「K A R Y Y N」と一致するもの

interview with Gold Panda - ele-king

 ゴールド・パンダの音楽は“ゴリゴリ”じゃないからこそ共感され、愛されてきた。クラブとも、エレクトロニカやIDMとも、ましてワールドともいえない……彼の中で東洋のイメージが大らかに混ざり合っているように、彼の音楽的キャラクターもゆるやかだ。

 しかしそこにゆたかに感情が流れ込んでくる。過去2作のジャケットが抽象的なペインティングによってその音を象徴していたように、具体的な名のつくテーマではなく、さっと翳ったり日が差したりするようなアンビエンスによって、ゴールド・パンダの音楽はたしかにそれを伝えてくれる。ちょうど仏像の表情のように、おだやかさのなかに多彩な変化のニュアンスが秘められている。


Gold Panda
Good Luck And Do Your Best

City Slang / Tugboat

ElectronicTechnoAbstruct

Tower HMV Amazon

 “イン・マイ・カー”が強烈に“ユー”(デビューを印象づけた代表トラック)を思い出させるように、新作『グッド・ラック・アンド・ドゥ・ユア・ベスト』でも基本的に印象は変わらない。しかしくすむこともなく、いまもってその音は柔和な微笑みを浮かべている。変化といえばジャケットに使われている写真の具象性だろうか。後に自身のガール・フレンドとなる写真家とともに取材した「なにげないもの」が、この作品にインスピレーションを与えているということだが、もちろんそれはそこに映されている日本の風土風景ばかりでなく、ふたり分の視線やダイアローグを通して見えてきた世界からの影響を暗示しているだろう。ビートや音の色彩もどことなく具象性を帯びているように感じられる。

 彼の音楽には、そんなふうに、音楽リスナーとしてよりも、互いにライフを持った個人として共感するところが大きい。言葉はなくとも。しかし以下の発言からもうかがわれるように、ゴールド・パンダ自身はその魅力を「幼稚な音楽」と称して、知識や文脈、シリアスなテーマを前提とした諸音楽に比較し、韜晦をにじませる。もしそうした言葉でゴールド・パンダを否定する人がいるのなら残念なことだ。そのように狭量な感性をリテラシーと呼ぶとするならば、いっそ私たちは何の知識も学ぶ必要はない。アルカイックな彼の音の前で、同じように微笑むだけだ。

 グッド・ラックそしてドゥ・ユア・ベスト、この言葉は彼自身のその守るべき「幼稚さ」に向けて、聴くものが念じ返す言葉でもある。


■Gold Panda / ゴールド・パンダ
ロンドンを拠点に活動するプロデューサー。ブロック・パーティやリトル・ブーツのリミックスを手掛け、2009年には〈ゴーストリー・インターナショナル〉などから「ユー」をはじめとして数枚のシングルを、つづけて2010年にファースト・フルとなる『ラッキー・シャイナー』をリリース。「BBCサウンド・オブ2010」や「ピッチフォーク」のリーダーズ・ポールなど、各国で同年期待の新人に選出。また、英「ガーディアン」ではその年デビューのアーティストへ送られる新人賞『ガーディアン・ファースト・アルバム・アワード』を獲得。2013年にセカンドとなる『ハーフ・オブ・ホエア・ユー・リヴ』を、本年は3年ぶりとなるサード・アルバム『グッド・ラック・アンド・ドゥ・ユア・ベスト』を発表した。日本でも「朝霧JAM'10」や「街でタイコクラブ(2014)」にも出演するなど活躍の場を広げている。

マダ、ジシンガナイ。

ゴールド・パンダ:(『ele-king vol.17』表紙のOPNを眺めながら)彼とは飛行機で隣になったんだよ。

ええ! 偶然ですか? 最近?

GP:2年くらい前。僕はよく乗るから、ブリティッシュ・エアウェイズのゴールド・カードを持っていて、機内でシャンパンをもらえたんだ。でもそんなに飲みたくなかったから彼にあげようとしたんだけど、スタッフの人から「あげちゃダメ」って怒られちゃった(笑)。

ははは。音楽の話はしなかったんですか?

GP:ぜんぜん。音楽のことはわからないから、話したくない(笑)。

ええー。

GP:ブライアン・イーノが言ってたよ。ミュージシャンは音楽を聴く時間がないって……グラフィックデザイナーだけがそれをもっているんだって。

あはは。でも、以前からおっしゃってますよね、「クラブ・ミュージックに自信がない」っていうようなことを。

GP:マダ、ジシンガナイ。

いやいや(笑)。とはいえ、今作だっていくつかハウスに寄った曲もあったり、全体の傾向ではないかもしれないですけど、クラブ・トラックというものをすごく意識しておられるような気がしました。これはやっぱり、あなたがずっと“自信のない”クラブ・ミュージックに向い合いつづけているってことですよね。

GP:でも、いまだにつくれないんです。前作(『ハーフ・オブ・ホエア・ユー・リヴ』)でもやろうと思った。でも、失敗して。だから今回はむしろ、「つくろう」としなかったんだ。それがよかったのかもしれない。でも、「クラブ・ミュージック」っていうのは、いまは存在していないともいえるんじゃないかな。ただの「ミュージック」になっているというか……いろんな人が、とても幅広いものをつくっているよね。

Gold Panda - Time Eater (Official Video)


あなたもまさにその一人ですね。

GP:はは。ベン・UFOとか、とても知識があって、いつもいい音楽を探し求めているDJたちがたくさんいる。インターネットのおかげで選択肢も増えて、より自由に活動できるようになっているし、それはすごくいいことだよね。

そうですね。そしてあなたは、そのインターネット環境を前提にしていろんな音楽性が溶けあっている時代を象徴しつつも、自分だけの音のキャラクターを持っていると思います。『ラッキー・シャイナー』(2010年)から現在までの5、6年の間だけでも、その環境にはめまぐるしい変化がありましたけれども、むしろあなたにとってやりづらくなったというような部分はありますか?

GP:今回のアルバムに関しては、「ゴールド・パンダっぽいもの」をつくるのをやめていて。もっと曲っぽい構成になっていて、この作品ができたことで、ゴールド・パンダの3部作が完結すると思う(※)。1枚め、2枚めでやりたかったけどできなかったことが、今回の3枚めではできていると思うんだ。1枚ずつというよりは、今回3枚めが出てやっとひとつの作品を送り出せたという気がする。だから、ゴールド・パンダとしてはじめた音を何も変えずに、ここまでくることができているかもしれないです。いまはそのサウンドに自信が持てているから、それを変える自信もついている。次はちがうものをつくっていきたいなって感じていて。

※ゴールド・パンダのフル・アルバムは今回の作品をふくめてこれまでに3作リリースされている(『ラッキー・シャイナー』2010、『ハーフ・オブ・ホエア・ユー・リヴ』2013、本年作)

自分はポップ・ソングをつくっているつもりでやっていて。

前の2作は、たとえばインドっていうテーマがあったりだとか、メディアが説明しやすい性格があったと思うんですけど、今回はそういうくっきりした特徴はなさそうですよね。そのかわり本当にヴァリエーションがあって、いろんな曲が入っています。

GP:うん。

ぐっときたのは、“ソング・フォー・ア・デッド・フレンド”とか、曲名に「ソング」という言葉がついてたりするところです。これは歌はないけど「歌」なんだっていうことですよね。

GP:ああ、そうそう、どっちだと思いました? 自分はポップ・ソングをつくっているつもりでやっていて。ポップ・シーンがあるとしたら、自分はその端っこでつくっているという感覚があるし、自分の音楽にはソングとか曲としての構成があると思っているんだ。どうですか?

私は、これを「歌」だって言われてすごく納得できました。ただメロディアスだっていうことじゃなくて、何か思いみたいなものがあるというか……。では、音が「歌」になるのに必要な条件って何だと思います?

GP:そうだな……、人それぞれの感じ方があるから、それを歌だって感じれば歌だと思うんだけど……。

音楽的なことじゃなくてもいいんです。きっと、この曲に「ソング」ってつけたかった気持ちがあると思うんですね。それについてきいてみたくて。

GP:野田(努)さんに言ったことがあるんだけど、僕にはもう亡くなってしまったフィルという友人がいて。この曲はそのフィルに向けたものでもあるんだ。彼は、僕にずっと音楽をつくれって言ってくれてた人なんだけど、僕はそれをずっと無視してたんだよね。そして、彼が亡くなったときに、初めて音楽をやってみることにした。そしたらうまくいって……。音楽をつくるってことに対して、彼がいかにポジティヴだったのかってことをいまにして思うんだ。
僕が思うに、曲にタイトルをつけると、人はその曲につながりを持ちやすくなると思う。そういうことが、ある音楽を「ソング」にしていくんじゃないかな。タイトルを操作すると、人の気持ちを操ることができる。

なるほど。音楽の感じ方を広げてもくれると思いますよ。

GP:だから、次のアルバムはタイトルなしにしようかな! もっと長かったりとか。

ははは。あなたの曲は、タイトルの言葉もおもしろかったりするから、それは大事にしていただきたくもありますけどね。

GP:いや、実際タイトルをつけるのは楽しいんです。制作の中でいちばん好きなことかも。

音楽は楽しいしハッピーになれるはずのものなのに、どこかマジメにとらえられがちで、ダークでシリアスなものが凝ったものだ、頭のいい音楽だ、って考えている人もけっこういると思うんだよね。

へえ! じゃあこのタイトルはどうです? “アイ・アム・リアル・パンク”。実際はまあ、ぜんぜんエレクトロ・アコースティックじゃないですか(笑)。「パンク」というのは?

GP:これは〈ボーダー・コミュニティ〉の人がミックスしているんだけど──彼はノーリッジの実家にスタジオを持っているんだ!──で、彼が僕の音楽のことをパンク・ミュージックだっていうんだよね。彼が自分の楽曲をつくれないからかもしれないけど。何かをつねに気にしながら凝った音楽をつくるっていうんじゃなくて、楽しく作っているから、そういうことを指して言っているのかもしれない。これは2004年につくった曲なんだけど、ルークに「アイ・アム・リアル・パンクって曲があるんだよ」って言って聴かせたんだ。そしたら彼がその上に即興でシンセサイザーをのせて、それをリバースして……。初めはジョークのつもりでつくってたんだけど、このアルバムに馴染むなって思って、入れたんだ。
音楽は楽しいしハッピーになれるはずのものなのに、どこかマジメにとらえられがちで、ダークでシリアスなものが凝ったものだ、頭のいい音楽だ、って考えている人もけっこういると思うんだよね。エクスペリメンタルな音楽にもおかしなものはあると思うんだけど、ついつい評価しなければならない、そういう強迫観念があるように思う。好きじゃない、嫌いって言うこと、それから理解してないって思われることを恐れている人が多いんじゃないかな……。だけど、僕のこの作品は、ハッピーでポジティヴなポップ・レコードなんだ。だからもし気に入ってもらえなかったら、僕はみんなにハッピーになってもらうことに失敗しているということになる。
逆に言えば、これは嫌いになってもらえるレコードかもしれない。……もし“エクスペリメンタルな”音楽を嫌いだと言ったら、きっと「きみは理解してないんだよ」って言われちゃうよね。でも、このポップなアルバムを嫌いだと言う人がいても、僕は「理解していない」とは言わない。

ふふふ、では、これはきっと頭の悪い人を試すレコードになりますね。

GP:いや、これはバカなレコードなんだ。

(笑)

GP:メロディを持っているとからかわれるかもしれないけど、メロディを持っていたっていいじゃないか、って思ってる。パンクっていうものを「怒れるもの」だって思っている人をからかっているレコードなんだ。

パンクっていうものを「怒れるもの」だって思っている人をからかっているレコードなんだ。

いや、でも日本のリスナーはそんなにバカじゃないので、これがいい音楽なんだってことはみんなわかると思いますよ。

GP:そうだね! ゴメン、そういう意味じゃなかったんだ。

ええ(笑)そして、ポップ・ミュージックの素晴らしさもよくわかります。では、これはあなたにとってのひとつの反抗の精神ではあるわけですよね。

GP:うん。そして、やりたいからやっているんだ。べつに大きなコンセプトがあるわけじゃないし、ただ音楽をつくっているだけなのに、それを人が喜んでくれるっていうのは本当にラッキーなことだとは思うよ。アートってそもそもそういうものだと思うんだ。90%くらいは、とにかくつくってみたというだけのもので、あとの10%くらいに手を加えただけなんだよ。よく自分も音楽をつくってみたいって言う人がいるけど、つくればいいのにって思う。ピアノを習うんじゃなくて、いま弾いてみればいいじゃない?

