「K A R Y Y N」と一致するもの

KOHH - ele-king

 友達は毎日のようにしてる犯罪
 薬物の売人とか色んな人たちがいる
 あの子の父親 あの子の母親 いまごろ刑務所の中
 俺たちも馬鹿 笑っていたいけどいつかはお墓に入る
 天国にも地獄にも持っていけない財布
 俺たちは一人で生きるこの人生
 でかいと思ってたものも近くで見ると実はちいせえ
 たくさんいるひとりの人間
 ひとりで死んで みんなで生きてる
“一人”

 ああ、もうこんなところまで来てしまったのか、というのが最初の感情で、その感覚はリリースから3ヶ月たったいまでも、ずっとつきまとっている。たぶんこれからもしばらくは薄れることはない。もうこんなものができてしまったのか。ほんとに、あっというまだ。

 音と言葉。それらは本来、同じものだ。なにかがひらめき、息を吸って、喉をふるわせ、舌をうごかし、唇をひらく。あるいはその逆。無意識に口をついてでた音が、ある意味をつくりだして、それに驚いたり、なにか理解したりする。叫びやつぶやきは、それ自体が言葉であり音楽だ。
 シンセサイザーとドラムマシン。人間が作り出した機械は、とっくの昔に人間の模倣をやめた。生身の肉体にはけして演奏することのできない音色とリズム。プログラムとインターフェイスが、人間そのものをつくりかえる。感情をデジタライズし、マシンをからだの一部にする。人間に制御できない未知のテクノロジーが、自然界には存在しないミュータントを生み出すように。

 『DIRT』と名づけられた、マシンのビートと人間の肉声による13曲。しなやかだ。そして鋭利だ。ユーモアも忘れてない。ドロドロしてる。渇いている。熱っぽくて、でも醒めている。法律的な意味で悪くて、それでいてとても倫理的だ。薬物。嘘。欲望。裏切り。暴力。それはどこにでもある。慈愛。幸福。赦し。感謝。これもありふれたことだ。騙すのも盗むのも悪いことだと知りながら、それでもみんな騙したり盗んだりする。世界がゆがんでいるのはそんな自分たちの仕業だ。神様を信じていない人間も原罪の感覚を抱く。犯罪。懲罰。奪うこと。わけあうこと。モラルの意味を考える。わかんなくなる。ぞっとする。声をあげて笑う。

 ラップはラップというよりは、ヴォーカリゼーションの極限を探求している。死の瞬間のような絶叫。耳をくすぐるつぶやき。電気を帯びたような歌声。一音一音まで研ぎすまされたトラックが精密なマシンのように駆動している。凶暴なベースの蛇がうねる。ハイハットの針が鼓膜を刺す。感情のないグリッチノイズ。無感覚なアンビエントの音色。機械の冷たく完璧な音のうえで、不完全な人間の声が踊り、交差し、破裂する。打楽器のビートにあわせて人間が喋る/歌う、たったそれだけの普遍的なアートを、わざわざラップだなんて呼んでいるのが、ばかばかしくなる。

 生と死。そう言葉にするのはかんたんだ。だけど、ほんとは誰もそれを知らない。物音。光。匂い。感触。味。五感が伝えるものは確かなのに、つかまえようとすれば逃げていく。音である言葉。言葉である音。言葉でできているのに、それは言葉じゃない。音でできているのに、それは音じゃない。大切なのはイメージだ。想像するって言葉の意味を想像しろ(Imagine the meaning of Imagine)。

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 「すべての美は傷から生まれる」
 パリ生まれのそいつは泥棒で、少年院でホモ・セクシャルに目覚めて、18才で軍隊に入って脱走し、投獄と放浪を繰り返して終身刑を宣告され、それでもデッチあげの日記で有名になって大統領の恩赦をうけ釈放されて、晩年はブラックパンサーとパレスチナの蜂起に身を捧げた。根性焼きの痕。包丁の傷。肌に安全ピンと墨汁で彫った落書き。それを隠すために、マシンの針でインクを流しこむ。皮膚に刻まれた美しいアートは、呼吸にあわせてうごめく。いちばん最初の傷は消えるわけじゃない。生き物みたいな自傷の絵画の下に、ずっと残っている。けして癒えることない傷口。それは女の性器に似ている。

 「たったひとりの女の子のことを書こうと思っている。いつも。たった一人の。一人ぼっちの。一人の女の子の落ち方というものを」
 河原の白骨死体を囲む子供たち。暴力、薬物、幼いセックス。おたがいに傷つけあって、だけどその痛みには気づかない。20年前、東京生まれの女がそんな物語を書いた。郊外の団地。たなびく工場の煙。排水で濁った河。時代は変わっても、場所は残る。リバーズ・エッジ。さっきまでそこにいたのはひとりの少年だ。ただしいまは、落ちていくところじゃなくて、たくましく成長して、どんどん上に昇っていくところ。

 「飢えた子がいなくて芸術は可能なのか」
 昔むかしアフリカの飢餓をみて、飢えた子どもを前に文学は可能か、といったマヌケな哲学者がいた。どうやらそいつは、圧倒的な現実の前では、文化や芸術は無力だ、と言いたかったらしい。とんでもないバカだ。その衰弱した問いは、正しく逆転させられなきゃならない。圧倒的な現実なしに、はたして価値ある芸術は生まれるのか、と。カップラーメンと、醤油をかけた白い飯。父親がいない。母親がいない。空腹にたえかねて犯罪をする。シンナーとマリファナの匂いを嗅ぐと保育園のときを思い出して、子どもの頃に見ていた白い粉の正体を物心ついてすぐ理解する。つくりものの言葉や文化がすべて意味を失う。そんな現実からこそ生まれる芸術がある。

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 じゃあ戻ろう。I-DeAプロデュースの“BE ME”。アルバムで最初で最後の強烈な叙情。ざらつくギターに誘われて、モーリス・アルバートの“FEELINGS”がセンチメンタルに鳴りひびく。「わたしは愛の感情を忘れようとしている」。この寂しさは決意の伴侶だ。ストリングスの哀愁を、キックとスネアが余裕をもって追いかけていく。エフェクトのかけられてない生の声。ヴォーカルの音量が大きい。吐き出される言葉に躊躇はない。素朴さと、刻々と変化していく確信に満ちている。これだけでもう、じゅうぶんだ。

 以降のサウンドはすべて最新のトラップ。“DIRT BOYS”は香港の言葉では「汚垢男孩」。オリエンタルで金属的なループに、硬質で隙間のある空間的なビート。阿片戦争でイギリスに征服されて繁栄し、いまは中国共産党から弾圧される都市のゲットーで、旧大日本帝国の末裔のチェイン・ギャングたちが歌っている。中華料理店の厨房にぶらさがる生首のラップは、最近のUSシーンの軽薄なエキゾティシズムの搾取への、痛烈なカウンターだ。USのトレンドを手当り次第に奪いまくっているうちに、ついに驚異的に異形なパスティーシュをつくりだしてしまった。こんなもの、アメリカ人にはつくれっこない。

 きっと誰もがびっくりする、“一人”や“社交”の電気を帯びたような歌声も、盗品だ。もともとの持ち主は、アトランタのYOUNG THUG。だけど奪ってきたものは、もう誰のものでもない。まるで子どもが泣きながら歌っているような声だ。言語能力が未発達な子どもは、泣き声だけで自分の感情を伝えようとする。だから泣き声というのは、もっとも切実なコミュニケーションだ。電気がほとばしるように、声が感情を放電し、びりびりと鼓膜を感電させる。語族不明の孤児言語である日本語による、いままで誰も聴いたことのない歌。

 USシーンへのカウンターというなら、最高に盗人猛々しいのは“LIVING LEGEND”。咆哮フロウのオリジネイター、OG MACOと同じDEEDOTWILLのビート。耳を引き裂くディストーション。みぞおちをえぐるベース。これは完全にラップによるパンクだ。シンプルな韻律に従って、直情的に言葉が放り出される。合衆国の文化的な植民地である極東の島国のラッパーが、本土アメリカのアーティストを笑いながら脅かしている。ふつう「LIVING LEGEND」といえば「LEGEND」のほうが強調されるものだけど、KOHHは「LIVING」ばかり何度も繰り返している。

 死んだら意味ない。生きてるのがいい。その生の感覚は、死の輪郭をなぞって確かめられる。2PACの言葉を引き継ぐ“IF I DIE TONGHIT”。金のために悪いことをする/いや、悪いことをしなくても。ガムテープで手足を縛られ、車のトランクに詰められる。最後はピストルかナイフか鉄パイプ。あるいは車が突っ込んで。そうじゃなくたって生の結論はいつも死だ。みんないつか死ぬ。それは今夜かもしれない。だとしても/だからこそ、ラップは楽しげだ。アウトロのホラーコアじみたコーラスは圧巻。3人のマイクリレーなのに、ひどく孤独。

 ハイライトは、生と死のテーマがもっともストレートに吐き出される“NOW”、そして“死にやしない”。オーヴァードーズで死んだシド・ヴィシャス。猟銃をくわえて頭を吹き飛ばしたカート・コベイン。剃刀で耳を切り取ったヴァン・ゴッホ。異常者に撃ち殺されたジョン・レノン。たいていみんな銃か薬物に殺される。ドラッグはコカインやヘロイン、日本ならやっぱりスピード。そんなことばかりやってたらすぐに死んじゃうから、LSDを舌で溶かして音をつくり、絵を描く。金を稼いで新しい女と出会う。いつかピカソのように死ぬまで。誰かを憎むのは、いつまでも同じ場所にいる奴だけだ。なにをするのもすべて不自由で自由。愛するのも殺すのも。

 明日なんていらない、とKOHHが歌うとき、それは文字通りの意味だ。明日という概念自体が存在しない。明日も明後日も、その後もずっと、死ぬまでの未来のすべてが、現在だ。死の瞬間まで永遠に続く現在を生きるならば、肉体後の不滅さえ信じられるだろう。これは、明日をも知れないから今日を楽しむ、という古きよきハードコア・ヒップホップのニヒリズムとは決定的に違う。未来を否定して現在を肯定するのではない。現在への圧倒的な肯定によって、むしろ未来の概念そのものを書き換える。トラップ以降のシンプルな日本語だけで、Nasのあの有名なパンチライン「人生なんてくだらない(LIFE IS A BITCH)」を更新してしまっている。

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 『DIRT』はまぎれもなく、21世紀の日本で誕生したばかりのゲットー・リアリズムだ。KOHHはしかし、日本的な情緒にうったえて叙情の涙を誘うのではなく、最新のフロウを駆使してプリミティヴな感情をえぐりだす。そもそも彼はトラップ・ラッパーだ。トラッシュな言葉を並べたて、ナンセンスなジョークを平然と口にし、誰もが嫌悪する下世話なリアリティを歌う。ドラッグにハイファッション、女たちと犯罪。それは使い古された既存のストーリーへのアンチテーゼだ。無意味による意味への襲撃だ。真顔で口にされた言葉が、次の瞬間にはひっくり返される。彼のリアリズムはけして、おざなりの感動の物語をなぞることはない。

 犯罪と貧困。売人や中毒患者。刑務所にいる誰かの父親、誰かの母親。そんな光景を描く“一人”は、もっとも音楽的な実験性に溢れる曲でもある。まずもって驚くのは、その斬新なフロウの複数性。涙声のような歌の叙情は、地声のラップの乾いた笑いによって切り裂かれる。それに、キックもスネアもかき消してしまう強烈なベース。その奇妙な浮遊感に煽られて、いっさいの物語から解放された不定形な感情の塊が、目には見えないオブジェのように宙を舞っている。これはリアリズムのナイフで彫刻された、音と言葉によるアブストラクト・アートだ。圧倒的で、繊細なものが浮き彫りにされているけれど、それにありきたりの名前を与えることはできない。

 制作方法でいえば、このアルバムのいくつかの曲は、一度も文字になってない。KOHHはリリックをいっさい書き留めずに、いくつかのフレーズだけをその場で暗記して何度か復唱し、あとは直感のままにレコーディングしている。最近のUSのラッパーたちがよく使う手法だ。フリースタイルでライヴ感を出そうというのではなく、創作上の方法論として無意識のインスピレーションをすくいとろうとしている点で、むしろシュルレアリスムの自動筆記に近い。あるひとりの人間の脳裏にひらめいた言葉が、ノートにも、iPhoneの画面にもつかまらずに、そのままステレオを振動させ、音になって鼓膜までとどく。かつてアンドレ・ブルトンに毛嫌いされてシュルレアリスム運動から排除された音楽は、いま日米のゲットー・カルチャーのまっただ中で、そのオートマティスムを現代的に蘇生させつつある。自意識の鎖から解き放たれた視線は、生々しい傷を至近距離で見つめながら、物語の涙に溺れることを拒否して、瞬間ごとに生成する感情をリアルに写しとっている。見事だ。ああ、もうこんなものができてしまったのか。

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 ヒップホップ映画のクラシック『ワイルド・スタイル』が日本で上映されたのは、もう30年以上も前のことだ。当時、世界一の経済的安定を謳歌していた日本は、バブルの狂騒と崩壊を経験し、その後のながいながい経済停滞は、社会全体の地盤沈下をともないつつ、「失われた10年」から「失われた20年」へとその呼び名を変えた。だから、もうこんなところまで来てしまったのか、というのは、ひとりのアーティストの成長への驚きというだけじゃなくて、この社会の変化に対する嘆息でもある。いつのまにか、こんなところまで来てしまった。ほんとに、あっというまだ。

 はっきりと言っておく。ヒップホップ創成期1982年のグランドマスター・フラッシュ&フューリアス・ファイヴの“THE MESSAGE”以来、ラップ・ミュージックは、ゲットー・ミュージックだ。1950年代のリズム&ブルースがそうであったように。1970年代のファンクがそうであったように。この音楽は社会の傷口から生まれた。すくなくとも、その始まりにおいて。ラップはゲットーに鳴りひびく銃声に負けないように、ヴォーカルの声を破裂させた。傷口を癒すハーモニーを捨て、痛みを吹き飛ばすほどの快楽を求めた。始まりの傷を忘れてしまえば、音楽は子どもを楽しませるだけの玩具になる。逆に傷に支配されてしまうなら、それは老人の感傷を慰めるだけの標本になる。どちらにせよ、ただのグッド・ミュージックだ。ゲットー・ミュージックは、けして傷を忘れず、かといって傷の奴隷にもならない。ラップはいまだゲットー・ミュージックだ。すくなくとも、その現在地点において。

 『DIRT』はひとことも社会についてなど歌っていない。表現されているのは、むきだしの感情と、世界中を移動する半径5メートルほどのリアリティだけだ。それでも、そこに見え隠れするアンダークラスの現実は、一億総中流の神話によって隠蔽されてきたこの社会の傷口を、否応なく炙りだしてしまう。それも、爆発的な解放感とともに。社会問題を告発しようとするあらゆるジャーナリズムや政治的な芸術が、どこまでも退屈な凡庸さから逃れられないのは、同情と差別の視線にさらされるその傷が、すべての力の源泉であることを知らないからだ。この音楽は、社会の傷にぎりぎりまで肉迫しながら、同時に、その傷からもっとも自由なところにいる。傷を忘れてはいないが、けして傷の奴隷にもなっていない。

 日本列島の10年代は、2011年の震災で始まり、2020年の東京オリンピックで終わる。そのディケイドもすでに半ばを過ぎ、いまだミドルクラス幻想のノスタルジーにまどろむ日本にとって、この音楽は、強烈な異物だ。「クール・ジャパン」のかけ声のもと、傷ひとつない顔で微笑んでみせるアイドルがチャートを占領し、ただでさえカラオケ文化に支配されて久しいこの島国では、いつのまにか微温的な共感だけがポップ・ミュージックの定義となっている。おびただしいタトゥーや黒社会の影、クランベリージュースで割ったコデイン、マリファナの匂いを隠すファブリーズ、着ている服も隣にいる女もすぐに変わって、周りではまた誰かが捕まり、また誰かが帰ってくる。そんな日常は誰にとっても共感可能なものじゃない。だが、芸術とはそもそも越境のことだ。この世界に引かれたあらゆる境界線を侵犯し、異物=他者に出会い、精神と肉体を爆発的に変化させることだ。

 KOHHがそのダーティであけすけなラップによって切りひらきつつあるのは、日本の新たなポップ・スターのあり方そのものだ。USシーンとの共振のもと、アンダーグラウンドで生まれたこの音楽の射程は、けして地下だけにとどまってはいない。仲間内で媚びを売り買いするクラブの社交会には背中を向け、むしろグローバルなポップ・フィールドをみすえている。このずば抜けたクオリティのアルバムは、突き抜けるようにラフなエンディングで終わっているけれど、才能あるアーティストが最高峰のプロダクション・チームを味方につければ、このくらいの作品は楽しみながらつくれてしまう、ということだろう。メジャー・シーンがますます内向きに自閉していくのに反比例するように、アンダーグラウンド・シーンはいよいよグローバルな進化を遂げつつある。まるでギャング映画を楽しむように音楽を聴く? 冗談じゃない。この最高にクールでポップなゲットー・ミュージックは、いまこの瞬間、この日本で鳴らされている。列島の住人たちは、みずからのリアリティと地続きの、そのよろこばしい戦慄を、まずはぞんぶんに味わうべきだ。

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 すべての仕事は売春である、とジャン・リュック・ゴダールは言って、岡崎京子はそこに、そしてすべての仕事は愛でもあります、とつけ足した。誰もが交換可能な商品であること。誰もが唯一無二のアートであること。平坦な戦場(Flat Field)とは、「終わりなき日常」といった時代の気分のことじゃない。それは、終わらないはずの日常が終わっても残る、あるトポスのことだ。大人になれない大人たち。子どものままではいられない子どもたち。男と女。そのどちらでもない誰か。すれ違って傷つけあう。結ばれて慰めあう。つかのまの永遠。惨劇と祝福。銃声と産声。窓の外を見ろ。すべてのことが起きうるのを。

 かつて岡崎京子が世界に冠たる巨大で空虚な消費空間として描き出したメトロポリス東京は、マルセル・デュシャンやジョアン・ミロをこよなく愛する北区王子出身の不良の手によって、こんなにも危なっかしく、楽しげな場所に描きなおされた。永遠に続くかに思えた栄華と閉塞のほころびは、20年前の女の直感どおり、東京郊外の河べり、リバーズ・エッジで生まれた。明暗のコントラストを激しくした大都市は何度もその名を呼ばれ、いま目覚めの時刻を告げられる。TOKYO、TOKYO、TOKYO、TOKYO….

 すべて聴き終えて、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからない。ひとつの社会から、これほどまでに傷だらけで、美しい音楽が誕生することは、もしかすると手ばなしに賞賛されるべきじゃないのかもしれない。まず初めに傷があった。このとてもいびつで、爆発的な自由の感覚を宿した音楽は、傷がなければ生まれなかった。皮膚の傷にインクが染みこみ、タトゥーという生きたアートになるように、ラップ・ミュージックは社会の傷に流れこみ、この歓喜と痛みの声をひびかせる。いちばん最初の傷。与え/与えられる始まりの傷。その傷口にそっくりの女の器官から、すべての命は生まれる。その傷口にそっくりの唇から、すべての言葉は生まれる。血と、音にまみれて。

 信じてもいない神様を憎み、感謝する。
 すべては、傷から生まれたんだ。

  

Inspirations from;
ジャン・ジュネ「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」
岡崎京子「ノート(ある日の)」
中上健次「飢えた子がいなくて文学は可能か?」

GoGo Penguin - ele-king

 ゴーゴー・ペンギンという名前を聞いて、普通それがジャズのピアノ・トリオだとは誰も思わないだろう。そんなネーミング・センスからして、従来のジャズの文脈から切り離されたところにいるのがマンチェスター出身のこの若き3人組だ。クリス・アイリングワース(ピアノ)、ロブ・ターナー(ドラムス)、グラント・ラッセル(ダブル・ベース)がゴーゴー・ペンギンをスタートしたのは2009年のこと。そして、2012年に地元の〈ゴンドワナ・レコーズ〉から『ファンファーレ』でアルバム・デビュー。〈ゴンドワナ〉はマシュー・ハルソールやナット・バーチャルらのリリースで知られるインディ・ジャズ・レーベルだ。その後2013年にベースがニック・ブラッカへ交代し、その顔ぶれで2014年に発表した『v2.0』は「マーキュリー・プライズ」にノミネートされ、一気にブレイクしたのである。ライヴでも着々と評価を高めていった彼らは〈ブルーノート〉の社長のドン・ウォズの目にもとまり、このたび〈ブルーノート〉と契約して3枚めのアルバム『マン・メイド・オブジェクト』をリリースする。

 すでに『ファンファーレ』のときから、ゴーゴー・ペンギンのスタイルは高い地点で確立していたと言える。耽美的でメランコリックなメロディを奏でるピアノ、細かく刻まれた縦ノリのビートを叩くドラム、クールで重厚な空気を伝えるベースは、アメリカで生まれた黒人音楽のジャズとは異なる匂いを放っていた。米国ジャズに付きもののブルースやゴスペルとの関連性はなく、エモーショナルでブルージーな香りはしない。そのかわりにクラシック的なピアノ(クリスはクラシックを学び、ラフマニノフ、ドビュッシー、ショパンの影響を受けたそうだ)、ロック的なドラムというように、イギリスというかヨーロッパらしいジャズというのがその印象だった。きっちりとした学理に則って緻密に構築された楽曲は、フリー・ジャズやアヴァンギャルドのイディオムともまた違ったものだ。同じ若手のジャズ・ピアノ・トリオで比較するなら、カナダ出身のバッドバッドノットグッドはパンクとヒップホップの影響がうかがえるのに対し、ゴーゴー・ペンギンからはUKジャズ・ロック~プログレ、ポスト・ロック~シカゴ音響派などの影がチラついた。当時のUKのメディアが彼らについて、「エイフェックス・ツインからスクエアプッシャー、そしてマッシヴ・アタックにブライアン・イーノの影響を受けたアコースティック・エレクトロニカ・サウンド」と評していたのだが、たしかにドリルンベースのように細断された不定形のビート(こうした傾向は『v2.0』においてさらに強まっていく)、暗鬱としてダークなメロディ、アンビエントで現代音楽やクラシックに通じるスコアにはそうした論評を裏づけるところがあった。録音時のミックスや編集を含めたポスト・プロダクション面では、IDMやエレクトロニカ以降のアーティスト(バンド編成はあくまでアコースティックなピアノ・トリオだが)ということを感じさせたし、そこにポスト・ロック~シカゴ音響派と近似するものを見たのかもしれない。いわゆる横ノリのグルーヴではないので、ソウルやファンクと結び付いたUKのダンス・ジャズ~クラブ・ジャズの文脈とも異なるものだし、ヒップホップやR&Bなどと対峙するUSの新しいジャズの流れとも違う。『v2.0』を聴いたときは、むしろこれはオルタナ・ロックなどと同列で聴くのがピッタリくるのでは、と思ったものだ。

