「K A R Y Y N」と一致するもの

ハテナ・フランセ - ele-king

 ボンジュールみなさん。今日は「ジレ・ジョーヌ=黄色いベスト」のデモについて。日本のメディア でも大きく取り上げられているが、私なりの解釈をお話ししたく。
 このデモを端的に表現すれば、富裕層の方しか向いていないマクロン政権に対して溜まりに溜まったフランスの低所得者層からの怒りの発露、と言えるのではないだろうか。12月8日で4回目となる「ジレ・ジョーヌ」のデモは、装甲車も出る非常に物々しい雰囲気の中、パリだけで1082人、フランス全土で2000人近くが拘束された。これまで「ジレ・ジョーヌ」のデモで拘束されたのは4500人に及ぶ。この数字だけ見ると日本でもよく報じられているとおり、デモ隊が暴徒化したと思われるかもしれない。実はそのほとんどがデモ隊が暴徒化したものではない。昨今の色々なデモによく出現する「Casseurs=壊し屋」と呼ばれる輩が、「ジレ・ジョーヌ」の人々に紛れて破壊、略奪行動に及ぶのだ。もちろんデモ隊が機動隊と衝突して、投石などの暴力行為に及ぶことはある。だが、拘束された中には相当数の「壊し屋」が入っている。12月8日のデモ当日、マクロン大統領の率いる「La Republique en Marche=共和国前進」党の女性議員の車が燃やされた。彼女は「“ジレ・ジョーヌ”のこのような蛮行は許されない」と涙ながらにメディアで訴えた。だが、放火犯が捕まっていない時点で、放火犯を「ジレ・ジョーヌ」の仕業と決めつけるのは、 明らかな情報操作だ。
「共和国前進」党議員は、その党首のように若く政治経験がない議員がほとんど。そして他党の議員よりずっとまとまりがいい。マクロン大統領の政策を闇雲に押し進めようと全力を尽くす彼らを見ていると、どう見てもマクロン親衛隊にしか見えない。国民議会はそのマクロン親衛隊が過半数を占めている。そしてマクロン大統領誕生以来、国民議会では専制君主型政治が行われてきた。
 若い、ハンサム、高学歴、議員経験なしだが企業経験あり、妻は25歳年上の元恩師、流麗なフランス語での演説、など全方位隙のない優等生型政治家に見えるマクロン大統領。だが、当選前から「デモクラシーには王のような絶対的な存在が必要」と言っていたことからも伺える通り、自分がナポレオンや絶対権力者太陽王に例えられるのを肯定的に捉えているのではないだろうか。就任以来、過半数議席を誇る自らの党に物を言わせ、富裕税を廃止、解雇が容易になるよう労働法を改正、低所得者層の家賃補助の減額などを採択。議会で十分な議論がおこなわれることもなく、強引な改革を推し進めてきた。時には大統領令も駆使しながら行われた改革では、金持ち優遇政策が目立つ。
 マクロン大統領が生まれた背景は、実はある意味トランプ大統領のそれと重なるところがある。「働かざる者食うべからず」と堂々と言ってのけたサルコジ前々大統領。その拝金主義的政治姿勢と下品な人柄に国民は辟易した。その後に就任したのは、社会的弱者により目を向けた政策ができるはずだった社会党のオランド前大統領。だが、その優柔不断さにより経済面でも社会面でも国政を恐ろしく停滞させた。連続したダメ大統領に、国民は「右も左もダメなのか」と政治への不信が高まった。そこで出てきたのが「右でも左でもない。これまでの既得権益にとらわれない新しい政治を進める」を標榜したマクロン大統領。つまり既存の政治への不信によって生まれた大統領なのだ。そしてその期待に応えるようにマクロン大統領は旧来の政治システムを壊し、政党や労働組合などの影響力をより小さくするべく精力を注いだ。そして富裕層を優遇し、そこから景気の底上げをし、それが低所得者層まで行き渡るように経済を立て直す、という政策をはっきりと打ち出した。だが、そのようなトリクルダウン効果は本当にもたらされるのだろうか。例えばフランスの大企業は、これまで税金対策に使ってきた慈善活動への寄付を、富裕税撤廃後大幅に減らした。
 貧富の差は広がるばかりで、今まで社会福祉に手厚かったはずの自国が新自由主義になりつつあるように感じる国民が多かったのではないだろうか。少なくとも、その流れに強引に持っていこうとしているのが大統領であることは、誰の目にも明らかだった。そして上品だが強権的な言動の裏には「愚かな国民たちよ、俺様の言うことを黙って聞いていれば良い」という太陽王ばりの尊大な意識が徐々に透けて見えてきたのでは。その王様への不満は、2017年年金改革時などにはまだ大きな波とならなかった。だが、今回の燃料税の引き上げがきっかけとなり、このマクロン専制君主政治に対してついにノンの声があがったのだ。しかも、マクロン大統領を作った流れと鏡像関係にあるような、従来のデモの形を覆す流れでもって。これまでデモは、労働組合が中心になって行ってきた。だが今回は、SNSを牙城にこれまでデモに参加してこなかったような、主婦や労働組合などに所属しない労働者などが多く参加している。
 その流れを組んでか、極右の「国民連合党」の党首マリン・ル・ペンはここぞとばかりにいち早くジレ・ジョーヌへの支持を表明。非労働組合員、非政党員が多いデモ隊の抱える不満を、まるで自分たちの言い分かのように取り込もうとしたのだ。その流れに少し乗り遅れた左派の「屈しないフランス」党。その中で唯一すぐに反応したのが「フランスのジェレミー・コービン(と言ってしまおう)」こと、フランソワ・リュファンだ。彼は議員給与を最低賃金分の1100€しか受け取らず、残りの3000€を毎月非営利団体に寄付している、私が知る限り唯一の議員だ。彼はマリン・ル・ペンの支持表明と違わなぬ早さで、「ジレ・ジョーヌ」が活動拠点としている地方の環状交差点に赴き彼らの話を聞いた。そして自らが主催する「 La fête à Macron=マクロン祭り(なんという皮肉とユーモア!)」という集会で、「ジレ・ジョーヌ」との対話を試みた。リュファンは最低賃金しか給与を受け取っていないが、自らを中流と捉えている。彼が「マクロン祭り」で試みているのは、低所得者層と彼らに共感する自分のような中流市民との架け橋になり、彼らを繋ぐことだ。これも従来の労働組合や政党員とは違った、新しい流れになり得るだろうか。
 12月10日にマクロン大統領はテレビ演説を行い「生活に苦しむ人々の痛みが取るに足らないものだと、私が思っていると受け取られたかもしれない。私の言葉によって傷ついた人がいるかもしれない」と神妙な面持ちと芝居がかった口調で語った。また、最低賃金補助(最低賃金ではない)を100€引き上げたり、残業手当を課税対象から外したり、年金生活者への課税を免除したりした。だが、低所得者層の怒りをもっともかっている一つ、富裕税の復活は否定された。こうしたマクロン大統領の提案に対し、「ジレ・ジョーヌ」は12月15日に第5回目のデモを決行。だが、参加者は前週より半減。このままこの運動は収束していくとみられている。
 アメリカと違い、フランスではアーティストはあまり政治的発言をしない。政治はアーティストが足を踏み入れる範疇にない、というのがフランスの一般的な認識のようだ。だが、ブリジット・バルドーやミッシェル・ポルナレフなど、もはや治外法権的立ち位置にいる元気な老人たちは「ジレ・ジョーヌ」への支持を表明。また、夏にBoobaとオルリー空港で乱闘したKaaris(1年2ヶ月の執行猶予中)も「ジレ・ジョーヌ」を支持。黄色いベストを着てインスタに「お前ら(警察)のあそこにジレ・ジョーヌ突っ込んだろか」と書き込んだ。フランス映画の傑作『憎しみ』の監督で俳優でもある、マチュー・カソビッツは、フランスでは炎上物件としても有名。その彼が「ジレ・ジョーヌ」でもやらかした。大統領のテレビ演説の後、極左の政治家フィリップ・プトゥに「おまえまだ不満なのか? ベンツの新車でも寄こせっての?」と噛み付いたのだ。またテレビの討論番組に出て「屈しないフランス」党の議員に「そういうあなたは去年まで富裕税を納めていたのでは?」と指摘されブチ切れ。「馬鹿馬鹿しい!お前はバカだ!バカ、バカ、バカ!」と子供の喧嘩のような姿を披露した。とはいえカソビッツの暴走はフランスでは日常茶飯事になっているので、失笑を買うくらいで済んでいる。
 フランソワ・リュファンはYoutubeのリュファン・チャンネルの番組で「ブラボー“ジレ・ジョーヌ”。あなたたちが暴走する政治を一時停止させた。市井のあなたたちがヒーローになった。敵がひるんだ時にはさらに攻勢をかけるんだ!」と抗議の声を上げ続けることを訴えた。果たしてこの新しい座組みの運動は、新しい太陽王の確固たる政治方針を変えることができるのだろうか。それともこのままフランスは、低所得者層を切り捨てた国へと邁進していくのだろうか。個人的には貧富の差撤廃に本気で取り組むリュファンのような政治家に大統領になってもらいたいと心から思っている。
 

