紙エレ最新号をお持ちの方は88ページを、『TECHNO definitive 増補改造版』をお持ちの方は126ページを開いてみよう。1996年に〈Chain Reaction〉からリリースされたダブ・テクノの古典、ポーター・リックスの『Biokinetics』が装いも新たに25周年記念盤となって蘇る!
じつは同作、2012年にも一度〈Type〉から再発されているのだけれど、今回のレーベルはなんと〈Mille Plateaux〉。彼らのセカンドのリリース元でもあります。発売は6月21日、アナログ2枚組。今回初めて知る方も、缶を持っている方も要チェックです。
「K A R Y Y Nã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
3月3日にLOFT 9 Shibuyaで伊基公袁(イギー・コーエン)監督のドキュメンタリー映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』がプレミア上映された。30分に満たない短編映画であり、阿部薫本人の映像は登場しないものの、さまざまな立場の人物による証言から稀代のサックス奏者を新鮮な視点で照らし出す、きわめて現代的な作品に仕上がっていた。
阿部薫の実家には遺影が飾られている。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。
映画は軋るようなサックス・サウンドを彷彿させる走行音が鳴り響くなか、列車に揺られて阿部薫の墓所へと向かうシーンから幕を開ける。カメラはその後、神奈川県川崎市にある実家を訪ね、住宅の一室で実の母・坂本喜久代が息子との思い出を振り返るシーンを映し出していく。いまやオリジナル盤が70万円もの高額で売買されているというレコード『解体的交換』の元になった同名コンサートに親戚一同で足を運んだ話。あるいはライヴのフライヤーやチケットなどが几帳面にファイリングされている様子など、ここで浮かび上がってくるのはことあるごとに神聖視されてきた伝説のミュージシャンではなく、ごく普通に親の愛情を受けて育った一人の人間の姿だ。一方、映画の節々には2015年に新宿ピットインで開催された阿部薫トリビュート・イベントの記録映像が挿入されており、大谷能生、大友良英、纐纈雅代、竹田賢一、吉田隆一らさまざまな世代の5名のミュージシャンによるトークとライヴがモノクロームの映像でテンポよく流される。阿部薫とは同時代を生きた存在であり、あるいは多大なる影響をもたらした先達であり、あるいは音楽的な分析対象でもあるといったふうに、それぞれの立場によって異なる人物像が形成されていく。映画の終盤では阿部薫のサックスの音源が繰り返しループされたあと、サンプリング・コラージュの様相を呈しつつ、突如として小さな子供が玩具のサックスを吹きながら遊ぶシーンへと移り変わって幕を閉じる。映画内で吉田隆一は阿部薫について「自分のやりたいことに特化して、そのための技術を身につけた人」と評していたが、ジャズをはじめとした既存の音楽語法を習得することだけが「技術」ではないことを考えれば、たしかに阿部薫は、彼にしか出すことができない音のために完璧な表現手段を身につけた、きわめて技巧的なミュージシャンだったと言える。だが同時にそのサウンドは、あたかも列車が軋む走行音=環境音や、子供が無邪気に遊びながら玩具のサックスを吹く音と、ほとんど等しい美しさを湛えているようにも聴こえはしないだろうか。あるがままの響きと原初的な音の歓びが、研ぎ澄まされた技術の果てにある極北のサウンドと重なり合うこと。
千歳飴を手に持つ幼少期の阿部薫のポートレート。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。
LOFT 9 Shibuyaでは、上映前に竹田賢一と吉田隆一が短いトークをおこない、上映終了後にはライターの大坪ケムタを司会に吉田隆一、柳樂光隆、沼田順、伊基公袁らによるトーク・セッションがおこなわれた。興味深いのは、阿部薫の音楽がマーク・ターナーやジョシュア・レッドマンら現代ジャズのサックス奏者によるミニマルで抑制された音色と比べられるかと思えば、ジャンルとしてのノイズ・ミュージックを聴く耳で体験する快楽が引き合いに出され、あるいはクラシック音楽のサックス奏者であるマルセル・ミュールとの類似が指摘されるなど、ジャンルを異にするさまざまなミュージシャンが議論の俎上に載せられたことだった。1970年代に活躍した阿部薫は、いまや日本のフリー・ジャズのコンテクストのみならず、多種多様な音楽を横に並べて聴きどころを探ることができるのだ。とりわけ昨年は、論集『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』が文遊社から刊行されたほか、未発表音源『STATION '70』、『LIVE AT JAZZBED』、『19770916@AYLER. SAPPORO』が立て続けにリリースされるなど、阿部薫はここにきてあらためて注目を集めることになったミュージシャンの一人でもある。パンデミックによって音楽状況が激変したニーゼロ年代に、彼の音は、あるいはその生き方は、どのように捉え直すことができるのだろうか。そのことを考えるためにも、このタイミングで彼の音楽を振り返っておくことは有意義だろう。以下のテキストは、阿部薫が音楽活動を始めてから没後半世紀が経過した現在に至るまでにリリースされてきたほぼすべてのアルバムを、発表された順に辿り直すことによって、時代ごとにどのようなサウンド像が形成されてきたのかを素描する試みである。あくまでも素描であり、証言や資料を交えたより一層精緻な検証と考察が必要であることは論を俟たないが、少なくとも、時代ごとに異なるコンテクストで魅力を放ってきたその音/音楽に潜在する可能性は、いまだ汲み尽くされることなく未来へと開かれていると言うことはできるだろう。
[[SplitPage]]前提──録音物によって再構成されるミュージシャンの軌跡
1949年5月3日、神奈川県川崎市出身。本名・坂本薫。68年に地元のジャズ・スポット「オレオ」でデビュー。アルト・サックス奏者として形式をもたない自由即興演奏に取り組み、都内のライヴ会場を拠点に全国各地への楽旅も敢行。73年には作家の鈴木いづみと出会い、結婚。74年冬ごろから翌75年夏にかけて一時的に表舞台から姿を消し、その前後で演奏内容も大きく変化している。70年代前半はスピード感あふれるパッセージと矢継ぎ早に繰り出される洪水のような音の奔流を得意としていたものの、音楽活動を再開してからは沈黙と間の比重が増し表現的かつ即物的な音の実験へと向かうようになる。サックスやバス・クラリネット、ハーモニカといった吹奏楽器のほか、とりわけ晩年はピアノ、ドラムス、ギター、シンセサイザーなど多種多様な楽器を積極的に使用。また生涯を通じて既存の楽曲の旋律を即興演奏のなかで繰り返し取り上げ、そのバリエーションは歌謡曲 “アカシアの雨がやむとき” や童謡 “花嫁人形” からボブ・ディランの名曲 “風に吹かれて”、さらに “チム・チム・チェリー” “恋人よ我に帰れ” “暗い日曜日” “レフト・アローン” “ロンリー・ウーマン” といったジャズ・スタンダードとしても知られる作品まで多岐にわたる。1978年9月9日、前日に睡眠薬ブロバリンを98錠服用したことによる急性胃穿孔で死去──云々。
