「K A R Y Y N」と一致するもの

ベイビー・ブローカー - ele-king

 近代科学の進歩や哲学は人類のプライドを打ち砕くプロセスでもあった。大きなところだけを言っても宇宙の中心だと思っていた地球は太陽の周りを回っている周辺へと格下げされ、人類も生物の頂点からサルの子孫に降格、主体も歴史も虚妄と退けられ、人類は遺伝子の乗り物に過ぎず、意識はただの錯覚、最近は物理的化学的電気的反応の集合体というところまで転げ落ちてきた。惨憺たるものだけれど、こうしたダウングレードはダーウィンから数えてもたかだか160年の間に起きたことで、短くとって250万年の人類史と比べてもいささか急すぎるし、トランプの支持層が科学を受け入れないのもむべなるかなという気もしてくる。これに追い討ちをかけるようにシオランやショーペンハウアーの思想を再構成してトレンド化しているのが反出生主義で、仏教の一切皆苦ではないけれど、人が生きることは苦しみを伴うとわかっている以上、新たに人類を産むのは悪ではないかという主張につながっていく。反出生主義について、この程度の簡単な説明を聞いたEXIT兼近がアベマプライムで「誰かがひとりでも嫌な思いをするなら人類は存在しない方がいいという考えはリベラル思想の究極(大意)」と咄嗟に解釈し、これはなかなか鋭いと思い、功利主義(最大多数の最大幸福)を理念としている新自由主義に対して全体の平等を理想とするリベラルが底辺にものさしを置くしかないとしているプリンシプルにはやはり考えさせられるものがあった。『ベビー・ブローカー』はそんな世界にまた1人望まれない赤ちゃんが生まれたところから始まる。大雨が降りしきるなか、自分では育てられないと判断した若い母親(イ・ジウン演じるムン・ソヨン)が教会の「ベイビーボックス(赤ちゃんポスト)」に赤ちゃんを置き去りにする。韓国映画でよく見かける急な坂道の上に位置する教会。この「見上げる」という感覚は置き去りにされる赤ちゃんをとても小さなものに感じさせ、ものさしが底辺にあることをそこはかとなく意識させる。印象的なオープニングである。

 赤ちゃんが置き去りにされる様子を暗がりで見守っていた2人の女性は1人が母親を追跡し、もう1人は地面に置かれた赤ちゃんを「ベイビーボックス」に入れる。視点は教会の内側に移動し、「ベイビーボックス」から赤ちゃんを取り出したソン・ガンホ演じるハ・サンヒョンと教会でバイトとして働くユン・ドンス(カン・ドンウォン)は監視カメラの映像を消去して赤ちゃんがいた痕跡を消し、そのまま赤ちゃんを連れ去っていく。赤ちゃんを「ベイビーボックス」に入れた女性は車で2人の跡をつけていく。(以下、設定バレ)2人の女性は刑事で、2人の男たちが赤ちゃんを誰かに売り飛ばす現場を現行犯で抑えようとしているのだということがだんだんとわかってくる。翌日になって気が変わったムン・ソヨンは赤ちゃんを返せと2人に詰め寄るが、売れば大金になるし、山分けしようという提案に説得されて一緒に赤ちゃんの買い手のところへ行くことにする。そして、これが思いのほか長い旅となってしまう。是枝裕和という才能が海外に流出した作品である『ベイビー・ブローカー』はゆっくりとした変化に重きを置いたロード・ムーヴィーで、そのせいか、韓国映画として観るとやはり薄い。韓国映画に特有の畳み掛けるようなエピソード群とは異なり、「空気」や「間」が多くの時間を占め、押しつけらるよりも察することで成り立つ場面が多いからである。ぺ・ドゥナ演じるアン・スジン刑事が張込みを続けながら車のウインドウについた花びらを指先で移動させ、車のなかに落とす場面などはとても印象的で、そうした部分はそれこそ邦画を観ているようだし、なんというか、ユニクロの韓国支店で高機能ウェアを買っているような気分というのか、店内の会話はすべて韓国語だし(日本語字幕ということ)、入れ物と中身がズレたままの感じは最後まで持続する。

 是枝作品の多くはこれまで社会から隔離された集団性を描くことに何度か関心を示してきた。『Distance』のカルト集団、『誰も知らない』の放置された兄弟たち、『万引き家族』の疑似家族(この言い方は家族が正統で、そのイミテーションのような響きを帯びてしまうけれど、ほかにわかりやすい表現が思いつかないのでこのまま使う)。『ベイビー・ブローカー』の主役たちもやはり社会からは隔離された存在であり、ローソン・マーシャル・サーバー監督『なんちゃって家族』(13)と同じように意味もなく過ごしていた時間のなかで奇妙な紐帯が生じていく。そして、その関係性が家族性を帯びてくるという意味で『ベイビー・ブローカー』は『万引き家族』の前日譚のようであり、国家の下部組織にはならない集団性のあり方が通底している。『ベイビー・ブローカー』に疑似家族という性格を発生させる大きな要因は集団で赤ちゃんの面倒を見ることにあり、そのなかでシングルマザーの子育てがどれだけ孤独な作業であったかが切実に浮かび上がってくる。表向きはクリーニング店を営むハ・サンヒョンがいつもの習慣で、ボタンの取れていたムン・ソヨンの服を繕い、ほいっと気軽に手渡すシーンは象徴的である。たったそれだけのことも他人からしてもらうことがなかったムン・ソヨンは予期せぬことに動揺し、イ・ジウンはそうした心の動きを1ミリも体を動かさない演技で観客に伝える。これは名演だった。

 是枝作品はまた複数の家族構成を組み替えるというアプローチもこれまでに何度か繰り返している。『そして父になる』や『海街Diary』はそのヴァリエーションで、家族の組み換えがそんなに簡単なことではないことを主題化してきた。『ベイビー・ブローカー』が飛躍するのは、こうした組み換えを同じ時間軸ではなく、異なる時間軸で試みたことにある。(以下、ネタバレ)赤ちゃんを売ることに失敗したユン・ドンスは自分がいた孤児院に車を向け、自らも孤児院の門前に捨てられていたことをムン・ソヨンに明かす。ユン・ドンスは作品の冒頭で教会に赤ちゃんを置いていく母親たちに強い怒りを示し、おそらくはその怒りが赤ちゃんを売り飛ばすモチヴェーションへと転化されていたのである。作品のクライマックスでユン・ドンスは捨てられた赤ちゃんの立場からムン・ソヨンの行為を許すと告げる。いくらシングル・マザーやシングル・ファーザーが1人で子どもを育てられず、それを国家のせいにしたとしても、やはり捨てられた子どもの気持ちが捨てた親へと向かうのは必定である。そして、捨てられた子どもと捨てた親の連鎖をメリーゴーラウンドという無限ループとダブらせて表現する是枝も残酷である。「許す」というひと言でユン・ドンスはメリーゴーラウンドから降りられる糸口をつかめたのかもしれない。しかし、ムン・ソヨンはどうしたって取り残される。ムン・ソヨンは警察と通じて赤ちゃんの取引現場にアン・スジン刑事たちを踏み込ませる。

 是枝作品にはいつも最後のところでしっくりこないところが残ってしまう。『ベイビー・ブローカー』では部屋を暗くするシーンが説明的過ぎて(邦画として観るなら)くどいと思ってしまったし、ハ・サンヒョンたちは金遣いが荒すぎてシングル・マザーの苦境がどこか薄まって見えてしまった。リサーチ不足なのか是枝の金銭感覚はどうもリアリティがなく、『万引き家族』も、西友なら48円で買えるコロッケを冒頭で90円も出して買うので、なかなか貧困マインドには入り込めなかったし、『万引き家族』が「函館3部作」など若手の問題意識にのっかってつくられたと言われても仕方がない面はある。『三度目の殺人』は音楽がこの場面はこういう感情で観ろと命令されているみたいでどうしても抵抗があり、『歩いても 歩いても』も最後のナレーションさえなければ……等々。『ベイビー・ブローカー』も決定的なのはムン・ソヨンはヤクザの親分を殺してその妻に殺害を指示されていたにもかかわらず、3年の刑期を終えて外に出てきても復讐されるどころかガソリンスタンドで働いていたりして、その間にヤクザの組織が壊滅したとか、なにかヤクザに狙われる理由がなくなったという説明がないこと。そのせいで、そもそもあの話にヤクザを絡める必要はあったんだろうかとさえ思ってしまった。それこそエンディングをハッピー・エンドと取るかバッド・エンドと取るか、それは観客の自由だという流れにする布石だったのだろうけれど、僕としてはその直前でつまづいてしまった感じ。アン・スジン刑事が浜辺で成長した子どもと遊ぶシーンは前述した花びらのシーンとうまく呼応していてとてもよかっただけに、そういうところが、なんというか、いつももったいない。

