「K A R Y Y N」と一致するもの

The xx - ele-king

 きました。ついにきました。
 全英1位を獲得した前作『コエグジスト』から4年半。ザ・エックス・エックスが新作を来年1月13日にリリースします。タイトルは『アイ・シー・ユー(I See You)』。レーベルは〈ヤング・タークス〉。プロデューサーはロディ・マクドナルドと、メンバーのジェイミー。現在、同アルバムから先行で新曲“On Hold”が公開されています。

 どうです? これはアツいでしょう。ザ・エックス・エックス新章の幕開けです。いやがうえにもアルバムへの期待が高まります。また、ザ・エックス・エックスは新作にさきがけて12月に来日することも決定しています。この年末年始はエックス・エックス漬けでいきましょう!

■リリース情報
アーティスト:The xx(ザ・エックス・エックス)
タイトル:I See You(アイ・シー・ユー)
レーベル:Young Turks
発売日:2017年1月13日(金)

トラックリスト
01. Dangerous
02. Say Something Loving
03. Lips
04. A Violent Noise
05. Performance
06. Replica
07. Brave For You
08. On Hold
09. I Dare You
10. Test Me

■公演情報

東京  12月6日(火)豊洲PIT

開場18:00 開演19:00 前売:¥9,000(standing、1ドリンク別)

問い合わせ:03-3444-6751(SMASH)

企画/制作:SMASH

総合問合せ:SMASH 03-3444-6751 smash-jpn.com smash-mobile.com



■チケット詳細

一般発売 : 発売中

東京 :e+(pre order:10/26-30)、ぴあ(P:313-155)、ローソン(L:73355)



■バイオグラフィー

サウス・ロンドン出身のドラムレスな男女混合3人組。08年初めのNME誌「今年の注目新人」特集でいきなり大フィーチャーされ、09年『エックス・エックス』でデビュー。アンニュイでメランコリーな独特の世界観が口コミで評判となり、主要メディアの年間ベストアルバムに次々に選出。10年5月には初来日公演をソールドアウトさせ、同年フジロック'10でもレッドマーキーを埋め尽くす満員のオーディエンスを熱狂させた。12年にセカンド・アルバム『コエグジスト』を発表。イギリスを含む全世界5カ国でチャート1位を獲得。翌年フジロック'13ではホワイト・ステージのヘッドライナーを務めた。16年12月に豊洲PITにて来日公演を行うことを発表した。

R.I.P Leonard Cohen - ele-king

 私は彼の歌をはじめて手に入れたのはたしか19のとき、『アイム・ユア・ファン』(1991年)なるアルバムだったがこれは赤の他人がコーエン翁の曲をカヴァーしたトリビュート盤だったのでレナード・コーエンの音盤というのはただしくない。手を伸ばしたのはおそらく、R.E.Mとピクシーズが参加していたからだろう。いや、それもちがう。大学チャートの常連だったR.E.M.はキャンパスライフをわが世の春と謳歌するヤツらが好きなはずだから好きじゃなかったし、ピクシーズは幼い私にはノイズが甘かった。ただただダダであった。バウハウス(音楽じゃないほうね)とかシュルレアリスムとか未来派とか構成主義とかビートとバロウズとかジャズの10月革命とかノーウェイヴとか即興とか騒音とか無音とかフルクサスとか、そんなものばかりほしがった。ポップアートはポップすぎるきらいはあったが、ウォーホルは無視できない。つまるところ『アイム・ユア・マン』を買ったのはジョン・ケイルがはいっていたからである。私は偉そうなことを書いてはやくも後悔しているが学生とはいえ20歳ともなればいよいよ子どものふりなどできない。酒も飲めればタバコも吸える、ティーンエイジャーにできないことができるのが大人なら、大人になるとは禁忌をおかすことにほかならず、10代最後の私にとってヴェルヴェッツほどのロールモデルはどこにもなかった。
 思えば長い道のりだった。ポピュラー音楽の分野ではじめて大人を感じたのはフレディ・マーキュリーだった。「ボヘミアン・ラプソディ」のママへの呼びかけはエディプスコンプレックスの対象物としてのマザーコンプレックスというより、こときれる寸前の改悛のつぶやきのように最後の瞬間から生の始原へむかう転倒した問いかけは私にはジョンの「マザー」の絶唱以上に大人を思わせた。そのまま進めば、私もさぞ立派な成人男性になれたはずだが、汎用性の面でフレディには難があり、いまではヒゲにそのなごりをとどめるのみである。空席となった大人枠に滑りこんだのがヴェルヴェッツであり、その一員であるジョン・ケイルが参加しているなら気にならないはずはない。私はCDをつかみレジにむかった。いや、バイト先のレコード屋の社販で手に入れたのだった。買って帰り順繰りに聴いた。ジョン・ケイルの「ハレルヤ」は大トリである。ピアノの一本を伴奏に朗々と歌うケイル、それを聴くだけでいまも広瀬川のわきの県立工業高校ウラの安アパートの一室の吹き晒しの寒々しい光景を思い出す。曲にはシンプルだが歌を呼び込む隙間がある。隙間風も冷たい部屋で私は暖をとるように「ハレルヤ」を何度も聴いた。コーエンの名前は仄聞していたしラジオでも何度か耳にしたはずだが気にとめていかった私のおそまきながらのケイルからのコーエン体験だった。それからは音楽雑誌で記事を探しては読んだ。「ある女たらしの死」と見出しを打った記事がある。私はこの身も蓋も言い方がフィル・スペクターがプロデュースした77年のアルバム・タイトルだと本文を読むまで知らなかった。詩人、作家にして鬱々とした声の自作自演歌手であり稀代の女たらし、そのようなことが書いてあり、キャプションの略歴には1934年生まれとある。
 すでに還暦にさしかかっている。大人どころか老境ではないか。「ハレルヤ」を収録した1984年の『哀しみのダンス(Various Positions)』のときすでに五十路。世評ではもっぱら、冒頭のトリビュート盤のタイトルの元ネタである88年の『I’m Your Man(邦題/ロマンシェード)』がシンセポップ的なスタイルにきりかわって転機となっているが、音の変化への志向は『哀しみのダンス』に潜在している。なんとなれば、私は「ハレルヤ」はてっきりもっとアコースティックな曲だと思っていたのでね、読経のようなヴォーカルと女声コーラス、ドラムのリヴァーブにメンくらった。とはいえ80年代のまっただなかなのだから80年代仕様はあたりまえである、それが衒いもないコーエン節と同居している。おそらくサウンドのトレンドの変化には頓着してはいなかっただろう。60年代のやり方そのまま、時間をかけて歌をつむぎ、まとまったらアルバムになる。半世紀におよぶ歌手活動でのこしたわずか14枚のスタジオ作にはひとに行動を強いるメッセージなどなく、詩は何重もの意味に覆われ、書法はフォーク時代のそれを反復しつづけている。かわれるものならなりかわってみたい人物としてディランがこの年長の友人の名前をあげたのは、コーエンのかわらなさにあるのではないか。ことに80年代、ボブがゴスペル三部作から『インフィデルズ』〜『エンパイア・バーレスク』で隘路にはまり、ニール・ヤングがゲフィンで気を揉んでいたころ、コーエンは淡々とコーエンだった、あまりにもコーエンだった。ユダヤ系カナダ人として宗教的戒律と教えに忠実であるとするそばから煩悩に悩まされ、聖と俗は混濁し、同居した矛盾は詩そのものである。スザンヌへの邪な純潔を歌った(「Suzanne」)かと思えば、ジャニスにフェラチオされたと歌にし(「Chelsea Hotel #2」)、神に悩みを訴え、深遠な内面を吐露する。私はコーエンは跪くのは神でも女でもよかった。その圧巻の受動態をユダヤ人の運命に求めるにはあと100万語を費やさねばならないが、跪いた者が下から見上げる先に思考で飛躍し、神話と現在をおなじ視野におさめ、時制を解き漂わせるコーエンの詩の余白こそ大人の男の官能だった。
 と書くと途端にチープだが、あなたのまわりのセクシーな大人たちを思い出していただきたい。高い服を着ているだろ? うまいメシ食ってるだろ? アンチエイジングに死にものぐるいだろ? でも音楽なんてどうでもいいと思っているだろ? コーエンはどうか? 私がようやく追いついた『ザ・フューチャー』(1992年)の表題曲で、ベルリンの壁とスターリンとヒロシマが再臨する未来──つまり現在だ──を描いてから次作『テン・ニュー・ソングズ』まで9年半沈黙をつづけた。どうやら1994年にマウントボールディの禅センターで臨済宗の佐々木老師に教えを乞うていたようだ。やがてコーエンは静かなる存在を意味する「自間」の僧名を授かる。だからといって達観しかといえばいささかあやしく、1999年に山を下り21世紀最初の年に発表したアルバム冒頭の「イン・マイ・シークレット・ライフ」では夢のなかではまだあなたとメイク・ラヴしていると歌う。
 コーエンがすごみをますのはここからである。『ディア・ヘザー』(2004年)、『オールド・アイデァイ』(2012年)と『ポピュラー・プロブレムズ』(2014年)、作品を重ねるごとに音は憑きものを落としたように漂白され、声は小声やささやき、ぼそぼそとつぶやくようになる。『ディア・ヘザー』の表題曲を聴いたときなど、私はてっきり死んでしまって天国にきてしまったのかと思った。もっとも天に召されたのはコーエン翁のほうだがしかし、このようなデジタル・サウンドの使い方はこの世のものとも思えない。齢80を迎えた次の2作は王道のプロダクションにゆりもどし、抑制した編曲によるコーエン・サウンドの円熟の境地をうかがわせたが、死の直前に出した14作の最終作『ユー・ウォント・イット・ダーカー』で、老いては子にしたがえとばかり、愛息アダムがプロデュースしたこのアルバムの冒頭でコーエンは賛美歌を思わせるみじかいコーラスにつづき低く押し殺した声で歌いはじめる。いうまでもなく曲はシンプルだが、コーエンの声と女声コーラスと抑制的な演奏に、歴史と信仰と性愛ないまぜのことばが乗れば、それは秘密のコード(Secret Chord)となる。

「Well it goes like this : the fourth, the fifth
The minor fall and the major lift
The baffled king composing Hallelujah
そう、それはこんなふうに進む
4度、5度、マイナーにさがり、メジャーであがる
ハレルヤを書きあげる困惑した王
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ」
(レナード・コーエン/ハレルヤ 対訳は筆者)

 秘密のコードはこのように進行する。この曲は古今東西老若男女問わず、無数の人間がカヴァーしているのは前に書いたとおりである。早世したティム・バックリーの早世した息子であるジェフのカヴァーなどはよく知られているが、私はバンドをやっていると不思議なもので、スネオヘアーさんと大友良英さんと数年前、映画がらみのイベントでこの曲を演奏した。たしかキーは移調していたはずだが、4度、5度、マイナーからメジャーへ、歌詞をなぞりコードが進行するくだりには昂揚感をおぼえずにいられない。ところがそれはとくに変哲のない進行でしかない。ダビデが主をよろこばせた秘密のコードはつねにだれの耳にもさらされており、それが声と詩といったいとなり、そのすべてが露わになったとき、音楽は意味の手のたやすく届かない深みをみせる。思想、信条、信仰、ポリティカル・コレクトネスと経済効率と融和と分断のマジックワードがのさばるいま、ユダヤ系カナダ人であり、新旧訳聖書に範をとり、禅に学ぶ、女々しい男のこのした矛盾を矛盾のままに据え置く音楽を、私はそれが人間だものとか、愚にもつかない箴言に回収したくはないし、多元的価値観を称揚したいのでもない。お気づきだろうか、4段目の冒頭部分の「でも音楽なんてどうでもいいと思ってんだろ?(But you don't really care for music do you)」は「ハレルヤ」の歌詞の引用である。ここでいう「you」とはだれか、「music」はいまやあらゆるものが代入可能な変数となってはいまいか。そのような世界で、あのように生き抜いた人間がいたことがこれからも心の支えにならなくてなんであろう。(了)

新作リリース記念 - ele-king

 10月19日に『TOSS』をリリースしたトクマルシューゴと、11月9日に『ハンドルを放す前に』をリリースしたOGRE YOU ASSHOLEの出戸学。ほぼ同じタイミングでアルバムを発表したこのふたりは、実は古くから交流があるそうです。この絶好の機会を逃すわけにはいかない! ということで、おふたりに対談していただくことになりました。これまで聴いてきたもの、これまでやってきたこと、音楽に対する熱意や誠意……互いに似ているところや逆に異なっているところを、思う存分語り合っていただきました。


「俺がソロ弾くから、ブルースのスリー・コード弾いてろ」みたいに、シークエンサーとして使われてた(笑)。それに乗せて親父が熱血ソロを弾くみたいな感じだったね。(出戸)


トクマルシューゴ
TOSS

Pヴァイン

Amazon Tower


OGRE YOU ASSHOLE
ハンドルを放す前に

Pヴァイン

Amazon Tower

おふたりが最初に出会ったのはいつ頃なのでしょうか?

