フジロックフェスティバルへの出演も話題となっているエイフェックス・ツインが、去る4月28日、リチャード・D・ジェイムス名義で新たなデモ音源を公開した。タイトルは“4xAtlantis take1”で、『ピッチフォーク』によれば、Sequentix のシーケンサー Cirklon をテストするために作られたトラックだそうである。現在、同曲は Sequentix のプロモーション動画にて試聴することが可能。しかしこの曲、か、かっこいいじゃないか……
「K A R Y Y Nã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
日本のイラストレーション界に大きな足跡を残した河村要助。その展示会が6月5日から10日にかけて、南青山のSPACE YUIにて開催されます。「100パーセント・スタジオ」で活動をともにした湯村輝彦および矢吹申彦の描き下ろし作品も出展されるとのこと。詳細は下記より。
JOYFUL TOKYO for 2020
河村要助傑作イラストレーション展
2017年6月5日(月)~10日(土)
11:00~19:00
天才イラストレーター、河村要助が1985~89年に発表した傑作シリーズ=「ジョイフル・トーキョー」。ニッポンならではの食文化、作法、シキタリ、日常のマナー……それらを、根底にある美意識とともに大キャンバスに描いた愛あるイラストたち。手書の英文解説とともにニンマリ、シミジミと味わう。
原画や版画とともに作品集『河村要助の真実』(*)、グッズなどを展示販売致します。その他初公開作品も展示予定。また、特別参加で幻の「100%スタジオ」の僚友、湯村輝彦、矢吹申彦の描き下ろし作品出展も決定!!
(*)購入の方限定で河村要助の特製絵皿のプレゼントの用意もあります。
会場:SPACE YUI
〒107-0062
東京都港区南青山3-4-11ハヤカワビル1F
03-3479-5889
後援:㈱Pヴァイン
協力:佐藤卓デザイン事務所、y.k.プロジェクト委員会、SPACE YUI
まったく新しい様式を発明したから素晴らしい。かつてないサウンドを鳴らしてみせたから優れている。たしかにそういう評価のしかたはある。あるいは、最近の傾向を反映しているから重要である。こんな時代にこんなサウンドを鳴らしているからこそ価値がある。そういう判断のしかたもある。でも、当たり前の話ではあるが、そういう基準からはこぼれ落ちてしまう作品だってある。特に目新しいわけではない。何かの波に乗っているわけでもない。でも、完成度自体はきわめて高い――Oto Hiaxのこのアルバムはまさにそういう「こぼれ落ちてしまう」作品だ。どうしても何らかの文脈を用意しなければならないのであれば、「90年代リヴァイヴァル」あるいは「00年代リヴァイヴァル」といった言葉をあてがうこともできるだろう。そのどちらにも当てはまってしまうところがこのアルバムの魅力でもあるのだが、しかしどうにもこの作品からは、そういうふうに「整理されてしまうこと」を拒むような不思議な温度が感じられる。
Oto Hiax は、シーフィールの中心人物として90年代の音楽シーンに多大な痕跡を残したマーク・クリフォードと、ループス・ホーント名義でおもに〈Black Acre〉から作品を発表してきたスコット・ゴードンのふたりから成るユニットである。2015年に自主リリースされた最初のEP「One」の時点では、「とりあえずコラボしてみました」という印象が強く、まだ方向性の定まっていない感のあったかれらだが、ラシャド・ベッカーがカッティング&マスタリングを手掛け、名門〈Editions Mego〉からリリースされたこのファースト・アルバムは、その多彩な音響の実験とは裏腹にしっかりとしたまとまりを持っている。アンビエント、ドローン、シューゲイズ、サイケデリック、ノイズ、ミュジーク・コンクレート、ミニマル……本作にはさまざまなジャンルやスタイルの要素が盛り込まれているけれど、それらの音の群れをひとつの作品としてまとめ上げているのは、牧歌性である。
このアルバムでは、ぬくもりのあるシンセやフィードバックがどこまでもノスタルジックな風景を現出させている。その繊細な情緒は、はかなげな電子音がよく晴れた穏やかな午後のイメージを呼び起こす冒頭の“Insh”から、すぐに聴き取ることができる。細かく切り揃えられた電子音がセンチメンタルなコードのなかを流れいき、そこにときおり鋭利な刃物が紛れ込む2曲め“Flist”なんかは、ゆったりと水中を漂っているかのような心地良さを与える。こうした牧歌性は、フィードバック・ノイズとエコーが極上のシューゲイズ的サイケデリアを錬成する5曲め“Creeks”にもっともよく表れており、そのたゆたう音の波のなかでわれわれはただただ安らかな光にくるまれることになる。
しかしこのアルバムはただ夢見心地なだけではない。フィードバックを背後に具体音が舞い踊る3曲め“Dhull”や、民族的な高音とドローンに支えられながらさまざまな音の展覧会が催される4曲め“Eses Mitre”、もこもこした低音としゃらしゃらした高音が耳をくすぐる小品“Bearing & Writhe”と、トラックが進むごとにアルバムはミュジーク・コンクレートの側面を強めていき、それは9曲め“Lowlan”でひとつの山場を迎える。フィードバックとドローンの上をノイズが転がる7曲め“Littics”や、センチメンタルなコードの往復運動をバックに打撃音が乱れ舞う8曲め“Thruft”などでは、シューゲイズとミュジーク・コンクレートが同時に追究されている。ギターが電子音との一体化を目指しているかのような10曲め“Hak”もおもしろい。
ノスタルジックでドリーミーなムードのなかに、即興的でノイジーな、ある意味では破壊的でもある要素が巧みに散りばめられている。このアルバムのなかを行き交うさまざまな音たちは、生の喜びを祝福すると同時にその喜びに疑いの眼差しを向けてもいる。音たちは交錯しながら、一方で牧歌的な風景を現出させつつ、他方でその素敵な夢の景色に小さな引っかき傷を刻み込もうとする。情緒に頼り切るのでもなく、かといってエクスペリメンタリズムに振り切れるのでもない。感傷と実験との絶妙な共存。
このアルバムはけっして後世まで語り継がれるような「傑作」の類ではない。が、確実にある一部の人びとの耳を捉え、いつまでもその記憶の隅っこに留まり続けるだろう。ただ垂れ流しているだけでもじゅうぶん心地良いが、じっくり聴き込めば多くの発見がある。すでにさまざまな佳作や話題作が出揃ってきている2017年の音楽シーンだけれど、2月から3月にかけて個人的にもっともよく聴いていたのがこの Oto Hiax のアルバムであった。きっとこれからも何度も聴き返すことになるだろう。白熱する年間ベスト・レースからは「こぼれ落ちる」、地味ながらも愛おしい1枚である。
先週、3年半ぶりとなる最新アルバム『ヘイロー』を日本先行でリリースしたばかりのフアナ・モリーナですが、このたび彼女の来日公演が発表されました。フアナは先日のインタヴューで「東京と京都に行きたい」と語っていましたが、見事にその夢が叶いましたね。8月19日にサマーソニックの東京会場に出演、翌8月20日には京都METROにて単独公演をおこないます。いったいどんなステージになるのでしょう。すでにチケットの受付が始まっていますので、早めにチェックしておきましょう。
フアナ・モリーナ、3年半振りのニュー・アルバムが日本先行発売!
サマーソニック出演&京都公演も決定!
“Lentísimo halo”のミュージック・ビデオが公開に!
先週金曜日に、約3年半ぶりとなるニュー・アルバム『ヘイロー』を海外に先駆け日本で発売したフアナ・モリーナが、この夏サマーソニックに出演することが決定した! 当日はEGO-WRAPPIN’の中納良恵を迎えたスペシャル・セットとなっており、8月19日(土)に東京GARDEN STAGEに出演する。また翌日には、京都METROにて単独公演をおこなうこともあわせて決定!! こちらの公演は5月2日(火)より早割チケット(¥3,500)の受付スタートとなっている。
好評発売中のニュー・アルバム『ヘイロー』は、フアナらしいエクスペリメンタルな方向性と独特の歌声は健在ながらも、さらなる高みを目指した12曲を収録。催眠作用のあるリズム、魔術、虫の知らせや夢といった隠喩を用いたミステリアスなリリック、感情やムードを体全体を使って表す様は、これまでに増してマジカルである。
そんななか、先日収録曲より“Lentísimo halo”のミュージック・ビデオが公開となった。
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“Lentísimo halo”のミュージック・ビデオはこちら:
https://youtu.be/--pC7g_eGgo
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これはけっして新たに発見されたマン・レイやハンス・リヒターが作る、1920年代のモノクロのエクスペリメンタルな超現実主義的映画ではない。アルゼンチン人映画監督マリアーノ・ラミスが制作した、フアナ・モリーナの新曲のミュージック・ビデオなのだ。
フアナとふたりでアイデアを出し合って完成したこのビデオは、同楽曲を書く際にフアナの脳裏に浮かんできたという“ひし形をしたヘイロー”に関する伝説がインスピレーションの元となっている。
「ヘイローっていうのは、灯りから発されるぼんやりした光や、聖人の頭の後ろに浮かんでいる後光のこと。それは聖なる光ではなくて、夜に野原を漂う緑色の邪悪な光なの。人を追いかけてくることもあって、200年ぐらい前の田舎に住む人びとは恐れていたらしい。現代になって、それは腐った骨から発せられる蛍光性の光だと判ったそうなの」とフアナは話す。
他にも、収録曲“Cosoco”やアルバムのティーザー音源も公開となっているので、あわせてチェックしよう!