いま現在わたしたちが阿部薫を聴くということは、粗雑に描いても以上のような情報に加えて時代状況をめぐるコンテクストを念頭におきながら彼の音楽に接することを少なからず意味している。わたしたちはいまや、発掘録音や特典盤を含め50枚以上のアルバム、あるいは同時代を生きた関係者の証言、批評家が残したテキスト、ファンのエッセー、さらには幼少期から晩年までを断片的に写し取った写真や演奏する姿をありありと観察することのできる映像まで、膨大な情報を参照することによって、それなりの精度で阿部薫という一人のミュージシャンの足跡を辿り直すことができる。データ化された彼の情報を縫合することによって、あたかも同時代を生きているかのようにリアルな感触をともないながら彼の音楽を再構成してみせることができる。なかには稲葉真弓の小説そして同書を原作にした若松孝二監督の映画『エンドレス・ワルツ』のように、虚構を織り交ぜた物語として劇的な生涯を知ることもできるかもしれない──むろん死を分割払いしていく破滅的な思想を阿部薫の音と足跡にそのまま当て嵌めてしまうこともまた現実に回収し得ない一種の虚構的振る舞いであると言えるものの。いずれにしてもそのような情報が増えれば増えるほど、阿部薫というミュージシャンの「本当の姿」すなわちその音楽の「真実」に近づくことができるように見える。
だがしかし、このように全体像をイメージしたうえで阿部薫の音楽に接するということ自体が、彼の死後半世紀近く経過し、数多くの資料に容易にアクセスできるようになった現在であればこそ経験できる出来事であるということには留意しなければならない。いまやわたしたちは阿部薫の名前が冠された録音作品について、それが最盛期か否か、晩年か否か、同時期に私生活ではどのような変化があったのかを知ることができるものの、少なくとも同時代にあっては、いかに彼の音楽が死の匂いを濃厚に漂わせていようとも、死の直前の演奏だとはつゆ知らずに「晩年」の音楽を聴いていただろうし、ある録音物を10年という短い活動期間の時間軸上に配置するパースペクティヴも得ようがなかったはずである。新たな情報が客観的事実の正確性をより一層高めることはあったとしても、新たな録音物が日の目を見ることは阿部薫の音楽の「真実」に近づくのではなく、むしろそのサウンド像にこれまでとは異なる視点を設けることを可能とする出来事であるに他ならない。以上のことを踏まえ、本稿ではこれまでリリースされてきた音源を彼の人生に沿ってクロノロジカルに並べるのではなく、むしろ録音物がリリースされることでどのようなサウンド像がその都度形成されてきたのかを素描するべく、三つの時代に分けて音盤を見ていくこととする。三つの時代とは、作者が存命中あるいは没後数年間を含む1970年代〜80年代前半、再評価の機運が高まった1980年代後半〜ゼロ年代前半、そして阿部薫をインターネット上に浮遊する音声ファイルの一つとして聴くことが容易に可能となったゼロ年代後半以降である*。
[[SplitPage]](註)
* なお本稿は阿部薫の完全なディスコグラフィーを目指す性格のテキストではないため、特典盤やリイシュー盤など言及していない作品もあることをここに付記しておく。また個人史ではなく録音受容史をテーマに据えているため、アルバムには録音年ではなくリリース年を年号として付している。
同時代の響き──1970年代〜80年代前半
阿部薫が存命中にリリースされたアルバムは数えるほどしかない。サックス奏者の高木元輝率いるトリオに飛び入り参加したトラックが収録されている『幻野』(1971年)と海賊盤の『WINTER 1972』(1974年頃)を、本人の名義が記されていないため除くのであれば、代表的なアルバムとしては音楽批評家の間章プロデュースによる『解体的交感』(1970年)と『なしくずしの死』(1976年)の2枚を挙げることができる。前者はギター奏者の高柳昌行と結成したデュオ「ニュー・ディレクション」による約1時間のセッションであり、新宿厚生年金会館小ホールで1970年に開催された同名コンサートを収録したものである。ノイジーだがフリー・ジャズ的な快楽とは異なる起承転結のない演奏が延々と続き、途中で阿部はハーモニカに持ち替え一瞬静寂が辺りを包むものの、基本的には激しい音のエネルギーが放射され続けていく。ルイ=フェルディナン・セリーヌの代表的な小説『夜の果てへの旅』の一節を朗読するミシェル・シモンの声から幕を開ける後者は、セリーヌのもう一つの代表作『なしくずしの死』のタイトルにあやかった1975年の同名コンサートと、その二日前のリハーサルを兼ねたレコーディング・セッションを収録した2枚組の大作である。音楽的な性質を帯びる前にフレーズを切断していく円熟期の阿部の演奏を捉えた貴重な記録であり、聴き返すたびに快楽のポイントが変異していくような、彼が残した作品のなかでもっとも既存の価値基準の彼岸をいくサウンドとでもいうべき、アルト・サックスとソプラニーノを用いたソロ・インプロヴィゼーションのまさに極北をいく作品である。
『なしくずしの死』
『なしくずしの死』がリリースされた翌年の1977年から78年にかけて、やはり間章プロデュースによる海外のミュージシャンを迎えたスタジオ・セッションが録音されている。米国のドラマーであるミルフォード・グレイヴスとともにセッションをおこなった『メディテイション・アマング・アス』(1977年)は、阿部のほか近藤等則(トランペット)、高木元輝(テナー・サックス)、土取利行(パーカッション)が参加した作品だ。力強いドラミングを中心にクインテット編成で祝祭的な演奏をおこない、ミルフォードによるピアノおよびヴォイスの使用がスピリチュアルな雰囲気を醸し出すセッションのなかで、阿部はあくまでも全体のアンサンブルの一員としての役割を担っている。英国のギター奏者デレク・ベイリーが初来日した78年に録音された『デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション』(1978年)は、ミルフォードを歓待した国内メンバーに吉沢元治(コントラバス)を加えた計六人が参加し、ベイリーとともにデュオまたはトリオでのセッションをおこなっている。阿部はベイリー、高木とのトリオ・セッションに参加しており、同じサックス奏者である高木の演奏と比較することで阿部に独自の音の鋭さと切り込みの速さがより一層際立って響いてくることだろう。なお2003年に復刻された際、全メンバーが参加したセクステット編成での集団即興がボーナストラックとして付されることになったのだが、阿部が残した音源のなかで最も多人数であろうこの演奏でも彼のサックスの鋭さと独立独歩の精神は際立っている。
のちに音盤化された1975年のコンサート「なしくずしの死」の半券。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。
