「K A R Y Y N」と一致するもの

Corey Fuller - ele-king

 坂本龍一、テイラー・デュプリー、Illuha による2015年のライヴ・レコーディング作品『Perpetual』は、なんともすばらしい音の戯れを聞かせてくれる良盤で、いまでもこの季節になると聴き返したくなる。その Illuha を伊達伯欣とともに構成しているのがコリー・フラーだ。彼は去る2月にデュプリーの〈12k〉から『Break』というじつに興味深い新作を発表しているけれど、なんとそのアルバムのリリース・パーティが5月27日に開催される。会場はWWWで、当日は特別編成のアンサンブルによる生演奏が披露されるとのこと。詳細は下記より。

Corey Fuller + Break Ensemble with Special Guest
5/27 MON @WWW

OPEN / START: 19:00 / 19:30
ADV / DOOR: ¥3,500 / ¥4,000 (税込 / ドリンク代別 / 全自由)
LINE UP:
Corey Fuller + Break Ensemble
Corey Fuller (Piano + Electronics) / 一ノ瀬響 (Piano) / 須原杏 (Violin) / 波多野敦子 (Viola) / 千葉広樹 (contrabass)
with special guest
TICKET: 一般発売: 3/2 (土)
チケットぴあ / ローソンチケット / e+ / iFlyer (English available) / WWW店頭
INFORMATION: WWW 03-5458-7685

坂本龍一、テイラー・デュプリーらともコラボレーションをする、ILLUHA の片割れであるアメリカ人実力派サウンド・アーティスト、Corey Fuller (コリー・フラー)が待望のソロ・アルバム『Break』のリリース・パーティを開催! アルバムの世界観をライヴで表現するため、The Break Ensemble:波多野敦子(Viola)、須原杏(Violin)、一ノ瀬響(Piano)、千葉広樹(Contrabass)、そしてPAエンジニアには zAk を迎えた特別編成でお送りします。また、オープニングにはスペシャル・ゲストも出演予定。エレクトロニクスと生楽器が織りなす繊細かつ壮大なサウンドスケープ、ご期待ください!

Corey Fuller (コリー・フラー)

アメリカ生まれ、日本育ち。現在、東京在住。ミュージシャン、サウンドデザイナー、エンジニア、映像作家、写真家、として幅広く活動中。2009年にファースト・ソロ・アルバム『Seas Between』〈米Dragon's Eye〉を発表して以来、NYの名門老舗レーベル〈12k〉より ILLUHA 名義でアルバムを数々リリース。その後ヨーロッパ、北米、日本を含め世界各国をツアーで周り、Stephan Mathieu や Slowdive の Simon Scott などといった様々なアーティストとコラボレーションを積み重ねる。2013年には坂本龍一、Taylor Deupree らとYCAMで共演を果たし、そのライヴ音源『Perpetual』がリリースされた。2019年2月1日に〈12k〉より待望のセカンド・ソロ・アルバム『Break』のリリース。バックミンスター・フラーの親戚でもあるコリー・フラーは同様に自然とテクノロジー、場の力などをテーマに、建築、空間演出、写真、舞踏、短歌、書道、映画など、幅広い分野でコラボレーションを展開し、型に嵌める事なく活動の場を広げている。

interview with Binkbeats - ele-king

 年頭のニュースでも取り上げられていたが、ユーチューブでのライヴ映像によってその名を一気に広めたビンクビーツ(本名:フランク・ウィーン)。ユーチューブのライヴ動画で、その超絶的な楽器演奏テクニックを知らしめたアーティストと言えばドリアン・コンセプトなどが思い浮かぶが、ビンクビーツの場合は全ての楽器をひとりで操るというさらなるサプライズがある。最近のジャズ系ではジェイコブ・コリアーもこうしたひとり多重録音をするアーティストで、昨年は〈ブレインフィーダー〉のルイス・コールのマルチ・ミュージシャンぶりも人々を沸かせたが、ビンクビーツの場合はJ・ディラ、フライング・ロータス、エイフェックス・ツイン、ラパラックス、アモン・トビンなどクラブ・サウンドやエレクトロニック・ミュージックをカヴァーしていて、たとえばマッドリブがプロデュースしたエリカ・バドゥの“ザ・ヒーラー”(2007年のアルバム『ニュー・アメリカ パート1』に収録)のカヴァーでは、サンプリングで用いられた琴の音色を実際に自身で琴を演奏して再現するといった具合に、その凝りようやマニアックぶりがハンパない。

 オランダ出身のビンクビーツは、それら2013年から2014年にかけてユーチューブで公開されたライヴ映像を音源化するほか、2017年より『プライヴェート・マター・プリヴィアスリィ・アンアヴェイラブル』という作品集をリリースし、これまで発表された2枚のEPをまとめたものが先だって日本でアルバムとしてCD化された。この中の“イン・ダスト/イン・アス”という曲には、〈ブレインフィーダー〉所属で同じオランダ人であるジェイムスズーが参加していて、彼のアルバム『フール』(2016年)にも参加していたニルス・ブロースが全曲に渡ってシンセサイザーを演奏しているなど、非常に興味深いアルバムとなっている。ビンクビーツ自身も『フール』には本名のフランク・ウィーンでパーカッション奏者として参加していて、ジェイムスズーとはいろいろと関わりが深いようだ。それから昨年発表されたDJクラッシュのニュー・アルバム『コズミック・ヤード』でも、“ラ・ルナ・ルージュ”という曲にビンクビーツがフィーチャーされていたことをご存じの方もいるかもしれない。そんな具合にいま注目すべきアーティストであるビンクビーツの、これが本邦初公開となるインタヴューである。

ジョン・ケージのような音楽を通して、何だって音楽になりうるし、どんなものだってパーカッションになるってことを学んだのさ。

日本にはあなたの経歴が多く伝わっていないので、生い立ちを踏まえていろいろお伺いします。あなたの拠点はオランダのユトレヒトですね。私も前に行ったことがあるのですが、ユトレヒト大学がある学生の町という雰囲気で、古くからの建造物も残っていて運河沿いの街並みはとても風情がありますよね。ユトレヒト古典音楽祭や大きなレコード・フェアもあったりと、音楽がとても愛されている印象を受けました。

ビンクビーツ(以下、B):そもそも俺が生まれたのはヘンゲローという町で、それからユトレヒトに引っ越したのはユトレヒト音楽院に行くためで、それ以来ここに住んでいる。ユトレヒトは非常に音楽シーンが活発で、俺のスタジオがある大きなビルには他にもたくさんのアーティストのスタジオが入っていて皆そこを拠点にしているんだ。

音楽とはどのように出会ったのですか?

B:初めて音楽に出会ったのがいつなのかははっきりとはわからないけど、母親が言うには家ではいつもラジオがかかっていたそうだ。両親は実際に楽器を演奏したりはしていなかったので、親の影響ではなかったんだろうけどね。俺が思うに、子供のころにはおもちゃの一本弦のギターやトイ・ピアノがいつもあったし、そしてもちろんだけどダンボール箱のドラムを叩いたりしていたからだろう。そして9歳のときに俺は初めてドラム・セットを手に入れて、それ以来音楽を作っているんだ。

子供のころはどのような音楽を聴き、またどんなアーティスから影響を受けましたか?

B:子供のころはロックにハマっていたんだ。俺はガンズ・アンド・ローゼズの大ファンでさ。それからセパルトゥラみたいな、もっとヘヴィなやつが好きになったんだ。そのころの俺はドラムしかやってなかったけど、次第にレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの曲に合わせてベース・ギターも弾きはじめた。高校生になってからハマったのはヒップホップ。モス・デフ、バスタ・ライムス、ア・トライブ・コールド・クエスト、ザ・ルーツとかさ。
俺の人生に影響を与えたミュージシャン、プロデューサーはメチャクチャいっぱいいるよ。ほんのちょっとだけ名前を挙げれば、J・ディラ、マッドリブ、フライング・ロータス、レディオヘッド、ビョーク、ジェイムス・ブレイク、そしてトーマス・ディブダール、ハンネ・ヒュッケルバーグ、ファイスト、さらにはジョン・ケージ、スティーヴ・ライヒ、クセナキス、ハリー・パーチのような現代音楽作曲家たち……キリがないね。

あなたの作る音楽にはジャズ、エレクトロニック・ミュージック、IDM、ビート・ミュージックなどの要素がありますが、それらはどのように吸収していったのですか?

