「K A R Y Y N」と一致するもの

Niagara - ele-king

 ポルトガルの〈プリンシペ〉というレーベルがクゥドロをリリースしはじめたとき、それは本当に斬新でモダンなダンス・ミュージックであった。正直、〈プリンシペ〉よりも10年前にクゥドロを先導していたDJアモリムやDKカドゥはまったく垢抜けず、ワールドワイドに知れ渡ることがなかったのも当たり前だと思えた(筆者は2008年にブラカ・ソム・システマのデビュー・アルバムで初めてクゥドロを知ることになった。だから、それ以前のものは遡って聴いただけ)。旧世代ではDJネルヴォソだけが〈プリンシペ〉にサルヴェージされ、作風もアップデートされたものになっている。〈プリンシペ〉はごく初期にフォトンズというポルトガルでは2006年からレコードをリリースしていた中堅のハウス系プロデューサーをレーベルに迎え入れていたので、クゥドロを土着サウンドとして温存するのではなく、ハウスというフォーマットの中で都会的な洗練を施そうという意志を持っていたことは明らかだったと思う。そして、DJニガ・フォックスやB.N.M、あるいはパリのニディア・ミナージュがそのラインで流れ出していったのである。しかし、その中にレーベル番号で言えば3番という早い時期のリリースにもかかわらず、なかなか意図不明なリリースが含まれていた。ナイアガラである。アルベルト・アルルーダ、アントニオ・アルルーダ、サラ・エッカーソンからなり、ノヴォ・ムンドの名義では普通にハウスもやっている3人組が2013年にリリースした事実上のデビュー・シングル「Ouro Oeste」はクゥドロとはまったくかけ離れ、ハウス・ミュージックとしてもどこかしっくりとこないものであった。僕はしばらくすればナイアガラは〈プリンシペ〉を離れ、同じポルトガルの〈エンチュファーダ〉辺りに移るだろうと思うほど〈プリンシペ〉の路線ではないと思っていたぐらいで、それが〈プリンシペ〉における3枚目のアーティスト・アルバムはDJニガ・フォックスでもなければCDMでもなく、まさかのナイアガラだったのである。そして案の定というか、これがやはりダンス・アルバムではなく、初めて9月に聴いてからすでに1ヶ月、いったいこれはなんだろうと思いながら何度も聴き返してしまうことになった。何度聴いても過去の引き出しのどこにも収まってくれない。もう一度、もう一度……

 ポップでもなければ、実験音楽でもない。最初はスフィアン・スティーヴンスやコス/メスがシリーズ化しているライブラリー・ミュージックを狙ったものかなと考えた。冒頭から変調させた声がミニマルというか、循環コードに絡みつき、アンビエント・ミュージックにしては賑やかな情景描写が展開される。このパターンが何曲か続き、ダンス・ミュージックでないことははっきりしてくる。いわゆるヒプノティックな効果は期待されているようで、メンタルに訴えかけようとはしているものの、トリップ・サウンドの要素はなく、特異な世界観に引きずり込まれることはない。なんというか、抽象的でとても醒めている。調べてみるとアルベルト・アルルーダは〈プリンシペ〉と出会う前にノイズやポスト・ロックのバンドで活動していた過去があり、それがどんな音楽だったのかということまではわからなかったものの、実験音楽やアヴァンギャルドにありがちな理性的で酩酊感のない音楽であろうとする感覚は残っているということなのだろう。ノイズやポスト・ロックにありがちな攻撃的要素をすべてスタティックなパーツに置き換えて全体像を組み立て直したという感じかもしれない。それでいてミュジーク・コンクレートに通じる面はまったくないのだから独創的としか言えない。何度も聴いているうちにどこにもなかった扉が開いて自分の中に新たな引き出しが生まれたような気になってきた。違和感が既視感にすり替わったというか。

 後半になると控えめながら、ほとんど曲でパーカッションがフィーチャーされる。催眠的であることに変わりはなく、ポップでも実験的でもないことは変わらないのに、どことなく理性的ではなくなり、知らず識らずのうちにトリップ・サウンドに紛れ込んでいるような体験になっている。“Damasco”“Siena”、そしてポルトガルなのになぜかイタリア全土を統一に導いた“Via Garibaldi”と続く流れは実に素晴らしく、“Matriz”であっさりとアルバムが閉じられてしまうと、え、ちょっと待ってよ、もう一度という気持ちになってしまう(出来の良くないハウスを追加したボーナス・トラックは興ざめ)。ここでやはり今年前半の白眉だったと言えるドゥ・レオンのミニ・アルバム『De Leon』を思い出すのが順当だろう。ナイアガラに比べてテクノのフォーマットにすんなりと順応しているドゥ・レオンは絶対に正体を明かさないユニットとして登場し、ガムランとカポエラにダブを取り入れたサウンドでテクノとワールド・ミュージックの垣根を完全に取り払ってしまった(“A3 Untitled”は確実にベーシック・チャンネルの先をいっている。1年以内に必ずマーク・エルネスタスがリミックスか何かで関わろうとするだろう)。2本のカセットに続いてリリースされたデビュー・アルバムは〈オネスト・ジョン〉傘下の〈マナ〉からリリースされ、その瞑想的なダンス・サウンドはナイアガラ『Apologia』で「それ以上、先に行ってはいけない」と釘を刺されていた領域にズンズンと突き進んでいく。この2枚を続けて聴くことは、結末を読むのが怖い昔話を読むような体験に似ているような気がする。

FUTURE TERROR 2018-2019 - ele-king

 今年も残すところあと7週間。いよいよ2018年の終わりが迫ってきました。ちらほらと年末年始のパーティ情報が出はじめていますが、なかでも強力なのがこちら。12月31日に代官山 Unit / Unice / Saloon にて開催される《FUTURE TERROR》のニューイヤー・パーティに、なんとドレクシアの元メンバー、DJスティングレイことシェラード・イングラムが出演します。これまでも世界じゅうの尖った才能たちを招いてきた同イベントですが、今回も気合いじゅうぶんです。さらに大阪からは Synth Sisters が参加、Wata Igarashi によるライヴや実験的なベース・ミュージックを追求する Lynne など、ほかにも見どころ満載。もちろんレジデントの DJ Nobu、Haruka、Kurusu も出演します。
 なお、スティングレイは大阪と札幌もまわることが決定しており、12月30日には Compufunk Records にて、年明け後の1月2日には Precious Hall にてプレイします。これは最高の年末年始が送れそうです。

FUTURE TERROR 2018-2019
早割チケット販売開始

DJ NOBU 主催のテクノ/ハウス・パーティー《FUTURE TERROR》のニューイヤー・バージョンが大晦日の晩、代官山 UNIT / Unice / Saloon にて開催決定。早割チケットを 11/12(月)18:00より販売開始。

今回《FUTURE TERROR》レジデントの DJ Nobu、Haruka、Kurusu に加え、デトロイトの至宝 DJ Stingray、大阪からサイケデリカル・ドローン・ユニット Synth Sisters、テクノ・ミュージックのティープサイドを探求し続ける Wata Igarashi の Live set、《FUTURE TERROR》初登場となるエクスペリメンタル・べース・ミュージック・アクト Lynne の出演が決定しています。

枚数/期間限定の大変お得な早割チケットを下記サイト上にて11/12(月)午後6時から販売します。
https://jp.residentadvisor.net/events/1182469
次回発表は12月初旬の予定です。どうぞご期待下さい。

FUTURE TERROR 2018-2019
日時: 2018.12.31 - 2019.01.01
会場: UNIT / Unice / Saloon (東京都渋谷区恵比寿西1-34-17 ZaHOUSE)
料金: Early Bird Ticket (早割) ¥2,500 (11月12日18 時よりRAイベント・ページにて販売/枚数・期間限定)

Line up:
DJ Stingray, DJ Nobu, Synth Sisters -Live-, Wata Igarashi -Live-,
Lynne, Haruka, Kurusu 他多数出演予定

more info coming soon...

Notice: You must over 20 with photo ID.
※ 20歳未満の方の入場はお断りします。
※ 全てのお客様のご入場時に写真付身分証明書の確認を行わせていただきます。

■補足情報
なお、DJ Stingray は年末年始にかけて東京・大阪・札幌の計3都市を回るツアーを行います。大阪と札幌の公演日程は下記の通りです。

2018.12.30
"MIDI_sai feat. DJ Stingray"
at Compufunk Records

大阪市中央区北浜東1-29 北浜ビル2号館 2F
TEL: 06-6314-6541
VENUE HP: https://www.compufunk.com
INFO: info@midisai.com

2019.01.02
"Method"
at Precious Hall

札幌市中央区南2条西3丁目13-2 パレードビルB2F
TEL: 011-200-0090
VENUE HP: https://www.precioushall.com

■DJ Stingray Biography


photo: George Nebieridze

DJ Stingray はテクノの世界で20年以上に渡り強力な存在感を保持してきた存在だ。デトロイトに育ち、同級生でありDJパートナーであった Kenny Dixon Jr. と Urban Tribe を1991年に結成し、今ではクラシックとなった“Covert Action”が〈Retroactive〉の『Equinox』コンピレーションに収録され、この街の豊かなテクノ・ソウルの歴史に名を残す。数年後にはロンドンの〈Mo' Wax〉からデビュー・アルバム『The Collapse of Modern Culture』を発表し、そこには同郷の Anthony 'Shake' Shakir、Moodymann、Carl Craig といった友人たちとのコラボレーションが多数含まれていた。彼の最も輝かしい功績は Drexciya のライヴ・メンバーとしての活躍かもしれない。Stingray は、Drexciya の James Stinson による命名である。マスクを被ってのパフォーマンスで世界中を巡ってデトロイトの精神をレプレゼントし続け、数十枚に及ぶリリースを続けてきた彼は、レーベル〈Micron Audio Detroit〉のオーナーとしての顔も持ち、世界中のフレッシュな才能を世に送り出している。

https://jp.residentadvisor.net/dj/djstingray
https://www.discogs.com/ja/artist/724414-DJ-Stingray-2


■DJ NOBU Biography


photo: Cedric Diradourian

DJ NOBU は一つのスタイルに踏みとどまらず、幅広い世界の音楽を引き出し、彼にしか作りえない唯一無二のサウンド・スペースを現出させる、卓越した実力を持つDJである。NOBU のDJを知る人にとって彼はちょっとしたカルト・フィギュア(熱狂的人気の対象)であり、その二十年余りに渡る経験は、厚い信頼を得ているパーティー《Future Terror》や、主宰レーベル〈Bitta〉、いくつかの音源やミックスのリリースとなって世に出ている。ここ数年にわたる活動の中で、ゆっくりと確実に、NOBU は日本のシーンの中心的存在から、フレキシブルでありなおかつ進化を続ける、世界で最も有望なセレクターというあらたなる評価を獲得するに至った。

https://octopus-agents.com/dj-nobu
https://jp.residentadvisor.net/dj/djnobu
https://www.facebook.com/pages/DJ-NOBU-OFFICIAL/236488399758952/
https://futureterror.net/