なるほど。いまの時代、自由さとか楽観性みたいなものは、表現をする人間にとって難しいものなのかもしれないと思います。あなたがそれを貫いているのは素晴らしいですよ。

GP:そうだね。自分はついているんじゃないかな。よく、忙しくて時間がないって言っている人がいるよね、でもじつは料理をしていたりとか、それが好きだったりとかして、趣味といえるものをやれているのに、それに気づいていないっていうことがある。何かを修理したりとか子どもに服をつくったりとか。……僕は、そういうこともクリエイティヴだしアートなんだって思う。それを突き詰めてみたっていいよね。自由なものはまわりにいっぱいあるはずなんだよ。

僕が日本語を学んだ学校があるんだけど、そこで近く北京語を勉強したいと思ってるんだ。

ところで、これまでは〈ゴーストリー・インターナショナル〉からのリリースだったわけですが、今回は〈シティ・スラング〉からですね。私はそれがおもしろいなって思って……だって、キャレキシコとかヨ・ラ・テンゴとか、ビルト・トゥ・スピルとか、本当にロックだったりエモだったりをフォローする、USインディなレーベルじゃないですか。これはどんなふうに?

GP:〈ゴーストリー〉とは揉めたりしたわけじゃなくて、契約が終わったから出たというだけなんだけど──その、「レーベルのアーティスト」みたいになりたくなかったから。「ゴーストリーを代表するアーティスト」みたいにね。僕は自由が欲しいんだ。僕のマネジメントをしてくれている〈ウィチタ〉と仲のいいひとが〈シティ・スラング〉にいて、それでつながったんだ。ヘルスといっしょに仕事をしていた人なんだけど。それで、僕はいろんな種類の音楽をリリースしているレーベルと契約したかったから、ちょうどいいと思ったし、自分が好きな人といっしょに仕事をするのがいいことだと思う。

なるほど、音楽もそうですけど、人の縁でもあったわけですね。でも、ゴールド・パンダのスタンスや自由さっていうのが伝わってくる気がしますよ。
そういえば、前作では「インド」がひとつのモチーフにもなっていましたよね。あなたは日本も好いてくださっていますけれども、東洋という括りの中で、「インド」「中国」「日本」っていうのは、それぞれどんな違いを持ったものとして感じられていますか?

GP:そうだね、まず日本は何度も来ているから、自分の一部というか、自分のサウンドそのもののインスピレーションのひとつになっているんだ。インドは、僕の母方のルーツで……まだ行ったことはないんだけどね。おばあちゃんが聴いていた音楽ってことで、インスピレーションがわくんだ。中国は行ったことがあるけど、まだぜんぜんわかってなくて、もっと理解したいと思ってるんだ。ぜんぜんちがう場所だけど、香港とか台湾とかも含めてね。中国は国としての存在感をどんどん大きくしていると思う。でもイギリスではそれを感じているひとがあまりいないんだよね。中国の人はしばらく前からどんどんイギリスにも入ってきていて、いろんなところにいるし、すごい田舎にまで中華のレストランが建ってたりする。でも、なかなか混ざらないんだ。だから、世界中いろんなところを旅行していてもいろんなところに中国の人がいるけど、そのアイデンティティって何なんだろうっていうのがわからなくて。僕はちょっと漢字は読めるんだけどね。(メニュー表などで)ニクがハイッテイルカドウカトカ(笑)。ロンドンには、僕が日本語を学んだ学校があるんだけど、そこで近く北京語を勉強したいと思ってるんだ。それが何か僕の音楽にいいフィードバックをもたらしてくれるかもしれないしね。音楽のセオリーも学ぼうかなって思ってたんだけど……でも僕はそんなに音楽が好きじゃないから(笑)。

つまらないもの、とるにたらない普通の場所。日常を撮りたかったんだ。でもロンドンではそれができなくて……。

ええー(笑)。でも、ちょっとリズムコンシャスな音楽をやる人って、たとえばアフリカとかに関心が行きやすいと思うんですよね。東洋に関心が行ってしまうのはなぜだと思います?

GP:なぜだろう、僕もよくわからないんだよね。でもアフリカの音楽って幅が広くて怖いっていうか。僕は14歳で『AKIRA』を観て日本に興味を持つようになったんだけど、その経験が僕をつねに日本へ呼び戻すんだ。でも、けっして僕は「オタク」じゃない。マンガやアニメだけが好きというのじゃないんだ。僕の場合、インスピレーションはアフリカのドラムとかリズムからじゃなくて、もっと雰囲気みたいなものから来るんだ。目で見たものとか、イメージとか。

もしそういう視覚的な、映像的なものから影響されることが大きいのだとすると、今回のアルバムは日本の風景との関わりが深いとうかがっているので、そのあたりのお話をうかがいたいですね。

GP:これまでも、わりとずっとそうだったんだ。ただ、それをヴィジュアルとして表現する機会があんまりなかったんだ。だからフォトグラファーのローラ(・ルイス)といっしょに日本に来て、それをやれたのはうれしいよ。彼女はそういうことを表現するのがすごくうまいし、僕らはものの感じ方がすごく似てるんだ。……僕の彼女なんですけど。

わあ、そうなんですね!

GP:カノジョニナッタ。その過程で……(照れ笑い)。

ははは、それはよかったですね。でも、日本でもとくにここを題材にしたいって思う場所はあったんですか?

GP:つまらないもの、とるにたらない普通の場所。日常を撮りたかったんだ。でもロンドンではそれができなくて……。イギリスだと自分が慣れすぎてしまっていて、何がそれで何がそれでないかということが見えにくいんだ。でも日本だと考えられる気がした。日本だからできたことだと思うんだ。

なるほど。東洋の話がつづいてしまいましたけど、一方で“アンサンク”なんかは教会音楽的なモチーフが使われていて、これはこれであなたの音楽の中では珍しいなと思いました。この曲はどんなふうに発想されたんですか?

GP:これは間違いなんだ。

ええー(笑)!

自信があるからバカって言えるんだって、いま気づいたよ(笑)。

GP:ローラはキーボードもやるから、それを借りてレコーダーにプラグインしてワンテイクで録って……それだけなんだ。本当はそれをサンプリングの素材として使おうと思ってたんだけど、聴きなおしたらこれはこれでいいじゃないかって思って。僕はあまりピアノができないから、自分でも何をやっているのかよくわかってなかったんだよね。さっきも、ピアノを弾きたければ弾けばいいっていう話をしてたけど、そういう感じでちょっと弾いてみたものなんだよ。

じゃあ、意識してつくったんじゃない、偶然的なものだったのかもしれないですけど、でもだからこそ自分の無意識の中にあった西洋的なモチーフが出てきていたのかもしれないですね。

GP:自分にとっていい音楽っていうのは、ただ楽しんで、さっさとできてしまう音楽。あんまり考えすぎたりしないけど、後から聴いていいなって思えるもの……。まあ、よくなくてもリリースはできるけどね(笑)。

考え過ぎる音楽が多い中で、そうじゃなくていいんだっていう勇気にもなりますね。

GP:ローラも写真を撮りたいなら撮ればいいじゃない? って言ってる。それと同じかもしれないよね。フォトブックをつくろうとしてたときに、どうやったらいい写真が撮れるの? って質問したんだよね。そしたら、どんなものでも、いちど出版してしまえば、それがいいかどうかは見る人がそれぞれ決めてくれることだ、って。だから、いい写真を撮ろうとするんじゃなくて、ただ撮って、それを出版してしまえばいい。それでいいと思うんだ。

なるほど、とにかくやりたいならやって、出して、あとは「グッド・ラック・アンド・ドゥ―・ユア・ベスト」ってことなのかな。

GP:そう、自分がやりたくて、しかもできるんじゃないかって思うんだったら、きっとできると思うんだ。だからやってみたらいいと思う。中流階級の白人男性ならきっとできちゃうよ(笑)。自分の小さな世界で、かもしれないけど。

ははは。じゃあ、つまらないことを難しく言う人にこの音楽を届けましょうね。グッド・ラック! って。

GP:うん、シンプルでバカなこの音楽をね。

それは自信の表れだと解釈してもいいですか?

GP:そうかもしれない。自信があるからバカって言えるんだって、いま気づいたよ(笑)。


Tugboat Records presents Gold Panda Live in JAPAN 2016

待望の新作を携えたGold Panda、
10月に東阪京ツアーを開催!

『BBCサウンド・オブ2010』や『Pitchfork』のリーダーズ・ポールなど、世界各国で2010年期待の新人に選出。
また、英『Guardian』からは新人賞『Guardian First Album Award』を獲得。
「朝霧JAM’10」や「街でタイコクラブ(2014)」にも出演するなど、日本でも確固たる人気を確立している
英のエレクトロニック/プロデューサーGold Pandaによる3年振りのサード・アルバムが遂に完成! !
既にGuardianのthe best of this weekにも選ばれている1stシングル“タイム・イーター”ほか、
全11曲を収録し、日本は世界に先駆け先行リリース! !
そして最新作を引っさげて10月に東京・大阪・京都での来日ツアーが決定!!


2016/10/15(土) CIRCUS OSAKA

OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥4,000(ドリンク代別)
レーベル割価格(限定50枚)¥3,500(ドリンク代別)
[Buy] : Pコード:294-444/Lコード:55101/e+(4/11~)
peatix https://peatix.com/event/156835


2016/10/16(日) 京都METRO

OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥4,000 (ドリンク代別)
レーベル割価格(限定50枚)¥3,500(ドリンク代別)
[Buy] : Pコード:294-836/Lコード:55977/e+(4/11~)


2016/10/18(火) 渋谷WWW

OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥4,500 (ドリンク代別)
レーベル割価格(限定100枚)¥4,000(ドリンク代別)
[Buy] : Pコード:294-783/Lコード72961/e+(4/11~)


主催・企画制作 Tugboat Records Inc.

ふたたびの熱狂を - ele-king

 ふたたびの来日、ふたたびの熱狂。2014年もっとも重要なアルバムの一枚『タイー・ベッバ』で記憶されるイタリア人プロデューサー、クラップ・クラップことクリスティアーノ・クリッシの再来日公演が目前に迫った。アフロにジュークにベース、ダンス・ミュージックのトレンドが見せてくれるエキゾの夢はまだまだ醒めない。今週末の公演について、最終ラインナップが発表されている。先月リリースされた日本独自企画盤『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』もあわせてチェックだ!


CLAP! CLAP!
Tales From The Rainstick -EP & Singles Collection-

Pヴァイン

Tower HMV

5/4に日本独自リリース・アルバム『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』をリリースしたイタリアの奇才トラックメイカー/DJ、CLAP! CLAP! が、同作を引っ提げて待望の再来日を果たす! 先日リリースされたポール・サイモンの新作『Stranger to Stranger』への参加でも世界に話題を巻き起こしているこの男、今回もヤバい一夜になることは間違いない!

■UNIT / root and branch presents
CLAP! CLAP! - Tales from the Rainstick Release Party

ビートミュージック~ベースミュージック・リスナーから辺境・民族音楽ファンやサイケ系インディーロック・ファンまでを巻き込んで大ヒットとなったファースト・アルバム『TAYI BEBBA』を経て、昨年11月に熱狂の初来日公演を果たしたCLAP! CLAP!。そのライヴは密林ジャングル・グルーヴを掛け値なしに体現する熱量マックス/アグレッシヴでオーディエンスを昇天させる圧倒的なモノだった。話題沸騰中の最新アルバム『Tales from the Rainstick -EP & Singles Collection-』(日本独自企画盤)を携えての再来日となる今回の公演は、前回以上にヒートアップすること間違いなし!お見逃しないように!

そして、出演者の最終ラインナップもついに発表!
UNIT公演には<VIDEOTAPEMUSIC × cero>名義でフジロック出演が決定しているVIDEOTAPEMUSIC、ヨーロッパの重要フェスティバルの一つUNSOUNDへの出演がアナウンスされた食品まつり a.k.a Foodman、前回のCLAP! CLAP! 初来日公演に引き続きの登場となるやけのはら、そして、テクノからビート~ベース・ミュージックまでボーダーレスな現場最前線でのパーティー・メイキングに絶対的信頼の1-DRINKの参戦が決定!