B:ただ聴いているうちに吸収したんだと思うよ。君だってある特定のスタイルの音楽が好きになったら、それをいっぱい聴くだろう。そうなると自動的に、そのスタイルを多少なりとも自分の音楽に取り入れてしまうものさ。

あなたはマルチ・ミュージシャンで、ドラム、ベース、ヴィブラフォンなど様々な楽器を演奏しているのですが、これらはどのようにマスターしていったのでしょう? 音楽学校で学ぶとか、誰か先生に教えてもらったのか、それとも独学でマスターしていったのですか?

B:ドラムは子供のころにはじめたんだ。その延長線上でパーカッションをはじめて、高校卒業後にはクラシックのパーカッションを学ぶためにユトレヒト音楽院に行ったんだ。ひと口にパーカッションと言っても、とても楽器の範囲が広いんだよ。ドラムを叩くこと、マリンバ、ティンパニ、みんなパーカッションの一部さ。ジョン・ケージのような音楽を通してさらに広がって、何だって音楽になりうるし、どんなものだってパーカッションになるってことを俺は学んだのさ。
ギターとベースは子供のころに独学でやっていたけど、『ビーツ・アンラヴェルド』というカヴァー曲をひとりきりで再現演奏するシリーズ・プロジェクトのためにまたやりはじめたんだ。そのときにヴォーカルもはじめた。そう、ヴォーカルがいちばん新しい試みなんだよ!

エレクトロニック機材のスキルはどのようにして身につけましたか? また、DJなどはするのでしょうか?

B:俺は間違いなくDJではないよ(笑)。肩書きとしてはミュージシャンで作曲家なんだけど、10代のころにコンピュータの音楽ソフトを使って制作をはじめたんだ。ファストトラッカーのようなプログラムを使っていたな。後にフルーツループス、そしてキューベースを使うようになって、いまは主にエイブルトンを使って作業しているよ。これらのプログラムは音楽制作以外には使っていなかったね。でも『ビーツ・アンラヴェルド・シリーズ』以降、オーディオのミキシングに夢中になって、これらのプログラムをそれにも使いたいと思ってやってみたらとても上手くいったんだ。とは言え、自分自身を「ミキサー」とか「エンジニア」だとは思わないよ。そうなるには長い道のりがあることくらい知っているさ。

あなたのことをユーチューブで知った人も多いと思います。いま話に出た『ビーツ・アンラヴェルド』シリーズの映像となりますが、J・ディラ、フライング・ロータス、エイフェックス・ツインなどの曲をリアルタイムでカヴァー演奏していて、それを全くひとりで、同時に様々な楽器を使いながらやってしまうことに驚かされた人も多かったようです。いろいろあるメディアの中でもユーチューブでやったのが効果的だったと思いますが、こうしたパフォーマンスをおこなうアイデアはどのように生まれたのですか? また、ここでやっている曲はあなたの中でも特に思い入れのある曲ということでしょうか?

B:ユーチューブでのパフォーマンスは事故のようなもんだね。エイブルトンを使った音のループをコンサートのリハで試していたんだ。そのころ俺はエリカ・バドゥの“ザ・ヒーラー”をメチャメチャ聴いていたんだけど、それをリメイクしたら面白いんじゃないかと思ってさ。映画制作を学びたがっていた友達がカメラを持ってやってきたので、それを撮ってもらったんだよ。それがすっげえカッコいい出来だったんで、反響なんて考えずにネットに載っけちゃったんだ。そっから月イチで動画作って載っけることにしてさ。そう、そこから『ビーツ・アンラヴェルド』がはじまったのさ!

オランダは〈ラッシュ・アワー〉のコンピの『ビート・ディメンションズ』に象徴されるように、フライング・ロータスはじめLAのビート・シーンの音にもいちはやく理解を示した国で、〈キンドレッド・スピリッツ〉や〈ドープネス・ギャロール〉などはジャズ、特にスピリチュアル・ジャズを時代に先駆けてフォローしてきたレーベルです。ビルド・アン・アークやカルロス・ニーニョのいろいろなプロジェクト、それからドリアン・コンセプトも〈キンドレッド・スピリッツ〉からリリースされましたが、そうしたオランダの音楽シーンはあなたの音楽性の形成に影響をもたらしましたか?

B:う~ん、実際のところ俺に影響を与えたものの大半はオランダ以外のものだよ。いま君が言ったアーティストとか音楽も、厳密にはアメリカなどほかの国から来ているよね。オランダで起きていることの中にもクールなこともあるけどさ、俺自身が音楽で目指していることに関して言えば、そっちよりイギリスやアメリカの音楽がベースになっているよね。それから北欧の国々からのインスパイアも大きいよ。でもオランダに住んで、プレイの場のほとんどがオランダで、多くのオランダのミュージシャンと共演をしているとなれば、全く影響を受けないわけにはいかないよ。恐らくその影響は潜在意識においてだと思うけど。

同じオランダ人ということで、〈ブレインフィーダー〉から『フール』をリリースしたジェイムスズーとはいろいろ交流があるようですね。あなたが『フール』にパーカッション奏者として参加する一方、あなたの“イン・ダスト/イン・アス”にはジェイムスズーがフィーチャーされています。彼とはどのようにして出会い、一緒に音楽を作るようになったのですか? また、あなたは彼のどのような音楽性に共感しているのでしょう?

B:ミッチェル(ジェイムスズー)とはネットを通じて知り合ったんだ。彼の“ザ・クラムツインズ”(2013年リリースのEP「イェロニムス(Jheronimus)」に収録)の動画を見つけて、そのサウンドとプロダクションにぶっとばされたんだよ。それまで彼のことは知らなかった。フェイスブックにメッセージをつけてそのビデオを投稿したら、それに彼が返事をくれたのさ。
彼は凄く創造力があってオランダ有数の音楽的天才だと思うよ。彼は音楽をダサくすることなく、不思議な感じにしたり、笑えるものにしたりできるんだ。“イン・ダスト/イン・アス”に彼を誘った理由は、俺が制作過程で煮詰まっていたら、ミッチェルが上手に曲をまるっきり作り変えたんだよ。そして俺は彼のやり方でそのまま彼に続けてもらったのさ。

ジェイムスズーを通じてフライング・ロータスや〈ブレインフィーダー〉の面々、ドリアン・コンセプトなどと繋がりはあったりしますか?

B:ミッチェルを通して、去年の11月にLAでドリアン・コンセプトには一度だけ会ったな。デイデラスザ・ガスランプ・キラーにも会ったことあるけど、何度も会ったことがあるわけではない。でも彼らは俺の音楽を知っていたよ。俺が彼らの音楽を知っているようにね。世界中のメチャクチャ多くの人たちが俺の動画をシェアしてくれて、特にミュージシャンの間でシェアされたから、彼らの多くも俺の動画を観たことがあるんだろうね。

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同じことの繰り返しで行き詰まる代わりに、違った角度での改善や発展をし続ける発想を得るには、気が多いことは大切なことだと俺は思うんだ。

これまであなたは本名のフランク・ウィーン(Frank Wienk)でいろいろなセッションに参加しています。ユトレヒトのビッグ・バンドのナランド(Knalland)の一員であり、パーカッション・ユニットのスラグワーク・グループ・ダン・ハーグ(Slagwerkgroep Den Haag)のメンバーで、フリー・インプロヴィセイション集団のザ・カイトマン・オーケストラ(The Kyteman Orchestra)にも所属するなど、実に幅広い活動をおこなっているのですが、そうした中でビンクビーツとしての活動は自身にとってどのような位置づけとなりますか?

B:ビンクビーツは自分で音楽制作して、ライヴで独演する、本当に俺だけのプロジェクト。俺がたくさんのいろんなことを同時進行させているのは本当さ。たとえばスラグワーク・グループ・ダン・ハーグは俺がメンバーのひとりで、いろいろなプロデューサーたちとのクロスオーヴァーなコラボレーション・プロジェクトなんだ。
いつだって音楽に対して俺は気が多いんだけど、同じことの繰り返しで行き詰まる代わりに、違った角度での改善や発展をし続ける発想を得るには、気が多いことは大切なことだと俺は思うんだ。その反面で、あんまり多くのことをやり過ぎてしまうとリスナーを混乱させてしまう。だから、ビンクビーツでやっていることとは違うけど、面白いなと思うことを見つけたら、本名を使ってそれをやったりするんだよ。

これまでのあなたのEPをまとめた『プライヴェート・マター・プリヴィアスリィ・アンアヴェイラブル』は、基本的にあなたが演奏する楽器の多重録音によるものですが、そうした中でパートナーとして、キーボード/シンセサイザー奏者のニルス・ブロースも重要な役割を占めています。彼はあなたのライヴ映像でも共演していますし、またジェイムスズーのアルバムやカイトマン・オーケストラでも一緒にやっています。彼とはどのようにして出会い、いろいろと共演するようになったのですか? また、あなたの音楽にとってどのようなパートナーと言えますか? 私が思うに彼はフローティング・ポインツのようなアーティストかなと? 対してあなたはひとりでリチャード・スペイヴンやスクエアプッシャーをやっているのかなと?