 『マン・メイド・オブジェクト』は〈ブルーノート〉からのリリースとはいえ、過去2作の延長線上にあるものだ。彼らの演奏スタイル自体も、表面上での大きな変化はない。ただ、いままで以上にいろいろ多彩なリズムに取り組んでいる印象がある。それが、作曲面に新しい試みを与えているようだ。ドラマーのロブは、「アルバムの多くの作品はロジックやエイブルトンなどのソフトウェアを使って作曲し、そこから演奏を膨らませていった」と述べているが、そうしたエレクトロニックなアプローチを人力の生ドラムへと変換したのが“オール・レス”であり、“アンスピーカブル・ワールド”だろう。これらのリズムは、エレクトロニック・ミュージック的なプリ・プロダクションがないと生まれ得ない発想によるものだ。“ウィアード・キャット”や“グリーン・リット”は彼ら特有のドリルンベースの発展的なジャズ・ロックだが、一方“ブランチーズ・ブレイク”ではいままで見られなかったような4つ打ち的なビートを取り入れ、一種のアンビエント・テクノ的な場面も見せている。疾走感に富む“スマーラ”や“フェイディング:フェイニング”からは、かつてテクノなどと結びついて生まれた「フューチャー・ジャズ」という言葉を思い起こした。そうしたクラブ・ミュージック的な視点で見ると、いままでの彼らはあまりループ感のあるビートは用いてこなかったのだが、たとえば“クワイエット・マインド”のビートはクラブ・ミュージック特有のループ、サンプリング感を抽出したようなものと言える。“イニシエイト”のビートには、いままで希薄だったヒップホップ的なテイストも感じられるし、“プロテスト”にはヒップホップからロックまでを取り込むような力強いビートがある。

 こうしたリズム面での進化を見せる『マン・メイド・オブジェクト』だが、エレクトロニック・ミュージック的なアプローチを曲作りに導入したことは、彼らのライヴや今後の制作の方向性にも関わってくる可能性がある。4月に初来日公演も予定されているので、そのライヴでは彼らがどのように楽曲をステージで再現するのか(それとも、アルバムとはまた違った形で表現するのか)、そこに注目が集まることだろう。

interview with Yo Irie - ele-king


ベース・ハウス歌謡、グライム歌謡、ポスト・Jディラ歌謡……。入江陽が大谷能生と共に制作したアルバム『仕事』のテーマがネオ・ソウル歌謡だったとしたら、それに続く、セルフ・プロデュースの新作『SF』はさながら現代版リズム歌謡のショーケースだ。もしくは、昨年、幾つかの日本のインディ・ロック・バンドが真正性を求めてシティ・ポップからブラック・ミュージックへと向かっていったのに対して、彼の音楽にはむしろニュー・ミュージック・リヴァイヴァルとでも呼びたくなるような浮世の色気が漂っている。「くすぐりたい 足をかけたい クスっとさせたい あきれあいたい/たのしいこと しようぜ 俺と おそろしいとこ みてみたい 君の こどもぽいとこ 守りたい それも ところてんとかで 包みたい」(“わがまま”より)。そんな怪し気な誘いから始まる『SF』について、この、まだまだ謎の多いシンガーソングライターに話を訊いた。

入江陽 / Yo Irie
1987年生まれ。東京都新宿区大久保出身。シンガーソングライター、映画音楽家。学生時代はジャズ研究会でピアノを、管弦楽団でオーボエを演奏する一方、学外ではパンクバンドやフリージャズなどの演奏にも参加。2013年10月シンガーソングライターとしてのファースト・アルバム『水』をリリース。2015年1月、音楽家/批評家の大谷能生氏プロデュースでセカンド・アルバム「仕事」をリリース。映画音楽家としては、『マリアの乳房』(瀬々敬久監督)、『青二才』『モーニングセット、牛乳、ハル』(サトウトシキ監督)、『Sweet Sickness』(西村晋也監督)他の音楽を制作。2015年8月、シンガーソングライターbutajiと『探偵物語』、同年11月、トラックメイカーsoakubeatsと『激突!~愛のカーチェイス~』(7インチ)をともに共作名義でリリース。




作詞、作曲、歌、アレンジ、それぞれを全部違うひとがやる曲っていうのは、最近のポップ・ミュージックではあんまりないかなと。









入江陽

SF


Pヴァイン


Tower
HMV
Amazon


今回のアルバム『SF』は入江さんのセルフ・プロデュースになります。前作『仕事』(2015)は大谷能生プロデュースでしたけど、現行のダンス・ミュージックをいかに翻訳するかという点では、『SF』も基本的にはその“仕事”を引き継いでいると思いました。ただ、前作のテーマとして“ネオ・ソウル歌謡”みたいなものがあったとしたら、今回はビートがよりカラフルになっている。そこには、さまざまなトラックメイカーを起用していることも関わっているんでしょうが、まずは、今回のアルバムを自分でプロデュースしようと思った経緯を教えてください。

入江陽(以下、入江):ファースト・アルバムの『』(2013)は自分のバンドでつくったのに対して、セカンドは大谷さんにトラックを作っていただき、そのうえで歌を歌いました。それを踏まえて、今回のアルバムでは、いったんは自分ひとりでやってみようと思ったんです。トラックメイカーの方も、身近で同年代のひとといっしょにやろうということを念頭に置いて。大島(輝之)さんだけはベテランの方なんですけど、他の方々は自分の上下3歳以内で、交友範囲も友だちかその友だちくらいというか。あと、前回の大谷さんのプロデュースは、ゆっくりした、打点がズレたリズムのヒップホップということがテーマでもあったので、今回は逆に速い曲とか普通の8ビートとかもやっています。


イタリア / 入江陽 MV (ファースト・アルバム『水』より)

実際は『仕事』も、“鎌倉(feat. 池田智子 (Shiggy Jr.))”、“フリスビー”、“マフラー”……のようなポップな楽曲もありましたけど、先行MVとして公開された“やけど(feat. OMSB from SIMI LAB)”のようなポスト・Jディラ的なビートが多かったので、どうしてもそっちの印象が強くなってしまったというか。一方、『SF』にも“おひっこし”のような後者寄りの楽曲もありますが、全体的には前者寄りなのかなと思いました。

入江:おっしゃるように“やけど”の印象が強いと思ったので、そうじゃない曲を今回はつくろうと思いました。



入江陽 - やけど [feat. OMSB (SIMI LAB)]



入江陽 - 鎌倉 [duet with 池田智子(Shiggy Jr.)]


ゲストに関して、同年代かつ親しいひとを選んだというのは、趣味趣向が近いひとがよかったということですか? あるいは、その方がコミュニケーションが取りやすいから?

入江:どちらかというと今回はコミュニケーションのほうですね。長いつきあいのひとばかりというか。

やはり、大谷さんだと恐縮してしまうとか?

入江:いやいや(笑)。もちろんそれもありましたけど、それが嫌だったわけではないです。ただ、その反動というか。

大谷さんとはいまも一緒に入江陽バンドをやっていますもんね。

入江:そうです。それに、毎回違うほうがおもしろいかなと思いまして。

不勉強ながら、今作のゲストは知らない方が多かったのですが……。

入江:まぁ、友だちって感じなので。

10曲中4曲を入江さんと共同で作曲をしている「カマクラくん」というのは?

入江:シンガーソングライターで、メロディを書く能力がすごく高い人です。なので、そこだけ担当してもらって、アレンジやトラックは違うひとにつくってもらいました。

入江さんのようなシンガーソングライターが、作曲にゲストを招くというのは珍しいですよね。

入江:僕が書くメロディだと少し凝ってしまう気がしたんです。でも、カマクラくんが書くとすごくシンプルで覚えやすくなるので、何曲かお願いしたというか。それに、分業する楽しさもありました。作詞、作曲、歌、アレンジ、それぞれを全部違うひとがやる曲っていうのは、最近のポップ・ミュージックではあんまりないかなと。

作業の手順としては、トラックをもらってから、それに合わせて曲を書いていった感じですか?

入江:そういう曲もあります。“おひっこし”と“悪魔のガム”がそうですね。それ以外の曲は、まず、大体のコードとメロディを書きました。


入江陽 - おひっこし (Lyric Video)


『仕事』のときも「ネオ・ソウル歌謡」と言いつつ、だんだんとアレンジが変わり、結局、全曲がバラバラという感じになったんですが、今回も音像としてのコンセプトはなくなっていったというか。

『仕事』がネオ・ソウル歌謡だとしたら、『SF』はハウス歌謡もあれば、EDM歌謡もあれば、グライム歌謡もありますけど、そういった、いわゆる現代版リズム歌謡の見本市みたいなものをつくろうというテーマはあったんですか?

入江:途中までは80年代っぽい音像にしようと考えていたんですけどね。エンジニアの中村(公輔)さんともそんなふうに話していたものの、送られてくるのがそれとは関係ないトラックだったりして。『仕事』のときも「ネオ・ソウル歌謡」と言いつつ、だんだんとアレンジが変わり、結局、全曲がバラバラという感じになったんですが、今回も音像としてのコンセプトはなくなっていったというか。

参加したトラックメイカーの方たちは、普段はダンス・ミュージックをつくっているひとが多いんでしょうか? 4曲を手掛けている「Awa」は、ダンス・ミュージックの手法を使ってシティ・ポップをつくるユニット「檸檬」にも参加していますよね。ちなみに、入江さんはその檸檬の7インチ「君と出逢えば」にヴォーカルとしてフィーチャーされています。

入江:そうですね。Awaくんはクラブ・ミュージックやヒップホップが好きで。檸檬にはギターやアレンジで参加していて、エスペシアにも1曲提供していました。

〝hikaru yamada〟というのは?

入江:ライブラリアンズという女性ヴォーカルのユニットもやっています。前作『仕事』の表題曲の共同制作者でもあります。でも、yamadaくんもAwaくんもやっている曲が好きというよりも、友だちだから誘ったという感じですかね。5年くらいのつきあいで、ふたりとも年齢が1つ下なので。mixiのコミュニティで知り合ったんですが(笑)。

どんなコミュニティだったんですか?

入江:いまとなっては少し恥ずかしいんですが、「近現代和声音楽好きなひとたち」みたいな(笑)。“悪魔のガム”の耶麻ユウキさんってひとは、yamadaくんの大学の先輩ですね。彼はグライムとかハウスが好きみたいで、3歳くらい上です。

「Teppei Kakuda」は?

入江:彼はちょっと変わっていて、トラックメイカーでもあるんですけど、バークリーのジャズ作曲科を中退して去年日本に帰ってきた方なんです。だから和声や譜面にも強い。それでドラムも叩いています。ここも友だちだったので誘いました(笑)。

そして、最後に「Chic Alien」。

入江:butajiくんと共作した“別れの季節”(入江陽とbutaji『探偵物語』収録)のトラックメイカーで、このひとも3歳くらい下なんですけど。

ちなみに、いまやっている入江陽バンドのライヴもすごくいいですが、あのメンバーでアルバムをつくろうとは思わなかったんですか?

入江:アルバムのアレンジはアルバムでやって、ライヴはまた別でリアレンジしたらおもしろいかなと。

『Jazz The New Chapter』(シンコー・ミュージック)がピックアップした現行のクロスオーヴァー・ジャズのように、打ち込みと生演奏の相互作用を意識している?

入江:それはちょっと考えていて、あとはバンドではできないこと、ライヴではできないことを音源でやりたいんですね。まぁ、レコ発はバンドでやるのでかなり矛盾していますが。ライヴ用のアレンジに関しては、大谷さんが音源を初めて聴いたところからはじめる。そうやって、翻訳をしていく過程で、失敗したり成功したりするのがおもしろいというか。あと、音源として良質なトラックを作る能力と、ライヴで演奏する能力はまた別なので。


粗悪さんとは、ふたりのユーモアの感覚というか、ふざけたい感じが一致したんです。同い年なのもあるかもしれません。

入江さんのディスコグラフィーにおいて、『仕事』と『SF』の間のリリースで特に重要なものがふたつがあると思って。ひとつはbutajiとつくったEP『探偵物語』(2015)で、クレジットを確認せず初めて聴いた時、カヴァー集かと勘違いしたくらいポピュラリティを感じました。もうひとつは粗悪ビーツとつくった7インチ「激突!~愛のカーチェイス~/薄いサラミ」で、あれはトラップ歌謡というか、大谷さんが現行のヒップホップ/R&Bを取り入れた延長にありますけど、さらにモダンかつイビツになっていました。

入江:探偵物語は、butajiくん作曲のものが多かったので、そういう感じになったのかもしれませんね。粗悪ビーツさんとの7インチは、粗悪さんのトラックがマイナー・コード一発の構造なので、相性がいいかなと思って歌謡曲っぽくつくってみたのと、ふたりのユーモアの感覚というか、ふざけたい感じが一致したんです。同い年なのもあるかもしれません。「同い年ですよね」って言ったら、「学年はいっこ上だから」って怒られましたけど(笑)。

それにしても、さっきからやたらと年齢のことを気にしますね。

入江:いや、年齢が近いということを言いたかっただけなんですけど……たしかに気にするほうかもしれないです。一方で、年齢が近いひとに対してもタメ口を使うのがヘタで(笑)。

それは恐縮してしまって?

入江:僕は医学部だったんですが、誰にでも敬語で話す文化があったんです。5浪して入ってくるひととかもいますから、使い分けがけっこうやっかいなんですね。それがまだ抜けてないのかもしれません。

なるほど。歳上を敬うためではなく、事を無難に運ぶために敬語を使う。

入江:よく言えば、敬語でも仲良くできる。悪く言えば、誰とでも壁ができている感じですね。

これは悪口じゃないんですけど、大谷さんのトラックは複雑ですし、僕の歌詞もめちゃくちゃじゃないですか(笑)?

『SF』では『探偵物語』と「激突!」の方向性が合わさっているというか、より積極的に現行のダンス・ミュージックを取り入れている一方で、ポップな印象を持つひとが多いと思うんです。

入江陽とbutaji - 探偵物語




激突!〜愛のカーチェイス〜


入江:実際、明るい曲調も多いと思います。

BPMも早いし、リズムの手数も多い。

入江:前作とはまた違うことをやって、音楽性の幅を広げたかった感じですね。

『仕事』がリリースされた時、僕は入江さんのことを知らなかったので、まるで突然現れたかのように思えました。そのあと、渋谷〈OTO〉でやっている〈Mango Sundae〉というヒップホップのイヴェントで、大谷さんとのデュオのライヴを観ましたが、MCがぎこちないことを大谷さんにずっとダメだしされていて(笑)。でも、曲と歌は文句なしにいいので、大谷さんはこんな変わった才能を持つひとをどこで見つけてきたんだろうと。アルバムが出たあと、本格的にライヴをやりだしたという感じですか?

入江:弾き語りやバンドでのライヴは数年前からやっていましたが、『仕事』リリース後、ライヴの機会が増えましたね。

やはり、『仕事』を出したあとに経験してきたことは大きい?

入江:だいぶ大きいですね。2015年は『仕事』をきっかけにライヴをたくさんやりましたし、誘いも増えたので。

『仕事』の頃の話でいうと、当時、『ele-king』に載った矢野利裕さんが聞き手で、入江さんと大谷さんがふたりで答えたインタヴューを改めて読んだら、そんなにインディと呼ばれるのが嫌だったのかと思って。2015年末に恵比寿〈リキッドルーム〉のカウントダウン・イヴェント(2016 LIQUID -NEW YEAR PARTY- + LIQUIDOMMUNE Presents『遊びつかれた元旦の朝に2016』)に出てもらいましたけど、ブッキングしたフロアが「インディ・ミュージック」という括りだったので、申し訳ないことをしたなと。

入江:いやいやいや(笑)。出演できてとてもうれしかったです。本当にありがとうございます。大谷さんと僕におそらく共通しているのが、インディ音楽とメジャー音楽をあまり分けて考えていないというか。リスナーとしての耳がそういう分かれ方をしていない、という話な気がします。

他方、あのインタヴューでは一貫して「インディじゃなくて、J-POP、歌謡曲なんだ」ということを言っていて。本当に当時から自分の音楽にそこまでポピュラリティがあると思っていました?

入江:思っていました。でも、これは悪口じゃないんですけど、大谷さんのトラックは複雑ですし、僕の歌詞もめちゃくちゃじゃないですか(笑)? 本当にポピュラリティを求めているのか、っていう。

僕もそう思うんですよ。たとえば、入江陽の音楽のオルタナティヴさだとか、ステージ上のどこかキマっていない佇まいだとか、聴いている方、観ている方がそわそわするあの感じは、もしポピュラリティを目指しているのだとすれば、単に未熟な部分として片付けられてしまいますよね。ただ、そうではないんじゃないか。

入江:未熟な部分もあると思うんですけど、大谷さんもぼくも違和感みたいなものが好きでやっている部分もあるので、それは自己矛盾というか。たぶんその話でのメジャーという言葉は、聴く耳の問題だと思うんですよね。松田聖子やジュディ・アンド・マリーみたいに、歌が真ん中にバーンとある感じでやりたいっていう精神論というか(笑)。

『SF』は『仕事』よりもポップになったと思うんですけど、それは狙ったところ?

入江:今回、それは個人的にはなくて、どちらかといえば技術的な挑戦の意味合いが大きかったんです。例えば1曲目の“わがまま”は、速い曲をつくりたいと思って取り組んだ。前作やライヴでやっている曲のBPMを測ったら、大体が100前後だと分かって、マンネリ化してはダメだなと感じたんです。

ライヴをやっていく中で気持ちに変化があった?

入江:そうですね。ライヴの音源を聴いたら全部いっしょというか。

遅い曲で客を掴むのは難しいですよね。特に対バンがいる時は。

入江:厳しい状態を強いられたときもあったので(笑)。

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べつにインディ感が嫌いとかではないんですけど、自分の声でやる場合にはエセ商業感があったほうがおもしろいんじゃないかとは思っていまして。

ポピュラリティと言えば、影響を受けたアーティストとして井上陽水の名前をよく挙げていますよね?

入江:井上陽水さんのようになりたいというよりは、井上陽水さんのように変なことばを使いながらも、とても美しい歌詞を成立させることへの憧れ、みたいなものはありますね。

先程挙げたインタヴューで、大谷さんが『仕事』は『氷の世界』(1973)を目指したと言っていて、それはちょっと意味が分からないなと思ったんですけど……(笑)。

入江:あれは『氷の世界』ぐらいの曲を作る、っていう気合いのことだと思うんですけどね。ヘタに言い換えて大谷さんに「違う」って言われるのも怖いですけど(笑)。

『氷の世界』は日本初のミリオン・セラー・アルバムですからね。むしろ、僕は『あやしい夜をまって』(1981)とか『LION & PELICAN』(1982)なんかに入っている、EP4の川島裕二がアレンジした楽曲のヤバさに近い感覚を入江さんの音楽に感じるんですが。

入江:川島裕二ってバナナさんのことですよね? 大好きです! あと、今回、エンジニアの中村さんと80年代っぽい音にしたいって相談する中で、リアルにそれを目指せる機材がスタジオに増えていったんです。そのおかげで、本格的な80年代の音になったのかもしれないですね。あの頃の陽水のアルバムはいま聴くといい意味でうさん臭いというか……。

ポピュラーな例として挙げましたけど、実際はいちばん売れていなかった時期ですしね(笑)。

入江:あとすごくバブル感がするというか。ぼく世代の耳で聴くと新鮮だと思うんですけどね。

僕もよく知らなかったんですが、DJのクリスタル(Traks Boys/(((さらうんど)))/Jintana & Emeralds.)と呑んでいるときに、川島裕二がアレンジした「背中まで45分」を聴かせてもらい、ぶっ飛ばされて、中古レコードを買い集めるようになりました。べつに狙ったわけじゃないんですが、さっきも〈レコファン〉で……(87年のアルバム『Negative』のレコードを取り出す)。

入江:あー、これはいちばんすごいジャケの! タイトルも酷いですよね。売れる気がない。

この後に“少年時代”(1990)が出て、世間的には復活するというか。いや、セルフ・カヴァー集の『9.5カラット』(1984)なんかは売れたのか。

入江:べつにインディ感が嫌いとかではないんですけど、自分の声でやる場合にはエセ商業感があったほうがおもしろいんじゃないかとは思っていまして。

ポピュラーな音楽が好きというよりは、ポピュラーな音楽の中で実験的なことをやってしまったがゆえに、商業的には失敗してしまったものが好き、とか?

入江:僕がお金がかかっている感の音楽をやったらおもしろそうだなと。

あるいは、日本のインディ・ポップでは、何年も前から「シティ・ポップ」がキーワードのひとつになってますけど、入江さんの音楽からはむしろ「ニュー・ミュージック」を感じます。

入江:たしかにシティ・ポップ感はないですよね。

かつてのシティ・ポップもいまのシティ・ポップも架空の都市を歌っているというか、言い換えると土着性から逃れようとするものだと思うんですけど、入江陽の場合、海外の音楽を参照していても、どこか土着的な感じがするからそう思うんですかね。

入江:あと、シティ・ポップの歌詞は風景描写的だったり、BGMとしての機能も重要だと思うのですが、僕の場合、必ずしもそういう感じではないですよね。









入江陽

SF


Pヴァイン


Tower
HMV
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そういえば、『SF』をつくりはじめた際にどうして「80年代」をテーマにしようと思ったんですか?

入江:4つ打ちと8ビートが多いので80年代っぽい音が合うんじゃないかと。あと、アレンジを70年代っぽくしてしまうと、僕の声だと完全に渋くなってしまう予感がするので(笑)。

さっきのブラック・ミュージックの話にも通じるんですけれども、今年はラップもかなり聴いたので、憧れを強めていて。

インディ云々の話を蒸し返すと、『仕事』は決して孤高の作品というわけではなくて。昨年の日本のインディ・ロックでは、ブラック・ミュージックの要素をいかにして取り入れるかということがある種のトレンドになりましたよね。そういった作品を聴いたりはしました?