James Ferraro - ele-king

 3割、いや、4割くらいだろうか。現在OPNに寄せられている賛辞のうち、それくらいはジェイムス・フェラーロに譲ってしかるべきだろう。シンセの音色や展開、音声やノイズの処理法、挿入のタイミング、全体的なテクスチャーやレイヤリング――彼らふたりはサウンドのメソッドをかなりの部分で共有している。それは今年リリースされた作品にも顕著に表れ出ていて、フェラーロの新作「Four Pieces For Mirai」が鳴らすチェンバロや音声ノイズを耳にすれば、それらがほぼ同時期にリリースされたOPNの『Age Of』と共時的な関係を結んでいることがわかるだろう。
 そのようなサウンド面での共振以上に重要なのは、彼らがともにコンセプチュアルなアーティストであるという点だ。バラよりもパンが、想像的なものよりも具体的なものが優先されるこの時代にあって、彼らはフィクションというものが持つ力をどこまでも信じきっている。そんなふたりがじっさいに友人関係にあり、アイディアを交換しあっているというのはなんとも素敵な話ではないか(『Age Of』の「○○時代」という着想は、フェラーロとの読書会をつうじて獲得されたものである)。

 ロパティンの『Chuck Person's Eccojams Vol. 1』やラモーナ・ゼイヴィアの『フローラルの専門店』と同様、ヴェイパーウェイヴの重要作とみなされるフェラーロの『Far Side Virtual』(2011年)は、それまでのロウファイ路線から一気に舵を切った転機作で、彼に大きな名声をもたらしたアルバムだ。PCや携帯電話などの当世風環境音をレトロフューチャリスティックな佇まいで導入・再編した同作は、セカンド・ライフやグーグル、スターバックスのような記号と組み合わせられることによって、「ハイパーリアリティ」や「消費文化」といったタームで評されることになったわけだけれど、最近の『WIRE』のインタヴューにおいてフェラーロは、『Far Side Virtual』の射程がたんなる資本主義批判に留まるものではなかったことを振り返っている。いわく、文化はいかにして存続するのか、今日人びとはどのように関係を結びあっているのか、それはインターネットを介してである、うんぬん。ようするに同作は、今日の資本主義がヴァーチャルを拠りどころにしていることをこそメイン・テーマとしていたのであり、たしかにそれは先に掲げた術語たちと相つうずる側面を持っている。
 その後R&Bを都市の亡霊として利用した『NYC, Hell 3:00 AM』や、合成音声とモダン・クラシカルとの不和をそのまま共存させた『Human Story 3』など、いくつかの重要なアルバムを送り出したフェラーロは、新作「Four Pieces For Mirai」でふたたび『Far Side Virtual』の見立てへと立ちもどり、当時のアイディアをより深く突き詰めている。

 最初に気になるのはやはりタイトルの「ミライ」だろう。これは差し当たり一般的な意味での「未来」ではなくて、2年前に世間を騒がせたマルウェアの「Mirai」を指している。世界じゅうの大量のデヴァイスに侵入し、それら端末をのっとることによって同時多発的に特定のターゲットへと膨大なリクエストを送信、対象のサーヴァーをダウンさせるというその手法は、なるほどたしかに今日のオンライン化した資本主義にたいする勇猛な挑戦であり、電子的なレジスタンスといえなくもない。フェラーロはミライを肯定的に捉えている。トレイラー映像でも触れられているように、ミライはわれわれをヴァーチャルへの隷属状態から解放すべく生み出されたものなのである。

 いまやオンライン上の人びとの自我はその領分を逸脱し、フィジカルな世界で具現化を試みている。そもそもデジタルな自己とフィジカルな自己とが一致する必要なんてなかったはずなのに、今日ではオンライン上での振る舞いが現実のそれへとフィードバックされるようになってきている――『WIRE』においてフェラーロはそのような診断を下しているが、たしかに昨今オンラインとオフラインとでまったくちがう自分を演じ分けることが徐々に難しくなってきているというのは、体感的にも賛同できるところだろう。ようするにフェラーロは、ヴァーチャルによって実生活が侵食されつつあると考えているわけだ。その閉塞を打破するのがミライである。「人間はインターネットの支配下にあるけれど、このヴィールスは人間を解放するものなんだ。悪魔が人間を自然の状態へと戻すものであるようにね」とフェラーロは同じインタヴューで語っている。「Four Pieces For Mirai」は、そのようなミライによる解放のプロセスを描いたもので、今後続いていくシリーズの序章に位置づけられている。

 ここでフェラーロが「自然」という言葉を持ち出しているのは重要だろう。なぜなら「Four Pieces For Mirai」からはじまるこの新たなシリーズは、ほかならぬ「文明の衰退」をテーマとしているからだ。それは「人新世」なる語によって人間が相対化される昨今の風潮ともリンクしているし、あるいは「自然」を「文明」に対抗するものとして捉え返した『文明の恐怖に直面したら読む本』と問題意識を共有しているともいえる。しかもフェラーロは、ものごとを刷新するには既存のそれを燃やし尽くす必要があるという考えを表明してもいて、それはアンドリュー・カルプにもつうじる発想だ。既存の体制を維持しながら部分を改良するのではだめなのであって、一度すべてを破壊しつくさなければならない。ミライはそのための「人工的な火災」なのである。
 さらにいえば、フェラーロが着目したマルウェア「Mirai」の生みの親が、「アンナ先輩」と名乗っていたことも示唆的だ。『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』において、体制のもたらす法を無条件に信じこみ、それに従わない者たちを取り締まる立場にあった彼女が、遵守すべき法と自身の欲望とのあいだで折り合いをつけるために、既存の道徳を独自に読み替え、主人公の属するテロ組織以上に過激に立ちまわる人物であったことを思い出そう。彼女は体制を妄信するがゆえにこそ、その法を極度に徹底することによって法それ自体の瓦解を誘発しているのである。だから、「彼女」によって開発された「Mirai」=ミライは、われわれにそのような創造的な誤読=思考の変更を強制的かつ同時多発的に実行させるヴィールスなのだと考えることもできる。

 かつて『Far Side Virtual』が「ハイパーリアリティ」や「消費文化」といったタームで語られてしまったことにたいして、フェラーロはじつはひそかに不満を抱いていたのではないだろうか。というのも、それらの語は68年を契機に力を持ちはじめた概念であり、またそれらの語を用いた人物は80年代に人気を博した思想家だったからだ。『Far Side Virtual』がリリースされた時点ですでに「ポストモダン」という言葉はレトロな響きを携えていたし、何よりヴェイパーウェイヴという運動それ自体にそのような過去の相対化が含まれていたのだから、遠景へと退けたはずのものと親しい概念によって自作が評されてしまうことに、フェラーロは既存の体制の堅牢さを感じとったのではないだろうか。だからこそ彼は今回、ミライという破壊的なコンセプトを考え出したのではないか。

 冒頭の“Fossils”や“Green Hill Cross”、“Butterfly”などで顔を覗かせるチェンバロ、“Green Hill Cross”や“Mirai”や“Gulf Gutters”などで差し挟まれる不気味な音声ノイズ、“Butterfly”や“Mirai”や“Remnant”などで展開されるバロック的だったり東洋的だったりする音階に耳を傾けていると、ロパティンとフェラーロはあらかじめ共謀していたのではないかという気がしてくる(とくに最後の“Gulf Gutters”)。『Age Of』と「Four Pieces For Mirai」は奇妙なまでに対照的で、相互補完的だ。前者がポップとアヴァンギャルドのあいだで引き裂かれているのにたいし、後者はそれと近しいサウンドを用いながらも前者が回避したアンビエントとしての完成度を追求している。あるいは前者が人間と非人間とのあいだで揺れ動くロパティンのためらいそのものをエモーショナルに表現しているのだとしたら、後者は絶滅の危機にある人間(“Remnant”)を救うために非人間が破壊を遂行していく様を淡々と描いていく。コンセプトに重きを置いた作品が目立つ2018年にあってこのふたつの作品は突出している感があるけれど、ラディカルさにかんしていえば、アノーニに引っ張られて躊躇しているロパティンよりも、肯定的に破壊を描き切ったフェラーロのほうが一枚上手なのではないだろうか。

 尋常ではない数の名義を使い分け、尋常ではないペースで作品を発表し続けるジェイムス・フェラーロ。彼によって送り出される無数のピースたちそれ自体がきっと、ミライのようなヴィールスなのだろう。彼の音楽を聴いた世界じゅうのリスナーたちはいつの間にかその毒に感染し、気づかぬうちに思考を変えられてしまっている――フェラーロが想定するミライとは、そのような未来のことなのかもしれない。

Oneohtrix Point Never × Ryuichi Sakamoto - ele-king

 抗鬱剤。レクサプロはその商標のひとつである。一般名はエスシタロプラムという薬で、デンマークのルンドベック社によって開発され、日本では2011年に承認された、といった背景は各自で調べていただくとして、OPNまでもが無視することができなくなっているということは、ほんとうにいま鬱が大問題なのである。それは自己責任が大好きなこの国の多くの方がたの思惑とは裏腹にまったくもって個人の問題ではなくて、たとえばヒップホップのアーティストが多用する抗不安薬(紙エレ22号101頁)やパーラメントの新作が描き出す「医療詐欺」、あるいはマーク・フィッシャーの資本主義批判とも通底する、きわめて社会的なテーマだ。『Age Of』でさまざまな「○○時代」を想定することで逆説的に現代のリアリティを切りとろうとしたロパティンが、それを補完する新たなEP「Love In The Time Of Lexapro」で「抗鬱剤時代の愛」について考えをめぐらせるのはなにゆえか。それはどういうコンセプトに基づいているのか。サウンド面にかんして重要なのは、坂本龍一が参加している点だろう。『ASYNC - REMODELS』ではOPNが坂本の曲をリミックスしていたけれど今回はその逆で、『Age Of』の最後のトラックを坂本がリミックスしている。コンセプチュアルな作品が目立つ2018年の代表格OPNと、近年海の向こうにおいてどんどん存在感を増している坂本、彼らの接触はいったいどのような音のミラクルを発生させているのか。まあなんにせよ、ふたりとも今年最後までわたしたちをひきつけて離さないつもりのようである。

[11月21日追記]
 本日、坂本龍一がリミックスを手がけたOPNの最新音源“Last Known Image Of A Song (Ryuichi Sakamoto Rework)”が公開されました。下記リンクから試聴可能です。

https://opn.lnk.to/Lexapro-Sakamoto

坂本龍一が手がけたリミックス収録で話題のワンオートリックス・ポイント・ネヴァー最新作『LOVE IN THE TIME OF LEXAPRO』ボーナス・トラックを追加収録した超限定CDのアートワークが解禁!
来日公演で完売となったOPNロングスリーヴTシャツも再販決定!
本日より予約受付開始!