6.18 sat UBIK VERSION @ 東京 UNIT
Live: CLAP! CLAP (Black Acre), VIDEOTAPEMUSIC, 食品まつり a.k.a Foodman,
DJs: 1-DRINK, やけのはら
Open/ Start 23:30
\3,500 (Advance), \4,000 (Door), \3,500 (Under 25, Door Only)
Information: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com
You must be 20 and over with photo ID.
Tickets: LAWSON, e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, clubberia, RA Japan and UNIT
Information: 03-5459-8630 (UNIT) www.unit-tokyo.com

6.17 fri GOODWEATHER @ 名古屋 Club JB’S
Live: CLAP! CLAP (Black Acre)
DJ UJI, Misonikov Quitavitch, NOUSLESS, Chouman
Open/ Start 22:00
\3,000 (Advance), \3,500 (Door)
Information: 052-241-2234 (JB’S) www.club-jbs.jp

■CLAP! CLAP! (Black Acre, IT)
https://soundcloud.com/clakclakboomclak

CLAP! CLAP! は、ディジ・ガレッシオやL/S/Dなど多数の名義で活躍するイタリア人プロデューサー、クリスティアーノ・クリッシがアフリカ大陸の民族音楽への探究とサンプリングに主眼を置いてスタートさせたプロジェクトである。様々な古いサンプリング・ソースを自在に融合して、それらを極めてパーカッシヴに鳴らすことによって実に個性的なサウンドを確立している。彼は伝統的なアフリカのリズムをドラムマシーンやシンセといった現代の手法を通じて再生することにおいて類稀なる才能を持っており、その音楽体験におけるキーワードは「フューチャー・ルーツ/フューチャー・リズム」。CLAP! CLAP! の使命は、トライバルな熱気と躍動感に満ちていながらも、伝統的サウンドの優美さと本質を決して失わないダンス・ミュージックを提示することである。2014年にリリースされ昨年CD化されたファースト・アルバム『TAYI BEBBA』は、ビートミュージック~ベースミュージック・リスナーから辺境~民族音楽ファンやサイケ系インディーロック・ファンまで巻き込んで大ヒットを記録中、その勢いを更に加速させる日本独自企画アルバム『TALES FROM THE RAINSTICK』を本年5月にリリースしたばかりである。



MOODYMANN - ele-king

 年々評価が高まっているのでは……? デトロイトのハウス・マスター、ムーディーマンが来日する。今年の頭に出たミックスCDも好評で、思えば、先日亡くなったプリンス・ネタ(デトロイトでのラジオ出演時の喋りを使ったものもあった)も有名。彼ならやってくれるでしょう。


DUB. Steppers for Techno & House - ele-king

 レゲエのステッパーズにはテクノやハウスと共通する魅力があるように思う。BPMや使われる音素材、サウンドデザインに違いはあれど、低域を強調したベースラインと4つ打ちのキックによってトラックの土台となるリズムが組み上げられ、反復するグルーヴの中へとグイグイと引きずり込まれるようにハマっていく快楽性は、どちらにも共通している。
 しっかりと組まれたサウンドシステムでステッパーズを鳴らすと、そのサウンドは突き抜けるように身体を振動させる音圧となる。そうして聴覚以外の器官も刺激されることで得られる高揚は、一般的なスピーカーでは味わえないものだ。リヴァーブ/エコー・エフェクトのかかったウワモノは、ダブテクノ/ハウスと同様、意識を遥か彼方まで心地よく飛ばし、堅牢なリズムによる重低音は身体を丸ごと飲み込んでいく。
 ここに選んだのは、テクノ/ハウスと親和性の高いステッパーズ5曲だ。そそられるものを感じたならば、サウンドシステムの現場に出かけていって、自宅では味わうことのできない衝撃をぜひとも全身で体感してみてほしい。


Alpha and Omega - Rastafari

イギリスの二人組が90年代に発表したクラシック。2013年にパーシャル・レコーズから再発され注目を集めた。力強くうなりをあげるベースラインとキック上に、エコーのかかったハーモニカのメロディとボイスサンプルが浮遊するアツい1曲。

Henry & Louis f. Johnny Clarke "Love & Understanding" b/w dub version ZamZam 40 7"

アメリカのポートランドから現在進行形のダブミュージックを7インチで発信し続けているザムザム・サウンズ。最新作では、ベン・クロックやマルセル・デットマンらの作品を思わせる、残響に漬け込んだキックが特徴的なヴァージョンを収録。このモノトーンな雰囲気にはテクノ心がくすぐられるはず(試聴では2:00からヴァージョンになっています)。

Bim One Production ft. Pablo Gad - Hard Times VIP

東京の1TAとe-muraが結成したプロダクションユニットによる貫禄のステッパーズ。硬質なキックの下でベースラインが這うように攻め立てる中、次々と素材が放り込まれていく。リズムを崩した中盤の展開は盛り上がり必至。

Tapes & DJ Sotofett - Dub Happy

多才にして奇才、DJソトフェットのレゲエサイド。アレンジはオールドスクールなダブマナーに沿っているものの、ミックス処理はスッキリとしておりモダンな仕上がり。デジタル過ぎないデジタルダブ。

Burro Banton - Praise Up Jah Jah

これまでに何度か再発されている80年代ステッパーズ。エフェクトのかけ具合と素材の抜き差しによる微細ながら絶妙なアレンジで延々とグルーヴが持続するヴァージョンが秀逸。野太いベースがたまらない。

interview with Michael Gira(Swans) - ele-king


Swans
The Glowing Man [2CD+DVD]

Mute/トラフィック

RockNoisePost Rock

Amazon

 なんとやめるのだという。なにをって、スワンズを、だ。2010年に復活し、メンバーを固定し数多くの公演でアンサンブルの強度を高めに高め長大な作品におとしこむ、新生スワンズがとってきたサイクルは、私はちょっと考えれば、凡夫にかなわぬ道行きであったればこそ、彼らの新作を耳にし、ここ日本で演奏を観られることを望外のよろこびとしてきた。長い沈黙を破り発表した2010年の『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』でスワンズは、マイケル・ジラはゼロ年代的潮流の一部だったドローンを断片的なフレーズの反復に置き換え、彼のレーベル〈ヤング・ゴッズ〉が先鞭をつけたウィアードなフォーク感覚やダルシマーなどもまじえたワールド・ミュージック的な意匠と折衷することで特異な音響空間を現出させた。それがじっさいどのものであるかは、のちにライヴを観てはじめて腑に落ち、肌で理解することになるが、22年ぶりの来日の前年にリリースした『We Rose From Your Bed With The Sun In Our』も、前作とおなじくタイトルがおぼえにくいのをのぞけば、彼ら以外のロック・バンドではなかなかお目にかかれない熱、宗教的といいたくなる熱を帯びていた。
そもそも『My Father〜』は「No Words / No Thought」ではじまるのである。タワレコのキャッチフレーズを思わせるこの題名はしかし、あのようなふんわりした気分というよりも、あきらかに神の言であり、神としての父に導かれ天に昇ると題したタイトルに宗教的な意図を見出さないほうがおかしいではないか。それもあって、東日本大震災で中止となった来日公演のふりかえでもあった2013年の来日公演の直前、はじめてジラに書面でインタヴューしたとき、私はそのことをおりまぜ質問状をつくった、「私たち、宗教的に曖昧な日本人にはその意図は伝わりづらいかもしれない」との留保をつけて。ジラの回答は「私は音楽のスピリチュアルな面については特定の宗教に属してはいない」というものだった。くわえて、音楽の言葉を言葉で語ることへうっすら嫌悪をにじませてもいた。私はわかったようなわからなかったような、日本人らしい曖昧な気分だったが、ジラの忠告に背き、その後も彼らの言葉の意味を考えつづけるなかで、あのときのジラの言葉の重点は宗教よりスピリチュアルにかかっていたとおそまきながら気づいたのである。西欧人たるジラにはユダヤ/キリスト教、つまり一神教の価値観が支配的かと思いきや、仏教であり禅でありマニ教的である彼もいた。ジラ自身、おなじ質問への回答のなかですでにタントラといっていたではないか。宗教的な話をつづけるとヒクひともすくなくないだろうから、そろそろやめますが、つまるところジラの思考は神秘体験をもとにした汎神秘主義(パンミスティシズム)というべきものではないか。
『The Glowing Man』は新生スワンズの最後のアルバムになるのだという。『The Seer』『To Be Kind』と、私たちの望むが通じたかのようにタイトルを簡潔に中身をテンコモリに、ジラいわく音楽が不幸な時代に伽藍をうちたてるがごとき活動をつづけた新生スワンズがなぜそのサイクルを閉じなければならないのか、その理由は以下のインタヴューをお読みいただきたいが、20分を超える楽曲を3曲収めたこのアルバムは現在のスワンズのまさに集大成と呼ぶべきものだ。“Cloud Of Forgetting”“Cloud Of Unknowing”──人間の目から神を隠す遠大なベールとしての雲をあらわす冒頭の2曲、“The World Looks Red / The World Looks Black”はジラの詞にサーストン・ムーアが曲をつけ、ソニック・ユースがデビュー作『Confusion Is Sex』に収録した楽曲をジラみずから歌い直した同名異曲。アルバムにはコンパクトにアイデアを展開した楽曲もあるが、白眉は表題となった“The Glowing Man”であり、ジラとスワンズは30分になんなんとするこの曲で、メンバー個々が呼応し音楽があたかも巨大な生物になるかのような境地に達している。そのあとに訪れる終曲“Finally, Peace.”には動きが停まり収束するというより、ゆっくり歩み去るような力感がみちている。おそらく道行きにはまだ先があるのだ。

いまや、レーベルに所属することは愚か者がやることだ。当時がそうだったように、いまも、音楽をつくって世に出したいなら、自分たちでやるほかない。自分で戦って、何らかの方法を自分で見つけて世に出す。それしか道はない。

現ラインナップでのラスト・アルバムとの報、おどろきました。無数の方からこのことは訊かれるかと存じますが、やはりこの質問からはじめさせてください。なぜ、2010年に再結成した新スワンズをリセットする必要があったのでしょう? 

ジラ:これ以上バンドを続けるのはもうムリだと思った。私のほかの5人のミュージシャンたちと仕事をするのは好きだし、彼らとともに私はスワンズのキャリアにおける最高の作品をつくることができたと思っている。ただ、このライナップで挑むべき冒険はどれもすで探求し尽くした。だからいまは、友人である彼らとともに最後のツアーに出るのを楽しみしているが、その後は、やり方に変化を加えなければならない。おそらくスワンズの名前で私は今後も作品をつくるだろう、ツアーもすると思う。ただ、ライナップはそのつど必要に応じて変えていくつもりだ。これまで一緒にやってきたミュージシャンにも参加してもらうこともあるだろう。固定メンバーで活動するバンドではなくなる、ということだ。

『The Glowing Man』の制作には、いつごろでどのようなきっかけで入りましたか。

ジラ:アルバムの音楽自体は、前作のライヴ・ツアーの中で発展していったものだ。ライヴ中の即興から生まれた曲がほとんどだ。“Cloud Of Forgetting”や“Cloud Of Unknowing”、“Frankie M.”“The Glowing Man”はすべてそのようにして生まれ、ライヴをつづける過程で、発展し、繰り返し変化していった。レコーディングがはじまったのは2015年の7月か8月くらいだった。ツアーを終えてから、すぐにとりかかったんだ。レコーディングでは、私が曲のアレンジなど、ひとりでおこなう作業が先行したのでバンドはひと月ほどオフをとった。

アルバムの制作に入る前に、すでにこのアルバムを現布陣の最終作だと見なしていましたか。

ジラ:ああ。私の中では前回のツアーの終盤くらいから念頭にあった。アルバムの制作に入るころには、全員これが「この固定メンバーでのスワンズとしては最後の作品」だという認識だった。

『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』『We Rose From Your Bed With The Sun In Our Head』『The Seer』『To Be Kind』と『The Glowing Man』──新生スワンズは前3作で音楽性を提示し、『To Be Kind』を境にどんどん反復的かつシンプルになった観があります、2010年代のスワンズを俯瞰して、その変化をご説明ください。

ジラ:私の口から説明するのはむずかしい。なぜならわれわれは、本質的にはサーフィンをしているようなものだから。そのときどきの波に乗っているんだ。自分の前にあるものだけを見ている。そしてサウンドの推進力で前に進んでいる。私なりに微妙なニュアンスをところどころで見つけながら。これまでの楽曲がどうしてそういうものになったのか、私にもわからない。当時、直感的に「正しい」と思ったからそうなったんだろうというほかない。過去にはあまり興味がないんだ。ただし、そこから学べることもある。「自分が追求し尽くしものを捨て、次に求めるものの片鱗を見つける」というということだ。個々のアルバムそのものは私にさほど大きな意味をもたない。むしろ、そこに行き着くまでの音楽をつくる一連の過程に私は興味がある。作品にとりくみ、そこから学び、あるものを排除し、別のものを追及する、という経験。その過程がすべてだ。