入江:Suchmos(サチモス)とか普通にかっこいいと思いました(笑)。

入江陽とは真逆のスタイリッシュな音楽ですよね(笑)。

入江:なんというか、そういう流れのものも聴いてはいるんです。でも、意識すると変になってしまいそうなので……。作り手それぞれがあまり意識しあわずに、その時どきで好きなことをやったほうが、自然な流れが生まれておもしろくなると思うんです。だから、今回もその流れをそこまで意識したわけではないですね。ただ、やっぱり自分の声はブラック・ミュージックっぽいんだなとか、リズムの揺らし方とかがネオ・ソウルっぽいんだなということは再確認したんですけど。

『仕事』はある意味で大谷さんとの共作だったわけですし、ポスト・Jディラ的なビートをどう消化するかという問題意識は、JAZZ DOMMUNISTERSの延長線上にあるとも言えると思うんですよね。一方、『SF』は大谷さんのプロデュースがなくなった分、入江さんがもともと持っていたニュー・ミュージック感がより強く出たとか?

入江:ニューミュージック感はファーストの『水』にも少しあると思うので、それは言われて腑に落ちるところはあります。

『探偵物語』を聴いたときにそう思いましたね。実際、「夏の終わりのハーモニー」(井上陽水・安全地帯、1986)のカヴァーも入ってますが。

入江:butajiくんの声質も、往年の何かを感じるというか。カラオケ感があまりなくて歌手っぽいというか。上手いというよりも歌い上げているところが自分とは近いのかなと。

そういえば、先程、井上陽水のように歌詞を書きたいと言っていましたが、今作の作詞は井上陽水とラップのライミングが合流したような感じがあります。

入江:さっきのブラック・ミュージックの話にも通じるんですけれども、今年はラップもかなり聴いたので、憧れを強めていて。

いまって、歌とラップの境目がどんどん曖昧になってきていて。ヤング・サグとかフェティ・ワップとか。

入江:そうですよね。ラップのひとたちが歌っぽくなっていたりして。「ポストラップ」とおっしゃっていたのが個人的にはすごくしっくりきました。

僕がラジオで入江さんの作詞を「ポストロックならぬポストラップ的だ」と評したことですかね。補足しておくと、もともと、「ポストラップ」という言葉を使い出したのは岡田利規で、彼がラッパーの動きを拡張するというテーマでSOCCERBOYに振り付けをした公演のタイトルだったんです。それに対して、僕は、現在、もっとも影響力のある表現はラップで、むしろ、他の表現はそれによって拡張されているのではないかと、岡田さんの意図を反転させた意味で「ポストラップ」という言葉を使い出したんですね。いまの話だと、入江さんもラップはけっこう聴いていると。

入江:そうですね。

『仕事』にOMSBが参加していたのは、大谷さんの人脈ですよね。それがきっかけで聴き出したという感じですか?

入江:それもありつつ、もともと、SIMI LABも聴いていて、最近だとRAU DEFさんの新譜がすごくかっこよくて。あとは5lackさんPUNPEEさん兄弟とかへの憧れが強くて、今回も韻を踏む方向に……(笑)。

ただ、実際にがっつりタッグを組むのは粗悪ビーツのようなオルタナティヴな存在という。

入江:なんというか、ぼくが正統派のヒップホップを意識しすぎずに、そこまで堅い韻を意識しすぎずに、勘で作ったほうがおもしろい面もある気がします。個人の中の誤訳というか。そういう部分は粗悪ビーツさんに、個人的には共鳴します。

作詞は即興ですか?

入江:そうですね。ことばを発音して作るというか。前はもう少し書いていたんですけどね。語感を重視するようになりましたね。

まさに「ポストラップ」だと思うんですけど、ポップスだと思って聴いているものがヒップホップだったりとか、そこの境目が曖昧というか。

ただ、入江陽の音楽に関して、「すごくいいんだけど、歌詞はどうなんだろう?」という意見をちらほらと見聞きするんですよね。僕もそれについては思うところがあって。たとえば、ポストラップ的な側面でいうと、入江さんはまだライミングすることを面白がっている段階であって……井上陽水と比べるのも何ですけど、彼のようにライミングの連なりから新たなイメージを生み出すまでには至っていない曲が多いように感じます。実際、前作のインタヴューでは歌詞を重要視していない、考えないでつくっていると言っていましたよね。

入江:その発言の意図は、意味が成り立っている文章をつくることにはこだわらず、いろいろな言葉を並べて聞いたときに、全体として、何か不思議な印象、面白い印象があるものをつくりたかったというか。あとは、無意識に浮かんでくる言葉を尊重している部分もあります。

今回の歌詞では、“わがまま”がいいと思いました。入江さんの歌詞には一貫して、歪な恋愛みたいなテーマがあると思うんですけど、それがいままでになくはっきりと描けているなと。

入江:ありがとうございます。先程言ったように、以前は何か特定の印象を与えることを恐れていた感じはあって、それでおそらくはぼんやりしていたんだと思います。

「シュール」って言われがちじゃないですか?

入江:「シュール」だけだと、伝わっていないところがあると今回は思いました。それで“わがまま”は情報を絞って、かなりはっきりとイメージを伝えようとしたというか。

作詞をする上での恥ずかしさみたいなものが消えた?

入江:それもありますね。あとは、曲によって言葉遊びの量を変えた部分もあります。“STAR WARS”とか“悪魔のガム”は、恋愛とか金とか、ぼんやりとしたテーマはありつつも、意味よりはことば遊びを重視しています。

なるほど。そして、ラップからの影響も大きいと。

入江:かなりありますね。あるというか、意識しなくても入っちゃっている感じがして。まさに「ポストラップ」だと思うんですけど、ポップスだと思って聴いているものがヒップホップだったりとか、そこの境目が曖昧というか。

そういえば、以前、『仕事』のあとに、次はどういう作品をつくるのかと訊いたら、ラップのひとたちと一緒にやりたいみたいなことを言っていたような。

入江:もしかしたら粗悪さんといっしょに、もう少しいろんな方とやろうとしていたのかもしれません。

粗悪ビーツのDJで、ラッパーのマイクリレーに混じって入江さんが「金貸せ~」みたいなことを歌う未発表曲がかかっていて、かなりインパクトがありました。

入江:あれは“4万貸せ”って曲なんですけど、ラッパーのなかに混じってしまったときにああなってしまった結果が楽しいというか。

粗悪さんからいきなりメールがきて、「入江さん、今後のテーマが決まりました。今後は哀愁です」って(笑)。

粗悪ビーツとの共作は今後も続けていくんですか?

入江:はい。今も新曲をつくっていて、今後もいっしょにつくっていこうと思います。

何かひとつにまとめることも考えている?

入江:ぼくも粗悪さんも曲が多いタイプというか、わりとサクサク、悪くいえば雑にできる方なので、まとまってできる予感もかなりありますね。いまのところ“心のみかん”という、“薄いサラミ”のシリーズを作っています(笑)。

そういえば、どうして、入江さんの歌詞のモチーフは食べ物が多いんですか?

入江:それは完全に自覚したんですけど、好きだからですね。前は自覚がなかったんですけど、今回、作詞していたら食べ物がどんどん出てきて。口ずさみながら作ると、ふだん言っていることばが出てきてしまうというか。でも、グルメなわけじゃなくて、粗悪さん同様にジャンクなものが好きなんですけど。

粗悪ビーツがSNSに写真を上げてる粗悪飯ですね。あれはジャンクを通り越してハードボイルドというか。自宅でインタヴューをした時につくってくれたんですけど、100円ショップで買った包丁とまな板で、安売りの豚肉とネギを床に屈んだまま刻んで、煮込んだだけのものが鍋ごと出てきて。酒は発泡酒とキンキンに冷やしたスミノフでした。

入江:粗悪さんは計算してやっている部分もあるけど、天然でやっている部分もありますよね(笑)。



沈黙の羊たちの沈黙 feat.DEKISHI, OUTRAGE BEYOND, onnen, 入江陽

[prod by soakubeats]



彼のつくるトラップにはブルースを感じるんですよね。トラップが好きになったのは、ブラック企業で働いていたときにあのトリップ感が辛さを忘れさせてくれたからだって言ってて。

入江:哀愁があってそこが歌謡曲っぽいというか。いきなりメールがきて、「入江さん、今後のテーマが決まりました。今後は哀愁です」って(笑)。前からそうでしょ! って思いましたけど。

入江さんにとってラップ・ミュージックはどういうものですか? 自分からは遠い音楽という感じ?

入江:音楽好きとして音楽を聴いてしまうところがあって、ヒップホップを聴いていても感動するのは、本人のリアルなストーリーよりもライムの技術とかです。ヒップホップも黒人さんたちから生まれた高度なリズムの芸術だと感じていて、それを日本人がぼやかしたらこうなったというか。なので、クラシックと同じ耳で聴いてしまうところがあって。

ゴシップやゲームを面白がるのではなく、あくまでも音楽を聴いているのだと。

入江:もちろん実話やらのストーリーに感動することもありますし、興味も無くはないんですけど、どちらかというと音楽的な技術の部分に興味がある感じですね。

揺らぎのリズムが好きすぎるので、全体としてはあえて回避したところはありますね。なので反動でいまは揺らいだものがやりたいです(笑)。

『SF』のトラックには、さまざまなダンス・ミュージックの影響が感じられるという話をしましたが、入江さん自身もそういったものは聴いているんでしょうか?

入江:勉強しようと思ったんですけど今回の制作には間に合わずで、ぜんぜん知らないです(笑)。トラックのジャンルが何かわからないのに、聴いてダメ出しをするというか。

トラックメイカーと共作する上で、やり取りの往復はあった?

入江:かなりありましたね。

結果、「グライム歌謡」といってもグライムをそのままトレースしたようにはなっていないというか。

入江:恐らく“悪魔のガム”の耶麻さんのトラックはグライムを意識していると思うんですけど、ミックスの段階ではグライムであることを無視して、歌モノとしてどう聴こえるかという点を重視しましたからね。そういう意味では、今回、音楽の細かいジャンルへの意識は弱いかもしれないです。むしろ、歌モノとしてどう聴こえるか、への意識が強いです。

『仕事』では、大谷さんがヒップホップだったりR&Bだったりを意識していたと思うんですけど。

入江:ちょっと共通していると思うのは、大谷さんもR&Bを参照しつつも、結局、歌モノとしてどう響いているかを意識しているような気がするんです。

一方で、大谷さんとの趣味の違いも感じるなと。〈OTO〉でライヴがあった時、彼と話していたら、DJがかけているEDMっぽいトラップに対して、「オレは頭打ちの音楽がダメだから、こういう今っぽいヒップホップが苦手で」みたいなことを言っていて。

入江:でも、この前〈リキッドルーム〉で、「現場でデカい音で聴けばなんでも最高だ!」って言ってましたよね(笑)。

いい加減だな(笑)。

入江:けっこう共感しましたけどね(笑)。

ただ、大谷さんから入江さんにプロデュースが移ったことによって、やはり、リズムの感覚は変わったんじゃないですかね。もちろん、『仕事』を引き継ぐような揺らいでいるトラックもありますが。

入江:“おひっこし”ですかね。揺らぎのリズムが好きすぎるので、全体としてはあえて回避したところはありますね。なので反動でいまは揺らいだものがやりたいです(笑)。

オープニングの“わがまま”とかアッパーな4つ打ちですもんね。

入江:そうですね。“わがまま”についてはBPM150以上というのが自分のテーマだったので。


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シンガー然として入り込んで歌うわけではなく、むしろ……ぜんぜん入り込めないというか。だから、歌っている自分につねに違和感を感じていますね。

弾き語りではなくハンドマイクで歌うことには慣れてきましたか?

入江:最初よりは慣れてきましたね。2月、3月のレコ発ではもっと慣れた姿を見せられるかと思います(笑)。だいぶ楽しめる感じにはなってきました。

入江さんはキャリアの途中でシンガーになったわけじゃないですか。先程、ポピュラーなものを目指しつつ、隠しきれないオルタナティヴさがあるという話をしましたけど、実際、ナチュラル・ボーン・シンガーというわけではない。歌がすごくうまいので、ついそう思ってしまうのですが。

入江:楽器ばかりやっていたので、本当は楽器だけでやりたいんですけど、歌ったときのほうが反応がよかったので、そこは需要に合わせていこうと。自己啓発本的に言うと「置かれた場所で咲きなさい」的な(笑)。好きなことより、需要があることをしなさいという。そういう感じでやっているので、シンガー然として入り込んで歌うわけではなく、むしろ……問題かもしれないですけど、ぜんぜん入り込めないというか。だから、歌っている自分につねに違和感を感じていますね。

内面を掘り下げたり、文学性にこだわるのではなく、ライミングで遊びながら歌詞をつくるのもそういった理由からですか?

入江:それはありますね。自分の歌い方で超シリアスな歌詞だと聴いていられないというか(笑)。「歌は本格的なのに、歌詞にはこんなのが入っているの?」っていうのが楽しいというか。

でも、リスナーとしてはディアンジェロみたいなオーセンティックなものも好きなんですよね?

入江:たしかに矛盾してますね。でも、ディアンジェロみたいになりたかったら筋トレをしているハズですし(笑)。正直、ブラック・ミュージックはそんなに掘っていないというか。ディアンジェロは本当に好きだけど、ブートまでチェックしたりというわけではなくて、ある曲のある部分の展開が好きという感じなので。……よくも悪くも浅く広くが好きなところがあって。ラップもそうですし。

ラップに関して言うと、昨年、菊地成孔さんに歌詞についてのインタヴューをした時、「ポップスとラップは言葉の数が一番の違いですよね。僕が目指すのはその二つを融合していくことで、ポップスにおける歌のフローや音程が、ラッパーのライムと同じくらいの細かさで動いていくということが、ネクスト・レベルじゃないかなと思っているんです。今のポップスのメロディって変化が大らかじゃないですか。でも、ラップのフローはもっと細かいですよね。で、ジャズのアドリブなんかも細かいわけで、ああいう感じでラップにもうちょっと音程がついたものというか……そうやって歌えるヴォーカリスト、そうやって作詞できるソングライターがこれから出てくるんじゃないかと」と言っていました(SPACE SHOWER BOOKS、『新しい音楽とことば』より)。入江さんの歌はそれに近いというか、最近のラップが歌に寄っていく一方で、入江さんの場合は歌からラップへと寄っていっていますよね。

入江:それは自覚的にしていたところはありますね。

それは、やはり、ラップが構造的に見ておもしろいから?

入江:構造や技術に興味があるのはその通りですね。今後はルーツというか、自分がどういう音楽が好きだからどんな音楽をやるのか、ということにも取り組みたいんです。でも、『SF』に関しては「そのときに思いついたこと」という美学でやっていました。無意識的に生じているものの方に可能性を感じているというか。

ルーツは、じつはクラシックが大きいですね。

では、自身のルーツは何だと思いますか?

入江:ルーツは、じつはクラシックが大きいですね。大学のアマチュア・オーケストラでオーボエを吹いていましたから。ただ、それを歌で掘っていっても、“千の風になって”みたいになってしまうので避けたいなと(笑)。

アルバムは打ち込みが中心ですが、オーケストラを使ってみたいと思ったりもする?

入江:生楽器のアンサンブルを使いたいとは思いますね。『SF』の反動でいま聴いているものがキップ・ハンラハンとかなんです。

キップ・ハンラハン! 意外ですけど、いいですね。ちなみに、現在、バンドはサックスやトラックに大谷さん、ギターに小杉岳さん、ベースに吉良憲一さん、ドラムスに藤巻鉄郎さん、キーボードに別所和洋さんというメンバーですが、それは固定?

入江:しばらくはあのメンバーでやっていこうと思っています。編成にウッドベースとトラックが入っているので、生感と生じゃない感が混じるのがおもしろいなと。

ライヴ盤の制作は考えていないんでしょうか?

入江:それはちょっと考えています。いまのバンドは、メンバー全員、ジャンルの出自が少しずつズレていて。たとえばドラムとウッドベースの2人はジャズやポストロックなんですけど、ギターの小杉くんはロックしか弾けないので、全体のアンサンブルとしてはジャズへいけないっていう縛りがあるんです。逆にあんまりロックの方にもいけないので、そこらへんがおもしろいんです。あと、大谷さんのリズムのクセがすごく強いので、それがバンドに必ず入ってくるっていうか。みんな器用なのか不器用なのかわからないキャラクターというか(笑)。

『SF』にはさまざまなタイプの楽曲が入っていますけど、考えてみると、butajiや粗悪ビーツとのコラボレーション、そして、バンドと、それぞれ、試みとしてベクトルがバラバラですよね。ヴォーカルが強いのでどれも入江陽の歌になっているんですが。

入江:悪いことばしか出てこないんですけど、「浅く広く」とか「飽きっぽい」とか「ミーハー」な部分が自分にはすごくあるんです。

共作が好きなんですか?

入江:好きですね。

『SF』のつくり方もそうですが、「入江陽と○○○」みたいな名義がこんなに次々と出るシンガーソングライターも珍しいなと。

入江:「入江陽と○○○」はシリーズ化したいと考えてますね。他のシンガーソングライターのみなさんの性格って、もっと一貫性があって内省的だと思うんですけど、ぼくはぜんぜん違って。飽きっぽくて、いろんなひととやってみたいというか。あんまり自分と向き合うタイプではない。ただ、今回、歌詞に関してはゲストなしで、自分で書いてみました。だからといって私小説的なアルバムなわけではないですけどね。

先程から、内面を掘り下げることに興味がないというような発言が多いですね。

入江:それが強いんですが、今後は内面を掘り下げていこうと思っていて。

「今後は内面を掘り下げていこうと思っていて」って、自然じゃない感じがありありですね(笑)。

入江:そこが他のシンガーソングライターと違いますよね(笑)。リスナーとして聴いたときに、泣き言的なものが出てくるのが個人的に苦手なんです。もっと楽しませてほしいというか。私小説的なアルバムもいつかは作ってみたいですけどね。

私小説的なアルバムもいつかは作ってみたいですけどね。

地元の新大久保について書いてみたり?

入江:新大久保のストリートについて(笑)。やっぱり住んでいると色々と思うことがあるので、そういうことに関しては書いてみたいですね。

ただ、現状でも、入江さんの歌に漂う猥雑さみたいなものからは、何となく新大久保の雰囲気が感じられます。

入江:それはすごく影響している気がしますね。発砲事件があったりとか、ビルからひとが落ちてきたりとか、そういうことを何度か体験したので。僕自身はリアルに治安が悪いところに住んでいたわけじゃなくて、ぜんぜん安全なところに暮らしていましたけど、それでも垣間見えたことはすごくありましたからね。

最近の新大久保は綺麗ですけど、ぼくは20歳くらいのときに、駅から大久保通り沿いをちょっと行ったところにある雑居ビルで出会い系サイトのサクラの仕事をやっていて。あの頃の街にはまだまだ猥雑な雰囲気が残っていて、いつもそれにあてられてげんなりしてました(笑)。

入江:マジっすか。ぼくはあの近くの喫茶シュベールとかの近くに防音室を見つけてしまって。

スタジオも新大久保なんですか?

入江:そうなんですよ。かつては世田谷に住んでいるひとに憧れていたので、「何で自分は新大久保に生まれたんだろう」と思ってたんですけど(笑)。汚いところではなくても、きれいなところでもないですからね。それで、飯田橋や神楽坂の方に住んでみたんですけど、ちょっと刺激が足りなくて。そんなときに新大久保にワンルームの防音室を発見したので戻ってきました。


嘘でもいいから、聴いている間はすごく景気がいいとか。そういうもののほうがいいかなと。

しかし、今回、お話をきいて、『仕事』のインタヴューで疑問を持った「ポピュラリティについてどう考えているのか」という部分に合点がいきました。もちろん、ポピュラリティど真ん中の音楽を目指してはいるものの、まるでディラのビートのようにズレが生まれてしまう。それこそが入江陽の面白さなんだと。

入江:ぼくにとってポピュラリティのあるものが好きというのは愛嬌みたいなもので、それがないと遊び心は生まれないような気がして。実際には、ポピュラリティのある音楽というと「多くのひとに聴かれている~」って意味ですよね。だから、言葉のチョイスが間違っていたのかもしれないです。

また、内省的な表現に距離を置いてきたというのもなるほどなと。そこでも、洒落っ気だったり、はぐらかしが重要で。

入江:私小説的なものやシリアスなものを避けてきたというよりは、フィクションだったり愛嬌のあるものにどちらかというと興味があるというか。嘘でもいいから、聴いている間はすごく景気がいいとか。そういうもののほうがいいかなと。あと、かわいいものが好きなのかもしれません。最近も思いつきでDSを買ってポケモンをやっているくらいなので(笑)。気持ち悪いかもしれませんが、喫茶店でプリンとかがあったら絶対に頼むみたいな。今回の歌詞にしても、かわいい物好きの面が出ているんじゃないでしょうか。

……そうでしょうか?(笑)

入江:「カステラ」って言うだけでもかわいいなって(笑)。自分がかわいくなりたいというわけではなくて……一概に言うのは難しいんですけど。

ポピュラリティのあるものを目指して金をかけたのに失敗してしまったものが面白い、と気付いたのも収穫でした。

入江:そこに感じているのも愛嬌であって。あるいは、成功しているものでも……。たとえば、ダフト・パンクとかも好きなんです。音楽的にあれだけ高度なのに、一貫してエンタメで。ジャケからアー写からすごく遊び心がありますし、サービス精神を感じる。そういう心の豊かさに惹かれるんです。相手への思いやりを持つ余裕を感じるというか。変な言い方ですけど(笑)。

(笑)。まぁ、余裕がない時代ですからね。

入江:そうかもしれません。

音楽メディアの年間チャートを総嘗めにしたケンドリック・ラマーのアルバムなんかも、メッセージにしてもラップのスタイルにしてもまったく抜きがないところが、現在を象徴しているのかもしれません。一方で、そういったチャートにはまったく出てこないフェティ・ワップみたいな緩いラップも売れているんですが、音楽好きはシリアスだったり密度が濃かったりするものを評価しがちで。

入江:リスナーとしてはシリアスなものも好きですが、自分がつくる場合は、どちらかというと愛嬌がある表現の方が得意かもしれません。以前、女性シンガーソングライターの作詞の仕事を引き受けたことがあって、そのひとがすごくシリアスなひとだったんですよね。厳しい環境で育って、親子関係でも苦労して……みたいな。で、彼女の曲の作詞を偽名でやってほしいと。それがぜんぜんできなくて。すぐにふざけたくなっちゃうんです(笑)。それは自分の出自がおめでたいというのもあるのかもしれないんですけど、実際にツラいひとにツラいものを聴かせても……って思ってしまうというか。

その話を訊くと、入江さんの歌詞の、ダジャレのようなライミングの印象も変わってきますね。

入江:それはよかったです。本当にダジャレはくすっと笑ってほしいくらいの感じなので(笑)。

まとめると、前作『仕事』は比較的曲調に統一感があったからこそ、今回の『SF』はカラフルなつくりにしてみた。それは、変化したというよりは、対になっているような感じだと。

入江:そうですね。今作のような内容「だけが」やりたかったわけではなくて、これ「も」やりたかった感じです。

ただ、ポリュラリティという観点から考えると進化だと思いますし、売れるんじゃないでしょうか。

入江:そうなるとうれしいです(笑)。

入江陽 - UFO (Lyric Video)



UFO(live)/入江陽バンド@渋谷WWW



入江陽 "SF" Release Tour 2016

【京都公演】
2016年2月6日(土) @ 京都UrBANGUILD
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV ¥2,800(+1D) / DOOR ¥3,300(+1D)
w/ 山本精一、もぐらが一周するまで、本日休演

【名古屋公演】
2016年2月7日(日) @ 名古屋今池TOKUZO
OPEN 18:00 / START 19:00
ADV ¥2,300(+1D) / DOOR ¥2,800(+1D)
w/ 角田波健太波バンド(角田健太(vo.g)、服部将典(ba)、渡邉久範(dr)、j­r(sax)、tomoyo(vo.key) )
※角田波健太波バンド「Rele」入江陽「SF」ダブルレコ発

【東京公演】
2016年3月30日(水) @ 渋谷WWW
OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥2,800(+1D) / DOOR ¥3,300(+1D)

interview with KILLahBEEN - ele-king

 KILLahBEENのライヴを体験した事があるだろうか?

