「K A R Y Y N」と一致するもの

Blu & Exile - ele-king

 90年代から脈々と続いているLAのアンダーグラウンド・ヒップホップ・シーンのなかで、そのDNAをいまも強く引き継いでいるアーティストのひとつがこのヒップホップ・デュオ、Blu & Exile だと個人的には思っている。西海岸特有のドライな気候や人種が入り混じった街の空気感であったり、芸術面で進歩的なコミュニティがあるすぐ隣にギャング・カルチャーが根強く存在していたりと、そういったLAならではの土地の事情が、リリック的にもサウンド的にもLAのヒップホップ・シーンを形作ってきた。そこから生まれた、Project Blowed の中心的存在であった Freestyle Fellowship や、あるいはワールドワイドな人気も得た Jurassic 5 が築いたレガシーは、のちに Low End Theory などにも継承され、さらに間接的にではあるが、Kendrick LamarAnderson .Paak といったいま現在のトップ・アーティスト達にも間違いなく影響を与えている。そして、いまでもどっぷりとアンダーグラウンドに根を張って活動を続けている Blu & Exile による、通算3枚目となる本作『Miles: From an Interlude Called Life』こそ、その伝統を最も色濃く残す最上のLAヒップホップ・アルバムだと強く主張したい。

 前作『Give Me My Flowers While I Can Still Smell Them』から約8年という期間に、様々なプロデューサーと組んで1年に1、2枚のペースでアルバムを発表してきた Blu と、クルーかつレーベルでもある〈Dirty Science〉を運営しながら、自らもメンバーである Dag Savage としてのアルバムや、〈Dirty Science〉のメンバーである Choosey のソロなど、プロデューサーとして数々の作品を生み出してきた Exile。一方で多くのファンが Blu & Exile 名義での作品を切望するなか、初期の未発表曲を集めたアルバム『In The Beginning: Before The Heavens』を経て、ようやく昨年、先行シングル「True & Livin’」をリリースし、今年、ついに発表された本作はなんと20曲収録、トータル1時間半超というボリュームで、さすがに筆者も驚いた。実は40曲作ったなかから絞った上での20曲ということであるが、この半分のボリュームでアルバムがリリースされるのが当たり前となっているいま、いい意味での彼らの頑固さが貫き通されているというは微笑ましくもあり、また嬉しくもある。

 “Miles Davis” という曲が収録されていることからも分かるように、本作のタイトルは誰もが知る(Blu の祖父が好きだったという)ジャズ界の巨匠と、同時に同名のファースト・ネームを持つ、Blu の息子にも捧げられているという。加えて、“Miles Away” という曲では距離の単位である「マイル」にもかけられており、これまで決して平坦ではなかった彼らの通ってきたキャリアの道筋も表わす。つまり Blu のパーソナルなストーリーから、LAのヒップホップ・シーンのなかで戦ってきた Blu & Exile の活動そのもの、さらにジャズなども含めた豊かなブラック・ミュージックのヒストリーや、BLMムーヴメントとも連動するような人種的な事柄や黒人が作り出してきたカルチャーなども交えて、Blu は全20曲を組み立てている。そして、サウンド面に関して言えば、MPCマスターとしても知られる Exile のサンプリング・オリエンテッドなトラックと Blu のラップとの相性の良さはやはり格別だ。前述したように、様々なプロデューサーと組んで作品をリリースしてきた Blu であるが、Exile ほど Blu のラップの声質やフロー、さらに感情的な部分とも波長がピッタリ合うプロデューサーは他にいない。

 1曲目の “Blue” では、「青」という色をテーマに Blu ならではのリリシストぶりが発揮され、続く “When The Gods Meet” では人種問題なども交えながら、ソウルフルなサンプリングが散りばめられた実に美しいトラックが全てを優しく包み込む。そして、トラックの素晴らしさで言えば、ピアノのメロディが最高にハマっている “Miles Davis” は間違いないく前半の一つのピークであろう。音楽およびヒップホップそのものをテーマにした “Music Is My Everything” から “Bright As Stars” への流れは Choosey、Jimetta Rose、Aceyalone (Freestyle Fellowship)、Iman Omari といった彼らとも繋がりの深いゲスト・アーティストとの絡みも大きな聞きどころであるし、逆に意外な組み合わせとも言える、イギリス在住のレゲエ・アーティスト、Gappy Ranks をフィーチャした “Troubled Water” でのストロングなスタイルもストレートに格好良い。アルバム中盤のピークである、9分以上にわたる “Roots Of Blue” では、アフリカン・ビートに乗せて、人類の成り立ちから偉大な黒人指導者、様々なミュージシャンの名前を次々と連呼し、タイトルの通り Blu 自身のルーツが紐解かれる。この流れは、再び登場の Gappy Ranks に加えて、盟友である Aloe Blacc が参加した “African Dream” にも繋がっていくが、さらに対とも言えるタイトルの “The American Dream” では、Miguel をゲストに迎えて、ポジティヴなマインドでひたすら自らの夢を語ったりと、曲によってのテンションのアップダウンもまた心地良い。ラストを飾る “The End” では、Dag Savage として Exile もラップを披露し、ハードなマイクリレーでアルバムを締めくくる。この曲のなかで Blu の「I walked to Japan」というラインにニヤリとさせられたが、このアルバムを提げて、いつかまた彼らが日本でライヴをする日が来ることを強く願いたい。

New Order - ele-king

 UKはマンチェスターのロック・バンド、ニュー・オーダーがライブ盤以来の作品を発表、スタジオ録音の曲としては2015年の『ミュージック・コンプリート』以来となる新曲「Be a Rebel」を本日9月8日リリースするそうだ。
 ニュー・オーダーの往年の名曲“ラヴ・ヴィジランティス”を彷彿させるメロウなギター・ポップ・サウンドで、しかもニュー・オーダーにしては珍しく直球な、「反逆者になろう」と繰り返される歌詞には、ますます厳しくなっていくこの時代へのメッセージが歌われている。所属する〈ミュート〉のツイッターによると、UK時間の7:45am - 8am(日本時間の15時45分~)からBBCRadio2でお披露目があるとのこと。ぜひぜひチェックを。なお、フィジカルのリリースは11月になる。

interview with Phew - ele-king

 Phewがアーカイヴ・レーベルをあまり評価していないことは、驚くにはあたらない。関西のパンク・グループだったアーント・サリーの解散後、これまで日本で出されたなかで(ついでに言うなら、それ以外のどこもすべてひっくるめたなかで)もっとも際立ったソロ・デビュー・アルバムをリリースしてからの40年、彼女には、過去の栄光を利用するという選択肢もあったはずだ。が、そのかわりにPhewは、ここ数年間、キャリアのなかでいちばん強力な音楽を制作している。それも2010年代にエレクトロニック・ミュージシャンとして注目に値する再生を遂げたあと、続けざまにだ。

 2015年に『ニュー・ワールド』をリリースしたあと、Phewが作りあげてきたのは、完全に異彩を放つもので、ドローン・シンセサイザーやスケルタルなリズムや不気味なヴォーカル・シンセが押しよせるサウンドだった。好評だった2枚の海外リリース『Light Sleep』や『Voice Hardcore』に加えて、彼女は大規模な海外ツアーをおこない、パンクの同輩であるザ・レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとのデュオも試みている。

 Phewの最新のアルバム『Vertigo KO』〈Disciples〉には未発表音源と2017年から2019年にレコーディングされた新曲が収録されている。ライナー・ノーツでPhewが「無意識の音のスケッチ」と言い表しているこのアルバムは、私たちが生きている不安な時代において、力強く響き渡っているのだ。

実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

まず、このコロナ禍で、どのように毎日を過ごしていらっしゃいますか。

Phew:3月に全部のライヴの予定がキャンセルになってしまって、自分のペースが壊れてしまい、戸惑いもあったし、これからどうしようかと、まず思いました。非常事態宣言期間中はそのような感じでした。でも、そのペースにも慣れてきて。私はもともと家に居るのが好きなんですよ。本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり。だから、外に出られないというのは全然苦ではなくて、いまはそのペースにも慣れてきたところです。ただ、これまで通り、生活して音楽を作る日常を繰り返すということに、意識的になりました。寝て、起きて、買い物に行って、食べて、みたいなことって以前はすごく退屈だったけど、それを意識的に繰り返しています。ライヴはまだできない状態ではあるけど、できるような状況になれば、またライヴもはじめると思います。

このアルバムが発表されたときもっとも印象に残ったのは、隠されたメッセージの「なんてひどい世界、でも生き残ろう」という言葉でした。素晴らしい言葉だと感じました。

Phew:ふふふ(笑)。実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

最近作っている音楽、とくに5年前から作っている音楽はすごく独りぼっちで作られたイメージでした。世界から離れたところで作っているような。家に居て、家で音楽を作ることが変わってないけど、このコロナ禍が作る音楽に影響を受けているような感覚はありますか?

