「K A R Y Y N」と一致するもの

Elements Of Life - ele-king

 Kenny Dope とのユニット「Masters At Work」でも知られる Louie Vega が2000年にスタートさせたプロジェクト「Elements Of Life」(以下 EOL)。日本でのバンド公演は2003年以来、なんと17年ぶり(!?)の来日ということで、当時生で聴いた方やそうでない方も長く待ち望んでいた再来日になった。

 初期のプロジェクトからすでに20年が経過するバンドだが、決して彼らの活動が停止していたわけではなく。過去の作品を調べると、結成時からコンスタントに作品をリリースしており、06、07年では今回のバンド・メンバーとしても参加しているパーカッショニスト Luisito Quintero のソロ・アルバムのプロデュースや EOL のメイン・ヴォーカルとも言える Anané、そして Blaze の Josh Milan らを招き、数多くの作品をリリース。ハウス・ミュージックのプロデューサーとして数多くのリリースを築き上げてきた Louie Vega が、自身の持つラテンアメリカのルーツをより全面的に押し出した一面がこの EOL で表現されていると言っても過言ではない。


 2020年の2月4日のセカンドショーは沖野修也氏のDJと共に幕開け。小気味良いラテン・トラックからその場で生のハイハットが混ざり、音が切れることなくライヴに転換。打ち合わせをおこなったかは定かではないが、こういった「DJ的」な流れで空気を作るのは流石の両雄。トレードマークのハットを被り、カジュアルな出で立ちの Louie の熱いMCと共にいきなり未発表の新曲からスタート。ハイハットとジャズのベースにピアノとコーラスが絡み合うクラシックなジャズ・ナンバー・スタイルで会場を温めていく。そのままのスムーズな流れで EOL の代名詞トラック “ELEMENTS OF LIFE” に突入。ここで序盤から会場のボルテージは最大に。終盤でかかるかなと予想していたオーディエンスも多かったようで、サプライズ的なスタートは衝撃的だった。続いて Nina Simone “FEELIN GOOD” を EOL スタイルで披露。バック・ヴォーカルのひとり、Ramona Dunlap をフィーチャーし会場を甘い雰囲気で包み込む。Louie Vega 本人の叔父でもあり、自身がラテン・ミュージックに大きな影響を受けた Héctor Lavoe の賛辞を添えて「ラテン・ジャズの世界に案内しよう!」と言った Louie は次に未発表の新曲、若き天才キーボーディストと言われる Axel Tosca がアレンジを務めたラテン・ナンバー “CALLEJON” を披露。彼のファンキーなルックスからは想像もつかない繊細かつダイナミックな美しいピアノ・パフォーマンスに酔いしれる。


 そして満を辞して EOL のメイン・ヴォーカル Anané が登場。西アフリカの孤島カーボベルデをルーツに持つ彼女が「よく母が歌ってくれた」と言いながら地元の歌手 Adriano Gonçalves こと Bana の “TERRA LONGE” を披露。どこかメロディックで悲しげな感じ(原曲も非常に哀愁漂うナンバー)で前半の熱量とはトーンも変わりブルーを基調としたライティングの中、会場は甘い雰囲気に包まれていく。会場の暖かい拍手と共に「次はブラジルに連れていくよ、踊るのを怖がらなくていいからね」と Louie のMC。次に披露したのは Webster Lewis の “BARBARA ANN”。ブラジリアン・フュージョンの名曲ということで、MCの紹介と共にコアな観客からも歓声が湧き上がる。新曲とクラシックを交互に織り交ぜるスタイルの EOL。続いてはラテン・フュージョンの未発表曲 “DREAMER”、そして Johnny Hammond の “FANTASY” を。パワフルなコーラスと共に壮大にカヴァー。どれも原曲のエッセンスを残しつつ、EOL らしい絶妙なフュージョン感を持ったアレンジは流石のパフォーマンス。


 僕自身期待していた EOL のヒット曲はまだか……と思っていたが、Dawn Tallman のパワフルな美声と共に EOL の代名詞ハウス・チューン “INTO MY LIFE” をついに披露。ここで座っていたオーディエンスもほぼスタンディングに。そして会場も待ちに望んでいた Josh Milan がついにマイクを取る。ここまで控えめにキーボードを弾いていた Josh の存在感はやはり圧巻。EOL と共に生み出した “CHILDREN OF THE WORLD” そして “YOUR BODY” とどちらも高い熱量で歌い上げ、会場のボルテージも上がってきたところで、Louie の「Nuyorican Soul の時代に戻ってみよう」というMCと共に “I AM THE BLACKGOLD OF THE SUN” のピアノ・フレーズが。この瞬間、会場の熱気は最高潮に。ミラーボールを中心としたライティングはまさにクラブのような雰囲気となり、オーディエンスも総立ちで一気にフィナーレへ駆け抜けていく。

 「最後にもう少しだけ、君たちを教会に連れていくよ」と Louie Vega のMCと共に、往年のゴスペル・ナンバー “STAND ON THE WORD”、そしてエンディングに “YOU BROUGHT THE SUNSHINE” を披露。彼のルーツであるラテンからアフリカ、そしてニューヨークまで約1時間半の演奏の数多の国境を越えていく展開はまさしく「ミュージック・ジャーニー」。各パートにレジェンド級のミュージシャンが揃ったバンド達の17年ぶりの圧倒的なパフォーマンスを目の当たりにできたことはいちオーディエンスとしても非常に貴重な体験だったと思う。

 自身が培ったルーツと衰えることない音楽性を結成からここまで継続的に披露しながら、カヴァーと新曲を織り交ぜることで過去と未来そして様々なジャンルの音楽を自在に横断する EOL のプレイはDJ/プロデューサー、そしてバンドのコンダクターとしての Louie Vega ならではのアイデアとパフォーマンスと言えよう。当日のMCでも2020年の冬に新しいアルバムを控えているとのことで、さらに進化した彼らのサウンドをこの耳で繰り返し聴けるのが本当に楽しみである。


gummyboy - ele-king

 先週、新曲 “thinking?” のMVが公開され話題を集めた Mall Boyz の gummyboy が、ついにファースト・ミックステープ『The World of Tiffany』を本日 2/19 にリリースする。昨年の Tohji 『angel』に続いて、2020年を代表する1枚になりそうな予感がひしひし。これまでなかなか聞くことのできなかった gummyboy のサウンドや、アーティストとしての深化に注目だ。

[3月17日追記]
 先月リリースされた gummyboy の新作『The World of Tiffany』だけれども、急遽そのリリース・パーティの開催が決定している。3月22日、会場は恵比寿 BATICA。ほかに MonyHorse、KENSEI、HERON らが出演予定。詳しくは下記より。

gummyboy の『The World of Tiffany』リリースパーティが3/22に開催決定。MonyHorse、KENSEI、HERON などが出演。

これまでに見られなかった幅広いサウンドや、持ち味の内省的なリリックが遺憾無く発揮され、ソロ活動が一気に加速した gummyboy の 1st Mixtape 『The World of Tiffany』。注目度の高い本作のリリースパーティが3月22日(日)EBISU BATICA で開催される。

今回のリリースパーティには 1st ソロアルバム『TBOA JOURNEY』の記憶も新しい MonyHorse、Mall Boyz とも親交の深い BRIZA から KENSEI、昨年よりゆるふわギャングのバックDJを務める HERON らが参加する。

一見意外なラインナップではあるが、全員が普段から親交のあるクルーやチームからの参加ということもあり、当日は高い熱量が期待できる。

また、このリリースパーティ直前の3月18日には『The World of Tiffany』に関連するサプライズ楽曲の発表も予定されているとのこと。売り切れ必至のチケットを手に入れることはもちろん、リリースパーティまで gummyboy の動きから目が離せない……!

