「K A R Y Y N」と一致するもの

大石始 (EL PARRANDERO) - ele-king

2010年によくかけた10曲


1
Systema Solar - Mi Colombia - Chusma

2
Bomba Estereo - Fuego - Nacional

3
風祭堅太 - Alasca - Rudiments

4
La Troba Kung-Fu - Maria Hernandez - Chesapik

5
Ai, Ai, Ai - Bar La Rumba - Propaganda Pel Fet

6
Gertrudis Vs. Toy Selectah - Mundo Uaka (Toy Selecath Remix) - Lovemonk

7
Sergent Garcia - Yo Soy Salsamuffin - White

8
Sunlightsquare Latin Combo - I Believe In Miracle - Sunlightsquare

9
Los Rakas - Abrazame (Uproot Andy Mix) - White

10
やけのはら - I REMEMBER SUMMER DAYS - felicity

手前ミソで恐縮ですが、久しぶりに自分の単行本が出たので報告させてください。『もしもパンクがなかったら』という我ながら青いタイトルの本は、雑誌『EYESCERAM』に2005年から連載中のコラム「SHOUT TO THE POP」をまとめたものです。自己解説すると、ざっくり言って、ゼロ年代後半の大きなムーヴメントのない時代のレポートのようになっているかと思います。正直言いまして、過去の自分の原稿を読むほど過酷な作業はないので、実はまだしっかり直視できていないのですが、「ムーヴメントがない時代」をテーマに宇川直宏のマイクロオフィスで三田格とトークショーをはじめた話なんかも書かれていて感慨深いものです。以下、目次を載せて、自己宣伝を終わらせいただきます。ちなみに、年明けの1月は復活!『ele-king』が1月17日に刊行予定、また、『ゼロ年代の音楽――ビッチフォーク編』という怒濤の刊行が続きます。自分で言うのも何ですが、どちらもかなり面白い本ですよ。(野田)

■Part 1
パンク・バンドが通俗的なディスコをカヴァーするとき――!!!『ラウデン・アップ・ナウ』は素晴らしい 14/「これは私が生きていくために必要なモノなの」と女性MCのシェイスティーは言う――グライムという新しいムーヴメント 18/ダフト・パンクのように、人生の無意味さをはしゃいでみせる屈折した陽気さはないけれど――LCDサウンドシステムの快進撃 22/「ワン、トゥ、スリー、ヘイメン!」、そしてリキッドルームには・インスピレーション・が鳴り響いた――来日したマッド・マイクとUR 26/ 私には、あんたをぶっぱなす爆弾がある――M.I.A.登場! 30/ スペイン語によるヒップホップで、イケイケで、猥褻で、とにかく最高に好色なダンス・ミュージックである――拡大するレゲトン・ブーム 34/それは「フェスティヴァルというよりは社会的集会に近い」と『ワイアー』は形容している――フリー・フォークなる新しいアンダーグラウンド 38/「それらは残酷な人生を送っている人たちによる日常生活の年代記なのよ」と彼女は語った――バイリ・ファンクの時代 42/音楽が時代への反抗心を内包するものであり、少数派の意見を反映するものであること――コールドカット『サウンド・ミラーズ』の挑戦 46/見事なほどに、これといった取り柄を持たないダメな人間たちを描いている――賛否両論のザ・ストリーツ『ザ・ハーディスト・ウェイ・トゥ・メイク・アン・イージー・リヴィング』 50/フロイト心理学を持ち出しながら健康のためのグループ・セックスを試行錯誤したヤッピーに比べたら――ディプロとボルチモア・ブレイク、あるいはDJシャドウの新作 54/「夜に似合う感じなのはたしかだよな。雨だな。雨がたくさん含まれてて、夜で、悲しくて......」――ブリアルとダブステップ 58/それが毎週末さまざまな場所で繰り返されるとなると、週末その街の繁華街から若者が消えてしまう――ニュー・レイヴなるトレンド 62/夏だ、「それは究極のバカ騒ぎよ」、MCのマリナは語っている――リオのホンヂ・ドー・ホレに注目 66/僕は夜が来るのを待つ。夏の終わりを待つ。外が暗くなるのを待つ――ダブステップのネクスト・ステップ 70/上品な子供たちの陰気なポップが聴こえる──ニュー・エキセントリックなるムーヴメントについて 74/すべての人びとは踊らなければならない──ヘラクレス&ラヴ・アフェアが訴えている 78/一九七〇年代にザ・ストゥージズのレコードを探すことは困難だった。しかしいまは違う──レトロ・ポップの時代 82/ユース・カルチャーはいまとにかく踊りたがっている、それもかなり強烈に──更新されつつあるUKの音楽シーン 86/ソニック・ユースには・スメルズ・ライク・ティーン・スピリット・がない──ニューヨークのアヴァン・ロック最前線 90/彼はいま、なんとしてでも人生を誉めてみたかったのだろう──ザ・ストリーツの最後から二番目の新作について 94/彼のなかの・彼女・が歌うとき――アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズを聴け 98/もしもパンクがなかったら......――ザ・キング・ブルースは素晴らしい! 102/それは大胆で口汚く、淫らでバカなスリム・シェイディを演じた彼にしては弱々しい言葉に思える――エミネムのカムバック作『リラプス』 106/UKクラブ・カルチャーの系譜において現在もっとも最良な結実であり......――ダブステップが迎える新局面 110/騒々しくて、目まぐるしくて、しかもスタイリッシュで、エンニオ・モリコーネとジャマイカの脈絡のない混合物で――ダンスホールのミュータントたち 114/大量生産されるロボットDJに抵抗するように......――デリック・メイの十三年のぶりのミックスCD 118/「無垢」、これはここ数年のUSインディにおけるキーワードである――ビーチ・ハウスというエレガントで憂鬱なポップ 122/この新ジャンルは、南アフリカで開催されるワールド・カップへの熱狂とも相まっているのだろうか?――UKファンキーなるダンスのモードを紹介しよう 126/二〇一〇年のティーンエイジ・ライオット――拡大するダブステップ 130/幸福は・余暇・にしか見出せないという切ない悲しみが、陶酔的なディスコビートによって表されているようじゃないか――チルウェイヴなる新しいムーヴメント 134

■Part 2
「だけどさ、嘘でもいいからメール欲しいよな? 嘘でもいいからメールをくれよ」――こだま和文『In The Studio』 140/この国で最高のロックンロール――RCサクセション『ラプソディー・ネイキッド』 144/公園通りには「チケット、売ってください」などと書かれたプラカードを持った若いファンが何人もいた――フィッシュマンズの七年ぶりのライヴ  148/街で遊ぶ――ストラグル・フォー・プライド『YOU BARK WE BITE』 152/彼らは一日を楽しく生きるために、くだらない冗談を言い合い、熱く語り、笑い、そして大声で歌う――泉谷しげるとギターウルフ 156/こんなご時世、信じるに値するのは愛の悦楽のみ――曽我部恵一『ラヴ・シティ』を聴きながら 160/世のなかはもう変わらないと諦めてしまっては、人は家畜みたいになってしまう――一九八〇年からのロックンロール・ショー 164/彼はバースデー・パーティの・ソニーズ・バーニング・を「坊やは燃えている」と歌った――石野卓球とWIRE 170/かつてジョー・ストラマーは新聞やニュース番組を見ながら歌詞を書いたと言うけれど......――鎮座ドープネスなるラッパーの『100%RAP』 174/俺は自分の足でクラブに行き、自分でフレンズを選び、自分で曲を作る、シーンのルールには興味もない、ただミュージックのみ――S.L.A.C.K.というラッパーについて 178/リリー・アレン、彼女もそう、もろにロンドン訛りだって言うね――あるぱちかぶと、そして彼の『◎≠(マルカイキ)』 182/この夏が終わったとしても......――やけのはらの『THIS NIGHT IS STILL YOUNG』 186

