「K A R Y Y N」と一致するもの

 ヒップホップは、個人のオリジナリティやアイデンティティを尊重するが、ひとつの音楽ジャンルとしてのヒップホップは、集団性によって更新されてきた。トレンドセッターが切り開いた方法論を共通のルールとするかのように、ヒップホップ・ゲームの競技場のプレイヤーたちが集団となって更新されたルールをフォローし、互いの似姿に多かれ少なかれ擬態し合い、互いのヴァースのみならずスタイルをもフィーチャーし合い、互いに切磋琢磨し、表現を洗練させ、ジャンル全体(あるいは各サブジャンル)を発展させる。隣の仲間が進行方向を変えれば自分も向きを変える、ムクドリの群れさながらに。数え切れないほどのビートが、フロウが、僅かな差異を積み重ねグラデーションを描きながら上方に堆積していく。より高み(ネクストプラトゥー)を指向して。しかし、そのような集団性のなかで、トレンドをセットするわけではないほどにアヴァンギャルドさを持ち合わせているがために、単独で逸脱する、ベクトルを異にする個体が、突如として現れる。
 たとえば2000年前後のアンダーグラウンド・ヒップホップの興隆の中でも、特にアンチ・ポップ・コンソーティアムやアンチコンの作品群の記憶が鮮烈に蘇るし、ゴールデンエイジにおけるビズ・マーキーやクール・キースを端緒に、ODB(オール・ダーティ・バスタード)の孤高を思い出してもいい。もっと近年ではクリッピングクラムス・カジノリー・バノンデス・グリップスヤング・ファーザーズシャバズ・パレセズらのビートとフロウがもたらす異化、ダニー・ブラウンジェレマイア・ジェイ、スペース・ゴースト・パープの変態性、そしてタイラー・ザ・クリエイターやアール・スウェットシャーツらオッド・フューチャー勢の快進撃がこのジャンルの外縁を示し、僕たちはその稜線を祈るような思いでみつめてきた。「ヒップホップ・イズ・ノット・デッド」と呪文のように繰り返しながら。特に近年、ネットというインフラ上で発光するエレクトリック・ミュージックの多面体と、その乱反射するジャンルレスの煌めきは、明らかに、ヒップホップの集団性からの逸脱を誘引する磁力として働いている。

 ルイジアナ出身の28歳のペギー(Peggy)こと JPEGMAFIA は、その乱反射を吸引し尽くし、自らが多面体化するのを最早留められなくなった如き異能の人だ。彼のオフィシャルでは2枚目のアルバム『Veteran』は、エスクペリメンタルなトラップ以降のビートをベースに、ローファイに歪ませたサウンドのバラバラの欠片やグリッチーに暴走するリズムをあちこちに地雷のように仕組んで、全体を多重人格的な──多声による──メタラップで塗り固めた怪作だった。
 メタラップというのは、前作『Black Ben Carson』収録の“Drake Era”に“This That Shit Kid Cudi Coulda Been”や、シングルの“Puff Daddy”、そして“Thug Tear”といったようにラップ・ゲームやリリックで歌われることをメタ視点で俯瞰する、人を食ったようなタイトル群を見ても明らかだろう。
 しかし彼がそのメタ視点を用いて差し出すのは、モリッシーをディスったことで大きな話題をさらった“I Cannot Fucking Wait Until Morrissey Dies”に代表されるような、ポリティカルなメッセージ群だ。初めはインスト音楽を作っていたペギーは、自分がラップすべき本当に言いたいことがあるのかという懐疑に捉われていた。多くのラップのリリックを聞いても、所詮皆同じことを歌っているだけではないかと。だがジャーナリズムで修士号を持つ彼は、アイス・キューブのやり方と出会うことで、ポリティカル・ラップに活路を見出したという。
 1990年にリリースしたファースト・ソロ・アルバム『AmeriKKKa's Most Wanted』において、フッドの現実を過激な言葉で描写したアイス・キューブは、実存というよりも、「アイス・キューブ」という視座を仮構してみせた。そして同アルバムのオープニング“The Nigga Ya Love To Hate”では、人々が「ファック・ユー・アイス・キューブ!」と叫ぶ様をフックとした。
 一方のペギーはオフィシャルのファースト・アルバム『Black Ben Carson』で、2015年に共和党から初の大統領選への黒人立候補者となり早くからトランプ支持を表明、現在アメリカ合衆国住宅都市開発長官を務めるベン・カーソンにあえて「Black」を付けて、リリックのなかで「white boys」を煽ってみせる。ここには確かに、キューブの方法論と通底するメタ視点が働いてはいないか。さらに後述するように、彼は表現のレベルにおいても、従来のコンシャス・ラップを俯瞰するように、異なる方法で実装してみせる。

 『Veteran』というタイトルは二重の意味を持つ。文字通りペギーは元空軍出身(=退役軍人/veteran)だということ。そして14歳から音楽制作を始めていた彼は、クリエイターとしてキャリアを積んでいるということ。自身、インタヴューで次のように語っている。曰く、この世界には誰にも知られることなく長い間音楽を作り続けている人間(=ベテラン)がいるし、『Veteran』収録曲の中にもどうせ誰も聞くことはないと思って作ったものもある、と。
 かつての MySpace はそのような音楽家たちが論理上は万人に開かれるインフラとして機能したし、SoundCloud や Bandcamp においてもその点は同様だ。しかし星の数ほど存在するアカウントの小宇宙を相手取り、衆目を集めるのは簡単ではない。『Veteran』は高評価で受け入れられたが、このようなメッセージ面でもサウンド面でもエッジィな作品が受け入れられたのは、たまたまタイミングが合ったからだと本人は分析している。
 しかし逆に、誰にも聞かれることがないと思っているからこそ、クレイジーな音楽が生まれる可能性もまた、存在するだろう。そしてそのようにして作られた音楽が世界に接続されうるメディウムとして、インターネットは、かつての人々が抱いた理想像の残滓を担保したまま、そこに存在し続けている。
 2019年3月9日現在ペギーの SoundCloud のアカウントにアップされている最も古い楽曲は“Fatal Fury”で、アップの日付は7年前と表示されている。総再生回数は6478回と、決して多いとは言えない数字で、5件のコメントが付いているがどれもこの10ヶ月以内だ。つまり、この楽曲は2012~2018年まで、具体的には『Veteran』のブレイクまで、ほとんど誰にも発見されずにインターネットの小宇宙の片隅に鎮座していたのではないか。
 しかしその〈黙殺〉にも関わらず/のおかげで、彼のエッジィな創作意欲は『Veteran』と名付けられた作品にまで昇華された。そう考えることはできないだろうか。この作品は幸運にも、巨大な迷宮として、その姿をはっきりと僕たちの前に示している。

