「K A R Y Y N」と一致するもの

Jeff Mills - ele-king


 いよいよ迫ってきました。昨秋ジェフ・ミルズにジャックされていたele-king編集部ですが、ふたたび彼の周囲が騒がしくなってきています。2月22日にポルト・カサダムジカ交響楽団との新作『Planets』をリリースするジェフ・ミルズですが、それとほぼ同じタイミングで来日公演もおこなわれます。同公演はイタリアの若き指揮者アンドレア・バッティストーニ、そして東京フィルハーモニー交響楽団とのコラボレイションで、2月22日に大阪フェスティバルホール、2月25日に東京Bunkamura オーチャードホールにて開催されます。
 そしてこのたび、公演当日の演目が発表されました。ジェフ・ミルズ自身の新曲に加え、ジョン・アダムス、ドビュッシー、リゲティ、黛敏郎、となかなか挑戦的な名前が並んでおります。以下、湯山玲子さんによる楽曲解説とともに、詳細をご確認ください。

ジェフ・ミルズ×東フィル×バッティストーニ来日公演、演奏演目を発表!

2月に大阪・東京で開催されるジェフ・ミルズと東京フィルハーモニー交響楽団とのコラボレーション・コンサートの演奏曲目が明らかにされた。
同公演では2月22日にリリースされるジェフが初めてオーケストラのために書きおろした新作“Planets”の世界初披露が既にアナウンスされている。この新作に加え、公演テーマである「体感・宇宙・時間」を大いに感じさせてくれ以下の4曲が追加発表された。

“Short Ride in a Fast Machine”(ジョン・アダムス)
テクノの得意分野であるミニマルに、クラシックの世界でアプローチを続けている近代作曲家、ジョン・アダムスの作品。オーケストラにおけるミニマル・ミュージックの音響が堪能できる。リズム感覚、速度など演奏者にとっては難易度が高いと言われるこの難曲を指揮者のバッディストーニがどう対峙するかが注目される。

“月の光”(ドビュッシー)
印象派ならではの浮遊感と映像的な美しさに溢れた、誰もが一度は耳にしたことがあるピアノの名曲。今公演ではオーケストラ編曲ヴァージョンで披露。

“ポエム・サンフォニック(100台のメトロノームのための)”(リゲティ)
作年の公演では4分33秒間無音が続くジョン・ケージ“4分33秒”が披露され大いに話題となった。爆クラ! presentsならではの「問題作」実演コーナーは今回も健在。演奏されるのはハンガリーの作曲家リゲティ・ジェルジュの100台のメトロノームを使った「問題作」。

“BUGAKU(舞楽)より第二部”(黛敏郎)
声明や雅楽など、日本の伝統的音楽の響きとテクスチャーを交響曲に意欲的に取り組んだ黛敏郎の代表的作品のひとつ。イタリアの若き天才指揮者バッティストーニと、デトロイト・テクノDJのジェフ・ミルズふたりの感性が、日本の音楽が持つ独特のタイム感や響きをどう捉えていくか。本公演のハイライトともいうべき作品だ。

ジェフ・ミルズ×東京フィルハーモニー交響楽団×バッティストーニ。3者のスリリングなコラボレーションは2月22日(水)に国内屈指の音響空間でもある大阪・フェスティバルホールで、東京公演は2月25日(土)に渋谷・Bunkamura オーチャードホールで開催される。

【公演概要】
『爆クラ! presents ジェフ・ミルズ×東京フィルハーモニー交響楽団×バッティストーニ クラシック体感系Ⅱ -宇宙と時間編』

大阪公演(会場:フェスティバルホール)
日時:2017年2月22日(水) 18:00開場/19:00開演

東京公演(会場:Bunkamura オーチャードホール)
日時:2017年2月25日(土) 17:30開場/18:00開演

チケット価格(税込/大阪・東京共通):SS席8,800円/S席7,800円/A席6,800円

出演(大阪・東京共通):
DJ:ジェフ・ミルズ
指揮:アンドレア・バッティストーニ/オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団/ナビゲーター:湯山玲子

演奏予定曲目(順不同):
※ Planets / ジェフ・ミルズ
※ Short Ride in a Fast Machine / ジョン・アダムス
※ 月の光 / ドビュッシー
※ ポエム・サンフォニック(100台のメトロノームのための) / リゲティ
※ BUGAKU(舞楽)より第二部 / 黛敏郎

【公演オフィシャルサイト】
www.promax.co.jp/bakucla/02
【ジェフ・ミルズ / CD『Planets』】
https://www.umaa.net/what/planets.html
【ジェフ・ミルズ / “Planets”Playlist】
https://www.youtube.com/playlist?list=PLOvRZEHpi-uYHbnM_tIam0QKs_ameLSlt




Sleaford Mods - ele-king

 インターネット時代の悪夢に情報拡散というのがあって、たとえばレーベルが情報を送ると、そこに書かれたテキストをコピペして(つまり、咀嚼も吟味もされずに)いち早く情報を垂れ流すだけのネットメディは多々ある。そしてそれが、だぁーーーっと拡散される様は、イーノのレヴューでも書いたポスト真実社会そのもの。で、今回、ビートインクから送られてきたスリーフォード・モッズの新作情報のキャッチが「混乱の時代を迎えるイギリスで、今熱狂的な支持を集める奇跡の中年パンク・バンド、スリーフォード・モッズ」。アンダーワールドを中年テクノとは呼ばないように、イーノを老年アンビエントとは呼ばないように、ローリング・ストーンズを老人ロックとは呼ばないように、エレキングではスリーフォード・モッズを中年パンクとは呼ばない。
 スリーフォード・モッズが前作から〈ラフトレード〉移籍のあいだにあったことのひとつを言えば、メンバーのひとりはジェレミー・コービン支援のために労働党員となった。が、ブレグジット以降の党首選をめぐり彼の口汚いツイートが党から問題視され、投票権を失い、それに彼がさらに口汚く反撃を加えたことが話題になった(こういう話はブレイディみかこにこそして欲しいが)。
 ブレグジット以降、混迷の時代を迎えているというのは日本もまったく同じで、BBCの1年を振り返るという番組では、ブレグジットやトランプ勝利は、好むと好まざると関わらず、40年続いたレーガン/サッチャーの新自由主義=規制緩和によって自由貿易をうながし経済を活性化させるという政策に終止符を打たせた、という話があった。なるほどなーと思いながら見ていたわけだが、その是非は他にまかせつつ、こうした問題提起があって、他方では、たとえば『THE QUETUS』にはオルタ右翼(https://thequietus.com/articles/21378-trump-alt-right-fascist-bellends-60s-counterculture) などという論説まで掲載され、文中ではただの実業家にすぎなかった60代中道リベラルが責められたりと(笑)、むしろ、だからこそ、(まさにイーノには見えていなかったこのリアリズム)にずっと生きているスリーフォード・モッズが何をやるのか──、がっかりするかもしれないし興奮するかもしれないけれど、好むと好まざると関わらず、彼らの今回の新作に関して言えば、「注目すべき」という言葉が安っぽい宣伝文句にはならないのはたしかでしょう。
 ちなみに、3月の日本公開されるケン・ローチの素晴らしい映画、『ダニエル・ブレイク』のプロモーションに力を貸したのは、ジェレミー・コービンとスリーフォード・モッズ。だいたいこの興味深い音楽性とこのファッション・センス──頭でっかちの説教クサイ政治音楽ではないことはご覧の通りで、スリーフォード・モッズは希望以外の何モノでもないんですよ、悪いけど。
 アルバム『イングリッシュ・タパス』は3月3日にリリース。

Reginald Omas Mamode IV - ele-king

 80年代のノイズと90年代のアンビエントがドローンという手法を使うことによって同じようなものになってしまったのと同様、ビートダウンという発想もヒップホップとハウスをそれほど差のないものにしつつある。ドローンとしてまとめられたことでノイズから悪意や反社会性、アンビエントから快楽主義が欠落してしまったように、ビートダウンにもヒップホップに期待されるダイナミズムやハウスに特有の多幸感は消え去り、溜めの多いリズムはジャズとの親和性を促している。その最良の成果としてリージナルド・オマース・メイモード4世のデビュー・アルバムを聴いてみよう。

 13年に「ドゥー・ユー?」でデビューしたROM4世はモー・カラーズ周辺の人脈で、サウス・ロンドンからアル・ドブスン・ジュニア、テンダーロニアス、ジーン・バッサらと並ぶポッセのひとりとして認知され、モー・カラーズのアルバムでもそうだったけれど、リーダーが変わるだけで彼らのアルバムは大体同じメンバーによって録音されてきた。モー・カラーズはモーリシャス共和国に由来するセガというリズムを取り入れていたので特徴が見えやすかったけれど、他はそれに習いつつも、それよりは独自のフュージョン・センスを前に出してきた面が強い。ROM4世にも決定的なエスニシティが存在するわけではなく、そこは音楽史との戦いがものを言っているという感じで、モー・カラーズよりは豊かにジャズ色が滲み出る。ポッセのなかではビートダウンが呼び込む「間」を最も有効に活用している才能と言える。

 パーカッションで引っ張る曲とベースで聴かせる曲が前半は交互に並べられている。インタールードを挟んでそれらが拮抗しはじめ、スリリングでありながらビートダウン本来のチル・アウト性は手放さない。音の隙間に身を乗り出しながらも基本的には安穏とした気分を保つことができる。この手の気分ならいくらでも味わったことはあるけれど、花でも取り替えるような気分で音楽も変えたいといったところだろうか。昔の音楽で間に合わないところがあるとしたら、やはり感情が現代的ではないという点につきてしまう。新しい音楽に期待したいのは音楽的な完成度よりも現代ならではの複雑な感情というやつである。ROM4世は確実にそれには応えてくれる。