■Part 3
「奴らを殺せ/おかまは死ななければならない/奴らの頭を撃ち抜け/おまえらも連中には死んで欲しいだろ」――ダンスホールとゲイ差別 192/ポップ・カルチャーのなかで同性愛に対する憎悪がここまで顕在化したことは、六〇年代以降なかったのではないだろうか――ますます加熱するゲイ憎悪 196/パーティで人を集めるには、昔から特別な音楽が必要なのだ――一枚一万円のディープ・ファンク 200/ブラジルの生んだフットボールの王様は、現役時代に五百曲以上の曲を書いている――ペレ『ジンガ』 204/アンダーグラウンドとは必ずしもアンダーグラウンドに閉じていくことではない。アンダーグラウンドとは可能性の追求である――ムーヴメント不在の時代 208/「これは新たなるサマー・オブ・ラヴか?」、サラはその真偽を確認するために侵入する――ニュー・レイヴ・ジェネレーション 212/その場にいた二百人は明日が月曜日であることを考えもせずに、雄叫びをあげ、激しく踊った――デリック・メイが静岡にやって来た! 216/遅刻したかのように私たちは駆け込む、秘密のレイヴ、内緒にしておいて、よろしくね――一九九二年のレイヴ・カルチャー 220/ぶっ飛んだままトイレに入って、山状に盛り上がった大便の海に財布を落とし、そしてどうしたと思う?――グラストンベリー・フェスティヴァルの思い出 224/悲しい日なのに、そのとんでもない状況にみんなから微笑みがこぼれた――渋谷のシスコ閉店 228/それは「ロックンロール選挙」であり「ヒップホップ選挙」でもあった──バラク・オバマとポップ・カルチャー 232/エイミー・ワインハウスのファースト・アルバムの内ジャケットの写真を見てごらんよ──エスカレートする大麻報道について思うこと 236/それもまた、スマイリーをめぐる冒険のアイロニカルな通過点だった――再刊されたコミック『ウォッチメン』を読みながら 240/ガソリンの涙がキミの目に浮かぶ、早くセックスしよう、死んでしまう前に――J・G・バラードが音楽に与えた影響 244

■Part 4
『ワシントン・ポスト』はジョニーについてこう結論づけている。「彼は反抗の世界における反抗者だったのだ」――パンクが右翼になるとき 250/ダグラス・クープランドは「買った経験は数に入らない」と八〇年代の高度消費文化を自虐的に批評したけれど――パンク三〇周年 254/狂人ではなく、人はそれを何故・並はずれた感受性・と言えなかったのだろう――シド・バレットに捧ぐ 256/いま僕たちが暴動を起こすとしたら、いったい誰に向けて石を投げればいい?――映画『ロンドン・コーリング』を見ながら 260/音楽は現世的な愉楽、幸福、微笑みの化けの皮をひっぺがす力を持っている――ロバート・ワイアット『コミックオペラ』、ゆらゆら帝国『空洞です』、七尾旅人『911FANTASIA』 264/セックス・ピストルズにもザ・クラッシュにも言うことができなかったメッセージを彼女は言った――初来日したザ・スリッツ 268/彼は描く、僕たちはどうしてロックンロールを手放せなくなってしまったのかを──ジュリアン・コープの『ジャップロックサンプラー』の翻訳を読んで 272/激しく燃え尽きるように、狂気を友としながら十代を生き急いだその人生に――シド・ヴィシャス三〇回忌 276/あのとき彼女たちを触発したのがクール・ハークやファブ・ファイヴ・フレディ、要するにヒップホップだった――ザ・スリッツの新作があまりにも良いので 280/いま、北京に行ってもパンクの店を見つけることができる。マルコムとヴィヴィアンなしではありえなかったことだ――マルコム・マクラレン、R.I.P. 284/彼女たちはショービジネスの世界で女性がありのままの普通でいることが、どれだけ異様に見えるかを証明した――ザ・レインコーツの初来日 288

Gayngs - ele-king

 これは10ccとエールと......要するにソフト・ロックのモダン・ヴァージョンだ。ヴォン・アイヴァーをはじめ、その仲間たち(ソリッド・ゴールドのザック・クールターとアダム・ヒューバート、ディジスタのライアン・オルソンなどなど......)、総勢20人以上にもおよぶメンバーによる新しいプロジェクト、ゲイングスのデビュー・アルバム『リレイティッド』だが、そういえば昨年のいま頃はヴォルケーノ・クワイアーのデビュー・アルバム『アンマップ』をよく聴いていた。ヴォン・アイヴァーと言えば雪に埋まった山小屋のイメージがあるのでこの季節に似合うと言えば似合う......のであるが、ゴドレー&クレームの"クライ"がカヴァーされているように、彼らが参照しているであろう10cc――フランク・ザッパとドゥー・ワップとのブレンド――を思えば、ある種の冗談というものがこの音楽にはあるはずなのだ。ゲートホールドのジャケを開けば、そこには劇画タッチの絵でメンバーらしき連中の滑稽な姿が描かれていて、まあ、この音楽がシリアス一直線ではないことを自ら明かしている。"ノー・スウェット"という曲にいたっては、"アイム・ノット・イン・ラヴ"そのものだ。が、しかし......10ccの"アイム・ノット・イン・ラヴ"というスウィート・ラヴ・ソングの徹底的なパロディ/ギャグを、深刻な愛の歌であると受け取ってしまうわれわれ日本人としては、このアルバムにさりげなくちりばめられた違和感、ノイズ、齟齬感といったものもフェンダー・ローズやサックスの甘い響きのなかで消してしまうかもしれない。

 この際それでもいい。南アフリカでは英語がわかっても、アメリカのギャングスタ・ラップの演技という文化が理解されずに、それを本気でやられてしまっているらしいが、それよりはマシだ。いや、それに何回聴いてみても、これは美しくて、ソウルフルで、巧みなアルバムなのだ。ソフト・ロックのパロディをやっているつもりが、ついつい真剣になってしまった......そんな演奏のようである。スタイリスティックスを彷彿させる70年代のスウィート・ソウル・ミュージックのファルセット・コーラス、それがニューウェイヴ的な安っぽいリズムボックスと美しいジャズの演奏に混じっている。ザック・クールターとジャスティン・ヴァーノン(ヴォン・アイヴァー)ふたりの高音のヴォーカリゼーションは充分に魅力的で、とくに"クリスタル・ロープ"におけるふたりのコンビネーションは頂点のひとつだ。"ザ・ビートダウン"のような遊びの曲もあるし、ニューウェイヴ調のシンセ・ポップスの"フェイディッド・ハイ"、スローテンポな"クライ"のカヴァーもユニークだ。マイゼル・ブラザースがIDMスタイルをやったような"ザ・ガウディ・サイド・オブ・タウン"にも舌を巻く。ソプラノサックスとローズ・ピアノが魅惑するメロウな"スパニッシュ・プラチナム"も良い。それでも圧倒的なのは最後の曲"ザ・ラスト・プロム・オン・アース"だ。甘ったるい生クリームがどっぷりと載ったショートケーキのような、これはハロルド・メルヴィン・アンド・ザ・ブルー・ノーツのアンビエント・ヴァージョンである。

 上質なラウンジ・ミュージックとも言えるが、『ムーン・サファリ』のようなハウス・ミュージックとの繋がりは持たない。これはアメリカのオルタナティヴ・ロック・バンドによるラウンジである。そう言われても困るほどやっかいな音楽で、間違いなく素晴らしい。

神聖かまってちゃん - ele-king

まるで聞き分けの悪い子供の我がままのようだ文:加藤綾一


神聖かまってちゃん / みんな死ね
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神聖かまってちゃん / つまんね
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 『つまんね』『みんな死ね』だって、わはは、最高じゃん!  AKB48と嵐が年間チャートを独占するこの国の予定調和に対するオルタナティヴとして、2010年にもっとも待ち焦がれられたであろう、彼らのアルバムのタイトルを目にしたときに僕は思った。もちろん、よく言われるような現代社会に対する虚無感ややり切れなさもあったが、それ以上に、僕はこの上なく痛快な気分になった。
 彼らがそのおどけた言葉遣いと態度で、フラストレーションを不器用にも解放しながら突き進んでいくさまには、僕は特別な同時代性を感じる。"天使じゃ地上じゃちっそく死"や"芋虫さん"での「死にたいな/苦しい嫌だ」「生きたいなあ」という叫びは、いつからか頻繁に耳にするようになったが、〈にちゃんねる〉のような掲示板では、日々、やり場のない苛つきや卑屈なまでの劣等感が、ジョークを織り交ぜながら生々しく吐露されている。それは現代のルサンチマンの縮図とも言えなくもないが、神聖かまってちゃんの鋭い批評眼の出自はここにあることは間違いないだろう。僕は〈マルチネ〉周辺の自分よりも若いトラックメイカーやDJたちをtwitterで数人フォローしているが、彼らも〈にちゃんねる〉的な人を食ったような言葉遣いをしている。僕は、それはこの時代の空気をリアルにパッケージングするために生まれた、優れた言語感覚じゃないかと思っている

