「K A R Y Y N」と一致するもの

すばらしか - ele-king

 はあ。ため息が出るぜ。冒頭から最高じゃないか。「君が本当にいい人ならば その胸の奥に/隠している言葉で 僕を殴ってくれ」(“大雨のメロディ”)。そんなキラーなフレーズから始まるEP「灰になろう」を送り出すのは、独特のセンスでブルージィなロックをかき鳴らす3ピース・バンド、すばらしかである。かれらはまだ2015年末に結成されたばかりの若手だが、すでにキングブラザーズが絶賛しているというのだから間違いない。2月に限定リリースされた自主制作盤は、たちまちコアな音楽ファンやレコード店のあいだで話題となり、すぐに売り切れてしまったそうだ。来る7月19日、その入手困難となっていた自主制作盤がリマスタリングされ、新たな音源を追加してリリースされる。その磨き抜かれた言葉で、どうか僕を殴ってくれ。

「ばりヤバい奴おる...」
キンブラ大絶賛のバンド、すばらしか。
萩原健一“お元気ですか”カヴァーも収録したEP、
「灰になろう」発売!!

2015年末に結成された3ピース・バンド、すばらしかの初全国流通盤「灰になろう」が、7月19日に発売される。彼らと親交のあるアーティストから、お祝いのコメントが公開された。
今年の2月に、5曲入り同タイトルの自主盤が、ライヴ会場や各地レコード店で発売されたとたん、軒並み話題を呼び、入手不可の状態が続いていた。このたび発売される作品は、自主盤をリマスタリングし、“灰になろう (Live ver.)”、新曲“傘をさしたままの心 (Live ver.)”、萩原健一“お元気ですか”のカヴァーを加えた、計8曲入りのEPとなる。今後も続々とライヴが決定しているので、彼らの動向はTwitterを要チェック!

【音源およびライヴ映像】

「嘘と言え」(ライヴ映像)

「灰になろう」(音源)

【コメント】

ドキドキする瞬間。ってのが、探知機が弱ってるのか、
なんだか少なくなってきてるなー
ってのは、ただの思い過ごしだったみたいだ。
そう何回も思い直させてくれる友達が、自分にはいる。
これは幸せなことだし、誇れることだ。
もちろんその中に『すばらしか』もいる。
ただただ飽き飽きするような時間から、
彼らはハイな気分へと連れさってくれるのだ。
あのままじゃあ腐っちまいそうだったところから、
飛び出させてくれてありがとう。
すばらしか。
 - 川田晋也(Car10、suueat.)

ある朝、私は布団の中で初めて「灰になろう」を聴きました。
そして聴いた瞬間に泣いてました。寝ぼけたままで聴くそれは、悲しくなるほど輝いてた。差し込む朝の光よりも。本当です。本当に好きな曲です。
 - Sachiko(SaToA)

再生ボタンを押したら知らない土地へ連れて行かれた。
どこかはわからないけど、とても素晴らしい場所でした。
音楽への最大限のリスペクトを感じる素晴らしいバンド!
これからも、知らない土地へ連れて行ってくれるような音楽を
世界中に響かせてください!
すばらしか最高!
 - 松島皓(never young beach)

彼らとの出会いは栃木の小さなライブハウスだった。
静岡のTHE WEMMERから紹介された最高のバンド、
足利のCar10のイベントに彼らも出演していたのだ。
ヤバいリズム&ブルースを鳴らし、
ただ事ではないグルーヴを発する彼らがそこに居た。
「ばりヤバい奴おる...」俺はすぐさまに彼らに興味を持ち、
その年のワンマンツアーのオープニングアクトに誘った。
そんな彼らの音源が、いよいよ発売されるという。
タイトルを見れば、彼らがそこらのロックバンドとは訳が違う事がわかるだろう。
ブルースからはじまるロックとソウルの精神を受け継いだバンド、
すばらしかは、俺が今一番オススメする最高のバンドです。
 - キングブラザーズ代表 ケイゾウ

【プロフィール】
2015年末に、福田(Vo/Gt)、加藤(Ba)、中島(Dr)で結成。現在はサポートとして、林(Key)を迎えた4人で演奏している。
すばらしかTwitter:@subarashika

【アーティスト写真撮影】
阿部裕介
URL:https://www.yusukeabephoto.com/

【リリース情報】
すばらしか/灰になろう
SUBARASHIKA/High Ni Na Low
2017/7/19 PCD-4551 定価:¥1,500+税

【トラックリスト】
大雨のメロディ / 灰になろう / 紗のかかった白黒 / 嘘と言え / 地獄が待っている / 傘をさしたままの心 (Live ver.) / 灰になろう (Live ver.) /お元気ですか (萩原健一のカヴァー)

Burial - ele-king

 昨年11月末、リリース前のシングル「Young Death / Nightmarket」が予定よりも早く発売されてしまうというアクシデントに見舞われたブリアル。先月のレコード・ストア・デイではゴールディの限定シングルにリミックスで参加するなど、ジャングル・リヴァイヴァルとも同調する動きを見せていた彼が、また唐突に新たなトラックを発表した。5月19日にBandcampにて先行リリースされた「Subtemple」は、タイトル曲“Subtemple”と“Beachfires”の2曲入りで、10インチ・ヴァージョンが5月26日に発売される。レーベルは〈ハイパーダブ〉。どちらのトラックもビートレスで、ブリアル流ダーク・アンビエントが展開されている。ううむ、はたして彼はいま何を考えているのだろうか……



