルバムに仕上げられている。オープニングはオルガンを連打し、テリー・ライリーがタコ踊りを踊っているような高速トロピカルの〝Kivinje〟。続く〝Kazi Ipo〟もパッセージの早いパーカッションに対して様々なスピードで挟まれるSEが幾重にもレイヤーされ、リズム以外に追いかける要素が多いことがとても楽しいBPM186。部分的には〝ウイリアムテル序曲〟などを思わせるため、DFCクラシックのレックス名義〝Guglielmo Tell〟なんか思い出したりして(つーか、これでもBPM155なのね)。前作の『Mateso』でもシャンガーンを思い出す場面は何回かあったけれど、〝Chuma〟はまさにマルカム・マクラーレンなどが遠くに聞こえ、アルバム全体にその感触は広がっている。〝Uhondo〟は比較的過去のハードコアに回帰したようなモノリズム調で、涼しい鉦の音から始まる〝Kiboko〟は一転してコノノ Nº1などのヘヴィな早回しヴァージョン。そう、00年代初頭にアフリカのオルタナティヴ・サウンドと呼ばれたコノノNº1やスタッフ・ベンダ・ビリリに比べてシンゲリはおそろしいほどヘヴィで、ベースは入ってないのにボトムの重量感がまったく違うところは明確に時代の差といえる。どこか食品まつりに通じる〝Timua〟からインタールードとして奇妙な女性コーラスをメインにした〝Mangwale〟が挿入されるあたり、リズムで押せ押せだった前作からは考えられない構成の妙で(笑)、ポリリズムを強調した〝Rusha〟はリズムがまさにごった煮で気がつくとリズムの迷子になりかける(こういう曲は5年か10年後にもう一度聴くのが楽しみです)。TGにシンゲリをやらせたらこうなるかなと思う〝Jimwage〟から水の音をループさせたり、エレクトロアコースティックを無理やりダンスフロアに引っ張り出したような〝Mizuka〟。メリハリを効かせた〝Jimwage〟に対してミニマルに徹した〝Njopeka〟はヤン富田を高速ブレイクビーツ化したようなもので、このあたりがアルバムのクライマックスをなしている。DJトラヴェラのレイヴ趣味にアンサーを返した〝Shida〟はとにかくウネウネとシンセがくねり、冒頭の〝Kivinje〟や〝Kazi Ipo〟に戻った〝Zakwao〟と、最後まで高速で突っ走る〝Ganzi〟で「見たことのない景色」は幕を閉じていく。シンゲリがどうというより、シッソがスゴいですよ、これは。僕はレコード・レビューの文章に「進化」というワードを使ったことがないけれど、これは確実に「深化」だといいたい。とはいえ、いまはBPM80以下の音楽が聴きたいかも……

interview with Anatole Muster - ele-king

 ジャズの世界でも最近はZ世代の活躍が目立ってきており、ドミ&JDベックのデビュー・アルバム『Not Tight』(2022年)はグラミー賞にもノミネートされた。若干22歳のアナトール・マイスターもそうしたZ世代のひとりだ。スイス出身で現在はロンドンを拠点に活動する彼は、ジャズの世界では珍しいアコーディオン奏者で、またプロデューサーとして自身でトラックや作品制作もおこなう。彼が影響を受けたハービー・ハンコック、ジョージ・デューク、パット・メセニー・グループ、リターン・トゥ・フォーエヴァーなど1970年代から1980年代にかけてのエレクトリック・ジャズやフュージョンのマナー、そして現在暮らすロンドンのジャズ・シーンやトム・ミッシュedblなどから発せられる新しいUKサウンド、さらにUS西海岸のルイス・コールサンダーキャットキーファーなどのクロスオーヴァーなジャズが融合し、それを幼少期から親しんできたアコーディオンを交えて表現しているのがアナトール・マイスターのサウンドである。

 2020年にファーストEP「Outlook」でデビューし、エモーショナルなメロディやエレガントなタッチのプレイで高い評価を受けたアナトール・マイスターは、テニソン、キーファー、ルイス・コールといったアーティストたちとのコラボレーションも実現させ、スイスやブラジルでおこなわれたモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出演し、ロサンゼルスやロンドンでも公演を成功させるなど、現在注目のアーティストへとステップを上がっていった。そして、2024年4月に待望のファースト・アルバム『Wonderful Now』をリリース。ルイス・コールをはじめ、サンフランシスコのビートメイカー/ピアニストのテレマクス、SNSで爆発的な人気を誇る女性シンガーのジュリアナ・チャヘイド、南アフリカで絶大な支持を集めるポップ・バンドのビーテンバーグのM・フィールドといった多彩なゲストをフィーチャーし、エレクトリック・ジャズやフュージョンをベースに、ダンサブルなビートやハイパーなポップ・サウンドを取り入れた2024年の最新型ジャズ・アルバムとなっている。

僕がずっと演奏してきた楽器と、聴いてきた音楽が自然と結びついたプロダクションをやって、気づいたらジャズのアコーディオン・プレイヤーになっていたよ。

あなたのプロフィールから伺います。スイス生まれとのことですが、音楽とはどのように出会い、どんな音楽を聴いて育っていったのですか? 子どもの頃はバルカン民謡やアイルランド民謡、ジプシー音楽などを聴いていたと伺っているのですが、スイス特有の音楽も聴いていたのでしょうか?

アナトール・マスター(以下AM):ヨーロッパ各地の伝統的な民謡をたくさん聴いて育ったよ。他にもクラシックもよく聴いていた。僕の親はクラシックのミュージシャンであり、民謡も大好きだったんだ。他にはタンゴやボサノヴァとかかな。スイスの伝統民謡はあまり聴かなかったかも。理由はわからないけど、僕の周りにはあんまりスイスの民謡を聴いたり、演奏したりする人はいなかったんだよね。

ティーンエイジャーの頃に父親のレコード・コレクションを通じてジャズと出会い、ハービー・ハンコック、ジョージ・デューク、スパイロ・ジャイロ、カシオペアなどおもに1980年代のフュージョン系のサウンドを聴いていたそうですね。ほかにもアラン・ホールズワース、パット・メセニー、ライル・メイズなどが好きだったそうですが、こうしたジャズ/フュージョンのどのようなところに惹かれ、影響を受けるようになったのですか?

AM:父親の古いレコード・コレクションを見つける前は、YouTubeとかでフューチャー・ベースやチルホップのようなエレクトロニック・ミュージックにハマっていて、そこからの流れで同じくYouTubeでよりジャジーなアーティストであるリド、テニソン、メダシン、ロボタキ、トム・ミッシュ、ケイトラナダ、パーティ・パピルスとかを聴くようになったんだ。そこから偶然僕の父親のレコード・コレクションを見つけて、ハービー・ハンコックやジョージ・デュークのようなエレクトロニック・ジャズやフュージョンを自然と聴くようになったんだよね。似たような音楽をすでに聴いていたからスッと入ってきたよ。このときにはすでにエレクトロニックなビートメイクをしていたんだけど、ハービーとか1970年代、1980年代の音楽をより多く聴くようになって、それらから影響を受けてハーモニーやグルーヴを意識するようになった。だからいままで聴いたいろいろな音楽をミックスして自分の音楽にしているつもりだよ。

いま話に上がったテニソンはじめ、サム・ジェライトリー、ノウワーなど現在のエレクトリックなサウンドにも興味を持つようになったそうですが、たとえばハービー・ハンコックなどもそうしたサウンドの元祖と言えるところもあるので、ジャズとそうしたエレクトロニック・ミュージックはあなたの中で自然に結びついていったのでしょうか?

AM:とても自然に結びついたね。むしろ、僕はエレクトロニック・ミュージックの要素が入ってないジャズをあまり聴かないかも。

あなたが演奏するアコーディオンやバンドネオンは、アストル・ピアソラはじめアルゼンチン・タンゴの世界で有名で、またジプシー音楽やシャンソンなどでもよく用いられる楽器です。一方、ジャズの分野ではあまり使われない楽器で、アメリカ出身だがヨーロッパで人気を博したアート・ヴァンダムや、フランスのリシャール・ガリアーノなどが有名ではあるものの、プレイヤーは多くはありません。最近はポルトガルのジョアン・バラータスなど若い演奏家も出てきているようですが、あなたはなぜこの楽器を選んだのですか? おじさんの影響で8歳の頃から演奏していると聞きますが。

AM:僕が小さい頃にアコーディオンという楽器を選んだのは、僕のおじの音楽が大好きだったからだね。彼はアコーディオンの演奏家で、プロデューサーであり作曲家なんだ。10代のはじめまでアコーディオンの演奏を続けて、そこからエレクトロニック系統の音楽にハマっていって、最終的にジャズにたどり着いたんだ。僕がずっと演奏してきた楽器と、聴いてきた音楽が自然と結びついたプロダクションをやって、気づいたらジャズのアコーディオン・プレイヤーになっていたよ。

アコーディオンをプレイするのが好きであると同時に、ジャズ/フュージョンとエレクトロニック・ジャズが本当に好きっていう感情があり、それらが混ざりあっただけなんだ。他のことはできる気がしないし、これをやるしかなかったって感じかな。

アコーディオン奏者として影響を受けたアーティスト、好きな作品などを教えてください。

AM:パーソナルに普段聴いている音楽で、アコーディオンが入ってる曲を探すのは結構大変なんだけど、ミシェル・ピポキーニャとメストリーニョの “Baião Chuvoso”、アドリアン・フェローとヴィンセント・ペイラーニの “Marie-Ael”、エディット・ピアフの “L’Accordéoniste”、ペタル・ラルチェフの “Krivo Horo”、アストル・ピアソラの “La Casita de Mis Vjejos” とかがお気に入り。アコーディオニストでいうと、ペタル・ラルチェフ、ヴィンセント・ペイラーニ、メストリーニョが大好きで、彼らはアコーディオンという楽器の可能性を大きく広げてくれたアーティストたちなんだ!

バーゼルの音楽学校でアコーディオン演奏を習うと同時に、作曲や音楽理論も学び、アコーディオンの即興演奏など技術も身につけていきます。そして、現在はロンドンのロイヤル・アカデミー音楽院でジャズを勉強中とのことですが、進学のためにロンドンへ移住したのですか? また、ロンドンに来てから音楽に対する取り組みや環境で変わったことはありますか?

AM:ロンドンに引っ越した一番の理由は活発的な音楽シーンがあるからだね。スイスに住んでいるときもロンドンのシーンで何が起きていたのかをチェックしていたよ。ここに引っ越してこれてハッピーだし、成果もたくさんあったね。たくさんの素晴らしい友人を作れたし、とても大事なコネクションも得ることができた。ロンドンのシーンと上手くやっていると思うよ。

2020年に初めてのEP「Outlook」を発表し、モントルー・ジャズ・フェスに出演したり、テニソン、キーファー、ルイス・コールなどさまざまなアーティストと共演するなど、プロのミュージシャンとして活動するようになったのもロンドンに来てからですか?

AM:「Outlook」でテニソンやキーファーとコラボしたときは、両方ともロックダウンしていた時期で、とにかくその時期は僕にとってクリエイティヴなことに熱中できる時期だった。多くのミュージシャンが僕と同じように家から出られずにいたから、普段以上にコラボレーションするには最適な時期だったと思う。だからこのアドヴァンテージを活かすことに決めて、多くのプロダクションをはじめたよ。 ルイス・コールと初めて会ったのは僕がロンドンに引っ越してきてからの話で、それから多くのヤバイことが起きていった。リオで開催された モントルー・ジャズ・フェスティヴァルに呼ばれたのもそのうちのひとつだね。

ロンドンにはジャズのシーンがあり、世界的にも注目を集めているわけですが、あなた自身はそこと交流を持っていますか?

AM:そうだね! 僕もロンドンのジャズ・シーンの一員として役に立てるように頑張っているよ。幸運なことに世界的に活躍しているミュージシャンと一緒にプレイできている。多くのジャム・セッションをおこなうことで、たくさんのミュージシャンと繋がりを持てるし、音楽的なアイデアの交換もできているよ。

どちらかと言えばクラシカルなイメージの強いアコーディオンという楽器を、ジャズの中でも新しい試みをおこなうフュージョンやエレクトリックなサウンドと結びつけるアイデアはどのように生まれてのですか? アコーディオンの伝統的な奏者とは明らかに異なることをやっているのですが。

AM:アイデアを思いついたというよりは、アコーディオンをプレイするのが好きであると同時に、ジャズ/フュージョンとエレクトロニック・ジャズが本当に好きっていう感情があり、それらが混ざりあっただけなんだ。他のことはできる気がしないし、これをやるしかなかったって感じかな。ラッキーだったのは、僕はプレイヤーとしてだけではなく、プロダクションにも関わっていたので、自分の好きなことをひとつのアイデアとしてまとめあげることができたって感じかな。

クラブ・ミュージックの世界では、2000年代にフランスからゴタン・プロジェクトが登場し、タンゴや古いジャズ、ラテン音楽やアコーディオン・サウンドとエレクトロニクスを融合したユニークなサウンドで注目を集めました。彼らはアストル・ピアソラやガトー・バルビエリなどもカヴァーしていたのですが、聴いたことはありますか?