 反出生主義はそれなりに体系化された思想であり、キリスト教が苦しみを肯定してきた思想だと思うと、信仰心が薄れてきた時代には相応の説得力があるし、この60年間で30億から78億人に倍増してしまった人類に「生まれてくる」ことがそれだけで祝福されるという感覚が今後も維持されるかどうかは未知数だと思う。生まれたことを肯定するのはそう思いたいだけではないかと言われれば、どんな反論が期待できるというのか? 地球はそろそろ人間が住むには適さなくなってきたし、次の生物に地球を譲った方がいいんじゃないかと考えている人だって少なからずいることだろう。反出生主義が宗教的なものの考え方と入れ替わりかねない時代に『ベイビー・ブローカー』はひとつの問いであり、誰かと言い争うには格好の材料である。是非、自分とは意見の違いそうな人を誘い、内容について議論をしてみて欲しい。「時間」が「異なる立場」を結びつけるという意味ではとても良い作品だから。なお、同作品からソン・ガンホがカンヌの最優秀男優賞を受賞していたけれど、どう見てもユン・ドンス役を演じたカン・ドンウォンの方が熱演ではなかったかと思う。また、本職はシンガーソングライターだというイ・ジウンはどうしても『万引き家族』の松岡茉優に見えて仕方がなかった(素朴な疑問だけれど、闇で赤ちゃんを買った夫婦って、その子どもの戸籍とかはどうするのかな?)。

石若駿 - ele-king

 かつてスティーヴ・レイシーは自らが目指すソロ・インプロヴィゼーションについて「自己へ向かいつづけること、それが他へ向かってゆきつづけることになるような開かれた行為」と語ったことがある*。内的な探求が外部へと裏返るクラインの壺にも似た奇妙な回路。彼は演奏の際に自らを複数化して捉え、行為のただ中にいる自己と、その行為を客観視する自己の、二つに分裂した「私」が必要なのだとも説明していた。あたかもソロ・インプロヴィゼーションにおいて自分自身をある種の他者と見做して共演しているかのようでもある。語義矛盾に見えるだろうか。しかし今や、こうしたスタンスは、テクノロジーを介してきわめて具体的に実現されるようになった。

 2022年6月4日と5日、山口情報芸術センター(YCAM)でドラマー/パーカッショニストの石若駿とYCAMがコラボレートしたパフォーマンス・イベント「Echoes for unknown egos—発現しあう響きたち」が開催された。石若は2019年にもYCAMとコラボレートしており、その際はサウンド・アーティストの細井美裕とともにコンサート・ピース「Sound Mine」を発表。二度目のコラボレーションとなる今回は、YCAMのほか、AI(人工知能)の研究者でクリエイターでもある野原恵祐と小林篤矢らを交え、約1年半にわたって共同研究開発に取り組み、自らの演奏を学習したAIを含む自動演奏楽器との共演を試みた。

 一つの起点となったのは2020年に虎ノ門・黒鳥福祉センターで実施した特殊なライヴ・パフォーマンスだった**。このとき石若は12分間の即興演奏を行なった後、その記憶を辿りながらもう一度同じ時間の即興演奏を行い、それら二つの演奏の記録映像を重ね合わせることで擬似的なセッションを構築した。打楽器の弓奏を中心とした「デュオ」は思わぬシンクロニシティと意想外の響き合いを生んだ。それは石若が長年取り組んできたフリー・インプロヴィゼーション主体のソロ・パフォーマンスの新たな展開でもあった。ここで「自分と共演することは可能なのか」というテーマをあらためて見出した彼は、YCAMでの制作において自身の演奏データを抽出し、そのデータにもとづく自動演奏楽器を共同で開発していくことになる。2021年10月から翌2022年5月にかけて都内で計三回の試験的なライヴも実施し、公演直前までシステムは改良され続けていた。

 そしてイベント当日。最終的に自動演奏楽器のシステムは大まかに次のようなものとなった。会場はステージ中央にドラムセットが置かれ、その周囲には解体されたドラムセットや音具がインスタレーションのように設置されている。後者はAIが石若を模したリズムを物理的な打音でインタラクティヴに演奏するための装置だ。ステージ奥には一台のピアノがあり、これもAIを用いることでリアルタイムに反応しメロディを生成/演奏する。ドラムセットの脇には抽選器のような形状の「ポンゴ(Pongo)」なるオリジナル打楽器が高々と掲げられている。内部に小さなシンバルやウッドブロック、カウベルなどが固定され、複数の球体を入れて回転させることでガラガラとパーカッシヴな音を発生させる。一定の速度に達すると打楽器音は消えるが心音のようなパルスを発し始める。さらにステージ周辺には複数のシンバルが並べられている。それぞれに磁石とコイル、マイクが取りつけられ、作動することで繊細なフィードバック・ドローンを生むようになっている。またスピーカーから石若が過去に演奏したピアノの音源を断片的に流すというシステムもあり、リアルタイムの演奏パターンをきっかけとしてローファイなサウンドのサンプリング音が響く。以上のように、解体されたドラムセット類、ピアノ、ポンゴ、シンバル、サンプラーと、自動演奏楽器はこれら計五種類の装置=エージェントからなり、個々のエージェントがいつ作動するのかリアルタイムに指令を出すのが「メタエージェント」なる存在だという。

 初日のライヴは冒頭でマレット、ブラシ、スティックと持ち替えて様々なリズム・パターンを提示するように約8分のソロを行い、その演奏データを「メタエージェント」が指令を出すための基準値としつつ、石若と自動演奏楽器との約30分にわたるセッションが繰り広げられた。いや、その光景とサウンドはセッションというよりも、石若の身体と記憶をテクノロジーを介して拡張/外部化することによって、いわば増殖した複数の彼が特異なソロ・インプロヴィゼーションを試みているようにも思えた。石若は鋭敏な耳で自動演奏楽器のリズムを聴き取り、それを自らの演奏に取り入れながら発展させ、不定形なリズムを叩き出す。ステージ後方上部のスクリーンには石若を含め作動しているエージェントの数だけ心電図のような線が三次元で走り、周波数と振幅に応じて上下左右に動いていた。加えて作動中のエージェントには照明も当たっており、システムの作動状況は視覚的にも把握し易くなっている。終盤で畳み掛けるようなソロ・ドラムを披露して演奏を終えると、当日の会場内の音響データをもとにした「ヴァーチャル・ポンゴ」がスクリーンに映し出され、4分弱にわたって電子音が流れる。そして会場の外、石若とYCAMがコラボレートした複数のシンバルがフィードバック・ドローンを発するインスタレーション「Echoes for unknown egos with cymbals」が設置されている広々とした空間へ移動。そこでフィードバック・ドローンに囲まれながら、石若はヴィブラフォンの即興演奏を行なった。公演終了後は会場内に戻ると、石若とYCAMのスタッフおよびAI技術者たちを交えて、主に自動演奏楽器のシステムを解説するトークが行われた。

