「K A R Y Y N」と一致するもの

Second Woman - ele-king

 テクノに関して言えば、ぼくには問題点がひとつある。ぼくがもうすでに良いテクノをたくさん知っているということだ。みんなより早く生まれたお陰で、オウテカやベーシック・チャンネルの時代から聴いてきた。IDMというタームが出てきた時代も経験している。ぼくはいまでも日常的にエレクトロニック・ミュージックを聴いているけれど、新作に関しては年々おっくうになってる。すでに自分の日常には、魅力的なテクノがたくさんあるからだ。とはいえ、やはりどうしても飽きる。その多くに関して言えば、高尚なアートなんぞではなく、そして取り立てて言うほどの感情移入もない、ある種の刺激物として消費しているのだから無理もない。それはこの音楽の出自を考えればすぐにわかることだ。
 で、だったら新しいのを聴こうという気になり、本作のように情報としての共有に値する秀作に手を出すハメになる。こちら〈エディションズ・メゴ〉のサブレーベルからリリースされた、BelongのメンバーとTelefon Tel Avivのメンバーのふたりによるプロジェクトで、文句なしに素晴らしい最新エレクトロニカである。
 ミニマルであってミニマルでない。反復されるが不規則で、複数のレイヤーがそれぞれずれていく。単純な快楽主義ではないのだが、彼らはそこを〝聴かせる〟次元にまで押し上げている。オウテカがミニマルをやったと喩えてもいいな。音響体験としてのスリルがあるのだ。

 昔からぼくはエディットが細かいものが好きなので、気が滅入るほどの細かいチョップも心地良く、スラップスティック風に耳を刺激するし、ベーシック・チャンネル以降、マーク・フェル以降にも対応している。
 オウテカの新作も良さそうだし、テクノ(IDM寄りのほう)が盛り上がっているのは確実だ。20年前にエレクトロニカが好きだった人も、いままたこのサブジャンルに注目してもいいかもよ。まあ、ある種の刺激物として。

interview with All We Are - ele-king


All We Are
All We Are

Double Six / ホステス

Indie RockElectronicSynth-Pop

Tower HMV Amazon

 ジアゼパム(催眠鎮静薬)を飲んだビー・ジーズ、というような表現も見かけた。オール・ウィ・アーを名のる彼らは、ライやインクのようなオルタナR&Bのフィーリングを──スムースでヒプノティックなヴァイヴを宿した、リヴァプールのアート・ファンク・トリオだ。

 可能なかぎりソフトな、壊れそうに繊細な音やヴォーカリゼーションは、どこか潔癖的な印象を誘い、当時彼ら自身も比較されたようにチルウェイヴの面影を残している。けっして、マニアックで、テクニカルで、ソウルへの造詣が深い、というタイプの人たちではない。しかし、こんなに穏やかながら、ジャムを楽しんでいる感触がつたわってくる。それはそうだ、彼らは3人とも教育を受けたギタリストだったにもかかわらず、バンドをやりたいがためにパート替えまでして、イチから楽器を習得しているのだから。それぞれリヴァプールにやってきて音楽を学び、いっしょにバンドをやりたいがためにかの地に残った、その気持ちのようなものが透けてくる。

 オール・ウィ・アーは、そんな「ささやかな」バンドだ。〈ドミノ〉傘下のレーベルと契約したとか、あるいは、クールなR&Bマナーだというようなことにかかわらず、それはあたたかみあるスモール・ミュージックであり、親密な場所で鳴っていてほしいと感じさせる音楽である。

 しかし、その優しさと親密さにはもう少しディテールがある。彼らがそれぞれ国籍もバラバラで、帰属する場所を持たないバンドだということだ。以下につづくように、それは「どこにもビロングできない」と語られることもあれば、「ノマディック」だとポジティヴなニュアンスとともに表現されることもある。アイルランド、ノルウェー、ブラジル、故国もまた外国のような感覚になってしまっている彼らにとって、自分たちの居場所は、自分たちの居る場所──ここ、だ。オール・ウィ・アーは、「ここ」をあたためるために優しく、また、同じように「ここ」を持つ人々への繊細な共感と想像力をめぐらせて鳴っている。

 彼らの「ここ」が音楽のかたちをしていることを喜びながら、それではこの素敵なトリオをご紹介しよう。今年6月中旬、彼らはフィーリングを同じくする日本の若きバンドThe fin.の招きで来日していた。

■All We Are / オール・ウィ・アー
リチャード・オフリン(Dr, Vo/アイルランド)、グロ・イックリン(B, Vo/ノルウェイ)、ルイス・サントス(G, Vo/ブラジル)からなる3人組。リバプールの大学で出会い、ヒップホップとソウルが好きという共通点をきっかけにバンドを結成。シングルで注目を集め、2014年に〈ドミノ〉傘下〈ダブル・シックス〉と契約。2015年にデビュー・アルバム『オール・ウィー・アー』をリリースした。

ここにいたるまでにわりと時間はかかっていて。……だっていっしょにバンドをやりたいがために楽器を練習したからね(笑)。(リチャード)

3人は音楽の学校で出会ったんですよね。しかも3人ともギタリスト。ギター・トリオという選択肢もあったんでしょうか(笑)?

リチャード・オフリン(以下リチャード):ははは、次の作品はそうしようか! でも3人の中じゃルイスがいちばん上手かったのは間違いないね。グロはどっちかというとソング・ライティングのためにギターを使うという感じだったかな。学校を出てからもみんなリヴァプールに残りたいって気持ちがあって、そうするためにはもっと幅を広げてバンドのかたちを整えなきゃいけなかった。だからグロはベースに転向して学んで、僕はドラムを学んで、ルイスはそのままギターで……ってなったんだ。

その編成に落ち着いたのは、セッション性を優先したからではない?

グロ・イックリン(以下グロ):あたしたちみんな、ソングライターを自認してるんだ。リチャードもあたしも歌を歌うから、いずれ楽器プラス歌っていう編成のものはやることになるかなと思っていたんだけど、ともかくもいっしょにやりたいならこのかたちしかなかった。そのために必要な楽器を習ったの。

では、きっと曲や音楽性のイメージも頭の中にすでにあったんですね。

リチャード:すごくオーガニックなかたちでいまのバンドができあがっていったんだけど、ここにいたるまでにわりと時間はかかっていて。……だっていっしょにバンドをやりたいがために楽器を練習したからね(笑)。楽器がうまくなるにつれてできる音楽も変わっていったし、いっしょに音楽をつくる過程でも変わっていった。だからあらかじめ考えていたことはとくになくて、ほんとに自然にいまのかたちになったんだ。強いていうなら、人を踊らせたいってことだったかな。グルーヴのあるもの。でもどうやったら人を踊らせられるのかはわからなかったんだけどね。いまもそれは模索中。

ファースト・アルバムは、ここまでにいたる自分たちの人生が──だから、とても長い期間が──反映された作品でもあるから、そう考えると、自分たちのやりたかったこと、言いたかったこと、募った思いなんかが、校舎ってものと反響しあってできた部分はあると思う。(ルイス)

へえ! ダンス・ミュージックを目指していたとすれば、ずいぶんおだやかですよね。ファーストの『オール・ウィ・アー』(2015)は廃校の校舎で録音したということなんですけれども、それはプロダクションへのこだわりからですか? それとも何か思い入れのある場所だった?

リチャード:廃校の校舎っていうのは、このアルバムをつくるために使った場所ではあるんだけど、録音はちゃんとしたスタジオでやったんだ。ダン・キャリーといっしょに、ロンドンでね。

ヒプノティックなムードとか、出来過ぎてないプロダクションとかが、ちょっと廃校の校舎のイメージと重なったので、そういう雰囲気のようなものは大切にされているのかなと思いました。

リチャード:じつは、僕の住居なんだよね、その校舎は(笑)。ノスタルジックなあの場所の雰囲気はこのアルバムによく出ていると思うよ。あの校舎の後ろは、昔は幼稚園だったんだ。だからちっちゃなトイレとかシンクがあったり、庭にも古いおもちゃが転がっていたりした。それに170年くらい建っている古いビルだから、ビルそのものが持っているいろんな人の思い出や郷愁なんかが沁みついている部分もあると思う。

ルイス・サントス(以下ルイス):ただ、今回のファースト・アルバムは、ここまでにいたる自分たちの人生が──だから、とても長い期間が──反映された作品でもあるから、そう考えると、この校舎ではないけど、自分たちの過ごした学校とか、自分たちのやりたかったこと、言いたかったこと、募った思いなんかが、校舎ってものと反響しあってできた部分はあると思う。学生時代ってもの自体への郷愁みたいなものがね。

あらためて振り返ってみると、それぞれの国の音楽ってすごく特徴があって。その共通項として、悲しみみたいなものを感じるかな。あたしたちのつくっている曲にもそういうサッドネスは表れていて、それが郷愁につながるのかもしれない。(グロ)

ここまでの人生がまとまって反映されているというお話でしたけれども、3人は出身国もバラバラですよね。そのへんは、お互いの人生がどのように交叉している作品になるのでしょうか?

グロ:それぞれとても音楽的な家庭に育っているから、楽器もちっちゃい頃からやっていたし、音楽にも馴染んでいたんだよね。でもあらためて振り返ってみると、それぞれの国の音楽ってすごく特徴があって。ノルウェーはフォーク・ミュージックがすごく充実していて、リチャードのアイルランドはチューンと呼ばれる歌のない曲がいっぱいあるし、ブラジルはもちろん音楽の豊かな国。その共通項としては、悲しみみたいなものをあたしは感じるかな。あたしたちのつくっている曲にもそういうサッドネスは表れていて、それが郷愁につながるのかもしれない。

リチャード:アイルランド、ノルウェー、ブラジル、それぞれの音楽には「yearning」──憧れとか強い思慕っていうものがすごくあると思う。僕らのファースト・アルバムについては、そういうところはすごくあると思うよ。

それぞれの国にはもっとベタな伝統音楽のイメージがありますよね。ブラジルならサンバとか(笑)。みなさんの場合はそういうトラディショナルとはちがって、もっとモダンなところで音楽が溶け合っているのが素敵だと思います。

リチャード:それぞれの音楽のエッセンス、本質みたいなものを取り込んでいるんだ。きっとね。スタイルそのものを寄せ集めるのではなくて、さっきも言っていたような思い焦がれる気持ちとか、ノスタルジーとかっていうものは、音楽が持っているスピリットだと思う。それは僕らの深いところで融合しているんじゃないかな。

ルイス:ただ、それを「わかりやすいかたちではやりたくない」って決めているわけではないんだ。自然とこういうかたちになったというだけでね。僕らの国はそれぞれにちがうんだけど、お互い人間としてわかりあってみると、共通することがとっても多い。そういうところも自然に溶け合った音楽になっていると思う。

リヴァプールのバンドとして認知されたんだなってことが、僕たちにとってはすごく大きいことだった。でも本来の自分たちの出身地ではない。かといって故国に戻ると、そこの人間でもなくなっている……。そういう意味ではノマディックな存在なのかもしれない。居場所は「ここ」。「いま、ここ」だよ。(リチャード)

なるほど。みなさんの認識として、いまのホームとしてはリヴァプールということでいいんですよね?

リチャード、グロ、ルイス:そうだよ。

ルイス:リヴァプールに残ることにしたのは、自分たちにとって特別な場所だったから。音楽のコミュニティにおいても、やっぱり自分たちはここの一員だなって思えるところなんだ。昨年(2015年)、「ベスト・リヴァプール・アクト」っていう賞をもらったんだけど、リヴァプールのバンドとして認知されたんだなってことが、僕たちにとってはすごく大きいことだった。といって、出身もバラバラだし、どこにもビロングできていない感じもまたつねにあるんだ。国を離れてリヴァプールに来て、そこが居場所だとは思ってるんだけど、本来の自分たちの出身地ではない。かといって故国に戻ると、そこの人間でもなくなっている……。どこにも帰属しきれていない僕たちというのが拭いがたくあるから、そこはもしかしたら特徴かもしれないね。そういう意味ではノマディックな存在なのかもしれない。居場所は「ここ」。「いま、ここ」だよ。

すごくよくわかります。みなさんはこう呼ばれるのが嫌かもしれないですが、シーンに登場した当時はよくチルウェイヴに比較されていましたね。チルウェイヴもまた、地域性に拠らないムーヴメントでした。世界中のベッドルームやドリーミーな空間を拠点としたというか。音楽的な比較とは別に、あなた方のノマドなありかたというのは、それに並行するものではありますね。

デビュー・アルバム『All We Are』収録の“Utmost Good”MV

リチャード:それはおもしろいね。僕たちがいろんな国から集まっていて、それぞれの国の音楽の影響を取り込めるということは間違いないんだけど、以前以上にリヴァプールでの生活も長くなっていて、リヴァプールにかぎらず北イングランドの音楽の伝統も身体として理解しはじめていると思う。次のレコードでは、そのひとつの成果が反映されると思うよ。というか、じつはセカンドのレコーディングがもうほとんど終わっているんだけど、音楽としてはよりハードに、よりファストになってるよ! だからもう「チル」ではないんだ(笑)。だけど、それはたぶん、リヴァプールで──北イングランドで生活した時間が長くなってきたからだね。

ルイス:ファーストの頃は、ただ自分たちが言いたかったことをそのまま表現しただけだったんだけど、たぶんいまは表現したいことも変わってきて、伝えたいエネルギーも変化している。好きなものも変わったかな。そういう成長が自然に表れてくるのが次のアルバムだと思うんだ。だから、リチャードの言葉に加えるなら、よりエネルギッシュで、ちょっとダークなところがあって、前作のハートはそのままに──ポジティヴなメッセージは変わらずに、それとはちょっと違う部分が表現されるアルバムになると思うよ。
いま振り返ると、最初に指摘されたように、たしかに僕らのダンス・ミュージックは穏やかなんだよね。でもいまはまた変化しているんだ。

(次の作品は)ポストパンクのムーヴメントに触発されている部分があるんだ。あの時期の音楽は、じつはつらい時代を経て生まれてきたものでもあるんだよね。政治的にも、経済的にも。それはいまの時代にも連なってくる問題だと思うんだ。(リチャード)

それは楽しみです。自作に参照されるかもしれない「北イングランドの伝統音楽」というのは、起源の古いもののことでしょうか? それとも60年代くらいからのポップ・ミュージックを含む新しめの音楽のことですか? それから、あなた方は、いわゆるレコードおたくというか、音源を掘る欲求を制作にフィードバックさせるタイプではない?