アルバム『Age Of』をリリースし、単独来日公演を大成功させたばかりのワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)が、その勢いの余波を止める間もなく最新作『Love In The Time Of Lexapro』を12月7日にリリース。
坂本龍一が手がけたリミックス曲やアレックス・Gとの弾き語り(!)さらに名盤『R Plus Seven』期を彷彿とさせる新曲にして名曲も収録した至高のEP作品に、さらに2曲のボーナス・トラックを追加し、数量限定で日本オリジナルCD化! また印象的だった『Age Of』のレイヤード・パッケージともリンクするユニークなオリジナル・デザインが特別感のある仕様となっている。

今作のリリースを記念して、9月の来日公演で完売となった『Age Of』ロングスリーヴTシャツのオンライン販売が決定! 受注生産になるため、この機会をお見逃しなく! BEATINK.COMにて、本日から12月7日(日)まで予約受付。12月7日(日)より発送開始。

"Age Of" Long Sleeve Tee - Black
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SIZE: S / M / L / XL
PRICE: ¥5,800+税 *送料無料

先行解禁曲「Love In The Time Of Lexapro」
Apple Music: https://apple.co/2D5nsYK
Spotify: https://spoti.fi/2yxP4lq

『Age Of』は、様々なレイヤーで大きな注目と評価を集めたアルバムだった。アノーニをはじめとしたゲスト・ヴォーカルを招き、ミックスにジェイムス・ブレイクを迎えた点。これまでの作品に比べて明らかにポップを志向しながら、さらに実験を推し進めている点。現代社会のあり様を鋭く批評するようなジム・ショウによるアートワークや、ロシアの哲学者ミハイル・バフチンや加速主義を提唱した思想家ニック・ランドを参照したことも話題となった。サウンドとしてもコンセプトとしても、ダニエル・ロパティンが現在、エレクトロニック・ミュージックに限らない音楽シーンの突端に存在することを改めて証明する作品だったと言える。

『Love In The Time Of Lexapro』は『Age Of』時代のOPNの続編と言えるEP作品である。アルバム後のライヴで披露されている未発表音源「Love in the Time of Lexapro」を表題曲として、『Age Of』収録曲のリミックスや別ヴァージョン、未発表曲を収めている。国内盤CDには、先日デジタル・リリースされたEP『The Station』と12インチEP『We’ll Take It』に収録された「Monody」と「Blow by Blow」をボーナス・トラックとして収録。ほとんどのトラックでジェイムス・ブレイクが共同ミックスを担当していることからも、『Age Of』との繋がりの強さが窺える。

レクサプロは有名な抗うつ剤の名称である。「抗うつ薬時代の愛」とでも訳せばいいだろうか、「Love in the Time of Lexapro」はその名の通りメランコリックで陶酔的、そして美しいメロディがゆっくりと広がってくるトラックだ。この静謐な空気感はOPNの出世作にして〈Warp〉からのデビュー・アルバムとなった『R Plus Seven』を思わせる。本EPを貫くのは、たとえば『Garden Of Delete』や映画『Good Time』に存在した烈しさや荒々しさではなく、張り詰めた美である。

坂本龍一が手がけた「Last Known Image of A Song」のリミックスもまた、そうしたトーンを強調する。細やかな電子音や鍵盤打楽器のような金属音を配したアンビエント色の強いエレクトロニカで、オリジナルにも勝るとも劣らない、本作のハイライトとも言えるトラックだ。OPNは坂本龍一のリミックス・アルバム『ASYNC - REMODELS』に参加していたが、音楽家としてお互いリスペクトし合っていることは度々語られている。だからこのトラックはたんなる企画を超えた、同時代を生きる先鋭的なミュージシャン同士の交流の結実だと言えるだろう。「Monody」のシンセ・サウンドにはどこかYMOを思わせるところがあるが、その影響を勘ぐるのはさほど的外れではないだろう。EPはエレクトロニックな質感から打って変わって「Babylon」のアコースティック・ヴァージョンで幕を閉じるが、アレックスGがヴォーカルをとるこのナンバーもまた、OPNの音楽の叙情的な側面を強調している。

『Love In The Time Of Lexapro』は、鋭利な批評性と同時代性、ポップと前衛のせめぎ合いを兼ね備えたアルバム『Age Of』のもうひとつの側面――OPNの音楽のほのかな輝きを結晶化したような作品である。


label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Love In The Time Of Lexapro

release date:
2018.12.07 FRI ON SALE

国内盤CD BRE-58 定価:¥1,800+税

[ご予約はこちら]
BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9928

TRACKLISTING
1. Love In The Time Of Lexapro
2. Last Known Image Of A Song - Ryuichi Sakamoto Rework
3. Thank God I'm A Country Girl
4. Monody (Bonus Track)
5. Blow by Blow (Bonus Track)
6. Babylon - Alex G & OPN

label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Age Of

release date:
NOW ON SALE

国内盤CD BRC-570 定価:¥2,200+税
国内盤CD+Tシャツ BRC-570T 定価:¥5,500+税

[ご購入はこちら]
beatink: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9576
amazon: https://amzn.asia/6pMQsTW
tower records: https://tower.jp/item/4714438

iTunes : https://apple.co/2vWSkbh
Apple Music :https://apple.co/2KgvnCD

Lori Scacco - ele-king

 ロリ・スカッコの音楽を聴くと、いつも「波紋」のようなサウンドだと感じる。水滴と波紋。その水面での折り重なり。いわば「丸と円」のレイヤーのような音楽。もしくは「輪」のような音のアンサンブル。それはカタチや現象の問題だけではなくて、どこか人と人との関係性、つまり「縁」を表しているのではないか。
 じっさい2004年にスコット・ヘレン(プレフューズ73)が運営し、あのサヴァス・アンド・サヴァラスのアルバムなどもリリースしていたレーベル〈Eastern Developments〉から発表された彼女のソロ・ファースト・アルバムも『Circles』というアルバム名だった。このアルバムを制作する前、ロリ・スカッコはバンド、シーリー(Seely)の解散を経験していたわけだし、それなりに人間関係の大きな変化の只中にいたのだろう。
 ちなみにシーリーは、1996年にトータスのジョン・マッケンタイア・プロデュースのファースト・アルバム『Julie Only』を〈Too Pure〉からリリースしたバンドである。シューゲイザーからステレオラブまでのエッセンスを持ちながらミニマル/ドリーミーなポップを展開し、熱心なリスナーも多かったと記憶している。ロリはこのシーリーのピアニスト/ギタリストだった。シーリーは2000年にアルバム『Winter Birds』をスコット・ヘレンとの共同プロデュースでリリースし、そして解散してしまったが、その解散から4年の月日をかけて彼女はソロ・アルバム『Circles』をリリースしたわけだ。
 そしてその音楽性はバンド時代から大きく変わった。ギターやピアノ、弦楽器などにエレクトロニクスが控えめにレイヤーされた「アコースティック・エレクトロニカ」とでも形容したい作品に仕上がっていたのだ。日曜の朝とか晴れた日の夕暮れ時を思わせる穏やかで美しいクラシカルなアルバムである。永遠に耳を澄ましていたいような心地良さがあった。もちろん聴き込んでいくと、音と音の重なりは和声感も含めて、実に繊細に織り上げられていることに気が付く。まさに「サークル」の名に相応しい作品である。このアルバムは熱心な聴き手に深く愛され、リリースから10年後に日本盤CDが〈PLANCHA〉からリイシューされ、新しいリスナーからも歓迎された。
 『Circles』リリース以降のロリ・スカッコは、ダンス、映画、ビデオ・アートの音楽制作を行いつつ、サヴァス・アンド・サヴァラスのメンバーのスペインのアーティスト Eva Puyuelo Muns とのストームス(Storms)としても活動し、2010年にはアルバム『Lay Your Sea Coat Aside』をリリースした。そして2014年にはデジタル・リリースのソロ・シングル「Colores (Para Lole Pt.2)」を発表。加えて先にも書いたように〈PLANCHA〉から『Circles』がリイシューされた(ボーナス・トラックを追加収録)。

 新作『Desire Loop』は、14年ぶりのセカンド・ソロ・アルバムである。リリースは、ニューヨーク・ブルックリンを拠点とするアンビエント・レーベル〈Mysteries Of The Deep〉から。〈Mysteries Of The Deep〉は、ニューヨーク・ブルックリンのエクスペリメンタル・バンド、バーズ・オブ・プリティのメンバー、グラント・アーロンによって運営されており、Certain Creatures、William Selman などの作品をリリースしている。
 本作も生楽器主体の『Circles』から一転し、シンセサイザーをメインに据えたアンビエント/トライバルな電子音楽に仕上がっていた。この変化には一聴して驚いてしまったが、しかし何度も聴き込んでいくと、どんどん耳に馴染んでくる。『Circles』と同じように波紋のような音がレイヤーされていく構造になっているからか、聴くほどに耳と身体に浸透するような音楽なのだ。音と音が泡のように生成しては変化し、持続やリズムをカタチづくっていく。あの見事なコンポジションは、形式を変えても健在であった。いや、深化というべきかもしれない。
 シンセ中心のサウンドのムードは、どこか現行のアンビエントやニューエイジ・シーンともリンクできる音楽性だが、浮遊感に満ちた和声感覚と音のレイヤー感覚などから、やはりロリ・スカッコという「作曲家」の個性が強く出ている電子音楽にも思えた。

 とはいえ、あざとい作為は感じられない。ごく自然にミニマルな音とミニマルな音が重なり、そこにコードやリズムが必然性を持って生まれていた。1曲め“Coloring Book”には、本作の特徴が良く出ている。やや硬めの電子音の持続から音が分岐するようにいくつかのループが生まれ、やがて糸がほぐれるように変化したかと思えば、それらはループを形成し、トライバルなビートが鳴り始めもする。持続と反復。その中断と非連続性の美しさ。まるで確かに水の波紋のように、一種の自然現象のように、電子音たちが踊っている。続く2曲め“Strange Cities”はニューエイジなムードのシーケンスから幕を開け、それらが電子音の層へと溶けるように変化を遂げていく。この最初の2曲に象徴的なのだが、ロリ・スカッコの作曲は音の反復を持続の中に「溶かす」。電子音という生成変化が可能な音響だからこそ実現する反復と非反復の融解とでもいうべきか。
 アルバム中、重要な曲は5曲め“Back To Electric”ではないか。トライバルなリズムが鳴らされていくのだが、もう1階層、別のリズム/ビートがレイヤーされており、そこに規則的な電子音と民族音楽がグリッチしたような旋律が鳴る。聴いていくと時空間が「ゆがんで」いくようなサイケデリック感覚を味わうことができた。続く6曲め“Tiger Song”は細やかなノイズと、どこか日本的な旋律に反復的なビートが重なる印象的な曲だ。7曲め“Red Then Blue”もノイズのレイヤーからミニマルな反復が生成し、ゆるやかに聴き手の知覚を変化させるような見事なトラックである。アルバム・ラストの8曲め“Other Flowers”では、それまでサイケデリックに歪む時空間が、次第に知覚の中で整えられていく。まさに「花」のような端正な電子音楽である。

 こうして14年ぶりとなるロリ・スカッコの新作アルバムを聴いてみると、やはりこの歳月は必要だったのだと痛感する。反復と非反復の往復。知覚の遠近法を変えてしまう音のゆがみ。それらを曲として成立させること。作曲と即興のあいだにある音と音の自然な生成の追求。そのための時間。何より音楽それじたいが聴き手に対しても長い時間をかけて浸透するような時を内包しているのだ。それは自分の音楽を作り続けた人だからこそ獲得することができる「時の流れ」の結晶ではないか。そんな感覚を『Desire Loop』の隅々から聴き取ることができた。