 二日目はゲストとしてサックス奏者の松丸契を迎え、同様の流れでライヴ・パフォーマンスを実施。だが拡張されたソロ・パフォーマンスの様相を呈していた初日とはやや趣きが異なっていた。冒頭から緊迫した空気が辺りを包む。共演経験の豊富な二人だけあって、呼吸の合った、しかし予定調和には陥らないインタープレイを約8分間繰り広げると、自動演奏楽器を交えたセッションへ。複数の装置が同時に起動するシーンは初日以上に壮観だ。松丸はサイン波を思わせるロングトーンや微分音を交えた繊細に揺らぐ響き、軋るようなフラジオや鋭い叫び、素早く攻撃的なフレーズまで繰り出す。スピーカーからは石若のピアノではなくドラム演奏と松丸のサックス演奏のサンプリング音源も流れる。過去のデュオ演奏の録音から似た演奏パターンのシーンを抜き出し、そのとき相手が発していた音を流すという、まるで演奏の記憶を呼び起こすかのような仕掛けだ。加えて印象深いのはピアノである。ときにはバグを起こしたようなフレーズを、あるいは現代音楽を彷彿させる調性感の希薄な音の連なりを、はたまたどこか聴き覚えのあるメロディを奏でるのだが、緩やかに落ち着いたセッションの流れを打ち破るように突如としてピアノが切り込むシーンが繰り返し訪れたのだった。きわめつけはラストで、石若と松丸が息を合わせて終着点を見出したかと思いきや、数秒後にピアノが勢いよく鳴り出した。約30秒のフレーズを奏でた後、石若と松丸はしばらく様子を伺い、結果的にはリアクションを起こさずに演奏は終了した。まるで「メタエージェント」が意志を持ち、二人にもっとセッションを続けるよう誘っているかのようでもあった***。

 自動演奏楽器は石若にとってアンコントローラブルな他者であると同時に、拡張された彼の一部でもある。機械がまるで意志を持つかのように人間味を帯びるという事態は、第三者として松丸が参加していたからこそより強く感じ取ることができたのだろう——松丸にとって自動演奏楽器は端的に共演相手の他者である側面が大きいからだ。初日と二日目では単に演奏人数が増えたというだけでなく、自動演奏楽器の意味合いそのものが変化していたとも言える。しかしいずれにしても、こうした状況はやはり石若にとってきわめて特殊だったはずだ。果たしてどこまで石若駿の演奏に含まれているのか。たとえ人力で演奏していてもアンコントローラブルで意想外の響きが生じることはある。それと自動演奏楽器が発する音はどのように線引きできるのか。少なくともそこで石若には通常のソロ・パフォーマンスとも複数人でのセッションとも異なる在り方が求められることとなる。

 フリー・インプロヴィゼーションの文脈においてAIといえば、有名な事例として1980年代にジョージ・ルイスが開発したリアルタイムに即興演奏を行なうコンピュータ・プログラム「ヴォイジャー」が知られている。だが「ヴォイジャー」はあくまでも他者としての共演相手である****。他方で石若が共演したAIを含む自動演奏楽器は自己と他者が入り混じった存在であった。それはテクノロジーを介することで自らを明示的に分裂させたのだとも、あるいは自己を見つめ直すことが同時に他なるものの探求でもあるような開かれた行為をテクノロジカルに実現したのだとも言える。ただしフリー・インプロヴィゼーションである以上、ゴールがあらかじめ定められているわけではない。その場で価値判断を下していく必要がある。自らをテクノロジカルに複数化することは、むろんそれ自体が目的でも、さらには珍しい響きを生むだけでもなく、全く新たな判断基準を持ち込む必要に迫られることを通じて、即興演奏の価値を創造的に発見し直すことへと向かうはずだ。そのプロセスの大きな一歩を彼らは踏み出した。

* 間章『この旅には終りはない』(柏書房、1992年、46ページ)
** 「Disco 3000 Vol.02_1+2 Layer Shun Ishiwaka extended technique」(企画:SONG X JAZZ/会場:blkswn welfare centre)
https://www.youtube.com/watch?v=LW5xmOa1xAs
*** 二日目は会場外のインスタレーション空間で松丸契がフィードバック・ドローンとともにサックスの即興演奏を行なった。なお通常時のインスタレーションは石若が手がけた複数の楽曲からなるコンポジションをもとにドローンを奏でているが、イベントで石若と松丸がインスタレーションと共演した際は、直前に会場内で行われたパフォーマンスの音響データをもとにドローンを発するようアレンジされていた。
**** ただし共演を通じて自らを見つめ直すことはある。ジョージ・ルイスは「Voyagerは私達自身の創造性と知性はどこにあるのかを問う。それは『どうやって知能を作り出すのか』ではなく『どこに見つけるのか』である」と語っている(dj sniff「消されざる声——ジョージ・ルイス」『別冊ele-king カマシ・ワシントン/UKジャズの逆襲』松村正人+野田努編、ele-king Books、2018年)。

Wilco - ele-king

 現代におけるフォーク特集となるele-king vol.29のカヴァー・ストーリー、ビッグ・シーフのインタヴューでは「カントリー・ミュージックとコネクションを強く感じるのはどういうポイントか」、エイドリアン・レンカーとバック・ミークのふたりに質問している。回答についてはぜひ誌面を読んでいただきたいのだが、ふたりが懐古趣味に囚われることなく、カントリーの現代人に通じる価値を見出していることは間違いない。そこで自分の頭に浮かんだのは、やはりウィルコの存在だ。ビッグ・シーフが初期にウィルコのフックアップを受けたという事実ももちろんあるが、それ以上にウィルコがカントリーをどのように現代に向けて奏でられるか長年腐心してきたバンドだからである。近年ではラナ・デル・レイのようなポップ・シンガーがカントリーを頼りにしてアメリカの内側に分け入っていくような事態も起きているが、アメリカでは保守的な音楽の代表とされがちだったカントリーの別の側面を長い時間をかけて引き出してきたのが彼らだった。
 別の……つまりウィルコの「オルタナティヴな」カントリーの要素は、しかし、代表作『Yankee Hotel Foxtrot』(2001/2002)辺りでは意識的に撹乱されていたようにも思える。90年代のアンクル・テュペロ時代にオルタナティヴ・カントリーという名称で語られすぎたことへの反動もあっただろうし、より実験精神を強調したいとする当時のジェフ・トゥイーディの野心もあっただろう。ジム・オルークによる大胆なミックスによって伝統的なカントリーの様式性はノイズとともに破壊されていた。そこで星条旗は燃やされていたのである(“アメリカ国旗の灰”)。しかしそれから20年が過ぎ、ウィルコはいまこそ12作目のダブル・アルバム『Cruel County』でカントリーに真正面から向き合っている。

 アルバム・タイトルの「冷酷なカントリー」はカントリー・ミュージックと国家を示すもので、すなわちウィルコの四半世紀にわたって向き合ってきたもののふたつの太い柱のことである。タイトル・トラックでトゥイーディは「ぼくはぼくの国を愛している/小さな子どものように/赤、白、そして青/ぼくはぼくの国を愛している/愚かで残酷な/赤、白、そして青」と歌い始まる。レイドバックしたギター・サウンド……そこで星条旗は燃えておらず、己のなかの愛国心なるものと憎しみとの間の葛藤を象徴するものとしてはためいている。そしてその曲、“Cruel Country” は「きみがしなければないないのは、合唱団のなかで歌うこと/ぼくと」と繰り返して終わる。われわれ民衆の歌──フォークである。ここでは分化していないものとしてのフォーク/カントリーが立ち上がっていて、このミニマルで端的な語りにはウィルコのひとつの達成を見る思いがする。
 全21曲のボリュームのなかの至るところにオーセンティックなカントリーの要素を発見できる本作は、パワーポップなどを取り入れストレートにロック・サウンドに接近した『Summerteeth』(1999)すら遡り、『Being There』(1996)の頃を思い出させるところがある。あるいはアンクル・テュペロ時代をも彷彿とさせる。“A Lifetime to Find” のようなストレートなカントリー・チューンは、ある時期のウィルコなら意図的に避けていたものだろう。ただ、それは単純に回帰的になったという話ではなく、驚くほどシンプルなフォーク/カントリー作だったジェフ・トゥイーディ『WARM』がそうであったように、時間と経験を重ねてきたからこそ(自分たちの/アメリカ音楽の)ルーツの見直しということではないだろうか。本作は約10年ぶりにメンバー全員が集まって一発録りに近いスタイルでレコーディングされたとのことで、20年前に称賛された音響に対する実験的な感性は目立たないものとして溶けこんでいる。バンド演奏のダイレクトな活力、素朴な歌の良さで聴かせるアルバムなのである。いまはたとえば、それこそカントリーとポップとヒップホップをミックスするリル・ナズ・Xもいるし、意図的にカントリー・ルックをコスプレしつつクィア性をドラマティックなカントリー音楽に混ぜて「現代性」を表現するオーヴィル・ペックのようなひとも面白いと自分は思っているが、何のギミックがなくともカントリーの豊かさを現代に向けて解き放てる――というところにまでウィルコは来ている。
 これまたシンプルなフォーク/カントリー・ナンバー “Country Song Upside-down”、つまり「逆さまのカントリー・ソング」はきわめて自己言及的なタイトルと思われる。カントリーの音楽的・文化的な遺産の恩恵を受ける一方で政治的・産業的に長く孕んできた保守性に違和感を抱きつつ、そこに別の角度から光を当ててきたウィルコは、伝統的な意味でのカントリーを「逆さま」にしてきた存在だと言える。だが、中年の白人男性6人組でルーツに根差した音楽を奏でることの「古さ」も自覚しているのかもしれない、「ダッド・ロック」などと呼ばれることもある現在のウィルコは本当にシーンの「父」のような存在となり、後続のミュージシャンたちに、あるいは多くの聴き手に、アメリカと向き合うことの葛藤じたいの重さや尊さを受け継いでいる。彼らの豊かな、「アブストラクト・アメリカーナ」で。