B:『プライヴェート・マター・プリヴィアスリィ・アンアヴェイラブル』はライヴでやっていることとちょっと違う。ライヴを観て聴くことと、CDを聴くこととは全く違う体験だと思うんだ。だからCDではもう少し多層的にしたり、もうちょっと手を加えたりする。ニルスはその手を加えるときに素晴らしい役割をしてくれるんだよ。彼は俺の良き友人であり共同作業もたくさんやっている。彼とはカイトマン・オーケストラを通じて出会い、音楽の趣味がとても似ていることがわかって友人になったのさ。
共同作業のはじまりは、ざっくりとした新しい曲をニルスのところに持っていって手伝ってもらうことが何度もあって、そこからだね。そして自分のスタジオに戻って、新たな素材を使ってその曲の制作作業を続けたんだよ。ときには彼に好きなようにしてもらったり、ときには特定の箇所の手伝いをしてもらったり。場合によっては“リトル・ナーヴァス”という曲でやったように、彼にソロを演奏してもらったり。必要となれば彼は素晴らしいソロイストになるからさ。
ニルスがフローティング・ポインツで、俺がリチャード・スペイヴンやスクエアプッシャーをやっているとの意味合いはわからないけど、褒め言葉して受け止めておくよ。ありがとう。

あなたは普段どのようにして作曲をおこなっているのでしょうか? “リトル・ナーヴァス”のライヴ演奏を見るように、ドラムやベースで作ったフレーズをループさせ、そこにいろいろな楽器を即興的に乗せていくというような?

B:新曲を作るときは、まずコンピュータで作りはじめる。それから選んだ楽器を鳴らして即興演奏をやって、それを録ってループして重ねはじめるんだ。“リトル・ナーヴァス”では、買ったばかりの緑のフルート・パイプのようなものを使ってはじめた。それにプログラミングしたドラムを乗せたけど、長い時間が経ってどんな意図でそれをやっていたのかわからなくなっちゃってさ(笑)。
ある晩、そのデモに合わせてベース・ギターで即興していたら、じわじわと主軸のメロディが浮かんできて、そこからニルスと一緒に多層的にして録音したんだけど、それでもまだ何か物足りなかった。ともかく最後に決め手として生ドラムを録音して、“リトル・ナーヴァス”をリリースした。だからそのレコードではニルスにソロをやってもらっていない。ソロを録音したにはしたんだけど、レコードには入れていないんだ。それはフェンダー・ローズで、何だか耳触りがしっくりこなかったのさ。
その後、ライヴ用に練習をしはじめたときに、彼はミニ・ムーグを使ってソロをやったんだ。それこそが足りなかった何かだったんだよ。でもレコードは既にリリースされてしまっていた。つまり、“リトル・ナーヴァス”の彼のソロ・パートはライヴでしか聴けないんだよ!

アルバムにはいくつかヴォーカルをやっている作品もあります。あなたはプロのシンガーではないと思いますが、とても味のあるいい歌声だと思います。内省的な感じはジェイムス・ブレイクやサンファあたりに通じるもので、“アース”のようにアコースティック寄りのサウンド、“リズミッコノミー”や“イン・ダスト/イン・アス”やのようにエレクトリック寄りのサウンドのどちらにもうまくフィットしていると思います。歌はあなたの作品にとって重要な要素ですか?

B:君が言うとおり俺はヴォーカリストではないけど、声を自分の使える楽器のひとつとして認識しているんだ。ヴォーカルが必要のない曲でも、より良くするにはヴォーカルを入れるべきと強く感じるときもあるのさ。
俺は曲にヴォーカルを入れたくて入れるんだけど、ヴォーカルははじめたばかりだし得意なわけでもない。他の多くの楽器と同じさ。俺は楽器によっては名人級に上手いわけでもないけど、それが曲のどの部分に必要かどうかはわかるし、その楽器が充分に機能するようにプレイはできる。

“ジェイクズ・ジャーニー”や“イニキティ”はテクノやハウス・ミュージック的なビートの曲で、フローティング・ポインツあたりとの類似点も見いだせそうです。オランダはこうしたテクノなども盛んな国ですが、やはりあなたの音楽への影響も大きいのですか?

B:いま君が言うような「テクノ」や「ハウス」は、俺にとって80~90年代に流行ったそれとは全然違う音楽になってきていると思うね。ロックにすっげぇハマっていた子供のころは、いわゆる四つ打ちがホント嫌いだったんだ。クラブ・ミュージックとは俺にとって四つ打ちのことだけど、でもでも後からだんだんクラブ・ミュージック好きになってきたのさ。それには人を心地よくダンスさせる力があるからさ。
“イニキティ”はハウスやテクノではなく、よりトラップをベースにしたつもり。ジェイムス・ブレイクの良いところを参考にしてトラップ・ビートと組み合わせて作ったんだ。

“ハートブレイクス・フロム・ザ・ブラック・オブ・ジ・アビス”はあなたとルーテンによるデュエット曲です。彼女(テッサ・ドウストラ)はとても個性的なシンガー・ソングライター/ギタリストで、あなたも彼女のアルバムにプロデューサーとして参加していますが、どのような交流があるのですか?

B:テッサは俺が『ビーツ・アンラヴェルド』をはじめる直前にメッセージをくれたんだ。彼女はいくつかのバンドでの俺のプレイを見てくれていて、何の制約もプランもない音楽を作りたがっていた。で、俺たちは多くの曲を手がけたんだ。未発表だけど、その全曲がまだ俺のハード・ディスクのどっかにあるはずだよ。そうしているうちに、俺たちは音楽制作の喜びを分かち合える素晴らしい関係だとわかったのさ。だから俺たちはそのまま音楽を作り続けた。
彼女が自身のアルバムを手がけていると教えてくれたときに、俺に聴かせてくれた数曲が素晴らしかったんで、手伝わせてくれるよう申し出たんだよ。同時に俺も自分の曲を制作中で、“ハートブレイクス・フロム・ザ・ブラック・オブ・ジ・アビス”に男性からではなく女性からの視点での歌詞が欲しかったから、彼女に書いてもらったんだ。そしてさらには俺とのデュエットも頼んだのさ。

“ザ・ハミング/ザ・ゴースト”にはミスター・アンド・ミシシッピというインディ・ポップ・バンドのリード・シンガーであるマキシム・バーラグが参加しています。彼女とはどのような交流がありますか?

B:“ザ・ハミング/ザ・コースト”は『プライヴェート・マター・プリヴィアスリィ・アンアヴェイラブル』の2枚目のEPに入っているけど、彼女のヴォーカルはあのEPで最後に録音したんだ! あの曲は歌詞もできていたのに、自分で歌入れしたらしっくりこなかったから、誰か適したシンガーが見つかるまで長いこと寝かせていたんだ。そんなころに俺のマネージャーでもありプロデューサーでもあるサイモンが、たまたまスタジオでミスター・アンド・ミシシッピと仕事をする機会があって、いいシンガーがいるからと彼がマキシムを推薦してくれたのさ。彼女の起用によって“ザ・ハミング/ザ・ゴースト”の仕上げはまるでマジックのように上手くいったよ。彼女の深く暖かい声はまさしくあの曲に必要だったのさ。

今後はどのような作品を作っていきたいですか?

B:ビンクビーツとしてのサードEPが完成して、この3月にリリースされたばかりだ。『プライヴェート・マター・プリヴィアスリィ・アンアヴェイラブル』は前の2枚のEPと合わせて三部作となるんだ。そのほかにいままでやってきたこととは違うプロジェクトやライヴを手がけているけど、さっきも言ったように同じことを繰り返し過ぎちゃダメで、そのことはアーティストとして成長するには重要なことだと思うんだ。まだ内容のことを詳しくは言えないけど、プロジェクトによっては爆音で鳴らすものがあれば、静かで瞑想的なものもある感じさ。
その次にはダンスのためのスコアと舞台パフォーマンスのためのスコアを書く予定で、すでに2本のドキュメンタリー用のスコアを書いている最中だし、たぶんもっと増えると思うよ。スラグワーク・グループ・ダン・ハーグの活動もあるし、ルーテンのセカンド・アルバムもあって、そこでは再びマキシムとの待ちに待った仕事もやっている。そう、たくさんの音楽が待ちかまえているんだ!