リチャード:最初の質問だけど、むしろ80年代くらいからのことかもしれない(笑)。ポストパンクのムーヴメントに触発されている部分があるんだ。あの時期の音楽は、じつはつらい時代を経て生まれてきたものでもあるんだよね。政治的にも、経済的にも。政府のやり方を見ていても、それはいまの時代にも連なってくる問題だと思うんだ。もちろんポリティカルな作品になるという意味ではまったくないんだけど、バンドで言うならば、ニュー・オーダーとかジョイ・ディヴィジョン、初期のU2とか。あとはもちろんいまのエレクトロニック・ミュージックもたくさん聴いているから、そういう要素も多分に入ってくると思う。時代的にはそのあたりのことだね。

グロ:二つめの質問は、そうね、あたしはスポティファイをよく使ってるけど。簡単にいろいろ調べられるし。でも、やっぱりヴァイナルも大好き。手に取って開く、あの感覚は何ものにも代えられないものがあるなって思う。ひとつのアートだよね、あれは。

ファーストの中に“フィール・セイフ”っていう曲があるんだけど、あれはリール・トゥ・リールのテープ

ルイス:すごく面倒くさいんだけど、アナログ・レコードをオープンリールのテープに録って聴いたりしてたよ。オープンリールは普通はなかなか家にあるものじゃないと思うけど、たまたま父親が持っていたんだ。そっちで聴いたほうが音がいいって言うから、わざわざ音源を移してね。時間はかかるし、聴くたびにメンテナンスが必要なんだけど、楽しいし、音もいいし、そういうこともまた愛着を生んでいくというか。よくアナログ・レコードの音には温かみがあると言うけれど、そういうことと似ているんだろうね。

あなたたちの音にもそのウォームな感じは反映されていると思いますよ。

ルイス:ファーストの中に“フィール・セイフ”っていう曲があるんだけど、あれはリール・トゥ・リールのテープ
で録っているんだ。

リチャード:僕の場合もほぼオンラインだね。この間までアップル・ミュージックをやっていたんだけど、またスポティファイに戻ろうと思ってるよ。ただ、ヴァイナルの音は僕も大好きだよ。袋を開けて、かけて、ひっくり返して……って手間が、音楽に意味合いを感じさせてくれる気がする。MP3だ、ストリーミングだ、って、音楽が軽んじられているというか、使い捨てにされているいまの時代だからこそ、そうやって手間をかけるというのは音楽にとっても大事なことのような気がするよ。

All We Are - Feel Safe (Official Video)

きっと最終的には人間が勝つって思っているよ。一度辛いめに遭っている国だから、そこからどう切り抜けるかということは身体でわかっているんじゃないかって。(ルイス)

そうですね。先の質問で、みなさんはジョイ・ディヴィジョンやポストパンクが出てきた社会的な背景について興味を持ちながら音楽を制作していると答えてくれましたね。それは、要はサッチャリズムというか、貧困や格差についてのいまの状況を作り出した根本を考察することで、何か現在の状況に対して働きかけられると考えたんですか?

リチャード:そうだね。前提として、僕らはけっしてポリティカルなバンドではないんだ。だけど、当然ながら周囲の状況やものから影響を受ける。これもまたミュージシャンにとっては当然のことだと思う。その中で自分たちが現状に対して何かできることがあるとすれば、それは何なのか──僕らがつくり演奏する音楽にはけっこうへヴィなものもあるけど、その一方でとても楽しい、喜びを感じさせるものでもある。そのことがひとつのカタルシスとなって、僕らだけじゃなくて聴いているひとにも同じ感覚を味わってもらえて、それが何かにつながっていけばいいなと思うよ。直接的なかたちで、政治的な状況に何か介入できるとは思っていないけれどもね。けど、ヒューマンなレベルでポジティヴなものを発信していければ、って感じてるんだ。それが変化につながっていくかもしれない。僕らにはそういうやり方しかわからないな。

なるほど。ルイスさんとグロさんにとっては、UKはひとつの外国でもあるわけで、おふたりにとってはUK国内の問題はどんなふうに感じられているんですか? それからおふたりにとってはポスト・パンクの体験はどんなものなんでしょう?

グロ:うん、変化はリアルに感じているんだよね。友だちを見ていても社会保障を受けられなくなっていく人、住むところを追われる人、それから街もゴミが散らかったままになっていたりとか、そういう部分にも政治的に荒んだ状況がよく表れてる。リヴァプールに住んでいるけど、そこを含む北イングランドの街の雰囲気の変化は、悲しいことだなって思う。

ルイス:ずいぶん変わったよな、って僕も思う。怒りと恐怖が人々の間にあるなって感じるよ。投書住みはじめた頃はぜんぜんちがってたんだ。

グロ:そう、当時はまだハッピーな、楽しい雰囲気があったと思う。

ルイス:とはいっても、この国は素晴らしいっていう思いも変わらないんだ。きっと最終的には人間が勝つって思っているよ。一度辛いめに遭っている国だから、そこからどう切り抜けるかということは身体でわかっているんじゃないかって。

(The fin.は)演奏しながら自分たちだけの世界や空気をつくっていく感じも僕らと近いかもしれない。(リチャード)

ブリット・グリットってやつでしょうか。一方で、ノマディックなバンドであるというキャラクターも持っている。とってもおもしろいと思います。さて、今回の来日はThe fin. (ザ・フィン)に招かれてですよね。The fin. もひとつの音楽的ノマドかもしれませんが、彼らのことはご存知でしたか?

リチャード:楽しくやらせてもらってるよ(笑)。彼らの音楽はBBCのラジオでも流れてたんだ。それで、聴いたこと自体はあったんだよね。EPを手に入れて聴いてみたりもしたな。昨日は仙台(2016年6月16日/仙台CLUB SHAFT)だったんだけど、だんだんお互いのことがわかって、仲良くなってきたところだよ。最初に東京で遊んだけど、それも楽しかったな。

へえ、東京ではどこで遊んだんですか?

リチャード:新宿だよ。なんとか横丁みたいな場所。……「ゴールデン街」って言うんだ?

あはは、飲んだんですね。

ルイス:何時間もいたね。とっても気が合ったよ。着いたのが遅かったこともあって、レコード屋とかは行けなかったけど。

音楽的な部分で気の合うところはどんなところでしょう?

リチャード:ユーモアのセンスが似てるかな。いつか機会があったら、曲をつくったりしていけたらいいよね。音楽的にも似ているところは感じるよね。

グロ:そうだね。シンガー(Yuto Uchino)のメロディ感覚はすごいと思う。素晴らしくセンスがあると思うな。

リチャード:演奏しながら自分たちだけの世界や空気をつくっていく感じも僕らと近いかもしれない。

音楽もそれ自体が言葉だもんね。(ルイス)

なるほど、それではお時間になってしまいました。新しいアルバムはいつごろ出るんです? ヒプノティックじゃないオール・ウィ・アー、楽しみにしています。

リチャード:来年の頭に、って思ってるよ。何事もなければね。

ルイス:僕からもひとつ訊いていい? 僕らの、どこにも属さない感覚についてすごくわかってくれたよね。それは、あなたもそう感じている人のひとりだってこと?

ああ、うわ、質問されてみると難しいですね。そうですね……この国を出たことはなく、またこの国を愛してもいるんですが。国籍以前に、日常のいろんなレベルで、何かに属しているという感覚が薄いのかもしれないですね。

ルイス:仲間になれるかも(笑)。

うれしいです。このネット時代、そう言ってくれる人とか、共感のある仲間を見つけることも容易ですしね。だから、強いていうなら私もベッドルームの帰属民ですね(笑)。

ルイス:それはいいね(笑)。音楽もそれ自体が言葉だもんね。僕たちの音楽に共感してくれる人がいるのは本当にうれしいよ。

浮遊感のあるトラック5選 - ele-king

 パーティの流れの中で、もしくは、DJセットの流れのなかで、浮遊感のあるトラックが映える瞬間がある。例えば、真夜中のダンスフロアで意識を没頭していくようなモノトーンな時間帯を経たときや、野外で夜明けを迎えるときだ。そうした場面で解放感を演出したり、荘厳さを醸し出したりするなど、浮遊感のあるトラックが果たす役割は幅広い。怪しげな雰囲気のものから爽快な感じのもの、さらにはノスタルジックなものまで、浮遊感の印象はトラックによって様々だ。
 その印象に大きな影響を及ぼしているのはパッドだろう。サウンドプロセッシングならではの特性であるテクスチャー変化を体現する音素材であり、コード進行やメロディ以外の深みを音楽に加えるパッドはエレクトロニック・ミュージックの醍醐味のひとつだ。堅牢なビートや極太ベースラインのように力強くオーディエンスの身体を突き動かすことは少ないかもしれないが、パッドはトラックの背後でじわじわと湧き上がって上昇していったり、トラック全体を柔らかく包み込んだり、濃霧のように漂ったりしながら、楽曲の全体的な色彩やムードを実に豊かに変化させる。
 ここに掲載した5曲はいずれも非4つ打ちトラックとなっているのでグルーヴにタメがあり、より浮遊感を感じられるものになっている。どんな状況/環境で映えるのか、もしくは、どのようにDJセットに組み込んで印象を彩るのか。そうしたことを思い描いてみると面白いかもしれない。


Edit Select - Loop Continue (Dino Sabatini remix) (Dreiklang)

ボトムの効いたキックとおぼろげなハイハットによるビートに神々しく降り注ぐパッドが印象的。スネアやクラップが使われていないので、浮遊感が際立っている。それに対して重厚なベースラインがコントラストとなっていて心地よい。

Forest Drive West - System (Livity Sound)

深淵へゆっくりと下降していくかのようなディープな1曲。異なる周期で揺らぐパッドが重なり合うことで徐々に大きなうねりを生み出していく。擦り付けるようなハイハットが鼓膜と意識をかきむしる。

London Modular Alliance - Fallow (Applied Rhythmic Technology)

タイトに打ち込まれるエレクトロ・ビートの間をパッドがシンセベースと連動しながら吹き抜けていく。中盤のブレイク部ではメロディ素材と絡み合いながら程よくノスタルジックな空気をもたらしてくれる。

Tom Liem - A Liquid State (Shipwrec)

いつまでも漂っていられる浮遊感がたまらない。その肝は、じわじわと解放されていくバックグラウンド・パッドの爽快なテクスチャー変化と、アシッドサウンドになりそうでならないベース・シーケンスの焦らしだ。

Kane Ikin - Tap Tap Collapse (Type)

長く減衰する残響音がパッド代わりとなって大きく起伏するベースラインと共に鼓動する壮大なトラック。アクセントとしてホイッスルのように吹き付けられるシンセにハッとさせられる。

今年はまだ半分しか来てないのに、面白い映画が多いよねー。(三田)
僕もかなり面白いと思いますよ、今年は。観るべきものが多い。(木津)

三田:今年はまだ半分しか来てないのに、面白い映画が多いよねー。木津くんとは趣味が合うのかどうか、いつもよくわからないんだけど、どうなの、今年の映画は?

木津:三田さんとは合わない予感がうすうすしているんですが(笑)、僕もかなり面白いと思いますよ、今年は。観るべきものが多い。

三田:じゃー、お互いのベスト5を書いて見せ合おう。

(シャカシャカシャカ……パッと見せ合う)

木津:あれー、1作も重なってませんね。

三田:なんで『クリーピー 偽りの隣人』が入ってないの! 邦画差別だ!

木津:やめてくださいよ(笑)! いや、『クリーピー』も楽しく観ましたよ。非常に黒沢清監督的な、映画映画した演出が充実していたことが僕は良かったですが、三田さんはどういうポイントで評価されてるんですか?