トクマルシューゴ(以下、トクマル):僕とミラーとタラ・ジェイン・オニールのツアーが2004、5年にあったと思うんですけど、その時に松本にライヴをしに行ったんですよ。その時に一緒に出ていたのがオウガ・ユー・アスホールで、それが初めてでしたね。めちゃくちゃかっこいいバンドだなと思って、それからの付き合いだからもう10年以上になるのかな。

初めて会った時のお互いの印象はどうでしたか?

出戸学(以下、出戸):ギターをディレイで重ねたり、いろんな意味でギターがすごくうまくて、そういう感じで弾き語りをするというのを初めて観て、それまで弾き語りってフォーク・ギターで歌う感じだと思っていたので、びっくりはしましたね。何をやっているんだ、という感じはありました。

トクマル:東京にも当時いろいろなバンドがいたんですけど、それとはまた違った概念で活動しているバンドがいるなと思って、すごいびっくりした記憶があります。やっていることもめちゃくちゃ面白くて、それこそ「普通じゃないロック・バンド」でした。今のオウガの形とも全然違うんですけど、相当面白かったので東京に帰ったあとにいろんな人に吹聴した覚えがありますね(笑)。

出戸:本当?(笑) 当時の僕らは今と比べて何も考えていなかったんですよ。変なことをしようというか、聴いたことのない感じにしようとは思っていたんだけど、それをどうやってやればいいのかがわからなくて、高い声を出してみたり、変なフレーズや展開を出してみたり、頭じゃなくて肉体的に聴いたことのない感じをやろうとしていた頃だね。

トクマル:まだCDを出してなかった頃だよね。5曲入りのCDをもらった記憶はあるんだけど。その後ってどうなの?

出戸:その後にファースト・アルバムを出したのかな。それは吉本興業の〈R&C〉というレーベルから出たんだけど、小室哲哉のスタジオで録ったんだよね。ファースト・アルバムを録ることになった時、ちょうど小室哲哉が吉本興業に入っていて、なぜか彼のスタジオでレコーディングすることになった。ポップスを録るスタジオだったから、ファースト・アルバムは独特の音なんだよね。変なことをやろうと思っているのに、録り音がポップスっていう、今聴くと余計ねじれたものになっていて(笑)。当時はなんでロックっぽくならないんだ、と思っていたんだけど、今一周回ってから聴くと面白かったりするんだよね。逆に今は録れない音だよね。

おふたりはそれぞれ違うタイプの音楽をやられていると思うのですが、お互いの作品を聴いて刺戟されることはあるのでしょうか?

トクマル:僕はGELLERSというバンドもやっていて、ロック・バンドなんですけれども、そちらの方ではいろいろなバンドのサウンドを研究して、取り入れてみたり真似してみたりしているんですが、オウガのエッセンスを取り入れてみようとしたこともあるんです。いかんせんGELLERSというバンドがとても難しいバンドで、そういうことを一切できないバンドなので(笑)。やろうとしても、一切できなくて、それが歪んだかたちになってGELLERSというバンドになっていくので。そういうことはあったかもしれないですね(笑)。

出戸:僕らはGELLERSとよく対バンしたりしていたから、(バンド・メンバーの)みんなGELLERSは好きだった。トクマル君の新譜も欠かさず聴いていますね。会った頃からずっと。

トクマル:僕も全部聴いていますね。全部マスタリング前段階のものばっかり聴いている気がする(笑)。先に聴いちゃっていますね。

音楽をやろうと思ったきっかけはいつ頃までさかのぼりますか?

トクマル:僕(のきっかけ)はあんまり面白くなさそうなんですけど、出戸君は面白そうだなと思っていて。そもそも育ちがおかしいじゃないですか(笑)。僕は徒歩10分で小学校に通えるような都市部に住んでいたんですね。でも出戸君はたぶん違うんじゃないの? その時点で音楽を知っていたというのはすごく不思議に思っていて。

出戸:まあ親(の影響)だよね。家に楽器がある状態だったから、自然と中学1年生くらいの時にビートルズのコード・ブックを見ながら“イエスタデイ”とか“レット・イット・ビー”をギターで弾くところから始めたね。

トクマル:それまではギターとか弾いてなかった?

出戸:弾いてなかった。(ギターが)あるな、と思っていたくらい。いくつくらいから弾いてた?

トクマル:俺はピアノをやっていて、音楽は元々すごい好きだったんだけど。

出戸:俺もピアノはやってた。

トクマル:ピアノは難しくてやめて、ギターをやりたいとは思っていたんだけど、(自分では)持っていないし家にもなくて。でもコード譜を買ってきてエアーで練習して(笑)、いつか弾いてやるぞと思っていた。14、5歳の時に自分で買ってきて弾いたね。

出戸:エアーはすごいね(笑)。何を最初に弾いてたの?

トクマル:その頃はパンクが大好きで、パンクのコードがわりと簡単だったこともあって弾いていたね。あとはビートルズとかも一通りやってたかな。

出戸:速弾きに目覚めたのはいつなの?

トクマル:目覚めたってわけではなくて(笑)、ギターが大好きでギターの世界を追求しようとするとどうしてもそっちへ行くというか。『ギター・マガジン』を買うと、タブ譜に数字がたくさん書いてあったりするんだよね。曲は知らないんだけどその数字を追うのが楽しくて、「これ、どういう曲なんだろうな」と思ってその曲を買いに行くと「こんな速いんだ!」と知って頑張ってみるという。ギターはそうやって続けていたね。ギターはお父さんに教えてもらったりしたの?

出戸:いやあ、教えてもらうというか、「俺がソロ弾くから、ブルースのスリー・コード弾いてろ」みたいに、シークエンサーとして使われてた(笑)。それに乗せて親父が熱血ソロを弾くみたいな感じだったね。

ライヴをやろうと思ってバンドをやり始めたね。(出戸)

僕は別にライヴをやらなくてもいいし、一緒にいられるならいいやというバンドかな(笑)。(トクマル)

初めて買ったレコードやCDを教えていただけますか?

トクマル:たぶん子ども(向け)の童謡を買ってもらったんだと思いますね。あとはピアノを弾いていたのでピアノのレコードとか。CDが流行りだして、「レコード屋」(という呼び方)があったのに、みんな「CD屋」ってあえて言うようになってきた時に、駅前のCD屋にみんなで行って、当時流行っていたチャゲアスを買ってきたことがありましたね。

出戸:俺は子どもの時に親から買い与えられたものもあるけど、自分のお小遣いで初めて買ったのはビートルズの『ヘルプ!』だったな。白いジャケに4人が立っているアルバム。廉価盤でちょっと安くなっているようなCDだけど。街まで降りて、本屋とCD屋が一緒になっているようなところで買ったね。

自分が音楽をつくる側になって、これはすごいなと思った作品などはありますか?

トクマル:難しいですね。自分はこういうことをやりたかったんだなと思い返せたアルバムはありますね。僕はレス・ポールという人が大好きで、「レスポール」(というモデル)はギターとしてすごく有名なんですけど、レス・ポールという人自体が発明家として面白いんです。その人のアルバムを聴いた時に、これがやりたかったのかもなという発見があったんです。そもそも僕が(初めて)ギターを買った時に、なぜこんな形をしているのかとか、なぜギターは音が出るんだろうとかギターの構造自体に興味をもっていたんですけど、その構造を作った人のひとりであるレス・ポールの音楽がめちゃくちゃ面白くて、編集も凝っていたりしていたので、それは衝撃を受けた1枚かも。しかもある楽器フェアにたまたま来ていたレス・ポールと握手をして、2回くらいすれ違ったことがあって(笑)。その思い出もあって、いまだにすごく尊敬していますね。

出戸:それこそ最近、馬渕(啓)がミュージシャンの方のレス・ポールがいいとなぜか急に言い出したんだよ。偶然だね。じゃあトクマル・シューゴ・モデルのギターは作らないの?

トクマル:作りたい。木から作りたいですよね(笑)。

出戸:俺は何かなあ。ひとりに絞るのは難しいですね。

トクマル:ビートルズのあとに聴いていたのはなんだったの?

出戸:ベックとかニルヴァーナとか90年代のバンドだね。ベックが〈K〉レーベルから出してた流れでUSのインディは聴いていたけど、だから初期はUSインディの感じなのかな。ちゃんとしてない音楽がけっこう好きかも。ジョー・ミークみたいな感じの。〈K〉レーベル周りでも、ちゃんとしていないようでちゃんとしている人たちがいい。ジョー・ミークも演奏としてはちゃんとしているんだけど、どこかネジが外れているし、そういう音楽が好きかな。ひとりには決められないんだけど。

音楽を制作していく上で、技術的な部分や精神的な部分で、お互い似ていると思う点や、逆にここは全然違うという点はありますか?

トクマル:音楽に対する考え方というか、音楽に対する接し方が似ているとは少し思うかも。付き合う上でも楽だし、やっている音楽が全然違っても、互いに普通に接することができるのは、(音楽に対する接し方が似ているから、というのが)あるかも。

出戸:表面的なことで言えば、違うところのほうが多いのかもしれないけどね。

トクマル:なんでライヴをやろうと思ったの?

出戸:ライヴをやろうと思ってバンドをやり始めたね。

トクマル:そっか。初めてライヴをやったのはどこ?

出戸:もうなくなったけどトクマル君ともライヴをやった松本のホット・ラボというバーみたいなところで、高校生の時に(初ライヴを)やったね。

トクマル:文化祭とかじゃないんだ。

出戸:頼まれてギターでは文化祭に出たけど、歌ったのはホット・ラボが初めてかな。

トクマル:元々オリジナル曲をやろうということになっていたの?

出戸:そうそう。GELLERSはライヴをやろうと思っていなかったの?

トクマル:思ってなかったかも。いつも(メンバーで)集まっていて、たまたまみんながギターを買いだして、俺は参加していなかったんだけど、中学生の時に彼らが文化祭に出ると急に言いだして(笑)。文化祭に出るということはライヴをやるんだよ、と僕は言ったんだけど、それもよくわかっていなかったのかもしれない(笑)。ベースもギターもふたりいて、ヴォーカル、ドラムがいるという編成もよくわからないし、なんでも良かったのかもしれない。とにかくみんなで一緒にいたくて、僕も一緒にいたかったから照明として参加してた(笑)。(ライヴには)出てないんだけど、照明を良いところに当てていたね。だからみんなは違うのかもしれないけど、僕は別にライヴをやらなくてもいいし、一緒にいられるならいいやというバンドかな(笑)。グループ? サークル?(笑)

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めちゃくちゃ辛いんですね、登山。辛いし、登り始めるとやめたいと思うんですけど、でも上まで行って帰ってくると「また行きたいな」と思うようになっているのが、僕のアルバム作りとすごく似ていて。(トクマル)












トクマルシューゴ

TOSS


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Amazon
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OGRE YOU ASSHOLE

ハンドルを放す前に


Pヴァイン


Amazon
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音楽をやっていて良かったことはなんですか?

トクマル:たいがい良かったことかもしれないですよね(笑)。悪かったことを探す方が難しいかも。音楽をやってなきゃよかった! ということはないかもしれないですね(笑)。音楽をやらなきゃ良かったな、と思う瞬間ってある(笑)?

出戸:うーん。なかなかないかもね。でもレコーディングからミックスまでひとりでやっていて辛くならない? たまにトクマル君げっそりしてるな、と思う時があるからね。

トクマル:単純に体力がなくてげっそりしているんだと思う(笑)。精神的にはずっと安定はしていて、面倒くさい作業はあるしそういうのは嫌になるけど、作ることにおいては別にストレスはなくて。

出戸:(トクマル君の)新しいアルバムを聴いて、表面上はアッパーで、賑やかな曲が多くて、大団円でみんなが肩を組んで「わーい」みたいな祝祭感があるんだけど、これをひとりで作ったと思うとちょっとゾッとするというか(笑)。そういう感じはして。

トクマル:たぶん、ひとりの世界に入り込むと鬱々としてきて暗くはなるよね。

出戸:普通はそうなりそうなのに、めちゃくちゃ人がいてすごく幸せな空間ができているじゃない。(トクマル君)本人も知っているからさ、あれが怖いよね(笑)。

トクマル:不思議なんですよ。自分でもそれはわからないですね。

音楽をやっていて困ることなどはありますか?