「理屈は誰にでも振り回せる
切れる刃物だからリアル重んじる」
アルバム『夜襲』収録 "2014"


KILLahBEEN
夜襲

APOLLO REC

Hip Hop

Amazon

 バッチバチの言葉が舞う。ファースト・アルバム『公開』リリースの数年前に出会ったKILLahBEENは、アンダーグラウンドでは知らなければならない人物のひとりだった。初めて池袋bedで見たそのライヴはMCも含め、圧倒的以外の何ものでもなかった。
 ONE-LAWやKING104、そして何よりもBLYYの導きによって出会ったKILLahBEENは、厳格でいて、人のことをしっかりと見るMCだった。徹底的な現場主義という言葉通り、20年近いキャリアのなかでリリースした作品は2枚のアルバムと客演作品。彼はライヴでその名前を知らしめて来た。
 ファーストの『公開』から3年、約1年のライヴをやらない期間を経て、セカンド・アルバムとなる『夜襲』をリリース。この作品は、CLUBでのDJプレイやEATやGUINESSといったアーティストへのトラック提供やプロデュースを手掛け、2014年にEP「CIRKLE」をリリースしているNOZによるサポートがあって完成したとも聞いた。そんな事情もあって、取材にはNOZにも同席してもらった。
 このインタヴューが鋭利な言葉と音の裏側への手がかりになれば嬉しく思う。

DISPECT

いまでも若い頃見たZEEBRAになりたい。初めて誰かになりたいと思わされ、衝撃的だったあの日のZEEBRAになりたいと思ってる。これまではフロアーと向き合ったライヴという音楽それだけだった。

自己紹介をお願いします。

KILLahBEEN:KILLahBEENです。ラップを始めて20年です。ソロでは3年前にアルバム『公開』とその前にMIX CD『公開前』をリリース。昔にWAQWADOM ( KILLah BEEN / CASPER ACE / COBA 5000 / 本田Qによるグループ。2007年に出したアルバムはアンダーグラウンドクラッシックとヘッズ/アーティスト双方からの大きな支持を受けている。)でアルバムを1枚リリースしてます。

NOZ:NOZです。2014年の5月にEP 「CIRKLE"」 ( febbや仙人掌等が参加したEP。AKIYAHEADとDMJを迎えた“MICHI"は是非とも聴いて欲しい)をリリースしました。その前にEATの"THE EAT" ( EATは最近ではRYKEYのセカンド・アルバムやCENJUのファースト・アルバムに客演でも参加したNOZとは同郷の青森の怪人ラッパー )、GUINESSのアルバム『ME AND THE PAPES』の制作に関わってます。

EATのアルバムも制作にも関わってるんですね

N:がっつりっていう形ではないですが、何だかんだで関わってますね。

今回、NOZがKILLaHBEENのアルバムの制作面をサポートするっていうのはどういった経緯からですか?

K:俺はライヴばっかりじゃん。レコーディングに向けての姿勢とかマイクとの向き合い方とかイマイチわかってなくてさ。ライヴでフロアーしか相手にして来てないから。そこでひとり、楽曲制作の時にその辺示唆してくれる人が欲しくて。一度きりのライヴじゃなく、ずっとこの先残っていく楽曲を作る際、「今のバース良かったけど、ここをもうちょい」とか「もう一回」とか、そういう感じで指示出ししてもらったりでアルバムを完成させた。BIGGIEで言うところのPUFF DADDYみたいな感じの。

監修的なプロデュースですね。それってどちらからオファーしたんですが?

K:元々NOZがビートをやりたいって言ってくれて、1曲作った時点で自分っぽくないからもう1曲やらせてくれって、それでアルバムには2曲入れてるんだけど。まあ、両方ともNOZらしくないビートなんだけど(笑)。2曲作ってるし、普段も音楽を聴き合う仲ってのもあって、やろうと。過去にもEATの作品のときにスタジオにお邪魔した際も、指示出しとかしてたのも知ってたから。録音に集中する為の環境を作ってもらってた感じだね。

トラック提供が先でプロデュースする流れになったんですね。じゃあ今回いちばん最初に作った曲はやはり。

K:NOZとの曲だね。まず家でプリプロって感じで録って。俺のレコーディングの仕方なんだけど人によっては1曲1曲間隔開けながらスタジオ入って、一定の期間を持って録っていくみたいなのもあると思うんだけど、俺はまず全曲プリプロしてみてアルバム全体像ハッキリさせた上で、2日とか3日で全曲いっきに録っちゃう。ドーンって。自分はそのやり方でしか録音したことないし、それで間に合ってるから。

アルバムの緊張感はそういう制作状況も影響してるんですね。前作はプロデューサー的な人はいたんですか?

K:前作では、レコーディングを手伝ってくれたエンジニアが意見するっていう場面はあったけど、プロデューサーってのはいなかったね。音のことだけじゃなく、音に向き合う姿勢というかそういう部分で共有し合える間柄では無かったんだよね。金に邪魔されてたカンジよ。

録音をしてる状態だとあまり厳しい意見とかは言わない事が多いですよね。

K:言えないんだろね。そういったこともあり、今回は友人で、音楽を共有し合える仲、厳しくも意見を言えるNOZってなったんだろうね。JAY-Zが「音楽に嘘付く奴をスタジオに入れるな」って感じのことを言ってて。そういうこと。

NOZの視点としてはどの様にKILLahBEENを捉えて作ったんですか?

N:根本的にはBEENさんが持ってくるトラックありきの制作のなかで意見を言うという感じですね。ファーストも聴いてるので、まったく新しいものを作り上げようというよりは、その延長線上のセカンドを作ろうと思いましたね。BEENさんの持ってきたもののなかから新しいBEENさんを作るというか。ラップの手法というか録音の仕方だったり、そういう部分について言わせてもらいましたね。自分の曲も含めて新しい事はやりたい。そういうのはあって、延長線上とは言ったんですが、BEENさんの内面も含めて新しいものを出したいと思って作りましたね。

プロデューサー視点からのこの作品の聴きどころはどこになりますか?

N:まったりして聴くというよりは攻めてるというか。ヒップホップ全体もそういうものだと思うんですけど。普段の生活で攻めてるというか。そういう人に聴いて欲しいっていうのはありますね。何かわからないけど戦ってる人というか(笑)。

K:リスナーと共有できる話。レペゼンって言葉も曲で言ったりしてるけど。最近本質がわかってきて、レペゼンってものが。誰しもわかる話というか、怖い人でも優しい人でも、男でも女でも人として分かち合える普遍的な道理を代表してラップすることがレペゼン。

地元だったりとか、そういった意味でのレペゼンとは違う?

K:まぁ地元にも反りが合わない奴とかいたりって考えてくと、それは絶対とは言えなくなるじゃない。レペゼンBROOKLYNとか言ってるのを真似するタイプじゃないし、俺は。レペゼンの本質は地域というよりコミュニティの中にあるし、何より人に有り。

地元っていう考え方だと矛盾抱えてますもんね。

K:うん。俺は生まれは東京、育ちは福岡で、NOZは青森じゃん。だけど、同じ街の知らない奴をレペゼンする前に隣に居る奴とのことをレペゼンする。そしたらもう地元=レペゼンって概念はそこですでに崩れているワケよ。そういった事実をこのアルバムの中にあちこち忍ばせてあるのね。リリックで"いざという時夢のデカさがものを言うからいつでもガムシャラ"って言ってるけど、夢をデカく持ってるといちいちヘコたれないし、愚痴も出ない、困難すらも夢の通り道だとすればヨシヨシって思えてくる。夢のサイズがデカいことで、レペゼンというものやHIP HOPってものをより大きく捉える事が出来ている。

その"夢"っていう具体的に言える範囲でありますか?

K:ZEEBRAになる(笑)。これねぇ、どっかの楽屋で言ったら 「まだ誰かになりたいわけ?」って言われたんだけどさ。でもいまでも若い頃見たZEEBRAになりたい。初めて誰かになりたいと思わされ、衝撃的だったあの日のZEEBRAになりたいと思ってる。これまではフロアと向き合ったライヴという音楽それだけだった。でも、作品をリリースする度に、携わってくれる人も増えて、ひとりじゃないって思えたことで必然とやりたいことのスケールも大きくなっている。

N:BEENさんもそうですけど、ビートメーカーというよりはプロデュースする形で関わる作品、仕事を増やして行きたいですね。いまは、形になってはいないすけど、水面下でいろいろと仕込んでますね。

K:NOZは人の見えないところでやってる。遊ぼうって連絡しても「今日は1日ビート作る気分で過ごしてるから無理です!」って言われることもよくある。この先もデカくありたいからその為にお互い長い目での運び方を知ってるんだろうね。前はライヴで派手に一期一会だったけど。今は一年間通して集中した生活をして、一年後に報われる瞬間をステージで迎えられるような。その為の我慢はもはや苦じゃなくなってるね。

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「お前がピンチなときこそ男を上げるチャンスなんだ」って。お金や地位といったものより、人種や性別などすら超えた根っこの部分。精神論なのかもしれないが、そういうものって息も長いし、いつの世にも存在しているものだから。


KILLahBEEN
夜襲

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以前に比べればだいぶライヴの本数は減ったと思うんですが、そのことはやはり影響してますか? MONSTER BOX ( 池袋のBEDで毎月第二金曜日に行われているアンダーグラウンドを代表するMC / DJによるイベント。今までのレギュラーを並べてみればどんなイベントか分かるので調べて欲しい)のレギュラーをやめたのが。

K:9ヶ月前かな。

ビートだったり今回のアルバムのプランはその前からあったと思うんですけど、実際レコーディングという意味での制作期間はライヴはやってないんですよね?

K:そうだね。たまたまなんだけど、月いちレギュラーでライヴやっててそれなりに責任感も出て来て。いままで人のイベント枠内でのレギュラー出演ってやったことがなくて。作品出してなかったけど、何時もゲスト・ライヴって枠内ばかりでここまで来たから。人のイベントのレギュラー出演するのって、実はMONSTER BOXが初めてだったんだよね。結局、途中で必要以上の責任を感じ出したりして、結果やめたんだけど。とくに制作に関しては……意識してないかな。

ライヴをやってるかやってないかはあまり影響してない?

K:影響はあると思う。俺さ、分かんない事は自分の友人や先輩、後輩とかに相談するわけよ。そうしたらファーストはやりたいようにやれと。やりたい放題作った。ただセカンドはどうしよう?って時、ペンは走ってるんだけど、まだ見ぬリスナーを想い制作に入れるようになったから、ライヴ感という事に関してはファーストよりかは感じにくいかもね。もっと、ガッチリ曲というかクラブ以外の場所でも聴ける音楽を意識してセカンドは出来た。

NOZの方ではどういうイメージでこのアルバム『夜襲』を捉えている?

N:曲にもよりますけど、水泳選手とかスタートする直前までイヤホンで聴いてるじゃないですか、そういうシュチュエーションですかね。一例ではありますけど。

K:ここ一番。そうだね。今回はいままで以上に身を削いだことから生まれた言葉を紡いで歌にしたから。自分が聞いても勇気が沸く音楽。ファーストから一貫して、ヒップホップは自分にとって勇気が湧く音楽なんだ。

そういうイメージで頭に浮かぶアーティストっていますか?

K:GZAとRAEKWONだね。このふたりのリリックはとくに勇気が湧く。「お前がピンチなときこそ男を上げるチャンスなんだ」って。お金や地位といったものより、人種や性別などすら超えた根っこの部分。精神論なのかもしれないが、そういうものって息も長いし、いつの世にも存在しているものだから。

そういうのって言葉にすると野暮になったり、しつこくなったりすることもあると思うんですよ。KILLahBEENのラップはしつこく聴こえない。

K:言葉って強制力が強いからクラッちゃうんだよね。視野が狭くなってしまいがち。だから自分はボカすではないけど、完全にこれとは言い切らないような表現を目指している。

この間のPV ( DISPECT )もラップしてる映像でっていうイメージでしたけど、ラップしてるイメージなんですよね。KILLahBEENのラップは。

K:昔仲間に言われてさ、「俺等は音楽のなかで生きてき過ぎた」って。でも、いまは「生活のなかから生まれてくる音楽」をやっていきたいんだ。そのあたりりがリリックに表れてる。あえて作品として作っていないというか。結局街のなかに転がってる話の延長にあるものというか。

スッとやってるイメージがありますね。

K:スッとしたラップを聴いたソイツのなかで熱くなったりすることはあっても、俺の熱さを全開で表現したからといってソイツの中で同等の熱さが芽生えるかというとそれは違うと思うんだ。

音楽はライヴでも音源でも外に出せば、最終的には聴く方に委ねられてると思うんです。

K:俺もリスナーに委ねている。だけど、発した言葉に責任はあって、だからこっちで最終決定したいっていう思いはいつもあるんだ。聴く側に強制する様な形じゃなくても伝わるんだよ普遍的なことは。まぁだからと言って委ねられても、「面倒臭いだろ。じゃ俺に委ねとけって」(笑)、主観的にこう思ってくれというよりは、自分も客観視できるひとりで、俺のことだけじゃなく誰もが思うだろうことを主に歌ってる。さっきも言ったけど、レペゼンだね。代弁、代表。俺のラップに答えがあるんじゃなくて、それを聴いた人が答えを見い出す。そういう余力のある作風に努めている。自分の理想だけだと100点満点までしかないから、101点以上のものを生むのにひとりで考えてないね。

昔仲間に言われてさ、「俺等は音楽のなかで生きてき過ぎた」って。でも、いまは「生活のなかから生まれてくる音楽」をやっていきたいんだ。そのあたりりがリリックに表れてる。あえて作品として作っていないというか。結局街のなかに転がってる話の延長にあるものというか。

NOZは聴いてる側に対してどういうスタンスで観てるんですか?

N:イメージ的には、重た過ぎるメッセージに関してのバランスは考えてて。

完成したアルバムを聴いたときには重いという印象はなかっですが。

K:作ってる途中、6曲くらいできたときに聴いてみたら凄く重たくて、NOZにも「お腹いっぱいです」って言われてさ。だから何か削るってワケじゃないが、その時点から少なからずアルバム全体像を意識して作ったね。

WAQWADAM(CASPERR ACE, 本田Q, COBA5000,GREENBEE,NOSYとKILLahBEENによるグループ)がfeatされてるけど、これはどういう意図で?

K:WAQWADAMは解散したって言われてるけど、ガキの頃からずっと一緒に育ってるみたいな。KILLahBEENなんかよりもグループは人気があるんだろうけどさ(笑)。ワクワダムには絶対的な支柱があって、いまも家族ぐるみで繋がってる関係だからさ。さっきの重くならないようにって話とも少し被るけど、featってどっかにあると華が出るじゃん。

alled ( BLYY ) がプロデュースしてる曲もalledの声をスクラッチで使ってるじゃないですか。そういう風に別の人の声が入ってるのが印象に残りました。

K:他の声が入るといっきに空気が変わる。昔からやりたかったんだよ。身内の声をそういう風に使うっていう。GANG STARRがGROUP HOMEでサビをコスってるのとかさ。そういうのがやりたくて意図して作ったんだ。DJ SHINJI ( BLYY ) にまず俺のラップ聞かせて後はalledのまだ世に出てない楽曲の中からお任せって丸投げした。あのスクラッチ収録もNOZの自宅兼スタジオにDJ SHINJIを招いて録ったんだよね。

アルバムはNOZのスタジオで録ってるんですか?

K:プリプロは全曲そうだけど本録に関しては別の場所。これまでほとんどライヴしかして来なかったから、レコーディング作業ってのをあまり分かってないのね、俺自身。

でもディスコグラフィーを見ると客演を含めるとかなりレコーディングしてますよね?

K:客演に関してもここ4年位での中の話だからね。

そうか、キャリアは20年でそこから見ると少ないですね。たしかに。

K:2016年で活動20年目になるそのうちの4年、まだわかってないよね。だからスタジオ行く時は今もド緊張する。

もっとトラック選びとかも含めプロデュースって考えてないですか?

K:今回、俺の魅せ方を分かってるNOZだったからこそ成し得たワケで。俺もビートとかには結構うるさいよ。

制作中にぶつかったりしなかったんですか?

K:今回は俺の持つアイデアを具現化していき、さらにアレンジを加え、肉付けしていくという立ち位置で作業したから。NOZはクラブDJで、新譜もCLASSICも知ってる。俺の周りの人間でここまで偏りなく音楽に執着している人間はいないね。そこが大きい。あとは、ラッパーとは違ったグルーヴ操作方法みたいなものを心得ているのがクラブDJ。ブレンドとかミックスがわかる人って、魅せ方わかってるんだよね。どんな良い絵も額縁や飾りどころが悪かったら絵は死んじゃう。その額縁選びに始まり、飾りどころをNOZを中心に繊細に練って実行した。示唆する存在があるとラップに集中できる。迷いがあったとて、良いものにしたい気持ちは一緒だったからNOZの意見やアイデアも取り込もうとする。

プロデューサーって日本だとあまり馴染みない感じもあるけど。そこって大切ですよね。

K:重要だし、可能性のあるポジション。NOZに妥協はない。

N:プロデューサーだとDJってついてても全く音作らない人とか普通に海外だといるじゃないですか。そういうかっこ良さというか。

たしかにプロデュースってそう言う感じですよね。

K:ファーストのビートは意外と身内感が強いけど、セカンドは人選の窓口は広がっている。NOZやDOPEY、MASS-HOLE、JUCOにしても。俺のなかでいまをときめくプロデューサー。知らない奴は知ってくれって意味も込めている。今回ビートメーカーのほとんどは、有りものビートから選んだわけじゃなく、自身のアルバムのために新たに用意してもらった。大先輩であるDJ YAS、SOUTHPAW CHOPもいて、そのなかでこれもある。俺がやれる立ち位置に居て、そこでやってること、やるべきことがビートからも滲み出ていることだろう。YAS氏も20年前、初めて福岡でDJしたときかな、朝方、牛丼食いに行こうっみたいになって、自分も「『証言』みたいなビートでいつかやってみたいです」って言ってた記憶があって。それから19年経ってひとつの夢が実現した。SOUTHPAW CHOP氏は「もう1回懲役行ったらやってやる」って言われたんだけど、「一回行ったらやるって話だったじゃないすか?」って流れでやってもらったんだよね(笑)。今回のはクレジット見たらある程度わかることあるじゃん、俺のスタンスを感じてもらえる作品となった。

では最後にアルバム『夜襲』を一言で言うと。

K:完全にお昼聴く音楽ではない、かな。俺が夜に襲うってイメージを持ってる人が多いと思うけど、俺も含め、夜巻き起こるグルーヴの渦に襲われるというか。

N:同じような感じになっちゃいますけどね。ファースト聴いた人にはまた違ったKILLahBEENの一面を見れるだろうし。初めての人には入りやすいKILLahBEENになってると思う。最新という表現とは違う、日本では希有な音楽だと思う。

K:数字は持ってないけど、人は持ってるぜ。アーィ!!

interview with Daughter - ele-king

 ヴォーカル、エレナ・トンラの話し声は、録音を再生してもういちどはっとするくらい美しかった。それは発言内容以上の雄弁であり、拾い物でさえあった。彼女たち自身が繰り返すように、テクスチャーがまず重要だという彼らの音楽にとって、まずなによりのテクスチャーはエレナの声かもしれない。暗く深い油彩の質感の中に、のびやかに溶け込み色をやわらげる白い絵具──。


Daughter - Daughter

Indie RockShoegazeDream Pop

Tower HMV Amazon iTunes

 コクトー・ツインズやバウハウスの上にくっきりと打ち立てられたレーベル・カラーを崩さないまま、21世紀に入ってますます鮮やかにそのキャラクターを深めている〈4AD〉。ディアハンターにアリエル・ピンクにセント・ヴィンセント、グライムス、それだけ眺めても、インディ・ロックを代表する面々が集められているというばかりでなく、はっきりとヴィジョンをもってリリースがなされているということがわかる。ドーターはとくに〈4AD〉のオリジンというか、コクトー・ツインズやディス・モータル・コイルの幽玄や耽美を直系とするようなユニットで、デビュー・アルバムも同レーベルから。2010年代の黎明、ジャングリーにトゥイー、ギター・ポップや新しく台頭したローファイ・アクトなど溌剌と明るい音が優勢なインディ・ロック・シーンの中に、ウォーペイントらとともに沈み込むような憂愁を刷いた。

 音楽オタク的なところはまったくないが、彼らには、彼らのなすべきことがはっきり見えているようだ。セカンドとなる今作『ノット・トゥ・ディサピアー』は、前作より大きく変化することもなく前作よりもはっきりとドーターの音の輪郭を濃くしている。そしてエレナのヴォーカルも相俟って、「ドーターっぽい」という形容を他のバンドにも用いることを可能にするだろう。
 〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉に出演するため来日していたドーターを訪ねた。

ドーター / Daughter
2010年にヴォーカルのエレナ・トンラを中心にロンドンで結成された3ピース・バンド。現在までに2枚の自主EPを発表。2012年、新人アーティスト発掘音楽フェスSXSWでのライヴが話題となり、英名門レーベル〈4AD〉と契約。翌年3月にデビュー・アルバム『イフ・ユー・リーヴ』をリリース。7月にはフジロックフェスティバル出演、つづけてその翌2月には〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉で来日を果たした。そして2016年1月、セカンド・アルバム『ノット・トゥ・ディサピアー』を発表する。

メロディがサウンドの中に隠れているような──それこそリヴァーブの感じも大好きなんだ。あとはディスト―ションからリズムを感じたりとかも。(イゴール・ヒーフェリ)

以前にインタヴューさせていただいたときには、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインをお聴きになったことがないとおっしゃっていました。その後お聴きになることはありましたか?