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アルバムのティーザー音源試聴はこちら:
https://youtu.be/W6_Dzl712i8
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「Cosoco」の試聴はこちら:
https://soundcloud.com/crammed-discs/juana-molina-cosoco-1
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■来日公演情報
●サマーソニック2017
2017年8月19日(土)、20日(日)
※フアナ・モリーナは8月19日(土)に東京GARDEN STAGEに出演します。
東京会場:ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ
大阪会場:舞洲SONIC PARK(舞洲スポーツアイランド)
サマーソニック公式サイト:https://www.summersonic.com/2017/
●晴れ豆インターナショナル presents JUANA MOLINA Japan Tour 2017 京都公演
@京都METRO
Open 19:00 / Start 19:30
チケット:5/13より一般発売開始
早割¥3,500 ドリンク代別途 [受付期間:5/2~5/12]
前売¥4,000 ドリンク代別途
当日¥4,500 ドリンク代別途
【限定早割】
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★期間限定:早割¥3,500 ドリンク代別途 [受付期間:5/2~5/12]
※『特別先行早割お申し込み方法』
→ タイトルを「8/20 フアナ・モリーナ 早割希望」として頂いて、
お名前と枚数を明記して
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【一般PG前売り】
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チケットぴあ (0570-02-9999、Pコード:332-717)
ローソンチケット (ローソンLoppi、Lコード:53857)
e+ (https://ur0.work/DfpZ)
にて5/13より発売開始
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詳細: https://www.metro.ne.jp/single-post/170820
お問い合わせ: 075-752-4765
■リリース情報
アーティスト:Juana Molina(フアナ・モリーナ)
タイトル:Halo(ヘイロー)
品番:HSE-6388
レーベル:Hostess Entertainment
定価:2,490円+税
発売日:発売中!(海外発売:5/5)
※日本盤は先行発売、ボーナス・トラック1曲、歌詞対訳、ライナーノーツ(石田昌隆) 付
【トラックリスト】
1.Paraguaya
2.Sin dones
3.Lentísimo halo
4.In the lassa
5.Cosoco
6.Cálculos y oráculos
7.Los pies helados
8.A00 B01
9.Cara de espejo
10.Andó
11.Estalacticas
12.Al oeste
13.Vagos lagos *
* 日本盤ボーナス・トラック
※新曲“Cosoco”iTunes配信スタート&アルバム予約受付中!
リンク:https://itunes.apple.com/jp/album/halo/id1205397001?app=itunes&ls=1&at=11lwRX
■ショート・バイオ
音楽ジャンルの壁を凌駕する唯一無二の独創的才能を持つアルゼンチンのアーティスト。1996年デビュー。'00年に発表した2ndアルバム『セグンド』によって人気に火がつき、徐々に世界にその名が知られ始める。3rdアルバム『トレス・コーサス』は、U2、ビョーク、カニエ・ウエスト、アニマル・コレクティヴなどのアルバムと並んで、『New York Times』の "The Best Pop Album of 2004" に選出される。'04年には元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンと全米をツアー。来日も多く、レイ・ハラカミ、勝井佑二(ROVO)、高橋幸宏、原田郁子(クラムボン)、相対性理論など日本のアーティストとの共演多数。中納良恵(EGO-WRAPPIN')からフィリップ・セルウェイ(ds. レディオヘッド)まで、様々なアーティストからフェイヴァリットに挙げられている。2013年11月、約5年ぶりとなる最新作『ウェッド21』をリリース。その後もほぼ毎年来日し公演をおこなっている。2017年4月、約3年半ぶりとなるニュー・アルバム『ヘイロー』を発売。8月にはサマーソニックへの出演が決定。
昨年放ったサード・アルバム『Ψ』で新機軸を打ち出したパテンが、ICAロンドンでの公演にあわせて、新たなEPのリリースを発表しました。現在、収録曲の“Amulet”が先行公開されています。はたしてこのEPは『Ψ』のアウトテイク集なのか、それとも次のアルバムへの重要な布石なのか? 公開された“Amulet”は無料でダウンロードすることが可能となっていますので、それを聴きながらあれこれ想像しちゃいましょう。ダウンロードはこちらから。
patten
〈Warp〉所属の新鋭プロデューサー・デュオ、パテンが
4曲収録の最新EP「Requiem」のリリースを発表
新曲“Amulet”を無料DLで配信!
〈Warp〉の実験性と音楽性の高さを継承する新鋭プロデューサー・デュオ、パテンが、新曲4曲を収録した最新EP「Requiem」のリリースを発表! 新曲“Amulet”を公開! 公式サイトでは無料DLも可能。
patten - Amulet
https://youtu.be/zK_1y36jjCg
公式サイトで「Amulet」を無料DL配信中
https://patttten.com/
label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: patten
title: Requiem
release date: 2017/05/12 FRI ON SALE
iTunes Store: https://itunes.apple.com/jp/album/id1231337426
Carl Craig - Versus InFiné/Planet E/ビート |
かつてカール・クレイグは指揮者だった。
彼は1999年の『ele-king』(vol.27)に興味深い発言を残している。「自分自身のことをミュージシャンである以上に作曲家とか指揮者だと思うことは?」というジョン・レイトの質問に対し、カール・クレイグは「それは思うね!」と即答している。「プロデューサーとしてであれ、指揮者としてであれ、作曲家としてであれ、僕たちがやってるのはすべてのものを構築するということ、つまりすべてのバランスをとることなんだよ」。これはインナーゾーン・オーケストラ(という名の仮想のオーケストラ)のアルバムがリリースされたときに組まれた、4ヒーローのディーゴとの対談記事における発言で、いまから18年前のものだ。カール・クレイグはかつて「すべてのものを構築する」ということに、そして「すべてのバランスをとる」ということに意識を向けていたのである。
『Versus』はオーケストラ vs エレクトロニックだ。エレクトロニック、テクノのアーティストである自分とオーケストラの対決だ。しかし、最終的には対決というよりも、コラボレイションになったかな。 (オフィシャル・インタヴューより)
このたびリリースされたカール・クレイグの新作『Versus』は、本物のオーケストラとのコラボレイションである。そのリリースにあたって録られたオフィシャル・インタヴューでも彼は、それまでの自身の制作スタイルと今回のオーケストラとの共同作業とを対比するために、自らを指揮者になぞらえている。
ひとりでコンピュータを使って音楽をつくるときには、自分が指揮者で。自分の感情をシーケンサーに入れて録音すればいい。 (オフィシャル・インタヴューより)
かつて彼は指揮者だった。では、実際にオーケストラとコラボレイトするにあたって彼は、どういうポジションに立つことになったのだろうか? 今回も彼は「すべてのものを構築すること」「すべてのバランスをとること」にその意識を向けていたのだろうか?