https://burial.bandcamp.com/album/subtemple

Wayne Snow - ele-king

 ここのところの欧州には、派手な話題を振りまくことはないものの、昔ながらの堅実なディープ・ハウスやビートダウン・ハウスをリリースする良質なレーベルがいくつかある。UKではすでにレーベル歴も長い〈エグロ〉とサブ・レーベルの〈ホー・テップ〉がその筆頭に挙げられ、アル・ドブソン・ジュニア、カオス・イン・ザ・CBD、カマール・ウィリアムスことヘンリー・ウー、ジョーダン・ラカイの変名のダン・キーらの作品をリリースする〈リズム・セクション・インターナショナル〉が近年の最注目レーベルと言えるだろう。ドイツにはマックス・グレーフとグレン・アストロの運営する〈マネー・セックス〉があり、デンマークにはそのマックス・グレーフとグレン・アストロ、ヘンリー・ウーなども作品をリリースする〈ターテレット〉がある。この〈ターテレット〉からデビュー・アルバム『フリーダムTV』をリリースしたウェイン・スノウは、本名をケシエナ・ウコチョヴバラといい、ナイジェリア出身のシンガー・ソングライターである。ニューヨーク、ロンドン、シドニーなど世界中でパフォーマンスをおこなっており、2014年からベルリンを拠点に活動している。同じベルリンのマックス・グレーフが、〈ターテレット〉からリリースした『リヴァーズ・オブ・ザ・レッド・プラネット』(2014年)にヴォーカリストとして参加。それによって名前を知られるようになるとともに、自身も〈ターテレット〉から「レッド・ランナー」、「ロージー」という2枚のシングルEPをリリース。そして、マックス・グレーフをプロデューサーに迎えた『フリーダムTV』をリリースするという流れだ。

 マックス・グレーフがジャズやフュージョン、ブギーといった要素を取り入れたディープ・ハウスを得意とするだけあり、『フリーダムTV』の基軸はそうしたサウンドを土台に、ウェイン・スノウがソウルフルなヴォーカルを披露する作品集となっている。ウェイン・スノウはナイジェリア出身ということで、土着的でアフリカ色の強い歌声かと思いきや、実際は都会的に洗練されたもの。むしろアメリカのR&Bシンガーに多いタイプで、ディアンジェロ、ドウェレ、エリック・ロバーソンなどが思い浮かぶ。アフリカをルーツとするシンガー・ソングライターということでは、セオ・パリッシュのプロデュースで「フラワーズ」を発表したガーナ系イギリス人のアンドリュー・アショングがいるが、比較的彼に近いタイプのアーティストとなるだろう。そんなウェイン・スノウの歌声が最大限に生かされたディープ・ハウスとして、本作では“フリーダムR.I.P.”が挙げられる。2015年に他界した人権解放運動に尽力したジンバブエの女性詩人のフリーダム・ンヤムバヤに捧げた曲で、エレピをフィーチャーしたそのジャジーなサウンドは、かつてのブレイズやミスター・フィンガーズの全盛期を彷彿とさせるもの。ゴスペルを基盤とするウェイン・スノウの歌は、ンヤムバヤの詩の一説を引用して自由を説いている。“ナッシング・ロング”はジョージ・デュークの“ブラジリアン・ラヴ・アフェア”を彷彿とさせるベース・ラインを用い、マックス・グレーフのスペイシーなフュージョン感全開のナンバー。こうした作品ではウェイン・スノウの開放感溢れる歌が光る。“レッド・ランナー”はブギー調のディープ・ハウスで、“ドランク”はビートダウン系となるだろう。一方、“ザ・リズム”はエレクトロな要素の強いブロークンビーツ系で、ここではオールド・スクールなラップ調のヴォーカルを披露するなど、多彩なところを見せている。そして、アブストラクトなムードの“フォール”や“クーラー”、ダウンテンポ系の“スティル・イン・ザ・シェル”では、実験的なR&Bシンガーとしての顔を見せる。このあたりはかつてのスペイセックが得意としていたようなサウンドだ。“ロージー”もそうで、Jディラ的なフィーリングが感じられる。つまり、全体としてはJディラからセオ・パリッシュ、ムーディーマンらを繋いだデトロイト勢の影響が色濃く感じられるアルバムと言えるだろう。

Oneohtrix Point Never × Iggy Pop - ele-king

 先日デヴィッド・バーンとコラボしていることが明らかになったばかりのOPNが、新曲(の一部)を公開しました。今度のお相手はなんとイギー・ポップです。次々と意外な相手と組んでいくOPNもすごいですが、アルヴァ・ノトやソンゴイ・ブルースなど、他ジャンルの精鋭たちと積極的にコラボしていく現在のイギー・ポップにもシビれます。詳細は下記をチェック。

ONEOHTRIX POINT NEVER
ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが音楽製作を手がける
映画『Good Time』のトレーラー映像が公開!
イギー・ポップ参加の新曲の一部が解禁!

各国の映画祭で賛否両論の嵐を巻き起こし、2014年の東京国際映画祭にてグランプリと最優秀監督賞の2冠に輝いた映画『神様なんかくそくらえ』を手がけたジョシュア&ベニー・サフディ監督の新作で、『トワイライト』シリーズで知られるロバート・パティンソン主演の新作映画『Good Time』のトレーラー映像が公開され、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンとイギー・ポップがコラボレートした新曲“The Pure And The Damned”の一部が解禁されるとともに、同映画の音楽製作をワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが手がけていることが明らかとなった。また同映画は、第70回を迎えるカンヌ国際映画祭2017のコンペティション部門での上映が決定しており、英BBC は、パルムドール有力候補のひとつにも挙げている。

Good Time | Official Trailer HD | A24
https://youtu.be/AVyGCxHZ_Ko

公式HP: https://goodtime.movie/
DIRECTOR: Ben Safdie, Joshua Safdie
CAST: Robert Pattinson, Jennifer Jason Leigh, Barkhad Abdi
ORIGINAL SCORE: Oneohtrix Point Never
MUSIC: "Hospital Escape" by Oneohtrix Point Never, "The Pure And The Damned" by Oneohtrix Point Never ft. Iggy Pop. https://pointnever.com

