「K A R Y Y N」と一致するもの

 無粋なことはいいたくないけれど、昨年は音楽イヴェントとNPOの関係がいやでも気になる年になってしまった。カナダではテクノのレーベルをやる場合でも国から援助が出るのは当たり前なので、あえて国からお金をもらわないでレーベルを運営することが実にクールなことになっていたりするけれど、日本にはそのような文化的インフラがないので、レーベルや赤字イヴェントを背負い込む意味がまるで違ってしまう。リスクが大きすぎるし、成功したところで金を儲けたとしかいわれないのはあまりにもヒドい。音楽を利用して金を引っ張ろうとしているNPOが横行しまくったことを思うと、商業イヴェントがどれだけ純粋なことかとムダに肩入れまでしたくなってしまう。とはいえ、ある大物ミュージシャンが援助金を受け取る前例をつくったことにまったく意味がないとも思わないので、なかなか複雑な気分ではある。ちなみにNPO法は4月から改正になります(→https://www.npo-homepage.go.jp/)。その筋の方はご注意を(笑)。

 そうしたなか、第1回目のササクレフェスティヴァルが術の穴とリパブリックの共同企画で開催された。フラグメントにとって初のインストゥルメンタル・アルバム『ナロウ・コスモス104』のレビューでも告知されていたので、新しい動きを予感した人もいたことでしょう。最初はささくれUK(https://sasakuration.com/)が主宰なんだろうと思っていたら、なんの関係もなくて、帰り道に考えていたことはロウ・エンド・セオリーの日本版になるかもしれないなーという希望的推測。あるいは、良いものを観た後で芽生えてくる捻じ曲がった欲望。ならば日本のNPOに負けない不純な動機でリポートしてみるかな(子どもの皆さん、冗談ですからね。エレキングって、難しいとかいわれるけど、実際、どれぐらい、子どもの読者なのか? ラリーサ・コンドラキ監督『トゥルース 闇の告発』とか観て泣いちゃう感じ? あれは大人でもちょっと震えるか)。

 これまで地球上で初めてセックスをしたのはサメだと思われてきたが、僕が会場に入るとほぼ同時にイーライ・ウォークスのライヴがはじまった。最初は音が小さいと感じたのも束の間、徐々にSEというか、メロディが派手になってくると、一気に存在感を増してくる。ビートは強いのにグルーヴが弱いので3曲ほど聴いていると、まだ時間が早いせいか、フロアは空いているので座って聴きたくなってくる。実際、黄色い声は飛んでいるのに、踊っている人はほとんどいない。ヒップホップ調のリズムなんだから、もう少し腰が誘われてもいいようなものだけど、むしろアンビエント・パートを儲けた方がパフォーマンス的にも説得力は上がったのではないかと。どちらかというとレコーディング向きのミュージシャンだということを確認した感じ。終わってからキリコを観ようと上の階に行ったら、偶然にも通りかかった本人に紹介されたので、(英語しか話せない日本人だと聞いていたので)「ナイス・トゥー・ミーチュー」とかなんとか。シャイな人でした。

 メイン・ステージに戻ってくると、すでに12編成のミクスチャー・バンド、画家がエネルギッシュな演奏を展開中。クラウドも一気に増えていて、誰もが華やかなムードを楽しんでいる。最近はMCが上手すぎて、それって音楽家としてはどうなのと思うことも少なくなかったけれど、画家のMCは何を言っているのかさっぱりわからなくて、それが意外と良かったり。「ライヴの予定です」といってスクリーンに大きく映し出された文字も滲んだようになっていてまったく読めなかった。ササクレフェスはVJにも力を入れているイヴェントで、すべてのフロアのすべてのパフォーマンスにVJがブッキングされ、そのセンスも千差万別。画家のライヴが終わると同時に、福島原発にレッド・カードを突きつけている男の後姿がスクリーンに映し出され、そこからチン↑ポムとホワイ・シープ?によるパフォーマンスがはじまった。観たことのある映像がほとんどだったけれど、音楽との相乗効果で、"ブラック・オブ・デス"など、思ったよりも引き込まれてしまう(いつの間にかクラウドも隙間なくフロアを埋めている)。誰かの携帯電話がスクリーンに映し出され、事細かにやり取りされているメールの内容を読んでいると、地震があり、放射能が撒き散らされた世界で踊ったり、笑ったりしていることがとても自然なことに感じられてくる。それはなかったことでもなく、改めて考えなきゃいけないことでもない。いつもと同じだけど、いつもと同じではない。いまここでしか成立しない表現だった。

 ホワイ・シープ?×チン↑ポムのラスト・ナンバー"気合100連発"からフラグメント"リクワイアード・ヴォイス"への流れは涙が出るかと思った。誰の演説を訳したものなのか、CDにもクレジットはないけれど、「人々よ失望してはならない」と大上段に振りかぶる"リクワイアード・ヴォイス"はそれこそ僕を子どもみたいな気持ちにさせてくれた。質のいい音楽がそうさせてくれたことは間違いない。フラグメントのステージは、実際、彼らのCDから想像できるよりも遥かにダイナミックで素晴らしく、腰が動いてしまうなどというレヴェルのものではなかった。ビートの差し引きから過不足なく畳み掛けられるリフレイン、さらにはあっさりと転換させるタイミングまで、クラウドは自由に操られるままに近かった。演奏が中断すると「僕らの大先輩を紹介させて下さい」というMC。誰が呼び込まれるのかと思ったら「東京ナンバーワン・ソウル・セットからビッケさん!」といわれて誰も知らない男がステージに上がってくる。呼んだ本人も「誰ですか?」を連発し、座が白けるギリギリで、ようやくビッケが姿を現した。しかし、酔っ払いすぎて3回も試みたパフォーマンスはすべて失敗。これは本当に予定になかった演出だったようで、フラグメント側が「僕らがビッケさんと知り合いだというのはカッコいいかなと思って、つい呼んでしまいました」と反省すると、ビッケも「僕もフラグメントとやったらカッコいいかなと思って、つい出てしまった」と、あまりに正直すぎて、さっきから笑い転げていた会場も度が過ぎてもはや虫の息。気がついたら「あと、1曲しかやる時間がなかった......」。