AM:このユニットは聴いたことなかったから、いま聴いてみたけど、めちゃくちゃ良いね! 似たような音楽を聴いたことがなかったよ! レコメンドありがとう!

普段の音楽制作はどのようにおこなっていますか? アコーディオン演奏はもちろんですが、あなた自身でビートメイクをしているのでしょうか?

AM:そうだね、僕は作曲、アレンジ、演奏、プロダクション、ミキシングまで全部ひと通り自分でやっているよ。コラボレーションのパートとマスタリングだけ他の人にお願いしている感じかな。僕のアルバムはラップトップで作ったんだ。マイクでヴォーカルを録音したり、MIDIのキーボードを使ったりはする。アコーディオンに関しては僕の持ってるアコーディオン・マイクを使っているね。ラップトップだけでなんでもできちゃう世の中に感謝しちゃうよ!

ラップトップだけでなんでもできちゃう世の中に感謝しちゃうよ!

ファースト・アルバム『Wonderful Now』について伺います。あなたにとって初めての声明とも言えるこのアルバムですが、どのようなアイデアやコンセプトがあり、どのようにして生まれたのですか?

AM:『Wonderful Now』は僕の音楽のアイデンティティを探す旅を閉じ込めたものだね。幼い頃からエレクトロニック・ミュージックが好きで、それと同時にジャズ/フュージョンに強い繋がりを感じはじめた。ロンドンでジャズの勉強をはじめたとき、ジャズ/フュージョンがトレンド的なモノだとは全く感じていなかったので、孤独を感じていたし、ときには自分の音楽をどういう方向性で作りたいのか迷走してしまった時期もあって、そのときは音楽の楽しみ方すら忘れてしまっていたよ。だから自分のルーツに一度戻ってみて、昔よく聴いていたフューチャー・ベースやディープ・ハウスのような音楽を制作して、そうしたときに感じた興奮を取り戻したんだ。それでいつの間にかプレッシャーは消えて、また音楽を作ることが楽しめるようになった。それでいままで作ってきた音楽の中にゆっくりとジャズが僕の音楽性として染み渡っていき、新しい道を開いてくれたんだ。それが、新しさのある音楽に生まれ変わって『Wonderful Now』という誇らしい作品を作ることができたよ。さっきも言ったけど、ほとんど僕のラップトップの中で制作された作品だね。もちろん素晴らしいミュージシャンとのコラボレーションも混じっているけど。

ルイス・コールのほかは新進のミュージシャンが多く参加していて、サンフランシスコや南アフリカなど、世界各地に人脈が広がっています。SNSで話題になっているような人もいて、そうしたネットを通じて広がった人脈かなと思うのですが、どのようにしてゲスト・ミュージシャンを集めたのですか? また、身近なロンドンや出身地のスイスではなく、少し離れた場所の人たちとネットを介して繋がっているのがいまっぽいなという印象です。彼らとはデータのやりとりなどオン・ラインで音楽を制作したのですか?

AM:ほとんどのミュージシャンとはネット上で出会ったね! レオ・マイケル・バードは学校の友だちなんだけど、他のミュージシャンに関しては僕がInstagramやSpotifyで見つけた人なんだ。いまではほとんどの人と直接会って、仲良くなったよ。例えば、M・フィールドはここ2年間に最もSpotifyで聴いたアーティストのひとりで、彼にインスタのDMで僕がどれだけ彼の音楽が好きなのかを伝えて、「僕の曲で歌ってくれないかな?」とダメ元で連絡してみたら、返事が帰ってきてね! 彼もいまはロンドンに住んでるから、一緒に曲を作ったり、フリスビーをして遊んだり、ホット・チョコレート作って飲んだり、一緒にライヴで演奏するようになったね。遠くに住んでいるアーティストはだいたい自分のパートをデータで送ってきて、それを僕がミックスして形にしているよ。

ルイス・コールのノウワーとも共通するのですが、アルバム全体の印象としては非常にポップなサウンドになっていると思います。シンガーをフィーチャーしているのもノウアーと同様のアプローチですし、実際に今回のアルバムにも参加するルイス・コールからの影響が大きいのでしょうか? 彼と共演するサンダーキャットなども影響を与えているのかなとも思いますが。

AM:もちろん! ルイス・コールとノウワーからはいつも凄くインスパイアされてるよ。僕が音楽制作をスタートした頃から彼らの音楽が好きで、どうやったらあのようなサウンドを作れるか知りたかったくらいだ。サンダーキャットもずっとファンだね!

かつてのリターン・トゥ・フォーエヴァーのように、ジャズという音楽をロックやポップ・ミュージックとうまく融合し、新しい時代を切り開いていくようなアルバムになっていると思いますし、それはあなたが影響を受けたというハービー・ハンコックやジョージ・デュークなどにも共通するものです。あなた自身はあなたの音楽についてどこを目指していますか?

AM:僕の音楽的なゴールは、自分が駆け出しの頃に憧れていたようないまいちばん熱いシーンの中心にある音楽を作ることだね。

seekersinternational & juwanstockton - ele-king

彼らは暗闇に虹を残す ——マッシヴ・アタック“ブルー・ラインズ”

 ダブの面白さは、レイヴ・カルチャーと似ている。実際ぼくが行ったことのある、1993年、つまり再開発されるよりずっと以前の時代にブリクストンの倉庫でやった口コミのみのレイヴ会場のセカンド・ルームでは、中央に大きなピラミッドがあり(笑)、そしてキング・タビーやらルーツ的のダブがかかっていた(そしてピラミッドを囲んで何人かは瞑想していた)。この親和性は、ふたつの共通点からも理解できる。ひとつはこれらが基本的に都会の音楽であるということ、もうひとつは非言語的な音楽であるということ。さらにもうひとつ付け加えるなら、昔、ダディ・Gがサウンドシステム文化について語った次の言葉に集約されるだろう。「シンガーのような中心的存在は必要ないから、エゴイスティックな過剰な露出がない」
 カナダは、ブリティッシュ・コロンビア州のリッチモンドを拠点にするシーカーズインターナショナルは、この10年ものあいだコンスタントに作品を出し続けて、世界中のいたるところでファンを増やしている。いや、この言い方は正確ではない。正確には、ダブと呼ばれる音楽が世界中にそのファンを増やしているのだ。しかしなんで、なんでこの、夜とコンクリートの壁が似合う非言語的な(要するに、特別な言葉のメッセージのない)無言の音楽が人びとを誘うのか。現実逃避のためのシェルター? 
 ダブがアンビエントと決定的に違っているのは、あの大腸に響く、暴力的とも言える低音にある。体験談として言うが、ロンドンのジャー・シャカのサウンドシステムでは、そのすまさじい低音に気分が悪くなってぶっ倒れる人だっているほどで、だからダブとは無視できるような音楽ではなく、間違っても他の何かをしながら聴けるようなしろものではない。あれほど身体に響く音楽はないし、無害なイメージを絶え間なく再生産する一部のアンビエント/ニューエイジなどと違って、いくらそこから離れていたとしても、気がつけば夜の回路にアクセスし、その暗闇のなかでは何かが消失され、何かが生まれる。

 ダブは、その創始者キング・タビーの想像を遙かに超えたものとなって拡大していることが、シーカーズインターナショナルとジュワンストックトンの共作『キンツギソウルステッパーズ』を聴いているとまたしても感じられる。最新のダブをチェックしている音好きには言うまでもないことだが、ダブとは、いまや必ずしも引き算の音楽ではない。フィリピン系移民たちによるこのグループの音楽の背景には、Qバートのようなヒップホップのバトル系DJ(このシーンにもフィリピン系アメリカ人が大いに関わっていた)とベルリンのベーシック・チャンネル系のダブ・テクノがあり、この奇妙な組み合わせが彼らのユニークなサウンドの核にある。本作では、それをサウンド・コラージュの脈絡のない混乱をもって、さらにアップデートさせている。このアルバムを大きな音でかけていると、編集部小林が「ヴェイパーウェイヴですか?」と勘違いしていたが、近いのはダブルディー&スタンスキーの「レッスン1,2&3」のほうだ。80年代のサンプリング時代のヒップホップの支離滅裂だがビートに乗せてしまうあの遊び心、あのばかげた高揚感がここにはある。“Shinjuku Skanking”なる曲は、スタジオに『ファンタズマ』時代の小山田圭吾がいるのかと思わせるほど細切れのカットアップによるギザギザのグルーヴが展開されている。ラウンジーな“Mercury Rising”なんて曲もあるが、テーブルにグラスを置けないほど振動するこの音楽においてはカクテルパーティなどもってのほか。ぶっ飛びすぎているのだ。
 
 ダブは、ぼくにとっては、理論化されることを拒みながら膨張する宇宙だ。近年、ぼくが聴いたダブにおいてもっとも強烈だったのは、何度でも書くが、空しい10年代を予見したかのようなハイプ・ウィリアムスのライヴで、先日Casanova.S氏がレヴューしていたグレート・エリアの奇妙な(そして魅力的な)シンセ・ポップがそうであるように、いや、それ以上におそろしく空虚な何かだった。たいしてこちらシーカーズは、汚染された夜にさえもまだ楽しみはあると告げている。この素晴らしいダブ・アルバムは今年の春、日本の〈Riddim Chango〉からリリースされた。また、シーカーズは先日、Mars89との共作も発表しているが、そちらはより重たくダークで、テクノ寄りの音響に変換されている。機械を使って、スクラップだけで構成された音楽、言うなれば幽霊たちのコラージュが、いま東京で聴かれることを待っているこの事態に、ぼくたちは注意を払う必要があるだろう。

Claire Rousay - ele-king

 気鋭のアンビエント・アーティスト、クレア・ラウジーによる新作アルバム『sentiment』は、ラウジーのキャリアにとって極めて重要な作品となるだけではなく、2024年のインディ・ロックとエクスペリメタル・ミュージックにおいても重要極まりないアルバムだ。
 この『sentiment』には、音楽とジャンルの壁をしなやかに越えようとする意志がある。少なくも私には、この2024年において、インディ・ロックとエクスペリメンタル・ミュージックがこういったかたちでつながるとは思ってもみなかった(時代は90年代ではないので……)。リリースは名門〈Thrill Jockey〉からというのも示唆的である。レーベル側からラウジーにアプローチをかけてきたようだが、レーベルの慧眼に唸るしかない。

 本作『sentiment』において、アンビエント・アーティストのクレア・ラウジーは、シンガーソングライターとして、曲を作り、詩を書き、そして歌っている。声はオートチューンで加工されているが、そのことによってかえってラウジーのパーソナルな面を感じるようにもなっている。いわば生々しさが抑制されることで、その人の本質がより表出した、というべきか。
 じっさいとてもパーソナルなアルバムだと思う。『sentiment』には「孤独、ノスタルジア、感傷、罪悪感」という感情が込められているという。心の痛みや苦しさを吐露しつつ、しかしそれらが自己へのセラピーになるように歌われている。
 しかし大切なことは、決して人生への否定性に留まってはいない点だ。そこにはこの辛い世界を、私は私として生きていくというしなやかな意志があるように感じられた点である。何より、ラウジーが作り出したメロディやサウンドからは前向きな力を感じるのだ。世界に満ちている「音」への信頼もある。音楽を愛し、音楽への探究心と、音を出すことへの喜びに満ちている。
 何より大切なことは、「歌い出すこと」への気負いがない点にある。少なくとも音に不自然さはない。これまでも盟友モア・イーズとの共作でポップなボーカルトラックを作ってきたラウジーだが、自身のソロアルバムでボーカル曲をメインに展開するのは初だった。にもかかわらず「歌うことと/歌わないこと」の境界線など最初からなかったようのように、ある必然性をもって、ごく自然に歌い始め、歌っているのである。
 もちろんこれまでどおりの環境録音や楽器の音を主体としてアンビエント曲もある。このアルバムはヴォーカル曲が半数以上を占めるが、アンビエント・トラックとの境界線は曖昧だ。アルバムを通して聴いていると全く違和感なく、曲と曲が繋がっていくのである。本作『sentiment』においてラウジーは、音楽の幅が広がったというより、より自由になったというべきかもしれない。若くしてこの境地に至ったとはクレア・ラウジーとは、いったいどういう音楽家なのだろう。

