「K A R Y Y N」と一致するもの

Oneohtrix Point Never『Good Time』を聴く - ele-king


Oneohtrix Point Never
Good Time Original Motion Picture Soundtrack

Warp / ビート

Soundtrack

Amazon Tower iTunes

 いま、「マックvsマクド」というキャンペーンをやっている。日本各地で「マック」と略されるマクドナルドのことを関西圏だけは「マクド」と呼ぶことから対立の図式を喚起し、購買意欲を煽っている。どうやら味も違うらしい。
 日本に初めてマクドナルドが出店される時、ネガティヴ・キャンペーンというものが盛んに行われていた。ウィキペディアを読んでみると、オープンした日時も場所も僕の記憶とは違っているのだけれど、マクドナルドが銀座三越の(店内ではなく)外壁部分にオープンした当日、僕はクラスメート7~8人と横一列に並んで、せーので「猫肉バーガー、下さい」と注文した。マクドナルドは猫の肉を使っているというネガティヴ・キャンペーンが浸透していたからである。窓口の店員さんはそのような嫌がらせは想定済みといった様子で「当店は100%ビーフを使用しております」と即答、僕らは「じゃー、それを下さい」と声が小さくなってしまった。これに対して、関西では「あんなものを食べるとマクどうかなるド」というネガキャンが行われていたと聞いた。深夜ラジオで誰かがそう言ったことを覚えている。「マクド」という略称はもしかするとそれが起源ではないだろうか。ネガキャンのかけらが定着してしまったのではないかと。少なくとも東京では「マクドウカナルド」という言い方は広まっていなかった。

 マクドナルドがオープンしたり、オイルショックが起きたりした頃、僕は洋楽といえばラロ・シフリンに夢中だった。「燃えよドラゴン」を入り口に、しかし、ブルース・リーにはまったく心動かず、テーマ曲を作ったラロ・シフリンに興味が向いた。そして、そのうちに〈CTI〉というレーベルに辿り着いた。初めて興味を持ったレコード・レーベルで、中学生が聴くようなものではなかったと思うものの、アニメ・ソングにも多用されていたからか、ジャズ・ファンク・フュージョンはやはり馴染みやすく、華やかなホーン・セクションとタイトなリズムを求めてデオダートやアイアート・モレイラといった南米音楽にもするするとアクセスすることができた。カタログを見ながらどんな音楽か想像している時間の方が長かったような気もするけれど。
 ジャズ・ファンク・フュージョンはそして、いつしかフュージョンと省略される頃になるとダイナミックさを欠き、トレード・マークだと思っていたホーン・セクションをカットするものまで現れた。ニューエイジの始まりだった。

 OPN のリリースには、ごく初期からニューエイジというタグが付けられていた。ヤソスやエリアル・カルマを追ってエメラルド・ウェブやエドワード・ラリー・ゴードン(ララージ)といったニューエイジの再発も同時並行的に増えつつづけ、そういう人になるのかなという側面もあったけれど、『リターナル』の冒頭に収められていた“Nil Admirari”などOPN自体はどんどんと変化していき、知名度が上がってからは『レプリカ』でそうした側面に少し揺り戻す程度だったと言える。その後の『ガーデン・オブ・ディリート』フォード&ロパティン名義やを聞いた人には彼がニューエイジとタグ付けされていたことさえ不思議なことに思えるかもしれない。現在は閉じてしまったものの、彼が運営していた〈ソフトウェア〉というレーベルも彼の興味がどこかに定まっているようには思えず、なんというか、フットワークが軽すぎて基本的な姿勢さえよくわからないところがこの人のいいところだと思えるほどである。そして、ソフィア・コッポラ『ブリング・リング』への起用をきっかけにOPNことダニエル・ロパティンは映画音楽にも活動のフィールドを広げ、早くもジョシュア&ベニー・サフディ『グッド・タイム』でカンヌ映画祭のサウンドトラック賞を受賞してしまった。日本人のカンヌに対する見方にはかなり疑問があるけれど、まあ、とにかくOPNはそういった賞を受賞した。おー。

 どんな映画なのか、作品を見てないので映画音楽としてどうなのかと言うことはわからない。最近だとダニー・エルフマンが音楽を担当した『ガール・オン・ザ・トレイン』はあんまり内容と合ってないじゃないかと僕は感じながら観ていた。日常のささいな変化からストーリーが大きく展開していく同作にエルフマンの曲はあまりに大袈裟だと思えたからである。反対にミカチューを起用した『ジャッキー』は音楽によって映像の中に連れ去られる感覚が素晴らしく、サブリミナル効果も含めて相乗効果は抜群だった。自分が想定していた使われ方とは違うものだったとトレント・レズナーが語る『パトリオット・デイ』も作品を何割り増しかよく見せていた。音楽に関してはあまり褒められない邦画でも『彼女がその名を知らない鳥たち』(10月公開)では、こんな使い方をするのかとかなり驚かされた。やはり映画とワンセットで聞かなければ映画音楽の良し悪しは判断できない。しかし、ここには『グッド・タイム』のサウンドトラック盤しかない。音楽だけを聞くしかない。

 なんだか知らないけれど、とにかく切迫している。虚無感を煽りつつ、まだ希望は捨てきれない~みたいな展開である。映画っぽい(映画だし)。パニック映画だろうか。それともギャング映画? 今年はクリフ・マルティネスが『ネオン・デーモン』で80年代初頭のダサいシンセ・ポップを退廃したイメージの中に上手く落とし込んでいたけれど、それと被る印象もある。ジャズ・ファンク・フュージョンがフュージョンへとパワーダウンしていく際にディスコを取り入れることでダイナミックさを失わなかった方法論。ダサくても生き延びることを優先するというB級感覚に裏打ちされ、ゴミ溜めの中からホーリーなものを立ち上げるという美学とも言える。『ネオン・デーモン』はピークを過ぎ、虚栄の都市と化している現在のロサンゼルスをスタイリッシュに描くという嫌味なアプローチがどこか子どもっぽくもあったけれど、そのような韜晦さからは距離を取っているという印象だろうか。『グッド・タイム』の方がもっとリアリティを重視しているのかもしれない。それこそホーン・セクションは一切使わず、シンセサイザーだけで押し通すために最後まで虚無感は消え去らない。そして、最後にイギー・ポップが歌い出し、ロック的な皮肉が充満する。そう、猫肉バーガーでも食わされたような気分である。

発売から10年を経たいま、
初音ミク/VOCALOIDを取り巻く状況はどうなっているのか?
その現在をあぶり出す!

●表紙イラスト: PALOW

●イラスト: vivi

●初音ミクの過去・現在・未来
佐々木渉 ロング・インタヴュー
大友良英 × 佐々木渉 対談
佐々木渉 × しじま 対談
伊藤博之 インタヴュー

●楽曲紹介
エレクトロニカ、フューチャー・ベース、ラップ / ヒップホップ、
オルタナティヴ / ロック、クラシカル、……
ネット上に氾濫するさまざまなボカロ音源を整理し、
再生数に関係なく厳選した90曲以上を紹介!
いまボカロ・シーンはどうなっているのか?
ここ数年の動向に焦点を絞った決定版カタログ!

●インタヴュー / 対談
Mitchie M × 佐々木渉
ピノキオピー
DECO*27
ATOLS × きくお (聞き手: ヒッキーP)
ばぶちゃん × 廻転楕円体 (聞き手: ヒッキーP)
松傘 × でんの子P
Super Magic Hats

●椎名もた (ぽわぽわP) 追悼対談
曽根原僚介 × Yuma Saito

●コメント
Laurel Halo / Oneohtrix Point Never / Big Boi (Outkast)

●コラム、エッセイ、クリティーク、etc.
上林将司 / かんな / 佐藤大 / さやわか / しま / 辻村伸雄 & 片山博文 / デンシノオト / 遠山啓一 × 米澤慎太朗 / 仲山ひふみ / HAPAX / 八木皓平 / 吉田雅史

●未発表曲ダウンロード用 アクセス・キー封入
※ダウンロード期限は2017年12月31日までです。

contents

------------ Chapter 1
Hatsune Miku 10th Anniversary 初音ミク10周年

佐々木渉 ロング・インタヴュー ▶初音ミクの過去・現在・未来
大友良英 × 佐々木渉 対談 ▶初音ミクが変えたもの――20年ぶりの再会
佐々木渉 × しじま 対談 ▶手塚治虫×冨田勲×初音ミク――
              狂気のコラボ作品がリリース!
伊藤博之 インタヴュー ▶クリプトン・フューチャー・メディア代表
             が思い描くのあり方

------------ Chapter 2
Expansion and Deepening of Vocaloid Music ボーカロイド音楽の深化と拡張

■how to sing like human
[dialogue] Mitchie M × 佐々木渉 ▶もしもボカロが使えたなら
[interview] ピノキオピー ▶「ボカロでしょ?」という壁をぶっ壊す
[catalog] 人間のように歌わせる技術
[column] 上林将司 ▶ヴォーカル・シンセサイザーの変遷
■electronica
[dialogue] ATOLS × きくお / ばぶちゃん × 廻転楕円体 ▶電ドラ四天王、降臨!
[interview] Super Magic Hats ▶ヒューマンなものを作りたい
[dialogue] 曽根原僚介 × Yuma Saito ▶追悼 椎名もた(ぽわぽわP)――
      『生きる』は死ぬために作ったんじゃない
[catalog] エレクトロニカ
[comment] Laurel Halo
[critique] 仲山ひふみ ▶ミクトロニカから遠く離れて
[comment] Oneohtrix Point Never
■future bass
[column] しま ▶Future Bassとボーカロイド
[dialogue] 遠山啓一 × 米澤慎太朗 ▶物産展やろうぜ!――
      フューチャー・ベースの隆盛を経て
■rap / hip hop
[dialogue] 松傘 × でんの子P ▶ボカロにしかできないことを
[catalog] ラップ/ヒップホップ
[comment] Big Boi (Outkast)
[critique] 吉田雅史 ▶ジルとミクの出会うところ
■alternative / rock
[interview] DECO*27 ▶メロディをメロディにしていく作業
[critique] さやわか ▶ボカロの本丸としてのVOCAROCK
[catalog] オルタナティヴ/ロック
■classical
[critique] 八木皓平 ▶「模倣」と「解体」~冨田勲と初音ミクについて~
[critique] デンシノオト ▶〈光〉のオペラ/『THE END』論
■various styles
[catalog] 様々な歌唱のあり方
[catalog] R&B、レゲエ、ジューク/フットワーク、ジャズ、etc.

------------ Chapter 3
Various Views Surrounding Hatsune Miku 初音ミクをめぐるあれこれ

上林将司 ▶「初音ミク」というMMORPGを始めて10年経った話
かんな ▶MikuMikuDanceの文化と歴史
佐藤大 ▶映像端子に音声端子をぶち込むように
辻村伸雄、片山博文 ▶歌う惑星――初音ミクのビッグ・ヒストリー的意味
HAPAX ▶初メテノ音、未ダ来ラズ――絶対的な孤独への道標

Call And Response Records - ele-king

 近々、『Quit Your Band! (仮題:バンドやめようぜ!)』という翻訳本を出そうと思っているんですけどね。別冊エレキングの『コーネリアスのすべて』に登場して日本の音楽における「洋楽の引用/誤用」と「なぜ日本人はおかっぱ頭なのか」等々、なんとも興味深い話を展開しているイアン・マーティンさん、『ガーディアン』や『ジャパン・タイムス』に寄稿する在日13年の英国人音楽ジャーナリストの氏が昨年上梓した本で、欧米ではけっこう話題になっております。英語ですが、この記事を読めば、「むむ」っと来るかも
 簡単に言えば、イギリス人が日本のロック/ポップス・シーンをばっさりと論じた内容で、とくにJ-POPやアイドルに「?」(シニカル)な人には必読本でしょう。また、ライヴハウスで活動しているバンドには勇気が湧いてくるかもしれないです。
 で、そのイアンさん、自分でレーベル〈Call And Response Records〉なるレーベルも運営して日本のインディ・ロック・バンドをフックアップしています。先日、初のレーベル・コンピ『THROW AWAY YOUR CDS GO OUT TO A SHOW』がリリースされました。日本の音楽メディアが紹介しきれていない、商業主義とは縁のない、エネルギッシュなバンドの音源が収録されています。
 以下、レーベル資料から抜粋。
 「本コンピレーションアルバム「THROW AWAY YOUR CDS GO OUT TO A SHOW」は、イアン・マーティンによる6ヶ月間の日本47都道府県のローカルインディー音楽取材旅の際に構想を得たものであり、東京のみならず取材先で出会った東北、中部、関西、中国、九州からのバンドが参加している。本コンピリリースにあたり、各都市でリリースイベント実施予定! 」
 9月から11月にかけて 広島、福岡、仙台、京都、名古屋、東京でイベントあり。
 日本はインディ・ロック・バンドの宝庫である。ぜひ、注目して欲しい。


https://callandresponse.jimdo.com/releases/various-artists-throw-away-your-cds-go-out-to-a-show/

弟の夫 - ele-king

「誰もが差別撤廃と難民について語る。だが、クィア・ピープルこそが最大の難民集団なのだ。」 ―ヴィーランド・シュペック、ベルリン国際映画祭パノラマ部門ディレクター (2016.03)