『クリーピー 偽りの隣人』©2016「クリーピー」製作委員会

三田:まずは『リアル』で、この人は完璧に終わったと思っていたので、単純に復活したなと。しかもファンが期待するジャンルで。実は後半はサーヴィスのようなもので、極端なことをいえばなくてもいいというか、日常のディテールを執拗に積み上げていく前半に引き込まれたんですよ。フランスでル・ペンが大統領候補に残った時にローラン・ガルニエが「隣人が信じられなくなった」と言っていたんだけど、いまの日本も隣人というものがナゾを通り越して政治的な文脈では敵にしか見えなくなってきた面があるのではないかと。ヘイトはその幼児的な表れだし、監視カメラやSNSが地縁にとって替わられてきた感触をうまく捉えている。女子大生が隣人をストーキングする岸善幸監督『二重生活』はディテールを積み上げる前にドラマティックになり過ぎて、同じような共感は覚えにくかったんだけど、問題意識には共通のものがあるように思えた。「クリーピー」というのは、いわば「キモい」という意味だけど、自分と違う意見の持ち主に対して漠然と抱いているムードを表す言葉として適切なものを選んだなという感じ。

まずは『リアル』で、この人は完璧に終わったと思っていたので、単純に復活したなと。しかもファンが期待するジャンルで。実は後半はサーヴィスのようなもので、極端なことをいえばなくてもいいというか、日常のディテールを執拗に積み上げていく前半に引き込まれたんですよ。(三田)

木津:なるほど。前作『岸辺の旅』でも、そばにいる人間が生きているか死んでいるかすらわからなかったですからね。映画としても、観客ははじめ西島秀俊を主人公だと思ってひとまず信頼するんですけど、あまりにも事件に入りこんでいくからだんだん信用できなくってくる。隣人だけじゃなくて、家族も部下も疑わしい、漠然とした不信感が画面を覆っている感じ……それがSNS時代と言われると、うなだれてしまうところがありますね。三田さんはサーヴィスだとおっしゃいますが、だからこそ後半、映画がドライヴしていくのに僕は興奮しましたね。

三田:後半はまったく違うストーリーでも成り立つと思ったんだよね。話の導入部も移動だったけど、後半に移動を重ねることで地縁の否定をさらに印象付けている。それでも、いまの日本に体裁として残されているのが血縁で、家父長制は自発的につくられてきたんじゃないかという告発は興味深いものがあった。あるいはすでにその程度のものでしかないということだよね。これは安藤桃子監督『0.5ミリ』(2014)でもハードに追求されたテーマだったけど、前田司郎監督『ふきげんな過去』がすでに失われた家父長制をスタート地点としていたこととも遠くで呼応しているんじゃないかと。黒沢清と『贖罪』でタッグを組んでいた小泉今日子が次にこの映画を選んだのは芸能界的に少々できすぎな気もしましたが。

木津:『あまちゃん』でも基本的には父が不在でしたから、小泉今日子が案外そういう役目を負っているのかも……と言ったらこじつけすぎですかね。ただ家父長制がもはや滅びゆくものなのだとしたら、ペドロ・アルモドバルが何度もやっているような、男を必要としない世代のやり取りっていうのは日本映画でこそ観たい気はします。『クリーピー』に話を戻すと、そういう意味では、隣人の子どもが女の子っていうのはポイントですよね。家父長制に完全に与することはない、という。『ソロモンの偽証』(2015)で典型的な立ち向かう少女を演じていた藤野涼子が、ここでも物語を旋回させる役回りで。これが男の子だったら違った話になっていると思えます。

三田:『トウキョウソナタ』の男の子は最後に出すマイティカードとしては実に無理があったからね(笑)。あんなことで解決できたら世話はないというか。黒沢清は一種類の女性しか描けなかったのが『贖罪』で変わったと発言しているので、あそこがターニング・ポイントになったことは確か。北野武も宮崎駿も村上春樹も女性を描けないことがなぜか許されている国で黒沢清が家父長制にもっと踏み込めたら、けっこう面白いことになるかもしれない。「男を必要としない世代」というのは『アナと雪の女王』で世俗的なフォーミュラはすでに確立されているし、応用だけで済む段階になっているから、こじつけていえば『ふきげんな過去』がそこにスパっと当てはまってしまう面もなくはない。それこそ主演の二階堂ふみが誰から何を受け継ぐかというテーマを達者に演じていて、しかも、その回路を巧みに屈折させているところが非常に面白かった。最近の邦画ではかなり珍しい発想だと思う。

木津:『ふきげんな過去』についてはたしかにそうですね。序盤から終盤まで、世代の異なる女たちがどうでもいい話をうだうだ喋っている感じなんかは、邦画であまり見られない光景ですもんね。しかもいまの話の流れで言うと、血縁と地縁の両方が組み込まれていて、そこからいかに逃れられないか、もしくはいかにして逃れるか、というテーゼが両方とも描かれている。僕は女が移動する映画の系譜が脈々とあると思っていて、そしてそういう作品は面白いものが多い。『ふきげんな過去』の場合は、移動する女と留まる女の両方がいて、二階堂ふみがそのどちらの可能性も秘めた存在としていますよね。そこが現代的なのかなと。「巧みに屈折させている」っていうのは、もう少し具体的に説明するとどういうことですか?

三田:具体的にはスポイラーになってしまうので言えないけれど、結論だけを見ると「反社会性」は血縁に由来するということになってしまいそうなのに、そんな単純なことではないでしょうと思わせるだけの仕掛けが施してあったなと。極端なことを言うと、オウム真理教の子どもたちのことを考えてしまったんですよ。そこまでは想定してないと思うけど。

木津:ふーむ。たしかに、「反社会性」がかなり意図的に用意されていたように見えました。

『ロブスター』はおもしろかったですねえ。ミヒャエル・ハネケやラース・フォン・トリアー、ウルリヒ・ザイドルがやってきたようなことにぐっと笑いを持ちこんだことは大きいですよ。(木津)

三田:あと、邦画をもう一本、『太陽』を。監督の入江悠は閉塞感を絵で見せるのが実に上手いなと思ったことがあるんですよ。『サイタマノラッパー3』で視界がまったく利かない逃避行のシーンがそれなんだけど、ヒップホップをモチーフにしていることが壁になって、実際、ヒップホップが嫌いじゃなくても面会のシーンはあまりにクドいので、あのシーンを時代の表現として捉えた人は限られているだろうなと。それが『太陽』では町ひとつを隔離するという設定なので、あの閉塞感がどのように変容したかが観られるのではないかと思って。結論から言うと、『太陽』というのは蜷川幸雄の演出が話題になった作品で、それにだいぶ引きずられてしまったのかなあと。自分の文法を明確に持ち込めなかったという印象がどうしても残ってしまった。とくに、今年はヨルゴス・ランティモス監督『ロブスター』が隔離というテーマをこれでもかと絞り込んで見せたので、ついつい比較してしまうところもあって。

木津:『ロブスター』はおもしろかったですねえ。ミヒャエル・ハネケやラース・フォン・トリアー、ウルリヒ・ザイドルがやってきたようなことにぐっと笑いを持ちこんだことは大きいですよ。配役もいいし、単純に設定がキャッチーで巧いんですよね。俗っぽいのもいいなと思う。だから俗っぽい例で言うと、『セックス・アンド・ザ・シティ』が結婚しない女たちの話だったはずなのに人気が出たら結局そこに回収されるしかなかったように、あるいは東村アキコの『東京タラレバ娘』で結婚から取り残されることがリアルな恐怖として描かれてヒットしているように、世のなかが経済的に困窮していくなかで制度に歩み寄らない人間が異様なものとして扱われることへの不安がヴィヴィッドに表れている。パートナーのいない人間は動物にされる=理性を奪われるというのもすごく端的だし。あるいは、制度から外れる人間は極端な運動に巻き込まれざるを得ない。いま同性婚の制度化が世界的に進むなかでゲイ・コミュニティの内部で意見が分裂しているところがありますが、『ロブスター』が描いていることを後景に置くとそれもすごく納得できるというか。モノガミーに対する疑念がありながら、だからと言って適切な代案も見当たらないことに対するフラストレーションがよく描かれているなと、僕は思いましたね。


『ロブスター』©2015 Element Pictures, Scarlet Films, Faliro House Productions SA, Haut et Court, Lemming Film,
The British Film Institute, Channel Four Television Corporation.

三田:ランティモスはデビュー作『籠の中の乙女』(09)でも隔離をテーマにしていて、同じ設定なのに、今回は大量の要素を盛り込んだよね。監督本人は他人と生きなければいけないのも苦痛だし、ひとりで生きるのも苦しいとか、適当なことを言ってたけど、それは間違っていて、どちらも制度として機能しているから限界があるんだよね。監督が発言している通りだったら、誰かと生きなければならない社会で、時々、ひとりになれる時間を制度的に保障してあげれば解決してしまう可能性は高い。それどころか、いまの日本にはミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』を経てもなお、まだ「恋愛をしない自由がある」と開き直れる余地は文化的にも経済的にもあるし、橋口亮輔『ハッシュ!』(02)みたいに3人で暮らしたいというケースがあれば、その方がラジカルな選択になってくる。そういう意味では、僕はどちらかというと、古い左翼にダメ出しをした映画に思えたんですよ。対立項というのは結局のところ同じ価値観の裏表でしかないと。体制批判はいくらでもあるけど、反体制批判は珍しい。

木津:なるほど。そこに、いまヨーロッパを中心にアイコニックな存在になっているレア・セドゥを持ってくる捻れたセンスがランティモス監督なのかなという気がしますね。

三田:レア・セドゥは映画の選び方が無茶苦茶すぎて、もはやそれだけで面白い。あの森のシーンを見て、しかし、僕はデル・トロ『パンズ・ラビリンス』(06)でレジスタンスが潜んでいた森に意識が飛んでしまって。公開から10年経ったのかと、思わず観直してしまったんだけど、あれが、しかし、南ヨーロッパの経済的破綻を予感させる映画だったとしたら、同じスペインのその後、破綻後の景色を収めたものがカルロス・ベルムト監督『マジカル・ガール』ではないかと。いまはもう、スペイン経済は回復基調なので、少し前の風景ということなんですけど。

木津:ベルムト監督はしかも若いですからね。あの硬質なノワールは伝統的なようでいて新しい感性でもあるということだし、いま三田さんがおっしゃったように経済破綻が背景にあるとすれば、それを直撃した世代の率直な言い分だとも思えてきます。僕は『マジカル・ガール』は、金銭の獲得が肉体的な苦痛と直結していることが気になりました。セックスもバイオレンスも金銭の移動を誘発する行為でしかなくなっているというか……カネを得るための代償が、文字通り「痛い」ものになっている。しかもその場面は見せないでしょう? バイオレンスの快楽も観客に許さない、すごいドライさだなと思って。それにしても、この悲惨だけど笑えてしまえる話に、日本のカルチャーが参照されたのってどうしてなんでしょうね。単純に監督が日本にいたからとか好きだったからとか、そういうレベルの話じゃないものを感じるんですが、それが何かが判然としなくてちょっとモヤモヤしてるんですよ。

三田:共同体がどこにもないんだよね。喫茶店ぐらいかな。『ロブスター』と正反対。「痛い」と言われて、当時、スペインの女の人たちが卵子を売って暮らしていたことを思い出した。そういう報道があって、同じ時期にジンバブエでは道端で男が女たちに襲われる精子強盗が話題になっていて、最近は金がなくても遺伝子を捕られちゃうんだなと。そうやって得たお金を、しかも、憲法の本に挟んで渡すんだよね。あれはスゴい皮肉。どこもかしこも超法規的なことばかりなのに。日本文化を持ち出しているのは、いい方に考えれば救いを求めているのかなとも思うし、そもそも、あの女の子が日本に興味を持ったばかりに……とも取れるので、なんとも言えない。『ポケモン』を観てスペインの子どもが自殺したという報道もあったから、何かスペイン人にとって、ジャパニメイションとかは死生観を揺らがせるメタファーに満ちているのかもしれない。

木津:それは何ともドンヨリする話ですね……。身体性についても本当に経済の問題なんだ。ベルムト監督もそうだし、上半期は比較的新しい作家が目立ったかなと思います。アンドリュー・ヘイ『さざなみ』、ネメシュ・ラースロー『サウルの息子』、ミシェル・フランコ『或る終焉』、ジャスティン・カーゼル『マクベス』などなど。どれも見応えありましたが、なかでも、いまの文脈に通じるのはデヴィッド・ロバート・ミッチェル『イット・フォローズ』でしょうか。すごくいい意味でインディペンデント感のある青春ホラー映画なんですけど、描いていること自体は真っ当な思春期性でありながら、背景に荒廃したデトロイトの街が映りこんでいる。それがすごく良かったですね。スフィアン・スティーヴンスがデトロイトの衰退について歌ったのもすでに13年ほど前で、若い世代にとっては廃墟のような街がもう前提なんですよね。『マジカル・ガール』のノワール、『イット・フォローズ』のホラーと並べてみると、経済が破綻してもはや回復しないであろう地点で何を描くか、という共通点が見えてきます。いまのところそれは死であり呪いであり暴力なんですけど、さらにいろいろなことがテーマになってくるでしょうね。

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三田:ベン・ウィートリー監督『ハイ・ライズ』は、そういう意味では崩壊に至るまでのプロセスを辿り直してくれたようなところがあった。70年代に原作を書いていたJ・G・バラードの予見性もさることながら、これは同時に再開発によってイギリスから失われていく風景を記録したものにもなっていて、具体的であるがゆえにかえって観念的なブラック・ジョークにしか思えなくなってくる。妙な神話性を帯びてくるというか。バラード・ファンに受けた『マッド・マックス 怒りのデスロード』もまったく同じだったんだけど、そうなると美術や特殊効果にやたら凝りまくるという感覚は興味深いよね。『ハイ・ライズ』はジェレミー・アイアンズを起用している時点でクローネンバーグを意識していることは自明だし、縦横無尽にインサートされるショート・カットがそれこそクローネンバーグのカット・アップに観えてくるんだよ。あれは実に楽しめた。ウィートリーも含めて若い才能ももちろんいいんだけど、同じような映像の快楽を味わわせてくれたのが『イレブン・ミニッツ』のイエジー・スコリモフスキ監督で、78歳とは思えない発想、斬新な映像感覚、カット割り、そして音楽だった。