以下に掲げる『ele-king』のエクスクルーシヴ・インタヴューにおいてカール・クレイグは、これまで実際にオーケストラの一員になることがどういうことなのかわかっていなかった、と語っている。オーケストラが実際に演奏する際に、自らは歯車の歯のひとつでしかないということ、自身が作曲家であるからといって特別な地位を占めるわけではないということ、演奏全体をコントロールするのは指揮者であって自分ではないということ、そういったことを『Versus』をプレイする過程で学んだのだという。
カール・クレイグとオーケストラ、と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、今回の新作にもひっそり参加しているモーリッツ・フォン・オズワルドとの共同名義で発表された、2008年の名作『ReComposed』だろう。あのアルバムで素材として取り上げられていたのは、ラヴェルの『ボレロ』と『スペイン狂詩曲』、それにラヴェルが編曲したムソルグスキーの『展覧会の絵』という、まさに「超」のつく有名曲ばかりだったわけだが、『ReComposed』の核心はそれらの楽曲の知名度にあるわけではなかった。あのアルバムでもっとも重要だったのは、その素材としてカラヤンの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音源が使用されていた点である。カラヤンといえば、音と音とを滑らかに繋いでいくレガート奏法で有名な指揮者だけれど、そんな彼の流れるように麗しい録音物をミニマル(クラブ・ミュージック的な意味でのそれ)の文脈に落とし込んで、ぶつぶつ切断しては繋ぎ直し、再構築してみせたことこそが『ReComposed』の真髄であった。そもそも流麗さが売りのカラヤンが、ミニマル(現代音楽的な意味でのそれ)の祖とも言われる『ボレロ』を振ること自体、ラヴェルに対する挑発的行為でもあったわけだが、そのカラヤンの虚飾を解体してみせたのがカール・クレイグとモーリッツ・フォン・オズワルドのコンビだったのである。素材にカラヤンの音源が選ばれたのがふたりの意図によるものだったのか〈ドイツ・グラモフォン〉側からの指定だったのかはわからないけれど、いずれにせよ『ReComposed』はカラヤンに対する優れた批評であると同時に、そこからラヴェルまで遡及して「ミニマル(両方の意味でのそれ)とは何か」ということを考えるためのひとつの問題提起でもあった。
そんなふうにオーケストラの過去の録音物との格闘を試みたのと同じ2008年に、カール・クレイグは生のオーケストラとの共演にも挑戦している。2008年にパリでおこなわれたレ・シエクルとのコンサートがそれで(その様子はYouTubeにフルでアップされている)、そのときの試みをアルバムという形にまで昇華したのが今回の新作『Versus』である。
ジェフ・ミルズのときと同じように、今回カール・クレイグがオーケストラとコラボレイトしたことに驚いているリスナーもいるだろう。カール・クレイグの音楽はテクノに分類されるのが慣例なので当然と言えば当然ではあるが、しかしこれまたジェフ・ミルズと同様、カール・クレイグは最近になって急にオーケストラ・サウンドに興味を抱いたわけではない。
若い頃から、ストリングスやオーケストラの音にはポップ・ミュージックを通じて親しんできた。当時からポップやジャズを聴いていたからね。〈モータウン〉やプリンスだったり、ジャズであればランディ・ルイスやマイルス・デイヴィスの『スケッチズ・オブ・スペイン』だったりとか。とにかく、若い頃から聴いてきたたくさんの音楽にオーケストラが使われていた。ウェンディ・カルロスによる『時計じかけのオレンジ』のサントラだったり、『2001年宇宙の旅』のサントラだったり。 (オフィシャル・インタヴューより)
ここで彼がマイルスの『Sketches of Spain』を挙げていることは示唆に富む。というのも、あのアルバムの主幹をなしていたのは、ギル・エヴァンスによって再解釈されたホアキン・ロドリーゴの『アランフエス協奏曲』だったのだから。ということは、この『Versus』では、編曲を受け持ったフランチェスコ・トリスターノがギル・エヴァンスの役割を担っているのだろうか?
フランチェスコには、クリエイティヴ的な自由をできるかぎり与えたんだ。あまり、「これは、こうじゃない」とか言わないように心がけていたよ。やはり実験的な試みや新しいことをやろうとしたときに、自分の権力をかざして否定してしまうのは制約になってしまうと思うんだ。むしろ、フランチェスコは自分とは違う音楽的な訓練を受けてきているわけだし、彼のアイデアによって自分のアイデアよりもよくなる可能性だってあるわけだから。 (オフィシャル・インタヴューより)
やはりフランチェスコ・トリスターノの貢献は大きいようである。しかし、ギル・エヴァンスが編曲のみならずオーケストラの指揮まで担当していた『Sketches of Spain』とは異なり、『Versus』で指揮を務めているのはパリ生まれの気鋭の若手、フランソワ=グザヴィエ・ロトだ。
自分の感情を込めたシンセサイザーのソロがあって、それをフランチェスコが解釈してアレンジして、そのアレンジを指揮者が解釈して、ヴァイオリン奏者に伝えるわけだから、間に数人を介してのコミュニケーションになる。 (オフィシャル・インタヴューより)
フランチェスコ・トリスターノ、フランソワ=グザヴィエ・ロト、彼の指揮するレ・シエクル、それにモーリッツ・フォン・オズワルド(かつて『ReComposed』でカールの相棒を務めた彼は、本作では「スピリチュアル・アドバイザー」なる肩書きを与えられている。「『ReComposed』の楽曲を最初の公演でやったから、彼も当初のラインナップには入っていたんだ。レコーディングの段階では、その曲は入っていなかったけれど、参加してもらうことにしたんだ。彼はスピリチュアルなアドバイザー的な役割をしてくれた。実際に手を動かす技術者というよりはね」とカール・クレイグはオフィシャル・インタヴューで説明している)――この『Versus』にはさまざまな人たちが関わっている。そんなかれらを統べるのは、カール・クレイグではない。彼は指揮者ではないのだ。まさにそれこそが本作の大きな特徴だろう。
さらに、もうひとつ注目すべき点がある。『Versus』にはカール・クレイグが書き下ろしたいくつかの新曲とともにフランチェスコ・トリスターノの楽曲も収録されているが、しかしアルバムの中核を成しているのは“At Les”や“Desire”、“Domina”といったカール・クレイグの往年の名曲たちなのである。
選曲については、フランチェスコと僕で選んだ。基準はオーケストラでの再現性だった。だから、自分の曲でもオーケストラで再現することが不可能なものもあった、たとえば“Neurotic Behavior”だったりとか。プログラミングでできても、生演奏ではできないことがある。だから、フランチェスコが可能か不可能かのジャッジをしてくれた。 (オフィシャル・インタヴューより)
再現、とカール・クレイグは言っているけれど、それはもちろんコピーということではない。既存の彼の楽曲を、いかに異なるスタイルへと変換してみせるか。言い換えれば、既存の彼の楽曲をいったん解体した後に、いかにそれを再構築してみせるか。それこそがこのアルバムのもうひとつの主眼と言っていいだろう。『Versus』は「構築」ではなく「再構築」を目指している。だからこそこのアルバムは、ジェフ・ミルズの『Planets』とは異なって、カール・クレイグの既存の曲を中心に構成されているのである。
ゆえに本作は、「カール・クレイグ」という名義で発表されてはいるものの、いわゆる彼のソロ・アルバムではない。かつてラヴェルがムソルグスキーを管弦楽化したように、かつてカラヤンがラヴェルを骨抜きにしたように、かつてカール・クレイグとモーリッツ・フォン・オズワルドがカラヤンを解体して再構築したように、いまフランチェスコ・トリスターノやフランソワ=グザヴィエ・ロトたちが、カール・クレイグの解体と再構築を試みている。そしてカール・クレイグ本人は、その過程を受け入れるということをこそ自らの大きな任務と見做している。
そのような再構築への意志があるからこそ彼は、以下のインタヴューで自らのキャリアの開始点がデリック・メイとのユニットだったことを強調しているのだろう。彼はいま「バンドの一員」であることに徹しようとしている。彼は司令官ではなく補佐官であろうと努めている。だからこのアルバムのジャケットに掲げられている彼の名は、クラシックのレコードにおける作曲家の名のようなものなのだろう。カール・クレイグは能動的に対象となった。彼は音楽家として次のステージへと進むために、自らの楽曲を他の人たちに再解釈させることで、自らとその楽曲たちを再構築しようとしているのである。
かつてカール・クレイグは指揮者だった。いま彼は積極的に、歯車の歯であろうとしている。
オーケストラの演奏時には、僕は、歯車の歯のひとつでしかないということ。僕が作曲家だということは一切関係なかった。軍の司令官は指揮者であり、僕は軍の補佐官だった。僕も司令官である必要はない。自分をそのような状況に置いたことで、とても謙虚な気持ちになった。
■〈プラネットE〉からは最近ニコ・マークス(Niko Marks)のアルバムがリリースされていますね。いま他に注目しているアーティスト、〈プラネットE〉から出したいと考えているアーティストはいますか?