1978年に阿部が急逝すると、ドラマーの豊住芳三郎とのデュオ「オーヴァーハング・パーティー」のセッションを収録した『オーヴァーハング・パーティー』が翌79年に追悼盤としてリリースされた。ここで阿部はサックスのほかクラリネットやハーモニカ、ギター、ピアノ、マリンバなども演奏しており、まるで音遊びするかのような愉しさと、サックスだけでは決して到達し得ない音の領域を開拓する実験性を聴くことができる。81年にはデュオ作品として吉沢元治とのセッションを収めた『北〈NORD〉』がリリースされている。内容は『なしくずしの死』と同じ二種類の会場でおこなわれた演奏の記録である。静謐さのなかに一触即発の雰囲気を湛えたすこぶる緊張感あふれる音楽だ。一方で同年にリリースされた『彗星パルティータ』はソロ・アルバムで、阿部と親交の深かった劇作家で劇団駒場の主宰者・芥正彦プロデュースによる1973年の録音。70年代前半の阿部が到達した超絶的なテクニックをあますところなく収めており、高域の特殊な音響や地鳴りのような低域のノイズ、そしてフレージングの速度と、どれを取ってもきわめてレベルの高い内容となっている。さらにライヴ録音ではなく芥の自室兼劇団駒場のスタジオで録音されたということもあり、演奏がクリアな音質でダイレクトに耳に届くところも印象的だ。最後に付け加えておくと、評伝集『阿部薫1949 - 1978』(文遊社、1994年)で複数の人物が証言しているように、阿部が生きた時代にはライヴへと足を運んだ観客の一部が私的にカセットで演奏を録音し知人友人らとシェアしていた。それもまた録音物としての阿部の受容形態の一つであり、なかにはのちに発掘音源として音盤化された作品もある。
[[SplitPage]]再評価の機運──1980年代後半~ゼロ年代前半
およそ8年の空白を経た1989年、阿部のあらたなアルバムとして、死の約二週間前の演奏を捉えた未発表音源『Last Date 8.28, 1978』がリリースされた。同時に、阿部と同時代を生きた人々の証言や資料などを収集した『阿部薫覚書』(ランダムスケッチ、1989年)も刊行。これを契機に再評価の機運が高まっていった。『Last Date 8.28, 1978』にはサックス、ギター、ハーモニカの三つの演奏が収められており、なかでも死の間際とは思えない闊達自在なサックス演奏と、タンギングを駆使した独創的なハーモニカ演奏が特筆に価する。同作品をリリースしたディスクユニオンのレーベル〈DIW〉は続けて阿部が70年代後半に頻繁にライヴをおこなっていた東京・初台のライヴ・スペース「騒」での演奏を収録した『ソロ・ライヴ・アット・騒』シリーズを1990年から91年にかけて計10作品リリース。晩年の貴重な記録であるとともに、70年代前半とは異なる沈黙と間を取り入れた減算の美学とでもいうべき姿勢を聴き取ることができる。こうした傾向は『スタジオ・セッション 1976.3.12』(1992年)にも刻まれているが、特定のスペースにおける演奏を辿り直すことができる録音としては、福島のジャズ喫茶「パスタン」でおこなわれた演奏の記録が全12枚の『Live At Passe-Tamps』(1998年)シリーズとして発表されている。同シリーズには阿部がシンセサイザーやエフェクトをかけたハーモニカ、ギター・フィードバックを駆使したライヴなど、電子音楽あるいはミュジーク・コンクレートの音像にも近い実験的色合いの濃い演奏も記録されており、サックス奏者とは異なる彼の即物的な音響現象に注目していた側面を垣間見ることができる。
『Last Date 8.28, 1978』
〈DIW〉に加えて阿部薫再評価に貢献したもう一つの特筆すべきレーベルが、明大前モダーンミュージック店主でもあった生悦住英夫が主宰する〈PSFレコード〉である。同レーベルでは「J.I. COLLECTION」シリーズとして阿部薫をはじめとした日本のフリー・ジャズ黎明期の発掘録音を多数発表しており、『またの日の夢物語』(1994年)や『光輝く忍耐』(1994年)、『木曜日の夜』(1995年)といった70年代前半の切れ味鋭い阿部のソロ・インプロヴィゼーションの記録から、最初期の録音でありピアノとドラムスを率いたリーダー・トリオの音源『1970年3月、新宿』(1995年)、そしてかつて高柳昌行とともに「ニュー・ディレクション」として活動していたドラマーの山崎弘(現・比呂志)とのデュオを収めた『Jazz Bed』(1995年)などがリリースされている。また、やや時間をおいて2012年には「マイ・フーリッシュ・ハート」や「いそしぎ」など録音としてはあまり残っていないスタンダード・ナンバーを演奏に取り入れた『遥かな旅路』も発表。阿部は即興演奏のなかで繰り返し叙情的な旋律の歌謡曲やジャズ・スタンダード、あるいはポピュラー・ソングなどを取り上げ、あるときは原型がわからなくなるほどの解体と再構築を施し、あるときは演奏語彙のストックとしてサンプリングのように引用しているのだが、そうした彼の側面を見事に捉えた3枚のアルバムとして、1997年に徳間ジャパンのパンク/オルタナティヴ専門レーベル〈WAX〉から世に出されたドラマー佐藤康和(YAS-KAZ)とのデュオ作『アカシアの雨がやむとき』およびソロ作『風に吹かれて』『暗い日曜日』を挙げることができるだろう。
世紀転換後の2001年には〈DIW〉から高柳昌行と阿部薫のデュオ「ニュー・ディレクション」による音源『集団投射』『漸次投射』の2枚が発表された。『解体的交感』から数日後の演奏であるものの録音状態が大きく異なり、空間に迸るノイズをリアルに刻印したサウンドは一聴するだけでも圧倒される内容となっている。この時期、評伝集『阿部薫1949 - 1978』の増補改訂版が刊行されたほか、既発音源のリイシューなども盛んにおこなわれている。あらたな音源としてはさらに〈DIW〉から『Last Date 8.28, 1978』の翌日に録音された最晩年の作品である『The Last Recording』(2003年)がリリース。「騒」のシリーズをはじめ主に70年代後半の演奏を数多く世に出した〈DIW〉と、70年代前半の録音を立て続けに発表した〈PSFレコード〉の活動は、阿部薫の音楽性の変容を音響として明らかにし、約10年という短い活動期間に一つのパースペクティヴを与えることに資しただろう。なお90年代からゼロ年代にかけては海外のレーベルからも2枚のアルバムがリリースされている。デレク・ベイリー来日時のセッションを記録した『Aida's Call』(1999年)は音質が悪いものの資料的価値はあり、終盤では間章の声も聴くことができる。一方、豊住芳三郎とのデュオ「オーヴァーハング・パーティー」の演奏を記録した『Overhang Party / Senzei』(2004年)は、国内でリリースされた作品と同年のセッションだが内容は大きく異なり、アルト・サックスに徹した阿部が豊住の激しいドラムスと白熱したデュオを繰り広げる様子を聴き取ることができる。
[[SplitPage]]ポスト・インターネット時代──ゼロ年代後半以降