七尾旅人 - ele-king

歌から生まれる音楽北中正和

 デビューしたころから既知感のある音楽だった。はじめて聞く曲ばかりなのにそんな気がしなかった。お父さんの影響で子供のころからジャズを聞いていたことや、彼が興味を持っているというミュージシャンの名前を見て、なるほどと思えるところもあったが、音楽が誰かのフォロワーというわけでもなく、その既知感がどこから来るのか、しばらく説明できなかった。しかしいつしか曲の作り方がそう感じさせるのかもしれないと思うようになった。

 いま世間では、リズム・トラックを先に作ってそこにメロディをのせて最後に歌詞を合わせていくような音楽の作り方が主流だ。そういう音楽ではリズムが細分化され、転調が多用され、コントラストの強い音がぎっしり詰めこまれている。それはそれで目立つための工夫であり、いまの社会のありようの一面をとらえた音楽ではあるのだろう。
 ところが七尾旅人の音楽はそんなふうに感じさせない。もちろん、いろんなタイプの作品があるので、一概には言い切れないのだが、あえて言えば、歌なりメロディなりが先にあって、リズムやサウンドがそれに寄り添う形で作られてきた作品が多いように思える。それは80年代までは普通にあった伝統的な曲の作り方だ。つまり彼の音楽が誰かの何かに似ているという以上に、歌声とメロディとリズムの織りなし方に、ぼくのような高齢者は既知感や懐かしさをおぼえてきたのだ。

 そんなふうに構造的にいまの時代の方法論から一歩距離を置いたオルタナティヴなところで“きみはうつくしい”や“スロー・スロー・トレイン”や“DAVID BOWIE ON THE MOON”、ジャジーな“いつか”のような曲を作れるのは素晴らしい才能だと思う。伝統的といえば、5音階的なメロディとケルト系のサウンドが重なる“天まで翔ばそ”のような曲もある。
 ただし伝統的といっても、彼はアンティーク趣味の音楽をやっているわけではない。レイヴ・パーティ的なイベントにギターひとつで出て行っても違和感がないたたずまいを持ち、ネット配信の可能性も試みてきた人だから、彼がいまのポップスのありように無関心であるはずがない。歌詞のはしばしや声の加工からひとつひとつの楽器の音色まで、どこを切り取ってもいまの音楽だ。音を引き算して聞き手の想像がふくらむ余地を残すところも、考えてそうする人が多いのだが、彼の場合はとても自然な感覚でやっている印象を受ける。
 旅する感覚にも似た、せつない希望に満ちた余韻が残るアルバムだと思う。

北中正和

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「こうしてまた、かき集められる声とともに」木津毅

 『Stray Dogs』というタイトル、そして岡田喜之による少年と犬が向かい合う可愛らしいイラストに僕はなんだか『犬ヶ島』を連想してしまったのだけれど、たしかに『Stray Dogs』はウェス・アンダーソンによるストップモーション・アニメのような愛らしい見た目と人懐こさ、茶目っけと温かみに満ちたアルバムだ。『兵士A』のような緊迫感やシリアスさはずいぶん和らぎ、怒りを堪えることができなかった七尾旅人そのひとの歌う姿を息を呑みつつ見つめなくても、寒い日の午後に紅茶でも飲みながら聴くこともできるだろう。が、あるいはこうも言えるかもしれない――『Stray Dogs』は、その柔らかく優しい感触とともに、この国や世界で起こっていることに想像を巡らせさせるようなアルバムである。その言葉とメロディ、音に耳を澄ませば、縦横無尽に繰り広げられる架空の冒険が待っている。それはどうしようもなく、僕たちが暮らす過酷な現実世界と結びついている。
 そういえば『犬ヶ島』の主人公は、野良犬(Stray Dog)だった。それまで誰にも心を開かなかった野良犬チーフは、少年アタリと暴走する権力と闘うための冒険をしているうちに彼との絆を育んでいく。僕はだから、あの映画はチーフが「thank you」とアタリに伝える声を聞くためのものだと思っている。ブライアン・クランストンによる、あの低く深い声。もちろん現実では犬の声を聞くことは僕たちにできない。だが想像のなかでなら、耳を澄ませば、もしかしたら聞こえてくるのかもしれない……。「野良犬」というのは、もちろんボヘミアンたる七尾旅人の生き方を表した言葉であるだろう。と同時に、僕には声を持たない人びとのことだと思える。七尾旅人は、世界に散らばった彼らの小さな声を懸命に拾い集めようとしている。ビリオン・ヴォイシズ。それをある種のファンタジーやフィクションに仮託して物語ること。だから、『Stray Dogs』はまったくもって『兵士A』の続きの地平で鳴っている。