 "いかれたNeet"では、「朝から晩まで僕は楽しい歌を歌う/それが日記だから」という自虐的な叫びがある。いったい何の甘えだと思うかもしれないが、ほとんどワーキング・プアのような状態でここ数年を過ごし、今年初めてしばしのあいだニートを体験した僕のような人間にとっては、決して冗談として笑い飛ばすことが出来ない。そういった言葉たちを、耳をつんざくノイズに塗れながら、それとは裏腹の耳馴染みのいい歌謡曲風のポップ・パンクに乗せて吐き出すさまは、まるで聞き分けの悪い子供の我がままのようだ。度の過ぎた被害者意識だと一蹴することも出来るかもしれないが、こうしなければやっていられないのもまた事実。クソみたいな世のなかと同化して堪るかという彼らの悲痛な叫びを無視するほうが、もはや難しい状況になりつつある。
 "美ちなる方へ"とはよく言ったもので、その危ういピュアネスが行き着く先は僕にもわからない。だが、"男はロマンだぜ! たけだ君っ"のように、彼らの鳴らす音楽が、「ポンコツな心のギアをあげて」生きる僕らが抱えた歪んだ鬱憤を晴らすものとして機能するのであれば、これほど美しいことはないと思う。

文:加藤綾一

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120%の真実であり、しかし120%の真実ではない文:野田 努


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神聖かまってちゃん / つまんね
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「生きる日々、ずる休み/それはただ、燃えないゴミ」"口ずさめる様に"
 神聖かまってちゃんは虚無を生きているかもしれないが、虚無的ではない。千葉ニュータウンから登場したいかれたオアシスに聴こえるときもあるけれど、メロドラマティックな感情移入を拒絶するという意味でアンチ青春的とも言えるこの青春の音楽は、聞き捨てならない巧妙な言葉とメリハリのあるメロディ、際どい風刺精神とポップ志向、そしての子の変幻自在の声によって面白いように混乱を巻き起こす。おまえらの言ってることは何か違うんだよ、頭をかきむしりながら鋭い目で苛立ちを露わにするステージのの子を思い浮かべる。
「知っているからたまに狂っちまうんだ 」......"美ちなる方へ"
 ライヴで初めて"天使じゃ地上じゃちっそく死"を聴いたときには本当に身震いした。重たいベースラインに導かれて発せられる「いやだ!」という声は、華やかな渋谷の街を一瞬にして黙らせるようだった。露わになったとめどない感情......そして「死にたいな」という叫びが会場内のいたるところに突き刺さる。それは120%の真実であり、しかし120%の真実ではない。矛盾が爆発する。その瞬間、新しい「生きたい」が鼓動するのを僕は感じる。

 「ノー」と言うことで開ける未来がある、というパンクのクリシェにならって言えば、神聖かまってちゃんはこの国の支配的な力――「強い者しか生き残れない」という価値観に強烈な「ノー」を叫んでいる、と言えるだろう。弱さ、け落とされる感情、抑えつけられた思い、ヘドの塊や心療内科で処方される向精神薬......そんなものを寄せ集めながら、しかしそうした負を逆転していくような衝動を、あるいはその仕掛けを彼らの音楽から感じることができる。笑えるようで、しかし笑うに笑えない言葉が、ものすごい本気とものすごい冗談のあいだを素早く往復しているようだ。あるいはまた、男らさしや女らしさといったジェンダーを越えたところから聴こえるの子の中性的な声によるシャウトが、その「ノー」にさらに複数の意味を持たせているようにも思う。それから......ものの喩えとして、"ツイスト&シャウト"→"アナーキー・イン・ザ・UK"→"天使じゃ地上じゃちっそく死"と並べることもできるかもしれないけれど、当たり前の話、生きている時代も社会も違う。セックス・ピストルズの時代はもうちょっとシンプルだった。ステージの上でネットの書き込みを晒す必要などなかったのだから......。

 騒々しい『みんな死ね』、ポップに毒づく『つまんね』、どちらもマスターピースだ。"神様それではひどいなり"を聴く。「神様貴様はどこにいる /神様てめぇぶっ殺してやる /殺してやる」、ハハハハ、暗い気持ちも明るくなる。他にも良い曲がたくさんある。マッチョな時代へのアイロニー"男はロマンだぜ!たけだ君っ"、鬱病時代をシニカルに描く"僕のブルース"や"最悪な少女の将来"、そしてパワフルな"いかれたNeet"や"口ずさめる様に"......。2010年の12月、神聖かまってちゃんは世界の見方を変えてしまった。 

文:野田 努

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調子に乗ってすみません。べつにいいじゃねえかよぉ、調子に乗ってもよぉ文:橋元優歩


神聖かまってちゃん / みんな死ね
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神聖かまってちゃん / つまんね
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 神聖かまってちゃんの音楽は、村上隆氏の言葉を借りれば「様々なコンテキストが串刺しに」されており、そのために音楽の枠を超えて大きな存在感を持ち、狂おしいバズを巻き起こすのだが、またそのために正当な評価を損なっている部分があると感じる。ユーチューブやストリーミング配信の重用、またそのためにファンがライヴ会場ではなくネット空間に多く存在するといった、インターネットにおける新しいコミュニケーションの問題。共同体、とりわけ学校共同体への違和や怨恨、トラウマという主題。自傷的なパフォーマンス。平成不況や旧来型の社会モデルの解体状況のなかで育った「奇怪な自意識を持つ」ゆとり世代のイメージ。NHK『ミュージック・ジャパン』出演時などの有名な暴走エピソードなども、こうしたイメージを補強する材料になってしまうだろう。「ネオテニー・ジャパン」的な成熟の問題ともリンクするかもしれない。また出身地である千葉、集合住宅といったキーワードが喚起する郊外的(ゼロ年代的)風景。さらには、ニート/非リア充問題として語られることさえあり、ゼロ年代と若者論をめぐって本当におびただしい文脈を串刺しにしている。
 だが実際に音に耳を傾けると、それらが部分であり全体ではないということがよくわかる。どれかひとつのトピックから眺めていては彼らを取り逃すばかりだろう。私のように後聴きの人間にはとくにそうだ。の子はじつに瑞々しく正統的なロック・ヒーローである。忌野清志郎や甲本ヒロトにも比肩できるだろう。音や資質は異なり、の子にはむしろ彼らのような頼もしい男性性に対する批評を感じるが、自らの内に渦巻く負の記憶やエネルギーを強度のある表現に転化できる点では共通する。歌っていることが、「ああ、ほんとうのことなんだな」と感じられる。

 さて、同時リリースとなった『つまんね』と『みんな死ね』。前者はグローファイ的なムードまでとらえたエレクトロ・サイドのアルバム、後者はわりとストレートなパンク・アルバムである。さらに、前者は「運命は変わらない」というアルバム、後者は「僕は素直に生きる」というアルバムだ。あわせると「運命は変わらないが僕は素直に生きる」になる。色の異なるふたつのキャラクターが、『仮面ライダーW』のようにきっちり半々に合体する。緑っぽい黒、とかではなく緑と黒半々の身体が、の子の身体ではないだろうか。意図されたものではないかもしれないが、2作がかなりくっきりとした対照性を持っていることはたしかだ。