レコードやCDとしてリリースされた音盤は、すでにこの世を去った阿部薫の音楽を聴覚によって検証可能としたものの、数年経つと廃盤となることもあり、一般的なリスナーにとってはアクセスすることが難しい作品が多かった。しかしインターネットの普及はこうした状況を大きく変えていく。たとえば以前、とある海外のミュージシャンと会話した際、阿部薫の話題に花が咲いたことがある。その人物はアルバムをほとんどすべて聴いたことがあるというものの、聞けば自宅の近くに日本のマイナーな音盤を置いているレコード店はなく、フィジカルで所有することなくインターネットを通じて阿部薫の音源を聴き込んだらしい。たしかに骨董品として不当な高値で取引されている音盤は、マニアならいざ知らず、端的に阿部の音を聴きたいという異国の地で暮らすミュージシャンにとって、手の届く距離にあるものではないだろう。そしてそうした時代にあって阿部の音楽は否応なく音声ファイルの一つとして、伝説や物語から切り離された音響として、古今東西の音と等しくアクセス可能なものとしてインターネット上を浮遊しているのである──むろんそこにステレオタイプな日本趣味の眼差しを向けられることが皆無だとは言い切れないものの。いずれにせよかつて阿部が求めたような、既存のジャンルやイメージとしての音楽ではなく端的に音そのものであることは、いまや聴取環境の条件の一つとなっており、あらゆるしがらみから遠く離れて彼が残した音楽を聴き、演奏技術として模倣し、あるいは音響現象として検証することが可能な時代を迎えている**。
トリオ時代のニュー・ディレクションの音源は昨年『LIVE AT JAZZBED』として発掘リリースされた。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。
とはいえ一方ではゼロ年代後半以降も阿部の未発表音源は続々とリリースされている。東京・八王子のジャズ喫茶「アローン」が閉店するに際してサックス奏者の井上敬三、ドラマーの中村達也とトリオでセッションした約20分間の音源が収録されている『Live at 八王子アローン Sep.3.1977』(2015年)は、つねに独立独歩の精神を貫いていた阿部の共演者とのコミュニケーションが垣間見える記録だ。たしかに相手の音に露骨に反応することはないものの、共演者と無関係に音を出しているわけではなく、互いにソロ回しをしたり相手が演奏できる間を用意したりしていることがわかる。また豊住芳三郎とのデュオ・アルバム『MANNYOKA』(2018年)は海外からリリースされた作品で、『Overhang Party / Senzei』と同じくフリー・ジャズ的な熱狂が刻印されている。そして2020年前半には3枚の発掘音源が日の目を見ることとなる。『解体的交感』直前の高柳昌行とのデュオを収めた『STATION '70』は、とりわけ1曲目 “漸次投射” の繊細な音のありようがデュオの新たな価値を照らし出している。さらにこの二人にドラマーの山崎弘を加えた編成での録音が『LIVE AT JAZZBED』で、2012年に『未発表音源+初期音源』として出された劣悪な音源の一部で聴くことのできた幻のトリオを存分に堪能できるようになった。さらに『19770916@AYLER. SAPPORO』は札幌のジャズ喫茶「アイラー」での演奏を録音したものであり、スピード感あふれるパッセージやノイジーな特殊音響、間を重視したアプローチ、あるいは既存の楽曲を引用した聴き手の記憶をまさぐるような叙情性など、サックス奏者としての阿部の魅力が凝縮されて詰め込まれた稀有な作品となっている。
『19770916@AYLER. SAPPORO』(※録音年月日は正しくは1977年9月18日)
復刻盤を含めて阿部薫のアルバムは今後もリリースされ続けることだろう。まだ世に出ていないものの録音されているという証言が残された音源や、音盤化されることなくインターネット上で流通している未発表音源もある。だがその一方で彼の演奏を記録した音源はあくまでも有限であり、いずれはすべての録音が出尽くしてしまう日が来るはずだ。しかしたとえ阿部薫の生涯を記録したすべての音がアクセス可能となったとしても、それはそのまま彼の「本当の姿」に迫ることを必ずしも意味するわけではない。むろん事実としてより正しい情報に塗り替えられることはあるにせよ、わたしたちは聴き手としての有限な経験のうちで阿部薫の音楽を恣意的に切り取ることによってはじめて全体像を仮構することができるのであって、あらたなアルバムのリリースはサウンド像の完全性に向かうのではなく、むしろこうした切断の契機に多様性を担保するものであるに他ならない。そして彼の個人史はわずか29年間という短い尺度のなかに収めることができるのだとしても、この意味でわたしたちはこれからも録音物と阿部薫の音楽を異なるやり方で紐付けることによって連綿と受容史を紡いでいくこととなるに違いない。それは彼の音楽から価値を見出すためのあらたな基準を設定し、あるいは現在とは別種の聴き方を生み出し、さらには彼の演奏の録音を立脚点とするあらたなミュージシャンの試みを創出することへと向かい続けるだろう。
(註)
** ところで阿部薫の音楽がときに難解なものとして一般的なリスナーを遠ざけてしまうことには、少なくとも「価値基準の複数性」と「神秘化」という二種類の要因があるように思われる。前者はたとえば運指の速度やアタックの強度、ノイジーな音色など高度な演奏技術の快楽的側面に加えて、ノスタルジーを喚起させる旋律の引用や間を重視した表現主義的なアプローチ、あるいはどんな快楽にも寄り添うことのない非イディオム的な即興演奏、さらにアルト・サックスを用いた圧倒的な個性とは真反対をいくような匿名的な多楽器主義など、一つの評価軸には回収することのできない、場合によっては矛盾し得る複数の価値が彼の音楽には同居しているのである。後者については阿部薫存命中に代表作をプロデュースした間章による晦渋なテキストはもとより、80年代後半以降の再評価時代に一部の支持者が実際にライヴを経験しない限り検証不可能な現象を説明抜きで称揚したことも挙げることができる。たとえば1991年に放送された深夜番組『PRE STAGE・異形の天才シリーズ①〜阿部薫とその時代〜』で議論された「演奏していないにもかかわらず、音が出ている」というあたかも耳音響放射のような体験を「わかる人にはわかる」と片付けてしまうことは、その真偽を検証することのできない後続の世代には知り得ない「神秘」を否応なく呼び込んでしまう。そして以上のような「価値基準の複数性」および「神秘化」のいずれにおいても、一般的なリスナーが聴くことを楽しもうとするや否や「阿部薫の魅力はそんなところにはない」というエリート主義的な文言が壁のように立ちはだかってきたのである。しかし本稿で主張しているように阿部薫のサウンド像に「真の姿」などというものは存在せず、どのような価値基準の側面であっても、あるいはたとえ録音物であっても、それぞれのリスナーがそれぞれの視点から魅力を感じ取ることができるはずだ──むしろそのように非エリート主義的な開かれた音楽である点が阿部薫の最大の魅力だと言えるのではないだろうか。
打ち震えよ。ゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーの新作が出る。2017年の『Luciferian Towers』以来、4年ぶりとなるアルバムは『G_d's Pee AT STATE'S END!』と題されている。「国家の終わりに神さまのおしっこ!」とでも訳せばいいだろうか。彼らには圧倒的なサウンドの強度と、そしてアティテュードがある。怒りも悲しみも併せ呑みながら、GY!BEは現代のサウンドトラックを奏でつづける……発売は4月2日、〈Constellation〉から。
4521.0kHz 6730.0kHz 4109.09kHz from Constellation Records on Vimeo.