 アルバムは、七尾旅人が20年でそうして集めてきた「声たち」とともに積み重ねてきた音たちをコレクションしたものだ。初期からの弾き語りフォーク、『billion voices』以降に顕著なソウルを中心としたブラック・ミュージックからの影響、いくらかのシンセ・ポップ、ギター・ポップ、ジャズ、ヒップホップ、エレクトロニカ、それに童謡。それらは少し悪戯っぽくとっ散らかりながら、しかし彼らしいチャーミングなメロディと少年性を残した声によって統合されていく。なめらかなアコースティック・ギターの演奏とシンセが重ねられる“Leaving Heaven”はあまりにも「らしい」オープニング・ナンバーだし、強めの打ちこみビートとエフェクト・ヴォイスが炸裂するエレクトロ・ポップ“Confused baby”には少し面食らうけれど、歌が入ってくれば変わらぬ愛嬌に微笑まずにはいられない。なんだかんだ言って、七尾旅人の歌はどんな装飾をしようとその芯でこそ聴き手の心をわし掴みにする。
 だから、たとえばヘリパッド建設問題で揺れる沖縄・高江で録音したと知らなければ、“蒼い魚”が政治的な歌だとは気づかないかもしれない。シンプルな言葉と強いメロディに支えられた美しいフォーク・ナンバーだ。僕たち聴き手はただ陶然とすることもできる。が、かすかに注がれる沖縄の音階と波の音、それに「泣かないで 泣かないで 蒼い魚はまだ泳いでいる」という言葉の意味をじっくりと考えてみれば、そこに沖縄で暮らす人びとの声や想いが重ねられていることがわかる。ほとんど幻想的なほどに華麗な弦の調べと反比例するように、必死に振りしぼられる歌声。そのひたむきさだけが、この歌たちの原動力になっていることがよく伝わってくる。もしくは、モザンビークからNadjaをヴォーカルに迎えた“Across Africa”はモザンビーク内戦をモチーフにしているそうで、音色やリズムはアフロ・ポップからの引用だ。日本のポップスとしてはオルタナティヴな類のものだろう。だが、誤解を恐れずに書いてしまえば、僕はこの曲をBUMP OF CHICKENやRADWIMPSのようなJ-ROCKを聴いている若い子たちにも聴いてみてほしいと思う。ナイーヴさと勇壮さを併せ持つメロディやコーラスとともに、知らない言語のスポークン・ワードを楽しんで、アフリカの歴史に想いを馳せてみてほしいと願う。それぐらいオープンなところで鳴っている歌だと、少しばかり頼りなくもしなやかなポップ・ソングだと感じる。
 僕たちは自分たちの生活や人生にいっぱいいっぱいだから、世界中に散らばった声なき声に耳を澄ましている余裕など失っているのかもしれない。シリアの現状を伝えるために危険を顧みなかったジャーナリストを攻撃せずにはいられないほどに。ただ生き延びるだけならば、そんな声たちに耳を塞いだほうがいくらか楽なのだろう。七尾旅人はそれらを無視することができず、しかし、その「できない」ことこそを歌うたいとしての力に変えていく。

 『Stray Dogs』はそんな風にしてこの世界の悲しみや嘆きを見つめているが、驚くほど肯定的な響きを有している。たとえば近しいひとの自死がきっかけとなったという“きみはうつくしい”は、ある喪失を根拠など持たぬまま「きみはうつくしい」という断言にひっくり返してしまう。やや唐突なラップでまくしたてられる、「誰かが最後に遺したフレーズ 読まれぬまま 流れるメール/誰かが最後に あれから迷子に そう 見逃される 無数のトレイル」という誰にも顧みられないまま消えていった存在への物想いは、七尾旅人流のソウル・チューンとして昇華される。「うつくしい」という単語は5音であるがゆえに少し収まりが悪く、だが、だからこそチャーミングなフロウとなる。その歌は、どうしたってはみ出してしまう存在や想いをどうにかして肯定し、祝福しようとする。清潔な響きのピアノが純粋な想いと呼応するラヴ・ソング“スロウ・スロウ・トレイン”。オートチューンド・ヴォイスがメロウなムードを醸すダウンテンポ“DAVID BOWIE ON THE MOON”。どれもが小さな人間の感情について描いているが、それらは宇宙にだって旅をする。  ところで、はっきりと犬が主人公になっている歌はアルバムには収録されていない(と思う)。代わりに鍵盤の音がまろやかでキュートなポップ・ソング“迷子犬を探して”は、いなくなってしまった子犬を探す少年の目線で語られる。「あの子の場所をぼくに教えてよ」とお願いする七尾旅人は本当に子どものようだ。そして僕たちがもし声を持たず、帰る場所もない野良犬だとして、懸命に探してくれる誰かがいる限りは存分に彷徨い続けることができる。彼の歌はそういうものだと思う。永遠の流浪を詞に託し、ジャズ・ピアノが静かな夜を彩る“いつか”はまったくもって美しいエンディングだ。

月明かりのその下を 二匹の犬が歩いていく
どこへ行くの? どこまでも
どこへ行くんだ? どこまでも
どこまでも どこまでも
横切って消えた  “いつか”

木津毅

ele-king vol.23 - ele-king

七尾旅人「過去を振り返りいまを語る」
2018年ベスト・アルバム30

特集:なぜ音楽はいま人間以外をテーマにするのか?
食品まつり/EARTHEATER/etc

音楽メディアにおける1年のクライマックス、
必読、2018年「年間ベスト・アルバム」号!

UKジャズの躍動にはじまり、カマシ・ワシントンに震え、OPNについて議論し、パーラメントに笑い、食品まつりに微笑み、ティルザやローレル・ヘイローに拍手し、ロウに唸りながら、トーフビーツのように走りながら、チャイルディッシュ・ガンビーノの『アトランタ』を見る……
2018年、これだけはおさえておきたい10枚+20枚=計30枚のアルバム。

そして2018年とはいったいどんな年だったのか……大検証します!

表紙・巻頭インタヴュー:七尾旅人

contents

表紙写真:大橋仁

interview 七尾旅人――過去を振り返りいまを語る (野田努/大橋仁)

2018年ベスト・アルバム30
(天野龍太郎、木津毅、小林拓音、髙橋勇人、野田努、三田格)
コンセプトの時代 (野田努)
パン、2018年の台風の目 (小林拓音)
右派寄りの歌と「FUCK YOU 音頭」 (天野龍太郎)
ロンドン発新世代ソウルの甘い香り (小熊俊哉)
フロアでかけて良かったもの、フロアで聴いて良かったもの (行松陽介)
ヴェイパーウェイヴは死んだか? (捨てアカ)
迷走を続けるカニエ・ウェスト (吉田雅史)
日本のラップ (磯部涼)
全世界日本化現象!? (坂本麻里子)
数年ぶりに活気づいてきたインディ・シーン (沢井陽子)
90年代リヴァイヴァルいまだ継続中 (野田努)
ヤング・ファーザーズが見せる新しい父性 (天野龍太郎)
音楽におけるジェンダーの問題 (巣矢倫理子)

Essential Charts 2018
(大前至、小川充、Ground a.k.a Gr○un土、Gonno、
 佐藤吉春、沢井陽子、食品まつり a.k.a foodman、捨てアカ、
 デンシノオト、TREKKIE TRAX CREW、Mars89、Midori Aoyama、
 村田匠(カンタス村田)、米澤慎太朗、RYUHEI THE MAN)

interview 食品まつり a.k.a foodman――アンビエントで踊れないなんて誰が決めた? (三田格/小原泰広)

特集:なぜ音楽はいま人間以外をテーマにするのか?
interview アースイーター──好奇心は無限の真実を解放する (野田努/青木絵美)
音楽を生命として考えること (髙橋勇人)
人間と非人間をめぐる覚え書き (小林拓音)
絶滅と共生の反人間学 (仲山ひふみ)
interview 篠原雅武――われらが内なるノン・ヒューマン (小林拓音)

2018年ベスト映画10
(木津毅、水越真紀、三田格)

CUT UP――2018年の出来事
フェミニズム (水越真紀)
地球温暖化、エコロジー、自然災害 (野田努)
国民投票から2年、「取り返すべき」イギリスとは何か? (坂本麻里子)
『ブラックパンサー』という兆し (小林拓音)
『ホモ・デウス』の流行が教えてくれること (白石嘉治)
マルクス・ガブリエルの賭金 (斎藤幸平)
2018年の小説を振り返る (佐々木敦)
韓国映画が浮き彫りにする日本の後進性 (三田格)
現代アメリカを映し出す近未来SFゲーム (木津毅)
DIYジェネレーションは理想にすぎない? (田口悟史)

人生、自販機でいいんですか? (栗原康+白石嘉治/中根ゆたか)