Phew:それは、後になってわかることだと思います。いまは本当に、日常を繰り返すこと。それを自分に決めています。むしろ、いま起こっていること、大変なことがあちこちで起こっていますけど、それにいまは反応できないですね。だけど、そこから敢えて目を背けているわけではなくて、見えているけど、敢えてネットとか時代の大きな流れに乗らない。そこに向かっていかない。時代へのアンチテーゼというか。でも、反時代って、言い換えれば、こんな現実はなかったらいいのにということですよね。いままであったこともなかったことにしたい、一方で、なかったことにはできないということを、私自身よく理解しているつもりです。いまの現実の状況は自分が集められる情報を見て、少なくとも理解しようという姿勢ではいます。その両方の感覚があるなかで、日常を繰り返して、そこで生まれてくるアイロニー、諧謔性というか、その感覚がいま、自分のなかで音楽を作るということに対するスタンスですね。

たしかに。ロンドンの〈Cafe OTO〉のTakuRokuというレーベルで、Phewさんの書いた説明と似ているところがありました。ご自身の音楽を通して、未来を描くというか。

Phew:別に音楽だけではなくて、「未来」というものはいま考えていることだから。「過去」もいま考えていることであるし。だから、決して「いま」は何もなくて、過去と未来しかないっていう言い方。「いま」っていうものはすごく空虚。だから、いま起こっていることをいま伝えることはできない。

そうですね。

Phew:だから、たいへんな状況ではありますけど、先のことって……考えても仕方ないとまでは言わないですけど、私は「未来に向かって」というような考え方はできないんですよ。せいぜい、1~2週間から2~3日という単位で具体的な予定を立てて、みたいなことくらいですね。

私、実は今日久ぶりに『ニュー・ワールド』を聴いたんです。最初に聴いたときはそのアルバムはのちの活動の入口のように感じましたが、久しぶりに聴くとむしろPhewさんが昔やっていたことに繋がっていると感じて。ある意味、『ニュー・ワールド』でいったん終止符がついたという風に感じました。いかがでしょうか?

Phew:どうなんだろう……。実は私、自分の昔の作品は聴かないんですよ。でもね、人の昔の曲を聴いていて、聴くたびに印象が変わったり、発見があるという経験はありますよね。とくに、世代的にもアンチ・ヒッピーで、私が夢中で音楽を聴きはじめてやりはじめた頃って、60年代の音楽は避けていたというか、なんてもったいないことしたんだろうと感じることはありますよね(笑)。

わかります(笑)。

Phew:ほんとに。実際に、グレイトフル・デッドも活動していたけど、耳を閉じて逃げていたというか(笑)。若いときに聴いて「これは、ヒッピーだ!」と決めつけることって間違っていましたね(笑)。でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

アンチ・ヒッピーというのはどこかで影響をうけて、そう感じるようになったんですか?

Phew:10代の頃にその光景を実際に目撃していたんですよ。60年代の戦いに負けてその後どうなったかも含めて。70年の半ばくらいのロック・ミュージックって、本当に何もなかったんです。私が中学生のとき、デヴィッド・ボウイを自分から聴きはじめたのは『アラジン・セイン』くらいからですけど、すごくギラギラでね、あとT・レックスも好きだったけど、これもぎらぎらで空っぽな感じ。日本だけかもしれないけど当時、人気があったバッド・カンパニーとかディープ・パープルとかも嫌だったんです。服装や、音楽も嫌だし、女の子向けのミーハー心をくすぐるような記事や雑誌も嫌でした。そういうものが中学生のときから好きではなかったんです。で、バッド・カンパニーのファースト・アルバムを姉が持っていて、中袋に同じレコード会社〈アイランド・レコード〉の他のアーティストのジャケット写真が載っていたんです。そこに、スパークスがあって、『キモノ・マイ・ハウス』の写真を見て、ジャケ買いしました。はじめは、すごく変な人たちがいるなという感覚だったんですが、彼らはデヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』とも違うし、成功してぎらぎらになったマーク・ボランとも雰囲気が違う。聴いてみて、即、大好きになりました。ハード・ロックのディープ・パープルとかが主流ではあったけど、片隅にあった音楽を自分で探して聴くようになったのは、その辺りからですね。でも、スパークスも〈東芝EMI〉から日本盤が出ていたんですよ。それで近くのレコード屋で買うことができたんです。そこから、次第にニューヨークのパンクにも繋がっていきましたし。こんな昔話しちゃった(笑)。

いや、全然いいですよ! 『Vertigo KO』のライナーのなかで、「無意識的に音楽を作る」という言葉をよくおっしゃっていますが、音楽を作るときは意識的のときと無意識的のときの違いはどのような点にあるのでしょうか?

Phew:例えば、人から依頼があって、頼まれて仕事として、「こういうものを作って下さい」という仕事は、すごく意識的に作ります。制約もたくさんありますし。自分のソロ・アルバムのときは自由に作れるので、無意識的というか何も決めずにまず音を出して、作業を進めていきます。でも、100%無意識的というのはあり得ないことでもあって。アルバムにするためには、曲を編集したりしますから。演奏自体は半ば無意識的で、出した音によって次の音が決まってくるというやり方で音楽を作ることが多いんですけど。でも、それをパッケージにするのは極めて意識的な作業です。

でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

今作の中でレインコーツのカヴァー(2曲目“The Void”)はわりと意識的に作っていたようにも感じました。

Phew:そうです。あれはラジオ局からの依頼があって、「1979年にリリースされた曲のなかから、カヴァーしていただけませんか」という制約がありました。そのときはちょうどアナとのアルバムができたばかりの頃で、レインコーツも好きだったので、なかでもとりわけ好きだった、“THE VOID”を選びました。それをカヴァーするときはいろいろと考えました。例えば、ポストパンクやニューウェイヴの文脈でレインコーツは語られていますが、ひとつの文脈やムーヴメントとして語られることに、うんざりしているんです。私も当事者のひとりではあるけど。そう語られること、その文脈からどのように逃げ出せるか、ということを考えてカヴァー曲を録音しました。

そのカヴァーはアンナさんも聴きましたか?

Phew:はい。もちろん、すぐに送りました。

反応はどうでした?

Phew:面白がってくれました。

アナさんの新しいアルバムをリリースして、もう1枚のアルバムも作っているという話を伺いましたが……。

Phew:アルバムというか、いま、進行中のロックダウン中に作った音楽をアップするというプロジェクトがあり、そこで新作を発表すると思います。

アルバムを制作して、それと並行して海外のツアーもおこなうなかで、アナさんとのコラボレーションはどのように進化していますか?

Phew:去年はアナとツアーもしましたが、どちらかというと合間に自分のソロ・アルバムをずっと作っていました。ツアーが多かったので録音する時間をあまり作れませんでした。で、今年になってから、アナとまたコラボレーションしましょうかという話になり、6月に〈Bandcamp〉で1曲だけアップしました(“ahhh”)。本来ならば、ふたりで6月にツアーする予定だったんです。でも中止になってしまって。いまのところ、前回同様に手紙を交換するような形で制作しています。ただ、1枚のアルバムにまとめられるかどうかはちょっとわからない。それがコロナ禍以降の変化かもしれないです。
 先ほどは「未来に目標を設定にしない」と言いましたけど、アルバムを作る目標は常にあって、去年まではそれに向けて曲を作っていました。でも、今年は物流もストップしてイギリスやアメリカから荷物が届くのにすごく時間がかかるし、日本からも船便しか送れなかったり。こういった具体的な状況が積み重なって、アルバムをリリースすることを考えるのが難しくなっています。

アルバムというと、Phewさんが日本でリリースしている作品と海外でリリースしている作品がすこし解離しているように感じています。日本では『ニュー・ワールド』をリリースされていましたが、海外ではそれはほとんど知られてなかった。『Light Sleep』は編集盤で、『Voice Hardcore』は海外でも発表されていましたが日本盤とは違うし、今作の『Vertigo KO』も編集盤的だと思いました。

Phew:今作の『Vertigo KO』は、〈Disciples〉というレーベルの方がアナとのライヴを観に来てくれて、手書きのメモをもらいました。私の最近の作品をよく聴いてくれていたみたいで、音源をリリースしたいということが書かれていました。で、その次にロンドンで実際に行ったときに、レーベルの方に会って、話が進んでいきました。そのレーベルのコンセプトは、新譜ではなく未発表音源を編集してリリースするというもので、最初は、ちょっと警戒しました。未発表音源のリリースってあまり良い印象がなかったんです。80年代のレアでもないですけど、そのようなものを集めて出すというビジネスをあまり良く思っていなかったんです。でも、〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。いままでだったら、80年代のファースト・アルバムや、『アーント・サリー』、坂本龍一さんがプロデュースした最初のシングル(「終曲(フィナーレ)/うらはら」)だったりのお話が多かったんですけど、〈Disciples〉は違ったので、これは新しいなと思って(笑)。
 それで、日本に帰ってから、未発表音源を送って、向こうが選曲してきたんですよ。その選曲が新鮮で、1枚のアルバムにするために、新しい曲を2曲足しました。だから、『Vertigo KO』はレーベルとの共同作業ですね。私は自分の昔の曲を聴かないんですけど、でも聴かざるをえない状況になって、自分の曲をリミックスしているような感覚でした。それはすごく面白い体験にもなったし、レーベルの方とのやり取りで出てきたアイディアもたくさんあったし、タイトルとかも含めてね。

この経験後、また同じようなプロセスで制作したいと思われましたか? 今回だけですか?