 ビートダウンの起源はいくらでも遡れるかもしれない。が、この数年のこととしてはやはりデトロイトであり、〈アンダーグラウンド・レジスタンス〉からニック・スピードの名義でデビューしたニコラス・マーセル・スピードの感覚を普遍化する必要があるだろう。彼が〈マホガニー・ミュージック〉からリリースした『ザ・ビート・ダウン』(13)がタイトルも含めて一種のマニフェストにしか思えず、そこにはJ・ディラ以下、デトロイト産のヒップホップをエディット化し続けた流れが延々と横たわっている。『ザ・ビート・ダウン』はディアンジェロに負う部分も少なからずではあるだろうけれど、これをハウスという文脈に落とし込んだのはやはりコッタムやフローティング・ポインツといったロンドンの屈折を待ってからになる。エディット狂が高じて誘発されてきたシーンはアメリカへの執着を何度も燃え上がらせながら繰り返されてきたものであり、ビートダウンも当初は80年代のレア・グルーヴと存在意義を異にするものではなかったのだろう。わかりやすくいえば、いま、起きていることはUKブラック・リヴァイヴァルなのである(FKAツウィッグス以下、数え上げるのも面倒くさいほどヒップスターR&Bは膨張し続けている)。2016年にグローバル化したブラックライヴズマターがこれと結びつき、2016年はアフロ・パンク・フェスティヴァルの開催へと繋がっていった。ビートダウンがそうした動きのサウンド的な核になったことは明らかだろう。

 ROM4世やモー・カラーズはサウンドの面白いところだけをいただいたという言い方もできるかもしれない。それを言ったらドイツでもビートダウン以降のサウンドは大きな展開を見せているし、しかし、それにしてはでき上がったサウンドがユニークに過ぎるところがある。ROM4世やアル・ドブスン・ジュニアが叩き込むパーカッション・サウンドはどうしたって「次の一歩」という気がしてしまうのである。

interview with Jameszoo - ele-king


Jameszoo
Fool

Brainfeeder/ビート

AbstractAvant-garde JazzExperimental

Amazon

 カマシ・ワシントンの大作を筆頭に、サンダーキャットやニーボディ&デイデラスなどカッティング・エッジな現代ジャズを送り出し続けるかたわら、ジュークのDJペイパルをリリースしたり、はたまたジョージ・クリントン御大と契約を交わしたりと、近年の〈Brainfeeder〉の勢いには目を見張るものがある。その怒濤のような快進撃のなか、フライング・ロータスが自信を持って発掘してきたのが、オランダの若き才能・ジェイムスズーことミシェル・ファン・ディンサーである。たしかにそのサウンドを聴けば彼が大いなる可能性を秘めたタレントであることはおのずとわかるのだけど、いざその音楽がどういうものか説明しようとすると、なかなかどうして一筋縄ではいかない。

 ジェイムスズーが昨年リリースしたアルバム『Fool』を初めて聴いたとき、「IDM的な感性のもとでジャズをやる」というのがコンセプトなのかなと思った。けれど何度か再生しているうちに、ジャズから影響を受けたプログレッシヴ・ロックのようにも聴こえてきた。フリー・ジャズそのもののようなトラックがある一方で、ブラジリアン・ジャズから影響を受けたようなトラックもある。変拍子があったり沈黙があったりとアヴァンギャルドな側面が展開される一方で、メロディの部分はときにユーモラスであったりときにメランコリックであったりと、一体どういう文脈に位置づけたらいいのかわからない。その後彼の来日公演を体験する機会があったのだけど、そのあまりに雑食なDJセットにこちらのはてなマークはますます増殖していった。アルバムを出す前はダブステップ――しかも、かなり独特のそれ――をやっていたし、いやはや、ジェイムスズーとは一体何者なのだろう?

 天真爛漫。先に結論を述べてしまうと、この言葉こそジェイムスズーにふさわしい。彼はミュージシャンである前に、ひとりの無邪気な音楽ファンだったのである。そんな彼は現代っ子らしく、「俺にはルーツがないんだ」と言う。それはなぜかと言うと、彼は音楽をはじめるまでは……ここから先は以下をお読みください。

音楽って、人がそのトラックの背景から判断して決めるものじゃなくて、内容でジャンル分けされるべきものだと思う。

小林(●)、野田(■)

あなたのアルバムをベスト30に選出したのは、ビヨンセの作品のように世の中にプロテストする内容であったり、あるいはブレグジットやトランプみたいな暗い世界を反映したようなアルバムが多い中、あなたのアルバムには何か突き抜けた感じがあったからです。すごい知的なんだけれどもファンキーで、あなたがどんな内容のアルバムを作ろうとしたのかがわからないくらい他の作品とは違い、印象に残ったからです。

ジェイムスズー(以下、JZ):ありがとう。俺は音楽の教育を全く受けていなくて、音楽学校に行くことを考えたこともあったんだけど、結局実現せず、きちんとした曲作りの知識がないんだ。でも、フリー・ジャズなんかも好きだし、俺自身も自分なりにレコードを作ってみようと思った。知識はなくても、自分が大好きな音楽をコンピュータで表現してみようと思って作ったのが、このアルバムに収録されているトラックなんだよ。

なぜ『Fool』というタイトルにしたのですか?

JZ:アルバムを作っているプロセスの中で、「フール」な決断をしてしまう自分がいたんだ。自分自身に納得がいかないことが多々あったしね。そういう自分の状態からこのタイトルをとったというわけ(笑)。なりたくはないけど、「バカ」になってしまう自分もいる。そんな自分のポートレイトみたいなタイトルなんだ。それに、「フール」って言葉そのものがおもしろい名前だと思うしね。タイトルに関しては、変に凝ったりはしていない。アルバムもそうだし、タイトルもそうだし、長いタイトルはあまりつけたくないんだ。音楽ってみんなそれぞれに意味のあるものだと思うから、その内容を決めつけるようなタイトルはつけたくないんだよ。

たしかに、曲のタイトルもワンワードで短いものばかりですね。

JZ:タイトルで格好つけたくないんだ。最近の音楽って、内容よりも状況や背景を重視しすぎたものが多いと思う。それでIDMとか呼ばれたりもしてるけど、音楽って、人がそのトラックの背景から判断して決めるものじゃなくて、内容でジャンル分けされるべきものだと思う。

ついでにもうひとつ言葉の質問をすると、なぜジェイムスズー(Jameszoo)という名前にしたのですか?

JZ:特に理由はないよ(笑)。名前を考えているときに、たまたま思いついたのがこの言葉だったんだ。で、じゃあそれでいいやって思って(笑)。

アルバムに収録されたスティーヴ・キューンの曲も、原曲“Pearlie's Swine”のタイトルが“The Zoo”に変えられていますが、それには何か意味があるのでしょうか?

JZ:彼は以前〈Buddah〉っていうレーベルにいたんだけど、そのレーベルが破産して、パブリッシングの都合で、スティーヴ自身がタイトルを“The Zoo”に変えたんだよ。タイトルを変えたのは俺じゃないんだ。

ジェイムスズー(Jameszoo)の「zoo」と繋がってるのかなと思っていました(笑)。

JZ:最高の偶然だよね(笑)。あの曲は、アルバムの中でも俺のお気に入りでもあるし。

俺にはルーツがないんだよ(笑)。おもちゃ屋にいる子どもみたいなんだ。音楽のすべてが魅力的で、ひとつひとつの作品に興奮する。

スティーヴ・キューンとはどういう経緯で出会ったのですか?

JZ:9ヶ月くらいずっと彼とメール交換をしていたんだけど……

通訳:メール交換はそもそもどうやってすることに?

JZ:知り合いを通じて、彼の連絡先を知って、俺から彼にメッセージを送ったんだ。会ってもらうまで長いこと彼を説得しないといけなかったんだけど、9ヶ月経って彼がやっとニューヨークに招待してくれた。で、ニューヨークに着いて、彼から来るように言われたバーに行くと、ジョーイ・バロンとバスター・ウィリアムスもそこに座っていてさ(笑)。スティーヴだけいると思ってたからいきなり3人のレジェンドと一緒に座ることになって緊張したね(笑)。その3人の前で「スティーヴがなぜ自分とコラボするべきなのか」っていうのを説明しなきゃいけなかったんだ。変な雰囲気だったよ(笑)。最初は何ともいえない雰囲気だったけど、シュトックハウゼンに関する話をしはじめると、自分も彼も好きなミュージシャンの話でどんどん盛上がって、「今日自分のセットで“The Zoo”をプレイするから、もしそれを気に入ったらコラボしよう」と彼が言ってきてくれた。それから数日後にニューヨークのスタジオに入って、一緒に曲を作ったんだ。

彼から学んだことはありましたか?

JZ:彼のファンすぎて、学ぶというよりはただただ魅了されていたね(笑)。もっといろいろ学ぶべきだったと思うけど、雰囲気に圧倒されてしまっていたから。

もうひとり、このアルバムにはビッグなアーティストが参加しています。アルトゥール・ヴェロカイとはどのようにして出会ったのでしょう?