ロンドン郵便番号抗争はUKドリルにおけるメイン・トピックであるが、特に今回紹介する Digga D はその抗争の最前線のラッパーだ。Digga D が所属する Ladbroke を拠点とするギャング「CGM」は Fredo が所属する HRB と対立している(彼らの因縁は刑務所の中ではじまったという噂もある)。その対立は音楽的な競争という形で現れる。2月には Digga D のミックステープが Fredo のアルバムとほぼ同タイミングでリリースされており、実際の彼らのライバル関係を踏まえてこの作品は聴かれるはずだ。
Digga D のキャリアを簡単に紹介すれば、2018年にフリースタイル動画で注目を集めたものの、同年、MVの撮影中に敵のギャングへの襲撃未遂の嫌疑で逮捕され、CBO(Criminal Behaviour Order)と呼ばれる、監視下の状態に置かれた。これは2000年代にロンドンの数々の海賊ラジオを取り締まった ASBO に代わる法的手段であり、「治安維持」を目的にドリル・ラッパーに活動の制限を課している。釈放後も Digga D の足には常にGPSトラッカーが付けられ、ミュージックビデオはロンドン警察のレヴューなしで動画アップロードすることはできなくなった。(こうした監視や検閲に対する批判はUK国内でもあり、BBC Three ではドキュメンタリーとしてまとめられている)
四度の服役や、2019年には刑務所で目を刺され片目を失明するなどの困難もありながら、彼の勢いは止まらなかった。刑務所にいる期間にリリースされた 1st Mixtape に収録された “No Diet”(「コークはダイエットってことじゃない」という直球パンチライン)がヒットし、昨年は “Woi”(本作に収録)のヒットなど破竹の勢いで活躍を続け、2月には 2nd Mixtape『Made in the Pyrex』がリリースされた。
前置きが長くなってしまったが、このアルバムはまさにローカルのギャングに対するメッセージがメインの作品だ。LAの Crips のように青いバンダナを旗のように掲げ、リリックにはだいたい敵側のメンバーの名前が入っている。ピー音で隠されているが、その直前のラインの韻から容易にその敵側の固有名詞が想像できる。グライムやフリースタイルで披露していた少し昔ながらのフローをリヴァイヴァルする “Bring It Back” で AJ Tracey が参加しているのも、AJ Tracey の地元が Digga D と同じ「Ladbroke Grove」だからであるし、“Folknem” に参加している Sav’O や ZK は Digga D が所属するギャング「CGM」のメンバーである。
45を撃て、トーラスに照準を合わせろ
俺たちは1対1(1 for 1)、非通知着信(141)みたく*
LOL、ナイフを手に持てよ
サウナをオープンしなくちゃな
ブリーチで肌が焼ける、8月みたく**
俺たちは Tallerz みたく、今でも危険を冒す“No Chorus”
* イギリスでは電話番号の頭に141をつけると非通知着信になる
** 銃を打った後に手についた火薬を洗浄するため
彼がここまでヒットしている理由はそのポップさにもある。“Woi” や “Bluuwuu” のような被せを上手く曲の中に取り入れて、音楽をポップに響かせる。音楽だけでなくダンスムーヴも必ず取り入れている。“Chingy” は「Chinging」(「刺す」というスラング)とUSのラッパー「Chingy」を掛けた言葉であるが、手を重ねるようなダンスムーヴが Tik Tok でバイラルヒットしている。いまや Tik Tok でのバイラルヒットはUKドリルでもヒットの必要条件であろう。
@mixtapemadness ♬ Chingy (It’s Whatever) - Digga D
後半の流れではダンスホール・チューン “Window” で、ジャマイカ・ルーツを反映したパトワでのラップが非常に新鮮に感じた。王道で攻めた13曲は全てギャングスタについて歌ったものだ。自分のビジネス、ギャングにとことん拘る姿勢、そしてストリートの揉め事の渦中にあるスキャンダラスな存在として、いまUKストリートの中心にいるラッパーのひとりだ。
現代における「プログレッシヴ」とは何か?
ジャンル誕生から半世紀を経て、いまやオルタナティヴ/ポスト・ロック等あらゆる音楽性をも吸収し、かつてなく広大で多岐に渡る百花繚乱さを誇る現在のプログレッシヴ・ロック、そしてプログレッシヴ・メタル。
現代シーンに大きな影響を与えたスティーヴン・ウィルソン/PORCUPINE TREEや、DREAM THEATER、クラシックなプログの精神を継承し続けるTHE FLOWER KINGSやSPOCK‘S BEARD/ニール・モース、そしてMARILLIONからANATHEMAに至るまで、現代プログの全容を、2000年代以降の作品を中心とした500枚以上に及ぶディスクガイドとして包括的に紹介。
マイク・ポートノイ、スティーヴン・ウィルソンのほか、OPETHやDEVIN TOWNSENDの敏腕マネージャーとして知られるNorthern Music Co.社長アンディ・ファローといった、プログ界キーパーソンの独占インタビューも収録。
その他レビュー掲載アーティスト: BETWEEN THE BURIED AND ME、CIRCUS MAXIMUS、LEPROUS、HAKEN、THE MARS VOLTA、MESHUGGAH、TOOL、ULVER …and so on!
監修・ディスク選: 高橋祐希 with Prog Project(櫻井敬子/楯 弥生/井戸川和泉)
執筆陣(50音順): 井戸川淳一/大越よしはる/奥村裕司/川辺敬祐/渋谷一彦/鈴木喜之/清家咲乃/関口竜太/長坂理史/中島俊也/夏目進平/西廣智一/平野和祥/高橋祐希/櫻井敬子/楯 弥生/井戸川和泉
[目次]
Introduction
DREAM THEATER
Interview: Mike Portnoy
DREAM THEATER 解説: 高橋祐希
Disc Review DREAM THEATERと関連作品
Related Recommendations
Interview: ARCH ECHO
コラム: '80年代メタルに継承され変異を遂げたプログ・ロック独特の物語性と異端性 by 平野和祥
STEVEN WILSON
Interview: Steven Wilson
Steven Wilson 解説: 櫻井敬子
Disc Review Steven Wilsonと関連作品
Related Recommendations
コラム: トラヴィス・スミスのアートワークの世界 by 井戸川和泉
MARILLION
MARILLION 解説: 高橋祐希
Disc Review MARILLIONと関連作品
Related Recommendations
Interview: THE OCEAN
THE FLOWER KINGS
THE FLOWER KINGS 解説: 長坂理史
Disc Review THE FLOWER KINGSと関連作品
Related Recommendations
SPOCKʼS BEARD & NEAL MORSE
SPOCKʼS BEARD 解説: 関口竜太
Disc Review SPOCKʼS BEARDと関連作品
Related Recommendations
コラム: 今だから語りたい世界のプログ・フェス by 渋谷一彦、楯 弥生、櫻井敬子、奥村裕司、高橋祐希
ANATHEMA
ANATHEMA 解説: 井戸川淳一
Disc Review ANATHEMAと関連作品
Related Recommendations
Interview: Andy Farrow
掲載アーティストIndex
[監修者プロフィール]
高橋祐希
音楽ライター。『ヘドバン』『EURO-ROCK PRESS』誌でコラム連載中。AERIAL名義で即興ノイズ/アンビエント音楽も演奏。https://twitter.com/yuki_sixx
櫻井敬子
1999~2009年『EURO-ROCK PRESS』編集部に在籍後、3年間のデザイン留学のため渡英、現地のプログ・シーンを肌で感じて帰国。本書では主に企画・編集を担当。
楯 弥生
ライヴが生き甲斐で、何度も欧州遠征するうちに、いつか日本で『Be Prog!』のようなフェスを開催したいという野望を抱き始め、あれこれ画策中。本業はデジタルマーケター。
井戸川和泉
QUEENSRŸCHEの「Empire」のアートワークに衝撃を受け、デザイナーになることを決意したグラフィック・デザイナー。デヴィン・タウンゼンド教信者日本代表。
Prog Project Twitter
https://twitter.com/prog_project
[お詫びと訂正]
【オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧】
◆amazon
◆TSUTAYAオンライン
◆Rakuten ブックス
◆7net(セブンネットショッピング)
◆ヨドバシ・ドット・コム
◆HMV
◆TOWER RECORDS
◆紀伊國屋書店
◆honto
◆e-hon
◆Honya Club
◆mibon本の通販(未来屋書店)
【全国実店舗の在庫状況】
90年代から活躍するシンガーソングライターであり、ビルド・アン・アークなどとのコラボでも知られるLAのミア・ドイ・トッドが新作をリリースする。芯がありつつも透き通った歌声は健在、ゲストたちも非常に豪華だ。ジェフ・パーカーにサム・ゲンデル、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、そしてララージまで。注目の1枚です。
MIA DOI TODD
Music Life
空間を浄化させる神秘的な歌声を持つ、ミア・ドイ・トッドのニュー・アルバム!! ロサンゼルスでレコーディングされたこのアルバムには、ジェフ・パーカー、マネー・マーク、ファビアーノ・ド・ナシメント、サム・ゲンデル、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、ララージ等がゲスト参加した、至福の1枚。ボーナス・トラックを加え、日本限定盤ハイレゾ MQA 対応仕様のCDでリリース!!