[公演タイトル]
“TWOT” Release Party

[出演]
gummyboy
MonyHorse
KENSEI
HERON

[日時]
2020年3月22日(日)
19:00 (open)
19:30 (start)

[会場]
EBISU BATICA

〒150-0022
東京都渋谷区恵比寿南3-1-25
ICE CUBE 1F/2F
恵比寿駅西口ゑびす像より徒歩3分

[チケット購入ページ]
https://eplus.jp/sf/detail/3262090001-P0030001

Brodinski × Low Jack - ele-king

 新世代ダンスホール・サウンドの急先鋒、ロウ・ジャックが、自身の主宰する〈La Disque De Las Bretagne〉より新たな12インチを送り出している。今回はフランス出身でアトランタ拠点のビートメイカー、ブロディンスキとのコラボレイション。ロウ・ジャックの「ミュータント・インダストリアル・ダブ」とブロディンスキの「寒々しいドリル」をブレンドした内容に仕上がっている、とレーベルはアナウンスしている。ヴァイナルは300枚ないし200枚限定のようなのでお早めに。なお、紙エレ最新号にはロウ・ジャックのインタヴューが掲載中。

artist: Brodinski × Low Jack
title: BZH009
label: Les Disques De La Bretagne
catalog #: BZH009
release date: February 11th, 2020

tracklist:

1. Andaman Sea
2. Parhelion Two
3. Tango & Cash
4. Armor Sunken

boomkat / bandcamp

Ronin Arkestra - ele-king

 勢いが止まらない。去る2019年、ソロ浪人アーケストラにと精力的に活動を繰り広げ、果敢に今日のジャズを拡張し続けているマーク・ド・クライヴ=ロウが、後者、すなわち浪人アーケストラとして初めての公演をおこなう。4月15日、会場は渋谷 WWW。彼と彼のもとに集った日本の精鋭たちによるプレイ──これは必見です。

伝統的なジャズからクラブ・ソウルミュージックと多岐なシーンで長年活躍を続け、現在はLAのジャズ/ビート・シーンの中心にいるキーボード奏者/プロデューサー "MARK DE CLIVE-LOWE" の呼びかけで、ジャズを中心とした日本の精鋭プレイヤーが集結した "RONIN ARKESTRA" の初公演が開催決定!

伝統的なジャズからクラブ・ソウルミュージックと多岐なシーンで長年活躍を続け、現在はLAのジャズ/ビート・シーンの中心にいるキーボード奏者/プロデューサー "MARK DE CLIVE-LOWE"。

今年1月には自身が主催する、セッション・イベント「CHURCH」のライヴを収めた『CHURCH Sessions』をリリースするなど精力的に活動を続ける彼の呼びかけで、ジャズを中心した日本の精鋭プレイヤーが集結し、昨年9月にはデビューアルバム『Sonkei』をリリースした "RONIN ARKESTRA" の初公演が開催決定!
                      
日程:2020年4月15日(水)
会場:WWW
タイトル:「RONIN ARKESTRA LIVE IN TOKYO
時間:open 18:30 / start 19:30
料金:前売¥3,800 / 当日券¥4,300 (税込 / ドリンク代別 / オールスタンディング)

RONIN ARKESTRA
Member:
Mark de Clive-Lowe - keyboards, electronics
Kohei Ando - alto sax
Wataru Hamasaki - tenor sax
Hiroyuki Ishikawa - trumpet
Tsuyoshi Kosuga - guitar
Kenichi Ikeda - bass
Nobuaki Fujii - drums

チケット発売日:2月26日(水)10:00
e+ / チケットぴあ / ローソンチケット / iFLYER / WWW店頭
問合:WWW 03-5458-7685
公演詳細ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/012392.php


                                
マーク・ド・クライヴ・ロウが『Heritage』に続いて、自身のルーツである「日本」にフォーカスしたプロジェクトが、浪人アーケストラです。
LAから東京へと場所を移し、日本人のプレイヤーたちと作り上げたアルバムは、日本のジャズの歴史に新しいページを刻む作品となりました。(原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : RONIN ARKESTRA (浪人アーケストラ)
タイトル : Sonkei (ソンケイ)
発売日 : 2019/9/25
価格 : 2,800円+税
レーベル/品番 : rings (RINC56)
フォーマット : CD
JAZZ / SOUL / CLUB

TSUBAKI FM - ele-king

 先日お伝えしたように、いよいよ TSUBAKI FM のアニヴァーサリー・ツアーがはじまる。とくにすごいのはツアー・ファイナルにあたる3月7日~8日で、なんと24時間連続のイヴェントとなっている。30組以上が出演、青山蜂~Red Bar~Tunnel~COMMUNE 表参道にて開催。チケットも安いし、これは行くしかないでしょ!

R.I.P. Andrew Weatherall - ele-king

野田努

 1997年初夏、日曜日の晩、場所はロンドンはカムデンタウンのライヴハウス。新代田FEVERぐらいのフロアに客は20人いるかいないか。DJはアンドリュー・ウェザオール。彼は映画音楽や古いラウンジ・ミュージック、そしてダウンテンポのトラックをおよそ1時間以上にわたってプレイしながら、その日の目玉であるレッド・スナッパーのライヴのためのサポートに徹していた。
 「あれだけの大物でありながら、彼は自分の好きなバンドのためなら、こうした小さな場所でも率先してDJをやるんだよ」、イギリスの音楽業界のひとりがぼくにそう自慢げに語った。ライヴが終わると再びウェザオールは彼の信念のこもったDJを再開した。客がいなくなるまで。
 WARPの創業者のひとり、スティーヴ・ベケットはウェザオールのことを「アンダーワールドやケミカル・ブラザース以上にビッグになれたのに、敢えてそれとは逆の方向のマイナーなほうに走った」と説明したことがある。こう付け加えながら。「レーベルとしては残念だったけれど、アーティストとしては尊敬に値する」

 アンドリュー・ウェザオールとはそういう人だった。
 彼の名声は、1990年、プライマル・スクリームのこれ以上ないほど素晴らしい“Loaded”によってたしかなものとなった。負け犬のソウルを歌ったあの魅力たっぷりのオリジナル曲(I'm Losing More Than I'll Ever Have)を、ウェザオールは薄汚れていながらも崇高な高まりへとみごとに変換させた。冒頭の映画『ワイルド・エンジェル』の科白、そして70年代のアメリカのソウル・グループ、ジ・エモーションズの“I Don't Wanna Lose Your Love”のコーラス、こうしたカットアップによる彼のリミックスは、たんなる曲の再構築ではなく、別の意味をはらんだあらたな曲の創造だった。そして言うまでもなく、それはあの時代の最高中の最高のアンセムとなった。

 2月17日、アンドリュー・ウェザオールがロンドンの病院で他界したことが発表された。死因は肺塞栓症。56歳だった。これまた言うまでもないことだが、アンドリュー・ウェザオールは歴史を変えたDJのひとりである。UKダンス・カルチャーを代表するDJであり、挑戦と努力を惜しまないプロデューサーだった。“Loaded”以外でも、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン“Soon”やニュー・オーダー“Regret”、セイント・エチエンヌ“Only Love Can Break Your Heart”やイエロや……挙げたらキリがないが、まだハウスを知らないインディキッズにそれを教えた第一人者でもある。イギリス人から「Andrew Weatherall is my hero」という言葉を、これまで何度聞かされてきたことか……。
 日本においてもその影響は計り知れない。渋谷系からテクノやダブのシーンにいたるまで、インディからクラバーにいたるまで広範囲に及んでいる。とてつもなく重要なDJがこの世界からいなくなってしまった。

 アシッド・ハウスの狂騒のなかから登場したアンドリュー・ウェザオールだが、その延長であるバレアリックのシーンが巷でもてはやされると、ハッピーではなく、軽快でもなく、そしてノリノリでもない、おそらくその当時の誰もがあまり望んでいなかったダークでアブストラクトな方向性=ザ・セイバース・オブ・パラダイスへとシフトした。レイヴの季節が終わり、厳しい時代の到来を予見していたかのように。
 彼はそういうプロデューサーだった。ときのトレンドがどうであれ、まわりにどう思われていようと自分がやりたいことをやる。ダブであれロカビリーであれIDMであれ、そのときの自分が本気で愛情を注げるものしかやらない。ほとんどすべてのDJがスポーティーなクラブ・ファッションで身を包んでいた90年代初頭にただひとりラバーソウルを履いていたように。彼は結局最後まで、ソロ・アルバムとしては最後となってしまった2017年の『Qualia』まで、そのやり方を曲げなかった。

 ぼくがウェザオールのDJを初めて聴いたのは1992年のロンドンの映画館を貸し切って開催された、あの時代特有の狂ったレイヴ・パーティ(High on Hope=希望ある高揚という、いま思えばふざけた名前のパーティ)だった。その後もロンドンのテクノ・イベントや彼自身が主宰していたクラブ(テムズ川を越えたいまは無き、人気などまったくない倉庫街にあった)でのDJなど、さまざまな場所で聴いているけれど、ウェザオールは同じようなセットを二度と繰り返していなかった。
 おそらく94年かそれくらい、当時彼が主宰していたレーベル〈Sabres Of Paradise〉の事務所も忘れがたい。それは再開発されるずっと前のソーホーの、ポルノショップなどが並ぶいかがわしい一角のビルの2階にあった。イビサでDJしたらたった2曲でデッキから降ろされたという経験を持つ彼のセンスは、リゾート地の太陽からは100万光年離れていたし、大勢を喜ばすためにレコードバッグのなかに好きでもないレコードを2~3枚入れることもできない人だった。いまでこそそうした態度を格好いいと言える人も少なくないのだろうが、当時としては極めて異端だった。
 また、90年代前半はエイフェックス・ツインやマイケル・パラディナスのような、クラブで踊っているというよりは自室に籠もって機材をいじくり倒している、いわばオタクなプロデューサーが出てきているが、ウェザオールはこうした新しい才能も積極的に評価した。これもいまとなっては当たり前に思えるだろうが、当時はダンス至上主義がまかり通っていたので、とくにハウス系の玄人連中の一部からは、あの手の踊れないサウンドは低級だと見なされていた、そんな時代のことである。