 この『Veteran』という複雑に入り組んで先の読めない迷宮はしかし、いかにも平熱を保った表情で幕を開ける。冒頭の“1539 N. Calvert”は、ウワモノのメロウな響きが支配する耳障りの良いオープニングだが、そこかしこに痙攣するように乱打されるビートが顔を覗かせ、様々な素材からサンプリングされ引用される短い文言の断片や、多重人格さを披露するペギーのヴァースがジャブのように繰り出される小曲だ。だが決して、その喉越しの爽やかさに騙されてはいけない。いや、一旦は彼の策略に乗ってみてもいい。すぐにやってくる狂乱とのギャップを楽しむために。
 ODBの喉ぼとけの震えのループがトライバルなドラムを狂気に駆り立ててしまう2曲目“Real Nega”を前に、僕たちはどんな風に四肢を振り回しながら踊ればいいのか? しかも、ベッドルームで。というのも、彼の表現はクラブのダンスフロアよりも、僕たちの薄汚れたベッドルームで踊り狂う想像力を掻き立ててくれるからだ。これらのビートの雨あられに身を曝し、どうしようもなくエレクトするプリミティヴな欲求を必死に隠し薄ら笑いを浮かべながら、僕たちは終盤の子供声のようなハイピッチ・ヴォイスが煽るフレーズに頷くしかない。こいつは「ホンモノのxx」だ。
 続く“Thug Tears”でも、分裂症の残酷さが開陳される。冒頭のキックと逆回転で乱射されるグリッチの雨から、転がる電子音のリフとその間を埋め尽くすボンゴのリズムに楔を打つゴミ箱を叩くようなローファイなスネアに、僕たちのダンスステップはもつれる。今度は体を揺らさずに黙って聞いていろと? ペギーの透明感溢れるコーラスと捻くれたシャウトの対比をベースにしつつも、そこに次々と闖入してくるサンプリングされた文言の数々が、綿密にデザインされたコラージュの語りを駆動する。しかし突然ビートのスカスカな時空間を埋めるブリブリに潰れたベースラインが現れる中盤以降、今度はペギーの語り口は一気にクールを気取り、剃刀のフロウで溌剌とビートを乗りこなす。
 シングル曲“Baby I'm Bleeding”が匿う快楽。冒頭から僕たちのアテンションをコルクボードに画鋲で止めてしまうミニマルなヴォイスの反復の上に、ペギーのフロウが先行して絡まり、やがてキックとスネアが後を追うようにビートに飛び込んでくる瞬間のカタルシスよ。さらに1分35秒で聞かせるハードコアなシンガロングとEDMのアゲアゲシークエンスの超ローファイ版を挟み、またもやモードを変化させるキックとスネアの上で何が歌われているのか。もともとは“Black Kanye West”という曲名だったというヴァースは、「ペギーをキメる田舎者/俺は次のビヨンセさ/俺の銃には悪魔が憑いてる/ダンテのように切り裂く(カプコンのヴィデオゲーム、デビルメイクライのキャラクター)/絶対カニエのように金髪にはしないと約束するぜ(カニエ は2016年、ライブ中にトランプを賛美する演説をしてツアーの残り日程をキャンセル、その後金髪にして再びその姿を見せた)/その代わり俺はたくさんのスタイル(so many styles)を持ってるからペギーAJと呼んでくれ(WWEのチャンピオン、AJ Stylesと掛けたワードプレイ)」とのこと。分かった。しかしこの男が匿っているスタイルの数は「so many」じゃない、「too many」だ。

 そのスタイルの多声性は、ビートのサウンドにも、リズムにも、旋律にも充満している。そして勿論ラップのサウンドにも、ライムにも、デリヴァリーにもだ。そしてメッセージという観点で見れば、前述の通り、いわゆるコンシャス・ラップと呼ばれうる、ポリティカルなスタンスを表明するライムが混沌としたサウンドに包囲され異彩を放っている。しかし彼曰く、彼はそれをコンシャス・ラップの括りではなく、「イケてる」曲として援用できるというのだ。そう聞いて想起されるのは、次の事実かもしれない。パブリック・エネミーがあれだけ人気を博した大きな原因のひとつは、彼らのヴィジュアル面を含めた方法論が「イケて」いたからだ。しかしペギーのアプローチはそれとは異なる。
 モリッシーを直接的にディスったことで話題となった“I Cannot Fucking Wait Until Morrissey Dies”では、その直球なタイトルそのまま、右翼的発言を繰り返し、ジェイムズ・ボールドウィンをデザインしたTシャツを売るモリッシーに対し「俺は左翼のハデスさ、フレッシュな.380ACP弾で武装した26歳のね」と怒りを爆発させる。しかしそれはあくまでも「イケてる」方法でだ。確かにビートを牽引するシンセのアルペジオがポップかつ美しく、音楽的な洗練とペギー自身の歌唱の先鋭さが、ある種のコンシャスなメッセージに含まれる鈍重さを無化してしまうようだ。
 他にも“Germs”ではトランプをメイフィールドのようにのしてしまいたいと批判するし、“Rainbow Six”でも銃とフラッグを掲げて集会を開くオルタナ右翼をからかう。それらはどれも、サウンドや歌唱の徹底的にエクスペリメンタルな展開のなかにあって、多重に張り巡らされたレイヤーのひとつとして、受け取られる。
 かつてタリブ・クウェリは、コンシャス・ラッパーとしてレッテルを貼られることへの違和感を指摘した。一旦そのイメージが付いてしまうと、リスナーを著しく限定してしまうことになるというのだ。しかしペギーのやり方はどうか。厳めしい顔で説教めいたライムをドロップするでもない。パンチラインとしてリフレインするでもない。あくまでもそれらは多くのレイヤーのうち、次々と通り過ぎていく一行として、表明される。そしてその言葉が発される声色やフロウも、それを支えるビートも、音楽的かつ現在進行形のテクスチャーが担保された──こう言ってよければ──「ポップさ」に満ちている。イケてるコンシャス・ラップとは、そのような多才さ=多重人格性の所以と言えるのではないか。

 しかし、、、数え上げればキリがないほど、このアルバムには豊かな細部が溢れている。折角なのでもういくつか数え上げておこう。またもや逆回転攻勢のアトモスフェリック・コラージュ・アンビエントの上で、何度目か数え切れないが明らかにペギーがロックを殺す瞬間を目撃できる“Rock N Roll Is Dead”。ペギー流のイカれたメロウネスが炸裂する“DD Form 214”では、ドリーミーなフィメール・ヴォーカルやウワモノを提出したそばから、下卑たキックと割れたベースのコンビネーションがくぐもったニュアンスを加えるために、いつまで経ってもドリームに到達できないという、つまりイキ切れない一曲。シャワーでパニック発作に襲われた際にレコーディングしたという“Panic Emoji”では、文字通りシャワーの環境音と並走するメロウなアルペジオにブーミンなベースがこれまでないエモい、エクスペリメンタル・トラップチューン。パニック発作に襲われ「俺は厄介者で/使えない奴だ/最悪だ/苦しい」と嘆く抑えたフロウが悲痛に響く。
 最後にもう一度触れておきたいのは、ペギーのサウンドの質感だ。たとえばノイジーなアンビエント・ラップ“Williamsburg”では、アクトレスことダレン・カンニガムばりに粗いヤスリで磨かれたノイズの層が、ビートにこれでもかと言わんばかりに馴染んでいる。組み合わされているサウンドのひとつひとつが、元々そのようなロービットな音像で、生まれ落ちたものであるかのように。しかしローファイをデザインするとき、ここまで馴染みのよい肌理を見つけ出すことのできる所以は? それこそが、JPEGという非可逆圧縮方式をその名に持つ彼の、天賦の才なのだろう。
 繰り返し、繰り返し、決して飽くことなくイメージをJPEG変換するように、サウンドの粒子は荒く膨張していく。この奇才の脳内に溢れ返るロービットの想像力に押しつぶされないよう、僕たちは、本作を噛みしだく、噛みしだく。

