「K A R Y Y N」と一致するもの

AHAU - ele-king

最近聴いていた音楽の中から

R.I.P. Prince - ele-king

松村正人

 とりとめない不快な夢で目をさまし寝つけなくなったので、やむなくたまった仕事を片づけようとパソコンをたちあげて飛びこんできた急逝の報。「歌手のプリンスさん、死す」一瞬で目がさめた。
 月曜のディランのコンサートの帰り、保坂さんと湯浅さんとはいった居酒屋で、ボブの身長はいかほどかという話から、ロック界いちののっぽはサーストン・ムーアだとして、ではもっとも低いのはだれかと議論になり、湯浅さんが86年の横浜でのコンサート終演後、その日の主役が六本木に流れると耳にはさみ、半信半疑まま、おしのびで行くと聞いたディスコにたどりつくと屈強なガードマンふたりに脇をかためられたプリンスがほんとうにいた。トイレですれちがったんだけど、俺とたいして変わらなかったんだよ、たぶんシークレットブーツ履いてさ、と平日夜の居酒屋で殿下が酒のサカナになった。そのとき彼が鬼籍にはいろうとはだれひとり想像していない。御年とって五七――といえば、2009年に歿した一歳下のマイケルより長らえたが、すくなくとも長命でない。2014年、ほぼ同時期にリリースした『アート・オフィシャル・エイジ』、サードアイガールとの『プレクトラムエレクトラム』、たてつづけに出した2作の『ヒット・アンド・ラン』で変わらぬソングライターとしての筆の冴えを見せていた矢先の訃報は青天の霹靂であり、書きはじめたいまも放心を禁じえない。お見苦しいところあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。なんといっても、私にとってプリンスは、「I Wanna Be Your Love」冒頭のイントロどころか、一音目のスネアの一発が鳴る前のスティックが裂く空気の振動で、この曲をはじめて聴いた生家の6畳の子ども部屋にトリップするほどのかけがえないミュージシャンのひとりなのである。あの溌剌としたギターのコードカッティング、鍵盤の和音の刻み、リズムには隙間があり、休符を縫ってプリンスは歌い出す。「I ain't got no money」ストーンズが「まったくこれっぽっちも満足できない」ように金がない。とはいえ、あなたの恋人にはなりたいし、なれるにちがない多幸感が音楽にみなぎり、きっちり3分におさめたポップ・ソングは、78年のファースト『フォー・ユー』では七分咲きだった才能の、この曲を収録した翌年のセルフ・タイトルなる2作目での開会宣言とでもいうべきもので、邦題を『愛のペガサス』といったこのアルバムについては、私はたしか、『空洞です』のころだったはずだが、ゆらゆら帝国の坂本さんにインタヴューしたとき、新作をつくるにあたって参照された作品はありますか、という愚にもつかない質問に、プリンスのセカンドを聴こうとしたんだけど、ジャケを見ると松村くんの顔を思い出しちゃってね、とかえされたほど思い出ぶかい。いや、そんなことをいえばすべての作品になにがしかの記憶がはりついている。『ダーティ・マインド』『Controversy(戦慄の貴公子)』『1999』『パープル・レイン』『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』『パレード』『サイン・オブ・ザ・タイムズ』――80年代のプリンスはロック~ポップスとソウル~R&B~ファンクの境界を軽々と跨ぎこす実験をくりかしながら、実験性をおくびもださないしなやかなポップだった。完璧だった。自動車業界から音楽へ、地場産業の看板を奪還したデトロイトのモータウンがブリティッシュ・インヴェイジョンとブラックミュージックを接近させ、ジミやスライが交配させ生み出した白黒混淆の音楽の奇妙な果実を、ミネアポリスのプリンスは引き継ぎ育てあげた。いま思えば、殿下の映画へのこだわりもおそらくベリー・ゴーディの映画産業への進出を意識したものであり、おなじように成功したとはいいがたかったが、音楽はたわわに実った。プリンスの音楽としかいいようのない特異性は、ギター、ベース、ドラムの演奏にも長けた彼一代かぎりのものだとしても、かつて「密室的な」と形容された音楽のつくり方を範とする者は今後もあとをたたない――というより、作家、歌手、演奏者としての完璧主義は音楽がひとりの手になる時代をさきかげてもいた。テクノロジーが音楽を進化させるとともにそのあり方を規定する逆説。『ブラック・アルバム』のブートレグ騒動もワーナーの副社長への就任とその後のゴタゴタ、たびかさなる改名も、さらには2000年代以降のインターネットへの敵対的な活動も、産業構造をふくむシステムとの不断の闘争の歴史であり、2010年代もなかばになって、プリンスは当面の結論を出したかにみえた。「人工的な」を意味する「アーティフィシャル」にひっかけたであろう『アート・オフィシャル・エイジ』はEDMがわが世の春を謳歌する時代を見越したサウンド・プロダクションだったが、いたずらな諦念や韜晦よりも、いまここでなにをすべきか、自身と時代との対話の末のつきぬけた肌ざわりがあった。ファンキーかつエモーショナルであるとともにエヴァーグリーンなメロディがあり、トラックの独創性はそれを支えた。エロスは往時ほどではないにせよスウィートだった。『Lovesexy』が座右の盤である私にとってそれらのぬきさしならぬ関係こそプリンスであり、あのアルバムのジャケットをひきのばした雑誌の付録ポスターを部屋に貼っていたときは、ふだん子どものやることにまるで口出ししない父親にも「なにかあったのか」と声をかけられたものだが、学生時代は、どうしても就職しなければならないなら、ニュー・パワー・ジェネレーションかザッパのマザーズかマイルスのバンドにしたいとわりと真剣に考えていたこともある。うちふたつは学生を終える前になくなってしまった。最後にのこったプリンスももはや地上にはいない。いま就職活動に血眼になっているみなさんには、親と音楽はいつまでもあると思わないほうがいいと忠言したい。殿下ものびのび音楽だけやっていれば命を縮めることもなかったかもしれない、という仮定がなりたたないのは百も承知だが、ペイズリー・パーク・スタジオで息をひきとったとの続報を知るにつけ胸が痛む。慰めとなるのは、おそらくプリンスは無数の未発表曲を残しているだろうということだ。もしかしたら、私たちの痛めた胸さえ踊らせる楽曲が陽の目をみるときを待っていないともかぎらない。
 亡き王子によるパヴァーヌはいまはじまったばかりだ。(了)

野田努

 今日ここにぼくたちが集まったのは
 人生なるものを過ごすため

 遺作となった2015年の『HITNRUN Phase Two』の1曲目“Baltimore”は、彼の当時の政治的主張が歌われ、現在の抗議運動として知られるblacklivesmatterへの共感も表現されている。ポップのスーパースターのサポートとしてはもっとも早かったのではないだろうか。

 1980年代初頭、プリンスがとくにデトロイトで人気があったことは有名な話だ。のちのテクノの主要人物たちに思想的な影響を与えたエレトリファイン・モジョと交流があったことも知られてる。その記憶は、やがてモデル500が“I Wanna Be Your Lover”をサンプリングすることで広く共有された。
 最初によく覚えているのは、実家の部屋にポスターが貼られたときだった。紫のビキニにコートにギターで決めているそれをレコード店でもらった弟が冗談で貼ったもので、ぼくたちは笑った。そんな具合なのだから、男性的な黒人社会でその外見がいかに過激なシロモノであったのかは容易が察しが付く。が、映画を見ればわかるように、プリンスは、ナイーヴでみみっちく、センチメンタルな思いを、壮麗で、さすまじい叙情詩にまで高めてオーディエンスを圧倒した。
 黒人文化における男の感性を解放/更新したスターが、やがては、公民権運動が生んだもっとも有名な組織、NAACPから表彰されたということはあまりにも美しい話である。ほぼ1年に1枚のペースで作品を出し続けながら、言わなければならない(正しい)ことを絶えず言い続けたということも、彼のずば抜けた才能以上に、あまりにもすごいことだ。
 80年代プリンスの代表作の1枚、『パレード』ばかりを聴いた時期があった。最後にトレイシーが死ぬアルバム、そう、その曲“Sometimes it snows in April(4月でも雪が降ることがある)”だけは、その後も能動的に聴き続けている。4月でも雪が降るがことがある──プリンスにはキラーなラインが多いけれど、これがぼくにとっては最高にキラーだ。

今では春になるとぼくはトレイシーの涙を思い出す
誰もトレイシーにように泣くことはできない

Under The Cherry Moon

三田格

 ファン・ボーイ・スリーのライヴをユーチューブで観ていたらバッキングはすべて女性だった。ドラムも。キーボードも。トロンボーンも。テリー・ホールだけがいわゆる白人の男で、あとは黒人と女しかいない。どうしてこのような編成になったのかはわからないけれど、1983年のロック・コンサートとしてはけっこう不思議な光景だったのではないだろうか(https://www.youtube.com/watch?v=HXQpuN45xTA)。ランナウェイズのように女だけか、フロントに女がひとりかふたりというのはそれほど珍しくはなかった。しかし、女性のミュージシャンが特別な位置ではなく、組織の一員をなしているという印象を与えたのはほかにトーキング・ヘッズかニュー・オーダー、あるいはアート・オブ・ノイズや初期のノイバウテンぐらいで、いずれにしろニューウェイヴが生み出した価値観だったのではないかと思う。ローリング・ストーンズが醸し出してきたようなホモ・ソーシャルな美学には、こういった発想が入り込む余地はなかった。

 その次の年にプリンス&ザ・レヴォリューションが全米のメジャー・チャートを席巻し始める。「レッツ・ゴー・クレイジー」のような激しい曲を演奏する彼らを見て「ギターが女かよ」と思わなかったキッズはいなかったのではないだろうか。ウェンディ&リサだけではない。シーラ・Eから最近のサード・アイ・ガールズに至るまでプリンスの周りには常に過剰なほど女性のミュージシャンがいて、プリンスがいつも女をはべらせているように感じていた人も多かったことだろう。しかし、テリー・ホールやプリンスは単純に女性の才能を認めることができた人だったのではないかと僕は思う。女性を活用すると宣言しながら、女性の閣僚が一向に増えない日本の内閣を見るだけで、それが実はどれだけ既存の組織には難しいことか、誰にだってすぐにわかることである(現カナダを除く)。

 こんなエピソードがある。プリンスのステージにキム・カーダシアン(現カニエ・ウエストの妻)が客席から上がった時のことである。上がっただけで何をするでもないカーダシアンを見てプリンスはすぐにも「ステージから消えろ!」と怒鳴りつける。アメリカを代表すると言えなくもない無能なタレントにそれこそ容赦なく、ダンスもできない女はうせろと、プリンスは言い放つのである。プリンスが認めるのは才能のある女性であって、女ならなんでもいいわけではなかった。そういうことではないだろうか。プリンスにはたくさんのエピソードがある。あのアリアナ・グランデでさえ、プリンスの勇ましさを無条件で称えている。しかし、僕にとって最も印象深いのはザ・レボリューションにウェンディ&リサを加えたことである。最も大事な時期に。ここが勝負だというタイミングで。

周回遅れの「雨にまつわる曲」


ブレイディみかこ
 

 数年前、エレキングで雨にまつわる曲を各ライターが選ぶという企画があった(確か梅雨のシーズンだったように思う)が、そのとき、わたしの頭に真っ先に浮かんだのはプリンスの「パープル・レイン」だった。が、わたしはあえてその曲のことは書かなかった。ベタすぎるからではない。そう気楽には書けない思い出があったからだ。