 最後に少しだけ、冒頭に書いたビッグ・シーフに対する質問の回答を引用しよう。カントリー音楽の研究家でもあるバック・ミークはその魅力のひとつについてこう語っている──「カントリー・ミュージックには何かしらアクセスしやすい面があるよね。こちらをすんなり迎え入れてくれる、というか。ワイルドなアイデアを探究するのに、それはとても安全な場だよ。すごくなじみがあるし、友だちとキャンプファイアを囲むような気がして、安全さを感じ、アット・ホームにくつろげる」。『Cruel Country』もそんなアルバムだ。温かくフレンドリーで、聴いていると冷酷な社会や時代の流れから守られる感覚がする。

FEBB AS YOUNG MASON - ele-king

 2018年に急逝したラッパー/プロデューサーのFEBB。先月幻のサード・アルバムがリリースされているが、このたび2014年のファースト・アルバム『THE SEASON』のカセットテープが発売されることになった。新たにリマスタリングを施し、同時期の “BRAIN” をボーナストラックとして追加。
 また、これを機に「THE SEASON 994」のロゴをあしらったジップアップ・パーカーとTシャツも期間限定の完全受注生産にて発売される。なくなる前に要チェックです。

FEBB AS YOUNG MASONが2014年1月にリリースしたファースト・アルバム『THE SEASON』のカセットテープが完全限定プレスの受注生産で発売決定! 同時にジップアップ・パーカーとTシャツも期間限定の完全受注生産で発売となり予約受付が開始!

2018年2月15日に24歳の若さで亡くなったラッパー/プロデューサー、FEBB AS YOUNG MASONが2014年1月にリリースした恐るべきファースト・アルバム『THE SEASON』のカセットテープが完全限定プレスで発売(税抜販売価格:¥2,300)。期間限定の完全受注生産であり、得能直也氏がカセット用に新たにリマスタリング。『THE SEASON - Deluxe』の収録曲に加え、同時期に制作された名曲 “BRAIN” をボーナストラックとして収録。
また「THE SEASON 994」のロゴを用いたジップアップ・パーカー(税抜販売価格:¥8,800)とTシャツ(税抜販売価格:¥3,500)も同時に期間限定の完全受注生産で発売。印象的な「THE SEASON 994」ロゴを左胸に入れ、パーカーは『THE SEASON』のジャケットもバック・プリントとして入れております。パーカーはボディがUnited Athleの10.0ozスウェット、カラーはブラック、ネイビー、グレーの3パターンでS~XXLサイズ。TシャツはボディがCOMFORT COLORSの 6.1oz ガーメントダイTシャツ、カラーはホワイトのみでS~XLサイズになります。

6/21(火)からP-VINE OFFICIAL SHOPのみの完全限定生産での予約受付となり、受注期間は6/30(木)正午まで、発送は8月上~中旬頃を予定しております。またカセットテープにはFEBBステッカーが封入され、パーカーとTシャツには「THE SEASON 994」透明ステッカー(100x70mm)が特典としてつきますのでお買い逃しなく!

*FEBB 『THE SEASON』 ジップアップ・パーカー / 994ロゴTシャツ / カセット販売サイト
https://anywherestore.p-vine.jp/pages/febb-the-season-preorder-fully-limited

*FEBB 『THE SEASON』 カセット / トラックリスト

1. No.Musik Track by Dopey
2. Time 2 Fuck Up Track by E.Blaze
3. Walk On Fire ft. KNZZ Track by Febb
4. Time Is Money Track by QRON-P
5. Hustla / Rapper Track by jjj
6. On U Track by Rhythm Jones
7. This Town Track by Golbysound
8. Deadly Primo


1. The Test Track by Serious Beats
2. PeeP Track by Ski Beatz
3. Season A.K.A Super Villain Track by Febb
4. Another One Track by Febb
5. Step Track by Kid Fresino
6. Navy Bars Track by Dopey
- Bonus Track -
7. Gone * Track by Febb
8. Hard White * Track by Kid Fresino
9. BRAIN*

※収益はFEBBのご遺族に分配しております。
※新型コロナウィルスによる状況によっては、発送期間が大幅に遅れる可能性がございます。あらかじめご了承ください。
※オーダー後のキャンセル・変更は不可となります。
※商品発送は8月上~中旬頃を予定しております。
※配送の日付指定・時間指定は出来ません。

Merzbow & Lawrence English - ele-king

 ローレンス・イングリッシュメルツバウの競演、いや饗宴とでもいうべきか。彼らふたりが初めてコラボレーションしたアルバムがリリースされたのだ。
 ローレンス・イングリッシュはオーストラリアの音響作家であり、アンビエント・アーティストでもある。
 ソロ・アーティストとしての活動のみならず、フランシスコ・ロペスデヴィッド・トゥープ、鈴木昭男、ウィリアム・バシンスキーなどレジェンド級のアーティストとのコラボレーション・ワークも充実している。くわえて自身のレーベル〈Room40〉を長年運営し、個性豊かなエクスペリメンタル・アーティストの音源を多くリリースしてきた。
 彼のアルバムは数多くリリースされているので、一枚だけを挙げるのは困難だが、本作との関連という意味でならばフィールド・レコーディングに徹した『Viento』(2015)をぜひとも聴いてほしい。荒涼とした環境音に本作との関連を聴き取ることができる。
 メルツバウ=秋田昌美についてはもはや言葉を重ねる必要すらないかもしれない。日本のノイズ・ゴッドであり、世界のノイズ・レジェンドである。70年代末期から活動をはじめ、80年代には唯一無二のノイズ世界を鳴らし、90年代にはノイズの世界地図を席巻し、00年代以降も、ノイズの革新と拡張を重ねてきた……。まさに伝説のノイズ・アーティストである。
 個人的に猛烈に惹かれているメルツバウのアルバムはノイズの限界突破とでもいうべき『Venereology』(1994)、『Pulse Demon』(1996)、00年代の電子音響期の『Electro Magnetic Unit』(2004)、10年代の長大なアンビエント作品『Merzbient』(2010)などである。また2020年にリリースされた Boris との『2R0I2P0』はロックとノイズの高次元の交錯が実現されていた傑作だ。まるでスプーキー・トゥースとピエール・アンリ『Ceremony』の2020年代版だった。
 そんなローレンス・イングリッシュとメルツバウの共作となれば湧き立つのも当然だろうが、正確には初の顔合わせではない。2020年に〈Room40〉からリリースされたシュシュのジェイミー・スチュワートとローレンス・イングリッシュのユニット、ヘキサのアルバム『Achromatic』でローレンス・イングリッシュとメルツバウはコラボレーションしていたのである。
 とはいえ本作はローレンスのソロとしての初の公式共演という意味では重要だ。ではどういった作品なのか。アルバム名からもわかるようにどうやらタルコフスキーの『ストーカー』からインスパイアを得たようである。
 タルコフスキーと環境録音。タルコフスキーとノイズ。こう書くとその親和性の高さを感じてしまうが、アルバムを聴きはじめると、そんな安易な比較など一気に吹き飛ばされてしまった。 
 本作は、英国の広大な工場複合施設で録音されたフィールド・レコーディング音響をもとに構築されたアルバムである。その音はまるでSF的な廃墟空間のサウンドのようだ。
 秋田自身も「ディストピアSFオペラのサウンドトラックのようだ」と語っているほど。じっさいその深く広大で、荒涼とした音響空間は、深い没入感を与えてくれた。
 工場地帯の環境録音でアルバムは幕を開け、次第に、電子ノイズが作品を覆ってくる構成である。まるで暴風のように音響空間と聴覚をノイズが覆ってくるのだ。それは映画的でもあり、物語的でもある。いや物語の廃墟、痕跡のノイズ化とでもいうべきかもしれない。
 「廃墟」の音響化のような1曲目 “The Long Dream” からはじまり、4曲目 “Magnetic Traps” あたりから次第にノイズが環境音に侵食をしはじめ、5曲目 “The Golden Sphere” ではSF的といえる光景を音響によって描き出す。
 そして静謐な6曲目 “Black Thicket” を経て、アルバムはクライマックスを迎える。嵐の中、工場に鳴り響くノコギリ音のようなサウンドの7曲目 “A Thing, Just Silence” では、まさに「メルツバウ」という「神」が世界にむけて全面降臨するかのように圧倒的なノイズ空間が発生していた。まさに音響の暴風。
 このアルバムには、ふたつの才能による、大きなノイズの渦が横溢している。ぜひとも多くの人に聴取/体験していただきたいアルバムだ。