イゴール・ヒーフェリ(以下イゴール):衝撃的だったよ。フェスで観る機会もあったんだけど、本当に素晴らしかった。

レミ・アギレラ(以下レミ):ラウドだったね。

みなさんは、メディアなどでそうした音とよく比較されることがあると思うのですが、あらためて、なぜ自分たちが彼らと比較されるのかお考えになった部分はありますか?

イゴール:そうだな、影響されていると指摘されることは多いけど、比較という感じではないかな。自分の中ではそれほど影響を受けたり似ていたりするとは思わないんだ。ぜんぜんちがう音だよ。

では、人々はどんなところを指して影響されていると言うのだと思います?

エレナ・トンラ(以下エレナ):質感じゃないかって思います。リヴァーブだったりヴォーカルの質感、エフェクターの効果……そういうところかなって。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは偉大なバンドだから、比較されるのは素直にうれしいですね。

イゴール:僕も、彼らにかぎらずシューゲイジーな音っていうのはもともと好きで、メロディがサウンドの中に隠れているような──それこそリヴァーブの感じも大好きなんだ。あとはディスト―ションからリズムを感じたりとか。そういうところはあるんじゃないかと思う。

ドリーム・ポップとか「なんとかポップ」とか、みんな、わたしたちのことをとってもいろんな言葉を使って当てはめてくれていて、そのことをエンジョイしてるんです。(エレナ・トンラ)

みなさん若きギター・バンドでありながら、前作当時流行だったジャングリーなギター・ポップだったり、あるいは甘くて軽快な2ミニット・ポップだったりという方向にはまったく振れないですね。ポップ・シーンにあってけっして明るくならない、沈むような調子を保っているところがみなさんのかっこいいところでもあります。このあたりはどう考えていらっしゃいますか?

イゴール:僕は、自分たちがポップのシーンにいるとも思っていないし、ポップな曲を書こうと思っているわけでもないんだ。ただ好きなものをつくっているだけだから、努力してそうした状態を保っているという感じでもないしね。好きなことがやれて、それをみんなが受け入れてくれて、こうやって日本に来れたりしていることをとってもラッキーなことだと思っているよ。

エレナ:ドリーム・ポップとか「なんとかポップ」とか、みんな、わたしたちのことをとってもいろんな言葉を使って当てはめてくれていて、そのことをエンジョイしてるんです。それって、自分たちにどこにも属せない・属さない自由さがあるっていうことかなと思っていて。自分たちの好きなことをやりながら、そんな状態になっていることをうれしいと思っていますね。

一方で、今作には“ノー・ケア”という曲がありますが、あれなんかはバンドというフォームを超えて、表現の枠がどんどん広がっているような印象を受けます。

エレナ:ええ、たしかに他の曲ととてもちがいますよね。

そうですね、しかもバンドでできることを超えて発想されているというか。

レミ:自分たちの音楽のつくり方が自然にそうなっているということだと思うんだ。3人いることで可能性が広がっているから。たとえばエレナがギターとメロディ、それから歌詞をつくったりしている一方で、イゴールがいて僕がいていろんな組み合わせが生まれてくる。それは音楽の上でもパーソナリティの上でもそうなんだ。そこにエレクトロニックなものが組み合わさればまた広がっていく……自分たちにできることを最大限に生かして音をつくろうと思っているよ。それは僕たちにとってきわめて自然なことだね。

エレナがいてイゴールがいて僕がいて、いろんな組み合わせが生まれてくる。それは音楽の上でもパーソナリティの上でもそうなんだ。(レミ・アギレラ)

では思考実験として、あなたがたはギターも何も持たなくても、PC一台で音楽がつくれるという可能性もありますよね。でもそうしないでバンドというかたちを選択されているのはなぜなのか教えていただけますか?

イゴール:僕はギターだけど、ギターというのはそれこそ10代のころから慣れ親しんだ楽器で、演奏していて楽しいんだ。それに、エフェクトを使うことでさらに可能性も広がっていくし、テクスチャーをコントロールできる。シンセを使ったりソフトウェアを使ったりすることもできるんだけど、自分なりのサウンドをつくることができるのはギターかな。

その意味では〈4AD〉というレーベルはすごくあなたがたに合っていますね。ギターとその音のテクスチャーということについては歴史のあるレーベルだと思います。レーベルに対する思いを教えていただけますか?

エレナ:ギターのテクスチャーにかぎらず、いまの〈4AD〉は本当にさまざまなタイプの音が集まっていて素晴らしいレーベルです。でも昔の〈4AD〉ということで言えば、コクトー・ツインズなんかには自分たちに通じるものがあると言ってもらうこともあるし、自分たちでも影響を感じていますね。エレクトロニックなものにしろ、ギター・バンドにしろ──グライムスとかディアハンターとか──テクスチャーというものを重視しているレーベルだと思います。

〈4AD〉のサウンドを聴くと、思考というか思想というものを感じる。(イゴール)

イゴール:〈4AD〉は、ほんとによくサポートしてくれるレーベルで、プレッシャーというものがないんだ。繰り返すように、僕たちはテクスチャーやサウンドというものを重視しているけど、それについてもすべてのバンドが自分たちのスタイルというものを持っているから、〈4AD〉のサウンドを聴くと、思考というか思想というものを感じる。自分たちの主張ともいうべきものを自由に言える、表現できるということがこのレーベルの素晴らしいところだと思うよ。

ところで、イゴールとエレナは作曲を学校で学ばれているんでしたっけ?

イゴール:学校に行ったのはすごく大きなステップだったよ。僕はティーンエイジャーの頃からスイスでギターを弾いてきたんだけど、ロンドンに来てからは1年間、学校でソング・ライティングを学んだんだ。そこで作曲を学んだことがいまの自分たちのやりかたにそのまま通じるものかといえばそうではないんだけど、自分たちの使えるツールのひとつになっていることは間違いないよ。パーソナルなスタイルを作り上げるのは自分でやらなきゃいけないことで、それへのアプローチという意味では、必ずしも学校で習ったことばかりとはいえないかな。

なるほど。アルバムごとにいろんなテーマに取り組まれると思うんですが、一般にセカンド・アルバムはなかなか苦労や悩みの多いものだと言われます。あなたがたにとっては今回その意味でのプレッシャーや難しさはありましたか?

エレナ:その意識はあったんです。でも過剰な期待なんかはシャット・アウトして、そうしたプレッシャーを感じないようにしようと思いました。そして、すべての音の可能性に対してオープン・マインドであろう、って。それは自分たちの今回の目標でもあって、ヴォーカルにしろシンセにしろ、あらゆるアレンジを試して、いろんなことに挑戦したんです。3人の中でどんなふうに可能性に挑戦していくかということも大事な問題でしたし、「ドーター」っていうバンドの音を決めてしまっていたら、ここまでたどり着くことはできなかったと思います。

今回はスペースを借りたんです。だから何かアイディアを思いついたらすぐそこで試してみることができたし、みんなでそこに集まることもできた。(エレナ)

いろんなチャレンジがあるということですが、みんなでスタジオに入って考えるんですか?

イゴール:みんなで集まることもあれば、それぞれがアイディアを持ちよることもあるかな。

エレナ:今回はスペースを借りたんです。そこに楽器なんかを置いてもいるんだけど、ファーストのときはそういうことができなくてリヴィング・ルームを使っていたりしたから制限がありました。今回は、何かアイディアを思いついたらすぐそこで試してみることができたし、みんなでそこに集まることもできたから、3人のコラボレーションという感じのつくり方ができたんじゃないかなと思います。

なるほど。ではこのアルバムをつくっていた頃のことを思い浮かべていちばんに出てくる景色や様子を教えてもらえますか?

イゴール:すごく緊張感のあるプロセスだったんだ。1年かかって書きためたものを、2ヵ月半の間、同じ場所に籠って集中して仕上げたので(笑)。だから、詰め込みすぎたってことなのかな、2ヵ月半という時間が長い一日のようだったよ。

エレナ:山を登っていたようなイメージ。ひとりが転げ落ちそうになったら、誰かが「大丈夫? がんばろう」って言いながら支えて登る、という感じ(笑)。

ははは!

今回はかなり準備ができていたんだ。だから、なにかクラシックのコンサートみたいな感じかな。自分でたくさんのリハーサルをやっておいて、本番──レコーディングを迎えるっていう。(レミ)

エレナ:お互いにテストしあったりとか、簡単なことはぜんぜんなかったと思います。でもがんばって頂上に上ると、とっても美しい景色が待っていて。そこまでに行くのはとっても大変なんですけど……。

レミ:2ヵ月半のレコーディングに入る前に、今回はかなり準備ができていたんだ。少なくとも自分にとってはそうだったから、なにか、クラシックのコンサートみたいな感じかな。自分でたくさんのリハーサルをやっておいて、本番──レコーディングを迎えるっていう。ファーストのときは、曲がコンピュータに保存されたまま、それをどう演奏するかわからないままにスタジオに入ったりしていたけど今回はその意味で準備ができていたんだ。

では、サウンドの奥に自分が思い描いていた景色についてお訊ねしたいです。

なんだろう、ピンクと紫とブルーの、LAの空のイメージなんですけど……。(エレナ)

エレナ:“ニュー・ウェイズ”がいちばん最初に書いた作品なんですね。それで、この曲についてはロサンゼルスの夜をドライヴしているようなイメージがありました(笑)。

へえ! それはなぜです?

エレナ:なんだろう、ピンクと紫とブルーの、LAの空のイメージなんですけど……。サンセット。エレクトロニックなサウンドとオーガニックなサウンドが混じっていて、それの延長線上にあるイメージというか。

イゴール: LAはすごく暑くて、コンクリートの熱もあれば、僕らがそこにあるスタジオに行ったときが夏だったこともあって、本当に気温が高かったんだ。プロデューサーのニコラスはそこに住んでいたんだけど、屋根に上るとハドソン川から素晴らしい景色が見えたりして、そのコントラストが印象深くて……。LAという街自体がそう。海がありながら街もある、そういうものが混じったイメージかな。ファースト・アルバムはもっとランドスケープから影響を受けた、自然に近い音だったんだ。セカンドはもうちょっと都会的なものが入ってきて、それがエレクトロニックなものと結びついていると思うんだけど、やっぱりツアーで大きな街を回った要素があるかもしれない。東京とかロンドンとかニューヨークとかね。

なるほど、旅を音で記したようなところもあるわけですね。でも井戸水のように温度の変わらないところ、ドーターの美しいところを大事になさってください。

エレナ:ふふふ。ヒップホップにはならないと思います。

イゴール:そうだね(笑)。

adidas Originals presents STORMZY - ele-king

  現在、UKのオーバーグラウンドでも圧倒的な人気を誇っているグライム。そのなかでもっとも人気があると言っても過言ではないであろうMCのストームジーが、なんと明日東京で急遽来日公演を行う。XTCのグライム・クラシックにラップを乗せた動画が話題になり(動画の再生回数は2000万回を超えている)、同年のBETアワードではベスト・インターナショナル・アクトを受賞。今回の公演は、名実ともにシーンの先端をいくそのセンスを生で体感できる貴重なチャンスだ。DJアクトには先日のスウィンドルとフレイヴァDの来日公演でフロアを沸かせたハイパー・ジュースのハラ、昨年スラックを東京に招いたT.Rレディオのサカナとノダが出演する。

STORMZY [@STORMZY1] - SHUT UP

NORIO (RECORD SHOP rare groove) - ele-king

2015→2016→

 レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドがインド音楽、というと奇異に感じる人が多いのではないだろうか。でも、イギリスとインド音楽の関係にはじつは根深いものがある。そもそもインドは1947年に独立するまで長らくイギリスの植民地にあり、イギリスにはインド系移民が多い。イギリスのジャズ界にはジャマイカ系のミュージシャンがいるが、同じくインド系のミュージシャンも活躍してきた。1960年代に遡ると、ジャマイカ出身のジョー・ハリオットと「インド・ジャズ・フュージョンズ」という双頭ユニットを組んだヴァイオリン奏者のジョン・メイヤー、彼らとも共演するギタリストのアマンシオ・ダシルヴァがインド系では知られるところだ。1990年代半ばにはクラブ・ミュージック・シーンでもインド・ブームが起こり、タルヴィン・シン、ニティン・ソウニー、バッドマーシュ&シュリといったアーティストが登場してきた(彼らの場合、アジア全体を含めてUKエイジャンと目された)。フォー・テットのキーラン・ヘブデンもインドの血を引くし、もっと広げればスリランカ系のM.I.A.、両親がペルシャとインドのハーフだったフレディ・マーキュリーにも行き当たる。そして音楽に限らずインド文化やコミュニティが根付くおかげで、白人の中にもインド音楽に影響を受けるアーティストがいる。ジョン・マクラフリンはシャクティというインド人ミュージシャンを集めたユニットを結成し、ピーター・ガブリエルもワールド・ミュージックの範疇でインドやパキスタン系アーティストを紹介してきた。1960年代はジャズ界、ロック界含め全世界的にインド音楽のブームが訪れたのだが、そうした流れの中でビートルズ、レッド・ツェッペリン、ペンタングルのジョン・レンボーンなどがインド音楽を取り入れた代表格だ。

 こうして見ていくと、ジョニー・グリーンウッドの本作『ジュヌン』も決して突拍子のない作品ではない。本作が生まれたきっかけは、グリーンウッドがシャイ・ベンツルのライヴを観て感銘を受けたことにある。シャイ・ベンツルはインドとイスラエルを中心に活動するイスラエル人の作曲家で、本作の制作はインドのラジャスタンで行われた。コラボという体裁のアルバムだが、主要なスコアはベンツルが書き、それをインドの演奏家たちによるラジャスタン・エクスプレスが演奏している。ラジャスタン・エクスプレスにはシンガーたちがいて、普段は寺院で経典を歌っているそうだ。ほかのミュージシャンもイスラム教徒のコミュニティに属し、マハラジャやラジャスタンで宮廷音楽を演奏している。今回のレコーディングはそんな宮殿の一室で行われた。こうした中でグリーンウッドはギターの演奏と歌もとるが、それよりも編集作業を含めた制作全般という立場で参加している(プロデュースはナイジェル・ゴッドリッチが行う)。だから、楽曲や演奏そのものはインドの伝統音楽をなぞっており、インド音楽特有の音階やリズムに基づいている。グリーンウッドはそこで西欧のロック的なハーモニーやコード感を強要することはなく、シンガーたちも英語ではなく、ヒンディー語、ヘブライ語、ウルドゥー語を用いている。

インド音楽を尊重し、そのスケールに則ったアルバムというのが『ジュヌン』の基本だ。和声と最小限の楽器演奏による宮廷音楽風の“エロア”や“アフヴィ”“アゾヴ”がその象徴で、ここでは極力余計なギミックを用いていない。もちろん宮廷音楽だけではなく、“ジュヌン・ブラス”や“ジュラス”“モーデ”のブラス・アンサンブルは英国植民地時代の軍隊のブラス・バンドの名残りからくるように、インド音楽とイギリス音楽の融合も見られる。そして、表題曲はインドのリズムをジャズ・ロック風に解釈したような作品で、“ロケッド”ではフォー・テットのようなハウス調の打ち込みのビートを取り入れ、そこにエフェクティヴな加工を施したりと、グリーンウッドのアイデアも生かされている。グリーンウッドはミュージシャンたちの演奏をじっくり聴き、その中でベストなものを使い、みなのアイデアと自分のアイデアを取り混ぜていった。アンビエントな出だしから幻想的でサイケデリックな世界が広がる“カランダー”がそうした融合の成果で、フォークロアな3拍子の“アラー・エローヒム”はレディオヘッドとインド音楽を結ぶような作品である。イギリスにはジャイルス・ピーターソンのキューバ音楽企画のハバナ・カルチュラ、ブラジル音楽企画のソンゼイラ、英国とケニアの音楽交流企画のオウニー・シゴマ・バンド、デーモン・アルバーンがマリの音楽家と組んだマリ・ミュージック、コンゴ救済プロジェクトのDRCミュージックなど、民族音楽に取り組んだプロジェクトが多い。本作もそうした企画と同列に並べられる作品と言えるだろう。

Interview with METAFIVE - ele-king



質問:元をたどればここにいるO/S/Tの皆さんが……。

TOWA TEI:吸収合併されました。


META
METAFIVE

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 昨年、ele-king編集部からMETAFIVEの取材をオファーされたとき、ぼくが手にしていた情報は、歌詞やクレジットなどの記載が皆無なアルバムの音源と、高橋幸宏、TOWA TEI、小山田圭吾、砂原良徳、ゴンドウトモヒロ、LEO今井からなる6人編成のバンドであるという、この二点のみだった。
 何も考えずに音源を再生した瞬間から、1曲目“Don’t Move”のインパクトにまずやられ、2曲目“Luv U Tokio”の遊び心いっぱいの仕掛けに思わず笑みがこぼれ、収録された12曲をすべて聴き終えたあとの心地よい興奮は、期待をはるかに超えていた。
 その期待値の超えかたは、ジョージ・ミラー監督やジョルジオ・モロダーといった、老境に入って久しいはずの巨匠が放った破格のカムバック作(前者は30年ぶりのマッドマックス・シリーズ最新作『マッドマックス/怒りのデス・ロード』、後者はソロ名義としては30年ぶりのニュー・アルバム『Déjà vu』)から受けた衝撃や驚嘆、あるいはデヴィッド・ボウイが癌と闘いながら珠玉の復帰作『ザ・ネクスト・デイ』(13年)に続いて、彼らしく尖鋭的な新作『★(ブラックスター)』(16年)を遺し、鮮烈な印象とともにこの世を去ったことへの深い感動とはまた別の意味合いで、伊達に年齢を重ねていない者たちの底力がどれほどのものかを思い知らせてくれた痛快事であった。
 平均年齢47歳のMETAFIVEは、日本のみならず世界のポップ・ミュージック史に大きな足跡を残した偉大なるバンドのメンバーを含む、一騎当千のミュージシャンの集合体である。楽曲制作に関してはプロダクションからポスト・プロダクションまでの全工程を担えるプロデューサー集団でもあり、ヴィジュアルの表現にも長けている。各人各様の才能と個性が見事に融合したMETAFIVEには、キャリアを重ねた者が自己の可能性をさらに拡張するための叡智がそこかしこに散りばめられている。そして、その進化の秘訣は、「メタ」という本作のタイトルにも使われたキーワードに集約される。
 “meta-”はギリシャ語に由来する接頭辞で、「後続」;「変化・変成」;「超越」「高次の」「抽象度を高めた」などの意を表わす。
 このバンドの言わば発起人となった高橋幸宏によると、METAFIVEというネーミングの由来は、“メタモルフォーゼ(変身、変態)”の「メタ」と、かつて細野晴臣がYMOのテーマとして提唱した“メタ(超)・ポップス”の「メタ」から来ているという。ちなみにYMOの2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(79年)の仮タイトルは、「YMO の音楽は超突然変異のポップスである」という意味合いを込めた『メタマー』であった。

 これからの世の中は、ひとまず表面的なものは全部捨てちゃって、人間が変わってゆかなけりゃ、解決しないような危機感がある。だれも先が読めないし、否定的な世の中だ。そんなときに、売れればいいような音楽ばかり作っていたら、まず自分がダメになってしまう。
 イエロー・マジック・オーケストラのテーマはメタ(超)・ポップス。
トミー・リピューマ(※YMOと契約を結んだアメリカのA&Mレコーズの名プロデューサー)に、プロモート用のメッセージを送ったんだ。内容は、「自分としては、この音楽をメタ・ポップスと呼びたい。われわれの目標は、メタマー(変形態)」。
──細野晴臣『レコード・プロデューサーはスーパー・マンをめざす』(79年/CBS・ソニー出版)

 細野晴臣は、この「メタマー」というテーゼについて、「ディーヴォの逆なんだ」と前掲書の中で語っている。
 1972年にアメリカのオハイオ州ケント州立大学(※70年5月4日、同大学構内で開かれたヴェトナム反戦集会の参加者に対して、警備に就いていた州兵が発砲し、死傷者が出るという「May 4th事件」が発生。それをきっかけにニール・ヤング作詞・作曲によるクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの名曲「オハイオ」が生まれたことで知られる)の美術学生、マーク・マザーズボーとジェラルド・V・キャセールが出会い、彼らが中心となって74年に結成されたディーヴォ(DEVO)は、「人間は進化した生き物ではなく、退化した生き物だ」という人間退化論に基づき、“De-Evolution”を短縮した“DEVO”をバンド名に冠し、コンセプチュアル・アートとしての音楽活動を開始した。
 ディーヴォはエレクトロニクスを取り入れたバンドの元祖的存在であり、クラフトワークとともにYMO に大いなるインスピレーションを与えたが、METAFIVEのメンバーをつなぐ接点となったロキシー・ミュージックやトーキング・ヘッズ、デヴィッド・ボウイらと、ブライアン・イーノを介してリンクしているといえる。つまりディーヴォの人間退化論を裏返した新たな人間進化論こそ、METAFIVEがめざす地平であり、しかもそれがけっして単なる理想論ではないことは、今作『META』の成果をみれば明らかである。