JZ:〈Brainfeeder〉の前、俺は〈Kindred Spirits〉っていうレーベルにいたんだけど、そのレーベルをはじめたキース・ヒューズ(Kees Heus)が、アムステルダムのパラディソ(Paradiso)っていうイベントのプロモーター兼オーガナイザーだったんだ。で、彼がアルトゥールをそのイベントに招待したんだけど、キースが俺にメールしてきて、「アルトゥールが来ることになったから、彼に自分の音源を送ってみろよ。もしかしたら、彼が来たときに一緒にスタジオに入って何か作れるかもしれないぞ」と言ってきた。それでアルトゥールのFacebookに音源を送ったら、彼から「いいよ。コラボしよう」という返事が来て、彼がオランダに来たときに3時間くらいジャムをして、そこから俺が一部を取って曲を作ったんだ。アルトゥールはいままで自分が出会った中でもいちばんと言ってもいいくらい良い人だったよ。アルトゥールとスタジオに入っていたときは、アルバムを作ろうなんて考えもなかった。でも『Fool』を作りはじめたとき、あのセッションを使った作品を絶対入れようと思ったんだ。

普段からブラジリアン・ミュージックは聴くんですか?

JZ:そうだね。エルメート・パスコアール、ペドロ・サントス、カエターノ・ヴェローゾ、ティン・マイアも好きだし、好きなミュージシャンはたくさんいるよ。

あなたの作品からは、あなたが一体どんな音楽を聴いて影響されてきたのかがわからないくらい、すごくたくさんの音楽の要素が聴き取れますが、実際はどんな音楽を聴いて影響されてきたのか教えて下さい。たとえば、この『Fool』には、ジャズの要素もあり、エレクトリックの要素もあり、ソフト・マシーンのような音楽性も感じられます。

JZ:そうそう。ロバート・ワイアットにこのレコードに参加してほしかったんだけど、実現しなかったんだ(笑)。ロバートから、「君の音楽を気に入っている」っていうメッセージはもらったよ。でも、彼はもう音楽制作をやっていないから、コラボできなかったんだ。俺は、ミュージシャンである以前に音楽ファンなんだよね。だから、家にいるときはつねにeBayやDiscogsをチェックしているし、すべての音楽サイトをチェックして新しい音楽を追い続けている。そのすべてから影響を受けているんだ。エレクトロニック・ミュージックというジャンルひとつでも、俺はミュジーク・コンクレートやシュトックハウゼンからディムライトやドリアン・コンセプトまで、昔のエレクトロニック・ミュージックから現代のそれに至るまで、そのジャンルのすべてを知りたいと思うし、知ろうとするんだ。ジャズも同じ。オーネット・コールマンからペーター・ブロッツマンに至るまで、できるだけたくさんのミュージシャンの作品を聴いて学ぶようにしているよ。

先日あなたのDJを聴いていて、ジャズやヒップホップはもちろんなのだけれども、『AKIRA』のサントラだったりスティーヴ・ライヒだったり、あるいはエイフェックス・ツインからバトルズまでがかかって、あなたの音楽のルーツがわからないところがすごくおもしろかったんですが、いまの話を聞いてあなたが深い音楽ファンであることが伝わってきました。

JZ:俺にはルーツがないんだよ(笑)。おもちゃ屋にいる子どもみたいなんだ。音楽のすべてが魅力的で、ひとつひとつの作品に興奮する。DJをするときは、サウンドシステムをチェックして、それに合ったセットをプレイするようにしているんだ。初めて日本でプレイしてみて、日本のオーディエンスはヨーロッパのオーディエンスと違うなと思った。ヨーロッパってダンスのムードを作り出すことがすべてだけど、日本のオーディンスは音を聴き込もうとするんだよね。それに合わせたセットを考えるのは、自分にとって新しい経験だったよ。俺も音楽を聴きたい派だから、嬉しかったね。

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音楽を作りはじめる前、俺はプロのテコンドー選手で、それで生活していたんだ。

あなたはいまもデンボスに暮らしているんですよね?

JZ:そう。

あまりシーンと関係ない場所で暮らしているという意味で、日本人と近い部分があるのかもしれませんね。

JZ:たしかに。

いまでも故郷に住み続けている理由とは?

JZ:友だちや家族がいるからさ。

音楽活動のためにアムステルダムに引っ越そうと思ったことはありませんか?

JZ:アムステルダムからもたくさんオファーが来たし、友だちもたくさんいるけど、俺にとって、アムステルダムという場所は、「作品の内容よりも背景を重視した場所」なんだよね。音楽を作るのに、たくさんのものや特別な環境は必要ない。俺に必要なのは、家と友だちだけなんだ。

アムステルダムの〈Kindred Spirits〉から作品をリリースするようになった経緯を教えてもらえますか?

JZ:音楽を作りはじめる前、俺はプロのテコンドー選手で、それで生活していたんだ。

一同:へえええ!

JZ:その経験で歯を折ったり膝を痛めたり、身体がボロボロになって、もうやっていけないと思った。で、また学校に戻ろうと思ったんだ。でも、実際戻ってみると、自分には合ってなかった。で、学校に行かないとしたら何ができるだろうと考えていたんだけど、隣の席のクラスメイトが音楽を作っていたから、自分もそれをやろうと思ったんだ。テコンドーをやめてからは酒が飲めるようになって、地元のバーに行ったんだけど、『Beat Dimensions Vol.1』っていうコンピレイションを作ったシナマン(Cinnaman)というDJが、ハドソン・モホークやディムライト、サミヤムをプレイしていたんだ。それを聴いて、自分もそれを作りたいと思った。で、アップルストアに行ってパソコンを買って、そこから4曲を作って、それを友だちに送ったんだ。そしたら彼が〈Kindred Spirits〉に送って、リリースが決まった。音楽を作りはじめて半年で、音楽がリリースされることになったんだ(笑)。

それはあなたが何歳のとき?

JZ:たぶん19か20歳だったと思う。

それ以前は音楽は作ってなかったんですよね?

JZ:作ってなかったね。

しかし、なぜテコンドーの選手になろうと?(笑)

JZ:父親がテコンドーのプロだったからだよ。俺は若すぎてオリンピックには出られなかったけど、オランダの国内では優勝したこともあるし、12ヶ国が参加する大会でも賞をとったことがある。世界選手権では2位になったし、(『Fool』は『ele-king』の年間ベスト30で9位だったので)ミュージシャンとしてよりもファイターとしての方が上なんだ(笑)。

間違いなく、いまの音楽シーンの中でいちばん強い男ですね(笑)。

JZ:だね(笑)。

その後〈Rwina〉からダブステップを取り入れたような作品を出していますが、それは、音楽ファンとしてダブステップが好きでインスピレイションを受けていたからそのような音楽を作ったのですか?

JZ:そう。〈Kindred Spirits〉からのリリースの後、ショウをやるようになったからDJをはじめたんだけど、そこからクラブに行く機会が増えて、クラブ・ミュージックにハマっていったんだ。デジタル・ミスティックス、マーラ、コーキ……そのへんのアーティストを聴くようになったね。だから、そういった音楽の自分ヴァージョンを作りたくなったんだ。そうしてEP「Faaveelaa」ができあがったんだ。

そしてその後、フライング・ロータスと知り合うんですよね?

JZ:そうだよ。その前に、彼とはニューヨークのレッドブル・ミュージック・アカデミーで会ったことはあったけどね。でも、そのときはアルバムを作るつもりもなかったし、あえて彼に自分の音楽を聴かせたわけではなかった。ただスタジオで音を作って楽しんでいるところに、たまたま彼が入ってきて、俺がそのときに作っていた音を聴いたんだ。〈Brainfeeder〉と正式な契約の話をしはじめたのはそのずっと後なんだ。アルバムを作りたいと思ってすべてを完成させたときに、初めてそれを〈Brainfeeder〉に送ったんだ。

彼は初めてあなたの音楽を聴いてどういう反応でした?

JZ:レッドブルのときはすごくエンジョイしてたみたいだよ。音源を送ったときは、俺はオランダにいたからわからない。でも聞くところによると、彼のマネージャーがすごく気に入っていたらしい。ふたりで一緒に聴いて、リリースを決めたらしいよ。

俺はケイジ・ハイノ(灰野敬二)の大ファンなんだけど、彼はいつも、どう演奏してほしいかを楽器に尋ねているらしい(笑)。俺はその考え方が好きなんだよね。


Jameszoo
Fool

Brainfeeder/ビート

AbstractAvant-garde JazzExperimental

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あなたはたくさんの音楽を聴いているので、今回のアルバムに反映されているのはその中のほんの一部だと思います。次に出す作品はまったく違うものになる可能性もあるのでしょうか?

JZ:あるね。オランダでちょっとしたフェスをスタートしたんだけど、スピーカー・ミュージックやミュジーク・コンクレートのフェスで、ピエール・ブーレーズ、ピエール・シェフェール、ピエール・アンリ、シュトックハウゼン、クセナキスとか、最近はそういった音楽にインスパイアされているんだ。そのフェスをきっかけに友だちと一緒にデンボスでスタジオに協力することになって、そのスタジオで新しいアルバムを制作しようと考えているよ。

そのアルバムも〈Brainfeeder〉から?

JZ:そう。そのスタジオは自分のものではないけれど、スタジオ・セッションを仕切っているんだ。(そう言って、スタジオにある50年代の機材の写真を見せてくれる。)

その当時の機材でないと作れない音があるとは思うのですが、それに拘る理由とは?

