「K A R Y Y N」と一致するもの

 わたしの総体的な印象では、矮小な個人的感傷を擦り上げて、過剰な切なさを誇張し聞く側に同意を強要する、これが私生活も含めて、この世の春とばかりに我が世を謳歌している昨今の女性歌手の芸だ。特に高音域での行き過ぎた表現には、付いていけない事が多い。ここで紹介するクリスタル・トーマスは、1977年4月22日の生まれ。今どき彼女の年齢で歌を唄っていたら十把一絡げ的に歌姫(ディーヴァ)などと呼ばれて、マイクの前で「心が折れそうなのよ」と、悲鳴を上げていてもおかしくない。しかし彼女は、LP『イッツ・ザ・ブルース・ファンク!』で、まるで当たり前のように自然なブルーズを唄う、ルイジアナ州マンスフィールド育ちの南部女である。
 かつて「ブルースは暗い」と言い切って、収めようとした「音楽評論家」がいた。彼は北米の黒人音楽を愛好しつつも、この領域にはあまり馴染みがなかった事は認める。ただし、その一言でこの音楽を決めつけられては迷惑だ。
 ブラインド・ウイリー・ジョンスンの“ダーク・ヲズ・ザ・ナイト”のように、聞いていると恐怖を感じるほど寂しい演奏もあるけれど、こういう情感は、カントリー音楽からでも味わえる。今なら安価な組物CDで簡単に手に入る、ブラインド・レモン・ジェファスン(Snapper SBLUECD 502X)、チャーリー・パトゥン(Not Now NOT2CD508)、サン・ハウス(Not Now NOT2CD415)、ビッグ・ビル・ブルーンジー(Not Now NOT2CD401)など、第二次大戦直後までのエレキ導入前のブルーズを聞いてみればいい。ちっとも暗くない。哀調は漂うが、殊更にそこだけを強調してはいない。ここを誤解すると、非常に不自然な音楽になってしまう。ブルーズは日本人の大好きな感傷だけを擦り上げる歌ではない。希望と共に唄われる、前向きな音楽なのである。寂しさと暗さは違うのだ。クリスタル・トーマスは、このブルーズをあくまでも自然に唄う。
  
 下北沢の百円均一店の上りエスカレイタで彼女を見かけた。前の晩に同じ町の小さなクラブで、実演を観たばかりだった。そのショウの印象が良かったせいもあって、思わず呼びかけた。振り向いた彼女は、異国の私鉄沿線の百均店で突然に声を掛けられて驚いたようだったが、にっこり笑ってくれた。その時の来日に関わった親友の奥方の誘導で土産物を仕入れに来たらしい。一緒に店内を案内した。正月を前にした時期だったせいか、小さな縁起物が並んでいて、それらに興味を持ったようだ。書かれている漢字を、「これは幸運」、「こっちは長寿」、「安泰」などと説明したら、えらく興味を持って真剣に聞いてくれたので、当方は少々恐縮した。2018年12月の出来事だ。
 そのクリスタルが、自分名義のフルアルバムを録音中だという話は聞いていた。春が過ぎて例年になく長い梅雨が続いていた頃、もう少し詳しい情報が入って来た。テキサスのダラスで録音され、セッションには、ラッキー・ピータスン、チャック・レイニーが参加しているという。興味が湧いた。
 届けられたアルバム音源は2種類。CD『ドント・ウォリー・アバウト・ザ・ブルース』、その中から抜粋された10曲で作られたLPは、『イッツ・ザ・ブルース・ファンク!』となっていた。

 クリスタル・トーマスは冒頭に挙げた類のコンテムポラリー・フィーメイル・シンガーたちとそれほど年齢の差がないのに、大きな違いがある。
 まず、声だ。中音域を中心に幅があって柔らかく、聞く者の感情を逆撫でする突起がない。暖かいのである。発声は極めて自由自在、無理をしていない。リズム感の良さ、タイミングの適確さは随所に感じられ、バックトラックに載っかるのではなく、彼女の唄でリズム・セクションに控える男性4人の強者たちを引っ張る。節回しも曲線的で奥深く、聞く者を大きな渦に巻き込んで行く。北米黒人女性の獲得形質は遺伝しているのだろうか。断片的に聞いた人間からは、二世代前の唄い方だ、と簡単に片付けられてしまうかもしれないが、直接比較すれば、歌い出しからして伸び伸びとして、しなやかなクリスタルである。コーラス合間の何気ないひと言などでは、本来の若さが顔を覗かせるので、ああ今の唄い手だ、と分かる。
 楽曲はどれも特定の意匠を持たず、楽器を手にした誰もが簡単に思いつくようなリフを基に作られている。全てが演奏者に委ねられたジャムの延長とも言えるだろう。ただし、こういうのをカッコ良く仕上げるのは、とても難しいのである。下手をすれば、全員がそれぞれの受け持ち部分を弄んだだけで終わってしまうところだが、クリスタルによってそれぞれがひとつの「歌」に昇華している。
 冒頭曲“キャンチュー・シー・ワッチュー・ドゥイング・トゥ・ミー”を聞けば分かる。このテムポ、造り……、作者でもある御大アルバート・キングなら、その圧倒的な存在感で押し切れるだろうが、形にするのも難しい傾向の楽曲だ。それを力まずに流れるように決めてしまうのがクリスタルだ。
 続く2曲めの“ベイビ、ドント・リーヴ・ミー”は、クリスタルの自作曲となっている。やはり肝は彼女の唄だ。イントロなしで入る瞬間はスリルの絶頂で、コーラス毎にやって来る10小節めアタマのブレイクも、すんなりとカッコ良く決めている。こういうのは身体に付いた基本的なセンスが相当に冴えてないと、惨めな結果になるだけだ。同じようなストップ・ブレイクは9曲目の“アイム・ア・フール・フォー・ユー、ベイビ”でも出て来る。ここでも難なくこなせるのは天性の適確なタイム感を持っているからだろう。 
 クリスタルは、日本人ジャムプ・ブルーズ・バンドのブラッディスト・サクスフォーンのアルバム『アイ・ジャスト・ヲント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユウ』(スペースエイジ SPACE-16 2018年)に、5番目の女性歌手として抜擢された。その前は、元々R&B歌手ジョニー・テイラーのバンドでトロムボーンを担当していたという。LPでは表題曲とも言える“ザ・ブルーズ・ファンク”で、唄わずにその実力の片鱗を披露する。若干の余裕と共に吹いているようだが、繰り返しのリフレインを聞くだけでも、重ねて来た歴戦の度合いは分かる。

 ギタリストとドラマーは白人だ。プロデューサーのエディ・スタウトが自信を持って推薦する、ジョニーとジェイスンのモーラー兄弟である。2015年に発表されたシャーウド・フレミングズの『ブルース、ブルース、ブルース』でもリズムを務めていたというが、わたしはその時、そして今回も何の過不足も感じなかった。ジェイスンのドラムズは着実で安定していて、彼の独特なタイム感がアルバム全体を支配している。音色も大変宜しい。ジョニーは、昨今数多蔓延るエフェクターと呼ばれる、余計な装飾無しでギターを聞かせてくれる。爪弾かれた弦が震えてスピーカを鳴らす物理現象が見える。
 ふたりの出しているのは、今どきの黒人演奏家では出せない音だ。それだけでなく若さ、謙虚さが感じられるのが、何とも嬉しい。立派な2019年型だ。

 メイヴィス・ステイプルの讃美歌集『マヘリア・ジャクスンに捧ぐ』(Dedicated to Mahalia Jackson Gitanes / Verve 535 562-2 1996年)で出会ったラッキー・ピータスンは、そこで、ピアノとオルガンをソツなく弾いていた。全曲オーヴァダビングなしのデューオという緊張度の高いセッションを程良い雰囲気でまとめていた。高度な演奏能力は当然として、「相当に賢い奴だな」というのが第一印象だった。わたしの前に登場した、久しぶりの有望な演奏者だったので、しばらく追いかけた。なかなかイカない男、という風にも見えた。
 それより遥か前の5歳で初録音、それも自身名義のソロ・アルバムというから、天才的な音楽能力を持っていたのだろう。ただし、彼は優れた脇役の道を選んだ。ソロ作品は順調に出しているけれど、ヒットを狙う野心は感じられない。その他では、いつも的確な援護射撃で主人公を助けている。
 驚いたのはA面最後の“レッツ・ゴウ・ゲット・ストーンド”だ。ジョー・コカーの実況録音盤(『マッド・ドッグズ・アンド・イングリッシュ・メン』 A&M 75021 6002 2 1970年)にこの歌が収められていて、そこで知って以来、40年以上に亘りわたしの重要楽曲表の上位に居座っている。ニック・アシュフォードとヴァレリ・シムプスンが書いた1965年の作品で、初出はアトランティック時代のザ・コースターズだそうだ。それを聞きたくて、他はダブりばかりの4枚組を買ったこともある。それはともかく、ここではラッキーは、まるでレイ・チャールズのように唄う。ラッキーは自作『ムーヴ』(Gitanes / Verve 314 537 897-2 1997年)でもこの歌を採り上げていたが、このクリスタルの新作では、本物以上にレイ・チャールズだ。声が全くのブラザー・レイである。何度聞いてもそのつど驚く。
 編曲感覚にも優れていて、1989年のソロ作品『ラッキー・ピータスン』(Gitanes / Verve 547 433-2 )に吹き込まれたウイリー・ネルスンの「ファニー、ハウ・タイムズ・スリプス・アウェイ」のアレンヂは、ブルー・ノート・レコードの社長にもなったドン・ヲズが、1994年の『リズム、カントリー・アンド・ブルーズ』(MCA MCAD-10965)で流用した程だ。ただ、今回ラッキーはこの『イッツ・ザ・ブルース・ファンク!』で、表立った編曲をしなかった、とわたしは見る。