 二十代の頃、何年か同じ姓を名乗る間柄だったことのある男性に口説かれたときのBGMがそれだったし、もうその人との生活がそれ以上は続けられないことがわかって草履ばきで逃げた時にタクシーのラジオからどういうわけか同じ曲がかかってきて、どうして人生というやつはこんな風に悉くどこまでもクソなのかと思って窓の外を睨んでいたわたしの顔も土砂降りだった。

 その人とわたしは聴く音楽も着る服も、政治に対する考え方もまるで違っていた。が、恋愛というものは「相手のことを理解したい」という狂気に人を駆り立てるもので、相手の好きなアーティストを聴き始めたらいつしかこっちも好きになってた、なんてことがあるのもご愛嬌だが(……実はいまでも。去年前半のわたしの携帯のリングトーンは「FUNKNROLL」のイントロだった)、彼はわたしにプリンスを与え、わたしは彼にニック・ケイヴを与えた。と思う。

 プリンスは知的なミュージシャンだった。逆説的なトリッキーさも天然であるかのように振るまえた冷徹なまでの才人だったのだけれども、それでいてどこかおっとりと無防備なほどロマンティックで性的なところがあり、実は本人は自分のそういうところが一番好きだったろうと思う。
 こういうアーティストは、これもまた逆説的だが、セクシーなんて言葉とは対極に位置するストイックでひねた人種だと思われている英国人から愛されるのも事実で、そもそもプリンスが先にブレイクしたのは米国ではなく英国だった。プリンスの曲で男から口説かれた経験のある英国人を少なくとも3人は知っている(2人は女性で1人は男性だ)。

 タクシーの中でわたしの顔を土砂降りにさせた人がいま生きているのかどうかわたしは知らない。向こうだってそうだろう。そろそろリアルにそういうことを考える年齢になってきた。プリンスだって忽然といなくなってしまったのだから。
 (ところで「パープル・レイン」がすごい理由は、そんな効果音など入っていないのに、サーッと降る糸のように細い雨の音が聞こえるところだ。やはり数年前の「雨にまつわる曲」特集で素直にそう書くべきだった)

 プリンスという天才の音楽やその功績を分析する文章は無数に出て来るだろう。
 だけど本人は意外とこういう痴話ネタが一番聞きたかったんじゃないかと思って書いてみた(彼と誕生日をシェアしているという頼りない根拠をもって乱暴に推測している)。
 恋と音楽も。革命も。
 つまるところはユニティーだ。異質のものさえ結合させ、何ものにも閉ざされず、階層を横断するユナイトだ。
 ああだけど人は、なんてそれができないことだろう!
 わたしにとってのラヴ&ピースは、いつだってジョン・レノンではなくプリンスだった。



Some Day My Prince Will Come

岩佐浩樹

 1994年発表のアルバム『Come』の日本盤キャッチコピーに「プリンス、逝くーー」などと書いてあったのを見た自分は悪趣味なことをするもんだ(棺桶ベッドで寝る女優か)、と思ってそのアルバムは買わず、シングル曲”Letitgo”の12インチだけを何度も再生していた。ただし6曲入りのそのアナログ盤の中で一番好きだったのは”Letitgo ((-)Sherm Stick Edit)”というタイトルの、プリンスのヴォーカルすら入っていない、という訳の判らないトラックだった。

 それから15年。2009年にトレイ・ソングスがアルバム『Ready』の中で歌った”Yo Side of the Bed”はまんま”Purple Rain”だったのでこれはどういうことでしょう、と思っていたらこの2曲をメドレーにした2010年のBETアワードでのライヴ映像(しかも客席にはプリンスがいる)があった。ここでのトレイのパフォーマンスはお世辞にも素晴らしいとは言えないが、クライマックスで「Prince! I love you!」とシャウトした直後に自曲のサビで音程を外すトレイはまるで「だって好きなんだもん、好きなんだもん!」と駄々をこねてる子供のようでありました(一瞬カメラに抜かれたプリンスの横顔は、甥っ子の発表会をハラハラしながら見守る親戚のおばちゃんみたいな微妙なものでしたが)。

 フランク・オーシャンが「いまだに『安らかに眠れ』などと言う気にはならない。死よりも大きなものがそこにあるからだ。」という一文に始まる追悼文をタンブラーに投稿した。その中でフランクはこう綴っている。「彼が誇示した自由や、明らかに時代遅れな性規範など意に介さない様子が、それだけで自分と自分のセクシュアリティーをどう統一したらいいのか、という僕の気持ちを楽にしてくれた」と。そしてそのフランク・オーシャンを解放したプリンスが他の誰よりも不自由そうな佇まいであったことを思えば──やはり”R.I.P.”とは言えない。

 「プリンス、逝く」の一報を聴いた時に自分が真っ先に探したのはどこかに仕舞ってあるはずの『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のレコードで、聴きたいのは”Purple Rain”なんぞではなく"Raspberry Beret”、とレコード棚を引っ繰り返しても出てこないので泣きたい気持ちになり、でもよく考えたらベスト盤CD『The Hits/The B-Sides』をiTunesに入れてたわ、と気が付いて"Raspberry Beret”を聴き終わり、で油断していたら次の曲がTLCのカヴァーも秀逸だった“If I Was Your Girlfriend”で、それでも涙は出てこない。

 とにかくヘン(な声の)人だった、と思う他はない。この人の「変」の質はマイケル・ジャクソンのそれと大して違わない、と自分は思っているが、MJが自分の「変」を力技で「人類愛」や「世界平和」などで厚塗りに覆い隠そうとした(そのひび割れた箇所からどうしても漏れてしまうエピソードがいかにもタブロイド的に判りやすく面白いために「キング・オブ・ポップ」)、その果てに力尽きたのだとすれば、服を脱ごうが着ようが剥いても剥いても「変なもの」が出てきてしまうせいで、却って判りやすい箇条書きにして消費することができないプリンスが創ってしまった音楽には、未来の誰か(いつか王子様)がそこにまた新しく書き込むための余白が、果てしなく残されているはずだ。


Nothing Compares 2 U

小林 拓音


 好きな人が好きな人。ぼくにとってプリンスとは、そういう存在だった。

 プリンスが亡くなった日の夜、「究極のギフトとは、インスパイアすることである」とジェイミー・リデルは追悼の言葉を述べている。プリンスに刺戟されて音楽を作り始め、プリンスを模倣しながら、しかしどうやってもプリンスをコピーすることなどできないというまさにその葛藤にこそ自らのオリジナリティを見出していったジェイミー・リデルにとって、今回の訃報は青天の霹靂だっただろう。
 ぼくは彼ほど熱心なプリンスのリスナーではなかったけれど、それでもプリンスの死の知らせを聞いたときは全身に衝撃が走った。ボウイのときもそうだったが、スターの死というものは、その熱心なファンではない者にまで何がしかの感慨を抱かせるものだ。そういう意味で、プリンスもまた正真正銘のスターだった。

 先日、ファティマ・アル・カディリの2枚目のレヴューを書いたときに、一枚目の方も聴き直した。そのオープニング・トラックである "Shanzhai (For Shanzhai Biennial)" は、中国語による "Nothing Compares 2 U" のカヴァーである。初めてそのトラックを聴いたとき、なんて美しい旋律なのだろうとため息が出たことをいまでも覚えている。もちろん、それ以前にもプリンスの代表作とされるアルバムは聴いていたけれど、そのカヴァーを耳にして以来、ぼくにとってのプリンスの代表曲は "Nothing Compares 2 U" になった。 
 とはいえ、アル・カディリが実際に参照したのはおそらく、ザ・ファミリーによるオリジナルのトラックではなく、シネイド・オコナーによるカヴァー・ヴァージョンの方だろう。つまり "Shanzhai" はカヴァーのカヴァーということになるが、そもそもアル・カディリは、ヘレン・フォンによって中国語で歌われたこの "Nothing Compares 2 U" のアカペラ音源を受け取ったことがきっかけとなって、『エイジアティシュ』というアルバムを作り始めたのだそうだ。すなわち、プリンスがシネイド・オコナーを刺戟し、シネイド・オコナーがヘレン・フォンを刺戟し、ヘレン・フォンがファティマ・アル・カディリを刺戟したということである。要するに、プリンスがいなければアル・カディリのファースト・アルバムが生み出されることもなかったということだ。ここには確かに「インスパイアすること」の幸福な連鎖がある。

 これはほんの一例だけれども、そんなふうにプリンスは、誰かをインスパイアするという「究極のギフト」をたくさん残していった。「シャンツァイ(山寨)」とはいわゆる模造品のことだが、模造品はそれが模造品であるがゆえに、逆説的にオリジナルを際立たせることができる。直接的に影響を受けたジェイミー・リデルにせよ、間接的に影響を受けたアル・カディリにせよ、それら数多くの「模造品」の存在がかえってプリンスの類なさを証明しているのだ。つまり、「あなたと比べられるような人は誰もいない」と、そういうことである。

 好きな人が好きな人は、好きな人が好きであるがゆえにこそ、唯一無二の王子様だったのだ。

囚人服のケンドリック・ラマーに王冠を渡すべきだったのはプリンスなのかもしれない。

泉智

 ボルティモアの運動へのいち早い支持表明にしてもそうだけれど、それ以前、昨年2015年のグラミーのアルバム・オブ・ザ・イヤーの発表時に、プリンスは「アルバムはいまだ重要だ。本や黒人の命と同じように、アルバムもいまだ重要さ(Albums still matter, like books and black lives, albums still matter)」とコメントして歓声を浴びた。デジタル配信時代において忘れられがちなアルバムという単位…あるインタヴューでレコーディングにおいて一番大切なものは? と質問されて「プロット」と即答したというケンドリックは、まさにスキットや構成をふくむアルバムというそのクラシカルなユニットにこだわり続けてきた。ライムとビートによる3分間の快楽、それだけじゃとても伝えきれないものがあるのだ。ケンドリックは今年、『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』でかつてのマイケル・ジャクソンに次ぐ歴代2位、11部門にノミネートしてグラミー5冠を達成し、囚人服姿で壮絶なパフォーマンスをおこなった。

 その『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』に収録された“コンプレクション(ア・ズールー・ラヴ)”のコーラスは元々、プリンスが歌うはずだったんだそうだ。結局はスケジュールの都合でプリンス不在となってしまったその作品で、ケンドリックはついにベスト・ラップ・アルバムの王冠を戴くことになったのだけれど、もちろんここで重要なのは、アルバムの製作スタイルうんぬんの話ではなく、ポップ・ミュージックがアクチュアルな社会問題に対してどうリアクションするのか、ということだ。
 全米で吹き荒れるデモの熱気に水をさすような発言をしていたケンドリックは、しかしアルバムで誰よりも生々しくアフロ・アメリカンの現在地点をえぐりだし、“オールライト”の一節がデモで合唱されるチャントになったとか思えば、デモを組織するblacklivesmatterはドナルド・トランプに勢いよく中指を突き立てるとともに、ヒラリー・クリントンにも、バーニー・サンダースにさえ鋭い批判を向けている……。この状況は、素晴らしい才能を持つミュージシャンが、その音楽とは別にコンシャスな活動にコミットすべきか否か、なんて退屈きわまりない問題圏をはるかに超えている。それは、アートと政治を几帳面に切りわけるようなお行儀のいい態度をそろそろゴミ箱に放り込んでしまえ、という合図にもとれる。

