「K A R Y Y N」と一致するもの

『成功したオタク』 - ele-king

 2012年から世界的な広がりを見せたK-POPのなかでもトップを切り、16年には韓流グループで初めてフォーブス誌の「世界で最も稼ぐ有名人100人」に選ばれたBIGBANGは日本の観客動員数も(2位の嵐をダブルスコアで抑えて)1位となるなど破竹の勢いで10年間を駆け抜けた……と思いきや、その年の暮にメンバーのV.Iがケータイを没取して女性たちとパーティをやっているという報道が出たと思ったら、そこからスキャンダル報道がとまらなくなり、翌年にはT.O.Pが大麻で逮捕、事務所の株価暴落、兵役で特別扱いに非難、19年2月にはV.Iが経営するクラブ、バーニング・サンで暴行事件、同クラブで麻薬と性犯罪の疑惑も取り沙汰され、V.Iは警察に出頭、3月に入ると隠し撮りしていたセックス・ヴィデオを芸能関係者8人がアプリで共有していたことが発覚し、V.Iは引退を発表、韓国よりも日本のファンがV.Iを擁護したことも話題になった。さらにアプリを運営していた歌手のチョン・ジュニョンも逮捕され、同アプリに登録していたHIGHLIGHTやFTISLANDのメンバーもグループを脱退もしくは引退。この時も日本のファンが脱退阻止を働きかけて話題となり、V.Iは資金の横領など計9件の容疑(売買春あっせん、買春、違法撮影物の流布、業務上横領、常習賭博、外国為替取引法違反、食品衛生法違反、特定経済犯罪加重処罰などに関する法律違反、特殊暴行教唆)で実刑を課され、昨23年には早くも出所、チョン・ジュニョンには7年の刑が言い渡された。一連の事件はバーニング・サン事件もしくはスンリゲート事件と呼称され、V.Iと警察の癒着も明らかになったため警察幹部も立件されたことで疑惑は警察組織全体へと広がっていった。韓流衰退の合図だったともされる同事件を題材に『ガールコップス』や『量子物理学』といった映画もつくられ、うまく逃げおおせたと考えられている特権階級に対しては手段を選ばずに追及する姿勢がいまも続いている。

 ここまでのことは韓国では誰もが知っていて、それを前提につくられたドキュメンタリーが『成功したオタク』。チョン・ジュニョンがアイドルとして人気を博していたシーンを冒頭にちょっとだけ置いた以外は事件以後の余波が扱われ、彼らのことを「推し」ていた監督のオ・セヨンや他の女性ファンが自分たちの気持ちに整理がつけられず、怒りや虚無感、あるいはどう名づけていいのかわからない感情に振り回される場面が延々と記録されている。「成功したオタク」というのは「推しに覚えられるほど熱心なファンになった」という意味で(英題は『FANATIC(熱狂的)』)、セックス・ピストルズの親衛隊だったスージー・スーがデヴィッド・ボウイのようなメイクで有名になったプロセスとまったく同じ。そのようにして他のファンにも認識されるほど目立つファンになったことが、しかし、推しが(ここではバーニング・サン事件によって)ロクでもない存在になった途端に仇となり、「成功したオタク」だったことを悔いるようになっていく(ファンダムが崩壊した時に事態をどう受け止めればいいのかというケース・スタディというか)。「推し」というのは説明するまでもないけれど、ひいきのアイドルのことで、アイドルの応援を生きがいにすることは「推し活」や「推しごと」などと呼ばれている。「推し活」は人生を豊かにし、生き生きとしたものにしてくれ、たとえば鈴木愛理のソロ曲〝最強の推し!〟(https://www.youtube.com/watch?v=k8YRcE6BPNY)を観ると、「推し活」が無限大のパワーを与えてくれ、会社で出世し、政治家として成功する原動力になるものとして描かれている。基本的に「推し活」の背景には労働環境が劣悪で、働くことに喜びが感じられないという前提があり、そのような社会とのつながりを強化する効果が期待されている。社会に背を向けるような感覚は微塵もない。

 オ・セヨンは他の女性ファンたちと語り合い、彼女たちの声を記録し、慰め合い、裁判を傍聴しに遠くまで出かけ、買い集めたグッズの葬式を行う。捨てられるようで捨てられない。過去に対する複雑な感情が思いもかけない角度から滲み出す。セヨンはバーニング・サン事件を報道したパク・ヒョシル記者に最初は罵声を浴びせたことを反省し、謝りに行く。ヒョシル記者はセヨンを優しく慰めてくれ、このような事件が起きてもなお「推し」を擁護するファンは「パク・クネ元大統領の支持者たちに似ている」と言われる。セヨンはパク・クネを支持する人たちの集まりに足を運び、「ファナティック」を客観視することができ、かつてのファンたちにこれ以上、カメラを向けても仕方がないことを悟る。どんどん内省的になっていくセヨンは、さらに自分の母親もまた#Me Too運動で自分と同じように「推し」が犯罪者として糾弾され、自殺したことに苦しんでいることを知る……

 チョン・ジュニョンもパク・クネもいわば間違った指導者である。セヨンの言葉を借りると「推し活」というのは「(推しを)自分自身と同一視し限りなく信頼するという経験」で、「〝推し〟その人になりたい」という欲望へ発展していくという。それはおそらく指導者が他者ではなくなることを意味し、一種の神秘体験と同じ意味を持っている。ナチズムを研究した思想家、エリアス・カネッティは社会を構成する個々人には潜在的に接触恐怖があり、その恐怖から解放されたくて人々は群衆を形成するという(『群衆と権力』)。コミュニケーションがSNSなどの間接的な場で行われる頻度が増えれば、当然のことながら現実の生活において接触恐怖は増すだろうし、「群衆」も小規模なものが生まれやすくなる。「推し活」が増えるのもむべなるかなで、そうすれば間違った指導者と自分を同一視する機会も増えていくのは明らか。チョン・ジュニョンの例とパク・クネの例をここで重ね合わせているのはおそらく偶然ではないし、『成功したオタク』で描かれているのは、共同体が壊れたことで、むしろ、様々な接触が生まれていくプロセスである。複数で多様なコミュニケーションの増大。セヨンが最後に出会うのが、そして、母親だったという流れはそれこそ彼女がなぜ「推し活」に向かったかを示唆しているようで、かなりやるせない。

Sadistic Mika Band - ele-king

 日本のロック史にその名を刻むバンドのひと組、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏、今井裕、後藤次利らから成るサディスティック・ミカ・バンド。そのボックスセットが本日3月27日発売されている。
 MIKAがヴォーカルを務めた第1期および桐島かれんヴォーカル時代の第2期に発表されたオリジナル・アルバム&ライヴ・アルバム全6作に最新リマスタリングが施され(うち2枚は砂原良徳が担当)、新たに発見された京都でのライヴ音源を収める1枚、レア音源で構成される1枚を加えた計8枚のCDが封入される……のみならず、さらにBlu-rayとブックレットまで同梱という、なんとも豪華な仕様だ。
 また、ロキシー・ミュージックのフロントアクトとして演奏した際の音源として名高い『Live In London』、そのアートワークをあしらったTシャツの予約も開始されているので、そちらもチェックしておきましょう。

アーティスト:サディスティック・ミカ・バンド
タイトル:PERFECT! MENU
レーベル:Universal Music
品番:UPCY-90244
仕様:CD8枚組+Blu-ray+ブックレット
発売日:2024年3月27日
価格:22,000円(税込)
公式ページ

3月のジャズ - ele-king

 ジョン・コルトレーンアリス・コルトレーンの音楽や思想を後世に伝えるために設立された非営利団体のジョン&アリス・コルトレーン・ホームは、コルトレーンの一族や〈インパルス〉レコード、デトロイト・ジャズ・フェスティヴァル、ハマー・ミュージアム、ニューヨーク・ヒストリカル・ソサエティなどと提携し、今年2024年と2025年を「アリスの年」と位置づけ、さまざまな企画や催し、出版などをおこなっていくとしている。2月22日にはコルトレーン夫妻の息子であるサックス奏者のラヴィ・コルトレーン、アリスの娘であるシンガーのミシェル・コルトレーンに、アリス・コルトレーンに多大な影響を受けたハープ奏者のブランディ・ヤンガーらが集まり、夫妻とも縁の深いニューヨークのライヴ・ハウス、バードランドで記念コンサートがおこなわれた。そして、これら企画の一環としてアリス・コルトレーンの未発表ライヴ盤が発表された。


Alice Coltrane
The Carnegie Hall Concert

Impulse! / ユニバーサル

 ジョンの死後から4年経った1971年2月21日、ニューヨークのカーネギー・ホールでおこなわれたコンサートの模様を収録しており、もともと〈インパルス〉からリリースする予定で録音していたものの、諸事情でお蔵入りとなっていたものだ。アリスはインドのヨガの教祖であるスワミ・サッチダナンダ・サラスワティに師事しており、そのスワミ・サッチダナンダの統一ヨガ研究所の設立基金にコンサートの収益金は充てられた。アリスにとってはバンド・リーダーとして初めてのカーネギー・ホールでのコンサートとなり、参加メンバーはファラオ・サンダース(テナー&ソプラノ・サックス、フルート、パーカッション)、アーチー・シェップ(テナー&ソプラノ・サックス、パーカッション)というジョンの弟子たちと、コルトレーン楽団のベーシストだったジミー・ギャリソン、そしてセシル・マクビー(ベース)、エド・ブラックウェル(ドラムス)、クリフォード・ジャーヴィス(ドラムス)というラインナップで、そのほかに現代インド音楽の演奏家のクマール・クレイマー(ハーモニウム)、トゥルシー・レイノルズ(タンボーラ)も参加。アリスは1970年12月に5週間ほどインドに滞在し、その体験やサッチダナンダの教えをもとに1971年2月に『ジャーニー・イン・サッチダナンダ』をリリースした。このコンサートはアルバムの発表から1週間後におこなわれ、アルバムの演奏メンバーだったファラオやセシル、トゥルシーらも加わりし、『ジャーニー・イン・サッチダナンダ』のお披露目にも当たるものとなった。

 全体で1時間20分ほどに及ぶコンサートだが、演奏するのは『ジャーニー・イン・サッチダナンダ』から表題曲と “シヴァ・ロカ(シヴァ神の領域)”、ジョン・コルトレーンの代表ナンバーである “アフリカ”、“レオ” と長尺の4曲のみ。“ジャーニー・イン・サッチダナンダ” と “シヴァ・ロカ” は、スタジオ録音盤からおよそ2倍の長さにまで伸ばされた即興演奏が続く。まさにミュージカル・ジャーニーとも言うべき瞑想的で深遠な演奏で、銀河を思わせるアリスのハープの流れのなかを、ファラオやアーチーのサックスが泳いでいく。この2曲でアリスはハープを演奏しているのだが、“アフリカ” ではピアノを演奏している。当初のアリスは1965年にジョンのグループにマッコイ・タイナーの後任ピアニストとして参加していて、その当時を彷彿とさせる演奏である。原初的なアフリカの太鼓を思わせるダイナミックなドラム、モーダルななかにときおりセシル・テイラーのように鋭く覚醒したフレーズを挟むピアノ、激情的な咆哮を上げるサックスと、モード・ジャズとフリー・ジャズの狭間を行くような演奏が30分近く続く。瞑想的な『ジャーニー・イン・サッチダナンダ』の世界とは真逆の激しいパフォーマンスだ(ちなみに、数年前にこの “アフリカ” の演奏部分をA、B面に振り分けたブートレッグが発売されたことがある)。

 “レオ” はジョンの1966年の来日公演でアリス、ファラオらとともに演奏したナンバーの再演。1978年のロサンゼルスでのライヴ・アルバム『トランスフィギュレーション』でも演奏していて、そのときに「獅子座生まれの人が持つ根源的なエネルギーについてジョンが作曲したナンバー」だとナレーションを入れていた(このライヴ盤でも曲紹介はしているが、音声が小さくて不明瞭)。獅子座生まれのアリスに捧げた曲とも言える。『トランスフィギュレーション』のアリスはすべてオルガン演奏だったが、こちらではピアノ演奏なのでかなり印象も異なる。“アフリカ” の流れを引き継ぎつつ、よりフリーキーに振り切った演奏となっている。中間の鬼気迫る中にも緻密さを孕んだピアノ・ソロは圧巻だ。“アフリカ” と “レオ” はアリスの世界というより、ジョンとアリスが共同で作り出した世界の再現と言えるもので、このライヴを観た人はそこにジョンも存在したと思ったのではないだろうか。