 その後、フラングメントをバックに、カクマクシャカ、さらにはシンゴ02がMCで登場する予定だったものの、約束があったので会場から離れざるを得ず、ちょっと残念なことをした。フェス全体をどうこう言うには、特定のミュージシャンだけを集中的に観てしまったので、大袈裟なことは言いにくいものの、2回目があるならもちろん足を向けたいと思っている。それにしてもフラグメントはもっと観たかった。予定時間の半分ぐらいしかやらなかった訳だし、そのうち人が押し寄せてくるのは目に見えているので、すしづめ状態になる前にフル・セットは体験しておきたい。家に帰って『ナロウ・コスモス104』を聴いても、この気持ちは収まるどころか掻き立てられるばかりだった。

Sylvester Anfang II - ele-king

 やはりホフマン先生の代物はいざという時のために取って置くべきだった。
シルヴェスター・アンファング II(Sylvester Anfang II)が2枚連続でリリースを続けたために僕は後悔した。
 自身をフューネラル・フォークと形容し、前身シルヴェスター・アンファングとして活動を開始した彼らはフレミッシュ帝国時代のアイコンとKKKのマスク、60'sホラー・ポルノをグシャグシャにしたような(野田編集長いわくエコエコアザラクのような)ドローン・ジャムを演奏してきた。いつの間にやらシルヴェスター・アンファング IIとアモン・デュール II以外連想させない改名を機に、現在のようなクラウト・ジャム・バンドへと変貌していたのだが。
 ベア・ボーン・レイ・ロウ(Bear Bones Lay Low)、イグナッツ(Ignatz)、キス・ジ・アヌス・オブ・ブラック・キャッと( Kiss the Anus of Black Cat)とともにベルギーのゲントを中心とするアーティストをフォーカスした自主制作ドキュメンタリー映画『Drone Volk』はN、HK的な作りながらも小さなコミュニティの素のミュージシャンたちを映していて、なかなかおもしろかった。劇中、中心メンバーのヘルヴェート(Hellvete)ことグレンが「すべては楽しむためにあるんだ」と言った言葉からも伺い知れるが、彼らのすべてのタブーも笑い飛ばすフリー・ジャム・コミュニティーというヒッピーの夢のような姿勢は、結成当初から現代まで一貫している。彼らの近年のヨーロッパのアンダーグラウンドにおける活躍のひとつの到達点とも言える期間限定スタジオテイク・シリーズである〈Latitude〉からのリリースは、そうそうたるメンツと比べてもまったく聴き劣りしない。

 そもそもベルギーやオランダはいったい何なんだろう。クラーク(Kraak)やウルトラ・エクゼマ(Ultra Eczema)などを中心とするエクスペリメンタルやノイズ・ミュージックといったアンダーグラウンド文化が市民権を得ているかと思わせる。近年の日本において良質なジャム・バンドが生まれてこない要因のひとつとして、規格化されたレディメイドの都市機構のなかでのバンド活動があげられるが、ヨーロッパにおけるスクワット文化はまだまだこれから僕らの国で形成されても不思議ではないだろう。地震も恐いし、そういった新たなムーヴメントが生まれることを切に望むよとボング片手にグチりながら聴いたこのレコード。
 5つの摩訶不思議ジャムは心の師であるリアリー先生の言葉とともにすべての快楽主義者に捧げられるだろう。Turn on, Tune in, Drop out.

志人 - ele-king

 それが個人の年齢的なものだったのか、時代的なものだったのか、実証的な物言いはできないが、個人の実感として、ゼロ年代を生きることは(3.11絡みを抜きにすれば)いまよりも息苦しかった気がする。なにか、人生のやり直しのきかなさを、この国の未来の暗さを、学者とメディアがグルになって社会に刷り込んでいくような、奇妙なプレッシャーを私は感じていた。これから先、どれだけ長い下り坂が待っているのか、そんなことを考えながら、私は大学の卒業を控えていた。当時、発売から数年遅れで出会った降神のセルフ・タイトル『降神』(2003/2004)における、強く内に向かう省察の言葉と、街を低高度から見渡す凍ったような観察の言葉をいまあらためて聴いていると、当時のあの実感は、もしかしたら私の個人的な錯覚よりももう少し広い規模で、社会で共有されていたのではないか、そしてもしかしたら、彼らもそうした息苦しさのなかにいたのではと、いたずらに勘ぐってしまう。

 『remix』誌(216号)を開く。志人が、ゼロ年代後期におけるアーティストとしての活動、そして人間としての生活を、ありのままに語っている。私なりに解釈すれば、志人は、現代社会の全面的/抜本的な相対化を通じて、だからこそ不可避に生じてしまう、ひとりの現代人としての巨大な自己矛盾と向き合い、自分なりの誠実な回答を持つために、少なからぬ歳月を要したのだと思う。それが放浪へと彼を誘い、実際的な農業との接触など、いわゆるエコロジーの世界へと接近させ、大量生産・大量消費・大量廃棄の文明と一定の距離を置かせたのだとすれば、"心にいつも平和を抱いて"(2011)は、ひとつの到達となったのかもしれない。ときに、現実社会の歪み、つまり、多くの人が見て見ぬふりをしている(そうすることが一人前のオトナだとされている)歪さに対して深入りしすぎなのではないかとさえ思えた、現実に対するバッド・トリップは、そこで、巨視的な理想、そして穏やかな調和によって内破されていた。