僕たちのラストステージ - ele-king

 コメディアンが彼らの先輩を演じるとなると、やはり気合が違うのだろうか。チャップリンやバスター・キートンと共にトーキー時代から活躍していたローレル&ハーディの引退劇を扱った『僕たちのラストステージ』では何を演じてもワン・パターンだったスティーヴ・クーガンがまずは同一人物とは思えない役者ぶりを見せている。『24アワー・パーティ・ピープル』(02)でファクトリー・レコーズの社長、トニー・ウイルソンを演じ、ハリウッド進出後も『アザー・ガイズ』(10)では嫌味たっぷりなCEO、『ミスター・スキャンダル』(13)ではイギリスのポルノ王、ポール・レイモンド、最近では『ノーザン・ソウル』(14)にも教師役でキャスティングされていたクーガンはどちらかというとイギリスではアラン・パートリッジというTVのコメディ・シリーズで知られる喜劇役者で、苦虫をかみつぶした表情だけですべてを貫き通してきた筋金入りの金太郎飴役者であった(エレキング本誌でかつてブレディみかこ×水越真紀の対談シリーズにつけた「NO POLITICS,THANK YOU」というタイトルも『スティーヴとロブのグルメトリップ』(10)から拝借した彼のセリフ)。そのクーガンが老境に差し掛かったスタン・ローレルの哀愁や喜び、相方への愛憎や不屈の精神を信じられないほど多彩な表情で演じ切り、恐ろしいほど感情移入させてくれるのである。これにまずは唸ってしまった。クーガンだけではない。バカみたいなコメディ(『俺たちステップブラザース』『おとなのけんか』)から極度のシリアス(『少年は残酷な弓を射る』『ロブスター』)まで、役者としての幅は充分に演じ分けてきたジョン・C・ライリーも始まってしばらくは彼だと気づかないほどメイクで肥え太った体型となり、ここまで別人になれてしまうのかと思うほどオリヴァー・ハーディになりきっていた(とんでもない巨漢に扮してしまったために、彼は服の中にホースを張り巡らせ、水で体を冷やしながら演技していたらしい)。ふたりはまた、ローレル&ハーディのダンスをコピーする際、オリジナルのふたりがミスをしたところまで忠実に写し取っていたといい、さすがにそこまで僕にはわからなかったものの、「しつこい」ということがもたらす普遍性が時代も人種も超えてしまうことはいやというほど理解できた。というより、そもそもローレル&ハーディの体の動き、それは日本ではドリフターズやその周辺のお笑い芸人たちが70年代まで繰り返し模倣してきた基本動作であり、間接的に想起させられる懐かしさでもあった。

 ローレル&ハーディがメイクを済ませ、ハリウッドでスタジオ入りするところから話は始まる。ローレルはプロデューサーのハル・ローチ(ダニー・ヒューストン)と口論になる。ハーディはローレルに結婚したいと考えているルシール(シャーリー・ヘンダーソン)を紹介する。舞台はそこから一気に1937年から1953年にジャンプし、ローレル&ハーディはすっかり過去の人となっている。彼らは映画界に復帰するために資金をつくろうとイギリスまでドサ回りのツアーに来たのである。辿り着いたのはニューカッスルの汚いホテル。蓋を開けてみると客席はガラガラで、前途は暗い。予定されたスケジュールも減らすことになりそうだと興行主から告げられる。路上を歩いていると、見上げればアボット&コステロのポスターが彼らを見下ろすようにして貼られている。彼らはそれでもイギリス北部を中心にツアーを続け、少しずつ客足が回復してくる。そして、ロンドンでは大きな公演が組まれることとなり、アメリカに残してきた妻たちもイギリスまでやってくることに。ところが妻たちの口論がきっかけとなってローレルとハーディの関係も複雑な過去を振り返るかたちでギクシャクし始め、とある小さなイベントに余興で出演しようとした際、それまで体力的に無理を重ねてきたハーディが急に倒れてしまう。ハーディは絶対安静の身となり、せっかくのロンドン公演も続行不可能に。興行主はせっかく大量のチケットがさばけたこともあり、代役を立てて予定通り公演を行おうとするものの、舞台袖で待機していたローレルは……。

 テクノロジーの発展はなんでもひとりでやれることを拡大してきた。岩井俊二のように演技以外のことは、監督も編集も照明も音楽までひとりでこなせてしまうということは、映画監督がイメージを具現化する上で大きな恩恵を与えてくれたことだろう。クリエイターだけの話ではなく、いまでは誰かに何かを尋ねても「ググレカス(JFGI)」と言い返されるだけだし、生きることはスマホが全部やってくれる時代もすぐそこに実現しかけている(道を歩いている時に会いたくない人が近くを歩いている場合はその道を避けられるようスマホが指示を出してくれるとか、寝ろだの起きろだの、1時間おきに椅子から立てだの、次に何をやればいいかはだいたいスマホが指示を出してくれるわけだし)。スタン・ローレルとオリヴァー・ハーディが苦境を脱しようと助け合い、あるいは激しく罵り合い、最後のドサ回りを完遂していく姿は、もはや人類にとって贅沢品のような行為になりつつあるのかもしれない。誰かひとりと強い関係を結べば、それは一生その人を支配し、他の人と関係を構築することは不可能に近くなる。多くの人々と多面的な付き合いを優先するならばテクノロジーは存分にその助けとなってくれるし、多くの人間関係を維持していた方がたいていの人にとってはビジネス上は有利になるだろう。ローレル&ハーディのような成功例は多くの人の教科書にはならないし、ぞれぞれにそれなりの能力がなければ力を合わせるという考え方からして成立するよすががない。少しずれるかもしれないけれど、さっき、ワイドショーを観ていたらヨーロッパに進出した電気グルーヴは石野卓球ばかりが才能を認められ、楽器のできないピエール瀧は劣等感に苛まれ、それでドラッグに手を出したのではないかという推論が堂々と述べられる始末であった。スタン・ローレルとオリヴァー・ハーディを見ていても、ローレルが脚本を書き、それをふたりで演じるのだとしても、明らかにハーディの愛嬌によってローレルのアイディアは何倍にも増幅するのであって、すべてをローレルだけでまかなったところで同じ結果が得られないのは明らかである。誰かと誰かががっちりと組むデラックスでラグジュアリーな人生の豊かさをこの映画で味わっていただけたら。

『僕たちのラストステージ』予告編

Yves Jarvis - ele-king

 今期はTVドラマに面白い作品が多く、最終回まで見てしまったものが5作品もあった(最後の最後まで低視聴率だった『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』が個人的にはダントツでした)。興味深かったのは登場人物が人の悪いやつばかりという『グッドワイフ』が面白かったのは、まあ、当然だったとして(オリジナルはアメリカ作品なのでキャラクターは日本人離れし過ぎだったけれど)、逆にいい人しか出てこない『初めて恋をした日に読む話』は面白くなるはずがないと思ったにもかかわらず、なぜか最後まで楽しめてしまった。いい人しか出てこないなんて、話に陰影のつけようがないし、そもそも世界が単調で嘘くさいだけだと頭ではわかっているのに……(それこそ『3年A組』は人間の裏表だけで突っ走ったようなドラマだったし……)。音楽も同じくで、少しは毒だったりネガティヴな要素がないとリアリティのあるものにはならないのではないかと頭では思うのに、どういうわけかごくごくたまにピュアなムードだけで押し切られてしまうこともある。ここ1ヶ月ほど繰り返し聴いていたイヴ・ジャーヴィスもそうで、あまりに無防備で素直な作風なのに、それとなく心に引っかかり、何度も聴いてしまったというか。こういう人もたまにはいるんだよな。

 世田谷の空が狭すぎるならケベックの空はもっと狭いのか。弾け出すには何か足りないどころか、弾け出すという考えにも至らないのだろう。モントリオールのジャン・セバスチャン・オーデットが、これまで使っていたアン・ブロンド(Un Blonde)の名義からイヴ・ジャーヴィスに名義を切り替えて1作目はソウルフルな宅録風のアコースティック・ポップで、これがとても心地よく優しい響き。サーラ・クリエイティヴが腰砕けになったようなヘロヘロのヒップホップ調だった初期のアン・ブロンドは、最終的に『Good Will Come To You』(18)でサイケデリック・フォークを志向するようになり、それまでは「楽観的で朝の喜び」を表現していたものにフィールド・レコーディングやエレクトロニックな処理を増やし、さらには「寝る前に感じる苦痛」というテーマを与えることで『The Same But By Different Means(違う意味で同じ)』へとヴァージョン・アップを果たすこととなった。1曲だけヒップホップに揺り戻したようなビートもありつつ(“That Don't Make It So”)、全体としてはソフトで温かみのあるフォーク・ロックを軸に、しんみりと落ち着いた気分にさせてくれる全22曲という構成(曲の長さは14秒から8分12秒までかなり幅がある)。エアリアル・ピンクがスティーヴィー・ワンダーを取り入れたといえば少しは雰囲気が伝わるだろうか。