 かつてはアトランタで建築を学ぶ学生であった彼女だが現在はニューヨーク在住という。いまのアメリカの政治や社会状況には憤りを感じているというが、音楽にそのような感情は直接には反映されていないように思えた。しかし、彼女の音楽に耳を澄ましていると見えてくるのは、脆さや弱さ、そして美や強さに向かい合いつつ、極めて誠実に音楽=世界と向かい合っている音楽家/作曲家の姿だ。この酷い世界を音楽によって肯定すること。音と人の関係性を、その弱さを脆さと共に感じ取ること。そんな意志が音の粒子に舞っているのだ。

 本作は繰り返し聴取することで、どんどんその魅力が増してくるようなアルバムだ。ぜひとも「電子音楽家としてのロリ・スカッコ」が鳴らす音の波に耽溺してほしい。世界の事象が溶け合っていくような見事な作品である。


Kojo Funds - ele-king

 UKガラージ、グライムからアフロビーツまで、現在のUKの音楽のいくつかは「垂直のゲットー」とも呼ばれるロンドン郊外の団地から生まれてきた。グライムが生まれた2000年代初頭、MCはそれぞれの郵便番号でエリアをレペゼンした。郵便番号が表す1区画が彼らが守っていたエリアであり、またそれぞれクルーの境界でもあったという。一方で、同時期の投資と民間主導の都市再開発はオリンピックを契機にさらに加速していった。“公共”住宅が“高級”住宅へと建て替えられ、もともと住んでいた家族はより不便なエリアに追い立てられたり、予算が切り詰められたことでユースセンターが閉鎖されたりしているという。例えば、Dizzee Rascal や Wiley がしのぎを削った Deja Vu FM がもともとあった団地も、いまや警備員の配備された高級住宅地であるという。

 こうした背景から楽しみを失い、行き場を失ったロンドンの若者のギャング化が問題となっている。ナイフによる殺傷事件の増加はギャング・カルチャーと結びつけられ、ひいてはギャングスタ・ラップやグライムが槍玉に上げられることもある(*)。

 音楽の中で彼らがレペゼンしているのは、郵便番号ではなく、仲間やグループ、そして彼らが住む団地一棟である(**)。彼らは団地やアパートメント周辺で撮ったMVをYouTubeで公開し、自らのエリアを誇示する。「ハイパーローカル」と形容されるような極度の地元傾向、そしてその「ギャング」傾向は、ギャングスタ・ラップの競争的で暴力的な一面ではある。一方で、ストリートのハスラーとして名を馳せてきたロンドンのラッパーのスタイルは、若者から羨望の眼差しを受けている。ギャング・カルチャーの槍玉に音楽が上がることの是非もあるが、彼らの音楽が絶大な影響力を持っているということでもある。

 そんなUKラップのニューカマーとして注目を集めているうちのひとりが、Kojo Funds である。2016年に Kojo Funds がロンドンのMC、Abra Cadabra とのコラボ曲“Dun Talkin”をヒットさせ、「ラップする」のではなくパトワ交じりのスタイルで「歌い上げる」スタイルのパイオニアとなった。そして翌年には Mabel のラヴ・ソング “Finders Keepers”での客演で、YouTube再生回数3000万回の大ヒットを記録した。そして、遂に彼のデビュー・アルバム『Golden Boy』がリリースされた。

 アルバムはハードなギャングスタ・ラップをベースに、時折ソフトな曲やラヴ・ソングがくるような展開になっている。出だしは“Golden Boy”。自分を大きく見せようとする「ギャングスタ」の嘘について歌った“0%”、そして彼のヒット曲“Warning”へ流れる。彼の歌い方からは、肩に力が入ったような「怒り」ではなく、むしろ勝者としての余裕が感じられる。

フィールドに出ても、何も言わない
充電器みたいにプラグする
まるで Kolo と Yoyo
警察が俺の仲間を追ってる
やつらは言う、Kojo は悪魔だ
続編は見たくないって
俺の Nigga はディーゼルみたく Furious
“Warning”

 続いての“Million”から2曲は、昨年の“Finders Keeper”で見せたソフトで粋な一面が表れる。Raye を迎え、アコースティック・ギターが印象的な“Check”では、ラヴ・ソング・デュエットを披露している。落ち着きながらも、Kojo Funds のメロディックな暗喩の才能が開花する“Stallin'”。そして、Bugzy Malone を迎えたガラージ・チューン“Who am I?”はこのアルバムのハイライトだ。

俺のビジネスは失速しない
ひとつは足元のなかには
駅では会話するな
ひとつはドレッドの中に



失速しない、大金を手に入れた Nigga
太陽が昇るまでストリートで金をゲットする
Yeh Kojo Funds、俺が支配者
俺の兄弟が重りを測る
それでやつらがカットするんだ
“Stallin'”

 後半はポップスへトライした“High Grade”や、Giggs を迎えた“PNG”、エモーショナルな歌を披露する“Thug Ambition”など、幅広い音楽性へと拓けていく。そして、最大のヒット曲“Dun Talkin”でアルバムは締めくくられる。

 アルバムを通して彼自身のアフロ・カリブ、そしてギャングスタ・ラップのルーツを存分に発揮している。そして、ダンスホール、レゲエ、ガラージやトランス、ポップスまでミックスし「アフロビーツ」を開拓し続けている。

(*) Resident Advisor ニュース「「ドリルやグライムよりナイフ犯罪が問題」ロンドンの音楽コミュニティが議会に訴える」 https://jp.residentadvisor.net/news/41626
(**) Dan Hancox による著『Inner City Pressure』から。

interview with Gilles Peterson - ele-king


Maisha
There Is A Place

Brownswood

Spritual Jazz

ジェイク・ロングを中心としたセクステットで、人気サックス奏者のヌビア・ガルシアもメンバーとして参加している。ファラオ・サンダース直系のスピリチュアル・ジャズの現代解釈。

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 UKジャズは、ジャズとはこうあらねばならないという固定観念から自由だ。UKジャズは、50年前はロックと結合し、40年前はパンクに共鳴し、30年前はカリブ海のリズムを導入するいっぽうで、ヒップホップとDJカルチャーにジャズを見いだし、90年代なかばにはテクノとジャングルをジャズの延長で解釈した。そして21世紀も20年近くを経た現在、UKジャズはアフロビートと連結しながらデジタル・テクノロジーへの打ち壊し(ラッダイト)よろしく生演奏にこだわり、人種混合の理想とフェミニズムとリンクしながら躍動している。
 UKジャズにおける“ジャズ”とは拡張する契機であり、ゆえに「こんなのジャズじゃない」と思われがちだが、じつは逆説的にそれは褒め言葉である。UKジャズはつねにおりおりの若い世代に開かれているからだ。

 さて、今回の躍動の象徴となったのが、2018年の初頭に〈Brownswood〉からリリースされた『We Out Here』で、そのコンピレーション・アルバムのトップバッターを務めたマイシャ(Maisha)も11月9日にアルバム・デビューする。
今回は、〈Brownswood〉レーベルを主宰しながら、BBCのラジオ番組によっていまでは世界中にUK解釈のジャズを発信しているジャイルス・ピーターソンに話を訊いた。以下、UKジャズの特徴や面白さをじつに簡潔に語ってくれている。

たとえば〈ヴァーヴ〉や〈ブルーノート〉の社長から電話がかかってきて『非常にエキサイティングだ、もっと欲しい、どこに行けばいいか教えてくれ』と言われると、これは何かが起こっているなと確信するよね(笑)。

ここ2年、UKの若々しいジャズ・シーンの熱気がじょじょにですが日本にも伝わってきています。とくに2018年は、年の初頭に『We Out Here』というコンピレーション・アルバムが出たことがその勢いのひとつの印のようにも見えましたし、サンズ・オブ・ケメットに続いて、ジョー・アーモン・ジョーンズカマール・ウィリアムスといった若いひとたちの素晴らしいアルバムがリリースされました。日本でも松浦俊夫のアルバムがこうしたUKの動きにリンクしていたと思います。あなた自身、この1~2年を振り返って、やはりこのシーンの熱量には手応えを感じていると思うのですが、いかがでしょうか?

GP:素晴らしい時代が来たよね。ただそれほど驚いてはいないんだ。というのもそれはつねにそこにあったものだから。わりとよくUKジャズの歴史について訊かれるんだけど、ぼくは1988年に……ちなみに30年前のことだけど、『Acid Jazz And Other Illicit Grooves』と『Freedom Principle』をリリースしたんだけど、それは当時UKに存在したシーンのスナップ写真のようなもので、ジャズに関連した、もしくはジャズに影響を受けた音楽だったんだ。それ以来この音楽とムーヴメントは持続的に成長してきて、すごく注目された時期もあれば無視された時期もあったわけだよ。UKが盛り上がることもあれば、ドイツや日本といった場所が盛り上がることもあって、そして2018年、2017年、2016年くらいで、若い世代のミュージシャンたちがついにこのムーヴメントを自分たちのものとして引き受けて、自信を持ち、演奏技術を身につけて、SNSを駆使してクラブ・イベントを主催したりスタジオでのセッションを企画したり、そういったすべてのことがハリケーンのように巻き起こったんだ。
それを率先してやってるのがモーゼス・ボイド(Moses Boyd)やシャバカ・ハッチングス、ヌビア・ガルシア(Nubya Garcia)といった素晴らしい人たち、あるいはJazz re:freshedのようなグループや、サウスロンドンのペッカムやデトフォード周辺、イーストロンドンのダルストン辺りのクラブ、そういったものすべてが、より伝統的なジャズの世界に対するオルタナティヴとしてあるんだ。
ジャズはものすごく深い音楽で、強い基盤があるだけに、自分たちがジャズの所有者だと思ってる人たちがいるんだよ。どういうわけか上の世代はジャズを囲い込んでおきたいと思っている。それで、いま起きていることがこれだけエキサイティングな理由は、若者たちがジャズを自分たちのものにしたからなんだ。もちろん年配の人たちに対するリスペクトはあるけど、自分たちが立つ舞台を自分たちで作り出さなければならないことを理解して、実際それでいまこういうことになっているわけ。資金援助やスポンサーやサポートの必要を感じていない……いや、もちろんぼくたちは彼らの音楽を応援しているしプッシュしていきたいし、ぼく自身もこの動きに参加できて嬉しいし助けていきたいと思ってるけど、彼らはぼくのような人を必要としていないんだよ。ぼくがいようがいまいが関係なくて、いずれにしろ自分たちはやるんだという。それがこのムーヴメントを力強いものにしているんだ。だから若い人たちも共感できるんだ。友だちがやってたり、似たような育ち方をした誰かがやってたり、ステージに立っているミュージシャンが年寄りばっかりじゃなくて同世代の連中だからさ。

いろんな国からのリアクションがあると思うのですが、いかがでしょう?