トクマル:僕は車とかで音楽を聴かなくなりましたね。ここ10年くらい同時に音楽を聴くことができなくなって、「ながら聴き」ができないんだよね。どうしても音楽に耳をもっていかれて疲れちゃう。同時にふたつ以上のことをやるのが苦手で、どうしてもコードとか音響とかを聴いてしまったりするんだよね。だから音楽を聴くときは、「よし、聴こう!」という感じで聴きますね。

出戸:俺も読書しながら音楽を聴くのが無理なんだよね。本が入ってこなくなっちゃう。あと、困りはしないけど、リサイクルショップとかレコ屋とかがあると寄っちゃうというのはあるね。それはバンドをやっている人はけっこう多いと思うんだよね。別に困りはしないんだけど、周りが困っているんじゃないかな(笑)。

トクマル:なるべくレコード屋を出戸君たちに見せないようにしないと(笑)。

音楽以外にやる趣味などはありますか?

トクマル:なんかある?

出戸:ない。

トクマル:ははははは(笑)。僕もね、なかったんですよ。最近ね、急に山登りを好きになってしまって。僕は機材がすごく好きで、道具がめちゃくちゃ面白いんだよね。そこには知らない世界が広がっていて、素材とかいちいち細かくて、機能性がすごいことになっていたりするのが面白くてしょうがなくて(笑)。

出戸:へえ。じゃあ最近はアクティヴになってるんだ。

トクマル:そう。前作を作った時に体がボロボロになってしまって、「これはいかん、なんとかしないとな」と思いながら何もしていなかったんだけど、今年急に思い立って「登山はいいな」と思ったね。

SPACE SHOWER TV ディレクター:登山のどんなところが音楽と通じますか?

トクマル:いろいろあるんですけど、まずは機材ですよね。機材がカッコいい(笑)。あとは計画を立てないと何も達成できないというところですかね。達成感も似たようなところがあって。めちゃくちゃ辛いんですね、登山。辛いし、登り始めるとやめたいと思うんですけど、でも上まで行って帰ってくると「また行きたいな」と思うようになっているのが、僕のアルバム作りとすごく似ていて。アルバム作り中はやっぱり、途中で辛くなるんです。作りたいけどやめたいというか、なんでこんなものを作ろうと思っちゃったんだろう、っていう。もっと簡単なものにしとけば良かった、とか思うんですけど。でもそれを目指したくなっちゃう。すごくエクストリームなものに対する憧れというか。(山の)頂上に着いても別に大した達成感はなくて、降りてきて安堵すると「ああ、良かった」ってなるのが、アルバム作りもそうなんです。完成して、(アルバムが)出て、一通りツアーが終わって、落ち着いて家に帰ってくると、「はあ、終わったー」ってなるのとすごく似ている(笑)。



トクマル君は、ひとりでここまでやるという忍耐力がすごいと思うので、そこは見習いたいような見習いたくないようなところではあるんですけど(笑)。(出戸)



僕は子どもの頃、自分の机に「忍耐」と書いたことがあって(笑)。(トクマル)

今度出るオウガの新作がセルフ・プロデュースで、トクマルさんもご自身でプロデュースされていますが、自分で楽曲をプロデュースするということの魅力や大変さを教えてください。

トクマル:元々(オウガで)セルフ・プロデュースをしたことはなかったんだっけ?

出戸:ファースト・アルバムの時は一応セルフ・プロデュースなんだけど、プロデュースもできていないというか、何もわからないで、エンジニアの人のそのままの音で録れているから、何も注文していないんだよね。セカンドは斉藤(耕治)さん、そのあとずっと石原(洋)さんとやってたから、本当の意味でプロデュースしたのは今回が初めてかもね。

トクマル:何が大きく違うの?

出戸:トクマル君にとっては当たり前なんだけど、全部の決断を自分でしなきゃいけないことだね。

トクマル:じゃあ全然外部に意見を求めたりしなかったの?

出戸:バンド内だけ(で完結)だね。あとはエンジニアの中村(宗一郎)さんとのやり取りだけだね。今までは(自分たちの)意見がそのまま通るにしても、プロデューサーのハンコが押されるか押されないかで気分が違っていたんだけど、今回はずっとハンコを誰にも押されないままずっと積み上げていかなきゃいけないから、トクマル君にとっては当たり前かもしれないけど、その違いはあったかな。だから(制作は)長くかかったね。

トクマル:最終的な決断は全員で「よし、これで行こう」という感じなの?

出戸:そうだね。基本的に俺と馬渕とエンジニアの中村さんがオーヴァー・ダビングの現場にいるから、その3人のうちの誰かが「ここどうなの?」と言ったら、また3人で考え出すという感じで、3人が良いと思うところを決めていったね。でも(トクマル君は)全部ひとりで決めるんでしょ?

トクマル:ひとりです。

出戸:でも、今回の最初のとっかかりみたいなものは違うんでしょ?

トクマル:そう。とっかかりはフワッとしたものがあって、それをチョイスしていくという方法で、むしろ今回はセルフ・プロデュースしなければ良かったなと思っていて。というのは、辛かったから(笑)。例えば、誰かが弾いてくれたものとか出してくれた提案をチョイスするんだけど、なんで俺はそれをチョイスしたんだろうという自問自答に入るというか、自分のセンスを疑うというか、そこですごく悩んでしまったんだよね。なんでこれが好きなんだっけなとか、本当に好きなのかなあとか思いながらやっていたかも。それはわりと辛くて、誰かが選んでくれたら楽だったのにとは思うけど、それをしたら自分の作品じゃなくなっちゃうからやらなかったね。

出戸:そもそもなんでそういう作り方にしたの? 異常でしょ、作り方が。

トクマル:うん。初めは、正直な話、楽をしたかった。でも、楽じゃなかった(笑)。バンドみんなで「演奏するぞ、せーの、バン!」で録って、持って帰って、それを出そうと思っていたんだけど、そんなにうまくいくわけはなくて、それ(録音素材)をチョイスして曲にするという作業になってしまったんだよね。

出戸:曲がなかった時点でレコーディングしたんでしょ? それ、どういう現場なのかすごく気になるんだけど(笑)。

トクマル:やっぱり無(の状態)ではあるし、僕の注文が「普段やっていないことをやってくれ」という感じだったから……

出戸:「普段やっていないこと」って言って、みんな何を演奏したの?

トクマル:(手で拍子をとりながら)とりあえずテンポを出して……テンポを出すときと出さないときがあって、出すときは(手拍子をしながら)「ハイ!」みたいな感じでやっていく。

出戸:キーとかも決まっているの?

トクマル:決まってない。音をくれ、という感じ(笑)。

出戸:それは勝手にアンサンブルになっていくの?

トクマル:ならないです。アンサンブルにする必要はないという感じにして。

出戸:(演奏するのと)同時に録っているの? 

トクマル:同時には録ってる。

出戸:じゃあ不協和音が鳴りっぱなしになっていたりするってこと?

トクマル:する。だから音楽って難しいんだなと(笑)。

出戸:でも、そういう過程を経ているけど、全体的にはトクマル君って感じになっているよね。今までのアルバムの流れではあるというか、ぶっ飛んで変なものになっているというよりも、ちゃんとその流れでトクマル君の新しいアルバムという感じになっている。

トクマル:わりと悩んだ挙句、自分がチョイスしたらやっぱり自分の曲になっちゃうんだな、と思う。それがやってみて面白い点だったかも。

出戸:編集権がある人が、結局いちばん個性が出るというか。

トクマル:オウガの新しいアルバムを(バンド・メンバーの)みんなで聴いたことがあって、うちのドラマーが気づいたんだけど、絶対にシンバルを打つだろうというところで「なんで打たないんだろう?」って話題になって。自制心が働いているのかわからないけど、「タカタカタカタカ、ツッツッタッ」って、「そこ(シンバル)打つだろう」というところで打たないんだ、って(笑)。ああいうのをどうやって決めているんだろうなと思っているんだけど。

出戸:レコーディングの最中とかプリ・プロの時点で決めているんだけど、今回はあまりはじけた感じにはしたくないと思っていて、ドラムがライド(シンバル)とかをバーンと叩くと空間が埋まっちゃうんだよね。それを補う音をあとで考えようと。ドラムって強力だから、ドラムのパーツを少なくしたり、スネアを入れない曲もあったりして、わざと曲を構成しにくいところから始めてみようと。それなりに全部(のパーツが)が(曲に)入ってしまうと、曲として安定感が出てよく聴いた感じのものになるから、それにはドラム(の影響)がけっこうデカいんじゃないかなと思って。当たり前のことをカットして。曲として成立するかしないかギリギリのところで止めようと。バスドラムとコンガだけとかあまり聴いたことがないから、そういうのはチャレンジでもあった。

トクマル:ドラマーとしてドラムを始めた人って、普通にシンバルを叩きたくなっちゃうよね(笑)。「タカタカタカタカ、ジャーン」みたいなやつね(笑)。

出戸:それはやりたがっていたけど、やめようということにしたね。

トクマル:バンドとしてそれが成立するのはカッコいいよ。

出戸:ドラムの音色も曲ごとに変えたりしたね。今回のセルフ・プロデュースというのは大変でしたね。

トクマル:オウガは1個1個の音がちゃんと作り込まれているから、聴き応えがあって。1音1音がちゃんと大切に作られているというのがすごくわかるアルバムだし、特に今回の(アルバム)は、なぜかはわからないけどすごく聴きやすくて。

出戸:エンジニアの中村さんのやり方なんだけど、あとで加工しないっていう。録ったときの音で、ミックスのときにEQをなるべくしない。よっぽどはまらない時はやるけど、音作りは基本的に録っているときに決める。今だとエフェクトとか、あとでリヴァーヴかけようとか、あとでディレイかけようとか、音色そのものをモジュレーションで変えたりするのかもしれないけど、それも全部その場で、エフェクターとかを通して音を作ってその場で決めていくというやり方にしたいって、中村さんに言われて。それですごく時間もかかったと思う、音色ひとつ選ぶだけで。音色選びの、機材繋ぎ直しの大変さ(笑)。音色がひとつ違うだけで急に本格的なレゲエっぽくなったり、こんなはずじゃなかったというくらい曲の像が変わったりして。1音でほどよい自分の思っていたフィールドに落とせるのか、全然違うレゲエのところにいっちゃうのかというのは、今回いろいろ試していて「ここまで違うのか」というのは発見としてあったなあ。

SSTVディレクター:自分にはない、相手から学びたい魅力は何でしょう?

トクマル:僕は(オウガの)メンバーが全員大好きなので、精神面的なことをわりと学んでいますよ(笑)。学んでいるというか尊敬するというか、いいなあと思うポイントがいっぱいあるかも。人柄的なこともあるし、近くにいて欲しいタイプのバンドではあるかもしれないです。

出戸:トクマル君は、ひとりでここまでやるという忍耐力がすごいと思うので、そこは見習いたいような見習いたくないようなところではあるんですけど(笑)。やったら最後、自分で耐えられるかわからないような追い詰め方をしている感じがするので、それは見習うべきなんだろうけど、近寄りたくないなという感じもある(笑)。

トクマル:僕は子どもの頃、自分の机に「忍耐」と書いたことがあって(笑)。

出戸:そりゃひどい(笑)。

トクマル:俺はこの十字架を背負って生きていく(笑)。

出戸:そういうのが好きなんだね。だからそういう意味だと登山は向いているんじゃない?

