「K A R Y Y N」と一致するもの

PLAID - ele-king

 『セレクティッド・アンビエントワークス 85 -92』やポリゴン・ウィンドウと比肩できうる作品とは、ずばり、『バイツ』(93)だ。いや、AFXよりも評価する人も少なくなかった。『サイロ』の2曲目からいくつかはブラック・ドッグみたいじゃんと言った人もいたように、『バイツ』、そして『スパナーズ』(95)は、オールドスクールIDMのトップ10入り間違いナシのマスターピースなのだ。その2枚の傑作がプラッド名義もしくはプラッドがそのままブラック・ドッグ名義で続いていたら、歴史は変わっていたかもしれない。
 2014年、プラッドは、この名義では10枚目のアルバム『リーチー・プリント』をリリースしている。たしかに彼らは、先にも書いたように、AFXらとともにIDMの起点を作っているが、彼らが92年~93年に高評価されたのは、彼らの音楽には多彩なリズム、たとえばラテン風のリズムなどがあって、それがクラブ・ジャズ系のDJにまで幅広く受けたからだった。そういう意味で、彼らのライヴは穏やかな彼らの作品とはまた違った面白さがある。ぜひ、注目して欲しい。

PLAID - Reachy Prints - Audio/Visual Live in Tokyo
2014年12月19日 (金)
@代官山UNIT

OPEN/START 19:00
ADVANCED TICKETS 4,000yen (tax incl./without drink)

PLAID (WARP / UK) with Benet Walsh

Guest live:
Ametsub (nothings66) / Kyoka (raster-noton) / Eli Walks

今年結成25周年を迎え、通算10枚目のオリジナルアルバム『Reachy Prints』をWARP RECORDSよりリリースしたブリティッシュ・テクノの重鎮にしてエレクトロニカの始祖、PLAID(プラッド)の3年振りとなる来日公演決定!  当日は最新A/V Live Setを披露!!

Advanced tickets now on sale.
Ticket outlets:
LAWSON TICKET (L:73253) https://l-tike.com/
e+ https://eplus.jp/
Peatix https://peatix.com/?lang=ja
Clubberia https://www.clubberia.com/ja/
RA https://jp.residentadvisor.net/
disk union 渋谷 Club Music Shop
disk union 新宿 Club Music Shop
disk union 下北沢 Club Music Shop
disk union 吉祥寺
Technique
UNIT店頭

more info.: UNIT 03-5459-8630 www.unit-tokyo.com
https://www.unit-tokyo.com/schedule/2014/12/19/141219_plaid.php

PLAID (WARP / UK)
ブラック・ドッグ・プロダクションズのメンバーとして活動し、〈WARP RECORDS〉が誇るエレクトロニック・ミュージックのオリジネイターとしてUKテクノの黎明期に数多くの革新的な 作品を発表してきたアンディ・ターナーとエド・ハリスンによるユニット。活動初期からメロディアスでダンサンブルなエレクトロニック・サウンドを展開し、後のエレクトロニカや IDM といったテクノ・シーンにおいて多大な影響を与え、エイフェックス・ツインや残念ながら今年急逝してしまったLFOことマーク・ベルなどと肩を並べる重鎮的存在としても知られる。またこれまでのアルバムでは、ビョークやニコラ・コンテ、そしてアコーディオン奏者コバなど多彩なゲストが参加し話題になる。さらに近年では映像作家ボブ・ ジャロックと「音と映像」をリンクさせた共同作『Greedy Baby』のリリースを始め、マイケル・アリアス監督から直々のオファーで、アカデミー賞の最優秀アニメーション作を受賞した松本太陽の『鉄コン筋クリート』、2年後には長瀬智也主演の『ヘブンズ・ドア』のサントラ担当するなど幅広いジャンルで活動を展開。今年、結成から25周年を迎え5月に10枚目となる最新アルバム『Reachy Prints』をリリース。今回の来日では最新のaudio/visual live setを披露する。

Ametsub (nothings66)
東京を拠点に活動。2013年は山口の野田神社で、霧のインスタレーションを交えながら坂本龍一と即興セッション。TAICOCLUBの渋谷路上イベントにてパフォーマンス。Tim HeckerやBvdubといったアーティストの来日ツアーをサポート。夏にはFLUSSI(イタリア)、STROM(デンマーク)、MIND CAMP(オランダ)といった大型フェスへ招かれる。アルバム「The Nothings of The North」が世界中の幅広いリスナーから大きな評価を獲得し、坂本龍一「2009年のベストディスク」に選出される。スペインのL.E.V. Festivalに招聘され、Apparat, Johann Johannson, Jon Hopkinsらと共演し大きな話題を呼ぶ。最新作「All is Silence」は、新宿タワーレコードでSigur Rosやマイブラなどと並び、洋楽チャート5位に入り込むなど、大きなセールスを記録中。FujiRock Festival '12への出演、ウクライナやベトナム、バルセロナのMiRA FestivalへActressやLoneと共に出演。2014年はTychoの新作をリミックス、Plaidと共にスペイン発、Lapsusのコンピに参加。ActressとThe Bugのツアーをサポート。秋にはArovaneやLoscilらの日本ツアーをサポート。Ovalから即興セッションの指名を受ける。YELLOのボリス・ブランクによるFACT Magazine「10 Favorite Electronic Records」に選出される。
北極圏など、極地への探究に尽きることのない愛情を注ぐバックパッカーでもある。

Kyoka (raster-noton)
坂本龍一のStop Rokkasho企画やchain musicへの参加、Nobuko HoriとのユニットGroopies、Minutemen/The Stoogesのマイク・ワットとのプロジェクトを行う、ベルリン~東京を拠点に活躍するスウィート・カオス・クリエイターKyoka。これまでにベルリンのonpa)))))レーベルからの3枚のミニアルバムを発表後、Alva NotoとByetone率いるドイツのRaster-Notonからレーベル史上初の女性アーティストとして2012年に12インチ『iSH』、2014年には待望のフルアルバム『IS (Is Superpowered)』をリリースする。そのポップとエクスペリメンタルを大胆不敵に融合させた、しなやかなミニマル・グルーブは様々なメディアで高く評価され、Sonar Tokyo 2012、FREEDOMMUNE 0<ZERO>ONE THOUSAND 2013へも出演を果たす。

Eli Walks
音楽一家に生まれたイーライ・ウォークスは、幼い頃から豊潤なサウンドに刺激を受け続け、すぐに音楽の魅力に取りつかれる。若くして、ギタリスト、作曲家、そしてプロデューサーとして活躍し、早い段階で才能を見出される。2005年までは日本でバンド活動を行っていたが、その後LAに渡米。2006年には本格的にサウンド・デザイン、プログラミング、エンジニアリング、作曲を勉強するため、名門カリフォルニア芸術大学に入学。Monolakeが開発した画期的な音楽ソフトウェア「Ableton Live」に関するレクチャーを行えるまでになるなど、音楽理論を徹底的に吸収。eli walksの原点となる多様なスキルを身につけていく。
再び拠点を日本に移した後、2011年4月に開催された「SonarSound Tokyo」でのサウンド・インスタレーションを皮切りに、Prefuse 73来日公演、Flying Lotus率いるレーベルの名を冠したショーケース・パーティ「BRAINFEEDER2」、オーディオ・ビジュアル・イベント「REPUBLIC」、年末カウントダウンのGOLD PANDA来日公演など、2011年多くのビッグ・イベントに出演。2012年もModeselektorやSNDの来日イベントにて、オーディエンスを圧倒するパフォーマンスを披露。各方面から大きな注目を集める中、満を持して初のオリジナル作品となるデビュー・アルバム『parallel』を<MOTION±>から同年3月にリリース。7月には「FUJI ROCK FESTIVAL ’12」への出演を果たし、錚々たるラインナップと共に、深夜のRED MARQUEEを沸かせた。
常に音楽を作り続け、現在までに400曲以上作曲。磨き続けた類まれなセンスと確かな嗅覚によって創り出されるトラックはいずれも瑞々しい魅力を帯びている。叙情的でアトモスフェリックな旋律と立体的に重なり合う音像。繊細にして大胆、美しくスリリングなエレクトロニック・ダンス・ミュージックを鳴らす、日本発の超大型トラック・メイカー。
現在待望の2ndアルバムを制作中。来年初頭のリリースを予定している。


Phew - ele-king

 いつだったか、Phewがツイッターで「後衛を期待した前衛なんて、くそくらえだ」とつぶやいているのを目にしてすこぶる気分が高まったりもしたのだが、近年の彼女のあまりにも独創的な声とエレクトロニクス、そして、いつになく活動的でひたすら攻めまくる一挙手一投足からはまったくもって目と耳が離せない。はらはらどきどき、というか、おっかなびっくり、というか。わくわくする、というか、ぶるぶるする、というか。背筋が伸びる、というか、背筋が凍る、というか。個人的な話になるけど、学生時代に後追いながらもニューウェイヴに出会い、とりわけキャバレー・ヴォルテール、レインコーツ、レッド・クレイオラ、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ディス・ヒートら〈ラフ・トレード〉周辺の音楽や〈ノイエ・ドイチェ・ヴェレ〉のあれこれに夢中になっていた頃の発見の連続、そんなスリルとテンションを思い出させてくれる。

 2010年にソロ名義としては15年ぶりの全編カヴァー・アルバム『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント〜万引き』(寺山修司、永六輔/中村八大、加藤和彦/フォーク・クルセダーズ、坂本龍一からエルヴィス・プレスリーまで取りあげている)をリリースして以降、声というよりも(古いカヴァーであるがゆえに、逆にいまの時代と向き合った)歌を前面に押し出した活動が続いていたが、漫画家・小林エリカとのユニット=プロジェクト・アンダーク(音楽はクラスターのディーター・メビウスが担当)を始動したあたりから、Phewの表現方法がより意識的になり、さらなる広がりと鋭さを増したような気がする。第一次大戦後、ニュージャージー州のラジウム工場での夜光塗料の塗装作業中に被爆したラジウム・ガールたちを、悲劇的にではなく、古き良きフラッパーの時代に目いっぱいオシャレした、高給取りの華やいだ女性として描いたラジウム・オペラは、Phewと小林によるテキスト&リーディングがメビウスのエレクトロニクスと融け合って妖しくも美しく蛍光緑に発光していた。

 そんなプロジェクト・アンダークを経て(3.11以降と言ってもいいだろう)たどり着いたPhewの新しいライフワークとでも呼びたくなる宅録エレクトロニクス作品が、3種類のCD-Rという形で自主リリースされた。当初はライヴ会場のみで販売されていたものだが、現在は通販サイトからも入手可能となっているので、機を逃して、もしくは彼女の気まぐれで生産終了にならないうちに手に入れておきたいところだ(https://phew.stores.jp/)。これは、今年リリースされた電子音響作品のなかでも抜きんでて刺激的な作品だから。

 自ら「電気弾き語り」と呼ぶこの作品。冒頭でも述べたように、筆者が知るかぎりデビュー以来(79年にアーント・サリーでデビューしているから数えて35年!)もっとも活動的なPhewの「現在進行形」をもれなく真空パックしたもので、わんさか出てくる彼女にまつわる歴史的音楽事象──それは日本最初期のパンクだったり、坂本龍一とのコラボだったり、ドイツの重鎮たちとの交流だったり、ゴールデン・パロミノス周辺とのからみだったり、ノヴォ・トノだったり、ビッグ・ピクチャーだったり、モストだったり、ラジウム・ガールズだったり──とつながっているようでどれとも違う、もう一つ向こう側にあるまっさらな境地を拓いたものである。信じられないけど、Phewの新しいデビュー作を聴いているようなのだ!