Official HP :
https://www.ringstokyo.com/miadoitoddml
ミア・ドイ・トッドのLAの自宅を取材で訪れたのは、もう10年以上前のことだ。カルロス・ニーニョも一緒にいた。あの頃、ビルド・アン・アークでも歌っていたミアは、特別なシンガーソングライターだった。誰もが彼女の才能を讃えていた。現在の彼女も変わることなく、ジェフ・パーカーやサム・ゲンデルら新たな仲間たちの素晴らしいサポートも受けて新作を完成させた。これは、音楽に包まれる歓びに溢れたアルバム、そう断言できる。(原雅明 rings プロデューサー)
アーティスト : MIA DOI TODD (ミア・ドイ・トッド)
タイトル : Music Life (ミュージック・ライフ)
発売日 : 2021/4/21
価格 : 2,800円+税
レーベル/品番 : rings (RINC76)
フォーマット : MQACD (日本企画限定盤)
* MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。
Tracklist :
01. Music Life
02. Take Me to the Mountain
03. My Fisherman
04. Little Bird
05. Mohinder and the Maharani
06. If I Don't Have You
07. Wainiha Valley
08. Daughter of Hope
+Japan Bonus Track
ついにこの日が来てしまったか。2週間前にUロイの訃報を聞いたショックも冷めやらぬうちに、レゲエ史上最高のグループであるボブ・マーリー、ピーター・トッシュとのオリジナル・ウェイラーズ最後の生存者、“ジャー・B”、バニー・ウェイラー(ネヴィル・リヴィングストンOM)が浮世を去った。つまりただの訃報ではない。ひとつの歴史の終焉の知らせである。
73歳はいかにも早いし、Uロイより5歳も若い。しかし多くのファンは、そうしたことが起きはしまいかと心配していたと思う。2年前に軽い脳卒中を起こし、昨年の夏に再度の卒中に見舞われていた。その直前の5月末、彼が長年連れ添ってきた妻が失踪したニュースが報じられ、世界中のファンが心を痛めていた。その妻は、ウェイラーズのアイランドからのセカンド・アルバム『Burnin'』の「Hallelujah Time」や「Pass It On」に作曲者としてクレジットされているジーン・ワットである。家族は懸賞金を出し、報道やSNSでも情報が拡散されるうちに夫ジャー・Bの憔悴も伝えられるようになり、その矢先の入院だった。結局、シスター・ジーンとの再会を果たすことなく、そのキングストンのアンドゥルー・メモリアル病院にてこの3月2日を迎えた。
最初期の名義はWailing Wailersだったし、彼らはWail 'N Soul 'Mというレーベルも持った。バニー・ウェイラーは、その“嘆き悲しむ(wail)”人民の代弁者たるグループの宿命を名前に引き取り、その偉業を最後まで守り、体現し続けた人物である。そして最後の最後まで、その名の通り嘆き悲しんだ人生だったことになるだろう。
スタジオ・ワンでのスカ期の作品『The Wailing Wailers』、また『Soul Rebels』に代表されるリー・ペリーとの名作群、アイランドからの『Catch a Fire』と『Burnin'』までのウェイラーズ期は、レゲエうんぬん以前に、全ポピュラー音楽ファンにとっての必須科目と言える。しかし、ソロ第1作、1976年の『Blackheart Man』はといえば、それもまた誰も疑う者のないルーツ・ロック・レゲエの金字塔であり、おそらくマーリーも含めたアイランド・レーベルの全レゲエ作品の中でも最高傑作と言えそうな逸品だ。その次作『Protest』は、個人的にレゲエに開眼した一作だった。レゲエのレの字も知らない時分に聴いて、雷に打たれたようなショックを受けた。そのあともウェイラーは、ルーツ・マスターでありながら、ファンクもダンスホールもラップも取り入れるオープンな音楽性で魅せてくれた。
その反面、マーリーやトッシュのようなメディア好きのする派手な露出もキャッチーな言動もなく、目立たないところで黙々と作品を作っていた、というのが80年代までの彼に対する一般的なパブリック・イメージだろう。一説によると、ソロ・デビューから6年は本国ジャマイカでもステイジに立たず、飛行機嫌いということもあってか10年間はアメリカ公演の記録も残っていないらしい。しかし一度ステイジに立てば3時間に及ぶマラソン・ライヴを敢行し、とにかくそのショウは物凄いらしいという噂が世を駆け巡るも、ヨーロッパの地さえ初めて踏んだのが1990年、そして日本でその勇姿を拝むにはさらにもう少し待たなくてはならなかった。
1992年だったか、93年だったかだけが今、定かではない。実現した来日公演は、東京有明コロシアムで3夜連続という、ちょっと今では考えられない規模の大イヴェントであった。前座にスライ&ロビー・ショウケイス(アネット・ブリセット、ハーフ・パイント、マイケル・ローズ)を据え、そのあとでウェイラーはスピリチュアル・ルーツ・セットとダンス・セットの2部構成で計2時間半歌いまくり、そのパフォーマンスの厚みと凄みを目の当たりにして畏怖の念に打たれつつ、食い入るように聴いた。あの3日間の屋外公演は過去に体験したレゲエ・ショウの中で最も印象深いもののひとつだ。後年パリで見たライヴ・ハウス公演は本当に3時間あったが、うち結構な時間がありがたいお説教であった。それも忘れ難い思い出だ。
ここ最近では、アディダスのTシャツ事件が心に残っている。エイドリアン・ブートが撮影した上半身裸でサッカーに興じている70年代のウェイラーの有名な写真がある(『GQ』の〈The Last Wailer〉という記事で使われているこれだ)。アディダス社はこの半裸姿に自社のTシャツを着せたグラフイック加工を施し、それをプリントしたTシャツを製造、世界中で販売したのである。ぼくが1枚のTシャツに5千円を払ったのは人生でただの1度きりだ。しかし、のちの報道で驚かされる。そのTシャツのことをウェイラー本人が知らされていなかったのだ。彼が抗議すると、アディダス社はたった3,000USDでことを収めようとし、オリジナル・ウェイラーズ、かつ3度のグラミー受賞者に対するその不誠実な謝罪の態度に激怒したウェイラーは2013年、同社を相手どって1億USDの損害賠償訴訟を起こした。こちらも気の毒でそのTシャツを着る気がしなくなったので実害を被ったことになるが、それよりあの大企業の商品の企画から製品化までに関わった人たちが、誰もバニー・ウェイラーを知らなかったことにショックを受けた。あの大企業がグラミー受賞者の写真を本人に無断で使うわけがない。
彼にとって自分のプライドが傷つけられたことは、ウェイラーズのレガシーに対する侮辱でもあった。加えて、知らないうちに自分が巨大多国籍企業の金儲けのタネにされていたのだ、それも“名も無いラスタ”と思われて。ジャー・Bは、気がつけば自分が「バビロンとは何か?」という問いに対する相当な模範解答の渦中にいたのである。