 まず驚くのは『つまんね』。とても風変わりなプロダクションで、ピクシーズとアリエル・ピンクをドラム式乾燥機で一緒に回したかのようにいびつなローファイぶりである。ベースは重め。雄弁なキーボードは、今作でも忘れがたくメランコリックなリフを繰り返す。アニメソングさながらのくっきりとした対旋律を描き出すのも彼だ。"天使じゃ地上じゃちっそく死"や"笛吹き花ちゃん"などでは、ベースとドラムによってライド的な疾走感が生み出されている。の子が歌うのはおもに「君はどうしようもないだろうね/どうにもならないだろうね」("黒いたまご")という運命を静観する態度だ。「黒いたまご」は、イコール「花ちゃん」であり、「芋虫さん」であり、「僕」、そしてノット・イコール「白いたまご」だ。醜くて不気味で、死んだほうがいい。だが「白いたまご」とてくだらない、しょぼい命である。生まれてきても「黒いたまご」をいじめたりして終了。いますぐ壊したほうがいい。こうした希望の薄い世界認識や、そこからとくに踏み出すことのない非積極性のモチーフは、チルウェイヴ的な音となじみがよい。"夜空の虫とどこまでも"は、絶妙のタイミングで挟まれるドリーミー・シンセ・ナンバー。悲観的で逃避的、しかし切ない。ケトルばりの感傷を持った、ミドル・テンポのインスト曲である。他の曲より秀でているとは言わないが、この曲が全体の腰の部分にあることで、アルバムの表情と方向性がバシッと決まっているように思う。つづく"通学LOW"もエレクトロで、クリスタル・キャッスルズのようないかれたバイオレンスを思いきり内向させる。いっぽうで、"いかれたNeet"もとても好きだ。ぎこちないファンク・ビートがどことなくデヴィッド・ボウイを思わせる。不気味で醜い「僕」が日課として歌をうたいつづけるという詞。の子が発音する「ニート」はすさまじい情報量に満ちている。心のすみずみから掻き出した声と言えばいいだろうか。苦しい、怖い、いやだ、死にたい、そうでもない、どうでもいい、生きたい、それらがすべて含まれている。この曲は、この「ニート」を聴く曲だ。何度も何度も繰り返されるし、一個一個身にしみる。ただの名詞なのに、無限に動詞や形容詞を感じるだろう。声変わりが終わりきらないような危ういバランスは、昔の七尾旅人にも重なる。七尾も「不気味で醜い」黒いたまごのような声を出した。運命は変わらない。だがこの声が歌う「死にたい」は、かぎりなく「生きたい」に近い。

 『みんな死ね』は曲にヴァリエーションもあり、『つまんね』の内省に比べてより攻撃的だ。前述のように音としてもかなり素直なパンク・アルバムで、前に向かうような気持ちが感じられる。
「上へ上へ駈けのぼってく/....../僕はゆきます/....../そんな感じです」("ねこラジ") 
「男にも女にもなれやしない僕だから/みんなの目が厳しいとちょっとつらい/男にも女にも嫌われてる僕だから/自分らしく生きたい/....../嫌われても人間らしく/素直に今歌いたいのです」("自分らしく") 
「さんざんな目にあっても/忘れ方を知らなくても/僕は行くのだ/僕を笑わせんなと」("怒鳴るゆめ") 
 "自分らしく"は、「男の子」にも「女の子」にもなれない「の子」の由来に言及しているようで、かつそのことを承認してほしい、してくれなくてもの子として生きる、という力強い表明がある。"スピード"や"男はロマンだぜ!たけだ君っ"では提案すらある。
「独りぼっちが好きだったら/走れ走れスピードで走れ走れスピードで/誰にも見えないスピードで」
 いずれも、歪んだギターとかまってちゃんらしいシークエンスを持った疾走ナンバーである。ヴォイス・チェンジャーも目立っては使用されない。そしてストレートなメッセージや決意がある。もちろん「そんな感じです」のような照れ隠しというか、メタな自己言及も忘れない。神様に世界の残酷な不平等を訴える"神さまそれではひどいなり"では、神様に意義申し立てをおこない、「ぶっ殺してやる」とまで叫んでおきながら、「調子に乗ってすみません。べつにいいじゃねえかよぉ、調子に乗ってもよぉ。すみません」というつぶやきで締めるのだ。コロ助の真似とおぼしき口調のしょぼい存在が、まっとうな望みを抱いてすみません。シニカルで切ないこの感覚はつねにある。もしかすると自虐を偽装することで誇りを守っているのかもしれない。必死でバランスを保ちつつ......。

 しかし最終的に耳に残るのは「最悪、みんな死んでしまえ」("最悪な少女の将来")ではないだろうか。よく動くベースと、デイヴ・フリッドマン的な、ガスが充満して爆発しているような音像、そして旋律がぴったりと言葉に合っている。思いの強さと真実さが、この旋律を導いたのだと思える。私は前向きなメッセージを100パーセント支持するものであるが、現時点では「最悪、みんな死んでしまえ」のほうがかまってちゃんの最大出力を引き出せるのかもしれない。ただし、かまってちゃんの「死んでしまえ」はナイーヴな自己完結には終わらない。定型に則ったメンヘラー的ポーズではなく、全霊で外にぶつける「死んでしまえ」であり、そのはね返りを受けてみずからも大きなダメージを受けるように見える。「死ね」と言うとき、そこに生々しい相手を想定できるだろうか。固有名でなくてもかまわない。肉体と心とをたしかに持った存在を感じながら「死ね」と言えるだろうか。それができるのなら、倫理的な問題にはパスしているのではないかと思う。「素直に生きる」ことはかくも難しい。両作はまぎれもなく傑作で、私はとても考え、一生懸命聴いた。終曲も美しいが、次はほんとに、しょぼい我々にも"口ずさめる様"に、「死んでしまえ」を逆転してほしい。

文:橋元優歩

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毟り取られ、攻撃され続けてきた思春期のなかから文:水越真紀


神聖かまってちゃん / みんな死ね
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神聖かまってちゃん / つまんね
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 神聖かまってちゃんについては『ele-king』復刊号に掲載予定の戸川純×の子の対談記事で純ちゃんがすべてを言っている。簡潔に、切実に、的確に。まったくそれ以上なにを言うことがあるのかというほどに......。
それは本当に感動的な対談だった。司会などほとんど必要もないままにふたりの話は続いた。「親子ほど違う」なんて言い方をする人もいるかも知れないが、出会った瞬間から最後まで、そんなことを感じることは一度もなかった。同じ時代を生きて同じように歌を作りバンドで歌う、共感と憧れが交錯する幸福な時間だった。
 というわけで、まったくいったい、ほかになにを言えばいいのか、あとはすべて蛇足ではないかと思いあぐねているというわけだ。

  えー、なので好きな歌を上げます。『つまんね』は傑作だと思いながら、気がつくと口ずさんでいるのは『みんな死ね』の曲が多い気がする。

 まずは"神様それはひどいなり"(『みんな死ね』)。傑作だと思う。すいません、語彙が貧困で。バンド名の「神聖」は、の子が「宗教っぽいものが好きだし......」ということで冠されたという話だけれど、それでいてこの歌。アンチクライスト、ではない。まさしく神の子の歌だ。どんな神? それは知らない。神様に甘えて甘えてねだってねだって異議を申し立て、最後には「ぶっころしてやる!」とがなり声を上げる。ああ、ほんとに久しぶりの爽快感。一緒になってがなりたくなる。がなっている。
「甘える」ことは難しい。子どもが大人に甘えた時代なんて人間にはきっとそんなになかったろうと思いつつ、それでもなお、この歌は歌われて正しい。断固支持する。甘えているのだ。どこにもいない神に、いないくせにえらそーに間違えてばかりいる神に、徹頭徹尾役立たずの神に。甘えられないから、それを知ってるから。
 聴くたびに最初から気持ちをたどり直してしまえる。これを私はパンクと呼びたい。

 それから"ねこラジ"(『みんな死ね』)。RCサクセションの"トランジスタ・ラジオ"を思い出す。あるいはこないだ見たジョン・レノンの青春映画"ノーウェアボーイ"とか。
 孤独な若者は、半生記前もいまも変わらずに、遠いところで鳴ってる音楽をとらえようとしている。たとえ"電波"の意味が変わっても。それさえも彼はとらえようとする。けれども過去の若者たちも言葉を知らずにとらえていたのではないか。誰かが勧めてくれたからでもお父さんが聴いていたからでもなく、体中から溢れて止まらない「新しい音楽」を求める心が、シーンにおける「新しい音楽」の役割が退化しても退化しても、新しい人には湧き上がる。
 私はそれがなによりもなによりも好きな光景だ。

 ほかにもある。まだまだある。あー、これもいいのよ、あっちもすごいのよと。けれどもこの調子で「好き」だと打ち明け続けるのには少しためらいがある。
 そしてこのためらい、私をためらわせるナニモノかこそが、たぶん神聖かまってちゃんが寅年生まれの私に発している力だ。たぶん。
 神聖かまってちゃんの歌は「なつかしい」。このバンドのほとんどなにもかもが、"いま"生まれてきたことの必然性を感じさせながら、同時に私は「なつかしさ」を感じるところがある。80年代初頭に私を刺激してくれたサブカルチャーのなかに、たしかに同じナニモノかがあったのではないかと感じ、だから「好き」って言うのが照れくさくなってるんじゃないかと......。