 ぼくが彼と初めて対面取材したのは90年代末のことで、場所はロンドンのトゥー・ローン・スウォーズメンのスタジオだった。シャイな人柄で、格好付けたところもなく、ひとつひとつの質問に正直に答える人だった。スタジオのなかには大量のレコードとCDが散乱しており、取材が終わると彼はそのとき自分が気に入っているレコードやCDをいくつか教えてくれた。その1枚は60年代の電子音楽の発掘もので、ほかの1枚にはまだ出て来たばかりのキャレクシコのレコードがあった。これまたよく知られていることだが、彼は本当に幅広く、いろんな音楽を愛していた。

 ぼくは彼の音楽をこの30年間ずっと聴いてきている。とくに思い入れのあるウェザオール作品は、トゥー・ローン・スウォーズメンの初期作品だ。『The Fifth Mission』(1996)、「Swimming Not Skimming」(1996)、「The Tenth Mission」(1996)、「Stockwell Steppas」(1997)。
 セイバースのときもそうだったが、『The Fifth Mission』を初めて聴いたときは、どう捉えていいのかよくわからなかった。しかし、時間が経つとその素晴らしさに気が付くのである。自らを孤独な剣士だと名乗ったこの頃の作品は、とことん地味で、そしてとことんメランコリックで圧倒的に美しい。

 「恋に落ち、恋に冷め、誰かを愛し、誰かを愛するのをやめる、誰かに愛されなくなる……人間の人生経験は、芸術経験と同じくらい大切なものだ」、7年前のぼくのインタヴューで彼はこう語っている。
 アンドリュー・ウェザオールは、古き人間だった。そのことは彼自身も自覚していたし、〈Rotters Golf Club〉になってからの彼は19世紀趣味をむしろ強く打ち出していた。インターネットが世界を変えてしまうちょうどその渦中にあって、つねに3種類の書物(小説、歴史、芸術)を身近に置いていた本の虫は、テクノロジーの利便性に何も考えずに身を委ねるような真似はしなかった。19世紀のネオゴシック運動のように、テクノロジーの快適さに対する疑いの目を忘れなかった。それがたとえ怒りであっても感情を持つことを賞揚し、人びとの感情の劣化を案じてもいた。
 「パソコンでアートを作ってもいいと思う。そのアートがパソコン以外の世界でも存在できると感じられることができるならね」、液晶画面を眺めていさえすれば、24時間買い物のできるし、ポルノもニュースも他人がどう思っているかも自分がどう思われているかも見ることができる世界が日常化している現代において、アンドリュー・ウェザオールには明らかにやるべきことがまだまだあった。彼は表現すべきこと、打ち出すべき声明を持っていた。
 「状況が不安定で、世界がダークになってくると、作られるアートはより興味深いものになる。最高のアートは困難との闘いから生まれるものだ」、ブッシュとブレア時代の2002年のインタヴューで彼はこう語っている。「俺たちはいま恐ろしいほど興味深く危険な時代に生きている。俺は世界の状況を心配をしながらも、毎日をすごくエンジョイしているんだ」

 「人生にはいろんな道があるだろ、人はそれを選択するわけだけど、俺が選んだ道はいつも難道だった」、これは2009年のインタヴューで語っていたことだ。刺青を入れたために実家を追い出された彼の若かりし日々は、決して平坦なものではなかっただろう。
 以下、同じインタヴューからの抜粋。「アンダーグランドの音楽的先駆者たちは、厳しい道を突き進んで来た。俺も好きでそれを追いかけてきたけど、それは厳しい道で、必ずしも楽な生活とは言えない。だから、その道にガイドした先駆者たちをたまに恨んだりする(笑)」
 「もっとポップな曲を書いていたら金を儲けていたかもしれないけど、俺はハードワークな状況を楽しめるタイプなんだ。若いときにやった最初のバイトが肉体労働だったから、キツさや困難な状況から得る満足感みたいなものが好きなんだよ」

 “Loaded”があまりにも名曲なのは、あれは人生を表現しているからだろう。「あなたの愛を失いたくない」とジ・エモショーンズは繰り返す。愛の喪失はアンドリュー・ウェザオールが生涯いだき続けたオブセッションのようなものだったのではないだろうか。
 「人生こそ愛と死だね」。2007年のインタヴューで彼はこう言っている。「自分の音楽のテーマには“生と死”がいつもあって、歳を重ねるごとにその“死すべき運命”がさらに現実味をましてくる」

 しかしそれが来るのは早すぎた。2016年のアルバム『コンヴェナンザ』のなかで彼はこう歌っている。「どうかこの手紙を許して欲しい、これが最後だから、友よ/どんな祈りも僕を救えなかった/もう一度亡霊を呼び出そう」

 さようなら、アンドリュー・ウェザオール。そして、あまりにも多くの音楽をありがとう。今夜はきっと世界中で“Loaded”が、そしてあなたの深く美しく素晴らしい音楽が流れているのだろう。

!!! (Chk Chk Chk) - ele-king

 昨年の来日公演でもサイコーのパフォーマンスを披露してくれたチック・チック・チックが、今年も日本へやってくる!!! 今回は5月23日~24日にかけて横浜赤レンガ倉庫野外特設会場で開催される《GREENROOMFESTIVAL ’20》への出演というかたちだ!!! またみんなでダンスに明け暮れようぜ!!!

GREENROOMFESTIVAL ’20に !!! (Chk Chk Chk)が出演決定!!!
最強&狂のライブバンドが赤レンガ倉庫をダンスフロアに変える!
最新作『WALLOP』好評発売中!

毎年国内外から豪華アーティストが集結する「GREENROOM FESTIVAL ’20」の第2弾出演アーティストが発表され、!!! (chk chk chk) の出演が決定! NYの馬鹿げたダンス規制法を痛烈に批判し一躍脚光を浴びた名曲 “Me And Giuliani Down By The School Yard (A True Story)” から16年、突き抜けてエネルギッシュかつ痛快に反体制の姿勢を示し続けているチック・チック・チック。最新作『Wallop』をひっさげ、〈Warp〉30周年の一環として敢行された来日ツアーでも集まったファンを踊り狂わせた最狂のライブバンドが、今度は赤レンガ倉庫をダンスフロアに変える!

GREENROOM FESTIVAL ’20
場所:横浜赤レンガ倉庫野外特設会場
日時:2020年5月23日(土)、24日(日)

第2弾出演アーティスト
Tash Sultana
!!!
Oscar Jerome
ASIAN KUNG-FU GENERATION
Suchmos
EGO-WRAPPIN'
PUFFY
SPECIAL OTHERS
D.A.N.
LUCKY TAPES
TRI4TH
TENDER
showmore
みゆな

5月23日(土)、24日(日)に開催となる GREENROOM FESIVAL に第2弾として新たに14組のアーティストの出演が決定しました! パワフルなラインナップの発表とともに、完売必至のチケットの先行販売も開始! 今後も MUSIC に加え、ART や FILM の発表がありますので、どうぞお見逃しなく。パワーアップし続ける「GREENROOM FESTIVAL ’20」に是⾮ご期待ください!