カール・クレイグ(Carl Craig、以下CC):最近は〈プラネットE〉から音楽を徐々にリリースしている。今回、初めてニコ・マークスのアルバムをリリースしたが、ニコの音楽はそれ以前もリリースしたことがある。〈プラネットE〉からは2枚目となるテレンス・パーカー(Terrence Parker)のアルバムも、もうすぐリリースされる。いろいろなアーティストから、良いデモがたくさん届いているから、その他にも、新しい音楽をリリースしたいと考えている。東京のアーティスト、ヒロシ・ワタナベ(Hiroshi Watanabe)もそのひとりだ。彼は素晴らしい音楽を作っている。〈プラネットE〉からリリースされる音楽は、僕のヴィジョンに合ったもので、リスナーにとって力強い音楽的主張があるものでなくてはならない。今年、レーベルは26周年を迎える。レーベルのレガシーをさらに広めていってくれるような作品を発表していきたい。僕が個人的にリリースする音楽は、そういう点に注意していままでやってきた。長年、同じような音楽をリリースするのではなく、可能性の領域を広げながら、リスナーが僕に期待しているような作品や、テクノに期待している音楽を発表していきたいとつねに意識している。
■あなたはかつてナオミ・ダニエル(Naomi Daniel)を世に送り出しましたが、近年、彼女の息子であるジェイ・ダニエル(Jay Daniel)が精力的に活動しています。彼や、カイル・ホール(Kyle Hall)といった若い世代の活躍についてはどうお考えですか?
CC:デトロイト出身のアーティストもそうだが、僕は、興味深い活動をしている人たちは、サポートしたいとつねに思っている。10年前、僕とルチアーノ(Luciano)が一緒に活動を始めたとき、僕は彼を支持する第一人者だった。ルチアーノの才能を見出していたから。カイルやジェイも同じで、僕はインタヴューでは毎回彼らについて話すようにしている。彼らは今後の世代だし、素晴らしい音楽活動をしている。〈プラネットE〉を創立した1991年にとどまったまま、当時が最高であり、新しい音楽には良いものが何もない、などとは言っていられない。それは音楽というものにとって、まったく道理をなさない考えだ。音楽は成長する。若い世代による音楽の解釈や音楽スタイルの解釈は、つねに称賛されるべきだ。僕と同じような考えを持っていたのがマーカス・ベルグレイヴ(Marcus Belgrave)で、僕は彼をつねに意識してきた。マーカス・ベルグレイヴは、つねに若い世代のアーティストを世に送り出そうとしていた。若い世代を強く支持していた。彼がいたからこそ、次の世代のアーティストたちが才能を認められ、称賛された。マーカス・ベルグレイヴが指導していたのがアンプ・フィドラー(Amp Fiddler)で、アンプ・フィドラーはジェイ・ディラ(J Dilla)を指導していた。繋がりが見えてきただろう? このように、僕も、ジェイ・ダニエルや若い世代の奴らを指導できるような環境を整えるのは非常に重要なことだと思っている。僕と若い世代との間に20年以上の歳の差があったとしても、才能が感じられるのであれば、僕はその才能を支持したい。
■今回のアルバムはオーケストラとのコラボレイションです。2008年にパリでおこなったレ・シエクル(Les Siècles)とのコンサートが本作の発端となっているそうですが、指揮者のフランソワ=グザヴィエ・ロト(François-Xavier Roth)や、彼が創始したオーケストラのレ・シエクルとは、どのような経緯で一緒にやることになったのでしょうか? 他の指揮者やオーケストラとやるという選択肢もあったのでしょうか?
CC:『Versus』プロジェクトのパートナーになってくれたのは、〈アンフィネ〉を運営する、アレックス・カザックで、フランソワと僕を繋げてくれたのは彼だ。最初、彼は、僕にフランチェスコ(・トリスターノ、Francesco Tristano)を紹介してくれた。そしてフランソワをプロジェクトに招待した。フランチェスコが音楽のアレンジを担当した。このプロジェクトはアレックスのヴィジョンによって始動したといっても過言ではない。フランソワはフランス人だし、僕はそれ以前にフランソワとは面識がなかった。僕の持っている、アメリカでのコネクションを超越したコネクションが必要だった。それを実現してくれたのがアレックスだった。
今回『Versus』で試みたのは、自分なりのサウンドトラックを作り上げるということだった。『Versus』はテクノ・アルバムではない。僕の作品をオーケストラ音楽にしたアルバムだ。
■この新作にはさまざまな人が関与していますが、かれらとの作業やコミュニケーションはどのような体験でしたか? 苦労したことや新たに発見したことがあれば教えてください。
CC:今回は僕にとって新しい発見の連続だった。今回のような状況での作品制作はいままでおこなったことがなかったから。自分の曲が、再解釈・再編成され、オーケストラによって演奏された。過去にオーケストラの演奏を聴いたときも、オーケストラ音楽がどのような仕組みで演奏をし、オーケストラの一員になるということがどういうことなのか、あまり理解していなかった。2008年後半から2009年にかけて『Versus』の演奏をしたときに学んだのは、オーケストラの演奏時には、僕は、歯車の歯のひとつでしかないということ。僕が作曲家だということは一切関係なかった。軍の司令官は指揮者であり、僕は軍の補佐官だった。僕も司令官である必要はない。自分をそのような状況に置いたことで、とても謙虚な気持ちになった。学びのある経験だった。自分をそのような状況に置いたのは、プロジェクトの最終的な目標が、僕にとってのさらなる一歩となるとわかっていたから。インナーゾーン・オーケストラ(Innerzone Orchestra)をやったときや、ジャズのレジェンドたちと一緒にデトロイト・エクスペリメント(The Detroit Experiment)をやったとき、また〈トライブ〉とプロジェクトをやったときとも同じで、新しい一歩を踏み出すというのが目標だった。今回は、このプロジェクトを通して、オーケストラのなかでの自分の価値や位置付けを理解しようとした。今回のプロジェクトではたくさんの悟りを得ることができた。本当に素晴らしい経験だった。
■〈アンフィネ〉はパリのレーベルです。指揮者のフランソワ=グザヴィエ・ロトもフランス人です。他方、フランチェスコ・トリスターノはルクセンブルク出身で、モーリッツ・フォン・オズワルド(Moritz von Oswald)はドイツ人です。そしてあなたはデトロイト出身です。あらかじめ意図したことではないと思うのですが、結果的にこのアルバムがそのような国際性を持つに至ったことについてどう思いますか?
CC:最高だよ! 僕がギグをやるとき、たとえば今夜はドバイに行ってプレイするが、そこにいるのはアラブ人だけではない。イギリス人、フランス人、アメリカ人など外国人居住者も集ってくる。アルバムは、僕のギグや、長年、僕と僕の音楽を支えてくれた人たちを反映している。また、この世界をも反映している。世界は、一種類の人間から成り立っているのではない。世界は、多文化で他民族だ。アルバムがそれを表している。
■ジェフ・ミルズ(Jeff Mills)がオーケストラと作った新作『Planets』はお聴きになりましたか?
CC:まだ、聴いていない。もうリリースされているのか?
通訳:はい。日本では2月にリリースされました。
■彼も10年ほど前からオーケストラに関心を持ち始め、コラボレイションを続け、今回あなたとほぼ同じタイミングでその成果を発表することになりましたが、そういう同時代性についてはどう思いますか? あなたの今回のアイデアとの類似性や親近感などはありますか?
CC:オーケストラに関して言えば、ジェフは僕より先に、壮大なプロジェクトを成し遂げている。ジェフは僕たちのために道を切り拓いてきた。オーケストラに対するジェフの概念や、オーケストラとのジェフの作品は、僕のそれとは少し違う。ジェフはオーケストラと音楽を作るときも、自分の音楽を作っていて、作曲家は自分である、ということを大切にしている。『Versus』プロジェクトを完成させるにあたり、僕が最終目標としていたのは、作品がバンドのように、まとまりのあるものになるということだった。「カール・クレイグ+オーケストラ」ではなく、ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)やバーケイズ(The Bar-Kays)のアルバムを聴くのと同じ感じで『Versus』を聴いてもらいたかった。ジェフと僕の思想は似ているかもしれないが、違いもある。ジェフは、僕とは違うタイプのアーティストだ。ジェフはデトロイトで大活躍するDJとしてキャリアを進めてきた。彼はつねにソロのアーティストとして活動してきた。一方、僕は、バンドの一員としてキャリアをスタートさせた。デリック・メイ(Derrick May)とリズム・イズ・リズム(Rhythim Is Rhythim)というバンドをやり、その後にソロ・アーティストになった。だから、僕の道のりはジェフのそれとは少し違う。もちろん、ジェフがオーケストラ音楽に傾倒し始めたとき、それは僕にとって大きなインスピレイションになったが、ジェフが80年代にDJとして活躍していた頃から、ジェフには大きなインスピレイションを受けていた。彼は驚異的なDJだった。
■フランチェスコ・トリスターノが昨年リリースしたアルバム『Surface Tension』には、デリック・メイが参加していました。そして最近はジェフ・ミルズがオーケストラとの共作を発表しました。いま、デトロイトの巨匠たちが一斉にクラシック音楽に関心を向けています。もちろんみなさんは、ジャズや〈モータウン〉の音楽や、あるいはSF映画などを通して、若い頃からずっとオーケストラ・サウンドには触れてきていたとは思うのですが、なぜ2010年代後半というこの時代に、ほぼ同じタイミングで、3人の関心がそこへ向かっているのでしょう?
