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〈ホステス〉といえば、〈ドミノ〉〈XL〉〈4AD〉、あるいは〈マタドール〉や〈カーパーク〉、あるいは〈アクシデンタル〉......といった欧米の人気インディ・レーベルの作品を日本に紹介している会社で、インディ・ミュージックのリスナーなら1年のうちに何枚かは〈ホステス〉のCDを手にしているはず(昨年でいえば、ボン・イヴェール、レディオヘッド、アークティック・モンキーズ、あるいはSbtrkt、ゾンビー、ハーバート、タイラー・ザ・クリエイター......キリがない......)。その〈ホステス〉が自ら主催するイヴェントが「Hostess Club Weekender」です。ele-kingとは1990年代から長い付き合いの、実はクラブ系出身の会社なのでこんな名前にしているかな。
その第一回目がもうすぐ開催される。ロンドンのザ・ホラーズ、マンチェスターのウー・ライフ、カナダのオーウェン・パレット、ベテランのスピリチュアライズド、そして今日のUSインディを代表するアトラス・サウンド、チルウェイヴ代表のトロ・イ・モア、そし目下ele-kingが注目している新人、ユース・ラグーンやパフューム・ジニアスなど豪華なメンツ。私たちも行くつもりです。チケット残りわずからしいっすよ。
■Hostess Club Weekender
日時: 2012/2/18(土) & 19(日)
OPEN 13:00/START 14:00
会場: 恵比寿ガーデンホール
出演:
2/18 - THE HORRORS / OWEN PALLETT / WU LYF / ZULU WINTER / YOUTH LAGOON
2/19 - SPIRITUALIZED / ATLAS SOUND / TORO Y MOI / ANNA CALVI / PERFUME GENIUS
前売り券
1日券: 各日 7,900yen(税込/1ドリンク別)
→ チケットボード、各プレイガイドにて絶賛販売中!
2日通し券 ※完売: 13,900yen(税込/各日1ドリンク別)
→ 1月21日(土)の朝10時から、チケットボードにて100枚限定追加発売決定!
公式サイト: www.ynos.tv/hostessclub
Zola Jesus Conatus Pヴァイン |
エミール・ゾラは19世紀末のパリを生きた作家で、日本でも『居酒屋』や『ナナ』といった小説で広く知られる。下層階級出身の美しい娼婦ナナがブルジョワ階級を破滅してきたさまを描いた『ナナ』という物語に、ゾラ・ジーザスがどのような共感を抱いているのかまでは話してもらえなかったが、噂に聞こえる彼女の博学、そして理知的な側面はかいま見れたかもしれない。彼女の場合は一風変わった生い立ち、そして飛び級で進学したほどの才女ぶりが、黒く濃いアイラインの音楽よりも語られがちで、作品よりも存在のほうが目立ってしまっている。
それでもゾラ・ジーザスは、2010年のセカンド・アルバム『ストリドラム ll(Stridulum ll)』とLAヴァインパイアとの共作「LA Vampires & Zola Jesus」が欧米ではすこぶる評判となって、まあ、彼女の望まないトレンドかもしれないが、スージー&ザ・バンシーズからリディア・ランチ、そしてコクトー・ツインズといった暗黒世界の女の系譜、つまり最近で言えばコールド・ケイヴやグライムスに代表される"ダークウェイヴ"の盛り上がりのなかで、それはさらにまた広まった。昨年リリースされた3枚目のアルバム『コナトゥス』は、Discogsを見ても多くの人の2011年のベスト・アルバムのリストに挙げている。
『コナトゥス』をウィッチ・ハウスのカテゴリーに入れたくなる人もいるかもしれない。恐怖を誘発するかわりに、アルバムにはダンス・ミュージックが多分に含まれている。彼女の鍛えられた声は音程を滑らかに駆け上がり、そして感情的なうねりを走らせる。切なさは際だち、力のこもったバラードは夜にとけ込む。残念ながら「なぜ"ヒキコモリ"という曲を作り、歌ったのか」については答えてくれなかったけれど、22歳の売れっ子は、なかなか面白い話をしてくれた。
音楽は社会に対して神経質な、傷つきやすいような人の観点から作られていると思うの。みんな苦しんでる。経済的にも、社会的にも、感情的にも。人の大きな流れのたったひとりという現実、違う方向に自分を推し進めようとしている大きな「社会」という力に、どう対抗していいのか悩んでる。
■100エーカー以上の森のなかで育っていうのは本当なんですか? 1990年代のアメリカだというのにTVもインターネットもない場所で暮らしていたというのがまず興味深い話ですよね。
ゾラ:田舎で育ったことで、自分の想像力や、実際興味を持ったものに対して、より時間をかけて追求することができたと思っている。
■ソローの『森の生活』のような感じですか?