 そしていま、私は志人のカムバック・フルレンス、『Zymoltic Human ~発酵人間~』を聴いている。表題が象徴的だが、ときに険しくも大らかな、現代に彷徨える人びとに優しく語りかけるような、訓示めいた言葉がまず耳に迫る。韻は踏んでいるが、ラップしているということを聴き手に意識させない自然さがあり、それは喋るようなスタイルで意識的にラップする、というより、日常のなかで喋るくらいに自然なテンションでラップしているようで、韻踏みはさらに熟練されている。加えて、そのメッセージは、ますます確信めいた、ある境地のような場所へと近づいている......。人間である以前に、宇宙の片隅に存在する一個の生命体であろうとするミニマムな視点、そして、随所に持ち込まれる、地球や人類を憂う神の目線。宇宙の神秘、巨大な運命、生命の輪廻や平等を想い、世の不条理、人間の強欲さを責め、謙虚さを説くような語り口。そう、本作を特徴づけるのは、なにか悟りを開いたかのような、解脱という言葉さえよぎる沈潜の趣である。

 また、モントリオールの実験的ビート・グループ、Heliodromeや、Triune Godで組んだScott Da Rosらによる不穏なトラックは、ストーナー・ロックからドローン、アンビエントまでをも呑み込んだような漆黒のミニマリズムで、志人の唱えるような発声と相まって、ビート・ミュージックと宗教音楽の折衷のように聴こえる。それは一連の儀式のようだ。また、一転して最後の3曲は、あたたかくも果てるような高揚に達している。コズミックなアンビエンスの上で詩を朗読する"忘れな草~ひっそりゆっくりじっくりぐっすり~"が象徴的で、9分を超すその広大な哲学は実に控えめなトリップとなる。さらに、クラシカルな弦の響きに導かれ、志人にとてつもなく大きな愛(便宜的にこう呼ぶ)へと接近させ、柔らかいメロディをうたわせる讃歌"道~たまゆら~"、そしてラストの表題曲、まるで教理を説くような"発酵人間~回帰~"は、私たちの内面性の強度をめぐって、聴き手との濃密な一対一を要求する。それがひとつの到達であることに、疑いの余地はまるでない。
 しかし、志人の現在地に危うさを一方では感じてしまう自分もいる。冷徹なリアリズムを通過した者だからこそ、現実に拮抗するある種の理想郷を創造(想像)することを欲したのかもしれないが、そのメッセージが持つたしからしさが増していくほど、他の選択肢を排し、限定していくし、聴き手のなかでは深いコミットメントも固い拒絶も増えていくことだろう。それでも、志人はこの道を選んだのだ。おそらくは熟慮の末の選択だと思う。紙幅が迫ってきたが、筆者の現段階での理解では、志人はいま、必ずしも誰もが生活や文化を簡単に変えられるわけではないという現実的な認識に立った上で、それでも誰かと分かり合うことを望み、ちょっとした気の持ちよう、心の開きようによって世界の見方は変えられる、という、いわば自浄の領域へと向かっているように思える。これ以上の追求は哲学の領域になってしまうが、志人はなにも特別なことを要求しているわけではない。思い出せるだろうか。私たちは何も持たずに生まれ、やがて、何も持たずに去らなければならない。そう、願わくば、やわらかい心を持って生きられたら......

Chart by TRASMUNDO 2012.03.27 - ele-king

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1

TONOSAPIENS

TONOSAPIENS PRESIDENTSHEIGHTS »COMMENT GET MUSIC

2

I DON'T CARE

I DON'T CARE 緑のスカイロケッツ »COMMENT GET MUSIC

3

KING104

KING104 PIMP DREAM »COMMENT GET MUSIC

4

GONZ(DOWN NORTH CAMP)

GONZ(DOWN NORTH CAMP) SHORT SHORT VACATION »COMMENT

5

TONOSAPIENS

TONOSAPIENS FLYDAY »COMMENT GET MUSIC

6

V.A

V.A SOULERA'S SWEET SOUL CLASSICS »COMMENT GET MUSIC

7

blahmuzik

blahmuzik beginning of experiment »COMMENT GET MUSIC

8

Ackky

Ackky FANTASTICO »COMMENT GET MUSIC

9

MACKA-CHIN

MACKA-CHIN 揺~D.N.A~ »COMMENT GET MUSIC

10

Chief Keef

Chief Keef I Don't Like(feat.)Lil Reese 〔YouTube〕 »COMMENT GET MUSIC

Various Artists - ele-king

 今日の日本のDJカルチャーがたまに気の毒に思えるのは、大バコ中バコの多さと外国人DJの来日が多すぎるってところだ。それに準じてクラバー人口やDJの数が増加しているなら、産業的には成長していると言える。ただ、外国人DJの影に若い日本人DJの存在が霞んでしまっているきらいもあるし、円高の影響もあるのだろうが、毎週末のラインナップのあまりの豪華さに、バランスは取れているのだろうかとたまに心配になる。
 その点、僕らの時代は恵まれていた。小バコ中心だったからリスクも少なく、シーンの行方は日本人のDJとオーディエンスにかかっていた。入場料も安かったし、年功序列もなかったし、わりと簡単にシーンの人たちと知り合いになれた。自由競争が激化する前だったので、経済的にはしょぼかったけれど、DIYだったし、仲間意識が強かったし、精神的にはまあ、とにかくお気楽だったわけだ。
 外国人DJにはたしかに腕の良い連中がいる。新しいトレンドもほぼ海を渡ってやって来る。が、誇るべきシーンが自分たちになければ、そのいち部であることに強いアイデンティティなど持てやしないことも事実。およそ半世紀にもわたるUKのDJカルチャーの逞しさも、頻繁にアメリカ人やドイツ人のDJを招聘しているから生まれたわけではない。瀧見憲司はそのことを意識している少数派のひとりだ。