 チャック・レイニーは電気ベイスの一時代を築き上げた男だ。器楽演奏が好きな人間なら、絶対に無視できない存在として70年代から80年代にかけて音楽界に君臨した。ネコも杓子もチャック・レイニーだった。
 わたしは世代的には恐怖のフュージョン・ブームを通り抜けてきた人間だが、あまりその領域を得意とはしないから、タレントのマギー・ミネンコが口にする程までに、彼が異常に持て囃された時も、その理由が分からなかった。
 わたしの印象としては、そもそも地味な人なのである。デーハなチョッパーをブチブチにキメる演奏家では決してなく、堅実な縁の下の力持ちだ。この『イッツ・ザ・ブルース・ファンク!』でも、目立つ事をあまりしていない。ただこの演奏が、本来のチャック・レイニーの姿だと断言しよう。その場で同時に演奏している人間たちに抜群の安定感を与え、作品への信頼につなげるという、いつもと同じ仕事に徹した姿だ。個人的にはこのベイスの音質に多少の不満があるけれどね。
 フュージョン・タイフーンが去って、黄金期のアリサ・フランクリン・セッションのような面子でブルーノート東京に来た時の終演後、文字通り手を合わせたら、チャック・レイニーの親指はわたしの人差し指より長かった。楽器が気持ちよく鳴るツボを心得ているのだろう、キイが違っても、ほとんど5フレットから10フレットの位置で弾くのも印象的だった。

 CDだけに収められている「ガット・マイ・モージョ・ワーキン」には脱帽だ。この取り替えようのない名曲は、ポール・バタフィールドやマイケル・ブルームフィールドらがマディ・ヲーターズやオーティス・スパンたちと一緒に作った『ファーザーズ・アンド・サンズ』(Chess / MCA CHD-92522 1969年)収録の実況録音アンコール仕様が、秀逸な吹き込みとして知られる。バンドスタイルの演奏で、ベイスはドナルド・ダック・ダン、ドラムズは、バディ・マイルズだ。ブルーズという音楽が、時空を超えて、地球上の全人種、全民族、全世代、に訴えかけた瞬間の記録とも言えるだろう。多くのブルーズ・バンドがお手本としているのも頷ける。
 それにひきかえ、こちらはラッキー・ピータスンのエレキ・ギター1本だけで、静かに始まる。「アタシが子供だった頃……」と浅川マキのように語りかけるクリスタルは、まるで泡瀬のユタだ。ふたりの関係は講釈師と曲師のようで、語りに対する直接的なギターの反応が素晴らしい。お互いに、出ている音をよく聞いている。
 クリスタルはまだ42歳、ラッキーだって55歳だから、こういうスタイルのブルーズに、「生」で同時代的には親しんでいないはずなのに、ふたりが紡ぐフレイズは、電気化以前の、あの「ブルーズ気分」そのものなのだ。このアンサムブルを提示したのがラッキーだと知って、わたしは大いに頷けた。ボーナスとして収められている別テイクには、控えめながらドラムズも参加していて、こちらの方が若干ミシシッピ風に聞こえたりする。
 ジャニス・ジョプリンがLP『コズミック・ブルーズ』で唄っていた「ワン・グッド・マン」では、冒頭の語りからも「ブルーズ気分」は滲み出て来る。ジャニス生涯のたったひとつの願いを主題にしたこの歌は、今回ごく当たり前に仕立て上げられているけれど、悲壮感が過度に濃厚でサイケデリック時代を引き摺った原仕様よりも、遥かに上手く行っているのではないか、正直そう感じた。自立したクリスタルは歌全体に力強い息吹きを与え、男性依存から離れられない性に泣く女の歌を新しく生まれ変えらせた。
 リヴィング・ブルーズ誌に載った紹介記事に、こんな行りがあった。

She loves this life.(中略)--even if life it tough. *

 そうなのだ。誰だってどんなに大変でもこの人生を愛して、生きていくのだ。LP『イッツ・ザ・ブルース・ファンク!』を聞いていると、クリスタルは当たり前のように、そうしているのが分かる。前回彼女が来日した時、この「ワン・グッド・マン」を唄っていると聞いて、ジャニスを以前から知っていたのか、とわたしは尋ねた。混乱した場所で話した事もあって詳細は忘れてしまったけれど、彼女はとても熱を入れて答えてくれた。そこにも彼女の前向に生きていく姿勢を、強く感じた。
 それとは別だが、今回のブルーズ・アルバムの中で“イトール・ビ・オーヴァ”は女性クワイアと一緒に仕上げたゴスペル作品である。人種的な制約を受け入れざるを得ず、そしてそれらを意識して抵抗した頃から時代は進み、このように楽曲の出自、領域にこだわる必要のなくなりつつある、今の現状肯定的な時の流れも見えてくる。

 ヒップホップという大津波を浴びた後、いま歌を唄い続けている女性たちは、絶対安全地帯から世の不公平や不平等を訴えながらも、美しく精緻なディジタルな映像の中で少々自意識過剰気味のように見える。男性は強がってはいるものの精気を削がれた遠吠えばかりで、よく見れば女性と同じ症候群に陥っている。そして現代ブルーズは、最新の例で挙げればフィンランドのイリア・ライチネンのような、「荒々しい音で激しくも弾ける」ヨーロッパのギタリストたちの慰みになってしまいそうな気もする。親しみ易くあらゆる表現を受け入れられるブルーズの単純な構造、無限の自由度は機能しているが、どれも薄っぺらなハード・ロックにあと二歩しかない。わたしはこれらの音楽を聞いて、満足出来ない。遣る瀬無くも、醒めて哀しい、無情な諦めと僅かな希望が混在する、肝心のブルーズ気分が、伝わって来ないのだ。
 このアルバムの各曲を、敢えて鮮やかな編曲で飾らなかったラッキー・ピータスンには、生々しい形の方がクリスタルを表現出来る、という思惑があったのではないだろうか。そして、ここまで述べてきたように、それは成功した。クリスタル・トーマスは「ブルーズ気分」を持ち、それを人に伝える事の出来る南部の女だった。

 このように、わたしにとって『イッツ・ザ・ブルース・ファンク!』は、何の抵抗もなく親しめる1枚である。ただしそれが「昔の響きを再現している」からでは、決してない。「昔の響き」が聞きたければ、昔のレコードを聞けば良いのだ。録音制作物の使命のひとつもそこにある。
 自分たちが生まれ育った環境から受け継いだ、逃れられない感覚を無理せずに使って、新しい何かを生み出さなくちゃ、という積極的な心の動き、これもブルーズ衝動の一つだろう。わたしは今回、LP『イッツ・ザ・ブルース・ファンク!』で、若々しくて心地良い「ブルーズ衝動」に浸れた。感謝しよう。
 吹き込み中の出来事として、クリスタルは移動中のダラスで白人警官に職務質問を受け、何の理由もなく大切な商売道具のトロムボーンを壊されたそうだ。彼女はまだ、絶対安全地帯にいるのではなかった。
 当たり前の事としてブルーズを唄うクリスタル・トーマス、この後はフジ・ロック・フェスティヴァルへの出演も控えている。そこで極東の島国の若者たちがどう反応するか、こちらも大いに楽しみだ。

 音楽そのものに疑いをもつこと、ジョン・ケージがいまだ影響力があることの理由のひとつだろう。ひとはいつの間にか音楽を小学校で習った譜面の延長のなかでのみ考えがちだが、ケージは音楽がもっと広く自由であることをあの手この手を使って証明した。もっとも有名な“4分33秒”はそのひとつだが、この曲を、〈ミュート〉レーベルが設立40周年のメイン・プロジェクトとしてレーベルのいろんなアーティストにカヴァーしてもらうという、なんともじつに度胸ある企画をやっていることは先日お伝えした通り(https://www.ele-king.net/news/006694/)。
 今回、レーベル創始者のダニエル・ミラー伝説のソロ・プロジェクト、ザ・ノーマルによる“4分33秒”が公開された。

■The Normal「4分33秒」

https://smarturl.it/STUMM433J

 “4分33秒”のカヴァー全58曲収録の『STUMM433』は、10月4日に発売される。おそらくアルバムのトータルタイムは、“4分33秒”×58ということだろう(あるいは、“4分33秒”をたとえば2分で演奏するアーティストはいるのだろうか)。
 なお、『STUMM433』は、ボックス・セットとしてレーベルの通販サイトのみで販売され、LPはダニエル・ミラーのサイン入り限定盤として、CDは5枚組として販売。またデジタル配信(ダウンロード、ストリーミング)は日本の各サイトより購入可能。