JZ:やはり、その時代の機材でしか作れない音があるんだよ。ギアって、ひとつひとつ作れる音が違うと思うし、そういった機材を使うことは、俺にとってはチャレンジなんだ。俺はケイジ・ハイノ(灰野敬二)の大ファンなんだけど、彼はいつも、どう演奏してほしいかを楽器に尋ねているらしい(笑)。俺はその考え方が好きなんだよね。俺自身も楽器や機材の使い方を勉強したわけではないし、自分で探り出すしかないからね。

シュトックハウゼンやブーレーズやクセナキスのような音楽は、クラシックの延長にあるもので、いうなれば理論的な、すごく理屈っぽい音楽なんですけど、そういう意味でいうと、あなたはもっと感覚というか、直感的に音楽を作っていますよね? そんなあなたにとって、50年代のああいった現代音楽はどこが魅力ですか?

JZ:サウンド・デザインがいまだに時代を感じさせないところ。いまでこそみんながコンピュータを使っているけど、当時はテープやそういうものを使っていたわけで、知識がある人も誰もいなかったわけだよね。そこが魅力的なんだ。みんな勉強不足だったわけではなくて、新しいサウンドだったから知識の持ちようがなかった。ブライアン・イーノも、何か新しいものを作る場合、そこにクオリティは存在しないと言っていたしね。

ブライアン・イーノは好きですか?

JZ:大好きだよ。デヴィッド・バーンとの作品とか素晴らしいと思う。

このアルバムには、音が突然止まって間が生まれる瞬間のある曲がいくつかあります。そういった間や沈黙は意識して作っているんですか?

JZ:そうだね。俺はダイナミックな作品が好きだから。音楽制作において、いちばんパワフルな手法は静寂だと思うんだ。たとえばファンクのブレイクも、奏者がそれをどうプレイするかではなくて、どうストップするかがすべて。ときには、どういう音を鳴らすかではなくて、どこで音を鳴らさないかが大切なんだよ。ジェイムス・ブレイクが大好きなんだけど、彼の作品も複雑すぎない。サウンドは少ないのにいい曲を作り出しているところがすごいと思うね。

テコンドー、スポーツと音楽の共通点はあると思いますか? 私も柔道をやっていたのですが、リズムの外し方って大事ですよね? その辺で共通するのかなと思って。

JZ:そうそう。タイミング。相手のタイミングを見計らいながら動くというところ。それって即興みたいなものだと俺は思うんだ。セットされたリズムはないわけだしさ。

だいぶあなたの音楽の秘密がわかってきました(笑)。

JZ:だね(笑)。

テコンドーをやっていた頃も、音楽は聴いていたんですよね?

JZ:いや、聴いてなかったよ。

ということは、短期間ですごい量の音楽を聴いてきているわけですね?

JZ:そうなんだ。本当にハマったからね。まるで中毒さ。家族は誰も音楽ファンじゃなかったし、周りに音楽はなかったからね。

音楽にハマりだしたとき、お母さんから何か言われませんでした?

JZ:最初は不安がっていたけど、シュトックハウゼンなんかに関する音楽理論があって、それを俺が勉強しているのを知って、息子がいかに真剣かがわかったらしい。パフォーマンスをするときはジャズ・バンドとやるんだけど、それを見たとき、本気なんだなと感じたみたいだね。

パフォーマンス、DJ、音楽制作、いろいろと活動されていますが、どの作業がいちばん好きですか?

JZ:すべてだね。どれが欠けてもダメさ。どれかひとつだけをやるんじゃなくて、すべてのバランスをエンジョイしているよ。

テコンドーでは怪我などがあったと思いますが、音楽活動をはじめて何かマイナスな面はありましたか?

JZ:自己中心的にならなければいけないときがあることかな。そんな自分の一面とは向き合いたくないけど、向き合わなければいけないし、自己中になっている自分に気づかされる。ライヴがうまくいかないとか、そういうのはあまり気にしないんだ。ミスは犯して当然だし、そこから学ぶしね。でも、我が強くなるのはあまり心地よくはない。テコンドーでは身体を痛めつけていたけど、音楽制作はマインドを痛めつけている感じかな。

アルバムが出てからしばらく経ちますが、これからのご予定は?

JZ:2017年の春にEPをリリースする予定。内容はもっとエレクトロニックだよ。で、そのあと次のアルバム作りに集中するつもり。今度もまたさまざまな音楽が詰まった内容になるだろうね。あと、『Fool』のアートワークを手がけてくれたペインターとのコラボのプロジェクトも計画しているんだ。

もし次の作品にリミックスを入れるとすれば、誰にリミックスを頼みたいですか?

JZ:ペーター・ブロッツマン。またはケイジ・ハイノ(灰野敬二)、メルツバウ。

ありがとうございました!

JZ:こちらこそありがとう!

Azymuth - ele-king

 ブラジルが生んだ世界的なフュージョン・グループのアジムス。1970年代後半から1980年代にかけて、ジャズ/フュージョンの分野ではブラジル音楽をモチーフとした、いわゆるブラジリアン・フュージョンが隆盛を極めたのだが、その中心にいたグループがアジムスである。結成は1970年代前半に遡り、マルコス・ヴァーリのバック・バンドを経て、1975年にファースト・アルバムを発表した。1979年からアメリカ進出を果たし、〈マイルストーン〉からリリースした『ライト・アズ・ア・フェザー』の大ヒットで、日本でもよく知られる存在となる。当時のNHK-FMの音楽番組『クロスオーバー・イレブン』のテーマ曲にアジムスの作品が採用されたことで、彼らの存在は広く認知されるようになった。ジョゼ・ロベルト・ベルトラミ(キーボード)、アレックス・マリェイロス(ベース)、イヴァン・コンチ(ドラムス)という、ジャズ・グループとしてはミニマルな編成だが、重層的に積み重ねられたキーボードやシンセ類、多彩なパーカッション群で実に彩り豊かな音像を生み出し、純粋なブラジル音楽の枠に収まらない未来的なサウンドを作り出していった。シンセやヴォコーダーなど電気楽器の導入にも積極的で、エレクトリック・サウンド~エレクトロ方面においても進取の精神に富むバンドであった。『ライト・アズ・ア・フェザー』に収録された“ジャズ・カーニヴァル”はディスコ・サウンドとしての一面も持ち、1980年リリースの『アウターボ』では“ディア・リマーツ”というヴォコーダー・ファンクを披露している。これらの作品は、1980年代後半にアシッド・ジャズ~クラブ・ジャズが勃興してきたときにレア・グルーヴとして再評価され、その流れからアジムスの世界に入っていったファンも少なくないだろう。その1980年代後半から1990年代前半にかけて、グループの活動そのものは停滞していたのだが、こうした再評価の波を受け、UKの〈ファー・アウト・レコーディングス〉から復活作『カーニヴァル』を1996年にリリース。以降は〈ファー・アウト〉を拠点に定期的にアルバム・リリースをおこない、現役の大物フュージョン・バンドとして存在感を放っていった。

 そんなアジムスだが、2011年に『オーロラ』をリリースした後、ジョゼ・ロベルト・ベルトラミが2012年に逝去し、グループとして実質的な活動を終えていた。3人の長きに渡る強固な結束は他に替え難いものであり、ベルトラミもアジムス・サウンドの核を担うような存在であったので、グループとしてはもはや再現不可能であったからだ。ところが、こうして『フェニックス(不死鳥)』という新作を引っ提げ、アジムスは新生バンドとして2016年末に復活した。ベルトラミの代わりに加わったのはキコ・コンチネンチーノというキーボード奏者で、ミルトン・ナシメント、ジルベルト・ジル、ジャヴァンなどの作品やツアーなどで演奏してきた。1969年生まれで相応のキャリアを持つのだが、全員1946年生まれというアジムスのオリジナル・メンバーからすると、子どもくらいの年齢の隔たりがある。そうした点で果たしてコンチネンチーノに、ベルトラミの代わりがどこまで務まるのかという不安はあった。ところが、結果として『フェニックス』は全盛期のアジムス・サウンドを見事に再現するものとなっている。表題曲は名曲“ジャズ・カーニヴァル”を意識した楽曲構造だが、そこに“ディア・リマーツ”のヴォコーダー・ファンク的な味付けを施している。同様に“バトゥカーダ・エン・マルテ”もサンバ・リズムとファンクやディスコ・ビートを融合し、ヴォコーダーをはじめエレクトリック・サウンドによって表現するスタイルを取っている。“ヴィラ・マリアナ”はスペイシーなキーボード&シンセとタイトなリズムのコンビネーションによるアジムス流ジャズ・ファンク。“オレンジ・クラウズ”は前述の『クロスオーバー・イレブン』に使われた“フライ・オーヴァー・ザ・ホライゾン”を彷彿とさせる。“コロンバ”はアマゾンの密林を想起させるパーカッシヴな楽曲だが、ここではイヴァン・コンチの驚異的なドラム/パーカッション技術が浮き彫りになり、またゲスト参加するロベルチーニョ・シルヴァ(彼もアジムス同様にブラジル音楽界を代表するベテラン・パーカッション奏者)とのインプロヴィゼーション・プレイが圧巻である。

 『フェニックス』のプロデュースを手掛けるのはダニエル・モーニック。インコグニートのブルーイの息子で、DJヴェノム名義で1990年代後半より制作活動をおこなっている。インコグニートのプロデュースに携わった時期もあり、〈ファー・アウト〉とも長きに渡って関係を築いている。アジムスとはリミックス・ワークなどで一緒に仕事をしてきたほか、2011年の『オーロラ』ではプロデュースとキーボードのサポートで参加している。今回は彼が全体のプロデュースをおこなうことにより、アジムス・サウンドが正しく継承されているのである。また、ダニエル・モーニックはそもそもクラブ・サウンド出身のプロデューサーであるので、そうした彼の感性がアジムスの演奏と組み合わさることにより、現代のバレアリックなテイストも感じさせる作品になっていると言えよう。

interview with The xx - ele-king

E王
The XX
I See You (ボーナストラック2曲収録)