ここ5年ほど、アイスランドや北欧のフェスティバルに積極的に参加している、アイスランド・エアウェイブスhttps://icelandairwaves.is。2013年から数えて5回アイスランドや北欧のフェスティバルに参加し、バルセロナのプリマヴェーラhttps://www.primaverasound.es/には2回、ノルウェイのフェスには最近参加し始めた。

私がNYのインディ・オンライン・ストアの〈インサウンド〉insound.comで働いていた1999年頃、同僚がノルウェイのオスロで開催されるフェスティバル、Øya(オイヤ)https://oyafestivalen.noについて話していたのを覚えている。当時、創業したばかりのインサウンドとØyaは、同じようなアーティストを扱っていた。ノルウェイなんて遠い異国だと思っていたが、NYからは約7時間、時差も6時間で、時差ボケも酷くない。


会場への道

私は2017年に初めてオスロのØyaに参加し、2018年には同じくノルウェイのトロントヘイムで開催されるPstereo(ぺステレオ)https://pstereo.noに参加した。
Øyaは1999年にスタートし、ソニック・ユース、イギー・ポップ、アークティック・モンキーズ、ベックなど、ピッチフォーク系のバンドが出演することを売りにしている。一方、Pstereoは2007年にスタートし、クラフトワーク、モグワイ、ロイクソップ、スロウダイブなど、エレクトロニカ、ポップ、ロックなどのバンドが主に出演している。2019年のØyaのヘッドライナーは、キュア、ロビン、テーム・インパラ、ジェイムス・ブレイク。同じ年、ぺステレオには、ホイットニー、イェーセイアー、ブロック・パーティ、ビッグバンなどが出演した。



コンファレンス

コンファレンス会場


今年2019年は、オスロのBy:Larm(ビ・ラーム)https://bylarm.noに参加した。By:Larmでは音楽フェスと一緒にコンファレンスも行われ、SXSWの北欧版と言える。3日間(今年は2/28-3/2)講義、セミナー、ネットワーキングが昼間に行われ、夜は18の会場で、350ものコンサートが開かれる。By:Larmは北欧の音楽と海外の音楽の出会いの場である。

1998年に始まったBy:larmはスタート当初、バーゲン、トロントへイム、トロムソ、クリスチャンサンドなど毎年異なるノルウェイ内の都市で行われていたが、参加者が増え続けたために大きな会場やホテルが必要になり、2008年からはオスロを拠点としている。

今年のレクチャー内容は、「デジタルミュージックの世の中でアーティストが侵す10の間違い、それを避ける方法。」、「デジタル革新の世の中でアーティストとレーベルはどうやってインパクトを与えるか。」、「ストリーミングの技術は熟したが、収入が公平になるディストリビューション問題。ユーザー中心の世の中でどのように音楽経済を変えることが出来るか。」、「ブランドやスポンサーが古臭さや妥協なくどのように音楽業界に新しい内容を提供出来るか。アーティストは信頼性を損なわず収益を上げるため、スポンサーを利用できるか。」、「自分のバンドはホット。では次は。」、など興味あるトピックが続く。〈シークレットリー・カナディアン〉や〈モ・ワックス〉のA&Rの話や、マネージャー、エージェントからも直接話を訊けて音楽業界で働く人には気になる話題が満載である。



Girl in red

Kelly Moran

ショーケースされるバンドは北欧のバンドが殆どで、2日間で30ほどを駆け足で観た。ノルウェイのマック・デマルコと言われているBrenn.(ブレン)は、演奏は下手だし何がしたいのか分からなかったのだが、とにかく音を掻き鳴らしていて「やってやる!」という姿勢も伝わってきたし、期待のホープに思えた。青とピンクの色違いのジャンプスーツも可愛かった。〈ベラ・ユニオン〉のPom Poko(ポンポコ)は、柔道着風ツナギとバスケットボールのユニフォームというよくわからないアウトフィットだったが、元気一杯エナジー爆発で、ガール・イン・レッドと同じくオーディエンスにダイブしたり、ファンのサポートも熱かった。スウェーデンのMeidavale(メイダヴェール)は、ウォーペイントとワォー・オン・ドラッグスを足したようなサイケデリックな浮遊感が漂うバンドで、黄色のジャンプスーツが可愛かった。〈DFA〉からも作品をリリースするアバンギャルドアーティストの、Nils bech(ニルス・ベック)はストリングス隊をバックに歌い、同時に会場の外に3Dマッピングをしていて、現代的なアートのようなパフォーマンスを見せた。


Selma Judith

Maidavale

土曜日は、Torggata通りで行われるTorggatafestというフリーショーが3時から7時まで8つのお店や会場で行われ、50ほどのバンドがプレイした。さらにアン・オフィシャルパーティが近くで行われ、ビール、アップルサイダー、ビーツ・スープ(!)などが振る舞われた。

SXSWと同じで知り合いが出来ると数珠繋ぎにどんどん人を紹介され、見たいバンドを見逃すという事態に陥るが、ネットワーキングを目的に来る人が殆どである。アジア人は全く見なかったが、中国からのジャーナリスト、DJが来ていた。その他は北欧の違う都市から訪れていた音楽業界の人々だった。彼らはSXSWにも行くらしく、月に一回はNYに行くという人も居て、世界中を飛び回ってるのだなあと。オスロは、レイキャビックやコペンハーゲンと同じく、Wi-Fiや充電場所が何処にでもあり、水道水も飲めるが、アルコールは外では飲めない。日曜日にはフリーマーケットがあったり、少し散歩も出来る、小さいがとても便利なオスロを体験出来た。

大満喫した次の日NYに戻ろうとすると、フライトが悪天候のためキャンセルに。何故かロンドンに行く事になった。旅もフェスも予測出来ないという事で、初のロンドンを楽しむ事にする。


Yoko Sawai
3/4/2019

K Á R Y Y N - ele-king

 ラビットが出てきたとき、ビョークは彼の音楽を「いわば21世紀型のテクノね」などと呼んでいるが、そのビョークも認めた才能というわけで、〈ミュート〉が肝いりでデビューさせるこのカーリーンも「いわば21世紀型のテクノね」である。アルメニアとシリアをルーツに持ち、アメリカで生まれ育った彼女は、ロンサジェルスで活動をはじめ、やがてNYに移住し、ベルリンにも滞在しながらIDM系の作品を作っている──なんてたしかに21世紀っぽい。プロモ用の写真では、仏教と『スターウォーズ』に影響を受けた衣装を着ているらしい。インターネットのおかげで趣味が地球規模になってきているのだ。
 音楽的にみて、FKAツイッグスやホリー・ハーンドンあたりがカーリーンと似たもの同士ってことになるのだろうけれど、彼女のデビュー・アルバム『ザ・クアンタ・シリーズ』はビョークの『ヴェスパタイン』とも繫がっている。レイキャビックで公演されたオペラに出演中のカーリーンを見てビョークが賞賛したという話だが、そもそもカーリーンがビョークに似ている。その感情のこもった歌い方とエレクトロニクスの実験とのバランスにうえに成り立っているという意味において。
 