あなたはスワンズをひとつの有機体とみなしますか、それとも個別の音楽の集合だと思いますか。

ジラ:私にとっては、35年続いているひとつのプロセスだ。学びと発見のプロセスであり歩みだ。

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できることなら、たとえばニック・ドレイクのように歌えるようになりたい。あるいはジム・モリソンとか。でも残念ながら私は彼らではない。だから、自分にあたえられた才能で自分にできることをやるほかない。

2年前のインタヴューであなたは当時のスワンズの音楽の状態を「雲のようなものだ」とおっしゃいました。『The Glowing Man』の冒頭の2曲のタイトルは“Cloud of Forgetting”“Cloud of Unknowing”です。「雲」はスワンズの音楽にみられる変化しつづける不動性が当時すでにあなたの念頭にあったことを物語ると同時に、その言葉に「忘却」「無知」という単語を重ねたのはとても示唆的です。表題に必要以上の意味を読むこむのは危険かもしれませんが、なぜそのようなタイトルにしたのか、教えてください。

ジラ:『The Cloud Of Unknowing』という中世のカトリック系キリスト教の僧侶が執筆した本がある(著者註:『不可知の雲』14世紀後半に成立したとされる瞑想の方法に言及した、キリスト教神秘主義ではよく知られた書物。作者不肖)。神とひとつになれる正しい方法を信徒達に教えるための教育的な指導書だ。その中で、“Cloud of Unknowing” とはつまり、現実に即した考えを捨てたときにたどり着く境地なのだと説いている。「自分が正しか、正しくないか」あるいは「自分はこういう人間だ」といった固定概念や、言葉さえからも自分を切り離し、神のいる「未知」の境地を信じて飛び込むこと。“Cloud of Forgetting”の方は、それと似ているが、自分が知っているすべてを忘れること。“Cloud Of Unknowing(不可知の雲)”に入るためには、まず“Cloud of Forgetting(忘却の雲)”に入り、われわれが日々の現実だとみなしている具体の根からみずからを断ち切らなければならない。その思考過程は非常に禅仏教に近いものがある。私としては、その心理状態が、自分自身の音楽と重なる部分があると感じた。曲の一節や、パフォーマンスの中で、音楽が絶対的な「いま」のなかで完全なる切迫感を帯び、我々の存在とそれ自身を消し去りながら我々を覚醒させてくれる。

その“Cloud of Unknowing”には韓国人ミュージシャン、オッキョン・リーが参加しています。彼女が本作に参加した理由を教えてください。また彼女はジョン・ゾーンのTzadikやスティーヴン・オマリーのIdeologic Organにリリースのある卓越した即興演奏家ですが、彼女の音楽をどう思いますか。

ジラ:彼女は過去に二度のツアーでわれわれの前座をつとめてくれたことがある。そこで私は彼女の演奏のアプローチに感銘を受けた。まるで楽器と精神的レスリングの試合をやっているみたいだった。彼女の演奏はものすごくはりつめたものがある。すばらしいパフォーマンスだから公演を見る機会があったら是非見るといい。君のいうように、彼女は即興演奏家だから、今回彼女には曲の内容、目指すところ、もちろん楽曲キーも伝え、彼女は私の説明をもとに演奏してくれた。

ほぼ1発録りだったのですか。

ジラ:そうだ。

あなたの書かれた“The World Looks Red”の歌詞はソニック・ユースのデビュー作『Confusion Is Sex』にとりあげられています。今回この歌詞を「The World Looks Red / The World Looks Black」として楽曲にまとめた理由をあらためてお聞かせください。

ジラ:曲はできているのに歌詞がない楽曲が手元にあって、ふと思いついたんだ。気づいたらあの歌詞を歌っていた。35年前に書いた歌詞なのに。曲に合っているように思えたから、そのまま進めた。君がイうように、あの歌詞はサーストンがソニック・ユースの曲で取り上げた。彼らとは1982年当時NYのイースト・ヴィレッジにある同じリハーサル・スペースを使っていた。彼は私のタイプライターにあったあの歌詞を見つけて、私に使ってもかまわないかと聞いてきたんで、「もちろん」と答えた。それから何十年も経ったいまになって、どういうわけだからあれがまた頭に思い浮かんだのだ。せっかくだから使おうと思った。

資料にある「もしかしたらある意味、一周回って同じところに来てるのかもしれません」との言葉は具体的にどのような意味なのでしょう。

ジラ:35年前に書いたあの歌詞を今回使ってみて、当時といまでは音楽性がまったくちがうと思ったんだ。でも、どういうわけだか、あの歌詞がいましっくりくると感覚、それをいいたかった。(あの歌詞は)おもしろい心の絵を描いているように思う(they paint a nice psychic picture)。あれを書いた若者が何を伝えようとしたのかはわからない(笑)。おそらく、ひどいパラノア状態に陥っていたのだろうね。思い返せばあの頃の私はよくそういう状態を経験していたからね。

“The World Looks Red”を書かれてからすでに30年以上の時間が経っています。ソニック・ユースも実質的に存在していません。80、90、2000、そして2010年とあなたの見つめつづけてきたオルターナティヴな音楽シーンはどのような変化したと思われますか。

ジラ:そういうことについて考えることはあまりないのだが、あえて答えるなら……じつは当時といまとでは状況はさほどちがわないのかもしれない、と思う。いまや、レーベルに所属することは愚か者がやることだ。当時がそうだったように、いまも、音楽をつくって世に出したいなら、自分たちでやるほかない。自分で戦って、何らかの方法を自分で見つけて世に出す。それしか道はない。どちらかというと、いまの方が、音楽をつくって、それで生計を立てることがこれまで以上に厳しくなったと感じる。どれくらい変化したかはわからないが、少なくとも、インターネット環境の到来で、聴き手側の音楽の入手方法は変わった。でも、音楽をつくる、それを経済的に支える、そして世に出て行ってそれをライヴで演奏する、ノウハウが必要な点では、ちがいはないように思える。

あなたの、とくに新生スワンズにスピリチュアルな側面を見出せるということについては以前のインタヴューでも話題になりました。私はそれは明確に上昇するベクトルをもつと思いますが(抽象的な話でもうしわけありません)、そのような志向ないし思考はあなたの人生観に根ざすものでしょうか。

ジラ:それは「探求すること」に根ざしている。私の人生観はつねに改訂を繰り返している。自分がいかなる価値観もほとんど理解していないことはわかっている。それでも私は、ただ存在しているという何も手を加えていない事実だけに根ざした本物の何かを探している。スピリチュアルな側面にかんしていえば、「われわれの音楽はスピリチュアルだ」といってしまうことは思いあがりにしか聞こえないかもしれないが、「何かを探求している」ものであるとはいえる。それはたしかだ。

あなたのいう「愛」とはイエスのいうそれでしょうか。もっとほかの意味がこめられているのでしょうか。

ジラ:「愛」を説いているのはキリスト教に限ったことではない。東洋の宗教においても「慈悲心」がもっとも尊いものとされている。それこそが私のいう「愛」なのかもしれないし、それはまたイエスのいう「愛」も同じなのかもしれない。つまり、そこには「捧げること」や「受け入れる心」、そして「解放」がなければいけない。ライヴ・パフォーマンスにおいて、スワンズが最高潮に達したとき、当然これはいつもあるわけではないが、それが起きたときは、愛の行為に似たところがある。完全に自己喪失しつつ、「捧げること」も同時に起きている。

偉大なポップ・ソングにかんしていえば、その形式は心から敬服している。とくに、60年代、70年代のポピュラー音楽全盛期のころのもの。ただ、自分にはその才がなく、やろうと思っても上手くできないから、はじめからやりもしないんだよ。

“The Glowing Man”にとりいれた禅の公案とはどのようなものでしょうか?

ジラ:ナゾナゾとまではいわないが、論理的思考を泡立て器で攪拌するようなものだ。もっとも有名なのは「隻手の声」というものだ。答えのない問いだ。そうやって考える視点を捻じ曲げることで、その慣れない視点から新しい発見を見出すのが目的だ。この曲の中で私が引用している禅の公案は、「what is is what」で、私からするとこれにすべてが集約されている。なぜなら、何の意味ももたないからだ(笑)。答えのない不可能な質問みたいなものだ。そういう思考方法に魅了を感じる。

今年は米国の大統領選の年です。ダニエル・トランプと、おそらく民主党候補になるであろうヒラリー・クリントについて、彼らの政策をどのように考え、どちらを支持しますか。またその結果、ジラさんを含む国民の生活はどう変化すると思いますか。

ジラ:その質問に答える前にはっきりさせておきたいのは、これはあくまで私個人の意見に過ぎず、私がミュージシャンだからといって、その意見がほかの誰かの意見よりも価値をもつものではないということだ。当然ドナルド・トランプには愕然としているし、おそろしいし、恥ずかしいし、不快に感じている。ヒラリー・クリントンはまあまあではあるけど、彼よりはいいのはたしかだ。私が政治の領域で一番関心があるのは地球の温暖化、気候変動の問題だ。それに対して、彼女なら何らかの改善策に向かって動いてくれるだろう。ドナルド・トランプになったら、完全に後退するのは明らかだ。

新生スワンズにおけるジラさんのヴォーカルはときに仏教の声明を思わせるほど朗々としたものになっていきましたが、ヴォーカリストとしてご自分を客観的に評価するとどうなりますか。

ジラ:自分は欠点だらけのヴォーカリストだと思っている。ただ、たまに、自分の声にある動力源を見つけて、自分なりのかたちで鳴り響かせられることがある。できることなら、たとえばニック・ドレイクのように歌えるようになりたい。あるいはジム・モリソンとか。でも残念ながら私は彼らではない。だから、自分にあたえられた才能で自分にできることをやるほかない。

3年前のインタヴューでは『The Seer』「Song For A Warrior」はあなたの6歳(というこはいまは9歳ですね)の娘さんへのラヴレターだとおっしゃっていました。またあなたはその曲はご自分の声でないほうがよいと判断したとおっしゃっていました。今回の“When Will I Return?”もそのような位置づけの楽曲といえるでしょうか。

ジラ:あの曲はジェニファーに歌ってもらうために書きおろした曲だ。はじめから自分で歌うつもりはなかった。人に歌ってもらう曲を書くのも好きなんだ。

アルバムに女性が歌った曲を入れたいという音楽的な判断もあったのですか。

ジラ:もちろん。でも、あの曲は個人的にどうしても書かなければいけない曲でもあった。彼女への贈り物として。彼女の人生に深い傷跡を残した経験を歌にして、彼女に歌ってもらいたいと思った。そうすることが、彼女が少しでも救われればと思ったし、ほかの人にも彼女の立派な生き方に共感してもらえたらと思ったんだ。アルバムにはほかにも女性ヴォーカルが入っている。女性ヴォーカルをとりいれるのが好きなんだ。特に女性の歌声がエレキ・ギターとくみあわさった感じが好きなんだ。

『The Glowing Man』では楽曲の多くは組曲形式ないし多楽章形式とでも呼ぶべきものになっています(またあるアルバムのある楽曲が別のアルバムの反復を担っていることさえあります)。音楽の内的必然性にしたがった結果、こうなったのだと想像しますが、現在のあなたにとってポピュラー音楽の楽曲やアルバムといった標準的な形式をどうお考えでしょうか。プロデューサーの観点からお答えください。

ジラ:偉大なポップ・ソングにかんしていえば、その形式は心から敬服している。とくに、60年代、70年代のポピュラー音楽全盛期のころのもの。ただ、自分にはその才がなく、やろうと思っても上手くできないから、はじめからやりもしないんだよ。

アルバムという形式はどうでしょう。

ジラ:世の中の動向は自分とはまったく関係ないものだから、関心はない。すくなくともいまのところアルバムはまだ自分にとって意味のあるもので、またわれわれの音楽を支持してくれるひともいる。ということはまだアルバムを聴きたいと思っている人たちがどこかに存在しているということなのだろう。ただ、音楽をつくるうえで重要かどうかといわれれば、そうではない、すくなくとも私にとっては。私は聴き手がその瞬間だけでもどっぷり浸れる音の世界を創造することに興味がある。それをやっているまでだ。