木津:『イレブン・ミニッツ』! 素晴らしかったですね。公開は8月ですが、僕も今年ベストの1本ですね。描いていること自体も非常に現代的ですし、でもそれ以上に映画的快楽を浴びているうちにあっという間に終わっているという。タランティーノの『ヘイトフル・エイト』も頑張ってましたが、この域まで行ってほしいですねー。エンニオ・モリコーネの音楽に助けられてるところもありましたから。『ハイ・ライズ』はまだ観れてないんですが、ポーティスヘッドによるアバ“SOS”のカヴァーが主題歌になったのが話題になってましたね。その組み合わせ、センス良すぎるだろっていう。スタイリッシュなSF繋がりで言うとアレックス・ガーランド『エクス・マキナ』の音楽もジェフ・バーロウが手がけていて、そういうところにいまも要請があるのはほんとさすがだな、と。話自体は人工知能を描いたものとしてはわりとオーソドックスなんですけど、インターネットが重要な要素として描かれているのは大きいと思いました。さっきの家父長制の話で言うと、娘が強権的な父に囚われていると見なせるんですが、それが地縁でも血縁でもなくネットの検索ワードに支えられてるんですよ。これはすごく現代的だと思いました。と同時に、やっぱり家父長制みたいなものがそんな世界でもテーマになるんだな、とも。ダン・トラクテンバーグ『10クローバーフィールド・レーン』、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン『裸足の季節』と、娘が父権的なものに閉じこめられている映画をやたら続けて観ている気がします。この対談のテーマのひとつですね。

三田:どれも観てないので少し違うかもしれないけど、レニー・アブラハムソン監督『ルーム』でも娘の子どもを父親が受け入れない場面があったよね。あそこはステップ・ファミリーの方がイレギュラーな事態に対処できるという図式になっていた。娘は娘で母親に「あなたが教えたように、困っている人に親切にした結果がコレだ」と批判する場面もあって、母と娘も修復できないのかと思ったら、あの子どもが「僕、ばあばのこと好きだよ」と逆からブリッジをかけることになって。アブラハムソンがひとつ前に撮った『フランク』で主人公がおかしくなってしまう理由と、そこからの脱出を音楽に求めていたのに対して、『ルーム』は音楽というファクターなしで同じことをやってみたのかなと。前半と後半で隔離の質が変わるだけというのは『ロブスター』にも通じるものがあるというか。他人に閉じ込められるか、家族に閉じ込められるか。

木津:うーん、じつは僕は『ルーム』は引っかかるところが多くてあまり受け入れられなかったんですが、そう言われるとなるほどと思います。娘の子どもを父親が「見れない」と言う場面が一番ヘヴィでしたね。だから僕は、「見ること」についての話だと思ったんですよ。自分が暴力の被害に遭ったことをいかにして見るか、受け入れるか。そして子どもにとってははじめて「見る」世界が待っている。ただ、子どもがはじめて空を見る場面でドラマティックな音楽が流れたり、やり方としてはちょっとあざといんじゃないかなと。三田さんがおっしゃるようにステップ・ファミリーという点ではオルタナティヴな家族の形を示しているようにも思いますが、ただ、その共同体が彼の純粋さに救われてしまっていいのかと感じたんですよ。何より観客が救われた気分になれてしまう。少女監禁を描いた映画では世間的にこっちは大絶賛で、後味の悪さが残ったアトム・エゴヤンの『白い沈黙』(14)がボロカスっていうのはちょっと不平等かなと。

三田:『白い沈黙』ってボロカスなの? それは随分だなー。『ルーム』は『フランク』の監督だということ以外、設定は何も知らずに観たので、空を見る場面はとんでもない開放感がありましたよ。盛り上がりすぎて音楽が流れていたことすら気づかなかった(笑)。確かに「観客が救われた気分になれてしまう」ということはあるかもね。観ながら、実は『ネル』を思い出していたんだけど、意図的なのか偶然なのか、ショーン・ブリジャースが両方の作品に出ていて。『ネル』になくて『ルーム』にあるのは強力な母子関係なので、子育てで気が変になる母親のことも考えざるを得なかった。ショーン・ブリジャーズの役回りと世の中の父親って大して違わないじゃない? それがそのまま山下敦弘監督『オーバー・フェンス』にも被っていくんだけど、公開が9月だから、これはさすがにやめよう(笑)。

木津:そうですね(笑)。うーん、だから、そういう閉じた母子関係みたいなものがしんどかった部分も、僕はあるかもしれないです。ブリー・ラーソンはもっと別のところでも希望を見つけてほしいというか。ではここで僕の上半期ベストのトッド・ヘインズ『キャロル』の話をするんですが(笑)、いまの流れで言うと、そっちには母であることを奪われていく女が出てくるんですよ。女を愛する女であるということと、母であるということを両立させてもらえない時代であり世界の話ですね。いま同性愛を扱うのなら、いかに過去を描くかだと思うんですよ。ローランド・エメリッヒの『ストーンウォール』はホワイトウォッシュだと言われてボイコットまでされましたが、要するにいまの状況の下地をきちんと検証することが重要になっている。『キャロル』の場合は60年代の前の50年代ということが強調されるんですが、そのことによってトッド・ヘインズのかねてからの古典映画への憧憬がはじめて結実したように思えたことがひとつ。「同性愛を美化している」との評もいくつか見ましたが、それはまったく逆で、50年代のハリウッド映画の美的世界に同性愛を持ちこんでいるんですよ。当時は許されなかったわけですからね。もうひとつは、ルーニー・マーラの側から見ると、自分の欲望するものを手に入れようとする女の一瞬を描いているという、とてもシンプルな意味での女性映画だと思えたことですね。LGBT関連では老ゲイ・カップルのちょっとした問題と日常を描いたアイラ・サックス『人生は小説よりも奇なり』も素晴らしかった。こちらは現代のニューヨークを描いていますが、熟年夫夫なので過去が透けて見えてくる。それはふたりの過去であり、数々のゲイたちの歴史であり……。僕、ブームもあるからゲイ映画は基本的に疑って観るようにしているんですが、これに関してはもうずっと泣いてました(笑)。


『キャロル』 ©NUMBER 9 FILMS (CAROL) LIMITED / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2014 ALL RIGHTS RESERVED

三田:さすがに力が入りますね(笑)。『キャロル』は観てないんだけど(観なくちゃね)、ジル・ソロウェイ『午後3時の女たち』とかグロゼバ&バルチャノフ『ザ・レッスン』とか、女性がちょっとした欲望を持つ映画ってたいてい悲劇になるのはそれが現実的だという判断なのかしら。ウッイ・メーサーロシュ・カーロイ『リザとキツネと恋する死者たち』なんか、そこまでいじめることはないだろうと思うけど、やっぱりその方が説得力があるのかなーと。やっぱ観そこなっちゃったんだけど、トム・フーパー『リリーのすべて』はどうなんですか?

木津:あ、まさにそういった文脈で僕はあまり評価していないです。実話がもととはいえ、トランスジェンダーの悲劇性が強すぎるように思えて。しかもそこで観客が涙するっていう構造になっているのがね……。トランスジェンダーなのでこれも女の映画と言えますが、そういった意味では『キャロル』と逆なんですよ。女の悲劇が現実に則したものなのだとしたら、僕はやっぱりそれを描いた上で、乗り越えていくものが見たいと思います。だから僕は、トランスジェンダーの娼婦をある種溌剌と描いているというショーン・ベイカー『タンジェリン』を一般公開してほしいですね。しかし女の話ばかりしてますね、この対談。

三田:男はスパイになって飛び跳ねてるだけだからねー。そう言われてみると、男はドラマを持ってないのかも。火星に行ったり、雪山に登ったり、部屋にいたりするだけで。役者的に見てもトム・ハーディやマイケル・ファスベンダーが人気なのはいいけど、あまりに癖がなさ過ぎる。本当にしょうがない男を描いたチャーリー・カウフマン『アノマリサ』はそこを突いたということなんでしょううか。ジョージ・クルーニーやチャニング・テイタムにスパイもののパロディをやらせたコーエン兄弟『ヘイル、シーザー』はけっこう笑えましたけどね。

木津:『ヘイル、シーザー』はちょっと気が利きすぎですよー。ほんとに笑えるだけっていうか。『アノマリサ』はテーマとスタイルがピッタリ合っていて感心する半面、あまりにもカウフマン的な現代人の鬱の話なんでちょっと心配になっちゃいました……。でも、スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』は飛び跳ねないスパイを描いていたじゃないですか? 大御所の意地というか、あの地味な辛抱強さはやっぱり偉いし、グッときましたよ。まあ、今回の話の流れで言うと父権的なものを讃えているとも取れて、そこは僕がマッチョなものに抗えないところが出ちゃってるかもしれないですけど(笑)。

三田:『ヘイル、シーザー』は政治に左右されず単純に面白い映画を撮りたいというメッセージはしっかりあるじゃない! ジョージ・クルーニーもわざわざ共産主義にカブれる役をやるなんてセルフ・プロデュースの能力が高いなーと関心したし。『ヘイル、シーザー』だけじゃなくて『完全なるチェックメイト』とか『ムーンウオーカーズ』が冷戦ものにどんどん変化球を加えてくるなか、『ブリッジ・オブ・スパイ』は剛速球という感じでしたね。「007」シリーズが全盛期に匹敵する盛り上がりを見せているということは、エクスキューズなしのエンターテイメントをやるチャンスでもあって、木津くんはダメかもしれないけど、僕はガイ・リッチー監督『コードネーム U.N.C.L.E.』(15)が去年のベスト5に入るんですよ。スタイリッシュなのに斜にかまえたところが一切ないというのはなかなかできないことだし、かつての「007」シリーズに対する、当時の「カジノ・ロワイヤル」的な知性を感じるところがあった。角砂糖のシー ンが最高でしたね。

木津:おおー、ここで『コードネーム U.N.C.L.E.』を三田さんが褒めるとは(笑)! 僕はご予想の通り、ダメだったなー……編集がチャラチャラしてるように感じてしまいました。でもたしかに、政治から逃れられないムードは欧米の映画ではいま強いでしょうね。

三田:『ブリッジ・オブ・スパイ』は60年代の冷戦ものに対して、悪くいえばお勉強的な視点を持っているよね。たまたまキャロル・リードが50年代に撮った『二つの世界の男』を観た後だったので、ベルリンに壁が建設されていく過程は余計に歴史的な重みを伝えてくるところもあって。冷戦というのはスパイの遊び道具じゃないんだよというか(その後で観たマルクス・ディートリッヒ監督『ビームマシンで連れ戻せ』にはベルリンの壁に対するさらに異なった認識が展開されていて驚愕でしたけど)。木津くんが感じるように父権的なモードを発動しているとしたら、それは、僕はあの映画がエドワード・スノーデンを意識しているからではないかと思うんだよ。『ソルト』(10)だったら、スパイは根無し草のように扱われるし、国家が庇護するという感覚からはほど遠いんだけど、スノーデンは正義を行ったんだという感覚を捨てきれないアメリカ人も多いだろうし、そのまま当てはまるわけではないけれど、国家が市民をどう思っているかという意識が反映されている気がして。

木津:ああ、スノーデンのブームもすごいですよね。かなりアイコニックな存在になってますね。

三田:今年のレコード・ストア・デイにスノーデンがトランスのレコードを出してたね。ジャン・ミッシェル・ジャールのサウンドにスピーチを載せてるだけなんだけど。



木津:スノーデンのトランスって……。踊っていいのかわからなくなっちゃいますね。そう言えば、スノーデンによる一連の暴露の過程をリアルタイムで追ったドキュメンタリー『シチズンフォー スノーデンの暴露』はなかなか興味深かったですよ。

三田:そんなものを撮ってたんだ。

木津:アメリカでは2014年に公開されていてそのスピード感はさすがアメリカ映画だなとは思ったんですけど、2016年にこれを観られたのはある意味ラッキーで、「結局オバマ時代って何だったんだろうなー」とボンヤリ考える契機になったというか。リバタリアンのスノーデンに対しては政治的な観点では疑問に思うところもありますけど、ただ、アノーニの“オバマ”じゃないですが、いまのどんよりとした失望感みたいなものはうまく抜き出してるかなと。それと、カメラがまさにそれが起こっている現場にずっとあったっていうのは、単純にやっぱり興奮しましたね。

三田:なんでも撮るよね、いまは。

2016年の上半期を象徴する映画っていうと何になりますか? 僕はディズニー映画の『ズートピア』なんですが。(木津)

木津:ただドキュメンタリーでは、森達也監督の『FAKE』が逆のアプローチをしているように思えて、さらに面白かったんですよ。佐村河内守の例のゴーストライター事件のあと、基本的には佐村河内側にカメラと監督が密着しているだけなんですけど、絶妙なところで電車が走ってきたり「劇映画の演出みたいだな」って思うところがあるんですよ。観客に対して、ずっと「これは現実なのか演出なのか?」と不安にさせるところがある。『シチズンフォー』がアメリカン・ジャーナリズム的に真実の重要性を訴えているとしたら、『FAKE』は「そもそも真実をひとは見たいんでしょうかね」という不敵な態度があって僕はゾクゾクしましたねー。これは問題意識的にも、いまの日本をよく表しているなと思いました。では最後に、個人のベストは別にして三田さんは2016年の上半期を象徴する映画っていうと何になりますか? 僕はディズニー映画の『ズートピア』なんですが。

