「K A R Y Y N」と一致するもの

MAMAZU (HOLE AND HOLLAND) - ele-king

ANDROMEDA / DELTA THREE / SUPER X
BLACK SHEEPのCOGEEとCosmic Orgasm Zeal Unit『COZU』や NU PARTY『DELTA THREE』も始動しました。次のSUPER XではFUSHIMINGのHEAVY MOON EPと関西御山発CampingPartyTribe ChillMountainによるChillMountain Classics の W RELEASE PARTYでお届けします!MIXCD"BREATH"も是非チェックしてみてください。
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DJ SCHEDULE
7/29 ふぞろいのbeatたち @ 恵比寿BATICA
8/07 TRAVESSIA @ 神宮前BONOBO
8/10 FRUE -Space is the Place- @ 代官山UNIT
8/16 SUPER X @ 渋谷SECO
8/17 BEACH WHISTLE @ 三浦
8/24 THIRD CULTURE @ 静岡EIGHT&TEN
8/31 11th ANNIVERSARY @ 中野HEAVYSICK ZERO
9/7~8 PARAMOUNT @ 山梨さがさわキャンプ場
9/21~23 CHILL MOUNTAIN @ 大阪荒滝キャンプ場


1
UNKNOWN - BENGA BENGA - PORRIDGE BULLET

2
Sir Victor Uwaifo - Guitar-Boy Superstar - Soundway

3
COTTAM - Ire Works - SOUND OF SPEED

4
Ata Kak - Daa Nyinaa - AFRCAN SHAKEDOWN

5
FUSHIMING - HEAVY MOON EP - HOLE AND HOLLAND

6
DELTA THREE - δδδ - COREHEAD

7
HOUSEMEISTER - CHEERLEADERS - allyoucanbeat

8
The Glitz - Woven - Voltage Musique

9
Stephan Bodzin - Bremen-Ost - Herzblut

10
Collective Machine - El Amor - Moan

Valerie June - ele-king

 昼休みに行くカフェの大将に「今かかってるやつ、誰の曲ですか?」と思わず質問してしまったのは、昨年のAlt-J以来のことだ。
 「ヴァレリー・ジューンの"You Can't Be Told"」と大将は言った。
 「最初に聞いたとき、タランティーノが『レザボア・ドッグズ』の女性版を撮るとしたら、冒頭シーンで"Little Green Bag"の代わりにこの曲を使って欲しいと思った」と笑いながら。
 こんな曲を歌う女の子は、どんなヴィジュアルをしているんだろう。と想像してみた。男たちのバンドをバックに従えて歌う、ロネッツ風のレトロな装いの女子の姿が浮かんだ。だから、メデューサみたいなドレッドロックの髪でギターを抱えて立っているヴァレリーを見た時には、「お。」と思った。
 彼女はジェイク・バグのご指名を受け、彼のUKツアーのサポートをしている。米国テネシー州の出身ながら、契約しているレーベルはニュー・オーダーやダブ・ピストルズのサンデイ・ベストだ。アイルランドのザ・ストライプスも「ヴァレリー・ジューンにはソウルがある」とツイートしていた。このメンフィス在住のブルーズィーな歌姫には、確かにUK、ジェイク・バグ、ザ・ストライプスといったキーワードで括れる何かがある。

             ***********

 英国では、いまだにポスト・エイミー・ワインハウスみたいなことがよく語られる。
 ダフィーやアデルもその流れで出てきた人たちだったが、アデルがバカ売れしたのは、エイミー効果というより、ダスティー・スプリングフィールド効果だったと思っている。英国に住むまで知らなかったが、ダスティーは国民的ディーヴァであり、いわばイングランドの美空ひばりである(もう一人の国民的歌手であるトム・ジョーンズを見てもわかる通り、英国人は黒っぽいノリで歌える白人が大好きだ)。
 で、ダフィーが第二のダスティーになれなかったのは、彼女に社会的偏見を持たれるエレメントが無かったせいだろう。一方、アデルにはあった。ダスティーがレズビアンであったように、アデルはオーヴァーウェイトという、現代の若人にとっては性的指向よりも深刻な十字架を背負っていた。アデルが痩せていたら、彼女は、平均サイズ14号(日本では15号)の英国の女性たちにあそこまで支持されることはなかっただろう。

 ヴァレリー・ジューンは、太っているわけでもないし、白人でもない。ジェイク・バグやザ・ストライプスのような「恐るべき子供たち」でもない(若く見えるが31歳だ)し、UKの人間ですらない。が、iTuneのUKストアでは、三田格さんが坊主頭問題を論じておられたローラ・マヴーラの『シング・トゥ・ザ・ムーン』と並んで、今年上半期のベスト・アルバム10に入っている。ローラ・マヴーラもポスト・エイミー議論で名前が挙がる人だが、彼女はエイミーから酒やドラッグや男(=セックス)といった夜の部分がすっかり抜けて、エコロジー派でオーガニック志向の学校の先生(実際、彼女は中学校の先生だった)になったような、昼間の明るい光を感じさせる。そしてヴァレリーも、エイミーのような夜の歌手ではない。が、こちらは昼間というより、早朝のひんやりと冷たく厳しい光が似合う。

 マザーになるなんて向いてない
 ワイフになるのもまだ向いてない
 男みたいに働いているからさ
 あたしは一生働いてきたからさ

 テーブルの上にはディナーもない
 冷蔵庫には食べ物も入ってない
 仕事に行くよ 後で帰ってくるから
 仕事に行くよ 帰ってくるって言ってるだろう
 男みたいに働いているんだ
 あたしは一生働いてきたんだ

 犬よ あたしは器量良しの女なんだよ
 犬よ あたしは器量良しの姉ちゃんなんだ
 もしもあんたがあたしに何かをくれるっていうなら
 このバカでかい世界のものを何でもっていうのなら
 犬よ そろそろ出て来てもいいだろう
 金持ちの爺さんが Workin' Woman Blues

 最初に聴いたとき、作詞は林芙美子かと思った。最近、早朝シフトの通勤バスのなかで聴いているのは彼女の歌だ。諦念まみれの静かな気合が入る。
 昔ながらのカントリー&ブルーズの歌詞が、ここではきっちり現代にトランスレイトされている。この楽曲を聴いて共感できるのは地べた労働者の女性だけではなく、ミドルクラスの働く女性たちでもあろう。セレブ歌姫たちが「キャリアも男も子供も、女が全てを手にするのは可能なのよ」という夢を売るこのご時世に、「あたしゃ食うだけで精一杯」と歌うディーヴァなんて、まるで『裸の王様』に出てくる「でも王様、素っ裸じゃん」と指摘する正直な子供みたいで、実に爽快ではないか。

              ******

 バンジョーの弾き手でもある彼女の音楽は、フォーク、ブルーズ、ゴスペル、ソウル、ブルーグラスといった言葉で表現される生粋のレトロ・サウンドだが、本人がそれに夢中になっている風でも、「これが新しいんだよ」とはしゃいでいる風でもなく、実に淡々と、まるで自分の世代の音楽であるかのように平常な体温で演奏しているところが、ジェイク・バグやザ・ストライプスといった人々との共通点だろう。
 彼らの音楽には、レトロというより、ヴィンテージという言葉が似合う。ヤング・ヴィンテージとでも呼ぶべきだろうか。若いくせに、妙に渋く、等身大で成熟しているのだ。
 これは不思議な現象だと思う。

interview with John Frusciante - ele-king

俺にとってロック・ギターのソロを演奏することや、優れたロック・ソングを書くことは、考えなくてもできることなんだ。


John Frusciante
Outsides

RUSH!×AWDR/LR2

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 ジョン・フルシアンテは、ご存知のとおり、90年代の音楽シーンをいわゆる「ミクスチャー」と呼ばれた強烈なファンク・ロック・スタイルで風靡し、いまなお支持の衰えないモンスター・バンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストだった男である。欠員を埋める形で中途から加入したフルシアンテは、しかし、バンドに叙情的でエモーショナルな「歌」の力を呼び込み、名ギタリストであるとともに名ソングライターとしての力量を遺憾なく発揮した。この時期からのファンも多いだろうし、バンドを出てソロになってからは多様なミュージシャンたちと関わりながら精力的にアルバム・リリースを重ねており、その求道的なまでの音楽活動に心酔する方も多いのではないだろうか。

 ギタリストとして卓越した技術とセンスを持つ彼に、あくまでギターを弾いてほしいというのは多数の意見であるだろうけれども、昨年リリースされた2枚の作品は、そうした期待からは大きく逸れる、しかし尊敬を持って受け入れられた異色作だった。 『レター・レファー(Letur-Lefr)』と『PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン(PBX Funicular Intaglio Zone)』。何が異色かといえばこれまでは部分的な実験として取り込まれていたエレクトロニクスを全面的にフィーチャーし、シンセ・ポップやドラムン・ベースに彩られたアルバムだったという点だ。彼がギターをサンプラーやシーケンサーに持ち替えてやろうとしたことは何だったのか? 

 今週発売となる新作『アウトサイズ』発売に際してバルーチャ・ハシム氏が行ったインタヴューから、その点についてほぼ完全な答えを知ることができる。以下、その一部抜粋をお届けしよう。インタヴュー(というか、ほとんどフルシアンテの一人語りである)自体は3万字超の長編となり、また今回の国内盤特典の目玉ともなるため抜粋での公開になるが、RZAやウータン・クラン・ファミリーの若手たちも交えて作られたあのアルバムの次の展開を楽しむ上で、是非とも読んでおきたい内容である。
 ギター・ソロを全面的にフィーチャーしたという10分超の大曲"セイム(Same)"が、こうしたプロセスと逡巡との上に完成したものだと知ると、一層理解が深まるだろう。

エイフェックス・ツインの『アナロード』シリーズは、エレクトロニックな楽器を使ってファンクを進化させていると実感した。

バルーチャ・ハシム:『The Empyrean』のリリース後、『Letur - Lefr』からエレクトロニック・ミュージックを大幅に取り入れるようになりましたが、その理由は?

ジョン・フルシアンテ:俺は、レコードから音楽を学ぶことに人生のほぼ全てを費やしてきた。過去30年間、何よりもそれに時間をかけてきた。そうすることで、いろいろなジャンルの音楽について学ぶことができた。
 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下RHCP)に最後に戻った期間中も、シンセ・ポップ、90年代のレイヴ・ミュージック、ヒップホップ、コンピューターなどを使ったエレクトロニック・ミュージックを聴きながらギターをプレイしていたんだ。そういう音楽を流しながらギターを演奏していくうちに、サンプルやエレクトロニック楽器の使い方が、ギター・プレイとは全く違うアプローチだということが分かった。ギター・プレイヤーは、エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーとは違う考え方で曲作りをしているし、そういう音符の組み合わせ方をしない。俺にとってロック・ギターのソロを演奏することや、優れたロック・ソングを書くことは、考えなくてもできることなんだ。チャレンジでなくなってしまった。

 でも過去30年間のエレクトロニック・ミュージックの歴史からは新たなリズム、フレーズ、一小節の分解方法が誕生していて、どれも俺にとって未知の世界だった。俺は熟練したギタリストであったにもかかわらず、オウテカ、ヴェネチアン・スネアズ、エイフェックス・ツインの思考プロセスが理解できなかった。ギターで彼らの曲を再現できても、同じような音楽を自分で作り出すことができなかった。彼らのような音符の組み合わせ方が俺にとって理解不能だった。エイフェックス・ツインの『アナロード(Analord)』シリーズがリリースされたとき、俺にとってはビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と同じくらい画期的な作品に思えた。これまで自分にとって未知の世界だった新しい音楽的試みが可能だと気が付かされた。俺にとっては新しいタイプのファンク・ミュージックだったんだよ。

 60年代と70年代にファンク・ミュージックが発展して、80年代から90年代はあまりファンクは進化しなかったけど、エイフェックス・ツインの『アナロード』シリーズは、エレクトロニックな楽器を使ってファンクを進化させていると実感した。ファンクの伝統を受け継ぎながらも、それを非伝統的な方法で進化させていた。だから303や202(訳注:RolandのTB-303やMC-202 Microcomposerは80年代に発表され、アシッドハウスの定番機材だった)のような機材を買うまでは、そういう楽器が存在していることすら知らなかった。シンセを使っていろいろな実験をしていたんだけど、シンセのプロにエレクトロニック・ミュージックを作るためにどの楽器を買えばいいか尋ねると、Nord Leadなどの使いやすいシンセを薦められた。買ってみたけど、あまりその楽器にインスパイアされなかった。でも202のようなアナログ・シンセサイザーの存在を知って、数値でプログラミングしてみたとき、とてもエキサイティングだったんだ。俺のメロディ・センスを202で活かすには、自分のメロディに対するアプローチを完全に考え直さないといけないと思った。
俺は202の使い方に慣れてなかったから、いままで思いついたこともないようなメロディを生み出せることがわかった。ミュージシャンとして、俺は同じパターンを繰り返していることに気がつかされたんだ。RHCPのツアーに出たときに、ホテルで退屈しのぎをするためにドラムマシンとシンセを持っていったんだけど、いつもと同じようにヴァースとコーラスの構成に基づいた曲を作ってしまった。そういうパターンから抜け出して、テクスチャー重視のメロディをもっと作りたかった。