interview with Akio Yamamoto - ele-king

 およそ8ヶ月ものあいだ、山本朗生と佐脇興英のふたりを乗せた車は夜の高速道路を走っていた。タンツムジークのプライヴェイト・ロード・フィルムの撮影のためである。車のなかから、映像を担当した朝比奈学の8ミリ・カメラが外の世界を覗く。撮影は震災後の神戸にはじまって、新宿の新大久保、福生、横須賀、そして大阪の西成へと足を伸ばす。ときにはヤバい場所にも侵入して、フィルムを没収されそうになったこともあったそうだ。それでも彼らを乗せた車は、止まることを知らなかった。

 いつの間にか、フィルムは膨大な量に増えていた。そのフィルムには、都会の隅っこに転がっている異様な熱気の多くが収められている。ネオン街、雑踏、米兵、夜の熱気、青い空、雲のような街灯。フィルムからもわかるように、タンツムジークのニュー・アルバム『ヴァージョン・シティ・ハイライツ』はもはやハードコアなテクノ・ファンだけのものではない。

 1996年末、フードラムから離れた山本朗生の頭には、映像を撮ることがまずあったという。それはなかば強迫観念のように彼を支配したが、しかしその映像が久しぶりに再開するタンツムジークの重要な下地になることを彼はわかっていた。とはいえ、それを完成させるには長い時間と多くの労力が必要で、資金的にも相当きつい。客観的にみれば暴挙と言えるだろう。が、山本朗生は、とにかく完成させることしか頭になかった。フィルムを発表するあてもないばかりか、タンツムジークの新作のリリース元もまだ決まっていなかった。それでも、まるで何かにとり憑かれたように、彼らはドライヴを続けたのだった。

 車が目指したのは、日本の都会の片隅で暮らす移民たちの表情だった。あるいは、果てしなく続く道路そのものだった。新大久保に潜む南米から来たストリート・ガール。福生の街をうろつく米兵と少女たち、西成のホームレス、そしてネオンと道、道、道。日本のもうひとつのリアリズムの追求。こうした作業は、タンツムジークの音楽に新たな息吹を吹き込んでいった。

 1994年にリリースされた『シンセカイ』を、僕らはもう忘れてもいいかもしれない(新生タンツ・ムジークは新たにARM名義で活動する久川大志が加入し、3人編成になった)。『ヴァージョン・シティ・ハイライツ』の1曲目を飾る“ウィークエンダー”を聴けばわかるように、最新タンツムジークには強力なビートが備わっている。それはターヒル名義で山本朗生が追求したビートの延長線上にあって、極端なカタチで構成された16ビートの裏リズムが強烈なファンクを打ち鳴らしている。タンツムジークが手に入れたファンクは、2曲目の“ア・ヴァージン・シティ・エピソード”でも鳴っているが、この曲は、近い将来パトリック・パルシンガーとデリック・カンターのリミックスとアキヲ・ミランパーク名義のリミックスを収録してシングル・カットされるという。

 6曲目の“モカ・コルバ”もまた、このアルバムのクライマックスのひとつだ。うっとりするような美しい瞬間が、こと細かく展開されるリズムパターンのうえから聴こえてくる。そして、それはたしかに深夜の高速道路の暗闇を飛ばしているような気分にさせてくれる。“C.M.Y.”からは、シンプルな繰り返しでありながらカール・クレイグの“ニューロティック・ビヘイヴィア”を彷彿させる深い叙情性が聴ける。また、“ウェスタン・コス”から最後の“シティ・ライツ”にかけては長いトンネルをくぐり抜けたかのような軽快さが待っている。

 久しぶりに会った山本朗生は、まるで生まれ変わったように生き生きとした顔つきをして現れた。前の晩はフィルムの編集で寝ていなかったというのが嘘のようだった。僕は彼に、新作には強く感じるものがあったことを伝えた。その強さは、初期のタンツムジークにはなかった種類のものだ。

「あの頃は、なんも考えてないッスよ。いや、ほんま俺に関しては差異を生もうとか、そういうのは全然なかった。ほら、だいたい当時俺“テクノ知らん”とか、よく言うてたやんか。〈ライジング・ハイ〉だって出すまで名前しか知らんかったしね。オッキーもめっちゃ詳しいかって言うたらDJぐらい詳しいわけやなかったから。そんななかであれが生まれた感じはあるんよ。そんで、僕らはもともとライヴ・ユニットやったし、その前はほんまにヴォーカルが入ってるようなバンド(※シークレット・ゴールドフィッシュ)に入ってたから」

 何か伝えたいことが強くあるように感じたんだけど、と言うと彼は以下のように説明する。

「まずは攻撃性ということがあった。これはリズムに関してだけど。極端に精神の攻撃性を高めていったら、絶対動きにフェイントがでてくるんですよ、拳法的な。ムエタイとかでもそうじゃないですか。フェイントの応酬になると思うんですよ。極度まで攻撃性を高めたらそういうふうになると思うから、突き詰めると俺はこういうリズムになるというか」

 『ヴァージョン・シティ・ハイライツ』を作るうえで何故フィルム撮影が必要だったのだろうか。その質問に対して山本朗生はシンプルに「タクシー・ドライヴァーの視点で街を見てみたかった」と答え、さらに次のように加えた。

「映像を撮ろうとしたときに、例えば、お金があるからってニューヨークで撮ろうていうのは“違うやろ”っていうのがあった。俺らは日本に住んでいるんやし、ライヴでよく海外に行ったりとはせえへんし。そんなのやったら嘘やないですか。やっぱ日本やないとあかんやろって。で、ほんまのリアリティのある嘘じゃない日本を撮りたかった」

 では、リアルな日本を撮るために、何故新大久保や福生といった街を選んだのだろうか。

「おもしろかったから。例えば新大久保は、コロンビア人の女の子とかええ顔してるんですよ。ほんま、日本人やったらあんなキッツい労働できへんでしょ。でも、笑うとるんですよ。 それがね、チャーミングでもあり、 かっこよくもあり、なんか感じるものがあったんですよ。 俺らが車乗ってると声かけてきたりするじゃないですか。 それで、そこらへんを2、3回まわってたら南米あたりの子は話しかけてくるんですよ。 “また会ったね” とかね。 そんでその表情とかがね、 何か感じるところがあったんですよ」

 その感じは決して 「ダークではなかった」と彼はつけ加える。 そして、撮り続けているうちに彼女たちから何かエネルギーのようなものさえ感じていたという。

「アウトローっていうかね、ふだん真面目な日本人が避けて通るような場所っていうかね、ほんまやったら虐げられてるそういう人たちのほうが画面で見たときエネルギーとかいろんなもの感じるときがあるし、これはなんなんやろっていうのがあって。でもそういう世界は絶対的な事実やと思うんですよ。もちろん自分らには彼らのいる世界をどうもしようがないし、だからどうしたっていう提示もないんやけど。 自分でもただそれを撮ってみたかったのか、サンプリングしたかったのか、 エディットしたかったのかわからへんけど、とにかく何かを感じた。それにけっこう日本は、臭いモノには蓋をするっていうのがあるじゃないですか。 だからなおさら撮りたいっていうか。撮っているあいだはただ無我夢中だったけど」