REGULARS――連載
東京のトップ・ボーイ 第2回 (米澤慎太朗)
地獄の解体に向けて (巣矢倫理子)
201H8をふりかえって (今里)
幸福の含有量 vol.2 (五所純子)
音楽と政治 第11回 (磯部涼)
乱暴詩集 第8回 (水越真紀)

アート・ディレクション&デザイン:鈴木聖

interview with Colleen - ele-king

 年末に刊行されるele-king vol.23では「non human」というテーマの特集を組んでいる。近年の音楽、とくにエレクトロニック・ミュージック周辺では、「人間以外」をテーマにした音楽が目立つようになっている。OPNが人類滅亡後の世界を空想したり、このご時世、ダーク・エコロジーを反映した音楽は少なくない。日本でもceroが動物たち(人間以外の生命)のことをテーマにしたり、少し前ではビョークが自然をテーマにしたり、そんな感じだ。詳しくはぜひ本誌を読んでいただきたい。ここではその予告編もかねて、去る11月に来日したコリーンのインタヴューをお届けしよう。

 だれかにもっとも美しい音楽を聴きたいと言われたら、ぼくならコリーンの『A Flame My Love, A Frequency(炎、わたしの愛、フリーケンシー)』というアルバムを差し出す。2017年の年間ベスト4位にした作品(ちなみにFACT MAGは2位)。これだけ消費スピードが速いご時世において、いまでも聴きたくなるし、じっさいいまでも聴いているたいせつな1枚だ。彼女が来日すると知って、これは取材せねばならないと思った。11月初旬のことである。
 もっともぼくにはほかにも推薦したいアルバムがもう数枚ある。2013年の『The Weighing Of The Heart(心の計量)』は間違いなくその1枚に入るし、2015年のダブにアプローチした『Captain Of None 』も、初期の作品では『Les Ondes Silencieuses(沈黙の波)』もぼくは好きだ。ヴィオラ、チェロ、クラシックギター、こうした弦楽器の音色とエレクトロニクスとの有機的な絡み合いから生じるおおらかな静寂が彼女の音楽の魅力である。

 コリーンことセシル・ショットは1976年パリ郊外で生まれ、2年間イギリスで暮らし、そしてパリに移住し、現在はスペインに住んでいる。日本には2006年の11月に来ているので、今回は彼女にとって12年ぶりの2回目の来日となるわけだが、彼女が泊まっているホテルは渋谷の公園通りを上がっていって少し脇道に入ったところにあった。通りの向こう側では、建設中のビルがインダストリアルなビートを打ち鳴らしている。なんともアイロニカルなシチュエーションだなと思いながらロビーに座って待っていると、彼女は爽やかな笑顔でやって来た。ぼくは彼女にいかに自分があなたの音楽好きかを説明し、2017年の年間ベストでは『A Flame My Love~』を4位にした旨を話ながら誌面を見せた。5位が坂本龍一の『async』であることを見ると、「FACT MAGでは坂本が1位でわたしが2位だった。知ってる?」と言った。それから「うん、ジェイリンが3位は良いね」「じゃ、1位はなんでしょう」とページをめくってコーネリアスであることを確認すると、ひとこと「わお、ナショナリスティック!」とおどけた。なるほど、こういうリアクションもあるのかとぼくは妙に感心した。

わたしは反消費主義。たとえば、服は全部自分で作る。(着ている服をつまみながら)これも、これも、このジャケットも自分で作ったものよ。基本的にショッピングとかしない人間なの。

渋谷は、世界でもトップクラスの過剰なまでの商業都市で、あなたの音楽性とは真逆の世界でもあるんですが、滞在していてどうですか?

C:答えるのは難しいな。渋谷でじっくり時間を過ごしたことがないから。商業地区は避けるようにしているの。できるだけミニマリストな生き方をしたいからね。わたしは反消費主義。たとえば、服は全部自分で作る。(着ている服をつまみながら)これも、これも、このジャケットも自分で作ったものよ。基本的にショッピングとかしない人間なの。だから渋谷や商業地域で時間を過ごすことがないから、そこがどうなのかわからない。この後、谷中や上野に行こうと思っている。わたしが好きでいつも行く場所よ。東京が魅力的なのは、たとえ渋谷や原宿でも路地裏に行けば低層の建物が並んだ、味のある街並みがまだ残っているところ。パリだとすべてが高い建物で覆われてしまって、小さい住宅はもうほとんど残っていない。わたしから見ると、東京にはまだいくつか孤立した穴場があって、木造の掘っ建て小屋のような個性あふれる風景が残っている。

あなたの音楽が好きなのは、ぼくがふだん見ている世界とは違った世界が見えるからなんですね。この世に感情がかき立てられる音楽があるとしたら、あなたの音楽は世界が広がる音楽なんです。たとえば『Les Ondes Silencieuses』のアートワークには植物や星や動物が描かれている。あなたは動物や風や珊瑚や砂の音楽も作っている。

C:それはわたしにとっては大変な褒め言葉ね。わたしにとってひとりの人間としての進化とひとりのミュージシャンとしての進化は完全に連動している。そのふたつを切り離すことはできない。そして歳を重ねるにつれ、自然をより身近に感じるようになって、生きていく上で欠かせないものになった。たとえば、『Les Ondes Silencieuses』の後、わたしは音楽面そして個人的にも重大な危機に直面して、しばらく音楽を作るのをやめた。あまりに早いペースで物事が進んでいると感じたから。そしてまた音楽を作りたいと思えるきっかけを作ってくれたもののひとつが他の表現方法に身を置くことだった。だから陶芸と石彫を勉強した。そしてもうひとつは、より純粋で素朴な生き方をすることだった。
仕事とプライヴェートのバランスを見つけるのに日々悩まされるわ。わたしにとってプライヴェートの生活のなかで調和をとるのに役立つのが自然と接することなの。だからバードウォッチングをするんだし(※彼女の趣味で、取材の前日は代々木公園で野鳥の観察をしている)。もちろん鳥が大好きだからなんだけど、自然のなかにいると、自分のことについて考えるのを忘れるのよ。自分のあるべき姿により戻してくれる。大きな宇宙のなかでわたしたちというのは本当にちっぽけな存在でしかないのに、日常のなかでわたしたちは自分たちのことに囚われすぎてしまう。だからわたしとって自然を愛すること、そして自然界に生きる動物たちは当たり前のもの、うまく説明できないんだけど、自分を癒してくれる存在なの。わたしは瞑想を実践してはいないけれど、自然のなかにいて自然を見ていると、瞑想しているみたいに思える。心を癒してくれる薬のようなものね。だから、宇宙のなかに存在する他の生き物たちの存在を音楽のなかに感じ取ってくれたのなら、それは本当に嬉しいことよ。

わたしにとってひとりの人間としての進化とひとりのミュージシャンとしての進化は完全に連動している。そのふたつを切り離すことはできない。そして歳を重ねるにつれ、自然をより身近に感じるようになって、生きていく上で欠かせないものになった。

あなたの音楽は、いくつかの生の楽器とエレクトロニクスとの融合だと言えますが、人間とテクノロジーの関係をどう考えていますか?