Jahari Massamba Unit
YHWH Is Love

Law Of Rhythm

 マッドリブとカリーム・リギンズによるプロジェクト、ジャハリ・マッサンバ・ユニットのデビュー作『パードン・マイ・フレンチ』から2年ぶりの新作。アルバム・タイトルの “YHWH(ヤハウェ)” は「神」や「創造主」という意味だ。カリームのビートメイカー的なセンスは本作でも健在で、実際にはドラムを演奏していてもヒップホップのビートのように聴こえるし、またJディラ風のよじれやズレを意図的に生み出している。そして、“JMUズ・ヴォヤージ” でのエレピ、“ザ・クラッパーズ・カズン” でのトロンボーン、“ボッピン” でのフルートとマッドリブの楽器演奏は前作よりもさらに充実しており、ミュージシャンとしての熟練ぶりが感じられる。“ストンピング・ガミー” はアフリカ的な色彩を湛えたジャズ・ファンクで、エイドリアン・ヤングとアリ・シャヒード・ムハマンドの『ジャズ・イズ・デッド』プロジェクトに近い感触。“マッサンバ・アフダンス” はサンバのリズムで、1960年代のブラジルのジャズ・サンバ・トリオを現代的にアレンジしたものとなっている。


Tour-Maubourg & Ismael Ndir
The Panorama Sessions

Pont Neuf

 ツール・マーブルグはベルギー出身で現在はパリを拠点とするプロデューサー。ハウス系のDJプロデューサーだが、ジャズ的なピアノ/キーボード演奏を取り入れるなどジャズ・ハウス・クリエーターとして評価が高い。これまで『パラディス・アーティフィシャル』(2020年)、『スペーシズ・オブ・サイレンス』(2023年)と2枚のアルバムを発表していて、それらではディープ・ハウスなどにとどまらず、ダウンテンポやジャズ・ファンク、ブロークンビーツ調と幅広さを見せ、いずれにしてもキーボード演奏が楽曲の軸となっている。『スペーシズ・オブ・サイレンス』では2曲ほどサックス奏者のイスマエル・ンディールが参加した曲があったが、この度そのイスマエルと組んだEPをリリースした。ブリュッセルにあるパノラマ・スタジオでのセッション音源で、ドラマーのフレジュス・メアがサポートしている。ツールにとって、これまでのエレクトロニックな作品群に比べて生演奏に大きく舵を切った意欲作となっている。哀愁に満ちたサックスが心象的なメロウ・フュージョン調の “オープニング・テーマ”、ジャズ・ボッサのリズムを取り入れた “ラ・ベルセウス・デ・ヴュー・アマンツ”、ブロークンビーツ的なリズムにディープなピアノとサックス演奏がフィーチャーされた “サン・テ・ア・ラ・メンテ”。1990年代後半から2000年代のクラブ・ジャズやフューチャー・ジャズの時代、フランスでは〈イエロー・プロダクションズ〉を中心に、DJカム、サン・ジェルマン、レミニッセンス・カルテット、マイティ・バップなどが登場し、ジャズ・ハウス、ブラジリアン・ハウス、トリップ・ホップなどのサウンドが隆盛を極めた。そうした頃の雰囲気を感じさせる作品集である。


Amaro Freitas
Y'Y

Psychic Hotline / unimusic

 ブラジル出身のピアニスト、アマーロ・フレイタスの通算4枚目のアルバム。これまで〈ファー・アウト〉などから作品をリリースしてきたが、今回はアメリカの〈サイキック・ホットライン〉というレーベルからのリリースで、それに伴ってかアメリカのミュージシャンたちと共演する。ブランディ・ヤンガージェフ・パーカーのほかに1970年代からフリー・ジャズ方面で活動してきた大ヴェテランのハミッド・レイクも参加。アメリカ人以外にもシャバカ・ハッチングスやキューバ出身のアニエル・ソメイランが参加するなど国際色豊かなセッションとなっている。2020年にアマーロはアマゾン流域のマナウスという街に居留していたことあがり、そこでの経験が作品にインスパイアされている。アマゾンの自然やそこに住む先住民がモチーフとなり、以前のピアノ・トリオを軸とした作品から、より多彩な楽器群を交えた複合的な作品集となっている。アマーロ自身もピアノだけでなくカリンバ(ムビラ)やパーカッション類を演奏し、アフロ・ブラジリアン的な極めてルーツ色の強いサウンドだ。“エンカンタドス” は野趣に富んだアフロ・サンバ、もしくは隣国ウルグアイのカンドンベ調の作品で、シャバカのバンブー・フルートとアマーロのピアノの絡みは、ブラジルが生んだ奇才のエルメート・パスコアルを思わせるようだ。ブラジルからはエルメートはじめ、アイアート、ナナ・ヴァスコンセロスといった世界的なミュージシャンが登場しているが、彼らはブラジルとその源流であるアフリカの先住民たちのリズムとジャズを結びつけ、土着性に満ちた音楽を発信してきた。アマーロ・フレイタスのこのアルバムも、そうした系譜に繋がる作品と言えよう。

interview with Keiji Haino - ele-king

俺はラリーズに関しては、皆がけなすとほめたくなるし、絶賛すると批判したくなる。そういうフラットな立場でずっと接してきた。なにごとも、神話化されることが嫌いだし。

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の取材を始めてからちょうど3年が経った。周辺関係者インタヴューも含めて今なお継続中である。この取材は、「灰野さんの本を書いてくれ」というエレキング編集部からの依頼がきっかけだが、私自身の中にも「灰野さんの軌跡をちゃんと残さなくてはならない」という思いがずいぶん前からずっとくすぶっていた。灰野敬二ほどオリジナルな世界を探求し続けてきた音楽家は世界的にも稀、というか他にいないという確信があったから。半世紀以上にわたり、自分だけの音楽を追い求め、膨大な数の作品を残してきた彼の評価は、日本よりもむしろ海外での方が高いし、灰野の全貌を知りたがっているファンが世界中にいる。この貴重な文化遺産をできるだけ詳細かつ正確に文字として残さなくてはならないという一種の使命感に背中を押されて、私はこの仕事を引き受けた。

 灰野と私の関係についても少し説明しておく。私が灰野の存在を知ったのは1979年、彼が不失者を結成して間もなくの頃で、私は大学2年生だった。10月14日に吉祥マイナーで初めて不失者のライヴを体験し、続く27日にも法政大学学館ホールで観た。当時の不失者のベイスはガセネタの浜野純。その後も80年代には不失者だけでなくソロなどいろんな形態での彼のライヴに通い続けた。85年頃からは個人的なつきあいも始まり、不失者のライヴ・ツアーを主催したこともあったし、互いの家でレコードに聴き浸ることもしばしばだった。90年代以降は、ライヴを観る機会がめっきり減り、雑誌の取材などで時々会う程度の希薄な関係になったが、レコード・リリースやライヴ・ツアーなど海外での活躍が目立つようになった彼を遠くから眺めつつ、「ようやく灰野敬二の重要さが認められる時代になってきたな」とうれしく思っていた。そして、ここ3年間、100回以上のライヴに通い、彼の自宅でのインタヴューを続けてきた。

 今年秋に出すつもりで進めている本は、灰野敬二の音楽家としての歩みをまとめた、伝記的なものになるだろう。2012年に出た『捧げる 灰野敬二の世界』(河出書房新社)は、灰野が音楽家としての哲学を語った対談集とディスク紹介、年譜という内容だったが、今回の本では自身の言葉で音楽活動の軌跡を詳細に語ってもらっている。また、私生活や様々な交友関係など音楽からちょっと離れたことにもできるだけ触れてもらい、人間・灰野敬二の全体像、それを取り巻く時代の空気を描くことをめざしている。雑談的に語られるエピソードが彼の本性を照らし出すことは少なくないはずだ。まだリストアップされていないが、灰野が好きな音楽家やレコードを紹介するページは、私も楽しみにしている。

 というわけで、今月から、本の前宣伝を兼ねて、これまでにおこなってきた灰野インタヴューの中からちょっと面白いエピソードをランダムに紹介していく。単行本にする際は、膨大な発言を整理、編集しなくてはならないわけだが、ここではできるだけ対話を素起こしのまま(若干の補足説明を加えつつ)紹介したいと思う。単行本には載らないであろう言葉も多いはずだ。第1回目は、「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」、そして「ダムハウス」について。

■《エレクトリック・ピュア・ランド》と水谷孝

 《エレクトリック・ピュア・ランド》は、ロスト・アラーフのヴォーカルの灰野とドラマーの高橋廣行=通称オシメ、そして裸のラリーズの水谷孝が共同で企画したライヴ・イヴェント・シリーズで、73年から74年にかけて計5回開催された。ロスト・アラーフ(当時はキーボードの須田とベイスの斉藤も随時参加)とラリーズ以外に出演したのは、頭脳警察、カルメン・マキ&OZ、セブン(アシッド・セブン)、紅とかげ、南正人などである。

《エレクトリック・ピュア・ランド》の第1回は73年7月3日、池袋シアターグリーンですね。

1秒をどれぐらい自由自在に操れるかの訓練を自分でやった。別の言い方をすれば、間と呼吸の訓練。それは、生易しいもんじゃない。

灰野敬二(以下、灰野):1回目の出演者はロスト・アラーフと裸のラリーズだけだったけど、その後、南正人さんなどいろんな人たちに出てもらった。中心になって企画を進め、現場を仕切っていたのはオシメ。彼は元々プロデューサー志向が強い人だったからね。

灰野さん自身とラリーズとの接点は?

灰野:水谷氏と初めてちゃんと話したのは70年、7月に富士急ハイランドで開催された《ロック・イン・ハイランド》の少し後だったと思う。場所は、ちょうど楽器セールをやっていた渋谷道玄坂のヤマハだった。「君の声と僕のファズ・ギターを絡めたい」と言われたんだよ。でも、俺が初めて彼を見たのは、70年3月の南正人さんの《魂のコンサート》の時だった。俺が学生服姿で飛び入り参加したそのコンサートでは、南さんが「渋谷を歩いていたら雰囲気のある奴がいて、シンガーだというから連れてきた」と言って水谷氏をステージに上げ、彼は弾き語りをしたんだよ。俺はそれを観ていただけで、彼との会話はなかったけど。水谷氏が俺を初めて認識したのはさっきの《ロック・イン・ハイランド》にロスト・アラーフが出た時だったみたいだね。「ラリーズが会場に着いた時ちょうどロスト・アラーフをやっていた」と、後日、山口富士夫がオシメに言ったそうだよ。だから、水谷氏はヤマハで俺に話しかけたのかもしれない。あと、俺がロスト・アラーフに加わって最初に練習した(70年7月)のが渋谷の宮益坂のミウラ・ピアノ・スタジオという場所だけど、後にラリーズもそこをよく使っていたね。
 当時の我々の行動パターンは、道玄坂のヤマハでレコードを買って、ブラックホークかBYGかムルギーに行くという流れだったから、そのあたりで音楽関係者と顔見知りになることが多かった。水谷氏と道玄坂ヤマハで立ち話をした時、俺は下の部分がない中途半端なフルートとコンガを買ったのを憶えている。持って帰るのが大変だった。フルートはその頃から練習し始めたけど、人前で吹き出したのは80年代以降だね。

オシメはロスト・アラーフ解散後の75年には、一時期、ラリーズのドラマーとしても活動してましたよね。水谷さんと仲が良かったのかな?

灰野:《エレクトリック・ピュア・ランド》からのつきあいに加え、オシメが経営していた渋谷のアダン・ミュージック・スタジオをラリーズがよく使っていたからね。ラリーズはちょうど、ドラムの正田俊一郎が脱退した頃だったから、オシメが代わりのドラマーになったんだよ。で、オシメの後にサミー(三巻俊郎)がドラマーになった。

ヤマハで水谷さんから「君の声と僕のファズ・ギターを絡めたい」と言われた時、灰野さんはラリーズに関してはどの程度知ってたんですか?

灰野:ほとんど聴く機会はなかったけど……まあ、普通の8ビートのロックだなと思っていた。《ロック・イン・ハイランド》の時も俺は観ていない。ライヴをちゃんと聴いたのは、《エレクトリック・ピュア・ランド》の第1回(1973年7月3日 池袋シアターグリーン)の時だった。その時俺は水谷氏に「ヘタだけど好きです」と言ったんだ。水谷氏は「ヘタは余計じゃないか」とあの口調で言った。俺はいつも正直に言うからね。それに、上手い下手よりも、好きかどうかが大事だし。気持ちって、隠そうとしても、どうしても伝わってしまうからね。ラリーズはロックの新古典派だと思っている。

水谷さんは灰野さんの歌に関してはどう言ってました?