 つまりタンツムジークは、清潔な日本の都会とは逆の方向に車を走らせたというわけだ。そこで目撃していった数々の場面が、 タンツムジークの音楽にあらたな意味を持たせている。それは僕たちの住む国のサウンドトラックでもある。それだけでも僕は、 タンツムジークのセカンド・アルバムは多くの人に聴かれるべき作品だと思っている。だってそう、ベッドルーム・テクノはいま街に飛び出したのだ。

 これは、タンツムジークが頑なな実験派で、限られたテクノ・ファンだけを相手にしているアーティストだと思っている人には予想外のカウンター・パンチかもしれない。こうしたサウンドの変化に関して、山本朗生はジャマイカン・カルチャーからの影響について話す。 ここ2年、ほとんど他の音楽にインスパイアされることがなかったというが、彼にとってレゲエだけは特別だった。

「昔からレゲエは好きやったけど、たまたまレゲエのヴィデオを観てたらそのすごさを再確認したっていうかね。 ほんまパンク以来のショックやったんですよ。 ほんでラスタのことにどうしようもなく興味を持ってジャマイ力に関する本もたくさん読んだし、ヴィデオもたくさん観たしね。 歴史的な背景とかも植民地からはじまって云々とかね。それとごっつい慢性的な不景気でしょ。 そういうなかで生きてる音楽というか、あの音楽のエネルギーがねえ、例えば、70年代のサンスプラッシュのヴィデオとかからすごい感じられてん。だからと言って、ジャマイカに住もうとか、ええとこだとは思わへん。 絶対に住みたくないし、行ってはみたいけどね。 そのへんはき違えたらアホやから」

 福生や横須賀(といった米軍基地のある街)での撮影を通して、山本朗生はあらためて日本の歴史について考えたという。だからといって彼は、リスナーに対して「考えろ」ということを言いたいわけではないと強調する。「(リスナーを)スカッとさせたい。 ただそれだけ」

 『ヴァージョン・シティ・ハイライツ』 はデヴィッド・ホームズの『レッツゲット・キルド』やバリスティック・ブラザースの『ルード・システム』 なんかと近いところがないわけではない。が、どう考えても新大久保はブルックリンではないしブリクストンでもない。日本人と移民労働者とのあいだには、まだまだ計りしれない壁がある。 撮影のあいだ、台湾人の女性から冷ややかな目で見られたこともあったと彼は付け加える。

 山本朗生は、いまの日本にテクノに対する追い風が吹いていないこともわかっている。テクノをやっているというだけでは、もはやそこに新鮮な響きなどない。タンツムジークという名前を、今日の日本の、例えば本誌読者のなかでどれほど気にしている人がいると思うか、という少しばかりキツイ質問をしてみた。 山本朗生は答える。「自分はもともとそんなにメディアに露出してなかったし、期待もなかった」。だからむしろ、これまでいろんな場所で聴いてくれている人と会ってきたことが、いまの自分にとっては励みにもなっていると。

 今回の取材での彼の答え方は、始終、実に爽やかなものだった。それに、これからまたはじまるような雰囲気が彼にはあった。 妥協しないで作品を完成させたことが、彼にポジティヴな気持ちをもたらしたのだろう。 実際の話、日本のもうひとつのリアリズムを描くというコンセプトは、タンツムジークの音楽の強度を確実に高めたのだから。

 現在、山本朗生が東京に、佐脇興英が京都に、 久川大志が高知に住んでいるため3人が揃うのはなかなか難しい。だからというわけではないが年内はそれぞれのソロ活動をやって、 ひょっとしたら年末にはタンツムジークのサード・アルバムに向けてアクセルを踏むかもしれない。それにしても不思議というか不可解なのは、 タンツムジークがここまで心血を注いで創り上げた30分のロード・ムーヴィーを上映する予定も売りに出す予定も、この取材の時点ではまだないことだ。 限定でもいいから、なんらかのカタチで発表して欲しい。でなければエレナイトで上映するしかない。 だって本当にいいんだから。

■タンツ ムジークの『Version Citie Hi-Lights』はサブライムレコードより5月20日に発売。レコード店に行ったら探す価値あり!

R.I.P.山本アキヲ - ele-king

 すでにニュースになっているように、山本アキヲが亡くなった。3月15日だから3ヶ月ほど前のことではあるが、ご親族の事情があったのだろう、発表されたのは昨日(6月20日)だったようだ。アキヲにとって最後のプロジェクトになったAUTORAのメンバー、高山純がSNSに投稿したことで彼の訃報がいま拡散している。
 ぼくが彼の死を知ったのは、数週間前だ。6月の上旬、いま京都で開かれているイーノの展覧会のために、久しぶりに関西に行くのだから、京都のオヒキデの蕎麦屋に顔を出して、それから大阪まで足を延ばして山本アキヲに会おうと、連絡を取るために動いて、その過程において知ってしまった。
 アキヲに最後に会ったのはかれこれ10年以上前の話で、宮城健人の案内で、ぼくが大阪は十三にある彼の実家を訪ねたときだった。アキヲの自家製スタジオのなかで、当時好きだった音楽の話しで盛り上がったものだ。変んねぇなーこいつ、と思った。だいたいこの歳になると、音楽関係の知り合いというのは、久しぶりに会ってもつっこんだ音楽の話なんかはしない。近況や身の上話であったり、人の噂話であったり、そんなものだったりする。だからあの男がいまどんな音楽をやっているのか、どんな音楽が面白いと思っているのか久しぶりに話したい、そう思っていた矢先のことだった。
 まあそんなわけで、しかし、ぼくには時間があったので、いまはもうだいぶ気持ちの整理はついている。それでもこうしてあらためて彼のことを思うと、やはり悲しくてたまらない。聞いた話では、昨年食道癌を患ってしまい、とはいえ病状は決して重たくなく、治療を続けながら本人は変わらず音楽に向き合っていたという。それが今年に入って急に悪化して、帰らぬ人になってしまった。
  
 山本アキヲは、1990年代初頭からつい最近まで、複数のプロジェクトやバンドで活動をしていた大阪の音楽家だが、彼のキャリアのなかでもっとも広く知られているのは、90年代の日本のテクノにおいて先走っていたプロジェクトのひとつ、タンツムジークとしての作品だろう。いまとなってはクラシックなアルバムとして名高い、1994年にロンドンの〈ライジング・ハイ〉からリリースされた『Sinsekai』(翌年ソニーからも収録曲の変更があって発売されている)だが、しかしリリース当初の日本では、ほとんど理解されなかった1枚だった。タンツムジークにとってテクノとは、ダンスフロアの4つ打ちに限定されるものではなかったし、彼らこそのちにエレクトロニカないしはIDMと呼ばれることになる自由形式のエレクトロニック・ミュージックの日本における先駆者だったといまなら言えるだろう。
 この先鋭的なプロジェクトは、大阪のインディ・ロック・バンド、シークレット・ゴールドフィッシュでベースを弾いていた山本アキヲと、京都のスネークヘッド・メンなどでエレクトロニクスを担当していた佐脇オキヒデとの出会いによって生まれている。かたやパンク上がりのミュージシャン、かたやクラウス・シュルツやリエゾン・ダンジュールに感化された電子機材マニア、このふたりのコンビネーションが初めてシーンにお目見えしたのは、1993年のことだった。
 もしこの先、日本の90年代を語りたいという若者が現れたら、1993年は日本のテクノ元年だったと記述するといいだろう。この年、日本のテクノ・シーンで重要な働きをすることになる人たちは、ほとんどが20代前半から半ばで(ぼくは20代後半だったけれど)、アンダーグラウンドにおいてなんだかんだで始動し、お互い出会ってもいる。たとえば、福岡では稲岡健がいちはやく〈Syzygy Records〉をスタートさせ、大阪では田中フミヤの〈とれま〉レーベルもはじまった。東京では、下北沢の小さなライヴハウスにおける永田一直のイベントでケンイシイが初めてライヴを披露し、たしかムードマンもテクノ・セットのDJをやったと記憶している。でまあ、ここには書き切れないくらい、ほかにもいろんな人たちのいろんなことがあったのだ、あの年には。個人的には卓球といっしょに『テクノボン』を出したり。