事務局一般先行チケット販売開始!
[1日券各日] 価格 ¥12,000
[2日通し券] 価格 ¥19,000
https://greenroom.jp/tickets/

Lineup
MGMT / Tash Sultana / !!! / Sigrid / Oscar Jerome
ASIAN KUNG-FU GENERATION / Suchmos / never young beach / EGO-WRAPPIN’
佐野元春 & THE COYOTE BAND / RHYMESTER / PUFFY / 平井大 / SIRUP / LOVE PSYCHEDELICO
GLIM SPANKY / SPECIAL OTHERS / TENDRE / LUCKY TAPES / D.A.N. / TRI4TH / showmore / みゆな and more...

label: WARP RECORDS/BEAT RECORDS
artist: !!!
title: Wallop

国内盤CD BRC-608 ¥2,200+tax
国内盤特典: ボーナストラック追加収録/解説・歌詞対訳冊子封入

[ご購入はこちら]

R.I.P.飯島直樹 - ele-king

ネットワークそれ自体が文化だということを

河村祐介

 DISC SHOP ZEROで扱われたレコードの多くは、突き詰めて言うと “つながり” というものがひとつの美学として貫かれていたと思う。“つながり” とは良く知られたブリストルやその他の地域のアーティストやレーベルとの直接の連絡網、現場でプレイされ人と人の隙間を埋める “つながり” もあり、もっとちいさな単位でいえば、違ったジャンルの前後の曲をDJがブリッジするための楽曲のレコメンド、もっと個人のリスニング体験においても、あるアーティストとアーティストの良き隙間を見つけて、そこにはまるなにかとなにかをつなぐ楽曲たち。単体の楽曲としての存在ではなく、楽曲と楽曲、もしくはその他のさまざまな事象とつなげることで生まれうる刺激を絶えず紹介していた感覚がある。もちろん、それはDJカルチャーに大きな価値の源泉をみていたというのもあるとは思うが、もっと大きな視座がそこにはあったように思える。

 隙間というと、重箱の隅をつつくようなマイナーな存在を想起してしまうが、ちょうど良い隙間にはジェームス・ブレイクやスミス&マイティといった大きな存在がスポッとそこに入ってしまう場合もある。その多くは、トレンド(もちろんDJカルチャーなのでそれも導入しつつ)と、少々離れた場所でならされる音楽だが、確実にどこかで鳴らされるために生まれた音楽たちで、ひょんなことからサブスクのヴァイラル・チャートにのることはあっても、それを目的にした音楽ではない。各地に数十人だとしても確実にそれを欲しいと思うひとたちのいる音楽。

 飯島さんはさまざまな音楽をバイヤーという立場からつなぎとめていった。そんな音楽のつながりにはひとつのモデルとして、ブリストルという都市があったということだろう。各アーティスト個々へのリスペクトはもちろんだが、そのネットワーク自体を尊敬していたんだろうと思う。そしてこのネットワークこそが、レコードと音楽が紡ぎ出すカルチャーだということを教えてくれたのが飯島さんであり、DISC SHOP ZEROというレコード店だったと思う。音楽に繋がるのは、なにも音楽だけではない。そこに繋がるのはエッジーな新譜、過去の知られざる楽曲、サウンドシステム・カルチャー、アートやカルチャー全般、さらには歴史、ときには政治的意識だったかもしれない。そして、さまざまな人々たちだった。

 このネットワークをDISC SHOP ZEROの周りでも作ろうとしていたのが飯島さんだったと思う。もちろん作ろうというのは彼の言葉とは違うだろう、おそらく彼ならこういうだろう、希望を込めた笑顔とともに「レコードは紹介するから、勝手にできてくれたらそれが一番いい」。先人たるブリストルのネットワークと接続・参照しながら、良き隙間を見極めることで “DISC SHOP ZERO” 独自の視点で「サウンド」そのものを媒介にむすび付けることを絶えずやっていた。

 トレンドではなく、このネットワークをひとつの価値観創出の場所として捉えレコードをそろえる。そのネットワークに絡め取られたお客さんもある種の価値観の源といった感覚もある。それゆえに独自の審美眼で選ばれた独自のレコードたちが列んでいた。そのネットワークの大事なハブを失ってしまったいま、その価値観を共有していたDJたちは、今後プレイスタイルが変わってしまうかもしれない。それほど大きな存在だったのではないかと思う。しかし、彼が残してくれたのは個々の音楽への紹介もあれば、上記のような、こうした見えないカルチャーの土台となるネットワークでもある。そこに絡め取られた人々が、そのカルチャーを捨てない限り、それは存続し続けるだろう。

 本当に大きな存在でした、ありがとうございました。

 安らかに。


音楽を続けていく理由がまたひとつ増えた

UKD(Double Clapperz)

 朝起きてInstagramを開きJoshua Huges-Games(DoubleClapperzのEPのジャケット、マーチャンダイズのデザインを手掛けてくれいるブリストルのイラストレーター  彼もまた飯島さんが繋いでくれたブリストルの友人の1人でもある)の投稿に書かれたRIP Naokiの文字に目を疑った。何かの冗談だと思い、すぐに他のSNSを確認したり友人に連絡を取り事実なんだと知る。
 人づてに足が良くないとは聞いていたが詳しい事は知らず、突然の訃報を受け入れられず混乱したまま仕事に向かった。その日は1日中ずっと上の空で何も手につかなかった。

 飯島さんとの出会いは5年前だったと記憶している。僕らが放送していたインターネットラジオNOUS FMにBANDULU GANGのHi5Ghostをゲストに迎えた回をZEROのBlogに紹介してくれた。全く面識はなかったが僕は取り上げてくれたことが嬉しくてすぐお店に向かった。当時はそれほどレコードに興味がなかったが僕はそこで人生で初めてレコードを購入し、多い時は毎週のようにZEROに通うようになる。
 「買い物がない日にもDouble Clapperzは良く店に来るね」と飯島さんに言われたことがあるが、次こんな事をやろう思ってるんですよとか、ブリストルのアーティストから面白いダブが届いたとか、そんな雑談から生まれる僕らのアイデアを一歩先に進めてくる人でもあり、僕らのような若造がやろうとしていることに手を差し伸べてくれる良き理解者の1人でもあった。
 僕らがレコードでのリリースを始めたのも、元はと言えばZEROで取り扱って欲しかったからだし、まずは全部自分たちでやってみるというDIY精神は飯島さんから影響を受けたものである。
 2年前初めてブリストルを訪れた際カーニバルが開催されていたこともあり、BS0で来日していたアーティストや飯島さんがきっかけで繋がった沢山の同世代アーティストがブリストルの道端で僕に「Welcome to Bristol」と声をかけてくれた。
 飯島さんが育んできたブリストルと東京の交流は、しっかり僕らの世代にも受け継がれていると再認識した。
 もちろんブリストルとの交流は東京だけではない。
 僕ら2人は飯島さんの告別式には九州ツアーの真っ只中のため参加できなかったが、僕らの福岡公演の場は奇しくもBS0関連のアーティストが多く訪れるThe Dark Room。
 アルコールでふらふらになった数人が残った朝5時過ぎのフロアにBim OneとDubkasmによるEaston HornsとSmith & MightyのB Line Fi Blowが鳴り響いた。
 飯島さん、BS0が撒いた種は全国各地に根を張っている。

 最後になりますが、飯島さんの死に直面にし音楽を続けていく理由がまたひとつ増えました。どうぞ安らかに静かにお眠り下さい。


僕のスタート地点(ゼロ)をたくさん作ってくれた

Sinta(Double Clapperz)

 Disc Shop Zeroの飯島さまには生前とてもお世話になりました。ご逝去をお聞きし、とてもショックで仕事に手がつかない状況でしたが、飯島さんにとてもお世話になったことを思い出しました。この感謝の気持ちを伝えたいという気持ちで、お手紙のつもりでこの文を書いています。

 下北沢のお店では他愛もない話から、具体的なご相談まで、さまざまな場面で助言とサポートをいただきました。イギリスに行ったときはかならず飯島さんに報告に行って、飯島さんは優しく僕の話を聞いてくれました。そんな温かな目線にはいつも元気付けられてきました。飯島さんのお声がけがあって、世界中の気の合うアーティストや憧れのプロデューサーを紹介頂きました。その繋がりからはじまったことがたくさんあります。

 レーベルをはじめたのは、Disc Shop Zeroにレコードを置いて欲しいと思ったのが大きな理由でした。でも僕らだけでは右も左もわかりませんでした。アートワークを担当しているJoshua Hughes-Gamesや、マスタリングをお願いしているWax Alchemyさん、ディストリビューターさんもご紹介いただき、納得のいくレコードをリリースできるようになりました。
 dBridgeさんを繋げてくれてNew Formsの音源制作やパーティをやったこと。Nomineさんに僕らのことを紹介してくれて、彼のサウンドレクチャーを開催し、その通訳をさせていただいたこと。BS0にお誘いいただき、DJや翻訳、アテンドなど様々な機会をいただきました。飯島さんは常に僕の初めてのことに対して背中を押してくれて、一歩を踏み出す勇気とチャンスをいただきました。そういった仕事は今では僕のライフワークになりました。Disc Shop Zeroという名前の通り、僕のスタート地点(ゼロ)をたくさん作ってくれました。

 常に周りのアーティストやファンを第一に考えられて、休みなく働かれていらっしゃいました。
 今はゆっくりお休みになられてください。僕はここで、飯島さんみたいに周りの人のゼロを作れる人間になれるように、もっと頑張ります。


飯島さんが教えてくれたこと

髙橋勇人

 2013年の4月のこと。行ったこともないのに登録していたお店のメルマガで、〈Deep Medi Musik〉から出たスウィンドルの「Do the Jazz」がリプレスされたことを知り、下北沢へすぐに買いに走った。(ごちゃごちゃした)店頭のダブステップのコーナーを探してもそのレコードの影も形もなかった。「もう売り切れちゃいましたか?」とカウンターの向こう側にいた店員さんに尋ねると、「いや、まだ忙しくてそっちに出せてないんですよ……」と、真っ赤なスリーヴの12インチをお店の奥の方から、よっこらしょと出してくれた。それが僕の飯島直樹さんとの出会いだ。