ゾラ:(笑)。そこまでじゃないわ。もう少しモダンで文明化していたよ。
■7歳でオペラ・トレーニングをはじめたといいますが、どういう経緯であなたがオペラを歌うことになったんですか?
ゾラ:どういう経緯かははっきり覚えてないの。でも歌うことが大好きで、オペラというものはその欲求をいちばん自然に、そして率直に満たしてくれるようなものだと感じたんだと思う。
■しかし、そんなあなたはどうやってニューヨークの〈Sacred Bones Records〉から作品を出すことになるのでしょうか? あなた自身はどうやってポップ・ミュージックやインディ・ミュージックのシーンと出会うのですか?
ゾラ:音楽はずっと好きだったわ。作るのも、聴くのも。新しい音を探すのも大好きだったし、つねに好奇心旺盛だったと思う。自分の音楽を発表するようになってから〈Sacred Bones Records〉が私を見つけてくれた感じだったわ。
■あなたが自分で音楽制作に向かう際に、あなたを勇気づけた音楽があったら教えてください。たとえばスージー&ザ・バンシーズとかコクトー・ツインズは聴きましたか?
ゾラ:他の音楽からインスピレーションを得ることはないわ。すごく制限されている感じがするの。自分は心のなかから湧き出るものをベースに音楽を作っている。他のアーティストにインスピレーションを求めると、自分独自の声を妥協している気がするの。
■エミール・ゾラのどんなところが好きなんですか?
ゾラ:リアルに対しての彼の熱心なところ。とても素直な人で、世界をありのままの姿で見つめるのを怖がらなかった人ね。
■やはり作品的には好きなのは『ナナ』でしょうか? だとしたらあの物語のどんなところに惹かれますか?
ゾラ:彼の本でいちばん最初に読んだものね!
■ほかに文学作品であなたに大きな影響を与えたものは何でしょうか?
ゾラ:フィリップ・K・ディック、ジョルジュ・バタイユ、太宰治、アンナ・カヴァン。
■名前になぜジーザスを名乗ったのでしょうか? 神聖なモノへの冒涜のような趣も含まれているのでしょうか?
ゾラ:たんに名前の響きを気に入ったの。ジーザスという言葉に新たな角度を持たせられるかな、と。みんなジーザスという名に恐怖心を持ちすぎていて、もっと気軽に使える名にしたかったという意味もあるかな。
■最初のアルバム『The Spoils』はどのように作られたのですか?
ゾラ:自分のベッドで、安い、低質な機材を使って、たくさんの好奇心を合わせて4トラックで作ったわ。
■あなたをゴシックというタームで形容する人がいますが、あなた自身としてはそれを受け入れられますか?
ゾラ:この言葉は何かやすっぽいと思う。自分はその言葉は建築を指すこと以外使わないわ。
■実際、あなたの初期の作品の主題には厭世的な暗闇の世界、"Devil Take You"のような、ある種の暗黒世界のようなものを感じるのですが、いかがでしょうか? あなたのゴシック趣味はどこから来ているのでしょうか?
ゾラ:個人的に人生のなかでも辛い時期で、『The Spoils』を一種のカタルシス(浄化)として利用した部分があるの。いろんなことを乗り越えるために役立ったわ。
[[SplitPage]]ダブステップはまぁまぁ。正直あまり聴いてきてないかな。でもエレクトロニック・ミュージックは大好き。IDMやブレイクコアやミニマル・テクノはね。初期のクラッシックなエレクトロニック・ミュージックも。
Zola Jesus Conatus Pヴァイン |
■デカダンスに惹かれますか?
ゾラ:チョコレートであれば......。
■LAヴァンパイアズのアマンダといっしょにコラボレーションしていますが、それはどういう経緯で生まれたプロジェクトだったんですか?
ゾラ:良き友人で、いつか一緒に何かやりたいよねって話してたの!
■〈ノット・ノット・ファン〉やアマンダがやっていることのどういうところに共感を持てますか?
ゾラ:〈ノット・ノット・ファン〉には憧れるし、尊敬している。大好きよ。
■『コナトゥス(Conatus)』は、初期のローファイなサウンドからだいぶ変化したように思います。シンセサイザーとループ、そしてパーカッションが前面に出ていますね。時おり挿入されるストリングスも効果的ですよね。今回の音楽的な方向性はどのようにして決まったのでしょうか?
ゾラ:ソングライター、ミュージシャン、プロデューサーとしても成長してきたと思うし、新たに自分が何できるかを常に挑戦している感じだから、自分にとっては自然な進化だったと思う。
■メンバーもみんな若いと聞きましたが、どうして集まったのですか?