 以下、京都にて佐脇オキヒデと会ってきたので、彼の言葉も交えながら山本アキヲについて書いてみることにする。
 「初めて会ったのは、91年、いや、1992年だったのかな……、ぼくが大阪でライヴをやったとき、アキヲさんが『こういうの作ってるねん』ってテープをくれたんですよね。帰りの車のなかで聴いたら、打ち込み一年生みたいな荒い録音だったんですけど、コード進行が独特で、好きになったというか、なんか光るモノを感じたんですよ。で、『なんか一緒にやろう』ってすぐに電話したんです」
 「そっからお互い連絡取り合って、アキヲさんの家にも行きました。機材はまだ簡素なものだったけど、大きなモニタースピーカーがあって、あ、ぼくと同じだって。ヘッドフォンで作ってないというね。で、あるときアキヲさんが、『若いDJで、勢いがある鋭いやつがおるんねん』『その子がテクノのイベントをやるからライヴで出て欲しいって』、それが(田中)フミヤのイベントだった。そのライヴの話があったので、じゃあ“タンツムジーク”という名前でいこうということになって、そのライヴのために作った楽曲がやがて〈ライジング・ハイ〉から出る『Sinsekai』になるんです」
 「ある日突然ロンドンの〈ライジング・ハイ〉から(当時はメールなどないから)電話がかかってきて契約したいと。電話の後ろではタンツムジークの曲ががんがんにかかっていて、で、英語は喋れないからファックスにしてと言ったら、ファックスで20枚ぐらいの契約書が送られてきた」
 「内容的にはいまでも納得していないです。カセットでサンプル的に送ったつもりの音源まで収録されてしまったり。でも、作品を出せたことで、吹っ切れたところはありましたね。とくにアキヲさんは、すごく前向きな気持ちになっていました」

在りし日のタンツムジークのふたり。左にアキヲ。右にオキヒデ。アトム・ハートが好きだったから〈ライジング・ハイ〉に決めたという、その頃のアーティスト写真。

 そんなわけでタンツムジークは、デビュー・シングル「Muzikanova」こそ〈とれま〉からのリリースだったが、それから数ヶ月後には、当時もっとも影響力のあったレーベルのひとつと言っていいだろう、〈ライジング・ハイ〉から「Tan Tangue EP」が出ている。で、続いてくだんの『Sinsekai』も発売された。ちなみに、同アルバムの最後に収録されている“A Land Of Tairin”は彼らの代表曲のひとつで、作曲はアキヲ、彼の大胆な構成力とオヒキデのコズミックな電子音響とが絶妙なバランスで融合し、独特の美しさを携えているトラックだ。永田一直が「日本のテクノの名曲のひとつ」として、いまでもDJでかけているという話を、今回京都で同席してくれた稲岡健が教えてくれた。
 「アルバムに収録されている曲は、それぞれが作った曲もあるんですけど、アキヲ君が作った曲にぼくが手を加えた曲やふたりでアレンジした曲が多かったですね。アキヲさんはね、作りはじめのスケッチの段階からぼくに聴かせてくれるんですよ、『こんなシーケンスできたんやんか』って。だからアレンジもやりやすくて、お互い話しながら、それこそ機材の前にふたり並んで、楽しく作れた。“A Land Of Tairin”なんかは、そうやってできた曲です」
 「“踊れない音楽”というコンセプトやねん」、これがアキヲがタンツムジークというプロジェクト名に込めた意味だったと、オキヒデは言う。当時はまだ、踊れない音楽はテクノにあらずというほどダンス至上主義が幅をきかせていた時代だったから、これはずいぶんと皮肉の効いたネーミングだった。稲岡健がそこにこう付け加える。「アキヲは、自分で言うときにはタンツムジークとは言わず、大阪のアクセントで“タンズ”って言うんですよ。『あのさ、タンズのことやけど〜』みたいに。それが“ひとつの音”としてずっと印象に残っていて」

 1994年だったと思う。稲岡健が福岡で主催した(閉店したキャバレーをスクワット状態で使っていたクラブ〈θ(シータ)〉での)テクノのパーティで、タンツムジークのライヴと、お恥ずかしい限りではあるがぼくのDJというのがあった。大阪から福岡の会場まで、車を載せた機材といっしょにフェリーに乗ってやってきたふたりは、その当時の日本のテクノ・シーンの基準で言えばかなり実験的な(つまり当時の基準で言えば踊りやすいとは言いがたい)サウンドを容赦なく演奏し続けていたのだけれど、大方の予想に反して福岡のオーディエンスは狂ったように踊った。「俺らの音楽で人があんなに踊ってるの、初めて見たわ」と、ライヴが終わった後にアキヲが嬉しそうに話していたことをぼくはよく覚えている。

フェリーに乗って大阪から福岡に向かうふたり。「オッキー、今度せっかく九州行くから、フェリーのらへん? 楽しいやん」

 しかし、日本全体が福岡ではなかったし、海外レーベルからデビューした日本人としては、ケンイシイ、横田進、サワサキヨシヒロに続く4番手だったタンツムジークの音楽は、ごく一部のファンを除いて、広く理解されたことなどいちどもなかった。山本アキヲはそれから数年間は〈とれま〉を拠点に、Akio Milan Paak名義でダンスフロアで機能するダンス・トラックを、それからオキヒデが「その構成力に驚いた」というTarheel名義でもソロ活動を走らせ、さらに田中フミヤとはHoodrumを結成したが、これは途中で脱退している。タンツムジークとしては1998年にセカンド・アルバム『Version Citie Hi-Lights』をリリースしたり、シーンにいたほかの当事者たちもそうだったが、90年代は突っ走っていたと思う。そんななかで、うまくいっても、うまくいかなくても、アキヲは会うといつも変わらず優しい男だった。
 「アキヲさんは本当に優しい。独特の礼節があって、死ぬ直前まで、ぼくの家に来るときは『これ、おっちゃんとおばちゃんに』って、十三の名店のお菓子を手土産に持ってくるんですよ。『アキヲさんは本当に優しい顔をしているね』って、ぼくのオヤジとお袋も言うんですよ」とオキヒデが話すと、ことあるごとにアキヲと会っていた稲岡もまた「アキヲ君は本当に優しい奴だったな」と同意する。おそらく、1990年代以降、アキヲと出会ったほとんどの人たちは同じような感想を持っているだろう。

 彼には、自分の音楽が評価されていようといなかろうと、そんなことはかまわないというようなところがあったし、注目されていようといなかろうと、彼は彼の音楽を続けていた。2000年代に入ってからの山本アキヲは、高山純とのAUTORAで作品を出しつつ、マスタリングエンジニアとしても忙しくしていたという。レイハラカミの再発盤はすべてアキヲによるマスタリングで、オキヒデが言うには、ずいぶん悩みながらがんばっていたそうだ。「病気になったのは去年の秋だったけど、死ぬ直前まで機材のことで話しに来たり、アキヲさんとはずっと会っていました。今年こそ自分の作品を作るって言ってたんですけどね……」
 山本アキヲがずっと好きだったという、リッケンバッカーのギターとベースも購入したばかりでもあった。「こんなカッコいいやろ」とオキヒデに写真を送って、「このギターな、初めて買ったときオヤジにへし折られたんやで」、そう言って大笑いしていたと、なんだか彼らしいエピソードだなとぼくは思った。
 
 オキヒデは、Silvaの「ヌード」(1999年)に収録された“Mothership”という曲のAkio Milan Paak名義によるリミックス(Spaceship in the Gottham City)が推し曲のひとつだと言う。たしかにこれは、2000年代初頭のオウテカにも通じる異次元ファンク・サウンドだ。この12インチ・シングルをいま見つけるのは困難かもしれないが、時代のなかで、タンツムジークの諸作は立派に再評価されている。残された3枚のアルバムはどれもが必聴盤だが、ぼくがとくにずっと好きなのは『Scratches』だったりする。アキヲ/オキヒデ名義でリリースされた遊び心あるこの朗らかなアンビエント・タッチのアルバムは、いつ聴いてもぼくを良い気分にしてくれるのだ。アートワークが表しているように、ここにはタンツムジークの明るい側面、ロマンティックな一面が記録されている。稲岡健は、このアルバムのなかの1曲に共作者(インスパイア元)としてクレジットされているが、それを言うと、「このアルバムは自分にとってふたりとの友情の証のような大切な宝物なんです」と語ってくれた。
 