 それでも、プリンスの“ボルティモア”は優しかった。そしてなにより愚直だった。去年の4月にボルティモアで黒人青年が殺されて抗議運動が発生するとプリンスはすぐさま現地で大規模なフリー・ライヴを敢行し、そのレイドバックした爽やかなギター・ナンバーをウェブで無料公開した。ファレル・ウィリアムスの“フリーダム”が詩としての普遍性をまとっていたのに比べれば、女性コーラスが終始「ボルティモア」と呼びかけ続け、マイケル・ブラウンやフレディ・グレイといった警官に殺された犠牲者の個人名が飛び出し、デモのコールっぽいリフレインまで登場するこの曲の愚直さはほんとに……不格好とさえいっていい。この不格好なまでの愚直な優しさだけが、あのときのボルティモアの怒りと哀しみを抱きしめることができた。優しさとは、恐れないことだ。なりふり構わずに誰かを抱きしめなければいけないとき、プリンスはそれを恐れない。“ボルティモア”は、プリンスの最後のアルバムの、最初の曲になった。偶然といえばそれまでだが、すくなくとも象徴的ではある。

 ボルティモアでのフリー・ライヴの1ヶ月後、プリンスはホワイトハウスに呼ばれてバラク・オバマの前で演奏している。そこで彼とオバマがどんな会話を交わしたのかは不明だけれど、今年のグラミーのすこし前、ケンドリックもオバマに会うためにホワイトハウスに乗りこんだ。面会後のケンドリックのステートメントは、アフロ・アメリカンの子どもたちにとってのシニア・メンターの重要性についてだった。年端もいかない子どもが、初めてドラッグを目の前にしたとき、震える指で銃を手にしたとき、孤独にさいなまれて自殺を考えたとき、ロクでもない男のせいで望まない妊娠をしたとき、みずからのセクシャリティについて悩みを抱えたとき。その瞬間、彼や彼女の脳裏にいったい誰の顔が、どんな言葉が浮かぶのか。その一瞬が子どもたちのその後の人生や、へたをすれば生死をわけてしまうこともある。ときにその誰かの顔や言葉というのはアーティストのものだったりする。それがポップ・スターという言葉の意味だ。

 いまじゃアメリカのキッズたちは実の親よりも政治家よりもラッパーやアーティストの言葉に真剣に耳を傾ける。もしかすると日本でもすでにそうなりつつあるのかもしれない。それはオピニオン・リーダーどうこうの話じゃなく、もっと切実で、パーソナルな次元でのことだ。プリンスのクィアネスに救われたフランク・オーシャンが、彼の死をうけてもレスト・イン・ピースと言えなかったのは、そういうことだ。今年のグラミーでケンドリックの名を読みあげたプレゼンターは、元N.W.A.のアイス・キューブとその息子オシェイ・ジャクソン・ジュニアだった。ギャングスタ・ラップの聖地コンプトンの若き王子としてのケンドリック、というのもたしかに重要ではあるけれど、もう一方で、もし現在プリンスから王冠を与えられるにふさわしいラッパーを1人選ぶとすれば、それがケンドリックであることも事実だ。それはなによりそのメッセージの愚直さと、そしてなにより音楽的な怪物性において。そのふたつの要素の共存は、プリンスの大きな音楽的源泉のひとつがPファンクであり、2パックとの対話で終わるケンドリックのアルバムの冒頭に、他でもないジョージ・クリントンが呼び出されていた事実と、とても無関係には思えない。すべて偶然じゃないのだ。

 個人的な追想を許してもらえば、俺のプリンスとの出会いは福岡の定時制高校に通っていた頃、シンナー中毒の友人にオリジナルのヒップホップ・ミックスを作ってもらったときのことで、2パックにエミネムにスヌープにナズ…まあそのあたりで占められたミックスのラストが、なぜか“パープル・レイン”だった。その頃の南の街ではマリファナさえなんとなくヒップなドラッグだったから、ハードコアな不良はだいたいローティーンの頃にシンナー漬けになっていた。シンナーは比喩ではなく文字通り脳みそを溶かしてしまうドラッグなので、一度それにハマるとハッパなんかじゃ全然トベない、バッドなときは黒い雨の降る幻覚がみえるんだぜ、と語っていた友人は、どうやらベロベロの状態で“パープル・レイン”を聴いていたようだ。ミネアポリス産のセクシーなパープルというよりは、南部ヒューストン産のコデインのパープルに近い。とくにリアル・タイムでその軌跡を追ってきたというわけじゃない世代、しかも日本の地方都市で生まれ育った人間にとっての、それがプリンスの原体験だ。そこにはプリンスのメッセージどころか、その音楽そのものさえ、ひどくゆがんでしか届いていなかったと思う。その感覚はもしかすると、東京で太平洋の向こう岸のラップを聴いているいまも、べつに大差ないのかもしれない。

 プリンスの訃報をうけて全米が紫色に染まる中、ボルティモアのシアターでは“パープル・レイン”の劇場版の特別緊急上映が決まったそうだ。俺に“パープル・レイン”を教えてくれた友人はその後かなり大変な状況になってしまって、長いこと音信不通だったけれど、2、3年前にひとづてにその生存報告を聞いた。疎遠になった昔の友達が生きていたことを知って感傷に浸るようなナイーヴさは自分の中にもう残ってはいなかったので、そうか、よかったな、ただそう思っただけだった。それでも、たまにプリンスの歌声を聴くときはいつも、有機溶剤のあの甘ったるい匂いを想い出す。それはきっと、“ボルティモア”でプリンスと出会ったボルティモアのローカルのキッズたちからすれば、怒りを感じてもしょうがない記憶のリンクだ。これからも世界中のいろんな場所で、いろんな世代のいろんな連中が、いろんなエピソードとともにプリンスと邂逅するだろう。それがポップ・スターという言葉の、もうひとつの意味だ。

 フランク・オーシャンとはまったくべつな理由で、というのも俺にとってプリンスはもともと雲の上にいるような存在でレスト・イン・ピースと呼びかけるのもなかなか実感が湧かないので、マイケルやボウイのときと同じく、しばらくは彼の遺した音楽を自分勝手に聴くことにする。あいかわらず甘く、けれど昔よりはいくらかクリアなはずの豊かなインスピレーションに圧倒されながら、サンキュー、とだけ言っておく。この先の未来のぶんもふくめて、めいっぱい。


メガネ - ele-king

 映画でアンニュイな女性像を観たのは『もう頬づえはつかない』(79)が最初だった。桃井かおり演じる人生に対してつねにいぶかしんで、これでもかと気だるげな女性像はそれまでのステロタイプだった若者のイメージを覆し、いまから思えばプレ・パンク的なムードを漂わせていた。芳村真理演じるタレント・マネージャーが「社会を動かせると思った」と口ばしる吉田喜重監督『血は渇いてる』(60)や加賀まりこがアゲ嬢のはしりを演じる中平康監督『月曜日のユカ』(64)など時代とともに積極的でアグレッシヴになっていった女性像が伊藤俊也監督『女囚701号さそり』(72)による梶芽衣子を最後に完全に方向転換してしまった瞬間とも言える。そして、80年代以後、脱力キャラはスタンダードな表現と化し、最近では安藤桃子監督『0.5ミリ』(14)によってけっこうな洗練が加えられていた。

 メガネもその系譜にいる。ごくごく日常的な題材が大半を占め、“夏バテ”では「暑〜い」「だる〜い」とまったく感情を波立たせることなく、たどたどしいラップがどこまでも続く。ミックスがそのように心掛けているからだろうけれど、言葉がすべてクリアにわかるのがよく、「気」が抜けているわりに「気持ち」はむしろ過剰なほど伝わってくる。押し付けてくるものがまったくなく、引くだけ引いているにもかかわらず、それこそ『もう頬づえはつかない』同様、主役が隠せば隠すほど感情が剥き出しになってくるかのような転倒も起こってくる。また、ミニマルに徹するのかと思えば気の抜けたラップはそのままにいきなり宇宙に思いを馳せたり、“優しさ”では人間論にも接近したりと、パースペクティヴが固定されていないのもいい。“生きる”ではタイトル通りの葛藤がそれと感じさせることなく述べられていく。

 プロデューサーの力量なんだろうか、驚くのはプロデューサーが13人も参加しているにもかかわらずトータル感がまったく損なわれていないことで、前半は穏やかに脱力感を増幅させつつ、Ryuei Kotogeによる“夏の終わり”ではダブとウエイトレスが交錯したような独特の展開がまずは耳を引く。7曲めとなるScibattlonの“お好み焼きはダンスホール”からは多方面に向かって実験的な様相を呈しはじめ、食品まつりによる“夜に溶ける”はノイジーなボディ・ミュージック仕立てで相変わらずセンスがいい。それ以外のプロデューサー名を羅列すると、Bestseller、Gnyonpix、Franz Snake、クラーク佐藤、Uncle Texx、石井タカアキラ、エスケー、Xem、Indus Bonze、Ucc3lli、フィーチャリングMCはMC Dovasa、ペリカン、MC松島、Dizと、全曲、じつによくできている。

 メガネは普段、名古屋のOLだそうで、脱力というのが感情労働の放棄だとしたら、Charisma.comは対照的にここ3年ほどあからさまな怒りと罵倒で注目を集めてきた東京のOLデュオ(映画の女性像でいえば吉田大八監督『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(07)やタナダユキ監督 『百万円と苦虫女』(08)からまっすぐに来た感じでしょうか)。正直、ワーナーに移籍してからはやや手が伸びなくなっていたところ、新作のジャケット・デザインがデビュー作『アイアイシンドローム』と同じ発想だったので、まあ、どれだけ煮詰まっているかを確認してみるかと。初めて“HATE”や「飾りじゃないのよ 中指は」といったウィットのある歌詞を聴いたときの驚きはもちろんあるわけはなく、こちらも刺激には麻痺しているので、どうしても新機軸を求めてしまいますけれど、罵倒と表裏一体をなしていた皮肉がそれだけで成り立つフォーマットを構築しきれていないので、やはりまとまった作品としては物足りなさが残る(同じ発想の繰り返しだけに、視線を逸らしているジャケット・デザインが『アイアイシンドローム』のように確信を持っていないことを曝け出しているともいえる)。メジャーに行かなければよかったのに……という結果だけは避けてほしいです。

GLOBAL ARK - ele-king

 DJ MIKUは90年代世代にとっては司祭。この男が、1992年から1995年のあいだの都内のアンダーグラウンド・テクノ・パーティにおいて、どれほど多くの人間を踊らせたことか。この時代の関東在住のテクノ好きで、彼がレジデントを務めたウェアハウス・パーティ「キーエナジー」で踊っていない人間はまずいない。「キーエナジー」で朝まで踊って青山マニアック・ラヴのアフターアワーズに行くというのが当時のお決まりのコースだった。
 その東京オリジナル・レイヴ世代の司祭と有志ある仲間のDJたち、ミュージシャンらが集い、「GLOBAL ARK」という本格的な野外レイヴ・パーティがはじまっている。今年でもう5回目になるそうだ。
 簡単な話だ。昔はクラブもレイヴも安かった。だから音楽を楽しみたい金のない若者は(コンサートよりも)クラブやレイヴを好んだ。DJ MIKUがいまやりたいのはそれで、しかもあの頃のパーティはみんな手作りだった。その手作り感もじつはものすごーーーく重要だった。誰も金のかかった内装を欲しかったわけではないから。
 (マニアック・ラヴなんか照明も手動でやったり、ぼくたちも自分たちでDJパーティを企画したときは、当然自分たちで場所を借りて、掃除から機材の運搬まで何から何までぜんぶ自分たちでやった。DIYをそれで学んだといったら格好良すぎだけど、いい意味でいまよりハードルが下だったし、いい意味で商売気がなかった)

 以下は、「GLOBAL ARK」の開催主旨の原稿からの抜粋です。

 「本来の野外ダンス・パーティの基本形である、近い・安い・楽しい! を実現する野外パーティはどうだろうか? 最近ないな……。(略)誰もが気軽に楽しめるFEEと都心からも近いキャンプ場。ピースフルな雰囲気。踊りに行くのに貯金しなくても大丈夫! 選ばれしリッチマンじゃなくても大丈夫! ひとりで来ても大丈夫! そんなパーティがまた復活したらいいな。という単純なきっかけで開催を決意したのが5年前でした」

 6月4日昼から6月5日までのあいだ、奥多摩をずうっと進んで山梨県に入るとある【玉川キャンプ村】にて「GLOBAL ARK」は開催される。入場は、前売りで5千円、当日で6千円。儲けるとか考えない。なによりもオリジナル・レイヴの精神によって生まれたこの野外レイヴ・パーティ、とくに「レイヴっていったいどんなものなの?」という若い人たち、梅雨入り前のいい季節だし、行ってみる価値は大いにありです!