 卓上に所せましと並べられた数々のアナログ機材を駆使して鳴らされる発振音。時に重厚に、時に柔らかく。軋むノイズから忘我の一瞬を永遠に引き延ばすかのようなドローンまで。そこに不意に差しこまれるヴィンテージのリズムマシンのビートが、まるでコニー・プランクの霊が宿っているかのように、鋭敏にして温もりのある唐突な存在感をもって立体的に立ち上がる。この質感。ビリビリくる。『01』の曲名に“アンテナ”“ドローン”“ニュー・ワールド”とあるように、まさに電波の新世界。また、『02』の1曲めに無線通信における一括呼び出しの略符号「CQ」をタイトルに掲げた“CQ トーキョー”なんて曲があるように、もはや彼女そのものが電子の一つと化したような、いやちがうな、まるで呼吸をするように極めて自然に電子と手を取り合うPhew(なんと日本のオリジナル・パンクロッカーは電信士の資格をもっている!)の音がある。そんな電子の波に身を任せるように大きく身体と頭を揺らしながら発せられる声。抑揚のなさが抑揚となり、冷めた言葉が抽象的な電子音響に熱を与える。ぽつぽつとした呟き、ざわざわとした囁き、詰めこまれる早口な言葉の羅列にぞくぞくする絶叫。また、時おり、それらの声が変調され、テープ・エコーが仕掛けられたりして、あちこち飛び交ったりするのだからもう、目の前は一瞬にしてはるか彼方。ずっと向こうの果てにまで響く声と電子音は、まだ認識されていない「ニュー・ワールド」の扉をこじ開けてどこまでもどこまでもこだまして……やがてどこかに消えていく……。

 『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント』でのカヴァーもしかり、プロジェクト・アンダークでのラジウム・ガールズもしかり、本CD-R作品で使用されている多くのヴィンテージ機材もしかり。近年のPhewは運命的ともいえるタイミングで過去のアイデアを引き寄せ、強い探究心でそこに新しい光沢を与える。そして、そのアイデアに重きを置くのではなく、ただそれを追憶するのでもなく、いまとしっかり線でつながりながらも、過去にあった点からは遠く遠く離れたところにある聴点にピントを合わせた電子エクスペリエンスをさらりと差し出してくれる。
 3枚の作品のなかのハイライトともいえる『03』に収録された“Mata Aimasyou”が圧巻だ。初期衝動とも熟練の技ともまったくちがう、急進的で、反骨的で、この世ならぬ音を繰り出すPhew。

また あいましょう
どこかで いつか また
あえるでしょう
そのうちに きっと また
あえるでしょう

 コンクリートのように寒ざむとしたドローンノイズを背景に、ぬっと立ち現れる声と口笛。凛とした姿勢をくずさず、折り目正しくいながらも、語りかけるように、危ういトーンで、がらんどうのような未来をつつつとつむぐ。静寂な死のにおいも漂わせる、異様な緊張感に包まれた声の震えが空気を伝わりこちらの耳に届くとき、じりじりと迫るもの恐ろしい感覚。同時におとずれる得体の知れない感動……この気高いユーモア、香り立つDIY精神には、ただもう畏まるしかない。

保坂和志 - ele-king

 「たびたびあなたに話してきたことだが僕は鎌倉が好きだ」この書き出しはヴィクトル・ユーゴーの『ライン河幻想紀行』から借用した、とそれこそ保坂さんはたびたび語っておられる。先日の『朝露通信』の刊行記念のトークでもいっていた。そうやってはじまる『朝露通信』は読売新聞夕刊紙連載の新聞小説で、単行本化にあたり、連載1回分をひと見開きに、2013年11月から今年6月までの185回をおさめたこの本は、『未明の闘争』以後であらたな領域にはいった保坂和志の『未明の闘争』以後の、こういってよければ、いくらか凪いだてざわりの中編である。

 物語は冒頭のとおり鎌倉と、3歳まで暮らした山梨の情景と記憶が錯綜するというより、入れ子状になったというより、まるでパズルのピースがちりぢりになりながら、関係するその全体が動いていくたたずまいをみせる。保坂和志は同じくトークで、2枚強(800字とちょっと)の文字数のなかで、右から左へ読みすすめるうちに右に書いてあったことを忘れる書き方をこころみたといっている。それは小説の制度と形式にたいする保坂和志のデビューから一貫する違和というより恒常的な思考の再帰であり、『未明の闘争』という大仕事を終えたあとであっても、その問題意識にはいささかのゆらぎもない。いやゆらぎはなくはない、水面は凪いでいても明鏡止水の状態などではなく、三千世界を映しだす朝露は静的なようでいながらふるふるふるえ、次の瞬間には蓮の葉から流れ落ちる、そのようなゆらぎ方で『朝露通信』はせわしなく過去をゆききする。

 幼稚園に小学校、そのころ流行った遊びにテレビに音楽にマンガ、1956年生まれの作者にとっての子ども時代だから1960年代を中心とした記憶のピースが散りばめられる。奈緒子姉に英樹と清人の兄、過去作品にも登場した人物がここにもひょっこり顔を出し、『カンバセイション・ピース』の舞台となった山梨の実家を鎌倉に移った高志は休みのたびに何度もおとずれる。私は発売中の『音楽談義』の取材で今年8月21日そこをおとずれた。甲州街道は調布をすぎ相模湖をかすめるあたりからどんどん山深くなり、トンネルを抜け甲府盆地にはいり、笛吹川と釜無川の合流する富士川にかかった橋をこえたとき、『朝露通信』にあるようにたしかにのぼり勾配になっている感触を車内でも感じた。保坂さんの母方のご実家におじゃますると、『カンバセイション・ピース』で描写されたとおりの間取りがそこにほんとうにあっていたく感激した。東西に縦に長い建物で、玄関からの二間つづく部屋の縁側がL字型にとりまき、階段は吹き抜けになって東の窓から陽がさしている、そこからの写真は『音楽談義』の187ページに載っているのでぜひ手にとってみてください。

 とはいえ『朝露通信』は『カンバセイション・ピース』のように稠密な細部を読み風景をたちあげるのではなく、家から外へ、ひととひとのかかわりが育む生活のなかへ思いを遊ばせていく。そのうち、冒頭の二人称であったはずの「あなた」は作中に回収され、現在時の作者とともに東北を旅することになるだろう。すると北上川(またしても川だ)をわたる前の平坦なまっすぐな道を郵便配達のオートバイが猛スピードで走っていく。この場面(28回)はとても印象深い。そのすこし前にはこうある。「郵便配達夫というとどうしてもシュヴァルのことを書かなくてはいられない」
 ここでいうシュヴァルとは「シュヴァルの理想宮」のシュヴァルである。
 保坂和志はおりにふれシュヴァルのことを書いてきたが、私は1990年の夏、壁がなくなった後のベルリンを見たいと、ドイツ在住の叔母を頼って渡独したついでに理想宮にもいったのは叔母の夫であるドイツ人のピーター(ドイツ語では「ペーター」)に、マサト(ドイツ語では「マザトゥ」)、おまえのオヤジは郵便屋らしいなと訊かれ、私は「ヤー」といった。
 「祖父も曾祖父もポストオフィサーだった」私の答えにピーターは「?」といったふうに首を傾げながらも「だったらなおさらだ。シュヴァルの理想宮にいったらどうだ。パリで美術館をめぐりするより価値がある、なにせ郵便屋がひとりでつくったものだからな」とつづけた。
 叔母は大学だか短大だか、それとも学校とは関係なく当時奄美のひとたちにとっての東京である大阪(横浜にあたるのが尼崎)に出てきて、どういうめぐりあわせか知らないがジャズ喫茶をはじめたのはいいがある日突然店をたたみ、メールスのジャズ祭にいくといったきり日本に戻らず、向こうで所帯をかまえた、その連れ合いがピーターなのだが、彼は船の設計の仕事をしていたものの、そのときは勤め先を告発したかどでクビになりかつての雇い主と係争中の変わり者だと私の母はいっていた。私はシュヴァルなんて聞いたこともなかったが、そういったピーターの窄まった真剣な目つきはよく憶えていて、数ヶ月欧州大陸をうろついたあげく、イギリスからフランスに戻り、パリから電車とバスの本数がすくなかったのでヒッチハイクで私は理想宮にたどりついた。その偉容は思ったより小ぶりなせいでかえって異様さを増し、浜際の隆起珊瑚がなにかを象っているように見えるのに似ているものの、自然の造形よりはあたりまえだが人工的――なのに構造物が自己増殖するようないまだ途上の不安定さと、なにかが発生することが根源的にもつ構築への意思のようなものを同時に、というより一挙に感じさせた。あらゆる様式の元がある建築の「胚」みたいだった。私はそのときはバルセロナにはいかなかったので、ガウディ建築は目にしなかったのだけど、サグラダ・ファミリアを見てもきっと理想宮に含まれていると思ったにちがいない。

 といったとりとめのないことを『朝露通信』は思い起こさせる。しかしそれだけではない。

 たとえば95回はこんな一文ではじまる。
「僕はもしあと十年遅く生まれていたら小説を書いてないで音楽をやっていたと自分で確信する、僕は音感は楽譜的に悪いというか学校で習う音楽的に悪いというか、とにかくろくなもんじゃないから音楽をやっていたとしてもきっと成功しなかっただろう、でもそんなこと関係ない、「そんなこと関係ない」という生き方の証明と実践こそが僕にとっての音楽だ、」
 私はこれを読んで胸が熱くなった。これこそロックの原点だ。私はあと10年遅く生まれたなら音楽にかかわっていただろうか。その仮定は検証できないから意味はない、と看破することはしかし悪い大人のいい方でしかない。ましてやノスタルジーなどでもない。そしてこの一文は『朝露通信』のまさに10年後の世界である70年代を(おもに)語った『音楽談義』ともたぶんに響きあっている。『朝露通信』と『音楽談義』との関係は、保坂さんは前者を書いていた裏で湯浅さんと後者をしゃべっていたからだけではない。音楽から、虚構や批評、もっといえば歴史と私たちひとりひとりの記憶にいたるまで、放っておけば奥行きを失いがちなものへ、同学年のふたりが記憶をもちよることで光をあてなおす作業だったかもしれない、余白を埋めながらあたらしい余白をつくりだしたのかもしれない、というようなことをあさってのトークではお話しするかもしれませんし、あさっての方向にいくかもしれませんが、ともあれ、みなさん、12月14日は万障お繰り合わせのうえ、青山ブックセンター本店へぜひおこしください!

■『音楽談義 Music Conversations』(Pヴァイン)刊行記念
保坂和志×湯浅学 トークイベント

 それぞれ小説家と音楽評論家として活躍する同学年のふたりが、おもに70~80年代のロック、ポップス、歌謡曲までを語り明かす、紙『ele-king』の同名人気連載が『音楽談義 Music Conversations』としてついに単行本化! 音楽論にして文学論であるばかりか、時代論で人生論。他の記事とは圧倒的に流れる時間の異なるこのゆったり対談は、このスピードでしか拾えない宝物のような言葉と発見とにあふれています。今回はその番外出張版トークイヴェント! 雑誌のほうでは毎度紙幅の都合で泣く泣くカットする部分もありますが、
イヴェントとこの新刊(保坂氏ゆかりの山梨での出張対談を含め、8時間におよぶ追加対談を含めた充実の内容!)はそんな部分もばっちり収録のディレクターズカット版。
このふたりにしか出せないグルーヴを堪能してください!