■『STUMM433』 購入予約リンク
https://smarturl.it/STUMM433J
・タイトル:『STUMM433』
・発売日:2019年10月4日
・ボックス・セット(LP, CD):MUTEレーベル通販サイト Mute Bankのみで販売
・デジタル配信(ダウンロード、ストリーミング):日本の各配信サイト


photo : Diane Zillmer

 ダニエル・ミラー(レーベル創始者)はこのプロジェクトに関して次のように語っている。「ジョン・ケージの ‘4分33秒’ は自分の音楽人生の中で長い間、重要で刺激を受けた楽曲としてずっと存在していたんだ。MUTEのアーティスト達がこの曲を独自の解釈でそれぞれやったらどうなんだろう?というアイデアは、実はサイモン・フィッシャー・ターナーと話してるときに浮かんだんだよ。私は即座に、これをMUTEのレーベル40周年を記念する”MUTE 4.0 (1978 > TOMORROW) シリーズ”でやったら完璧じゃないか、と思ったんだよ」

 ダニエル・ミラーは、自身のソロ・プロジェクト、ザ・ノーマルの7インチ・シングル『T.V.O.D.’ / ‘Warm Leatherette』を発売するためにMUTEレーベルを1978年に創設した。ザ・ノーマル名義の「4分33秒」は、その7インチ以来、実に41年ぶりの発売となる。彼は今回の楽曲の録音をノース・ロンドンのある場所で行った。 16 Decoy Avenueという住所は、MUTEのファンにとってはレーベル発祥の地としてお馴染みの場所である。


■サイモン・グラントのアート作品

 今回、各アーティストが自身の作品とともにビジュアルも作成しており、MUTE所縁のデザイナー28名がそれぞれ「4分33秒」から発想を得たアートワークを披露している。その中の一部を紹介すると、サイモン・グラント、彼は初期MUTE作品、ザ・ノーマルやファド・ガジェット、それにデペッシュ・モード等のアートワークを担当。スティーヴ・クレイドン、Add N To (X)のメンバーでもある彼はゴールドフラップのデザインを担当し、スリム・スミス、彼は1980年代から90年代を通してMUTEと仕事を共にした。マルコム・ギャレットはヴィンス・クラークとマーティン・ウェア(ザ・クラーク・アンド・ウェア・エクスペリメント)のハウス・オブ・イラストリアスのボックス・セットのデザインを担当し、トム・ヒングストン、彼はこれまでイレイジャーと仕事を共にし、2000年台初頭よりニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッドシーズやグラインドマンのアートワークを担当している。アントン・コービン、彼は特にMUTEとの距離も近く、1980年代初頭からデペッシュ・モード、ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズ、それにファド・ガジェット等と数多くの仕事を行っている。

 ヴァイナルのボックス・セットにはキャンドルセットが付属し、そのデザインは著名なシックス・センツ・パルファンのジョセフ・クオルターナが「4分33秒」から発想を得て作成したものである。彼は古い木造の劇場の中で光る一瞬の閃光をイメージした。それはコンサートの余韻を比喩的に表したものであり、静寂の香りとは?という問いに答えたものである。

 この作品から発生する純利益は英国耳鳴協会とミュージック・マインド・マターへ寄付される。この団体が選ばれた理由として、インスパイラル・カーペッツの創設メンバーでもあるクレイグ・ギルが、自身の耳鳴りの影響による心身の不安から不慮の死を遂げたことが挙げられている。このボックスセットは2019年5月にリリース予定、詳細はここ数ヶ月後にアップデートされていく。

■公開済み映像

ライバッハ 「4分33秒」
ザグレブにあるHDLU’sバット・ギャラリー・スペースで行われたインスタレーション「Chess Game For For」開催中に撮影・録音され、クロアチアのパフォーマンス・アーティストのヴラスタ・デリマーとスロヴェニア製の特製空宙ターンテーブルをフィーチャーした作品だ。

■「STUMM433」参加アーティスト一覧
A Certain Ratio, A.C. Marias, ADULT., The Afghan Whigs, Alexander Balanescu, Barry Adamson, Ben Frost, Bruce Gilbert, Cabaret Voltaire, Carter Tutti Void, Chris Carter, Chris Liebing, Cold Specks, Daniel Blumberg, Depeche Mode, Duet Emmo, Echoboy, Einstürzende Neubauten, Erasure, Fad Gadget (tribute), Goldfrapp, He Said, Irmin Schmidt, Josh T. Pearson, K Á R Y Y N, Komputer, Laibach, Land Observations, Lee Ranaldo, Liars, Looper, Lost Under Heaven, Maps, Mark Stewart, Michael Gira, Mick Harvey, Miranda Sex Garden, Moby, Modey Lemon, Mountaineers, New Order, Nitzer Ebb, NON, Nonpareils, The Normal, onDeadWaves, Phew, Pink Grease, Pole, Polly Scattergood, Renegade Soundwave, Richard Hawley, ShadowParty, Silicon Teens, Simon Fisher Turner, The Warlocks, Wire, Yann Tiersen

■MUTE 4.0 (1978 > TOMORROW) シリーズ
https://trafficjpn.com/news/mute40/

mute.com

「愛はあ、地球をォ、救わねえんだよ!」
 何の脈絡もなかった。小学五年生の真夏である。外気温に比すれば信じられないほど快適な温度の部屋で、私は「関東地方で最も恐ろしい塾講師」とすら噂されていた先生に算数を習っていた。先生が冒頭のセリフを言った時、普段一切の許可なき発声を許されなかった私を含む子どもたちが、いっせいに声をあげて笑ったことをよく覚えている。我らの笑いについて、先生は何も咎めなかった。
 私はなぜ笑ったのだろう? 単純にその言葉の唐突さに勢いだけで笑ったのか、恐怖政治の最中に作られた「笑いを許す瞬間」を素直に察知したのか、あるいは「愛は地球を救う」をあっさりと否定する大胆さが小気味よかったのかもしれない。YouTubeの見方を知っているだけでクラスメイトから一目置かれるような時代である。24時間テレビはまだ活気があって、「みんなが見ている番組」だった。「愛は地球を救う」の否定は、「勉強しないで24時間テレビを見るあいつら」を「勉強をするので24時間テレビを見ないわれら」が嘲笑する響きを間違いなく持っていたのだ。
 24時間テレビがいかに陳腐でマジョリティの欺瞞を含んでいるのかは、これまでさんざん批判されてきた。それでもまだあの番組は存続している。まだ続いているということはまだどこかで求められていると捉えるべきなのだろう。公式サイト(参照:https://www.24hourtv.or.jp/total/ 最終アクセス2019年7月15日午後6時)によれば、2018年の寄付総額は8億9376万7362円だったそうだ。寄付金は年々減っているのかと思いきや、推移を見渡してみても如実に下がっている感じはしない。この寄付金で誰かが救われることもあるのだろうし、全否定するのもよくないとわかっているが、どうしても晩秋のゴキブリのようなしぶとさにはぞっとしてしまう。
 考えるほどわからないのだ。「愛は地球を救う」は全てが曖昧だ。愛とは何なのか? 半泣きで100キロ走りきることが愛なのか、障碍のある人にチャレンジをさせて「勇気をもらった」などと述べるのが愛なのか、同じTシャツを着た大量の人間が「サライ」を合唱することが愛なのか。毎年毎年同じことが繰り返されてきたが、いまだに地球は救われていない……というより、どういう状態になれば「地球が救われました!」と言えるのかがわからない。何一つ具体性がない。何を指すのか一切わからない目標は便利だ。「達成しました」も「達成できませんでした」も全部思うがままにできる。もっと言えば、裏に何がうずまいていようが、表向きの目標が「愛は地球を救う」であるなら、多くの人はそれを否定しないだろう。「愛は地球を救う」という字面には、「漠然としたfeeling good」が漂っている。「ねこはかわいい」とか、「お菓子はうまい」とかと同じレベルの解像度であるがゆえに、「愛は地球を救う」なる言葉は広く受け入れられる。

 最近話題になったキム・カーダシアンの「kimono」騒動――キムが自らプロデュースしたブランドの下着に「kimono」と名付け、文化の盗用であると批判され、最終的に名称変更が発表された事件――に際して、私はすさまじい違和感を覚えていた。違和感の対象はキムの決定ではなく、批判者たちのやり方だ(これはキムのやったことには問題がないという意味ではない)。
 例えば京都市が発表した抗議文には、以下のように書かれている。

 「きもの」は、日本の豊かな自然と歴史的風土の中で、先人たちのたゆまぬ努力と研鑽によって育まれてきた日本の伝統的な民族衣装であり、暮らしの中で大切に受け継がれ、発展してきた文化です。また、職人の匠の技の結晶であり、日本人の美意識や精神性、価値観の象徴でもあります。
(出典:https://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000254139.html 最終アクセス2019年7月15日午後6時)

 この文章、本当に何も言っていないに等しい。「きもの」を「(任意の民族衣装)」に、「日本」を「(任意の国・地域)」に変更すれば、あらゆる地域に対して通用する内容だ。着物を「日本人の美意識や精神性、価値観の象徴」とまで言うのならもっと具体的な歴史について語ってもよさそうなものだが、そういう話は何も出てこない。
 そもそもここで「伝統的な民族衣装」と目されている「きもの」とは、何を指しているのだろうか。BBCの記事には、以下のような「one Japanese women」のコメントが紹介されている。

“We wear kimonos to celebrate health, growth of children, engagements, marriages, graduations, at funerals,”
“It's celebratory wear and passed on in families through the generations.”
「私たちは健康、子どもの成長、婚約、結婚、卒業を祝うため、また葬式の場において着物を着用します」
「それはお祝いの服であり、世代を超えて家族に伝えられました」
(出典:https://www.bbc.com/news/48798575 最終アクセス2019年7月15日午後6時、訳は筆者)