Phew:今回のプロセスは楽しかったし、また機会があれば是非やってみたいですが、ずっと録音しているので、次は、この1年で録音したものをまとめてアルバムとしてリリースしたいです。

それは、今作の最後に出る “Hearts and Flowers”みたいな感じになりますか?

Phew:その続きのような形で1枚のアルバムを作るだけの曲はできているんですよ。でも、さっきも言ったように、いまは1枚のアナログ盤やCDなりを作って販売するは難しいし、思案しているところです。でも、自主制作でもやるつもりですけどね。来年になりますけど。

〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。

『Voice Hardcore』は自主レーベルでリリースされていましたが、それは意図的でしたか?

Phew:どうせどこも出してくれないだろうと自分で決めてしまったのもあったかもしれない(笑)。レーベルを探そうともしなかったし。ちょうど、ヨーロッパ・ツアーに行く前になんとか形にしたいという想いがあって、自分ひとりでやるとその辺は早いじゃないですか。どこかからリリースすると、時間が最低でも2ヶ月、3ヶ月かかるでしょ。でも、自分やると1ヶ月くらい。でも、『Voice Hardcore』を出してくれるようなレーベル日本にあったのかな(笑)。

『Voice Hardcore』の評価は海外では良かったと思いますよ。

Phew:日本でライヴをするとしても1000~2000人とかのキャパではやらないじゃないですか。小さなスペースで、お客さんの顔が見える所で日本ではライヴをやっていますけど、海外でも一緒ですね。ただ、世界中に聴いてくれる人が散らばっていることがわかって、ホッとはしました。だから、一緒かなとは思いますね(笑)。例えば、ロンドンやニューヨークで『Voice Hardcore』を評判が高かったといっても1000人や2000人のお客さんの前で演奏するわけではないし。規模としては一緒だと思いますよ。ただ、ニューヨークとかは実験音楽や即興音楽をサポートする団体や機関の選択肢が日本よりも多いという違いはありますけどね。

日本でも80年代とかは、大きな会社が実験音楽や即興音楽の文化を支援していたという印象がありますが、もしその時代だったらPhewさんが世界と交わっていなかったかもしれませんよね。

Phew:80年代は日本でいろいろなものが観れたんですよ。音楽だけではなく、演劇やダンス、現代美術、世界中のものを観るチャンスがたくさんあったんですよね。とくに東京は。お金があったから人は来たけど、それをいまに繋げられていない、そこから何も残っていないと感じています。私はその時代に生きてきたわけだけど、まさに80年代は反時代というスタンスで活動していました。その時代を見てはいたけど、渦中にはいなかった。

この話と繋がるかわかりませんが、コロナ禍になって、ライヴハウスや映画館がすごく苦しんでいますよね。実際、Phewさんも4月から5月にその件でツイートされていました。この状況のなかでライヴハウスに何か応援できることはあると思いますか?

Phew:自分にできる範囲で、ドネーションしたりグッズを買ったり、そうするしかないですよね。うーん……。休業補償は手厚くしなければならないと思います。ただ、コロナ禍で無傷な業種はほとんどなくて、ほぼ全業種じゃないですか。だから、ほそぼそと自分のできることをするしかないですね。俯瞰して語れないし、渦中でこれからどうなるのか見えない。だからこそ、私は毎日の繰り返しってすごく貴重なことに思えています。GDPが27%下落というニュースを昨日読みましたが、EUやアメリカはもっとですよね。先のことは全くわからないし、悪いことしか考えられない(笑)。短いところで、日常を続けていくしかないですよ。その日常がちょっとずつ変わっていくこともあるかもしれませんけど。
 ライヴハウスに関しては……心苦しいし、辛いですよね。自分の音楽を発表する場所としてだけではなくて、人がフランクに集まれる場所がないのは、辛いですよね。私は何よりもそういったクラブやライヴハウスの雰囲気が好きだったんです。オールナイトのイベントで3時とか4時になったらみんな床で寝ているじゃないですか(笑)。あの無防備さというか、みんな野良猫みたいで(笑)。クラブ以外ではありえない。音楽好きな人が集える安全な場所が危機に瀕しているのは辛いし、なくしてはいけないと思います。

インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)

『Voice Hardcore』に入っていた4曲目の“ナイス・ウェザー”という曲で、天気について触れられていて、今作でも天気について触れられていましたよね。私はイギリス人でイギリスでも日常会話のなかで天気の話題はよく出てくるんです。日本では天気について触れるとき、どのようなメタファーがあるんですが?

Phew:もう、天気の話しかできないんじゃないかというのはあります。ふふふ(笑)。自由に発言できるのはごく限られた場所しかなくて、ちょっとしたことでも言葉尻だけ取られて、変な風に解釈されるし。天気だったら大丈夫だろうと(笑)。季節の移り変わりについて語ることは、誰も文句をつけられないでしょう。イギリスの場合だとわりと早い段階から多様な人たちが共存してきた国ですし、文化の違う人たちが一緒に住んでいて、一番安全な話題が天気だと解釈されているということはありませんか?

イギリスではすぐ政治の話をする人が多くて、その点で日本との違いがありますが、一番安全な話題として天気があることは共通していると思います。

Phew:政治の話とかは顔が見える人とはできますけど、公に向かって話したくはないと思います。

Phewさんは単刀直入な方だと思っていました。それはインタヴューだけでしたか。

Phew:インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)。それに、顔の見えない人に向かって発せられたメッセージは政治家であれ、アーティストであれ、その言葉は一切聞くつもりはないですね(笑)。聞かないです。

良いポリシーだと思います(笑)。では、ここで終わりにしましょうか。

Phew:はい。またどこかで直接お会いできたらと思います。ありがとうございます。

(8月19日、skypeにて)

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Interview/translation: James Hadfield

It comes as no surprise to discover that Phew doesn’t think much of archival labels. Four decades after she emerged with Osaka punk group Aunt Sally, then released one of the most striking solo debuts ever to come out of Japan (or anywhere else, for that matter), she could easily have chosen to cash in on past glories. Instead, she’s spent the past few years making some of the most potent music of her career, following her remarkable rebirth as a solo electronic musician in the 2010s. Since the release of “A New World” in 2015, Phew has created an utterly distinctive sound, defined by synthesizer drones, skeletal rhythms and eerie vocal swarms. In addition to two well-received international releases, “Light Sleep” and “Voice Hardcore,” she’s toured extensively overseas, including in a duo with fellow punk survivor Ana da Silva, of The Raincoats. Phew’s latest collection, “Vertigo KO” (Disciples), compiles unreleased material and a couple of new tracks, recorded between 2017 and 2019. In the liner notes, she describes it as an “unconscious sound sketch,” and it resonates powerfully with the uneasy times we’re living in.

JH:How have you been spending your time during during the pandemic?

PHEW:All my live dates were cancelled in March, which knocked me off my stride. While the state of emergency was in effect in Japan, there were times when I felt confused, and wasn’t sure what to do with myself. I’m already accustomed to living like this, though. I like being at home―reading books, listening to music, watching films―so not being able to go out hasn’t been so hard. But it’s made me really conscious of how I was spending my everyday life. All those daily routines that used to bore me, like sleeping, getting dressed, shopping and eating―I’m doing them more intentionally now. I’d like to start playing gigs again too, once that becomes possible, though we’re not quite there yet.

JH:When “Vertigo KO” was announced, I was really struck by what you described as the album’s hidden message: “What a terrible world we live in, but let’s survive.” It felt like a wonderful way of putting it.

PHEW:(Laughs) In fact, that doesn’t have anything to do with the coronavirus. For the past five years or so, I’ve seen for myself how disparities are widening―not just in Japan, but also in places I’ve visited on tour―and this left me feeling that it’s a really hard world to live in. I was already thinking “what a terrible world” before the coronavirus came along.

JH:I feel like your music―especially your recent work―evokes a strong sense of solitude, like it’s being created in isolation from the world. You were already making music at home before the pandemic, but are you aware of it influencing your work in other ways?