 〈クルーエル〉は、今日でこそクラブ・ミュージックのレーベルとして認知されているが、20年前は渋谷系と括られたジャンルの震源地のひとつで、東京のインディ・シーンの中心的なレーベルだった。カヒミ・カリィのリリースでも知られ、コーネリアスとは音楽的な同盟関係にあった。要するに瀧見憲司は今日インディ・ダンスと括られるサブジャンルの草分け的な人物で、日本ではいまだ人気のあるネオアコと呼ばれるサブジャンルの火付け役でもある。最近は嬉しいことに若い読者も増えているので、いちおう、説明しておきましょう。日本で〈クリエーション〉にもっとも近いレーベルを探すなら〈クルーエル〉かもしれない。音楽性こそ違えど、純然たるインディ・レーベルが大ヒットを飛ばしたばかりではなく、影響力も発揮したという点では同じだ。

 本作『Crue-L Cafe』は、『Post Newnow』以来2年ぶりのコンピレーション・アルバム、とはいえ前作はリミックス・シリーズの『vol.ll』だったから、新曲を中心としたコンピレーションとなると2006年の『Crue-L Future』以来となる。アルバムには、昨年発表のトラック、これから12インチでリリース予定のトラックも収められている。
 言うまでもなく〈クルーエル〉は、「ごちゃ混ぜ」という意味においても、インディ・ダンスという意味においても、そのメロウな多幸感においても、バレアリックをコンセプトにしている。そして、12インチ・シングルのスリーヴをトロトロに溶けたキャラメルのようなデザインにしてから、その快楽路線をよりいっそう強めているように思える。今作『Crue-L Cafe』もその邁進の成果ではあるが、"カフェ"を名乗るだけあって家でのんびり聴くのにはもってこいの内容だ。

 オープナーは神田朋樹による"Ride a Watersmooth Silver Stallion"。ルーカス・サンタナを彷彿させるラテン的郷愁のアコースティック・ギターとエレクトロとの心憎い融合で、早速、レーベルの洒落たセンスを披露している。続いてビーイング・ボーリング(瀧見憲司+神田朋樹)による"Love House of Love"。70年代的なエロティシズムの再解釈、テンポを落とした官能的なディスコ・トラックが展開される。
 ディスコセッションの2年ぶりの新曲だという"Manitoba"は、えもいわれぬアンビエントを展開する。これはクラブ・サウンドによる、ほとんど極楽浄土の境地と言えよう。猫のあくびのように、曲の途中からはゆるいギターが響いている。新世代を代表する〈コズ・ミー・ペイン〉のザ・ビューティも、彼らに続かんとばかりに聴きごたえのあるチルアウトを打ち出している。
 それからクリスタル、UKのティム・デラックスとア・ノイジー・ノイズ、ハウス・マネキン......らによるダンス・トラックが続く。アルバムを出したばかりのタッカーがファンキーなダウンテンポで惹きつけながらエディ・Cの温かいディスコへと繋げる。すっかり上機嫌になったところで、フランキー&神田朋樹による非凡なる穏やかさが広がる。クローザーは、クルーエル・グランド・オーケストラの"Barbarella"。60年代末のエロティックなSF映画として(そしていかにも渋谷系的な)『バーバレラ』のカヴァーだが、この曲のハウスのグルーヴからは太陽のにおいすら漂う。

 ここ1~2年の欧米のクラブ・ミュージックのモードで言えば、ダブステップ/ミニマル/フットワーク/デトロイト、あるいはフライング・ロータス以降やチルウェイヴ以降がもうほとんど一緒になって騒いでいるような感じが僕には見受けられるけれど、そこにいっさいくみしていないことも、まあ〈クルーエル〉らしいと言えばらしい。このレーベルは昔からそうした欧米のトレンドを敢えて避けてるところがあるし、自分たちのセンス、方向性に揺るぎはないと思う。たしかに、どんなにサイケデリックになったとしてもエレガントさを失わない、それはこのレーベルの最大の魅力である。僕と同世代の人間は思い出して欲しい。1995年のクルーエル・グランド・オーケストラの最初の1枚にはこう記されている。「何がリアルやねん!」「やってられない、でもやるぜ!」「とりあえず飲みますか」......連中ときたら、まったく変わっちゃいない(笑)。

PS:とはいえ、いま日本から面白い作り手が出ているのも事実で、しかしそれをフランスのレーベルにフックアップされるのもなぁ......ちょっと悔しい。

きのこ帝国 - ele-king

 女性ふたり、男性ふたりの4人組で、ステージ前方にはテレキャスターを持って歌っている女性(佐藤)、そしてカラフルな衣装に身を包んでギターを弾いている女性(あーちゃん)がいる。ナンバー・ガールを彷彿させる動きを見せるが、曲は内面の暗いドラマで張り裂けそうだ。痛ましい言葉が美しいメロディのなかでとめどなく流れてくる。「生ぬるい惰性で生活を綻ばす/ゴミ箱みたいな部屋のなかで、時が/過ぎるのをただただ待っている それだけ/眠れない夜更けに呼吸の音を聞く」"退屈しのぎ"

 きのこ帝国というくらいだからゆらゆら帝国とどこか繋がっているのか思いきや、あんなふうな笑いは......まったくない。果てしない夜のなかでぼろぼろに傷ついている。悲しみと、そう、どこまで消えない悲しみと、生死をかけているかのような、内面の葛藤が繰り広げられる。「目が覚めたらすっかり夜で/誰かに会いたくなったよ/鍵もかけずに部屋を出て/夜の、夜の、空を歩く/最近は爪も切らず/復讐もガソリン切れさ/なんにも食べたくないし/ずっと考えている」"夜が明けたら"