CC:先ほども言ったが、ジェフがオーケストラに興味を持ち始めたのは、僕より少し前だ。僕がオーケストラに興味を持ち、『Versus』プロジェクトを始めたのはジェフの1年、2年後だ。(ジェフの)『Blue Potential』はたしか2006年にリリースされ、『Versus』(のプロジェクト)は2008年に発表した。デリックが作品を最終的に発表したのは2015年だったと思う。だからその間にはかなりの時間が流れている。だが、1989年、1990年頃、僕がデリックのグループの一員だったときから、僕たちはサウンドトラックをやりたいという話をいつもしていた。僕たちの周りの人たちがサウンドトラックをやる話をするずっと前から、僕たちはサウンドトラックをやろうという話をしていた。ヴァンゲリス(Vangelis)のような音楽を作りたいと話していた。僕はクラシック音楽という呼び方が好きではない。変なものを連想する奴らがいるからな。交響曲音楽かオーケストラ音楽という呼び方をしている。その方が僕の活動にしっくりくるからだ。僕がやっているのはクラシック音楽ではない。今回僕が作ったのは交響曲アルバムだ。
とにかく、僕たちはサウンドトラックを作るという、素晴らしいアイデアを昔から持っていた。最近のサウンドトラックは、エレクトロニック音楽と交響曲を巧みに合わせて作られている。今回『Versus』で試みたのは、自分なりのサウンドトラックを作り上げるということだった。『Versus』はテクノ・アルバムではない。僕の作品をオーケストラ音楽にしたアルバムだ。最近のサウンドトラック・アーティストたちの作品は素晴らしいと思う。彼らにも強い影響を受けてきた。だから、今回のアルバムができたのは、自然な流れによるものだった。まさに、僕とデリックが1989年、1990年頃に話していたことが、今回のリリースで実現したということだ。アルバムのストリングスの部分は2009年~2010年にレコーディングされたから、素材が7~8年もの間、温められていたということになる。ジェフの音楽がリリースされたのも、そのくらいの時期だ。同じような時期に、僕たちは似たような音楽活動をしていたということだ。
いま破竹の勢いで快進撃を続けているフライング・ロータスのレーベル〈Brainfeeder〉から、新たなアナウンスがありました。なんとラパラックスのニュー・アルバムがリリースされるとのことです。ラパラックスといえば、個人的にはいまでもEP「When You're Gone」のあのなんとも言えない猥雑なサウンドが思い出されますが、その後のアルバム『Nostalchic』『Lustmore』を経て彼は、まさに「フライング・ロータス以降」を代表するトラックメイカーにまで成長しました。そんな彼がいまいったいどんなサウンドを響かせるのか。楽しみですね。リリースは6月30日とのことで、この日の星の動きにも注目です。
今年も絶好調の〈Brainfeeder〉からフライロー直系の
人気ビート・メーカー、ラパラックス
待望の最新作『Ruinism』を引っさげ帰還!
新曲“Rotted Arp”とアルバム・プレヴュー・ミックスを公開!
昨年はファンクの神様、ジョージ・クリントンのレーベル参加の噂も大きな話題となり、サンダーキャット『Drunk』のスマッシュヒットで今年も大きな話題を振りまいているフライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉から、UKエセックス出身でフライング・ロータス直系のビート・メーカーとして、リリースを重ねるごとに人気、実力ともに存在感を際立たせているラパラックスことスチュアート・ハワードが、待望の3rdアルバム『Ruinism』のリリースを発表! 先行トラック“Rotted Arp”とアルバム・プレヴュー・ミックスが公開された。
Lapalux - 'Rotted Arp (feat. Louisahhh)’
https://youtu.be/NBJTywsyiO4
Lapalux - ‘Ruinism' - (Album Preview Mix)
https://youtu.be/fqzRsuiaYuo
覚醒と睡眠の間で意識が停滞することを意味する「ヒプナゴギア」という概念がヒントとなって前作『Lustmore』に続く今作では、その探求をさらに進め、生と死の狭間という、より陰鬱な中間地帯へと踏み込んでいる。有限と無限が入り交じるその場所で、ラパラックスのサウンドはこれまでにないほどの自由を手に入れた。
『Ruinism』のインスピレーションの大部分は、イースト・ロンドン墓地で上演されたパフォーマンス・アート作品「Depart」のためにラパラックスが書いたミュージカル曲から生まれている。
『Ruinism』というのは、混ざり合った音の要素とインスピレーションが互いに影響し合ってこのアルバムができ上がったことを表すために僕が造った言葉なんだ。例えばシンセサイザーとドラム音をレコーディングしたら、サンプリングし直して、ピッチを変えて、ねじって混ぜて、サウンドを『破壊(Ruin)』する。それから残骸を救い出して、形のあるものを作るんだ。- Lapalux
崩壊と再生は、この世界そのものを表している。不確かで、流動的で、つねに摩耗しているのに、それでも人間はそこに残されたものを救いだしている。残骸から可能性を見つけ出し、混沌の中に希望と秩序を探し求めて、どうにか反対側に抜け出そうとする。ラパラックスが荒涼とした原始芸術と美の再開拓によって『Ruinism』で再現してみせたのは、まさにそれなのだ。
ラパラックス待望の3rdアルバム『Ruinism』は6月30日(金)世界同時リリース! iTunesでアルバムを予約すると、公開された“Rotted Arp”がいちはやくダウンロードできる。
label: BRAINFEEDER / BEAT RECORDS
artist: LAPALUX
title: Ruinism
release date: 2017.06.30 FRI ON SALE
iTunes: https://apple.co/2pF9k1v
現代的なアンビエントの定義は曖昧である。イーノ的なアンビエントとも、KLFやジ・オーブ的なアンビエントとも違う。儚さ。夢。美しさ。現実。崩壊。夢。境界線。持続。消失。空気。霧。時間。曖昧さ。コンセプトや効能・機能性よりも、記憶のように不定形で、物語の気配のように抽象的なもの。フラジャイル(弱さ)への志向/嗜好。それが現代のアンビエント音楽の特徴といえないか。
「弱さ」といっても、単に繊細なだけのものではない。そうではなく、静謐な映画のシークエンスのように断片的であり、想像力を喚起する力がある音。時間が溶け合うような静けさと物語の兆候のような想像力がうごめく音。
〈パン〉初のコンピレーション・アルバムとしてリリースされたアンビエント・コレクション『Mono No Aware』(もののあわれ)は、このような記憶と物語の境界線のムードを醸し出しており、すぐれて現代的なアンビエント・アルバムといえる。
参加メンバーは、ビル・コーリガス(Bill Kouligas)をはじめ、イヴ・テューマー(Yves Tumor)、ヘルム(Helm)、ADR、ジェフ・ウィッツチャー(Jeff Witscher)、Sky H1、M.E.S.H.など、過去に〈パン〉からアルバムなどをリリースしてきたエクスペリメンタル・アーティストたちのみならず、カリーム・ロトフィー(Kareem Lotfy)、マリブー(Malibu)、AYYA、フローラ・イン=ウォン(Flora Yin-Wong)、マヤ・ゴメス(Mya Gomez)、TCF、ジェイムス・K・フィーチャリング・イヴ・エセックス(James K feat. Eve Essex)、オリ・XL(Oli XL)、DJハヴァド(DJ Hvad)・パン・ダイジン(Pan Daijing)など、新鋭からマニアならば唸るようなアーティストまでが多く参加している(マスタリングはラシャド・ベッカー)。
彼らが必ずしもアンビエント・ミュージック専門ではないという点が重要である。アンビエント、ミュジーク・コンクレート、フィールド・レコーディング、ニューエイジ、ドローン、ヴォイス、楽器音など、さまざまな音楽的要素を交錯させつつ、「音楽」によって生成されるアトモスフィアな現代的なアンビエント/ミュージックを構成・生成しているのである。