PHEW:I think I’ll realise that further down the line. I’m just taking one day at a time―that’s what I’ve decided to do. There are lots of awful things happening at the moment, but I can’t respond to them right away. That’s not to say that I’m averting my eyes from all of that: I know what’s going on in the world, I’m just not getting too caught up in the current moment. It’s like (I’m creating) an antithesis to the era. Then again, rejecting the present is like saying you wish reality was different, and I appreciate it’s impossible to change what’s already happened. So I take a position of trying to understand at least something about the current state of the world, based on information I can gather myself. I’m maintaining these two forms of awareness as I go about my daily life, and the irony and humour that comes from that is reflected in the music I make. (Laughs) Did you get all that?

JH:I think perhaps this ties in with what you said about your release for Cafe OTO’s TakuRoku label (“Can you keep it down, please?”)―about how you’re creating your own future through your music?

PHEW:That’s because I’m thinking about the future at the moment, not just in relation to music. I think about the past, too. There’s no “now”: just the past and the future. What we call “now” is really a void. That’s why I can’t convey now what’s happening now.

JH:Right…

PHEW:So even though things are bad… I don’t want to say you can’t help what happens, but I can’t think too much about the future. I’m only able to make definite plans a few weeks ahead, or even only a few days.

JH:I went back to “A New World” this morning, for the first time in a while. I’d thought of that album as a gateway to the music you’ve created since, but revisiting it now, I felt it had a stronger connection with your past. In some senses, it's like it was marking the end of something, rather than the beginning. Would you agree with that?

PHEW:I wonder about that… I don’t listen to my old releases, but I’ve had times when my impressions of other people’s music have changed, and I’ve discovered something new. I’m from the “anti hippy” generation, so when I first started getting obsessed about music, I particularly avoided stuff from the 1960s. I’ve come to realize that was a real waste. (Laughs)

JH:I know what you mean!

PHEW:Seriously! The Grateful Dead were active at the time, but I’d closed my ears to it. When I was young, I jumped to the conclusion that it was all hippy music, which was a mistake. But there are things I liked when I was younger that I like even more now. That’s definitely true of Kraftwerk. I hated hippies, but Can and Kraftwerk were different.

JH:Was that anti-hippy stance something you absorbed from others, or did you come upon it by yourself?

PHEW:I’d seen everything with my own eyes as a teenager: how the battles of the 1960s ended in defeat. Rock music during the first half of the 1970s didn’t do anything for me. David Bowie dazzled me when I first heard him at junior high; I think it was around “Aladdin Sane.” I got into T-Rex, which was also dazzling, but totally empty. Maybe this was just a Japan thing, but Bad Company and Deep Purple were really popular here at the time, and I hated them! I hated the clothes, the music, the way they were marketed to girls with these titillating articles in the music press. I haven’t liked that since I was at junior high. My older sister had a copy of Bad Company’s first album, on Island Records, and there was an insert introducing the label’s other artists. There was a photo of Sparks’ “Kimono My House,” and I bought it based on the album cover. My first impression was that they were real oddballs: they weren’t like Bowie, they had a different vibe from Bolan’s glittery thing. When I listened to them, it clicked immediately. The mainstream at the time was hard rock like Deep Purple, but I started searching out music in the corners. Sparks were released in Japan, too. I was able to find them at my local record shop, and then that tied in with the New York punk scene. Sorry, I’m just rambling on about the past!

JH:No, it’s fine! In the liner notes for “Vertigo KO,” you talk at a few points about making music unconsciously, or without thinking. Can you tell me a bit about that distinction?

PHEW:For instance, if someone asks me to make something, it will be a very conscious process. There are a lot of constraints, too. When I’m making a solo album, I can work freely, so it becomes more unconscious, making sounds without deciding anything in advance. But it’s impossible to make something completely without conscious input, because I’ll still be editing tracks in order to make an album. The performance itself is partly unconscious; a lot of times, I’ll let the sound dictate what comes next. But when I have to turn that into a finished package, obviously that becomes a conscious act of creation.

JH:I take it that the Raincoats cover on the album (“The Void”) is an example of a consciously created track?

PHEW:That’s right. It was a request from a radio show, which asked me to cover a song that was released in 1979. I’d just done the album with Ana, and I liked The Raincoats, so I picked one of their songs which I was particularly of fond of, “The Void.” I put a lot of thought into how I’d cover it. For instance, The Raincoats are talked about in terms of post-punk and new wave, but I find it so boring when things are always framed in the same way―and this has happened with me as well. So when I covered the song, I was looking for a way to liberate it from that particular context.

JH:Has Ana heard it?

PHEW:Yes, I sent it to her right away.

JH:What did she think?

PHEW:She appreciated it.

JH:You’ve already released one album with Ana, and I saw that you had another one in the works…

PHEW:I’m not sure you’d call it an album. We’re doing a project at the moment where we’re uploading tracks created during lockdown, and I think we’ll compile those into a release.

JH:How has the collaboration evolved in the course of working and touring together?

PHEW:I toured with Ana last year, but my main focus was working on my solo album. I didn’t have much time for recording, as I was touring so much. We started talking about doing another collaboration earlier this year, and we uploaded a track to Bandcamp in June (“ahhh”). We’d originally planned to go on tour in Europe during June, but that got cancelled. At the moment, we’re sending files back and forth to each other, like we’re exchanging letters. I can’t really say if it will lead to a standalone album. Maybe that’s one thing that’s changed since the start of the pandemic. I was talking earlier about not setting goals for the future, but until last year, it was normal for me to work towards making an album, and I’d create music with that in mind. But physical distribution has ground to a halt this year: it takes forever for deliveries to arrive from the UK and US, and you can only send things via surface mail from Japan. Given the facts of the situation, it feels hard to think about releasing an album right now.

JH:Speaking of albums: there are some variations between the releases you’ve put out in Japan and internationally. “A New World” came out here, but not many people overseas seem to have heard of it. “Light Sleep” was a compilation, the international edition of “Voice Hardcore” is different from the Japanese one, and “Vertigo KO” is also kind of a compilation…

PHEW:Right, right. “Vertigo KO” started when the guy from Disciples came to watch Ana and me play, and slipped me a hand-written note. He’d been listening a lot to my recent work, and said he wanted to release some of my recordings. The next time I went to London, we met up and talked about it. The label’s concept is to release collections of unreleased recordings, rather than new material, so I initially had some reservations. I didn’t have a good impression of archival releases. Even if it’s not rarities from the 1980s (laughs), I don’t think much of releasing that kind of stuff as a business. But Disciples weren’t talking about music from a long time ago: they were interested in the solo material I’d recorded over the past 4 or 5 years, which was unusual. Up until then, I’d had lots of people ask about my first album (“Phew”), Aunt Sally, or my debut single that Ryuichi Sakamoto produced (“Finale”), but Disciples were different―which was a change! When I got back to Japan, I sent them some unreleased recordings and they decided the track selection. The tracks they picked felt fresh, and since it was going to be an album, I threw in a couple of new songs. So it’s really a collaboration with the label. Like I said earlier, I don’t listen to my old music, but in this case it couldn’t be helped, and it turned out to be a really interesting experience: it was like remixing my past. A lot of ideas came out during my exchanges with the label, the album title included.

JH:So do you think you’d like to do the same sort of thing again, or was it a one-off?

PHEW:I enjoyed the process this time, and I’d happily do it again given the chance, but what I really want to do now is release an album of the new material I’ve recorded over the past year.

JH:Is that going to be in the vein of “Hearts and Flowers” (the closing track on “Vertigo KO,” which Phew has described as the genesis for her next album), or something different?

PHEW:I have an album’s worth of material that’s like a continuation of that. But like I was saying earlier, it’s hard to make and sell records and CDs at the moment, so I’m still weighing up my options. I’m planning to self-release something, but that won’t be until next year.

JH:Out of interest, was your decision to self-release “Voice Hardcore” in Japan made out of necessity or choice?

PHEW:I think I’d probably come to the conclusion that nobody was going to release it for me! I didn’t even try looking for a label. I wanted to put something together before I went on tour in Europe, and figured it would be quicker to release it myself. When you release something through a label, it’s going to take a minimum of two or three months, but I could cut that down to a month or so if I did it myself. I’m not sure there were any labels in Japan that would have released “Voice Hardcore.” (Laughs)

JH:I wonder about that. It seemed to get a really good response overseas.

PHEW:When I do shows in Japan, it’s not like I’m playing at 1,000 or 2,000 capacity venues, is it? I’m doing gigs at places that are small enough for me to see the audience’s faces, and it’s the same in other countries. It was a relief to realise that there were people who’d listen to my music scattered all over the world. So it’s not a question of Japan being better or worse: I think it’s the same everywhere! Even if “Voice Hardcore” got a good reception in London or New York, I’m not going to be performing in front of 1,000 or 2,000 people over there. I think the scale is the same. The main difference is that in places like New York, there are more funding options from groups and organizations that support experimental and improvised music than in Japan.

JH:I have the impression that there was a lot more corporate sponsorship available in the 1980s in Japan, but I guess you weren’t associating much with that world at the time?