 きのこ帝国の演奏は、そして、潔癖性的な叙情によってリスナーをその世界に引きずり込む。ヴォーカルの佐藤は、言葉ひとつひとつを噛みしめるように丁寧に歌っている。ときおり、激しく声を張り上げる。地盤がガタガタに揺れているこの国の、信じられるものを失った世代が、豊かさとは何かを訴えているように聴こえる。
 これは、涙の領域にまでに連れていかれるような美しいソウル・ミュージックである。並はずれた情熱があり、暗い予感のすべて吐き出し、さらけ出すことによる、ある種のカタルシスがある。はっきり言えば、魂が揺さぶられる音楽なのだ。
 シューゲイザー......とも呼ばれているそうだが、もしそれをマイ・ブラッディ・ヴァレンタインやスペースメン3、スローダイヴなどの系譜と捉えるのであるのなら、きのこ帝国はシューゲイザーではない。この際言っておくが、そもそもシューゲイザーと言われる連中の音楽には、ミニマル/ドローン/ノイズからの影響がある。つまりシューゲイザーとはアンチ・ドラマで、聴覚における享楽性がある。自分でもたまに使っているので、こんなことを言うのも何だが、正直な話、シューゲイザーというターム自体が表層的で、無意味だと僕は思っている。だいたいきのこ帝国は、シューゲイザーと呼ぶには、どうにもドラマ(夢)に飢えているように思える。
 が、きのこ帝国をそう呼んでしまう人の気持ちもわからなくもない。このバンドには、ジョイ・ディヴィジョンに端を発しているような、いわゆる「重さ」が、そして同時に〈4AD〉的な、あるいはモグワイめいた耽美があり、それがナンバー・ガール的なセンス(ないしはジャックス&早川義夫)と交わっていると言える。力強い演奏力、大胆な言葉、そして魅力的ヴォーカリゼーション......夢を見たくて見たくて仕方がないことの裏返しのように聴こえる。たしかにこのバンドには、実存的な苦行へ突き進んでしまいそうな危さもある。が、マジー・スターを彷彿するような、低空飛行のなかの素晴らしい煌めきもある。おそるべきメランコリー......"退屈しのぎ"は名曲だ。

 面白いバンドが出てきた。数ヶ月後にはより多くの人間がこのバンド名を記憶するだろう。きのこ帝国のデビュー・アルバム『渦になる』は5月9日に発売される。

ele-king Vol.5 - ele-king

 特集は「インディ・ミュージックのネクスト」です! エレクトロニック・ミュージックにおける最先端、ジェームス・フェラーロやデムダイク・ステア、そして新種のヒッピー・ヒップホップ、トッグ・レザー、ベッドルーム時代におけるゲイ・ポップの新星、パフューム・ジーニアスなどなど、そして最高に笑えるのが、〈ノット・ノット・ファン〉周辺とブロー・ステップ・シーン潜入体験というふたつのロサンジェルス・レポート。今年のゆくえをうらなう必読の特集です。また、中原昌也がマイク・ケリーへの追悼を話して、戸川純ちゃんのエッセイは町田町蔵、連載陣に粉川哲夫が加わり、磯部涼の「No Ele-King」は青葉市子。橋元優歩と三田格が性懲りもなくチルウェイヴで喧嘩していれば、誌面から唾が飛んできそうな宇川直宏とデリック・メイとの白熱対談もあります。もちろん、お馴染みの執筆陣も好調......でしょう!
 お願いします、買ってください! 

ele-king Vol.5 DOMMUNE BOOKS 0009

contents

●Special Issue on The Next Indie Music

マイク・ケリー/中原昌也

〈EKジャーナル〉
「僕と革3」セイジとセイギ◎shing02

ピーター・フック『ハシエンダ』/ele-king presents マーク・マグワイヤ ジャパン・ツアー/湯浅学『アナログ・ミステリー・ツアー』/中原昌也『悲惨すぎる家なき子の死』+個展

〈特集〉インディ・ミュージックのネクスト

Interview
トッグ・レザー(倉本諒)/デムダイク・ステア(野田努)/パフューム・ジーニアス(木津毅)/コズ・ミー・ペイン(野田努)/ギャング・カラーズ(野田努)/コウヘイ・マツナガ(クライヴ・ベル)/ジェームス・フェラーロ(野田努)/宇波拓_ホース(松村正人)/下山(松村正人)

Column
ゴシック&ホラー(三田格/水越真紀)/LAアンダーグラウンド(倉本諒)/ベッドルーム・ポップ(竹内正太郎)/ダブステップ2012(重康有策)/LAブローステップ体験記(カピパラNat39)/東京の現場(近藤チマメ)/90年代リターンズ(三田格)

Talk
ウォッシュト・アウトをイジめないで~対談:橋元優歩×三田格
インターネットとヒップホップ~対談:小林雅明×微熱王子◎磯部涼/西村ツチカ

〈新連載〉粉川哲夫「ネオ・ニヒリズム」

〈Eコラム〉二階堂和美について◎一色こうき

〈No Ele-King〉
青葉市子◎磯部涼/小原泰広

〈連載コラム〉
tomad「キャッチ&リリース」/牛尾憲輔(agraph)「私の好きな」/二木信「二木ジャーナル」/T・美川「編年体ノイズ正史」/戸川純/フェミニャン「ピーポー&メー」/こだま和文×水越真紀「水玉対談」

〈カルチャーコラム〉
EKかっとあっぷあっぷ◎松村正人/五所純子/小濱亮介/岡澤浩太郎/プルサーマル・フジコ

〈Tal-King〉
藤田貴大_マームとジプシー(九龍ジョー/菊池良助)/
ブラッドフォード・コックス(橋元優歩/小原泰広)/クラーク(木津毅)

〈Eコラム〉都市郊外のチカーノ・スタイル◎宮田信

〈連載〉
ミタイタルトライアングル(テーマ=公共圏)赤塚りえ子×平井玄×三田格

〈特別企画〉
「第四の波を超えて~今世紀的・テクノ・レベルズ・降臨」
~対談:宇川直宏×デリック・メイ◎野田努/小原泰広

表紙オモテ◎宇川直宏
表紙ウラ◎榎本浩子

Himuro Yoshiteru - ele-king

 ジョセフ・ナッシングワールズ・エンド・ガールフレンドと同世代のブレイクビート・メイカーによる7作目は配信(と限定カセット)だけのリリースとなった。〈リフレックス〉や〈プラネット・ミュー〉の子分みたいなレーベルから98年にデビューし(パッケージには福岡の小さな町からやってきたごく普通の男とかなんとか書いてあった)、世界中の様々なレーベルと、日本では〈ファイル〉から4作目、〈マーダー・チャンネル〉から5作目と来て、DJオリーヴ・オイルのレーベルからは初となる(だんだんシフトが日本に寄ってきているということか)。