同じく音楽制作者の視点から、今度音楽シーンはどのように変化するとお考えですか。あるいはシステムの変化はスワンズとは無縁のことでしょうか。

ジラ:こういういい方をしよう。システムの中での自分の活動が終わりに近づいてきてうれしい、とね。

音楽活動は今後もつづけるんですよね。

ジラ:もちろん。でも私にはさいわい自分のレーベルがあって、自分なりの支援体制もできている。仮に自分がまだ若くて、現状の中で音楽活動をはじめたばかりだったら、どうすればいいのか途方に暮れただろう。そのようなことが毎日ニュースにもとりあげられている。日に日に状況は厳しくなっている。音楽で生計を立てるのが不可能になってきた。大工であれば仕事をした分の代金が当然支払われる権利をもっている。ミュージシャンだって同じはずだ。

インターネットによるシーンへの影響はどう見ていますか。

ジラ:自分たちの場合、旧譜のカタログがあって、その権利を私が自分でもっているから、収入の流れがどうであれ、私の手元にお金が支払われる。まだ駆け出しでこれからレーベルと契約をしたり、自分なりのシステムを築かなければいけないのに較べれば、そこまで先行きは暗くない。テクノロジーによって、この問題は改善、解決されると思っている。ただ、だれもそれをやろうとしないだけで。アルバムをつくるさい、あるいは曲をレコーディングするさい、すくなくと私の場合は、スタジオに入るから何万ドルとお金がかかるわけだ。さらに、これまでの人生経験すべてが注がれて、つくるのに何百時間をも費やす。そうやってできたものを、「そこにあったから奪う」権利はだれにもない。それは、たとえば大工が六つの非常に美しいテーブルを精魂込めて16ヶ月かけてつくったのを、だれかが彼の倉庫にある日やってきて、「これもらっていくよ」といって掠めるのとおなじことだ。

今後について。資料ではより小さな規模での活動をほのめかしていますが、それはある種の反動なのでしょうか。

ジラ:たえまないツアーとレコーディング、それに加えておこなう資金調達用のプロジェクトにしても、それに何百時間と時間をとられるのだよ。そうやってほとんど休むことなく、7年間働きつづけた。そろそろスタミナの限界だ。同じペースでつづけるのはもうムリだ。だから、このアルバムのツアーが終わったら、まずしばらく睡眠をとってから、次に何をするか考えたい。

以前お話をうかがったさい、本を書きたいとおっしゃっていましたが、その時間はとれそうですか?

ジラ:どうだろう。いまとなっては、自分が(本を書いて)何を伝えたいのかもわからなくなってしまったよ。それよりもまず本を読みむことが大事だ。じっくり本を読む時間をとることだ。脳のその部分をまず活性化させなければいけない。その結果何か出てくるかもしれない。

たとえばあなたひとりでアコースティック・ギター一本の弾き語りをするときでもスワンズの名義を使いますか。

ジラ:じつはソロのヨーロッパ・ツアーを終えたばかりだ。アルバムを完成させた後、1ヶ月のソロ・アコースティック・ツアーをおこなった。ソロの弾き語りはマイケル・ジラ名義でやっていくつもりだ。

ツアーを予定されているとのことですが、来日公演の予定はありますか?

ジラ:まだ具体的なツアー日程は決まっていないが、確実に行くとは思う。7月初旬からすくなくとも16ヶ月はツアーをやる予定だ。いずれはお目にかかることもあると思う。

私は2013年と2015年の東京公演を拝見しましたが、とくに後者は圧倒的な音響空間で、スワンズがライヴをひとつの音響作品として考えていることがよくわかりました。新生スワンズで6人のメンバーの固定したのも音楽の連続性を目したものだったのかもしれないと思いました。あなたが2010年以降のライヴ活動で得たものがあれば教えてください。

ジラ:ライヴ活動はいつだって私により高い場所を目指したと思わせてくれる。ライヴで曲を演奏し、その中からなにを省いて、なにをのこすかを感じとり、さらに追求して、新しいものを見出していく。曲をアルバムの通りに演奏するなんてことは絶対にやらない。それは極めて安易で愚かでなんの刺激もない。観客の前で演奏しながら曲を構築していくというやり方は今度のツアーでも変わらないよ。

talk with Takkyu Ishino × Stephen Morris - ele-king

余計な説明はいらないだろう。5月24日、都内某所、石野卓球とニュー・オーダーのドラマー、スティーヴン・モリスは40分ほど対話した。以下はその記録である。
前日の25日には、バンドは来日ライヴを成功させているが、石野はフロントアクトとしてDJを務めた。彼は、今回のアルバム『ミュージック・コンプリート』からのシングルの1枚、「Tutti Frutti」のリミックスを手掛けている。そして石野は……以下、どうぞ対談をお楽しみください!

失礼ですが、僕がそれまでに観た海外のバンドなかで1番ヘタクソだなって思ったんですよ(笑)。でもね、それがすっごくカッコよくてね。
──石野卓球

石野卓球:僕のニュー・オーダーのライヴの思い出なんですけど、会場は新宿厚生年金会館で、失礼ですが、僕がそれまでに観た海外のバンドなかで1番ヘタクソだなって思ったんですよ(笑)。でもね、それがすっごくカッコよくてね。他のバンドがみんな完成され過ぎていたから、身近に感じたんです。

スティーヴン・モリス:当時の私たちの演奏は「乱雑」って言葉がぴったりだったと思いますよ(笑)。セミ・プロ集団でしたからね。

石野:いやいや(笑)。

スティーヴン:あの日は40分くらいのライヴでしたよね? 1時間やらなきゃいけなかったから、しょうがないからアンコールをやったんですよ(笑)。

石野:僕が行った日の1曲目は“コンフュージョン”だったのをはっきり覚えてます。

スティーヴン:若かったのによく覚えていますね。

石野:『ロウ・ライフ』に関して質問があります。ジャケットにはスティーヴンさんの顔が使われていますけど、当時のロックのアルバムではヴォーカリストやギタリストがジャケットにくるのが普通だったと思います。どうしてスティーヴさんの写真が選ばれたんですか?

スティーヴン:デザイナーのピーター・サヴィルに大金を積んだんですよ(笑)。日本に来たとき、あのジャケットのおかげで、みんなが私のことをシンガーだと思ってくれて最高でしたね(笑)。CDヴァージョンは、カード式にして好きなメンバーをジャケットにすることもできるので、もっと民主的なんです。でも、当時のHMVでは、バーナードの写真を表に出して並べているところが多かったので、私はお店に出向いて自分の面を表にし直す必要がありましたね(笑)。

石野:ははは(笑)。たしか、そのとき、日本のスタジオに入ってレコーディングしたとか?

スティーヴン:そうなんですよ。コロンビアのデノン・スタジオでした。ヴィデオを撮影したので、録音した音を映像用にミックスする作業も行いました。曲は“ステイト・オブ・ザ・ネイション”。あれはとても興味深い体験でしたね。私たちは夜にスタジオに入ったんですが、エンジニアの方は昼間っからずっと働きっぱなしだった(笑)。通訳の女性も同じくすごく疲れていたみたいで、終盤はメンバーが「もっと低音がほしい(More Bass)」と言っても、彼女はエンジニアに向かって「More Bass!」と英語で話しかけてましたね(笑)。

石野:当時のレコーディング・アシスタントは交代がいなかったんですよね(笑)。

スティーヴン:あの日は、まだ出回りはじめたばかりのデジタル・テープで録音したので、技術的な面でも面白かったですね。でも新しい技術だったこともあって、意図を伝えるのがすごく難しかったです。それまではアナログ・テープでの録音が一般的でしたから。そのおかげで通訳の女性をかなり混乱させることに……(笑)。デジタル・テープなので、音声を組み合わせられることができました。だから、全部で3テイク録って、バースはテイク1のものを使用したりして組み合わせていきましたね。ひと通りレコーディングが終わったので何か食べにいこうと思って、エンジニアの人に編集にどのくらいかかるのか訊いてみたんです。そうしたら1日かかるって言われてビビりましたよ(笑)。デジタルだからテープの切り貼りができなかったんですね。私たちは「勘弁してよー」って感じでした。インタヴューをやる予定だった時間をレコーディングにまわしたりしたんですが、確保できた睡眠時間は2時間(笑)。それでも貴重な素晴らしい体験でした。初めての日本だったこともあって、別の惑星に来た気分でしたから。

石野:うんうん。その状況は想像できるな。僕が初めて行った海外って、実はマンチェスターなんですよ。

スティーヴン:なんだって(笑)!? 日本からしたらマンチェスターも違う星に見えるのかもしれないですね。

石野:プロダクションについても教えて下さい。ニュー・オーダーの楽曲にはプログラミングの要素がとても多く含まれていると思うんですけど、その点に関しては、バーナード(・サムナー)さんや他のメンバーと、どのように役割分担をしているんですか?

スティーヴン:私がプログラムしたものに彼が手を入れ直したり、その逆をやったり、その作業を繰り返しますね。とくにふたりの作業の割合とかは意識していないです。バーニーにはスタジオがあるし、私はバンドの演奏ができる大きな納屋を持っているので、そこで作業をしますね。アイディアが浮かんだら、すぐにそれを試すことができる環境は整えてあります。私がじっと座りながら考えたアイディアをバーニーに送って、いざ返信が返ってきたら、全く違うものになっていたなんてことはよくありましたよね(笑)。どちらかと言えば、私は大まかな部分を作るのに対して、バーニーは細かい作業を主にやっています。

石野:スティーヴンさんはセクション25のリミックスもされていましたよね。昨日、僕、あの曲かけたんですよ。

スティーヴン:何週間か前、別の人にもあのリミックスを褒められたんですが、あれそんなに良いですか(笑)? まだまだやりこめたかなぁと思うんです。というのも、あれは作業が途中だったので(笑)。

石野:そうなんですか(笑)。あんまりご自分の名前でリミックスはやっていらっしゃらないですよね?

スティーヴン:数はそんなに多くないですね。でもリミックス作業自体はけっこう好きですよ。ブライトンのフジヤ&ミヤギのリミックス、それからティム・バージェスやファクトリーフロアもやらせてもらいましたね。もし嫌いな曲だったらリミックスってできないんです。そういう曲を頼まれたら、「ごめんなさい、いまはめちゃくちゃ忙しいんです」って返答しちゃいます。ところが気に入った曲の場合でもうまくいかないことがある。もうそれ以上に付け加えることがないから、いくら私が作業を進めても、オリジナルとあんまり変わらなかったり、元に戻っていたりすることもありますから(笑)。

終始穏やかなスティーヴン。この日着ていたのはヨーダのTシャツだった。

ドラムマシンが出てきたとき、すごく興味深く思いました。つまんないことはマシンに任せて、人間は面白いことに集中できると思ったんですよ。
──スティーヴン・モリス

石野:スティーヴンさんがドラムをはじめたきっかけは? もともと好きなドラマーがいたんですか?

スティーヴン:ドラムをはじめた理由は、周りにギタリストが多すぎたからです。15歳くらいのときですね。私の父親は楽器は何も弾けないんですが、音楽はすごく好きだったので、私に楽器をやらせようとしていました。最初はクラリネットを習わせようとしていたんですが、私がドラムをやりたいと言ったら、「じゃあレッスンに通え」と(笑)。私が好きなドラマーは、カンのヤキ・リーベツァイトやノイ!のクラウス・ディンガーでした。それからキース・ムーン。彼は壊れたように叩くので、これには絶対になれないなと思っていましたけどね(笑)。人物的な面を魅力的に感じてたんです。

石野:なるほど。スティーヴンさんがジャーマン・ロックの人たちをお好きなのはすごくよくわかります。だから以前「私はドラムマシンになりたい」っておっしゃっていたんですか(笑)。

スティーヴン:アイロニックなことを言ったもんですね(笑)。ドラムマシンが出てきたとき、すごく興味深く思いました。つまんないことはマシンに任せて、人間は面白いことに集中できると思ったんですよ。ドラムマシンの音って、モノによっては全然ドラマーの音に聴こえないやつがありますよね。ワタシはとくにそういう機材が好きでした。

石野:カシオの音なんかまさに。

スティーヴン:そうそう! 少しおもちゃっぽいところがあってマジカルな感じがするんです。プログラミングしやすい機材だといいんですが、何時間やってもうまくいかなくて、自分でドラムを叩いた方が早いことも多々ありました(笑)。

石野:僕にとって、“ブルー・マンデー”の冒頭の、人間じゃ叩けない16分音符のドラムキックが本当に衝撃的でした。ラジオで聴いたとき本当に鳥肌が立ったんですね。当時、ドラムマシンが出てきてロックの人たちがそれを敵対視していたなかで、ニュー・オーダーはいち早く取り入れていましたね。