 「祝いの服」としての「着物」……この時点でもう怪しい。「民族衣装」と正装がイコールで結ばれる状況は、ものすごく近代的だ。少なくとも芝草山で刈敷にするための芝を刈る江戸時代の百姓が着ていた「着物」や、中世の被差別民が着ていた柿色の「着物」は、ここでは完全に切り捨てられている。
 前近代において、衣服は身分表象であった。多様な形と機能があることはもちろん、着る人間の置かれた立場を示す意味が付随していた。すなわち「着物」を列島の衣服の中で通時代的に位置付けるとき、ある特定の形の衣服に「着物」を代表させることは、大部分の人間を列島の歴史から捨象する行為と同義なのである。数え切れないかつての生者たちの汗や涙を吸っていた衣服の大部分は、名もない人が必要に迫られて仕立てた普段着であって、職人が気合いを入れて作った高級な晴れ着に「着物」全てを代表させるのは、あまりに偏っている。
 兒島峰「「日本」の身体化」(方法論懇話会編『日本史の脱領域』森話社、2003年)によると、現代における「着物」のイメージは、「身分による着衣規制が解かれた明治期になって確立したもの」(前掲書、235ページ)なのだという。明治初期から半ばにかけて帯の重要性が高まり、昨今イメージされるような大きく立派な帯を締める形に変化していくのだ。兒島氏はこの「着物」イメージの成立時期を、洋服の受容とほとんど同時であると指摘している。「着物」のアイコン化は、明らかにナショナリズムの波の中で起きた現象であった……というより、今われわれが当たり前のように用いている「着物」というカテゴリ自体、この時期に「外部」の目を気にしながら設定し直されたものだと言えるのかもしれない。
「着物」を「日本人の美意識や精神性、価値観の象徴」とすることのグロテスクさは、改めて批判するときりがない。繰り返しになるが、今「着物」として想像されるスタイルは日本列島の衣服の歴史を代表させられるものではない。かつての首都である京都市が自らを「きもの」文化の発信者であり擁護者であると自負している状況自体、セントリズムであると言ってよい。また現在日本国籍を所持している人の中には、当然「着物」に連なる文化圏以外にルーツを持つ人が数え切れないほどいる。「着物」という曖昧な言葉で示されたカテゴリ内部の変化、揺らぎ、多様性を無視しながら「文化」の守護者であるかのように振る舞うのは、実に奇妙だ。
 兒島氏の「着物文化」批判をさらに引用しておこう。

 着物を文化とみなすことは、自己肯定感を満足させる。本来、流動的で、固定した枠組みを持たない着物は、やはり曖昧な概念である「民族」とか「人種」と結びついて、個人の感情に働きかける。(前掲書、237ページ)

「着物は昔からあるよね」「伝統は守ったほうがいいよね」……抽象的であるからこそ、そして「日本人」を漠然と肯定するからこそ、これらの問いは人の首を縦に振らせる力を持つ。あやふやな概念であるからこそ、ゆるやかかつ広範に合意を回収するのだ。

 今一番警戒すべきなのは、この「ゆるい合意でがんがん拡大するあやふやな概念」なのではないかと感じている。先に挙げた「愛」や「文化」の他はその筆頭であろう。これらの響きは、よい。「漠然としたfeeling good」がある。さらになんとなく重厚な雰囲気と、いかようにも解釈できる曖昧さを持っている。どんな人間でも何がしかの形で自分の気持ちや営みを委ねることができてしまうのである。
 何が問題なのだと思われるかもしれないが、社会が一人一人が違う気持ちでいること以上に、たくさんの人間が抽象的で大きな気持ちをひとつ共有していることを優先するのだとしたら、大量の人間を思うがままに支配したい人間にとって、こんなに都合のいいものはないだろう。その共有されたひとつの気分を口にしてやれば、それだけで大量の人間の感情が喜んで動くのだから。
 洋画が日本で公開されるとき、他にもっと力を入れた部分があるにもかかわらず「愛と感動の物語」文脈に寄せて宣伝を打たれる様子をよく見かけるが、あれもまた「漠然としたfeeling good」によってより広い人びとにリーチすることを狙ったものだろう。「これは愛なんですよ」「こういう文化なんですよ」でなんだってすてきに説明できてしまうなら、一人の人間が自分の抱いた感情がどのようなものであったか、自分の実践がどのような背景でいかに遂行されたかを、細かく言葉にする必要はなくなってしまう。これが恐ろしい。自分の考えや行動を自分の手から離して大きなものに委ねるやり方を繰り返していれば、個人など消えてしまう。そうなれば行き着く先は(もうすでに到達しているのかもしれないが)、他者のいない世界だ。批判も自浄能力もない、ただ全てがなんとなく同じ形であると信じられているぼやけた人混みと、その人混みの一部になるよう強制する静かな圧力だけが残る。

 やっぱり気持ち悪いのだ。私は特に「愛」の語りに鳥肌を立てている。「漠然としたfeeling good」の全てを否定するわけではないが、世間でここまで「愛」が尊いものとして重んじられているのを見ると、なんとグロテスクな仕組みなのだろうと思わずにいられない。批判しないとまずい気がする。くどいようだが、みんな「愛」に具体的なものを委ねすぎなのだ。解像度を下げて大きい括りに回収させる、この繰り返しで「愛」はすっかり幅を利かせているではないか。「愛」の専制は「愛」をそもそも理解できない、必要としていない人たちをシャットアウトするセントリズムであるし、「愛」概念をよくないものの隠れ蓑として機能させてしまう危うさでもある(「これは愛だ」と銘打って振るわれた暴力の事例は枚挙に暇がない)。

 話題にするにはだいぶ遅い話だが、しばらく前に友人が米津玄師の“Lemon”について「あれは抽象的だから売れたのだ」と言っていた。なるほど、あの曲はドラマ『アンナチュラル』の主題歌だったが、死や離別を扱う話であれば大抵マッチするため、どのエピソードで流れても大概泣けるようにできている。多くのおたくがこの曲に心を委ねていたのは印象的な光景であった。好きなキャラクターが死を迎えたり誰かと死に別れたりするシーンになんらかの形で思いを馳せながら、“Lemon”を聴いていたのである。“Lemon”はあらゆる物語が代入可能な感情装置であった。おそらく全て戦略的に設計されているのだろう。“Lemon”に限らず、「市場」全体が抽象的な方向に流れているような気がする。

 今や複雑な合意形成を広範に取り結ぶこと自体、ほとんど不可能になりつつあるのかもしれない。自分が何に対して何を感じているのかを緻密に言語化する作業、自分の宇宙を個別具体的な存在として捉え直す営みを、当たり前のこととして怠けずにやっていく必要がある。このとりとめもなく我ながら説教くさい文章も、「個人」を消さないための実践の一部だ。その時々で一番不安に思っていることを書き起こすと、胸のつかえが少し降りる。今夜は昨夜より少しだけいい。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 嬉しいお知らせです。9月4日、オウガ・ユー・アスホールが3年ぶりのニュー・アルバムをドロップします。心機一転、新たにスタートしたレーベル〈花瓶〉からのリリース。タイトルは『新しい人』ということで、どうしてもフィッシュマンズを思い出してしまいますが、いったいどんな想いが込められているのでしょう。
 なお全国ツアーの開催も決定しており、9月末から11月頭にかけて全国6都市をまわります。ちなみに新たなアーティスト写真は、撮影を塩田正幸が、アート・ディレクションを紙版ele-kingでおなじみの鈴木聖が担当しているとのことで、ヴィジュアル面にも注目です。ひとまずは8月7日に先行配信される新曲“さわれないのに”を待ちましょう。

[8月7日追記]
 ついに来ました。新曲“さわれないのに”が本日リリース、MVも公開されています。配信はこちらから。

[9月13日追記]
 先日発売されたばかりのニュー・アルバム『新しい人』、そこに収録された“朝”のライヴ映像が公開されました。バンドは9月29日から11月4日にかけてリリース・ツアーをおこないます。詳細は下記より。

半分現実 半分虚構
OGRE YOU ASSHOLE の新しい感覚の音楽。
三年ぶりとなる NEW ALBUM にして最高傑作『新しい人』発売決定。

メロウなサイケデリアで多くのフォロワーを生む現代屈指のライブバンド OGRE YOU ASSHOLE の三年ぶりとなる NEW ALBUM 『新しい人』が9月4日にリリース決定。
それに伴い全国6カ所をまわるリリースツアーの開催も決定。
ツアーファイナルはEXシアター六本木にて開催。
また8月7日にはアルバム発売に先立って収録曲“さわれないのに”の先行配信とMVが公開。

本作には、シンセポップ、ファンカラティーナ~ミュータント・ディスコのエッセンスを含んだ多幸感と虚無感が共生するダンスサウンドやメロウでメディテーショナルなスローナンバー等が収録。
心地よいサウンドスケープに無意識に引き込まれ、たどり着く先にある世界は……
サウンド・歌詞共にバンドの可能性を更に広げる最高傑作が完成。
レコーディング、ミックス、マスタリングは前作同様、バンドを熟知するエンジニア中村宗一郎が担当。

同時に初公開となる新しいアーティスト写真は撮影を塩田正幸、アートディレクションを鈴木聖が担当。

OGRE YOU ASSHOLE
新しい人
2019年9月4日 (水) 発売
金額:¥2,700 (税別)
Label:花瓶
品番:DDCB-19005
収録曲:後日発表