 《常に変化してゆくこと。ひとつひとつがすぐれていて、しかも際限なく、どんどんよくなってゆく。可能性が広がってゆくっていうのが、このグループ全体のコンセプトなんだ。このコンセプト以外に、レコーディング前に決まっていたのは、3人のメンバーが、それぞれ、3曲ずつ作品を書くこと、そして、レコーディング・スケジュールだけだった。》

 《考えてみたんだけど、音楽の魔術というのがあるんだね。もちろん、音楽だけで生きてゆくことはできないんだけど、人間の潜在意識に働きかけて、緊張させたり、悲観させたり、そういう現実的な力があることを思い出した。(中略)
 つきつめてゆくと、超感覚的なものを身につけてゆくようにしないと、ダメだと思った。すると、いまの自分じゃダメだ。病気じゃダメなんだ。歌を歌うにも、病気じゃ、それが聴いている人にうつってしまう。
 それくらい、音楽には力がある、と思ったんだ。だから、自分が健康なだけじゃダメで、もっと強い波動を持たなけりゃと思ったんだ。他人に売る曲を書くにも、無理に作ったんじゃなくて、ほんとうに自分の中から出てきたもの。何もいわなくても、必然的に人が動かされる、そういうものを作ろう。まず、そういうものを底辺に持とうと思った。》

 前掲書から引用した細野晴臣の思弁は、時を超えてMETAFIVEのメンバー全員の意識とおそらく共振するものであろうし、METAFIVEというスーパー・グループがYMOの根幹にあったコンセプトを引き継ぎ、発展させようという想いを内に秘めていることも、想像するに難くない。
 METAFIVEがYMOの再現ライヴを起点に誕生したことは、メタフィクション(※小説というジャンルそのものを批評する小説)のように「何かを取り込んだ何か」や「何かについての何か」といった自己言及的な方法論を用いているという意味で、最初からメタ的なはじまりかたであったが、理想的なメンバー構成のもと、正しき時と場を得ることで目覚めた理力(フォース)は、驚くべき「メタ(超越する、高次の)進化」をもたらすことを、今作で見事に証明してみせた。
 イエロー・マジック・オーケストラというバンドは、細野晴臣の構想によれば「ブラック・マジック(黒魔術)とホワイト・マジック(白魔術)、善と悪の対立ではなく、トータルな統合された世界」をめざすところからはじまったが、地球全体が当時危惧した以上の混乱に覆われ、文字通り存亡の危機に瀕しているいまとなっては、METAFIVEも、そしてぼくらも、「トータルな統合された世界」の実現は、少なくとも現実世界においてはほぼ不可能であろうというところからはじめざるをえないのではないか。
 ここにきて、ディーヴォの人間退化論がいよいよ真実味を帯びてきたといえるが、何が善で何が悪なのか判断不能な世の中においても、METAFIVEが示してくれたように、ひとりひとりが散り散りばらばらになるのではなく、有機的につながることで超えられるものは確かにあるのだ。
 今作を何度もリピートしながら原稿を書いていると、高揚のあまり、前説の範疇を超えて、話がスター・ウォーズ・サーガのようにめったやたらに広がってしまう。そろそろMETAFIVEの最年長(高橋幸宏)と最年少(LEO今井)の中間に位置する3人のメンバー、TOWA TEI、小山田圭吾、砂原良徳とのミーティングに移ろう。


TOWA TEI:幸宏さんが僕の家がある軽井沢にちょくちょく来て、いっしょにYMOのレコードを聴いたりするんです(笑)。

小山田:幸宏さん、YMO聴くの好きだよね。


METAFIVEのデビュー・アルバム『META』がいよいよ2016年1月13日にリリースされます。元をたどればここにいるO/S/T(Oyamada/Sunahara/TEI)の皆さんが……。

TOWA TEI(以下、TT):吸収合併されました。

M&Aの産物なんですね(笑)。では、その辺りから訊いてみたいと思います。お三方は、O/S/T名義で高橋幸宏さんのトリビュート・アルバム『RED DIAMOND 〜Tribute to Yukihiro Takahashi』(12年)に参加していますが 、O/S/Tはどのような経緯で結成されたのでしょう?

TT:結成とかそういう感じじゃないよね(笑)。はじめようとしていたのは、もう10年くらい前じゃない?

砂原良徳(以下、砂原):そうだね。オフィシャルなバンドっていうより、組合的な……っていうかレジスタンス的なもの(笑)。

TT:個人商店の組合ですよね。「3人で何かやれたらいいね」って10年くらい言ってたんですよ。幸宏さんにO/S/Tで(リミックスを)やってくれって頼まれる前に何かやったっけ?

砂原:やってないんですよ。でもテイさんのソロとかではあったよね。

TT:そうだったね。ふたりに「なんかやってよ」って声をかけて、「As O/S/T」として曲を出してたね(“SUNNY SIDE OF THE MOON”as O/S/T、6thアルバム『SUNNY』収録/11年)。

それが幸宏さんのトリビュートでいよいよ実体化されたわけですね。

砂原:打ち合わせとかやったよね。テイさんの事務所へ行ってさ、どういう風につくろうかって。

小山田圭吾(以下、小山田):あー、リミックスのときね。何を話したかあんま覚えてないけど。

楽曲は自分たちで選んだのですか?(“Drip Dry Eyes”O/S/T with Valerie Trebeljahr [from Lali Puna])

TT:そうですね。

ミーティングでは3人の意見は近かった?

TT:うん。でもぶっちゃけ、あれはまりんがたくさんやってたよね。それを僕と小山田くんで「いいね!」って言ってただけだし。「これもいいけど、ひとつ前のヴァージョンの方が良かったかな」とかね。

砂原:そんなことないよ(笑)。

TT:でも“Drip Dry Eyes”を選んだのはこのふたりで、僕じゃないんですよ。僕が提案したら決まっちゃいそうだったからね。O/S/Tでいつか6曲くらい作ろうと思っていました。そのくらいの曲数でもクラフトワークの初期を考えればアルバムといえるかなと。そうやって話していたんですが、全然具体化していなかったんです。まりんは「小山田くんは歌わない方がいいね」って言っていたよね。

砂原:そっちの方が3人でやりやすいと思ったんだよね。毎回フィーチャリングで誰かに歌ってもらって、僕ら3人がバックでやるのを考えてた。

TT:最初は誰に歌ってもらうか決まっていなかったんですが、幸宏さんとLEO(今井)くんに歌ってもらう方向で考えていました。幸宏さんからLEOくんとゴンちゃん(ゴンドウトモヒコ)とO/S/Tの3人で何かやろうと言われた時点で、「あ、吸収合併されたな」って思いました。それで良かったと思います。

その6人になってから最初の音源は、小山田くんがサントラを担当した『攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stands Alone』(14年)のED曲、“Split Spirit”ですよね?

TT:そうですね。あの頃は、まだ名義は高橋幸宏&METAFIVEだったかな。

そのときの音源制作のやりかたは、最初に小山田くんがラフなデモを作って、みんなで回して、最後に小山田くんと幸宏さんとLEOくんとゴンドウさんで歌入れをしたという流れだったと。

小山田:うん。そういう意味では、バンドというよりは、まだ僕のプロデュースっぽかったかな。僕が言い出しっぺだったしね。だから一応、自分でやんなきゃなと。

ライヴも何回かやって、バンドが温まってきたから、フル・アルバムを作ることになったのですか?

砂原:最初はライヴだけをやっていて、そこからじょじょに曲も出来上がっていくんです。最後にライヴをしたのが去年(14年)の11月で、科学未来館というところなんですが、そのときは演奏も良かったし、映像も良かった。ライヴを録音してもらったんですけど、その状態もすごく良かったんです。だから、このままじゃもったいないと言いつつ、そこから活動をしていなかったんですけど。

TT:それで、その後の2月にメシ会を開くんです。

砂原:そこで誰かがアルバムを作ることを決めたんだよね。でも誰がアルバムを作るって言い出したのか覚えてないんですよ。

TT:水面下で幸宏さんのマネージャーの長谷川さんが動いているという話は聞いてたから、幸宏さんがそう考えていそうだとは思っていました。(当初の名義は)高橋幸宏&METAFIVEだったけれど、そこで幸宏さんは自分をM&Aして、6人のバンドにした。だからMETAFIVEに関しては幸宏さんありき、なんですよね。

砂原:ライヴをやるにしてもレパートリーがほとんどなかったので、YMOのカヴァーからはじめたんですよ。だからそこで持ち曲がほしいなと思っていました。

小山田:あとはテイさんのソロで、幸宏さんが歌った流れもあったよね。“RADIO”(TOWA TEI with Yukihiro Takahashi & Tina Tamashiro、7thアルバム『LUCKY』収録/13年)とか。

TT:そうだ。幸宏さんが“RADIO”をやりたいって言ってくれたんだ。(幸宏さんは)自分のコンサートでこの曲はやらないから、小山田くんがギターを弾いてこのメンバーでやれたらいいなと。最初は僕のヴァージョンでやっていたけど、途中からはまりんのリミックスを土台にして、ゴンちゃんのアレンジ、小山田くんのギター、LEOくんの歌を入れたらだいぶ変わった。

小山田:“Turn Turn”とかはテイさんがやっていたりするから(※細野晴臣と高橋幸宏によるSketch Showが02年に発表した1stアルバム『AUDIO SPONGE』に収録されたオリジナル・ヴァージョンの編曲にテイトウワが参加、07年の『細野晴臣トリビュート・アルバム-Tribute to Haruomi Hosono』にコーネリアス+坂本龍一によるカヴァーを収録)、いろんな曲が混じっているなかでMETAFIVEへの伏線があったりする。

その後、まとめ役は幸宏さんからテイさんへ移ったとか?

TT:全然そんなことないですよ(笑)。2番目に年長というだけで、幸宏さんとやりとりすることもあります。(幸宏さんが)僕の家がある軽井沢にちょくちょく来て、いっしょにYMOのレコードを聴いたりするんです(笑)。

小山田:幸宏さん、YMO聴くの好きだよね。

砂原:昔は聴けなかったと思うんだけど、時間が経ったから大丈夫なのかな。

TT:いつもは家でターンテーブルを2台触ることってめったにないんですよ。でも、(YMOの)“Ballet/バレエ”をかけて、幸宏さんの曲をそこに繋いだりとかしてました(笑)。けっこう面白かったです。プロダクションに関しては、METAFIVEの推進力はまりんだと思いますね。

砂原:いやいや。みんなが推進力になっている部分もある。でもLEOくんの存在はけっこう大きいですね。やっぱり若いやつが先頭を走るというか。そこにみんなが引っ張られているのもあると思うんですよね。

TT:LEOくんはプロダクションもやるし、詞も書けるからね。


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小山田:みんな一度バンドをやってるから、嫌なこともわかってるしね。

砂原:バンドを辞めた連中の集まりですから(笑)。


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今作は楽曲が粒ぞろいだから、1枚のアルバムとして本当に楽しめるんです。サンプル盤を何度もリピートして聴いていますが、LEOくんと幸宏さんのツイン・ヴォーカルの融合具合がとにかく素晴らしいと思いました。

TT:その組み合わせがみんな好きなので、それも推進力になっているというか、あのふたりに歌ってもらえる演奏をしようとする。話が戻りますけど、O/S/Tをやっていてもそうなった気はしますけどね。

リリースに先駆けてスタジオ・ライヴの映像が公開された“Don’t Move”は今作のオープニング・ナンバーですが、あれを1曲目に置くとか、シングル代わりになる曲だというのは、最初から決まっていたのですか?

TT:最初に聴いたときは難解すぎると思った。曲が全部揃ったときに“Luv U Tokio”もリード曲の候補だったんだけど、バンドとしての面白さを表現しているのは、“Don’t Move”の方なんじゃないかなと。

聴いていると、なぜかパワー・ステーションを思い出すんですよ。

砂原:あっ! それ、また言われた。

小山田:よく言われるんだよね。

LEOくんのヴォーカルの節回しがロバート・パーマーっぽいと思って。サウンドもけっこう近い。パワー・ステーション(※a)はデュラン・デュラン×シック×ロバート・パーマーだから、そういう意味では彼らも「メタ」なバンドですね。

※a デュラン・デュランのベーシスト、ジョン・テイラーと同じくギタリストのアンディ・テイラーがヴォーカリスト/ソロ・アーティストのロバート・パーマーとシックのドラマー、トニー・トンプソンを誘って結成したスーパー・グループ。85年にシックのバーナード・エドワーズのプロデュースにより同名のアルバムを発表、シングル第1弾の“Some Like It Hot”とT・レックスのカヴァー“Get It On”が大ヒットした。

砂原:それね、僕らまったく意識してなかったんですよね(笑)。ドラムの響きが強くて、LEOくんの声がそんな感じで、ちょっとファンクっぽくて、ゴンちゃんのホーンも入って、それでかなりパワー・ステーションに似たんです。でもそれで良かったと思いますよ。

TT:うん、全然OK。幸宏さんのアイディアで“Don’t Move”が1曲目になったんですが、それで良かったな。いちばんエクストリームだし。かと言って、この曲だけではこのアルバム全体を表現できているわけではないですけどね。

2曲目の“Luv U Tokio”もすごくキャッチーですよね。

TT:これは……スナック狙いです(笑)。

ちょっとひねったダンサブルなラヴ・ソングというか。日本語詞と英語詞の混合で、曲間に女性の語りが入ったり、「Tokio」というロボ声がシャレで入ったり(笑)、いろんなフックがある曲だなと。今作は1曲ごとにリーダーを交代しながら作ったのですか?

TT:ひとり2曲がノルマでした。“Don’t Move”は小山田くんの発動、“Luv U Tokio”はまりんからだし。

最初にどんな投げかけをしたのか教えてもらえますか?

小山田:“Don’t Move”は、(『攻殻機動隊ARISE』のために)“Split Spirit”を作ったときに1回やってるんだけど、メンバーが多かったから、回したデモが戻ってきたときには、けっこう(トラックが)埋まっちゃったんだよね。あと、前は僕があらかじめ作りこんでいたから、自分の色が強すぎたような気がした。今回はもうちょっとバンドっぽくやりたいと思っていて、ベースとドラムとギターくらいしか入っていない薄めのトラックをみんなに回したんですよ。最初のトラックには上モノが入っていたんだけど、それをカットした状態で回しました。そこにテイさんとLEOくんがヴォーカル・ラインと上モノを考えてくれて、次にまりんがオーケストラを入れてくれて、ゴンちゃんがホーンを入れて、幸宏さんがドラムを入れて。だから戻ってきたものは、ひとりの顔が見えないものというか、全員の感じがすごく出たかな。

TT:小山田くんが最後にバッサリ切ったもんね。たしかに、そうしないと音数がちょっと多かった。次作があるかどうか未定だけど、制約の美学を課すのはありかなと思います。ひとり担当するのは2トラックまで、とかさ。

小山田:そうだね(笑)。まんべんなく全部のトラックに音が入ってる必要もないし。入っていてもバランスは良い方がいい。

TT:ひとり4つでやったら、4×6で24トラックだね。昔は24トラックとか48トラックで十分に(曲が)できていたじゃないですか? いま200トラックとか使うひといるもんね(笑)。

小山田:まぁ、1stアルバムだったし、とくに何も決めずにはじまったので、みんな濃いものを最初に出していた。だから、こういうアルバムになったんだけど。

TT:“Albore”は僕が発動の曲で、はじまりのサビのメロディは僕が作りました。オケも作ったんですけど、ハネていたところをまりんが修正して、僕が入れたシャッフルを外して、もうちょっとスクエアにして、ドラムの音も全部変えたんです。鳴っている雰囲気はそのままなんですけどね。バンドっぽいですよね。小山田くんのギターがそこに入ってきて、どんどん変わっていきました。明るい曲が暗くなったということはないんですけど、曲の骨組みは残ったまま、面白い形になっていったかな。

“Albore”は幸宏さんとLEOくんのダブル・ハーモニーからはじまって、YMOのフィーリングもありつつ、踊れるテクノというか。

TT:僕はそれをアルバムの冒頭にもってくるのもありかなと思ったんですよ。だけど、“Don't Move”ではじまるのも、それはそれでいいなと。

たしかに、あのふたりのハモりでアルバムがはじまると、「おおっ!」というインパクトがありますからね。

TT:でも僕が発動したんだから、本来なら仕上げも僕がやるべきだったんですけど、やらなかったです。まりんにまかせっぱなし。僕は育ての親。生むだけ生んで、1歳ぐらいから会っていない、みたいな(笑)。

砂原:テイさんのアルバムでも作業をやっているし、他人の曲をいじるのは日常的にやっているので、自然にやれたといいますかね。

TT:僕は返ってきたものにさらに自分で手を入れることもするんですが、今回はそれがあんまりなかったよね。返ってきたものが良かったら、こっちでエディットする必要もないもんね。

たしかに全員の色が混ざって、そこがしっくりきて……という意味では、実にバンドらしい作品ですよね。

砂原:最初はこの6人が集まっても、各々がちゃんと役割をもったバンドになるのかどうか不安でした。でもちゃんとなるもんなんだなと。

TT:そういう意味では、ひとりだけガツガツしているひとはいないよね。

砂原:年齢的にもよかったのかもしれないね。もうちょっと若かったらこうはいかなかったかもしれない。

小山田:みんな一度バンドをやってるから、嫌なこともわかってるしね。

砂原:バンドを辞めた連中の集まりですから(笑)。

フリッパーズ・ギターだって最初は5人組だったでしょう。それが最近忘れられがちじゃない?

小山田:僕も忘れがちなんだよね(笑)、最初は5人だったって。

LEOくんはソロでやりつつ、向井(秀徳)くんとKIMONOSをやっている。

TT:でも、彼はバンドは初めてだって言いはってるよね。

彼には若いだけじゃない勢いも感じました。

TT:若いだけじゃないですよ。それに、そんなに若くもないでしょ(笑)。

小山田:若すぎないっていうのもよかった。

フロントマンとして様になっているし、独特の存在感がある。日本語と英語の両方で詞を書けるし、スウェーデン語もできるんでしょう?

小山田:LEOくんはスウェーデンと日本のハーフ。お母さんがスウェーデン人で、“Luv U Tokio”で喋ってるのはLEOくんのお母さん。

あのナレーション、LEOくんのお母さんだったんだ! 

TT:僕はLEOくんと話してると英語圏のひとと話してる感じがするけどね。ふたりで英語で話すことも多い気がするな。

彼が書く詞にはヴィジターの視点を感じます。常に外から見ているというか、ストレンジャーっぽい感覚だなと。

TT:ちょっと日本語がユニークだよね。

砂原:特徴ありますよね。「これワタシ」みたいな。

小山田:一人称がワタシだもんね。

砂原:「LEOくん、これってこうだっけ?」って訊いたら、「うん……」みたいな(笑)。

METAFIVEはスター・プレイヤーが集まって結成した、言わばスーパー・グループではあるけれど、単に「顔」で集まっていない独自のバンドらしさを感じるんです。

TT:AKBですかね(笑)。

テイさんは“Albore”と“Radio”の2曲を主導された?

TT:そう。僕と小山田くんには“Radio”と“Split Spirit”があったので、お互いあと1曲でよかったからノルマが低かった。

砂原:シード枠みたいに途中からトーナメントに参加した感じだったよね(笑)。

小山田:その2曲は僕とテイさんの曲だけど、アルバム・ヴァージョンに関してはまりんに育ててもらった(笑)。

砂原さんが各曲の土台を作った?

砂原:いやいや、そんなことないですよ。みんなそれぞれ2曲ずつ出してますからね。

小山田:でもプロダクションに関してはまりんがやっていて、後半はマスタリングやミックスも中心的に担当してたよね。

砂原さんが主導した2曲というのは?

砂原:僕は“Luv U Tokio”と、後ろから2曲目の“Whiteout”ですね。

“Whiteout”はメランコリックなメロディとLEOくんの内省的な歌声が相性抜群で、心に残りますね。エレクトロニカとかテクノの要素も少し感じます。

砂原:何っぽいっていうのかな。ヒップホップっぽいところもあるし、ファンクなところもあるし。音はちょっと黒っぽいんだけど、上に乗ってる要素は白いかな。
 僕、最初はみんなが曲を出すのを見てたんですよ。それである程度見えてきたところで、足りないものを出そうと思ってたんです。“Luv U Tokio”はテイさんから「リード曲らしいものを作るように」っていう指令が出たんですよ(笑)。

TT:僕のノルマは終わっていたので、言うだけなら言えるなと(笑)。

砂原:それで比較的わかりやすいものを作りました。ある程度できたところでテイさんに聴かせて、テーマとかをどんどん言ってもらったかな。全体的に勢いのある曲が多かったので、“Whiteout”はちょっとクールダウンさせるために作りました。

これは砂原さんがメロディを作ってから、LEOくんに詞を書いてもらった?

砂原:そうですね。とりあえず「立ちくらみの曲を作りたい」っていうテーマだけ考えて。

歌詞カードなしに聴いていて、「〜shades of gray」っていうフレーズに引っかかって、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』と何か関係があるのかと思ったんだけど、ここで歌詞カードをさっと見たら、“Shed some light on your shades of grey”(灰色だらけに少し明かりを点す)と韻を踏んでいる。ライミングしただけで別にあのベストセラー小説や映画とは関係ないのかもしれないけど、フックとして洒落てるなって。

TT:今回はひとつこだわりがあって、歌詞カードに英語詞と対訳を全部(シンメトリーに配置して)載せてるんですよね。(英語詞と日本語詞のパートを)まったく反転させて、アートワークも黒と白だったり……本当は予算の関係で黒と白しか使えなかったりして(笑)。

小山田:コンセプチュアルな感じで白黒反転させて、日本語と英語が反転してる。

砂原:でも、最近対訳が載ってる作品はあんまりないよね? 日本企画版とかならありそうだけど。

TT:読み応えはありますね。まだ読んでないけど(笑)。

このサウンドにあのふたりのツイン・ヴォーカルが載るとなれば、いったい何を歌っているのか興味を引かれて、歌詞を知りたくなりますよ。

TT:アナログ盤だと歌詞(を載せるスリーヴ)がもっと大きいんで、そのときにじっくり歌詞を見ながら聴こうかなと思います。

このなかですごく苦労した曲ってありますか?

TT :うちらの活動に関しては、ものすごく悩んだっていうのはないかな。

砂原:メールで曲を投げたあとに「どうしようかな」って悩んでいても、一周して曲が戻ってくると解決されてることが多かったですね。

たしかにそこはバンドの強みですよね。

砂原:ひとりだと作業が止まっちゃうので……。

TT:それで10年くらい作業が止まってたんでしょう?