トクマル:たぶん向いているのかもしれない(笑)。

出戸:俺は「忍耐」とは机に書いてないなあ。書いていないし「忍耐」じゃないなあ。

トクマル:違うと思うよ(笑)。

※今回の対談の一部が動画としてSPACE SHOWER NEWSにて公開されています。下記よりチェック!

interview with Ogre You Asshole - ele-king


Ogre You Asshole
ハンドルを放す前に

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 世界に激震が走った……とニュースが言っている。ブリグジットに次いでトランプ勝利という波乱。マスコミや識者の予想もあてにならないという事実も明るみになった。そんな世界で、オウガ・ユー・アスホールを聴いている。
 以下のインタヴューで、新作『ハンドルを放す前に』とは、何かが起こる前の感覚を表していると説明している。起きてしまったときの感覚ではない。起こる前の感覚だと。ぼくはこの話を聞いたとき、彼らに意図はなくても、それは現在の社会/自分たちの生活を反映しているのではないかと、そのときは思った。何かが起きることの手前にいる感覚。
 だが、どうして、なんで彼らは……アルバムには、“かんたんな自由”という曲がある。リバタリアンの台頭、リベラル弱体のいま、充分に深読みできる。「かんたんな自由に/単純な君が/関心もなく ただ立っている/(略)/なんだっていいよ/勘だっていいよ/なんてことになっている/そんな自由が/かんたんな自由が/こんな ピタッと合っている/そうやってここにも/だんだんといきわたり/問題になり出している」

 こうした世の中との関連づけは、バンドが望むところではないことはわかっているが、この音楽が、ただのお楽しみのためにあるとも思いたくはない。なにせ新作は、出戸学の歌がいままで以上に入ってくる。と同時にアルバムでは、これまで試みてきたオウガの実験が、じつに洗練され、開かれ、そして滑らかな音楽へと結晶している。
 誰がどう見たっていまはロックの時代ではないだろう。それをわかったうえで石原洋は自らの拭いがたきロックへの幻想──それはありきたりのロックの美学とは異なる極めて独特なヴィジョンではある──を彼らに托し、バンドはそれを受け入れたわけだが、吐き出し方はドライだった。ゆらゆら帝国よりもずっと乾いていた。とにかく、2011年という年において『homely』は、日本の他の音楽のどれとも違っていたし、それから『100年後』(2012年)があり、そして『ペーペークラフト』(2015年)と、石原洋とのロック探索作業は続いた。
 新作『ハンドルを放す前に』は、石原洋との3部作を終えてからの、最初のセルフ・プロデュース作である。いったい世界はどうなってしまうのだろう。とてもじゃないが“寝つけない”……、そう、“寝つけない”、それがアルバムのはじまりだった。

このアルバムのなかで劇的なことは本当になにも起こっていなくて、ぜんぶがその予兆だけで終わっていくんですよね。

石原洋さんがいなくなってから最初の作品ということで、逆に気合いが入ったと思うのですが、『ハンドルを放す前に』を聴いていて(石原さんが)いるのかいないのかわからないくらいの印象でした。アルバムはどのようなところから始まったのでしょうか?

出戸:この(前の)三部作はコンセプトありきで作っていたのですが、今回はプロデュースを自分たちでやるかどうかも考えていなくて。どういうコンセプトでやるかということも考えず、僕と馬渕で好き勝手に1曲ずつ作ってお互いに聴かせあうというところからはじめましたね。

ゴールを決めずに作ったんですね。その、ある種リラックスした雰囲気は音楽にも出ていると思います。

馬淵:好きな音像をどんどん作っていくというのが、レコーディングの前までにしたことですかね。

出戸:ただ、実際にセルフ・プロデュースということが決まったときからリラックスはしていないんですけどね。

馬淵:むしろ石原さんがいるほうが、石原さんがいるってことでリラックスしていたね。

はははは、そういうことか。

出戸:責任は自分たちに来るし、セルフ・プロデュースだとつまらなくなった、という話になりかねないじゃないですか。そういった意味で僕はいつもより気合いが入っていましたけどね。

最初にできた曲はどれですか?

出戸:ちゃんと歌詞までできたのは“寝つけない”かな。

この“寝つけない”って言葉はどこから来たのですか?

出戸:あまりコンセプトがなくて歌詞を書いていて……、最終的には自分なりにこのアルバムは『ハンドルを放す前に』という単語に集約されるとわかったんですけど、その前までは「なんで寝つけないことを俺が書くんだ」と深追いはせず、書きたかったから書いたという感じですね。最後に全部(曲が)できたあとでこういう分析をしてみたというのはありますけどね。

清水:どうでもいいですけど、出戸君はすごく寝つける人なんですよ。

(一同笑)

ああ、そういう感じですね(笑)。僕はその真逆で寝つきがとても悪いので、自分のことを歌われている気持ちになりました。

出戸:僕はめっちゃ寝るんですよね。

それは言われなくてもわかります。

(一同笑)

寝つけない現代人はとても多いと思います。これは風刺なんですか?

出戸:いや、そこは風刺してないですよ。何かがはじまる前に次の未来のこととか先のことを考えていて、いまリラックスできないって感じがあるじゃないですか。その感じがこのアルバム全体にあって、なにかの一歩手前の感じというか、そういうことを歌いたかったんじゃないですかね。

その“なにか”というのは前向きな“なにか”ですか? それとも後ろ向き“なにか”ですか?

出戸:僕のなかでそれはどっちでもないんですね。何かが起きる前の感じ、ってのがよくて、それがポジティヴでもネガティヴでも起こっちゃったら今回の作品のテーマじゃなくなっているというか。(なにかが)起こるちょっと前の感じ。注射を打ったときより打つ前のほうが打つときよりも怖い(感じ)というか、遠足に行く前の日のほうがワクワクするというか。そういう感じなだけで、それが感情の陰か陽かということはどっちでもいいんですよ。

はぁー。出戸君の歌詞はすごく独特じゃないですか。久しぶりに振り返って(オウガのアルバムを)聴いてみたのですが、歌詞を書く際のスタンスが基本的にはそんなに変わっていないのかなと思いました。“100年後”とか

出戸:大幅には変わっていないですけど、今回の“頭の体操”とか“移住計画”はいままでと違った書き方だと自分のなかでは思っています。いままでは行間に「クエスチョン・マーク」がつくような幅をもたせて想像力を湧かせるような書き方もあったんですけど、今回はまったく行間がなくて“頭の体操”のことをただただ歌っているというか、それ以上でもなくそれ以下でもない歌詞にしましたね。でもそれをやることによって、なんでそれを歌っているんだという大きい「クエスチョン・マーク」ができるということに気づいて、その2曲に関しては自分のなかでは、いままでとちょっと違った書き方なんです。

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あんまりガツガツしすぎるとだんだん疲れてきちゃうし、ガツガツしている人を見るのも疲れるじゃないですか。自分がげんなりしない程度にはいろいろ嫉妬とかガツガツしたりもしますけど、自分があとでダメージをくらわない程度ですよね。


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みなさんは出戸君の歌詞に関してはどのような感想をもっていますか? 何について歌っているのか聞いたことはありますか?

馬淵:ありますよ。今回はけっこう(歌詞について)話していたかな。

出戸君の歌詞は二通りの捉え方があると思います。ひとつはシュールレアリズム的な捉え方と、もうひとつは世のなかに対するアイロニーという捉え方。「なんて屈折した世のなかの見かただろう」と思うような、後者の捉えられ方というのもとてもあると思います。“100年後”とかそうでしょう?

(一同笑)

「これまでの君と これからの君が 離れていくばかり」とか。たしかに出戸君本人が言ったように「クエスチョン」が立ち上がりますが……。

馬淵:勝浦さんは「自分のこと歌われている」って言っていたじゃないですか(笑)。

(一同笑)

アイロニーとして感じたことはないですか?

勝浦:たぶんもっと根っこの部分がそういう感じで、僕は本人(出戸)が思ってもいないままそういうふうになっていると思っています。だから本人は「アイロニーを歌ってやろう」とは思っていないと思います。

そのとおりだと思います。

出戸:だからいわゆるアイロニー的な感覚で作品で作りたいとはあまり思ってないんですよね。社会を風刺してやろうとかそういう思いはなくて、もっとフラットに作品をどうしようとか、この言葉の感じと歌を合わせたらいいなあとか、好みで選んでいるつもりなんですけどね。

“頭の体操”なんかは解釈次第では「なんて意地の悪い歌なんだろう」って思えるような歌詞でしょう?

勝浦:思わなかったですね(笑)。

馬淵:中村さんは言っていたけどね。

出戸:中村さんは「頭の体操をしろ」という上から目線の歌詞にも感じるって言っていました。

(一同笑)

出戸:そんなつもりはまったくないんですけど(笑)。

勝浦:なんてカッコ悪い歌詞を作るんだろうなあと思って、それがいいなと思ったんですけどね(笑)。“頭の体操”ってすごくカッコ悪い響きの言葉を使うのが出戸君らしいと思いました。

そうなんだ。世のなかを皮肉っているとしか言いようがないですけどね。

清水:本人は意識してないと思うんですけど、出戸くんには批判的な視線というのが常日頃からあると思うんですよね。わりと世のなかとか外界というものを批判的に見ているというか。

出戸:いや、自分に対しても批判的ですよ!

清水:出戸くん自身に対しても批判的だよね。なんというか外界をぜんぶ批判的に見ていて、そういう人だから、どうしても時代というものと無関係じゃなくなってしまうんです。今回のアルバムの何かがはじまる前の感覚というのも、いつからなのか、ずっとそういう時代が続いているのと無関係ではなくて。破滅しそうなしないような、ハッピーになるようなならないような、そういう中を生きてるような時代感があると思っていて。

ああ、そうですね、いま清水くんが言ったことは本当に頷けます。

出戸:俺はかなり楽観主義ですよ。そういった皮肉とか批判する視線もありますけど、半分はなんだかんだ良くなるかもしれないし、という気持ちもありますよ。

勝浦:どっちのスタンスかということじゃなくて、たぶん日常とか現実からの距離が人と違うんですよ。すごく離れているから、どっちの立場ということではないと思うんですよね。

清水:時代がどうなろうと確固とした自分があるから、出戸くんは揺るがないんだと思う。対象と距離が取れているから、現実がどう変わっていこうとそれを見つめ続けられる強さがすごく出てくるというか。そういう感じがするけどね。

3.11があって、ぼくはその年の夏に『homely』を聴いたんですよね。そのときのオウガは、日本がんばれとかいろいろあったなかで、ある種の居心地の悪さを絶妙な音で表現していたというか、その感じがぼくにはすごく引っかかったんですよね。クラウトロックとかなんとかいう註釈は後付けであって。

出戸:もちろんまったく関係ないとも思っていないですよ。社会とか、いまの時代の空気感と離れすぎてもいないですけど、野田さんが思っているほど近くないというか。どこがポイントなのか自分でもよくわからないんですけど。

歌詞を書くときはどういうところから書いていくのですか?

出戸:曲ありきで歌詞を書いていますけど、なにかひとつアイデアがあったらそれを元に絵を(頭に)浮かべて描いていくという感じですね。

『ハンドルを放す前に』というタイトルは、なにかが成し遂げられる一歩手前の感覚という話でしたが。

出戸:そうですね。でも感情とかそういう話ではなくて。ピサの斜塔って倒れそうだけど、多分あれを見て悲しいと思う人はいないじゃないですか。あんな感じのアルバムというか(笑)。

(一同笑)

勝浦:「運転する前に」じゃなくて「放す前に」なんだよね。

おかしい言い方ですよね。

出戸:「運転する前に」というか「放棄する前に」という(感じですね)。

でもその先には「放棄する」というのがあるわけですよね。

出戸:いや、それは放棄する予兆だけ、でまだハンドルは持ったままの状態でしかないです。このアルバムのなかで劇的なことは本当になにも起こっていなくて、ぜんぶがその予兆だけで終わっていくんですよね。

たしかになにも起こっていない感じはすごく音に出ていますね。でもなぜそのなにも起こっていない感じをこんな緻密な音楽で表現しようとしたのですか?

(一同笑)

出戸:そういう置物が好きだったとしか言えないですね。ちゃんと立っているやつより、斜めに立っているものが欲しかっただけです。

それはわかりやすく言ってしまうとオウガ的なメッセージというか、すごくオウガらしいですよね。ロックというのは常になにかが起こっていなければいけないし、常に物語があるじゃないですか。それは彼女との出会いかもしれないし、あるいは社会であるかもしれない。とにかくなにかが起きているということに対して、本当になにも起こっていないというスタンスですよね。

出戸:でもさっきの注射を打つ前の話とか遠足に行く前の日の話とかのように、予兆というのはいちばん重要なポイントなんじゃないかと思っていますね。

勝浦:SF映画で宇宙人が出てくる前は良いけど、出てくるとがっかりするとか、狂気の前のなにかが起こりそうな感じとか、たしかにそこが一番ピークといえばピークだよね。

出戸:ピークだし表現のしようがある場所というね。

なるほど。今回のアルバムは歌メロが違うのかな、と感じたのですがどうでしょうか?