 1曲目の“EVER”にはポップのセンスも注がれている。この曲は多分にR&Bからの影響が出ているのだが、しかし、カーリーンの歌声は、ソウルというよりもコクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーに近い。いわゆるエーテル系、彼女のエレクトロニック・ミュージックにおいては彼女自身の声が音のパーツのひとつとして使われている。声はこの作品の聴き所なので、注意深く聴いて欲しい。彼女のちょっとしたアイデアが随所で楽しめる。
 カーリーンのメロディラインには、おそらくはアルメニア人である父親の影響が大きいと思われる。西欧でも東洋でもブラックでもない。独特の節回しがところどころで聴ける。まあこれはつまり、グローバル・ミュージックである。
 そして『ザ・クアンタ・シリーズ』にはメランコリーが充満している。シリア内戦の悲劇を歌っている曲もある。これはとても重たいテーマだ。ほかのいくつかの曲でも悲しみが歌われているし、最後の曲などはレクイエムと言ってもいいだろう。と同時に、これはちょっと面白かったのだが、彼女の歌詞にはコンピュータに関する単語がときおり出てくるし、サウンドのところどころからはある種機械へのフェティシムズムも感じなくもない。彼女が歌う「二進法で愛して」という言葉の意味はぼくにはよくわからないけれど、ひょっとしたら彼女は人間に絶望しているのかもしれない。それこそフィリップ・K・ディックの世界で、アンドロイドのほうがよほど人間らしいやという逆説である。しかしまあ、それと同時に、恋人への思いが綴られているわけで、恋物語のアルバムとしても聴ける。かなり風変わりな。

 それではいったいこのアルバムはいつ聴いたら良いんだろうかという問題がある。ぼくは真夜中に聴くことをオススメする。ちなみに彼女のもっとも素晴らしい瞬間は、2曲目の“YAJNA”という曲にある。これは最高に格好いいです。

中原昌也 - ele-king

 先週のDOMMUNEで宇川直宏、『前衛音楽入門』を刊行したばかりの松村正人とともに、目の覚めるようなトーク&ライヴを披露してくれた中原昌也。彼の作家デビュー20周年を記念し、最新の小説が河出書房新社より刊行される。……だけではない。さらになんと、さまざまなアーティストが中原の小説を“リミックス”したというトリビュート作品集までリリース! 朝吹真理子、OMSB、五所純子、柴崎友香、曽我部恵一、高橋源一郎、町田康、三宅唱、やくしまるえつこ、湯浅学と、そうそうたる顔ぶれである。発売は3月26日。詳細は下記を。

日本列島を震撼させた話題作、
『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』
から20年!!
中原昌也最新作、2冊同時リリース決定!

【最新小説】
『パートタイム・デスライフ』
職場から逃亡した男に次々と襲いかかる正体不明の暴力――。
圧倒的スピード感で押し寄せる悪夢の洪水に、終わりはあるのか?
中原昌也のマスターピース、ついに刊行!

巻末に「中原昌也の世界」を特別収録。青山真治、小山田圭吾、椹木野衣が異才20年の軌跡と奇蹟を描く。

【あらすじ】
MIT仕込みのノウハウによって完璧に管理された職場から逃亡したパートタイムで働く男に次々と襲いかかる正体不明の暴力。NHKのビデオテープ紛失事件、アウトドアショップでの定員の諍い、スクランブル交差点で遭遇したサポーターの狂乱と警官からの痛打……。この悪夢に終わりはあるのか!? 徹底的な絶望を生きる男の悲劇的な人生が怒涛の笑いと爽やかな感動を誘う、中原昌也の最新小説。

【仕様】
タイトル:中原昌也『パートタイム・デスライフ』
解説  :青山真治・小山田圭吾・椹木野衣(巻末別丁「中原昌也の世界」に掲載)
刊行予定:2019年3月26日(予定)
仕様  :168ページ/仮フランス装/定価本体2,200円
AD  :前田晃伸+馬渡亮剛
Art work:中原昌也

【トリビュート作品集】
『虐殺ソングブック remix』
remixed by 朝吹真理子、OMSB、五所純子、柴崎友香、曽我部恵一、高橋源一郎、町田康、三宅唱、やくしまるえつこ、湯浅学

前代未聞!!! 既存のテクストをコラージュし、文学を、世界を震撼させる作家・中原昌也。その破壊的作品群を、各界第一線の才能が大胆不敵にリミックス。いま、中原昌也の新たな衝撃が鳴り響く!

【目次】
Ⅰ remix edition
待望の短篇は忘却の彼方に(町田康 tabure remix)
独り言は、人間をより孤独にするだけだ(OMSB’s “路傍の結石” remix)
子猫が読む乱暴者日記×レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー(柴崎友香 Kittens remix)
天真爛漫な女性(曽我部恵一 “Tell her No” remix)
怪力の文芸編集者×誰も映っていない(朝吹真理子 remix)
『待望の短篇は忘却の彼方に』文庫版あとがき(三宅唱 “小日本” remix)
鳩嫌い(五所純子 tinnitus remix)
子猫が読む乱暴者日記(湯浅学 “博愛断食” mix)
『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(やくしまるえつこ “type_ナカハラ_BOT_Log” remix)
『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(高橋源一郎 “こんな日もある” remix)
Ⅱ Original version
待望の短篇は忘却の彼方に/独り言は、人間をより孤独にするだけだ/路傍の墓石/子猫が読む乱暴者日記/天真爛漫な女性/怪力の文芸編集者/誰も映っていない/『待望の短篇は忘却の彼方に』文庫版あとがき/鳩嫌い/『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(抄)

中原昌也と同じく文学と音楽を横断する町田康やドゥ・マゴ文学賞で『作業日誌』を支持した高橋源一郎を始め、柴崎友香や朝吹真理子など豪華な小説家が結集。音楽シーンからは「すべての若き動物たち HAIR STYLISTICS REMIX」の記憶も新しい曽我部恵一(サニーデイ・サービス)、SIMI LAB で活躍するラッパーOMSB(初小説)、そして相対性理論などを手がけ美術や文筆でも注目を集めるアーティスト・やくしまるえつこが参加。映画『きみの鳥は歌える』の監督・三宅唱(初小説)や文筆家・五所純子(初小説)ら新たな才能に、音楽仲間の湯浅学(音楽評論)も加わった。さらにカバーではコラージュアーティストとして活躍する河村康輔が中原のデビュー作『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』単行本カバーをリミックス。20周年を記念した豪華なグルーヴが響き渡る!!