砂原:ははは(笑)。いまも止まってます(笑)。

ぼくは全曲好きなんですが、ラスト・ナンバーの“Threads”はこのバンドならではのエッセンスが凝縮された曲に聞こえます。メロディは幸宏節が炸裂してるし、全員のテイストが見事に融合してる。これを最後に聴くと気分が上がりますね。

砂原:“Threads”はもっと幸宏さんっぽかったけど、テイさんはけっこう手を入れましたよね。

TT:そうですね。暇だったから(笑)。ただ、幸宏さんはご自分でおっしゃっているけど、けっこう幸宏さんとゴンちゃんの曲って、(はじめから)でき上がっちゃってたんですよ。

砂原:そうですよね。余白があんまりない状態で回ってきたから。

TT:アレンジもできてたから、そのまま進めばいいんですよ。幸宏さん主導の“Threads”と“Anodyne”のドラムをまりんに整理してもらって、そこからもうちょっと足したり引いたりしたんだよね。

“Anodyne”の日本語のサビが歌謡曲っぽくて、おそらく幸宏さんが書いたフレーズだと思いますが、歌謡曲の全盛時代を通過しているひとならではのものを感じました。

砂原:最初はもっと歌謡曲っぽかったと思いますね。テイさんのシンセが入ったら、突然ジャパンっぽくなって、ニューウェイヴ感が強くなった(笑)。

間奏はフリューゲル・ホルンですよね。ギター・ソロは小山田くん?

小山田:あれはLEOくんだね。

その味付けもすごく面白い。サビは歌謡曲っぽいのにニューウェイヴなアレンジで、そこに宙を舞うようなフリューゲル・ホルンとうねりまくるギターのソロが入る――このハイブリッドなミックスは新鮮でした。

TT:なるほど……それは評論家ならではの視点で、渦中にいるときはそうは思っていなかったですね。曲はできてるから、何かを入れたり、何かを引いたりすることしか念頭になかった。ゴンちゃんの“Gravetrippin'"では小山田くんのギターが炸裂してる。

それを聴いて、コーネリアスがリミックスした、Gotyeの“Eyes Wide Open”っぽいと思った。リズムはスカっぽい性急なテンポで、わりとコーネリアス・テイストだなと。

砂原:ギターがかっこいいよね。

小山田:ゴンちゃんにしてはずいぶんロックっぽい曲だと思ったけどね。デモの段階で良かった。

各曲のデモを聴くと面白そうですね。デラックス・エディションで再発するときにはぜひ……。

TT:出さないです(笑)。

“W.G.S.F.”は誰の主導ですか?

TT:これもゴンちゃんですね。

これもコーネリアスっぽい変拍子のニューウェイヴだなと思いました。

小山田:ファンキーっていうよりも、8ビートっぽいのがゴンちゃんの曲には多いね。

TT:LEOくんとゴンちゃんの曲は、素質的にロックっぽい気がしたね。幸宏さんはポップスというか。

全体的にダンサブルなトラックが多くて、そこはテイさんの味なのかな、と推測していたんですが。

小山田:最初にまりんが「踊れる感じがいいね」って言ってたんだよね。

砂原:なぜかというと、ライヴ先攻のバンドだったんで、体が動くような曲の方がいいんじゃないかと。

TT:かといって、EDMみたいな感じじゃないでしょう?

そういう感じはしなかったですね。ダンスといってもタテノリではなく横揺れのグルーヴで、ファンクなノリがあって、そこにニューウェイヴとか、ときどきノー・ウェイヴやポスト・パンクの要素も感じたり。でもR&Bのテイストもあって、すごく好きな感じでした。METAFIVEみたいなコスモポリタンが作るハイブリッドな音楽を気に入るひとは人種を問わず世界中にたくさんいると思うし、海外のひとたちに聴かせて感想を聞いてみたいですね。

TT:僕らのなかでは、ダンサブルなものが通奏低音としてあった上でのバンドを描いていました。でも、かといってEDMじゃない。だからクラブ・ミュージックっていうのは意識してないかもね。だけどクラブでたまにバイトしてるんで(笑)、要素としては入ってるんです。僕は自分のDJのときにMETAFIVEをかけますよ。“Don't Move”もずいぶん前からかけてるし。

砂原:“Don't Move”をかけてるとき、僕は客席に行ってちゃんと音をチェックしてます(笑)。

“Don't Move”は、テイさんのセットではどういう役割ですか?

TT:4つ打ちなんだけどロック、みたいな。EDM聴くくらいならロックを聴いてた方が楽しいですよね。

砂原:あとファンク色は強いですよね。

TT:そうですね。ファンクはいつも好き。あとロキシー(・ミュージック)。ジャケットはロキシー感が出てると思う。

砂原:とにかく引用だらけなんだよね。

ジャケットの絵を描いた五木田(智央)くんには何かキーワードを投げかけましたか?

TT:(アルバムを作ってる)途中で“Don't Move”と“Luv U Tokio”を聴かせたんですよ。幸宏さんが五木田くんの絵をけっこう好きなんだよね。五木田くんは小山田くんとまりんと同い年で、彼の兄貴が僕と同い年。それもあって音楽的なボキャブラリーが合うんです。それで五木田くんにMETAFIVEの印象を聴いてみたら、LEOくんと幸宏さんの声がブライアン・フェリーとかデヴィッド・バーンっぽいと。僕らが好きなロックとかニューウェイヴの感じを、五木田くんも音で解釈してくれたんで、(デザインの)内容は何も話さなかったんですよ。それで完成した作品を聴かせたら、「ロキシーっぽいね」と。それでロキシーってジャケットにバンド名しか書いてないからMETAFIVEもバンド名だけで、書体も細い方がロキシーっぽさが出るんじゃないか、とか。そこは幸宏さんも同意見でした。

そもそもバンド名は、最初はMETAMORPHOSE FIVEで、それをテイさんが縮めてMETAFIVEになったそうですね。

TT:でも、いずれにしろバンド名はMETAMORPHOSE FIVEにはならなかったでしょう。長いし、同じ名前のイベントがあるし。幸宏さんはイベントの「METAMORPHOSE」を知らなかったんじゃないかな。途中からMETAでもいいんじゃないかという説もあったよね。最近はみんなMETAって呼んでるけど(笑)。僕は、五木田くんは7人目のメンバーだと思っていますけどね。これだけ理解してくれる絵描きはいないんじゃないかなと。五木田くんは自分で作っている音楽も面白いんですよ。めちゃくちゃ多重録音していて、昔はバンドをやってたみたいですね。まりんがマスタリングしてあげなよ(笑)。

砂原:曲を送ってください(笑)。

最後にハンコを押すみたいに、アートには名前を付けてやることが必要なんですね。

TT:でもやっぱし、カラオケでは“Luv U Tokio”がいいんじゃないんですかね。

その曲名もいいですよね。

TT:あれはずっと“Tokio 2000”って言ってたよね。それで、「オリンピック、ちょっとまずくね?」って話すようになって(笑)。

砂原:「泥舟だ。逃げろ!」っていう(笑)。

「オリンピックまで日本はもつのか……!?」っていう。

小山田:“Luv U Tokio”ってちょっと歌謡コーラス系じゃないですか?

ロス・プリモスの“ラブユー東京”が元ネタでしょ?(笑)

小山田:METAFIVEになる前はCOOLFIVEとかって呼んでたんだよね。いまはおっさんばっかりだから、なんとなく歌謡コーラス的な感じもいいかなと(笑)。

たしかに「歌謡曲」と言うよりも「歌謡コーラス」ってピンポイントで言った方が気分だね(笑)。でも、そういう意味では「ちょっと女っ気がないな」とは思いました。例えばテイさんは、ご自身の作品を作るとき、必ず華やかな女性の存在を意識してフィーチャーされていますよね。そういうフェミニンな、もしくはグラマーな要素は、今回は必要ではないと思われたのですか?

TT:僕が若いときに衝撃的だったことのひとつが、YMOのメンバーのなかにいる矢野(顕子)さんの存在だったんですよ。あと“Nice Age”とかサビを女のひとが歌ってて、メンバーじゃねぇじゃん!みたいな(驚きがあった)。そういうときに、もちろん幸宏さんの歌も好きなんだけど、その対称に女性の声があると。これはいま分析するとしての発想ですが、幸宏さんを立たせつつ、何かがあった方がいいな、と考えていたかもしれないです。実は“Luv U Tokio”のサビのところはヒューマン・リーグ(※英国シェフィールド出身のシンセポップ・バンド。結成当初はボウイ、ロキシーとジョルジオ・モロダーを掛け合わせたような実験的な電子音楽を志向していたが、リード・ヴォーカルのフィル・オーキー以外の主要メンバーが脱退してへヴン17を結成。残ったオーキーらはディスコでスカウトした音楽歴ゼロの女子2人をヴォーカル兼ダンサーとして加入させ、「エレクトリック・アバ」と評される大胆な路線変更を行い、80年代初頭のMTV揺籃期に全英・全米チャートNo.1を記録した“Don’ t You Want Me”などの大ヒットを放った)のイメージでした。LEOくんが歌っているパートは女性のイメージだったんですよ。そしたらまりんに「外注はやめましょう」って却下された(笑)。

砂原:メンバーが豊富なんで、身内でやりましょうと。

TT:でもLEOくんと幸宏さんとで成立したんで、結果的にはこれで良かった。間奏のところに「かわいい娘(の声を)入れようよ」って言ったんだけど、またまりんに却下された。そこで「身内がいい」って言うから、LEOくんのお母さんになったんだよね(笑)。

砂原:でもLEOくんのお母さん、すごく良かった。60年代の(外国の)万博のソノシートに入ってるようなノヴェルティ感がある。そしたら、昔、NHKで本当にアナウンサー的なことをやってたみたいだね。

TT:独占契約して他のバンドでやるなって言わないと(笑)。


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TT:僕らはクラブでDJをしてるから、いまどういう音が流れているかも知ってるけど、そういう耳で聴いても古くさくない自負がありますね。

砂原:マーケティングをやるとしたら、スネークマンショーみたいなギャグっぽい音楽は、逆にやれるかもしれないんですけどね。


META
METAFIVE

ワーナーミュージック・ジャパン

Synth-PopElectro FunkYMO

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2作目を作ることになったら、女性ヴォーカルを入れるのもありかな、と思うんですけど、却下ですか?

砂原:そのときにならないと全然わからないですね。テイさんの“LUV PANDEMIC”っていう曲があるんですけど、ライヴでそういう曲をやるときは女の子に出てもらったりしましたよね。

TT:そうですね。この前、まだ21の水原佑果ちゃんに出てもらったんです。

砂原:ライヴの最後に女の子に出てきてもらうと、ちょっといいなっていうのはありますよね。

ヒューマン・リーグとまではいかなくても、音楽的には女性の声が入っている方がカラフルだし、そういうMETAもちょっと見てみたい気がしました。

TT:まりんも自分の曲で女のひとのヴォーカルを使ってるよね?

砂原:そうですね。踊りと歌は女性の方がいいって、僕は思っているんですよ。

TT:そこで幸宏さんとLEOくんっていうのはどういうこと?

砂原:ああ……ちょっとわかんないですね(笑)。

TT:でも、「Radio〜」って言っている女性の声は今回生かしている(※“RADIO [META Version]”にはTina Tamashiro & Ema のコーラスがフィーチャーされている)。

小山田:あとゴンちゃんの娘の声だよね。最初の「メタ!」ってやつ。

まったく野郎だけというわけじゃないんですね(笑)。今作を作ってみて、かなりの手応えがあったと思うのですが、今後どうしたいか、目標みたいなものはありますか?

TT:まずはワンマンだよね。ライヴをやってもレパートリーがなかったのが、このメンバーだからこそできる曲が十分にできたので、美味しいものがある関西では優先的にフェスに出て(笑)。それでみんなの反応を見て手応えを確かめてから、これから何をやるのかを決める感じじゃないですかね?

砂原:次の作品を考えるよりも、ライヴの準備をしなきゃとか。

小山田:それにみんなそれぞれ(の活動を)やってるからね。若者が集まってバンドでやったるぜ、みたいな感じでもないから。

海外リリースをして、一回くらいツアーをやると面白い反応が来る気がするんですが、テイさんは海外ツアーはNGですか?

TT:そんなことないですよ。いまはインターネットもあるし、どこへ行ってもラーメン・ブームだし。僕は90年代から海外ツアーをやってるけど、海外は昔とはだいぶ違いますよね。ヨーロッパの方がいいかな。昔、アメリカをツアーで2周したけどギヴ(・アップ)でしたね。

砂原:すべての食い物がバターの味みたいな(笑)。

TT:すべての味はバターを基調に、肉か魚を食べるみたいな。肉だけのときもありましたからね。

砂原:いまって、ツアーを周るっていうよりも、フェスを周るって感じじゃないですか? そこも昔と変わりましたよね。でも向こうの反応は聴いてみたいね。行く行かないは別として。

TT:いま海外ではあんまり盤って作らないですよね? 

これだけ英語詞がフィーチャーされている作品だし、海外向きだと思いますよ。

砂原:英語と日本語の区別に対する認識も、昔とは変わってきていると思うんです。とあるアメリカの女の子の曲を聴いていたんだけど、最初は英語なんだけど、途中から完全な日本語になるんだよね。それで調べてみたら、その子が昔は日本にいて英語も日本語も両方喋れるみたいなんですよ。途中で日本語になるのは本当にびっくりして、なんかもう(英語とか日本語とか)関係ないなと思いました(笑)。

TT:僕も最初のソロを出したときに、英語の曲をもっと入れろとか、インストが多いとか言われましたね。“Technova”とかリード曲なのに、なんでポルトガル語なんだ、とかね(笑)。考え方、古いなーと思った。

そういう意味では、世界がグローバル化したことで良くなったところもあって、異文化を昔ほど抵抗感なく受け入れて楽しむ土壌ができて来たのかもしれない。

砂原:“江南スタイル”とかって、ことばは関係ないじゃないですか?(笑)

最近の韓国は、日本よりも先に音楽の新しいスタイルを躊躇なく受け入れて発信もするからすごいですよね。

TT:10年前にアジアへ行ったときは、日本のものをマネしていた感じだったんです。でも数年前に韓国やインドネシアへ行ったら、韓国がデフォルトになっていた。和食屋へ行ってもKポップが流れているんですよ。それを見て中国人とかがキャーキャー言ってる。

ここ数年疑問に思っていることのひとつが、日本における「歌の上手さ」の基準がかつて自分が思っていた基準と変わってしまって、それこそ三代目(J Soul Brothers from EXILE TRIBE)とか、ああいう歌い方がデフォルトになっているような気がして。ヴォーカル・スクールの先生をやっているミュージシャンの友だちに訊いてみたら、それはKポップの影響大なんだと。ここ最近のアメリカのチャートでヒットしている曲によくあるヴォーカルの発声のスタイルを日本より先に韓流が消化して、それを日本が後追いで取り入れているという説を聞いて、なるほど……と納得したんです。

TT:日本より韓国の方がアメリカに近かったですよね。韓国語の発音の方が英語に近いっていうのもあるのかもしれないですね。

砂原:韓国の音圧感も、日本じゃなくて、アメリカとかヨーロッパの感じなんだよね。アメリカに近いかな。

TT:そのテリトリーを取られちゃった感じですね。ウチらには関係ないけど。

砂原:Kポップはエンターテイメント性が強いのかな。遊園地ぽいっていうか。

テイさんやコーネリアスとはまったくクロスしない感じですよね。

TT:まったくしないですね。

リミックスもコラボレーションもしていないし。マーケットに合わせて音楽を作るということを、METAFIVEのメンバーは誰もやって来なかったという共通項はありますね。

砂原:この前、“Don't Move”のビデオを見たときに、それがないから良いと思いましたね。それがないからこその勢いがあるのかなと。

TT:三代目とか、それ以外のEDMみたいなトレンドを気にしていないというか。

ロック魂やファンク魂を感じて、すごく清々しかったですね。

TT:僕らはクラブでDJをしてるから、いまどういう音が流れているかも知ってるけど、そういう耳で聴いても古くさくない自負がありますね。

砂原:そういうマーケティングをやるとしたら、スネークマンショーみたいなギャグっぽい音楽は、逆にやれるかもしれないんですけどね。

たしかにMETAFIVEでスネークマンショーみたいなギャグをフィーチャーした作品はありかもしれない。だれか尖ったひとたちと組んだMETAFIVE版『増殖』はぜひ聴いてみたいですね。……野田さん、何か補足したいことはありますか?

野田(以下、△)ちなみにテイさんから見て、どういうところで、このふたりとは気が合うと思いますか?

TT:同世代にあんまりいないんですよね。64年生まれって高野寛くんくらいしか合うひとがいなくて。ふたりは5つ下だけどたまたま共通言語が多いっていうだけのことです。

△それは趣味が合うということですか?

TT:趣味が合うかはわからないですけど。他の趣味とか全然知らないので。

砂原:テイさんの世代だと、まだ生で楽器をやっているひとが多かったですよね?

TT:ケンジ・ジャマー(鈴木賢司)さんとか?

小山田:あー。僕、中学生くらいのときに、学生服を着た天才ギタリスト少年って言われて登場したのを覚えてるな。

TT:あとはパードン木村さんとか。

△小山田くんやまりんはバンドに参加していたので、複数の人間で音楽をやっていた経験はありますけど、テイさんは基本的にソロでやっていますよね。そういう意味で、テイさんが誰かといっしょにやるのはどういう感じですか?

TT:このふたりも、ひとりでやっていて停滞してるんだろうなと思ったから、気楽にO/S/Tやんないかって10年前に持ちかけたんですよ。有言不実行でしたけど(笑)。

O/S/Tという名前だから、映画のサントラからはじめる手もあったかなと。

TT:依頼があれば、ですけど。それ、いいですね。

砂原:いまはMETAFIVEが子会社になりましたもんね(笑)。

映画部門もぜひ。

TT:いや、でも僕一回やったことあるんですけど、きつかったですね。何曲か決めていた劇伴とかあったけど。

砂原:僕もやったことあります。小山田くんもやってますよね。

TT:ひとつの作品を全部やるのってきつくない?

砂原:僕の場合は制作サイドが優しくていろいろ言うことを聞いてくれましたね。けっこうサントラって(音楽を)ぶつ切りにされちゃうじゃない? 「えー! こんな使い方するの!」みたいなことはなかったな。

TT:坂本(龍一)さんとご飯を食べていて、「サントラっていうのは、画を見て音がないともたないな……っていうところからはじめるんだ」と言われて、「あ、そうなんですね!」って(笑)。知らなかったからね。僕が音楽を担当した『大日本人』(松本人志監督/07年)はテーマ曲から作った。それはすっと通ったんですけど、他は松本人志さんがピンとこないってことで、大変でしたね。二度とやんないって思いましたけどね。

砂原:僕も音が必要なところに(音を付ける)っていう考えなんですけど、もっとわかりやすくストーリーを感じて音を付けるパターンが多い気がするんですよね。だから解釈がひとつしかない。それはつまんないというか、考える余地はあった方が面白いと思うんですけど。

TT:個人的には、音が少ない映画は好きなんですけどね。使うべきところにバシッと入っているのがいいですよね。車に乗っていてカーステからラジオが流れて、カットが変わったときにそれがラインになって原曲の実音が流れたりとか。そのくらいの感じが好きなんです。数年前の『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン監督/11年)はすごく上手いなと思いました。使っている音楽はテクノだけでしょう?

『ドライヴ』は映像がすごく80年代っぽかったですよね。

TT:音楽はフレンチ・テクノのひと(クリフ・マルティネス)の曲で、どうしてここで「ズデデデ、ズデデデ」って鳴るのかなって思うんだけど、カットが変わったときに「あ!」と思う。伏線的にイントロのシーケンスを弾いたりするのが良かった。

砂原:小山田くんが言ってたけど、最近の映画は効果音が適当というか。

小山田:僕がやったのはアニメで画面の情報が少ないでしょう? だから音楽の量がけっこうあるんだよね。あとバトル・シーンとか効果音が多いからさ(笑)。規模が大きい映画だから、まず音響監督さんがいて、音効さんがいて、それから音楽があって、っていう感じで、楽曲を必要な場面で入れるのもその音響監督さんがやるんだよね。だから、とりあえず素材をたくさんくださいと言われて、それでバンバンと素材になる音を出して、そのなかから監督が選ぶような感じだったから、あんまり自分で考えて音楽をやれたという感じでもないんですよ。いま教育番組(NHK『デザインあ』)の音楽をやっているんだけど、それに関しては、もうちょっと狭いプロダクションで、僕も入っていっしょにできている感じがあるんだけどね。

砂原さんがサントラを担当した作品というと、“神様のいうとおり”(いしわたり淳治&砂原良徳+やくしまるえつこ、TVアニメ『四畳半神話大系』主題歌/10年)ですか?

砂原:それはエンディング・テーマですね。サントラは韓国と日本の合作で妻夫木聡とハ・ジョンウが出ていた映画(『ノーボーイズ、ノークライ』キム・ヨンナム監督/09年)を担当しました。わりと自由にやらせてくれました。

TT:昨日『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を2回観たんですけど、けっこうずっと音が鳴ってるんですよね。あれ、うるさかったですか?