それとは全く規模が違うが、ぼくにも、彼の気位の高さを個人的に実感した思い出がある。ユニバーサルからアイランド・レーベルの音源を使ったコンピレイションCDの制作を依頼された際、その1曲目に『Protest』収録の“Get Up Stand Up”を持ってこようと考えた。マーリーとトッシュの共作曲をウェイラーが歌う、オリジナル・ウェイラーズ、ひいてはアイランドのレゲエ・ラインを象徴する1曲としてだ。そして同曲を起点にしてアーティスト十数組の曲をセレクトしたが、他の全員が使用を許諾してくれたのに、バニー・ウェイラーただひとりが許可してくれなかったのである。コンピレイションなんぞに入れてくれるな、ということらしかった。お陰でアイディアをいちから練り直すことになったのだったが、彼の人となりを身近に感じられた気がして妙に嬉しかった。
そんな風に自分の人生と作品に関してのみならず、彼がラスタファリアンとしても持っていた揺るぎないプライドは、アディダスの件と同じ2013年、レゲエ・ファン以外にも例のスヌープ・ライオンの一件で知られるところとなった。スヌープ・ドッグが改名、ルーツ&カルチャーに接近し、レゲエ・アルバムを出したときの話である。自分がボブ・マーリーの生まれ変わりだと主張し、マーリーの家族が歓迎してくれたことでその転身を正当化した。その宗旨替えについてのドキュメンタリー映画『スヌープ・ドッグ/ロード・トゥ・ライオン』まで観た上でウェイラーは、スヌープがマーリーの名を汚し、ラスタファリアンの“シンボル”の数々を商売のために不正に利用しており、その言葉にも態度にもラスタを名乗る資格など全く認められないと喝破したのであった。マーリーの家族が歓迎したというが、その家族の誰よりも前にマーリーとトレンチタウンの一つ屋根の下で暮らす家族だったのは彼なのである。その言葉のインパクトがどれだけ重たいものだったかは、スヌープ・ドッグのその後が物語っている。
これでオリジナル・ウェイラーズはみな鬼籍に入った。いい音楽をたくさん残してくれたことに心から感謝したい(と思える人は、実はそんなに多くない)。そしてシスター・ジーンのことが心配である。認知症を患っていたらしい。ジャー・Bもバビロンにいつまでも心が残ってしまう。
マンチェスターのレーベル〈Gondwana〉からの諸作で頭角を現し、独自のやり方でジャズとエレクトロニック・ミュージックをつなぐ試みを実践、近年は名門〈Blue Note〉から作品を発表しつづけているゴーゴー・ペンギンが、初のリミックス・アルバムをリリースする。
リミキサー陣にはコーネリアス、マシーンドラム、スクエアプッシャー、ネイサン・フェイク、808ステイト、ジェイムズ・ホールデン、クラークらが名を連ねており……これは、テクノではないか!(〈Gondwana〉のポルティコ・クァルテットも参加)。
長年コンセプトを温めていた企画だそうで、仕上がりが楽しみです。現在、マシーンドラムによるリミックスが先行公開中。か、かっこいい……
2020年にリリースした最新作『ゴーゴー・ペンギン』のリミックス・アルバムが登場。
コーネリアス、Yosi Horikawa をはじめ世界最高峰のアーティストが参加!
ゴーゴー・ペンギン / GGP RMX
2021年5月7日発売[世界同時発売]
SHM-CD:UCCQ-1138 ¥2,860 (tax in)
●クリス・イリングワース(p)、ニック・ブラッカ(b)、ロブ・ターナー(ds)からなるマンチェスター発の新世代ピアノ・トリオ、ゴーゴー・ペンギン。ジャズ/クラシック/ロック/エレクトロニカなど幅広い影響を感じられるサウンドは唯一無二、ピアノ・トリオというフォーマットの可能性を広げた稀有な存在で、2009年の結成以降世界中から大きな称賛を集めています。
2020年には名門ブルーノートから3作目となるアルバム『ゴーゴー・ペンギン』(UCCQ-1124)をリリース。自らのバンド名を冠した自信作で、大きな反響を呼びました。
●本作はそのセルフ・タイトルド・アルバム11曲のうち10曲について新たなリミックスを施した、バンドが数年にわたりコンセプトを温めていたというリミックス・アルバム。
世界最高峰のリミキサーが名を連ねる中、日本からはコーネリアスと Yosi Horikawa (ヨシホリカワ)が参加しています。
1曲目の “コラ (Cornelius Remix)” を手掛けたコーネリアスの小山田圭吾は、「remixerに 808 state が入っていて、マンチェの血を感じました。ゴーゴー・ペンギンは、ヒプノティックな生演奏が魅力なので、なるべく彼らの演奏を残したいと思いました。世の中が落ち着いたら、ライブを見に行ってみたいです」とコメントしています。
また、ピアノのクリス・イリングワースはこのトラックについて、「コーネリアスのミックスは知的で美しく、アルバムの始まりとしてとても良いと思ったよ。ピアノのメロディをシンセのラインと併せて再配置することでそのメロディがより強調されて、楽曲に新しくて個性的なキャラクターを加えている。リミックス・アルバムにピッタリさ」と語っています。
●もとよりエレクトロニカ的な色も濃いゴーゴー・ペンギンのサウンドだけに、リミックスとの相性は抜群。
バンドのミュージシャンシップやユニバーサルなサウンドを違った形で体感出来る充実の仕上がりとなっています。
収録内容
01. コラ (Cornelius Remix) (4:22)
02. アトマイズド (Machinedrum Remix) (6:15)
03. エンバース (Yosi Horikawa Remix) (4:09)
04. F・メジャー・ピクシー (Rone Remix) (4:17)
05. F・メジャー・ピクシー (Squarepusher Remix) (6:22)
06. オープン (Nathan Fake Remix) (4:33)
07. シグナル・イン・ザ・ノイズ (808 State Remix) (5:38)
08. トーテム (James Holden Remix) (8:16)
09. トゥ・ザ・Nth (Shunya Remix) (6:51)
10. プチア (Clark Remix) (6:25)
11. ドント・ゴ ー (Portico Quartet Remix) (5:44)
セルビアのアンビエント・アーティストであるアブル・モガードの新譜『In Immobile Air』(https://abulmogard.bandcamp.com/album/in-immobile-air)がリリースされた。「不動の空気で」と名付けられたこのアルバムは、古いベヒシュタイン社製アップライトピアノの音を加工して制作されたアンビエント/ドローンである。アルバムはイタロ・カルヴィーノの短編小説にインスパイアされているようだ。印象的なアートワークは1983年生まれのイタリア在住のアーティスト、マルコ・デ・サンクティスの手によるドローイングで、彼が作り出したイメージは本作のフラジャイルなムードを見事に体現している。
この『In Immobile Air』に収録された全5曲、どの楽曲も静謐さと透明な哀しみが、微かな音響と音楽のなかで儚げに交錯している。この濃厚なノスタルジアに満ちたサウンドスケープは、名盤の誉れ高い『Kimberlin - Music From The Film By Duncan Whitley』を超えている。まさにモガードの最高傑作ではないか。