■GLOBAL ARK

2016.6.4.sat - 6.5.sun at Tamagawa Camp Village(Yamanashi-ken)
Gate Open:am11:00 / Start: noon12:00
Advance : 5,000 yen Door : 6,000 yen
Official Web Site : https://global-ark.net

■ Line up

- Ground Area -

Eduardo de la Calle (Analog Solution / Cadenza / Hivern Discs / SPA)
Nax_Acid (Aconito Records / Phorma / Informa / Kontrafaktum / UK, ITA)
ARTMAN a.k.a. DJ K.U.D.O.
DJ MIKU
KAORU INOUE
HIDEO KOBAYASHI
GO HIYAMA (Hue Helix)
TOMO HACHIGA (HYDRANT / NT.LAB)
MATSUNAMI (TRI-BUTE / EXPECTED)
NaosisoaN (Global Ambient Star)

Special Guest DJ :
DJ AGEISHI (AHB pro.)

- River Area -

DJ KENSEI
EBZ a.k.a code e
DJ BIN (Stargate Recordings)
AQUIRA (MTP/Supertramp)
R1(Horizon)
DJ Dante (push..)
DJ MOCHIZUKI (in the mix)
Shiba@FreedomSunset - Live
山頂瞑想茶屋
ENUOH (ΦΤΦ / THE OATH)
OZMZO aka Sammy (HELL m.e.t)
Kojiro + ngt. (Digi-Lo-t.) - Live
SHIGETO TAKAHASHI (Time and Things)
NABE (Final Escape)
KOMAGOME (波紋-hamon-)
PEAT (ASPIRE)
VMIX (Twinetrax)
AGBworld (INDIGO TRIBE)
TMR Japan (PlayGroundFamily / CANOES BAR TAKASAKI)
Nao (rural / addictedloop / LivingRoom)

- Wood Lounge -

TARO ACIDA (DUB SQUAD)
六弦詩人義家 - Live
Dai (Forte / 茶澤音學館)
ZEN ○
Twicelights (ADSR) - three-man cell - Live
DJ Kazuki (push..)
ALONE (Transit / LAw Tention)
Yamanta (Cult Crew / Bio Sound)
TORAgon (HIPPIE TWIST / NIGAYOMOGI)
DUBO (iLINX)
MUCCHI (Red Eye)

Light Show : OVERHEADS CLASSIC - Ground Area -

Vj : Kagerou - River Area -

Sound Design : BASS ON TOP

Decoration : TAIKI KUSAKABE

Bar : 亀Ba

Food :
Green and Peace
Freewill Cafe
赤木商店
Food Studio ODA家
Gypsy Cafe

Shop:
Amazon Hospital
Big ferret
UPPER HONEY

FEE :
前売り(ADV) 5,000円 当日(DOOR) 6,000円
駐車場(parking) : 1,000円 / 場内駐車場1,500円
(場内駐車場が満車になった場合は
キャンプ場入口から徒歩4-5分の駐車場になります)
テント1張り 1,500円
Fee: Advanced Ticket 5,000yen / Door 6,000yen /
Parking(off-track)1,000yen /(in the Camp Site)
1,500yen
Tent Fee 1,500yen

【玉川キャンプ村】
〒490-0211 山梨県北都留郡小菅村2202
TEL 0428-87-0601
【Tamagawa Camp Village】
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken,
Japan

● ACCESS
東京より
BY CAR
中央自動車道を八王子方面へ→八王子ジャンクションを圏央道青梅方面へ
→あきる野IC下車、信号を右折して国道411号へ→国道411号を奥多摩湖方面へ約60分→奥多摩湖畔、深山橋交差点を左折7分→玉川キャンプ村

BY TRAIN
JR中央線で立川駅から→JR青梅線に乗り換え→青梅駅方面へ→JR青梅駅で奥多摩方面に行きに乗り換え→終点の奥多摩駅で下車→奥12[大菩薩峠東口経由]小菅の湯行バス(10:35/13:35/16:35発)で玉川停留所下車→徒歩3分

Tamagawa Camp Village
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken, Japan
Shinjuku(JR Chuo Line) → Tachikawa(JR Ome Line) → Okutama → Transfer to the Bus to go Kosuge Onsen.Take this bus to Tamagawa Bus Stop

Okutama Bus schedule:10:35 / 13:35 / 16:35
(A Bus traveling outward from Okutama Station)
(Metropolitan Inter-City Expressway / KEN-O EXPWY)
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Hinode IC"Metropolitan Inter-City Expressway
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Ome IC"(Chuo Expressway)
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Otuki IC"Chuo Expressway
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Uenohara IC"

● NOTICE
※ ゴミをなるべく無くすため、飲食物の持ち込みをお断りしておりますのでご協力お願いします。やむおえず出たゴミは各自でお持ち帰りください。
※ 山中での開催ですので、天候の変化や、夜は冷え込む可能性がありますので、各自防寒着・雨具等をお忘れなく。
※ 会場は携帯電波の届きにくい環境となってますのでご了承ください。
※ 違法駐車・立ち入り禁止エリアへの侵入及び、近隣住民への迷惑行為は絶対におやめください。
※ 駐車場に限りがあります、なるべく乗り合いにてお願いします。
※ お荷物・貴重品は、各自での管理をお願いします。イベント内で起きた事故、盗難等に関し主催者は一切の責任をおいません。
※ 天災等のやむ終えない理由で公演が継続不可能な場合、アーティストの変更やキャンセル等の場合においてもチケット料金の払い戻しは出来かねますので何卒ご了承ください。
※ 写真撮影禁止エリアについて。
GLOBAL ARKではオーディエンスの皆さまや出演者のプライバシー保護の観点から各ダンスフロアでの撮影を禁止させていただいております。 そのため、Facebook、Twitter、その他SNSへの写真及び動画の投稿、アップロードも絶対にお控えくださるようお願いします。尚、テントサイト、フードコートなどでの撮影はOKですが、一緒に来た友人、会場で合った知人など、プライベートな範囲内でお願いします。

Kowton - ele-king

 ダブステップ・シーンから登場しながらダブステップ以外の方面からも評価を獲得してきたペヴァラリストと、ブリストルのレコード店アイドルハンズに勤務していたカウトンが2010年代初頭のダンス・ミュージックに対して抱いていた思いを共有したところから、レーベル〈リヴィティ・サウンド〉の原点となるコンセプトが形成された。当時のダブステップはテクノ、ハウス、ヒップホップといった他ジャンルとの融合が図られたり、大型レイヴを盛り上げる恰好のネタにされたりしながら急速に消費し尽くされており、目新しい要素のあるトラックを耳にする機会が少なくなっていた。80年代に回帰したハウスや再発盤が多く発表されるようになったのも同時期だった。
 〈リヴィティ・サウンド〉が始動したころのインタヴューでペヴァラリストは「音楽的に同じところをぐるぐると回っているだけで、革新的なものに対する欲望が失われている」と語っている。つまり革新性の欠如に対する回答としてレーベルが発足されたというわけだ。

「〈リヴィティ・サウンド〉の根底にあるのは、特定の概念にあてはめられることのない新鮮な響きを持ったサウンドを追求するという姿勢だ」

 これは2014年のコンピレーション『リヴィティ・サウンド・リミクシーズ』の国内版ライナーノーツを書かせてもらったときに記した言葉だ。2011年にファーストEP「ビニース・レイダー」を発表して以来、〈リヴィティ・サウンド〉はUKガラージ、テクノ、グライム、ジャングル、ハウスなど、様々な音楽要素を内包しながら、そのいずれにもカテゴライズされることのないダンス・ミュージックを次々と打ち出してきた。この「いずれにも属さない感覚」に惹かれた人は決して少なくないだろう。
 しかし最近のレーベルからはパッドを大胆に使用した、大バコ的ともいえる一種の壮大さを伴うトラックが発表されるようになり、当初のリリースと比べるとテクスチャーやグルーヴ感などの面で明らかにテクノへ接近していることがわかる。そしてレーベルにとってもカウトンにとっても初のアルバムとなる『ユーティリティ』では、その変化が色濃く反映されることになった。

 プレスリリースによると、本作の制作時にカウトンが意識したのはジェフ・ミルズやロバート・フッドによる余計な小細工なしのミニマリズムだったそうだ。収録された9曲はどれも短く、一番長くても5分42秒だ。DJセットでミックスするにあたって最低限の尺が確保され、そこにダンスフロアで機能する要素が濃縮されている。
 本作におけるミニマリズムを支えているのはエフェクトとモジュレーションだ。反復するフレーズのテクスチャーをエフェクトやモジュレーションで変容させることでジワジワとした展開を生んでいる。冷ややかなパッドの起伏を背景にしてモジュレーションのかかったベースリフが徐々に変化していく”サイドゥ”や、ブリープ音に加えるエンベロープとリバーブの量で緊張感を演出する”バランス”、ひび割れたベルの響きが執拗に変化しながらフレーズを形成する”バブリング・ウォーター”はその好例だ。
 他にも”コメンツ・オフ”のシンコペートするキックによるタメの効いたグルーヴや、”ショッツ・ファイアド”で連打されるサブベースなど、ダンスフロアで強烈な体験をもたらしてくれそうなトラックが収められている。キックを大幅に削り落とした”サム・キャッツ”と”ア・ブルーイッシュ・シャドウ”は収録曲のプロトタイプを聞いているかのようだ。どちらもひとつのトラックに成熟する前の段階に留まることで本作のインタールードとして機能している。本作を通して聞くとひとつのアルバム作品として完成度の高さが感じられる。

 気になるのは〈リヴィティ・サウンド〉という文脈で見たときの本作の立ち位置だ。『ユーティリティ』の過半数を超えるトラックではジェフ・ミルズやロバート・フッドの作品に倣うかのように4つ打ちのビートが組まれている。〈リヴィティ・サウンド〉はこれまでにも”シスター”や”サージ”といった4つ打ちのトラックを発表してきた。しかし、レーベル最大の魅力はカテゴライズ不可能なグルーヴ感を持ったトラックにあった。
 例えばヒットを記録した”ヴェレズ”と”アズテック・チャント”はジャングルやテクノの要素を含みながら、そのいずれにも属すものではなく、”モア・ゲームズ”はたしかにグライム的でありながら、そこにはグライムと言い切ることのできない異質さがあった。つまり〈リヴィティ・サウンド〉は特定の音楽フォーマットに沿うことなく、その音楽らしさを感じさせる新たな領域を開拓してきたのであり、革新性の欠如に対する回答として始動したこのレーベルのアイデンティティは既存の枠組みの外側に打ち立てられなければならないはずだ。
 「4つ打ち = カテゴライズ可能な音楽」だと言うつもりは毛頭ないが、本作の収録曲の大半は多くの人にとってテクノ・トラックとして片づけられることになるだろう。その意味で『ユーティリティ』は、既存の枠組みを見事に飛び越えてきた〈リヴィティ・サウンド〉のファースト・アルバムとして逸脱性に乏しい。とはいえ、ダンスフロアにおけるユーティリティ(実用性)が重視された本作では、そんな文脈は省かれてしかるべき余計な要素なのかもしれない。