 ノワール・フォーク・シュールレアリズムと称されたりもしているので歌詞にはけっこう不穏な部分もあるのかもしれないけれど、何を歌っているのかはよくわからない&とくに話題にもされていない。ジャム・セッション風の“Blue V“、鳥の声だらけの“Dew of the Dusk”に“Exercise E”はとても美しいアンビエント・ドローン。よく聴くとかなりハイブリッドな音楽性で、これらを見事にまとめあげているというか、全体を貫くイメージがしっかりとしているので、それらが手法によって引き裂かれてしまうということがない。自分だけに接近して語りかけてくるかのような歌い方のことを枕を意味するピロウィーと形容するらしいけれど、オーデッドのそれはまさに耳元で囁かれているかのごとく。声の調子を変えることもなく、ひたすら穏やかにメランコリーが煮詰められていく。彼の音楽ヴィデオにはいつも彼だけしか映し出されず、ほかはすべて死に絶えたかのようで、まるで地球上で生き残ったのはこの人と僕だけ……みたいな。そんな聴き方も悪くない気がして。

『違う意味で同じ』というタイトルは、なんか、しかし、ジレ・ジョーヌのことみたいだな。

音楽性が豊か(very musical)で、直球(direct)で、そして簡潔(concise)ね。
(オフィシャル・インタヴューより)

 というのが、「ニューアルバム『GREY Area』を3語で表すなら?」という質問に対しての、リトル・シムズ本人による回答だ。本作の、たとえば“Selfish” “Pressure”や“Flowers”で聞かれるピアノとフックの歌メロが印象的な、内省的でメロウな楽曲群に「豊かな音楽性」を見出すのは難しくない。しかし何よりも“Offense”や“Boss”のように生ドラムのサウンドが印象的な生楽器で構築されたビート群に絡みつく、単にメロディックという意味だけでなく、リズムと発声が完全にコントールされた「音楽的」としか言いようのない彼女のフロウは、僕たちの鼓膜を「直球」で捉える。そしてそのリリックは、タイトルのシンプルさが示すようにとても「簡潔」で、曲のコンセプトもまた直球でストンと落ちてくる。

 しかしこの3語の回答は、リトル・シムズというラッパーの本質を突いているようでもある。

 ロンドン出身の25歳、ケンドリック・ラマーをして「一番ヤバい(=illest)」アーティストだと言わしめる彼女は、プロのラッパーを志して大学を中退してから、ひたすら走り続けてきた。前作『Stillness In Wonderland』──『不思議の国のアリス』に目配せするコンセプト・アルバムでもある──でその実力を見せつけ、アンダーソン・パークゴリラズ、そして憧れのローリン・ヒルらとツアーを重ね、数あるMV群でも独特のレトロ・モダンなヴィジュアルイメージをまとってファッションアイコンとしても認知され、絶対数の圧倒的に少ない女性ラッパーの中でも順風満帆に成功への道を辿っているように見えた。しかし、彼女を待っていた「ワンダーランド」は単に夢見ていたファンタジックな世界ではなかった。

周りに有名人が増えてくると彼らの成功と自分を比べてしまったり。そして「これじゃダメだ。ああなりたい」と思ってしまったり。そんなことにばかり目が向いてしまいがち。自分の足場を固めないといけないのに。
(オフィシャル・インタヴューより)

 成功への階段を上ることで、自分を見失う。あるいは、ツアーばかりの生活も、彼女にとっては厳しい経験だった。

家を離れている時間が長いのは、ホント大変。すごく寂しいし孤独を感じるし、色んなものを見逃している気がする。それだけじゃなくて、前は普通だった体験を共有できないっていうか、ね? それがキツかったな。
(オフィシャル・インタヴューより)

 しかしそれらも含めて、彼女は自身の経験を音楽という形に造形し、世界と共有する。それらを溜め込まずに、リリックにしたためる。

ほとんどもう、セラピーみたいなものよ、そうやって…うーん、なんだろ、形に残してケリをつける、かな、それができるのはセラピーのようなもの。 (オフィシャル・インタヴューより)

 本作に収録の“Therapy”もそんな彼女の曲作りについての歌だろうか。しかし聞こえてくるのは、「なんでセラピーに来る時間を作ったのかも分からない/あんたの言葉に助けられることなんてないんだから/あんたが何かを理解してるなんて信じない」といった、むしろセラピーを咎めるようなリリックだった。そうだ。彼女は誰のものでもない、自身の経験に基づいて、創作活動というセラピーを見つけたのだ。だから、紋切り型の表面的な言葉を発する人々をセラピストになぞらえながら警鐘を鳴らしつつ、「私たちは欺瞞と虚構に満ちた社会に生きてる/なんとかヒット曲を生もうと、人々は必死になってる/大きな声で言うべきことじゃないかもしれない/もう言っちゃったけどね」と毒づく。

 何よりも今作における彼女は「直球」だ。たとえば「Tiny Desktop」に出演する彼女の、いかにも人懐っこい笑顔やその物腰から、無防備に彼女のライムに近寄ってはならない。制作に
サンダーキャットとモノポリーも迎えた、その名も“Venom(=毒)”で驚異的なスキルを見せつける彼女のライムに噛みつかれるのがオチだ。

男たちはプッシーを舐めてる、ケツの穴もね/あら、怒ったの? なら私のところに来てみなさいよ、ディックヘッド
“Venom”より

 “Offense”や“Boss”にも通底している攻撃性には、ロクサーヌ・シャンテからニッキー・ミナージュまで引き継がれるフォーミュラが息衝いている。“Therapy”の韻を踏みまくるスタイルといい、“Venom”のアカペラが映えるいかにもスキルフルな高速フロウといい、彼女がヒップホップらしいスキルフルなラップに魅了されたラッパーであろうことは一目瞭然だが、フェイヴァリットは誰なのだろう。

間違いなくビギー・スモールズ、ナズ、ジェイZ、カニエ・ウエスト、あと…モズ・デフ、ウータン、それと…2パック…ミッシー・エリオット、バスタ・ライムス、ルダクリス…その他諸々。
(オフィシャル・インタヴューより)

 なんとも頼もしい。確かにブレイドにも、ルーツ・マヌーヴァにも、あるいはダーティ・ダイクにも、要所要所で僕たちはUKのアーティストたちにヒップホップの良心を見てきた。このアルバムには、そんな彼女のラッパー/ヒップホップ観が表れている。つまりここには、しばしば現在のヒップホップが失ってしまったと嘆かれるクリエイティヴィティが満ち溢れているのだ。
ではそれは、どのように生まれたのか。成功への道に導かれつつも自身を見失ってしまいそうになったときに彼女が選択したのは、「コラボレーション」だった。本作は、同じロンドン出身で彼女のことを9歳から知っているという Inflo をプロデューサーに迎え、何人かのゲストをフィーチャーしつつも基本的にはふたりのコラボレーションで制作された。

全部最初から一緒に作っていったから、本当の意味でのコラボレーションだった。ビートが送られてくるのとは違って…いや、それだってコラボレーションには違いないけど、今回みたいに本格的に誰かと共同作業をしたことは今までなかった。それもプロジェクトの最初から最後まで。相手のアイデア、私のアイデア、と出し合って、私が相手の作ったものを気に入らなかったり、相手が私に作ったものを気に入らなかったりすることがあっても、お互いに歩み寄って納得のいくところを探し出すっていうのは単純にやり方が違ったし、おかげで本当に強力なプロジェクトになったと思う。
(オフィシャル・インタヴューより)

 結果生まれた、ファンキーかつアトモスフェリックな生楽器の演奏を中心に据えたプロダクションと彼女のラップの相乗効果はどうか。一聴してすぐに分かるのは、それが現行のアメリカのヒップホップ・チャートからは決して聞こえてこないであろうサウンドだということだ。

今度のアルバムのサウンドは完全に異質だと思う。私の前のアルバムとも全然違うし、今耳にする音楽と比べても違うし、なんて言うんだろう…とにかく個性的。
(オフィシャル・インタヴューより)