まずアブル・モガードのリリース歴を簡単に振り返っておきたい。彼にはある「謎」がある。モガードはドゥーム・サウンドの伝説的バンドであるアースの元メンバーであるスティーヴ・ムーアらが主宰する〈VCO Records〉から『Abul Mogard』(2012)、『Drifted Heaven』(2013)、Justin Wiggan、Siegmar Fricke らとの共作『Lulled Glaciers』(2014)などの初期作品をリリースした後、Walls が〈Kompakt〉傘下で運営するエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Ecstatic〉から2015年に『The Sky Had Vanished』と『Circular Forms』などの傑作アンビエント・アルバムをリリースした。以降、同レーベルから継続的にアルバムを発表している。
2017年には〈Ecstatic〉からマウリツィオ・ビアンキとのスプリット『Nervous Hydra / All This Has Passed Foreve』をリリースした。日本のアンビエント/エクスペリメンタル・マニアにモガードの名が知れ渡ったのは、このアルバムではないかと思う。
続く『Above All Dreams 』(2018)、『Kimberlin - Music From The Film By Duncan Whitley』(2019)などの〈Ecstatic〉からのアルバムもアンビエント・マニアから高く評価された。ちなみに2016年に〈Ecstatic〉から〈VCO Records〉時代の曲のコンピレーション盤『Works』もリリースされている。
それらのサウンドはどれも深いノスタルジアを湛え、まるでアンドレイ・タルコフスキーの長編映画『ノスタルジア』(1983)のイメージやサウンドを想起させてくれるような音響空間を生成していた。セルビアというヨーロッパのバルカン半島から発表されたアンビエントということもあり、聴き手のイマジネーションをおおいに刺激もした。そしてもうひとつ、われわれを強く惹きつけたことがあるのだ。
そもそも彼は誰なのか。
「セルビア出身の老齢の男性。長年勤めた金属工場を退職した後、自らの孤独を慰めるために、工場で聴こえた音をシンセサイザーで作りはじめた」というのが、その初期からレーベルなどによって提示されてきたモガードの基本的なプロフィールであり、人物情報だ。
だがこのあまりに魅力的な、かつできすぎといえる「インダストリアルな経歴」を持った人物像の真意はいまのところ分からない。事実かもしれない。そうでもないかもしれない。じっさい2017年にベルリンの Atonal で披露されたライヴでは彼の姿は光のスクリーンの向こうに隠れてはいたものの、その微かに見えるシルエットは流布されていたモガードの写真(高齢の男性の写真だ)から連想されるものとは異なっていたようなのだ。
もしかすると「モガード」という人物自体が虚構であり、存在しないかもしれないという可能性も十分にありえる。だがそのような偽装された経歴・匿名性は、この種のエクスペリメンタルな音楽にあってはそれほど不思議なことではない。
同時に彼の作り出してきたアンビエント/アンビエンスは、「長年金属工場を勤め上げた初老の男性が作り上げたアンビエント音楽」というコンセプトを十分に体現するようなサウンド/トーンだったことも事実だ。淡い霧のような音の持続は、インダストリアルな音が記憶の層に溶け合ったかのような音響空間を生成しており、深いノスタルジアを醸し出している。
事の真意ですらもモガードのアンビエント/アンビエンスの霧の中に溶け込んでいってしまっている。とすれば聴き手としては、その虚構の音響的時間の中に虚構ゆえの真実を聴きとり、充実したリスニング・タイムを送ることができれば十分だという見方もある。この種のエクスペリメンタルな音楽において、経歴疑惑問題は大きな問題ではないのだ。だが同時に「高齢の男性」というイメージによる操作がおこなわれていることも事実なのだ(エイジズム? 初期の頃に発表された初老の男性とは?)
とはいえ事実が明らかになっていない以上、これ以上の追求はできない。たとえ彼の真の経歴の真意=正体が業界内でのコンセンサスであったにしても、われわれ聴き手は一旦は受け入れるしかないのだ。アーティストが作り出した音を聴くこと。ただ、それだけだ。そう考えると、モガードの謎に満ちた経歴は、むしろ作品をただ聴いてほしいという意志の表れかもしれない。
それらをふまえた上で、もう一度、モガードの音を聴き入ってみよう。やはり彼のアンビエント/アンビエンスは圧倒的に素晴らしい。かつてのフェネスやティム・ヘッカーほどの分かりやすい先端性はないが、彼らのリスナーをも強くひきつける美しい音響を生みだしている。濃厚なノスタルジアは聴き手の聴覚とイマジネーションを深い霧を湛えた森に誘う。加えてアップライトピアノを用いたことによって、本作『In Immobile Air』ではクラシカルな要素も表出しはじめた。その結果、音楽と音響の境界線が溶け合っていくような感覚を与えてくれる。
『In Immobile Air』は非常に充実したリスニングを与えてくれるノスタルジア・アンビエントだ。謎に満ちた彼の経歴のことは、いまのところ詳細不明で良いのかもしれない。とにかくこの美しい音はここに実在するのだから。
経歴や物語に左右されず音を聴くことを彼は教えてくれる。モガードの音楽と存在は虚構と現実のあいだを彷徨いつつも、その果てにある音の空間に深く没入させてくれるのだ。そんな稀有なアンビエント・サウンドスケープがここにある。
〈ミュート〉が仕掛けるテレックス回顧プロジェクト、まずはその挨拶状的なベスト盤『this is telex』は4月30日にリリースされるのは既報の通りなのですが、昨日、その先行シングルの第二弾としてザ・ビートルズの“ディア・プルーデンス”のカヴァーが発表されました。これは未発表だったカヴァーなので、いきなりこれ公開しちゃうのかよーと思ったファンも少なくないでしょう。
ちなみに『this is telex』は、彼らのファースト・アルバム『テクノ革命』から2006年のカムバック作『How Do You Dance?』までの全キャリアから選曲されていますが、アルバムの冒頭と最後は未発表曲(しかもどちらもカヴァー曲)という、憎たらしい構成となっています。“ディア・プルーデンス”は同アルバムのクローザートラックです。
なお、〈ミュート〉の日本の窓口である〈トラフィック〉を通じて、細野晴臣からのコメントも発表されました。細野晴臣がプロデュースしたコシミハルの『Tutu』(1983年)において、テレックスの“L'Amour Toujours”が日本語でカヴァーされていますが、これは当時ブリュッセルにあったテレックスの自前スタジオ(Synsound Studio)での録音です。細野晴臣&コシミハルはそのスタジオを訪れているんですね。ちなみにバンドの中枢だった故マルク・ムーランも『Tutu』の“L'Amour Toujours”でシンセサイザーを弾いています。
■細野晴臣コメント
「先日Miharu Koshiと最近のフランスの新しいPOPSを聴いていて、『これはTelexみたいだ』と話してたんです。Telexのような音楽は今や普遍的なPOP MUSICになったんだと思いました。Telexの皆さんとセッションした暑い夏のブリュッセルがとても懐かしく、優しい心で迎えてくれたことを感謝してます。マルク・ムーランさんの逝去、とても残念ですが、きっと彼も僕たちと同じく、ベスト盤のリリースを喜んでいることでしょう。また、近い将来、あなたたちの新作が聴ける日を楽しみに待ってます」