GP:ジャズって面白くて、世界中でフェスティヴァルが開催されていて、彼らはコンテンツを欲しがっているわけさ。それで、新しい世代が出てきたことで、じゃあもうウェイン・ショーターやハービー・ハンコックやソニー・ロリンズに頼らなくていいんだと思うようになった。もちろん彼らはいまでもみんなから愛される素晴らしいアーティストだけど、でも世界中のフェスティヴァルやクラブは餌を欲しがってるわけだよ。そして食欲が旺盛なところへ、いまここからたくさんのパンが供給されつつあるという(笑)。
本当にみんな色めき立っているんだ。去年パリにいたときに、New Morningっていう素晴らしいジャズ・クラブがあるんだけど、そこに貼ってあるポスターに毎晩のようにイギリスのバンドが出演者として載っていたんだ。その翌日の新聞には、たしか『ル・モンド』だったと思うけど、その状態を“British Invasion”と名付けていた。フランス人がイギリスのジャズについてそんな風に書くなんて初めてのことだと思うよ。イギリスは変な破壊的な音楽とかは素晴らしいけど、ことジャズに関してはたぶんフランスの方が伝統があるんだ。だからそれは興味深かったね。
 あとは今年の初めにニューヨークのWinter Jazzfestに招かれたときも、ザ・コメット・イズ・カミング(The Comet Is Coming)やヤズ・アハメド(Yazz Ahmed)、ヌビア・ガルシア、オスカー・ジェローム(Oscar Jerome)といった人たちを紹介したんだ。それで来年の1月には、ドラマーのユセフ・デイズ(Yussef Dayes)やエズラ・コレクティブ(Ezra Collective)、ヤスミン・レイシー(Yazmin Lacey)、エマジーン・チャクレイ(Emma-Jean Thackeray)といった人たちが出ることになっていて。ニューヨークでも盛り上がっているというのは嬉しいことで、たとえば〈ヴァーヴ〉や〈ブルーノート〉の社長から電話がかかってきて『非常にエキサイティングだ、もっと欲しい、どこに行けばいいか教えてくれ』と言われると、これは何かが起こっているなと確信するよね(笑)。

今日のUKジャズの盛り上がりはどのようにして生まれたのか、あなたの分析を聞かせてください。

GP:このムーヴメントはとても自然発生的で、これがきっかけだったとはっきり言える瞬間がない。だからこそ力強いムーヴメントだと思うんだ。これ以前のムーヴメントはメディア主導だったんだよね。でも今回はとてもオーガニックで、それはもちろんいいことで、もしメディアが別の何かに注目しようと決めても存在し続けるし生き残り発展し続けるんだ。通常何かムーヴメントが起こったときは少し注意する必要がある。ちょっとフェイク・ニュースと似ていて、記事を読んで『いまはこれが流行ってるのか』と思っても実態がなかったりする。でもこれは間違いなく起こっていることなんだ。ぼくがこのムーヴメントの何が好きかというと、演奏のクオリティが高いことと、音楽のアイデアが非常に興味深くて、しかも成長し続けているということ。2年前と比べてもいろんなレベルでかなり変化があって、技術的には世界レベルになりつつある一方で音楽的なアイデアはユニークだから余計面白いんだよね。

このムーヴメントに「新しさ」があるとしたら、それはなんだと思いますか?

GP:いま言ったようなことも新しさだと思うし、自分の声を見つけるのが難しい音楽のなかに自分の声を見つけたということが、新しいと思う。というのもジャズのような長い歴史を持った音楽のなかに自分の場所を見つけてオリジナルな存在になるというのは難しいことなんだ。これまでのグループはもしかしたら少し伝統を重んじすぎてきたのかもしれないと思う。でもいま彼らはその伝統のなかにそれぞれ自分の声を見つけつつある。そのいい例がシャバカ・ハッチングスで、彼はサンズ・オブ・ケメットのリーダーでザ・コメット・イズ・カミングというグループもやってるんだけど、ぼくは彼は本当に素晴らしいと思っていて。というのも彼のレコードは単なるレコードではなく、ひとつのテーマだったりコンセプトのようなものでもあって、この時代を定義付ける重要なものだと思うんだ。彼が今年出したアルバムは伝統的な女性の役割に疑問を投げかけていて、いまの時代と波長が合っていて、そこも非常に重要だよね。

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Maisha
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ぼくにとってマイシャは、ぼくがクラブでDJをするときにかける音楽にいちばん近いんだ。クラブでぼくがジャズをかけるときは、スピリチュアル・ジャズを選ぶ傾向があって、浮遊感があるものというか。だからドラマーのジェイク・ロングがマイシャとして新しい音楽を聴かせてくれたとき、瞬時に引かれたんだ。

ジョー・アモン・ジョーンズはひじょうに若々しいアルバムをリリースしましたが、あなたはあのアルバムの良さはなんだと思いますか?

GP:まずジョーが作曲家として成長するのを見ているのはすごく喜ばしい。どの音楽でも、ムーヴメントが起こっていろんなクラブや人が関わって盛り上がるというのはもちろん素晴らしいことなんだけど、やっぱりそこには記憶に残る曲が必要なんだ。アンセムが必要なんだよ。それでジョーには、アンセムを書く能力があるとぼくは思う。彼のアルバムには3、4曲、本当にいい曲が入ってると思うし、そこはスタンダードなジャズ・レコードと一線を画す部分じゃないかな。構成もアレンジもアイデアも素晴らしいし、しかも彼の場合まだはじまったばかりだからね。先週末BBCでやった企画があって、ロンドンのメイダヴェールでライヴをやって、彼がハウス・バンドだったんだけど、オーガナイズもプレゼンも素晴らしくて、ある意味彼はイギリス版ロバート・グラスパーだね。


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ジェイク・ロングを中心としたセクステットで、人気サックス奏者のヌビア・ガルシアもメンバーとして参加している。ファラオ・サンダース直系のスピリチュアル・ジャズの現代解釈。

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ほかにも〈22a〉のテンダーロニアス(Tenderlonious)のアルバムもありましたし、この年末には、マンスール・ブラウン(Mansur Brown)のソロも出ますし、このたびあなたの〈Brownswood〉からはマイシャのアルバム『There Is A Place』がリリースされます。彼らは『We Out Here』の1曲目でもありましたよね。いまのシーンを象徴しているバンドのひとつのように思うのですが、あなたの口からマイシャとはどんなグループで、どんな魅力があるのか語ってもらえますか?

GP:ぼくにとってマイシャは、ぼくがクラブでDJをするときにかける音楽にいちばん近いんだ。クラブでぼくがジャズをかけるときは、スピリチュアル・ジャズを選ぶ傾向があって、浮遊感があるものというか。だからドラマーのジェイク・ロングがマイシャとして新しい音楽を聴かせてくれたとき、瞬時に引かれたんだ。ちょっとヴァイオリン奏者のマイケル・ホワイトだったり、あと日本で2枚レコードを作ったハリス・サイモンという人がいて、『New York Connection 』と『Swish』というアルバムがあって、そのストリングスとジャズというアイデアがぼくは大好きなんだけど、マイシャにはちょっとそれを彷彿させるものがあるんだよね。開かれていて、自由で、でもパーカッシヴなフィーリングもあって、おもしろことに、マイシャでぼくがいちばん好きな特徴のひとつがピアニストで、たしか日本人なんだよね。彼のソロは注目に値するよ。名前はアマネ・スガナミ(Amane Suganami)っていうんだ。あともちろんヌビア・ガルシアもシャーリー・テテー(Shirley Tetteh)もいるしね。
だからこういう作品を自分のレーベルから出せるのはすごく嬉しいよ。あと最近ココロコ(Kokoroko)とも契約したんだ。彼らの新作を年明けにリリースする予定なんだけど、ココロコもすごく好きなバンドで、彼らの音楽にはどこか西アフリカ的な雰囲気が感じられて、『We Out Here』に入っている彼らの“Abusey Junction”はYouTubeで800万回くらい再生されたんだよ。ジャズのトラックとして考えると、かなり異例だよね(笑)。

〈Brownswood〉のスタジオでセッションしているマイシャのPVを拝見しました。親密感があって、グッド・ヴァイブなところですね。見ていて、あなたがここ数年アプローチし続けているキューバやブラジルの音楽のようなファミリー感がある場面だと思いました。誰かの家に行ってセッションしちゃうみたいな。そんなフィーリングがいまのUKジャズにはあるんでしょうか?

GP:間違いなくあると思う。そこもこのシーンの強みなんだよ。ひとつのチームとして取り組んでいて、さらにみんながお互いから刺激を受けているという。そこがロンドンの良さでもあって、ジャズでもエレクトロニック・ミュージックでもインディ・バンドでも、そのなかでの競争があるんだけど、協力もするっていう。健全ないい意味でのライバル関係があるというか。みんなより上手くなりたいと思ってるから、それがそのシーンを強くしていく。いまのジャズ・シーンも一緒に演奏したり、お互いから学んだりしながら、それぞれが自分の個性を見つけていて、素晴らしいんだ。

いまの人たちはインターネットのおかげで音楽を探す能力が高いし速いから、非常に洗練されているよね。新世代のリスナーたちは、あっという間に音楽の核心部までたどり着くんだ。ぼくの場合はサン・ラを発見するまでに15年かかったけど、いまだったら15時間で見つけられる(笑)。

スピリチュアル・ジャズからの影響は、マイシャのほかにも、たとえばエズラ・コレクティヴにも感じますし、もちろんシャバカ・ハッチングスからも感じます。なぜいまになって、スピリチュアル・ジャズが見直されているんだと思いますか?

GP:見直されるべくずっと待ち続けていたと思う。正直、ぼくがパトリック・フォージなんかと一緒にDJをやってた80年代、90年代、最後にかけるのがスピリチュアル・ジャズだったんだよね。ぼくにとっては、たとえばダブ・レゲエとスピリチュアル・ジャズには通じるものがあって、何ていうか、実存的な、白昼夢のような、それをもっと構造がしっかりしてる音楽の前後にかけると、一種の美しいトランジションとしての効果があるというか、だからDJとしてぼくが生み出そうとしていた空気感にとっては欠かせないものとして常にそこにあったんだ。
何だろう、感情を動かす音楽というか……ああそうだ、カマシ・ワシントンはそういうサウンドを追求しているよね。ファラオ・サンダースやジョン・コルトレーンは、もうベスト中のベストな人たちなわけで、見直されるのは必然だったと思うよ。というのもいまの人たちはインターネットのおかげで音楽を探す能力が高いし速いから、非常に洗練されているよね。新世代のリスナーたちは、あっという間に音楽の核心部までたどり着くんだ。ぼくの場合はサン・ラを発見するまでに15年かかったけど、いまだったら15時間で見つけられる(笑)。

アフリカのリズムというのも、いまのUKジャズの特徴だと思います。これはもう、UKにおけるアフリカ系移民の増加を反映しているのでしょうか? あるいは、アフリカのリズムの多様さにジャズの“次”を見いだしたというか。

GP:そこはやっぱりロンドンの美しいところで、非常に多文化的な場所だからね。ロンドンとパリはすごく似ている部分もあるけど、全然違う部分もあって、パリのコミュニティは結構が分かれてるんだよね。UKの方が混ざってると思う。その結果として音楽もUKの方が混ざってるんだよ。アフリカン、レゲエ、カリビアン、コロンビア、南米と、あらゆる文化がロンドンのタペストリーとして織り交ぜられているんだ。そこがロンドンのマジカルなところだよ。たとえばザ・クラッシュのジョー・ストラマーのような人も世界中の音楽を擁護していた。その頃はちょっとアウトサイダーのものという感じがあったけど、いまはすべてが混ざってるんだ。いまの若いリスナーたちは、キング・サニー・アデの曲も聴けばグライムも聴くって感じなんだよね。アークティック・モンキーズからアート・ブレイキーまでが繋がってる。それは変わったことじゃなくて、ごく普通のことで、みんな幅広く聴いてるんだ。ぼくの頃はそうじゃなかったんだよね。

ヌビア・ガルシアもいろんな主要作品でサックスを吹いているキーパーソンだと思いますが、あなたは彼女をどのように評価しているのでしょうか?