 「何故いまだにベルリン国際映画祭テディ・アワードのようなLGBTQ映画賞が重要なのか(英語)」と題された昨年のインタヴュー記事のなかで、このテディ・アワード(1987年創設。クィア ≒ LGBT 映画における世界示準のひとつ。毎年ベルリン国際映画祭全上映作の中から選出される)の共同設立者であるヴィーランド・シュペックは当時の「難民パニック」の最中に上記のように答えている。記事のタイトルからも窺えるように、近年「LGBT映画・映画祭・映画賞という枠組みはその役割を終えつつあるのではないか」といった意見を耳にするようにもなってきたが、ヴィーランドの発言はそうした一部の流れに対する牽制でもある。

 先ごろ全4巻で完結した漫画『弟の夫』を発表した田亀源五郎はおよそ四半世紀に渡り、日本においてゲイのエロティシズムをいかに表現するか、という道なき道を切り拓いてきたパイオニアである。もちろん彼より前にも「ゲイ・エロティック・アート・イン・ジャパン」として連綿と先行してきた作家たちの作品は──時代的な制約からあくまで極く一部の領域で共有される形で存在せざるを得なかったとしても──たしかな水脈として受け継がれていて、田亀作品にしても木の股からいきなり産まれたものではない。が、彼がとりわけ特異な存在であるのは、あくまで自身の欲望に根差した表現活動を続けながらも、それを可能な限り遠くまで届ける事に意識的な作家としての姿勢であり、ゲイ・メディア以外の媒体が田亀源五郎を発見するのは時間の問題だった、とも言える。

 より広範な、そしてより外側に想定された読者に向けて発表されることになった新作『弟の夫』において、田亀源五郎はこれまで自身が技巧を尽くして表現してきたゲイのセックスという、謂わばこれまでの主柱であった要素をすべて外した。いままで使わなかった題材を軸とし、作家として培ってきた技術を駆使して組み上げられた作品は、かつて日本に存在しなかった類の表現物として読者に届けられた。本作は「月刊アクション(双葉社)」に2014年11月号〜2017年7月号まで連載され、連載中の2015年には第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞した。また単行本は現時点で仏語、英語、韓国語にも翻訳されている。

 1人娘の夏菜と暮らすシングルファーザーの弥一には双子の弟である涼二がいたが、彼はカナダに渡って男性と結婚し、そこで亡くなる。涼二の死後、弥一にとっては「弟の夫」にあたるカナダ人ゲイ男性、マイクが日本を訪れて弥一・夏菜と3人で過ごした三週間の日々が綴られる、言ってみれば「遺族たち」の物語であり、海を隔てて顔を合わせることのなかった二者が出会うことで物語は動きはじめる。第1話のタイトル『黒船がやってきた!』に象徴されるように、日本人側にとってマイクは突如としてやってきた強烈な異文化圏の人として登場する。(ちなみにマイクがペリー提督と同じアメリカ人ではなくカナダ人に設定されているのは連載開始当時、アメリカではまだ全土では同性婚ができる状態では無かったからでもあるが、同時にアメリカとカナダのどこが違うか、などと考えることもない弥一・夏菜の「外国」への距離感をそれとなく示している)
 
 弟がたまたまゲイだった、ということを除けば弥一は同性愛に関して取り立てて知識も理解もない、ごく平均的な日本のヘテロセクシュアル男性として登場し、小学3年生の夏菜に至っては白紙状態である。また夏菜の「パパに弟がいたの!?」といった台詞からも判るように、弥一が涼二の存在を無いものとして扱ってきたことも明かされる。当然ながら日本のスタンダードに合わせて自分を隠す事などしないマイクが、この2人をはじめとした周囲に静かにかつ確実な影響を与え、当初はぎこちない緊張感を漂わせていた3人の関係が深まっていくさまは読者に深い感動をもたらす。ゲイのキャラクターが物語の単なるアクセントや色モノとしてではなく、本筋に欠かせない存在として機能している「良質のホームドラマ」が成立したこと自体画期的ではあるが(またこの作品には『現在カップルです』という状態の人が一組も登場しない、ということも付け加えておくべきだろう)、『弟の夫』が現在の日本にとって重要な作品である一番の理由はその点ではない。

 『弟の夫』において静かな凄みを帯びた瞬間は、メイン3人がそれ以外の人たちと接触する際のエピソードで顕著に現れる。同級生やその家族、近所の人、小学校の担任などの周囲の人々がマイクを見る視線、面と向かっては言われない言葉、外国人(+ゲイ)が良くも悪くも異物として扱われる空気、そうした一見些細に見える出来事によって引き起こされる感情の軋みに、自らの内部にもそうした「世間の目」が深く入り込んでしまっている弥一の煩悶を重ねることによって、この国ができるだけ見ないようにしているものが浮かび上がってくる。例えばこの作品のなかにもゲイの日本人は登場するが、マイクのようにオープンに生きている人物は皆無である。ロールモデルとなる日本人ゲイが存在しないこの世界は、残念ながらリアルなものだ。そして弥一はつい「日本ではあまり同性愛差別は聞かないって涼二も言ってた(とマイクから聞いた)」などと二重にも三重にも他人事のように口走ってしまう。

 自分ですら国外で「日本の同性愛者が置かれた状況はいまどうなっているのか?」といった漠然とした質問を受けることがたまにあるが、答えはじめると決まって「同性と付き合うこともセックスすることも違法ではない、ないが一方で国レヴェルで自分らの人権を守ってくれる法律もない。とくに都市部で(用心深く)暮らしていればあからさまな差別を受けることもないが、かと言って職場や家庭で気軽にカミングアウトできるような状況でもなく」などと無い無い尽くしで韻を踏みはじめてしまい、自分が話している内容に苛立ったまま終わる。『弟の夫』もそれに似た苛立ちと憤りを、あくまで穏やかなトーンの中に込めているが、苛立ちの対象が見えづらい事がまたそれに拍車をかける。

 見えづらい、とはつまり闘うべき相手の像が何だか定まらないと言うことである。「日本はキリスト教がベースにある国とは違って同性愛者に対する偏見は薄い」といった発想もそうした数ある煙幕のうちのひとつであり、よほど気力と体力と能力に恵まれた者でなければ個人として対抗できるようなものではない。『弟の夫』の涼二は賢明にもそれを悟って日本を出た。形式的にはどこまでも合法的な移民ではあるが、実質的に国を捨てる選択をしたのである。この涼二というキャラクターは、ほぼ追憶と伝聞と幻影としての姿でしか登場しないが(彼の顔が明瞭に描かれるのは物語も終盤に差し掛かる辺りである)日本と縁が切れてしまっても仕方がない、という諦めとともに渡航したらしい事はそれとなく示唆されている。

 「難民としてのゲイ」に関してやや脱線すると、イスラエルの映画監督、Yariv Mozerが2012年に制作したドキュメンタリー映画『The Invisible Men』の中である若いパレスティナ人ゲイの青年はこう言う。「自分はパレスティナ人だ、いつだって祖国のために闘う準備はできている」と。しかし彼の祖国で警察はゲイである彼を拘束し便器に顔を突っ込んで拷問したり、親族は「今度お前を見かけたら、殺す」と脅迫するような土地柄なので彼らは仕方なく(本来なら彼らの「敵」ではあるが、取り敢えず同性愛では罰せられない)イスラエルの首都テルアビブに逃げる。すると今度は「不法滞在のパレスティナ人」になってしまい、結局はNGOを頼って難民として第三国に移住する。「そんな寒いとこなんてやだ、しかもこの歳でいちから外国語を憶えなくちゃいけないなんて」などと不平を言いつつも、彼らにとって安全な場所は外国にしかない。冒頭に引いたヴィーランド・シュペックが言ったように、性的少数者は数の上では恐らく世界最大の「難民」と見做せるだろうが、厄介なことに世界のあらゆる場所に点在して生まれるので、自分の属する家族やコミュニティーが味方なのかどうかすら疑心暗鬼のままで育たざるを得ない。「✕✕人/✕✕族/✕✕教徒であるため」であるとか「住んでいる地域が紛争状態で」といった理由の難民集団とはまた違う、そして子供にとっては余りに重い、個としての困難が最初から付いて回るからだ。

「同性愛者が子供に悪影響だと考えるような大人の/その子供が同性愛者だったとしたら/その子が親に/カミングアウトしたら/自分にとって最も身近な人が/自分のことを良く思わない人生で出会う最初の敵になるかも知れない」―『弟の夫』第3巻 p.15

 物語の後半ではこんな風に考えるようになった弥一だが、涼二にカミングアウトされた当時、困難に直面した弟の姿をはっきりと捉えることはできなかった。弟のセクシュアリティーを受け入れたことにはしていても、それ以上の対話が深まることも無いままに弟は海を渡り「向こう側の人」になる。涼二の死後、向こう側からやって来た彼の配偶者との交流を経て、初めて弟の姿が生きた人間のそれとして立ち上がり、弥一は深い後悔と共に自分たちの将来についても思いを巡らすようになる。マイクが夏菜に与えた有形無形の影響と同じく、それはある種の希望ではあるだろう。が、いくら涙を流したところですでに彼岸に渡ってしまった人間はもう戻って来ない。遺された者たちは、故人の選択は恐らく正しかったのだろう、と願望混じりに推測するだけだ。追憶と踊ることは、どこまでも生きている人間のためにある慰めの手段なのである。

 奇しくも『弟の夫』の連載中にアメリカ合衆国全土での同性婚が合憲となった。オランダ(2001年)を皮切りに欧州はそれよりも先行している。また今年、アジア圏では初めて台湾で同性婚を認めない現行民法は違憲、との判断が下された。異性愛者ではない、というだけで侵害されている権利を取り戻すための運動が高まるなかで、「性的少数者の作品」というラベリングへの違和感を表明する声が上がってくるのは当然の流れではあるが、それは現時点でもまだごく限られた国・地域・階級の中で生まれ育つことが出来た者にのみ許されたものだ。日本で、中国で、韓国で、シンガポールで、マレーシアで、インドネシアで、ロシアで、その他ほぼすべての近隣諸国においいて「性的少数者の人権」が吹けば飛ぶような現実は微動だにしない。

 『ブエノスアイレス(1997)』、『キャロル(2015)』、あるいはまだ記憶に新しい『ムーンライト』と思い付くままに挙げてみれば、そしてとくにそれが話題作・大作であればあるほど、ひとたび日本の配給会社の手にかかると細かい事は脇に置いて兎にも角にもピュアな「愛の物語」として世間に放流されるのが常であって(この国では面倒くさそうなものは何でもかんでも愛に包まれてしまうのだ)、結果「ゲイとかレズビアンとか、この作品の素晴らしさはそういう属性を超えたところにあるのであって」になってしまう。しかし、それはあくまで宣伝上の方便でしかない。もし仮に『弟の夫』を最初から「愛の物語」として話を始めると、「ゲイの」という一番大事なものが背景に後退してしまう。これは乗り越えるどころか、よく見えない状態で消えていった、あるいは現在もこの国で見えなくされている者たちについての物語だからだ。

 カナダ人のマイクは「日本オタク」で日本語は話せるがペラペラ、というほどでもない(恐らく漢字仮名は読みこなせない)という設定で、日本語圏の読者としてはつい「図体はデカいのに子供みたい(=カワイイ)」と錯覚してしまうが、もちろん彼は成人であり、英語でならばずっと複雑にロジカルに語ることが出来るはずだ。言語の壁というハンデを押して何かを伝えようとするときの子供のような日本語が、本物の子供である夏菜の素朴な疑問と共鳴しながら弥一の耳に入り込み、その度に彼の中で常識が揺るがされる。弥一はひとつずつ自分の頭で考え、理解し、そして受け入れていく。本気で考えなくても済むような近道はないのだ。作者が向こう側で発している、「こちらの声は届いているか?」という通奏低音を読者が聴き取った時にようやく、『弟の夫』がいつの日か「愛の物語」になる道程のスタートラインに立つことが出来るのだ。


Peaking Lights - ele-king

 アーロン・コイエとインドラ・ドゥニの夫婦ユニットのピーキング・ライツは、2011年発表の『936』で知名度を大きく上げたが、その頃の評価というのは、アメリカ西海岸に1960年代から根付くヒッピー・カルチャーやサイケデリック・サウンドを現代に引き継ぐ存在、というものだった。2006年頃にサン・フランシスコで出会ったふたりは、ピーキング・ライツを結成して2008年にデビュー。当時はアブストラクトでフリーフォームな実験的サウンドをやっており、アメリカ各地を転々と移動しながら活動していた。その後、2011年に出発地であるウェスト・コーストに戻り、ロサンゼルスに拠点を固めて発表したのが『936』である。セカンド・アルバムにあたるこの作品は、デビュー時から一貫したチープなロー・ファイ・サウンドを基軸とするが、新しいテイストとしてシューゲイズに感化されたサイケデリックでコズミックな要素が露わとなり、ピーキング・ライツの音楽性を大きくアピールする傑作アルバムとなる。『936』発表時はちょうどチルウェイヴが盛り上がっていた頃でもあり、そうした側面からUS西海岸のサイケデリック・サウンドと結び付けて取り上げられることも多かった。翌2012年には、アリエル・ピンクやウォッシュト・アウトらも作品を出す〈メキシカン・サマー〉から『ルシファー』をリリース。『936』のでロー・ファイなサイケ・ダブとシンセ・ポップの融合を継承し、彼らの世界観を決定づけた。