 思い出せば90年代後半以降、思春期には不遇時代が続いていた。80年代中盤には「最近の子どもには思春期がないらしい」説が出はじめていたが、90年代後半以降に比べたらまだ思春期のゆりかごだったと言っても良かった。いま思えば。なにしろそれが見えなくなったことに疑問が呈されていたのだから。校内暴力や特殊な事件が少しずつ社会のムードを変えていって、"思春期"は肩身の狭いものになってきた。
 実際には、思春期は子供たちから自然に蒸発してしまったのではなくて、毟り取られていたのだ。子供のままで服従しながら、頭のなかはクールに大人のように割り切ることを命じることで。オウム事件や神戸の殺人事件を機に、思春期はさらなる攻撃を浴びていた。そんなモノはいまでは不要だ、ダサくて情けなくて時代遅れでカッコ悪い、そんなモノを抱えているからいじめられるのだ人を殺すのだ中二病だメンヘルだと言わんばかりの攻撃だった。
 いまも基本的にはそれは変わっていない。
 さらにいえば、80年代初頭のサブカルチャーさえ、この思春期虐殺への最後の抵抗が大量に含まれていたのだ。相対化されながら、あるいは自らそうしながら、クールとポップをまとって......。

 この10年、「親が聴いていた」音楽を好む若者というものを見てきた。このことがことさらサブカルチャーから対抗文化性を奪ったとは必ずしも思わないけれど、思春期特有の感情の表現は奪ってきたと感じる。それだけが僅かな時間に生み出せるリリカルで無力なその表現は、40代までみんな青春サブカルチャー世代のなかでさえ、ユースカルチャーとして"サブカル"に埋め尽くされる地上から飛び立てるものだというのに。

 戸川との対談で「不安定になる自分を緩和するために歌を作る」との子は言ってた。の子も25歳ですから、思春期と言うにはトウが立ちすぎているわけですが、個々の思春期は実はどんどん延長されてきたのではないか。封じられれば封じられるほど、ある人びとの心にその根は蔓延り続けていたのかもしれない。
 の子の戦略と技巧に満ちた"カミングアウト"は、この四半世紀を全身で受け止めながらくぐり抜けてきた綱渡りのような思春期が混ざっている。だから私は"なつかしさ"を感じるのではないかと思った。「親子ほど違う」彼のなかに、同じ時間を生きてきたナニモノかを感じるのではないかと。

文:水越真紀

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飽きた。つまんね。そういうことだろう。飽きたんだよ、ホントに文:三田 格


神聖かまってちゃん / みんな死ね
パーフェクト・ミュージック E王

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「それだったらオレもいろいろありますよ」と、の子は言った。すごんだようにも見えた。テープはとっくに止まっている。同じ曲でも戸川純が歌うと違うんだよねといって、僕は"電車でGO!"のタイトルを挙げたのである。の子がこだわっていたのは歌唱方法で、最も軽薄に言い換えれば、それはどれだけ感情が表現されているかということだろう。いろいろあるんだろう。そうなんだろう。"いかれたNeet"を聴いて、それは僕にものりうつる。僕は「いかれて」もいないし、「NEET」でもないのに、"いかれたNeet"という叫びに同調し、意味もなくマネをしたくなる。深夜アニメ『けいおん!』でも第1回で「部活していないだけでニート!」といって平沢唯が涙目になるシーンがある。三毛猫ホームレスにもそんな曲はあった。NEETという言葉は明らかに小泉・竹中政権が国民をひとり残らず労働に駆り立てようとして編み出された汚いコンセプトでしかない。働かないでゴロゴロしている人なんて、昔はいくらでもいた。誰かが誰とどんな人間を築こうが国家にいちいち口を出されるようなものではなかった。それを犯罪者でもあるかのように扱うための言葉にどれだけ思春期を汚されたか。新自由主義は多少は鳴りを潜めたのかもしれないけれど、傷を付けられた方はそれでおしまいとは行かない。神聖かまってちゃんの"いかれたNeet"はそんな悲しいアイデンティティを振り切ろうとする叫びであり、なぜか世代を超えて僕の心にも響く。
「いかれたNEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEET」と、可能な限り、語尾を引っ張りたくなる。「ツイスト・アンド・シャーーーーーーーーーウト」とジョン・レノンが語尾を引っ張り、「デーーーストローーーーーーーーーーーーーイ」とジョニー・ロットンが語尾を延ばしたように。疲れた体を引っ張り挙げるように。


神聖かまってちゃん / つまんね
ワーナーミュージック・ジャパン E王

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 SFなどではよく感情に左右されない冷徹な人間が進化した人間として描かれる。大脳皮質の発達からいえば、動物と人間を隔てる最も特徴的な差は前頭葉が発達しているかどうかで、人間にはその結果、感情の豊かさというものがもたらされたはずなのに、それを捨て去った状態を進化した人間としてイメージする根拠は謎でしかない。動物にはない複雑な感情を手に入れたはいいけれど、むしろ、そのことによって振り回されてしまう状態をよしとできないということならば、それはせっかく手に入れたコンピュータがうまく使えないからといって放り出してしまうのと同じだろう。豊かな感情を楽しみ、複雑な感情と格闘しないのならば、そういう人は動物に戻ってしまえばいい。AKB48やイグザイルの音楽はもちろん、そういう人たちのためにある。8つぐらいの感情でしかあの辺りの音楽はつくられていない(8つというのは小さな子どもがTVを観たときに認識できる感情の数だそうです)。僕はもっと自分の感情に振り回され、絶望し、死ぬほどの思いから這い上がってみたい。そうでない世界は「つまんね」ー。プライドのない人生は「つまんね」-。アッセンブリー・ラインから一度もはみ出さない人生はどう考えたってやっぱり「つまんね」ー。

 90年代後半、J・ポップにもけっこう複雑な感情が渦巻いていた。アンダーグラウンドがやりにくくなるほど、それは音楽として真っ当な事態に思えた。そして、そこから逸早く離脱を告げたのがモーニング娘。"抱いてホールド・オン・ミー"だった。感情に振り回されたくない人たちはこれに飛びつき、これを機にゼロ年代の基調は様式性へと移っていった。何度も書いたことなので、省略するけれど、これ以上行くとマズいという感じがあったことは否めない。だけど、パフュームから相対性理論へと、スタイリッシュな音楽の飽和が神聖かまってちゃんを呼び寄せたことは間違いない。飽きた。つまんね。そういうことだろう。飽きたんだよ、ホントに。前頭葉がヒマなんだよー。
『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク篇』(1月発売)のために戸川純にインタヴューをオファーし、後日、少し訂正があるからといって彼女から電話がかかってきた。そのときに「明日、ガーデンで神聖かまってちゃんと対バンをやる」と聞き、僕は近所だったので、せっかくだと思ってリハを覗きに行った。「万全の体勢ではないから観ないでね」と戸川さんがいっていたので、僕はステージの袖に隠れて見ていた。しばらくして駅前でゲリラ・ライヴをやっていたはずのの子がやはりリハを覗きに来た。ステージ衣装に着替えていたの子はまるで81/2の久保田慎吾を髣髴とさせた。ステージの上には本物の久保田慎吾もいた。なんか、ハレーションを起こしたような感じだった。もしかしたら、戸川純と神聖かまってちゃんはスゴく似合うのもかもしれない。そこからはすべてが"電車でGO!"だった。一体、何が起きたのか。『ele-king』復刊第1号(1月発売)をお楽しみに。