■概要
日時 2014年 12月 14日 (日)
開場 14:30~
開始 15:00~
料金 1,080円(税込)
定員 110名様
会場 本店 大教室
お問合せ先 青山ブックセンター 本店
03-5485-5511 (10:00~22:00)
ウェブサイト https://www.aoyamabc.jp/event/hosaka-yuasa/

■著者紹介
保坂和志(ほさか・かずし)
1956年山梨県生まれ。90年『プレーンソング』でデビュー。93年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、95年『この人の閾(いき)』で芥川賞、97年『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、平林たい子文学賞を受賞。著書に『カンバセーション・ピース』『小説修業』(小島信夫との共著)『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』『小説、世界の奏でる音楽』『カフカ式練習帳』『考える練習』など。2013年『未明の闘争』で野間文芸賞受賞。近刊に『朝露通信』。
湯浅学(ゆあさ・まなぶ)
1957年神奈川県生まれ。著書に『音海』『音山』『人情山脈の逆襲』『嗚呼、名盤』『あなのかなたに』『音楽が降りてくる』『音楽を迎えにゆく』『アナログ・ミステリー・ツアー 世界のビートルズ1962-1966』『~1967-1970』『ボブ・ディラン ロックの精霊』(岩波新書)など。「幻の名盤解放同盟」常務。バンド「湯浅湾」リーダーとして『港』『砂潮』など。近刊に『ミュージック・マガジン』誌の連載をまとめた『てなもんやSUN RA伝 音盤でたどる土星から来たジャズ偉人の歩み』(ele-king books)がある。

■書籍情報

Amazon

『音楽談義 Music Conversations』
70年代、僕たちは何を聴いていただろう。
ボブ・ディラン、レッド・ツェッペリンから、歌謡曲、フォーク、ジャズまで! 保坂和志と湯浅学が語りつくす。
レコードへの偏愛を語り、風景が立ち上がる。
小説家、保坂和志。音楽評論家、湯浅学。同学年のふたりが語るフォーク、ロック、ジャズ。音楽メディアでも文芸誌でも絶対に読めない、自由奔放な音楽談義。
著:保坂和志・湯浅学
発売日:2014年11月28日
四六判、ソフトカバー、全256頁
定価:本体1,800円(税別)


ゴーン・ガール - ele-king

 尋ねる人間を間違っているとしか思えないのだが、ごく稀に「デートにオススメの映画ってある?」と質問されることがあり、面倒なので「映画とは基本的にひとりで観るものであって、デートに“使える”ものではありません」と答えるようにしている。すると相手は訊く人間を間違えたという顔をするのだが(だから間違ってるんだってば!)、困ったことに今年はこのクリスマス・シーズン、僕のイチオシのデート映画がある……それがデヴィッド・フィンチャーの新作『ゴーン・ガール』で、なぜならこれは一種のロマンティック・コメディになっているからだ。

 原作は女性作家ギリアン・フリンの同名小説。ミズーリ州の子どものいないある夫婦の妻が、5年めの結婚記念日の朝に失踪する。現場となった自宅には争った跡があり、そして大量に血を拭きとった反応が出てきており、さて……というところから物語は始まる。原作を読むにしても映画を観るにしても、これ以上中身について知らないほうが楽しめることは間違いないので、できるだけ前情報を入れずに劇場に足を運んでほしいと思う。犯人は誰なのか? トリックは? などと普通のミステリーの観方をしていると、ド肝抜かれること間違いなしだ。
 だから以下の文章は余計な情報に過ぎない。が、ひとつ言いたいのは、これは世間を覆うミソジニーに対するブラック・コメディになっているということである。原作もけっこう笑いながら読んだけれども、映画は相当笑いながら観た。ベン・アフレックによる呆けた顔の鈍感なハンサムくんがあまりにもピッタリ過ぎて、ロザムンド・パイク(『ワールズ・エンド』のヒロインのイギリス人女優です)演じる「手に負えない女」の見事さと相まって、2人のベスト・カップルぶりを見ているだけで愉しい。ここで描かれるような女が怖い男(たち)と、そのことにひるまない女(たち)の闘いはたぶん、今日も世界のあらゆるところで繰り広げられている。思えば、『セブン』、『ファイト・クラブ』、『ゾディアック』、『ソーシャル・ネットワーク』と、その代表作において基本的に「男どもの映画」を撮ってきたフィンチャーは、前作にあたる『ドラゴン・タトゥーの女』と本作では、かつて『エイリアン3』や『パニック・ルーム』でやろうとしていた(そしてあまりうまくいっていなかった)闘う女についての映画にあらためて取り組もうとしているのではないか。その意味では本作の脚本を原作者のフリンが手掛けていることは奏功しており、ここで「男の手に負えない女」であるエイミーは何やら新時代のヒーローのようにも見えてくる。女性から見るとどうなのだろう。

 では、やっぱり女と男はわかり合えないのだというシニカルな映画かと言えば、そんなことはないように僕は思うのだ。物語は想定外の展開を見せながらやがて、不思議な「共闘」体制へとなだれ込んでいく。それを皮肉と見なすかは意見のわかれるところだろうけど……僕には強烈にロマンティックなものに感じられる。絶対に相容れないものをお互い抱えながら、しかしそれすらのみ込んでいく夫婦という不条理。それが149分たっぷりエンターテイメントしており、フィンチャーのベストではないにしても余裕たっぷりの充実作だ。
 ちなみに、スタイリッシュなサウンドトラックはすっかりフィンチャー組となったトレント・レズナー&アッティカ・ロス。

予告編

原作
https://www.amazon.co.jp/dp/4094087923


Ariel Pink Parade! - ele-king

 アニマル・コレクティヴに見出だされたサイケデリック奇人にして、現USインディ最高峰のソングライターであるアリエル・ピンクが、ソロ名義では初となるフル・アルバム『ポン・ポン』をリリース。
 サン・ローランのキャンペーン・モデルに抜擢されるなど近年その存在感をセレブかつアーティに変化させた彼だが、本作においては憧れのキム・フォーリーとの共作を果たし、自らの揺るぎないバックボーンと彼独自の世界をあらためて示している。
 この一見しただけでは到底うかがい知ることのできない『ポン・ポン』の魅力を、ヴィジュアル、レヴュー、インタヴューの3本立て“パレード”でお伝えしよう。


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Dayzed Inn Daydreams
──アリエル・ピンクと『ポン・ポン』に寄せる9つのイメージ
デザイナー西村浩平の手掛けるブランド〈DIGAWEL(ディガウェル)〉制作のヴィジュアルを公開

Albun Review
Ariel Pink - Pom Pom
4AD / ホステス

ケヴィン・エアーズ? ピーター・アイヴァース? 言葉をすりぬけて踊る怪作ポップ・アルバムを吉田ヨウヘイと松村正人がつかまえにいく

interview
完熟サイケデリック!
──アリエル・ピンク、インタヴュー

キム・フォーリーと「ジェロー」の関係から日本人女性の結婚問題まで。人生をめぐってユーモアとアイロニーが半ばしもつれる、アリエル・ピンクの舌好調トーク

interview with Ariel Pink - ele-king

 アニマル・コレクティヴが見出したサイケデリック奇人(アニコレに自作音源を渡すところから彼のキャリアははじまる──)にして、とくに〈4AD〉移籍前後の2000年代末からは有無をいわさぬバンド・フォームで現在形インディ・ロック最良の瞬間を紡ぎ出してきたソングライター、アリエル・ピンク。この秋、彼はその「ホーンテッド・グラフィティ」ではなく、自身のソロ名義として初となるフル・アルバム『ポン・ポン』をリリースした。


Ariel Pink - Pom Pom
4AD / ホステス

Indie RockPsychedelicPunk

Tower HMV Amazon iTunes Review

 活動初期──8トラックのカセット・レコーダーで録音された、落ち着きなくスキゾフレニックな楽曲(の断片)群を、おっかなびっくりR.スティーヴィー・ムーアなどと比較しながら追っていた頃からはや10年にもなるだろうか。その途上、〈4AD〉からのリリースとなった2作『ビフォア・トゥデイ』(2010年)『マチュア・シームス』(2012年)は、彼のキャリアに大きな曲り角を築いた。とくに前者は、整ったバンド・アンサンブルやAOR的なロジックによってそれまでの彼の音にポップスとしての肉付けを与え、「またとなく洗練されたキワモノ」として畏怖と喝采とともにシーンに迎えいれられた。かつ、そのことがむしろ、彼と彼の音楽のエキセントリックな佇まいの奥に偏屈さとともにぎちぎちに詰まっていた、サイケデリックやプログレッシヴ・ロック、あるいはパンクのアーカイヴをふとぶとと解放したかにも見えた。その2作が素晴らしかったのは、なにも彼が折からのエイティーズ・ブームに乗ってダサい懐メロをクールに鳴らすアーティストになったからではなくて、彼自身のサイケデリックのアウトプットをいきいきと市場と時代感覚につなげたからだ。

 そして、その2枚の「成功」は、たとえば彼をサン・ローランのキャンペーン・モデルに抜擢するまでに、その存在感をセレブかつアーティに変化させもした。しかし変わったのは存在「感」であって、彼自身はむしろ音同様に、変わらないばかりかそのコアをずん胴のようにぶっとくしている。今作で自身憧れのキム・フォーリーとの共作を果たし、自らの揺るぎないバックボーンを示してみせたのはその象徴ともいえるだろう。

 よって今作は前2作よりは未整理で、しかし『ウォーン・コピー』(2003年)や『ザ・ドルドラムス』(2004年)など初期作品よりはきめ細かい、まさにいまの彼の立ち位置だからこそ放出できる、おいしさ剥き出しのアルバムになっている。この、微分積分では肉薄できず、さりとて天然や薄っぺらなエキセントリックではありえない怪作は、まさに「かえるの王様」のごとく気味わるくキュートで、高貴だ。アイロニーとユーモアが半ばしもつれ、それはそのまま彼の生全体をも照らしだしている。そう、このインタヴューと作品からは、「30代がいちばん楽しい」とうそぶくアリエル・ピンクの人生観と人間論にも触れてほしい。未熟と老いのあいだに、彼は彼一流のつかみどころのなさでもってその完熟ボディを差し出している。

■Ariel Pink / アリエル・ピンク
LA出身のアーティスト、アリエル・ピンクことアリエル・マーカス・ローゼンバーグ。10代の頃から音楽活動をはじめ、アニマル・コレクティヴの〈ポー・トラックス〉などから数多くの音源をリリース。2010年に〈4AD〉より4人組ロック・バンド、アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティ名義で『ビフォー・トゥデイ』を発表。「ピッチフォーク」で9/10点を獲得し、同年の年間ベストではリード・シングル「ラウンド・アンド・ラウンド」が100曲中の1位を獲得、NMEで8/10点を獲得するなど2010年度の国内外年間ベストアルバムを総なめにした。2012年のセカンド・フル『マチュア・シームス』リリースを経て、今年2014年、ソロ名義では初のアルバムとなる『ポン・ポン』を発表し、さらなる期待を集める。

たしかに僕はジェローそのものだけど(笑)。

さっそくですが、“ゴス・ボム(Goth Bomb)”では「なんで書くとカクカクになっちゃうんだろ?」と歌っていますね。それに対して「pom pom」というのは書いてもカクカクにならない言葉や感覚だと思いますし、あなたの音楽自体、カクカクにならない──つまり何かの型にはめられることなくあなた自身の心のかたちを表していると思います。
 それはそうとして「pom pom」とは何でしょう?