【仕様】
タイトル:中原昌也ほか『虐殺ソングブック remix』
刊行予定:2019年3月26日(予定)
仕様  :288ページ/並製/定価本体2,400円
AD  :前田晃伸+馬渡亮剛
Art work:河村康輔 (Mari & Fifi's Massacre Songbook Re-ILL-mix)

柴田聡子 - ele-king

 いったいこの違和感はなんなんだ。羅針盤による“ロビンソン”のカヴァーを初めて聴いたのは高校生の頃だったと思う。既存のヒット・ソングをほかの誰かが歌ったときに不可避的に生じるような、たんなる印象上の齟齬ではない。もっと深いレヴェルでの違和、いうなれば恐怖体験にもつうじるもの──当時はその正体がなんなのかわからなかったし、それから20年近くが経過したいまでもけっして明確に分析できているわけではないけれど、遠近法をエクスキューズに振り返るならそれは、ポップ・ソングが歌唱法や音響上のアプローチの変更によっていかようにも異化されうるのだということにたいする、素朴な驚きだったんだろう。すでにトータスやザ・シー・アンド・ケイクには触れていたくせに、まだその勘所には気がついていなかったというわけだ。

 それとはやや位相の異なる話ではあるけれど、かつて ya-to-i のアルバムでゲスト・ヴォーカルを務め、山本精一をプロデューサーに迎えてアルバムを制作した経験もあるシンガーソングライター、柴田聡子の音楽もまた違和に溢れている。それはまず彼女の歌唱法にあらわれていて、その音量の大小のつけ方はちょっとほかに類を見ない独自性を有しているが、よりわかりやすいのは旋律のほうだろう。Jポップではメロディが次にどういう動きを見せるか予測できてしまうケースが多いけど、そんな聴き手の願望を彼女はいともたやすく裏切ってみせる。たとえば『愛の休日』の“あなたはあなた”。まるで THE BLUE HEARTS の“青空”をなぞるようにはじまったはずの主旋律は、しかしそこからは想像もつかない方向へと歩を進めていく。あるいは“思惑”。中盤で挿入される謎めいたパートは、曲全体を構成する典型的なコード進行を宙吊りにしようとしているとしか思えない。

 先日リリースされたばかりの通算5枚目となる新作『がんばれ!メロディー』において柴田は、これまで以上にキャッチーさを追求している。といっても彼女特有の違和が失われてしまっているわけではなくて、たとえば2曲目の“ラッキーカラー”は、コードじたいは王道の展開を見せるし、主題もいわゆる歌謡曲~Jポップのマナーに則っているものの、「なんでそこ行った?」と突っ込みたくなるような跳躍が随所に差し挟まれている。同じことは“結婚しました”や“東京メロンウィーク”についても言えるが、重要なのはそれらのギミックが、けっして奇をてらって施されたもののようには聞こえないという点だ。この違和感は彼女がいちリスナーとして、メインストリームなものとオルタナティヴなものとをとくに区別することなく平等に摂取してきたことの、きわめて自然なあらわれなのだと思う。あまりに自然な、不自然。
 柴田聡子のもうひとつの魅力はそしてもちろん、言葉にたいする音響的なアプローチだ。日本語を外国語のように響かせるその企みは、“好きってなんて言ったらいいの”や“悪魔のパーティー”(『柴田聡子』)、“大作戦”(『愛の休日』)といった曲に最良のかたちで実を結んでいたわけだけれど、それもたぶん彼女にとってはきわめて自然なスタイルなのだろう。今回の新作でも“アニマルフィーリング”の「ときどき」や「アン・ドゥ・トㇿワ」、“佐野岬”の「レジェンド」なんかは、こうやって文字を視覚的に認識しているだけでは想像もつかない、不思議な響きを伴って私たちの耳元へと降り注いでくる。

 とそんなふうに『がんばれ!メロディー』には、彼女のオリジナリティともいえる「自然な不自然」が相変わらずいっぱい詰め込まれているわけだけど、これまでとは異なっている部分もある。そのひとつは歌詞で、たとえば“ぼくめつ”や“サン・キュー”(『柴田聡子』)、“遊んで暮らして”(『愛の休日』)あたりで試みられていた、通俗的な価値観にたいする諷刺や皮肉(「オリンピックなんてなくなったらいいのに」「酒が飲みたきゃ墓場へ行けよ」「男やってたつもりないけど」)は影を潜め、比較的ストレートな言葉遣いが増えている(まあ“佐野岬”の「3万借りたら5万返す」なんかは、いわゆる奨学金の返済やリボ払いのようなローン地獄を想起させる点でアイロニカルではあるが)。
 サウンド面での変化も大きい。おそらくは前回の“後悔”が転機となったのだろう、弾き語りないしそれに準じたスタイルは減退し、そのぶんバンド・アンサンブルに磨きがかかっている。冒頭“結婚しました”における岡田拓郎のファンキーなギター・カッティング、かわいしのぶのベースとイトケンのドラムが織り成すじつに快活なグルーヴは、SSWとしての「柴田聡子」の成熟以上に「柴田聡子inFIRE」というバンドの結束力を伝えてくれる。

 中盤の“いい人”もおもしろい曲で、背後に忍ばされた佐藤秀徳のフリューゲルホルンは、柴田の発する言葉の響きを中和すると同時に、その「不自然さ」を増殖させる役を担ってもいるが、より強烈なのは“ワンコロメーター (ALBUM MIX)”だろう。ヴォーカルよりも国吉静治によるユーモラスなフルートのループ、柴田自身の手によるプログラミング~オムニコードのほうへと耳を誘導するこの曲のつくりは、前作の表題曲“愛の休日”のエレクトロニックな路線を発展させたものと言える(歌詞のうえでも「コロ」という共通項がある)。あるいは“セパタクローの奥義 (ALBUM MIX)”も異彩を放っていて、連呼される「セパタクロー」という言葉の音響性、ある時期のダーティ・プロジェクターズを思わせるコーラス、酩酊的な大正琴、ころころと耳をくすぐるSE、フルート、それらが渾然一体となってこちらへ押し寄せてくるさまは、Jポップ的なものとフォーク・ソング的なもの、その双方に喧嘩をふっかけているかのようだ。

 シンガーソングライターというポジションをしっかりとキープしつつ、歌謡曲やJポップの流儀にアレルギー反応を示すこともなく、他方で網守将平のエレクトロニカや《《》》のインプロヴィゼイションとも軽やかに接続していく柴田聡子は、かつて山本精一が開拓した尖鋭的な歌モノの系譜に連なる音楽家である──そう分類することも一応は可能だろう。けれども、しかし、彼女はもっとナチュラルだ。もっと自然な感じで、不自然だ。その違和感に勝る魅力なんて、そうそう多くありはしまい。

ビール・ストリートの恋人たち - ele-king

She's just like you and me (彼女はあなたや私と別に変わらない)
But she's homeless, she's homeless (だけど彼女はホームレス、彼女に家はない) ──クリスタル・ウォーターズ『ジプシー・ウーマン』1991

 #OscarsSoWhite(アカデミー賞は白人ばかり)というハッシュタグが出始めてから少なくとも3年は経っていますが、さてそれから今までの間に何があったか。と雑に思い出すとまず『ムーンライト』が2017年2月に米アカデミー賞で作品賞を獲って狼煙が上がり、『ドリーム(原題 “Hidden Figures”)』『ゲット・アウト』『ブラックパンサー』『クリードⅡ』『クレイジー・リッチ!(原題 “Crazy Rich Asians”)』などの「非白人がメイン」である映画がでかいヒットを飛ばしたのち、2019年2月のアカデミー賞はさてどうなったか。