文:三田 格

Eskmo - ele-king

2010年の僕のトップ10アルバム


1
Actress - Splazsh
ここにあるローファイ・プロダクションが大好きだ。

2
Big Boi / Sir Lucious Left Foot- The Son of Chico Dusty
まったく非のつけどころのないアルバム。歌詞、メロディ、完璧だ。

3
Beach House - Teen Dream
大気のようで、ドリミーな音楽。僕を故郷に導く。

4
Fourtet - The Is Love In You
優美なメロディの船に乗ろう。

5
Flying Lotus - Cosmogramma
本当にぶっ飛んだ。彼の才能の高さを証明した作品。

6
Jonsi - Go
僕は2010年にジョニスのライヴを2回観た。どちらも驚くべきほどダイナミックで、開かれていた。

7
Ninja Tune XX Box Set
自分がこのレーベルから出せたことを誇りに思う。2010年、もっとも大きなことのひとつだった。

8
St Vincent - Actor
気まぐれで、魅力的で、ユニーク。彼女はものすごい情熱家だ。

9
Wildbirds and Peacedrums - Rivers
とても大きくてヘヴィーな作品。もうすぐ人びとは注目するはずだ。

10
Yeasayer - Odd Blood
いくつかの曲がものすごく僕に訴える。ものすごく好きだ。

Chart by UNION 2010.12.22 - ele-king

Shop Chart


1

THEO PARRISH

THEO PARRISH Sketches SOUND SIGNATURE / US »COMMENT GET MUSIC
一部のレコードショップのみで極少数(噂によれば150セットにみ)で販売されたハンドペイント・ジャケットの限定アナログ盤セットからCD化されたTheo Parrishのニューアルバムは、ジャズを独自の解釈で磨き上げたハウスが11トラック。「Summaer Time Is Here」ラインの「Hope In Tomorrow」、かつての初期衝動を思い出させてくれる「Thumpasaurus」や「Black Mist」といったトラックが並ぶ。これまでの作品にも参加しているDumminie Deporres、New Sector Movements としても活動してきたIG Culture、さらには名門Blue NoteにおいてBobbi HumphreyやDonald ByrdをプロデュースしてきたLarry Mizellもフィーチャーしている点にも注目。

2

DJ NOBU

DJ NOBU On MUSIC MINE / JPN »COMMENT GET MUSIC
Future Terror主宰、今日本のアンダーグラウンドで最も勢いのある話題のDJ、DJ NOBUの100%現場を詰め込んだ最新DJミックスが登場。脳の「ある部分」へ染み渡るような快楽性を持った音に、張り詰めた緊張感を持たせた独特な雰囲気は、もはや比較できるMIX-CDは殆ど存在しない。突き詰めて到達した「究極の音世界」、DJ Nobu自身がいま最も伝えたいであろう「世界観」を体感すべし。

3

RYOSUKE & KABUTO

RYOSUKE & KABUTO Paste Of Time Vol.2 JPN / CD »COMMENT GET MUSIC
千葉FUTURE TERRORを立ち上げ時からのレジデントを経て、現在様々なパーティで活躍する2人のDJのヴァイヴを抽出した『Paste Of Time』第2弾リリース!前作に引き続き「現場の音」をペースト(貼り付ける)した本作もフロア・ダイレクトな仕上がり。KABUTOは時間と重力を操るように、捻じ曲がるサイケデリックなハメを演出、一晩の流れを40分に詰込み再現したかのようなRYOSUKEのミックスはハウスとテクノを巧みに混在させた好内容。爆音で聴けばこれまでにない音世界の体験が待っている!

4

MORITZ VON OSWALD TRIO

MORITZ VON OSWALD TRIO Restructure 2 HONEST JONS / UK »COMMENT GET MUSIC
TIKIMANのギター、CARL CRAIG/MORITZ VON OSWALD「RECOMPOSED BY」でも客演していたMARC MUELLBAUERのダブルベース、VLADISLAV DELAYによるメタルパーカッションが緊張感溢れる音響空間を作り上げた12分間に及びフリーキーなミニマルダブ! さらにB面ではMALA (DIGITAL MYSTIKZ)がコズミック・ダブステップとでも呼びたいリコンストラクトを披露!

5

DONATO DOZZY

DONATO DOZZY K FURTHER / US »COMMENT GET MUSIC
LEROSA、AYBEE、CONRAD SCHNITZLERなど激コアでこだわりのあるリリースをする前衛レーベルFURTHERからイタリアアングラシーンの先駆者DONATO DOZZYが2枚組みで作品リリース!!この手のレーベルにありがちなドローン中心な作風ではなく、そこから派生した深みのあるミニマリズムが堪能できるDJユースな仕上がり!!

6

V.A.(BABY FORD,MARGARET DYGAS,FUMIYA TANAKA...)

V.A.(BABY FORD,MARGARET DYGAS,FUMIYA TANAKA...) Superlongevity 5 PERLON / JPN »COMMENT GET MUSIC
ZIPとMARKUS NIKOLAIによって1997年に設立され、その妥協を許さないクオリティーの高さとアンチコマーシャルな姿勢でミニマル・シーンに多大な影響を及ぼし続けるレーベル・PERLON。そのPERLONがレーベルメイトを結集させてお届けする恒例コンピレーション・シリーズ"SUPERLONGEVITY"の第5弾が遂にリリース! 毎回他を圧倒する豪華メンツがトラックを寄せる同シリーズですが、今回も若手からベテランまで燦然と輝く才能をコンパイルした驚異的内容!!

7

MOODYMANN / ムーディーマン

MOODYMANN / ムーディーマン Forevernevermore (国内仕様盤) PEACEFROG / JPN »COMMENT GET MUSIC
聴く者に迫り来る"黒いグルーヴ"を見事に創出した至高のブラック・ミュージック! 通算3枚目の本アルバムは1995~2000年に12インチでリリースされた音源を中心にコンパイル。Norma Jean Bellによる麗しいサックスとヴォーカルや、Fiddler Brothers(Amp Fiddler&Bubz Fiddler)によるベースやローズの音色、そしてKenny Dixon Jr.によるエフェクトが随所に散りばめられ、独特なサウンド・フォルムを形成している。

8

THEO PARRISH

THEO PARRISH Just1lovebug DOPE JAMS / US »COMMENT GET MUSIC
Lil Louis & The Worldの90年作"Nyce & Slo"をベースにAmerie"One Thing"のヴォーカルをミックスしたドープなマッシュアップ!ファットなベースラインとチージーなアシッドシンセが炸裂するシカゴハウスクラシックとAmerieの魅力的な歌声がTheo Parrishの手によってありえない見事なコラボレートを生んだ。瞬く間にレアな作品と化した1枚なだけに買い逃しの無いように!

9

REBOOT

REBOOT Into Oblivion EP OSLO / GER »COMMENT GET MUSIC
アルバム「SHUNYATA」でネクスト・レベルへ突き抜けたREBOOTが大人気レーベル・OSLOに初登場! 有機的に絡みつくウワモノとエフェクティブなヴォイス・サンプル、パーカッシブなビートが一体となったカラフルなディープ・ミニマル! フロアに彩りを添えるREBOOTならではの1枚!

10

HARDFLOOR

HARDFLOOR Two Guys Three Boxes HARDFLOOR / JPN »COMMENT GET MUSIC
人のルーツであるシカゴ・ハウス・シーンの重鎮DJ PIERREをリミキサーに起用し新旧アシッド対決が実現、大きな話題を集めた先行シングル"Silver Submarine"を筆頭に黄金期を彷彿とさせるファンキー&ストレートな303サウンドを全11トラック収録!!近年再度盛り上がりを見せるオールドスクール・アシッド・ハウスの時流に圧倒的な存在感と格好良さをもって王者の風格を見せつける超強力作品です!!

Chart by MANHATTAN 2010.12.20 - ele-king

Shop Chart


1

Scott Hardkiss Feat. Lisa Shaw

Scott Hardkiss Feat. Lisa Shaw Come On Come On Sacred Rhythm Music »COMMENT GET MUSIC

2

Mungolian Jet Set

Mungolian Jet Set Moon Jocks N Prog Rocks Smalltown Supersound »COMMENT GET MUSIC

3

Arthur's Landing

Arthur's Landing Is It All Over My Face 12" Mix Pt.1 & Pt.2 Chinatown »COMMENT GET MUSIC

4

Theo Parrish / Isoul 8 & Mark De Clive-Lowe

Theo Parrish / Isoul 8 & Mark De Clive-Lowe Stop Bajon Archive »COMMENT GET MUSIC

5

Deepgroove / Mark Broom

Deepgroove / Mark Broom Spike / Vino Blanco Beardman »COMMENT GET MUSIC

6

G.Mitchell & Jebski Feat. Kengo Ono

G.Mitchell & Jebski Feat. Kengo Ono Natsu EP1 Panorammic Audio Domain »COMMENT GET MUSIC

7

Gala Drop

Gala Drop Overcoat Heat EP Golf Channel »COMMENT GET MUSIC

8

Timmy Regisford

Timmy Regisford Oldlandmark EP Shelter »COMMENT GET MUSIC

9

Bakey Ustl

Bakey Ustl EP1 Unthank »COMMENT GET MUSIC

10

Cottam

Cottam Cottam 4 Cottam »COMMENT GET MUSIC

Best Coast - ele-king

 半年くらい前のリリースをいまさら......ですが、インディ・キッズのためのベスト・コーストとウェイヴスによるクリスマス・ソング"ガット・サムシング・フォー・ユー"がいま話題ということで......。