アルバム冒頭は、新鋭カリーム・ロトフィーの“Fr3sh”。弦を思わせる電子音と環境音による柔らかなアトモスフィアが耳に心地良く、映像的ですらある。続くマリブー“ヘルド”は、同じようにシルキーな電子音のレイヤーで幕を開け、やがて重厚なシンセ・ストリングスへと展開する。この曲も映像的な想像力が刺激されるが、すぐに音楽は途切れ、途中で何らかの映画からの引用のようなセリフと環境音(何かから逃げているような吐息と足音が聞こえる)が展開し、楽曲は音のない映画的な音響空間へと変貌を遂げていく。やがてそこにギターらしき音や声がレイヤーされ、トラックは「音楽」へと舞い戻る。コンクレート的技法と音楽的要素とアンビエントな音響が交錯する本トラックは、このアルバムのイメージを代表する曲であろう。
続く、イヴ・テューマーの“リメレンス”もまたアンビエント/環境音/声のコンクレート的な技法を展開する。イヴ・テューマーの音響作家としての才能を垣間見る(聴く)こともできた。反対にヘルム“エリミネーター”は彼らしい硬質なインダストリアル/アンビエントを展開し、前3曲との絶妙なアクセントとして機能しているように思える。ADRの“オープン・インヴィテーション”は音響の中に溶け合っていくような声と電子とノイズが交錯する壮大なトラック。以降、アルバムは「もののあわれ」のムードを変奏しながら(唐突に挿入されるビル・コーリガス“VXOMEG”のノイジーなトラックの妙!)、まるで音によって想起される「イメージの演出」のように全体が構成されていく。
そう、本作に収録された各曲は、独立した曲であり、同時に、『Mono No Aware』という作品=総体を形成するシークエンスのようである。それらをまとめ、ひとつの作品=映像のない映画のようなアルバムに仕上げた〈パン〉(ビル・コーリガスの?)の美的感覚は冴えわたっている。なにより前衛電子音楽とクラブ・ミュージックを結び付けたレーベルが、このように儚い「もの/ごと」への繊細にして大胆なアンビエント音響を生み出したことが大切なのだ。
持続を僅かに変化させ、折り重なるサウンドに自己の感性や感情の微妙な揺らぎを重ね、そして溶かしていくこと。音とモノと耳と世界との境界線を溶かすこと。具体的な、微かで、抽象的な音による『Mono No Aware』のアンビエンスは、インターネット/世界という騒がしくも非物質的な空間に対して、フラジャイルなモノ=音たちからのカウンターに思えてならない。
今年に入ってアルバム『Trilogy In Funk』をリリースしたスウィンドルが来日する。UKグライムの寵児として脚光を浴びた彼も、くだんの作品では、ラテン、USファンク、そしてUKグライムをミックスしながら音楽的成熟を見せてくれた。ele-kingの予想では、1. ジャングルをかけまくる。2. そのなかにラテン・ジャズ・ファンクを盛り込む。となっているのだが、果てして最新の彼はどんな音楽を聴かせてくれるのだろうか……楽しみだ!
【名古屋】 05.19 (金) Nagoya: JB's https://www.club-jbs.jp/
【京都】 05.20 (土) Kyoto: THE STAR FESTIVAL https://www.thestarfestival.com/
【東京】 05.21 (日) Tokyo: WALL&WALL https://wallwall.tokyo/
SWINDLE 『Trilogy In Funk』
https://p-vine.jp/music/pcd-24564
■ブラジルのパーカッショニストとサンパウロのシンガー、リカルドチャイナとの競演。
Swindle - Connecta Ft. Ricardo China
■UKグライムのD ダブル Eとの競演。
Swindle x D Double E - Lemon Trees
■Gorillazらとの共演でも知られるUKのR&Bシンガー・ソングライター、デイリーとの競演。
この”いなたい”UKの兄ちゃんさを醸しだしイイ感じです。
Swindle, X Daley - Sympathy
新しいアルバムを作るときに大事にしているのが、いかに前作と違う作品を、違う人間にならずに作るかということ。
Juana Molina - Halo Crammed Discs/ホステス |
フアナ・モリーナの3年半ぶり、7作目のアルバム『ヘイロー』がリリースされる。彼女のアルバムは、遠い海の向こうのアルゼンチンから届く、ちょっと風変わりで、でも届くのが楽しみなグリーティングカードのようだ。あの名作『セグンド』(2000)以降、『トレス・コーサス』(2002)、傑作『ソン』(2006)などのアルバムがリリースされるたびに、「ああ、また、フアナの音の世界に行ける」と思ってしまったほど。シュールで、少し怖くて、だけどポップな、あのフアナ・ワールドに(ちなみに、もはや「アルゼンチン音響派」など死語といっていい)。
とはいえ、彼女の音楽は、いつも一筋縄ではいかない。じつに不可思議な世界観とサウンドを持っているのだ。それはシュールでもあり、少し不気味でもある。細やかでもあり、大胆でもある。反復的でもあり、非反復的でもある。映像的でもあり、まるで活字の世界のように抽象的でもある。
本作『ヘイロー』も同様だ。少しダークな夢のなかに迷いこんだようなポップ・ループ・サウンド。親しみ深く、複雑で、しかし素朴でもあり、同時に、そこはかとない怖さや、美しさをたたえているアルゼンチン・エクスペリメンタル・ポップ・ミュージックに仕上がっているのだ。
今回、アルバムの制作を終え、リリースを待つばかりのフアナにインタヴューをすることができた。ブエノスアイレスからテキサスまでを越境しつつ制作・録音されたフアナ流ダーク・ポップの創作の秘密を、いかにもフアナ・モリーナらしく素直に、しかし謎めいた言葉で、しかし誠実に語ってくれた。とくに本作のラストに収録されたフアナ史上、屈指の名曲(!)といえる“Al oeste”の意外な誕生秘話にも注目してほしい。
ぜひ新作を聴きながら、ぜひとも彼女の言葉を追っていただきたいものだ。この新作アルバムの魅力が、より一層伝わるのではないかと思う。
食べ物に例えるとしたら、音楽は味みたいなものかな。もしすごく興味があってもっと掘り下げたいなら、その材料を調べればいい。でも私のメイン・ゴールは、完成されたお料理を出すこと。どのパートも互いに溶け込んでいい感じになっているような料理。
■前作『ウェッド21』から約3年半ぶりのアルバムですね。アルバムの制作はいつ頃から始められたのですか?
フアナ・モリーナ(Juana Molina、以下JM): 2年前くらいに始めたかな。合間にいろんな邪魔が入って、ゆっくりと進めていた感じだった。最初はアイデアを作るところから始めて、その種が徐々に曲に育っていった感じだったわ。
■新作『ヘイロー』のテーマやコンセプトはどのようなものですか?
JM:私はアルバムを作る前にコンセプトを決めることは滅多にないの。まずはいろんなアイデアが降りてくるのを自然に任せて、後から枠に入れていく感じなのよね。そのときもコンセプトっていう感じじゃなくて、ほんと、なんとなく枠に入れてみる感じ。例えば前作にしても、決め込んでタイトルに合うようなアルバム内容にしたとかはなくて、自然とそうなったのよね。
■サウンドメイクで意識されたことはどういった点ですか?
JM:新しいアルバムを作るときに大事にしているのが、いかに前作と違う作品を、違う人間にならずに作るかということ。だから新しいことにチャレンジしながらも、自分らしさも失わないでいることを意識しながら作っているわ。自分を新しい方向に誘うことを恐れないで、そういう挑戦を大事にしているのよ。新しいサウンドに挑戦してみたり、ほかの人が私にもつイメージに耳を傾けたり、これまで軽くイメージしていた新たな挑戦にもっと踏み込んでみたり。そういう感じで新しい作品には取り組んでいるわ。
■フアナさんの楽曲は「ループ」がポイントと言われていますね。「ループ」は、どのような意味を持っていますか?