Children Of Alice - ele-king

 いつまでも忘れられない人がいる。でももう二度とその人に会うことはできない。なぜなら、その人は死んでしまったから。
 大切な人を失ったとき、僕たちはとても奇妙な行動に出る。亡くなってしまった彼や彼女のことを、僕たちはいつまでも覚えていようと努力する。でも、なんで僕たちはそんな不思議なことをしてしまうのだろう? べつに試験があるわけでもなければ面接があるわけでもない。死んでしまった人のことをきれいさっぱり忘れてしまったところで、日常生活にはなんの支障もきたさない。なのに、どうして僕たちは死者のことを思い出してしまうのだろう?
 いつまでも君を忘れない。君はいつまでも僕のなかで生き続ける。そして君は永遠になる――Jポップならきっとそう歌うだろう。でも、本当にそうすることが良いことなんだろうか? それって、永遠に喪が明けないってことじゃない? それはつまり、死んでしまったはずの君を死んでいないと見做すことであり、要するに「死体蹴り」である。死者に対してそれ以上に暴力的な行為があるだろうか?
 思い出は、冒瀆である。じゃあ、すでに彼岸へと旅立ってしまった者に対して、いまだ此岸に留まらざるをえない者たちが為すべき最善のことって何だろう。死者に対して、愚かにも生き残ってしまった者たちが為しうる最良のことって何だろう。いずれは同じように死んでいく者たちが、先に存在しなくなってしまった者たちの、その「存在しなささ」を最大限に尊重する方法って何だろう。
 それは、忘れることだ。ちゃんと、忘れてあげることだ。

 トリッシュ・キーナンが亡くなってから6年が経つ。チルドレン・オブ・アリスは、かつてブロードキャストで彼女の相棒を務めていたジェイムス・カーギルが、同じく元ブロードキャストのロジ・スティーヴンスおよびザ・フォーカス・グループのジュリアン・ハウスとともに、2013年に開始したプロジェクトである。「チルドレン・オブ・アリス」というバンド名は、キーナンが好んだ小説『不思議の国のアリス』から採られており、そこには彼女へのトリビュートの念が込められている。感傷的なネーミングだが、まさにこのバンド名こそがかれらの音楽を決定づけてしまっていると言っていいだろう。「アリスの子どもたち」――それはキーナンをはじめとするキャロルの読者たちのことであり、そしてキーナンに先立たれたメンバー3人のことでもある。チルドレン・オブ・アリスは、そのはじまりからすでに死者にとり憑かれている。おそらくカーギルも他のメンバーも、キーナンのことをちゃんと忘れられていないのではないか。
 当たり前の話ではあるが、かれらの記念すべきこのデビュー・アルバムに、キーナンは参加していない。その不在はまずサウンドに表れ出ている。

 1曲めの“The Harbinger Of Spring”は20分を超える大作で、フォークロアを探求するレーベル〈Folklore Tapes〉のために2013年に作られた曲である。そこではさまざまな民俗的音塊が展示されていて、ミュジーク・コンクレートからの影響を聴き取ることもできるが、件のバンド名から連想するなら、これは穴に落っこちてしまったアリスが遭遇する摩訶不思議な世界、ということになるのかもしれない。しかし他方でこの曲はジョン・ウィンダムのSF小説『呪われた村』からも影響を受けているそうで、となれば次々と転がってくるそのフォーク・サウンドを、宇宙人(=西洋や近代や科学)によって侵略される村(=民俗的なもの)のメタファーとして捉えることもできる。が、曲の仕上がり自体はけっして重々しいものではなく、それぞれの音の連なりを単にフェティシズムの対象として消費することも可能だ。
 他の3つのトラックも〈Folklore Tapes〉のために2013年から2016年のあいだに作られたもので、いずれもフォーキーな音の数々を陳列している。そういう要素はブロードキャストにもなかったわけではないが、本作における民俗的なものへの志向はよりコンセプチュアルだ。カーギルが『クワイータス』に語ったところによれば、これらの曲は「ペイガン(pagan)=異教」というテーマに基づいているのだという。そんな話を聞くと、この3曲も先の『呪われた村』の喩えと同じように、侵略的な蒐集欲に突き動かされているように見えるが、それぞれの音の配置のしかたは非常にコラージュ感覚に溢れており、その遊び心はおそらくシュルレアリスムに由来している。同じ記事のなかでハウスはアンドレ・ブルトンに言及しているが、かつてブルトンはシュルレアリスムのルーツのひとつとしてルイス・キャロルの名を挙げ、『黒いユーモア選集』に『不思議の国のアリス』を収録したのだった。シュルレアリスムもまた「アリスの子どもたち」のひとりだったのである。

 でもたぶん、このアルバムの核心はもっと別のところにあるんだと思う。全4曲のなかでもっとも耳に残るのは、民俗的な要素とは別に妖しげな躍動感を携えた2曲め“Rite Of The Maypole”で、その微かなサイケデリアにはどこかブロードキャストの楽曲を思わせるところがある。この回想力・喚起力こそが本作の肝だろう。『Children Of Alice』は、全体としてはかつてブロードキャストが鳴らしていたサウンドとは異なる雰囲気を漂わせているが、その部分にはブロードキャストを想起させる音の数々が埋め込まれている(そしてそれはおそらく意図して生み出されたものではないのだろう)。それゆえ僕たちはこのアルバムを聴いたときに、トリッシュ・キーナンのことを思い出してしまうのである。もしこれらのフォーク・サウンドに、キーナンのメロディと歌声が乗っかったらどうなるのだろう、と。けれど彼女はもう、存在しない。ブロードキャストとは別の試みを実践しているはずのチルドレン・オブ・アリスは、しかし、不可避的にかつての良き日々を、あの頃の思い出を滲み出させてしまうのである。