PHEW:You could see all kinds of stuff in Japan in the 1980s. There were lots of opportunities to experience culture from around the world―not just music, but also theatre, dance and contemporary art, especially in Tokyo. During the Bubble era, there was the money to bring people over, but I don’t feel like it left any kind of legacy: there’s no connection with what’s happening now. I lived through that whole period, but during the 1980s I was living in opposition to the era. I could see what was going on, but I kept my distance.

JH:I’m not sure if this is related, but venues and cinemas have been really struggling during the coronavirus pandemic. You were posting about this on Twitter back in April and May, but do you think there’s more that should be done to support them?

PHEW:I’m not sure there’s much I can do personally, besides making donations and buying merchandise. I think there has to be more financial assistance, but there are hardly any industries that haven’t been affected by the pandemic―it’s basically hit everyone, hasn’t it? We all just have to do what we can to scrape by. It’s hard to take a broader view: we’re so caught up in the midst of this that we can’t see what will come next. That’s why I’m treasuring daily life so much. I saw yesterday that Japan’s GDP had dropped 27%, and it’s even worse in the EU and US. I have no idea what’s going to happen next… and all the possibilities I can think of are bad! (Laughs) For now, all I can do is carry on with my daily life, although that might gradually change over time. With live venues, my heart goes out to them―it’s really tough. They aren’t just places for showcasing your own music: it’s hard not having somewhere for people to gather informally. More than anything, I’ve always liked the atmosphere of clubs and live venues. When it’s an all-night event, by 3 or 4 in the morning, everyone’s sleeping on the floor, right? They’re so defenceless: everyone looks like stray cats! (Laughs) That wouldn’t happen anywhere else, except at a club. It’s painful seeing these safe spaces for music lovers in such a critical state, and we can’t let them disappear.

JH:Finally: this is a weird question, but my favourite track from “Voice Hardcore” is “Nice Weather,” which features pleasantries about the weather (“Nothing happened / The weather was nice”), and you return to the theme again on this album. I’m from the UK, and it’s a regular topic of conversation there too, but what do you think Japanese people are really talking about when they talk about the weather?

PHEW:It’s like we’re not able to talk about anything other than the weather! There are only limited opportunities for people to speak freely, and the smallest thing might be misunderstood or taken out of context. It’s safe to stick to the weather, or the changing seasons. (Laughs) Nobody’s going to take issue with that! With the UK, you’ve got quite a long history of people from different cultures living together, so perhaps the weather is the safest topic of conversation?

JH:I think there’s something to that. One difference with Japan is that people in the UK are more willing to talk about politics, but I’d agree that it’s safest to stick to the weather.

PHEW:I’m happy talking politics face to face, but I don’t want to make public pronouncements about it.

JH:I thought you were pretty direct about those things. Or is that just in interviews?

PHEW:With interviews, if I can at least see the person I’m talking to, then if they ask me about these things, I’ll give them a straight answer. But I don’t want to say anything to someone I can’t see. When people start addressing messages to an invisible audience, whether it’s politicians or artists, I tune them out. (Laughs) I won’t listen!

JH:I think that’s a good policy! Shall we wrap things up here?

PHEW:I hope we’re able to see each other in person next time! Thank you.

BES & ISSUGI - ele-king

 1曲目 “Welcome 2 PurpleSide” のリリックにある「我らブーンバップの猛者」というラインが物語るように、日本のブーンバップ・ヒップホップ代表格とも言える、BES と ISSUGI によるジョイント・アルバム第二弾。SCARS および SWANKY SWIPE としての活躍でも知られる BES と、片や MONJU、SICK TEAM として数々の作品を残してきた ISSUGI のふたりは、それぞれソロでもアルバムをリリースし、さらに ISSUGI に関しては 16FLIP の名でプロデューサーとしても活躍するなど、いま現在の東京のヒップホップ・シーンのなかで大きな存在感を示している。ちなみにブーンバップ・ヒップホップとは、主に80年代、90年代のNYヒップホップの基盤となっているサウンドであるが、そこに2000年以降の東京のストリートの空気感をリリックとサウンドに注入して作り上げられるのが、彼ら流の東京ブーンバップのスタイルだ。

 本作には、NYを拠点に D.I.T.C. 関連の作品も手がける Gwop Sullivan を筆頭に、前作『VIRIDIAN SHOOT』から引き続き、DJ Scratch NiceGradis Nice、16FLIP がトラックを手がけ、加えて Fitz Ambro$e、Endrun、ベイエリアから DJ Fresh と、日米から多彩なメンツがプロデューサーとして参加。音の流れとしては前作と地続きであるが、感覚的にはより広がりのある厚みのあるトラックが揃い、シンプルに言って凄まじく格好良い。そこに乗る BES と ISSUGI のコンビネーションも鉄壁の安定感で、力強くグルーヴを引っ張る BES と、変幻自在にフロウを変化させてグルーヴを操る ISSUGI と、実に対照的なスタイルで交互にマイクを回し、ヒリヒリした極上の刺激を与えてくれる。

 アルバム・タイトルにある「Purple」の意味はオフィシャルでは明らかにはされていないが、リリックのなかに時おり出てくるいくつかのワードから想像することは可能だろう。ストリートで展開されるノンフィクションとフィクションが入り混じった彼らのリリックの世界観は、ブーンバップのオリジネイターである90年前後のNYヒップホップで描かれていた世界観とも強くリンクする。例えば、アルバム後半部分の非常にインパクトの強い “Skit” から “Inner Trial” の流れのなかにある不穏な空気や、MONJU の仙人掌、Mr.PUG をゲストに迎えた “Trap to Trap” でのネガティヴな出来事も、彼らの高いスキルによって極上のエンターテイメントに仕上げられ、ヒップホップだからこそのアートが表現されている。曲の流れやスキットやインタールードの使い方も実に巧みで、ラストの “BoomBap pt2” もしっかりと続編を期待させてくれる。良い意味で、日本のヒップホップ・シーンの正統な進化を感じさせてくれる傑作だ。

ギャングスタ・ラップの常識が満載!

世界中で最も聴かれ、影響力のある音楽
ギャングスタ・ラップの主要アーティストとヒット曲、定番アルバムがひと目でわかる、唯一の専門ディスクガイド本。

スクーリー・D、NWA、2パックから、ケンドリック・ラマー、YG、ミーゴスまで。
600曲・600枚、オールカラーで紹介!

著者は『シティ・ソウル ディスクガイド』の小渕晃。

小渕 晃 (こぶち あきら)
TOWER RECORDS アルバイト、CISCO 勤務を経て、1996年から2010年まで月刊誌『bmr (ブラック・ミュージック・リヴュー)』編集、後に編集長。現在はフリーのライター、編集者。
著書
HIP HOP definitive 1974-2017』(ele-king books)
『シティ・ソウル ディスクガイド』(DU BOOKS)

Contents

はじめに

Chapter 1
Birth of Gangsta Rap ギャングスタ・ラップのはじまり

シングル・ジャケット・ギャラリー vol 1

Chapter 2
Westside アメリカ西海岸のギャングスタ・ラップ

Part 1 1987-1992 ギャングスタ・ラップの台頭
Part 2 1992-1998 Gファンクのブーム
Part 3 1999-2011 ウェッサイ・ファンクの進化
Part 4 2012- 西海岸ギャングスタ・ラップの新時代

コラム
ギャングスタ・ラップの生まれる大きな要因となった、ブラックパンサー党の話。~ゲットーにおける自衛と、地域主義、助け合いのはじまり~ (文・野田努)

Chapter 3
South アメリカ南部のギャングスタ・ラップ

Part 1 1989-1992 サウス・シーンの勃興
Part 2 1992-1996 Gファンク時代のサウス・シーン
Part 3 1996-2011 バウンス、クランク、そしてトラップの時代へ
Part 4 2004-2009 Hタウン・ファンクのブーム
Part 5 2012- サウス・シーンの新時代

シングル・ジャケット・ギャラリー vol 2

Chapter 4
Midwest アメリカ中西部のギャングスタ・ラップ

Part 1 1991-2011 ミッドウェスト・シーンのはじまりと発展
Part 2 2012- ドリルと、90年代スタイルの継承

シングル・ジャケット・ギャラリー vol 3

Chapter 5
Eastcoast アメリカ東海岸のギャングスタ・ラップ

featuring Nate Dogg ネイト・ドッグ客演曲リスト

インデックス

おわりに

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧

amazon
TSUTAYAオンライン
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
HMV
TOWER RECORDS
disk union
紀伊國屋書店
honto
e-hon
Honya Club
mibon本の通販(未来屋書店)

全国実店舗の在庫状況

紀伊國屋書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア

 NYでは COVID-19の検査を無料で受けることができるので、私はアンチボディを1回、PCR検査を3回受けた。最初に受けたPCRは陽性と出たと前回のこのコラムで書いたが、その2日後に受けた検査では陰性と出た。
 こういったミスはよくあるという。私のまわりでも、症状のあった人が陰性で、まったく症状はないが陽性と出た人がいる。抗体も3ヶ月で消えるとのことなので、頻繁に受ける方がいいらしいが……