ゾラ:ストリングスとは一緒にやりたいと思っていたから、アルバムの共同プロデューサーが良いヴァイオリンとチェロ奏者を見つけてくれたの。
■ダブステップからの影響はありますか? ジェームズ・ブレイクとか、ブリアルとか? たとえば"Vessel"みたいな曲はビートが強調されてますよね。
ゾラ:ダブステップはまぁまぁ。正直あまり聴いてきてないかな。でもエレクトロニック・ミュージックは大好き。IDMやブレイクコアやミニマル・テクノはね。初期のクラッシックなエレクトロニック・ミュージックも。
■"Ixode"や"Seekir"は4/4ビートのダンス・ミュージックですよね。とくに"Seekir"はアップリフティングな曲ですが、あなたはクラブ・カルチャーに関してどのように考えているのでしょうか?
ゾラ:クラブ・カルチャーは好きじゃないわ。でもダンス・ミュージックは好き。全身で感じれるところがとくにね。独特の高揚感があるのもね。
■"In Your Nature"はドラマティックな曲ですが、何を主題にしているんですか?
ゾラ:何をやったとしても、自分自身の核、本当の自分は変えられない、ということかな。
■"Skin"はバラードというか、ピアノの伴奏とあなたの歌によるとても美しい曲のひとつですね。同じようにこの曲の主題についてお願いします。
ゾラ:"Skin"は疎外感とかについて。このアルバムを作っているときに、ロサンゼルスでの生活に慣れようとしていて、密度の濃い街で孤独感や疎外感をよく感じていたからね。
■"Collapse"もタイトルからして気になるのですが、何が"崩壊"していると感じているんですか?
ゾラ:んー、はっきりわからないけど......ギヴ・アップするか、このまま行くか、がかな。
■『Conatus』というタイトルは何を意味しているのでしょうか? どうしてこの言葉をタイトルにしたのですか?
ゾラ:自分がすごく頑張って働いてたし、まじめにより良いものを作ろう、前進しようとしていたから、"Conatus(意欲/自存性)"という言葉はまさにそれを表現してくれていたと思ったから、付けたの。
■あなたの音楽は社会の動きとどのように関係がありますか? それとも社会や政治とはまったく無関係でいたいというものでしょうか?
ゾラ:音楽は社会に対して神経質な、傷つきやすいような人の観点から作られていると思うの。みんな苦しんでる。経済的にも、社会的にも、感情的にも。人の大きな流れのたったひとりという現実、違う方向に自分を推し進めようとしている大きな「社会」という力に、どう対抗していいのか悩んでる。
■あなたの音楽から聴こえる悲しみにはそうした背景があるのですね。
ゾラ:でも根底ではみんな一緒なの。私はひとりの人間だし、あなたもひとりの人間。ひとりの人間としてあることをどう受け入れるかに加えて、社会という大きなものの小さないち部であることもどう考えればいいのか。でも、ただ生きてるだけで多くの責任があって、それが精神的に我々にどういう影響を与えているにもっと目を向けるべきなんじゃないかな、とも思うわ。
■なるほど。いま誰かの曲をカヴァーするとしたら、何を歌いたいですか?
ゾラ:言えないわ、実はもうそれに向けていま頑張ってるから!
■最後にあなたから見た日本ってどういう風に見えますか?