 『ムーンライト』を監督したバリー・ジェンキンスの新作『ビール・ストリートの恋人たち』は今年のアカデミー賞ではレジーナ・キングが助演女優賞を受けたものの、ノミネートは他に作曲部門と脚色部門のみで、混戦と評された賞レースの中では実にひっそりとした佇まいだった。ジェイムズ・ボールドウィンが1974年に発表した同名小説を原作とした映画『ビール・ストリートの恋人たち』の主人公はニューヨーク、ハーレムに暮らす若い男女のカップル、ティッシュ(キキ・レイン)とファニー(ステファン・ジェームス、2016年制作の長編『栄光のランナー』(1936年、ベルリン、原題 “Race”)で主演)。2人はもともと幼馴染で、19歳のティッシュはデパートの香水売り場で店員として働き、22歳のファニーは独学で彫刻を制作している……言ってみればアーティスト志望のプー太郎。ティッシュの家族はファニーとの交際を受け入れているが、ファニーの(父親を除く)家族はそうではない。

 物語内の時間構成はやや変則的で、映画の中の「現在」におけるファニーは既に強姦罪の容疑で逮捕・収監されており、ガラス越しに面会にやってくるティッシュはファニーとの子供を妊娠している。ファニーの冤罪を晴らすべくティッシュと彼女の両親が文字通り駆けずり回るシーンと、2人が交際を始めた時期の情景が交互にスイッチバックするのだが、とりわけ印象的なのが逮捕前に2人で住むための物件がさっぱり見つからなかった諸々のエピソードである。若い黒人女性であるティッシュが一人で白人の家主に会いに行き、家が借りられそうになったところへファニー(黒人男性)が同居人です、と現れた途端にキャンセルされるとか、やっと黒人カップルでも貸すよ、と言ってくれたユダヤ人の青年に出会えたんだけど肝心の物件が住居というよりは廃工場だったり(ティッシュが「でも、一体ここにどうやって住むの?」と困惑するような物件である)で結局、何ひとつうまいこといかない。パートナーの片方が刑務所に入ってしまった「現在」から考えれば過去の家探しの詳細などどうでも良さそうなものではあるが、住む家が容易に見つからない、という現実が執拗に挿入される事により浮かび上がるのは、ある特定の属性を持った人を自由に移動させないことによって押さえつけている社会構造であり、白人の警官に目を付けられて適当な感じで立件されてしまうような行政であり、無罪を証明するために必要な作業を国が何も援助などしてくれない「70年代の黒人庶民が暮らすアメリカの日常」である。

 ファニーは快活で真っ直ぐな眼をしたハンサムな青年として描かれてはいるが、彼の彫刻作品が素晴らしいかどうか、についての評価は劇中でも曖昧にはぐらかされている。それは飛び抜けた才能を持った芸術家であるゆえの特別な受難、といったあざとい底上げを避けた結果でもあるだろうし、もっと言えばそれこそ何処にでも居そうな、ひょっとすると可能性を秘めているかもしれない若者がくだらない理由で簡単に叩き潰されてしまう社会への異議申し立てでもあるだろう。どこから文句を付けたらいいのか判らなくなるほどの理不尽がまかり通る日々を暮らさざるを得ない人々の重く、息継ぎなしのひとつながりの溜息であるかのような諦めを、『ビール・ストリートの恋人たち』は全ての事件が起こってしまった後のささやかな「ドラマ」だけを繊細に縫い合わせることによって描く。2年前、『ムーンライト』を観てその圧倒的な質感に打たれながらも、どこか現在との接続をおっかなびっくりでやっているような気配だったのが、『ビール・ストリートの恋人たち』では舞台を過去に設定することにより、バリー・ジェンキンスはこれ程までに豊穣な――スクリーン上では劇的なことなど大して起こりはしないのに――語りを引き出した。

 『ムーンライト』においてドラッグと暴力はだから何? くらいの日常として出てくる一方で、ゲイのセックスはきわめて観念的な、いわばお伽噺を構成する一要素のように扱われていた。米国のクィア黒人写真家、シキース・キャシー(Shikeith Cathey) の言葉を借りれば「ある意味、単純な映画である。(It was in some ways simple.)」

シキース・キャシーへのインタヴュー記事はこちら

 おそらくその図体がでかすぎるために鈍くて重くならざるを得ないアカデミー賞は『ムーンライト』には早々と作品賞を与えた。が同じ監督の、より軽やかで鋭敏な感覚に満ちた新作『ビール・ストリートの恋人たち』はノミネートすらされず、今年の作品賞は『ムーンライト』よりも単純な、「いろいろあるけど、実際に会ってみたらイイ奴だった(だからずっと友達だよな、俺ら)」てな感動作『グリーンブック』に与えられた。鈍くて野暮ったいものにもそれなりの役割はある。あるがしかし、『ビール・ストリートの恋人たち』の、ストリートを歩くティッシュとファニーの冒頭シーンに始まる、しびれるような映像の繊細さと、それに伴走するニコラス・ブリテル(『ムーンライト』に続きスコア担当)の淡い哀しみを帯びたサウンドトラックに静かに打ちのめされていた観客としては、「アカデミー賞、まだまだじゃね?」くらいの事は言いたくもなるのです。

                                   
『ビール・ストリートの恋人たち』日本版本予告

Holly Herndon - ele-king

 人工知能、ほんとうにブームである。書店へ行けば「シンギュラリティ」という言葉を掲げた本をよく見かけるし、私たちも紙エレ最新号で「なぜ音楽はいま人間以外をテーマにするのか?」という特集を組んだけれど、渡辺信一郎の新作アニメの世界で音楽を作っているのはAIということになっているようだし、今月末にリリースされるカーリーンのデビュー作もAIとのコラボだ。そしてホーリー・ハーンダンもその波に乗ると。なんでも、彼女がニュー・アルバムで共作している相手は「Spawn」という名のAIの“赤子”なんだとか。はてさて、いったいどんなアルバムに仕上がっているのやら。発売は5月10日。

HOLLY HERNDON

海外主要メディア大絶賛! エレクトロニック・ミュージックと知性の融合。
ホーリー・ハーンダン、人工知能と共作した挑戦的な最新アルバム『PROTO』を5月10日に発売へ。

エレクトロニック・ミュージックとアヴァンギャルドなポップ・ミュージックを追求し続け、常識を突き崩す作品を世に出してきたホーリー・ハーンダンが、英名門インディーレーベル〈4AD〉から最新アルバム『PROTO』を5月10日にリリースすると発表した。人工知能(AI)とのコラボレーションによって生み出されたという前代未聞の作品となっている。今回発表に合わせて、新曲“Eternal”が公開された。