収録曲『さわれないのに』8月7日 (水) 先行配信

OGRE YOU ASSHOLE『新しい人』release tour

9月29日 (日) 松本ALECX
 前売 ¥3,900 / 当日 ¥4,400 (ドリンク代別)
 松本ALECX:0263-38-0050
10月6日 (日) 梅田TRAD
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 GREENS:06-6882-1224
10月12日 (土) INSA福岡
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 BEA:092-712-4221
10月22日 (火・祝) 名古屋 CLUB QUATTRO
 前売 ¥3,900 (ドリンク代別)
 JAILHOUSE:052-936-6041
10月26日 (土) 札幌 Bessie Hall
 前売 ¥3,900 / 当日 ¥4,400 (ドリンク代別)
 WESS:011-614-9999
11月4日 (月・祝) EX THEATER 六本木
 前売 ¥4,200 / 当日 ¥4,700 (ドリンク代別)
 HOT STUFF PROMOTION:03-5720-9999

◆オフィシャルHP先行 (e+ / 1人4枚まで)
https://www.ogreyouasshole.com/
7/19 (金) 22:00 ~ 7/29 (月) 23:59

◆PG(各イベンター)先行
後日詳細発表

◆一般発売
松本、大阪、福岡公演:8/10 (土)10時~
名古屋、札幌、東京公演:8/24 (土)10時~

OGRE YOU ASSHOLE Profile
出戸学 (Vo,Gt) / 馬渕啓 (Gt) / 清水隆史 (Ba) / 勝浦隆嗣 (Dr)

メロウなサイケデリアで多くのフォロワーを生む現代屈指のライブバンド OGRE YOU ASSHOLE。
00年代USインディーとシンクロしたギターサウンドを経て石原洋プロデュースのもとサイケデリックロック、クラウトロック等の要素を取り入れた『homely』『100年後』『ペーパークラフト』のコンセプチュアルな三部作で評価を決定づける。
初のセルフプロデュースに取り組んだ前作『ハンドルを放す前に』ではバンド独自の表現を広げる事に成功し高い評価を得る。
2010年 全米・カナダ18ヶ所をまわるアメリカツアーに招聘される。
2014年 フジロックフェスティバル ホワイトステージ出演。
2018年 日比谷野外音楽堂でワンマンライブを開催。
https://www.ogreyouasshole.com/

The Cinematic Orchestra & Floating Points - ele-king

 今年で20周年を迎えるサマソニですが、本日追加アクトが発表となり、ザ・シネマティック・オーケストラフローティング・ポインツの出演がアナウンスされました。意欲的な新作をリリースしている両者をこのタイミングで観られるのは僥倖と言うほかありません。前者はライヴを、後者はDJを披露。土曜深夜枠の「NF in MIDNIGHT SONIC」への出演で、他にはアクフェン、バス、D.A.N.、クニユキ・タカハシ、ウォッシュト・アウト、テイラー・マクファーリンらが名を連ねています。詳しくは下記をご覧ください。

サカナクションとサマーソニックのスペシャルコラボレーション「NF in MIDNIGHT SONIC」に、ザ・シネマティック・オーケストラとフローティング・ポインツの出演が決定!

今年20周年を迎える SUMMER SONIC 2019 (8月16日 - 18日) の追加アクトが本日解禁となり、最新作『To Believe』を提げ、ソールドアウトとなった単独公演も記憶に新しいザ・シネマティック・オーケストラと、先日〈Ninja Tune〉との契約を発表し、シングル「LesAlpx / Coorabell」(デジタル/12インチ)がリリースとなったフローティング・ポインツの出演が発表された。

8月17日(土)の深夜に開催されるサカナクションとのスペシャルコラボレーション「NF in MIDNIGHT SONIC」に出演し、ザ・シネマティック・オーケストラはライブ、フローティング・ポインツはDJを披露!

NF in MIDNIGHT SONIC
2019年8月17日(土)幕張メッセ
OPEN/START 23:00 / CLOSE 5:00
※ OPEN / CLOSE時間は変更になる場合がございます。
※ 「サマーソニック東京3DAYチケット」、「サマーソニック東京8/17(土)1DAYチケット・プラチナチケット」、「NFチケット」で入場が可能です。
https://www.summersonic.com/2019/lineup/tokyo_day2.html#md

また、フローティング・ポインツは、シングル「LesAlpx / Coorabell」を先日デジタルと12インチでリリース! シングルには10分を超える“LesAlpx [Extended]”が収録されており、DJ必携の一枚となっている。

ザ・シネマティック・オーケストラ | The Cinematic Orchestra
ジェイソン・スウィンスコーを中心にロンドンで結成。1999年にデビュー・アルバム『Motion』 を発表し、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスへのオマージュに満ちたジャジーな本作で注目を集めた彼らは、2002年のセカンド・アルバム『Every Day』で本格的にオーケストラ・サウンドを導入。伝説的ソウルシンガー、フォンテラ・バスも参加した本作品で、ジャズ、クラシック、ヒップホップ、エレクトロニカなど様々な音楽性を融合させて音楽性を広げていく。そして、2007年の『Ma Fleur』では、様々なヴォーカリストをゲストに招いて、まるで一本の映画のようにドラマティックな世界を作り出し、収録曲の“To Build A Home”は世界各国で映画やTVCMに起用されただけでなく、最近ではフィギュアスケートの新たな定番曲としても知られている。2019年、12年の時を経て遂に新作『To Believe』が完成し、4月には初となるホールでの来日コンサートツアーを成功させた。

フローティング・ポインツ | Floating Points
マンチェスターに生まれ、現在は作曲家/プロデューサー/DJとしてロンドンを拠点に活動するフローティング・ポインツ。2000年代後半にシーンに登場するや、ハイセンスなダンス・ミュージックのプロデューサーとして早くから頭角を現し、2010年には〈Ninja Tune〉から、16人から成るオーケストラ・プロジェクト、ザ・フローティング・ポインツ・アンサンブル名義でリリースした10インチ作品『Post Suite / Almost In Profile』をリリース。それがジャイルス・ピーターソン主宰の〈Worldwide Awards〉を受賞すると、クラシック音楽からジャズ、電子音楽、ソウル、MPBまでを自由自在に横断するその才能が高く評価を受けた。その後はDJで世界中を回りながら、今やジェイミーXX (The xx)、カリブーそしてフォー・テットなどと肩を並べるほどのステータスを築き上げる。〈Eglo Records〉を共同運営するレーベルオーナーとしての顔も持ち、さらには神経科学の博士号を取得したサイエンティストでもあるという、まさに異才である。

label: NINJA TUNE / BEAT RECORDS
artist: THE CINEMATIC ORCHESTRA
title: To Believe
release date: NOW ON SALE

国内盤CD BRC-591 ¥2,400+税
国内盤特典:ボーナストラック追加収録/解説書封入

label: NINJA TUNE
artist: FLOATING POINTS
title: LesAlpx / Coorabell
release date: NOW ON SALE

Pasocom Music Club - ele-king

 昨年『DREAM WALK』で一気にその名を轟かせた関西のDTMユニット、パソコン音楽クラブが9月4日にセカンド・アルバム『Night Flow』をリリースする。去る5月には Native Rapper の名ダンス・チューン“TRIP”をスウィート・エクソシストばりにブリーピィに再解釈した、あまりに切ないリミックス(とくにインストがヤヴァい)を発表している彼らだけに、いったいどんなサウンドに仕上がっているのか、いまから非常に楽しみだ。リリース・ツアーも決まっているので、下記より詳細をチェック。

tofubeatsも大注目する「パソコン音楽クラブ」、ゲストボーカルにイノウエワラビ、unmo、長谷川白紙、マスタリングエンジニアには得能直也氏を迎えた1年ぶり待望のセカンド・アルバム遂にリリース! トレーラーも公開!!

関西発DTMユニット・パソコン音楽クラブ。2015年11月に結成。80年代後半~90年代の音楽モジュールやシンセサイザー、パソコンで音楽を製作。ロング・ヒットした前作をより深化させてポップ・チューンが満載。ゲストボーカルにイノウエワラビ、unmo、長谷川白紙、マスタリングエンジニアには、tofubeats、cero、石野卓球等を手掛ける得能直也氏を迎えた快心作が遂に完成!! 今年のサマー・アンセム!