灰野:その頃ではなく、『わたしだけ?』(81年)が出た頃のことだけど……彼とは《エレクトリック・ピュア・ランド》の後もずっとつきあいがあり、時々会ったりもしていたし、喧嘩も何度もした。アルトーとマラルメのことでもめたり(笑)。で、『わたしだけ?』が出た後、「歌詞もしっかり読んだよ」と彼に言われてうれしかった。


灰野敬二『わたしだけ?』

 俺と水谷氏はみんなが思っているほど仲が良かったわけじゃないし、みんなが思っているほど仲が悪くもなかった。俺はラリーズに関しては、皆がけなすとほめたくなるし、絶賛すると批判したくなる。そういうフラットな立場でずっと接してきた。なにごとも、神話化されることが嫌いだし。
 時間と共に、皆、優等生になっていってしまう。90年代に流行ったロウファイとかヘタウマも、そういうスタイルの優等生にすぎない。自分たちの世界を作り上げたがゆえに、それを保険にして、その枠から出ようとしなくなる。俺は絶対に自分の形を守ろうとはしないよ。

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あの体験がなかったら、ポップ・スターになっていたかもしれないよね。音楽の何に着目するかで、その後の音楽家としての生き方が全然違ってしまったわけで。

■ダムハウスのアニキ

73年に京都にしばらく滞在していたそうですね?

灰野:銀閣寺の近くにあるダムハウスという喫茶店ね。俺がアニキと呼んでいるそのマスター飯田さんと最初に会ったのは渋谷のアップルハウスだった。オシメが浅海さん(ロスト・アラーフの初代ピアニスト浅海章)と出会い、ロスト・アラーフ結成のきっかけにもなった場所で、ビートルズ・シネ・クラブの本部があった場所。俺も時々行ってて、京都からふらりと遊びに来たアニキとそこで出会った。ジャズやブルースに非常に詳しい彼から、「ジャズを聴いた方がいいよ。君だったらいつ来てもうちに泊めてあげるから」と言われたんだ。当時俺はジャズにはほとんど興味がなかったんだけど、時間もあったので、京都まで行ってみた。結局ダムハウスの2階に一ヵ月半滞在し、ひたすらジャズとブルースのレコードだけを聴いていた。店の手伝いをしながら。店が1階で、2階が住居。毎日、定食もごちそうになって。隣が風呂屋だったから便利だったな。バックパッカーみたいな連中もよく泊まってた。音楽中心のちょっとしたコミューンみたいな感じだった。後の「どらっぐすとぅあ」などにつながってゆく感じだね。

京都では演奏はしなかったんですか?

灰野:いや、その一ヵ月半は一切しなかった。レコードを聴くだけ。でも、ライヴを観に行ったりはしたよ。思い出深いのは、京都大学西部講堂での山下洋輔トリオだね。アニキはチャーリー・パーカー以上はいないと言い切るほどのパーカー信者で、巷間「フリー・ジャズ」と呼ばれているものにはまったく興味ない人だったけど、なんとなく一緒に観に行ったの。オシメが山下洋輔ファンだったから、俺も彼から『木喰』(70年)だけは借りて聴いていたけど、あまり惹かれなかった。既に聴いていたセシル・テイラーの二番煎じみたいだな、という印象で。彼らはステージ上ではなく、フロアで演奏しており、俺は一番前、彼らのすぐ目の前で聴いていた。21才の若造が、フーン、なるほどね……みたいな感じで。で、演奏の途中で突然ブレイクして音が一瞬止まった時、俺はジャンプしたんだ。彼らを試してみたくなって。でも、彼らはまったく動揺することなく、また演奏が始まった。その時、彼らの覚悟を見た気がした。これは違うなと。

その時のメンバーは?

灰野:山下洋輔(p)、坂田明(as)、森山威男(ds)。30年ぐらい後、一緒にやるようになってから坂田さんにその時のことを話したけど、彼は全然憶えてなかった。


山下洋輔トリオ『Clay』

で、ダムハウスでは具体的にどういうレコードを聴きこんだんですか?

灰野:ジャズとブルースだけ。毎日、何度も何度も聴き続けた。これだけを徹底的に聴けば他は必要ないと、アニキが12枚のLPを選んでくれたんだよ。その12枚は、チャーリー・パーカー『"Bird" Symbols』(61年)、チャーリー・パーカー・クァルテット『Now's The Time』(57年)、ピアニスト/シンガーのリロイ・カーとギタリストのクラッパー・ブラックウェルのデュオ作『Naptown Blues 1929-1934』(73年)、ファッツ・ナヴァロ『The Fabulous Fats Navarro Volume 1』(57年)、セロニアス・モンク『Genius Of Modern Music Vol. 1』(56年)、ブラインド・レモン・ジェファーソン『The Immortal Blind Lemon Jefferson』(67年)、ジョン・リー・フッカー『No Friend Around』(69年)、T-ボーン・ウォーカー『Stormy Monday Blues』(70年)、ゴスペルのコンピレイション盤『Ain't That Good News』(69年)。タイトルがすぐ出てこないけど、レスター・ヤングとグレン・グールドもあったな。彼にとってはグールドもジャズというとらえ方だった。あっ、一番肝心なのを忘れてた。チャーリー・クリスチャン & ディジー・ガレスピー 『Dizzy Gillespie / Charley Christian 1941 (Minton's Playhouse & Monroe's Uptown, New York City)』(53年)。これは特に徹底的に聴かされた。

アニキとはその後のつきあいは?

灰野:ずっとある。いつだったか、ダムハウスはその後閉店したんだけど、アニキとは10年に1度ぐらい連絡を取り合い、うちにも遊びに来たことがあった。彼はその後、新たな店を始めたんだ。バロック音楽しかかけない「ロココ」という喫茶店。

このダムハウスでの修行的な集中リスニング体験は、その後のミュージシャンとしての活動にどのような影響を与えたと思いますか。あるいは、土台になってますか?

灰野:もちろんなっているんだけど、特にジャズは勉強として聴いたし、こうあるべきだという聴き方をしたせいで、ジャズが楽しくなくなっちゃたんだよね。ずっと呪縛があった。反対に、スワン・シルヴァートーンズなど50年代のゴスペルはロックとして聴けるようになったけど。

でも、モンクやチャーリー・クリスチャンなどは大好きだとずっと言ってきたじゃないですか。昔、僕にもずいぶん勧めましたよね。実際僕は、80年代半ばに灰野さんに言われてチャーリー・クリスチャンのレコードを買ったし。

灰野:ジャズの美しい形として聴くべきだと言ったの。なんでもそうだけど、ひとつのことをやると、もう一方のことを忘れてしまいがち。俺の場合は、ジャズの色を楽しむということを遮断されちゃった感じなの。音の表と裏の関係は深く理解できたけど。だからこそ俺は、表と裏の真ん中を自分で勉強したわけ。そこから生まれたのが不失者だよ。微妙なタイミングのとらえ方は、この時のジャズとブルースの勉強が土台になっていると思う。そこから更に、1秒をどれぐらい自由自在に操れるかの訓練を自分でやった。別の言い方をすれば、間と呼吸の訓練。それは、生易しいもんじゃない。俺は京都から戻ってから、この12枚を自分で揃えて、更に徹底的に聴いて学習した。冬、コタツに入って夜中にずっと聴き続けてそのまま寝落ちして、明け方牛乳配達の音や小鳥のさえずり、通りを箒で掃く音などで目が覚めるんだけど、そういった一つひとつの音を裏、表、裏、表……と感知して、頭がおかしくなりそうだった。物と物が触れているか触れていないか、その関係を無限に探求し続けるぞと思った。

京都での一ヵ月半は、その後の音楽家人生にとってものすごく重要だったわけですね。

灰野:そう。笑っていいけど、あの体験がなかったら、ポップ・スターになっていたかもしれないよね。音楽の何に着目するかで、その後の音楽家としての生き方が全然違ってしまったわけで。俺はあの時から、音楽の根源を知りたいと思うようになったの。あれが本当の始まりだったと思う。当時、アニキは「君は既にやっているよ、無意識で」と言っていたけど。よせばいいのにということをやっちゃう、それでしか得られないことがある。アルバート・アイラーはやったけど、コルトレインはやっていない。だから俺はずっとアイラー派なの。アニキと俺の関係は、ボクシングの名トレーナーが一つの才能を見つけて育てたようなものだと思う。間違いなく恩人だよ。彼と出会わなくてもモンクもチャーリー・クリスチャンも聴いただろうけど、彼はそこに違う見方や回路を示してくれたんだから。

灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回「ロリー・ギャラガーとレッド・ツェッペリン」そして「錦糸町の実況録音」について

Rafael Toral - ele-king

 「アンビエント/ドローンの歴史の中で、重要なアルバムを上げてみよ」と問われたら、私は1994年のラファエル・トラルの『Sound Mind Sound Body』と2004年のシュテファン・マチューの『The Sad Mac』の二作は必ず入れると思う。ノスタルジックなムードのドローン音という意味で、現在まで続くアンビエント/ドローン・ミュージックの源流のように聴こえてくるから。
 そして1994年から30年後に発表された『Spectral Evolution』は、ラファエル・トラルがアンビエント/ドローン的な「音楽」に久しぶりに回帰した作品であり、彼の音響実験の成果が見事に結晶したアルバムであった。いや、もしかするとアルバム『Spectral Evolution』は、ラファエル・トラルの30年に及ぶ活動・経歴のなかでも、「最高傑作」と呼べる作品ではないか。むろんそんなことを軽々しくいうものではないことは十分に承知しているけど、しかし本作は彼が1995年の『Wave Field』以来、さまざまな音響の実験を経て、ついに新たな「音楽」へと辿り着いたといってもいいほどのアルバムに思えたのだ。

 ラファエル・トラルは、ポルトガルの実験音楽家でありギタリストである。1995年に実験音楽とシューゲイザーがミックスされたような『Wave Field』をリリースした。この二作はいまだ名作として語り継がれている。
 トラルは以降も、旺盛な活動を展開し、多くのアルバムを送り出してきた。2004年には日本の〈Headz〉からリリースされた『Harmonic Series 2』を覚えている音楽マニアの方も多いのではないか。近年ではギターから距離をとり、自作の電子音楽器で自在に即興的な電子音を生成する音響作品を制作している。この『Spectral Evolution』は、そんなトラルがギター/音響/アンビエントに、ついに「回帰」したアルバムとひとまずは言えるかもしれない。

 そして『Spectral Evolution』は、ジム・オルークが〈Drag City〉傘下で運営する〈Moikai〉からリリースされたアルバムなのだ。〈Moikai〉は、ポルトガルの電子音楽家ヌーノ・カナヴァロ『Plux Quba』を再発したことで知られるレーベルである。ちなみに〈Moikai〉からはトラルのファースト・アルバム『Sound Mind Sound Body』もリイシューされていた。
 ヌーノ・カナヴァロ『Plux Quba』と『Spectral Evolution』を並べてみると、どこか共通点を感じる方も多いのではないか。ポップで、人懐こく「親しみのある実験音楽」という風情が共通しているとでもいうべきか(ジム・オルークとラファエル・トラルの共演は、トラルの運営する〈Noise Precision Library〉から2010年に『Electronic Music』というアルバムとしてデジタル・リリースされている)。

 むろん、この『Spectral Evolution』に限らずラファエル・トラルはずっと音楽の実験と音響の生成を続けてきたし、どのアルバムも大変に興味深い出来栄えだった。なかでもここ数年、〈Room40〉からリリースされた『Moon Field』(2017)、『Constellation in Still Time』(2019)などは、静謐なサウンドの実験音楽・電子音楽作品として、どれも素晴らしいものだった。
 また、2018年の『Space Quartet』などは即興的な電子音響の生成によって、どこか20世紀、スペースエイジ・レトロフューチャー的な50年代の電子音楽をジャズ化したような独創的なアルバムであった。これは〈Staubgold〉からリリースされていた「Space Elements」シリーズが源泉かもしれないが。