アリエル・ピンク(以下AP):おもしろい質問だな(笑)。「pom pom」が何かなんて初めて訊かれたよ。いままでの中でいちばん変な質問(笑)。何だろう……いざ聴かれるとわかんないな(笑)。中国語の文字とか?

そうなんですか(笑)。

AP:なんとなくね。いま感じたのはそれ(笑)。意味はないけど。

今作には制作年代の古い曲が混じっていますか?

AP:入ってないよ。曲の一部には前に思いついたものとかもあるけど、曲自体はすべてだいたい2~3ヶ月で書いてるから。

では、何かしらのコンセプトのもとにまとまりをもって制作されたものでしょうか?

AP:いや、コンセプトはない。僕のこれまでのレコードの中でコンセプトをもとに書かれたものは一枚もないんだ。曲を書いている期間や場所が曲に関係してくるっていうのはあるけど、それはコンセプトではない。作ってレコーディングしていくという過程で曲のコレクションができて、そこからアルバムという固まりを作っていく。それだけがアルバム制作におけるルールなんだ。
 みんなには、それをアルバムというひとつのまとまりとして聴いてもらってもいいし、デジタルで1曲ずつを楽しんでもらってもいい。どう楽しむかはリスナー次第だからね。僕はただ、その楽しみ方のオプションができるだけたくさんできるように、なるだけ多くの時間を費やして最高の作品を作るだけ。みんなが、CD、ヴァイナル、iTunesのどれにおいてもその作品を楽しめるようにね。

“ジェロー(Jell-O)”の、子どもたちと録音された映像が印象的でした。非常に楽しそうですし、子どものなかに混じると、ますますあなたの存在が際立ちます。アリエル・ピンクは父でも母でも叔父でも兄でもなく、大人でも子どもでもない。まるでジェロそのもののようです。ジェロにはシンパシーがありますか?

AP:はは。おもしろいコメントだね。たしかに僕はジェローそのものだけど(笑)。この質問、何を答えたらいいのかな(笑)。ジェローはゼラチンで、ビル・コスビーがCMのキャラクターで……彼らは新しいマスコットが必要なんだろうな。ビル・コスビーに対してちょっとした論議があったから、今度は僕を起用すれば安心かも(笑)。いや、ダメだろうな。僕も問題になりそう。日本とアメリカはちがうかもしれないけど、アメリカでは僕はあまり好かれてないから(笑)。

そうなんですか? ジェローにシンパシーはあります?
AP:あるよ。その理由は、キム・フォーリーが食べてるから。歯がポロポロとれてしまうかもしれないから、彼は柔らかい食べ物を食べないといけないんだ。人生の最期には、ジェローばっかり食べてるかもしれないね。実際そうなるかはわかんないけど。

キムはまさに天才。大先輩だし、心から尊敬してるよ。彼のことはアートみたいに保存したほうがいいと思う。最近の世の中、あまり人を尊敬して評価するってことが減ってきているけど、僕はそれくらい彼を尊敬してるんだ。

いま、キムの名前が出ましたね。たとえばランナウェイズには、背後に仕掛け人としてのプロデューサーがいて、それによって商品として仕立てられた女の子たち、というイメージもあったと思います。あなたは「ポップ」という概念についてさまざまな意見と感情をお持ちの方だと思うのですが、キム・フォーリーはその意味ではあなたにとってどのような存在ですか?

AP:キムはまさに天才。大先輩だし、心から尊敬してるよ。彼はいろいろなことを乗り切って、いまだに彼なりのやり方で生き抜いてる。ちがう時代に創られたアートを見ているようだよ。神殿みたいな。彼のことはそういうアートみたいに保存したほうがいいと思う。最近の世の中、あまり人を尊敬して評価するってことが減ってきているけど、僕はそれくらい彼を尊敬してるんだ。

ランナウェイズとキムに関しては?

AP:商品っていうのはその通りだと思う。世の中の多くは商品、製品だからね。人間みなそうさ。両親がセックスして作られるもの。だから製品なんだし、しかも消費されるものだからね。みんな一生生きるわけじゃない。希望や夢を持った商品。それでいいんじゃない?

ランナウェイズには特別リスペクトする気持ちがあるのですか? パティ・スミスは嫌い(と、前回のインタヴューで答えてくださいました)で、ランナウェイズは好きという理由をおうかがいしたいです。

AP:好きだよ。ランナウェイズはいい。彼女たちって、女だけど好きなんだよね(笑)。

女だとダメなんですか(笑)。

AP:僕が女嫌いっていうのは周知の事実さ(笑)。

わたしも女性なんですが……。

AP:そうなの!? じゃあもうこれ以上話せないね、ははは。

パティ・スミスも女性だから嫌いなんですか?

AP:パティ・スミスは好きじゃない。これは逆に、彼女が男っぽすぎるから。僕は男も嫌いなんだ(笑)。彼女は男性的すぎるんだよね。ずっとキッチンにいたほうがいいと思う。お茶を入れてさ。もうたくさんいいレコードを出してるから、今度はたくさんのおいしいパウンドケーキを作って、僕にジェローを作るべきだね(笑)。ウケるな(笑)。

ランウェイズに対するリスペクトに関してはどうでしょう?

AP:もちろん尊敬してるよ。ランナウェイズは……彼女たちを尊敬してるかって質問はお門違い。なぜなら、僕は人生の中で出会うすべての人をリスペクトしてるし、パティだって嫌いだけど尊敬はしてる。ただ、彼女の作品を好きで聴くかって言われたら答えがノーだけどね。それはただの一人の人間の意見であって、彼女が一生懸命活動していることに関してはもちろん尊敬の念がある。子どもを産む人もリスペクトするし、しかもそれはもっと大変なことだろうしね。
 ランナウェイズは出産をしているメンバーもそうでないメンバーもいるけど、彼女たちを尊敬しているのは、やっぱりキムの存在。彼に才能があるのと、やっぱりLAのプロデューサーが関わっていると、この街(LA)との深い繋がりを感じることができるんだ。ローカルな感じがいい。僕が好きな感じにプロデュースされてるから好き。パティはニューヨークだろ? ニューヨークのプロデューサーたちはあまり好きじゃないんだ。でもラモーンズは超好きだけど。やっぱりそこも、ビーチ・ボーイズの影響があるからかな。

60年代、70年代、80年代、それぞれのキム・フォーリーの仕事の中で好きなものを挙げてもらえないでしょうか?

AP:"モーター・ボート(Motor Boat)"や60年代の"ザ・トリップ(The Trip)"なんかが好きだけど……答えられないよ。たくさんありすぎるし、僕が好きなのは、キムが書く音楽だけじゃなくて、彼の生き方や人生すべてだからね。
 彼はレーベルや業界のアウトサイダーだから。最初はかなりインサイダーな立場だったけど、彼はそこから自分自身になろうとしてきた。ストリートで才能があると思う人間を見つけて、その人のために曲を書いたり。しかも、彼はそこからヒットを作り出してきた。最近は、ヒットを作ろうとすることや成功を目指すことがよくないともされているけど、キムには成功したいという熱意がつねにあったんだ。その熱意がないと、成功ははじまらない。それを知っておかないと、人間どこにも進めないと思うんだ。失敗があるからこそ成功もあるわけで。みんな、それを乗り越えないとね。

彼になくて自分にあるものは何だと思いますか? 何かひとつ挙げるとすれば。

AP:時間。僕には時間がある。いや、わからないね。僕も今夜死ぬかもしれないし、キムといっしょにこの世を去るかもしれない。彼に残された時間は短いけど、キムはまったく仕事量を減らしてないんだ。病床で未だに活動してるよ。人が休めといってもきかないんだ。そこも彼の好きなところだし、影響されてる。

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30代を満喫してる。10代の後、20代を飛ばして30代に入りたかったくらいさ。


Ariel Pink - Pom Pom
4AD / ホステス

Indie RockPsychedelicPunk

Tower HMV Amazon iTunes Review

以前インタヴューで誕生日を数えないとおっしゃっていましたが、あなたの感覚ですと、あなたはいまいくつくらいなのでしょう?

AP:何だって? 年齢は誰にだって言ってるけど(笑)。ネットで見てみなよ。wikipediaとか、そこらじゅうに載ってるから隠せない。マネージャーもいないから、何かを隠して良いイメージを作るとか、そういうことはできないんだよな。もしできるんだったら、もっと前からやってたけど。もしそうしてたら、批判されることなく素晴らしい愉快な人間で通ってただろうね(笑)。

実年齢関係なく、あなたの感覚では何歳ですか?

AP:無限。不変だよ。

そうきましたか(笑)。

AP:実際は36だけど(笑)。君は?

わたしは32です。

AP:日本って独身の女性がたくさんいるだろ? 来日したときに感じたんだ。すっごい変な感じがした。日本って、僕の中ではいちばんおかしな場所なんだ。文化って意味でね。日本の女性って、果たしてパーティーにいったりバーにいったりして男性と知り合ったり惹かれ合ったりすることがあるのかな? って思った。道で女性同士で固まって、高い声でいっしょに笑い合ったりしてるのは見かけたんだけど、一方で男性側は一人でヘッドフォンを付けて一人で歩いてる。どうやって男女出会って結婚するんだろう? って思ったね。結婚が想像できなかったんだ。2005年の話だから、いまはちょっと変わってるかな? みんなデヴィッド・ボウイみたいな派手な格好をしてたのを覚えてるよ。とくに大阪。髪型もいろいろだし、超デヴィッドだった(笑)。クールだったね。

たしかに、固まって行動することはアメリカより多いかもしれませんね。飲み屋も個室が多いし。

AP:じつは似てる人が多いなと思った。みんな個性的に見えるけど、同時に同じようにも見えるんだ。日本を批判してるわけじゃけっしてないよ。僕だって変だし。でも僕はどんな格好したとしても、人から何を言われるかは気にしない。でも日本では、みんなが人からの判断を恐れているように感じたんだ。クジャクみたいにいろいろな表現はできるけど、何かを気にしてる、みたいな。32歳で日本がそういう状況なら、いまみたいにこうやって電話で話してる相手とデートしてみるのもいいかもね(笑)。空港で待っててくれる? ははは。その前に来日が実現しないとね。日本にはまたぜひ行きたいと思ってるんだ。


日本って独身の女性がたくさんいるだろ? 来日したときに感じたんだ。すっごい変な感じがした。日本って、僕の中ではいちばんおかしな場所なんだ。文化って意味でね。1

“ピクチャー・ミー・ゴーン”はとても美しい曲ですね。MVも、人生後半の苦さとともに、若さのもつ永遠性を抒情的に表現する素晴らしいものでした。ここで歌われている題材は、年齢など外部的な要素からすれば、いちばんあなたの「等身大」ともいえるものですが、あなたは自分が老い、また死ぬことについてどのようなヴィジョンをもっていますか?