ゾラ:日本は大、大大好き! 早く行ける日を楽しみにしているわ。長年の夢なの。
わりと最近、リアーナの『トーク・ザット・トーク』の1曲目に収録された"ユー・ダ・ワン"のPVが話題になった。映像のなかでリアーナが自慰行為をしているからである。例によって賛否両論を呼んだ。セクシャンな表現をそれなりに理解している人からもマドンナには到底及ばないようなことをするなという厳しい声があがった。ビヨンセと違ってバルバトス島出身のこの女性は、何かと非難の対象になる。リアーナは、アリ・アップがもっとも支持していたR&Bシンガーのひとりである。決して行儀が良いとは言えないけど、私がやりたかったことすべてをやっているとまでアリアップは言った。リアーナやR・ケリーのような大衆的な過剰さを屈託なく楽しみ、愛せるところがアリ・アップらしい。ポスト・パンクにおいてザ・スリッツが抜きん出ていたところも、男女同権主義や多文化主義というよりも、結局のところアンチ・エリートなその包容力、狭量な世間に反する寛容さにあったと言える。彼女は、ロンドンのパンク・ロックにおける男女関係が、フリーセックスでもじめじめした手に負えないものではなく、こざっぱりとした友情関係得にあったことを主張するひとりでもある。
2007年10月、ザ・スリッツとして来日したとき、アリ・アップはエイドリアン・シャーウッドといっしょにニュー・エイジ・ステッパーズの新作にも着手していることを話してくれたが、周知の通り、2010年10月、彼女は乳ガンによって他界した。ゆえに本作『ラヴ・フォーエヴァー』はプロジェクトにとって28年ぶりのピカピカの新作であり、そして最後の作品でもある。なんにせよ、僕のようなファンにとっては、今月もし1枚だけ選ぶとしたらこれしかない、そう言い切れるほどのアルバムである。
いくぶん感傷的なタイトルの付けられた本作は、スキップ・マクドナルドやスタイル・スコット(ともにダブ・シンジケート)、ゲットー・プリースト、ニック・コプロウといったシャーウッド率いる〈ON-U〉の仲間たちともに、ダンスホールの多様なリズムからドラムンベースのアーメン・ビート、ヒップホップ、そしてもちろんレゲエと......まあ、アリ・アップらしいと言えばらしいハイブリッドな音楽を展開しているわけだが、予想以上にいろいろやっている。とくに驚いたのはアダムスキーの参加で(彼はレイヴ時代にチャートを賑わせたポップスターで、落ちぶれてからマーク・スチュワートのバックとして来日もしている)、1曲、テクノまでやっている。
ニュー・エイジ・ステッパーズは最初のアルバムこそダブの実験を――レゲエ純粋主義者が苛つくほど――試みているが、それ以降のセカンドとサードに関して言えばルーツ・レゲエのカヴァー集となっている。当時は僕のように、ジュニア・バイルス、ビム・シャーマン、ホレス・アンディなどといった名前を、それらの作品を介して知ったリスナーは少なくない。
とはいえ、『ラヴ・フォーエヴァー』は、ファースト・アルバムに立ち返ったような作品である。復帰後のソロ・アルバム『ドレッド・モア・ダン・ドレッド』(2005)、ザ・スリッツの『トラップド・アニマル』(2009)、オーストラリアのダブ・バンド、ダブブレスタンダートとの『リターン・フロム・ダブ・プラネット』(2009)、ヴィック・ルジェーロとの『レア・シングルズ』(2011)などなど、この5年のいずれの作品よりも『ラヴ・フォーエヴァー』には予定調和を揺るがすところがある。新しいことをやってやろうという前向きさがあるし、ポール・クックの娘(復活後のザ・スリッツのメンバーでもあった)のソロ・アルバムが伝統的なレゲエを守っている作品だったのに対して、こちらはレゲエを拡張する作品である。シャーウッドもここぞとばかりにフリーキーなミキシングを楽しんでいる。結局死ぬまでキングストンのサウドシステム文化を深く愛したアリ・アップだが、しかしその音楽がレゲエの型(コピー)に終始することはなかったのである。
ちなみに"ラヴ・フォーエヴァー"は、ルーツ・シンガーの故ビム・シャーマンの1970年代の曲。ニュー・エイジ・ステッパーズは他にも数曲シャーマンのカヴァーをしているが、この曲はファースト・アルバムのB面の3曲目に収録されている。そのときドラムを叩いたのはブルース・スミス(ポップ・グループ/ザ・スリッツ~リップ・リグ&パニック、PIL、そしてビョークの最初のソロ)、ベースがジョージ・オバン(アズワドほか)、ピアノがスティーヴ・バレスフォード(ザ・49アメリカンズ~フライング・リザーズほか)。その演奏は1980年10月に録音されている。
マイク・ケリーの屍体が2月1日、ロサンジェルスの彼の自宅で発見された。享年57歳、自殺だという話だ。
マイク・ケリーは、どこか不吉で、そして不快なインスタレーションで知られる現代美術のアーティストとして、あるいはパンク・ロックの青写真となったデストロイ・オール・モンスターズ(伝説のロック評論家、レスター・バングスのお気に入り)のオリジナル・メンバーとして知られている。
1960年代のデトロイトの大学生によって生まれたデストロイ・オール・モンスターズ――バンド名はゴジラの英語版タイトルに因んでいる――は、ことマイク・ケリーが1976年にミシガン大学を卒業してロサンジェルスに引っ越すまでのあいだは、MC5/ザ・ストゥージズの同胞であると同時に、ヤマタカ・アイ、そして中原昌也における先達とも言える存在だった。彼の名前をより多くの人に広めたのはソニック・ユースの『ダーティ』(1992)のアートワークだが、1994年にサーストン・ムーアの〈エクスタティック・ピース!〉からリリースされたCD3枚組のボックスは、マイク・ケリー在籍時のこのバンドがポップ(大衆文化)とノイズ(前衛)を挑発的に、そしていち早く結合させていることを証明している。
マイク・ケリーは、自身のことを「下層階級のアナーキスト」と定義している。以下、『ガーディアン』からの孫引き。「若かった頃、私がアーティストになった理由は、落伍者になることを望んだからである。もし君が自分自身を社会から徹底的に追放したかったら、アーティストになりたまえ」
1976年、ロサンジェルスに移ってからのマイク・ケリーは美術学校でローリー・アンダーソンの同級生だった。長いあいだ不当な評価にあったが、1990年代なかば以降、とくにゼロ年代は、作家としては充分に売れっ子だったと記憶している。ほんの数年前は、中原昌也をロサンジェルスに呼んでライヴをしている。そういえば、年末に渋谷のタワーレコードの最上階で、宇川直宏といっしょにデストロイ・オール・モンスターズのアート集を買ったなー。(野田 努)
R.I.P. Mike Kelley (October 27, 1954 - January 31, 2012 or February 1, 2012)
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MADTEO
Bugler Gold Pt. 1
(Hinge Finger / 12inch)
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CUT COPY
Sun God
(Modular / 12inch)
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COS/MES / RONNY & RENZO
Naruto Ronny & Renzo Takotsubo Take Ten / Taboo
(King Kungfoo / 10inch+7inch)
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V.A.