 『936』や『ルシファー』には、サイケ・ロック、ソフト・ロック、シューゲイズ、アシッド・フォーク、フォークトロニカ、バレアリック、クラウトロック、アフロ、ミニマル・ミュージック、シンセ・ポップ、ニュー・ウェイヴ、シンセ・ポップ、イタロ・ディスコ、イタロ・コズミック、アーリー・シカゴ・ハウス、ルーツ・ダブ、ディスコ・ダブ、デジタル・ダンスホールなど、実にさまざまな音楽の痕跡が見つけられる。そうした要素が混然一体となり、どちらかと言えばメディテーショナルで幻覚的なサウンドだったのだが、2014年にリリースした『コズミック・ロジック』は、リズムやサウンドの輪郭が明瞭となってきた。フライング・リザーズへのオマージュ曲から、カーペンターズがカナダのプログレ・バンドのクラトゥを題材とした作品もあり、全体としてはポップな方向性が打ち出されていた。彼らが持つ音楽性の中でも、ニュー・ウェイヴ・ディスコやシンセ・ポップをより意識したものとなり、トム・トム・クラブを彷彿とさせる曲から、100%シルクのようなインディ・ダンス~ハウスに通じる楽曲も収められていた。こうした変化については、当時彼らがLAに新築したスタジオでの録音で、そうした録音環境の違いによるところもあったのかも知れない。『コズミック・ロジック』から3年ぶりの新作『ザ・フィフス・ステイト・オブ・コンシャスネス』も、そのドリームファズ・スタジオでの録音だ。

 『ザ・フィフス・ステイト・オブ・コンシャスネス』のサウンドは、基本的には『コズミック・ロジック』でのシンセ・ポップ路線に則り、と言うよりさらに強化したものだ。チープな味わいのアナログ・シンセと、インドラの幼女の歌声のようなヘタウマ・ヴォーカルという組み合わせは、もはやピーキング・ライツのトレードマークとなっているが、冒頭の“ドリーミング・アウトサイド”に見られるように、1980年代のテイストが今まで以上に色濃くなっている。そして、“スウィートネス・イズント・ファー・アウェイ”や“エクリプス・オブ・ザ・ハート”はじめ、レゲエやダブのテイストが強いところも本作の特徴にあげられる。このあたりはグレイス・ジョーンズやグウェン・ガスリーを筆頭に、1980年代初頭のニューヨークのディスコ~ガラージ・サウンドの特徴でもあり、『ザ・フィフス・ステイト・オブ・コンシャスネス』における影響の中でもとても重要な要素だ。スライ&ロビー的なレゲエとガラージ・サウンドが邂逅したような“コヨーテ・ゴースト・メロディーズ”では、タイトルどおりコヨーテの鳴き声を模すなど、ユーモア感覚も心憎い。ダンサブルという点では“エヴリータイム・アイ・シー・ザ・ライト”や“ワイルド・パラダイス”が挙げられる。ザ・クラッシュやトム・トム・クラブなど、ダブやアフロをモチーフとするニュー・ウェイヴ・ディスコの現代版と言えよう。昔のサウンドとの比較でいくと、“ラヴ・キャン・ムーヴ・マウンテンズ”はさしずめブロンディだろうか。“プット・ダウン・ユア・ガイズ”あたりは、いかにもラリー・レヴァンがパラダイス・ガレージで好んでプレイしていたようなナンバーで、この曲や“クウェ・ドゥ・ボン”での強烈なダブ・エフェクトも印象に残る。ピーキング・ライツが今までの西海岸のサイケ・サウンドから、ダブやレゲエを切り口にNYのダンス・サウンド方面へ路線を変更した、そんな象徴とも言えるアルバムとなった。

Klein - ele-king

 リー・ギャンブルの次はクラインときましたか。〈Hyperdub〉、やりますね。先日ローレル・ヘイローのアルバムへの参加が話題となったブラック・エレクトロニカの俊才=クラインが、〈Hyperdub〉とサインを交わしました。いや、これはビッグ・ニュースですよ。同時に、8曲入りEP「Tommy」のリリースも発表されています。リリースは9月29日。じつに楽しみです。



Artist: Klein
Title: Tommy
Label: Hyperdub
Release date: 29 September 2017

https://klein1997.bandcamp.com/album/tommy-hdb112

Tracklist:
01. Prologue feat. atl, Jacob Samuel, thisisDA, Pure Water & Eric Sings
02. Act One feat. Embaci & Jacob Samuel
03. Cry Theme
04. Tommy
05. Runs Reprise
06. Everlong
07. B2k
08. Farewell Sorry


アーティスト:Klein / クライン
タイトル:Only / オンリー
発売日:2017/07/19
品番:PCD-24644
定価:¥2,400+税
解説:大石始
※ボーナス・トラック2曲収録 ※世界初CD化

https://p-vine.jp/music/pcd-24644

Kelela - ele-king

 ずっと待っていた。彼女の存在が知られるようになってから、いったい何年のときが流れただろう。ミックステープ『Cut 4 Me』(2013年)やボク・ボクとの“Melba's Call”(2014年)、アルカの参加も話題となったEP「Hallucinogen」(2015年)、あるいは様々なアーティストの作品への客演(ここ1年ではクラムス・カシーノソランジュダニー・ブラウン、ゴリラズなど)でその実力を見せつけてきたケレラがようやく、本当にようやくファースト・アルバムをリリースする。この混沌とした時代に彼女はいったいどんなR&Bを鳴らすのだろうか。タイトルは『Take Me Apart』。10月6日発売。

[10/4追記:まもなく発売されるアルバムから、収録曲“Waitin”が先行配信されました。試聴・購入はこちらから。ちなみに『FADER』最新号ではケレラが表紙を飾っています]

K E L E L A
ゴリラズ、ビョーク、ソランジュらも絶賛!
新進気鋭プロデューサーから大物アーティストまでもが待ち望んだ
新世代R&Bシンガー、ケレラ
デビュー・アルバム『TAKE ME APART』のリリースを発表&
新曲“LMK”をミュージック・ビデオとともに公開!

2013年に発表されたミックステープ『Cut 4 Me』が話題を呼び、世界中のメディアで「ポスト・アリーヤ」として一躍大きな注目を集めたケレラ(Kelela)が、ついに待望のデビュー・アルバム『Take Me Apart』のリリースを発表! 先週Beat 1の看板DJ、ゼーン・ロウの番組で解禁された新曲“LMK”のミュージック・ビデオを公開した。監督を務めたのは、ビョークの長年のコラボレーターとしても知られるアンドリュー・トーマス・ホワン。

Kelela - LMK (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=ePi5BLJogyA

『Cut 4 Me』リリース後、誰もがアルバムを待ち望む中、オリジナル作品としてはシングルとEP作品「Hallucinogen」をリリースしただけだったが、「Hallucinogen」に収録された“Rewind”が、『ニューヨーク・タイムズ』紙の「これからの音楽の方向性を感じさせる25曲」に選出されるなど、再び話題に火がつき、ザ・エックス・エックスとのワールド・ツアー、ソランジュ『A Seat At The Table』や、ダニー・ブラウン『Atrocity Exhibition』、そしてゴリラズ『Humanz』への客演などつねに注目を集めてきたケレラ。さらにかねてよりビョークがその才能に惚れ込んでいることも知られており、自身のSNSで度々ケレラを賞賛している。

なお、国内盤CDには、賞賛を集めた「Hallucinogen」から、先日のフジロックでジェシー・カンダを従えた自身のオーディオ・ヴィジュアル・セットのみならず、ビョークのステージにも登場したアルカがプロデュースした「A Message」と、キングダム、ガール・ユニット、オベイ・シティら新鋭プロデューサーがプロデュースした「Rewind」がボーナス・トラックとして追加収録される。これら2曲がCDに収録されるのは初となる。

このアルバムは個人的な記録だけど、わたしのアイデンティティの政治的な背景が、どんな音にするとか、わたしの脆さや強さをどう表現するのかということを特徴づけているの。わたしは黒人女性で、エチオピア系アメリカ人の移民2世で、R&Bやジャズやビョークを聴いて郊外で育った。そういったすべてが、いろいろなところに表れているわ。
- Kelela

全世界待望のデビュー・アルバム『Take Me Apart』は10月6日(金)に世界同時リリース! 国内盤には、ボーナス・トラックが追加収録され、解説書と歌詞対訳が封入される。またiTunesでアルバムを予約すると、公開された新曲“LMK”がいちはやくダウンロードできる。


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: KELELA
title: Take Me Apart

release date: 2017/10/06 FRI ON SALE

国内盤特典
ボーナス・トラック2曲収録
歌詞対訳/解説書封入
BRC-560 ¥2,200+税

beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002185
amazon: https://amzn.asia/dpODgJy
iTunes Store: https://apple.co/2vrIP2G
Apple Music: https://apple.co/2w4MiRS

Tracklisting
01. Frontline
02. Waitin
03. Take Me Apart
04. Enough
05. Jupiter
06. Better
07. LMK
08. Truth Or Dare
09. S.O.S.
10. Blue Light
11. Onanon
12. Turn To Dust
13. Bluff
14. Altadena
15. A Message (Bonus Track for Japan)
16. Rewind (Bonus Track for Japan)


DJ Paypal × Makoto Taniguchi - ele-king

 8月19日から開催されるアートと音楽の新たな国際フェスティヴァル「インフラ INFRA 2017 」。食品まつりや竹村延和らが参加するそのフェスのメイン・イベント(8月23日)に、〈LuckyMe〉や〈Brainfeeder〉からのリリースで知られるジューク/フットワークの奇才、DJペイパルが出演する。タッグを組むのは映像アーティストの谷口真人。当日は両者がこのフェスのために制作したサウンド・パフォーマンス作品「リアニメーション」が発表され、またふたりによるトーク・セッションも予定されている。一夜限りのスペシャルなセットをぜひ。

https://www.infra-festival.com/ja/event/dj-paypal-x-makoto-taniguchi/

インフラ INFRA 2017 プレゼンツ
コンサート
at 山本現代
「リアニメーション」 by DJペイパル × 谷口真人
トーク
「アニマ」 by DJペイパル、谷口真人

「インフラ INFRA 2017」音楽とアートの国際フェスティバル関連プログラムでは、アーティスト、谷口真人によるアニメーションとDJペイパルによる、サウンド・アニメ・パフォーマンス、「リアニメーション」を開催します。
シカゴ発祥の音楽ジューク/フットワークを元に、ディスコ・ミュージックやJポップなどのポップ・ミュージックをサンプリングした独自のスタイルで、クラブ・シーンや実験電子音楽シーンから世界的評価を集めているミュージシャン、DJペイパル。そして、アニメーションというメディウムを元に画像、ナラティブの関係性を探るアーティスト、谷口真人。
本フェスティバルのために発表されるサウンド・パフォーマンス作品「リアニメーション」ではDJペイパルによるアッパーかつポップな音響の中で、谷口の作るアノニマスな雰囲気の漂うキャラクター「SOI」のアニメーションが巨大スクリーンに投影されます。谷口とペイパルがともに作り上げたストーリーのもと、主人公「SOI」がイメージの世界をめくるめく疾走し、アニメーション・キャラクターである自身のアイデンティティをリアニメーション=再生していきます。

また、コンサート後にはアニメーションの語源である「アニマ(霊魂)」を手がかりに、彼らが見てきたアニメーションや聴いてきた音楽のルーツ、そこから得た精神性まで掘り下げたトーク・セッションを行います。

記念すべきアートと音楽の祭典、第1弾「インフラ INFRA 2017」。
様々な情報が交わるインターネット時代以降における、新たな表現の可能性を音楽、パ
フォーマンス、リチュアルなどを横断し観客とともに探求する特別な機会を是非お楽しみください。

2017年8月23日(水)
インフラ INFRA Presents
コンサート「リアニメーション」by DJペイパル × 谷口真人
トーク「アニマ」DJペイパル、谷口真人

18:00 会場オープン
19:00−19:30 コンサート DJペイパル × 谷口真人「リアニメーション」
20:00−21:00 トーク DJペイパル、谷口真人「アニマ」

[チケット予約] 全席自由 一般2,000円
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01a5d9yzw84v.html#detail

会場: 山本現代
〒140-0002 東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3F
Tel: 03-6433-2988
Email: i@yamamotogendai.org
https://www.yamamotogendai.org

[アクセス]
電車をご利用の場合:
京急本線「新馬場駅」北口から徒歩7分
東京臨海高速鉄道りんかい線「天王洲アイル駅」B出口から徒歩8分
東京モノレール「天王洲アイル駅」南口から徒歩10分
JR「品川駅」港南口から徒歩20分

バスをご利用の場合:
品川駅港南口から品91,93,98(都営バス)で「天王洲橋」下車 徒歩3分
目黒駅から品93(都営バス)で「天王洲橋」下車 徒歩3分
新宿駅西口から品97(都営バス)で「北品川二丁目」下車 徒歩3分
渋谷駅から渋41(東急バス)で「新馬場駅」下車 徒歩8分

お車をご利用の場合:
渋谷方面より山手通を品川埠頭方面へ新東海橋信号を右折海岸通沿い右手
(品川駅港南口からタクシーでワンメーター)

[PROFILE]
■DJペイパル

シカゴ発祥の音楽ジューク/フットワークのジャンルにおいて最も注目すべきアーティストである。つかまえどころのないプロデューサーとして、ペイパルはこれまでにシカゴのTeklifeCrew、自身のMall Musicコレクティブ、グラスゴーのアングラリーダー〈LuckyMe〉やFlying Lotusの〈Brainfeeder〉などに属す中、オンライン・フットワーク・フォーラムやSoulseekでのデータ発掘を通し、国際的にいくつものトラックを共有してきた。フットワークを新しい方向へとまわし、ジャンルの目立たない遊び心にフォーカスをあてる。