 私が思うに、本作『Spectral Evolution』は、この『Space Quartet』(および「Space Elements」シリーズ)で展開された電子音楽・即興・音楽という要素を、さらに拡張した作品に仕上がっていた。むろん『Spectral Evolution』にはジャズ的な要素・演奏はない。どちらかといえばフェネスの『Endless Summer』(2001)ともいえる電子音響/ドローンを展開している。しかし鳥の声のような電子音の即興/生成によるピッコロのような音が作品内に展開し、それがサウンドの生成変化の「起爆剤」になっているさまに共通項を感じるのだ。ジャズに展開するか、電子音響/ドローンに展開するかの違いとでもいうべきだろうか。まるでふたつの音楽・音響世界が、出発点を同じとする並行世界であるかのように聴こえてしまったのだ。
 じっさい『Spectral Evolution』は、この地球の自然現象や野生生物の発する音をスキャンしながらも、まるでこの地球ではない別の「地球」を生成していくような音響空間を構成しているように感じれた。最初は印象的なギターのフレーズからはじまり、そこに電子音が絡まり、レイヤーされ、次第にスケールの大きな(もしくは顕微鏡を覗き込むようなミニマムな)音響へと変化を遂げていくさまは、まさに2024年の『Endless Summer』。永遠の夏への希求がいまふたたび電子音楽・実験音楽として立ち現れてきたというでもいうべきか。まさに『Sound Mind Sound Body』『Wave Field』的なアンビエント/ドローン・サウンドの系譜にある作品なのだ。
 00年代以降、ギターから離れ、独自の電子楽器で自在に電子音を生成=演奏してきたトラルが、ギターをふたたび手にとったこと。その傾向は、先に書いたように、『Moon Field』から聴くことができたが、本作『Spectral Evolution』ではついに全面的に回帰した。しかも90年代以上の音響空間を生成しての回帰である。それは反動としての回帰ではなく、進化=深化としての回帰でもある。なぜなら、そこには20年以上におよぶ音響実験が経由されているのだから。

 アルバムは、CD/LPは全12曲にトラック分けされている。デジタル版は1トラックにまとめられている。これはどちらがオリジナルというわけではなく、それぞれのメディアの特性に見合った選択をしたというべきだろう(私としてはトラック分けされている方が好みではあるが)。
 じっさい『Spectral Evolution』は、47分で1曲とでもいうように、シームレスに音響が変化していく。音と音がつながり、変化し、そしてまた別の音響へと連鎖されていくさまは圧巻だった。その音響の変化の只中に聴覚を置くとき、リスナーは深い没入感を得ることになるはず。
 トラルのこれまでのアルバムをいっさい聴いたことがなくとも、アンビエント/ドローンに興味のあるリスナーならぜひ聴いてほしい。かつて「アルヴィン・ルシエ・ミーツ・マイブラ」と呼ばれたトラルの魅惑的な音響世界がここにある。

exclusive JEFF MILLS ✖︎ JUN TOGAWA - ele-king

 子どものころTVを観ていたら「宇宙食、発売!」というコマーシャルが目に入った。それは日清食品が売り出すカップヌードルのことで、びっくりした僕は発売初日に買いに行った。ただのラーメンだとは気づかずに夢中になって食べ、空っぽになった容器を逆さまにして「宇宙船!」とか言ってみた。カップヌードルが発売された2年前、人類は初めて月面に降り立った。アポロ11号が月に降り立つプロセスは世界中でTV中継され、日本でもその夜は大人も子どももTV画面をじっと見守った。翌年明けには日本初の人工衛星が打ち上げられ、春からの大阪万博には「月の石」がやってきた。秋にはイギリスのTVドラマ「謎の円盤UFO」が始まり、小学生の子どもが「宇宙」を意識しないのは無理な年となった。アポロが月に着陸した前の年、『2001年宇宙の旅』が1週間で打ち切りになったとはとても思えない騒ぎだった。

 ジェフ・ミルズが2008年から継続的に続けている「THE TRIP」は宇宙旅行をテーマにしたアート・パフォーマンスで、日本では2016年に浜離宮朝日ホールでも公演が行われている。COSMIC LABによる抽象的な映像とジェフ・ミルズの音楽が混じり合い、幻想的な空間がその場に満ち溢れていた。このシリーズの最新ヴァージョンがブラックホールをテーマにした「THE TRIP -Enter The Black Hole-」で、ヴォーカリストとして初めて戸川純が起用されることとなった。公演に先駆けてアルバムも録音されることになり、戸川純は2曲の歌詞を書き下ろし、ジェフ・ミルズがあらかじめ用意していた4曲と擦り合わせる作業が年明けから始まった。レコーディングはマイアミと東京を結んでリモートで行われ、ジェフ・ミルズによる細かい指示のもと〝矛盾〟と〝ホール〟の素材が録音されていく。当初は〝コールユーブンゲン〟のメロディが検討されていた〝ホール〟には新たなメロディがつけられることになり、様々なエデイットを経てまったくのオリジナル曲が完成、オープニングに位置づけられた〝矛盾〟には最終的にギターを加えたミックスまで付け加わった(それが最初に世の中に出ることとなった)。
 レコーディングを始める前からジェフ・ミルズに戸川純と対談したいという申し出を受けていたので、本格的なリハーサルが始まる前に機会を設けようということになった。ジェフ・ミルズがオーストラリアでトゥモロー・カムズ・ザ・ハーヴェストのライヴを終えて、そのまま日本に到着した翌日、2人は初めてリアルで顔を合わせた。戸川純がソロ・デビューして40年。ジェフ・ミルズが初めて日本に来て30年。2人にとってキリのいい年でもある2024年に、2人はしっかりと手を取り合い、短く声を掛け合った。初顔合わせとなるとやはりエモーションの渦巻きが部屋中に満ち溢れる。それはとても暖かい空気であり、2人の話はアポロ11号の月着陸から始まった。

ブラックホールについて考えたことはしばしばあります。何度も考えました。でも、それについて問題点とか、よくないことはあんまり考えませんでした。今回、焦点を当てたのは「恐れと憧れ」ということです。――戸川純

ジェフにコンセプトを訊く前に、戸川さんはこれまで宇宙についてどんなことを考えたことがありますか?

戸川純:いまの宇宙について、どんなことが問題かとか、そういうことは考えたことがありませんでした。子どものころの宇宙観と変わらないままです。私は1961年生まれだから、60年代の未来観のまま来ちゃいました。

今回、「ブラックホール」というテーマで歌詞を書いて欲しいというオファーがあった時はどんな感じでした? オファーがあった日の夜にすぐ歌詞ができましたね。

戸川純:はい。ブラックホールについて考えたことはしばしばあります。何度も考えました。でも、それについて問題点とか、よくないことはあんまり考えませんでした。今回、焦点を当てたのは「恐れと憧れ」ということです。

「恐れと憧れ」でしたね、確かに。ジェフはどうでしょう。同じ質問。ブラックホールに最初に興味を持ったきっかけは?

ジェフ:もともと宇宙科学にはすごく興味があったし、僕は1963年生まれなんだけど、僕が子どもの頃、アメリカはNASAとかアポロ計画とか、アメリカ人には避けて通れない騒ぎとなっていて、子ども心にすごく影響を受けました。あと、アニメとかコミックス、映画やSFにと~~~っても興味があった。ブラックホールについて具体的に考え始めたのは、92年にマイク・バンクスとアンダーグラウンド・レジスタンスというユニットをやっていて、その時にX-102名義で土星をテーマにしたアルバム『Discovers The Rings Of Saturn』をつくって、その次に何をやろうかと考えた時、ブラックホールはどうだろうという話をしたんです。その時から企画としては常に頭にありました。

最初にかたちになったのは〝Event Horizon〟ですよね(DVD『Man From Tomorrow』に収録)。

ジェフ:どうだったかな。曲が多過ぎてもうわからない(笑)。

戸川純:63年の生まれなんですね。60年代の終わりまでにアメリカは月へ行くと大統領が宣言していて、ぎりぎり69年にアポロ計画が遂行されました。あれを中継で観ていて、宇宙ブームが全世界で起きて、日本も同じでした。NASAもそうだし、60年代の風景はアメリカと同じじゃないかな。日本はアメリカの影響をすごく受けてますから。子ども向けの「宇宙家族ロビンソン」とか「スター・トレック」(*当時の邦題は「S.0401年 宇宙大作戦」)、あと、私は観てはいけないと言われてたけれど、遅い時間に起きてTVでこっそり観た『バーバレラ』とか。

お二人はSFを題材にすることが多いですよね。ジェフの『メトロポリス』へのこだわりと戸川さんが参加していたゲルニカは同じ時代を題材にしていたり。

ジェフ:SFというのは特別な科学のジャンルで、イマジネーションが教育や勉強よりも大切だということを教えてくれる分野だと思う。自分のヴィジョンやアイディアを具現化することによってミュージシャンになったり、作家になることを可能にしてくれます。自分の経験を有効活用することができるんです。アポロが月面着陸した時は学校中の子どもが講堂に呼び出されて、みんなでTVを観ました。

戸川純:Me too.

ジェフ:僕はそれにとても感銘を受けたんですけれど、ほかの子どもたちは全然、興味なくて。

戸川純:ええ、そう?

ジェフ:まったく違う方向に行ったりと、受け取り方は人それぞれですよね。僕はその時のことが現在に繋がっていますね。

2人とも月面着陸を観た時は宇宙旅行に行ってみたいと思いました?

戸川純:Of course.

ジェフ:小学生にはそれがどんなに大変なことだったかはわからなくて、マンガとかSFではもうどこにでも行くことができていたから、僕はやっと本当の人間が行ったんだなと思いました。

戸川純:大変なことだというのは私もわからなかった。宇宙旅行に行くにはどれだけ訓練しないといけないとか、耐えるとか、何年も地球に帰ってこれないとか、精神が持たないとか、そういうことはわからなかった。

ジェフ:うん(微笑)。

〝矛盾〟の歌詞では宇宙旅行が「13度目」ということになっていますけれど、この数字はどっちから出てきたんですか?

戸川純:(手を挙げる)

どうして13だったんですか。

戸川純:不吉だから。

ジェフ:初めて知った(笑)。

戸川純:謎めいた感じにしたかったんです。

ジェフ:アポロ13号は事故を起こしたよね。

戸川純:ああ。

ジェフ:アメリカにはエレベーターに13階がないんです。

戸川純:日本のホテルにもそういうところはあるかもしれない。リッツ・カールトン・東京は13階には人が泊まれなくて、会社が入っています。

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SFというのは特別な科学のジャンルで、イマジネーションが教育や勉強よりも大切だということを教えてくれる分野だと思う。自分のヴィジョンやアイディアを具現化することによってミュージシャンになったり、作家になることを可能にしてくれます。――ジェフ・ミルズ

前回の「THE TRIP」では「地球がもう住みにくくなった」から宇宙旅行に行くという設定でしたよね。

ジェフ:どちらかというと地球が住みにくくなって宇宙に出ざるを得なかったというよりは宇宙に出ればもっといろんな答えが出てくるという考えでした。

戸川純:うん。

ジェフ:宇宙に出て、ここまで来ちゃったら、もう戻れない。「THE TRIP」というのはそのポイントから先のことを指しています。地球と自分がまったく別の存在になっちゃって、そこから何が起きるのか。リアリティとフィクションを混ぜ合わせることが「THE TRIP」のコンセプトなんです。

戸川純:もっとポジティヴなんですね。

ジェフ:そう、そう。でも、ノー・リターンなんです。帰ることはできないと悟った時点で、そこから冒険が始まる。進むしかないんです。

ノー・リターンは厳しいな(笑)。

戸川純:そこがどんな場所か、ですよね。帰りたくないと思うような場所かもしれないし……

ジェフ:いまはまだ空想上の話にしているけれど、現実的に片道切符で宇宙に行くという必要は出てくるんじゃないかな。

戸川純:そうですよね。

ジェフ:ワン・ウェイ・ジャーニーだとわかっていても火星に行きたい人を募集したら、けっこう集まってたでしょう。地球上でもたとえばイギリスからオーストラリアに島流しにあった人たちは、そこまでたどり着かないと思っていたのに、たどり着いた人たちは生き残ってオーストラリアという国をつくったじゃない?

戸川純:そうなんだ。へえ。

ジェフ:昔から地球規模では起きていたことですよ。

戸川純:面白いですね。ポジティヴでいいですね。

ジェフ:うん。

戸川純:私はネガティヴに考えているところがあるなと反省しました。

ジェフ:いや、それはある意味、当然のリアクションじゃないかな。やっぱりすごく大変なことですから。現実的に宇宙には酸素がないわけだし、酸素がなければ人間は生きられないし。

戸川純:うん。

ジェフ:そういうことを全部克服していかなければならないから。

じゃあ、イーロン・マスクが進めている火星移住計画には賛成ですか? 同じ質問をブライアン・イーノにしたら、そんな金があったら地球環境をよくするために使えと怒っていました。

ジェフ:僕は賛成です。火星に行くことによって地球のこともわかると思うし、地球環境の研究も進むんじゃないかな。

戸川純:なるほどね。

ジェフ:火星も昔は地球みたいな星だったから、どうしてああなったのかという変遷がわかれば地球を救えるかもしれないし。

戸川純:興味深い考え方ですね。

イーロン・マスクはロケットの名前をすべてイアン・バンクスのSF小説からつけていて、SFが現実になっていくという感覚はジェフと似ているかも。

ジェフ:そうなのかな。

では、なんで、今回は行き先がブラックホールになったんですか?