C:テクノロジーは我々の感情表現や生活を便利にするための道具として使うのであれば素晴らしいものだと思う。音楽という観点で見たとき、PCや誰もが使えるソフトが存在しなければ、わたしはレコーディング・アーティストになっていたとは思わない。わたしはテクノロジーをDIYのツールとして興味を持っているけど、決してテクノロジーに傾倒している人間ではないわ。たとえば、わたしはスマートフォンを初めて手にしてからまだ2年も経っていないのよ。ずっとスマートフォンなんて要らないと思っていた。2年前に、必要に迫られて持つようになっただけ。
制作面に関して言うと、テクノロジーとの関係性は5作目の『Captain of None』から変わってきていると思う。もしかしたらその前のアルバムからかもしれない。『The Weighing of the Heart』はほとんどが生楽器で構成されているけど、最後に作った曲の”Breaking Up The Earth”にはたくさんディレイを使っていて、この曲を作っていたときにたくさんのジャマイカ音楽を聴いていた。ジャマイカ音楽こそがいい例だと思うわ。貧しい国で、限られたテクノロジーしか持っていなくても、それを最大限に活用して、時代を超えた素晴らしい名作を数多く輩出している。だから、”Breaking Up The Earth”をアルバムの最後に作ったとき、自分が行きたい方向はこれだとわかった。
だからいまわたしにとってテクノロジーというのは、サウンドの世界をさらに奥深く、遠くへと探求させてくれるものなの。でも『A Flame My Love~』のように、全編エレクトロニックな作品を作るとは思っていなかった。このアルバムの前までは、わたしは生楽器の音しか好きじゃないと思っていた。もちろん生楽器の音を加工するのは前からやっていたわ。でも核にあるのはviola da gambaやアコースティック・ギターの音だとずっと思っていた。でも、自分でも驚いたのだけど、このアルバムを通じて、エレクトロニック・サウンドで旅ができることを発見したの。今夜のライヴもそうだけど、エレクトロニックの機材を操作していると自分がどこにいるかを忘れてしまうくらい、不純物のない、抽象的な周波数の世界に瞬間移動したかのような感覚になる。アルバムのタイトルに「周波数」という言葉を使ったのもそれが理由よ。だからいまは、とくにアナログ機材に興味がある。魔法を生む機械だと思う。電子機材を作る人も尊敬する。わたしは電子工学のことはてんでわからないから。でも、こういう機材を使うのは凄く面白いし、今後もサウンド操作が生み出すこの抽象的な周波数の世界をさらに探求し続けたいと思っている。

『A Flame My Love~』はパリのテロ事件に触発された作品だという話をどこかで読みましたが、アルバムの最初の2曲は、悲劇的なテロを題材にした曲で、しかしこれほどパラドキシカルに美しい曲はないと思います。

C:アルバムはあの事件に影響を受けているのはたしかよ。わたしがあの夜にパリにいたのはまったくの偶然で、実際に事件があった場所にはいなかったのだけど、ほんの数時間前に近くを通った。ヴィオラの弓の修理をしなければいけなくて、本当にたまたま近くを通ったの。同時に家族と近しいひとが病気だったので、お見舞いも兼ねてパリにいた。本当に辛い体験だった。新しい音楽の制作にちょうど取り掛かろうとしていたところだった。アルバムを作る準備を進めていたときにあの事件が起きた。制作に戻らないとと思ったわ。
あの事件が作品に反映するのは不可避だった。これはわたしの人生に起きたことだったのだから。そして曲作りに取り掛かると、最初にできてきた曲は明るく喜びに満ちたものだった。なぜなら、わたしの人生、そして世界がいまどれだけ辛くても、それはどうすることもできない。できることがあるとしたら、少しでもその苦しみを和らげてくれるものを作ることだった。自分のためでもあり、それを聴いたひとたちもそう感じ取ってくれたら嬉しいと思った。そうやって最初はビートのある曲や明るい曲に自然と寄っていった。そしてアルバムの制作が進むにつれ、1年半近く経って、わたしの気持ちも少し落ち着いて、起きたことの重苦しいことも曲にすることができるようになった。矛盾しているかもしれないけど、気持ちが回復してから悲しい曲をかけるようになった。それしか方法はなかったの。わたしの歌詞はあまり直接的ではないかもしれないけど、わたしにとっては歌詞で表現しようとしたことと音楽は明確につながっている。

あなたがムーンドッグやアーサー・ラッセルに惹かれるのはなぜでしょうか?

C:その質問に限られた時間で答えるのは難しいけれど、おそらくわたしは独自のやり方を貫いている人たちに惹かれるんだと思う。ムーンドッグやアーサー・ラッセルはふたりとも「非常に特異なミュージシャン」のいい例だと思う。どちらも多くの人に影響を与えながら唯一無二の存在だった。
アーサー・ラッセルにはいまでも強く共感するわ。彼の音楽を前ほど聴くことはなくなった。何度も何度も聴いたから、もはや自分のなかにあるんだから。基本的には自分独自のやり方を貫く人が好き。リー・ペリーもまた、限られた環境で独自の世界を作ったひとね。10万ユーロもかけて機材を揃えたスタジオがなくてもいい音楽は作れる。むしろ贅沢な設備はない方がいいのかもしれない。いまわたしが面白いと思うのは……、『A Flame My Love~』はエレクトロニックかもしれないけど、じつは作っているあいだ、エレクトロニック・ミュージックを聴いていたわけじゃないの。わたしのパートナーのIker Spozioの話をしないといけないわ。彼はわたしの作品のアートワークをすべて手がけているのだけど、彼は熱心な音楽ファンでもあって、幅広く何でも聴いている。彼のレコード・コレクションの恩恵に預かったわ。家にいるときはたとえばアフリカ音楽だったり、60年代のサイケデリック・ポップだったり、ジャマイカ音楽、そして夜にはバッハやモーツアルトを聴いたりしている。とくにアフリカ音楽はたくさん聴いているの。アフリカ音楽は、わたしのすべての作品に多大な影響を与えていると思う。それと……、リズムとメロディの関係性にも興味がある。パーカッションという意味でのリズムではなくて、どんな楽器でも弾き方によってリズム感を出すことができる。アフリカ音楽のそういう部分が面白いと思う。アフリカ音楽のギターの弾き方も凄くリズミカルよね。だから例えば『Captain Of None」ではヴィオラをよりリズミカルに演奏しようと試みた。音楽は果てしない海のようだと思う。自分が知らないものがまだまだたくさんあって、それと出会うことで新しい何かをもたらしてくれる。

世界がいまどれだけ辛くても、それはどうすることもできない。できることがあるとしたら、少しでもその苦しみを和らげてくれるものを作ることだった。自分のためでもあり、それを聴いたひとたちもそう感じ取ってくれたら嬉しいと思った。そうやって最初はビートのある曲や明るい曲に自然と寄っていった。

子供の頃から楽器を習っていたんですか?

C:全然。15歳になるまで楽器を弾いたことなんてなかった。自分も音楽をやりたいと思わせてくれた最初に夢中になったバンドがビートルズだった。ビートルズは絶大な人気を誇りながらも、非常に質の高い作曲能力があって、それに加え革新的なテクノロジーも積極的に取り入れた最たる例であり、誰も真似できていないと思う。最初は素晴らしい曲を作るシンプルなポップ・バンドだったけど、数年という短い期間にテクノロジーを駆使してバンドとして進化し続けた。そういう点では、いまでもわたしにとって大きなインスピレーションの源よ。わたしの音楽は彼らのとは全く違っていてもね。で、えっと、質問は何だったかしら……、あ、クラシックの教えを受けたか、だったわね。わたしの両親は多少音楽を聴いたけどそれほどでもなくて、わたしはいわゆる中流家庭の出で、高価なクラシックの楽器を買うお金もレッスン代を賄うお金もなかった。だから最初の楽器はクラシック・ギターで、それからエレキ・ギター。そして26歳になって安いチェロを買った。しかも正規のよりも小型の。そのあとでちゃんとしたチェロを手に入れて、それからヴィオラ・ダ・ガンバを買った。弦楽器職人に依頼してヴィオラ・ダ・ガンバを作ってもらったのよ。もうその頃は働いていて、英語の先生をやって貯めたお金があったから、自分の夢を叶えようと思ってね。そうやってヴィオラを手に入れてレッスンも受けたけど、2006年頃だからすでに30歳だったわ(笑)。

あなたの音楽はエレクトロニック・ミュージックであるとか、アンビエントであるとか、いろいろアクセスできると思うのですが、どこか固有のジャンルには属していませんよね。それは意識しているのですか?