JM:ループには意味はないの。すごく自然に出てくるもので、考えてやっている訳ではないから。ループはどちらかというと、自分のプレイ(演奏)の形みたいなものなのよね。この言葉が認知される前から私はこのスタイルでプレイしていたの。あるフレーズを繰り返し弾いていて、それが「ループ」っていう手法だとはそのときはまったく知らなかったわ。それをすることで催眠術的な感じがしていたのよね。いろんな音をループすると、そういう浮遊感みたいな感じが生まれて。でもいまは前よりもループをすることが減ってしまったとは思う。それは、いろんなインタヴューでジャーナリストたちがそのことについて聞いてくるなかで、いままで無意識的だったことが意識的になってしまったから。だからたまにあまり取材を受けない方がいいのかなぁって思うことがある。取材で聞かれたことで、いままで無意識だったことを意識的に気にし始めてしまうから。いままで自然だったからこそ美しく感じていたこともそうじゃなくなっちゃって、マジックが壊れてしまうって感じることがあるの。
■なるほど。たいしてヴォーカルは反復から逃れていて、とても自由に感じます。ヴォーカル(ヴォーカリゼーション)で気をつけている点はどういったことですか?
JM:そういうふうに聴こえる? やっぱり人の意見って聞くと面白いわ。あまり何も意識したことなかったけど、これもこれから意識することになるのかもしれない(笑)。でもそう言ってもらえて光栄よ。本当に自由に歌っているだけなの。でもそれでたしかに解き放たれる気持ちになることもあるかもしれないけど、どちらかというとヴォーカルは音楽の一部って考えているわ。
■フアナさんのリズム・アレンジは、とてもヴァリエーション豊かですね。リズムが音楽に与えるものは、どういったものですか?
JM:リズムが加わることで、暗黙さが軽減されて、明確さが増す気がする。リズムもまた、自分が最初に弾いたものによって自然に訪れる。でもリズムに関してそう感じるのは私だけだったりするのよね。それが証明されるのが、ほかの人と演奏しているときに、自分にとっては当たり前のリズムだったものが、ほかの人が弾くとちょっと違ったりして。すごく明らかなリズムだと思っていても、人にとってはそうではないって気づく。もちろん、リズムは人によっていろんな捉えられ方をされると思うのだけど、どうして私がたくさんリズムを重ねるかというと、自分に降りてきたリズムをそういう手法で説明したくて、そうしちゃうのよね。
■どの曲も、ベースラインがとても独特です。リズムとベースラインの関係について、どのような点を意識されていますか?
JM:関係については考えないと思う。すべては同じ絵の一部で。リズムかベース、どっちを先に録音するのかにもよるけど、どちらかを先にとったら、次はどちらかが足りない部分を補うみたいな感じかな。私にとって音楽は、パート、パートで別々のものとは感じてないの。私が、もっとも音楽で満足することとは、みんなに完全なものとしてその音楽を届けること。食べ物に例えるとしたら、音楽は味みたいなものかな。もしすごく興味があってもっと掘り下げたいなら、その材料を調べればいい。でも私のメイン・ゴールは、完成されたお料理を出すこと。どのパートも互いに溶け込んでいい感じになっているような料理。
私が街にいようが砂漠にいようがどこにいようが、音楽は自分のうちにあるものだから変わらないのよね。でも歌詞は、見たものを言葉にしたときにそれがいい言葉だったらそのまま歌詞になったりするから、場所は影響すると思う。
■フアナさんの音楽は、即興と作曲が絶妙なバランスで同居しているように思いました。アルバム制作においては、どちらの比重が高いですか? もしくは、即興と作曲のバランスをどのようにとっているのですか?
JM:ほとんど即興だと思う。例えばギターとメロディが浮かんだとして、しばらくそれでいろいろ試してみるの。即興でやっているなかで、自分のなかでピンときたものがあればとにかく録ってみる。頭に浮かんだものをすぐに録音するわけじゃなくて、いま言ったみたいにアイデアで少しは遊んではみるけど、特にそのあとこうしようとかそういう構想はなく、ほとんど即興に近い形で曲を作り進めていくの。最終的には即興で録音した音を組み合わせて、曲を作り上げることが多いわ。
■“In the lassa”など、部分的にエレクトロニックなトラックがあります。テクノやエレクトロニカなどからの影響はありますか?
JM:ハウス・ミュージックとテクノは好きなんだけど、家ではまったく聴かないのよね。だからじつはジャンルとかもぜんぜんわからなくて。でも私は踊るのが大好きだから、友達がおうちで開くパーティによく行くの。最低月に1~2回は必ずあるんだけど、エレクトロニックな音楽を聴くのは唯一そこでだけかな。そこで「この曲いいわね!」って友達に言うと、「それはハウス・ミュージックよ」ってジャンルを教えてもらったりするわ(笑)。
■ブエノスアイレス郊外のホーム・スタジオとテキサスのソニック・ランチ・スタジオで録音されたそうですね。
JM:いちばん大きな理由が、自宅スタジオの機材がいろいろ壊れていたからなの。何かを録音しようとすると、マイクが壊れていたり、ソフトウェアがクラッシュしたり、いつも何か駄目なことが起きちゃって、ほんと何もかもがうまくいかなかった。その状況が何ヶ月も続いちゃって、すごくストレスが溜まったの。そしたら一緒にレコーディングしていたオーディン・シュヴァルツが「もうどこかスタジオに行こうよ!」って言ってきて。でも私は別のスタジオにはぜんぜん行きたくなくて。過去にスタジオでレコーディングして、すごく嫌で、危険なことをしたことがあるから。そもそも自分がレコーディングしようとしているときに、ほかの人がいたりするのがすごく嫌いなのよね。まるで見知らぬ人の前で裸になっているみたいで。あと、スタジオは時間も決まっているし、お金もかかっちゃうし、家にいるときみたいにアイデアが浮かんだら時間とか関係なく、すぐにレコーディングするとかができない。そしたらミックスをしてくれたエンジニアが、テキサスにいいスタジオがあるって教えてくれたの。そのスタジオはテキサスの郊外にあって、住みこみができる貸し切りスタジオだったの。だから24時間いつでも使えるし、街から離れているから気が散ることもないし。値段もリーズナブルだったし。みんなからの「いいから、スタジオ借りてみよう! 過去の悪いイメージは捨てて! 同じことにはならないから!」って言われるプレッシャーにも負けて、スタジオを借りることにしたの。結果、すごくいい経験になったわ。スタジオに行って本当によかったなぁと思うのが、そこで膨大な数の楽器に触れることができたの。新しい楽器っていつだって新しいアイデアになるから、それがすごく良かった。また行ってもいいなぁって思えるようになったわ。
音楽を作るとき私にとってその音楽はふわふわ浮いていて、浮遊しているみたいなもので。それで、その浮遊している音たちは、自分にとってすごくパーフェクトなもの。でも歌詞をつけることで、その浮遊して夢のあるものが、すごく現実的になってしまう気がして。その夢が壊れてしまうんじゃないかって怖くなっちゃう。
Juana Molina - Halo Crammed Discs/ホステス |
■テキサスでの録音が本作に与えた影響は?
JM:歌詞のアイデアはもらったかもしれないけど、音楽的には変わってないと思う。私が街にいようが砂漠にいようがどこにいようが、音楽は自分のうちにあるものだから変わらないのよね。でも歌詞は、見たものを言葉にしたときにそれがいい言葉だったらそのまま歌詞になったりするから、場所は影響すると思う。
■今回、コンゴトロニクスVS ロッカーズで出会ったディアフーフ(!)のギタリスト、ジョン・ディートリックさんが参加されています。彼とのコラボレーションは、この作品に、どのような効果をもたらしましたか?
JM:彼は私が考えもしないようなギター・フレーズを入れてくれるの。最初に聴くと「何これ! こんなギター・フレーズ聴いたことないわ」って衝撃を受けるんだけど、いつしかそれ無しでは生きていけないみたいになって(笑)。彼とのコラボレーションはコラボレーションのあるべき姿だと思う。だって彼は私が絶対に思いつかないようなことをやってくれるから。私のアイデアとかけ離れたことをやってくれるから逆にそれがいい形でハマっているんだと思う。彼は本当にアイデアをたくさん生み出す人で、次から次へと出てくるから止めなきゃいけないくらいなの(笑)。すごく親しみやすい人だし、大好きだわ!
■ライヴでおなじみのシュヴァルツ・オーディン・ウリエルさん(キーボード、ヴォーカル、ギター、ベース)、ディエゴ・ロペス・デ・アルコートさん(ドラムス)も参加されていますね。彼らの演奏はこのアルバムにどういった色彩を与えてくれたとお考えですか?