GP:もちろん彼女はとても重要な存在だよ。あとはココロコのキャシー(Cassie Kinoshi )もそうだし、このシーンには多くの強い女性がいるんだ。それもこのシーンがすごく面白い理由のひとつだと思う。キャシーもシャーリーもシーラ(Sheila Maurice-Grey)も、みんな男連中と同じようにパワフルなんだ。演奏にしてもアイデアにしても独自のものを持っている。
ヌビアはスターになるだろうね。たぶんみんな彼女と契約したがってると思う(笑)。彼女はぼくにとってはもうビッグすぎるけど、すごく嬉しいよ。去年ぼくが観たなかでいちばん良かったライヴが、彼女が〈Jazz Re:freshed〉のアルバムを出すときにThe Jazz Cafeでやったもので、テオン・クロス(Theon Cross)がいて、シーラ・モーリスグレイ(Sheila Maurice-Grey)がトランペットで、フェミ・コレオソ(Femi Koleoso)とモーゼス・ボイドという2人のドラマーがいて、そしてジョー・アーモン・ジョーンズがいて……そのコンサートの場にいて、ぼくは『これは歴史的だ』と思ったのを覚えてるよ。とにかく彼女はこのムーヴメントにとっては非常に重要な大使の1人だね。

アシッド・ジャズの時代はDJカルチャーが主体でしたが、今日のUKジャズのシーンは個性的な演奏者たちが複数いて成り立っています。エレクトロニック・ミュージックが主流の現代において、この逆転現象は面白いと思うのですが、これはジャズ・ウォーリアーズの功績もあるんでしょうけれど、ほかにはどんな理由があると考えられますか?

GP:実は世界のいろんなところで起こっていることじゃないかと思う。職人の技を称えるというか、オーガニック・ワインも、クラフト・ビールも、家具職人も、あるいは芸術家もね。何でもデジタルで簡単にできてしまう時代だからこそ、伝統的な演奏が求められているということはあると思う。ドラムでもギターでも歌でもさ。だから誰でもDJになれるという状態に対するリアクションだよね。
こういう時代に、技術を習得するために努力した本物のアーティストを観ると、その良さが分かるという。人間がここまでできるんだっていうことに、すごいと思えるんだよ。職人の技が見直されているのには、そういう理由があるんじゃないかと思う。それに加えてジャズはすごくオープンな精神で演奏するもので、ステージ上で相互作用が起こるのを目の当たりにすることができるし、ミュージシャン同士の間でも、ミュージシャンと観客の間でも相互作用が起こるからね。

モーゼス・ボイドのように、シーンのなかにはほかにも複数の個性的で優れたプレイヤーがいますよね。あなたがとくに注目しているひとがいたら教えてください。

GP:ぼくがすごく好きなサラ・タンディ(Sarah Tandy)というピアニストがいるよ。来年あたり出てくると思うから彼女は注目しておいた方がいい。あとは……たくさんいすぎてわからないな。ヴェルス・トリオ(Vels Trio)もすごく好きだよ。それから今だったらスチーム・ダウン(Steam Down)、この人たちがアルバムを作ったら本当に面白いものになると思う。あとフランスでもドイツでも何かが起こりつつあって、ベルギーも色々面白くなってる。DJ Leftoが出した『Jazz Cats』というすごくいいコンピレーションがあって、ベルギー産の曲が20曲くらい入ってるんだ。
それに日本も絶対に期待を裏切らないよね。社長とかToshioもそうだし新世代もそうで、Shuya Okino(沖野修也)といった人たちも、彼らの素晴らしいところは新しい世代をプッシュして応援しているところだよね。だから今のこの動きがどう日本に影響を与えるのか、今後5年くらいがすごく楽しみだし、日本が何かやる時は絶対に面白いからね」

2019年も引き続きこの流れから良い作品がリリースされるものと思います。現在、リリースが決まっているものでいま言えるものを教えて下さい。

GP:ココロコのアルバムが年明けに出る。それは個人的にも楽しみだね。ええと他には……みんな作ってるんだよなあ。〈Brownswood〉からは、ザラ・マクファーレン(Zara Mcfarlane)の新作が出て、あとピート・ビアーズワース(Pete Beardsworth)というピアニストがいて、個人的にものすごく好きなんだ。ヤスミン・レイシー(Yazmin Lacey)も素晴らしいから要注目だよ。ぼくは彼女がいちばん好きなシンガーかもしれない。

(了)

Irmin Schmidt - ele-king

 先日、ホルガー・シューカイのソロ・アルバムがいっきにリイシューされたばかりだが、CANの4人のメンバーのうちの唯一の生存者、イルミン・シュミットのソロ・アルバムが12月14日(金)に〈ミュート〉よりリリースされる。(日本盤は先日TOYOMUのアルバムをリリースした〈トラフィック〉より発売)
 その作品、5つのピアノ作品集』(原題『5 Klavierstücke』)のリリースに先立って、〈ミュート〉はMVを公開した。


https://smarturl.it/IrminSchmidt_JP

 以下、〈ミュート〉から送られてきた資料をそのまま掲載しますね。

 イルミン・シュミット曰く「この楽曲たちは自然な瞑想状態というか、演奏したのは一度だけでそれを同時に録音していったんだ。エディットや修正も一切しなかった。全ては、シューベルト、ジョン・ケージ、雅楽やCANなどが秘めたエモーショナルな記憶から形成された楽曲たちだね」

 『5つのピアノ作品集』はガレス・ジョーンズのプロデュースにより、南フランスにあるイルミン・シュミット所有のグランドピアノ2台を使って録音された。ひとつはジョン・ケージ直伝のプリペアドのプレイエルのピアノを使い、もうひとつのピアノは製造から100年を数えるスタンウェイのピアノであったが、それはプリペアドを施されていないものであった。何曲かはプリペアドのピアノ一本で一度きり演奏したものを録音したもので、その他は2台のピアノを使ったものであった。アンビエントなサウンドは、イルミン・シュミットのスタジオの周囲の音をその場で録音したもので、この他には一切楽器や電子的な機材は使用されていない。

 作曲家として、そしてCANのメンバーの一人として、イルミン・シュミットが作曲してきた作品は100を超える。CAN以外で1ダースを超えるソロ作品や、「ゴーメンガースト」なるマーヴィン・ピークの小説をもとにしたオペラ作品を書き上げた。2015年には彼の芸術や文化への貢献からフランスにおける最高の栄誉である芸術文化勲章を授与され、2018年には「CAN- All Gates Open」が出版されたが、それはふたつのパートによって構成されており、最初のセクションはロブ・ヤングによって書かれたCANのバイオグラフィー、ふたつめのセクションはイルミン・シュミットによるインタビューや日記を編集しコラージュしたものでまとめられている。

 イルミン・シュミットによるこの作品は、この秋に行われるブラウンシュヴァイク国際映画フェスティヴァルの大きな部分を占める。またそこでは彼が作った映画音楽作品の回顧展などのイベントも行われる。またグレゴール・シュレンバッハとコラボして書いたオーケストラ用の2つの新作も披露される予定だ。一つは「CAN Dialog」なる2017年のバービカンで披露されたCANをモチーフにした作品、それと「Filmmusiken」というイルミン・シュミットのサウンドトラック数作品のオーケストレーションである。彼は11月に行われるこの映画フェスティヴァルで、ブラウンシュヴァイク州立交響楽団を指揮して「Filmmusiken」の初披露を行う予定だ。そして、ロンドン以外の地では初めて「CAN Dialog」が披露されることとなる。

 今年の終盤にはベルリンのフォルクスビューネでCANの作品に敬意を評してこの2作品の演奏が行われる予定で、彼がバベルスベルグ・ドイツ・フィルム・オーケストラを指揮する。それに続いてヨッヘン・アルバイト(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)によるキュレーションのもとCANのトリビュート・コンサートが行われる予定。またベルリンのバビロン・シネマではシュミットの映画音楽作品の回顧展とQ&Aセッションが一週間を通して行われる。
 CANは、昨年シングル23曲を収録したアルバム『ザ・シングルズ』を発売した。この作品は、「Halleluwah」「Vitamin C」や「I Want More」といった有名な曲から、あまり一般には浸透してない作品まで、また超レアなシングル曲「Silent Night」や「Turtles Have Short Legs」まで収録されている。全ての楽曲が当時リリースされたシングル・ヴァージョンで収録されている。


イルミン・シュミット(Irmin Schmidt)
5つのピアノ作品集 (5 Klavierstücke)

Mute/トラフィック
※12月14日(金)リリース

Tracklist
1. Klavierstück I
2. Klavierstück II
3. Klavierstück III
4. Klavierstück IV
5. Klavierstück V

[amazon] https://amzn.asia/d/117N5nS
[Apple Music/ iTunes] https://apple.co/2NtFfK0
[Tower Records] https://bit.ly/2PeEN87
[HMV] https://bit.ly/2Do6kgX
[Spotify] https://spoti.fi/2BXsV2s
[smartURL] https://smarturl.it/IrminSchmidt_JP

◼︎バイオグラフィー
1937年ベルリン生まれ。現代音楽の巨匠カールハインツ・シュトックハウゼンの元で学ぶ。1968年CANを結成し、ロック、現代音楽、ジャズと20世紀に起こった3つの音楽現象を全部一緒にしたらどうなるのか、という革新的な試みによって制作された作品の数々は、その後に起こったパンク、オルタナティヴ、エレクトロニックといったほぼど全ての音楽ムーヴメントに大きな影響を与え続けている。バンド解散後も、ソロ作品の発売・演奏、映画のサウンドトラック、オペラ作品、オーケストラの指揮など様々な旺盛な活動を続けている。
www.mute.com
https://www.spoonrecords.com/

interview with Kelly Moran - ele-king

 9月12日。それは渋谷O-EASTでOPNの来日公演が催される日だった。初めてバンドという形態で自らの音楽を世に問うたダニエル・ロパティン、ニューヨークロンドンに続くかたちで実現された東京版《MYRIAD》のショウにおいてもっとも異彩を放っていたのは、キイボード担当のケリー・モーランだった。クラシカルの文法を身につけた彼女が紡ぎ出す即興的な旋律の数々は、間違いなくロパティン個人からは出てこない類のそれであり、随所に差し挟まれる彼女の好演によって『Age Of』収録曲はもちろん、過去のOPNの楽曲もまたべつのものへと生まれ変わっていたのである。『Age Of』と《MYRIAD》との最大の相違点、それは彼女の存在の有無だろう。
 そのケリー・モーランがソロ名義の新作を〈Warp〉からリリースする。両者を仲介したのはロパティンだが、彼と出会う前の彼女はモダン・クラシカルな習作を手ずから発表するいっぽう、マーク・エドワーズやウィーゼル・ウォルターといったアヴァンギャルド勢(別エレのニューヨーク特集参照)のバンドに参加したり、ケイジの長年のコラボレイターだったマーガレット・レン・タンのために曲を書いたりと、なかなか興味深い経歴の持ち主である。そんな彼女は今回、ロパティンの手を借りることによって音楽家として新たな段階へ歩を進めたと言っていい。ミニマルに反復するプリペアド・ピアノとエレクトロニックな持続音が交錯する『Ultraviolet』は、恍惚と静謐を同時に成立させたじつに素晴らしい作品に仕上がっている。
 これまでの彼女の来歴や新作の制作秘話について、《MYRIAD》のために来日していた本人に語ってもらった。

私はたぶん音楽のADDだと思う(笑)。

これまで日本へ来たことは?