 僕たちはいつも、忘却に失敗する。僕たちはちゃんと死者のことを忘れてあげることができない。僕たちはいつまでも、喪に服し続ける。それが良くないことだと知りながら。

Mount Eerie - ele-king

  死は現実
  誰かがそこにいて それからいなくなってしまう
  それは 歌うためにあるんじゃない
  アートにするためにあるんじゃない
  現実の死が家に入ってくれば あらゆる詩は沈黙する

 このアルバムはそんな風にして、現実の死に対して歌とアートと詩の否定から始まる。だが、“リアル・デス”と題されたこの「歌」は──そう、歌でありアートであり詩である。『ア・クロウ・ルックト・アット・ミー』はその矛盾に絡み取られた、音楽の姿をした生々しい問いだ。現実の残酷さを前にして、弱々しくうずくまるしかないわたしたちがどうやって生きていくか、についての。

 この胸をえぐられるフォーク・ソング集は、90年代のローファイを引き継いだザ・マイクロフォンズからマウント・イアリへと改名し、その誠実で地道な活動が静かに評価され続けてきたフィル・エルヴラムの新作にして、昨年癌で夭折したアーティストの妻ジュヌヴィエーヴ・カストレイの死そのものをテーマとした作品だ。自ら所有するスタジオではなく、妻を看取った自宅に機材と楽器を運んで録音されたという。マウント・イアリを特徴づけてきたローファイながらも厚みのあるサウンド構築はなく、シンプルなギターのアルペジオと幾分重々しいピアノの和音、それに不安定なエルヴラムの歌ばかりがあり、そしてその部屋の妻の生前の気配までもを残そうとするかのような生々しい録音が施されている。インナースリーヴには妻ジュヌヴィエーヴが描いた絵が印刷されていて、裏ジャケットには幼い娘を抱きしめるエルヴラムの姿が見える。近年の音楽作品においてもっとも近いのは母の死について歌ったスフィアン・スティーヴンスのフォーク・アルバム『キャリー&ローウェル』だろうが、それよりももっとももっと弱々しく、痛ましい。音楽の雰囲気としてはボニー“プリンス”ビリーの『アイ・シー・ア・ダークネス』辺りに近いと言えるかもしれない。
 (1週間後)の副題がついた“リアル・デス”はそして、なお妻の死の渦中に留まる「僕」の呟きを綴っていく。すると死んだ妻の名前で小包が届く。なかには1歳半になるふたりの娘のための秘密の贈り物が入っている――娘が成長して、学校に通うときのためのバックパックが。「僕」は玄関で泣き崩れる。「僕はこのことから何も学びたくない/僕は 君を愛している」。飾らないギターの演奏と、頼りない歌が聞こえる。

 身近な人間の死に際して、何かアートを生み出す例は珍しいことではない。だが、これほど率直なものがどれほどあっただろうか? 昨年は息子の死を描いたニック・ケイヴや母の死を思い返した宇多田ヒカルもあったが、自分に連想されるのは、むしろ音楽作品よりもアメリカで話題になったインディペンデント・ゲーム『That Dragon, Cancer』だ。これはゲーム・クリエイターの父親が幼くして癌で亡くなった息子の記憶をゲームにしたもので、プレイヤーは無邪気な赤ん坊と遊んだり、父親と母親になって息子の病気の告知を受けたり、家族の記憶のなかを漂ったり、泣き叫ぶ息子を看病したり、あるいは赤ん坊になって癌の化身であるドラゴンと闘ったりする(ドラゴンを倒すことはできない)。プレイヤーは死から逃れることはできず(つまり通常のゲームとまったく逆のことが起こっている)、しかし死んでいった息子の記憶がそれでも生き続けることを体験する。
 『ア・クロウ・ルックト・アット・ミー』でも似たことが起こっていて、アルバムは(2週間後)(1ヶ月後)(1ヶ月半後)と妻の死後から時間を進めながら「僕」(=エルヴラム)の身の周りで起こることや考えたことを赤裸々に描写していく。夕陽を前に「君」の遺灰を撒き、「悲しみに浸るために」幼い娘を連れて森に行く。アルバムを通して、自分に言い聞かせるように「死は現実だ」という言葉が繰り返される。(2ヶ月後)の副題がついた“スウィムス”では、「今日娘が訊いてきたんだ お母さんは泳いだりするのかなと/僕は答えた 「うん泳ぐよ、いまはそれしかしていないんじゃないかな」と/かつて君だったものがいま 波を越えて運ばれていく/蒸発し消えていく」と歌われ、柔らかいピアノの調べとともに悲痛な会話が詩的な瞬間へと変容していく。詩の沈黙を知りながら、それでも詩を求めてしまうその矛盾、その業――が、このアルバムを特別なものにしている。マウント・イアリはひとりのシンガーとして、死をドラマティックなものとする代わりに、現実としての死の前に立ち止まり、それでもか弱い呼吸で詩をどうにか吐き出そうとしている。わたしたち、すなわちこの歌の聴き手はこの世を去っていった妻の気配を「僕」とともに感じることができる。そこではなにか、悲しみを超えた感情がたしかに息づいている。
 (7週間前)と生前にまで記憶を遡った“ソリア・マリア”を挟んで、(4ヶ月後)との副題がついた終曲“クロウ”(“カラス”)は、娘とともに過ごす時間に捧げられた穏やかな1曲だ。眠る娘との会話を描写し、そしてアルバムは「そこに彼女はいた」という言葉で終わる。「不在が在る」ということ──その深い悲しみとともに生きていくこと、ひとが喪失を乗り越えられないことを、そっと抱擁するかのようにこの歌たちは響いている。

[5/24追記:固有名詞に誤りがあったため訂正いたしました(編集部)]

Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs - ele-king

 わかる、わかる。こうでもしてなきゃやっちゃいられない。そもそも君が音楽を選んだ理由は、それが大衆的だからという理由ではない。それが少数派の意見を代弁しているからであり、そういう意味では、ブラック・サバスのメタル・サウンドとホークウィンドのスペース・ロック、セックス・ピストルズのうねるようなグルーヴ、あるいは初期のアモン・デュールやアシュ・ラ・テンペルのサイケデリック……らを彷彿させるニューキャッスルのバンド、豚・豚・豚・豚・豚・豚・豚(Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs Pigs)の『ネズミに餌をやれ』は無視しようにも無視できない作品なのである。おおー、これはじつに激しく、おそろしく酷く、そしてぶっ壊れている。遙かかなたの闇夜より、地響きを上げながら、さあ、いかれた連中のお出ましだ。
 ピグス×7の豚は、なにゆえの豚なのだろう。ジョージ・オーウェルの描いた豚は、みんなのために一緒にがんばってると思われていた1匹が法律を書きかえ、ふと気が付けば権力的な暴君になっていく豚だった。日本で豚のメタファーといえば、愚鈍さとか、下劣さとか……動物愛護者からクレームが来てもおかしくはないものばかりだが、少なくとも狡猾な権力者というイメージはない。
 いや、ここで『動物農場』を持ち出してしまうぼくは間違ってる。音楽は社会学的註釈だけに収束されるものではない。音楽は、たとえば逃げ場を塞がれた欲望が噴出するところでもある。トリップする場所、脱落する場所、だ。音の洪水にまみれて、本気で喚き散らす場所。かつてマシュー・ハーバートは、屠殺場で殺されていく豚の一生を描いた。
 ちょうどジャングルが流行はじめの1993年に脚光を浴びたコズミック・テンタクルスを思い出さくなくもない。なにせ今年はジャングル・リヴァイヴァル&サマー・オブ・ラヴから50年。しかしピグス×7は、愛の夏ではなく、反感の夏、嫌悪のサウンドトラックだ。気になると言うのなら、2曲目の“Sweet Relief”を聴いてみよう。これでも気持ちが上がらないかい?

 UKの労働者階級が生んだロック・バンドは、ザ・ビートルズやセックス・ピストルズ、ザ・スミスやオアシスだけではない。バーミンガムの工場を背景に持つブラック・サバスもそうで、このバンドはしかもビートルズにはできなかったことのすべてをやったと評されている(大袈裟ではあるが、的外れではない)。ピグス×7はその子孫である。ある意味ベリアルとも、ヤング・エコーとも、決して遠くはない。

 いつの頃からかは忘れたけれど、年間50本は邦画を観ようと決めていた。ネトウヨでもないのに日本に肩入れをしてみようと。そして、それがだんだんキツくなっていった。作品の選び方が適当すぎたのかもしれない。仕事で観ているわけではないので話題作に手が伸びやすかったせいもあるだろう。そのうち新作の数は減らして古典を足して50本にしたり、新作はその年のワースト1を決めるつもりで観るようになったりもした。「あれが面白かった」とか「これがよかった」と話してもほとんど反応はないのに「あれはヒドかった」とか「あれはない」と言うと、「じゃあ観てみよう」という人はけっこういたので、邦画というのはヒドさを確認するために観るものだという感覚は僕だけのものではなかったように思う。『NANA』だとか『ジャッジ!』だとか、よくぞここまでダメな映画がつくれるものだと感心するしかないというか、自虐史観という言葉はこれらの作品を語るために生まれてきた言葉なんじゃないかと思ってしまったほどである(ウソ)。東北で大地震が起きた時は少しはピリッとしたと思ったけれど、どうも気のせいだったようで、年間に観る邦画の数はだんだん30本ぐらいに減り始めた。『リアル~完全なる首長竜の日~』を観た時のことはいまでもよく覚えている。誰が監督かも確かめず、「なんだよ、これ、ヒドいな、黒沢清のマネをして失敗してるだけじゃないか」などと言い合いながら観ていたら最後に「監督・黒沢清」の文字が浮かんだのである。邦画を観始めたきっかけのひとつに黒沢清の『CURE』を挙げる人は少なからずいるのではないかと思うけれど、その黒沢清がこれかよ……と、その時はがっかりしたなんてもんじゃなかった。邦画を観ようと思う動機がひとつ音を立てて消えた気さえした。

 邦画でとくにヒドいと思うのは人の気持ちがぜんぜんわからないことである。例えば昨年話題になった『永い言い訳』。妻に関心がなかった主人公は友人の子どもたちの世話を見なければならなくなったことで自分本位な性格が変わることを予感させる。そして、ラストで妻が働いていた仕事場を訪れ(この行動には序盤で布石も打ってある)、そこで生前の妻のことをあれこれと話し合うのかと思いきや、そんな場面はなく、次の場面では妻の死を乗り越えて自分の仕事が次のステップに進んだことを多くの人に祝ってもらう会が開かれている。これでは自分のことしか関心がなかった時期と何も変わっていないような印象が残ってしまう。主人公が、他人にも関心を持つ人間に変化したということがテーマだったのなら、妻の話を聞くシーンはほんの数秒でも差し挟むべきだったのではないだろうか。また、『永い言い訳』でもそうだったけれど、邦画には人と人の心が通じ合う場面でギターの音がポロンと鳴る作品が多過ぎる(洋画では観ない?)。これは表現としてあまりにも怠惰で、人と人とが通じ合ったことをどうやって伝えるか、それを考えるのが監督の仕事なのではないだろうか。どんな作品を観ていてもギターがポロンと鳴ると「また省略かー」と思わず笑ってしまう。これは本当になんとかして欲しい。『進撃の巨人』のように全編が歌舞伎みたいなセリフ回しだとか、PTSDという言葉を使えばそれですべてを説明した気になっているものなど、下を見ればキリがないにしても。