 ラウジーは、かつて打楽器奏者として活動していた(岡村詩野氏によるクレア・ラウジーのインタヴューを参考にさせて頂きました。本当に素晴らしいインタヴューです)。マスロックが好きで、そこからスロウコアを発見し、やがてシカゴのロブ・マズレク(!)と知り合いになり、そこからトータスなどへ遡って聴いていったという。90年代中盤の米国のオルタナティブなロックを時代を遡行するように「発見」していったのだ。
 もちろん〈American Dreams〉や〈Ecstatic〉、〈Shelter Press〉などからアルバムをリリースしているラウジーは、アンビエント/エクスペリメンタル関係のアーティストとの交流も盛んである。2024年もリサ・ラーケンフェルトの『Suite For the Drains』にリミックスで参加している。
 何よりラウジーは、自身の音楽を見出すためにボーカルレスのアンビエントサウンドを見出したということが興味深い。もっとも本人は自分が作り出したサウンドをアンビエントとは思っていなかったようだが、逆にいえばラウジーにおいて音/音楽に差異や優劣がなく、自由に音楽を奏で作り出してきたことの証左になっているように思う。
 その意味で、「歌う」ことになったのは、ラウジーよ音楽遍歴を考えると当然のことだったはずだ。音楽と音響と歌は、ずっとラウジーの中に「リスニング経験」としてあったのだから(かつてジム・オルークが歌い出したことを思い出すし、その意味でリスナー型音楽家であるといえる。ロブ・マズレクやトータスなどのシカゴの音楽家たちとの共通点もそこにあるのかもしれない)。
 何よりその曲の良さに驚いた。スロウコアというよりは、どこかビートルズ的なブリティッシュフォークにも近いメロディだが、そのように時代/歴史の枠組みにとらわれないのも今の時代ならではの感性なのだろう。そもそもクレア・ラウジーにとって、音も声も環境音もすべてが同列であって、そこに優劣はない。歴史ですらもフラットであり優劣がないはずだ。何より歌も声も環境音も、同列な存在として鳴り響いているのだ。
 
 アルバムには全10曲が収録されている。〈HEADZ〉からリリースされた日本盤CDにさらに追加で長尺アンビエントと歌物の曲が2曲収録された。構成としてはオートチェンジャーで変換されたラウジーの歌声とギターとエレクトロニクスによるモダン・フォークといった趣のヴォーカル曲が6曲、ポエトリー・リーディング、環境音、ギター、電子音などが折り重なるインストのアンビエント曲が4曲が収められている。
 アルバムは男性の声でラウジーの詩を朗読する“4PM”で幕を開ける。声と環境音が交錯し、さながら映画の1シーンのようなサウンドだ。朗読は〈Students Of Decay〉や〈Longform Editions〉などから作品をリリースするサウンドアーティストのTheodore Cale Schafer。先にビートルズ的と書いたが本作のコーダに鳴らされるループするストリングスはビートルズの“good night”を弦楽を思わせるものがあった。
 2曲目“Head”、3曲目“It Could Be Anything”、4曲目“Asking For It”がボーカル曲である。どの曲もソングライティングが優れている。“Head”は本作を代表するボーカル曲といえるが、その唐突な幕切れが耳を撃つ。また“It Could Be Anything”などは構成、アレンジもかなり練られた楽曲である。ラウジーが影響を受けたスロウコアというより、どこかフランク・オーシャンの『Blonde』(2016)をエクスペリメンタル・ミュージック経由でモダン・フォークとして仕上げたような印象の楽曲だ。
 5曲目はヴァイオリンとチェロの硬質な響きが折り重なるモダンクラシカルな楽曲である。楽曲は終わりに向かうに従い、弦が消え、ラウジーのギターが聴こえてくる。やがてそれすら消えて微かな環境音のみになる。見事な構成だ。
 6曲目“Lover's Spit Plays in the Background”は前曲のムードを受け継ぎつつ、ギター、弦、そしてボーカルが音空間に浮かび上がってくるアレンジが素晴らしい。ギターはラウジーが演奏しているが実に味わい深い演奏だ。まだ初めてまもないらしいがさすがというほかない。
 7曲目“Sycamore Skylight”は再びインストのアンビエント曲である。キーボードの音に、環境音が静かにレイヤーされ、鳥の声や人の声も聴こえてくる。そこに持続音が鳴り始め、音響を次第に変化させていく。再び聴こえてくるギターのアルペジオ。穏やかにして繊細なサウンドである。
 8曲目“Sycamore Skylight”で再びボーカル曲だが、前曲のムードをグラデーションのようにシームレスに受け継いでいる。9曲目“Please 5 More Minutes”は環境録音による曲。アルバム最終曲である10曲目“ILY2”でボーカル曲に戻る。ギターのアルペジオとコーラスとアンビエントなシンセサイザーによるサウンドカードの交錯が見事な曲である。この曲には インディ・フォークのハンド・ハビッツが参加している。
 オリジナルはここで終了するが、日本盤CDにはさらにボーナストラックが2曲収録されている。11曲目は長尺のアンビエント曲、12曲目はシンプルなボーカル曲。この2曲がまた上質な曲なのだ。いかにもボートラといった不自然さはなく、まるでアルバムの最後のピースのように違和感なく収まっている。オリジナル盤を聴いた方もぜひとも聴いてほしい楽曲である。
 個人的に最も気になった曲は7曲目“Sycamore Skylight”だった。インストのアンビエント曲だが、ヴァイオリンやエレクトロニクスとの折り重ねあいが絶妙であり、クレア・ラウジーが今実現したいサウンドに感じたからである。穏やかな日中に見る夢のような音とでもいうべきか。ヴァイオリンはマリ・モーリス(Mari Maurice)で、これまでもラウジーの楽曲に参加している。また、マリ・モーリスは、モア・イーズのアルバムに参加している。
 これまでの経歴やアルバムの参加メンバーを考えると、ラウジーの音楽はコミュニティと密接な関係があることが分かってくる。そこで生き、そこで音楽を演奏し、音楽を作ること。ラウジーにとって、「アルバム」は、まさにその名のとおり、人生の記録であり、人生の証のようなものかもしれない。

 何はともあれ2024年、インディ、フォーク、エクスペリメンタルなアンビエントをつなぐ重要なアルバムである。何より誰が聴いても心地よく、真摯で美しいアルバムである。多くの人に耳と感性に触れてほしい作品だ。

R.I.P. Steve Albini - ele-king

 5月7日、スティーヴ・アルビニが心臓発作で死去。享年61歳。バンド、シェラックの10年ぶりの新作『To All Trains』の発売を今月に控えたあまりにも急で早すぎる死だった。

 80年代、学生時代にシカゴでジャーナリズムを学び、ファンジンのライターと並行して最初のバンド、ビッグ・ブラックの活動を開始。リズムマシーンとギター×2、ベースという編成。ドライなマシン・サウンドと金属的でノイジーなギター・サウンドをもってアンダーグラウンド・シーンで頭角を現した。

 彼のバンドとしての活動は、ちょうどCDの登場する時期と重なっていた。ジャケットで日本の劇画『レイプマン』の引用がされていることでも知られるアルバム『Songs About Fucking』の裏ジャケットには「The future belongs to the analog loyalists. Fuck digita」(未来はアナログ支持者のもの。デジタルなんぞ糞食らえ)と書かれている。この姿勢は終生変わらなかった。

 1987年にはその『レイプマン』をバンド名に冠した新バンド、レイプマンを結成。ビッグ・ブラックではラモーンズを念頭に置いたシンプルな曲に徹したと発言しているが、レイプマンはドラムも人間になり、レッド・ツェッペリンを凶悪にアップデートしたようなスタイルへと進化したものの、やはりバンド名が問題になり非難が殺到、解散を余儀なくされ、予定されていた来日もあえなく潰えた。

 レイプマンの “”Kim Gordon's Panties ” という曲でサーストン・ムーアとキム・ゴードンを揶揄し、サーストンに殴られたという話も有名だ。アルビニの死を受けてツイートされたサーストンの一連の発言を見たかぎりでは、もう長年にわたってアルビニとサーストンは没交渉だったようだが、その背景にはソニック・ユースがメジャーと契約したことに対するインディ原理主義者アルビニの憤りがあったように思える。

 この件でもわかるようにアルビは偏屈かつ辛辣なユーモア感覚の持ち主であり、それがしばしばミソジニーだったり差別的な形を取ることがあった。これについてはのちに反省し、謝罪もしている

 1992年には新たにシェラックを結成。ギター、ベース、ドラムスという最小編成。いよいよ研ぎ澄まされたシンプルなアンサンブルを極めていった。この頃には自分のバンドの録音にとどまらず、プロデューサー/レコーディング・エンジニアとしても活躍するようになっている。ピクシーズ、スリント、ジーザス・リザード、プッシー・ガロアにジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、フガジなどインディバンド中心に手掛けていたが、やはり彼を一躍有名にしたのはニルヴァーナの『イン・ユーテロ』だろう。

 もともとアルビニは『ネヴァーマインド』が引き起こしたオルタナ/グランジブームについてはかなり痛烈に批判もしていたのだが、自身の出自であるアンダーグラウンドへの回帰を望むバンド側からの熱望により起用が実現した。最終的にはアルビニの手が離れた後に手が加えられるなど、スムーズにはいかなかったようだが、20周年記念版にはアルビニ自身がミックス、マスタリングしたバージョンがリリースされている(これが当時のオリジナル・ミックスかどうかは不明)。この際にアルビニがバンドに送ったFAXの文面というのも後に公表されている。そこでは高額な印税支払いを断っている。自分が納得できるだけの金額をもらえればそれでいいとしており、配管工のように仕事をしたいと言っている。

 自宅をスタジオにして録音の仕事を始めたアルビニだが、その後設立したレコーディングスタジオ〈エレクトリカル・オーディオ〉でもエンジニア料金は明朗会計で、現時点でサイトに記載されている料金表によれば「$900/ day at EA、$1300/ day elsewhere」とある。頑張れば出せない金額じゃないところがいいなと思う(円安でなければ……)。

 アルビニは「プロデューサー」というクレジットを嫌い、あくまでも「レコーディング・エンジニア」という表記にこだわった。自身を「記録者」と位置づけており、マイクのセッティングにとにかく時間をかける一方で録音自体は一発録りであまりテイク数を重ねない。コンソールのフェーダーもほぼフラットだったという目撃証言もある

 アルビニはアラン・ローマックスに影響を受けたと公言している。アメリカの民俗音楽の収集家であり、全米各地で民謡を発掘・収集してウディ・ガスリーやレッドベリーといったアーティストの紹介に貢献した人物だ。フィールド・レコーディングのように音楽を録音するという意味で、その影響関係はよくわかる。

 訃報のあと、とりあえずシェラックのヴァイナルを何枚か爆音で聴き直したのだが、改めて音のよさに感嘆した。すべての楽器、とくにドラムがその場で鳴っているような生々しい録音。バンドの生の姿を捉えることに全力を注ぐその姿勢は、録音後のエフェクトや編集を重視するタイプのプロデューサーとは正反対だ。バンドの地力がもろに露呈するので、怖い面もあると思う。反時代的とも思えなくもないその姿勢は、インディ美学の掲げる理想のひとつの現れだったのだろう。

 日本でもアルビニが録音したアーティストは数多い。ゼニゲバの90年代前半の諸作品やメルト・バナナの初期作品は、アルビニの録音によって世界的な知名度につながった側面もあるだろう。当時、サーストン・ムーアやジョン・ゾーンと並んで日本のインディバンドが世界に認識されるきっかけになった人物でもあった。現在でも、いつかアルビニに録音されたいという夢を抱いていたバンドマンは数多くいただろう。

 最後に、個人的なアルビニ・ワークスのおすすめ盤を挙げておく。自身のバンドから3枚、エンジニアとしての仕事から10枚を選んでみた。なにしろ仕事量の多いひとなので筆者もその一部しか聴けていないのと、世代的にどうしても90年代のものが多いのはご容赦いただきたい。それと、お蔵入りになってしまったチープ・トリックの『蒼ざめたハイウェイ』再録盤は今からでもリリースしてもらえないだろうか。