 ジョン・ピール・セッションにも出演していて、遊び心が豊富でジャズと高速ブレイクビーツを絡ませたら右に出る者はいないとか、海外での評価は初期の『クリアー・ウイズアウト・アイテムズ』がもっとも高いようだけれど、未聴なので、ダブステップを取り入れるようになった最近のものと比較すると、ジャズ・ベースからはじまり、全体に跳ねるようなファンク・ビートを強調した『ヒア・アンド・ゼア』とはだいぶ様相を異にし、『アワー・タウン、エニータイム』は実に思わせぶりなムードで幕を開ける。そして、半分ぐらいの曲では重い腰をゆっくりと回転させるような官能的で、簡単にいえば黒っぽいビートに突き進んでいく。もしかすると同世代のブレイクビート・メイカーたちとは接点が薄くなりつつあり、表面的な派手さもそれほどわかりやすいかたちでは出てこなくなっているので、こうなるとカール・クレイグやヨーロッパのデトロイト・フォロワーに近い部分が今後のスタイルとなっていくのかもしれない。エイフェックス・ツインとジャズというテーマは、なぜか、三毛猫ホームレスのヒロニカ秘宝感の佐藤えりかなど、日本では多発しやすいテーマなのかも知れず、あるようでなかった融合点がここでは聴くことができるのではないだろうか。もちろん、従来通りの派手なブレイクビーツも力を失っているわけではなく、ビートが与える説得力が増している結果だということで。

 アース・ノー・マッドフラグメントなど、日本のヒップホップが好調ならば、それらのビートメイカーが波に乗らないわけがなく、なぜかフランスのネット・レーベルがその辺りをコンパイル(しかも、それがそのレーベルにとって初のフィジカル・リリースとは?)。

 よくわからないけれど、ネットに上がっていた日本人の音源をフランス人があれこれと探索した結果、全17人、22曲の構成と決めたようで、その基準はよくわからない(そのうち二木信が取材してくるでしょう)。しかし、外国の耳を経由した把握の仕方はそれだけで示唆的で、まずは単純に構成力があって聴き応えがある。テンポがよく、何度も聴いてしまうし、聴くたびに発見がある......って、普通のことを書いてしまった。

 可能な限り紹介すると、スカしたオープニングに続いて冒頭からもっさりと重く響くイル・ジ・エッセンスはロー・ファイ・クォンターズの名義でもリリースがあり(未聴)、四角四面を逆手にとったようなジャジムはどこかファニーな感触がとてもいい。もっと聴きたい。『ディスコトピア』にもフィーチャーされていたブンは二木信がいま、もっとも夢中になっているルーキーで、ヒムロと同じく〈オイル・ワークス〉からもリリースがあるダイナミックな展開(全体のマスタリングも彼がやってるらしい)。イルムラと組んだアグレッシヴなラップ・ナンバーも続けて収録されている。

 バグシードはウィズ・カリファ(紙エレキング2号P99)とのあいだでひと悶着あったばかりで、簡単にいえば230万人がアクセスしたというカリファのミックス・テープ・サイトにバグシードの曲が使われていたにもかかわらず、クレジットがドープ・クチュールというL.A.のストリート・ブランドの名義となっており、当のデザイナー・ブランドも自分たちの名前が使われていることに戸惑いを感じ、ツイッターなどで、この曲はバグシードのものだと明言しているというもの(https://bmr.jp/news/detail/0000012861.html)。その後、どうなったかは知らないけれど、ここに収録されている曲はなるほどカリファが好きそうなスモーカーズ・ブレイクビート。続くブドリは大袈裟にいうとフライング・ロータスとベイシック・チャンネルを同時に聴いているような質感がかなりよく、アルバムはないのかなーと検索をかけたら、近所にある喫茶店が出てきた(は!)。いまとなっては少し懐かしいカット・アップ・スタイルを聴かせるリピート・パターンによるリミックスも収録され、ブンによるリピート・パターンのリミックスもなんといっていいのかわからない奇妙な仕上がり。

 マインド・タッチによるモンド風の小品が折り返し地点を明確にし、このなかでは唯一、フルで(これもまた〈オイル・ワークス〉からの)アルバムを聴いたことがあるイチロー.も、同じような意味で変わった感覚を楽しませてくれる(この人はヘン!)。RLPが少しとぼけた風味を出したと思ったら、一転して、AZによる重いけれど明るく爽快なビートへと続き、クロージング・トラックは、このところダブステップにスタイルを変えたというKKによる濃密なダーク・ファンタジー。なんという充実作だろうか。

 ここには日本だから......という感じはまったくない。最近でいえば、L.A.の『ロウ・エンド・セオリー・ジャパン・コンピレイション 2012』やデトロイトの『ビッグ3』とも互角だし、勝っている部分だってあると思える。それこそ同じフランスでTTCやラ・コウションなどを集めたアンダーグラウンド・ヒップ・ホップのコンピレイション『プロジェット・ケイオス』が11年前にリリースされた時、何かが起きるのではないかとそわそわしてしまったことを思い出してしまった。

 そわそわ、そわそわ......