 とはいえ、「作品の選び方が適当すぎた」ことは確か。リアル・タイムで見ておくべき作品はもっとあった。金をかけたエンターテインメントが総じてヒドいのはいまもそんなに変わらないかもしれないけれど、ここ何年かは邦画に大きな外れがなくなり、昨年は観た本数が多分50本どころではなかった。『葛城事件』を観て赤堀雅秋の過去作を探ったり、全部観てるつもりだった冨永昌敬に『目を閉じてギラギラ』という作品が残っていることを発見したり。タイトルのつけ方が悪いよ~と言いたいものは多いし、『るろうに剣心』と『プラチナデータ』が同じ監督だとは思えないほど出来に差があったりと、わかりにくいことは夥しいものの、昨年であれば、前半から導き出される展開が予想外の方向に転がりだす『ヒメアノ~ル』や、無意識のうちに犯人探しを始めてしまう観客の態度そのものを悲劇の構成要素として組み入れた『怒り』など演出力が高い映画は確実に増えている。キャリアの長い監督が力をつけている例もあるし、デビューまもなくでいきなりこれかというような新人もいる。理由はともかく、邦画は数年前に底を打ち、上昇に転じたことは間違いない。それにはやはり大阪芸術大学芸術学部が立て続けに輩出した監督たち(熊切和嘉、山下敦弘、石井裕也、呉美保、柴田剛ほか)が大きな役割を果たし、TV出身の監督が幅を利かせていたゼロ年代とは違う流れを定着させたことは否定できないだろう。『踊る大捜査線』や『下妻物語』も僕は充分に楽しんだけれど、大阪芸術大学出身の監督たちが描写するのはもっと現実的で地味な人間関係であり、場合によっては誰と誰が一緒に居たいかをはっきりさせるだけだったりする。彼らのほとんどが社会的弱者を描くことでキャリアをスタートさせていることも興味深い。

(邦画のことはだいたいわかってるよという方はここからどうぞ)
 で、石井裕也の新作である。これは最果タヒの詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を強引にストーリー展開させたもので、確かに詩の断片が作中のあちこちに散見される。これに関しては省略する。日雇いで働いている青年と看護師が出会い、会話を交わすようになるまで。それだけとは言わないけれど、煮詰めていけばやはり骨子はそれだけだろう。日雇いの青年には互いの健康を気遣う程度には親しい仕事仲間がいる。看護師には同僚がいるものの、それ以上の人間関係は描かれていない。いずれにしろ仕事が楽しいと感じる環境にはいないと見られるふたりが前景化されている。「渋谷は嫌いだ」という感覚がこのふたりを結びつける。「渋谷は嫌いだ」とは言うものの、だからといって池袋や秋葉原に対する言及はなく、関心があるのはやはり渋谷だけである。誰も耳を貸さない歌を歌い続けるストリート・ミュージシャンが時折、映し出されることで「渋谷は嫌いだ」と言いつつも注意を向けてもらいたいのもやはり渋谷だと言うことはくどいほど暗示される。なぜ、そこまで嫌わなくてはいけないのか。90年代末からゼロ年代初頭にかけて『ラブ&ポップ』や『凶気の桜』は若者たちと渋谷の「戦争状態」を描いてきた。そこには援交少女や右翼少年たちが渋谷という街で傷つけられながらも結局はその一部をなしているというトポス性が担保されていた。援交少女のメンタルはまるで鉄人のように扱われ、大人がそう思いたいだけとも思えなくはなかったけれど、センター街に座り込んだ女子高生たちが商店会の見回りや渋谷署の警察官に追い立てられる場面を何度も目撃してきた僕としては、ある程度のタフさは表現されてもいいのかなとは思う。追い出されても追い出されても渋谷にいるんだという意志をネズミのコンポジションに投影したというチン↑ポムの「スーパーラット」にもその感覚は持続している。それはサウンドデモなどということをやった筆者にも通底している感覚である。

「渋谷が嫌い」とは、では、どういうことだろうか。疎外感を覚えるということだろうか。そうだとすると、主人公が飲み屋で文庫本を読んでいる場面はあまり納得がいかない。普通に考えれば渋谷で誰かと混ざり合いたいからそこにいるとしか思えない。そして、同じように「渋谷が嫌いだ」という看護師と出会うのだから、このふたりにある共通点は「渋谷が嫌いだ」と言いながら渋谷にいることであり、非常にアクロバティックなプロセスを経てトポス性を回復しようとしたということになるだろう。どうしてこのような複雑な手続きを踏まなければならないのか。新宿や秋葉原にいて「渋谷は嫌いだからね」という出会いではどうしてダメだったのだろうか。このような疎外感は、しかし、この10年、邦画ではかなりな頻度で繰り返し描かれてきたメイン・モチーフでもあった。その舞台はほとんどが地方で、『ラブ&ポップ』や『凶気の桜』が舞台とした渋谷はゼロ年代もなかばになると減り始め、記憶に残るような映画のロケーションは下妻や松ヶ根、あるいはサイタマや博多へと移動していく。まほろ駅前などはかなり東京に近い例で、『海炭市叙景』に始まる函館三部作や関西を舞台とした作品に名作が多かったことは忘れがたい。執拗に炙りだされる地方の閉塞感もさることながら、そのようにして地方を舞台とする作品にはやがて都会から地方に戻った主人公が快く受け入れてもらえないという側面を強く滲ませるようになる。近いところでは『ローリング』、『ディアーディアー』、『オーバーフェンス』とその風圧はどんどんキツくなり、適当に騒いで結局は土地の人たちに受け入れられる『モヒカン、故郷に帰る』がまるで昔の映画のように感じられたほどである。そして、極め付けが約1年前に公開された『ディストラクション・ベイビーズ』だった。