Selected discs

Big Black / Songs About Fucking

Rapeman / Two Nuns A Pack Mule

Shellac / 100 Hurts

Jesus Lizard / Liar

Zeni Geva / DESIRE FOR AGONY (苦痛志向)

Space Streakings / 七徳

Melt Banana / scratch or stitch

Los Crudos/Spit Boy / split

PJ Harvey / Rid of Me

Tony Conrad / Slapping Pythagoras

The Ex / Starters Alternators

Neurosis / The Eye of Every Storm

SUNN O))) / Life Metal

interview with Yui Togashi (downt) - ele-king

 ステージ上で速く複雑なピッキングでギターを弾きまくり、ときに叫びにも近い感情的な歌を聴かせるギタリスト/ヴォーカリストと、壇上から降りたあと、注意深く耳を傾けないと聞きとれないほどの小さな声で話す富樫ユイとの間には、とても不思議なギャップがある。

 2021年に結成されたdowntは、富樫と河合崇晶(ベース)、Tener Ken Robert(ドラムス)とのトリオで、富樫のソングライティングを中心に、作品をつくることに重きを置いて、東京で活動している。これまでにミニ・アルバム『downt』(2021年)、EP「SAKANA e.p.」(2022年)、シングル「III」を発表し、日本のインディ・ロックの紹介にも力を入れているUKの〈ドッグ・ナイツ・プロダクションズ〉からコンピレーション・アルバム『Anthology』(2022年)がリリースされたこともある。2022年にはFUJI ROCK FESTIVALのROOKIE A GO-GOにも出演し……と、活動歴はまだ3年だが、実績を着実に積み上げてきている。いま注目のバンド、と特に今年は何度も紹介されたことだろう。

 3人がここにきてつくりあげたファースト・アルバム『Underlight & Aftertime』が、バンドの歩みを振り返りつつ(“111511” や “mizu ni naru”、“AM4:50” と、初期の重要曲の再録が含まれている)、これまでにない新しいアプローチでバンド・アンサンブルを深化させていることは、過去の作品と聴き比べたらよくわかる。変わったこと、変わらないこと。エモやオルタナティヴ・ロックの蓄積の反響と、この国特有のロックの複雑性や質感の反映。

 ただ、そういう外在的で分析的な視点がどうでもよくなってくるほどに、このアルバムは内在的で、暗く塞がった、けれども心地よい孤独感に満たされている。それは、孤高というのとはだいぶちがう。冷めていて、刺々しさがありながらも、自問自答の精神世界に深く導かれるような、そして聴き手に直接語りかけてくるような、「氷の炎」とでも言うべき、突き放した親密さというか。どん詰まりに行きあたったものの、解決の糸口を見つけたかと思ったら、また元の場所に戻っていくような、ものさびしいストーリーテリングが、アルバムを構成している。その表現の芯に富樫の歌や詞やギターがあるのは、疑いようがない。では、そのさらに奥の背景にあるものとは?

 アルバムのリリースからしばらく経っておこなったこのインタヴューでは、過去に様々な場で語られてきたことを繋ぎあわせながら、富樫のライフ・ストーリー、downtというバンドを結成するまでのことから現在のありようまでを聞いた。音楽の話というよりも、内面を掘りさげたものになったが、それもこのバンドの音楽を知るうえでは意味のあることだと思う。

最初は「何がいいんじゃ?」って感じでまったくわからなくて、何十周も聴いたんです。期間を空けたら、なんか逆に聴きたくなってきちゃったんですよね。マイナー・スレットを、特に。

中国でのライヴが目前ですね(取材は2024年4月15日におこなった)。

富樫ユイ(以下、YT):海外に行くこと自体が初めてなのでドキドキですね。downtの企画をやると「飛行機で来ました」と伝えてくださる中国や韓国からのお客さんがいて、「はー!」ってびっくりします。bilibili(中国の動画サイト)に上げる動画も反応がよかったりします。

そういえば、3月22日のリリース・ライヴに行ったとき、中国人のファンがすぐそばで見ていました。『Underlight & Aftertime』がリリースされて1か月以上経ちましたが、反応はいかがですか?

YT:想像していた反応とはちがったかもしれないですね。制作中はオーディエンスやリスナーの反応は考えないようにしているんですけど、新しいアプローチで曲をつくったので、「私たち以外の人が聴くとどう感じるのだろう」と思ったりはしました。昔から知ってくれている人やバンドの友だちからは「ソリッドになったね」とか、そういう意見が多かったですし。実際リリースされると、嬉しい反応が多かったかもしれないです。自分が思ってたよりは……。

このアルバムからdowntを知る人のほうが多いのでは、とも思います。

YT:そうですね。初めて出した『downt』は自己紹介みたいなものだったので。今まで私たちのことを知らなかった人たちにも聴いてもらえたら、ひとつの起点やなにかのきっかけになったらうれしいです。

今回のインタヴューは富樫さんのパーソナルな話を中心に聞きたいと思います。生まれは札幌だそうですが、どんな場所でしたか? 都心部だったのか、郊外や田舎のほうだったのかなど。

YT:都心部だったと思います。夏は過ごしやすくて、冬は雪が降っても暖かったです。気温が氷点下になっても、なぜかあったかいんですよ。除雪機が雪を道路の脇にばっと積んで、その雪がかまくらみたいになって風が遮られるので。

musitのインタヴュー(https://musit.net/interview/downt-underlight-n-aftertime)では、子どもの頃は勉強が好きになれず、絵を描くのが好きだったとおっしゃっていました。富樫さんが描く、ゆるキャラっぽいグッズのイラストと関係しているのかな? と思ったのですが。

YT:グッズはメンバーの要望や意見を組み合わせて、自分なりに「こんな感じかな?」と模索しながらつくっているので、ゆるキャラっぽいのが多くなっているような……。絵を描くのは好きで、根詰めてずっと制作していて「あ~……」ってなってくると、気分転換で描いたりします。私は漫画が好きで、昔は漫画家になりたかったんです。

そうなんですか!? それは意外ですね。

YT:ちっちゃい頃の話なんですけど、『ちゃお』や『りぼん』の後ろの方に「新人漫画家募集!」というのが載っていたので、Gペンを買ってもらって自分の作品を描いて応募したりしていました。

本格的ですね。描いていたのは少女漫画ですか?

YT:そうです。でも、当時はホラーやサスペンスにハマっていて、私もそういう少しグロテスクなものを描いていたみたいで……(汗)。
 漫画を描いて、「できた!」って母親に見せたら、母の顔が真っ青になったのを覚えています。「あんた、大丈夫?」って心配されて、すごく悲しかったんですよ。そんな風に言われるなんて思っていなかったから。それで漫画を描くのをやめちゃった記憶があります。

当時憧れていた作家や好きだった作品はなんでしたか?

YT:『満月をさがして』という種村有菜さんの作品がすごく好きで、サイン会に行ってサインしてもらったこともあります。

その頃のご自身と現在の富樫さんは繋がっていると思いますか?

YT:う~ん……。ひとつのことをひとりでずっとやる、みたいなところは繋がっているかもしれないです。

家にいるのが好き、という点は今も一貫していますか?

YT:昔からですね。友だちと遊ぶのが得意じゃなかったんです。友だちはいたんですけど、ひとりで遊ぶ方が楽しくて。それはどうしてかっていうと、自由にできたから。人に合わせるのが苦手だったんでしょうね。自分でつくったルールのなかで遊ぶのが好きで。公園で好きだった遊びが、砂を研磨することだったんです。

どういうことですか(笑)?

YT:滑り台の上の方にこうやって何度も砂を投げると、砂が滑り台を転がって研磨されてめちゃくちゃ綺麗になるんです。そういう遊びをひとりでひたすらやっていました(笑)。

孤独な反復で何かを磨いていく行為は絵を描くことやギターの練習にも繋がっていそうですね。

YT:高校時代は友だちから「ユイ、このあと一緒に遊ぼうよ」って誘われても、「ごめん、家帰るわ」って断ってしまっていたことが多かったです。ひとりで音楽を聴いたり、家でギターを弾いているほうが楽しかったんですよね。そのうちに、気がついたら誘われなくなってました。

子どもの頃はピアノを習っていたんですよね?

YT:3歳から中学に上がるまでやっていました。ただ先生が厳しすぎて「行きたくない!」と親に泣きついてやめました。ピアノが楽しいというよりも、先生が怖いという印象の方が強くなってしまって。でもピアノはいまも好きで、寝る前はクラシック・ピアノを流しながら寝ることが多いです。

ところで、「春が嫌い」と以前おっしゃっていましたが、たしかにdowntの音楽に春夏感はないですよね。圧倒的に秋冬感が強い。

YT:春は嫌いなんですけど……たぶん好きなんでしょうね、きっと。嫌よ嫌よも好きのうち、みたいな。嫌いだけど春にしか感じられないことがあって、それを感じていたい。
 夏は好きです、嫌いだけど。どんな季節が好きなんだよって思われそうですけど、たぶん全部の季節が嫌いで。

あと、富樫さんがインタヴューなどでよく使う言葉に、「冷たい」というのがありますよね。「冷たいものが好き」とか。「冷たさ」は富樫さんの表現における核のひとつだと思うんです。

YT:私が言う「冷たさ」は「寒さ」とかじゃなくて、キラキラしたものにも必ずある棘や冷たい空気感みたいなもの、というか。それは人との会話に感じるときもあるし。冷たいけど嫌な感じじゃなくて、すごく悲しくて美しいもの。そういうところに身を置きたくなるというか、そういうのが心地よいですね。

「冷たいものの美しさ」というのは、downtの音楽の一側面を言い表していますね。先日、よく晴れた日曜日の昼下がりに外を歩きながら『Underlight & Aftertime』を聴いていたら、陽気や暖かい空気に全然合わなかったんです(笑)。ただ、夜の暗さやひんやりとした空気にはすごく合う。

YT:それはよく言われます。「夜っぽい」って。夜は好きですね。

夜更かしするタイプですか?

YT:しますね。私はまとまった睡眠時間はあまりとらなくて、起きたり寝たりを繰り返しているので、就寝時間も決まっていないんですね。夜になると目がすごく冴えてくるんです。幼少期は家庭が厳しかったので「早寝早起きしなさい」と言われていたんですけど、そういうのから解放されて自由になってから、こういう生活のほうが合うなって思いました。なので、子どもの頃はずっとしんどかったと思います。

ものすごい喪失感があったんです。それを埋めるために……必死で埋めたくて埋めたくて、がむしゃらに音楽をやりはじめたのかもしれません。ここにいたらダメだ、私は自分の力で自分を変えなきゃいけないって。

話は変わりますが、富樫さんが「バンド」というものを知ったのは中学時代、ELLEGARDENをすすめられたことだとおっしゃっていましたね。あと仲のよかった先輩が学園祭でバンドをやっていたとか。

YT:そうです。中学でバンドの演奏を初めて生で見て、バンドという概念を知って。スピッツの “魔法の言葉” をやっていて、「これって演奏できるんだ! バンドってすごい!」と思いました。

でも「ドラムは家で練習できない」、「ベースは力がいるから女の子には無理」と言われて、ギターを弾くことになったという。

YT:ギターは最終選択肢だったんです。初心者セットを買ってもらって弾きはじめました。

厳格なご家庭だったのにギターを買ってもらえたんですね。

YT:私も不思議でした。音楽は親が昔できなかったことだったみたいで、「私がやれないのはかわいそうだ」、「同じ気持ちにさせたくない」ってことでギターを買ってあげた、という話は親から聞いたことがあります。

ギターの練習はコピーからはじめたのでしょうか?

YT:そうです。兄がドラムをやっていたのでバンド・スコアを見せてもらって。

何のバンド・スコアでしたか?

YT:ハイスタ(Hi-STANDARD)とかマスドレ(MASS OF THE FERMENTING DREGS)とかエルレ(ELLEGARDEN)とか。すごく好きだったのは東京事変の長岡亮介さんです。でも、長岡さんのギターってめっちゃむずいじゃないですか。当然うまく弾けないんですけど、弾けないながらもひたすら練習していました。まず、コード弾きしていたところから単音弾きができるようになるには山をひとつ越えなきゃいけないので、練習しては挫折しての繰り返しでしたね。高校時代はバンドを組んでいたわけでもなく学園祭でたまにちょっと弾いてみるだけで、あとはひたすらひとりで練習して楽しんでいました。

昨年、「III」のリリース前に『ele-king vol.31』でインタヴューさせていただいたとき、先輩から「これを弾け」と言われてジェフ・ベックなどを練習した、とおっしゃっていましたよね。

YT:ジェフ・ベックじゃなくてレッド・ツェッペリンですね。高校に軽音部がなかったので、大学では絶対に音楽サークルに入りたいと思って。大学で入ったサークルに70、80年代のロックが好きな先輩が集まっていたんです。「ギターをやりたいです」って言ったら、「お前はまずこれを弾け」ってまったく聴いたことがなかったレッド・ツェッペリンとかキング・クリムゾンを耳コピさせられて。画質が酷いYouTube動画で運指を見ながら練習していたんですけど、挫折しました……。キング・クリムゾンの音楽は大好きなんですけど、自分では弾けないし別に弾きたくないなって。

当時、富樫さんが好きだったギタリストはどなたですか?