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俺は202の使い方に慣れてなかったから、いままで思いついたこともないようなメロディを生み出せることがわかった。ミュージシャンとして、俺は同じパターンを繰り返していることに気がつかされた。

 ポップ・ミュージックとエレクトロニック・ミュージックを比べると、ポップ・ミュージックはモーツァルトに近くて、エレクトロニック・ミュージックはベートーベンに近いんだ。ひとつの焦点となる音楽的要素が前面にあって、その他の要素がその土台になっているのではなく、さまざまな要素が同時に絡み合っているんだ。つまり、焦点となる要素が同時にいくつもあるんだ。エレクトロニック・ミュージックでは、多くの場合ドラムが焦点となっているけど、ロックではヴォーカルが中心的要素なんだ。だからエレクトロニック・ミュージックのなかで自己表現をするには、メロディをまったく違う方法でアプローチしないといけない。
子供の頃に俺はジャズを演奏しはじめた。当時俺はジャズを理解していなかったけど、だからこそ学んでみたかった。俺の考え方と違う音楽だったから、習ってみたかったんだ。そこからジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィスなどの音楽を研究するようになった。そして新たな考え方を学ぶことができた。俺は人生において、そのプロセスを続けているんだ。エレクトロニック・ミュージックの世界に踏み入れることで、新たなアプローチを学べると思った。いろいろな機材に囲まれて、それぞれをプログラミングして、ひとつの機材の再生ボタンを押して、すべての機材が同期されて演奏されることは、俺にとって新鮮だった。とても自由な感覚だったし、自分が全体像のいち要素でしかないという感覚から離れることができた。自分ひとりで全体像を作り出せることがわかった。ただのプレイヤーなのではなく、コンポーザーになることができたんだ。

 バンドの一員としてギターを演奏することは制限が多い。バンドのギタリストとして曲を書くときは、青写真を提供しているだけなんだ。エレクトロニック・ミュージックを作るときは、伝統的なソングライティングとは一切関係ないクリエイティヴ・プロセスに取り組むことができる。そして、抽象的な概念からスタートして曲を作り上げることができる。しかも、自分がそれを全てコントロールし、音そのものを直接的に扱える。楽器のピッチを変えて演奏するだけではなく、音色そのものを変えたり、音色のハーモニーを作り出すことができる。
バンドでは、自分が楽器で演奏したピッチに対して、他のミュージシャンがハーモニーを作り出してくれることを願うしかない。バンドで演奏するときは、ドラマーに合わせて演奏するしかないけど、エレクトロニック・ミュージックではとても緻密にリズムをコントロールすることができる。バンドでは、ドラマーを観察して演奏しないといけないし、ドラマーがスピードを上げたら自分も演奏のスピードを上げて、ドラマーがスピードを落としたらこっちもスピードを落とさないといけない。ドラマーはバンド内でとても権力をもつようになるんだけど、ドラマーは曲を書くわけじゃないから、そこまで音楽的権力をもつのはおかしいと思うんだ。

 ひとりでエレクトロニック・ミュージックを作る場合、自分がドラマーでもあり、全てのパーツを作れるし、音色を加工することができる。エンジニアが自分の理想のサウンドを作ってくれるかどうかという心配もなくなる。エレクトロニック・ミュージックを作ることは、俺にとって音楽的に自由であることを意味しているんだ。そしてさらに言うなら、ロック・ミュージックは本質的にエレクトロニック・ミュージックなんだ。
多くのジャンルのカテゴリーは、現実において理論的な意味をもっていない。たとえば、オルタナティヴ・ロックというジャンルはおかしいよ。ただのロックなんだ。なぜそんな名前をつけたかは理解ができない(笑)。ロックのロジカルな進化の形だっただけなんだ。オルタナティヴ・ロックは、それ以前のロックに対するオルタナティヴ(別の可能性)だったわけだけど、どのタイプの音楽だって、過去の音楽に対するオルタナティヴなんだ(笑)。

エレクトロニック・ミュージックを作ることは、俺にとって音楽的に自由であることを意味しているんだ

 エレクトロニック・ミュージックとロックを全く別のものとして捉えている人もいるけど、回路基盤を作っている人たちがいなければ、ロック・ミュージックは存在しない。ロック・ミュージックは、アンプ、ピックアップ、レコーディング機材、サウンドシステムがなければ存在しないわけだから、エレクトロニクスに依存しているんだ。長年エレクトロニック・ミュージックを作って、エレクトロニック・ミュージックを研究した結果、全く違うアプローチでロック・ミュージックを聴けるようになったんだ。最近はロック・ミュージックを聞くと、エンジニアの手法やレコーディングされたルームの特質も聴くようになった。楽器の本来の音とそれをどうやってアンプに通したかなども聴くようになったんだ。そういう意味で、ロック・ミュージックはエレクトロニック・ミュージックとひとつなんだ。俺のなかのロックの側面が、徐々にエレクトロニック・ミュージックな側面と統合されているんだ。

 たとえば『PBX』にはロック・ソングが入っているけど、抽象的なエレクトロニック・ミュージックやジャングルのようなアプローチでプロデュースしている。そういう手法で曲を作れるなんて想像もしていなかった。エレクトロニック・ミュージックの作り方を学んでいるときは、そういうことも考えていなかった。いまは、ひとつのジャンルのなかで作業しているという感覚が一切ない。あらゆるスタイルの音楽を組み合わせられるし、自分のなかのどの音楽的要素も自由に取り入れられる。20年前の自分の音楽的要素も、10年前の自分の音楽的要素も取り入れられる。俺と音楽の間に隔たりがないんだ。

 オーケストラやロック・バンドでは、音楽とミュージシャンの間に何らかの壁が必ずある。たとえば、作曲家が作品を作曲しても、指揮者がいて、オーケストラがあって、自分の望みを叶える状況的な問題もあるかもしれない。エレクトロニック・ミュージックでは、作曲家が完全に解放される。自分の頭のなかで聞こえた音を実現する上で、他者に依存する必要が全くなくなるからなんだ。それにリアルタイムで曲を作りながら聴くことができる。バンドのために曲を書いてから見せる必要がないし、バンドが実際に演奏してどういうサウンドに仕上がるか待つ必要もない。クリエイトする行為と、リスニングの行為が同時に起きるから、それは俺にとって最高の自由を意味するんだ。俺がエレクトロニック・ミュージックを作るのは、最も自由な音楽だし、音楽を作る最も完全なアプローチだからなんだよ。

本リリースにあわせて収録曲"シェルフ"の歌詞をプリントしたTシャツも販売されるようだ。これまでにもジョン・フルシアンテ関連のアイテムを扱ってきたサイトであり、今回のTシャツもこのAnatato Watashino Delivery限定商品。他での販売予定はないという。

 https://www.anatato-watashino-deli.com/

interview with Buffalo Daughter - ele-king


Buffalo Daughter
ReDiscoVer. Best, Re-recordings and Remixes of Buffalo Daughter

U/M/A/A

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 僕が1994年にele-kingを作ろうと思った動機には、テクノやダンス・カルチャーにハマったことも大きいが、それ以上に「こういう音楽もあるんだ」ということを主張したかったというのがある。多くのメディアは売れているものを中心に扱う。しかし、わずか100人しか聴かないような音楽にも賞賛に値する、素晴らしいものはある。少数派の意見にも耳を傾けよ。僕は変わり者が好きだ。そう主張したいだけで、ポップとアンダーグラウンドのどちらが優れているかなどを競いたいわけではない。
 バッファロー・ドーターは20年前から今日にいたるまで、アウトサイダーとして存在し続けている。TR303と「アシッド・トラックス」に寄せる多大な愛情が、変わり者をこよなく愛するというこのバンドの性格を物語っているだろう。つまり、バンドの音楽には、クラウトロックにも似た、ロックに対する独自な解釈が加えられているわけだが、その独自なものとは、コーネリアスやスマーフ男組、インセンスのように、さまざまな音楽に感化された創造中枢によって吐き出される。
 この記事は、バッファロー・ドーターの結成20周年を記念してリリースされるベスト盤『ReDiscoVer. Best, Re-recordings and Remixes of Buffalo Daughter』のために企てられたものだが、結局、たんなる雑談のようなものになってしまった。アルバムの内容についてはバンドのホームページ(https://www.buffalodaughter.com)を参照して欲しい。こんな記事を書いておいて恐縮だが、魅力的なリズムと綺麗なハーモニーとユニークなアイデアをもったバッファロー・ドーターの音楽にひとりでも多くの人が興味を抱いてくれたら幸いである。

ライヴをやってたんですけど、まずまったくお客さんの反応がないんですよ。ポカーンとして見てるみたいな。自分たちとしてはすっごく楽しいことをやってるんだけど(笑)、どうしてかなっていうのはずっとあったんだけど。「ウケないね、やっぱり」みたいな。

ベスト盤っていうと、古典的な意味ではシングルの編集盤ですよね。あるいは昨今だと、たとえばオリジナル盤ができなかった場合に契約上出されたりであるとか、時代によってベスト盤の意味合いも違ってきてると思うんですけど、今回バッファロー・ドーターがベスト盤っていうときに何をもってベストとしているのか、まず教えてください。

シュガー吉永:ベスト盤っていうからあれなんですけど、記念盤ですよ、20周年の。わたしたち的には。でもなぜベスト盤っていう話になってたかっていうと、ニックが言い出したんだけど。これの選曲をしてくれたひとが、「俺が選曲するよ」って言ってくれて、で、「ベストな選曲をする」って言ってたからベスト盤って呼んでますけど、最終的なわたしたちの気分的には20周年記念盤。

じゃあ、その選曲の基準っていうのは、そのニックさんに丸投げで。それはそのひとの耳を信用しているっていう?

吉永:そうですね。

それはどういう意味で信用してる?

吉永:信用してるっていうほど大げさなものでもなかったのがひとつあって。だってどんな形でも選ぶひとによって違うから。わたしたちが選んでも違う選曲になったし、とにかくいろんなパターンの選曲があると思ったなかでニックさんがいいなと思ったのは、日本人が選曲するよりも日本人じゃないひとが選曲するのがいいんじゃないかというのがまずひとつあったんだけど。それを誰がやる? っていうときに、ニックさんが「俺がやる」って手を挙げてくれたのが大きい(笑)

なるほど。ニックさんっていうのはどういう方なんですが?

吉永:ニックさんはBBCのレディオ3とかでDJやってるんですけど、選曲家の方で。

レディオ3ってクラシック専門じゃなかったでしたっけ? 

吉永:ニックさんの番組はインターFMでやってますよ。いい感じですよ。

たとえばどんな傾向の方なのかとか......。

吉永:......それはちょっとググっていただいて(笑)。

(笑)

吉永:ニックさんはとにかく音楽の幅が広い。で、元々iTunesの立ち上げのときに関わってるひとだったり。

弘石(U/M/A/A):野田さん、会ったことあると思います。ニック・ラスコムっていう、日本の先端の音楽をUKで紹介する番組やレーベルをやってた方です。

日本の音楽事情に詳しい方なんですね。なるほど。日本人じゃなくて外国人に頼んだっていうのは何か大きい理由があってのことですか?

吉永:それは世界発売したいと思って、日本人観点で選ぶよりは、そういうほうが面白いかなと思って。

なるほど、やはり世界観点というのはこだわりがあるんですね。

吉永:こだわりっていうか、最初のスタートが日本だけだと受けないから、海外でも出せばそれなりの数になるんじゃない、っていうのがあるから。日本だけで大成功できるバンドだなって思ってたらそんな必要はなかったんだけど。っていうことですよね(笑)。

20周年に対してはどんな想いがあるんでしょう? 

吉永:20周年でベスト出そうよって言ったのは、そもそもは大野なんです。

大野由美子:わたしが参加したことのあるほかのバンドで、20周年だからベスト盤出しますよっていうのを聞いて。「あ、20年でベスト盤出すんだ」って思って(笑)。「あー、いい区切りになるんだな」と。そこはゴージャスに3枚組かなんかでやってて。「へー、これ出すの大変だったんだろうな」と思ってて、で、「うちに置き換えたらすっごい大変そう」とか思って(笑)。でも、うちは前のアルバムとかも全然手に入らないものばっかりなので、そう考えたら全部を出すきっかけを作れるかもしれないと思ったんですよね。ベスト盤を出すと言うよりは、揃えて聴ける状況にはしたいなって。それまでちょっとずつ権利のことで動いてたから、余計にそう思ったんだと思いますけどね。

バッファロー・ドーターが20周年っていうのがなんか、妙な違和感があるというか(笑)。あんまり20年経った気がしないような感じがするんですけど。

吉永:それはだから、大野が気がついたんです。みんな気がついてなくて。それも友だちのバンドで20周年を祝っていたひとがいたから、「あ、そう言えばわたしたちも来年そうだわ」と思ったらしい。

大野:それだけなんですよ。たぶん、それがなかったら気づかないで2013年始まってたかもしれない。

山本ムーグ:なんか、バンドのなかにいると台風の目みたいなもんで、中心は無風なんですよ。20周年とか10周年とか、周りがわりと大騒ぎするんですけど、10周年のときなんかはあんまり何も感じてなくて、結局大したことやってないんですよ。で、今回も心から「20年経ったからここで楔を打っとかないと!」っていうのはぜんぜんなくて。たしかに周りの方は「20周年だから何かやっといたほうがいいよー」って感じで。感覚的にはそんな感じだと思います。

なるほどね。ちなみにニックさんの選曲についてはメンバーからは何のリクエストもなかったんですか?