C:そう。自分がどのジャンルに属するかといったことを意識したことはない。自由であることを大事にしてきた。生きているとわたしたちはいろいろな妥協をしなければならないでしょ。いろんな出来事や出会い、人間関係に直面し、人生のいろいろな場面で妥協を強いられる。そんななかでアートというのは、自分が表現したいことを妥協することなく表現することだとわたしは思っている。もし1時間の長いドローン・ミュージックを作りたいと思ったら作ればいいし、2分のポップ・ソングが作りたいならそうすればいい。わたしはメロディアスであると同時に実験的なものを作りたいと思っていて、それを追求しない理由はない。わたしがアルバムを出し続ける理由はたったひとつで、それは伝えたいことが自分のなかにまだあるから。ある日伝えたいことが無くなったら音楽を作るのをやめて他のことをするでしょう。何にも縛られず自由であることは大事で、もの作る者にとっての本分だと思う。

あなたは英文学を勉強し、英語の教師をしていたということですが、どんな本がお好きなんですか?

C:最初に好きになったのは文学よ。子供の頃から本を読むのが大好きだった。学校で英語を勉強した際も文学の歴史に重点を置いて勉強した。高校のときもたくさん本を読んで、大学ではもっぱら英米文学を読んだ。いちばん好きな本はマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』。読破するのにものすごく時間が掛かった。ものすごく分厚い本だから(笑)。でもわたしの読書人生のハイライトのひとつだと思う。またいつか読み返したいと思っている。
それからしばらくは音楽制作で忙しくなってしまって本を読む時間がなくなってしまった時期があった。そして日本から戻って、フランスの図書館から日本についての本をたくさん借りて読んだ。もっぱら日本の陶器や伝統美意識、禅庭についての本よ。そのあと、またしばらく読書から離れた時期があって、今度は自然に関する本をたくさん読んだ時期もあった。たとえばバードウォッチングはとにかくまず野鳥について知らないといけないから、何冊も繰り返し読んだわ。他にはアートブックを読むのも好きよ。パートナーのIkerは絵描きだから家にはアートブックがたくさんある。アフリカのお面(マスク)についての本から、マティス、ミケランジェロまで、なんでも。アートについて読むのも大好き。そして小説もまた読むようになった。今年ようやくメルヴィルの『白鯨』を読んだわ。20年もの間ずっと本棚にいつか読まなきゃと思って置いてあったのをようやく読むことができた(笑)。最近はそうやって昔に読もうと思って買った本を読むようにしているわ。

『The Weighing Of The Heart(心の計量)』というタイトルも気になっていたのですが、これはなにか書物からの引用ですか?

C:古代エジプトの『死者の書』の翻訳を読んだ。美しい絵とヒエログリフで構成されている巻物を写したヴァージョンよ。そして古代エジプト人が行なった埋葬の儀式に感動した。その儀式では死者の心臓を天秤にのせ、もう片側の皿には羽根を置く。純潔な人生を送った人はその心臓が羽根よりも軽くなる。なんて美しいイメージなんだろうと思ったわ。わたしはいい人間でありたいと思っているから、いい人生を送ることの難しさを表しているようで、余計にこのイメージが心に刺さったんじゃないかしら。わたしにとってぴったりのタイトルだった。

 パリの「黄色いベスト」運動が起きたとき、アメリカのトランプ大統領は、ほら、だれから俺はパリ協定から脱退すると言ったんだという、まったくトンチンカンだが環境のために膨大な福祉予算などつぎ込みたくなる側からすればある意味スジが通った意見を述べている。逆に言えば、人間以外(生きる権利を持っている地球上の生物)のことを考えることは、新自由主義の暴走を否定する根拠にもなってきている。コリーンのような音楽が重要なのは、デジタルとアナログとの融合などということではなく、ポジティヴな未来を考えるうえでたいせつな感性が表現されているからだと思う。
 ele-king vol.23に掲載されているアースイーターのインタヴューもぜひ読んでください。こちらは2018年もっとも感情をかき立てられたアルバムの1枚ですが、コリーンよりもさらにラディカルに「non human」というテーマが偏在しています。なぜなら彼女は本当に動物たちといっしょに育った人間であり……。(続く)

 ヨーロッパを精力的に駆け回る女性DJ、Cassyのギグが12月30/31日と大阪/東京であるのでお知らせしたい。イングランドで生まれオーストリアで育った彼女は、パリとアムステルダム、ジュネーブとベルリンのアンダーグラウンド・ハウス・シーンにコミットした。ルチアーノやヴィラロヴォスらからの賞賛とともに初期のパノラマ・バーのレジデントDJのひとりでもあった。ここ1~2年は自身のレーベル〈Kwench Records〉を拠点に12インチをリリースしている(DJスニーク、フレッドP、ロン・トレントらも含む)。
 12月30日は大阪で開催の〈The star festival 2018 closing〉、12月31日が表参道VENTに出演。間違いなく良いDJなんで、お楽しみね!

■THE STAR FESTIVAL 2018 CLOSING
12/30(sun)

line up :
Peter Van Hoesen(Time to express/Brrlin)
Cassy
Kode 9
yahyel
Metrik(Hospital records/uk)
EYヨ(Boredoms)
AOKI takamasa-live set-
BO NINGEN
Tohji (and Mall Boyz)
環ROY
SEIHO
D.J.Fulltono
YUMY

OPEN AIR BOOTH :
YASUHISA / KUNIMITSU / MONASHEE / KEIBUERGER / AKNL / MITSUYAS / DJ KENZ1 / 81BLEND / RYOTA / GT /SMALL FACE

open 21:00
adv:¥3500 door:¥4000
group ticket(4枚組) : ¥12000

チケットぴあ P-CODE(133-585)
ローソンチケット L-CODE(54171)
イープラス https://eplus.jp
Peatix : https://tsfclosing.peatix.com/


■Cassy at N.Y.E
12/31 (MON)

=ROOM1=
Cassy
Moodman
K.E.G
Koudai × Mamazu

=ROOM2=
Sotaro x EMK
EITA x Knock
Genki Tanaka × Toji Morimoto
SIGNAL × TEPPEI
JUN × UENO


OPEN : 21:00
DOOR : ¥4,000 / FB discount : ¥3,500
ADVANCED TICKET:¥3,000
https://jp.residentadvisor.net/events/1185424

[ FACE BOOKイベント参加 ] で¥500 OFF ディスカウント実施中!
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※当日エントランスにて参加画面をご提示ください。 
Join the event for ¥500 off !! Click " Join " and you are on discount list !! ※You MUST show your mobile phone screen of joined event page at the entrance.
※VENTでは、20歳未満の方や、写真付身分証明書をお持ちでない方のご入場はお断りさせて頂いております。ご来場の際は、必ず写真付身分証明書をお持ち下さいます様、宜しくお願い致します。尚、サンダル類でのご入場はお断りさせていただきます。予めご了承下さい。
※Must be 20 or over with Photo ID to enter. Also, sandals are not accepted in any case. Thank you for your cooperation.
URL : https://vent-tokyo.net/

Imaizumi Koichi - ele-king

 この夏日本でも初公開され注目を集めた今泉浩一監督による映画『伯林漂流』の再上映が決定しました(脚本は『ゲイ・カルチャーの未来へ』でおなじみの田亀源五郎)。あわせて今泉監督の全過去作品も上映されます。パッケージ化されていないタイトルや再上映未定の作品も数多くあるとのことですので、もう観た方もまだ観ていない方も、この機会にぜひ!