YT:大学時代は赤い公園の津野米咲さんが大好きでした。長岡亮介さんっぽさを感じたんですけど、米咲さんのインタヴューを読んだら「長岡さんが好き」と書いてあって、「やっぱり」って。それでもっと好きになりました。ふたりに共通しているのは、ギターをピアノみたいに弾くじゃないですか。そこがすごく好きで。自分がやりたいことのひとつですね。downtではあまりできていませんが、そういうギターを弾けたらいいなと思っています。

『Underlight & Aftertime』では、複雑なフレーズを速いパッセージで弾くプレイが以前よりも減っていて、コード・ストロークやシンプルなリフ、ゆっくりとしたアルペジオなどが中心ですよね。

YT:今回はバンド・サウンドを目指したんです。「自分はなんでバンドをやっているんだろう? バンドで何がしたいんだろう?」ってすごく考えて。いままでは自分が弾きたいフレーズとかを優先していたんですけど、今回はアンサンブルにより重点を置きました。ノリや曲の山場、各楽器の絡み方、曲の全体像をより高い場所から見るように考えてつくったので、余計なことはしないようにしました。

トリオならではの演奏を活かして、アンサンブルを塊にした?

YT:まさにそうです。音が重なってできる塊。ひとりで音楽をしていない意味はそこにあると思っていて。バンドでやれること、バンドをやる意味ってなんだろう? と考えて、そういう方向へシフトしていきました。

その一方で、「こういうかっこいいフレーズを弾きまくりたい!」というもうひとりの富樫さんもいたのでは?

YT:たしかに、曲のオケやデモをつくっていると、無意味なギターを弾きだす自分もたくさんいましたね。でも今回の制作では以前よりもさらに、この曲においてこのギターは、この音は本当にいるのか? ということをずっと考えていたので。ただ、これを弾きたいんだっていう気持ちというかマインド的なものは、なくしちゃいけないと思ってます。

「聴く音楽が変わった」ともおっしゃっていましたよね。

YT:聴く音楽というか、音楽の聴き方が変わったかなと思います。きっかけはD.C.ハードコアで、それは「好き」とかとはまたちがった感覚で。個人的には初めてこんな気持ちになったかな。

ベーシストの河合さんが好きなジャンルですよね。

YT:そのあたりは、河合さんがすごく好きで。制作をするにあたってまずコミュニケーションができないと、鳴らした音に対しての会話もできないと思って。最初は「何がいいんじゃ?」って感じでまったくわからなくて、何十周も聴いたんです。その後また、自分の好きな曲を聴いたりして期間を空けたら、なんか逆に聴きたくなってきちゃったんですよね。マイナー・スレットを、特に。「この気持ち、何だろう? これってバンド・サウンド? もしかしてアンサンブル?」みたいな感じで未だに解明できていないんですけど、それから音楽の聴き方が変わった感じがします。視野を広げて曲の全体像をひとまとまりとして上から見下ろせるようになったかもしれません。

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あんまり家庭環境がよくなかったんですよね。たぶんずっとさみしかったんだと思います。そこがはじまりで。その頃から他人に対する違和感とか、どこまでいってもわかりあえないとか、自分は何もできないんだって無力感が。友だちを失ったことをきっかけに、もうこれは自分を一回死なせるしかない、と思って。

話は戻りますが、札幌から京都に移られたのはいつ頃でしたか?

YT:高校卒業後です。札幌にいた頃の私は、ロボットみたいだった。京都に来てからは、肌馴染みがすごくよかったです。何もしなくてもスッと浸透してきて。とても心地よい場所です。

大学卒業後は就職して働いていらっしゃって、ご自身でバンドをやらずに友人の演奏を見たり聴いたりしていたそうですね。

YT:そうです。オリジナル曲をやるってすごい、ハードルが高いな、自分なんか……ってずーっと思っていました。恥ずかしい、自分の曲なんて他人に聴かせられないって。自信がなかったんですね。なので、オリジナルをやっている人たちが羨ましかったです。それとは裏腹に、(小声で)「私、たぶんもっといい曲が書けるんじゃかな~……」って思ったりもしていました(笑)。ただそう考えるだけで、「形にすること自体がすごいんだ」とか、自分のなかでいろんな思いが対立していて。

ただ、表現欲求のようなものが溜まっていたということですよね。

YT:たぶんそうですね。昔からそうで。中学の同級生がみんなすごく勉強していて、自分も勉強させられていたけど、一番になるのは絶対に無理だったんです。それでいつも劣等感を覚えていて、「何だったら勝てるんだろう? 勝ちたい」とずっと思っていて。負けず嫌いなのかも。なので、自分は表現……かっこよく言っちゃえば「芸術」みたいなののほうが得意かもしれない、とは思ってました。

苦しかったですか?

YT:いや、苦しさはなかったですね。もやもやはしていました。芸術をうんとやれる環境に身を置いてみたかった自分もいたけれど、どうしてもそれを口に出せなかったです。もやもやがずっとあって、あることをきっかけに「もういいや。誰に何を思われてもいい」と自分で決めたときの決意はすごかったです。

『MUSICA』2024年4月号でのインタヴューでそのあたりのことを深いところまでお話しされていましたが、人間関係のトラブルで友人を失って苦しみから抜けだせなくなった、とおっしゃっていましたね。それも同じ頃ですか?

YT:まさにそのタイミングでした。ものすごい喪失感があったんです。それを埋めるために……必死で埋めたくて埋めたくて、がむしゃらに音楽をやりはじめたのかもしれません。ここにいたらダメだ、私は自分の力で自分を変えなきゃいけないってそのときに強く思って。誰も私のことを知らない場所と状態ではじめてみようって。

自作曲のデモ作りもそのタイミングではじめたんですか?

YT:急にやりはじめました。“111511” が初めてつくった曲で、そこからすべてがはじまりました。打ち込みもやったことなかったけど、なんとなく感覚でやってみて。すごい意味のわからないフィルとか、めっちゃ入ってましたし(笑)。

『Underlight & Aftertime』はその “111511” や “mizu ni naru” のような初期の曲が中盤から後半にかけて置かれていて、構成にストーリーが感じられました。

YT:そうですね。アルバムという作品をつくるなかで、流れは大事かなと思っています。意味は後づけかもしれないけど、直感的にこの流れがいいなと。

富樫さんがメンバーを募集してバンドを組んだ際の動機に、「作品づくりをしたい」というのがあったそうですね。その起点が、downtの作品にはよく表れていると思います。インタールードを複数入れることで、構成されたひとまとまりの作品をつくろうという意志が強く感じられるんです。

YT:私――私だけじゃなくメンバーもそうかもですけど、シングルってあんまり聴かないかもしれないです。
 一曲を聴いただけじゃ感じられないもの、アルバムを通して聴いたときにだけ感じられるものが絶対にあると思うので。「SAKANA e.p.」もですけど、聴いてそういうものを感じられるところまで作品を持っていきたいと思っています。

「ライヴで大きな音を出したい」ではなく「作品をつくりたい」という気持ちが根っこにあることが、富樫さんとdowntの魅力に繋がっていると思うんです。

YT:人前に立つのが得意ではないかな……。
 バンドをはじめる前は特にそうで、いまだにライヴがそんなに好きじゃなくて慣れないんですけど。根本的につねに不安と手を繋いでいてしまっているんですよね。だからこそなのか、作品として形になったものを残してみたいという思い入れが強かったんじゃないかなと思います。ライヴはやらなくていいかなっていう気持ちもあったし。
 でも、最近はライヴをするのも楽しくなってきたかもしれない。気のせいかもしれない。

また話を戻しますが、富樫さんが決意をして京都から東京に出てきたことは、人生をリセットしたことに近いと思うんです。その決断はご自身にとってよかったと思いますか?

YT:すごくよかったと思います。私たぶん、あのときに一回死んでるんですよね。いまもう一度生き直そうとしているので、生き直せてよかったと思います。こうなるって未来はまったく予測していなかったし、「大丈夫かな? 急に死ぬかな?」って思っています。

結成からまだ3年なので、バンドの成長や拡大がハイ・ペースではありますよね。

YT:なので、つねにギリギリで生きています。踏み出してよかったです。ずっと踏み出せなかったので、怖くて怖くて。あのとき、踏み出した自分を「よくやりました」ってほめてあげたいです。まあ、あのときの自分はもう死んでるんですけど。

過去の富樫さんを葬る以前、いちばん嫌だったことって何でしたか?

YT:……幼少期まで戻ってしまうと、あんまり家庭環境がよくなかったんですよね。父と母の関係とか、母がずっと働きづめだったとか。それで、たぶんずっとさみしかったんだと思います。でもそれを母にも言えない、兄もいたけど言えなかった。恥ずかしかったんです。そこがはじまりで。その頃から他人に対する違和感とか、どこまでいってもわかりあえないとか、そういう思いがありました。自分は何もできないんだって無力感がすごくあったんです。友だちを失ったことをきっかけに、もうこれは自分を一回死なせるしかない、と思って。あんな行動力は、たぶんもう出せないと思います。っていうぐらい、そのときのエネルギーはすごかったです。「生前」はそんな感じでした。

音楽をやることでその違和感、無力感、喪失感に抗っている?

YT:きっと元に戻らないことには気づいて。それが音楽をやることによってちょっと楽になれた部分はありました。空いた穴のなかには黒くて重たい錘があって。その重さと等しいくらい外に向かおうとするエネルギーは持っているんですけど、そこからはみ出ることはなくて、円の縁をずっとぐるぐる回っているような感じ。どこに行きつくわけでもないから、抗っているのとはちがうかもしれない。エネルギーを保持してバランスを取り続けるものが音楽なのかもしれないです。

前に何かがあってそれを掴もうとしているんじゃなくて、後ろにある美しさみたいなのを引っ張り出そうとしている気がします。アルバムのタイトルもそうで、日が昇って沈んでを繰り返しているような。

「リスナーやオーディエンスの反応は気にしないで制作している」とおっしゃっていましたが、今回これまででいちばん大きな規模で作品をリリースして、ご自身の作品が他人に聴かれていることについてはどう感じていますか?

YT:「誰かのために」を目的にしているわけではないけれど、作品を聴いてもらえるのは、もちろん嬉しいです。一方で恥ずかしかったり、そこに踏みこむのがまだ怖い自分もいると思います。自分が納得できる音源をつくりたいと思っていますが、制約があったり、リミッターがかかっちゃったり、100%のものが出せているかというとちがうかもしれない。自分がそれに納得できていない部分もあるけど、誰かが聴いてくれて「よかった」って言ってくれたり、いろんな意見を聞いたりすると、「これはこれでよかったのかな」、「やってよかったのかな」と思えたりもします。自分のなかに閉じ込め続けていると息ができなくなってしまいそうになるから。少し換気できるかな。

先日のライヴで共演された穂ノ佳さんも、downtのファンなんですよね。

YT:穂ノ佳が「好きです」って話しかけてくれて、そこからの縁です。私も穂ノ佳の音源を聴いて「好き!」ってすぐに感じました。トキメキを覚えています。だから、そういうアーティストと一緒にライヴができて嬉しかったし、とてもしあわせでした。やっている音楽は全然ちがうかもしれないですけど、第六感的なものが動いていたような気はしました……。

過去の富樫さんを葬って東京でゼロからリスタートし、バンドをはじめて、その穂ノ佳さんや、くだらない1日のような仲間も増えたと思います。ご自身にとって急激な変化だったのではないでしょうか?