AP:おもしろい意見だね。僕自身は、年を取って、もうすぐ死ぬかもしれない父親のアングルでこの曲を書いたんだ。彼には息子がいて、でも自分が死んでしまうと、息子は彼の背景を知らないままになってしまう。だから、彼がどういうふうな人生を歩んできたのかを息子に伝えるメッセージを残すんだ。ヴィデオやYouTube、iCloudにアクセスしたりダウンロードしてそれを見ることができるって伝えてる。息子が興味を持つ年齢になったら、父親のことを知れるようにね。いまの時代って家族アルバムがないだろ? だから、インターネットやコンピューターにアクセスして、そこで歴史をしるしかないんだ。

自分自身が老いること、死ぬことに関してはどう思いますか?

AP:ぜんぜん怖くもないし、歳をとることはいいことだと思う。ここ2年の自分を見ても、よりよい選択ができるようになっていると思うし、いま起こっている何かは、その先の何かにつながっていると思うから。次や先の何かの道しるべなんだよ。

20代に戻りたい、と思うことは?

AP:まったくないね。30代を満喫してる。10代の後、20代を飛ばして30代に入りたかったくらいさ。

グランジと呼ばれた音楽にはどのような感想がありますか? 詞にカート・コバーンが出てきますね。

AP:どうだろう……いくつか好きなのもある。サウンド・ガーデンの初期の作品とか。あと、メルヴィンズもよかったな。ビッグ・ビジネスも好き。グランジっていうムーヴメント自体には……どうだろう……。

グランジをわりと聴いたりはします?

AP:聴かないね。てか、僕は音楽を聴かないから。

カート・コバーンに関しては?

AP:彼は好きじゃなかったけど、亡くなってから好きになった。ひどいと思うかもしれないけど、彼はヘビメタの命を奪ったからね。それにはがっかりだったんだ。僕はヘビメタが大好きだったから。カード・コバーンは長髪の人間全員をズタズタにしたんだよ(笑)。

では、スパークスは意識しますか?

AP:イエス。彼らの音楽には影響されてるよ。アレンジがララララララ(ドミソドソミドの音程で歌う)みたいな感じで……これ、どう説明していいかわからないけど、とにかく彼らはジャンルとジャンルの間にいるような存在だと思うんだ。パワーポップやサイケでありながら、エクスペリメンタル・バンドでもありコメディ・バンドでもある。そこが好きなんだよね。

曲作りのときに意識したりは?

AP:いや、それはないね。曲を書くときに他のバンドやアーティストのことを頭に置きながら書くことはまずないから。できてみて、あ、コレ聴いたことあるなっていうパターンはあるけど。

アニマル・コレクティヴはエイヴィ・テアとパンダ・ベアという色の異なる柱によって成り立っていますが、その両者ではどちらにより音楽的なシンパシーを感じますか?

AP:どちらとも言えない。彼らは彼らで個性的なことをやってるから、つながりを感じることはないね。あるとしても、2人とはそれぞれちがうつながり方をしてるし、どちらがっていうのはないよ。

そのつながり方とは? それぞれの何に対してつながりを感じますか?

AP:エイヴィは、人にはわからないテリトリーがある。彼にはチャレンジ精神があって、ソングライティングに対してもリスクを取るんだ。未知のテリトリーに入るんだよ。ソングライティングや方向性で、いろいろと挑戦するんだ。パンダ・ベアには彼の特徴的なスタイルがあるし、彼の音楽は感情に訴える。そこかな。

なるほど! ありがとうございました。

AP:ありがとう! いい一日を!

Ariel Pink - ele-king

ブタのパレードの向こうから
──批評はアリエル・ピンクをつかまえるか松村正人

 ケヴィン・エアーズが死んだのは一昨年の早春だから野田さんに追悼文書きますよ、とやすうけあいしたままそろそろ2年が過ぎようとしている。さいきんとみに時間の流れがはやい。このままではケヴィン・エアーズの追悼文を書く前に私が追悼文を書かれるだろう、書いてくれるひとがいればだが。私はもうしわけない、エアーズさん、と敬称をつけると妙な気がするが呼び捨てにしない間は死んだ人間はいくらかまだこちら側にいる。高倉健さんとか菅原文太さんとか。そういえば保坂さんと湯浅さんの『音楽談義』の、クリームをクサしたくだりを校正していたときにジャック・ブルースさんは死に、本が出てしばらくして同じく文中であつかったジョニー大倉さんが亡くなられた。そろそろ大瀧詠一さんの一周忌になる、などと連想が止まらなくなったのはアリエル・ピンクのソロ名義でははじめてのアルバム『ポン・ポン(pom pom)』冒頭の“プラスティック・レインコーツ・イン・ザ・ピッグ・パレード(Plastic Raincoats In The Pig Parade)”がケヴィン・エアーズ――ここからは敬称略となります――のファースト『ジョイ・オブ・ア・トイ(Joy Of A Toy)』の1曲めにあまりにもそっくりモグラだったからであるが、だからといって鬼のクビをとったつもりではそれこそアリエル・ピンクの思うツボである。ケヴィン・エアーズさん、もうしわけないとは彼は思っていない。というかこの曲はキム・フォーリーとの共作なのでこの調子っぱずれのブタのパレードの向こうでほくそえんでいるのはキム・フォーリーなのかもしれない。

 以前灰野敬二さんとジムさんの対談で、灰野さんがフランスでトニー・コンラッドとキム・フォーリーと対バンしたとき、タイムテーブルがオシてんな、と思い覗いたらキム・フォーリーが“ルイ・ルイ”をやってたんだよ、と灰野さんは目を丸くされた。もちろんサングラス越しなので灰野さんがじっさい目を丸くされていたかわからない。しかし声の表情はそういっている。そういわれればそうだ、トニー・コンラッドも灰野敬二もともに先鋭的な音楽性を特徴とする、そこに“ルイ・ルイ”はそぐわない。それこそがキム・フォーリーの狙いだったのかたんにガレージ好きだからかサービスなのか、判然としないのがしかしキム・フォーリーのそのひとであり、それをそのままアリエル・ピンクになぞらえられなくもない。極彩色の夢をベッドサイド経由で世界に播種するサイケデリアにして、サン・ローランが、ということはつまりエディ・スリマンがポップアイコンと認めたミュージシャンである、ということはつまりカート・コベインの系譜に感覚的(赤字に傍点)に連なるポップ・アイコンたるポテンシャルを秘めたアリエル・ピンクのホーンテッド・グラフィティとの『ビフォア・トゥデイ(Before Today)』にせよ『マチュア・シームス(Mature Themes)』にせよ、そこには無数の夢ともに音楽の夢である過去が詰まっていた、というべきかポップス史を再構成したといえばいいいか、それとも時々刻々積み重なる現在時のもぬけの殻の過去を、記憶を夢の力学でつむいだといえばいいのか、2010年代の稀代の名曲とされる“ラウンド・アンド・ラウンド(Round And Round)”の歌い出しに「マイ・シェリー・アモール」を想起する私の90年代仕様の思考には少々手にあまるにしても、アリエル・ピンクは断片が意味を帯びる前に身をよじりその意味から意味へと身をかわす。全部がそのようにできているといっても過言ではない。
 『ポン・ポン』ではそれがさらに夢のような反響をもちせわしない。さらにロウファイであることは時代の磁場をあらわし、スタジアム・ロックを思わせる大上段にふりかぶった楽想をふりおろす間もなく曲調はスタジアムを離れベッドルームへもぐりこむ。ロックとポップとメジャーとアンダーグラウンドに向けた八方美人な批評性を方法とするならジェームス・フェラーロのそれと近似していくにしても、ディレッタンティズムともスノビズムともとられかねない方法からもやはりアリエル・ピンクは遠い。遠いのはソングライティングがなににもまして先立つからであり、それはビートルズやビーチボーイズのように神がかり的な名曲を生みだし得ず、意匠さえ尽きかけた時代のパンク足らんとしたニルヴァーナがポップだったようにポップであり、1990年代と2000年代と時代を経て、ブルックリンで着ぶくれした異形の衣装のまま西海岸の陽光に晒されている。かつてのソングライティングの才と呼ばれたものは20年後まったくちがうものになっているだろう。機能と調性から解放されノイズとノートの境界があやふやになった楽曲は誰も口ずさめない名曲として何億万ダウンロードもされるだろう。そのとき『ポン・ポン』がその古典とみなされるかどうか。

松村正人

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分解してもたどりつかない魅力 吉田ヨウヘイ

 編集部の方から、「ロックの歴史性やシーンの現在に照らしたジャーナリスティックなレヴューではなく、アーティストさんの目線で」というかたちで原稿をご依頼いただいたので、いろいろ考えて「自分だったらどんな音楽に影響を受けたらこんな作品を作れる可能性があるか」ということを書きたいと思いました。

 表面的な作品の質感はちがうのですが、製作の流れや製作に向き合う姿勢はアニマル・コレクティヴの諸作に近いように思います。いちばんは、簡単なコードとわかりやすいリズムの単位で構成される、短いセクションの組み合わせで曲ができていること。あとは、ドラム、ベース、と順番に下から組み上げたのではなく、楽曲を彩るポスト・プロダクションの一部のようにそれらが存在していること。バンドでの演奏を前提とした、一貫した演奏感が一曲の中に流れていないことも共通しています。

 こういう形で曲を作ると、短い構成単位の中にどのような素材を取り込むか、がもっとも大きなポイントになると思います。アニコレやヴァンパイア・ウィークエンドなどはアフリカ的なリズムを取り込んだり、ダーティ・プロジェクターズであればアリ・ファルカ・トゥーレのようなギターを入れる、といったことをしていると思います。

 本作のアリエル・ピンクの場合、80年代的なもの、たとえばドラムの音色、演奏感、シンセの音色、エコー/リヴァーブ感などを取り入れているのが顕著です。2曲めや4曲めがわかりやすいかなと思います。こういう音は一般的に「時代遅れでダサい」と言われがちで、作品の質感を安っぽくしやすいので、扱うのが難しいです。でもアリエル・ピンクの場合、その安っぽさを前面に出して、露悪的な感じのサウンドを作ることを自身の特徴にしているように思います。

 60年代〜70年代初頭のロック、サイケデリックロックのようなサウンドも(ほかの作品でも顕著ですが)多いです。ドアーズのようなキーボードの音色があったり、1曲めの1分くらいからはじまるセクションはラヴィン・スプーンフルの“ドゥ・ユー・ビリーヴ・イン・マジック(Do You Believe In Magic)”のサビ前のパートのようだったり。8曲めはタイトルからしてビーチボーイズ風のサーフィン/ホットロッド路線。
 60〜70年代前半のサウンドと、80年代サウンドは曲によってパッキリ別れているというわけではなく(別れている曲もありますが)、同じ楽曲の上でレイヤーされています。

 ここまではアリエル・ピンクが「素材として取り入れているもの」を考えてみたのですが、そもそものミュージシャンとして資質、たとえば短い時間でなんとなく弾き語りやジャム・セッションをすると作りがちなメロディやサウンド、という視点で考えると、(僕の知ってる範囲では)ピーター・アイヴァースに近いのかなと感じます。僕にかぎらず、ピーター・アイヴァースをお好きな方であればそう感じる方が多いんじゃないでしょうか(そもそもは坂本慎太郎さんと何か近いな~と感じていて、その後「ああピーター・アイヴァースか」、と思うようになりました)。