Derive Vol.3
(Derive / 12inch)
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GIORGIO MORODER
E=Mc2
(MB Disco / 2x12inch)
»COMMENT GET MUSIC
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TR ONE
Drum Dance
(Apartment Records / 12inch)
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N.O.I.A / GAZ NEVADA
BAND AID / Stranger In A Strange Land
(Italian Records / 12inch)
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V.A
Altering Illusions
(5 Years Of Echospace) (Echospace / 4LP)
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6人のメンバーがステージにぞろぞろと登場するなり、僕は目の前の光景に頭がクラクラしてしまった。そのほとんどが長髪と髭をたくわえ、シャツにジーンズ、高めの位置に抱えられたギター......いまは何年だ? 2012年だ......。まるで、見たことのない60年代のアメリカを幻視するようだ。
フロントのロビン・ペックノールドがやや遠慮がちにギターを弾きはじめると、ゆっくりとコーラスがそこに重なっていく。"ザ・プレインズ/ビター・ダンサー"からはじまったその日のライヴは、ひとつひとつの音が細部まで張り巡らされた精緻なアンサンブルが最後まで貫かれるストイックなものだった。ライヴという言葉から連想されるような開放感よりも、宗教儀式のような厳かさすら感じられる。そして、ああ、これは紛れもなく「人びとの歌」だと僕は思う。
人びとの歌――昔ながらのフォーク・ミュージックのスタイルを借りて匿名的にコーラスを奏でてきたフリート・フォクシーズの歌は、リーマン・ショック以降のアメリカに公共性を思い出させるように響いてきた。彼らのあり方は、特定の顔が存在しないウォール街のデモともどこかで繋がっているはずである。ただ、フリート・フォクシーズが放ったのはシュプレヒコールではなく完璧なコーラス――ハーモニーだった。潔癖なその歌は、コーラスに参加する人間に狂いのない音程を要求する厳格さでもって、理想的なコミュニティを体現したのだ。
そんな彼らがセカンド・アルバムで見せた変化は、音楽的なものよりも歌詞の視点をより個人の内面に掘り下げたことだった。だからそこにはコミュニティに属する個人の内省が「調和」と拮抗する危うさが内包されていたのだが、そのような展開は極めて自然なことだったろうと思う。フリート・フォクシーズは才能あるソングライターのロビン・ペックノールドのバンドとも言えて、彼がエゴを前面に出す欲望を抱えていてもおかしくはない。ライヴという場でも、バランスを崩すことなくその調和を体現することができるのか――が僕のその日の主な関心だったのだが、それは早々に解決することとなった。コミュニティという言葉ですらしっくりこない、それはひとつの「集落」の音楽だった。さまざまな人びとが共に生きていくために、知恵と思いやりを寄せ集めるような。
弦が最大で4本にもなるアンサンブルは厚く、そして何より高い演奏力に支えられている。EPから"ミコノス"、セカンドから"バッテリー・キンジー"と続くが、ギター・ハーモニーとコーラスがどちらも等しく息を呑むような繊細さで奏でられ、ぴんと張り詰めた空気を作り上げる。メロディは牧歌的でも曲の成り立ちとその再現のされ方が非常にコントロールされていて、会場から緊張感が消えることはない。曲間では歓声も上がるが、すぐに固唾を呑むような静けさに支配される。途中でアメリカ人の観客が我慢できずに「何でこんなに静かなんだよ?」と声を上げていたが、この日に限ってはそれも悪くなかった。オーディエンスである僕たちも、神聖な儀式に参加しているような気分になってくる。