吉永:最初見たときに、「あ、こういう選曲かー」っていうのはあったんですよ、正直。3人ともに。というのは最近自分たちでもあんまり聴いてない曲とか、ライヴではまったくやってない曲ばっかりで。

大野:ばっかりとは言わないけど(笑)。

吉永:ばっかりですよ! "A11 A10ne"とか"Cyclic"とかは最近のアルバムの曲だからまあやってますけど、ほかの曲は全然やってないじゃないですか。やってる曲挙げてくださいよ。

大野:"Dr. Mooooooooog"だけかなあ。

吉永:その3曲以外はやってないわけなんですよね。だからおおーと思って。で、「じゃあ聴いてみるか」って、並べて聴いたら完璧だったんですよ。その選曲術が。さすがと言わざるを得ないんですけど。これは素晴らしいと思って。だからそのまま素直に受け入れたんですけど、そのときは"LI303VE"が入ってなくって。最初のやつ。で、その曲だけ20周年記念という気分のわたしたちとしては、最初にできた曲なのでそれは入れたいなーって話をしたら、「あ、忘れてた忘れてた」って言ってそこに入れてくれたんですけど。

シュガーさんが日本で売れないからパイを集めるために世界で出すしかなかったってさっきおっしゃいましたけど、そのバンドの考え方というか、見切りのつけ方というのは、いまのお話だとすごく早い段階で決まってたってことですよね。20年間やっているなかで、サウンド的な実験をしながら日本語のことはあんまりやってないじゃないですか。

吉永:まあ初期はありますけど。

でも、あまりやってないっていうのはその辺に関係しているのかなって思うんですけど。自分たちのなかで、世界のほうがやりやすいって見通しがあったんですか? それとも、日本では限界があるからっていう?

吉永:いや、自分たちのなかで変な自信があったのが、わたしたちが好きな音楽が......たとえばルシャス・ジャクソンとかすごく好きだったんですけど、そのときに妙な親近感があって。このひとたちと私たちってまったく同じ感覚でやってると思ったんですよ。変な話だけど。そんな風に思う音楽がほかにもいろいろあって、で、そうやって自分たちの音楽を作っていて。ライヴをやってたんですけど、まずまったくお客さんの反応がないんですよ。ポカーンとして見てるみたいな。自分たちとしてはすっごく楽しいことをやってるんだけど(笑)、どうしてかなっていうのはずっとあったんだけど。「ウケないね、やっぱり」みたいな。日本では。でもこんな感覚をルシャスたちも持ってるし、ほかのバンドも持ってるから。それが好きだ! っていうひとは数少ないかもしれないけど、各都市に絶対にいるに違いないと思って。あとは足し算だなと思って。その世界中の少ない人数を合わせれば、10ずつ集めて10都市あれば100なんだから。

(笑)なるほど。

吉永:っていう、変な確信はあった。こういうのが好きなひとは少ないけど絶対にいるんだからと思って。

日本でそういう考え方ができるバンドって当時はまだいなかったですからね。

大野:あとはそう、お客さんに外国人がだんだん多くなってきてたっていうのもあったのね。前やってたバンドは日本人しか来ないし、わたしたちも普通に日本語で日本のロックをやってるみたいな感じでしたけど、行き詰まりを感じてなくなったわけで。で、次新しいことを始めたら、なんか知らないけどやるたびに外国人が増えてる気がすると思って。日本人だけって思わないで全世界のひとってことを考えたら、そんな悩まなくたっていいんじゃないって。

おお、前向きですね。この20年で時代も環境も変わって、音楽だけでなくいろいろ変わったと思うんですけど、この20年間で一番意識している自分たちの変化ってありますか?

大野:それぞれあると思うんだけど、このバンドをやってて思ったのは、好きでやっててアメリカ・ツアーなんかもやるようになったんだけど、じつはすごくつらかったっていうのがあって。あんなにつらい想いをしたのは人生で初めてだったから。あれを乗り越えられたから、いまはわりとどんなことでも大丈夫だなと思えるようになったっていうか。

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うちはアルバムとアルバムの間隔が長いじゃないですか。だって20年もやってんのに、6枚しか出てないってさ(笑)。でも意図してそうやってるわけじゃなくて、やっぱり完成形が見えるまでに時間かかるものがあったりとか、あと誰かがバッファロー・ドーターやる気分じゃなかったりとかね。

なるほど......はははは。どうですか、ムーグさんは。変わらない部分ももちろんあると思うんですけど、この20年で変わった部分はものすごく変わったと思うんですね。それこそ音楽のリリースの仕方にしてもそうだし、メディアに関してもそうだし。変化ってものを感じるようなところっていうのは。

山本:社会状況とかメディアのあり方とかっていうのは本当にすごく変わったと思うんですけれども、僕が改めて思うのは、音楽の力を再認識してますね。アナログ・レコードがCDになったり、CDがデジタル配信になったりとか、またアナログがそれと同時に復活したりUSBでリリースしたりとか、容れもの自体は変わるんですけど、やっぱり音楽の力っていうのは変わってないって思ってるんですよ。消費のされ方で軽く扱われる音楽もたしかに多いとは思うんですけど、誠実に作ってそこに込めるものを込めた音楽っていうのはメディアがどうあろうともやっぱり僕は伝わると思うんですよ。だからそれはたんにメディアの技術革新であって。
 いっぽう社会状況を見ると、昔平和で好景気だったなと思うんですよ。それがどんどん戦争がほんとに現実的になってきて、しかも地震もあったし放射能問題もほんとリアルに迫ってきてて、平和な時期は終わったんだろうなと思うんですけれども。そこでも音楽の重要性って出てきてて、なんかみんなすごくミュージシャンの発言を聞きたがるじゃないですか。ミュージシャンが何か発言すると、すごくメディアも取り上げるじゃないですか。斉藤和義(さんが「あれはぜんぶ嘘だった」っていうのを素朴な気持ちで上げたら、まあ賛否両論ありましたけど、ものすごく拡散して、結局はそれが支持されてると思うんですけれども。あとは国内だと、忌野清志郎さんのかつてのタイマーズなんかがすごく再評価されて、伝説のミュージシャンみたいになってるじゃないですか。あと教授なんかもすごく精力的に動かれてて、そこに下の世代がいっしょに何かをしたりとか。その一番上にはオノヨーコさんがいらっしゃると思うんですけど。僕らはたまたまハリウッド・ボウルでやったときに、「ぜんぶ繋がったな」と思って。ヨーコさんがいらっしゃって、YMOや小山田くんもいてて、僕らとチボ・マットがいて。だからメディアが変わっても音楽は変わらないし、世のなかがこれだけ危機的状況だと音楽の意味っていうのがすごく問われてるから、そこでちゃんと作っていればやっぱり音楽ってすごく評価されると思ってるし、自分たちもそこはすごく真剣に作ってますね。

なるほど。

山本:だからそれは、年を経て音楽に携わって良かったと思ってるし、自分はいい音楽を作ってきたっていうちょっと誇りみたいなものを感じてますね。

僕はそこまで前向きな気持ちになれないんですよね。たとえばいまは売れるものが売れる時代だって言われるんですね。90年代は売れないものも売れたんですよ。でもいまは売れるものしか売れない。だから売れるとみんな買うんですよ。というのがひとつある。音楽の力はあるんだろうけど、録音された商業音楽にもあるのかどうか。

山本:たとえばダンス・ミュージックって、ある意味消費されることを前提に作ってるじゃないですか。

はい。

山本:リニューアルがダンス・ミュージックの命っていうか、たとえば2年前のダンス・ミュージックをありがたがって聴くひとって少ないと思うし、つねに先端先端をリニューアルしていくことがダンス・ミュージックの使命だと思うんですよ。ここ数年はね。そういうものが消費されて、そこに音楽の力を感じないのは僕もそうなんですけど。それは僕も音楽本来の力じゃなくて、あれはああいうものなんですよ。ただやっぱり、いわゆるダンス・ミュージックと言われているなかでも、僕はリッチー・ホウティンなんかは――。

ムーグさんが、ホントに好きですね。

山本:やっぱりすごく深く見てて。曲のタイトルでもすごく共感できるところがあるんですよ。PVでタルコフスキーの映画をサンプリングして作っているやつがあるんですけど。

へえー。

山本:彼はすごくしっかりしたメッセージを持ってると思うし、それはいまの時代にちゃんと発信していると思ってるんですけど。まあ、リッチー・ホウティンがすごく面白かったのは数年前なんですけど。いまも、たとえば昨日シュガーで聴かせてもらったボーズ・オブ・カナダの新作なんかはいまの時代に対して、寡黙ですけどちゃんとメッセージしているんですよ。

まあそうですね。

山本:それは言葉で言わないで、音に込めてるんですよね。それがやっぱり音楽の力だと思うんですけど。あとウェブの使い方もすごくスマートで機能的だと思うし、ボーズ・オブ・カナダが僕はすごくいいと思いますね。まだ買ってないですから言えないんですけど、ウェブはざっと見て、すっごいわかりやすいなと思ったし。

なるほど。

山本:あとやっぱり、ダフト・パンクの新作とかも、まあいろいろあるんですけど、僕はダフト・パンクはすごく力を持ってるひとたちだと思いますね。彼らはメッセージはあんまり出さないけど、どっちかって言うとこう――。

僕はあれが売れるのは悔しくてしょうがなかったですけどね。

(一同笑)

なんかね......、ファレル使ってナイル・ロジャース使って、お金かけてディスコ・クラシックやって、まあいいんですけど(笑)。

山本:彼らはメッセージというか、ファンなんですよね。音楽の楽しさなんですよ。それはそれでひとつのあり方だと思って。......いいですよ、それで。

(一同笑)

山本:ただ僕はルーツとしては、世代的にパンク直撃だったんですよ。76年。それこそピストルズ超ハマって、で、ニューヨーク・パンクも好きでしたけど、最初はやっぱりロンドン・パンクがあったので。ハウスのときになってKLFとかコールド・カットにすごくハマったんですよ。そこはやっぱりイギリス人ならではのパンク・スピリットを感じたし。とくにKLFは超ハマってて、いまでも大好きですけど。ダフト・パンクはそれに比べると、やっぱりフランス人だし、あんなにポリティカルじゃないですけど。やっぱりブリティッシュ・パンク、ロンドン・パンクが好きですね、精神的には。

KLFといえば、ビル・ドラモンドの本を8月末に出しますよ

山本:ほんとに? うわ、楽しみ!

翻訳はほぼ終わってるんですけど。すっごい面白いですよ。

山本:でしょうね。

すっごい面白いけど、売れんのかなーと思って(笑)。

山本:でもそれは出す意味はすごくあると思いますよ。彼は『ザ・マニュアル』っていうのも出しましたよね。あれも僕はすごく好きで。

僕も大好きです(笑)。

山本:だってKLFっていちいち言うことが格好良くて。

その本はビルが自分で書いているので、どちらかと言えば格好悪い話が多いですけどね。KLFが作品を最後に出したのは......は「ファック・ザ・ミレニアム」が最後だよね? 弘石くん。

弘石(U/M/A/A株式会社代表):90年代後半に、2K 名義でリリースしたんですよね。

山本:ヒロシくんって呼ばれてるんだ?(笑)

いやいや、弘石くんです!

(一同笑)

お金を燃やしたりね。

山本:ちょっと現代美術なんかもあるし。

ていうかね、ビル・ドラモンドって、思っていた以上にアートのひとでしたね。あとね、ビルの一番の影響。「このバンドに比べたらローリング・ストーンズなんて酒場のハコ・バンドにすぎない」って言うぐらい大好きなバンドがあって、それがレジデンツなんですよね。

山本:すごいですね!

そうなんですよ。で、エコー・アンド・ザ・バニーメンのツアー中に、マネージャーだから付き添っていかなきゃいけないのに、リヴァプールにレジデンツが来るって言ってライヴを観に行ってるんですよ。83年ぐらいに。良い話でしょ!