 マスタリングやポスト・プロダクションで生み出している質感は、才気あふれる近年のUSインディ・バンドと共通するものだと感じます。なので、取り入れている素材は古いものが多い一方で、きわめて現代的な感性を持ったミュージシャンだと思います。

 以上をまとめると、ピーター・アイヴァースのような才能が、アニコレのような折衷感覚で、60〜70年代前半、80年代などのサウンドを折り込むとこういう感じ、という作品になります。……と、頑張って書いてみたものの、これを踏まえればアリエル・ピンクみたいな作品ができる、とはぜんぜん思えないです。すいません。

 この作品(に限らず多くの優れた作品に共通するものかもしれません)の素晴らしさは、目のつけどころのよさや、素材選びの新鮮さ、組み合わせの妙、といったところにはありません。たとえば、「60年代と80年代のサウンドの質感をレイヤーする」といったこと(意識的に取り組んではいないと思いますが)は、逆にけっこう平凡なんじゃないかとも思います。

 なのでこの作品の素晴らしさは手法やコンセプトといったものではなくて、アリエル・ピンクの、素材や表現に対する深い愛着、音楽への妥協のない姿勢、製作中に注いだ集中力、完成までにかけた長い時間などが、結果的に人の心を打つ表現に昇華されている、ということだと思います。各要素を分解して成り立ちを掴んだとしても、アリエル・ピンクと同じような気持ちで作らないと、このような名盤にはならないはずです。音楽性はちがっても、自分のバンドのアルバム制作はそのような姿勢で取り組みたいと刺激を受けます。

 個人的には2曲めがいちばん好きで、1分8秒からはじまるパートのストレートなわかりやすさにぐっときました。それ以外のパートが禁欲的な美学で貫かれているからこその良さだと思います。

吉田ヨウヘイ

第25回:シャンパンと糞尿 - ele-king

 「なぜ革命について語るのがミュージシャンではなく、コメディアンになったのか」
という見出しがガーディアン紙に出ていた。
 「レヴォリューション」という言葉を今年の英国の流行語にしたのはコメディアンのラッセル・ブランドだ。
 当該記事の主旨はこうである。
 「緊縮財政で庶民の怒りが頂点に達している時に、その声を代弁しているミュージシャンがいない。伝統的にその役割を果たしてきたのは音楽界のアイコンだったのに、現代ではそれがコメディアンになっている。何故なのだろう?」
 ほおーん。と思った。
 音楽界にも緊縮財政への疑念を表明している人びとはいるからだ。

福祉削減になると人々が匂い出す場所じゃ 人は臭い(“McFlurry”)

 2014年のUKヒットチャートに入っているアーティストの80%以上は私立校出身の富裕層の子女だそうだ(80年代はわずか10%だったという)。大学や専門学校に進む(つまり、日々の労働に煩わされずに、音楽を作る暇を確保できる)下層の若者の数は、昔は現代よりずっと多かった。大学授業料は無料だったし、奨学金も充実していた。一方、自らの意志でドロップアウトした若者たちは、スクワッティングしてパンクになったり、諸国を放浪してヒッピーになったりして反逆の音楽を作った。牧歌的な時代だったのである。

 が、新自由主義が英国の下層の風景を根本から変えた。政府は「UKロックのふるさと」と言われた公営住宅地を投資家に売却して「ふるさと」面積を縮小し、労働者階級の若者たちは「出世 or ドロップアウト」の選択肢を持たないアンダークラス民になった。
 現代のUKのアーティストたちは、子供の頃から音楽教室やステージ・スクールに通っていた若者ばかりだ。つまり親が子供に投資できる資本を持っていなければスターは育たない時代になったのだ(これは近年のサッカー界でも言われていることである)。
 さらに、大卒が大前提で最初はインターンという立場で働かされるレコード会社のA&R部門も、働かなくても親に食わせて貰える階級の若者たちの職場である。つまり、現代の大衆音楽の送り手は一部の特権階級の人びとであり、大衆音楽はもはや大衆のものではなくなったのだ。

おいおい待てよ 糞ホワイトカラーのシングアロングかい(“Donkey”)


 『ガーディアン』紙は、新自由主義が人間の心理にもたらず影響も分析している。
 9時から5時まで働いていた時代には退屈していた人間も、個人主義の時代には常に不安を抱えるようになった。新自由主義が作り出した不安と恐れのカルチャーは社会全体をシニカルにしてしまったという。シニシズムとは、不安を覆い隠すためのディフェンスのメカニズムだ。何かを真剣に主張して、恥をかいたり、負けるのが怖いから、人は斜に構える。そうしたシニシズムがデフォルト(標準仕様)になっている社会では、ミュージシャンよりコメディアンが有利だ。「たぶんジョークなのだろう」と思えるポリティカル・メッセージなら、人びとは安心して受け入れられるのだという(音楽界でも40年近く前には、セックス・ピストルズというバンドがそこら辺はうまくやっていたが)。

歴史は繰り返す。BBC2のように。(“The Corgi”)

(注:BBC2はゴールデンアワーでも再放送を流しているチャンネルとして有名)


 過日。ニュースで大学授業料反対のデモ行進の映像を見ていたら、ラッセル・ブランドの写真や本を抱えて歩いている学生が何人もいた。
 「投票ってのは、『こっちの政党より、こっちの政党の方がちょっとだけ邪悪じゃないから』という理由でするもんじゃないだろう。政党は俺たちを舐めている。投票をサボタージュしろ。投資家たちのゲームで法外な額になっている家賃も、大学の授業料も払うな。システムを麻痺させろ。レヴォリューションを起こすんだ」
というラッセル・ブランドの発言をジョン・ライドンはこう評した。
 「選挙権は俺らに与えられた唯一のパワーだろ。それを放棄しろってのはアホの骨頂。しかも、普通の地べたの人間は、家賃を滞納すれば河原に段ボール箱の家を作って住むことになるんだよ。で、あれだろ? そんなことを言ってる人間は、自分はその河原を窓から見下ろせる高級マンションに住んで言ってんだよな」

 ラッセル・ブランドは、保守派新聞『デイリー・メール』などからも「シャンパン社会主義者」と叩かれている。
 政府がニュー・エラというロンドン市内の公営団地を米国の投資ファンドに売却し、住民は4倍に跳ね上がる家賃が払えずに退去を迫られている。住民たちの抗議運動に参加したラッセル・ブランドに、あるリポーターがこう質問した。
 「ところで、あなたの部屋の家賃はいくらなんですか?」

 シニシズムがこじれると、こういう素っ頓狂なことを言う人が出て来る。
 下層民にしかエスタブリッシュメントと戦う資格がないのなら、おそらく歴史上のいかなる革命も起こらなかっただろう。ゲバラは医学部卒の富裕層だった。労働者にしか反逆の資格がないのなら、パンクだって単なる変わった恰好をしたヤンキーの暴れで終わっていた筈だ。
 UKの大衆音楽がレヴォリューションについて歌わなくなったのは、発信する側に下層の人間がいなくなったからではない。
 シャンパン階級の人びとが、高層マンションの窓から河原の段ボール箱を見おろさなくなったからだ。

               ********

尿臭がきつ過ぎて
ほとんど良質のベーコンの匂い
ケヴィン(※1)は足のおもむくまま漏れるまま
小便駅の下で
石畳の上に2パイントで昇天
前向きになんてなれるわきゃねえ
ファイナル・カウントダウン 俺のファッキン旅路 
ポーランド人(※2)の酒屋の前で起きたら ソックスの中が糞まみれ
「彼らは気にしねえよ」 あほんだらが脚を見ながら言う
愛の鞭を振るうんだ 大便野郎
ノーマン・コロン(※3)みたいに溜め込んで
巨大な便所クラーケンのように糞の臭みを噴射
“Tied Up In Nottz”

※1 ケヴィン・ベーコンとかけたと思われる
※2 EU圏からの移民労働者の激増が社会問題となり、右翼政党が勢力を伸ばしているUKにあって、現在もっとも酷いレイシズムの対象になっているのはポーランド人と言われている
※3 ノーマン・コロンが誰なのかは不明。だがCOLON=大腸をかけたのは明白。

 子供っぽい排泄ギャグのようだが、UKでは下層のビンジ・ドリンキング(大量飲酒)は深刻な社会問題である。このリリックスのような光景は、週末の夜に貧民街に行くと見られる。
 糞尿、唾液、吐しゃ物、精液、血液。様々な体液にまみれてうち倒れている若者たち。凍えるような夜もTシャツ一枚で。ミニスカの女の子たちはタイツが破れて尻が丸出しだ。
 もはや人間ではないものになるまで、まるで死にたがっているかのように彼らは飲む。
 「シャンパン社会主義」に対し、こちらは「糞尿リアリズム」とでも呼ぼうか。

 「シャンパン社会主義」を堂々と批判するシニシストは、それではこの「糞尿リアリズム」なら受け入れる気はあるのだろうか。アンダークラスという便所クラーケンが発射する脱糞臭を顔面に浴びる覚悟はできているのだろうか。

 シニシストたちは、レフト思想を貧乏人の専売特許にしてきた。それはシャンパンと糞尿は分断しておいたほうがピースフルだし、安心できるからである。なぜならシニシストとは、本当は社会が変わらないことを望んでいる人びとだからであり、現状維持を希望する人びとだからだ。
 スリーフォード・モッズは過去7年間まったく同じことを歌って来たらしい。
 それが今年になって急にブレイクしたのは、時代が彼らの歌に追いついたからではない。時代が追いついたなどと吹聴して彼らの歌を取り上げ、熱心にプッシュして来たシャンパン階級の音楽評論家やメディア人たちがいたからだ。(彼らは本当は若い層がこういう歌を歌うのを待っていたかもしれない。が、若者がビンジ・ドリンキングで総崩れでは、分別のあるおっさんが歌うしかないではないか。ジェイソンは最近まで市役所勤めだったのだ。あの顔で)
 繰り返すが、70年代のUKパンクは上層インテリと下層ヤンキーが渾然一体となることによってスパークしたレアなムーヴメントだった。
 そして今、よく耳を澄ませば、シャンパンと糞尿はまたもや同じ言葉を発している。

REVOLUUUUUUUTION !!(“Donkey”)

Sleater-Kinney - ele-king

 要するに、少年ナイフね。
 という乱暴な印象が長い間わたしの認識だった。このばばあはライオットガールというより、スリッツと少年ナイフの年代なのである。
 UKでは、USでライオットガールが出て来るずっと前からいろんな女たちがライオットしていた。政界ではマーガレット・サッチャーが男性閣僚に怒鳴り散らして暴れていたし、ケンジントン宮殿では皇太子妃ダイアナが不倫相手とテレフォン・セックスに興じて王室に中指を突き上げていた。「バンドマンの恋人やグルーピーでいるのはもう嫌。これからは、アタシたちが自分でやる」とライオットガールそっくりのことを言ってスリッツやレインコーツ、スージー・スー、ポリー・スタイリンらがパンク界に進出したのは70年代後半のことである。それが米国では90年代初頭だったというのだから、そのタイムラグは何なのだろうと思うが、わたしは米国には行ったこともないし、別に死ぬまで行かなくてもいいと思っているのでよくわからない。