YT:ライヴハウスに行けば知っている人がいっぱいいるし、「これってどこまでが友だちなの?」って最初は思っちゃいました。人との関わりがものすごい勢いで増えていくことを一度に処理しきれない自分がいて――昔の性格を引きずっているんだと思うんですけど。急激な変化に追いつけなかった自分がいて、いまも追いつけているわけじゃないし、不器用な部分がいっぱいあるんです。変化が激しくなって、それに追いつこうとすればするほど、より家にひきこもりたがる自分がいて。でも最近はそんなこともなく、人ともっと話そうと思ったりしています。それこそ、昔はほぼありえなかったけど自分から誘ってみる、とか。

ただ、このアルバムを聴いていても思うのですが、孤独感や閉塞感は富樫さんやdowntの表現に通底してあると思うんですよ。それこそが作家性や個性でもあるのですが。

YT:ちっちゃいときからそうなんだと思います。怖いものを排除したがるというか、シャッターを下ろしちゃう性格なので。好奇心はあるけど傷つきたくないから触れられなくて、「傷つくぐらいだったら」とシャッターを下ろしてしまう。そういう性格を形成してきちゃったので、たぶんそれは変わらない。自分はそこで止まっちゃってるんです。ずっとさみしいですし。ずっとさみしいのに、そこに帰っていく自分がいる。

その部分が創作のモチベーションやベースになっていると思いますか?

YT:ベースにはなっていますね、確実に。埋まらないものをずっと埋めようとしているというか。モチベーションは季節を感じつづけることです。

アルバムの構成の話を先ほどしましたが、“mizu ni naru” や “111511” のような初期の曲が中盤から後半にかけて配置されている流れは、バンドのスタート地点に戻っていくように感じられるんです。新しい曲が前半にあるのですが、そこから富樫さんが生き直しをはじめた古い曲がある場所にだんだん戻っていく構成というか。

YT:たぶん、前に何かがあってそれを掴もうとしているんじゃなくて、後ろにある美しさみたいなのを引っ張り出そうとしている気がします。アルバムのタイトルもそうで、日が昇って沈んでを繰り返しているような。
 私はずっとそこにいたいんでしょうね。“13月” という曲もそうで、ずっと居心地のよい場所にいたい、それが続けばいいなって思ってる。身体で感じる時間軸のなかでは不可能なものでも、空想をできるだけ輪郭のあるものに再現することによって可能になるというか。たぶん、そういう居場所を自分でつくりあげようとしているのかもしれないです。そこからちょっとはみ出るとき、前に進もうとするときもあるけど、結局元に戻っていくんだなって。

まさにループしている作品だと思いました。前半の方が暗くて後半の方が明るく感じられるので、夜明けに向かっていくんだけど、冒頭の暗闇にまた戻っていくループ感があります。

YT:ちょっと明るくなりかけるんだけど、やっぱり暗いとこが好きなんじゃない? みたいな。元いた場所に引っ張られていく感じですね。

そういえば、「笑うのが苦手だったけど、バンドを始めてから笑うようになった」ともおっしゃっていましたよね。

YT:昔はほんとに笑えませんでした。誰かを見て、「何が面白くてこの人は笑っているんだろう?」とか考えたり――以前の自分が本当に怖いんですけど(笑)。いまはみんなに笑っていてほしいし、自分も笑いたいし、みんなが笑顔になる話を聞くのが好きです。以前と比べてすごく明るくなったと思います。「大丈夫?」って心配されるぐらい暗かったし、子どもの頃は変な漫画を描いていたし……。音楽をはじめて、ほんとに変わりました。いまは楽しいです。

ギアがローに突然変わってめちゃくちゃ暗い方にいく、そういう表現に向かう可能性もありますか?

YT:全然あります。つねにそうやってもがきながら生きているので。

闇落ちしたdowntの音楽も聴いてみたいですね(笑)。本日はありがとうございました。

 

interview with Keiji Haino - ele-king

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の伝記本執筆のためにおこなってきたインタヴューの中から、編集前の素の対話を公開するシリーズの3回目。今回は、灰野の初の電子音楽作品『天乃川』についての回想。『天乃川』は宇川直宏が主宰するインディ・レーベル〈Mom'n'DaD〉から93年にリリースされたソロ・アルバムだが、実際に録音されたのは73年だった。流行とは無関係のあの特異な作品がどのようにして作られたのか、そして制作から20年の時を経て世に出るまでの経緯について、語ってもらった。

宇川くんの〈Mom'n'DaD〉から出た『天乃川』は73年のライヴ音源ですよね。


『天乃川』

灰野敬二(以下、灰野):ロスト・アラーフがまだぎりぎり続いていた頃、京都でやったソロ・ライヴの記録だね。機材を全部一人で持って行って大変だった。昔は両方の手でそれぞれ20キロずつの荷物を現場まで持っていってたからね。ある時なんか、右の肩にサックスをかけ、背中にチェロを背負い、旧式の重いテープ・エコーなどエフェクター類とギターを手に持って移動したこともあった。

京都でやった経緯は?

灰野:確か、ダムハウス(本シリーズ第1回で紹介)で知り合った後、何度か連絡を取り合っていた人からのお誘いだったと思う。当時はジャズやブルースにどっぷりだっけど、エレクトロニクスに対する興味も強まっており、どうせだったらそれでやってみようと思ったんだ。

音を聴いただけではわからないんですが、どういう機材を使ったんですか?

灰野:実は、メインの楽器は生のアップライトピアノなの。ものすごく速い演奏をしているし、しかもディレイをかなり深くかけているから、ちょっと聴いただけではわからないと思うけど、よーく聴くと、ちゃんとピアノの音が聴こえるはずだよ。で、そのピアノの音を電子的に変調させている。ピアノの中に仕込んだ1本のマイクでは、ファズ、ファズワウ、エコー・チェンバーをかけて音をループ状にして出し、もう1本のマイクではエレクトリック・ハーモニック社のシーケンサー・アナライザーを使ってピッチを変化させた。あと、電子オルガンの基盤部分を発信機として使っているし、ヴォイスとコブラの笛(プーンギ)とリズム・マシーンの音も重ねている。
 コブラの笛からはダブル・リード付きの管が2本出ているんだけど、その1本のリードは自分でリードを削って音色を変えていた。リズム・マシーンは、昔のすごくシンプルというかチープなやつね。それのシンバルのボタンをガムテープで固定して、ずっと高速でオンにしたままでテープ・エコーをかけている。
 エレクトリック・ハーモニック社のシーケンサー・アナライザーは当時、ロスト・アラーフにちょっとだけ在籍していたベイシストに教えてもらったもので、画期的な機材だった。今中古で買うと、かなりするんじゃないかな。コントロールするのが難しいから、使っている人は当時もほとんどいなかったけど、ゴングの初期のアルバムなどでは使われてるよ。


『天乃川』

かなり手のこんだパフォーマンスだったんですね。

灰野:うん、自宅でかなり時間をかけて準備して、ライヴに臨んだからね。だんだん思い出してきた……マイクは少なくとも3本あったはず。歌っている時、なぜか足も使っていた。身体全部でやった記憶がある。もしかしたら、リズム・マシーンのガムテープがはがれないように、ずっと足で押さえつけていたのかもしれない。だから、すごくカッコ悪い体勢で演奏していたと思う。あの頃、エレクトロニクスにもっと本格的に取り組んでいたらミキサーを買ってたと思うけど、まだそこまでは行ってなかったし、なにしろ高価で、個人で宅録に使えるような手頃なものはまだなかった。だから今でも残念なんだけど、エコーのかかっていない楽器もあったんだ。もしミキサーを使って、エフェクターを全部かませていたら、音色も統一できただろうに。でも反対に、音色がばらついていたから、妙に生々しい音になったんだとも思うけどね。

非常に独創的なサウンドですよね。これが73年のソロ・ライヴの音だとは思えない。今聴いても、刺激的です。

灰野:オーレン・アンバーチも、「一体どうやってあのサウンドは作ったんだ。うちで出したい」と言って、2016年にはLPで再発してくれた。

その時のお客はどれくらいいたんですか?

灰野:10人もいなかったと思う。その企画した友達が集客してくれたから、きっと大半が彼の知り合いだったんじゃないかな。


『天乃川』で使用した電子オルガンの基盤部分

そもそもなぜ、エレクトロニクスへの興味が強まったんでしょう。何かきっかけがあったんですか? 

灰野:それはよく憶えていないんだけど…たぶん楽器屋のセールで安い機材を買ったことだったんじゃないかな。リズム・ボックスとか。

レコードは? タンジェリン・ドリームなどジャーマン・ロックとか。

灰野:その可能性もあるね。3作目の『Zeit』(72年)とか4作目『Atem』(73年) あたりは聴いていたし。あるいはシュトックハウゼンなどの現代音楽系の電子音楽とか。当時からロックだろうが現代音楽だろうが、自分の知らないものは区別なく関心を持って聴いていたからね。キーボードを入手したのは、テリー・ライリーがきっかけだった気もするな。BYG盤のGerm, Terry Riley, Pierre Mariétan『Keyboard Study 2 / Initiative 1 (+ Systèmes)』(70年) ね。当時、テリー・ライリーのアルバムで日本で手軽に入手できるのはあれしかなかった。もっとも、あのアルバムからは特に影響は受けなかったし、あまり興味もなかったけどね。

未発表音源をまとめた4枚組ボックス『魂の純愛』(95年)にも、70年代の宅録エレクトロニクス作品が収録されてましたよね。

灰野:そう、あの音源の方が『天乃川』よりも半年ぐらい前なんだ。だから、あれが俺の電子音楽の原点だね。『魂の純愛』に入っているエレクトロニクス作品を作った時は、入力レヴェルが大きすぎた上に、エフェクター類をむちゃくちゃぶち込んじゃったのでテープ・レコーダーが壊れたんだった。当時はレッド・ゾーンなんて知ったこっちゃなかったし。自宅で多重録音をやり始めたのは、そのちょっと前だったから、72年頃かな。『魂の純愛』には、クラリネットとヴァイオリンの多重録音曲も入っているし。あの頃は、発信機やテレコでどういうことができるのか、いろいろ実験していた。


『魂の純愛』

そのテープ・レコーダーというのは、カセット?

灰野:いや、もちろん家庭用のオープン・リール・レコーダーだよ。録音した音をスピーカーから流しながら、演奏を重ねていく。途中でテープ走行がおかしくなったりテープがよじれたりすると止めて、ピンチローラーを洗浄したりと、かなり大変な作業だった。だから逆に、今のエレクトロニクス機材は嫌いなんだよ。苦労しないで、簡単に音を作れるから。とは言っても、テープの切り貼りまではやらなかったけどね。あの頃もし、ロック・バンドはやーめた、となってたら本格的にエレクトロニクス音楽やっていたかもしれないね。

カセット・テープのマルチ・トラック・レコーダーを手軽に買えるようになったのは70年代末期でしたよね。

灰野:そうだね。その頃、俺も買って1年ぐらい使ってたけど、レヴェル調整とかがすごくストレスなので、すぐに使うのを止めた。ああいう作業は、俺にとってはロックじゃないし、何よりも、あの安易さが嫌だった。

『天乃川』のソロ・ライヴも、オープン・リール・レコーダーで録音したんですか?

灰野:いや、カセットだよ。70年代の半ばに一度、そのカセットを間章さんに預けたことがあった。彼がヨーロッパに行くので、何かチャンスがあるかもしれないと思って。で、彼がロンドンのヴァージン・レコード本社に行った時、たまたまクラウス・シュルツェに会ったので、そのカセットを彼に聴かせたら、ものすごく関心を持ったそうだ。彼曰く「青ざめていた」と(笑)。でも間さんはなにしろ話を盛る人だったし、ヨーロッパ滞在中にそのカセットを紛失しちゃったんだ。だから、俺の怒りをなだめるためにそんなお世辞を言ったのかもしれない。

当時は間章さんとかなり親密なつきあいだったんですよね。

灰野:そうだね。73~74年は俺はヨガに熱心で、人と会うことはほとんどなかった。それこそ、よく会っていたのは間さんぐらいだった。彼との会話は面白かったからね。月に1~2回は会っていたんじゃないかな。いつも渋谷の名曲喫茶「らんぶる」で。そういう時に、これを誰かに聴いてほしいと言って『天乃川』のカセットを渡したんだったと思う。

では、結局93年に〈Mom'n'DaD〉から『天乃川』を出す時は、音源はどこから調達したんですか?