吉永:へえー。

山本:......今度、飲みましょ。

そうしましょう。

(一同笑)

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いまのマイブラの受け方っていうのは明らかに、暗い時代のなかで切ないけど......でもすごくフィットするんですよ。マイブラのあの感じが。フィッシュマンズの受け取られ方とちょっと似てるっていうか。

いや、ダフト・パンクはよくできてるなと思うんです。クオリティ的にもマーケティング的にも。とくに最近はダンス・カルチャー自体が専門化しすぎちゃっているんで、やっぱり途中から入るとついて行けないところもあるんですよ。アシッド・ハウスなんかは知らないひとがぱっと聴いても、とりあえず衝撃を受ければ入っていけたけど。でもいまはすごく細かく、たとえばルーマニア・ミニマルとか、ルーマニア人に罪はないですけど、ポスト・ダブステップとかそうだけど、それを取り囲むマニアのサークルがあって、あちこちで小宇宙化が進みすぎちゃってるし、EDMみたいな下世話なモノも多いから、ダフト・パンクが高価なディスコを打ち出してくると、そっちをみんな聴くのは自然だと思いますよ。スターダストとか、彼らは元々ディスコ愛が強かったし。ただ、日本で、売れるものしか売れないっていう状況はよくないと思っていて。90年代の日本の良さって、売れないものも売れたっていうところでしょう? そういう意味では、ムーグさんほど楽観的にはなれないところもあるんですよ。

山本:なるほど。ダフト・パンクの意見は僕説得されたんで......認めます。

ははははは。

山本:そんなに素晴らしくはないです、たしかに。ボーズ・オブ・カナダに比べたら、なんか軽い感じはします。

大野:(笑)

そうですね、ボーズ・オブ・カナダはディープですね。

吉永:ボーズ・オブ・カナダはさ、ハラカミくんがけちょんけちょんに言ってたじゃない? あれはなんでなの?

やっぱり、悔しいからじゃないですか。あんな評価されて。

吉永:(笑)それだけ? なんかね、「楽曲の作り方が安易だ」って怒ってたよ。

そうなんですよ。ボーズ・オブ・カナダの楽曲の作り方の基本はヒップホップだから、シンプルなんですよ。

山本:さあ、みんなで話し合いましょう(笑)。

(一同笑)

吉永:いやわたしさ、ボーズ・オブ・カナダが昔からすっごい好きで聴いてたんだけど。

いや、僕も大好き。

吉永:で、ハラカミくんとも仲良かったからいろいろやり取りしてたんだけど、彼はボロクソだったのよ。何でだろうって。

ははははは。やっぱ、同じフィールドにいたから、良い意味でライヴァル心があったんだよ。

吉永:でもね、怒ってたよ。「あんな安易な作り方で」みたいな。だからそれこそ、いまのダフト・パンクの「あんなもんが売れて」って話と同じような――。

いや違う違う、ダフト・パンクはプロフェッショナルな、よくマーケティングされたところでやってるなと思うんだけど、ボーズ・オブ・カナダは初期の頃は、ガレージ・パンクに近い。作りがラフで、日本人が得意とするような緻密さみたいなものはあんまりないんだよね。もっとざっくりしてる。

吉永:でもわたしそこが好きだったからな。ヒップホップ臭がものすごくするよね。

弘石:僕は90年代、ソニーに在籍して〈ワープ〉の担当してたから、彼らやエイフェックス、プラッドなんかの話をインタヴューでよく聞いてたんですけど、彼らって基本的にテクノ同様に、ヒップホップの影響をすごく受けてて。でも「黒人としてラップ表現するんではなくて、アティチュードとして白人のヒップホップを創ってる」っていうような発言してたんですよ。〈ワープ〉の社長も初期は、ロブとスティーヴ、二人で運営していて、彼らもすごくヒップホップのファンだったし。ビースティ・ボーイズの大ファンでしたね。

オウテカだってマントロニクスだもんね。

弘石: 初期の〈ワープ〉はテクノのレーベルをやってるつもりではなくて、サンプリングが自由だった頃の、ヒップホップの遊び心のようなものからスタートしていったんではないでしょうか。そういう意味ではヒップホップのグルーヴ感っていうのが彼らにはあったんじゃないですか。ヴィンテージ・シンセとかレコーディング方法にもすごくこだわってるんですよね、ボーズ・オブ・カナダは。

ビートメイカーに近いよね。もうループ一発で作るから、ハラカミくんとはスタイルが違う。どっちが良い悪いじゃなくて。

吉永:そうだよね。ハラカミくんは、自分で一から作ってるもんね。

山本:ヒロシの意見絶対入れてくださいね。

(一同笑)

話を戻すと、バッファロー・ドーターの『ニュー・ロック』の時代に切り拓かれたものが、ある意味ではまた元に戻ってしまったところもあるのかなって気がしないでもないんですよね。音的にも、レイドバック感のほうが強いし。


Buffalo Daughter
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U/M/A/A

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山本:うん、うん。たしかにその通りだと思うんですけど。20年前はちょうど恵まれてたっていうか、オルタナティヴの後押しみたいなものがあったんですよね。バッファローの音楽ってすごく説明しづらかったんですけど、なんとなくざっくりオルタナティヴっていう感じで。まあレーベルもいろいろできてきてたし、なんかちょっとわかりやすかったっていうか。しかも海外と日本がオルタナティヴで繋がってた。『米国音楽』がまさにそういう感じだったんですけど。
 いまはたしかに、そういう後押しの感じはあんまないんですけど。ただ僕が個人的に思うのは、バンドでツアーして海外行ってアメリカ・ツアーっていうのが若者の夢だったんだけども、いまってたぶん直接肉体的に行かなくても、それこそウェブ上でどんどん繋がっていくじゃないですか。〈U/M/A/A〉が抱えているアーティストとかって、基本的にデスクトップで作ったものをニコニコ動画とかに上げて、それが評価されてメジャーになったみたいな。たぶんそれは次に海外に出て行くと思うんですよ。それも最初はネット上で出て行くだろうし、それはすでに出てると思うんですよ。で、そうなると向こうの要望が強まるから、きゃりーぱみゅぱみゅとかが海外に行くように、デスクトップで音楽を作っている若いミュージシャンもたぶん海外に実際に行って、何かしら演奏するっていう流れは僕らの時代にはなかったですね。

たしかにラップトップ・ミュージックは活性化してるんですけど、ネットの世界もけっこう狭いサークルに陥りやすいというか、逆にそっちの幻想が膨らんで、バッファロー・ドーターみたいなライヴ感がいまひとつ欠けているというか。

山本:僕らの時代ではギター、ベース、ドラムでバンドをはじめるっていうのが普通のやり方だったんですけど、もしかしたらいまってラップトップではじめるほうがスタンダードになりつつあるのかなっていうところもあって。実際ガレージ・バンドでひとりで作ってるところからはじまった女の子のバンドとか知ってるんですけども、とりあえず簡単にできるじゃないですか、手っ取り早く。で、それで1回形を作って評価された後に、今度は必ずそういうひとってライヴ対応しなくちゃいけなくなるんで。そこで敢えてドラム入れてみるとか、生の要素を入れてみるとか。たとえばマウス・オン・マーズとか、テクノのアーティストってそういう風なやり方しますよね。打ち込みで作ったものを生ドラムでやったりとか。国内だとデ・デ・マウスとか、逆にデータから生へっていう。だからいまラップトップで作ってる子も、そういうこと絶対やり出すと思うんですよね。必要に駆られて。そこはすごく期待してますね。

時代の変化に対応するための具体的な展開ってありますか?

山本:なんかね、対応していこうとか時代に追いつこうとかってあんまり意識してなくて、自分たちもたんに音楽ファンで、「最近どういう風に音楽買ってる?」みたいな。シュガーはけっこうデジタルで買ってたりもするし。だったら自分たちもこういう形で出しても自然だよね、みたいな。

吉永:でもなんかね、うちはアルバムとアルバムの間隔が長いじゃないですか。だって20年もやってんのに、6枚しか出てないってさ(笑)。でも意図してそうやってるわけじゃなくて、やっぱり完成形が見えるまでに時間かかるものがあったりとか、あと誰かがバッファロー・ドーターやる気分じゃなかったりとかね。そういうのもあるから、それは必然的にそうなってるんだけど。でもいまは簡単じゃないですか。それこそサウンドクラウドに今日作った曲をぱっとアップするとかね。あれはなんか、面白いなってちょっと思ってる部分もあって。わたしたちは腰が重かったんだけど、そういう発し方っていうのは、ちょっとやりたいなっていうのがあるんですけどね。

ほう。

吉永:だから由美子といっしょにふたりで普段から何か作ったりしてるんです。なんだけど、それを完成形にしてバッファローのアルバムに入れるにしては、なんかちょっとバランスも違うし、みたいな楽曲もあったりするんですよね。そういうのとかを、何かそういうメディアを使って「Today's Menu」じゃないけど、そんな感じでぱっと出せるようなスタンスっていうのは楽しいなと思って。いままでは自分たちで作ったものは自分たちでしか聴いてないけど、それに対する反応なんかを聞けたら楽しいしなー、とかね。バッファローを全然知らないひとがそれを聴いてくれたりしたら楽しいかなー、とか。っていうのはありますけど。

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やっぱ端っこなんじゃないですか。ついこのあいだまで日本のメジャーのバンドのお手伝いをしてたんだけど、まったく違うもんね。ほんとにうちって極端なところにいるんだなってよくわかった。

なるほどね。さっきアメリカ・ツアーとおっしゃいましたけど、バッファロー・ドーターにとってはアメリカが一番近かった外国ですよね、きっと。

吉永:そうですね。

僕は、いろんな国の音楽シーンがあるなかで、アメリカがこの10年とくに面白く変わったなっていう印象があるんですよね。1周回ってしまったというか、いちどレコード屋さんが全部なくなって、そしてまたいまできはじめている状況もあるし。

山本:え、またできてるんですか?

インディでやってる若い世代がアナログ志向になってるんで。

山本:ああー。

インディ文化、DIY文化は、いまのアメリカはすごいですよ。生まれたときには家にCDしかなかった世代がメインなんですけど、彼らの活動の象徴が、ヴァイナル、カセット、ライヴ活動で。配信はあるけどCDは作らなかったり。

山本:カセットってダウンロード・カードは入ってるんですか?

入ってるのと入ってないのとありますね。入ってないのが多かなー。

山本:じゃあ敢えてカセットで聴けっていう。

録音音楽の形態はカセットとアナログ盤に帰結するという、結局は20世紀のものなんですよ。

山本:下北に「ワルシャワ」があった頃すごくカセットを推してて。

そうそう。

山本:「ワルシャワ」なくなっちゃったんでしたっけ?

なくなっちゃったんですよー。

山本:あそこでサン・アローを推してて。サン・アロー僕すっごく好きなんですよ。

ははははは。だからサン・アローみたいなものが日本では売れないんですよ。アメリカだとSXSWの大きいホールが満員になるぐらい人気があるんですけど。これは海外のアーティストやDJからもよく言われますよ。海外から日本を見ても、この10年っていうのはすごく温度差を感じているんですね、インディでもクラブでも。

山本:たしかにいまの日本の音楽シーンって海外に対して閉ざしてますよね。

たとえばいま日本で売れる洋楽って、ニュー・オーダーとかさ。

山本:ああ、オヤジが買ってるんですか。

そう(笑)。

吉永:オヤジが買ってるって(笑)。

プライマル・スクリームとかマイブラとか。だからきっと僕の世代が頑張って買ってるんですよ(笑)。

吉永:でもそれはファンだから買うんでしょ? 20年前からファンだから。

その世代のものは相変わらず売れるんですよ。でも、ひとつ例を挙げれば、いまUSでは、もうインディとは呼べないくらいすごく売れているヴァンパイア・ウィークエンドみたいなバンドがいるんですけど、日本でもまあ健闘はしているほうですけど、ニュー・オーダーとかあの世代には敵わないっていうね。

一同:......。

ほら、だんだん後ろ向きな気持ちになってきたでしょう(笑)?

一同:はははははは!

山本:いや、メディアのひとはたいていネガティヴなんですよ。

吉永:なんでヴァンパイア・ウィークエンドは日本で売れないの?

いやいや売れてますよ。売れてますけど、アメリカとの温度差はハンパないですよ。

吉永:アメリカでは大スターだよね。もうだって、サタデー・ナイト・ライヴとか出てるよ?

(スタッフの方含め、全員で議論が盛り上がる)

だから80年代末から90年代初頭のやつが売れるんだよね、大概。

山本:明らかにオヤジが買ってるじゃん。

そう(笑)。

吉永:だから若いひとたちが買わないってことだよね。

いや、若いひともオヤジのロックは買うの(笑)。『ラヴレス』が出た頃より、オヤジになったケヴィン・シールズをみんな買うんですよ。

山本:いや、あれはオヤジになったケヴィン・シールズじゃないですよ。シューゲイザーのあの切なさがこの不況の時代にマッチするんですよ。

それもあると思いますよ。

山本:いや、「それも」じゃなくてそれですよ。

一同:はははははは!

吉永:その言い方でいうと、だからヴァンパイア・ウィークエンドが売れないんじゃない? マッチしてないんじゃない?