■谷口真人
映像、ミクストメディア・オブジェクト、絵、インタラクティブ・インスタレーションなど複数の表現形態で現代の人間の存在感を探究する。主な個展に、2015「you」(AISHONANZUKA、香港)、2014「Untitled」(NANZUKA、東京)、2012「あのこのいる場所をさがして(2005)」(SUNDAY、東京)、2011「アニメ」(SUNDAY ISSUE、東京)、主なグループ展に、2014「美少女の美術史」(青森県立美術館 / 静岡県立美術館 / 島根県立石見美術館 (巡回))、2011-2012「Daughters of the Lonesome Isle Marlene MARINO / Makoto TANIGUCHI」(SPROUT Curation、東京)、2009「neoneo 展part1 [男子]」(高橋コレクション日比谷、東京)など。

企画:インフラ INFRA
共催:山本現代
協力:パークホテル東京、パイオニア
助成:アーツカウンシル東京

Molecule Plane - ele-king

 電子音楽はどこにいくのか。そして、どこにあるのか。「ここ」なのか。それとも「未来」なのか。たしに「電子音楽」という言葉の響きには不思議なテクノロジーへのロマンティシズムを感じるものだし、それは21世紀の現在でも変わらない。未来の音楽。未来への音楽。未来と音楽。未来/音楽。だがしかし未来とは論理的帰結であり、それゆえ抽象的存在でもある。そして未来とは「テクノロジー」の連鎖でもあり、それゆえ音楽とテクノロジー=技術工学は極めて密接な関係にある。楽器。録音技術。ステージング。そもそも、「音楽」自体は数学的な構造によって成立しているものだし、テクノロジカルな構造によって生成する現象でもある。となればいわゆる「電子音楽」は、構造/抽象の極限性ゆえ、つねに「音楽」の最先端=未来に位置する音楽といえる。アブストラクト(抽象性)に対する近似性の高さが原因であろう。同時に電子音楽には未知・未来への希求というロマンティシズムも横たわってもいる(シュトックハウゼンもクセナキスも私には途轍もないほどのロマンティシズムを感じる。むろん19世紀的なロマンティシズムを解体・炸裂させる戦争の世紀たる20世紀後半的な「光のロマンティシズム」だが)。ゆえに電子音楽は「工学」ではなく「芸術」なのだ。アブストラクトの余白にロマンティシズムがある。ロマンティシズムの向こうに厳密なテクノロジカルな論理と構造がある。そのテクノロジカルな論理構造の向こうに美がある。音階や旋律のむこうにある真のロマンティシズムへの希求は、ある地点においてはクールになり、その向こうで超越的な/逸脱的な美を希求する。電子音楽が永遠に先端である理由は、音楽の構成要素を一度、極限まで抽象化するからであり、「だからこそ」古くならない。すきまのようなものを生んでしまうから聴取が永遠に完結しないのだ。むろんテクノロジーと直結しているゆえ、音質の変化(新しさ・古さ)が表面化しやすいものだが、「完結しないという永遠」は、無限のロマンティシズムを生む。電子音楽の普遍性はそこにあるのではないか。それを強い「意志」として音響に定着したとき、人は真の電子音楽家に「なる」。そういえる音楽家/アーティストの数は決して多くはない。しかし、京都府出身の大塚勇樹は、数少ないそのひとりではないか。

 大塚勇樹(Yuki Ohtsuka)のソロ・プロジェクト、モレキュル・プレーンは、音色の生成と変化に焦点を当てたプロジェクトである。大塚のプロフィールに関してはリリース・レーベルのインフォメーションに詳しいのでそちらを読んでほしいのだが、一読してもわかるように大阪芸術大学で学んだ現代/電子音楽家である。彼は多層化空間音響システム「アクースモニウム」を研究・実践する電子音楽家であり(CCMC2012でMOTUS賞を受賞)、日本の電子音楽(ミュジーク・コンクレート)を牽引する人物だ(hirvi、synkメンバー。日本電子音楽協会会員)。しかし彼は自らの出自を踏まえたうえで、大きく跳躍・逸脱するアーティストでもある。Route09名義ではテクノ、エレクトロニカ、ノイズを越境し、2013年には京都の老舗電子音響レーベル〈シュラインドットジェイピー〉 から2013年に、imaとのユニットA.N.R.i.名義のアルバム『All Noises Regenerates Interaction』をリリースした(傑作!)。そのほかネットレーベルでのリリース、マスタリング・エンジニアとしての活動などその創作領域は多岐に渡る。大塚勇樹は、shotahiramaや松本昭彦などと並ぶ並び、現代日本の最先端(最前衛)に位置する新しい世代の電子音楽家といえる。

 2016年にリリースしたファースト・アルバム『アコースティコフィリア』は、音響に対して「そこにあるモノとしての圧倒的な存在」を与えようとしていた。つまり「そこに存在するマシン」のような電子音楽/音響作品であった。そして本年、〈きょうRECORDS〉から発表したセカンド・アルバム『SCHEMATIC』において、大塚はモレキュル・プレーンのさらなるアップデートを試みている。彼は、電子音楽の抽象性に、まず「モノ性」を与え、その向こうに未知の音響世界を見出した(『アコースティコフィリア』)。次は、その地点からあえてもう一度反転し、「時間」という抽象性=問題に立ち返る。オルタナティブな方法論で電子音響を構築・生成することで、「時間」も「空間」も「制圧」しようとしているように思える。聴き手の聴取上の距離感、空間意識、遠近法すら変えてしまうために。ファーストとセカンドで共通している点は、電子音楽の録音作品において「状況」を生みだそうとしている点であろう。そこに彼の本質的研究「アクースモニウム」の真髄があるのだろう(「状況」を生成するという意味において)。その意味で彼はミュジーク・コンクレートの(正当な)後継者であり、ピエール・アンリやリュック・フェラーリの系譜を継ぐ音楽家でもある。じじつ『SCHEMATIC』においても、さまざまなサウンド・マテリアルが圧倒的な高密度なコンポジションで持続・接続・生成している。その音響工作の手腕はため息が出るほど見事で、まさに若手随一の電子音楽家である。しかし同時に本作は最先端モードの電子音響作品でもある。〈ラスター〉や〈アントラクト〉の作品群と匹敵するほどに。

 1分47秒ほどの1曲め“ENFOLD”をオープニングとするように本作『SCHEMATIC』ははじまる。細やかな粒子の電子音が持続し、生成し、変化し、消えていく。大塚の鋭敏な耳の感覚をスキャンしたような緻密な細やかな音響は、本作全編に通じる質感である。続く2曲め“FILAMENT”は、“ENFOLD”のトーンを持続させながらも7分に及ぶ音響空間を一部の隙も構成によって聴き手の耳を「ハック/制圧」するように展開する。そして、この曲にも随所だが、本作のモレキュル・プレーンの電子音響はどこか神経的なのだ。聴き手の神経にアディクションするという意味だけではなく、音響それ自体が、どこか神経的なのだ。音と音、響きと響き、モノとモノが、複雑な(無数の)線(ネットワーク)でつながれ、音響・楽曲自体が自律している……、そんな聴取感があった。これは『アコースティコフィリア』でも感じた質感だが、『SCHEMATIC』の音響(の層)は、より神経化が促進/進化しているように思えた(「神経」とは「回路」か)。

 3曲め“SHELTER (Version)”において、その神経的な音響工作=交錯は、サウンド・エレメントの「時間」すら変形させてしまう。この曲には、本作特有の音響による持続=時間=空間の制圧行為がある。変化する持続音と乾いた物音は変形させられ、不規則の連続性の中で未知の電子音響を生成する。そして高音域の音が刺激的な4曲め“SCREAMER”では70年代的電子音楽を現代の音響的な精度で再(=差異)生成を行い、スタティック/ダイナミックな電子音響による聴覚の拡張を試みる。インタールード的な5曲め“UNFOLD”は刺激的な電子音響が耳に圧倒的な快楽を与える。短いトラックだがサウンド・マテリアルの生成、時間軸の操作、音響の接続と融解など極めて精度の高い曲だ。そして6曲め“DESTINY”と、13分に及ぶラスト曲“TIAMAT”において、『SCHEMATIC』の音響=時間=制圧/生成はクライマックスを迎える。アルバム全曲の技法を総括するような“DESTINY”と、それらの方法論をゼロ地点で一気に消失させた先に生まれたスタティック/マニシックな音響ドローン“TIAMATの実に鮮やかな対比=終焉!『SCHEMATIC』が提示する神経、状況、制圧の音響空間は一気に総括されていく感覚を覚えた。

 『SCHEMATIC』の自律的な神経/制圧感覚は、いわゆる「聴くこと」に依存しがちなこの種の音響作品において稀な感覚・体験であった。モレキュル・プレーンが真に重要な存在であるのは、電子音楽史に連なる「現代音楽」だからではなく、むしろ現代において、ありきたりな行為になってしまった音響聴取状況(通俗化したジョン・ケージの亜流のような?)に対する強烈な反抗心・抵抗心が、その端正な音響交錯のなかに息づいている点ではないか(事実、大塚はモレキュル・プレーンの活動を「ドローン・パンク」(!)と名付けている)。そして本作『SCHEMATIC』は、『アコースティコフィリア』と比べて(わずか1年ほどという制作期間の短さもあるだろうが)、その電子音響の生成/運動/質感がさらに強い吸引力を持っているように聴こえたのだ(むろん前作と新作、どちらが良いという話ではなない)。音響と聴き手の距離がより「近い」とでもいうべきか。サウンドへのアディクション力が強烈なのである。長尺の曲が多く占めるアルバムだが、長い曲(音響)を聴いたという感覚はない。まるで瞬間と持続が常に刷新されるような感覚を得た。これはどういうことか。

 あえて簡略化してみよう。前作『アコースティコフィリア』は「意志と存在の電子音楽作品」であった。対して、新作『SCHEMATIC』は「無意識と時間を制圧する電子音楽作品」である、と。徹底的に作り込まれた音響的精度がもたらすドローンと速度感覚、生成する音の快楽、イマジネーション喚起力の強さなどによって、本作のサウンドは聴き手の意識(ある意味、作り手ですら)の領域を超え、どこか「無=意識」の根底にアジャスト/アディクションする力をサウンドが持っている。無=意識へのハックは記憶と時間も制圧する。これは極めて興味深い現象である。なぜなら21世紀の現在、音楽はジャンルや形式を問わず、意識と無意識の領域を融解してしまう傾向が強いからだ。『SCHEMATIC』は、そんな音楽世界の感覚変容の問題に正統的ともいえる電子音楽によってアクセス/アジャストしていく。時間が、瞬間が、空間が、音響の中で、複座な回路/神経のように複雑に、緻密に、粒子のように、繊細に溶け合う。聴取の足場が揺らぐ。音響が記憶を制圧する。記憶が消失し、再生する。本作の聴取体験は強烈であり、美的であり、刺激的である。いまいちど、問い直そう。電子音楽はどこにいくのか。どこにあるのか。そのヒントは、この『SCHEMATIC』にある。

interview with Arca - ele-king


« 痛み&&&電子&&音響──アルカ、ロング・インタヴュー(1)

 というわけで、アルカのロング・ロング・インタヴューの続編です。長いです。濃いです。ゆっくり時間をかけて読んで下さいね。読み終えたときには、なにか違った景色が見えているでしょう。

僕は……文化的にも、セクシュアリティの面においても、そしてエモーションという意味でも、どこにも属していなかった。どうしてかと言えば、僕の生まれ落ちた家族のなかでは、感情面での暴力がたくさん起きていてね。僕はそんな状況を生きてきたし、だからじつに多くの……悲しみを感じる理由が、自分の人生のなかにはあったんだよ。










Arca - Arca


XL Recordings/ビート

ExperimentalElectronic



Amazon
Tower
HMV

このアルバムのメランコリーは、あくまでも、あなたの個人的な経験から来るものなのでしょうか? それとももっとより大きなもの、社会や歴史も関わっていると思いますか?


アルカ:んん〜、そうだな。その両方だろうと思うけれど、おそらく、より僕自身のパーソナルな経験から来たものなんだろうね。というのも、さっきも話したように、ああいう育ち方をしたせいで多くの面で「自分はどこにも属さない」みたいに感じてきたし、僕は……文化的にも、セクシュアリティの面においても、そしてエモーションという意味でも、どこにも属していなかった。どうしてかと言えば、僕の生まれ落ちた家族のなかでは、感情面での暴力がたくさん起きていてね。僕はそんな状況を生きてきたし、だからじつに多くの……悲しみを感じる理由が、自分の人生のなかにはあったんだよ。で、それというのはどんなに年齢を重ねても、どれだけ賢くなっても関係ないもので。あるいはどんなにそれを克服しようと努力しても、僕のなかに存在する悲しみというのは、けっして去ってくれやしないものなんだ、そう自分でも悟ってね。いや、悲しみを追い払おうとトライしたことはあったんだよ。セラピーにも通ったし、そこで自分の抱えている問題を話し合ったりもしたしね。悲しみを除去しようと本当にたくさんのことを試してみたんだけど、こうして以前よりも歳をとったことで、いまの自分は「これは僕という人間を形成する一部なんだ」と理解するようになった。だから、いまはそれが自分にも美しいと思えるし、実際のところ、僕がクリエイトしようとしている美の源泉にもなっているんだよ。というわけで、僕が言わんとしたのは……内面にある苦痛や悲しみ、あるいはメランコリーを消去することではないんだよね。そうではなくて、それは、たぶん……「調べ」のようなものなんじゃないかな? 