XL Recordings/ビート

PopHouseIndie Rock

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 はじめからザ・エックス・エックスの音楽ははっきりと「シェルター」だった。外界から遮断された場所で、自分だけの痛みをこっそりと広げて味わうこと。10代の音楽としてあまりにパーフェクトだったし、その純度の高さこそが特別なバンドとして愛でられた理由だった。ダブステップを横目で見つつ、できるだけ隙間を開けて音を丁寧に配置していく触れたら壊れてしまいそうなギター・ミュージック。それはあらかじめリスナーひとりひとりに向けて作られたもので、自分たちが大観衆の前でプレイするバンドになるとは想像していなかっただろう。セカンド・アルバム『コエグジスト』は、だから、サウンドの幅を広げながらも自分たちの出自を確かめるかのような密室性が貫かれていた。
 だがハウス・ミュージックのプリミティヴな喜びがたっぷりと投入されたジェイミーXXの『イン・カラー』を経て、バンドは「シェルター」の別の意味を3枚めとなる『アイ・シー・ユー』にしたためているように見える。すなわち、たくさんの人間たちが緊急避難的に集う場所としてのダンスであり、バラッドであり、ポップ・ミュージックだ。

 高らかに鳴らされるブラスがすぐに艶めかしいベースラインを導いてくる“デンジャラス”のイントロを聴くだけですぐにわかる。ここには新しいザ・エックス・エックスがいる。ジェイミーXXのダンス・ミュージックへの情熱がさらに洗練された形で取り込まれることで『イン・カラー』に匹敵するカラフルな音が展開し、オリヴァー・シムとロミー・クロフトの溜息混じりの歌声が交差する様は相変わらずメランコリックだが、『アイ・シー・ユー』にはこれまでになかった熱が宿っている。それは“パフォーマンス”のようなじつにザ・エックス・エックスらしいバラッドにしても例外ではなく、これまでの音の隙間はアンビエントの音響でじっくりと満たされていく。それは閉ざされた快感ではない。キャッチーなサンプリングがビートと跳ねる“オン・ホールド”にしても、コーラスが上方向に開放されていく“アイ・デア・ユー”にしても、それを分かち合うことの喜びが表現されている。『アイ・シー・ユー』はザ・エックス・エックスが自分たちだけの「シェルター」を外界に向けて堂々と開け放った瞬間の記録である。

 来日公演に伴ったインタヴューはジェイミー&オリヴァーのチームとロミーとに分けて行われた。ジェイミーがぜんぜんしゃべらないと聞いていたので構えていたのだけれど、いまや人気のプロデューサーのひとりである彼はところどころ恥ずかしそうにしながらもじつにしっかりと自分の考えを話してくれた。ザ・エックス・エックスの軌跡とは、彼が自分を開放する様を音で表現してきた道のりとも言えるだろう。
 では、サウンド面での変化をおもな話題としたジェイミー&オリヴァー編をまずはお届けしよう。

Jamie & Oliver

少なくとも、『イン・カラー』がなければ今回のアルバムはこんな形にはなっていなかったと思うよ。理由はいくつかあると思うんだけど、まず僕とロミーがあのアルバムからすごくインスパイアされたから。(オリバー)

新しいザ・エックス・エックスが感じられる堂々たるライヴでしたね! いまワールド・ツアーをスタートしたところだと思うのですが、発表前の新曲を披露するのはどんな気分ですか?

オリヴァー:日本を含めていまのところ6回なんだけど、2年ぶりってこともあってすごく緊張してるんだよ。でもステージに上がれるのもオーディエンスの顔が見られるのも、すごく楽しいことだと実感してるよ。とくに新曲に対する反応がすごくよくて。ショウを重ねるごとに曲を知っているひとが増えているのを感じるんだ。すごく楽しいね。

こちらから観ていても、オーディエンスの反応を体感できました。

オリヴァー:クール!

あとライヴでおもしろいと思ったのは、ザ・エックス・エックスの“シェルター”とジェイミーのソロ曲の“ゴッシュ”をマッシュアップしていたところだったんですけど、あれはどういう風にできたアイデアだったのですか?

ジェイミー:“シェルター”はぼくたちも好きでライヴでよくやる曲だったんだけど、ずっとファースト・アルバムに収録している形でやってきたから今回のライヴでは変えたいなって言ってたんだよね。で、やってみたらなんか“ゴッシュ”と合ったんだよ。

「なんか」、なんですね(笑)。

オリヴァー:ジェイミーはソロとバンドでふたつのプロジェクトをかけ持ちしているから、その架け橋になってくれてるんだよね。ファンはどちらの曲も知っているかもしれないけれど、それを実際に合わせて聴けるっていうのはオーディエンスも楽しかったんじゃないかな。

野田:2曲のテイストが全然違うもんね。

ジェイミー:でも“シェルター”はすごくパワフルな曲だから、アレンジをガラッと変えても揺らがないんだよ。それぐらい骨のある曲だからできたと思うんだ。

野田:いちばん最初にインタヴューさせてもらったときに、アルバムで一番気に入ってる曲は何かって訊いたら“シェルター”って答えてくれたんだよね。

オリヴァー:そうだったんだね。

野田:ジェイミーは一言もしゃべらなかったんだけど(笑)。

(一同笑)

ジェイミー:……ああ(恥ずかしそうに微笑む)。

オリヴァー:(笑)でも大分変わったんだよ。自分のアルバムをプロモーションする経験をしたから、しゃべらないわけにはいかなくなったんだよ(笑)。

“シェルター”がまったく違う姿に変わったことも、バンドの新しい季節を象徴しているかなと思ったんですよ。ジェイミーのなかでは、バンドとソロの境目がなくなってきている感じなのでしょうか?

ジェイミー:昔はバンドのなかで音作りしているときに、あまりにも僕っぽいテイストのもの、僕が出てしまっているものは出したらいけないんじゃないかと思ってたんだ。でも自分のレコードを出したあとに、自分のテイストを出してしまってもいいし、バンドの側としてもサウンド的にオープンに受け入れられるようになってるんじゃないかと感じるようになったんだ。だから最近はぜんぜん遠慮してないんだ。

なるほど。新作の『アイ・シー・ユー』がまさにそのことがサウンドに表れたアルバムと思うのですが、本作はセカンド・アルバムの『コエグジスト』の続きというよりはジェイミーの『イン・カラー』の続きという共通意識がバンドのなかでもあったのでしょうか?

オリヴァー:そうだね、それはたしかにあるね。少なくとも、『イン・カラー』がなければ今回のアルバムはこんな形にはなっていなかったと思うよ。理由はいくつかあると思うんだけど、まず僕とロミーがあのアルバムからすごくインスパイアされたから。いや、アルバムからというよりは、アルバム・ツアーにオーディエンスとして行ったことだね。あと僕はアルバムに参加もしているから、制作の上でのプロセスの違いは刺激になったのもたしかだね。いままで「ザ・エックス・エックスらしさ」みたいなものにすごくこだわっていたけど、そこからもう少し解き放たれて自由な考え方をしてもいいんじゃないかとか、音としても作り方としてももっと実験的なことをしてもいいんじゃないかとか、そういう風に思えたのもあのアルバム(『イン・カラー』)の制作を踏まえたものだったからなんだよね。だからジェイミーのソロからの影響はすごく大きかったと思う。

そうしたことを踏まえると、オープニングの“デンジャラス”がすごく鮮烈なダンス・トラックになっているのが象徴的に感じられました。『コエグジスト』もハウスのようなダンス・ミュージックを取り入れたアルバムでしたけど、『アイ・シー・ユー』はサウンド的にさらにカラフルになっていて。1曲めをダンス・トラックにしたのはどうしてでしょう?

オリヴァー:うん、それはあの曲が一番ジェイミーのソロの曲調に近いと思ったからだね。たぶんアルバムを待っていたみんなもそういうサウンドを期待しているんじゃないかなと思ったし。でもそこからアルバムが進んでいくにつれて、そういうサウンドばかりじゃないことが見えてくる流れになってて。たしかにいままでで一番サウンドの幅が広いアルバムだと僕も思うし、だから最初のシングルを選ぶのも大変だったんだ。アルバムをまとめて代表する曲なんて一曲もないからね。だからすごく選びづらかったけど、シングルは“オン・ホールド”が入り口としてはいいかなと思ってそれにしたんだよ。

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僕にとってはサンプルを使うのは自然なことなんだ。エレクトロニック・ミュージックをはじめて聴いたのも、たとえばDJシャドウみたいなサンプリング・ミュージックだったから。そういうのを聴きながらプロダクションを覚えていったから、そうするのが当たり前っていうか。(ジェイミー)

E王
The XX
I See You (ボーナストラック2曲収録)

XL Recordings/ビート

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アルバムの制作のときにサウンドのインスピレーションとして3人の間でとくに共有していたものはありましたか?