 生楽器中心ということもあり、それは恐ろしく「簡潔」なサウンドだ。しかしそれは単調というのは違う。むしろそれは、「簡潔かつ複雑」とでも言うべき音空間なのだ。たとえばオープニングの“Offense”を貫くのはファンキーなブレイクビーツとブリブリのシンセベースだが、シムズのために十分に空けられた音の隙間に挿入されるフルートやストリングス、あるいはコーラスといったウワネタは、どれもオーヴァードライヴで歪まされ、かつリヴァーブでさらに空間性を強調されている。しかしどの音も互いに埋没することなく、しっかりとフレーズ単位でその輪郭を主張しながら絡み合うのだ。そしてビートの隙間を縫うように、彼女は一ライン毎に十分に間を空けながら、ここしかありえないという絶妙な位置にライムを配置していく。いつの間にかラッパーたちは、隙間を空けることを怖がり、強迫症にかかったように言葉数を多くして息継ぎをする間もないヴァースを量産してきた(そんな状況に疑問を呈したのがトラップというジャンルだという捉え方もできるかもしれないが)。“Venom”のようにリスナーを窒息させるラップにもスキルが必要なら、この“Offense”のように行間のグルーヴに語らせる「簡潔」なヴァースもまた、並々ならぬスキルに裏打ちされたものだ。

 さらに「簡潔」なビートを「複雑」に彩る、“Wounds”や“Sherbet Sunset”、“Flowers”で聞こえてくるギターは、独学で身につけてきたという、彼女自身によるものと思われる。

こんなにメンタルがおかしい世界でどうやって正気でいられるか/世界は十分病んでるわ/ヴードゥー・チャイルドがパープル・ヘイズで遊ぶほどに/一人でいる時は決して安息できない/これは一時的なものじゃない
(“Flowers”より)

 彼女が以前からリスペクトを公言しているジミ・ヘンドリクスと共に、カート・コベインやバスキア、ジャニス・ジョプリンといった27歳で亡くなったアーティストたちに花を手向ける“Flowers”で幕を閉じる本作(日本盤には去年の来日のことだろうか、渋谷を訪問した様子もリリックに登場するボーナス・トラック“She”が収録)は、確かに「音楽性が豊か」で、「直球」で、そして「簡潔」な作品だ。しかしそのような作品を、彼女はなぜ『GREY Area』と命名したのだろうか。

SNSの時代は特に、あっという間に本来の自分じゃないものになってしまいかねないから、とにかく自分に正直に、自分の気持ちに正直に、そして自分は完璧じゃないということをオープンに受け入れて、みんなと同じで間違いも犯すし、まだ24才で自分が何者でこの世界で何をしようとしているのかわからないまま模索していて…女性としてもはっきりしないことがまだ沢山あって、世の中は白黒はっきりしたことばかりじゃなくてグレーゾーンがたっぷりあるってことをそれでヨシとしたい。だからアルバムのタイトルもグレー・エリアにしたの。白黒で割り切れるものなんかなくて、見た目ほどシンプルじゃないから混乱もするし、そこで迷うことも多いけど、それが人生なんじゃない?
(オフィシャル・インタヴューより)

 世界を前にして、ときにはグレーの無限のグラデーションのなかで方向性を見失うことすらも、率直に示すこと。本作を形作る濃淡様々なグレーのピースたちは、彼女の足跡だ。そのようなグレーのなかで迷い、引き裂かれるラッパー像といえば、やはりケンドリックを思い起こしてしまうが、果たして彼女は、どこへ向かうのだろう。しかし今はまず、本作の直球で簡潔な表現の底を流れるそのグレーな豊かさに、耳を澄ますことにしよう。

Nubiyan Twist - ele-king

 ここ数年来のサウス・ロンドンのジャズ・ミュージシャンたちの活躍により、UKジャズとエレクトロニックなクラブ・サウンドの結びつきも再び活性化しているようだ。こうした結びつきはかつてのアシッド・ジャズの頃からあり、その後ウェスト・ロンドンで起こったブロークンビーツ・ムーヴメントもジャズとクラブ・サウンドが交差していた。当時活躍していたディーゴやカイディ・テイタムなどは、このところの新作で再評価の気運を高めているが、ヘンリー・ウーテンダーロニアスあたりは、そうしたブロークンビーツ・ムーヴメント時代の空気をいまに継承するアーティストである。そしてジョー・アーモン・ジョーンズとマックスウェル・オーウィンの『イディオム』、モーゼス・ボイドの『アブソリュート・ゼロ』など現在のエレクトロニック・ジャズの傑作が生まれ、シャバカ・ハッチングスの参加するザ・コメット・イズ・カミングの新作もさらにエレクトロニック度が増した印象だ。クラブ・サウンド的な要素の強いジャズ系アーティストとして、バンド/ミュージシャン的なスタンスではエズラ・コレクティヴ、ユナイテッド・ヴァイブレーションズ、エマネイティヴ、エクスパンションズなどがおり、DJ/プロデューサー的なスタンスではブルー・ラブ・ビーツ、ダーク・ハウス・ファミリー、K15、ベン・ホークなどがいる。そうした中でヌビヤン・ツイストは、バンド/ミュージシャン的なスタンス、DJ/プロデューサー的なスタンスの両方を兼ね備えたグループである。

 ヌビヤン・ツイストは総勢10名ほどの大所帯バンドで、リーズで結成されて現在は拠点をロンドンに移して活動している。ギタリストのトム・エクセルがバンド・リーダー及びプロデューサーで、ベースやパーカッションなどほかの楽器からエレクトロニクスも扱う。アフリカ系のリード・シンガーのヌビヤ・ブランドンとアルト・サックスも兼ねたニック・リチャーズによるツイン・ヴォーカル、4名の分厚いホーン・セクション、キーボードやリズム・セクションというラインナップで、ステージによってDJも配する。音楽形態としてはジャズ、ソウル、ファンク、アフロビートが柱となり、リズム・セクションにブラジル系ミュージシャンがいることなどから、サンバ、アフロ・キューバン、ラテン、クンビア、レゲエ、ダブなどワールド・ミュージックの要素が色濃い。そうした生演奏にブロークンビーツ、ヒップホップ、グライム、ダブステップ、ベース・ミュージックを通過したエレクトロニクス・サウンドが融合されている、というのが大雑把なヌビヤン・ツイスト・サウンドである。こうしたクラブ・ジャズ系のバンドの中でもエレクトロニクスとの折衷度は極めて高く、またワールド・ミュージックの取り入れ方も群を抜いている。2015年に結成されてグループ名と同名のデビュー・アルバムをリリースし、ライヴ・アクトとしてもグラストンベリー、シャンバラ、ブームタウン、エディンバラなどUKの大型フェスを制覇し、2015年のメルトダウン・フェスではデヴィッド・バーンのキュレーションによってクイーン・エリザベス・ホールでパフォーマンスを披露している。その後2016年リリースのEP「サイレン・ソング」などを経て、この度〈ストラット〉と契約を結んでセカンド・アルバムの『ジャングル・ラン』を発表した。

 〈ストラット〉はアフロをはじめワールド系のリリースやリイシューも多く、過去にアフロビートのオリジネイターのトニー・アレン、エチオピアン・ジャズの巨星のムラトゥ・アスタトゥケの作品をリリースしている。〈ストラット〉のコネクションを通じてだろうか、その両名が『ジャングル・ラン』にゲスト参加している。そのほかにアフロ、ラガマフィン、ダンスホール、ジャングルなどをフィールドとするガーナ出身のMC/シンガーの K.O.G. (クウェク・オブ・ガーナ)もフィーチャーされる。躍動感溢れるリズムに始まる“テル・イット・トゥ・ミー・スロウリー”は、アフロビートとブロークンビーツがミックスしたような曲調で、ニック・リチャーズがジョーダン・ラカイに近い歌声を披露する。後半のテナー・サックス・ソロはじめライヴ・バンドとしての魅力も一杯詰まっている。ニックは“ゴースツ”でもリード・ヴォーカルをとっていて、こちらもアフリカン・リズムとソウルフルなフィーリングに貫かれたUKクラブ・ジャズらしい折衷的な曲。アルバム・タイトル曲の“ジャングル・ラン”はダブステップ調のビートに始まり、エレクトロニック・サウンドとジャズやアフロの生音の融合がもっとも顕著な作品。そしてヌビヤン・ブランドンのソウルフルなヴォーカルが、バンドの大きな武器になっていることも印象づける。同系では“パーミッション”もあり、こちらのヌビヤンのヴォーカルはグライムやヒップホップを通過したものだ。