ケリー・モーラン(Kelly Moran、以下KM):今回が初めてね。

猫カフェへ行ったとお聞きしたのですが。

KM:初日に行った。ネコ派だから絶対に行かなきゃと思って。すごく楽しかった。ハリネズミカフェもあるって聞いたから、そっちも行かなきゃと思ってる(笑)。

通訳:出身はニューヨークですか?

KM:ええ。ニューヨーク生まれ。

NYにも猫カフェはあるんですか?

KM:何年か前に一店オープンしたから、行ったことはある。でも日本の猫カフェほど規模は大きくない。猫を飼っているんだけど、来日してから猫に会いたくて。だから、猫カフェに行って猫に会えて嬉しかった。

ほかにおもしろかったところはあります?

KM:大学のときのピアノの教授が、赤城ケイっていう日本のジャズ・ピアノ・プレイヤーで、私は数日前に日本に来たんだけど、彼もツアーで日本をまわっていて、たまたま東京にいたから会った。新宿を案内してもらったり、昨日は原宿をうろうろしてかわいいものを買ったり。

ミシガン大学で音楽を学んだそうですけれど、そこの先生ですか?

KM:いや、カリフォルニア大学のアーバイン校の、大学院の先生。

ミシガン大学のほうではピアノやサウンド・エンジニアリング、作曲技法を学んだとのことですが、つまりいわゆるクラシック音楽を学んだということですよね?

KM:私が専攻していたのはパフォーミング・アート・テクノロジー。そのなかでもいろいろ項目があるんだけど、そのひとつとして「クラシックのパフォーマンス」という項目を集中して受けていたの。あとは作曲とか、エレクトロニクスのクラスもとっていたし、サウンド・エンジニアリングも選べる科目としてあった。

そういうところへ進学したということは、幼い頃から音楽が好きだったのでしょうか?

KM:6歳のときにテレビでピアノを見て、これが欲しい、これがやりたい、って親に言ったら、小さなキイボードを渡されたの。「本気ならピアノを買ってあげる」って。それで一生懸命やっているのをみて、あとでピアノを買ってくれたわ。

現在はほかにもいろんな楽器を弾きこなしていますよね。

KM:私はたぶん音楽のADD(注意欠陥障害)だと思うの(笑)。最初はそういうふうにピアノをはじめたんだけど、それから次々と楽器に手をつけてしまって。小学校のとき、アップライト・ベースを弾ける人が必要になって、背が高いということもあって私が弾くことになった。あと、兄がクラリネットをやっていたから、それもやってみて、その流れでオオボエもやったわ。それから、私がちょうどロックに興味を持っていたときに、エレクトリック・ベースが必要だと言われて、それでベースをやって、そのまま今度はギターにも流れていった。アコーディオンもやったんだけど、アコーディオンだけはあんまりうまくなかった(笑)。

『Microcosms』(2010年)、『Movement』(2011年)、『One On One』(2012年)の最初の3作は、大学で学んでいたことがそのまま反映されているのかなと思いました。モダン・クラシカルとアンビエントの融合のような。

KM:大学時代はまわりにミュージシャンが大勢いたというのがあるね。みんなすごくオープンで、喜んでコラボレイションをやってくれる人たちだったから、私がアイディアをいっぱい持っているのをおもしろがって、寄ってきてくれて。私もそのへんにいる友だちを捕まえては、一緒にインプロやろうとかレコーディングしようとか誘っていたの。そうやって作った作品だったから、まわりの影響とかリソースがいっぱいあった。だから、たんなるクラシック音楽には終わっていない。

その後ウィーゼル・ウォルターのセルラー・ケイオスというパンク~ノーウェイヴのバンドでベースを担当していますよね。一気に音楽性が変わったなと。

KM:そもそも好きな音楽の種類が幅広くて、いろんなスタイルの音楽をやりたかったから、楽器もあれほど手を出してしまったんだと思う。とにかく楽しんで、いろいろなことを実験的にやってきたから、自分のなかではそんなに急に変わったとは思わなかったけど。

では、とくにノーウェイヴをよく聴いていたということではない?

KM:じつをいうと、ノーウェイヴは私がいちばんなじみのないジャンルの音楽かもしれない。大学院のときはカリフォルニアにいて、卒業後にニューヨークへ戻ってきたんだけど、仕事はないし、人生どうしたらいいのか、どんな音楽を追求したらいいのかわからなくて。大学時代はまわりに仲間がいっぱいいて、リソースがたくさんあったからよかったけど、それがない状態になってしまって。さあどうしようっていうときに、セシル・テイラーのところでやっていたマーク・エドワーズとウィーゼル・ウォルターのライヴを観たの。それがすごく楽しくて。いわゆるノーウェイヴ的なものはたぶんそのとき初めて観たに等しかったんだけど、こういうのがあるんだ、楽しそうだなと思っていたら、たまたまそのバンドのベーシストがニューヨークを離れることになって、後任を探していて。それで私が入ることになった。それがそのジャンルに入りこんだ流れね。

でもそのバンドには1年くらいしかいなかったんですよね?

KM:1年ちょっといたんだけど、とにかくツアーの多いバンドだった。私はニューヨークでべつの音楽の仕事もしていたから、それについていけないということもあって、いったん辞めたんだけど、そのあとに入ったベーシストが辞めるタイミングで、ニューヨークのショウだけ何本か手伝ったりしていたから、その後も関わりはあったのよね。いまはたぶん、トリオでやっているんじゃないかな。

その後はヴォイス・コイルズというバンドにシンセサイザーで参加しています。セルラー・ケイオスと比べるとこちらは、それ以前にやっていたことに近いのかなと思ったのですが――

KM:ヴォイス・コイルズではじつは、クリエイティヴなことは何もやっていなかったの。ギタリスト(サム・ギャレット)がぜんぶ曲を書いていたから。私はいわゆるセッション・ミュージシャンというかたちで参加していたんだけど、それだけだったというのが辞めた理由のひとつでもある。あまり創作性を発揮できなかったから。

2016年には『Optimist』を出して、大きな変化を迎えますね。プリペアド・ピアノを使いはじめて、電子音も以前より目立つようになりました。何かきっかけがあったのですか?

KM:もう1枚、『Bloodroot』(2017年)ってアルバムがあるでしょ。じつはそっちが先だったの。2016年の頭にそっちの曲が書きあがって、レコードにまで仕上げた。吹雪が続いた時期があって、そのときに仕上げたアルバムで。それまではプリペアド・ピアノで曲を作るなんてことはあんまりやりたくなかったというか、ちょっと引いている部分があったの。っていうのも、ジョン・ケイジが大好きで、すごく尊敬しているから。プリペアド・ピアノをやるとすぐ比べられてしまう。だから、勉強はしてきたんだけど、作品として作るのはちょっとなっていう思いがあって、手は出さないでいたのね。でも、吹雪で閉じ込められた状態のなかで曲作りをはじめたら、どんどんアイディアが湧いてきて、いつもと違うハーモニーも聞こえてきたりして。それで良い作品ができたので、せっかくだからちゃんとレーベルから出したいなと思ってレーベル探しをはじめたの。でもなかなかみつからなくて、だんだんイライラしはじめてきちゃって。すごく生産的な時期でもあったから、もうひとつアルバムができてしまった。それが『Optimist』(笑)。

おまけだったんですね(笑)。

KM:そっちがあとからできたんだけど、結果的には同じ年に2枚のアルバムを出すことになった。いろいろバンドをやっていた時期が長くて、ソロで音楽を発表するのは久しぶりだったし、自分だけの作品を作るというのをしばらくやっていなかったから、それをできるだけ活発に作りたいという思いが強くて、せっぱ詰まるものがあった。たからあの時期にたくさんアイディアが出てきたんだと思う。ただ、じっさいにレーベルを探そうとしたらすごく時間がかかるんだってこともわかった。なんとか2016年のうちに自分の作品を世に出したいという思いで一生懸命頑張って、まずは『Optimist』を仕上げたの。それで、自分で出せるということで、Bandcampで発表したという。

『Drukqs』は、ほんとうに、聴いたことがなかったの。神に誓って言うけど、今日に至るまであのアルバムを全曲聴いたことはなかった。

プリペアド・ピアノは今回の新作『Ultraviolet』でも用いられていますが、ケイジと比べられるのが嫌だという思いを克服したということですか?

KM:たしかにそれはあるかも。乗り越えたのかもしれない。プリペアド・ピアノをじっさいに使って、曲を書いて、出してみたらとても反応がよかったというのもあるし、自分自身もあのピアノが鳴らす音からすごくインスピレイションを受ける。ハーモニーの聞こえ方も違うし、オーヴァートーンとか、とにかくサウンドが独特だし、いじっていてすごく楽しい。そういうなかでいろんなアイディアがどんどん出てきたから、あれこれ悩んでいないでとにかくみんなに聴いてもらいたいという気持ちのほうが強くなったの。ちなみに、プリペアド・ピアノで曲を書いてアルバムを出しても、プリペアド・ピアノが使える会場ってけっこう限られてくるから、それもあって引いていた部分もあるんだけどね。

たぶんこれはもういろんな方から指摘されていると思うのですが、エイフェックス・トゥインの『Drukqs』というアルバムを聴いたことはありますか?

KM:これはほんとうにおかしくて、信じてもらえないかもしれないけど(笑)、いちおう話しておくね。エイフェックスは好きなんだけど、『Bloodroot』の時点では『Drukqs』は、ほんとうに、聴いたことがなかったの。そのあとそういう声がちらほら聞こえてきたから、気になって何曲か聴いてみて、なるほどなあとは思った。(プリペアド・ピアノが使われること自体が)珍しいから、同じものを使っているというだけで結びつけられちゃうのもわかるな、というくらいの認識だった。ただ、今回私が〈Warp〉からシングルを出したことで、まわりからいきなり「あのアルバムの影響が絶大ですね」とか言われちゃって(笑)。「違うんだけどなあ」って。神に誓って言うけど、今日に至るまであのアルバムを全曲聴いたことはなかったのよ。あまりにみんなからそう言われちゃうので、関係者にも「このアルバムはいままでちゃんと聴いたことがないってことをちゃんと説明してください」っていろいろ言って。それで、今日初めて全曲聴いたの。

今日!?