オリヴァー:今回レコーディングをいろいろな場所でやったから、テーマとして自然とロード・トリップっていうのがあったんだよね。移動がすごく多くて、しかも車のことが多くて。だからそれぞれでプレイリストを作って、そのときどきで流す音楽を用意したんだ。たとえばLAを移動するときはシアトルから4日間ぐらいかけて海沿いを移動するなか、フリートウッド・マックやビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』なんかをよく聴いていたね。それでシアトルに着いて書いた曲が“レプリカ”だったし……、それからアイスランドのレイキャビクに行ったときはラジオをかなり聴いていて、ポップなものをたいくさん聴いた結果できたのが“アイ・デア・ユー”だったし。そういう影響があったかな。

野田:そんな風にロンドン以外のいくつかの都市でレコーディングした目的は何なのでしょうか。それはやはり、自分たちの殻を破りたいってことだったのでしょうか。

オリヴァー:いい作品っていうのが必ずしも心地いい場所から生まれるわけじゃないってことに気づいたんだよね。ロンドンでももちろん作業自体はできるんだけど、やっぱりそこから一度出てみたかったんだ。

ジェイミー:そうだね。ただ、いろいろなところでレコーディングしても自分たちの仕上げのルーティンっていうのはあって、それはロンドンに持って帰ってやったんだよね。だから作る場所は自由にしたんだけれど、じつは完成させる環境はロンドンだったんだ。

あと今回のアルバムに特徴として、サンプリングが印象的に使われていますよね。“オン・ホールド”のホール&オーツとか意外だったんですけど、サンプリングが今回ザ・エックス・エックスの音楽にどのようにフィットしたのだと思いますか?

オリヴァー:これは僕の考えだけど、僕とロミーは歌っていう「声」を持っているように、サンプルっていうのはある意味ジェイミーにとっての「声」なんじゃないかなって思うんだ。たとえば“リップス”って曲ではジェイミーの作っていたサンプルがきっかけでソングライティングが始まっていったんだ。そこからストーリーが始まって、僕とロミーで膨らませていったんだ。だから、そんな風に曲作りのきっかけにすらなる「声」をジェイミーは持ってるんだよ。

ジェイミー:(恥ずかしそうに)まだ大した「声」ではないよ……。

(一同笑)

ジェイミー:でも僕にとってはサンプルを使うのは自然なことなんだ。エレクトロニック・ミュージックをはじめて聴いたのも、たとえばDJシャドウみたいなサンプリング・ミュージックだったから。そういうのを聴きながらプロダクションを覚えていったから、そうするのが当たり前っていうか。ただ、たしかにサンプリングで言葉を使うことはいままであまりしてこなかったから、そこはいままでとは違うところだよね。それがフックになっているところはあるね。だからそれが僕の「声」だっていう風に言ってもらえるのはすごく嬉しいことだけど、まだまだだよ。

じつはさっきロミーにもサンプリングについて訊いたんですけど、彼女もサンプリングがすごく重要だったと話していましたよ。それにしても、ホール&オーツっていうチョイスはいままでのザ・エックス・エックスのイメージからすると驚きですが、これはどうしてでしょう。

ジェイミー:いや、僕らも驚いたんだよ。ホール&オーツに関しては「こんなのあるけどやってみる?」なんて言ってはじめはふざけてやったことなんだよ。まさかハマると思わなかったんだけどハマったんだよね。じつは僕はサンプルを入れる前の状態でいいんじゃないかと思ってたんだけど、オリヴァーとロミーが何か足りないねって言ってて。

オリヴァー:うん、ジェイミーは小さな声だって言うけど、実際はそんなことないんだよね。もはやジェイミーのサンプルが“オン・ホールド”のサビになったんだよ。

ジェイミー:いやあ……(恥ずかしそうに笑う)、やっぱり歌がメインだからね。

(笑)僕もあの曲はすごくサンプルがカッコいいと思いますよ。

オリヴァー:あの曲のサンプルがないヴァージョンはもう想像できないよね。

ただ、ジェイミーはレコード買いまくってると思うんですけど、普段から「これをサンプルのネタにしてやろう」なんて考えてしまうほうなのでしょうか?

ジェイミー:いや、最近は純粋に聴くためのレコードを買うようになったね。前はディスコとかハウスとかをサンプル用やDJ用に買ってたんだけど、最近はロンドンに家を構えたから居間にきちんと座って曲を聴くってことができるようになったんだ。だからいまは何でも買ってるね。

野田:ちなみに今回の来日で渋谷のレコード屋にはもう行ってるんですか?

ジェイミー:明日、一日じゅうかな……。

野田:はははは。関係ない話なんだけど、イギリスの知り合いが日本に来ると、渋谷に行ってレコードが安いってビックリしてたくさん買って行くんですよ。

ジェイミー:うん。最初来たときは東京はレコード高いって思ったんだけど、最近は値段もイーブンになってきたね。東京にしかないレコードがあるから、最近はそれを探しに行くのが楽しみだね。

僕がちょっと怖いなと思うのは、物価が高くなってしまったことで若いクリエイティヴなひとたちが中心部にはもう住めないことだね。どんどん外へ追い出されてしまう状況で。ダイヴァーシティなんて謳っているけれど、実際にそこに住むという能力がなければ入ってこられない街になってしまっていて。(ジェイミー)

ジェイミーのソロもですけど、『アイ・シー・ユー』は“オン・ホールド”や“アイ・デア・ユー”みたいなダンス・ミュージック、とくにハウスやディスコ的な高揚感が味わえる曲が印象的で、こうした感覚はいままでのザ・エックス・エックスにはあまりなかったものだと思うんですよ。オーディエンスやリスナーとの一体感があるというか……以前はもっとフラジャイルで密室的だったのではないかと。

ジェイミー:たしかにその辺りの曲はパーティでも楽しめるようなサウンドだよね。ただ、アルバムを通して聴くとものすごくローなところもあって、僕はその幅がアルバムのよさだと思ってるんだ。

オリヴァー:僕が思うのは……『コエグジスト』はきみが言うようにファースト以上にフラジャイルなサウンドで、すごく音数も少なかったんだよね。ただそのツアーがすごく長かったから、続けているうちにサウンドを変えて演奏してみようってことになって、どんどんダンサブルなセットに変わっていったんだ。で、そのことが僕らに影響を与えたんじゃないかと思う。要するに、すごくハウスで、ダンサブルで、エネルギーに満ちている。同じ曲がどんどん変わっていたことで自分たちが受けた印象っていうのが、今回のアルバムには反映されているんじゃないかな。

なるほど。いまの話も含めて、さっき「ザ・エックス・エックスらしさ」という言葉も出ましたが、それもきっと変わってきていると思うんですよね。いまザ・エックス・エックスのアイデンティティとは何かを訊かれたら、どのように定義しますか?

オリヴァー:いままさに、そのアイデンティティというものを忘れようとしている段階だと思う。『コエグジスト』のときはアイデンティティにすごくこだわっていたんだ。ファースト(『ザ・エックス・エックス』)のときはオーディエンスのことは想定していなかったから何をやっても間違いにはならないし、制約も一切なかった。それに対して『コエグジスト』のときはみんなが何を求めているかを意識したし、自分たちにオーディエンスがいるんだっていうことがすごく頭にあったせいで、ある意味ではいろいろなことを排除してしまったんだよね。それで「これがザ・エックス・エックスなんだ」っていうところだけを残した。で、その経験を通過することで、今回そういったこだわりを取っぱらっんだ。いまの僕らだったら、無理をしなくたって僕らの音にちゃんとなるんだって。それは僕らのDNAのなかにちゃんと入っているから、「何が自分たちにふさわしいか?」なんてことは忘れてしまって……だからこそホール&オーツのサンプルを取り入れるようなこともできた。『コエグジスト』のときにあれが出てきたらダメだって言ってたと思うんだよね。だから「らしさ」にこだわらなくなったのがいまの僕らだね。

なるほど、それはすごく納得する話ですね。

野田:あと訊きたいのは、2016年はブレクジットやトランプの勝利など政治的な不安定さが露呈した一年だったと思うんですけど、そういった時代の暗い空気はあなたたちの音楽に影響を与えることはあるのでしょうか。

ジェイミー:僕らの音楽にその状況が反映されているってことはないと思う。でも、僕らの気持ちには当然影響を与えるよね……望まないことがたくさん起きてしまったから。ただ、イングランドでは若い世代がこういう状況だからこそ立ち上がって主張することが大事だと気がついて、行動し始めてるんだよ。それはすごくいいことだと思う。ただ、それも含めて、そういった状況と僕たちの音楽は分けて考えてるんだ。僕たちの音楽は純然たる楽しみであってほしいし、そういった状況もすべて忘れられるのが音楽だと思って作っているから。

野田:なるほど。ではたとえば、ひとりのリスナーとしてケンドリック・ラマーやビヨンセのような音楽を通して社会を表現するようなアーティストの作品はどのように思いますか?

オリヴァー:そうだね。さっきジェイミーが言ったことが作り手の姿勢だとすれば、聴く側としては彼らのことは僕はすごく尊敬するよ。政治的なことを扱ってそれを良い形で表現している例だと思うからね。

野田:たとえばジェイミーはアリシア・キーズのアルバムに参加していますよね。

ジェイミー:ひとつ前のやつだよね。

野田:ええ、彼女の新しいアルバムは好きですか?

ジェイミー:うん、ロンドンで観たよ。ルーツに帰った感じで、すごく良かったよ。

野田:さっきいろいろな都市で録音するなかでもロンドンが心地いいって話をしてましたよね。それはロンドン出身というところもあると思うんですけど、それは文化的な側面でもそんな風に感じますか?