 僕がゼロに通うようになった当時を振り返ってみると、2013年は、英誌『The Wire』がブリストル新世代を巻頭で特集したのが象徴的だったように、そのシーンへの関心が再燃し出した時期だ。彼の地のプロデューサー集団、ヤング・エコーがファースト・アルバム『Nexus』を出たのも、テクノのダークサイドへと接近したDJピンチが〈Cold Recordings〉を開始し、バツなどの若手を紹介しだしたのもこの年である。いまはなき名門ダブステップ・レーベル〈Black Box〉も健在で、トルコのガンツなど、世界の音がブリストルから連発していた。ゼロには当然のごとく、そのすべてが入ってきていた。同年にヤング・エコーのカーンが、MCフロウダンとのキラーチューン “Badman City”が入ったEPをリリースしたとき、店頭でそれを聴いて、あまりのかっこよさに全身が震えたのを昨日のことのように覚えている。

 周知の通り、飯島さんは江古田にお店を構えているときからブリストルにおもむいて、その文化を日本に紹介し続けてきた。飯島さんが語るイングランド南西部の反骨精神旺盛な港町は、アーティストたちの人物関係や、それを繋ぐ現地のレコード店やクラブの話に収まるものではなく、背景にある文化政治的なアティチュードと常にセットだった(例えば、街で大手スーパーであるテスコのボイコット運動が巻き起こった話など)。それは海外礼賛の輸入話などでは決してなく、自分たちがいる東京という場所を問い直すような、刺激に満ちていた。飯島さん自身も、自分は日本のローカルのためにブリストルから着想を得続けている、といっていた。

 だから僕がゼロに頻繁に通いはじめたのは、単純にレコードのためだけではない。音楽、政治から人間関係にいたるまで、とにかくいろんな話をした。お店に行ってもレコードを買わない日だってあったくらいだ(すいません)。

 飯島さんはひとを繋げるのも上手だった。当時、クラブにいく友人がまったくいなかった僕にとって、ゼロから生まれた交友関係にはとても助けられた。あの小さな空間には、インターネットのコミュニティにも、地元のコミュニティにも、なんとなく合わない若者が流れ着いていたように思う。

 飯島さんの音楽パースペクティヴはアーティスト中心主義ではなく、音楽が内包している可能性をサウンドとは別の形で実現できる存在にもしっかりとスポットライトが当てられていた。サウンドシステムとそれが鳴る場所の作り手、そこに魂を吹き揉むパーティ・チーム、都市と音楽のネットワークを可視化するジン、ライター、写真家、そしてリスナーたち。その文化のエコロジーがあるからこそ、音楽は音楽であり続けることができる。

 飯島さんはそのことに誰よりも自覚的であり、その実践者であり、必要があればそれを阻害する者たちに向かってストリートに出て声をあげ、選挙割なども積極的に行っていた。2015年にゼロや東京の音楽クルー、ソイやビムワン・プロダクションのメンバーが中心になって始まったブリストルのスピリットを紹介するプロジェクトBS0は、その理念がパーティとして形になったものだ。そこに呼ばれるアーティストを誰よりも愛していたのは飯島さんだったが、その関係に上下などなく、二人三脚でシーンを、いや世界を変えてやる、という気概で満ち溢れていた。

 晩年、飯島さんはひとりでお店を切り盛りしていたけれど、音楽の世界における彼の一人称にはつねに複数形の僕たちの存在が含まれていた。何かの、ひいては誰かのために行動し続けることについて、飯島さんがその人生で示した意義は計り知れない。そこに敬意と感謝の意を示したい。

 ────2014年、僕は大学の勉強でも就活でも行き詰っていた。そのとき、ツイッターで『ele-king』のバイト募集を見つけたものの、応募するかどうかを決めかねていて、飯島さんに相談しにいったことがある。そうしたら、「あの募集、僕も見たよ。ハヤトくんが応募してみたらいいじゃないかなと思ったんだよね」と背中を押され、こうして音楽について書くようになった。最初は右も左もわからない状態だったので、ライターとして書き方のアドバイスもよくもらっていた。飯島さんは僕の尊敬する先生だ。カウンターの向こうから響いてくるあの声は、これからも僕のテキストから消えることは決してないだろう。


優しく聡明なRebelの人

Mars89

 ele-king編集部から執筆の依頼がきた時、僕は仕事も何もほとんど手に付かない状態だった。しかし、これを書くことが今この僕が飯島さんのためできることの全てだったし、心から書くことを望んだ。
 ele-kingとの付き合いも、Disc Shop Zeroに立ち寄った野田さんにまだまだ無名の僕の作品を飯島さんがお勧めしてくれたことがきっかけだった。そして今ではインタヴューやチャートなどいくつもの形で繋がっている。僕の作品が出るときにいち早く予約や入荷をしてくれてたのもZeroだったし、会うたび「次の作品は?」と、いつも気にかけてくれていた。そして野田さんのように面白いものを探してZeroを訪れる人たちにお勧めしてくれていたに違いない。僕のように彼や彼の店がきっかけとなって新たな道が開けた人は数多くいるだろう。それはこの追悼文が掲載されるele-kingに寄せられた他の人の追悼文を見ればわかるはずだ。
 僕がブリストルを訪れたときには何人もの人に「東京から来たのか! Naokiによろしく!」と声をかけられ、それがきっかけで打ち解けたりもした。彼が東京とブリストルで撒いてきた種は地面の下でしっかりと太い根を張っている。
 彼が撒いてきた種は “音楽だけ” ではない。常にそこに広がるカルチャーとセットだった。ブリストルというのはカウンターカルチャーの街であり、オルタナティヴなスタイルを追求してきた街だと思っている。Zeroでは選挙割を導入して政治への参加を呼びかけていたし、彼は僕が抗議活動の現場で顔を合わせる数少ない音楽関係者の一人でもあった。Contactで隔月開催している BS0xtra では抵抗のカルチャーにまつわる書籍や資料を持ってきて、横でコーヒーを出し、「場」を作っていた。渋谷プロテストレイヴのアフター会場にもそれを出して音楽と抵抗のカルチャーの関係性を強固にすることに協力してくれた。優しく聡明なRebelの人だった。
 彼は1月に更新したブログでZeroを「レコードの販売だけでなく、面白いことをしていける場にしたい」と書いていた。彼が不在のこの世界で、彼が遺した「場」をどうしていくのかは残された私たちにかかっているが、この点については僕は楽観視している。彼が育てた草の根は太く強い。それは僕が思っている以上だろう。
 彼は常に地道で着実な方法で道を拓き、種を撒き、草の根を育て続けて来たように思う。そして彼が撒いてきた種はあらゆる場所で芽吹き、実り、花を咲かせている。そしてその花がまた新たな種を撒くのだろう。
 この追悼文を書き上げるまでの時間を想定していたわけではないが、思ったより時間がかかってしまった。色々なことを思い出して手が動かなくなり、同時になぜか、黒いスーツはあるけどシャツとタイが無いなとか、この服装飯島さん気に入ってくれるかなとか、最後の挨拶なんて言おうかとか考え出して止まらなくなってしまった。ここまでに大きめのマグ2杯分のコーヒーを消費し、今3杯目に手を出しながら追悼文の締めくくりを考えている。
 数時間後の式では次のような事を最後に伝えようと思う。
 飯島さん、今までいろいろとありがとうございました。僕がそっちに行くのはもう少し先になりそうです(そうなる事を祈る)。つぎ会う頃にはそこはサウンドシステムでブリストル・サウンドが鳴り響き、抵抗のカルチャーが根付いている場所になっている事でしょう。また一緒にパーティーやったり抗議活動やったりしましょう。
 Massive thanks and respect.