スティーヴン:テレビでスティーヴィー・ワンダーがリン・ドラムを使ってリズムを組みながら歌っていたのを見たんですが、それが信じられないくらいファンキーだったんです。それを見て、「アレを手に入れれば僕も彼みたいになれる!」って思ったんですよ(笑)。そんな流れで、リン・ドラムンを手に入れました。でもその後、私たちはベース音を調整できるオーバーハイムのDMXを使いはじめたんです。当時、DMXはリンよりも安かったんですよ。
いまは簡単にビート・パターンを保存できましたが、昔は保存するのも難しかった(笑)。ちゃんと保存しても消えたりしましたからね! みんな全部私のせいにしたりするんですから、たまったもんじゃない(笑)。だからカセットにデータを保存することにしたんですが、それも途中で巻き戻せなくなったりして。だから“ブルー・マンデー”のときは、最終的には大量の紙にドラムパターンを書き出していましたね。
ドラムマシンを使うのに、本物のドラマーみたいなパターンにしても意味がないですよね。当時はドラムを叩かないで、ボタンを押していただけだったのでちょっと不思議な感じがしたものですが。

石野:ドラマーがプログラミングをやるっていうのも珍らしいですよね。デジタルのドラムマシンを導入した結果、ドラマーがクビになったりってことも(笑)。

スティーヴン:80年代初期はドラマーたちにとって、まったく新しい仕事が作られた時期でしたね。ドラム・プログラムが重要になって、ドラマーが蚊帳の外になんて事態も起きました。私は両方やっていたので大丈夫でしたけど。でも現在はドラムとドラムマシンに対するが考えが巡りめぐって、ドラム以外がダメでも他がパーフェクトなら問題はないとする人々もいますよね(笑)。
さきほどドラムマシンがドラマーを困らせるという話をしましたが、サンプラーが登場したときも似たような心境になりました。今度はバンドそのものが盗まれる可能性が生まれたわけですからね(笑)。良い面もある一方で、アイディアが盗まれてしまう恐怖もありました。DJシャドウ『エンドトローデューシング……』は大好きなんですが(笑)。
私たちは80年代のはじまりからコンピュータを使いはじめました。当時のコンピュータはいまとは比べものにならないほど大きかったですが、そこから出てくるサウンドも想像がつかないものでした。でもいまは、もっと小さい機材でもっと複雑なことができます。音楽以外でもそうですよね。電話がポケットに入って、さらにそこにカメラが搭載されるなんて、30年前には誰にも想像できなかったでしょう。見方によっては、ここは狂った世界ですよね。

石野:クラフトワークの『コンピュータ・ワールド』みたいですね。

スティーヴン:まさにその通りです。

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どうしてマンチェスターでレコーディングすることにしたんですか? 私だったら絶対にニューヨークを選んでいたでしょうね(笑)。
──スティーヴン・モリス

石野:昨日のライヴを観ていて思ったんですけど、スタジオ・ワークと比較して、ライヴではかなりサブベースが鳴っている曲もありましたよね。例えば“ユア・サイレント・フェイス”とか。かなり図太いサブベースでした。ライヴのために誰がアレンジするんですか?

スティーヴン:バーニーが主にやっていますね。古い曲でも常にいろんなヴァージョンを準備しています。完ぺきなアレンジができたとしても、変えたい場所が出てくるんです。だからいつもリミックスをやってきる状態であるとも言えますね。「ここがあと2デシベル……」という具合に周波数にこだわったり(笑)。そういうのが好みなわけじゃないんですけど、頭がそっちにいってしまう。でもそれで曲が良くなるのなら、苦労をいとわないですね。

石野:30年前に初めて日本に来て、それから何回も来ています。僕は住んでいるからわからないですけど、日本に何か変化とかを感じますか?

スティーヴン:さっきも言いましたが東京に限って言えば、灰皿が町から消えましたよね(笑)。それから、じょじょにですが私みたいなヨーロッパ人に対しても、優しくなったようにも思います。昔はそこまで気楽に接してくれなかったのが、最近はリラックスして話せますね。それから日本人の男性には女性蔑視的な面を感じていたんですが、最近はそれも減ってきたように思います。昔はインタヴューの時に、ジリアン(・ギルバート)だけ無視されたりもしたんですよ。

石野:えー! それはたぶん距離と取り方がわからなかったんじゃないかな。とくに女性だったから。

スティーヴン:そうだったのかもしれませんね。でも最近はそういうことをあまり感じなくなってきました。いまは大丈夫なので、気にしないでください(笑)。

石野:これだけ長期間活動していて、ジリアンさんみたいに1回離れてまた戻って来たメンバーもいたけど、バーナードさんとスティーヴンさんはずっと一緒です。やっぱりニュー・オーダーはおふたりが中心になってやっている部分が大きいんですかね?

スティーヴン:ジリアンが一旦バンドを離れたのは、娘の病気の面倒をみるためだったのでやむをえなかったんです。本人もすごく参加したがっていて、抜けている間はフラストレーションを感じていました。レコードを作るよりも、子育ての方が大変ですからね。
バーナードと私は、なんだかんだでいっしょにやっている期間が長いですよね。今年で何年目だろう……、考えない方が良さそうですね(笑)!

石野:趣味で戦車を集めているんですよね?

スティーヴン:ええ。

石野:本物なんですか?

スティーヴン:ええ(笑)。

石野:おー。何台お持ちなんですか? もちろん動くんですよね?

スティーヴン:4台ですね。ちゃんと運転できますよ。大砲は打てませんが(笑)。軍は厳しかったです(笑)。

石野:それはイギリス製の戦車だけなんですか?

スティーヴン:イギリスの信頼のおけない戦車たちだけです(笑)。メンテナンスも大変なんですよ。だから問題を点検するために、いちいち写真を撮っているんですけど、あいにくいまは持ってないんですよ。

石野:メンテナンスを楽しんでいそうですね。

スティーヴン:常に集中していなきゃいけませんから、ニュー・オーダーみたいなものですね(笑)。メンテナンス中に指を切っちゃったりしますけど、楽しいですよ。

石野:何がきっかけで戦車をはじめたんですか? 

スティーヴン:最初は1947年製のブリストルの車が欲しかったんです。中年の危機ってやつですね(笑)。でも実物を見に行ったときに「高いからダメ!」ってジリアンに止められたんですよ。それでしばらく経ったら、戦車のパーツを置いているお店を見つけてしまって。そしたら「車よりもこっちを買うべきよ!」ってジリアンが言うんですよ(笑)。自分は買うつもりは全然なかったんですけどね。必要なパーツが全然ついていなくて、扱い方も最初はわかりませんでしたから(笑)。それでパーツをいろいろ買い集めることになったんです。
卓球さんはDJだけではなくバンドもやっているんですよね?

石野:電気グルーヴというバンドをやっていて、今年で26年目ですね。さっき初めて行った海外がマンチェスターだって言いましたが、それはファースト・アルバムのレコーディングのためだったんですよね。

スティーヴン:そういうことだったんですね! どこのスタジオでレコーディングしたんですか?

石野:スピリット・スタジオですね。

スティーヴン:録音した音源のスピードがすごく遅くなっちゃうテープマシンがありましたよね(笑)。もう直っているといいんですが。

石野:あのスタジオを使ったことはあるんですか?

スティーヴン:あります。そんなにたくさんスタジオがあったわけではなかったんですよ。どうしてマンチェスターでレコーディングすることにしたんですか?

石野:ソニーに所属しているんですが、会社がふたつの選択支をくれたんです。レコーディングをニューヨークでするか、それともマンチェスターでするか。それでマンチェスターにしたわけです(笑)。

スティーヴン:私だったら絶対にニューヨークを選んでいたでしょうね(笑)。住んでいる場所によって人がどこに行きたいかは変わるものです。私はニューヨークのディスコなどが好きなので、とても魅力的に感じるんですが、マンチェスターはもう……(笑)。

石野:ははは(笑)。でも当時の僕たちにとってはマンチェスターはニューヨークみたいなものだったんですよ。ハシエンダのイメージがありましたからね。

スティーヴン:まさに「隣の家の芝生は青い」ですね(笑)。バンドでは何をしてらっしゃるんですか?

石野:プログラミングとヴォーカルです。

みんなリミックス盤は聴いた? 今回のニュー・オーダーの来日をサポートした石野卓球。

当時の僕たちにとってはマンチェスターはニューヨークみたいなものだったんですよ。ハシエンダのイメージがありましたからね。
──石野卓球

スティーヴン:実は下の18歳の娘が日本の音楽が好きなんです。Jポップ、それから韓国のKポップも。いま日本語も勉強していますね。

石野:本当に隣の家の芝生は青いんですね(笑)。

スティーヴ:娘は日本の化粧品を買うようになってから日本語を勉強しはじめました(笑)。今回一緒に日本に来たかったでしょうね。日本に住みたいって言ってますよ。いつも卓球さんはどういうところでDJをしているんですか?

石野:いつもはクラブやフェスでDJをやっていて、プロデュースもします。

スティーヴン:CDJを使っていますよね。パソコンでDJをする人が最近は増えましたが、それについてはどう思いますか?

石野:パソコンでDJをするのはあまり好きじゃないですね。レコードでDJをはじめたもんですから。

スティーヴン:パソコンは編集にはいいんですが、DJのときは便利すぎてズルしてる気分になりますよね(笑)。

石野:僕はDJはあくまでディスク・ジョッキーだと思っています。

スティーヴン:その通り。いまはパソコンがあればいろいろ手の込んだことができますけど、もしパソコンが壊れたら何もできなくなってしまいます。でもレコードでDJをするのなら、レコードをターンテーブルに乗せればいいだけですから、いたってシンプルなんですよ(笑)。

石野:DJの場合、機材が運びやすいですよね。

スティーヴン:レコードを持っていくだけでいいですもんね。でもCDJでできることもすごいなぁと思います。グランドマスターフラッシュの“ザ・ホイール・オブ・スティール”が出たとき、なんで他人のレコードからこんなレコードが作れるんだって思ったものでしたが、CDJの機能を使えば、あれをやるのも夢じゃない。

石野:たしかに革新的ですよね。最初はCDJの音はクソだったんですが、いまはレコードとまったく変わらないですよね。

スティーヴン:最初CDJを使ってプレイをしている人を見ても、何をやっているのか意味がわかりませんでした(笑)。でもいまはCDを使わなくても、USBメモリだけで曲やサンプルを再生したりもできますよね。

石野:いまはUSBで世界を周れちゃいますもんね。

スティーヴン:そうなんですよ。いままで買ってきた何千枚ものレコードがもったいないですよね(笑)。

Brian Eno - ele-king

 かつて決して沈まないと謳われた豪華客船があった。当時の科学技術の粋を集めて造られたその船は、皮肉なことに初めての航海で氷山に接触し、多くの人びとを乗せたまま海底へと沈んでいった。その甲板では、乗客たちの不安を和らげるために、バンドが音楽を奏でていた。かれらの演奏は船が沈むその最後の瞬間まで続けられたという。
 この半ば伝説と化した楽団が奏でていた音楽はラグタイムだったとも賛美歌だったとも伝えられているが、いずれにせよその音楽は非常にアンビヴァレントなものだったはずである。その音楽は、乗客たちが落ち着いて避難できるよう、かれらの耳元にまでしっかりと届けられなければならない。だが他方でその音楽は、乗客たちが能動的に聴き入ってしまうようなものであってはならない。無論、緊急事態に熱心に音楽に耳を傾ける者などいないのだろう(実際、生還した細野晴臣の祖父の耳に強く刻まれていたのは、バンドの演奏などではなく信号花火の轟音である)が、それでも、乗客たちが避難することを諦めその運命を受け入れてしまうような耽美な音楽を演奏するわけにはいかなかっただろう。
 必ず聞こえなければならないが、決して聴かれてはならない音楽。それが、自らの意志で船上に残ったバンドメンバーたちが奏でなければならない音楽だった。そしてそれはエリック・サティが「家具の音楽」を作曲する8年前のことだった。