 ウォール・ストーリートの公園を占拠し、暴走する金融システムにアンチを唱えたオキュパイ・ムーヴメントは「我々は99パーセントだ」というスローガンのもと世界中に広がった。ムーヴメントは若者中心なので「親と同じ裕福な生活ができない世代」の氾濫と分析する向きもある。たしかにそうかもしれない。親と同じモデルで生活しようとすると、おもに経済的理由から挫折、やがて何故か後ろめたくなりブルーになる。一方、職場では理不尽な雑務に追われ、理不尽な残業を強いられる。疲労感が抜けきらない。暗闇のなかを生きているような閉塞感。でもいまだ、この国で若者の怒りは大きな叫びになっていない。
 黒人の文化/運動を研究する学者ロビン・D・G・ケリーは、アフロ・アメリカンが苦役のなかで夢に描き表現してきたことを論じた好著『フリーダム・ドリームス』で「夜は好機である」というセロニアス・モンクの言葉を引く。そして「つまり、それは欲望をさらけ出しそして充足させる時間であり、夢を見る時間であり、未知なるものの世界、幻覚である」と説く。暗闇のなかを生きる僕たちにとってこの希代のピアニストの発言は重要だ。むろん人種差別が横行した頃のハーレムと、いまの日本を比べるべきではない。けれど共感はできる。僕たちにとっても夜は好機であり、そこに賭けるしかない。しかも夜にジャズはよく似合う。ニューヨークでも、東京でも、またパリであっても同じことだ。ジャズが見せてくれる夢は、昼間の気怠さを追いやり、束の間の解放感を与えてくれる。

 前置きが長くなってしまった。本書『だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?』は音楽評論家、鈴木孝弥の新訳本だ。原書は24時間ジャズのみをプレイするパリのラジオ局テーエスエフ・ジャズの開局10周年を記念して刊行された。副題には「ジャズ・エピソード傑作選」とあるが少しページをめくっただけで、ともすれば愛好家の内輪ネタに回収されがちなこの手の挿話集とはちょっと違う趣きに気付く。どちらかといえば狂った夜の匂いがするのだ。
 本書を絶賛した菊地成孔がTBSラジオ〈粋な夜電波〉で朗読した一節を紹介しよう。
 登場人物はディジー・ギレスピー。時は公民権運動が高揚した1963年。運動の支持者だった彼はなんと合衆国の大統領選挙に名乗りでる。掲げる公約が秀逸だった。ヴェトナム戦争からの撤退と人種差別政策の撤廃。ここまでは判る。でもアフロ=アメリカンを宇宙に派遣すること、ホワイトハウスの名称を〈ブルーズ・ハウス〉に変更すること......なんてことが宣言されていて胸をくすぐる。まあ、もちろんユーモアなわけでデューク・エリントンを国務長官に、ルイ・アームストロングを農務長官に任命する、であったり、選挙のキャンペーン・ソングがヒット曲"Salt Peanuts"にのせて「政治はイカしてないとダメ/だから、スウィングする素晴らしい大統領を選ぼうよ/ディジーに投票を! ディジーに一票を!」だったりいちいち洒落ている。こんな逸話を知るとそのセンスに共鳴し、ジャズ史上の"ビー・バップの王様"という称号だけじゃないトランペット奏者の可笑しみに満ちた姿がイメージできる。
 本書のジャズへのアプローチはこの一節からも判るように、熱狂的だったり過剰だったりする側面を切りとる。本書の一挿話、ビリー・ホリデイの代表曲"Strange Fruit"が、黒人へのリンチ(殺害し木に吊るす)への苦渋に溢れた哀歌だった、というエピソードが伝える漆黒の時代から、公民権運動が活発化する60年代までがメインに描かれる。ルイ・アームストロング、チャーリー・パーカー、チャールズ・ミンガス、エラ・フィッツジェラルド、そしてマイルズ・デイヴィスといった錚錚たる巨人たちが的を射抜くエピソードで描かれる。楽曲では知ることのできないキャラクターに迫る、全59遍のドラマ。
 ハーレムのクラブ〈ミントンズ〉に関してはもはや説明不要かもしれない。ビー・バップが産声をあげた聖地としてジャズファンにとって知られた場所だ。かの地の伝説を物語る一節はこんな風にはじまる。

「ジャズの古典はニュー・オーリンズの空の下、"赤線"ゾーンの路上で生まれ、ホット・ジャズはシカゴの高級ホテルで、スウィングはニュー・ヨークのダンスホールで生まれた。そして、ある革新的な少人数の集団がモダン・ジャズを産み出したのは、紫煙の充満したハーレムのクラブの中である」

 革新的な小集団―すなわちセロニアス・モンクやディジー・ギレスピー、そしてチャーリー・パーカーらビー・バップの先駆者たち。彼らに共通していたのは「踊らせること以外に何の"野望"も持たない白人のジャズを演ることに疲れていたことと、高度な演奏技術、ハーモニーやリズムを、より高次のものに磨き上げたいと考えていること」だった。〈ミントン大学〉ではマイルズ・デイヴィスやアート・ブレイキー、マックス・ローチらが基礎的な経験を積んだ。やがてモダン・ジャズの宇宙を形成し、世界中にその音と自在な実験精神が散らばっていく。
 パリにビー・バップが到来したときの様子はこう描かれている。

「その初演目である2月20日の夜、この、譜面なしで演奏しては、大胆なハーモニーと途方もないリズム感でソロのパートに突進していく"異常"なミュージシャンたちの演奏を耳にするために、誰もが会場に押し寄せた。〈略〉アフロ=キューバン・リズムが混じり合ったビー・バップの革命が、目の前で進行していた」

 この日を境にジャズはフランス文化の一部をなすようになったという。モンクの言葉を思いおこそう「夜は好機である」...夜は、夢見る時間であり、ゆえに常識を逸し、狂気へといたる時間だ。ロビン・D・G・ケリーはモンクの楽曲を「西洋的な思想の多くを破壊するような音楽を作り、作曲、ハーモニー、リズムの伝統的規則をひっくり返した」と論じている。パリの人びとはおそらく伝統的な西洋音楽に飽き飽きしていた。そしてビー・バップに熱狂し、ジャズを受容した。フランスではインプロヴィゼイションのことを「牛ろうぜ!」というらしい。コクトーが書いた笑劇バレエにその根拠があるという。本書ではこんなフレンチ・ジャズのエピソードもいくつか収められている。