 森は生きているの、結局最後のスタジオ録音盤となった『グッド・ナイト』は最後にはならなかった。『グッド・ナイト』はこの度ミックスし直され、音も多少加わり、歌もパートによって多少変えられ、アートワークも変わり(裏ジャケが表に来ている)、つまり生まれ変わってアナログ盤としてリリースされる。言わば『グッド・ナイト』の別ヴァージョン。
 それは、本来ならこうだった、こうあるはずだったものに戻されているらしい……しかし、音楽において本来ならこうあるはずだったものなどない。大局的にみれば、すべてはそのときのすべての諸条件によって決定されるもので、結局のところ、このバンドが解散したのも、自らの幻をどこまでも追い求めてしまったからなのだろう。森は生きているには、最初から儚い感覚があった。
 が、そうした彼ら(首謀者は岡田+増村)だからこそ創出されたサウンドが森は生きているの魅力だった。このアナログ盤はその極みかもしれない(噂によれば、解散直前のライヴが素晴らしかったというのだけれど、いつか聴ける日が来るのだろうか……)。
 ソフト・ロックというジャンル用語は、ハード・ロック全盛の70年代における、ある種のイロニーも含まれていたかもしれないし、「ハード」に対立する「ソフト」だった。ところがソフト・ロックの内側の「ハード」を見たときに夢はさらに広がり、それを2010年代の日本で森は生きているという名前のバンドが演奏し、録音した。その夢をさらに完璧にするために、彼らは手を加えた。目が覚めないうちにやるしかなかった。2枚組アナログ盤ヴァージョンの『グッド・ナイト』、ぜひ聴いて欲しい。

森は生きている
グッド・ナイト [Analog]

Pヴァイン
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Random Access NY 号外 - ele-king

 先週、ディーライトのレディ・ミス・キアーやヴァンパイア・ウィークエンド、ダーティ・プロジェクターズなどのバンドを、https://www.brooklynvegan.com/watch-grizzly-bear-and-epmd-play-the-bernie-sanders-rally-in-prospect-park/

 グリズリー・ベアーは、“While You Wait For the Others”, “Two Weeks”, “Knife”をプレイ。「can't you feel the knife(ナイフを感じないの?)」という歌詞の下りを「can't you feel the bern(バーニー・サンダースを感じないの?)」と歌い、EPMDは、"You Gots to Chill"をプレイ。総勢20,000もの人が集まり、お昼の贅沢な野外コンサートを楽しんだ。私の日本人女子友達は、そうとは知らず、普通にプロスペクト・パークでピクニックをしていたが。

 そして今日月曜日4/18は、最後のキャンペーン(予備選挙の)。場所は、ロングアイランド・シティのハンター・ポイント・サウスパークで、人もセキュリティも気合が入ってる。数々のバーニーグッズの押し売りを潜り抜け(Tシャツだけで何十種類とある)、空港のようなセキュリティチェックを受け、ようやく中に入る。7時からのショーに、人は早々と5時頃から待っていたようだ。

 数人のスピーチの後、TV・オン・ザ・レイディオが登場。“Young Lliars”他6曲をプレイしたが、オーディエンスは、バーニー・サンダーズを出せ、と演奏の最中にも容赦なく「バーニー」コールを投げかける。バーニーの人気はすごいが、バンドに対しての態度はあまり良くない。

 「Bern baby bern」とかいたTシャツを着ているベイビーや「Fuck Trump-Keep America Great」というTシャツのカップルなど、それぞれの思いをTシャツにして着ている人がたくさんいた。最近Tシャツを見ると、なんて書いてあるか注意して見てしまう。

 そして、バーニーが登場するころには、音楽のヴォリュームが倍になり、大きな拍手で彼を迎える。バーニーのスピーチは30分以上にも渡り、これはアメリカの変化への第一歩、自分とクリントン氏の違う所や(彼女はウォール・ストリートから寄付を受け取っているが、自分は受け取っていない)、など、様々な勇敢な言葉でオーディエンスを活気づけていた。彼の一言一言で、バーニー・プラカードが力強く振られ、「そうだそうだ」と、やんやの声援が送られ、人びとがひとつになる姿を、また目の当たりにした。バーニーは、スピーチのしすぎなのか、声が結構枯れていたが、言葉は力強い。さて、明日どうなることやら。(沢井陽子)


special talk:峯田和伸 × クボタタケシ - ele-king

 ここで問題にするのは3部作完結編の新曲「生きたい」そのものではなく、そこに収録された“ぽあだむ”のリミックス。これが、銀杏BOYZ史上初のクラブDJによるリミックス・ヴァージョンなのだ。リミキサーはクボタタケシ。ぼくは、個人的に、これは偏見かもしれないけれど、銀杏BOYZのファナティズムとクラブ・カルチャーの陶酔とは、決して親和性が高いとは思えていなかったので、こんなことが具現化されることがとても意外で、驚きを覚えたのだった。しかしながら、取材で対面したおふたりは、すでに仲良し状態で、ものすごく打ち解けている様子。実際、リミックス・ヴァージョンの出来は素晴らしく、原曲の歌メロを活かしながら、誰の耳にも心地良いであろう滑らかなグルーヴが注がれている。新曲“生きたい”が過剰なまでに生々しい(バンドの崩壊の過程?)を歌っているので、“ぽあだむ”の軽快なリミックスはこのシングルにおいて素晴らしい口直しになっている。
 それでは以下、おふたりの対談をお楽しみください。

個人的にリミックスをやって欲しかったんです。本当に大好きなひとだったので。クボタさんを知ったきっかけはキミドリですね。高校のときに友だちの影響で、洋楽だったり当時のパンクだったりをリアルタイムで聴いていて「うわー! すげー!」って生活を山形で送っていたときです。──峯田


銀杏BOYZ
生きたい/ぽあだむ クボタタケシ REMIX Version II

初恋妄℃学園/UK.PROJECT

RockJ-Pop

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今回の“ぽあだむ”ですが、そもそもDJにリミックスを依頼すること自体が初めてなんですよね?

峯田和伸(以下、峯田):はい。

クボタタケシ(以下、クボタ):いやいや、そんなたいしたアレじゃないんですけどね。

峯田:“ぽあだむ”って曲がもともと持っているポップな部分を、クボタさんがもっと引き出してくれると思ったんですよ。

その点は見事に具現化されてますよね。曲のメロディアスな魅力が活かされていると思いました。

峯田:ぼくは制作過程にいっさい顔を出さないで、出来上がりを聴いただけなんですよ。いいものができる予感はあったので、注文も何もしてないんです。

クボタさんにリミックスを頼むまでに、どのような経緯があったんですか?

峯田:個人的にリミックスをやって欲しかったんです。本当に大好きなひとだったので。最近はリミックスをやっていないとのことだったんですが、やってくれないかなと。クボタさんを知ったきっかけはキミドリですね。高校のときに友だちの影響で、洋楽だったり当時のパンクだったりをリアルタイムで聴いていて「うわー! すげー!」って生活を山形で送っていたときです。そこに友だちがキミドリを持ってきたんですよ。ヒップホップなんでしょうけど、ぼくはソニック・ユースとかダニエル・ジョンストンをガーッと鳴らしたあとに、キミドリをバーンと流して遊んでいたんですよ。

なるほど。サウンド的には、ある意味、自然な流れですよね。

峯田:俺、当時はヒップホップの流れがわかんなかったんですよ。ただ、キミドリはぼくのなかでパンクでしたね。ファーストの最後の曲とかパンクっぽかったし(“つるみの塔”)。銀杏ボーイズになってからも、登場のSEでキミドリの“自己嫌悪”って曲を使っていた時期があって。

クボタ:それ知らなかったからびっくりしたんだよね。

元キミドリって話で言えば、1-Drinkではなくクボタさんだったのは?

峯田:〈ユースレコーズ〉の庄司信也くんが、高校でぼくのひとつ下なんですけど、話しているとそいつの口から、クボタさんやオルガンバーのことが出てくるんですよ。でも、「なんでこいつがクボタさんのことを話してんの?」っ感じで悔しかった。俺、ミックス・テープも持ってたので、一緒にいつか仕事をしたいなって思ってたんですよ。

20年くらい前からやりたいと思っていたことだったんですね。

峯田:ぼくが東京に来たのは96年なんですけど、その頃って下北にスリッツって箱があるのを知っていても、実際に行ってみたら無くなっていたりして。だから直接触れ合えたりとかはなかったですね。

クボタ:スリッツが終わったのが95年か。

峯田:それでようやく知り合えて、当時の思い出とかを聞いてみたって感じです。

クボタさんは依頼をもらったとき、どのように思ったんですか?

クボタ:ちょうど最後にやったリミックスが、2004年のワックワックリズムバンドだから、12年ぶりだったんですよ。それまでは依頼されたものをやっていたんですけど、ちょっとDJだけでやってみたいなと思って、制作は全部断ることにして。それで2年くらい前に、そろそろ制作をやりたいなと思っていたときに、庄司くんの紹介で初めて会ったんだよね。庄司くんやゴーイングアンダーグラウンドの松本素生くんとDJイベントで全国を回っていたんですよ。いつも銀杏の話は出ていたんですけど、峯田くんは全然来なくって(笑)。なんで来なかったのか会ったときに聞いたら、「仕事で会ってからレコード屋さんとかに行きたいです」って言ってた。
 それで制作がやりたいなと思っていたときに話をいただいて、銀杏の曲を聴かせてもらったらすごくいい曲で。曲があまりにも完成されちゃっているから、もうどうしようかなと。悪い言い方だけどリミックスって完成されていないものの方が作りやすいけど、逆だとさらによくするのが難しい。しかも一見シンプルに聴こえても、メロディの後ろにコードがすごくいっぱいあって。

歌がすごく綺麗な曲ですよね。

クボタ:聴いた瞬間にどういう風にするのかはすぐに思いつきました。

第三者的な立場から見ると、銀杏ボーイズとクボタさんとはそれなりの距離があったように思ったんですよね。銀杏ボーイズはある時代のファナティックなライヴハウス文化を象徴するバンドだった。いっぽうでクボタさんが出演されているオルガンバーなどは、オシャレ感があるじゃないですか? いい意味で。

クボタ:そんなふうに見えてるんですね。全然オシャレじゃないっすけどね。

とくに90年代末~2000年代初期にかけては、渋谷と下北沢って文化的な距離感がそれなりになかったですか?

峯田:ぼくはリスペクトしているからこそ、簡単に立ち入っちゃいけないなと思っていたかもしれない。もし知り合いになるなら、遊びで「こんにちは。ファンでした」って感じじゃなくて、仕事がしたかったんです。

銀杏ボーイズがDJにリミックスを頼むってこと自体、2000年代初頭では考えられなかったと思うんですよね。だからこの企画そのものが事件ですよね。クボタさんにもそういう感覚ってあったんじゃないんですか?

クボタ:(銀杏ボーイズが)リミックスをひとに頼んだことがないんだもんね?