Holly Herndon – Eternal
https://www.youtube.com/watch?v=r4sROgbaeOs

ホーリー・ハーンダンは、米南部テネシー州出身。幼い頃は合唱団などに参加していたものの、ダンス・ミュージックやテクノの中心地として知られるベルリンへの交換留学プログラムに参加したことを機にベルリンのクラブで演奏経験を積むなど、クラブ・ミュージックに傾倒していった。米国に帰国してからは、カリフォルニア州のミルズカレッジでエレクトロ・ミュージックとレコーディング・メディアの博士号を取得。また The Elizabeth Mills Crothers Prize の最優秀作曲賞を受賞している。2012年にデビュー・アルバム『Movement』をリリースし、2015年には〈4AD〉から 2nd アルバム『Platform』を発表。米音楽メディア Pitchfork で10点中8.5点を獲得するなど各メディアから賞賛された。現在は米名門スタンフォード大学の博士課程に在籍し、Max/MSP などのプログラムを使用してエクスペリメンタル・ミュージックの可能性をさらなる高みへと突き詰めている。

最新アルバムは、「Spawn」と名付けられたホーリー自身のAIの“赤ちゃん”とのコラボレーションの中で生まれた。しかし、決して今作がAIについてが主要のテーマとなっている訳ではないという。テクノロジーの進歩と音楽を結び付けたスタンフォード大に在籍するホーリーならではの知性あふれるアプローチが取られた傑作となっている。

今回公開された新曲“Eternal”は、人間の精神をコンピューターなどの人工物に転送するという“マインド・アップローディング”を通じて転送された“永遠の愛”にインスピレーションを得ている。同時に解禁されたMVは、人間の顔を分析し探しているというAIの視点から映像を加工して作られたという。

最新アルバム『PROTO』は、5月10日(金)にリリース決定! 国内仕様盤には、歌詞対訳、ライナーノーツが封入される。現在 iTunes Store でアルバムを予約すると、公開されている“Eternal”と先にリリースされた“Godmother”がいち早くダウンロードできる。

Holly Herndon & Jlin (feat. Spawn) - Godmother
https://www.youtube.com/watch?v=sc9OjL6Mjqo

「AIの未来を形作っている」 ──CNN
「野心的」 ──FADER
「ハミングしたり、口ごもったりしているそれには、生々しい、新生の性質があり、それはまるでジリジリと音を立てて女王蜂を探している蜂の群のようだ。」 ──NPR(“Godmother”について)
「人間のインプットを、非人間的なタイミングでアウトプットした、多層からなるグリッチなビートボックス」 ──NY Times(“Godmother”について)

label: BEAT RECORDS / 4AD
artist: Holly Herndon
title: Proto
release date: 2019/05/10 FRI ON SALE
国内仕様盤CD 歌詞対訳/解説書封入
4AD0140CDJP ¥2,000+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10174

TRACKLISTING
01. Birth
02. Alienation
03. Canaan (Live Training)
04. Eternal
05. Crawler
06. Extreme Love (with Lily Anna Haynes and Jenna Sutela)
07. Frontier
08. Fear, Uncertainty, Doubt
09. SWIM
10. Evening Shades (Live Training)
11. Bridge (with Martine Syms)
12. Godmother (with Jlin)
13. Last Gasp

Reeko Squeeze - ele-king

 2010年代のシカゴではギャング同士の抗争によってイラクよりも人が死んでいることから「シャイラク」という呼称が定着し、これをミュージカル仕立てでスパイク・リーが映画化したことは『ブラッククランズマン』でも触れた通り。僕がもっとも印象に残っているのは通行人を撃ち殺していたタクシーがその合間に客も乗せながら走り続けたという記事で、フロリダに移住する前のジェフ・ミルズが高速道路でも弾が飛んでくるようになったと言っていたのはかなり生々しいものがあった。こうした抗争のサウンドトラックをなしていたのがドリルと呼ばれるヒップ・ホップのサブジャンルで、これがイギリスに飛び火したものがUKドリルとされ、やはりギャングの抗争とワンセットになっている。イギリスは銃ではなく、主にナイフによる殺傷事件が後をたたず、坂本麻里子さんによればこの二週間で5人が刺し殺されたそう。UKドリルの代表格といえるJ・ハスも一時、警察に拘束されたと伝えられ、ドリルとギャングが完全に重なっているかどうかは定かでないものの、90年代のLAでウエストサイド・ヒップホップの背景にクリップスとブラッズの抗争が横たわっていたことを思い出すなという方が無理だろう。同じく坂本さんによると、UKドリルのミュージシャンがユーチューブにアップする動画が抗争を煽っている要因とされ、かなり多くの動画が削除された上に、今後は新たなヴィデオをアップする際は、警察に内容を見せてからでないとアップできないことになったという。当然のことながら、動画規制に対しては賛否両論があり、そもそもUKドリルに対する様々な規制にも反対の声はある。音楽という表現手段を奪うべきではないし、音楽というはけ口を失った時の方が怖いという判断でもある。

 削除対象となったUKドリルのヴィデオをまとめて観ていると、言葉がわからないので音楽だけに集中することになり、どれも似たり寄ったりで悲壮感に満ちたトラックばかりだなあと思う。サウンドはことさらに暴力的ではない。むしろ冷たい感じが全体を覆っていて、サウンドに煽られて暴力的な言葉を吐き散らすというものでもない。その方が凄みが引き立つのかもしれないけれど……。本サイトで米澤くんが紹介してきたストームジーオクタヴィアンもUKドリルにまとめられるMCだけれど(つーか、ジャンル分けがそんなにはっきりしているとも思えない)、音楽性はまったくといっていいほど異なり、そもそもシカゴのドリルと違って「UKドリル」である以上、グライムやUKガラージから受け継ぐものが多く、言葉以前に音楽で惹かれるところが決定的な差だといえる。好むと好まざるに関わらずワイリーやベースメント・ジャックスの流れで聞くことも可能だし、ここ数年はドリルをモノマネだけで終わらせず、どれだけドメスティックなものに消化できるかという試行錯誤が、いわば聞きものであった。そしてUKガラージからUKファンキーが分岐したり、もっと以前にはラヴァーズ・ロックからラヴァーズ・ヒップ・ホップ(=グラウンド・ビート)が新たな道筋をつけた時と同じことが、いま、アフロビーツを得ることで新たなUKサウンドを編み出しつつあるといえるだろう。大量のクズとひと握りのジェム。クリップスとブラッズの抗争が終わりを告げたところからオッド・フューチャーが出てきたということもあるだろうけれど、UKドリルはまだどうにでもなる状態のように思える(米澤くんの今後のリポートを注視いたしましょう)。

 サウス・ロンドンからリーコ・スクイーズも3枚目となるミックステープで、アフロビーツからゴム(クワイト)を加えたスタイルへと進路を変えた。ブリーピーでソリッドな作風を確立し、3~4年前に立て続けにMOBOアワードを受賞したセクション・ボーイズ(現スモーク・ボーイズ)を脱退し、チャッキー改めリーコ・スクイーズとして2015年に最初のミックステープ『Child’s Play』をリリースし、ほとんどの曲でシンプルなラガ・ベース(バッシュメント?)とひしゃげたハットだけというシンプルな構成にスタイルを刷新し、これはいいと思わせたものの(ヤング・テフロンをフィーチャーした「Lifes A Bitch」はまるでUKガラージ版リニゲイド・サウンドウェイヴ「Biting My Nails」)、続く『Str8 Authentic(ストレート・オーセンティック)』(2016)とファースト・アルバム『#LNS(ライフスタイル・アンド・ストラッグル)』(2017)ではタイトル通り、本物志向を打ち出したがためにやや古典的と感じられたり、トラップやUKドリルのステロタイプに引きずられた感が強く、ヴァリエーションとしての面白さはあるという程度だったものが、ようやく『Child’s Play』の方向性を踏襲してくれたのが『Child’s Play 2』となる。プロデューサー陣に大きな移動はないのでリーコ・スクイーズ自身の意志で作風は変えているのだろう。セクション・ボーイズとしてマイク・ウェル・メイド~イットやドレイクともコラボレーションをする機会があったので、彼なりにアメリカ進出を射程に入れた試行錯誤だったとは思う。しかし、真っ向からロンドンに意識を向けたことで、確実にオリジナリティのある一歩が拓けたことは確か。