出戸:あまり意識はしてないんですけど、これまでの三部作より全体のミックスで歌が大きくなってます。

1曲目(「ハンドルを放す前に」)や“はじまりの感じ”、“移住計画”といった曲にあるようなメロウなメロディはいままであまりなかったじゃないですか。

出戸:そうですかね、“夜の船”とかありましたよ。

簡単な言葉で言ってしまうと、“はじまりの感じ”はとてもポップな曲に思えたし、そこは今回挑戦した部分なのかと思ったのですが、どうでしょうか?

馬淵:“はじまりの感じ”は、もともとシングルに入れたヴェイカント・ヴァージョンの方をアルバムに入れようと思っていたんですけど、(結局入れたのは)わかりやすいアレンジのほうになりましたね。アルバムに入れた“はじまりの感じ”が、今回では一番バンドっぽいですよね。普通のロック・バンドがやっている演奏って感じの曲ですね。でも出戸のメロディに関しては、結局あまり変わってないと思うんですけどね。あとは歌がシングルっぽいですよね。

それは録音としてでしょうか?

出戸:録音ですね。いままではダブリングといって2回録音した歌を重ねてにじんだ声にしてヴォリュームも小さかったのが、(今回は)歌が生々しくて、わりとにじみが薄くて1本でドンとある感じで(ヴォリュームも)でかいという歌に耳がいっちゃうような作り方になっていますね。

それには出戸君の歌を聴かせたいという意図があったのでしょうか?

出戸:最初はいままでどおりのミックスで進んでいたんですけど、最後のほうで中村さんから「もうちょっと歌(のヴォリュームを)上げてみませんか」という提案をもらって、それで上げてみたらそっちのほうが奇妙で面白かったという感じです。いままで聴きなじんで当たり前だったものよりも新鮮に聴こえたというか。

馬淵:バックが無機質で上モノの音とか飛び出してくる音が少ないんですよ。そこに声を(上げて)入れてみたらバコンときたから、その対比が面白かったんです。

出戸君の歌詞というものをさっ引いて音としてメロディを聴くと、「お、いいヴォーカルじゃん」と思いました。ある意味でオウガのスタイルというものを作り上げている感じはするのですが、今回のアルバムは人によって好きな曲がバラけるのかなという感じもしました。メンバーとしてはどの曲が好きなのですか?

出戸:僕は「はじまりの感じ」のシングルにしか入っていない(アルバムから)外されたヴァージョンが好きでしたけどね。

(一同笑)

清水:詞とか含めて3曲目が好きかなあ。あとは“寝つけない”も好きかな。曲調がバラバラだから、どっちが良いってのは考えにくくて、全部好きなんですよね(笑)。個人的に今回はどれも違う味で、どれも美味しいという聴き方ができるんですけど。あえて言うなら“寝つけない”とか“なくした”が好きって感じです。単純に自分の好みですね。

勝浦君はドラマーの立場からどうでしょうか?

勝浦:僕は最初に馬渕君が“寝つけない”のデモが来たときから、今回はうまくいくなと思ったんですよね。あとは4曲目の“あの気分でもう一度”もメロウで好きですね。

馬渕くんは?

馬淵:僕も“寝つけない”ですね(笑)。いい曲ですね。

では“寝つけない”が最初にシングル・カットされたのは、みなさんが好きだったかななんですね。

出戸:そうですね。最初にできたからというのもあるし。

馬淵:12インチだったしね。

清水:みんなが(“寝つけない”を)好きというのが、いま明らかになったね(笑)

出戸:そうだね(笑)。

これまでは石原さんがいたからソースとして頼りになっていたことがあると思うのですが、今回のアルバムを作っていくなかで音楽的にどのようなところからインスピレーションを得ていたのでしょうか?

出戸:最初にコンセプトをもうけていないから、普段自分たちがいろいろ聴いて消化したものが出てきているので、これという取っかかりになったような作品は、バンド内であまり出てきていないですね。日常生活であれがいい、これがいいというものはあるんですけど。なにかあります?

馬淵:モンド感とかエキゾ感を散りばめようとか、そういったようなことはチョロっと話したような気がするけど。

勝浦:たしかに最近馬渕君の車に乗るとエキゾっぽい曲がかかっている気がするね。

馬淵:あと僕はバンドがやっているという感じではなくて、人がいなくて機械がやっている感じがいいなと思っていました。ちょっと冷めていているけど、ロボット達が血の通ったことをやろうとしているような感じをイメージしてましたね。

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石原さんの基本には多分、ペシミスティックな感覚があって、それが独特の美意識にもつながっているんだけど、もともとオウガが強く持っているものではないから、今回はペシミスティックでデカダンな感じが希薄なのかもしれません。


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どのバンドも長いことやっているとマンネリズムの問題があると思うのですが、オウガはそういうようなことはなかったのでしょうか?

出戸:昔はそんな感覚もありましたね。でも『homely』以降はないですね。“ロープ”をライヴでやりすぎて飽きてくる、とかはありましたけど(笑)。レコーディングに関しては新曲をもってくるときに「またその曲かよ」とみんなのテンションが下がることはいまのところないと思います。

清水:今回の新譜のために曲作らなきゃという話をふたりがしはじめてから、ボツになった曲がけっこう沢山あるんですよね。ライヴでやってからボツになった曲もあるし、練習だけしてやらなくなった曲もけっこうありました。でも、二人からたくさん(曲が)出てきて、それが尽きないという感じがあった。そこからどんどん削ぎ落としていくという作業が、僕の知っているなかではいちばん激しかったと思います。だから、すごく磨きこまれた感じがあるんですよね。曲が採用されるまでに戦いがあったというか。

馬淵:勝浦さんとのね。

(一同笑)

清水:やってみて、「これはやめたほうがいいんじゃない?」ってことはあったよね(笑)。

バンドを続けていくうえでのモチベーションは『homely』の頃から変わっていないですか?

出戸:そこはまだ疑問視もしてないくらい。

(一同笑)

焦りもない(笑)?

出戸:あるはあると思うんですけど……。それはありますよね。

清水:でもはたから見ていると出戸くんも馬渕くんも曲作りとかで困る状況をけっこう無邪気に楽しんでいるというか(笑)。

出戸:あんまりガツガツしすぎるとだんだん疲れてきちゃうし、ガツガツしている人を見るのも疲れるじゃないですか。自分がげんなりしない程度にはいろいろ嫉妬とかガツガツしたりもしますけど、自分があとでダメージをくらわない程度ですよね(笑)。

(一同笑)

それは長野にいるということも一つにはあるのでしょうね。

出戸:住んでいるからというか、だから長野に住めるんだと思いますけどね。もっとガツガツしていたら東京にいなきゃダメでしょということになって、(長野に)いれないと思いますよ。なにもない日々が続く感じなので。

(一同笑)

オウガは音楽的を追求するバンドですが、音楽リスナーのみんながそこまで音にこだわっているわけではないですよね。そういったことに不満やストレスといったものはあるでしょう?

馬淵:僕はないですね。リスナーの人もそうだけど、好きに聴いてもらえればいいと思っているし、わかってほしいと思う近しい人に伝わっていれば満足できるというか、自分がすごいと思っている人にいいと言ってもらえたら嬉しいというのはありますけどね。どう?

出戸:うーん……。

この沈黙はやっぱりちょっと思っているところがあるんだ。

(一同笑)

清水:ふたり(出戸、馬渕)の作品作りは、すごくよくできた椅子とかコップとかを作っているのに近いなと思っているんですね。飾り気もないんだけど実用性はあって、歴史も踏まえていて、いまの時代にあって日用雑貨として使いやすいんだけど奇をてらっていなくて、そんなふうに考えてキッチリ作られた家具とか、そういうものに近い感じがしてて。色々踏まえてきっちり作ってあるから楽しむ人は楽しんでくれるし、合わない人もいるとは思うけど、作った職人さんは「合わないよね」くらいに思うだけで、ただいいものを作ろうとして作っているだけだという。だからユーザーに対する不満なんか、職人さんは特に持ってない。そんな境地じゃないの?

出戸:大衆に向けて作ろうとしていないと言っているけど、それよりさらに(対象が)狭いかも。信頼している人が何人かいるからそういう人たちの顔は見えるけど、あとは自分のなかで(完結していて)、外部といったら10人くらいかな。「あの人はどう思うのかな」というのはちょっと思ったりしますけど。野田さんの話もたまに出ますよ。

馬淵:これは野田さん嫌いでしょ、みたいな(笑)。

(一同笑)

出戸:これは野田さんが好きそうとか、よく名前は出てきますよ(笑)。知っている人の範疇でしか想像できないからね。

清水:でもその向こうにはいっぱい人がいるわけでしょ? 野田さんの向こうにはいっぱい人がいて、その集約として野田さんがいるという感じがしますよね。

出戸:そういう意味ではお客さんに対しては(不満は)ないですけど、ライターの人とかにちょっとイラッとするときはありますね(笑)。でもそれはこっちの説明不足というのもあるし。多分誰しもがあることですよね。

さきほどアイロニーの話をしたときに出戸君が「自分に向けても」と話していましたが、歌詞のなかに自分が出てくることはあるのですか?

出戸:自分が出てくることもありますね。自分の気分が歌詞になっているから、舞台に自分を立たせているかはわからないですけど、歌詞の感じが自分の気持ちに似た雰囲気をもっていると思いますね。だから登場人物として自分がでてくるというニュアンスよりも、監督としているという感じかな。

自分のエモーションを歌うということはありますか?

出戸:ないかも。感情の出し具合というのもあると思うんですけど、すごく号泣している人を見ても一緒に泣けないというか、むしろ引いちゃう感じがあるじゃないですか。でもロボットが泣いていると「どうしたんだ」と思う感じもあるというか。

清水:ええ(笑)?

出戸:俺はそういう感じ(笑)。

清水:そもそもロボットが泣いているというシチュエーションがすごい(笑)。

勝浦:出戸くんはあんまり情動がないんだと思います。短期間の激しい上がり下がりはなくて、長くてゆるやかな変動はあるけど気分という感じなんですよ。歌詞も気分はよく出てくるけど、感情とかそういうのは歌詞に出てこないですよね。波風が立っていない海みたいな、そういうイメージですね。

はははは、すごいイメージ(笑)。勝浦君が一番付き合いが長いのですか?

勝浦:いや、馬渕君ですね。

馬淵:高校から(の付き合い)ですね。

ずっとこういう感じでした?

馬淵:いや、どんどん冷静な感じになっていますね。

(一同笑)

さすがに高校時代はそうでもありませんでしたか?

馬淵:それは若いからいまよりありましたけど、みんなそうでしょ? まあ、でも冷静ですよね。

勝浦:冷静すぎて腹が立つときもあるよね。

(一同笑)

勝浦:なにか言ってすごくまともな答えを返されたりして、合っているんだけどこっちがすごくみっともない感じがして(笑)。もうちょっと動揺してよ、と思うくらい安定しているというんですかね。

内に秘めているタイプですよね。

出戸:でも勝浦さんを見ていて「すぐ怒るなあ」と思うけどね(笑)。

(一同笑)

勝浦:この感じなんです(笑)。

勝浦君は感情の起伏が激しいのですね。

勝浦:僕は情動ですね。

清水:二人とも極端で、どっちも普通じゃないというか(笑)。

ちょうどバンド内のバランスがとれているのですね(笑)。ドラムはとてもミニマリスティックなのにね。さて、これまでコンセプチュアルな作り方をしてきて、今回のアルバムはゴールを決めずに作ったような話でしたが、最終的になにをゴールとしたのか、どうやってアルバムをまとめあげたのでしょうか?

出戸:最後まで曲順を決めるのに難航してどの曲順もしっくりこない感じがあって、曲を入れかえたり、アレンジが違うものを入れかえたり、曲をボツにしたり、削ったり尺を変えたり、最初に好き勝手に作った分まとめるのに苦労したんですけど、「ハンドルを放す前に」を1曲目にしたところからようやくまとまりそうな気配がでてきたという感じでした。それ以前はなにがどうなるのか、自分たちでもよくわからなかったですね。

どうしてアルバムができるまで2年かかったのでしょうか?

出戸:レコーディングのスケジュールを長めに取ったりしていたら、自然とそうなったんですけどね。

ではとくに難航したということでもなく?

