大前至
他人事として聞き流すのか、共鳴することはできるのか?
韓国出身で現在、大阪を拠点に活動しているラッパー、Moment Joon。これまで日本人の親を持ちながら海外で生まれ育った、いわゆる帰国子女のラッパーや、あるいは国籍としては日本人ではないものの、幼少から日本で育ってネイティヴな日本語でラップするラッパーというのは少なからず存在している。しかし、大学への進学を機に韓国から日本へ移住したという Moment Joon の場合はそのどちらにも属しておらず、(本人曰く)「移民者」ラッパーという非常に稀な立ち位置で、日本のヒップホップ・シーンにてその存在感を強烈に示している。日本では留学生という立場ではあるものの、ビザ取得の面など自由に平穏に滞在すること自体も容易なことではなく、また、日本での日常生活の中で直接的な人種差別も受け、その一方で韓国の成人男性にとっては国民の義務である兵役中には自殺を考えるほどの苦しい思いをするなど、彼がこれまでの人生で経験してきた様々な苦労は、大半の日本人にとっては想像することすら難しいことかもしれない。しかし、そんな彼だからこそ表現できるトピックを、日本語ラップという手法の中で見事なエンターテイメントとして昇華させているのが、彼の 1st アルバムである『Passport & Garcon』だ。
アルバムの幕開けとなる “KIX” ではタイトルが示す通り、関西国際空港(=KIX)での Moment Joon 自身の実体験が再現されており、彼にとっては入国審査ひとつ取っても、通常の日本人とは全く異なることがよく判る。この曲に限らず、本作で重要なのは、彼の体験やメッセージを他人事として聞き流してしまうのか、あるいは何らかの共鳴をすることができるのか? それは彼の存在や言葉を「外」からものとして捉えるか、あるいは「内」として捉えるかと言い換えてもよいかもしれない。もし前者であるならば、本作を聴く資格はないとまでは言わないが、しかし、作品が持つ意味が全く違うものになってしまうだろう。
また、Moment Joon は韓国語、日本語、英語のトライリンガルであるが、本作のリリックはそのほとんどが日本語であり、韓国語と英語はごく少量のみ(そして実に効果的に)使われているのみだ。彼の日本語はほぼネイティヴスピーカー並みであるが、僅かな発音のクセが彼の放つ言葉に個性という輝きを与え、一つの魅力にもなっている。その上で、彼が移民者としての立場から、日本という国や社会、日本人に対して発するストレートなメッセージは、痛いくらいに辛辣であったり、時には挑発するような過激な表現が含まれていたりもする。それこそ、ここまでコンシャスなアルバムは昨今の日本語ラップでは珍しいくらいだ。そして、その先にあるのは、彼が現在住んでいる日本への愛と希望であり、さらに彼自身が属する日本のヒップホップ・シーンへの強い思いも感じとることができる。ラストに収録されている先行シングル曲 “TENO HIRA” はその集大成とも言える一曲であり、ぜひ、リリックを一つ一つ噛み締めながら聞いて欲しいが、個人的にも、日本語ラップでこんなに心が揺さぶられた経験は久しぶりだ。
最後に、作品としてこのアルバムをより豊かなものにしているのが、一つは Hunger (Gagle)と Justhis という日韓二人のゲスト・ラッパーであり、もう一つは全てのトラックを手がけているプロデューサー、NOAH の存在だ。美しく透明感もあり、そして様々な感情を引き出す NOAH が作り出すトラックによって、アルバムとしての統一したカラーが見事に作り上げられ、Moment Joon の伝えたいメッセージに一つの明確な道筋を与えているようにも感じる。澁谷忠臣氏がデザインを手がけたカバーも含めて、必要最小限のミニマルな構成で作り上げたからこその、見事なアート作品と言えよう。
[[SplitPage]]高島鈴
この曲を聴いて手のひらを掲げたなら、それはもう約束だ。