 ミュージシャンになったつもりで想像してもらえば分かるだろうけど、あれはだから、つねに鳴っている音符や調べのようなもの、なんだよ。ということは、ひとは自分の人生を和音にしようとすることが可能なのかもしれないね? つねに鳴っているその音符と共振する、調和のとれたハーモニーを持つコードへと……。

なるほど。

アルカ:だから、まったく場違いなコードを鳴らそうとしたり、あるいはその空間にそんな音符は鳴っていない、というフリをしてごまかそうとする代わりにね。そうした音符に合わせて自らを配置することは可能だし、そうすることで、それは人生にある美の、その一部にだってなりうるんだよ。

先ほどあなたはご家族の中にエモーショナルな暴力が多かった、と話していましたよね。で、お若い頃にそうした体験を受けたとき、もちろん悲しみも感じたでしょうが、と同時にその暴力に対して怒りも感じたんじゃないでしょうか?

アルカ:その通り。うん、それは、すごく感じた。

ところが、このアルバムからあまり「怒り」は感じないんですよね。むしろ、情感に満ちているし、かつ、ある種のスピリチュアルな穏やかさがある作品だな、と感じます。

アルカ:うん……。

それは、どうしてなんだろう? とも思ったのですが。

アルカ:思うに、それは……僕の友だちに、怒りや悲しみを感じないように努力している、そういうひとたちがいてね。でも、僕は自分自身の経験をもとに彼らにこう言ったことがあるんだ。「その両方の感情を抱いたって構わない、それでいいんだよ」、と。それぞれにとって必要なだけ、そうした感情は続くものだからね。

ええ。

アルカ:で、そうした感情は、こういう順番で起きるものじゃないかと思う。まず、最初に訪れるのは悲しみ。で、続いて怒りが湧いてくる、と。一生を悲しみのなかに留まって過ごすひともいれば、怒りのなかで一生を過ごすひともいる。また、そのどちらも乗り越えていけるひとだっているんだよ。そういうひとはたぶん彼らの身の上に起きた体験と和解することができて、だからこそ、そうした感情に潜っていくことができたんだろうね。けれども、やっぱりそのふたつの感情の両方を経験する必要があるんだよ。というのも、悲しみというのはきっと……そんなことが自分に起きたことを自分自身気の毒に思う気持ち、「しかたない、自分のせいだ」みたいに感じる、というのから来ているんだと思う。
 で、怒りはその反対で、「そうじゃない、自分がこんな目に遭うのは間違いだ」という想いだし、そんな出来事が自分の身の上に起こったことに対して怒っている、という。だからある意味、そのひとはそうやって壁のようなものを作っているんだよ。怒りというのは、そのひとが自身とその出来事との間に壁を築いて、その内側でそのひとが自らを立て直そうとするプロセスに必要なパーツみたいなものだから。でも最終的には、その壁を打ち壊さなくてはいけない。そうしないと、その人は怒りに飲み込まれてしまうからね。
 だから、本当にわだかまりを解消したいのなら、そのひとは自らの内側に目を落とす必要があるんだと思う。そうやって自分のなかにある悲しみを見つけ出して、悲しみと目を合わせてしっかり向き合い、仲良しにならなくちゃいけない。それが済んだところで、今度は外に目を向ける、「何が起きたか」を見つめることができるようになる。で、その出来事を正面から見据え、それに対して怒りを感じ、「ノー。これは間違いだ」と言えるようになる。そうやってやっと、ひとはそのひと自身、そして願わくは……そんな出来事が起きたシチュエーションそのものも許すことができるようになるんだよ。
 まあ、これはナイーヴな考え方なのかもしれないよね。というのも、ひとによっては彼らの人生の状況がとても困難なものであって、それをやるのがとても難しい、ということもあるだろうし。だから、誰もがつねにそういうプロセスを自らに強いる必要がある、とまでは思っていなくて。それがあるから、僕が人びとに対して言うのはただ、「自分にはこれを感じる必要があると思える、そのフィーリングのなかに必要なだけ留まっていればいいんだ」ということで。ただし、「そのフィーリングから逃げちゃダメだよ」と。そこから逃げ出してしまうと、そのひとはその段階に永遠に留まり続けることになってしまうと思うし。それになかには、悲しく感じることすら自らに禁じてしまう人もいるだろうし、彼らもやっぱり、そこで足止めを食らってしまう。でも、(悲しみなり怒りを)真正面から目を見て見据えて、その何が君を不快に感じさせるのかを探り当てようとし、と同時に自分を落ち着かせようと努力する限り……そこにじゅうぶんな時間を費やせば、たぶん、いずれ傷を癒すことはできるんじゃないかな。もちろん、この考え方があらゆるシチュエーションに当てはまる、とまでは言わないよ。ただ、僕たちにはそれをやるだけの強さがあるし。僕たちは人間であって、だからみんな欠点を持っている。けれど……ああ、だからなんだよね、さっきのたとえ話を自分が出したのは。光を期待して待つこと、希望を持つってこと。人生のなかにその希望があれば、「自分は生きている」という事実をもっとありがたく感じやすくなる、という。

セクシュアリティはあなたにとって重要なテーマですが、あなたにとって音楽とセクシュアリティはどのように関連づけられるのでしょうか。

アルカ:そうだね、仮に、僕たちの持つ様々な側面はいろんなチャンネルだと考えてみてほしい。で、僕にとってセクシュアリティというのは……とてもダイレクトな回線なんだ。だから、僕たちのなかにある動物性と直でつながったラインという。

はい。

アルカ:僕の生まれた国、ヴェネズエラというのは非常に保守的でね。そのせいで、性の面でゲイであること、トランスジェンダーであること、あるいはクィアであることを、とても恥だと感じやすいんだよ。で、若かったころの自分の感じた様々な恥の感覚に対する、いまの大人としての自分の反応の仕方というのは……それはだから「恥を隠す」の正反対、というか。むしろ逆に、自らのセクシュアリティを祝福し、「これはべつに恥に思うようなことでもなんでもないんだ」って風に人びとと対決する、という。で、そうすることにはある種の無垢さがあるし、その点に僕がこうして立ち向かっていることは……さっきも話したように、それは強さでもあるんだよね。だから、おそらく僕は、「恥」というものを……ブルーから赤に変えることができたんだろうね(笑)。

なるほど。

アルカ:僕は……僕たちが自らを動物であると認識することで、人間はその内部にスピリチュアリティを育てることができると、そう思っていて。というのも、規律だったり、何かを恥として禁じることだったり……あるいは罪の意識を通じて得られる類いのスピリチュアリティというのは、非常に限定されたものだと思うから。でも、「自分は肉の塊で、血肉からできている」、「自分には抑えられない衝動がある」という点を認めることで達するスピリチュアリティというのは……僕からすれば、そうやって自分たちがエロティックな動物であり、官能的な存在であることを認めたときに、ひとはさらに高いレベルのスピリチュアリティに達することができるんじゃないか? と。もちろん、これは僕の個人的な意見に過ぎないよ。ただ、これまでの自分の人生のなかで、この意見にはいくらかの真実が含まれているな、そう信じられるような出来事があったのは事実であって。たとえば、僕が……ものすごく強度の不安発作に襲われた時期を過ごしていたとき、あたかも自分の頭、脳や精神が、自分の肉体から切り離されてしまったように感じたんだ。不安発作やパニック発作を経験したことのあるひとなら誰でも、それと同じようなことを言うはずだよ。「マインドと身体が分離してしまった」みたいな。

はい。

アルカ:で……僕にとって、セクシュアリティ、そしてエロティシズムというのは官能性のとるひとつの形なんだ。ここで言っている官能性(sensuality)というのは、僕たちの持つ触覚に……味覚、そして視覚に聴覚、といった意味合いのこと、なんだけどね。僕たちの体内に備わっている、世界を五感で理解するためのテクノロジー、というか。だから、意識的に理解するだけではなく、感覚や直観を通じて世界を感じること、という。で、セクシュアリティというのは、それを伴うものだと思う……セクシュアリティには直接性、あるいは動物性が備わっているわけだからね。で、それというのは、僕には祝福するのが恐くない事柄だし、あるいは……自分のやりたいこと、ひとりのアーティストとして「これは世界に思い起こさせるに値する」と自分が信じていること、その重要な部分のひとつなんだ。だからそうだね、それは僕が自分の作品のなかに含めるのを実際にとてもエンジョイしながらやっている、そういうものでもあって。
というのも、僕にとって、それが自分の不安発作を止めるためのやり方だったんだよ。そうやって自分自身の肉体に回帰する、というのがね。だから、あらゆる類いの不安、恥の意識、そして悲しみが僕の身体から養分を吸い取っていたように感じるし……だからこそ「自分たちには肉体が備わっているし、自分たちにはセクシュアリティもあるんだ」ってことを思い出させてくれる、そういった事柄を前面に押し出し、擁護するのは大事なんだ。自分の頭と身体とを切り離すことなく、肉の欲求を「恥」だと思わないようにすることは、僕たちが僕たち自身とより良い関係を持つための、その推進力になりうるからね。

なるほど。だからなのかもしれないですね、あなたの作る音楽が「はらわたに響く」というのか、奇妙な肉体性を伴ったものであるのは。滑らかにツルツルに磨かれた、そういう綺麗な音楽ではないですし、もっと剥き出しで生々しい、という。

アルカ:なるほど……。

もちろん、とんでもなく美しく聞こえる瞬間もあります。が、と同時に非常にノイジー、かつ不協和音に満ちてもいて。だからあなたの音楽を聴くのは、わたしにとってはとてもこう、感覚にじかに訴える体験なんだと思います。

アルカ:……んー……ひとつ、訊いてもいいかな?

ええ、どうぞ。

アルカ:きみは、僕のプレス関係を仕切っている人と、直接に連絡をとれたりする? だから、この取材を設定するために、彼らとじかに交渉したのかな?

いや、そこまではやってないです。この取材は、日本のレーベルを通じてアレンジしてもらいました。〈XL〉作品を日本で扱っている、ビートインクさん経由で。

アルカ:なるほどね。いや、ただ……こうして取材を通じて、きみが僕の音楽について言ってくれることを聞いているうちに、僕には分かった気がするっていうのかな。きみはとても深く僕の音楽に耳を傾けてくれている、と。そうしたきみの言葉を聞いていて、僕自身ある意味圧倒されるし、かつ、嬉しく感じもするんだよ。「ああ、この人は僕が音楽にこめた様々なディテールを味わってくれているんだな」と。

はぁ……(予想外のリアクションに驚いている)。

アルカ:ほんと、取材を中断させてしまってごめんね。

いやあ……そんな風に言っていただけて、こちらとしても光栄です(汗)。あなたの作品は敬愛していますし。

アルカ:でも、きみの言ったような言葉を使うひとって、ほんと、珍しいんだよ。うん、ほんと、興味深いな。というのも、僕はこれまでにたくさんインタヴューを受けてきたし、相手はアメリカ人ジャーナリストにドイツ人ジャーナリスト、イギリス人にスペイン/ラテン・アメリカンなど、という具合でいろんなひとたちと話してきたから。で、まあ、きみも同じように考えるかどうかは分からないけど……思うに、どこかに……何かがあるんじゃないかな? だから、日本の人びとの音楽の聴き方は世界の他の地域のそれとはかなり違う、という。そう思わない?

ああ、それは同意です。

アルカ:だから、彼らはたんに音符を追ってその調べに耳を傾けるだけではなく、それらが存在する空間、音を取り囲む空間や、音の建っている「建築」そのものも聴いているんじゃないか、と。たぶん、だからだと思うよ。日本でジャズやインスト音楽の人気がとても高いのは。要するに、音楽そのものの周囲に存在するフォルム、そして形状といったものも、日本では吟味されているんだろうね。

ええ。

アルカ:だから、いやまあ、きみが僕の音楽を形容してくれるその言い方を聞いていて、僕も何かに気づかされた、そう言いたかっただけなんだけどね。だから、それを聞いていて僕も非常に嬉しいなと思ったし、かつ、コンポーザーとして驚かされた、みたいな。ほんと、それだけなんだ。

わー、そう言っていただけて、こちらも感動です……。


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まず、最初に訪れるのは悲しみ。で、続いて怒りが湧いてくる、と。一生を悲しみのなかに留まって過ごすひともいれば、怒りのなかで一生を過ごすひともいる。また、そのどちらも乗り越えていけるひとだっているんだよ。そういうひとはたぶん彼らの身の上に起きた体験と和解することができて、だからこそ、そうした感情に潜っていくことができたんだろうね。けれども、やっぱりそのふたつの感情の両方を経験する必要があるんだよ。


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音楽的なところで言えば、たとえばFKAツィッグスやビョーク、最近ではフランク・オーシャンなどシンガーとの仕事に触発された部分はありますか?  それとも、そういうこととはいっさい関係なく、今回の歌は生まれたのでしょうか?