灰野:紆余曲折あってね……間さんが無くしたと思っていたカセットは、ちょっと後に、カバンの底にあったと言って返してくれたんだけど、その後、今度は俺がフランスで盗まれたんだ。92年5月末から7月頭にかけてヨーロッパでライヴ・ツアーをやり、フランスではクリストフ・シャルルが仕切ってくれた。ヨーロッパでも関係者に聴かせたいと思って、俺はそのカセットを持って行ってたんだけど、それが入った荷物をニースで盗まれたの。8個あった荷物を全部。警察にも届けたけど、窃盗集団の仕業なので、もう出てこないと言われた。現金とパスポートだけは身につけていたから帰国できたんだけど。
 だから、その時点でマスター音源のカセットは永遠に消えたわけ。でも、その10年ほど前に、ピナコテカで1stソロ・アルバム『わたしだけ?』を作る時、ピナコテカの佐藤隆史くんが『天乃川』のカセット音源をオープン・リールにダビングしてくれたんだよ。ピナコテカから出すアルバムの候補として、最初に俺が『天乃川』を提案していたから。そのテープを佐藤くんがちゃんと保管してくれていたから、〈Mom'n'DaD〉で出せたの。

〈Mom'n'DaD〉の宇川くんには、灰野さんからアプロウチしたんですか?

灰野:いや、〈Mom'n'DaD〉からハナタラシ(92年) やマジカル・パワー・マコ(93年) が出た少し後、突然彼が「ファンです」と会いに来た。そして「灰野さん、何か出しましょうよ」と。始めは、ロスト・アラーフの〈幻野祭〉での完全版を出そうと思ったんだけど、当時俺の手元にあった〈幻野祭〉のライヴ音源は状態がイマイチで、迫力に欠けた。で、この音源のことを思い出して彼に聴かせたら「これです!」と一発で気に入った。

『天乃川』というタイトルは宇川くんがつけたんですか?

灰野:あれは作った当時から俺がつけていたものだよ。真っ暗な中にキラキラしたものが流れている感じがするから。面白いことに天の川って宇宙の川で、宇川も宇宙の川なんだよね。偶然だけど。そういう意味でも〈Mom'n'DaD〉にふさわしい。

間さんに渡し、ピナコテカの佐藤さんにも提案し、宇川くんにも聴かせたということは、灰野さん自身、この音源には20年間ずっと強い愛着があったわけですよね?

灰野:もちろん。自信作だったし、思い入れも強かった。俺は元々、レコードを作ることは好きじゃなかった。音楽は一瞬で消えるものだと言いながらもレコードを作るってのは矛盾していると思っていたから。でも、あれ(『天乃川』)だったらいいんじゃないかという気持ちが最初からあった。あと、『天乃川』があったからこそ最初の『わたしだけ?』も納得いくまで時間をかけて完成させられたのかもしれない。実際、『わたしだけ?』はジャケット写真の件で写真家の佐藤ジンさんと揉めにもめて、リリースも1年近く延び、もうやめようかなという状況にもなったしね。そういう時にも、『天乃川』が心の支えになっていたんだよ。

そういう自信作だったにもかかわらず、エレクトロニクスでの作業は、その後長いこと途絶えましたね。

灰野:ある意味、『天乃川』はフィニッシュだったんだよ。自分の中でのエレクトロニク・ミュージックとしては。近年、俺はエア・シンセを使っているけど、あれは形態の違うデジタル・サウンドだしね。センサーを使って音を出すなんて70年代当時は考えもしなかった。テルミンもオンド・マルトノも、ものすごく高価だったし。当時もしそういう楽器が手軽に入手できていたら、真っ先にやっていたかもしれないね。
 あと、『天乃川』の後エレクトロニクスを使わなくなった背景には、ヤニス・クセナキスの存在があるの。70年代に彼の電子音楽作品をいろいろ聴いて、電子音楽はもうこれでいいんじゃない? という思いが強まった。特に『ペルセポリス』は圧巻だよね。ついでに言うと、72年にEL&Pの初来日公演を観てがっかりしたこともちょっと関係あるかな。その時、キース・エマーソンはすごく高価で巨大なシンセサイザーを使っていたんだけど、そのシンセから出てくるのはピョ~ンピョ~ンみたいな、俺にとってはつまらない音ばかりで、あきれちゃったんだよね。


『わたしだけ?』
米Black Editions からの2017年再発LP

Adrian Sherwood presents Dub Sessions 2024 - ele-king

   ダブはいまや、立派にひとつのジャンルであり、それ自体が膨張する宇宙だ。近々、エレキングからはダブの創始者キング・タビーのミステリアスな人生に迫った世界初の評伝(鈴木孝弥訳)、そして、われらテクノ世代以降の、もっと広い意味でのダブのガイド本(河村祐介監修)の2冊を出すということで、ダブね、素晴らしい、大好き、いつ聴いてもほんとに最高。いや、ほんとに、これほどどんな時代に聴いてもナイスな音楽はない。家のなかでダブに浸っていたいときもあるしさ……そういうわけで、ここへ来て朗報です。最強のメンツを揃えて、シャーウッド主催のダブ・ナイト「DUB SESSIONS」が2024年も開かれる。今年は名古屋も加わり、9/12(木)梅田CLUB QUATTRO、9/13(金)名古屋ReNY limited、9/14(土)渋谷O-EASTの3公演が開催。マッシヴ・アタックの諸作でお馴染みの、エレキング的には王様のレゲエ・シンガー、ホレス・アンディと、そしてポスト・パンク時代にもっとも重要な影響を残した、これまた先駆的なダブ・バンド、クリエイション・レベルのライヴ、こんな豪華なメンツ、この先いつ見られるかわかりません。さらにシャーウッドによるDJセットも堪能できると。「あのね、お父さん/お母さんはね、あの夜、ホレス・アンディとクリエイション・レベルのライヴに行ってストーンしたんだよ」と、将来こどもに自慢できます。行詳細は下記より。

濃厚ダブセッションを再び!
ホレス・アンディ、クリエイション・レベルを擁し、
ON-U Sound DUB SESSIONS 2024開催決定!

ADRIAN SHERWOOD PRESENTS
DUB SESSIONS 2024

featuring
HORACE ANDY - live mixed by ADRIAN SHERWOOD
CREATION REBEL - live dub mixed by ADRIAN SHERWOOD
ADRIAN SHERWOOD (DJ SET)
and more

OSAKA - 09.12(THU) Umeda CLUB QUATTRO
NAGOYA - 09.13(FRI) ReNY limited
TOKYO - 09.14(SAT) O-EAST

OPEN/START 18:00 前売:8,500円(税込 / 別途1ドリンク代 / オールスタンディング) ※未就学児童入場不可

UKダブの総帥エイドリアン・シャーウッドが今年も帰って来る! 昨年アフリカン・ヘッド・チャージと共に来日し、GEZANを迎え、東京~大阪でDUB SESSION2023を開催、その直後にはDJとして札幌、岡山、新宿を回り、日本各地でDUB旋風を巻き起こしたのも記憶に新しい。しかも今回は、伝説的レゲエシンガー、ホレス・アンディと、そして更に自身のレーベル〈ON-U Sound〉の出発点とも言える伝説的バンド、クリエイション・レベルと共に日本にやって来るのだ!!

ジャマイカン・シンガーの至宝として燦然とその歴史にその名を残すホレス・アンディ。90年代以降のマッシブ・アタックにおけるボーカリストとしての特筆すべき活動も経て、レゲエ・クラシックのみならず数多くの名曲を生み出してきた伝説そのものといっていい存在だ。2022年には〈ON-U Sound〉から『Midnight Rocker』とそのダブ・アルバム『Midnight Scorchers』をリリースし、レゲエ・アルバムとしては近年まれにみる高評価を得た。

そして、クルーシャル・トニー(G)、エスキモー・フォックス(Ds)、ランキン・マグー(Perc)の3名の初期メンバーを含むクリエーション・レベル。昨年40年振りに届けられたアルバム『Hostile Environment』は、DJ Mag、The Quietus、The Wire、その他多くのメディアによって、2023年を代表する一枚として賞賛された。今年に入ると〈On-U〉の前身となるレーベル〈Hitrun〉や〈4D Rhythms〉からリリースされたアルバムを含む計5アルバムがCDとヴァイナルで再発。マニアックなファンのみならず若い音楽ファンにも70年代後期~80年代初頭の斬新なDUBの衝撃波を伝えた。

今回のジャパンツアーでは、クリエイション・レベルはバンド5人に加え3人のホーン隊の編成でライブを行い、更にはホレス・アンディがクリエイション・レベル+ホーン隊をバックに自身のセットを行いミラクル・ヴォイスを披露する。そしてライブDUBミックスは、もちろんエイドリアン・シャーウッド。更に更にエイドリアンが自身のDJセットも行いDUBを炸裂させることも忘れてはいけない。何たる奇跡の夜!こんな体験、見逃す手はない!
【TICKETS チケット詳細】
前売¥8,500(税込/別途1ドリンク代 /オールスタンディング) ※整理番号付 ※未就学児童入場不可

先行発売:
★BEATINK主催者WEB先行:5/10(fri)10:00 → [https://beatink.zaiko.io/e/dubsessions2024]

★イープラス・プレイガイド最速先行受付:5/11(sat)10:00~5/15(wed)23:59
 → [https://eplus.jp/dubsessions2024/]

[東京] イープラス・プレオーダー、LAWSONプレリクエスト:5/16~5/19
[大阪] イープラス・プレオーダー、ぴあプレリザーブ 、LAWSONプレリクエスト:5/16(木)10:00-5/20(月)23:59
QUATTRO web先行:5/18(土)12:00-5/20(月)23:59
[名古屋] イープラス・プレオーダー、ぴあプレリザーブ、LAWSONプレリクエスト:5/16(木)12:00-5/20(月)23:59

一般発売:5月25日(土)10:00~

[東京]
イープラス [https://eplus.jp/dubsessions2024/]
LAWSON TICKET (L:72365) [https://l-tike.com/dubsessions2024/]
BEATINK [https://beatink.zaiko.io/e/dubsessions2024]
INFO: BEATINK www.beatink.com

[大阪]
イープラス [https://eplus.jp/dubsessions2024/]
チケットぴあ (P:270-870) [https://w.pia.jp/t/dubsessions2024/]、LAWSON TICKET (L:53380) [https://l-tike.com/dubsessions2024/]
BEATINK [https://beatink.zaiko.io/e/dubsessions2024]
INFO: SMASH WEST 06-6535-5569 [https://smash-jpn.com/]

[名古屋]
イープラス [https://eplus.jp/dubsessions2024/]
チケットぴあ (P:270-951) [https://w.pia.jp/t/dubsessions2024/]、LAWSON TICKET (L:43138) [https://l-tike.com/dubsessions2024/]
BEATINK [https://beatink.zaiko.io/e/dubsessions2024]
INFO: JAILHOUSE 052-936-6041 www.jailhouse.jp
------------------------------------------
INFO: WWW.BEATINK.COM

label: On-U Sound / Beat Records
artist: Horace Andy
title: Midnight Rocker

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12365

TRACKLISTING:
01. This Must Be Hell
02. Easy Money
03. Safe From Harm
04. Watch Over Them
05. Materialist
06. Today Is Right Here
07. Try Love
08. Rock To Sleep
09. Careful
10. Mr Bassie
11. My Guiding Star (Bonus Track)

label: On-U Sound / Beat Records
artist: Horace Andy
title: Midnight Scorchers

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12905

TRACKLISTING
01. Come After Midnight
02. Midnight Scorcher
03. Away With The Gun And Knife
04. Dirty Money Business
05. Sleepy’s Night Cap
06. Feverish
07. Ain’t No Love In The Heart Of The City
08. Dub Guidance
09. More Bassy
10. Hell And Back
11. Carefully (Bonus Track)

label: On-U Sound
artist: Creation Rebel
title: Hostile Environment

BEATINK>COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13571

TRACKLISTING
01. Swiftly (The Right One)
02. Stonebridge Warrior
03. Under Pressure
04. That’s More Like It
05. Jubilee Clock
06. This Thinking Feeling
07. Whatever It Takes
08. Salutation Gardens
09. Crown Hill Road
10. The Peoples’ Sound (Tribute To Daddy Vego)
11. Off The Spectrum *CD Bonus Track

interview with Sofia Kourtesis - ele-king

 パンデミックを乗り越えて Outlier(アウトライアー)がようやく日本にやってくる。2020年4月に日本での初開催が予定されていたものの入国制限により中止となってしまったため、今回が本邦初である。ボノボ自身は、2022年フジロック、2023年東京大阪 2 days で来日しているが、通常の予測範囲からずれた測定値を示す「外れ値」をタイトルにいただくパーティでの登場に期待せずにはいられない。日本初の Outlier に登場するのはボノボに加えて、初来日となるケリー・リー・オーウェンス、そして今回インタヴューをする機会を得られたソフィア・コルテシス。
 各メディアから絶賛されたアルバム『Madres』が素晴らしい作品であったことに異論はないだろうが、かくいう筆者も紙版『ele-king』2023年間ベスト企画のハウス編でセレクトした。DJコーツェやアクセル・ボーマンといったプロデューサーたちがおこなってきたメランコリックでサイケデリックなハウスやテクノを受け取りながら、独自のエッセンスで捉え直したハウス・アルバムだと思う(インタヴュー中でも触れられているが、DJコーツェが彼女のヒーローだそう)。
 自身のルーツである南米ペルーの民族音楽や大衆音楽からの影響、政治的なスタンスを音楽に持ち込む姿勢、そして、彼女の家族に起きたとても困難な状況とそこからの回復といった様々な要素が『Madres』のなかに収められていることも重要なポイントだ。
 父との死別と母の罹患、絶望的な大病と奇跡のような名医との出会い、手術の成功という喜び。『Madres』がダンス・ミュージックの機能性を高いレヴェルで保ちながら、刹那的エモーショナルとは異なる、複雑で豊かな感情が音色やメロディから伝わってくるのはそういった幾層ものレイヤーが彼女自身に備わっているからかもしれない。
 このインタヴューでは、ボノボやケリー・リー・オーウェンス、Outlier をどのように捉えているか、また DJやパーティについての考え方、そしてアルバムの成功とそれに伴った環境の変化などについて質問をおこなった。

ボノボは私のヒーロー! Outlier では彼のキュレーターのスキルがすごくユニークで、ラインナップには私が大好きなアーティスト勢がいつも揃っている。

アルバム『Madres』が成功を収めたことでDJスケジュールが忙しくなったりなど、環境の変化はありますか?