夜から朝までの時間の流れにおける感覚の動きを描いた9曲入りの2ndアルバムです。

時間の経過とともに、夜が深まり、日を跨いで朝になるまで、見知ったはずの街並みは刻一刻と表情を変え、その中にいる僕たちの感覚も変化していきます。僕たちは夜を歩き、その特別さへの高揚感、底知れなさへの不安感を覚えます。最後に朝になり、再びいつもの世界へと戻るとき、僕たちの感覚は新しいものへと移り変わっているように思います。 前作『DREAM WALK』では記憶やイメージに焦点を当てましたが、今作はもっと現実と地続きに感じる異質さ、日常的なものが特異になる様子に着目しました。
──パソコン音楽クラブ

アルバム・トレーラー映像
https://www.youtube.com/watch?v=30kmoqeb7MQ

■商品情報
アーティスト:パソコン音楽クラブ
アーティスト かな:パソコンオンガククラブ
タイトル:Night Flow
タイトル かな:ナイトフロウ
発売日:2019年9月4日
定価:2,000円+税
JAN:4526180491194
仕様:CD1枚組
レーベル:パソコン音楽クラブ

収録曲:
1. Invisible Border (intro)
2. Air Waves
3. Yukue [vocal:unmo]
4. reiji no machi [vocal: イノウエワラビ]
5. Motion of sphere
6. In the eyes of MIND [vocal: イノウエワラビ]
7. Time to renew
8. Swallowed by darkness
9. hikari [vocal: 長谷川白紙]

■パソコン音楽クラブ
https://pasoconongaku.web.fc2.com/Index.html

プロフィール
2015年結成。“DTMの新時代が到来する!”をテーマに、ローランドSCシリーズやヤマハMUシリーズなど90年代の音源モジュールやデジタルシンセサイザーを用いた音楽を構築。2017年に配信作品『PARKCITY』を発表。tofubeatsをはじめ、他アーティスト作品への参加やリミックス、演奏会、ラフォーレ原宿グランバザールのTV-CMソングなど幅広い分野で活動。2018年6月に自身初となるフィジカル作『DREAM WALK』をリリース。

Andrew Weatherall - ele-king

 言わずもがな、80年代からDJとして活躍し、数々のリミックスやプロダクションで名を馳せ、セイバーズ・オブ・パラダイスやトゥ・ローン・スウォーズメン、ジ・アスフォデルスなど多くのプロジェクトで素晴らしい音楽を生み出し続けてきたヴェテラン、ポスト・パンクとハウスとの間に橋を架けたUKテクノ番長、アンドリュー・ウェザオールが久方ぶりの来日を果たす。表参道のヴェニュー VENT の3周年を祝うパーティ《VENT 3rd Anniversary》の一環として開催される《Day2》への出演で(サークル・オブ・ライヴを迎える《Day1》についてはこちらから)、なんとオープンからクローズまでひとりでロングセットを披露するのだという。と、とんでもない。いま彼がどんな音楽に注目しているのか確かめる絶好の機会でもあるので、8月24日は予定を空けておきましょう。

伝説! Andrew Weatherall が表参道VENTの3周年パーティーDay2で、オープン・トゥ・ラストのロングセットを披露!

国内屈指のサウンドシステムと、こだわり抜いたブッキングで日本のナイトシーンに一石を投じてきた表参道VENT。8月17日と24日に3周年パーティーを開催! 8月24日のDay2には現代のミュージックシーンに計り知れない影響を及ぼしてきたリビングレジェンド、Andrew Weatherall (アンドリュー・ウェザオール)がオープン・トゥ・ラストのロングセットで登場!

Andrew Weatherall ほど多岐にわたる音楽ジャンルに影響を及ぼしてきたアーティストもなかなかいないだろう。10代の頃からポップカルチャー全体に傾倒し、音楽と洋服と本と映画に夢中になっていたという。音楽制作を始めてからは、ずば抜けた才能を発揮し、New Order、My Bloody Valentine、Primal Scream、Paul Weller、Noel Gallagher、Happy Monday などの制作に関わったり、リミックスを提供。デビュー前の The Chemical Brothers や Underworld などの素晴らしい才能をいち早く発掘したのも Andrew Weatherall 達だった。

アナログレコードをこよなく愛し、今でも幅広い音楽ジャンルのDJプレイを披露している。ロカビリーからテクノまでをプレイする、Andrew Weatherall にとっては音楽ジャンルの壁などは無いに等しい。数々の革命を音楽業界に巻き起こしてきた、真のイノベーターと共に迎えるVENTの3周年パーティーに乞うご期待!

更に超豪華特典! VENTの3周年を祝して Andrew Weatherall が、最新の Mix を2本提供してくれました!

・Mix #1はこちらでお楽しみ下さい!
Andrew Weatherall VENT 3rd Anniversary Mix #1
https://soundcloud.com/vent-tokyo/andrew-weatherall-vent-3rd-anniversary-mix-1

・Mix #2はVENTのメールマガジンに登録してくれたお客様にダウンロードリンクをお送り致します。
https://vent-tokyo.net/
こちらのトップページ中段にあるフォームにてご登録下さい。
※ 不定期にVENTの最新情報をお送り致します。

黒船MMTと参議院選挙の行方 - ele-king

 選挙の夏、反緊縮の夏がやって来た。参院選を闘う反緊縮候補者の動向を追ってみる。

 前回のコラムでは黒船MMTが日本に来航し、国会や各メディアでも多数扱われたことをお伝えした。とくに自民党・西田昌司氏は予算委員会や財政金融委員会を通し、MMTの信用創造システムの理解が正しいか、再三に渡って政府と日銀に対し質問している。

 5月23日の財政金融委員会にて、西田議員が雨宮日銀副総裁から重要な証言を引き出した。銀行は数字を書き込むだけで通貨を創造できるとする「万年筆マネー」、また、新規国債発行を介した政府支出により民間銀行に預金が創造されることを認めたかっこうだ。この点だけを見れば、一般的に言われるように国債は「クニノシャッキン」でもなければ政府の債務ですらないともいえる。このことはいままで主流経済学の教科書やマスコミにより語られていた信用創造の説明が間違っていたことを証明する瞬間ともなり、ツイッターを中心とするネットの経済クラスタたちの間でもちょっとした騒ぎになった。

決済性預金口座というものを提供している銀行だけが、その与信行動により、自ら貸し出しと預金を同時に作り出すことができるのであります。
 (中略)
銀行は私にカネを貸すとき(=民間に融資する)ときは、銀行口座に記帳すると、後から預金が発生するという格好になります。信用創造を通じて預金がが増加するという格好になります。これを信用創造と言っているわけであります。
 (中略)
金融機関が国債を保有し財政支出が行われればそれに対する預金通貨は事後的に同額発生しているわけであります。
 雨宮正佳・日銀副総裁 財政金融委員会(2019.5.23)
https://www.youtube.com/watch?v=W61Srkam7xE&feature=youtu.be


写真 提供: @nonsuke38 氏

 自民党・西田昌司氏は極右とも称される議員であり、自民党が政権に返り咲く以前より安倍首相に近い関係にある議員として知られているが、相対する野党はどうだろうか。MMTは民主社会主義を標榜する米国の左派・サンダース大統領候補にも、そしてガチ左翼の英国労働党党首・コービンにも多大な影響を与える。日本でも、大きな政府主義であるはずの左派、野党にこそ大きく扱われているはずだ。

 しかし、実際のところ野党はMMTに及び腰だ。日本の野党、特に旧民主党系はネオリベの亜種である「第三の道」をひた走ってきた過去がある。グローバリズムや緊縮財政、構造改革を礼賛するようなスタンスでいたため、国の財政が税収の範囲内で運営されるものだと誤認する、いわゆる「家計簿脳」に陥っている。いまでも多くの野党議員が、「政府債務(国債)が民間の預金からファイナンスされている」とする、反緊縮派が「天動説」と揶揄するものを信じて疑わないのだ。

 国家財政は、家計簿や企業会計とはまったく異なる。政府には理論上、無限に通貨を創造できる権限があるが、家計や企業には通貨発行権はなく、その会計原則が異なるものであることは誰にでもわかるはずだ。歳入額を上回り発行される赤字国債は1965年より続けられている歴然たる事実なのに、国会議員の多くが「プライマリーバランスの黒字化」や「身を切る改革」といった政策をもって、国民経済を収縮させようとしている。

 しかし、7月21日に投票日を迎える今回の参院選を前に、かつて「緊縮脳」だとか「家計簿脳」だとかとネットユーザーたちから揶揄されていた野党議員の洗脳が解けはじめたかのような動きが見えてきた。

 薔薇マーク・キャンペーンは、「反緊縮財政」を掲げる野党候補者に「薔薇マーク」を認定、有権者が投票する際の参考にしてもらおうという政治運動だが、同キャンペーンがこれまでに「反緊縮」だと認定した候補が49名もいる。これは全候補の4割にもなる計算だ。薔薇マークの認定基準には「消費税の10%増税凍結」、「社会保障への財政出動」、「大企業や富裕層への累進課税の強化」、「大企業への増税が実現するまでの間、国債を発行してなるべく低コストで資金調達することと矛盾する政策方針を掲げない」、「公共インフラの充実」の5項目があげられている。その5項目中の3項目をクリアすれば認定対象となるとされていて、かなり野党候補者にフレンドリーな内容となっていることにも注意が必要だが、野党議員の間に確かな「反緊縮」の萌芽が現れつつある証左にもなるだろう。


写真 :薔薇マーク・キャンペーンの認定した49人の野党候補者

 筆者個人が、今回の参院選を通じて特筆すべき反緊縮の候補者と議員をあげるなら、国民民主党・玉木雄一郎代表、社民党・相原りんこ候補(神奈川)、立憲民主党・石垣のりこ候補(宮城)、そしてれいわ新選組・山本太郎代表(比例)だ。

 玉木雄一郎衆議院議員が代表を勤める国民民主党の公約では、児童手当を月額1万5千円給付、低所得の年金生活者に月額5千円給付、年収500万円以下の世帯に家賃1万円給付、法人税率の累進化、農業従事者への「戸別所得補償制度」の復活、科学技術への投資などを掲げ、財源としては国債の発行もあげている。同党の掲げる「こども国債」は非常に野心的な試みだ。また、玉木代表個人としては、国債発行を介して得た財源の財政支出先を建設事業に限定することに繋がる「財政法4条」の改定も視野に入れているなど、反緊縮派からの期待も大きい。