アルカ:んー、そうだな……。そんなに「強く触発された」とまではいかなかったんじゃないかと思うけど、いまあげられた名前の中で影響されたひとがいたとしたら、それはビョークだろうね。というのも、彼女といっしょに音楽作りに取り組む行為っていうのは……もちろん、僕自身も「学ぼう」という姿勢で参加しているわけだけど、ほんと、じつに多くを学んだんだ。だから、彼女との仕事からは……ある意味まったく妥協しない、でも、同時に治癒でもある、そういった相手に対して自分をさらけ出すことについて、たくさん教わった。それでもそれと同時に、僕たちはお互いどちらも「自分はとてもパワフルな存在だ」、と感じてもいて……それこそ自然界の力だ、自分は抗いがたいパワーのようなものだ、と。

(笑)ええ。

アルカ:たぶん、そのレベルで共感できた、ということなんだろうね。だから、僕は彼女のことをそれだけ敬愛しているわけだし、だからこそ、彼女に「あなたは『自分の音楽を歌ってみよう』と考えたことはあるの?」と訊かれたときに、それをとても真剣に受け止めるところが自分のなかにあった、という。彼女のレコードを作っていたときに、一度とても無邪気な調子で彼女にそう尋ねられたんだ。で……訊かれたその場では、僕はなんというか、はっきり返事をしなかったんだ。ところが、そこから1年半くらい、あるいは2年後くらいにスタジオに入っていたとき、そこで僕のなかにある何かが僕の口を開け、口に歌わせたいって感じた、そんな状況が起きてね。でも、そこで僕は彼女の言ったことを思い出したんだ。きっとあのときの記憶が、僕に歌ってみるに足る強さをもたらしてくれたんじゃないかな。

なるほど。このアルバムでのあなたの歌唱はとても美しいのですが、どうなんでしょう、あなた自身はこれまで、ご自分の声や歌唱になじめない、と感じたりしていましたか?

アルカ:いや、自分の声に対してぎこちなさはまったく感じないよ。というのも、多くの場合僕は歌詞を書き、そしてメロディをつけて歌う、というのはやらないからね。アルバムのなかでそれをやったのは2曲だけ。それ以外の楽曲ではリリックは即興だったんだ。

ああ、そうなんですか!

アルカ:だから録音ボタンを押して、最初に出てきたものをそのまま録って残した。修正は加えない。レコーディングされたものに、いっさい手を加えるつもりはなかった。そのやり方というのは僕にとってのポエティックな声明というか、「これが僕の内側から流れてきたものだ」と言おうとしているんだよね。だから、それに何らかの手を加えようとする、あるいは修正したり磨き上げようとしたり、もっとプロフェッショナルな仕上がりにしようと試みることは、そこにあるイノセンス、もろさ、そして純粋さを奪うことになってしまうだろう、と。いま出た3つの単語はすべて、僕に何度も繰り返し戻ってきた言葉なんだよね。で、もしも自分の声に自信がなかったら、僕はきっとどのヴォーカルもチューニングし直しただろうし、改めてレコーディングし直したりしていたと思う。でも、そうではなくて、僕が感じたのは……エモーションのほうが完璧さよりも大事だ、ということで。というか、僕にとっての「完璧さ」の定義というのは、真実においてパーフェクトであることであって、デザイン面における完璧さではなかった、という。ポピュラー・カルチャーの多くにおいて、ある種のクリエイターたちにとってはいかに美学が重要か、というのは見て取れると思うんだよね。

はい。

アルカ:テクスチャー、あるいはデザインといったもののほうが、多くの人びとにとってはストーリーや真実、あるいはフィーリングよりもはるかに大事だという風に映ることは多いわけ。で、このやり方というのは、フィーリングを優先させるための僕なりのやり方なんだ。だから、自分の声を……というか、このアルバムに収録した歌の多くで、レコーディングしながら僕はじつは泣き出してしまったんだよ。僕はたまに喘息を起こすし、だから……まあ、いまこうして話しているからきみも気づくかもしれないけれど、レコードのなかで何度か、僕が喘息を起こして呼吸困難に陥っているのは聴いてとれるはず。だからレコードのなかで僕は泣いてしまうし、喘息が始まってつらいし……って調子で、ほんともう、どうしようもない状態だったりするんだ。

(笑)

アルカ:(笑)ほんと、もしもレコーディング中の自分の様子をカメラを通じて観れたとしたら、自分でも笑ってしまうだろうね。それくらいじつにエクストリームだったし、ものすごく大げさ、みたいな。そうは言いつつ……あれらのレコーディング音源を聴き返すと、自分のなかには「参ったな」と渋い表情を浮かべたくなる側面もあるんだよ。たとえば、調子が外れたまま歌っている場面とか、僕の唾液がやたらとうるさく響いている箇所とかね。ただ、それ以上に深いのは、このレコーディングは僕にとって意味があるんだという、その理解であって。だから、僕はその……そこにある真実をリスペクトしたかったんだ。かつ、その点がレコードを聴いてくれる人にも伝わればいいな、そう思った。もしかしたら、聴き手もどうしてそう感じるのか分からずに、聴いていて少々居心地が悪くなるくらいかもしれない。ただ、彼らもこの作品のエモーションは感じ取れると思うんだ。そこだったね、僕がこのレコードで敢えて負ってみようと思ったリスクというのは。

レコーディングのピュアさ、ということですね。なるほど……。

アルカ:それに、たとえば歌い直したとしたら……自分はきっと、音程も正確に歌えるだろうと思うんだよ。ただ、レコードに収めたテイクにあった透明度や透けて見えるような感覚は、果たしてそこに備わるだろうか? と。誰かが歌っているとして、その人間の皮膚を透かして内面が見える、みたいなアイデアが僕は好きでね。要するに、その人間の中身がすっかり見える──臓器やそのひとの心臓がドクドク鼓動している様が見て取れる、みたいな……それは、ぱっと作ったデモだとか、あるいは作り上げたそのまま、テクノロジーによってきれいに「清掃」されていない、そうした音源にあるクオリティじゃないか、と思うね。

均質に整えられていない、純粋で生々しいままの状態、という。

アルカ:そう。だから、それ以外に他に何もくっついていない、ただ「それそのもの」という。

歌という意味では、ミックステープ『Entrañas』(『内臓』)でも“Sin Rumbo”が『アルカ』にも収録されています。そのことから“Sin Rumbo”はあなたのヴォーカル・トラックとして重要な位置づけのものだと思うのですが、『Entrañas』と『アルカ』でそれぞれの役割にどのような違いがあるのでしょうか?

アルカ:んー……正直、その点は考えたことがなかったな。でも、きっとそうなんだろうね。重要性があるんだと思う。ただ、僕にとっての“Sin Rumbo”という曲は、なんというか……そうだな、一種の「ロゴ」みたいなもの、あるいは「刻印」でもいいんだけど、あの曲は僕の信じる何かを表しているんだよ。それは何かと言えば……あの曲のリリックというのは、大まかに言えば「進む道を持たない」、あるいは「行き先を持たない」って意味なんだけれど──

「目的を持たずに流浪する」みたいな意味合いですよね。

アルカ:そう。で、おそらく……それは、僕にとって大事な何かを表現しているんだろうし、このアルバムに収録するだけの重要性がある、と自分には思えた、ということなんだろうね。というのも、自分の人生のなかで「迷ってしまった」と感じたいろんな場面において、僕は選択を迫られてきた。そのひとつは、「そのままじっとしていろ、動くな」という、いわばショックで麻痺してしまったような状態になること。あるいは、自分がどこに向かっているか分からないとしても、とにかく歩き続けること、という。で……これもまた、たぶんさっき話に出た「希望」、「光に目を向ける」ということになるんだろうけれど……だから、歩き続ける根拠は別にない、そんな風に感じられるシチュエーションにきみがいるとして、なのに、それでもやっぱりきみは歩いてしまう、と。

ええ。

アルカ:もしかしたら、歩くことで何かを見つけられるかもしれない、それだけで歩いただけの甲斐があったと思える何かに出会うかもしれないからね。だから、僕にとってのあの歌は、ある種そういう意味合いを持っているんだ。人生において「完全に方向を見失ってしまった」と感じる瞬間……あるいは、非常につらい損失、愛を失ったとか、誰かを亡くした、そうした損失を味わった瞬間だとか……だから、これはもしかしたら、よりプライヴェートな話なんだろうな。あまりに私的過ぎて、自分以外の他の誰も含められないのかもしれない。ただ、とにかくそうやって自分の内面が空っぽだと感じている、という。そうだな、あの歌は、だからある意味……喪失について、なんだ。で、その喪失に対して、とても穏やかな、メランコリックな希望によって反応している、という。損失にすっかり降伏してしまうのではなくて、ね。

はい。

アルカ:それって、もっとも穏やかな反抗の形、というか。

迷ってしまった/失ったとしても、あなたは歩き続けるわけですしね。

アルカ:うん、だけど、どうして歩いているのか自分でも分からないんだよ!  なぜ歩みを止めないのか、自分でも分かっちゃいないんだ。

それは、一種の生存本能でもあるんじゃないでしょうか?

アルカ:ああ、そうだね。それもある程度は含まれているんだろうね。ただ、と同時に……もしもそれまでの人生のなかで、ほんの一瞬でもいい、真の美に出会ったり、あるいは本物の愛を一瞬でも体験したことさえあれば……それがあるだけで、その人間が「またいつか、その瞬間が起きるかもしれない」と信じるにはじゅうぶんなんだよね。

ああ、なるほど。

アルカ:だから、そうした経験がいままでに一度もなかったら「いつかきっと、それは起きる」と自分自身に言い聞かせ、歩き続けるのは、とても難しいだろうと思う。

たしかに。

アルカ:でも、たった一度でもいい、そうした経験があれば……それはもしかしたら、4歳のころにふと目にした、窓から日が差し込んできて、空気中に舞う埃が反射して光る光景なのかもしれない。とにかく、一瞬でもいい、何かしら強烈な美を味わったことがあれば、そこできっと……「自分にはまた、美しいものを見出せるんだ」って思えるようになるんじゃないか、と。

はい、わかります。

アルカ:で、さっききみの言った「生存本能」というのは、ときに「歩くな」と命じてくることもあるわけじゃない?

(笑)ああ、たしかに。

アルカ:というのも、生存本能っていうのは僕たちの幸福度と関わっているわけだし……だから、生存本能というのは、いつだって「もっと、もっと欲しい」と求めるってことであって。

ああ、はい。

アルカ:言い換えれば、すでに自分が持っているものだけでは決して満足しない、という。たとえば、「冬がやって来る。冬を生き残るために、必要以上の食物を集めて蓄えなくてはならない!」みたいな。

(苦笑)なるほど。

アルカ:それって、つねに「これから何が起きるか」にかまけていて、未来に向けてもっと、もっとと求めるってことだよね。自分の手元にすでにある物事をありがたがる、のではなくて。だから、生存本能というシロモノは、決して僕たちの助けになるばかりじゃない、ということ(苦笑)。

そうだと思います。でも、さっきあなたの言っていた「本物の愛や強烈な美を一度でも経験したら、その存在をそのあとも信じることができる」というのは、なんというか、そのひとが一生かけて追い求める蝶みたいなものなんでしょうね。

アルカ:うん、同意だね。

はかなくて捕まえるのは大変だけれど、「いつの日にか、捕まえることができる」っていう希望を与えてくれ、動き続ける原動力になる、というか。

アルカ:そうだね。というか、あるいは……もしかしたら、そうやって追い求めてみたところで、しばらく経って気づくのかもしれないよね、「自分が捕まえようとしているのは、蝶そのものではないんだ」と。そうではなくて、その旅路や過程を美しいものだと見なそうとしている、という。

ああ、はいはい。わかります。

アルカ:そっちのほうが、もしかしたら「蝶を捕まえる」ことより深いのかもしれないよね? だから、人生の最初の段階では、そのひとは蝶を捕まえるべく動き回るのが自分の目的だ、そう思っているのかもしれない。ところが本当のところは、ゆっくりと速度を落とすことなんだよ。だから、実際に蝶を見つけるよりも、動きの中に自らが存在し続けること、そちらのほうがもっと深い意味での美のフォルムなんだ。もしもそうやって自分の考え方を変えることができたなら……美を見つけようとする旅、それそのものが美しいものなんだと発想を転換できさえすれば、決して失意を感じることもないだろう、と。まあ、これってちょっと仏教めいた考え方なんだけど、そこには何かしらとても真実に近いものが含まれている、僕はそう思うね。

“Coraje”や“Miel”などのアンビエント色の強いビートレスのトラックが増えたのは、やはり今回のテーマとの関連性があると思わざるをえないのですが、すさまじくメランコリックな響きを有してますよね?

アルカ:そうだな、あの2曲について言えば……付け加えてみた他のいっさい何もかもが、自分には「不要だ」と思えた、みたいな。だから……ある種のメッセージでもあったんだよ。「何かを足してしまったら、歌の持つ輝きを損ねることになるだろう」と。それもあったし、自分にとっては、「自分の声とひとつの楽器だけ」というのに、どこかしらとても価値があるような気がしていて。
 他の歌、たとえば“Reverie”なんかでは、ものすごい数の楽器を使っているわけだよね。ドラムにベースに、じつに様々なサウンドが入っている。で、僕は考えたんだ──僕自身の内面の全景を描こうとするのなら、“Reverie”のような曲も、たしかに自分のある一面にとってはとてもリアルだ、と。ところがいっぽうで、それと同じくらい僕にとってリアルなのは、たったひとりで歩いているときの自分の面だろう、と。僕はよく近所の墓地をひとりで散歩するんだ。で、歩きながら、僕はただ歌っている、という。で……だから、付き添うものは何もなし、その必要がないんだよ。曲そのものがストーリーになっているし、それだけでじゅうぶん、と。

なるほど。

アルカ:でも、自分ではアンビエントと考えたことはなかったね。ただ、少しばかりミニマリズムについては考えたんじゃないかな。といっても、僕にとってのミニマリズムのフォルム、であって……それはだから、非常に古い形式のミニマリズムということ。ひとつの声にひとつの楽器というのは、とても古い音楽の形式なわけじゃない?