 仕事も再開されないので、8月は日本に行った。日本の空港では乗客すべてに唾液検査があり、テスト結果が出るまで空港を出られない。公共交通機関は使えないし、結果が陰性でも、2週間の自粛生活を強いされる。毎日電話で体調や家族に具合の悪い人は出ていないかをチェックされる。NYに戻ってきたときは、空港では検査どころか税関検査もされなかった。何事もなくNYに入れる。もちろん2週間の自粛生活もなし。8/31のNY州の死者は1人、NY市は6人と、COVID19の死者数は減り、感染者数はNY州は656人、NY市は268人。かなり減ってはいるが空港がこんな対処ではまた増えそうだ。

 いままで後ろのドアから乗っていたバスが、前からの乗車になり、料金も取りはじめた。まだ在宅ワークが多いので、地下鉄はいつもの50%ぐらいの乗車率。レストラン、バーなどでハングアウトしていても、人々はマスクをしている。
 NYのバーは、7/17からドリンクオーダーの際には食べ物も一緒にオーダーしなければならないルールができた。サラダ、ウィング、ホットドッグなどは大丈夫で、チップス、キャンディ、ナッツはだめ。ブルックリンではキッチン装備のバーが少ない。先日、シークレット・プロジェクト・ロボットがやっているバー、ハッピーファン・ハイダウェイに行ったらマルちゃんのインスタントラーメンが一袋出てきた(どうやって食べろ、と)。レベッカズに行くと食パンにチーズを挟んだ冷たいチーズサンドが出てきた。ほかにもカップラーメン、ポップタート、餃子など、お腹がすいていなくてもドリンクを頼むとフードがもれなくついてくる。その辺をうろうろしないで椅子に座らせようという意図なのだが……。
https://bushwickdaily.com/



 以前は朝の5時までオープンしていたバーが11時に閉まるので、NYの夜は早く終了するのかと思えばテイクアウトして公園などでたむろする人が増えている。女子にとってはトイレ問題と蚊が多いのが難点。
 8/21にはブルックリンを代表をするクィアーバーのハウス・オブ・イエスがリカーライセンスを取り上げられクローズした。近くのシスターレストランのファラフェル・レストランからフードをオーダーするシステムを取っていたからである。早く問題を解決して、再オープンしてほしい。

 パンデミックでクローズしたレストラン、バーは数知れない。そのなかのひとつ、レズビアン・カップルがやっているウィリアムスバーグのトロフィーバーが、8/30に13年の歴史に幕を閉じた。ブルックリンのヒップスターたち、クリエイティヴな人たちが集まるバーで、ここで出会ったカップルは数知れない。フレンドリーなバーで、フードも美味しく値段もリーズナブルだった。いまどきチーズバーガー+フライが$8だ。最後の日には、懐かしいたくさんの人が別れをいうためにやってきた。オハイオから10時間かけてやってきたファンもいた。最後はスタッフ全員にドリンク、ピザ、そして最後のバースデーケーキを振る舞い、別れを惜しみながら、エアハグでなく本当のハグをした。https://trophybar.com

 チャイナタウンには、このパンダミックのなかカラオケレストランがオープンした。で、行ってみたらすでにカラオケは市に取り上げられたらしい。そりゃそうですよね。料理はオーナーの出身地、北海道を代表するメニューで、ジンギスカンが食べられるのはNYでもここしかないかも。ドリンクには酎ハイ、ウーロンハイ、ハイボールなど日本の居酒屋で見られるメニューがずらりと並んでいた。https://www.drclarkhouse.com/

 こんな感じで、音楽ショーはまだまだだがアウトドアダイニング事情は工夫を凝らして、楽しみを作っている。今年はサマーフェスも祭りも野外映画もない。9月に入れば学校もオープンする。パンデミックのなか、この先の毎日の生活はどう変わるのだろうか。

Walearic - ele-king

 大好評の『和レアリック・ディスクガイド』から井上鑑の『カルサヴィーナ』がリイシューされましたが、和レアリックの再発、さらに続きます。
 この度あらたに再発されるのは、トゥデイズ・ラテン・プロジェクトによる同名アルバム。これもまたディガーたちに発掘された名盤の1枚であります。

 ニューウェイヴ末期の、1983年にリリースされた『トゥデイズ・ラテン・プロジェクト』は、あまりにも先駆的であったがゆえ当時は時代となかなかリンクしませんでしたが、しかしそこに記録されている音楽は、時代や国境を超越したラテン音楽でした。
 戦後からラテン音楽を紹介してきた重鎮、東京キューバン・ボーイズの見砂直照、そして70年代からラテン音楽の魅力を伝え続けている竹村淳の2人がプロデュースを手掛け、また、世界的な再評価の著しい清水靖晃、SHOGUNの大谷和夫といった実力者が参加、最高に優れたメンツで制作された珠玉のエレクトロニック・ラテン・ジャズ・サウンドなのです。スリリングかつ心地良い、ダンサブルかつチルな1枚、中古でも1~2万はするので、この機会を逃さないようお願いします。

プロデュース:見砂直照 / 竹村淳
アレンジ:大谷和夫 / 植原路雄 / 清水靖晃

TODAY’S LATIN PROJECT / トゥデイズ・ラテン・プロジェクト
Today's Latin Project / トゥデイズ・ラテン・プロジェクト
P-VINE
2020年11月4日(水)発売
監修・解説:松本章太郎

East Man - ele-king

 順序が逆になってしまったけれど、7月に入って聴いたアルバムで後半期のトップを飾ると思ったのがイースト・マンのセカンド・アルバムだった。1ヶ月以上経ってもそのインパクトは揺るがない。ザ・フォールの曲名からつけたというアルバム・タイトル「プロレタリアによるアートの脅威」は労働階級出身のマーク・E・スミスが独学であれだけの言語感覚を身につけたことに敬意を表したものらしい。日本と違って芸能界から労働階級がいなくなってしまったと言われるイギリスで(役者でいうとジャック・オコンネルが久しぶりに現れたワーキング・クラス・ヒーロー)、労働階級が文化的な表現で脅威になると宣言することはザ・フォールが活躍できた80年代とも違う意味を持つ。アントニー・ハートは自分が起用したMCたちの言葉によほど感銘を受け、自信を持ったのだろう。

 イースト・マンことアントニー・ハートについてはこれまで当サイトでは何度も触れられている。そのほとんどは米澤慎太郎のレヴューによるもので、編集部の原稿などと合わせてこれまでの経過を簡単にまとめると、アンソニー・J・ハートはまず2010年代にイマジナリー・フォースというインダストリアル・テイストを含んだドラムン・ベースのプロジェクトで10枚近いアルバムをリリース。それらはドローンやミュジーク・コンクレートとも親和性を持つようになり、彼のサウンドはどんどん抽象化していく。実験音楽の牙城とも言える〈アントラクト〉からリリースされた『Low Key Movements』(15)はその道に詳しいデンシノオトの耳に止まっている→https://www.ele-king.net/review/album/004805/

 しかし、パイレーツ・ラジオでDJを務めた経験が彼をストリート・サウンドへと引き戻したようで、現在までのところイマジナリー・フォース名義で最後となるアルバムがリリースされる前に、ベイシック・リズムという新たなプロジェクトがスタートし、彼の表現はベース・ミュージックやグライムをメインとするものに様変わりする。ここからは米澤慎太郎の独壇場である。米澤いわく「初期ジャングルの感覚を現代にアップデートし、140bpm に落とし込んだアルバム」だと→https://www.ele-king.net/review/album/005653/

 ベーシック・リズムとしていままでのところ計3枚のアルバムをリリースし、その3枚目からハートは〈プラネット・ミュー〉にレーベルを移している。そして、恐らくはインストゥルメンタル主体のベーシック・リズムと並行して複数のMCを大々的にフィーチャーしたイースト・マンも始動させる。デビューから9年目にして言葉を表現の核としたのである。ロンドンのあらゆるエリアから集まったMC陣もさることながら米澤が詳細に紹介している地下鉄のインタビュー“Drapsing”はとても興味深い。一読を→https://www.ele-king.net/review/album/006189/

 また、同アルバムのライナーノーツをポール・ギルロイが書いていると編集部が興奮気味に伝えるニュースも→https://www.ele-king.net/news/006029/

 イースト・マン名義のデビュー・アルバムはとても意義深いものだったし、MCをフィーチャーしたせいなのか、ベーシック・リズムまでははっきりとサウンドに残っていたインダストリアル・テイストが表面的にはほとんど消えていたことも僕は印象深かった。言葉をきっちりと届けたいという判断からだったのだろうか。ベーシック・リズムではいまひとつインパクトに欠けていたサウンドが確実に蘇ったことはたしかで、そのひとつはダンスホールの導入による効果だったと考えられる(“War”ではゴムを取り入れている)。ベーシック・リズムで音数を減らしていたことがMCと絡み合う上では大きな成果につながったということもあるだろう。ロンドンのイースト・エンドが再びライズしてきたのである(イースト・マンというのはそういう意味かなと?)。