 ブライアン・イーノがタイタニック号の沈没というテーマに関心を寄せるのは今回が初めてではない。イーノがプロデューサーを務め、イーノが立ち上げたレーベル〈オブスキュア〉からリリースされたギャヴィン・ブライアーズの『The Sinking Of The Titanic』(1975年)は、まさしくタイタニック号のバンドメンバーたちが演奏していたであろう音楽を、生存者の証言に基づいて再現しようとする試みだった。それは、積極的に聴かれることを目指さないという点において、後のアンビエントの先駆となる作品だった。
 とはいえ、この度リリースされたイーノの新作『The Ship』は、ブライアーズのように真正面からタイタニック号の沈没と向き合うものではない。本作においてタイタニック号の沈没という出来事(1912年)は、第一次世界大戦というもうひとつの出来事(1914〜18年)とセットで扱われているのである。
 日本では便宜的に第二次世界大戦までがいわゆる「近代」とされてきたけれど、ヨーロッパでは長らく第一次世界大戦までが「近代」と見做されてきた。つまり第一次世界大戦は、欧州に生きるイーノにとって、いまからひとつ前の時代の終焉を意味するものなのである。
 なぜいまイーノがそのようなテーマに惹かれたのかということについては、昨年の彼の政治的な活動を振り返ると、ある程度は察しがつく。人類はすでに100年も前に科学技術や軍事力を過信することの危険性を知っているはずなのに、今日でも戦争や紛争といった問題は何も解決していないではないか、むしろ世界の状況は当時よりも悪化しているのではないか──おそらくイーノの胸中にはそういう思いが横たわっているのだろう。彼の瞳には、9•11やイラク戦争、世界金融危機を経た現在の世界の惨状が、100年前のムードと非常に似通ったものとして映っているのである。

 ソロ名義としては『Lux』(2012年)以来およそ3年半ぶりとなる新作『The Ship』だが、いわゆる「歌もの」として本作を捉えた場合、『Another Day On Earth』(2005年)以来11年ぶりのアルバムということになる。とはいえこの11年の間、イーノが全く歌っていなかったというわけではない。カール・ハイドとの共作である『Someday World』(2014年)では何曲かでイーノがメイン・ヴォーカルを務めていたし、同じ時期にリリースされたデーモン・アルバーンのソロ・アルバム『Everyday Robots』でもイーノはゲストとして哀愁漂うヴォーカルを披露していた。
 しかしながら、そもそも本作をいわゆる「歌もの」に分類するのにはいささか困難が伴う。たしかに、イーノは歌っている。けれど本作では最後の "I'm Set Free" を除いて、「ヴォーカル+バックトラック」という典型的な「歌もの」の構図は採用されていない。本作で聴くことのできるイーノの低い──そう、とてつもなく低い──ヴォーカルは、あくまでそれ以外のサウンドと溶け合うように、全体を構成する部分のひとつとして鳴り響いているのである。かつてイーノはU2のボノに対しヴォーカルの不毛性について説き語ったことがあるそうだが、いざ自らが歌うにあたっても、ヴォーカルを特権的に扱う趨勢に対する反抗心を忘れることはできないのだろう(そうであるがゆえにこそ、最後の "I'm Set Free" が効果的に響く)。

 本作は大きく "The Ship" と "Fickle Sun" の二部から構成されている。
 タイトル・トラックであ "The Ship" は、希望に満ちた新たな船出を告げるかのような、イーノらしい静謐なアンビエントで幕を開ける。6分手前からイーノの低いヴォーカルが入場し、その最も低い部分は次第に周囲の電子音と混ざり合っていく。背後ではサンプリングされた音声が小さな小さな雑音として鳴っている。それらが混ざり合う様は徐々に変化していき、13〜14分あたりで一段落すると、トラックは少しずつきな臭い様相を呈していく。15分手前からは静かなノイズと女性のものと思しきヴォイスが乱入し、不穏な空気が漂い始める。17分手前からは謎めいた声が亡霊のように語り出し、また新たなノイズが侵入してくると、それらは次第に重なり合っていく。繰り返される「Wave, after wave, after wave」という呟きが聴き手を不安へと誘い、アルバムは前半を終える。

 後半の "Fickle Sun" はさらに三つのパートに分かれている。
 最初のパートは "The Ship" と同じようにアンビエントで始まるものの、そこにもはや明るい未来の兆しなどはなく、出だしからベースが不吉な雰囲気を紡ぎ出していく。3分手前からイーノのヴォーカルが入り込み、5分を過ぎたあたりからシンバルが鳴り始め、6分頃にはノイジーなギターが乱入してくる。7分を過ぎた頃には全ての音が大音量で轟き始め、おそらくはここが最大の戦場なのだろう、けたたましさは頂点に達する。その後いったん静寂が訪れるものの、徐々に様々な音声が入り乱れていき、トラックの後半は声の一大実験場と化す。その様はまるで、戦場=船上で命を落とした者たちを一堂に召喚する魔術的な儀式のようである。繰り返される「When I was a young soldier」というフレーズが亡霊たちの呻き声を呼び寄せながら、"Fickle Sun" は最初のパートを終える。
 二つ目のパートである "The Hour Is Thin" では、もの悲しげなピアノをバックに、タイタニック号の沈没や第一次世界大戦に関連する文書を元にマルコフ連鎖ジェネレーターによって生成されたテクストを、俳優のピーター・セラフィノウィッツが淡々と読み上げていく。その亡霊たちを鎮魂するかのような朗読に導かれ、"Fickle Sun" は三つ目のパートである "I'm Set Free" へと流れ込み、これまでの闇を一気に振り払う。長大な映画のエンディングのような余韻を与えるこのヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカヴァーは、聴き手に新たな希望の片鱗を垣間見せるものの、それは「幻想」であると歌われ、『The Ship』は静かに幕を下ろす。

 このように本作は、これまでのイーノのどのアルバムにも似ていない、極めて野心的な作品となっている。 "Fickle Sun" 中盤のノイジーな展開は、00年代以降ドローンがノイズとアンビエントとの境界を攪乱していったことに対するゴッドファーザーなりの応答である、と考えることも可能だろう。そういう意味で本作は昨今の音楽シーンへの目配りもおこなっているわけだが、それ以上に本作で重要なのは、その物語性である。
始めから通して聴けばわかるように、本作はオープニングとクライマックスとエンディングをしっかりと具えた壮大な小説のように進行していく。静穏なアンビエントやイーノ自身による歌、けたたましい騒音や様々な声の実験を経由して、最終的に本作は「私は自由になる」と歌われるポップ・ソングへと辿り着くのである。"Fickle Sun" の最初の方でイーノは「The line is long / The line is gray」と歌っているが、この「line」は「航路」であると同時に文字通り「線」でもあるのだろう。『The Ship』は一本の線のように進行していく物語なのである。

 そもそも70年代にイーノが開始したアンビエントというプロジェクトには、リニアな物語として展開する音楽に異議を唱えるという側面があった。そのようなイーノ自身によって始められた試みが、この『The Ship』では、イーノ自身によって問いに付されているのである。アンビエントに歌を組み合わせるという点においてだけでなく、アルバム全体に物語性を導入するという点においても、イーノは本作で、これまでの自身のディスコグラフィから遠ざかろうと奮闘している。要するに本作は、イーノ自身によるイーノ自身への反抗なのである。
 振り返れば、イーノの歩みは抵抗の連続だった。スクラッチ・オーケストラやロキシー・ミュージックへの参加は音楽のプロフェッショナルであることへの抵抗であり、〈オブスキュア〉の始動やアンビエント・ミュージックの発明はロックの昂揚感や音楽における物語性、あるいはメディテイション・ミュージックに対する抵抗であり(紙版『ele-king vol.8』および『AMBIENT definitive 1958-2013』に掲載された三田格さんによる論考およびイーノへのインタヴューはとんでもなく素晴らしい内容なので、未読の方にはご一読をお勧めする)、インスタレーションや映像作品への着手は音のみに没入するような聴取のあり方に対する抵抗であり、『Neroli』(1993年)以降の道程はレイヴ・カルチャーによって再定義されたアンビエントに対する抵抗であり(全篇アンビエントのアルバムとしては次の『Lux』まで19年ものときが空く)、U2やコールドプレイといったロック・バンドのプロデュースはアンダーグラウンドなあるいはエクスペリメンタルな音楽にしか価値を見出さない向きに対する抵抗であった。
 このようにロックと現代音楽との間を、ポップとエクスペリメンタリズムとの間を行き来する彼の立ち居振る舞いは、いわゆる「ポストモダン」を体現したものであったと言うことができるだろう。『The Ship』でイーノが試みようとしているのは、そのような自身の履歴からの逃走であり、そのような自身の履歴に対する闘争なのである。
 本作はひとつの大きな物語として展開していくが、そこで扱われるテーマがタイタニック号の沈没および第一次世界大戦であるのは単なる偶然ではない。先に述べたように、それら二つの出来事はイーノにとってひとつ前の時代の終焉を意味するものであった。すなわちイーノは本作において、自らの「ポストモダン」性に反抗するために、「モダン=近代」の終焉を参照するのである。

 そのアイデアは、このアルバムの制作過程にも影響を与えている。
 本作の制作は、イーノがストックホルムの映画館でのインスタレーションを依頼されたところから始まっている。彼はその会場内で、様々な場所に設置された様々な種類のスピーカーがそれぞれ異なる音を発していることに気がつく。それはつまり、ひとつひとつのスピーカーがそれぞれ「個性」を有しているということである。そのことにインスパイアされたイーノは、一度レコーディングされた音源を様々なスピーカーで鳴らし直すことで改めて音源に調整を加えていき、本作を練り上げていった。
 ここで、第一次世界大戦の戦闘を特徴付けていたのが、機関銃と毒ガスという「新兵器」であったことを思い出そう。機関銃や毒ガスがそれ以前の武器と異なっていたのは、それらが敵の「個性」を無効化してしまうという点においてである。どのような「個性」の持ち主であれ、一度機関銃や毒ガスの前に身をさらされた者は、ただ自らの死を受け入れるほかに為す術を持たない。要するに、かつてロマン主義によって解放された「個性」は、第一次世界大戦によって粉々に打ち砕かれてしまったのである。本作でイーノが拾おうとするのは、そのようなかけがえのない「個性」の亡骸なのだ。

 物語性の導入にせよ「個性」の尊重にせよ、それらが反動的な側面を有していることは否めない。つまるところ、本作は賭けなのである。それも極めて分の悪い賭けだ。イーノ自身、そのリスクは承知しているのだろう。だからこそ彼は「幻想」という言葉に導かれ、いま、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの "I'm Set Free" を歌うことを決意したのだ。「I'm set free / To find a new illusion(私は自由になる/新しい幻想を見つけるために)」。 この一節の強勢は「自由」の方にではなく「幻想」の方にある。


 それはかつて科学技術や軍事力であった。それはかつて物語や「個性」であった。あるいはそれはかつて、民主主義や資本主義やキリスト教でもあっただろう。人びとがその手で生み出し、互いに合意し、信じ抜こうとするもの──それが「幻想」でなくて何だろう。音楽だってひとつの「幻想」だ。本作がデヴィッド・ボウイに捧げられていることの意味もそこにこそある。ボウイというかけがえのない「個性」が紡いだ物語も、またひとつの「幻想」であったのだから。
 過去の歴史を踏まえた上で現在の世界の惨状と向き合うために、そして自身の履歴を踏まえた上で新しい音楽を生み出すために、イーノはここに『The Ship』という新たな「幻想」を作り上げた。その新たな「幻想」は、タイタニック号のバンドメンバーたちが奏でていたようなアンビヴァレントなものではない。このアルバムは、かけがえのない「個性」を持った、たったひとりのあなたに、能動的に聴かれることを欲している。かつてヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽が、ブライアン・イーノというたったひとりの「個性」のもとへ届いたように。

 我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう。ハンス・ヨアヒム・レデリウスが、ザ・ビートルズの最年長メンバーより6歳年上で、エルヴィス・プレスリーよりも数か月早く生まれていることを多くの人は知らない。そう、プレスリーより早く生まれたこの男は、少年時代を戦中に過ごし、郵便配達やマッサージ師をやりながら生き延びて、そして60年代のベルリンのシーンにおける最高のアンダーグラウンドな場で、耳をつんざくほどのノイズを、エレクトリック・ノイズを鳴らす。わずかこれだけの物語だが、我々はここからさまざまなものを読み取ることが出来る。つまり、ティーンエイジャーとして豊かな消費生活を送れなかった境遇の者が、その運命を乗り越えようとするときのとてつもない想像力……。
 あるいはクラフトワークの『アウトバーン』だ。あのとことん牧歌的とも言えるジャケの絵。郊外の緑のなかを延びるアウトバーンを走る自動車──、周知のように、アウトバーンは、ナチス時代の遺産でもあり、このアルバムはあまりにも単純に自動車を賞揚しているようでもある。しかし、同時に、アウトバーンは町と町を繋げている重要な交通網であることに変わりない。ブルース・スプリングスティーンの「涙のサンダーロード」のように、いい女もいなければ威勢のいいものでもない、ただそれは確実にあるものであり、エレクトリックな表現でありながら、リアルであろうとする「涙のサンダーロード」以上に、実はリアルな我々の生活を表現しているというこの逆説。我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう。
 なるほど、クラウトロックはときにエレクトロニクスと結びつけられるが、しかし、そのほんとんが、当時高価だったシンセサイザーを購入できる立場にいなかった。彼らのエレクトロニクスとは、高価なモジュラー・シンセを買うことではなく、中原昌也のように、安価なテープマシンやマイクやラジオなどを工夫して使うことだった。クラウトロックがパンクから尊敬されている理由のひとつである。

 ぼくにとって、クラウトロックは長きにわたって好きなものであると同時に、ある種のオブセッションでもあった。自分はなんでクラウトロックが好きなんだろう。60年代末から70年代の西ドイツで生まれたいくつかのロック・バンドの音源が、なんで特別で、そしてなんでその後あり得ないほどの影響力を発揮しているんだろう。実験的だからか? エレクトロニックだからか? ぼくは何度もそれを説明しようと試みて、うまくいかなかった。なぜぼくは、カンのオーガニックなグルーヴやクラスターの牧歌的なアンビエントを、なぜこうも好きなのだろうか。そもそも、こうした音楽とノイ!の前へ前へと進むモータリック・ビート、あるいはアシュ・ラ・テンペルの星界のサイケデリクスとのあいだにいかなる共通項があると言うのだろうか?
 