ジェフ:僕にとってブラックホールは自然な現象で、スパイラルというものに僕は関心があるんです。地球が回っているように、太陽系も回っているし、銀河系も回っているし、物理的に回ってるだけでなく、時間や自分たちのライフ・サイクル、昔の考え方ではリーインカーネション……?

戸川純:輪廻転生。

ジェフ:そう、輪廻転生。すべてがサイクルになっていて、その大元はなんだろうと考えた時に、もしかしたらそれはブラックホールなんじゃないかと。ブラックホールがすべての源だとしたら、それに影響を受けない人は誰もいないんじゃないかということをテーマにしています。

壮大ですね。

戸川純:ビッグ・バン。

ブラックホールとビッグ・バンにはなんらかの関係があると多くの学者は考えています。

ジェフ:そうです。こういうことを考える人はほかにもいると思うんですけれど、この世の中にあるものが全部回りながら動いているのは事実ですから。

戸川純:それは科学的根拠に基づいた事実だと思うんですけれど、私が思う矛盾のひとつに、死んだら意識が闇のなかに消えてしまって、何にもなくなってしまうという感情を持ちつつ、お寺では亡くなった人に祈ったりもするんですね。そういうところが私は矛盾しているんですよ。信じているのか信じていないのか。

ジェフ:そうですね。両方あるのかも。

素粒子の性質も矛盾していますよね。物質なのか、波なのか。

ジェフ:生まれる前に何もなかったとしたら、死んだら何もないと考えるのは自然な考えだし、すべてのものが回っているなら、命も回っていると考えるのも自然なことです。古代のマヤ文明とかで輪廻転生が信じられていたのも何かしら理由があるんじゃないかな。

戸川純:マヤ文明にしても、科学的に立証されている事実として物事が回っているにしても、私はさみしいなと思っていたんですよ。自分が死んだらすべてが終わってしまうということは、自分がこの世に未練が何もないみたいで。また、生まれ変わってこの世に生まれ落ちたいと思う自分の方がポジティヴだから。そうなりたいと思ってはいたんですよ。だからジェフさんの哲学には、すごく影響を受けます。

ジェフ:実際に自分たちの感覚とかサイエンスでは本当のことはまだ知り得ないと思うんですけれど、古代の人たちの知恵というのは無視するべきじゃなくて、そこには何かしら理由があったんじゃないかと思うから。すべてのものが回っているということは、みんなで考えるに値するテーマじゃないかなと思います。

私はジェフさんの90年代の音源を聴いて非常にアグレッシヴだなと思ったんですけど、東京フィルハーモニー交響楽団とコラボなさっているやつではまったく違ったことをやっていて、それはそれでアグレッシヴだし、ジェフ・ミルズさんの表現なんだけど、違う驚きを与えてくれて、それが「THE TRIP」でまた違う驚きを与えてくださって、すごくわくわくしました。――戸川純

ジェフから年末に「戸川純とコラボレートしたい」というオファーが届いた時、あまりに意外な組み合わせでびっくりしたんだけど、ある種の根源的なものというか、戸川さんのヴォーカルに生きる力みたいなものを感じたのかなと。実際に戸川さんとコラボレートしてみて、オファー前と印象が変わったということはありますか。

ジェフ:いや、思っていた通りでした。ジュンさんのことはかなりリサーチして、音楽を聴いて、映像もたくさん観たんですけれど、複雑な事情をうまく表現できる方だと思いました。そのことはコラボレーションして、さらに実感が深まりました。

戸川純:ありがとうございます。私はジェフさんの90年代の音源を聴いて非常にアグレッシヴだなと思ったんですけど、東京フィルハーモニー交響楽団とコラボなさっているやつではまったく違ったことをやっていて、それはそれでアグレッシヴだし、ジェフ・ミルズさんの表現なんだけど、違う驚きを与えてくれて、それが「THE TRIP」でまた違う驚きを与えてくださって、すごくわくわくしました。

ジェフ:ジャンルで差別するようなことはしないようにしていて、なんでも聴くようにしてるから、ひとつのことだけをやっていればいいとは思っていないんです。

常にチャレンジャーですよね。

ジェフ:人によってはそういうのは好きじゃないとか、がっかりしたという反応も当然あるんですけど、カテゴライズされたものをやるよりは自分のクリエイティヴィティはいつもチャレンジすることに向かわせたい。

戸川純:ジェフさんほどスケールは大きくないですけれど、私もチャレンジしてきたつもりです。ポップだったり、前衛的だったり。それでがっかりされることもあったのは同じですね。でも、新しく支持してくれる人を発見して、その都度やってきたつもり。私もチェンジしていく方が好きです。たまたまだけど、いま着ているTシャツは21歳ぐらいの時に撮った写真で、いまはこんなことはしないんですけど(と、舌を出している図柄を見せる)、リヴァイヴァルというか、チェンジし続けていたら、それこそまわりまわって、ここにまた戻ってきて。いまの若い人たちがこの頃の、80年代の私を支持してくださるので、その人たちにありがとうという気持ちでつくったTシャツなんですね。そういう回帰みたいなことはありますね。

ジェフ:いいものは時代を超えて評価されるということですね。

戸川純:わあ。

ジャンルとはまた別に、戸川さんがスゴいなと僕が思うのは、オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドの区別がないというか、国民的な映画やCMに出演したかと思うとパンクはやるわノイズ・バンドともコラボしたりで、なのに戸川純というイメージに揺るぎがないこと。

ジェフ:究極のアーティストなんですね。

戸川純:ありがとうございます。

では最後に、自分にはなくて相手は持ってると思うことはなんですか?

戸川純:アートですね。いま、究極のアーティストと言っていただきましたけれど、自分では自分のことをエンターテインメントな人間だと思っています。いつもどこかショービズに生きている。アクトレスとシンガー、それから文筆業としてやってきましたけれど、エンターテインメントはそれなりに大変だし、アートとエンターテインメントのどっちが偉いとも思わないし、突き詰めて考えたこともありませんが、私はエンターテインメントで、ジェフさんはアート、この組み合わせが今回のコラボは面白いんじゃないかと思います。

ジェフ:ああ、僕ももっとエンターテインメントできればいいんだけど(笑)。もうちょっとオーディエンスを楽しませるとか、そういうことができれば。

ぜんぜんやれてると思うけど(笑)。

ジェフ:ジュンさんにあって、自分にないものはやはり「歌う」ことです。人間の声にはどんな楽器にも勝る強い力がある。音楽のなかではやっぱり一番のツールが声なんです。それが才能だし、すごくパワフルなことだと思っています。僕とジュンさんは2歳しか違わないけれど、やはり61年生まれと63年生まれでは60年代の記憶がだいぶ違うと思うんです。60年代に起きたことの記憶が僕にはあんまりなくて、60年代のことをもっと実感したかった。60年代のことをアーティスティックな視点から理解することができなかったことは自分としてはかなり残念なことです。60年代というのは現在の音楽シーンや文化のスターティング・ポイントだったと思うので、いろんなことを繋げて考えていくと、どうしても60年代に回帰していく。ジュンさんの声には60年代が感じられます。

ジュンさんにあって、自分にないものはやはり「歌う」ことです。人間の声にはどんな楽器にも勝る強い力がある。音楽のなかではやっぱり一番のツールが声なんです。それが才能だし、すごくパワフルなことだと思っています。 ――ジェフ・ミルズ

ちなみに、お互いに訊いてみたかったことって何かありますか?

ジェフ:……。

戸川純:……。

一堂(笑)。

戸川純:たくさんあるけど……。

ジェフ:80年代や90年代から現在までずっと、音楽やファッション、あるいは発言によっていろんな人、とくにいろんな女の子たちに強い影響を与えてきたことを本人はどう思っています?

戸川純:いや、自分で言うのは照れますよ。実際に影響を受けましたと言ってくれる人もいるんですけど、それについて自分でいざ何か言うのは……

一堂(笑)。

戸川純:こんな和やかな場で言いたくはないんですけど、去年亡くなった最後の家族……お母さんが、えーと、暗い影響を私に与えたんですけれど、そのことによって私は奮起してきたんです。お母さんは私に「産まなきゃよかった、産まなきゃよかった」って私に言い続けて、小さい頃から、50代になってもずっと言い続けたんです。私は認めてもらおうと思って、がんばって活動してきて、その時々で喜んではくれるんだけど、ついポロっと「産まなきゃよかった」って。それに負けまいとして、なんとか、その言葉を覆そうとしてやってきたんです。ずっとやってきたので、これからもやり続けることに変わりはないんですけど、だから、なんて言うのかなあ、ジェフさんの話を聞いていて、ほんとにいろんなところでポジティヴだし、タフでらっしゃるし、今日は良き勉強をさせていただきました。Thank you.

ジェフ:こちらこそThank you.

(3月19日 南麻布U/M/A/Aにて)

「COSMIC LAB presents JEFF MILLS『THE TRIP -Enter The Black Hole-』」 Supported by AUGER
会 場:ZEROTOKYO(新宿)
日 程:2024 年 4 月 1 日(月) 第 1 部公演: 開場 17:30 / 開演 18:30 / 終演 20:00 第 2 部公演: 開場 21:00 / 開演 21:45 / 終演 23:15 ※第 2 部受付は 20:30
出 演: Sounds: JEFF MILLS  Visuals: C.O.L.O(COSMIC LAB) Singer: 戸川純  Choreographer: 梅田宏明  Costume Designer: 落合宏理(FACETASM) Dancer: 中村優希 / 鈴木夢生 / SHIon / 大西優里亜
料 金: 一般前売り入場券 11,000 円
チケットはこちらから https://www.thetrip.jp/tickets
主 催:COSMIC LAB 企画制作:Axis Records、COSMIC LAB、Underground Gallery、DEGICO/CENTER
プロジェクトパートナーズ(AtoZ):FACETASM、株式会社フェイス・プロパティー、日本アイ・ビー・エム株式会社、一般社団法人ナイトタイム エコノミー推進協議会、株式会社 TST エンタテイメント
オフィシャルサイト:https://www.thetrip.jp

サウンドトラック盤『THE TRIP -Enter The Black Hole-』

■配信
タイトル:『THE TRIP – ENTER THE BLACK HOLE』
アーティスト:ジェフ・ミルズ 全12曲収録
リリース日:2024年3月20日 0時(JST) ダウンロード価格:通常¥1,833(税込):ハイレゾ:¥2,750(税込)
配信、ダウンロードはこちらから https://lnk.to/JeffMills_TheTripEnterTheBlackHole

■CD
タイトル:『THE TRIP – ENTER THE BLACK HOLE』
アーティスト:ジェフ・ミルズ 全13曲収録  ※CDのみボーナストラックを1曲収録
リリース日:2024年4月24日 (4月1日開催のCOSMIC LAB presents JEFF MILLS『THE TRIP -Enter The Black Hole-』会場にてジェフ・ミルズ サイン特典付きで先行販売) 価格:¥2,700(税込) 品番:UMA-1147
[トラックリスト]CD, 配信
01. Entering The Black Hole 02. 矛盾 - アートマン・イン・ブラフマン (Silent Shadow Mix) * 03. Beyond The Event Horizon 04. Time In The Abstract 05. ホール* 06. When Time Stops 07. No Escape 08. 矛盾 - アートマン・イン・ブラフマン (Long Radio Mix)* 09. Time Reflective 10. Wandering 11. ホール (White Hole Mix) * 12. Infinite Redshift CDのみ収録ボーナストラック 13.矛盾 - アートマン・イン・ブラフマン (Radio Mix)*  *戸川純 参加曲

■アナログレコード
タイトル:『THE TRIP – ENTER THE BLACK HOLE』
アーティスト:ジェフ・ミルズ 全8曲収録 LP2枚組、帯・ライナー付き、内側から外側へ再生する特別仕様、数量限定
リリース日:2024年5月下旬 価格:¥7,700(税込) 品番:PINC-1234-1235
[トラックリスト]
A1. Entering The Black Hole A2. Time In The Abstract B1. Wandering B2. 矛盾 - アートマン・イン・ブラフマン (Silent Shadow Mix) * C1. When Time Stops C2. Time Reflective D1. Infinite Redshift D2. ホール*  *戸川純 参加曲