 2作目となる『プロル・アート・スリート』はひと言でいえばMCたちとの絡み合いがさらに有機的となり、勢いが増しているということになるだろう。オープニングからアフリカン・ドラムにあっさり持っていかれる。サウンドはスッカスカ。確信を持って音数は減らされたまま。残酷で分断された都市を底辺から描いていくという視点はロンドンだけではなく、ブラジルのMCフェルナンド・ケップを“Ouroboros”で起用することで「インターナショナル」な現実として膨らませていく。途切れ途切れに入っているとしか思えないドラムはまるでMCの合いの手である。♩ウロボロス・ボラ・パラ・デ・オンダ プカ・エ・ボア・ノス・パサ・ナ・ロダ……って何を言ってるかまるでわかりません。「私は誰?」とシンプルに問いかけるのはフィメールMCのナイ・ナイ(♩ナイ・ナイ、フー・アム・アイ?と少年隊みたいに韻を踏んでいる)。ストリーマ、マイクロフォン・タイソン、イクリプス、ワッカイ……名のあるMCはリリカル・ストローリーことYGGぐらいしかいない。前作から引き続き参加しているのはダーコス・ストライフぐらいで、アントニー・ハートはいわば都市のエピソードをラップというフォーマットで取集している面もあるのではないだろうか。

 後半は少し勢いが落ち、“Machine Gun”ではクラウトロックみたいにただマシンガンみたいなサウンドを鳴らすだけ。ロンドンで起きているギャングの抗争はナイフの斬り合いがほとんどなので、これはさすがにリアリティがない。バイリ・ファンキ(ファベーラ・ファンク)が一時期、銃声をスネアの代わりに使うという流行りを見せたことがあったけれど、そのような痛々しさもなく、これだけはよくわからない(ポーティスヘッドの“Machine Gun”とかなり似ているし……)。ハードは自らの音楽をイマジナリー・フォースの頃から一貫して「ハイ・テック」と称していて、最後はすべてのキャリアをまとめたということなのか、“Hi Tek Theme”というタイトルが付けられていて、これが“Machine Gun”パート2のような曲になっている。う~む。最後の2曲だけ、ちょっとわからないのであった。

Disclosure - ele-king

 コロナ禍におけるUKではハウス・ミュージックがかかる違法レイヴ──いまどきの別称でいえば“隔離(quarantine)レイヴ”が頻発していることはもはやよく知られたところで、当局が30人以上のレイヴを見つけた場合は主催者に1万ポンド、参加者にも100ポンドの罰金、二回目以降は3200ポンドの罰金を科すなど政府も取り締まりに躍起になっている。まさにアナーキー・イン・ザ・UKというか、なんでも7月末には3000人規模のレイヴがあり、8月のある週末にはわかっているだけでも200件を越えるイベントがあったそうで、8月22日の電子版『ガーディアン』によれば6月以降すでに1000件の違法レイヴが発覚しているそうだ。30年ぶりのレイヴ爆発である。
 それにしても……1992年~93年のクリミナル・ジャスティスのときとは違った意味で警官(ただしフェイスガードしている)に囲まれているレイヴァーたちの写真を見ていると、イギリスって本当にレイヴが好きなんだなぁと呆れるというか感心する。いまだ有効なワクチンがなく、おそらくは公衆衛生的にも欠陥だらけで、致命的な病気にかかるリスクがあるなかでの集団的な「ダンス」なので奨励するわけにはいかないけれど、しかしまあ、本当に好きなんだなぁと。そうでもしてなければやってられないと、そういうことでもあるのだろうけれど、日本でこれはまずないでしょ。
 決して小さくないリスクを冒してまでいま森のなかや飛行場で踊っているのは、もちろん90年代に当事者だった中年たちではない。主役はその子どもたちの世代であって、まさか親から教え込まれたわけじゃあるまいし。文化として根付いてしまっているんだろう。
 だとしても、やはりどうしてもいま集まって踊ることは昔のようなオプティミズムやロマンスとは別の意味を孕んでしまう。これはもう仕方がないことだ。そして、よりによってこんな時代──UKではクラブはいまも閉店中──に堂々と『エナジー』などという直球なタイトルのダンス・アルバムをぶちかますディスクロージャーとはナンなのかと(笑)。

 いや、笑いごとではない。話はより複雑で、コロナ時代に敢えてダンスのディスクロージャーは格好いいという単純なオチでもなかったりする。コロナ前のUKにはクラブ/ハウスをめぐってのハードな議論があり、それはいまもあるので、手短に紹介したい。
 まずひとつには、昨年DJ Magが掲載した秀逸な記事──いまのUKダンス・カルチャーは白人的であり中産階級的(高価な遊び)であるという問題提起に集約される。これは、クラブ・カルチャーという漠然としながらも響きの良い言葉が「ナイト・エコノミー」という新自由主義用語にすり替えられてから起きている、大きな問題だ。日本でも「ナイト・エコノミー」が言われてから、何が失われたのかを探ってみて欲しい。企業が企画するドラムンベースのイベントなんて90年代の感覚でいえば警察がギャングスタ・ラップをやるのと同じくらい考えられない話だが、しかしそれが現代なのだ。
 もうひとつは、The Quetusが取り上げて批判している、ハウスキーピング問題もある。ロンドンのハウス好きな4人のDJによるハウスキーピングなるグループの何が問題かといえば、彼らの職業にある。経済的に決して裕福ではないアンダーグラウンドで生まれたこの音楽を、よりによって都市の再開発に関わる事業家や金融業者が「平等」や「隣人愛」を謳い、いかにもなトランシー・テック・ハウスをやるとはなんたることかという、ある意味ではなかなか指摘しづらいことでもある。これはよくよくディプロに叩きつけられている文化の搾取というレヴェルの話とはまた別だ。
 まあつまり、このところUKではそもそもハウス・ミュージックおよびダンス・カルチャーとは何なのかという本質的なことが問い直されていると、ざっくりこんな事情があるなかで、ディスクロージャーがたとえばコロナで亡くなったデトロイトのDJ/プロデューサー、マイク・ハッカビーへのリスペクトを表明したことは、小さなことだが大きなことでもある。ハウス・ミュージックのように、ロックと違って言葉を持たない/中心を持たない音楽の文化的死(清志郎のレヴューを参照されたし)を免れるには、作品それ自体の強度のほか、ひとつは作り手やメディアが言い続けることであり、より多くのリスナーがその出自を知ることであり、音楽やリスナーがストーンウォールやロン・ハーディを忘れないことである。

 ディスクロージャーは上記の議論において、ぼくが散見する限りでは、つねに賛否両論を受ける立場にいるのだけれど、だからこそ本作は注目に値するとも言える。思慮深い彼らが、では彼らのハウスをこの時代いかにディヴェロップするのかという話だ。しかもよりによって自由にダンスできない、レイヴは拡大しているが危険だし、あるいはナイト・エコノミー……いや、クラブ・カルチャーも停滞している現在にドロップされたダンス・アルバム『エナジー』、ここには彼らなりの回答がある。そのひとつはUKグライムとの共振だ。
 昨年の『Nothing Great About Britain』でいっきに評価を高めたスロウタイをフィーチャーした“My High”なる曲において、活きの良いこのグライム・ラッパーは「たのむから俺のハイを邪魔すんな(please don’t fuck up my high)」と繰り返している。そのみなぎるエナジーとファンキーなリズムを前にリスナーは圧倒されるかもしれない。コロナなんて知ったこっちゃないと言わんばかりだが、しかしアルバムではこの曲の前の前の1曲目には──シカゴ・スタイルをベースが大きいUK風にアレンジしたハウスで──ケリスをフィーチャーした“Watch Your Step(気をつけて)”がある。「私は群衆を望まない/暗くなっても私はひとりで部屋にいるように踊る」とケリスは歌っているが、これはいかようにも解釈できる歌詞で、じつはアルバムは初っぱなからリスナーをアンビヴァレンツな気持ちにさせてもいるのだ。