ぼくはあれを観て、ジョン・ウィリアムズはさすがだな、と思いました。引き出しが広いし。

TT:僕も上手いと思うんですよ。足すだけじゃなくて引くことも上手だし。全部スコアの世界なんだけど、新しい登場人物のレイのテーマに、それまでの曲をアレンジしたものがミックスされていたりとか。2回見たので冷静に観察できたんですけど、とにかく自分には全く作れない世界だと思いました。教授のサントラの世界もすごいですけどね。いまディカプリオ主演の映画(『レヴェナント:蘇えりし者』アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督/16年1月全米公開)の音楽もやっているでしょう? けっこう重い感じの映画ですよね。そういうのじゃなくて、「音があってもなくてもいいから」という作品の依頼はO/S/Tへ(笑)。

例えばタルコフスキーの映画を観ると、劇中で使われる音楽よりも水の音が頭に残ったりするんです。「映画音楽」というものを音響的に捉えていて、そういう映画を初めて観たのでハッとさせられた記憶があります。武満徹もタルコフスキーが好きで、いちばん音楽的な映画作家だと評価していて、なるほどそういう見方もあるなと。

TT:(映画作家のなかには)音楽を効果的に使いたいという方もいると思うんですよね。音で(観客を)心理的に引っ張っていく劇伴的なアプローチと、逆に音を聴かせるだけじゃもたないから、そこで印象を付けるためには(既成の楽曲の)選曲でも可能というか。『大日本人』は全部自分で作らなきゃと思っていたけど、ヴィンセント・ギャロみたいにやってもよかったかな。

ギャロは選曲のセンスが絶妙ですよね。『ブラウン・バニー』(03年)のサントラも1曲目に60年代のTVドラマ『トワイライト・ゾーン』の劇中歌を持ってきたり、『バッファロー'66』(98年)ではイエスの隠れた名曲を持ってきたりとか。

TT :それで自分で作った曲もむちゃくちゃ良かったりするじゃないですか? ああいうのはいいですね。ということは、ハリウッド映画じゃないってことですね(笑)。

砂原:ハリウッド系は大変そうだよね。

△でも、DJカルチャーではハリウッドへ行ったひとが多いよ。デヴィッド・ホームズとかさ。あとはフレンチ・ハウスのカシアスとか。

砂原:そうか! カシアスは昔からよくできてたから、そうなるのはわかる気がする。

小山田:ダニー・エルフマン(※ロサンゼルスのニューウェイヴ・バンド、オインゴ・ボインゴの元リーダー。80年代から映画音楽を多数手がけ、特にティム・バートン監督との名コンビで知られる)とか。

エルフマンのポジションはちょうどいい按配じゃない? 仕事するときのスタンスは小山田くんに似てるかもね。ティム・バートンの他にもハリウッド大作からインディペンデント映画まで作品本位で手がけていて、アカデミー賞作曲賞ノミネートの常連だし。ダニー・エルフマンってキム・ゴードンの高校時代の彼氏なんだって。キム・ゴードンの自伝を読んでいたらそう書いてあってびっくりした。それって意外だよね。

小山田:そうなんだ。あの自伝買ったけど、まだ読んでないんだよね。

△インタヴューを始める前に、小山田くんが『スター・ウォーズ』より『未知との遭遇』派だというのを聞いて、すごく意外でしたね(笑)。だってコーネリアスのイメージって、絶対に『スター・ウォーズ』じゃないですか?

TT:そうなの?

小山田:僕は『未知との遭遇』です。

※ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』第1作(「エピソード4/新たなる希望」)とスティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』はいずれも77年に全米公開、78年に日本公開という同時期に上映され、SF 映画ブームを巻き起こした。

音楽的には『未知との遭遇』のテーマの、あのリフの方が耳に残るよね。

小山田:♪タララララ〜。僕、ライヴで絶対にあのフレーズ弾くんだよね。

砂原:弾いてたよね(笑)。でも『FANTASMA』の頃のコーネリアスだと、ちょっと『スター・ウォーズ』っぽい感じはあったかもね。

TT:まりん、『スター・ウォーズ』ひとつも観てないくせに(笑)。

……という感じで話は尽きませんが(笑)、最後にあらためて、お三方から見たヴォーカリストとしての幸宏さんとLEOくんについて、見解を聞かせてください。

TT:さっき言ったことと同じになりますけど、もしもO/S/Tでアルバムを作っていたとしても、LEOくんと幸宏さんは最高のヴォーカリストだと思うので、吸収合併されて良かったなということですかね。

砂原:テイさんがよく言っているんですけど、自分のヴォーカリストのデフォルトは幸宏さんの声だと。僕もYMOで幸宏さんの声を聴いていたので、そういう感覚に近いですね。

TT:「Tokio」って言ってたのは教授だけどね(笑)。

砂原:LEOくんはバンドをはじめるときのミーティングで出会ったんですけど、彼がMETAFIVEをやっていくうえでキーになるような気がしていました。最初はなんで彼を呼んだのかわからなかったんですけど、KIMONOSは知っていたので、その「わからなさ」に何かあるなと。

小山田:幸宏さんとバンド(高橋幸宏 with In Phase)をやっていたジェームズ・イハの代役で入ってきたんだよね。ユニヴァーサルで幸宏さんを担当していたひとがレオくんも担当していたという縁もあるし。

TT:ギターもキーボードも打ち込みもできて歌も歌えるから、自分に近い存在っていうことも、幸宏さんにはわかってたんだよね。だから僕らに紹介しようと思ったのかな。

砂原:“Whiteout”の歌詞を書いてもらったときも、僕は何となく「立ちくらみ」っていう情報を伝えただけだったのに、彼の解釈がすごく良かった。

TT:僕もタイトルは“Albore”って伝えただけ。夜明けに作ったということもあるし、バンドをはじめることも新しい夜明けだという気がするとか、最近は音楽にしか夢はないよね、っていう話を飲み屋で散々したので。それでできた詞を見たら、すごくポエティックだった。(テーマやイメージを)具体的に良いことばにする才能がある。

小山田くんは?

小山田:幸宏さんとLEOくんがちょうど最年長と最年少で、共通している部分も感じているし。さっきブライアン・フェリーとデヴィッド・バーンって言ったけど、両方ともブライアン・イーノが関わっている感じで(笑)。

TT:あとディーヴォもイーノだよね(※78年の1stアルバム『Q:Are We Not Men? A:We Are Devo!(頽廃的美学論)』のプロデュースをイーノが手がけた)。“Don't Move”の大サビみたいなところはディーヴォっぽく歌って、って言ってたんだけどね。

小山田:ちょっとマーク・マザーズボー(※ディーヴォのオリジナル・メンバー。ウェス・アンダーソン監督作品など映画音楽も多数手がける)が入ってる感じ。そういうイメージで僕は作ったから。

砂原:幸宏さんとLEOくんは声の混ざり方もいいし、コントラストもあるし。

小山田:静と動の混じり具合が絶妙だなって。これだけ良い素材だったら、何をやってもそこそこ良い料理が作れそうだなっていう。

まさに理想のツイン・ヴォーカルという感じがしますね。

TT:親子であってもおかしくない年齢ですよね。それでふたりともブリティッシュ・アクセントがベースにあるんですよね。幸宏さんの師匠がピーター・バラカンさんだから。そのうえでアメリカン・アクセントもいける。

小山田:LEOくんもずっとイギリス育ちだもんね。

TT:でも僕の曲で、「これはワタシ、どっちで歌えばいいですか?」って訊いてくれる。アメリカンか、それともブリティッシュ・アクセントか、って(笑)。

たしかにアルバムの全曲で、ふたりのヴォーカルの独特の混ざり方やコントラストが鮮やかに栄えているのが、成功の第一の要因だと思います。

TT:みんながふたりのツイン・ヴォーカルが好きだから、結局全曲歌ものになったっていうことですからね。それは想定していなかったでしょう?

砂原:それはすごい成果でしたね。そういう決まりを作ったわけじゃないんですよ。

そういえばゴンドウさんの役割はどんな感じでしたか?

砂原:ゴンちゃんはホーンとかスパイス的なアレンジをやってくれるし、プロダクションもできる。だから僕は悩んだときはゴンちゃんに相談してました。

TT:あと、幸宏さんはなくてはならない存在というか。幸宏さんって最初にプロダクションありきの音楽を作るひとのハシリじゃないですか? その頃ってマニピュレーターがいたんですよね。いつの間にか自分たちでやるようになって、シンセを買ったらプリセットが1000個とか入っていて。でも幸宏さんは、その分オールド・スタイルを貫きたいと思っている。自分で詞を考えたいし、衣装も考えたいし、ライヴの選曲も考えたい……そういうオールマイティなタイプなんですよ。幸宏さんだけ自宅スタジオがないじゃん? あれは美学なんだよね。家にはドラムもシンセも何もないっていう。アール・デコの鏡とかはまだあるらしいよ(笑)。

小山田:そういえば幸宏さんの家、行ったことあるな。あの時計、まだあったよ。

TT:だから、僕が軽井沢の自宅でレコードとシンセとターン・テーブルを置いて、DJをだーっとやってるのを「だせえな」って思ってるはず(笑)。

そんなわけないですよ(笑)。でも「ダンディとは美学を生きた宗教のように高める者」というボードレールの定義に従えば、ダンディという称号が似合う日本のミュージシャンは、加藤和彦さん亡きいまとなっては幸宏さんが最後かもしれない、という気もします。
METAFIVEは、パーマネントなバンドとしてのポテンシャルに計り知れないものがあるので、これからの展開次第では大化けして、予想を超える飛躍を見せてくれる予感もあってワクワクしているんです。ディーヴォが『In The Beginning Was The End:The Truth About De-Evolution』(76年/チャック・スタットラー監督)みたいなショート・フィルムを作ったように、METAFIVEならではの映像作品も作ってもらえると嬉しいですね。

interview with Mystery Jets - ele-king


Mystery Jets
Curve Of The Earth

Caroline / ホステス

Indie Rock

Tower HMV Amazon

 ミステリー・ジェッツというこのロンドンのバンドのことは、「テムズ・ビート」という呼称とセットで記憶している方が多いにちがいない。彼らの最初のアルバム『メイキング・デンス(Making Dens)』がリリースされてからもう10年にもなろうとしているが、テムズ・ビートこそは、人々が「ヨウガクの国内盤」を普通に買っていた最後の時代を華やがせたバズ・ワードのひとつであり、彼らのアルバムはそこに象徴的な彩りを与えるものでもあった。そういった呼び名はメディア主導のカテゴライズに過ぎず、本人たちにそれを牽引するというようなつもりもなかったと言われるかもしれないけれど、そこに前後してモッズのやんちゃにアイリッシュ・フォークの牧歌性、UKトラッドを何度めかの新鮮さで甦らせたバンドがいくつも矢継ぎ早に見つけだされたことはたしかで、少しエキセントリックな佇まいの中にサイケの系譜ものぞかせたミステリー・ジェッツもまた、ロックをリヴァイヴァルとしてしか知らない2000年代の耳に共感と興奮を与えてくれた。ほかにもその頃は「ニューレイヴ」とか「ニュー・エキセントリック」とか、UKのロックは元気だったし、そうした言葉を泡沫のように生み出し伝えるメディアも元気だったことが、ひとかたまりで思い出される。

 そこで、つづいてリリースされたエロール・アルカンのプロデュースになるセカンド『トゥエンティ・ワン』(2008)までは聴いて、あとはどうなったか知らない、という方も正直なところいらっしゃるのではないだろうか。あのときはただ時代の息吹を聴き、祭を楽しんでいたのであって、とくにミステリー・ジェッツそのものを聴いていたのではなかった、というような──ポップ・ミュージックのそれもまたダイナミックでおもしろいところだから、その酷薄な享受のしかたを責めないでいただきたいと思うが、しかしそうであればこそ、ほとんどが一時で姿を消していったそれらバンド群において、後々もリリースをつづけて10年にもなろうというミステリー・ジェッツには、「何かがあった」ということになる。時が移り、状況が変わり、騒がしい情報に影響されることもなく聴いた『カーヴ・オブ・ジ・アース』は、優しく懐かしかった。当時が懐かしいというのではなくて、もっと普遍的な、親しく温かみのある感覚。地球のモチーフにしたジャケットにスケール感のある冒頭曲“テロメア”からは気宇壮大なテーマを、また『ホール・アース・カタログ』をコンセプトに据えスチュアート・ブランドとの対話が下敷きにあったというエピソードからはサブ・カルチャーと未来についてのヴィジョンの提示があるのかと先走って想像してしまうが、“ボンベイ・ブルー”から先こそがこのアルバムだと言いたい。それはここで語られているように、むしろ若き日の父、若き先人たちのイノセンスへの共感というべきパーソナルでかつ普遍的な感覚に端を発し、そのために多くのひとの感情に優しく響く音になっているように思われる。
 この「普遍」というところへと、彼らは一枚ごとにバンドとして全力を傾けるべきテーマを掲げながら、こつこつと進んできたのではないか。ウィリアム・リースの言葉からさらに推量れば、それは時代から自由になって、内側から出てくる自分たちの記憶やルーツが自然と溶けだしたようなものなのかもしれない。リヴァイヴァルやリファレンスという「わざわざ」の意図なくそれはUKのポップスであり、穏やかで優美な、薄曇りのサイケデリック・ロックだ。“サタナイン”が美しい。
 昨年11月の〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉明け、質問に答えてくれたのはウィリアム・リースとカピル・トレヴェディだ。

ミステリー・ジェッツ / Mystery Jets
2004年にブレイン・ハリソン、ウィリアム・リース、カイ・フィッシュ、カピル・トレヴェディが結成した4人編成バンド。2006年にファースト・アルバム『メイキング・デンス』をリリースし、「テムズ・ビート」の象徴として世界的な評価を浴びる。セカンド『トゥエンティ・ワン』につづき、2010年には名門〈ラフ・トレード〉移籍後初となるサード『セロトニン』を発表。2012年にオリジナル・メンバーであるカイが脱退するも通算4作めとなる『ラッドランズ』を作り上げ、2015年には新メンバー、ジャック・フラナガンを迎え入れ5枚めのニュー・アルバム『カーヴ・オブ・ジ・アース』を完成させた。

過去を研究することがいちばん大きかったと思う。それにはロンドンに戻らなければならなかったんだよ。(ウィリアム・リース)

今作の背景にはアメリカーナの研究があるということですが、どんなものを聴いていらっしゃいました? あるいは、それは音楽にかぎらない探求だったのでしょうか?

ウィリアム・リース(以下ウィリアム):今回のアルバムにはあまりそういうところはないかもしれないな。

そうなのですか? それはごめんなさい。では、前作のお話をうかがっても?

ウィリアム:あのときはすごく新鮮な体験だった。テキサスに行って、スタジオをつくって、音楽を生んで、レコーディングする──それは僕たちがずっとやりたかったことなんだ。夢でもあった。とくにアメリカ大陸から生まれてきた音楽を愛してきた身としては、すごくやりたかったことなんだよ。でも、この作品にはその痕跡はあるかもしれないけど、具体的にどんな影響があるかというと、明確には言えないな。音楽的な影響というよりは、もっと本質的な意味で、その体験を経たことによって今作では過去を振り返らなければならないということに気づいたんだ。それで、若い頃に聴いていた音楽をたくさん聴き返して、ロンドンに戻って、かつてそれを聴いていた場所でもういちど音楽をつくってみた。……そうだね、過去を研究することがいちばん大きかったと思う。それにはロンドンに戻らなければならなかったんだよ。

なるほど。アメリカというものにぶつかって、あらためて見えてきた英国について教えてください。

ウィリアム:そういうふうに自分で考えたことはなかったけど、たしかに感じられるものはあったような気がする。おもしろいもので、アメリカ文化という、自分とはぜんぜんちがうものに触れて──「これじゃない」というものに触れて、はじめて人は自分を意識できるのかもしれないね。そういうところはあったかもしれない。ただ、作品について言えば、“『ラッドランズ(Radlands)』パート2”をつくることはできなかった。それに自分たち自身をそのまま表す作品にしなきゃいけないということはわかっていた。『ラッドランズ』は架空のキャラクターを設定して生まれた作品だったけど、今回はもっとパーソナルな作品だ。それがイギリス的かどうかということになると自分にはわからないし、そこはもう自分にとっては重要なことではないんだ。
 むしろ、それはファースト(『メイキング・デンズ(Making Dens)』)でやったことかもしれない。あれは、曲名からしてもものすごくイギリスっぽいものだったと思うよ。シド・バレットだったりキンクスだったり、自分たちの好きなアーティストたちを意識していたし、自分たちもその系譜に並びたいと思っていたんだ。でもいまは「国」というレベルではないところで自分たちのアイデンティティを持ちたいと考えているかな。もちろん、聴いてくれた人がこの作品をイギリス的だと思ってくれたとするなら、それはどんなとこなんだろう? って興味深いよ。

いまは「国」というレベルではないところで自分たちのアイデンティティを持ちたいと考えているかな。(ウィリアム)

カピル・トレヴェディ(以下カピル):どこでレコーディングをしてどういうことをやるかというのは、ひとつ前の作品の反動も大きいよね。3作めのときは、とても大きくて洗練されたスタジオで録ったから、次はアメリカの田舎の家をスタジオにしてみようと思ったし、そうするとその次(今作)はもういちどロンドン──自分たちが育ったところでやってみようということになる。それが自分たちにとっての新しいチャレンジってことだよね。

なるほど、よくわかりました。「テムズ川のほとりの小屋で録音された」と聞くと、どうしてもつい原点や精神的な拠り所を求めての録音だったのかなと想像してしまって。必ずしもそういうわけではないんですね。

ウィリアム:ロンドンという意味でのルーツではなくて、もっとパーソナルなルーツに戻るべきだと思った、ということかな。この10年間、自分たちがバンドでやってきたこと、それから人間として変化してきたこと──恋愛だったり人との関係だったりね──を振り返らなければならない時期だったのかもしれない。実際にバンドもひとつのチャプターが終わって次の分かれ道に突き当たったようなところがあって、そういう意味でもいったんホームに戻るということが重要だったんだ。
 もっと現実的なことを言えば、家族や友だち、ロンドンに戻っていっしょにいなきゃいけない人たちもいた。そんな事情もありながら、そういうことも全部が曲に反映されていったのは不思議なものだよね。パーソナルだというのはそういうことかな。

『ホール・アース・カタログ』っていうのは、あの時代にはたしかに生きていたイノセンスや楽観性を表現しようとしたものだと思うんだ

ええ、なるほど。一方で資料などを拝見すると今回はスチュアート・ブランドとの対話やコミュニケーションが今作の大きなインスピレーションになっているという紹介もあります。そのあたりはどんなことがきっかけで、どのようなやりとりになったのでしょうか?

ウィリアム:今日はいくつものメディアから『ホール・アース・カタログ』についての質問を受けたんだ。そのたびに新しく答えを発見するような気がする。いま思ったのは、やっぱり『ホール・アース・カタログ』っていうのは、あの時代にはたしかに生きていたイノセンスや楽観性を表現しようとしたものだと思うんだ──60年代という時代の持っていた、ね? 僕たちのパーソナルな視点から言えば、かつてブレイン(・ハリソン)のお父さんのヘンリーもバンドのメンバーだったんだけど、彼は『ホール・アース・カタログ』をリアルタイムで知って感じていた人間なんだよ。だから僕たちにとっては過去といまがつながるような感動があったかな。当時の若い男の人たちはそのオプティミズムやイノセンスを表現していたわけだけど、それはかたちは異なれど僕たちも表現していることなんだ。本質は同じなんだよ。それに『ホール・アース・カタログ』はインターネットの先駆けみたいなものでもある。インターネットにおいてもっともポジティヴな部分は人をつなごうとするところ、点と点をつないでコミュニケーションを生むところだよね。それは過去といまがつながるということでもあるし、ヘンリーと僕らがつながるというパーソナルなことでもある。

その「イノセンス」や「楽観性」というのは、本来、音楽がもっともたやすく体現しうるものでもあると思うんですね。でも世の中が複雑きわまりなくなっていくものだから、いまの音楽はますます多大な情報量を含みこんで表現しなければいけなくなっているようにも思われます。そういう、一種息苦しい状況の中で、音楽が提案できるものが何かという、その答えが今作にあると考えていいですか?

カピル:まず、オプティミスティックなものがいちばん強く聴こえるのは、それがちゃんと意識されたものである場合だと思う。実際に絶好調なときにオプティミスティックな曲を書くよりも、たとえばすごく苦しい状況にあったりしても──自分の楽観的な部分が脅かされるような状況であってもなお楽観的であろうとするときに、その表現は強いものになるんだ。

まず、オプティミスティックなものがいちばん強く聴こえるのは、それがちゃんと意識されたものである場合だと思う。(カピル・トレヴェディ)

ウィリアム:たとえばいまパリはテロを受けて大変な状況を迎えているよね(取材は2015年11月に行われた)。そんなときに、ただバカみたいに楽観性を振りかざして曲を生むことなんてできないと思う。だからこの作品もオプティミスティックに聴こえたとしても現実的なことを表現しているつもりなんだ。曲というのはひとつのプロセスであって、そこで提示してあるものは自分たちの苦しかったり不安だったりする経験でもあるんだけど、それにただ打ちひしがれてしまうのではないという部分を表現したいというか──どうやってそれを赦すか、とか、どうやってそれと折り合いをつけるか、それでも前に進むにはどうしたらいいか、とかね。
 ビートルズとかキンクスの曲を聴くと、いまの時代にはないナイーヴさみたいなものを感じる。僕はその時代を生きたわけじゃないからわからないけれども、そういうことにはちゃんと理由があったはずだし、何かいまとはちがう明るさみたいなものもあったんだと思うんだ。ただ、いまという時代はいろんなところであまりにいろんなことが起きているけれども、そこにちゃんとした原因や理由みたいなものが見出しにくいというか。なんでそうなったのか? そうしたことがごちゃごちゃになってグレーに見える。いまの音楽にはそのエッジが表れていると思うし、自分たちの作品にもそれは表れているんじゃないかと思うよ。ある意味で、明るいだけではなくてビタースウィートなものにね。今作はそういう意味でのオプティミズムを持っていたかもしれない。

ビートルズとかキンクスの曲を聴くと、いまの時代にはないナイーヴさみたいなものを感じる。(ウィリアム)

60年代という時代が抱いていた理想と、いまの時代が抱けるものとの差のなかで、楽観性ということのポジティヴな意味を考えているわけですよね。……すごく思索的なバンドなんだなあとあらためて驚いているのですが、でもあえてお訊ねすると、そういうことへの回答を音楽で行う必要はないじゃないですか? きっとキャリアを重ねていくなかで取り組むテーマや音楽観も大きくなっているのではないかと思うのですが、そのなかでいま自分たちの目指すべき音楽のかたちをどんなふうに考えていますか?

ウィリアム:それはなかなか答えにくいな。音楽はある明確な何かを表現しようと思ってつくるものじゃないからね。それは自分が生きてきたことの結果として生まれるもので、たしかにタイトルなりコンセプトなりがついてひとつの製品として作品ができあがっているように見えるかもしれないけど、音楽そのものはそれそのものだけを表現している──極端に言えば、曲のほうからやってくるものなんだ。だからこそ、生まれてきたときはぜんぜん複雑なものではないし、実際に複雑にも聴こえないと思う。つくるのにものすごく努力したり考えたりはするけどね。それをインスピレーションと呼ぶ人もいるけれど、曲をこれだというかたちにするのはコンセプトじゃないんだよ。

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