とは言え、中盤「I was following/I was following/I was following...」と輪唱される"ホワイト・ウィンター・ヒムナル"から、間髪入れずに"ラギッド・ウッド"でフォーク・ロックが疾走すると、そのダイナミックな転換にようやく会場に温かい熱が広がっていく。同じくデビュー作からの"ヒー・ダズント・ノウ・ホワイ"も素晴らしく息の合った演奏で、「僕にできることは何もない」のリフレインに天から降り注ぐようなコーラスが折り重なる。休符が完璧に守られたブレイクと掛け合うロビンの強い歌声。それは倒錯ではなく、その「何もできない」という地点からこそ何かを始めようとする決意のように響く。ライヴであらためて気づかされたことだが、ロビンの歌唱力も非常に高く、音のアタック部分で完璧な音程を叩き出してみせる。譜面の指示をすべて正確に守るような厳格な演奏だからこそもたらされる音楽的な快感が、次第に身体にまで響くようになってくる。終盤のハイライトは間違いなく"ザ・シュライン/アン・アーギュメント"で、マルチ・プレイヤーのモーガン・ヘンダーソンがカオティックにバス・クラリネットを鳴らし、サイケデリックにアンサンブルを歪ませた。
アンコールでロビンはソロ・ナンバー"アイ・レット・ユー"でごく個人的な傷心を歌いもした。そう、そんな個人の表現も彼には可能なのである。だがバンドでは頑ななまでに個を通さず、自分の内面すらポリフォニックなものにしてしまう。直接は政治的な表現を取らずとも、これほど社会性を感じさせるアメリカのバンドは現在フリート・フォクシーズを置いて他に存在しないのではないか。ピアノとギターが追いかけ合う"ブルー・リッジ・マウンテン"で歌われる「愛」は、最小の社会である家族に捧げられる。「愛してる、ああ、僕の兄さん」
最後のナンバーはこのツアーのテーマ・ソングだと言えるだろう"ヘルプレスネス・ブルーズ"、すなわち"無力なブルーズ"であった。ジャカジャカとアコギが賑やかに演奏される力強いこの曲で、ロビンは――いや、彼らは個人がより大きな何かに自分を捧げることについて歌う。「その後しばし考える時間を持った僕は/いまではむしろ/何らかの精緻な装置を支える丸太の一本でありたいと思っている/自分を超えた存在に仕えたい」。その上で、あらめて自分の無力感を噛み締めるのだ。「でも僕にはわからない/それが何なのか!」――その叫びは、ツアーの最後の地となった日本でこそ説得力を持って響いたことだろう。だから、続けて「いつか近い将来、答えを出すから待っていてくれ」と歌われるアメリカにおける「人びとの歌」は、そのときたしかにそこにいる「我々の歌」として共有されたように感じられた。......錯覚だろうか? いや、少なくとも、厳格なハーモニーがその地点まで辿り着いた道のりを分け合ったその日の夜、そこに集った人間の胸はいくらか熱くなったはずだ。「僕はいつか答を出す、自分の力で」――その想いと響き合ったに違いない。
「カーネーション、コカイン、クンビア。1980年代から1990年にかけてコロンビアの経済を活気づけた3つの輸入品のうち、いちばんなじみが薄いのはおそらくクンビアだろう」、スー・スチュワードの有名な『サルサ』(1999)にはそう書かれているが、いまとなってはコカインに次いで有名なのがクンビアではないだろうか。クンビアのユニークなところは、アフリカとヨーロッパがアンデス山脈から流れるマグダレナ川に沿って混ざり合い、港町のバランキヤに集結した点にある。港から北に進めばキューバだ。キューバ人にとってバランキヤは奴隷の子孫(アフリカ系コロンビア人)が集まった「外国とは思えない」町であり、ゆえにその町のダンス音楽がキューバ音楽と類似するのは当然だった。
クンビアを特徴づけるのは、アコーディオンとアフロ・パーカッションである。キューバ音楽よりもシンプルな構成であるがゆえ、ヨーロッパの民俗音楽のアコーディオンの官能的な旋律とアフリカ大陸から奴隷を通じて伝播した豊かなビートとの結合が際だって聴こえ、このクレオール文化の魅力がよりわかりやすく見える。僕はラテン音楽に関しては素人だが、この音楽に魅了されない人が信じられないほど、ひと言で言えば大好きなジャンルである。
CDにして2枚組、LPにして3枚組のこのクンビアのコンピレーション・アルバムは、UKの〈トゥルー・ソーツ〉からの作品で知られるクァンティックことウィル・ホランドがコロンビアに滞在した4年間で集めたコレクションの成果である。そして、全55曲が音楽の宝石だ。サブタイルには「The History Of Colombian Cumbia & Porro As Told By The Phonograph」(レコードが語るクンビアとポロの歴史)とあるが、クァンティックは、78回転の音源から45回転の音源まで、博物学を好む英国人らしくコロンビアのレコード産業を懸命に掘ったのだろう。ちなみにポロとは、クンビアのサブジャンル。『オリジナル・サウンド・オブ・クンビア』には、曲によってはレゲエっぽいものもソカっぽいものもある。そのエクレクティックな様相も、カリブ海に面したコロンビアの北の音楽の特徴である。