 ディスクロージャーは今年の頭に「エクスタシー」という、これまた直球すぎるタイトルの5曲入りのシングルを出している(※ちなみに本人たちの弁によれば彼らはドラッグ・ユーザーではない)。おそらくはこの夏に備えていたのだろう。コロナさえなければ彼らは2020年の夏の野外の王者になっていたかもしれない。だが事態は急変し、『エナジー』は場違いな作品になりかねなかったところだった。それが彼らの捻りと周到さによって、むしろこの夏に相応しいダンス・アルバムになっていたりもするのだ。
 彼らの周到さは、『エナジー』の広がりに見受けられる。アルバムには、スロウタイやケリスのほかに、シドコモンといった有名どころから、カメルーン出身のシンガーBlick Bassy、シカゴのラッパーMick Jenkins、マリのシンガーFatoumata Diawaraなど多彩なゲストが参加している。こうした華やかなフィーチャリングはメジャーではよくあることだが、9人のゲストの全員が非白人であり、何人かは英語以外の言語で歌っている。これもまた、ひとつのメッセージになりうるだろう。そして彼ら・彼女らは作中で浮いたりすることなく、色とりどりの趣向を配した本作の一部として機能している。
 それは歯の浮いた人類愛ではない。ハウスを通して見せることができる多様性の具現化だ。もうひとつの『エナジー』の特徴は、──これは今作に限った話ではないのだが──、UK音楽がもっとも得意とするセンスの良いモダンな雑食性にある。ストリート感あり、R&Bあり、ラップあり、アフロ・テイストありと、いろんなものが詰められているがスジが通っていて、よく練られているのだ。思いきりサンバのリズムを使った表題曲“Energy”を拒否するか受け入れるかはリスナーの精神状態にかかっているかもしれないが、コロナ禍だからといって音楽まで自粛する必要はどこにもない。

 2020年の夏に相応しいとはそういうことだ。『エナジー』は夏のダンスであり、UKハウスの魅力が詰まったアルバムで、と同時に、以前のようにクラブで騒げないからといって、いまダンス・ミュージックを作ることが決して無意味ではないということの問いかけにもなっている。ポップと、そしてアンダーグラウンドを行き来できることがダフト・パンクやベースメント・ジャックスの時代よりも重要になっている現在において、ディスクロージャーの『エナジー』をぼくは部屋のなかで楽しんでいる。TVからは国民不在の政治ニュースが流れているが、「たのむから俺のハイを邪魔すんな」である。

Bright Eyes - ele-king

 アメリカにおいてフォーク(・ロック)が何かしらの説得力を増しているのではないかと感じているのはこの数年のことで、去年辺りからそれが確信に変わりつつある。ひとつにはビッグ・シーフがサウンド的にもコンセプト的にも目を見張るような作品をリリースしメディアに絶賛されたというのもあるし、ひとつにはビル・キャラハンマウント・イアリのようなヴェテランが力作を発表し若い世代に発見されているということもある。もちろんボン・イヴェールがコミュニティ・ミュージックとしてのフォークを再定義しようとしているのもあるし……さらに大きなところで言っても、ボブ・ディランの17分を超えるシングル、それに久々のオリジナル作がアメリカを激しく問うものであったこともある。あるいはまた、テイラー・スウィフトのようなゴシップと戯れてきたメガ・ポップ・スターがそれこそボン・イヴェール一派の力を借りつつ『Folklore (伝承歌)』というタイトルの、アメリカの人びとの記憶を巡るフォーク・アルバムを制作する事態まで起きている。
 それは2016年からの重い問いになっている、「では、そもそもアメリカの民主主義とは何だったのか?」というテーマともリンクしているだろうし、権力と対峙するときの「人びと」のコーラスがいまどれほどの力を持ちうるかの試みでもあるだろう。あるいはまた、個と公がどのような関係を描くのかという問い直しであるだろうし……結局、混乱する時代にあってわたしたちは何度でもそこに立ち返るしかない。

 そんななかでいま急速に再注目と再評価を集めているのがコナー・オバースト率いるブライト・アイズである(それと、ボニー・“プリンス”・ビリーも。ウィル・オールダムは『ア・ゴースト・ストーリー』のような若い世代の心を捉えたインディ映画に俳優として出演するなどして、インディ・キッズたちの間でクールなアウトサイダーとして人気を高めている)。ブライト・アイズといえば、多くのひとが思い出すのは音楽的なテンションがピークに達していた『LIFTED or The Story Is in the Soil, Keep Your Ear to the Ground』(2002)~『I’m Wide Awake, It’s Morning』(2005)の頃だろう。同時期にはブッシュ政権の傲慢を激しく糾弾したシングルにしてプロテスト・ソング「When the President Talks to God (大統領が神に話すとき)」もある。自分の混乱や不安定さを隠さないままこの社会の不条理を訴えるオバーストの姿を見て、人びとは彼を「若きディラン」と呼んだ。それももう15年前のことだ。
 それからブライト・アイズは2010年代頭に向けて批評的にじょじょに失速していく。いま思えば、彼が受けた世の過剰な期待に対応しきれず、ややスピリチュアルな方向に進んだのと関係しているのかもしれない。ライターとしてデビューしたばかりの頃の自分が書いた『The People’s Key』(2011)の拙いレヴューを読み返してみると、はっきりと落胆が記されており、まあ拙いながらも当時の自分の正直な気持ちだったのだろうと思う。ブッシュ時代からオバマ時代へと至り、オバーストは何を歌うべきか、彼自身もリスナーも見失いつつあったのかもしれない。そのことを表すように、『The People’s Key』はフォーク・ロック・アルバムではなかった。
 しかしブライト・アイズとしての作品が長く途絶えている間に、次の世代がその存在を参照しはじめる。そこでキーワードになったのがエモだ。リル・ピープやマック・ミラーのようなエモ・ラップがカヴァーやサンプリングで精神性の拠り所にし、また、エモからの影響を公言する新世代のインディ・ロック・スターであるフィービー・ブリジャーズとオバーストのフォーク・ロック・ユニットであるベター・オブリヴィオン・コミュニティ・センターが結成されるなんてこともあった。ビッグ・シーフは自分たちがかつて所属した〈サドル・クリーク〉を「ブライト・アイズがいたレーベル」として認識していたという。初~中期のブライト・アイズにおける思春期性を帯びたエモーショナルさがときを経て、メンタル・ヘルスの問題が取り沙汰される世代に発見されるのは自然な流れだったのかもしれない。時代の混迷とともに、彼の震える声が再び求められたのだ。そして、ブライト・アイズとして9年ぶりのアルバムがリリースされた。

 フォークというにはやや作りこまれたロック・アルバムだが、『The People’s Key』よりはるかにフォーク/カントリーが戻ってきているのは間違いない。メンバーであるマイク・モギスとナサニエル・ウォルコットと再び集い、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやマーズ・ヴォルタのジョン・セオドアのような名プレイヤーの参加もあり、かなり厚みのあるバンド・サウンドとなっている。なかでもウォルコットが手がけたオーケストラはリッチかつドラマティックなもので、初期を思えばずいぶんしっかりしたなと思わせるところがある。骨格としては正統にフォーク・ロック的な “Dance and Sing” の後半でほとんど仰々しく入ってくるストリングス、“Mariana Trench” においてジョン・セオドアの激しいドラミングのなかで縦横に飛び交うブラス、ビターなピアノ・バラッド “Pan and Broom” でよく歌うバグパイプなどを聴いていると、アレンジメントのゴージャスさで聴かせる作品なのだと感じられる。とても力強い。
 それでもその中心にあるコナー・オバーストの声と歌、それはいまでも不安を抱えたままで揺らぎ、震えている。このアルバムはオバーストの元妻のスポークン・ワードで幕を開けるのだが、そんな風に人生の様々な経験を経て40代となったいまも消えることのない自身の不安定さがここにはある。そしてオバーストの視線はまた社会や資本主義の欺瞞や不条理に向かっており、しかしそれに対して太刀打ちできない自分自身の弱さや無力感が綴られている。もう彼は「フォークの若き旗手」などではないが、中年になってなお、この世に生きることの過酷さを前に膝を抱える自分を隠そうとしていない。もちろん15年間に比べると歌い方も詞作もぐっと成熟しているし、彼もやはり年を重ねているのだと気づかされる。けれど、清潔な音でピアノが響くバラッド “Hot Car in the Sun” のなかで、「ベイビー、だいじょうぶだよ。愛している」とか弱い声で歌う頼りなさこそオバーストであり、ブライト・アイズなのだ……と思ってしまう。あるいは自分がそんな瞬間を探そうとしているだけなのかもしれないが。

 僕はいまでも『LIFTED』のラスト、“Let’s Not Shit Ourselves (To Love and to Be Loved)” で「僕にはブルーズがある! 僕にはブルーズがある! それが僕!!」と絶叫する彼の危うさを耳にすると視界がぼやけてしまうし、自分が過去に持っていたのかもしれない感じやすさを掘り起こされる気分になる。『Down in the Weeds, Where the World Once Was』のクロージング・ナンバーである “Comet Song” は、それを思うとずいぶんコントロールされて安定したアンサンブルが聴けるが、じょじょに壮大になっていくオーケストラのなかで懸命に歌うオバーストの迫力に耳を奪われる。それは彼がいまも等身大の自分自身でこの世界に対峙していることの証だ。このアルバムにあるバンド・サウンドの逞しさとオバーストの不安を滲ませる歌の対比は、個と公の間にある戸惑いのなかで何かを見失いそうな、社会の巨大さや残酷さを前にしたときのちっぽけな自分を、それでも奮い立たせてくれる。

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