戸川純 ライヴ

3/31 渋谷プレジャープレジャー(ワンマン)
https://pleasure-pleasure.jp/topics_detail.php/2492

4/12 台北THE WALL(プノンペンモデルとツーマン)
https://www.ptt.cc/bbs/JapaneseRock/M.1709920228.A.4E3.html

ele-king books 既刊

新装増補版 戸川純全歌詞解説集──疾風怒濤ときどき晴れ 戸川純(著)
https://www.ele-king.net/books/007905/

戸川純エッセー集 ピーポー&メー 戸川純(著)
https://www.ele-king.net/books/006617/

戸川純写真集──ジャンヌ・ダルクのような人 池田敬太+戸川純(著)
https://www.ele-king.net/books/007462/

Kelela - ele-king

 まるで太陽神かなにかみたいだった。直視することがはばかられる、物理的な光の反射。ブラック・カルチャーでよく参照される古代エジプトと関連があるのだろうか。2023年9月3日、胸に円形の鏡を装着して神田スクエアホールの舞台にあらわれた彼女は、「わたしは光をまとって立っている」という “Contact” の歌詞どおり巧みに照明を利用し、文字どおり光を放っていた。
 黒人文化の入念な研究を経て送り出されたセカンド・アルバムは、ブラックであることと女性であることの両方をエンパワメントする作品だったわけだけれど、光を駆使するケレラはいまみずからが世界を変革するための道しるべになることを引き受けようとしているのかもしれない。好評を得た『Raven』から1年。そのリミックス盤『RAVE:N, The Remixes』もまた彼女の輝きを広く知らしめる作品となっている。

 ケレラがリミックス盤を制作するのはもはや恒例行事だ。ミックステープ『Cut 4 Me』(2013→2015)、EP「Hallucinogen」(2015→2015)、ファースト・アルバム『Take Me Apart』(2017→2018)……今回もングズングズやLSDXOXOといったこれまで一緒に仕事をしてきた面々から、おそらくはフックアップの意図もあるのだろう、まだそれほどリリース量が多いわけではないプロデューサーたちまで幅広く招集されていて、ある種のショウケース的な様相を呈している。
 最大のトピックは、今日もっとも無視することのできないエレクトロニック・プロデューサー、ロレイン・ジェイムズの参加だろう(“Divorce”)。彼女らしい独特のビートにケレラの歌声が絶妙に絡んでいくさまを聴いていると、ふたりのさらなるコラボを期待せずにはいられない。〈Hyperdub〉にも作品を残すカレン・ニャメ・KGによるアマピアノ(“Contact”)、シャイガールのラップをフィーチャーしたJD・リード(“Holier”)、フットワークとジャングルそれぞれのおいしい部分を同居させるDJマニー(“Divorce”)にDJ LHC(“Far Away”)、力強いダンス・テクノでフロアに火をつけるKYRUH(“Missed Call”)、原曲のジャングルから骨格を強奪し幽霊化してみせるA・G・クック(“Happy Ending”)、テイハナによるご機嫌なレゲトン(“Enough For Love”)などなどヴァラエティに富んだ内容で、それこそ先日コード9が言っていたような、現在クールとされているビートを全部用いた鍋料理のごとき1枚に仕上がっている。参加者たちはかならずしもブラックや女性のみで固められているわけではないものの、どのリズムもブラック・カルチャーが育んできたものばかりなのは見過ごせないポイントだろう。
 全篇にわたってたゆたいつづけるヴォーカルのおかげか、これほど多くのプロデューサーが関わっているにもかかわらず音の触感やムードはきれいに統一されている。もはやオリジナル・アルバムと言ってもいいくらいの完成度で、これまでのリミックス盤と比べても群を抜いてるんじゃなかろうか。

 本盤にも参加しているトロントのプロデューサー、バンビー(“Closure”)との対談でケレラは、「まったく異なるアレンジをクリエイトすることが大好きなんです。おなじテーマについて異なる方法で考えることを促してくれるから」と語っている(https://www.interviewmagazine.com/music/kelela-and-bambii-on-the-power-of-the-remix)。彼女にとってリミックスとは、べつの角度から世界を眺めることなのだ。そしてそれは新しい世界を切りひらくことでもある。「メインストリームから外れていたり簡単には理解されないといつも感じてきた人びとのための世界をつくりたい」。ないものにされているなら自分で世界をつくるしかない──そう述べる彼女は、カラリズム(同人種間において比較的明るめの肌色の人間がより濃い肌色の人間を差別すること)とミソジノワール(黒人女性嫌悪)と資本主義の交差が人びとの選択肢を狭めている、だったら自分自身で選択肢をつくるしかない、と提案してもいる。
 多様な才能たちが放つ光をみずから鏡となって反射すること。『RAVE:N, The Remixes』という「べつの選択肢」を用意することで彼女は、『Raven』で見せた新世界の可能性の断片をより遠くまで届けようとしているのかもしれない。荒れ狂う海原でいちるの希望となるような、灯台の光そのものとなることによって。

Larry Heard - ele-king

 シカゴ・ハウスのレジェンドのなかのレジェンド、ラリー・ハードが13年ぶりに来日する。ディープ・ハウスを定義した“Can You Feel It”、ハウスの妖しい光沢を示した“Mystery Of Love”、アシッド・ハウス・クラシックの“Washing Machine”……多くのクラシックを残した重鎮、この機会を見逃すな。

■Larry Heard aka Mr.Fingers Japan Tour 2024

4.26(Fri) 名古屋 @Club Mago

music by
Larry Heard aka Mr.Fingers
ayapam D.J. (WIDE LOOP)
Longnan (NOODLE)

2nd room DJ:
xxKOOGxx (Raw Styelz, VINYL)
HIROMI. T PLAYS IT COOL.

food: ボヘミ庵

Open 22:00
Advance 3,000yen(https://club-mago.zaiko.io/item/363289
Door 4,000yen

Info: Club Mago http://club-mago.co.jp
名古屋市中区新栄2-1-9 雲竜フレックスビル西館B2F TEL 052-243-1818


4.27(Sat) 東京 @VENT
=ROOM1=
Larry Heard aka Mr.Fingers
CYK
=ROOM2=
SHOTAROMAEDA
SATOSHI MATSUI
Pixie
Hikaru Abe

Open 23:00
DOOR: 5,000yen
ADVANCE TICKET: 4,500yen (優先入場)
(https://t.livepocket.jp/e/vent_20240427)
SNS DISCOUNT: 4,000yen

Info: VENT http://vent-tokyo.net
東京都港区南青山3-18-19 フェスタ表参道ビルB1 TEL 03-6804-6652


4.28(Sun) 江ノ島 @OPPA-LA
- the ORIGINAL CHICAGO -

DJ: Larry Heard aka Mr.Fingers, DJ IZU
artwork SO-UP (phewwhoo)
supported Flor de Cana
Open 16:00 - 22:00
"Limited 134people" Mail Reservation  *SOULD OUT*
5,000yen / U-23 : 3000yen (http://oppa-la.net)
Door
6,000yen / U-23: 4,000yen
Info: OPPA-LA http://oppa-la.net
神奈川県藤沢市片瀬海岸1-12-17 江ノ島ビュータワー4F TEL 0466-54-5625


5.2 (Thu) 大阪 @Club Joule
DJ: Larry Heard aka Mr.Fingers, DJ Ageishi, YAMA, Chanaz (PAL.Sounds)
PA: Kabamix
Coffee: edenico
Open 22:00
Door 5,000yen
Advance 4,000yen (e+ 3/22~販売
https://eplus.jp/sf/detail/4073520001-P0030001)
U-23 3,000yen

Info: Club Joule www.club-joule.com
大阪市中央区西心斎橋2-11-7 南炭屋町ビル2F TEL 06-6214-1223

Larry Heard a.k.a Mr.Fingers (Alleviated Records & Music)

 ゴッドファーザー・オブ・ディープハウス、シカゴハウスのオリジネーター、Mr.FingersことLarry Heardはシカゴのサウスサイドで生まれ、両親のジャズやゴスペルのレコードコレクションから音楽に興味を示すようになる。ローカルバンドでドラムを演奏していたが、シンセサイザーに魅かれ、1984年からシンセサイザーとドラムマシンでの音楽制作を開始する。1985年、Mr.Fingersとして”Mystery Of Love” でレコードデビュー。シカゴではハウスミュージックが全盛期を迎える中、1986年にリリースされたMr.Fingers ”Can You Feel It”は説明不要のハウスミュージック名曲として知られる。
 1988年にリリースされたMr.Fingersファーストアルバム『Amnesia』や、Fingers Inc.(Larry Heard、Robert Owens、Ron Wilson) アルバム『Another Side』ではハウスミュージックの創造性を追求し、シカゴハウス最高峰アルバムとして評価されている。1992年、ディープハウスを背景にR&Bやジャズ、コンテンポラリーな要素を取り込んだ、Mr.Fingers アルバム『Introduction』でMCAよりメジャーデビュー。
 1994年、Black Market Internationalよりリリースされた、Larry Heard名義としてのファーストアルバム『Sceneries Not Songs, Volume One』では、フュージョンやニューエイジをLarry流に昇華し、チルアウトやダウンテンポに傾倒した作風によってアンビエントハウスという言葉を産んだ。
作品はその後もコンスタントにリリースされながらもLarryは突如シーンからの引退を宣言し、コンピュータープログラミングの仕事に専念するためにメンフィスに移る。
 Track Mode主宰のBrett Dancerを筆頭に、アトランタのKai AlceやデトロイトのTheo Parrishらの功労によって、アンダーグラウンドなネットワークを通じてLarryは再度シーンと接触し、2001年にLarry Heard名義のアルバム『Love's Arrival』のリリースを伴いカムバックする。
現在もメンフィスを拠点に活動し、Mr.Fingers名義での最新アルバム『Around The Sun Pt.1』(2022年)、『Around The Sun Pt.2』(2023年)を自身主宰のレーベルAlleviated Records&Musicからリリース。
 彼の過去の作品が数多く再発されている近今、13年振りの来日となる。

http://alleviatedrecords.com

interview with Julia_Holter - ele-king



アポロの像に欠けてはならぬは、そういう繊細微妙な線だ。あの節度ある限定、粗暴な興奮からのあの自由、あの知恵にみちた平静が、この造形家の神にはつきものなのだ。

ニーチェ『悲劇の誕生』(秋山英夫訳)

 疲れている場合ではない。いま必要なのは、世界を新鮮に感じることだ。そしていまぼくは、ジュリア・ホルターの新作『サムシング・イン・ザ・ルーム・シー・ムーヴス(彼女が動く部屋のなかの何か)』を聴いている。

 「アート」という言葉はいまでは曖昧で実体を欠いた、ともすれば再開発の付属品みたいになっているので使いたくないから、少々回りくどい説明をする。ブライアン・イーノの『アナザー・グリーン・ワールド』(1975年11月)に大きな影響を与えたアルバムに、ジョニ・ミッチェルの『コート・アンド・スパーク』(1974年1月)がある。彼女のソングライティングの才能もさることながら、作品の謙虚さ、そして音の錬金術たるエンジニアリングに感銘を受けて、イーノは当時それ相応に聞き込んだというが、おそらくケイト・ブッシュの『ザ・ドリーミング』(1982年)や『愛のかたち(原題:House of Love)』(1985年)もこの系譜に加えることができるだろう。スタジオ・クラフトによる繊細な音楽、サウンドの細部におけるトリートメントと変化、高度なエンジニアリングによる絵画めいた音像。ジュリア・ホルターの『サムシング・イン・ザ・ルーム・シー・ムーヴス』も同じ系統にある。

 2011年にマシュー・デイヴィッドのレーベルからデビューした、ロサンゼルスを拠点とするこのシンガーソングライターは、これまで5枚のスタジオ・ソロ・アルバムを出しているが、『サムシング・イン・ザ・ルーム〜』はひときわ輝いている。この新作は、内省的で控えめであることを美とする点においてイーノの『アナザー・グリーン〜』に近い。ともに間口は広く冒険的。決定的な違いは、ホルターのこれが2024年のサウンドであるということだが、『サムシング・イン・ザ・ルーム〜』はやはり『アナザー・グリーン〜』やブッシュの『愛のかたち』のような聴かれ方を望んでいる。消費され数年後には消えていくであろう多くの刺激満載の「現在」と違って、30年後も愛される音楽。その基準で言えば、『サムシング・イン・ザ・ルーム〜』は残る作品だ。