 ジャズは黒人がその辛い現実のなかで描く夢だったのだろう。ジャズが見た夢はニュー・ヨークから飛び火し、東京やパリ、そして世界中に恩寵のごとく降注いだ。日本語に訳されたパリのジャズ本である本書の存在が、このことを如実に物語っている。そして、クラシックやロックにも影響を与えている。マイルズ・デイヴィスとジミ・ヘンドリックスの果たされなかったレコーディングのことや、アート・テイタムに陶酔したクラシックのピアニスト、ホロヴィッツが数ヶ月かけ有名な"Tea for Two"を採譜しテイタムに聴かせた、というようなエピソードも本書のなかで収められている。そのパッションと自由の気配はひときわ感染力が強かった。
 「親と同じ裕福な生活ができない世代」。僕たちはそんな諦念をただ生きるしかないのだろうか。でも、もちろん音楽がある。ジャズの歴史を紐解くとそんな当たり前のことに気付く。そこには個性的過ぎるプレーヤーがいて、幾多の物語がある。本書を読めば、暗がりを笑い飛ばし跳躍する勇気を、ちょっとだけ貰えたような気になる。

Ogre You Asshole | Dry & Heavy - ele-king

 最初に出てきたのはオウガ・ユー・アスホール。およそ20分にもおよぶ"rope"のロング・ヴァージョンからはじまる。まったく素晴らしい演奏。反復の美学、どんどん進んでいく感覚、クラウス・ディンガーのモータリック・サウンドをアップデートしたドライヴ感、出戸学のギターはリズムを刻み、馬渕啓はじっくりと時間をかけながら熱量を上げていく。やがて出戸学もアクセルを踏む。もうこのままでいい。このままずっと演奏し続けて欲しい。魅惑的な疾走感。もう誰にも邪魔されないだろう。ところどころピンク・フロイドの"星空のドライヴ"のようだが、支離滅裂さを逆手にとって解放に向かう『homely』の突き抜けたポップが広がっている。
 なかば冷笑的な佇まいは、心理的な拠り所を曖昧にして、オーディエンスを放り出したまま、黙々と演奏を続けている。それでもエモーショナルなヴォーカルとバンドの力強いビートが心を揺さぶる。そして、右も左も恐怖をもって人の気を引こうとしているこの時代、"作り物"の胸の高まりは前向きな注意力を喚起しているようだ。それにしても......こんなに気持ちよくていいのかと、そばでガン踊りしている下北ジェットセットの森本君の肩を叩く。が、彼はもうすでに手のつけられないほどトランスしている。
 オウガ・ユー・アスホールは、昨年の秋、赤坂ブリッツでのワンマンを見て以来だった。あのときも書こうと思っていたのだが、諸事情が重なり書けなかった。ようやく書ける。間違いない。90年代なかばのボアダムス、90年代後半のフィッシュマンズ、00年代のゆらゆら帝国、この3つのバンドの領域にオウガ・ユー・アスホールは確実に接近している。要するに、誰がどう考えても、彼らこそいまこの国でもっともスリリングなライヴ演奏をしうるロック・バンドなのだ。
 ちょうどライヴの翌日、彼らの新しい12インチ・シングル「dope」がリリースされている。"rope"のロング・ヴァージョンもそこで聴ける。同シングルのA-1は"フェンスのある家"の新ヴァージョンで、いわばキャプテン・ビーフハート的賑やかさ。語りは英語のナレーションに差し替えられ、管楽器によるジャズのフリーな演奏で飾り立てている。コーネリアス風のコーラスが不自然な入りかたをして、曲を異様なテンションへと導いている。

 オウガ・ユー・アスホールが終わると、ステージの中央にはいかにも重たそうなベース・アンプが置かれ、やがてドライ&ヘビーが登場する。向かって左にはドラマーの七尾茂大がかまえ、そして秋本武士をはさんで反対側にはキーボードとして紅一点、JA ANNAがいる。彼女は4年前、ザ・スリッツのメンバーとしてライヴをこなしつつ、バンドの最後の作品となったアルバム『トラップド・アニマル』でも演奏している。なんとも運命的な組み合わせというか、ドライ&ヘビーの鍵盤担当としてはうってつけだと言える。
 再活動したドライ&ヘビーは主に1970年代のジャマイカで生まれた曲をカヴァーしている。この日の1曲目はジャッキー・ミットゥーの"ドラム・ソング"だが、その音は『ブラックボード・ジャングル』のように響いている。最小の音数、最小のエフェクト、そして最大のうねり。ダブミキシングを担当するのはNUMB。そう、あのNUMBである(そして会場にはサイドラムもいた)。
 演奏はさらにまた黙々と、そしてストイックに展開される。ブラック・ウフルの"シャイン・アイ・ギャル"~ホレス・アンディの"ドゥ・ユー・ラヴ・ミー"......。ドライ&ヘビーの魅力は、ジャマイカの音楽に刷り込まれた生命力、ハードネス/タフネスを自分たち日本人でもモノできるんだという信念にある。その強い気持ちが、ときに攻撃的なフィルインと地面をはいずるベースラインが織りなす力強いグルーヴを創出する。気安く近づいたら火傷しそうだが、しかしだからといってオーディエンスを遠ざける類のものでもない。ドライ&ヘビーは、アウトサイダー・ミュージックというコンセプトがいまでも有効であること、"フェイド・アウェイ"や"トレンチタウン・ロック"といった名曲がいまでも充分に新しいということを身をもって証明しているのだ。
 僕は彼らと同じ時代に生きていることを嬉しく思う。

 追記:まとめてしまえば、オウガ・ユー・アスホール=クラウトロック、ドライ&ヘビー=ダブというわけで、『メタルボックス』時代のPILのようなブッキングだった。

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