三田:なんだろ。クリスティン・ウィグが出てる映画全部。『ミニー・ゲッツの秘密』『オデッセイ』『ズーランダー2』『ゴーストバスターズ』……まだやってないけど、あの鼻のカタチが気になる……。

木津:なんでですか(笑)。僕が『ズートピア』をここで挙げたいのは、#BlackLivesMatterかつ、女の映画ですから。ビヨンセの『レモネード』とセットで観るといいのかな、と。ただ、実際に観ると完成度は高いし、評価が高いのもすごく分かるんですけど、同時にアメリカがいま分断されていることも表しているな、とも思っちゃって。数年前からポリティカル・コレクトネスの問題は気になっていたんですが、ある意味これは決定打だなと。ドナルド・トランプを支持するようなひとたちは説教くさいと思うだろうし。あの世界が「ユートピア」なのは基本的にリベラルな意識が浸透しているからで、そうではないひとたちとは話自体が噛み合わなくなっているということなんだな、としんみりしてしまって。完成度が高いだけに……ということですけどね。とくにアメリカは政治的なモードがしばらく続くとは思うので、よくも悪くも11月の大統領選がターニング・ポイントになるでしょうね。ここ数年の映画は、こうして振り返るとその前夜のムードをすごく感じますよ。

2016年 上半期ベスト5

木津毅
1. キャロル
2. 母よ、
3. ブリッジ・オブ・スパイ
4. 人生は小説よりも奇なり
5. さざなみ
次. LOVE 3D

三田格
1. ロブスター
2. マジカル・ガール
3. ルーム
4. ふきげんな過去
5. クリーピー 偽りの隣人
次. ビームマシンで連れ戻せ

Sam Kidel - ele-king

 彼・彼女は受話器を取ると途端に声が変わる。感情はない。ただはっきりと明快に「もしもし」は繰り返される。その声の丁寧さ、礼儀正しさ、明朗さ、そして感情の無さは、ぼくたちの生活の一部であり、文明の一部であり、古代にはなかったものである。
 「もしもし」はそして、考えてみれば異様な声だ。当たり前すぎて考えたこともなかったが、ブリストルのヤング・エコー・クルーのひとり、El Kidのソロ・アルバムでは、A面いっぱいに、24分間も「もしもし(hello)」「〜をうけたまわりました」などなど白々しい電話の声が続く。企業のコールセンターに電話する(あるいは一方的にされる)。「もしもし」「のちほどおかけください」「がちゃん」「ピー」「……」。機械よりも機械的な声が続く。そして、この声に、ヴェイパーウェイヴが再利用した使い捨てのBGMがミックスされる。レストランやエレヴェーターなど商用施設のための音楽(ミューザック)が。

 〝分裂するミューザック〟と題された本作の淋しさ、人気の無さは、一聴に値する。通信ネットワークに繋がれた空間の寒々しさ。ぼくたちの生活の一部であり、文明の一部であり、アンビエントなのだ。このコンセプチュアルなアルバムは、明らかに、2年前までがゴシック/インダストリアルなどと括っていたもの、たとえば〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉のようなものとヴェイパーウェイヴとの結合である。そう、吸血鬼によって魂は吸い取られたというわけだが、その場所が丘の上の古城でも夜の墓場でもないことをこのアートワークは教えてくれる。
 B面はその「もしもし」=声を消したミューザックで、このように書くとたったそれだけかよと損した気になるのだが、作者であるSam Kidel は、「もしもし」なしでもこの音楽が面白いことを証明したかったのだろう。たしかに面白い。最後まで聴く気にさせるし、メランコリックであることはたしだが、しかし、この音楽からブリストルという記号は聴こえてこない。

パブリック娘。とはなんぞや - ele-king

 反応も上々だそうだ。「パブリック・エネミーとモーニング娘。の橋渡し……もとい、息子」を標榜する不遜さを、リリース元もお店の人も聴く人も、みんなまとめて笑って許させてしまう、ある意味で強力すぎる一枚。この3人組ラップ・ユニットを「ゆとり世代の最終兵器」──として認識するかどうかは、知略に優れ、クールなリアリズムをたずさえ、活躍めざましいモノホンのゆとり世代サマのご意見を拝聴しなければ判断の難しいところだが、ともかくも力技でみんなを破顔させる、この無計略のすがすがしさ、人のよさ、ゆるさ、そして真摯な発信をキャッチしてみてほしい。あえて音楽ともヒップホップとも言わない。観て感じて、考え、自らをも三省してみるべし! パブリック娘。『初恋とはなんぞや』、本日発売!

■パブリック娘。 / 初恋とはなんぞや

Tower HMV Amazon

発売日:7月6日
品番:PCD-22395
定価:¥2,200+税

 

待望のファースト『初恋とはなんぞや』より、パ娘。流、労働讃歌である意味ハスリング?な攻めのナンバー”おちんぎんちょうだい”のミュージックビデオが公開です!

 ゆとり世代の最終兵器にして、パブリック・エネミーとモーニング娘。の橋渡し…もとい、息子を名乗る、無謀で無軌道、無計略な男子3人組ラップ・ユニット、パブリック娘。のようやくとなるファーストアルバム『初恋とはなんぞや』。

 彼らの名前を広めた代表曲『初恋とはなんぞや』、彼らの労働讃歌アンセム『おちんぎんちょうだい』の2曲の先行ダウンロードも好調。

 そして、本日発売日を迎え、その全容が明らかになる!!

■作品詳細
パブリック娘。 / 初恋とはなんぞや
発売日:7月6日
品番:PCD-22395
定価:¥2,200+税

トラックリスト
1. 初恋とはなんぞや
2. 25mプール
3. Summer City
4. おつかれサマー
5. このままこの電車に乗って
6. DATE
7. 2nd Hotel
8. おちんぎんちょうだい
9. そんなことより早く、このパーティーを抜け出さない? feat. 森心言
10. 寄せては返す俺のアティチュード
11. 俺の誕生日
12. そんなことより早く、このパーティーから連れ出して。 feat. あまえん

パブリック娘。Twitter

Squarepusher - ele-king

 今回のブレグジット(UKのEU離脱)という結果は、本当に難しい。様々な問題が絡み合っていて、一概に残留が正しい、あるいは離脱が正しいと断言してしまうことができないからだ。ただひとつ言えるのは、ミュージシャンの多くが残留を願っていたということである。スクエアプッシャーもそのひとりだ。
 去る金曜日、彼は声明とともにブレグジットに抗議する新曲を公開した。それと同時に同曲の音源データも無料配布し、世界中のアーティストにコラボレイションを呼びかけている。



 昨年パリで同時多発テロが起こったときに、トラックという形で真っ先に反応したのはサンダーキャットだった。けれどそれは抗議の音楽ではなく、あくまで鎮魂の音楽だった。今回、ブレグジットという結果に対しトラックという形で最初に応答したのはスクエアプッシャーということになる。そしてここには明確に、抗議の意思がある。
 彼は昨年リリースされた14枚目のアルバム『Damogen Furies』でも世界情勢に対する怒りをぶちまけていたが、今回公開されたトラックは『Damogen Furies』のように好戦的なものではない。彼はいま「繋がる」ということを考えている。MIDIが世界共通規格であることを踏まえた「国境なきMIDI」というフランス語のタイトルにも彼の痛切な思いが表れているが、これは静かに燃える青い炎だ。20年をこえるキャリアの中で、彼がここまでポリティカルな憤りを露わにしたことがあっただろうか。
 以下に彼の声明を掲げる。彼はなぜ怒っているのか。ブレグジットとは何だったのか。そしてそれは、日本とは全く関係のない出来事だったのだろうか。この国でももうすぐ選挙がある。ほんの少しでいい。スクエアプッシャーの新曲を聴きながら、考えてみてほしい。(小林拓音)

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 UKのEU離脱の是非を問う国民投票は、最悪の結果になった。社会における様々な意見の相違を増幅させ、さらには排外主義を再び正当かつ許容できるものとして定着させてしまった。グローバル化する極右の復興という状況の中でこれを目撃し、この現実を受け入れられない者たちは、自分たちの考えを伝え、行動を起こすことが不可欠だと強く思っている。

 これは国民投票が取り沙汰される中で書いた楽曲で、インターナショナリストの精神を持つすべてのサウンド・クリエーターたちが、音楽の種類や活動拠点、バックグラウンド、世代を問わず、コラボレートするための土台として作ったものだ。進歩主義の政治的行動の代わりというつもりはないが、それを補うものとして考えている。我々の間に存在する脆弱な関係性を脅かす偏見に対抗して俺はこれを提示する。これが、この不穏な状況において、我々の繋がりを再確認するきっかけになることを望む。

 完成した楽曲と一緒に、インストを構成する音源パーツ、スコア、そして一音一音の情報を示すMIDIファイルをここに用意した。パーツをダウンロードして、好きなように使ってほしい。シンプルなリミックスでも構わないし、原曲を認識できないくらいに作り直すのもいい。楽器編成、キー、音の順序、音そのものを自由に変えてほしい。唯一のルールは、“このサイトに制作した楽曲を載せるためには、必ずタイトルを「Midi Sans Frontières」とすること”。他のタイトルをつけるのも問題ないが、その場合は、このサイトに表示されない。

 作った楽曲をここで披露したい場合は、オフィシャル・サイトに音源をアップロードしてほしい。

One Love!

Tom Jenkinson
1st July 2016


https://www.squarepusher.net/

interview with Matthew Herbert - ele-king


Matthew Herbert
A Nude (The Perfect Body)

Accidental/ホステス

ElectronicNoiseExperimental

Tower HMV Amazon

人間が生きていくうえで、不可避的に身体が立ててしまう音=ノイズを用いて音楽を創ること。マシュー・ハーバードが新作で実践したコンセプトである。起床から睡眠まで。体を洗い、何かを食べ、トイレにゆく。それらの音たちは、極めて個人的なものであり、必然的に人間の「プライベート/プライバシー」の領域問題を意識させてしまう過激なものでもある。いわば音/音楽による「裸体」?

 そう、マシュー・ハーバートが新作で実践したこのコンセプトは、「音楽」における「裸体」の概念を導入する、という途轍もないものなのだ。むろん、いうまでもなく「映像」と裸体の関係はつねに密接であった。ファッションフォトであっても、ポルノグラフィであっても同様で、いわばジェンダーとプライバシーの力学関係が複雑に交錯する「政治」空間であったともいえるだろう(政治とは力学である)。同時に芸術においては「裸体」は、普遍的ともいえる主題でもあった(ヴィーナスから村上隆まで)。裸体、それはわれわれの知覚や思考に対して、ある種の混乱と、ある種の意識と、ある種の美意識と、ある種の限界を意識させてしまうものなのである。

 では、映像が欠如した「音楽」のみによる「裸体」の表現は可能なのか。ハーバートは身体の発するノイズ、そのプライベートな領域にまでマイクロフォンを侵入させ、それを実現する。急いで付け加えておくが、それは単なる露悪趣味では決してない。そうではなく。そうすることで、人間の身体のたてる音=ノイズを意識させ、聴き手にある自覚を促すのである。われわれは、何らかに知的営為を行う「人間」であるのだが、同時に日々の生存をしていくために「動物」として音を発する。これは極めて当たり前の行為であるはずなのだが、われわれの社会は「人間」が「人間」であろうとするために、その動物性を綺麗に隠蔽する。

 彼は、2011年に発表した『ワン・ピッグ』において、一頭の豚の、誕生から食肉として食べられるまでの音を再構築(サンプリング)し、「音楽」としてリ・コンポジションしていくことで、われわれの視界から隠蔽される食肉の問題を「意識」させたが、本作においてハーバートは「身体の発する音」を極めて美しいエクスペリメンタル・ミュージックへと再生成することで、われわれが発する「音」(動物的な?)のありようを「意識」させていくのだ。映像から切り離された音たちは、ときに自律性を発しながらも、ときに音それじたいとして主張をし、ときに元の状態がわからないサウンド・エレメントに生成変化を遂げたりもする。だが、それでも聴き手は「この音は、生活していくうえで、生物としての人間が、ごく当たり前に発する音」だと意識せざるを得ない。ハーバートが求めるものは、それである。「意識していないものを意識させてしまうこと」。それこそがサンプリング・アーティストとしての彼が「社会」に仕掛けていく「革命」なのではないか。

 しかし同時に、本作に収録された「音楽」たちが、とても美しい点も重要である。彼はまずもって才能豊かな音楽家だ。とくに本作のディスク2に収録された楽曲を先入観抜きで聴いてほしい。OPNやアンディ・ストットに匹敵するインダストリアル/アンビエントが展開されている、といっても過言ではない。だが、この美しいエクスペリメンタル・ミュージックたちは、ときに人間の排便の音で組み上げられているのだ。ハーバートは「ボディ」(ある女性とある男性だという。そしてハーバート自身の音は入っていない)の発する音の群れと、「音楽」のセッションを繰り広げているというべきかもしれない。

 今回、マシュー・ハーバートから本作について、社会について、興味深い言葉を頂くことができた。サンプリングが社会的な行為であり、同時に破壊でもあるとするなら、本作は、いかなる意味で「音楽」といえるのか。このインタヴューは、衝撃的な本作を聴く上での最良の補助線になるだろう。このアルバムを聴き、このインタヴューを呼んだあなたは、もはや「自分の発する音」に無自覚ではいられなくなる。

■Matthew Herbert / マシュー・ハーバート
1972年生まれ。BBCの録音技師だった父親を持ち、幼児期からピアノとヴァイオリンを学ぶ。エクセター大学で演劇を専攻したのち、1995年にウィッシュマウンテン名義で音楽活動をスタートさせる。以降、ハーバート(Herbert)、ドクター・ロキット、レディオボーイ、本名のマシュー・ハーバートなどさまざまな名義を使い分け、次々に作品を発表。その音楽性はミニマル・ハウスからミュジーク・コンクレート、社会・政治色の強いプロテスト・ポップに至るまでジャンル、内容を越え多岐にわたっている。また、プロデューサーやリミキサーとしても、ビョーク、REM、ジョン・ケール、ヨーコ・オノ、セルジュ・ゲンズブール等を手掛ける。2010年、マシュー・ハーバート名義で「ONE」シリーズ3作品(One One, One Club,One Pig)をリリース。2014年には4曲収録EPを3作品連続で発表。2015年には名作『ボディリー・ファンクション』『スケール』を彷彿とさせる全曲ヴォーカルを採用した『ザ・シェイクス』をリリースし、来日公演も行った。

世界をいまのままの状態で受け入れることに歯止めをかけるために。大切なもののために。闘い始めるために。探したのは逸脱したサウンドだ。

どうして、このようなコンセプトでアルバムを作ろうと考えたのですか?