 K.O.G. のヴォーカルをフィーチャーした“バサ・バサ”は、アルバムの中でもっとも土着的なアフリカ音楽色が強い。K.O.G. はアップテンポの“ゼイ・トーク”でもヴォーカルをとっていて、こちらはアフロとダンスホールとグライムがミックスされた彼ならではのスタイル。“ブラザー”はジャズとヒップホップの折衷的なスタイルで、ヌビヤのスポークン・ワード調のヴォーカルを含めてアシッド・ジャズの香りが漂う。“アディス・トゥ・ロンドン”はタイトルが示すようにムラトゥ・アスタトゥケがヴィブラフォンを演奏。アフリカ系ジャズの中でもミステリアスな色彩が強いエチオピアン・ジャズを咀嚼した演奏で、スペイシーなキーボードにムラトゥのヴィブラフォンがうまくマッチしている。ブラジリアン・ジャズにビート・ミュージックのエッセンスを隠し味とした“ボーダーズ”は、ブラジル系パーカッション奏者のピロ・アダミがヴォーカルをとる。カシンやドメニコ・ランセロッチなどブラジルの新世代ミュージシャンに通じる曲だ。“シュガー・ケイン”はベース・ミュージックとジャズの中間的な曲で、ヌビヤのヴォーカルはところどころでダビーな処理を施しているものの、歌声そのものはローラ・ムヴーラあたりと比較してもおかしくない。アフリカ音楽からブラジル音楽など多彩な側面を見せるアルバムだが、そのどれもが借り物ではない本格的なものを感じさせ、だからこそデヴィッド・バーンも彼らを認めたことがわかる。


Roma/ローマ - ele-king

 スティーヴン・スピルバーグがストリーミング・サーヴィスはアカデミー賞ではなく、TVドラマを対象としたエミー賞で扱うべきだったと提言を下した『ローマ』。世界で同時配信される前に3週間の劇場公開をしているのでアカデミー賞を競う条件は満たしていると反論するネットフリックス(カンヌは選考外としている)。前にも書いたようにNHKニュースでも『グリーンブック』はほぼスルーで、『ローマ』を観ること=映画はもはや映画館で観る時代ではなくなるという論点ばかりが語られ、それはもしかすると最大で66億円もつぎ込んだというキャンペーンの成果なのかもしれないけれど、いずれにしろ横長のスクリーンで観たいと思ったこともあり、遠くの映画館まで足を延ばしてきた(都心ではやっていない~)。結論からいうと『トゥモロー・ワールド』よろしく横に水平移動するカメラが多用され、それも視点が移動したりしなかったりと効果も臨機応変で、画面の右側を三分の一しか使わない構図など、バカでかいTVを持っていない僕としてはスクリーンで観たことは完全に正解だった(ちなみに僕が行った回はガラガラで、珍しくおっさんばっかり)。

 オープニングがまず美しい。画面いっぱいに敷石が映し出され、やがてそれが水浸しになっていく。水たまりには空が映り、はるか上空を飛行機の陰が飛んでいく。いつまででも観ていられるアート・フィルムのようで、真上から撮っていたカメラが視点を上昇させていくとヤリッツァ・アパリシオ演じるクレオが掃除を終えて家に入っていくシーン。この質感はヌエーヴォ・シネ・メヒカーノそのもの。ハリウッド以前は世界の映画シーンをリードしていたメキシコが50年ぶりに再生を賭けて起こした芸術運動がヌエーヴォ・シネ・メヒカーノで、イニャリトゥ『アモーレス・ペロス』(00)が代表作とされている。カルロス・レイガダス『闇のあとの光』(12)のようなマジック・リアリズムは一切なく、端正なモノクロ仕上げはキュアロンが製作したフェルナンド・エインビッケ『ダック・シーズン』(04)と同じくルイス・ブニュエルの精神に立ち返ったことを表している。クレオは同じく先住民のアデラと共に家政婦として働いていることがだんだんとわかってくる。彼女たちが住み込みで働いているのはアントニオとソフィア夫妻に子どもが4人とグランマのテレサを加えた7人構成の中産階級の上……ぐらいの家。アントニオが車で帰ってくるシーンが序盤のハイライトになるだろうか。ただの車庫入れをここまで誇張して描くかと思うほどバカみたいなアップが笑ってしまう。それはおそらく子どもにはそう見えていたということで、この映画は実際、キュアロン自身の子ども時代を描いたものらしく、舞台はメキシコのローマ地区、時代は1970年から71年にかけて。ちなみにキュアロンは自分が特権階級として育ったことに罪悪感があるとも語っている。

 クレオとアデラはこまめに働き、休みになるとボーイフレンドたちとドイツ映画を見たり、ベッドを共にしたり。繁華街のにぎやかさといかがわしい物売りたちのデモンストレーションは念入りに再現されていて、TVに登場するビックリ人間なども含めて、それらは子どもたちに見えていた世界観が色濃く反映されているのだろう。子どもたちが様々な遊びに興じるなか、そして、アントニオはカナダに出張で出掛けていく。(ここからはネタバレというと大袈裟だけれど、知らない方が楽しめるストーリー展開で)雹に打たれて遊んでいる子どもたちを呼び寄せ、出張中の父親に手紙を書くよう指示したソフィアにクレオは自分が妊娠したこと、そして、そのことを話すとボーイフレンドは行方をくらませてしまったことを告げる。「クビですか?」と尋ねるクレオにソフィアはそんなことはしないといって翌日、かかりつけの病院にクレオを連れていき、自分は別な医者とベタベタしている。診察を済ませたクレオは「新生児室を見てくれば」とソフィアに促されるまま生まれたばかりの赤ちゃんたちを眺めているといきなり大地震に襲われる(前の日にTVで3・11特番を目にしていた僕はこの場面、本気で怖かったです)。

『ローマ』には様々な音楽が流れているものの、それらはすべて作中で鳴っている音楽であって、いわゆる劇伴はまったくつけられていない(最後にエンドロールでクレジットされている曲の多さにはあッと驚くものがあった)。にもかかわらず、場面転換は非常にリズミカルで、どちらかといえばミニマリズムに近い作風ながら、だらだらとして思わせぶりなカットが多いデヴィッド・リンチとは対照的に編集のテンポだけで淀みなく日常は織り成されていく。先住民たちが住むゲットー地区の描写を経てクレオがテレサに伴われて家具店に赤ちゃん用具を探しに行くと、外で渦巻いていた学生たちのデモ隊が政府に支援された武装組織と衝突し、後に120人が殺害されたことが判明する「血の木曜日事件」が勃発。家具店の中に「殺さないでくれ」と逃げ込んできた学生を撃ち殺したひとりがクレオに銃を向けたまま、しばらく微動だにせず、やがて走り去っていく。それはクレオを妊娠させたフェルミンであった。クレオはそのショックで破水し、病院に運び込まれる。テレサは病院のスタッフにクレオの名前や家族のことを訊かれるものの、ミドルネームすらわからず、ほとんどのことには答えられない。そして分娩室でクレオが産んだ子どもは死産であった(新生児のベッドが地震で瓦礫に埋まったり、新年のお祝いでコップを割ってしまうなど予兆はいくらでもあった)。

 打ち沈んだクレオには休暇のつもりで、ソフィアは子どもたちと海辺の避暑地へ行こうと提案する。実は出張だといっていたアントニオはそのまま別な女性と駆け落ちし、留守の間に本棚を運び出しに来ることになっていた。ソフィアもクレオも男に裏切られたと言う意味では同じ境遇になったのである。キュアロンは前作『ノー・グラヴィティ』で生きることに絶望した宇宙飛行士ライアン・ストーン(サンドラ・ブロック)がもう一度生きようという意志を持った時に「重力」がその助けとなるという設定を与えていた(原題は『グラヴィティ』で、邦題が『ノー・グラヴィティ』だと教えると英語圏の人たちにはバカ受けします)。しかし、もう一度生きてみようとストーンが思い直す時に彼女は幻覚を見ていて、ジョージ・クルーニー演じるマット・コワルスキー(=男)がそのアシスト役になっている。それが『ローマ』ではアントニオとフェルミンだけでなく、他の細かいシーンでも男性は役立たずか裏切り者として描かれ、男たちは見事に女性が生きることを邪魔する存在でしかない。それは意図的なのかもしれないし、キュアロンにとっての過去が偶然にも#MeTooと共振しただけなのかもしれない。ビーチで繰り広げられるクライマックスではソフィアとクレオには階級差がなくなったともとれるような場面が逆光の中に映し出される。そして、死産がクレオにとって悲劇ではなかったことが明かされる。

 ソフィアはしかし、あまりにも強い女性として描かれすぎな気もしないではない。母親に求めるものが多過ぎると批判された細田守『おおかみこどもの雨と雪』(12)と同じく、妊娠したことで戸惑うクレオと比較して何に対してもめげる様子を見せないソフィアの気丈さはさすがに尋常ではない。女性がその意志を貫くという意味では初期の代表作『天国の口、終りの楽園。』にも通じるものがあるのかもしれないけれど、この作品が扱っている人種問題や経済格差、あるいは#MeTooに通じる部分よりも僕はどうしてもそこが気になってしまった。マザコンをよしとするメキシコの気風なのかもしれないし、キュアロンが母親の弱い面を見ないで育ったというだけのことかもしれない。わからない。ちなみに最初から最後まで犬だらけで、犬と人間の距離感も僕にはナゾだらけでした。