出戸:レコーディングはもともと1ヶ月半くらいで終わる予定だったんですけど、さらにその倍の時間がかかってしまいましたね。(今回は)最初から音決めを丁寧にやっていて、ずっと中村さんに「これで本当に終われるんですか?!」って言われてたよね(笑)。

(一同笑)

出戸:(それくらい)丁寧にやっていたので、難航したというよりも積み重ねるのに時間がかかったという感じですね。

ひらたく言えば、前作より聴きやすいアルバムになったと思います。それは意図せずそうなったのでしょうか? 前作が実験作であったので、比較するのも変な話ではあるのですが……。

出戸:ミックスの感じで聴きやすくなっているというのはあるよね。いままでは聴き手側が「聴くぞ」と思ってちゃんと(聴き)取りにいく感じがあったと思うんですが、今回ももちろんそういう聴き方もしてほしいんですけど、そうじゃない聴き方でも聴けるミックスになっていると思いますね。

なんかリラックスしているというとそれは違うという話ですが、たとえば、“見えないルール”のような曲のテンションとは違う感覚を打ち出しているアルバムですよね。

清水:たぶん(三部作とくらべて)悲壮感が薄いんです。石原さんの基本には多分、ペシミスティックな感覚があって、それが独特の美意識にもつながっているんだけど。(その悲壮感は)もともとオウガが強く持っているものではないから、(今回のアルバムは)ペシミスティックでデカダンな感じが希薄なのかもしれません。だから、リラックスしたわけではないんだけど、比較的リラックスしているように聴こえるのかなと思いますね。(今回は)悲観でも楽観でもない中間に浮かんでなにもない真空みたいな感じになっていると思うんだけど。意識としてはリラックスはあまりしてないよね? 

出戸:でも重くしたくないというのはありましたよね。重くて大仰じゃないアルバムを作りたいと思っていましたね。

清水:最後の曲順とかアレンジを考えているときまでそれは話していたよね。重くなりすぎないようにとか、大仰にならないようにとか、(曲が)ほとんどできて並び替えとか曲の長さを決めているときにも話した気がする。

なぜ?

出戸:今までと違うことをしたかったからですよね。

(一同笑)

なるほど。じゃあそんなところでいいかな。

(一同笑)

『homely』はしばらく聴いていないですよね?

出戸:レコーディング中に聴きました。

あのアルバムをいま聴くと、ずいぶんトゲがありますよね。それに比べると、今回のアルバムはすごく滑らかなサウンドですよね。

勝浦:この前ちょっとひさしぶりに(『ハンドルを放す前に』を)聴いたら、おこがましいんですけどヨ・ラ・テンゴのような雰囲気を感じて、それが野田さんのおっしゃっているリラックスというかスルメっぽい感じというか、表面のゴテゴテがなくて、いままでより奥にあるものに近づいた感じがしていて。

カンでいえば『フロウ・モーション』ですよね。

勝浦:こういう感じでやれたら長くい続けられるんじゃないかなと思ったんですよね。

出戸:「後期のカンっぽい」って言っていう感想もあったなあ。

オウガもいよいよ成熟に向かったかという感じで。

出戸:残念ですか(笑)?

もっと成熟していくように思いますね。

勝浦:みんなですごくたどたどしくやっているという感じで、そのたどたどしさを僕はいいと思うんですよね。ああいう成熟した人たちって演奏もうまいし、かたちになっているんですけど、自分たちのはインディーズ感がありつつ落ち着いているというのが面白いバランスだと思いましたね。

(了)

アルバム発売記念・全国ツアー・14公演
「OGRE YOU ASSHOLE ニューアルバム リリースツアー 2016-2017」

11/26(土)  仙台 Hook
11/27(日)  熊谷 HEAVEN’S ROCK VJ-1
12/03(土)  札幌 Bessie Hall
12/09(金)  長野 ネオンホール
12/10(土)  金沢 vanvanV4
12/11(日)  甲府 桜座
12/16(金)  岡山 YEBISU YA PRO
12/17(土)  広島 4.14
01/14(土)  福岡  BEAT STATION
01/15(日)  鹿児島 SRホール
01/21(土)  名古屋 CLUB QUATTRO
01/22(日)  梅田  AKASO
01/28(土)  松本  ALECX
02/04(土)  恵比寿 LIQUIDROOM ※ツアーファイナル

interview with Nicolas Jaar - ele-king

E王
Nicolas Jaar
Sirens

Other People/ビート

Post-PunkAmbientExperimental

Amazon Tower

 ドナルド・トランプの衝撃が全世界を覆っている。もう何がなんだかわからない。ただただ憂鬱である。そんな暗澹たる気分のなか、ニコラス・ジャーから返ってきたインタヴューの原稿を読んだ。メールで質問に答えてくれた彼が、とてもキュートな絵文字を使っていることに、少し救われたような気分になった。以下のインタヴューのなかで彼も触れているが、ポリティカルなこととパーソナルなことは、相互に影響を及ぼし合っている。これほどの出来事があって、「さあ、また明日から頑張りましょう!」と簡単に割り切れるほど、僕は強くない。他の人がどうなのかは知らないけれど。

 オリジナル・アルバムとしては5年ぶりとなるニコラス・ジャーの新作は、前作『Space Is Only Noise』とはだいぶ異なる雰囲気に仕上がった。とはいえ、様々な要素を折衷するスタイルそれ自体は前作から引き継がれている。“Killing Time”や“Leaves”はエクスペリメンタルであり、アンビエントである。“The Governor”や“Three Sides Of Nazareth”にはポスト・パンク的な態度があり、さらに前者にはドラムンベース的なギミックも忍び込まされている。“No”はレゲエを、“History Lesson”はドゥーワップを取り入れているが、ともにラテン・ミュージックの空気が貼り付けられている。このようなコラージュ精神こそがニコラス・ジャーの音楽を特徴づけていると言っていいだろう。多様であること、あるいは多文化的であることの希求。ニコラス・ジャーが移民の子であることを思い出す。

 そういった果敢な音楽的実験とともに、このアルバムからは非常にポリティカルなメッセージを聴き取ることができる。たとえば“Killing Time”では人種や階級の問題が言及され、“Three Sides Of Nazareth”ではチリで起こった虐殺の風景が歌われている。そんな本作を初めて聴いたときに僕は、ニコラス・ジャー自身の過去の作品よりも先に、ある別のアーティストの作品を思い浮かべてしまった。
 今年の春にブライアン・イーノがリリースしたアルバム『The Ship』は、タイタニック号の沈没と第一次世界大戦を参照することで、現在の世界情勢と向き合おうとする作品であった。今回のニコラス・ジャーのアルバムは、音楽性こそ異なれど、テーマの部分で、そしてその物語性において、『The Ship』と通じ合っている作品だと思う。何より、『Sirens』というタイトル。サイレンとはもちろん、「警告」を意味する信号として機能する音のことだが、その語源はギリシア神話に登場する海の怪物である。セイレーンはその歌声で船員を惑わし、船を難破させる。つまりセイレーンとは、歌で人類を混乱させ、困難へと陥れる存在なのである。『The Ship』と『Sirens』という、40歳以上も歳の離れたふたりがそれぞれUKとUSで独自に作り上げた音の結晶が、船や海といったモティーフを介して、まさにいま響き合っている。このふたつのアルバムはそれぞれ、ブレグジットと大統領選挙というふたつの出来事にきれいに対応しているのではないか――少なくとも僕は、そういう風にこのふたつの作品を聴き直した。2016年とはいったいどういう年だったのか――この2作の奇妙な繋がりこそがそれを物語っているような気がしてならない。

 そして、このニコラス・ジャーのアルバムには、「父」というパーソナルなテーマも織り込まれている。今年はビヨンセやフランク・オーシャンなど、ポリティカルであることとパーソナルであることを同時に成立させてみせる名作が相次いでリリースされた。ニコラス・ジャーのこのアルバムもまた、それらの横に並べられるべき作品のひとつである。
 ひとりのリスナーとして、ポリティカルなこととパーソナルなことの響き合いを、どのように聴き取っていけばいいのか。ひとりの生活者として、ポリティカルなこととパーソナルなことの重層的な絡み合いに、どのように折り合いをつけていけばいいのか。それはとても難しい問題で、僕自身もまだ答えを見つけられていない。でも、まさにこのタイミングでこのアルバムを聴き返すことができて、本当によかったと思う。
 返信をありがとう。

 愛をこめて。

 コバ

俺も自分の音楽がポリティカルになるとは想像していなかった。ただ、自分に素直でありたいと思い、自分の中に新たに生じた難しい感情に対応したいと思ったんだ。

ビヨンセの新作や、昨年のケンドリック・ラマーのアルバムは聴いていますか?

ニコラス・ジャー(Nicolas Jaar、以下NJ):聴いてるよ。

かれらのように、一方で音楽として優れた作品を作ることを目指しながら、他方でポリティカルなメッセージを届けようとするスタンスに、共感するところはありますか?

NJ:ふたりとも、ポリティカルなことをパーソナルなことに(そしてその逆もまた同様に)うまく転換させることができる素晴らしいアーティストだと思う。それは素晴らしい技術で、俺もいつか自分の作品でそういうことを成し遂げたいと思う。
 チリでのクーデターの時、軍に虐殺されたチリ人のシンガーソングライター、ビクトル・ハラはこう言っている。「全ての音楽はポリティカルだ。たとえノンポリティカルな音楽であっても」。
 この言葉は本当だと思う。たとえラヴ・ソングでも、文脈や曲が作られた時代によって、猛烈にポリティカルなものになりうる。結局のところ、目を見開いていれば、自分の部屋の中にも、窓の外にも、愛と憎悪があるということがわかるんだ。

このたびリリースされた『Sirens』は非常にポリティカルです。たとえば“Killing Time”では、アフメド・モハメド少年やドイツのメルケル首相の名が登場し、人種や階級、資本主義といった問題について触れられています。あるいは“Three Sides Of Nazareth”では、ピノチェト政権下のチリで起こった虐殺の風景が歌われています。正直、あなたがここまでポリティカルな作品を世に送り出すことになるとは想像していませんでした。あなたが作品にポリティカルなメッセージを込めるのは、おそらく今回が初めてだと思いますが、何かきっかけとなるようなことがあったのでしょうか?

NJ:俺も自分の音楽がポリティカルになるとは想像していなかった。ただ、自分に素直でありたいと思い、自分の中に新たに生じた難しい感情に対応したいと思ったんだ。たとえば『Sirens』以前は、自分の音楽に「怒り」や「苛立ち」を込めるということはしなかった。でも自分が成長するためには、そういった感情を含めていかなければならないということに気づいた。たとえそれがどんな結果になってもね。『Sirens』は俺が成長するために、自分に必要だと感じた「自由」から生まれたアルバムなんだ。

ニューヨークで生まれたあなたにとって、チリとはどのような国なのでしょうか? また、かつての独裁政権下のチリの状況と現在のアメリカの状況に共通点があるとしたら、それは何でしょう?

NJ:現在のサンティアゴには、マイアミやロサンゼルスにすごく似ている場所もある。軍隊はアメリカの資本主義導入に成功したってわけさ。共通点を挙げるのであれば、保守主義が幽霊のようにジワジワと忍び寄ってきて、文化左派が戦いに負けてしまった状態にときおりなっているという点かな。

本作の全体的なムードは前作『Space Is Only Noise』とはだいぶ異なっていますが、様々な音楽的要素を折衷すること、多様であろうとする部分に関しては前作から引き継がれているように感じます。様々なジャンルやスタイルをコラージュしたり混ぜ合わせたりすることは、あなたが音楽を制作する上でどのような意味を持っていますか?

NJ:曲のひとつひとつが小さなストーリーになっていてほしい。俺は、インクの色よりもストーリー・アークの方に注目する方が好きだ。

“The Governor”や“Three Sides Of Nazareth”からはポスト・パンク的な要素が感じられます。スーサイドのようにも聞こえました。先日アラン・ヴェガが亡くなりましたが、彼の音楽からは影響を受けましたか?