ええ。

アルカ:たとえば……歌声に三味線だけ、とか、声と打楽器だけ、みたいな。そういったものには、どこかしらとても古代を思わせるものがあるよね。だから、きっと……うーん、いまミニマリズムについて言った発言は撤回させてもらおうかな。そうではなく、表現のシンプルさなんだと思う。必要なものだけで気を散らすものはいっさい混じらない、そういうシンプルさだね。

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僕の生まれた国、ヴェネズエラというのは非常に保守的でね。そのせいで、性の面でゲイであること、トランスジェンダーであること、あるいはクィアであることを、とても恥だと感じやすいんだよ。で、若かったころの自分の感じた様々な恥の感覚に対する、いまの大人としての自分の反応の仕方というのは……それはだから「恥を隠す」の正反対、というか。むしろ逆に、自らのセクシュアリティを祝福し、「これはべつに恥に思うようなことでもなんでもないんだ」って風に人びとと対決する、という。


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音で言うと、本作で言えば“Whip”が端的ですが、激しい打撃音など「痛い音」があなたのトラックでは目立つように思います。

アルカ:(苦笑)うん。

このようなある種の暴力性を伴った音はどこから来るものなのでしょうか?

アルカ:まあ、傷つきやすさ/もろさを含むアルバムを作ろうとするのなら……で、そのもろさに何らかの意味を持たせたい、あるいは自分にとって真の意味を持つものにしたいと思ったら、それはもろさのすぐ隣に暴力を配置する、ということなんだ。

はい。

アルカ:だから、正反対の対極にあるふたつが並ぶことで、そのお互いの関係がよりインパクトのある、より深淵なものになる、というか。で、実際“Whip”は“Desafio”の前に来るわけだけど、“Desafio”はこのレコードのなかでもっともハッピーな曲だと思っているし。

なるほど。

アルカ:だから、それってこう……ある意味、カオスを祝福するというか、あるいはカオスに笑顔を向ける、みたいなものなんだ。だから、苦痛に笑顔で返す、という。で、僕たちは……こうした様々なフィーリングを自分たちの内面で生きているわけだけれど、そのフィーリングの推移というのは、じつはあまり経験しないものだよね。だから、すさまじく幸せだと感じる日もあれば、その次の日には急にものすごく憂鬱になってしまうこともあるわけで。だから、その両方のフィーリングに敬意を表するための、あれは僕なりのやり方なんだと思う。
 で、僕たちは社会的にも、そして文化的にも、暴力に対してあまり安心できないわけだよね。もちろん、ある種の型の暴力はオーケイで、許容してもいるけれど。たとえば映画や文学などのなかに描かれるヴァイオレンスのことだね。ところが僕たちは、それ以外の類の暴力に対しては非常に不愉快にさせられる、と。だから、おそらく僕のやっていることの一部には……僕のなかのどこかに、僕たちを不快にさせる何かとアイデンティファイしてしまう側面があるんだよ。で、人びとにその何かの目を正面から見据えさせようとする、という。この「相手の目を見る(look them in the eyes)」っていうのは、自分がとてもよく使う表現なんだ。アイ・コンタクトについて、ほんとよく考える。というのも、たとえばどこかの街で通りを歩いていて、通行人たちがほんの1秒でも誰かとダイレクトに目を合わせるのって、ものすごく珍しいことで。だから、僕はある意味……「僕たちは、自分自身のこともちゃんと目を見て見つめていないんじゃないか?」みたいに感じている、という。だから……ああした暴力の質感、あるいは暴力を示唆するテクスチャーというのに、僕は惹かれるんだよ。というのも、それは「相手の目をじっと見る」のに似ているから。

なるほど。

アルカ:僕たち誰もが理解できることだし、かつ、みんなが居心地悪く感じるものなわけで。それと、最後にもうひとつ言わせてもらえば……そうだな……僕は、暴力というのは、それ特有のとてもユニークな美を持つフォルムじゃないかと、そう思っていて。いや、もちろん、暴力を祝福するつもりは僕には毛頭ないんだよ。ここで言わんとしているのはそこじゃないから、誤解しないでほしい。

ええ、もちろん。

アルカ:ただ僕はとにかく、暴力というのは……リアルなものだと思う。かつ、それは色彩のひとつだ、と。で、画家としての僕は、やはりある種の色彩群に魅力を感じてしまうし、まったく違う色彩が隣り合わせに配されているのが好きなんだよ。で、それはまた、たまたま僕自身の世界観でもあるという。そうだね、だからこれもまた、その質問に対する別の答え方なのかもしれない。

あなたがアルカの表現において、サウンド面でもアートワークでもアルバム・タイトルでも異形のもの、奇形のものにこだわるのはどうしてなのでしょうか? それは意図的なものなのか、あるいはあなたにとって自然なことなのでしょうか?

アルカ:そうだね……アートワークに関しては……もちろん、僕たちはどの作品についても、ストーリーに関しても、いっしょに話し合うんだけどね。ただ、あれらは僕の親友のジェシー・カンダがクリエイトしたものであって。だから、僕としては……んー、彼をここで代弁したくはないな。彼には彼なりの考えがあるんだろうし。そうは言っても、僕たちは作品に関しては、ほぼ何に関しても了解し合っているんだけれども。だから、あれはたんに……祝福するってことなんじゃないかな? 要するに、ああいったものが僕たちには美しいと思える、というか。

ええ。

アルカ:ああしたものが僕たちには美しく映るし、でも、みんながみんなそう感じはしないってことも、僕たちは承知していて。だからこそ逆に、あの美を感じる自分たちをさらに誇りに思ういっぽうだという。

(笑)なるほど。

アルカ:(笑)というのも……違う見方をすれば、それはじつは美しいものだったんですという考え方を人びととシェアすること、それが有効だったとしたら──それは、この世界に美をさらに加えることに他ならないわけで。他の人びとにとって美しいとされる、そういったいろんなものに備わる美を愛でることも僕にはできるし、それが理解できることに満足して もいるんだよ。
 それに、これまでの人生で出会ってきたいろんな人びと……それは恋人だったり、あるいは友人でもいいんだけど、彼らのおかげで、僕はそれまで見えていなかった美を教わることにもなってね。だからいまの自分には、以前は見えなかったある種の色彩、テクスチャーといったものを見出すことができるんだよ。だから、これ(異形や奇形へのこだわり)というのはたぶん、僕たちにとっての……「グロテスクと思えるものは、実は決して醜いものではない」という意見みたいなものなんだろうね。要するに、「グロテスク=醜い」と教わってきただけじゃないか、と。たんに「これは美にあらず」って言われてきただけのことであって、でも、もしもそのひとがよーく目を凝らして見てみれば……凝視してみれば、たとえば作品に用いられたクリーチャーの胸に、光が反射しているのが見て取れる。かつ、そこには質感も備わっているし、その質感は複雑なもので……そのクリーチャーのすべては、なんというか、ギラギラと光る、濡れた素材から出来ている、と。で、それというのは……素材に差して反射している光を見る者に思い起こさせる。たぶん、それなんだろうね、考えない限り他の人びとには見えてはこないであろう、そういう僕たちの思う美のフォルムというのは。

なるほど。

アルカ:それは、たくさんの美しいヴィジュアルのパターン、そして美しいヴィジュアルの質感と関わっているんだよ。だから、それらを良いなと味わい、かつ、それらのパターンや質感が表しているとされるコンセプトを取り去り、自分はそれらを「好き」、あるいは「嫌い」と見なすべきなのか? といった既成概念から逃れることで……そのひとは本当の意味で「自分が美しいと思うのはこれだ」って風に、自ら選択することができるようになる。そうすれば、そのひとは日々のなかにより多くの美を見出すことができるようになる、ということなんじゃないのかな。

日々色んなものを味わい、舌を肥やす、ということですね。

アルカ:うん、というか、たんに「伸ばしていこう」と。だから、自らを伸ばして広げていけば、それは……自分のものとは異なるカルチャーを美しいと思える、そうした感情にもつながるわけで。で……きみにとってまったくなじみのない何かをきみが「美しい!」という風に思えたら、それは……たぶん、きみが……うーん、これは慎重に言葉を選ばないといけない微妙な話だけれども……うん、ある種の問題、差別といったもの……人種に対する差別や、あるいは同性愛の男性に対する嫌悪/差別というのは、ある意味、「自分が“美しいものだ”と知っている(=教えられた)」以外の何かを「美しい」と認めるのを許すことができない、そこから来ているんじゃないのかな。

たしかに、文化の影響で「これが正しい美である」という風に、盲目的に信じている人はいますよね。でも、あなたが言うように、この世界の中には実に多種多様な「美」が存在するわけで。

アルカ:それに美というのは、人間が日々を生きるだけの甲斐をもたらす、そういうものだと僕は思っていて。だから、美に関する対話というのは、なにも表面的な事柄についての対話とは限らない、とても深淵で重要なものだと僕は思う。美、あるいは芸術を通じて、人びとは無意識のレベルで様々な交渉を行っているんじゃないかな。だからそうした交渉/対話というのは、じつは余計だったり不要なものでもなんでもなくて、とても緊急で語られるべきことなんじゃないか、と。というのも……ある人間の保持している世界の見方、それを意識的に変えようとその人を説得するのは、まず無理な話なんだよ。でも、人間というのは、なんというか……「新しいタイプの美」を学ぶことはできるんだよね。たとえ年老いた人間でも、それは可能なんだ。

なるほど。

アルカ:で、それっていうのは……これまでの自分を避けるというか、自分たちが意識的に、そして慣習に従って育んできた振る舞いのすべてを退けて、もっと深い何かにリーチしようとすること、という。その何かというのは、僕たちに死が訪れるその日まで、最後まで変えることができるんだよ。

なるほど……。それは、ある意味、一番良い生き方かもしれないですね? そうやって自分はつねに変われると分かっていれば──たとえばの話、「あーあ、自分が60歳とか70歳になったら、それこそ化石みたいに感じるんだろうな」と思うわけですけど──

アルカ:フフッ!(苦笑)

そうやって歳をとっても、つねに進化し、変化し、何か新しいことを学ぼうとしていれば、それはきっと、良い人生と言えるんじゃないか、と。

アルカ:まあ、たとえばの話だけど……きみがそういう経験をした人に実際に出会ったことがあるかどうかは分からないけども、じつは……自分の子供に非常に厳しくて、その子の全人生を通じてものすごくつらく当たってきた、そういう父親って、あんまり珍しくないんだよ。

ほう。

アルカ:ところが、そういう父親であっても、そうだなぁ……60歳を越えたあたりかな? そこらへんで、なんというか、彼らのホルモンが変化する、とでもいうのか。

(爆笑)

アルカ:まあ、ホルモンじゃないとしても、テストテロンの数値がちょっと低下する、みたいな?(笑)

(笑)はい、はい。

アルカ:だから、それくらいの年齢に達すると彼らも丸くなるってこと。で、これまでけっして口にしなかったようなことも言えるようになるんだよ。だから、突然「お前を愛しているよ!」と言い出したり、それまで表に出さなかった感情を見せはじめたり。

なるほど。

アルカ:それってだから、ものすごーく遅咲きな花がやっとほころぶのを眺める、みたいなものなんじゃないかな?

はい。

アルカ:で、どうしてそんなことになるのかと言えば、それはきっと、男性というのは……ホルモンが変化したあとで、過去に彼らが美を見出してきた場所とはまた違うところにある美を見つけることができるようになるからじゃないか、と。あるいは、それというのは、彼らの内側にある何かが脅かされてきたために、これまで彼らが絶対にそこに美を見つけようとしなかった、そういうフォルムなのかもしれないよね。
 ともあれいま言ったことは、そのひとがたとえ何歳であっても、あるいはそのひとがどれだけ強く、背も高くて……そんな風にがっしりしていて……身体だけではなくて、振る舞いやそのひと自身の自己がどんなに頑強であっても関係なしに、美というものは新しい形でそのひとの前に現れ続けるものだ、その、証なのかもしれないよね。それこそ死の直前まで美は訪れるんだよ。

ええ。

アルカ:だから、それって証明なんじゃないかな……僕たちって、ある程度の年齢に達する、あるいは歳をとって「自分自身のことはよくわかっている」と思ったところで、「自分はこれですっかり固まった、変わらない」みたいに考えるわけじゃない? ところが実際はどうかと言えば、そんな時期にあってすら、僕たちにはまだ新しいものを「美しい」と思うことが可能だったりする。ということは、それはもしかしたら、僕たちの内面には自分たちが考えているほど永遠にソリッドで堅固ではない面がある、その証なのかもしれない。ということは、そこにはまだ変化への希望がある、変化を求めてトライしようとするだけの根拠がある、ということだよね。だからなんだよ、音楽やアートは僕たちの生きる通常の日々にくっついているだけのもの、ただたんに「エクストラ」な要素ではなくて、じつはとてもヒーリング効果のあるものになりうるのは。

それだけ、人間の生にとって不可欠なものだと。

アルカ:うん、うん。


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だから、おそらく僕のやっていることの一部には……僕のなかのどこかに、僕たちを不快にさせる何かとアイデンティファイしてしまう側面があるんだよ。で、人びとにその何かの目を正面から見据えさせようとする、という。


電子音楽の多くは、多くを語らずして、聴き手の内側に多くを醸成させることができますし、あなたの音楽もそうした想像力の契機にはなっているのですが、しかしあなたはヴィジュアルを使います。今回のアルバムもそうですが、あなたの音楽にとってヴィジュアルはどんな役目を担っているのでしょうか?