MH:僕が考えていたのは、まず、サウンドを使って「世界を変えたい」ということだった。いま、世の中は間違った方向に進んでいると思う。だから僕は、それを変えたい。もしくは衝撃を与えたい。ただ、人にショックを与えて終わりではなく、みんなの考え方や受け止め方をそれによって変えることができればとも思っている。そして僕らが人生を送っていく上でのありきたりのパターンを混乱させるんだ。世界はすごい勢いで、どんどんおかしなことになっているからね。ドナルド・トランプしかり、ファシズムの台頭しかり、気候の変化しかり、核兵器しかり。僕らは、いまの自分たちのあり方を急いで変える必要があると思う。というわけで僕は予定調和を壊すようなサウンドや発想を探し求めた。世界をいまのままの状態で受け入れることに歯止めをかけるために。大切なもののために。闘い始めるために。探したのは逸脱したサウンドだ。たとえば、ショッキングだったり、不快だったり、あるいは耳馴染みがなかったり、奇妙だったり、そういう感覚を促す音だ。それは何だろう? と考えたとき、思い至ったのが自分自身の音、できれば聞きたくない音だったんだ。他人がトイレに行く音とか、そういう聞きたくない音に耳を向けていく。あ、そういえば日本には、自分の「その音」を、ほかの人が聞かなくて済むように音を隠すシステムがあるよね(笑)?

はい(笑)。

MH:他人が大便をする音なんていうのは誰も話題にはしない。誰もがやっていることなのに、それってすごく不思議だよね。誰もがすることなのにさ。何も特別なことじゃない(笑)。そんな「誰もがせざるを得ないことなのに」というのが、ひとつの出発点になったんだ。「そうか、僕がまず理解すべきなのは他人の肉体に感じる違和感なのかもしれない」と。そのためには誰か他人の肉体の音を録音してみる必要があるなと考えはじめて、それから何カ月か経ったところで僕は、それは、つまり、「ヌード」ってことだと思い当たったんだ。「裸にむき出しになるということだ、なるほど!」と。まあ、そんな感じで6カ月から8カ月ぐらいかけて発展していった発想なんだよ。ある日、目を覚ましたら急に「そうだ、これをやろう!」とひらめいたわけではない。少しずつ少しずつ、毎日そのことを考えていくうちに、そう、植物のように水をやり続けていたら、ある日、「あ、これってサボテンだったのか!」「あ、メロンがなったぞ!」となるような感覚だね。ここに至るまでのプロセスは、まさに進化の過程だった。

「ボディ」に、つまりは互いの存在に耳を傾け、受け入れる必要があるんだ。突き詰めれば人はみな同じ。女王様だってウンチはするし、カニエ・ウエストだってそう。

日本のトイレの消音システムは「自分の音を聞かれたくない」という感覚なんですよね。

MH:ああ……、だとしたら、それはそのまんまいまの世界がはらんでいる危険性だと思うよ。この資本社会において「もっとも重要な人物は自分である」と思い込まされて人は生かされているんだ。すべて自分が中心。自分自身が、個人が、すべてである、と。でも、それは真実じゃない。人は他人との関わりの中でしか生きていけない。車だってそうだ。僕は自分では作れないから誰かに造ってもらわないと、運転して子どもたちを学校へ送ることもできない。子どもたちに勉強を教えるのも、家族の食べるものを育てるのも、誰かにやってもらわなければ僕にはできない。だったら僕にできることは何か? というと、それは音楽を作ることであり、それが僕なりの社会貢献であり、教えてあげられることというのかな。
でも、それだって聴いてくれる人がいなければできない。とにかく、人はお互いを必要としているし、力を合わせる必要があるんだ。力を合わせなければ、たとえば気候の変化に歯止めをかけることもできない。消費を抑えるとか、移動を少なくするとか、みんなでやらなければ意味がないんだから。行動を共にする必要があるんだよ。そして、そのためには隣人に目を向ける必要がある。お互いに対して、あるいはお互いのために、いったい何ができるのかを考えなければならない。僕としては、このレコードは、そのあたりのことを表すメタファーになっていると思う。「ボディ」に、つまりは互いの存在に耳を傾け、受け入れる必要があるのだ、と。突き詰めれば人はみな同じ。女王様だってウンチはするし、カニエ・ウエストだってそう。みんなやることだ。そこを認めることができたら、人間性を協調させることが可能になるかもしれない。ひいてはそれがより健全な体制を生み出すことに繋がっていくんじゃないかな。

たしかに街中でもヘッドフォンをして周りの音をシャットアウトしている日本人もとても多いです。

MH:でも、それを責めることもできないけどね。だって世の中はどんどん騒々しくなっている。たとえば、これは最近じゃ常套句になってしまっているから僕がここでわざわざ言うのも申し訳ないようだけど(笑)、渋谷の町はその典型じゃないかな。音楽、テレビ、呼び込みの声。「こっちへ来てこれを買え!」という声が店やレストランから流れてくる。何かの統計を見たけど、人間の話す声はこの15年ぐらいで10%ぐらい大きくなっているらしいよ。まわりがうるさいから声を大きくしないと聞こえない。つまりマシーンの音に埋もれないように、人は声を荒げなければならなくなっているらしい。そういう意味じゃ、ヘッドフォンをしたくなる気持ちもわかるよ。あと、それで何を聴いているのかってのもあるよね。もしかしたら「沈黙について」なんていう番組を聴いていたりして(笑)。あるいはノーム・チョムスキーの講義だったりして。そう、何を聴いているのかわからないというのもまた、問題ではある。結局、人と人が繋がっていない、ということなんだから。

いまとなってはもう、ピアノもギターもドラムも僕は聴く必要を感じない。シンセサイザーだってそう。もちろん、それぞれ時と場所によっては素晴らしい音に聞こえるけれども、それが音楽の未来だとは僕は思わない。

「世界を変える」いう意味では『ワン・ピッグ 』(2011)もそうでしたね。豚の誕生から食べられるまでを音にして、聴いている人に「気づかせる」……。

MH:そう。最近、僕は音楽がすごくひとりよがりで無難なものになってしまっていると感じているんだ。いまとなってはもう、ピアノもギターもドラムも僕は聴く必要を感じない。シンセサイザーだってそう。もちろん、それぞれ時と場所によっては素晴らしい音に聞こえるけれども、それが音楽の未来だとは僕は思わない。だからナイトクラブで『ワン・ピッグ 』 を演奏して、あの大音量で聴かせる、というのは僕に言わせれば興味深くもあり、衝撃的でもあり、おかしくもあり、ちょっとバカバカしくもあり、それでいて、ごく真剣なことでもあったわけで。

さて、本作ですが、実際はどのくらいの期間で完成させていったのでしょうか。

MH:僕と「ボディ」とでやったんだけど、レコーディングは2日間かな。2日半ぐらいだったかもしれない。その音源をほかの録音機材に移して、さらに2週間ぐらいかけてあれこれ録音した。というのも彼女がその間にウンチをしなかったから(笑)。それで彼女に録音機を預けておいて、あとで催したときに録ってもらった。それでよかったと思いつつも振り返ると、違うやり方にするべきだったかなとも思ってしまう。もしかしたら最初からボディに録音機材を預けて彼女に委ねてしまったほうがよかったかもしれない。それはいわば画家が絵筆をモデルに預けるのと似た行為だよね。それってかなり斬新な解放であり、彼女にとってはそこから先の責任を自分で負えるわけで。

いま、とても驚いたのですが、本作の「ボディ」は女性だったのですね。

すごく迷ったところなんだけど、ありがちな「白人男性が見つめる女性の肉体」という視点では終わりたくなかった。

結果的にこのレコード上のジェンダーは、レコードから聴こえてくる以上に交錯しているんだよ。

MH:うん。そこはすごく迷ったところなんだけど、ありがちな「白人男性が見つめる女性の肉体」という視点では終わりたくなかった。女性の身体を見つめる、あるいは身体に耳を傾けると特定のイメージが、あらかじめできてしまいそうだから。でもその一方で、僕ではない誰か他人であることも重要だった。男性の「ボディ」にすると皆、単純にそれが僕だと思うだろうし、それだとあまり面白くない。それに僕が自分の身体が発するノイズを自分で録音して発表するのでは、あまりにも内向き過ぎる気がして、つまらないと思った。他人の音を録音する方が、僕には遥かに興味深い。他人という意味で僕と異性である必要があるとも思ったんだ。ただし、彼女には、また別の男性も録音するよう指示を出しておいた。男性のノイズも一部、取り入れるようにと、ね。だから結果的にこのレコード上のジェンダーは、レコードから聴こえてくる以上に交錯しているんだよ。女性の音かと思えば、実は男性の音も入っている。つまり、単体の女性のボディだけではない、ということ。

しかも、ご自身の音は入っていないのですね。私はハーバートさんの音も入っているものと思っていました。

MH:僕は何の音も立てていない。僕のノイズはこのレコードにはいっさい入っていないよ。僕じゃない。彼女は本当に大いなるコラボレーターだったよ。自分がウンチをする音を自分で録音して送ってくれる女性は、そう大勢はいないと思う。僕自身、このプロジェクトに取り掛かる以前は彼女のことを知らなかったんだ。あとオルガズムもそうだよね。あるいは洗い物をしたり、食事をしたり。正反対に眠るという、ものすごく無防備な状態も他人のために録音させてくれるなんてね。本当に彼女はこのレコードの重要な一部だよ。

ヒトの身体、とくに裸体というものに、聴覚だけで対峙するというのは、僕らがこれから検討していくべき使用価値の高いツールなんじゃないかな。

「裸体=ヌード」は、古来から絵画や彫刻などの芸術において普遍的な題材ですよね。しかし同時に映像のない音楽においては、「裸体」の表現は困難とも思います。だからこそ、このような方法論で音楽=ヌードが実現できるとは! と驚きました。

MH:そうなんだよ。このプロジェクトには 「パーフェクト・ボディ」という副題が付いているんだけど、それがエキサイティングだと僕は感じている。目で見るものではないからこそ「美」や「姿形」は問われず、人種も関係ない。聴いている側には、彼女が日本人なのか、ロシア人なのか、アフリカの人なのかスペイン人なのかもわからない。年齢もわからない。体の様子もわからない。男女の区別もつかない。いわゆる伝統的な感覚で美しいのかどうかもわからない。これこそ本当の意味での解放だと僕は思っている。ヒトの身体、とくに裸体というものに、聴覚だけで対峙するというのは、僕らがこれから検討していくべき使用価値の高いツールなんじゃないかな。そして人間はみな、食べないわけにはいかない。トイレにも行かなければならない。そうせざるを得ないし、しなければ生存していけない。そう考えると、「非の打ちどころのないボディ=パーフェクト・ボディ」とは、「機能するボディ」、つまりは「生きているボディ」なんじゃないか。そこからすべてがはじまっているんだ。

「命を糧として食べる」というと、ますます 『ワン・ピッグ』 の続編という感じすらしますが、その意識はありましたか?

MH:なかったよ。おかしいよね。インスピレーションというのは湧いてくるのを待つしかないんだ。自分のやっていることや決断の整合性も、あとになってようやく見えてくる場合もある。『ワン・ピッグ』 ときは、ここまでまったく考えていなかった。発想が浮かんだのは 『ザ・シェイクス』(2015) を作った後だ。実際、そう考えるとイライラするよね(笑)。自分の中にある発想に、脳みそが追いついてくるまで時間がかかって、それを待っているしかないわけだから。そして急がせることもできない。いまもまさに、その問題にぶち当たっているところだ。次のレコードをどうしようか考えているところなんだけど、まだ脳みそが追いついてこないんだ(笑)。

ちなみにハーバートさんは他人が発する音は不快ですか?