ソフィア・コルテシス(Sofia Kourtesis、以下SK):ええ。ライヴ本数が増えて、世界中を旅するようになり、ライヴ会場が以前より大きくなった。いちばん嬉しいのは、アーティスト活動と並行してやっていた仕事を辞めたこと! いまはラッキーなことに、私の音楽パートナーでもあるボーイフレンドと音楽制作に専念することができて嬉しい。家族との時間を持てるようにもなって、本当に良かった。

辞めた仕事はクラブ・ブッキングの仕事ですか?

SK:うん。ドイツにあるクラブでブッキング担当をしていた。自分が好きなバンドをブッキングできて楽しかったけど、深い時間までの仕事だから、かなりハードな仕事でね。だから、デビュー後は徐々にそのブッキング仕事は減らしていって。

これまであなたがパフォーマンスをおこなった国や都市、パーティやフェスなど印象に残っているものがあれば教えて下さい。

SK:グラストンベリー・フェスティヴァルでのライヴ・セットは、いつも最高ね。私はギリシャ人とペルー人のハーフなんだけど、グラストンベリーに出演した初のペルー人だった! バルセロナで開催されたプリマヴェーラ(Primavera)では皆がシンガロングしてくれて、ホント楽しかった! それから、ベルリンのクラブ、ベルクハイン(Berghain)でのパーティは、これまでプレイしたなかでベスト・ショウのひとつだった。

ボノボのDJや彼がキュレートする Outlier、ケリー・リー・オーウェンスなど出演者についてどのようなイメージを持っていますか?

SK:ボノボは私のヒーロー! 初めて会ったのはオーストラリアで開催されたフェスだったかな。音楽スタイルが似ていることもあり、それ以降何度か同じステージでプレイすることが増えた。人間的にも素晴らしいし、彼のライヴ・セットに参加することもあって。逆に、ボノボが私のステージに参加することもある。
 Outlier では彼のキュレーターのスキルがすごくユニークで、ラインナップには私が大好きなアーティスト勢がいつも揃っている。前回の Outlier では、DJコーツェが参加していて、彼も私にとってはヒーロー的存在! ケリー・リー・オーウェンスも大好きなDJだから、間違いなく楽しい夜になるはず!

インターネット上で確認できるあなたのプレイを聴きました。新しくなるにつれて、スタイルが変化していっていると感じました。また、ミックスのなかでフックが毎回仕込まれているのも印象的です。野暮な質問なのですが、今回の Outlier ではどのようなパフォーマンスをおこなうか考えがあったりしますか?

SK:日本は勤勉な人が多くて、街のペースが速いから……ベース音を効かせた、テンポの速い、エネルギッシュなセットになる予定。それから、私の新曲を披露するから楽しみにしててね!

辞めてしまったとはいえ、ブッカーの経験も豊かだと思いますが、自身でイベントやパーティをはじめることに興味はありますか? また、共演してみたいアーティストがいれば教えて下さい。

SK:ぜひやってみたいけど、いまのところ企画する予定はナシ。というのも、今夏に新作を発表予定で、現在は自分の作品制作の方に専念しているから。でも、今年の年末にロンドンのフォノックス(Phonox)で初のレジデンシーが決定していて。共演してみたいのは、エルッカ(Elkka)。彼女のDJスタイルは私と似ているから、またぜひバック・トゥ・バックで組んでみたい。

ベース音を効かせた、テンポの速い、エネルギッシュなセットになる予定。それから、私の新曲を披露するから楽しみにしててね!

アルバム『Madres』について質問をさせてください。タイトル曲である “Madres” をはじめ、全体にポジティヴさや優しさのようなものを感じました。本作をつくることで、セルフケアをおこなう意図もあったのでしょうか?

SK:そうね。いつもメンタル面には気を使っている。『Madres』の曲作りで自分の気持ちを表現する上でときどき迷うことがあったから、精神的に不安になったときはセラピストの所に通っていた。自分のメンタル・ヘルス面に気を配ることはとても大切。

あなたの曲はどれもメロディが印象的ですが、ビートについても興味深く感じました。楽曲を作る際のドラムやベースラインに対する考え方があれば教えていただけますか?

SK:それは、曲の雰囲気による。たとえば、メロウな曲のときはあえてベルリン・テクノやハウス寄りにしないこともある。 曲の雰囲気によって、はじまりから終わりまでの楽曲展開を決めていくから。

アルバム制作時にカリブーフォー・テットに相談したそうですが、彼らはどのようなアドヴァイスをしたのでしょうか?

SK:いいバラードを50%、エネルギッシュなクラブ・バンガーを50%制作することを教えてくれた。私もそのとおりだと思うし、重要な点ね。

そのアドヴァイスは、カリブーとフォー・テットふたりとも?

SK:うん。ふたりともとても協力的で、アーティストが自分の能力を信じるようにモチヴェーションを上げてくれる。前進できるように、いつも励ましてくれるよ。

ホモフォビアに対しての抗議活動のフィールド・レコーディング、マヌ・チャオをフィーチャーした “Estación Esperanza” など、アクティヴィストとしてのあなたも作品で表現されています。戦争や紛争など、現在の世界における困難な問題について、あなたの意見はどのようなものでしょうか?

SK:活動を通して学んだ最も重要なことのひとつは、独りよがりの人が多いこと。だから、教育が非常に重要ね。特に、私たちより前の世代は、心を開いて、自分とは異なる考え方を学ぶべきだと思う。恐怖心や宗教は、ときとして最悪の敵のようになり得るから。きちんと学び、恐れを捨てて、よりオープンで、他者を理解する優しさを持つべきだと思う。いま、紛争の酷い状況を見ても、考え方が昔に逆戻りしていて、恐ろしい。正しいことを見つけ、すべてを止めようとするために、もっとオープンに話し合い、各自が学んでいく「変化」が必要ね。いま起きていることは、一歩前進するどころか後退していて……、クレイジーだと思う。

最後の質問です。今後のリリース作品や予定など教えていただけますか?

SK:2週間後に(今夏リリースの)新作が完成予定。タイトルはまだ決まっていないけど、ほぼ完成した。コミュニティへの恩返しのようなもので、音楽を中心に私たちを結びつける愛が題材。懸命に戦っている若い世代……各自が置かれたコミュニティで勇敢に立ち向かうヒーローたちに贈るアルバム。いいアルバムになると自負しているよ。

音楽的にはバラードが50%、クラブ・バンガーが50%という割合ですか? その他、今後の予定は?

SK:うん、そのとおり。今後の予定としては、日本での Outlier 出演後にグラストンベリー、プリマヴェーラやロスキレ(Roskilde)などのフェスが予定されている。

今日は、ありがとうございました。新作を聴くこと、あなたのプレイで踊ることを楽しみにしています。

SK:こちらこそ、どうもありがとう! 初来日は2009年か2010年あたりだったと思うけど、それ以降2013年までは毎年日本へ行ってて。大好きな国だから、久しぶりに日本の皆に会えるのが待ちきれない!

BONOBO主催のクラブイベント
『OUTLIER (アウトライアー)』
いよいよ来週に迫る

●気になるタイムテーブルを発表!
●当日券情報発表!
●会場限定グッズのデザイン公開!
本日よりオンライン受注受付もスタート!

アーティスト/プロデューサーとしてグラミー賞に7度ノミネートされるなど、絶大なる人気を獲得しているボノボが主宰する世界的クラブイベント、OUTLIER(アウトライアー)。主宰BONOBO(ボノボ)に加え、海外からはいずれも初来日となるKELLY LEE OWENS(ケリー・リー・オーウェンス)、SOFIA KOURTESIS(ソフィア・コルテシス)が参戦。さらに真鍋大度、食品まつり a.k.a foodman、TRAKS BOYS、SEIHO、KATIMI AI、FRANKIE $など、エキサイティングなラインナップが集結。さらにはグラフィックデザイナー/アートディレクター、YOSHIROTTENが本公演の為に特別な映像作品を制作し参加することも決定している。

会場はO-EAST~DUO~東間屋とエリアを拡張し、豪華ラインナップを配し複数ステージ同時進行で開催される他、ナチュラルワインをメインに取り扱うNEWVALLEYが厳選したナチュラルワインとおつまみを、季節の野菜を使ったフードケータリングで人気のTORATOMICANが提供するヘルシーで美味しいバインミーサンドなどを、東間屋では気の利いたお酒も味わえる。またNEWVALLEYは朝方に人気の自家焙煎コーヒーとモーニングメニューも提供する。音楽、アート、フード&ドリンクまで、とにかく朝まで楽しめるオールナイト・パーティーとなる。

イベント開催がいよいよ来週に迫り、気になるタイムテーブルとフロアマップ、会場限定Tシャツ、当日券情報を発表! Tシャツは日本限定のデザインとなり2色展開となる。本日よりBEATINKオフィシャルサイトにて、オンライン受注受付もスタート(締切は5月26日)。


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https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14086

BONOBO PRESENTS
OUTLIER

FEATURING:
BONOBO (DJ SET)
KELLY LEE OWENS (DJ SET)
SOFIA KOURTESIS (DJ SET)
DAITO MANABE
食品まつり a.k.a FOODMAN
FRANKIE $
KATIMI AI
SEIHO
TRAKS BOYS
YOSHIROTTEN (Video Art)

VJs (at DUO):
Kazufumi Shibuya, Sogen Handa,
Yuma Matsuoka, Yuta Okuyama, 91u5

FOOD&DRINK:
NEWVALLEY (Natural wine & Food)
TORATOMICAN (Food)

公演日:2024年5月18日(土)
会場:O-EAST + DUO + AZUMAYA
OPEN/START:21:00 (オールナイト公演)
前売:¥7,200(税込)
当日券:¥8,000 (21:00より販売)
※整理番号無し
※入場時に別途1ドリンク代 ¥700
※20歳未満入場不可。入場時にIDチェック有り。必ず写真付き身分証をご持参ください。

INFO: BEATINK [ www.beatink.com] / info@beatink.com
主催・企画制作:BEATINK / SHIBUYA TELEVISION

[TICKETS]
●イープラス [ https://eplus.jp/outlier/]
●ローソンチケット[ https://l-tike.com/outlier/]
●BEATINK [ https://beatink.zaiko.io/e/outliertokyo/]

店頭販売:
●HMV record shop 渋谷
●Lighthouse Records
●ディスクユニオン渋谷クラブミュージックショップ
●ディスクユニオン下北沢クラブミュージックショップ
●ディスクユニオン新宿ソウル・ダンスミュージックショップ

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OUTLIERキャンペーン
OUTLIERの日本初上陸を記念して、4月26日より出演者の人気タイトルを対象にしたキャンペーンの開催中! 期間中にキャンペーン開催店舗にて対象商品を購入すると先着特典として『OUTLIER』ステッカーをプレゼント! ロンドンの大型会場Drumshedsにて開催された『OUTLIER』ロンドン公演にて販売されたOUTLIER Tシャツが発売が購入できる。


【Tシャツ取扱い店舗】
タワーレコード渋谷店 / HMV record shop渋谷店 / ディスクユニオン渋谷クラブミュージックショップ
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