まだ信じられないけど

三田格

 人当たりがとても優しく、マッチョなところがまったくない方でした。いつ会ってもゆったり構えていて、乱暴なことはいっさい言わない。ZERO自体がアット・ホームな場所だったけれど、音楽の話だけでなく、娘が熱を出したとか家族のことを話す時も実に楽しそうだった。小学生の娘が夏休みに店を手伝うと聞いた時は「労基法違反じゃないの?」と思わず言ってしまったけれど、「学校の課題でそれはありなんだよ」と、なんか得意げだったな。そんな家族が死によって引き裂かれてしまうのはとてもいたたまれない気持ちです。「レコード屋の親父」である前に、飯島さんには家族があり、政治の話をしていても、考え方のベースにはいつも家族があるという感じがしていたので。

 江古田に店があった頃は行ったことがなく、下北沢に移転してから毎週のように行くようになりました(家から歩いて30分だった)。よく話すようになったのはワールド・ミュージックのことを訊いてからで、飯島さん自身はピーター・バラカンさんの本を読んでワールド・ミュージックに興味を持ったと言っていた(ので、バラカンさんにもZEROの存在を伝えて)。バンクシーの作品が無造作に置いてあるのはいつも気になってしょうがなかったけれど、僕の都合で定休日を変えてくれたことは誠に痛み入りました。おかしかったのはレコードストア・デイになるとアナログ盤はほかの店でよく売れるので、ZEROの店内は飲み会になってしまうこと。ビールやスナック菓子が飛び交い、この日は落ち着いてレコードを探すことができない。いつもジェントルな飯島さんがこの日だけは「てやんでい」みたいになっちゃって。

 めちゃくちゃな店内だったけれど、「Township Funk」がヒットしたDJムジャヴァのアルバム(南アフリカ盤)まで売っていたのは驚いたな。〈ナーヴァス・ホライズン〉というレーベルを教えてくれたのも飯島さんだったし、ZEROで買ったモデュール・エイト『Legacy LP』は近年の宝物になっている。教えてもらうだけでなく、DJニガ・フォックス「O Meu Estilo」がすごくいいよと教えてあげたらすぐに気に入っちゃって、あちこちのディストリビューターに連絡を取りまくったあげく「入荷できなかった」とかなり悔しがっていた。スクウィーのブームが去って、どこにもダニエル・サヴィオの新作が入荷しなくなってしまった時は飯島さんに頼んで探してもらったら、本人だったかレーベル・オーナーだったかが「在庫切れだけどベッドの下に1枚だけあった」といって送ってくれたことも。飯島さんはブリストルだけじゃなく北欧にも顔が利くんですよ。エレキング本誌でブリストルのミニ特集を組んだ時も楽しかったな。飯島さんの撮ってきた写真がわかりにくくて、どんどん小さな扱いになって(笑)。せっかくまたブリストルがざわつき始めた時に、なにもそんな時に逝かなくても……。

 イギリスの音楽には様々な側面がある。とはいえ、戦後の労働力不足を補うためにジャマイカから来た移民たちが音楽を通じてイギリスに与えた影響はとても大きく、ビートルズやクラッシュがレゲエを取り入れ、デヴィッド・ボウイやビョークがドラムン・ベースに手を伸ばしたことにもそれは表れている。昨年、アイドル・グループのリトル・ミックスが全米でヒットさせた「Bounce Back」もソウル II ソウルの「Back To Life」を再構築したものだし、ブリストルの音楽に通じているということはそのすべてとは言わないけれど、そのようにして変化・生成してきたイギリスの音楽でもかなり重要な部分を理解させてくれ、飯島直樹が日本に接続した「文脈」はその流れをほぼ同時に追える楽しみだったといえる。2ヶ月も迷い続けてようやくイキノックス『Bird Sound Power』を買った時、飯島さんは「それ、1枚も売れなかったんだよ」とニンマリ笑った。R.I.P.(安らかにお眠りください)


なぜ下北ZEROが偉大なのか

野田努

 あれはたしか1998年のこと、なぜわざわざ江古田まで行ったのかはいまでもよく憶えている。当時、DJクラッシュがプレイするときの極めつけの1曲(北欧のトリップホップ)があって、それはどうやら江古田のZEROに売っているらしいと。その時代、渋谷は世界でもっともレコード店の密集している街であり、渋谷で手に入らないモノはなかった。だが、それだけは渋谷では手に入らず、情報筋によれば江古田にはあるとのこと。ZEROに行かねばならなかった。
 当時のZEROは、下北時代のこの5年と違いじつに綺麗な店内で、まだブリストル臭もそれほどなく、ポストロックやトリップホップなんかが揃っていた。下北の店舗でいうと、入口を入って右側のすぐ奧が江古田時代の名残である。
 90年代は、レコード店というのがひとつの事業として夢が見れた時代だ。当時は多くの店が誕生し、元からあった店は店舗を拡張し、とにかくレコード店は賑わっていた。ZEROもそんな時代に生まれたわけだが、当時の多くのレコード店が90年代初頭のハウスやテクノもしくはヒップホップを契機としていたのに対して、ZEROは後発組で、大衆音楽史で言えばポスト・レイヴ期に生まれている。細分化の時代であり、音楽がひとかたまりの力として成立しなくなった時代だ。ムーン・フラワーズという、UKではほとんど知られていないブリストルのバンドをきっかけにブリストルとの交流がはじまったZEROが、いわゆるマニアの集う専門店と化していったとしても当時の状況を思えば不自然ではない。
 しかし何故かZEROは細分化された同好会のひとつに収束しなかった。飯島直樹にとってレコード店とは、客が入って好みのレコードをレジまで持っていって完結するという商業施設以上の意味を持っていたのだろう。そこは情報を発信してはシェアし、音楽シーンを面白くするのにどうしたらいいのか意見を交換し、そしてシーンに活気を取り戻すための拠点だった。店が下北沢に移ってから、ZEROはそれ自体がメディアであり、ムーヴメントを目論むための場だった。そして、それこそぼくが90年代初頭のレイヴの時代にロンドンで経験したレコード店文化の姿だった。
 ぼくはよく飯島さんに冗談めかして「ここだけ日本じゃない」と言っていた。誰かに紹介するときも「ここは日本じゃないから」と説明した。その理由はもうひとつある。下北ZEROは、UKにはよくあるタイプのカウンター越しに会話しなければ良いレコードが買えないお店で、良いレコードをゲットするには飯島さんと対話しなければならない。これはコミュニケーションが下手な日本人相手には向いていない商売方法だろうし、アマゾンやコンビニがあれば良いと思っている人間には鬱陶しいだろう。いまや希少化しつつある商店街の八百屋みたいなもので、これが苦手でZEROから離れた人だっているはずである。まあ、綺麗ごとではないいろんな諸事情もあったのだろうが、結果としてZEROはそのやり方を通した。レコード店が事業としてたやすくなくなったとくにこの10年、逆境をバネにむしろどんどん磨きがかかっていった。とくにブリストルのシーンとは固い絆で結ばれていた飯島さんだが、彼が輸入したのはレコードという商品を売るだけではなく、その国の音楽文化のあり方まで表現していた。通っていた人は知っての通り、そこに政治性が含まれることもあった。UKに近づいたほうが日本の音楽シーンは絶対に面白くなるというのが彼の信念だったし、ぼくはそれに共感していた。UKの音楽シーンには、それが音楽に生気を与える場として絶えずアンダーグラウンドへのリスペクトがあり、またその根底には批判精神を決して忘れないパンク的なパッションがある。
 オルタナティヴな共同体が複数生まれることが真の意味での多様性なるものだろう。飯島さんが移民文化との衝突によって磨かれたUKのダンス・カルチャーと接続したことと下北ZEROのあり方は完璧に合致している。こうした彼の精神は、ZEROやBS0に集まったDJたちにも確実に受け継がれているので、ぼくは決して悲観していない。今朝の静岡新聞の文化欄に飯島さんを讃える記事が載っていたけれど、飯島さん、あなたはそのくらいのことをやっていた。ありがとうとしか言いようがない。
 思い出はたくさんあるが、最後にひとつだけ。おそらく2004年だったと思う。いつものようにふらり寄ったら飯島さんがいきなり爆音で音楽をかけた。「これ、むちゃくちゃ格好いい! 買います、なんていうアーティストなんですか」と訊いたら、差し出してきたレコードがワイリーだった。あれがぼくにとってその後の10年がはじまる合図だった。


生活世界ZERO

小林拓音

 飯島さんにはこれまで何度も原稿やチャートをお願いしたり、話を伺ったりしてきた。それが ele-king というメディアにとってどれほど大きなことだったか、読者の方ならわかってくださると思う。
 去年の4月もそうだった。ひとつまえの紙エレでは日本の音楽にフォーカスした特集を組んでいるのだけれど、この国の最先端の動向を把握するために、やはり飯島さんにも話を聞きにいった。そのとき、個人的な日本の音楽のオールタイム・ベストワンについてもお尋ねした。答えは G.RINA だったが、同時に宇多田ヒカルの『Fantôme』を挙げていたことも印象にのこっている。飯島さんのイメージとはかけ離れていたから。母が亡くなったときに聴いて、ものすごくヒビいたのだという。いま思えば、そのころから変化が起こっていたのかもしれない。
 以降も何度かZEROを訪れているが、なぜか閉まっている日にあたることが多かった。なんやかんやで半年。ZEROに行ってきたという編集長が、オシアのカセットテープのことを教えてくれた。これはなくなるまえに買いにいかねばと、翌日ぼくもZEROに走った。ちょうど消費税の引き上げが実施されたタイミングで、同時にキャッシュレス決済の還元もはじまっていた。「うちもやることにしてね。クレジットカードのほうがおトクだよ」と飯島さんは苦笑いしていた。手続きを終えるとピロンと電子音が鳴り、スマホに領収メールが届いた。なんだかZEROに馴染まないなと思った。
 さらにその一週間後。紙エレ最新号でダブ特集を組むことになっていたので、河村さんと一緒に飯島さんと打ち合わせをした。まさに飯島さんなくしては成立しえない特集だった。それが10月の下旬。そのときもまだ、大きな違和感のようなものはなかった。以後何度もメールのやりとりを重ねた。だから、年が明けてすぐこんなことになるなんて、思いも寄らなかった。