NJ:もちろん影響を受けたよ。アラン・ヴェガのエネルギーは今の時代にとてもフィットしていると思う。だから彼が亡くなったことを知ってとても悲しかった。彼は、抵抗音楽における重要な言語と青写真を作り出した人だと思う。

昨年〈Other People〉からリディア・ランチの作品集がリイシューされました。楽曲的な面やアティテュードの面で、彼女から受けた影響があったら教えてください。また、彼女以外にも、『No New York』や〈ZE Records〉など、ノーウェイヴのムーヴメントから受けた影響があったら教えてください。

NJ:リディア・ランチが、ベルリンの壁崩壊後にベルリンでおこなった『Conspiracy Of Women(女性の陰謀)』というスポークン・ワードのパフォーマンス映像を、いつだったか偶然発見したんだ。それに夢中になり、その後何年かはそのパフォーマンス音声を自分のDJセットに入れてプレイしていたよ。
 (昨年)このパフォーマンスの25周年になるということに気づいた俺は、彼女に連絡を取り彼女と会った。彼女はリリースを承諾してくれ、それ以来、俺たちは近しい友人になったんだ。彼女にはすごく影響を受けているよ。俺が、俺自身であることを受け入れられるようになったのも、言わなきゃいけないと思うことを言えるようになったのも、彼女のおかげだ。

“The Governor”からはドラムンベース的な要素も感じられます。あなたの音楽が最初に広く受容されたのは、主にダブステップが普及して以降のダンス・ミュージック・シーンだったと思いますが、90年代のダンス・ミュージックから受けた影響についてお聞かせください。

NJ:俺の中で“The Governor”は、絶対ヘビメタなんだけど! 😂

いくつかの曲ではあなたの「歌」が大きくフィーチャーされています。それは本作がポリティカルであることと関係しているのでしょうか? そもそも、あなたにとって歌またはヴォーカルとは何ですか? 他の楽器やエレクトロニクスと同じものでしょうか?

NJ:最近は、ソングライティングという概念により興味を持つようになった。プロダクションは「ファッション」的な感じがベースになっているけど、ソングライティングはそういう感じから逃れることができると思う。「存在」というものに興味があるんだ。レコーディングに声を入れるのは、そこに命を加えるようなものだと思う。

本作は『Nymphs』と『Pomegranates』の間を埋める作品だそうですが、ということは、本作にも何かのサウンドトラックのような要素、あるいは役割や機能があるのでしょうか? たとえば、本作はいまのアメリカのサウンドトラックなのでしょうか?

NJ:そうかもね!(笑) 今まで、「テクスト」とコンテクスト(=文脈)が欠けていたと思う。『Nymphs』や『Pomegranates』は、その時の俺にとっては閉鎖的すぎると感じたのかもしれない。

前作『Space Is Only Noise』は2011年の2月にリリースされましたが、その直後、日本では大きな地震と原子力発電所の事故がありました。日本の一部のリスナーは、あなたの前作をそのような状況のなかで聴いていました。あなたの作品が、意図せずそのような状況のサウンドトラックとして機能することについてはどう思いますか?

NJ:そのような状況だったとは知らなかった。作品がアーティストの手を離れ、リスナーに届いた時点で、それはリスナーのものになると思う。俺が音楽を作るのは、俺が自分の感情に対応するために必要だからだ。音楽を作っているときだけ、俺は自由で幸せになれる。俺の音楽が、人びとの人生のサウンドトラックになっているのであれば、それがどんな結果であれ、光栄に思う。俺の音楽が人々の感情にとって、何らかの役に立っていれば嬉しい。

“Killing Time”や“Leaves”など、本作にはアンビエントの要素もありますね。あなたは3年前に、ブライアン・イーノの“LUX”をリミックスしています。彼が発明した「アンビエント」というアイデアについてどうお考えですか?

NJ:☁️☁️☁️✨

彼は音楽制作を続けるかたわら、イギリスの労働党党首を支援したり、シリアへの空爆反対のデモに参加したりしています。そうした彼の政治的な態度や行動についてはどうお考えでしょうか? あなた自身もそういった活動をする可能性はありますか?

NJ:政治的な活動はあくまで個人的に、プライベートな時間におこなうようにしている。自分の行動全てをソーシャルメディアで公開することはしたくない。デモに参加するとしたら、市民として参加するのであり、ミュージシャンとしてではない。

イーノの最新作『The Ship』は聴いていますか?

NJ:聴いている。

日本では多くの場合、音楽が政治的であることは歓迎されません。あなたは2年前にDARKSIDEとして来日し、フジロック・フェスティヴァルに出演していますが、今年、そのフェスティヴァルにSEALDsという学生の社会運動団体が出演することが決まったときに、「音楽に政治を持ち込むな!」という議論が巻き起こりました。あなたは、音楽と政治はどのような関係にあると考えていますか? あるいは、音楽が政治的であることとは、どのようなことだとお考えですか?

NJ:音楽は、時代について語ったり、信条に疑問を感じたり、考え方を覆したりするようなものであるべきだと感じる時がある。
 だが、別の時には、音楽は俺たちを癒してくれるもので、ニュースの見出しや過剰なもの、ダークなものから俺たちを逃してくれるべきだと考える。
 それは難しい質問だから、俺自身もまだ答えを見つけていない。
 質問をありがとう。

 愛をこめて。

 ニコ

Nicolas Jaar - ele-king

 2010年代以降を振り返ると、特に2011年は優れたアルバムが数多く登場した年だったが、中でもジェイムズ・ブレイクのデビュー・アルバム『ジェイムズ・ブレイク』はその年のベスト・アルバムに推されることが多かった。そして、その2011年にニコラス・ジャーもデビュー・アルバム『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』を発表している。『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』は『ジェイムズ・ブレイク』のミニマル・テクノ版とも形容され、ジャーのサウンドにはリカルド・ヴィラロボスからマシュー・ハーバートなどの影響が見受けられた。そして、従来のテクノやハウス、エレクトロニック・ミュージックの枠に収まらないところがニコラス・ジャーの特徴で、ダウンテンポや変拍子などの幅広いリズム・アプローチを見せるとともに、映画音楽、民族音楽、ブルース、ジャズなど様々な音楽的要素を融合し、実験的なコラージュ作家という側面も見せた。ジャーはダークサイド名義でダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』のリミックス・アルバムを制作するなど、ディスコやダンス・ミュージックへの積極的なアプローチを見せる一方、その作品の随所からルーツ・ミュージックや1950~60年代の古い音楽の嗜好というものが読み取れる。『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』から5年ぶりとなるセカンド・アルバム『セイレーンズ』は、そうした異種の音楽の融合ぶりがさらに際立っているとともに、彼の詩情やユーモラスなセンスが散りばめられ、世界のいろいろな土地、様々な時代を放浪するような感覚へと誘う。

 深い沈黙の中からウィンドチャイムによって始まる“キリング・タイム”は、ガラスの割れる音、それを踏みしめるような音がコラージュされていく繊細でダークなアンビエント。11分を超す大作で、ジャーのトレードマークであるピアノのメランコリックで透明な旋律が流れる中、亡霊のようなヴォーカルが揺らめく。中世の教会音楽が時空を超えて流れているようでもあり、世界の最果てのような孤独な音楽である。ゆったりとした6拍子の“ワイルドフラワーズ”はコズミックな浮遊感を湛えたサイケデリア。ブラジル音楽が持つサウダージ感覚に近い哀愁と旅情を感じさせる。“ザ・ガーヴァナー”はアルバム中でもっともユニークな曲のひとつで、ロカビリーをノー・ウェイヴ風にやっている。破壊的なビートは次第にドラムンベースのようになり、サックスとピアノを交えたジャズ演奏へと変わっていくという、何とも掴みどころのない曲だ。こうした掴みどころのなさこそジャーの魅力であり、ユーモアの表われではないかと思う。“ノー”はさまざまな音やノイズをコラージュしていくジャーの典型的な作風だが、南米のフォルクローレがベースとなったような曲で、ヴォーカルもスペイン語で歌われる。歌詞の内容も暗喩に富み、多分に政治的な要素も含むようだ。ジャーの父親はチリ出身のアート作家のアルフレッド・ジャーで、少年時代は父に連れられてチリで過ごした。近年はアウグスト・ピノチェットによるチリ軍事独裁政権時代を記録した博物館で演奏を依頼されたこともある。父親からアウグスト・ピノチェット政権時代の話は聞いているのだろうが、そうした下地から生まれたような曲だ。

 “スリー・サイズ・オブ・ナザレス”もユニークな曲で、かつてのポスト・パンクを思わせる。ジャーが生まれたニューヨークでは、1978年にジェイムズ・チャンス&ザ・コントーションズ、アート・リンゼイのDNAなどが集まり、ブライアン・イーノのプロデュースによって『ノー・ニューヨーク』というオムニバス・アルバムが生まれたが、その中に入っていてもおかしくないような曲だ。“ヒストリー・レッスン”はパラグアイのハープ奏者のセルジオ・クエヴァスが1960年代に残した「ラグリマス」をコラージュしている。曲調は1950年代のアメリカン・グラフィティ的な世界をジャー流に解釈したドゥーワップで、デヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』のサントラのようでもある。それにしても、ポスト・パンク的な曲からドゥーワップへ切り替わる脈絡の無さ、時系列や空間軸を逸脱したコラージュが『セイレーンズ』にはあり、それが放浪するような感覚を生むのかもしれない。なお、アルバム・ジャケットは父親アルフレッド・ジャーの作品である『ア・ロゴ・フォー・アメリカ』を引用している。アメリカとメキシコの国境にあるビルボードに掲げられた「ディス・イズ・ノット・アメリカ」という電光は、合衆国におけるジャーたちラテン・アメリカ人のアイデンティティを示したものであるが、『セイレーンズ』においてニコラス・ジャーも自身のアイデンティティを見つめ直したのかもしれない。

小川充

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 これは異郷の都市を彷徨する者の音楽ではないか。たしかにエレクトロニックな音楽である。しかし、見知らぬ都市/土地、その夜の最中を彷徨する感覚が濃厚に漂っているのだ。それは異邦人の記憶や体験ともいえよう。そう、ここでは、いくつもの都市や土地の記憶が、つまりは異郷と望郷の記憶がレイヤーされるように、音楽もまたふたつ以上のエレメントが交差している。むろん、このようなエクレクティックな感覚は、ニューヨークで生まれ、チリで育ったニコラス・ジャーにとっては当然のものかもしれない。ふたつの記憶。その分断。過去。現在。その音楽化。
 ゆえに彼の音楽は、ある「捉えにくさ」を持っている。それはときに折衷的といわれもする。この6年ぶりのソロアルバムでも、そのエクレクティックな音楽性は健在であった(ダークサイドなどでは、むしろ希薄)。いや、さらに研ぎ澄まされているというべきか。このふたつの記憶が、浸食するわけでも、並列されるわけでもなく、レイヤーのように重なる感覚。

 アルバムを聴いて、トラックのベーシックとなっているのは、彼の詩情豊かなピアノではないかと想像した。じっさい、乾いたロマンティズムを放つピアノは、彼のトレードマークといえなくもない。そこにノイズやビート、彼自身によるヴォーカルが分断するようにコンポジションされていく。本作では初のポスト・パンク的なトラックも収録されているが、それですらもピアノやノイズの層が、交錯する記憶のように、楽曲のなかに侵食してくるのだ。まるで記憶Aが記憶Bに浸食するように。
 つまり、楽曲じたいが断章の集積のような音楽なのだ。1曲め“キリング・タイム”に随所な傾向だが、“ザ・ガヴァナー”や“スリー・サイズ・オブ・ナザレス”などのポスト・パンク的なヴォーカル・トラックもまたフラグメンツ的な構成を聴き取ることができる。コンセプトとフラグメンツ。やはりそれは記憶の再構成のようなものかもしれない。その断章から楽曲を、ひいてはアルバムという構成物を組成すること。これはコラージュ的では「ない」点が何より重要だろう。コラージュは異質なものを接続する。対してフラグメンツは並列され、重ねられ、互いに浸食し、新しい構造体を生む。

 その結果として、本作は、ある物語、世界観、統一的なムードを伝える「コンセプト・アルバム」のような様相を示す。ジャーは、2011年のファースト・アルバム『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』以降、ソ連の映画作家セルゲイ・パラジャーノフの『ざくろの色』(1968)にインスピレーションを受けて制作された『ポミグラニット』(2015)、EPシリーズ『ニンフス』などの、フリー・ダウンロードでいくつかの作品を発表してきたが、本作が正式なアルバムとしてフィジカル・リリースされた理由は、この統一的な世界観の存在(を見出したこと)が大きいのではないか(もっとも『ポミグラニット』『ニンフス』『セイレーンズ』は3部作ともいわれている。じじつ、曲単位ではサウンドの共通項も多く聴きとることができる)。
 この「コンセプト・アルバム」的な構成は、近年の世界的な潮流ではないか。たとえばフランク・オーシャンの新作もまた、入口と出口が用意された体験/鑑賞型のコンセプト・アルバム的な構成であった。それにしても配信の時代になり、アルバムという概念が消失し、曲単位での消費がメインになるのかと思いきや、サブスクリプション以降、むしろアルバムというコンセプトが復権してきているのは興味深い現象だ。際限なき自由は、むしろ制限という表現を求めるのだろうか。そもそもアートとはリミテッド(限定的)なものだったといえる。