JM:正直に言うと、あまり色彩は与えてないと思う。というのも私は自分の音楽になると、自分の世界が広がってしまうから。だから私と音楽をやるのはすごく難しいと思う。でも彼らはミュージシャンとしては大好きよ。ディエゴが叩いてくれたドラムがレコーディングに採用されたんだけど、だからといってそれがアルバムの何かを変えたかというとそうではない。ただ、本当に良いドラムだったからそれを使った感じなの。
■今回もエドワルド・ベルガージョさんがミックスを手掛けられていますね。今回のアルバムでも重要人物ではないかと思うのですが、彼の仕事が本作に与えた影響を教えてください。
JM:これもさっきと同じで「影響」っていうと、答えるのが難しいかもしれない。彼とは何度も何度もミックスのやり取りをするの。彼はいつもたくさんディレイやリヴァーブをつけて戻してくるんだけど、私はそれがすごく嫌で。あと彼はすごくパンチの効いた音にしたがるんだけど、それも私は嫌で。でも彼は私のやりたいこととか、私がどういうミックスを求めているのかとかはちゃんとわかってはくれているのよね。私はある程度自分でミックスしたものを彼に渡すから、まっさらなミックスをするんじゃなくて、私がミックスしたものが基盤になる。それでも彼なりに挑戦してくるときもあって、それが採用されることもときどきあるのよ。例えば“Lentísimo halo”では、私のミックスに比べて、彼はギターのヴォリュームを3倍くらい上げたの。最初はびっくりしたんだけど、どんどんそれが良く感じてきて。それで曲のムードがとても良くなったの。あれをやった彼は正しかったわ。
■フアナさんのリリックは日本人である私には意味はわからないながら、とても心地よい響きを感じます。フアナさんにとって「言葉」とはどういった意味を持っていますか?
JM:「言葉」とは音楽をもっと生かすものだと思う。地に足をつけてくれるものだと思う。だから私はいつもアルバム制作の最後の方に歌詞を書くのよ。私にとって歌詞を書くことはとても難しいことなの。説明が難しいけど、音楽を作るとき私にとってその音楽はふわふわ浮いていて、浮遊しているみたいなもので。それで、その浮遊している音たちは、自分にとってすごくパーフェクトなもの。でも歌詞をつけることで、その浮遊して夢のあるものが、すごく現実的になってしまう気がして。その夢が壊れてしまうんじゃないかって怖くなっちゃう。だからあまり歌詞って好きじゃないのよね。だから少しでもそれを崩さないように、オリジナル・メロディの音にきちんと合う言葉を選んでいるの。私にとって大事なことは歌詞がメロディに溶け込むということ。だから言葉選びに関してはすごく厳しいわ。
■過去に日本人音楽家とも共演されていますが、現在、気になる日本人音楽家はいますか?
JM:いまは誰もいない。その理由が最近すごく怠け者になってしまって、ぜんぜん新しい音楽を探さなくなってしまったの。だからこういう質問をされると申し訳なくなる、答えがなくて。正直なことを言うと、ここ2年くらい、自分自身が音楽に圧倒されちゃって、音楽をあまり聴かなくなっちゃったの。友達で音楽ライターの人がいるんだけど、いつも彼が私にいろんな新しい音楽を勧めてくれていたんだけど、最近彼にも会ってないから私に音楽を教えてくれる人もいなくて(笑)。
■余談ですが日本のマンガ『NARUTO -ナルト-』のファンということですが、気になっている日本のマンガやアニメーションなどはありますか?
JM:宮崎駿の大ファンよ。みんな彼の大ファンだとは思うけど。彼の作品は本当に美しくて、感動的で、完璧で、でもどことなくシンプルで。何気ないところにすごく動かされるのよね。例えば『崖の上のポニョ』で、ポニョが笑顔で水面を駆け抜けるシーンとか、ああいう場面を想像できるってある意味すごくクレイジーだと思うんだけど、本当に美しくて心動かされるわ。本当に彼は世界が誇る天才だと思う。最初にアメリカ版を観てから日本版を見てみると、ディープさとダークさがより際立つのよね。アメリカ版だと削除されているシーンも多くて。だから日本のオリジナル版を観ると、強烈さと感動が増すのよね。
■オリジナル・アルバムのラスト曲である“Al oeste”は、メロディ、ギターの演奏など、シンプルにして、とても美しい曲に思いました。
JM:この曲は驚くかもしれないけど、前作よりも前に書いていた曲なの。サウンドチェックのときに書いたのよ。このアルバムの多くの曲はサウンドチェックで書いたの。この曲は、何かが足りなくて、だから前作には収録されなかった。それで、今回のアルバムを制作していて、スタジオの準備をしているときに誰かが、この曲のデモを流したの。そこにジョンもいたんだけど、彼が特に気に入って、「こんな曲あったのか! すごく美しい! アルバムに入れるべきだ!」って言ってくれて。私にとってはちょっと間抜けな感じの曲だったから、みんなが気に入ってくれたことにびっくりしたわ。すごくシンプルな曲だったから。でもみんなのリアクションを見て、私もこの曲に対する気持ちが変わったの。人のリアクションってやっぱり影響すると思う。特に「悪い」とね。センシティヴ(神経質)すぎかもしれないけど、リアクションで自分の気持ちすら変わってしまうこともある。この曲に関してはベンにありがとうって言わなきゃいけないと思う。彼がこの曲を引っ張りだしてきてくれなければ、私の判断では絶対にこの曲はアルバムには収録されなかったと思う。
■いつもアートワークが独特ですね、今回は目と骨のイメージです。何を意味するのでしょうか?
JM:これは誰もわからないわ(笑)。私はいつもアレハンドロにアートワークをお願いするんだけど、じつはこれになる前に、もうひとつアートワークができていたの。でもそれが過去にもやったことのあるようなアートワークで、なんかしっくりこなくて。そしたら、アレハンドロが「じゃあ、ちょっとそこに立って、目の写真を撮らせて」って言って、突然私の写真を撮り始めたの。自分のiPhoneで。私が「え! 何? 何をするつもりなの?」って聞いても、「いいから! とにかく写真を撮らせて!」って言ってきたの。それで彼が目の写真を撮った。もう一度同じ写真を撮り直してみたんだけど、その目にはならなくて、結局彼のiPhoneで撮影した目写真が使われることになったの。彼が何をするのかまったく想像できなかったんだけど、結果、想像を絶する素晴らしいイメージができ上がったと思う。最初に見たときは、あまりの奇妙さに本当に大爆笑したわ(笑)。とても奇妙だし、不気味だし、でもなんか目が離せなくなっちゃって(笑)。知り合いに見せても、すごく酷いリアクションをされたりして(笑)。でも思ったのが、何もリアクションがないより、それがネガティヴなリアクションでも、記憶に残るくらいインパクトがあるものの方がいいなぁって。それとタイトルにも合うことに気づいて。タイトルの『ヘイロー』は、昔郊外に存在していた神話なの。白く蓄光する光が地面から浮いていて、みんなそれを恐れていた。何か悪いことが起きてしまうんじゃないかって。その光は、人の後をついていったり、脅かしたりして、人びとにいろんな違う側面を見せるから、人びとはその光の行動をオラクルとして捉えていたの。その白く蓄光している光は、動物の死骸の骨からその光を放つようになったの。だから偶然にもアートワークにも骨があって、『ヘイロー』と合うって感じたの。
■なるほど。話が少し前後しますが、アルバム名を『ヘイロー』とした理由を教えてください。
JM:どうして『ヘイロー』にしたかというと、タイトルを何にしていいか、まったくわからなかった。それでアルバム全体の歌詞を見直して、アルバムに合う言葉がないか探したの。そしたら“Lentísimo”っていう曲に「Halo」っていう言葉があって、なんかピンときて。だからその曲のタイトルも“Lentísimo halo”に変えたのね。さっきも言ったけど、もともとコンセプトはないところからスタートするんだけど、結果、パズルのようにすべて引っ付き始める。ひとつの行動でいろいろと変わるのに、結果、いろいろつながるのはアートのマジックだって感じるわ。
■音楽も含めて、最近、もっとも感動したことは?
JM:何かあるとは思うけど、なんかいまは頭が真っ白で思いつかないわ(笑)。インタヴューが終わった瞬間に100万個くらい浮かびそう(笑)。
■最後に、今後のご予定などを教えてください。
JM:アルバムが5月に出てからは、アルゼンチンで4公演ライヴをする予定なの。その後はヨーロッパでツアーをしつつ、ソナー・ミュージック・フェスティヴァルにも出る予定よ。まだ長いツアーではなくて、短いツアーからスタートする感じ。本格的な長いツアーは秋以降かな。そのときには日本も行きたいと思っているわ。東京と京都に行きたいわ。