KM:まさに今日(笑)。でも、聴いてみたら、たしかにプリペアド・ピアノは使われているけど、それだけじゃない、スタイルも多様なアルバムだなと思った。

おっしゃるとおりです(笑)。

KM:私の曲が出たとたんに、YouTubeとかでもコメントがそればっかりで(笑)。「『Drukqs』の影響が」とか「『Drukqs』好きでしょ」って(笑)。

そのコメント、見ましたよ(笑)。

KM:わかってもらえると思うけど、ピアノの音楽にはあまり影響されたくないから、避けているという部分もあって。それで『Drukqs』も聴かずにきたんだけどね。

紫外線って、目に見えないけれど力のあるもので、それは私がこのアルバムの制作中に味わった経験につながる。

OPNの公演《MYRIAD》で彼のバンドに参加することになりましたけれど、それはどういう経緯で? たしか『Age Of』には参加していませんよね?

KM:そうね。彼が私の音楽を聴いてくれていて、Twitterでやりとりをしたのが最初。そのときはそれだけで終わっちゃって、2年くらいとくにやりとりはなかったんだけど、去年の11月くらいに、「そういえば彼のインスタはフォロウしてなかったな」とふっと思い出してフォロウしたら、速攻でフォロウが返ってきたの。その数日後に、会って話をしないかってメッセージがきて。それで、じつはいまこういうプロジェクトが進行中で、きみはたぶんぴったりだと思うんだ、っていう電話がきたの。そのとき私はOPNの『Garden Of Delete』のTシャツを着ていて(笑)。もともと彼の大ファンだったから、速攻でイエスと答えたわ。

先ほどまでずっとリハを観ていたんですが、ちょっと特殊なバンドのライヴですよね。あなたがこれまで体験してきたバンドとの違いはどういうところにあると思いますか?

KM:こんなの初めて! こういうのに参加したことはなかった。私がおもしろいと思うのは、お客さんの反応がいかに違うかということ。返ってくるエネルギーによって私たちの演奏も変わっていくから。ニューヨークでやったときはまだアルバム(『Age Of』)が出る前だったから、みんながその場で初めて曲を聴くことになる。それに着席の会場だったということもあって、初体験というか、オーディエンスがちょっとビビッているような感じだった。みんな「どうしよう、拍手してもいいのかな」という感じで聴いていた。逆にロンドンのときはアルバムが出て1ヶ月以上経っていたから、曲にもなじみがあって、みんな叫んだり踊ったり。“Chrome Country”のときなんかは最前列の男の人が大騒ぎして盛り上がっていて。そんな感じでどんどん反応が変わっていくのが私はおもしろかった。

今回〈Warp〉と契約してアルバムを出すことになりました。それはどういう経緯だったのでしょう?

KM:これはあまり言ってないんだけど、じつは今回、ダン(・ロパティン)が共同プロデュースというかたちでいくつか曲を手がけてくれているの。さっきの話で、彼から「こんなショウを企画しているんだけど」って言われたときに、「私もアルバムを作っていて」っていう話をしていたのよ。そしたら「聴かせてくれ」ってすぐに興味を示してくれて、「誰がプロデュースするの?」「どこから出すの?」って言われたから、「まだ何も決まってないんだけど」って。いままで私は自分の作品は自分で作って自分で発表してきたけれど、今回はもうちょっと野心的な作品だから、誰かのヘルプが必要だと思った。導いてくれるような人の存在が必要だって思っていたから、彼に力になってもらえないか聞いてみたの。そしたらその場で「ぜひぼくがやる」って言ってくれて。「きみがぼくのショウを手伝ってくれるんだから、ぼくはきみのレコードを手伝うよ」ということでやってくれた。レーベル探しも、できあがった音源を彼があちこちに配ってくれて。数週間経って「いくつか興味をもっているレーベルがあるんだけど、あそことここと〈Warp〉と」ってメッセージがきて、〈Warp〉って聞いたとたんにもう「ここだ!」って思った。〈Warp〉は私にとっても最高のレーベルだし。それで「会って話をしましょう」ということになって、スタッフの人たちとランチを食べながら話を聞いたら、とても気に入ってくれているということだったので、私としてはもう願ったり叶ったりで。夢が叶ったというか。それが2月ころの話ね。

急展開だったんですね。

KM:何が嬉しかったかって、2016年に『Bloodroot』でレーベル探しをしたときは、さっきも話したようにぜんぜん話がまとまらなかったのね。なんどもなんども拒絶されては蹴られて。その理由が「変すぎるから」とか「うちのレーベルの美意識に合わない」とか。とにかく、そのレーベルのスタイルに合わない、というのが大半の理由だった。それですごくがっかりしちゃって。「こんな私は誰も受け入れてくれないんだ」って思っていたところで〈Warp〉が興味を示してくれて、「ユニークだから」「誰とも違うから」「特別だから」って言ってくれた。ほかのレーベルがさんざん拒絶してきた、まさにその理由で〈Warp〉が私を気に入ってくれた。しかもあの有名な〈Warp〉が、ってことで、私としてはもう最高。

ちなみに〈Warp〉で好きなアーティストは誰ですか?

KM:ダンはべつとして(笑)、大勢いるから難しいな……。(しばし考え込んだのち)ボーズ・オブ・カナダ、エイフェックス・トゥイン、スクエアプッシャー。スクエアプッシャーが大好きなの。でもやっぱり選ぶのが難しい。その三つどもえかな。

今回の制作はとくに野心的だったとおっしゃっていましたけれど、これまでの作品と比べて、いちばん力を入れた点はどこですか?

KM:『Bloodroot』を作ったときは、それまでエンジニアの勉強もしてきていたし、プロじゃないけどそれなりに納得のいくミックスができたの。基本的にピアノの音だけだったら、自分でじゅうぶんできる、そこまでの力はあった。だから、半端なかたちで外の人に入ってほしくないという思いもあった。それに、女性アーティストが外部から男性のプロデューサーを連れてきて作品を作った場合って、手柄を持っていかれちゃうのが気になっていたのよね。でも今回のアルバムはエレクトロニクスを入れていて、そういうシンセサイザーやエレクトロニックな要素が増えれば増えるほど、その作業は難しくなっていく。曲はもちろん自分で書くし、音作りもどんどんするんだけど、それをオーガナイズするのは誰かに手伝ってもらわないと無理だと思ったの。そんなわけで、今回初めて外部からのインプットを受け入れて自分の作品を作ったんだけど、ダンとの仕事の関係性がすごくおもしろくて。彼はポイントを絞って、私の曲の余計なところをどんどんカットしていくアプローチなのね。対して私が彼の作品に口を出すときは「ここをもっと長くしろ」とか「もっと広げろ」って感じで、どんどん大きくしていく。『Age Of』のときもそんなふうにやりとりをしていて。だから、「セクション10くらいまでいっちゃいましょう」っていう私の作品を、彼はどんどん短くしていって、でもそのおかげうまくいったという感じかな。

タイトルは『Ultraviolet』ですが、これには何かテーマがあるのでしょうか?

KM:制作中にいろんなことがあって、それを詳しく説明するのはちょっと難しいんだけど、でもとにかくいろいろなことが変わった。ピアノの奏法が変わっていったり、けっこうインプロヴィゼイションぎみの演奏をやってもいるし、それをやっていく過程でトランス感覚を味わったりもした。幻覚が見えるような感じがあったり、幽体離脱のような感覚もあったり。紫外線って、目に見えないけれど力のあるもので、それは私がこのアルバムの制作中に味わった経験につながるかなって思ったの。

〈Warp〉のレーベル・カラーがパープルで、ヴァイオレットはそれに近い色なわけですけれど、〈Warp〉から出す最初のアルバムでその「外(ウルトラ)」を暗示するのはおもしろいなと。

KM:タイトルは〈Warp〉との話が出るまえに決めてあったの。でも運命かも。

Stine Janvin - ele-king

 このところ「もっとも暮らしやすい国」とか「高齢者の住みやすい国」といったアンケートでは必ず1位になるノルウェイからジェニー・ヴァルに続いてキュートな実験音楽を。大所帯のジャズ・バンド、キッチン・オーケストラやフィールド・レコーディング主体のネイティヴ・インストゥルメンタルとして活動してきたスティーン・ジャンヴァン・モットランド(現ベルリン)がソロ3作目にして、ついに〈パン〉にリクルート。メデリン・マーキー『Scent』(12)と同じく、すべて声を加工しただけでつくられたサウンドは(もちろん、そうとは思えないけれど)、女性特有のソプラノを断片化し、ループさせたり、ブリープ化することで、タイトル通り「フェイク・ミュージック」として成立させている。ノルウェイではもはやヴェテランともいえるスパンクのマラ・S・K・ラジェが地鳴りのような吠え声に挑んだり、広い音域を駆使するのとは対照的にソプラノだけにフォーカスし、キラキラと光り輝くイメージを構築していく。ニューヨークのエントリーレイディオの解説によると、黎明期の電子音楽にインスパイアされ、レイヴを脱構築したものだということになるそうだけれど、この場合の「レイヴ」は「怒鳴る」とか「わめく」という元の意味を指しているのだろうか。ということはヒステリックに叫んだ声を「素材」にしたということで、それはそれで合点が行くほど「高い声」しか使われていない。ずっと聴いていると、ちょっと気が遠くなってきたり。

 メレディス・モンクやオノ・ヨーコなど声だけでパフォーマンスしてきた女性は多い(なぜ女性ばっかりなんだろう)。それが声だけでつくられているとはすぐにはわからないほど加工してしまうようになったのはごく最近のことで、ダイアマンダ・ギャラスもシーラ・シャンドラもここまでではなかった。ポップ・ミュージックなどでも盛んにオート・チューンなどが使われ、肉声というものに対する愛着が薄れていたりするのだろうか。スティーン・ジャンヴァンの場合、どれだけ声を変調していても、ライヴなどでは息切れや疲れなどが伝わってくることも多く、身体性というのはどこからでも漏れ出してくるものだななとは思ったりするけれど、1枚のアルバムとしてまとめられた『Fake Synthetic Music』にはそういった破綻はなく、見事なほど現在形の「人工性」がパッケージされている。彼女が「フェイク」と表現する方法論には、実際には肉声も混ぜられており、それらが不可分のコンポジションになっているところも上手いとしか言いようがない。合成音には倍音が含まれることはなく、それが合成音のいいところだったりするけれど、いわばシンセサイザー・ミュージックのように聞こえるにもかかわらず、倍音がどこで出てくるかわからないとういう意味では二重にフェイクなのである。

 そもそも女性の声は社会的に高くなってしまう傾向にあり、必要以上に人工的なのだという考え方もある。スティーン・ジャンヴァンはそれを誇張して変形させることによって女性が置かれている位置を戯画して見せているともいえる。かつてローリー・アンダーソンは自分の声を男性の声に変えてパフォーマンスしていた。日本青年館で観たライヴはいまだにインパクトが薄れていない。ローリー・アンダーソンとスティーン・ジャンヴァンがもしも裏表の価値観で結びついているとしたら、誰か、ふたりの共演を実現させてくれないだろうか。滝沢カレンのヒューマン・ビートボックスを加えて(ウソ)。

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