峯田:全部自分たちでやろうと思っていたし、なるべくそっちの畑には近寄らないようにしてました。ヒップホップだけじゃなくて、いろんなシーンがあると思うんですけど、でもクボタさんはその場所にいながらそこにはいないっていうか。ぼくもその気持ちはなんとなくわかったというか。周りに迎合しないところを見て、たぶんクボタさんはこういうことを思っているんじゃないかなと考えてみたりしましたね。

クボタさんはたしかに一匹狼なところはありますよね。

クボタ:東京がホームなんですけど、あんまりホーム感がない。だからホームレスって呼んでいるんですが(笑)。だから地方へ行ってどんなジャンルのところでやっても、居場所がないなっていうか。昔からそうなんですけどね(笑)。

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いま和物や7インチのブームだったりって言ってるけど、やっと来ました(笑)。今回やってみたら楽しくなっちゃって、頼まれてもいないのに2バージョン作っちゃって。──クボタ

峯田:素人意見ですけど、2003年に出していた『ネオ・クラシック』とか、ヒップホップのDJが作るミックスとはまるっきり違うんですよね。ブラック・ミュージックと関係がない曲を、精神的なヒップホップで繋げているというか。他の方のミックスは、元ネタが聴けるって意味で面白いんですけど、まったくそれとは違う。たぶん根っこにあるのがパンクなんだと思うんです。ブラック・ミュージックなんですけど、ブラック・ミュージックではないところが面白かったんですよね。まさにパンクとヒップホップというか、そこが自分のツボにハマった。このひとはとんでもないなと。

クボタさんはガチガチの洋楽ファンの集まる場所で邦楽をかけていた、数少ないDJのひとりなんです。そういう意味で言えば、銀杏ボーイズをクボタさんがリミックスするのは不自然ではないんですよね。みんながハウスとかヒップホップとか踊っている時代に、クボタさんはサザンオールスターズをかけていましたもんね。

クボタ:サザンのファーストの無名な曲を……(笑)。

そこがクボタさん的には、パンクなんですよね?

クボタ:いま和物や7インチのブームだったりって言ってるけど、やっと来ました(笑)。今回やってみたら楽しくなっちゃって、頼まれてもいないのに2バージョン作っちゃって。

峯田:いや、どっちもすごいですよ。


銀杏BOYZ
生きたい/ぽあだむ クボタタケシ REMIX Version II

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クボタ:最初聴いてもらったときはどんな反応をするのかドキドキしましたよ(笑)。だって依頼するのが初めてで、自分たちの曲をすごく大事にしてるっていうからさ。あと曲が長めで6分くらいあって。だいたいリミックスをするときは、ヴォーカル・パートは全部使って、あとは全部変えていたから、今回はコードも複雑だし辛そうだなって創る前は思ってたんだよね。聴いてもらったら「すごくよかったです!」とかって言うんだけど、本人を前にして他に何にも言えないでしょうと(笑)。

クボタさんは銀杏ボーイズにどんな印象を持っていたんですか?

クボタ:名前はもちろん知っていましたけど、申し訳ないんですが、銀杏BOYZは聴いてなかったんですよ。いろんなひとから「銀杏ボーイズの峯田くんがキミドリのこと好きらしいよ」って聞いていたんだけどね。リミックスをするときに全部聴かせてもらって見事にはまってしまって。クラブでかけたりして、「クボタさんどうしたんですか?」って言われたり(笑)。

銀杏ボーイズには単に売れたロック・バンド以上の何かがありますよね。誰もがイエスと言うことをやっていないといいますか。クラブってどっちかっていうと、なるべく誰もがイエスと言うというものを選ぶってところがあるじゃないですか?

クボタ:俺、それはしてこなかったんですよ。それでよくやってきたなと思いますけど(笑)。

リミックスに対するお客さんの反応はどうだったんですか?

クボタ:マスタリング前にCDRで試しにかけていたんですが、反応はすごくよかったです。お客さんが銀杏ボーイズのファンだったのかはわからないけどね。

峯田:お客さんからクボタさんが銀杏の“ぽあだむ”をかけたって聴いてたんですよ。しかも銀杏ヴァージョンじゃなくてストリングスが入っていると。「あれは何なんですか?」って質問がけっこうきましたからね。

クボタさんは一風変わったDJなので一括りにはできないですけど、やっぱりクラブ・カルチャー側の感想に興味があるんですよね。で、今回のシングルに同時に収録されている“生きたい”って曲、やばすぎるじゃないですか。正直に言って、驚きました。内面の葛藤をこれでもかとさらけ出して、克服していくっていうことをやっているんだろうなと思ったんですけど、ある意味で圧倒的な何かがこの曲にはあるんですね。
 それに対して、クラブ・ミュージックって、銀杏ボーイズが抱えているような内面にはあまり触れてこなかったと思うんですね。どちらかというとフィジカルにくるものであるというか。耳から入るものであってハートから入るものではないというかね。もちろん、音楽はすべてハートからと言ったらそれまでなんですけど、優れたソングライターの曲をリミックスするだけには止まらないような気がしたんですよね。

峯田:でも、(クボタさんは)クラブ・イベントでちあきなおみとかをかけるDJですからね。

ちあきなおみは昔のものだからまだわかるんですよ。でも銀杏ボーイズは現在進行形だから意味が違うものだよね。

クボタ:この“生きたい”ができたときが記憶に残っていて。去年の5月4日かな。三重でのDJ帰りに久しぶりに峯田くんに電話したら「“生きたい”って曲ができました」と。実はその日って、俺の親友だったデブラージが亡くなった翌日だったんだよね。しかもタイトルが“生きたい”でしょう? だから「うお」って。それで聴いてみたらすごい曲で、全く長さも感じさせないし。

峯田:最初は歌詞だけメールで送ったんですよ。

クボタ:前の日にあいつの顔は見てきたんだけど、お葬式に行けなくてさ。ホテルでも眠れなくてね。その時にメールで歌詞が送られてきたんですよ。それでタイトルが“生きたい”でしょう? すごいなぁと。歌詞はもちろん全然違うんですけど、ぼくのなかではくるものがあった。だからリミックスではもっとよくしようと思いましたね。

銀杏ボーイズというバンドが無くなっていくプロセスが今回のテーマとしてあるじゃないですか? バンドの崩壊に対する内面的な苦しみみたいなものと、それを克服したい気持ちのせめぎ合いみたいな曲ですよね?

峯田:ひとりになってしまったけど、これからも俺は頑張っていきますよ、という決意表明とは違うんですよ。前向きな気持ちと無念さというか……。だから最初にあの無念さは間違っていたと言わないと、次の一歩に進めないような気がして。簡単に胸を張って心機一転頑張っていきますっていう曲は作れなかったんですよ。そうじゃなくて、一回後悔の念みたいなものを出しておかないと、ポップな曲は作れないんじゃないかと思って。これを作ることによって、なんとなくだけど決着がついたような気がします。それで“生きたい”とは対極にある「まぶしさ」や「ときめき」があれば、作品として面白いかなと。

そういう意味ではバランスが取れて、いまおっしゃっていたような感じにはなっていると思います。だって、このシングルにクボタさんのリミックスがなくて、“生きたい”だけだったら……あまりにも重たいもんね(笑)。

峯田:うん、重たいです(笑)。最初はどういう音でリミックスしてくれるのか予想していたんですよ。オフビートでめっちゃダブでくるのかなとか(笑)。
 でもリミックスを聴いてみたら、ぼくの考えていたものとは全然違ったんですよね。“ぽあだむ”の真ん中にある表情をストリングスを駆使してうまく抽出してくれて、それは銀杏ボーイズには絶対にできなかったことなんで。例えば、ぼくは結婚もしてないし子供もいないですけど、子供はこういう体型で、こういう体質で、こういう洋服が似合うというのをクボタさんに考えてもらった感じなんです。

クボタ:ははは(笑)。

峯田:あー、そうだー似合うなぁっていうか。だから信じてよかったと思いました。

ぼくもさすがだなと思いましたよ。

クボタ:誉め殺し~。

いや本当ですよ! 

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ラヴソングなんですけど、いざ女の子と付き合ってみると、いろいろ汚いところとかも見えてくるじゃないですか? そういう汚いところが前のラヴソングだったら全体の6割を占めていたところを、2割くらいにしとくみたいな。そんな感じですかね。いい曲を作っていきたいです。──峯田


銀杏BOYZ
生きたい/ぽあだむ クボタタケシ REMIX Version II

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クボタ:“ぽあだむ”は速さ的に、ステッパーズ・レゲエみたいにしようかなとか考えたけど、やってみたら全然しっくりこなかった。だったらもっと被せていって、さらに違う方向へ行ってキラキラさせようと。だけどキラキラさせすぎないで、絶妙なところで止めました。だいたいリミックスの場合って、ヴォーカルは小さいんですよ。でも今回は音量を上げて声で引っ張ってもらう感じにしようかなと。

さっきもクボタさんが言っていましたけど、曲の歌メロがすごく残るんですよね。クボタさんは今回のリミックスでそれを狙っていたのかなと思いました。

クボタ:もちろん。原曲のよさは損なっちゃダメだと思ってましたから。

リミックスをするときにふた通りあると思うんです。まずリミキサーの個性がでるパターン。それはそれですごく面白いんですが、今回のクボタさんは明らかに裏方に徹していると言うと変ですが、楽曲のよさをより引き出す点を重視しているというか。

峯田:最初は自分の部屋で聴いたんですけど、その様子は見せられるもんじゃないですよ。クボタさんには「よかったです」と伝えたんですけど、スタッフの軽部くんが音を持ってきてくれたときは、「いやぁ、音楽やっていてよかったな」って言いましたからね。

クボタ:いやぁ、それはよかったな。

峯田:ぼくは音楽を聴くのが好きだから、いろんなリミックスのチェックはしていたんですよ。だから2016年の空気感とかもだいたいはわかるんです。でも、そういう頭でクボタさんのリミックスを聴いたときに、「やっぱりこれだよね」ってなっちゃいましたもん。いまはこれが流行っているとか、これからはこれが来るとかって言われているけど、「これなんだよな」と。

クボタさんがすごいのは、この曲をクラシックにしたというか、10年経っても聴けるものにしたいって思っていたことですよね。

峯田:古びない普遍的なところをついているというか。

大局的に言えば、メロウグルーヴってあるじゃないですか? ああいう括りにこの曲が入っていてもおかしくないですよ。クボタさんはそこを狙っていたでしょ?

クボタ:狙ってないですよ(笑)。ただ単に自分でもびっくりするような曲を作りたいなとは思っていましたけど。だから、気持ち悪いかもしれないけど、この曲は何回も自分で聴いているんですよね。いろんなレコードを聴いたあとにこのリミックスを聴いてみたりね。

峯田:これはぼくの勝手ですけど、たぶん音楽への取り組み方が自分と近いような気がするんですよ。

クボタ:そうかも。

峯田:どこにも属したくはない。あと、聴くひとを信じているってとこですよね。

パンクがルーツなのも同じですよね。

峯田:「俺はこうだから頼むよ」って感じじゃないと思うんですよね。聴いたひとがご自由にって感じで限定したくはないんですよね。銀杏ボーイズはこういうバンドだからとか。そういう時期もあったんですけど、メンバーがいなくなったので、銀杏ボーイズの峯田が主人公なんじゃなくて、曲が主人公でもいいなと思うようになって。この曲をたくさんのひとに聴いてもらえるといいなぁと。

クボタ:できあがってマスタリングに入る前に、ふたりでパンクのレコードの話とかをしていて、俺どうしても欲しいレコードがあったのね。ビッグ・ボーイズ(Big Boys)のレコードだったんだけど、峯田くんがそれをくれたんだよね(笑)。あれは嬉しかったよ。

峯田:ぼくはキミドリの最初のリリースのチラシをいただきました(笑)。

クボタ:あと“オ・ワ・ラ・ナ・イ”のアドバンス・カセット。あとジャックスのカヴァー。リカっていうふたり組の女の子のプロデュースをしたとき、カップリングでジャックスのカバーをしてて。キミドリのときにも、ジャックスをサンプリングしてデモテープを作ったりしてました。

峯田:あと、昔からオシャレなところに怨念を持ち込んでるというか。

ははは(笑)。それは怨念ですか?