 イーノの『アナザー・グリーン〜』、いや、ことにブッシュの『ザ・ドリーミング』や『愛のかたち』は、いまでこそ誰もが認める傑作だが、それが出た当時は逆風があった。かいつまんで言えば、ロックやポップスのなかでいちいち芸術(実験)をやって何になる、というものだ(しかも女が)。曲のなかに創意工夫を凝らす、それは生産性と自己実現の要請からみればとくに望まれてはいない。しかしだからこそ、生産性と自己実現の要請が支配するこの世界では、なおさら価値のある行為になっている。人間の生活から、大衆音楽から好奇心が失われたらどうなってしまうのだろう。ホルターの『サムシング・イン・ザ・ルーム〜』は、意識のなかにそっと流入しうる音楽で、心を振るわせ、感情を包み、悲しみが出発点にあったとしても清々しく風通しが良い。きめ細かいが乱雑で、いろんなアイデアが詰まっている。

 なーんて偉そうなことを書きながら、わが質問たるや最初から空振りしているのだが、坂本麻里子通訳のおかげで聞き出せたホルターの発言は、作品の理解を深めるうえでヒントになる。誤解しないで欲しいのは、『サムシング・イン・ザ・ルーム〜』がベッドルームで作られた個人主義的な音楽の対極にあるということだ。アルバムにはドローンもあればアンビエント的なアプローチもあるが、そうした音楽的な語彙もお決まりの装飾にはならず、この美しいアルバムの柔軟性と広がりの一部として融和している。私たちはここに語られなかった言葉を見つけ、聴かれなかった音楽に出会うだろう。ハイリー・リコメンドです。


ケイト・ブッシュには霊感を受けてきた。で……ケイト・ブッシュの歌のなかでもとくに “Breathing”、あの曲は実際、今回のレコードのインスピレーションのひとつだった。それは具体的には……プロダクション面で、ということだし、あのベースのサウンドは間違いなく、明らかな影響。

あなたのデビュー・アルバムのタイトル(悲劇)はニーチェの著書から来ているとずっと思っていたのですが——

JH:なるほど、それは面白いわね。

実際は、あれはエウリピデスの『ヒッポリュトス』にインスパイアされたものだそうですね。

JH:そう、その通り。

でも、ここで敢えて、あなたの活動をニーチェ風の二分法に喩えることが許されるなら、あなたの音楽はアポロン的で、ディオニソス的なものが多いロックやラップが支配的な音楽シーンで、アポロ的なものの魅力を作品にしてきたというのがぼくの印象です。

JH:フフフフッ!

しかし前作『Aviary』ではあなたのなかのディオニソス的なものが噴出してもいる。そしてそれから6年後のいま、あなたは再度アポロ的なものを深め、強化しているように感じたのですが、いかがでしょうか?

JH:まあ……それらの定義を調べる必要があるな。「アポロ的」と「ディオニソス的」、その意味を実際はちゃんと知らないから。ただ、たぶん思うに、ディオニソス的というのはきっと……何かをエンジョイすること、娯楽・耽溺といった面を意味するんだろうし、アポロン的はもっと高度な……前衛的な美学、みたいな? でもほんと、自分はよく知らなくて。

通訳:いや、大体そういうことになります。質問作成者の解釈は、アポロ的=静的で夢幻的、ディオニソス的=快楽的で過剰で激しい、というものです。

JH:オーケイ、なるほど。うん、んー……そうしたことは考えていなかったと思う。自分のレコードや音楽に関して、そうした区分を考えたことはない。でも、それってジャーナリストが機敏に察知して分析するようなことであって、私自身はそれをやるのは得意じゃない、というか? もちろん、そうした区分や意見をもらうのは、構わないんだけれども。自分からすれば、どのレコードもひとつひとつ……毎回、それらが出て来る場所は少しずつ違っている。私の人生や、私の世界のなかでどんなことが起きているか、そして世界全体で何が起きているか、そういったこと次第でね。で、多くの場合、レコードを作りはじめても、一体何が起こるか私はわかっていないと思う。自分が何を作ることになるかもわかっていないし、明確にゴールを設定することもない。とにかく何が起きるか、何が浮かび上がってくるか見てみよう、と。だから……うん、いまの意見に関しては、自分はなんとも言えない。興味深い分析だとは思う。

通訳:了解です。批評家的な分析ですよね。批評家は「分析し過ぎる」こともありますし。


JH:(笑)うん、でも、それは別に構わない。正直、誰かがそうやって分析してくれること自体、私はすごく嬉しいから。

アルバムを聴いているとクラリネットやシンセサイザーの音色が印象的ですが、同じようにダブル・ベース/フレットレス・ベースとドラムにも活力があり、穏やかさのなかの脈動のようなものが感じられるというか? いま言ったようなことは意識されましたか?

JH:そうね、初期の段階で自分が求めていたこと、それを掴もうと取り組んだことのひとつに、官能的なフィーリングを全体的に持たせたい、というのがあった。それってかなり曖昧だけれども、本当に、こう……なんと言ったらいいかな、うん、自分が何よりもっとも気を配っていた目標はそれだった。フィーリングと、そして歌の語るストーリー以上に、歌がどんなフィーリングを宿すか、そこにいちばん気を配った。だから、そう、いま言われたような音響要素のすべてに、触知できる世界みたいなものをクリエイトしたかった、それは間違いない。あれらのサウンドすべてに対して私はとても敏感だったし、フィーリングに関してもそう。たとえばベース奏者のデヴ(Devin Hoff)、彼は多くの歌でベース・ラインも書いてくれたけれども、彼に「長引いた音を」と説明してね。つまりスローで、ベンドのかかった湾曲した音というか、そうした特定のフィーリングを私は強く求めていた。それに他の楽器も同様で、湾曲する感じの、ゆっくり遅くなっていくラインで……うん、ゆったりした、官能的な……たぶん、かなりあたたかみのある、そういうフィーリングが全体を通じてある、というか。うん、それなんじゃないかと思う、あなたがこのレコードから聴いて取ったもの、経験したものというのは?

通訳:そうですね、あたたかな海というか、刻々と変化していく有機生命体めいた音の世界というか。

JH:うん。

あなたの音楽的祖先には、ジョニ・ミッチェルとケイト・ブッシュがいるように思います。彼女たちは歌うだけではなく、自分のサウンドについても意識的で、サウンドのイノヴェイターでもありました。日本人のぼくから見て、あなたはその系譜にいるように思えるのですが、ご自身ではこの意見にどう思いますか?

JH:ええ。間違いなく、彼女たちのプロダクション、そしてそれらふたりのアーティストの作ったレコードの数々にはインスパイアされる。たぶん、それがもっとも明白なのはケイト・ブッシュの音楽だろうし、彼女のプロダクションには霊感を受けてきた。で……ケイト・ブッシュの歌のなかでもとくに “Breathing”(1980年)、あの曲は実際、今回のレコードのインスピレーションのひとつだった。それは具体的には……プロダクション面で、ということだし、あのベースのサウンドは間違いなく、明らかな影響。それもあるけど、あの曲のヴァイブに……ベースに、シンセもそうなんだけど、あの曲ってたしか、お腹のなかにいる胎児が、放射性下降物に汚染された空気を吸うのを怖がる、みたいな歌詞で——だから主題としてはとても強烈なんだけど、と同時に、あの歌が「身体」に焦点を当てたこと、そしてあのトピックが、奇妙なことに自分には重要に思えた。あの歌は子宮のなかから歌われている、みたいなことだし……それってものすごく気味が悪いんだけど(笑)

通訳:(笑)ええ。

JH:と同時に、興味深くもある。

通訳:ケイト・ブッシュは舞踏やマイムを学んだので、ヴィデオ等でもよくダンスする人ですよね。

JH:確かに。

通訳:なので、セクシャルな意味ではなく、自分の身体の使い方をよく理解している人なのかもしれません。

JH:ええ。でも、私はそうじゃない(笑)。その面は、全然ダメ。

(笑)新作からの “Spinning”のヴィデオで、ちゃんと踊っているじゃないですか!

——ああ、オーケイ(笑)。うん、ちょっとだけね。

ジョニ・ミッチェルはジャズからの影響がありますが、あなたにもブラック・ミュージックからインピレーションを得ることがあるとしたら、それはなんでしょうか? まあ、ひとくちに「ブラック・ミュージック」と言っても、非常に多岐にわたるので、答え難いかもしれませんが……。

JH:うーん……そうだな、思うにたぶん……興味深いのは、アメリカ産の音楽の多くは、ブラック・ミュージックから派生している、ということで。

通訳:ですよね。

JH:うん。それこそ、ブルーズに……実際、こうしたことをよく話していてね、というのも、私はソングライティングの授業で教えているから(笑)! でも、そうだなぁ、本当にものすごい量があるし……うん、ブラック・ミュージックはとても数多いし、その質問に答えるのは、少々難しい(苦笑)。だけど…………アフリカン・アメリカンの音楽について考えても、それらだって色んな音楽文化から発したものだし……ブルーズがいかにジャズに繫がっていったか、それをたどるのは興味深い。そして、そこからさらに、いま私たちが聴いている音楽の実に多くへと、いかに結びついていったか……それに、いわゆる「伝説的」な白人アーティストが、どれだけその音楽伝統から拝借し、利用してきたかも興味深いわけで。でも、私にとってとても重要なアーティストのひとりと言えば——ジャズ界から生まれた、でもそれと同じくらい彼女自身の世界からやって来た人でもあった、アリス・コルトレーン

通訳:ああ、なるほど。

JH:彼女は、彼女の音楽のなかでブルーズのハーモニーを多く引用したし、と同時にかなりモーダルでもあって、それにインド音楽のラーガからもかなり影響を受けている。でも、彼女は私にとっての大影響であると共に、私の世代のコンポーザーの多くにも影響を与えている。たぶん、いまから20年くらい前だったら、彼女の影響を認める人はこんなに多くなかったんじゃないかと。彼女はとても大きなインスピレーション源だし……うん、アリス・コルトレーンの音楽は自分にとってかなり重要だと思う。とくに編曲面、そして自分に関心のある和声学の面で。だから、プロダクションに関してはケイト・ブッシュを、メロディがどうハーモニーと作用するかの和声学に関してはアリス・コルトレーンの感性を考える、みたいな。

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だから、私は私自身の悲しみについて歌っていただけではなくて、ある喪失について——つまり、私のフィーリングばかりではなく、とても悲劇的な形で世を去ったひとりの若者の喪失について、そして私の姉妹——その喪失を経験した、彼女の悲嘆も歌っている。だからほとんどもう、これは単に自分や自分のフィーリングだけではない、そんな気がするし、そのぶんよく考えた……。

資料によると、この作品の背景のひとつには個人的に悲しいこともあったそうですね(と同時に娘さんの誕生という嬉しいことも)。この質問を作成した人間も、最近個人的に悲しいことがあり、そして、この世界に悲しいことを経験した音楽があることに感謝したばかりです。

JH:ああ、それはとても気の毒ね……。

ありがとうございます。ちなみにそのときはニック・ケイヴとスリーター・キニーを聴いていましたが——

JH:ナイス!