 まあしかしスリーター・キニーが少年ナイフと違うのは、ベースレスな点だ。わたしは女を楽器に例えるならベースだと思っている節があり、トーキング・ヘッズのティナやINUの西川成子、わたしが十代の頃にやってたバンドにさえ佐藤姿子という肝の据わった女性ベーシストがいたのでそういう思考回路なんだろうが、ベースはバンド・サウンドの土台であり、夜道を照らす明かりのように進路を導き、圧倒的グルーヴ感を引き出す。まるで女そのものではないか。が、スリーター・キニーのサウンドにはベースが存在しない。女がいねえ。となればこっちが本物の少年ナイフなのだろうか。
 1997年の『Dig Me Out』は前作2枚のパンク臭さが抜けてロックに近づいたアルバムと言われている。ベースレスのダブルギターなだけにメロディアスなエモさがあるが、同時に粋なスカスカ感もあり、どこかトーキング・ヘッズあたりも髣髴とさせ、アルバム・ジャケットはキンクスのもじりだが、いかにもアメリカンである。
 1999年の『The Hot Rock』では「エモくてスカスカ」から表現法が拡大し、内省的な知性も見せる。ツイン・ギターでツイン・ヴォーカルのコリンとキャリーの絡み方が複雑になり、恋人だったという彼女たちの人間関係の進化が垣間見えるようだ。が、このアルバムはパンキッシュなものを求めるファンには評判が悪かったそうで、『All Hands On The Bad One』ではシンプルなロック・サウンドに戻っている。シングアロング的な曲が並んだ同作は、英国でも「彼女らが米国で最高のロック・バンドと呼ばれる理由がわかった」(byガーディアン)と絶賛された。『Dig Me Out』よりサウンドにどっしり感と粘りが出て、キンクスっぽいのは寧ろこっちだ。
 昔、カート・コバーンが「少年ナイフを聴いていると泣けてくる」と言っている映像を見たことがある。&スリーター・キニーを「US最高のバンド」と呼んだのも男性評論家たちだった。女子がいたいけにもギターを弾いて男世界でがんばってるからそのメッセージ性がUS最高に値する。というのであれば、それは評論ではなくポリティカル・コレクトネスだろう。        
 折しも2014年はフェミニズム流行りだった。エマ・ワトソンが国連本部でフェミニズム演説をし、テイラー・スウィフトは近年のフェミニストたちはPRが下手だったと指摘し、カール・ラガーフェルドはパリコレでモデルたちにデモ行進をさせた。英国版『エル』誌はフェミニズム特集号まで出している。
 欧米メディアはエマやテイラーを「新たなフェミニズムの象徴に相応しい、賢く美しい女たち」と絶賛し、「太った女はランウェイを歩かせたくない」発言で欧州で袋叩きにされたシャネルのカール・ラガーフェルドはスーパーモデルたちにプラカードを持って歩かせて「ヒップ」と称賛された。
 このばばあもこの歳になるとフェミニズムの盛り上がりは何回か見てきてるんだが、どうも現代のフェミニストはセレブ系ビューティー(『アナ雪』の姉ちゃんの方が人気があるのもそうだ)+パワーを持つ女でなれば当の女たちから支持されないようで、フェミニズムの世界もいよいよキャピタリスティックだ。それはまるで80年代の「マテリアル・ガール」が「フェミニスト・ガール」になって復活したようで、個人的好みを言わせてもらえば、わたしはブルーズのないフェミニズムを信じない。

         *******

 んなことを考えながらスリーター・キニーの再発版を聴いていると、「弱々しく迷わなければ女が全てを手に入れることは可能」というキャピタリスト・フェミニズムと、多くのものを持たない三人編成のスカスカしたサウンドとの落差には、妙にしみじみとしたものがあった。

 そのしみじみ感は、再結成した彼女たちの新譜を試聴させていただくにあたり、ブルージーな詫びさび感へと発展したのだったが、それについてグダグダ言うのは新年に持ち越したいと思う。

あるいは単純に、UKセレブの面白人物伝かもしれないが、それは、左翼がサヨクになったこの国で、いまあらためて「左翼」を考える契機かもしれない。それは、ガチガチに固く、真面目にしか政治を語れないことへの刺激剤かもしれない。それは、政治家に舐められている我々への励ましの言葉かもしれない。「ザ・レフト──UK左翼列伝」の刊行を記念して、紙エレキングでも人気の、ブレイディみかこと水越真紀の筆談をお届けしよう。

日本を含め、左翼が衰退したすべての国で言われていることだと思いますが、左翼は往々にしてほかの左翼に対して心が狭い。自分こそが正しい左翼なんだと分裂を繰り返し、弱体化してきました。──水越真紀


ブレイディみかこ
ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝

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水越真紀 『ザ・レフト──UK左翼列伝』、一言で言うと、めちゃめちゃ面白かったです。ケン・ローチやダニー・ボイルなど日本人もよく知る正統派の「左翼」から意外性のあるミスター・ビーンやハリボタの作者J・K・ローリング、それに日本から見ていると右派左派理解の難しいモリッシーやジュリー・バーチル、ハチャメチャな元ハッピー・マンデーズのベズ(好きだな、この人)やフットボール選手のジャスティン・ファシャヌのような非正統派など多岐にわたる「左翼」たちを、UKの歴史や現実を踏まえた分析でそのレフト性を浮き彫りにしていますね。
 たとえばスコットランド独立に対する意見にしても移民政策やナショナリズムの考え方にしてもここに登場する人たちの考え方はそれぞれに違う。違うけれど、たしかに全員が「レフト」なんだと読み解かれてていく。日本を含め、左翼が衰退したすべての国で言われていることだと思いますが、左翼は往々にしてほかの左翼に対して心が狭い。自分こそが正しい左翼なんだと分裂を繰り返し、弱体化してきました。日本でもイラク戦争や原発事故などがあると、左翼の結集が試みられますが、持続した力にはなっていません。なんてことを思いながら読むと、どの人物の言動にもぶれずに、なおかつ寄り添うブレイディさんの視線はとても示唆的でした。このラインナップはすぐに決まったんですか?

ブレイディみかこ そう言ってくださると救われます……。わたしはずっとウェブで書いて来たので書き下ろしって初めてで、書いたらすぐ人前に出せるウェブとは違い、一人で闇夜を延々と自転車こいでるような感じでしたから。
 ラインアップは、最初はケン・ローチでというのは決めてました。今年は個人的に彼の『ザ・スピリット・オブ・45』を見たというのが大きくて、あれで英国への疑問が一気に解けた感じがありました。安倍氏が「戦後レジームからの脱却」と言ってますが、英国の戦後の起点は「どレフト」だったという。そしてサッチャーが「戦後スピリットからの脱却」をはじめていまのブロークン・ブリテンに至っている様がばーっと綺麗に繋がった気がしたんです。左派の分裂と弱体化についても、「レフト・ユニティー」という彼の政党の名はいかにも象徴的なので、そこからはじめたいと思っていました。
 それ以外の人選は行き当たりばったり。というか、今年の時事問題や自分が考えていたことの遍歴になってる気がします。たとえばUKIPの台頭が騒がれるとモリッシーを思い出したり、スコットランド独立投票が近くなるとJ・K・ローリングを思い出したり。「左翼とはこういう人だ!」が書きたかったわけではなく、どちらかといえばそういうのを揺るがすような人選にしたいと思ってました。左翼本って「こうでなくてはいけない」になりがちな印象がありますから。エレキングなんで本当はもっとミュージシャンがいたら良かったんでしょうが、アーティストはレフトで当たり前みたいなところもあるし、やっぱ闇夜の自転車こぎですから、自分で書いてて退屈しない人というのが最優先でした。

水越 へえ! 行き当たりばったりとは思えないですね。でもそう思えないというのは実は、こんなにバラエティに富んだ「レフト」の生き方、考え方があるという「現実の当然さ」と私の「左翼」への先入観のギャップから生まれる印象なのかもしれないですね。その多様な人たちへのブレイディさんの一貫した共感的な視線は、移民という立場ならではの冷静さによるのかなとも思いました。生まれる国は選べないけど、暮らす国は選ぶことも出来る。その選び続ける視線であることの温かさと冷静さに、日本で生まれてそこに住み続け、日本を見ているる私の視線が批評されているようにも感じました。生まれた場所にその後も住むことを“選んでいる”と意識するのは難しいことですね。
 この「レフト」たちの考え方に共通して通底している階級意識へのブレイディさんの共感が説得力になっています。格差が問題になっているこの数年の日本では、よく「格差は悪いことではなく、悪いのはそれが世代を超えて固定することだ」と言われます。また、ブレア時代に「イギリスの階級社会はもうほとんどないといってもいい。階級間の出入りはそれほど簡単になっている」と書いたものを読んだこともありました。どちらも格差、階層を否定するものではなく、努力次第で上昇できるかが重要なのだという考え方ですが、「階級(格差)社会である」ということが資本主義社会の動かぬ前提であるとするなら、その社会で(上昇しない)アンダークラスも人間らしい暮らしが出来ることが重要だという考え方だってあることを私はつい忘れちゃう。女は、というか男女雇用均等法が施行された80年代日本の“女の時代”フェミニズムは男たちより一足早く新自由主義的競争社会を「要求させられて来た」ようなところがあるし……。
 ブレイディさんが英国で暮らしてから20年くらい? 日本にいる頃からパンク少女だったということだから、移住前から知識はあったでしょうが、実際に暮らす間に「階級社会」への感じ方、見方に変化はありましたか? 

ブレイディ 96年に英国に出直して来て、最初の数年はロンドンの日系企業で働いて所謂ジャパニーズ・サークルのなかで生きていましたから、その頃は階級とかそういうのは新聞のなかで読むことでした。海外在住邦人って、よく「日本人は階級の外」って言うんですよね。実際、あの日系サークルのなかで暮らしているとそういう錯覚に陥るのはわかる。それは「私たちは度外視されてる」という意識なのか、「私たちは特別」という意識なのか、たぶん両方なんですが、多くの日本人はすごいコンプレックスと優越感を両方持ってる。国民としてナルシスティックなのかもしれないですね。だから安……、いや、ここではやめときます。
 で、わたしが自分も階級の一部だと実感するようになったのは地方に引っ込んでからです。日本人からアジア系移民になったというか。いろんなタイプの英国人を知るようになったのもそれからですし。
 英国は政治もなんだかんだ言ってずっと2大政党制で、「右 & 金持ち層」の保守党 vs「左&労働者層」の労働党というわかりやすい構図なので、レフト or ライトの観念と階級は切り離せません。どこの階級にいるか(またはどこの階級に優しい政治を志向するか)が政治のコアにある。これは日本人のわたしには新鮮でした。あと、貧乏なのは自分の責任。という所謂サッチャー的アイディアは英国ではどうも広まりきれないというか、ちゃんと働いている自分が貧乏なのは社会の責任だろ。みたいな主張を堂々とする気質が庶民には根強くあって、貧乏だから恥ずかしいというより、そっちの方が先に来る。なんでだろうなあ? と思っていたんですが、それも『ザ・スピリット・オブ・45』で解けました。あれが起点ですから、そらそうなるだろうと。
 たとえば、ブライトンは超リベラルと言われている街で、英国で唯一みどりの党の国会議員を輩出し、市議会もみどり一色なんですが、彼らの支配がはじまって住民税がめっちゃ上がってる。環境に優しい政策は金がかかりますから。下層民はそれに苦しめられていて、左翼グループがみどりの党の選挙運動にカウンターをかけたりしていている。レフトというのは理想論を唱える人ではなく、貧民に寄り添う人という考え方が古典的にあるんだと思います。やっぱディケンズの国というか。
 わたしは貧乏な家庭の子供でしたが、貧乏なのは親のせいだと思っていたし、母親は「力のない親でごめんね」といつも謝ってました。けれども日本の政治の冨の分配の仕方が違ったら異なるシナリオもあり得たんだと気づいたのは、「庶民が真面目に働いても貧乏なのは政治のせいだ」と高らかに言える人びとがいる英国に来てからです。だから今回の本でもそこら辺は根底にあります。それはいまの日本にも大事なことに思えましたし。