『ROMA/ローマ』予告編
                  

sugar plant - ele-king

 90年代の日本の音楽シーンにおいてもっとも重要なバンドのひとつ、シュガー・プラントが超久しぶりにワンマンをやります。ヴェルヴェッツ系のサウンド、ヨ・ラ・テンゴやギャラクシー500とも音楽的同士といえるそのサウンドをたっぷり堪能しましょう。なお、当日の入場者全員には、名作『headlights』からの6曲のダブ・ヴァージョンを収録したCDRがプレゼントされます。

sugar plantワンマン『another headlights』
4月20日 (SAT)
新代田FEVER
open / start 16:30
sugar plant on stage 18:30
guest DJ : マイケルJフォクス
前売3,000円 当日3,500円 ドリンク別
チケット:e+、ローソン(Lコード:70464)、FEVER店頭にて発売中

入場者全員に6曲入りDub Album『Another Headlights』CDRプレゼント

sugar plantのキャリアを総括するワンマンが決定!
94年リリースの『hinding place』から昨年リリースの『headlights』まで25年の歴史を振り返るスペシャル・ライヴ。
また当日ご入場のすべての方に『headlights』収録曲のうち6曲をオガワシンイチ自身がDub Mixした『another headlights』のCD-Rをプレゼント!『another headlights』は5月中に配信でリリースの予定。

sugar plant
Galaxie500やYo La TengoなどのUSインディーに大きな影響受けたロック・バンドとして活動を開始、当初からはっきりと海外志向があり実際すべての音源が海外リリースとなっている。3度にわたるアメリカ・ツアーではSilver ApplesやLow、Yo La Tengoなどとの共演も経験し当時まだ人気のあったカレッジ・チャートでは大きな評判となった。90年代中旬、日本のクラブ・シーンの黎明期をメンバーがその中心で体験したことによりバンドのサウンドもより広がりを見せ、ポスト・ロックや音響派の先駆けとしても評価は高い。
sugarplant.com

 UKのアンダーグラウンド・テクノ・シーンと共振するファッション・ブランドのC.Eがまたまたカセットテープをリリースする。今回は、Ben UFO、Peason Sound、Pangaeaが共同主宰する〈HESSLE AUDIOや〉Batu主宰の〈TIMEDANCE〉といった人気レーベルからのリリースで知られる、UKのプロデューサー/DJのPLOYによるミックス作品。値段も1000円とお手頃で、収録されている音もデザインも格好いいです。お早めに!


タイトル:PLOY
アーティスト:PLOY
価格:1,000円(税抜)
発売日:2019年3月23日(土)
販売店舗:C.E 東京都港区南青山5-3- 10 From 1st #201
問い合わせ先:C.E


Myriam Bleau - ele-king

 零秒の音楽は可能なのか。始まった瞬間に終わり、時間を超えて記憶の層に永遠に格納されるような音楽。色彩と線の交錯による時間の凍結のよう抽象絵画のごとき音響。例えるならあのサイ・トゥオンブリの絵画のような時間と空間を越境するようなアブストラクトな音楽/音響。そんな音響音楽を希求するのは、ただの夢なのか。
 いや、そうではない。例えば池田亮司、カールステン・ニコライ、そしてリチャード・シャルティエ、クリスチャン・フェネス、マーク・フェルなどのマイクロスコピックなサウンドアート作家・電子音響作家たちは、いずれもそのような不可能性を希求し追求してきたアーティストではないか。それらは21世紀的なコンピューター音楽による未来の追求でもあった。コンピューターと電子音とグリッチノイズによる人間を超えた細やかで繊細で多層的な強靭な音響たちである。
 今回、取り上げるカナダはモントリオールを活動拠点とするサウンド・アーティストであるミリアン・ブローのファースト・アルバム『Lumens & Profits』もまたそんなマイクロスコピック電子音響作品の系譜にある作品である。アンビエント/ドローンやインダストリアル/テクノ以降の先端的電子音楽においては珍しい作風ではないかと思う。

 リリースはUKの先端レーベル〈Where To Now?〉。同レーベルはこれまでも KETEV(Yair Elazar Glotman)、ニコラ・ラッティ(Nicola Ratti)、CVN、デール・コーニッシュ(Dale Cornish)、N1L、YPY、ルット・レント(Lutto Lento)、アゼール(Assel)、H.Takahashi、ベン・ヴィンス(Ben Vince)など2010年代のエクスペリメンタルな先端音楽の注目作のリリースを連発してきたが、ミリアン・ブローの本アルバムは2019年以降の電子音響のモードを体現している。せわしなく、かつ細やかに接続・変化していくマーク・フェル的なグリッチ音響は「テクノ以降の音楽的記憶」が一気に圧縮されているような印象ももたらすが、同時にデータの流動化というよりは、その音からは「モノ的」な存在感も増している。マテリアルな質感を有しているのだ。まずはライヴ動画を観て頂きたい。

 手とデバイス=モノを駆使することで彼女はマテリアルとデジタルの領域を交錯させたサウンドを生成している。レーベルも「彼女のハイブリッドな電子音は、文化的表現としてのパフォーマンスを探求し、ポップカルチャーの要素と音楽の歴史の傾向を再文脈化する」と書き記しているが、良く聴き込むとテクノのキック、ヒップホップのグルーヴ、エレクトロニカのサウンドなどの電子音楽の痕跡が解体され、細やかにスライスされてコンポジションされていることも分かってくる。結果、聴くほどに音楽の記憶が刺激され、同時に記憶が喪失する感覚も生れてくる。そこには00年代的な電子音響作品のコンピューターによるエラー=グリッチとは違う不思議な「身体性」が蠢いているように感じられた。彼女のパフォーマンス動画を観ても分かるように、マテリアルとデジタルの領域を再交錯させているのだ。その意味で同じくカナダ出身のニコラ・ベルニエ(nicolas bernier)(https://vimeo.com/48493242)の系譜に連なる現代の電子音響作家ともいえよう。いわば2010年代後半のミュジーク・コンクレートである。

 そしてミリアン・ブローのサウンドは、まるで鳥の鳴き声のように軽やかな電子音だが、そのサウンドは直観と構築の往復のように偶然と構築の両極を行き来している。断続的なキックは解体されたテクノのようだし、優雅な舞踏のようにスライスされた電子音の運動はポスト・グリッチ的で、短い数秒のサウンドの中にいくつもの電子音楽が圧縮されている。
 その意味で細切れに編集されたヴォイスとコードが鳴り響く2曲め“Constructivism”、細やかな音の粒子と時間が浮遊するようなアンビエンスが端正にミックスされる美しい3曲め“Hidden Centuries”、鳥の鳴き声のような電子音が軽やかに反復と非反復のあいだを行き来する4曲め“Vapid Luxury”などは本アルバムを象徴するトラックだ。
 むろん、これらの雰囲気はアルバム全トラックに共通する感覚でもある。時間軸を超えて音響を摂取するような感覚はマイクロスコピックな電子音響作品の系譜に連なるサウンドだ。中でも微細な電子ノイズが非反復的に構成されることでマーク・フェル以降の偶発的なグリッチ・サウンドを超越する電子音響空間を生みだす7曲め“Shapes”などは、そんな時間軸を超えて音響を聴くような感覚をもたらしてくれるニュー・マイクロスコピックなトラックに仕上がっていた。そして静謐なラスト8曲め“Darling”によって幕を閉じる。ミニマムに解体されたループは、どこかグリッチ化したヒップホップのトラックのように響く。

 そして本作のように00年代的な電子音響を基調にしつつも、そのスタイルもジャンルも解体されたような、いわばテクノ以降の音楽のエレメントが圧縮・再構成されている電子音響作品が、〈LINE〉や〈Entr'acte〉などのサウンドアート・レーベルからではなく、〈Where To Now?〉のようなクラブ・ミュージックを進化・解体する先端的なレーベルから発表されたことも重要に思える。
 2010年代前半のエクスペリメンタル・ミュージックと2010年代後半のエクスペリメンタル・ミュージックを繋ぐ存在とでもいうべきだろうか。電子音の欠片が高速で、軽やかに、優雅に、舞踏のように、踊り、駆け抜けていくようなサウンドを一気に聴取するような感覚をぜひとも体験して頂きたい。

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