これからあなたのアルバムを何回も聴くことになるでしょう。ところで、ニック・ケイヴは『The New Yorker』の取材で、「悲しみ(grief)は人間を原子レベルで変えてしまうパワフルなものだ」と言っていますが、彼はその経験からある意味スピリチュアルな作品を作りました。あなたは個人的な悲しみを今回どのようにして音楽表現へと発展させたのでしょうか? 深く考えずに、直観的に制作に向かったのか、あるいは、思考を重ねながら作品へと向かったのか。

JH:どうなんだろう? 私にもわからないけれども、良い質問ね。うーん…………その両方が混ざったものじゃないか、と思う。というのも、複雑で——だから、私も悲嘆に暮れているし、その思いはたしかにある。けれども、それすら越えたところに、私の姉妹の悲しみが存在する、という。というのも、私たちが悲しんでいるのは彼女の息子/私の甥の死であって、それに、祖父母をふたり失う経験もあった。けれども、甥は18歳でね。で、そこにはこう……直観的な側面があった。とにかく自分に音楽が浮かんだし、ある意味、現実に起きていたことに音楽が入り込んでいった、みたいな? というのも、このレコード向けの曲に着手したときは、まだそれは起きていなかったから。ところが、制作作業の半ばくらいのところで、甥が亡くなり……たしかあの時点で、すべての曲はスタートしていたと思うけれども、あの一件で、それらも少し変化した。うん、そういうことだった。だから、楽曲は本能的に変化した、と言えると思う。ただ、自然に変化したし……私にとってはとくに、ずっと甥の死と結びつけてきた曲がひとつある。けれども、それは必ずしも明白ではないし、どの曲かは聴いてもわからないだろうけど、ただ、私自身にとってはとにかくそう強く感じられる曲だ、と。
 そうは言っても、現実としては——うん、それはあの曲に限らず、アルバム全体に備わったものだと思う。かつ、私には決しては明瞭ではなくて……少なくとも自分の音楽に関して、そしてアート全般についても、「ある人間の人生のどれが何に当たるか」云々ははっきりしないもので。ただ、思うに、まあ——そうだな、本能的にやったんだと思う。この作品に収めたものは、直観的に含めていった。だから、甥の死に関する私のあらゆる思い、そしてそれにまつわるもろもろはこのレコードのあちこちに存在するけれども、ただしそれらは「これ」というひとつのあからさまなやり方ではなく、レコード全体に浸透している、というか。
 とはいえ……それに加えて——ごめんなさい、ちょっと脱線するけれども——それに加えて、ある種の乱雑さみたいなものもある。きちんとしていない、そう、一種本能的な滅茶苦茶さというか? と同時に、もっと考え抜いた面、思慮深い要素もあって。とくに……だからある意味、アートを作るときは、やはりどうしたってしっかり考えるものだし、その歌が本当に強烈なところから生まれたものであれ、そうではないのであれ、それは同じこと。歌についてじっくり考え、歌詞も考え抜き、どこかを変える必要があるか、何か付け足すべきか、と決断していって……そう、だから、この作品には慎重に考え抜いた要素もある。
 でも、どうしてかと言えば、それはとりわけ……私にとってはまた……うーん、どう表現したらいいだろう? だから、私は私自身の悲しみについて歌っていただけではなくて、ある喪失について——つまり、私のフィーリングばかりではなく、とても悲劇的な形で世を去ったひとりの若者の喪失について、そして私の姉妹——その喪失を経験した、彼女の悲嘆も歌っている。だからほとんどもう、これは単に自分や自分のフィーリングだけではない、そんな気がするし、そのぶんよく考えた……。とは言っても、そうした事柄がどんな風に現れるものなのか、私には明確にはわからないけれども。まあ、自分が言わんとしているのは、そこには責任が少しある、みたいなことだと思う。このアートを甥に捧げること、そしてそれをやることの意味に対する責任。それにある意味、これは私の姉妹に、彼女の悲しみに捧げるものでもあるし……うーん、自分にもわからない! だから、それがどういう風に作品に現れるのか、作品をどう変えたのか、私にもよくわからないけれども、いま言ったようなことが、私の感じることね。

実は、昨年あなたが来日した際に、あなたのパートナーであるタシ・ワダさんを取材したかったのですが叶いませんでした。私たちele-kingは、彼の父上が永眠した際にも追悼記事をポストしたメディアなので、あなたがどうしてこの親子と出会ったのかたいへん興味があります。

JH:ああ、タシとの出会いを知りたい、と?

はい。そして、ヨシ・ワダさんとの出会いや、彼らにどう触発されたか等も教えていただければ。

JH:うん、タシに会ったのは、たしか2007年だったんじゃないかな?

通訳:あ、ずいぶん前なんですね!

JH:フフフッ、うん。ハーモニウムのアンサンブルに参加していて、そこで出会った。ふたりともインド式ハーモニウム、パンプ・オルガンを持っていて……。

通訳:(笑)。すみません、ハーモニウムのアンサンブルという図を想像して、思わず笑ってしまいました。

JH:(笑)いや、気にしないで! 実際、ほんとに可笑しいし……。でまあ、友人がこの、ハーモニウム・アンサンブルをスタートさせて。ハーモニウムを所有するいろんな人が集まって、そうだな、8人くらいいて、みんなでハーモニウムを合奏したっていう。でも、あれはクールだったんだけどね(笑)。出会いのきっかけはあれだったし、私たちは長いこと友人として付き合っていて、そこから8年くらい経って、デートしはじめた。その間にタシの音楽を知っていったし、私たちは他の音楽を一緒に演奏したこともあった。たとえばマイケル・ピサーロといった友人たちの音楽をね。そうやって一緒に音楽をパフォームする仲の友人だったし、それが2015年に付き合うようになった、と。それ以前に彼の父親のヨシに会ったことはなかったけれども、ヨシの音楽や作品は少し知っていた。というか(笑)、カリフォルニア芸術大学で勉強していたときに取ったクラスで、ヨシ・ワダの音楽が取りあげられたことがあったっけ。それにもう、タシの音楽も少し知っていた。ともあれ——タシと2015年にデートしはじめ、一緒にパフォーマンスするようになり、ヨシとも演奏した。だから、3人で数本のショウをやったと思う。それから、パーカッション奏者のコーリー・フォーゲルが加わった形でのショウもあった。でも、私がタシ&ヨシと共にパフォーマンスをやったのは数回くらいで——でも、ヨシとプレイする、あれは間違いなく、自分にとってクレイジーな出来事だった。本当に、とても特別な経験だった。あの機会にもっと恵まれていたら、本当に良かったんだけれども……。


彼女は私にとっての大影響であると共に、私の世代のコンポーザーの多くにも影響を与えている。たぶん、いまから20年くらい前だったら、彼女の影響を認める人はこんなに多くなかったんじゃないかと。彼女はとても大きなインスピレーション源だし……うん、アリス・コルトレーンの音楽は自分にとってかなり重要だと思う。

あなたは、経歴やキャリアを考えればより実験的でよりアーティな方面にいってもおかしくはないと思いますが、しかしあなたは大衆性を大切にしていると思います。“Spinning” のような曲はそういう情熱がないと生まれないのではないかと思いましたが、あなたは音楽作品における大衆性についてどのようにお考えか、お話しいただけますか?

JH:それは、私の音楽について? それとも音楽全般について?

音楽全般におけるそれ、です。

JH:たとえば、ちょっと普通よりも奇妙なのに、それでも人びとがハマれるような音楽?

通訳:はい。ストレンジながら、なぜか多くの人びとにリーチする音楽など。

JH:そうだな、私にはこの、その手の音楽で自分が大好きなもの、それらをゆるく分類するカテゴリーがあって、それを「マジック・ミュージック」って呼んでいるんだけど。

通訳:(笑)

JH:(笑)

通訳:良い名称ですね!

JH:(笑)。思うに、私が音楽に抱く関心、あるいは私の美学というか……たぶん私の美学なんだろうけど、それもある意味、これなんじゃないかと。つまり、探究型で、遊び心があって、驚きもあり、かつ美しい、そういう音楽。私が好きなのはそういうタイプの音楽だし、だから自分も、その線に沿った音楽を作ろうとしているように思える。どうなんだろう? でも、そういう音楽はたくさんあると思うし、自分はそういう音楽が好きだな。ああ、それに……遊び好きで……冷たくない……しかも驚かされる、そういう音楽であれば、人びとは理解すると思う。たとえそれが、「前衛」のレッテルを貼られるものだとしてもね。そこにだって、潜在的に大衆向け(populist)に——いや、それは言葉として適していないかな——だから、音楽オタクだけに限らず、多くの人びとにとってエキサイティングになり得る可能性は内在するはずだ、そう考える楽観的な面が私のなかにはあって。そうなんじゃないかな? 
 まあ、とにかく、私は人間を信じているし——もっとも、人類に対する疑問はたくさん抱えているんだけど(苦笑)、ただ、人びとは耳をオープンに開き、たくさんの様々な音楽に耳を傾ける潜在能力を持っている、そこはたしかに信じていて。それにほら、いま起きていることって、それこそ世界中の音楽を、とても簡単に見つけられるようになったわけでしょ。だから若い人たちも、型にはまらない、より奇妙な音楽な類いの音楽に触れる機会がもっと増えているんじゃないかと。その状況は興味深いと思う。それに、いま言った「奇妙な」というのは、ただ「変だ」ではなく、むしろ「分類不可能」、という意味合いに近い。で、私からすると、そういった分類不可能な音楽の増加は、私たちが耳を開いて音楽にオープンに接している、そのしるしと思える。

通訳:たしかにいまの若い世代は好奇心が強く、知らない音楽や新しいサウンドを聴くのに積極的ですよね。あなたにとっても、良い時代かもしれません。

JH:(笑)その通りだと思う。

Kim Gordon - ele-king

 キム・ゴードンの2枚目のソロ・アルバム『The Collective』、このアルバムを聞いてからというものその断片がずっと頭の中にひっかかり続けている。
 もちろん先行曲 "BYE BYE" を聞いたときから予感はあった。暗く、頭のなかの狭いところからやってきたかのようなインダストリアルなビートと空間に点を記していくような言葉、もはやキム・ゴードンという名前の持つイメージや、元ソニック・ユースという枕詞、1953年生まれ70歳であるなんて情報はかえって邪魔ではないかと思ってしまうくらいこのアルバムの持つ不穏で暗いサウンドスケープには魅力がある。もしキム・ゴードンのことをまったく知らないでこの音楽を聞いていたとしたらどうだっただろう? あるいは違う名前でなんの前触れもなくスピーカーから流れだしてきたとしたら? キム・ゴードンが活躍してきた時代、それが80年代、90年代のラジオやTVからだったらきっと名前を言うその瞬間を逃すまいとドキドキしながら待ちかまえていたはずだし、インターネット以降だとしたら情報を求めてそれらしいキーワードを打ち込んで検索した。このジャケットに描かれている現代のスマホも時代ならおそらくぼんやりと方向性を考えながらShazamする。それが味気ないとか便利になったという話ではなく、いつの時代でも変わらず大事なのは目の前の音を気にかけこれはなんなんだと考える時間ときっかけを与えてくれるということだ。狭い場所からやってきたある種の音楽は広がりを持っている。イメージを想起させ、心を動かし、次々に様々なものを繋いでいく。これはなんなんだ? どこから来たものなのか? どこに向かっていくのか? そうやって考える時間は何ものにも代えがたい。

 このアルバムのサウンドの方向性から、自分の頭にはザ・スウィート・リリース・オブ・デスやネイバーズ・バーニング・ネイバーズなどのバンドで活躍するオランダのアーティスト、アリシア・ブレトン・フェレールがコロナ禍ロックダウンの最中で作り上げたソロ作『Headache Sorbet』のことが浮かんだのだが、キム・ゴードンの本作はよりインダストリアルでもっと言葉の響きの要素が強く出ているのかもしれない。いずれにしてもノイズにまみれるアヴァンギャルドなギター・バンドで活躍していた人物がビートが主体の、自身の頭のなかの世界で鳴り響いているかのような音楽を指向しアプローチしたものがなんとも魅力的に思える。“The Believers” では暗くひび割れたインダストリアルなビートと金属的な打撃音が不穏な空気を生み出し、そこに不安を煽るようなトーンのギターが重なる。キム・ゴードンのスポークン・ワードとシュプレヒゲザングの間みたいなヴォーカルは何かを訴えかけるというよりは、少しだけ熱を帯び目の前の事実を述べているかのような雰囲気で、それが焼け跡から立ち上る煙のような空気を作り出している。悪夢の世界に迷い込んでしまったような “I'm A Man” のドローンのループのなかで聞こえる声もやはりそうで、暴力的とも言える不穏なバックトラックと比べるとどこか醒めていて距離があるように思える。そのコントラストがなにか異様に感じられ、誰かが書いた秘密のノートを見つけそれを盗み見ているような気分になるのだ。小さな部屋で背徳感を抱くような出来事が巻き起こる、どこか後ろめたさがあり落ち着かずゾクゾクと心を下から撫で上げるようなスリルがやってくる。地を這う弦のフレーズとノイズ、言葉と、エレクトロニクスで作られた衝動の静かな爆発、その断片を繋ぎ合わせたコラージュ・アートみたいな “It’s Dark Inside” は最たるもので、このアルバム、そしてキム・ゴードンがいま、いる地平を教えてくれる。
 そこにいるのが当たり前のように余裕があって、あざとく見せつけるような様相はなく、ただ美学や価値観を提示する。40分と少しのこのアルバムは、ボリューム過多、情報過多に陥らずコンパクトで聞きやすくもあり『The Collective』というタイトルの通り、頭に残り続けるバラバラのトピックの断片が、どこかで繋がるような抽象的で奇妙な象を描き続けている。

 誰かが価値観を提示しそれを聞いたものが受け取り考え、そうして時間が経って変化してまた新たな価値観が生まれていく。そんなオルタナティヴのサイクルのなかで、さらりと提示されるキム・ゴードンの当然、頭がそれに揺さぶられる。 刺激とイメージ、格好良さとはやはりこういう場所にあるのかもしれない。

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