オリヴァー:ロンドンもどんどん変わっていくんだよね。じつは『コエグジスト』のツアーがすごく長かったから、終わったときにロンドンじゃないところに住もうかなと思ったりもしたんだけど。今回あちこちでレコーディングして、何だかんだで2年ぐらいロンドンを離れていると、ほんと観光客だらけになってたんだよね。

野田:ああー。

オリヴァー:ただ音楽的にすごくおもしろい街であることには変わりはないけど……ただ、その変化の速さについていくのが大変だと思うときはあるかな。

ジェイミー:僕がちょっと怖いなと思うのは、物価が高くなってしまったことで若いクリエイティヴなひとたちが中心部にはもう住めないことだね。どんどん外へ追い出されてしまう状況で。ダイヴァーシティなんて謳っているけれど、実際にそこに住むという能力がなければ入ってこられない街になってしまっていて。お金持ちしかいないっていうのは街として絶対におもしろくないと僕は思うから。まあ僕なんかは家族がロンドンにいるからそこに住まわせてもらえるからまだ楽だけれど、そうじゃないひとたちにはつまらない状況になりつつあるんじゃないかなという気はしているね。

野田:なるほどね。では最後に、ザ・エックス・エックスとは直接関係ない質問ではあるんですけれども。UKっていうのはそれこそビートルズからオアシスまで、すごく偉大な音楽を生んでいると思うんですけど、ただ、ここ最近は労働者階級のバンドが出てこないという話を聞きます。あるいは音楽リスナーが階級的に分断されているということも聞くのですが、実際のところ、あなたたちから見てもそんな風に感じるところはありますか?

ジェイミー:ロンドンと他の街をいっしょには考えられないかもしれないけれど、たとえばグライムなんかはワーキング・クラスの音楽だと思うし、それがすごく盛り上がってはいるよね。ただバンドってことになると……バンドそのものが盛り上がってないんじゃないかな。

野田:ははは。

ジェイミー:バンド自体が出てきてなくて、エレクトロニック系やソロ・アーティストだから、そういうことなんじゃないかな。ロンドン自体がそういう状況だから、グループとして活動しているひとたちがそんなにいないよね……まあ、僕らがいるか(笑)。

(第一部了/ロミーのインタヴューへ続く

Children Of Alice - ele-king

 サイケデリックで、メロディアスで、実験的でもあったバーミンガムのロック・バンド、ブロードキャスト。そのヴォーカリストであったトリッシュ・キーナンの逝去から、明日で丸6年が経つ。このタイミングで、彼女のかつての相方であったジェイムス・カーギルが新しいプロジェクトを始動、デビュー・アルバムをリリースすることがアナウンスされた。
 新しいバンドの名は「チルドレン・オブ・アリス」で、トリッシュ・キーナンが好んだ小説『不思議の国のアリス』およびジョナサン・ミラーによる同名の映画作品から採られており、彼女へのオマージュとなっている。メンバーはジェイムス・カーギルの他に、同じく元ブロードキャストのロジ・スティーヴンスと、ブロードキャストのラスト・アルバムに参加していたデザイナーのザ・フォーカス・グループことジュリアン・ハウス。
 セルフ・タイトルのアルバムは2月24日にリリースされる。

artist: Children Of Alice
title: Children Of Alice
label: Warp
release date: 2017/02/24

[Tracklist]
01. The Harbinger Of Spring
02. Rite Of The Maypole — An Unruly Process
03. Invocation Of A Midsummer Reverie
04. The Liminal Space

https://warp.net/releases/children-of-alice-children-of-alice/

この世界の片隅に - ele-king

昨日の世界と普通

 『この世界の片隅に』は、広島を、原爆を描かないがためにつくりあげられた物語だった。
 原作者であるこうの史代はその理由を以下のように述べている。「戦争を描くには、空襲や食糧難などで、いつ自分が死ぬかわからないヒヤヒヤした状態、死と隣り合わせの日常を体感できるような街じゃないといけないので、戦災があった街であれば、広島以外のどこでもいいと思って、いろいろ構想を練っていたんですけれど、あるとき、呉にしたらいいんじゃないのかなと」(福間良明ら編『複数の「ヒロシマ」』2012年)。
 私たちがこの映画と対峙するとき、日づけが更新されるたびに「8月6日」へと進んでいくことを否応なく意識してしまう。しかし、作品内の登場人物たちはそのことを「知らない」。そしてその日はあっけなく訪れる。あまりに「普通」に続く日常の中、確かに「死と隣り合わせ」の瞬間に度々遭遇するが、この作品自体のハイライトが「8月6日」に置かれていないのは明白である。こうのが原作で描いたように、「きのこ雲」はまるで積乱雲、「かなとこ雲」のように表現されている。
 映画『この世界の片隅に』は絵画を趣味にもつ「普通」の主人公、浦野(北条)すずを中心に、戦時下の市井の暮らしを描いた作品である。戦中戦後の呉の姿を映し出す本作は、声高な「反戦」を唱えるものではなく、むしろ人々の日常描写に重点が置かれる。当初63の公開館数からスタートしながら快進撃を続け、2017年の1月には観客動員は75万人を突破した。

 私は広島駅から呉線に乗りつぎ、呉の街でこの映画を見た。
 呉駅から徒歩15分程度、呉で唯一の映画館であるポポロシアターは、ありし日の吉祥寺バウスシアターに似た雰囲気を持っていた。この映画館は古いショッピングセンターの最上階に位置し、この日も10時の開店と同時に多くの人々が詰めかけ、捥り(もぎり)を待つ列は階段の方まで続いた。その時は10時20分の回のみだった『この世界の片隅に』は、ほぼ満員に近い入りで、「シアター 1」の中では朝食代わりだろうホットドッグとポップコーンの香りが充満していた。
 終演後、呉の街を散策した。登り切ると海に開けるあの坂を往復し、境川のうえに幾重にもつらなる橋を何度も歩いていたら疲れてしまって、駅近くの喫茶店で珈琲を注文して、しばらく帰りの電車を待つことにした。するとマスターに話しかけられた。
 「お客さん、どこから来たん?」
 「いまは東京なんですけど、18のときまでは広島でした」
 「そうなん、ええねぇ、ここらへんももう若い人はみな、出てくばっかりじゃけぇ」
 すずは、19歳になる直前に、路面電車と国鉄を乗り継ぎ、江波からここ呉へ嫁いできた。しばらくののち、初恋の人らしき水原晢が重巡洋艦「青葉」より「入湯上陸」し、すずの嫁ぎ先である北条家を訪れたとき、晢から次のような言葉を残される。
 「普通じゃのう、おまえはほんまに普通じゃ」
 「この世界でずっと、おまえは普通で、まともでおってくれ」
 「笑うてわしを思い出してくれ、それができんなら忘れてくれ」
 晢は貧乏な家で育ち、兄が溺死してしまったがゆえに「普通」に海軍兵学校へ志願した。
 しかし、全て当たり前な選択を重ねた上でいま、「普通」とはかけ離れた状況にいる。飯を炊き、風呂を沸かす「普通」のすずに、晢が思いを託していることを観客は容易に理解する。
 この映画全編を通して、すずの日常と思いを象る「普通」が徹底される。それは、こうの史代による漫画原作を映画化するにあたってより強調された点であり、追加されたふたつのセリフからも明らかである。
 ひとつめは、すずと夫の北条周作が、畑のある丘から戦艦「大和」を見下ろすシーン。すずは「大和」を見るや否や興奮気味に、つぎの言葉を発する(直後に坂から落下する)。
 「2700人も! あんなところでそんなに毎日ごはんつくっとるん? 洗濯も……」
 原作にこのセリフはない。周作に「東洋一の軍港で生まれた世界一の軍艦」と評される「大和」にすずは、確かに驚きの表情を見せるが、なぜその見栄え、大きさなどに圧倒されたのかについて理由は明示されない。映画では先のセリフ、すなわち普通の暮らしが、「東洋一の軍港で生まれた世界一の軍艦」にまで引き延ばされていることを、すずの共感によって示している。
 ふたつめは、米軍機の撒いた「伝単」(宣伝ビラ)を、すずが揉んで落とし紙にしようとする場面である。すずの夫である周作は、「伝単」をとっておくとまた憲兵さんに怒られるのではないかとすずに問いかける。すずは、
 「なんでも使うて暮らしつづけるんが、うちらのたたかいですけん」
と返す。印象に残るシーンだが、実はこのセリフも映画化にあたって追加されている。原作では「無駄がない」という言葉が当てられているだけだが、映画では「たたかい」であるとすずに明言させる。戦時下における暮らしこそがすずにとっての「たたかい」であり、それはこのシーンに連なる、女性たちのみで8月15日の「玉音放送」を聞く場面(「そんなん覚悟の上じゃないんかね」「最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね」「いまここへ五人もおるのに」「まだ左手も両足も残っとるのに」)への布石となっている。