MH:う~ん……、このレコードを作ってから少しよくなったかな。でも好きではない。たとえば劇場で隣の人の呼吸音がすごく大きかったりすると、勘弁してくれ! と思ってしまうほうだ(笑)。それが、このレコードを作ることで少しは容赦できるようになった。というか、ひとつの音として受け入れられるように少しはなった、というのかな。あんまり気にしないで、ひとつの音だというふうに脳内でイメージするようにしている。

ある意味、ジャズのレコードみたいに考えればいいのかなとも思った。彼女の出す音が主役。僕がするべきことは、とにかく彼女の音を支えて、伴奏につくことだけだった。

録音された「音=ノイズ」の数々を、「音楽」としてコンポジションしていくにあたって何がいちばん重要でしたか?

MH:テーマの設定から入ったんだ。最初は、どう収拾をつけたらいいのかわからなくて、12時間の記録ということにした。1時間めは目覚め、2時間めは朝食、3時間めはジョギングというようにね。だけど、それがうまくいかなくて、こういう「行動別」のまとめになったんだ。ひとつのトラックが「洗う=「ボディ」のメインテナンスについて」というように、そのモデル(ボディ)が風呂に入るその時間がそのまま曲の長さになった。栓をした瞬間にはじまって、栓を抜くところで終わる。それが12分とか13分だったかな。だから難しかった。難しかったんだけど、ある意味、ジャズのレコードみたいに考えればいいのかなとも思った。モデルがマイルス・デイヴィスで、僕がバンドというふうに想像してみることにしたんだ。ソロイストをサポートする役が僕だ。彼女の出す音が主役。であれば僕は、彼女のすることをすべて受け入れて支えていけばいいんだとね。基本、彼女は全般的に物静かで行儀がよいから、僕がするべきことは、とにかく彼女の音を支えて、伴奏につくことだけだった。僕自身の構成とか音楽的な決断を押し付けるのではなくて、ね。

“イズ・スリーピング”は睡眠中の録音ですが、ディスク1をまるごと、この睡眠にした理由を教えてください。

MH:あの録音がその長さだったからだよ。彼女が僕のために録音してくれたものが、その尺だったんだ。そうか、じゃあ、このトラックは1時間にしないとダメだな、と(笑)。だって、どこで切ればいい? というか、切る理由は何? 3分で切るか4分で切るか、あるいは20分か? で、じつはこれが今回のレコードで僕がいちばん気に入っている「音楽」なんだ。たぶん、それは独自のリズムがあるからだと思う。

この1時間はまったく編集されていないんですね。

MH:してないよ。そのまんまだ。起きたことがそのまんま。

『ア・ヌード(ザ・パーフェクト・ボディ)』全曲試聴はここから!

僕がやろうとしたこと、あるいは僕が興味を持っていたことは、さまざまなポーズなんだ。僕は今回の作品の中で、ポーズというものの音楽における同義語は何だろう? ということに取り組んだ。

ディスク2の方は編集やアレンジがされていますね。サンプリングによる反復と逸脱という、いかにもハーバートさんらしいトラックが展開されていました。

MH:あははは。

「反復」というものがが、音楽、ひいては芸術において、どのような効果をもたらすとお考えですか?

MH:僕がやろうとしたこと、あるいは僕が興味を持っていたことは、さまざまなポーズなんだ。人間は、じつにさまざまなポーズをとる。モデルが何かに寄りかかっているポーズや、椅子に腰かけているときポーズまで。どれも静止したポーズだけれども、その人の一連の行動の中において、特定の一瞬でしかない。わかる? 静止しているけれども、モデルにとっては前後と繋がりのある動きの一環である、ということ。つまり動作と静止の「はざ間」の状態だね。そう考えるとすごく不思議だ。アートの世界では、その中の一瞬を切り取って静止した形で表現するけれど、音楽ではそうはいかない。発想がそもそも違うから。だから僕は今回の作品の中で、ポーズというものの音楽における同義語は何だろう? ということに取り組んだんだ。長尺で、これといった変化も起きない作品でも、目の前で、いや耳の前で、ほんのちょっとした震えや揺らぎが起きている。

私はこのアルバムを、不思議と美しい音響作品として聴きつつも、反復的な“イズ・アウェイク”や“イズ・ムーヴィング”、リズミックな“イズ・シッテング”などには、どこかハウスミュージックのような享楽性を感じてしまいました。

MH:ふふふ……。

で、なぜか『ボディリー・ファンクションズ』(2001)収録の“ジ・オーディンエンス”などを想起してしまったんです。

MH:マジで !? へぇぇ。

「声の反復」の感じなどから、そう感じたのですが、いかがでしょうか?

MH:そう言われてみるとたしかにそうかも。僕の頭にはぜんぜん、なかったけどね。僕が興味を持ったのは、モデルには声があるから、ノイズもメロディも、すべて彼女の声からできている、という点なんだ。それが僕にとってはとても興味深い転換なんだ。絵に描かれたものを見ただけでは、そのモデルがどんな声をして、どんな音を立てているのかわからないけれども、音楽のポーズにおいてはモデルにも声があり、その声のトーンや質にも彼女らしさがあり、それが僕のメロディや構成を生み出す上で助けになっている。ハウス・ミュージックは今回のレコードでは僕は参照していななかったけど、反復によるリズムは有効だと思う。グルグルグルと同じところを繰り返し、めぐりめぐることによって特定の場所にハマっていられるから、そこで何かひとつの発想を固定することができる気がする。そういう意味で反復やリズムは、僕にとってはものすごく重要だ。ひとつのツールとして。

MH:じつはひとつ、ぜひとも大きく扱いたかった音があった。それが「肌」だったんだ。「肌」というか「接触」かな。

アルバムに使われた音以外も、さまざまな音素材を録音されていたと思いますが、音を選ぶ判断基準について教えてください。

MH:まずは因習的な伝統を網羅しておきたかった。たとえば“イズ・イーティング”ではいろいろな食べ物を食べているんだけど、繰り返し登場する食べ物はリンゴなんだ。それはアダム&イヴが提示するものに繋がるからであり、リンゴが非常に象徴的な存在になったわけ。それで僕が「よし、じゃあリンゴでいこう」と決めて、7分とか、そんなものだったかな(ちょっと正確に覚えてないけど)、リンゴ1個を食べ終わるまでの時間をそのまま1曲にした。また、さっきいったように「風呂に入る」時間をそのまま録ってたり、さらに「爪を切る」音や「髪をとかす」音も、あとから乗せてある。つまり、サウンドのクラスタというかグループを作ったわけだ。彼女は風呂に入っているんだけれども、同時に「髪をとかす」音や「乾かしている」音も鳴っているという。いわば音の群像だね。かつ、ひとつひとつの音が明瞭に聴こえてほしかった。それが何の音か? とわかる程度に。いまひとつ明瞭ではないと判断した音は使わなかった。それが判断基準のひとつだね。

録音・制作するにあたって、苦労した音というのはありますか。

MH:小さな音はすごく扱いづらかったな。じつはひとつ、ぜひとも大きく扱いたかった音があった。それが「肌」だったんだ。「肌」というか「接触」かな。手のひらで腕をこする感じとか。そういわれると、すぐに思い浮かべることはできる音だと思うけど、これが録音で拾うのは難しくて。皮肉にも僕がもっとも録音で苦労したのが「やさしさ」ということになってしまった。やわらかで、やさしくて、ごくシンプルな感覚。人間同士の「接触」の重要性は誰もが語るところだし、それが僕の訴えたかったことでもあるのに、これを捉えるのに、これを表現するのに、すごく苦戦してしまった。マイクの宿命で、どうしてもドラマチックな音の方がよく拾えるし、技術的にちゃんと録音可能なんだよね、うんと静かな事象よりも……。おもしろいことに、まだそうやって手の届かない部分が人間の身体にはある。マイクの力が及ばない部分がある。そう考えると、ある意味、なかなかに詩的だよね。

MH:誰かが小便をしている音、と言ったときに一般的に思い浮かべる音は、じつは水と水がぶつかる音であって肉体の発する音ではない。僕としては肉体の発する音と環境音との区別にこだわって、環境音は使わないよう細心の注意を払った。

つまりサンプル音源などは、まったく使っていないわけですね。

MH:うん、それはぜんぜんしていない。「ボディ」の音だけだよ。録音は、最初はホテルの部屋ではじめたんだ。「白紙のキャンヴァスを用意する」的な考え方。ただ、たとえば誰かが小便をしている音、と言ったときに一般的に思い浮かべる音は、じつは水と水がぶつかる音であって肉体の発する音ではない。僕としては肉体の発する音と環境音との区別にこだわって、環境音は使わないよう細心の注意を払った。大便だってそうだよ。あれだってウンチが水にぶつかる音であって、聴けば、すぐに「あ、これは……」とわかるだろうけど、肉体の音ではないんだ。別物だ。そこが僕にとってはチャレンジだった。肉体の音だけを抽出するということがね。風呂に入っているときの音も、水の音に頼って音楽を作ってしまわないように心掛けた。面白みはそこにあるんじゃなくて、「洗う」という行為の方にあるんだから。大便はね、彼女がじつは下痢をしていたんだよ。驚いたことに、彼女はその状態でありのままを録音してきた。本当に勇気のある女性だよね。おかげで物体が彼女の肉体を離れる瞬間の音をとらえることができたわけ。そんな感じで、環境の音を入れ込まないように、できるだけ努力した。

「音」であっても、個人のプライバシーの領域になればなるほど、他人には不快に感じてしまうかもしれません。そして本作は、そんなプライバシーの領域に足を踏み込んだ内容だと感じました。

MH:そう、まったくそのとおりだよ。でも、人間だって結局は動物だからね。もっと洗練された生き物だと思いたがっているけれど、要はただの獣だ。僕らはじつは農場に移り住んだところで、羊を飼っている。その羊が草をはむときに立てる音が最高に美味しそうでね。同じなんだな、と。人間も何も変わらない動物で、だからやることも同じなんだよ。ただ互いのそういう行為の音を聴くことに慣れていないだけ。

となると、ハーバートさんにとって「音楽」と「非音楽」との境界線が、どこにあるのか気になってきます。

MH:うん、そこは僕自身、興味を持つところ。というのも、今回のこれも着手するにあたって「どうしてわざわざ音楽にするんだろう、ただのサウンドのままで十分かもしれないぞ」と考えたから。

MH:判断が難しいときがあるんだよ、何をもって「音楽」と呼ぶのか。ただ「音」を聴くのと「音楽」を聴くのとの違いは何なのか。

なるほど。

MH:でもね、判断が難しいときがあるんだよ、何をもって「音楽」と呼ぶのか。ただ「音」を聴くのと「音楽」を聴くのとの違いは何なのか。だから、さっき話した、彼女(ボディ)がマイルス・デイヴィスで音楽はバンドとして彼女のサポート役に回る、というのがひとつの答になるかな。「洗う」が入浴である以上、そこでラウドでアグレッシヴな音楽を奏でるのは明らかに不適当だよね。彼女はただリラックスして静かにお湯に浸かったり身体を洗ったりしているだけ。その事実、そこに乗せる音楽を定義づける。自分で考えて音楽を乗せるというよりは、風呂の情景を優先して自分は身を退く。風呂というランゲージや、そこでの時間の流れに身を委ねるしかないんだ。

ハーバートさんの方法論は物理的には制約が多いかもしれないけれど、不思議と「自由」に音楽をしているように思えます。

MH:ものすごい自由度だったよ。何しろいまは音楽を作りながら自分で下さなければならない決断があり過ぎるほどある時代だ。音ひとつ作るのにも、使えるシンセサイザーが山ほどあって、出せる音が何百万通りもある。さらにはそれを加工する方法がまた何百万通りもある。選択の自由を与えてくれているようで、音楽を作る上では、出だしからものすごい労力が必要になる。だったらむしろ「リンゴを食べる音だけで音楽を作る」という枠組みをはっきりさせておいた方が、音楽を作るという作業に専念できる。そこに僕は自由を感じる。
たとえていうなら、京都に「RAKU」(楽茶碗)って綴りの茶碗を作る工房があるんだけど、僕は、そのお茶の茶碗をすごく気に入っているんだ。その茶碗は16世紀から、おおよそ同じ作りだ。そこに僕は「作るのは茶碗。そして基本的に、こういう作り」というのがわかっている安心感の上で、思いきり制作の手腕を磨くことに専念できる、喜びみたいなものを感じるんだ。同じ枠組みの中で、どうしたら機能的で、特別で、興味深い作品を作り上げられるか。そこが勝負であって、窯を作るところからはじめなくてもいい。もちろん、そこからはじめたい人もいるだろうし、「さて、この土を練って何を作ろう」というところからはじめるのが醍醐味だと思う人もいるだろうけど、僕は「作る」という技にすべてを集中させたいから、ほかは制約しておくことがとても大事だったりする。そうしないとまったく収拾がつかなくなってしまうから。

同じ枠組みの中で、どうしたら機能的で、特別で、興味深い作品を作り上げられるか。そこが勝負であって、窯を作るところからはじめなくてもいい。僕は「作る」という技にすべてを集中させたいから、ほかは制約しておくことがとても大事だったりする。

この作品を舞台化する計画があるそうですね。

MH:いまのところ1回だけなんだけど、ロンドンのラウンド・ハウスでやる予定だよ。希望としては振付師についてもらって、いくつかのボディを登場させ、それに動きを与えて……。まだ最終的な案ではないんだけど、観ている人のそばを通りかかるボディの気配から何か感じるとか、あるいは通りすがりに何か匂いがするとか……。でもけっこう不安もあるんだよ。というのも、そもそもこのレコードの主旨としてボディの見た目に捉われないというのがあるわけだから、舞台化してもボディを普通に露出することは避けたい。そこにはこだわりたいんだ。具体的には来月あたりから打ち合わせに入るので、それからだね。

舞台作品は、アナウンスされているインスタレーションの展示とは違うものなのですか。

MH:うん、ナショナルギャラリーに常設するアート作品として寄贈する話もある。そっちの発想としては、ギャラリーの床とか壁とか天井とかに穴を空けて、そこに頭を突っ込むと音が聞こえてくる、というやつにする。目で見るのではなくて、聴く。音源は建物のどこかに仕込むことになると思うんだけど。そんな感じかな。

「三次元的な体験」ですね。

MH:そうだよ。そもそも、このレコードに影響を与えたものは、さまざまなアートなんだ。音楽だけに限らない。というより音楽以外の「アート」だ。出来上がったものも「音楽作品」というよりは「芸術作品」と自分は考えている。

「世界を変えること」が目標だとおっしゃっていたこのアルバムですが、満足するような反応は返ってきていますか。

MH:う~ん、まだちょっと早いかな。日本では7月1日のリリースだしね。まだキャンペーンもはじまったばかりで、反応らしい反応も返ってきていない状態だ。ラジオで流れるかどうかというのもポイントだね、わりとアダルトなトラックに関しては。まあ、だから、現状まだ世界を変えるには至っていない(笑)。

つまり、僕の次のレコードは、いわば目に見えないレコードってことになるかな。

もしかすると気分を害する人もいるかもしれませんが、「警鐘」という意味では大成功でしょうね。

MH:いや、人を嫌な気持ちにさせるつもりはないんだ。ただドナルド・トランプに消えてもらいたいだけ。

彼がこのレコードを気に入ってしまったらどうしましょう?