山本:マイブラに関しては僕は語りますよ。

なんでですか?(笑)

山本:いや、僕IKEBANAってバンドをちょっと前までやってたんですけど、それはパートナーだった子がマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのことがすごく好きで、彼女からいろいろオルグされて、フジロックもマイブラだけを観に行きましたし。

(笑)すごいですね。ムーグさんをオルグするって大変だよね。

山本:あとデヴィッド・バーンがこの間来たときに聞いたんですけど、デヴィッド・バーンはマイブラが好きなんですよね。それが面白くて。

マイブラが悪いわけじゃないんですよ(笑)。

大野:アダム・ヤウクも好きだったよ、マイブラ。

山本:でもいまのマイブラの受け方っていうのは明らかに、暗い時代のなかで切ないけど......でもすごくフィットするんですよ。マイブラのあの感じが。フィッシュマンズの受け取られ方とちょっと似てるっていうか。

フィッシュマンズやマイブラみたいにリアルタイムよりもファンを増やしていくようなタイプのバンドっていますよね。マイブラが売れることに関しても、評価が定まっているクラシックっていうか、ロックって、再結成だとか、再発だとか、そんなのばっかでしょ。あと、ムーグさんが言ったように、日本の音楽シーンって、政治的になっていますよね。それはそれで良い面もありますが、音楽っていうのはそれだけではないって僕は思っていて。たとえば、90年代の日本では売れないものも売れたという言い方をしたのは、多様性があったということなんですよね。

山本:そうですね。

とくにアメリカは多様性が際立っているんですけど、いまの日本の音楽には多様性が見えないっていうか。それって危険なことだなって思うんで。ヘイトじゃないけどね、自分と違うものを否定してしまうことになりかねないじゃないですか。だからいまの若い子たちに90年代の自慢をして、バッファロー・ドーター20周年を盛り上げるっていうのはどうかなって(笑)。

吉永:(笑)

山本:自慢するっていうのはなんか......(笑)。

寒かったすね(笑)。でも90年代の音って、いま若い子にも売れてるから。その線で行けばバッファロー・ドーターの20周年記念盤は売れますよ。

山本:ああー、じゃあそういう風にして売っていこうか。あの、任せます。

はははは。いや、わからないですけど。

山本:でもたしかに、さらに遡ればパンクの後のニューウェイヴもそうだったんですけど、いったん焼け野原になったあとにすごくいろんなものが出てきて、自由でしたよね、あの頃って。

そうですよね。

山本:それがオルタナティヴの頃もちょっとあって。それこそ「シスコ」のラウド店に行くと、知らないものがどんどん入れ替わっていくっていう楽しさがあって。いろいろなものに対して自分たちも受け入れられるっていう、そういう自由さはありましたよね。

あ、わかった。バッファロー・ドーターはあれだ、レッド・クレイオラになればいいんだ。

山本:知らないよ(笑)。

初期〈ラフ・トレード〉の精神的な支柱ですよ。

山本:メディアのそういう見方に対して、僕らは「そうじゃないです」とか「そうです」とかって言わない、っていうかそれはメディアを持っている方の署名で原稿書かれているわけですから、僕はその解釈の仕方は自由だと思うんですけれども、個人的には、かなりピンと来てないです(笑)。

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自分で聴いたことのない音楽を作りたいっていうか。ときどき歩いていると、すっごいやかましい音楽とか音とか鳴らしてる車があるとすっごいムカつくんですよ。ああいう公害な音楽は絶対に作らないとか。


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シュガーさんのエネルギーの源って何なんですか?

吉永:それは昔から変わらないですけど、やっぱ、自分にとって新しいものをつねに発見する。っていうか、つねに何かはあるんですけど。それがモチベーションですね、やっぱり。音楽もそうだけど。昔ほどレコード買わなくなったとはいえ、やっぱりモチベーションはいろいろあるから。

なるほど。すごくヴァイタリティを感じるんですよね。

大野:お肉食べないんだけど、一番血が濃い感じで。

はははは。行動力というか何というか。バンドのなかで役割ってどうなってるんですか?

山本:由美子さんがまず一番最初に「これをやりましょう」って言うんですよ。それは間に合わなくなるから。

はははは。それは仕切り屋ってことですか? そうじゃなくてタイム・キーパーとか。

大野:一番気にしてるひとなのかな。

ああー。じゃあ大人?

大野:全体的に見ているひと。

山本:やっぱ彼女は私生活も忙しいし。

だっていろいろと他のプロジェクトにも参加されてますしね。

大野:うん。でも好きだからやってるんだけど。でもそういう風に考えると、一番こう、クリアに自分のバンドが見えてるっていうか、自分のバンドがどういう立ち位置にいるっていうことが一番わかってるっていうか。

ああ。いまどういう立ち位置にいると思います?

大野:やっぱ端っこなんじゃないですか。

ははははは! 素晴らしいじゃないですか、端っこ。

大野:うん。ついこのあいだまで日本のメジャーのバンドのお手伝いをしてたんだけど、まったく違うもんね。ほんとにうちって極端なところにいるんだなってよくわかった。けど、彼らはわたしたちの音とかの新鮮な部分をチラッと見せるとものすごく喜ぶのね。話をしたりすると、みんなすごく聞きたがるの。うん、だから、教えていく立場にだんだんなってきたのかなって(笑)。

ああー。

大野:って思いながら手伝ってたんだけど。まったく違うところにいた。その分最初ちょっと大変だったけど、時間が経ってくるとだんだん楽しくなってきて。っていうのはありますね。

外から見てると、シュガーさんが引っ張っていって、ムーグさんが頭脳って感じなんですか? 極端に言っちゃうと。

大野:編集のひとなんだって思う。まとめるのが上手い。

山本:僕はほんとに一番最初に「これやろう」って言い出して、シュガーがそれを理解した瞬間、すっごいスピードで動くんですよ、彼女が。で、僕は最初はボーッとしてるんですよ。で、8割方見えてきたときに急に目覚めて、「これはこういう意味なんだ」ってことを勝手に位置づけるんですよ。それをもう1回ふたりに返す。だから最初に客観的に見るひとですよね。ある意味、メディアの方にちょっと近いんですよ。で、実際そういう仕事もしてましたから。

そうですよね。書かれてましたよね。

山本:「これってこういうタイトルだな」とか、ジャケットとか、実際音が上がってからじゃないですか。それに対してどういう風に見せていくかとか。そういう感じですね。で、それで僕が意味づけを提案すると、シュガーは歌詞を書くから彼女のなかにも確固たる意味があるし、由美子は由美子で自由に感覚的に感じ取ってるものがあるから、それをもう1回3人でやって、それがぎゅうっとひとつに収縮したときにはじめてアルバム・タイトルとかになっていくんですよ。

じゃあ、シュガーさんはそういうときに心臓みたいな感じ?

大野:わたしが困ったこととか相談すると、ぐわーって「じゃ、こうすればいい、こうすればいい」みたいな感じで全部(笑)、解決策をクリアに出してくれる。わたしけっこう、モヤモヤモヤッってするとけっこう困っちゃうから(笑)、訊くと解決策をクリアに出してくれたりするし。

なるほどね。今回もシュガーさんが海外との交渉なんかをされたんでしょうか。

山本:今回の選曲をニックさんと提案したのもシュガーだし。その辺はほんと信頼して任せたって感じですよ。

なるほど。シュガーさんが新しいことをやることが原動力なっているって話をされてましたけど、おふたりはどうなんですか?

大野:それはたしかにそうかも。自分で聴いたことのない音楽を作りたいっていうか。ときどき歩いていると、すっごいやかましい音楽とか音とか鳴らしてる車があるとすっごいムカつくんですよ。ああいう公害な音楽は絶対に作らないとか。

はははは。

大野:そういうのがちょっと原動力になったりする。それはあんまりいい意味じゃないけどね(笑)。っていうときもあるし、基本的には自分で聴きたい音楽を作りたいっていう。新しい形っていうかちょっとわかんないけど、聴いたことのない音楽を作りたいっていうか。いつもね。

なるほどね。ムーグさんはどうなんですか?

山本:僕はパンクとニューウェイヴをそれこそ18、9で体験して、ほんとに焼きついちゃったんですよね。で、自分にとっての一番大きい体験だったんで。ニューウェイヴの使命って、つねに新しくあるべきっていう。新しいってことが価値だったじゃないですか。あと自由っていう。それの焼きつきがあまりにも強いんで、つねにそこを求めちゃうんですよね。それが自分のなかにとっての伝統なんですけど(笑)、だから同じ音楽に留まっていくことができなくて。単純に好きですよね、新しい音楽が。ある時期は過去の音源で誰も知らなかったものに新しさを見出したこともあるし。いまは音楽じゃないんですけど、新しい文化ですごく面白いと思えるものがいくつか出てきたんで、それはすごく嬉しいですね。

たとえば?

山本:僕がいまハマってるのが、ジョン・ラフマンっていうカナダの現代美術のひとなんですけど、そのひとはインスタレーションもやるし映像も作るんですけど、映像がめちゃくちゃいいんですよ。あともうひとつは、スケーターが面白くて。
 
山本:あとロンドンにもスケーターの面白い連中がいて。なんか家の近所に歩いてたら小さいショップができてて、入ってみたらスケーターの店だったんですよ。で、そこでその〈ポーラー〉のTシャツ買って、「スケーターなのにこういうデザインなんですよ」って言われて、たしかにそういう感じなんですよ。いわゆるスケート・カルチャーって西海岸イメージだったんですけど。それが世界中に飛び火してて。あとカナダにも面白い連中がいてて。その3つをいま追っていて。あとでURL教えるんで。

デザインが面白いんですね?

山本:なんかトータルで面白いんですよ。ちょっと語りつくせないんですけど。山本:あとね、南米のブエノスアイレスかな。〈ZZK〉っていうレーベルってご存じですか? デジタル・クンビアってざっくり言われてるんですけど。そこはPVとかも面白くて。で、わりと映像主導型で物事が好きになってますね。まずYouTubeから入って。

吉永:そもそも映像だもんね。映像っていうか画像っていうか。

山本:うん、もともと静止画フリークだったんだけど、映像面白いですね、最近。あとはやっぱりアモン・トビンみたいなひとも、ライヴのセットを映像とトータルなものにしているっていうのも。で、リッチー・ホウティンもそうだったじゃないですか。LEDのコクーンっていうを作って完全シンクロして。音楽単体じゃなくて、必ず映像がついて。

そういうことをバッファローでやってみようって計画はいまあるんですか?

山本:やってみたいんですけど、なかなか大変なんで。でも今回ので、ちょっとヴィデオを作ったりして、それに関わらせてもらったりはしてますね。

ちなみに、次の新しいアルバムの構想があるという噂を聞いたんですが。

吉永:半分ちょっとぐらい。

それはいまの時点で言えることはどんな感じでしょう?

吉永:うちね、最後の最後まで言えないんですよね、なんかね。

山本:変わるからね。

吉永:最後にガッと変わるから。

なるほど。

吉永:いま言ってもたぶん変わるから(笑)。曲は変わんなくてもね。最後の仕上げが関わったりとか。前のアルバムもそうだったんだけど。だから難しいですけど。

バッファロー・ドーターってアルバムにつねにテーマがあるじゃないですか。コンセプトというか。そのコンセプトは決まってる?

吉永:それがだから、大概最後なんですよ。

ああ、最後ね。

吉永:最初はじめるときにもちろんあるんだけど、それが最後に違うものに変わったりするから。今回はじめるときはディスコって言ってはじめたんですけど、すでに気分はもう変わってきてるし、わかんないですよね、自分たちとしても。

なるほど。

吉永:でも最後にガッと変わったときは3人がすごく一致したときだから、ものすごいエネルギーでフィニッシュに向かうんですけど。いままだ漠然としている部分が少しありますよね、やっぱり。曲は具体的に上がってきてるんだけど。その最終的なまとめ方っていうか見せ方っていう部分では、ちょっとまだそこまで辿り着いてないから。

じゃあ、最終的にはどうなるかわからないけれども、入口をディスコにしたのは何でなんですか?

吉永:それは21世紀美術館でピーター・マクドナルドさんっていうイギリスのアーティストが、展示をやってたんですよ。そのときに一番大きな部屋の壁全体が彼の絵になっていて。それはかける絵じゃなくて、壁自体に絵が描いてあって。それがブロック・パーティみたいなものをテーマにしたもので。彼が子どものときにそういうものを経験したんですって。それがすごく楽しかったっていうイメージで、それを絵にしたっていうのがあって。
 で、絵だからすっごく大きな部屋なんだけど、シーンとしてるんですよ。美術館だし。それが彼としては何か違うっていうのがあったらしくって、そこに音をブチ込みたいと。で、絵を描いていたときにバッファローをよく聴きながらやってたんですって。だから「その音楽が流れてきたら嬉しい、ここで何か演奏できないか」っていうことを言われて。じゃあそれは面白いからやってみましょう、みたいな感じで。で、「どういうことをやりたいの?」って訊いたら、「ブロック・パーティで気分はディスコなんだ」って。「そういう楽しいものをやりたいんだ」って言ったから、ディスコねえー、ってそのときは思ったんですよ。だって『ウェポンズ』(『The Weapons of Math Destruction』)出した直後だったから、あのアルバムはどう考えてもディスコじゃなかったから。

ははははは。

吉永:気分はパンクだったから、あのとき。だからディスコかーって思ったんだけど、そもそもわたしたちベースとしてディスコ・ミュージック好きだから。ディスコ・ミュージックっていうかね、バンドがやるディスコ・ミュージック、ESGみたいなのが好きなわけじゃないですか。

はいはいはい。

吉永:ブロック・パーティっていうのもそうだし、ESGみたいなのいいね! って盛り上がって。

いいじゃないですか、それ。

吉永:で、曲をそれ用に作ったりして、そのときがすごく自分たちで楽しかったから。美術館でやるっていうその経験も楽しかったし、自分たちてきには。

なるほど! それが入り口だったわけですね。ちなみに完成はいつを予定されてるんですか?