 本書『フューチャー・デイズ──クラウトロックとモダン・ドイツの構築 』は2014年に刊行された英国のジャーナリストが描くクラウトロックの評伝で、おそらくのジャンルにおける書物の中で最高のものだろう。著者は、たんにオタク的にこのマニアックなジャンルを掘り下げるのではなく、戦後ドイツ史を引っぱり出し、その特殊な歴史的状況を説明しながら、クラウトロックが生まれる背景について詳述する。同じように英米のサブカルチャーに影響を受けながら、フランスやイタリアではなくなぜそれが“西ドイツ”だったのか? 我々はその糸口を知り、その普遍性に辿り着く。

 また本書は、挑発的なロック評論でもある。いまだにローリング・ストーンズやボブ・ディランを有り難がっている人たちへの強烈なカウンターも含まれている。英国ジャーナリストらしく、白黒はっきりさせているので、読む人が読んだら破り捨てたくなるような箇所もあるだろうし、クラウトロックのすべてを賞賛しているわけでもない(タンジェリン・ドリームのファンも読まないほうがいいかもしれない)。だが、好き嫌いは抜きにして、花田清輝を彷彿させる博覧強記と英国人らしい批評性、そしてリスナーの想像力において、間違いなく読み応えがある本だ。
 日本ではほとんど知られていない、戦後ドイツ文化史の説明は、同じように敗戦を経験した日本人にとってはなおさら興味深い。デヴィッド・ボウイがいかにクラウトロック史において重要だったのかも再三書かれている。それから、1970年代のレスター・バングスがクラフトワークをどのように賞揚したのか、あるいは、1980年代に『NME』のライヴァル紙だった『メロディ・メーカー』の方向性まで(著者は『メロディ・メーカー』編集者だった)と、いまや日本では死に絶えている(?)ロック・ジャーナリズムに関心のある人にも面白い本だし、他方では、ブリアルやワイリーからURまで、今日のエレクトロニック・ミュージックについての考察も含まれている。
 本書にはいくつかのキーワードが出来てくる。ここで例を挙げるながら、カンの「リーダーはいない」とクラスターの「荒れ狂う平和」だ。どちらの言葉にも複数の意味がある。「リーダーはいない」の“リーダー”にはヒトラーや象徴としての父や男根的ロックの否定も含まれている。と同時に、「自分は誰かに生かされている」という感覚でもある。たとえ小さな子供でも、自分が子供を養っているのではなく、実はその子供に自分が生かされているのだという感覚。もうひとつの「荒れ狂う平和」とは、たまらなく穏やかな田園の裏側で荒れ狂うもの、その両方を同時に感じてしまうこと。──クラウトロックとは、決してスタイルではないのだ。
 膨大な資料と取材をもとに描かれたクラウトロック評伝の冒険をひとりでも多くの人に楽しんでいただきたい。

■目次

Unna, West Germany, 1970──ウンナ、西ドイツ、1970年 
Introduction ──前置き
Prologue ──序文

1 Amon Düül and the Rise from the Communes
アモン・デュールとコミューンからの上昇

2 Can: No Führers
カン:リーダー不在

3 Kraftwerk and the Electrifi cation of Modern Music
クラフトワークとモダン・ミュージックの電子化

4 Faust: Hamburg and the German Beatles
ファウスト:ハンブルグとジャーマン・ビートルズ

5 Riding through the Night: Neu! and Conny Plank
夜を駆け抜けて:ノイ!とコニー・プランク

6 The Berlin School
ベルリン派

7 Fellow Travellers
旅の仲間たち

8 A Raging Peace: Cluster, Harmonia and Eno 329
荒々しい平和:クラスター、ハルモニア、そしてイーノ

9 Popol Vuh and Herzog
ポポル・ヴゥーとヘルツォーク

10 Astral Travelling: Rolf-Ulrich Kaiser, Ash Ra Tempel and the
Cosmic Couriers
星界旅行:ロルフ・ウルリッヒ・カイザー、アシュ・ラ・テンペルと宇宙のメッセンジャー

11 A New Concrete: Neue Deutsche Welle
新しいコンクリート:ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ

12 Post-Bowie, Post-Punk, Today and Tomorrow
ポスト・ボウイ、ポストパンク、今日そして明日

フューチャー・デイズ
──クラウトロックとモダン・ドイツの構築
デヴィッド・スタッブス 著
小柳カヲルほか訳
ele-king books
定価:4400円(税抜き)
6月22日発売予定

デヴィッド・スタブス/David Stubbs
英国の著述家、音楽ジャーナリスト。オックスフォード大学在学中、サイモン・レイノルズと共にファンジン『Monitor』を立ち上げ、卒業後『Melody Maker』の編集部に加わる。その後、『NME』、『Uncut』、『Vox』、『The Wire』に勤務。これまでに『The Times』、『The Sunday Times』、『Spin』、『Gurdian』、『Quietus』、『GQ』などに寄稿。その多くの著作には、ジミ・ヘンドリックスの各楽曲に焦点を当てその人物像に迫ったものや、『Fear of Music: Why People Get Rothko but Don't Get Stockhausen』、20世紀の前衛音楽とアートの比較研究書などがある。現在、スタブスはロンドン在住。

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Aphex Twin - ele-king

 このシングルのタイトル、ele-kingの取材で三田格の「自分を動物に喩えると?」という質問への答え、「チーター」から来ているでしょう。ちっくしょー。そう、エイフェックス・ツインの新作は「チーターEP」である。音はまだ聴いてないので知らないが、国内盤にはオリジナル・ロゴ・ステッカーが封入され、初回生産盤のみ紙ジャケット仕様。また数量限定で、最新Tシャツ付セットも発売される。また対象店舗で購入するとオリジナル・ロゴ・マグネットがもらえる。と、ビートインクからのメールにある。
 発売日は7月8日です。デザインも最高ですね。

 ※6月11日訂正:ele-kingの取材時に自分を喩えた動物は「パンサー」でした。読者およびファンおよび関係者の皆様、たいへん失礼しました。ここに訂正、そしてお詫び申し上げます。

 ミヒャエル・ローターとはクラウトロックにおける最重要バンドのひとつ、ノイ!のギタリストだった人である。もっともノイ!にはもうひとり、ドラマーがいるだけだったが。
 ローターのギターが壮麗なアンビエンスを奏で、そして烈火のドラマー、クラウス・ディンガーが一直線に突き進むモータリック・ビートを叩く。まさに静と動という相反するもの同士が一体化した奇跡のバンド、それがノイ!だった。
 オウガ・ユー・アスホールがホストをつとめる『””DELAY””』の2016年版に、ミヒャエル・ローターが出演することになった。素晴らしい出会いが準備された。あとはそれを体験するだけだ。

Neu!のアルバムやハルモニアの「Deluxe」はある時期よくターンテーブルに載せていて、いま聴いてもやっぱり格好いいと思います。生まれた年代も活動している場所も全然違いますが、いま同じステージで演奏できるのが、とても嬉しいです。こんな機会はなかなかないと思うので、ぜひ聴きに来てほしいです。 OGRE YOU ASSHOLE 出戸 学 https://www.ogreyouasshole.com

■Michael Rother × OGRE YOU ASSHOLE ""DELAY 2016""

出演:
Michael Rother plays NEU!, Harmonia & Solo Works
OGRE YOU ASSHOLE

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2016/07/29(FRI)
<DAIKANYAMA UNIT 12th Anniversary>
会場: 代官山 UNIT
開場: 18:30 開演: 19:30 前売: 5,500円 (税込/オールスタンディング/ドリンク代別途)
問: UNIT 03-5459-8630 www.unit-tokyo.com
チケット先行予約(ぴあ):6/14(火)~6/20(月) ぴあ先行URL:https://w.pia.jp/t/delay2016/
一般発売日:6/28(火)~
チケットぴあ(Pコード:302-226)/ローソンチケット(Lコード:75159)/e+ (https://eplus.jp/)

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2016/07/31(SUN)
METRO 26th Anniversary Special Live!
〈Michael Rother plays NEU!, Harmonia & Solo Works in Kyoto〉
会場: 京都 METRO
開場: 18:30 開演: 19:30 前売: 4,500円 (税込 / オールスタンディング / ドリンク代別途)
(早割 \4,000 ドリンク代別途)
問: METRO 075-752-2787 www.metro.ne.jp
★期間限定:早割\4,000 ドリンク代別途 [受付期間:6/10(金)~6/18(金)]
※『特別先行早割お申し込み方法』 → タイトルを「7/31 ミヒャエル・ローター早割希望」
として頂いて、お名前と枚数を明記して 宛でメールして下さい。
一般発売日: 6/19(日)~
チケットぴあ(Pコード:302-055)/ローソンチケット(Lコード:51684)/e+ (https://eplus.jp/)


企画/制作/招聘: OGRE YOU ASSHOLE, 代官山UNIT, 京都METRO, root&branch, doobie, Deuce inc.

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Michael Rother (ミヒャエル・ローター)

言わずと知れたジャーマン・エレクトロニック・ミュージックの巨頭クラフトワークの初期メンバーであり、その際に出会ったドラマー、クラウス・ディンガーと共に伝説のジャーマン・ロック・バンド、ノイ!(NEU! )を1971年に結成。ハンマー・ ビートと呼ばれた機械的な8ビートを大胆に導入して注目され、その後のパンク~ニュー・ウェイヴに絶大な影響を与えた。彼等の代表曲「Hallogallo」を収録したファースト・アルバム『NEU!』は、永遠のマスターピースとしてデヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、イギー・ポップ、ディーヴォ、ジョイ・ディヴィジョン、ジョン・ライドン、ソニック・ユース、ステレオラブ、ボアダムス、U2、オウテカ、レディオヘッド、プライマル・スクリームなど数多の多くのミュージシャンが傑作として言及し、多大な評価を受けている。1973年に発表されたセカンド・アルバム『NEU! 2』では、当時まだ先駆的な手法であったリミックスを大胆に試み物議を呼んだ。ミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーの音楽的方向性の違いから、サード・アルバム『NEU! 75』を最後にノイ!は解散。ノイ!解散後のミヒャエル・ローターは、クラスター(ディーター・メビウスとハンス・ヨアヒム・ローデリウス)の2人と後にブライアン・イーノも合流した、ハルモニア(Harmonia)を結成。ジャーマン・エレクトロニック・ミュージックの最高峰として、エイフェックス・ツインを筆頭とする後のテクノ~エレクトロニカ世代に絶対的な影響を与えた。ハルモニア以降はソロ活動を活発化させ、数多くのソロ・アルバムをリリースしている。2010年にはスティーヴ・シェリー(ソニック・ユース)とアーロン・マラン(Tall Firs)とHallogallo 2010を結成、世界各国で積極的なツアーを敢行。2012年からベルリンの若手バンド、カメラをバックに従えてヨーロッパ各国でプレイを行い、近年は『NEU! 75』に参加したドラマーであり、後にクラウス・ディンガーを中心に結成されたラ・デュッセルドルフのドラマーとしても活動、また70~80年代のドイツを代表するプロデューサー/サウンド・エンジニア、コニー・プランクのアシスタントであったハンス・ランペをドラマー、ギタリストに元カメラのフランツ・バーグマンを迎えた3人編成でライブを行っている。


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