 社民党・相原りんこ候補(神奈川)は「反グローバリズム・反新自由主義・反緊縮」をキャッチコピーとし、国債発行を介した財政出動を掲げるなど筋金入りの経世済民派の人材だ。薔薇マークのアンケートには「消費税は5%に引き下げて将来は廃止をめざすべき」と回答しており、他にも政府による最低賃金1500円の保証、累進課税の強化、また最低年金保証制度の確立などを謳っている。おせっかいな筆者が6月に、日本で唯一のMMT教本として知られる中野剛志氏の『奇跡の経済教室』をツイッター上で薦めた際には、即座に購入し自身の政策に取り入れようと努力していただいたほど、国民の声を聞く能力にも長けている。

 立憲民主党・石垣のりこ候補(宮城)は、同党では唯一「消費税ゼロ」を掲げ選挙戦を戦う。7月13日付けの朝日新聞に「“消費税廃止" 反緊縮の芽か」と題された記事が掲載され、れいわ新選組・山本太郎代表と共に特集されるなど、リベラル界隈からおおいに注目される候補の一人でもある。この立憲の公約と乖離するようにも見える主張を貫く姿勢は、しばしば同党の支持者からも攻撃されるほどのハレーションをひき起こしているが、決してブレない姿勢が反緊縮派から支持される理由のひとつだろう。薔薇マークのアンケートには「大胆な財政出動をすべきであり、また、雇用調整として政府直接雇用を大幅に増大するべきと考えている」と答え、MMTのJGP(総雇用保証)的な考えにも触れている将来が楽しみな人材と言える。

 また、石垣候補の同僚となる立憲の落合貴之衆議院議員は、6月18日のBS11の報道番組にて「世界各国で(政府の)借金を増やしていくことにマイナスのイメージを持たなくなってきている。MMT的な考えで財政を積極的にやるべきだ」と発言し、MMTに理解を示しているが、立憲内部にも反緊縮の芽が育ちはじめていることが見て取れる。

 反緊縮財政、そしてMMTをもっとも理解するのがれいわ新選組の山本太郎代表だろう。山本氏は2016年頃より立命館大学の松尾匡教授を経済アドバイザーとして迎え、その反緊縮の経済政策に磨きをかけてきた。参院選前より続けてきた街頭演説では、モニター画面に各種経済指標を映し出しながら自身の経済政策を街場の人びとに訴えかけている。その動画の数々はYoutubeで軒並み数万回単位で再生されており、反緊縮派からの信頼も厚く、ネットユーザーにはMMTの体現者として認知されている。

 しかしながら、筆者が知る限り、山本氏は「MMTを参考にしている」等と発言したことはない。山本氏の発言や経済政策が、MMTの理論と合致する点が多くあるだけなのだ。

 松尾匡教授は、メディア等で「MMTは標準的なマクロ経済学だ」と繰り返し発している。

次のような主張は、よくマスコミなどでMMTの主張とされているが、これらの3派(ニューケインジアン左派・MMT・ポジティブ・マネー派)にも共通する、経済学の標準的な見方である。

・通貨発行権のある政府にデフォルトリスクはまったくない。通貨が作れる以上、政府支出に予算制約はない。インフレが悪化しすぎないようにすることだけが制約である。
・租税は民間に納税のための通貨へのニーズを作って通貨価値を維持するためにある。言い換えれば、総需要を総供給能力の範囲内に抑制してインフレを抑えるのが課税することの機能である。だから財政収支の帳尻をつけることに意味はない。
・不完全雇用の間は通貨発行で政府支出をするばかりでもインフレは悪化しない。
・財政赤字は民間の資産増(民間の貯蓄超過)であり、民間への資金供給となっている。逆に、財政黒字は民間の借り入れ超過を意味し、失業存在下ではその借り入れ超過は民間人の所得が減ることによる貯蓄減でもたらされる。

東洋経済: 「MMT」や「反緊縮論」が世界を動かしている背景

 MMTは、20世紀初頭に「貨幣国定学説」を説いたクナップからケインズ、ラーナー、ミンスキー、ゴドリーらの学説を体系的にまとめたものであり、その基礎は主にケインズ派の間で繰り返し語られてきた「標準的なマクロ経済学」なのだ。

 山本氏の経済政策や発言は、上記分類と殆ど一致する。付記するならば、山本氏は「統合政府論」(政府と中央銀行を一体のものとして一つのバランスシート勘定で捕らえる視点)にも言及し、さらに「公務員を増員し景気を安定させるべき」との発言から、JGP的な考えも踏襲していると見受けられ、MMTの議論をより広く網羅しているともいえる。逆に、上記にある「租税貨幣論」「国定信用貨幣論」のような考えに関する言及はないため、その部分はMMTからは外れるともいえるし、MMTの主要議論となる「内生的貨幣供給論」に関する言及もない。

 山本氏が今回の参院選で強く主張するのは「消費税の廃止」となるが、これは租税が「総需要を総供給能力の範囲内に抑制してインフレを抑えるためにある」とするビルトイン・スタビライザーの理論を深く理解していることに他ならない。子どもから病人にまで課税する消費税は悪税そのものであるし、不況期に増税するなどマクロ経済的にはもってのほかなのだ。

 サンダースやAOC(オカシオ-コルテス)は政治的な理念として経済を語ることはあっても、山本氏が街頭で語るように詳細に踏み込んで経済理論に言及することはない。その点がネットの経済クラスタから賞賛され、そして現在の「れいわ新選組ムーヴメント」を形成する一因となっているのだろう。反緊縮の経済理論を深く理解する山本氏ならではの語り口によって紡ぎ出される政策の数々は多くの人びとを魅了しているようだ。

 反緊縮理論を牽引する松尾教授と藤井聡・京大大学院教授が、去る7月16日と17日に、MMTのファウンダーで、サンダース大統領候補の経済顧問、また民主党の元主席エコノミストとしても知られるステファニー・ケルトン教授を日本に招聘し、シンポジウムを開催した。その様子がテレビ朝日の報道ステーションでも特集されることになった - これは日本のテレビがはじめてMMTをまともに扱った瞬間となる - が、いま、世間の目が反緊縮、そしてMMTに注がれていると感じる。

 現在の資本主義は、略奪型資本主義の構造を強化してきたといえる。世界各国の政府はサプライサイド経済学の論理に則り、グローバル企業や大企業のために規制を緩和し、下請け企業や労働者から搾取しやすい構造を作ってきた。強者による収奪のシステムだ。この世界的な弱肉強食の構造に反旗を翻したのが、サンダースやコービン、イグレシアスやサルヴィーニ、ルペンやメランションらAnti-Austerity(反緊縮)の政治家となるが、そのパラダイムシフトはこの国でも起こりつつある。
 搾取される全ての者が、「変革不可能」だと諦めていたこの国の構造が破壊されようとしている。
 今月21日に、その意志が試される分水嶺が来る。

ピータールー マンチェスターの悲劇 - ele-king


 「やあ、来たのか?」「これを見逃すものか!」
 ──これは来月公開されるイギリス映画『ピータールー』の一場面。サブタイトルは「マンチェスターの悲劇」。ちょうど200年前の夏、英国で起きた出来事を『ヴェラ・ドレイク』や『ターナー』のマイク・リー監督が再現した155分の大作だ。

 1819年8月16日、イギリス・マンチェスターの聖ピーター広場には6万人もの人が集まっていた。晴れ着を着て、近隣、遠方の町から何時間もかけてやってきたのは日に焼けた顔の貧しい労働者たちだ。この集会のテーマは、貴族に独占された議会の改革と全男性国民の参政権獲得を訴えることである。
 時代は、フランス革命から30年、ヨーロッパ中を巻き込んだナポレオン戦争(ワーテルローの戦い)から4年、まだ戦争の傷は生々しい上、英国ではとくに北部を襲う貧困と労働者の搾取、小麦の高騰などが人びとを苦しめ、怒りがじわじわと広がっていた。ロンドンの中央政府は「(フランスから感染した)革命というコレラ」を防ぐため、法改正や軍事を含むあらゆる方策を練っていて、一方、民衆運動は各地で盛り上がりつつあるという頃。労働者にも選挙権があれば国を変えられる、「目的は自由の回復だ。自由か死か、だ! 無気力を捨てよう」「もう餌食になってはいけない。赤ん坊を泣かせておいてはいけない!」「大木はどんぐりから生まれるんだ。自由になろう!」「我々を食い物にしている圧政者から人生を取り戻そう」等々──熱のこもった街頭での演説が、自分を無力と決めつけていた人びとの気持ちを変えていく。そして、「いまは時代が悪いだけ」という諦めが少しずつ消えてゆく。

 政府や義勇軍(私軍)に付け入る隙を見せてはいけない、弾圧の口実を与えてはいけないと、集会主催者たちは徹底的に暴力の可能性を排除する。広場の石をすべて取り除き、参加者が自衛のために持つ棍棒を取り上げる。「上品に振舞おう、見返してやろう。与えてもらうんじゃない。英国人として持っている本来の権利を取り戻すだけだ。さあ、晴れ着を着て広場へ行こう」
 休みなくこき使われ、給料は雀の涙。顔も爪も真っ黒に汚れ、でもどうにもできないと諦めていた200年前のマンチェスターの人びとが、ついに広場にたどり着いたとき、自分と同じ人たちに出会う。出会っただけで、汚れた顔が自然にほころび、笑みがこぼれる。なけなしのパンを分け合って、どこから来たのかと尋ねあい、私は孤独ではないんだと本当に気づく。
 