山本:さっき聞いたのは来年の――。

さっき聞いたって誰に聞いたんですか(笑)?

山本:さっきシュガーに。来年の夏前にできてる、みたいな。

大野:寒い時期に発売できたらいいけど、無理かなー、わかんない(笑)

それは難しいんじゃないですか(笑)。なるほど、わかりました。じゃあそれを楽しみにしています。

山本:ありがとうございます。

 追記:この取材を終えてから、僕は山本ムーグとたまたま行ったライヴで一緒になり、そして3日連続で街中で偶然会った。早く飲みにいかねば!

Washed Out - ele-king

 チルウェイヴは、ベッドルームを「現場」に変えた音楽ムーヴメントだ。ベッドルームで生まれ、ベッドルームから発信され、ベッドルームで聴かれ、世界中のそれをつないだドリーミー・(シンセ・)ポップの一大潮流。だが、だからこそ、「そんなところにこもってないで現実を見ろ」と繰り返し問われつづけてもきた。

 ベッドルームは社会からの退却点であるか否か? チルウェイヴを支持するブロガーたちは「ここが現実ですけど?」と主張し、アーティストたちはただアルカイックにドリーミー・ヴァイブを生みつづけた。決着はともかく、こうした議論を含んだことで、チルウェイヴは時代の音としてのリアリティとコンセンサスとを得るにいたる。彼らの音はさまざまなジャンルをまたぎ、やがて「ヒプナゴジック(入眠)」なるマジック・ワードが登場して一切合切にオチをつけるまで、シーンには嗜眠的なムードと柔らかなサイケデリアが広がりつづけた。

※アンビエントやダブ、ドローンといった手法さえ、この文脈でずいぶんと一般化され、カジュアル化されたことは周知のとおりだ。実際のところ、パンダ・ベア以降のサイケデリック・ミュージックが示したユーフォリックな感覚を、今日につづくベッドルーム/ドリーム・ポップの流行へと咀嚼・拡張し、新しいリアリティとして提示することができたのは、まず何より彼らではなかっただろうか?

 ウォッシュト・アウトは、この流れを象徴するアーティストのひとりである。というか、チルウェイヴという呼称自体が、彼の『ライフ・オブ・レジャー』のために作り出されたようなものでもあった。それで、今日にいたるまで彼自身も繰り返しエスケーピズムの是非をめぐって追及されることになる。

 だから、筆者が彼の新作に望むものはけっして「新傾向」などではなかった。わたしはただ証明してほしいと思う。あのEPが世に出てから、彼とわれわれが過ごしてきたベッドルームの5年間が、間違いではなかったということを。チルウェイヴを象徴し、逃避的音楽のアイコンとなったあのEPの時間の先を、彼が「元気に」生きているということを。その限りでは新傾向でもなんでもいい。チルウェイヴの季節が終わっても、ウォッシュト・アウトは生きている、われわれも生きていかなければならない、さらに遠くへ逃げるのか、逃げるのをやめるのか、そのことがうやむやにならない音を聴きたいと思っていた。

 はたして、彼の回答は「パラコズム(Paracosm)」である。泣ける答えだ。

 これは空想の世界を意味する言葉だそうだ。幼年期からしばらくのあいだにかけて発達するという、別世界の創造体験。ウォッシュト・アウトことアーネスト・グリーン本人の説明によれば、「ここにある現実で起きていることが二の次になってしまう」、「白昼夢に耽りすぎている人たちのこと」......とすると、これはつまり、現実逃避と向かい合いつづけるのだという、ウォッシュト・アウトいまひとたびの宣言ということになる。

 胸が熱い。しかしまた、少し意外でもあった。なぜ意外かといえば、彼らの体現するエスケーピズムは「大して強くない」ことが特徴だったからだ。ひきこもるといっても、母親が怯えながらドアの隙間に食事を差し入れなければならないような反世界的な力はないし、クスリを一発キメて別の世界に飛ぶというニヒリズムもない。それはもっと優しくて弱くて、普通の人間の生活実感にあふれた逃避感覚だった。リーマン・ショックのあおりを受けて就職がままならなかった20代の、しかし実家暮らしで差し迫った生活の危機はないという境遇の、平凡な憂鬱......。

 だから、新作ではグリーン自身がずっと問われつづけてきたエスケーピズムへの批判や反応を部分的に受け入れ、社会性を回復していくという筋書きを漠然と思い描いていたのだ。ウェル・プロデュースなR&B、レトロな意匠のディスコ、あるいはバンド編成でのロック・アルバムという線もあるかもしれない。人生はまだまだ長い、青春を終えてしまった自分たちにとっては、そろそろ世間とうまくやっていく道を手探りすべきタイミングがめぐってきている。なんて具合の音が鳴らされているんじゃないか。

 しかし、ウォッシュト・アウトはそうしなかった。『パラコズム』はあくまで『ライフ・オブ・レジャー』を肯定し、その自然なつづきを描くアルバムだ。ほとんどの楽器をプログラミングではなく生演奏で録っているが、それは夢をもっと現実らしい夢に塗り直しているという点で業が深い。

 ジャケットを飾る花々の鮮やかな色彩。それは"パラコズム"のハープやストリングスの彩りそのままであり、"グレイト・エスケイプ"のダブルベースはさながら肉厚の花弁、その繊毛をそよと揺らしていくのが"フォーリング・バック"のアコースティック・ギターだ。16ビートを刻むハットは浜風、メロトロンはむせるような花々の香り、"フォーリン・バック"のノスタルジックなイントロ(ヴァン・モリソンの影響というのは、たとえばこうしたところに感じられる)は、その美しい背景を構築する。

 手に取れるように鮮明な夢である。オキーフの花々がそうであるように、こんな花々は実在しない。その実在することのない色を、ウォッシュト・アウトはたしかな筆致で塗り重ねた。『ライフ・オブ・レジャー』においてはチープなローファイぶりに意味があったが、レゲエやアフロ・ポップを意識するようにリズムに豊満さを備え、16ビートも心地よく洗練され、よりフィジカルな快楽性を増した今作は、彼の重ねてきた「逃避的な」時間に十分な厚みがあったことを証している。

 ぶっ飛ぶためのサイケデリックではない。そんなことではどこにもいけないと歴史的に証明されてしまったあとの世界の、醒めてここにいつづけるためのサイケデリック・ミュージック。それがそもそも彼らの音でありチルウェイヴではなかったかということにあらためて思いいたる。インターネットのためにベッドルームの状況も変わり、そこは必ずしも世界を遮断する場所ではなくなった。パンダ・ベア『パーソン・ピッチ』のインナーには、自室に鎮座する彼のPCが象徴的に写し出されているが、それはベッドルームが世界への入口かもしれないという、いまを取り巻く環境の喩のようですらある。チルウェイヴの源流にあるあの名盤から、閉じながら開かれるベッドルーム・ポップへとサイケデリックの読み替えが行われたこの数年の成果をわれわれはまだ手放すわけにはいかない。

 彼の音の浮遊感は、上昇というよりは落下の感覚だ。自由落下。行くところまで行って止まる。なるようにまかせる。詞にもそうしたモチーフが頻出する。思えば、最初に今作を聴いて「やっぱりウォッシュト・アウトは信頼できる」と感じたのはこの落ちる感覚を手放していなかったからだったのかもしれない。昇ってほしくない。というか、じっと落ちることについて感じ、考えていてほしい。昇ることからは引き出せない種類の知恵と、誰も不幸にならない落ち方とを示してほしい。"ドント・ギヴ・アップ"だなんて、なんと美しい逆説だろう。筆者には諦めることを諦めないというふうにしか読めなかった。それがアルバム中もっとも心地よく、ポップスとしての完成度を備えた曲であることが頼もしい。

 ここのところ通勤の山手線は完全にヴァカンスへと赴く人々のムードで常ならぬ高揚感を運んでいるが、「夏までにどうしても出したかった」とウォッシュト・アウト本人が述べるように、"ドント・ギヴ・アップ"はイヤホンのなかで夏の車中にしっくりと馴染みながら、それを洗うようにも鳴っている。この曲があれば、日常が戻り、秋がくるのもこわくない。

マキ・ザ・マジック追悼文 - ele-king

 僕はマキ・ザ・マジックの男臭さが大好きだった。あの男臭さをダンディズムや男の美学と言い換えてもいいかもしれない。いずれにせよ、あの男臭さは古き良き日本男児のそれだったけれど、けっして排他的で窮屈なものではなかった。マッチョだったけど、他人の意見や生き方を力任せにねじ伏せて、自分の価値観をごり押しするような狭量で退屈なものではなかった。

 そして、もちろんマキ・ザ・マジックのその態度は、女性のファンやリスナーを遠ざけるものでもなかった。というよりも、「男の美学とか言っちゃってさ~、うふふふふ♪」というような女性のいけずな視線も意識していたように思う。その上で、「でも、やってやるんだぜ! オラ!」という清々しい覚悟があった。実際に僕はマキ・ザ・マジックが大好きな女性をたくさん知っている。

 マキ・ザ・マジックには、オトナの男の自虐性と客観性とサディズムが絶妙に入り混じった年季みたいなものがあって、それを僕はとても魅力的に感じていた。彼の作るトラックには細かいことを吹き飛ばす開放感があったし、ラップには毒と笑いがあって、しかもドロドロの愛とびしょびしょのエロがあった。曲のなかでセンチメンタルなムードになっても、我慢しきれずにちゃぶ台をひっくり返してしまうような、昭和生まれの日本男児の照れと不器用さがあったように思う。どんなに下衆でアホで乱暴なことをラップしていても愛嬌があって、キュートで、キモカワ系の愛くるしさがあった。僕は、相方CQとのラップの掛け合いを聴くと、ゴーストフェイス・キラーやレイクウォンを愛するアフロ・アメリカンの気持ちが少しわかるような気がした。


キエるマキュウ
Hakoniwa

第三ノ忍者 / Pヴァイン

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 告白すれば、キエるマキュウが昨年発表した、じつに9年ぶりとなる傑作『Hakoniwa』で僕はマキ・ザ・マジックのファンになった。ヘッズとしては失格かもしれない。もちろん、過去の作品も聴いていた。けれども、日本のヒップホップ・シーンで長いキャリアを誇る、この先達の偉大さを改めて思い知らされたのは、『Hakoniwa』の素晴らしさからだったのだ。でもきっと、そういう音楽ファンも多かったのではないだろうか。キエるマキュウは、『Hakoniwa』をリリースした後、ライヴ・ハウスでのライヴが増えていた。

 僕はここで自分なりにマキ・ザ・マジックの遺したものについて語りたい。伝えたいと思う。
 マキ・ザ・マジックのトラック・メイキングはサンプリングにはじまり、サンプリングに終わるものだった。『Hakoniwa』の9割のトラックは、彼が作っていた。ソウル・ミュージックやダンス・クラシック、オールドスクール・ヒップホップの大胆なサンプリングは、けっしてノスタルジーに甘んじるようなものではなかったし、流行ってはいるが魂のない音楽を「コノヤロー!」と蹴散らす威勢のいい反時代的態度があった。そう、僕がマキ・ザ・マジックを初めて、いまは無き恵比寿の〈みるく〉で観たとき、容赦なく当時ヒット・チャートを賑わせていたラッパーをディスり、MSCを褒め称え、「シーンを面白くしようぜ!」と缶ビール片手に演説していた。2006年のことだ。去年ライヴで観たときもよく喋り、大きくてごつい体をくねくねと捩じらせながら意味不明の身体パフォーマンスをくり広げていた。どちらも、会場は爆笑だった。

 僕より若い世代になると知らない人もいるかもしれないが、マイクロフォン・ペイジャーの日本語ラップ・クラシック"病む街"のトラックの作者はマキ・ザ・マジックで、96年にはマキ&タイキとして『ON THE1+2』という4曲入りのEPをリリースしている。MIXCDもたくさん発表していた。DJ/トラックメイカーとしてキャリアをスタートさせた彼がラップをするようになるのは、キエるマキュウが2000年に発表したデビュー・シングル『NANJAI』からだ。その事実は、親しい人のあいだでは衝撃だったと、ライムスターの宇多丸氏のラジオで知った。あの世代でいち早くMSCを評価し、トラックを提供したのもマキ・ザ・マジックだった。そして、ライムスターの『ダーティーサイエンス』ではキエるマキュウのイリシット・ツボイがプロデューサーとして大々的にフィーチャーされ、マキ・ザ・マジックも1曲提供している。あの作品にラッパーとして唯一参加しているのが、キエるマキュウのラッパーのふたりだった。