 真利子哲也のデビュー作『ディストラクション・ベイビーズ』で僕が最も驚いたのは祭りの描写である。「祭り」がこの作品ではとても遠くに感じられ、なにひとつ高揚感をともわない異様な風習のようにして映し出されていた。このような描写に僕は出会ったことがなかった。見知らぬ母と自分を結びつけるものとして『麦子さんと』でも「祭り」は一定の役割を与えられていたし、『味園ユニバース』でも祝祭性の有効性は保証されていた(『共食い』は微妙)。人っ子ひとりいない荒野やシャッター商店街でも映し出せば地方の崩壊をイメージさせることは簡単だろう。しかし、共同体の具現とも言える「祭り」がそのまま共同体の紐帯を表すものにならないという表現は、地縁や血縁にもとづく個人と共同体の関係を再編成して提示し、かつてほど柔軟性のある場所としては機能しなくなっている宣告だと考えていい。3年前に議論を呼んだ『東京難民』でも、一度、地方に戻った主人公がクラスメートの誰にも助けを求めず、もう一度、東京に出てきて勝手に苦しんでるだけじゃないかと思ったりもしたけれど、もはや地縁というのは場所によっては機能しないのが常態なのかもしれない。そして、『ディストラクション・ベイビーズ』における愛媛の「祭り」を、1年を通してすべてを祝祭として機能させている「渋谷」に置き換えてみることで、『ディストラクション・ベイビーズ』の主人公たちも『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の主人公たちもどこか自然と重なって見えてくる。渋谷も一地方に過ぎないと考えれば、疎外感は等しく個人を追い立てるファクターとなり、地方でそれだけのことが起きているのであれば東京では「渋谷が嫌いだ」ぐらいで済んでいるとも。「渋谷は嫌いだ」は「愛媛は嫌いだ」であり、「下関は嫌いだ」もやはり「渋谷は嫌いだ」なのだろう。

 石井裕也はデビュー作の『むき出しにっぽん』でも『ばけもの模様』でも、さらには出世作となった『河の底からこんにちわ』でもトポス性には強くこだわっていた。前作『バンクーバーの朝日』では野球を通じてカナダで生きる日本人移民のメンタリティに焦点を当て、どの作品からも自分がいる場所で踏ん張ることに価値を見出していた。編集者を主役とした『舟を編む』でも辞書を最後まで作り上げる意志の強さに人々は持って行かれたはずである。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』で描かれていることはそのようにして自分の居場所にこだわることに疑問を抱いているかのようにも受け取れる。日雇いで働く外国人労働者は日本に残る価値を認めず、主人公たちの「渋谷は嫌いだ」という思いを裏付けるように祖国へと帰っていく。しかし、これには正反対の力も働いていて、あまり良く練られたエピソードとは思えなかったけれど、誰にも耳を傾けてもらえなかったストリート・ミュージシャンがメジャー・デビューを果たし、踏みとどまることの価値もちらつかせる。周囲の人たちの身の振り方や判断を知った主人公たちがその後どうなるかは完全に観客の感じ方に委ねられている。こういうつくりは珍しい。あるいは表面上の変化がないことを意志の強さとして表したということなのかもしれない。「渋谷は嫌いだ」という気持ちを持続させることでしかいまの渋谷はトポス性を回復できない。この世界を嫌い続けることはそんなに容易なことではないし、たいていの人は醜くなるだけでロクな結論には至らないという気がしなくもないけれど、しかし、ある種の人たちはこの世界を嫌うことでしかこの世界と関係できなくなっていることも確かなのだろうと。

予告編

Jesse Kanda - ele-king

 アルカといえばジェシー・カンダ、ジェシー・カンダといえばアルカです。その強烈な映像表現でアルカの音楽をより高い領域へと押し上げ、さらにはビョークまでをも虜にしてきた彼は、現代最高のヴィジュアル・アーティストと言っても過言ではないでしょう。そんなジェシー・カンダのインスタレーションが東京と京都にて開催されます。なんでも「クラブを寺院に見立てる」というのがコンセプトだそうで、もうそれだけで興味をかき立てられます。しかもジェシー・カンダ自身によるDJセットも披露されるとのこと。これは楽しみです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 緊急来日! そこに現れるは強烈なるイメージの寺院。 ビョーク、アルカのコラボレーターとして世界のトップを走るヴィジュアル・アーティスト ジェシー神田のサウンド&アート・インスタレーションが東京と京都で開催!!! チケット発売開始! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

世界のトップを走るヴィジュアル・アーティスト ジェシー神田のサウンド&アート・インスタレーションが東京と京都で開催されることとなった。東京は5月29日(月)にリキッドルームで、京都は6月1日(木)に京都 METROでおこなわれる。チケットは発表と同時に発売が開始された。

「クラブを寺院に見立てる」というコンセプチャルなサウンド&アート・インスタレーションは、このために制作されたヴィジュアル作品などの披露、ミュージシャン名義のdoon KandaでのDJ Set、またゲストとして日本の伝統音楽演奏者も参加、京都公演では鳳笙奏者の井原季子が出演する。

ジェシー神田、彼のその名前を知らしめたのは、デジタルのフレームに生み出したイメージ──グロテスクでありながら、エロティックであり、抗えぬ淫靡な魅力が共存した異形のクリーチャー(?)たち。ヒトなのか動物なのか、欠損と過剰さが支配する強烈なインパクト。実はひっそりとこの世と現実に存在しているようなリアリティをもって迫ってくる。ともかく、彼が作り出した視覚イメージは、ひとつポスト・インターネット/SNS時代で増殖し、広がる視覚イメージのなかでもひときわインパクトを持ち、それに触れるものたちを魅了してきた。まさにそこへと接続したものたちの“感覚”をひとつ変えてしまったといったも過言ではないだろう。さらに最近では彼は、そのイマジネーションの発露を電子音楽制作へも投下し、doon Kandaとしてサウンド・メイキングもおこない、つい先ごろ、そのシングルは名門〈hyperdub〉からのリリースがなされた。5月29日(月)にLIQUIDROOM、6月1日(木)に京都 METROでスペシャルなイベントを開催する。「クラブを寺院に見立てる」という、コンセプチャルなものとなるもようだ。現実とイメージの境界線を危うくさせる、肉体的なリアリティを持った強烈なイメージの過剰がもたらす、幻の神々たちとの邂逅となりそうだ。アート展示のみならず、doon kandaとしてのDJプレイも披露される模様で、さらにいくつかのヤバい体験もある模様だ(きてからのお楽しみ)。アルカやFKAツイッグス、さらにはビョークの楽曲も、彼のインパクト溢れるイメージによって、インターネットでさらなる拡散がされたことというのはひとつ間違いない事実だろう。海外では、NYのMoMAでのマルチメディア・アートのインスタレーションをおこなうなど、はっきりいってこの規模で彼のアート/音楽を直に感じることができるのは非常に貴重なチャンスとなるだろう。っていうか、ここにきたら、末代まで自慢ができるぞ!