 そもそも『この世界の片隅に』というタイトルは、1965年に山代巴の編んだ『この世界の片隅で』(岩波書店)にちなんでいる。原作者であるこうのの別作品、『夕凪の街 桜の国』は、大田洋子の二編の小説(『桜の国』(1940年)『夕凪の街と人と』(1955年))にその名を重ねていた。漫画『夕凪の街 桜の国』と大田によるそれは、同じ広島市中心部に戦後30年ほどにわたり存在したバラック住居群、相生通りを主題にしているものの、まったく別個のものとして描かれている。
 『この世界の片隅で』は文沢隆一による「相生通り」をはじめに、編著者の言葉を借りれば戦後広島に生きる「棄民政策の作り出した花」のひとつひとつを描き出すルポルタージュ集である。けれども、こうのの『この世界の片隅に』はこの著作とも内容上のつながりを持っていない。広島に残る被差別部落を生きる人々の「片隅」での「闘い」、様々な被爆者のあいだで培われてきた「闘い」の芽をもって、山代巴はこの本を「この世界の片隅で」と名づけた。ここに「普通」という補助線を引けば、時代設定はもちろんのこと、その主体、「闘い/たたかい」の性質、そもそもの「普通」への距離のいずれの点においても、両作品を同じ位相に位置付けるのは不可能に近い。
 しかし「普通」それ自体が定義しがたいように、日々の「闘い/たたかい」にそれぞれ優劣をつけることもまた困難である。すずが暮らしたその日々が、単なる平穏な日常でないことは自明だ。それでもすずが、「普通」であることを「たたかおう」としたという(あくまでも「虚構」の世界の中の)事実は、確固たるものとして存在する。
 すずの青春期にほぼあてはまる「戦争」の時間が、単なる加害/被害の二項対立で整理できるものではない、ということについては広く議論がなされてきた。もちろんそれは、実際に戦地へ出向く男性、(周作の言葉を借りれば)「男のいない家」を守る女性のどちらかが加害者であり、もしくは被害者である、という話でもない。思想史家の藤原辰史による数々の仕事が明らかにしてきたように、意図の有無を問わず、加害者性と被害者性は、市井の暮らしの「普通」から侵入をはかる。加害と被害はともに、決して単数では存在しえない。
 無数の空襲が、日本のみで行われてきたものではないこと。すずが感じたように「よそもの」として扱われた人々が、他に多勢存在していることを、私たちは知っている。だからと言って、すずがそれでも求めた「普通」を論駁しうる言葉を私は知らない。記憶は無数にうかび、ひとつの記憶がその全てを包括することなど不可能である。一面的な正しさ、もしくはただひとつのみの歴史は、容易に「暴力」へと変貌する(曇天の中を浮かぶ米軍機に向け、すずがつぶやいた言葉を引けば、「そんとな暴力に屈するもんかいね」)。繰り返すがそれが虚構であることは承知のうえで、すずの「普通」に捧げた記憶が存在しうることを、否定はできないのだ。

 その一方で、確かにこの作品自体とそれを取り巻く言葉に危うさが感じられなくもない。ひとつにそれは、アーカイブ調査へのやや過度に見える信頼である。緻密な時代考証と街の風景、軍艦の描きこみや機銃掃射の「リアル」な音への恐怖感など、細部にわたる描写のきめ細やかさは確かにこの映画の魅力だ。この点に関し、監督の片渕須直は『ユリイカ』(2016年11月号)のインタビューで、ある意味で「無垢」な印象を吐露している。少々長いが以下にて引用する。
 「ただ同時に『この世界の片隅に』の巻末に参考文献がありますけど、いろんなアーカイブや資料も参照されていますよね。それが大事だと思っているんです。やっぱり僕らは直接戦争を体験していないから[……]もちろん『戦争中って本当はこうだったんだよ』という体験者のオーラル・ヒストリーも大事なんですけど、それは結局そのひとのイメージや記憶の世界ですよね。そうじゃなくてもっと客観的にその時代をとらえ直すには、たとえばその当時に撮られた写真であるとか、当時その日に書かれた日記であるとかが重要になってきます。[……]日記には戦後にいろんな知識が入ってきて記憶が改まってしまう前の言葉が綴られている。それから当時出ていた雑誌の記事とか新聞とか公文書とか、そういうものから七◯年ちょっと前の世界というのを読み取って構成できるようになりたいと思ったんです。このやり方は戦時中を体験したひとがいなくなったとしても有効なままでしょうから[……]」
 ここで抜け落ちているのは、その歴史資料を見つめる側の視点である。確かに記憶や証言はうつろいゆくものであるが、かといって資料を眺めるひとの視座がいつの時代も固定されているとは限らない。さらに資料の変化とともにそれを収蔵するアーカイブ自体も変遷するものであり、そもそも書かれたもの全てが「正しい」わけではない。原作の巻末(上巻・中巻)にこうのが記す「間違えていたら教えてください いまのうちに」という文言はだから、ひとえにその言葉通りの意味と自負の念を表すものである一方、揺らぎももつ。1作目の『仁義なき戦い』のように、人が死ぬ場面はワン・カットで捉えきれるものではないのと同じく、ただ単に歴史的に正統な人々の生も、認識しきれるものではないだろう。
 細部をどれほど描き切れているかは、こうした類の映画の価値を決めうる重要な要素である。けれどもそればかりが魅力というわけでもない。とりわけ映画がフィクションの世界と観客の現実のはざまにある「第四の壁」を超えるように感じさせるのは、日常生活にちりばめられたユーモアに出くわすときだ。たとえば、すずがヤミへ買い物に行くシーンで、高騰する砂糖の価格に驚愕したすずは、以下のような感想を抱く。
 「いまにお砂糖が百五十円くらいになって」
 「キャラメルやなんか百円でも買えんくなって」
 「靴下だって三足買うたら千円になる時代が来やせんかね」
 「そんな国で生きてけるんかね」
 ポポロシアターに幾度もこだました笑いの源、その観客こそが「そんな国」で「生きて」いる。だから笑える。「普通」であることにしがみつくすずの姿は、歴史のフォルダに押し込まれるものではなくて、不意にいまの「普通」に重なる瞬間を見せる。ここに多くの観客がひきこまれる。「普通」に笑えているいまこの瞬間に、それが正しいものか否か、本当にかつてそこにあったものかどうかは、後景に退いていく。
 むやみに厭世気分を惹起するのではなく、無垢のまますずの姿を肯定することとも遠く離れて、『この世界の片隅に』には現代にまで通じる「普通」を問いかけるものがある。それはきっと、片手に握られたユーモアによってこそ、対峙しうるものにちがいない。


予告編


Sherwood & Pinch - ele-king

 多くのDJ/プロデューサーから一目置かれる存在であり続けているUKダブの首領・エイドリアン・シャーウッド。ベース・ミュージック、ロック、テクノなどさまざまな分野で根強いファンを持つ彼が、ダブステップの旗手・ピンチと組んだのは2年前のこと。2月24日に新作『Man Vs. Sofa』のリリースを控えるかれらが、その直前に来日公演をおこなうことが決定した。グライムやダンスホールなど、ベース・シーンが多様な盛り上がりを見せているいまだからこそ、かれらの「重たさ」を確認しておく必要があるだろう。2月8日は渋谷のSOUND MUSEUM VISIONまで足を運ぶべし!

エイドリアン・シャーウッドとピンチによるスペシャル・ユニット
ヘビー級のニューアルバム『マン vs ソファー』リリース直前に
3年振り待望の来日決定!

先日開催された『冨田勲 特別追悼公演』に招かれ、冨田勲氏の代表作「惑星 Planets」のLive Dub MIXを披露するなど、UKダブの巨匠として音楽史に多大な影響を及ぼし、今もなお第一線で活躍している伝説的プロデューサー、エイドリアン・シャーウッドと、ブリストル・ダブステップの頭目として、ベース・ミュージックの進化において、欠かすことのできない存在感を放つピンチによるスペシャル・コラボ・プロジェクト、シャーウッド&ピンチが、2年ぶりの最新アルバム『Man Vs. Sofa』のリリース直前に、待望の来日決定! 2017年2月8日(水)に開催される、VICE初の定額制動画サービス「VICE PLUS」ローンチ・パーティに、ビズ・マーキー、ザ・グラインドマザーらとともに出演する。

VICE PLUS LAUNCH PARTY

日時:
2017年2月8日(水)20時~27時(午前3時)予定

会場:
SOUND MUSEUM VISION(渋谷)

料金:
前売¥3,500
当日¥4,500
イープラス / iFLYER / clubberia

出演:
SHERWOOD & PINCH [LIVE]
BIZ MARKIE [DJ & LIVE]
THE GRINDMOTHER [LIVE]
THE BLACKOUTS [DJ]
JOHN STANIER [DJ]
and more!

主催:
VICE MEDIA JAPAN

イベントページ:
https://jp.vice.com/lifestyle/viceplus-party

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シャーウッド&ピンチの最新アルバム『Man Vs. Sofa』は2017年2月24日(金)世界同時リリース! 国内盤にはボーナストラック“Bullshit Detector”が追加収録され、解説書が封入される。現在、先行シングル「Retribution」が配信中。iTunesでアルバムを予約すると、公開された“Retribution”がいちはやくダウンロードできる。

Sherwood & Pinch - Retribution
SoundCloud: https://bit.ly/2gUSM14

artist: SHERWOOD & PINCH ― シャーウッド&ピンチ
title: Man Vs. Sofa ― マン VS. ソファー
release date: 2017/02/24 FRI ON SALE
cat no.: BRC-539

FKA Twigs × Oneohtrix Point Never - ele-king

 去る1月11日、FKAツイッグスが新曲“Trust In Me”を公開した。同曲はNikeのキャンペーンのためのクリップ「do you believe in more?」にてフィーチャーされており、FKAツイッグスはそのヴィデオの監督も務めている。
 『FACT』によれば、この“Trust In Me”はダニエル・ロパティン(とジョセフ・ウィリアムズ)との共作だそうで、たしかに昨年ツイッグスとOPNは互いにコラボをほのめかす動画をインスタグラムに投稿していたけれど、これがそのトラックなのだろうか? まだ他にもふたりのコラボしたトラックがあるのか、もしかしてアルバムまで一緒に作っているのか……どんどん妄想が膨らみますが、とりあえずは続報を待ちましょう。


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