 定番の曲を参照しながら、マニア心をくすぐる仕掛けをいくつも用意するのもマキ・ザ・マジックの技だった。少なくないレア盤を贅沢に使っていたに違いない。イリシット・ツボイのツイートをあるとき見て、『Hakoniwa』のサンプリングはすべてがオリジナルの7インチからであることを知った。それはもちろん偏屈な拘りなんかではなくて、これぞフェティシズムの凄み! というもので、『Hakoniwa』の叩きつけるようなビートとノイズを聴けば、そうでなければならない理由がわかるはずだ。
 そしてそこにマキ・ザ・マジックは、三島由紀夫の『豊饒の海』、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』といった文学から、SF小説やビートニクの詩、エミール・クストリッツァの映画からインスパイアされたラップをぶち込んだ。

 マキ・ザ・マジックはブログやツイッターでよく政治的な発言もしていたが、けっして政治思想を音楽に反映させなかった。マキ・ザ・マジックがクラスやザ・クラッシュの熱狂的ファンだったことはよく知られている。パンクの人でもあった。が、政治思想的には生粋の保守だったのではないかと思う。それを矛盾という人もいるかもしれない。でもね、そういうことを吹き飛ばす凄まじいエネルギーがあったんだよ。そのエネルギーが何か、僕にはまだはっきりと説明できないのだけれど、マキ・ザ・マジックの音楽を聴けばわかるはずだ。

 じつは僕はご本人と面識はなかった。でも、僕はきっとこの人といつか酒を飲みながら、音楽や政治や社会の話、しょうもないバカ話をくり広げてガハハハッと笑うときが来るのではないかと、僭越ながら勝手に信じていた。
 とにかく僕がここで言いたいのは、マキ・ザ・マジックの存在を心強く感じていたということだ。そして、「なんで、こういう人が早死にするんだよ」という残念な気持ちでいっぱいだということだ。7月14日に亡くなられたとき、まだ46歳だったことを知った。若すぎますよ。マキさんを知る方々の声を聞くと、湿っぽいのが嫌いな方だったのだろうと思う。
 しこたま酒を飲んだ朝方、"Somebody Got Murdered"を聴きながら、中野の町を歩いた。涙と笑いが止まらなかった。マキ・ザ・マジックは偉大だ。

乾杯 これが最後の杯 生まれてきたのが 最初の運の尽き
女神にKiss ケツにKiss どっちにしても墓場で笑う
今も昔も変わらない人生 清清するさ この世から Fade Away
息が止まる程飲む今日 天国へいくのさ リービング・トウキョウ "Somebody Got Murdered"

ele-king presents "ANTI GEEK HEROES" - ele-king

 ele-king本誌最新刊vol.10で掲載された特集「アンチ・ギーク・ヒーローズ──神にならない神々」、今後時代を担うであろう、若き才能たちにフォーカスした我ながら素晴らしい特集であったが、それだけでは飽きたらなかったので、下北沢THREEと手を組んで、同名のイベントを開催させることにした......! しかも8月の終盤、「まだ夏じゃない」というコンセプトで!

 時は8月25日(日)、18時より下北沢THREEにて。出演者は上半期屈指の傑作セカンド『MIRRORZ』を上梓したLowPass。そのクールな佇まいながら、熱量たっぷりのパフォーマンスで音源とは少々異なる表情で織り成す独特の音世界は、現場でなければ体感できない。そして今年の日本のブラテストホープであり(勝手に)、いまだ謎の多いヒップホップ・バンド、カタコト。和製ビースティーとでも言わんばかりのダンサブルで愉快なパーティ・バンドとしての側面を持つ彼らのライヴを共に楽しんでほしい。ちなみにオープニング・アクトとして、THREEスタッフ・イチオシ、TEI TOWAの秘蔵っ子、バクバクドキンが出演。DJ FUMIYAのアルバムでも彩りを与えていた彼女らがこのイベントでも華を飾る。

 近く、追加の出演者もあるので、心して待って欲しい。血気盛んで好奇心旺盛な読者、もといリスナー諸氏の来場を待っている!

ele-king presents "ANTI GEEK HEROES"
8.25 (sun) 下北沢 THREE
OPEN 18:00 / START 18:30
ADV / DOOR 2,000 yen (+ drink fee)
LIVE: LowPass / カタコト
Opening ACT: バクバクドキン

*公演の前売りチケット予約は希望公演前日までevent@ele-king.netでも受け付けております。お名前・電話番号・希望枚数をお知らせください。当日、会場受付にてご精算/ご入場とさせていただきます。
https://p-vine.jp/news/4161
INFO: THREE 03-5486-8804 https://www.toos.co.jp/3


Savages - ele-king

 ライヴの翌日の取材で『AMBIENT defintive』を差し上げたらとんでもなく喜ばれた。とくにヴォーカルのジェニーさん。彼女は本を見ると、「これは私のよ!」と本気で奪い取る。「ドゥ・ユー・ライク・アンビエント?」「オブコース!!」、それからミュジーク・コンクレートやピエール・アンリについて語りはじめる。ページをめくりながら「これ国別? ああ、年代順になっているのね」とか何とか言いながら、デジカメで表紙の写真を写して誰かにメール。サヴェージズは、形(スタイル)だけのロックンロール・バンドではないし、その音楽はメッセージのための伴奏でもない。

 ライヴでは、ジェニーさんのシンプルな言葉はバンドの音のひとつの要素となっていることがよくわかる。くどくど言葉を並べないが、意味を与え、音の構成要素としても機能する。『メタル・ボックス』時代のジョン・ライドンと似ている。コードチェンジのないところも。
 コードチェンジがないことは、無闇やたらに高揚しない、泣き叫ばない、感情を露わにしない、という態度を表している。白けている状態の前向きな解釈で、サヴェージズにもそれがある。ドラマーはシンバルはほとんど叩かない。バスドラとハイハット、スネアで、リズムはミニマルに刻まれる。ジェニーさんの髪型のように削ぎ落とされている。エイスさんのベースがしっかり噛み合っているので身体が動く。
 昔、女性4人組のバンドが出たら、「~ガールズ」とか「ガールズ~」とか、なにかと女性性がタタキ文句に使われたものだが、サヴェージズにはもうその手のエクスキューズは必要ない。むしろ鬱陶しいかもしれない。カメラマンの小原は、今年見たライヴでもっとも良かったと上機嫌だった。それは演っているのが女性だからではなく、サヴェージズだからだ。僕も本当に格好いいと思う。(野田努)

photos : Yasuhiro Ohara

 というわけで、時間は再びライヴの翌日へ。菊地祐樹と一緒にほんの数十分だけど、取材した。以下のやり取りはジェニーさんがアンビエントについて熱くと話した続きである。


『サイレンス・ユアセルフ』を聴かせていただいて、エネルギッシュかつストイックなサウンドに興奮したのですが、それと同時に、抑えきれないフラストレーションに内在する力強さみたいなものをもの凄く感じました。実際、いまのシーンにおいて、あなたたちが一番憤りを感じることや、怒りを感じること、また、自分たちの敵だと思う対象ってなんですか?

ジェニー:「抑えきれないフラストレーションに内在する力強さ」......あなたの言葉好きだわ(笑)。フラストレーションっていうのはそれによって動かずにはいられなくなる衝動であり、感情のことよね。自分で行動を起こさざるを得ない感覚や、フラストレーションに推されて、そこから先がないぎりぎりのところまで突き詰めてるフィーリングが表れてる音楽が私たちも好きなの。
 私たちとBO NINGENがやってる、ワーズ・フォー・ザ・ブラインドっていうプロジェクト知ってる? 本当に彼らと私たちって姉妹や兄弟みたいな関係だと思うくらい似たようなところがあると思うの。いまはコラボレーションって言っても、1曲やってすぐに終わっちゃう関係がほとんどよね。それじゃあつまんないし、そこからなにかもっと違うことをやりたい、そしてその先を突き詰めたいっていうことで、彼らと一緒に考えてこのプロジェクトは始まったんだけれど、それはひとつの部屋にそれぞれのバンドが集まって演奏をするプロジェクトなんだけれど、40分の曲をお互いで一緒に書いて、ふたつのバンドがU字型に並んだ場所の真ん中にお客さんを入れて、バトルともいえるようなパフォーマンスを繰り広げるんだけど、ライヴを観てるお客さんも、そのあまりにもパワフルで直球な私たちの音楽にじっとしてられなくて、思わず身体の角度を変えてしまったり、あるいは音楽っていうものの考え方が変えられてしまったり、いろんな反応が聴いている側にも生まれてくるの。そのくらいの熱量を持って展開される音楽が私たちは好きなのよね。ごめんなさい、長くなってしまったわね(笑)。

どうぞ、続けてください。

ジェニー:質問に応えるわね。邪魔する人たちは皆敵ね。アーティストになりたかった理由や、音楽をはじめたかった理由っていうのはそもそもあるわけで、そこから私たちを違うところに反らそうとする邪魔者の存在すべてが敵だと言えるわ。理由は様々だけれど、ビジネスにかまけるあまりとかね。アーティストの核にあるものは本当の自分のなかの初期衝動であるべきなのに、そこから目を反らそうとする人たちがあまりにも多い気がするわ。それは個人であったり、組織であったりいろいろだけれど、本当にむかつく。自分を取り囲む環境っていうのは、自分から奪っていくんじゃなくって、自分の栄養になってくれるものであるべきだと私はそう思うの。だから、私は自分の内面っていうものをそのまま保っていける環境を大切にしたい。

原宿のアストロホールで行われた昨日のライヴ、お客さんも本当に踊っていたりノっいて、とてもエキサイティングだったんですが、アンコールをやらなかったのはなぜなんでしょうか? メッセージだったりしますか?

ジェニー:アンコールをやらなかったのはそこにいま述べたような敵がいたからよ(笑)。ジョークはこれくらいにして、それはどういう意味のメッセージかしら?

例えば、「ベストを尽くしてライヴをやったんだから、これ以上サーヴィスはしない」というか、予定調和への反抗みたいなものですかね。

エイス:それはもちろんあるわね。期待されてるから無理にやらなきゃいけないみたいなノリは嫌なの。それに実際、本編のライヴのなかで与えるものは与えたし、もうこれ以上いらないはずでしょ? っていう思いもあったの。

ジェニー:クリニックっていうリヴァプールのバンドは絶対にアンコールをやらないわよね。そういうやりかたが私も潔いと思うし、セット・リストを考えた時点でそれがひとつのジャーニーだし、ひとつの作品だから。クリニックの場合は事前にアナウンスが入るのよね。「今日は20分のセットを2回やります。もちろん途中で休憩はあります。ただし、それで終わりです」こんな具合にね。実際、本当にその通りに行われるのよ。まるでそれは演劇のようであり、舞台のような見せ方で、面白いなと思ったの。あとやっぱり、アンコールってサプライズであるべきだと私は思うのよね。だから、本当はやる予定だったけど、1曲やり忘れちゃったからアンコールをやるっていうんだったらありだと思うわ。

これだけいろんなジャンルがあり、選択があるなかで、どうしていまのようなバンド・サウンドに行き着いたんですか?

エイス:だからこそだと思うわ。いろんなジャンルがあって選択があるからこそ、こういったベーシックな、ギター、ドラム、ベース、ヴォーカルっていうフォーマットに立ち返って、そういうものが持つパワーをまた私たちは鳴らしたいの。

ジェニー:いろんな選択肢ね、よく言うけど、私はそれは幻想だと思うの。だって選択肢がたくさんあって、制約がないはずなのに、みんな同じような音を出しているわよね。その逆で、制約があるからこその自由みたいなものって絶対に私はあると思うし、特にアートの世界においては、制約のなかで工夫するところに表現の醍醐味があるでしょ? やり方はもちろんいろいろあるかもしれないけれど、自分がやろうとしてることにフォーカスするっていう意味では、いまの形が一番理想的だと思っているの。

「私はシンガーではなく詩人なんだという意識があって、歌うという行為に抵抗があった」というパティ・スミスが歌いはじめたときの話がありますが、あなたはどの程度自分がシンガーであることを自覚し、意識していましたか? 