 今年の春、私はフランスの民衆運動「黄色いベスト」の本を編集したのだが、そういえば、そこでも同じ話が出てきた。田舎の貧しい中高年労働者たちは、黄色いベストを着て町外れのロータリーに集まり、同じ悩みや不安を話し合うことで、もう孤独ではないことを知ったという。
 政治集会でなくてもいいとは思う。それでも、参加者みんなが「未来を変えよう」という気持ちを持っているのは政治集会ならではの華やぎがある。
 なるほど。古来、政治集会には、晴れ着でいくものなのだ。
 この映画を試写会最終日に見たその日の夕方、私は品川駅前広場に少しずつ増えてくる人を見ながら、午前中に試写室で聞いた「これを見逃すものか!」というセリフを口にしていた。「これ」とは、れいわ新選組の「れいわ祭り」のことだ。

 山本太郎が自分の新しいパーティに「れいわ新選組」と名付けたとき、正直言って私はがっかりした。彼については他にもいくつかがっかりしたことはある。けれども比例名簿の候補者が決まっていくにつれ、それらの「がっかり」が小さいことに思えてきた。
 そもそもこれまでインターネットの国会中継で何度も見てきたのは、山本太郎が「もっとも力を持たない人」を擁護する場面だった。国会での山本議員は、公園で野宿するホームレスや入国管理局の収容所で虐待される外国人、原発事故の影響で政府の援助を受けられず自主避難する人びと、生活保護をカットされる困窮者など、選挙権も持たない、あるいは政治どころじゃない、明日の命も不安な人たちの代弁ばかりしていた。政治家にしてみれば、選挙でもっとも票に繋がらない人びとだ。
 そして、今回の選挙で比例名簿の特定枠(優先枠)に、ALS患者と重度障害者という2人の車椅子生活者を擁立した。今回の参議院選挙では性的マイノリティをはじめさまざまな立場での少数者が「当事者」として立候補している。私は必ずしも「当事者」であることが金科玉条とは思っていない。「人はみんな違う」と「人はみんな同じ」はたいして違わない。どっちにしても「だから、1人1人に権利がある」わけで、どの「当事者」であろうと、社会が全体として重要視する大きな価値は共有できる。
 とはいえ、象徴的な「当事者」が、多くの「1人1人」に示唆を与えてくれるということは大いにありうる。そして、山本太郎が作った候補者名簿は、本当に厳選された象徴的な「当事者」がずらりと並んでいる。とくに特定枠の2人が国家議員になったら、日本の国会は物理的に大きく変わらなければならない。スペースのバリアフリーはもちろん、国会議員は介護者とともに行動する自由を得るだろう。その動きは国会だけでなく、日本全土に広がらざるを得ない。それが実現した日本社会を想像してみよう。間違いなく、いま(たまたま)健康な体で暮らしている人たち「にも」さらに暮らしやすい社会になっているはずだ。例えば、自転車で往来しやすいだとかね。
 「やあ、来たね!」「これを見逃す手はないよ」──そんな気分で、政治集会に来た。このグループの主張はどれも、「現在いちばん力を持たない人を先に助ける」ことから出発している。
 例えば東京オリンピック招致を批判しつつ、その開催を盾に取り、「五輪憲章の人権条項を守って、入管収容所での虐待をやめるよう法務大臣に言ってくれ」と、なんども五輪大臣に食い下がる姿からは、使えるものはなんでも使って目的に近づこうとするプラグマティストだ。細かい話だが、比例名簿の「特定枠」は、自民党のご都合主義による新制度で山本太郎も反対したはずだが、いざ選挙となったら率先して使っている。しかも、自民党が想定していたような保身的手法ではなく、選挙後の国会に大きなインパクトをもたらす使い方でだ。なんというか、存在する制度の力を最大限に増幅させるやり方で使ってしまう、きっとこういうのをこそプラグマティズムというのだ。

 この数年、「右か左かではなく、上か下かだ」というスローガンは日本でもよく使われる。けれども、「右か左かではなく」は言うより難しいようで、私が見るところ、たいがいはその政治家(政党)のパプリックイメージによる左右評価の固定化を逃れるための言い訳に使われている。ちょっと教養があって、これまでの政治史やその文脈を知っている頭では、なかなか左右軸から逃れることはできない。しかし私は、ある政治家が保守なのか革新なのか、自由主義なのか復古主義なのか、などということはどうでもいい。少なくとも、そのような言葉で自分自身を説明しようとする政治家には興味はない。そのようなことは、その政治家が主張する政策や思想から有権者が判断することではないか。細かい政策のいちいちではなく、思想を表してほしい。もちろん政策の蓄積によって表す人もあろうし、国会質問からそれが伝わる人もいる。ところが山本太郎の「左右ではなく、上下」はきっちり言葉通りだ。「左右」は彼の話題にも出ない。頭のなかにはたぶん本当に「上下」しかないのだろう。
 山本太郎の今回の比例名簿は、その意味で、彼の思想の表現だと私は思う。生きるためにもっとも他人の手助けとコミュニケーションを必要とし、ただ生きる、ということを、おそらくは誰よりも考えてきたであろう2人の候補者をはじめ、国会や永田町に、この日本の社会全体に、違和感を与えて余りあるメンバーを並べ、「あなたの星を探して。きっとこのなかにいる」という。これは哲学的な問いかけだ。そうして、この「当事者」たちは、単にマイノリティーの代表から、ある思想を共有しようではないかという呼びかけに変わる。これが山本太郎の今回の「選挙運動」だと、私は理解した。

 さて、映画『ピータールー』は6万人の控え目で晴れやかな希望が上品に最大限に膨らむのを見届け、一気に「悲劇」へと向かう。英国史上、最悪の政治的虐殺事件と言われるものだ。馬上からサーベルを振りおろしたのは、「革命というコレラ」を恐れた政府が用意した過剰警備の機動隊だ。いつも民衆は負け続けている。一時期は勝っても、最終的には負ける。いや、しかしそれは「最終」ではない、のだ。
 現にこの悲劇をきっかけに、事件を目撃した人たちによって、志のある革新的な新聞『ザ・ガーディアン』が創刊される。そしてこの後、イギリス各地で幾度も民衆は蜂起して、労働者の権利とイギリス国民として当然の権利を手にしていくことになる。さらに、いまもブレグジットをめぐる運動や「絶滅への反逆(Extinction Rebellion)」と言われるものなど蜂起は続いている。

 品川駅港南口広場で3時間楽しんだ「れいわ祭り」からの帰り道、私が歌っていたのはこれだ。

〜イキがったりビビったりしてここまで来た ツアーがどこへいくのか 誰も知らない 子供騙しのモンキービジネース まともな奴は一人もいねーぜ〜Yeah!!
RC SUCCESSION“ドカドカうるさいR&Rバンド"

 山本太郎の演説はすごい。会場ではハンカチで涙を拭っている聴衆もいる。私もユーチューブで聞いたスピーチで何度も涙ぐんだことがある。一方で、「できもしないことで気をひくホラ吹き、ポピュリスト、ファシスト」等々、批判も事欠かない。れいわ新選組の経済政策が本当に正しいのかどうか、私にはわからない。そんなことわかるはずがないじゃないか。けれども、彼らが目指そうという方向に、私も行きたいと思った。いちばん弱いものが生きられる社会。言い古された理想だが、山本太郎の作品である比例名簿は、そちらを指差しているのではない?  ダメでもまた起きるだけさ。

別冊ele-king 続コーネリアスのすべて - ele-king

『コーネリアスのすべて』の続編が登場!

再発される『The First Question Award』と『Point』にフォーカスした
ファン必読のロング・インタヴュー
および秘蔵写真
そしてコレクターズアイテム
などなど

細野晴臣や砂原良徳との対談、
メンバーの取材などを交えながら、
コーネリアス・ワールドをお楽しみください!

■目次

PHOTO STORY
写真=濱田晋

LONG INTERVIEW CHAPTER 1
ファースト・アルバムにしていまのところ唯一のポップ・アルバム
 まずは『The First Question Award』について

LONG INTERVIEW CHAPTER 2
いかにして音は削ぎ落され、独自のサウンドが構築されたか
 そして『Point』について 

CROSS TALK
細野晴臣×小山田圭吾「エッセンスとデザイン、日本と海外、水平と垂直 ふたりの類似点と相違点」
砂原良徳×小山田圭吾「いちど全部捨てたところから『LOVEBEAT』も『Point』も生まれた」

INTERVIEWS
堀江博久「1990年代前半は数ヶ月ごとになにかが動いていた」
大野由美子「コーネリアスはクセナキスに近い!?」
あらきゆうこ「コーネリアスというホーム」
辻川幸一郎「認識としての映像」杉原環樹
大西景太「映像による『聞こえ』の手ざわり」
中村勇吾「デジタルの宿命を超える表現」

CRITIQUE, COLUMN
大久保祐子「25年目の『The First Question Award』を聴きながら」
草彅洋平「僕の90年代」
野田努「コーネリアス私論、および『Point』について」
イアン・F・マーティン「ポストモダンを背に~『Point』におけるポイント、視点、論点、そして音の点をめぐる考察」
松村正人「音のひとのことば」
畠中実「もうひとつのディメンション~コーネリアスにおけるヴィジュアル・ミュージックとしての映像表現」

ARCHIVES
「『The First Question Award』コレクション」ばるぼら/siloppi
資料「英米音楽メディアはコーネリアスと『Point』をどのように受け止めたのか?」

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