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「大義なさすぎ解散」なのに、日本の人びとは「しゃーないなー」と受け入れてる印象を受けます。「英国社会はぶっ壊れているけどみんな『しゃーないなー』と許容して生きている」と前作でわたしは書きましたが、英国では権力者に舐めきられているときの「しゃーないなー」はない気がします。 ──ブレイディみかこ

水越 そうですね。日本にもとても大事なことだと思います。日本では再配分後に母子家庭などで貧困率が上がるとか、生活保護の支給捕捉率は2割と言われていたり、最低賃金は先進国最低だったり、「一億層中流」が前提の政策が長らく続いて来た結果、貧困対策というものがわけわからなくなっているんです。一方で、性別や世代間の利害格差は顕著で、とくに世代間格差についてはこの数年、それこそ階級闘争の様相を呈しています。たしかに全体には世代間の経済格差は開いていますが、貧しい若者が高齢の生活保護受給者を攻撃したりするのは、そこは対立するところじゃないだろうと……。自分が社会のなかでどんな存在なのかを考える指標のようなものが、階級意識なんて持ちようのない若者にも、総中流幻想が抜けない老人にもない。それから、昔から言われていることですが、日本の勤労層が自ら選んで、闘い取ったものがない。皆保険も生活保護も、社会党ではなく、自民党政権が整備して来たわけで、両党の支持層も経済的階層で分かれていたわけでもないですし。というように、英国と日本では環境はずいぶん違うのですが、この本はそうした違いを越えたところで考えさせられることがたくさんありました。
 たとえばミスター・ビーンことロワン・アトキンソンの侮辱する権利、ヘイト表現に関する考え方や、ビリー・ブラッグのナショナリズムについての主張、それからケン・ローチがあえて“極左”政党を立ち上げる理由なんかも、いま日本にある問題を考えるヒントになると思います。モリッシーの揺らいでいるように見えるスタンスの根っこが謎解きのように明らかにされているところは本書の圧巻かと思いますが、最近、政治にあまり興味のない若い人たちに自分のことを「どちらかと言えば右かな」と言う人がけっこういるんですね。少なくとも昔はそんなこと言う若者には会ったことありませんでした。でもいろいろ話してみると、「どこが“どちらかと言えば右”なわけ?」だったりする。モリッシーとは正反対だけど、ジュリー・バーチルやベズも併せて、「自分は誰?」ということを考えるにはとてもいい列伝ですね。
 これを読んで思い出したのですが、92年くらいにプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーにインタヴューしたとき、彼は「僕はマルキストだ」と言ってました。彼の父親が炭坑労組の活動家でマルキストだったようですが、ソ連崩壊の翌年、世界の左翼が脱力しているさなかにきっぱりと「僕はマルキスト」と言われてちょっとひるみましたよ。その後もすごく昔ながらの左翼的なことを言う英国や欧州の若者に何人か出会って、あっちの若者は素朴だなー、なんでこんなにまっすぐにそういうこと言えるんだ? なんて思ってた時期もありました。この本を読むと、その解答にも出会えましたね。とはいえ、UKでもいまではそういう若者は少ないんじゃないですか?

ブレイディ 炭鉱、労働者、マルクスみたいなレフトは、やっぱサッチャーをリアルで経験した世代で、トニー・ブレアの時代がレフトをへろへろにした(労働党も含めて)ので、サッチャーを知らない若い世代はまた違う。と思ってたんですけど、どうもここ近年、保守党政権の政治が酷いですから、サッチャー世代のレフトのような考えが戻って来てます。若い世代がそれを発見している。オーウェン・ジョーンズというライターがいて、よくテレビにも出てる著名人ですけど、彼なんかは30歳ですが(ベビーフェイスで15歳ぐらいに見えるとっつぁん坊やですが)頭のなかは「70歳の労働党員」と言われるぐらいクラシックな左翼で、すごく本が売れてて人気があります。ああいう若者が、必要とされる時代にぽんっと出て来るのを見ると、たとえブランクがあっても脈々と流れて来たものは途絶えてないんだなあと思います。
 モリッシーは発言だけを読むともう滅茶苦茶(笑)なので、一生懸命解説しました。でも、ああいう方向での解説は、英国に住んでいなければわたしにはできなかったと思います。ビリー・ブラッグは、実はスコットランド独立投票があったときに「民族的ナショナリズムと市民的ナショナリズム」という記事をYahoo!ニュースの個人ページに上げたことがあって、こんなの英国在住者しか読まんだろうと思っていたら、日本からのPVが多くて驚いたことがありました。だから、その辺は日本の人びとのヒントになればと思いながら書きました。聖ジョージが中東から来た人だったというのはとてもディープだし。
 そういえば、スコットランドに関して言えば、独立反対派が勝ったのは高齢者が反対票を入れたからという後日談もあって、やっぱ「大義より年金」という切実な想いがあったようで、高齢化の進む社会ではもう何かが大きく変わることはあり得ないのか。みたいな議論もありました。日本の世代間の対立と通じるものがあるかもですね。
 ポリティクスには大義が必要。というのも実はこの本のテーマで、選んだ人たちもみんな方向は違うにしろ大義がある(モリッシーみたいにあり過ぎて滅茶苦茶になる人もいますが)。折しも日本では「大義なき解散」とか言われているので、出た出た出たと思ってました。「大義なさすぎ解散」なのに、日本の人びとは「しゃーないなー」と受け入れてる印象を受けます。「英国社会はぶっ壊れているけどみんな『しゃーないなー』と許容して生きている」と前作でわたしは書きましたが、英国では権力者に舐めきられているときの「しゃーないなー」はない気がします。

水越 2001年のデータなのでちょっと古いですが、イギリスの若年層投票率は日本よりさらに低いようですね。90年代の終わり頃、実際の選挙時に模擬投票をするというイギリスでの小学校教育を紹介したテレビ番組を見たことがあります。ちょうど、卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱に反対する埼玉の県立高校生たちの運動が「子どもを政治に利用している」というような文脈で批判されていた時期で、子どもを政治から隔離しようとする日本社会の論調とは対極にあるなあと思ったんでした。日本の高校でも60年代には制服廃止運動などが成果を上げたこともあったのに、というか、そうした運動を契機にしてということでしょうが、未成年者が政治に関わることを悪とする社会的認識が広まってきた。でも、政治的な問題意識や感覚って、大人になったからって自然に身に付くものではないですよね。
 ところで「大義」って、多くの日本人はあんまり好きじゃないんじゃないかな。大東和共栄圏なる大義のためと言われた戦争が、負けてみれば侵略の言い換えみたいなものだったというのが、いわば日本における「1945年の精神」ですから。大義が国を滅ぼすことを身を以て体験した“記憶”が途切れたところに、大義でっかちな右翼が出て来て、さらに大義アレルギーが進みそうかも。 今回の選挙の「大義のなさ」批判はメディアが言ってるだけで、それこそブレイディさんの視線の根っこともいえる「地べた」辺りでは「大義なんて恥ずかしい」くらいの感覚のように思います。でもこういうのを「しゃーないなー」と許しちゃう感覚は自民党派閥全盛時代終焉以降から次第に減退していて、いまはもうすっかり白けきっています。テレビでの選挙関連番組もこの15年で最低ということですし。白けと「しゃーないなー」という許容は、同じ帰結になるわけですが。白けにしろ諦めにしろ、日本社会の場合、ポスト大東和共栄圏時代の大義や正義についてとかそのための闘い方とか、政治のあらゆることから遠ざけられて育った世代がもうかれこれ50歳、ということがあると思うんです。ただ、こういうのは心の深いところで「継承」されるものがおおきいので、「大義」に裏切られた恨みが深い元軍国少年の子どもたち世代より、団塊ジュニアが言論界でも存在感を持つようになって来たことで変わることもあるかもしれないとも思っています。

ブレイディ 若者の投票率って、たしか前回の2010年の総選挙で50%だったと言ってたよなーと思いつつ国会の資料を見てみました。18歳から24歳で51.8%ですね。わたしはこれでも相当高いと思ってるんですが(笑)、資料を見るとブレアの時代はどんどん落ちて30%台まで行ってたんですね。英国はいまの日本みたいにしょっちゅう総選挙してるわけじゃないんで、2010年の次は2015年になるわけですが、今度はUKIP効果もあってたぶん上がると思います。
 若い層で投票してないのはやっぱうちの近所にいるような子たちで、彼らは選挙なんてどこでやってるか知らないと思います。アンダークラスってのはそうなるように国から製造されたようなところもありますから。以前どっかのシンクタンクの調査結果で、若年層の選挙に行っていない人びとのグループ(要するにうちの近所にいるような若者たち)が、金銭換算するともっとも保守党の緊縮財政の影響を被っている額が多いってのがあって、18歳から24歳の層が投票するのは法的義務にするべきだという意見を言ってた人もいました。英国も若者の政治に対する「白け」というか、こっちはよくdisillusionedとか言いますけど、それは史上最高と言われています。でも、ぼんやり幻滅している君たちこそが一番ひどい目に合わされる層なんだよということを若者に言ってる大人たちはいますし、日本の安……、というのはやはりここではやめておきます。
 実はさっきまでBBCでディベート番組を見てまして、UKIPのナイジェル・ファラージ党首とラッセル・ブランドが対決してて面白かったんですけど、ラッセルについては『ザ・レフト』でも書いてますし、今回のWEBエレキングの連載でも書いてるようにREVOLUTION系の人なので、やっぱちょっと発言が過激になったりして他の政治家とか観客とかに呆れたような顔をされてたんです、「やっぱお話にならないわ、コメディアンだし」みたいな感じで。そしたら客席に座っていた白髪頭の短髪のおばあさんが、「いやラッセルが言ってるのは……」とか言って理路整然と彼のエクストリームな主張を昔ながらのクラシックなレフトの論理に翻訳してみせたんです。見てて何かちょっと感動してしまって、ラッセル・ブランドも目を潤ませて拍手してましたけど、ひょっとして英国では若い世代と老齢者こそが通じ合う時代になってんじゃないかなと思って。ケン・ローチの世代は婆ちゃんもただ者じゃない(笑)。
 英国も来年は選挙なんですけども、今度のは「イデオロギーの戦い」になるって番組中でも政治家や観客たちが盛んに言ってましたね。スコットランドの後なんで。ってのもあると思います。けど、やっぱ英国の人ってイデオロギーとかそういうのが基本的に好きなのかもしれないですね。どんなに幻滅しても、大義アレルギーはない。というかむしろいまこそそれを求めてるんだと思います。

以下、後編につづく

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