 ダブやベース・ミュージックはもちろん、いわゆるグローバル・ビーツも扱っているのがZEROのいいところだった。これは三田さんが書いていることと完全にかぶってしまうけれど、極私的に大きな出来事だったのでどうしても書き記しておきたい。たしか初めてZEROを訪れた日のことだったと思う。DJムジャヴァの『Sgubhu Sa Pitori』と『Sgubhu Sa Pitori 3』が立てかけられているのを発見し、ぼくは目を丸くした。金欠であったにもかかわらず、迷わずカウンターに持っていった。南アフリカから直に仕入れたんだよと飯島さんは教えてくれた。けっこう苦労したのだという。日本でこの2枚を扱っていたのはZEROだけだろう。というか、ググればわかるように、海外のサイトにも見当たらない。そういう盤をいっぱい揃えているのがZEROだった。
 そして、野田さんが書いているようにZEROは、たんにディープなレコード店であるだけでなく、地域商店のようなコミュニティ生成の場でもあった。階段をのぼるとたいてい先客がいて、飯島さんと語りあっている。そこで紹介されて知り合ったひともいる。ヴェーバー=宮台のことばを借りていえば、アマゾンやアップルのような「システム」ではなく、「生活世界」である。そのあり方は、利便性とひきかえにさまざまな個人情報を提供せざるをえないにもかかわらず、消費者の側がなにに奉仕させられているのかについては巧妙に隠蔽される「システム」的なもの、ハイテクな監視社会にたいするささやかな抵抗だったのかもしれない。「システム」すべてをひっくり返すことはできない。すでに「生活世界」だってそのなかに組み込まれている。でも、だからこそあえて、意識的に「生活世界」を構築していかなきゃいけない──そういうことを肌でわかっているひとだったんだと思う。ゆえに飯島さんは、クレジットカード決済を勧めるときに苦笑いを浮かべていたのだ。選挙があるたびに、投票に行ったひと限定で割引セールを実施していたのもZEROだった。アマゾンやアップルにはぜったいに真似できないことだ。アンダーグラウンドは、そういう代替不可能な、かけがえのないひとの手と志によって支えられている。
 ピロンと電子音の鳴った日は、たまたま誕生日だった。なくなるまえに入手できたこと、飯島さんが丁寧に説明してくれたこと(サックスのオリー・ムーアはピッグバッグのあと、レッド・スナッパーの作品でも吹いていたひとだ)、それに還元の件もあってすこしトクした気分になっていたぼくは、それをじぶんへのプレゼントにすることにした。ふだんレコードを買うときよりも、なんだかうれしかった。ポイントは還元できても、そういう類のうれしさを「システム」は供給できない。今後オシアを聴くたびにぼくは、飯島さんとZEROのことを思い出すだろう。

Nightmares On Wax - ele-king

 これはたまらない。昨年はリカルド・ヴィラロボスによるリミックス盤を発表、12月の来日公演も記憶に新しいナイトメアズ・オン・ワックスだけれど、なんと、1995年の名作『Smokers Delight』の25周年記念盤が4月3日にヴァイナルでリリースされることになった。ザ・KLFの『Chill Out』をヒップホップで再現するというコンセプトにもとづいて制作されたこのセカンド・アルバムは、それまでのブリープ~ハウス路線から一気にスモーキーかつソウルフルなダウンテンポへと舵を切った転機作で、現在われわれがよく知るNOWサウンドの原点にあたる。今回の記念盤には、2曲の新曲を含む計4曲がボーナストラックとして収録されるとのことで、そちらのほうも楽しみ。

[3月11日追記]
 発売が近づいてきた『Smokers Delight』の25周年アニヴァーサリー盤より、ボーナストラックとして収録される新曲2曲のうちの1曲 “Aquaself” が公開されました。ん~、気持ちいい~。安心のNOW印、炸裂です。

NIGHTMARES ON WAX
歴史的傑作『SMOKERS DELIGHT』のリリース25周年を記念し、
新曲を追加収録した再発盤のリリースが決定!

マッシヴ・アタック『Blue Lines』、ポーティスヘッド『Dummy』、トリッキー『Maxinquaye』と並び、その時代を象徴する名盤として絶大なる評価を受けているナイトメアズ・オン・ワックスの歴史的名盤『Smokers Delight』。リリースから25周年となる今年、新曲を追加収録した25周年記念盤が、4月3日に発売決定!

英 Fact Magazine が「80年代後半のレイヴ・シーンの黎明期を生んだムーヴメントが、リラックスした部屋の中でも、イビザの夕暮れにも合うようにと、CDウォークマン世代にとってのセカンド・サマー・オブ・ラブを再定義した作品」と称賛した本作『Smokers Delight』は、当時まだ新興レーベルだった〈Warp〉周辺の勢力図を大きく塗り替え、〈Warp〉初期を支えたロングセラー作品であり、UKでシルバーディスクの認定を受けている大名盤であると同時に、デビュー作『A Word of Science』でジャンルを横断した独特なエレクトロニック・サウンドで注目を集めていたナイトメアズ・オン・ワックスが、ソウル、ヒップホップ、ダブからの影響を吸収したチル〜ダウンテンポの巨匠として歩み始めるキャリアの礎となった代表作。

バックボーンは、レゲエ、ソウル、そしてサンプリングとディギングを通したヒップホップだった。だからダブの影響や、ラヴァーズ・ロックのソウルフルな影響が感じられるんだよ。俺を音楽に向かわせたすべてのDNAが詰まってる。当時みんなから、ナイトメアズのサウンドを見つけたな、と言われたけど、「本当? なにそれ?」って感じだった。でも今振り返ると、感覚だったり、スピリチュアルな意味合いで、その意味がわかる気がするよ。そのゾーンに入った瞬間に自分でもわかるんだ。 ──George Evelyn (Nightmares On Wax)

今回25周年記念盤をリリースするにあたって、ジョージは再び「ゾーン」に入り、“Let’s Ascend” と “Aquaself” という2曲の新曲、“Dreddoverboard” のファンク・ヴァージョン、“Nights Introlude” のライヴ・ヴァージョンが追加収録される。赤と緑のカラー盤となる2LP盤は、シルバーのゲートフォールド・ミラーボード・スリーブに収納され、アルバムとボーナストラックがダウンロードできるダウンロード・コード付となっている。

label: WARP RECORDS
artist: Nightmares On Wax
title: Smokers Delight (25th Anniversary Edition)
release date: 2020.04.03 FRI ON SALE

輸入盤2LP WARPLP36RX

BEATINK:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10846

Tracklisting
A1. Nights Introlude
A2. Dreddoverboard
A3. Pipes Honour
B1. Me And You
B2. Stars
B3. Wait A Minute / Praying For A Jeepbeat
B4. Groove St.
C1. Time (To Listen)
C2. (Man) Tha Journey
C3. Bless My Soul
C4. Cruise (Don't Stop)
D1. Mission Venice
D2. What I'm Feelin (Good)
D3. Rise
D4. Rise (Reprise)
D5. Gambia Via Vagator Beach

*Bonus tracks on download card
01. Aquaself
02. Let’s Ascend
03. Dreddoverboard (Funk Mix)
04. Nights Introlude (Live In Chicago)

DJ Marcelle & Kampire (Nyege Nyege) - ele-king

 これまで20回以上開催されてきた WWW のレジデント・パーティ《Local World》ですが、今年もやる気満々です。今回は、これまで都内のクラブで開催されてきた YELLOWUHURU 主宰の《FLATTOP》と Celter 主宰の《Eclipse》との共同パーティで、話題のウガンダのフェス/コレクティヴ〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire と、そのレジデントでもあるアムステルダムの DJ Marcelle を初来日で迎えます(Marcelle は大阪公演も)。これまたすごい一夜になりそうです。

Local XX2 World FLATTOP x Eclipse - Super Freedom -

新しい伝統と自由への狂騒。アフリカからダンス・ミュージックの未来を切り開くウガンダの新興フェスティバル/コレクティブ〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire と、そのレジデントでもあり、今最も “越境する” 奇矯のアーティストとして話題の DJ Marcelle を初来日で迎え、Local World、FLATTOP、Eclipse によるハイブリッド共同パーティ “Super Freedom” が開催。

Local XX2 World FLATTOP x Eclipse - Super Freedom -
2019/03/28 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird @RA ¥1,800
ADV ¥2,300@RA | DOOR ¥3,000 | U23 ¥2,000

【詳細】https://www-shibuya.jp/schedule/012322.php
【前売】https://www.residentadvisor.net/events/1386693

DJ Marcelle / Another Nice Mess [Netherlands]
Kampire [Nyege Nyege / Uganda]
YELLOWUHURU [FLATTOP / GHPD]
Celter [Eclipse]

+ many more

※ You must be 20 or over with Photo ID to enter

【DJ Marcelle 大阪公演】

AltPass feat. DJ MARCELLE
2020.3.27.fri. 22:00-7:00 at Club Daphnia
ADV ¥2,500 | DOOR ¥3,000

GUEST DJ:
DJ MARCELLE / ANOTHER NICE MESS
(JAHMONI) from Nederland

DJ:
Toshio Bing Kajiwara
7e
Gyoku
Gunilla
KA4U

LIVE:
USK

Visual Effect:
catchpulse

and more act.