Sharon Van Etten - ele-king

 たしか小さな場所が似合うひとだったはずだ。もう8年以上前だが、小さな部屋でアコースティック・ギターを演奏しながら歌っていた彼女の姿をよく覚えている。それから彼女は地道に良いソングライティングの作品を発表し、ザ・ナショナルボン・イヴェールらのフックアップを受けつつ、少しずつ知名度を上げていく。2014年の前作『アー・ウィ・ゼア』もまた、派手さはなくとも滋味深い良いアルバムだったが、その後彼女は大学に通ったり俳優に挑戦したり、それから母親にもなっていたという。久しぶりの新作にして5枚め、『リマインド・ミー・トゥモロー』はひとりのシンガーソングライターとして、もしくはひとりの女性としてのシャロンの転機に当たる作品となった。彼女の魅力である物憂げな声とメロディは変わらない、が、彼女はもはや小さな部屋にいることはない。
 それは単純にビッグになったという話ではなくて、年を重ねることや環境の変化で多面性を獲得したということなのだろう。本作は何よりもまずアレンジの変化で古くからのリスナーを驚かせる。プロデューサーにやり手のジョン・コングルトンを迎え、サポート・ミュージシャンの顔ぶれも一新。これまで軸にしていたインディ・ロックやインディ・フォークという枠組みに限定しない、レンジの広いポップ・アルバムとなった。音色としてはシンセが目立つようになっていて、そのせいかニューウェイヴ調のナンバーが耳につく。先行して発表された“Comeback Kid”は確実にそうだし、ダークでアトモスフェリックな音響で聞かせる“Memorial Day”などはまったくの新機軸だと言っていい。シンセの機材名がタイトルになった“Jupiter 4”ではアナログ・シンセの柔らかく抽象的な響きが彼女のアンニュイな声やメロディに絡みつく。これらの楽曲はこれまでのようにピアノやギターを主体としたシンガーソングライター然としたアレンジでも可能だったはずだから、明らかに意図的にサウンド・テクスチャーの変化を彼女が求めたことの表れだろう。昨年のミツキのアルバムが現行のポップ・サウンドを意識したものとなり、評価されたことと通じているかもしれない。ただシャロンの場合、それはシーンのトレンドを追うことが最たる動機だったのではなく、彼女自身の変化が求めたことのように見受けられる。
 アルバムではそこここにデヴィッド・ボウイの匂いが感じられるのだけど、それがピークに達するのがドラマティックな“Seventeen”だ。素っ気ない8ビートの上でシンセ・サウンドがじょじょにビルドアップし、彼女は10代の自分を思い出す――「わたしは自由だった、わたしは17歳だった」。ボウイを感じているせいなのか、どこかグレタ・ガーウィグの映画のムードを思い出す(『フランシス・ハ』、『レディ・バード』)。何者でもない少女が何者かになろうとして、目的地を持たないまま歩いたり走ったりすること。彼女はやがて、オクターヴを上げて絶唱する――「あなたが何になろうとしてるか知ってる」。かつての自分に向けて。間違いなく、アルバムでももっとも美しい瞬間のひとつだ。

 ジョン・コングルトンはセイント・ヴィンセントのやはり転機に立ち会ったプロデューサーとして知られているけれど、そのセイント・ヴィンセントもまたボウイの強い影響下にいるアーティストだ。いま、少なくない女性ミュージシャンがボウイからの影響を形にしているのは何か示唆的なことのように思う。エキセントリックであることを恐れないこと、自らに固定されつつあるイメージを自分から華麗に打ち破ってみせること。複雑なアイデンティティを持つ多様な女性の表現が注目されている昨今だけれど、『リマインド・ミー・トゥモロー』はひとりの人間のなかにこそ複雑な多層性があることを音の感触とエモーションの幅広さで証明する。
 底を這う低音とノイズが感情の爆発を導く“Hands”はその狂おしさ自体のパワーに圧倒されるナンバーだし、彼女が新たに得た家族について歌ったラストの“Stay”は穏やかさと幾らかの不安の間の感情が解決を見せないまま終わる。自らで自らをラベリングしなくても、ジャケットの散らかった部屋のように混沌とした感情表現がここにはあって、それが彼女の音楽にポジティヴな力を与えている。年を取るということは割り切れない感傷やしがらみを増やしていくことなのかもしれないけれど、そうやってわたしたちは新たな場所へ向かっていくのだと。

空間現代 - ele-king

 昨秋坂本龍一とのコラボLPが話題になった空間現代ですが、そのときから噂になっていたリリースがついに実現! 来る4月26日、〈Editions Mego〉傘下のレーベルで Sunn O))) のスティーヴン・オマリーの主宰する〈Ideologic Organ〉から、じつに7年ぶりとなる空間現代のオリジナル・アルバム、その名も『Palm』が発売されます。同バンドにとっては初の海外リリースです。録音とミックスは goat やテニスコーツなども手がける西川文章、マスタリング&カッティングはラシャド・ベッカー。現在、〈Editions Mego〉の SoundCloud にて新曲“Singou”が公開されています。出だしからもうかっこいい……。

 なお、空間現代はこの3月からアメリカ・ツアーも開催中で、アルヴィン・ルシエやアート・アンサンブル・オブ・シカゴも出演する《Big Ears Festival》への出演も決定しています。詳細は下記よりご確認を。

[Album Information]

空間現代(Kukangendai)
『Palm』

Format: LP / Digital
Label: Ideologic Organ / Editions Mego
Cat no: SOMA032
発売日: 2019年4月26日

1. Singou
2. Mure
3. Menomae
4. Hi-Vision
5. Sougei
6. Chigaukoto wo Kangaeyo

Recorded and mixed by Bunsho Nisikawa
Recorded at Soto, Kyoto JP
Mastered and cut by Rashad Becker at Dubplates & Mastering Berlin
Photographs by Mayumi Hosokura
Graphic design by Shun Ishizuka

https://editionsmego.com/release/SOMA032

[Tour Information]

March 10 Pioneer Works, Brooklyn // SECOND SUNDAYS 4-9PM // Kukangendai 7-8PM
https://pioneerworks.org/programs/second-sundays-march-2019/
https://www.facebook.com/events/413208172757505/

March 17 The Half Moon, Hudson
https://thehalfmoonhudson.com/

March 21 Big Ears Festival, Knoxville
https://bigearsfestival.org/

March 23 The Lab, San Francisco
https://www.thelab.org/projects/2019/3/23/kukangendai
https://www.facebook.com/events/584462182027642/

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