Felicia Atkinson/Jefre Cantu-Ledesma - ele-king

 本作は、フランスにおいてエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈シェルター・プレス〉を主宰し、自身も気鋭の電子音楽家であり、2017年にリリースしたソロ・アルバム『Hand In Hand』も話題を呼んだフェリシア・アトキンソンと、イギリスの老舗音響レーベル〈タイプ・レコード〉よりリリースされた『Love Is A Stream』(2010)、ニューヨーク・ブルックリンのインディー・レーベル〈メキシカン・サマー〉から送り出された『A Year With 13 Moons』(2014)などをはじめ、多くのシューゲイズ/アンビエントな作品を多く発表してきたサンフラシスコを活動拠点とするジェフリー・キャントゥ=レデスマのコラボレーション作品である。

 このアルバムは、極めて現代的なアンビエント音楽だ。ノイズと音楽が互いに矛盾することなく(もしくは矛盾のまま)、同居している。私はこの『Limpid As The Solitudes』を一聴し、その密やかさと解放感が同居する音響構築に惹き込まれた。空間的で映画的。音楽的で音響的。構造的で快楽的。アトモスフィアなアンビエント・サウンドのアップデート。

 とはいえ2人のコラボレーションは本作が初ではない。2016年に〈シェルター・プレス〉からリリースされた『Comme Un Seul Narcisse』についで2作目である。むろん前作『Comme Un Seul Narcisse』も素晴らしい音響空間を生みだしていたが、本作のシネマティック・サウンドは前作を超えたアンビエンスを展開していた。ひとことでいえば「映画的」なのである。
 音による光景と光景の接続、シネマティック・アンビエント……?その意味では旧来の意味での「アンビエント・ミュージック」とはいえないかもしれない。じじつ本作には「音楽的」な要素が音響的要素と融解するように導入されているのだ。音のむこうに「音楽」が立ち現れ、そして溶け合って消えていく。そして微かな痕跡が残る。音楽的要素が豊穣でありながら、それでいて騒がしくない。この感覚こそ(本作に限らず)2010年代的な「新世代」のアンビエント・ミュージックの特徴ではないかと私は考える。00年代以降、アンビエント・ミュージックはブライアン・イーノが提唱した古典的な概念からさらに変化を遂げた。つまり環境を満たす意識されない音楽として存在するだけではなく、この騒がしい世界の中での静謐さを摂取するための音響による音楽作品としての自律性を高めてきたのだ(そこにおいてはドローン音楽のアンビエント化も大きい)。音響の音楽化ではなく、音楽の音響化が実践されているというべきだろうか。
 アルバムには全4曲収録されている。フェリシア・アトキンソンのヴォイスがボーカルのように音響空間を舞うような曲もあれば、不意にベースのような低音が断片的に鳴る曲もある。そのうえ記憶の残響のようなピアノが素朴な旋律を奏でる曲もある。ドローンは楽曲のそこかしこで生成し、ノイズの粒子が音を立てサウンドのアトモスフィアを形成するだろう。世界の光景を描写するかのようにシネマティックな環境音がエディットされてゆき、まるで映画のような1シーンのように音楽と音響が編集される。音と音楽を交錯・融解させることで、映画的・映像的ともいえる持続と音響空間を織り上げているのだ。そこに不思議な鎮静感覚が生れているわけである。
 とくに17分に及ぶ4曲め“All Night I Carpenter”は圧倒的だ。音、ノイズ、音楽、声の欠片によって、音と音楽が時間の中に溶け合うようなサウンドスケープを生成しているのだ。不意にアピチャッポン・ウィーラセタクンの映画や坂本龍一『async』を思い出しもした。ちなみにマスタリングはお馴染のダブプレート&マスタリング(ヘルムート・エルラー)が担当している。
 すでに名の知れた電子音楽家2人のコラボレーション作品だが、フェリシア・アトキンソン『A Readymade Ceremony』(2015)や『Hand In Hand』(2017)や、ジェフリー・キャントゥ=レデスマ『On The Echoing Green』(2015)などとも異なる「新しいアンビエント音楽」を聴きとることができた。何より、音楽が、音が、これほどまでに心身に染みる音響作品も稀ではないか。「孤独のように卑劣な」という意味を持つアルバムだが、その密やかな気配によって鎮静を与えてくれる緻密なモダン・アンビエント音楽である。

 それにしてもCV&JAB『Thoughts of a Dot as it Travels a Surface』、マイヤーズ『Struggle Artist』、トーマス・アンカーシュミット『Homage to Dick Raaijmakers』、イーライ・ケスラー『Stadium』など、今年の〈シェルター・プレス〉のリリース作品は重要作ばかりだ。そのうえスティーヴン・オマリーとピーター・レーバーグ(ピタ)によるKTL『The Pyre: versions distilled to stereo』のアルバムまでリリースされてしまった。個性的なラインナップとクオリティ。いま、もっとも勢いに乗っているエクスペリメンタル/電子音楽レーベルのひとつといえよう。

 ガラージの精神を受け継いで、よりエレガントでディープなサウンドへと発展させたレーベル、ヒサ・イシオカによる〈King Street Sound〉が25周年を祝ってのパーティを開く。12月21日、渋谷のコンタクト。ゲストにジョー・クラウゼル。日本からは大ベテランのDJ NORIをはじめ〈King Street Sound〉ならではの真のハウスマスターたちが集結です。
 往年のファンはもちろんですが、最近ハウスを好きになったひとは絶対に行くべき! NYのディスコ、ガラージ、ディープ・ハウスの冒険、そして〈King Street Sound〉への最大限のリスペクトを込めて、踊りましょう。

https://www.contacttokyo.com/schedule/25-years-of-paradise/

 日本のアンダーグラウンド・テクノ・シーンで、つねに尖っている音をスピンするDJのひとり、KEIHINが自ら立ち上げたレーベル、〈Prowler〉からファースト・シングル「Esoteric Communication」をリリースする。UKの〈Whites〉あたりとも共振するベース・ミュージックおよびインダストリアルを通過したテクノ・サウンドがここにある。デトロイティッシュな響きもあり、格好いいので、ぜひチェックしてみて欲しい!



Artist : KEIHIN
Title : Esoteric Communication
Cat: PROW001
Label: Prowler

Track List:
A1:Dawn
A2:Dawn(Katsunori Sawa Remix)
B1:Rust
B2:Stiff
※ダウンロードパス付き


【レーベル資料より】
日本のアンダーグラウンドシーンでDJ NOBU達と共にキャリアを積んだDJ、KEIHINが自身の音楽性をより深く掘り下げる為のレーベル〈Prowler〉を始動。第一弾として彼自身による、ブレイクビーツやベース・ミュージック、インダストリアルを非イーブンキックのミニマル・テクノに落とし込んだ様な、それぞれコンセプトは違いながらも1本筋の通った3曲に、10LABELやWeevil Neighbourhoodからのリリース、YUJI KONDOとのユニットSteven PorterやAnthoneとのユニットBOKEHでもお馴染みのアーティストKATSUNORI SAWAによるRemixを収録した1st EP“Esoteric Communication”をリリースします。今後も彼やその仲間による、シーンの多様性を拡張するリリースを予定しております。