 90年代の日本のテクノ・シーンには、それはそれは、ものすごいエネルギーがあったことを、ぼくはいまここであらためて言いたい。基本インディ・レーベル主体でDIYだったし、自分たちの居場所は自分たちで作るしかなかった。あの頃は、自分の売り込みではなく、自分のまわりで面白い音楽を作っている人の作品を一生懸命プロモートする人たちが何人もいた。90年代のテクノ・シーンを盛り上げたのは、ほかでもない、そういう人たちだった。ビジネスにしようなんて考えていたのはほんの僅か。大いなるアマチュアリズムの時代、それを美化するつもりはない。悪く言えばウブで、よく言えばイノセント、ただ好きだからやっているという基本にとにかく忠実だったというか、それでしかなかった。
 山本アキヲはまさにそういうシーンのなかにいた、大切なアーティストのひとりだった。彼はただ、それが好きだからやっていたし、それ以上でもそれ以下でもなかった。芸術的な野心はあったにせよ、音楽でメシを食うにはあまりにも優し過ぎる男だったと言えるのかもしれない。
 あの時代、ぼくは彼とプライヴェートでもけっこう話しているので、アキヲがどんな思考を持っていたかはだいたいの見当が付いている。山本アキヲはパンク的なものを愛していたし、社会的弱者の味方であろうとしていたし、本物の平等主義者だった。そして、ひょっとしたらじつはものすごくセンチメンタルな内面を持っていたのではないのだろうかと思うことがあったが、その感傷性を絶対に表に出さないことが彼の流儀でもあったように思っている。

 それにしても早すぎたぞ。君がいなくなって、君と出会ったみんなが悲しんで、寂しがっていることをわかっているのかな。それから言っておくけど、君の音楽は永遠だ。若い世代からも、君へのリスペクトはこんなにもたくさんある。山本アキヲと出会えて本当に良かったよ。ありがとう。そしてお疲れ様でした。(敬称略)

2019年ぐらいのふたり。

Flying Lotus - ele-king

 昨年、アニメ『Yasuke』のサントラを手がけたことで注目を集めたフライング・ロータス。この5月にはドキュメンタリー『They Call Me Magic』のテーマ曲も送り出しているが、去る6月16日、新たなシングル「The Room / You Don’t Know」がデジタルにてリリースされている。
 LAを拠点に活動するシンガー、デヴィン・トレイシーをフィーチャーした2曲入りで、前者 “The Room” は『Yasuke』のサントラ収録曲 “Crust” の新ヴァージョン。チェックしておきましょう。

FLYING LOTUS

フライング・ロータスが
最新シングル “The Room” / “You Don't Know” を
〈Warp〉からデジタル・リリース!

ロサンゼルスを震源地に、2000年代半ばに急成長したビート・ミュージック・シーンから登場し、ジャズとヒップホップ、エレクトロニック・ミュージックを融合した新たなサウンドで、時代を作り上げてきたフライング・ロータス。昨年には Netflix オリジナル・アニメ・シリーズ『YASUKE -ヤスケ-』の音楽を手がけたことでも話題となった彼が、ヴォーカリストのデヴィン・トレーシーをフィーチャーしたシングル “The Room” / “You Don't Know” を〈Warp〉からリリース!

“The Room” / “You Don't Know”
https://flying-lotus.ffm.to/the-room

フライング・ロータスは今年の春に AppleTV+ のマジック・ジョンソンの同名のドキュメンタリー・シリーズのテーマ曲 “They Call Me Magic” もリリースしている。また、SFホラー映画『Ash』の監督と音楽を担当することを発表、さらには XYZ Films と Logical Pictures と契約を結び、新たなプロジェクトのプロデュースと監督を担当することが決定している。

また、フライング・ロータスは第63回グラミー賞にて、サンダーキャットの『It Is What It Is』で最優秀プログレッシヴR&Bアルバムを受賞、さらにプロデューサー・オブ・ザ・イヤー、ノンクラシカル部門でもノミネートされた。これまでに、デヴィッド・リンチ、アルマ・ハレール、ヒロ・ムライ、カリル・ジョセフ、渡辺 信一郎らとコラボレーションを行い、映画界のレジェンド、テレンス・マリックの指導も受けるなど、音楽の域に留まらない活動も続けている。

Tirzah - ele-king

 2021年を代表する素晴らしいアルバム、ティルザ『Colourgrade』のリミックス盤がリリースされている。アルカアクトレスといった2010年代の顔役に加え、ラファウンダ、グラスゴーのバンド=スティル・ハウス・プランツ、さらにロレイン・ジェイムズやFAUZIA、7月にデビュー作を控えるウールーといった新鋭たちをフィーチャー。どの曲もイイ感じのアレンジを聴かせてくれます。これは押さえておきたい。

artist: Tirzah
title: Highgrade
label: Domino
release: 17th June, 2022

tracklist:
01. Hive Mind (Speakers Corner Quartet Remix)
02. Crepuscular Rays (Lafawndah Remix)
03. Sleeping (Anja Ngozi Remix)
04. Colourgrade (Arca Vortex Remix)
05. Tectonic (FAUZIA Remix)
06. Sink In (Actress Remix)
07. Hips (Loraine James Remix)
08. Recipe (Wu-Lu Remix)
09. '22222 ('Send Me' Rework)' (Still House Plants)
10. Beating (TONE Remix)

FESTIVAL FRUEZINHO 2022 - ele-king

 ご存じ新作をリリースしたばかりの坂本慎太郎や、cero、折坂悠太に加え、つい最近11歳の新人とのコラボがアナウンスされたサム・ゲンデルとベーシストのサム・ウィルクスによるコンビ、そしてジャズを出自とするポルトガルの音楽家ブルーノ・ペルナーダス──3都市で開催され、豪華なラインナップをじっくり堪能できるフェス《FESTIVAL FRUEZINHO 2022》のタイムテーブルが発表されている。

 東京公演ではペルナーダスとゲンデル&ウィルクスがそれぞれ70分、坂本慎太郎とceroがそれぞれ60分のパフォーマンスを披露。大阪公演ではペルナーダスが70分、ゲンデル&ウィルクスが60分、折坂悠太が30分のセットを予定している(名古屋公演のみタイムテーブル非公開)。詳細はこちらから。

FESTIVAL FRUEZINHO 2022、東京と大阪のタイムテーブルを公開!
名古屋のタイムテーブルは非公開で、19時スタートとなります。

FRUEZINHO@立川は、演奏時間はできるだけたっぷり、転換の時間も比較的長めにとっています。
今回、おいしいワインやお酒、食事の提供はありません。その代わり、会場を出るとテイクアウトできるお店やアルコールを販売しているお店、コンビニなどがあり、再入場ができますので、適宜、利用してください。晴れれば芝生スペースで寛ぐこともできますので、節度を持ってお楽しみください。
ただし、会場内へ飲食物を持ち込むことはできません。例外として、水筒やペットボトル等キャップが付いているものであれば会場内へ持ち込めますので、これを機にマイボトルの購入など検討してください。
なお、大阪ユニバースでの公演は、再入場不可となります。

■FESTIVAL FRUEZINHO 2022

*開催日
6月26日(日)

*開催時間
開場 13:00 / 開演 14:30 / 終演 21:30 

*開催地
立川ステージガーデン

*ラインナップ
Bruno Pernadas
cero
Sam Gendel & Sam Wilkes
Shintaro Sakamoto

*チケット
前売:14,000円
当日:16,000円

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SOLDOUT!!

*開催日時
6月27日(月)

*開催時間
開場 18:00 / 開演 19:00 

*開催地
TOKUZO

*ラインナップ
Sam Gendel & Sam Wilkes
Yuta Orisaka

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*開催日時
6月28日(火)

*開催時間
開場 18:00 / 開演 19:00 

*開催地
ユニバース

*ラインナップ
Bruno Pernadas
Sam Gendel & Sam Wilkes
Yuta Orisaka

*チケット
前売:9,000円
当日:11,000円

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*詳細
https://fruezinho.com/

*Flyer Image
Yuriko Shimamura

*後援
在日ポルトガル大使館

*協力
infusiondesign inc. / KIMOBIG BRASIL / Eastwood Higashimori / ハタケスタジオ / イマジン / FLATTOP / SPREAD / melting bot / 水曜カレー / BLOCK HOUSE

*主催
FRUE

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