ジェニー:すごく昔のことだから思い出せないけれど、小さい頃シャワーでよく歌っていたのはたしかね(笑)。8歳のときにジャズ・ピアノをはじめて、10年近く夢中になって練習したわ。10歳~13歳の頃はジャズ・スタンダードが多かったんだけれど、女性のピアノの先生に、レッスンの一環として歌を習うようになったの。当時は声量が本当になくて苦労したわ。で、チェット・ベイカーみたいだと呼ばれてね(笑)。
 その後、クラシック・オペラを習いはじめたときからわりと声量も付いてきて、きちんと歌えるようになったんだけれど、それを人前でやることへの経験不足をすごく感じたし、そういうことをやる自分が嘘っぽく感じてしまって、当時は歌うことに対してコンプレックスに似たものさえ抱いていたわね。その後、自然と演技のほうに興味が移ってしまったんだけれど、そのときジョニー・ホスタイルと出会って、私の人生は変わったの。そこから彼とジョニー&ジェニーのプロジェクトをはじめて、そこからいまのサヴェージズに繋がるのよね。
 ただ、サヴェージズをはじめた当初も、ステージに出ることが本当に苦手だったし、スタジオに入るごとにパニックを起こしてしまったり、そんなことがしょっちゅうあった。でも、もう大丈夫。私は成長したの。ここに至るまで長った。いまとなってはそう感じるわね。
 パティ・スミスはそもそも詩の朗読をやっていて、人前でも朗読のパフォーマンスをはじめて、それが演奏や曲に発展していったのよね。最近ギターのジェマとかと実験的にはじめたスポークン・ワーズをサヴェージズでも取り入れるようになって、所謂メロディなしで、言葉だけを使って自由さを楽しむプロジェクトをはじめたんだけどね。
 そもそもパティと私とではまったくプロセスが違うし、私自身、自分のことを詩人だとは思っていない。でもパティ・スミスはいつでも私にインスピレーションを与えてくれるし、新鮮みがあって、『ジャスト・キッズ』も素晴らしかったし本当に尊敬してるわ。ただ、サヴェージズっていうバンドにおいて、詩は間違いなく曲作りの念頭にないし、私たちはサウンドを重視しているの。繰り返すけれど、私自身も詩人ではない。私はシンガーなの。

ドリーミーなサウンドがシーンの主流にあるなかで、サヴェージのストイックなアテュテュードは際立っているように思いますが、いかがでしょう?

ジェニー:アイデアはそれぞれのメンバーで山ほど持っているから、それを無理せず自然に選び出していくっていう作業が私たちの曲作りなの。だからそうしたプロセスはある種引き算とも言えるわね。でもその作業って得てしていろんなところから邪魔(敵)が入るから、つい気をとらわれがちだけれど、曲の核心になるのは本当に必要なものだけだと思ってる。
 ロンドンにおいてはとくにそうなのだけれど、所謂トラディショナルなロックンロールが消えたとされるなかにあって、「そうじゃないでしょ?」っていう周囲に対する反発からこういう音を突き詰めてるっていう気持ちも少なからず私たちのなかにはあるし、必要最低限のシンプルなものだけで、立派にショーとして成り立つっていうのは本当にすごいことだと私は思うの。日本にもそれを体現しているBO NINGENっていうバンドがいるわね。私たちは無駄なものを削ぐことに躊躇はまったくしない。なぜなら、私たちがそもそもなにが言いたかったのかっていう、もとにある主張みたいなものが音で埋まって欲しくないから。
 そして、それがちゃんといろんな人に伝わって皆に理解してもらう、それを恥ずかしがってなにかで覆い隠すのは一切しない。それが私たちサヴェージズだから。

工藤キキのTHE EVE - ele-king

 285 KENTはサウスウィリアムズバーグにある中箱のウェアハウスで、がらんとしたダンスフロアとステージとチープなバーがあるだけのシンプルな箱だ。その285 KENTで月1ペースで開催している「Lit City Rave」は、Jamie Imanian-Friedmanこと J-Cushが主宰するJuke / Footworkのレーベル〈Lit City Trax〉がオーガナイズするパーティ。たぶん私が出入りをしているようなダウンタウンまたはブルックリンのパーティのなかでも極めてクレイジーで、この夜ばかりはステージの上も、DJの仲間たちの溜まり場になるステージ裏も、一応屋内喫煙が禁止されているNYで朝の5時までもうもうもと紫の煙が立ちこめている。
 基本的には、Chicago House直系のベース・ミュージック──Ghetto Houseから、Grime、Dub Step、UK Garageなどのビート中心で、特にJuke/FootworkをNYで逸早く取り上げたパーティだと思うし、例の'Teklife'という言葉もここではCrewの名前として日常的に、時に冗談めかしで使われている。

 DJ RashadやDJ Manny 、DJ SpinnそしてTraxmanはこのパーティのレジデントと言っていいほど「Lit City Rave」のためだけにChicagoからNYにやって来て、彼らのNYでの人気もここ数年の〈Lit City Trax〉の動きが決定づけたと言ってもいいんじゃないかな? さらに興味深いのがTRAXを経由したChicagoのミュージック・ヒストリーをマッピングするように、DJ DeeonなどのOGのDJ/プロデューサーから、Chicagoローカルの新人ラッパーのTinkやSASHA GO HARDが登場したり、ARPEBUことJukeのオリジネイターRP BOOのNY初DJ(!)などを仕掛けるなど、そのラインナップはかなりマニアックだ。
 本場ChicagoのようにMCがフロアーを煽るものの、Footworkersが激しくダンスバトルをしている......というような現場は実はNYでは遭遇したことがないかも。人気のパーティなので毎回混んでいるし、誰しも踊り狂っているけど、パーティにRAVEと名はついているものの俗にいう"RAVE"の快楽を共有するようなハッピーなものではない。はっきり言って毎回ハード。アンダーグラウンドで生み出された新しい狂気に満ちたビートを体感し、自らファックドアップしに行くといったとこだろう。振り落とされないようにスピーカーの横にかじりつきながら、踊るというよりもビートの粒を前のめりで浴びにいくような新感覚かつドープでリアルなセッティングで、本場Chicagoのパーティには行ったことがないけど毎回「果たしてここはNYなのか?」と思ってしまう。

Pphoto by / Wills Glasspiegel

 J-Cushは実はとてもとても若い。LONDONとNYで育った彼は、Juke/FootworkがGhetto Houseの進化系としてジャンル分けされる以前からDJ DeeonなどのChicago Houseには絶えず注意を払っていた。2009年頃からChicago Houseの変化の兆候をいち早く読み取り、一体Chicagoでは何が起きているのか? とリサーチをはじめた。それらの新しいChicagoのサウンドは彼にとってはアフリカン・ポリリズムスまたはアラビック・マカームのようにエキゾチックであり、UKのグライムのようにフューチャリスティックなサウンドに聴こえたそうだ。それからはJuke/Footworkを意識して聴くことになり、〈Ghettotechnicians〉周辺や〈Dance Mania〉のカタログを総ざらいした。
 その後NYでDJ Rashadと出会うことになり彼が生み出すビート、圧倒的かつ精密なまでにチョッピング、ミックスし続ける素晴らしくクレイジーなプレイに未だかつてない程の衝撃を受け、それに合わせて踊るQue [Red Legends, Wolf Pac] や Lite Bulb [Red Legends, Terra Squad]というFootworkersにもやられた彼は、Chicagoのシーンにのめり込むことになり〈Lit City Trax〉というレーベルを立ち上げるに至る。

 NYのパーティは割とノリと気分、ファッション・ワールドの社交の場になっているものも多く、「Lit City Rave」のようにビートにフォーカスし、かつ毎回趣向を凝らしたラインナップで続けているパーティは案外少ない。東京とブリティッシュの友人たちに多いギーク度、新旧マニアックに掘る気質がやはりJ-Cushにもあるし、そして彼は単なるプロモーターでは無い。ジャンルを越境できるしなやかなパーソナリティを持っているし、ストリートからの信頼もあつく、気鋭のビートメイカーたち、Kode9、Oneman、Visionist、Brenmar、Dubbel Dutch、Durban、Fade to Mindのkingdom、Mike Q、Nguzunguzu、もちろんTotal FreedomやKelelaなども早い段階から「Lit City Rave」に招聘している。

Photo by Erez Avis

 J-Cush自身もDJであり、常日頃から新しいビートを吸収しているだけあってスタイルはどんどん進化しエクスペリメンタルなGarageスタイルがまた素晴らしい。そのプレイは先日『THE FADER』や『Dis Magazine』のwebにMixが上がっているので是非チェックしてみて。
 さらにJ-CushとNguzunguzuとFatima Al Qadiriで構成された'Future Brown'というCrewでトラックを作りはじめていたり、今後の「Lit City Rave」ではUSのGrimeや、さらに地下で起きているアヴァンギャルドなダンスシーンを紹介していきたいと語っていた。
 そんなわけで、先週の「Lit City Rave」ではドキュメンターリー映画『Paris Is Burning』で知られたBallのダンス・パーティの若手DJとしても知られている〈Fade To Mind〉のMike Qがメインで登場。こっちのダンスシーンもプログレッシヴに進化を遂げているんだなと、ヴォーギング・ダンサーズのトリッピーな動きに釘付けになったのでした。

https://soundcloud.com/litcity

Lit City Traxからのリリース
https://www.beatport.com/release/teklife-vol-1-welcome-to-the-chi/919453
https://www.beatport.com/release/teklife-vol-2-what-you-need/982622

Download a Mix from Lit City Trax
https://www.thefader.com/2013/08/02/download-a-mix-from-lit-city-trax/

J-Cush XTC MIX
https://dismagazine.com/disco/48740/j-cush-xtc-mix/

Housemeister - ele-king

 ナイアガラのクラウス・ワイスやガビ・デルガドーのソロ・アルバムなど、ジャーマン・ファンクにはまったくといっていいほど揺れがなく、ダンス・ミュージックとしてはかなり厳しいものがある。同じことがジュークを取り入れたジャーマン・エレクトロのハウスマイスターにも言える。

オープニングは"東京"。


 4作目はタイトルにもなっている通り、DJで世界を回りながら、それぞれの土地でOP-1だけを駆使してつくったそうで、なるほどジュークの質感は上手くトレースされている。チープで痙攣的。ジャーマン・エレクトロとして考えれば、ディプロを意識したらしきシャラーフトーフブロンクスに続く新機軸と言える。

M4"ニュー・ヨーク"。


 リズムに揺れがないからといって、楽しめないということはない。同じようにつくろうと思ったかどうかもわからないけれど、同じようにつくれないからこそ違う良さが出てくることもある。ジュークが基本的にセクシーな音楽だとすれば、『OP-1』で肥大しているのは過剰なまでのガジェット性である(ホルガー・ヒラーやダー・プランがもしもジュークをやったら......)。

M6"メキシコ・シティ"。


 ドイツ人の笑いというのは、それにしても不自然である。放っておくと観念論に走りやすいので、異化効果をもたらすためにはどうしてもそうなってしまうと三島憲一だったかが書いていた覚えがあるけれど、そのこととリズムに揺れがないこともどこかで繋がっているのだろうか。日本人がつくったハウスは重すぎてつなげないとはよく言われるし、きっと日本人がつくるジュークにも特有の民族性は滲み出てくるだろうから、それはもう少し先の楽しみということで。

M8"シカゴ"。


 ジュークのご当地である"シカゴ"では、むしろドイツっぽい曲になり、"モントリオール"はフザけすぎ(最高!)。そして、エンディングはなぜか"大阪"で、"東京"に比べて、妙にアグレッシヴだったり。やっぱりそれぞれの土地柄を表したということなんだろうか......。

 南アのアヨバネスやポルトガルのリスボン・ベースといった新興のエレクトロニック・ダンス・ミュージックを聴いていると、ジャーマン・テクノと大して違わないと思うことが多い。あるいは『OP-1』も、そのような南半球寄りのダンス・ミュージックに聴こえてしまう面が少なからずあり、実際、何の気なしに続けて聴いたヴェネズエラのダンス・ミュージック、チャンガ・トゥキと最初は見分けがつかなくなって、少し混乱もした。


https://soundcloud.com/bazzerk/bazzerk-changa-tuki-classics

 フランスのDJチーム、ジェス&クラッブがアンゴラ起源のクドゥロをまとめた『バザー』(2011)に続いてコンパイルした『チャンガ・トゥキ・クラシックス』はしかし、どちらかというとバイレ・ファンキを思わせるところが多く、これにDFCチームが"スエーニョ・ラティーノ"(89)に続いて仕掛けたラミレスやディジタル・ボーイなど90年代初頭のハード・テクノを注入したような曲が多く、ライナーによれば現地では猛禽に喩えられる音楽だという(DJババによればテクノトロニック"パンプ・アップ・ザ・ジャム"(89)が起源だそうで、確かにDJイルヴィン"ポポ・サウンド"には強い影響が聴き取れる。また、チャンガとトゥキは当初は違うジャンルだったらしく、興味のある方は長~いライナーノーツを参照のこと)。

 ディジタル・クンビアやシャンガーン・エレクトロなど南半球に存在する他のエレクトロニック・ダンス・ミュージックに較べてチャンガ・トゥキは圧倒的にハードだし、途上国に対して抱くようなエキゾチジスムは最初から打ち砕かれてしまう(......どこにもないとは言わないけれど、しかし、ほとんどないに等しい)。それこそアフリカで最も人気があると言われるヒップ・ホップのMCが完全にUSのコピーでしかなくなってしまったのと同様、そういったものはもはや過去にしか存在しないか、むしろ先進国でデラシネとして息を吹き返すしかないのだろう(女性の割礼=FGMが数字の上ではフランスで増えているように......)。

 いずれにしろ現在のヴェネズエラはここに炙り出されているような強い性格の国なのだろうと思うだけである。チャベスが死んでからのことはよく知らないし、行ってみたいと思うわけでもないけれど、スノーデンが最初に亡命を申請したということは、いまでも反米の拠点か、そのように見做されているということだし、それだけのエネルギーが『チャンガ・トゥキ・クラシックス』から聴こえてくることは間違いない。

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