tamao ninomiya - ele-king

 2018年は新鋭ネットレーベルのリリースに大きな刺激を受けた1年だった。なかでもele-kingにも寄稿する捨てアカウント氏が主宰する〈Local Visions〉と、tamao ninomiyaの主宰する〈慕情tracks〉はその象徴的存在だろう。前者はvaporwaveの第二次ブームとも言えるような現在の状況と密接にリンクしつつ、優れた国内作家の作品を積極的に紹介しているし(僭越ながら私自身も「俗流アンビエント」という概念をこさえて、DJミックスをリリースさせてもらった。その話はまたどこかに書きたい)、後者は様々な宅録作家の紹介を行いつつ、芽生えつつある新しいインディー・ポップをネット空間を通して可視化するような役割も演じている。音楽性という面で言えば似つかわしくない両レーベルであろうが、ポストインターネット性という点でどこか符合する美意識を感じるし、単に「新しい」「古い」という進歩主義的時間尺度から逸脱した先端性を強く発散している点でも共通していると思う。
 そして、私見ではその〈慕情tracks〉が今年頭にBandcampで公開した、アンダーグラウンドな(とポジティヴな意味で呼称するにふさわしい)宅録作家による楽曲をコンパイルした『慕情 in da tracks』は、こうした動きの発火点という意味でも非常に意義深い作品だったと思う。新たな才能との出会いにわくわくする一方、ここに登場するクリエイターたちはおそらく私より圧倒的に年若だろうに、どこか現況に倦み疲れているようにも聴こえる。しかし同時に、ひと昔前のインディー音楽界にはびこっていた「本当の自分を素のままに表現してみました」式の偽造された清廉さも無く、産業化された「新しいシティ・ポップ以降」の欺瞞に安易に乗ることは(当たり前のごとく)避けられている。

 この『忘れた頃に手紙をよこさないで』は、今年10月にデジタルリリース、先月11/28にカセット・テープとしてリリースされた、先述の「慕情tracks」主宰tamao ninomiyaによる初のフル・アルバム作品だ。これまで様々なユニット名義での音源リリースや、〈Tiny Mix Tape〉の記事翻訳、川本真琴への歌詞提供などの幅広い活動を行ってきた彼女だが、本作は宅録作家tamao ninomiyaとしての集大成というべき作品になっている。
 自らの音楽を「lo-fi chill bedroom pop」と標榜するように、その手触りは相当にインティメイトだ。ジョー・ミークやブライアン・ウィルソンを祖とする一大ジャンル「内省ポップス」の系譜に耳慣れたリスナーにとっても、この「鋭利なインティメイト」にはたじろいでしまうかもしれないほどに。それでも、かねてより彼女がネット上にアップしていた楽曲にあった剥き出しの内向からすると、やや外向的になったともいえるかもしれない。実際に、入江陽hikaru yamadaといったアーティストがゲストに迎えられていることからもそういった色彩は感じられるだろう。しかしながらその「外向」は、ベッドルームに敷き詰められた厚い布地を通して吐出される息吹のように、強い密室性によって曇らされ、内燃する体温を帯びている。
 現代において「宅録」とは、主にDAW上での打ち込み制作を指す訳だが、初期の理解において、そのような制作法はいわゆる「人間性」とかいうものを表現するには冷徹に過ぎる手法だと思われていた。いまだにそのような見方が残存する(とくに「ロック」はそこに最後の生存領域を見出そうとしている)一方で、むしろそういったプライベートなDTMこそが、濃密に個的でヒューマニックな作品を作りうるということ、そのことを過激なまでに突き詰めているのがtamao ninomiyaなのではないだろうか。夜中2時、パジャマ姿でPCとMIDIコントローラーを弄り、デスクトップ画面に現れる波を切ったり貼ったりする。そういう行為を通してしか固着されない音楽があるということを、我々は音を通して彼女の寝室を覗いてしまったような焦りとともに知る。
 かねてより90年代の忘れ去られたJ-POPのディガーとしても知られていた彼女らしく、ある種の歌謡曲的クリシェを大胆に取り入れながら、まったくもってドリーミーなポップスをあたらしく作り上げる。一方で、様々なリズムアプローチやアヴァンギャルド音楽への造詣も伺わせる各種ノイズ処理など、個別に現れる音楽要素の多様さからは、彼女がサウンドクリエイターとしてと同じくらいリスナーとしても非常に鋭敏な感性の持ち主であることを物語る。かといって、音楽ディレッタント的な印象を抱かせることは決してせず、あくまで表現者としての人格と個性が前景化する。
 そして、たんに「ウィスパーヴォイス」というワードではその色調を捉えることは難しいであろう、ゆらゆらと去来するヴォーカルの魅力。夢の中で歌う歌のように、音符を撫でて消え入るその声。有り体な表現になってしまうけれど、これは、どこでも聴いたことのないような音楽、だけどどこかで聴いたことのあるような音楽……。

 そう、いま思い出した。今年11月3日、東京・大久保の「ひかりのうま」で行われたダンボールレコード主催の「Dry flower’s」というイベントの冒頭、「休日はいつもブックオフの280円コーナーを漁ってるシティ・ポップ好きのディガー集団」こと「light mellow部(彼らの存在も2018年のある局面を象徴するものだったと思う。いずれどこかで論じたい)」の一員として彼女がトーク出演し、そこで昔からの愛聴盤として銀色夏生の『Balance』というCDを紹介していたのだった。
 当時の女子たちから絶大な人気を誇った詩人・銀色夏生が全作詞・監修を務め、一般公募で選ばれたNanami Itoというアマチュアの女子高生がヴォーカルを取る作品なのだが、『忘れた頃に手紙をよこさないで』は、1989年に産み落とされたこの不思議なアルバムと呼応する魅力を宿していると思う。J-POPというにはオブスキュア過ぎるトラック、儚げな歌唱、ここでないどこかを希求するような詩情……。斉藤由貴、伊藤つかさ、もっと遡ってシャンタル・ゴヤなど、そういう系譜上に、Nanami Itoと、そしてtamao ninomiyaの歌声を位置づけてみると(両者がローマ字表記だというのも嬉しい符合だ)、その魅力を理解しやすくなるかもしれない。
 「こうではなかったかしもれない」パラレルワールドを、独りベッドルームで夢想する少女による歌。その夢想はポップス対アヴァンギャルドという歴史的且つ父権的見取り図を超えて、様々な表象としてまろび出てきた。いまから30年前、Nanami Itoと銀色夏生が僥倖によって偶然に表現し得た夢想に通じる何か。tamao ninomiyaはいまその夢想を、それをブーストし、同時に純粋化してくれるインターネットという装置を通じて、鮮烈な形で我々に届けてくれているのではないだろうか。

 縦横に時間を駆け巡り、時間を圧縮し加速させ続ける中で、我々はいよいよもって慕情を求める。その慕情とは、過ぎ去った過去へのほの甘い憧憬であるとともに、起こらなかった「いま」へ憧憬であり、そして、誰しもに無限として広がる未来への不安と蠱惑であるのかもしれない。自分が存在する以前の時代の方が、少なくともいまより幸福な時代だったに違いないという確信めいた何か。見知らぬものへ向かう、決していまは満たされることのない慕情。不透明な未来の愛らしさ、憎らしさ。これらの圧倒的な切なさを日々眼前に突き出され続ける2018年の我々にできることは、独り音楽を聴いてまどろむことぐらいなのかもしれない。
 物事が目まぐるしく動けば動くほどに、ベッドルームに篭って、眠るようで眠らずに、ラップトップが発する朧気な明かりを浴びる。私が『忘れた頃に手紙をよこさないで』を無性に聴きたくなるのは、現代の誰しもが遭遇するであろうそんな時間だ。

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