MH:あははは。いや、あいつがこれに興味を持つはずがない。自分にしか興味がない人間だから、他人の音になんか興味を持つわけがないよ。あるいは自分でカラオケをやるとか? 自分が風呂に入ったりウンチしたりする音を自分で録音して、このレコードのカラオケに乗せて流す。トランプによるトランプのためのトリビュート・レコード(笑)!

(笑)。ちなみに本作の楽曲を象徴するような素晴らしいアートワークは誰が担当したのですか?

MH:写真はクリス・フリエルだ。この国では有名な風景写真家の作品で、アートワークは僕の作品を長年手掛けてくれているサラ・ホッパーがやってくれている。『ボディリー・ファンクションズ』も彼女のアートワークだったよ。中にはフォノペイパーというものを使っているんだけど、これを使うと写真を読むことができるんだ。写真の上に電話をかざすと、写真からノイズが出て、モデルが曲のタイトルを語る声が聴こえる。そして表はグラフをイメージしている。「幽霊を測ろう」としているようなイメージ。

しかし、ここまで究極的な録音・音響作品を完成されたとなると、どうしても「次」の作品も気になってしまいます。

MH:次にやることは決まっているよ。次は本だ。『ミュージック』(MUSIC) というタイトルの本を書いたんだ。これは、僕が作ることのないレコードの解説書。つまり、僕の次のレコードは、いわば目に見えないレコードってことになるかな。

目に見えないレコードとは! それはすごい! つねに意表をつきますね。

MH:あははは。それをめざしているよ。

ROSKA Japan Tour 2016 - ele-king

 すべての音が出尽くしたとさえ言われているダンスミュージック。けれども、クラブで流れる曲は絶えず表情を変え、様々なスタイルが生まれている。もちろん、そのなかでトップDJとしてプレイし続けるのは容易なことではなく、今回来日するロスカの遍歴を見るだけでもそれが手に取るようにわかる。UKファンキーの重要プレイヤーとしての顔も彼にはあるが、時にはコールドなテクノから、図太いダブステップ、さらに艶かしいハウス・ミュージックまでも彼のDJデッキからは飛び出してくるから驚きだ。
 2015年に若手のスウィンドルと共に来日したときは、両者の相互作用もあり、ときに激しくときに緩やかにフロアの腰を突き動かす、UKブラックミュージックの「黒さ」を体感することができた。現在もラジオやクラブの一線で活躍するロスカが、どのように現在のシーンを切り取るのか注目しよう。イベントは今週末、東京(3日)と大阪(2日)で開催される。パート2スタイルやハイパー・ジュースなど、東京ベース・シーンのプレイヤーたちも出演。

 6/25に惜しまれながら閉店したアザー・ミュージックは、6/28に最後のインストアライブを行った。バンドは、75ダラービル、リック・オーウェン率いるドローンでジャミングなデュオである。5:30開演だったが、4:30にすでに長い行列が出来ていた。こんな人数が店内に入るのかなとの心配をよそに、時間を少し過ぎて、人はどんどん店の中に誘導されていく。すでにレコード、CDの棚は空っぽ、真ん中に大きな空間が出来ていた。こんながらーんとしたアザー・ミュージックを見るのは初めて。たくさんのテレビカメラやヴィデオが入り、ショーはリック・オーウェンの呼びかけでスタート。デュオではじまり、順々にスー・ガーナーはじめ、たくさんの友だちミュージシャンが参加し、ユニークで心地よいジャムセッションを披露した。たくさんの子供たちも後から後から観客に参加し、前一列は子供たちでいっぱいになった。私は、ジャム・セッションを聴きながら、いろんなアザー・ミュージックでの場面がフラッシュバックし、なきそうになった。インストア・ショーが終わると、彼らはそのままストリートに繰り出し、この後8時から、バワリー・ボールルームで行われる、「アザーミュージック・フォーエヴァー」ショーへ、マタナ・ロバート、75ダラービルなど、この日のショーで演奏するミュージシャンとプラスたくさんのアザー・ミュージックの友だちが、セカンドライン・パレード率い誘導してくれた。アザー・ミュージックの旗を掲げ、サックス、トランペット、ドラム、ギター、ベース、などを演奏しながら、アザー・ミュージックからバワリー・ボールルームまでを練り歩いた。警察の車も、ニコニコしながら見守ってくれていたのが印象的。バワリー・ボールルームの前で、散々演奏したあと、みんなはそのまま会場の中へ。


Geoff & daniel @ other music staff。私個人的にとってもお世話になりました。


Juliana barwick


Frankie cosmos

 バワリー会場内もたくさんの人であふれていた。コメディアンのジャネーン・ガロファロがホストを務め、バンドを紹介する(いつの間にか、アザー・ミュージックの共同経営者ジョシュ・マデルに変わっていたのだが)。ジョン・ゾーン、サイキック・イルズ、マタナ・ロバーツ、ビル・カラハン、ヨラ・テンゴ、ヨーコ・オノ、ジュリアナ・バーウィック、シャロン・ヴァン・エッテン、フランキー・コスモス、ヘラド・ネグロ、メネハン・ストリートバンド、ザ・トーレストマン・オン・アースがこの日の出演陣。ドローン、サイケデリック、ジャズ・インプロ、フォーク・ロック、ポップ、ロック、アヴァンギャルド、エレクトロ、インディ・ロック、ファンク、ラテン、ビッグ・バンド、などそれぞれまったくジャンルの違うアーティストを集め、それがとてもアザー・ミュージックらしく、ヘラド・ネグロのボーカルのロバート・カルロスは、「これだけ、さまざまなミュージシャンを集められるなら、アザー・ミュージックでミュージック・フェスティヴァルをやればいいんじゃない」、というアイディアを出していた。オーナーのジョシュが、バンドひとつひとつを思いをこめて紹介していたことや、お客さんへの尊敬も忘れない姿勢がバンドに伝わったのだろう。


Sharon Van etten

 サプライズ・ゲストのヨーコ・オノが登場したときは、会場がかなり揺れたが、ヨーコさんのアヴァンギャルドで奇妙なパフォーマンスが、妙にはまっていておかしかった。ヨ・ラ・テンゴとの息もばっちり。個人的に一番好きだったのは、トーレスト・マン・オン・アースとシャロン・ヴァン・エッテン、ふたりとも、個性的な特徴を持ち、いい具合に肩の力が抜け、声が良い。最後に、アザー・ミュージックの昔と今の従業員たちが全員ステージに集合し、最後の別れをオーナーのジョシュとクリスとともに惜しんでいた。スタッフを見ると、なんてバラエティに富んだ人材を揃えていたのか、それがアザー・ミュージックの宝だったんだな、と感心する。スタッフに会いにお店に通っていた人も少なくない(私もその中の一人)。バンド間でかかる曲も、さすがレコード屋、アザー・ミュージックでよく売れたアルバム100枚が発表されたが、その中からの曲がキチンとかかっていた。最後のアクトが終わり、みんなで別れを惜しみながら、写真を取ったり挨拶したり。会場で、最後にかかった曲はコーネリアスの“スター・フルーツ・サーフ・ライダー”だった。21年間、ありがとうアザー・ミュージック。

https://www.brooklynvegan.com/yoko-ono-yo-la-tengo-sharon-van-etten-bill-callahan-more-played-other-music-forever-farewell-pics-review-video/

■Other Musicで売れたアルバム100枚

1. Belle and Sebastian – If You’re Feeling Sinister
2. Air – Moon Safari
3. Boards of Canada – Music Has the Right to Children
4. Kruder and Dorfmeister – K&D Sessions
5. Yo La Tengo – And Then Nothing Turned Itself Inside Out
6. Os Mutantes – Os Mutantes
7. Neutral Milk Hotel – In the Aeroplane Over the Sea
8. Sigur Ros – Agaetis Byrjun
9. Arcade Fire – Funeral
10. Magnetic Fields – 69 Love Songs
11. Belle and Sebastian – Boy with the Arab Strap
12. Cat Power – Moon Pix
13. The Strokes – Is This It
14. Yo La Tengo – I Can Hear the Heart Beating As One
15. Talvin Singh Presents Anokha: Sounds of the Asian Underground
16. Joanna Newsom – Milk-Eyed Mender
17. Interpol – Turn on the Bright Lights
18. Cat Power – Covers Record
19. Cornelius – Fantasma
20. Serge Gainsbourg – Comic Strip
21. Belle and Sebastian – Tigermilk
22. Godspeed You Black Emperor – Lift Your Skinny Fists
23. Amon Tobin – Permutation
24. DJ Shadow – Endtroducing
25. Animal Collective – Sung Tongs
26. Dungen – Ta Det Lugnt
27. Beirut – Gulag Orkestar
28. Belle and Sebastian – Fold Your Hands Child, You Walk Like a Peasant
29. Clap Your Hands and Say Yeah – S/T
30. ESG – South Bronx Story
31. Cat Power – You Are Free
32. Broadcast – Noise Made by People
33. The Notwist – Neon Golden
34. Animal Collective – Feels
35. Mum – Finally We Are No One
36. Elliott Smith – Either/Or
37. White Stripes – White Blood Cells
38. Bjorn Olsson – Instrumental Music
39. Boards of Canada – In a Beautiful Place
40. Tortoise – TNT
41. Handsome Boy Modeling School – So How’s Your Girl?
42. Antony and the Johnsons – I Am a Bird Now
43. Zero 7 – Simple Things
44. Broken Social Scene – You Forgot It in People
45. Flaming Lips – Soft Bulletin
46. Devendra Banhart – Rejoicing in the Hands
47. Panda Bear – Person Pitch
48. My Bloody Valentine – Loveless
49. Kiki and Herb – Do You Hear What I Hear?
50. Thievery Corporation – DJ Kicks
51. Boards of Canada – Geogaddi
52. Yeah Yeah Yeahs – S/T EP
53. TV on the Radio – Desperate Youth
54. Yo La Tengo – Sounds of the Sounds of Science
55. Sufjan Stevens – Greetings from Michigan
56. Stereolab – Dots and Loops
57. Tortoise – Millions Now Living Will Never Die
58. Neutral Milk Hotel – On Avery Island
59. Le Tigre – S/T
60. ADULT. – Resuscitation
61. Langley Schools Music Project – Innocence and Despair
62. The Shins – Oh Inverted World
63. Slint – Spiderland
64. Air – Premiers Symptomes
65. Roni Size – New Forms
66. Shuggie Otis – Inspiration Information
67. Nite Jewel – Good Evening
68. Fennesz – Endless Summer
69. Bonnie ‘Prince’ Billy – I See a Darkness
70. Radiohead – Kid A
71. Stereolab – Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night
72. Franz Ferdinand – S/T
73. Amon Tobin – Supermodified
74. Fischerspooner – S/T
75. Stereolab – Emperor Tomato Ketchup
76. Cat Power – What Would the Community Think?
77. Elliott Smith – XO
78. TV on the Radio – Young Liars
79. UNKLE – Psyence Fiction
80. The Clientele – Suburban Light
81. Clinic – Walking with Thee
82. The xx – xx
83. Serge Gainsbourg – Histoire de Melody Nelson
84. Vampire Weekend – S/T
85. J Dilla – Donuts
86. Massive Attack – Mezzanine
87. Joanna Newsom – Ys
88. Sufjan Stevens – Illinoise
89. Portishead – S/T
90. Jim O’Rourke – Eureka
91. Pavement – Terror Twilight
92. Modest Mouse – Lonesome Crowded West
93. Sleater-Kinney – Dig Me Out
94. Tortoise – Standards
95. Sam Prekop – S/T
96. Blonde Redhead – Melody of Certain Damaged Lemons
97. Arthur Russell – Calling Out of Context
98. Aphex Twin – Selected Ambient Works Vol. 2
99. Grizzly Bear – Yellow House
100. Avalanches – Since I Left You

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