峯田:ぼくはキミドリの“自己嫌悪”に怨念を感じたんですよね。コレクターズってバンドがいるじゃないですか? モッズなスタイリッシュさのなかに加藤ひさしさんの怨念があるんです。『さらば青春の光』って映画も、すごく主人公が憂鬱ですよね。スタイリッシュと相反する怨念があるものが好きなんですよね。それはモッズでもヒップホップでもロックでもそうですけど、どこかで様式美とは反対のものがうまい割合で入っているものが惹かれる気がして。

クボタ:そうね。俺も様式美はダメだったから。

過剰なものに対しても思いがあるようにも見えるんですよね。クボタさんってそういう意味でいうと、逆にバランスがいいというか。

峯田:バランスはホントにすごいと思います。言っちゃ悪いんですけど、セックスたぶんうまいんだろうなぁと。

クボタ:ははは(笑)。

峯田:流れを作ったりするのが絶対うまいだろうなぁ(笑)。

クボタ:イントロが長いとかね(笑)。

峯田:ぼくはDJをやったことがないんですけど、この曲を20曲流すとしたら、この曲を主人公にもってくるとか、この曲を引き立たせるためにこの曲を使うっていうのがあると思うんですよ。

クボタ:ある。

峯田:その持っていき方というか、それってバランスとか空気を読むって能力がないとできない気がするんですよ。バンドでもハイライトにたどり着くまでの道のりがやっぱりあるし。ただ盛り上がるだけじゃないような気がする。

クボタさんは構築した空気を自分で壊すのも好きですからね。そこがすごく似てるのかもしれないですね。

クボタ:うん。大好き。すごく盛り上がっているときに静かな曲をかけてやり直したり。

“生きたい”という曲と同じように、クボタさんのリミックスも次の銀杏の方向性につながると思うんですけど、次にやる予定ですか?

峯田:いまスタジオに入っているメンバーには、固有名詞を使ってわかりやすく言うと、オアシスとジャックスをやろうって言ってますね(笑)。前のアルバム2枚でシーケンサーを使ったりノイズを入れたりという意味では、音楽ファンとして額縁は作れたような気がするんですよ。でも歌詞に関してはまだまだだから、あとはそこに絵を入れるというか。音楽ファンにも届くけど、一発聴いてメロディを覚えられるような、そういうものをやりたいですね。あとは風通しのいいものを真ん中にドーンと作りたいです。

ジャックスはわかるんですけど、オアシスはちょっと意外でしたね。でも“ぽあだむ”みたいな曲は、ちょっとメロディはオアシスっぽい感じがします。

峯田:歌とことばでわかりやすいものを作りたいですよね。

ことばで書きたいテーマってありますか?

峯田:ラヴソングなんですけど、いざ女の子と付き合ってみると、いろいろ汚いところとかも見えてくるじゃないですか? そういう汚いところが前のラヴソングだったら全体の6割を占めていたところを、2割くらいにしとくみたいな。そんな感じですかね。いい曲を作っていきたいです。

峯田くんって、好き嫌いを抜きにして強いことばを持っているじゃないですか。クボタさんはそれはどう思いますか?

クボタ:キミドリのときもそうでしたけど、もともとあんまり歌詞って聴かないんですよ。でもちゃんと聴いてみると、一貫しているなというか、自分と違うジャンルではないなというのがよくわかるんです。ただ、いまもあえて歌詞は聴かないようにしてますね。リミックスを依頼されたときはもちろん聴きますけど。

これほど強いことばがあっても音ですか?

クボタ:音です。キミドリのときもそうだったんですけど、歌詞なんか書いたことがなかったし。ジャックスも大好きだったけど、あんまり歌詞とか聴いてなかったんですよね。だけど自分でいざ書いてみると、あんな感じになるから間違ってなかったのかなと(笑)。

峯田くんの場合、ジャックスはやっぱり歌詞ですよね。

峯田:うん。

クボタ:俺は音だったんですよ(笑)。

峯田:ぼくがジャックスを初めて聴いたのはタクシーのなかだったんですよね。タクシーの運転手がAMラジオをつけてて、ジャックスが流れてきた。

クボタ:“からっぽの世界”とかかな。

峯田:そうです。10年くらい前です。ラジオの音質も含めて、あれがもうね。家に帰って急いで調べて、「あれがジャックスか!」と。早川義夫は聴いていたんですけど。あれにはすごく興奮しましたね。

クボタ:だってGS全盛期のときにあの音ですよ。すごいなぁと思って。

そうですよね。お互いそうやって違うからこそ、ミラクルのミックスになった気がします。何か言い残されたことはありますか?

クボタ:早く聴いてほしいし、どう感じられるのかすごく楽しみですね。

峯田:まだクボタさんにリミックスをお願いしたい曲が何曲かあるんです。だから是非またやってほしいですね。

黄金の館 - ele-king

 シンガーソングライターとして際立った輪郭を持つ吉田省念。地元京都、そしてインディ・シーンとはまた少し異なる場所で、さまざまなアーティストと時間を重ね、じっくりと一枚のアルバムがまとめられた。ele-kingでも本作のインタヴューを敢行予定。まずは音をチェックされたい。

くるりの活動を経て、暖めてきた楽曲達が遂に完成。
正統なロック・ルーツサウンドからフォーク・ブルース・アヴァンギャルド迄、彼の歩んで来た道のりを凝縮し、京都から発散するほんわりとした甘酸っぱいサウンドにミックスし、ゆったりと濃密な時が進む。多岐にわたる楽器演奏を自ら紬ぎ、素晴らしい豪華ゲスト陣が寄り添う事でその魅力を存分に伝えるメロディアスで爽快なポップ・アルバム!
ゲスト参加ミュージシャンは、細野晴臣、柳原陽一郎(exたま)、伊藤大地、四家卯大、谷健人(Turntable Films)、植田良太、めめ、さいとうともこ(Cocopeliena)。
ドイツに渡り、NEU・クラウスディンガー(ex KRAFTWORK)と共に音楽活動を行っていた尾之内和之をエンジニアに、自宅・省念スタジオで収録した執念の快心作が完成!

■ライ・クーダーや細野晴臣氏のように過去のさまざまな音楽のエッセンスを現代に蘇らせる名工が作った作品の佇まいがあるし、その飾り気のない純朴な歌いっぷりから、京都系フォークシンガーの佳曲集とも言っていいかもしれない。
【柳原陽一郎 ex.たま】

■言葉にならないです。果てしなく胸の奥の奥の真ん中の部分に触れる。揺れる。夢中で聴いている。
【奇妙礼太郎】

■去年、舞台音楽の現場を長く共有した省念くんのソロアルバム『黄金の館』すばらしい作品でぼくもうれしい!なつっこいメロディに朴訥な歌声、かなりねじれたアレンジと底なしのギターアイデアが最高ですよ。こんな人と一緒に音楽を作れてたのが僕は誇らしいです。多くの人に聴いてもらいたい!!
【蔡忠浩 (bonobos)】


作品詳細
吉田省念 / 黄金の館
ヨシダ・ショウネン / オウゴンノヤカタ
発売日:5月18日
価格:¥2,500+税
品番:PCD-25199
Cover Art:HELLOAYACHAN

トラックリスト
1. 黄金の館
2. 一千一夜
3. 晴れ男
4. 水中のレコードショップ
5. 小さな恋の物語
6. デカダンいつでっか
7. 夏がくる
8. LUNA
9. 春の事
10. 青い空
11. 銀色の館
12. 残響のシンフォニー
13. Piano solo

[●作詞・作曲・演奏 吉田省念 ●録音 尾之内和之 ●MIX 吉田省念・尾之内和之]


ツアー情報
■5/14(土) 京都・拾得 「黄金の館」*バンドセット&アルバム先行発売有り
■5/17(火) 京都・磔磔 「月に吠えるワンマン」*ソロでの出演
■5/24(火) 下北沢・レテ「銀色の館 #3」*弾語りソロワンマン
■5/26(木) 三軒茶屋・Moon Factory Coffee *弾語りoono yuukiとツーマン
■6/5(日) 名古屋・KDハポーン「レコハツワンマン」*京都メンバーでのバンドセット guest:柳原陽一郎
■6/14(火) 京都・拾得 「黄金の館」
■6/30(日) 下北沢・440 「レコハツワンマン」 *バンドセット Dr.伊藤大地、Ba.千葉広樹、guest:柳原陽一郎
■7/14(木)京都・拾得 「黄金の館」
■7/18(月) 京都・磔磔 *詳細未定
■7/24(日) 大阪・ムジカジャポニカ
■8/7(日) 京都・西院ミュージックフェスティバル


吉田省念:

京都出身のミュージシャン。
13歳、エレキギターに出会い自ら音楽に興味をもち現在に至る迄、様々な形態で活動を続ける。
18歳、カセットMTRに出会い自宅録音・一人バンドに没頭
これをきに楽器を演奏する事に興味をもつこの10年間は日本語でのソングライティングに力を入れ自らも唄い活動を続ける。
2008年「soungs」をリリース。吉田省念と三日月スープを結成、2009年「Relax」をリリース。
2011年~2013年くるりに在籍 日本のロックシーンにおける第一線の現場を学ぶ。在籍中はギターとチェロを担当し「坩堝の電圧」をリリース。
2014年から地元京都の拾得にてマンスリーライブ「黄金の館」を主催し、様々なゲストミュージシャンと共演。
四家卯大(cello)、植田良太(contrabass)とのセッションを収録したライブ盤「キヌキセヌ」リリース、RISING SUN
ROCK FESTIVAL 2014 in EZOに出演。
2015年ソロアルバムのレコーディングと共に、主演:森山未來 原作:荒木飛呂彦 演出:長谷川寧 舞台「死刑執行中脱獄進行中」の音楽を担当。
既成概念にとらわれない音楽活動を展開中。
website:yoshidashonen.net

Interview with Ryu Okubo - ele-king

 ただいま絶賛個展開催中の新進気鋭のイラストレーター、オオクボリュウ(通称ドラゴン)をつかまえて話を訊いた。
 90年代のある時期までは、新しいモノは新しいモノだった。しかし、新しいモノが必ずしも新しくはない。少なくとも90年代のある時期までは新しいモノが昔のモノよりも面白かった。しかし、新しいモノが必ずしも面白くはない。そんな現代の申し子であるこの若者は、構えることなく、いつも会うときと同じように話してくれた。

本当にそうですよ。絵に関してもそうですもん。これ以上の進化はしなくてもいいというか。でも古いものが好きなんじゃなくて、時間が経っても残る普遍的なものが好きなんです

ドラゴンくんと初めて会った頃に、ルーツを教えてくれたよね。水木しげるからすごく影響を受けたって。

ドラゴン(以下、D):この間、三田さんと水木さんのお葬式に行ったんですよ。

ヒップホップと水木しげるっていうのが、ドラゴンのユニークなところじゃない?