3.11以降の日本では、こんなときに音楽なんて......などという声が多くあった。その他方では、3.11以降の嘆き/悲しみと絡めて音楽を聴くことがあたかもリスナーの誠実さの表れのような風潮がある。その気持ちもわからなくもないし、日本政府や東電を許すわけではないが、マルクス派のゲリラと政府が絶えず内戦を繰り広げていたコロンビアにおいてレコード産業は、たとえば「音楽どころではない」精神状態によって撃沈していったかと言えば、とんでもない。それは「動乱の時期にも安定した存在」(前掲同)だった。ハードな日常のなかで、むしろコロンビアの音楽シーンは活気づいて、色めいていたのである。『オリジナル・サウンド・オブ・クンビア』はそれを知らしめる。ああ、そういえばディスコの青写真もナチスに占拠されたパリで生まれたんだっけ。
そもそもホンダ・シビックを運転しながらアメリカ大陸の道路を走り、車内で録音された音楽がどんなものなのか、興味深い。それがどのように録音されたのか、知りたい。ともかく2010年から2011年のあいだ車内で録音されたグレアム・ラムキンによる『アマチュア・ダブルス』は、音楽に夢を見る人のための音楽として実に美しい作品となった。それは車の窓を閉め切って道路を飛ばしているときのノイズがやすらかに口ずさんでいるようだ。
そういえば、それがリリースされてからだいぶ時間が経ってから本気で好きになれたアルバムのひとつにエイフェックス・ツインの『セレクティッド・アンビエント・ワークスvol.ll』(1994)がある。あの抽象性と独特の音響効果は、面白いとは思えても『vol.l』やポリンゴン・ウィンドウ名義の作品と比較して、当時は、再生回数は少なかった。ところがいま聴くと、再発すべきは『vol.ll』だったのではないかと思えてくる。『vol.l』と『vol.ll』との違いは、その抽象性にある。かつてアブストラクトと呼ばれた音楽は音数の少ないインストのヒップホップだっが、今日抽象的な音楽と言えば、多くの場合、アナログ/デジタル機材を用いたアンビエント、ドローン、フィールド・レコーディング、ミュージック・コンクレート、インプロヴィゼーション、ミニマルなどの混合で、それらはコンテンポラリーの手前でとどまっている。
ラムキンはティム・ヘッカーのようにハードコアなアンビエント・リスナーを引き寄せ、他方ではアヴァンギャルド/コンテンポラリーの文脈でも熱狂的な支持を得ているようだ。イギリスのケント出身の彼は1998年からニューヨークを拠点にして、彼の評判の良いカタログを増やしている。イギリス時代にはザ・シャドウ・リングという前衛ロック・バンドのギタリストとして活躍して、ニューヨークのノー・ネック・ブルース・バンドとも繋がりを持っている(まあ、今日におけるレコメン系と言える)。バンド解散後は旧式のオープンリールなどを用いて抽象的で、魅力的な抽象音楽を展開している(ポエトリー・リーディングもしている)。2008年の『ザ・ブレッドウィナー』(2008)におけるフィールド・レコーディングやミュージック・コクレートはザ・KLFの『チルアウト』におけるサンプリング・コーラジュや『vol.ll』における抽象性をさらに深く追求した音楽としても聴ける。木のきしむ音、音の間、静寂......電子のポップ文化に戯れる我々にとってアプローチしがたいものではない。
さて、自身のレーベル〈Kye〉からリリースされた『アマチュア・ダブルス』は、透明なヴァイナルのA面に1曲、B面に1曲が収録されている(この構成でありながらCDリリースがないところも良い)。それぞれの曲は、フランスにおける異端の電子音楽家、Philippe BesombesによるPole名義の1975年のアンビエント/サイケデリック作品、同じくフランスのPhilippe Grancherによるピアノとシンセサイザーを活かした同年のアンビエント作品『3000 Miles Away』をサンプリングしている。その2枚のCDは、ゲイトフォールドのジャケを開くと見える写真のなかの、車のフロントパネルの上に無造作に置かれている。