■公演詳細
東京 5月29日(月) LIQUIDROOM
LIQUIDROOM presents
doon kanda DJ SET + Jesse Kanda ART SHOW

OPEN / START: 19:30
TICKET: 5月13日(土)発売開始。
前売¥3,000 ドリンク代別途 / 当日¥3,500 ドリンク代別途
[一般PG前売り]
チケットぴあ (Pコード:333-290)
ローソンチケット(Lコード:73482)
*e+ (https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002225168P0030001)

[問] LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net

京都 6月1日(木) 京都 METRO
(( ECHO KYOTO )) presents
doon kanda DJ SET + Jesse Kanda ART SHOW

OPEN 19:00 / START 19:30 / CLOSE 23:00
ゲスト出演:井原季子(鳳笙)、慧(読経)
TICKET: 5月13日(土)発売開始。
前売¥3,000 ドリンク代別途 / 当日¥3,500 ドリンク代別途
[一般PG前売り]
チケットぴあ (Pコード:333-053)
ローソンチケット(Lコード:53155)
e+ (https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002225607P0030001)

※前売りメール予約:にて、前売のご予約を受付けています。
前日までに、公演日、お名前と枚数を明記してメールして下さい。前売料金で入場頂けます。

[問] 京都 METRO : https://www.metro.ne.jp / TEL 075-752-4765

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(( ECHO KYOTO ))
世界有数の文化都市 京都、その豊かな文化土壌において、真のアーティストによる比類なき地域密着文化フェスティヴァルを開催し、日本国内、そして世界へ発信する。
ECHO / 廻向(えこう):参加アーティストと地域が作り出す卓越した表現がこだまし、広く人々に廻らし向けられる。
*本京都公演はシリーズ第1弾となる。
https://www.facebook.com/ECHOKYOTOECHO/
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■出演アーティスト

ジェシー神田 (Jesse Kanda)

1987年、神奈川県逗子市生まれ。 独学ヴィジュアル・アーティスト/ミュージシャン/ヴィーガン/漫画好き。ヴィジュアル・アーティストとしては、ビョークのミュージック・ヴィデオ「Mouth Mantra」、エレクトロニック・ミュージック界の奇才アルカやFKAツイッグスのヴィジュアル作品など、アーティストと一体となって作り出される独創的な作品は、若手ヴィジュアル・アーティストとして世界最高峰の評価を得ている。特にアルカとはデビュー以来現在までほぼすべての作品でヴィジュアル・コラボレーターとして参加、MoMA近代美術館での作品発表など、エイフェックス・ツインとクリス・カニンガムの再来と絶賛を浴びている。またdoon Kanda名義でミュージシャンとしても活動し、2017年1月にEP「Heart」をリリースしている。
www.jessekanda.com


井原季子 (Tokiko Ihara/ 鳳笙奏者) *京都公演出演。

和歌山高野山の守護である丹生都比売神社にて巫女舞の修練中、笙と出会う。豊英秋氏、東康弘氏に師事。日本の伝統文化と精神性、そして世界に根ざした普遍性を探求しながら宇宙の根源となる音の表現を目指すべく日々研鑽を重ねつつ、国内外・寺社仏閣での奉納演奏をは じめ、様々なアーティストとの合奏をおこなう。
https://www.tokikoihara.com/

Cornelius - ele-king

 振り返ってみよう。あまりにも「ローディッド」ゆえに(再発不可能なほどサンプルデリックな)フリッパーズでの『ヘッド博士の世界塔』を経て、片足をアシッド・ジャズに突っ込んでいたコーネリアスとしてのデビュー・アルバム『The First Question Award』(1994)、ヒップホップからの影響とメタル趣味の悪ふざけの(再発不可能なほどサンプルデリックな)『69/96』(1996)、過去(サンプリング)を再構築することで明日に響く『Fantasma』(1997)、クラフトワークのアコースティック・ギター・ヴァージョンとも呼べそうなミニマルの美学『Point』(2001)、その延長線上で展開されるエクスペリメンタル・ポップ集『Sensuous』(2006)──そして2017年6月28日、通算6枚目のオリジナル・アルバム『Mellow Waves』がリリースされる。『Fantasma』でも『Point』でもない、コーネリアスの新境地が待っている。タイトルは『Mellow Waves』。ファーストEPにしてアルバム1曲目の“あなたがいるなら”(作詞:坂本慎太郎)は、PV公開(監督:辻川幸一郎)。配信も開始。

 セカンドEP「いつか / どこか」(いまのうちに断言しておこう。これは“Star Fruit~”に匹敵する名曲!)は5月24日発売。2017年前半のクライマックスは6月28日に聴ける。


『Mellow Waves』
発売日:2017年06月28日
価格:¥2,800(本体)+税
規格番号:WPCL-12660
1. あなたがいるなら
2. いつか / どこか
3. 未来の人へ
4. Surfing on Mind Wave pt 2
5. 夢の中で 
6. Helix/Spiral  
7. Mellow Yellow Feel  
8. The Spell of a Vanishing Loveliness
9. The Rain Song  
10. Crépuscule


コーネリアス特設サイト
https://sp.wmg.jp/cornelius/

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