D:『ele-king』の文章、素晴らしかったですよね。ああいうキャッチコピーにこれからしようかな(笑)。

そもそもドラゴンが絵を描きはじめたきっかっけって、漫画だったんでしょう? 

D:でも僕は音楽が好きだったから、最初のきっかっけは映画の『イエロー・サブマリン』ですよ。母親に見せられたんですよ。

えー(笑)!

D:それが小1とかですね。いまでもビートルズは好きなんですよ。音楽がやっぱり良かったですよね(笑)。

リアルタイムの音楽よりもそっちなんだね?

D:当時流行っていたものも聴いていましたけどね。でもビートルズはずっと好きですよ。

日本語ラップもすごく詳しいでしょう。リアルタイムじゃないと思うんだけど、キングギドラの『空からの力』の曲名が順番通りに全部言えるじゃない?

D:あれはクラシックだからみんな言えるんじゃないかな(笑)。でもそれは僕の性格もあると思いますよ。調べ癖がヒドいというか。つまみ食いしないで何でも全部いってみるというか。

じゃあ最初は絵というよりも音楽だったんだね。

D:そうかもしれないですね。

能動的に音楽を聴きはじめたときに、自分の転機になったものは?

D:ビートルズを聴くようになる前に2年間アメリカにいたことがデカいです。4、5歳のときで、マイケル・ジャクソンがすごく流行っていました。『ヒストリー』が出たときですね。当時の4、5歳のアメリカ人はマイケル・ジャクソンを聴いていたんですよ。子供たちはヒップホップを聴いてませんでしたね。トライブとか流行っていたのかもしれないんですけど、子供の耳に入ってくるのは、マイケル・ジャクソンでした。

その体験が自分のなかの文化的方向性の何かを決めてしまったの?

D:そうでしょうね。ノーマルな状態にマイケル・ジャクソンが入ってきたわけですもんね。

それでビートルズを聴いたと。

D:日本に帰ってきてビートルズですね。日本語ラップは流行っていたときに聴きました。リップ・スライムとか、キック・ザ・カン・クルーとか。僕の世代はみんな聴いていますよ。それが小6から中1にかけてのとき。

「あがってんの? さがってんの?」って。

D:あれがスーパーで流れていて、お母さんにキック・ザ・カン・クルーのアルバムを買ってもらいましたね。当時はエミネムも流行っていました。D12とか。

懐かしい。エミネムの『8マイル』も流行ったよね。

D:あの頃って、ハードな曲でもみんな聴いていましたよね。ちょっと変な時代でしたよね。だってキャッチーじゃないのに、アメリカみたいにわけもわからず聴いていたんですから。

じゃあ中学から高校にかけての思春期に大きな影響を与えたものって何? 

D:一番影響を受けたのはザ・フーなんです。

な、なんなんだよ〜、それは! 

D:本当に好きで。ヒップホップは聴いていたんですけど、高校1年生のときに、『トミー』を先生に借りて、映画にものすごく感動しちゃって。そこから3年くらいはあの辺の音楽を聴いていましたよ。ビートルズより後のバンドといいますか。ぼくはいまでもああいうバンドが来日したら見に行きますよ。キンクスとかも、リーダーのレイ・デイヴィスがソロで来日したときもフジロックで見ました。

90年代もそうだったけど、ドラゴンくん世代だとタワーレコードとかで、旧譜とかも普通に手に入るもんね。逆にいうと、古い音楽と新しい音楽が同じように売られてしまっているところもあるからね。例えば、いま流行っている新しい音楽を買うくらいだったら、再発されたフーを買うって感じ?

D:本当にそうですよ。絵に関してもそうですもん。これ以上の進化はしなくてもいいというか。

それは要するに、いいものが出尽くしているから?

D:そうなんですよ。ピカソとかすごく好きですけど、あそこまでいっているから見栄えとしてはあのまんまでいいかなと。

でも自分でカタコトをやったり絵を描いたりする上でさ、すでに過去に素晴らしいものがあるのに、そこで自分が出ていくというのは矛盾じゃない?

D:そうですよねぇ……。いつも考えてはいるんですけど。

「新しさ」とはなんだろう?

D:最近思っているのは、パーソナルになることっていうか。

「新しさ」って必要だと思う?

D:この展示の感じでいうと、見栄えに関しては新しいことをしている意識はないです。本当にキャンパスに絵の具を使って書くだけというか。キャラクターに関しても、新しいものを生み出しているつもりも全然ないんです。白くて丸いキャラクターっているでしょう? キャスパーとか、スヌーピーとか。ああいうスタイルってあると思うんですよ。それにのっとっているというか。でも今回の扱っている「アイフォンを落として割っちゃった」みたいな、最近のひとの悩みというか、それはキャスパーの時代にはありませんでしたよね。ピカソの時代にももちろんない。だから別に外見に関して新しい素材を使うとかそういう気持ちはないですけど、そういうパーソナルな部分を意識していますね。音楽に関しても似ているかみしれません。リヴァイヴァルっていくらあってもいいけど、その時代のひとがやっていて、そのひとのパーソナルなところが出ていれば、俺は面白いかなと思います。

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その当時王道のベスト・ワンされていた音楽にはやっぱり力強さを感じられるんですよね。漫画に関しても似たものを感じます。もちろん例外はありますけど。

2〜3年前だっけ? 快速東京のライヴで知り合って、カタコトのカセットを買って、ドラゴンくんの絵をいろいろ見せてもらったんだよね。ドラゴン君にはすごくたくさんある引き出しのなかで、今回の初めての個展で、いろんな自分を見せるんじゃなくて、ひとつのコンセプチュアルな作品を見せたじゃない?

D:それは意識しましたし、現実的にも出せる作品が溜まっていなかったんです。僕、普段はクライアントワークばかりやっているんで、いざ個展をやろうとしたとき、そんなに作品は溜まっていないというか。だから個展やるときに、ひとつコンセプトを決めて展示するってアイディアにいきがちな部分もあります。

クライアント仕事へのストレスが作品に表れていたりする?

D:それはあるかもしれないです。とはいえ、仕事のようにスケジューリングをして、全部作るのに2ヶ月くらいかかりましたね。終わったのは個展が開始する1週間前でした。普段のクライアントワークで時間は厳守していたので、そこはきっちり守れましたね(笑)。

クライアントワークではどういう仕事が多いの?

D:東京メトロのCMで使われるような絵の仕事とかですかね。

アイフォンとかアマゾンとかって、現代の消費生活を象徴しているものだと思うんだけど、そういうものを屈託無く描くよね?

D:そう思いました(笑)?

うん。例えば僕なんかはアイフォンもアマゾンも利用するけど、複雑な気持ちになるもんね。むちゃくちゃ頭にきたりするけどね。でも仕方がねぇから使うか、みたいな。

D:僕は全然複雑な気持ちじゃないんですよ。でも、そう言ってもらえて良かったです。僕はこれが批判的に捉えられていたら嫌だなと。見方によればすごくベタな現代批判みたいに思われそうで。

あまりにも屈託が無さすぎると思ったくらいですよ(笑)。

D:でも僕はいつもそういう感覚ですよ。否定も肯定もせず、みたいな。

話は変わりますが、カタコトはどうなっているんですか?

D:セカンドは半分くらい進みました。やる気はあるんですが、忙しくて……(笑)。1回アルバム制作を経験しているから、もう1回あれをやるのかぁっていうか(笑)。サクッといかなかった思い出が強いんです。メンバー同士の話し合いもストレスになるし。ひととモノを作るってストレスが溜まりますよね。

カタコトの屈託の無さが好きなんだよね。ストリート系ヒップホップに対するリスペクトもすごくあるんだけど、ヒップホップは幅広いモノだから。でも、カタコトみたいなものは変種だよね(笑)。

D:もうちょっと頑張らないとダメだな(苦笑)。

いま普段聴いている音楽って何?

D:相変わらず何でも聴いていますね。ヒップホップも聴くし、新しいものも聴いていますよ。カニエの新作とか(笑)。聴いてもあんまりなんとも思わなかったですけど。

ドラゴンくんはPSGのMVをやったじゃない? あれはどうやってやったの?

D:あれはPUNPEEくんに「お金はないけど、一緒にやってみませんか?」みたいな感じで誘われたんです。

それはどこでどう繋がったの?

D:これも不思議な話なんですけど、ユーチューブに自分の短いアニメーションを何個か上げていたんですよ。そこに何も考えず、自分の好きなアーティストをたくさんタグ付けしました。例えば、鎮座ドープネスの下に自分のアニメがきたらいいな、ぐらいの気持ちです。そうしたら、PUNPEEくんがたまたま見てくれたんですよ。それが2009年ぐらいなんですけど、その頃ってPSGも出たばっかりのときで。僕はスラックのファーストを予約して買うぐらい好きだったんですよ。『My Space』のときです。だからけっこう早かったというか。

PSGとドラゴンの世界観がハマっていたよね。

D:いまでもあれは言われますからね。相変わらずあの動画の再生回数は伸びてます。



アニメーションはそのときから自分でやっているんだよね。しかもコマ撮りで。

D:やってますね。最初、アニメは能動的に作っていたんですけど、PSG以降は全部頼まれて作るぐらいなので、あまりアニメーションを研究している感じではないんですけどね。だからアニメの絵は見るひとが見れば下手くそだとバレるというか。上手く動かせるひとってもっといるんですよ。いわゆるアニメの作法とかは僕は無視してるんで。

レトロスペクティヴな感覚があるよね。現代の消費生活を象徴するものが描かれていながら、アニメで再生されているのはある意味懐古的だけど、ドラゴンくんのなかに失われてしまったものに対する郷愁ってあるの? 

D:どうなんだろう。無意識的にはあるかもしれないですね。

ドラゴンくんから見て、昭和的な面白さってなんだと思う? 

D:難しいな。何なんでしょうね。でも古いものが好きなんじゃなくて、時間が経っても残る普遍的なものが好きなんです。

古いものが好きなわけじゃないと。

D:スヌーピーって造形もかわいいですけど、ここまで残っているからには、それなりの強度も持っていると思うんです。そこに僕はやられちゃう。ビートルズももちろんそうですけど。

スヌーピーの絵がグッとくるの?

D:絵ももちろんですけど、考えさせられる部分でもグッときてますよ。願わくば、自分の作品においても百年後のことを考えてしまうというか。音楽も、その当時王道のベスト・ワンにされていた音楽にはやっぱり力強さを感じられるんですよね。漫画に関してもそうで、もちろん例外はありますけど。

そう言われると、やはり水木さんは大きな存在なんだね。

D:水木しげるの魅力って絵だけじゃないですよね。

ドラゴンくんの作品は同世代に向けて描いている?

D:特に対象を考えているわけではないです。子供向けに描いてみたいとも思いますけどね。でも、自分が子供の頃を考えると、子供むけじゃないものも面白がっていたので、そこはあんまり子供に合わせる必要はないと思ってます。

映画では何が好きなの? 

D:うーん、何だろう……。映画はいろいろ見ますよ(笑)。タイのアピチャッポンとかすごい好きです。世界観が水木しげる的ですよ。ありえないことが起きているけど、誰も驚かないみたいな。

 

オオクボリュウ「Like A Broken iPhone | アイフォン割れた」開催中

2016年4月8日(金)- 4月24日(日)
トーク・イベント:4月16日(土)19:00-21:00 進行:安部憲行(本展キュレーター)】
時間:12:00-19:00  
休廊日:月曜日
会場:CALM & PUNK GALLERY (東京都港区西麻布1-15-15 浅井ビル1F)

Tel: 03-5775-0825
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