その島は沈黙している。よく耳を澄ませば、何事かをごにょごにょと話している風ではあるのだが、「何かありますか?」と聞くとみなお互いに顔を見合わせて口を閉じるのだ。いじめが常態化した教室のように、誰も責任を負おうとしない。ただあいまいな内輪の空気が満ちている。列島社会は長らくそのようなムードを擁してきた。
この糾弾すべき沈黙のなかで、Moment Joon は手を上げている。賞賛の両手ではない。異議申し立ての片手である。
ソウル出身大阪在住の「移民者ラッパー」 Moment Joon。前作「Immigration EP」のレヴューでも書いたように、社会変革のために戦うファイターであり、同時に「生存以上生活未満」の営みを必死に回す弱い生活者である。
3月13日にリリースされた Moment Joon の新譜『Passport & Garcon』は、間違いなく2020年の年間チャートを席巻するだろう。しかしこの作品が本当に評価されたと感じるためには、年間チャート1位では到底足りない。この公共を持たないゴミカス列島社会が変わって初めて、Moment Joon は自作の評価を確信できるに違いない。社会に変化を望むなら、いや望んでいない人こそ、Moment Joon の声を聞くべきだ。
本作は痛みと苦悩、恐怖と怯えに満ちている。
入管職員から韓国への出国を「帰国」と言い換えられる(“KIX/Limo”)。税金を払っているかどうか執拗に尋ねられ、曲を「日本の悪口」と切り捨てられる(“Home/CHON”)。自分に浴びせられた無数の差別言説を自分の口から取り出して見せる(“KIMUCHI DE BINTA”)。リスナーに人生を見世物扱いされ、自分の愛が敗れる気配を悟る(“losing My Love”)。自分が口にした変革の意思を、当の自分が信じられなくなっていることを明かす(“Hunting Season”)。被差別の経験を持つファンの子どもたちを見て、苦しみながら守られる側から守る側へ立ち上がることを決意する(“Garcon in the Mirror”)。
Moment Joon は、他人の痛みを俯瞰することに慣れきった列島社会(a.k.a. いじめの蔓延した教室)の中で傷を晒し、どうにかこの場に対面性を持ち込もうと試みている。考えてもみてほしい、これらの曲を歌って、痛みがないわけがない。作って終わり、ではなくて、ステージの上でこの曲を歌うたびに、Moment Joon の身体は繰り返し削り取られるはずだ。受けた傷を何度も自分の身体の上で反復して見せるような楽曲を、Moment Joon は他ならぬその傷を見せるために発表し、歌っている。
この痛みを耳にして、Moment Joon の傷の反復を終わらせなければならないと思わないなら、そのリスナーはいじめ教室の住人のまま一生を終えることだろう。Moment Joon に「もう傷を負わなくていい」と言える状況を作りだすにはどうしたらいいか考え、全員が動かねばならない。マジョリティとお金と男根的権力を主人とする政治家ではなく、弱い人の生存を一番に考える政治家を探し出して投票したのかどうか、身近な場所で行われている差別に「それダメですよ」と声を上げたかどうか、そういう選択の瞬間にこそ、Moment Joon の声を聞いたことへの責任がある。一瞬でも人の痛みに対面したなら、その責任は絶対に重い。
本作の最後は、「feat. Japan」と付け加えられた楽曲 “TENOHIRA” で締められる。この曲だけが、明確に連帯への希望を見出している。
この島のどこかで君が手を上げるまで
寂しくて怖いけどずっと歌うよ
見せて手のひら(ひら、ひら)
見せて手のひら(ひら、ひら)
Moment Joon “TENOHIRA”
この曲を聴いて手のひらを掲げたなら、それはもう約束だ。あなたと協働する、あなたの痛みを受け止める、という Moment Joon との約束である。そして「約束を守る」というごくささやかな公共を繋いだ先に、列島社会を覆う空気は晴れるのではないか。楽観ではなく戦略として、私は希望を信じたいと思う。