 また、先日の三田格のLAヴァンパイアズのレヴューを呼んで、ベスト・コースで歌っている女性がポカホーンティッドのもうひとりのメンバー、ベサニ・コセンティーノだったということを知って本当に驚いた。それって、喩えるならボアダムスがサーフ・ロックをやるようなもの? ベスト・コーストも最近流行のザ・ドラムスモーニング・ベンダーみたいなレトロ趣味のバンドかと思っていた自分の浅はかさを反省して、ちゃんと聴いてみようかと思ったのだ。アマンダ・ブラウンがリーダーシップを取っていたのだろうけれど、それまでドロドロのサイケデリック/ダブ/ドローンをやっていた女性が"あなたに夢中"というタイトルの爽やかな50年代サーフ・ロックをやるのだから興味深い話ではある。
 だいたいこういうケースは、サーフ・ロックを演じているのだ。深いリヴァーブの効き方が怪しい。これはダビーなポカホーンティッドを思わせるものだし、不自然なほどキャッチーな曲調はこの音楽が単純明快な青春モノではないことを暗に匂わせている。ちなみに1曲目の"ボーイフレンド"はこんな歌詞だ。「彼が私のボーイフレンドだったら良かった/私は他の女の子と違っている/彼女は可愛いし、やせている/彼女は女子大生/なのに私ときたら17才でドロップアウト......」

 『ガーディアン』の記者はアメリカのインディ・ロックにおけるバンド名(ベスト・コース、ウェイヴス、ビーチ・ハウスなどなど)を「いつから地球は美しくなったのか」と皮肉っていたけれど、ここでベスト・コーストに関して言えば、それは表層的な解釈だった。彼女らのメロウな歌には複雑な虚無がある。一時的な性愛に振り回される"ジ・エンド"はこんな歌詞だ。「昨晩彼と出かけた/彼は素敵でキュート/だけど彼はあなたじゃない/私たちはただの友だちだと言うけれど、私はこれが欲しい/終わるまで」
 つまりベスト・コースの音楽は誰からも好かれるものだけれど、毒があるのだ。2010年の7月にリリースされたこれは、夏の虚無を実によく表しているとも言える。ちなみにこのレコードのアートワークをアメリカ人が見ると、水の上を歩いたというキリストの奇跡をパロディった"猫の奇跡"になるという。

 それでは最後に、ベスト・コーストとはまったく関係のない、僕の好きなクリスマス・ソングをみなさんにお送りするとしよう。

ゆらゆら帝国 - ele-king

 去る11月に渋谷のディスクユニオンに入ったら、早速、『LIVE 2005-2009』のライヴ盤が店内でかかっていた。「順番には逆らえない~/順番には逆らえない~/希望~/絶望~」......自然と聞き耳を立ててしまう。
 思えば、昨年2009年の12月の末に恵比寿のリキッドルームでゆらゆら帝国のライヴ(それとヘア・スタイリスティックスのライヴ)を見て、えらく感動したものだった。まったく無駄のない、緊張感のあるライヴを観たあとでは、バンドが解散するとはとても思えなかった......が、ゆらゆら帝国は解散して、11年にもおよぶ活動に終止符を打った。国際的な成功もつかみつつあった時期だったが、このバンドらしく実にあっけない終わりだった。そして2010年の11月に2枚のライヴCD+ライヴDVD『YURA YURA TEIKOKU LIVE 2005-2009』、12月に2枚のライヴDVD『YURA YURA TEIKOKU LIVE 1997-2004』がリリースされた。

 まず『YURA YURA TEIKOKU LIVE 2005-2009』の2枚のライヴCDが素晴らしい。この2枚のライヴはドキュメントというよりも作品であり、バンドの最後のリリースに相応しい出来である。
 このライヴでのゆらゆら帝国は、サイケ・ガラージというよりもパンクに聴こえる。ペル・ウブが奏でる怪しい生物のようなアヴァン・ガレージである。具象性を拒否する坂本慎太郎の歌詞は、アブストラクトの迷路のなかにリスナーを誘い、気がついたら出れなくなっていることが多いが、ライヴ演奏におけるエモーションが仮面を被ったこのバンドの素顔を見せるようだ。「正気でいられない/もうまともじゃいられない/正気でいるのがつらい」......"男は不安定"をいまあらためて聴いていると神聖かまってちゃんと結びつけてみたいという衝動に駆られる。ゆらゆら帝国の"ソフトに死んでいる"という感覚を継承しながら、それを突破しようとする音楽がいま他にあるとしたら"天使じゃ地上じゃちっそく死"ではないだろうか......(いや、マジな話)。
 2009年、坂本慎太郎は小山田圭吾との対談で「変態として生きる覚悟」について語っていた。それはゆらゆら帝国のすべての表現に当てはまる言葉だ。メインストリームの文化からのけ者である自分をなかばユーモラスに捉え直すことで開けていく感覚は、このディストピアン・ロック・バンドの音楽の素晴らしい個性となっている。それはサイケデリックと言えばサイケデリックだが、しかしサイケデリックと呼ぶにはあまりにも不気味で、間違っても何か美しい虚構を見せているわけではない。"つぎの夜へ"の打ちひしがれた展開では、このかったるい日常がどうしようもなく続いていく。どうしようもなく、ただ......ただ、繰り返される。"おはようまだやろう"......「何も求めず/何も期待せず/全てを諦めたあとでまだまだ続く/ビートがノックする/君の窓を」......矛盾した言い方をすれば、このセンチメンタルなニヒリズムがやけに心地よく響くとき、リスナーは陶酔と齟齬感のふたつに引き裂かれる。
 言うまでもないことだが、ゆらゆら帝国は手の込んだ音楽をやっていた。メジャーでもアンダーグラウンドでも、この10年あまりの日本の音楽の、たんなる誠実商売と化した姿を思えば、ゆらゆら帝国は時代のマイノリティを代表していたと言える。"あえて抵抗しない"という複雑な感情を抱えた非協調主義的ボヘミアンという観点で言えば、ニューウェイヴ的な感性を坂本の言葉は先駆けていた......といまとなっては言えるだろう。
 2枚のDVDが入った『YURA YURA TEIKOKU LIVE 1997-2004』には、1997年という初期のライヴ映像がある。バンドのグルーヴにはブギを基調としたものが多いが、DVDではその若々しい疾走感をあらためて見ることができる。坂本慎太郎のギターは、ロケットのように発射して、ソニー時代の2枚の作品からは削ぎ落とされたストレートなノリが展開されている。僕はこの時期をぜんぜん知らないので新鮮に感じる。もう1枚のDVDは、2001年の野音でのライヴだ。ロックのクリシェを復習しながら、しかしどこかずれているこのバンドの演奏を受け止めているオーディエンスの神妙な顔つきが面白い。心底熱狂しているわけではないが、つまらないというわけでもない。実に居心地が曖昧な、妙な空気感が流れている......。グロテスクなイメージ、不吉な予感、悪夢への誘いを想起させながら、次の瞬間にはロックのカタルシスが手がかりを消す......。それは時代におけるバンドの存在を表している。つまり、おさまりが悪く、そしてバンドはあくまでも自分たちの声明をリスナーの想像力のなかに預けている。

「無い!」と、「できない」と、彼ははっきり言った。この言葉もまた時代を先回りしていたかもしれない。ライヴ・ヴァージョンの"まだ生きている"や"なんとなく夢を"を聴いていると、ゆらゆら帝国はペル・ウブでかまってちゃんがセッ......いや、止めておこう。ゆらゆら帝国は間違いなく偉大なロック・バンドだった。ライヴには格別な味があった。ライヴ盤の最後の"空洞です"のナメクジのような坂本慎太郎のギターが頭にこびり付く。いまもまだ......こびり付いている。

 ところで2009年12月の恵比寿リキッドルームでのライヴはDVD化しないのだろうか。あのときのヘア・スタイリスティックスのライヴとともにリリースして欲しいな。

Big Boi - ele-king

 これぞファンクの芸術である。ビッグ・ボーイの、騒々しくいかがわしいソロ・デビュー・アルバム『サー・ルシャス・レフト・フット:ザ・サン・オブ・チコ・ダスティ(Sir Lucious Left Foot: The Son of Chico Dusty)』は、ヒップホップ世代による未来派ゲットー・ファンクの最高峰である。Pファンク、ソウル、ジャズ、サルサ、レゲエ、ゴスペル、R&B、ブルース、サイケデリックによる狂乱の宴である。最初に断っておくが、この原稿ではファンクという単語を連発するが、それは仕方ない。なぜなら、そういう音楽だから! この最高に快楽的でイカれたヒップホップを聴いていると、無性に胸がわくわくしてきて、ひとり部屋のなかで踊り出してしまう。そして、「ああ、黒人音楽が好きで良かった」と性懲りもなく反芻する。あのジョージ・クリントンも参加している。ビッグ・ボーイの陽気な高笑いが、マザー・シップの操縦席から聴こえてくるようだ。ワッハッハッハッハッハ!