FOOD: カカト飯店

------------

Local 1 World EQUIKNOXX
Local 2 World Chino Amobi
Local 3 World RP Boo
Local 4 World Elysia Crampton
Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox
Local 6 World Klein
Local 7 World Radd Lounge w/ M.E.S.H.
Local 8 World Pan Daijing
Local 9 World TRAXMAN
Local X World ERRORSMITH & Total Freedom
Local DX World Nídia & Howie Lee
Local X1 World DJ Marfox
Local X2 World 南蛮渡来 w/ coucou chloe & shygirl
Local X3 World Lee Gamble
Local X4 World 南蛮渡来 - 外伝 -
Local X5 World Tzusing & Nkisi
Local X6 World Lotic - halloween nuts -
Local X7 World Discwoman
Local X8 World Rian Treanor VS TYO GQOM
Local X9 World Hyperdub 15th
Local XX World Neoplasia3 w/ Yves Tumor Local XX1 World AI2X2X w/ ???


■DJ Marcelle / Another Nice Mess [Netherlands]

「異なるカルチャーに対してオープンでありながらも、そこのオーディエンスや自分の期待感に意識を向けすぎないこと。自分の道を進むためにね」@RA https://jp.residentadvisor.net/podcast-episode.aspx?id=679

アムステルダムを拠点にDJ、プロデューサー、ラジオ放送、ミュージシャンと多岐に渡って活動を続けるベテランDJ Marcelle / Another Nice Mess。

サプライズ、アドベンチャー、エンターテイメント、教育:オランダのDJ/プロデューサーの DJ Marcelle / Another Nice Mess を説明するためによく使用される4つのキーワードであり、ライブ(およびスタジオ内)では3つのターンテーブルとレコードを使用して、ミックスの可能性を高みに引き上げる稀有なDJであり、またそれ以上のミュージシャンでもある。 2016年以降、ドイツのレーベル〈Jahmoni〉から「In The Wrong Direction」、「Too」、「Psalm Tree」、「For」(Mark. E. Smith へのオマージュ)の一連のEPリリースを経て、昨年最新LP『One Place For The First Time』をリリース。2008年から2014年の間には、ドイツの〈Klangbad〉から伝説のクラウトロック・バンド Faust の創設メンバーである Hans-Joachim Irmler によってセットアップされた4枚のダブル・バイナルのアルバムをリリースしている。

異なるスタイルの音楽を異なるコンテキストに配置することにより、個々のスタイル変化させ、他に類を見ない音楽スタイルを融合し、3つのターンテーブルと膨大なコレクションであるレコードを使いながらオーディエンスに3つの同時演奏ではなく1つのトラックであると感じさせる。そのスタイルは環境音、アバンギャルド・ノイズ、動物の音、レフトフィールド・テクノ、フリージャズ、奇妙なヒップホップ、最先端のエレクトロニカ、新しいアフリカのダンス・ミュージック、ダブステップ、ダンス・ホールなどと組み合わせれている。

独創的で熟練したミキサーであり、独自のスタイルを持ち、ほとんどのDJのクリシエやこれまでのルールを回避し、フラクサス、ダダなどのアバンギャルドな芸術運動やモンティパイソンの不条理な現実に触発されるように、ダブ、ポスト・パンク、最新のエレクトロニック/ダンス・ミュージックの進化など、常に、非常に、密接に、音楽の発展を追い続け、革新的な “新しい” サウンドに耳を傾けている。創造と発展の芸術性と高まりを強く信じ、約2万枚のレコードと数えきれないほどの膨大なレコード・コレクションは過去と現代のアンダーグラウンド・ミュージックに関する強力な歴史的知識を体現している。

ステージにおいてはマルセルは開放と自由を超越し、しばしば「圧倒的な豊かさ」、「真の耳を開ける人」、「真の開拓者」と表現されている。ヨーロッパ中のクラブ、美術館、ギャラリーを回りながら、ウィーン、ベルリン、ミュンヘン、バーゼル、チューリッヒなど、多くの都市のレジデントDJ、 2015年と2016年には Barcelona circus / performance group のライブDJを務め、ウガンダの Nyege Nyege フェステイバルでは「ライフタイムのレジデントDJ」として任命され、最近では欧州の Dekmantel、Unsound、USの Sustain Release 等のフェステイバルに出演しワールドワイドな活躍を展開。

また Red Light Radio、FSK、DFM など、ヨーロッパのさまざまなラジオ局向けにウィークリーおよびマンスリーのラジオ番組も開催し、インターネット上の John Peel ディスカッション・グループでは「best post-Peel DJ」と評される。マルセルにとって、何らかの緊急性や固定する必要がない限り、音楽形式は意味をなさない。分類が難しいことでブッカー、ジャーナリスト、オーディエンスを最初は混乱させられる。もしマルセルを適切な言葉で説明するのであれば「アバンギャルド・エスノ・ベース」と言えるだろう。

https://soundcloud.com/marcelle


■Kampire [Nyege Nyege / Uganda]

「私が望むのは、ジェンダーや性的指向に関わらず、その人となりの本質をしっかり見極め、誰もが平等にチャンスを得られるようになること」@i-d https://i-d.vice.com/jp/article/kzvn4v/uganda-dj-kampire-interview

東アフリカで最もエキサイティングなDJであり、ウガンダはカンパラの Nyege Nyege コレクティブのコアメンバーであるKampire。活気に満ち溢れたそのサウンドは世界中のクラブやフェスティバルへの出演を呼ぶ。Mixmag 2018年のトップ10のブレイクスルーDJに選出され、Nyege Nyege フェスティバルでの Boiler Room での放送は合法的な「インターネットの瞬間」であり、SNSで何千ものシェアをされ、オンラインで視聴している世界中の電子音楽ファンからフォローされる。

Kampire のDJミックスは Resident Advisor、Dekmantel、Fact Magazine で紹介され、Pitchfork & Fact の年末のリストで2019年のベスト・ミックスにも選出。Rinse FM ラジオのレジデンシーは、Hibotep、Faisal Mostrixx、Catu Diosis など、東アフリカのDJやアーティストにフォーカスしている。

2019年には4大陸でツアーを行い、ヨーロッパ全土のすべての有力フェスティバルに出演、ニューヨークの Redbull Music Festival の Nyege Nyege のショーケースでアメリカでデビューを果たし、Best friend & Nyege Nyege day one Decay と共に2020年の夏には、彼らのショー「Bunu Bop」でヨーロッパのフェスティバル・ステージにウガンダの最高のパーティー・カルチャーをもたらすであろう。

科学、文化、芸術として “黒髪” を探求するアート・インスタレーション「Salooni」の共同設立者であり、その体験プロジェクトは La Ba Arts Festival、ウガンダ、ガーナ、Chale Wote Street Art Festival、East African Soul Train (E.A.S.T) のレジデンシー、ケニア、Africa Utopia、ロンドン、キガリ、ルワンダ、 Women’s day、Burkina Faso and N’GOLÁ Biennial、São Tomé e Príncipe などで展開されている。

https://soundcloud.com/kkaybie


■YELLOWUHURU [FLATTOP / GHPD]

棍底にHOUSEを抱えながら電子音と生音を有機的に混ぜる男。

https://soundcloud.com/yellowuhuru


■Celter [Eclipse]

2019年2月より自身の主宰するイベント “Eclipse” をCONTACTにて始動。エクスペリメンタル、アバンギャルドを軸としたプレイを得意とする。

https://soundcloud.com/cel_ter

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727