『アマチュア・ダブルス』では、声、メロディ、電子音、そしてゴォォォォォ、心地よいノイズ、控えめだが多彩なノイズ、鐘の音、アナログ機材の温かい音......それらがどこか遠くで鳴っている。郷愁という意味ではない。ラムキンは彼のホンダ・シビックの後ろの座席に我々を座らせて、そしてハンドルを握りながら、つまみをいじっているようだ。ジョン・ケージはインプロヴィゼーションにおいて、ブラック・ジャズの文脈とは別の角度から、演奏しないことが演奏になる(すなわちすでにそこには音がある)ということを見せ、その後の音楽に巨大な影響を与えたが、同じようなコンセプトが路上で生まれたこのアルバムにもある。後半(つまりB面)では、汚れた風の音がクラスターのもっとも美しい瞬間に合流する。discogsによればラムキンはピンク・フロイドの"星空のドライヴ"をカヴァーしているそうで、ドライヴしている感覚が好きなのかもしれないが、これは"星空のドライヴ"でも"アウトバーン"でもない。
ナダ・サーフは青春。彼らを見るたびに、呟いてしまう。40代前半だというのに......。
1月24日、ニューヨーク出身のナダ・サーフ(Nada Surf)のホーム・カミング・ショーだった。この日は彼らのニュー・アルバム『The Stars Are Indifferent To Sstronomy』(星は天文学に無関心)の発売だった。「このアルバムは、プラックティス・ルームにいるような感覚で、新しい曲のエネルギーを持ってレコーディングした。やり過ぎたかなと思ったけど、あえてそのままにしてみた」と、ヴォーカル&ギターのマシューは言っている。曲名もまた、希望と未来を感じさせる。"若かった頃(When I was Young)""(まっらな目と曇った心(Clear eye clouded mind)""10代の夢(Teenage dreams)""未来(The future)"......楽曲もみんなポジティブである。
ポップとロックンロールをこよなく愛する3人から生み出される、ラッシュなビート、コード、美しく、ナイーヴな旋律。そして胸がキュンとなる甘いヴォーカル、ハーモニー。「10代の夢に遅すぎることはない(it's never too late for teenage dreams)」と歌うマシューは本当に10代のようにみえる。この言葉は、ナダ・サーフのすべてのレコードに共通する彼らの声明である。7枚目のこのアルバムで、彼らの経歴は20年目に突入する。
バンドはこのアルバムを、ウィリアムス・バーグでレコーディングしていた。マシューは、私の家の近所に住んでいて、「いま、レコーディングをちょっと抜けてきたんだ」と言いつつ、よくカフェに現れ、ディナーをとって、赤ワインを飲み、最後にスイーツをテイクアウトして行く常連さんだった。音楽の話題になると話が止まらなくなった。仲間のパーティにも参加してくれた。気軽に話せる気の良いお兄さんである。
このアルバムのレコーディングが終わって、彼はロンドンに引っ越し、あっという間に半年だった。彼の性格上、頻繁にコンタクトを取る人ではないので、彼らの近況はわからなかったが、何カ月か前に「ナダ・サーフが新しいアルバムをリリース。ツアー決定!」のニュースを知った。そして1週間ほど前に「来週からニューヨークに行くよ。ライヴに遊びにきて!」という彼からのメッセージがきた。見逃すことはできない。お祝いだ。
ニュー・アルバムのアートワークの素敵なペインティングは、彼の友だちで、アーティストのグラハム・パークスが担当している。シルク・スクリーンのポスターについては、モンスター・アイランド(RIP)の住人だったカイ・ロックが10年も担当している。
ショーはソールドアウトだったが、この日のショーは、彼らのYoutubeチャンネルでストリームされている。たまたま同じ日にYoutubeを見ていた友だちは、そのことに驚いて、私に教えてくれた。
ライヴでは、リード・ギターにガイデッド・バイ・ヴォイシズのダグ・ジラードが参加した。ベースのダンとドラムのイラはネクタイ、マシューは黒のボタン・ダウン・シャツ。ふだんと同じスタイルである。ドラムは高いところにセッティングされていて、バスドラには黄色で「NADA SURF」を描かれている。
演奏はほとんどが新曲だった。レコードをリリースできたことに感謝、関わってくれた人への感謝、2012年が良い年になるようになどとMCが入る。古い曲を演奏すると、会場は一緒になって歌う。アンコールでは名曲"Always Love"を演奏。最後はニュー・アルバムからの曲"Looking Through"。観客はナダ・サーフという10代の夢を心から応援する。絵に描いたような、素晴らしいロック・コンサート。