アルカ:んー……そこは……やっぱり、ジェシーに負う部分が多いんじゃないかな? 彼とは14歳かそこらだった頃からの友だちだし、ネットを通じて知り合った仲なんだよ。

ええ。










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アルカ:で、彼は生まれつき、こう、とてもヴィジュアル思考なひとで。いや、僕もヴィジュアルへの意識は強いんだけど、彼みたいに視覚センスの非常に鋭いひとを友に持ち、かつそのひとといっしょに音楽作品を作ろうとすれば……なんというか、ヴィジュアル要素がただ重要なだけでなく、それ以上の……「必須な要素」になるのはある意味当然の話だ、と。僕たちはどちらも同類のテクスチャー、完璧ではないものの、光り輝いていて、有機的な、そういう質感に惹かれるし、だからこそ、彼もまた可能な限りオーガニックな3Dグラフィック作品を作ろうとする。合成テクノロジーを用いながら、自然を敬おうとしているんだよ。きっと、それは僕にしても同じなんだろうね。僕は合成素材を相手に作業するわけだけれど、それを通じて……自然、あるいは自然のなかで起きている何かを再現しようとしている。自然の持つランダムさ、カオス、そしてコントラストをね。というわけで、それが僕たちにとってのバランスのとり方なんじゃないかと思う。というのも、僕たちの用いている媒体は非常にデジタルだし、だからこそ参考例に有機的なものを持ってくる、という。

『ミュータント』でいっさいの取材を断りましたが、その理由を教えてください。

アルカ:いや、いっさいではなく、ごくわずかしか取材はしなかった、ってことじゃないかな。それこそ1本くらい? とにかくまあ、ほんの少ししか取材は受けなかった。というのも……とにかく、あのアルバムの発表をちょっとでも遅らせたくなかったし、それにたぶん、自分が喋る必要性をあまり感じなかったんだと思う。作品そのものに語らせたかった。
 でもこのレコードに関しては、取材を受けることに対して自分はもっとオープンになっていて。どうしてかと言えば、僕は……僕自身の自分の作品の捉え方、あるいは世界の見方というのは、人びとが僕のレコードを理解するのに役に立つこともあるんじゃないか、そう思っていて。彼らが作品に興味を抱いてくれ、そして知りたいなと思えば、彼らには僕の考え方を見つけることができる、と。僕にとってのインタヴューというのはそういうもので、だから僕自身、僕が尊敬している人びとやアーティストたちのインタヴューを読んだり、インタヴュー映像を観るのはエンジョイしてる。それに、毎回同じことを繰り返さないようにするのはいいことだと思うしね。

(笑)ああ、なるほど。

アルカ:そんなわけで、『ミュータント』時にあまり取材をしなかったから、今回の自分はもっと取材を受けても構わないって姿勢になっている。それもまた、自分にとって快適ではないことをつねに追い求める、やったことのない新しい何かを追い、お決まりのルーティンを避ける、ということなんだけどね。

あのセカンド・アルバムのすさまじいノイズからも、拒絶のようなものを感じました。それもかなり強度のある拒絶です。なので、あなたは取材も拒絶したのかな、と思ったのですが。

アルカ:んー、もしかしたらそうなのかもしれない。その部分は少しあったんだろうね。僕のなかには、こう、苛立たされてしまう部分もある、というか。たとえばの話……他の誰かに決めてもらう/判断してもらうのが好きなひとって多いな、と思うんだ。で、もちろん批評家や批評というのは、ある点においては価値のあるものだよ。けれど、そこにはまた……人びとが何かをとても真剣に受け止める、その妨げになっている部分もあるんじゃないか、と。だから、レヴューひとつで分かった気になってしまう。悪評レヴューはもちろんだけど、高評価のレヴューだとしても、逆に人びとがその作品をシリアスに捉える妨げになってしまったりするからね。だから、プレス、あるいはインタヴューというのは、人びとが音楽を作りはじめる、その動機にはならない、みたいな。

(苦笑)はい、それはもちろん。

アルカ:それに、言語による自己表現に満足できない人たちが、音楽作りに向かうんだしね。それはそうだよ。言葉が大好きならひとなら、やっぱりライターになろうとするだろうし……だから、ライターにとっては言語が彼らの「アート」だ、という。そんなわけで、ミュージシャンにとって、(言葉を使って)インタヴューを受けるのって、ある意味、奇妙な経験なんだ。

ああ、きっとそうなんでしょうね(笑)。それはあなたの使う媒体ではない、という。

アルカ:その通り。それって、自分で選んだものではないんだよね、ある意味。

僕はつねに、自分の作るどのアルバムでも、どの作品をリリースする際にも、またどのパフォーマンスにおいても、自分が次に何かやるときにはまた変われる、その権利を確保しようとしているんだ。その自由のためなら僕は闘うし、「アルカ」というのは、ある意味その面を表してもいる。その自由を讃え守っていくことを自分自身に思い出させてくれるもの、と。

『アルカ』はあなたのヴェネズエラのルーツやその記憶が重要なテーマのひとつだと思えます。それはあなたにとって自然な選択でしたか? なぜそうなったのでしょうか?

アルカ:そうだな、それはきっと、この作品はひとつの独特なやり方でメランコリーとコネクトしようとする、というものだったから、そうするのが理にかなっていた……潜在意識にそこに連れて行かれた、という。だから、意図的に選択した結果ではなかったんだよ。それを説明するとすれば……神経科医によれば、人間の左脳はロジックや理性により近く、いっぽうで右脳はフィーリングや記憶にもっと関わっている、と。で……僕にとって、英語というのは左脳寄りの言葉なんだよ。

はい、分かります。

アルカ:僕は17歳で、大学進学のためにヴェネズエラを後にした。だから、自分のアカデミックな頭脳というのは英語で形成された、と。理論だとか……あるいは音響工学を理解している僕の脳の部分、そこは英語で教育されたわけ。で、僕のエモーショナルな頭脳、小さかった頃のフィーリングや記憶を持つ脳は……たとえば僕の家族、大家族でのお祝い事を耳にしたり、あるいは……僕の両親がスペイン語で言い合いしているのを聞いた、そういう経験からできていて。だから、じっくり考えた上での選択ではなかったにせよ、僕はこの方向性を受け入れることにした、と。「英語で歌ってみたらどうなる?」と、チラッと想像してみたことはあったんだよ。ただ、それはどうにも正しいとは感じられなくて。

なるほど。

アルカ:それに、偶然だったんだけど、ヴェネズエラ音楽のトナーダ(※坂本註:アルカ自身は「ト・ナース」に近く発音していました)という面もあってね。だから、これもまた意図的なものではなかったんだけど、歌っているうちに「これはトナーダじゃないか」と自分でも気づいたし、それもまた、自分にはなるほどと納得できたという。というか、あれに気づいたときは我ながらとても嬉しかったな。ある意味、自分の過去に戻っていくようなものだったし……でも、と同時に、あれは僕にとっては未来に足を踏み入れる、みたいなものでもあって。というのも、トナーダは僕からすれば慣れ親しんだ音楽ではなかったし。

潜在意識、あるいは非常に根源的な状態を通じて、あなたはご自身のルーツを再発見した、と言えそうですね。

アルカ:うん。うん、その意見には納得できる。だから、ある意味……心理セラピーみたいなもの、という。

はっはっはっはっ!

アルカ:(笑)いやー、だからまあ……っていうか、ほんとフロイト心理学っぽいんだよねぇ。自分でも、しょっちゅう驚かされる、みたいな(苦笑)。

いまおっしゃっていたトナーダについてですが。これは、スペイン系のフォーク音楽、というので当たっていますか?

アルカ:うん、っていうか、あれはヴェネズエラの音楽。ヴェネズエラ産だし、興味深いことに……あれはなんというか……「労働者たちの音楽」みたいなものだったんだよ。ヴェネズエラの田舎の労働者たち、のね。

ほう、そうなんですか。

アルカ:でも、実のところシモン・ディアス(Simón Díaz)という歌手、彼の歌うトナーダだけだったな、僕が大きくなるなかで耳にしていたのは。で、トナーダというのはもともと非常に古い音楽なんだけど、1950年代のヴェネズエラで工業化が更に進んだ際に、シモン・ディアスはトナーダを救おうとしたんだ。だから彼は当時にしてはとても、とても古い音楽を歌い始めた、という。

それはおもしろいですね。

アルカ:で、奇妙なことに……いや、僕としては「自分はトナーダを救っている」みたいな感覚はないんだけどさ。

(笑)

アルカ:僕はシモン・ディアスじゃないからね。でも、だからなんだよ、トナーダの影響を感じて自分でも嬉しかったのは。というのも、ある意味あれは……非常にヴェネズエラ的な、長い歴史を持つソングライティングのテクノロジーなわけで。そのおかげで、何かに向けた熱望……あまりに深くて、ゆえにスピリチュアルですらある熱望の想いを歌うことができるようになる、という。メランコリーというのは、トナーダにとってとても大きい感情だと思う。トナーダはいつだって、月に向かって歌いかけるとか、あるいは失ってしまった愛に向けて、あるいは年老いてしまった人間の「愛を見つけたい」という強い思いに向けられている。だからある意味、トナーダというのは表現できずにいた、表に出せなかった物事についての歌、というか。で、自らをいろんなものの「中間点」に見出している僕のような人間にとって、それはとても意味のある音楽なんだ。

わかりました。また、チャンガ・トゥキ(Changa Tuki)はいかがですか? このアルバムにどのように影響を与えていると思います?

アルカ:いや、このアルバムに特に影響した、とは思わないな。ただ、ミュージシャンとしての僕にとってあの音楽は特別だし、だから間接的に影響しているのかもしれない。それに、自分がDJをやるときは、必ずチャンガ・トゥキをかけるからね。あれもまたヴェネズエラ産の音楽なんだけど……あれはあれで、僕にとってはまたべつの、まったく違う脳の領域、というか。

(笑)

アルカ:だから、左脳があり、右脳があり、でも、三つ目の領域がどこかにある! みたいな(笑)。DJをやってるときの自分の領域、とでもいうのかな。僕はDJをやるのが大好きだし、日本の〈WOMB〉、それから〈タイコクラブ〉でもDJをやったことがあって。

ああ、そうだったんですね。

アルカ:あの〈WOMB〉でやったDJセット、あれはものすごく気に入ったし、自分でも大好きなセットのひとつだよ。

その際の、チャンガ・トゥキに対する日本のお客の反応はいかがでした?

アルカ:ものすごい叫び声だった!

(笑)。

アルカ:あんなにハイパーな日本のクラウドって、初めて見たな。みんなものすご〜くエキサイトしていたし……立錐の余地なしってくらいギュウギュウで。それこそ、会場側が規定以上にお客さんを入れ過ぎちゃった、みたいな。

はっはっはっはっ!

アルカ:あれはもう、本当に……とてもビューティフルだった。だから、ヴェネズエラのダンス・ミュージックを東京のクラブでかけることの美しさ、だよね。とても普遍的で、かつとてもシンプルな音楽だから、説明不要で通じるという。

音楽の良さって、そこですよね。

アルカ:うん、本当にそう!

あなたはかつて「アルカという言葉に意味はない。だから自分自身に新しく意味づけができると思った」と説明していました。

アルカ:いや、実は、もっと入り組んだ話なんだ。というのも、「アルカ」という言葉に意味はあるんだけど、あまりにも古い言葉だから、誰もその意味をよく知らない、覚えていない、という。

そういうことなんですね。その、大昔の「アルカ」の意味というのは?

アルカ:あれは非常に古いスペイン語で、木製の箱(蓋のついた大きな箱)、みたいなもののこと。だから、何か大切なもの、たぶん宝石か何かをしまっておくのに使われた箱だね。言い換えれば、虚ろな空間ということ。で、いまでもこの言葉の意味は変わっていないけれども、多くの人間にとってその言葉が何の意味も持たない、というのが僕は好きでね。だけど、その意味を遡ろうとすれば、「空っぽの空間」、貴重なものをしまうための空間、ということなんだ。

なるほど。ではいま、「アルカ」という言葉にどのような意味を与えますか?あなたにとってその意味は? 

アルカ:うーん、たぶんその意味は変わっていないと思う。だから……それはこう……「あえて、何もしようとはしない空間」とでもいうか。そこで自らを花がほころぶように開き、広げることができる……いや、僕が自分を開いて広げられる、そういう空間。で、僕はつねに、自分の作るどのアルバムでも、どの作品をリリースする際にも、またどのパフォーマンスにおいても、自分が次に何かやるときにはまた変われる、その権利を確保しようとしているんだ。その自由のためなら僕は闘うし、「アルカ」というのは、ある意味その面を表してもいる。その自由を讃え守っていくことを自分自身に思い出させてくれるもの、と。その空間……変化するための、成長するためのスペースに敬意を表し、そして、絶え間なく変形し続けていくこと。そうすれば、人生が静止したままの、活気のないものなんかには絶対にならないわけで。

はい。

アルカ:僕は(そうやって変化を続けても)疲労を感じるってことがまずなくてね。自分はいつだって……まあ、そのせいでちょっとばかり楽になれない面もあるとはいえ、それは仕方のない代償であって。だから、本当の意味で「自分は100%生きている」と感じるための、そのご褒美に対して支払う対価というか。

そうやって変化し成長し続けるあなたというのは、大きな森、なのかもしれませんね。

アルカ:それ、最高! いままで言われてきたことのなかでも、一番素敵な言葉だよ、それは。

〈了〉

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