 本作もまた、入口と出口が用意された「コンセプト・アルバム」でもある。記憶の分断がミックスされていくような1曲め“キリング・タイム”から、ジャーとリスナーの都市の彷徨が始まるのだ。ときにアラン・ヴェガが骨組みだけになったかのようなエレクトロニック亡霊ロック“ザ・ガヴァナー”を演奏するクラブに迷い込み、ときに分断されたミニマル/エクスペリンタルな室内楽的な“リーヴス”に耳を澄まし、ときにレゲエ、ジャズ的なアンサンブルな“ノー”が街の雑踏から聴こえてきたかと思えば、またもインダストリーな“スリー・サイズ・オブ・ナザレス”が鳴り響く、怪しげなクラブへと迷い込む。そして、思うはずだ。この「異郷」の地で、「自分は、いま、どこにいるのだろうか/なぜ、ここにいるのだろうか」と。そんな唐突な宙吊り感覚が表面化し、パラグアイのハープ奏者セルジオ・クエヴァスの60年代の楽曲を引用したエレクトロニック・ラウンジ“ヒストリー・レッスン”が、映画のエンディング・テーマのように鳴り響き、アルバムは唐突に終わる。まるでデヴィッド・リンチ映画のエンディングのような見事な幕切れでだ。日本盤は2曲めにボーナストラック“ワイルドフラワーズ” が収録されていることも話題だが、これがまったく違和感がない。どうやらジャー本人の指示らしいが、ある意味、海外盤より曲構成が自然に感じられた。これをもって「完成版」といっても良いのではないか。

 本アルバムに漂うムードを、ひとことでたとえるならアート・リンゼイの詩情とアラン・ヴェガのアート/パンクイズムだろう。異郷と故郷。現在と望郷。追憶と抵抗。そのふたつが常に入れ替わり、重なり、交わり、そして途切れる。つまりは一夜の都市(NY?)を彷徨するかのようなアルバムだ。まさに傑作である。

デンシノオト

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 2015年、カンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞したジャック・オディアール『ディーパンの闘い』は授賞式前の上映ではけっして本命とは言われていなかった。だが、それでも同作がその年のヨーロッパの象徴として選ばれたのは、それが移民と国境――すなわち、越境を描いた映画だったからだろう。主人公はスリランカ移民であり、そのことから自分に連想されたのは(これも2015年にリリースされた)M.I.A.の“ボーダーズ”のミュージック・ヴィデオ(https://youtu.be/r-Nw7HbaeWY)だったが、主人公ディーパンを演じていたアントニーターサン・ジェスターサンもまた本物の移民であり、そしてまた、そのオリジナル・スコアを担当したニコラス・ジャーも本物の移民の子どもであった。誰もが越境の可能性と不可能性に想いを巡らせたその年、エレクトロニック・ミュージックの未来を嘱望された若きプロデューサーは、越境の物語の音楽を鳴らしていたわけだ。(ちなみに、今年のカンヌのパルムは労働者の怒りと移民たちの現実をまっすぐに見つめたケン・ローチの『I, DANIEL BLAKE』だ。ヨーロッパ映画の政治闘争はいまもはっきり続いている。)

 ジャーは昨年また、いくつかの目が覚めるような12インチをリリースし、そして今度は越境そのものを鳴らすセカンド・アルバムをリリースした。それが本作『サイレンズ』(警告)だ。このアルバムが2016年を象徴する1枚となっているのは、前作『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』を遥かに凌ぐ折衷性と不穏さによる。そして、チリ出身のジャーは自らのルーツをここで振り返っている。クロージング・トラック、ほとんど冗談のようにスウィートなまがい物のスタンダード・ナンバー“ヒストリー・レッスン”(歴史の授業)を聴いてみよう……それはこんな具合にはじまる。「ダーリン、歴史の授業に遅れたんだね/心配しなくていいよ、メモをあげるから/第1章:僕たちはメチャクチャをした/第2章:僕たちはそれを繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返した/第3章:僕たちは謝らなかった」……。あるいは、反復するドラムがざらついた響きを残すポスト・パンク/ニューウェイヴ・ナンバー“スリー・サイズ・オブ・ナザレス”では大量の死の描写、虐殺の記憶が艶めかしく呟かれる。
 ジャーの両親は1973年のアウグスト・ピノチェトのクーデターの際にチリからニューヨークへと移住したという。父親のアルフレッド・ジャーはインスタレーションや映像を手がけるアーティストであり政治的な作品も多く手がけているというが、息子ニコラスは明らかにここで父の意思を引き継いでいる。ピノチェト政権は冷戦時代のアメリカが関わった大いなる負の遺産のひとつだが、かつてチリのサインディエゴに住み現在アメリカのニューヨークに住むニコラス・ジャーはそして、2016年の視座から北米と南米の記憶を音に蘇らせんとする。英語とスペイン語が聞こえる。ノーウェイヴとクンビアが聞こえる。スピリチュアル・ジャズとラテンのフォークロアが聞こえる。ふたつの国の悲劇的な歴史に引き裂かれた移民の息子として、音を越境させる。少なくない政治家が国境を厳格にしようと民衆を誘惑するこの2016年において……。「すべての血は知事のトランクに隠されている(“ザ・ガヴァナー”)」、そこでは凶暴なベースと狂おしいサックスの悲鳴が聞こえ、しかしエレガントなピアノの響きが被せられる。ファーストや12インチで顕著だったミニマルはかなり後退し、その代わりに揺れるリズムの生々しさがアルバムのムードを支配している。これはたんなる奇を衒ったコラージュではない。残虐な歴史の隙間に消えていった、あるいは、いままさに政治の暴力によって殲滅させられようとする人間たちの叫び声としてのエクレクティシズムだ。
 ブラッド・オレンジの今年のアルバムがそうだったように、あるいはケンドリック・ラマーの昨年のアルバムがそうだったように、いま、移民の子孫たちが国境を越えた人間たちの音楽の記憶を手繰り寄せようとしている。それは植民地主義の暴力のあとの時代における閉鎖性を生きるわたしたちの抵抗となりうるだろうか? 人間の越境が禁じられても、それでも音楽を越境させようとするその意志は――。

 ところで、詳しくは書かないが、『ディーパンの闘い』のラストはブレクジット後の現在から観ると大いなる皮肉になってしまっている。映画の予測が甘かったのではない……アートが示唆した未来をも、現実が容赦なく叩き潰しているのだ。しかしジャーは屈することなく、その先をさらに切り拓かんとする音楽にここで挑んでいる。

木津毅

KO UMEHARA (Komabano Oscillation Lab) - ele-king

現場でお世話になったトラック10選

KO UMEHARA (Komabano Oscillation Lab)

静岡県出身東京在住のDJ兼トラックメイカー。
ShuOkuyamaとのレーベルKomabano Oscillation LabやDJ WADAとのレギュラーパーティー『Contatto』、屋内型フェスティバル『Synchronicity』のレジデントなどの活動を中心に全国各地様々なパーティーをDJ行脚中。
2016/11/19にDJ WADAとのパーティー『Contatto』@ Forestlimit第6回目の開催!

https://contatto.jp

年末から年明けにかけてリリースが続きます、ぜひチェックしてみてください!
.Now On Sale
Ko Umehara - Reality Recomeposed by TCM-400 / Mastered Hissnoise

https://libraryrecords.jp/item/203147

・2016/11/11 Release
Ko Umehara - Happy 420 Tour 2015 To 2016 / Mastered Hissnoise

https://www.msnoise.info/

・2016/11/16 Release
CD HATA & MASARU - Octopus Roope / Hinowa Recodings

01. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Original Mix)
02. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Ko Umehara Remix)
03. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Hentai Camera Man Remix) 04. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (DJ Doppelgenger Remix) 05. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Frangipani Remix)
06. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Hydro Generator Remix) 07. CD HATA & MASARU / Octopus Roope (Matsusaka Daisuke Remix)
https://hinowa.jp/

BADBADNOTGOOD - ele-king

いよいよ迫ってきた。
最新作『IV』でジャズとヒップホップの蜜月を更新した、いま最もアツいカルテット、バッドバッドノットグッド。「E王」を獲得したアルバムの方も素晴らしかったけれど、かれらはライヴでこそ本領を発揮するバンドである。BBNG待望の単独来日公演は、11月18日(金)、渋谷WWW Xにて開催。もうみんな『IV』を聴いて予習しまくっている最中だとは思うけど、改めて強調しておきます。ライヴを体験せずしてBBNGの真価はわ・か・り・ま・せ・ん!
と盛り上がっていたら、かれらの最新インタヴューが公開されました。ナイス・タイミング。このインタヴューを読みながら、11月18日を待ちましょう。

https://www-shibuya.jp/feature/007255.php

■BADBADNOTGOOD単独来日公演
日程:2016年11月18日(金)
場所:Shibuya WWW X
時間:open19:00 / start20:00
料金:ADV¥5,500 / DOOR¥6,000(税込/ドリンク代別/オールスタンディング)
お問い合わせ:WWW X 03-5458-7688 https://www-shibuya.jp/
公演詳細ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/007034.php
<チケット>
・先行予約
受付期間:9/17(土)10:00 ~ 9/25(日)18:00 ※先着
イープラス ( e+ ) https://eplus.jp/
・一般発売:10/8(土)
チケットぴあ / ローソンチケット / e+ / beatkart / WWW店頭
主催:WWW X
協力:beatink

■BADBADNOTGOOD
トロントを拠点にマット・タヴァレス、アレックス・ソウィンスキー、チェスター・ハンセンを中心に結成。現在は、サックス奏者のリーランド・ウィッティが正式加入しカルテット編成で活動するBADBADNOTGOOD。4人体制として初のアルバムとなった好評発売中の最新アルバム『lV』には、ジ・インターネットやアンダーソン・パークを手掛け、ソロ・アルバムも話題の気鋭ケイトラナダ、トム・ウェイツ、アニマル・コレクティヴ、ボン・イヴェール、TVオン・ザ・レディオら幅広いアーティストの作品でリード奏者として活躍するコリン・ステットソン、盟友チャンス・ザ・ラッパーやジョーイ・バッドアスとの共演でも知られるシカゴの俊英ラッパー、ミック・ジェンキンス、ボルチモア・シンセ・ポップの雄フューチャー・アイランドのフロントマンであるサム・ヘリングなど旬な面々が名を連ねている。
https://www.beatink.com/Labels/Beat-Records/BBNG/
Twitter:https://twitter.com/badbadnotgood

Aphex Twin - ele-king

 日本標準時11月8日1時57分。エイフェックス・ツインが新しいヴィデオを公開した。「エイフェックス・ツインからの承認メッセージ」というツイートとともにシェアされたその42秒の動画は、UKから合衆国へ核ミサイルが発射されるという内容で、その冒頭には実に彼らしいやり方でデフォルメされたドナルド・トランプとヒラリー・クリントンが映し出されている。映像の制作は、これまでにレディオヘッドなどを手がけているWeirdcore が担当。

 エイフェックスは12月17日にヒューストンで開催される Day for Night フェスティヴァルにヘッドライナーとして出演することが決まっており、今回のヴィデオはその8年ぶりの合衆国でのライヴを告知する動画なのだけれど、これ、間違いなく狙ってやっているでしょう。
 彼のファンならご存じのように、エイフェックスはあまりこういうポリティカルな演出をやらないアーティストだ。そんな彼が、まさにこのタイミングで、わざわざトランプとクリントンを変形した映像をポストしているのである。たしかに、今回のヴィデオは何か直接的なメッセージを発しているわけではないし、そもそも「承認メッセージ」なんて言い回しも彼流のジョークなのだろう。でも、言葉をそのまま愚直に受け取る真摯な僕たちは、これをメッセージだと捉えることにしよう。だって、今日はそういう日だ。
 大統領選は、日本標準時で11月8日の夜から投票が開始され、明日11月9日の昼頃には大勢が決し、夕方には開票結果が確定する見通しである。ある程度結果は予測されているみたいだけれど、ブレグジットの先例だってある。何がどうなるかはまだ誰にもわからない。エイフェックスよ、きみ自身はどう思っているんだい?


TOYOMU - ele-king

 ネットで好き勝手やっている古都在住のポスト・モダニスト、TOYOMUが、星野源、カニエ・ウエストに続き、今度は勝手に宇多田ヒカルを●●●して話題になっているところ、デビューEPに先駆けてMVが公開された。これを見ながら彼のEPを妄想しましょう。

■TOYOMU / EP 『ZEKKEI』

2016年11月23日発売/ TRCP-208/ 定価:1,200円(税抜)

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