 冗談はさておいて、ビッグ・ボーイことアントワン・パットンとアウトキャストのこれまでの歩みをざっと振り返っておこう。75年に生まれたビッグ・ボーイは、90年代初頭、ジョージア州アトランタで高校の同級生だったアンドレ3000ことアンドレ・ベンジャミンとアウトキャストを結成する。プロデューサー・チーム、オーガナイズド・ノイズのリコ・ウェイドから才能を見出された彼らは、94年に『Southernplayalisticadillacmuzik(邦題:ストリートの掟)』でデビューする。続く2作目『ATLiens(邦題:反逆のアトランタ)』(96年)は、ブッシュが唱えた新世界秩序のパラノイア、高度なテクノロジーによる監視社会の進行、右派愛国運動家の陰謀論の流行、『Xファイル』が描く悲観主義の拡がりといった時代的背景のなかで制作され、一転してダークなアルバムに仕上がっている。僕は、アウトキャストのこういったシリアスな態度も嫌いじゃない。ヒップホップが急激に商業化し、パフ・ダディのような商売人がアメリカの資本主義社会で成り上がろうとしていたのとは対照的である。"反逆のアトランタ"という邦題が付けられたのはそういう背景もあったのだろう。

 2作目の閉塞感を打ち破り、Pファンク、サイケデリック・ロック、ソウル、ジャズ、ゴスペル、ブルースといったいくつもの黒人音楽をぶちこんだ3作目『アクエミナイ』(98年)は、アメリカのヒップホップ専門誌『ザ・ソース』のレヴューにおいてマイク5本という最高の評価を与えられる。そして、その路線でさらにご機嫌なエナジーを爆発させ、混交的なゲットー・ファンクの美学を完成させた『スタンコニーヤ』(00年)は非の打ちどころがないほど格好良く、当時流行していたギャングスタ・ラップの暴力性から距離を置いた点も批評家から評価された。そして、このいかがわしい乱痴気騒ぎのなかに、反米的なメッセージを忍ばせているのもさすがである。このアルバムは第44回グラミー賞のベスト・ラップ・アルバムにも輝いているが、マイアミ・ベースとサイケデリック・ロックとゴスベルの出会いとでも言うべき「B.O.B.」のテンションは凄まじく、アウトキャストが愉快な音の革新主義者であることを明快に証明したと言える。

 それから3年、レイヴ・サウンドを大胆に取り入れた、ビッグ・ボーイとアンドレ3000によるダブル・アルバム『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』でアウトキャストは同時代のBボーイのみならず、多くの革新派のアーティストでさえ手に負えない領域まで到達し、ついにグラミー賞でアルバム・オブ・ザ・イヤーまで獲得する。ここでは、ポップとアヴァンギャルドの幸福な融合が実現しているわけだ。USのチャート・アクションで大成功を収めた"ヘイ・ヤ!""ザ・ウェイ・ユー・ムーヴ"といった軽快なブラック・ポップも素晴らしいが、アンドレ3000がプロデュースした、マイアミ・ベースとスウィート・ソウルをレイヴィーに加速させた"ゲットー・ミュージック"の変態性と言ったら、興奮のあまり笑ってしまう。L?K?Oのようなアヴァン・ポップなDJにクラブのピークタイムにプレイしてもらいたい曲だ。

 ビッグ・ボーイは、『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』において、ラッパーとしてだけではなく、プロデューサーとしてもその音楽的才能を十二分に発揮している。実際のところ、『サー・ルシャス・レフト・フット』は『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』の延長線上にある。アウトキャストは、06年に彼らが出演した同名映画のサウンドトラック『アイドルワイルド』をリリースしているが、ここで紹介した作品のどれもがいまだ古びていない。時間とお金と関心があれば、ぜひ聴いて欲しい。そして、『サー・ルシャス・レフト・フット』のできは、これまでアウトキャストを追ってきたファンの予測とここでビッグ・ボーイにはじめて関心を持ったリスナーの期待をきっと裏切らないだろう。

 アルバムは物悲しい口笛とPファンク風のおどけたピアノとワウ・ギター、そしてザップ流のトーク・ボックスが絡み合う不気味なイントロ"フィール・ミー(Feel Me)"から幕を開ける。続く2曲目"ダディ・ファット・サックス(Daddy Fat Sax)"はGファンクの未来系だが、ビッグ・ボーイがドクター・ドレを敬愛しているのは有名な話である。"シャッターバッグ(Shutterbugg)"は極彩色のサイバー・エレクトロ・ファンクで、ここでもトーク・ボークスが絶妙なスパイスを加え、唐突に男女のヴォーカルのユニゾンによるソウル・・・ソウル"バック・トゥ・ライフ"のフレーズが挿入される瞬間がある。これだけはちゃめちゃなことをやって、生楽器を含むさまざまなサウンドが有機的に絡み合い、楽曲の構成として破綻していないことに驚かされる。『ピッチフォーク』は「THE TOP OF 100 TRACKS OF 2010」の5位にこの曲を選んでいるが、しかし、まだまだこれは序の口なのだ。"ジェネラル・パットン(General Patton)"ではオペラ『アイーダ』で演奏される厳かな凱旋行進曲"Vieni,o guerriero vindice"(サッカー番組でもときどき使われるあの曲です!)をサンプリングし、ダーティ・サウスの不良たちを祝福するクワイアへ変換してしまっている。ハハハハハ、これはある人たちからしたらある意味冒涜でしょうね。さらに、アンドレ3000がプロデュースした"ユー・エイント・ノー・DJ(You Ain't No DJ)"は、ミッシー・エリオットがサイボトロンを引用した"ルーズ・コントロール"のBPMを落としたかのようなスロー・ファンクである。ジェイミー・フォックスとの"ハッスル・ブラッド(Hustle Blood)"やジャネル・モネイとの"ビー・スティル(Be Still)"といったセクシーなR&Bテイストの曲には背筋がゾクゾクする。

 オーガナイズド・ノイズやリル・ジョン、ロイヤル・フラッシュからサラーム・レミまで、多彩な面子がプロデューサーとして起用されている。しかし、エクゼクティヴ・プロデューサーをビッグ・ボーイ自身が務めているからだろう、この狂乱のファンクの宴は見事な統一感を保っている。また、ビッグ・ボーイはラッパーとしてもキレまくっている。キャデラックとマリファナとセックスと高級ストリップ・クラブとハスリング、あるいはアクセントとしての社会的発言について、伸縮自在のフロウとライムを駆使して、ときに滑稽に、ときに挑発的に強烈なラップをくり出す。英詞から憶測するにそういうことをラップしているが、仮に間違っていたら謝るしかない。ハハハ......。同じくアトランタを拠点とするT.I.やグッチ・メイン、B.o.Bやベテランの元祖ピンプ・ラッパー、トゥー・ショートといった灰汁の強いゲストたちがずらりと並んでいるが、それでもこの匂い立つブラック・ゲットー・スタイルの世界の主役はあくまでもビッグ・ボーイである。まったく隙がないという意味においては、ドレイクの『サンクス・ミー・レイター』と同じである。

 セールス的には『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』に遠く及ばないだろう。日本盤も出ていない。僕は別にそこに関して悲観も楽観もしていない。そういう時代であるとしか言いようがない。まあ、野暮な上に杜撰な条例で性表現や生き方を規制しようとするこの国のお偉方には、こういう淫らな表現の奥底にある生を肯定するエネルギーをたまには体感して欲しいと思いますけどね。いずれにせよ、『サー・ルシャス・レフト・フット:ザ・サン・オブ・チコ・ダスティ』を聴けて、オレは幸せだ!

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